リルケ 或女友達への手紙 ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳 このリルケの手紙は、彼の死後、程なく、「新佛蘭西評論《ヌウヴエル・ルヴユ・フランセエズ》」(一九二七年二月號)に發表せられたものである。この手紙と共に、J・P(編輯者のジャン・ポオランか?)と署名のある、リルケの死を悼む文が載せられてゐる。... 2019.06.08 リルケ
リルケ リルケ書翰(ロダン宛) ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳 一九〇二年の秋、巴里にはじめて出かけて行つて、ロダンに親しく接しつつ、遂にロダン論を書き上げ、伯林の一書肆より上梓せしめた後、やや健康を害したリルケは、伊太利ピサの近くのヴィアレジオに赴いて(三月)、靜養してゐた。ヴィアレジオは海に面した、... 2019.06.08 リルケ
リルケ トレドの風景 ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳 一九一二年秋、リルケは一人飄然と西班牙に旅した。この西班牙への旅--殊にトレド一帶の何か不安を帶びた風物――は、詩人にはいたく氣に入つたやうに見える。彼は其處にもつと長く滯在して當時彼の心を捉へてゐた仕事(Duineser Elegien)... 2019.06.08 リルケ
リルケ ドゥイノ悲歌 ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳 次ぎの手紙の斷片は、リルケの作品をポオランド語に飜譯したヴィトルト・フォン・フレヴィチのさまざまな質疑に答へて詩人が書き與へた返事のうちの「ドゥイノ悲歌」に關する部分である。この手紙には日付がないが、消印によつて一九二五年十一月十三日のもの... 2019.06.08 リルケ
リルケ さらにふたたび ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳 さらにふたたび、よしや私達が愛の風景ばかりでなく、 いくつも傷ましい名前をもつた小さな墓地をも、 他の人達の死んでいつた恐ろしい沈默の深淵をも 知つてゐようと、さらにふたたび、私達は二人して 古い樹の下に出ていつて、さらにふたたび、身を横た... 2019.06.08 リルケ
リルケ 「マルテ・ロオリッツ・ブリッゲの手記」から ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke ——堀辰雄訳 九月十一日、トゥリエ街にて 一體、此處へは人々は生きるためにやつて來るのだらうか? 寧ろ、此處は死場所なのだと思つた方がよくはないのか知らん? 私はいま其處から追ひ出されてきた。私はいくつも病院を見た。私は一人の男がよろめき、卒倒するのを... 2019.06.07 リルケ