リルケ

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老人  GREISE        ライネル・マリア・リルケ    Rainer Maria Rilke    森林太郎訳

ペエテル・ニコラスは七十五になつて、いろんな事を忘れてしまつた。昔の悲しかつた事や嬉しかつた事、それから週、月、年と云ふやうなものはもう知らない。只日と云ふもの丈はぼんやり知つてゐる。目は弱つてゐる。又日にまし弱つて行く。それで日の入りがぼ...
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夢 ライネル・マリア・リルケ  Rainer Maria Rilke     堀辰雄訳

第七夜 私は少女を搜した。いましがた夜の明けたばかりの、狹い、長方形の部屋の中に、私は少女を見出した。彼女は一つの椅子に腰かけ、僅かにそれと分かるくらゐに微笑してゐた。その傍には、一寸離れて、もう一つの椅子があり、それには一人の青年が腰かけ...
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白 リルケ Rainer Maria Rilke 森鴎外訳

保険会社の役人テオドル・フィンクは汽車でウィインからリヴィエラへ立った。途中で旅行案内を調べて見ると、ヴェロナへ夜中に着いて、接続汽車を二時間待たなくてはならないということが分かった。一体気分が好くないのだから、こんなことを見付けて見れば、...
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巴里の手紙 ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳

ライネル・マリア・リルケは一九〇二年八月末はじめて巴里に出た。「美術叢書」(Die Kunst)を監修してゐたリカルド・ムウテル教授に囑せられてロダン論を書くためであつた。リルケは先づ、ソルボンヌ區トゥリエ街十一番地に寓した。八月二十八日の...
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冬 ライネル・マリア・リルケ  Rainer Maria Rilke     堀辰雄訳

まだすこしもスポオツの流行《はや》らなかつた昔の冬の方が私は好きだ。 人は冬をすこし怖《こは》がつてゐた、それほど冬は猛烈で手きびしかつた。 人はわが家に歸るために、いささか勇氣を奮つて、 ベツレヘムの博士のやうに、眞つ白にきらきらしながら...
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窓 ライネル・マリア・リルケ  Rainer Maria Rilke     堀辰雄訳

[ Ⅰ 、1-13-21]バルコンの上だとか、 窓枠のなかに、 一人の女がためらつてさへゐれば好い…… 目のあたりに見ながらそれを失はなければならぬ 失意の人間に私達がさせられるには。が、その女が髮を結はうとして、その腕を やさしい花瓶のや...
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祭日 DAS FAMILIENFEST ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke—— 森林太郎訳

ミサを読んでしまつて、マリア・シユネエの司祭は贄卓《したく》の階段を四段降りて、くるりと向き直つて、レクトリウムの背後《うしろ》に蹲《うづくま》つた。それから祭服の複雑な襞の間を捜して、大きいハンカチイフを取り出して、恭《うや/\》しく鼻を...
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駆落 DIE FLUCHT ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 森林太郎訳

寺院は全く空虚である。  贄卓《にへづくゑ》の上の色硝子《いろガラス》の窓から差し入る夕日が、昔の画家が童貞女の御告《おつげ》の画にかくやうに、幅広く素直に中堂に落ちて、階段に敷いてある、色の褪めた絨緞を彩つてゐる。それからバロツク式の木の...
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旗手クリストフ・リルケ抄 ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳

「旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌」はリルケの小時の作(一八九九年)である。  詩人は若いころ自分が「森の七つの城のなかで三つの枝の花咲いた」由緒のある貴族の後裔であるといふ追憶を愛してゐた。彼はさういふ古い種族の「最後の人」であるとみづ...
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家常茶飯 ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke—- 森鴎外訳

第一場 広き画室。大窓《おおまど》の下に銅版の為事《しごと》をする卓《たく》あり。その上に為事半ばの銅版と色々の道具とを置きあり。左手に画架。その上に光線を遮るために使う枠を逆さにして載せあり。室《しつ》の真中《まんなか》に今一つの大いなる...