道化とヰナス ボードレール—— 富永太郎訳

 何といふすばらしい日だ! 広大な公園は、愛神《アムール》の支配の下にある若者のやうに、太陽のぎら/\した眼《まなこ》の下に悶絶してゐる。
 なべての物にあまねき此の有頂天を示す物音とてはない。河の水さへ眠つたやうである。ここには人の世の祭とは遙かに事かはつた、静寂の大饗宴があるのだ。
 不断に増しつゝある光はます/\物象を輝かせてゐるやうだ。上気した花は、其の色の勢力を、空の瑠璃色と競はうとする欲望に燃えてゐる。そして熱は、香《かをり》を目に見えるものにして、烟のやうに、かの天体の方へと立ち昇らせてゐる。
 とはいへ、私はこの万有の快楽の中に、一つの悲しんでゐる存在のあるのを知つてゐる。
 巨大な
ナスの足許に、王達が「悔恨」や「倦怠」に悩まされるとき、彼等を笑はせるのを務めとする、かの人工の馬鹿、故意の道化の一人が、けば/\しい馬鹿げた衣《ころも》を身に纒《まと》ひ、鈴附きの角《つの》形帽子を戴いて、台石のもとにうづくまり、涙に満ちた眼《まなこ》で永遠の女神を見上げてゐる。
 かくて、彼の眼は云ふ――「私は愛と友情とを奪はれた、人間の中で一ばん下等な、一ばん孤独なものでございます。この点では、私は動物の中の最も不完全なものにも劣つて居ります。それでも――私でもやはり永遠の美を味はつたり、感じたりするやうに造られて居るのです。あゝ、女神《かみ》さま! 私の悲しみと熱狂とを憐んで下さいまし。」
 しかし仮借することを知らぬ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ナスは、その大理石の眼で、私にはどことも知れぬ遠い方《かた》を眺めてゐる。

底本:「富永太郎詩集」現代詩文庫、思潮社
   1975(昭和50)年7月10日初版第1刷
   1984(昭和59)年10月1日第6刷
底本の親本:「定本富永太郎詩集」中央公論社
   1971(昭和46)年1月
入力:村松洋一
校正:岩澤秀紀
2013年1月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました