びるぜん祈祷 ダンテ・アリギエリ Dante Alighieri ——–上田敏訳

母なるをとめ、わが子のむすめ、
賤しくして、また、なによりも尊く、
永遠の謀のさだかなるめあて、
君こそは人性を尊からしむれ、
物みなの造りぬしも、
其造りなるを卑まざりき。
その胎に照りたる愛は、
この花をとこ世に靜けく、
温め生ふし開き給ひぬ。
ここにゐては愛の央《なかば》の松あかし。
下界人間に雜《まじ》はりては、望の生ける泉なり。
大なる哉、徳ある哉、われらの君よ、
恩寵《めぐみ》をえまくほりする者、
君の御前にまだ來ぬは、
その願ひ翼なくして飛ぶを思ふや。
御慈悲《いつくしみ》は、願ひ人を助くるのみならず、
おのづから願に先だつこと多かり。
君に憐、君に悲、君に惠、
造化のよしといふよき物は君に集《つど》ひぬ。
茲に今、宇宙の池のいと深き底より、
この天堂にしも、また昇り、
靈のひとつびとつを眺むるもの、
伏して願はくは、終の福《さいはひ》にむかひ、
眼《まなこ》うち仰ぎ得むことを祈る。
今彼の眺を望むばかり、
己が眺を望む時にも切ならざりし吾。
茲に一切の祈を捧げて、
足らざること勿れと念ず。
君よ、人間の迷雲を此人より拂ひて、
至上の悦をえさせたまへ。
重ねて祈り申さく
思のまゝのなべてを行ふ后《きさい》の宮よ、
かゝる大觀の後までも、
かれが心をそこなはず、
君の護のあるが故に、
人間の混亂を滅ぼし給へ。
わが祈に添ひてベアトリチエと諸聖と、
合掌祈念するをも、うけさせ給へや。

底本:「上田敏全訳詩集」岩波文庫、岩波書店
   1962(昭和37)年12月16日第1刷発行
   2010(平成22)年4月21日第38刷改版発行
初出:「心の花 五ノ一」
   1902(明治35)年1月
※『天堂篇』第三十三歌冒頭三十九行の訳です。
入力:川山隆
校正:成宮佐知子
2012年10月12日作成
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