六号室  アントン・チエホフ  Anton Chekhov—–瀬沼夏葉訳

(一)

 町立病院《ちょうりつびょういん》の庭《にわ》の内《うち》、牛蒡《ごぼう》、蕁草《いらぐさ》、野麻《のあさ》などの簇《むらが》り茂《しげ》ってる辺《あたり》に、小《ささ》やかなる別室《べっしつ》の一|棟《むね》がある。屋根《やね》のブリキ板《いた》は錆《さ》びて、烟突《えんとつ》は半《なかば》破《こわ》れ、玄関《げんかん》の階段《かいだん》は紛堊《しっくい》が剥《は》がれて、朽《く》ちて、雑草《ざっそう》さえのびのびと。正面《しょうめん》は本院《ほんいん》に向《むか》い、後方《こうほう》は茫広《ひろびろ》とした野良《のら》に臨《のぞ》んで、釘《くぎ》を立《た》てた鼠色《ねずみいろ》の塀《へい》が取繞《とりまわ》されている。この尖端《せんたん》を上《うえ》に向《む》けている釘《くぎ》と、塀《へい》、さてはまたこの別室《べっしつ》、こは露西亜《ロシア》において、ただ病院《びょういん》と、監獄《かんごく》とにのみ見《み》る、儚《はかな》き、哀《あわれ》な、寂《さび》しい建物《たてもの》。
 蕁草《いらぐさ》に掩《おお》われたる細道《ほそみち》を行《ゆ》けば直《す》ぐ別室《べっしつ》の入口《いりぐち》の戸《と》で、戸《と》を開《ひら》けば玄関《げんかん》である。壁際《かべぎわ》や、暖炉《だんろ》の周辺《まわり》には病院《びょういん》のさまざまの雑具《がらくた》、古寐台《ふるねだい》、汚《よご》れた病院服《びょういんふく》、ぼろぼろの股引下《ズボンした》、青《あお》い縞《しま》の洗浚《あらいざら》しのシャツ、破《やぶ》れた古靴《ふるぐつ》と云《い》ったような物《もの》が、ごたくさ[#「ごたくさ」に傍点]と、山《やま》のように積《つ》み重《かさ》ねられて、悪臭《あくしゅう》を放《はな》っている。
 この積上《つみあ》げられたる雑具《がらくた》の上《うえ》に、いつでも烟管《きせる》を噛《くわ》えて寐辷《ねそべ》っているのは、年《とし》を取《と》った兵隊上《へいたいあが》りの、色《いろ》の褪《さ》めた徽章《きしょう》の附《つ》いてる軍服《ぐんぷく》を始終《ふだん》着《き》ているニキタと云《い》う小使《こづかい》。眼《め》に掩《おお》い被《かぶ》さってる眉《まゆ》は山羊《やぎ》のようで、赤《あか》い鼻《はな》の仏頂面《ぶっちょうづら》、背《せ》は高《たか》くはないが瘠《や》せて節塊立《ふしくれだ》って、どこにかこう一|癖《くせ》ありそうな男《おとこ》。彼《かれ》は極《きわ》めて頑《かたくな》で、何《なに》よりも秩序《ちつじょ》と云《い》うことを大切《たいせつ》に思《おも》っていて、自分《じぶん》の職務《しょくむ》を遣《や》り終《おお》せるには、何《なん》でもその鉄拳《てっけん》を以《もっ》て、相手《あいて》の顔《かお》だろうが、頭《あたま》だろうが、胸《むね》だろうが、手当放題《てあたりほうだい》に殴打《なぐ》らなければならぬものと信《しん》じている、所謂《いわゆる》思慮《しりょ》の廻《ま》わらぬ人間《にんげん》。
 玄関《げんかん》の先《さき》はこの別室全体《べっしつぜんたい》を占《し》めている広《ひろ》い間《ま》、これが六|号室《ごうしつ》である。浅黄色《あさぎいろ》のペンキ塗《ぬり》の壁《かべ》は汚《よご》れて、天井《てんじょう》は燻《くすぶ》っている。冬《ふゆ》に暖炉《だんろ》が烟《けぶ》って炭気《たんき》に罩《こ》められたものと見《み》える。窓《まど》は内側《うちがわ》から見悪《みにく》く鉄格子《てつごうし》を嵌《は》められ、床《ゆか》は白《しろ》ちゃけて、そそくれ立《だ》っている。漬《つ》けた玉菜《たまな》や、ランプの燻《いぶり》や、南京虫《なんきんむし》や、アンモニヤの臭《におい》が混《こん》じて、入《はい》った初《はじ》めの一|分時《ぷんじ》は、動物園《どうぶつえん》にでも行《い》ったかのような感覚《かんかく》を惹起《ひきおこ》すので。
 室内《しつない》には螺旋《ねじ》で床《ゆか》に止《と》められた寐台《ねだい》が数脚《すうきゃく》。その上《うえ》には青《あお》い病院服《びょういんふく》を着《き》て、昔風《むかしふう》に頭巾《ずきん》を被《かぶ》っている患者等《かんじゃら》が坐《すわ》ったり、寐《ね》たりして、これは皆《みんな》瘋癲患者《ふうてんかんじゃ》なのである。患者《かんじゃ》の数《すう》は五|人《にん》、その中《うち》にて一人《ひとり》だけは身分《みぶん》のある者《もの》であるが他《た》は皆《みな》卑《いや》しい身分《みぶん》の者《もの》ばかり。戸口《とぐち》から第《だい》一の者《もの》は、瘠《や》せて脊《せ》の高《たか》い、栗色《くりいろ》に光《ひか》る鬚《ひげ》の、眼《め》を始終《しじゅう》泣腫《なきは》らしている発狂《はっきょう》の中風患者《ちゅうぶかんじゃ》、頭《あたま》を支《ささ》えてじっと坐《すわ》って、一つ所《ところ》を瞶《みつ》めながら、昼夜《ちゅうや》も別《わ》かず泣《な》き悲《かなし》んで、頭《あたま》を振《ふ》り太息《といき》を洩《もら》し、時《とき》には苦笑《にがわらい》をしたりして。周辺《あたり》の話《はなし》には稀《まれ》に立入《たちい》るのみで、質問《しつもん》をされたら决《けっ》して返答《へんとう》をしたことの無《な》い、食《く》う物《もの》も、飲《の》む物《もの》も、与《あた》えらるるままに、時々《ときどき》苦《くる》しそうな咳《せき》をする。その頬《ほお》の紅色《べにいろ》や、瘠方《やせかた》で察《さっ》するに彼《かれ》にはもう肺病《はいびょう》の初期《しょき》が萌《き》ざしているのであろう。
 それに続《つづ》いては小体《こがら》な、元気《げんき》な、頤鬚《あごひげ》の尖《とが》った、髪《かみ》の黒《くろ》いネグル人《じん》のように縮《ちぢ》れた、すこしも落着《おちつ》かぬ老人《ろうじん》。彼《かれ》は昼《ひる》には室内《しつない》を窓《まど》から窓《まど》に往来《おうらい》し、或《あるい》はトルコ風《ふう》に寐台《ねだい》に趺《あぐら》を坐《か》いて、山雀《やまがら》のように止《と》め度《ど》もなく囀《さえず》り、小声《こごえ》で歌《うた》い、ヒヒヒと頓興《とんきょう》に笑《わら》い出《だ》したりしているが、夜《よる》に祈祷《きとう》をする時《とき》でも、やはり元気《げんき》で、子供《こども》のように愉快《ゆかい》そうにぴんぴんしている。拳《こぶし》で胸《むね》を打《う》って祈《いの》るかと思《おも》えば、直《すぐ》に指《ゆび》で戸《と》の穴《あな》を穿《ほ》ったりしている。これは猶太人《ジウ》のモイセイカと云《い》う者《もの》で、二十|年《ねん》ばかり前《まえ》、自分《じぶん》が所有《しょゆう》の帽子製造場《ぼうしせいぞうば》が焼《や》けた時《とき》に、発狂《はっきょう》したのであった。
 六|号室《ごうしつ》の中《うち》でこのモイセイカばかりは、庭《にわ》にでも町《まち》にでも自由《じゆう》に外出《でる》のを許《ゆる》されていた。それは彼《かれ》が古《ふる》くから病院《びょういん》にいる為《ため》か、町《まち》で子供等《こどもら》や、犬《いぬ》に囲《かこ》まれていても、决《けっ》して他《た》に何等《なんら》の害《がい》をも加《くわ》えぬと云《い》うことを町《まち》の人《ひと》に知《し》られている為《ため》か、とにかく、彼《かれ》は町《まち》の名物男《めいぶつおとこ》として、一人《ひとり》この特権《とっけん》を得《え》ていたのである。彼《かれ》は町《まち》を廻《まわ》るに病院服《びょういんふく》のまま、妙《みょう》な頭巾《ずきん》を被《かぶ》り、上靴《うわぐつ》を穿《は》いてる時《とき》もあり、或《あるい》は跣足《はだし》でズボン下《した》も穿《は》かずに歩《ある》いている時《とき》もある。そうして人《ひと》の門《かど》や、店前《みせさき》に立《た》っては一|銭《せん》ずつを請《こ》う。或《ある》家《いえ》ではクワスを飲《の》ませ、或《ある》所《ところ》ではパンを食《く》わしてくれる。で、彼《かれ》はいつも満腹《まんぷく》で、金持《かねもち》になって、六|号室《ごうしつ》に帰《かえ》って来《く》る。が、その携《たずさ》え帰《かえ》る所《ところ》の物《もの》は、玄関《げんかん》でニキタに皆《みんな》奪《うば》われてしまう。兵隊上《へいたいあが》りの小使《こづかい》のニキタは乱暴《らんぼう》にも、隠《かくし》を一々《いちいち》転覆《ひっくりか》えして、すっかり取返《とりか》えしてしまうのであった。
 またモイセイカは同室《どうしつ》の者《もの》にも至《いた》って親切《しんせつ》で、水《みず》を持《も》って来《き》て遣《や》り、寐《ね》る時《とき》には布団《ふとん》を掛《か》けて遣《や》りして、町《まち》から一|銭《せん》ずつ貰《もら》って来《き》て遣《や》るとか、各《めいめい》に新《あたら》しい帽子《ぼうし》を縫《ぬ》って遣《や》るとかと云《い》う。左《ひだり》の方《ほう》の中風患者《ちゅうぶかんじゃ》には始終《しじゅう》匙《さじ》でもって食事《しょくじ》をさせる。彼《かれ》がかくするのは、別段《べつだん》同情《どうじょう》からでもなく、と云《い》って、或《あ》る情誼《じょうぎ》からするのでもなく、ただ右《みぎ》の隣《となり》にいるグロモフと云《い》う人《ひと》に習《なら》って、自然《しぜん》その真似《まね》をするのであった。
 イワン、デミトリチ、グロモフは三十三|歳《さい》で、彼《かれ》はこの室《しつ》での身分《みぶん》のいいもの、元来《もと》は裁判所《さいばんしょ》の警吏《けいり》、また県庁《けんちょう》の書記《しょき》をも務《つと》めたので。彼《かれ》は人《ひと》が自分《じぶん》を窘逐《きんちく》すると云《い》うことを苦《く》にしている瘋癲患者《ふうてんかんじゃ》、常《つね》に寐台《ねだい》の上《うえ》に丸《まる》くなって寐《ね》ていたり、或《あるい》は運動《うんどう》の為《ため》かのように、室《へや》を隅《すみ》から隅《すみ》へと歩《ある》いて見《み》たり、坐《すわ》っていることは殆《ほとん》ど稀《まれ》で、始終《しじゅう》興奮《こうふん》して、燥気《いらいら》して、瞹眛《あいまい》なある待《ま》つことで気《き》が張《は》っている様子《ようす》。玄関《げんかん》の方《ほう》で微《かすか》な音《おと》でもするか、庭《にわ》で声《こえ》でも聞《き》こえるかすると、直《す》ぐに頭《あたま》を持上《もちあ》げて耳《みみ》を欹《そばだ》てる。誰《だれ》か自分《じぶん》の所《ところ》に来《き》たのでは無《な》いか、自分《じぶん》を尋《たず》ねているのでは無《な》いかと思《おも》って、顔《かお》には謂《い》うべからざる不安《ふあん》の色《いろ》が顕《あら》われる。さなきだに彼《かれ》の憔悴《しょうすい》した顔《かお》は不幸《ふこう》なる内心《ないしん》の煩悶《はんもん》と、長日月《ちょうじつげつ》の恐怖《きょうふ》とにて、苛責《さいな》まれ抜《ぬ》いた心《こころ》を、鏡《かがみ》に写《うつ》したように現《あら》わしているのに。その広《ひろ》い骨張《ほねば》った顔《かお》の動《うご》きは、如何《いか》にも変《へん》で病的《びょうてき》であって。しかし心《こころ》の苦痛《くつう》にて彼《かれ》の[#「彼の」は底本では「後の」]顔《かお》に印《いん》せられた緻密《ちみつ》な徴候《ちょうこう》は、一|見《けん》して智慧《ちえ》ありそうな、教育《きょういく》ありそうな風《ふう》に思《おも》わしめた。そうしてその眼《め》には暖《あたたか》な健全《けんぜん》な輝《かがやき》がある、彼《かれ》はニキタを除《のぞ》くの外《ほか》は、誰《たれ》に対《たい》しても親切《しんせつ》で、同情《どうじょう》があって、謙遜《けんそん》であった。同室《どうしつ》で誰《だれ》かが釦鈕《ぼたん》を落《おと》したとか匙《さじ》を落《おと》したとか云《い》う場合《ばあい》には、彼《かれ》がまず寝台《ねだい》から起《おき》上《あが》って、取《と》って遣《や》る。毎朝《まいあさ》起《おき》ると同室《どうしつ》の者等《ものら》にお早《はよ》うと云《い》い、晩《ばん》にはまたお休息《やすみ》なさいと挨拶《あいさつ》もする。
 彼《かれ》の発狂者《はっきょうしゃ》らしい所《ところ》は、始終《しじゅう》気《き》の張《は》った様子《ようす》と、変《へん》な眼付《めつき》とをするの外《ほか》に、時折《ときおり》、晩《ばん》になると、着《き》ている病院服《びょういんふく》の前《まえ》を神経的《しんけいてき》に掻合《かきあ》わせると思《おも》うと、歯《は》の根《ね》も合《あ》わぬまでに全身《ぜんしん》を顫《ふる》わし、隅《すみ》から隅《すみ》へと急《いそ》いで歩《あゆ》み初《はじ》める、丁度《ちょうど》激《はげ》しい熱病《ねつびょう》にでも俄《にわか》に襲《おそ》われたよう。と、やがて立留《たちとどま》って室内《しつない》の人々《ひとびと》を※[#「目+旬」、第3水準1-88-80]《みまわ》して昂然《こうぜん》として今《いま》にも何《なに》か重大《じゅうだい》なことを云《い》わんとするような身構《みがま》えをする。が、また直《ただち》に自分《じぶん》の云《い》うことを聴《き》く者《もの》は無《な》い、その云《い》うことが解《わか》るものは無《な》いとでも考《かんが》え直《なお》したかのように燥立《いらだ》って、頭《あたま》を振《ふ》りながらまた歩《ある》き出《だ》す。しかるに言《い》おうと云《い》う望《のぞみ》は、終《つい》に消《き》えず忽《たちまち》にして総《すべて》の考《かんがえ》を圧去《あっしさ》って、こんどは思《おも》う存分《ぞんぶん》、熱切《ねっせつ》に、夢中《むちゅう》の有様《ありさま》で、言《ことば》が迸《ほとばし》り出《で》る。言《い》う所《ところ》は勿論《もちろん》、秩序《ちつじょ》なく、寐言《ねごと》のようで、周章《あわて》て見《み》たり、途切《とぎ》れて見《み》たり、何《なん》だか意味《いみ》の解《わか》らぬことを言《い》うのであるが、どこかにまた善良《ぜんりょう》なる性質《せいしつ》が微《ほのか》に聞《きこ》える、その言《ことば》の中《うち》か、声《こえ》の中《うち》かに、そうして彼《かれ》の瘋癲者《ふうてんしゃ》たる所《ところ》も、彼《かれ》の人格《じんかく》もまた見《み》える。その意味《いみ》の繋《つな》がらぬ、辻妻《つじつま》の合《あ》わぬ話《はなし》は、所詮《しょせん》筆《ふで》にすることは出来《でき》ぬのであるが、彼《かれ》の云《い》う所《ところ》を撮《つま》んで云《い》えば、人間《にんげん》の卑劣《ひれつ》なること、圧制《あっせい》に依《よ》りて正義《せいぎ》の蹂躙《じゅうりん》されていること、後世《こうせい》地上《ちじょう》に来《きた》るべき善美《ぜんび》なる生活《せいかつ》のこと、自分《じぶん》をして一|分《ぷん》毎《ごと》にも圧制者《あっせいしゃ》の残忍《ざんにん》、愚鈍《ぐどん》を憤《いきどお》らしむる所《ところ》の、窓《まど》の鉄格子《てつごうし》のことなどである。云《い》わば彼《かれ》は昔《むかし》も今《いま》も全《まった》く歌《うた》い尽《つく》されぬ歌《うた》を、不順序《ふじゅんじょ》に、不調和《ふちょうわ》に組立《くみたて》るのである。

(二)

 今《いま》から大凡《おおよそ》十三四|年《ねん》以前《いぜん》、この町《まち》の一|番《ばん》の大通《おおどおり》に、自分《じぶん》の家《いえ》を所有《も》っていたグロモフと云《い》う、容貌《ようぼう》の立派《りっぱ》な、金満《かねもち》の官吏《かんり》があって、家《いえ》にはセルゲイ及《およ》びイワンと云《い》う二人《ふたり》の息子《むすこ》もある。所《ところ》が、長子《ちょうし》のセルゲイは丁度《ちょうど》大学《だいがく》の四|年級《ねんきゅう》になってから、急性《きゅうせい》の肺病《はいびょう》に罹《かか》り死亡《しぼう》してしまう。これよりグロモフの家《いえ》には、不幸《ふこう》が引続《ひきつづ》いて来《き》てセルゲイの葬式《そうしき》の終《す》んだ一|週間《しゅうかん》目《め》、父《ちち》のグロモフは詐欺《さぎ》と、浪費《ろうひ》との件《かど》を以《もっ》て裁判《さいばん》に渡《わた》され、間《ま》もなく監獄《かんごく》の病院《びょういん》でチブスに罹《かか》って死亡《しぼう》してしまった。で、その家《いえ》と総《すべて》の什具《じゅうぐ》とは、棄売《すてうり》に払《はら》われて、イワン、デミトリチとその母親《ははおや》とは遂《つい》に無《む》一|物《ぶつ》の身《み》となった。
 父《ちち》の存命中《ぞんめいちゅう》には、イワン、デミトリチは大学《だいがく》修業《しゅうぎょう》の為《ため》にペテルブルグに住《す》んで、月々《つきづき》六七十|円《えん》ずつも仕送《しおくり》され、何《なに》不自由《ふじゆう》なく暮《くら》していたものが、忽《たちまち》にして生活《くらし》は一|変《ぺん》し、朝《あさ》から晩《ばん》まで、安値《あんちょく》の報酬《ほうしゅう》で学科《がっか》を教授《きょうじゅ》するとか、筆耕《ひっこう》をするとかと、奔走《ほんそう》をしたが、それでも食《く》うや食《く》わずの儚《はか》なき境涯《きょうがい》。僅《わずか》な収入《しゅうにゅう》は母《はは》の給養《きゅうよう》にも供《きょう》せねばならず、彼《かれ》は遂《つい》にこの生活《せいかつ》には堪《た》え切《き》れず、断然《だんぜん》大学《だいがく》を去《さ》って、古郷《こきょう》に帰《かえ》った。そうして程《ほど》なく或人《あるひと》の世話《せわ》で郡立学校《ぐんりつがっこう》の教師《きょうし》となったが、それも暫時《ざんじ》、同僚《どうりょう》とは折合《おりあ》わず、生徒《せいと》とは親眤《なじ》まず、ここをもまた辞《じ》してしまう。その中《うち》に母親《ははおや》は死《し》ぬ。彼《かれ》は半年《はんとし》も無職《むしょく》で徘徊《うろうろ》してただパンと、水《みず》とで生命《いのち》を繋《つな》いでいたのであるが、その後《ご》裁判所《さいばんしょ》の警吏《けいり》となり、病《やまい》を以《もっ》て後《のち》にこの職《しょく》を辞《じ》するまでは、ここに務《つとめ》を取《と》っていたのであった。
 彼《かれ》は学生時代《がくせいじだい》の壮年《そうねん》の頃《ごろ》でも、生得《せいとく》余《あま》り壮健《そうけん》な身体《からだ》では無《な》かった。顔色《かおいろ》は蒼白《あおじろ》く、姿《すがた》は瘠《や》せて、しょっちゅう風邪《かぜ》を引《ひ》き易《やす》い、少食《しょうしょく》で落々《おちおち》眠《ねむ》られぬ質《たち》、一|杯《ぱい》の酒《さけ》にも眼《め》が廻《まわ》り、ままヒステリーが起《おこ》るのである。人《ひと》と交際《こうさい》することは彼《かれ》は至《いた》って好《この》んでいたが、その神経質《しんけいしつ》な、刺激《しげき》され易《やす》い性質《せいしつ》なるが故《ゆえ》に、自《みずか》ら務《つと》めて誰《たれ》とも交際《こうさい》せず、随《したがっ》てまた親友《しんゆう》をも持《も》たぬ。町《まち》の人々《ひとびと》のことは彼《かれ》はいつも軽蔑《けいべつ》して、無教育《むきょういく》の徒《と》、禽獣的生活《きんじゅうてきせいかつ》と罵《ののし》って、テノルの高声《たかごえ》で燥立《いらだ》っている。彼《かれ》が物《もの》を言《い》うのは憤懣《ふんまん》の色《いろ》を以《もっ》てせざれば、欣喜《きんき》の色《いろ》を以《もっ》て、何事《なにごと》も熱心《ねっしん》に言《い》うのである。で、その言《い》う所《ところ》は終《つい》に一つことに帰《き》してしまう。町《まち》で生活《せいかつ》するのは好《この》ましく無《な》い。社会《しゃかい》には高尚《こうしょう》なる興味《インテレース》が無《な》い。社会《しゃかい》は瞹眛《あいまい》な、無意味《むいみ》な生活《せいかつ》を為《な》している。圧制《あっせい》、偽善《ぎぜん》、醜行《しゅうこう》を逞《たくましゅ》うして、以《も》ってこれを紛《まぎ》らしている。ここにおいてか奸物共《かんぶつども》は衣食《いしょく》に飽《あ》き、正義《せいぎ》の人《ひと》は衣食《いしょく》に窮《きゅう》する。廉直《れんちょく》なる方針《ほうしん》を取《と》る地方《ちほう》の新聞紙《しんぶんし》、芝居《しばい》、学校《がっこう》、公会演説《こうかいえんぜつ》、教育《きょういく》ある人間《にんげん》の団結《だんけつ》、これらは皆《みな》必要《ひつよう》欠《か》ぐ可《べ》からざるものである。また社会《しゃかい》自《みずか》ら悟《さと》って驚《おどろ》くようにしなければならぬとかなどとのことで。彼《かれ》はその眼中《がんちゅう》に社会《しゃかい》の人々《ひとびと》をただ二|種《しゅ》に区別《くべつ》している、義者《ぎしゃ》と、不義者《ふぎしゃ》と、そうして婦人《ふじん》のこと、恋愛《れんあい》のことに就《つ》いては、いつも自《みずか》ら深《ふか》く感《かん》じ入《い》って説《と》くのであるが、さて自身《じしん》にはいまだ一|度《ど》も恋愛《れんあい》ちょうものを味《あじお》うたことは無《な》いので。
 彼《かれ》はかくも神経質《しんけいしつ》で、その議論《ぎろん》は過激《かげき》であったが、町《まち》の人々《ひとびと》はそれにも拘《かかわ》らず彼《かれ》を愛《あい》して、ワアニア、と愛嬌《あいきょう》を以《もっ》て呼《よ》んでいた。彼《かれ》が天性《てんせい》の柔《やさ》しいのと、人《ひと》に親切《しんせつ》なのと、礼儀《れいぎ》のあるのと、品行《ひんこう》の方正《ほうせい》なのと、着古《きぶる》したフロックコート、病人《びょうにん》らしい様子《ようす》、家庭《かてい》の不遇《ふぐう》、これらは皆《みな》総《すべ》て人々《ひとびと》に温《あたたか》き同情《どうじょう》を引起《ひきおこ》さしめたのであった。また一|面《めん》には彼《かれ》は立派《りっぱ》な教育《きょういく》を受《う》け、博学《はくがく》多識《たしき》で、何《な》んでも知《し》っていると町《まち》の人《ひと》は言《い》うている位《くらい》。で、彼《かれ》はこの町《まち》の活《い》きた字引《じびき》とせられていた。
 彼《かれ》は非常《ひじょう》に読書《どくしょ》を好《この》んで、しばしば倶楽部《くらぶ》に行《い》っては、神経的《しんけいてき》に髭《ひげ》を捻《ひね》りながら、雑誌《ざっし》や書物《しょもつ》を手当次第《てあたりしだい》に剥《は》いでいる、読《よ》んでいるのではなく咀《か》み間合《まにあ》わぬので鵜呑《うのみ》にしていると云《い》うような塩梅《あんばい》。読書《どくしょ》は彼《かれ》の病的《びょうてき》の習慣《しゅうかん》で、何《な》んでも凡《およ》そ手《て》に触《ふ》れた所《ところ》の物《もの》は、それがよし去年《きょねん》の古新聞《ふるしんぶん》であろうが、暦《こよみ》であろうが、一|様《よう》に饑《う》えたる者《もの》のように、きっと手《て》に取《と》って見《み》るのである。家《いえ》にいる時《とき》もいつも横《よこ》になっては、やはり、書見《しょけん》に耽《ふ》けっている。

(三)

 ある秋《あき》の朝《あさ》のこと、イワン、デミトリチは外套《がいとう》の襟《えり》を立《た》てて泥濘《ぬか》っている路《みち》を、横町《よこちょう》、路次《ろじ》と経《へ》て、或《あ》る町人《ちょうにん》の家《いえ》に書付《かきつけ》を持《も》って金《かね》を取《と》りに行《い》ったのであるが、やはり毎朝《まいあさ》のようにこの朝《あさ》も気《き》が引立《ひきた》たず、沈《しず》んだ調子《ちょうし》で或《あ》る横町《よこちょう》に差掛《さしかか》ると、折《おり》から向《むこう》より二人《ふたり》の囚人《しゅうじん》と四|人《にん》の銃《じゅう》を負《お》うて附添《つきそ》うて来《く》る兵卒《へいそつ》とに、ぱったり[#「ぱったり」に傍点]と出会《でっくわ》す。彼《かれ》は何時《いつ》が日《ひ》も囚人《しゅうじん》に出会《でっくわ》せば、同情《どうじょう》と不愉快《ふゆかい》の感《かん》に打《う》たれるのであるが、その日《ひ》はまたどう云《い》うものか、何《なん》とも云《い》われぬ一|種《しゅ》のいやな感覚《かんかく》が、常《つね》にもあらずむらむらと湧《わ》いて、自分《じぶん》もかく枷《かせ》を箝《は》められて、同《おな》じ姿《すがた》に泥濘《ぬかるみ》の中《なか》を引《ひ》かれて、獄《ごく》に入《いれ》られはせぬかと、遽《にわか》に思《おも》われて慄然《ぞっ》とした。それから町人《ちょうにん》の家《いえ》よりの帰途《かえり》、郵便局《ゆうびんきょく》の側《そば》で、予《かね》て懇意《こんい》な一人《ひとり》の警部《けいぶ》に出遇《であ》ったが警部《けいぶ》は彼《かれ》に握手《あくしゅ》して数歩《すうほ》ばかり共《とも》に歩《ある》いた。すると、何《なん》だかこれがまた彼《かれ》には只事《ただごと》でなく怪《あや》しく思《おも》われて、家《いえ》に帰《かえ》ってからも一|日中《にちじゅう》、彼《かれ》の頭《あたま》から囚人《しゅうじん》の姿《すがた》、銃《じゅう》を負《お》うてる兵卒《へいそつ》の顔《かお》などが離《はな》れずに、眼前《がんぜん》に閃付《ちらつ》いている、この理由《わけ》の解《わか》らぬ煩悶《はんもん》が怪《あや》しくも絶《た》えず彼《かれ》の心《こころ》を攪乱《かくらん》して、書物《しょもつ》を読《よ》むにも、考《かんが》うるにも、邪魔《じゃま》をする。彼《かれ》は夜《よる》になっても灯《あかり》をも点《つ》けず、夜《よも》すがら眠《ねむ》らず、今《いま》にも自分《じぶん》が捕縛《ほばく》され、獄《ごく》に繋《つな》がれはせぬかとただそればかりを思《おも》い悩《なや》んでいるのであった。
 しかし無論《むろん》、彼《かれ》は自身《じしん》に何《なん》の罪《つみ》もなきこと、また将来《しょうらい》においても殺人《さつじん》、窃盗《せっとう》、放火《ほうか》などの犯罪《はんざい》は断《だん》じてせぬとは知《し》っているが、また独《ひとり》つくづくとこうも思《おも》うたのであった。故意《こい》ならず犯罪《はんざい》を為《な》すことが無《な》いとも云《い》われぬ、人《ひと》の讒言《ざんげん》、裁判《さいばん》の間違《まちがい》などはあり得《う》べからざることだとは云《い》われぬ、そもそも裁判《さいばん》の間違《まちがい》は、今日《こんにち》の裁判《さいばん》の状態《じょうたい》にては、最《もっと》もあり得《う》べきことなので、総《そう》じて他人《たにん》の艱難《かんなん》に対《たい》しては、事務上《じむじょう》、職務上《しょくむじょう》の関係《かんけい》をもっている人々《ひとびと》、例《たと》えば裁判官《さいばんかん》、警官《けいかん》、医師《いし》、とかと云《い》うものは、年月《ねんげつ》の経過《けいか》すると共《とも》に、習慣《しゅうかん》に依《よ》って遂《つい》にはその相手《あいて》の被告《ひこく》、或《あるい》は患者《かんじゃ》に対《たい》して、単《たん》に形式以上《けいしきいじょう》の関係《かんけい》をもたぬように望《のぞ》んでも出来《でき》ぬように、この習慣《しゅうかん》と云《い》う奴《やつ》がさせてしまう、早《はや》く言《い》えば彼等《かれら》は恰《あだか》も、庭《にわ》に立《た》って羊《ひつじ》や、牛《うし》を屠《ほふ》り、その血《ち》には気《き》が着《つ》かぬ所《ところ》の劣等《れっとう》の人間《にんげん》と少《すこ》しも選《えら》ぶ所《ところ》は無《な》いのだ。
 翌朝《よくあさ》イワン、デミトリチは額《ひたい》に冷汗《ひやあせ》をびっしょりと掻《か》いて、床《とこ》から吃驚《びっくり》して跳起《はねおき》た。もう今《いま》にも自分《じぶん》が捕縛《ほばく》されると思《おも》われて。そうして自《みずか》らまた深《ふか》く考《かんが》えた。かくまでも昨日《きのう》の奇《く》しき懊悩《なやみ》が自分《じぶん》から離《はな》れぬとして見《み》れば、何《なに》か訳《わけ》があるのである、さなくてこの忌《いま》わしい考《かんがえ》がこんなに執念《しゅうね》く自分《じぶん》に着纒《つきまと》うている訳《わけ》は無《な》いと。
『や、巡査《じゅんさ》が徐々《そろそろ》と窓《まど》の傍《そば》を通《とお》って行《い》った、怪《あや》しいぞ、やや、また誰《たれ》か二人《ふたり》家《うち》の前《まえ》に立留《たちとどま》っている、何故《なぜ》黙《だま》っているのだろうか?』
 これよりしてイワン、デミトリチは日夜《にちや》をただ煩悶《はんもん》に明《あか》し続《つづ》ける、窓《まど》の傍《そば》を通《とお》る者《もの》、庭《にわ》に入《い》る者《もの》は皆《みな》探偵《たんてい》かと思《おも》われる。正午《ひる》になると毎日《まいにち》警察署長《けいさつしょちょう》が、町尽頭《まちはずれ》の自分《じぶん》の邸《やしき》から警察《けいさつ》へ行《い》くので、この家《いえ》の前《まえ》を二|頭馬車《とうばしゃ》で通《とお》る、するとイワン、デミトリチはその度毎《たびごと》、馬車《ばしゃ》が余《あま》り早《はや》く通《とお》り過《す》ぎたようだとか、署長《しょちょう》の顔付《かおつき》が別《べつ》であったとか思《おも》って、何《な》んでもこれは町《まち》に重大《じゅうだい》な犯罪《はんざい》が露顕《あら》われたのでそれを至急《しきゅう》報告《ほうこく》するのであろうなどと極《き》めて、頻《しき》りにそれが気《き》になってならぬ。
 家主《いえぬし》の女主人《おんなあるじ》の処《ところ》に見知《みし》らぬ人《ひと》が来《き》さえすればそれも苦《く》になる。門《もん》の呼鈴《よびりん》が鳴《な》る度《たび》に惴々《びくびく》しては顫上《ふるえあが》る。巡査《じゅんさ》や、憲兵《けんぺい》に遇《あ》いでもすると故《わざ》と平気《へいき》を粧《よそお》うとして、微笑《びしょう》して見《み》たり、口笛《くちぶえ》を吹《ふ》いて見《み》たりする。如何《いか》なる晩《ばん》でも彼《かれ》は拘引《こういん》されるのを待《ま》ち構《かま》えていぬ時《とき》とては無《な》い。それが為《ため》に終夜《よっぴて》眠《ねむ》られぬ。が、もしこんなことを女主人《おんなあるじ》にでも嗅付《かぎつ》けられたら、何《なに》か良心《りょうしん》に咎《とが》められることがあると思《おも》われよう、そんな疑《うたがい》でも起《おこ》されたら大変《たいへん》と、彼《かれ》はそう思《おも》って無理《むり》に毎晩《まいばん》眠《ね》た振《ふり》をして、大鼾《おおいびき》をさえ発《か》いている。しかしこんな心遣《こころづかい》は事実《じじつ》においても、普通《ふつう》の論理《ろんり》においても考《かんが》えて見《み》れば実《じつ》に愚々《ばかばか》しい次第《しだい》で、拘引《こういん》されるだの、獄舎《ろうや》に繋《つな》がれるなど云《い》うことは良心《りょうしん》にさえ疚《やま》しい所《ところ》が無《な》いならば少《すこ》しも恐怖《おそる》るに足《た》らぬこと、こんなことを恐《おそ》れるのは精神病《せいしんびょう》に相違《そうい》なきこと、と、彼《かれ》も自《みずか》ら思《おも》うてここに至《いた》らぬのでも無《な》いが、さてまた考《かんが》えれば考《かんが》うる程《ほど》迷《まよ》って、心中《しんちゅう》はいよいよ苦悶《くもん》と、恐怖《きょうふ》とに圧《あっ》しられる。で、彼《かれ》ももう思慮《かんが》えることの無益《むえき》なのを悟《さと》り、すっかり失望《しつぼう》と、恐怖《きょうふ》との淵《ふち》に沈《しず》んでしまったのである。
 彼《かれ》はそれより独居《どっきょ》して人《ひと》を避《さ》け初《はじ》めた。職務《しょくむ》を取《と》るのは前《まえ》にもいやであったが、今《いま》はなお一|層《そう》いやで堪《たま》らぬ、と云《い》うのは、人《ひと》が何時《いつ》自分《じぶん》を欺《だま》して、隠《かくし》にでもそっと賄賂《わいろ》を突込《つきこ》みはせぬか、それを訴《うった》えられでもせぬか、或《あるい》は公書《こうしょ》の如《ごと》きものに詐欺《さぎ》同様《どうよう》の間違《まちがい》でもしはせぬか、他人《たにん》の銭《ぜに》でも無《な》くしたりしはせぬか。と、無暗《むやみ》に恐《おそろし》くてならぬので。
 春《はる》になって雪《ゆき》も次第《しだい》に解《と》けた或日《あるひ》、墓場《はかば》の側《そば》の崖《がけ》の辺《あたり》に、腐爛《ふらん》した二つの死骸《しがい》が見付《みつ》かった。それは老婆《ろうば》と、男《おとこ》の子《こ》とで、故殺《こさつ》の形跡《けいせき》さえあるのであった。町《まち》ではもう到《いた》る所《ところ》、この死骸《しがい》のことと、下手人《げしゅにん》の噂《うわさ》ばかり、イワン、デミトリチは自分《じぶん》が殺《ころ》したと思《おも》われはせぬかと、またしても気《き》が気《き》ではなく、通《とおり》を歩《ある》きながらもそう思《おも》われまいと微笑《びしょう》しながら行《い》ったり、知人《しりびと》に遇《あ》いでもすると、青《あお》くなり、赤《あか》くなりして、あんな弱者共《よわいものども》を殺《ころ》すなどと、これ程《ほど》憎《にく》むべき罪悪《ざいあく》は無《な》いなど、云《い》っている。が、それもこれも直《じき》に彼《かれ》を疲労《つか》らしてしまう。彼《かれ》はそこでふと[#「ふと」に傍点]思《おも》い着《つ》いた、自分《じぶん》の位置《いち》の安全《あんぜん》を計《はか》るには、女主人《おんなあるじ》の穴蔵《あなぐら》に隠《かく》れているのが上策《じょうさく》と。そうして彼《かれ》は一|日中《にちじゅう》、また一晩中《ひとばんじゅう》、穴蔵《あなぐら》の中《なか》に立尽《たちつく》し、その翌日《よくじつ》もやはり出《で》ぬ。で、身体《からだ》が甚《ひど》く凍《こご》えてしまったので、詮方《せんかた》なく、夕方《ゆうがた》になるのを待《ま》って、こッそり[#「こッそり」に傍点]と自分《じぶん》の室《へや》には忍《しの》び出《で》て来《き》たものの、夜明《よあけ》まで身動《みうごき》もせず、室《へや》の真中《まんなか》に立《た》っていた。すると明方《あけがた》、まだ日《ひ》の出《で》ぬ中《うち》、女主人《おんなあるじ》の方《ほう》へ暖炉造《だんろつくり》の職人《しょくにん》が来《き》た。イワン、デミトリチは彼等《かれら》が厨房《くりや》の暖炉《だんろ》を直《なお》しに来《き》たのであるのは知《し》っていたのであるが、急《きゅう》に何《なん》だかそうでは無《な》いように思《おも》われて来《き》て、これはきっと警官《けいかん》が故《わざ》と暖炉職人《だんろしょくにん》の風体《ふうてい》をして来《き》たのであろうと、心《こころ》は不覚《そぞろ》、気《き》は動顛《どうてん》して、いきなり、室《へや》を飛出《とびだ》したが、帽《ぼう》も被《かぶ》らず、フロックコートも着《き》ずに、恐怖《おそれ》に駆《か》られたまま、大通《おおどおり》を真《ま》一|文字《もんじ》に走《はし》るのであった。一|匹《ぴき》の犬《いぬ》は吠《ほ》えながら彼《かれ》を追《お》う。後《うしろ》の方《ほう》では農夫《のうふ》が叫《さけ》ぶ。イワン、デミトリチは両耳《りょうみみ》がガンとして、世界中《せかいじゅう》のあらゆる圧制《あっせい》が、今《いま》彼《かれ》の直《す》ぐ背後《うしろ》に迫《せま》って、自分《じぶん》を追駈《おいか》けて来《き》たかのように思《おも》われた。
 彼《かれ》は捕《とら》えられて家《いえ》に引返《ひきかえ》されたが、女主人《おんなあるじ》は医師《いしゃ》を招《よ》びに遣《や》られ、ドクトル、アンドレイ、エヒミチは来《き》て彼《かれ》を診察《しんさつ》したのであった。
 そうして頭《あたま》を冷《ひや》す薬《くすり》と、桂梅水《けいばいすい》とを服用《ふくよう》するようにと云《い》って、いやそうに頭《かしら》を振《ふ》って、立帰《たちかえ》り際《ぎわ》に、もう二|度《ど》とは来《こ》ぬ、人《ひと》の気《き》の狂《くる》う邪魔《じゃま》をするにも当《あた》らないからとそう云《い》った。
 かくてイワン、デミトリチは宿《やど》を借《かり》ることも、療治《りょうじ》することも、銭《ぜに》の無《な》いので出来兼《できか》ぬる所《ところ》から、幾干《いくばく》もなくして町立病院《ちょうりつびょういん》に入《い》れられ、梅毒病患者《ばいどくびょうかんじゃ》と同室《どうしつ》することとなった。しかるに彼《かれ》は毎晩《まいばん》眠《ねむ》らずして、我儘《わがまま》を云《い》っては他《ほか》の患者等《かんじゃら》の邪魔《じゃま》をするので、院長《いんちょう》のアンドレイ、エヒミチは彼《かれ》を六|号室《ごうしつ》の別室《べっしつ》へ移《うつ》したのであった。
 一|年《ねん》を経《へ》て、町《まち》ではもうイワン、デミトリチのことは忘《わす》れてしまった。彼《かれ》の書物《しょもつ》は女主人《おんなあるじ》が橇《そり》の中《なか》に積重《つみかさ》ねて、軒下《のきした》に置《お》いたのであるが、どこからともなく、子供等《こどもら》が寄《よ》って来《き》ては、一|冊《さつ》持《も》ち行《ゆ》き、二|冊《さつ》取去《とりさ》り、段々《だんだん》に皆《みんな》何《いず》れへか消《き》えてしまった。

(四)

 イワン、デミトリチの左《ひだり》の方《ほう》の隣《となり》は、猶太人《ジウ》のモイセイカであるが、右《みぎ》の方《ほう》にいる者《もの》は、まるきり意味《いみ》の無《な》い顔《かお》をしている、油切《あぶらぎ》って、真円《まんまる》い農夫《のうふ》、疾《と》うから、思慮《しりょ》も、感覚《かんかく》も皆無《かいむ》になって、動《うご》きもせぬ大食《おおぐ》いな、不汚《ふけつ》極《きわま》る動物《どうぶつ》で、始終《しじゅう》鼻《はな》を突《つ》くような、胸《むね》の悪《わる》くなる臭気《しゅうき》を放《はな》っている。
 彼《かれ》の身《み》の周《まわ》りを掃除《そうじ》するニキタは、その度《たび》に例《れい》の鉄拳《てっけん》を振《ふる》っては、力《ちから》の限《かぎ》り彼《かれ》を打《う》つのであるが、この鈍《にぶ》き動物《どうぶつ》は、音《ね》をも立《た》てず、動《うご》きをもせず、眼《め》の色《いろ》にも何《なん》の感《かん》じをも現《あら》わさぬ。ただ重《おも》い樽《たる》のように、少《すこ》し蹌踉《よろけ》るのは見《み》るのも気味《きみ》が悪《わる》い位《くらい》。
 六|号室《ごうしつ》の第《だい》五|番目《ばんめ》は、元来《もと》郵便局《ゆうびんきょく》とやらに勤《つと》めた男《おとこ》で、気《き》の善《い》いような、少《すこ》し狡猾《ずる》いような、脊《せ》の低《ひく》い、瘠《や》せたブロンジンの、利発《りこう》らしい瞭然《はっきり》とした愉快《ゆかい》な眼付《めつき》、ちょっと見《み》るとまるで正気《しょうき》のようである。彼《かれ》は何《なに》か大切《たいせつ》な秘密《ひみつ》な物《もの》をもっていると云《い》うような風《ふう》をしている。枕《まくら》の下《した》や、寐台《ねだい》のどこかに、何《なに》かをそッと[#「そッと」に傍点]隠《かく》して置《お》く、それは盗《ぬす》まれるとか、奪《うば》われるとか、云《い》う気遣《きづかい》の為《た》めではなく人《ひと》に見《み》られるのが恥《はず》かしいのでそうして隠《かく》して置《お》く物《もの》がある。時々《ときどき》同室《どうしつ》の者等《ものら》に脊《せ》を向《む》けて、独《ひとり》窓《まど》の所《ところ》に立《た》って、何《なに》かを胸《むね》に着《つ》けて、頭《かしら》を屈《かが》めて熟視《みい》っている様子《ようす》。誰《たれ》かもし近着《ちかづき》でもすれば、極《きまり》悪《わる》そうに急《いそ》いで胸《むね》から何《なに》かを取《と》って隠《かく》してしまう。しかしその秘密《ひみつ》は直《すぐ》に解《わか》るのである。
『私《わたくし》をお祝《いわ》いなすって下《くだ》さい。』
と、彼《かれ》は時々《ときどき》イワン、デミトリチに云《い》うことがある。
『私《わたくし》は第《だい》二|等《とう》のスタニスラウの勲章《くんしょう》を貰《もら》いました。この第《だい》二|等《とう》の勲章《くんしょう》は、全体《ぜんたい》なら外国人《がいこくじん》でなければ貰《もら》えないのですが、私《わたくし》にはその、特別《とくべつ》を以《もっ》てね、例外《れいがい》と見《み》えます。』
と、彼《かれ》は訝《いぶ》かるようにちょっと眉《まゆ》を寄《よ》せて微笑《びしょう》する。
『実《じつ》を申《もう》しますと、これはちと意外《いがい》でしたので。』
『私《わたくし》はどうもそう云《い》うものに就《つ》いては、まるで解《わか》らんのです。』
と、イワン、デミトリチは愁《うれ》わしそうに答《こた》える。
『しかし私《わたくし》が早晩《そうばん》手《て》に入《い》れようと思《おも》いますのは、何《なん》だか知《し》っておいでになりますか。』
 先《もと》の郵便局員《ゆうびんきょくいん》は、さも狡猾《ずる》そうに眼《め》を細《ほそ》めて云《い》う。
『私《わたくし》はきっとこんどは瑞典《スウェーデン》の北極星《ほっきょくせい》の勲章《くんしょう》を貰《もら》おうと思《おも》っておるです、その勲章《くんしょう》こそは骨《ほね》を折《お》る甲斐《かい》のあるものです。白《しろ》い十|字架《じか》に、黒《くろ》リボンの附《つ》いた、それは立派《りっぱ》です。』
 この六|号室程《ごうしつほど》単調《たんちょう》な生活《せいかつ》は、どこを尋《たず》ねても無《な》いであろう。朝《あさ》には患者等《かんじゃら》は、中風患者《ちゅうぶかんじゃ》と、油切《あぶらぎ》った農夫《のうふ》との外《ほか》は皆《みんな》玄関《げんかん》に行《い》って、一つ大盥《おおだらい》で顔《かお》を洗《あら》い、病院服《びょういんふく》の裾《すそ》で拭《ふ》き、ニキタが本院《ほんいん》から運《はこ》んで来《く》る、一|杯《ぱい》に定《さだ》められたる茶《ちゃ》を錫《すず》の器《うつわ》で啜《すす》るのである。正午《ひる》には酢《す》く漬《つ》けた玉菜《たまな》の牛肉汁《にくじる》と、飯《めし》とで食事《しょくじ》をする。晩《ばん》には昼食《ひるめし》の余《あま》りの飯《めし》を食《た》べるので。その間《あいだ》は横《よこ》になるとも、睡《ねむ》るとも、空《そら》を眺《なが》めるとも、室《へや》の隅《すみ》から隅《すみ》へ歩《ある》くとも、こうして毎日《まいにち》を送《おく》っている。
 新《あたら》しい人《ひと》の顔《かお》は六|号室《ごうしつ》では絶《た》えて見《み》ぬ。院長《いんちょう》アンドレイ、エヒミチは新《あらた》な瘋癲患者《ふうてんかんじゃ》はもう疾《と》くより入院《にゅういん》せしめぬから。また誰《たれ》とてこんな瘋癲者《ふうてんしや》の室《へや》に参観《さんかん》に来《く》る者《もの》も無《な》いから。ただ二ヶ|月《げつ》に一|度《ど》だけ、理髪師《とこや》のセミョン、ラザリチばかりここへ来《く》る、その男《おとこ》はいつも酔《よ》ってニコニコしながら遣《や》って来《き》て、ニキタに手伝《てつだ》わせて髪《かみ》を刈《か》る、彼《かれ》が見《み》えると患者等《かんじゃら》は囂々《がやがや》と云《い》って騒《さわ》ぎ出《だ》す。
 かく患者等《かんじゃら》は理髪師《とこや》の外《ほか》には、ただニキタ一人《ひとり》、それより外《ほか》には誰《たれ》に遇《あ》うことも、誰《たれ》を見《み》ることも叶《かな》わぬ運命《うんめい》に定《さだ》められていた。
 しかるに近頃《ちかごろ》に至《いた》って不思議《ふしぎ》な評判《ひょうばん》が院内《いんない》に伝《つた》わった。
 院長《いんちょう》が六|号室《ごうしつ》に足繁《あししげ》く訪問《ほうもん》し出《だ》したとの風評《ひょうばん》。

(五)

 不思議《ふしぎ》な風評《ひょうばん》である。
 ドクトル、アンドレイ、エヒミチ、ラアギンは風変《ふうがわ》りな人間《にんげん》で、青年《せいねん》の頃《ころ》には甚《はなはだ》敬虔《けいけん》で、身《み》を宗教上《しゅうきょうじょう》に立《た》てようと、千八百六十三|年《ねん》に中学《ちゅうがく》を卒業《そつぎょう》すると直《す》ぐ、神学大学《しんがくだいがく》に入《い》ろうと决《けっ》した。しかるに医学博士《いがくはかせ》にして、外科《げか》専門家《せんもんか》なる彼《かれ》が父《ちち》は、断乎《だんこ》として彼《かれ》が志望《しぼう》を拒《こば》み、もし彼《かれ》にして司祭《しさい》となった暁《あかつき》は、我《わ》が子《こ》とは認《みと》めぬとまで云張《いいは》った。が、アンドレイ、エヒミチは父《ちち》の言《ことば》ではあるが、自分《じぶん》はこれまで医学《いがく》に対《たい》して、また一|般《ぱん》の専門学科《せんもんがっか》に対《たい》して、使命《しめい》を感《かん》じたことは無《な》かったと自白《じはく》している。
 とにかく、彼《かれ》は医科大学《いかだいがく》を卒業《そつぎょう》して司祭《しさい》の職《しょく》には就《つ》かなかった。そうして医者《いしゃ》として身《み》を立《た》つる初《はじ》めにおいても、なお今日《こんにち》の如《ごと》く別段《べつだん》宗教家《しゅうきょうか》らしい所《ところ》は少《すく》なかった。彼《かれ》の容貌《ようぼう》はぎすぎす[#「ぎすぎす」に傍点]して、どこか百姓染《ひゃくしょうじ》みて、頤鬚《あごひげ》から、べッそりした髪《かみ》、ぎごちない[#「ぎごちない」に傍点]不態《ぶざま》な恰好《かっこう》は、まるで大食《たいしょく》の、呑抜《のみぬけ》の、頑固《がんこ》な街道端《かいどうばた》の料理屋《りょうりや》なんどの主人《しゅじん》のようで、素気無《そっけな》い顔《かお》には青筋《あおすじ》が顕《あらわ》れ、眼《め》は小《ちい》さく、鼻《はな》は赤《あか》く、肩幅《かたはば》広《ひろ》く、脊《せい》高《たか》く、手足《てあし》が図抜《ずぬ》けて大《おお》きい、その手《て》で捉《つか》まえられようものなら呼吸《こきゅう》も止《と》まりそうな。それでいて足音《あしおと》は極《ご》く静《しずか》で、歩《ある》く様子《ようす》は注意深《ちゅういぶか》い忍足《しのびあし》のようである。狭《せま》い廊下《ろうか》で人《ひと》に出遇《であ》うと、まず道《みち》を除《よ》けて立留《たちどま》り、『失敬《しっけい》』と、さも太《ふと》い声《こえ》で云《い》いそうだが、細《ほそ》いテノルでそう挨拶《あいさつ》する。彼《かれ》の頸《くび》には小《ちい》さい腫物《はれもの》が出来《でき》ているので、常《つね》に糊付《のりつけ》シャツは着《き》ないで、柔《やわ》らかな麻布《あさ》か、更紗《さらさ》のシャツを着《き》ているので。そうしてその服装《ふくそう》は少《すこ》しも医者《いしゃ》らしい所《ところ》は無《な》く、一つフロックコートを十|年《ねん》も着続《きつづ》けている。稀《まれ》に猶太人《ジウ》の店《みせ》で新《あたら》しい服《ふく》を買《か》って来《き》ても、彼《かれ》が着《き》るとやはり皺《しわ》だらけな古着《ふるぎ》のように見《み》えるので。一つフロックコートで患者《かんじゃ》も受《う》け、食事《しょくじ》もし、客《きゃく》にも行《ゆ》く。しかしそれは彼《かれ》が吝嗇《りんしょく》なるのではなく、扮装《なり》などには全《まった》く無頓着《むとんじゃく》なのに由《よ》るのである。
 アンドレイ、エヒミチが新《あらた》に院長《いんちょう》としてこの町《まち》に来《き》た時《とき》は、この病院《びょういん》の乱脈《らんみゃく》は名状《めいじょう》すべからざるもので。室内《しつない》と云《い》わず、廊下《ろうか》と云《い》わず、庭《にわ》と云《い》わず、何《なん》とも云《い》われぬ臭気《しゅうき》が鼻《はな》を衝《つ》いて、呼吸《いき》をするさえ苦《くる》しい程《ほど》。病院《びょういん》の小使《こづかい》、看護婦《かんごふ》、その子供等《こどもら》などは皆《みな》患者《かんじゃ》の病室《びょうしつ》に一|所《しょ》に起臥《きが》して、外科室《げかしつ》には丹毒《たんどく》が絶《た》えたことは無《な》い。患者等《かんじゃら》は油虫《あぶらむし》、南京虫《なんきんむし》、鼠《ねずみ》の族《やから》に責《せ》め立《た》てられて、住《す》んでいることも出来《でき》ぬと苦情《くじょう》を云《い》う。器械《きかい》や、道具《どうぐ》などは何《なに》もなく外科用《げかよう》の刄物《はもの》が二つあるだけで体温器《たいおんき》すら無《な》いのである。浴盤《よくばん》には馬鈴薯《じやがたらいも》が投込《なげこ》んであるような始末《しまつ》、代診《だいしん》、会計《かいけい》、洗濯女《せんたくおんな》は、患者《かんじゃ》を掠《かす》めて何《なん》とも思《おも》わぬ。話《はなし》には前《さき》の院長《いんちょう》はまま病院《びょういん》のアルコールを密売《みつばい》し、看護婦《かんごふ》、婦人患者《ふじんかんじゃ》を手当次第《てあたりしだい》妾《めかけ》としていたと云《い》う。で、町《まち》では病院《びょういん》のこんな有様《ありさま》を知《し》らぬのでは無《な》く、一|層《そう》棒大《ぼうだい》にして乱次《だらし》の無《な》いことを評判《ひょうばん》していたが、これに対《たい》しては人々《ひとびと》は至《いた》って冷淡《れいたん》なもので、寧《むし》ろ病院《びょういん》の弁護《べんご》をしていた位《くらい》。病院《びょういん》などに入《はい》るものは、皆《みんな》病人《びょうにん》や百姓共《ひゃくしょうども》だから、その位《くらい》な不自由《ふじゆう》は何《なん》でも無《な》いことである、自家《じか》にいたならば、なおさら不自由《ふじゆう》をせねばなるまいとか、地方自治体《ちほうじちたい》の補助《ほじょ》もなくて、町《まち》独立《どくりつ》で立派《りっぱ》な病院《びょういん》の維持《いじ》されようは無《な》いとか、とにかく悪《わる》いながらも病院《びょういん》のあるのは無《な》いよりも増《まし》であるとかと。
 アンドレイ、エヒミチは院長《いんちょう》としてその職《しょく》に就《つ》いた後《のち》かかる乱脈《らんみゃく》に対《たい》して、果《はた》してこれを如何様《いかよう》に所置《しょち》したろう、敏捷《てきぱき》と院内《いんない》の秩序《ちつじょ》を改革《かいかく》したろうか。彼《かれ》はこの不順序《ふじゅんじょ》に対《たい》しては、さのみ気《き》を留《と》めた様子《ようす》はなく、ただ看護婦《かんごふ》などの病室《びょうしつ》に寐《ね》ることを禁《きん》じ、機械《きかい》を入《い》れる戸棚《とだな》を二個《ふたつ》備付《そなえつ》けたばかりで、代診《だいしん》も、会計《かいけい》も、洗濯婦《せんたくおんな》も、元《もと》のままにして置《お》いた。
 アンドレイ、エヒミチは知識《ちしき》と廉直《れんちょく》とを頗《すこぶ》る好《この》みかつ愛《あい》していたのであるが、さて彼《かれ》は自分《じぶん》の周囲《まわり》にはそう云《い》う生活《せいかつ》を設《もう》けることは到底《とうてい》出来《でき》ぬのであった。それは気力《きりょく》と、権力《けんりょく》における自信《じしん》とが足《た》りぬので。命令《めいれい》、主張《しゅちょう》、禁止《きんし》、こう云《い》うことは凡《すべ》て彼《かれ》には出来《でき》ぬ。丁度《ちょうど》声《こえ》を高《たか》めて命令《めいれい》などは决《けっ》して致《いた》さぬと、誰《たれ》にか誓《ちかい》でも立《た》てたかのように、くれとか、持《も》って来《こ》いとかとはどうしても言《い》えぬ。で、物《もの》が食《た》べたくなった時《とき》には、何時《いつ》も躊躇《ちゅうちょ》しながら咳払《せきばらい》して、そうして下女《げじょ》に、茶《ちゃ》でも呑《の》みたいものだとか、飯《めし》にしたいものだとか云《い》うのが常《つね》である、それ故《ゆえ》に会計係《かいけいがかり》に向《むか》っても、盗《ぬす》んではならぬなどとは到底《とうてい》云《い》われぬ。無論《むろん》放逐《ほうちく》することなどは為《な》し得《え》ぬので。人《ひと》が彼《かれ》を欺《あざむ》いたり、或《あるい》は諂《へつら》ったり、或《あるい》は不正《ふせい》の勘定書《かんじょうがき》に署名《しょめい》をすることを願《ねが》いでもされると、彼《かれ》は蝦《えび》のように真赤《まっか》になってひたすらに自分《じぶん》の悪《わる》いことを感《かん》じはする。が、やはり勘定書《かんじょうがき》には署名《しょめい》をして遣《や》ると云《い》うような質《たち》。
 初《はじめ》にアンドレイ、エヒミチは熱心《ねっしん》にその職《しょく》を励《はげ》み、毎日《まいにち》朝《あさ》から晩《ばん》まで、診察《しんさつ》をしたり、手術《しゅじゅつ》をしたり、時《とき》には産婆《さんば》をもしたのである、婦人等《ふじんら》は皆《みな》彼《かれ》を非常《ひじょう》に褒《ほ》めて名医《めいい》である、殊《こと》に小児科《しょうにか》、婦人科《ふじんか》に妙《みょう》を得《え》ていると言囃《いいはや》していた。が、彼《かれ》は年月《としつき》の経《た》つと共《とも》に、この事業《じぎょう》の単調《たんちょう》なのと、明瞭《あきらか》に益《えき》の無《な》いのとを認《みと》めるに従《したが》って、段々《だんだん》と厭《あ》きて来《き》た。彼《かれ》は思《おも》うたのである。今日《きょう》は三十|人《にん》の患者《かんじゃ》を受《う》ければ、明日《あす》は三十五|人《にん》来《く》る、明後日《あさって》は四十|人《にん》に成《な》って行《ゆ》く、かく毎日《まいにち》、毎月《まいげつ》同事《おなじこと》を繰返《くりかえ》し、打続《うちつづ》けては行《ゆ》くものの、市中《まち》の死亡者《しぼうしゃ》の数《すう》は决《けっ》して減《げん》じぬ。また患者《かんじゃ》の足《あし》も依然《いぜん》として門《もん》には絶《た》えぬ。朝《あさ》から午《ひる》まで来《く》る四十|人《にん》の患者《かんじゃ》に、どうして確実《かくじつ》な扶助《たすけ》を与《あた》えることが出来《でき》よう、故意《こい》ならずとも虚偽《きょぎ》を為《な》しつつあるのだ。一|統計年度《とうけいねんど》において、一万二千|人《にん》の患者《かんじゃ》を受《う》けたとすれば、即《すなわ》ち一万二千|人《にん》は欺《あざむ》かれたのである。重《おも》い患者《かんじゃ》を病院《びょういん》に入院《にゅういん》させて、それを学問《がくもん》の規則《きそく》に従《したが》って治療《ちりょう》することは出来《でき》ぬ。如何《いか》なれば規則《きそく》はあっても、ここに学問《がくもん》は無《な》いのである。哲学《てつがく》を捨《すて》てしまって、他《た》の医師等《いしゃら》のように規則《きそく》に従《したが》って遣《や》ろうとするのには、第《だい》一に清潔法《せいけつほう》と、空気《くうき》の流通法《りゅうつうほう》とが欠《か》くべからざる物《もの》である。しかるにこんな不潔《ふけつ》な有様《ありさま》では駄目《だめ》だ。また滋養物《じようぶつ》が肝心《かんじん》である。しかるにこんな臭《くさ》い玉菜《たまな》の牛肉汁《にくじる》などでは駄目《だめ》だ、また善《よ》い補助者《ほじょしゃ》が必要《ひつよう》である、しかるにこんな盗人《ぬすびと》ばかりでは駄目《だめ》だ。
 そうして死《し》が各人《かくじん》の正当《せいとう》な終《おわり》であるとするなれば、何《なん》の為《ため》に人々《ひとびと》の死《し》の邪魔《じゃま》をするのか。仮《かり》にある商人《しょうにん》とか、ある官吏《かんり》とかが、五|年《ねん》十|年《ねん》余計《よけい》に生延《いきの》びたとして見《み》た所《ところ》で、それが何《なん》になるか。もしまた医学《いがく》の目的《もくてき》が薬《くすり》を以《もっ》て、苦痛《くつう》を薄《うす》らげるものと為《な》すなれば、自然《しぜん》ここに一つの疑問《ぎもん》が生《しょう》じて来《く》る。苦痛《くつう》を薄《うす》らげるのは何《なん》の為《ため》か? 苦痛《くつう》は人《ひと》を完全《かんぜん》に向《むか》わしむるものと云《い》うでは無《な》いか、また人類《じんるい》が果《はた》して丸薬《がんやく》や、水薬《すいやく》で、その苦痛《くつう》が薄《うす》らぐものなら、宗教《しゅうきょう》や、哲学《てつがく》は必要《ひつよう》が無《な》くなったと棄《すつ》るに至《いた》ろう。プシキンは死《し》に先《さきだ》って非常《ひじょう》に苦痛《くつう》を感《かん》じ、不幸《ふこう》なるハイネは数年間《すうねんかん》中風《ちゅうぶ》に罹《かか》って臥《ふ》していた。して見《み》れば原始虫《げんしちゅう》の如《ごと》き我々《われわれ》に、せめて苦難《くなん》ちょうものが無《な》かったならば、全《まった》く含蓄《がんちく》の無《な》い生活《せいかつ》となってしまう。からして我々《われわれ》は病気《びょうき》するのは寧《むし》ろ当然《とうぜん》では無《な》いか。
 かかる議論《ぎろん》にまるで心《こころ》を圧《あっ》しられたアンドレイ、エヒミチは遂《つい》に匙《さじ》を投《な》げて、病院《びょういん》にも毎日《まいにち》は通《かよ》わなくなるに至《いた》った。

(六)

 彼《かれ》の生活《せいかつ》はかくの如《ごと》くにして過《す》ぎ行《ゆ》いた。朝《あさ》は八|時《じ》に起《お》き、服《ふく》を着換《きか》えて茶《ちゃ》を呑《の》み、それから書斎《しょさい》に入《はい》るか、或《あるい》は病院《びょういん》に行《ゆ》くかである。病院《びょういん》では外来患者《がいらいかんじゃ》がもう診察《しんさつ》を待構《まちかま》えて、狭《せま》い廊下《ろうか》に多人数《たにんず》詰掛《つめか》けている。その側《そば》を小使《こづかい》や、看護婦《かんごふ》が靴《くつ》で煉瓦《れんが》の床《ゆか》を音高《おとたか》く踏鳴《ふみなら》して往来《おうらい》し、病院服《びょういんふく》を着《き》ている瘠《や》せた患者等《かんじゃら》が通《とお》ったり、死人《しにん》も舁《かつ》ぎ出《だ》す、不潔物《ふけつぶつ》を入《い》れた器《うつわ》をも持《も》って通《とお》る。子供《こども》は泣《な》き叫《さけ》ぶ、通風《とおりかぜ》はする。アンドレイ、エヒミチはこう云《い》う病院《びょういん》の有様《ありさま》では、熱病患者《ねつびょうかんじゃ》、肺病患者《はいびょうかんじゃ》には最《もっと》もよくないと、始終《しじゅう》思《おも》い思《おも》いするのであるが、それをまたどうすることも出来《でき》ぬのであった。
 代診《だいしん》のセルゲイ、セルゲイチは、いつも控所《ひかえじょ》に院長《いんちょう》の出《で》て来《く》るのを待《ま》っている。この代診《だいしん》は脊《せ》の小《ちい》さい、丸《まる》く肥《ふと》った男《おとこ》、頬髯《ほおひげ》を綺麗《きれい》に剃《そ》って、丸《まる》い顔《かお》はいつもよく洗《あら》われていて、その気取《きど》った様子《ようす》で、新《あたら》しいゆっとり[#「ゆっとり」に傍点]した衣服《いふく》を着《つ》け、白《しろ》の襟飾《えりかざり》をした所《ところ》は、まるで代診《だいしん》のようではなく、元老議員《げんろうぎいん》とでも言《い》いたいようである。彼《かれ》は町《まち》に沢山《たくさん》の病家《びょうか》の顧主《とくい》を持《も》っている。で、彼《かれ》は自分《じぶん》を心窃《こころひそか》に院長《いんちょう》より遙《はるか》に実際《じっさい》において、経験《けいけん》に積《つ》んでいるものと認《みと》めていた。何《なん》となれば院長《いんちょう》には町《まち》に顧主《とくい》の病家《びょうか》などは少《すこ》しも無《な》いのであるから。控所《ひかえじょ》は、壁《かべ》に大《おお》きい額縁《がくぶち》に填《はま》った聖像《せいぞう》が懸《かか》っていて、重《おも》い灯明《とうみょう》が下《さ》げてある。傍《そば》には白《しろ》い布《きれ》を被《き》せた読経台《どきょうだい》が置《お》かれ、一|方《ぽう》には大主教《だいしゅきょう》の額《がく》が懸《か》けてある、またスウャトコルスキイ修道院《しゅうどういん》の額《がく》と、枯《か》れた花環《はなわ》とが懸《か》けてある。この聖像《せいぞう》は代診《だいしん》自《みずか》ら買《か》ってここに懸《か》けたもので、毎日曜日《まいにちようび》、彼《かれ》の命令《めいれい》で、誰《だれ》か患者《かんじゃ》の一人《ひとり》が、立《た》って、声《こえ》を上《あ》げて、祈祷文《きとうぶん》を読《よ》む、それから彼《かれ》は自身《じしん》で、各病室《かくびょうしつ》を、香炉《こうろ》を提《さ》げて振《ふ》りながら廻《まわ》る。
 患者《かんじゃ》は多《おお》いのに時間《じかん》は少《すく》ない、で、いつも極《ご》く簡単《かんたん》な質問《しつもん》と、塗薬《ぬりぐすり》か、※[#「箆」の「竹かんむり」に代えて「くさかんむり」、42-上-12]麻子油位《ひましあぶらぐらい》の薬《くすり》を渡《わた》して遣《や》るのに留《とど》まっている。院長《いんちょう》は片手《かたて》で頬杖《ほおづえ》を突《つ》きながら考込《かんがえこ》んで、ただ機械的《きかいてき》に質問《しつもん》を掛《か》けるのみである。代診《だいしん》のセルゲイ、セルゲイチが時々《ときどき》手《て》を擦《こす》り擦《こす》り口《くち》を入《い》れる。『この世《よ》には皆《みな》人《ひと》が病気《びょうき》になります、入用《いりよう》なものがありません、何《なん》となれば、これ皆《みな》親切《しんせつ》な神様《かみさま》に不熱心《ふねっしん》でありますから。』診察《しんさつ》の時《とき》に院長《いんちょう》はもう疾《と》うより手術《しゅじゅつ》をすることは止《や》めていた。彼《かれ》は血《ち》を見《み》るさえ不愉快《ふゆかい》に感《かん》じていたからで。また子供《こども》の咽喉《のど》を見《み》るので口《くち》を開《あ》かせたりする時《とき》に、子供《こども》が泣叫《なきさけ》び、小《ちい》さい手《て》を突張《つッぱ》ったりすると、彼《かれ》はその声《こえ》で耳《みみ》がガンとしてしまって、眼《め》が廻《まわ》って涙《なみだ》が滴《こぼ》れる。で、急《いそ》いで薬《くすり》の処方《しょほう》を云《い》って、子供《こども》を早《はや》く連《つ》れて行《い》ってくれと手《て》を振《ふ》る。
 診察《しんさつ》の時《とき》、患者《かんじゃ》の臆病《おくびょう》、訳《わけ》の解《わか》らぬこと、代診《だいしん》の傍《そば》にいること、壁《かべ》に懸《かか》ってる画像《がぞう》、二十|年《ねん》以上《いじょう》も相変《あいかわ》らずに掛《か》けている質問《しつもん》、これらは院長《いんちょう》をして少《すくな》からず退屈《たいくつ》せしめて、彼《かれ》は五六|人《にん》の患者《かんじゃ》を診察《しんさつ》し終《おわ》ると、ふいと診察所《しんさつじょ》から出《で》て行《い》ってしまう。で、後《あと》の患者《かんじゃ》は代診《だいしん》が彼《かれ》に代《かわ》って診察《しんさつ》するのであった。
 院長《いんちょう》アンドレイ、エヒミチは疾《とう》から町《まち》の病家《びょうか》をもたぬのを、却《かえ》っていい幸《さいわい》に、誰《だれ》も自分《じぶん》の邪魔《じゃま》をするものは無《な》いと云《い》う考《かんがえ》で、家《いえ》に帰《かえ》ると直《す》ぐ書斎《しょさい》に入《い》り、読《よ》む書物《しょもつ》の沢山《たくさん》あるので、この上《うえ》なき満足《まんぞく》を以《もっ》て書見《しょけん》に耽《ふけ》るのである、彼《かれ》は月給《げっきゅう》を受取《うけと》ると直《す》ぐ半分《はんぶん》は書物《しょもつ》を買《か》うのに費《つい》やす、その六|間《ま》借《か》りている室《へや》の三つには、書物《しょもつ》と古雑誌《ふるざっし》とで殆《ほとんど》埋《うずま》っている。彼《かれ》が最《もっと》も好《この》む所《ところ》の書物《しょもつ》は、歴史《れきし》、哲学《てつがく》で、医学上《いがくじょう》の書物《しょもつ》は、ただ『医者《ヴラーチ》』と云《い》う一|雑誌《ざっし》を取《と》っているのに過《す》ぎぬ。読書《どくしょ》し初《はじ》めるといつも数時間《すうじかん》は続様《つづけさま》に読《よ》むのであるが、少《すこ》しもそれで疲労《つかれ》ぬ。彼《かれ》の書見《しょけん》は、イワン、デミトリチのように神経的《しんけいてき》に、迅速《じんそく》に読《よ》むのではなく、徐《しずか》に眼《め》を通《とお》して、気《き》に入《い》った所《ところ》、了解《りょうかい》し得《え》ぬ所《ところ》は、留《とどま》り留《とどま》りしながら読《よ》んで行《ゆ》く。書物《しょもつ》の側《そば》にはいつもウォッカの壜《びん》を置《お》いて、塩漬《しおづけ》の胡瓜《きゅうり》や、林檎《りんご》が、デスクの羅紗《らしゃ》の布《きれ》の上《うえ》に置《お》いてある。半時間毎《はんじかんごと》位《くらい》に彼《かれ》は書物《しょもつ》から眼《め》を離《はな》さずに、ウォッカを一|杯《ぱい》注《つ》いでは呑乾《のみほ》し、そうして矢張《やはり》見《み》ずに胡瓜《きゅうり》を手探《てさぐり》で食《く》い欠《か》ぐ。
 三|時《じ》になると彼《かれ》は徐《しずか》に厨房《くりや》の戸《と》に近《ちか》づいて咳払《せきばら》いをして云《い》う。
『ダリュシカ、昼食《ひるめし》でも遣《や》りたいものだな。』
 不味《まず》そうに取揃《とりそろ》えられた昼食《ひるめし》を為《な》し終《お》えると、彼《かれ》は両手《りょうて》を胸《むね》に組《く》んで考《かんが》えながら室内《しつない》を歩《ある》き初《はじ》める。その中《うち》に四|時《じ》が鳴《な》る。五|時《じ》が鳴《な》る、なお彼《かれ》は考《かんが》えながら歩《ある》いている。すると、時々《ときどき》厨房《くりや》の戸《と》が開《あ》いて、ダリュシカの赤《あか》い寐惚顔《ねぼけがお》が顕《あら》われる。
『旦那様《だんなさま》、もうビールを召上《めしあが》ります時分《じぶん》では御座《ござ》りませんか。』
と、彼女《かれ》は気《き》を揉《も》んで問《と》う。
『いやまだ……もう少《すこ》し待《ま》とう……もう少《すこ》し……。』
と、彼《かれ》は云《い》う。
 晩《ばん》にはいつも郵便局長《ゆうびんきょくちょう》のミハイル、アウエリヤヌイチが遊《あそ》びに来《く》る。アンドレイ、エヒミチに取《と》ってはこの人間《ひと》ばかりが、町中《まちじゅう》で一人《ひとり》気《き》の置《お》けぬ親友《しんゆう》なので。ミハイル、アウエリヤヌイチは元《もと》は富《と》んでいた大地主《おおじぬし》、騎兵隊《きへいたい》に属《ぞく》していた者《もの》、しかるに漸々《だんだん》身代《しんだい》を耗《す》ってしまって、貧乏《びんぼう》し、老年《ろうねん》に成《な》ってから、遂《つい》にこの郵便局《ゆうびんきょく》に入《はい》ったので。至《いた》って元気《げんき》な、壮健《そうけん》な、立派《りっぱ》な白《しろ》い頬鬚《ほおひげ》の、快活《かいかつ》な大声《おおごえ》の、しかも気《き》の善《よ》い、感情《かんじょう》の深《ふか》い人間《にんげん》である。しかしまた極《ご》く腹立易《はらだちッぽ》い男《おとこ》で、誰《だれ》か郵便局《ゆうびんきょく》に来《き》た者《もの》で、反対《はんたい》でもするとか、同意《どうい》でもせぬとか、理屈《りくつ》でも並《なら》べようものなら、真赤《まっか》になって、全身《ぜんしん》を顫《ふる》わして怒立《おこりた》ち、雷《らい》のような声《こえ》で、黙《だま》れ! と一|喝《かつ》する。それ故《ゆえ》に郵便局《ゆうびんきょく》に行《ゆ》くのは怖《こわ》いと云《い》うは一|般《ぱん》の評判《ひょうばん》。が、彼《かれ》は町《まち》の者《もの》をかく部下《ぶか》のように遇《あつか》うにも拘《かかわ》らず、院長《いんちょう》アンドレイ、エヒミチばかりは、教育《きょういく》があり、かつ高尚《こうしょう》な心《こころ》をもっていると、敬《うやま》いかつ愛《あい》していた。
『やあ、私《わたし》です。』
と、ミハイル、アウエリヤヌイチはいつものようにこう云《い》いながら、アンドレイ、エヒミチの家《いえ》に入《はい》って来《き》た。
 二人《ふたり》は書斎《しょさい》の長椅子《ながいす》に腰《こし》を掛《か》けて、暫時《ざんじ》莨《たばこ》を吹《ふ》かしている。
『ダリュシカ、ビールでも欲《ほ》しいな。』
と、アンドレイ、エヒミチは云《い》う。
 初《はじ》めの壜《びん》は二人共《ふたりとも》無言《むごん》の行《ぎょう》で呑乾《のみほ》してしまう。院長《いんちょう》は考込《かんがえこ》んでいる、ミハイル、アウエリヤヌイチは何《なに》か面白《おもしろ》い話《はなし》をしようとして、愉快《ゆかい》そうになっている。
 話《はなし》はいつも院長《いんちょう》から、初《はじ》まるので。
『何《なん》と残念《ざんねん》なことじゃ無《な》いですかなあ。』
と、アンドレイ、エヒミチは頭《かしら》を振《ふ》りながら、相手《あいて》の眼《め》を見《み》ずに徐々《のろのろ》と話出《はなしだ》す。彼《かれ》は話《はなし》をする時《とき》に人《ひと》の眼《め》を見《み》ぬのが癖《くせ》。
『我々《われわれ》の町《まち》に話《はなし》の面白《おもしろ》い、知識《ちしき》のある人間《にんげん》の皆無《かいむ》なのは、実《じつ》に遺憾《いかん》なことじゃありませんか。これは我々《われわれ》に取《と》って大《おおい》なる不幸《ふこう》です。上流社会《じょうりゅうしゃかい》でも卑劣《ひれつ》なこと以上《いじょう》にはその教育《きょういく》の程度《ていど》は上《のぼ》らんのですから、全《まった》く下等社会《かとうしゃかい》と少《すこ》しも異《ことな》らんのです。』
『それは真実《まったく》です。』と、郵便局長《ゆうびんきょくちょう》は云《い》う。
『君《きみ》も知《し》っていられる通《とお》り。』
と、院長《いんちょう》は静《しずか》な声《こえ》で、また話続《はなしつづ》けるのであった。
『この世《よ》の中《なか》には人間《にんげん》の知識《ちしき》の高尚《こうしょう》な現象《げんしょう》の外《ほか》には、一《ひとつ》として意味《いみ》のある、興味《きょうみ》のあるものは無《な》いのです。人智《じんち》なるものが、動物《どうぶつ》と、人間《にんげん》との間《あいだ》に、大《おおい》なる限界《さかい》をなしておって、人間《にんげん》の霊性《れいせい》を示《しめ》し、或《あ》る程度《ていど》まで、実際《じっさい》に無《な》い所《ところ》の不死《ふし》の換《かわ》りを為《な》しているのです。これに由《よ》って人智《じんち》は、人間《にんげん》の唯一《ゆいいつ》の快楽《かいらく》の泉《いずみ》となつている。しかるに我々《われわれ》は自分《じぶん》の周囲《まわり》に、些《いささか》も知識《ちしき》を見《み》ず、聞《き》かずで、我々《われわれ》はまるで快楽《かいらく》を奪《うば》われているようなものです。勿論《もちろん》我々《われわれ》には書物《しょもつ》がある。しかしこれは活《い》きた話《はなし》とか、交際《こうさい》とかと云《い》うものとはまた別《べつ》で、余《あま》り適切《てきせつ》な例《れい》ではありませんが、例《たと》えば書物《しょもつ》はノタで、談話《だんわ》は唱歌《しょうか》でしょう。』
『それは真実《まったく》です。』と、郵便局長《ゆうびんきょくちょう》は云《い》う。
 二人《ふたり》は黙《だま》る。厨房《くりや》からダリュシカが鈍《にぶ》い浮《う》かぬ顔《かお》で出《で》て来《き》て、片手《かたて》で頬杖《ほおづえ》をして、話《はなし》を聞《き》こうと戸口《とぐち》に立留《たちどま》っている。
『ああ君《きみ》は今《いま》の人間《にんげん》から知識《ちしき》をお望《のぞ》みになるのですか?』
と、ミハイル、アウエリヤヌイチは嘆息《たんそく》して云《い》うた。そうして彼《かれ》は昔《むかし》の生活《せいかつ》が健全《けんぜん》で、愉快《ゆかい》で、興味《きょうみ》のあったこと、その頃《ころ》の上流社会《じょうりゅうしゃかい》には知識《ちしき》があったとか、またその社会《しゃかい》では廉直《れんちょく》、友誼《ゆうぎ》を非常《ひじょう》に重《おも》んじていたとか、証文《しょうもん》なしで銭《ぜに》を貸《か》したとか、貧窮《ひんきゅう》な友人《ゆうじん》に扶助《たすけ》を与《あた》えぬのを恥《はじ》としていたとか、愉快《ゆかい》な行軍《こうぐん》や、戦争《せんそう》などのあったこと、面白《おもしろ》い人間《にんげん》、面白《おもしろ》い婦人《ふじん》のあったこと、また高加索《カフカズ》と云《い》う所《ところ》は実《じつ》にいい土地《とち》で、或《あ》る騎兵大隊長《きへいだいたいちょう》の夫人《ふじん》に変者《かわりもの》があって、いつでも身《み》に士官《しかん》の服《ふく》を着《つ》けて、夜《よる》になると一人《ひとり》で、カフカズの山中《さんちゅう》を案内者《あんないしゃ》もなく騎馬《きば》で行《ゆ》く。話《はなし》に聞《き》くと、何《なん》でも韃靼人《だったんじん》の村《むら》に、その夫人《ふじん》と、土地《とち》の某公爵《ぼうこうしゃく》との間《あいだ》に小説《しょうせつ》があったとのことだ、とかと。
『へへえ。』
と、ダリュシカは感心《かんしん》して聞《き》いている。
『そうしてよく呑《の》み、よく食《く》ったものだ。また非常《ひじょう》な自由主義《じゆうしゅぎ》の人間《にんげん》などもあったッけ。』
 アンドレイ、エヒミチは聞《き》いてはいたが、耳《みみ》にも留《とま》らぬ風《ふう》で、何《なに》かを考《かんが》えながら、ビールをチビリチビリと呑《の》んでいる。
『私《わたし》はどうかすると知識《ちしき》のある秀才《しゅうさい》と話《はなし》をしていることを夢《ゆめ》に見《み》ることがあります。』
と、院長《いんちょう》は突然《だしぬけ》にミハイル、アウエリヤヌイチの言《ことば》を遮《さえぎ》って言《い》うた。
『私《わたし》の父《ちち》は私《わたし》に立派《りっぱ》な教育《きょういく》を与《あた》えたです、しかし六十|年代《ねんだい》の思想《しそう》の影響《えいきょう》で、私《わたし》を医者《いしゃ》としてしまったが、私《わたし》がもしその時《とき》に父《ちち》の言《い》う通《とお》りにならなかったなら、今頃《いまごろ》は現代思潮《げんだいしちょう》の中心《ちゅうしん》となっていたであろうと思《おも》われます。その時《とき》にはきっと大学《だいがく》の分科《ぶんか》の教授《きょうじゅ》にでもなっていたのでしょう。無論《むろん》知識《ちしき》なるものは、永久《えいきゅう》のものでは無《な》く、変遷《へんせん》して行《ゆ》くものですが、しかし生活《せいかつ》と云《い》うものは、忌々《いまいま》しい輪索《わな》です。思想《しそう》の人間《にんげん》が成熟《せいじゅく》の期《き》に達《たっ》して、その思想《しそう》が発展《はってん》される時《とき》になると、その人間《にんげん》は自然《しぜん》自分《じぶん》がもうすでにこの輪索《わな》に掛《かか》っている遁《のが》れる路《みち》の無《な》くなっているのを感《かん》じます。実際《じっさい》人間《にんげん》は自分《じぶん》の意旨《いし》に反《はん》して、或《あるい》は偶然《ぐうぜん》なことの為《ため》に、無《む》から生活《せいかつ》に喚出《よびだ》されたものであるのです……。』
『それは真実《まったく》です。』
と、ミハイル、アウエリヤヌイチは云《い》う。
 アンドレイ、エヒミチはやはり相手《あいて》の顔《かお》を見《み》ずに、知識《ちしき》ある者《もの》の話《はなし》ばかりを続《つづ》ける、ミハイル、アウエリヤヌイチは注意《ちゅうい》して聴《き》いていながら『それは真実《まったく》です。』と、そればかりを繰返《くりかえ》していた。
『しかし君《きみ》は霊魂《れいこん》の不死《ふし》を信《しん》じなさらんのですか?』
と、俄《にわか》にミハイル、アウエリヤヌイチは問《と》う。
『いや、ミハイル、アウエリヤヌイチ、信《しん》じません、信《しん》じる理由《りゆう》が無《な》いのです。』と、院長《いんちょう》は云《い》う。
『実《じつ》を申《もう》すと私《わたし》も疑《うたが》っているのです。しかしもっとも、私《わたくし》は或時《あるとき》は死《し》なん者《もの》のような感《かんじ》もするですがな。それは時時《ときどき》こう思《おも》うことがあるです。
 こんな老朽《ろうきゅう》な体《からだ》は死《し》んでもいい時分《じぶん》だ、とそう思《おも》うと、忽《たちま》ちまた何《なん》やら心《こころ》の底《そこ》で声《こえ》がする、気遣《きづか》うな、死《し》ぬことは無《な》いと云《い》っているような。』
 九|時《じ》少《すこ》し過《す》ぎ、ミハイル、アウエリヤヌイチは帰《かえ》らんとて立上《たちあが》り、玄関《げんかん》で毛皮《けがわ》の外套《がいとう》を引掛《ひっか》けながら溜息《ためいき》して云《い》うた。
『しかし我々《われわれ》は随分酷《ずいぶんひど》い田舎《いなか》に引込《ひっこ》んだものさ、残念《ざんねん》なのは、こんな処《ところ》で往生《おうじょう》をするのかと思《おも》うと、ああ……。』

(七)

 ある秋《あき》の朝《あさ》のこと、イワン、デミトリチは外套《がいとう》の襟《えり》を立《た》てて泥濘《ぬか》っている路《みち》を、横町《よこちょう》、路次《ろじ》と経《へ》て、或《あ》る町人《ちょうにん》の家《いえ》に書付《かきつけ》を持《も》って金《かね》を取《と》りに行《い》ったのであるが、やはり毎朝《まいあさ》のようにこの朝《あさ》も気《き》が引立《ひきた》たず、沈《しず》んだ調子《ちょうし》で或《あ》る横町《よこちょう》に差掛《さしかか》ると、折《おり》から向《むこう》より二人《ふたり》の囚人《しゅうじん》と四|人《にん》の銃《じゅう》を負《お》うて附添《つきそ》うて来《く》る兵卒《へいそつ》とに、ぱったりと出会《でっくわ》す。彼《かれ》は何時《いつ》が日《ひ》も囚人《しゅうじん》に出会《でっくわ》せば、同情《どうじょう》と不愉快《ふゆかい》の感《かん》に打《う》たれるのであるが、その日《ひ》はまたどう云《い》うものか、何《なん》とも云《い》われぬ一|種《しゅ》のいやな感覚《かんかく》が、常《つね》にもあらずむらむら[#「むらむら」に傍点]と湧《わ》いて、自分《じぶん》もかく枷《かせ》を箝《は》められて、同《おな》じ姿《すがた》に泥濘《ぬかるみ》の中《なか》を引《ひ》かれて、獄《ごく》に入《いれ》られはせぬかと、遽《にわか》に思《おも》われて慄然《ぞっ》とした。それから町人《ちょうにん》の家《いえ》よりの帰途《かえり》、郵便局《ゆうびんきょく》の側《そば》で、予《かね》て懇意《こんい》な一人《ひとり》の警部《けいぶ》に出遇《であ》ったが警部《けいぶ》は彼《かれ》に握手《あくしゅ》して数歩《すうほ》ばかり共《とも》に歩《ある》いた。すると、何《なん》だかこれがまた彼《かれ》には只事《ただごと》でなく怪《あや》しく思《おも》われて、家《いえ》に帰《かえ》ってからも一|日中《にちじゅう》、彼《かれ》の頭《あたま》から囚人《しゅうじん》の姿《すがた》、銃《じゅう》を負《お》うてる兵卒《へいそつ》の顔《かお》などが離《はな》れずに、眼前《がんぜん》に閃付《ちらつ》いている、この理由《わけ》の解《わか》らぬ煩悶《はんもん》が怪《あや》しくも絶《た》えず彼《かれ》の心《こころ》を攪乱《かくらん》して、書物《しょもつ》を読《よ》むにも、考《かんが》うるにも、邪魔《じゃま》をする。彼《かれ》は夜《よる》になっても灯《あかり》をも点《つ》けず、夜《よも》すがら眠《ねむ》らず、今《いま》にも自分《じぶん》が捕縛《ほばく》され、獄《ごく》に繋《つな》がれはせぬかとただそればかりを思《おも》い悩《なや》んでいるのであった。
 しかし無論《むろん》、彼《かれ》は自身《じしん》に何《なん》の罪《つみ》もなきこと、また将来《しょうらい》においても殺人《さつじん》、窃盗《せっとう》、放火《ほうか》などの犯罪《はんざい》は断《だん》じてせぬとは知《し》っているが、また独《ひとり》つくづくとこうも思《おも》うたのであった。故意《こい》ならず犯罪《はんざい》を為《な》すことが無《な》いとも云《い》われぬ、人《ひと》の讒言《ざんげん》、裁判《さいばん》の間違《まちがい》などはあり得《う》べからざることだとは云《い》われぬ、そもそも裁判《さいばん》の間違《まちがい》は、今日《こんにち》の裁判《さいばん》の状態《じょうたい》にては、最《もっと》もあり得《う》べきことなので、総《そう》じて他人《たにん》の艱難《かんなん》に対《たい》しては、事務上《じむじょう》、職務上《しょくむじょう》の関係《かんけい》をもっている人々《ひとびと》、例《たと》えば裁判官《さいばんかん》、警官《けいかん》、医師《いし》、とかと云《い》うものは、年月《ねんげつ》の経過《けいか》すると共《とも》に、習慣《しゅうかん》に依《よ》って遂《つい》にはその相手《あいて》の被告《ひこく》、或《あるい》は患者《かんじゃ》に対《たい》して、単《たん》に形式以上《けいしきいじょう》の関係《かんけい》をもたぬように望《のぞ》んでも出来《でき》ぬように、この習慣《しゅうかん》と云《い》う奴《やつ》がさせてしまう、早《はや》く言《い》えば彼等《かれら》は恰《あだか》も、庭《にわ》に立《た》って羊《ひつじ》や、牛《うし》を屠《ほふ》り、その血《ち》には気《き》が着《つ》かぬ所《ところ》の劣等《れっとう》の人間《にんげん》と少《すこ》しも選《えら》ぶ所《ところ》は無《な》いのだ。
 翌朝《よくあさ》イワン、デミトリチは額《ひたい》に冷汗《ひやあせ》をびっしょりと掻《か》いて、床《とこ》から吃驚《びっくり》して跳起《はねおき》た。もう今《いま》にも自分《じぶん》が捕縛《ほばく》されると思《おも》われて。そうして自《みずか》らまた深《ふか》く考《かんが》えた。かくまでも昨日《きのう》の奇《く》しき懊悩《なやみ》が自分《じぶん》から離《はな》れぬとして見《み》れば、何《なに》か訳《わけ》があるのである、さなくてこの忌《いま》わしい考《かんがえ》がこんなに執念《しゅうね》く自分《じぶん》に着纒《つきまと》うている訳《わけ》は無《な》いと。
『や、巡査《じゅんさ》が徐々《そろそろ》と窓《まど》の傍《そば》を通《とお》って行《い》った、怪《あや》しいぞ、やや、また誰《たれ》か二人《ふたり》家《うち》の前《まえ》に立留《たちとどま》っている、何故《なぜ》黙《だま》っているのだろうか?』
 これよりしてイワン、デミトリチは日夜《にちや》をただ煩悶《はんもん》に明《あか》し続《つづ》ける、窓《まど》の傍《そば》を通《とお》る者《もの》、庭《にわ》に入《い》る者《もの》は皆《みな》探偵《たんてい》かと思《おも》われる。正午《ひる》になると毎日《まいにち》警察署長《けいさつしょちょう》が、町尽頭《まちはずれ》の自分《じぶん》の邸《やしき》から警察《けいさつ》へ行《い》くので、この家《いえ》の前《まえ》を二|頭馬車《とうばしゃ》で通《とお》る、するとイワン、デミトリチはその度毎《たびごと》、馬車《ばしゃ》が余《あま》り早《はや》く通《とお》り過《す》ぎたようだとか、署長《しょちょう》の顔付《かおつき》が別《べつ》であったとか思《おも》って、何《な》んでもこれは町《まち》に重大《じゅうだい》な犯罪《はんざい》が露顕《あら》われたのでそれを至急《しきゅう》報告《ほうこく》するのであろうなどと極《き》めて、頻《しき》りにそれが気《き》になってならぬ。
 家主《いえぬし》の女主人《おんなあるじ》の処《ところ》に見知《みし》らぬ人《ひと》が来《き》さえすればそれも苦《く》になる。門《もん》の呼鈴《よびりん》が鳴《な》る度《たび》に惴々《びくびく》しては顫上《ふるえあが》る。巡査《じゅんさ》や、憲兵《けんぺい》に遇《あ》いでもすると故《わざ》と平気《へいき》を粧《よそお》うとして、微笑《びしょう》して見《み》たり、口笛《くちぶえ》を吹《ふ》いて見《み》たりする。如何《いか》なる晩《ばん》でも彼《かれ》は拘引《こういん》されるのを待《ま》ち構《かま》えていぬ時《とき》とては無《な》い。それが為《ため》に終夜《よっぴて》眠《ねむ》られぬ。が、もしこんなことを女主人《おんなあるじ》にでも嗅付《かぎつ》けられたら、何《なに》か良心《りょうしん》に咎《とが》められることがあると思《おも》われよう、そんな疑《うたがい》でも起《おこ》されたら大変《たいへん》と、彼《かれ》はそう思《おも》って無理《むり》に毎晩《まいばん》眠《ね》た振《ふり》をして、大鼾《おおいびき》をさえ発《か》いている。しかしこんな心遣《こころづかい》は事実《じじつ》においても、普通《ふつう》の論理《ろんり》においても考《かんが》えて見《み》れば実《じつ》に愚々《ばかばか》しい次第《しだい》で、拘引《こういん》されるだの、獄舎《ろうや》に繋《つな》がれるなど云《い》うことは良心《りょうしん》にさえ疚《やま》しい所《ところ》が無《な》いならば少《すこ》しも恐怖《おそる》るに足《た》らぬこと、こんなことを恐《おそ》れるのは精神病《せいしんびょう》に相違《そうい》なきこと、と、彼《かれ》も自《みずか》ら思《おも》うてここに至《いた》らぬのでも無《な》いが、さてまた考《かんが》えれば考《かんが》うる程《ほど》迷《まよ》って、心中《しんちゅう》はいよいよ苦悶《くもん》と、恐怖《きょうふ》とに圧《あっ》しられる。で、彼《かれ》ももう思慮《かんが》えることの無益《むえき》なのを悟《さと》り、すっかり失望《しつぼう》と、恐怖《きょうふ》との淵《ふち》に沈《しず》んでしまったのである。
 彼《かれ》はそれより独居《どっきょ》して人《ひと》を避《さ》け初《はじ》めた。職務《しょくむ》を取《と》るのは前《まえ》にもいやであったが、今《いま》はなお一|層《そう》いやで堪《たま》らぬ、と云《い》うのは、人《ひと》が何時《いつ》自分《じぶん》を欺《だま》して、隠《かくし》にでもそっと賄賂《わいろ》を突込《つきこ》みはせぬか、それを訴《うった》えられでもせぬか、或《あるい》は公書《こうしょ》の如《ごと》きものに詐欺《さぎ》同様《どうよう》の間違《まちがい》でもしはせぬか、他人《たにん》の銭《ぜに》でも無《な》くしたりしはせぬか。と、無暗《むやみ》に恐《おそろし》くてならぬので。
 春《はる》になって雪《ゆき》も次第《しだい》に解《と》けた或日《あるひ》、墓場《はかば》の側《そば》の崖《がけ》の辺《あたり》に、腐爛《ふらん》した二つの死骸《しがい》が見付《みつ》かった。それは老婆《ろうば》と、男《おとこ》の子《こ》とで、故殺《こさつ》の形跡《けいせき》さえあるのであった。町《まち》ではもう到《いた》る所《ところ》、この死骸《しがい》のことと、下手人《げしゅにん》の噂《うわさ》ばかり、イワン、デミトリチは自分《じぶん》が殺《ころ》したと思《おも》われはせぬかと、またしても気《き》が気《き》ではなく、通《とおり》を歩《ある》きながらもそう思《おも》われまいと微笑《びしょう》しながら行《い》ったり、知人《しりびと》に遇《あ》いでもすると、青《あお》くなり、赤《あか》くなりして、あんな弱者共《よわいものども》を殺《ころ》すなどと、これ程《ほど》憎《にく》むべき罪悪《ざいあく》は無《な》いなど、云《い》っている。が、それもこれも直《じき》に彼《かれ》を疲労《つか》らしてしまう。彼《かれ》はそこでふと[#「ふと」に傍点]思《おも》い着《つ》いた、自分《じぶん》の位置《いち》の安全《あんぜん》を計《はか》るには、女主人《おんなあるじ》の穴蔵《あなぐら》に隠《かく》れているのが上策《じょうさく》と。そうして彼《かれ》は一|日中《にちじゅう》、また一晩中《ひとばんじゅう》、穴蔵《あなぐら》の中《なか》に立尽《たちつく》し、その翌日《よくじつ》もやはり出《で》ぬ。で、身体《からだ》が甚《ひど》く凍《こご》えてしまったので、詮方《せんかた》なく、夕方《ゆうがた》になるのを待《ま》って、こッそり[#「こッそり」に傍点]と自分《じぶん》の室《へや》には忍《しの》び出《で》て来《き》たものの、夜明《よあけ》まで身動《みうごき》もせず、室《へや》の真中《まんなか》に立《た》っていた。すると明方《あけがた》、まだ日《ひ》の出《で》ぬ中《うち》、女主人《おんなあるじ》の方《ほう》へ暖炉造《だんろつくり》の職人《しょくにん》が来《き》た。イワン、デミトリチは彼等《かれら》が厨房《くりや》の暖炉《だんろ》を直《なお》しに来《き》たのであるのは知《し》っていたのであるが、急《きゅう》に何《なん》だかそうでは無《な》いように思《おも》われて来《き》て、これはきっと警官《けいかん》が故《わざ》と暖炉職人《だんろしょくにん》の風体《ふうてい》をして来《き》たのであろうと、心《こころ》は不覚《そぞろ》、気《き》は動顛《どうてん》して、いきなり、室《へや》を飛出《とびだ》したが、帽《ぼう》も被《かぶ》らず、フロックコートも着《き》ずに、恐怖《おそれ》に駆《か》られたまま、大通《おおどおり》を真《ま》一|文字《もんじ》に走《はし》るのであった。一|匹《ぴき》の犬《いぬ》は吠《ほ》えながら彼《かれ》を追《お》う。後《うしろ》の方《ほう》では農夫《のうふ》が叫《さけ》ぶ。イワン、デミトリチは両耳《りょうみみ》がガンとして、世界中《せかいじゅう》のあらゆる圧制《あっせい》が、今《いま》彼《かれ》の直《す》ぐ背後《うしろ》に迫《せま》って、自分《じぶん》を追駈《おいか》けて来《き》たかのように思《おも》われた。
 彼《かれ》は捕《とら》えられて家《いえ》に引返《ひきかえ》されたが、女主人《おんなあるじ》は医師《いしゃ》を招《よ》びに遣《や》られ、ドクトル、アンドレイ、エヒミチは来《き》て彼《かれ》を診察《しんさつ》したのであった。
 そうして頭《あたま》を冷《ひや》す薬《くすり》と、桂梅水《けいばいすい》とを服用《ふくよう》するようにと云《い》って、いやそうに頭《かしら》を振《ふ》って、立帰《たちかえ》り際《ぎわ》に、もう二|度《ど》とは来《こ》ぬ、人《ひと》の気《き》の狂《くる》う邪魔《じゃま》をするにも当《あた》らないからとそう云《い》った。
 かくてイワン、デミトリチは宿《やど》を借《かり》ることも、療治《りょうじ》することも、銭《ぜに》の無《な》いので出来兼《できか》ぬる所《ところ》から、幾干《いくばく》もなくして町立病院《ちょうりつびょういん》に入《い》れられ、梅毒病患者《ばいどくびょうかんじゃ》と同室《どうしつ》することとなった。しかるに彼《かれ》は毎晩《まいばん》眠《ねむ》らずして、我儘《わがまま》を云《い》っては他《ほか》の患者等《かんじゃら》の邪魔《じゃま》をするので、院長《いんちょう》のアンドレイ、エヒミチは彼《かれ》を六|号室《ごうしつ》の別室《べっしつ》へ移《うつ》したのであった。
 一|年《ねん》を経《へ》て、町《まち》ではもうイワン、デミトリチのことは忘《わす》れてしまった。彼《かれ》の書物《しょもつ》は女主人《おんなあるじ》が橇《そり》の中《なか》に積重《つみかさ》ねて、軒下《のきした》に置《お》いたのであるが、どこからともなく、子供等《こどもら》が寄《よ》って来《き》ては、一|冊《さつ》持《も》ち行《ゆ》き、二|冊《さつ》取去《とりさ》り、段々《だんだん》に皆《みんな》何《いず》れへか消《き》えてしまった。

(八)

 二|年《ねん》このかた、地方自治体《ちほうじちたい》はようよう饒《ゆたか》になったので、その管下《かんか》に病院《びょういん》の設立《たて》られるまで、年々《ねんねん》三百|円《えん》ずつをこの町立病院《ちょうりつびょういん》に補助金《ほじょきん》として出《だ》すこととなり、病院《びょういん》ではそれが為《ため》に医員《いいん》を一人《ひとり》増《ま》すことと定《さだ》められた。で、アンドレイ、エヒミチの補助手《ほじょしゅ》として、軍医《ぐんい》のエウゲニイ、フェオドロイチ、ハバトフというが、この町《まち》に聘《へい》せられた。その人《ひと》はまだ三十|歳《さい》に足《た》らぬ若《わか》い男《おとこ》で、頬骨《ほおぼね》の広《ひろ》い、眼《め》の小《ちい》さい、ブルネト、その祖先《そせん》は外国人《がいこくじん》であったかのようにも見《み》える、彼《かれ》が町《まち》に来《き》た時《とき》は、銭《ぜに》と云《い》ったら一|文《もん》もなく、小《ちい》さい鞄《かばん》只《ただ》一個《ひとつ》と、下女《げじょ》と徇《ふ》れていた醜女《みにくいおんな》ばかりを伴《ともな》うて来《き》たので、そうしてこの女《おんな》には乳呑児《ちのみご》があった。彼《かれ》は常《つね》に廂《ひさし》の附《つ》いた丸帽《まるぼう》を被《かぶ》って、深《ふか》い長靴《ながぐつ》を穿《は》き冬《ふゆ》には毛皮《けがわ》の外套《がいとう》を着《き》て外《そと》を歩《ある》く。病院《びょういん》に来《き》てより間《ま》もなく、代診《だいしん》のセルゲイ、セルゲイチとも、会計《かいけい》とも、直《す》ぐに親密《しんみつ》になったのである。下宿《げしゅく》には書物《しょもつ》はただ一|冊《さつ》『千八百八十一|年度《ねんど》ヴィンナ大学病院《だいがくびょういん》最近《さいきん》処方《しょほう》』と題《だい》するもので、彼《かれ》は患者《かんじゃ》の所《ところ》へ行《ゆ》く時《とき》には必《かなら》ずそれを携《たずさ》える。晩《ばん》になると倶楽部《くらぶ》に行《い》っては玉突《たまつき》をして遊《あそ》ぶ、骨牌《かるた》は余《あま》り好《この》まぬ方《ほう》、そうして何時《いつ》もお極《きま》りの文句《もんく》をよく云《い》う人間《にんげん》。
 病院《びょういん》には一|週《しゅう》に二|度《ど》ずつ通《かよ》って、外来患者《がいらいかんじゃ》を診察《しんさつ》したり、各病室《かくびょうしつ》を廻《まわ》ったりしていたが、防腐法《ぼうふほう》のここでは全《まった》く行《おこな》われぬこと、呼血器《きゅうけつき》のことなどに就《つ》いて、彼《かれ》は頗《すこぶ》る異議《いぎ》をもっていたが、それと打付《うちつ》けて云《い》うのも、院長《いんちょう》に恥《はじ》を掻《か》かせるようなものと、何《なん》とも云《い》わずにはいたが、同僚《どうりょう》の院長《いんちょう》アンドレイ、エヒミチを心秘《こころひそか》に、老込《おいこみ》の怠惰者《なまけもの》として、奴《やつ》、金《かね》ばかり溜込《ためこ》んでいると羨《うらや》んでいた。そうしてその後任《こうにん》を自分《じぶん》で引受《ひきう》けたく思《おも》うていた。

(九)

 三|月《がつ》の末《すえ》つ方《かた》、消《き》えがてなりし雪《ゆき》も、次第《しだい》に跡《あと》なく融《と》けた或夜《あるよ》、病院《びょういん》の庭《にわ》には椋鳥《むくどり》が切《しき》りに鳴《な》いてた折《おり》しも、院長《いんちょう》は親友《しんゆう》の郵便局長《ゆうびんきょくちょう》の立帰《たちか》えるのを、門《もん》まで見送《みおく》らんと室《しつ》を出《で》た。丁度《ちょうど》その時《とき》、庭《にわ》に入《はい》って来《き》たのは、今《いま》しも町《まち》を漁《あさ》って来《き》た猶太人《ジウ》のモイセイカ、帽《ぼう》も被《かぶ》らず、跣足《はだし》に浅《あさ》い上靴《うわぐつ》を突掛《つッか》けたまま、手《て》には施《ほどこし》の小《ちい》さい袋《ふくろ》を提《さ》げて。
『一|銭《せん》おくんなさい!』
と、モイセイカは寒《さむ》さに顫《ふる》えながら、院長《いんちょう》を見《み》て微笑《びしょう》する。
 辞《じ》することの出来《でき》ぬ院長《いんちょう》は、隠《かくし》から十|銭《せん》を出《だ》して彼《かれ》に遣《や》る。
『これはよくない』と、院長《いんちょう》はモイセイカの瘠《や》せた赤《あか》い跣足《はだし》の踝《くるぶし》を見《み》て思《おも》うた。
『路《みち》は泥濘《ぬか》っていると云《い》うのに。』
 院長《いんちょう》は不覚《そぞろ》に哀《あわ》れにも、また不気味《ぶきみ》にも感《かん》じて、猶太人《ジウ》の後《あと》に尾《つ》いて、その禿頭《はげあたま》だの、足《あし》の踝《くるぶし》などを※[#「目+旬」、第3水準1-88-80]《みまわ》しながら、別室《べっしつ》まで行《い》った。小使《こづかい》のニキタは相《あい》も変《かわ》らず、雑具《がらくた》の塚《つか》の上《うえ》に転《ころが》っていたのであるが、院長《いんちょう》の入《はい》って来《き》たのに吃驚《びっくり》して跳起《はねお》きた。
『ニキタ、今日《こんにち》は。』
と、院長《いんちょう》は柔《やさ》しく彼《かれ》に挨拶《あいさつ》して。
『この猶太人《ジウ》に靴《くつ》でも与《あた》えたらどうだ、そうでもせんと風邪《かぜ》を引《ひ》く。』
『はッ、拝承《かしこ》まりまして御坐《ござ》りまする。直《すぐ》に会計《かいけい》にそう申《もう》しまして。』
『そうして下《くだ》さい、お前《まえ》は会計《かいけい》に私《わたし》がそう云《い》ったと云《い》ってくれ。』
 玄関《げんかん》から病室《びょうしつ》へ通《かよ》う戸《と》は開《ひら》かれていた。イワン、デミトリチは寐台《ねだい》の上《うえ》に横《よこ》になって、肘《ひじ》を突《つ》いて、さも心配《しんぱい》そうに、人声《ひとごえ》がするので此方《こなた》を見《み》て耳《みみ》を欹《そばだ》てている。と、急《きゅう》に来《き》た人《ひと》の院長《いんちょう》だと解《わか》ったので、彼《かれ》は全身《ぜんしん》を怒《いかり》に顫《ふる》わして、寐床《ねどこ》から飛上《とびあが》り、真赤《まっか》になって、激怒《げきど》して、病室《びょうしつ》の真中《まんなか》に走《はし》り出《で》て突立《つった》った。
『やあ、院長《いんちょう》が来《き》たぞ!』
 イワン、デミトリチは高《たか》く叫《さけ》んで、笑《わら》い出《だ》す。
『来《き》た来《き》た! 諸君《しょくん》お目出《めで》とう、院長閣下《いんちょうかっか》が我々《われわれ》を訪問《ほうもん》せられた! こン畜生《ちくしょう》め!』
と、彼《かれ》は声《こえ》を甲走《かんばし》らして、地鞴踏《じだんだふ》んで、同室《どうしつ》の者等《ものら》のいまだかつて見《み》ぬ騒方《さわぎかた》。
『こん畜生《ちくしょう》! やい殴殺《ぶちころ》してしまえ! 殺《ころ》しても足《た》るものか、便所《べんじょ》にでも敲込《たたきこ》め!』
 院長《いんちょう》のアンドレイ、エヒミチは玄関《げんかん》の間《ま》から病室《びょうしつ》の内《なか》を覗込《のぞきこ》んで、物柔《ものやわ》らかに問《と》うのであった。
『何故《なぜ》ですね?』
『何故《なぜ》だと。』と、イワン、デミトリチは嚇《おど》すような気味《きみ》で、院長《いんちょう》の方《ほう》に近寄《ちかよ》り、顫《ふる》う手《て》に病院服《びょういんふく》の前《まえ》を合《あわ》せながら。
『何故《なぜ》かも無《な》いものだ! この盗人《ぬすびと》め!』
 彼《かれ》は悪々《にくにく》しそうに唾《つば》でも吐《は》っ掛《か》けるような口付《くちつ》きをして。
『この山師《やまし》! 人殺《ひとごろし》!』
『まあ、落着《おちつ》きなさい。』
と、アンドレイ、エヒミチは悪《わ》るかったと云《い》うような顔付《かおつき》で云《い》う。
『よくお聴《き》きなさい、私《わたし》はまだ何《なん》にも盗《ぬす》んだこともなし、貴方《あなた》に何《なに》も致《いた》したことは無《な》いのです。貴方《あなた》は何《なに》か間違《まちが》ってお出《いで》なのでしょう、酷《ひど》く私《わたし》を怒《おこ》っていなさるようだが、まあ落着《おちつ》いて、静《しず》かに、そうして何《なに》を立腹《りっぷく》していなさるのか、有仰《おっしゃ》ったらいいでしょう。』
『だが何《なん》の為《ため》に貴下《あなた》は私《わたし》をこんなところに入《い》れて置《お》くのです?』
『それは貴君《あなた》が病人《びょうにん》だからです。』
『はあ、病人《びょうにん》、しかし何《なん》百|人《にん》と云《い》う狂人《きょうじん》が自由《じゆう》にそこら辺《へん》を歩《ある》いているではないですか、それは貴方々《あなたがた》の無学《むがく》なるに由《よ》って、狂人《きょうじん》と、健康《けんこう》なる者《もの》との区別《くべつ》が出来《でき》んのです。何《なん》の為《ため》に私《わたし》だの、そらここにいるこの不幸《ふこう》な人達《ひとたち》ばかりが恰《あだか》も献祭《けんさい》の山羊《やぎ》の如《ごと》くに、衆《しゅう》の為《ため》にここに入《い》れられていねばならんのか。貴方《あなた》を初《はじ》め、代診《だいしん》、会計《かいけい》、それから、総《すべ》てこの貴方《あなた》の病院《びょういん》にいる奴等《やつら》は、実《じつ》に怪《け》しからん、徳義上《とくぎじょう》においては我々共《われわれども》より遙《はるか》に劣等《れっとう》だ、何《なん》の為《ため》に我々《われわれ》ばかりがここに入《い》れられておって、貴方々《あなたがた》はそうで無《な》いのか、どこにそんな論理《ろんり》があります?』
『徳義上《とくぎじょう》だとか、論理《ろんり》だとか、そんなことは何《なに》もありません。ただ場合《ばあい》です。即《すなわ》ちここに入《い》れられた者《もの》は入《はい》っているのであるし、入《い》れられん者《もの》は自由《じゆう》に出歩《である》いている、それだけのことです。私《わたし》が医者《いしゃ》で、貴方《あなた》が精神病者《せいしんびょうしゃ》であると云《い》うことにおいて、徳義《とくぎ》も無《な》ければ、論理《ろんり》も無《な》いのです。詰《つま》り偶然《ぐうぜん》の場合《ばあい》のみです。』
『そんな屁理窟《へりくつ》は解《わか》らん。』
と、イワン、デミトリチは小声《こごえ》で云《い》って、自分《じぶん》の寐台《ねだい》の上《うえ》に坐《すわ》り込《こ》む。
 モイセイカは今日《きょう》は院長《いんちょう》のいる為《ため》に、ニキタが遠慮《えんりょ》して何《なに》も取返《とりかえ》さぬので、貰《もら》って来《き》た雑物《ぞうもつ》を、自分《じぶん》の寝台《ねだい》の上《うえ》に洗《あら》い浚《ざら》い広《ひろ》げて、一つ一つ並《なら》べ初《はじ》める。パンの破片《かけら》、紙屑《かみくず》、牛《うし》の骨《ほね》など、そうして寒《さむさ》に顫《ふる》えながら、猶太語《エヴレイご》で、早言《はやこと》に歌《うた》うように喋《しゃべ》り出《だ》す、大方《おおかた》開店《かいてん》でもした気取《きどり》で何《なに》かを吹聴《ふいちょう》しているのであろう。
『私《わたし》をここから出《だ》して下《くだ》さい。』と、イワン、デミトリチは声《こえ》を顫《ふる》わして云《い》う。
『それは出来《でき》ません。』
『どう云《い》う訳《わけ》で。それを聞《き》きましょう。』
『それは私《わたし》の権内《けんない》に無《な》いことなのです。まあ、考《かんが》えて御覧《ごらん》なさい、私《わたし》が仮《かり》に貴方《あなた》をここから出《だし》たとして、どんな利益《りえき》がありますか。まず出《で》て御覧《ごらん》なさい、町《まち》の者《もの》か、警察《けいさつ》かがまた貴方《あなた》を捉《とら》えて連《つ》れて参《まい》りましょう。』
『左様《さよう》さ左様《さよう》さそれはそうだ。』と、イワン、デミトリチは額《ひたい》の汗《あせ》を拭《ふ》く、『それはそうだ、しかし私《わたし》はどうしたらよかろう。』
 アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの顔付《かおつき》、眼色《めいろ》などを酷《ひど》く気《き》に入《い》って、どうかしてこの若者《わかもの》を手懐《てなず》けて、落着《おちつ》かせようと思《おも》うたので、その寐台《ねだい》の上《うえ》に腰《こし》を下《おろ》し、ちょっと考《かんが》えて、さて言出《いいだ》す。
『貴方《あなた》はどうしたらよかろうと有仰《おっしゃ》るが。貴方《あなた》の位置《いち》をよくするのには、ここから逃出《にげだ》す一|方《ぽう》です。しかしそれは残念《ざんねん》ながら無益《むえき》に帰《き》するので、貴方《あなた》は到底《とうてい》捉《とら》えられずにはおらんです。社会《しゃかい》が犯罪人《はんざいにん》や、精神病者《せいしんびょうしゃ》や、総《すべ》て自分等《じぶんら》に都合《つごう》の悪《わる》い人間《にんげん》に対《たい》して、自衛《じえい》を為《な》すのには、どうしたって勝《か》つことは出来《でき》ません。で、貴方《あなた》の為《な》すべき所《ところ》は一つです。即《すなわ》ちここにいることが必要《ひつよう》であると考《かんが》えて、安心《あんしん》をしているのみです。』
『いや、誰《たれ》にもここは必要《ひつよう》じゃありません。』
『しかしすでに監獄《かんごく》だとか、瘋癲病院《ふうてんびょういん》だとかの存在《そんざい》する以上《いじょう》は、誰《たれ》かその中《うち》に入《はい》っていねばなりません、貴方《あなた》でなければ、私《わたくし》、でなければ、他《ほか》の者《もの》が。まあお待《ま》ちなさい、左様《さよう》今《いま》に遙《はる》か遠《とお》き未来《みらい》に、監獄《かんごく》だの、瘋癲病院《ふうてんびょういん》の全廃《ぜんぱい》された暁《あかつき》には、即《すなわ》ちこの窓《まど》の鉄格子《てつごうし》も、この病院服《びょういんふく》も、全《まった》く無用《むよう》になってしまいましょう、無論《むろん》、そう云《い》う時《とき》は早晩《そうばん》来《き》ましょう。』
 イワン、デミトリチはニヤリと冷笑《わら》った。
『そうでしょう。』と、彼《かれ》は眼《め》を細《ほそ》めて云《い》うた。『貴方《あなた》だの、貴方《あなた》の補助者《ほじょしゃ》のニキタなどのような、そう云《い》う人間《にんげん》には、未来《みらい》などは何《なん》の要《よう》も無《な》い訳《わけ》です。で、貴方《あなた》はよい時代《じだい》が来《こ》ようと済《すま》してもいられるでしょうが、いや、私《わたくし》の言《い》うことは卑《いやし》いかも知《し》れません、笑止《おか》しければお笑《わら》い下《くだ》さい。しかしです、新生活《しんせいかつ》の暁《あかつき》は輝《かがや》いて、正義《せいぎ》が勝《かち》を制《せい》するようになれば、我々《われわれ》の町《まち》でも大《おおい》に祭《まつり》をして喜《よろこ》び祝《いわ》いましょう。が、私《わたし》はそれまでは待《ま》たれません、その時分《じぶん》にはもう死《し》んでしまいます。誰《たれ》かの子《こ》か孫《まご》かは、遂《つい》にその時代《じだい》に遇《あ》いましょう。私《わたくし》は誠心《まごころ》を以《もっ》て彼等《かれら》を祝《しゅく》します、彼等《かれら》の為《ため》に喜《よろこ》びます! 進《すす》め! 我《わ》が同胞《どうぼう》! 神《かみ》は君等《きみら》に助《たすけ》を給《たま》わん!』と、イワン、デミトリチは眼《め》を輝《かがや》かして立上《たちあが》り、窓《まど》の方《ほう》に手《て》を伸《のば》して云《い》うた。
『この格子《こうし》の中《うち》より君等《きみら》を祝福《しゅくふく》せん、正義《せいぎ》万歳《ばんざい》! 正義《せいぎ》万歳《ばんざい》!』
『何《なに》をそんなに喜《よろこ》ぶのか私《わたくし》には訳《わけ》が分《わか》りません。』と、院長《いんちょう》はイワン、デミトリチの様子《ようす》がまるで芝居《しばい》のようだと思《おも》いながら、またその風《ふう》が酷《ひど》く気《き》に入《い》って云《い》うた。
『成程《なるほど》、時《とき》が来《く》れば監獄《かんごく》や、瘋癲病院《ふうてんびょういん》は廃《はい》されて、正義《せいぎ》は貴方《あなた》の有仰《おっしゃ》る通《とお》り勝《かち》を占《し》めるでしょう、しかし生活《せいかつ》の実際《じっさい》がそれで変《かわ》るものではありません。自然《しぜん》の法則《ほうそく》は依然《いぜん》として元《もと》のままです、人々《ひとびと》はやはり今日《こんにち》の如《ごと》く病《や》み、老《お》い、死《し》するのでしょう、どんな立派《りっぱ》な生活《せいかつ》の暁《あかつき》が顕《あら》われたとしても、つまり人間《にんげん》は棺桶《かんおけ》に打込《うちこ》まれて、穴《あな》の中《なか》に投《とう》じられてしまうのです。』
『では来世《らいせい》は。』
『何《なに》、来世《らいせい》。戯談《じょうだん》を云《い》っちゃいけません。』
『貴方《あなた》は信《しん》じなさらんと見《み》えるが私《わたし》は信《しん》じてます。ドストエフスキイの中《うち》か、ウォルテルの中《うち》かに、小説中《しょうせつちゅう》の人物《じんぶつ》が云《い》ってることがあります、もし神《かみ》が無《な》かったとしたら、その時《とき》は人《ひと》が神《かみ》を考《かんが》え出《だ》そう。で、私《わたくし》は堅《かた》く信《しん》じています。もし来世《らいせい》が無《な》いとしたならば、その時《とき》は大《おお》いなる人間《にんげん》の智慧《ちえ》なるものが、早晩《そうばん》これを発明《はつめい》しましょう。』
『フウム、旨《うま》く言《い》った。』
と、アンドレイ、エヒミチはいと満足気《まんぞくげ》に微笑《びしょう》して。
『貴方《あなた》はそう信《しん》じていなさるから結構《けっこう》だ。そう云《い》う信仰《しんこう》がありさえすれば、たとい壁《かべ》の中《なか》に塗込《ぬりこ》まれたって、歌《うた》を歌《うた》いながら生活《せいかつ》して行《ゆ》かれます。貴方《あなた》は失礼《しつれい》ながらどこで教育《きょういく》をお受《う》けになったか?』
『私《わたくし》は大学《だいがく》でです、しかし卒業《そつぎょう》せずに終《しま》いました。』
『貴方《あなた》は思想家《しそうか》で考深《かんがえぶか》い方《かた》です。貴方《あなた》のような人《ひと》はどんな場所《ばしょ》にいても、自身《じしん》において安心《あんしん》を求《もと》めることが出来《でき》ます。人生《じんせい》の解悟《かいご》に向《むか》っておる自由《じゆう》なる深《ふか》き思想《しそう》と、この世《よ》の愚《おろか》なる騒《さわぎ》に対《たい》する全然《ぜんぜん》の軽蔑《けいべつ》、これ即《すなわ》ち人間《にんげん》のこれ以上《いじょう》のものをいまだかつて知《し》らぬ最大幸福《さいだいこうふく》です。そうして貴方《あなた》はたとい三|重《じゅう》の鉄格子《てつごうし》の内《うち》に住《す》んでいようが、この幸福《こうふく》をもっているのでありますから。ジオゲンを御覧《ごらん》なさい、彼《かれ》は樽《たる》の中《なか》に住《す》んでいました、けれども地上《ちじょう》の諸王《しょおう》より幸福《こうふく》であったのです。』
『貴方《あなた》の云《い》うジオゲンは白痴《はくち》だ。』と、イワン、デミトリチは憂悶《ゆうもん》して云《い》うた。『貴方《あなた》は何《なん》だって私《わたくし》に解悟《かいご》だとか、何《なん》だとかと云《い》うのです。』と、俄《にわか》に怫然《むき》になって立上《たちあが》った。『私《わたくし》は人並《ひとなみ》の生活《せいかつ》を好《この》みます、実《じつ》に、私《わたくし》はこう云《い》う窘逐狂《きんちくきょう》に罹《かか》っていて、始終《しじゅう》苦《くる》しい恐怖《おそれ》に襲《おそ》われていますが、或時《あるとき》は生活《せいかつ》の渇望《かつぼう》に心《こころ》を燃《も》やされるです、非常《ひじょう》に人並《ひとなみ》の生活《せいかつ》を望《のぞ》みます、非常《ひじょう》に、それは非常《ひじょう》に。』
 彼《かれ》は室内《しつない》を歩《ある》き初《はじ》めたが、やがて小声《こごえ》でまた言《いい》出《だ》す。
『私《わたくし》は時折《ときおり》種々《いろいろ》なことを妄想《もうぞう》しますが、往々《おうおう》幻想《まぼろし》を見《み》るのです、或人《あるひと》が来《き》たり、また人《ひと》の声《こえ》を聞《き》いたり、音楽《おんがく》が聞《きこ》えたり、また林《はやし》や、海岸《かいがん》を散歩《さんぽ》しているように思《おも》われる時《とき》もあります。どうぞ私《わたくし》に世《よ》の中《なか》の生活《せいかつ》を話《はな》して下《くだ》さい、何《なに》か珍《めず》らしいことでも無《な》いですか。』
『町《まち》のことをですか、それとも一|般《ぱん》のことに就《つ》いてですか?』
『まず町《まち》のことからして伺《うかが》いましょう。それから一|般《ぱん》のことを。』
『町《まち》では実《じつ》にもう退屈《たいくつ》です。誰《だれ》を相手《あいて》に話《はなし》するものもなし。話《はなし》を聞《き》く者《もの》もなし。新《あたら》しい人間《にんげん》はなし。しかしこの頃《ころ》ハバトフと云《い》う若《わか》い医者《いしゃ》が町《まち》には来《き》たですが。』
『どんな人間《にんげん》が。』
『いや、極《ご》く非文明的《ひぶんめいてき》な、どう云《い》うものかこの町《まち》に来《く》る所《ところ》の者《もの》は、皆《みな》、見《み》るのも胸《むね》の悪《わる》いような人間《にんげん》ばかり、不幸《ふこう》な町《まち》です。』
『左様《さよう》さ、不幸《ふこう》な町《まち》です。』と、イワン、デミトリチは溜息《ためいき》して笑《わら》う。『しかし一|般《ぱん》にはどうです、新聞《しんぶん》や、雑誌《ざっし》はどう云《い》うことが書《か》いてありますか?』
 病室《びょうしつ》の中《うち》はもう暗《くら》くなったので、院長《いんちょう》は静《しずか》に立上《たちあが》る。そうして立《た》ちながら、外国《がいこく》や、露西亜《ロシヤ》の新聞《しんぶん》雑誌《ざっし》に書《か》いてある珍《めず》らしいこと、現今《げんこん》はこう云《い》う思想《しそう》の潮流《ちょうりゅう》が認《みと》められるとかと話《はなし》を進《すす》めたが、イワン、デミトリチは頗《すこぶ》る注意《ちゅうい》して聞《き》いていた。が忽《たちま》ち、何《なに》か恐《おそろ》しいことでも急《きゅう》に思《おも》い出《だ》したかのように、彼《かれ》は頭《かしら》を抱《かか》えるなり、院長《いんちょう》の方《ほう》へくるりと背《せ》を向《む》けて、寐台《ねだい》の上《うえ》に横《よこ》になった。
『どうかしましたか?』と、院長《いんちょう》は問う。
『もう貴方《あなた》には一|言《ごん》だって口《くち》は開《き》きません。』
 イワン、デミトリチは素気《そっけ》なく云《い》う。『私《わたくし》に管《かま》わんで下《くだ》さい!』
『どうしたのです?』
『管《かま》わんで下《くだ》さいと云《い》ったら管《かま》わんで下《くだ》さい、チョッ、誰《だれ》がそんな者《もの》と口《くち》を開《き》くものか。』
 院長《いんちょう》は肩《かた》を縮《ちぢ》めて溜息《ためいき》をしながら出《で》て行《ゆ》く、そうして玄関《げんかん》の間《ま》を通《とお》りながら、ニキタに向《むか》って云《い》うた。
『ここ辺《ら》を少《すこ》し掃除《そうじ》したいものだな、ニキタ。酷《ひど》い臭《におい》だ。』
『拝承《かしこ》まりました。』と、ニキタは答《こた》える。
『何《なん》と面白《おもしろ》い人間《にんげん》だろう。』と、院長《いんちょう》は自分《じぶん》の室《へや》の方《ほう》へ帰《かえ》りながら思《おも》うた。『ここへ来《き》てから何年振《なんねんぶり》かで、こう云《い》う共《とも》に語《かた》られる人間《にんげん》に初《はじ》めて出会《でっくわ》した。議論《ぎろん》も遣《や》る、興味《きょうみ》を感《かん》ずべきことに、興味《きょうみ》をも感《かん》じている人間《にんげん》だ。』
 彼《かれ》はその後《のち》読書《どくしょ》を為《な》す中《うち》にも、睡眠《ねむり》に就《つ》いてからも、イワン、デミトリチのことが頭《あたま》から去《さ》らず、翌朝《よくちょう》眼《め》を覚《さま》しても、昨日《きのう》の智慧《ちえ》ある人間《にんげん》に遇《あ》ったことを忘《わす》れることが出来《でき》なかった、便宜《べんぎ》もあらばもう一|度《ど》彼《かれ》を是非《ぜひ》尋《たず》ねようと思《おも》うていた。

(十)

 イワン、デミトリチは昨日《きのう》と同《おな》じ位置《いち》に、両手《りょうて》で頭《かしら》を抱《かか》えて、両足《りょうあし》を縮《ちぢ》めたまま、横《よこ》に為《な》っていて、顔《かお》は見《み》えぬ。
『や、御機嫌《ごきげん》よう、今日《こんにち》は。』院長《いんちょう》は六|号室《ごうしつ》へ入《はい》って云《い》うた。『君《きみ》は眠《ねむ》っているのですか?』
『いや私《わたくし》は貴方《あなた》の朋友《ほうゆう》じゃ無《な》いです。』と、イワン、デミトリチは枕《まくら》の中《うち》へ顔《かお》をいよいよ埋《うず》めて云《い》うた。『またどんなに貴方《あなた》は尽力《じんりょく》しようが駄目《だめ》です、もう一|言《ごん》だって私《わたくし》に口《くち》を開《ひら》かせることは出来《でき》ません。』
『変《へん》だ。』と、アンドレイ、エヒミチは気《き》を揉《も》む。『昨日《きのう》我々《われわれ》はあんなに話《はな》したのですが、何《なに》を俄《にわか》に御立腹《ごりっぷく》で、絶交《ぜっこう》すると有仰《おっしゃ》るのです、何《なに》かそれとも気《き》に障《さわ》ることでも申《もう》しましたか、或《あるい》は貴方《あなた》の意見《いけん》と合《あ》わん考《かんがえ》を云《い》い出《だ》したので?』
『いや、そんなら貴方《あなた》に云《い》いましょう。』と、イワン、デミトリチは身《み》を起《おこ》して、心配《しんぱい》そうにまた冷笑的《れいしょうてき》に、ドクトルを見《み》るのであった。『何《なに》も貴方《あなた》は探偵《たんてい》したり、質問《しつもん》をしたり、ここへ来《き》てするには当《あた》らんです。どこへでも他《ほか》へ行《い》ってした方《ほう》がよいです。私《わたくし》はもう昨日《きのう》貴方《あなた》が何《なん》の為《ため》に来《き》たのかが解《わか》りましたぞ。』
『これは奇妙《きみょう》な妄想《もうぞう》をしたものだ。』と、院長《いんちょう》は思《おも》わず微笑《びしょう》する。『では貴方《あなた》は私《わたくし》を探偵《たんてい》だと想像《そうぞう》されたのですな。』
『左様《さよう》。いや探偵《たんてい》にしろ、また私《わたくし》に窃《ひそか》に警察《けいさつ》から廻《ま》わされた医者《いしゃ》にしろ、どちらだって同様《どうよう》です。』
『いや貴方《あなた》は。困《こま》ったな、まあお聞《き》きなさい。』と、院長《いんちょう》は寐台《ねだい》の傍《そば》の腰掛《こしかけ》に掛《か》けて責《せむ》るがように首《くび》を振《ふ》る。
『しかし仮《か》りに貴方《あなた》の云《い》う所《ところ》が真実《しんじつ》として、私《わたくし》が警察《けいさつ》から廻《まわ》された者《もの》で、何《なに》か貴方《あなた》の言《ことば》を抑《おさ》えようとしているものと仮定《かてい》しましょう。で、貴方《あなた》がその為《ため》に拘引《こういん》されて、裁判《さいばん》に渡《わた》され、監獄《かんごく》に入《い》れられ、或《あるい》は懲役《ちょうえき》にされるとして見《み》て、それがどうです、この六|号室《ごうしつ》にいるのよりも悪《わる》いでしょうか。ここに入《い》れられているよりも貴方《あなた》に取《と》ってどうでしょうか? 私《わたくし》はここより悪《わる》い所《ところ》は無《な》いと思《おも》います。もしそうならば何《なに》を貴方《あなた》はそんなに恐《おそ》れなさるのか?』
 この言《ことば》にイワン、デミトリチは大《おおい》に感動《かんどう》されたと見《み》えて、彼《かれ》は落着《おちつ》いて腰《こし》を掛《か》けた。
 時《とき》は丁度《ちょうど》四|時過《じす》ぎ。いつもなら院長《いんちょう》は自分《じぶん》の室《へや》から室《へや》へと歩《ある》いていると、ダリュシカが、麦酒《ビール》は旦那様《だんなさま》如何《いかが》ですか、と問《と》う刻限《こくげん》。戸外《こがい》は静《しずか》に晴渡《はれわた》った天気《てんき》である。
『私《わたくし》は中食後《ちゅうじきご》散歩《さんぽ》に出掛《でか》けましたので、ちょっと立寄《たちよ》りましたのです。もうまるで春《はる》です。』
『今《いま》は何月《なんがつ》です、三|月《がつ》でしょうか?』
『左様《さよう》、三|月《がつ》も末《すえ》です。』
『戸外《そと》は泥濘《ぬか》っておりましょう。』
『そんなでもありません、庭《にわ》にはもう小径《こみち》が出来《でき》ています。』
『今頃《いまごろ》は馬車《ばしゃ》にでも乗《の》って、郊外《こうがい》へ行《い》ったらさぞいいでしょう。』と、イワン、デミトリチは赤《あか》い眼《め》を擦《こす》りながら云《い》う。『そうしてそれから家《うち》の暖《あたたか》い閑静《かんせい》な書斎《しょさい》に帰《かえ》って……名医《めいい》に恃《かか》って頭痛《ずつう》の療治《りょうじ》でもして貰《も》らったら、久《ひさ》しい間《あいだ》私《わたくし》はもうこの人間《にんげん》らしい生活《せいかつ》をしないが、それにしてもここは実《じつ》にいやな所《ところ》だ。実《じつ》に堪《た》えられんいやな所《ところ》だ。』
 昨日《きのう》の興奮《こうふん》の為《ため》にか、彼《かれ》は疲《つか》れて脱然《ぐったり》して、いやいやながら言《い》っている。彼《かれ》の指《ゆび》は顫《ふる》えている。その顔《かお》を見《み》ても頭《あたま》が酷《ひど》く痛《いた》んでいると云《い》うのが解《わか》る。
『暖《あたたか》い閑静《かんせい》な書斎《しょさい》と、この病室《びょうしつ》との間《あいだ》に、何《なん》の差《さ》も無《な》いのです。』と、アンドレイ、エヒミチは云《い》うた。『人間《にんげん》の安心《あんしん》と、満足《まんぞく》とは身外《しんがい》に在《あ》るのではなく、自身《じしん》の中《うち》に在《あ》るのです。』
『どう云《い》う訳《わけ》で。』
『通常《つうじょう》の人間《にんげん》は、いいことも、悪《わる》いことも皆《みな》身外《しんがい》から求《もと》めます。即《すなわ》ち馬車《ばしゃ》だとか、書斎《しょさい》だとかと、しかし思想家《しそうか》は自身《じしん》に求《もと》めるのです。』
『貴方《あなた》はそんな哲学《てつがく》は、暖《あたたか》な杏《あんず》の花《はな》の香《におい》のする希臘《ギリシヤ》に行《い》ってお伝《つた》えなさい、ここではそんな哲学《てつがく》は気候《きこう》に合《あ》いません。いやそうと、私《わたくし》は誰《たれ》かとジオゲンの話《はなし》をしましたっけ、貴方《あなた》とでしたろうか?』
『左様《さよう》昨日《きのう》私《わたくし》と。』
『ジオゲンは勿論《もちろん》書斎《しょさい》だとか、暖《あたたか》い住居《すまい》だとかには頓着《とんじゃく》しませんでした。これは彼《か》の地《ち》が暖《あたたか》いからです。樽《たる》の中《うち》に寐転《ねころが》って蜜柑《みかん》や、橄欖《かんらん》を食《た》べていればそれで過《すご》される。しかし彼《かれ》をして露西亜《ロシヤ》に住《すま》わしめたならば、彼《かれ》必《かなら》ず十二|月《がつ》所《どころ》ではない、三|月《がつ》の陽気《ようき》に成《な》っても、室《へや》の内《うち》に籠《こも》っていたがるでしょう。寒気《かんき》の為《ため》に体《からだ》も何《なに》も屈曲《まが》ってしまうでしょう。』
『いや寒気《かんき》だとか、疼痛《とうつう》だとかは感《かん》じないことが出来《でき》るです。マルク、アウレリイが云《い》ったことがありましょう。「疼痛《とうつう》とは疼痛《とうつう》の活《い》きた思想《しそう》である、この思想《しそう》を変《へん》ぜしむるが為《ため》には意旨《いし》の力《ちから》を奮《ふる》い、しかしてこれを棄《す》てて以《もっ》て、訴《うった》うることを止《や》めよ、しからば疼痛《とうつう》は消滅《しょうめつ》すべし。」と、これはよく言《い》った語《ことば》です、智者《ちしゃ》、哲人《てつじん》、もしくは思想家《しそうか》たるものの、他人《たにん》に異《ことな》る所《ところ》の点《てん》は、即《すなわ》ちここに在《あ》るのでしょう、苦痛《くつう》を軽《かろ》んずると云《い》うことに。ここにおいてか彼等《かれら》は常《つね》に満足《まんぞく》で、何事《なにごと》にもまた驚《おどろ》かぬのです。』
『では私《わたくし》などは徒《いたずら》に苦《くるし》み、不満《ふまん》を鳴《なら》し、人間《にんげん》の卑劣《ひれつ》に驚《おどろ》いたりばかりしていますから、白痴《はくち》だと有仰《おっしゃ》るのでしょう。』
『そうじゃ無《な》いです。貴方《あなた》もいよいよ深《ふか》く考慮《かんがえ》るように成《な》ったならば、我々《われわれ》の心《こころ》を動《うごか》す所《ところ》の、総《すべ》ての身外《しんがい》の些細《ささい》なることは苦《く》にもならぬとお解《わか》りになる時《とき》がありましょう、人《ひと》は解悟《かいご》に向《むか》わなければなりません。これが真実《しんじつ》の幸福《こうふく》です。』
『解悟《かいご》……。』イワン、デミトリチは顔《かお》を顰《しか》める。『外部《がいぶ》だとか、内部《ないぶ》だとか……。いや私《わたくし》にはそう云《い》うことは少《すこ》しも解《わか》らんです。私《わたくし》の知《し》っていることはただこれだけです。』と、彼《かれ》は立上《たちあが》り、怒《おこ》った眼《め》で院長《いんちょう》を睨《にら》み付《つ》ける。『私《わたし》の知《し》っているのは、神《かみ》が人《ひと》を熱血《ねっけつ》と、神経《しんけい》とより造《つく》ったと云《い》うことだけです! また有機的組織《ゆうきてきそしき》は、もしそれが生活力《せいかつりょく》をもっているとすれば、総《すべ》ての刺戟《しげき》に反応《はんのう》を起《おこ》すべきものである。それで私《わたくし》は反応《はんのう》しています。即《すなわち》疼痛《とうつう》に対《たい》しては、絶※[#「口+斗」、U+544C、51-下-12]《ぜっきょう》と、涙《なみだ》とを以《もっ》て答《こた》え、虚偽《きょぎ》に対《たい》しては憤懣《ふんまん》を以《もっ》て、陋劣《ろうれつ》に対《たい》しては厭悪《えんお》の情《じょう》を以《もっ》て答《こた》えているです。私《わたくし》の考《かんがえ》ではこれがそもそも生活《せいかつ》と名《な》づくべきものだろうと。また有機体《ゆうきたい》が下等《かとう》に成《な》れば成《な》るだけ、より少《すくな》く物《もの》を感《かん》ずるのであろうと、それ故《ゆえ》により弱《よわ》く刺戟《しげき》に答《こた》えるのである。で、高等《こうとう》に成《な》れば随《したがっ》てより強《つよ》き勢力《せいりょく》を以《もっ》て、実際《じっさい》に反応《はんのう》するのです。貴方《あなた》は医者《いしゃ》でおいでて、どうしてこんな訳《わけ》がお解《わか》りにならんです。苦《くるしみ》を軽《かろ》んずるとか、何《なん》にでも満足《まんぞく》しているとか、どんなことにも驚《おどろ》かんと云《い》うようになるのには、あれです、ああ云《い》う状態《ざま》になってしまわんければ。』と、イワン、デミトリチは隣《となり》の油切《あぶらぎ》った彼《か》の動物《どうぶつ》を差《さ》してそう云《い》うた。『或《あるい》はまた苦痛《くつう》を以《もっ》て自分《じぶん》を鍛練《たんれん》して、それに対《たい》しての感覚《かんかく》をまるで失《うしな》ってしまう、言《ことば》を換《か》えて言《い》えば、生活《せいかつ》を止《や》めてしまうようなことに至《いた》らしめなければならぬのです。私《わたくし》は無論《むろん》哲人《てつじん》でも、哲学者《てつがくしゃ》でも無《な》いのですから。』と、更《さら》に激《げき》して。『ですから、こんなことに就《つ》いては何《な》にも解《わか》らんのです。議論《ぎろん》する力《ちから》が無《な》いのです。』
『どうしてなかなか、貴方《あなた》は立派《りっぱ》に議論《ぎろん》なさるです。』
『貴方《あなた》が例証《れいしょう》に引《ひ》きなすったストア派《は》の哲学者等《てつがくしゃら》は立派《りっぱ》な人達《ひとたち》です。しかしながら彼等《かれら》の学説《がくせつ》はすでに二千|年以前《ねんいぜん》に廃《すた》れてしまいました、もう一|歩《ぽ》も進《すす》まんのです、これから先《さき》、また進歩《しんぽ》することは無《な》い。如何《いかん》となればこれは現実的《げんじつてき》でない、活動的《かつどうてき》で無《な》いからである。こう云《い》う学説《がくせつ》は、ただ種々《しゅじゅ》の学説《がくせつ》を集《あつ》めて研究《けんきゅう》したり、比較《ひかく》したりして、これを自分《じぶん》の生涯《しょうがい》の目的《もくてき》としている、極《きわ》めて少数《しょうすう》の人《ひと》ばかりに行《おこな》われて、他《た》の多数《たすう》の者《もの》はそれを了解《りょうかい》しなかったのです。苦痛《くつう》を軽蔑《けいべつ》すると云《い》うことは、多数《たすう》の人《ひと》に取《と》ったならば、即《すなわ》ち生活《せいかつ》その物《もの》を軽蔑《けいべつ》すると云《い》うことになる。如何《いかん》となれば、人間《にんげん》全体《ぜんたい》は、餓《うえ》だとか、寒《さむさ》だとか、凌辱《はずかし》めだとか、損失《そんしつ》だとか、死《し》に対《たい》するハムレット的《てき》の恐怖《おそれ》などの感覚《かんかく》から成立《なりた》っているのです。この感覚《かんかく》の中《うち》において人生《じんせい》全体《ぜんたい》が含《ふく》まっているのです。これを苦《く》にすること、悪《にく》むことは出来《でき》ます。が、これを軽蔑《けいべつ》することは出来《でき》んです。であるから、ストア派《は》の哲学者《てつがくしゃ》は未来《みらい》をもつことが出来《でき》んのです。御覧《ごらん》なさい、世界《せかい》の始《はじめ》から、今日《こんにち》に至《いた》るまで、ますます進歩《しんぽ》して行《ゆ》くものは生存競争《せいぞんきょうそう》、疼痛《とうつう》の感覚《かんかく》、刺戟《しげき》に対《たい》する反応《はんのう》の力《ちから》などでしょう。』と、イワン、デミトリチは俄《にわか》に思想《しそう》の連絡《れんらく》を失《うしな》って、残念《ざんねん》そうに額《ひたい》を擦《こす》った。
『何《なに》か肝心《かんじん》なことを云《い》おうと思《おも》って出《で》なくなった。』
と、彼《かれ》は続《つづ》ける。『それじゃ基督《ハリストス》でも例《れい》に引《ひ》きましょう、基督《ハリストス》は泣《な》いたり、微笑《びしょう》したり、悲《かなし》んだり、怒《おこ》ったり、憂《うれい》に沈《しず》んだりして、現実《げんじつ》に対《たい》して反応《はんのう》していたのです。彼《かれ》は微笑《びしょう》を以《もっ》て苦《くるしみ》に対《むか》わなかった、死《し》を軽蔑《けいべつ》しませんでした、却《かえ》って「この杯《さかずき》を我《われ》より去《さ》らしめよ」と云《い》うて、ゲフシマニヤの園《その》で祈祷《きとう》しました。』
 イワン、デミトリチはかく云《い》って笑出《わらいだ》しながら坐《すわ》る。
『で仮《か》りに人間《にんげん》の満足《まんぞく》と安心《あんしん》とが、その身外《しんがい》に在《あ》るに非《あ》らずして、自身《じしん》の内《うち》に在《あ》るとして、また仮《か》りに苦痛《くつう》を軽蔑《けいべつ》して、何事《なにごと》にも驚《おどろ》かぬようにしなければならぬとして、見《み》て、第《だい》一|貴方《あなた》自身《じしん》は何《なん》に基《もとづ》いて、こんなことを主張《しゅちょう》なさるのか、貴方《あなた》は一|体《たい》哲人《ワイゼ》ですか、哲学者《てつがくしゃ》ですか?』
『いや私《わたくし》は哲学者《てつがくしゃ》でも何《なん》でも無《な》い。が、これを主張《しゅちょう》するのは、大《おおい》に各人《かくじん》の義務《ぎむ》だろうと思《おも》うのです、これは道理《どうり》のあることで。』
『いや私《わたくし》の知《し》ろうと思《おも》うのは、何《なん》の為《ため》に貴方《あなた》が解悟《かいご》だの、苦痛《くつう》だの、それに対《たい》する軽蔑《けいべつ》だの、その他《た》のことに就《つ》いて自《みずか》ら精通家《せいつうか》と認《みと》めてお出《いで》なのですか。貴方《あなた》は何時《いつ》にか苦《くるし》んだことでもあるのですか、苦《くる》しみと云《い》うことの理解《りかい》をもってお出《い》でですか、或《あるい》は失礼《しつれい》ながら貴方《あなた》はお幼少《ちいさい》時分《じぶん》、打擲《ぶたれ》でもなされましたことがおありなのですか?』
『否《いえ》、私《わたくし》の両親《りょうしん》は、身体上《しんたいじょう》の処刑《しょけい》は非常《ひじょう》に嫌《きら》っていたのです。』
『私《わたくし》は父《ちち》には酷《ひど》く仕置《しおき》をされました。私《わたくし》の父《ちち》は極《ご》く苛酷《かこく》な官員《かんいん》であったのです。が、貴方《あなた》のことを申《もう》して見《み》ましょうかな。貴方《あなた》は一|生涯《しょうがい》誰《だれ》にも苛責《かしゃく》されたことは無《な》く、健康《けんこう》なること牛《うし》の如《ごと》く、厳父《げんぷ》の保護《ほご》の下《もと》に生長《せいちょう》し、それで学問《がくもん》させられ、それからして割《わり》のよい役《やく》に取付《とりつ》き、二十|年以上《ねんいじょう》の間《あいだ》も、暖炉《だんろ》も焚《た》いてあり、灯《あかり》も明《あか》るき無料《むりょう》の官宅《かんたく》に、奴婢《ぬひ》をさえ使《つか》って住《す》んで、その上《うえ》、仕事《しごと》は自分《じぶん》の思《おも》うまま、してもしないでも済《す》んでいると云《い》う位置《いち》。で、生来《せいらい》貴方《あなた》は怠惰者《なまけもの》で、厳格《げんかく》で無《な》い人間《にんげん》、それ故《ゆえ》貴方《あなた》は何《な》んでも自分《じぶん》に面倒《めんどう》でないよう、働《はたら》かなくとも済《す》むようとばかり心掛《こころが》けている、事業《じぎょう》は代診《だいしん》や、その他《た》のやくざもの[#「やくざもの」に傍点]に任《まか》せ切《き》り、そうして自分《じぶん》は暖《あたたか》い静《しずか》な処《ところ》に坐《ざ》して、金《かね》を溜《た》め、書物《しょもつ》を読《よ》み、種々《しゅじゅ》な屁理窟《へりくつ》を考《かんが》え、また酒《さけ》を(彼《かれ》は院長《いんちょう》の赤《あか》い鼻《はな》を見《み》て)呑《の》んだりして、楽隠居《らくいんきょ》のような真似《まね》をしている。一|言《げん》で云《い》えば、貴方《あなた》は生活《せいかつ》と云《い》うものを見《み》ないのです、それを全《まった》く知《し》らんのです。そうして実際《じっさい》と云《い》うことをただ理論《りろん》の上《うえ》からばかり推《お》している。だから苦痛《くつう》を軽蔑《けいべつ》したり、何事《なにごと》にも驚《おどろ》かんなどと云《い》っていられる。それは甚《はなは》だ単純《たんじゅん》な原因《げんいん》に由《よ》るのです。「空《くう》の空《くう》」だとか、内部《ないぶ》だとか、外部《がいぶ》だとか、苦痛《くつう》や、死《し》に対《たい》する軽蔑《けいべつ》だとか、真正《しんせい》なる幸福《こうふく》だとか、とこんな言草《いいぐさ》は、皆《みな》ロシヤの怠惰者《なまけもの》に適当《てきとう》している哲学《てつがく》です。で、貴方《あなた》はこうなのだ、まず歯《は》が痛《いた》むと云《い》う農婦《のうふ》が来《く》る……と、それがどうしたのだ。疼痛《とうつう》は疼痛《とうつう》のことの思想《しそう》である。かつまた、病気《びょうき》が無《な》くてはこの世《よ》に生《い》きて行《ゆ》く訳《わけ》には行《ゆ》かぬものだ。早《はや》く帰《かえ》るべし。俺《おれ》の思想《しそう》とヴォッカを呑《の》む邪魔《じゃま》をするな。とこう云《い》うでしょう。また或《ある》若者《わかもの》が来《き》てどう云《い》う風《ふう》に生活《せいかつ》をしたらいいかと相談《そうだん》を掛《か》けられる、と、他人《たにん》はまず一|番《ばん》考《かんが》える所《ところ》であろうが、貴方《あなた》にはその答《こたえ》はもうちゃんと出来《でき》ている。解悟《かいご》に向《むか》いなさい、真正《しんせい》の幸福《こうふく》に向《むか》いなさい。とこう云《い》うです。我々《われわれ》をこんな格子《こうし》の内《うち》に監禁《かんきん》して置《お》いて苦《くる》しめて、そうしてこれは立派《りっぱ》なことだ、理窟《りくつ》のあることだ、いかんとなればこの病室《びょうしつ》と、暖《あたたか》なる書斎《しょさい》との間《あいだ》に何《なん》の差別《さべつ》もない。と、誠《まこと》に都合《つごう》のいい哲学《てつがく》です。そうして自分《じぶん》を哲人《ワイゼ》と感《かん》じている……いや貴方《あなた》これはです、哲学《てつがく》でもなければ、思想《しそう》でもなし、見解《けんかい》の敢《あえ》て広《ひろ》いのでも無《な》い、怠惰《たいだ》です。自滅《じめつ》です。睡魔《すいま》です! 左様《さよう》!』と、イワン、デミトリチは昂然《こうぜん》として『貴方《あなた》は苦痛《くつう》を軽蔑《けいべつ》なさるが、試《こころみ》に貴方《あなた》の指《ゆび》一|本《ぽん》でも戸《と》に挟《はさ》んで御覧《ごらん》なさい、そうしたら声《こえ》限《かぎ》り叫《さけ》ぶでしょう。』
『或《あるい》は
叫《さけ》ばんかも知《し》れません。』と、アンドレイ、エヒミチは言《い》う。
『そんなことは無《な》い、例《たと》えば御覧《ごらん》なさい、貴方《あなた》が中風《ちゅうぶ》にでも罹《かか》ったとか、或《あるい》は仮《かり》に愚者《ぐしゃ》が自分《じぶん》の位置《いち》を利用《りよう》して貴方《あなた》を公然《こうぜん》辱《はずか》しめて置《お》いて、それが後《のち》に何《なん》の報《むくい》も無《な》しに済《す》んでしまったのを知《し》ったならば、その時《とき》貴方《あなた》は他《た》の人《ひと》に、解悟《かいご》に向《むか》いなさいとか、真正《しんせい》の幸福《こうふく》に向《むか》いなさいとか云《い》うことの効力《こうりょく》が果《はた》して、何程《なにほど》と云《い》うことが解《わか》りましょう。』
『これは奇抜《きばつ》だ。』と院長《いんちょう》は満足《まんぞく》の余《あま》り微笑《びしょう》しながら、両手《りょうて》を擦《こす》り擦《こす》り云《い》う。『私《わたくし》は貴方《あなた》が総《すべ》てを綜合《そうごう》する傾向《けいこう》をもっているのを、面白《おもしろ》く感《かん》じかつ敬服《けいふく》致《いた》したのです、また貴方《あなた》が今《いま》述《の》べられた私《わたくし》の人物評《じんぶつひょう》は、ただ感心《かんしん》する外《ほか》はありません。実《じつ》は私《わたくし》は貴方《あなた》との談話《だんわ》において、この上《うえ》も無《な》い満足《まんぞく》を得《え》ましたのです。で、私《わたくし》は貴方《あなた》のお話《はなし》を不残《のこらず》伺《うかが》いましたから、こんどはどうぞ私《わたくし》の話《はなし》をもお聞《き》き下《くだ》さい。』

(十一)

 かくて後《のち》、なお二人《ふたり》の話《はなし》は一|時間《じかん》も続《つづ》いたが、それより院長《いんちょう》は深《ふか》く感動《かんどう》して、毎日《まいにち》、毎晩《まいばん》のように六|号室《ごうしつ》に行《ゆ》くのであった。二人《ふたり》は話込《はなしこ》んでいる中《うち》に日《ひ》も暮《く》れてしまうことがままある位《くらい》。イワン、デミトリチは初《はじ》めの中《うち》は院長《いんちょう》が野心《やしん》でもあるのでは無《な》いかと疑《うたが》って、彼《かれ》にとかく遠《とお》ざかって、不愛想《ぶあいそう》にしていたが、段々《だんだん》慣《な》れて、遂《つい》には全《まった》く素振《そぶり》を変《か》えたのであった。
 しかるに病院《びょういん》の中《うち》では院長《いんちょう》アンドレイ、エヒミチが六|号室《ごうしつ》に切《しきり》に通《かよ》い出《だ》したのを怪《あやし》んで、その評判《ひょうばん》が高《たか》くなり、代診《だいしん》も、看護婦《かんごふ》も、一|様《よう》に何《なん》の為《ため》に行《ゆ》くのか、何《なん》で数時間余《すうじかんよ》もあんな処《ところ》にいるのか、どんな話《はなし》をするのであろうか、彼処《かしこ》へ行《い》っても処方書《しょほうがき》を示《しめ》さぬでは無《な》いかと、彼方《あっち》でも、此方《こっち》でも、彼《かれ》が近頃《ちかごろ》の奇《き》なる挙動《きょどう》の評判《ひょうばん》で持切《もちき》っている始末《しまつ》。ミハイル、アウエリヤヌイチはこの頃《ごろ》では始終《しじゅう》彼《かれ》の留守《るす》にばかり行《ゆ》く。ダリュシカは旦那《だんな》が近頃《ちかごろ》は定刻《ていこく》に麦酒《ビール》を呑《の》まず、中食《ちゅうじき》までも晩《おく》れることが度々《たびたび》なので困却《こま》っている。
 或時《あるとき》六|月《がつ》の末《すえ》、ドクトル、ハバトフは、院長《いんちょう》に用事《ようじ》があって、その室《へや》に行《い》った所《ところ》、おらぬので庭《にわ》へと探《さが》しに出《で》た。するとそこで院長《いんちょう》は六|号室《ごうしつ》であると聞《き》き、庭《にわ》から直《すぐ》に別室《べっしつ》に入《い》り、玄関《げんかん》の間《ま》に立留《たちとどま》ると、丁度《ちょうど》こう云《い》う話声《はなしごえ》が聞《きこ》えたので。
『我々《われわれ》は到底《とうてい》合奏《がっそう》は出来《でき》ません、私《わたくし》を貴方《あなた》の信仰《しんこう》に帰《き》せしむる訳《わけ》には行《ゆ》きませんから。』
と、イワン、デミトリチの声《こえ》。
『現実《げんじつ》と云《い》うことは全《まった》く貴方《あなた》には解《わか》らんのです、貴方《あなた》はいまだかつて苦《くるし》んだことは無《な》いのですから。しかし私《わたくし》は生《うま》れたその日《ひ》より今日《こんにち》まで、絶《た》えず苦痛《くつう》を嘗《な》めているのです、それ故《ゆえ》私《わたくし》は自分《じぶん》を貴方《あなた》よりも高《たか》いもの、万事《ばんじ》において、より多《おお》く精通《せいつう》しているものと認《みと》めておるです。ですから貴方《あなた》が私《わたくし》に教《おし》えると云《い》う場合《ばあい》で無《な》いのです。』
『私《わたくし》は何《なに》も貴方《あなた》を自分《じぶん》の信仰《しんこう》に向《むか》わせようと云《い》う権利《けんり》を主張《しゅちょう》はせんのです。』院長《いんちょう》は自分《じぶん》を解《わか》ってくれ人《て》の無《な》いので、さも残念《ざんねん》と云《い》うように。『そう云《い》う訳《わけ》では無《な》いのです、それは貴方《あなた》が苦痛《くつう》を嘗《な》めて、私《わたくし》が嘗《な》めないということではないのです。詮《せん》ずる所《ところ》、苦痛《くつう》も快楽《かいらく》も移《うつ》り行《ゆ》くもので、そんなことはどうでもいいのです。で、私《わたくし》が言《い》おうと思《おも》うのは、貴方《あなた》と私《わたくし》とが思想《しそう》するもの、相共《あいとも》に思想《しそう》したり、議論《ぎろん》をしたりする力《ちから》があるものと認《みと》めているということです。たとい我々《われわれ》の意見《いけん》が何《ど》の位《くらい》違《ちが》っても、ここに我々《われわれ》の一|致《ち》する所《ところ》があるのです。貴方《あなた》がもし私《わたくし》が一|般《ぱん》の無智《むち》や、無能《むのう》や、愚鈍《ぐどん》を何《ど》れ程《ほど》に厭《いと》うておるかと知《し》って下《くだ》すったならば、また如何《いか》なる喜《よろこび》を以《もっ》て、こうして貴方《あなた》と話《はなし》をしているかと云《い》うことを知《し》って下《くだ》すったならば! 貴方《あなた》は知識《ちしき》のある人《ひと》です。』
 ハバトフはこの時《とき》少《すこし》ばかり戸《と》を開《あ》けて室内《しつない》を覗《のぞ》いた。イワン、デミトリチは頭巾《ずきん》を被《かぶ》って、妙《みょう》な眼付《めつき》をしたり、顫《ふるえ》上《あが》ったり、神経的《しんけいてき》に病院服《びょういんふく》の前《まえ》を合《あ》わしたりしている。院長《いんちょう》はその側《そば》に腰《こし》を掛《か》けて、頭《かしら》を垂《た》れて、じっとして心細《こころぼそ》いような、悲《かな》しいような様子《ようす》で顔《かお》を赤《あか》くしている。ハバトフは肩《かた》を縮《ちぢ》めて冷笑《れいしょう》し、ニキタと見合《みあ》う。ニキタも同《おな》じく肩《かた》を縮《ちぢ》める。
 翌日《よくじつ》ハバトフは代診《だいしん》を伴《つ》れて別室《べっしつ》に来《き》て、玄関《げんかん》の間《ま》でまたも立聞《たちぎき》。
『院長殿《いんちょうどの》、とうとう発狂《はっきょう》と御坐《ござ》ったわい。』と、ハバトフは別室《べっしつ》を出《で》ながらの話《はなし》。
『主《しゅ》憐《あわれめ》よ、主《しゅ》憐《あわれめ》よ、主《しゅ》憐《あわれめ》よ!』と、敬虔《けいけん》なるセルゲイ、セルゲイチは云《い》いながら。ピカピカと磨上《みがきあ》げた靴《くつ》を汚《よご》すまいと、庭《にわ》の水溜《みずたまり》を避《よ》け避《よ》け溜息《ためいき》をする。
『打明《うちあ》けて申《もう》しますとな、エウゲニイ、フェオドロイチもう私《わたくし》は疾《と》うからこんなことになりはせんかと思《おも》っていましたのさ。』

(十二)

 その後《ご》院長《いんちょう》アンドレイ、エヒミチは自分《じぶん》の周囲《まわり》の者《もの》の様子《ようす》の、ガラリと変《かわ》ったことを漸《ようや》く認《みと》めた。小使《こづかい》、看護婦《かんごふ》、患者等《かんじゃら》は、彼《かれ》に往遇《ゆきあ》う度《たび》に、何《なに》をか問《と》うものの如《ごと》き眼付《めつき》で見《み》る、行《ゆ》き過《す》ぎてからは私語《ささや》く。折々《おりおり》庭《にわ》で遇《あ》う会計係《かいけいがかり》の小娘《こむすめ》の、彼《かれ》が愛《あい》していた所《ところ》のマアシャは、この節《せつ》は彼《かれ》が微笑《びしょう》して頭《あたま》でも撫《な》でようとすると、急《いそ》いで遁出《にげだ》す。郵便局長《ゆうびんきょくちょう》のミハイル、アウエリヤヌイチは、彼《かれ》の所《ところ》に来《き》て、彼《かれ》の話《はなし》を聞《き》いてはいるが、先《さき》のようにそれは真実《まったく》ですとはもう云《い》わぬ。何《なん》となく心配《しんぱい》そうな顔《かお》で、左様々々《さようさよう》、左様《さよう》、と、打湿《うちしめ》って云《い》ってるかと思《おも》うと、やれヴォッカを止《よ》せの、麦酒《ビール》を止《や》めろのと勧《すすめ》初《はじ》める。また医員《いいん》のハバトフも時々《ときどき》来《き》ては、何故《なにゆえ》かアルコール分子《ぶんし》の入《はい》っている飲物《のみもの》を止《よ》せ。ブローミウム加里《かり》を服《の》めと勧《すす》めて行《ゆ》くので。
 八|月《がつ》にアンドレイ、エヒミチは市役所《しやくしょ》から、少《すこ》し相談《そうだん》があるに由《よ》って、出頭《しゅっとう》を願《ねが》うと云《い》う招状《しょうじょう》があった、で、定刻《ていこく》に市役所《しやくしょ》に行《い》って見《み》ると、もう地方軍令部長《ちほうぐんれいぶちょう》を初《はじ》め、郡立学校視学官《ぐんりつがっこうしがくかん》市役所員《しやくしょいん》、それにドクトル、ハバトフ、またも一人《ひとり》の見知《みし》らぬブロンジンの男《おとこ》、ずらり[#「ずらり」に傍点]と並《なら》んで控《ひか》えている。傍《そば》にいた者《もの》は直《す》ぐに院長《いんちょう》にこの人間《にんげん》を紹介《しょうかい》した、やはりドクトルで、何《なん》だとかと云《い》うポーランドの云《い》い悪《にく》い名《な》、この町《まち》から三十ヴェルスタばかり隔《へだた》っている、或《あ》る育馬所《いくばしょ》にいる者《もの》、今日《きょう》この町《まち》を何《なに》かの用《よう》でちょっと通掛《とおりかか》ったので、この場所《ばしょ》へ立寄《たちよ》ったとのことで。
『ええ只今《ただいま》、足下《そっか》に御関係《ごかんけい》のある事柄《ことがら》で、申上《もうしあ》げたいと思《おも》うのですが。』と、市役所員《しやくしょいん》は居並《いなら》ぶ人々《ひとびと》の挨拶《あいさつ》が済《す》むとこう切《き》り出《だ》した。『あ、エウゲニイ、フェオドロイチの有仰《おっしゃ》るには、本院《ほんいん》の薬局《やっきょく》が狭隘《せまい》ので、これを別室《べっしつ》の一つに移転《うつ》してはどうかと云《い》うのです。勿論《もちろん》これは雑作《ぞうさ》も無《な》いことですが、それには別室《べっしつ》の修繕《しゅうぜん》を要《よう》すると云《い》うそのことです。』
『左様《さよう》、修繕《しゅうぜん》を致《いた》さなければならんでしょう。』と、院長《いんちょう》は考《かんが》えながら云《い》う。『例《たと》えば隅《すみ》の別室《べっしつ》を薬局《やっきょく》に当《あ》てようと云《い》うには、私《わたくし》の考《かんがえ》では、極《ご》く少額《しょうがく》に見積《みつも》っても五百|円《えん》は入《い》りましょう、しかし余《あま》り不生産的《ふせいさんてき》な費用《ひよう》です。』
 皆《みな》はすこし黙《もく》している。院長《いんちょう》は静《しずか》にまた続《つづ》ける。
『私《わたくし》はもう十|年《ねん》も前《まえ》から、そう申上《もうしあ》げていたのですが、全体《ぜんたい》この病院《びょういん》の設立《たて》られたのは、四十|年代《ねんだい》の頃《ころ》でしたが、その時分《じぶん》は今日《こんにち》のような資力《しりょく》では無《な》かったもので。しかし今日《こんにち》の所《ところ》では病院《びょういん》は、確《たしか》に市《し》の資力《ちから》以上《いじょう》の贅沢《ぜいたく》に為《な》っているので、余計《よけい》な建物《たてもの》、余計《よけい》な役《やく》などで随分《ずいぶん》費用《ひよう》も多《おお》く費《つか》っているのです。私《わたくし》の思《おも》うには、これだけの銭《ぜに》を費《つか》うのなら、遣《や》り方《かた》をさえ換《か》えれば、ここに二つの模範的《もはんてき》の病院《びょういん》を維持《いじ》することが出来《でき》ると思《おも》います。』
『では一つ遣《や》り方《かた》を換《か》えて御覧《ごらん》になったら如何《いかが》です。』
と、市役所員《しやくしょいん》は活発《かっぱつ》に云《い》う。
『私《わたくし》は前《さき》にも申上《もうしあげ》ました通《とお》り、医学上《いがくじょう》の事務《じむ》を地方自治体《ちほうじちたい》の方《ほう》へ、お渡《わた》しになってはどうでしょう?』
『地方自治《ちほうじち》に銭《ぜに》を渡《わた》したら、それこそ彼等《かれら》は皆《みな》盗《ぬす》んでしまいましょう。』と、ブロンジンのドクトルは笑《わら》い出《だ》す。
『そりゃ極《きま》ってます。』と、市役所員《しやくしょいん》も同意《どうい》して笑《わら》う。
 院長《いんちょう》は茫然《ぼんやり》とブロンジンのドクトルを見《み》たが。『しかし公平《こうへい》に考《かんが》えなければなりません。』と云《い》うた。
 皆《みな》はまたしばし黙《もく》してしまう。その中《うち》に茶《ちゃ》が出《で》る。ドクトル、ハバトフは皆《みな》との一|般《ぱん》の話《はなし》の中《うち》も、院長《いんちょう》の言《ことば》に注意《ちゅうい》をして聞《き》いていたが突然《だしぬけ》に。『アンドレイ、エヒミチ今日《きょう》は何日《なんにち》です?』それから続《つづ》いて、ハバトフとブロンジンのドクトルとは下手《へた》なのを感《かん》じている試験官《しけんかん》と云《い》ったような調子《ちょうし》で、今日《きょう》は何曜日《なんようび》だとか、一|年《ねん》の中《うち》には何日《なんにち》あるとか、六|号室《ごうしつ》には面白《おもしろ》い予言者《よげんしゃ》がいるそうなとかと、交々《かわるがわる》尋問《たず》ねるのであった。
 院長《いんちょう》は終《おわり》の問《とい》には赤面《せきめん》して。『いや、あれは病人《びょうにん》です、しかし面白《おもしろ》い若者《わかもの》で。』と答《こた》えた。
 もう誰《たれ》も何《なん》とも質問《しつもん》をせぬのである。
 院長《いんちょう》は玄関《げんかん》の間《ま》で外套《がいとう》を着《き》、市役所《しやくしょ》の門《もん》を出《で》たが、これは自分《じぶん》の才能《さいのう》を試験《しけん》する所《ところ》の委員会《いいんかい》であったと初《はじ》めて悟《さと》り、自分《じぶん》に懸《か》けられた質問《しつもん》を思《おも》い出《だ》し、一人《ひとり》自《みずか》ら赤面《せきめん》し、一|生《しょう》の中《うち》今《いま》初《はじ》めて、医学《いがく》なるものを、つくづくと情無《なさけな》い者《もの》に感《かん》じたのである。
 その晩《ばん》、郵便局長《ゆうびんきょくちょう》のミハイル、アウエリヤヌイチは彼《かれ》の所《ところ》に来《き》たが、挨拶《あいさつ》もせずにいきなり彼《かれ》の両手《りょうて》を握《にぎ》って、声《こえ》を顫《ふる》わして云《い》うた。
『おお君《きみ》、ねえ、君《きみ》は僕《ぼく》の切《せつ》なる意中《いちゅう》を信《しん》じて、僕《ぼく》を親友《しんゆう》と認《みと》めてくれることを証《しょう》して下《くだ》さるでしょうね……え、君《きみ》!』
 彼《かれ》は院長《いんちょう》の云《い》わんとするのを遮《さえぎ》って、何《なに》かそわそわして続《つづ》けて云《い》う。『私《わたし》は貴方《あなた》の教育《きょういく》と、高尚《こうしょう》なる心《こころ》とを甚《はなは》だ敬愛《けいあい》しておるです。どうぞ君《きみ》、私《わたし》の云《い》うことを聞《き》いて下《くだ》さい。医学《いがく》の原則《げんそく》は、医者等《いしやら》をして貴方《あなた》に実《じつ》を云《い》わしめたのです。しかしながら私《わたし》は軍人風《ぐんじんふう》に真向《まっこう》に切出《きりだ》します。貴方《あなた》に打明《うちあ》けて云《い》います、即《すなわ》ち貴方《あなた》は病気《びょうき》なのです。これはもう周囲《まわり》の者《もの》の疾《と》うより認《みと》めている所《ところ》で、只今《ただいま》もドクトル、エウゲニイ、フェオドロイチが云《い》うのには、貴方《あなた》の健康《けんこう》の為《ため》には、須《すべから》く気晴《きばらし》をして、保養《ほよう》を専《せん》一とせんければならんと。これは実際《じっさい》です。所《ところ》が、丁度《ちょうど》私《わたし》もこの節《せつ》、暇《ひま》を貰《もら》って、異《かわ》った空気《くうき》を吸《す》いに出掛《でか》けようと思《おも》っている矢先《やさき》、どうでしょう、一|所《しょ》に付合《つきあ》っては下《くだ》さらんか、そうして旧事《ふるいこと》を皆《みんな》忘《わす》れてしまいましょうじゃありませんか。』
『しかし私《わたし》は少《すこ》しも身体《からだ》に異状《いじょう》は無《な》いです、壮健《そうけん》です。無暗《むやみ》に出掛《でか》けることは出来《でき》ません、どうぞ私《わたし》の友情《ゆうじょう》を他《た》のことで何《なん》とか証《しょう》させて下《くだ》さい。』
 アンドレイ、エヒミチは初《はじめ》の一|分時《ぷんじ》は、何《なん》の意味《いみ》もなく書物《しょもつ》と離《はな》れ、ダリュシカと麦酒《ビール》とに別《わか》れて、二十|年来《ねんらい》定《さだ》まったその生活《せいかつ》の順序《じゅんじょ》を破《やぶ》ると云《い》うことは出来《でき》なく思《おも》うたが、また深《ふか》く思《おも》えば、市役所《しやくしょ》でありしこと、その自《みずか》ら感《かん》じた不愉快《ふゆかい》のこと、愚《おろか》な人々《ひとびと》が自分《じぶん》を狂人視《きょうじんし》しているこんな町《まち》から、少《すこ》しでも出《で》て見《み》たらば、とも思《おも》うのであった。
『しかし貴方《あなた》は一|体《たい》どこへお出掛《でか》けになろうと云《い》うのです?』院長《いんちょう》は問《と》うた。
『モスクワへも、ペテルブルグへも、ワルシャワへも……ワルシャワは実《じつ》によい所《ところ》です、私《わたし》が幸福《こうふく》の五|年間《ねんかん》は彼処《あすこ》で送《おく》ったのでした、それはいい町《まち》です、是非《ぜひ》行《ゆ》きましょう、ねえ君《きみ》。』

(十三)

 一|週間《しゅうかん》を経《へ》てアンドレイ、エヒミチは、病院《びょういん》から辞職《じしょく》の勧告《かんこく》を受《う》けたが、彼《かれ》はそれに対《たい》しては至《いた》って平気《へいき》であった。かくてまた一|週間《しゅうかん》を過《す》ぎ、遂《つい》にミハイル、アウエリヤヌイチと共《とも》に郵便《ゆうびん》の旅馬車《たびばしゃ》に打乗《うちの》り、近《ちか》き鉄道《てつどう》のステーションを差《さ》して、旅行《りょこう》にと出掛《でか》けたのである。
 空《そら》は爽《さわやか》に晴《は》れて、遠《とお》く木立《こだち》の空《そら》に接《せっ》する辺《あたり》も見渡《みわた》される凉《すず》しい日和《ひより》。ステーションまでの二百ヴェルスタの道《みち》を二|昼夜《ちゅうや》で過《す》ぎたが、その間《あいだ》馬《うま》の継場々々《つぎばつぎば》で、ミハイル、アウエリヤヌイチは、やれ、茶《ちゃ》の杯《こっぷ》の洗《あら》いようがどうだとか、馬《うま》を附《つ》けるのに手間《てま》が取《と》れるとかと力《りき》んで、上句《あげく》には、何《いつ》も黙《だま》れとか、彼《か》れこれ云《い》うな、とかと真赤《まっか》になって騒《さわぎ》を返《かえ》す。道々《みちみち》も一|分《ぷん》の絶間《たえま》もなく喋《しゃべ》り続《つづ》けて、カフカズ、ポーランドを旅行《りょこう》したことなどを話《はな》す。そうして大声《おおごえ》で眼《め》を剥出《むきだ》し、夢中《むちゅう》になってドクトルの顔《かお》へはふッはふッと息《いき》を吐掛《ふっか》ける、耳許《みみもと》で高笑《たかわらい》する。ドクトルはそれが為《ため》に考《かんがえ》に耽《ふけ》ることもならず、思《おもい》に沈《しず》むことも出来《でき》ぬ。
 汽車《きしゃ》は経済《けいざい》の為《ため》に三|等《とう》で、喫烟《きつえん》をせぬ客車《かくしゃ》で行《い》った。車室《しゃしつ》の中《うち》はさのみ不潔《ふけつ》の人間《にんげん》ばかりではなかったが、ミハイル、アウエリヤヌイチは直《すぐ》に人々《ひとびと》と懇意《こんい》になって誰《たれ》にでも話《はなし》を仕掛《しか》け、腰掛《こしかけ》から腰掛《こしかけ》へ廻《まわ》り歩《ある》いて、大声《おおごえ》で、こんな不都合《ふつごう》極《きわま》る汽車《きしゃ》は無《な》いとか、皆《みな》盗人《ぬすびと》のような奴等《やつら》ばかりだとか、乗馬《じょうば》で行《ゆ》けば一|日《にち》に百ヴェルスタも飛《と》ばせて、その上《うえ》愉快《ゆかい》に感《かん》じられるとか、我々《われわれ》の地方《ちほう》の不作《ふさく》なのはピン沼《ぬま》などを枯《から》してしまったからだ、非常《ひじょう》な乱暴《らんぼう》をしたものだとか、などと云《い》って、殆《ほとん》ど他《ひと》には口《くち》も開《き》かせぬ、そうしてその相間《あいま》には高笑《たかわらい》と、仰山《ぎょうさん》な身振《みぶり》。
『私等《わたしら》二人《ふたり》の中《うち》、何《いず》れが瘋癲者《ふうてんしゃ》だろうか。』と、ドクトルは腹立《はらだた》しくなって思《おも》うた。『少《すこ》しも乗客《じょうきゃく》を煩《わずら》わさんように務《つと》めている俺《おれ》か、それともこんなに一人《ひとり》で大騒《おおさわぎ》をしていた、誰《たれ》にも休息《きゅうそく》もさせぬこの利己主義男《りこしゅぎおとこ》か?』
 モスクワへ行《い》ってから、ミハイル、アウエリヤヌイチは肩章《けんしょう》の無《な》い軍服《ぐんぷく》に、赤線《あかすじ》の入《はい》ったズボンを穿《は》いて町《まち》を歩《ある》くにも、軍帽《ぐんぼう》を被《かぶ》り、軍人《ぐんじん》の外套《がいとう》を着《き》た。兵卒《へいそつ》は彼《かれ》を見《み》て敬礼《けいれい》をする。アンドレイ、エヒミチは今《いま》初《はじ》めて気《き》が着《つ》いたが、ミハイル、アウエリヤヌイチは前《さき》に大地主《おおじぬし》であった時《とき》の、余《あま》り感心《かんしん》せぬ風《ふう》ばかりが今《いま》も残《のこ》っていると云《い》うことを。机《つくえ》の前《まえ》にマッチはあって、彼《かれ》はそれを見《み》ていながら、その癖《くせ》、大声《おおごえ》を上《あ》げて小使《こづかい》を呼《よ》んでマッチを持《も》って来《こ》いなどと云《い》い、女中《じょちゅう》のいる前《まえ》でも平気《へいき》で下着《したぎ》一つで歩《ある》いている、下僕《しもべ》や、小使《こづかい》を捉《つかま》えては、年《とし》を寄《と》ったものでも何《なん》でも構《かま》わず、貴様々々《きさまきさま》と頭砕《あたまごなし》。その上《うえ》に腹《はら》を立《た》つと直《す》ぐに、この野郎《やろう》、この大馬鹿《おおばか》と悪体《あくたい》が初《はじ》まるので、これらは大地主《おおじぬし》の癖《くせ》であるが、余《あま》り感心《かんしん》した風《ふう》では無《な》い、とドクトルも思《おも》うたのであった。
 モスクワ見物《けんぶつ》の第《だい》一|着《ちゃく》に、ミハイル、アウエリヤヌイチはその友《とも》をまずイウエルスカヤ小聖堂《しょうせいどう》に伴《つ》れ行《ゆ》き、そこで彼《かれ》は熱心《ねっしん》に伏拝《ふくはい》して涙《なみだ》を流《なが》して祈祷《きとう》する、そうして立上《たちあが》り、深《ふか》く溜息《ためいき》して云《い》うには。
『たとい信《しん》じなくとも、祈祷《きとう》をすると、何《なん》とも云《い》われん位《くらい》、心《こころ》が安《やす》まる、君《きみ》、接吻《せっぷん》し給《たま》え。』
 アンドレイ、エヒミチは体裁悪《きまりわる》く思《おも》いながら、聖像《せいぞう》に接吻《せっぷん》した。ミハイル、アウエリヤヌイチは唇《くちびる》を突出《つきだ》して、頭《あたま》を振《ふ》りながら、またも小声《こごえ》で祈祷《きとう》して涙《なみだ》を流《なが》している。それから二人《ふたり》はそこを出《で》て、クレムリに行《ゆ》き、大砲王《たいほうおう》([#割り注]巨大な砲[#割り注終わり])と大鐘王《たいしょうおう》([#割り注]巨大な鐘、モスクワの二大名物[#割り注終わり])とを見物《けんぶつ》し、指《ゆび》で触《さわ》って見《み》たりした。それよりモスクワ川向《かわむこう》の町《まち》の景色《けしき》などを見渡《みわた》しながら、救世主《きゅうせいしゅ》の聖堂《せいどう》や、ルミャンツセフの美術館《びじゅつかん》なんどを廻《まわ》って見《み》た。
 中食《ちゅうじき》はテストフ亭《てい》と云《い》う料理店《りょうりてん》に入《はい》ったが、ここでもミハイル、アウエリヤヌイチは、頬鬚《ほおひげ》を撫《な》でながら、ややしばらく、品書《しながき》を拈転《ひねく》って、料理店《りょうりや》を我《わ》が家《や》のように挙動《ふるま》う愛食家風《あいしょくかふう》の調子《ちょうし》で。
『今日《きょう》はどんな御馳走《ごちそう》で我々《われわれ》を食《く》わしてくれるか。』と、無暗《むやみ》と幅《はば》を利《き》かせたがる。

(十四)

 ドクトルは見物《けんぶつ》もし、歩《ある》いても見《み》、食《く》っても飲《の》んでも見《み》たのであるが、ただもう毎日《まいにち》ミハイル、アウエリヤヌイチの挙動《きょどう》に弱《よわ》らされ、それが鼻《はな》に着《つ》いて、嫌《いや》で、嫌《いや》でならぬので、どうかして一|日《にち》でも、一|時《とき》でも、彼《かれ》から離《はな》れて見《み》たく思《おも》うのであったが、友《とも》は自分《じぶん》より彼《かれ》を一|歩《ぽ》でも離《はな》すことはなく、何《なん》でも彼《かれ》の気晴《きばらし》をするが義務《ぎむ》と、見物《けんぶつ》に出《で》ぬ時《とき》は饒舌《しゃべ》り続《つづ》けて慰《なぐさ》めようと、附纒《つきまと》い通《どお》しの有様《ありさま》。二|日《か》と云《い》うものアンドレイ、エヒミチは堪《こら》え堪《こら》えて、我慢《がまん》をしていたのであるが、三|日目《かめ》にはもうどうにも堪《こら》え切《き》れず。少《すこ》し身体《からだ》の工合《ぐあい》が悪《わる》いから、今日《きょう》だけ宿《やど》に残《のこ》っていると、遂《つい》に思切《おもいき》って友《とも》に云《い》うたのであった、しかるにミハイル、アウエリヤヌイチは、それじゃ自分《じぶん》も家《いえ》にいることにしよう、少《すこ》しは休息《きゅうそく》もしなければ足《あし》も続《つづ》かぬからと云《い》う挨拶《あいさつ》。アンドレイ、エヒミチはうんざり[#「うんざり」に傍点]して、長椅子《ながいす》の上《うえ》に横《よこ》になり、倚掛《よりかかり》の方《ほう》へ突《つい》と顔《かお》を向《む》けたまま、歯《は》を切《くいしば》って、友《とも》の喋喋《べらべら》語《しゃべ》るのを詮方《せんかた》なく聞《き》いている。さりとも知《し》らぬミハイル、アウエリヤヌイチは、大得意《だいとくい》で、仏蘭西《フランス》は早晩《そうばん》独逸《ドイツ》を破《やぶ》ってしまうだろうとか、モスクワには攫客《すり》が多《おお》いとか、馬《うま》は見掛《みかけ》ばかりでは、その真価《しんか》は解《わか》らぬものであるとか。と、それからそれへと話《はなし》を続《つづ》けて息《いき》の継《つ》ぐ暇《ひま》も無《な》い、ドクトルは耳《みみ》をガンとして、心臓《しんぞう》の鼓動《こどう》さえ烈《はげ》しくなって来《く》る。と云《い》って、出《で》て行《い》ってくれ、黙《だま》っていてくれとは彼《かれ》には言《い》われぬので、じっと辛抱《しんぼう》している辛《つら》さは一|倍《ばい》である。所《ところ》が仕合《しあわせ》にもミハイル、アウエリヤヌイチの方《ほう》が、こんどは宿《やど》に引込《ひっこ》んでいるのが、とうとう退屈《たいくつ》になって来《き》て、中食後《ちゅうじきご》には散歩《さんぽ》にと出掛《でか》けて行《い》った。
 アンドレイ、エヒミチはやっと一人《ひとり》になって、長椅子《ながいす》の上《うえ》にのろのろと落着《おちつ》いて横《よこ》になる。室内《しつない》に自分《じぶん》ただ一人《ひとり》、と意識《いしき》するのは如何《いか》に愉快《ゆかい》であったろう。真実《しんじつ》の幸福《こうふく》は実《じつ》に一人《ひとり》でなければ得《う》べからざるものであると、つくづく思《おも》うた。そうして彼《かれ》は此頃《このごろ》見《み》たり、聞《き》いたりしたことを考《かんが》えようと思《おも》うたが、どうしたものかやはり、ミハイル、アウエリヤヌイチが頭《あたま》から離《はな》れぬのであった。
 その後《のち》は彼《かれ》は少《すこ》しも外出《がいしゅつ》せず、宿《やど》にばかり引込《ひっこ》んでいた。
 友《とも》はわざわざ休暇《きゅうか》を取《と》って、かく自分《じぶん》と共《とも》に出発《しゅっぱつ》したのでは無《な》いか。深《ふか》き友情《ゆうじょう》によってでは無《な》いか、親切《しんせつ》なのでは無《な》いか。しかし実《じつ》にこれ程《ほど》有難迷惑《ありがためいわく》のことがまたとあろうか。降参《こうさん》だ、真平《まっぴら》だ。とは云《い》え、彼《かれ》に悪意《あくい》があるのでは無《な》い。と、ドクトルは更《さら》にまたしみじみと思《おも》うたのであった。
 ペテルブルグに行《い》ってからもドクトルはやはり同様《どうよう》、宿《やど》にのみ引籠《ひきこも》って外《そと》へは出《で》ず、一|日《にち》長椅子《ながいす》の上《うえ》に横《よこ》になり、麦酒《ビール》を呑《の》む時《とき》にだけ起《おき》る。
 ミハイル、アウエリヤヌイチは、始終《しじゅう》ワルシャワへ早《はや》く行《ゆ》こうとばかり云《い》うている。
『しかし君《きみ》、私《わたし》は何《なに》もワルシャワへ行《ゆ》く必要《ひつよう》は無《な》いのだから、君《きみ》一人《ひとり》で行《ゆ》き給《たま》え、そうして私《わたし》をどうぞ先《さき》に故郷《こきょう》に帰《かえ》して下《くだ》さい。』アンドレイ、エヒミチは哀願《あいがん》するように云《い》うた。
『飛《とん》だことさ。』と、ミハイル、アウエリヤヌイチは聴入《ききい》れぬ。『ワルシャワこそ君《きみ》に見《み》せにゃならん、僕《ぼく》が五|年《ねん》の幸福《こうふく》な生涯《しょうがい》を送《おく》った所《ところ》だ。』
 アンドレイ、エヒミチは例《れい》の気質《きしつ》で、それでもとは云《い》い兼《か》ね、遂《つい》にまた嫌々《いやいや》ながらワルシャワにも行《い》った。そこでも彼《かれ》は宿《やど》から出《で》ずに、終日《しゅうじつ》相変《あいかわ》らず長椅子《ながいす》の上《うえ》に転《ころ》がり、相変《あいかわ》らず友《とも》の挙動《きょどう》に愛想《あいそう》を尽《つ》かしている。ミハイル、アウエリヤヌイチは一人《ひとり》して元気《げんき》よく、朝《あさ》から晩《ばん》まで町《まち》を遊《あそ》び歩《ある》き、旧友《きゅうゆう》を尋《たず》ね廻《まわ》り、宿《やど》には数度《すうど》も帰《かえ》らぬ夜《よ》があった位《くらい》。と、或朝《あるあさ》早《はや》く非常《ひじょう》に興奮《こうふん》した様子《ようす》で、真赤《まっか》な顔《かお》をし、髪《かみ》も茫々《ぼうぼう》として宿《やど》に帰《かえ》って来《き》た。そうして何《なに》か独語《ひとりごと》しながら、室内《しつない》を隅《すみ》から隅《すみ》へと急《いそ》いで歩《ある》く。
『名誉《めいよ》は大事《だいじ》だ。』
『そうだ名誉《めいよ》が大切《たいせつ》だ。全体《ぜんたい》こんな町《まち》に足《あし》を踏込《ふみこ》んだのが間違《まちが》いだった。』と、彼《かれ》は更《さら》にドクトルに向《むか》って云《い》うた。『実《じつ》は私《わたし》は負《ま》けたのです。で、どうでしょう、銭《ぜに》を五百|円《えん》貸《か》しては下《くだ》さらんか?』
 アンドレイ、エヒミチは銭《ぜに》を勘定《かんじょう》して、五百|円《えん》を無言《むごん》で友《とも》に渡《わた》したのである。ミハイル、アウエリヤヌイチはまだ真赤《まっか》になって、面目無《めんぼくな》いような、怒《おこ》ったような風《ふう》で。『きっと返却《かえ》します、きっと。』などと誓《ちか》いながら、また帽《ぼう》を取《と》るなり出《で》て行《い》った。が、大約《おおよそ》二|時間《じかん》を経《た》ってから帰《かえ》って来《き》た。
『お蔭《かげ》で名誉《めいよ》は助《たす》かった。もう出発《しゅっぱつ》しましょう。こんな不徳義《ふとくぎ》極《きわま》る所《ところ》に一|分《ぷん》だって留《とどま》っていられるものか。掏摸《すり》ども奴《め》、墺探《おうたん》ども奴《め》。』
 二人《ふたり》が旅行《りょこう》を終《お》えて帰《かえ》って来《き》たのは十一|月《がつ》、町《まち》にはもう深雪《みゆき》が真白《まっしろ》に積《つも》っていた。アンドレイ、エヒミチは帰《かえ》って見《み》れば自分《じぶん》の位置《いち》は今《いま》はドクトル、ハバトフの手《て》に渡《わた》って、病院《びょういん》の官宅《かんたく》を早《はや》く明渡《あけわた》すのをハバトフは待《ま》っているというとのこと、またその下女《げじょ》と名《な》づけていた醜婦《しゅうふ》は、この間《あいだ》から、別室《べっしつ》の内《うち》の或《あ》る処《ところ》に移転《いてん》した。町《まち》には、病院《びょういん》の新院長《しんいんちょう》に就《つ》いての種々《いろいろ》な噂《うわさ》が立《た》てられていた。下女《げじょ》と云《い》う醜婦《しゅうふ》が会計《かいけい》と喧嘩《けんか》をしたとか、会計《かいけい》はその女《おんな》の前《まえ》に膝《ひざ》を折《お》って謝罪《しゃざい》したとか、と。
 アンドレイ、エヒミチは帰来《かえり》早々《そうそう》まずその住居《すまい》を尋《たず》ねねばならぬ。
『不遠慮《ぶえんりょ》な御質問《おたずね》ですがなあ君《きみ》。』と郵便局長《ゆうびんきょくちょう》はアンドレイ、エヒミチに向《むか》って云《い》うた。
『貴方《あなた》は何位《どのくらい》財産《ざいさん》をお所有《も》ちですか?』
 問《と》われて、アンドレイ、エヒミチは黙《もく》したまま、財嚢《さいふ》の銭《ぜに》を数《かぞ》え見《み》て。『八十六|円《えん》。』
『否《いえ》、そうじゃないのです。』ミハイル、アウエリヤヌイチは更《さら》に云直《いいなお》す。『その、君《きみ》の財産《ざいさん》は総計《そうけい》で何位《どのくらい》と云《い》うのを伺《うかが》うのさ。』
『だから総計《そうけい》八十六|円《えん》と申《もう》しているのです。それ切《ぎ》り私《わたし》は一|文《もん》も所有《も》っちゃおらんので。』
 ミハイル、アウエリヤヌイチはドクトルの廉潔《れんけつ》で、正直《しょうじき》であるのは予《かね》ても知《し》っていたが、しかしそれにしても、二万|円《えん》位《ぐらい》は確《たしか》に所有《もっ》ていることとのみ思《おも》うていたのに、かくと聞《き》いては、ドクトルがまるで乞食《こじき》にも等《ひと》しき境遇《きょうぐう》と、思《おも》わず涙《なみだ》を落《おと》して、ドクトルを抱《いだ》き締《し》め、声《こえ》を上《あ》げて泣《な》くのであった。

(十五)

 ドクトル、アンドレイ、エヒミチはベローワと云《い》う婦《おんな》の小汚《こぎた》ない家《いえ》の一|間《ま》を借《か》りることになった。彼《かれ》は前《まえ》のように八|時《じ》に起《お》きて、茶《ちゃ》の後《のち》は直《すぐ》に書物《しょもつ》を楽《たの》しんで読《よ》んでいたが、この頃《ごろ》は新《あたら》しい書物《しょもつ》も買《か》えぬので、古本《ふるほん》ばかり読《よ》んでいる為《せい》か、以前程《いぜんほど》には興味《きょうみ》を感《かん》ぜぬ。或時《あるとき》徒然《つれづれ》なるに任《まか》せて、書物《しょもつ》の明細《めいさい》な目録《もくろく》を編成《へんせい》し、書物《しょもつ》の背《せ》には札《ふだ》を一々|貼付《はりつ》けたが、こんな機械的《きかいてき》な単調《たんちょう》な仕事《しごと》が、却《かえ》って何故《なにゆえ》か奇妙《きみょう》に彼《かれ》の思想《しそう》を弄《ろう》して、興味《きょうみ》をさえ添《そ》えしめていた。
 彼《かれ》はその後《ご》病院《びょういん》に二|度《ど》イワン、デミトリチを尋《たず》ねたのであるがイワン、デミトリチは二|度《ど》ながら非常《ひじょう》に興奮《こうふん》して、激昂《げきこう》していた様子《ようす》で、饒舌《しゃべ》ることはもう飽《あ》きたと云《い》って彼《かれ》を拒絶《きょぜつ》する。彼《かれ》は詮方《せんかた》なくお眠《やす》みなさい、とか、左様《さよう》なら、とか云《い》って出《で》て来《こ》ようとすれば、『勝手《かって》にしやがれ。』と怒鳴《どな》り付《つ》ける権幕《けんまく》。ドクトルもそれからは行《ゆ》くのを見合《みあ》わせてはいるものの、やはり行《ゆ》きたく思《おも》うていた。
 前《さき》には彼《かれ》は中食後《ちゅうじきご》は、きっと室《へや》の隅《すみ》から隅《すみ》へと歩《ある》いて考《かんが》えに沈《しず》んでいるのが常《つね》であったが、この頃《ごろ》は中食《ちゅうじき》から晩《ばん》の茶《ちゃ》の時《とき》までは、長椅子《ながいす》の上《うえ》に横《よこ》になる。と、いつも妙《みょう》な一つ思想《しそう》が胸《むね》に浮《うか》ぶ。それは自分《じぶん》が二十|年以上《ねんいじょう》も勤務《つとめ》をしていたのに、それに対《たい》して養老金《ようろうきん》も、一|時金《じきん》もくれぬことで、彼《かれ》はそれを思《おも》うと残念《ざんねん》であった。勿論《もちろん》余《あま》り正直《しょうじき》には務《つと》めなかったが、年金《ねんきん》など云《い》うものは、たとい、正直《しょうじき》であろうが、無《な》かろうが、凡《すべ》て務《つと》めた者《もの》は受《う》けべきである。勲章《くんしょう》だとか、養老金《ようろうきん》だとか云《い》うものは、徳義上《とくぎじょう》の資格《しかく》や、才能《さいのう》などに報酬《ほうしゅう》されるのではなく、一|般《ぱん》に勤務《つとめ》その物《もの》に対《たい》して報酬《ほうしゅう》されるのである。しからば何《なん》で自分《じぶん》ばかり報酬《ほうしゅう》をされぬのであろう。また今更《いまさら》考《かんが》えれば旅行《りょこう》に由《よ》りて、無惨々々《むざむざ》と惜《あた》ら千|円《えん》を費《つか》い棄《す》てたのはいかにも残念《ざんねん》。酒店《さかや》には麦酒《ビール》の払《はらい》が三十二|円《えん》も滞《とどこお》る、家賃《やちん》とてもその通《とお》り、ダリュシカは密《ひそか》に古服《ふるふく》やら、書物《しょもつ》などを売《う》っている。此際《このさい》彼《か》の千|円《えん》でもあったなら、どんなに役《やく》に立《た》つことかと。
 彼《かれ》はまたかかる位置《いち》になってからも、人《ひと》が自分《じぶん》を抛棄《うっちゃ》っては置《お》いてくれぬのが、却《かえ》って迷惑《めいわく》で残念《ざんねん》であった。ハバトフは折々《おりおり》病気《びょうき》の同僚《どうりょう》を訪問《ほうもん》するのは、自分《じぶん》の義務《ぎむ》であるかのように、彼《かれ》の所《ところ》に蒼蠅《うるさ》く来《く》る。彼《かれ》はハバトフが嫌《いや》でならぬ。その満足《まんぞく》な顔《かお》、人《ひと》を見下《みさげ》るような様子《ようす》、彼《かれ》を呼《よ》んで同僚《どうりょう》と云《い》う言《ことば》、深《ふか》い長靴《ながぐつ》、此等《これら》は皆《みな》気障《きざ》でならなかったが、殊《こと》に癪《しゃく》に障《さわ》るのは、彼《かれ》を治療《ちりょう》することを自分《じぶん》の務《つとめ》として、真面目《まじめ》に治療《ちりょう》をしている意《つもり》なのが。で、ハバトフは訪問《ほうもん》をする度《たび》に、きっとブローミウム加里《カリ》の入《はい》った壜《びん》と、大黄《だいおう》の丸薬《がんやく》とを持《も》って来《く》る。
 ミハイル、アウエリヤヌイチもやはり、しょっちゅう、アンドレイ、エヒミチを訪問《たず》ねて来《き》て、気晴《きばらし》をさせることが自分《じぶん》の義務《ぎむ》と心得《こころえ》ている。で、来《く》ると、まるで空々《そらぞら》しい無理《むり》な元気《げんき》を出《だ》して、強《し》いて高笑《たかわらい》をして見《み》たり、今日《きょう》は非常《ひじょう》に顔色《かおいろ》がいいとか、何《なん》とか、ワルシャワの借金《しゃっきん》を払《はら》わぬので、内心《ないしん》の苦《くる》しくあるのと、恥《はずか》しくある所《ところ》から、余計《よけい》に強《し》いて気《き》を張《は》って、大声《おおごえ》で笑《わら》い、高調子《たかちょうし》で饒舌《しゃべ》るのであるが、彼《かれ》の話《はなし》にはもう倦厭《うんざ》りしているアンドレイ、エヒミチは、聞《き》くのもなかなかに大儀《たいぎ》で、彼《かれ》が来《く》ると何時《いつ》もくるりと顔《かお》を壁《かべ》に向《む》けて、長椅子《ながいす》の上《うえ》に横《よこ》になった切《き》り、そうして歯《は》を切《くいしば》っているのであるが、それが段々《だんだん》度重《たびかさ》なれば重《かさな》る程《ほど》、堪《たま》らなく、終《つい》には咽喉《のど》の辺《あた》りまでがむずむずして来《く》るような感《かん》じがして来《き》た。

(十六)

 或日《あるひ》郵便局長《ゆうびんきょくちょう》ミハイル、アウエリヤヌイチは、中食後《ちゅうじきご》にアンドレイ、エヒミチの所《ところ》を訪問《ほうもん》した。アンドレイ、エヒミチはやはり例《れい》の長椅子《ながいす》の上《うえ》。すると丁度《ちょうど》ハバトフもブローミウム加里《カリ》の壜《びん》を携《たずさ》えて遣《や》って来《き》た。アンドレイ、エヒミチは重《おも》そうに、辛《つら》そうに身《み》を起《おこ》して腰《こし》を掛《か》け、長椅子《ながいす》の上《うえ》に両手《りょうて》を突張《つッぱ》る。
『いや今日《こんにち》は、おお君《きみ》は今日《きょう》は顔色《かおいろ》が昨日《きのう》よりもまたずッといいですよ。まず結構《けっこう》だ。』と、ミハイル、アウエリヤヌイチは挨拶《あいさつ》する。
『もう全快《ぜんかい》してもいいでしょう。』とハバトフは欠《あくび》をしながら言《ことば》を添《そ》える、
『平癒《なお》りますとも、そうしてもう百|年《ねん》も生《い》きまさあ。』と、郵便局長《ゆうびんきょくちょう》は愉快気《ゆかいげ》に云《い》う。
『百|年《ねん》てそうも行《ゆ》かんでしょうが、二十|年《ねん》やそこらは生《い》き延《の》びますよ。』ハバトフは慰《なぐさ》め顔《がお》。『何《なん》んでもありませんさ、なあ同僚《どうりょう》。悲観《ひかん》ももう大抵《たいてい》になさるがいいですぞ。』
『我々《われわれ》はまだ隠居《いんきょ》するには早《はや》いです。ハハハそうでしょうドクトル、まだ隠居《いんきょ》するのには。』郵便局長《ゆうびんきょくちょう》は云《い》う。
『来年《らいねん》辺《あたり》はカフカズへ出掛《でか》けようじゃありませんか、乗馬《じょうば》で以《もっ》てからにあちこちを駆廻《かけまわ》りましょう。そうしてカフカズから帰《かえ》ったら、こんどは結婚《けっこん》の祝宴《しゅくえん》でも挙《あ》げるようになりましょう。』と片眼《かため》をパチパチして。『是非《ぜひ》一つ君《きみ》を結婚《けっこん》させよう……ねえ、結婚《けっこん》を。』
 アンドレイ、エヒミチはむかッとして立上《たちあが》った。
『失敬《しっけい》な!』と、一言《ひとこと》
《さけ》ぶなりドクトルは窓《まど》の方《ほう》に身《み》を退《よ》け。『全体《ぜんたい》貴方々《あなたがた》はこんな失敬《しっけい》なことを言《い》っていて、自分《じぶん》では気《き》が着《つ》かんのですか。』
 柔《やわら》かに言《い》う意《つもり》であったが、意《い》に反《はん》して荒々《あらあら》しく拳《こぶし》をも固《かた》めて頭上《かしらのうえ》に振翳《ふりかざ》した。
『余計《よけい》な世話《せわ》は焼《や》かんでもいい。』ますます荒々《あらあら》しくなる。
『二人《ふたり》ながら帰《かえ》って下《くだ》さい、さあ、出《で》て行《ゆ》きなさい。』
 自分《じぶん》の声《こえ》では無《な》い声《こえ》で顫《ふる》えながら
叫《さけ》ぶ。
 ミハイル、アウエリヤヌイチとハバトフとは呆気《あっけ》に取《と》られて瞶《みつ》めていた。
『二人《ふたり》とも、さあ出《で》てお行《い》でなさい。さあ。』アンドレイ、エヒミチはまだ
《さけ》び続《つづ》けている。『鈍痴漢《とんちんかん》の、薄鈍《うすのろ》な奴等《やつら》、薬《くすり》も糸瓜《へちま》もあるものか、馬鹿《ばか》な、軽挙《かるはずみ》な!』ハバトフと郵便局長《ゆうびんきょくちょう》とは、この権幕《けんまく》に辟易《へきえき》して戸口《とぐち》の方《ほう》に狼狽《まごまご》出《で》て行《ゆ》く。ドクトルはその後《あと》を睨《にら》めていたが、ゆきなりブローミウム加里《カリ》の壜《びん》を取《と》るより早《はや》く、発矢《はっし》とばかりそこに投《なげ》付《つけ》る、壜《びん》は微塵《みじん》に粉砕《ふんさい》してしまう。
『畜生《ちくしょう》! 行《ゆ》け! さッさと行《ゆ》け!』と彼《かれ》は玄関《げんかん》まで駈出《かけだ》して、泣声《なきごえ》を上《あ》げて怒鳴《どな》る。『畜生《ちくしょう》!』
 客等《きゃくら》が立去《たちさ》ってからも、彼《かれ》は一人《ひとり》でまだしばらく悪体《あくたい》を吻《つ》いている。しかし段々《だんだん》と落着《おちつ》くに随《したが》って、さすがにミハイル、アウエリヤヌイチに対《たい》しては気《き》の毒《どく》で、定《さだ》めし恥入《はじい》っていることだろうと思《おも》えば。ああ思慮《しりょ》、知識《ちしき》、解悟《かいご》、哲学者《てつがくしゃ》の自若《じじゃく》、それ将《は》た安《いずく》にか在《あ》ると、彼《かれ》はひたすらに思《おも》うて、慙《は》じて、自《みずか》ら赤面《せきめん》する。
 その夜《よ》は慙恨《ざんこん》の情《じょう》に駆《か》られて、一|睡《すい》だもせず、翌朝《よくちょう》遂《つい》に意《い》を决《けっ》して、局長《きょくちょう》の所《ところ》へと詑《わび》に出掛《でかけ》る。
『いやもう過去《かこ》は忘《わす》れましょう。』と、ミハイル、アウエリヤヌイチは固《かた》く彼《かれ》の手《て》を握《にぎ》って云《い》うた。『過去《かこ》のことを思《おも》い出《だ》すものは、両眼《りょうがん》を抉《くじ》ってしまいましょう。リュバフキン!』と、彼《かれ》は大声《おおごえ》で誰《たれ》かを呼《よ》ぶ。郵便局《ゆうびんきょく》の役員《やくいん》も、来合《きあ》わしていた人々《ひとびと》も、一|斉《せい》に吃驚《びっくり》する。『椅子《いす》を持《も》って来《こ》い。貴様《きさま》は待《ま》っておれ。』と、彼《かれ》は格子越《こうしごし》に書留《かきとめ》の手紙《てがみ》を彼《かれ》に差出《さしだ》している農婦《のうふ》に怒鳴《どな》り付《つけ》る。『俺《おれ》の用《よう》のあるのが見《み》えんのか。いや過去《かこ》は思《おも》い出《だ》しますまい。』と彼《かれ》は調子《ちょうし》を一|段《だん》と柔《やさ》しくしてアンドレイ、エヒミチに向《むか》って云《い》う。『さあ君《きみ》、掛《か》け給《たま》え、さあどうか。』
 一|分間《ぷんかん》黙《もく》して両手《りょうて》で膝《ひざ》を擦《こす》っていた郵便局長《ゆうびんきょくちょう》はまた云出《いいだ》した。
『私《わたくし》は决《けっ》して君《きみ》に対《たい》して立腹《りっぷく》は致《いた》さんので、病気《びょうき》なれば拠無《よんどころな》いのです、お察《さっ》し申《もう》すですよ。昨日《きのう》も君《きみ》が逆上《のぼせ》られた後《のち》、私《わたし》はハバトフと長《なが》いこと、君《きみ》のことを相談《そうだん》しましたがね、いや君《きみ》もこんどは本気《ほんき》になって、病気《びょうき》の療治《りょうじ》を遣《や》り給《たま》わんといかんです。私《わたし》は友人《ゆうじん》として何《なに》も彼《か》も打明《うちあ》けます。』と、彼《かれ》は更《さら》に続《つづ》けて。『全体《ぜんたい》君《きみ》は不自由《ふじゆう》な生活《せいかつ》をされているので、家《いえ》と云《い》えば清潔《せいけつ》でなし、君《きみ》の世話《せわ》をする者《もの》は無《な》し、療治《りょうじ》をするには銭《ぜに》は無《な》し。ねえ君《きみ》、で我々《われわれ》は切《せつ》に君《きみ》に勧《すす》めるのだ。どうぞ是非《ぜひ》一つ聴《き》いて頂《いただ》きたい、と云《い》うのは、実《じつ》はそう云《い》う訳《わけ》であるから、寧《むしろ》君《きみ》は病院《びょういん》に入《はい》られた方《ほう》が得策《とくさく》であろうと考《かんが》えたのです。ねえ君《きみ》、病院《びょういん》はまだ比較的《ひかくてき》、食物《しょくもつ》はよし、看護婦《かんごふ》はいる、エウゲニイ、フェオドロイチもいる。それは勿論《もちろん》、これは我々《われわれ》だけの話《はなし》だが、彼《かれ》は余《あま》り尊敬《そんけい》をすべき人格《じんかく》の男《おとこ》では無《な》いが、術《じゅつ》に掛《か》けてはまたなかなか侮《あなど》られんと思《おも》う。で願《ねがわ》くはだ、君《きみ》、どうぞ一つ充分《じゅうぶん》に彼《かれ》を信《しん》じて、療治《りょうじ》を専《せん》一にして頂《いただ》きたい。彼《かれ》も私《わたし》にきっと君《きみ》を引受《ひきう》けると云《い》っていたよ。』
 アンドレイ、エヒミチはこの切《せつ》なる同情《どうじょう》の言《ことば》と、その上《うえ》涙《なみだ》をさえ頬《ほお》に滴《た》らしている郵便局長《ゆうびんきょくちょう》の顔《かお》とを見《み》て、酷《ひど》く感動《かんどう》して徐《しずか》に口《くち》を開《ひら》いた。
『君《きみ》は彼等《かれら》を信《しん》じなさるな。嘘《うそ》なのです。私《わたし》の病気《びょうき》と云《い》うのはそもそもこうなのです。二十|年来《ねんらい》、私《わたし》はこの町《まち》にいてただ一人《ひとり》の智者《ちしゃ》に遇《あ》った。所《ところ》がそれは狂人《きちがい》であると云《い》う、これだけの事実《じじつ》です。で私《わたし》も狂人《きちがい》にされてしまったのです。しかしなあに私《わたし》はどうでもいいので、からしてつまり何《なん》にでも同意《どうい》を致《いた》しましょう。』
『病院《びょういん》へお入《はい》りなさい、ねえ君《きみ》。』
『左様《さよう》、どうでもいいです、よしんば穴《あな》の中《なか》に入《はい》るのでも。』
『で、君《きみ》は万事《ばんじ》エウゲニイ、フェオドロイチの言《ことば》に従《したが》うように、ねえ君《きみ》、頼《たの》むから。』
『宜《よろ》しい、私《わたし》は今《いま》は実《じつ》以《もっ》て二《にっ》ちも三《さっ》ちも行《ゆ》かん輪索《わな》に陥没《はま》ってしまったのです。もう万事休矣《おしまい》です覚悟《かくご》はしています。』
『いやきっと平癒《なおる》ですよ。』
 格子《こうし》の外《そと》には公衆《こうしゅう》が次第《しだい》に群《むらが》って来《く》る。アンドレイ、エヒミチは、ミハイル、アウエリヤヌイチの公務《こうむ》の邪魔《じゃま》をするのを恐《おそ》れて、話《はなし》はそれだけにして立上《たちあが》り、彼《かれ》と別《わか》れて郵便局《ゆうびんきょく》を出《で》た。
 丁度《ちょうど》その日《ひ》の夕方《ゆうがた》、ドクトル、ハバトフは例《れい》の毛皮《けがわ》の外套《がいとう》に、深《ふか》い長靴《ながぐつ》、昨日《きのう》は何事《なにごと》も無《な》かったような顔《かお》で、アンドレイ、エヒミチをその宿《やど》に訪問《たず》ねた。
『貴方《あなた》に少々《しょうしょう》お願《ねがい》があって出《で》たのですが、どうぞ貴方《あなた》は私《わたくし》と一つ立合診察《たちあいしんさつ》をしては下《くだ》さらんか、如何《いかが》でしょう。』と、さり気《げ》なくハバトフは云《い》う。
 アンドレイ、エヒミチはハバトフが自分《じぶん》を散歩《さんぽ》に誘《さそ》って気晴《きばらし》をさせようと云《い》うのか、或《あるい》はまた自分《じぶん》にそんな仕事《しごと》を授《さず》けようと云《い》う意《つもり》なのかと考《かんが》えて、とにかく服《ふく》を着換《きか》えて共《とも》に通《とおり》に出《で》たのである。彼《かれ》はハバトフが昨日《きのう》のことは噫《おくび》にも出《だ》さず、かつ気《き》にも掛《か》けていぬような様子《ようす》を見《み》て、心中《しんちゅう》一方《ひとかた》ならず感謝《かんしゃ》した。こんな非文明的《ひぶんめいてき》な人間《にんげん》から、かかる思遣《おもいや》りを受《う》けようとは、全《まった》く意外《いがい》であったので。
『貴方《あなた》の有仰《おっしゃ》る病人《びょうにん》はどこなのです?、』アンドレイ、エヒミチは問《と》うた。
『病院《びょういん》です、もう疾《と》うから貴方《あなた》にも見《み》て頂《いただ》きたいと思《おも》っていましたのですが……妙《みょう》な病人《びょうにん》なのです。』
 やがて病院《びょういん》の庭《にわ》に入《い》り、本院《ほんいん》を一周《ひとまわり》して瘋癲病者《ふうてんびょうしゃ》の入《い》れられたる別室《べっしつ》に向《むか》って行《い》った。ハバトフはその間《あいだ》何故《なにゆえ》か黙《もく》したまま、さッさ[#「さッさ」に傍点]と六|号室《ごうしつ》へ這入《はい》って行《い》ったが、ニキタは例《れい》の通《とお》り雑具《がらくた》の塚《つか》の上《うえ》から起上《おきあが》って、彼等《かれら》に礼《れい》をする。
『肺《はい》の方《ほう》から来《き》た病人《びょうにん》なのですがな。』とハバトフは小声《こごえ》で云《い》うた。『や、私《わたし》は聴診器《ちょうしんき》を忘《わす》れて来《き》た、直《す》ぐ取《と》って来《き》ますから、ちょっと貴方《あなた》はここでお待《ま》ち下《くだ》さい。』
と彼《かれ》はアンドレイ、エヒミチをここに一人《ひとり》残《のこ》して立去《たちさ》った。

(十七)

 日《ひ》叫はすでに没《ぼっ》した。イワン、デミトリチは顔《かお》を枕《まくら》に埋《うず》めて寐台《ねだい》の上《うえ》に横《よこ》になっている。中風患者《ちゅうぶかんじゃ》は何《なに》か悲《かな》しそうに静《しずか》に泣《な》きながら、唇《くちびる》を動《うご》かしている。肥《ふと》った農夫《のうふ》と、郵便局員《ゆうびんきょくいん》とは眠《ねむ》っていて、六|号室《ごうしつ》の内《うち》は※[#「門<貝」、第4水準2-91-57]《げき》として静《しず》かであった。
 アンドレイ、エヒミチは、イワン、デミトリチの寐台《ねだい》の上《うえ》に腰《こし》を掛《か》けて、大約《おおよそ》半時間《はんじかん》も待《ま》っていると、室《へや》の戸《と》は開《あ》いて、入《はい》って来《き》たのはハバトフならぬ小使《こづかい》のニキタ。病院服《びょういんふく》、下着《したぎ》、上靴《うわぐつ》など、小腋《こわき》に抱《かか》えて。
『どうぞ閣下《かっか》これをお召《め》し下《くだ》さい。』と、ニキタは前院長《ぜんいんちょう》の前《まえ》に立《た》って丁寧《ていねい》に云《い》うた。『あれが閣下《かっか》のお寐台《ねだい》で。』と、彼《かれ》は更《さら》に新《あたら》しく置《おか》れた寐台《ねだい》の方《ほう》を指《さ》して。『何《なん》でもありませんです。必《かなら》ず直《すぐ》に御全快《ごぜんかい》になられます。』
 アンドレイ、エヒミチはここに至《いた》って初《はじ》めて読《よ》めた。一|言《ごん》も言《い》わずに彼《かれ》はニキタの示《しめ》した寐台《ねだい》に移《うつ》り、ニキタが立《た》って待《ま》っているので、直《す》ぐに着《き》ていた服《ふく》をすッぽりと脱《ぬ》ぎ棄《す》て、病院服《びょういんふく》に着換《きか》えてしまった。シャツは長《なが》し、ズボン下《した》は短《みじ》かし、上着《うわぎ》は魚《さかな》の焼《や》いた臭《におい》がする。『きっと間《ま》もなくお直《なお》りでしょう。』と、ニキタはまた云《い》うてアンドレイ、エヒミチの脱捨《ぬぎすて》た服《ふく》を一纏《ひとまと》めにして、小腋《こわき》に抱《かか》えたまま、戸《と》を閉《た》てて行《ゆ》く。
『どうでもいい……。』と、アンドレイ、エヒミチは体裁《きまり》悪《わる》そうに病院服《びょういんふく》の前《まえ》を掻合《かきあ》わせて、さも囚人《しゅうじん》のようだと思《おも》いながら、『どうでもいいわ……燕尾服《えんびふく》だろうが、軍服《ぐんぷく》だろうが、この病院服《びょういんふく》だろうが、同《おな》じことだ。』
『しかし時計《とけい》はどうしたろう、それからポッケットに入《い》れて置《お》いた手帳《てちょう》も、巻莨《まきたばこ》も、や、ニキタはもう着物《きもの》を悉皆《のこらず》持《も》って行《い》った。いや入《い》らん、もう死《し》ぬまで、ズボンや、チョッキ、長靴《ながぐつ》には用《よう》が無《な》いのかも知《し》れん。しかし奇妙《きみょう》な成行《なりゆき》さ。』と、アンドレイ、エヒミチは今《いま》もなおこの六|号室《ごうしつ》と、ベローワの家《いえ》と何《なん》の異《かわ》りも無《な》いと思《おも》うていたが、どう云《い》うものか、手足《てあし》は冷《ひ》えて、顫《ふる》えてイワン、デミトリチが今《いま》にも起《お》きて自分《じぶん》のこの姿《すがた》を見《み》て、何《なん》とか思《おも》うだろうと恐《おそろ》しいような気《き》もして、立《た》ったり、いたり、また立《た》ったり、歩《ある》いたり、ようやく半時間《はんじかん》、一|時間《じかん》ばかりも坐《すわ》っていて見《み》たが、悲《かな》しい程《ほど》退屈《たいくつ》になって来《き》て、どうしてこんな処《ところ》に一|週間《しゅうかん》といられよう、まして一|年《ねん》、二|年《ねん》など到底《とうてい》辛棒《しんぼう》をされるものでないと思《おも》い付《つ》いた。そう思《おも》えばますます居堪《いたま》らず、衝《つ》と立《た》って隅《すみ》から隅《すみ》へと歩《ある》いて見《み》る。『そうしてからどうする、ああ到底《とうてい》居堪《いたたま》らぬ、こんな風《ふう》で一|生《しょう》!』
 彼《かれ》はどっかり坐《すわ》った、横《よこ》になったがまた起直《おきなお》る。そうして袖《そで》で額《ひたい》に流《なが》れる冷汗《ひやあせ》を拭《ふ》いたが顔中《かおじゅう》焼魚《やきざかな》の《生臭》い臭《におい》がして来《き》た。彼《かれ》はまた歩《ある》き出《だ》す。『何《なに》かの間違《まちが》いだろう……話合《はなしあ》って見《み》にゃ解《わか》らん、きっと誤解《ごかい》があるのだ。』
 イワン、デミトリチはふと眼《め》を覚《さま》し、脱然《ぐったり》とした様子《ようす》で両《りょう》の拳《こぶし》を頬《ほお》に突《つ》く。唾《つば》を吐《は》く。初《はじ》めちょっと彼《かれ》には前院長《ぜんいんちょう》に気《き》が付《つ》かぬようであったがやがてそれと見《み》て、その寐惚顔《ねぼけがお》には忽《たちま》ち冷笑《れいしょう》が浮《うか》んだので。
『ああ貴方《あなた》もここへ入《い》れられましたのですか。』と彼《かれ》は嗄《しわが》れた声《こえ》で片眼《かため》を細《ほそ》くして云《い》うた。『いや結構《けっこう》、散々《さんざん》人《ひと》の血《ち》をこうして吸《す》ったから、こんどは御自分《ごじぶん》の吸《す》われる番《ばん》だ、結構々々《けっこうけっこう》。』
『何《なに》かの多分《たぶん》間違《まちがい》です。』とアンドレイ、エヒミチは肩《かた》を縮《ちぢ》めて云《い》う。『間違《まちがい》に相違《そうい》ないです。』
 イワン、デミトリチはまたも床《ゆか》に唾《つば》を吐《は》いて、横《よこ》になり、そうして呟《つぶや》いた。『ええ、生甲斐《いきがい》の無《な》い生活《せいかつ》だ、如何《いか》にも残念《ざんねん》なことだ、この苦痛《くつう》な生活《せいかつ》がオペラにあるような、アポテオズで終《おわ》るのではなく、これがああ死《し》で終《おわ》るのだ。非人《ひにん》が来《き》て、死者《ししゃ》の手《て》や、足《あし》を捉《とら》えて穴《あな》の中《なか》に引込《ひきこ》んでしまうのだ、うッふ! だが何《なん》でもない……その換《かわ》り俺《おれ》は彼《あ》の世《よ》から化《ば》けて来《き》て、ここらの奴等《やつら》を片端《かたッぱし》から嚇《おど》してくれる、皆《みんな》白髪《しらが》にしてしまって遣《や》る。』
 折《おり》しもモイセイカは外《そと》から帰《かえ》り来《きた》り、そこに前院長《ぜんいんちょう》のいるのを見《み》て、直《すぐ》に手《て》を延《のば》し、
『一|銭《せん》お呉《くん》なさい!』

(十八)

 アンドレイ、エヒミチは窓《まど》の所《ところ》に立《た》って外《そと》を眺《なが》むれば、日《ひ》はもうとッぷり[#「とッぷり」に傍点]と暮《く》れ果《は》てて、むこうの野広《のびろ》い畑《はた》は暗《くら》かったが、左《ひだり》の方《ほう》の地平線上《ちへいせんじょう》より、今《いま》しも冷《つめ》たい金色《こんじき》の月《つき》が上《のぼ》る所《ところ》、病院《びょういん》の塀《へい》から百|歩《ぽ》ばかりの処《ところ》に、石《いし》の牆《かき》の繞《めぐ》らされた高《たか》い、白《しろ》い家《いえ》が見《み》える。これは監獄《かんごく》である。
『これが現実《げんじつ》と云《い》うものか。』アンドレイ、エヒミチは思《おも》わず慄然《ぞっ》とした。
 凄然《せいぜん》たる月《つき》、塀《へい》の上《うえ》の釘《くぎ》、監獄《かんごく》、骨焼場《ほねやきば》の遠《とお》い焔《ほのお》、アンドレイ、エヒミチはさすがに薄気味悪《うすきみわる》い感《かん》に打《う》たれて、しょんぼり[#「しょんぼり」に傍点]と立《た》っている。と直後《すぐうしろ》に、吐《ほっ》とばかり溜息《ためいき》の声《こえ》がする。振返《ふりかえ》れば胸《むね》に光《ひか》る徽章《きしょう》やら、勲章《くんしょう》やらを下《さ》げた男《おとこ》が、ニヤリとばかり片眼《かため》をパチパチと、自分《じぶん》を見《み》て笑《わら》う。
 アンドレイ、エヒミチは強《し》いて心《こころ》を落着《おちつ》けて、何《なん》の、月《つき》も、監獄《かんごく》もそれがどうなのだ、壮健《そうけん》な者《もの》も勲章《くんしょう》を着《つ》けているではないか。と、そう思返《おもいかえ》したものの、やはり失望《しつぼう》は彼《かれ》の心《こころ》にいよいよ募《つの》って、彼《かれ》は思《おも》わず両《りょう》の手《て》に格子《こうし》を捉《とら》え、力儘《ちからまか》せに揺動《ゆすぶ》ったが、堅固《けんご》な格子《こうし》はミチリとの音《おと》もせぬ。
 荒凉《こうりょう》の気《き》に打《う》たれた彼《かれ》は、何《なに》かなして心《こころ》を紛《まぎ》らさんと、イワン、デミトリチの寐台《ねだい》の所《ところ》に行《い》って腰《こし》を掛《かけ》る。
『私《わたくし》はもう落胆《がっかり》してしまいましたよ、君《きみ》。』と、彼《かれ》は顫声《ふるえごえ》して、冷汗《ひやあせ》を拭《ふ》きながら。『全《まった》く落胆《がっかり》してしまいました。』
『では一つ哲学《てつがく》の議論《ぎろん》でもお遣《や》んなさい。』と、イワン、デミトリチは冷笑《れいしょう》する。
『ああ絶体絶命《ぜったいぜつめい》……そうだ。何時《いつ》か貴方《あなた》は露西亜《ロシヤ》には哲学《てつがく》は無《な》い、しかし誰《たれ》も、彼《かれ》も、丁斑魚《めだか》でさえも哲学《てつがく》をすると有仰《おっしゃ》ったっけ。しかし丁斑魚《めだか》が哲学《てつがく》をすればって、誰《だれ》にも害《がい》は無《な》いのでしょう。』アンドレイ、エヒミチはいかにも情無《なさけな》いと云《い》うような声《こえ》をして。『どうして君《きみ》、そんなにいい気味《きみ》だと云《い》うような笑様《わらいよう》をされるのです。幾《いく》ら丁斑魚《めだか》でも満足《まんぞく》を得《え》られんなら、哲学《てつがく》をせずにはおられんでしょう。いやしくも智慧《ちえ》ある、教育《きょういく》ある、自尊《じそん》ある、自由《じゆう》を愛《あい》する、即《すなわ》ち神《かみ》の像《ぞう》たる人間《にんげん》が。ただに医者《いしゃ》として、辺鄙《へんぴ》なる、蒙昧《もうまい》なる片田舎《かたいなか》に一|生《しょう》、壜《びん》や、蛭《ひる》や、芥子粉《からしこ》だのを弄《いじ》っているより外《ほか》に、何《なん》の為《な》すことも無《な》いのでしょうか、詐欺《さぎ》、愚鈍《ぐどん》、卑劣漢《ひれつかん》、と一|所《しょ》になって、いやもう!』
『下《くだ》らんことを貴方《あなた》は零《こぼ》していなさる。医者《いしゃ》がいやなら大臣《だいじん》にでもなったらいいでしょう。』
『いや、どこへ行《ゆ》くのも、何《なに》を遣《や》るのも望《のぞ》まんです。考《かんが》えれば意気地《いくじ》が無《な》いものさ。これまでは虚心《きょしん》平気《へいき》で、健全《けんぜん》に論《ろん》じていたが、一|朝《ちょう》生活《せいかつ》の逆流《ぎゃくりゅう》に触《ふ》るるや、直《ただち》に気《き》は挫《くじ》けて落胆《らくたん》に沈《しず》んでしまった……意気地《いくじ》が無《な》い……人間《にんげん》は意気地《いくじ》が無《な》いものです、貴方《あなた》とてもやはりそうでしょう、貴方《あなた》などは、才智《さいち》は勝《すぐ》れ、高潔《こうけつ》ではあり、母《はは》の乳《ちち》と共《とも》に高尚《こうしょう》な感情《かんじょう》を吸込《すいこ》まれた方《かた》ですが、実際《じっさい》の生活《せいかつ》に入《い》るや否《いなや》、直《ただち》に疲《つか》れて病気《びょうき》になってしまわれたです。実《じつ》に人《ひと》は微弱《びじゃく》なものだ。』
 彼《かれ》には悲愴《ひそう》の感《かん》の外《ほか》に、まだ一|種《しゅ》の心細《こころぼそ》き感《かん》じが、殊《こと》に日暮《ひぐれ》よりかけて、しんみり[#「しんみり」に傍点]と身《み》に泌《し》みて覚《おぼ》えた。これは麦酒《ビール》と、莨《たばこ》とが、欲《ほ》しいのであったと彼《かれ》も終《つい》に心着《こころづ》く。
『私《わたし》はここから出《で》て行《ゆ》きますよ、君《きみ》。』と、彼《かれ》はイワン、デミトリチにこう云《い》うた。『ここへ灯《あかり》を持《も》って来《く》るように言付《いいつ》けますから……どうしてこんな真暗《まっくら》な所《ところ》にいられましょう……我慢《がまん》し切《き》れません。』
 アンドレイ、エヒミチは戸口《とぐち》の所《ところ》に進《すす》んで、戸《と》を開《あ》けた。するとニキタが躍上《おどりあがっ》て来《き》て、その前《まえ》に立塞《たちふさが》る。
『どちらへ! いけません、いけません!』と、彼《かれ》は
叫《さけ》ぶ。『もう眠《ね》る時《とき》ですぞ!』
『いやちと庭《にわ》を歩《ある》いて来《く》るのだ。』と、アンドレイ、エヒミチは怖々《おどおど》する。
『いけません、いけません! そんなことをさせてもいいとは誰《たれ》からも言付《いいつ》かりません。御存《ごぞん》じでしょう。』
 云《い》うなりニキタは戸《と》をぱたり[#「ぱたり」に傍点]。そうして背《せ》を閉《し》めた戸《と》に当《あ》ててやはりそこに仁王立《におうだち》。
『しかし俺《おれ》が出《で》たってそれが為《ため》に誰《だれ》が何《なん》と云《い》う。』アンドレイ、エヒミチは肩《かた》を縮《ちぢめ》る。『訳《わけ》が分《わか》らん、おいニキタ俺《おれ》は出《で》なければならんのだ!』彼《かれ》の声《こえ》は顫《ふる》える。『用《よう》があるのだ!』
『規律《きりつ》を乱《みだ》すことは出来《でき》ません、いけません!』とニキタは諭《さと》すような調子《ちょうし》。
『何《なん》だと畜生《ちくしょう》!』と、この時《とき》イワン、デミトリチは急《きゅう》にむッくり[#「むッくり」に傍点]と起上《おきあが》る。『何《なん》で彼奴《きゃつ》が出《だ》さんと云《い》う法《ほう》がある、我々《われわれ》をここに閉込《とじこ》めて置《お》く訳《わけ》は無《な》い。法律《ほうりつ》に照《てら》しても明白《あきらか》だ、何人《なにびと》と雖《いえども》、裁判《さいばん》もなくして無暗《むやみ》に人《ひと》の自由《じゆう》を奪《うば》うことが出来《でき》るものか! 不埒《ふらち》だ! 圧制《あっせい》だ!』
『勿論《もちろん》不埒《ふらち》ですとも。』アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの加勢《かせい》にとみに力《ちから》を得《え》て、気《き》が強《つよ》くなり。『俺《おれ》は用《よう》があるのだ! 出《で》るのだ! 貴様《きさま》に何《なん》の権利《けんり》がある! 出《だ》せと云《い》ったら出《だ》せ!』
『解《わか》ったか馬鹿野郎《ばかやろう》!』と、イワン、デミトリチは※[#「口+斗」、U+544C、64-上-6]《さけ》んで、拳《こぶし》を固《かた》めて戸《と》を敲《たた》く。『やい開《あ》けろ! 開《あ》けろ! 開《あ》けんか! 開けんなら戸《と》を打破《ぶちこわ》すぞ! 人非人《ひとでなし》! 野獣《けだもの》!』
『開《あ》けろ!』アンドレイ、エヒミチは全身《ぜんしん》をぶるぶる[#「ぶるぶる」に傍点]と顫《ふる》わして。『俺《おれ》が命《めい》ずるのだッ!』
『もう一|度《ど》言《い》って見《み》ろ!』戸《と》のむこうでニキタの声《こえ》。『もう一|度《ど》言《い》って見《み》ろ!』
『じゃ、エウゲニイ、フェオドロイチでもここへ呼《よ》んで来《こ》い、ちょっと俺《おれ》が来《き》てくれッて云《い》っているとそう云《い》え……ちょっとでいいからッて!』
『明日《あした》になればお出《い》でになります。』
『何日《いつ》になったって我々《われわれ》を决《けっ》して出《だ》すものか。』イワン、デミトリチは云《い》う、『我々《われわれ》をここで腐《くさ》らしてしまう料簡《りょうけん》だろう! 来世《らいせい》に地獄《じごく》がなくて為《な》るものか、こんな人非人共《ひとでなしども》がどうして許《ゆる》される、そんなことで正義《せいぎ》はどこにある、えい、開《あ》けろ、畜生《ちくしょう》!』彼《かれ》は嗄《しゃが》れた声《こえ》を絞《しぼ》って、戸《と》に身《み》を投掛《なげか》け。『いいか、貴様《きさま》の頭《あたま》を敲《たた》き破《わ》るぞ! 人殺奴《ひとごろしめ》!』
 ニキタはぱッと戸《と》を開《あ》けるより、阿修羅王《あしゅらおう》の荒《あ》れたる如《ごと》く、両手《りょうて》と膝《ひざ》でアンドレイ、エヒミチを突飛《つきとば》し、骨《ほね》も砕《くだ》けよとその鉄拳《てっけん》を真向《まっこう》に、健《したた》か彼《かれ》の顔《かお》を敲《たた》き据《す》えた。アンドレイ、エヒミチはアッと云《い》ったまま、緑色《みどりいろ》の大浪《おおなみ》が頭《あたま》から打被《うちかぶ》さったように感《かん》じて、寐台《ねだい》の上《うえ》に引《ひ》いて行《ゆ》かれたような心地《ここち》。口《くち》の中《うち》には塩気《しおけ》を覚《おぼ》えた、大方《おおかた》歯《は》からの出血《しゅっけつ》であろう。彼《かれ》は泳《およ》がんとするもののように両手《りょうて》を動《うご》かして、誰《たれ》やらの寐台《ねだい》にようよう取縋《とりすが》った。とまたもこの時《とき》振下《ふりおろ》したニキタの第《だい》二の鉄拳《てっけん》、背骨《せぼね》も歪《ゆが》むかと悶《もだ》ゆる暇《ひま》もなく打続《うちつづい》て、またまた三|度目《どめ》の鉄拳《てっけん》。
 イワン、デミトリチはこの時《とき》高《たか》く※[#「口+斗」、U+544C、64-下-3]声《さけびごえ》。彼《かれ》も打《ぶ》たれたのであろう。
 それよりは室内《しつない》また音《おと》もなく、ひッそり[#「ひッそり」に傍点]と静《しずま》り返《かえ》った。折《おり》から淡々《あわあわ》しい月《つき》の光《ひかり》、鉄窓《てっそう》を洩《も》れて、床《ゆか》の上《うえ》に網《あみ》に似《に》たる如《ごと》き墨画《すみえ》を夢《ゆめ》のように浮出《うきだ》したのは、謂《いお》うようなく、凄絶《せいぜつ》また惨絶《さんぜつ》の極《きわみ》であった、アンドレイ、エヒミチは横《よこ》たわったまま、まだ息《いき》を殺《ころ》して、身《み》を縮《ちぢ》めて、もう一|度《ど》打《ぶ》たれはせぬかと待《まち》構《かま》えている。と、忽《たちま》ち覚《おぼ》ゆる胸《むね》の苦痛《くつう》、膓《ちょう》の疼痛《とうつう》、誰《たれ》か鋭《するど》き鎌《かま》を以《もっ》て、刳《えぐ》るにはあらぬかと思《おも》わるる程《ほど》、彼《かれ》は枕《まくら》に強攫《しが》み着《つ》き、きりり[#「きりり」に傍点]と歯《は》をば切《くいしば》る。今《いま》ぞ初《はじ》めて彼《かれ》は知《し》る。その有耶無耶《うやむや》になった脳裡《のうり》に、なお朧朦気《おぼろげ》に見《み》た、月《つき》の光《ひかり》に輝《てら》し出《だ》されたる、黒《くろ》い影《かげ》のようなこの室《へや》の人々《ひとびと》こそ、何年《なんねん》と云《い》うことは無《な》く、かかる憂目《うきめ》に遭《あ》わされつつありしかと、堪《た》え難《がた》き恐《おそろ》しさは電《いなづま》の如《ごと》く心《こころ》の中《うち》に閃《ひらめ》き渡《わた》って、二十|有余年《ゆうよねん》の間《あいだ》、どうして自分《じぶん》はこれを知《し》らざりしか、知《し》らんとはせざりしか。と空《そら》恐《おそろ》しく思《おも》うのであったが、また剛情《ごうじょう》我慢《がまん》なるその良心《りょうしん》は、とは云《い》え自《みずか》らはいまだかつて疼痛《とうつう》の考《かんが》えにだにも知《し》らぬのであった、しからば自分《じぶん》が悪《わる》いのでは無《な》いのであると囁《ささや》いて、さながら襟下《えりもと》から冷水《ひやみず》を浴《あ》びせられたように感《かん》じた。彼《かれ》は起上《おきあが》って声限《こえかぎ》りに※[#「口+斗」、U+544C、64-下-18]《さけ》び、そうしてここより抜出《ぬけい》でて、ニキタを真先《まっさき》に、ハバトフ、会計《かいけい》、代診《だいしん》を鏖殺《みなごろし》にして、自分《じぶん》も続《つづ》いて自殺《じさつ》して終《しま》おうと思《おも》うた。が、どうしたのか声《こえ》は咽喉《のど》から出《い》でず、足《あし》もまた意《い》の如《ごと》く動《うご》かぬ、息《いき》さえ塞《つま》ってしまいそうに覚《おぼ》ゆる甲斐《かい》なさ。彼《かれ》は苦《くる》しさに胸《むね》の辺《あたり》を掻《か》き毟《むし》り、病院服《びょういんふく》も、シャツも、ぴりぴりと引裂《ひきさ》くのであったが、やがてそのまま気絶《きぜつ》して寐台《ねだい》の上《うえ》に倒《たお》れてしまった。

(十九)

 翌朝《よくちょう》彼《かれ》は激《はげ》しき頭痛《ずつう》を覚《おぼ》えて、両耳《りょうみみ》は鳴《な》り、全身《ぜんしん》には只《ただ》ならぬ悩《なやみ》を感《かん》じた。そうして昨日《きのう》の身《み》に受《う》けた出来事《できごと》を思《おも》い出《だ》しても、恥《はずか》しくも何《なん》とも感《かん》ぜぬ。昨日《きのう》の小胆《しょうたん》であったことも、月《つき》さえも気味《きみ》悪《わる》く見《み》たことも、以前《いぜん》には思《おも》いもしなかった感情《かんじょう》や、思想《しそう》を有《あり》のままに吐露《とろ》したこと、即《すなわ》ち哲学《てつがく》をしている丁斑魚《めだか》の不満足《ふまんぞく》のことを云《い》うたことなども、今《いま》は彼《かれ》に取《と》って何《なん》でもなかった。
 彼《かれ》は食《く》わず、飲《の》まず、動《うご》きもせず、横《よこ》になって黙《もく》していた。
『ああもう何《なに》も彼《か》もない、誰《たれ》にも返答《へんとう》などするものか……もうどうでもいい。』と、彼《かれ》は考《かんが》えていた。
 中食後《ちゅうじきご》ミハイル、アウエリヤヌイチは茶《ちゃ》を四|半斤《はんぎん》と、マルメラドを一|斤《きん》持参《も》って、彼《かれ》の所《ところ》に見舞《みまい》に来《き》た。続《つづ》いてダリュシカも来《き》、何《なん》とも云《い》えぬ悲《かな》しそうな顔《かお》をして、一|時間《じかん》も旦那《だんな》の寐台《ねだい》の傍《そば》にじっと立《たっ》たままで、それからハバトフもブローミウム加里《カリ》の壜《びん》を持《も》って、やはり見舞《みまい》に来《き》たのである。そうして室内《しつない》に何《なに》か香《こう》を薫《く》ゆらすようにとニキタに命《めい》じて立去《たちさ》った。
 その夕方《ゆうがた》、俄然《がぜん》アンドレイ、エヒミチは脳充血《のうじゅうけつ》を起《おこ》して死去《しきょ》してしまった。初《はじ》め彼《かれ》は寒気《さむけ》を身《み》に覚《おぼ》え、吐気《はきけ》を催《もよお》して、異様《いよう》な心地悪《ここちあ》しさが指先《ゆびさき》にまで染渡《しみわた》ると、何《なに》か胃《い》から頭《あたま》に突上《つきあ》げて来《く》る、そうして眼《め》や耳《みみ》に掩《おお》い被《かぶ》さるような気《き》がする。青《あお》い光《ひかり》が眼《め》に閃付《ちらつ》く。彼《かれ》は今《いま》すでにその身《み》の死期《しき》に迫《せま》ったのを知《し》って、イワン、デミトリチや、ミハイル、アウエリヤヌイチや、また多数《おおく》の人《ひと》の霊魂不死《れいこんふし》を信《しん》じているのを思《おも》い出《だ》し、もしそんなことがあったらばと考《かんが》えたが、霊魂《れいこん》の不死《ふし》は、何《なに》やら彼《かれ》には望《のぞ》ましくなかった。そうしてその考《かんが》えはただ一|瞬間《しゅんかん》にして消《き》えた。昨日《きのう》読《よ》んだ書中《しょちゅう》の美《うつく》しい鹿《しか》の群《むれ》が、自分《じぶん》の側《そば》を通《とお》って行《い》ったように彼《かれ》には見《み》えた。こんどは農婦《ひゃくしょうおんな》が手《て》に書留《かきとめ》の郵便《ゆうびん》を持《も》って、それを自分《じぶん》に突出《つきだ》した。何《なに》かミハイル、アウエリヤヌイチが云《い》うたのであるが、直《すぐ》に皆《みな》掻消《かきき》えてしまった。かくてアンドレイ、エヒミチは永刧《えいごう》覚《さ》めぬ眠《ねむり》には就《つ》いた。
 下男共《げなんども》は来《き》て、彼《かれ》の手足《てあし》を捉《と》り、小聖堂《こせいどう》に運《はこ》び去《さ》ったが、彼《かれ》が眼《め》いまだ瞑《めい》せずして、死骸《むくろ》は台《だい》の上《うえ》に横臥《よこたわ》っている。夜《よ》に入《い》って月《つき》は影暗《かげくら》く彼《かれ》を輝《てら》した。翌朝《よくちょう》セルゲイ、セルゲイチはここに来《き》て、熱心《ねっしん》に十|字架《じか》に向《むか》って祈祷《きとう》を捧《ささ》げ、自分等《じぶんら》が前《さき》の院長《いんちょう》たりし人《ひと》の眼《め》を合《あ》わしたのであった。
 一|日《にち》を経《へ》て、アンドレイ、エヒミチは埋葬《まいそう》された。その祈祷式《きとうしき》に預《あずか》ったのは、ただミハイル、アウエリヤヌイチと、ダリュシカとで。

底本:「明治文學全集 82 明治女流文學集(二)」筑摩書房
   1965(昭和40)年12月10日発行
   1989(平成元)年2月20日初版第5刷発行
底本の親本:「露国文豪 チエホフ傑作集」獅子吼書房
   1908(明治41)年10月
初出:「文藝界」
   1906(明治39)年4月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
「此の」は「この」、「又」は「また」、「於て」は「おいて」、「毎も」は「いつも」、「何処」は「どこ」、「恁う」は「こう」、「其」は「その」または「それ」、「是」は「これ」または「ここ」、「丈」は「だけ」、「計り」は「ばかり」、「凝と」は「じっと」、「為た」は「した」、「些し」は「すこし」、「為て」は「して」、「然し」は「しかし」、「猶且」は「やはり」、「其れ」は「それ」、「事」は「こと」、「左に右」は「とにかく」、「儘」は「まま」、「而して」は「そうして」、「了う」は「しまう」、「呉れ」は「くれ」、「悉皆」は「すっかり」、「有った」は「あった」、「恁く」は「かく」、「唯」は「ただ」、「可い」は「いい」または「よい」、「有って」は「あって」または「もって」、「先ず」は「まず」、「施て」は「やがて」、「然るに」は「しかるに」、「此度」は「こんど」、「亦」は「また」、「了った」は「しまった」、「此」は「ここ」または「かく」、「初中終」は「しょっちゅう」、「往々」は「まま」、「居る」は「いる」または「おる」、「是等」は「これら」、「為なければ」は「しなければ」、「抔」は「など」、「偖」は「さて」、「有る」は「ある」、「屡※[#二の字点、1-2-22]」は「しばしば」、「縦令」は「よし」または「たとい」または「よしんば」、「屹度」は「きっと」、「奈何」は「どう」または「いかん」または「いか」、「不好」は「いや」、「為ぬ」は「せぬ」、「有り」は「あり」、「抑も」は「そもそも」、「有たぬ」は「もたぬ」、「這麼」は「こんな」、「此れ」は「これ」、「若し」は「もし」、「那様」は「そんな」、「愈々」は「いよいよ」、「全然」は「すっかり」または「まるきり」または「まるで」、「猶」は「なお」、「密と」は「そっと」、「那麼」は「あんな」または「こんな」、「乃」は「そこで」、「然」は「そう」または「しかし」、「未だ」は「まだ」または「いまだ」、「然う」は「そう」、「※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]卒」は「いきなり」、「有ゆる」は「あらゆる」、「些と」は「ちょっと」、「恰で」は「まるで」、「丈け」は「だけ」、「迄」は「まで」、「宛然」は「まるで」または「さながら」、「猶更」は「なおさら」、「為ねば」は「せねば」、「恁る」は「かかる」、「且つ」は「かつ」、「只管」は「ひたすら」、「茲」は「ここ」、「若」は「もし」、「切て」は「せめて」、「可く」は「よく」、「好く」は「よく」、「全然で」は「まるで」、「此所」は「ここ」、「度い」は「たい」、「毎」は「いつも」、「為よう」は「しよう」、「好い」は「いい」または「よい」、「已」は「すで」、「依然」は「やはり」、「尤も」は「もっとも」、「如何」は「どう」、「而て」は「して」、「然れども」は「けれども」、「唯だ」は「ただ」、「此方」は「このかた」、「度く」は「たく」、「嘗つて」は「かつて」、「其処」は「そこら」または「そこ」、「此処」は「ここ」、「居って」は「おって」、「甚麼」は「どんな」、「可かろう」は「よかろう」、「居らん」は「おらん」、「畢竟」は「つまり」、「可けません」は「いけません」、「最と」は「いと」、「仮令」は「たとい」、「之れ」は「これ」、「嘗て」は「かつて」、「何卒」は「どうぞ」または「どうか」、「仕よう」は「しよう」、「何方」は「どちら」、「居り」は「おり」、「為ない」は「しない」、「然らば」は「しからば」、「抑」は「そもそも」、「那」は「あれ」または「ああ」、「益※[#二の字点、1-2-22]」は「ますます」、「有つ」は「もつ」、「仕て」は「して」、「仕ない」はしない」、「丁と」は「ちゃんと」、「左右」は「とかく」、「居らぬ」は「おらぬ」、「未」は「いまだ」、「少時」は「すこし」または「しばし」または「しばらく」、「匆卒」は「いきなり」または「ゆきなり」、「暫」は「やや」、「然り」は「さり」、「態々」は「わざわざ」、「沁々」は「しみじみ」、「左様」は「そう」、「夫れ」は「それ」、「為ず」は「せず」、「其辺」は「そこら」、「彼方此方」は「あちこち」、「有繋」は「さすが」、「可かん」は「いかん」、「好し」は「よし」、「度」は「たい」、「復」は「また」、「計」は「ばかり」、「况して」は「まして」、「苟も」は「いやしくも」、「那方」は「むこう」、「些と」は「ちと」、「頓に」は「とみに」、「那裏」は「むこう」に、置き換えました。
※「※[#「丿+臣+頁」]は、「頤」に書き換えました。
※「※[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」]」は「抜」に書き換えました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「理窟」と「理屈」、「踏」と「蹈」、「匆」と「※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]」の混在は底本通りです。
※仮名表記と繰り返し記号の使い方の揺れは、底本通りです。
入力:阿部哲也
校正:米田
2011年1月20日作成
2011年3月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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