ディカーニカ近郷夜話 前篇 VECHERA NA HUTORE BLIZ DIKANIKI はしがき ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Vasilievitch Gogoli—— 平井肇訳

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『まつたくこれは奇態な本だ、『ディカーニカ近郷夜話』か? いつたい 『夜話 』とはなんだらう? 何処かの蜜蜂飼かなんかがこんなものを世間へ発行《だ》しをつて! お蔭さまなことだよ! 羽根ペンを拵らへるのにどれだけ鵞鳥を裸かにし、紙を漉くのにどれだけ襤褸くづをつかつたら堪能ができるのだらう! 貴賤の別なく猫や杓子までが見やう見真似で、やたら無性に墨汁へ指を突つこんでも突つこんでも、まだ足りないのだ! あげくの果てには、こんなどこの馬の骨とも分らない蜜蜂飼風情までが、柄にもなく変な野心をおこすのだ! まつたく、かう碌でもない活版刷の反古ばかり矢鱈に殖えた日には、一体これをなんの包み紙につかつたものやら、おいそれと考へつくことも出来やしない。』
 かういつた横槍が飛び出すだらうとは、もう一と月も前から、ちやんと感づいてゐたことなんで! いや、まつたくこちとらのやうな田舎ものにとつては、この井の中から世間さまへ顔を突きだすといふことが――どうもはや!――よくある奴で、ちやうど立派な旦那がたのお邸へ戸惑ひして足をふんごんだのと頓とひとつで、人々がぐるりをとりまいて直ぐにからかひだす。それも奥むきの奉公人ででもあらうことか――ぼろぼろの服装《なり》をして裏庭で土いぢりでもしてゐさうな小穢ならしい小僧つ児までがいつしよになつて、四方八方から足を踏みならしながら、がなりだす。『何処へのこのこと迷ひこんで来やがるのだ? いつたい何をしに来やがつたんだ? さあ出て行け、このどん百姓めが、とつとと出てうせやあがれ!』つてんで……実際の話だが……。いや、何も言ふがものはない! まつたく、このわしにとつては、広い世間さまへ顔出しをするよりは、年に二度*ミルゴロドへ出むく方がよつぽど安易《らく》なんで、ところが、そのミルゴロドの地方裁判所の監督書記にも、あすこの偉い和尚にも、もう五年このかた頓と会はないやうな次第でな。――したが、いつたん顔を出したからには、泣いても笑つても一通りの弁疏《いひわけ》はしておかずばなるまいて。


  ミルゴロド 小露西亜ポルタワ県下の小都会。ドニェープルの支流ホロール河の沿岸に位し、『ディカーニカ近郷夜話』に次いでゴーゴリが書いた
    著作集 『ミルゴロド』は、この地名を採つて標題としたのである。

 さて、親愛なる読者諸子よ、――いや飛んでもないことを申して御免なされ、(若しかしたら、こんな蜜蜂飼風情があなた方にむかつて、まるで自分の仲人《なかうど》か教父にでも話しかけるやうな、不躾けな物の言ひ方をするのをさぞかし御立腹になるかもしれませんが)――われわれの部落《むら》では昔からのならはしで、野良仕事がすつかり片づくといふと、待つてゐたとばかりに百姓たちは長の冬ぢゆう、のうのうと体を休めるために煖炉《ペチカ》の上へ這ひあがり、手前ども同業者仲間はめいめいの蜜蜂を暗い土窖《つちむろ》へかこふのぢや。その頃になると、もう空には一羽の鶴も姿を見せず、枝には梨の果《み》ひとつ残つてはゐない。が、その代り、夕方にさへなれば必らずどこか往還のはづれに灯影がさして、笑ひ声や唄声が遠くまでも聞え、*バラライカや、時には イオリンの音までが漂うて来る。がやがやといふ話声や騒々しい物音が伝はつて来る……。これがわれわれ仲間の所謂『 夜会 なんでな! まあ言つて見れば、あなた方の舞踏会に似たやうなものではあるが、さうかといつて、まるきり同じものだとも申しかねる。あなた方が舞踏会へお出かけになるのは、いはば足をふらふらさせたり、口に手をあてて、そつと欠伸をなさらうために他ならないが、われわれの方はさうではない。てんでに紡錘《つむ》や麻梳《あさこき》を持つた娘たちが先づ一軒の家へどやどやと寄りつどふ。そして初手《はな》のあひだは、どうやら一生懸命に仕事に身をいれてゐるやうで、紡錘はビイビイ唸り、唄声がはずんで、娘つこたちはめいめい傍目もふらぬ有様なのぢや。ところが、そこへ イオリン弾きをつれた若い衆連が不意に押しかけて来ると同時に――どつといふ叫び声があがつて、とてつもない馬鹿騒ぎが持ちあがり、踊りが始まり、なんともはやお話にもならぬ悪戯《わるさ》がおつぱじまる始末なのぢや。

    バラライカ 露西亜の農民間に愛用される楽器の一種で、共鳴胴の表面
     が三角形をなす、マンドリンに類似した三絃琴。指頭で絃を掻きならして感傷的 な音色を出す。

 だが、何よりも嬉しいのは、一同ひしひしと一と塊りに寄りたかつて、謎々を解いたり、または単に――無駄口をたたく時ぢや。いやどうも、何か一つとして口の端にのぼらぬやうなことがあるだらうか! 古い昔話といふ昔話が一から十まで蒸しかへされるのぢや! ありとあらゆる怖ろしい怪談が持ちだされるのぢや! したが、かくいふ蜜蜂飼ルードゥイ・パニコーのところの夜会で語られたやうな珍談奇話に至つては、先づほかでは聞けないぢやらう。時にどうして部落《むら》の連中がこのわたしに『赤毛の旦那《ルードゥイ・パニコー》』などといふ渾名をつけたものか――頓とどうも合点がいかん。わたしは、髪の毛だつて今では赤毛どころか白髪の筈ぢや。しかしわれわれの仲間では、いつたん渾名をつけられたが最後、泣いても笑つても、それが未来永劫に亘つて用ゐられるのがならはしなんでな。それはさて、よく祭礼の前夜などに、堅気な人たちがこの蜜蜂飼の荒《あば》ら家《や》へお客にやつて来て、卓をかこんで席につく――さうなつたら、ただもう耳を澄まして聴き入るよりほかはないて。それもその筈で、集まつて来る人々はといへば、どうしてどうして、そんじよそこいらの十把ひとからげの水呑百姓などではなく、この蜜蜂飼などよりぐんと身分の高い人々にさへ、訪問を受けるのが肩身の広いやうなお歴々ばかりなのぢや。早い話が、あのディカーニカ寺院の役僧、フォマ・グリゴーリエヰッチを御存じでがせう? いやどうして、素晴らしい人物で! あの人が実に面白い物語を聴かせてくれたものぢや! この小|冊子《ぼん》の中にもそれが二つ載つてをる。この人は、よく田舎寺の役僧などが著てゐるやうな縞柄の褞袍《ハラート》などは決して身につけてをらん。それどころか、たとへ平日《ひらび》に訪ねて行つても、いつも、片栗粉でつくつた*キッセリの冷たくなつたやつのやうな色あひの、薄手の羅紗で仕立てた寛衣《バラホン》をまとつてお客を迎へるがの、その生地は*ポルタワで一*アルシンに六留《ルーブリ》からだした品ぢや。また、この人の穿いてゐる長靴がつひぞ樹脂《タール》臭かつた、などといふ者は村ぢゆうに一人もゐないどころか、そんじよそこいらの百姓だつたら大喜びで粥《カーシャ》へ入れて食ふやうな、飛びきり上等の鵞鳥脂で自分の靴を磨いてゐることは隠れもない事実なのぢや。それにまた、あの人と同じ役柄の人たちがよくするやうに、寛衣の裾で鼻を拭いたりなぞするところを見た者も、誰ひとりない。あの人は何時もきまつて、きちんと折りたたんだ、縁に赤い糸で刺繍《ぬひとり》をした真白な手巾《ハンカチ》を懐ろから取り出して、然るべく用を足すと、またもやそれを几帳面に十二折りに折りたたんで、懐中へ仕舞ひこんだものだ。ところで、お客の一人に……いや、この人物は衣裳さへつけさせたら、てもなく陪審員か裁判官と見紛ふほどの貴公子であつたが、よく、かう、鼻の前《さき》へ指を突つ立てて、その指の頭を見ながら喋りだしたものでな――それがまた恐ろしく美辞麗句の羅列で、まるで活版に刷つたものでも読むやうな塩梅式なのぢや! それをおとなしく、じつと聴いてゐようなものなら、いつか此方《こちら》がふさぎの虫にとり憑かれてしまふくらゐで。何が何やら、ぶち殺されたつて解るこつちやない。いつたい何処からあんな文句を寄せ集めて来たものだらう? 或る時、フォマ・グリゴーリエヰッチが実に穿つた一口話をこしらへて、この男をあてこすつたものぢや。といふのは――さる役僧について読み書きを習つてゐた一人の学僕が、おつそろしい拉典語きちがひになつて父親のところへ戻つて来たが、こちとらのつかふ正教の言葉さへ忘れてしまつて、どんな言葉にでも『
ウス といふ語尾をつけないと虫がをさまらず、匙鋤《ロパータ》をロパトウスだの、女《バーバ》をバブウスだのと言ふ始末。ところで、或る日のこと父親とつれだつて野良へ行きをつたが、この拉典語先生、ふと熊手を見つけると、父親に向つて、『これは、お父さん、こちらの言葉ではなんとか言ひましたつけね?』と訊ねたもんぢや。そしてぽかんと口を開けたまま、熊手の爪のところを踏んづけをつたと思ひなされ。すると、父親の返辞より先きに、熊手の柄がピョンと跳ね返つて来て、息子のおでこにいやといふほど打つかつたものさ!『えい、この忌々しい熊手《グラーブリ》めが!』と、二三尺も上へ跳びあがりながら、片手でおでこをおさへて、先生、悲鳴をあげをつた。『ほんに、こやつめが、――ええくそつ、こやつの親爺が橋のうへから悪魔にでも突き落されやあがればいい、――人の額を打ちやあがつて、おお痛い!』なんと、どんなもので! 奴さん忽ち名称《なまへ》を想い出しをつたではごわせんか! とな。こんなあてこすりが、この凝つた言ひまはしに憂身をやつしてゐる語り手の気に入らう筈がない。先生ひとことも口をきかずに席を蹴立つて部屋のまん中へ出ると、脚をかうふんばつて、すこし前こごみに首をうつむけてな、豌豆いろの*カフターンの後ろ衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、漆塗りの丸い嗅煙草入を引つぱり出すなり、その蓋に下手くそに描いてある何処か異国の大将の面《つら》に指弾きを一つ喰はせておいて、消炭と独活《うど》の葉とをまぜて擂つた嗅煙草をたつぷり一つまみ摘んだが、その手をばいやに気取つて鼻の方へ持つて行つたかと思ふと、その煙草を残らず、すうつと、拇指ひとつ鼻にふれずに宙で吸ひこんでしまつた――が依然として口をきかない。別の衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、やをら青い碁盤縞の木綿の手巾《ハンカチ》を取りだした時、はじめて、 『豚に真珠さ…… 』と、諺めいたことを口のなかで呟やいただけぢやつた。 『どうやら喧嘩になりさうだぞ。 と、わたしはフォマ・グリゴーリエヰッチの指が徐ろに*馬鹿握《ドゥーリャ》を拵らへようとしてゐるのを見て、さう思つた。ところがいい塩梅に、うちの老妻《ばばあ》が気をきかせてな、ほやほやの焼麺麭《クニーシュ》にバタをつけたやつを卓子《テーブル》へだしたので、一座の衆は期せずしてそのまはりへと集まつた。拳《こぶし》を突きつけようとしてゐたフォマ・グリゴーリエヰッチの手も、つい焼麺麭《クニーシュ》の方へ差しのばされて、皆の衆は例によつて例の如く、主婦の技倆《うでまへ》の鮮やかさを口々に褒めそやしはじめたものぢや。ほかにもう一人、語り手がゐたが、その人は(どうもそれを寝しなに思ひ出すのは、ちと具合が悪いけれど)実に身の毛もよだつやうな怖ろしい話をして聴かせたものぢや。だが、わたしはわざとその話はこの本へ載せなかつた。このうへ堅気な人たちをおどかしては、皆の衆がこのわたしを鬼かなんぞのやうに怯ぢ怖れだすかも知れないからぢや。もし神のお恵みで新年まで生きながらへて、もう一冊の本を出すやうなことにでもなれば、その時こそ、あの世から迷つて出てくる亡者だの、むかしむかし、この正教の国にあつたくさぐさの不可思議な出来ごとだのの物語で、少しばかりぞうつとさせて進ぜてもよろしい。それと一緒に、ひよつとしたら、この蜜蜂飼が孫たちに話して聴かせたお伽噺もお目どほりをするかもしれない。ちやんとして聴くなり読むなりして頂けさへすれば、選り出すのがちと億劫ではあるけれど、こんな本の十冊やそこいらの話の種にことは欠きませんのぢや。

    キッセリ ジェリイか葛湯に似た一種の料理。
  ポルタワ 南露ポルタワ県の首都、ドニェープルの支流ウォルスクラ   河の沿岸にあり、一七〇九年北方戦役に際し、小露西亜に攻め寄せた     瑞典軍を彼得一世が撃破せしところ。
アルシン 露西亜の尺度――〇・七二米に当る。
カフターン 一般農民の用ゐる外套様の長上衣。小露西亜人の用ゐるスヰートカに対応するもの。
馬鹿握《ドゥーリャ》 拇指の頭を食指と中指の間から出して握つた拳、これを相手の面前へ突き出すことによつて侮蔑嘲弄を表はす。シーシュカともいふ。


 さうさう、もう少しで、いちばん大切なことを忘れてしまふところぢやつた。わたしのところへ諸君《みなさん》がおいでになるのだつたら、国道をディカーニカ目ざして真直にやつて来て頂けばよろしい。手前どもの部落《むら》がちつとでも早くお分りになるやうにと思つて、わざわざディカーニカの地名《ところな》を本の標題に置いたやうな次第でな。ディカーニカといへば、もう百も御承知のことであらう。それあもうその筈で、あすこぢやあ、家屋《いえ》だつて蜜蜂飼風情の小舎などとはずんときれいで、果樹園ときたら、いやどうも、あなた方の彼得堡《ペテルブルグ》にだつて、あれだけのものはちよつとやそつとには見当りますまいからね。それで、ディカーニカまでおいでになつたら、穢ならしいシャツ一枚で鵞鳥の番をしてをる出あひ頭の小僧つ児に、『蜜蜂飼のルードゥイ・パニコーの家は何処だい?
河の沿岸にあり、一七〇九年北方戦役に際し、小露西亜に攻め寄せた瑞典軍を彼とお訊ね下され。さうすれば、あすこだよ[と言つて、その小僧つ児が指をさしてすぐにお教へするでせう。もしお望みとあれば当のこの部落《むら》まで、先きに立つて御案内することでせう。但しお断わりしておかねばならないのは、後ろ手なんぞ拱んで、いはゆる容態ぶつた歩き方などなさるのは、見合はせて頂きたいことで、といふのは、こちらの村道といふやつが、あなた方のお邸の前の大通りみたいに坦・砥の如しとは、ちよつと申しあげかねるからで。一昨年《をととし》のこと、例のフォマ・グリゴーリエヰッチがディカーニカからやつて来て、たうとう新らしい馬車と鹿毛《かげ》の牝馬もろとも、崩穴《がけ》へ落つこちてしまつたといふ始末でな、それも自身の手で手綱を捌き、そして時々は自分の肉眼の上へ更に買ひものの眼をおつつけおつつけしてゐたにも拘らずぢや。
 さるかはり、一度お客においで下すつたなら、それこそ、恐らく生まれてこのかた、つひぞ召しあがつたこともないやうな甜瓜《まくはうり》を御馳走いたしますよ。それに蜂蜜なら、請合つて、そんじよそこいらの部落《むら》では金輪際、見つかりつこない飛びきり上等の蜜を進ぜますて。まあ、思つてもみて下され――蜜房を持つてくるてえと、部屋ぢゆうにぷんぷんと芳香がみなぎりわたるといふ始末でな、いや、とてもとても想像することも出来ませぬくらゐ、まるで涙か、それともよく耳環にはめる高価な水晶のやうに、混りつけのない蜂蜜ですぢやて。それから、うちの老妻《ばばあ》が御馳走する*ピローグですよ! それがどんな素晴らしいピローグだか、ひとつお眼にかけたいくらゐで、いや砂糖、まるつきり砂糖のやうでな! そいつを頬ばりだすと、もうバタが唇《くち》をつたつてたらたらと流れだす始末。まつたく考へて見るに婦女子《をなご》どもといふやつは何から何まで実に器用なものぢや! いつか皆さんは茨《いばら》の実を入れた梨の濁麦酒《クワス》だの、乾葡萄や黒梅の入つた混成酒《ワレヌーハ》を召しあがつたことがおありかな? それとも、牛乳《ちち》いりの雑炊《プートリャ》を召しあがつたことがおありかな? いやはや、この世の中にはなんと夥しく、いろんな食べ物がありますことぢやらう! つまみにかかつたが最後、腹いつぱい、しこたま詰めこまずにはゐられませんわい。美味《うま》いものあさりといふやつは、実になんともいひやうのないものでしてな! 去年のことぢやが……。いや、それはさて、わたしとしたことが、何をしやべりこけてしまつたことやら? つまるところは、ただお出かけになつてさへ下さればよろしいので、一刻《いつとき》もはやくおいでになつてさへ頂けばな、さうすれば、もう、逢ふ人見る人ごとに、いちいち吹聴なさらずにはゐられないほどの素晴らしい御馳走をして進ぜまするよ。恐惶謹言

    ピローグ パイに似た露西亜独特の菓子。
         蜜蜂飼 ルードゥイ・パニコー
                          しるす

『まつたくこれは奇態な本だ、 『ディカーニカ近郷夜話 』か? いつたい 『夜話 とはなんだらう? 何処かの蜜蜂飼かなんかがこんなものを世間へ発行《だ》しをつて! お蔭さまなことだよ! 羽根ペンを拵らへるのにどれだけ鵞鳥を裸かにし、紙を漉くのにどれだけ襤褸くづをつかつたら堪能ができるのだらう! 貴賤の別なく猫や杓子までが見やう見真似で、やたら無性に墨汁へ指を突つこんでも突つこんでも、まだ足りないのだ! あげくの果てには、こんなどこの馬の骨とも分らない蜜蜂飼風情までが、柄にもなく変な野心をおこすのだ! まつたく、かう碌でもない活版刷の反古ばかり矢鱈に殖えた日には、一体これをなんの包み紙につかつたものやら、おいそれと考へつくことも出来やしない。』
 かういつた横槍が飛び出すだらうとは、もう一と月も前から、ちやんと感づいてゐたことなんで! いや、まつたくこちとらのやうな田舎ものにとつては、この井の中から世間さまへ顔を突きだすといふことが――どうもはや!――よくある奴で、ちやうど立派な旦那がたのお邸へ戸惑ひして足をふんごんだのと頓とひとつで、人々がぐるりをとりまいて直ぐにからかひだす。それも奥むきの奉公人ででもあらうことか――ぼろぼろの服装《なり》をして裏庭で土いぢりでもしてゐさうな小穢ならしい小僧つ児までがいつしよになつて、四方八方から足を踏みならしながら、がなりだす。『何処へのこのこと迷ひこんで来やがるのだ? いつたい何をしに来やがつたんだ? さあ出て行け、このどん百姓めが、とつとと出てうせやあがれ!』つてんで……実際の話だが……。いや、何も言ふがものはない! まつたく、このわしにとつては、広い世間さまへ顔出しをするよりは、年に二度*ミルゴロドへ出むく方がよつぽど安易《らく》なんで、ところが、そのミルゴロドの地方裁判所の監督書記にも、あすこの偉い和尚にも、もう五年このかた頓と会はないやうな次第でな。――したが、いつたん顔を出したからには、泣いても笑つても一通りの弁疏《いひわけ》はしておかずばなるまいて。

     ミルゴロド 小露西亜ポルタワ県下の小都会。ドニェープルの支流ホロール河の沿岸に位し、『ディカーニカ近郷夜話』に次いでゴーゴリが書いた著作集『ミルゴロド』は、この地名を採つて標題としたのである。

 さて、親愛なる読者諸子よ、――いや飛んでもないことを申して御免なされ、(若しかしたら、こんな蜜蜂飼風情があなた方にむかつて、まるで自分の仲人《なかうど》か教父にでも話しかけるやうな、不躾けな物の言ひ方をするのをさぞかし御立腹になるかもしれませんが)――われわれの部落《むら》では昔からのならはしで、野良仕事がすつかり片づくといふと、待つてゐたとばかりに百姓たちは長の冬ぢゆう、のうのうと体を休めるために煖炉《ペチカ》の上へ這ひあがり、手前ども同業者仲間はめいめいの蜜蜂を暗い土窖《つちむろ》へかこふのぢや。その頃になると、もう空には一羽の鶴も姿を見せず、枝には梨の果《み》ひとつ残つてはゐない。が、その代り、夕方にさへなれば必らずどこか往還のはづれに灯影がさして、笑ひ声や唄声が遠くまでも聞え、*バラライカや、時には
イオリンの音までが漂うて来る。がやがやといふ話声や騒々しい物音が伝はつて来る……。これがわれわれ仲間の所謂『 夜会 なんでな! まあ言つて見れば、あなた方の舞踏会に似たやうなものではあるが、さうかといつて、まるきり同じものだとも申しかねる。あなた方が舞踏会へお出かけになるのは、いはば足をふらふらさせたり、口に手をあてて、そつと欠伸をなさらうために他ならないが、われわれの方はさうではない。てんでに紡錘《つむ》や麻梳《あさこき》を持つた娘たちが先づ一軒の家へどやどやと寄りつどふ。そして初手《はな》のあひだは、どうやら一生懸命に仕事に身をいれてゐるやうで、紡錘はビイビイ唸り、唄声がはずんで、娘つこたちはめいめい傍目もふらぬ有様なのぢや。ところが、そこへ イオリン弾きをつれた若い衆連が不意に押しかけて来ると同時に――どつといふ叫び声があがつて、とてつもない馬鹿騒ぎが持ちあがり、踊りが始まり、なんともはやお話にもならぬ悪戯《わるさ》がおつぱじまる始末なのぢや。

    バラライカ 露西亜の農民間に愛用される楽器の一種で、共鳴胴の表面が三角形をなす、マンドリンに類似した三絃琴。指頭で絃を掻きならして感傷的な音色を出す。

 だが、何よりも嬉しいのは、一同ひしひしと一と塊りに寄りたかつて、謎々を解いたり、または単に――無駄口をたたく時ぢや。いやどうも、何か一つとして口の端にのぼらぬやうなことがあるだらうか! 古い昔話といふ昔話が一から十まで蒸しかへされるのぢや! ありとあらゆる怖ろしい怪談が持ちだされるのぢや! したが、かくいふ蜜蜂飼ルードゥイ・パニコーのところの夜会で語られたやうな珍談奇話に至つては、先づほかでは聞けないぢやらう。時にどうして部落《むら》の連中がこのわたしに
赤毛の旦那《ルードゥイ・パニコー》などといふ渾名をつけたものか――頓とどうも合点がいかん。わたしは、髪の毛だつて今では赤毛どころか白髪の筈ぢや。しかしわれわれの仲間では、いつたん渾名をつけられたが最後、泣いても笑つても、それが未来永劫に亘つて用ゐられるのがならはしなんでな。それはさて、よく祭礼の前夜などに、堅気な人たちがこの蜜蜂飼の荒《あば》ら家《や》へお客にやつて来て、卓をかこんで席につく――さうなつたら、ただもう耳を澄まして聴き入るよりほかはないて。それもその筈で、集まつて来る人々はといへば、どうしてどうして、そんじよそこいらの十把ひとからげの水呑百姓などではなく、この蜜蜂飼などよりぐんと身分の高い人々にさへ、訪問を受けるのが肩身の広いやうなお歴々ばかりなのぢや。早い話が、あのディカーニカ寺院の役僧、フォマ・グリゴーリエヰッチを御存じでがせう? いやどうして、素晴らしい人物で! あの人が実に面白い物語を聴かせてくれたものぢや! この小|冊子《ぼん》の中にもそれが二つ載つてをる。この人は、よく田舎寺の役僧などが著てゐるやうな縞柄の褞袍《ハラート》などは決して身につけてをらん。それどころか、たとへ平日《ひらび》に訪ねて行つても、いつも、片栗粉でつくつた*キッセリの冷たくなつたやつのやうな色あひの、薄手の羅紗で仕立てた寛衣《バラホン》をまとつてお客を迎へるがの、その生地は*ポルタワで一*アルシンに六|留《ルーブリ》からだした品ぢや。また、この人の穿いてゐる長靴がつひぞ樹脂《タール》臭かつた、などといふ者は村ぢゆうに一人もゐないどころか、そんじよそこいらの百姓だつたら大喜びで粥《カーシャ》へ入れて食ふやうな、飛びきり上等の鵞鳥脂で自分の靴を磨いてゐることは隠れもない事実なのぢや。それにまた、あの人と同じ役柄の人たちがよくするやうに、寛衣の裾で鼻を拭いたりなぞするところを見た者も、誰ひとりない。あの人は何時もきまつて、きちんと折りたたんだ、縁に赤い糸で刺繍《ぬひとり》をした真白な手巾《ハンカチ》を懐ろから取り出して、然るべく用を足すと、またもやそれを几帳面に十二折りに折りたたんで、懐中へ仕舞ひこんだものだ。ところで、お客の一人に……いや、この人物は衣裳さへつけさせたら、てもなく陪審員か裁判官と見紛ふほどの貴公子であつたが、よく、かう、鼻の前《さき》へ指を突つ立てて、その指の頭を見ながら喋りだしたものでな――それがまた恐ろしく美辞麗句の羅列で、まるで活版に刷つたものでも読むやうな塩梅式なのぢや! それをおとなしく、じつと聴いてゐようなものなら、いつか此方《こちら》がふさぎの虫にとり憑かれてしまふくらゐで。何が何やら、ぶち殺されたつて解るこつちやない。いつたい何処からあんな文句を寄せ集めて来たものだらう? 或る時、フォマ・グリゴーリエヰッチが実に穿つた一口話をこしらへて、この男をあてこすつたものぢや。といふのは――さる役僧について読み書きを習つてゐた一人の学僕が、おつそろしい拉典語きちがひになつて父親のところへ戻つて来たが、こちとらのつかふ正教の言葉さへ忘れてしまつて、どんな言葉にでも『 ウスヰ 』といふ語尾をつけないと虫がをさまらず、匙鋤《ロパータ》をロパトウスだの、女《バーバ》をバブウスだのと言ふ始末。ところで、或る日のこと父親とつれだつて野良へ行きをつたが、この拉典語先生、ふと熊手を見つけると、父親に向つて、『これは、お父さん、こちらの言葉ではなんとか言ひましたつけね?』と訊ねたもんぢや。そしてぽかんと口を開けたまま、熊手の爪のところを踏んづけをつたと思ひなされ。すると、父親の返辞より先きに、熊手の柄がピョンと跳ね返つて来て、息子のおでこにいやといふほど打つかつたものさ!『えい、この忌々しい熊手《グラーブリ》めが!』と、二三尺も上へ跳びあがりながら、片手でおでこをおさへて、先生、悲鳴をあげをつた。『ほんに、こやつめが、――ええくそつ、こやつの親爺が橋のうへから悪魔にでも突き落されやあがればいい、――人の額を打ちやあがつて、おお痛い!』なんと、どんなもので! 奴さん忽ち名称《なまへ》を想い出しをつたではごわせんか! とな。こんなあてこすりが、この凝つた言ひまはしに憂身をやつしてゐる語り手の気に入らう筈がない。先生ひとことも口をきかずに席を蹴立つて部屋のまん中へ出ると、脚をかうふんばつて、すこし前こごみに首をうつむけてな、豌豆いろの*カフターンの後ろ衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、漆塗りの丸い嗅煙草入を引つぱり出すなり、その蓋に下手くそに描いてある何処か異国の大将の面《つら》に指弾きを一つ喰はせておいて、消炭と独活《うど》の葉とをまぜて擂つた嗅煙草をたつぷり一つまみ摘んだが、その手をばいやに気取つて鼻の方へ持つて行つたかと思ふと、その煙草を残らず、すうつと、拇指ひとつ鼻にふれずに宙で吸ひこんでしまつた――が依然として口をきかない。別の衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、やをら青い碁盤縞の木綿の手巾《ハンカチ》を取りだした時、はじめて、※[#始め二重括弧、1-2-54]豚に真珠さ…… と、諺めいたことを口のなかで呟やいただけぢやつた。 『どうやら喧嘩になりさうだぞ。 と、わたしはフォマ・グリゴーリエヰッチの指が徐ろに*馬鹿握《ドゥーリャ》を拵らへようとしてゐるのを見て、さう思つた。ところがいい塩梅に、うちの老妻《ばばあ》が気をきかせてな、ほやほやの焼麺麭《クニーシュ》にバタをつけたやつを卓子《テーブル》へだしたので、一座の衆は期せずしてそのまはりへと集まつた。拳《こぶし》を突きつけようとしてゐたフォマ・グリゴーリエヰッチの手も、つい焼麺麭《クニーシュ》の方へ差しのばされて、皆の衆は例によつて例の如く、主婦の技倆《うでまへ》の鮮やかさを口々に褒めそやしはじめたものぢや。ほかにもう一人、語り手がゐたが、その人は(どうもそれを寝しなに思ひ出すのは、ちと具合が悪いけれど)実に身の毛もよだつやうな怖ろしい話をして聴かせたものぢや。だが、わたしはわざとその話はこの本へ載せなかつた。このうへ堅気な人たちをおどかしては、皆の衆がこのわたしを鬼かなんぞのやうに怯ぢ怖れだすかも知れないからぢや。もし神のお恵みで新年まで生きながらへて、もう一冊の本を出すやうなことにでもなれば、その時こそ、あの世から迷つて出てくる亡者だの、むかしむかし、この正教の国にあつたくさぐさの不可思議な出来ごとだのの物語で、少しばかりぞうつとさせて進ぜてもよろしい。それと一緒に、ひよつとしたら、この蜜蜂飼が孫たちに話して聴かせたお伽噺もお目どほりをするかもしれない。ちやんとして聴くなり読むなりして頂けさへすれば、選り出すのがちと億劫ではあるけれど、こんな本の十冊やそこいらの話の種にことは欠きませんのぢや。

    キッセリ ジェリイか葛湯に似た一種の料理。
      ポルタワ 南露ポルタワ県の首都、ドニェープルの支流ウォルスクラ河の沿岸にあり、一七〇九年北方戦役に際し、小露西亜に攻め寄せた瑞典軍を彼得一世が撃破せしところ。
アルシン 露西亜の尺度――〇・七二米に当る。
カフターン 一般農民の用ゐる外套様の長上衣。小露西亜人の用ゐるスヰートカに対応するもの。
馬鹿握《ドゥーリャ》 拇指の頭を食指と中指の間から出して握つた拳、これを相手の面前へ突き出すことによつて侮蔑嘲弄を表はす。シーシュカともいふ。
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 さうさう、もう少しで、いちばん大切なことを忘れてしまふところぢやつた。わたしのところへ諸君《みなさん》がおいでになるのだつたら、国道をディカーニカ目ざして真直にやつて来て頂けばよろしい。手前どもの部落《むら》がちつとでも早くお分りになるやうにと思つて、わざわざディカーニカの地名《ところな》を本の標題に置いたやうな次第でな。ディカーニカといへば、もう百も御承知のことであらう。それあもうその筈で、あすこぢやあ、家屋《いえ》だつて蜜蜂飼風情の小舎などとはずんときれいで、果樹園ときたら、いやどうも、あなた方の彼得堡《ペテルブルグ》にだつて、あれだけのものはちよつとやそつとには見当りますまいからね。それで、ディカーニカまでおいでになつたら、穢ならしいシャツ一枚で鵞鳥の番をしてをる出あひ頭の小僧つ児に、
『蜜蜂飼のルードゥイ・パニコーの家は何処だい? とお訊ね下され。さうすれば、 『あすこだよ と言つて、その小僧つ児が指をさしてすぐにお教へするでせう。もしお望みとあれば当のこの部落《むら》まで、先きに立つて御案内することでせう。但しお断わりしておかねばならないのは、後ろ手なんぞ拱んで、いはゆる容態ぶつた歩き方などなさるのは、見合はせて頂きたいことで、といふのは、こちらの村道といふやつが、あなた方のお邸の前の大通りみたいに坦・砥の如しとは、ちよつと申しあげかねるからで。一昨年《をととし》のこと、例のフォマ・グリゴーリエヰッチがディカーニカからやつて来て、たうとう新らしい馬車と鹿毛《かげ》の牝馬もろとも、崩穴《がけ》へ落つこちてしまつたといふ始末でな、それも自身の手で手綱を捌き、そして時々は自分の肉眼の上へ更に買ひものの眼をおつつけおつつけしてゐたにも拘らずぢや。
 さるかはり、一度お客においで下すつたなら、それこそ、恐らく生まれてこのかた、つひぞ召しあがつたこともないやうな甜瓜《まくはうり》を御馳走いたしますよ。それに蜂蜜なら、請合つて、そんじよそこいらの部落《むら》では金輪際、見つかりつこない飛びきり上等の蜜を進ぜますて。まあ、思つてもみて下され――蜜房を持つてくるてえと、部屋ぢゆうにぷんぷんと芳香がみなぎりわたるといふ始末でな、いや、とてもとても想像することも出来ませぬくらゐ、まるで涙か、それともよく耳環にはめる高価な水晶のやうに、混りつけのない蜂蜜ですぢやて。それから、うちの老妻《ばばあ》が御馳走する*ピローグですよ! それがどんな素晴らしいピローグだか、ひとつお眼にかけたいくらゐで、いや砂糖、まるつきり砂糖のやうでな! そいつを頬ばりだすと、もうバタが唇《くち》をつたつてたらたらと流れだす始末。まつたく考へて見るに婦女子《をなご》どもといふやつは何から何まで実に器用なものぢや! いつか皆さんは茨《いばら》の実を入れた梨の濁麦酒《クワス》だの、乾葡萄や黒梅の入つた混成酒《ワレヌーハ》を召しあがつたことがおありかな? それとも、牛乳《ちち》いりの雑炊《プートリャ》を召しあがつたことがおありかな? いやはや、この世の中にはなんと夥しく、いろんな食べ物がありますことぢやらう! つまみにかかつたが最後、腹いつぱい、しこたま詰めこまずにはゐられませんわい。美味《うま》いものあさりといふやつは、実になんともいひやうのないものでしてな! 去年のことぢやが……。いや、それはさて、わたしとしたことが、何をしやべりこけてしまつたことやら? つまるところは、ただお出かけになつてさへ下さればよろしいので、一刻《いつとき》もはやくおいでになつてさへ頂けばな、さうすれば、もう、逢ふ人見る人ごとに、いちいち吹聴なさらずにはゐられないほどの素晴らしい御馳走をして進ぜまするよ。恐惶謹言

     ピローグ パイに似た露西亜独特の菓子。

                    蜜蜂飼 ルードゥイ・パニコー
                                 しるす

底本:「ディカーニカ近郷夜話 前篇」岩波文庫、岩波書店
   1937(昭和12)年7月30日第1刷発行
   1994(平成6)年10月6日第8刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本の中扉には「ディカーニカ近郷夜話 前篇」の表記の左下に「蜜蜂飼ルードゥイ・パニコー著はすところの物語集」と小書きされています。
※「*」は訳注記号です。底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:oterudon
校正:伊藤時也
2009年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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[#終わり二重括弧、1-2-55]か? いつたい※[#始め二重括弧、1-2-54]夜話※[#終わり二重括弧、1-2-55]とはなんだらう? 何処かの蜜蜂飼かなんかがこんなものを世間へ発行《だ》しをつて! お蔭さまなことだよ! 羽根ペンを拵らへるのにどれだけ鵞鳥を裸かにし、紙を漉くのにどれだけ襤褸くづをつかつたら堪能ができるのだらう! 貴賤の別なく猫や杓子までが見やう見真似で、やたら無性に墨汁へ指を突つこんでも突つこんでも、まだ足りないのだ! あげくの果てには、こんなどこの馬の骨とも分らない蜜蜂飼風情までが、柄にもなく変な野心をおこすのだ! まつたく、かう碌でもない活版刷の反古ばかり矢鱈に殖えた日には、一体これをなんの包み紙につかつたものやら、おいそれと考へつくことも出来やしない。』
 かういつた横槍が飛び出すだらうとは、もう一と月も前から、ちやんと感づいてゐたことなんで! いや、まつたくこちとらのやうな田舎ものにとつては、この井の中から世間さまへ顔を突きだすといふことが――どうもはや!――よくある奴で、ちやうど立派な旦那がたのお邸へ戸惑ひして足をふんごんだのと頓とひとつで、人々がぐるりをとりまいて直ぐにからかひだす。それも奥むきの奉公人ででもあらうことか――ぼろぼろの服装《なり》をして裏庭で土いぢりでもしてゐさうな小穢ならしい小僧つ児までがいつしよになつて、四方八方から足を踏みならしながら、がなりだす。『何処へのこのこと迷ひこんで来やがるのだ? いつたい何をしに来やがつたんだ? さあ出て行け、このどん百姓めが、とつとと出てうせやあがれ!』つてんで……実際の話だが……。いや、何も言ふがものはない! まつたく、このわしにとつては、広い世間さまへ顔出しをするよりは、年に二度*ミルゴロドへ出むく方がよつぽど安易《らく》なんで、ところが、そのミルゴロドの地方裁判所の監督書記にも、あすこの偉い和尚にも、もう五年このかた頓と会はないやうな次第でな。――したが、いつたん顔を出したからには、泣いても笑つても一通りの弁疏《いひわけ》はしておかずばなるまいて。
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ミルゴロド 小露西亜ポルタワ県下の小都会。ドニェープルの支流ホロール河の沿岸に位し、『ディカーニカ近郷夜話』に次いでゴーゴリが書いた著作集『ミルゴロド』は、この地名を採つて標題としたのである。
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 さて、親愛なる読者諸子よ、――いや飛んでもないことを申して御免なされ、(若しかしたら、こんな蜜蜂飼風情があなた方にむかつて、まるで自分の仲人《なかうど》か教父にでも話しかけるやうな、不躾けな物の言ひ方をするのをさぞかし御立腹になるかもしれませんが)――われわれの部落《むら》では昔からのならはしで、野良仕事がすつかり片づくといふと、待つてゐたとばかりに百姓たちは長の冬ぢゆう、のうのうと体を休めるために煖炉《ペチカ》の上へ這ひあがり、手前ども同業者仲間はめいめいの蜜蜂を暗い土窖《つちむろ》へかこふのぢや。その頃になると、もう空には一羽の鶴も姿を見せず、枝には梨の果《み》ひとつ残つてはゐない。が、その代り、夕方にさへなれば必らずどこか往還のはづれに灯影がさして、笑ひ声や唄声が遠くまでも聞え、*バラライカや、時には※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリンの音までが漂うて来る。がやがやといふ話声や騒々しい物音が伝はつて来る……。これがわれわれ仲間の所謂※[#始め二重括弧、1-2-54]夜会※[#終わり二重括弧、1-2-55]なんでな! まあ言つて見れば、あなた方の舞踏会に似たやうなものではあるが、さうかといつて、まるきり同じものだとも申しかねる。あなた方が舞踏会へお出かけになるのは、いはば足をふらふらさせたり、口に手をあてて、そつと欠伸をなさらうために他ならないが、われわれの方はさうではない。てんでに紡錘《つむ》や麻梳《あさこき》を持つた娘たちが先づ一軒の家へどやどやと寄りつどふ。そして初手《はな》のあひだは、どうやら一生懸命に仕事に身をいれてゐるやうで、紡錘はビイビイ唸り、唄声がはずんで、娘つこたちはめいめい傍目もふらぬ有様なのぢや。ところが、そこへ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリン弾きをつれた若い衆連が不意に押しかけて来ると同時に――どつといふ叫び声があがつて、とてつもない馬鹿騒ぎが持ちあがり、踊りが始まり、なんともはやお話にもならぬ悪戯《わるさ》がおつぱじまる始末なのぢや。
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バラライカ 露西亜の農民間に愛用される楽器の一種で、共鳴胴の表面が三角形をなす、マンドリンに類似した三絃琴。指頭で絃を掻きならして感傷的な音色を出す。
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 だが、何よりも嬉しいのは、一同ひしひしと一と塊りに寄りたかつて、謎々を解いたり、または単に――無駄口をたたく時ぢや。いやどうも、何か一つとして口の端にのぼらぬやうなことがあるだらうか! 古い昔話といふ昔話が一から十まで蒸しかへされるのぢや! ありとあらゆる怖ろしい怪談が持ちだされるのぢや! したが、かくいふ蜜蜂飼ルードゥイ・パニコーのところの夜会で語られたやうな珍談奇話に至つては、先づほかでは聞けないぢやらう。時にどうして部落《むら》の連中がこのわたしに※[#始め二重括弧、1-2-54]|赤毛の旦那《ルードゥイ・パニコー》※[#終わり二重括弧、1-2-55]などといふ渾名をつけたものか――頓とどうも合点がいかん。わたしは、髪の毛だつて今では赤毛どころか白髪の筈ぢや。しかしわれわれの仲間では、いつたん渾名をつけられたが最後、泣いても笑つても、それが未来永劫に亘つて用ゐられるのがならはしなんでな。それはさて、よく祭礼の前夜などに、堅気な人たちがこの蜜蜂飼の荒《あば》ら家《や》へお客にやつて来て、卓をかこんで席につく――さうなつたら、ただもう耳を澄まして聴き入るよりほかはないて。それもその筈で、集まつて来る人々はといへば、どうしてどうして、そんじよそこいらの十把ひとからげの水呑百姓などではなく、この蜜蜂飼などよりぐんと身分の高い人々にさへ、訪問を受けるのが肩身の広いやうなお歴々ばかりなのぢや。早い話が、あのディカーニカ寺院の役僧、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチを御存じでがせう? いやどうして、素晴らしい人物で! あの人が実に面白い物語を聴かせてくれたものぢや! この小|冊子《ぼん》の中にもそれが二つ載つてをる。この人は、よく田舎寺の役僧などが著てゐるやうな縞柄の褞袍《ハラート》などは決して身につけてをらん。それどころか、たとへ平日《ひらび》に訪ねて行つても、いつも、片栗粉でつくつた*キッセリの冷たくなつたやつのやうな色あひの、薄手の羅紗で仕立てた寛衣《バラホン》をまとつてお客を迎へるがの、その生地は*ポルタワで一*アルシンに六|留《ルーブリ》からだした品ぢや。また、この人の穿いてゐる長靴がつひぞ樹脂《タール》臭かつた、などといふ者は村ぢゆうに一人もゐないどころか、そんじよそこいらの百姓だつたら大喜びで粥《カーシャ》へ入れて食ふやうな、飛びきり上等の鵞鳥脂で自分の靴を磨いてゐることは隠れもない事実なのぢや。それにまた、あの人と同じ役柄の人たちがよくするやうに、寛衣の裾で鼻を拭いたりなぞするところを見た者も、誰ひとりない。あの人は何時もきまつて、きちんと折りたたんだ、縁に赤い糸で刺繍《ぬひとり》をした真白な手巾《ハンカチ》を懐ろから取り出して、然るべく用を足すと、またもやそれを几帳面に十二折りに折りたたんで、懐中へ仕舞ひこんだものだ。ところで、お客の一人に……いや、この人物は衣裳さへつけさせたら、てもなく陪審員か裁判官と見紛ふほどの貴公子であつたが、よく、かう、鼻の前《さき》へ指を突つ立てて、その指の頭を見ながら喋りだしたものでな――それがまた恐ろしく美辞麗句の羅列で、まるで活版に刷つたものでも読むやうな塩梅式なのぢや! それをおとなしく、じつと聴いてゐようなものなら、いつか此方《こちら》がふさぎの虫にとり憑かれてしまふくらゐで。何が何やら、ぶち殺されたつて解るこつちやない。いつたい何処からあんな文句を寄せ集めて来たものだらう? 或る時、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチが実に穿つた一口話をこしらへて、この男をあてこすつたものぢや。といふのは――さる役僧について読み書きを習つてゐた一人の学僕が、おつそろしい拉典語きちがひになつて父親のところへ戻つて来たが、こちとらのつかふ正教の言葉さへ忘れてしまつて、どんな言葉にでも※[#始め二重括弧、1-2-54]ウス※[#終わり二重括弧、1-2-55]といふ語尾をつけないと虫がをさまらず、匙鋤《ロパータ》をロパトウスだの、女《バーバ》をバブウスだのと言ふ始末。ところで、或る日のこと父親とつれだつて野良へ行きをつたが、この拉典語先生、ふと熊手を見つけると、父親に向つて、『これは、お父さん、こちらの言葉ではなんとか言ひましたつけね?』と訊ねたもんぢや。そしてぽかんと口を開けたまま、熊手の爪のところを踏んづけをつたと思ひなされ。すると、父親の返辞より先きに、熊手の柄がピョンと跳ね返つて来て、息子のおでこにいやといふほど打つかつたものさ!『えい、この忌々しい熊手《グラーブリ》めが!』と、二三尺も上へ跳びあがりながら、片手でおでこをおさへて、先生、悲鳴をあげをつた。『ほんに、こやつめが、――ええくそつ、こやつの親爺が橋のうへから悪魔にでも突き落されやあがればいい、――人の額を打ちやあがつて、おお痛い!』なんと、どんなもので! 奴さん忽ち名称《なまへ》を想い出しをつたではごわせんか! とな。こんなあてこすりが、この凝つた言ひまはしに憂身をやつしてゐる語り手の気に入らう筈がない。先生ひとことも口をきかずに席を蹴立つて部屋のまん中へ出ると、脚をかうふんばつて、すこし前こごみに首をうつむけてな、豌豆いろの*カフターンの後ろ衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、漆塗りの丸い嗅煙草入を引つぱり出すなり、その蓋に下手くそに描いてある何処か異国の大将の面《つら》に指弾きを一つ喰はせておいて、消炭と独活《うど》の葉とをまぜて擂つた嗅煙草をたつぷり一つまみ摘んだが、その手をばいやに気取つて鼻の方へ持つて行つたかと思ふと、その煙草を残らず、すうつと、拇指ひとつ鼻にふれずに宙で吸ひこんでしまつた――が依然として口をきかない。別の衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、やをら青い碁盤縞の木綿の手巾《ハンカチ》を取りだした時、はじめて、※[#始め二重括弧、1-2-54]豚に真珠さ……※[#終わり二重括弧、1-2-55]と、諺めいたことを口のなかで呟やいただけぢやつた。※[#始め二重括弧、1-2-54]どうやら喧嘩になりさうだぞ。※[#終わり二重括弧、1-2-55]と、わたしはフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチの指が徐ろに*馬鹿握《ドゥーリャ》を拵らへようとしてゐるのを見て、さう思つた。ところがいい塩梅に、うちの老妻《ばばあ》が気をきかせてな、ほやほやの焼麺麭《クニーシュ》にバタをつけたやつを卓子《テーブル》へだしたので、一座の衆は期せずしてそのまはりへと集まつた。拳《こぶし》を突きつけようとしてゐたフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチの手も、つい焼麺麭《クニーシュ》の方へ差しのばされて、皆の衆は例によつて例の如く、主婦の技倆《うでまへ》の鮮やかさを口々に褒めそやしはじめたものぢや。ほかにもう一人、語り手がゐたが、その人は(どうもそれを寝しなに思ひ出すのは、ちと具合が悪いけれど)実に身の毛もよだつやうな怖ろしい話をして聴かせたものぢや。だが、わたしはわざとその話はこの本へ載せなかつた。このうへ堅気な人たちをおどかしては、皆の衆がこのわたしを鬼かなんぞのやうに怯ぢ怖れだすかも知れないからぢや。もし神のお恵みで新年まで生きながらへて、もう一冊の本を出すやうなことにでもなれば、その時こそ、あの世から迷つて出てくる亡者だの、むかしむかし、この正教の国にあつたくさぐさの不可思議な出来ごとだのの物語で、少しばかりぞうつとさせて進ぜてもよろしい。それと一緒に、ひよつとしたら、この蜜蜂飼が孫たちに話して聴かせたお伽噺もお目どほりをするかもしれない。ちやんとして聴くなり読むなりして頂けさへすれば、選り出すのがちと億劫ではあるけれど、こんな本の十冊やそこいらの話の種にことは欠きませんのぢや。
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キッセリ ジェリイか葛湯に似た一種の料理。
ポルタワ 南露ポルタワ県の首都、ドニェープルの支流ウォルスクラ河の沿岸にあり、一七〇九年北方戦役に際し、小露西亜に攻め寄せた瑞典軍を彼得一世が撃破せしところ。
アルシン 露西亜の尺度――〇・七二米に当る。
カフターン 一般農民の用ゐる外套様の長上衣。小露西亜人の用ゐるスヰートカに対応するもの。
馬鹿握《ドゥーリャ》 拇指の頭を食指と中指の間から出して握つた拳、これを相手の面前へ突き出すことによつて侮蔑嘲弄を表はす。シーシュカともいふ。
[#ここで字下げ終わり]
 さうさう、もう少しで、いちばん大切なことを忘れてしまふところぢやつた。わたしのところへ諸君《みなさん》がおいでになるのだつたら、国道をディカーニカ目ざして真直にやつて来て頂けばよろしい。手前どもの部落《むら》がちつとでも早くお分りになるやうにと思つて、わざわざディカーニカの地名《ところな》を本の標題に置いたやうな次第でな。ディカーニカといへば、もう百も御承知のことであらう。それあもうその筈で、あすこぢやあ、家屋《いえ》だつて蜜蜂飼風情の小舎などとはずんときれいで、果樹園ときたら、いやどうも、あなた方の彼得堡《ペテルブルグ》にだつて、あれだけのものはちよつとやそつとには見当りますまいからね。それで、ディカーニカまでおいでになつたら、穢ならしいシャツ一枚で鵞鳥の番をしてをる出あひ頭の小僧つ児に、※[#始め二重括弧、1-2-54]蜜蜂飼のルードゥイ・パニコーの家は何処だい?※[#終わり二重括弧、1-2-55]とお訊ね下され。さうすれば、※[#始め二重括弧、1-2-54]あすこだよ※[#終わり二重括弧、1-2-55]と言つて、その小僧つ児が指をさしてすぐにお教へするでせう。もしお望みとあれば当のこの部落《むら》まで、先きに立つて御案内することでせう。※[#「にんべん+且」、24-15]しお断わりしておかねばならないのは、後ろ手なんぞ拱んで、いはゆる容態ぶつた歩き方などなさるのは、見合はせて頂きたいことで、といふのは、こちらの村道といふやつが、あなた方のお邸の前の大通りみたいに坦・砥の如しとは、ちよつと申しあげかねるからで。一昨年《をととし》のこと、例のフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチがディカーニカからやつて来て、たうとう新らしい馬車と鹿毛《かげ》の牝馬もろとも、崩穴《がけ》へ落つこちてしまつたといふ始末でな、それも自身の手で手綱を捌き、そして時々は自分の肉眼の上へ更に買ひものの眼をおつつけおつつけしてゐたにも拘らずぢや。
 さるかはり、一度お客においで下すつたなら、それこそ、恐らく生まれてこのかた、つひぞ召しあがつたこともないやうな甜瓜《まくはうり》を御馳走いたしますよ。それに蜂蜜なら、請合つて、そんじよそこいらの部落《むら》では金輪際、見つかりつこない飛びきり上等の蜜を進ぜますて。まあ、思つてもみて下され――蜜房を持つてくるてえと、部屋ぢゆうにぷんぷんと芳香がみなぎりわたるといふ始末でな、いや、とてもとても想像することも出来ませぬくらゐ、まるで涙か、それともよく耳環にはめる高価な水晶のやうに、混りつけのない蜂蜜ですぢやて。それから、うちの老妻《ばばあ》が御馳走する*ピローグですよ! それがどんな素晴らしいピローグだか、ひとつお眼にかけたいくらゐで、いや砂糖、まるつきり砂糖のやうでな! そいつを頬ばりだすと、もうバタが唇《くち》をつたつてたらたらと流れだす始末。まつたく考へて見るに婦女子《をなご》どもといふやつは何から何まで実に器用なものぢや! いつか皆さんは茨《いばら》の実を入れた梨の濁麦酒《クワス》だの、乾葡萄や黒梅の入つた混成酒《ワレヌーハ》を召しあがつたことがおありかな? それとも、牛乳《ちち》いりの雑炊《プートリャ》を召しあがつたことがおありかな? いやはや、この世の中にはなんと夥しく、いろんな食べ物がありますことぢやらう! つまみにかかつたが最後、腹いつぱい、しこたま詰めこまずにはゐられませんわい。美味《うま》いものあさりといふやつは、実になんともいひやうのないものでしてな! 去年のことぢやが……。いや、それはさて、わたしとしたことが、何をしやべりこけてしまつたことやら? つまるところは、ただお出かけになつてさへ下さればよろしいので、一刻《いつとき》もはやくおいでになつてさへ頂けばな、さうすれば、もう、逢ふ人見る人ごとに、いちいち吹聴なさらずにはゐられないほどの素晴らしい御馳走をして進ぜまするよ。恐惶謹言
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ピローグ パイに似た露西亜独特の菓子。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]蜜蜂飼 ルードゥイ・パニコー
[#地から1字上げ]しるす

『まつたくこれは奇態な本だ、※[#始め二重括弧、1-2-54]ディカーニカ近郷夜話※[#終わり二重括弧、1-2-55]か? いつたい※[#始め二重括弧、1-2-54]夜話※[#終わり二重括弧、1-2-55]とはなんだらう? 何処かの蜜蜂飼かなんかがこんなものを世間へ発行《だ》しをつて! お蔭さまなことだよ! 羽根ペンを拵らへるのにどれだけ鵞鳥を裸かにし、紙を漉くのにどれだけ襤褸くづをつかつたら堪能ができるのだらう! 貴賤の別なく猫や杓子までが見やう見真似で、やたら無性に墨汁へ指を突つこんでも突つこんでも、まだ足りないのだ! あげくの果てには、こんなどこの馬の骨とも分らない蜜蜂飼風情までが、柄にもなく変な野心をおこすのだ! まつたく、かう碌でもない活版刷の反古ばかり矢鱈に殖えた日には、一体これをなんの包み紙につかつたものやら、おいそれと考へつくことも出来やしない。』
 かういつた横槍が飛び出すだらうとは、もう一と月も前から、ちやんと感づいてゐたことなんで! いや、まつたくこちとらのやうな田舎ものにとつては、この井の中から世間さまへ顔を突きだすといふことが――どうもはや!――よくある奴で、ちやうど立派な旦那がたのお邸へ戸惑ひして足をふんごんだのと頓とひとつで、人々がぐるりをとりまいて直ぐにからかひだす。それも奥むきの奉公人ででもあらうことか――ぼろぼろの服装《なり》をして裏庭で土いぢりでもしてゐさうな小穢ならしい小僧つ児までがいつしよになつて、四方八方から足を踏みならしながら、がなりだす。『何処へのこのこと迷ひこんで来やがるのだ? いつたい何をしに来やがつたんだ? さあ出て行け、このどん百姓めが、とつとと出てうせやあがれ!』つてんで……実際の話だが……。いや、何も言ふがものはない! まつたく、このわしにとつては、広い世間さまへ顔出しをするよりは、年に二度*ミルゴロドへ出むく方がよつぽど安易《らく》なんで、ところが、そのミルゴロドの地方裁判所の監督書記にも、あすこの偉い和尚にも、もう五年このかた頓と会はないやうな次第でな。――したが、いつたん顔を出したからには、泣いても笑つても一通りの弁疏《いひわけ》はしておかずばなるまいて。
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ミルゴロド 小露西亜ポルタワ県下の小都会。ドニェープルの支流ホロール河の沿岸に位し、『ディカーニカ近郷夜話』に次いでゴーゴリが書いた著作集『ミルゴロド』は、この地名を採つて標題としたのである。
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 さて、親愛なる読者諸子よ、――いや飛んでもないことを申して御免なされ、(若しかしたら、こんな蜜蜂飼風情があなた方にむかつて、まるで自分の仲人《なかうど》か教父にでも話しかけるやうな、不躾けな物の言ひ方をするのをさぞかし御立腹になるかもしれませんが)――われわれの部落《むら》では昔からのならはしで、野良仕事がすつかり片づくといふと、待つてゐたとばかりに百姓たちは長の冬ぢゆう、のうのうと体を休めるために煖炉《ペチカ》の上へ這ひあがり、手前ども同業者仲間はめいめいの蜜蜂を暗い土窖《つちむろ》へかこふのぢや。その頃になると、もう空には一羽の鶴も姿を見せず、枝には梨の果《み》ひとつ残つてはゐない。が、その代り、夕方にさへなれば必らずどこか往還のはづれに灯影がさして、笑ひ声や唄声が遠くまでも聞え、*バラライカや、時には※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリンの音までが漂うて来る。がやがやといふ話声や騒々しい物音が伝はつて来る……。これがわれわれ仲間の所謂※[#始め二重括弧、1-2-54]夜会※[#終わり二重括弧、1-2-55]なんでな! まあ言つて見れば、あなた方の舞踏会に似たやうなものではあるが、さうかといつて、まるきり同じものだとも申しかねる。あなた方が舞踏会へお出かけになるのは、いはば足をふらふらさせたり、口に手をあてて、そつと欠伸をなさらうために他ならないが、われわれの方はさうではない。てんでに紡錘《つむ》や麻梳《あさこき》を持つた娘たちが先づ一軒の家へどやどやと寄りつどふ。そして初手《はな》のあひだは、どうやら一生懸命に仕事に身をいれてゐるやうで、紡錘はビイビイ唸り、唄声がはずんで、娘つこたちはめいめい傍目もふらぬ有様なのぢや。ところが、そこへ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリン弾きをつれた若い衆連が不意に押しかけて来ると同時に――どつといふ叫び声があがつて、とてつもない馬鹿騒ぎが持ちあがり、踊りが始まり、なんともはやお話にもならぬ悪戯《わるさ》がおつぱじまる始末なのぢや。
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バラライカ 露西亜の農民間に愛用される楽器の一種で、共鳴胴の表面が三角形をなす、マンドリンに類似した三絃琴。指頭で絃を掻きならして感傷的な音色を出す。
[#ここで字下げ終わり]
 だが、何よりも嬉しいのは、一同ひしひしと一と塊りに寄りたかつて、謎々を解いたり、または単に――無駄口をたたく時ぢや。いやどうも、何か一つとして口の端にのぼらぬやうなことがあるだらうか! 古い昔話といふ昔話が一から十まで蒸しかへされるのぢや! ありとあらゆる怖ろしい怪談が持ちだされるのぢや! したが、かくいふ蜜蜂飼ルードゥイ・パニコーのところの夜会で語られたやうな珍談奇話に至つては、先づほかでは聞けないぢやらう。時にどうして部落《むら》の連中がこのわたしに※[#始め二重括弧、1-2-54]|赤毛の旦那《ルードゥイ・パニコー》※[#終わり二重括弧、1-2-55]などといふ渾名をつけたものか――頓とどうも合点がいかん。わたしは、髪の毛だつて今では赤毛どころか白髪の筈ぢや。しかしわれわれの仲間では、いつたん渾名をつけられたが最後、泣いても笑つても、それが未来永劫に亘つて用ゐられるのがならはしなんでな。それはさて、よく祭礼の前夜などに、堅気な人たちがこの蜜蜂飼の荒《あば》ら家《や》へお客にやつて来て、卓をかこんで席につく――さうなつたら、ただもう耳を澄まして聴き入るよりほかはないて。それもその筈で、集まつて来る人々はといへば、どうしてどうして、そんじよそこいらの十把ひとからげの水呑百姓などではなく、この蜜蜂飼などよりぐんと身分の高い人々にさへ、訪問を受けるのが肩身の広いやうなお歴々ばかりなのぢや。早い話が、あのディカーニカ寺院の役僧、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチを御存じでがせう? いやどうして、素晴らしい人物で! あの人が実に面白い物語を聴かせてくれたものぢや! この小|冊子《ぼん》の中にもそれが二つ載つてをる。この人は、よく田舎寺の役僧などが著てゐるやうな縞柄の褞袍《ハラート》などは決して身につけてをらん。それどころか、たとへ平日《ひらび》に訪ねて行つても、いつも、片栗粉でつくつた*キッセリの冷たくなつたやつのやうな色あひの、薄手の羅紗で仕立てた寛衣《バラホン》をまとつてお客を迎へるがの、その生地は*ポルタワで一*アルシンに六|留《ルーブリ》からだした品ぢや。また、この人の穿いてゐる長靴がつひぞ樹脂《タール》臭かつた、などといふ者は村ぢゆうに一人もゐないどころか、そんじよそこいらの百姓だつたら大喜びで粥《カーシャ》へ入れて食ふやうな、飛びきり上等の鵞鳥脂で自分の靴を磨いてゐることは隠れもない事実なのぢや。それにまた、あの人と同じ役柄の人たちがよくするやうに、寛衣の裾で鼻を拭いたりなぞするところを見た者も、誰ひとりない。あの人は何時もきまつて、きちんと折りたたんだ、縁に赤い糸で刺繍《ぬひとり》をした真白な手巾《ハンカチ》を懐ろから取り出して、然るべく用を足すと、またもやそれを几帳面に十二折りに折りたたんで、懐中へ仕舞ひこんだものだ。ところで、お客の一人に……いや、この人物は衣裳さへつけさせたら、てもなく陪審員か裁判官と見紛ふほどの貴公子であつたが、よく、かう、鼻の前《さき》へ指を突つ立てて、その指の頭を見ながら喋りだしたものでな――それがまた恐ろしく美辞麗句の羅列で、まるで活版に刷つたものでも読むやうな塩梅式なのぢや! それをおとなしく、じつと聴いてゐようなものなら、いつか此方《こちら》がふさぎの虫にとり憑かれてしまふくらゐで。何が何やら、ぶち殺されたつて解るこつちやない。いつたい何処からあんな文句を寄せ集めて来たものだらう? 或る時、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチが実に穿つた一口話をこしらへて、この男をあてこすつたものぢや。といふのは――さる役僧について読み書きを習つてゐた一人の学僕が、おつそろしい拉典語きちがひになつて父親のところへ戻つて来たが、こちとらのつかふ正教の言葉さへ忘れてしまつて、どんな言葉にでも※[#始め二重括弧、1-2-54]ウス※[#終わり二重括弧、1-2-55]といふ語尾をつけないと虫がをさまらず、匙鋤《ロパータ》をロパトウスだの、女《バーバ》をバブウスだのと言ふ始末。ところで、或る日のこと父親とつれだつて野良へ行きをつたが、この拉典語先生、ふと熊手を見つけると、父親に向つて、『これは、お父さん、こちらの言葉ではなんとか言ひましたつけね?』と訊ねたもんぢや。そしてぽかんと口を開けたまま、熊手の爪のところを踏んづけをつたと思ひなされ。すると、父親の返辞より先きに、熊手の柄がピョンと跳ね返つて来て、息子のおでこにいやといふほど打つかつたものさ!『えい、この忌々しい熊手《グラーブリ》めが!』と、二三尺も上へ跳びあがりながら、片手でおでこをおさへて、先生、悲鳴をあげをつた。『ほんに、こやつめが、――ええくそつ、こやつの親爺が橋のうへから悪魔にでも突き落されやあがればいい、――人の額を打ちやあがつて、おお痛い!』なんと、どんなもので! 奴さん忽ち名称《なまへ》を想い出しをつたではごわせんか! とな。こんなあてこすりが、この凝つた言ひまはしに憂身をやつしてゐる語り手の気に入らう筈がない。先生ひとことも口をきかずに席を蹴立つて部屋のまん中へ出ると、脚をかうふんばつて、すこし前こごみに首をうつむけてな、豌豆いろの*カフターンの後ろ衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、漆塗りの丸い嗅煙草入を引つぱり出すなり、その蓋に下手くそに描いてある何処か異国の大将の面《つら》に指弾きを一つ喰はせておいて、消炭と独活《うど》の葉とをまぜて擂つた嗅煙草をたつぷり一つまみ摘んだが、その手をばいやに気取つて鼻の方へ持つて行つたかと思ふと、その煙草を残らず、すうつと、拇指ひとつ鼻にふれずに宙で吸ひこんでしまつた――が依然として口をきかない。別の衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、やをら青い碁盤縞の木綿の手巾《ハンカチ》を取りだした時、はじめて、※[#始め二重括弧、1-2-54]豚に真珠さ……※[#終わり二重括弧、1-2-55]と、諺めいたことを口のなかで呟やいただけぢやつた。※[#始め二重括弧、1-2-54]どうやら喧嘩になりさうだぞ。※[#終わり二重括弧、1-2-55]と、わたしはフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチの指が徐ろに*馬鹿握《ドゥーリャ》を拵らへようとしてゐるのを見て、さう思つた。ところがいい塩梅に、うちの老妻《ばばあ》が気をきかせてな、ほやほやの焼麺麭《クニーシュ》にバタをつけたやつを卓子《テーブル》へだしたので、一座の衆は期せずしてそのまはりへと集まつた。拳《こぶし》を突きつけようとしてゐたフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチの手も、つい焼麺麭《クニーシュ》の方へ差しのばされて、皆の衆は例によつて例の如く、主婦の技倆《うでまへ》の鮮やかさを口々に褒めそやしはじめたものぢや。ほかにもう一人、語り手がゐたが、その人は(どうもそれを寝しなに思ひ出すのは、ちと具合が悪いけれど)実に身の毛もよだつやうな怖ろしい話をして聴かせたものぢや。だが、わたしはわざとその話はこの本へ載せなかつた。このうへ堅気な人たちをおどかしては、皆の衆がこのわたしを鬼かなんぞのやうに怯ぢ怖れだすかも知れないからぢや。もし神のお恵みで新年まで生きながらへて、もう一冊の本を出すやうなことにでもなれば、その時こそ、あの世から迷つて出てくる亡者だの、むかしむかし、この正教の国にあつたくさぐさの不可思議な出来ごとだのの物語で、少しばかりぞうつとさせて進ぜてもよろしい。それと一緒に、ひよつとしたら、この蜜蜂飼が孫たちに話して聴かせたお伽噺もお目どほりをするかもしれない。ちやんとして聴くなり読むなりして頂けさへすれば、選り出すのがちと億劫ではあるけれど、こんな本の十冊やそこいらの話の種にことは欠きませんのぢや。
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キッセリ ジェリイか葛湯に似た一種の料理。
ポルタワ 南露ポルタワ県の首都、ドニェープルの支流ウォルスクラ河の沿岸にあり、一七〇九年北方戦役に際し、小露西亜に攻め寄せた瑞典軍を彼得一世が撃破せしところ。
アルシン 露西亜の尺度――〇・七二米に当る。
カフターン 一般農民の用ゐる外套様の長上衣。小露西亜人の用ゐるスヰートカに対応するもの。
馬鹿握《ドゥーリャ》 拇指の頭を食指と中指の間から出して握つた拳、これを相手の面前へ突き出すことによつて侮蔑嘲弄を表はす。シーシュカともいふ。
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 さうさう、もう少しで、いちばん大切なことを忘れてしまふところぢやつた。わたしのところへ諸君《みなさん》がおいでになるのだつたら、国道をディカーニカ目ざして真直にやつて来て頂けばよろしい。手前どもの部落《むら》がちつとでも早くお分りになるやうにと思つて、わざわざディカーニカの地名《ところな》を本の標題に置いたやうな次第でな。ディカーニカといへば、もう百も御承知のことであらう。それあもうその筈で、あすこぢやあ、家屋《いえ》だつて蜜蜂飼風情の小舎などとはずんときれいで、果樹園ときたら、いやどうも、あなた方の彼得堡《ペテルブルグ》にだつて、あれだけのものはちよつとやそつとには見当りますまいからね。それで、ディカーニカまでおいでになつたら、穢ならしいシャツ一枚で鵞鳥の番をしてをる出あひ頭の小僧つ児に、※[#始め二重括弧、1-2-54]蜜蜂飼のルードゥイ・パニコーの家は何処だい?※[#終わり二重括弧、1-2-55]とお訊ね下され。さうすれば、※[#始め二重括弧、1-2-54]あすこだよ※[#終わり二重括弧、1-2-55]と言つて、その小僧つ児が指をさしてすぐにお教へするでせう。もしお望みとあれば当のこの部落《むら》まで、先きに立つて御案内することでせう。※[#「にんべん+且」、24-15]しお断わりしておかねばならないのは、後ろ手なんぞ拱んで、いはゆる容態ぶつた歩き方などなさるのは、見合はせて頂きたいことで、といふのは、こちらの村道といふやつが、あなた方のお邸の前の大通りみたいに坦・砥の如しとは、ちよつと申しあげかねるからで。一昨年《をととし》のこと、例のフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチがディカーニカからやつて来て、たうとう新らしい馬車と鹿毛《かげ》の牝馬もろとも、崩穴《がけ》へ落つこちてしまつたといふ始末でな、それも自身の手で手綱を捌き、そして時々は自分の肉眼の上へ更に買ひものの眼をおつつけおつつけしてゐたにも拘らずぢや。
 さるかはり、一度お客においで下すつたなら、それこそ、恐らく生まれてこのかた、つひぞ召しあがつたこともないやうな甜瓜《まくはうり》を御馳走いたしますよ。それに蜂蜜なら、請合つて、そんじよそこいらの部落《むら》では金輪際、見つかりつこない飛びきり上等の蜜を進ぜますて。まあ、思つてもみて下され――蜜房を持つてくるてえと、部屋ぢゆうにぷんぷんと芳香がみなぎりわたるといふ始末でな、いや、とてもとても想像することも出来ませぬくらゐ、まるで涙か、それともよく耳環にはめる高価な水晶のやうに、混りつけのない蜂蜜ですぢやて。それから、うちの老妻《ばばあ》が御馳走する*ピローグですよ! それがどんな素晴らしいピローグだか、ひとつお眼にかけたいくらゐで、いや砂糖、まるつきり砂糖のやうでな! そいつを頬ばりだすと、もうバタが唇《くち》をつたつてたらたらと流れだす始末。まつたく考へて見るに婦女子《をなご》どもといふやつは何から何まで実に器用なものぢや! いつか皆さんは茨《いばら》の実を入れた梨の濁麦酒《クワス》だの、乾葡萄や黒梅の入つた混成酒《ワレヌーハ》を召しあがつたことがおありかな? それとも、牛乳《ちち》いりの雑炊《プートリャ》を召しあがつたことがおありかな? いやはや、この世の中にはなんと夥しく、いろんな食べ物がありますことぢやらう! つまみにかかつたが最後、腹いつぱい、しこたま詰めこまずにはゐられませんわい。美味《うま》いものあさりといふやつは、実になんともいひやうのないものでしてな! 去年のことぢやが……。いや、それはさて、わたしとしたことが、何をしやべりこけてしまつたことやら? つまるところは、ただお出かけになつてさへ下さればよろしいので、一刻《いつとき》もはやくおいでになつてさへ頂けばな、さうすれば、もう、逢ふ人見る人ごとに、いちいち吹聴なさらずにはゐられないほどの素晴らしい御馳走をして進ぜまするよ。恐惶謹言
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ピローグ パイに似た露西亜独特の菓子。
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[#地から3字上げ]蜜蜂飼 ルードゥイ・パニコー
[#地から1字上げ]しるす

底本:「ディカーニカ近郷夜話 前篇」岩波文庫、岩波書店
   1937(昭和12)年7月30日第1刷発行
   1994(平成6)年10月6日第8刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本の中扉には「ディカーニカ近郷夜話 前篇」の表記の左下に「蜜蜂飼ルードゥイ・パニコー著はすところの物語集」と小書きされています。
※「*」は訳注記号です。底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:oterudon
校正:伊藤時也
2009年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

[#終わり二重括弧、1-2-55]か? いつたい※[#始め二重括弧、1-2-54]夜話※[#終わり二重括弧、1-2-55]とはなんだらう? 何処かの蜜蜂飼かなんかがこんなものを世間へ発行《だ》しをつて! お蔭さまなことだよ! 羽根ペンを拵らへるのにどれだけ鵞鳥を裸かにし、紙を漉くのにどれだけ襤褸くづをつかつたら堪能ができるのだらう! 貴賤の別なく猫や杓子までが見やう見真似で、やたら無性に墨汁へ指を突つこんでも突つこんでも、まだ足りないのだ! あげくの果てには、こんなどこの馬の骨とも分らない蜜蜂飼風情までが、柄にもなく変な野心をおこすのだ! まつたく、かう碌でもない活版刷の反古ばかり矢鱈に殖えた日には、一体これをなんの包み紙につかつたものやら、おいそれと考へつくことも出来やしない。』
 かういつた横槍が飛び出すだらうとは、もう一と月も前から、ちやんと感づいてゐたことなんで! いや、まつたくこちとらのやうな田舎ものにとつては、この井の中から世間さまへ顔を突きだすといふことが――どうもはや!――よくある奴で、ちやうど立派な旦那がたのお邸へ戸惑ひして足をふんごんだのと頓とひとつで、人々がぐるりをとりまいて直ぐにからかひだす。それも奥むきの奉公人ででもあらうことか――ぼろぼろの服装《なり》をして裏庭で土いぢりでもしてゐさうな小穢ならしい小僧つ児までがいつしよになつて、四方八方から足を踏みならしながら、がなりだす。『何処へのこのこと迷ひこんで来やがるのだ? いつたい何をしに来やがつたんだ? さあ出て行け、このどん百姓めが、とつとと出てうせやあがれ!』つてんで……実際の話だが……。いや、何も言ふがものはない! まつたく、このわしにとつては、広い世間さまへ顔出しをするよりは、年に二度*ミルゴロドへ出むく方がよつぽど安易《らく》なんで、ところが、そのミルゴロドの地方裁判所の監督書記にも、あすこの偉い和尚にも、もう五年このかた頓と会はないやうな次第でな。――したが、いつたん顔を出したからには、泣いても笑つても一通りの弁疏《いひわけ》はしておかずばなるまいて。
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ミルゴロド 小露西亜ポルタワ県下の小都会。ドニェープルの支流ホロール河の沿岸に位し、『ディカーニカ近郷夜話』に次いでゴーゴリが書いた著作集『ミルゴロド』は、この地名を採つて標題としたのである。
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 さて、親愛なる読者諸子よ、――いや飛んでもないことを申して御免なされ、(若しかしたら、こんな蜜蜂飼風情があなた方にむかつて、まるで自分の仲人《なかうど》か教父にでも話しかけるやうな、不躾けな物の言ひ方をするのをさぞかし御立腹になるかもしれませんが)――われわれの部落《むら》では昔からのならはしで、野良仕事がすつかり片づくといふと、待つてゐたとばかりに百姓たちは長の冬ぢゆう、のうのうと体を休めるために煖炉《ペチカ》の上へ這ひあがり、手前ども同業者仲間はめいめいの蜜蜂を暗い土窖《つちむろ》へかこふのぢや。その頃になると、もう空には一羽の鶴も姿を見せず、枝には梨の果《み》ひとつ残つてはゐない。が、その代り、夕方にさへなれば必らずどこか往還のはづれに灯影がさして、笑ひ声や唄声が遠くまでも聞え、*バラライカや、時には※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリンの音までが漂うて来る。がやがやといふ話声や騒々しい物音が伝はつて来る……。これがわれわれ仲間の所謂※[#始め二重括弧、1-2-54]夜会※[#終わり二重括弧、1-2-55]なんでな! まあ言つて見れば、あなた方の舞踏会に似たやうなものではあるが、さうかといつて、まるきり同じものだとも申しかねる。あなた方が舞踏会へお出かけになるのは、いはば足をふらふらさせたり、口に手をあてて、そつと欠伸をなさらうために他ならないが、われわれの方はさうではない。てんでに紡錘《つむ》や麻梳《あさこき》を持つた娘たちが先づ一軒の家へどやどやと寄りつどふ。そして初手《はな》のあひだは、どうやら一生懸命に仕事に身をいれてゐるやうで、紡錘はビイビイ唸り、唄声がはずんで、娘つこたちはめいめい傍目もふらぬ有様なのぢや。ところが、そこへ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリン弾きをつれた若い衆連が不意に押しかけて来ると同時に――どつといふ叫び声があがつて、とてつもない馬鹿騒ぎが持ちあがり、踊りが始まり、なんともはやお話にもならぬ悪戯《わるさ》がおつぱじまる始末なのぢや。
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バラライカ 露西亜の農民間に愛用される楽器の一種で、共鳴胴の表面が三角形をなす、マンドリンに類似した三絃琴。指頭で絃を掻きならして感傷的な音色を出す。
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 だが、何よりも嬉しいのは、一同ひしひしと一と塊りに寄りたかつて、謎々を解いたり、または単に――無駄口をたたく時ぢや。いやどうも、何か一つとして口の端にのぼらぬやうなことがあるだらうか! 古い昔話といふ昔話が一から十まで蒸しかへされるのぢや! ありとあらゆる怖ろしい怪談が持ちだされるのぢや! したが、かくいふ蜜蜂飼ルードゥイ・パニコーのところの夜会で語られたやうな珍談奇話に至つては、先づほかでは聞けないぢやらう。時にどうして部落《むら》の連中がこのわたしに※[#始め二重括弧、1-2-54]|赤毛の旦那《ルードゥイ・パニコー》※[#終わり二重括弧、1-2-55]などといふ渾名をつけたものか――頓とどうも合点がいかん。わたしは、髪の毛だつて今では赤毛どころか白髪の筈ぢや。しかしわれわれの仲間では、いつたん渾名をつけられたが最後、泣いても笑つても、それが未来永劫に亘つて用ゐられるのがならはしなんでな。それはさて、よく祭礼の前夜などに、堅気な人たちがこの蜜蜂飼の荒《あば》ら家《や》へお客にやつて来て、卓をかこんで席につく――さうなつたら、ただもう耳を澄まして聴き入るよりほかはないて。それもその筈で、集まつて来る人々はといへば、どうしてどうして、そんじよそこいらの十把ひとからげの水呑百姓などではなく、この蜜蜂飼などよりぐんと身分の高い人々にさへ、訪問を受けるのが肩身の広いやうなお歴々ばかりなのぢや。早い話が、あのディカーニカ寺院の役僧、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチを御存じでがせう? いやどうして、素晴らしい人物で! あの人が実に面白い物語を聴かせてくれたものぢや! この小|冊子《ぼん》の中にもそれが二つ載つてをる。この人は、よく田舎寺の役僧などが著てゐるやうな縞柄の褞袍《ハラート》などは決して身につけてをらん。それどころか、たとへ平日《ひらび》に訪ねて行つても、いつも、片栗粉でつくつた*キッセリの冷たくなつたやつのやうな色あひの、薄手の羅紗で仕立てた寛衣《バラホン》をまとつてお客を迎へるがの、その生地は*ポルタワで一*アルシンに六|留《ルーブリ》からだした品ぢや。また、この人の穿いてゐる長靴がつひぞ樹脂《タール》臭かつた、などといふ者は村ぢゆうに一人もゐないどころか、そんじよそこいらの百姓だつたら大喜びで粥《カーシャ》へ入れて食ふやうな、飛びきり上等の鵞鳥脂で自分の靴を磨いてゐることは隠れもない事実なのぢや。それにまた、あの人と同じ役柄の人たちがよくするやうに、寛衣の裾で鼻を拭いたりなぞするところを見た者も、誰ひとりない。あの人は何時もきまつて、きちんと折りたたんだ、縁に赤い糸で刺繍《ぬひとり》をした真白な手巾《ハンカチ》を懐ろから取り出して、然るべく用を足すと、またもやそれを几帳面に十二折りに折りたたんで、懐中へ仕舞ひこんだものだ。ところで、お客の一人に……いや、この人物は衣裳さへつけさせたら、てもなく陪審員か裁判官と見紛ふほどの貴公子であつたが、よく、かう、鼻の前《さき》へ指を突つ立てて、その指の頭を見ながら喋りだしたものでな――それがまた恐ろしく美辞麗句の羅列で、まるで活版に刷つたものでも読むやうな塩梅式なのぢや! それをおとなしく、じつと聴いてゐようなものなら、いつか此方《こちら》がふさぎの虫にとり憑かれてしまふくらゐで。何が何やら、ぶち殺されたつて解るこつちやない。いつたい何処からあんな文句を寄せ集めて来たものだらう? 或る時、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチが実に穿つた一口話をこしらへて、この男をあてこすつたものぢや。といふのは――さる役僧について読み書きを習つてゐた一人の学僕が、おつそろしい拉典語きちがひになつて父親のところへ戻つて来たが、こちとらのつかふ正教の言葉さへ忘れてしまつて、どんな言葉にでも※[#始め二重括弧、1-2-54]ウス※[#終わり二重括弧、1-2-55]といふ語尾をつけないと虫がをさまらず、匙鋤《ロパータ》をロパトウスだの、女《バーバ》をバブウスだのと言ふ始末。ところで、或る日のこと父親とつれだつて野良へ行きをつたが、この拉典語先生、ふと熊手を見つけると、父親に向つて、『これは、お父さん、こちらの言葉ではなんとか言ひましたつけね?』と訊ねたもんぢや。そしてぽかんと口を開けたまま、熊手の爪のところを踏んづけをつたと思ひなされ。すると、父親の返辞より先きに、熊手の柄がピョンと跳ね返つて来て、息子のおでこにいやといふほど打つかつたものさ!『えい、この忌々しい熊手《グラーブリ》めが!』と、二三尺も上へ跳びあがりながら、片手でおでこをおさへて、先生、悲鳴をあげをつた。『ほんに、こやつめが、――ええくそつ、こやつの親爺が橋のうへから悪魔にでも突き落されやあがればいい、――人の額を打ちやあがつて、おお痛い!』なんと、どんなもので! 奴さん忽ち名称《なまへ》を想い出しをつたではごわせんか! とな。こんなあてこすりが、この凝つた言ひまはしに憂身をやつしてゐる語り手の気に入らう筈がない。先生ひとことも口をきかずに席を蹴立つて部屋のまん中へ出ると、脚をかうふんばつて、すこし前こごみに首をうつむけてな、豌豆いろの*カフターンの後ろ衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、漆塗りの丸い嗅煙草入を引つぱり出すなり、その蓋に下手くそに描いてある何処か異国の大将の面《つら》に指弾きを一つ喰はせておいて、消炭と独活《うど》の葉とをまぜて擂つた嗅煙草をたつぷり一つまみ摘んだが、その手をばいやに気取つて鼻の方へ持つて行つたかと思ふと、その煙草を残らず、すうつと、拇指ひとつ鼻にふれずに宙で吸ひこんでしまつた――が依然として口をきかない。別の衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、やをら青い碁盤縞の木綿の手巾《ハンカチ》を取りだした時、はじめて、※[#始め二重括弧、1-2-54]豚に真珠さ……※[#終わり二重括弧、1-2-55]と、諺めいたことを口のなかで呟やいただけぢやつた。※[#始め二重括弧、1-2-54]どうやら喧嘩になりさうだぞ。※[#終わり二重括弧、1-2-55]と、わたしはフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチの指が徐ろに*馬鹿握《ドゥーリャ》を拵らへようとしてゐるのを見て、さう思つた。ところがいい塩梅に、うちの老妻《ばばあ》が気をきかせてな、ほやほやの焼麺麭《クニーシュ》にバタをつけたやつを卓子《テーブル》へだしたので、一座の衆は期せずしてそのまはりへと集まつた。拳《こぶし》を突きつけようとしてゐたフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチの手も、つい焼麺麭《クニーシュ》の方へ差しのばされて、皆の衆は例によつて例の如く、主婦の技倆《うでまへ》の鮮やかさを口々に褒めそやしはじめたものぢや。ほかにもう一人、語り手がゐたが、その人は(どうもそれを寝しなに思ひ出すのは、ちと具合が悪いけれど)実に身の毛もよだつやうな怖ろしい話をして聴かせたものぢや。だが、わたしはわざとその話はこの本へ載せなかつた。このうへ堅気な人たちをおどかしては、皆の衆がこのわたしを鬼かなんぞのやうに怯ぢ怖れだすかも知れないからぢや。もし神のお恵みで新年まで生きながらへて、もう一冊の本を出すやうなことにでもなれば、その時こそ、あの世から迷つて出てくる亡者だの、むかしむかし、この正教の国にあつたくさぐさの不可思議な出来ごとだのの物語で、少しばかりぞうつとさせて進ぜてもよろしい。それと一緒に、ひよつとしたら、この蜜蜂飼が孫たちに話して聴かせたお伽噺もお目どほりをするかもしれない。ちやんとして聴くなり読むなりして頂けさへすれば、選り出すのがちと億劫ではあるけれど、こんな本の十冊やそこいらの話の種にことは欠きませんのぢや。
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キッセリ ジェリイか葛湯に似た一種の料理。
ポルタワ 南露ポルタワ県の首都、ドニェープルの支流ウォルスクラ河の沿岸にあり、一七〇九年北方戦役に際し、小露西亜に攻め寄せた瑞典軍を彼得一世が撃破せしところ。
アルシン 露西亜の尺度――〇・七二米に当る。
カフターン 一般農民の用ゐる外套様の長上衣。小露西亜人の用ゐるスヰートカに対応するもの。
馬鹿握《ドゥーリャ》 拇指の頭を食指と中指の間から出して握つた拳、これを相手の面前へ突き出すことによつて侮蔑嘲弄を表はす。シーシュカともいふ。
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 さうさう、もう少しで、いちばん大切なことを忘れてしまふところぢやつた。わたしのところへ諸君《みなさん》がおいでになるのだつたら、国道をディカーニカ目ざして真直にやつて来て頂けばよろしい。手前どもの部落《むら》がちつとでも早くお分りになるやうにと思つて、わざわざディカーニカの地名《ところな》を本の標題に置いたやうな次第でな。ディカーニカといへば、もう百も御承知のことであらう。それあもうその筈で、あすこぢやあ、家屋《いえ》だつて蜜蜂飼風情の小舎などとはずんときれいで、果樹園ときたら、いやどうも、あなた方の彼得堡《ペテルブルグ》にだつて、あれだけのものはちよつとやそつとには見当りますまいからね。それで、ディカーニカまでおいでになつたら、穢ならしいシャツ一枚で鵞鳥の番をしてをる出あひ頭の小僧つ児に、※[#始め二重括弧、1-2-54]蜜蜂飼のルードゥイ・パニコーの家は何処だい?※[#終わり二重括弧、1-2-55]とお訊ね下され。さうすれば、※[#始め二重括弧、1-2-54]あすこだよ※[#終わり二重括弧、1-2-55]と言つて、その小僧つ児が指をさしてすぐにお教へするでせう。もしお望みとあれば当のこの部落《むら》まで、先きに立つて御案内することでせう。※[#「にんべん+且」、24-15]しお断わりしておかねばならないのは、後ろ手なんぞ拱んで、いはゆる容態ぶつた歩き方などなさるのは、見合はせて頂きたいことで、といふのは、こちらの村道といふやつが、あなた方のお邸の前の大通りみたいに坦・砥の如しとは、ちよつと申しあげかねるからで。一昨年《をととし》のこと、例のフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチがディカーニカからやつて来て、たうとう新らしい馬車と鹿毛《かげ》の牝馬もろとも、崩穴《がけ》へ落つこちてしまつたといふ始末でな、それも自身の手で手綱を捌き、そして時々は自分の肉眼の上へ更に買ひものの眼をおつつけおつつけしてゐたにも拘らずぢや。
 さるかはり、一度お客においで下すつたなら、それこそ、恐らく生まれてこのかた、つひぞ召しあがつたこともないやうな甜瓜《まくはうり》を御馳走いたしますよ。それに蜂蜜なら、請合つて、そんじよそこいらの部落《むら》では金輪際、見つかりつこない飛びきり上等の蜜を進ぜますて。まあ、思つてもみて下され――蜜房を持つてくるてえと、部屋ぢゆうにぷんぷんと芳香がみなぎりわたるといふ始末でな、いや、とてもとても想像することも出来ませぬくらゐ、まるで涙か、それともよく耳環にはめる高価な水晶のやうに、混りつけのない蜂蜜ですぢやて。それから、うちの老妻《ばばあ》が御馳走する*ピローグですよ! それがどんな素晴らしいピローグだか、ひとつお眼にかけたいくらゐで、いや砂糖、まるつきり砂糖のやうでな! そいつを頬ばりだすと、もうバタが唇《くち》をつたつてたらたらと流れだす始末。まつたく考へて見るに婦女子《をなご》どもといふやつは何から何まで実に器用なものぢや! いつか皆さんは茨《いばら》の実を入れた梨の濁麦酒《クワス》だの、乾葡萄や黒梅の入つた混成酒《ワレヌーハ》を召しあがつたことがおありかな? それとも、牛乳《ちち》いりの雑炊《プートリャ》を召しあがつたことがおありかな? いやはや、この世の中にはなんと夥しく、いろんな食べ物がありますことぢやらう! つまみにかかつたが最後、腹いつぱい、しこたま詰めこまずにはゐられませんわい。美味《うま》いものあさりといふやつは、実になんともいひやうのないものでしてな! 去年のことぢやが……。いや、それはさて、わたしとしたことが、何をしやべりこけてしまつたことやら? つまるところは、ただお出かけになつてさへ下さればよろしいので、一刻《いつとき》もはやくおいでになつてさへ頂けばな、さうすれば、もう、逢ふ人見る人ごとに、いちいち吹聴なさらずにはゐられないほどの素晴らしい御馳走をして進ぜまするよ。恐惶謹言
[#ここから4字下げ、折り返して5字下げ]
ピローグ パイに似た露西亜独特の菓子。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]蜜蜂飼 ルードゥイ・パニコー
[#地から1字上げ]しるす

底本:「ディカーニカ近郷夜話 前篇」岩波文庫、岩波書店
   1937(昭和12)年7月30日第1刷発行
   1994(平成6)年10月6日第8刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本の中扉には「ディカーニカ近郷夜話 前篇」の表記の左下に「蜜蜂飼ルードゥイ・パニコー著はすところの物語集」と小書きされています。
※「*」は訳注記号です。底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:oterudon
校正:伊藤時也
2009年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

[#始め二重括弧、1-2-54]ディカーニカ近郷夜話※[#終わり二重括弧、1-2-55]か? いつたい※[#始め二重括弧、1-2-54]夜話※[#終わり二重括弧、1-2-55]とはなんだらう? 何処かの蜜蜂飼かなんかがこんなものを世間へ発行《だ》しをつて! お蔭さまなことだよ! 羽根ペンを拵らへるのにどれだけ鵞鳥を裸かにし、紙を漉くのにどれだけ襤褸くづをつかつたら堪能ができるのだらう! 貴賤の別なく猫や杓子までが見やう見真似で、やたら無性に墨汁へ指を突つこんでも突つこんでも、まだ足りないのだ! あげくの果てには、こんなどこの馬の骨とも分らない蜜蜂飼風情までが、柄にもなく変な野心をおこすのだ! まつたく、かう碌でもない活版刷の反古ばかり矢鱈に殖えた日には、一体これをなんの包み紙につかつたものやら、おいそれと考へつくことも出来やしない。』
 かういつた横槍が飛び出すだらうとは、もう一と月も前から、ちやんと感づいてゐたことなんで! いや、まつたくこちとらのやうな田舎ものにとつては、この井の中から世間さまへ顔を突きだすといふことが――どうもはや!――よくある奴で、ちやうど立派な旦那がたのお邸へ戸惑ひして足をふんごんだのと頓とひとつで、人々がぐるりをとりまいて直ぐにからかひだす。それも奥むきの奉公人ででもあらうことか――ぼろぼろの服装《なり》をして裏庭で土いぢりでもしてゐさうな小穢ならしい小僧つ児までがいつしよになつて、四方八方から足を踏みならしながら、がなりだす。『何処へのこのこと迷ひこんで来やがるのだ? いつたい何をしに来やがつたんだ? さあ出て行け、このどん百姓めが、とつとと出てうせやあがれ!』つてんで……実際の話だが……。いや、何も言ふがものはない! まつたく、このわしにとつては、広い世間さまへ顔出しをするよりは、年に二度*ミルゴロドへ出むく方がよつぽど安易《らく》なんで、ところが、そのミルゴロドの地方裁判所の監督書記にも、あすこの偉い和尚にも、もう五年このかた頓と会はないやうな次第でな。――したが、いつたん顔を出したからには、泣いても笑つても一通りの弁疏《いひわけ》はしておかずばなるまいて。
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ミルゴロド 小露西亜ポルタワ県下の小都会。ドニェープルの支流ホロール河の沿岸に位し、『ディカーニカ近郷夜話』に次いでゴーゴリが書いた著作集『ミルゴロド』は、この地名を採つて標題としたのである。
[#ここで字下げ終わり]
 さて、親愛なる読者諸子よ、――いや飛んでもないことを申して御免なされ、(若しかしたら、こんな蜜蜂飼風情があなた方にむかつて、まるで自分の仲人《なかうど》か教父にでも話しかけるやうな、不躾けな物の言ひ方をするのをさぞかし御立腹になるかもしれませんが)――われわれの部落《むら》では昔からのならはしで、野良仕事がすつかり片づくといふと、待つてゐたとばかりに百姓たちは長の冬ぢゆう、のうのうと体を休めるために煖炉《ペチカ》の上へ這ひあがり、手前ども同業者仲間はめいめいの蜜蜂を暗い土窖《つちむろ》へかこふのぢや。その頃になると、もう空には一羽の鶴も姿を見せず、枝には梨の果《み》ひとつ残つてはゐない。が、その代り、夕方にさへなれば必らずどこか往還のはづれに灯影がさして、笑ひ声や唄声が遠くまでも聞え、*バラライカや、時には※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリンの音までが漂うて来る。がやがやといふ話声や騒々しい物音が伝はつて来る……。これがわれわれ仲間の所謂※[#始め二重括弧、1-2-54]夜会※[#終わり二重括弧、1-2-55]なんでな! まあ言つて見れば、あなた方の舞踏会に似たやうなものではあるが、さうかといつて、まるきり同じものだとも申しかねる。あなた方が舞踏会へお出かけになるのは、いはば足をふらふらさせたり、口に手をあてて、そつと欠伸をなさらうために他ならないが、われわれの方はさうではない。てんでに紡錘《つむ》や麻梳《あさこき》を持つた娘たちが先づ一軒の家へどやどやと寄りつどふ。そして初手《はな》のあひだは、どうやら一生懸命に仕事に身をいれてゐるやうで、紡錘はビイビイ唸り、唄声がはずんで、娘つこたちはめいめい傍目もふらぬ有様なのぢや。ところが、そこへ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリン弾きをつれた若い衆連が不意に押しかけて来ると同時に――どつといふ叫び声があがつて、とてつもない馬鹿騒ぎが持ちあがり、踊りが始まり、なんともはやお話にもならぬ悪戯《わるさ》がおつぱじまる始末なのぢや。
[#ここから4字下げ、折り返して5字下げ]
バラライカ 露西亜の農民間に愛用される楽器の一種で、共鳴胴の表面が三角形をなす、マンドリンに類似した三絃琴。指頭で絃を掻きならして感傷的な音色を出す。
[#ここで字下げ終わり]
 だが、何よりも嬉しいのは、一同ひしひしと一と塊りに寄りたかつて、謎々を解いたり、または単に――無駄口をたたく時ぢや。いやどうも、何か一つとして口の端にのぼらぬやうなことがあるだらうか! 古い昔話といふ昔話が一から十まで蒸しかへされるのぢや! ありとあらゆる怖ろしい怪談が持ちだされるのぢや! したが、かくいふ蜜蜂飼ルードゥイ・パニコーのところの夜会で語られたやうな珍談奇話に至つては、先づほかでは聞けないぢやらう。時にどうして部落《むら》の連中がこのわたしに※[#始め二重括弧、1-2-54]|赤毛の旦那《ルードゥイ・パニコー》※[#終わり二重括弧、1-2-55]などといふ渾名をつけたものか――頓とどうも合点がいかん。わたしは、髪の毛だつて今では赤毛どころか白髪の筈ぢや。しかしわれわれの仲間では、いつたん渾名をつけられたが最後、泣いても笑つても、それが未来永劫に亘つて用ゐられるのがならはしなんでな。それはさて、よく祭礼の前夜などに、堅気な人たちがこの蜜蜂飼の荒《あば》ら家《や》へお客にやつて来て、卓をかこんで席につく――さうなつたら、ただもう耳を澄まして聴き入るよりほかはないて。それもその筈で、集まつて来る人々はといへば、どうしてどうして、そんじよそこいらの十把ひとからげの水呑百姓などではなく、この蜜蜂飼などよりぐんと身分の高い人々にさへ、訪問を受けるのが肩身の広いやうなお歴々ばかりなのぢや。早い話が、あのディカーニカ寺院の役僧、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチを御存じでがせう? いやどうして、素晴らしい人物で! あの人が実に面白い物語を聴かせてくれたものぢや! この小|冊子《ぼん》の中にもそれが二つ載つてをる。この人は、よく田舎寺の役僧などが著てゐるやうな縞柄の褞袍《ハラート》などは決して身につけてをらん。それどころか、たとへ平日《ひらび》に訪ねて行つても、いつも、片栗粉でつくつた*キッセリの冷たくなつたやつのやうな色あひの、薄手の羅紗で仕立てた寛衣《バラホン》をまとつてお客を迎へるがの、その生地は*ポルタワで一*アルシンに六|留《ルーブリ》からだした品ぢや。また、この人の穿いてゐる長靴がつひぞ樹脂《タール》臭かつた、などといふ者は村ぢゆうに一人もゐないどころか、そんじよそこいらの百姓だつたら大喜びで粥《カーシャ》へ入れて食ふやうな、飛びきり上等の鵞鳥脂で自分の靴を磨いてゐることは隠れもない事実なのぢや。それにまた、あの人と同じ役柄の人たちがよくするやうに、寛衣の裾で鼻を拭いたりなぞするところを見た者も、誰ひとりない。あの人は何時もきまつて、きちんと折りたたんだ、縁に赤い糸で刺繍《ぬひとり》をした真白な手巾《ハンカチ》を懐ろから取り出して、然るべく用を足すと、またもやそれを几帳面に十二折りに折りたたんで、懐中へ仕舞ひこんだものだ。ところで、お客の一人に……いや、この人物は衣裳さへつけさせたら、てもなく陪審員か裁判官と見紛ふほどの貴公子であつたが、よく、かう、鼻の前《さき》へ指を突つ立てて、その指の頭を見ながら喋りだしたものでな――それがまた恐ろしく美辞麗句の羅列で、まるで活版に刷つたものでも読むやうな塩梅式なのぢや! それをおとなしく、じつと聴いてゐようなものなら、いつか此方《こちら》がふさぎの虫にとり憑かれてしまふくらゐで。何が何やら、ぶち殺されたつて解るこつちやない。いつたい何処からあんな文句を寄せ集めて来たものだらう? 或る時、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチが実に穿つた一口話をこしらへて、この男をあてこすつたものぢや。といふのは――さる役僧について読み書きを習つてゐた一人の学僕が、おつそろしい拉典語きちがひになつて父親のところへ戻つて来たが、こちとらのつかふ正教の言葉さへ忘れてしまつて、どんな言葉にでも※[#始め二重括弧、1-2-54]ウス※[#終わり二重括弧、1-2-55]といふ語尾をつけないと虫がをさまらず、匙鋤《ロパータ》をロパトウスだの、女《バーバ》をバブウスだのと言ふ始末。ところで、或る日のこと父親とつれだつて野良へ行きをつたが、この拉典語先生、ふと熊手を見つけると、父親に向つて、『これは、お父さん、こちらの言葉ではなんとか言ひましたつけね?』と訊ねたもんぢや。そしてぽかんと口を開けたまま、熊手の爪のところを踏んづけをつたと思ひなされ。すると、父親の返辞より先きに、熊手の柄がピョンと跳ね返つて来て、息子のおでこにいやといふほど打つかつたものさ!『えい、この忌々しい熊手《グラーブリ》めが!』と、二三尺も上へ跳びあがりながら、片手でおでこをおさへて、先生、悲鳴をあげをつた。『ほんに、こやつめが、――ええくそつ、こやつの親爺が橋のうへから悪魔にでも突き落されやあがればいい、――人の額を打ちやあがつて、おお痛い!』なんと、どんなもので! 奴さん忽ち名称《なまへ》を想い出しをつたではごわせんか! とな。こんなあてこすりが、この凝つた言ひまはしに憂身をやつしてゐる語り手の気に入らう筈がない。先生ひとことも口をきかずに席を蹴立つて部屋のまん中へ出ると、脚をかうふんばつて、すこし前こごみに首をうつむけてな、豌豆いろの*カフターンの後ろ衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、漆塗りの丸い嗅煙草入を引つぱり出すなり、その蓋に下手くそに描いてある何処か異国の大将の面《つら》に指弾きを一つ喰はせておいて、消炭と独活《うど》の葉とをまぜて擂つた嗅煙草をたつぷり一つまみ摘んだが、その手をばいやに気取つて鼻の方へ持つて行つたかと思ふと、その煙草を残らず、すうつと、拇指ひとつ鼻にふれずに宙で吸ひこんでしまつた――が依然として口をきかない。別の衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、やをら青い碁盤縞の木綿の手巾《ハンカチ》を取りだした時、はじめて、※[#始め二重括弧、1-2-54]豚に真珠さ……※[#終わり二重括弧、1-2-55]と、諺めいたことを口のなかで呟やいただけぢやつた。※[#始め二重括弧、1-2-54]どうやら喧嘩になりさうだぞ。※[#終わり二重括弧、1-2-55]と、わたしはフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチの指が徐ろに*馬鹿握《ドゥーリャ》を拵らへようとしてゐるのを見て、さう思つた。ところがいい塩梅に、うちの老妻《ばばあ》が気をきかせてな、ほやほやの焼麺麭《クニーシュ》にバタをつけたやつを卓子《テーブル》へだしたので、一座の衆は期せずしてそのまはりへと集まつた。拳《こぶし》を突きつけようとしてゐたフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチの手も、つい焼麺麭《クニーシュ》の方へ差しのばされて、皆の衆は例によつて例の如く、主婦の技倆《うでまへ》の鮮やかさを口々に褒めそやしはじめたものぢや。ほかにもう一人、語り手がゐたが、その人は(どうもそれを寝しなに思ひ出すのは、ちと具合が悪いけれど)実に身の毛もよだつやうな怖ろしい話をして聴かせたものぢや。だが、わたしはわざとその話はこの本へ載せなかつた。このうへ堅気な人たちをおどかしては、皆の衆がこのわたしを鬼かなんぞのやうに怯ぢ怖れだすかも知れないからぢや。もし神のお恵みで新年まで生きながらへて、もう一冊の本を出すやうなことにでもなれば、その時こそ、あの世から迷つて出てくる亡者だの、むかしむかし、この正教の国にあつたくさぐさの不可思議な出来ごとだのの物語で、少しばかりぞうつとさせて進ぜてもよろしい。それと一緒に、ひよつとしたら、この蜜蜂飼が孫たちに話して聴かせたお伽噺もお目どほりをするかもしれない。ちやんとして聴くなり読むなりして頂けさへすれば、選り出すのがちと億劫ではあるけれど、こんな本の十冊やそこいらの話の種にことは欠きませんのぢや。
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キッセリ ジェリイか葛湯に似た一種の料理。
ポルタワ 南露ポルタワ県の首都、ドニェープルの支流ウォルスクラ河の沿岸にあり、一七〇九年北方戦役に際し、小露西亜に攻め寄せた瑞典軍を彼得一世が撃破せしところ。
アルシン 露西亜の尺度――〇・七二米に当る。
カフターン 一般農民の用ゐる外套様の長上衣。小露西亜人の用ゐるスヰートカに対応するもの。
馬鹿握《ドゥーリャ》 拇指の頭を食指と中指の間から出して握つた拳、これを相手の面前へ突き出すことによつて侮蔑嘲弄を表はす。シーシュカともいふ。
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 さうさう、もう少しで、いちばん大切なことを忘れてしまふところぢやつた。わたしのところへ諸君《みなさん》がおいでになるのだつたら、国道をディカーニカ目ざして真直にやつて来て頂けばよろしい。手前どもの部落《むら》がちつとでも早くお分りになるやうにと思つて、わざわざディカーニカの地名《ところな》を本の標題に置いたやうな次第でな。ディカーニカといへば、もう百も御承知のことであらう。それあもうその筈で、あすこぢやあ、家屋《いえ》だつて蜜蜂飼風情の小舎などとはずんときれいで、果樹園ときたら、いやどうも、あなた方の彼得堡《ペテルブルグ》にだつて、あれだけのものはちよつとやそつとには見当りますまいからね。それで、ディカーニカまでおいでになつたら、穢ならしいシャツ一枚で鵞鳥の番をしてをる出あひ頭の小僧つ児に、※[#始め二重括弧、1-2-54]蜜蜂飼のルードゥイ・パニコーの家は何処だい?※[#終わり二重括弧、1-2-55]とお訊ね下され。さうすれば、※[#始め二重括弧、1-2-54]あすこだよ※[#終わり二重括弧、1-2-55]と言つて、その小僧つ児が指をさしてすぐにお教へするでせう。もしお望みとあれば当のこの部落《むら》まで、先きに立つて御案内することでせう。※[#「にんべん+且」、24-15]しお断わりしておかねばならないのは、後ろ手なんぞ拱んで、いはゆる容態ぶつた歩き方などなさるのは、見合はせて頂きたいことで、といふのは、こちらの村道といふやつが、あなた方のお邸の前の大通りみたいに坦・砥の如しとは、ちよつと申しあげかねるからで。一昨年《をととし》のこと、例のフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチがディカーニカからやつて来て、たうとう新らしい馬車と鹿毛《かげ》の牝馬もろとも、崩穴《がけ》へ落つこちてしまつたといふ始末でな、それも自身の手で手綱を捌き、そして時々は自分の肉眼の上へ更に買ひものの眼をおつつけおつつけしてゐたにも拘らずぢや。
 さるかはり、一度お客においで下すつたなら、それこそ、恐らく生まれてこのかた、つひぞ召しあがつたこともないやうな甜瓜《まくはうり》を御馳走いたしますよ。それに蜂蜜なら、請合つて、そんじよそこいらの部落《むら》では金輪際、見つかりつこない飛びきり上等の蜜を進ぜますて。まあ、思つてもみて下され――蜜房を持つてくるてえと、部屋ぢゆうにぷんぷんと芳香がみなぎりわたるといふ始末でな、いや、とてもとても想像することも出来ませぬくらゐ、まるで涙か、それともよく耳環にはめる高価な水晶のやうに、混りつけのない蜂蜜ですぢやて。それから、うちの老妻《ばばあ》が御馳走する*ピローグですよ! それがどんな素晴らしいピローグだか、ひとつお眼にかけたいくらゐで、いや砂糖、まるつきり砂糖のやうでな! そいつを頬ばりだすと、もうバタが唇《くち》をつたつてたらたらと流れだす始末。まつたく考へて見るに婦女子《をなご》どもといふやつは何から何まで実に器用なものぢや! いつか皆さんは茨《いばら》の実を入れた梨の濁麦酒《クワス》だの、乾葡萄や黒梅の入つた混成酒《ワレヌーハ》を召しあがつたことがおありかな? それとも、牛乳《ちち》いりの雑炊《プートリャ》を召しあがつたことがおありかな? いやはや、この世の中にはなんと夥しく、いろんな食べ物がありますことぢやらう! つまみにかかつたが最後、腹いつぱい、しこたま詰めこまずにはゐられませんわい。美味《うま》いものあさりといふやつは、実になんともいひやうのないものでしてな! 去年のことぢやが……。いや、それはさて、わたしとしたことが、何をしやべりこけてしまつたことやら? つまるところは、ただお出かけになつてさへ下さればよろしいので、一刻《いつとき》もはやくおいでになつてさへ頂けばな、さうすれば、もう、逢ふ人見る人ごとに、いちいち吹聴なさらずにはゐられないほどの素晴らしい御馳走をして進ぜまするよ。恐惶謹言
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ピローグ パイに似た露西亜独特の菓子。
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[#地から3字上げ]蜜蜂飼 ルードゥイ・パニコー
[#地から1字上げ]しるす

底本:「ディカーニカ近郷夜話 前篇」岩波文庫、岩波書店
   1937(昭和12)年7月30日第1刷発行
   1994(平成6)年10月6日第8刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本の中扉には「ディカーニカ近郷夜話 前篇」の表記の左下に「蜜蜂飼ルードゥイ・パニコー著はすところの物語集」と小書きされています。
※「*」は訳注記号です。底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:oterudon
校正:伊藤時也
2009年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

[#始め二重括弧、1-2-54]ディカーニカ近郷夜話※[#終わり二重括弧、1-2-55]か? いつたい※[#始め二重括弧、1-2-54]夜話※[#終わり二重括弧、1-2-55]とはなんだらう? 何処かの蜜蜂飼かなんかがこんなものを世間へ発行《だ》しをつて! お蔭さまなことだよ! 羽根ペンを拵らへるのにどれだけ鵞鳥を裸かにし、紙を漉くのにどれだけ襤褸くづをつかつたら堪能ができるのだらう! 貴賤の別なく猫や杓子までが見やう見真似で、やたら無性に墨汁へ指を突つこんでも突つこんでも、まだ足りないのだ! あげくの果てには、こんなどこの馬の骨とも分らない蜜蜂飼風情までが、柄にもなく変な野心をおこすのだ! まつたく、かう碌でもない活版刷の反古ばかり矢鱈に殖えた日には、一体これをなんの包み紙につかつたものやら、おいそれと考へつくことも出来やしない。』
 かういつた横槍が飛び出すだらうとは、もう一と月も前から、ちやんと感づいてゐたことなんで! いや、まつたくこちとらのやうな田舎ものにとつては、この井の中から世間さまへ顔を突きだすといふことが――どうもはや!――よくある奴で、ちやうど立派な旦那がたのお邸へ戸惑ひして足をふんごんだのと頓とひとつで、人々がぐるりをとりまいて直ぐにからかひだす。それも奥むきの奉公人ででもあらうことか――ぼろぼろの服装《なり》をして裏庭で土いぢりでもしてゐさうな小穢ならしい小僧つ児までがいつしよになつて、四方八方から足を踏みならしながら、がなりだす。『何処へのこのこと迷ひこんで来やがるのだ? いつたい何をしに来やがつたんだ? さあ出て行け、このどん百姓めが、とつとと出てうせやあがれ!』つてんで……実際の話だが……。いや、何も言ふがものはない! まつたく、このわしにとつては、広い世間さまへ顔出しをするよりは、年に二度*ミルゴロドへ出むく方がよつぽど安易《らく》なんで、ところが、そのミルゴロドの地方裁判所の監督書記にも、あすこの偉い和尚にも、もう五年このかた頓と会はないやうな次第でな。――したが、いつたん顔を出したからには、泣いても笑つても一通りの弁疏《いひわけ》はしておかずばなるまいて。
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ミルゴロド 小露西亜ポルタワ県下の小都会。ドニェープルの支流ホロール河の沿岸に位し、『ディカーニカ近郷夜話』に次いでゴーゴリが書いた著作集『ミルゴロド』は、この地名を採つて標題としたのである。
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 さて、親愛なる読者諸子よ、――いや飛んでもないことを申して御免なされ、(若しかしたら、こんな蜜蜂飼風情があなた方にむかつて、まるで自分の仲人《なかうど》か教父にでも話しかけるやうな、不躾けな物の言ひ方をするのをさぞかし御立腹になるかもしれませんが)――われわれの部落《むら》では昔からのならはしで、野良仕事がすつかり片づくといふと、待つてゐたとばかりに百姓たちは長の冬ぢゆう、のうのうと体を休めるために煖炉《ペチカ》の上へ這ひあがり、手前ども同業者仲間はめいめいの蜜蜂を暗い土窖《つちむろ》へかこふのぢや。その頃になると、もう空には一羽の鶴も姿を見せず、枝には梨の果《み》ひとつ残つてはゐない。が、その代り、夕方にさへなれば必らずどこか往還のはづれに灯影がさして、笑ひ声や唄声が遠くまでも聞え、*バラライカや、時には※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリンの音までが漂うて来る。がやがやといふ話声や騒々しい物音が伝はつて来る……。これがわれわれ仲間の所謂※[#始め二重括弧、1-2-54]夜会※[#終わり二重括弧、1-2-55]なんでな! まあ言つて見れば、あなた方の舞踏会に似たやうなものではあるが、さうかといつて、まるきり同じものだとも申しかねる。あなた方が舞踏会へお出かけになるのは、いはば足をふらふらさせたり、口に手をあてて、そつと欠伸をなさらうために他ならないが、われわれの方はさうではない。てんでに紡錘《つむ》や麻梳《あさこき》を持つた娘たちが先づ一軒の家へどやどやと寄りつどふ。そして初手《はな》のあひだは、どうやら一生懸命に仕事に身をいれてゐるやうで、紡錘はビイビイ唸り、唄声がはずんで、娘つこたちはめいめい傍目もふらぬ有様なのぢや。ところが、そこへ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリン弾きをつれた若い衆連が不意に押しかけて来ると同時に――どつといふ叫び声があがつて、とてつもない馬鹿騒ぎが持ちあがり、踊りが始まり、なんともはやお話にもならぬ悪戯《わるさ》がおつぱじまる始末なのぢや。
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バラライカ 露西亜の農民間に愛用される楽器の一種で、共鳴胴の表面が三角形をなす、マンドリンに類似した三絃琴。指頭で絃を掻きならして感傷的な音色を出す。
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 だが、何よりも嬉しいのは、一同ひしひしと一と塊りに寄りたかつて、謎々を解いたり、または単に――無駄口をたたく時ぢや。いやどうも、何か一つとして口の端にのぼらぬやうなことがあるだらうか! 古い昔話といふ昔話が一から十まで蒸しかへされるのぢや! ありとあらゆる怖ろしい怪談が持ちだされるのぢや! したが、かくいふ蜜蜂飼ルードゥイ・パニコーのところの夜会で語られたやうな珍談奇話に至つては、先づほかでは聞けないぢやらう。時にどうして部落《むら》の連中がこのわたしに※[#始め二重括弧、1-2-54]|赤毛の旦那《ルードゥイ・パニコー》※[#終わり二重括弧、1-2-55]などといふ渾名をつけたものか――頓とどうも合点がいかん。わたしは、髪の毛だつて今では赤毛どころか白髪の筈ぢや。しかしわれわれの仲間では、いつたん渾名をつけられたが最後、泣いても笑つても、それが未来永劫に亘つて用ゐられるのがならはしなんでな。それはさて、よく祭礼の前夜などに、堅気な人たちがこの蜜蜂飼の荒《あば》ら家《や》へお客にやつて来て、卓をかこんで席につく――さうなつたら、ただもう耳を澄まして聴き入るよりほかはないて。それもその筈で、集まつて来る人々はといへば、どうしてどうして、そんじよそこいらの十把ひとからげの水呑百姓などではなく、この蜜蜂飼などよりぐんと身分の高い人々にさへ、訪問を受けるのが肩身の広いやうなお歴々ばかりなのぢや。早い話が、あのディカーニカ寺院の役僧、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチを御存じでがせう? いやどうして、素晴らしい人物で! あの人が実に面白い物語を聴かせてくれたものぢや! この小|冊子《ぼん》の中にもそれが二つ載つてをる。この人は、よく田舎寺の役僧などが著てゐるやうな縞柄の褞袍《ハラート》などは決して身につけてをらん。それどころか、たとへ平日《ひらび》に訪ねて行つても、いつも、片栗粉でつくつた*キッセリの冷たくなつたやつのやうな色あひの、薄手の羅紗で仕立てた寛衣《バラホン》をまとつてお客を迎へるがの、その生地は*ポルタワで一*アルシンに六|留《ルーブリ》からだした品ぢや。また、この人の穿いてゐる長靴がつひぞ樹脂《タール》臭かつた、などといふ者は村ぢゆうに一人もゐないどころか、そんじよそこいらの百姓だつたら大喜びで粥《カーシャ》へ入れて食ふやうな、飛びきり上等の鵞鳥脂で自分の靴を磨いてゐることは隠れもない事実なのぢや。それにまた、あの人と同じ役柄の人たちがよくするやうに、寛衣の裾で鼻を拭いたりなぞするところを見た者も、誰ひとりない。あの人は何時もきまつて、きちんと折りたたんだ、縁に赤い糸で刺繍《ぬひとり》をした真白な手巾《ハンカチ》を懐ろから取り出して、然るべく用を足すと、またもやそれを几帳面に十二折りに折りたたんで、懐中へ仕舞ひこんだものだ。ところで、お客の一人に……いや、この人物は衣裳さへつけさせたら、てもなく陪審員か裁判官と見紛ふほどの貴公子であつたが、よく、かう、鼻の前《さき》へ指を突つ立てて、その指の頭を見ながら喋りだしたものでな――それがまた恐ろしく美辞麗句の羅列で、まるで活版に刷つたものでも読むやうな塩梅式なのぢや! それをおとなしく、じつと聴いてゐようなものなら、いつか此方《こちら》がふさぎの虫にとり憑かれてしまふくらゐで。何が何やら、ぶち殺されたつて解るこつちやない。いつたい何処からあんな文句を寄せ集めて来たものだらう? 或る時、フォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチが実に穿つた一口話をこしらへて、この男をあてこすつたものぢや。といふのは――さる役僧について読み書きを習つてゐた一人の学僕が、おつそろしい拉典語きちがひになつて父親のところへ戻つて来たが、こちとらのつかふ正教の言葉さへ忘れてしまつて、どんな言葉にでも※[#始め二重括弧、1-2-54]ウス※[#終わり二重括弧、1-2-55]といふ語尾をつけないと虫がをさまらず、匙鋤《ロパータ》をロパトウスだの、女《バーバ》をバブウスだのと言ふ始末。ところで、或る日のこと父親とつれだつて野良へ行きをつたが、この拉典語先生、ふと熊手を見つけると、父親に向つて、『これは、お父さん、こちらの言葉ではなんとか言ひましたつけね?』と訊ねたもんぢや。そしてぽかんと口を開けたまま、熊手の爪のところを踏んづけをつたと思ひなされ。すると、父親の返辞より先きに、熊手の柄がピョンと跳ね返つて来て、息子のおでこにいやといふほど打つかつたものさ!『えい、この忌々しい熊手《グラーブリ》めが!』と、二三尺も上へ跳びあがりながら、片手でおでこをおさへて、先生、悲鳴をあげをつた。『ほんに、こやつめが、――ええくそつ、こやつの親爺が橋のうへから悪魔にでも突き落されやあがればいい、――人の額を打ちやあがつて、おお痛い!』なんと、どんなもので! 奴さん忽ち名称《なまへ》を想い出しをつたではごわせんか! とな。こんなあてこすりが、この凝つた言ひまはしに憂身をやつしてゐる語り手の気に入らう筈がない。先生ひとことも口をきかずに席を蹴立つて部屋のまん中へ出ると、脚をかうふんばつて、すこし前こごみに首をうつむけてな、豌豆いろの*カフターンの後ろ衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、漆塗りの丸い嗅煙草入を引つぱり出すなり、その蓋に下手くそに描いてある何処か異国の大将の面《つら》に指弾きを一つ喰はせておいて、消炭と独活《うど》の葉とをまぜて擂つた嗅煙草をたつぷり一つまみ摘んだが、その手をばいやに気取つて鼻の方へ持つて行つたかと思ふと、その煙草を残らず、すうつと、拇指ひとつ鼻にふれずに宙で吸ひこんでしまつた――が依然として口をきかない。別の衣嚢《かくし》へ手を突つこんで、やをら青い碁盤縞の木綿の手巾《ハンカチ》を取りだした時、はじめて、※[#始め二重括弧、1-2-54]豚に真珠さ……※[#終わり二重括弧、1-2-55]と、諺めいたことを口のなかで呟やいただけぢやつた。※[#始め二重括弧、1-2-54]どうやら喧嘩になりさうだぞ。※[#終わり二重括弧、1-2-55]と、わたしはフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチの指が徐ろに*馬鹿握《ドゥーリャ》を拵らへようとしてゐるのを見て、さう思つた。ところがいい塩梅に、うちの老妻《ばばあ》が気をきかせてな、ほやほやの焼麺麭《クニーシュ》にバタをつけたやつを卓子《テーブル》へだしたので、一座の衆は期せずしてそのまはりへと集まつた。拳《こぶし》を突きつけようとしてゐたフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチの手も、つい焼麺麭《クニーシュ》の方へ差しのばされて、皆の衆は例によつて例の如く、主婦の技倆《うでまへ》の鮮やかさを口々に褒めそやしはじめたものぢや。ほかにもう一人、語り手がゐたが、その人は(どうもそれを寝しなに思ひ出すのは、ちと具合が悪いけれど)実に身の毛もよだつやうな怖ろしい話をして聴かせたものぢや。だが、わたしはわざとその話はこの本へ載せなかつた。このうへ堅気な人たちをおどかしては、皆の衆がこのわたしを鬼かなんぞのやうに怯ぢ怖れだすかも知れないからぢや。もし神のお恵みで新年まで生きながらへて、もう一冊の本を出すやうなことにでもなれば、その時こそ、あの世から迷つて出てくる亡者だの、むかしむかし、この正教の国にあつたくさぐさの不可思議な出来ごとだのの物語で、少しばかりぞうつとさせて進ぜてもよろしい。それと一緒に、ひよつとしたら、この蜜蜂飼が孫たちに話して聴かせたお伽噺もお目どほりをするかもしれない。ちやんとして聴くなり読むなりして頂けさへすれば、選り出すのがちと億劫ではあるけれど、こんな本の十冊やそこいらの話の種にことは欠きませんのぢや。
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キッセリ ジェリイか葛湯に似た一種の料理。
ポルタワ 南露ポルタワ県の首都、ドニェープルの支流ウォルスクラ河の沿岸にあり、一七〇九年北方戦役に際し、小露西亜に攻め寄せた瑞典軍を彼得一世が撃破せしところ。
アルシン 露西亜の尺度――〇・七二米に当る。
カフターン 一般農民の用ゐる外套様の長上衣。小露西亜人の用ゐるスヰートカに対応するもの。
馬鹿握《ドゥーリャ》 拇指の頭を食指と中指の間から出して握つた拳、これを相手の面前へ突き出すことによつて侮蔑嘲弄を表はす。シーシュカともいふ。
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 さうさう、もう少しで、いちばん大切なことを忘れてしまふところぢやつた。わたしのところへ諸君《みなさん》がおいでになるのだつたら、国道をディカーニカ目ざして真直にやつて来て頂けばよろしい。手前どもの部落《むら》がちつとでも早くお分りになるやうにと思つて、わざわざディカーニカの地名《ところな》を本の標題に置いたやうな次第でな。ディカーニカといへば、もう百も御承知のことであらう。それあもうその筈で、あすこぢやあ、家屋《いえ》だつて蜜蜂飼風情の小舎などとはずんときれいで、果樹園ときたら、いやどうも、あなた方の彼得堡《ペテルブルグ》にだつて、あれだけのものはちよつとやそつとには見当りますまいからね。それで、ディカーニカまでおいでになつたら、穢ならしいシャツ一枚で鵞鳥の番をしてをる出あひ頭の小僧つ児に、※[#始め二重括弧、1-2-54]蜜蜂飼のルードゥイ・パニコーの家は何処だい?※[#終わり二重括弧、1-2-55]とお訊ね下され。さうすれば、※[#始め二重括弧、1-2-54]あすこだよ※[#終わり二重括弧、1-2-55]と言つて、その小僧つ児が指をさしてすぐにお教へするでせう。もしお望みとあれば当のこの部落《むら》まで、先きに立つて御案内することでせう。※[#「にんべん+且」、24-15]しお断わりしておかねばならないのは、後ろ手なんぞ拱んで、いはゆる容態ぶつた歩き方などなさるのは、見合はせて頂きたいことで、といふのは、こちらの村道といふやつが、あなた方のお邸の前の大通りみたいに坦・砥の如しとは、ちよつと申しあげかねるからで。一昨年《をととし》のこと、例のフォマ・グリゴーリエ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ッチがディカーニカからやつて来て、たうとう新らしい馬車と鹿毛《かげ》の牝馬もろとも、崩穴《がけ》へ落つこちてしまつたといふ始末でな、それも自身の手で手綱を捌き、そして時々は自分の肉眼の上へ更に買ひものの眼をおつつけおつつけしてゐたにも拘らずぢや。
 さるかはり、一度お客においで下すつたなら、それこそ、恐らく生まれてこのかた、つひぞ召しあがつたこともないやうな甜瓜《まくはうり》を御馳走いたしますよ。それに蜂蜜なら、請合つて、そんじよそこいらの部落《むら》では金輪際、見つかりつこない飛びきり上等の蜜を進ぜますて。まあ、思つてもみて下され――蜜房を持つてくるてえと、部屋ぢゆうにぷんぷんと芳香がみなぎりわたるといふ始末でな、いや、とてもとても想像することも出来ませぬくらゐ、まるで涙か、それともよく耳環にはめる高価な水晶のやうに、混りつけのない蜂蜜ですぢやて。それから、うちの老妻《ばばあ》が御馳走する*ピローグですよ! それがどんな素晴らしいピローグだか、ひとつお眼にかけたいくらゐで、いや砂糖、まるつきり砂糖のやうでな! そいつを頬ばりだすと、もうバタが唇《くち》をつたつてたらたらと流れだす始末。まつたく考へて見るに婦女子《をなご》どもといふやつは何から何まで実に器用なものぢや! いつか皆さんは茨《いばら》の実を入れた梨の濁麦酒《クワス》だの、乾葡萄や黒梅の入つた混成酒《ワレヌーハ》を召しあがつたことがおありかな? それとも、牛乳《ちち》いりの雑炊《プートリャ》を召しあがつたことがおありかな? いやはや、この世の中にはなんと夥しく、いろんな食べ物がありますことぢやらう! つまみにかかつたが最後、腹いつぱい、しこたま詰めこまずにはゐられませんわい。美味《うま》いものあさりといふやつは、実になんともいひやうのないものでしてな! 去年のことぢやが……。いや、それはさて、わたしとしたことが、何をしやべりこけてしまつたことやら? つまるところは、ただお出かけになつてさへ下さればよろしいので、一刻《いつとき》もはやくおいでになつてさへ頂けばな、さうすれば、もう、逢ふ人見る人ごとに、いちいち吹聴なさらずにはゐられないほどの素晴らしい御馳走をして進ぜまするよ。恐惶謹言
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ピローグ パイに似た露西亜独特の菓子。
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[#地から3字上げ]蜜蜂飼 ルードゥイ・パニコー
[#地から1字上げ]しるす

底本:「ディカーニカ近郷夜話 前篇」岩波文庫、岩波書店
   1937(昭和12)年7月30日第1刷発行
   1994(平成6)年10月6日第8刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本の中扉には「ディカーニカ近郷夜話 前篇」の表記の左下に「蜜蜂飼ルードゥイ・パニコー著はすところの物語集」と小書きされています。
※「*」は訳注記号です。底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:oterudon
校正:伊藤時也
2009年8月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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