付録
ベートーヴェンへの感謝* ロマン・ロラン
ヴィーンにおけるベートーヴェン記念祭の講演
われわれの生活の偉大な伴侶であってくれたその人に、私は、この一時代の感謝の言葉を――Dankgesang《ダンクゲザング》(感謝の歌)をささげる。
われわれの幼い時からこの方、彼がいかにわれわれのために友であり、助言者であり、慰謝者であってくれたかは、私はそれを間《ま》に合わせの貧弱な言葉ではとうていいいあらわすことができない。けれどもあなた方――みずからそれを経験されたあなた方は、私同様にその事を知っていられる。私の言葉を聴いていられる方々の中の多くは、ベートーヴェンに助力を負うていられる。多くの方々は、試練の時に当たってベートーヴェンに助けを求め、彼の力強い親切な魂の中で、苦悩の和らぎと生きる勇気とを汲み採られて来たのであった。
ここで私がいいたいと思うことは、われわれを、あらゆる国々のわれわれを、この世で彼の生涯の後につづく世紀に生きたわれわれを、彼がいかに帰服させたかというそのことである。それはまさに彼が、ゲーテの次の言葉を彼自身の言葉として適用した日に予見していたとおりのことなのである。
「私が私の同時代者らから受けなければならなかった不当の損失の代償を、この次の時代、またその次の時代が二度か三度支払ってくれることだろう**[#「**」は行右小書き]……。
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*原注――この文章はベートーヴェン百年祭のために、一九二七年二月二十八日にヴィーンでロマン・ロランが朗読したものである。
**原注――『西東詩篇』(〔West-o:stlicher Divan〕)のゲーテの序文。――ベートーヴェンは自分の持っていた本のこの部分にアンダーラインをしていた。またそれを彼の『手帳』に書き抜きした。
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思うにあらゆる征服の中で、精神による征服ほど貴いものはない。そうして精神の領域の中で、音楽による征服ほど深くかつ遠く及ぶものはない。
一つの有名な対話の中で、ベートーヴェンは次のようなことをいった――
Musik ist die Vermittlung des geistigen Lebens zum sinnlichen.
(音楽は精神生活を感覚生活へ媒介する者である。)
われわれが偉大な音楽家の思想の中へ透入するのは感覚によってである。その思想の意味しているところの物をわれわれが会得する以前に、まずそれは我々の肉に滲み込む。そういう思想が女や子供の魂のような柔順な魂をいつのまにか薫陶するのは、実にそのような至高の魔術によってなのである。
無数の若いヨーロッパ人の魂を、いかにベートーヴェンの音楽が鍛えたかということを、私は諸君に示してみたいと思う。そうして、諸君の前で私自身の思い出に遡りつつ、彼がわれわれの本質の奥底に浸徹し、そこに彼の精神と彼の意志との力強いしるしを刻みつけたところの、その神秘な道筋を見いだすことを試みてみようと思う。
ベートーヴェンの音楽についての私の最も古い二つの思い出、私の最初の彼との邂逅というものは、こうである――
八月の或る静かな日の午後に、スイスの或る伽藍《カテドラール》の中で聴いた『田園交響曲』。戸外の小鳥たちのぴよぴよがオーケストラの鳥たちの声と入り交じっていた。その以前にこの音楽のことを私はまったく知らなかった。そうして一瞬間の後には、それが音楽だということをさえ私はもう忘れてしまっていた。まるで夏というものがそこへすっかりはいり込んで来ているような気持がした。私は太陽に照らされた自然のざわめく夢想の中にひたって恍惚としていた……
二度目はパリの劇場である。息苦しい、光線の通りの悪い、たいそう上の方の座席で、幽暗な熱っぽい情熱の渦の流れている込み合った群衆の中でのことである。演奏されたのは Symphonie en la『第七交響曲』それはまだ私の知らないものだった……沈黙……最初の音が鳴り出すと、もう私は一つの森の中にいた。始まりの大きい和音《アコード》の上にオーボエとクラリネットとがそのゆるやかな夢想を繰りひろげ、転調《モデュラシオン》の影がそこをよぎる。ピアニシモ(最弱音)で弦の顫えが高まる。これこそ森である。――動揺する森、やがてまた堂々と瞑想の主題を取り戻す森である。中ほどで森の中の空地のような小さな空間が田園ふうのオーボエで作られる。そこで和らげられた魂が歌う。森の荘重なささやきとその巨大な呼吸とがそれを包んでいる。その呼吸は高まり、また落ち入る。一つの休止。耳はそばだつ。こだまの中の応《こた》え。森の中の呼びかけ。オーケストラのシンバルの交互に促すような調子。――一切が待ち受けている。一切が飛躍の準備をする……すると見よ! アナペスチック(短々長音格)の音律《リトム》。舞踏《ダンス》。初めは小さな装飾音とグルペッティ(短連符)とを持った田舎ふうの優雅さで、やさしく静かである。少しずつ、全体が動揺する。魂のあらゆる|色合い《ニュアンス》。憂鬱。不安な荒々しい力。樹の葉の中の風の顫動。誇らしげな喇叭乱吹《ファンファール》。全体が少しずつ、少しずつ勢の中へ引き込まれる。ロンドはアレグロの第二の部分で次第々々に、よそよそしい、急激な、厳しい、悩ますような、慌しい、憑かれたような性質を帯びて来る。――やがてそれに続く異常な終節《コーダ》、あの神秘的なピアニシモ、あの影の深淵。その上に幅びろい光が落ち、そこから巨人的な力が立ちのぼる。その主題《テーマ》は大きくて反覆的で、衝角《ベリエ》〔[#割り注]訳者注――古代の戦闘に城の障壁を突破するために用いられたもの[#割り注終わり]〕のように投げ飛ばされ、石の切れっぱしのように、空《くう》にかかった物体のように、飛翔の途中で停められる。――そして最後に、息をはずませているフォルテシモ(最強音)。民衆の激烈な舞踏《ダンス》。それは騎馬行《シュヴォシェー》の中で終りを告げる……
この二つの交響曲の中で、共に二つの場合を支配する一つの印象は、自然 la Nature――野または森、太陽もしくは夜――と、そしてその自然に同化してその諸力に味方し、その顫動と、そのリトムと、その法則と、その本質との材料を用いて、崇高な戯れを織りなすところの精霊 L’Esprit とである。完全に現実を把握しきっていることと、夢 〔le Re^ve〕 へのその転質とである。その夢は衣の下で宇宙の本質の核心に徹したが故に、現実よりもさらに真《レエル》である……
そうだ、今こそこの事が私にははっきりわかる。――だが、あの時、あれを聴きながら、私はどこにいたのか? 子供の私の魂はどこにいたのか? 意志も持てず、息もつけず、あの幻想の神聖な旋風に運び去られていたのか?……
私がそこへ沈み込んでいた忘我の状態の中で、自分の心の中に形成されつつある事柄を、私はまだ少しも弁別することができなかった。後になって初めてそれが判って来た。今日、私にはそれがよく判る。それを明らかに読み採ることができる所まで来着いたと信じる。そうして、私がここで自分の子供の時の印象を呼び戻すのは、諸君自身の印象をそれぞれ諸君が読み採ることを、おそらくそれによって助力することができるかと思うからである。思うにわれわれは皆同一の人間であって、ただ意識の強さと明らかさとの度合を異にするだけのことだから。
まず、ベートーヴェンの音楽の中で私の心を打つところのものは、こうである。――
総じて音楽はその選ばれた人々の作品にあっては、一つの思念《イデー》への集中力を展開させている。それは動き行く建築であって、そのあらゆる部分がいちどきに聴き取られねばならない。――けれどもベートーヴェンの音楽におけるほど、思想のこの統合力が強烈で不断で、またとらえ難い事は、他のどんな音楽家の場合にもないことである。それこそ彼の同時代のあらゆる音楽家たちから彼を区別する本質的な特質だとすれば、それは統一力の異常な断案によるところのものであって、彼のあらゆる作品がそのしるしを帯びているのである。彼の大きい作品の或るものの中に――全体が同一のモチーフの上に建てられているハ調の弥撒《ミサ》曲の中に人がそれを気づいたのはもうずっと以前からのことである。彼の生前から、直覚的な E. T. A. Hoffmann《ホフマン》 は Symphonie en Ut mineur『第五交響曲』のあらゆる主要旋律が、互いに緊密な血族関係を持っていることに驚かされていた。今や、最近の研究家らの或る人々は、「彼のおのおのの作品がそのあらゆる作、あらゆる部分、あらゆる主要旋律において、ただ一つの楽旨《モチーフ》の変奏《ヴァリアチオン》である*[#「*」は行右小書き]」という法則を、彼の作品全部について帰結しようと望むに至っている。この法則が彼の作品全部に適用されるか(私はそれを極端に過ぎると思うが)どうかはとにかくとして、彼の全作品が、一つの鉄の意志をしるしづけていることには議論の余地がない。恐ろしいまでに一つの思念《イデー》の上を凝視している人間を人は感じる。そしてこれはどんな外界の響きももはやそれを乱そうとはしなかったところの聾のために彼の中に閉じ込められていたところの孤独なる者の仕業《しわざ》のみではないのである。(そうも考えられはするが。)確かに聾になる前にもそういう特徴は現われていた。青年時代の作以来、一七九一年のピアノ、ヴァイオリンおよびヴァイオリンセロのための三重奏《トリオ》以来、同一の主題がおのおのの作を通じて取り扱われ、変形されていることが、G. de Saint-Foix《サン・フォワ》 氏の最近の発見によって示されている。これは天性的な傾向である。子供の時からベートーヴェンは――それは年とともに次第々々に増進したが――自己のうちに沈潜し、また彼の音楽を聞く人々をも彼の内部の幻視《ヴィジョン》の中に――肉体でもあれば同時に精神でもあるところの、あの眼《まなこ》なき幻視《ヴィジョン》の中に――引きずり込んだ。思念《イデー》が突然、道の上や散歩や会話の最中に彼を襲うと、彼は(彼および彼の近しい人々がいったように)忘我状態(raptus)になった。もう自分が自分には属さず、思念《イデー》の所有《もの》となった。そして彼は、そのイデーを所有しないうちはそれを逃さなかった。何ものといえども彼の追求を思い止まらせはしなかった。彼はベッティーナ・ブレンターノに宛てて、胸に迫る言葉で書いている。(私は、これは信頼のおけるものだと思う**[#「**」は行右小書き]。なぜなら、この言葉の調子は彼の性格について知っているわれわれの知識へ適合するものだから。)
「……私はそれ(イデー)を追跡してつかまえる。すると、そいつが私から逃れて、沸騰している塊の中に消え去るのを見る。再び熱意を振い興して、それをもう一度とらえる。私はもう、どうしてもそれを失くすることができないのです。恍惚の痙攣の中で、それを私はあらゆる変調に多様化しなければならない……」このような熱狂的追跡と、捕獲され、制御せられ、馴らされたイデーのこのような多様化(multiplication)と――(それらは聴く者にリトムの鉄槌打と幻覚に憑かれた反覆と、そしてオーケストラの色づけおよび転調《モデュラシオン》の肉感的燃焼とを威圧的に与える)――それらは、自己をゆだねる素朴な、真実な、精神および感覚に対しては、催眠的な効果において、西洋ふうな瑜珈《ヨーガ》を惹き起こすのである。印度の瑜珈《ヨーガ》と同じに、一度それに触れたものは歩くにも話すにも働くにも、日常生活のあらゆる動きの中に、それを自分の身につけることになる。それは地下層の中に生きる。皮下に注射された香油のようなものである。われわれの思想の血液はベートーヴェン的血球から流れ出る河である。
*原注――ヴァルター・エンゲルスマン氏の透徹せる論文 Die Sonatenform Beethovens. Das Gesetz (Die Musik, XVII Jahrg. Heft 6.) および Die Sonatenform Beethovens, dargestellt in der 5. Sinfonie (Dresden Anzeiger: Wissenschaftliche Beilage, I u. 8. Februar 1927) を参照。
**原注――ベッティーナは彼女自身この raptus に憑かれていた。
彼女はベートーヴェンの天才の下意識的なものを読み採る素質を生ま
れつき持っ ていた。 近日、私はベッティーナの心理的な問題を調 明されることのできるものとなった。
これは第一の段階であり、盲目的獲得の獲物である。第二は、われわれを獲得する巨匠を発見すること、われわれの裡《うち》にはいり込んで来た力を発見すること、これである。ベートーヴェンに比べては、他のいかなる音楽家も、蓄積しまた投げ与えることのなかったところの前代未聞のエネルギー。それは自然の一要素《エレマン》であり、大滝をなして奔流する流れである。それは精神を引き浚い、それは肉体を活気づける。轟く水門が情熱の潮のために破られる時、私は自分が思わず立ち上がって叫び出さないためには、自分の小さな腰掛の寄っかかりにジッと自分を制して押さえつけていなければならなかった。――それは、たとえば『エロイカ』の終曲の勇躍《エラン》、『第九交響曲』の、時ならぬ叫喚を伴うテノールの歌や行進曲《マルシュ》、『コリオラン』序曲の憤激の爆発、『エグモント序曲』の終りの解放された群集の雀躍、猛烈なクレッシェンド(漸次強音)、また『第五交響曲』のスケルツォーから流れ出てフィナーレの中に落ち込むところの眩暈《めまい》のする潮流、もしくは『レオノーレ』第二、第三の序曲の疾駆する終末の流れを聴いた時に。……私はここでは幾つかの滝つ瀬を思い起こすにとどめよう。けれどもこのような奔湍《ほんたん》は、ベートーヴェンのものの中には到る所にある。それは時には釈き放たれ、時には圧搾されている。たとえば、私が今あげた『コリオラン』のあの大きい和音《アコード》では、この事がかわるがわる起こって来るのである。それは行進する音楽、襲撃の歩調で疾駆する音楽である。ユーリウス・ベネディクトが国中を走り廻るリア王に譬えたところのその人を――彼自身がいったように、外気の中を「散歩しつつ作曲した」(spazierend dichtete)ところのその人をいかによく、そこに人は認めうることであろう! インキ壺から引っ張り出されるところの、閉ざされた窓の中での音楽の類は、そこには少しもない。自分で自分の身体を聴診し、自分の夢の中で麻痺してしまうような姑息な音楽の類は、そこにはまるでない! ベートーヴェンの音楽は大気を呼吸して前進する。そして大気を呼吸させ、前進させる。そのために彼の音楽は、私が前に挙げたあの種の催眠術、あのヨーガの幻惑に対して幸福な対蹠作用を行なうのである。それは、実行のヨーガ、真正なヨーロッパのヨーガ、男性的な霊妙な力を伴ってはたらく[#「はたらく」に傍点]ところの夢想である。そうして何よりもまずそれは健全である。すばらしく健全である。それは、『トリスタン』のような、病的な性格を少しも否定しないようなのとはまた別な、不可抗的エネルギーである。(私は『トリスタン』をけなすのではない。私はそれを芸術的傑作だと思っている。けれども、この一切を呑み込む嵐(トリスタン)の道筋は、奈落に向かって通ずることも有り得るし、また事実そこへ通じている。そこにこの作の親密《アンチーム》な意味、解放を与える死への渇望があるのである。)ベートーヴェンの偉大なふうにはけっしてそんな性質はない。それが吹いて来るのは、コルネイユの牧者の怨嗟的な朗吟調をその轟きで奏する大洋や、死の深淵やからではない。それは春と夏との広野の上を吹く。それはその和音《アコード》の行進のとおりに単純で健康である。「それは畠と森と、そして闘う人間との呼吸」である。
さて、ここでわれわれは第三の段階に――Der kampf(たたかい)に到達する。
彼の感情を分析してみることに慣れていない聴者といえども、幻想を与え、昂揚を与えるこの音楽の中に、根強い一つの霊魂的(psychique)なモチーフのあることにかならず気がついているであろう。すなわちそれは二つの要素の間の闘い、広大な二元《デュアリテ》である*。この事はベートーヴェンの最初の作から最後の作に至るまで表われている。すでに一七九八年の『悲愴奏鳴曲《パテティック》』や、また一八〇〇年以前に作られた、情熱的な小戯曲であるところの、最初の四重奏曲や三重奏曲のアレグロのようなものの中に、諸君はそれを見いだされるであろう。私は異なる人物と人物とが互いに傷つけ合うような戦いを、少しもそこに聴き取るのではない。(そう解釈するなら幼稚な解釈というべきであろう**。)しかしながらベートーヴェンの気魄の――灼熱せる、勝手気ままでしかも逼迫せるこの嵐のごとき気魄の統一そのものの中に、一つの魂の二つの様態、ただ一つのものである二つの魂があるのである。それらは結合し、また反撥し、論争し格闘し、互いに身体を絡まし合っているが、それは戦いのためともいえるし、また抱擁のためともいえる。不均衡な二つの力であり、また心の中で不同に発言する二人の敵手がそこにいる。一方は命令し抑圧する。他方は捥《もが》き呻く。けれどもこの二人の敵対者らは、征服者と被征服者とは、共に同様に高貴《ノーブル》である。そして、これこそ重要な点である。両方の中に軽蔑に値するようなものはまったくない。不純なものやいかがわしいものは微塵もない。どんな汚点もない。世界の音楽の中で、これほど魂の清さの印象を与えたものはかつてなかった。――彼においては、勝利も敗戦も共にわれわれを裨益する。そして、どちらの場合にも同様に、われわれの心は日常凡庸の汚点を洗い清められる。
*原注――もしくはいっそう正確にいうと(もっと後でそれが判るとおりに)それは存在の両分(〔de’doublement〕)であって、このことは、ベートーヴェンにあってはいわば慢性の状態である。
**原注――たとえベートーヴェン自身はその友だちヴェーゲラーやシンドラーらのために喜んでその気にさせられていたとはいえ。(ベートーヴェンについて私が書く新しい本の中の或る章で、私はこの思想の戯れの理由を研究するであろう。)
この宿営地――これはベートーヴェンの聴聞者の大多数がそこで立ち留まる場所であるが――に来るまでに、彼がどんな格闘をして来たかをわれわれが知らないという事を、諸君は認められるであろう。少なくともわれわれは、ベートーヴェンの存在の中にあるこの闘いの意味が何であるかを知らない。眼をとじてわれわれはそれに参与する。が、すでにわれわれの本能は、われわれのだれもがこの戦いに加わったことがあることを感づいている。そして、もっとあとでわれわれがベートーヴェンの戦いの意味を知ってみれば、それは一つの新しい発見ではなく、われわれが定義できずに感じていた事柄に、ベートーヴェンの名を与えていたに過ぎないのである。ベートーヴェンのこの戦いとは、魂と運命[#「運命」に傍点]との間のそれである。私はこれを少しも推定していうのではない。私の空想がこのことを、ベートーヴェンに託《かこつ》けていうのでは少しもない。ベートーヴェン自身がそれをいっている。彼の書いたものの中にこの事はたくさんある。とりわけあのフィッシュホフの写本*の中に。その中の彼自身の感想および詩人たちの作物からの書き抜きは、すべていちように、宿命への挑戦の、悲劇的な調子を持っている。
*原注――ベルリン図書館にある Fischhoff の写本には、ベートーヴェンの原稿から写された日記が含まれている。
私はそれに関して二十の実例を挙げることができるだろう。その内の三つだけを選んでみる。それらは同じ階段を――巨人の階段を――のぼる三つの行進曲のようである。
一、「今、運命が我をつかむ……」自分は光栄なく塵の中に亡びざらんことを願う!……
二、汝の力を示せ、運命よ!……我らは自らの主人ではない。決定されてある事は、そうなるほかはない。さあ、そうなるがよい! (Was beschlossen ist, muss sein, und sei es denn!)
三、私にできることは何か?――運命以上のものであることだ*[#「*」は行右小書き]!
同一の戦いの三つの叫び、三つの挿言《エピソード》。――身を捥《もが》く誇り。克己的な忍受。そして精神の勝利。――われわれは彼の音楽の中でいかにたびたびこの三つの叫びを聴くことだろう!……そしてあたかも、一本の樹に打ち込む樵夫の斧の響きが森全体に反響するように、ベートーヴェンのこの偉大な叫びは、全人類の心の中に反響する。
*原注――この三つの断片は一八一五年および一八一六年のものである。最後の弦四重奏曲(作品第百三十五)の中で提示されている問い Muss es sein? Es muss sein!「それのみが必然なのか? 必然なのだ!」のはなはだきっぱりした答えを人は第二のものの中に認めるであろう。この(クワルテットの中の)問いの明確な意味は、或る批評家たちのために、慰み半分に、曖昧にされたり弱められたりしたが、あたかもシスティンの一人の予言者〔訳者注――ミケランジェロの描いた予言者エレミヤのことをいうのであろう〕のように、自分自身と劇的な会話をやる彼の精神の無限の論争を、問いであり答えであるところの、あの言葉の中に認めないようならば、実際ベートーヴェンに親しんではいないに相違ないのである。
思うに、彼の戦っているこの戦いは、またわれわれすべての者がやっている戦いなのである。それはあらゆる時代、あらゆる国のものである。人間の精神、その願望の勇躍、その希望の飛翔、愛へ、可能へ、そうして認識への強烈なその羽搏《はばた》き。これらのものが到る所で鉄の手に突き当たる。すなわち、人生の短さやその脆さや、制限された諸力や、冷淡な自然や、病気や失意や、当外《あてはず》れやに。――われわれはベートーヴェンにおいてわれわれの敗北とわれわれの苦悩とに再会する。けれどもそれらは、彼によって高貴なものとなされ、雄大なものとなされ、浄化されているのである。
これが第一のたまもの[#「たまもの」に傍点]である。そうして第二の、最大のそれは、悩めるこの人がわれわれに勇敢《ヒロイック》な諦念を、苦しみの中の平安を与えてくれるそのことである。人生をあるがままに見ることの、そしてあるがままの人生を愛することの、この諦念的調和を、彼は自らのために実現し、またわれわれのために実現した。なおそれ以上のことを彼は成就した。彼は運命と婚姻して自分の敗北から一つの勝利を作り上げた。『第五交響曲』や『第九交響曲』の、あの心を酔わせる終曲《フィナーレ》こそは、打ち倒された自分自身の身体の上に、勝ち誇って光明に向かって立ち上がる、解放された魂以外の何者であるか?
この勝利は孤独な一人の人間のもののみにとどまらない。それはまたわれわれのものである。ベートーヴェンが勝利を獲得したのはわれわれのためにである。彼はそのことを望んだ。――他人のために働こうとする専念は、絶えず彼の心に還って来た。願わくは彼の不幸が彼以外の人間に役立つがよい! 諸君はハイリゲンシュタットの遺書の美しい言葉を憶えていられるであろう。
s sein!「それのみが必然なのか? 必然なのだ!」のはなはだきっぱりした答えを人は第二のものの中に認めるであろう。この(クワルテットの中の)問いの明確な意味は、或る批評家たちのために、慰み半分に、曖昧にされたり弱められたりしたが、あたかもシスティンの一人の予言者〔訳者注――ミケランジェロの描いた予言者エレミヤのことをいうのであろう〕のように、自分自身と劇的な会話をやる彼の精神の無限の論争を、問いであり答えであるところの、あの言葉の中に認めないようならば、実際ベートーヴェンに親しんではいないに相違ないのである。
思うに、彼の戦っているこの戦いは、またわれわれすべての者がやっている戦いなのである。それはあらゆる時代、あらゆる国のものである。人間の精神、その願望の勇躍、その希望の飛翔、愛へ、可能へ、そうして認識への強烈なその羽搏《はばた》き。これらのものが到る所で鉄の手に突き当たる。すなわち、人生の短さやその脆さや、制限された諸力や、冷淡な自然や、病気や失意や、当外《あてはず》れやに。――われわれはベートーヴェンにおいてわれわれの敗北とわれわれの苦悩とに再会する。けれどもそれらは、彼によって高貴なものとなされ、雄大なものとなされ、浄化されているのである。
これが第一のたまものである。そうして第二の、最大のそれは、悩めるこの人がわれわれに勇敢《ヒロイック》な諦念を、苦しみの中の平安を与えてくれるそのことである。人生をあるがままに見ることの、そしてあるがままの人生を愛することの、この諦念的調和を、彼は自らのために実現し、またわれわれのために実現した。なおそれ以上のことを彼は成就した。彼は運命と婚姻して自分の敗北から一つの勝利を作り上げた。『第五交響曲』や『第九交響曲』の、あの心を酔わせる終曲《フィナーレ》こそは、打ち倒された自分自身の身体の上に、勝ち誇って光明に向かって立ち上がる、解放された魂以外の何者であるか?
この勝利は孤独な一人の人間のもののみにとどまらない。それはまたわれわれのものである。ベートーヴェンが勝利を獲得したのはわれわれのためにである。彼はそのことを望んだ。――他人のために働こうとする専念は、絶えず彼の心に還って来た。願わくは彼の不幸が彼以外の人間に役立つがよい! 諸君はハイリゲンシュタットの遺書の美しい言葉を憶えていられるであろう。
「不幸な人は、自分と同じ一人の不幸なものが、尊敬に値する芸術家と人間との列に伍すことを得しめられんがために、自然のあらゆる障害にもかかわらず、全力を尽したことを知って慰められるがいい!」(一八〇二年)
その期間のあらゆる交響曲が一つの勝利を表わしているところの、宏大な戦いの十年間の後に、幸福を渇望していたこの人がこの世には自分のための幸福はないと覚ったときの自己放棄の言葉は何であったか?
〔Du darfst nicht Mensch sein, fu:r dich nicht, nur fu:r andere…..〕(一八一二年)(お前はもう自分のための人間であることは許されていない。ただ他人のためにのみ……)
自分の芸術を他人のために役立てようという考えは彼の手紙の中で絶えず繰り返されている。ネーゲリへの手紙の中で、あらゆる利害関係的な考えから、あらゆる「ちっぽけな虚栄心」(Kleinliche Eitelkeit)から自己を防ぎながら、彼は自分の生活にただ二つの目的を決定している。それは「聖なる芸術への」(〔an die go:ttliche Kunst〕)献身と、他人を幸福にするための行ないとである。
〔Von Kindheit an war mein gro:sstes Glu:ck und Vergnu:gen, fu:r andere wirken zu ko:nnen.〕(一八二四年)(他人のために働きうることは、子供の頃から私の最大な幸福であり楽しみであった。)
「哀れな悩める人類に(armen leidenden Menschheit)役立ちたいと思う私の熱意は、子供の時以来、少しも薄らいだことはない。」(一八一一年)
他の場合に彼はまた、「未来の人類に」(〔der ku:nftigen Menschheit〕)役立つこと(一八一五年)ともいっている。
この考えについて、われわれは思い違いをしないようにしよう! 功利的なもくろみに屈従する芸術、デモクラシーへの御用のために(ad usum)製造せられ、もしくは修正されるところの芸術――今日「社会的《ソシアル》」芸術と呼ばれているもの――に、それは何ら関するところはないのである。否。芸術はベートーヴェンにとってはそれ自身において一つの目的である。
「生命と名のつく一切は至高者に献ぜられ、芸術に捧げられよ!」(一八一五年)(Alles was Leben heisst, sei dem Erhabenen geopfert, und ein Heiligtum der Kunst!)
芸術は生ける神である。「おお、万事に優れる神!」(〔O Gott u:ber alles!〕)(一八一六年)
「全能者の、永遠者の、無限者の栄光のために!」(一八一五年)(〔Zur Ehre des Allma:chtigen, des Ewigen Unendlichen!〕)
そしてこれらの個人的な手記は、ベッティーナ(一八一〇年)および Joh. Andr. Stumpf《シュツンプフ》(一八二四年)がともに、ベートーヴェンの言葉だとして告げている宗教的な偉大な言葉と適合する――
「私の芸術の中では、神は他の何者よりも私に近くいる。……音楽は一切の哲学よりもさらに高い啓示《レヴェラシオン》である。一度私の音楽を理解した者は、他の人々がひきずっている不幸から脱却するに違いない!……」(〔Wenn sie sich versta:ndlich macht, der muss frei werden von all dem Elend, womit sich die andern schleppen!〕)
とはいえ人々の好みに合うところまで譲歩するというようなことはまったく問題にはならない。生ける神について、芸術について譲歩をすることは、できることではない! 芸術を人々の所へ持ってでかけて、人々の背丈に合うように低くするというわけには行かない。ただ彼らの方がそこまで高まるためにのみ芸術は人々に与えられるべきである。
音楽が今までに、ベートーヴェンの音楽の高さにおいてこそ、偉大な民衆的音楽の条件を具体化したとすれば(『エグモント』や『第五交響曲』またはわれわれの「民衆祭」の土台石となるべきである『第九』の合唱《コーラス》のように)――またベートーヴェンがヘンデルと共に、特に理想的民衆、今日のそれよりもいっそう完成せる民衆、正にあるべき民衆の歌手《シャントル》であったとすれば――しかもかえっていかなる音楽家も、社会民衆に対して芸術家の独立を、かつてこれ以上のエネルギーをもって公言したことはなかったとすれば、それは実に上述の理由によることなのである。
――「自分は群衆(Menge)のために書きはしない。」と、彼は『フィデリオ』を作った後に叫んだ。(一八〇六年*[#「*」は行右小書き])
*原注――Roeckel.
そして一八二〇年、死の近づいたときに言った。
――Man sagt: vox populi vox Dei――ich habe nie daran glaubt. (「民衆の声は神の声だ」というが、私はけっしてそんなことを信じたことはない。)
否! 「民衆の声」は「神の声」ではない。「神の声」が「民衆の声」でなければならない。神の声こそ、ベートーヴェンが自らをその通訳者だと信じ、それを人々の許《もと》まで運ぶ者だと信じていたところのものである。そして民衆に奉仕する最善の、唯一の道は、このまったく純粋な声を、少しもその力とその奥底の真理とを弱めることなしに、彼らに聞かせることである。ところで、彼のうちなる神とは、彼の最善の部分、最も無私なる者、また最も勇ましきもの、すなわち彼自身の献身であるが故に、彼はその音楽の中で、この自己献身を他人に与えたのである。彼の音楽は彼の血である。それは十字架につけられ、そして正に復活しようとする魂が、贖われた苦悩の中で、人々に自己を糧としてそこで与えるところの一種の「聖餐」(Abendmahl)である。
彼に近づいていた同時代者らのうちの最も聡明な人々は、共感《サムパチー》から得た洞察力によって、ベートーヴェンの衷《うち》なるこの偉大な献身[#「献身」に傍点]の劇を十分よく認識していた。そうして、彼らの心は敬虔な感動の為に締めつけられていた。レルシュタープ、ロホリッツ、フロイデンベルク(一八二二―一八二五)は、「無数の人にただ喜びを、清き霊的の歓喜を与えるところの」(der Millionen nur Freude bringt, reine geistige Freude)――また「世界に自己の最善のものを与えるために、ただに自己の幸福を犠牲にしたばかりでなく、自己の全部を捧げて深く傷つき、ほとんど自己の没落の縁《へり》にまで近づかねばならなかったところの」(〔der um eben sein Allerbestes der Welt darzubringen, sich selber, nicht bloss sein Glu:ck, tief verletzt sich wohl an den Rand seines Untergangs treiben muss〕)悲しみの人、忍耐と憂鬱との人、〔der Kranke, schwermu:tige Dulder〕「病気の、憂鬱なる忍耐者」を描き出すがために、ほとんど同一の表現を用いている。
この悲愴な神聖な特徴こそはベートーヴェンの音楽に一つの徳を与えるものである。そしてこの徳は、聴者がこの音楽を他のあらゆる音楽と比較してみる時に、始めておくればせに定義を与えようと思いつくところのものである。すなわち、それは、もしそう言っていいなら、「直接性」である、「心から心へ!」の*[#「*」は行右小書き]。
[#ここから5字下げ]
*原注――人の知るごとく、これは彼の『荘厳な弥撒曲』の Kyrie(ミサの初めの祈祷)の上に書いた言葉である。「心より来る! 願わくはふたたび心に帰れ!」(〔Vom Herzen! Mo:ge es wieder zu Herzen gehen!〕)
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啓示を与えるものの心と、それを受け取る者の心との間に何の隔障もない。一つの贅言もない。感動の純粋な表現以上の、また以外の、一つの模様《デッサン》も、一つの飾りも、一つの強調《アクサン》もない。そうして一切が――表現も、感動も――この上なく直接で、この上なく簡明である……『フィデリオ』(一八〇四年)の後《のち》に彼が書いたとおりに「ますます簡明に」(Immer simpler)である。
もはや叫喚も、身振りも、雄弁もない!――ベートーヴェンは最初の一撃でそこに到達したのではなかった。革命と帝政との時代――英雄的な情熱と行為とが羽飾をつけて騎馬行列をしていたあの雄大な時代に生きた人間としての自己の性質に付着していたローマンチックな血気に対して彼はみずから戦わねばならなかった。ベートーヴェンの前半生の作品には、その最も高いものの中にさえ、崇高な『エロイカ』の中にさえ、なお帽子の羽飾《パナッシュ》のような自負的な装飾がある。けれどもベートーヴェンが齢を重ねてその精神が次第に敬虔になるにつれて、彼はその雄弁の華々しい衣を剥ぎ捨てた。もはや対話すべき対手としてただ神をしか持たない以上、大げさないい廻しなどは必要ではない。皆までもいわずに心が通じ合うのである。……「ますます簡明に!」(Immer simpler)本質をいえ! 他は沈黙せよ!
かくしてある歌謡《リーダー》 Elegischer Gesang『悲歌』や、また最後の弦四重奏曲《クワルテット》やの、あの神聖な裸身に到達する。これは芸術の奇蹟である。しかも多くの芸術家たちは少しもこのことに気がつかない。芸術がそこにはいないかのように見えるほど純粋で単純なあの輪廓の傍を、少しもそれに注意を払わずに、冷淡に行き過ぎる芸術家たちを私は見た。彼らはそれが芸術以上のものであることを悟らない。あのように自己を捨てる高さにまで達するがためには、芸術の最高峯が一度到達されて、さらにそれが超されなければならないのである。
高い教訓である、ひとり芸術家にとってばかりでなく、あらゆる人間にとっての! なぜならこのような絶対的な単純さと真実さとは、芸術の至高な成就であると同時にまたきわめて雄々しい道徳的徳性であるから。ベートーヴェンの「音楽の福音書」の中でこのことの自覚に徹した人々は、もはや芸術と生活との中にある虚妄に耐え得なくなる。ベートーヴェンは正直 droiture と誠実 〔since’rite’〕 との大きい師なのである。
私は、私の同時代のあらゆる師たちからよりも、いっそう多くベートーヴェンから教えられて来た。自分自身の最善なものを、私はベートーヴェンに負うている。そうして、あらゆる国々の無数の謙虚な人々が慰めと生きる力と、そして――(私は魂の清さと真理とを、とはいわない。なぜなら、だれかそれをすでに獲得していると自負し得るものがあろうか?)――しかしこのような頂上およびその汚れのない霊気への熱心な|憧れ《アスピラシオン》とを、私と同じく、ベートーヴェンに負うていることを私は思う。
私は、これらの隠れた無数の弟子たちの恭敬を、「師」であり伴侶である人の足元に捧げるために来た。私たちは――地上の全民族から成る私たちは彼において結合する。彼は「ヨーロッパの親和」と人類愛との、輝かしい象徴である……
(一九二七年三月二十六日)
「ベートーヴェンへの感謝」はドイツでは、それだけで独立した単行本として音楽学者ネツール教授の論文「ロマン・ロランと音楽」を添え一九五一年に初めて出版された。
訳者
底本:「ベートーヴェンの生涯」岩波文庫、岩波書店
1938(昭和13)年11月15日第1刷発行
1965(昭和40)年4月16日第17刷改版発行
2010(平成22)年4月21日第77刷改版発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年4月15日作成
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