レ・ミゼラブル LES MISERABLES 第五部 ジャン・ヴァルジャン ビクトル・ユーゴー Victor Hugo —–豊島与志雄訳

第五部

   第一編 市街戦

     一 サン・タントアーヌとタンプルとの両|防寨《ぼうさい》

 社会の病根を観察する者がまずあげ得る最も顕著な二つの防寨は、本書の事件と同時代のものではない。その二つの防寨は、異なった二つの局面においていずれも恐るべき情況を象徴するものであって、有史以来の最も大なる市街戦たる一八四八年六月の宿命的な反乱のおり、地上に現われ出たのである。
 時として、主義に反し、自由と平等と友愛とに反し、一般投票に反し、万人が万人を統べる政府に反してまでも、その苦悩と落胆と欠乏と激昂と困窮と毒気と無知と暗黒との底から、絶望せる偉人ともいうべき賤民《せんみん》は抗議を持ち出すことがあり、下層民は民衆に戦いをいどむことがある。
 無頼の徒は公衆の権利を攻撃し、愚衆は良民に反抗する。
 それこそ痛むべき争闘である。なぜかなれば、その暴行のうちには常に多少の権利があり、その私闘のうちには自殺が存するからである。そして無頼の徒といい賤民といい愚衆といい下層民という侮辱的なそれらの言葉は、悲しくも、苦しむ者らの罪よりもむしろ統治する者らの罪を証し、零落者らの罪よりもむしろ特権者らの罪を証明する。
 しかして吾人は、それらの言葉を発するに悲痛と敬意とを感ぜざるを得ない。哲学はそれらの言葉に相当する事実の底を究むる時、悲惨と相並んで多くの壮大さがあるのをしばしば見いだすからである。アテネは一つの愚衆であった。無頼の徒はオランダを造った。下層民は一度ならずローマを救った。そして賤民《せんみん》はイエス・キリストのあとに従っていた。
 いかなる思想家といえども、時として下層の偉観をながめなかった者はない。
 聖ゼロームが心を向けていたのは、疑いもなくこの賤民へであった。「都市の泥濘《でいねい》こそ地の大法なり」と神秘な言葉を発した時、彼の心が考えていたのは、使徒や殉教者らが輩出したそれらの貧民や浮浪の徒やみじめな者らのことをであった。
 苦しみそして血をしぼってるこの多衆の激怒、おのれの生命たる主義に反するその暴行、権利に反するその暴挙、などは皆下層民の武断政略《クーデター》であって、鎮圧されなければならないものである。正直なる者はそういう鎮圧に身をささげ、多衆を愛するがゆえにかえってそれと戦う。しかしながら彼は、対抗しながらもいかにそれを宥恕《ゆうじょ》すべきものであるかを感じ、抵抗しながらもいかにそれを貴《とうと》んでいることであろう! おのれのなすべきところをなしながら、足を引き止むるようなある不安な何物かを感ずる稀有《けう》な時期は、かかるところから到来する。人は固執する、固執しなければならない。しかし本心は満足しながらも悲しんでいる。そして義務の遂行のうちに、ある痛心の情が交じってくる。
 直ちに言を進めるが、一八四八年六月の暴動は特殊の事実であって、ほとんど歴史哲学のうちにおいて他と同類に置くことのできないものである。吾人が上に発した言葉はすべて、おのれの権利を要求する労働の聖なる焦慮が感ぜらるるこの異例の暴動に関しては、排除しなければならない。この暴動を人は鎮圧しなければならなかった、それは義務であった、なぜならこの暴動は共和を攻撃したから。しかし根底においては、一八四八年六月は何であったか。それは民衆のおのれ自身に対する反抗であった。
 主題から目を離しさえしなければ、決して岐路に陥るものではない。それでちょっとの間、上にあげたまったく独特な二つの防寨《ぼうさい》に読者の注意を向けさせることを、ここに許していただきたい。その二つの防寨こそ、一八四八年六月の反抗の特質を示すものである。
 一つはサン・タントアーヌ郭外の入り口をふさいでいた、一つはタンプル郭外を防護していた。六月の輝く青空の下にそびえた、この内乱の恐るべき二つの傑作は、見る者に忘るべからざる印象を与えた。
 サン・タントアーヌの防寨は雄魁《ゆうかい》なものだった。高さは人家の三階に及び、長さは七百尺に及んでいた。その郭外の広い入り口すなわち三つの街路を、一方から他方までふさいでいた。凹凸《おうとつ》し、錯雑し、鋸《のこぎり》形をし、入り組み、広い裂け目を銃眼とし、それぞれ稜角堡《りょうかくほう》をなす多くの築堤でささえられ、そこここに突起を出し、背後には人家の大きな二つの突出部が控えていて、既に七月十四日(一七八九年)を経てきたその恐るべき場所の奥に、巨大なる堤防のようにそびえていた。そしてこの大親たる防寨の後ろには、各街路の奥に十九の小防寨が重なっていた。その郭外のうちにある広大なる半死の苦しみは、困窮が最後の覆滅を望むような危急な瞬間に達していることが、防寨を一目見ただけで感ぜられた。しかも防寨は何でできていたか。ある者の言によれば、七階建ての人家を三つことさらに破壊して作ったものだといい、ある者の言によれば、あらゆる憤怒の念が奇蹟的に作り上げたものだという。そして憎悪《ぞうお》のあらゆる手段をもって築かれた痛むべき光景、倒壊の趣を持っていた。だれがそれを建設したか、とも言い得らるれば、だれがそれを破壊したか、とも言い得られた。沸騰せる熱情が即座に作ったものであった。扉《とびら》、鉄門、庇《ひさし》、框《かまち》、こわれた火鉢《ひばち》、亀裂《きれつ》した鍋《なべ》、すべてを与え、すべてを投げ込み、すべてを押し入れころがし掘り返し破壊しくつがえし打ち砕いたのである。舗石《しきいし》、泥土、梁《はり》、鉄棒、ぼろ、ガラスの破片、腰のぬけた椅子《いす》、青物の芯《しん》、錠前、屑《くず》、および呪詛《じゅそ》の念などから成っていた。偉大であり、また卑賤であった。渾沌《こんとん》たるものが即座に作った深淵《しんえん》であった。大塊に小破片、引きぬかれた一面の壁にこわれた皿、あらゆる破片の恐るべき混和、シシフォス(訳者注 地獄の中にて絶えず大石を転がす刑に処せられし人―神話)はそこにおのれの岩を投げ込み、ヨブはそこにおのれの壜《びん》の破片を投げ込んでいた。要するにまったく恐ろしいものだった。浮浪の徒の堡塁《ほるい》だった。くつがえされた多くの荷馬車はその斜面を錯雑さしていた。大きな大八車が一つ、車軸を上にして横ざまに積まれて、紛糾した正面に一つの傷痕《きずあと》をつけてるかのようだった。乗り合い馬車が一つ、砦《とりで》の頂にむりやりに引き上げられ、あたかも荒々しい砦の築造者らが恐怖に悪戯を添えんと欲したかのように、その轅《ながえ》をいたずらにある空中の馬に差し出してるかと思われた。その巨大な堆積、暴動の積層は、あらゆる革命がオッサ山とペリオン山とを積み重ねたものかと(訳者注 ジュピテルに反抗した巨人らが天に攻め上らんために重ねたテッサリーの二つの山)見る者の心に思わせた。八九年(一七―)の上に積み重ねた九三年(一七―)、八月十日(一七九二年)の上に積み重ねた共和熱月九日(一七九四年七月二十七日)、一月二十一日(一七九三年)の上に積み重ねた共和霧月十八日(一七九九年十一月九日)、共和草月(一七九五年五月)の上に積み重ねた共和檣月(一七九五年十月)、一八三〇年の上に積み重ねた一八四八年であった。場所の要害はその努力にふさわしいものであり、防寨《ぼうさい》はバスティーユの牢獄の消えうせた場所に出現して恥ずかしくないものであった。もし大洋が堤防を築くとするならば、おそらくかかる防寨《ぼうさい》を築くであろう。狂猛な怒濤《どとう》の跡はその畸形《きけい》な堆積の上に印せられていた。しかもその怒濤は、下層の群集だったのである。その喧囂《けんごう》の状の化石が見えるかと思われた。急激な進歩の暗い大きな蜂《はち》の群れがおのれの巣の中で騒いでるのが、この防寨の上に聞こえるかと思われた。それは一つの藪《やぶ》であったか、酒神の祭であったか、それとも一つの要塞《ようさい》であったろうか。眩惑《げんわく》の羽ばたきによって作られたものかと思われた。その角面堡《かくめんほう》のうちには一種の塵芥《ごみ》の山があり、その堆積のうちには一種のオリンポスの殿堂があった。その絶望に満ちた混乱のうちに見らるるものは、屋根の椽木《たるき》、色紙のはられた屋根部屋の断片、砲弾を待ち受けて物の破片のうちに立てられてるガラスのついた窓の扉《とびら》、引きぬかれた煙筒《えんとつ》、戸棚《とだな》、テーブル、腰掛け、上を下への乱雑な堆積、それから乞食《こじき》さえも拒むような無数のがらくた、そのうちには狂猛と虚無とが同時にこもっていた。民衆のぼろ屑《くず》、木材と鉄と青銅と石とのぼろ屑であって、サン・タントアーヌ郭外が巨大な箒の一掃きでそれらを戸口に押しやり、その悲惨をもって防寨となしたかのようだった。首切り盤のような鉄塊、引きち切られた鎖、絞首台の柱のような角材、物の破片の中に横倒しに置かれてる車輪、それらのものはこの無政府の堂宇に、民衆が受けてきた古い苛責《かしゃく》の陰惨な相貌《そうぼう》を交じえさしていた。実にこのサン・タントアーヌの防寨は、すべてのものを武器としていた。内乱が社会の頭に投げつけ得るすべてのものは、そこに姿を現わしていた。それは一つの戦いではなくて、憤怒の発作だった。その角面堡をまもってるカラビン銃は、中に交じってた数個の霰弾銃《さんだんじゅう》とともに、瀬戸物の破片や、骨片や、上衣のボタンや、また銅がはいってるために有害な弾となる寝室のテーブルの足についてる小車輪までも、やたらに発射した。防寨全部がまったく狂乱していた。名状し難い騒擾《そうじょう》の声を雲の中まで立ち上らしていた。ある瞬間には、軍隊に戦いをいどみながら、群集と騒乱とでおおわれてしまった。燃ゆるがような無数の頭が、その頂をおおい隠した。蟻《あり》のような群集がいっぱいになっていた。その頂上には、銃やサーベルや棍棒《こんぼう》や斧《おの》や槍《やり》や剣銃などがつき立っていた。広い赤旗が風にはためいていた。号令の叫び、進撃の歌、太鼓の響き、婦人の泣き声、餓死の暗黒な哄笑《こうしょう》、などがそこに聞かれた。防寨《ぼうさい》はまったく常規を逸したもので、しかも生命を有していた。あたかも雷獣の背のように電光の火花がほとばしり出ていた。神の声に似た民衆の声がうなっているその頂は、革命の精神から発する暗雲におおわれていた。異常な荘厳さが、巨人の屑籠《くずかご》をくつがえしたようなその破片の堆積から発していた。それは塵芥《ごみ》の山であり、またシナイの山(訳者注 モーゼがエホバより戒律を受けし所)であった。
 上に言ったとおり、この防寨は革命の名においてしかも革命を攻撃したのである。偶然であり、無秩序であり、狼狽《ろうばい》であり、誤解であり、未知数であったこの防寨は、立憲議会と民衆の大権と普通選挙と国民と共和とを向こうにまわしたのである。それはマルセイエーズ(フランス国歌)にいどみかかるカルマニョールの歌(革命歌)であった。
 狂乱せるしかも勇壮なる挑戦《ちょうせん》であった。なぜなれば、この古い郭外は一個の英雄だからである。
 郭外と角面堡《かくめんほう》とは互いに力を合わしていた。郭外は角面堡の肩にすがり、角面堡は郭外に身をささえていた。広い防寨は、アフリカの諸将軍の戦略をも拉《ひし》ぐ断崖《だんがい》のごとく横たわっていた。その洞窟《どうくつ》、その瘤《こぶ》、その疣《いぼ》、その隆肉などは、言わば顔を顰《しか》めて、硝煙の下に冷笑していた。霰弾《さんだん》は形もなく消えうせ、榴弾《りゅうだん》は埋まり没しのみ込まれ、破裂弾はただ穴を明け得るのみだった。およそ混沌《こんとん》たるものを砲撃しても何の効があろう。戦役の最も荒々しい光景になれていた各連隊も、猪《いのしし》のごとく毛を逆立て山のごとく巨大なその角面堡《かくめんほう》の野獣を、不安な目でながめたのである。
 そこから約四半里ばかり先、シャトー・ドーの近くで大通りに出てるタンプル街の角《かど》で、ダルマーニュという商店の少しつき出た店先から思いきって頭を出してみると、遠くに、運河の向こうに、ベルヴィルの坂道を上ってる街路の中、坂道を上りきった所に、人家の三階の高さに達する不思議な障壁が見られた。それはあたかも左右の軒並みを連ねたがようで、街路を一挙にふさぐために最も高い壁を折り曲げたがようだった。しかしその壁は、実は舗石《しきいし》で築かれていたのである。まっすぐで、規則正しく、冷然として、垂直になっており、定規をあて墨繩《すみなわ》を引き錘鉛《すいえん》をたれて作られたもののようだった。もとよりセメントは用いられていなかったが、しかもローマのある障壁に見らるるように、そのため建築上の強固さは少しも減じていなかった。高さから推してまた奥行も察せられた。上層と地覆《ちふく》とはまったく数学的な平行を保っていた。灰色の表面には所々に、ほとんど目につかないくらいの銃眼の列が黒い糸のように見えていた。各銃眼の間には一定の等しい距離が置かれていた。街路には目の届くかぎり人影もなかった。窓も扉《とびら》も皆しめ切ってあった。そして奥に立っている防壁のために、あたかも袋町のようになっていた。防壁は不動のまま静まり返っていた。何らの人影も見えず、何らの音も聞こえなかった。一つの叫び声もなく、一つの物音もなく、息の音さえもなかった。まったく一つの墳墓だった。
 六月のまぶしい太陽は、その恐るべき物の上に一面の光を浴びせていた。
 これが、タンプル]郭外の防寨《ぼうさい》であった。
 この場所に行ってそれをながむると、最も豪胆な者でもその神秘な出現の前に考え込まざるを得なかった。それはよく整い、よく接合し、鱗形《うろこがた》に並び、直線をなし、均斉《きんせい》を保ち、しかも凄惨《せいさん》な趣があった。学理と暗黒とがこもっていた。防寨《ぼうさい》の首領は、幾何学者かもしくは幽鬼かと思われた。人々はそれをながめ、そして声低く語り合った。
 時々、兵士か将校かあるいは代議士かだれかが、偶然その寂しい大道を通りかかると、鋭いかすかな音がして、通行者は負傷するか死ぬかして地に倒れた。もし幸いにそれを免れる時には、閉ざされた雨戸か、素石の間か、壁の漆喰《しっくい》かの中に、一発の弾《たま》がはいり込むのが見られた。時とするとそれはビスカイヤン銃のこともあった。防寨の人々は多く、一端を麻屑《あさくず》と粘土とでふさいだ鋳鉄のガス管二本で、二つの小さな銃身をこしらえていた。ほとんど火薬をむだに費やすことはなかった。弾はたいてい命中した。そこここに死体が横たわって、舗石《しきいし》の上には血がたまっていた。また著者は、一匹の白い蝶《ちょう》が街路を飛び回ってたことを記憶している。さすがに夏の季節だけは平然としていた。
 付近の大きな門の下には、負傷者がいっぱいはいっていた。
 そこでは、姿を隠してるだれかから常にねらわれるような感があった。明らかに街路中どこででもねらい打ちにされるらしかった。
 タンプル郭外の入り口に運河の円橋がこしらえてる驢馬《ろば》の背中ほどの空地の後ろに、攻撃縦列をなして集まってる兵士らは、そのものすごい角面堡《かくめんほう》を、その不動の姿を、その冷然たる様を、しかも死を招くその場所を、まじめな考え込んだ様子で偵察《ていさつ》していた。ある者らは、帽子が向こうに見えないように注意しながら、穹窿形《きゅうりゅうけい》の橋の上まで腹ばいになって進んでいった。
 勇敢なるモンテーナール大佐は、身を震わしながらその防寨を嘆賞した。彼はひとりの代議士に言った。「うまく築いたものだ! 一つの不ぞろいな舗石もない。まるで磁器ですね。」その時、一発の弾は、彼の勲章を打ち砕いた。彼は倒れた。
「卑怯者《ひきょうもの》め!」とある者は言った、「姿を現わせ、見える所に出てこい。それができないのか。隠れてばかりいるのか!」
 しかしこのタンプル郭外の防寨《ぼうさい》は、八十人の者に守られ一万の兵に攻撃されて、三日の間持ちこたえた。四日目に、ザアチャーやコンスタンティーヌの都市になされたのと同様の方法が用いられ、人々は人家をうがち、または屋根に伝わり、そしてついに防寨は占領された。八十人の「卑怯者」らのうちひとりとして逃げようとはしなかった。皆そこで戦死を遂げた。ただひとり首領のバルテルミーだけは身を脱したが、彼のことはすぐ次に述べるとおりである。
 サン・タントアーヌの防寨は雷電のはためきであり、タンプルの防寨は沈黙であった。この二つの角面堡《かくめんほう》の間には獰猛《どうもう》と凄惨《せいさん》との差があった。一つは顎《あご》のごとく、一つは仮面のようだった。
 この六月の巨大な暗黒な反乱が一つの憤怒と一つの謎《なぞ》とでできていたとすれば、第一の防寨のうちには竜《ドラゴン》が感ぜられ、第二の防寨の背後にはスフィンクスが感ぜられた。
 この二つの砦《とりで》は、クールネとバルテルミーというふたりの男によって築かれたものである。クールネはサン・タントアーヌの防寨を作り、バルテルミーはタンプルの防寨を作った。どちらの防寨も、築造者の面影を帯びていた。
 クールネは高い体躯《たいく》の男であった。大きな肩、赤い顔、力強い拳《こぶし》、大胆な心、公正な魂、まじめな恐ろしい目をそなえていた。勇敢で、元気で、激しやすく、猛烈だった。最も真実な男であり、最も恐るべき勇士だった。戦争、争闘、白兵戦、などは彼の固有の空気であり、彼の気を引き立たした。かつて海軍士官だったことがあり、その身振りや声をみても、大洋から出てき暴風雨を経てきたことが察せられた。彼は戦いのうちにもなお暴風をもたらした。神性を除いてはダントンのうちにヘラクレス的なものがあったように、天才を除いてはクールネのうちにダントン的なものがあった。
 バルテルミーは、やせた、虚弱な、色の青い、寡黙《かもく》な男で、一種の悲壮な浮浪少年であった。ある時ひとりの巡査からなぐられて、その巡査をつけねらい、待ち受け、殺害し、そして十七歳で徒刑場に送られた。徒刑場から出てきた彼は、右の防寨《ぼうさい》を作ったのである。
 その後彼らはふたりとも追放されてロンドンに亡命していたが、何の因縁か、バルテルミーはクールネを殺した。痛ましい決闘だった。その後しばらくして、色情のからんだある秘密な事件に巻き込まれ、フランスの法廷は情状の酌量を認むるがイギリスの法廷は死をしか認めないある災厄のうちに、バルテルミーは死刑に処せられた。一個の知力をそなえ確かに剛毅《ごうき》な人物でありまたおそらく偉大な人物だったかも知れないこの不幸な男は、社会の痛ましい制度の常として、物質上の欠乏のためにまた精神上の暗黒のために、フランスにおいて徒刑場より始め、イギリスにおいて絞首台に終わったのである。バルテルミーはいかなる場合にも、一つの旗をしか掲げなかった。それは黒い旗であった。

     二 深淵《しんえん》中の会談

 暴動の陰暗な教育を受くること満十六年に及んだので、一八四八年六月は一八三二年六月よりもはるかに知力が進んでいた。それでシャンヴルリー街の防寨は、上に概説した二つの巨大な防寨に比ぶれば、一つの草案に過ぎず一つの胎児に過ぎなかった。しかし当時にあっては、それでも恐るべきものであった。
 マリユスはもはや何物にも注意を向けていなかったので、暴徒らはただアンジョーラひとりの監視の下に、暗夜に乗じて仕事をした。防寨は修繕されたばかりでなく、なお大きくされた。上の方へも二尺ほど高められた。舗石《しきいし》の中に立てられた鉄棒は、槍《やり》をつき立てたようだった。方々から持ってきて加えられたあらゆる種類の物の破片は、ますますその外部を錯雑していた。いかにも巧妙に築かれた角面堡《かくめんほう》で、内部は壁のごとく、外部は藪《やぶ》のようだった。
 城壁のように上に上ってる舗石の段は、再び築き直された。
 人々は防寨《ぼうさい》を整え、居酒屋の下の広間を片付け、料理場を野戦病院となし、負傷者に繃帯《ほうたい》を施し、床《ゆか》やテーブルの上に散らかってる火薬を集め、弾丸を鋳、弾薬をこしらえ、綿撒糸《めんざんし》を裂き、落ち散った武器を分配し、角面堡の内部を清め、破片を拾いのけ、死体を運んだ。
 死体はなお手中にあるモンデトゥール小路のうちに積み重ねられた。そこの舗石はその後長い間まっかになっていた。戦死者のうちには、四人の郊外国民兵があった。アンジョーラは彼らの軍服をわきに取って置かした。
 アンジョーラは二時間の睡眠を一同に勧めた。彼の勧告は命令に等しかった。けれどもその命に応じて眠った者は、わずか三、四人に過ぎなかった。フイイーはその二時間のすきを利用して、居酒屋と向かい合った壁の上に次のような銘を刻み込んだ。
 民衆万歳!
 その四文字は、素石の中に釘《くぎ》で彫りつけたものであって、一八四八年にもなお壁の上に明らかに残っていた。
 三人の女どもは、その夜間の猶予の間にまったく姿を隠してしまった。ために暴徒らはいっそう自由な気持ちになることができた。
 彼女らはとやかくして、どこか近くの人家に投げ込んだのだった。
 負傷者らの大部分は、なお戦うことができ、またそれを欲していた。野戦病院となった料理場の蒲団《ふとん》や藁蓆《わらむしろ》の上には、五人の重傷者がいたが、そのうちふたりは市民兵だった。市民兵は第一に手当を受けたのである。
 下の広間のうちにはもはや、喪布をかけられてるマブーフと柱に縛られてるジャヴェルとのほかだれもいなかった。
「ここは死人の室《へや》だ。」とアンジョーラは言った。
 室の内部、一本の蝋燭《ろうそく》がかすかに照らしてる奥の方に、死人のテーブルが横棒のようになってその前に柱が立っていたので、立ってるジャヴェルと横たわってるマブーフとは、ちょうど大きな十字架のようになって漠然《ばくぜん》と見えていた。
 乗り合い馬車の轅《ながえ》は、一斉射撃《いっせいしゃげき》のために先を折られたが、なお旗を立て得るくらいは立ったまま残っていた。
 首領の性格をそなえていて口にするところを必ず実行するアンジョーラは、戦死した老人の血にまみれ穴のあいてる上衣を轅の棒に結びつけた。
 食事はいっさいできなかった。パンも肉もなかった。防寨《ぼうさい》の五十人の男は、やってきてからその時まで十六時間のうちに、居酒屋にあったわずかな食物をすぐに食いつくしてしまった。死守する防寨《ぼうさい》はすべて、一定の時を経れば必然にメデューズ号の筏《いかだ》(訳者注 メデューズ号の難破者らが乗り込んで十三日間大洋の上を漂っていた筏)となるものである。人々は飢餓に忍従しなければならなかった。サン・メーリーの防寨では、パンを求むる暴徒らにとり巻かれたジャンヌが、「食物!」と叫んでいる声に対して、「何で食物がいるか、今は三時だ、四時には皆死ぬんだ、」と答えた。そういう悲壮な六月六日の日が、到来したばかりの時だったのである。
 もう食物を得ることができなかったので、アンジョーラは飲み物を禁じた。葡萄酒《ぶどうしゅ》を厳禁して、ただブランデーだけを少し分配してやった。
 居酒屋の窖《あなぐら》の中で、密封した十五本ばかりの壜《びん》が見いだされた。アンジョーラとコンブフェールとはそれを調べてみた。コンブフェールは窖から出て来ながら言った。「初め香料品を商《あきな》っていたユシュルー爺《じい》さんの昔の資本《もとで》だ。」するとボシュエは言った。「本物の葡萄酒《ぶどうしゅ》に違いない。グランテールが眠ってるのは仕合わせだ。奴《やつ》が起きていたら、なかなかこのまま放っておきはすまい。」種々不平の声をもらす者もあったが、アンジョーラはその十五本の壜に最後の断案を下して、だれの手にも触れさせないで神聖な物としておくために、マブーフ老人が横たわってるテーブルの下に並べさした。
 午前二時ごろ人数を調べてみると、なお三十七人いた。
 夜は明けかかってきた。舗石《しきいし》の箱の中に再びともしていた炬火《たいまつ》を、人々は消してしまった。街路から切り取った小さな中庭のような防寨の内部は、やみに満たされて、払暁《ふつぎょう》の荒涼たる微明のうちに、こわれた船の甲板に似寄っていた。行ききする戦士の姿は、まっ黒な影のように動いていた。そしてその恐るべき闇《やみ》の巣窟《そうくつ》の上には、黙々たる幾階もの人家が青白く浮き出していた。更に上の方には、煙筒がほの白く立っていた。空は白とも青ともつかない微妙な色にぼかされていた。小鳥は楽しい声を立てながら空を飛んでいた。防寨《ぼうさい》の背景をなしている高い人家は、東に向いていたので、屋根の上に薔薇色《ばらいろ》の反映が見えていた。その四階の軒窓には、殺された門番の灰色の頭髪が、朝の微風になぶられていた。
「炬火《たいまつ》を消したのはうれしい。」とクールフェーラックはフイイーに言った。「風に揺らめいてるあの光はいやでならなかった。まるで何かをこわがってるようだった。炬火の光というものは、卑怯者の知恵みたいなものだ。いつも震えてばかりいて、ろくに照らしもしないからね。」
 曙《あけぼの》は小鳥を目ざめさせるとともに、人の精神をもさまさせる。人々はみな話しはじめた。
 ジョリーは樋《とい》の上をぶらついてる一匹の猫《ねこ》を見て、それから哲学を引き出した。
「猫とはいかなるものか知ってるか。」と彼は叫んだ。「猫は一つの矯正物《きょうせいぶつ》だ。神様は鼠《ねずみ》をこしらえてみて、やあこいつはしくじったと言って、それから猫をこしらえた。猫は鼠の正誤表だ。鼠プラス猫、それがすなわち天地創造の校正なんだ。」
 コンブフェールは学生や労働者らに取り巻かれて、ジャン・プルーヴェールやバオレルやマブーフやまたル・カブュクのことまで、すべて死んだ人々のことを話し、またアンジョーラの厳粛な悲哀のことを語っていた。彼はこう言った。
「ハルモディオスとアリストゲイトン、ブルツス、セレアス、ステファヌス、クロンウェル、シャーロット・コルデー、サント、なども皆、手を下した後に一時悲哀を感じたのだ。人の心はたやすく傷《いた》むものであり、人生は至って不思議なものである。公徳のための殺害の場合でも、もしありとすれば救済のための殺害の場合でも、ひとりの者を仆《たお》したという悔恨の念は、人類に奉仕したという喜びの情より深いものだ。」
 そして話は種々のことに飛んだが、やがてジャン・プルーヴェールの詩のことから一転して、ゼオルジック(訳者注 ヴィルギリウスの詩)の翻訳者らの比較を試み、ローとクールナンとを比べ、クールナンとドリーユとを比べ、マルフィラートルが訳した数節、ことにシーザーの死に関する名句をあげたが、そのシーザーという言葉から、話はまたブルツスの上に戻った。
「シーザーの覆滅は至当である。」とコンブフェールは言った。「キケロはシーザーにきびしい言葉を下したが、あれは正当だ。あの酷評は決して悪口ではない。ゾイルスがホメロスを嘲《あざけ》り、メヴィウスがヴィルギリウスを嘲り、ヴィゼがモリエールを嘲り、ポープがセークスピヤを嘲り、フレロンがヴォルテールを嘲ったのは、昔からよくある嫉妬《しっと》と憎みからきたのである。天才は嘲笑《ちょうしょう》を受け、偉人は多少人から吠《ほ》えらるるのが常である。しかしゾイルス輩とキケロとはまったく別者だ。キケロは思想による審判者である。あたかもブルツスが剣による審判者であるのと同じだ。僕に言わすれば、後者の審判すなわち剣によるものは好ましくない。しかし古代はそれを許していた。ルビコンを渡ったシーザーは、民衆から来るもろもろの地位をおのれから出るもののように人に授け、元老院に姿を現わさず、エウトロピウスが言ったように、王のごときまたほとんど暴君のごときことを行なった。そして彼は偉人であったために、それだけ不幸ともまた幸とも言える。なぜなれば、彼が偉人であっただけにいっそうその教訓は高遠となったから。しかし僕の目から見れば、彼が受けた二十三の傷は、イエス・キリストの額に吐きかけられた唾《つば》ほどの痛切さを持たない。シーザーは元老院の議員らから刺されたが、キリストは下男らから侮辱され頬《ほお》を打たれた。侮辱がより大なるがゆえに、人は神を感ずるのだ。」
 積み重ねた舗石《しきいし》の上からそれらの会談者らを見おろしながら、ボシュエはカラビン銃を手にしたまま叫び出した。
「おお、シダテネオム、ミリノス、プロバリンテよ、エアンチデの三女神よ! ああたれかわれをして、ラウリオムやエダプテオンのギリシャ人のごとくに、ホメロスの詩を誦《ず》せしむる者があるか!」

     三 光明と陰影

 アンジョーラは偵察《ていさつ》に出かけていた。彼は軒下に沿ってモンデトゥール小路から出て行った。
 ちょっとことわっておくが、暴徒らは皆希望に満ちていた。たやすく前夜の襲撃を撃退したので、夜明けの襲撃をも前もってほとんど軽蔑するような気になっていた。彼らはその襲撃を微笑しながら待ち受けていた。彼らはおのれの主旨を確信するとともに、成功をもはや疑わなかった。その上援兵もきつつあるに違いないと思っていた。彼らはそれをあてにしていた。光明的な楽観をもって前途を速断するのは、フランス戦士の力の一つである。彼らはきたらんとする一日を三つの局面に分かって、それを確信していた。すなわち、朝六時には「かねて手を入れておいた」一個連隊が裏切ってくる、正午にはパリー全市が立ち上がる、日没の頃には革命となる。
 サン・メーリーの警鐘が前日絶えず鳴り続けてるのが聞こえていた。それは、も一つの大きな防寨《ぼうさい》、すなわちジャンヌの防寨が、なお支持してる証拠であった。
 それらの希望は、蜂《はち》の巣における戦いの騒音のように、一種の快活なまた恐ろしいささやきとなって、人々の群れから群れへとかわされていた。
 アンジョーラは再び姿を現わした。彼は外部の暗黒の中をひそかに鷲《わし》のように翔《かけ》り回って戻ってきたのである。彼はしばし、両腕を組み片手を口にあてて、人々の喜ばしい話を聞いていた。それから、しだいに白んでゆく曙《あけぼの》の色の中にいきいきした薔薇《ばら》のような姿で言った。
「パリーの全兵士が動員している、その三分の一はこの防寨《ぼうさい》に押し寄せてくるんだ。その上国民兵も加わっている。僕は歩兵第五連隊の帽子と国民兵第六連隊の旗とを見て取った。攻撃までには一時間ばかりの余裕しかない。人民の方は、昨日は沸き立っていたが、今朝は静まり返っている。今はもう待つべきものも希望すべきものもない。郭外も連隊も共にだめだ。われわれは孤立だ。」
 その言葉は、人々の騒々しい話声の上に落ちかかって、蜂《はち》の巣の上に落ちてくる暴風雨の最初の一滴のような結果を生じた。皆口をつぐんでしまった。死の翔り回るのが聞こえるような名状し難い沈黙が、一瞬間続いた。
 それはごくわずかの間だった。
 群集の最も薄暗い奥の方から、一つの声がアンジョーラに叫んだ。
「よろしい。防寨を二丈の高さにして皆で死守しよう。諸君、死屍《しかばね》となっても抵抗しようではないか。人民は共和党を見捨てるとしても、共和党は人民を見捨てないことを、示してやろうではないか。」
 その言葉は、すべての者の頭から個人的な心痛の暗雲を払い去った。そして熱誠な拍手をもって迎えられた。
 右の言葉を発した男の名前は永久に知られなかった。それはある労働服を着た無名の男であり、見知らぬ男であり、忘れられた男であり、過ぎ去ってゆく英雄であった。かかる無名の偉人は、常に人類の危機と社会の開闢《かいびゃく》とに交じっていて、一定の時機におよんで断乎《だんこ》として決定的な一言を発し、電光のひらめきのうちに一瞬間民衆と神とを代表した後、またたちまち暗黒のうちに消えうせるものである。
 不屈の決心は、一八三二年六月六日の空気に濃く漂っていた。右のこととほとんど同時に、サン・メーリーの防寨《ぼうさい》のうちでは、暴徒らが次の喊声《かんせい》を上げた。それは史上にも残り、当時の判定録にもしるされたものである。「援兵が来ると否とは問うところでない! われわれは最後のひとりまでここで戦死を遂げるんだ。」
 読者の見るとおり、両防寨は実際上孤立してはいたが、精神は互いに通い合っていたのである。

     四 五人を減じひとりを加う

「死屍《しかばね》の抵抗」を宣言した無名の男が、共通の魂の言葉を発した後、一同の口から何とも言えぬ満足した恐るべき叫びが出てきた。その意味は沈痛であったが調子は勇壮であった。
「戦死万歳! 全員ここにふみ止まろう。」
「なぜ全員だ?」とアンジョーラは言った。
「全員! 全員!」
 アンジョーラは言った。
「地の理はよく、防寨は堅固だ。三十人もあれば充分だ。なぜ四十人を全部犠牲にする必要があるか?」
 人々は答え返した。
「ひとりも去りたくないからだ。」
「諸君!」とアンジョーラは叫んだ。その声はほとんど激昂《げっこう》に近い震えを帯びていた。「共和は無用な者まで犠牲にするほど豊富な人数を有しない。虚栄は浪費である。ある者にとっては立ち去ることが義務であるならば、その義務もまた他の義務と同様に果たすべきではないか。」
 主義の人なるアンジョーラは、絶対のものから来るような偉力を同志の上に有していた。しかしその絶対的権力にもかかわらず、人々はなお不平をもらした。
 徹頭徹尾首領たるアンジョーラは、人々がつぶやくのを見て、なお主張した。彼は昂然として言った。
「ただ三十人になることを恐れる者はそう言え。」
 不満のつぶやきはますます高まった。
「それに、」とある群れの中から声がした、「立ち去ると口で言うのは容易だが、防寨《ぼうさい》は包囲されてるんだ。」
「市場町の方は開いている。」とアンジョーラは言った。
「モンデトゥール街は自由だ、そしてプレーシュール街からインノサン市場へ出られる。」
「そしてそこで捕《つかま》る。」と群れの中から他の声がした。「戦列兵か郊外兵かの前哨《ぜんしょう》に行き当たる。労働服をつけ縁無し帽をかぶって通ればすぐ向こうの目につく。どこからきたか、防寨からではないか、と問われる。そして手を見られる。火薬のにおいがする。そのまま銃殺だ。」
 アンジョーラはそれに答えないで、コンブフェールの肩に触れ、ふたりで居酒屋の下の広間にはいって行った。
 彼らはまたすぐそこから出てきた。アンジョーラは両手にいっぱい、取って置いた四着の軍服を持っていた。後に続いたコンブフェールは、皮帯と軍帽とを持っていた。
「この服をつけてゆけば、」とアンジョーラは言った、「兵士の間に交じって逃げることができる。りっぱに四人分ある。」
 そして彼は、舗石《しきいし》をめくられた地面の上に四つの軍服を投げ出した。
 堅忍なる聴衆のうちには身を動かす者もなかった。コンブフェールは語り出した。
「諸君、」と彼は言った。「憐憫《れんびん》の情を少し持たなければいけない。ここで何が問題であるか知っているか。問題は婦人の上にあるんだ。いいか。妻を持ってる者はないか。子供を持ってる者はないか。足で揺籃《ゆりかご》を動かしたくさんの子供に取り囲まれてる母親を持ってる者はないか。君らのうちで、かつて育ての親の乳房《ちぶさ》を見なかった者があるならば、手をあげてみたまえ。諸君はここで死にたいと言う。諸君に今語っている僕もここで死にたい。しかし僕は、腕をねじ合わして嘆く婦人の幻を自分の周囲に見たくはない。欲するならば死にたまえ。しかし他の人をも死なしてはいけない。ここでやがて行なわれんとする自滅は荘厳なものである。しかしその自滅は範囲をせばめて、決して他人におよぼしてはいけない。もしそれを近親の者にまでおよぼす時には、自滅ではなくて殺害となる。金髪の子供らのことを考えてみ、白髪の老人らのことを考えてみるがいい。聞きたまえ、今アンジョーラが僕に話したことを。シーニュ街の角《かど》に、光のさす窓が一つ見えていた、六階の粗末な窓に蝋燭《ろうそく》の光がさしていた、その窓ガラスには、一晩中眠りもしないで待ってるらしい年取った女の頭が、ゆらゆらと映っていた。たぶん君らのうちのだれかの母親だろう。でそういう者は、立ち去るがいい。急いで行って、母親に言うがいい、お母《かあ》さんただ今帰りましたと。安心したまえ、ここはあとに残った者だけで充分だ。自分の腕で一家をささえてる者には、身を犠牲にする権利はない。それは家庭を破滅させるというものだ。また娘を持ってる者、妹を持ってる者、そういう者はよく考えて見たまえ。自分の身を犠牲にする、自分は死ぬ、それはかまわぬ、しかし明日は? パンに窮する若い娘、それは恐ろしいことではないか。男は食を乞《こ》うが、女は身を売る。あああのうるわしいやさしい可憐《かれん》な娘ら、花の帽子をかぶり、歌いさえずり、家の中に清らかな気を満たし生きたる香のようであり、地上における処女の純潔さで天における天使の存在を証する者、ジャンヌやリーズやミミ、諸君の恵みであり誇りである愛すべき正直なる者、彼女らが飢えんとするのである。ああ何と言ったらいいか。世には人の肉体の市場がある。彼女らがそこにはいるのを防ぐのは、彼女らのまわりにうち震える諸君の影の手がよくなし得るところではない。街路に、通行人でいっぱいになってる舗石《しきいし》の上に、商店の前に、首筋をあらわにし泥にまみれてさまよう女のことを考えて見たまえ。その女どももまたもとは純潔だったのだ。妹を持ってる者は妹のことを考えてみるがいい。困窮、淫売《いんばい》、官憲、サン・ラザール拘禁所、そういう所に、あのうるわしい、たおやかな娘らは、あの五月のライラックの花よりもなおさわやかな貞節と温順と美とのもろい宝は、ついに落ちてゆくのだ。ああ諸君は身を犠牲にする、諸君はもはや生きていない。それは結構だ。諸君は民衆を王権から免れさせようと欲したのだ。しかもまた諸君は自分の娘を警察の手に渡すのである。諸君、よく注意したまえ、あわれみの心を持ちたまえ。婦人らのことを、不幸なる婦人らのことを、われわれは普通あまり念頭に置いていない。婦人らが男のごとき教育を受けていないことに自ら得意となり、彼女らの読書を妨げ、彼女らの思索を妨げ、彼女らが政治に干与するのを妨げている。そこで今晩彼女らが、死体公示所へ行って諸君の死屍《しし》を見分けんとするのを、初めからさせないようにしてはどうか。家族のある者はわれわれの言に従い、われわれと握手して立ち去り、われわれをここに残して自由に働かしてくれてはどうか。むろん立ち去るには勇気が必要である。それは困難なことだ。しかし困難が大なるほど、価値はますます大である。諸君は言う、俺《おれ》は銃を持っている、俺は防寨《ぼうさい》にきている、どうでも俺は去らないと。どうでもと、そう口で言うのはたやすい。しかし諸君、明日というものがある。その明日には、諸君はもう生きていないだろうが、諸君の家族はまだ残っているだろう。そしていかに多くの苦しみがやってくるか! ここにひとりの健康なかわいい子供がいるとする。林檎《りんご》のような頬《ほお》をし、片言《かたこと》交じりにしゃべりさえずり笑い、脣《くち》づけをすればそのいきいきした肉体が感ぜらるる。ところが彼が見捨てられた時、どうなりゆくか考えてみたまえ。僕はそういう子供をひとり見たことがある。まだ小さなこれくらいな児だった。父親が死んだので、貧しい人たちが慈悲心から拾い上げた。しかし彼ら自身もパンに窮していた。子供はいつも腹をすかしていた。ちょうど冬だった。子供は泣きもしなかった。彼はストーヴに寄ってゆくが、そこには火もなく、煙筒には黄色い土が塗りつけてあるばかりだ。子供はその土を小さな指先で少しはがして、それを食っていた。呼吸は荒く、顔はまっさおで、足には力がなく、腹はふくれていた。一言も口をきかなかった。話しかけても返事をしなかった。そしてついに死んだ。ネッケルの救済院に連れていって死なしたのだ。そこで僕は子供を見た。僕は当時その救済院に寄宿していたんだ。今諸君のうちに、父親たる者があるならば、頑丈《がんじょう》な手に子供の小さな手を引いて日曜日の散歩を楽しみとしてる父親があるならば、右の子供はすなわち自分の子供にほかならないと想像してもらいたい。僕はそのあわれな子供のことをよく覚えている、今も目に見るような気がする。裸のまま解剖台の上に横たわっていた時、その肋骨《ろっこつ》は墓場の草の下の土饅頭《どまんじゅう》のように皮膚の下に飛び出していた。胃袋の中には泥《どろ》のようなものが見いだされた。歯の間には灰がついていた。さあ胸のうちに目を向けて、心の声に耳を傾けようではないか。統計の示すところによると、親のない子供の死亡率は五十五パーセントにおよんでいる。僕は繰り返して言う、問題は妻の上に、母親の上に、若い娘の上に、頑是《がんぜ》ない子供の上にある。諸君自身のことを言うのではない。諸君自身のことはよくわかっている。諸君が皆勇敢であることはよくわかっている。諸君が皆心のうちに、大義のために身を犠牲にするの喜びと光栄とを持ってることは、よくわかっている。諸君は有益なまたみごとな死を遂げんがために選まれたる者であることを感じており、各人皆勝利の分前を欲しておることは、よくわかっている。まさにそのとおりである。しかし諸君はこの世においてひとりではない。考えてやらなければならない他の人たちがいる。利己主義者であってはならないのだ。」
 人々は皆|沈鬱《ちんうつ》な様子をして頭をたれた。
 最も荘厳なる瞬間における人の心の不思議な矛盾さよ! かく語ったコンブフェール自身孤児ではなかった。彼は他人の母親のことを思い出していたが、自分の母親のことは忘れていた。彼はおのれを死地に置かんとしていた。彼こそ「利己主義者」であった。
 マリユスは飲食もせず、熱に浮かされたようになり、あらゆる希望の外にいで、悲痛の洲《す》に乗り上げ、最も悲惨な難破者となり、激越な情緒に浸され、もはや最後が近づいたことを感じて、人が自ら甘受する最期の時間の前に常に来る幻覚的な惘然《ぼうぜん》さのうちに、しだいに深く沈み込んでいた。
 生理学者が今彼の様子を観察したならば、科学上よく知られ類別されてる熱性混迷のしだいに高まる徴候を見て取り得たであろう。この熱性混迷が苦悩に対する関係は、あたかも肉体的歓楽が快感に対するようなものである。絶望にもまたその恍惚《こうこつ》たる状態がある。マリユスはそういう状態に達していた。彼はすべてのことを、外部から見るようにながめていた。前に言ったとおり、眼前に起こった事物も、彼には遠方のもののように思えた。全体はよく見て取れたが、些細《ささい》な点はわからなかった。行ききする人々は炎の中を横ぎってるがようであり、人の話し声は深淵《しんえん》の底から響いてくるがようだった。
 しかしながらただ今のことは彼の心を動かした。その情景のうちには鋭い一点があって、それに彼は胸を貫かれ呼びさまされた。彼はもはや死ぬという一つの観念しか持っていず、それから気を散らされることを欲していなかった。しかし今や彼はその陰惨な夢遊のうちにあって、自ら身を滅ぼしながらも他人を助けることは禁じられていないと考えた。
 彼は声を上げた。
「アンジョーラとコンブフェールとの意見は正当だ。」と彼は言った。「無益な犠牲を払うの要はない。僕はふたりの意見に賛成する。そして早くしなければいけない。コンブフェールは確かな事柄を言ったではないか。諸君のうちには、家族のある者がいるだろう、母や妹や妻や子供を持ってる者がいるだろう。そういう者はこの列から出たまえ。」
 だれも動く者はなかった。
「結婚した者および一家の支柱たる者は、列外に出たまえ!」とマリユスは繰り返した。
 彼の権威は偉大なものだった。アンジョーラはもとより防寨《ぼうさい》の首領であったが、マリユスは防寨の救済主であった。
「僕はそれを命ずる!」とアンジョーラは叫んだ。
「僕は諸君に願う!」とマリユスは言った。
 その時、コンブフェールの言葉に動かされ、アンジョーラの命令に揺られ、マリユスの懇願に感動されて、勇士らは、互いに指摘し始めた。「もっともだ。君は一家の主人じゃねえか。出るがいい。」とひとりの若者は壮年の男に言った。男は答えた。「むしろお前の方だ。お前はふたりの妹を養ってゆかなくちゃならねえんだろう。」そして異様な争いが起こった。互いに墳墓の口から出されまいとする争いだった。
「早くしなけりゃいけない。」とコンブフェールは言った。「もう十五、六分もすれば間《ま》に合わなくなるんだ。」
「諸君、」とアンジョーラは言った、「ここは共和である、万人が投票権を持っている。諸君は自ら去るべき者を選むがいい。」
 彼らはその言葉に従った。数分の後、五人の男が全員一致をもって指名され、列から前に進み出た。
「五人いる!」とマリユスは叫んだ。
 軍服は四着しかなかった。
「ではひとり残らなくちゃならねえ。」と五人の者は言った。
 そしてまた互いに居残ろうとする争いが、他の者に立ち去るべき理由を多く見いださんとする争いが始まった。寛仁な争いだった。
「お前には、お前を大事にしてる女房がいる。――お前には年取った母親《おふくろ》がいる。――お前には親父《おやじ》も母親もいねえ、お前の小さな三人の弟はどうなるんだ。――お前は五人の子供の親だ。――お前は生きるのが本当だ、十七じゃねえか、死ぬには早え。」
 それら革命の偉大な防寨《ぼうさい》は、勇壮の集中する所であった。異常なこともそこでは当然だった。勇士らはそれを互いに驚きはしなかった。
「早くしたまえ。」とクールフェラックは繰り返した。
 群れの中からマリユスに叫ぶ声がした。
「居残る者をあなたが指定して下さい。」
「そうだ、」と五人の者は言った、「選んで下さい。私どもはあなたの命令に従う。」
 マリユスはもはや自分には何らの感情も残っていないと思っていた。けれども今、死ぬべき者をひとり選ぶという考えに、全身の血は心臓に集まってしまった。彼の顔は既に青ざめていたが、更に一抹《いちまつ》の血の気《け》もなくなった。
 彼は五人の方へ進んだ。五人の者は微笑して彼を迎え、テルモピレの物語の奥に見らるるあの偉大なる炎に満ちた目をもって、各自彼に叫んだ。
「私を、私を、私を!」
 マリユスは惘然《ぼうぜん》として彼らをながめた。やはり五人である! それから彼の目は四着の軍服の上に落ちた。
 その瞬間、第五の軍服が天から降ったかのように、四着の軍服の上に落ちた。
 五番目の男は救われた。
 マリユスは目を上げた。そしてフォーシュルヴァン氏の姿を認めた。
 ジャン・ヴァルジャンはちょうど防寨《ぼうさい》の中にはいってきたところだった。
 様子を探ってか、あるいは本能によってか、あるいは偶然にか、彼はモンデトゥール小路からやってきた。国民兵の服装のおかげでたやすくこれまで来ることができた。
 反徒の方がモンデトゥール街に出しておいた哨兵《しょうへい》は、ひとりの国民兵のために警報を発することをしなかった。「たぶん援兵かも知れない、そうでないにしろどうせ捕虜になるんだ、」と思って、自由に通さしたのである。時機はきわめて切迫していた。自分の任務から気を散らし、その見張りの位置を去ることは、哨兵にはできなかった。
 ジャン・ヴァルジャンが角面堡《かくめんほう》の中にはいってきた時、だれも彼に注意を向ける者はいなかった。すべての目は、選まれた五人の男と四着の軍服との上に注がれていた。ジャン・ヴァルジャンもまたそれを見それを聞き、それから黙って自分の上衣をぬいで、それを他の軍服の上に投げやった。
 人々の感動は名状すべからざるものだった。
「あの男はだれだ?」とボシュエは尋ねた。
「他人を救いにきた男だ。」とコンブフェールは答えた。
 マリユスは荘重な声で付け加えた。
「僕はあの人を知っている。」
 その一言で一同は満足した。
 アンジョーラはジャン・ヴァルジャンの方を向いた。
「よくきて下すった。」
 そして彼は言い添えた。
「御承知のとおり、われわれは死ぬのです。」
 ジャン・ヴァルジャンは何の答えもせず、救い上げた暴徒に手伝って自分の軍服を着せてやった。

     五 防寨《ぼうさい》の上より見たる地平線

 この危急の時この無残な場所における一同の状態には、その合成力としてまたその絶頂として、アンジョーラの沈痛をきわめた態度があった。
 アンジョーラのうちには革命の精神が充満していた。けれども、いかに絶対なるものにもなお欠けたところがあるとおり、彼にも不完全なところがあった。あまりにサン・ジュスト的なところが多くて、アナカルシス・クローツ的なところが充分でなかった(訳者注 両者共に大革命時代の人)。けれど彼の精神は、ABCの友の結社において、コンブフェールの思想からある影響を受けていた。最近になって、彼はしだいに独断の狭い形式から脱し、広汎《こうはん》なる進歩を目ざすようになり、偉大なるフランスの共和をして広大なる人類の共和たらしむることを、最後の壮大な革新として受け入れるに至った。ただ直接現在の方法としては、激烈な情況にあるために、また激烈な処置を欲していた。この点においては彼は終始一貫していた。九三年(一七九三年)という一語につくされる恐るべき叙事詩的一派に、彼はなお止まっていた。
 アンジョーラはカラビン銃の銃口に片肱《かたひじ》をついて舗石《しきいし》の段の上に立っていた。彼は考え込んでいた。そしてある息吹《いぶき》を感じたかのように身を震わしていた。死のある所には、神占の几《つくえ》のごとき震えが起こるものである。魂の目がのぞき出てる彼の眸《ひとみ》からは、押さえつけた炎のような輝きが発していた。と突然彼は頭をもたげた。その金髪は後ろになびいて、星を鏤《ちりば》めた暗澹《あんたん》たる馬車に駕《が》せる天使の頭髪のようで、また後光の炎を発する怒った獅子《しし》の鬣《たてがみ》のようであった。そしてアンジョーラは声を張り上げた。
「諸君、諸君は未来を心に描いてみたか。市街は光に満ち、戸口には緑の木が茂り、諸国民は同胞のごとくなり、人は正しく、老人は子供をいつくしみ、過去は現在を愛し、思想家は全き自由を得、信仰者は全く平等となり、天は宗教となり、神は直接の牧師となり、人の本心は祭壇となり、憎悪は消え失せ、工場にも学校にも友愛の情があふれ、賞罰は明白となり、万人に仕事があり、万人のために権利があり、万人の上に平和があり、血を流すこともなく、戦争もなく、母たる者は喜び楽しむのだ。物質を征服するは第一歩である。理想を実現するは第二歩である。進歩が既に何をなしたか考えてみよ。昔最初の人類は、怪物が過ぎ行くのを恐怖に震えながら眼前に見た、水の上にうなりゆく怪蛇《かいだ》を、火を吐く怪竜《かいりゅう》を、鷲《わし》の翼と虎《とら》の爪《つめ》とをそなえてかける空中の怪物たるグリフォンを。それらは皆人間以上の恐るべき獣であった。しかるに人間は、罠《わな》を、知力の神聖なる罠を張り、ついにそれらの怪物を捕えてしまったのである。
 吾人は怪蛇《かいだ》を制御した、それを汽船という。吾人は怪竜《かいりゅう》が制御した、それを機関車という。吾人はまさにグリフォンを制御せんとしている、既に手中に保っている、それを軽気球という。そしてこのプロメテウスのごとき仕事が成就する日こそ、すなわち怪蛇と怪竜とグリフォンとの三つの古代の夢想を、ついにおのれの意志に馴致《じゅんち》し終わる日こそ、人間は水火風三界の主となり、他の生ある万物に対しては、いにしえの神々が昔人間に対して有していたような地位を、獲得するに至るだろう。奮励せよ、そして前進せよ! 諸君、吾人はどこへ行かんとするのであるか。政府を確立する科学へである、唯一の公《おおやけ》の力となる事物必然の力へである、自ら賞罰を有し明白に宣揚する自然の大法へである、日の出にも比すべき真理の曙《あけぼの》へである。吾人は各民衆の協和へ向かって進み、人間の統一へ向かって進む。もはや虚構を許さず、寄食を許さぬ。真実なるものによって支配されたる現実、それが目的である。文化はその審判の廷を、ヨーロッパの頂に、後には全大陸の中心に、知力の大議会のうちに、開くに至るだろう。これにやや似たものは既に行なわれた。古代ギリシャの連邦議員は、年に二回会議を開き、一つは神々の場所たるデルフにおいてし、一つは英雄の場所たるテルモピレにおいてした。やがては、ヨーロッパもこの連邦議員を有し、地球全体もこの連邦議員を有するに至るだろう。フランスは実に、この崇高なる未来を胸裏にいだいている。それが十九世紀の懐妊である。ギリシャによって描かれたその草案は、フランスによって完成されるに恥ずかしくないものである。僕の言を聞け、フイイー、君は勇敢な労働者、民衆の友、諸民衆の友だ。僕は君を尊敬する。君は明らかに未来を洞見《どうけん》した、君のなすところは正しい。君は、フイイー、父もなく母も持たなかった、そして、仁義を母とし権利を父とした。君はここに死なんとしている、すなわち勝利を得んとしてるのだ。諸君、今日の事はいかになりゆこうとも、敗れることによってまた打ち勝つことによって、われわれがなさんとするのは一つの革命である。火災が全市を輝かすように、革命は全人類を輝かす。しかもわれわれはいかなる革命をなさんとするのか。それは今言うとおり真実なるものの革命である。政治的見地よりすれば、ただ一つの原則あるのみだ、すなわち人間が自らおのれの上に有する主権である。この自己に対する自己の主権を自由[#「自由」に傍点]という。この主権の二個もしくは数個が結合するところに国家がはじまる。しかしその結合のうちには何ら権利の減殺はない。個々の主権がその多少の量を譲歩するのは、ただ共同的権利を造らんがためである。その量は各人皆同等である。各人が万人に対してなすこの譲歩の同一を、平等と言う。共同的権利とは、各人の権利の上に光り輝く万人の保護にほかならない。各人に対するこの万人の保護を、友愛という。互いに結合するあらゆる主権の交差点を、社会という。その交差は一つの接合であって、その交差点は一つの結び目である。かくて社会的関係が生じてくる。ある者はそれを社会的約束という。しかし両者は同一のものである、約束なる語はその語原上より言っても関係という観念で作られたものである。われわれはこの平等ということをよく了解しておかなくてはならない。なぜなれば、自由を頂点とするならば、平等は基底だからである。平等とは諸君、同じ高さの植物を言うのでない、大きな草の葉や小さな樫《かし》の木の仲間を言うのではない。互いに減殺し合う一連の嫉妬《しっと》を言うのではない。それは、民事上よりすれば、あらゆる能力が同等の機会を有することであり、政治上よりすれば、あらゆる投票が同等の重さを有することであり、宗教上よりすれば、あらゆる本心が同等の権利を有することである。平等[#「平等」に傍点]は一つの機関を持つ、すなわち無料の義務教育である。アルファベットに対する権利、まずそこから始めなければならない。小学校を万人に強請し、中学校は万人の意に任せる、それが定法である。同一の学校から同等の社会が生ずる。そうだ、教育の問題である。光明、光明! すべては光明より発し、光明に返る。諸君、十九世紀は偉大である、しかし二十世紀は幸福であるだろう。二十世紀にはもはや、古い歴史に見えるようなものは一つもないだろう。征服、侵略、簒奪《さんだつ》、武力による各国民の競争、諸国王の結婚結合よりくる文化の障害、世襲的暴政を続ける王子の出生、会議による民衆の分割、王朝の崩壊による国家の分裂、二頭の暗黒なる山羊《やぎ》のごとく無限の橋上において額をつき合わする二つの宗教の争い、それらももはや今日のように恐るるに及ばないだろう。飢饉《ききん》、不正利得、困窮から来る売淫《ばいいん》、罷工から来る悲惨、絞首台、剣、戦争、および事変の森林中におけるあらゆる臨時の追剥《おいはぎ》、それらももはや恐るるに及ばないだろう、否もはや事変すらもないとさえ言い得るだろう。人は幸福になるだろう。地球がおのれの法則を守るごとく、人類はおのれの大法を守り、調和は人の魂と天の星との間に立てられるだろう。惑星が光体の周囲を回るごとく、人の魂は真理の周囲を回るだろう。諸君、われわれがいる現在の時代は、僕が諸君に語っているこの時代は、陰惨なる時代である。しかしそれは未来を購《あがな》うべき恐ろしい代金である。革命は一つの税金である。ああかくて人類は、解放され高められ慰めらるるであろう! われわれはこの防寨《ぼうさい》の上において、それを人類に向かって断言する。愛の叫びは、もし犠牲の高処からでないとすれば果たしてどこからいで得るか。おお兄弟諸君、ここは考える者らと苦しむ者らとの接合点である。この防寨は、舗石《しきいし》からもしくは角材からもしくは鉄屑《てつくず》からできてるのではない。二つの堆積からできてるのだ、思想の堆積と苦難の堆積とからである。ここにおいて悲惨は理想と相会する。白日は暗夜を抱擁して言う、予は今汝と共に死せんとし汝は今予と共に再生せんとする。あらゆる困苦を抱きしむることから信念がほとばしり出る。苦難はここにその苦痛をもたらし、思想はここにその不滅をもたらしている。その苦痛とその不滅とは相交わって、われわれの死を形造《かたちづく》る。兄弟よ、ここで死ぬ者は未来の光明のうちに死ぬのである。われわれは曙《あけぼの》の光に満ちたる墳墓の中にはいるのである。」
 アンジョーラは口をつぐんだ、というよりもむしろ言葉を途切らした。彼の脣《くちびる》は、なお自分自身に向かって語り続けてるかのように、黙々として動いていた。ために人々は、注意を凝らしなおその言を聞かんがために彼をながめた。何らの喝采《かっさい》も起こらなかったが、低いささやきが長く続いた。言葉は息吹《いぶき》である。それから来る知力の震えは木の葉のそよぎにも似ている。

     六 粗野なるマリユス、簡明なるジャヴェル

 マリユスの脳裏に起こったことを一言しておきたい。
 彼の心の状態を読者は記憶しているだろう。彼にとってすべてはもはや幻にすぎなかったとは、前に繰り返したところである。彼の識別力は乱れていた。なお言うが、瀕死《ひんし》の者の上にひろがる大きい暗い翼の影にマリユスは包まれていた。彼は墳墓の中にはいったように感じ、既に人生の壁の向こう側にいるような心地がして、もはや生きたる人々の顔をも死人の目でしかながめていなかった。
 いかにしてフォーシュルヴァン氏がここへきたのか、何ゆえにきたのか、何をしにきたのか? それらの疑問をもマリユスは起こさなかった。その上、人の絶望には特殊な性質があって、自分自身と同じく他人をも包み込んでしまうものである。すべての人が死ににきたということも、マリユスには至って当然なことに思われた。
 ただ彼は、コゼットのことを考えては心を痛めた。
 それにまたフォーシュルヴァン氏は、マリユスに言葉もかけず、マリユスの方をながめもせず、マリユスが声を上げて「僕はあの人を知っている」と言った時にも、その声を耳にしたような様子さえしなかった。
 マリユスにとっては、フォーシュルヴァン氏のそういう態度は意を安んぜさせるものであった。そしてもし言い得べくんば、ほとんど彼を喜ばせるものであった。彼にとってフォーシュルヴァン氏は怪しいとともにまたいかめしい謎《なぞ》のごとき人物であって、いつも言葉をかけることは絶対に不可能のような気がしていた。その上会ったのはよほど以前のことだったので、元来臆病で内気なマリユスはいっそう言葉をかけ難い気がした。
 選ばれた五人の男は、モンデトゥール小路の方へ防寨《ぼうさい》を出て行った。彼らはどう見ても国民兵らしく思われた。そのうちのひとりは涙を流しながら去っていった。防寨を出る前に彼らは残ってる人々を抱擁した。
 生命のうちに送り返される五人の男が出て行った時、アンジョーラは死に定められてる男のことを考えた。彼は下の広間にはいっていった。ジャヴェルは柱に括《くく》られたまま考え込んでいた。
「何か望みはないか。」と彼にアンジョーラは尋ねた。
 ジャヴェルは答えた。
「いつ俺《おれ》を殺すのか。」
「待っておれ。今は弾薬の余分がないんだ。」
「では水をくれ。」とジャヴェルは言った。
 アンジョーラは一杯の水を持ってき、彼がすっかり縛られてるので自らそれを飲ましてやった。
「それだけか。」とアンジョーラは言った。
「この柱では楽でない。」とジャヴェルは答えた。「このまま一夜を明かさせたのは薄情だ。どう縛られてもかまわんが、あの男のようにテーブルの上に寝かしてくれ。」
 そう言いながら頭を動かして彼はマブーフ氏の死体をさした。
 読者の記憶するとおり、弾を鋳たり弾薬をこしらえたりした大きなテーブルが室の奥にあった。弾薬はすべてでき上がり火薬はすべて用い尽されたので、そのテーブルはあいていた。
 アンジョーラの命令で、四人の暴徒はジャヴェルを柱から解いた。解いてる間、五番目の男はその胸に銃剣をさしつけていた。両手は背中に縛り上げたままにし、足には細い丈夫な鞭繩《むちなわ》をつけておいた。それで彼は絞首台に上る人のように、一足に一尺四、五寸しか進むことができなかった。室《へや》の奥のテーブルの所まで歩かせて、人々はその上に彼を横たえ、身体のまんなかをしっかと縛りつけた]。
 なおいっそう安全にするために、脱走を不可能ならしむる縛り方をした上、首につけた繩で、監獄において鞅《むながい》と呼ばるる縛り方を施した。繩を首の後ろから通して、胸の所で十字にし、それから胯《また》の間を通し、後ろの両手に結びつけるのである。
 人々がジャヴェルを縛り上げてる間、ひとりの男が室の入り口に立って、妙に注意深く彼をながめていた。ジャヴェルはその男の影を見て、頭を回《めぐ》らした。それから目をあげて、ジャン・ヴァルジャンの姿を認めた。ジャヴェルは別に驚きもしなかった。ただ傲然《ごうぜん》と目を伏せて、自ら一言言った。「ありそうなことだ。」

     七 局面の急迫

 夜は急に明けてきた。しかし窓は一つも開かれず、戸口は一つも弛《ゆる》められなかった。夜明けではあったが、目ざめではなかった。防寨《ぼうさい》に相対してるシャンヴルリー街の一端は、前に言ったとおり、軍隊の撤退したあとで、今やまったく自由になったかのように、気味悪い静けさをして人の通行を許していた。サン・ドゥニ街は、スフィンクスの控えてるテーベの大道のようにひっそりしていた。四つ辻《つじ》は太陽の反映に白く輝いていたが、生あるものは何もいなかった。寂然《せきぜん》たる街路のその明るみほど、世に陰気なものはあるまい。
 何物も目には見えなかったが、物音は聞こえていた。ある距離をへだてた所に怪しい運動が起こっていた。危機が迫ってることは明らかだった。前夜のように哨兵《しょうへい》らが退いてきた、しかし今度は哨兵の全部だった。
 防寨は第一の攻撃の時よりいっそう堅固になっていた。五人の男が立ち去ってから、人々は防寨をなお高めていた。
 市場町の方面を見張っていた哨兵の意見を聞いて、アンジョーラは後方から不意打ちされるのを気使い、一大決心を定めた。すなわちその時まで開いていたモンデトゥール小路の歯状堡《しじょうほう》をもふさがした。そのためになお数軒の人家にわたる舗石《しきいし》がめくられた。かくて防寨は、前方シャンヴルリー街と、左方シーニュ街およびプティート・トリュアンドリー街と、右方モンデトゥール街と、三方をふさいで、実際ほとんど難攻不落に思われた。彼らはまったくその中に閉じ込められた。正面は三方に向いていたが、出口は一つもなかった。「要塞《ようさい》にしてまた鼠罠《ねずみわな》か、」とクールフェーラックは笑いながら言った。
 アンジョーラは居酒屋の入り口の近くに三十ばかりの舗石《しきいし》を積ました。「よけいにめくったもんだ、」とボシュエは言った。
 攻撃が来るに違いないと思われた方面は、今やいかにも深く静まり返っていた。でアンジョーラは一同をそれぞれ戦闘位置につかした。
 ブランデーの少量が各人に分配された。
 襲撃に対する準備をしてる防寨《ぼうさい》ほど不思議なものはない。人々は芝居小屋にでもはいったかのように各自に自分の位置を選む。あるいは身体をよせかけ、あるいは肱《ひじ》をつき、あるいは肩でよりかかる。舗石を立てて特別の席をこしらえる者もある。邪魔になる壁のすみからはなるべく遠ざかる。身をまもるに便利な凸角《とつかく》があればそれにこもる。左ききの者は調法で、普通の者に不便な場所を占むる。多くの者は腰をおろして戦列につく。楽に敵を殺し気持ちよく死ぬことを欲するからである。一八四八年六月の悲惨な戦いにおいては、狙撃《そげき》の巧みなひとりの暴徒が平屋根の上で戦ったが、一個の安楽椅子を持ち出していた。そしてそれに腰掛けたまま霰弾《さんだん》にたおれた。
 指揮者が戦闘準備の命令を下すや否やすべて無秩序な運動は止む。もはや不和もなく、寄り集まりもなく、陰口もなく、離れた群れもない。人々の頭の中にあるものはみな一つに集中し、ただ敵の襲撃を待つの念だけに変わってしまう。防寨は危険が来る前までは混乱であるが、危険に陥れば規律となる。危急は秩序を生ずる。
 アンジョーラが二連発のカラビン銃を取って、自分の場所としてる一種の狭間《はざま》に身を置くや、人々は口をつぐんでしまった。多くの小さな鋭い音が舗石《しきいし》の壁に沿ってごったに起こった。それは銃を構える音だった。
 また人々の態度は、深い勇気と信念とを示していた。極度の犠牲心はかえって力を生ぜさせる。彼らはもはや希望を持たなかったが、しかし絶望を持っていた。絶望は時として勝利を与える最後の武器であるとは、ヴァージルの言ったところである。最上の手段は最後の決心から生まれてくる。死の船に乗り込むのは、往々にして難破から脱する方法となる。柩《ひつぎ》の蓋《ふた》は身をまもる板となる。
 前夜のとおり人々の注意は、今や明るくなって見えてきた街路の先端に向けられた、というよりそこに倚《よ》りかかったと言ってもよい。
 待つ間は長くなかった。どよめきの音がサン・ルーの方面にまたはっきり聞こえ始めた。しかしそれは第一回の攻撃のおりの運動とは異なっていた。鎖の音、大集団の恐ろしいざわめき、舗石の上に当たる青銅の音、一種のおごそかな響き、それらはあるすごい鉄器が近づいてくるのを示していた。多くの利害と思想とが交通するためにうがち設けられ、恐ろしい戦車を通すために作られたのではない、それらの平和な古い街路のうちに、一つの震動が起こってきた。
 街路の先端に据えられてた戦士らの瞳《ひとみ》は、ものすごくなった。
 一門の大砲が現われた。
 砲手らが砲車を押し進めてきた。大砲は発射架の中に入れられていた。前車ははずされていた。砲手の二人は砲架をささえ、四人は車輪の所に添い、他の者らはあとに続いて弾薬車を引いていた。火のついた火繩《ひなわ》の煙が見えていた。
「打て!」とアンジョーラは叫んだ。
 防寨《ぼうさい》は全部|火蓋《ひぶた》を切った。その射撃は猛烈だった。雪崩《なだれ》のような煙は、砲門と兵士らとをおおい隠した。数秒ののち煙が散ると、大砲と兵士らとが再び見えた。砲手らは静かに正確に急ぎもせず、砲口を防寨の正面に向けてしまっていた。弾にあたった者は一人もいなかった。砲手長は砲口を上げるため砲尾に身体をもたせかけ、望遠鏡の度を合わせる天文学者のように落ち着き払って、照準を定め始めた。
「砲手、あっぱれ!」とボシュエは叫んだ。
 そして、防寨の者は皆拍手した。
 一瞬間の後には、大砲は街路のまんなかに溝をまたいでおごそかに据えられ、発射するばかりになっていた。恐るべき口は防寨の上に開かれていた。
「さあこい!」とクールフェラックは言った。「ひどい奴《やつ》だな、指弾《しっぺい》の後に拳骨《げんこつ》か。軍隊は俺《おれ》たちの方に大きな足を差し出したな。こんどは防寨も本当に動くぞ。小銃は掠《かすめ》るばかりだが、大砲はぶっつかる。」
「新式の青銅の八斤砲だ。」とコンブフェールはそれに続いて言った。「あの砲は、銅と錫《すず》とが百に十の割合を越すとすぐに破裂する。錫が多すぎれば弱くなって、火門の中に幾つもすき間ができる。その危険を避けしかも装薬を強くするには、十四世紀式に戻って箍《たが》をはめなくちゃいけない。すなわち砲尾から砲耳までつぎ目なしの鋼鉄の輪をたくさんはめて外から強くするんだ。さもなければどうにかして欠点を補うんだ。猫捜器で火門の中にできたすきまがわかる。しかし最もいい方法は、グリボーヴァルの発明した動星器を用いることだ。」
「十六世紀には、」とボシュエは言った、「砲身内に旋条を施していた。」
「そうだ、」とコンブフェールは答えた、「そうすれば弾道力は増すが、ねらいの正確さは減ずる。その上、短距離の射撃には、弾道は思うようにまっすぐにならず、抛物線《ほうぶつせん》は大きくなり、弾は充分まっすぐに飛ばなくて中間の物を打つことができなくなる。しかし実戦においては中間の物を打つ必要があって、敵が近くにおり発射を急ぐ場合には、ますますそれが大切となる。十六世紀の旋条砲の弾道が彎曲《わんきょく》するその欠点は、装薬の弱さからきている。そして装薬を弱くするのは、この種の武器では、たとえば砲架を痛めないようにというような発射の方の必要からきている。要するにこの専制者たる大砲も、欲することを何でもやれるわけではない。力には大なる弱点がある。砲弾は一時間に六百里しか走れないが、光線は一秒に七万里走る。それがすなわち、イエス・キリストのナポレオンに勝《まさ》るところだ。」
「弾をこめ!」とアンジョーラは言った。
 防寨の面は砲弾の下にどうなるであろうか。砲弾に穴をあけられるであろうか。それが問題であった。暴徒らが銃に再び弾をこめてる間に、砲兵らは大砲に弾をこめていた。
 角面堡《かくめんほう》内の懸念はすこぶる大きかった。
 大砲は発射された。轟然《ごうぜん》たる響きが起こった。
「ただ今!」と快活な声がした。
 砲弾が防寨《ぼうさい》の上に落ちかかると同時に、ガヴローシュが防寨の中に飛び込んできた。
 彼はシーニ街の方からやってきて、プティート・トリュアンドリー小路に向いてる補助の防寨を敏捷《びんしょう》に乗り越えてきたのだった。
 砲弾よりもガヴローシュの方が防寨《ぼうさい》の中に騒ぎを起こした。
 砲弾は雑多な破片の堆《うずたか》い中に没してしまった。せいぜい乗り合い馬車の車輪を一つこわしアンソーの古荷車を砕いたに過ぎなかった。それを見て人々は笑い出した。
「もっと打て。」とボシュエは砲兵らに叫んだ。

     八 大砲の真の偉力

 人々はガヴローシュの周囲に集まった。
 しかし彼は何も物語る暇がなかった。マリユスは駭然《がいぜん》として彼を横の方に招いた。
「何しに戻ってきたんだ。」
「なんだって!」と少年は言った。「お前の方はどうだ?」
 そして彼はおごそかな厚かましさでマリユスを見つめた。その両の目は心中にある得意の情のために一際《ひときわ》大きく輝いていた。
 マリユスはきびしい調子で続けて言った。
「戻ってこいとだれが言った! 少なくとも手紙はあて名の人に渡したのか。」
 手紙のことについてはガヴローシュも多少やましいところがないでもなかった。防寨に早く戻りたいので、手紙は渡したというよりもむしろ厄介払いをしたのだった。顔もよく見分けないで未知の男に託したのは多少軽率だったと、彼は自ら認めざるを得なかった。実際その男は帽子をかぶってはいなかったが、それだけでは弁解にならなかった。要するに彼は、手紙のことについては少し心苦しい点があって、マリユスの叱責《しっせき》を恐れていた。でその苦境をきりぬけるために、最も簡単な方法を取って、ひどい嘘《うそ》を言った。
「手紙は門番に渡してきた。女の人は眠っていたから、目がさめたら見るだろう。」
 マリユスはその手紙を贈るについて二つの目的を持っていた、コゼットに別れを告げることと、ガヴローシュを救うこと。で彼は望みの半分だけが成就したことで満足しなければならなかった。
 手紙の送達と、防寨《ぼうさい》の中にフォーシュルヴァン氏の出現と、その二つの符合が彼の頭に浮かんだ。ガヴローシュにフォーシュルヴァン氏をさし示した。
「あの人を知っているか。」
「いや。」とガヴローシュは言った。
 実際ガヴローシュは、今言ったとおり、暗夜の中でジャン・ヴァルジャンを見たに過ぎなかった。
 マリユスの頭の中に浮かんできた漠然《ばくぜん》たる不安な推測は、ガヴローシュの一語に消えうせた。フォーシュルヴァン氏の意見はわからないが、おそらくは共和派だろう。そうだとすれば、彼が防寨の中に現われたのも別に不思議はないわけだった。
 そのうちにもうガヴローシュは、防寨の他の一端で叫んでいた。「俺《おれ》の銃をくれ!」
 クールフェーラックは銃を彼に返してやった。
 ガヴローシュは彼のいわゆる「仲間の者ら」に、防寨が包囲されてることを告げた。戻って来るのは非常に困難だった。戦列歩兵の一隊がプティート・トリュアンドリーに銃を組んでシーニュ街の方を監視しており、市民兵がその反対のプレーシュール街を占領していた。そして正面には軍勢の本隊が控えていた。
 それだけのことを知らして、ガヴローシュは加えて言った。
「俺《おれ》が許すから、奴《やつ》らにどかんと一つ食わしてくれ。」
 その間、アンジョーラは自分の狭間《はざま》の所にあって、耳を澄ましながら様子をうかがっていた。
 襲撃軍の方は、砲弾の効果に不満だったのであろう、もうそれを繰り返さなかった。
 一中隊の戦列歩兵が、街路の先端に現われて砲車の後ろに陣取った。彼らは街路の舗石《しきいし》をめくり、そこに舗石の小さな低い障壁をこしらえた。それは高さ一尺八寸くらいなもので、防寨に向かって作った一種の肩墻《けんしょう》だった。肩墻の左の角《かど》には、サン・ドゥニ街に集まってる郊外国民兵の縦隊の先頭が見えていた。
 向こうの様子をうかがっていたアンジョーラは、弾薬車から霰弾《さんだん》の箱を引き出すような音を耳にし、また砲手長が照準を変えて砲口を少し左へ傾けるのを見た。それから砲手らは弾をこめ始めた。砲手長は自ら火繩桿を取って、それを火口に近づけた。
「頭を下げろ、壁に寄り沿え!」とアンジョーラは叫んだ。「皆|防寨《ぼうさい》に沿ってかがめ!」
 ガヴローシュがきたので、部署を離れて居酒屋の前に散らばってた暴徒らは、入り乱れて防寨の方へ駆けつけた。しかしアンジョーラの命令が行なわれない前に、大砲は恐ろしい響きとともに発射された。果たしてそれは霰弾だった。
 弾は角面堡《かくめんほう》の切れ目に向かって発射され、その壁の上にはね返った。その恐ろしいはね返しのために、ふたりの死者と三人の負傷者とが生じた。
 もしそういうことが続いたならば、防寨はもうささえ得られない。霰弾《さんだん》は内部にはいって来る。
 狼狽《ろうばい》のささやきが起こった。
「ともかくも第二発を防ごう。」とアンジョーラは言った。
 そして彼はカラビン銃を低く下げ、砲手長をねらった。砲手長はその時、砲尾の上に身をかがめて、照準を正しく定めていた。
 その砲手長はりっぱな砲兵軍曹で、年若く、金髪の、やさしい容貌の男だったが、恐怖すべき武器として完成するとともに、ついには戦争を絶滅すべきその武器に、ちょうどふさわしい怜悧《れいり》な様子をしていた。
 アンジョーラのそばに立ってるコンブフェールは、その男をじっとながめていた。
「まったく遺憾なことだ!」とコンブフェールは言った。「こういう殺戮《さつりく》は実に恐ろしい。ああ国王がいなくなれば、戦いももうなくなるんだ。アンジョーラ、君はあの軍曹をねらっているが、どんな男かよくはわからないだろう。いいか、りっぱな青年だ、勇敢な男だ、思慮もあるらしい。若い砲兵は皆相当な教育を受けてる者どもだ。あの男には、父があり、母があり、家族があり、意中の女もあるかも知れない。多くて二十五歳より上ではない。君の兄弟かも知れないんだ。」
「僕の兄弟だ。」とアンジョーラは言った。
「そうだ、」とコンブフェールも言った、「また僕の兄弟でもある。殺すのはやめようじゃないか。」
「僕に任してくれ。なすべきことはなさなければならない。」
 そして一滴の涙が、アンジョーラの大理石のような頬《ほお》を静かに流れた。
 と同時に、彼はカラビン銃の引き金を引いた。一閃《いっせん》の光がほとばしった。砲手長は二度ぐるぐると回り、腕を前方に差し出し、空気を求めてるように顔を上にあげたが、それから砲車の上に横ざまに倒れ、そのまま身動きもしなかった。背中がこちらに見えていたが、そのまんなかからまっすぐに血がほとばしり出ていた。弾は胸を貫いたのである。彼は死んでいた。
 彼を運び去って代わりの者を呼ばなけれはならなかった。かくて実際数分間の猶予が得られたのである。

     九 昔ながらの射撃の手腕

 防寨《ぼうさい》の中では種々の意見がかわされた。大砲はまた発射されようとしていた。その霰弾《さんだん》を浴びせられては十五、六分しか支持されない。その力を殺《そ》ぐことが絶対に必要だった。
 アンジョーラは命令を下した。
「蒲団《ふとん》の蔽《おお》いをしなくちゃいけない。」
「蒲団はない、」とコンブフェールは言った、「皆負傷者が寝ている。」
 ジャン・ヴァルジャンはひとり列から離れて、居酒屋の角《かど》の標石に腰掛け、銃を膝《ひざ》の間にはさんで、その時まで周囲に起こってることには少しも立ち交わらなかった。「銃を持っていて何にもしねえのかな、」とまわりの戦士らが言う言葉をも、耳にしないがようだった。
 ところがアンジョーラの命令が下されると、彼は立ち上がった。
 読者は記憶しているだろうが、一同がシャンヴルリー街にやってきた時、ひとりの婆さんは弾の来るのを予想して、蒲団《ふとん》を窓の前につるしておいた。それは屋根裏の窓で、防寨《ぼうさい》の少し外にある七階建ての人家の屋根上になっていた。蒲団は斜めに置かれ、下部は二本の物干し竿《ざお》に掛け、上部は二本の綱でつるしてあった。綱は屋根部屋の窓縁に打ち込んだ釘《くぎ》に結わえられ、遠くから見ると二本の麻糸のように見えた。防寨からながめると、その二本の綱は髪の毛ほどの細さで空に浮き出していた。
「だれか私に二連発のカラビン銃を貸してくれ。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 アンジョーラはちょうど自分のカラビン銃に弾をこめたところだったので、それを彼に渡した。
 ジャン・ヴァルジャンは屋根部屋の方をねらって、発射した。
 蒲団の綱の一方は切れた。
 蒲団はもはや一本の綱で下がってるのみだった。
 ジャン・ヴァルジャンは第二発を発射した。第二の綱ははね返って窓ガラスにあたった。蒲団は二本の竿の間をすべって街路に落ちた。
 防寨の中の者は喝采《かっさい》した。
 人々は叫んだ。
「蒲団ができた。」
「そうだ、」とコンブフェールは言った、「しかしだれが取りに行くんだ?」
 実際蒲団は防寨の外に、防御軍と攻囲軍との間に落ちたのである。しかるに砲兵軍曹の死に殺気立った兵士らは、少し以前から、立てられた舗石《しきいし》の掩蔽線《えんぺいせん》の後ろに腹ばいになり、砲手らが隊伍を整えてる間の大砲の沈黙を補うため、防寨《ぼうさい》に向かって銃火を開いていた。暴徒らの方は、弾薬をむだにしないようにそれには応戦しなかった。銃弾は防寨に当たって砕け散っていたが、街路はしきりに弾が飛んで危険だった。
 ジャン・ヴァルジャンは防寨の切れ目から出て、街路にはいり、弾丸の雨の中を横ぎり、蒲団《ふとん》の所まで行き、それを拾い上げ、背中に引っかけ、そして防寨の中に戻ってきた。
 彼は自らその蒲団を防寨の切れ目にあてた。しかも砲手らの目につかぬよう壁によせて掛けた。
 かくして一同は霰弾《さんだん》を待った。
 やがてそれはきた。
 大砲は轟然《ごうぜん》たる響きとともに一発の霰弾を吐き出した。しかしこんどは少しもはね返らなかった。弾は蒲団の上に流れた。予期の効果は得られた。防寨の人々は無事であった。
「共和政府は君に感謝する。」とアンジョーラはジャン・ヴァルジャンに言った。
 ボシュエは驚嘆しかつ笑った。彼は叫んだ。
「蒲団にこんな力があるのは怪《け》しからん。ぶつかる物に対するたわむ物の勝利だ。しかしとにかく、大砲の勢いをそぐ蒲団は光栄なるかなだ。」

     十 黎明《れいめい》

 ちょうどこの時刻に、コゼットは目をさました。
 彼女の室は狭く小ぎれいで奥まっていた。家の後庭に面して、東向きの細長い窓が一つついていた。
 コゼットはパリーにどんなことが起こってるか少しも知らなかった。彼女は前夜外に出なかったし、「騒ぎがもち上がってるようでございますよ」とトゥーサンが言った時には、もう自分の室《へや》に退いていた。
 コゼットは少しの間しか眠らなかったが、その間は深く熟睡した。彼女は麗しい夢を見た。それはおそらく小さな寝台が純白であったせいも多少あろう。マリユスらしいだれかが、光のうちに彼女に現われた。彼女は目に太陽の光がさしたので目ざめた。そして初めはそれもなお夢の続きのような気がした。
 夢から出てきたコゼットの最初の考えは、喜ばしいものだった。彼女の心はすっかり落ち着いていた。数時間前のジャン・ヴァルジャンと同じく彼女も、不幸を絶対にしりぞけようとする心的反動のうちにあった。なぜともなく全力をつくして希望をいだきはじめた。それから突然悲しい思いが起こってきた。――この前マリユスに会ってからもう三日になっていた。しかし彼女は自ら考えた。マリユスは自分の手紙を受け取ったに違いない、自分のいる所を知ったはずである、知恵のある人だから、どうにかして自分の所へきてくれるだろう。――そしてそれも確かに今日だろう、今朝かも知れない。――もうすっかり明るくなっていたが、日の光は横ざまに流れていた。まだごく早いんだろうと彼女は思った。けれどもとにかく起きなければならなかった、マリユスが来るのを迎えるために。
 彼女はマリユスなしには生きておれないような気がした。そしてそれでもう充分だった。マリユスはきっと来るだろう。こないという理由は少しも認められなかった。来ることは確かだった。三日間も苦しむのは既に恐ろしいことだった。三日もマリユスに会わせないとは神様もあまりひどすぎた。けれど今は、神の残酷な悪戯たる試練もきりぬけてきたし、マリユスはきっといい消息を持ってきつつあるに違いなかった。実に青春とはそうしたものである。青春はすぐに目の涙をかわかす。悲しみを不用なものとして、それを受け入れない。青春はある未知の者の前における未来のほほえみである、しかもその未知の者は青春自身である。それが幸福であるのは自然である。その息はあたかも希望でできてるかのようである。
 その上コゼットは、マリユスがやってこないのはただ一日だけだというそのことについて、彼がどんなことを言ったか、またどんな説明をしたか、それを少しも思い出すことができなかった。地に落とした一個の貨幣がいかに巧みに姿を隠すか、そしていかにうまく見えなくなってしまうかは、人の皆知るところである。観念のうちにもそういうふうに人をたぶらかすものがある。一度頭脳の片すみに潜んでしまえば、もうおしまいである、姿が見えなくなってしまう、記憶で取り押さえることができなくなる。コゼットも今、記憶を働かしてみたが少しも効がないのにじれていた。マリユスが言った言葉を忘れてしまったのは、不都合なことであり済まないことであると、彼女は思った。
 彼女は寝床から出て、魂と身体と両方の斎戒を、すなわち祈祷《きとう》と化粧とをした。
 やむを得ない場合には読者を婚姻の室《へや》に導くことはできるが、処女の室に導くことははばかられる。それは韻文においてもでき難いことであるが、散文においてはなおさらである。
 処女の室は、まだ開かぬ花の内部である、闇《やみ》の中の白色である、閉じたる百合《ゆり》のひそやかな房《へや》で、太陽の光がのぞかぬうちは人がのぞいてはならないものである。蕾《つぼみ》のままでいる婦人は神聖なものである。自らあらわなるその清浄な寝床、自らおのれを恐れる尊い半裸体、上靴《うわぐつ》の中に逃げ込む白い足、鏡の前にも人の瞳《ひとみ》の前かのように身を隠す喉元《のどもと》、器具の軋《きし》る音や馬車の通る音にも急いで肩の上に引き上げられるシャツ、結わえられたリボン、はめられた留め金、締められた紐《ひも》、かすかなおののき、寒さや貞節から来る小さな震え、あらゆる動きに対するそれとなき恐れ、気づかわしいもののないおりにも常に感ずる軽やかな不安、暁の雲のように麗しいそれぞれの衣服の襞《ひだ》、すべてそれらのものは語るにふさわしいものではない。それを列挙するだけで既に余りあるのである。
 人の目は、上りゆく星に対するよりも起き上がる若き娘の前に、いっそう敬虔《けいけん》でなければならない。手を触れることができるだけに、いっそうそっとしておくべきである。桃の実の絨毛《じゅうもう》、梅の実の粉毛、輻射状《ふくしゃじょう》の雪の結晶、粉羽におおわれてる蝶の翼、などさえも皆、自らそれと知らない処女の純潔さに比ぶれば、むしろ粗雑なものにすぎない。若き娘は夢にすぎなくて、まだ一つの像ではない。その寝所は理想のほの暗い部分のうちに隠れている。不注意な一瞥《いちべつ》はその漠《ばく》たる陰影を侵害する。そこにおいては観照も冒涜《ぼうとく》となる。
 それでわれわれは、コゼットが目をさましたおりのその香ばしい多少取り乱れた姿については、少しも筆を染めないでおこう。
 東方の物語が伝えるところによると、薔薇《ばら》の花は神からまっ白に作られたが、まさに開かんとする時アダムにのぞかれたので、それを羞《は》じて赤くなったという。われわれは若き娘と花とを尊むがゆえに、その前においては無作法な言を弄《ろう》し得ないのである。
 コゼットは急いで装いをし、髪を梳《す》きそれを結んだ。当時の婦人は、入れ毛や芯《しん》などを用いて髷《まげ》や鬢《びん》をふくらすことをせず、髪の中に座型を入れることはなかったので、髪を結うのもごく簡単だった。それからコゼットは窓をあけ、方々を見回して、街路の一部や家の角《かど》や舗石《しきいし》の片すみなどを見ようとし、マリユスの姿が現われるのを待とうとした。しかし窓からは表は少しも見えなかった。その後庭はかなり高い壁でとり囲まれて、幾つかの表庭が少し見えるきりだった。コゼットはそれらの庭を憎らしく思い、生まれて始めて花を醜いものに思った。四つ辻《つじ》の溝《みぞ》の一端でも今は彼女の望みにいっそう叶《かな》うものだったろう。彼女は気を取り直して、あたかもマリユスが空から来るとでも思ってるように空をながめた。
 すると、たちまち彼女は涙にくれた。変わりやすい気持ちのせいではなくて重苦しいものに希望の糸が切られたからだった。彼女はそういう地位にあった。彼女は何とも知れぬ恐怖を漠然《ばくぜん》と感じた。実際種々のことが空中に漂っていた。何事も確かなことはわからぬと思い、互いに会えないことは互いに失うことだと思った。そしてマリユスが空から戻って来るかも知れないという考えは、もはや喜ばしいものではなく悲しいもののように思われた。
 それから、かかる暗雲の常として、静穏の気が彼女の心にまた起こってき、希望の念と、無意識的なそして神に信頼した微笑とが、心に起こってきた。
 まだ家中は眠っていた。あたりは田舎《いなか》のように静かだった。窓の扉《とびら》は一つも開かれていず、門番小屋もしまっていた。トゥーサンはまだ起きていなかったし、父も眠っているのだとコゼットは自然思った。彼女は非常に苦しんだに違いない、また今もなお苦しんでいたに違いない、なぜなら、父が意地悪いことをしたと考えていたからである。しかし彼女はマリユスが必ず来ると思っていた。あれほどの光明が消えうせることは、まったくあり得べからざることだった。彼女は祈った。ある重々しい響きが時々聞こえていた。こんなに早くから大門を開けたりしめたりするのはおかしい、と彼女は言った。しかしそれは、防寨《ぼうさい》を攻撃してる大砲の響きだった。
 コゼットの室《へや》の窓から数尺下の所、壁についてるまっ黒な古い蛇腹《じゃばら》の中に、燕《つばめ》の巣が一つあった。巣のふくれた所が蛇腹から少しつき出ていて、上からのぞくとその小さな楽園の中が見られた。母親は扇のように翼をひろげて雛《ひな》をおおうていた。父親は飛び上がって出て行き、それからまた戻ってきては、嘴《くちばし》の中に餌と脣《くち》づけをもたらしていた。朝日の光はその幸福な一群を金色に輝かし、増せよ殖《ふ》えよという自然の大法はそこにおごそかにほほえんでおり、そのやさしい神秘は朝の光栄に包まれて花を開いていた。コゼットは朝日の光を髪に受け、魂を空想のうちに浸し、内部は愛に外部は曙に輝かされ、ほとんど機械的に身をかがめて、同時にマリユスのことを思ってるのだとは自ら気づきもせずに、それらの小鳥を、その家庭を、その雌雄を、その母と雛とを、小鳥の巣から乙女心を深く乱されながらうちながめ始めた。

     十一 人を殺さぬ確実なる狙撃《そげき》

 襲撃軍の射撃はなお続いていた。小銃と霰弾《さんだん》とはこもごも発射された。しかし実際は大なる損害を与えなかった。ただコラント亭の正面の上部だけはひどく害を受けた。二階の窓や屋根部屋の窓は、霰弾のために無数の穴を明けられて、しだいに形を失ってきた。そこに陣取っていた戦士らは身を隠すのやむなきに至った。けれども、それは防寨攻撃の戦術上の手段であって、長く射撃を続けるのも、暴徒らに応戦さしてその弾薬をなくすためだった。暴徒らの銃火が弱ってき、もはや弾も火薬もなくなったことがわかる時に、いよいよ襲撃をやろうというのだった。しかしアンジョーラはその罠《わな》にかからなかった。防寨《ぼうさい》は少しも応戦しなかった。
 兵士らの射撃が来るたびごとにガヴローシュは舌で頬《ほお》をふくらました。それは傲然《ごうぜん》たる軽蔑を示すものだった。
「うまいぞ、」と彼は言った、「どしどし着物を破ってくれ。俺《おれ》たちは繃帯《ほうたい》がいるんだ。」
 クールフェーラックは効果の少ない霰弾《さんだん》を嘲《あざけ》って、大砲の方へ向かって言った。
「おい、大変むだ使いをするね。」
 戦いにおいても舞踏会におけるがごとく、人は相手をほしがるものである。角面堡《かくめんほう》がかく沈黙してることは、攻撃軍に不安を与え、何か意外の変事が起こりはしないかと心配させ始めたらしい。そして彼らは、舗石《しきいし》の砦《とりで》の向こうを見届けたく思い、射撃を受けながら応戦もしないその平然たる障壁の背後には、どういうことが行なわれてるか知りたく思ったらしい。暴徒らはふいに、近くの屋根の上に日光に輝く一つの兜帽《かぶとぼう》を見いだした。ひとりの消防兵が高い煙筒に身を寄せて、偵察《ていさつ》をやってるらしかった。その視線はま上から防寨の中に落ちていた。
「あそこに困った偵察者が出てきた。」とアンジョーラは言った。
 ジャン・ヴァルジャンはアンジョーラのカラビン銃を返していたが、なお自分の小銃を持っていた。
 一言も口をきかずに彼は消防兵をねらった。そして一瞬の後には、その兜帽は一弾を受けて音を立てながら街路に落ちた。狼狽した兵士は急いで身を隠した。
 第二の観察者がその後に現われた。それは将校だった。再び小銃に弾をこめたジャン・ヴァルジャンは、その将校をもねらい、その兜帽《かぶとぼう》を兵士の兜帽と同じ所に打ち落とした。将校もたまらずにすぐ退いてしまった。そしてこんどは、ジャン・ヴァルジャンの考えが向こうに通じたらしかった。もうだれも再び屋根の上に現われなかった。防寨《ぼうさい》の中をうかがうことはやめられた。
「なぜ殺してしまわないんだ?」とボシュエはジャン・ヴァルジャンに尋ねた。
 ジャン・ヴァルジャンは返事をしなかった。

     十二 秩序の味方たる無秩序

 ボシュエはコンブフェールの耳にささやいた。
「あの男は僕の言葉に返事をしない。」
「射撃をもって好意を施す男だ。」とコンブフェールは言った。
 既に昔となってるその当時のことをまだ多少記憶してる人々は、郊外からきた国民兵らが暴動に対して勇敢であったことを知ってるであろう。彼らは特に一八三二年六月の戦いに熱烈で勇猛だった。パンタンやヴェルテュやキュネットなどの飲食店の主人のうちには、暴動のために「営業」を休まなければならなくなり、舞踏室が荒廃したのを見て憤激し、飲食店の秩序を保たんがために、ついに戦死した者もあった。かく中流市民的にしてまた勇壮なるこの時代には、種々の思想にもそれに身をささぐる騎士がいるとともに、種々の利益にもそれをまもる勇士がいた。動機の卑俗さは何ら行動の勇壮さを減殺しはしなかった。蓄積された貨幣の減少を回復せんがためには、銀行家らもマルセイエーズを高唱した。勘定場のためにも叙情詩的な血が流された。人々はスパルタ的な熱誠をもって、祖国の微小縮図たる店頭を防御した。
 根本においては、それらのものの中にこもっていた意義は皆まじめなものであったと言うべきである。すなわち社会の各要素が、平等の域にはいる前にまず、闘争の域にはいっていたのである。
 なおこの時代のも一つの特徴は、政府主義(きちょうめんな一党派に対する乱暴な名前ではあるが)のうちに交じってる無政府主義であった。人々は不規律をもって秩序の味方をしていた。国民軍の某大佐の指揮の下に勝手な召集の太鼓はふいに鳴らされた。某大尉は自分一個の感激から戦いに向かった。某国民軍は「思いつき」で勝手な戦いをした。危急の瞬間に、「騒乱」のうちに、人々は指揮官の意見よりもむしろ多く自己の本能に従った。秩序を守る軍隊の中に、真の単独行動の兵士が数多あった、しかもファンニコのごとく剣による者もあれば、アンリ・フォンフレードのごとくペンによる者もあった。
 一群の主義によってよりもむしろ一団の利益によって当時不幸にも代表されていた文明は、危険に陥っていた、あるいは陥っていると自ら信じていた。そして警戒の叫びを発していた。各人は自ら中心となり、勝手に文明をまもり助け庇《かば》っていた。だれも皆社会の救済をもっておのれの任務としていた。
 熱誠のあまり時としては鏖殺《おうさつ》を事とするに至った。国民兵の某隊は、その私権をもって軍法会議を作り、わずか五分間のうちにひとりの捕虜の暴徒を裁断して死刑に処した。ジャン・プルーヴェールが殺されたのも、かかる即席裁判によってだった。実に狂猛なるリンチ法(私刑の法)であって、それについてはいずれの党派も他を非難する権利を有しない。なぜならそれは、ヨーロッパの王政によって行なわれたとともにまたアメリカの共和政によっても行なわれたからである。そしてこのリンチ法には、また多くの誤解が含まっていた。ある日の暴動のおり、ポール・エーメ・ガルニエというひとりの若い詩人は、ロアイヤル広場で兵士に追跡されてまさに銃剣で突かれんとしたが、六番地の門の下に逃げ込んでようやく助かった。「サン・シモン派のひとりだ」と兵士らは叫んで、彼を殺そうとしたのである。彼はサン・シモン公の追想記を一冊小わきにかかえていた。ひとりの国民兵がその書物の上にサン・シモンという一語を見て、「死刑だ!」と叫んだのだった。(訳者注 サン・シモン公は社会主義者サン・シモンとは別人)
 一八三二年六月六日、郊外からきた国民兵の一隊は、上にあげたファンニコ大尉に指揮されて、自ら好んで勝手に、シャンヴルリー街で大損害を受けた。この事実はいかにも不思議に思えるが、一八三二年の反乱後に開かれた法廷の審問によって証明されたものである。ファンニコ大尉は性急無謀な中流市民で、秩序の別働者とも称すべき男で、上に述べたような種類の人々のひとりであり、熱狂的な頑強《がんきょう》な政府党であって、時機がこないのに早くも射撃をしたくてたまらなくなり、自分ひとりですなわち自分の中隊で防寨《ぼうさい》を占領しようという野心に駆られた。赤旗が上げられ、次いで古い上衣が上げられたのを黒旗だと思い、それを見てまた激昂《げっこう》した。将軍や指揮官らは会議を開いて、断然たる襲撃の時機はまだきていないと考え、そのひとりの有名な言葉を引用すれば、「反乱が自ら自分を料理する」まで待とうとした時、彼は声高にそれを非難した。彼から見れば、防寨はもう熟していたし、熟したものは落ちるべきはずだったので、彼はあえて行動したのだった。
 彼が指揮していた一隊も、彼と同じく決意の者どもであって、一実見者の言うところによると、「熱狂者ども」であった。彼の中隊は、詩人ジャン・プルーヴェールを銃殺した中隊で、街路の角《かど》に置かれてる大隊の先頭になっていた。最も意外な時機に、大尉は部下を防寨《ぼうさい》に突進さした。その行動は、戦略よりもむしろ多くほしいままな心からなされたもので、ファンニコの中隊には高価な犠牲をもたらした。街路の三分の二も進まないうちに、防寨からの一斉射撃《いっせいしゃげき》を被った。先頭に立って走っていた最も大胆な四人の兵は、角面堡《かくめんほう》の足下でねらい打ちにされた。そしてこの国民兵の勇敢な一群は、皆豪勇な者らではあったが戦いの粘着力を少しも持っていなかったので、しばらく躊躇《ちゅうちょ》した後、舗石《しきいし》の上に十五の死体を遺棄しながら、退却のやむなきに至った。その躊躇の暇は、暴徒らに再び弾をこめる余裕を与えた。そして避難所たる角に達しないうちに、第二の一斉射撃を受けてまた大なる損害を被った。一時彼らは敵味方の射撃の間にはさまれた。砲兵は何の命令も受けないのでなお発射を続けていたから、その霰弾《さんだん》をも受けたのである。大胆無謀なファンニコは、霰弾にたおれたひとりだった。彼は大砲すなわち秩序から殺されたのである。
 その激しいというよりむしろ狂乱的な攻撃は、アンジョーラを激昂《げっこう》さした。彼は言った。
「ばか野郎! 下らないことに、部下を殺し、俺《おれ》たちに弾薬を使わせやがる。」
 アンジョーラは暴動の真の将帥だったが、言葉もそれにふさわしかった。反軍と鎮定軍とは同等の武器で戦ってるのではない。反軍の方は早く力を失いやすいものであって、発射する弾薬にも限りがあり、犠牲にする戦士にも限りがある。一つの弾薬盒《だんやくごう》が空になり、ひとりの戦士がたおれても、もはやそれを補充すべき道はない。しかるに鎮定軍の方には、軍隊が控えて人員には限りがなく、ヴァンセンヌ兵機局が控えていて弾薬には限りがない。鎮定軍には、防寨の人員と同数ほどの連隊があり、防寨の弾薬嚢と同数ほどの兵器廠がある。それゆえ常に一をもって百に当たるの戦いであって、もし革命が突然現われて戦いの天使の炎の剣を秤《はかり》の一方に投ずることでもない限りは、防寨《ぼうさい》はついに粉砕さるるにきまっている。しかし一度革命となれば、すべてが立ち上がり、街路の舗石《しきいし》は沸き立ち、人民の角面堡《かくめんほう》は至る所に築かれ、パリーはおごそかに震い立ち、天意的なものが現われきたり、八月十日(一七九二年)は空中に漂い、七月二十九日(一八三〇年)は空中に漂い、驚くべき光が現われ、うち開いてる武力の顎《おとがい》はたじろぎ、獅子《しし》のごとき軍隊は、予言者フランスがつっ立って泰然と構えているのを、眼前に見るに至るのである。

     十三 過ぎゆく光

 一つの防寨を守る混沌《こんとん》たる感情と情熱とのうちには、あらゆるものがこもっている。勇気があり、青春があり、名誉の意気があり、熱誠があり、理想があり、確信があり、賭博者《とばくしゃ》の熱があり、また特に間歇的《かんけつてき》な希望がある。
 この一時の希望の漠然《ばくぜん》たる震えの一つが、最も意外な時に、シャンヴルリーの防寨を突然|過《よ》ぎった。
「耳を澄まして見ろ、」となお様子をうかがっていたアンジョーラはにわかに叫んだ、「パリーが覚醒《かくせい》してきたようだ。」
 実際六月六日の朝、一、二時間の間、反乱はある程度まで増大していった。サン・メーリーの頑強《がんきょう》な警鐘の響きは、逡巡《しゅんじゅん》してる者らを多少奮い立たした。ポアリエ街とグラヴィリエ街とに防寨が作られた。サン・マルタン凱旋門《がいせんもん》の前では、カラビン銃を持ったひとりの青年が、単独で一個中隊の騎兵を攻撃した。掩蔽物《えんぺいぶつ》もない大通りのまんなかで、彼は地上にひざまずき、銃を肩にあて引き金を引いて、中隊長を射殺し、それから振り向いて言った。「これでまたひとり悪者がなくなった]。」彼はサーベルで薙《な》ぎ倒された。サン・ドゥニ街では、目隠し格子の後ろからひとりの女が、市民兵に向かって射撃をした。一発ごとに、目隠し格子の板が動くのが見えた。ポケットにいっぱい弾薬を入れている十四歳の少年がひとり、コソンヌリー街で捕えられた。多くの衛舎は攻撃を受けた。ベルタン・ポアレ街の入り口では、カヴェーニャク・ド・バラーニュ将軍が先頭に立って進んでいた一個連隊の胸甲兵が、まったく不意の激しい銃火にむかえ打たれた。プランシュ・ミブレー街では、屋根の上から軍隊を目がけて、古い皿の破片や什器《じゅうき》などが投げられた。それははなはだよくない徴候で、スールト元帥にその事が報告された時、昔ナポレオンの参謀だった彼もさすがに考え込んで、サラゴサの攻囲のおりシューシェが言った言葉を思い起こした、「婆さんどもまでが]溲瓶《しびん》のものをわれわれの頭上にぶちまけるようになっては、とてもだめだ。」
 暴動は一局部のことと思われていた際に突然現われてきた各所の徴候、優勢になってきた憤怒の熱、パリー郭外と呼ばるる莫大《ばくだい》な燃料の堆積の上にあちらこちら飛び移る火の粉、それらのものは軍隊の指揮官らに不安の念を与えた。彼らは急いでそれらの火災の始まりをもみ消そうとつとめた。そしてモーブュエやシャンヴルリーやサン・メーリーなどの各|防寨《ぼうさい》は、最後に残して一挙に粉砕せんがために、各所の火の粉を消してしまうまで、その攻撃を延ばした。軍隊は沸き立った各街路に突進し、あるいは用心して徐々に進み、あるいは一挙に襲撃しながら、右に左に、大なるものは掃蕩《そうとう》し、小なるものは探査した。兵士らは銃を発射する人家の扉《とびら》を打ち破った。同時に騎兵も活動を始めて、大通りの群集を駆け散らした。そしてこの鎮圧はかなりの騒擾《そうじょう》を起こし、軍隊と人民との衝突に特有な騒々しい響きを立てた。砲火と銃火との響きの間々にアンジョーラが耳にしたのは、その騒ぎの音であった。その上彼は担架にのせられた負傷者らが通るのを街路の先端に認めて、クールフェーラックに言った、「あの負傷者らはわが党の者ではない。」
 しかしその希望は長く続かなかった。光明は間もなく消えてしまった。三十分とたたないうちに、空中に漂ってたものは消散しつくした。あたかも雷を伴わない電火のようなものだった。孤立しながら固執する者らの上に人民の冷淡さが投げかける鉛のような重い一種の外套《がいとう》を、暴徒らは再び身に感じた。
 漠然《ばくぜん》と輪郭だけができかかってきたらしい一般の運動は、早くも失敗に終わってしまった。今や陸軍大臣の注意と諸将軍の戦略とは、なお残ってる三、四の防寨の上に集中されることになった。
 太陽は地平線の上に上ってきた。
 ひとりの暴徒はアンジョーラを呼びかけた。
「われわれは腹がすいてる、実際こんなふうに何にも食わずに死ぬのかね。」
 自分の狭間《はざま》の所になお肱《ひじ》をついていたアンジョーラは、街路の先端から目を離さずに、頭を動かしてうなずいた。

     十四 アンジョーラの情婦の名

 クールフェーラックはアンジョーラの傍《そば》の舗石《しきいし》の上にすわって、大砲をなお罵倒《ばとう》し続けていた。霰弾《さんだん》と呼ばるる爆発の暗雲が恐ろしい響きを立てて通過するたびごとに、彼は冷笑の声を上げてそれを迎えた。
「喉《のど》を痛めるぞ、ばかな古狸《ふるだぬき》めが。気の毒だが、大声を出したってだめだ。まったく、雷鳴《かみなり》とは聞こえないや、咳《せき》くらいにしか思われない。」
 そして周囲の者は笑い出した。
 クールフェーラックとボシュエは、危険が増すとともにますます勇敢な上きげんさになって、スカロン夫人のように、冗談をもって食物の代用とし、また葡萄酒《ぶどうしゅ》がないので、人々に快活の気分を注いでまわった。
「アンジョーラは豪《えら》い奴だ。」とボシュエは言った。「あのびくともしない豪勇さはまったく僕を驚嘆させる。彼はひとり者だから、多少悲観することがあるかも知れん。豪《えら》いから女ができないんだといつもこぼしてる。ところがわれわれは皆多少なりと情婦を持っている。だからばかになる、言い換えれば勇敢になる。虎《とら》のように女に夢中になれば、少なくとも獅子《しし》のように戦えるんだ。それは女から翻弄《ほんろう》された一種の復讐《ふくしゅう》だ。ローランはアンゼリックへの面当《つらあて》に戦死をした。われわれの勇武は皆女から来る。女を持たない男は、撃鉄のないピストルと同じだ。男を勢いよく発射させる者は女だ。ところがアンジョーラは女を持っていない。恋を知らないで、それでいて勇猛だ。氷のように冷たくて火のように勇敢な男というのは、まったく前代未聞だ。」
 アンジョーラはその言葉をも耳にしないかのようだった。しかし彼の傍にいた者があったら、彼が半ば口の中でパトリア(祖国)とつぶやくのを聞き取ったであろう。
 ボシュエはなお冗談を言い続けていたが、その時クールフェーラックは叫んだ。
「またきた!」
 そして来客の名を告げる接待員のような声を出して付け加えた。
「八斤砲でございます。」
 実際新しい人物がひとり舞台に現われてきた。第二の砲門だった。
 砲兵らはすみやかに行動を開始して、第二の砲を第一の砲の近くに据えつけた。
 それによって、防寨《ぼうさい》の最後はほぼ察せられた。
 しばらくすると、急いで操縦された二個の砲は、角面堡《かくめんほう》に向かって正面から火蓋《ひぶた》を切った。戦列歩兵や郊外国民兵らの銃火も、砲兵を掩護《えんご》した。
 ある距離をへだてて他の砲声も聞こえた。二門の砲がシャンヴルリー街の角面堡に打ちかかったと同時に、他の二門の砲はサン・ドゥニ街とオーブリー・ル・ブーシュ街とに据えられて、サン・メーリーの防寨を攻撃したのである。四個の砲門は互いに恐ろしく反響をかわした。
 それら陰惨な闘犬の吠《ほ》え声は、互いに応《こた》え合ったのである。
 今やシャンヴルリー街の防寨を攻撃してる二門の砲のうち、一つは霰弾《さんだん》を発射し、一つは榴弾《りゅうだん》を発射していた。
 榴弾を発射していた砲は、少し高く照準されて、防寨の頂の先端に弾が落下するようにねらわれたので、そこを破壊して、霰弾の破裂するがような舗石《しきいし》の破片を暴徒らの上に浴びせた。
 かかる砲撃の目的は、角面堡の頂から戦士らを追いしりぞけ、その内部に集まらせようとするにあった。言い換えれば、突撃の準備だった。
 一度戦士らが、榴弾のために防寨の上から追われ霰弾のために居酒屋の窓から追わるれば、襲撃隊はねらわれることもなくまたおそらく気づかれることもなく、その街路にはいり込むことができ、前夜のようににわかに角面堡をよじ上ることもでき、不意を襲って占領し得るかも知れなかった。
「どうしてもあの邪魔な砲門を少し沈黙させなければいけない。」とアンジジョーラは言った。そして叫んだ。「砲手を射撃しろ!」
 一同は待ち構えていた。長く沈黙を守っていた防寨《ぼうさい》は、おどり立って火蓋《ひぶた》を切った。七、八回の一斉射撃《いっせいしゃげき》は、一種の憤激と喜悦とをもって相次いで行なわれた。街路は濃い硝煙《しょうえん》に満たされた。そして数分間の後、炎の線に貫かれたその靄《もや》をとおして、砲手らの三分の二は砲車の下にたおれてるのがかすかに見られた。残ってる者らはいかめしく落ち着き払って、なお砲撃に従事していたが、発射はよほどゆるやかになった。
「うまくいった。成功だ。」とボシュエはアンジョーラに言った。
 アンジョーラは頭を振って答えた。
「まだ十五、六分間しなければ成功とはいえない。しかもそうすれば、もう防寨には十個ばかりの弾薬しか残らない。」
 その言葉をガヴローシュが耳にしたらしかった。

     十五 外に出たるガヴローシュ

 クールフェーラックは防寨のすぐ下の外部に、弾丸の降り注ぐ街路に、ある者の姿を突然見いだした。
 ガヴローシュが、居酒屋の中から壜《びん》を入れる籠《かご》を取り、防寨《ぼうさい》の切れ目から外に出て、角面堡《かくめんほう》の裾《すそ》で殺された国民兵らの弾薬盒《だんやくごう》から、中にいっぱいつまってる弾薬を取っては、平然としてそれを籠の中に入れてるのだった。
「そこで何をしてるんだ!」とクールフェーラックは言った。
 ガヴロシーュは顔を上げた。
「籠をいっぱいにしてるんだ。」
「霰弾《さんだん》が見えないのか。」
 ガヴローシュは答えた。
「うん、雨のようだ。だから?」
 クールフェーラックは叫んだ。
「戻ってこい!」
「今すぐだ。」とガヴローシュは言った。
 そして一躍して街路に飛び出した。
 読者の記憶するとおり、ファンニコの中隊は退却の際に、死体を方々に遺棄していた。
 その街路の舗石《しきいし》の上だけに、二十余りの死体が散らばっていた。ガヴローシュにとっては二十余りの弾薬盒であり、防寨にとっては補充の弾薬であった。
 街路の上の硝煙は霧のようだった。つき立った断崖《だんがい》の間の谷合に落ちてる雲を見たことのある者は、暗い二列の高い人家にいっそう濃くなされて立ちこめてるその煙を、おおよそ想像し得るだろう。しかも煙は静かに上ってゆき、絶えず新しくなっていた。そのために昼の明るみも薄らいで、しだいに薄暗くなってくるようだった。街路はごく短かかったけれども、その両端の戦士は互いに見分けることがほとんどできなかった。
 かく薄暗くすることは、防寨《ぼうさい》に突撃せんとする指揮官らがあらかじめ考慮し計画したことだったろうが、またガヴローシュにも便利だった。
 その煙の下に隠れ、その上身体が小さかったので、彼は敵から見つけられずに街路のかなり先まで進んでゆくことができた。まず七、八個の弾薬盒《だんやくごう》は、大した危険なしに盗んでしまった。
 彼は平たく四つばいになって、籠《かご》を口にくわえ、身をねじまげすべりゆきはい回って、死体から死体へと飛び移り、猿《さる》が胡桃《くるみ》の実をむくように、弾薬盒や弾薬嚢《だんやくのう》を開いて盗んだ。
 防寨の者らは、彼がなおかなり近くにいたにかかわらず、敵の注意をひくことを恐れて、声を立てて呼び戻すことをしかねた。
 ある上等兵の死体に、彼は火薬筒を見つけた。
「喉《のど》のかわきにもってこいだ。」と彼は言いながら、それをポケットに入れた。
 しだいに先へ進んでいって、彼はついに向こうから硝煙が見透せるぐらいの所まで達した。
 それで、舗石《しきいし》の防壁の後ろに潜んで並んでる狙撃《そげき》戦列兵や街路の角《かど》に集まってる狙撃国民兵らは、煙の中に何かが動いてるのを突然見いだした。
 ある標石の傍《そば》に横たわってる軍曹の弾薬をガヴローシュが奪っている時、弾が一発飛んできてその死体に当たった。
「ばか!」とガヴローシュは言った、「死んだ奴《やつ》をも一度殺してくれるのか。」
 第二の弾は彼のすぐ傍の舗石に当たって火花を散らした。第三の弾は彼の籠をくつがえした。
 ガヴローシュはそちらをながめて、弾が郊外兵から発射されてるのを認めた。
 彼は身を起こし、まっすぐに立ち上がり、髪の毛を風になびかし、両手を腰にあて、射撃してる国民兵の方を見つめ、そして歌った。

     ナンテールではどいつも醜い、
     罪はヴォルテール
     バレーゾーではどいつも愚か、
     罪はルーソー。


 それから彼は籠《かご》を取り上げ、こぼれ落ちた弾薬を一つ残らず拾い集め、なお銃火の方へ進みながら、他の弾薬を略奪しに行った。その時第四の弾がきたが、それもまたそれた。ガヴローシュは[#「ガヴローシュは」は底本では「カヴローシュは」]歌った。

     公証人じゃ俺《おれ》はないんだ、
     罪はヴォルテール、
     俺は小鳥だ、小さな小鳥、
     罪はルーソー。

 第五の弾がまたそれて、彼になお第三|齣《せつ》を歌わせた。

     陽気なのは俺《おれ》の性質、
     罪はヴォルテール、
     みじめなのは俺の身じたく、
     罪はルーソー。

 そういうことがなおしばらく続いた。
 その光景は、すさまじいとともにまた愉快なものだった。ガヴローシュは射撃されながら射撃を愚弄《ぐろう》していた。いかにもおもしろがってる様子だった。あたかも猟人を嘴《くちばし》でつっついてる雀《すずめ》のようだった。群が来るごとに彼は一連の歌で応じた。絶えず射撃はつづいたが、どれも命中しなかった。国民兵や戦列兵も彼をねらいながら笑っていた。彼は地に伏し、また立ち上がり、戸口のすみに隠れ、また飛び出し、姿を隠し、また現われ、逃げ出し、また戻ってき、嘲弄《ちょうろう》で霰弾《さんだん》に応戦し、しかもその間に弾薬を略奪し、弾薬盒《だんやくごう》を空《から》にしては自分の籠《かご》を満たしていた。暴徒らは懸念のために息をつめ、彼の姿を見送っていた。防寨《ぼうさい》は震えていたが、彼は歌っていた。それはひとりの子供でもなく、ひとりの大人《おとな》でもなく、実に不思議な浮浪少年の精であった。あたかも傷つけ得べからざる戦いの侏儒《しゅじゅ》であった。弾丸は彼を追っかけたが、彼はそれよりもなお敏捷だった。死を相手に恐ろしい隠れんぼをやってるかのようで、相手の幽鬼の顔が近づくごとに指弾《しっぺい》を食わしていた。

 しかしついに一発の弾は、他のよりねらいがよかったのかあるいは狡猾《こうかつ》だったのか、鬼火のようなその少年をとらえた。見ると、ガヴローシュはよろめいて、それからぐたりと倒れた。防寨《ぼうさい》の者らは声を立てた。しかしこの侏儒《しゅじゅ》の中には、アンテウス(訳者注 倒れて地面に触るるや再び息をふき返すという巨人)がいた。浮浪少年にとっては街路の舗石《しきいし》に触れることは、巨人が地面に触れるのと同じである。ガヴローシュは再び起き上がらんがために倒れたまでだった。彼はそこに上半身を起こした。一条の血が顔に長く伝っていた。彼は両腕を高く差し上げ、弾のきた方をながめ、そして歌い始めた。

     地面の上に俺《おれ》はころんだ、
    
罪はヴォルテール、
    
溝《みぞ》の中に顔つき込んだ、
    
罪は……。

 彼は歌い終えることができなかった。同じ狙撃者の[#「狙撃者の」は底本では「狙繋者の」]第二の弾が彼の言葉を中断さした。こんどは彼も顔を舗石の上に伏せ、そのまま動かなかった。偉大なる少年の魂は飛び去ったのである。

     十六 兄は父となる

 ちょうどその時リュクサンブールの園に――事変を見る目はどこへも配らなければならないから述べるが――ふたりの子供が互いに手を取り合っていた。ひとりは七歳くらいで、ひとりは五歳くらいだった。彼らは雨にぬれていたので、日の当たる方の径《みち》を歩いていた。年上の方は年下の方を引き連れていたが、二人ともぼろをまとい顔は青ざめ、野の小鳥のような様子をしていた。小さい方は言っていた、「腹がすいたよ。」
 年上の方はほとんど保護者といったようなふうで、左手に弟を連れながら、右の手には小さな杖《つえ》を持っていた。
 園の中には他に人もいなかった。園は寂然《せきぜん》としており、鉄門は反乱のため警察の手で閉ざされていた。そこに露営していた軍隊は戦いに招かれて出かけていた。
 ふたりの子供はどうしてそこにいたのか? あるいは風紀衛兵の衛舎のすき間から逃げてきたのかも知れない。あるいは付近に、アンフェール市門か天文台の丘か、産表に包まれたる嬰児《おさなご》(訳者注 幼児キリストのこと)を彼らは見いだしぬという文字のある破風のそびえている近くの四つ辻《つじ》かに、ある興行師の小屋があって、そこから逃げ出してきたのかも知れない。あるいは前日の夕方、園の門がしめられる時番人の目をのがれて、人が新聞などを読む亭の中に一夜を過ごしたのかも知れない。それはとにかく事実を言えば、彼らは戸外に迷った身でありまた一見自由らしい身であった。しかし戸外に迷ってしかも自由らしいというのは、棄《す》てられたということである。あわれなふたりの子供は実際棄てられた者であった。
 このふたりの子供は、ガヴローシュが世話してやったあの子供たちで、読者は記憶しているだろう。テナルディエの児で、マニョンに貸し与えられ、ジルノルマン氏の児とされていたが、今は根のない枝から落ちた木の葉となり風のまにまに地上に転々していたのである。
 マニョンの家にいた当時はきれいで、ジルノルマン氏に対する広告とされていたその着物も、今ではぼろとなっていた。
 その後彼らは、「宿無し児」という統計のうちにはいることとなり、パリーの街路の上で、警察から調べられ捨てられまた見つけられるというような身の上になっていた。
 そのみじめな子供らがリュクサンブールの園の中にいたのも、かかる騒乱の日のおかげだった。もし番人らに見つかったら、ぼろ着物の彼らは追い出されたに違いない。貧しい子供は公の園囿《えんゆう》にははいることを許されていない。けれども、子供として彼らは花に対する権利を持っていることを、人はまず考うべきではないだろうか。
 ふたりの子供は、鉄門がしめられていたためそこにいることができた。彼らは規則を犯していた。園の中に忍び込みそこに止まっていた。鉄門が閉じたとて番人がいなくなるわけではなく、なお見張りは続けられているはずであるが、しかしおのずから気がゆるんで怠りがちになるものである。それに番人らもまた世間の騒ぎに心をひかれ、園の中よりも外の方に気を取られて、もう内部に注意していなかったので、従って二人の違犯者がいることにも気づかなかった。
 前日雨が降り、その日の朝も少し降った。しかし六月の驟雨《しゅうう》は大したことではない。暴風雨があっても、一時間とたつうちには、どこに雨が降ったかというようにからりと晴れてしまう。夏の地面は、子供の頬《ほお》と同じくすぐにかわきやすい。
 夏至に近いま昼の光は刺すがようである。それはすべてを奪い取る。執拗《しつよう》に地面にしがみついてすべてを吸い取る。太陽も喉がかわいてるかと思われる。夕立ちも一杯の水にすぎない。一雨くらいはすぐに飲み干される。朝はすべてに水がしたたっていても、午後にはすべてが砂塵《さじん》におおわれる。
 雨に洗われ日光に拭《ぬぐ》われた緑葉ほどみごとなものはない。それは暖かい清涼である。庭の木も牧場の草も、根には水を含み花には日を受け、香炉のようになって一時にあらゆるかおりを放つ。すべてが笑いのぞき出す。人は穏やかな酔い心地になる。初夏は仮りの楽園である。太陽は人の心をものびやかにする。
 そして、世にはこれ以上を何も求めない者がいる。ある気楽者らは、空の青いのを見て、これで充分だと言う。ある夢想家らは、自然の驚異に没頭して、自然を賛美するのあまり、善悪に対して無関心となる。ある宇宙の観照者らは、恍惚《こうこつ》として人事を忘れて、人は樹下に夢想し得るにかかわらず、甲の飢えや乙の渇《かわ》きや、貧しき者の冬の裸体、子供の脊髄《せきずい》の淋巴性彎曲《りんぱせいわんきょく》、煎餅蒲団《せんべいぶとん》、屋根裏、地牢《ちろう》、寒さに震える少女のぼろ、など種々のことになぜ心をわずらわすか、そのゆえんを了解しない。しかしそれらは、平穏なしかも恐ろしいしかも無慈悲にもひとり満足せる精神である。不思議にも彼らは、無限なるもののみをもって充分としている。人の最も必要とする抱擁し得らるるものを、有限なるものを、彼らは知らない。崇高な働きたる進歩をなし得る有限なるもののことを、彼らは考えない。無限なるものと有限なるものとの人為的および神為的結合から生ずる名状し難いものを、彼らは看過する。ただ無辺際なるものに面してさえおれば、彼らはほほえむ。かつて愉快を知らないが、常に恍惚としている。沈湎《ちんめん》することがその生命である。人類の歴史も彼らにとっては、ただの一|些事《さじ》にすぎない。その中にすべては含まっていない。真のすべて[#「すべて」に傍点]は外部にある。人間という些事に心を労して何の役に立つか。人間は苦しんでいるというが、あるいはそうかも知れない。しかしとにかく、アルデバラム星の上りゆくのをながめてみよ。母親は乳が出ず赤児は死にかかっているというが、そのようなことは自分の知るところではない。まあとにかく、一片の樅《もみ》の白木質が顕微鏡下に示すあの驚くべき薔薇形《ばらがた》の縞《しま》をながめてみよ。でき得るならば最もうるわしいマリーヌのレースをそれに比較してみるがいい! とそう彼らは言う。それらの思索家は愛することを忘れているのである。獣帯星座は彼らをして、泣く児に目を向けることを得ざらしむる。神は彼らの魂をおおい隠す。それは微小にして同時に偉大なる一群の精神である。ホラチウスはそのひとりであり、ゲーテはそのひとりであり、ラ・フォンテーヌもおそらくはそのひとりであった。実に無限なるもののみを事とする壮大なる利己主義者であり、人の悲しみに対する平然たる傍観者であって、天気さえ麗しければネロのごとき暴君をも意に介せず、日の光をのみ見て火刑場を眼中に置かず、断頭台上の処刑をながめてもただ光線の作用のみを気にし、叫び声もすすりなきの声も瀕死《ひんし》のうめきも警鐘の響きも耳にせず、五月であればすべてをよく思い、紅色と金色との雲が頭上にたなびく限りは満足だと称し、星の光と小鳥の歌とのつきるまでは幸福であるべく定められている。
 輝いたる暗黒なる人々である。彼らは自らあわれむべき者であるとは夢にも思わない。しかし彼らはまさしくあわれむべき者らである。涙を流さぬ者は目が見えない。眉《まゆ》の下に両眼を持たず額の中央に一個の星を持っている[#「一個の星を持っている」は底本では「一個の星を持つている」]、夜と昼とで同時にできてる者を、あわれみかつ賛嘆し得るとするならば、彼らこそあわれみかつ賛嘆すべき者らである。
 それら思想家の無関心は、ある者の説によれば、高遠なる哲理から来るものであるという。あるいはそうであるとしても、しかしその高遠さのうちには不具なる点がある。人は不死であるとともに跛足《びっこ》であり得る。神ヴルカヌスはその例である。人は人間以上であるとともに人間以下であり得る。自然のうちには広大なる不完全さも存する。太陽が盲目でないか否かをだれが知ろうぞ。
 しからばおよそ何を信頼すべきであるか。太陽は虐偽なりとあえて言い得べきか[#「太陽は虐偽なりとあえて言い得べきか」に傍点]。天才も、最高の人も、恒星たる人も、誤ることがあり得るのか。いと高きにある者、最高点にある者、頂にある者、中天にある者、地上に多くの光を送る者、彼らの目もわずかしか見えないのか、よく見えないのか、あるいはまったく見えないのか。それでは絶望のほかはないではないか。否。しからば太陽の上に何が存するのか。曰《いわ》く、神。
 一八三二年六月六日の午前十一時ごろ、人影もない寂しいリュクサンブールの園は麗しい様《さま》を呈していた。五目形に植えられた樹木や花壇の花は、日光のうちに香気や眩惑《げんわく》の気を送り合っていた。ま昼の光に酔うた枝々は、互いに相抱こうとしてるがようだった。シコモルの茂みの中には頬白《ほおじろ》が騒いでおり、雀《すずめ》は勇ましい声を立て、啄木鳥《きつつき》はマロニエの幹をよじ上って、樹皮の穴を軽く啄《つつ》き回っていた。花壇のうちには百合《ゆり》の花が、もろもろの花の王らしく咲き誇っていた。それも至当である、香気のうちにても最も尊厳なるものは純白から発するかおりである。石竹の鋭い匂《にお》いも漂っていた。マリー・ド・メディチの愛した古い小鳥も、高い樹木の中で恋を語っていた。チューリップの花は日の光を受けて、金色に紅色にまたは燃ゆるがようになり、あたかも花で作られた種々の炎に異ならなかった。その群咲《むれざ》きのまわりには蜂《はち》が飛び回って、炎の花から出る火花となっていた。すべては優美と快活とにあふれ、次にきたるべき雨さえもそうだった。再び来るその雨も、鈴蘭《すずらん》や忍冬《すいかずら》が恵みをたれるのみで、少しも心配なものではなかった。燕《つばめ》は見るも不安なほどみごとに低く飛んでいた。そこにある者は幸福の気を呼吸し、生命はよきかおりを発し、自然はすべて純潔と救助と保護と親愛と愛撫《あいぶ》と曙《あけぼの》とを発散していた。天より落ちて来る思想は、人が脣《くち》づけする小児の小さい手のようにやさしいものであった。
 木の下に立ってる裸体のまっ白な像は、点々と光の落ちた影の衣服をまとっていた。それらの女神は日光のぼろをまとっていたのである。光線はその四方へたれ下がっていた。大きな池のまわりは、焼けるかと思えるまでに地面がかわききっていた。わずかに風があって、所々に塵《ちり》の渦《うず》を立てていた。去年の秋から残ってる少しの黄色い落葉が互いに愉快げに追っかけ合って、戯れてるがようだった。
 豊かな光には何となく人の心を安らかならしむるものがあった。生命、樹液、暑気、蒸発気などは満ちあふれていた。万物の下にその源泉の大きさが感ぜられた。愛に貫かれてるそれらの息吹《いぶき》の中に、反照と反映との行ききの中に、光の驚くべき濫費《らんぴ》の中に、黄金の液の名状し難い流出の中に、無尽蔵者の浪費が感ぜられた。そしてその光輝のうしろには、炎の幕のうしろにおけるがように、無数の星を所有する神がかすかに認め得らるるのであった。
 砂がまかれてるために一点の泥土もなかった、また雨が降ったために一握の塵埃《じんあい》もなかった。草木の茂みは洗われたばかりの所だった。あらゆる種類のビロードや繻子《しゅす》や漆《うるし》や黄金は、花の形をして地からわき出て、一点の汚れも帯びていなかった。壮麗であるとともに瀟洒《しょうしゃ》だった。楽しき自然の沈黙が園に満ちていた。その天国的な沈黙とともに、巣の中の鳩《はと》の鳴き声、群蜂《ぐんぽう》の羽音、風のそよぎなど、無数の音楽が聞こえていた。季節の調和は全体を一団の麗しいものに仕上げていた。春の来去は適当な順序でなされていた。ライラックの花は終わりに近づき、素馨《ジャスミン》の花は咲きそめていた。ある花が遅れていると、その代わりにある昆虫が早めに出ていた。六月の前衛たる赤い蝶《ちょう》は、五月の後衛たる白い蝶と相交わっていた。篠懸《すずかけ》は新しい樹皮をまとっていた。マロニエのみごとな木立ちは微風に波打っていた。実にそれは光り輝いた光景であった。近くの兵営の一老兵士は、鉄門から園の中をのぞいて言った、「正装した春だ。」
 自然はすべて朝食にかかっていた。万物は食卓についていた。今はちょうどその時刻だった。青い大きな卓布が空にかけられ、緑の大きな卓布が地にひろげられていた。太陽は煌々《こうこう》と輝いていた。神はすべてに食事を供していた。あらゆるものは各自の秣《まぐさ》や餌《え》を持っていた。山鳩《やまばと》には麻の実があり、鶸《ひわ》には黍《きび》があり、金雀《かなりや》には※[#「くさかんむり/繁」、第3水準1-91-43]※[#「くさかんむり/婁」、第3水準1-91-21]《はこべ》があり、駒鳥《こまどり》には虫があり、蜂《はち》には花があり、蠅《はえ》には滴虫があり、蝋嘴《しめ》には蠅があった。彼らは互いに多少相|食《は》み合っていた。そこに善と悪との相交わる神秘がある。しかし彼らは一つとして空腹ではなかった。
 ふたりの見捨てられた子供は、大きな池のそばまできていたが、それら自然の光輝に多少心を乱されて、身を潜めようとしていた。人と否とを問わずすべて壮麗なるものに対するあわれな者弱い者の本能である。そして彼らは白鳥の小屋のうしろに隠れていた。
 間を置いて方々に、叫びの声、騒擾《そうじょう》の音、銃火の騒然たる響き、砲撃の鈍いとどろきなどが、風のまにまに漠然《ばくぜん》と聞こえていた。市場町の方面には屋根の上に煙が見えていた。人を呼ぶような鐘の音が遠くに響いていた。
 ふたりの子供は、それらの物音にも気づかないかのようだった。弟の方は時々半ば口の中で繰り返した。「腹がすいたよ。」
 ふたりの子供とほとんど同時に、別のふたり連れが大きな池に近づいてきた。五十歳ばかりの老人とそれに手を引かれてる六歳ばかりの子供とであった。確かに親子であろう。子供は大きな菓子パンを持っていた。
 後に廃されたことであるが、その当時は、マダム街やアンフェール街などのセーヌ川に沿ったある家には、リュクサンブールの園の鍵《かぎ》をそなえることが許されていて、借家人らは、鉄門が閉ざされた時でも自由に出入りし得られた。この親子はきっとそういう家の人であったに違いない。
 ふたりの貧しい子供はその「紳士」がやって来るのを見て、前よりもなお多少身を潜めた。
 それはひとりの中流市民であった。以前にマリユスがやはりその池のそばで、「過度を慎む」ようにと息子に言ってきかしてる一市民の言葉を、恋の熱に浮かされながら耳にしたことがあったが、あるいはそれと同じ人だったかも知れない。その様子は親切と高慢とを同時に示していて、その口はいつも開いてほほえんでいた。その機械的な微笑は、頤《あご》が張りすぎてるのに皮膚が少なすぎるためにできるのであって、心を示すというよりむしろ歯を示してるだけだった。子供はまだ食い終えないでいるかじりかけの菓子パンを持ったまま、もう腹いっぱいになってるような様子だった。暴動があるために子供の方は国民兵服をつけていたが、父親は用心のために平服のままだった。
 父と子とは二羽の白鳥が浮かんでる池の縁に立ち止まった。その市民は白鳥に対して特殊な賛美の心をいだいてるらしかった。彼はその歩き方の点ではまったく白鳥に似寄っていた。
 しかし今白鳥は泳いでいた。游泳は白鳥の主要な才能である。それはすこぶるみごとだった。
 もしふたりの貧しい子供が耳を傾けたならば、そして物を理解し得るだけの年齢に達していたならば、彼らはそこに一個のまじめな男の言葉を聞き取り得たであろう。父は子にこう言っていた。
「賢い人は少しのものに満足して生きている。私を見なさい。私ははなやかなことを好まない。金や宝石で飾り立てた着物を着たことはない。そんな虚飾は心の劣った者のすることだ。」
 その時、強い叫び声が鐘の音と騒擾の響きとを伴って、市場町の方から突然聞こえてきた。
「あれはなに?」と子供は尋ねた。
 父は答えた。
「お祭だよ。」
 すると突然彼は、白鳥の緑色の小屋のうしろに身動きもしないで隠れてるぼろ着物のふたりの子供を見つけた。
「あんなのがそもそもの始まりだ。」と彼は言った。
 そしてちょっと黙った後に言い添えた。
「無政府主義がこの園にまで入り込んできてる。」
 そのうちに子供は、菓子パンをかじったが、それをまた吐き出し、急に泣き出した。
「何で泣くんだい。」と父は尋ねた。
「もうお腹《なか》がすいていないんだもの。」と子供は言った。
 父親の微笑はなお深くなった。
「お菓子を食べるには何もお腹がすいてなくてもいい。」
「このお菓子はいやだ。固くなってるから。」
「もう欲しくないのか?」
「ええ。」
 父は白鳥の方をさし示した。
「あの鳥に投げてやりなさい。」
 子供は躊躇《ちゅうちょ》した。もう食べたくないからと言って、それで他の者にくれてやる理由とはならない。
 父は言い続けた。
「慈悲の心を持ちなさい。動物をもあわれまなければいけない。」
 そして彼は子供の手から菓子を取って、それを池の中に投げやった。
 菓子は岸の近くに落ちた。
 白鳥は遠く池の中程にいて、他の餌《え》を漁《あさ》っていた。そして市民にも菓子パンにも気がつかなかった。
 市民は菓子がむだに終わりそうなのを感じ、その徒《いたず》らな難破に心を動かされて、激しい合い図の身振りをしたので、ようやく白鳥の注意をひいた。
 二羽の白鳥は何か浮いてるのを見つけ、まさしく船のように岸へ方向を変じ、菓子パンの方へ静かに進んできた。白い動物にふさわしいいかにもゆったりした威風だった。
「シーニュ(白鳥)にはシーニュ(合い図)がわかる。」と市民はその頓知《とんち》を得意そうに言った。
 その時、遠くの騒擾の響きはまた急に高まった。こんどはすごいように聞こえてきた。同じく一陣の風にも特にはっきりと意味を語るものがある。その時吹いてきた風は、太鼓のとどろきや鬨《とき》の声や一隊の兵の銃火の音や警鐘と大砲との沈痛な応答の響きなどを、はっきりと伝えていた。それとちょうど一致して、一団の黒雲がにわかに太陽を蔽うた。
 白鳥はまだ菓子パンに達していなかった。
「帰ろう。」と父は言った。「テュイルリーの宮殿が攻撃されてる。」
 彼はまた子供の手を取った。それから言い添えた。
「テュイルリーとリュクサンブールとは、皇族と貴族との間ぐらいしか離れていない。間は遠くない。鉄砲の弾が雨のように飛んでくるかも知れない。」
 彼は空の雲をながめた。
「そしてまた本当の雨も降りそうだ。空までいっしょになってる。ブランシュ・カデットは([#ここから割り注]若い枝は――ブールボン分家は[#ここで割り注終わり])挫《くじ》かれる。早く帰ろう。」
「白鳥がお菓子を食べる所が見たいなあ。」と子供は言った。
 父は答えた。
「そうしては不用心だ。」
 そして彼は自分の小さな市民を連れていった。
 子供は白鳥の方を残り惜しがって、五目形の植え込みの角《かど》に池が隠れるまで、その方を振り返ってながめた。
 そのうちに、白鳥と同時にふたりの浮浪の子供が菓子パンに近寄ってきた。菓子は水の上に浮いていた。弟の方は菓子をながめ、兄の方は去ってゆく市民をながめていた。
 父と子とは入りくんだ道をたどって、マダム街の方へ通ずる段をなした木の茂みにはいっていった。
 彼らの姿が見えなくなると、すぐに兄は、丸みをもった池の縁に腹ばいになり、左手でそこにしがみつきながら、ほとんど水に落ちそうになるほど身を乗り出し、右手を伸ばしてその杖を菓子の方へ差し出した。白鳥は競争者を見て急いだ。しかし急ぎながら胸をつき出したので、小さな漁夫にはそれがかえって仕合わせとなった。水は二羽の白鳥の前に揺れて退いた。そのゆるやかな丸い波紋の一つのために、菓子は静かに子供の杖の方へ押しやられた。白鳥がやってきた時に、杖は菓子に届いた。子供は一つ強くたたいてそれを引きよせ、白鳥をおどかし、菓子をつかみ取り、そして立ち上がった。菓子はぬれていたが、ふたりは腹がすき喉《のど》がかわいていた。兄はその菓子パンを、大きいのと小さいのと二つに割り、自分は小さい方を取り、大きい方を弟に与えて、こう言った。
「それをつめ込んでしまえ。」

     十七 死せる父死なんとする子を待つ

 マリユスは防寨《ぼうさい》から外に飛び出した。コンブフェールもそのあとに続いた。しかしもう間に合わなかった。ガヴローシュは死んでいた。コンブフェールは弾薬の籠《かご》を持ち帰り、マリユスはガヴローシュの死体を持ち帰った。
 彼は思った。ああ、父親が自分の父にしてくれたことを、自分は今その子に報いているのだ。ただ、テナルディエは生きた自分の父を持ち帰ってくれたが、自分は今彼の死んだ子を持ち帰っているのか。
 マリユスがガヴローシュを胸にかかえて角面堡《かくめんほう》に戻ってきた時、少年の顔と同じく彼の顔も血にまみれていた。
 ガヴローシュを抱き取ろうとしてかがんだ時、一弾が彼の頭をかすめた。彼はそれに自ら気づかなかった。
 クールフェーラックは自分の首飾りを解いて、マリユスの額を結わえてやった。
 人々はマブーフと同じテーブルの上にガヴローシュを横たえ、二つの死体の上に黒い肩掛けをひろげた。それは老人と子供とをおおうに足りた。
 コンブフェールは持ち帰った籠《かご》の弾薬を皆に分配した。
 各人に十五発分ずつあった。
 ジャン・ヴァルジャンはやはり標石の上に腰掛けたままじっとしていた。
 コンブフェールが十五発の弾薬を差し出した時、彼は頭を振った。
「まったく珍しい変人だ。」とコンブフェールは低い声でアンジョーラに言った。「この防寨《ぼうさい》にいて戦おうともしない。」
「それでも防寨を守ってはいる。」とアンジョーラは答えた。
「勇壮の方面にも奇人がいるわけだな。」とコンブフェールは言った。
 それを聞いたクールフェーラックも口を出した。
「マブーフ老人とはまた異なった種類の男だ。」
 ここにちょっと言っておかなければならないが、防寨は銃弾を浴びせられながら、その内部はほとんど乱されていなかった。こういう種類の戦いの旋風を横切ったことのない者は、その動乱に交じって妙に静穏な瞬間があることを、おそらく想到し得ないだろう。人々は行ききたり、語り、戯れ、ぶらぶらしている。霰弾《さんだん》の中でひとりの兵士が、「ここはまったく独身者《ひとりもの》の朝飯のようだ」と言ったのを、実際耳にした男をわれわれは知っている。繰り返して言うが、シャンヴルリー街の角面堡《かくめんほう》の中は、至って静穏らしく見えていた。あらゆる事変や局面は、すべて通過し終わっていた、もしくは通過し終わらんとしていた。状況は危急なものから恐ろしいものとなり、恐ろしいものから更に絶望的なものとなろうとしていた。状況が暗澹《あんたん》となるに従って、勇壮な光はますます防寨《ぼうさい》を赤く染めていた。アンジョーラは若いスパルタ人が抜き身の剣を陰惨な鬼神エピドタスにささげるような態度で、おごそかに防寨に臨んでいた。
 コンブフェールは腹部に前掛けをつけて負傷者らの手当てをしていた。ボシュエとフイイーとはガヴローシュが上等兵の死体から取った火薬筒で弾薬を作っていたが、ボシュエはフイイーにこう言った、「われわれはじきに他の遊星へ旅立つんだ。」クールフェーラックは自分の場所としておいたアンジョーラの傍の舗石《しきいし》の上に、仕込み杖《づえ》や銃や二梃《にちょう》の騎馬用ピストルや一梃のポケット・ピストルなどを、まるで武器箱をひっくり返したようにして、若い娘が小さな裁縫箱を片づけるような注意でそれを整理していた。ジャン・ヴァルジャンは正面の壁を黙ってながめていた。ひとりの労働者はユシュルー上《かみ》さんの大きな麦稈帽子《むぎわらぼうし》を頭の上に紐《ひも》で結わえつけて、日射病にかかるといけねえなどと言っていた。エークスのクーグールド結社に属する青年らは、最後にも一度|田舎言葉《いなかことば》を急いで口にしておこうと思ってるかのように、いっしょに集まって愉快そうにしゃべり合っていた。ジョリーはユシェルー上さんの鏡を取ってきて、それに映して自分の舌を検査していた。数人の戦士らは、ある引き出しの中にほとんど黴《かび》のはえたパン屑《くず》を見つけ出して、貪《むさぼ》るようにそれを食っていた。マリユスは死せる父が自分に何というであろうかと心を痛めていた。

     十八 餌食《えじき》となれる禿鷹《はげたか》

 なお防寨《ぼうさい》に独特な心理的事実を一つ述べておきたい。この驚くべき市街戦の特色は一つたりとも省いてはいけないからである。
 上に述べたとおりその内部はいかにも不思議なほど静穏であるけれども、それでも中にいる人々にとっては、防寨はやはり一つの幻のごとく感じられるものである。
 内乱の中には黙示録的神秘がある。未知の世界のあらゆる靄《もや》は荒々しい炎を交じえている。革命はスフィンクスである。防寨の中を通った者はだれでも、夢の中を過ぎたかと自ら思う。
 そういう場所で人が感ずるところのものは、既にわれわれがマリユスについて指摘してきたとおりであり、また結果もやがて述べんとするとおりであるが、実に生《せい》以上でありまた以下である。一度防寨を出れば、そこで何を見てきたかはもうわからなくなる。恐ろしいものであったが、さて何であったかはわからない。人の顔をして戦ってる多くの観念にとりかこまれていた。未来の光明の中に頭をつき込んでいた。死体が横たわり幽霊がつっ立っていた。時間は巨大であって永劫《えいごう》が有する時間のようだった。死の中に生きていた。もろもろの陰影が過ぎ去っていった。しかしそれらは何であったか? 血の流るる手をも見た。耳を聾《ろう》するばかりの恐ろしい響きがあり、また恐怖すべき静寂があった。叫んでるうち開いた口があり、また沈黙してるうち開いた口があった。煙に包まれていたし、おそらくやみ夜に包まれていた。測り知られぬ深みから流れ出る凄惨《せいさん》なものに触れたようでもあった。爪《つめ》の中に何か赤いもののついてるのが見える。しかしもはや何のことだか思い出せないのである。
 さて、シャンヴルリー街に戻ってみよう。
 突然、二度の一斉射撃《いっせいしゃげき》の間に、時を報ずる遠い鐘の音が聞こえた。
「正午だ。」とコンブフェールは言った。
 その十二の鐘が鳴り終えないうちに、アンジョーラはすっくと立ち上がり、防寨の上からとどろくような声を出して叫んだ。
「舗石《しきいし》を家の中に運べ。窓や屋根裏にそれをあてろ。人員の半分は射撃にかかり、半分は舗石の方にかかるんだ。一刻も猶予はできない。」
 肩に斧《おの》をかついだ消防工兵の一隊が、街路の先端に戦闘隊形をなして現われたのだった。
 それは一縦隊の先頭にすぎなかった。そしてその縦隊というのは無論襲撃隊であった。防寨《ぼうさい》を破壊する任務を帯びてる消防工兵は常に、防寨を乗り越える任務を帯びてる兵士の先に立つべきものである。
 一八二二年クレルモン・トンネール氏が「首繩《くびなわ》の一ひねり」と呼んだ危急の瞬間に、人々はまさしく際会していたのである。
 アンジョーラの命令は直ちにそのとおり実行された。かく命令が急速に正確に行なわれるのは船と防寨とに限ることで、両方とも脱走することのできない唯一の戦場である。一分間とたたないうちに、アンジョーラがコラント亭の入り口に積ましておいた舗石の三分の二は、二階の屋根裏に運ばれ、次の一分間が過ぎないうちに、それらの舗石は巧みに積み重ねられて、二階の窓や屋根裏の軒窓の半ばをふさいだ。主任建造者たるフイイーの考案によって巧みに明けられた数個の間隙《かんげき》からは、銃身が差し出されるようになっていた。かく窓を固めることは、霰弾《さんだん》の発射がやんでいたのでことに容易だった。が今や二門の砲は、襲撃に便利な穴を、あるいはでき得べくんば一つの割れ目を、そこに作らんがために、障壁の中央めがけて榴弾《りゅうだん》を発射していた。
 最後の防御物たる舗石《しきいし》が指定の場所に配置されたとき、アンジョーラはマブーフの死体がのせられてるテーブルの下に置いていた壜《びん》を、すっかり二階に持ってこさした。
「だれがそれを飲むんだ。」とボシュエは尋ねた。
「奴《やつ》らが。」アンジョーラは答えた。
 それから人々は一階の窓をふさぎ、夜分に居酒屋の扉《とびら》を内部から締め切ることになってる鉄の横木を、すぐ差し入れるばかりにしておいた。
 要塞は完全にでき上がった。防寨《ぼうさい》はその城壁であり、居酒屋はその櫓《やぐら》だった。
 残ってる舗石で人々は防寨の切れ目をふさいだ。
 防寨の守備軍は常に軍需品を節約しなければならないし、攻囲軍もそれをよく知ってるので、攻囲軍はわざわざ敵をあせらすような緩慢な方略を用い、時機がこないのに早くも銃火の中におどり出してみせるような外観だけの策略を事とし、実際はゆっくり落ち着いてるものである。襲撃の準備はいつも一定の緩慢さをもってなされ、次に電光石火の突撃が始められる。
 その緩慢な準備の間に、アンジョーラはすべてを検査しすべてを完成するの暇を得た。かかる同志らが死なんとする以上は、その死はりっぱなものでなければならない、と彼は思っていた。
 彼はマリユスに言った。「僕らふたりは主将だ。僕は家の中で最後の命令を与えよう。君は外にいて見張りをしてくれたまえ。」
 マリユスは防寨《ぼうさい》の頂で見張りの位置についた。
 読者が記憶するとおり野戦病院となってる料理場の扉《とびら》を、アンジョーラは釘付《くぎづ》けにさした。
「負傷者らに累を及ぼしてはいけない。」と彼は言った。
 彼は下の広間で、簡潔な深く落ち着いた声で、最後の訓令を与えた。フイイーはそれに耳を傾け、一同を代表して答えた。
「二階に、階段を切り離すための斧《おの》を用意しておけ。それがあるか?」
「ある。」とフイイーは言った。
「いくつ?」
「普通のが二つと大斧が一つ。」
「よろしい。健全な者が二十六人残っている。銃は何挺《なんちょう》あるか。」
「三十四。」
「八つ余分だな。その八梃にも同じく弾をこめて持っていろ。サーベルやピストルは帯にはさめ。二十人は防寨につけ、六人は屋根裏や二階の窓に潜んで、舗石《しきいし》の銃眼から襲撃軍を射撃しろ。ひとりでも手をこまぬいていてはいけない。間もなく襲撃の太鼓が聞こえたら、階下《した》の二十人は防寨に走り出ろ。早い者から勝手にいい場所を占めるんだ。」
 そういう手配りをした後、彼はジャヴェルの方を向いて、そして言った。
「きさまのことも忘れやしない。」
 そしてテーブルの上に一梃のピストルを置いて、彼は言い添えた。
「ここから最後に出る者が、この間諜《スパイ》の頭を打ちぬくんだ。」
「ここで?」とだれかが尋ねた。
「いや。こんな死体をわれわれの死体に交じえてはいけない。モンデトゥール街の小さな防寨《ぼうさい》はだれでもまたぎ越せる。高さ四尺しかない。こいつは堅く縛られてる。そこまで連れていって、そこで始末するがいい。」
 その際に及んで、アンジョーラよりなお平然たる者があるとすれば、それはジャヴェルであった。
 そこにジャン・ヴァルジャンが出てきた。
 彼は暴徒らの間に交じっていたが、そこから出てきて、アンジョーラに言った。
「君は指揮者ですか。」
「そうだ。」
「君はさっき私に礼を言いましたね。」
「共和の名において。防寨はふたりの救い主を持っている、マリユス・ポンメルシーと君だ。」
「私には報酬を求める資格があると思いますか。」
「確かにある。」
「ではそれを一つ求めます。」
「何を?」
「その男を自分で射殺することです。」
 ジャヴェルは頭を上げ、ジャン・ヴァルジャンの姿を見、目につかぬくらいの身動きをして、そして言った。
「正当だ。」
 アンジョーラは自分のカラビン銃に弾をこめ始めていた。彼は周囲の者を見回した。
「異議はないか?」
 それから彼はジャン・ヴァルジャンの方を向いた。
「間諜《スパイ》は君にあげる。」
 ジャン・ヴァルジャンは実際、テーブルの一端に身を置いてジャヴェルを自分のものにした。彼はピストルをつかんだ。引き金を上げるかすかな音が聞こえた。
 それとほとんど同時に、ラッパの響きが聞こえてきた。
「気をつけ!」と防寨《ぼうさい》の上からマリユスが叫んだ。
 ジャヴェルは彼独特の声のない笑いを始めた。そして暴徒らをじっとながめながら、彼らに言った。
「きさまたちも俺《おれ》以上の余命はないんだ。」
「みんな外へ!」とアンジョーラは叫んだ。
 暴徒らはどやどやと外に飛び出していった。そして出てゆきながら、背中に――こう言うのを許していただきたい――ジャヴェルの言葉を受けた。
「じきにまた会おう!」

     十九 ジャン・ヴァルジャンの復讐《ふくしゅう》

 ジャン・ヴァルジャンはジャヴェルとふたりきりになった時、捕虜の身体のまんなかを縛ってテーブルの下で結んである繩《なわ》を解いた。それから立てという合い図をした。
 ジャヴェルはそれに従った。縛られた政府の権威が集中してるような名状し難い微笑を浮かべていた。
 ジャン・ヴァルジャンは鞅《むながい》をとらえて駄馬《だば》を引きつれるように、鞅縛りにした繩を取って、ジャヴェルを引き立て、自分のうしろに引き連れながら、居酒屋の外に出た。ジャヴェルは足をも縛られていてごく小またにしか歩けなかったので、ゆっくりと進んでいった。
 ジャン・ヴァルジャンは手にピストルを持っていた。
 ふたりはかくて防寨《ぼうさい》の中部の四角な空地を通っていった。暴徒らはさし迫った攻撃の方に心を奪われて、こちらに背中を向けていた。
 ただマリユスひとりは、少し離れて防壁の左端に控えていて、ふたりの通るのを見た。死刑囚と処刑人と相並んだありさまは、マリユスの心の中にある死の光で照らし出された。
 ジャン・ヴァルジャンは一瞬間もとらえた手をゆるめないで、モンデトゥール小路の小さな砦《とりで》を、ようやくにしてジャヴェルにまたぎ越さした。
 その防壁を乗り越した時、彼らはその小路の中で、まったくふたりきりになった。だれも見ている者はなかった。暴徒らからは人家の角《かど》で隠されていた。防寨から投げ捨てられた死骸《しがい》が、数歩の所に恐ろしいありさまをして積み重なっていた。
 その死骸の重なった中に、一つのまっさおな顔と乱れた髪と穴のあいた手と半ば裸の女の胸とが見えていた。エポニーヌであった。
 ジャヴェルはその女の死体を横目でじっとながめ、深く落ち着き払って低く言った。
「見覚えがあるような娘だ。」
 それから彼はジャン・ヴァルジャンの方に向いた。
 ジャン・ヴァルジャンはピストルを小わきにはさみ、ジャヴェルを見つめた。その目つきの意味は言葉にせずとも明らかだった。「ジャヴェル、私だ、」という意味だった。
 ジャヴェルは答えた。
「復讐するがいい。」
 ジャン・ヴァルジャンは内隠しからナイフを取り出して、それを開いた。
「どすか?」とジャヴェルは叫んだ。「もっともだ。貴様にはその方が適当だ。」
 ジャン・ヴァルジャンはジャヴェルの首についてる鞅縛《むながいしば》りを切り、次にその手首の繩《なわ》を切り、次に身をかがめて、足の綱を切った。そして立ち上がりながら言った。
「これで君は自由だ。」
 ジャヴェルは容易に驚く人間ではなかった。けれども、我を取り失いはしなかったが一種の動乱をおさえることができなかった。彼は茫然《ぼうぜん》と口を開いたまま立ちすくんだ。
 ジャン・ヴァルジャンは言い続けた。
「私はここから出られようとは思っていない。しかし万一の機会に出られるようなことがあったら、オンム・アルメ街七番地にフォーシュルヴァンという名前で住んでいる。」
 ジャヴェルは虎《とら》のように眉《まゆ》をしかめて、口の片すみをちらと開いた。そして口の中でつぶやいた。
「気をつけろ。」
「行くがいい。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 ジャヴェルはまた言った。
「フォーシュルヴァンと言ったな、オンム・アルメ街で。」
「七番地だ。」
 ジャヴェルは低く繰り返した。「七番地。」
 彼は上衣のボタンをはめ、両肩の間に軍人らしい硬直な線を作り、向きを変え、両腕を組んで一方の手で頤《あご》をささえ、そして市場町の方へ歩き出した。ジャン・ヴァルジャンはその姿を見送った。数歩進んだジャヴェルは振り向いて、ジャン・ヴァルジャンに叫んだ。
「君は俺《おれ》の心を苦しめる。むしろ殺してくれ。」
 ジャヴェルはジャン・ヴァルジャンに向かってもうきさまと言っていないのを自ら知らなかった。
「行くがいい。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 ジャヴェルはゆるい足取りで遠ざかっていった。やがて彼はプレーシュール街の角《かど》を曲がった。
 ジャヴェルの姿が見えなくなった時、ジャン・ヴァルジャンは空中にピストルを発射した。
 それから彼は防寨《ぼうさい》の中に戻って言った。
「済んだ。」
 その間に次のことが起こっていた。
 マリユスは防寨の内部より外部の方に多く気を取られて、下の広間の薄暗い奥に縛られた間謀《スパイ》をその時までよくは見なかった。
 しかし、死にに行くため防寨をまたぎ越してる間謀《スパイ》をま昼の光で見た時、彼はその顔を思い出した。一つの記憶が突然頭に浮かんできた。ポントアーズ街の警視のことと、防寨の中で自分が使っている二梃《にちょう》のピストルはその警視からもらったものであることを、思い起こした。そしてその顔を思い起こしたばかりでなく、またその名前を思い起こした。
 けれどもその記憶は、彼の他の観念と同じように、おぼろげで乱れていた。それは自ら下した断定ではなく、自ら試みた疑問であった。
「あの男は、ジャヴェルと名乗ったあの警視ではないかしら?」
 たぶんまだその男のために調停する時間はあったろう。しかし、果たしてあのジャヴェルであるかをまず確かめなければならなかった。
 マリユスは防寨の向こう端に位置を占めたアンジョーラを呼びかけた。
「アンジョーラ!」
「何だ!」
「あの男の名は何というんだ。」
「どの男?」
「あの警察の男だ。君はその名前を知ってるか。」
「もちろん。自分で名乗ったんだ。」
「何という名だ。」
「ジャヴェル。」
 マリユスは身を起こした。
 その時、ピストルの音が聞こえた。
 ジャン・ヴァルジャンが再び現われて、「済んだ」と叫んだ。
 暗い悪寒《おかん》がマリユスの心をよぎった。

     二十 死者も正しく生者も不正ならず

 防寨《ぼうさい》の臨終の苦悶《くもん》はまさに始まろうとしていた。
 その最後の瞬間の悲痛な荘厳さを、あらゆるものが助成していた。空中に漂ってる無数の神秘な響き、見えない街路の中に行動してる密集した軍隊の気配《けはい》、おりおり高まる騎兵の疾駆する音、砲兵の行進する重いとどろき、パリー街衢《がいく》に交差する銃火と砲火、屋根の上に立ち上ってゆく金色の戦塵《せんじん》、恐ろしげな遠い一種の叫喚の声、至る所を脅かす電光、今やすすりなきするような調子になってるサン・メーリーの警鐘、季節の穏和、日光と雲とに満たされた空の輝き、日光の麗しさ、人家の恐ろしい沈黙。
 前日以来、シャンヴルリー街の両側に並んでる人家は、二つの壁、荒々しい二つの壁となっていたのである。戸は閉ざされ、窓は閉ざされ、雨戸も閉ざされていた。
 現在とはいたく異なってる当時にあっては、あまりに長く続いた状態を、特に与えられた法典を、あるいは法治国の美名を、民衆が破り去らんと欲する時間が来る時、一般の憤怒の念が大気中にひろがる時、都市がその舗石《しきいし》をはぐに同意する時、反乱がその合い言葉を耳にささやいて市民をほほえます時、その時住民は言わば暴動の気に貫かれて、戦士の後援者となり、また人家は、よりかかってくる即座の要塞と相親しんだ。しかし情況がまだ熟さない時、反乱が決定的な同意を得ない時、群集がその運動を好まない時には、戦士らは見捨てられ、都市は反抗の周囲に砂漠《さばく》と変じ、人の魂は冷却し、避難所は閉ざされ、街路は防寨《ぼうさい》を占領せんとする軍隊を助ける隘路《あいろ》となるのだった。
 民衆はいかに強《し》いられても、おのれの欲する以上に早く足を運ぶものではない。民衆にそれを強いんとする者こそ禍《わざわい》である。民衆は他の自由にはならない。そして民衆は反乱をその成り行きに放置する。暴徒らはペスト患者のごとく見捨てられる。人家は断崖《だんがい》となり、戸は拒絶となり、家の正面は壁となる。その壁は物を見また聞くけれども、それを欲しない。多少口を開いて反徒を救うであろうか。否。一の審判者となるのである。反徒らをながめて、彼らに罪を宣告する。それらの閉ざされた人家こそいかに陰惨なるものであるか。一見死んでるように思われるが、実は生きているのである。生命の流れはそこで切れてるようであるが、実は存続している。もう一昼夜の間だれも出入りしなかったが、人はひとりも欠けてはいない。その巌《いわお》のように静まり返った家の中では、人が行ききし起臥《きが》している。家庭をなしている。飲みまた食っている。ただ恐ろしいことには、戦々|兢々《きょうきょう》としている。その恐怖の念は、反徒らに対するひどい冷淡さを宥恕《ゆうじょ》するものである。また酌量すべき情況としては狼狽の念もいっしょにある。時としては、そして実際あったことであるが、恐怖は熱情となることもある。慎重が憤激に変わり得るように、恐怖は狂猛に変わり得る。そこから、温和派の熱狂者[#「温和派の熱狂者」に傍点]という意味深い言葉が生じてくる。極度におびえた感情は炎となって、そこからすごい煙のような憤怒の情が生じてくる。「彼ら反徒どもは何を望んでいるのか? 彼らはかつて満足ということを知らない。彼らは平穏な人々にまで累を及ぼそうとしている。これでもまだ革命が足りないとでも思っているのか。ここに何をしに来たのか。勝手に何でもするがいい。終わりはどうせきまっている。自業自得だ。なるようになるだろうさ。われわれの知ったことではない。この街路もかわいそうに一面に弾傷を受けるのか。全く無頼漢どもの寄り合いだ。まず第一に戸を開かないことだ。」かくして人家は、墓のようなありさまになる。反徒はその戸の前で、死の苦しみを受ける。霰弾《さんだん》と抜き身のサーベルとが近づいてくるのを見る。叫んだところで、聞いてる者はあるが助けにきてくれる者はないのがわかっている。そこには他を庇護《ひご》し得る壁もあり、彼らを救い得る人もいる。しかも、壁には聞く耳があるけれども、人には石のような心しかない。
 だれを咎《とが》むるべきであるか?
 何人《なんぴと》をも、そしてまたすべての人を。
 吾人が属するこの不完全な時代を。
 高遠なる理想が、自ら反乱と変化し、哲理上の抗議を武装上の抗議となし、ミネルヴァをパラスとするのは(訳者注 ミネルヴァというは詩の神としての名称であり、パラスというは戦の神としての名称であって、同一の女神である)、常に自己を危険にさらしてのことである。忍耐しきれずに暴動となる理想は、いかなる目に会うかを自らよく知っている。多くは時機が早すぎるものである。それで自ら運命に忍従して、勝利の代わりに破滅を勇ましく甘受する。拒絶を浴びせる者らを恨むことなく、かえって彼らを弁護しながら彼らに奉仕する。寛大にも見棄《みす》てられることに同意する。障害に対しては不屈であり、忘恩に対しては柔和である。
 とはいえ、そもそもそれは、忘恩であろうか?
 しかり、人類の見地よりすれば。
 否、個人の見地よりすれば。
 進歩は人間の様式である。人類一般の生命を進歩と称する。人類の集団的歩行を進歩と称する。進歩は前進する。それは天国的なるものおよび神的なるものの方へ向かって、地上的な人間的な大旅行を試みる。けれども落伍者《らくごしゃ》を収容するための休憩所を持っている。ある燦然《さんぜん》たるカナンの地(訳者注 神がイスラエル人に与うべきことを約束せる土地―旧約)が突然地平線上に現われるのを前にして、瞑想《めいそう》するための停立所を持っている。眠るべき夜を持っている。そして、人間の魂の上に影がおりているのを見、眠ってる進歩を暗黒のうちに探りあてながらそれをさまし得ないということは、思想家の深い痛心の一つである。
「おそらく神は死んでる」とジェラール・ド・ネルヴァルは本書の著者に向かってある時言った。しかしそれは進歩と神とを混同し、運動の中絶をもって運動者の死と見做《みな》しての言である。
 絶望する者は誤っている。進歩は必ず目をさます。また進歩は結局眠りながらも前進したと言ってもいい、なぜなら成長したからである。進歩が再び立ち上がる時、その姿は前よりも高くなっている。常に平静であることは、川自身の関するところでないと同じく、進歩自身の関するところではない。決して障壁を築くな、決して岩石を投入するな。障害は水を泡立《あわだ》たしめ、人類を沸騰せしむる。そこに混乱が生ずる。しかしその混乱の後にも多少前進したことが認められる。一般的平和にほかならない秩序が立てられるまでは、調和と統一とが君臨するまでは、進歩はその道程中に革命を持つであろう。
 しからば進歩とは何であるか? それは上に言ったとおりである。民衆の恒久なる生命である。
 しかるに、個人の一時的生命が人類の永遠なる生命に相反することが、時として起こってくる。
 吾人はかく高言することができる。個人は一定の利益を有しており、条件を付してそれを譲り得るものである。現在は宥《ゆる》し得べき程度の利己心を持っている。一時の生命もその権利を有していて、未来のために常に犠牲にせらるべきものではない。現在地上を通るべき順番になっている時代は、後に地上を通るべき順番になってる他の時代のために、結局同等な他の時代のために、その命脈を縮めらるべきはずではない。すべての者とよばるるある者がつぶやく。「私は存在している。私は年若く恋に燃えてる。あるいは、年老い休息を欲してる。私は一家の父であり、働き、繁昌《はんじょう》し、事業に成功し、貸し家を持ち、政府に預けた金を持ち、幸福であり、妻も子も持っており、すべてそれらのものを愛し、生き存《なが》らえたい。私を静かにさしておいて欲しい。」そういう所から、ある時におよんで、人類の豪侠《ごうきょう》なる前衛に対する深い冷淡さが生じてくる。
 その上また高遠なる理想は、戦いをなしながらその光り輝く天地を去るということを、吾人は是認したい。明日の真理なる理想は、咋日の虚偽から、その方法すなわち戦いを借りてくる。未来なる理想は、過去のごとく行動する。純潔なる観念でありながら、自ら違法の行為となる。おのれの勇壮のうちに暴戻をも交じえる。その暴戻については自ら責を負うのが至当である。主義に反したる時宜と便宜との暴戻であって、必ずその罪を負わなければならない。理想がなす反乱も、古い軍法を手にして戦う。間諜《かんちょう》を銃殺し、反逆者を処刑し、生ける者を捕えて未知の暗黒界に投げ込む。死を使用する。そしてこれは重大なことである。理想はもはや、その不可抗不可朽の力たる光明に信念を持たないがようである。剣をもって人を打つ。しかるにいかなる剣も単一なるものはない。あらゆる剣は皆|両刃《もろは》である。一方で他を傷つける者は、他方でおのれを傷つける。
 以上の制限を付しながらも、しかも厳重に付しながらも、未来の光栄ある戦士らを、理想の司祭らを、そが成功すると否とを問わず、吾人は賛美せざるを得ないのである。彼らの業が流産に終わろうとも、彼らは尊敬に値する。そしておそらくその不成功のうちにこそ、彼らはいっそうの荘厳さを持つ。進歩にかなったる勝利は、民衆の喝采《かっさい》を受くるに足る。しかし勇壮な敗北は、民衆の心を動かすに足る。一つは壮大であり、一つは崇高である。成功よりもむしろ主義に殉ずることを取る吾人に言わすれば、ジョン・ブラウンはワシントンよりも偉大であり、ピサカネはガリバルディよりも偉大である。
 敗者の味方もなければならない。
 未来を企図する偉大なる者らが失敗する時、人は彼らに対して、多く不正なる態度を取る。
 人は革命者らを非難するに、恐怖の念を散布することをもってする。防寨《ぼうさい》をすべて暴行と見做《みな》す。彼らの所説をとがめ、彼らの目的を疑い、彼らの内心を恐れ、彼らの良心を難ずる。現在の社会状態に対抗して、悲惨と苦悩と不正と悲嘆と絶望とをうずたかく引き起こし立て直し積み重ね、どん底から暗黒の石塊を引き出して、そこに銃眼を作り戦闘を始めることを、彼らに非難する。そして彼らに向かって叫ぶ、「汝らは地獄の舗石《しきいし》をめくってるのだ!」しかし彼らは答え得るであろう、「それはかえってわれわれの防寨が善良な意志で作られてる証拠である。」
 確かに最善の方法は平和のうちに解決することである。要するに吾人はかく承認する、舗石のめくられるのを見る時には人は熊を思い出す、そして社会が不安を覚ゆるのはかかる意欲に対してである。しかし社会の救済は、社会自身の考えによる。吾人が呼び起こさんとするのは、社会自身の意欲である。激越なる救治策は必要でない。好意をもって弊害を研究し、それは調べ上げ、次にそれを矯正すること、吾人が社会に勧めたいのはそれである。
 それはとにかくとして、世界各地のうちで特にフランスに目を据えて、理想の不撓《ふとう》なる理論をもって大業を果たさんために戦うそれらの人々は、たとい倒れても、またことに倒れたがゆえに、崇高たるのである。彼らはおのれの生命を進歩に対する純なる贈り物として投げ出す。天の意志を成就し、宗教的行為をなす。一定の時が来れば、台詞《せりふ》渡しの詩の俳優のような無私の心で、神の定めた筋書きに従って墳墓の中へはいってゆく。一七八九年七月十四日に不可抗力をもって始まった人類の大運動に、世界的な燦然《さんぜん》たる最上の結果をもたらさんがために、その希望なき戦いと堅忍なる消滅とを甘受する。かかる兵士らはすなわち牧師であり、フランス大革命はすなわち神の身振りである。
 そしてまた、他の章において既に指摘しておいた種々の区別のほかに、次の区別をも添加しておくが至当であろう、すなわち、革命と呼ばるる是認された反乱と、暴動と呼ばるる否認された革命とである。破裂したる一つの反乱は、民衆の前に試験を受くる一つの観念である。もし民衆が黒球を投ずれば、その観念はむだ花となり、反乱は無謀の挙となる。
 あらゆる機会に、高遠なる理想が欲するたびごとに、戦いのうちにはいるということは、民衆のよくなし得るところではない。国民は常住不断に英雄や殉教者の気質を持ってるものではない。
 国民は実際的である。先天的に反乱をいやがる。第一に、反乱は破滅に終わることが多いからであり、第二に、反乱の出発点は常に抽象的なものだからである。
 なぜかなれば、そしてこれはきわめてみごとなことであるが、献身者らが身をささげるのは常に理想のためであり、理想のみのためにである。反乱は一つの熱誠である。熱誠は憤怒することがあって、そのために武器を執るに至る。しかしあらゆる反乱は、一つの政府もしくは制度に射撃を向けるが、その目標は更に高い所に存する。たとえば、力説すべきことには、一八三二年の反乱の首領らが戦った目標は、ことにシャンヴルリー街の若い熱狂者らが戦っている目標は、必ずしもルイ・フィリップではなかった。打ち明けて言えば、彼らの大多数は、王政と革命との中間なるこの王の資格を、充分によく認めていた。王を憎む者は一人もなかった。彼らは昔シャール十世のうちにあるブールボン本家を攻撃したごとく、ルイ・フィリップのうちにあるブールボン分家を攻撃したのである。そしてフランスにおける王位をくつがえしつつ、更にくつがえさんと欲したところのものは、前に説明したとおり、人間に対する人間の専横と全世間の権利に対する一部の特権の専横とであった。パリーに王がなくなれば、その影響として世界に専制者がなくなる。そういうふうに彼らは考えていた。彼らの目的は、まさしく遠いものであり、おそらく漠然《ばくぜん》たるものであり、努力しても容易におよばないものだったが、しかし偉大なるものであった。
 まさしくそうである。そして人はそれらの幻想のために身を犠牲に供する。犠牲者らにとってはそれらの幻想はたいてい幻影に終わるけれども、しかも結局人間的な確信が交じってる幻影である。反徒は反乱を詩化し美化する。自分のなさんとする事柄に心酔しながら、その悲壮な事柄のうちに身を投ずる。結果はわかるものではない、あるいは成功するかも知れない。同志は少数であり、敵には全軍隊がいる。しかしまもるところのものは、権利、自然の大法、一歩も枉《ま》ぐることのできない各人の自己に対する主権、正義、真理、などである。そして場合によっては、三百人のスパルタ人(訳者注 テルモピレにおいてレオダニスに率いられし兵士)のごとくに死するであろう。頭に浮かべるのは、ドン・キホーテのことではなくレオニダスのことである。そして彼らは前方に進んでゆく。一度踏み出せばもはや退くことをしない。頭をかがめてまっしぐらに突進する。希望として心にいだくところのものは、前代未聞の勝利、完成されたる革命、自由の手に託されたる進歩、人類の成長、世界の救済などである。またいかに失敗しようとも、結局テルモピレに過ぎない。
 進歩のためのかかる戦いは、しばしば失敗するものであって、その理由は上に述べきたったとおりである。群集は冒険騎士の誘導に従わない。重々しい集団は、多衆は、自身の重さのためにかえってこわれやすいものであって、冒険を恐れる。理想のうちには多少の冒険がある。
 その上、忘れてならないことには、利害の念もそこに交じってくる。利害の念は理想と情操とに親しみ難い。時としては、胃袋は心を麻痺《まひ》させる。
 フランスの偉大と美とは、他の民衆よりも腹に重きを置くことが少ないところにある。フランスは最も平然と自ら腰に麻繩《あさなわ》をまとう。最初に目ざめ、最後に眠る。まっすぐに前進する。実に一つの探求者である。
 それはフランスが芸術家だからである。
 理想は論理の頂点にほかならない。同様に、美は真なるものの頂にほかならない。芸術家たる民衆は、終始一貫する民衆である。美を愛することは光明を欲することである。それゆえに、ヨーロッパの炬火《たいまつ》は、換言すれば文化の炬火は、まずギリシャによって担《にな》われ、ギリシャはそれをイタリーに伝え、イタリーはそれをフランスに伝えた。光り輝く神聖なる民衆らよ! 彼らは生命のランプを人に伝う。
 賛美すべき事には、民衆の詩は民衆の進歩の要素である。文化の量は想像力の量によって測られる。ただし、文化の普及者たる民衆は強健なる民衆でなければならない。コリントはそうである。シバリスはそうでない。柔弱に陥るものは衰微する。愛好者であっても堪能者《たんのうしゃ》であってもいけない。ただ芸術家でなければならない。文化の事業においては、繊巧を事としてはいけない、ただ崇高を事としなければいけない。この条件において理想の雛型《ひながた》は人類に与えらるる。
 近代の理想は、その様式を芸術のうちに有し、その方法を科学のうちに有している。科学によってこそ、詩人の荘厳なる幻影すなわち社会的美は実現されるであろう。A+B によってこそ、エデンの園は再び作られるであろう。文化が到達し得た現在の地点においては、正確は光彩の必要な一要素である。芸術的情操は、ただに科学的機能によって助けらるるばかりでなく、またそれによって完成される。夢も計算の上に立たなければならない。勝利者である芸術も、徒歩者たる科学を支柱としなければならない。足場の強固さが大切である。近代の精神は、インドの天才を馬車とするギリシャの天才である、象の上に乗ったるアレクサンデルである。
 独断的信条のうちに化石しもしくは利得のために堕落したる人種は、文化の嚮導者《きょうどうしゃ》としては不適当である。偶像もしくは金銭の前に跪坐《きざ》することは、歩行の筋肉と前進の意志とを萎縮《いしゅく》させる。祭儀の業もしくは商売の業に没頭することは、民衆の光を減じ、その水準を低めながらその水平線を低め、世界の目標たる人間的なるとともに神的なる知力、諸国民をして伝教師的たらしむるの知力を、民衆から奪い去る。バビロンは理想を持たず、カルタゴは理想を持たない。アテネとローマとは、数世紀間の暗黒時代を通じてもなお、文化の円光を有し維持する。
 フランスはギリシャおよびイタリーと同質の民衆である。美によってアテネ的であり、偉大によってローマ的である。その上にまた仁侠《にんきょう》である。フランスは自己を惜しまない。他の民衆よりもしばしば、献身と犠牲との心を起こす。ただその心があるいはきたり、あるいは去るだけである。かくて、フランスがただ歩くことをしか欲しない時に走る者、もしくはフランスが立ち上がらんと欲する時に歩く者、彼らにとっての大なる危険が生ずる。フランスは時に唯物主義に陥る。ある瞬間においては、その崇高なる頭脳を満たす観念は、もはやフランスの偉大さを思わせるものを少しも持たず、ミズーリ州や南カロライナ州くらいの大きさしか持たない。いかんせん、巨人は侏儒《しゅじゅ》の役を演じ、広大なるフランスは好奇にも些事《さじ》を事とする。策の施しようはない。
 それに対しては何も言うことはない。恒星のごとき民衆にも時におのれを蝕《しょく》するの権利がある。ただ、光が再び現われさえすれば、日蝕が暗夜に終わりさえしなければ、すべてかまわない。曙《あけぼの》と再生とは同意義である。光の再現は自我の存続と同一である。
 これらの事実をそのまま認定しようではないか。防寨《ぼうさい》の上に死するも、もしくは亡命のうちに倒るるも、それは時の事情による一つの献身として是認さるる。献身の真の名は、公平無私ということである。見捨てらるる者らをして見捨てられしめよ、国を追わるる者らをして追われしめよ。吾人はただ、偉大なる民衆が退く時には、その後退のあまりに大ならざらんことを希望するに止めよう。再び理性に返り得るというのを口実にしてあまりに深く下降してはいけない。
 物質は存在し、一時は存在し、利益は存在し、腹は存在する。しかし腹が唯一の英知であってはいけない。一時の生命もその権利を持っている、吾人はそれを是認する。しかし恒久の生命もまたその権利を持っている。ただ悲しいかな、高く上っていてもなお墜落することがある。その事実は史上に余りあるほど数多ある。卓越して理想を味わってる国民も、次に泥を噛《か》んでそれを甘しとする。そしてソクラテスを捨ててフォルスタフを取る理由を尋ねらるる時、彼は答える、為政家を好むからであると。
 白兵戦の物語に戻る前、なお一言しておきたい。
 今われわれが物語ってるような戦いは、理想を求むる一つの痙攣《けいれん》にほかならない。束縛されたる進歩は病いを得て、かかる悲壮な癲癇《てんかん》の発作をなす。この進歩の病いに、内乱に、吾人は途中で出会わざるを得なかったのである。社会的永罰を受けたる人物を軸とし進歩[#「進歩」に傍点]を真の表題とするこの劇においては、それは幕中にまた幕間に必ずいできたるべき一局面である。
 進歩[#「進歩」に傍点]!
 吾人がしばしば発するこの叫びこそ、吾人の考えのすべてである。一編の劇がここまできた以上は、中に含まってる観念はなお多くの試練を受くべきものであるとしても、今吾人は、よしやその帷《とばり》をまったく掲げることは許されないまでも、少なくともその光を明らかに透かし見せることだけはおそらく許されるであろう。
 読者が今眼前にひらいている書物は、中断や例外の個所や欠点はあるとしても、初めから終わりまで、全体においても、局部においても、悪より善への、不正より正への、偽より真への、夜より昼への、欲望より良心への、枯朽より生命への、獣性より義務への、地獄より天への、無より神への、その行進である。出発点は物質であり、到着点は心霊である。怪蛇《かいだ》に始まり、天使に終わるのである。

     二十一 勇士

 突然、襲撃の太鼓が鳴り響いた。
 襲撃は台風のようだった。前夜|暗闇《くらやみ》の中では、兵士らは蟒蛇《うわばみ》のごとくひそかに防寨に押し寄せた。しかし今は、白日のうちで、そのうち開けた街路の中で、奇襲はまったく不可能だった。その上、強大な武力は明らかに示され、大砲は咆哮《ほうこう》し始めていた。それで軍隊は一挙に防寨におどりかかった。今は憤激もかえって妙手段であった。強力なる戦列歩兵の一縦隊が、一定の間を置いて徒歩の国民兵と市民兵とを交じえ、姿は見えないがただ足音だけが聞こえる群がり立った軍勢をうしろにひきつれて、街路のうちに襲歩で現われてき、太鼓を鳴らし、ラッパを吹き、銃剣を交差し、工兵を先頭に立て、弾丸の下に泰然として、壁の上に青銅の梁《はり》の落ちかかるような重さで、防寨めがけてまっすぐに進んできた。
 障壁はよく持ちこたえた。
 暴徒らは猛烈な銃火を開いた。敵からよじ登られる防寨は電光の鬣《たてがみ》をふりかぶったかと思われた。襲撃は狂猛をきわめて、防寨の表面は一時襲撃軍をもって満たされたほどだった。しかし防寨は、獅子《しし》が犬を振るい落とすように兵士らを振るい落とした。あたかも海辺の巌《いわお》が一時|泡沫《ほうまつ》におおわれるがように、襲撃軍におおわれてしまったが、一瞬間の後にはまた、そのつき立ったまっ黒な恐ろしい姿を現わした。
 退却を余儀なくされた縦列は街路に密集し、何らの掩護物《えんごぶつ》もなく恐るべきありさまで、角面堡《かくめんほう》に向かって猛射を浴びせた。仕掛け花火を見たことのある者は、花束と言わるる一束の交差した火花を記憶しているだろう。その花束を垂直でなしに横に置き、各火花の先に小銃弾や猟銃|霰弾《さんだん》やビスカイヤン銃弾があって、その房《ふさ》のような雷電の下に死を振るい出していると想像してみるがいい。防寨《ぼうさい》は実にそういう銃火の下にあった。
 両軍とも決意のほどは同じだった。その勇気はほとんど蛮的であって、まず自己犠牲より始まる壮烈な獰猛《どうもう》さを含んでいた。国民兵までもアルゼリア歩兵のごとく勇敢に戦う時代だった。軍隊の方は一挙に敵を屠《ほふ》らんと欲し、反乱の方はあくまで戦わんと欲していた。青春と健全とのさなかにおいて死の苦痛を甘受する精神は、勇敢をして熱狂たらしむる。その白兵戦のうちに各人が掉尾《とうび》の勇を振った。街路には死屍《しかばね》が累々と横たわった。
 防寨には、一端にアンジョーラがおり、他の一端にマリユスがいた。全防寨を頭のうちに担《にな》ってるアンジョーラは最後まで身を保とうとして潜んでいた。三人の兵士が、彼の姿も見ないで彼の狭間《はざま》に相次いで倒れた。マリユスは身をさらして戦っていた。彼は自《おのずか》ら敵の目標となった。角面堡《かくめんほう》の上から半身以上を乗り出していた。感情を奔放さした吝嗇家《りんしょくか》ほど激しい浪費をなすものはなく、夢想家ほど実行において恐ろしいものはない。マリユスは猛烈でありまた専心であった。彼は夢の中にあるようにして戦いの中にいた。あたかも幽霊が射撃をしてるのかと思われた。
 防御軍の弾薬は尽きかかっていたが、その風刺は尽きなかった。墳墓の旋風のうちに立ちながら彼らは笑っていた。
 クールフェーラックは帽子をかぶっていなかった。
「帽子をいったいどうした。」とボシュエは彼に尋ねた。
 クールフェーラックは答えた。
「奴《やつ》らが大砲の弾で飛ばしてしまった。」
 あるいはまた昂然《こうぜん》たる言葉をも彼らは発していた。
「わけがわからない、」とフイイーは苦々《にがにが》しげに叫んだ、「彼等は、(そしてフイイーは、旧軍隊のうちの知名な人や高名な人など、若干の名前を一々あげた、)われわれに加わると約束し、われわれを助けると誓い、名誉にかけて明言し、しかもわれわれの将たるべき者でありながら、われわれを見捨てるのか!」
 それに対してコンブフェールは、落ち着いた微笑をしながらただこう答えた。
「世間には、星をながむるようにただ遠方から名誉の法則を観測する者もあるさ。」
 防寨《ぼうさい》の中は、こわれた薬莢《やっきょう》が播《ま》き散らされて、雪でも降ったようだった。
 襲撃軍には数の利があり、反軍には地の利があった。反徒らは城壁の上に拠《よ》っていて、死体や負傷者らの間につまずき急斜面に足を取られてる兵士らを、ねらい打ちに薙《な》ぎ倒した。前に述べたような築き方をして巧妙に固められてるその防寨は、一握の兵をもって一軍をも敗走させ得る地の利を実際有していた。けれども襲撃隊は、絶えず援兵を受けて弾丸の雨下する下にもますます数を増し、いかんともすべからざる勢いで寄せてきた。そして今や少しずつ、一歩一歩、しかも確実に防寨に迫ってきて、あたかも螺旋《らせん》が圧搾器をしめつけるようなものだった。
 襲撃は相次いで行なわれた。危険は刻々に増していった。
 その時、この舗石《しきいし》の上において、このシャンヴルリー街のうちにおいて、トロイの城壁にもふさわしい争闘が起こった。憔悴《しょうすい》しぼろをまとい疲れ切ってる防寨の人々は、二十四時間の間一食もせず、一睡もせず、余すところは数発の弾のみとなり、ポケットを探っても弾薬はなく、ほとんど全員傷を受け、黒くよごれた布片で頭や腕をまき、着物には穴があいてそこから血が流れ、武器としては悪い銃と古い鈍ったサーベルにすぎなかったが、しかもタイタン族のように巨大となったのである。防寨《ぼうさい》は十回の余りも攻め寄せられ、襲撃され、よじ登られたが、決して陥落はしなかった。
 この争闘のおおよそのありさまを知らんとするならば、恐ろしい勇気の堆積に火をつけ、その燃え上がるのを見ると思えば大差はない。戦いではなくて火炉の内部であった。口は炎の息を出し、顔は異様な様《さま》に変わり、人間の形が保たれることはできないかのようで、戦士らは皆燃え上がっていた。そして白兵戦の火坑精らがそのまっかな煙の中に行ききするのは、見るも恐ろしい光景だった。その壮大なる殺戮《さつりく》が相次いで各所に起こる光景をここに描写することはやめよう。一戦闘をもって一万二千の句を満たす(訳者注 イリヤードのごとく)の権利は、ただ叙事詩のみが有するのである。
 十七の奈落《ならく》のうちの最も恐るべきもので、吠陀《ヴェダ》の中で剣葉林と呼ばれてるあのバラモン教の地獄のありさまも、かくやと思われるほどだった。
 彼らは敵を間近に引き受け、ピストルやサーベルや拳固《げんこ》で接戦し、遠くから、近くから、上から、下から、至る所から、人家の屋根から、居酒屋の窓から、またある者は窖《あなぐら》にすべり込んでその風窓から、戦った。ひとりをもって六十人を相手とした。コラント亭の正面は半ば破壊されて、見る影もなくなった。窓は霰弾《さんだん》を打ち込まれて、ガラスも窓縁もなく、舗石《しきいし》でむちゃくちゃにふさがれてるぶかっこうな穴に過ぎなくなった。ボシュエは殺され、フイイーは殺され、クールフェーラックは殺され、ジョリーは殺され、コンブフェールはひとりの負傷兵を引き起こそうとするせつな、三本の銃剣で胸を貫かれ、わずかに空を仰いだだけで息絶えた。
 マリユスはなお戦っていたが、全身傷におおわれ、ことに頭部がはなはだしく、顔は血潮の下に見えなくなり、あたかもまっかなハンカチを顔にかぶせたがようだった。
 アンジョーラひとりはどこにも傷を受けなかった。武器がなくなった時、左右に手を伸ばして何かをつかみ取ろうとすると、ひとりの暴徒が彼の手に刃物の一片を渡してくれた。マリニャーノの戦いにフランソア一世は三本の剣を使ったが、彼は実に四本の剣を使いつくして、今やその折れた一片を手にしてるのみだった。
 ホメロスは言う。「ディオメーデは、麗しきアリスバの地に住みけるテウトラニスの子アクシロスを屠《ほふ》り、メシステウスの子エウリアルスは、ドレソス、オフェルチオス、エセポス、および河神アバルバレアが一点の非もなきブコリオンの種を宿して産めるペダソスを討ち取り、オデュッセウスはペルコーテのピヂテスを仆《たお》し、アンチロクスはアブレロスを仆し、ポリペテスはアチスアロスを仆し、ポリダマスはシレネのオトスを仆し、テウセルはアレタオンを仆しぬ。メガンチオスはエウリピロスの槍《やり》の下に死しぬ。英雄の王たるアガメムノンは、轟々《ごうごう》たるサトニオの大河に洗わるる峻嶮《しゅんけん》なる都市に生まれたるエラトスを打ち倒しぬ。」フランスの古き武勲詩ゼストの中においては、塔を引き抜いて投げつけながら身をまもる巨人スワンティボール侯を、エスプランディアンは両刃の炎をもって攻撃した。フランスの古い壁画の示すところによれば、ブルターニュ公とブールボン公とは、武装し紋章をつけ戦いのしるしをつけ、馬にまたがり、鉞《まさかり》を手にし、鉄の面と鉄の靴《くつ》と鉄の手袋をつけ、一つは黄色の馬飾りを施し、一つは藍色《あいいろ》の馬衣を置いて、互いに相|見《まみ》えた。ブルターニュ公は兜《かぶと》の両角の間に獅子《しし》の記章をつけ、ブールボン公は兜の目庇《まびさし》に大きな百合《ゆり》の記章をつけていた。しかし雄壮たらんがためには、イヴォンのごとく公爵の兜をかぶるの要はなく、エスプランディアンのごとく[#「ごとく」は底本では「ごく」]生ける炎を手に握るの要はなく、ポリダマスの父フィレスのごとく人間の王エウフェテスから贈られたる美しい甲冑《かっちゅう》をエフィレより持ち帰るの要はない。ただ一つの確信もしくは一つの忠誠のために身をささぐれば足りる。昨日まではボースやリムーザンの農夫であり、今日はリュクサンブールの園のかわいい子供らのまわりに短い剣を腰に下げてぶらついてる、あの素朴なる可憐な兵士、解剖体の一片や一冊の書物の上に背をかがめ、あるいは鋏《はさみ》で髯《ひげ》をつんでいる、あの金髪《きんぱつ》蒼顔《そうがん》なる若い学生、彼ら両者をとらえて、義務の息吹《いぶき》を少し吹き込み、ブーシュラー四つ辻《つじ》やプランシュ・ミブレー袋町で向かい合って立たしめ、そして一方は軍旗のために戦い、一方は理想のために戦い、両者共に祖国のために戦ってるのだと想わしむるならば、その争闘は巨大なものとなるであろう。かくて、人類がもがいてる叙事詩的な大野において、相争う一介の兵士と一介の学生とが投ずる影は、猛虎《もうこ》に満ちたリシアの王メガルヨンと諸神に等しい偉大なるアジァクスとが、相格闘しながら投ずる影に、匹敵することができるであろう。

     二十二 接戦

 生き残ってる首領としてはただ防寨《ぼうさい》の両端に立ってるアンジョーラとマリユスとの二人のみになった時、クールフェーラックとジョリーとボシュエとフイイーとコンブフェールとが長くささえていた中央部は、彼らの戦死とともに撓《たわ》んできた。大砲は都合よい裂け目を作ることはできなかったけれども、角面堡《かくめんほう》の中央を三日月形にかなり広く破壊した。その障壁の頂は砲弾の下に飛び散って崩れた。そしてあるいは内部にあるいは外部に落ち散った破片は、しだいに積もりながら、障壁の両側に、内部と外部とに、二つの斜面をこしらえてしまった。外部の斜面は突入に便利な傾斜を与えた。
 力をきわめた襲撃がその点に向かって試みられた。それは成功した。一面に銃剣を逆立て襲歩で進んできた集団は、不可抗な力をもって寄せてき、襲撃縦隊の密集した先頭は、斜面の上に硝煙《しょうえん》の中から現われてきた。こんどはもはや最後であった。中央を防いでいた一群の暴徒は列を乱して退却した。
 その時、おのれの生命を愛する暗い心はある者のうちに目ざめてきた。森林のごとく立ち並んだ小銃からねらい打ちにされながら、数多の者はもう死ぬことを欲しなかった。自己保存の本能がうなり出し獣性が人間のうちに再び現われてくる瞬間である。彼らは角面堡《かくめんほう》の背面をなす七階建ての高い人家の方へ押しつけられていた。その家は彼らを救うものともなり得るのだった。それはすっかり締め切られて、上から下まで障壁をめぐらされたようなありさまだった。兵士らが角面堡の内部にはいり込むまでには、一つの戸が開いてまた閉じるだけの時間はあった。それには電光の一閃《いっせん》ほどの間で足りた。突然少しばかり開いてまたすぐに閉ざさるるその家の戸は、それら絶望の人々にとっては生命となるのだった。家のうしろには街路があり、逃走も可能であり、余地があった。彼らはその戸を、銃床尾でたたき足で蹴《け》り、呼び、叫び、懇願し、手を合わした。しかしだれもそれを開く者はなかった。四階の軒窓からは、死人の頭が彼らをながめていた。
 しかしアンジョーラとマリユスと七、八人の者は、彼らのまわりに列を作り、挺身《ていしん》して彼らを保護していた。アンジョーラは兵士らに叫んだ、「出て来るな!」そして一将校がその言に従わなかったので、アンジョーラはその将校を仆《たお》してしまった。彼は今や角面堡の内部の小さな中庭で、コラント亭を背にし、一方の手に剣を握り、一方の手にカラビン銃を取り、襲撃者らを食い止めながら、居酒屋の戸を開いていた。彼は絶望の人々に叫んだ。「開いてる戸は一つきりだ、こればかりだ。」そして身をもって彼らをおおい、ひとりで一隊の軍勢に立ち向かいながら、背後から彼らを通さした。彼らは皆そこに走り込んだ。アンジョーラはカラビン銃を杖《つえ》のように振り回し、棒術でいわゆる隠れ薔薇《ばら》と称する使い方をして、左右と前とに差しつけられる銃剣を打ち落とし、そして最後にはいった。兵士らは続いて侵入せんとし、暴徒らは戸を閉ざさんとし、一瞬間恐ろしい光景を呈した。戸は非常な勢いで閉ざされて戸口の中に嵌《はま》り込みながら、しがみついていた一兵士の五本の指を切り取り、そのままそれを戸の縁に膠着《こうちゃく》さした。
 マリユスは外に残されていた。一発の弾を鎖骨に受けたのである。彼は気が遠くなって倒れかかるのを感じた。その時彼は既に眼を閉じていたが、強い手につかみ取らるるような感じを受け、気を失って我を忘れる前にちらと、コゼットのことが最後に思い出され、それとともにこういう考えが浮かんだ、「捕虜となった、銃殺されるのだ。」
 アンジョーラは居酒屋の中に逃げ込んだ人々のうちマリユスがいないのを見て、同じ考えをいだいた。しかし彼らは皆、自分の死を考えるだけの余裕しかないような瞬間にあった。アンジョーラは戸に横木を入れ、※[#「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37]《かけがね》をし、錠前と海老錠《えびじょう》との二重の締まりをした。その間も、兵士らは銃床尾で工兵らは斧《おの》で、外部から激しく戸をたたいていた。襲撃者らはその戸めがけて集まっていた。今や居酒屋の包囲攻撃が始まった。
 兵士らは憤怒に満ちていたことを、ここに言っておかなければならない。
 砲兵軍曹の死は彼らを激昂《げっこう》さした。次に、いっそういけなかったことには、襲撃に先立つ数時間のうちに、暴徒らは捕虜をすべて虐殺し現に居酒屋の中には頭のない一兵士の死体があるという噂《うわさ》が、彼らの間に言いふらされた。この種の痛ましい風説は、たいてい内乱に伴うものであって、後にトランスノナン街の惨劇を惹起《じゃっき》さしたのは、かかる誤報のゆえであった。
 戸の防備ができた時、アンジョーラは他の者らに言った。
「生命を高価に売りつけてやろうよ。」
 それから彼はマブーフとガヴローシュが横たわってるテーブルに近づいた。喪布の下には、まっすぐな硬《こわ》ばった姿が大きいのと小さいのと二つ見えており、二つの顔は経帷子《きょうかたびら》の冷ややかな襞《ひだ》の下にぼんやり浮き出していた。喪布の下から一本の手が出て下にたれていた。それは老人の手であった。
 アンジョーラは身をかがめて、前日その額に脣《くちびる》をあてたように、その尊むべき手に脣をあてた。
 それは彼が生涯のうちにした唯一の二度の脣《くち》づけだった。
 さて話を簡単に進めよう。防寨《ぼうさい》はテーベの市門のごとく戦ったが、居酒屋はサラゴサの人家のように戦った。かかる抵抗は執拗《しつよう》である。身を休むる陣営もなく、軍使を出すことも不可能である。敵を殺す以上は皆死を欲する。シューシェが「降伏せよ」と言う時に、パラフォクスは答える、「弾丸の戦いの後には刃物の戦いのみだ。」(訳者注 一八〇九年サラゴサの攻囲の折のこと)ユシュルー居酒屋の襲撃にはあらゆるものが交じっていた。舗石《しきいし》は窓や屋根から雨のごとく降り、兵士らはそれにたたきつぶされつつ激昂した。窖《あなぐら》や屋根裏から銃弾が飛んだ。攻撃は猛烈であり、防御は激烈であった。最後に、戸が破れた時には、鏖殺《みなごろし》の狂猛な蛮行が演ぜられた。襲撃者らはこわされて床《ゆか》に投げ出された戸の板に足を取られながら、居酒屋の中に突入したが、そこにはひとりの敵もいなかった。螺旋状《らせんじょう》の階段は斧《おの》に断ち切られて室《へや》のまんなかに横たわっており、数人の負傷者らは既に息絶えており、生命のある者は皆二階に上がっていた。階段の入口だったその天井の穴から、恐怖すべき銃火が爆発した。それは最後の弾薬であった。その弾薬が尽きた時、瀕死《ひんし》の苦しみのうちにある恐ろしい彼らに火薬も弾もなくなった時、前に述べたとおりアンジョーラが取って置かした壜《びん》を各自に二本ずつ取り上げ、そのこわれやすい棍棒《こんぼう》をもって上がってくる兵士らに対抗した。それは葡萄酒《ぶどうしゅ》ではなく硝酸《しょうさん》の壜だった。われわれはここに、その殺戮《さつりく》の陰惨な光景をありのまま語っているのである。包囲された者はあらゆる物を武器となす。水中燃焼物もアルキメデスの名を汚すものではなく、沸騰せる瀝青《チャン》もバイヤールの名を汚すものではない。戦争はすべて恐怖であり、武器を選ぶの暇はない。襲撃者らの銃火は不自由でかつ下から上に向かってなされるものではあったが、しかも多くの殺傷を与えた。天井の穴の縁は、間もなく死者の頭にかこまれ、それから煙を立てる長いまっかな糸がしたたった。混乱は名状すべからざるありさまだった。家の中に閉じこめられた燃ゆるがような煙は、この戦闘の上をほとんど暗夜のようにおおっていた。戦慄《せんりつ》すべき光景もこの程度に達すれば、それを現わす言葉はない。今や地獄の中のようなこの争闘のうちには、もはや人間はいなかった。もはや巨人と巨獣との戦いでもなかった。ホメロスの語るところよりもミルトンやダンテの語るところにいっそう似てるものだった。悪魔が攻撃し幽鬼が抵抗したのである。
 それは怪物的な壮烈さであった。

     二十三 断食者と酩酊者《めいていしゃ》とのふたりの友

 ついに、短い梯子《はしご》を作り、階段の残骸《ざんがい》をたよりとし、壁を攀《よ》じ、天井に取りつき、引き戸の縁で抵抗する最後の者らを薙《な》ぎ払いながら、戦列兵と国民兵と市民兵とが入り交じってる二十人ばかりの襲撃者は、その恐ろしい登攀《とうはん》のうちに大部分は顔の形もわからないまでに傷を受け、血潮のために目も見えなくなり、憤激し、凶猛となって、二階の広間に侵入した。そこには、立ってる者はただひとりにすぎなかった。それはアンジョーラだった。弾薬もなく、剣もなく、入り来る者らの頭をなぐって床尾をこわしたカラビン銃の銃身を手にしてるのみだった。彼は襲撃者らを球突台《たまつきだい》で隔て、室《へや》の片すみに退き、そこで眦《まなじり》を決し、昂然《こうぜん》と頭を上げ、筒先ばかりの銃を手にして立っていたが、その姿はなお敵に不安を与え、周囲には空地が残されてだれも近づく者はなかった。ある者が叫んだ。
「これが首領だ。砲手を殺したのもこの男だ。そこに立ってるのはちょうどいい。そのままでいろ。すぐ銃殺してやる。」
「打て。」とアンジョーラは言った。
 そしてカラビン銃の断片を投げすて、腕を組んで、胸を差し出した。
 みごとな死を遂げる豪胆さは、常に人を感動させるものである。アンジョーラが腕を組んで最期を甘受するや、室の中の争闘の響きはやみ、その混乱はたちまち墳墓のごとき厳粛さに静まり返った。武器をすてて身動きもせずに立ってるアンジョーラの威風は、騒擾《そうじょう》を押さえつけてしまったかと思われた。ただひとり一個所の傷も負わず、崇高な姿で、血にまみれ、麗しい顔をし、不死身なるかのように平然としているこの青年は、その落ち着いた一瞥《いちべつ》の威厳のみで既に、ものすごい一群の者らをして、彼を殺すに当たって尊敬の念を起こさしめるかと思われた。彼の美貌《びぼう》は、その瞬間|矜持《きょうじ》の念にいっそう麗しくなって、光り輝いていた。そして負傷を知らないとともに疲労をも知らない身であるかのように、恐るべき二十四時間を経きたった後にもなお、その面《おもて》は鮮《あざや》かな薔薇色《ばらいろ》をしていた。一証人が、その後軍法会議の前で、「アポロンと呼ばるるひとりの暴徒がいた」と語ったのは、たぶん彼のことを言ったのであろう。アンジョーラをねらっていたひとりの国民兵は、銃をおろしながら言った、「花を打つような気がする。」
 十二人の者が、アンジョーラと反対の一隅《いちぐう》に並び、沈黙のうちに銃を整えた。
 それから一人の軍曹が叫んだ、「ねらえ。」
 ひとりの将校がそれをさえぎった。
「待て。」
 そして将校はアンジョーラに言葉をかけた。
「目を隠すことは望まないか。」
「いや。」
「砲兵軍曹を殺したのは君か。」
「そうだ。」
 その少し前にグランテールは目をさましていた。
 読者の記憶するとおりグランテールは、前日から二階の広間で、椅子《いす》にすわりテーブルによりかかって眠っていたのだった。
 彼は「死ぬほどに酔う」という古いたとえを充分に実現していた。アブサントとスタウトとアルコールの強烈な眠り薬は、彼を昏睡《こんすい》におとしいれた。彼がよりかかってるテーブルは小さくて、防寨《ぼうさい》の役には立たなかったので、そのままにされていた。彼はそのテーブルの上に胸をかがめ、両腕にぐったり頭を押しつけ、杯やコップや壜《びん》にとりまかれて、常に同じ姿勢のままでいた。蟄伏《ちっぷく》してる熊や血を吸いきった蛭《ひる》のように、圧倒し来る睡魔に襲われていた。小銃の音も、榴弾《りゅうだん》の響きも、窓から室《へや》にはいってくる霰弾《さんだん》も、襲撃の非常な喧騒《けんそう》も、何一つとして効果のあるものはなかった。ただ彼は時々、鼾《いびき》の声で大砲の響きに答えるのみだった。あたかも目をさます手数なしにそのまま殺してくれる弾をそこで待ってるようだった。まわりには数名の死骸が横たわっていた。一見したところでは、それら深い永眠に陥ってる者と何らの区別もなかった。
 物音は泥酔者《でいすいしゃ》をさますものではない。泥酔者をさますのは静寂の方である。そういう不思議はしばしば見らるるところである。あらゆるものが崩落する周囲の物音は、グランテールの我を忘れた眠りをますます深くした。物の崩壊は彼を気持ちよくゆすってくれた。しかるにアンジョーラの前に喧騒が急にやんだことは、その重い眠りに対する激動だった。それは全速力で走ってる馬車がにわかに止まったようなもので、馬車の中にうとうとと居眠ってる者は目をさます。グランテールはびっくりして身を起こし、両腕を伸ばし、眼を擦《こす》り、あたりをながめ、欠伸《あくび》をし、そしていっさいを了解した。
 酔いのさめるのは、幕を切って落とすに似ている。人は一瞥《いちべつ》で一つかみに、酩酊《めいてい》が隠していたすべてを見て取る。万事が突然記憶に浮かんでくる。二十四時間の間に起こったことを少しも知らないでいる酔漢も、眼瞼《まぶた》を開くか開かないうちに事情を了解する。すべての観念は急に明るくなって蘇ってくる。酩酊《めいてい》の曇りは、頭脳を盲目になしていた一種の煙は、たちまち晴れて、明るい明瞭な現実の姿に地位を譲る。
 グランテールは片すみに押しやられ、球突台《たまつきだい》のうしろに隠れたようになっていたので、アンジョーラの上に目を据えていた兵士らは、少しも彼に気づかなかった。そして軍曹が「ねらえ」という命令を再び下そうとした時、突然兵士らの耳に、傍から強い叫び声が響いた。
「共和万歳! 吾輩《わがはい》もそのひとりだ。」
 グランテールは立ち上がっていた。
 参加しそこなって仲間にはいることができなかった全戦闘の燦然《さんぜん》たる光は、様子を変えたこの酔漢の輝く目の中に現われた。
 彼は「共和万歳!」と繰り返し、しっかりした足取りで室《へや》を横ぎり、アンジョーラの傍に立って銃口の前に身を置いた。
「一打ちでわれわれふたりを倒してみろ。」と彼は言った。
 そして静かにアンジョーラの方を向いて言った。
「承知してくれるか。」
 アンジョーラは微笑しながら彼の手を握った。
 その微笑が終わらぬうちに、発射の音が響いた。
 アンジョーラは八発の弾に貫かれ、あたかも弾で釘付《くぎづ》けにされたかのように壁によりかかったままだった。ただ頭をたれた。
 グランテールは雷に打たれたようになって、その足下に倒れた。
 それから間もなく兵士らは、家の上層に逃げ上がってる残りの暴徒らを駆逐しにかかった。彼らは本格子《ほんこうし》の間から屋根部屋の中に弾を打ち込んだ。屋根裏で戦いが始まった。死体は窓から投げ出されたが、中にはまだ生きてる者もあった。こわれた乗り合い馬車を起こそうとしていた軽歩兵のうちふたりは、屋根裏の窓から発射された二発のカラビン銃に仆《たお》された。労働服をつけたひとりの男は、腹に銃剣の一撃を受けて、その窓から投げ出され、地上に横たわって最後の呻《うめ》きを発した。ひとりの兵士とひとりの暴徒とは、瓦屋根の斜面の上にいっしょにすべり、互いにつかみ合った手を離さなかったので、獰猛《どうもう》な抱擁のまま地上にころげ落ちた。窖《あなぐら》の中でも同じような争闘が行なわれた。叫喚、射撃、猛烈な蹂躙《じゅうりん》、次いで沈黙が落ちてきた。防寨《ぼうさい》は占領されていた。
 兵士らは付近の人家を捜索し、逃走者を追撃し始めた。

     二十四 捕虜

 マリユスは実際捕虜になっていた。ジャン・ヴァルジャンの捕虜になっていた。
 倒れかかった時うしろから彼をとらえた手、意識を失いながらつかまれるのを彼が感じた手は、ジャン・ヴァルジャンの手であった。
 ジャン・ヴァルジャンはただそこに身をさらしてるというほかには、少しも戦闘に加わらなかった。しかし彼がもしいなかったならば、その最後の危急の場合において、だれも負傷者らのことを考えてくれる者はなかったろう。幸いにして、天恵のごとくその殺戮中の至る所に身を現わす彼がいたために、倒れた者らは引き起こされ、下の室《へや》に運ばれ、手当てをされた。間を置いて彼は常に防寨の中に現われてきた。しかし打撃や襲撃や、また一身の防御さえも、彼の手では少しもなされなかった。彼は黙々として人を救っていた。その上、彼はただわずかな擦過傷《かすりきず》を受けたのみだった。弾は彼にあたることを欲しなかった。彼がこの墳墓の中にきながら夢想していたものの一部が、もし自殺であったとしたならば、その点では彼はまったく不成功に終わった。しかし宗教に反する行ないたる自殺を彼が頭に浮かべていたかどうかは、われわれの疑いとするところである。
 ジャン・ヴァルジャンは濃い戦雲の中でマリユスを見るような様子はしていなかった。しかし実際は、マリユスから目を離さなかった。一発の弾がマリユスを倒した時、ジャン・ヴァルジャンは虎《とら》のごとく敏活に飛んでゆき、獲物につかみかかるように彼の上に飛びかかり、そして彼を運び去った。
 その時襲撃の旋風は、アンジョーラと居酒屋の戸口とを中心として猛烈をきわめていたので、気を失ってるマリユスを腕にかかえ、防寨《ぼうさい》の中の舗石《しきいし》のない空地を横ぎり、コラント亭の角《かど》の向こうに身を隠したジャン・ヴァルジャンの姿を、目に止めた者はひとりもなかった。
 岬《みさき》のように街路につき出ているその角の事を、読者は覚えているだろう。それにさえぎられて数尺の四角な地面は、銃弾も霰弾《さんだん》もまた人の視線をも免れていた。時としては、火災のまんなかにあって少しも焼けていない室《へや》があり、また荒れ狂ってる海の中にあって、岬の手前か袋のような暗礁の中に、少しの静穏な一隅《いちぐう》がある。エポニーヌが最後の息を引き取ったのも、防寨の四角な内部のうちにあるそういうすみにおいてであった。
 そこまで行って、ジャン・ヴァルジャンは立ち止まり、マリユスを地上におろし、壁に背を寄せて周囲を見回した。
 情況は危急をきわめていた。
 一瞬の間は、おそらく二、三分の間は、その一面の壁に身を隠すことができた。しかしこの殺戮《さつりく》の場所からどうして出たらいいか? 八年前ポロンソー街でなした苦心と、ついにそこを脱し得た方法とを、彼は思い出した。それはあの時非常に困難なことだったが、今はまったく不可能なことだった。前面には、七階建てのびくともしない聾《つんぼ》のような家があって、その窓によりかかってる死人のほかには住む人もないかのように見えていた。右手には、プティート・トリュアンドリーの方をふさいでるかなり低い防寨《ぼうさい》があった。その障壁をまたぎ越すのはわけはなさそうだったが、しかしその頂の上から、一列の銃剣の先が見えていた。防寨の向こうに配備されて待ち受けてる戦列歩兵の分隊だった。明らかに、その防寨を越すことはわざわざ銃火を受けに行くようなものであり、その舗石《しきいし》の壁の上からのぞき出す頭は、六十梃《ろくじっちょう》の銃火の的となるのだった。左手には戦場があった。壁の角の向こうには死が控えていた。
 どうしたらよいか?
 そこから脱し得るのはおそらく鳥のみであろう。
 しかも、直ちに方法を定め、工夫をめぐらし、決心を堅めなければならなかった。数歩先の所で戦いは行なわれていた。幸いなことには、ただ一点に、居酒屋の戸口に向かってのみ、すべての者が飛びかかっていた。しかし、ひとりの兵士が、ただひとりでも、家を回ろうという考えを起こすか、あるいは側面から攻撃しようという考えを起こしたならば、万事休するのだった。
 ジャン・ヴァルジャンは正面の家をながめ、傍の防寨をながめ、次には、狂乱の体になってせっぱつまった猛烈さで地面をながめ、あたかもおのれの目でそこに穴を明けようとしてるかと思われた。
 ながめてるうちに、深い心痛のうちにも漠然《ばくぜん》と認めらるる何かが浮き出してきて、彼の足下に一定の形を取って現われた。あたかも目の力でそこに望む物を作り出したかのようだった。すなわち数歩先の所に、外部からきびしく監視され待ち受けられてる小さな防寨《ぼうさい》の根本に、積まれた舗石《しきいし》の乱れてる下に半ば隠されて、地面と水平に平たく置かれてる鉄格子《てつごうし》を、彼は見つけたのである。その格子は、丈夫な鉄の棒を横に渡して作られたもので、二尺四方くらいの大きさだった。それを堅めてる周囲の舗石がめくられたので、錠をはずされたようになっていた。鉄棒の間からは、煖炉の煙筒か水槽の管のような暗い穴が見えていた。ジャン・ヴァルジャンは飛んでいった。昔の脱走の知識が、電光のように彼の頭に上がってきた。上に重なってる舗石をはねのけ、鉄格子を引き上げ、死体のようにぐったりとなってるマリユスを肩にかつぎ、背中にその重荷をつけたまま、肱《ひじ》と膝《ひざ》との力によって、幸いにもあまり深くない井戸のようなその穴の中におりてゆき、頭の上に重い鉄の蓋《ふた》をおろし、その上にまた揺らいでる舗石を自然にくずれ落ちてこさせ、地下三メートルの所にある舗石の面に足をおろすこと、それだけのことを彼は、あたかも狂乱のうちになすかのように、巨人の力と鷲《わし》の迅速《じんそく》さとをもってなし遂げた。わずかに数分間を費やしたのみだった。
 かくてジャン・ヴァルジャンは、まだ気を失ってるマリユスと共に、地下の長い廊下みたいなものの中に出た。
 そこは、深い静穏、まったくの沈黙、闇夜《やみよ》のみであった。
 昔街路から修道院の中に落ちこんだ時に感じた印象が、彼の頭に浮かんできた。ただ、彼が今になっているのは、コゼットではなくてマリユスであった。
 襲撃を受けてる居酒屋の恐ろしい騒擾《そうじょう》の響きも、今や漠然《ばくぜん》たるつぶやきの声のように、かすかに頭の上方に聞こえるきりだった。
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     第二編 怪物の腸

     一 海のために痩《や》する土地

 パリーは年に二千五百万フランの金を水に投じている、しかもこれは比喩《ひゆ》ではない。いかにしてまたいかなる方法でか? 否昼夜の別なく常になされている。いかなる目的でか? 否何の目的もない。いかなる考えでか? 否何という考えもない。何ゆえにか? 否理由はない。いかなる機関によってか? その腸によってである。腸とは何であるか? 曰《いわ》く、下水道。
 二千五百万という金額は、その方面の専門科学によって見積もられた概算のうちの最も低い額である。
 科学は長い探究の後、およそ肥料中最も豊かな最も有効なのは人間から出る肥料であることを、今日認めている。恥ずかしいことであるが、われわれヨーロッパ人よりも先に支那人はそれを知っていた。エッケベルク氏の語るところによれば、支那の農夫で都市に行く者は皆、われわれが汚穢《おわい》と称するところのものを二つの桶《おけ》にいっぱい入れ、それを竹竿《たけざお》の両端に下げて持ち帰るということである。人間から出る肥料のお陰で、支那の土地は今日なおアブラハム時代のように若々しい。支那では小麦が、種を一粒|蒔《ま》けば百二十粒得らるる。いかなる海鳥糞《かいちょうふん》も、その肥沃《ひよく》さにおいては都市の残滓《ざんさい》に比すべくもない。大都市は排泄物《はいせつぶつ》を作るに最も偉大なものである。都市を用いて平野を肥《こや》すならば、確かに成功をもたらすだろう。もしわれわれの黄金が肥料であるとするならば、逆に、われわれの出す肥料は黄金である。
 この肥料の黄金を人はどうしているか? 深淵《しんえん》のうちに掃きすてているのである。
 多くの船隊は莫大《ばくだい》な費用をかけて、海燕やペンギンの糞《ふん》を採りに、南極地方へ送り出される。しかるに手もとにある無限の資料は海に捨てられている。世間が失っている人間や動物から出るあらゆる肥料を、水に投じないで土地に与えるならば、それは世界を養うに足りるであろう。
 標石のすみに積まれてる不潔物、夜の街路を通りゆく泥濘《でいねい》の箱車、塵芥《ごみ》捨て場のきたない樽《たる》、鋪石《しきいし》に隠されてる地下の臭い汚泥《おでい》の流れ、それらは何であるか? 花咲く牧場であり、緑の草であり、百里香や麝香草《じゃこうそう》や鼠尾草《たむらそう》であり、小鳥であり、家畜であり、夕方満足の声を立てる大きな牛であり、かおり高い秣《まぐさ》であり、金色の麦であり、食卓の上のパンであり、人の血管を流るるあたたかい血液であり、健康であり、喜悦であり、生命である。地にあっては諸《もろもろ》の形に現われ、天にあっては諸の象《すがた》に現われる、神秘な創造は、そうであらんことを望んでいる。
 それを取って大なる坩堝《るつぼ》に入るれば、人の豊かなる滋養が流れ出る。平野の養分は人間の養いとなる。
 人はかかる富をすてるも自由であり、また吾人のこの意見を笑うも自由である。しかしそれはかえって大なる無知を表明するにすぎないであろう。
 統計によれば、フランス一国のみにて毎年約五億フランの金を、各河口から大西洋に注ぎ込んでいるという。見よ、五億の金があれば歳費の四分の一を払い得るではないか。人間の知恵は、その五億を喜んで溝《どぶ》の中に厄介払いしている。しかもそれは民衆の滋養分であって、それを初めは一滴一滴と下水道から川に吐き出し、ついには滔々《とうとう》と川から大洋に吐き出している。下水の一流しは千フランをむだにしている。そこから二つの結果が生ずる、すなわち痩瘠《そうせき》した土地と有毒な水と。飢餓は田地からきたり、疫病《しっぺい》は川から来る。
 たとえば、現在テームス川がロンドンを毒しつつあることは、顕著な事実である。
 パリーについて言えば、最近下水道の大部分は、下流の方の最後の橋下に移さねばならなかった。
 弁と疏通堰《そつうせき》とを備えて吸い取りまた吐き出す二重管の装置は、人の肺臓のように簡単な初歩の疏水の方法であって、既にイギリスの多くの村では充分に行なわれてることであるが、それを設けるだけでも、フランスにおいて、田野の清水を都市に導き都市の肥沃な水を田野に送るには充分であろう。そしてごく簡単で容易なその交換は今日捨てられつつある五億の金を回収するであろう。しかるに人はまるで別なことを考えている。
 現在の方法は、よくするつもりでかえって悪いことをしている。意向はよいが、結果は哀れである。都市を清潔にするつもりで、実は住民を萎靡《いび》さしている。下水道は誤った考えである。取るものをまた戻すという二重の働きをする疏水工事が、ただ洗い清めるだけでかえって貧弱ならしむる下水道の代わりに、いたる所に設けらるるならば、その時こそ、新しい社会経済の効果と相伴って、土地の産物は十倍にもなり、貧苦の問題は著しく軽減されるだろう。その上に寄食の排除をもってすれば、問題はまったく解決されるだろう。
 しかしそれまでは、公衆の富は川に流れ去り、漏泄《ろうえい》が行なわれる。漏泄とはちょうど適した言葉である。ヨーロッパはかくのごとくして疲弊のうちに滅びてゆく。
 フランスについては、損失額は上に述べたとおりである。しかるに、パリーはフランス全人口の二十五分の一を有し、パリー市の糞《ふん》は最上とされているので、パリーの損失高は、フランスが年々失ってる五億のうちの二千五百万フランに当たるとしても、あえて過当の計算ではない。この二千五百万フランを、救済や娯楽の事業に用いたならば、パリーの光輝は倍加するはずである。しかるに市はそれを汚水に投じ去っている。それでかく言うこともできる、パリーの一大浪費、その驚くべき華美、ボージョン(訳者注 十八世紀の大富豪)式の乱行、遊興、両手で蒔《ま》き散らすような金使い、豪奢《ごうしゃ》、贅沢《ぜいたく》、華麗、それは実に下水道であると。
 かくて誤った盲目な社会経済学のために、万人の幸福は水に溺《おぼ》れ、水に流れ、深淵《しんえん》のうちに失われている。社会の富をすくい取るためにサン・クルーの辺に網でも張るべきであろう。
 経済上より言えば、右の事実をかく約言することができる、すなわち、パリーは底のぬけた籠《かご》であると。
 パリーは模範市であり、各国民からまねられる模型的な完全市であり、理想の住む首都であり、発案と衝動と試験との堂々たる祖国であり、あらゆる精神の住所であり中心地であり、宛然《えんぜん》一国をなす都市であり、未来の発生地であり、バビロンとコリントを結合した驚くべき都であるが、これを上に述べきたった見地から見る時には、南支那の一農夫をして肩を聳《そび》やかさせるであろう。
 パリーを模倣するは、自ら貧窮に陥ることである。
 その上、古来から行なわれてる愚かなその浪費についてはことに、パリー自身も一つの模倣者である。
 この驚くべき愚妄事《ぐもうじ》は新しく始まったことではない。それは決して若気のばかさではない。古人も近代人のようなことをしていた。リービッヒは言う、「ローマの下水道はローマの農夫の繁栄をことごとく吸いつくした。」ローマの田舎《いなか》がローマの下水道によって衰微させられた時、ローマはまったくイタリーを疲弊さしてしまった、そしてイタリーを下水道のうちに投じ去った時、更にシシリーを投じ去り、次にサルヂニアを投じ去り、次にアフリカを投じ去ってしまった。ローマの下水道は世界をのみ込んだのである。その呑噬《どんぜい》の口を、市と世界とに差し出したのである。全く市と世界とに[#「市と世界とに」に傍点](訳者注 ローマ法王の祝祷中にある言葉)である。永遠の都市と、しかも底知れぬ下水道。
 他の方面におけると同じくこのことについても、ローマはその実例をたれている。
 明知の都市に固有な一種の愚昧《ぐまい》さをもって、パリーはその実例にならっている。
 かくて、今述べきたった事業を完成せんがために、パリーはその地下にも一つパリーを有するに至った。すなわち下水道のパリーである。そこにも街路があり、四つ辻《つじ》があり、広場があり、袋町があり、動脈があり、汚水の血が流れていて、ただ人影がないばかりである。
 何者にも、たとえ偉大なる民衆にも、阿諛《あゆ》の言を弄《ろう》してはならないから、吾人はあえて言うのである。すべてがある所には、崇高と相並んで卑賤《ひせん》も存する。パリーのうちには、光明の町たるアテネがあり、力の町たるチロがあり、勇気の町たるスパルタがあり、奇跡の町たるニニヴェがありはするが、また泥土《でいど》の町たるルテチア(訳者注 古代のパリー)もある。
 けれどその力もまたそこに蔵されている。諸《もろもろ》の記念物のうちにおいても、パリーの巨大な下水の溝渠《こうきょ》は特に、マキアヴェリやベーコンやミラボーなどのごとき人物によって人類のうちに実現された不思議な理想を、すなわち卑賤《ひせん》なる壮大さを実現してるものである。
 パリーの地下は、もし中を透視し得るとするならば、巨大な石蚕《せきさん》の観を呈しているだろう。古い大都市が立ってる周囲六里のこの土地には、海綿も及ばないほど多くの水路や隘路《あいろ》がついている。別に一個の洞窟《どうくつ》をなしてる墳墓は別とし、ガス管の入り乱れた格子《こうし》の目は別とし、給水柱に終わってる上水分配の広大な一連の管は別として、ただ下水道だけでさえ、セーヌの両岸の下に暗黒な驚くべき網の目を作っている。それはまったく迷宮であって、その傾斜が唯一の道しるべである。
 その湿った靄《もや》の中には、パリーが産んだかと思える鼠《ねずみ》の姿が見えている。

     二 下水道の昔の歴史

 蓋《ふた》を取るようにパリー市を取り去ったと想像すれば、鳥瞰的《ちょうかんてき》に見らるる下水道の地下の網目は、セーヌ川に接木《つぎき》した大きな木の枝のようにその両岸に現われてくるだろう。右岸においては、囲繞溝渠《いじょうこうきょ》がその枝の幹となり、その分脈は小枝となり、行き止まりの支脈は細枝となる。
 しかしその形は、概略のものでまったく正確というわけにはゆかない。かかる地下の分枝の角《かど》は普通直角をなしているが、植物の枝には直角なのはきわめてまれである。
 その不思議な幾何学的図形にいっそうよく似た象《かたち》を想像しようとするならば、叢《くさむら》のように錯雑した不思議な東方文字を、暗黒面の上に平たく置いたと仮定すればよろしい。その妙な形の文字は、一見したところ入り乱れて無茶苦茶なようであるが、あるいは角と角とであるいは一端と一端とで、互いに結び合わされている。
 汚水だめや下水道は、中世や後期ローマ帝国や古い東方諸国などにおいて、多大の役目をなしていた。疫病はそこから発し、専制君主らはそこに死んだ。衆人はその腐敗の床を、恐るべき死の揺籃《ようらん》を、一種|敬虔《けいけん》な恐怖をもってながめていた。ベナレスの寄生虫の巣窟《そうくつ》は、バビロンの獅子《しし》の洞《ほら》にも劣らぬ幻惑を人に与えていた。ユダヤ神学の書物によれば、テグラート・ファラザル(訳者注 古代アッシリアの王)はニニヴェの汚水だめによって誓っていた。ライデンのヨハンが偽りの月を出してみせたのは、ムュンステルの下水道からである。このヨハンに相当する東方人でコラサンの隠れた予言者モカナが、偽りの太陽を出してみせたのは、ケクシェブの汚水井戸からである。
 人間の歴史は下水溝渠《げすいこうきょ》の歴史に反映している。死体投棄の溝渠はローマの歴史を語っていた。パリーの下水道は古い恐るべきものであった。それは墳墓でもあり、避難所でもあった。罪悪、知力、社会の抗議、信仰の自由、思想、窃盗、人間の法律が追跡するまたは追跡したすべてのものは、その穴の中に身を隠していた。十四世紀の木槌暴徒《きづちぼうと》、十五世紀の外套盗賊《がいとうとうぞく》、十六世紀のユーグノー派、十七世紀のモラン幻覚派、十八世紀の火傷強盗、などは皆そこに身を隠していた。百年前には、夜中短剣がそこから現われてきて人を刺し、また掏摸《すり》は身が危うくなるとそこに潜み込んだ。森に洞穴《どうけつ》のあるごとく、パリーには下水道があった。ゴール語のいわゆるピカルリアという無籍者らは、クール・デ・ミラクル一郭の出城として下水道に居を構え、夕方になると寝所にはいるように、せせら笑った獰猛《どうもう》な様子でモーブュエの大水門の下に戻っていった。
 ヴィード・グーセ袋町(巾着切袋町)やクープ・ゴルジュ街(首切り街)などを毎日の仕事場としてる者どもが、シュマン・ヴェールの小橋やユルポアの陋屋《ろうおく》を夜の住居とするのは、至って当然なことだった。そのために無数の口碑が伝わっている。あらゆる種類の幽鬼がその長い寂しい地郭に住んでいる。至る所に腐爛《ふらん》と悪気とがある。中にいるヴィヨンと外のラブレーと(訳者注 盗賊の仲間にはいったことのある十五世紀の大詩人、および愉快な風刺家であった十六世紀の文豪)が互いに話し合う風窓が、所々についている。
 いにしえのパリーにおいては、下水道の中にあらゆる疲憊《ひはい》とあらゆる企図とが落ち合っていた。社会経済学はそこに一つの残滓《ざんさい》を見、社会哲学はそこに一つの糟粕《そうはく》を見る。
 下水道は都市の本心である。すべてがそこに集中し互いに面を合わせる。その青ざめたる場所には、暗闇《くらやみ》はあるが、もはや秘密は存しない。事物は各、その真の形体を保っている、もしくは少なくともその最後の形体を保っている。不潔の堆積なるがゆえに、その長所として決して他を欺かない。率直がそこに逃げ込んでるのである。バジル訳者注 ボーマルシェーの戯曲「セヴィールの理髪師」中の人物にて滑稽なる偽善者の典型)の仮面はそこにあるが、しかしその厚紙も糸もそのままに見え、外面とともに内面も見えていて、正直なる泥土《でいど》が看板となっている。その隣には、スカパン(訳者注 モリエールの戯曲「スカパンの欺罔」中の人物にて巧妙快活なる欺罔者の典型)の作り鼻がある。文明のあらゆる不作法は、一度その役目を終われば、社会のあらゆるものがすべり込むこの真実の溝《どぶ》の中に落ちてゆき、そこにのみ込まれてしまう。しかしそこでは身を隠しはしない。それらの錯雑は一つの告白である。そこでは、偽りの外見もなく、何らの糊塗《こと》もなく、醜陋《しゅうろう》もそのシャツをぬぎ、まったくの裸となり、幻や蜃気楼《しんきろう》は崩壊し、用を終えしもののすごい顔つきをしながら、もはやただあるがままの姿をしか保たない。現実と堙滅《いんめつ》とのみである。そこでは、壜《びん》の底は泥酔を告白し、籠《かご》の柄は婢僕《ひぼく》の勤めを語る。そこでは、文学上の意見を持っていた林檎《りんご》の種は、再び単なる林檎の種となる。大きな銅貨の面の肖像は素直に緑青《ろくしょう》で蔽われ、カイファスの唾《つば》はフォルスタフの嘔吐物《おうとぶつ》と相会し(訳者注 前者はキリストを処刑せしユダヤの司祭、後者はジャンヌ・ダルクに敗られしイギリスの将軍)、賭博場から来るルイ金貨は自殺者の紐《ひも》の端が下がってる釘《くぎ》と出会い、青白い胎児はこの前のカルナヴァル祭最終日にオペラ座で踊った金ぴか物に包まれて転々し、人々を裁いた法官帽は賤婦《せんぷ》の裳衣だった腐敗物の傍に沈溺《ちんでき》する。それは友愛以上であり、昵近《じっきん》である。脂粉を塗っていたものもすべて顔を汚す。最後の覆面も引きはがれる。下水道は一つの皮肉家である。それはすべてのことをしゃべる。
 不潔なるもののかかる誠実さは、吾人を喜ばせ吾人の心を休める。国家至上の道理、宣誓、政略、人間の裁判、職務上の清廉、地位の威厳、絶対に清い法服、などが装ういかめしい様子を、地上において絶えず見続けてきた後、下水道にはいってそれらのものにふさわしい汚泥《おでい》を見るのは、いささか心を慰むるに足ることである。
 それがまた同時に種々のことを教える。さきほど述べたとおり、歴史は下水道を通ってゆく。サン・バルテルミーのごときあらゆる非道は、鋪石《しきいし》の間から一滴一滴とそこにしたたる。公衆の大虐殺は、政治上および宗教上の大殺戮は、この文明の地下道を通って、そこに死骸《しがい》を投げ込んでゆく。夢想家の目より見れば、史上のあらゆる虐殺者らがそこにいて、恐ろしい薄暗がりの中に膝《ひざ》をかがめ、経帷子《きょうかたびら》の一片を前掛けとし、悲しげにおのれの所業をぬぐい消している。ルイ十一世はトリスタンと共におり、フランソア一世はデュプラーと共におり、シャール九世は母親と共におり、リシュリユーはルイ十三世と共におり、ルーヴォアも、ルテリエも、エベールも、マイヤールもおり、皆石を爪《つめ》でかきながら、おのれの行為の跡を消そうと努めている。それらの洞穴《どうけつ》の中には、幽鬼らの箒《ほうき》の音が聞こえる。社会の災害の大なる悪臭が呼吸される。片すみには赤い反映が見える。そこには血のしたたる手が洗われた恐ろしい水が流れている。
 社会観察者はそれらの影の中にはいらなければいけない。それらの影も社会実験室の一部をなす。哲学は思想の顕微鏡である。すべてはそれから逃げようと欲するが、何物もそれから脱することはできない。方々逃げ回ってもむだである。逃げ回りながら人はいかなる方面を示すか? 不名誉な方面をではないか。哲学は活眼をもって悪を追求し、虚無のうちにのがれ去るのを許さない。消滅する事物の塗抹《とまつ》のうちにも、消え失《う》する事物の縮小のうちにも、哲学はすべてを認知する。ぼろを再び緋衣《ひい》となし、化粧品の破片を再び婦人となす。汚水溝渠《おすいこうきょ》で都市を再び作り出し、泥土《でいど》で再び風俗を作り出す。陶器の破片を見ては、壺《つぼ》や瓶《びん》を結論する。羊皮紙の上の爪跡《つめあと》で、ユーデンガスのユダヤ居住地とゲットーのユダヤ居住地との差を見て取る。今残っているもののうちに、かつてありしものを見いだす、すなわち、善、悪、偽、真、宮殿内の血痕《けっこん》、洞窟《どうくつ》の墨痕《ぼくこん》、娼家《しょうか》の蝋《ろう》の一滴、与えられた苦難、喜んで迎えられた誘惑、吐き出された遊楽、りっぱな人々が身をかがめつつ作った襞《ひだ》、下等な性質のために起こる心のうちの汚涜《おどく》の跡、ローマの人夫らの短上衣にあるメッサリナ(訳者注 クラウディウス皇帝の妃にして淫乱で有名な女)の肱《ひじ》の跡、などを見いだすのである。

     三 ブリュヌゾー

 パリーの下水道は、中世においては伝説的な状態にあった。十六世紀に、アンリ二世はその測量を試みたが、失敗に終わった。メルシエの立証するところによれば、今から百年足らず前までは、下水道はまったく放棄されていて、なるがままに任せられていた。
 そういうふうにこの古いパリーは、論議と不決定と模索とにすべて放任されていた。長い間かなり愚昧《ぐまい》のままであった。その後、八九年(一七八九年)はいかにして都市に精神が出て来るかを示した。しかしいにしえにおいては、首府はあまり頭脳を持っていなかった。精神的にもまたは物質的にも自分の仕事を処理する道を知らず、弊害を除去することができないとともに汚物を除去することもできなかった。すべてが妨害となり、すべてが疑問となった。たとえば、下水道はまったく探査することができなかった。市中においては万事わけがわからないとともに、汚水だめの中においては方向を定めることができなかった。地上にては了解が不可能であり、地下にては脱出が不可能だった。言語の混乱の下には洞穴《どうけつ》の混乱があった。迷宮がバベルの塔と裏合わせになっていた。
 時とするとパリーの下水道は、あたかも軽視されたナイル川が突然憤ることがあるように、氾濫《はんらん》の念を起こすことがあった。きたならしいことではあるが、実際下水道の漲溢《ちょういつ》が幾度も起こった。時々この文明の胃袋は不消化に陥り、汚水は市の喉元《のどもと》に逆流し、パリーはその汚泥《おでい》を反芻《はんすう》して味わった。そしてかく下水道と悔恨との類似は実際有益だった。それは人に警告を与えた。しかしそれもかえって悪い意味にばかり取られた。市はその泥土の鉄面皮に腹を立てて、不潔が再び戻って来るのを許さなかった。なおいっそうよく追い払おうとした。
 一八〇二年の氾濫は、八十歳ほどになるパリー人が今もよく記憶している。汚水は、ルイ十四世の銅像があるヴィクトアール広場に縦横にひろがり、またシャン・ゼリゼーの下水道の二つの口からサン・トノレ街へはいり、サン・フロランタンの下水道からサン・フロランタン街へ、ソンヌリーの下水道からピエール・ア・ポアソン街へ、シュマン・ヴェールの下水道からポパンクール街へ、ラップ街の下水道からロケット街へはいった。シャン・ゼリゼーの石樋《いしどい》をおおうこと、三十五センチの高さにおよんだ。そして南の方は、セーヌ川への大水門から逆行して、マザリーヌ街やエショーデ街やマレー街まではいり込み、百九メートルの距離の所、ちょうどラシーヌが昔住んでいた家の数歩前の所で、ようやく止まった。十七世紀に対しては国王(ルイ十四世)よりも詩人(ラシーヌ)の方を尊敬したわけである。その深さはサン・ピエール街が最高で、水口の舗石《しきいし》の上三尺に達し、その広さはサン・サバン街が最高で、二百三十八メートルの距離にひろがった。
 十九世紀の初めにおいても、パリーの下水道はなお神秘な場所であった。およそ泥土《でいど》は決して令名を得るものではないけれども、当時はその悪名が恐怖を起こさせるほどに高かった。パリーは漠然《ばくぜん》と、自分の下に恐ろしい洞穴《どうけつ》があるのを知っていた。一丈五尺もある百足虫《むかで》が群れをなし、怪獣ベヘモスの浴場にもなり得ようという、テーベの奇怪な沼のように人々はそれを思っていた。下水掃除人らの長靴《ながぐつ》も、よく知られてるある地点より先へは決して踏み込まなかった。サント・フォアとクレキ侯とがその上で互いに親交を結んだというあの塵芥掃除人《じんかいそうじにん》の箱車が、下水道の中にそのまま空《あ》けられていた時代、それからあまり遠くない時代だったのである。下水道の浚渫《しゅんせつ》はまったく豪雨にうち任せてあったが、雨水はそれを掃除するというよりも閉塞《へいそく》することの方が多かった。ローマは汚水の溝渠《こうきょ》に多少の詩味を与えてゼモニエ(階段)と呼んでいたが、パリーはそれを侮辱してトルー・プュネー([#ここから割り注]臭気孔)と呼んでいた。科学も迷信も同じ嫌悪《けんお》の情をいだいていた。臭気孔は、衛生にとっても伝説にとっても共に嫌悪《けんお》すべきものだった。大入道がムーフタールの下水道の臭い穹窿《きゅうりゅう》の下に閉じ込められていた。マルムーゼら(訳者注 ルイ十五世の時陰謀をはかった青年諸侯)の死体はバリユリーの下水道に投ぜられていた。ファゴンの説によると、一六八五年の恐ろしい熱病は、マレーの下水道にできた大きな割れ目から起こったものとのことである。その割れ目は、一八三三年まで、サン・ルイ街の風流馬車の看板が出てる前の方に、大きく口を開いたままであった。またモルテルリー街の下水道の口は、疫病の出口として有名だった。一列の歯に似て先のとがった鉄棒の格子《こうし》がついてる様《さま》は、その痛ましい街路の中にあって、あたかも地獄の気を人間に吹きかける怪竜《かいりゅう》の口かと思われた。民衆の想像は、パリーの陰暗な下水道に、ある無窮的な恐ろしいことどもを付け加えていた。下水道は底なしであった。バラトロム([#ここから割り注]訳者注 アテネにて死刑囚を投げ込みし深淵[#ここで割り注終わり])であった。その恐ろしい腐爛《ふらん》の地域を探険しようという考えは、警察の人々にも起こらなかった。その未知の世界を検《しら》べること、その闇《やみ》の中に錘《おもり》を投ずること、その深淵《しんえん》の中に探査に行くこと、だれがそれをあえてなし得たろうか。それこそ戦慄《せんりつ》すべきことだった。けれども、やってみようという者もいた。汚水の溝渠《こうきょ》にもそのクリストフ・コロンブスがいた。
 一八〇五年のある日、例のとおり珍しく皇帝がパリーにやってきた時、ドゥクレスだったかクレテだったか時の内務大臣がやってきて、内謁《ないえつ》を乞うた。カルーゼルの広場には、大共和国および大帝国の偉大なる兵士らのサーベルの音が響いていた。ナポレオンの戸口は勇士らでいっぱいになっていた。ラインやエスコーやアディジェやナイルなどの戦線に立った人々、ジューベールやドゥゼーやマルソーやオーシュやクレベルらの戦友、フルーリュスの気球兵、マイヤンスの擲弾兵《てきだんへい》、ゼノアの架橋兵、エジプトのピラミッドをも見てきた軽騎兵、ジュノーの砲弾から泥《どろ》を浴びせられた砲兵、ゾイデルゼーに停泊してる艦隊を強襲して占領した胸甲兵、また、ボナパルトに従ってロディの橋を渡った者もおり、ムュラーと共にマントアの塹壕《ざんごう》中にいた者もおり、ランヌに先立ってモンテベロの隘路《あいろ》を進んだ者もいた。当時の軍隊はすべて、分隊または小隊で代表されて、テュイルリー宮殿の中庭に並び、休息中のナポレオンを護衛していた。大陸軍が過去にマレンゴーの勝利を持ち前途にアウステルリッツの勝利を控えてる燦然《さんぜん》たる時代だった。内務大臣はナポレオンに言った、「陛下、私は昨日帝国において最も勇敢な男に会いました。」「どういう男だ? そしてどういうことをしたのか、」と皇帝はせき込んで言った。「ある事をしたいと申すのです。」「何を?」「パリーの下水道にはいってみようと申します。」
 その男は実在の人物で、ブリュヌゾーと言う名前であった。

     四 世に知られざる事がら

 その探険はやがて行なわれた。恐るべき戦陣だった、疫病と毒ガスとに対する暗黒中の戦いだった、同時にまた発見の航海だった。その探険隊のうちでまだ生き残ってるひとり、当時ごく若い怜悧《れいり》な労働者だったひとりが、公文書の文体に適せぬので警視総監への報告中にブリュヌゾーが省略しなければならなかった不思議な事実を、今から数年前まで人に語ってきかしていた。当時の消毒方法はきわめて初歩の程度だった。ブリュヌゾーが地下の網目の最初の支脈を越すか越さないうちに、二十人の一隊のうち八人の者はもう先へ進むことを拒んだ。仕事は複雑で、探険とともに浚渫《しゅんせつ》の役をも兼ねていた。潔《きよ》めながらまた同時に種々の測量をしなければならなかった。すなわち、水の入り口を調べ、鉄格子《てつごうし》および穴を数え、支脈をきわめ、分岐点の水流を見、種々のたまりに関する区画を見て取り、主要水路に続いてる小水路を探り、各|隧道《すいどう》の要石《かなめいし》の下の高さ、穹窿《きゅうりゅう》の彎曲部《わんきょくぶ》と底部とにおける広さ、などを測定し、終わりに、各水口と直角に水面線を、底部と街路の地面と両方からの距離で定めるのであった。前進は遅々として困難だった。下降用の梯子《はしご》が底の泥中《でいちゅう》に三尺も没することは珍しくなかった。角灯はガスのためによく燃えなかった。気絶した者を時々運び出さなければならなかった。ある所は絶壁のようになっていた。地面はくずれ、石畳は落ち、下水道はすたれ井戸のようになっていた。堅い足場は得られなかった。ひとりの者が突然沈み込み、それを引き上げるのも辛うじてだった。化学者フールクロアの注意に従って、十分に潔めた場所には樹脂に浸した麻屑《あさくず》をいっぱいつめた大きな籠《かご》に火をともしていった。壁には所々、腫物《はれもの》とも言えるような妙な形の菌様《きのこよう》のものが、一面に生じていた。呼吸もできないほどのその場所では、石までが病気になってるかと思われた。
 ブリュヌゾーはその探険において、上《かみ》から下《しも》へと進んでいった。グラン・ユルルールの二つの水路が分かれてる所で、彼はつき出た石の上に一五五〇という年号を読み分けた。その石はフィリベール・ドゥロムがアンリ二世の命を受けて、パリーの下水道を探険した時、最後に到着した地点を示すもので、下水道にしるされた十六世紀の痕跡《こんせき》だった。またブリュヌゾーは、一六〇〇年から一六五〇年の間に上をおおわれた二つ、ポンソーの水路とヴィエイユ・デュ・タンプル街の水路との中に、十七世紀の手工を見いだし、一七四〇年に切り開かれて上をおおわれた集合溝渠《しゅうごうこうきょ》の西部に、十八世紀の手工を見いだした。その二つの穹窿《きゅうりゅう》、ことに新しい方の一七四〇年のは、囲繞溝渠《いじょうこうきょ》の漆喰工事《しっくいこうじ》よりもいっそう亀裂《きれつ》や崩壊がはなはだしかった。囲繞溝渠は一四一二年に成ったもので、その時メニルモンタンの小さな水流はパリーの大下水道に用いられて、農夫の下男が国王の侍従長になったほどの昇進をし、グロ・ジャンがルベルに(杢兵衛どんがお殿様に)なったようなものだった。
 所々に、ことに裁判所の下の所に、下水道の中に作られた昔の地牢《ちろう》の監房とも思えるようなものがわずかに認められた。恐ろしい地下牢《インパーセ》である。それらの監房の一つには、鉄の首輪が下がっていた。一同はそれらを皆ふさいでいった。また発見された物にはずいぶん珍しいものがあった。なかんずく猩々《ひひ》の骸骨《がいこつ》はすぐれたものであった。この猩々は一八〇〇年に動植物園から姿を隠したもので、十八世紀の末ベルナルダン街に猩々が出たという名高い確かな事実と、おそらく関係があるものに違いない。獣はあわれにも下水道の中に溺死《できし》してしまったのである。
 アルシュ・マリオンに達する長い丸天井の隘路《あいろ》の下に、少しも破損していない屑屋《くずや》の負《お》い籠《かご》が一つあったことは、鑑識家らの嘆賞を買い得た。人々が勇敢に征服していった泥土《でいど》の中には、至る所に、金銀細工物や宝石や貨幣などの貴重品が満ちていた。もし巨人があってその泥土を漉《こ》したならば、篩《ふるい》の中に数世紀間の富が残ったに違いない。タンプル街と[は底本では「タンブル街と」]サント・アヴォア街との二つの水道の分岐点では、ユーグノー派の珍しい銅のメダルが拾われた。その一面には、枢機官の帽をかぶった豚がついており、他の面には、法王の冠をかぶった狼がついていた。
 大溝渠《だいこうきょ》の入り口の所で、最も意外なものに人々は出会った。その入り口は、昔は鉄格子《てつごうし》で閉ざされていたのであるが、もう肱金《ひじがね》しか残っていなかった。ところがその肱金の一つに、形もわからないよごれた布が下がっていた。おそらく流れてゆく途中でそこに引っかかって、やみの中に漂い、そのまま裂けてしまったものだろう。ブリュヌゾーは角燈をさしつけて、そのぼろを調べていた。バチスト織りの精巧な麻布で、いくらか裂け方の少ない片すみに、冠の紋章がついていて、その上に LAUBESP という七文字が刺繍《ししゅう》してあった。冠は侯爵の冠章だった。七文字は Laubespine(ローベスピーヌ)という女名の略字だった。一同は眼前のその布片がマラーの柩布《ひつぎぎれ》の一片であることを見て取った。マラーには青年時代に情事があった。それは獣医としてアルトア伯爵の家に寄寓《きぐう》していた頃のことである。歴史的に証明されてるある一貴婦人との情事から、右の敷き布が残っていた。偶然に取り残されていたのか、あるいは記念として取って置かれたのか、いずれかはわからないがとにかく、彼が死んだ時家にある多少きれいな布と言ってはそれが唯一のものだったので、それを柩布《ひつぎぎれ》としたのであった。婆さんたちは、この悲劇的な民衆の友を、歓楽のからんだその布に包んで、墳墓へ送りやったのである。
 ブリュヌゾーはそこを通り越した。一同はぼろをそのままにしておいて手をつけなかった。それは軽蔑からであったろうか、あるいは尊敬からであったろうか? ともあれマラーはそのいずれをも受けるの価値があった。その上宿命の跡はあまりに歴然としていて、人をしてそれに触れることを躊躇《ちゅうちょ》さしたのである。もとより、墳墓に属する物はそれが自ら選んだ場所に放置しておくべきである。要するにその遺物は珍しいものであった。侯爵夫人がそこに眠っており、マラーがそこに腐っていた。パンテオンを通って、ついに下水道の鼠《ねずみ》の中に到着したのである。その寝所の布片は、昔はワットーによってあらゆる襞《ひだ》まで喜んで写されるものであったが、今はダンテの凝視にふさわしいものとなり果てていた。
 パリーの地下の汚水溝渠《おすいこうきょ》を全部検分するには、一八〇五年から一二年まで七年間を要した。進むにしたがってブリュヌゾーは、種々の大事業を計画し、指揮し、成就した。一八〇八年には、ポンソーの水路の底部を低くし、また方々に新水路を作っては下水道をひろげ、一八〇九年には、サン・ドゥニ街の下をインノサンの噴水の所まで、一八一〇年には、ゾロアマントー街の下とサルペートリエール救済院の下とに、一八一一年には、ヌーヴ・デ・プティー・ペール街の下、マイュ街の下、エシャルプ街の下、ロアイヤル広場の下に、一八一二年には、ペー街の下とアンタン大道の下とに、下水道をひろげた。同時にまた、あらゆる水路を消毒し健全にした。二年目からブリュヌゾーは、婿のナルゴーをも仕事に加わらした。
 かくのごとくして十九世紀の初めには、旧社会はその二重底を清め下水道の化粧をした。とにかくそれだけ清潔になったわけである。
 迂曲《うきょく》し、亀裂し、石畳はなくなり、裂け目ができ、穴があき、錯雑した曲がり角《かど》が入り組み、秩序もなく高低し、悪臭を放ち、野蛮で、暗黒のうちに沈み、舗石《しきいし》にも壁にも傷痕《しょうこん》がつき、恐怖すべき姿で横たわっている、そういうのがパリーの昔の下水道をふり返って見たありさまだった。四方への分岐、塹壕《ざんごう》の交差、枝の形、鴨足《かもあし》の形、坑道の中にあるような亀裂、盲腸、行き止まり、腐蝕した丸天井、臭い水たまり、四壁には湿疹《しっしん》のような滲出物《しんしゅつぶつ》、天井からたれる水滴、暗黒、実にバビロンの町の胃腸であり、洞窟《どうくつ》であり、墓穴であり、街路が穿《うが》たれている深淵《しんえん》であり、かつては華麗であった醜汚の中に、過去と称する盲目の巨大な土竜《もぐら》が彷徨《ほうこう》するのが暗黒の中に透かし見らるる、広大なる土竜《もぐら》の穴であって、その古い吐出口の墓窟のごとき恐ろしさに匹敵するものは何もない。
 繰り返して言うが、そういうのがすなわち過去[#「過去」に傍点]の下水道であった。

     五 現在の進歩

 今日では、下水道は清潔で、冷ややかで、まっすぐで、規則正しい。イギリスにてレスペクタブル(りっぱな)という言葉が含む意味の理想的なものを、ほとんど実現している。整然として薄ら明るく、墨繩《すみなわ》で設計され、あたかも裃《かみしも》をつけたようにきちんとしている。一介の町人が国家の顧問官となったようにかしこまっている。中にはいってもたいてい明らかに見える。汚泥《おでい》も端正に控えている。一見した所では、あの昔の地下廊下かとも思われやすい。地下廊下は、「民衆が王を愛していた」古いのんきな時代には、少しも珍しくないもので、王侯たる人々が逃走するのに至って便利なものだった。かく今日の下水道は美しい下水道である。純粋な様式ですべて支配されている。直線的なアレキサンドリア式古典味は、詩から追い払われて、建築のうちに逃げ込んだらしく、この長い薄暗いほの白い丸天井のあらゆる石に交じっているかと思われる。各出口は皆|迫持《せりもち》になっている。リヴォリ街の所は溝渠《こうきょ》の中においても一派をなしている。その上、幾何学的な線が最も適当した場所を求むれば、それはまさしく大都市の排泄濠《はいせつごう》であろう。そこではすべてが最も短距離の道を選ばなければならない。下水道は今日多少官省ふうな趣を呈している。時として警察は下水道に関する報告をなすが、もはやその中でも敬意を欠かされてはいない。それに対する公用語中の単語も、上等になって品位をそなえている。腸と言われていたものも今日では隧道《すいどう》と言われ、穴と言われていたものも今日では検査孔と言われている。もしヴィヨンが昔の予備の住居を尋ねても、今はその影さえ見つけ得ないだろう。しかしこの網の目のような窖《あなぐら》の中にはやはり、昔からの齧歯獣《げっしじゅう》の民が住んでいて、昔よりかえって多いくらいである。時々、古猛者の鼠《ねずみ》が下水道の窓から首を出してみて、パリーの者らをのぞくことがある。けれどもその寄生動物でさえ、おのれの地下の宮殿に満足して温和になっている。もう汚水溝渠には初めのような獰猛《どうもう》さは少しもない。雨水は昔の下水道を汚していたが、今日の下水道を洗い潔《きよ》めている。とは言えあまり安心しすぎてはいけない。有毒ガスはまだそこに住んでいる。完全無欠というよりも、むしろ偽善である。警視庁と衛生局とでいかに力をつくしても及ばなかった。あらゆる清潔法が講ぜられたけれども、今になお、懺悔《ざんげ》した後のタルテュフ(訳者注 モリエールの戯曲「タルテュフ」の主人公で偽善者の典型)のように何となく怪しい臭気を放っている。
 全体より見れば汚水の掃蕩《そうとう》は下水道が文明に尽す務めであるから、そしてこの見地よりすれば、タルテュフの良心はアウジアスの家畜小屋([#ここから割り注]訳者注 牛が三千頭もいながら三十年も掃除をしたことのないという物語中の家畜小屋)よりも一進歩というべきであるから、確かにパリーの下水道は改善されたわけである。
 それは進歩以上である。一つの変形である。昔の下水道と現今の下水道との間には、一大革命がある。そしてその革命はだれがなしたか? 吾人が上に述べた世に忘られてるブリュヌゾーである。

     六 将来の進歩

 パリー下水道の開鑿《かいさく》は、決して些々《ささ》たる仕事ではなかった。過去十世紀の間力を尽しながら、あたかもパリー市を完成することができなかったと同様に、それを完成することはできなかった。実際下水道は、パリーの拡大からあらゆる影響を受けている。それは地中において無数の触角をそなえた暗黒な水螅《すいし》のようなもので、地上に市街がひろがるとともに地下にひろがってゆく。市街が一つの街路を作るたびごとに、下水道は一本の腕を伸ばす。昔の王政時代には、二万三千三百メートルの下水道しか作られてはいなかった。一八〇六年一月一日のパリーはほとんどそのままの状態であった。この時以来、すぐ後で再び述べるが、下水道の事業は着々として勇ましく再び始められ続けられてきた。ナポレオンは、妙な数ではあるが、四千八百四メートル作り、ルイ十八世は五千七百九メートル、シャール十世は一万八百三十六メートル、ルイ・フィリップは八万九千二十メートル、一八四八年の共和政府は二万三千三百八十一メートル、現政府は七万五百メートル作った。現在では全部で二十二万六千六百十メートル、すなわち六十里の下水道となっている。パリーの巨大な内臓である。なお人目につかない小枝は常に作られつつある。それは世に知られない広大な建造である。
 読者の見るとおり、パリーの地下の迷宮は今日、十九世紀の初めより十倍もの大きさになっている。その汚水溝渠《おすいこうきょ》を今日のような比較的完全な状態になすには、いかばかりの忍耐と努力とが必要であったか、想像にも余りあるほどである。いにしえの王政時代の奉行《ぶぎょう》と十八世紀の末十年間の革命市庁とが、一八〇六年以前に存在していた五里の下水道を穿《うが》つに至ったのも、辛うじてのことだった。あらゆる種類の障害がその事業を妨げた、あるいは地質上の障害もあれば、あるいはパリーの労働者階級の偏見から来る障害もあった。鶴嘴《つるはし》や鍬《くわ》や鑚《きり》などのあらゆる操作に著しく不便な地層の上に、パリーは立っている。パリーという驚くべき歴史的組織が積み重ねらるるその地質的組織ほど、穿ち難く貫き難いものはない。その沖積層《ちゅうせきそう》の中に何かの形で工事を始めて進み込もうとすると、地下の抵抗は際限もなく現われてくる。溶《と》けた粘土があり、流れる泉があり、堅い岩があり、専門の科学で俗に芥子《からし》と言われる柔らかい深い泥土《でいど》がある。薄い粘土脈やアダム以前の大洋にいた牡蠣《かき》の殻をちりばめてる化石層などと交互になっている石炭岩層の中を、鶴嘴は辛うじて進んでゆく。時とすると水の流れが突然現われてきて、始められたばかりの穹窿《きゅうりゅう》を突きこわし、人夫らを溺《おぼ》らすこともある。あるいは泥灰岩が流れ出し、瀑布《ばくふ》のような勢いで奔騰して、ごく大きな押さえの梁《はり》をもガラスのように砕く。最近のことであるが、ヴィエットで、サン・マルタン掘割りの水を涸《か》らしもせず航運にも害を与えないようにして、その下に集合下水道を通さなければならなかった時、掘割りの底に裂け目ができて、にわかに地下の工事場に水があふれてき、吸い上げポンプの力にもおよばなかった。それで潜水夫を入れてその裂け目をさがさせると、大だまりの口の所にあることがわかったので、非常な骨折りでそれをふさいだ。また他の所、すなわちセーヌ川の近くやあるいはかなり離れた所でも、たとえばベルヴィルやグランド・リューやリュニエール通路などで、人が足を取られてすっかり沈み込んでしまうほどの底なし泥砂《でいさ》に出会った。その上になお、有毒ガスのための窒息、土壌の墜落のための埋没、突然の崩壊。その上になお、チブスもあって、人夫らはしだいにそれに感染する。近頃でも、深さ十メートルの塹壕《ざんごう》の中で働きながら、ウールクの主要水管を入れるための土堤を作ってクリシーの隧道《すいどう》を掘り、更に、地すべりのする間を、多くはごく臭い開鑿《かいさく》をやり支柱を施して、オピタル大通りからセーヌ川までビエーヴルの穹窿《きゅうりゅう》を作り、更に、モンマルトルの溢水《いっすい》からパリーを救い、マルティール市門の近くに停滞してる九町歩余の濁水に出口を与えるために働き、更に、四カ月間昼夜の別なく十一メートルの深さの所で働いて、ブランシュ市門からオーベルヴィリエの道に至る一条の下水道を作り、更に、未聞のことではあったが、塹壕もなくまったく地中で、バール・デュ・ベク街の下水道を地下六メートルの所に穿《うが》った後に、監督のモンノーは死亡した。また、トラヴェルシエール・サン・タントアーヌ街からルールシーヌ街に至るまで市中の各地点に、三千メートルにおよぶ下水道の穹窿を作り、更に、アルバレートの支脈を作って、サンシエ・ムーフタール四つ辻《つじ》に雨水の氾濫《はんらん》するのを防ぎ、更に、流砂の中に石とコンクリートとの土台を作って、その上にサン・ジョルジュの下水道を設け、更に、ノートル・ダーム・ド・ナザレの支脈の底を下げるという恐るべき工事を指揮した後に、技師のデュローは死亡した。しかし、戦場の虐殺よりもずっと有益なそれら勇敢な行為については、何らの報告文も作られていない。
 一八三二年におけるパリーの下水道は、今日の状態とは非常な差があった。ブリュヌゾーは一刺戟を与えたが、その後なされた大改造をいよいよ着手さしたのはコレラ病の流行だった。たとえば口にするも驚くべきことではあるが、一八二一年には、大運河と言わるる囲繞溝渠《いじょうこうきょ》の一部が、ちょうどヴェニスの運河のように、グールド街に裸のまま蟠《わだかま》っていた。その醜悪の蓋《ふた》をするに要した二十六万六千八十フラン六サンチームの金を、パリー市が調達し得たのは、ようやく一八二三年のことである。コンバとキュネットとサン・マンデとの三つの吸入井戸を、その出口と種々の装置とたまりと清浄用の分脈とをつけて完成したのは、わずかに一八三六年のことである。それからしだいにパリーの腹中の溝渠は新しく作り直され、また前に言ったとおり、最近四半世紀ばかりの間に十倍以上の長さとなった。
 今から三十年前、すなわち一八三二年六月五日六日の反乱のおりには、下水道の大部分はほとんど昔のままだった。大多数の街路は、今日では中高となっているが、当時は中低の道にすぎなかった。街路や四つ辻《つじ》の勾配《こうばい》が終わってる低部には、大きな四角の鉄格子《てつごうし》が方々に見えていた。格子の太い鉄棒は、群集の足に磨《みが》かれて光っており、馬車にはすべりやすくて危険であり、馬もよくころぶほどだった。橋梁《きょうりょう》や道路に関する公用語では、それらの低部や鉄格子に Cassis([#ここから割り注]訳者注 ラテン語にてはくもの巣という意味になる[#ここで割り注終わり])という意味深い名前を与えていた。この一八三二年には、エトアール街、サン・ルイ街、タンプル街、ヴィエイユ・デュ・タンプル街、ノートル・ダーム・ド・ナザレ街、フォリー・メリクール街、フルール河岸、プティー・ムュスク街、ノルマンディー街、ポン・トー・ビーシュ街、マレー街、サン・マルタン郭外、ノートル・ダーム・デ・ヴィクトアール街、モンマルトル郭外、グランジュ・バトリエール街、シャン・ゼリゼー、ジャコブ街、トールノン街、などの多数の街路には、昔のゴチック式の汚水溝渠《おすいこうきょ》がまだその口を皮肉らしく開いていた。時代のついた厚顔さをそなえ、時には標石でめぐらされた、のろまな巨大な石の空洞《くうどう》であった。
 一八〇六年のパリーの下水道は、一六六三年五月に調べられたのとほとんど同じで、五千三百二十八|尋《ひろ》だった。ところがブリュヌゾーの工事の後、一八三二年一月一日には、四万三百メートルとなっていた。すなわち一八〇六年から三一年まで毎年平均七百五十メートル作られたことになる。その後、毎年八千メートルから時には一万メートルに及ぶ隧道《すいどう》が、コンクリートで固めた上に水硬石灰の漆喰工事《しっくいこうじ》を施して作られた。一メートルに二百フランとして、現今のパリーの下水道六十里は四千八百万フランを示している。
 最初に指摘した経済上の進歩論のほかに、公衆衛生の重大な案件が、パリーの下水道というこの大問題に関連している。
 パリーは水の層と空気の層と二つの間にはさまれている。水の層はかなり深い地下に横たわっているが、既に二つの穿孔《せんこう》によって達せられていて、白堊《はくあ》とジュラ系石灰岩との間にある緑の砂岩帯から供給される。この砂岩帯は、半径二十五里の円盤でおおよそを示すことができる。多数の大小の河川がその中に浸透している。グルネルの泉の水一杯を飲めば、セーヌ、マルヌ、イオンヌ、オアーズ、エーヌ、シェル、ヴィエンヌ、ロアール、などの諸川の水を飲むことになる。この水の層は健全なるものである。第一に空からき、つぎに地からきたものである。しかるに空気の層は不健全で、下水道からきたものである。汚水溝渠《おすいこうきょ》のあらゆる毒ガスが市中の呼吸に交じっている。そこから悪い気息が起こってくる。科学の証明するところによれば、肥料の堆積の上で取った空気も、パリーの上で取った空気よりははるかに清い。けれども一定の時日を経たならば、進歩するにつれ、各種の機関も完成し、光明も増加して、人は水の層を用いて空気の層を清めるようになるであろう。言い換えれば、下水道を洗滌《せんじょう》するようになるであろう。下水道の洗滌という語に吾人がいかなる意味を持たしてるかを、読者は既に知っているはずである。すなわちそれは、汚穢《おわい》を土地に返す事である、汚穢を土地に送り肥料を田野に送る事である。この簡単な一事によって、社会全体が貧窮の減少と健康の増進とを得るであろう。現今にあっては、パリーからの疫病の放射は、ルーヴルを疫病車の轂《こしき》とすれば、その周囲五十里におよんでいる。
 過去十世紀の間汚水溝渠はパリーの病毒だったとも言い得るだろう。下水道は市が血液の中に持ってる汚点である。人民も本能からよくそれを知っていた。屠獣者《とじゅうしゃ》の仕事は、非常に恐れられて、長い間死刑執行人の手にゆだねられていたが、下水掃除夫の仕事も、昔はそれとほとんど同じように危険なものであり、同じように民衆からいやがられていた。泥工に頼んでその臭い堀の中にはいってもらうには、高い賃銀を出さなければならなかった。井戸掘り人の梯子《はしご》もそこにはいるには躊躇していた。「下水道におりてゆくのは墓穴の中にはいることだ、」というたとえまでできていた。その上前に述べたとおり、あらゆる種類の嫌忌《けんき》すべき伝説のために、その巨大な下水道は恐ろしいことどもでおおわれていた。実に世に恐れられた洞窟《どうくつ》であって、その中には、人間の革命とともに地球の革命の跡まで残っており、ノアの大洪水のおりの貝殻からマラーのぼろに至るまで、あらゆる大変災の遺物が見いだされるのである。
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     第三編 泥土《でいど》にして霊

     一 下水道とその意外なるもらい物

 ジャン・ヴァルジャンがはいり込んだのは、パリーの下水道の中へだった。
 ここにまたパリーと海との類似がある。大洋の中におけるごとく、下水道の中にはいり込む者はそのまま姿を消すことができる。
 実に驚くべき変化だった。市のまんなかにありながら、ジャン・ヴァルジャンは市の外に出ていた。またたくまに、一つの蓋《ふた》を上げそれをまた閉ざすだけの暇に、彼はま昼間からまったくの暗黒に、正午から真夜中に、騒擾《そうじょう》の響きから沈黙に、百雷の旋風から墳墓の凪《な》ぎに、そしてまた、ボロンソー街の変転よりもなおいっそう不思議な変転によって、最も大なる危険から最も全き安全にはいってしまった。
 突然|窖《あなぐら》の中に陥ること、パリーの秘密牢《ひみつろう》の中に姿を消すこと、死に満ちてる街路を去って生の存する一種の墳墓に移ること、それはまったく不思議な瞬間だった。彼はしばしあっけに取られて、耳を澄ましながら惘然《ぼうぜん》とたたずんだ。救済の罠《わな》は突然彼の下に口を開いたのである。天の好意は彼を欺いて言わば捕虜にしてしまったのである。驚嘆すべき天の待ち伏せである。
 ただ負傷者は少しの身動きもしなかった。ジャン・ヴァルジャンはその墓穴の中で今自分の担《にな》ってる男が、果たして生きてるのか死んでるのかを知らなかった。
 彼の第一の感じは、盲目になったということだった。にわかに彼は何にも見えなくなった。それからまた、しばらくの間は聾者《ろうしゃ》になったような気もした。何も聞こえなかった。頭の上数尺の所で荒れ狂ってる虐殺の暴風は、前に言ったとおり厚い地面でへだてられたので、ごくかすかにぼんやり響いてくるだけで、ある深い所にとどろいてる音のように思われた。彼は足の下が堅いことを感じた。それだけであった。しかしそれで十分だった。一方の手を伸ばし、次にまた他方の手を伸ばすと、両方とも壁に触れた。そして道の狭いことがわかった。足がすべった。そして舗石《しきいし》のぬれてることがわかった。穴や水たまりや淵《ふち》を気使って、用心しながら一歩ふみ出してみた。そして石畳が先まで続いてるのを悟った。悪臭が襲ってきたので、それがどういう場所であるかを知った。
 しばらくすると、彼はもう盲目ではなかった。わずかな光が今すべり込んできた口からさしていたし、また目もその窖《あなぐら》の中になれてきた。物の形がぼんやり見え出してきた。彼がもぐり込んできたとしか言いようのないその隧道《すいどう》は、後ろを壁でふさがれていた。それは専門語で分枝と言わるる行き止まりの一つだった。また彼の前にも他の壁が、暗夜の壁があった。穴の口からさしてくる光は、前方十一、二歩の所でなくなってしまい、下水道の湿った壁をようやく数メートルだけほの白く浮き出さしていた。その向こうは厚い闇《やみ》だった。そこにはいってゆくことはいかにも恐ろしく、一度はいったらそのままのみ尽されそうに思われた。けれどもその靄《もや》の壁の中につき入ることは不可能ではなく、また是非ともそうしなければならなかった。しかも急いでしなければならなかった。ジャン・ヴァルジャンは、自分が舗石《しきいし》の下に見つけた鉄格子《てつごうし》は、また兵士らの目にもつくかも知れないと思った。すべてはその偶然の機会にかかっていると思った。兵士らもまたその井戸の中におりてきて、彼をさがすかも知れなかった。一分間も猶予してはおれなかった。彼はマリユスを地面におろしていたが、それをまた拾い上げた、というのも実際のありさまを示す言葉である。そして彼はマリユスを肩にかつぎ、前方に歩き出した。彼は決然として暗黒の中にはいって行った。
 しかし実際においてふたりは、ジャン・ヴァルジャンが思っていたほど安全になったのではなかった。種類は違うがやはり同じく大なる危険が、彼らを待ち受けていた。戦闘の激しい旋風の後に毒気と陥穽《かんせい》との洞窟《どうくつ》がきたのである。混戦の後に汚水溝渠《おすいこうきょ》がきたのである。ジャン・ヴァルジャンは地獄の一つの世界から他の世界へ陥ったのである。
 五十歩ばかり進んだ時、彼は立ち止まらなければならなかった。問題が一つ起こった。隧道《すいどう》は斜めにも一つの隧道に続いていた。二つの道が開いていた。いずれの道を取るべきか、左へ曲がるべきか右へ曲がるべきか。その暗い迷宮の中でどうして方向を定められよう。しかし前に注意しておいたとおり、その迷宮には一つの手がかりがある。すなわちその傾斜である。傾斜に従っておりてゆけば川に出られる。
 ジャン・ヴァルジャンは即座にそれを了解した。
 彼は考えた。たぶんここは市場町の下水道に違いない。それで、道を左に取って傾斜をおりてゆけば、十五分とかからないうちに、ポン・トー・シャンジュとポン・ヌーフとの間のセーヌ川のどの出口かに達するだろう。すなわちパリーの最も繁華な所にま昼間身をさらすことになる。おそらく四つ辻《つじ》の人だかりに出っくわすだろう。血に染まった二人の男が足下の地面から出てくるのを見ると通行人の驚きはどんなだろう。巡査がやってき、近くの衛兵らが武器を取ってやってくる。地上に出るか出ないうちに取り押さえられる。それよりもむしろ、この迷宮の中にはいり込み、暗黒に身を託し、天運のままに出口を求めた方が上策である。
 で彼は傾斜の上の方へと右に曲がった。
 隧道《すいどう》の角《かど》を曲がると、穴の口からさしていた遠い光は消えてしまい、暗黒の幕が再びたれてきて、彼はまた目が見えなくなった。それでも彼は前進をやめずに、できるだけ早く進んだ。マリユスの両腕は彼の首のまわりにからみ、両足は背後にたれていた。その両腕を彼は一方の手で押さえ、他の手で壁を伝った。マリユスの頬《ほお》は彼の頬に接し、血のためにそのままこびりついた。彼はマリユスの生温《なまあたたか》い血が自分の上に流れかかって、服の下までしみ通るのを覚えた。けれども、負傷者の口元に接している耳に湿気のある温味が感ぜられるのは、呼吸のしるしで、従ってまた生命のしるしだった。今や彼がたどっている隧道は、初めのより広くなっていた。彼はかなり骨を折ってそれを歩いていった。前日の雨水はまだまったく流れ去っていず、底の中ほどに小さな急流を作っていたので、彼は水の中に足をふみ入れないようにするため、壁に身を寄せて行かなければならなかった。そういうふうにして彼はひそかに足を運んだ。あたかも見えない中を手探りして地下の闇《やみ》の脈の中に没してゆく夜の生物のようだった。
 けれども、あるいは遠い穴からわずかの明りがその不透明な靄《もや》の中に漂ってるのか、あるいは目が暗闇になれてくるのか、少しずつぼんやりした影が見え、手で伝ってる壁や頭の上の丸天井などが漠然《ばくぜん》とわかってきた。魂が不幸のうちに拡大してついにそこに神を見いだすに至ると同じように、瞳孔《どうこう》は暗夜のうちに拡大してついにはそこに明るみを見いだすに至るものである。
 行く手を定めることは困難であった。
 下水道の線は、上に重なってる街路の線を言わば写し出してるものである。パリーのうちには当時二千二百の街路があった。そのちょうど下に下水道と称する暗黒な枝が錯綜してるのを想像してみるがいい。当時存在していた下水道の組織は、それを端から端へつなぎ合わしてみると、十一里の長さに達していた。上に述べたとおり、現在におけるその網の目は、最近三十年間の特に活発な工事によって、六十里にも及んでいる。
 ジャン・ヴァルジャンはまず第一に思い違いをした。彼は今サン・ドゥニ街の下にいるものと思ったのであるが、不幸にも実はそうでなかった。サン・ドゥニ街の下には、ルイ十三世の時代にできた古い石の下水道があって、大溝渠《だいこうきょ》と言われてる集合溝渠にまっすぐ続いている。そして昔のクール・デ・ミラクルの高みで右に肱《ひじ》を出し、また一本の枝が別れてサン・マルタンの下水道となり、四つの腕は十字形に交差している。しかしコラント亭のそばに入り口があるプティート・トリュアンドリーの隧道《すいどう》は、サン・ドゥニ街の地下とはまったく連絡がなく、モンマルトルの下水道に続いていた。ジャン・ヴァルジャンがはいり込んだのはそれへだった。そこには道に迷う所がたくさんあった。モンマルトルの下水道は、古い網の目のうちで最も入り組んだものの一つである。幸いにもジャン・ヴァルジャンは、帆柱をたくさん組み合わしたような図形をしてる市場町の下水道を通り越した。しかし彼の前には幾つもの難関があった。多くの街路の角《かど》が――まったくそれは街路である――暗黒の中に疑問符のように控えていた。第一に左の方には、判じ物のようなプラートリエールの大下水道が、郵便局や麦市場の建て物の下などに、T字形やZ字形の紛糾した枝をつき出し、Y字形をなしてセーヌ川に終わっている。第二に右の方には、カドラン街の彎曲《わんきょく》した隧道《すいどう》が歯のような三つの行き止まりを持って控えている。第三にまた左の方には、マイュの下水道の一脈が、既に入り口近くからフォーク形に錯雑し、稲妻形に続いていて、各方面に交差し分岐してるルーヴルの大流出口に達している。最後にまた右の方には、ジューヌール街の行き止まりの隧道があって、囲繞溝渠《いじょうこうきょ》に達するまで小さな横穴が方々についている。そしてこの囲繞溝渠のみが、十分安心できるくらいの遠い出口に彼を導き得るのであった。
 もしジャン・ヴァルジャンが、上に指摘したようなことを多少知っていたならば、ただ壁に手を触れただけで、サン・ドゥニ街の下水道にいるのではないことをすぐに気づいたろう。というのは、古い切り石の代わりに、すなわち花崗岩《かこうがん》と肥石灰|漆喰《しっくい》とで作られ一|尋《ひろ》八百フランもする底部と溝とを供えて下水道に至るまで広壮厳然たる昔の建築の代わりに、近代の安価な経済的方法、すなわちコンクリートの層の上に水硬石灰で固めた砂岩の一メートル二百フランの工事を、いわゆる小材料[#「小材料」に傍点]でできた普通の泥工事を、彼は手に感じたはずである。しかし彼はそれらのことを少しも知っていなかった。
 彼は、何も見ず、何も知らず、偶然のうちに没し、言いかえれば天命のうちにのみ込まれて、懸念しながらも落ち着いて前方に進んでいった。
 けれども実を言えば、彼はしだいにある恐怖の情にとらえられていった。彼を包んでいた影は彼の精神の中にもはいってきた。彼は一つの謎《なぞ》の中を歩いていたのである。その汚水の道は実に恐るべきものである。眩惑《げんわく》をきたさせるまでに入り組んでいる。その暗黒のパリーのうちにとらえらるる時、人は慄然《りつぜん》たらざるを得ない。ジャン・ヴァルジャンは目に見えない道を探り出してゆかなければならなかった。否ほとんど道を作り出してゆかなければならなかった。その不可知の世界においては、踏み出してみる各一歩は、それが最後の一歩となるかも知れなかった。いかにしてそこから出られるであろうか。出口が見つかるであろうか。しかも時期おくれにならないうちに出口が見つかるであろうか。石造の蜂《はち》の巣のようなその巨大な地下の海綿は、彼に中を通りぬけさせるであろうか。ある意外な闇《やみ》の結び目に出会いはしないだろうか。脱出し得られぬ所に、通過し得られぬ所に、陥りはしないだろうか。その中でマリユスは出血のために死に、彼は空腹のために死にはすまいか。ふたりともその中に埋没し終わって、二つの骸骨《がいこつ》となり、その暗夜の片すみに横たわるに至りはすまいか。それは彼自身にもわからなかった。彼はそれらのことを自ら尋ねてみたが、自ら答えることができなかった。パリーの内臓は一つの深淵《しんえん》である。いにしえの予言者のように、彼は怪物の腹中にいたのである。
 突然彼は意外な驚きを感じた。最も思いがけない瞬間に、そしてやはりまっすぐに進み続けていた時に、傾斜を上っているのでないことに気づいた。水の流れは、爪先《つまさき》からこないで、踵《かかと》の方に当たっていた。下水道は今下り坂になっていた。どうしたわけだろう。さてはにわかにセーヌ川に出るのであろうか。セーヌ川に出るのは大なる危険であったが、しかし引き返すの危険は更に大きかった。彼は続けて前に進んだ。
 しかし彼が進みつつあったのはセーヌ川の方へではなかった。セーヌ右岸にあるパリーの土地の高脈は、一方の水をセーヌ川に注ぎ他方の水を大溝渠《だいこうきょ》に注いでいる。分水嶺《ぶんすいれい》をなすその高脈は、きわめて不規則な線をなしている。排水を両方に分つ最高点は、サント・アヴォア下水道ではミシェル・ル・コント街の彼方《かなた》にあり、ルーヴルの下水道では大通りの近くにあり、モンマルトルの下水道では市場町の近くにある。ジャン・ヴァルジャンが到着したのは、その最高点であった。彼は囲繞溝渠《いじょうこうきょ》の方へ進んでいた。道筋はまちがっていなかった。しかし彼はそれを少しも自ら知らなかった。
 枝道に出会うたびごとに、彼はその角《かど》に一々さわってみた。その口が今いる隧道《すいどう》よりも狭い時には、そちらに曲がり込まないでまっすぐに進んでいった。狭い道はすべて行き止まりになってるはずで、目的すなわち出口から遠ざかるだけであると、至当な考えをしたからである。かくして彼は、上にあげておいた四つの迷路によって暗黒のうちに張られてる四つの罠《わな》を、免れることができた。
 時には、防寨《ぼうさい》のため交通が途絶され暴動のため石のように黙々としてるパリーの下から出て、いきいきたる平常のパリーの下にはいったのを、彼は感ずることができた。ふいに頭の上で、雷のような遠い連続した音が聞こえた。それは馬車の響きであった。
 彼は約三十分ばかり、少なくとも自ら推測したところによると約三十分ばかり、歩き続けていたが、なお休息しようとも思わなかった。ただマリユスをささえてる手を代えたのみだった。暗さはいよいよ深くなっていたが、その深みがかえって彼を安心さした。
 突然彼は前方に自分の影を認めた。影は足下の底部と頭上の丸天井とをぼんやり染めてるほのかな弱い赤みの上に浮き出していて、隧道のじめじめした両側の壁の上に、右へ左へとすべり動いた。彼は惘然《ぼうぜん》としてうしろを振り返った。
 うしろの方に、彼が今通ってきたばかりの隧道の中に、しかも見たところ非常に遠く思われる所に、厚い闇《やみ》を貫いて、こちらをながめてるような一種の恐ろしい星が燃え上がっていた。
 それは下水道の中に出る陰惨な警察の星であった。
 星の向こうには、黒いまっすぐなぼんやりした恐ろしい十個たらずの影が、入り乱れて揺らめいていた。

     二 説明

 六月六日に下水道内捜索の命令が下された。敗亡者らがあるいはそこに逃げ込んではすまいかという懸念があったので、ブュジョー将軍が公然のパリーを掃蕩《そうとう》している間に、ジスケ警視総監は隠密のパリーを探索することになったのである。上は軍隊によって下は警察によって代表された官力の二重戦略を必要とする、相関連した二重の行動であった。警官と下水夫との三隊は、パリーの地下道を探険しにかかって、一つはセーヌ右岸を、一つは左岸を、一つはシテ島を探った。
 警官らは、カラビン銃、棍棒《こんぼう》、剣、短剣、などを身につけていた。
 その時ジャン・ヴァルジャンにさし向けられたのは、右岸|巡邏隊《じゅんらたい》の角灯だった。
 その巡邏隊は、カドラン街の下にある彎曲《わんきょく》した隧道《すいどう》と三つの行き止まりとを見回ってきたところだった。彼らがそれらの行き止まりの奥に大角灯を振り動かしてる時、既にジャン・ヴァルジャンは途中でその隧道の入り口に出会ったが、本道より狭いのを知って、それにはいり込まなかった。彼は他の方へ通っていった。警官らはカドランの隧道から出てきながら、囲繞溝渠《いじょうこうきょ》の方向に足音が聞こえるように思った。実際それはジャン・ヴァルジャンの足音だった。巡邏の長をしてる警官はその角灯を高く上げ、一隊の人々は足音が響いてくる方向へ靄《もや》の中をのぞき込んだ。
 ジャン・ヴァルジャンにとっては何とも言い難い瞬間だった。
 幸いにも、彼はその角灯をよく見ることができたが、角灯の方は彼をよく見ることができなかった。角灯は光であり、彼は影であった。彼はごく遠くにいたし、あたりの暗黒の中に包まれていた。彼は壁に身を寄せて立ち止まった。
 それに彼は、後方に動いてるものが何であるかを知らなかった。不眠と不食と激情とは、彼をもまた幻覚の状態に陥らしていた。彼は一つの火炎を見、火炎のまわりに幽鬼を見た。それはいったい何であるか、彼にはわけがわからなかった。
 ジャン・ヴァルジャンが立ち止まったので、音はやんだ。
 巡邏《じゅんら》の人々は、耳を澄ましたが何にも聞こえず、目を定めたが何にも見えなかった。彼らは互いに相談を始めた。
 当時モンマルトルの下水道にはちょうどその地点に、通用地[#「通用地」に傍点]と言われてる一種の四つ辻《つじ》があった。大雨のおりなどには雨水が流れ込んできて地下の小さな湖水みたようになるので、後に廃されてしまった。巡邏の者らはその広場に集まることができた。
 ジャン・ヴァルジャンは幽鬼らがいっしょに丸く集まってるのを見た。その犬のような頭は、互いに近く寄ってささやきかわした。
 それらの番犬がなした相談の結果は次のことに帰着した。何か思い違いをしたのである。音がしたのではない。だれもいない。囲繞溝渠《いじょうこうきょ》のうちにはいり込むのはむだである。それはただ時間を空費するばかりだ。それよりもサン・メーリーの方へ急いで行かなければいけない。何かなすべきことがあり追跡すべき「ブーザンゴー」がいるとするならば、それはサン・メーリーの方面においてである。
 徒党というものは時々その古い侮辱的な綽名《あだな》を仕立て直してゆく。一八三二年には、「ブーザンゴー」(水夫帽)という言葉は、既にすたってるジャコバンという言葉と、当時まだあまり使われていなかったがその後広く用いられたデマゴーグという言葉との、中間をつないで過激民主党をさすのだった。
 隊長は斜めに左へ外《そ》れてセーヌ川への斜面の方に下ってゆくよう命令を下した。もし彼らが二つに分かれて二方面へ進んでみようという考えを起こしたならば、ジャン・ヴァルジャンは捕えられていたろう。ただ一筋の糸にかかっていたのである。おそらく警視庁では、戦闘の場合を予想し暴徒らが多数いるかも知れないと予想して、巡邏隊に分散することを禁ずる訓令を出したのであろう。一隊はジャン・ヴァルジャンをあとに残して歩き出した。すべてそれらの行動についてジャン・ヴァルジャンが認めたことは、にわかに角灯が彼方に向いて光がなくなったことだけだった。
 隊長は警官としての良心の責を免れるため、立ち去る前に、見捨ててゆく方面へ向かって、すなわちジャン・ヴァルジャンの方へ向かって、カラビン銃を発射した。その響きは隧道《すいどう》の中に反響また反響となって伝わり、あたかもその巨大な腸の腹鳴りするがようだった。一片の漆喰《しっくい》が流れの中に落ちて、数歩の所に水をはね上げたので、ジャン・ヴァルジャンは頭の上の丸天井に弾があたったのを知った。
 調子を取ったゆるやかな足音が、しばらく隧道の底部の上に響き、遠ざかるにしたがってしだいに弱くなり、一群の黒い影は見えなくなり、ちらちらと漂ってる光が、丸天井に丸い赤味を見せていたが、それも小さくなってついに消えてしまい、静寂はまた深くなり、暗黒はまた一面にひろがり、その闇《やみ》の中にはもう何も見えるものもなく聞こゆるものもなくなってしまった。けれどもジャン・ヴァルジャンは、なおあえて身動きもせずに、長い間壁に背をもたしてたたずみ、耳を傾け、瞳《ひとみ》をひろげて、その一隊の幻が消えうせるのをながめていた。

     三 尾行されたる男

 世間の重大な騒擾《そうじょう》の最中にも平然として保安と監視との義務を怠らなかったことは、当時の警察に認めてやらなければならない。暴動も警察の目から見れば、悪漢らを手放しにするの口実とはならないし、政府が危険に瀕《ひん》しているからといって、社会を閑却するの口実とはならない。平常の職務は、異常な場合の職務の間にも正確に尽されていて、少しも乱されてはいなかった。政治上の大事件が始まってる最中にも、あるいは革命となるかも知れないという不安の下にも、反乱や防寨《ぼうさい》に気を散らさるることなく、警官は盗賊を「尾行」していた。
 ちょうどそういう一事が、六月六日の午後、セーヌ右岸のアンヴァリード橋の少し先の汀《みぎわ》で行なわれていた。
 今日ではもうそこに川岸の汀はない。場所のありさまは一変している。
 さてその川岸の汀の上で、ある距離をへだててる二人の男が、明らかに互いの目を避けながらも互いに注意し合ってるらしかった。先に行く男は遠ざかろうとしていたし、あとからついてゆく男は近寄ろうとしていた。
 それはあたかも遠くから黙ってなされてる将棋のようなものだった。どちらも急ぐ様子はなく、ゆるやかに歩いていた。あまり急いでかえって相手の歩みを倍加させはすまいかと、互いに気使ってるがようだった。
 たとえば、食に飢えた者が獲物を追っかけながら、それをわざと様子に現わすまいとしてるのと同じだった。獲物の方は狡猾《こうかつ》であって、巧みに身をまもっていた。
 追われてる鼬《いたち》と追っかけてる犬との間の適宜な割合が、ちょうど両者の間に保たれていた。のがれようとしてる男は、体も小さく顔もやせていた。捕えようとしてる男は、背の高い偉丈夫で、いかめしい様子をしており、腕力もすぐれてるらしかった。
 第一の男は、自分の方が弱いのを知って、第二の男を避けようとしていた。しかしおのずから一生懸命の様子が現われていた。彼をよく見たならば、逃走せんとする痛ましい敵対心と恐れに交じった虚勢とが、その目の中に読み取られたであろう。
 川岸の汀《みぎわ》には人影もなかった。通りすがりの者もなかった。所々につないである運送船には、船頭もいず人夫もいなかった。
 向こう岸からでなければふたりの様子をたやすく見て取ることはできなかった。そしてそれだけの距離を置いてながめる時には、先に行く男は、毛を逆立てぼろをまとい怪しい姿をして、ぼろぼろの仕事服の下に不安らしく震えており、後ろの男は、古風な役人ふうな姿をして、フロック型の官服をつけ頤《あご》の所までボタンをはめているのが、見て取られたろう。
 読者がもし更に近くからふたりをながめたならば、彼らが何者であるかをおそらく知り得たろう。
 第二の男の目的は何であったか?
 おそらく第一の者にもっと暖かい着物を着せてやろうというのに違いなかった。
 国家の服をつけてる者がぼろをまとってる男を追跡するのは、その男にもやはり国家の服を着せんがためにである。ただ問題はその色にある。青い服を着るのは光栄であり、赤い服を着るのは不愉快である。
 世には下層にも緋《ひ》の色がある。([#ここから割り注]訳者注 上層に皇帝の緋衣のあるごとくに[#ここで割り注終わり])
 第一の男がのがれんと欲していたのは、たぶんこの種の不愉快と緋の色とであったろう。
 第二の男が第一の男を先に歩かしてなお捕えないでいるのは、その様子から推測すると、彼をある著名な集合所にはいり込ませ、一群のいい獲物の所まで案内させようというつもりらしかった。その巧みなやり方を「尾行」という。
 右の推測をなお確かならしむることには、ボタンをはめてる男は川岸通りを通りかかった空《から》の辻馬車《つじばしゃ》を汀《みぎわ》から見つけて、御者に合い図をした。御者はその合い図を了解し、またきっと相手がどういう人であるかを見て取ったのだろう、手綱を回らして、川岸通りの上から並み足でふたりの男について行き始めた。そのことは、先に歩いてるぼろ服の怪しい男からは気づかれなかった。
 辻馬車はシャン・ゼリゼーの並み木に沿って進んでいた。手に鞭《むち》を持ってる御者の半身が胸欄の上から見えていた。
 警官らに与えられてる警察の秘密訓令の一つに、こういう個条がある。「不時の事件のためには常に辻馬車を手に入れ置くべし。」
 互いにみごとな戦略をもって行動しながらふたりの男は、川岸通りの傾斜が水ぎわまで下ってる所に近づいていった。そこは当時、パッシーから到着する辻馬車の御者らが、馬に水を飲ませるために川までおりてゆけるようになっていた。けれどもその傾斜は、全体の調和を保つためにその後つぶされてしまった。馬はそのために喉《のど》をかわかしているが、見た所の体裁はよくなっている。
 仕事服の男は、シャン・ゼリゼーに逃げ込むためにその傾斜を上ってゆくつもりらしかった。シャン・ゼリゼーは樹木の立ち並んだ場所だった。しかしその代わりに、巡査の往来が繁く相手は容易に助力を得られるわけだった。
 川岸通りのその地点は、一八二四年ブラク大佐がモレー市からパリーに持ってきたいわゆるフランソア一世の家と言わるる建て物から、ごく近い所であった。衛兵の屯所《とんしょ》もすぐそばにあった。
 ところが意外にも、追跡されてる男は、水飲み場の傾斜を上ってゆかなかった。彼はなお川岸通りに沿って汀《みぎわ》を進んでいった。
 彼の地位は明らかに危険になっていった。
 セーヌ川に身を投げるのでなければ、いったい彼はどうするつもりだろう。
 先に行けばもう川岸通りに上る方法はなかった。傾斜もなければ階段もなかった。少し先は、セーヌ川がイエナ橋の方へ屈曲してる地点で、汀はますます狭くなり、薄い舌ほどになって、ついに水の中に没していた。そこまで行けば、右手は絶壁となり、左と前とは水となり、うしろには警官がやってきて、彼はどうしても四方からはさまれることになるのだった。
 もっともその汀のつきる所には、何の破片とも知れない種々の遺棄物が六、七尺の高さに積もって、人の目をさえぎってはいた。しかしその男は一周すればすぐに見つけられるようなその残壊物の堆積のうしろに、うまく身を隠そうとでも思っていたのだろうか。それは児戯に類する手段であった。彼も確かにそんなことを考えていたのではあるまい。それほど知恵のない盗人は世にあるものではない。
 残壊物の堆積は水ぎわに高くそびえていて、川岸通りの壁まで岬《みさき》のようにつき出ていた。
 追われてる男は、その小さな丘の所まで行って、それを回った。そのためにもひとりの男からは見えなくなった。
 あとの男は、相手の姿を見ることができなくなったが、それとともに先方から見られることもなくなった。彼はその機会に乗じて、今までの仮面を脱してごく早く歩き出した。間もなく残壊物の丘の所に達して、それを一巡した。そして彼は惘然《ぼうぜん》として立ち止まった。彼が追っかけてきた男はもうそこにいなかった。
 仕事服の男はまったく雲隠れしてしまったのである。
 汀《みぎわ》は残壊物の堆積から先には三十歩ばかりしかなく、川岸通りの壁に打ちつけてる水の中に没していた。
 逃走者がセーヌ川に身を投ずるか川岸通りによじ上るかすれば、必ず追跡者の目に止まったはずである。いったい彼はどうなったのであろう?
 上衣によくボタンをかけてる男は、汀の先端まで進んでゆき、拳《こぶし》を握りしめ目を見張り考え込んで、しばらくたたずんだ。と突然彼は額をたたいた。地面がつきて水となってる所に、分厚《ぶあつ》な錠前と三つの太い肱金《すじかね》とのついてる大きな低い円形の鉄格子《てつごうし》を、彼は認めたのだった。その鉄格子は、川岸通りの下に開いてる一種の門であって、その口は川と汀《みぎわ》とにまたがっていた。黒ずんだ水が下から流れ出ていた。水はセーヌ川に注いでいた。
 その錆《さび》ついた重い鉄棒の向こうに、一種の丸い廊下が見えていた。
 男は両腕を組んで、叱責《しっせき》するような様子で鉄格子を睨《にら》めた。
 しかし睨んだだけでは足りないので、彼はそれを押し開こうとした。そして揺すってみたが、鉄格子はびくともしなかった。何の音も聞こえなかったけれども、たぶんそれは今しがた開かれたはずである。そんな錆ついた鉄格子にしては、音のしなかったのが不思議である。またそれは再び閉ざされたに相違ない。してみれば、つい先刻その門を開いて閉ざした男は、開門鉤《かいもんかぎ》ではなく一つの鍵《かぎ》を持っていたことは確かである。
 その明らかな事実は、鉄格子《てつごうし》を揺すっている男の頭に突然浮かんできた。彼は憤然として思わず結論を口走った。
「実にけしからん、政府の鍵を持っている!」
 それから彼は直ちに冷静に返って、頭の中にいっぱい乱れてる考えのすべてを、ほとんど冷罵《れいば》のような一息の強い単語で言い放った。
「よし、よし、よし、よしっ!」
 そう言って、あるいは男が再び出て来るのを見るつもりか、あるいは他の男どもがはいってゆくのを見るつもりか、とにかく何事かを期待しながら、気長く憤怒を忍んでる猟犬のような様子で、残壊物の堆積のうしろに潜んで見張りをした。
 彼の足並みに速度を合わしてきた辻馬車《つじばしゃ》の方も、上方の胸欄のそばに止まった。御者は長待ちを予想して、下の方が湿ってる燕麦《えんばく》の袋を馬の鼻面にあてがった。そういう食物の袋はパリー人のよく知ってるもので、ついでに言うが、彼ら自身も時々政府からそれをあてがわれることがある。まれにイエナ橋を渡る通行人らは、遠ざかる前に振り返って、あたりの景色の中にじっと動かないでいる二つのもの、汀《みぎわ》の上の男と川岸通りの上の辻馬車《つじばしゃ》とを、しばらくながめていった。

     四 彼もまた十字架を負う

 ジャン・ヴァルジャンは再び前進し始めて、もう足を止めなかった。
 行進はますます困難になってきた。丸天井の高さは一定でなかった。平均の高さは五尺六寸ばかりで、人の身長に見積もられていた。ジャン・ヴァルジャンはマリユスを天井に打ちつけないように背をかがめなければならなかった。各瞬間に身をかがめ、それからまた立ち上がり、絶えず壁に触れてみなければならなかった。壁石の湿気と底部の粘質とは、手にもまた足にもしっかりしたささえを与えなかった。彼は都市のきたない排泄物《はいせつぶつ》の中につまずいた。風窓から時々さしてくる明るみは、長い間を置いてしか現われてこなかったし、太陽の光も月の光かと思われるほど弱々しかった。その他はすべて、靄《もや》と毒気と混濁と暗黒のみだった。ジャン・ヴァルジャンは腹がすき喉《のど》がかわいていた。ことにかわきははなはだしかった。しかもそこは海のように、水が一面にありながら一滴も飲むことのできない場所だった。彼の体力は、読者の知るとおり非常に大であって、清浄節欲な生活のために老年におよんでもほとんど減じてはいなかったが、それでも今や弱り始めてきた。疲労は襲ってき、そのために力は少なくなり、背の荷物はしだいに重さを増してきた。マリユスはもう死んでるのかも知れないと思われた。命のない身体のようにずっしりした重さがあった。ジャン・ヴァルジャンはその胸をなるべく押さえないように、またその呼吸がなるべく自由に通うようなふうに、彼をになっていた。足の間には鼠《ねずみ》がすばやく逃げてゆくのを感じた。中には狼狽《ろうばい》の余り彼に噛《か》みついたのがあった。時々下水道の口のすき間から新しい空気が少し流れ込んできたので、彼はまた元気になることもあった。
 彼が囲繞溝渠《いじょうこうきょ》に達したのは、午後三時ごろであったろう。
 最初に彼は突然広くなったのに驚いた。両手を伸ばしても両方の壁に届かず頭も上の丸天井に届かないほどの広い隧道《すいどう》に、にわかに出たのだった。実際その大溝渠は、広さ八尺あり高さは七尺ある。
 モンマルトル下水道が大溝渠に合してる所には、他の二つの隧道、すなわちプロヴァンス街のそれと屠獣所のそれとが落ち合って、四つ辻《つじ》を作っている。ごく怜悧《れいり》な者でなければその四つの道のうちを選択することは困難であった。幸いにジャン・ヴァルジャンは一番広い道を、すなわち囲繞溝渠を選みあてた。しかしそこにまた問題が起こってきた。傾斜を下るべきか、あるいは上るべきか? 事情は切迫しているし今はいかなる危険を冒してもセーヌ川に出なければいけないと、彼は考えた、言い換えれば、傾斜をおりてゆかなければならないと。彼は左へ曲がった。
 その選定は彼のために仕合わせだった。囲繞溝渠はベルシーの方へとパッシーの方へと二つの出口があると思い、その名の示すがようにセーヌ右岸のパリーの地下を取り巻いてると思うのは、誤りである。来歴を考えればわかることであるが、その大溝渠は昔のメニルモンタン川にほかならないのであって、上手に上ってゆけば一つの行き止まりに達する。その行き止まりはすなわち、昔の川の出発点で、メニルモンタンの丘の麓《ふもと》にある源泉だった。ポパンクール街より以下のパリーの水を合し、アムロー上水道となり、昔のルーヴィエ島の上手でセーヌ川に注いでる一脈とは、何ら直接の連絡はないのである。集合溝渠を完全ならしむるその一脈は、メニルモンタン街の下では、上《かみ》と下《しも》とに水を分かつ地点となってる一塊の土壌で、大溝渠からへだてられている。もしジャン・ヴァルジャンが隧道《すいどう》を上っていったならば、限りない努力を重ねた後、まったく疲れきり、息も絶えだえになって、暗黒の中で一つの壁につき当たったであろう。そして彼はもう万事休したに違いない。
 なお厳密に言えば、その行き止まりから少しあとに引き返し、ブーシュラー四つ辻《つじ》の地下の輻湊点《ふくそうてん》にも迷わないで、フィーユ・デュ・カルヴェールの隧道にはいり、次に左手のサン・ジルの排水道にはいり、次に右に曲がり、サン・セバスティヤンの隧道を避ければ、アムロー下水道に出られ、それから更に、バスティーユの下にあるF字形の隧道に迷いこまなければ、造兵廠《ぞうへいしょう》の近くのセーヌ川への出口に達するのだった。しかしそれには、巨大な石蚕《せきさん》のような下水道をよく知りつくし、あらゆる枝と穴とを知っていなければならなかったろう。しかるに、なおことわっておくが、彼は自らたどってるその恐るべき道筋について何らの知識をも持っていなかった。もしどういう所にいるかと人に尋ねられたとしたら、彼はただ暗夜のうちにいるのだと答えたろう。
 本能は彼にいい助言を与えたのである。傾斜をおりてゆけば、実際あるいは救われるかも知れなかった。
 彼は、ラフィット街とサン・ジョルジュ街との下で鷲《わし》の爪《つめ》の形に分岐してる二つの隧道と、アンタン大道の下のフォーク形に分かれてる長い隧道とを、そのまま右にしてまっすぐに進んでいった。
 たぶんマドレーヌの分岐らしい一つの横道から少し先まで行った時、彼は立ち止まった。非常に疲れていた。おそらくアンジュー街ののぞき穴であったろうが、かなり大きな風窓がそこにあって、相当強い光がさし込んでいた。ジャン・ヴァルジャンは負傷してる弟に対するような静かな動作で、マリユスを下水道の底の段の上におろした。マリユスの血に染まった顔は、風窓から来る白い明るみを受けて、墳墓の底にあるもののように思われた。その目は閉じ、髪は赤い絵の具を含んだままかわいてる刷毛《はけ》のようになって額にこびりつき、両手は死んだようにだらりとたれ、四肢《しし》は冷たく、脣《くちびる》のすみには血が凝結していた。血のかたまりが襟飾《えりかざ》りの結び目にたまっていた。シャツは傷口にはいり込み、上衣のラシャはなまなましい肉の大きな切れ目をじかに擦《こす》っていた。ジャン・ヴァルジャンは指先で服を開いて、その胸に手をあててみた。心臓はまだ鼓動していた。彼は自分のシャツを裂き、できるだけよく傷口を縛って、その出血を止めた。それから薄ら明かりの中で、依然として意識もなくまたほとんど息の根もないマリユスの上に身をかがめ、言葉に尽し難い恨みの情をもって見守った。
 マリユスの服を開く時、ジャン・ヴァルジャンはそのポケットに二つの物を見いだした。前日入れたまま忘れられてるパンと、マリユスの紙ばさみであった。彼はそのパンを食い、次に紙ばさみを開いてみた。第一のページにマリユスが認めた数行が見えた。その文句は読者の記憶するとおりである。

予はマリユス・ポンメルシーという者なり。マレーのフィーユ・デュ・カルヴェール街六番地に住む予が祖父ジルノルマン氏のもとに、予の死骸《しがい》を送れ。

 ジャン・ヴァルジャンは風窓からさしこむ光でその数行を読み、しばらく何か考え込んだようにしてたたずみながら、半ば口の中で繰り返した、「フィーユ・デュ・カルヴェール街六番地、ジルノルマン氏。」それから彼は紙挾《かみばさ》みをまたマリユスのポケットにしまった。彼は食を得たので力を回復した。それでマリユスを再び背に負い、その頭を注意して自分の右肩にもたせ、また下水道を下り始めた。
 メニルモンタンの谷に沿って曲がりながら続いてる大溝渠は、およそ二里ほどの長さだった。その間おもな部分には皆石が鋪《し》いてあった。
 ジャン・ヴァルジャンの地下の道筋を読者によくわからせるために、われわれは一々パリーの街路の名前をあげているが、彼自身はもとより炬火《たいまつ》のようなそういう知識を持たなかった。パリーのいかなる地帯を横ぎってるのか、またいかなる道筋をたどってるのか、それを彼に示してくれるものは何もなかった。ただ、時々出会う光の隈《くま》がますます薄くなってゆくので、日光はもう往来にささず日暮れに間もないことが、わかるばかりだった。そして頭の上の馬車のとどろきは、連続してたのが間歇的《かんけつてき》になり、後にはほとんど聞こえなくなってしまったので、もうパリーの中央の地下にいるのではなく、外郭の大通りか出外れの川岸通りかに近いある寂しい場所に近づいたことが、推定されるだけだった。人家や街路の少ない所には、下水道の風窓も少なくなる。今やジャン・ヴァルジャンのまわりには暗やみが濃くなっていた。それでも彼は闇《やみ》の中を手探りでなお前進し続けた。
 するとにわかに、その闇《やみ》は恐ろしいほどになってきた。

     五 砂にも巧みなる不誠実あり

 ジャン・ヴァルジャンは水の中にはいってゆくのを感じ、また足の下にはもう舗石《しきいし》がなくて泥土《でいど》ばかりなのを感じた。
 ブルターニュやスコットランドのある海岸では、旅客や漁夫などが、干潮の時岸から遠い砂浜を歩いていると、数分前から歩行が困難になってるのを突然気づくことが往々ある。足下の砂浜は瀝青《チャン》のようで、足の裏はすいついてしまう。それはもう砂ではなくて黐《もち》である。砂面はまったくかわいているが、歩を運ぶごとに、足をあげるとすぐに、その足跡には水がいっぱいになる。けれど目に見た所では普通の砂浜と何の違いもない。広い浜は平たく静かであり、砂は一面に同じありさまをし、固い所とそうでない所との区別は少しもつかない。跳虫《はねむし》の小さな雲のような楽しい群れは、行く人の足の上に騒々しく飛び続ける。人はなおその道を続け、前方に進み、陸地の方へ向かって、岸に近づこうとする。彼は別に不安を覚えない。実際何の不安なことがあろう。ただ彼は一歩ごとに足の重みが増してゆくように感ずるばかりである。するとにわかに沈み出す。二、三寸沈んでゆく。まさしく道筋が悪いのである。正しい方向を見定めるために彼は立ち止まる。ふと自分の足下を見る。足は見えなくなっている。砂の中に没している。それで足を砂から引き出し、元きた方に戻ろうとしてうしろを向く。するとなお深く沈んでゆく。砂は踝《くるぶし》まで及ぶ。飛び上がって左へ行こうとすると砂は脛《すね》の半ばまで来る。右へ行こうとすると、砂は膝頭《ひざがしら》まで来る。その時彼は、流砂の中に陥ってることを、人が歩くを得ず魚が泳ぐを得ない恐るべき場所に立ってることを、始めて気づいて、名状すべからざる恐怖に襲われる。荷物があればそれを投げ捨てる。危険に瀕《ひん》した船のように身を軽くしようとする。しかしもう遅い。砂は膝《ひざ》の上まで及ぶ。
 彼は助けを呼ぶ、帽子やハンカチを振る。砂はますます彼を巻き込む。もし浜辺に人がいないか、陸地があまり遠いか、特に危険だという評判のある砂床であるか、あたりに勇者がいないかすれば、もう万事終わりである。そのまま没するのほかはない。彼が定められた刑は、恐るべき徐々の埋没で、避け難い執念深いそして遅らすことも早めることもできないものであり、幾時間も続いて容易に終わらないものであって、健康な自由な者を立ったままとらえ、足から引き込み、努力をすればするほど、叫べば叫ぶほど、ますます下へ引きずりこみ、抵抗すればそれを罰するかのようにいっそう強くつかみ取り、徐々に地の中に埋めてゆき、しかも、一望の眼界や、樹木や、緑の野や、平野のうちにある村落の煙や、海の上を走る船の帆や、さえずりながら飛ぶ小鳥や、太陽や、空などを、うちながめるだけの余裕を与えるのである。その埋没は、地面の底から生ある者の方へ潮のごとく高まってくる一つの墳墓である。各瞬間は酷薄な埋葬者となる。とらわれた悲惨な男は、すわり伏しまたはおうとする。しかしあらゆる運動はますます彼を埋めるばかりである。彼は身を伸ばして立ち上がり、沈んでゆく。しだいにのみ込まれるのを感ずる。叫び、懇願し、雲に訴え、腕をねじ合わせ、死者狂いとなる。もう砂は腹までき、次に胸におよぶ。もう半身像にすぎなくなる。両手を差し上げ、恐ろしいうなり声を出し、砂浜の上に爪《つめ》を立ててその灰のようなものにつかまろうとし、半身像の柔らかい台から脱するため両肱《りょうひじ》に身をささえ、狂気のように泣き叫ぶ。砂はしだいに上がってくる。肩におよび、首におよぶ。今や見えるものは顔だけになる。大声を立てると、口には砂がいっぱいになる。もう声も出ない。目はまだ見えているが、それもやがて砂にふさがれる。もう何も見えなくなる。次には額が没してゆく。少しの髪の毛が砂の上に震える。一本の手だけが残って、砂浜の表面から出て動き回る。それもやがて見えなくなる。そして一人の人間が痛ましい消滅をとげるのである。
 時には騎馬の者が馬と共に埋没することもあり、車を引く者が車と共に埋没することもある。皆砂浜の下に終わってしまう。それは水の外の難破である。土地が人を溺《おぼ》らすのである。土地が大洋に浸されて罠《わな》となる。平地のように見せかけて、海のように口を開く。深淵《しんえん》もそういうふうに人を裏切ることがある。
 かかる悲惨なできごとはある地方の海浜には常に起こり得ることであるが、三十年前のパリー下水道にも起こり得るのであった。
 一八三三年に始められた大工事以前には、パリーの地下の道はよく突然人を埋没させるようになっていた。
 水が特に砕けやすい下層の地面にしみ込むので、古い下水道では舗石《しきいし》であり新しい下水道ではコンクリートの上に固めた水硬石灰である部分は、もうそれをささえるものがなくなって揺るぎ出していた。この種の牀板《ゆかいた》においては、一つの皺《しわ》はすなわち一つの割れ目である。一つの割れ目はすなわち一つの崩壊である。底部はかなり長く破壊していた。泥濘の二重の深淵たるその亀裂を専門の言葉では崩壊孔と称していた。崩壊孔とは何であるか? 突然地下で出会う海岸の流砂である。下水道の中にあるサン・ミシェルの丘の刑場である。水を含んだ土地は溶解したようになっている。その分子は柔らかい中間に漂っている。土でもなく水でもない。時としては非常な深さにおよんでいる。そういうものに出会うほど恐ろしいことはない。もし水が多ければ、死はすみやかであって、直ちにのみ込まれてしまう。もし泥《どろ》が多ければ、死はゆるやかであって、徐々に埋没される。
 そういう死は人の想像にもおよばないだろう。埋没が海浜の上においても既に恐るべきものであるとするならば、下水溝渠《げすいこうきょ》の中においてはどんなものであろう。海浜においては、大気、外光、白日、朗らかな眼界、広い物音、生命を雨降らす自由の雲、遠くに見える船、種々の形になって現われる希望、き合わせるかも知れない通行人、最後の瞬間まで得られるかも知れない救助、それらのものがあるけれども、下水道の中においてはただ、沈黙、暗黒、暗い丸天井、既にでき上がってる墳墓の内部、上を蔽《おお》われてる泥土《でいど》の中の死、すなわち汚穢《おわい》のための徐々の息苦しさ、汚泥の中に窒息が爪《つめ》を開いて人の喉《のど》をつかむ石の箱、瀕死《ひんし》の息に交じる悪臭のみであって、砂浜ではなく泥土であり、台風ではなくて硫化水素であり、大洋ではなくて糞尿《ふんにょう》である。頭の上には知らぬ顔をしている大都市を持ちながら、徒《いたず》らに助けを呼び、歯をくいしばり、もだえ、もがき、苦しむのである。
 かくのごとくして死ぬる恐ろしさは筆紙のおよぶところではない。時とすると死は、一種の壮烈さによってその恐ろしさを贖《あがな》われることがある。火刑や難破のおりなどには、人は偉大となることがある。炎や白波の中においては、崇高な態度も取られる。そこでは滅没しながら偉大な姿と変わる。しかし下水の中ではそうはゆかない。その死は醜悪である。そこで死ぬのは屈辱である。最後に目に浮かぶものは汚穢である。泥土は不名誉と同意義の言葉である。それは小さく醜くまた賤《いや》しい。クレランス(訳者注 イギリスのエドワード四世の弟で、王に背いた後死刑に処せられた時、自ら葡萄酒の樽の中の溺死の刑を求めたと伝えられている)のように芳香|葡萄酒《ぶどうしゅ》の樽《たる》の中で死ぬのはまだいいが、エスクーブロー(訳者注 本章末節参照)のように溝浚人《どぶさらいにん》の墓穴の中で死ぬのはたまらない。その中でもがくのは醜悪のきわみである。死の苦しみをしながら泥水中《でいすいちゅう》を歩くのである。地獄と言ってもいいほどの暗黒があり、泥穴と言ってもいいほどの泥濘《でいねい》があって、その中に死んでゆく者は、果たして霊魂となるのか蛙《かえる》となるのかを自ら知らない。
 墳墓はどこにあっても凄惨《せいさん》なものであるが、下水道の中では醜悪なものとなる。
 崩壊孔の深さは一定でなく、またその長さや密度も場所によって異なり、地層の粗悪さに比例する。時とすると、三、四尺の深さのこともあれば、八尺から十尺にもおよぶことがあり、あるいは底がわからぬこともある。その泥土はほとんど固くなってる所もあれば、ほとんど水のように柔らかい所もある。リュニエールの崩壊孔では、ひとりの人が没するに一日くらいかかるが、フェリポーの泥濘では五分間くらいですむ。泥土の密度いかんに従ってその支持力にも多少がある。大人が没しても子供なら助かる所がある。安全の第一要件は、あらゆる荷物を捨ててしまうことにある。足下の地面が撓《しな》うのを感ずる下水夫らは、いつもまず第一に、その道具袋や負《お》い籠《かご》や泥桶《どろおけ》を投げ捨てるのであった。
 崩壊孔のできる原因は種々である。地質の脆弱《ぜいじゃく》、人の達し得ないほど深い所に起こる地すべり、夏の豪雨、絶え間ない冬の雨、長く続く霖雨《りんう》など。また時とすると、泥灰岩や砂質の地面に立ち並んでる周囲の人家の重みのため、地廊の丸天井が押しやられてゆがむか、あるいは、その圧力のために底部が破裂して割れ目ができることもある。パンテオンの低下は、一世紀以前に、サント・ジュヌヴィエーヴ山の隧道《すいどう》の一部をそういうふうにしてふさいでしまった。人家の重みのために下水道がくずれる時、ある場合にはその変動は、舗石《しきいし》の間が鋸形《のこぎりがた》に開いて上部の街路に現われた。その裂け目は亀裂した丸天井の長さだけうねうねと続いていて、損害は明らかに目に見えるので、すぐに修復することができた。けれどもまた、内部の惨害が少しも外部に痕跡《こんせき》を現わさないこともしばしばあった。そういう場合こそ下水夫は災いである。底のぬけた下水道に不用意にはいって、そのままになった者も往々ある。古い記録は、そのようにして崩壊孔の中に埋没した下水夫を列挙している。幾多の名前が出ている。そのうちには、ブレーズ・プートランという男があるが、カレーム・プルナン街の広場の下の崩壊孔に埋没した下水夫である。彼はニコラ・プートランの兄弟であって、このニコラ・プートランは、一七八五年に嬰児《みどりご》の墓地と言われていた墓地の最後の墓掘り人であった。その年にこの墓地は廃せられてしまったのである。
 またその中には、上にちょっとあげた愉快な青年子爵エスクーブローもいる。彼は絹の靴下《くつした》をはきバイオリンをささげて襲撃が行なわれたレリダ市の攻囲のおりの勇士のひとりだった。エスクーブローはある夜、従妹たるスールディ公爵夫人のもとにいた所を不意に見つけられ、公爵の剣をのがれるためにボートレイ下水道の中に逃げ込んだが、その崩壊孔の中に溺死《できし》してしまった。スールディ夫人はその死を聞いた時、薬壜《くすりびん》を取り寄せて塩剤を嗅《か》ぎ、嘆くのを忘れた。そういう場合には恋も続くものではない。汚水だめは恋の炎を消してしまう。ヘロはレアドロスの溺死体を洗うのを拒み、チスベはピラムスの前に鼻をつまんで「おお臭い!」と言う。(訳者注 古代の物語中の話)

     六 崩壊孔

 ジャン・ヴァルジャンは一つの崩壊孔に出会ったのである。
 かかる崩壊は、当時シャン・ゼリゼーの地下にしばしば起こったことで、非常に流動性のものだったから、水中工事を困難ならしめ地下構造を脆弱《ぜいじゃく》ならしめていた。その流動性は、サン・ジョルジュ街区の砂よりもいっそう不安定なものであり、マルティール街区のガスを含んだ粘土層よりもいっそう不安定なものだった。しかも、サン・ジョルジュの砂地は、コンクリートの上に石堤を作ってようやく食い止められたものであり、マルティールの粘土層は、マルティール修道院の回廊の下では鋳鉄の管でようやく通路が穿《うが》たれたほど柔らかいものであった。一八三六年に、今ジャン・ヴァルジャンがはいり込んだその石造の古い下水道を改造するために、サン・トノレ郭外の下がこわされた時、シャン・ゼリゼーからセーヌ川まで地下に横たわってた流砂は非常な障害となって、工事は六カ月近くも続き、付近の住民、ことに旅館や馬車を所有してる人々の、ひどい不平の声を受けたものである。工事は困難なばかりでなく、また至って危険なものだった。実際、雨が四カ月半も続き、セーヌ川の溢水《いっすい》が三度も起こった。
 ジャン・ヴァルジャンが出会った崩壊孔は前日の驟雨《しゅうう》のためにできたものであった。下の砂土にようやくささえられていた舗石《しきいし》はゆがんで、雨水をふさぎ止め、水が中にしみ込んで、地くずれが起こっていた。底部はゆるんで、泥土《でいど》の中にはいり込んでいた。どれほどの長さに及んでいたか、それはわからない。やみは他の所よりもずっと濃くなっていた。それは暗夜の洞窟《どうくつ》の中にある泥土の穴だった。
 ジャン・ヴァルジャンは足下の舗石が逃げてゆくのを感じた。彼は泥濘《でいねい》の中にはいった。表面は水であり、底は泥であった。けれどもそれを通り越さなければならなかった。あとに引き返すことは不可能だった。マリユスは死にかかっており、ジャン・ヴァルジャンは疲れきっていた。それにまたどこにも他に行くべき道はなかった。ジャン・ヴァルジャンは前進した。その上、初めの二、三歩ではその窪地《くぼち》はさまで深くなさそうだった。しかし進むに従って、足はしだいに深く没していった。やがては、泥《どろ》が脛《すね》の半ばにおよび水が膝《ひざ》の上におよんだ。彼は両腕でできるだけマリユスを水の上に高く上げながら、進んでいった。今や泥は膝におよび、水は帯の所におよんだ。もう退くことはできなかった。ますます深く沈んでいった。底の泥土《でいど》は、ひとりの重さにはたえ得るくらい濃密だったが、明らかにふたりを支えることはできなかった。マリユスとジャン・ヴァルジャンとは、もし別々に分かれたらあるいは無事ですむかも知れなかった。しかしジャン・ヴァルジャンは、おそらくはもう死骸《しがい》になってるかも知れない瀕死《ひんし》のマリユスをにないながら、続けて前進した。
 水は腋《わき》まできた。彼は今にも沈み込むような気がした。その深い泥土の中で歩を運ぶのも辛うじてであった。ささえとなる泥の密度はかえって障害となった。彼はなおマリユスを持ち上げ、非常な力を費やして前進した。しかしますます沈んでいった。もう水から出てるのは、マリユスをささえてる両腕と頭とだけだった。洪水《こうずい》の古い絵には、そういうふうに子供を差し上げてる母親が見らるる。
 彼はなお沈んでいった。水を避けて呼吸を続けるために、頭をうしろに倒して顔を上向けた。もしその暗黒の中で彼を見た者があったら、影の上に漂ってる仮面かと思ったかも知れない。彼は自分の上に、マリユスのうなだれた頭と蒼白《そうはく》な顔とを、ぼんやり見分けた。彼は死に物狂いの努力をして、足を前方に進めた。足は何か固いものに触れた。一つの足場である。ちょうどいい時だった。
 彼は身を伸ばし、身をひねり、夢中になってその足場に乗った。あたかも生命のうちに上ってゆく階段の第一段のように思えた。
 危急の際に底の泥《どろ》の中で出会ったその足場は、底部の向こうの一端だった。それは曲がったままこわれないでいて、板のようにまた一枚でできてるかのように、水の下に撓《しな》っていた。よく築かれた石畳工事は、迫持《せりもち》になっていてかくまでに丈夫なものである。その一片の底部は、半ば沈没しながらなお強固で、まったく一つの坂道となっていた。一度その坂に足を置けば、もう安全だった。ジャン・ヴァルジャンはその斜面を上って、泥濘孔《でいねいこう》の彼岸に着いた。
 彼は水から出て、一つの石に出会い、そこにひざまずいた。彼は自然にそういう心地になって、しばらくそこにひざまずいたまま、全心を投げ出して言い知れぬ祈念を神にささげた。
 彼は身を震わし、氷のように冷たくなり、臭気にまみれ、瀕死《ひんし》の者をになって背をかがめ、泥濘をしたたらし、魂は異様な光明に満たされながら、立ち上がった。

     七 上陸の間ぎわに座礁することあり

 ジャン・ヴァルジャンは再び進み出した。
 けれども、崩壊孔の中に生命は落としてこなかったとするも、力はそこに落としてきたがようだった。極度の努力に彼は疲憊《ひはい》しつくしていた。今は身体に力がなくて、三、四歩進んでは息をつき、壁によりかかって休んだ。ある時は、マリユスの位置を変えるために段の所にすわらなければならなかった。そしてもう動けないかと思った。しかしたとい力はなくなっていたとするも、元気は消えうせていなかった。彼はまた立ち上がった。
 彼はほとんど足早に絶望的に歩き出して、頭も上げず、息もろくにつかないで、百歩ばかり進んだ。すると突然壁にぶつかった。下水道の曲がり角《かど》に達し、頭を下げて歩いていたので、その壁に行き当たったのである。目を上げてみると、隧道《すいどう》の先端に、前方の遠いごくはるかな彼方《かなた》に、一つの光が見えた。今度は前のように恐ろしい光ではなかった。それは楽しい白い光だった。日の光であった。
 ジャン・ヴァルジャンは出口を認めたのである。
 永劫《えいごう》の罰を被って焦熱地獄の中にありながら突然出口を認めた魂にして始めて、その時ジャン・ヴァルジャンが感じた心地を知り得るだろう。その魂は、焼け残りの翼をひろげて、光り輝く出口の方へ、狂気のごとく飛んでゆくに違いない。ジャン・ヴァルジャンはもう疲労を感じなかった。もうマリユスの重みをも感じなかった。足は再び鋼鉄のように丈夫になって、歩くというよりもむしろ走っていった。近づくにしたがって、出口はますますはっきり見えてきた。それは穹窿形《きゅうりゅうけい》の迫持《せりもち》で、しだいに低くなってる隧道の丸天井よりも更に低く、丸天井が下がるにしたがってしだいに狭《せば》まってる隧道よりも更に狭かった。隧道は漏斗《ろうと》の内部のようになっていた。かくしだいにつぼんでる不都合な形は、重罪監獄の側門を模したもので、監獄では理に合っているが、下水道では理に合わないので、その後改造されてしまった。
 ジャン・ヴァルジャンはその出口に達した。
 そこで彼は立ち止まった。
 まさしく出口ではあったが、出ることはできなかった。
 丸い門は丈夫な鉄格子《てつごうし》で閉ざされていた。そして鉄格子は、酸化した肱金《ひじがね》の上にめったに開閉された様子も見えず、石の框《かまち》に厚い錠前で固定してあり、錠前は赤く錆《さ》びて、大きな煉瓦《れんが》のようになっていた。鍵穴《かぎあな》も見え頑丈《がんじょう》な閂子《かんぬき》が鉄の受座に深くはいってるのも見えていた。錠前は明らかに二重錠がおろされていた。それは昔パリーがやたらに用いていた牢獄の錠前の一つだった。
 鉄格子の向こうには、大気、川、昼の光、狭くはあるが立ち去るには足りる汀《みぎわ》、遠い川岸通り、容易に姿を隠し得らるる深淵《しんえん》たるパリー、広い眼界、自由、などがあった。右手には下流の方にイエナ橋が見え、左手には上流の方にアンヴァリード橋が見えていた。夜を待って逃走するには好都合な場所だった。パリーの最も寂しい地点の一つだった。グロ・カイユーに向き合ってる汀だった。蠅《はえ》は鉄格子の間から出入していた。
 午後の八時半ごろだったろう。日は暮れかかっていた。
 ジャン・ヴァルジャンは底部のかわいた所に壁に沿ってマリユスをおろし、それから鉄格子に進んでいって、その鉄棒を両手につかんだ。そして狂気のごとく揺すったが、少しも動かなかった。鉄格子はびくともしなかった。弱い鉄棒を引きぬいて槓杆《てこ》とし扉《とびら》をこじあけるか錠前をこわすかするつもりで、彼は鉄棒を一本一本つかんだが、どれも小揺るぎさえしなかった。虎《とら》の牙《きば》もおよばないほど固く植わっていた。一つの槓杆もなく、一つの力になる物もなかった。障害は人力のおよぶべくもなかった。扉を開くべき方法は何もなかった。
 それでは彼は、そこで終わらなければならなかったのか。どうしたらいいか。どうなるのか。引き返して、既に通ってきた恐ろしい道程を繰り返すには、その力がなかった。それにまた、ようやく奇跡のように脱してきたあの泥濘《でいねい》の孔《あな》を、どうして再び通ることができよう。更にその泥濘の後には、あの警官の巡邏隊《じゅんらたい》があるではないか。確かに二度とそれからのがれられるものではない。そしてまた、どこへ行ったらいいか。どの方向を取ったらいいか。傾斜について進んでも、目的を達せられるものではない。他の出口にたどりついた所で、必ずやそれも石の蓋《ふた》か鉄の格子かでふさがれているだろう。あらゆる口がそういうふうに閉ざされてることは疑いない。彼がはいってきた鉄格子は偶然にもゆるんでいたが、しかし下水道の他の口がすべて閉ざされてることは明らかである。彼はただ牢獄《ろうごく》の中に逃げ込み得たに過ぎなかった。
 万事終わりであった。ジャン・ヴァルジャンがなしてきたすべては徒労に帰した。神はそれを受け入れなかったのである。
 かれらは二人とも、死の大きな暗い網に捕えられてしまった。そしてジャン・ヴァルジャンは、暗黒の中に震え動くまっ黒な網の糸の上に恐るべき蜘蛛《くも》が走り回るのを感じた。
 彼は鉄格子に背を向け、やはり身動きもしないでいるマリユスのそばに、舗石《しきいし》の上に、すわるというよりもむしろ打ち倒れるように身を落とした。その頭は両膝《りょうひざ》の間にたれた。出口はない。それが苦悶の最後の一滴であった。
 その深い重圧の苦しみのうちに、だれのことを彼は考えていたか。それは自分のことでもなく、またマリユスのことでもなかった。彼はコゼットのことを思っていたのである。

     八 裂き取られたる上衣の一片

 その喪心の最中に、一つの手が彼の肩に置かれ、一つの声が低く彼に話しかけた。
「山分けにしよう。」
 その闇《やみ》の中にだれがいたのであろうか。絶望ほど夢に似たものはない。ジャン・ヴァルジャンは夢をみてるのだと思った。少しも足音は聞こえなかったのである。現実にそんなことがあり得るだろうか。彼は目をあげた。
 一人の男が彼の前にいた。
 男は労働服を着、足には何にもはかず、靴《くつ》を左手に持っていた。明らかに彼は、足音を立てないでジャン・ヴァルジャンの所まで来るために、靴をぬいだのだった。
 ジャン・ヴァルジャンはその男がだれであるかを少しも惑わなかった。いかにも意外な邂逅《かいこう》ではあったが、見覚えがあった。テナルディエだった。
 言わば突然目をさましたようなものだったが、ジャン・ヴァルジャンは危急になれており、意外の打撃をも瞬間に受け止めるように鍛えられていたので、直ちに冷静に返ることができた。それに第一、事情は更に険悪になり得るはずはなかった。困却もある程度におよべば、もはやそれ以上に大きくなり得ないものである。テナルディエが出てきたとて、その闇夜をいっそう暗くすることはできなかった。
 しばし探り合いの時間が続いた。
 テナルディエは右手を額の所まで上げて目庇《まびさし》を作り、それから目をまたたきながら眉根《まゆね》を寄せたが、それは口を軽くとがらしたのとともに、相手がだれであるかを見て取ろうとする鋭い注意を示すものだった。しかし彼はそれに成功しなかった。ジャン・ヴァルジャンは前に言ったとおり、光の方に背を向けていたし、またま昼間の光でさえも見分け難いほど泥《どろ》にまみれ血に染まって姿が変わっていた。それに反してテナルディエは、窖《あなぐら》の中のようなほの白い明りではあるがそのほの白さの中にも妙にはっきりしてる鉄格子《てつごうし》から来る光を、まっ正面に受けていたので、通俗な力強い比喩《ひゆ》で言うとおり、すぐにジャン・ヴァルジャンの目の中に飛び込んできたのである。この条件の違いは、今や二つの位置と二人の男との間に行なわれんとする不思議な対決において、確かにジャン・ヴァルジャンの方にある有利さを与えるに足りた。会戦は、覆面をしたジャン・ヴァルジャンと仮面をぬいだテナルディエとの間に行なわれた。
 ジャン・ヴァルジャンはテナルディエが自分を見て取っていないのをすぐに気づいた。
 ふたりはその薄暗い中で、互いに身長をはかり合ってるように、しばらくじろじろながめ合った。テナルディエが先に沈黙を破った。
「お前はどうして出るつもりだ。」
 ジャン・ヴァルジャンは返事をしなかった。
 テナルディエは続けて言った。
「扉《とびら》をこじあけることはできねえ。だがここから出なけりゃならねえんだろう。」
「そのとおりだ。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
「じゃあ山分けだ。」
「いったい何のことだ?」
「お前はその男をやっつけたんだろう。よろしい。ところで俺《おれ》の方に鍵《かぎ》があるんだ。」
 テナルディエはマリユスをさし示した。彼は続けて言った。
「俺はお前を知らねえ、だが少し手伝おうというんだ。おだやかに話をつけようじゃねえか。」
 ジャン・ヴァルジャンは了解しはじめた。テナルディエは彼を人殺しだと思ってるのだった。テナルディエはまた言った。
「まあ聞けよ、お前はそいつの懐中を見届けずにやっつけたんじゃあるめえ。半分|俺《おれ》によこせ。扉を開いてやらあね。」
 そして穴だらけの上衣の下から大きな鍵《かぎ》を半ば引き出しながら、彼は言い添えた。
「自由な身になる鍵がどんなものか、見てえなら見せてやる。これだ。」
 ジャン・ヴァルジャンは、老コルネイユの用語を借りれば、「唖然《あぜん》とした。」そして眼前のことが果たして現実であるかを疑ったほどである。それは恐ろしい姿で現われてくる天意であり、テナルディエの形となって地から出て来る善良な天使であった。
 テナルディエは上衣の下に隠されてる大きなポケットに手をつき込み、一筋の綱を取り出して、それをジャン・ヴァルジャンに差し出した。
「さあ、」と彼は言った、「おまけにこの綱もつけてやらあな。」
「綱を何にするんだ。」
「石もいるだろうが、それは外にある。こわれ物がいっぱい積んであるんだ。」
「石を何にするんだ。」
「ばかだな。お前はそいつを川に投げ込むつもりだろう。すりゃあ石と綱とがいるじゃねえか。そうしなけりゃ水に浮いちまわあな。」
 ジャン・ヴァルジャンはその綱を取った。だれにでも、そういうふうにただ機械的に物を受け取ることがある。
 テナルディエは突然ある考えが浮かんだかのように指を鳴らした。
「ところで、お前はどうして向こうの泥孔《どろあな》を越してきたんだ。俺《おれ》にはとてもできねえ。ぷー、あまりいいにおいじゃねえな。」
 ちょっと黙った後、彼はまた言い出した。
「俺がいろんなことを聞いてるのに、お前が一向返事もしねえのはもっともだ。予審のいやな十五、六分間の下稽古だからな。それに、口をききさえしなけりゃあ、あまり大きな声を出しゃしねえかという心配もねえわけだからな。だがどっちみち同じことだ。お前の顔もよく見えねえし、お前の名も知らねえからといって、お前がどんな人間でどんなことをするつもりか、俺にわからねえと思っちゃまちがえだぜ。よくわかってらあね。お前はその男をばらして、今どこかに押し込むつもりだろう。お前には川がいるんだ。川ってものはばかなことをすっかり隠してしまうものだからな。困るなら俺が救ってやらあ。正直者の難儀を助けるなあ、ちょうど俺のはまり役だ。」
 ジャン・ヴァルジャンが黙ってるのを彼は一方に承認しながらも、明らかに口をきかせようとつとめていた。彼は横顔でも見ようとするように、相手の肩を押した。そしてやはり中声をしたまま叫んだ。
「泥孔と言やあ、お前はどうかしてるね。なぜあそこにほうり込んでこなかったんだ?」
 ジャン・ヴァルジャンは黙っていた。
 テナルディエは襟飾《えりかざ》りとしてるぼろ布を喉仏《のどぼとけ》の所まで引き上げた。それは真剣になった様子を充分に示す身振りだった。そして言った。
「だが、つまりお前のやり方は悧巧《りこう》だったかも知れねえ。職人が明日穴でもふさぎに来れば、そこに死人が捨てられてるのをきっと見つける。そうすりゃあ、それからそれと糸をたぐって跡をかぎつけ、お前の身におよんでくる。下水道の中を通った奴《やつ》がいる。それはだれだ、どこから出たんだ、出るのを見た者があるか? なんて警察はなかなか抜け目がねえからな。下水道は裏切って、お前を密告する。死人なんていう拾い物は珍しいし、人の目をひく。だから下水道を仕事に使う奴はあまりいねえ。ところが川とくりゃあ、だれでも使ってる。川はまったく墓場だからな。一月もたってから、サン・クルーの網に死体がひっかかる。そうなりゃあかまったこたあねえ。身体は腐ってらあ。だれがこの男を殺したか、パリーが殺したんだ、てなことになる。警察だってろくに調べやしねえ。つまりお前は上手にやったわけだ。」
 テナルディエがしゃべればしゃべるほど、ジャン・ヴァルジャンはますます黙り込んだ。テナルディエはまた彼の肩を押し動かした。
「さあ用事をすまそう。二つに分けるんだ。お前は俺《おれ》の鍵《かぎ》を見たんだから、俺にも一つお前の金を見せなよ。」
 テナルディエは荒々しく、獰猛《どうもう》で、胸に一物あるらしく、多少|威嚇《いかく》するようなふうだったが、それでもごくなれなれしそうだった。
 不思議なことが一つあった。テナルディエの態度は単純ではなかった。まったく落ち着いてるような様子はなかった。平気なふうを装いながら、声を低めていた。時々口に指をあてては、しッ! とつぶやいた。その理由はどうも察し難かった。そこには彼らふたりのほかだれもいなかった。おそらく他に悪党どもがどこかあまり遠くない片すみに潜んでいて、テナルディエはそれらと仕事を分かちたくないと思ってるのだと、ジャン・ヴァルジャンは考えた。
 テナルディエは言った。
「話を片づけてしまおう。そいつは懐中にいくら持っていたんだ?」
 ジャン・ヴァルジャンは身体中方々さがした。
 読者の記憶するとおり、いつも金を身につけてるのは彼の習慣だった。臨機の策を講じなければならない陰惨な生活に定められてる彼は、金を用意しておくのを常則としていた。ところがこんどに限って無一物だった。前日の晩、国民兵の服をつけるとき、悲しい思いに沈み込んでいたので、紙入れを持つのを忘れてしまった。彼はただチョッキの隠しにわずかな貨幣を持ってるだけだった。全部で三十フランばかりだった。彼は汚水に浸ったポケットを裏返して、底部の段の上に、ルイ金貨一個と五フラン銀貨二個と大きな銅貨を五、六個並べた。
 テナルディエは妙に首をひねりながら下脣《したくちびる》をつき出した。
「安っぽくやっつけたもんだな。」と彼は言った。
 彼はごくなれなれしく、ジャン・ヴァルジャンとマリユスとのポケットに一々さわってみた。ジャン・ヴァルジャンは特に光の方に背を向けることばかりに気を使っていたので、彼のなすままに任した。テナルディエはマリユスの上衣を扱ってる間に、手品師のような敏捷《びんしょう》さで、ジャン・ヴァルジャンが気づかぬうちに、その破れた一片を裂き取って、自分の上衣の下に隠した。その一片の布は、他日被害者と加害者とがだれであるかを知る手掛かりになるだろうと、多分考えたのだろう。しかし金の方は、三十フラン以外には少しも見いださなかった。
「なるほど、」と彼は言った、「ふたりでそれだけっきり持たねえんだな。」
 そして山分け[#「山分け」に傍点]という約束を忘れて、彼は全部取ってしまった。
 大きな銅貨に対しては彼もさすがにちょっと躊躇《ちゅうちょ》した。しかし考えた末それをも奪いながら口の中でつぶやいた。
「かまわねえ、あまり安すぎるからな。」
 それがすんで、彼はまた上衣の下から鍵《かぎ》を引き出した。
「さあ、お前は出なけりゃなるめえ。ここは市場のようなもんで出る時に金を払うんだ。お前は金を払ったから、出るがいい。」
 そして彼は笑い出した。
 彼がそういうふうに、見知らぬ男に鍵を貸してやり、その門から他人を出してやったのは、一殺害人を救ってやろうという純粋無私な考えからであったろうか。それについては疑いを入れる余地がある。
 テナルディエはジャン・ヴァルジャンに自ら手伝って再びマリユスを肩にかつがせ、それから、ついて来るように合い図をしながら、跣足《はだし》の爪先でそっと鉄格子《てつごうし》の方へ進み寄り、外をのぞき、指を口にあて、決心のつかないようなふうでしばらくたたずんだ。やがて外の様子をうかがってしまうと、彼は鍵を錠前の中に差し込んだ。閂子《かんぬき》はすべり、扉《とびら》は開いた。擦《す》れる音もせず、軋《きし》る音もしなかった。ごく静かに開かれてしまった。それでみると明らかに、鉄格子と肱金《ひじがね》とはよく油が塗られていて、思ったよりしばしば開かれていたものらしい。その静けさは気味悪いものだった。隠密な往来がそこに感ぜられ、夜の男どもの黙々たる出入りと罪悪の狼《おおかみ》の足音とがそこに感ぜられた。下水道はまさしく、秘密な盗賊仲間の同類だった。音を立てないその鉄格子は贓品《ぞうひん》受け取り人だった。
 テナルディエは扉《とびら》を少し開き、ジャン・ヴァルジャンにちょうど通れるだけのすき間を与え、鉄格子《てつごうし》を再び閉ざし、錠前の中に二度|鍵《かぎ》を回し、息の根ほどの音も立てないで、暗黒の中にまた没してしまった、彼は虎のビロードのような足で歩いてるかと思われた。一瞬間の後には、天意ともいうべきその嫌悪《けんお》すべき男は、目に見えないもののうちにはいり込んでしまっていた。
 ジャン・ヴァルジャンは外に出た。

     九 死人と思わるるマリユス

 ジャン・ヴァルジャンはマリユスを汀《みぎわ》の上にすべりおろした。
 彼らは外に出たのである。
 毒気と暗黒と恐怖とは背後になった。自由に呼吸される清純な生きた楽しい健全な空気は、あたりにあふれていた。周囲は至る所静寂であったが、しかしそれは蒼空《あおぞら》のうちに太陽が沈んでいった後の麗わしい静寂だった。薄暮の頃で、夜はきかかっていた。夜こそは大なる救済者であり、苦難から出るために影のマントを必要とするあらゆる魂の友である。空は大きな平穏となって四方にひろがっていた。川は脣《くち》づけをするような音を立てて足下に流れていた。シャン・ゼリゼーの楡《にれ》の木立ちの中には、互いに就寝のあいさつをかわしてる小鳥の軽い対話が聞こえていた。ほの青い中天をかすかに通してただ夢想の目にのみ見える二、三の星は、無辺際のうちに小さな点となって輝いていた。夕はジャン・ヴァルジャンの頭の上に、無窮なるものの有するあらゆる静穏を展開していた。
 しかりとも否とも言い難い微妙な不分明な時間だった。既に夜の靄《もや》はかなり濃くなっていて、少し離るれば人の姿もよくわからないが、なお昼の明るみはかなり残っていて、近くに寄れば相手の顔が認められた。
 ジャン・ヴァルジャンはしばらくの間、そのおごそかなまたやさしい清朗の気にまったく打たれてしまった。かく我を忘れさせる瞬間もよくあるものである。そういう時、苦悩は不幸なる者をわずらわすのをやめる。すべては思念の中に姿を潜める。平和の気は夢想する者を夜のようにおおう。そして輝く薄明の下に、光をちりばむる空をまねて、人の魂も星に満たされる。ジャン・ヴァルジャンは頭の上に漂ってるその輝く広い影をうちながめざるを得なかった。彼は思いにふけりながら永劫《えいごう》の空のおごそかな静寂のうちに、恍惚と祈念との情をもって浸り込んだ。それから急に、あたかも義務の感が戻ってきたかのように、彼はマリユスの方へ身をかがめ、掌《てのひら》の窪《くぼ》の中に水をすくって、その数滴を静かに彼の顔にふりかけた。マリユスの眼瞼《まぶた》は開かなかった。けれども半ば開いてるその口には息が通っていた。
 ジャン・ヴァルジャンは再び川に手を入れようとした。その時、姿は見えないがだれかが背後に立ってるような言い知れぬ不安を突然感じた。
 だれでもそういう感銘を知ってるはずだが、それについては既に他の所で述べてきたとおりである。
 ジャン・ヴァルジャンはふり返った。
 感じたとおり、果たして何者かがうしろにいた。
 背の高いひとりの男が、フロック形の長い上衣を着、両腕を組み、しかも右手には鉛の頭が見える棍棒《こんぼう》を持って、マリユスの上にかがんでるジャン・ヴァルジャンの数歩うしろの所に、じっと立っていた。
 それは影に包まれていて幽霊のように見えた。単純な者であったら、薄暗がりのために恐怖を感じたろう。思慮ある者であったら、棍棒のために恐怖を感じたろう。
 ジャン・ヴァルジャンはその男がジャヴェルであることを見て取った。
 テナルディエを追跡したのはジャヴェルにほかならなかったことを、読者は既に察したであろう。ジャヴェルは望外にも防寨《ぼうさい》から出た後、警視庁へ行き、わずかの間親しく総監に面接して口頭の報告をし、それからまた直ちに自分の任務についた。読者は彼のポケットに見いだされた書き付けのことを記憶しているだろう。それによると彼の任務には、しばらく前から警察の注意をひいていたセーヌ右岸のシャン・ゼリゼー付近を少し監視することも含まっていた。彼はそこでテナルディエを見つけ、その跡をつけたのだった。その後のことは読者の知るとおりである。
 ジャン・ヴァルジャンの前に親切にも鉄格子《てつごうし》を開いてやったのは、テナルディエの一つの妙策だったことも、また同様にわかるはずである。テナルディエはジャヴェルがまだそこにいることを感じていた。待ち伏せされてる男は的確な一つの嗅覚《きゅうかく》を持ってるものである。そこで猟犬に一片の骨を投げ与えてやる必要があった。殺害者とは何という望外の幸いであろう! それは又とない身代わりであって、どうしてものがすわけにはゆかない。テナルディエは自分の代わりにジャン・ヴァルジャンを外につき出すことによって、警察に獲物を与え、自分の追跡を弛《ゆる》ませ、いっそう大きな事件のうちに自分のことを忘れさせ、いつも間諜《スパイ》が喜ぶ待ち甲斐のある報酬をジャヴェルに与え、自分は三十フランを儲《もう》け、そして、自分の方はそれに紛れて身を脱し得ることと思った。
 ジャン・ヴァルジャンは一つの暗礁から他の暗礁へぶつかったのである。
 相次いでテナルディエからジャヴェルへと落ちていった二度の災難は、あまりにきびしすぎた。
 前に言ったとおり、ジャン・ヴァルジャンはまったく姿が変わっていたので、ジャヴェルはそれと見て取り得なかった。彼は両腕を組んだまま、目につかないくらいの動作で棍棒《こんぼう》を握りしめてみて、それから簡明な落ち着いた声で言った。
「何者だ。」
「私だ。」
「いったいだれだ?」
「ジャン・ヴァルジャン。」
 ジャヴェルは棍棒をくわえ、膝《ひざ》をまげ、身体を傾け、ジャン・ヴァルジャンの両肩を二つの万力ではさむように強い両手でとらえ、その顔をのぞき込み、そして始めてそれと知った。二人の顔はほとんど接するばかりになった。ジャヴェルの目つきは恐ろしかった。
 ジャン・ヴァルジャンはあたかも山猫《やまねこ》の爪《つめ》を甘受してる獅子《しし》のように、ジャヴェルにつかまれたままじっとしていた。
「ジャヴェル警視、」と彼は言った、「私は君の手中にある。それに今朝《けさ》から、私はもう君に捕えられたものだと自分で思っていた。君からのがれるつもりならば、住所などを教えはしない。私を捕えるがいい。ただ一つのことを許してもらいたい。」
 ジャヴェルはその言葉を聞いてるようにも思われなかった。彼はジャン・ヴァルジャンの上にじっと瞳《ひとみ》を据えていた。頤《あご》に皺《しわ》を寄せ、脣《くちびる》を鼻の方へつき出して、荒々しい夢想の様子だった。それから彼はジャン・ヴァルジャンを放し、すっくと身を伸ばし、棍棒《こんぼう》を充分手のうちに握りしめ、そして夢の中にでもいるように、次の問を発した、というよりむしろつぶやいた。
「君はここに何をしてるんだ、そしてその男は何者だ。」
 彼はもうジャン・ヴァルジャンをきさまと呼んではいなかった。
 ジャン・ヴァルジャンは答えたが、その声の響きにジャヴェルは始めて我に返った。
「私が君に話したいのもちょうどこの男のことだ。私の身は君の勝手にしてほしい。だがまずこの男をその自宅に運ぶのを手伝ってもらいたい。願いというのはそれだけだ。」
 ジャヴェルの顔は、人から譲歩を予期されてると思うたびごとにいつもするように、すっかり張りつめた。けれども彼は否とは言わなかった。
 彼は再び身をかがめ、ポケットからハンカチを引き出し、それを水に浸して、マリユスの血に染まってる額をぬぐった。
「防寨《ぼうさい》にいた男だな。」と彼は独語のように半ば口の中で言った。「マリユスと呼ばれていた者だ。」
 彼こそ実に一流の探偵《たんてい》というべきであって、やがて殺されるのを知りながらも、すべてを観察し、すべてに耳を傾け、すべてを聞き取り、すべてのことを頭に入れていたのである。死の苦悶《くもん》のうちにありながら、様子をうかがい、墳墓へ一歩ふみ込みながら、記録をとっていたのである。
 彼はマリユスの手を取って脈を診《み》た。
「負傷している。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
「死んでいる。」とジャヴェルは言った。
 ジャン・ヴァルジャンは答えた。
「いや、まだ死んではいない。」
「君はこの男を、防寨《ぼうさい》からここまで運んできたんだな。」とジャヴェルは言った。
 下水道を横ぎってきたその驚くべき救助についてその上尋ねることもせず、また彼の問にジャン・ヴァルジャンが何とも答えないのを気にも止めなかったのを見ると、何か深く彼の頭を満たしていたものがあったに違いない。
 ジャン・ヴァルジャンの方は、ただ一つの考えしかいだいていないようだった。彼は言った。
「この男の住所は、マレーのフィーユ・デュ・カルヴェール街で、その祖父……名前を忘れてしまった。」
 ジャン・ヴァルジャンはマリユスの上衣を探り、紙ばさみを取り出し、マリユスが鉛筆で走り書きしたページを開き、それをジャヴェルに差し出した。
 文字が読めるくらいの光は、まだ空中に漂っていた。その上ジャヴェルの目は、夜の鳥のように暗中にも見える一種の燐光《りんこう》を持っていた。彼はマリユスの書いた数行を読み分けてつぶやいた。
「フィーユ・デュ・カルヴェール街六番地、ジルノルマン。」
 それから彼は叫んだ。「おい、御者!」
 読者の思い起こすとおり、辻馬車《つじばしゃ》は万一の場合のために待っていた。
 ジャヴェルはマリユスの紙挾《かみばさ》みを取り上げてしまった。
 まもなく、馬車は水飲み場の傾斜をおりて汀《みぎわ》までやってき、マリユスは奥の腰掛けの上に置かれ、ジャヴェルとジャン・ヴァルジャンとは相並んで前の腰掛けにすわった。
 戸は閉ざされ、辻馬車《つじばしゃ》はすみやかに遠ざかって、川岸通りをバスティーユの方向へ上っていった。
 一同は川岸通りを去って、街路にはいった。御者台の上に黒く浮き出してる御者は、やせた馬に鞭《むち》をあてていた。馬車の中は氷のような沈黙に満たされていた。マリユスは身動きもせず、奥のすみに身体をよせかけ、頭を胸の上にぐたりとたれ、両腕をぶら下げ、足は固くなって、もうただ柩《ひつぎ》を待ってるのみであるように思われた。ジャン・ヴァルジャンは影でできてるかのようであり、ジャヴェルは石でできてるかのようだった。そして馬車の中はまったくの暗夜であって、街灯の前を通るたびごとに、明滅する電光で照らされるように内部が青白くひらめいた。死骸《しがい》と幽霊と彫像と、三つの悲壮な不動の姿が、偶然いっしょに集まって、ものすごく顔をつき合わしてるかと思われた。

     十 生命を惜しまぬ息子《むすこ》の帰宅

 舗石《しきいし》の上に馬車が揺れるたびごとに、マリユスの頭髪から一滴ずつ血がたれた。
 馬車がフィーユ・デュ・カルヴェール街六番地に達した時は、もうま夜中だった。
 ジャヴェルはまっさきに馬車からおり、大門の上についてる番地を一目で見て取り、牡山羊《おやぎ》とサチール神とが向かい合ってる古風な装飾のある練鉄の重い金槌《かなづち》を取って、案内の鐘を一つ激しくたたいた。片方の扉《とびら》が少し開いた。ジャヴェルはそれを大きく押し開いた。門番は欠伸《あくび》をしながら、ぼんやり目をさましたようなふうで、手に蝋燭《ろうそく》を持って半身を現わした。
 家の中は皆寝静まっていた。マレーでは皆早寝で、ことに暴動の日などはそうである。その善良な古い町は、革命と聞くと恐れおののき、眠りの中に逃げ込んでしまう。あたかも子供らが、人攫《ひとさら》い鬼の来るのを聞いて、急いで頭からふとんをかぶるようなものである。
 その間に、ジャン・ヴァルジャンは両わきをささえ御者は膝《ひざ》を持って、ふたりでマリユスを馬車から引き出した。
 そういうふうにマリユスをかかえながら、ジャン・ヴァルジャンは大きく裂けてる服の下に手を差し込んで、その胸にさわってみ、なお心臓が鼓動してるのを確かめた。しかも、馬車の動揺のためにかえって生命を取り返したかのように、心臓の鼓動はいくらか前よりもよくなっていた。
 ジャヴェルはいかにも暴徒の門番に対する役人といった調子で、その門番に口をきいた。
「ジルノルマンという者の家はここか。」
「ここですが、何の御用でしょう?」
「息子を連れ戻してきたのだ。」
「息子を?」と門番はぼんやりしたふうで言った。
「死んでいるんだ。」
 よごれたぼろぼろの服をつけたジャン・ヴァルジャンが、ジャヴェルのうしろに立ってるので、門番は恐ろしそうにそちらをながめていた。するとジャン・ヴァルジャンは頭を振って、死んでるのではないと合い図をした。
 門番にはジャヴェルの言葉もジャン・ヴァルジャンの合い図もよくわからないらしかった。
 ジャヴェルは続けて言った。
「この者は防寨《ぼうさい》に行っていたが、このとおり連れてきたのだ。」
「防寨に!」と門番は叫んだ。
「そして死んだのだ。親父《おやじ》を起こしに行け。」
 門番は身を動かさなかった。
「行けと言ったら!」とジャヴェルはどなった。
 そして彼は付け加えた。
「いずれ明日《あす》は葬式となるだろう。」
 ジャヴェルにとっては、公道における普通のできごとは、すべて整然と分類されていた。それは警戒と監視との第一歩である。そして各事件はそれぞれの部門を持っていた。普通にありそうな事柄はすべて、言わば引き出しの中にしまわれていて、場合に応じて必要なだけ取り出さるるのだった。街路の中には、騒擾、暴動、遊楽、葬式、などがあった。
 門番はただバスクだけを起こした。バスクはニコレットを起こした。ニコレットはジルノルマン伯母を起こした。祖父の方はなるべく遅く知らせる方がいいとされて、眠ったままにして置かれた。
 マリユスは建て物の他の部屋《へや》の者がだれも気づかないうちに二階に運ばれ、ジルノルマン氏の次の室《へや》の古い安楽椅子《あんらくいす》に寝かされた。そしてバスクが医者を迎えに行き、ニコレットが箪笥《たんす》を開いてる間に、ジャン・ヴァルジャンはジャヴェルから肩をとらえられてるのを感じた。
 彼はその意味を了解し、ジャヴェルの足音をうしろにしたがえながら階段をまたおりていった。
 門番は恐ろしい夢の中にいるような心地で、彼らがはいってきたとおりにまた出て行くのをながめた。
 彼らは再び馬車に乗った。御者も御者台に上った。
「ジャヴェル警視、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「も一つ許してもらいたい。」
「何だ?」とジャヴェルは荒々しく尋ねた。
「ちょっと自宅に戻るのを許してほしい。それからあとは君の存分にしてもらおう。」
 ジャヴェルは上衣のえりに頤《あご》を埋め、しばらく黙り込んでいたが、それから前の小窓を開いた。
「御者、」と彼は言った、「オンム・アルメ街七番地へやれ。」

     十一 絶対者の動揺

 彼らは先方に着くまで一言も口をきかなかった。
 ジャン・ヴァルジャンが望んでいることは何であったか? 既にはじめたところをなし終えること、すなわち、コゼットに事情を知らせ、彼女にマリユスの居所を告げ、他の何か有益な注意を与え、またでき得るならばある最後の処置を取ることだった。彼自身のことは、彼一身に関することは、万事終わっていた。彼はジャヴェルに捕えられ、少しも抵抗しなかった。もし他の者がそういう地位に立ったら、テナルディエにもらった綱とこれからはいるべき第一の地牢《ちろう》の格子窓《こうしまど》とに、おそらく漠然《ばくぜん》と思いを馳《は》せたであろう。しかしミリエル司教に会って以来ジャン・ヴァルジャンのうちには、あらゆる暴行に対して、あえて言うが自身の生命を害する暴行に対しても、深い敬虔《けいけん》な躊躇《ちゅうちょ》の情があったのである。
 自殺ということは、未知の世界に対する一種神秘的な違法行為であり、ある程度まで魂の死を含み得るものであって、ジャン・ヴァルジャンにはなし得ないことだった。
 オンム・アルメ街の入り口で馬車は止まった。その街路は非常に狭くて馬車ははいれなかった。ジャヴェルとジャン・ヴァルジャンとは馬車から降りた。
 御者は馬車のユトレヒト製ビロードが、被害者の血と加害者の泥《どろ》とで汚点だらけになったことを、「警視様」にうやうやしく申し出た。彼はその事件を殺害だと思っていたのである。そして損害を弁償してもらわなければならないと言い添えた。同時に彼はポケットから手帳を取り出して、「何とか御証明を一行」その上に書いていただきたいと警視様に願った。
 ジャヴェルは御者が差し出してる手帳を退けて言った。
「待ち合わせと馬車代とをいれて全部でいくらほしいのか。」
「七時間と十五分になりますし、」と御者は答えた、「ビロードはま新しだったものですから、警視様、八十フランいただきましょう。」
 ジャヴェルはポケットからナポレオン金貨を四つ取り出して与え、馬車を返してやった。

 ジャン・ヴァルジャンはすぐ近くにあるブラン・マントーの衛舎かアルシーヴの衛舎かに、ジャヴェルが自分を徒歩で連れてゆくつもりだろうと思った。
 彼らはオンム・アルメ街にはいって行った。街路はいつものとおり寂然としていた。ジャヴェルはジャン・ヴァルジャンのあとに従った。彼らは七番地に達した。ジャン・ヴァルジャンは門を叩いた。門は開いた。
「よろしい。上ってゆくがいい。」とジャヴェルは言った。
 そして妙な表情をし、強《し》いて口をきいてるかのようなふうで言い添えた。
「わたしはここで君を待っている。」
 ジャン・ヴァルジャンはジャヴェルの顔をながめた。そんなやり方はジャヴェルの平素にも似合わぬことだった。けれども、今ジャヴェルが一種|傲然《ごうぜん》たる信任を彼に置いているとしても、それはおのれの爪《つめ》の長さだけの自由を鼠《ねずみ》に与える猫《ねこ》の信任であるし、またジャン・ヴァルジャンは一身を投げ出して万事を終わろうと決心していたので、別に大して驚くにも当たらないことだった。彼は戸を押し開き、家の中にはいり、もう寝ていて寝床の中から門を開く綱を引いてくれたその門番に、「私だ」と言い残し、階段を上っていった。
 二階にきて彼は立ち止まった。あらゆる悲しみの道にも足を休むべき場所がある。階段の上の窓は、揚げ戸窓になっていたが、いっぱい開かれていた。古い家には多く見受けられるとおり、その階段も外から明りが取られていて、街路が見えるようになっていた。ちょうど正面にある街路の光が少し階段に差して灯火《あかり》の倹約となっていた。
 ジャン・ヴァルジャンは息をつくためかあるいはただ機械的にか、その窓から頭を出した。そして街路の上に身をかがめてみた。街路は短くて、端から端まで明るく街灯に照らされていた。ジャン・ヴァルジャンは惘然《ぼうぜん》として我を忘れた。そこにはもうだれもいなかったのである。
 ジャヴェルは立ち去っていた。

     十二 祖父

 人々からとりあえず安楽椅子《あんらくいす》の上にのせられたまま身動きもしないで横たわってるマリユスを、バスクと門番とは客間の中に運んだ。呼ばれた医者は駆けつけてきた。ジルノルマン伯母《おば》は起き上がっていた。
 ジルノルマン伯母は驚き恐れて、うろうろし、両手を握り合わせ、「まあどうしたことだろう、」と口にするきり何にもできなかった。時とするとまた言い添えた、「何もかも血だらけになる。」それから最初の恐怖がしずまると、彼女の頭にも事情が多少わかってきて、「こうなるにきまっている、」という言葉を出させた。それでも彼女は、そういう場合によく口にされる「私が言ったとおりだ[#「私が言ったとおりだ」に傍点]」とまでは言わなかった。
 医者の言いつけで、たたみ寝台が一つ安楽椅子のそばに据えられた。医者はマリユスを診察して、脈がまだ続いており、胸には一つも深い傷がなく、脣《くちびる》のすみの血は鼻孔から出てるものであることを検《しら》べ上げた後、彼を平たく寝台の上に寝かし、呼吸を自由にさせるために、上半身を裸にし、枕《まくら》を与えないで頭が身体と同じ高さに、というよりむしろ多少低くなるようにした。ジルノルマン嬢はマリユスが裸にされるのを見て席をはずした。そして自分の室《へや》で念珠祈祷《ねんじゅきとう》を唱えはじめた。
 胴体は内部におよぶ傷害を一つも受けていなかった。一弾は紙挾《かみばさ》みに勢いをそがれ、横にそれて脇《わき》にひどい裂傷を与えていたが、それは別に深くはなく、したがって危険なものではなかった。下水道の中を長く通ってきたために、折れた鎖骨はまったく食い違って、そこに重な損傷があった。両腕は一面にサーベルを受けていた。顔にはひどい傷は一つもなかった。けれども頭はすっかりめちゃくちゃになっていた。それらの頭部の傷はどういう結果をきたすであろうか、頭皮だけに止まってるのだろうか、脳をも侵してきはしないだろうか? その点がまだ不明だった。重大な兆候は、それらの傷のために気絶してることであって、そういう気絶からはついに再びさめないことがよくある。その上彼は出血のために弱りきっていた。ただ帯から下の部分は、防寨《ぼうさい》にまもられて無事だった。
 バスクとニコレットとは布を引き裂いて繃帯《ほうたい》の用意をした。ニコレットはそれを縫い、バスクはそれを巻いた。綿撒糸《めんざんし》がないので、医者は一時綿をあてて傷口の出血を止めた。寝台のそばには、外科手術の道具が並べられてるテーブルの上に、三本の蝋燭《ろうそく》が燃えていた。医者は冷水でマリユスの頬と頭髪とを洗った。桶《おけ》一杯の水はたちまち赤くなった。門番は手に蝋燭を持ってそれを照らしていた。
 医者は悲しげに考え込んでいるらしかった。時々彼は自ら心のうちで試みてる問に自ら答えるように、否定的に頭を振った。医者がひとりでやるその不思議な対話は、病者に対する悪いしるしである。
 医者がマリユスの顔をぬぐって、なお閉じたままの眼瞼《まぶた》に軽く指先をさわった時、その客間の奥の扉《とびら》が開いて、青ざめた長い顔が現われた。
 祖父であった。
 二日間の暴動は、ジルノルマン氏をひどく刺激し怒らせ心痛さしていた。前夜彼は一睡もできず、またその一日熱に浮かされていた。晩になると、家中の締まりをよくしろと言いつけながら、早くから床について、疲労のため軽い眠りに入った。
 老人の眠りはさめやすいものである。ジルノルマン氏の室《へや》は客間に接していたので、皆は用心をしていたが、物音は彼をさましてしまった。彼は扉《とびら》のすき間から見える光に驚いて、寝床から起き出し、手探りにやってきた。
 彼は閾《しきい》の上に立ち、半ば開いた扉の取っ手に片手をかけ、頭を少し差し出してふらふらさし、身体は経帷子《きょうかたびら》のように白いまっすぐな無襞《むひだ》の寝間着に包まれ、びっくりした様子であった。その姿はあたかも墳墓の中をのぞき込んでる幽霊のようだった。
 彼は寝台を見、ふとんの上の青年を見た。青年は血にまみれ、皮膚は蝋《ろう》のように白く、目は閉じ、口は開き、脣《くちびる》は青ざめ、帯から上は裸となり、全身まっかな傷でおおわれ、身動きもせず、明るく照らし出されていた。
 祖父は頭から足先までその固い五体の許すだけ震え上がり、老年のために目じりが黄色くなってる両眼はガラスのような光におおわれ、顔全体はたちまち骸骨《がいこつ》のそれのように土色の角を刻み、両腕は撥条《ばね》が切れたようにだらりとたれ下がり、惘然《ぼうぜん》たる驚きの余りその震えてる年老いた両手の指は一本一本にひろがり、両膝《りょうひざ》は前方に角度をなしてこごみ、寝間着の開き目から白い毛の逆立ったあわれな膝頭があらわにのぞき出し、そして彼はつぶやいた。
「マリユス!」
「旦那様《だんなさま》、」とバスクは言った、「若旦那様は人に運ばれてこられました。防寨《ぼうさい》に行かれまして、そして……。」
「死んだのだ!」と老人は激しい声で叫んだ、「無頼漢めが!」
 その時、墳墓の中の変容もかくやと思われるばかりに、その百歳に近い老人は若者のようにすっくと身を伸ばした。
「あなたは医者ですね。」と彼は言った。「まず一つのことをはっきり言ってもらいたいです。そいつは死んでいるのでしょう、そうではないですか。」
 医者は心痛の余り黙っていた。
 ジルノルマン氏は両手をねじ合わしながら、恐ろしい笑いを発した。
「死んでいる、死んでいる。防寨《ぼうさい》で生命を投げ出したのだ、このわしを恨んで。わしへの面当《つらあて》にそんなことをしたのだ。ああ吸血児めが! こんなになってわしの所へ戻ってきたのか。ああ、死んでしまったのか!」
 彼は窓の所へ行き、息苦しいかのようにそれをいっぱい開き、そして暗闇《くらやみ》の前に立ちながら、街路の方に暗夜に向かって語り始めた。
「突かれ、切られ、喉《のど》をえぐられ、屠《ほふ》られ、引き裂かれ、ずたずたに切りさいなまれたのだ。わかったか、恥知らずめが! お前はよく知ってたはずだ、わしがお前を待っていたこと、お前の室《へや》を整えて置いたこと、お前の小さな子供の時分の写真をいつも寝床の枕頭《まくらもと》に置いていたことも。よく知ってたはずだ、お前はただ帰ってきさえすればよかった、もう長い年月わしはお前の名を呼んでいた、夕方などどうしていいかわからないで膝《ひざ》に手を置いたまま暖炉のすみにじっとしていた、お前のためにぼんやりしてしまっていた。お前はよく知ってたはずだ、ただ戻ってきさえすればよかったのだ、私《わたくし》ですと言いさえすればよかったのだ。お前はこの家の主人となる身だったのだ。わしは何でもお前の言うことを聞いてやるはずだったのだ、この老いぼれたばかな祖父《じいさん》をお前は思うとおりにすることができたのだ。お前はそれをよく知っていながら、『いや、彼は王党だ、彼の所へ行くもんか、』と言った。そしてお前は防寨《ぼうさい》に行き、依怙地《えこじ》に生命を捨ててしまった。ベリー公についてわしが言った事柄の腹|癒《い》せだ。実に不名誉なことだ。だがまあ床について、静かに眠るがいい。ああ死んでしまった。これがわしの覚醒《めざめ》だ。」
 医者はこんどは両方を心配し出して、ちょっとマリユスのそばを離れ、ジルノルマン氏の所へ行き、その腕を取った。祖父はふり返り、大きく開いた血走ってるように思われる目で彼をながめ、それでも落ち着いて彼は言った。
「いやありがとう。わしは何ともない。わしは一個の男子だ。ルイ十六世の死も見てきた。あらゆる事変を経てきた。だがただ一つ恐ろしいことがある。新聞紙が世に害毒を流すのを考えることだ。でたらめ記者、饒舌家《じょうぜつか》、弁護士、弁論家、演壇、論争、進歩、光明、人権、出版の自由、そういうものがあればこそ、子供は皆こういう姿になって家に運ばれて来るのだ。ああマリユス! 呪《のろ》うべきことだ。殺されてしまった。わしより先に死んでしまった。防寨、無頼漢! ドクトル、君はこの辺に住んでるのでしょう。わしは君をよく知っている。君の馬車が通るのをわしはよく窓から見かけた。わしは誓って言う。わしが今怒ってると思ってはまちがいです。死んだ者に対して怒っても仕方がない。それはばかげたことだ。これはわしが自分で育てた子供です。この子がまだごく小さい時、わしはもう老年になっていた。小さな鍬《くわ》と小さな椅子《いす》とを持ってテュイルリーの園でよく遊んでいた。そして番人にしかられないように、わしは杖の先で、彼が鍬で地面に掘った穴をよく埋めてやった。ところが他日、ルイ十八世を打ち倒せと叫んで、出ていってしまった。それはわしの罪ではない。彼は薔薇色《ばらいろ》の頬《ほお》をし、金髪であった。母親はもう亡《な》くなっていた。小さな子供は皆金色の髪をしてるものだが、なぜでしょう。これはひとりのロアールの無頼漢の子です。だが父親の罪は子供の知ったことではない。わしはこれがほんのこれくらいの大きさの時のことを覚えている。まだドという音を言えない時だった。小鳥のようにやさしいわけのわからぬ口をきいていた。ある時ファルネーゼのヘラクレス像の前で、大勢の者が彼を取り巻いて嘆賞したことを、わしは覚えている。それほどこの子は美しかった。まるで絵に書いたようだった。わしは時々大きい声をすることもあり、杖《つえ》を振り上げておどかすこともあったが、それもただ戯れであることを彼はよく知っていた。朝わしの室《へや》へはいってくると小言《こごと》を言ったが、それでもわしにとっては日の光がさしてくるようなものだった。そういう子供に対しては、だれでも無力なものだ。子供はわれわれを奪い、われわれをとらえて、決して放さないものだ。実際この子のようにかわいいものは世になかった。そして今、この子を殺してしまったラファイエット派やバンジャマン・コンスタン派やティルキュイル・ド・コルセル派などは、何という奴《やつ》どもだ! このままで済ますことはできない。」
 やはり身動きもせずに色を失ってるマリユスに彼は近寄って、また両腕をねじ合わした。医者もマリユスのそばに戻っていた。老人の白い脣《くちびる》は、ほとんど機械的に動いて、臨終の息のように、ようやく聞き取れるかすかな言葉をもらした。「ああ、薄情者、革命党、無法者、虐殺人!」それは死骸《しがい》に対して瀕死《ひんし》の者がつぶやく非難の声であった。
 内心の爆発は常に外に現われなければやまないものである。引き続いて言葉は少しずつ出てきたが、しかし祖父にはもうそれを口にするだけの力がないように見えた。彼の声は他界から来るかと思われるほど遠くかすかになっていた。
「それももうわしにとっては同じことだ。わしも間もなく死ぬんだ。ああパリーのうちにも、このあわれな子を喜ばせるだけの女はいなかったのか! なぜこの世をおもしろく楽しもうとはせず、戦いに行って畜生のように屠《ほふ》られてしまったのか。それもだれのため何のためかと言えば、共和のためではないか! 若い者はショーミエールにでも行って踊ってればいいのだ。二十歳といえばめったにない大事な年齢だ。ろくでもないばかな共和めが! 世の母親がいくらきれいな子供をこしらえても、皆|攫《さら》ってゆきやがる。ああこの子は死んでしまった。そのためにお前のとわしのと二つの葬式がこの家から出るだろう。お前がそんなことをしたのも、ラマルク将軍の目を喜ばせるためなのか。だがそのラマルク将軍がいったいお前に何をしてくれたか。猪武者《いのししむしゃ》めが、向こう見ずめが! 死んだ者のために死ぬなんてなんのことだ。これで気が狂わずにいられるか。考えてみるがいい、わずか二十歳で! そしてあとに残る者のことはふり向いて見ようともしない。このようにして世にあわれな人のいい老人は、ただひとりで死ななければならないのか。おおただひとりでくたばってしまうのか! だがとにかくそれで結構だ。わしの望みどおりだ。わしもこれでさっぱり往生するだろう。わしはあまり長生きしてる。もう百歳だ、万々歳だ。長い前から死んでよかったのだ。この打撃で済んだ。もう終わりだ。かえって仕合わせというものだ! この子にアンモニアを嗅《か》がせたりやたらに薬を飲ませたりしても、もう何の役に立とう。ドクトル、もう君がどんなに骨折ってもむだですぞ。ねえ、彼は死んでいる、まったく死んでいる。わしはよくそれを知っている。わし自身も死んでるのだから。彼は世の中を半分しか知らなかった。ああ今の時代は、汚れてる、汚れてる、汚れてるんだ。時代自身も、思潮も、学説も、指導者も、権威者も、学者も、三文文士も、へぼ思想家も、それから六十年来テュイルリー宮殿の烏《からす》の群れを脅かした多くの革命も、皆汚れてるんだ。そしてお前はこんなふうに身を殺しながら、わしに対して慈悲の心を持たなかったのだから、わしもお前の死を別に悲しくは思わない。わかったか、人殺しめ!」
 ちょうどその時マリユスは、静かに眼瞼《まぶた》を開いた。そしてその目は、まだ昏睡的《こんすいてき》な驚きにおおわれながら、ジルノルマン氏の上に据えられた。
「マリユス!」と老人は叫んだ、「マリユス、わしの小さなマリユス、わしの子、わしのかわいい子! 目を開いたか、わしを見てるのか、生きてくれたのか! ありがたい!」
 そして彼は気を失って倒れた。

   第四編 ジャヴェルの変調

 ジャヴェルはゆるやかな足取りでオンム・アルメ街を去っていった。
 生涯に始めて頭をたれ、生涯に始めて両手をうしろにまわして、彼は歩いていた。
 その日までジャヴェルは、ナポレオンの二つの態度のうち決意を示す方の態度をしか、すなわち胸に両腕を組む態度をしか取ったことはなかった。遅疑を示す方の態度は、すなわち両手をうしろにまわす方の態度は、彼の知らないところだった。しかるに今や一変化が起こっていた。彼の全身には緩慢|沈鬱《ちんうつ》の気が漂って、心痛の様《さま》が現われていた。
 彼は静かな街路を選んではいっていった。
 それでも彼は一定の方向に進んでいた。
 彼はセーヌ川に達する最も近い道をたどり、オルム川岸にいで、その川岸通りに沿い、グレーヴを通り越し、そしてシャートレー広場の衛舎からわずか離れた所、ノートル・ダーム橋の角《かど》に立ち止まった。セーヌ川はそこで、一方ノートル・ダーム橋とポン・トー・シャンジュの橋とにはさまれ、他方メジスリー川岸とフルール川岸とにはさまれて、まんなかに急流を通しながら四角な湖水みたようになっていた。
 セーヌ川のその辺は水夫たちが恐れてる場所である。今日はなくなっているが当時は橋の水車の杭《くい》があって、そのために急流が狭められ激せられてはなはだ危険だった。二つの橋が近いので危険はなお大となっている。橋弧の下は激しく水が奔騰している。水は大きな恐ろしい波を立てて逆巻き、そこに集まってたまり、太い水の綱で橋杭を引き抜こうとしてるかのように打ちつけている。そこに一度陥る者は再び姿を現わすことがなく、最も泳ぎに巧みな者も溺《おぼ》れてしまう。
 ジャヴェルは橋の欄干に両肱《りょうひじ》をもたせ、頤《あご》を両手に埋め、濃い口髭《くちひげ》を爪先《つまきき》で機械的にひねりながら、考え込んだ。
 一つの珍事が、一つの革命が、一つの破滅が、彼の心の底に起こったのである。深く反省すべき問題がそこにあった。
 ジャヴェルは恐ろしい苦悶をいだいていた。
 数時間前から既にジャヴェルの考えは単純でなくなっていた。彼の心は乱されていた。その一徹な澄み切った頭脳は、透明さを失っていた。その水晶のごとき澄明さのうちには、一片の雲がかけていた。ジャヴェルは自分の本心のうちに義務が二分したのを感じ、自らそれをごまかすことができなかった。セーヌ川の汀《みぎわ》で、意外にもジャン・ヴァルジャンに会った時、彼のうちには、獲物を再びつかんだ狼《おおかみ》のごときものと主人に再びめぐり会った犬のごときものとがあった。
 彼は自分の前に二つの道を見た。両方とも同じようにまっすぐであったが、とにかく二つであった。生涯にただ一本の直線しか知らなかった彼は、それにおびえた。しかも痛心のきわみには、その二つの道は互いに相入れないものだった。二つの直線は互いに排し合っていた。いずれが真実のものであったろうか。
 彼の地位は名状し難いものであった。
 悪人のおかげで生命を保ち、その負債を甘受してそれを償却し、心ならずも罪人と同等の位置に立ち、恩に対して他の恩を返すこと、「行け」と言われたのに対してこんどは「自由の身となれ」と言ってやること、私的な動機からして一般的責務を犠牲にし、しかもその私的な動機のうちにも、同じく一般的なまたおそらく更に優《すぐ》れた何かを感ずること、自分一個の本心に忠実なるため社会に裏切ること、それら種々の不合理が現実に現われてきて彼の上に積み重なったので、彼はなすところを知らなかった。
 ジャヴェルを驚かした一事は、ジャン・ヴァルジャンが彼を赦《ゆる》したことであり、彼を茫然《ぼうぜん》自失せしめた一事は、彼自らがジャン・ヴァルジャンを赦したことであった。
 彼はいかなる所に立っていたのか。彼はおのれをさがしたが、もはやおのれを見いだすことはできなかった。
 今やいかになすべきであったか? ジャン・ヴァルジャンを引き渡すは悪いことであり、またジャン・ヴァルジャンを自由の身にさしておくのも悪いことだった。第一の場合においては、官憲の男が徒刑場の男よりも更に低く墜《お》ちることであり、第二の場合においては、徒刑囚が法律よりも高く上って法律を足に踏まえることだった。二つの場合とも、彼ジャヴェルにとっては不名誉なことであった。いかなる決心を取っても墜堕が伴うのだった。人の宿命には不可能の上に垂直にそびえてる絶壁があるもので、それから向こうは人生はもはや深淵《しんえん》にすぎなくなる。ジャヴェルはそういう絶壁の縁の一つに立っていた。
 彼の心痛の一つは、考えなければならなくなったことである。相矛盾するそれらの感情の激しさは、彼をして考えるの余儀なきに至らしめた。思考ということは、彼がかつて知らなかったことであって、何よりも彼を苦しめた。
 思考のうちには常に内心の反乱が多少あるもので、彼は自分のうちにそういう反乱を持ってるのにいら立った。
 自分の職務の狭い範囲外に属するいかなる問題に関する思考も、あらゆる場合において彼に取っては、一つの無用事であり一つの退屈事だった。しかし今や過ぎた一日のことを考えると苦しくなった。それでも彼は、そういう打撃の後に自分の本心をのぞき込み、自らおのれを検覈《けんかく》せざるを得なかった。
 彼は自分のなしてきた事柄に戦慄《せんりつ》した。彼ジャヴェルは、警察のあらゆる規則に反し、社会上および司法上の組織に反し、法典全部に反し、自らよしとして罪人を放免したのである。それは彼一個には至当であった。しかし彼は私事のために公務を犠牲にした。それは何とも名状し難いことではなかったか。自ら犯したその名義の立たない行為に顔を向けるたびごとに、彼は頭から足先までふるえ上がった。いかなる決心を取るべきであるか。今はただ一つの手段きり残っていなかった。急いでオンム・アルメ街に戻りジャン・ヴァルジャンを下獄させること、それこそ明らかに彼がなさなければならないことだった。しかし彼はなし得なかった。
 何かがその方への道を彼にふさいでいた。
 何物であるか? 何であるか? 法廷や執行文や警察や官憲などより他のものが、世にはあるのであろうか。ジャヴェルは当惑した。
 神聖なる徒刑囚、法をもっても裁くことのできない囚人、しかもそれはジャヴェルにとって現実であった。
 罰を与えるための人間であるジャヴェルと、罰を受くるための人間であるジャン・ヴァルジャンと、互いに法の中にあるそのふたりが、ふたりとも法を超越するに至ったことは、恐るべきことではなかったか。
 いったいどうしたわけであるか。かかる異常事が世に起こるものであろうか、そしてだれも罰を受けないことがあり得るだろうか。ジャン・ヴァルジャンは社会組織全体よりも強力であって自由の身となり、彼ジャヴェルはなお政府のパンを食い続けてゆく、そういうことがあり得るだろうか。
 彼の夢想はしだいに恐ろしくなってきた。
 そういう夢想の間にも彼はなお、フィーユ・デュ・カルヴェール街に運ばれた暴徒のことについて、多少の自責を持つはずであった。しかし彼はそのことを念頭に浮かべなかった。小さな過失はより大なる過失のうちに消えてしまった。それにまた、その暴徒は確かに死んでいた。法律上の追跡は死人にまで及ぶものではない。
 ジャン・ヴァルジャンという一点こそ、彼の精神を圧する重荷であった。
 ジャン・ヴァルジャンは彼をまったく困惑さした。彼の生涯の支柱だったあらゆる定理はその男の前にくずれてしまった。彼ジャヴェルに対するジャン・ヴァルジャンの寛容は、彼を圧倒してしまった。昔彼が虚偽とし狂愚として取り扱ってきた他の事実も思い出されて、今や現実のものとなってよみがえってきた。マドレーヌ氏の姿は、ジャン・ヴァルジャンの背後に再び現われ、その二つの姿が重なり合って一つとなり、崇敬すべきものとなった。恐ろしい何ものかが、囚人に対する賛嘆の情が、魂のうちに沁《し》み通ってくるのをジャヴェルは感じた。徒刑囚に対する尊敬、そういうことがあり得るであろうか。彼は慄然《りつぜん》として、身をささえることができなかった。いかにもだえても、内心の審判のうちにおいて、その悪漢の荘厳さを自白せざるを得なかった。それは実にたえ難いことであった。
 慈善を施す悪人、あわれみの念が強く、やさしく、救助を事とし、寛大で、悪に報ゆるに善をもってし、憎悪《ぞうお》に報ゆるに許容をもってし、復讐《ふくしゅう》よりも憐愍《れんびん》を取り、敵を滅ぼすよりも身を滅ぼすことを好み、おのれを打った者を救い、徳の高所にあってひざまずき、人間よりも天使に近い徒刑囚、そういう怪物が世に存在することを、ジャヴェルは自認するの余儀なきに至った。
 事情はそのまま存続するを得なかった。
 あえて力説するが、あの怪物に、その賤《いや》しむべき天使に、その嫌悪《けんお》すべき英雄に、彼を茫然《ぼうぜん》たらしむるとともに憤激さしたその男に、まさしく彼は何ら抵抗することなく屈服したのではなかった。ジャン・ヴァルジャンと向き合って馬車の中にいた間に、幾度となく法の虎《とら》は彼のうちに咆哮《ほうこう》した。幾度となく彼はジャン・ヴァルジャンの上に飛びかかりたい念に駆られた。彼をつかみ彼を食わんとした、すなわち彼を捕縛せんとした。実際それは誠に容易なことだった。衛舎の前を通りかかる時、「これは監視違反の囚人だ」と叫び、憲兵らを呼び、「この男を君たちに引き渡す」と言い、それから自分は立ち去り、罪人をそこに残し、その他のことはいっさいかまわず、自分は少しもそれに関与しなければよかったのである。ジャン・ヴァルジャンは永久に法律の捕虜となり、法律の欲するままに処理せらるるだろう。それこそ最も正当なことだった。ジャヴェルはそれらのことをひとり考えた。そしてその方向を取り、手を下し、彼をつかもうとした。しかし今それができなくなったと同じく、その時にもそれができなかった。ジャン・ヴァルジャンの首筋に向かって痙攣的《けいれんてき》に手をあげるたびごとに、その手は非常な重さに圧せられるように再び下にたれた。そして彼は自分に叫びかける一つの声を、異様な声を、頭の奥に聞いた。「よろしい。汝の救い主を引き渡せ。それからポンテオ・ピラト(訳者注 キリストを祭司の長等に引き渡せしユダヤの太守)の盥《たらい》を取り寄せて汝の手を洗うがいい。」
 次に彼の考えは自分自身の上に戻ってきて、壮大となったジャン・ヴァルジャンの傍に、堕落した自身ジャヴェルの姿を見た。
 一徒刑囚が彼の恩人だったのである!
 しかしまた、何ゆえに彼は自分を生かしておくことをその男に許したのだったか。彼は防寨《ぼうさい》の中で殺さるべき権利を持っていた。彼はその権利を用うべきだったろう。他の暴徒らを呼んでジャン・ヴァルジャンを妨げ、無理にも銃殺されること、その方がよかったのである。
 彼の最大の苦悶は、確実なものがなくなったことであった。彼は自分が根こぎにされたのを感じた。法典ももはや彼の手の中では丸太にすぎなかった。彼はわけのわからぬ一種の懸念と争わなければならなかった。その時まで彼の唯一の規矩《きく》だった合法的肯定とはまったく異なった一つの感情的啓示が、彼のうちに起こってきた。旧《もと》の公明正大さのうちに止まるだけでは、もう足りなくなった。意外な一連の事実が突発して、彼を屈服さした。一つの新世界が彼の魂に現われた。すなわち、甘受してまた返してやった親切、献身、慈悲、寛容、憐愍《れんびん》から発した峻厳《しゅんげん》の毀損《きそん》、個人性の承認、絶対的裁断の消滅、永劫定罪の消滅、法律の目における涙の可能、人間に依存する正義とは反対の方向を取る一種の神に依存する正義。彼は暗黒のうちに、いまだ知らなかった道徳の太陽が恐ろしく上りゆくのを見た。それは彼をおびえさし、彼を眩惑《げんわく》さした。鷲《わし》の目を持つことを強《し》いられた梟《ふくろう》であった。
 彼は自ら言った、これも真実なのだ、世には例外がある、官憲も狼狽《ろうばい》させられることがある、規則も事実の前に逡巡《しゅんじゅん》することがある、万事が法典の明文のうちに当てはまるものではない、意外事は人を服従させる、徒刑囚の徳は役人の徳を罠《わな》にかからせることもある、怪物が神聖になることもある、宿命のうちにはそういう伏兵もある。そして彼は絶望の念をもって、自分はそういう奇襲を避けることができなかったのだと考えた。
 彼は親切というものの世に存在することを認めざるを得なかった。あの囚人は親切であった。そして彼自身も、不思議なことではあるが、先刻親切な行ないをなしてきた。彼は変性したのだった。
 彼は自分が卑怯《ひきょう》であるのを認めた。彼は自ら恐ろしくなった。
 ジャヴェルの理想は、人間的たることではなく、偉大たることではなく、崇高たることではなかった。一点の非もないものとなることであった。
 しかるに彼は今や歩を誤っていた。
 どうして彼はそうなったのか、どうしてそういうことが起こったのか? それは彼自身にもわからなかった。彼は両手で頭を押さえ、いかに考えてみても、自らそれを説明することができなかった。
 確かに彼はジャン・ヴァルジャンを再び法律の下に置こうと常に考えていた。ジャン・ヴァルジャンは法律の虜《とりこ》であり、彼ジャヴェルは法律の奴隷《どれい》であった。ジャン・ヴァルジャンを手にしてる間、それを放ちやろうという考えを持ってるとは、彼はただの瞬時も自ら認めなかった。彼の手が開いてジャン・ヴァルジャンを放したのは、ほとんど自ら知らずに行なったことだった。
 あらゆる種類の謎《なぞ》のような新奇なことが、彼の眼前に現われてきた。彼は自ら問い自ら答えたが、その答はかえって彼を脅かした。彼は自ら尋ねてみた。「私がほとんど迫害するまでに追求したあの囚徒は、あの絶望の男は、私を足の下に踏まえ、復讐《ふくしゅう》することができ、しかも怨恨《えんこん》のためと身の安全のために復讐するのが至当でありながら、私の生命を助け、私を赦《ゆる》したが、それはいったいなぜであったか。私的な義務というか。否。義務以上の何かである。そして私もまたこんどは、彼を赦してやったが、それはいったいなぜであったか。私的な義務というか。否。義務以上の何かである。それでは果たして、義務以上の何かがあるのであるか?」そこになって彼はおびえた。彼の秤《はかり》ははずれてしまった。一方の皿は深淵《しんえん》のうちに落ち、一方の皿は天に上がった。そしてジャヴェルは、上にあがった方と下に落ちた方とに対して、等しく恐怖を感じた。彼はヴォルテール派とか哲人とか不信者とか呼ばれるような人物では少しもなかった。否かえって本能から、うち立てられたキリスト教会を尊敬していた。けれどもただ、社会全体のいかめしい一片としてしかそれを知らなかった。秩序は彼の信条であって、それだけで彼には充分だった。成年に達し今の職務について以来、彼は自分の宗教のほとんど全部を警察のうちに置いてしまった。そして、少しも皮肉ではなく、最もまじめな意味において、彼は前にわれわれが言ったとおり、人が牧師であるごとく探偵《たんてい》であった。彼は上官として総監ジスケ氏を持っていた。彼はこの日まで、神という他の上官のことをほとんど考えてみなかった。
 この神という新しい主長を彼は意外にも感得して、そのために心が乱された。
 彼はその思いがけないものに当面して困惑した。彼はその上官に対してはどうしていいかわからなかった。今まで彼が知っていたところでは、部下は常に身をかがむべきものであり、背反し誹謗《ひぼう》し議論してはいけないものであり、あまりに無茶な上官に対しては辞表を呈するのほかはなかった。
 しかしながら、神に辞表を呈するにはいかにしたらいいであろうか?
 またそれはともかくとして、一つの事実がすべての上に顕然としてそびえ、彼の考えは常にその点に戻っていった。すなわち恐るべき違反の罪を犯したという一事であった。監視違反の再犯囚に対して、彼は目を閉じてきたのだった。ひとりの徒刑囚を放免してきたのだった。法律に属するひとりの男を盗んできたのだった。彼はまさしくそういうことを行なった。彼はもはや自分自身がわからなくなった。自分は果たして本来の自分であるか確かでなかった。自分の行為の理由さえも見失い、ただ眩惑《げんわく》のみが残っていた。彼はその時まで、暗黒なる清廉を生む盲目的な信念にのみ生きていた。しかるに今や、その信念は彼を去り、その清廉は彼になくなった。彼が信じていたことはすべて消散した。自分の欲しない真実が頑強《がんきょう》につきまとってきた。今後彼は別の人間とならなければならなかった。突然|内障眼《そこひ》の手術を受けた本心の異様な苦痛に悩んだ。見るのを厭《いと》っていたものを見た。自己が空《むな》しくなり、無用となり、過去の生命から切り離され、罷免され、崩壊されたのを、彼は感じた。官憲は彼のうちに死滅した。彼はもはや存在の理由を持たなかった。
 かき乱されたる地位こそは恐るべきものである。
 花崗岩《かこうがん》のごとき心であって、しかも疑念をいだく。法の鋳型の中で全部鋳上げられた懲戒の像であって、しかもその青銅の胸の中に、ほとんど心臓にも似たる不条理不従順なるある物を突然に認める。その日まで悪だと思っていたものが善となり、その善に対して善を報いなければならなくなる。番犬であって、しかも敵の手を舐《なめ》る。氷であって、しかも溶解する。釘抜《くぎぬ》きであって、しかも普通の手となる。突然に指が開くのを感ずる。つかんだ獲物を放つ。それは実に恐怖すべきことである。
 もはや進むべき道を知らずして後退する一個の人間の鉄砲弾であった。
 自ら次のことを認めざるを得ないとは何たることであろう! すなわち、無謬《むびゅう》なるもの必ずしも無謬ではない。信条のうちにも誤謬があり得る。法典はすべてを説きつくすものではない。社会は完全ではない。官憲も動揺することがある。動かすべからざるもののうちに割れ目のできることがある。裁判官も人間である。法律も誤ることがある。法廷も誤認することがある。大空の広大なる青ガラスにも亀裂が見らるるのか?
 ジャヴェルのうちに起こったことは、直線的な心の撓曲《とうきょく》であり、魂の脱線であり、不可抗の力をもってまっすぐに突進し神に当たって砕け散る、清廉の崩壊であった。確かにそれは異常なことだった。秩序の火夫が、官憲の機関車が、軌道を走る盲目なる鉄馬にまたがって進みながら、光明の一撃を受けて落馬したのである。変更を許さざるもの、直接なるもの、正規なるもの、幾何学的なるもの、受動的なるもの、完全なるものが、撓《たわ》んだのである。機関車に対してもダマスクスの道があったのである。(訳者注 聖パウロのある伝説に由来し、突然内心の光輝によって心機一転することをダマスクスの道という)
 常に人の内部にあって真の良心となり虚偽に反発する神、閃光《せんこう》をして消滅することを得ざらしむる禁令、光輝をして太陽を記憶せしむるの命令、魂をして虚構の絶対とそれに接する真の絶対とを見分けしむるの訓令、死滅せざる人間性、滅落せざる人心、そういう燦然《さんぜん》たる現象を、おそらく人間の内部の最も美《うる》わしい不可思議を、ジャヴェルは知ったであろうか。ジャヴェルはそれを見通したであろうか。ジャヴェルはそれを了解したであろうか。否々。しかしながら、その不可解にして明白なるものの圧力の下に、彼は自分の頭脳が少しく開けるのを感じた。
 彼はその異変のために面目を一新した、というよりもむしろその犠牲となった。彼は憤激しながらそれに打たれた。彼がその中に見たところのものは、存立の大なる困難のみだった。爾来《じらい》永久に呼吸を妨げられるような心地がした。
 頭の上に未知のものを持つこと、それに彼はなれていなかった。
 それまで自分の上に持ってたところのものは、明確単純清澄な表面であるように彼の目には見えていた。そこには、何ら未知のものもなく暗黒なものもなかった。規定されたるもの、整理されたるもの、鎖につなぎ止められたるもの、簡明なるもの、正確なるもの、範囲の定められたるもの、限定されたるもの、閉鎖されたるもの、ばかりであった。すべて予見されたるものであった。官憲は一つの平坦なるものであった。その中には何らの墜落もなく、それに対しては何らの眩惑《げんわく》もなかった。ジャヴェルが今まで未知のものを見てきたのは、ただ下方においてのみだった。不規律、意想外、渾沌界《こんとんかい》の錯雑した入り口、いつすべり落ちるかもわからない深淵《しんえん》、そういうものは、賊徒や悪人や罪人などのすべて下層地帯に存在していた。しかるに今ジャヴェルはあおむけに転倒し、異様な妖怪すなわち上方の深淵を見て、にわかに狼狽《ろうばい》した。
 どうしたことであろう、徹頭徹尾突きくずされ、絶対に失調させられるとは! およそ何に信頼したらいいか。確信していたものが崩壊してしまうとは!
 社会の鎧《よろい》の欠陥が寛厚なる一罪人によって見いだされ得るのか。法律の正直なる僕《しもべ》が、ひとりの男を放免するの罪とそれを捕縛するの罪との二つの罪の間に、突然板ばさみになることがあり得るのか。国家が役人に与える訓令のうちにも、不確かなるものがあるのか。義務のうちにも行き止まりがあるものなのか。ああそれらはすべて実際のことだったのか。刑罰の下に屈している昔の悪漢がすっくと立ち上がってついに正当となることがあるのも、真実だったのか。そんなことが信じ得られようか。それでは、法律も変容した罪悪の前に宥免《ゆうめん》を乞《こ》いながら退かなければならないような場合が、世にはあるのか。
 そうだ、それは事実であった。ジャヴェルはそれを見、それに触れた。ただにそれを否定し得なかったばかりでなく、自らその渦中《かちゅう》のひとりであった。それはまさしく現実であった。現実がかかる異様な姿になり得るとは、実に呪《のろ》うべきことだった。
 もし事実がその本分を守るならば、必ずや事実は法を証明することをしかしないであろう。なぜならば、事実を世に送るものは神であるから。しかるに今や、無政府主義までが天からおりてこようとするのか。
 かくて、ますます加わってくる煩悶《はんもん》のうちに、茫然《ぼうぜん》自失した幻覚のうちに、ジャヴェルの感銘を押さえ止め訂正するすべてのものは消えうせ、社会も人類も宇宙も皆、彼の目には爾来《じらい》ただ単に忌まわしいだけの姿となって映じた。そして、刑法、判決、至当なる立法の力、終審裁判所の決定、司法官職、政府、嫌疑と抑圧、官省の知恵、法律の無謬《むびゅう》、官憲の原則、政治的および個人的安寧が立脚するあらゆる信条、国王の大権、正義、法典から発する理論、社会の絶対権、公の真理、すべてそれらのものは、破片となり塵芥《じんかい》となり渾沌《こんとん》たるものとなってしまった。秩序の監視人であり、警察の厳正な僕《しもべ》であり、社会を保護する番犬である、彼ジャヴェル自身も、打ち負かされてしまった。そしてそれらの廃墟の上に、緑の帽を頭にかぶり円光を額にいただいてるひとりの男が立っていた。彼が陥った惑乱はそういうものであり、彼が魂のうちに持った恐るべき幻はそういうものであった。
 それはたえ得ることであったろうか。否。
 きびしい状態があるとすれば、それこそまさにきびしい状態であった。それから脱する道は二つしかなかった。一つは、決然としてジャン・ヴァルジャンに向かって進んでゆき、徒刑囚たる彼を地牢《ちろう》に返納すること。今一つは……。
 ジャヴェルは橋の胸壁を離れ、こんどは頭をもたげて、シャートレー広場の片すみにともってる軒灯で示されている衛舎の方へ、確乎《かっこ》たる足取りで進んでいった。
 そこまで行って彼は、ひとりの巡査が中にいるのをガラス戸から認め、自分もはいっていった。衛舎の扉《とびら》のあけ方だけででも、警察の者らは互いにそれと知り得るのである。ジャヴェルは自分の名前を告げ、名刺を巡査に示し、それから一本の蝋燭《ろうそく》がともってるそのテーブルの前にすわった。テーブルの上には、一本のペンと、鉛のインキ壺《つぼ》と、少しの紙とがのっていた。不時の調書や夜間|巡邏《じゅんら》の訓令などのために備えてあるものだった。
 いつも一個の藁椅子《わらいす》がついてるそのテーブルは、規定の品である。いずれの分署にも備えてある。そして必ず、鋸屑《のこくず》がいっぱいはいってる黄楊《つげ》の平皿と、赤い封蝋がいっぱいはいってるボール箱とが上にのっている。それは官省ふうの最下級をなすものである。国家の文学はまずそこで始まる。
 ジャヴェルはペンと一枚の紙とを取って、書き始めた。彼が書いた文句は次のとおりだった。

  職務上の注意事項
 一、警視総監閣下の一瞥《いちべつ》せられんことを願う。
 二、予審廷より来る囚徒らは、身体検査中、靴《くつ》を脱ぎ跣足《はだし》のまま舗石《しきいし》の上に佇立《ちょりつ》す。監獄に戻るにおよんで多くは咳《せき》を発す。ために病舎の費用を増すに至る。
 三、製糸監は、所々に警官の配置あるをもってはなはだよろし。しかれども、重大なる場合のために、少なくともふたりの警官は互いに見得る位置を保つ要あるべし。かくせば、もし何らかの理由によって、ひとりが務めを怠ることありとも、他のひとりがそれを監視し補足するを得ん。
 四、マドロンネット監獄においては、たとい金を払うも囚徒に椅子《いす》を与えざる特殊の規則あれど、その何ゆえなるやを解する能《あた》わず。
 五、マドロンネットにおいては、酒保の窓に二本の鉄棒あるのみ。これ酒保をして、囚徒に手を触るるを得せしむるものなり。
 六、呼び出し人と普通に称せられて他の囚徒らを面会所に呼ぶの用をなす囚徒は、名前を声高に叫ぶごとに当人より二スーずつ徴発す。これ一つの奪取なり。
 七、一筋の糸のたれたるものあれば、該囚徒は織物工場において十スーずつ賃金を差し引かる。これ請け負い者の弊風なり。織物はそのために粗悪となるものに非ざればなり。
 八、フォルス監獄を訪れる者が、サント・マリー・レジプシエンヌ面会所に至るために、必ず「小僧の中庭」を通るは、憂慮すべきことなり。
 九、毎日憲兵らが、警視庁の中庭において、司法官らの行なえる尋問を語り合うは、確かなる事実なり。神聖なるべき憲兵が、予審廷にて聞けることを繰り返し語るは、風紀の重大なる紊乱《びんらん》なり。
 十、アンリー夫人は正直なる女にして、その酒保はきわめて清潔なり。しかれども、秘密監の罠《わな》の口をひとりの女が握るは、よきことに非《あら》ず。そは大文明の附属監獄にとりて恥ずべきことなり。

 ジャヴェルは一つの句読点をも略さず、紙に確かなペンの音を立てながら、最も冷静正確な手跡で、右の各行をしたためた。そして最後の行の次に署名をした。

     一等警視  ジャヴェル

       シャートレー広場の分署において
       一八三二年六月七日午前一時頃

 ジャヴェルは紙の上の新しいインキをかわかし、紙を手紙のように折り、それに封をし、裏に「制度に関する覚え書き」としたため、それをテーブルの上に残し置き、そして衛舎から出て行った。鉄格子《てつごうし》のはまってるガラス戸は彼の背後に閉ざされた。
 彼はシャートレー広場を再び斜めに横ぎり、川岸通りにいで、ほとんど自動機械のような正確さで、十五、六分前に去った同じ場所へ戻ってきた。彼はそこに肱《ひじ》をつき、胸壁の同じ石の上に同じ態度で身を休めた。前の時から身を動かしたとは思えないほどだった。
 一点のすき間もない闇《やみ》だった。ま夜中に引き続く墳墓のような時間だった。雲の天井が星を隠していた。空には凄惨《せいさん》な気が深くよどんでいた。シテ島の人家にももう一点の光も見えなかった。通りかかる者もなかった。街路も川岸通りも、見える限り寂然《せきぜん》としていた。ノートル・ダームの堂宇と裁判所の塔とが、暗夜のひな形のように見えていた。一つの街灯の光が川岸縁を赤く染めていた。多くの橋の姿は、靄《もや》の中に相重なってぼかされていた。川の水は雨のために増していた。
 読者の記憶するとおり、ジャヴェルがよりかかってるその場所は、ちょうどセーヌ川の急流の上であって、無限の螺旋《らせん》のように解けてはまた結ばるる恐るべき水の渦巻《うずま》きを眼下にしていた。
 ジャヴェルは頭をかがめてながめ入った。すべてはまっくらで、何物も見分けられなかった。泡立《あわだ》つ激流の音は聞こえていたが、川の面は見えなかった。おりおり、目が眩《くら》むばかりのその深みの中に、一条の明るみが現われて茫漠《ぼうばく》たるうねりをなした。水には一種の力があって、最も深い闇夜のうちにも、どこからともなく光を取ってきてそれを蛇《へび》の形になすものである。が、再びその明るみも消え、すべてはまたおぼろになった。広大無限なるものがそこに口を開いてるかと思われた。下にあるものは水ではなく、深淵《しんえん》であった。川岸の壁は、切り立ち、入り組み、霧にぼかされ、たちまちに隠れて、無窮なるものの懸崖《けんがい》のようだった。
 何物も見えなかったが、水の敵意ある冷たさとぬれた石の無味なにおいとは感ぜられた。荒々しい息吹《いぶき》がその淵《ふち》から立ち上っていた。目には見えないがそれと知らるる増水、波の悲壮なささやき、橋弧の気味悪い大きさ、頭に浮かんでくるその陰惨な空洞《くうどう》中への墜落、すべてそれらの暗影は人を慄然《りつぜん》たらしむるものに満たされていた。
 ジャヴェルはその暗黒の口をながめながら、しばらくじっとたたずんでいた。専心に似た注視で目に見えないものを見守っていた。水は音を立てて流れていた。すると突然、彼は帽子をぬぎ、それを川岸縁に置いた。一瞬間の後には、帰りおくれた通行人が遠くから見たならば幽霊と思ったかも知れないような黒い高い人影が、胸壁の上にすっくと立ち現われ、セーヌ川の方へ身をかがめ、それからまた直立して、暗黒の中にまっすぐに落ちていった。鈍い水音が聞こえた。そして水中に没したその暗い姿の痙攣《けいれん》の秘密は、ただ影のみが知るところだった。

     第五編 孫と祖父

     一 亜鉛の張られたる樹木再び現わる

 上に述べきたった事件より少し後、ブーラトリュエルはひどく心を動かされた。
 ブーラトリュエルというのは、あのモンフェルメイュの道路工夫で、本書の暗黒なる場面において読者が既に瞥見《べっけん》した男である。
 読者はたぶん記憶してるだろうが、ブーラトリュエルは種々の怪しい仕事をやっていた。石割りをしながらも、大道で旅客の持ち物を強奪していた。土方《どかた》でかつ盗賊でありながら、一つの夢想をいだいていた。彼は[#「彼は」は底本では「彼はは」]モンフェルメイュの森の中に埋められてるという宝のことを信じていた。いつかはある木の根本の地中に金を見いだしてやるつもりでいた。そしてまずそれまでは通行人のポケットの金に好んで目をつけていた。
 けれども当座の間は彼も謹慎していた。彼はわずかに身を脱したのだった。読者の知るとおり、彼はジョンドレットの陋屋《ろうおく》の中で、他の悪漢らとともに捕縛された。ところが、悪徳も時には役に立つもので、泥酔のために助かった。彼がそこに盗賊としていたのかもしくは被害者としていたのか、どうしてもわからなかった。待ち伏せの晩泥酔していたことが証明されたので、免訴の申し渡しによって、自由の身となった。彼はまた森の中に逃げ込んだ。彼はガンエーからランニーへ至る道路工事に立ち戻り、政府の監視の下に、国家のために道路の手入れをなし、しおれた顔つきをし、ひどく鬱《ふさ》ぎこみ、危うく身を滅ぼさんとした悪事に対してもだいぶ熱がさめていた。しかし身を救ってくれた酒に対しては、いっそうの愛着をもって親しんでいた。
 道路工夫の藁小屋《わらごや》に戻って間もなく、彼がひどく心を動かされたことというのは、次のような事柄だった。
 ある朝まだ日の出より少し前の頃、ブーラトリュエルはいつものとおり仕事に、またおそらくは待ち伏せに出かけたが、その途中で、樹木の枝葉の間にひとりの男を認めた。彼はそのうしろ姿を見ただけだったが、遠方から薄ら明りの中にながめた所では、かっこうにどうやら見覚えがあるような気がした。ブーラトリュエルは酒飲みではあったが、正確|明晰《めいせき》な記憶力を持っていた。そういう記憶力は、法律的方面と多少の争いをしてる者にとっては、欠くべからざる護身の武器である。
「あの男は見かけたような奴《やつ》だが、はてな?」と彼は自ら尋ねてみた。
 しかし、頭の中にぼんやり残ってるだれかにその男が似てるというだけで、そのほかは何にも自ら答えることができなかった。
 それでもブーラトリュエルは、それをだれとはっきりきめることはできなかったが、種々考え合わせ推測してみた。男は土地の者ではない。どこからかやってきた者に相違ない。明らかに徒歩できたのである。今時分モンフェルメイュを通る客馬車は一つもない。男は夜通し歩いたに違いない。それではいったいどこからきたのだろう? 遠方からではない。旅嚢《りょのう》も包みも持っていないのを見てもわかる。きっとパリーからきたのであろう。ところで、なぜこの森の中にきたのか、なぜこんな時刻にきたのか、何をしにきたのか?
 ブーラトリュエルは宝のことを考えた。それから記憶をたどっていると、既に数年前、ある男のことで同じように心をひかれたことがあったのを、ぼんやり思い出した。どうもその男と同一人であるように考えられた。
 そんなことを考えふけりながら、自分の瞑想《めいそう》の重みの下に、彼は頭を下げていた。それは自然のことではあるが、あまり上手なやり方ではなかった。彼が頭を上げた時、もうそこにはだれもいなかった。男は森と薄暗がりとの中に消えてしまっていた。
「畜生め、」とブーラトリュエルは言った、「今一度見つけ出してやらあ。どこの奴《やつ》かさがし出してやらあ。うろついてる盗賊め、何かわけがあるに違いねえ。嗅《か》ぎ出してやるぞ。この森の中で、俺《おれ》に内密《ないしょ》で仕事をしようたって、やれるものか。」
 彼は鋭くとがった鶴嘴《つるはし》を取り上げた。
「さあ、」と彼はつぶやいた、「これで地面でも人間でもさがせる。」
 そして糸と糸とをつなぎ合わしてゆくように、男がたどったと思われる道筋にできるだけよく従いながら、彼は木立ちの中を進み始めた。
 大またに百歩ばかり進んだ頃、上りかける太陽の光の助けを得た。所々砂の上についてる足跡、踏みにじられた草、押し分けられた灌木《かんぼく》、目をさましながら伸びをする美人の腕のようなやさしいゆるやかさで、茂みの中に身を起こしつつある曲げられた若枝、そういうものが彼に道筋を示してくれた。彼はそれに従っていった。それからそれを見失った。時は過ぎていった。彼は森の中に深くはいり込んだ。そして一種の高所に達した。ギーユリーの歌の節《ふし》を口笛で吹きながら遠くの小道を通ってゆく朝の猟人をひとり見て、彼は木へ登ってみようと思いついた。年は取っていたがなかなか敏捷《びんしょう》だった。ちょうどそこには、チチルス(訳者注 橅の木の下に横たわってる瞑想的な羊飼い――ヴィルギリウスの詩)とブーラトリュエルとにふさわしい
橅《ぶな》の大木が一本あった。ブーラトリュエルはできるだけ高くその 橅に登った。
 それはいい思いつきだった。木立ちが入り組んで森が深くなってる寂然《せきぜん》たる方面をながめ回すと、突然男の姿が見えた。
 しかし男は、見えたかと思うまにまた隠れてしまった。
 男は大木の茂みにおおい隠されてるかなり向こうの開けた場所へ、はいり込んだ、というよりもむしろすべり込んだのである。しかしブーラトリュエルはその開けた場所をよく知っていて、そこには臼石《うすいし》がうずたかく積んであり、そのそばに、亜鉛板《トタンいた》を樹皮へじかに打ち付けてある枯れかかった栗《くり》の木が一本あるのを、よく見ておいた。その開けた場所は、ブラリュの地所と昔言われた所だった。積まれた石は何にするためのものかわからなかったが、三十年前までは確かにそのまま残っていた。今日もまだたぶんそこにあるだろう。板塀《いたべい》がいくら長くもつと言っても、およそ石の積んだのくらい長くもつものはない。ところがそこには一時のものでたくさんで、長くもたせなければならないような理由は一つもなかったのである。
 ブーラトリュエルは喜びの余り大急ぎで、木からおりた、というよりむしろすべり落ちた。穴は見つかった。今は獣を捕えるだけだった。夢みていたあのたいへんな宝は、たぶんそこにあるに違いなかった。
 しかしその開けた場所まで行くのは、そう容易なことではなかった。無数の稲妻形の意地悪く曲がりくねってる知った小道から行けば、十五分くらいは充分かかるのだった。一直線に進んでゆくには、木の茂みがその辺はことに厚く、荊棘《いばら》が深く強くて、三十分はたっぷりかかるのだった。ブーラトリュエルはこの点を思い誤った。彼は一直線の方を信じた。一直線ということは、尊むべき幻覚ではあるが、往々人を誤らせることが多い。茂みが深く交差していたが、ブーラトリュエルはそれを最善の道のように思った。
「狼《おおかみ》の大通りから行ってやれ。」と彼は言った。
 ブーラトリュエルはいつも斜めな道を取るになれていて、こんどだけまっすぐな道を歩くのは誤りだった。
 彼は思い切って、入り乱れた藪《やぶ》の中につき進んだ。
 柊《ひいらぎ》や蕁麻《いらぐさ》や山査子《さんざし》や野薔薇《のばら》や薊《あざみ》や気短かな茨《いばら》などと戦わなければならなかった。非常な掻傷《そうしょう》を受けた。
 低地の底では水たまりに出会って、それを渡らなければならなかった。
 彼はついに四十分ばかりの後、ブラリュの空地へたどりついた。汗を流し、着物をぬらし、息を切らし、肉を引き裂かれ、恐ろしい姿になっていた。
 空地にはだれもいなかった。
 ブーラトリュエルは石の積んである所へ走り寄った。石は元のとおりだった。動かされた跡はなかった。
 男の方は、森の中に消えうせていた。逃げてしまっていた。どこへ、どの方面へ、どの茂みの中へか? それを察知することはまったくできなかった。
 しかも遺憾きわまることには、石の積んであるうしろに、亜鉛の張ってある木の前に、掘り返したばかりの新しい土があり、忘れられたか捨てられたかした鶴嘴《つるはし》が一つあり、また穴が一つあった。
 穴は空《から》だった。
「泥坊《どろぼう》め!」とブーラトリュエルは地平線に向かって両の拳《こぶし》を振り上げながら叫んだ。

     二 マリユス国内戦よりいでて家庭戦の準備をなす

 マリユスは長い間死んでるのか生きてるのかわからない状態にあった。数週間熱が続き、それに伴って意識の昏迷《こんめい》をきたし、また、傷そのものよりもむしろ頭部の傷の刺激から来るかなり危険な脳症の徴候を示していた。
 彼は最初のうち幾晩も、熱に浮かされた痛ましい饒舌《じょうぜつ》になり、妙に執拗《しつよう》な苦悩のうちに、コゼットの名を呼び続けた。二、三の大きな傷はことに危険なものだった。大きな傷口の膿《のう》は常に内部へ吸収されがちなもので、その結果、大気のある影響を受けて患者を殺すことがある。それで天気の変化するごとに、わずかの暴風雨にも、医者は心配していた。「何よりもまず病人の気をいら立たせてはいけません、」と彼は繰り返し言っていた。絆創膏《ばんそうこう》でガーゼや繃帯《ほうたい》を止める仕方は当時まだ見いだされていなかったので、手当ては複雑で困難だった。ニコレットは敷き布を一枚ほごして綿撒糸《めんざんし》を作った。「天井ほどの大きな敷き布」と彼女は言っていた。塩化洗滌薬《えんかせんじょうやく》と硝酸銀とを腐蝕部の奥まで達せさせるのも、容易なことではなかった。危険の間、ジルノルマン氏は孫の枕頭《まくらもと》につき添いながら惘然《ぼうぜん》として、マリユスと同様に死んでるのか生きてるのかわからなかった。
 毎日、時によると一日に二度も、門番の言うところによるとごくりっぱな服装の白髪の紳士が、病人の様子を尋ねにきて、手当てのためと言って綿撒糸《めんざんし》の大きな包みを置いていった。
 ついに九月の七日、瀕死《ひんし》のマリユスが祖父の家に運ばれてきた悲しい夜から満三カ月たった時、医者はその生命を保証すると明言した。回復期がやってきた。けれどもなお彼は、鎖骨の挫折《ざせつ》からくる容態のために、二カ月余りも長椅子《ながいす》の上に身を横たえていなければならなかった。いつまでも口のふさがらない傷が残って、手当てを長引かし、病人をひどく退屈がらせることがよくある。
 しかし、その長い病と長い回復期とのために、彼は官憲の追求を免れた。フランスにおいてはいかなる激怒も、公《おおやけ》の激怒でさえ、六カ月もたてば消えてしまう。それに当時の社会状態にあっては、暴動はだれでもしやすい過失であって、それに対してはある程度まで目を閉じてやらなければならなかった。
 なおその上、ジスケの無茶な命令は、負傷者を申し出るように医者に強《し》いて、輿論《よろん》を激昂《げっこう》さし、また輿論のみでなく第一に国王をも激昂さしたので、負傷者らはその激昂のために隠匿され保護された。そして軍法会議では、戦争中に捕虜となった者のほかは、いっさい不問に付することに決した。それでマリユスは無事のままでいることができた。
 ジルノルマン氏は最初あらゆる心痛を経て、次にあらゆる狂喜を感じた。毎晩負傷者の傍《そば》で夜を明かすのをやめさすのは、非常な骨折りだった。彼はマリユスの寝台のそばに自分の大きな肱掛《ひじか》け椅子《いす》を持ってこさした。圧定布や繃帯を作るためには家にある最上の布を使うように娘に言いつけた。けれどもジルノルマン嬢は、年取った悧巧《りこう》な女だったので、老人の命に従うように見せかけながら、最上の布は皆しまっておいた。綿撒糸《めんざんし》を作るにはバチスト織りの布よりも粗悪な布の方がよく、新しい布よりも擦《す》り切れた布の方がよいということを、ジルノルマン氏はどうしても承認しなかった。手当ての時には、ジルノルマン嬢は謹《つつし》んで席をはずしたが、ジルノルマン氏はいつもそこについていた。鋏《はさみ》で死肉を切り取る時、彼はいつも自ら「いた、いたい!」とうめいていた。震えを帯びてる老衰した姿で病人に煎薬《せんやく》の茶碗《ちゃわん》を差し出してる所は、見るも痛ましいほどだった。彼はやたらにいろんなことを医者に尋ねた。そしていつも同じ質問を繰り返してることには自ら気づかなかった。
 マリユスがもう危険状態を脱したと医者から告げられた日、老人は常識を失った。彼は門番に慰労としてルイ金貨を三つ与えた。その晩自分の室《へや》に退くと、親指と人差し指とでカスタネットの調子を取って、ガヴォットを踊り、次のような歌を歌った。

ジャンヌの生まれはフーゼール、
羊飼い女のまことの巣。
われは愛す、その裳衣、
    すね者。

愛は彼女のうちに生く。
彼女の瞳《ひとみ》のうちにこそ、
愛は置きぬ、その矢筒、
    やたら者。

われは彼女を歌にせん。
ディアナよりもなおいとし、
わがジャンヌとその乳房《ちぶさ》、
    ちから者。

 それから彼は椅子《いす》の上にひざまずいた。少し開いてる扉《とびら》のすきから彼の様子を注意していたバスクは、たしかに彼が祈りをしているのだと思った。
 その時まで、彼はほとんど神を信じていなかったのである。
 マリユスの容態がますますよくなってゆくごとに、祖父は狂わんばかりになった。やたらにうれしげな機械的な行動をした。自分でなぜともわからずに階段を上ったり下ったりした。隣に住んでたひとりの美しい婦人は、ある朝大きな花輪を受け取って茫然《ぼうぜん》とした。それを贈ったのはジルノルマン氏だった。そのために彼女は夫から疑られまでした。ジルノルマン氏はニコレットを膝《ひざ》に抱き上げようとした。マリユスを男爵殿と呼んだ。「共和万歳!」と叫ぶこともあった。
 彼は始終医者に尋ねた、「もう危険はないでしょうね。」彼は祖母のような目つきでマリユスをながめた。マリユスが物を食べる時はそれから目を離さなかった。彼はもう自分を忘れ、自分を眼中に置いていなかった。マリユスが一家の主人となっていた。彼は喜びの余り自分の地位を譲り与え、孫に対して自分の方が孫となっていた。
 そういう喜悦のうちにあって、彼は最も尊むべき子供となっていた。癒《なお》りかかった病人を疲らしたりわずらわしたりすることを恐れて、ほほえみかける時でさえそのうしろにまわった。彼は満足で、愉快で、有頂天で、麗しく、若々しくなった。その白髪は、顔に現われてる喜びの輝きに、一種のやさしい威厳を添えた。高雅な趣が顔の皺《しわ》といっしょになる時には、いかにも景慕すべきものとなる。花を開いた老年のうちには言い知れぬ曙《あけぼの》の気がある。
 マリユスの方は、人々に包帯をさせ看護をさせながら、コゼットという一つの固定した観念をいだいていた。
 熱と昏迷《こんめい》とが去って以来、彼はもうその名前を口にせず、あるいはもうそのことを考えていないのかとも思われた。しかし彼が黙っていたのは、まさしく彼の魂がそこに行ってるからだった。
 彼はコゼットがどうなったか少しも知らなかった。シャンヴルリー街の事件はただ一片の雲のように記憶の中に漂っていた。エポニーヌやガヴローシュやマブーフやテナルディエ一家の者や、防寨《ぼうさい》の硝煙にものすごく包まれてる友人らなどは、皆ほとんど見分けのつかないほどの影となって彼の脳裏に浮かんでいた。その血まみれの事件のうちに不思議にもフォーシュルヴァン氏が現われたことは、暴風雨中の謎《なぞ》のように彼には思えた。自分の生命については彼は何にもわからなかった。どうしてまただれから救われたのか少しも知らなかった。周囲の人々にもそれを知ってる者はなかった。周囲の人々から彼が聞き得たことは、辻馬車《つじばしゃ》に乗せられて夜中にフィーユ・デュ・カルヴェール街に運ばれてきたということだけだった。過去も現在も未来も、すべては彼にとって漠然《ばくぜん》たる観念の靄《もや》にすぎなかった。しかしその靄の中に、不動な一点が、明確な一つの形が、花崗岩《かこうがん》でできてるようなある物が、一つの決意が、一つの意志が、存在していた。すなわち再びコゼットに会うことだった。彼にとっては、生命の観念とコゼットの観念とは別々のものではなかった。彼は心のうちで、その一方だけを受け取ることはすまいと決していた。だれでも自分を生きさせようと望む者には、祖父にも運命にも地獄にも、消えうせたエデンの園を戻すように要求してやろうと、決心の臍《ほぞ》を固めていた。
 それに対する障害は、彼も自らよく認めていた。
 特に一事をここに力説しておくが、祖父のあらゆる親切や慈愛も、彼の心を奪うことは少しもできず、彼の心を和らげることはあまりできなかった。第一、彼はすべてのことをよく知っていなかった。次に、まだおそらく熱に浮かされてる病床の夢想のうちに彼は、自分を懐柔しようとする変な新しい試みと見|做《な》して、祖父のやさしい態度を信じなかった。彼は冷淡にしていた。祖父はそのあわれな老いた微笑を空《むな》しく費やすのみだった。マリユスはこう考えていた。自分が何にも口をきかずなされるままにしている間だけ、祖父も穏やかにしているのだ、しかし問題が一度コゼットのことにおよんだなら、祖父の顔は一変し、その真の態度が仮面をぬいで現われて来るに違いない。その時こそきびしいことが起こってくる、家庭問題の再発、身分の相違、一度に出てくるあらゆる嘲弄《ちょうろう》や異議、フォーシュルヴァンとかまたはクープルヴァン、財産、貧乏、困窮、首につけた石、将来、などということが。そして激しい反対と、結局の拒絶。かく考えてマリユスはあらかじめ心を固めていた。
 それからなお、生命を回復するにしたがって、心の古い痛みはまた現われてき、記憶の古傷はまた口を開いてきた。彼は再び過去のことを思いやった。ポンメルシー大佐は再びジルノルマン氏と彼マリユスとの間につっ立った。自分の父に対してあれほど不正で酷薄であった人から、何ら真の好意が望まれるものではないと彼は考えた。そして健康とともに、祖父に対する一種の頑固《がんこ》さが彼に戻ってきた。そのために老人はやさしく心を痛めた。
 ジルノルマン氏は少しも様子に現わしはしなかったが、マリユスが家に運ばれてきて以来、意識を回復して以来、一度も自分を父と呼んだことのないのを、深く心にとめていた。もとよりマリユスは他人らしい敬称で彼を呼びはしなかった。しかしその父という語もまたは敬称をも使わないように、一種の言い回し方をしていた。
 危機は明らかに近づいてきた。
 かかる場合にいつもあるとおり、マリユスはまず試みのために、いよいよ戦端を開く前に斥候戦をやってみた。いわゆる瀬踏《せぶみ》である。ある朝偶然にも、ジルノルマン氏は手にした新聞のことから、国約議会のことを少し論じ、ダントンやサン・ジュストやロベスピエールに対して王党らしい嘲《あざけ》りの口吻《こうふん》をもらした。すると、「九十三年に働いた人々は皆大人物です、」とマリユスはいかめしく言った。老人は口を噤《つぐ》んでしまって、その日は終日一言も発しなかった。
 マリユスは一歩も譲ることをしない往年の祖父をいつも頭に置いていたので、その沈黙を深い憤怒の集中だと思い、それから激しい論争が起こることを予期し、頭の奥で戦いの準備をますます固めた。
 彼は心にきめていた、もし拒絶される場合には、包帯を破りすて、鎖骨をはずし、残ってる傷をなまなましくむき出し、いっさい食物を取るまいと。傷はすなわち戦いの武器だった。コゼットを得るかもしくは死ぬ、と彼は決心していた。
 彼は病人の狡猾《こうかつ》な忍耐で好機会を待っていた。
 その機会は到来した。

     三 マリユス攻勢を取る

 ある日ジルノルマン氏は、戸棚の大理石板の上に壜《びん》やコップを娘が片づけてる時、マリユスの上に身をかがめて、最もやさしい調子で彼に言った。
「ねえマリユス、わしがもしお前だったら、もう魚《さかな》より肉の方を食べるがね。比目魚《ひらめ》のフライも回復期のはじめには結構だが、病人が立って歩けるようになるには、上等の脇肉《わきにく》を食べるに限るよ。」
 マリユスはもうほとんど体力をすべて回復していたが、更にその力を集中して、そこに半身を起こし、握りしめた両の拳《こぶし》を敷き布の上につき、祖父の顔をまともにじっとながめ、恐ろしい様子をして言った。
「そうおっしゃれば一つ申したいことがあります。」
「何かね?」
「私は結婚したいのです。」
「そんなことなら前からわかっている。」と祖父は言った。そして笑い出した。
「何ですって、わかっていますって?」
「うむ、わかっているよ。あの娘をもらうがいい。」
 マリユスはその一言に惘然《ぼうぜん》として眩惑《げんわく》し、手足を震わした。
 ジルノルマン氏は続けて言った。
「そうだ、あのきれいなかわいい娘をもらうがいい。あの娘は毎日、老人を代わりによこしてお前の様子を尋ねさしている。お前が負傷してからというもの、いつも泣きながら綿撒糸《めんざんし》をこしらえてばかりいる。わしはよく知ってる。オンム・アルメ街七番地に今住んでいる。ああいいとも。好きならもらうがいい。お前はすっかりはまり込んでいるな。お前はつまらない計画を立てて、こう考えたんだろう。『あの祖父《じじい》に、あの摂政時代と執政内閣時代との木乃伊《みいら》に、あの古めかしい洒落者《しゃれもの》に、あのゼロントとなったドラントに(訳者注 共にモリエールの戯曲中の人物にて、ゼロントは欺かれやすい愚かな好々爺、ドラントはばかげた気取りや)、きっぱりと思い知らしてやろう。彼だって昔は、おもしろいことをやって、情婦《いろおんな》をこしらえ、小娘をひっかけ、幾人ものコゼットを持っていたんだ。お化粧をし、翼をつけ、春のパンを食ったことがあるんだ。昔のことを少し思い出さしてやらなけりゃいけない。どうなるかみてるがいい。戦争だ。』そう思ってお前は甲虫《かぶとむし》の角をつかまえたわけだな。いい考えだ。そこでわしが脇肉はどうだと言い出したら、実は結婚したいのですが、と答えたんだな。それは話をそらすというものだ。お前は少し言い争うつもりでいたんだろう。わしがこれでも古狸《ふるだぬき》であることを、お前は知らなかったんだ。どうだね。腹が立つかね。祖父《おじい》さんを少しばかにしてやろうなどと思っても、そうはいかないさ。議論なんかしかけようたってむだなことさ。弁護士さん、癪《しゃく》にさわるかね。まあ怒るのは損だよ。お前のすきなようにしてやれば、文句もなかろうというものだ。ばかだね。まあ聞きなさい。わしもなかなかずるくてな、いろいろ調べてみたんだ。なるほどきれいで悧巧《りこう》な娘だ。槍騎兵《そうきへい》の話も嘘《うそ》だった。綿撒糸《めんざんし》を山のように作ってくれたよ。実にりっぱな娘だ。お前に逆上《のぼ》せきってる。もしお前が死んだら、三人になるところだった、娘の葬式がわしの葬式に続いて出る所だった。わしもな、お前がよくなりかけてからは、娘を枕頭《まくらもと》に連れてきてやろうとは思ったが、美男子が負傷して寝てる所へ、夢中になってる若い娘をすぐに連れてくるのも、小説ならともかく、実際はちと困るからな。伯母《おば》さんもどう言うかわからないしね。お前は素裸になってる時の方が多いくらいだった。いつもそばについてたニコレットに聞いてみなさい、婦人を傍に置けたかどうか。それからまた医者もどう言うかわからない。きれいな娘は決して人の熱を下げてくれるものではないからな。だが、もうそれでいい、こんな話はやめよう。すっかりきまってる。でき上がってる。まとまってることなんだ。あの娘をもらうがいい。わしの意地悪さと言えばまあそんなものだ。ねえ、わしはな、お前からきらわれてるのを見て取って、こう考えた。『こいつが俺《おれ》を愛するようになるには、どうしたらいいかな。』そしてまたわしは考えた。『なるほど、コゼットが俺の手の中にある。コゼットを一つくれてやろう。そうしたら少しは俺を愛してくれるに違いない。あるいはまた、愛しない理由を言うに違いない。』ところがお前は、この爺《じい》さんがやかましく言い、大きな声を立て、反対をとなえ、その夜明けのような娘の上に杖《つえ》を振り上げることと、思っていたんだろう。だがそんなことをわしがするものか。コゼットも結構、恋も結構、わしはもうそれで十分だ。だからどうか結婚してくれ。かわいいお前のことだもの、幸福になってくれ。」
 そう言って、老人は涙にむせんだ。
 彼はマリユスの頭を取り、それを年老いた胸に両腕で抱きしめた。そしてふたりとも泣き出した。泣くのは最上の幸福の一つの形である。
「お父さん!」とマリユスが叫んだ。
「ああ、ではわしを愛してくれるか?」と老人は言った。
 それは名状し難い瞬間だった。ふたりは息をつまらして、口をきくこともできなかった。やがて老人はつぶやいた。
「さあ、これで口もあけた。わしをお父さんと言ってくれた。」
 マリユスは祖父の腕から頭をはずして、静かに言った。
「ですがお父さん、もう私は丈夫になっていますから、彼女に会ってもよさそうに思います。」
「それも承知してる。明日《あす》会わしてやろう。」
「お父さん!」
「何かね。」
「なぜ今日はいけないんです。」
「では今日、そう今日にしよう。お前は三度お父さんと言ったね、それに免じて許してやろう。わしが引き受ける。お前のそばへ連れてこさせよう。こうなるだろうと思っていた。ちゃんと詩にもなってる。アンドレ・シェニエの病める若者[#「病める若者」に傍点]という悲歌の末句だ。九十三年の悪……大人物どもから斬首《ざんしゅ》されたアンドレ・シェニエのね。」
 ジルノルマン氏はマリユスがちょっと眉《まゆ》をしかめたように思った。しかしあえて言っておくが、マリユスはまったく歓喜のうちに包まれ、一七九三年のことなんかよりもコゼットのことを多く考えていて、老人の言葉に耳を傾けていなかった。けれども祖父は、折り悪しくアンドレ・シェニエを口にして自ら震え上がり、急いで弁解を始めた。
「斬首《ざんしゅ》というのは適当でない。事実を言えば、革命の偉人たちは、確かに悪人ではなく英雄であったが、アンドレ・シェニエを少し邪魔にして、彼を断頭……すなわち、その英傑たちは、共和熱月七日(一七九四年七月二十五日)、公衆の安寧のために、アンドレ・シェニエに願って……。」
 ジルノルマン氏は自分の言おうとする言葉に喉《のど》をしめつけられて、あとを続けることができなかった。言い終えることも言い直すこともできず、娘がマリユスのうしろで枕を直してる間に、激情に心転倒して、老年の足が許す限りの早さで、寝室の外に飛び出し、うしろに扉《とびら》を押ししめ、まっかになり、喉《のど》をつまらし、口に泡《あわ》を立て、目をむき出して、ちょうど次の室《へや》で靴《くつ》をみがいていた正直なバスクとばったり顔を合わした。彼はバスクの襟《えり》をとらえ、まっ正面から勢い込めてどなりつけた。「畜生、その悪漢どもが殺害したんだ!」
「だれをでございますか。」
「アンドレ・シェニエをだ!」
「さようでございます。」とバスクは驚き恐れて言った。

     四 フォーシュルヴァン氏の小わきの包み

 コゼットとマリユスとは再び会った。
 その面会はどんなものであったか、それを語るのをわれわれはやめよう。世には描写すべからざるものがある。たとえば太陽もその一つである。
 コゼットがはいってきた時には、バスクやニコレットをも加えて一家の者が皆マリユスの室《へや》に集まっていた。
 彼女は閾《しきい》の上に現われた。その姿はあたかも円光に包まれてるかと思われた。
 ちょうどその時祖父は鼻をかもうとしていた。彼はそれを急にやめ、ハンカチで鼻を押さえたまま、その上からコゼットをながめた。
「みごとな娘だ!」と彼は叫んだ。
 それから彼は大きな音を立てて鼻をかんだ。
 コゼットは、酔い、喜び、おびえ、天に上ったような心地になっていた。彼女はおよそ幸福が与え得るだけの恐怖を感じていた。彼女は口ごもり、まっさおになり、またまっかになり、マリユスの腕に身を投じたく思いながらあえてなし得なかった。大勢の人前で愛するのをはずかしがったのである。人は幸福なる恋人らに対して無慈悲である。彼らが最もふたりきりでいたく思う時にはそこに控えている。しかしふたりはまったく他人を必要としないのである。
 コゼットと共に、白髪の老人がひとりそのあとからはいってきた。彼は荘重な顔つきをしていたが、それでもほほえんでいた。しかしそれはぼんやりした痛ましい微笑だった。この老人は「フォーシュルヴァン氏」で、すなわちジャン・ヴァルジャンであった。
 彼は新しい黒服をまとい白い襟飾《えりかざ》りをつけて、門番が言ったとおりごくりっぱな服装をしていた。
 公証人ででもありそうなそのきちょうめんな市民が、あの六月七日の夜、気絶したマリユスを腕にかかえ、ぼろをまとい、不潔で醜く荒々しく、血と泥《どろ》とにまみれた顔をして、門の中にはいってきた恐ろしい死体運搬人であろうとは、門番は夢にも思いつかなかった。しかしどことなく見覚えがあるように思った。フォーシュルヴァン氏がコゼットと共にやってきた時、門番はそっと女房にささやかざるを得なかった。「何だかあの人は前に見たことがあるようにいつも思われてならないがね、どうも変だ。」
 フォーシュルヴァン氏はマリユスの室《へや》の中で、わきによけるように扉《とびら》のそばに立っていた。彼は小わきに、紙にくるんだ八折本らしい包みを抱えていた。包み紙は緑がかった色で、黴《かび》がはえてるようだった。
「あの人はいつもああして書物を抱えていなさるのかしら。」と書物ぎらいなジルノルマン嬢は、低い声でニコレットに尋ねた。
「そう、あの人は学者だ。」とその声を耳にしたジルノルマン氏は同じ小声で答えた。「だがそんなことはかまわんじゃないか。わしが知ってるブーラールという人もやはり、いつも書物を持って歩いていて、ちょうどあのように古本を胸に抱いていた。」
 そしてお辞儀をしながら、彼は高い声で言った。
「トランシュルヴァンさん……。」
 ジルノルマン老人は他意あってそんなふうに呼んだのではなかった。人の名前にとんちゃくしないのは、彼にとっては一つの貴族的な癖だった。
「トランシュルヴァンさん、わたしは、孫のマリユス・ポンメルシー男爵のために御令嬢に結婚を申し込みますのを、光栄と存じます。」
「トランシュルヴァン氏」は頭を下げた。
「これできまった。」と祖父は言った。
 そしてマリユスとコゼットとの方を向き、祝福するように両腕をひろげて叫んだ。
「互いに愛し合うことを許す。」
 彼らは二度とその言葉を繰り返させなかった。言われるが早いかすぐに楽しく話し出した。マリユスは長椅子《ながいす》の上に肱《ひじ》をついて身を起こし、コゼットはそのそばに立って、互いに声低く語り合った。コゼットはささやいた。「ああうれしいこと、またお目にかかれたのね。ねえ、あなた、あなた! 戦争においでなすったのね。なぜなの。恐ろしいことだわ。四月《よつき》の間私は生きてる気はしなかったわ。戦争に行くなんて、ほんに意地悪ね。私あなたに何をして? でも許して上げてよ。これからもうそんなことをしてはいけないわ。さっき、私たちに来るようにって使いがきた時、私はまたもう死ぬのかと思ったの。でもうれしいことだったのね。私は悲しくて悲しくて、着物を着換えることもできなかったのよ。大変な服装《なり》をしてるでしょう。しわくちゃな襟飾《えりかざ》りをしてるところをごらんなすって、お家の方は何とおっしゃるでしょうね。さあ、あなたも少し話してちょうだい。私にばかり口をきかしていらっしゃるのね。私たちはずっとオンム・アルメ街にいたのよ。あなたの肩の傷はさぞひどかったんでしょうね。手がはいるくらいだったそうですってね。それに鋏《はさみ》で肉を切り取ったんですってね。ほんとに恐ろしい。私は泣いてばかりいたので、目を悪くしてしまったの。どうしてあんなに苦しんだかと思うとおかしいほどよ。お祖父様《じいさま》は御親切そうな方ね。静かにしていらっしゃいな、肱で起き上がってはいけないわ。用心なさらないと、障《さわ》るでしょう。ああ私ほんとに仕合わせだこと! 悪いことももう済んでしまったのね。私どうかしたのかしら。いろんなことをお話したいと思ったのに、すっかり忘れてしまった。やっぱりあなたは私を愛して下さるの? 私たちはオンム・アルメ街に住んでるのよ。庭はないの。私はいつも綿撒糸《めんざんし》ばかりこしらえていたわ。ねえあなた、ごらんなさい、指に胼胝《たこ》ができてしまったわ。あなたが悪いのよ。」マリユスは言った。「おお天使よ!」
 天使[#「天使」に傍点]という言葉こそ、使い古すことのできない唯一のものである。他の言葉はみな、恋人らの無茶な使用にはたえ得ない。
 それから、あたりに人がいるので、ふたりは口をつぐんでもう一言も言わず、ただやさしく手を握り合ってるばかりだった。
 ジルノルマン氏は室《へや》の中にいる人々の方へ向いて声高に言った。
「みんな声を高くして話すんだ。楽屋の方で音を立てるんだ。さあ、子供ふたりで勝手にしゃべくるように、少し騒ぐがいい。」
 そして彼はマリユスとコゼットに近寄って、ごく低く言った。
「うちとけて親しむがいい。遠慮するにはおよばない。」
 ジルノルマン伯母《おば》は、古ぼけた家庭にかく突然光がさし込んできたのを惘然《ぼうぜん》としてながめていた。惘然さのうちには何らの悪意もなかった。それは二羽の山鳩《やまばと》に対する梟《ふくろう》の憤った妬《ねた》ましい目つきでは少しもなかった。五十七歳の罪のない老女の唖然《あぜん》たる目つきであり、愛の勝利をながめてる空《むな》しい生命だった。
「どうだ、」と父は彼女に言った、「こんなことになるだろうとわしがかねて言ったとおりではないか。」
 彼はちょっと黙ったが、言い添えた。
「他人の幸福も見るものだ。」
 それから彼はコゼットの方に向いた。
「実にきれいだ、実にきれいだ! グルーズの絵のようだ。おい、いたずらっ児さん、お前はひとりでこれからその娘さんを独占するんだな。わしと張り合わずにすんで仕合わせだ。わしがもし十五年も若けりゃ、剣を取ってもお前と競争するからな。いや、お嬢さん、わたしはお前さんに惚《ほ》れ込んでしまった。しかし怪しむに当たらない。それはお前さんの権利だ。ああこれで、美しいきれいな楽しいかわいい結婚が一つ出来上がる。ここの教区はサン・ドゥニ・デュ・サン・サクルマンだが、サン・ポールで結婚式をあげるように許しを得てやろう。あの教会堂の方が上等だ。ゼジュイット派が建てたものだ。あの方が美しい。ビラーグ枢機官の噴水と向き合っている。ゼジュイット派建築の傑作は、ナムュール市にあって、サン・ルーと言われてる。お前たちが結婚したらそこへ行ってみるがいい。旅するだけの価値はある。お嬢さん、わたしも全然お前さんの味方だ。娘が結婚するのはいいことだ。結婚するようにできている。聖カテリナ([#ここから割り注]訳者注 四世紀初葉の殉教者にして若い娘の守護神[#ここで割り注終わり])のような女で、わしがいつもその髪を解かせたく思うのが、世にはたくさんある。娘のままでいるのも結構なことだが、それはどうも冷たすぎる。聖書にもある、増せよ殖《ふ》えよと。人民を救うにはジャンヌ・ダルクのような女も必要だが、しかし人民を作るにはジゴーニュ小母《おば》さん(訳者注 人形芝居の人物にて、裳衣の下からたくさんの子供を出してみせる女)のような女が必要だ。だから美人はすべからく結婚すべし。実際独身でいて何のためになるかわしにはさっぱりわからん。なるほど、教会堂に特別の礼拝所を持ち、聖母会の連中の噂《うわさ》ばかりする者も世にはある。しかし結婚して、夫はりっぱな好男子だし、一年たてば金髪の大きな赤ん坊ができ、元気に乳を吸い、腿《もも》は肥《ふと》ってよくくくれ、曙《あけぼの》のように笑いながら、薔薇色《ばらいろ》の小さな手でいっぱいに乳房を握りしめるとすれば、晩の祈祷《きとう》に蝋燭《ろうそく》を持って象牙の塔(聖母マリア)を歌うよりも、よほど勝《まさ》っている。」
 祖父は九十歳の踵《かかと》でくるりと回って、発条《ばね》がとけるような具合に言い出した。

  
「かくてアルシペよ、夢想に限界《かぎり》を定めて、
  
やがて汝《な》が婚姻するは、まことなるか。

時にね。」
「何です、お父さん。」
「お前には親しい友だちがあったか。」
「ええ、クールフェーラックという者です。」
「今どうしてる?」
「死んでいます。」
「それでいい。」
 彼はふたりのそばに腰を掛け、コゼットにも腰掛けさし、彼らの四つの手を自分の年老いた皺《しわ》のある手に取った。
「実にりっぱな娘さんだ。このコゼットはまったく傑作だ。小娘でまた貴婦人だ。男爵夫人には惜しい。生まれながらの侯爵夫人だ。睫毛《まつげ》もりっぱだ。いいかね、お前たちは本当の道を踏んでるということをよく頭に入れとかなくてはいかん。互いに愛し合うんだ。愛してばかになるんだ。愛というものは、人間の愚蒙《ぐもう》で神の知恵だ。互いに慕い合うがいい。ただ、」と彼は急に沈み込んで言い添えた、「一つ悲しいことがある。それがわしの気がかりだ。わしの財産の半分以上は終身年金になっている。わしが生きてる間はいいが、わしが死んだら、もう二十年もしたら、かわいそうだが、お前たちは一文なしになる。男爵夫人たるこのまっ白な美しい手も、食うために働かなくてはならないことになるだろう。」
 その時、荘重な落ち着いた声が聞こえた。
「ウューフラジー・フォーシュルヴァン嬢は、六十万フランの金を持っています。」
 その声はジャン・ヴァルジャンから出たのだった。
 彼はその時まで一言も口をきかずにいた。だれも彼がそこにいることさえ知らないがようだった。そして彼は幸福な人々のうしろにじっと立っていた。
「ウューフラジー嬢というのは何のことだろう?」と祖父はびっくりして尋ねた。
「私です。」とコゼットは答えた。
「六十万フラン!」とジルノルマン氏は言った。
「たぶん一万四、五千フランはそれに足りないかも知れませんが。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 そして彼はジルノルマン嬢が書物だと思っていた包みをテーブルの上に置いた。
 ジャン・ヴァルジャンは自ら包みを開いた。それは一束の紙幣だった。人々はそれをひろげて数えてみた。千フランのが五百枚と五百フランのが百六十八枚はいっていて、全部で五十八万四千フランあった。
「これは結構な書物だ。」とジルノルマン氏は言った。
「五十八万四千フラン!」と伯母《おば》がつぶやいた。
「これで万事うまくいく、そうじゃないか。」と祖父はジルノルマン嬢に言った。「マリユスの奴、分限者の娘を狩り出したんだ。こうなったらお前も若い者の恋にかれこれ言えやしないだろう。学生は六十万フランの女学生を見つけ出す。美少年はロスチャイルド以上の働きをするというものだ。」
「五十八万四千フラン!」とジルノルマン嬢は半ば口の中で繰り返していた。「五十八万四千フラン、まあ六十万フランだ。」
 マリユスとコゼットとは、その間ただ互いに顔を見合っていた。ふたりはそんなことにほとんど注意もしなかった。

     五 金は公証人よりもむしろ森に託すべし

 読者は長い説明を待つまでもなく既に了解したであろう。ジャン・ヴァルジャンはシャンマティユー事件の後、最初の数日間の逃走によって、パリーにき、モントルイュ・スュール・メールでマドレーヌ氏の名前で儲《もう》けていた金額を、ちょうどよくラフィット銀行から引き出すことができた。そして再び捕えられることを気使って――果たして間もなく捕えられたが――モンフェルメイュの森の中のブラリュの地所と言われてる所に、その金を埋めて隠しておいた。金額は六十三万フランで、全部銀行紙幣だったので、わずかな嵩《かさ》で一つの小箱に納めることができた。ただその小箱に湿気を防ぐため、更に栗の木屑《きくず》をいっぱいつめた樫《かし》の箱に入れておいた。同じ箱の中に彼は、も一つの宝である司教の燭台《しょくだい》をもしまった。モントルイュ・スュール・メールから逃走する時彼がその二つの燭台を持っていったことを、読者は記憶しているだろう。ある夕方ブーラトリュエルが最初に見つけた男は、ジャン・ヴァルジャンにほかならなかった。その後ジャン・ヴァルジャンは、金がいるたびごとにそれを取りにブラリュの空地にやってきた。前に言ったとおり彼が時々家をあけたのは、そのためだった。彼は人の気づかない茂みの中に一本の鶴嘴《つるはし》を隠しておいた。それから彼は、マリユスが回復期にはいったのを見た時、その金の役立つ時機が近づいたのを感じて、それを取りに出かけていった。ブーラトリュエルが森の中でこんどは夕方でなく早朝に見かけた男は、やはりジャン・ヴァルジャンだった。ブーラトリュエルはその鶴嘴だけを受け継いだ。
 実際に残ってた金額は五十八万四千五百フランだった。ジャン・ヴァルジャンはそのうち五百フランだけを自分のために引き去っておいた。「あとはどうにかなるだろう、」と彼は考えた。
 その金額とラフィット銀行から引き出した六十三万フランとの間の差額は、一八二三年から一八三三年に至る十年間の費用を示すものである。そのうち修道院にいた五年間は、ただ五千フランかかったのみだった。
 ジャン・ヴァルジャンは二つの銀の燭台を暖炉棚《だんろだな》の上に置いた。そのりっぱなのを見てトゥーサンはひどく感心していた。
 それからまたジャン・ヴァルジャンは、ジャヴェルから免れたことを知っていた。その事実が自分の前で話されるのを聞いて、彼は機関新聞で更に確かめてみた。その記事によると、ジャヴェルというひとりの警視が、ポン・トー・シャンジュとポン・ヌーフの二つの橋の間の洗濯舟《せんたくぶね》の下に溺死《できし》してるのが発見された、しかるに彼は元来上官からもごく重んぜられ何ら非難すべき点もない男であって、その際残していった手記によって考えれば、精神に異状を呈して自殺を行なったものらしい、というのだった。ジャン・ヴァルジャンは考えた。「実際彼は、私を捕えながら放免したところをみると、どうしても既にあの時から気が狂っていたに違いない。」

     六 コゼットを幸福ならしむるふたりの老人

 結婚の準備は悉《ことごと》く整えられた。医者に相談すると、二月には行なってもいいという明言が得られた。今は十二月だった。かくて全き幸福の楽しい数週間が過ぎていった。
 祖父も同じように幸福だった。彼はよく十四、五分間もコゼットに見惚《みと》れてることがあった。
「実にきれいな娘だ!」と彼は叫んだ。「そして至ってやさしく親切そうな様子だ。いとしき者よわが心よ、などと言ってもまだ足りない。これまで見たこともないほど美しい娘だ。やがては菫《すみれ》のように香んばしい婦徳も出て来るだろう。まったく優美の至りだ。こんな婦人といっしょにおれば、だれでもりっぱな生活をしないわけにはゆかない。マリユス、お前は男爵で金持ちだ。もう弁護士なんかにはならないでくれ、頼むから。」
 コゼットとマリユスとは、にわかに墳墓から楽園に移ったがようだった。その変化はあまりに意外だったので、ふたりはたとい目が眩《くら》みはしなかったとするもまったく惘然《ぼうぜん》としてしまった。
「どうしてだかお前にわかる?」とマリユスはコゼットに言った。
「いいえ。」とコゼットは答えた。「ただ神様が私たちを見てて下さるような気がするの。」
 ジャン・ヴァルジャンはすべてのことをなし、すべてを平らにし、すべてを和らげ、すべてを容易ならしめた。彼はコゼット自身と同じくらい熱心に、また表面上いかにもうれしそうに、彼女の幸福を早めようとした。
 彼は市長をしていたことがあるので、コゼットの戸籍という彼ひとりが秘密を握ってる困難な問題をも、よく解決することができた。その身元を露骨に打ち明けたら、あるいは結婚が破れるかも知れなかった。彼はあらゆる困難をコゼットに免れさした。彼女のために死に絶えた一家をこしらえてやった。それはいかなる故障をも招かない安全な方法だった。コゼットは死に絶えた一家のただひとりの末裔《まつえい》となり、彼の娘ではなくて、もひとりのフォーシュルヴァンの娘となった。ふたりのフォーシュルヴァン兄弟はプティー・ピクプュスの修道院で庭番をしていたことがあるので、そこに聞き合わされた。よい消息やりっぱな証明はたくさんあった。善良な修道女らは、身元なんかの問題はよく知りもせずあまり注意してもいなかったし、また不正なことがされてようとも思っていなかったので、小さなコゼットはふたりのフォーシュルヴァンのどちらの娘であるかを本当に知ってはいなかった。彼女らは望まれるままの口をきき、しかも心からそう述べ立てた。身元証明書はすぐにでき上がった。コゼットは法律上ウューフラジー・フォーシュルヴァン嬢となった。彼女は両親ともにない孤児と確認された。ジャン・ヴァルジャンはうまく取り計らって、フォーシュルヴァンという名の下にコゼットの後見人と定められ、またジルノルマン氏は後見監督人と定められた。
 五十八万四千フランは、名を明かすことを欲しなかった今は亡《な》くなってるある人から、コゼットへ遺贈されたものとなった。その遺産は初め五十九万四千フランだったが、内一万フランはウューフラジー嬢の教育費に使われ、その内五千フランは修道院に支払われたものだった。その遺産は第三者の手に保管され、コゼットが丁年に達するか結婚するかする時彼女に渡されることになっていた。それらのことは、読者の見るとおりいかにももっともなことであって、特に百万の半ば以上という金がついておればなおさらだった。もとよりいぶかしい点も所々ないではなかったが、人々はそれに気づかなかった。当事者のひとりは愛に目がおおわれていたし、他の人たちは六十万フランに目がおおわれていた。
 コゼットは自分が長く父と呼び続けていた老人の娘でないことを聞かされた。彼はただ親戚であって、もひとりのフォーシュルヴァンという人が本当の父であった。他の時だったらそのことは彼女の心を痛ませたろう。しかし今は得も言えぬ楽しい時だったので、それはただわずかな影であり一時の曇りにすぎなかった。彼女はまったく喜びに満たされていたので、その雲も長く続かなかった。彼女はマリユスを持っていた。青年がきて、老人は姿を消した。人生はそうしたものである。
 それにまた、コゼットは長年の間、自分の周囲に謎のようなことを見るになれていた。不可思議な幼年時代を経てきた者は皆、いつもある種のあきらめをしやすいものである。
 それでも彼女は続けてジャン・ヴァルジャンを父と呼んでいた。
 心も空に喜んでいるコゼットは、ジルノルマン老人にも深く感謝していた。実際老人はやたらに愛撫《あいぶ》の言葉や贈り物を彼女に浴びせかけた。ジャン・ヴァルジャンが彼女のために、社会における正当な地位と適当な身元とを作ってやってる間に、ジルノルマン氏は結婚の贈り物に腐心していた。壮麗であることほど彼を喜ばせるものはなかった。祖母から伝えられてるバンシュ製レースの長衣をもコゼットに与えた。彼は言った。「こういう物もまた生き返ってくる。古い物も喜ばれて、わしの晩年の若い娘がわしの幼年時代の婆さんのような服装をするんだ。」
 中ぶくれのりっぱなコロマンデル製の漆戸棚《うるしとだな》をも彼は開放してしまった。それはもう長年の間開かれたことのないものだった。彼は言った。「この婆さんたちにもひとつ懺悔《ざんげ》をさしてやれ。腹に何をしまってるか見てやろう。」そして彼は自分の幾人もの妻や情婦やお婆さんたちの用具がいっぱいつまってる引き出しの中を、大騒ぎでかき回した。南京繻子《なんきんじゅす》、緞子《どんす》、模様絹、友禅絹、トゥール製の炎模様粗絹の長衣、洗たくにたえる金縁の印度ハンカチ、織り上げたばかりで鋏《はさみ》のはいっていない裏表なしの花模様絹、ゼノアやアランソン製の刺繍《ししゅう》、古い金銀細工の装飾品、微細な戦争模様のついてる象牙の菓子箱、装飾布、リボン、それらをすべて彼はコゼットに与えた。コゼットはマリユスに対する愛に酔いジルノルマン氏に対する感謝の念にいっぱいになって、心の置き所も知らず、繻子とビロードとをまとった限りない幸福を夢みていた。結婚の贈物が天使からささげられてるような気がした。彼女の魂はマリーヌのレースの翼をつけて蒼空《そうくう》のうちに舞い上がっていた。
 ふたりの恋人の恍惚《こうこつ》の情におよぶものは、前に言ったとおり、ただ祖父の歓喜あるのみだった。かくてフィーユ・デュ・カルヴェール街には楽隊の響きが起こったかのようだった。
 祖父は毎朝コゼットへ何かの古物《こぶつ》を必ず贈った。あらゆる衣裳が彼女のまわりに燦爛《さんらん》と花を開いた。
 マリユスは幸福のうちにも好んでまじめな話をしていたが、ある日、何かのことについてこう言った。
「革命の人々は実に偉大です。カトーやフォキオン(訳者注 ローマおよびアテネの大人物)のように数世紀にわたる魅力を持っていて、各人がそれぞれ古代の記念のようです。」
「古代の絹!」と老人は叫んだ。「ありがとう、マリユス。ちょうどわしもそういう考えをさがしてるところだった。」
 そして翌日、茶色の観世模様古代絹のみごとな長衣がコゼットの結婚贈り物に加えられた。
 祖父はそれらの衣裳から一つの哲理を引き出した。
「恋愛は結構だ。だが添え物がなくてはいかん。幸福のうちにも無用なものがなくてはいかん。幸福そのものは必要品にすぎない。だから大いにむだなもので味をつけるんだ。宮殿と心だ。心とルーヴル美術館だ。心とヴェルサイユの大噴水だ。羊飼い女にも公爵夫人のような様子をさせることだ。矢車草を頭にいただいてるフィリスにも十万フランの年金をつけることだ。大理石の柱廊の下に目の届く限り田舎景色《いなかげしき》をひろげることだ。田舎景色もいいし、また大理石と黄金との美観もいい。幸福だけの幸福はパンばかりのようなものだ。食えはするがごちそうにはならない。むだなもの、無用なもの、よけいなもの、多すぎるもの、何の役にも立たないもの、それがわしは好きだ。わしはストラスブールグの大会堂で見た時計を覚えている。それは四階建ての家ほどある大きな時計で、時間を教えてもいたが、親切にも時間を教えてはいたが、そのためにばかり作られたものではなさそうだった。正午やま夜中や、太陽の時間である昼の十二時や、恋愛の時間である夜の十二時や、そのほかあらゆる時間を報じたあとで、種々なものを出してみせた。月と星、陸と海、小鳥と魚、フォイボスとフォイベ(訳者注 太陽の神と月の神)、また壁龕《へきがん》から出て来るたくさんのもの、十二使徒、皇帝カルル五世、エポニーネとサビヌス([#ここから割り注]訳者注 ローマ人の覊絆からゴール族を脱せしめんと企てた勇士夫婦[#ここで割り注終わり])、その上になお、ラッパを吹いてる金色の子供もたくさんいた。そのたびごとになぜともなく空中に響き渡らせる楽しい鐘の音は、言うまでもないことだ。ただ時間だけを告げる素裸のみじめな時計が、それと肩を並べることができようかね。わしはな、ストラスブールグの大時計の味方だ。シュワルツワルト(黒森山)の杜鵑《ほととぎす》の声を出すだけの目ざまし時計より、それの方がずっとよい。」
 ジルノルマン氏は特に、結婚式のことについて屁理屈《へりくつ》を並べていた。彼の賛辞のうちには十八世紀の事柄がやたらにはいってきた。
「お前たちは儀式の方法を心得ていない。近ごろの者は喜びの日をどうしていいかよく知らないのだ。」と彼は叫んだ。「お前たちの十九世紀は柔弱だ。過分ということがない。金持ちをも知らなければ、貴族をも知らない、何事にもいがぐり頭だ。お前たちのいわゆる第三階級というものは、無味、無色、無臭、無形だ。家を構える中流市民階級の夢想は、自分で高言してるように、新しく飾られた紫檀《したん》や更紗《さらさ》のちょっとした化粧部屋にすぎない。さあお並び下さい、しまりやさんがけちけち嬢さんと結婚致します、といったような具合だ。そのぜいたくや華美としては、ルイ金貨を一つ蝋燭《ろうそく》にはりつけるくらいのものだ。十九世紀とはそんな時代なんだ。わしはバルチック海の向こうまでも逃げてゆきたいほどだ。わしは既に一七八七年から、何もかもだめになったと予言しておいた。ローアン公爵やレオン大侯やシャボー公爵やモンバゾン公爵やスービーズ侯爵や顧問官トゥーアル子爵が、がた馬車に乗ってロンシャンの競馬場に行くのを見た時からだ。ところが果たしてそれは実《み》を結んだ。この世紀ではだれでも皆、商売をし、相場をし、金を儲《もう》け、そしてしみったれてる。表面だけを注意して塗り立ててる。おめかしをし、洗い立て、石鹸《せっけん》をつけ、拭《ぬぐ》いをかけ、髯《ひげ》を剃《そ》り髪を梳《す》き、靴墨《くつずみ》をつけ、てかてかさし、みがき上げ、刷毛《はけ》をかけ、外部だけきれいにし、一点のほこりもつけず、小石のように光らし、用心深く、身ぎれいにしてるが、一方では情婦《いろおんな》をこしらえて、手鼻をかむ馬方でさえ眉を顰《しか》むるような、肥料溜《こえだめ》や塵溜《ちりだめ》を心の底に持っている。わしは今の時代に、不潔な清潔という題辞を与えてやりたい。なにマリユス、怒ってはいけないよ。わしに少し言わしてくれ。別に民衆の悪口を言うんじゃない。お前のいわゆる民衆のことなら十分感心してるのだが、中流市民を少しばかりたたきつけてやるのはかまわんだろう。もちろんわしもそのひとりだ。よく愛する者はよく鞭《むち》うつ。そこでわしはきっぱりと言ってやる。今日では、人は結婚をするが結婚の仕方を知らない。まったくわしは昔の風習の美しさが惜しまれる。すべてが惜しまれる。その優美さ、仁侠《にんきょう》さ、礼儀正しい細やかなやり方、いずれにも見らるる愉快なぜいたくさ、すなわち、上は交響曲から下は太鼓に至るまで婚礼の一部となっていた音楽、舞踊、食卓の楽しい顔、穿《うが》ちすぎた恋歌、小唄《こうた》、花火、打ち解けた談笑、冗談や大騒ぎ、リボンの大きな結び目。それから新婦の靴下留《くつしたど》めも惜しまれる。新婦の靴下留めは、ヴィーナスの帯と従姉妹同士《いとこどうし》だ。トロイ戦争は何から起こったか? ヘレネの靴下留めからではないか。なぜ人々は戦ったか、なぜ神のようなディオメーデはメリオネスが頭にいただいてる十本の角のある青銅の大きな兜《かぶと》を打ち砕いたか、なぜアキレウスとヘクトルとは槍《やり》で突き合ったか? それも皆ヘレネが靴下留めにパリスの手を触れさしたからではないか。コゼットの靴下留めからホメロスはイリアードをこしらえるだろう。その詩の中にわしのような饒舌《じょうぜつ》な老人を入れて、それをネストルと名づけるだろう。昔はね、愛すべき昔では、人は賢い婚礼をしたものだ。りっぱな契約をし、次にりっぱなごちそうをしたものだ。キュジャスが出てゆくとガマーシュがはいってきたものだ(訳者注 前者は法律学者の典型にて、後者はドン・キホーテの一
話中に出てくる婚礼の大馳走をする田舎者)。というのも、胃袋というものは愉快な奴《やつ》で、自分の分け前を求め、自分もまた婚礼をしようとするからだ。皆よく食ったし、また食卓では、胸当てをはずして適宜にえりを開いてる美人と隣合ってすわったものだ。皆大きく口をあいて笑うし、あの時代は実に愉快な者ばかりだった。青春は花輪だった。若い男は皆、ライラックの一枝か薔薇《ばら》の一握りかを持っていた。軍人までも皆羊飼いだった。たとい竜騎兵の将校でも、フロリアン(訳者注 十八世紀の後半の寓話作者)と人から呼ばるる術を心得ていた。皆きれいに着飾るように心掛けていた。刺繍《ししゅう》をつけ緋絹《ひぎぬ》をつけていた。市民は花のようだったし、侯爵は宝石のようだった。脚絆留《きゃはんど》めをつけたり長靴《ながぐつ》をつけたりはしなかった。はなやかで、艶々《つやつや》しく、観世模様をつけ、蝦茶色《えびちゃいろ》ずくめで、軽快で、華奢《きゃしゃ》で、人の気をそらさないが、それでもなお腰には剣を下げていた。蜂雀も嘴《くちばし》と爪《つめ》とを持ってるものだ。優美なる藍色服の人々の時代だった。その時代の一面は繊麗であり、一面は壮麗だった。そして人々は遊び戯れていたものだ。ところが今日ではだれも皆まじめくさってる。市民はけちで貞節ぶってる。お前たちの世紀は不幸なものだ。あまり首筋を出しすぎてると言っては優美の女神を追いやっている。あわれにも、美しさをも醜さと同じように包み隠してる。革命から後は、だれでもズボンをはくようになった、踊り娘《こ》までそうだ。道化女もまじめくさり、リゴドン踊りも理屈っぽくなってる。威儀を正してなけりゃいけない。襟飾《えりかざ》りの中に頤《あご》を埋めていなけりゃ気を悪くされる。結婚しようとする二十歳の小僧の理想は、ロアイエ・コラール氏(訳者注 立憲王党派の謹厳なる学者)のようになろうということだ。そしてお前たちは、そういう威容をばかり保ってついにどうなるか知ってるのか。ただ矮小《わいしょう》になるばかりだ。よく覚えておくがいい、快活は単に愉快であるばかりでなく、また偉大である。だから快活に恋をするがいい。結婚するなら、熱情と無我夢中と大騒ぎと混沌たる幸福とをもって結婚するがいい。教会堂でしかつめらしくしてるのもよいが、弥撒《みさ》がすんだら、新婦のまわりに夢の渦巻《うずま》きを起こさしてやるがいい。結婚は堂々としていてしかも放恣《ほうし》でなくちゃいかん。ランスの大会堂からシャントルーの堂まで練り歩かなくちゃいかん。元気のない婚礼は思ってもいやだ。少なくともその当日だけは、オリンポスの殿堂にはいった気でなくてはね。神々になった気でなくてはね。ああみんなして、空気の精や遊びの神や笑いの神や銀楯の精兵などになるがいい。小鬼になるがいい。結婚したての者は皆アルドブランディニ侯(訳者注 十七世紀の初めに見いだされた華麗な結婚図の古い壁画の主人公)のようでなくちゃいけない。生涯にただ一度のその機会に乗じて、白鳥や鷲と共に火天まで舞い上がっていくんだ。そして翌日また中流市民の蛙《かえる》の中に落ちてこないですむようにしなくちゃいけない。結婚について倹約したり、その光輝をそぐようなことをしてはいけない。光栄の日にけちけちするものではない。婚礼は世帯ではない。わしの思いどおりにやれたら、実にみやびなものになるんだがな。木立ちの中にはバイオリンの音を響かしてやる。計画と言っては、空色と銀だ。儀式には田野の神々をも並べてみせる。森の精や海の精をも招きよせてみせる。アンフィトリテ(訳者注 海の女神)の婚礼、薔薇色《ばらいろ》の雲、髪を結わえた素裸の水の精ども、女神に四行詩をささげるアカデミー会員、海の怪物に引かれた馬車。

  
トリトン(海の神)は先に駆けりつ、法螺《ほら》の貝もて
  
人皆を歓喜せしむる楽を奏しぬ。

これが儀式の目録だ、目録の一つだ。さもなくばわしはもう何にも知らん、断じて!」
 祖父が叙情詩熱に浮かされて、自ら自分の言葉に耳を傾けてる間に、コゼットとマリユスとは自由に顔を見合わして恍惚《こうこつ》としていた。
 ジルノマン伯母《おば》はいつもの平然たる落ち着きでそれらのことをながめていた。彼女は五、六カ月以来、ある程度までの感動を受けた。マリユスが戻ってきたこと、血にまみれて運ばれてきたこと、防寨《ぼうさい》から運ばれてきたこと、死にかかっていたが次に生き返ったこと、祖父と和解したこと、婚約したこと、貧乏な女と結婚すること、分限者の女と結婚すること。六十万フランは彼女の最後の驚きだった。それから最初の聖体拝領の時のような無関心さがまた戻ってきた。彼女は欠かさず教会堂の祭式に列し、大念珠をつまぐり、祈祷書《きとうしょ》を読み、家の片すみで人々がわれ汝を愛す[#「われ汝を愛す」に傍点]をささやいてる間に、他の片すみでアヴェ・マリアをささやき、そしてマリユスとコゼットとを漠然《ばくぜん》と二つの影のようにながめていた。しかし実際彼女の方が影の身であった。
 ある惰性的な苦行の状態があるもので、その時人の魂は麻痺《まひ》して中性となり、世話事とも言い得るすべてのことに無関心となり、地震や大変災などを除いては、何事にも何ら人間らしい感銘を受くることなく、何ら楽しい感銘をも苦しい感銘をも受くることがなくなる。ジルノルマン老人は娘にこう言った。「そういう帰依の状態は、鼻感冒《はなかぜ》と同じものだ。お前は人間のにおいを少しも感じない。悪いにおいも良いにおいも感じない。」
 その上、六十万フランの金は、どうでもいいという気を老嬢に起こさした。父はいつも彼女をあまり眼中においていなかったので、マリユスの結婚承諾についても彼女に相談をしなかった。例のとおり熱狂的な行動を取り、奴隷となった専制者の態度で、ただマリユスを満足させようという一つの考えしか持っていなかった。伯母については、伯母が実際そこにいるかどうか、伯母が何かの意見を持ってるかどうか、それを彼は考えてもみなかった。彼女はきわめて温順ではあったが、そのために多少気を悪くした。そして内心では少し不満を覚えながら、表面は冷然として、自ら言った。「父はひとりで結婚問題をきめてしまったのだから、私もひとりで遺産の問題をきめてしまおう。」実際彼女は財産を持っていたが、父は財産を持たなかった。それで彼女は、そこに自分の決心をおいていた。結婚するふたりが貧乏だったら貧乏のままにしておいてやれ、甥《おい》にはお気の毒様だ、一文なしの女を娶《めと》るなら彼も一文なしになるがいい。ところがコゼットの持っている百万の半ば以上の金は、伯母《おば》の気に入った、ふたりの恋人に対する心持ちを変えさした。六十万と言えば尊敬に価するものである。そして明らかに彼女は、若いふたりにもう金の必要がなくなった以上、彼らに自分の財産を与えてやるよりほかにしようがなくなったのである。
 新夫婦は祖父の所に住むことに話がまとまっていた。ジルノルマン氏は家で一番美しい自分の室《へや》を是非とも彼らに与えようと思っていた。彼はこう言った。「それでわしも若返る[#「それでわしも若返る」に傍点]。元から考えていたことだ[#「元から考えていたことだ」に傍点]。わしはいつも自分の室で結婚式を行ないたいと思っていたんだ[#「わしはいつも自分の室で結婚式を行ないたいと思っていたんだ」に傍点]。」彼はその室に、優美な古い珍品をやたらに備えつけた。また天井と壁には大変な織物を張らせた。それは彼が一機《ひとかま》そっくり持っていて、ユトレヒト製だと思ってるもので、毛莨色《きんぽうげいろ》の繻子《しゅす》のような地質に蓮馨花色《さくらそういろ》のビロードのような花がついていた。彼は言った。「ローシュ・ギヨンでアンヴィル公爵夫人の寝台の帷《とばり》となっていたのも、これと同じ織物だ。」また彼は暖炉棚《だんろだな》の上に、裸の腹にマッフをかかえてるサクソニー製の人形を一つ据えた。
 ジルノルマン氏の図書室は弁護士事務室となった。読者の記憶するとおり、弁護士たる者は組合評議員会の要求によって事務室を一つ持っていなければならなかったので、マリユスにもその必要があったのである。

     七 幸福のさなかに浮かびくる幻

 ふたりの恋人は毎日顔を合わしていた。コゼットはいつもフォーシュルヴァン氏と共にやってきた。ジルノルマン嬢は言った。「こんなふうに嫁さんの方からきげんを取られに男の家へやって来るのは、まるでさかさまだ。」けれどもマリユスはまだ回復期にあったし、フィーユ・デュ・カルヴェール街の肱掛《ひじか》け椅子《いす》はオンム・アルメ街の藁椅子《わらいす》よりもふたりの差し向かいに好都合だったので、自然とコゼットの方からやって来る習慣になったのである。マリユスとフォーシュルヴァン氏とは絶えず会っていたが、話をし合うことはあまりなかった。自然とそういうふうに黙契ができたかのようだった。娘にはすべて介添えがいるものである。コゼットはフォーシュルヴァン氏といっしょでなければやってこられなかったろう。しかしマリユスにとっては、コゼットあってのフォーシュルヴァン氏であった。彼はフォーシュルヴァン氏をとにかく迎えていた。かくて彼らは、万人の運命を一般に改善するという見地から政治上の事柄を、微細にわたることなく漠然《ばくぜん》と話題に上せて、しかりもしくは否というよりも多少多くの口をきき合うこともあった。一度マリユスは、教育というものは無料の義務的なものになして、あらゆる形式の下に増加し、空気や太陽のように万人に惜しまず与え、一言にして言えば、民衆全体が自由に吸入し得らるるようにしなければいけないという、平素の持論を持ち出したが、その時ふたりはまったく意見が合って、ほとんど談話とも言えるくらい口をきき合った。そしてフォーシュルヴァン氏がよく語りしかもある程度まで高尚な言葉を使うのを、マリユスは認めた。けれども何かが欠けていた。フォーシュルヴァン氏には普通の人よりも、何かが足りなくまた何かが多すぎていた。
 マリユスは頭の奥でひそかに、自分に向かっては単に親切で冷然たるのみのフォーシュルヴァン氏に対して、あらゆる疑問をかけてみた。時とすると、自分の思い出にさえ疑いをかけてみた。彼の記憶には、一つの穴、暗い一点、四カ月間の瀕死《ひんし》の苦しみによって掘られた深淵《しんえん》が、できていた。多くのことがその中に落ち込んでいた。そのために、かくまじめな落ち着いた人物であるフォーシュルヴァン氏を防寨《ぼうさい》の中で見たというのは、果たして事実だったろうかと自ら疑ってみた。
 もとより、過去の明滅する幻が彼の脳裏に残したものは、単なる惘然《ぼうぜん》さのみではなかった。幸福中にもまた満足中にも人をして沈鬱《ちんうつ》に後方をふり返り見させる記憶の纒綿《てんめん》から、彼が免れていたと思ってはいけない。消えうせた地平線の方をふり返り見ない頭には、思想もなければ愛もないものである。時々マリユスは両手で頭をおおった。そして騒然たるおぼろな過去が、彼の脳裏の薄ら明りの中を過《よ》ぎっていった。彼はマブーフが倒れる所を再び見、霰弾《さんだん》の下に歌を歌ってるガヴローシュの声を聞き、エポニーヌの額の冷たさを脣《くちびる》の下に感じた。アンジョーラ、クールフェーラック、ジャン・プルーヴェール、コンブフェール、ボシュエ、グランテール、などすべての友人らが、彼の前に立ち現われ、次いでまた消えうせてしまった。それらの、親しい、悲しい、勇敢な、麗しい、あるいは悲壮な者らは、皆夢であったのか? 彼らは実際存在していたのか? 暴動はすべてを硝煙のうちに巻き込んでしまっていた。それらの大なる苦熱は大なる幻を作り出す。彼は自ら問い、自ら憶測し、消えうせたそれらの現実に対して眩暈《げんうん》を感じた。彼らは皆どこにいるのか。皆死んでしまったというのは真実であるか。彼を除いたすべての者は暗黒の中に墜落してしまっていた。それはあたかも芝居の幕のうしろに隠れたことのように彼には思われた。人生にもかく幕のおりることがある。神は次の場面へと去ってゆく。
 そして彼自身は、やはり同じ人間なのか。貧しかったのに富有となった。孤独だったのに家庭の人となった。望みを失ってたのにコゼットを娶《めと》ることとなった。彼は墳墓を通ってきたような気がした。暗黒な姿で墳墓にはいり込み、純白な姿でそこから出てきたような気がした。しかもその墳墓の中に、他の者は皆残ってるのである。ある時には、それら過去の人々がまた現われてき、彼の周囲に立ち並んで彼を陰鬱《いんうつ》になした。その時彼はコゼットのことを考えて、また心が朗らかになるのだった。その災いを消散させるには、コゼットを思う幸福だけで充分だった。
 フォーシュルヴァン氏もそれら消えうせた人々のうちにほとんどはいっていた。防寨《ぼうさい》にいたフォーシュルヴァン氏が、肉と骨とをそなえまじめな顔をしてコゼットのそばにすわってるこのフォーシュルヴァン氏と同一人であるとは、マリユスには信じ難かった。第一の方はおそらく、長い間の昏迷《こんめい》のうちに現滅した悪夢の一つであろう。その上、ふたりともきわめて謹厳な性格だったので、マリユスはフォーシュルヴァン氏に向かって何か聞き糺《ただ》すこともでき難かった。聞き糺《ただ》してみようという考えさえ彼には浮かばなかった。ふたりの間のそういう妙なへだたりは、前に既に指摘しておいたとおりである。
 ふたりとも共通の秘密を持っていながら、一種の黙契によって、そのことについては互いに一言も交じえない。そういう事実は案外たくさん世にあるものである。
 ただ一度、マリユスは探りを入れてみたことがあった。彼は会話の中にシャンヴルリー街のことを持ち出して、フォーシュルヴァン氏の方へ向きながら言った。
「あなたはあの街路《まち》をよく御存じでしょうね。」
「どの街路ですか。」
「シャンヴルリー街です。」
「そういう名前については別に何の考えも浮かびませんが。」とフォーシュルヴァン氏は最も自然らしい調子で答えた。
 答えは街路の名前についてであって、街路そのものについてではなかったが、それでもマリユスはよく了解できるような気がした。
「まさしく自分は夢をみたのだ。」とマリユスは考えた。「幻覚を起こしたのだ。だれか似た者がいたのだろう。フォーシュルヴァン氏はあすこにいたのではない。」

     八 行方《ゆくえ》不明のふたりの男

 歓喜の情はきわめて大きかったけれども、マリユスの他の気がかりを全然消すことはできなかった。
 結婚の準備が整えられてる間に、定まった日を待ちながら、彼は人を使って困難な既往の穿鑿《せんさく》を細密になさした。
 彼は諸方面に恩を被っていた。父のためのもあれば、自分自身のためのもあった。
 まずテナルディエがいた。また彼マリユスをジルノルマン氏のもとへ運んでくれた未知の人がいた。
 マリユスはそのふたりの者を探し出そうとつとめた。結婚し幸福になって彼らのことを忘れようとは思わなかった。その恩を報じなければ、これから光り輝いたものとなる自分の生活に影がさしはしないかを恐れた。その負債をいつまでも遅滞さしておくことは彼にはできなかった。楽しく未来にはいってゆく前に過去の負いめを皆済ましたいと願った。
 たといテナルディエは悪漢であろうとも、そのためにポンメルシー大佐を救ったという事実を少しも曇らせはしなかった。テナルディエは世の中のだれにとっても一個の盗賊だったが、マリユスにとってだけはそうでなかった。
 そしてマリユスは、ワーテルローの戦場の実景についてはまったく無知だったので、父はテナルディエに対して、生命の恩にはなってるが感謝の義務はないという妙な地位に立ってる特別の事情を、少しも知らなかった。
 マリユスは種々の人に頼んだが、だれもテナルディエの行方《ゆくえ》をさがしあてることはできなかった。その踪跡《そうせき》はまったくわからなくなってるらしかった。テナルディエの女房は予審中に監獄で死んでいた。その嘆かわしい一家のうちで生き残ってるのはテナルディエと娘のアゼルマだけだったが、ふたりとも暗黒の中に没し去っていた。社会の不可知なる深淵《しんえん》は再び黙々として彼らの上を鎖《とざ》していた。その深淵の面には、何かが陥ったことを示してくれ、また錘《おもり》を投ずべき場所を示してくれるような、揺るぎや、震えや、かすかな丸い波紋さえも、もはや見られなくなっていた。
 テナルディエの女房は死に、ブーラトリュエルは免訴となり、クラクズーは消えうせ、おもな被告は脱走してしまったので、ゴルボー屋敷の待ち伏せの裁判はほとんど空《くう》に終わってしまった。事件はかなり曖昧《あいまい》のままになっていた。重罪裁判廷はふたりの従犯人で満足しなければならなかった。すなわちパンショー一名プランタニエ一名ビグルナイユとドゥミ・リアール一名ドゥー・ミリアールとであって、ふたりとも審理の上十年の徒刑に処せられた。脱走した不在の共犯人らに対しては、無期徒刑が宣告された。頭目であって主犯者たるテナルディエは、同じく欠席裁判所によって死刑を宣告された。テナルディエに関して世に残ってるものは、その宣告だけで、あたかも柩《ひつぎ》のそばに立ってる蝋燭《ろうそく》のように、彼の葬られた名前の上に凄惨《せいさん》な光を投じていた。
 その上この処刑は、再び捕縛される恐れのためにテナルディエを最後の深みへ追いやってしまったので、彼をおおう暗黒をいっそう深からしめるのみだった。
 もひとりの男に関しては、すなわちマリユスを救ってくれた無名の男に関しては、初めのうち多少捜索の結果が上がったけれど、それから急に行き止まってしまった。すなわち、六月六日の夜フィーユ・デュカルヴェール街へマリユスを乗せてきた辻馬車《つじばしゃ》を見いだすことができた。その御者の言うところはこうであった。六月六日、シャン・ゼリゼー川岸通りの大溝渠《だいこうきょ》の出口の上で、午後の三時から夜まで、ある警官の命令で彼は「客待ち」をしていた。午後の九時ごろ、川の汀《みぎわ》についてる下水道の鉄格子口《てつごうしぐち》が開いた。ひとりの男がそこから出てきて、死んでるらしい他の男を肩にかついでいた。そこに番をしていた警官は、生きている男を捕え、死んでいる男を押さえた。警官の命令で、御者は「その人たち」を馬車に乗せた。最初フィーユ・デュ・カルヴェール街へ行った。死んでる男はそこでおろされた。その死んでる男というのはマリユス氏であった。「こんどは」生きていたけれども、御者は確かに見覚えていた。それからふたりはまた彼の馬車に乗った。彼は馬に鞭《むち》をあてた。古文書館の門から数歩の所で、止まれと声をかけられた。その街路で彼は金をもらって返された。警官はもひとりの男をどこかへ連れて行った。それ以上のことは少しも知らない。その晩は非常に暗かった。
 前に言ったとおり、マリユスは何にも覚えていなかった。防寨《ぼうさい》の中であおむけに倒れかかる時背後から力強い手でとらえられたことだけを、ようやく思い出した。それから何にもわからなくなった。意識を回復したのはジルノルマン氏の家においてだった。
 彼は推測に迷った。
 御者の言う男が彼自身であることは疑いなかった。けれども、シャンヴルリー街で倒れてアンヴァリード橋近くのセーヌ川の汀《みぎわ》で警官から拾い上げられたとは、どうしたのであったろうか。だれかが彼を市場町からシャン・ゼリゼーまで運んでくれたには違いなかった。だがどうして? 下水道を通ってか。それにしては驚くべき献身的な行為である。
 だれかしら。だれだろうか?
 マリユスがさがしてるのはその男であった。
 彼の救い主であるその男については、何にもわからず、何らの踪跡《そうせき》もなく、少しの手掛かりもなかった。
 マリユスは警察の方には内々にせざるを得なかったが、それでもついに警視庁にまで探索を進めてみた。しかしそこでも他の所と同じく、何ら光明ある消息は得られなかった。警視庁では辻馬車《つじばしゃ》の御者ほどもその事件を知っていなかった。六月六日|大溝渠《だいこうきょ》の鉄の扉《とびら》の所でなされた捕縛などということは少しも知られていなかった。その件については何ら警官の報告も届いていなかった。警視庁ではそれを作り話だと見なした。それを捏造《ねつぞう》したのは御者だとされた。御者というものは、少し金をもらいたいと思えば何でもやる、想像の話でもこしらえる。とは言うものの、その事柄はいかにも確からしかった。マリユスはそれを疑い得なかった。少なくとも、上に述べたとおり、自分がその男だということは疑い得なかった。
 その不思議な謎においてはすべてが不可解だった。
 その男、気絶したマリユスをかついで大溝渠《だいこうきょ》の鉄格子口《てつごうしぐち》から出て来るのを御者が見たというその不思議な男、ひとりの暴徒を救助してる現行を見張りの警官から押さえられたというその不思議な男、彼はいったいどうなったのか? 警官自身はどうなったのか? なぜその警官は口をつぐんでいたのであろうか。男はうまく逃走してしまったのであろうか。彼は警官を買収したのであろうか。マリユスがあらん限りの恩になってるその男は、なぜ生きてるしるしだに伝えてこなかったのか。その私心のない行ないは、その献身的な行ないにも劣らず驚くべきものだった。なぜその男は再び出てこなかったのか。おそらく彼はいかなる報酬を受けてもなお足りなかったのかも知れないが、しかしだれも感謝を受けて不足だとするはずはない。彼は死んだのであろうか、どういう人であったろうか、どういう顔をしていたのか? それを言い得る者はひとりもなかった。その晩は非常に暗かったと御者は答えた。バスクとニコレットとはすっかり狼狽《ろうばい》して、血にまみれた若主人にしか目を注がなかった。ただ、マリユスの悲惨な帰着を蝋燭《ろうそく》で照らしていた門番だけが、問題の男の顔をながめたのであるが、その語るところはこれだけだった、「その人は恐ろしい姿だった。」
 マリユスは探査の助けにもと思って、祖父のもとへ運ばれてきた時身につけていた血に染んだ服をそのまま取って置かした。上衣を調べてみると、裾《すそ》が妙なふうに裂けていた。その一片がなくなっていた。
 ある晩マリユスは、その不思議なできごとや、試みてみた数限りない探査や、あらゆる努力が無効に終わったことなどを、コゼットとジャン・ヴァルジャンとの前で話した。ところが「フォーシュルヴァン氏」の冷淡な顔つきは彼をいら立たした。彼はほとんど憤怒の震えを帯びてる強い調子で叫んだ。
「そうです、その人はたといどんな人であったにせよ、崇高な人です。あなたはその人のしたことがわかりますか。その人は天使のようにやってきたのです。戦いの最中に飛び込んでき、私を奪い去り、下水道の蓋《ふた》をあけ、その中に私を引きずり込み、私をになって行かなければならなかったのです。恐ろしい地下の廊下を、頭をかがめ、身体を曲げ、暗黒の中を、汚水の中を、一里半以上も、背に一つの死骸《しがい》をになって一里半以上も、歩かなければならなかったのです。しかも何の目的でかと言えば、ただその死骸を救うということだけです。そしてその死骸が私だったのです。彼はこう思ったのでしょう。まだおそらく生命の影が残ってるらしい、このかすかな生命のために自分一身を賭《と》してみようと。しかも彼は自分の一身を、一度だけではなく幾度も危険にさらしたのです。進んでゆく一歩一歩が皆危険だったのです。その証拠には、下水道を出るとすぐに捕えられたのでもわかります。どうです、彼はそれだけのことをやったのです。しかも何らの報酬をも期待してはいなかったのです。私は何者だったのでしょう、ひとりの暴徒にすぎなかったのです、ひとりの敗北者にすぎなかったのです。ああ、もしコゼットの六十万フランが私のものであったら……。」
「それはあなたのものです。」とジャン・ヴァルジャンはさえぎった。
「そうなれば、」とマリユスは言った、「あの人を見つけ出すために私はそれを皆投げ出してもかまいません。」
 ジャン・ヴァルジャンは黙っていた。

     第六編 不眠の夜

     一 一八三三年二月十六日

 一八三三年二月十六日から十七日へかけた夜は、祝福されたる夜であった。夜の影の上には天が開けていた。マリユスとコゼットとの結婚の夜だった。
 その日は実に麗しい一日だった。
 それは祖父が夢想したような空色の祝典ではなく、新郎新婦の頭上に天使や愛の神が飛び回る夢幻的な祝いではなく、門の上に美しい彫刻帯をつけるのにふさわしい結婚ではなかった。しかしそれは楽しい微笑《ほほえ》んでる一日だった。
 一八三三年の結婚式のありさまは、今日とは非常に異なっていた。新婦を連れ、教会堂から出るとすぐに逃げ出し、自分の幸福をはずかしがって身を隠し、破産者のように人を避ける様子とソロモンの賛歌のような歓喜とを一つにするという、あのイギリスふうの雅致は、まだフランスに行なわれていなかった。その楽園を駅馬車の動揺に任し、その神秘を馬車の軋《きし》る音で貫かせ、旅籠屋《はたごや》の寝床を結婚の床とし、そして一生のうちの最も神聖な思い出を、駅馬車の車掌や宿屋の女中などと差し向かいになった光景に交じえながら、一晩だけの卑俗な寝床に残してくるという、そういうやり方のうちに、貞節な微妙な謹直な何かがあることは、まだ了解されていなかった。
 現今十九世紀の後半においては、区長とその飾り帯、牧師とその法衣、法律と神、それだけでは足りなくなっている。それに加うるに、ロンジュモーの御者([#ここから割り注]訳者注 美声を持ったある駅馬車の御者が結婚の間ぎわに女をすててオペラ役者になって浮かれ歩くという歌劇中の人物[#ここで割り注終わり])をもってしなければならない。赤い縁取りと鈴ボタンのついてる青い上衣、延べ金の腕章、緑皮の股衣、尾を結んだノルマンディー馬への掛け声、にせの金モール、塗り帽子、髪粉をつけた変な頭髪、大きな鞭《むち》、および丈夫な長靴《ながぐつ》。けれどもフランスではまだ、イギリスの貴族がするように、新郎新婦の駅馬車の上に底のぬけた上靴や破れた古靴などをやたらに投げつけるほど、優美のふうが進んではいない。その風習は、結婚の当日伯母の怒りを買って古靴を投げつけられたのがかえって僥倖《ぎょうこう》になったという、マールボルーあるいはマルブルーク公となったチャーチル(訳者注 十八世紀はじめのイギリスの将軍でおどけ唄の主人公として伝説的の人物となった人)に由来するものである。そういう古靴や上靴は、まだフランスの結婚式にははいってきていない。しかし気長に待つがいい。いわゆるいい趣味はだんだんひろがってゆくもので、やがてはそれも行なわれるようになるだろう。
 一八三三年には、また百年以前には、馬車を大駆けにさせる結婚式などというものは行なわれていなかった。
 変に思われるかも知れないが、その頃の人の考えでは、結婚というものはごく打ち解けた公《おおやけ》の祝いであり、淳朴《じゅんぼく》な祝宴は家庭の尊厳を汚するものではなく、たといそのにぎわいは度を越えようと、猥《みだ》らなものでさえなければ、少しも幸福の妨げとなるものではないとされ、また、やがて一家族が生まれいずべきふたりの運命の和合をまず家の中で始め、同棲《どうせい》生活がその楔《くさび》として長く結婚の室《へや》を有することは、至って尊い善良なことだとされていた。
 そして人々は、不謹慎にも自宅で結婚をしたのである。
 マリユスとコゼットとの結婚も、現今|廃《すた》っているその風習に従って、ジルノルマン氏の家でなされた。
 教会堂に掲示すべき予告、正式の契約書、区役所、教会堂、それら結婚上の仕事はごく当然な普通なことではあるが、いつも多少の面倒をきたすものである。そして二月十六日まででなければすっかり準備ができ上がらなかった。
 しかるに、われわれはただ正確を期するためにこの一事を言うのであるが、十六日はちょうど謝肉祭末日の火曜日だった。それで人々はいろいろ躊躇《ちゅうちょ》したり気にかけたりし、ことにジルノルマン伯母《おば》はひどく心配した。
「謝肉祭末日なら結構だ。」と祖父は叫んだ。「こういう諺《ことわざ》がある。

 謝肉祭末日の結婚ならば
 謝恩を知らぬ子供はできない。

是非ともやろう。十六日にきめよう。マリユス、お前は延ばしたいか。」
「いいえ、ちっとも。」と恋人は答えた。
「ではその日が結婚だ。」と祖父は言った。
 それで、世間のにぎわいをよそにして、十六日に結婚式があげられた。その日は雨が降った。けれども、たとい他の者は皆|雨傘《あまがさ》の下にいようとも、恋人らがながめる幸福の蒼天《そうてん》は、常に空の片すみに残ってるものである。
 その前日、ジャン・ヴァルジャンはジルノルマン氏の面前で、五十八万四千フランをマリユスに渡した。
 結婚は夫婦財産共有法によってなされたので、契約書は簡単だった。
 トゥーサンはジャン・ヴァルジャンに不用となったので、コゼットが彼女を引き取って、小間使いの格に昇進さした。
 ジャン・ヴァルジャンの方は、ジルノルマン家のうちに特に彼のために設けられたきれいな室《へや》を提供された。そして、「お父様《とうさま》、どうかお願いですから、」とコゼットが切に勧めるので、彼も仕方なしに、その室に住もうというおおよその約束をした。
 結婚の定日の数日前、ジャン・ヴァルジャンに一事が起こった。すなわち右手の親指を少し負傷したのである。大した傷ではなかった。そして彼はそれを気にかけたり包帯したりまたは調べてみたりすることをだれにも許さなかった、コゼットにも許さなかった。それでも彼は、その手を布で結わえ、腕を首からつらなければならなかった。そして署名することができなくなった。ジルノルマン氏がコゼットの後見監督人として彼の代わりをした。
 われわれは読者を区役所や教会堂まで連れて行くことをよそう。人は通例そこまでふたりの恋人について行くものでなく、儀式が結婚の花束をボタンの穴にさすとすぐ、背を向けて立ち去るものである。だからわれわれはここに一事をしるすに止めよう。その一事は、もとより婚礼の一行からは気づかれなかったことであるが、フィーユ・デュ・カルヴェール街からサン・ポール教会堂までの道程の途中で起こったものである。
 当時、サン・ルイ街の北端で舗石《しきいし》の修復がされていて、パルク・ロアイヤル街から先は往来がふさがれていた。それで婚礼の馬車はまっすぐにサン・ポールへ行くことができず、どうしても道筋を変えなければならなかった。一番簡単なのは大通りへ回り道をすることだった。ところがちょうど謝肉祭末日なので大通りには馬車がいっぱいになってるだろうと、客のひとりは注意した。「なぜです?」とジルノルマン氏は尋ねた。「仮装行列があるからです。」すると祖父は言った。「それはおもしろい。そこから行きましょう。この若い者たちは結婚して、これから人生のまじめな方面にはいろうとするんです。仮装会を少し見せるのも何かのためになるでしょう。」
 一同は大通りから行くことにした。第一の婚礼馬車には、コゼットとジルノルマン伯母《おば》とジルノルマン氏とジャン・ヴァルジャンとが乗った。マリユスは習慣どおり花嫁と別になって第二の馬車に乗った。婚礼の行列はフィーユ・デュ・カルヴェール街を出るとすぐに、マドレーヌとバスティーユの間を往来してる絶え間のない長い馬車の行列の中にはいり込んだ。
 仮装の人々は大通りにいっぱいになっていた。時々雨が降ったけれども、パイヤスやパンタロンやジルなどという道化者らはそれに臆《おく》しもしなかった。その一八三三年の冬の上きげんさのうちにパリーはヴェニスの町のようになっていた。今日ではもうそういう謝肉祭末日は見られない。今日存在しているものは皆広い意味の謝肉祭であって、本当の謝肉祭はもはやなくなっている。
 横町は通行人でいっぱいになっており、人家の窓は好奇な者でいっぱいになっていた。劇場の回廊の上にある平屋根には見物人が立ち並んでいた。仮装行列のほかにまた、謝肉祭末日の特徴たるあらゆる馬車の行列が見られた。ちょうどロンシャンにおけるがように、辻馬車《つじばしゃ》、市民馬車、逍遙馬車《しょうようばしゃ》、幌小馬車《ほろこばしゃ》、二輪馬車、などが警察の規則で互いに一定の距離を保ち、あたかもレールにはめ込まれたようにして、整然と進んでいた。それらの馬車の中にある者はだれでも、見物人であると同時にまた人から見物されていた。巡査らは、平行して反対の方向へ行くその間断なき二つの行列を、大通りの両側に並ばせ、その二重の運行が少しも妨げられないように、馬車の二つの流れを、一つは上手《かみて》のアンタン大道の方へ、一つは下手《しもて》のサン・タントアーヌ郭外の方へと、厳重に監視していた。上院議員や大使などの紋章のついた馬車は、道の中央を自由に往来していた。ある壮麗なおもしろい行列、ことに飾り牛の行列なども、同様の特権を持っていた。そういうパリーの快活さのうちに、イギリスはその鞭《むち》を鳴らしていた、すなわちセーモアー卿と一般に綽名《あだな》されてる駅馬車は、大きな音を立てて走り過ぎていた。
 二重の行列は、羊飼いの番犬のように並んで駆けてる市民兵で付き添われていたが、その中には、爺《じい》さんや婆さんたちがいっぱい乗り込んでる正直な家族馬車が交じっていて、その戸口には仮装した子供の鮮やかな一群が見えていた。七歳ばかりの道化小僧《どうけこぞう》や六歳ばかりの道化娘らで、公然と一般の遊楽に加わってることを感じ、道化役者の品位と役人のしかつめらしさとをそなえてる、愉快な少年少女らであった。
 時々、馬車の行列のどこかに混雑が起こり、両側のどちらかの列に結び目ができて、それが解けるまで立ち止まることもあった。一つの馬車に故障が起これば、それですぐに全線が動けなくなった。しかしやがて行進は始まるのだった。
 婚礼の馬車は、バスティーユの方へ向かって大通りの右側を進んでる列の中にはいっていた。ところがポン・トー・シュー街の高みで、しばらく行列が止まった。それと同時に、マドレーヌの方へ進んでる向こう側の行列も同じく行進を止めた。そして行列のちょうどその部分に一つの仮装馬車があった。
 それらの仮装馬車は、否むしろそれらの仮装の荷物は、パリーになじみの深いものである。もしそういう馬車が、謝肉祭末日や四旬節中日などに見えないと、人々は何か悪いことがあるのだと思い、互いにささやき合う。「何かわけがあるんだな[#「何かわけがあるんだな」に傍点]。たぶん内閣が変わるのかも知れない[#「たぶん内閣が変わるのかも知れない」に傍点]。」通行人の上の方に揺り動かされてるたくさんのカサンドルやアールカンやコロンビーヌなどの道化、トルコ人から野蛮人に至るまでありとあらゆる滑稽な者、侯爵夫人をかついでるヘラクレス神、アリストファネスに目を伏せさせた巫女《みこ》のように、ラブレーにも耳を押さえさせるかと思われるばかりの無作法な女ども、麻屑《あさくず》の鬘《かつら》、薔薇色《ばらいろ》の肉襦袢《にくじゅばん》、洒落者《しゃれもの》の帽子、斜眼者《やぶにらみ》の眼鏡《めがね》、蝶になぶられてるジャノー(訳者注 滑稽愚昧な人物)の三角帽、徒歩の者らに投げつける叫び声、腰にあてた拳《こぶし》、無作法な態度、裸の肩、仮面をつけた顔、ほしいままな醜態、それから花の帽子をかぶった御者が撒《ま》き散らす無茶苦茶な悪口、そういうのがこの見世物のありさまである。
 ギリシャにはテスピスの四輪馬車が必要であったが、フランスにはヴァデの辻馬車《つじばしゃ》が必要である。(訳者注 前者は悲劇の開祖たるギリシャ詩人、後者は通俗詩の開祖たるフランス詩人)
 いかなるものも皆道化化され得る、道化そのものも更に道化化され得る。古代美の渋面であるサツルヌス祭も、しだいに度を強めてきてついに謝肉祭《カルナヴァル》末日となっている。昔は葡萄蔓《ぶどうづる》の冠をかぶり太陽の光を浴び、神々しい半身裸体のうちに大理石で造られたような乳房を示していた酒神《バッカス》祭も、今日では北部の湿ったぼろの下に形がくずれてきて、仮面行列と言われるようになっている。
 仮装馬車の風習は王政時代のごく古くからあった。ルイ十一世の会計報告によれば、「仮装辻馬車三台のためにトールヌア貨幣二十」を宮廷執事に使わせている。現今では、それら一群の騒々しい仮装人物らは、たいてい旧式な辻馬車《つじばしゃ》の上段にいっぱい立ち並び、あるいは幌《ほろ》をおろした市営幌馬車にがやがやつまっている。六人乗りの馬車に二十人も乗っている。椅子《いす》や腰掛けや幌の横や轅《ながえ》にまでも乗っている。照灯にまたがってる者さえある。あるいは立ち、あるいは寝ころび、あるいは腰をかけ、あるいは足をねじ曲げ、あるいは脛《すね》をぶら下げてる。女は男の膝《ひざ》に腰掛けてる。遠くから見ると、それらのうようよした頭が妙なピラミッド形をなしている。そしてこの一馬車の者どもは、群集のまんなかに歓喜の山となってそびえている。コレやパナールやピロン(訳者注 皆諧謔風刺に富んだ詩人)などのような言葉が、更に隠語を交じえてそれから流れ出る。その上方から群集の上に、野卑な文句が投げつけられる。できる限りたくさんの人を積んでるその馬車は、戦利品のようなありさまに見える。前部は喧騒《けんそう》をきわめ、後部は混雑をきわめている。一同は怒鳴り、喚《わめ》き、吼《ほ》え、笑い、有頂天になっている。快活の気はわき立ち、譏刺《きし》は燃え上がり、陽気さは緋衣《ひい》のようにひろがっている。二匹の痩馬《やせうま》は、花を開いてる滑稽を神に祭り上げて引いてゆく。それは哄笑《こうしょう》の凱旋車《がいせんしゃ》である。
 その哄笑は、露骨というにはあまりに皮肉すぎる。実際その笑いには怪しげな気がこもっている。それは一つの使命を帯びてるのである。パリー人に謝肉祭を示すの役目を持ってるのである。
 それら野卑無作法な馬車には、何となく暗黒の気が感ぜらるるものであって、思索家をして夢想に沈ませる。その中には政府がいる。公人と公娼《こうしょう》との不思議な和合がそこにはっきりと感ぜらるる。
 種々の醜悪が積み重なって一つの快活さを作り上げること、破廉恥と卑賤《ひせん》とを積み上げて民衆を酔わすこと、間諜が醜業をささえる柱となって衆人を侮辱しながらかえって衆人を侮辱しながらかえって衆人を笑わせること、金ぴかのぼろであり、半ば醜業と光明とであり、吠《ほ》えまた歌っている、その生きた恐ろしい積み荷が、辻馬車《つじばしゃ》の四つの車輪に運ばれてゆくのを見て、群集が喜ぶこと、あらゆる恥辱でできてるその光栄に向かって、人々が手をたたいて喝采《かっさい》すること、二十の頭を持った喜悦の怪蛇《かいだ》を自分たちのまんなかに引き回してもらうという以外には、群集にとって何らおもしろいにぎわいもないということ、それは確かに悲しむべきことである。しかしどうしたらいいのか。リボンと花とで飾られた汚賤《おせん》のそれらの車は、公衆の笑いによって侮辱されながら赦《ゆる》されているではないか。すべての者の笑いは、一般の堕落を助ける。ある種の不健全なにぎわいは、民衆を分散さして多衆となす。そして多衆にとっては暴君にとってと同じく、諧謔《かいぎゃく》が必要である。国王にはロクロールがあり、人民にはパイヤスがある([#ここから割り注]訳者注 前者はルイ十四世の下にいた諧謔をもって知られし将軍、後者は卑俗な喜劇によく出て来る一種の道化役)。パリーは荘厳な大都市たることを止むる時には常に狂愚な大都会となる。謝肉祭はその政治の一部分となっている。うち明けて言えば、パリーは好んで破廉恥な喜劇を受け容れる。もし主人があれば、その主人はただ一事をしか求めない、すなわちわれに泥《どろ》を塗ってくれと。ローマも同じ気質を持っていた。ローマはネロを愛していた。しかるにネロは巨大なる泥塗り人であった。
 さて、前に言ったとおり、婚礼の行列が大通りの右側に止まった時偶然にも、仮面をつけた男女が房のようにかたまって乗り込んでるその大きな四輪馬車の一つが、大通りの左側に止まった。そして仮装馬車はちょうど新婦の馬車と大通りをはさんで向かい合った。
「おや!」と仮装のひとりが言った、「婚礼だ。」
「嘘《うそ》の婚礼だ。」と他のひとりが言った。「本物は俺《おれ》たちの方だ。」
 そして、婚礼の列の方へ言葉をかけるには少し離れすぎていたし、また巡査の制止の声を恐れていたので、仮装のふたりは他の方を向いた。
 すぐに、仮装馬車の者らはごく忙しくなった。群集が彼らに悪罵《あくば》の声をかけ始めた。それは仮装の者らに対する群集の愛撫である。今言葉をかわしたふたりも、仲間の者らといっしょに、衆人に立ち向かわなければならなかった。彼らは道化者のあらゆる武器を持っていたが、無数の人々の悪謔《あくぎゃく》を相手にして他を顧みるの余裕がなかった。そして仮装の者らと群集との間に激しく諧謔《かいぎゃく》がかわされた。
 そのうちに、同じ馬車に乗っていた他の仮装のふたり、すなわちお爺《じい》さんのふうをしてばかに大きな黒髭《くろひげ》をつけてる鼻の大きなスペイン人と、黒ビロードの仮面をつけてるごく若いやせたはすっぱ娘とが、やはり婚礼の馬車に目を止めて、仲間の者らと道行人らとが互いに野次りかわしてる間に、低い声で話をした。
 彼らのふたりの内緒話は、喧騒《けんそう》の声に包まれて他にもれなかった。去来する雨に、あけ放してある馬車の中はすっかりぬれていた。それに二月の風はまだ寒い。スペイン人に答えながら、首筋をあらわにしたはすっぱ娘の方は、震え笑いかつ咳《せき》をしていた。
 その会話は次のとおりだった。([#ここから割り注]訳者注 以下の会話は隠語を交じえたものと想像していただきたい[#ここで割り注終わり])
「なあ、おい。」
「なによ、お父《とう》さん。」
「あの爺さんが見えるか。」
「どの爺さん?」
「向こうの、婚礼馬車の一番先のに乗ってる、こちら側のさ。」
「黒い布で腕をつってる方の。」
「そうだ。」
「それがどうしたの。」
「どうも確かに見覚えがある。」
「そう。」
「この首を賭《か》けてもいい、この命を賭けてもいい、俺《おれ》は確かにあのパンタン人(パリー人)を知ってる。」
「なるほど今日は、パリーはパンタンだね。」(訳者注 パンタンとは小さな操り人形のことにて仮面道化をさすのであるが、また下層の俗語ではパリーのことをパンタンという)
「少しかがんだらお前に花嫁が見えやしないか。」
「見えない。」
「花婿の方は?」
「あの馬車には花婿はいないよ。」
「なあに!」
「いないよ、もひとりの爺《じい》さんが花婿なら知らないが。」
「とにかくよくかがんで花嫁を見てくれ。」
「見えやしないよ。」
「じゃいいさ。だが手をどうかしてるあの爺さんを、俺は確かに知ってる。」
「爺さんを知ってるったって、それがなにになるんだね。」
「それはわからねえ。だが時には何かになるさ。」
「あたしは爺《じい》さんなんかあまり気には止めないよ。」
「俺はあいつを知ってる!」
「勝手に知るがいいよ。」
「どうして婚礼の中に出てきたのかな。」
「よけいなことだよ。」
「あの婚礼はどこから出たのかな。」
「あたしが知るもんかね。」
「まあ聞けよ。」
「なに?」
「ちょっと頼まれてくれ。」
「なにを?」
「馬車からおりてあの婚礼の跡をつけるんだ。」
「どうして?」
「どこへ行くのか、そしてどういう婚礼か、少し知りてえんだ。急いでおりて駆けていけ、お前は若いから。」
「この馬車を離れることはできないよ。」
「なぜだ。」
「雇われているんだからさ。」
「畜生!」
「はすっぱ娘になって警視庁から一日分の給金をもらってるじゃないかね。」
「なるほど。」
「もし馬車から離れて、警視に見つかろうもんなら、すぐにつかまってしまう。よく知ってるくせに。」
「うん、知ってるよ。」
「今日は、あたしはお上《かみ》から買われた身だよ。」
「それはそうだが、どうもあの爺《じい》さんが気になる。」
「爺さんなのが気になるの。若い娘でもないくせにね。」
「一番先の馬車に乗ってる。」
「だから?」
「花嫁の馬車に乗ってる。」
「それで?」
「花嫁の親に違いねえ。」
「それがどうしたのさ。」
「花嫁の親だというんだ。」
「そうさね、ほかに親はいやしない。」
「まあ聞けよ。」
「なんだね?」
「俺《おれ》は仮面をつけてでなけりゃ外にはあまり出られねえ。こうしてりゃ、顔が隠れてるからだれにもわからねえ。だが明日《あした》になったらもう仮面がなくなる。明日は灰の水曜日([#ここから割り注]四旬節第一日[#ここで割り注終わり])だ。うっかりすりゃ捕《つか》まっちまう。また穴の中に戻らなきゃあならねえ。ところがお前は自由な身体だ。」
「あまり自由でもないよ。」
「でも俺よりは自由だ。」
「だからどうなのよ?」
「あの婚礼がどこへ行くか調べてもらいたいんだ。」
「どこへ行くか?」
「そうだ。」
「それはわかってるよ。」
「なに、どこへ行くんだ?」
「カドラン・ブルーへさ。」
「なにそっちの方面じゃねえ。」
「それじゃ、ラーペへさ。」
「それともほかの方かも知れねえ。」
「それは向こうの勝手さ。婚礼なんてものはどこへ行こうと自由じゃないか。」
「まあそんなことはどうでもいい。とにかく、あの婚礼はどういうもので、あの爺《じい》さんはどういう男で、またあの人たちはどこに住んでるか、それを俺に知らしてくれというんだ。」
「いやだよ! ばかばかしい。一週間もたってから、謝肉祭の終わりの火曜日にパリーを通った婚礼がどこへ行ったか調べたって、なかなかわかるもんじゃないよ。藁小屋《わらごや》の中に落ちた針をさがすようなもんだ。わかりっこないよ。」
「でもまあやってみるんだ。いいかね、アゼルマ。」
 そのうち二つの列は、大通りの両側で反対にまた動き出した。そして花嫁の馬車は仮装馬車から見えなくなってしまった。

     二 なお腕をつれるジャン・ヴァルジャン

 夢想を実現すること。だれがそれを許されているか。それには天における推薦を得なければならない。人は皆自ら知らずして候補に立つ、そして天使らが投票をする。コゼットとマリユスとはその選にはいっていた。
 区役所と教会堂とにおけるコゼットは、燦然《さんぜん》として人の心を奪った。彼女の身じたくは、ニコレットの手伝いで重《おも》にトゥーサンがやったのである。
 コゼットは白|琥珀《こはく》の裳衣の上にバンシュ紗《しゃ》の長衣をまとい、イギリス刺繍《ししゅう》のヴェール、みごとな真珠の首環《くびわ》、橙花《オレンジ》の帽をつけていた。それらは皆白色だったが、その白ずくめの中で彼女は光り輝いていた。美妙な純潔さが光明のうちに綻《ほころ》びて姿を変えようとしてるありさまだった。処女が女神になろうとしてるのかと思われた。
 マリユスの美しい髪は艶々《つやつや》として薫《かお》っていた。その濃い巻き毛の下には所々に、防寨《ぼうさい》での創痕《きずあと》である青白い筋が少し見えていた。
 祖父は昂然《こうぜん》として頭をもたげ、バラス([#ここから割り注]訳者注 革命内閣時代の華美豪奢な人物[#ここで割り注終わり])の時代のあらゆる優美さを最もよく集めた服装と態度とをして、コゼットを導いていた。ジャン・ヴァルジャンが腕をつっていて花嫁に腕を貸すことができなかったので、彼がその代わりをしているのだった。
 ジャン・ヴァルジャンは黒い服装をして、そのあとに従いほほえんでいた。
「フォーシュルヴァンさん、」と祖父は彼に言った、「実にいい日ではありませんか。これで悲しみや苦しみはおしまいにしたいもんです。これからはもうどこにも悲しいことがあってはいけません。まったく私は喜びを主張します。悪は存在の権利を持つものではありません。実際世に不幸な人々がいることは、青空に対して恥ずべきことです。悪は元来善良である人間から来るものではありません。人間のあらゆる悲惨は、その首府として、またその中央政府として、地獄を持っています、言い換えれば悪魔のテュイルリー宮殿を持ってるのです。いやこれは、今では私も過激派のような言い方をするようになりましたかな。ところで私はもう、何ら政治上の意見は持っていません。すべての人が金持ちであるように、すなわち愉快であるように、それだけを私は望んでいるんです。」
 あらゆる儀式を完成させるものとして、区長の前と牧師の前とである限りのしかりという答えを発した後、区役所の書面と奥殿の書面とに署名した後、ふたり互いに指輪を交換した後、香炉の煙に包まれて、まっ白な観世模様絹の天蓋《てんがい》の下に相並んでひざまずいた後、ふたり互いに手を取り合って、すべての人々から賛美されうらやまれつつ、マリユスは黒服をまとい彼女は白服をまとい、大佐の肩章をつけ鉞《まさかり》で舗石《しきいし》に音を立てる案内人のあとに従い、魅せられてる見物人の人垣の間を進んで、両扉《りょうひ》とも大きく開かれてる教会堂の表門の下まで行き、再び馬車に乗るばかりになって、すべてが終わった時、コゼットはまだそれが夢ではないかと疑っていた。彼女はマリユスをながめ、群集をながめ、空をながめた。あたかも夢からさめるのを恐れてるがようだった。そのびっくりした不安な様子は言い知れぬ一種の魅力を彼女に添えていた。家に戻るために、彼らはいっしょに相並んで同じ馬車に乗った。ジルノルマン氏とジャン・ヴァルジャンとがふたりに向き合ってすわった。ジルノルマン伯母《おば》は一段だけ位を落とされて、二番目の馬車に乗った。祖父は言った。「これでお前たちは、三万フランの年金を持ってる男爵および男爵夫人となったわけだ。」コゼットはマリユスに近く寄り添って、天使のようなささやきで彼の耳根をなでた。「本当なのね。私の名もマリユスね。私はあなたの夫人なのね。」
 彼らふたりは光り輝いていた。彼らは、再び来ることのない見いだそうとて見いだせない瞬間にあり、あらゆる青春と喜悦とのまばゆい交差点にあった。彼らはジャン・プルーヴェールの詩を実現していた。ふたりの年齢を合わしても四十歳に満たなかった。精気のような結婚であって、そのふたりの若者は二つの百合《ゆり》の花であった。彼らは互いに見ることをせず、しかも互いに見とれ合っていた。コゼットはマリユスを光栄の中にながめ、マリユスはコゼットを祭壇の上にながめていた。そしてその祭壇の上とその光栄の中とに、ふたりは共に神となって相交わり、その奥に、コゼットにとっては霞《かすみ》のうしろに、マリユスにとっては炎の中に、ある理想的なものが、現実的なものが、脣《くち》づけと夢との会合が、婚姻の枕が、横たわってるのだった。
 過去のあらゆる苦しみは戻ってきて、かえって彼らを酔わした。苦痛、不眠、涙、煩悶《はんもん》、恐怖、絶望、それらのものも今は愛撫と光輝とに姿を変じて、まさにきたらんとする麗しい時間を更に麗しくするように思われた。そしてあらゆる悲しみも今は喜びの装いをする召し使いのように思われた。苦しんだのはいかに仕合わせなことであるか。彼らの不幸は今や彼らの幸福に曙《あけぼの》の色を与えていた。ふたりの愛の長い苦悶《くもん》はついに昇天の喜びに達したのである。
 彼らふたりの魂のうちには、マリユスにあっては快楽の色に染められコゼットにあっては貞節の色に染められてる同じ歓喜があった。彼らは声低く語り合った。ふたりでプリューメ街の小さな庭をまた見に行こうと。コゼットの長衣の襞《ひだ》はマリユスの上に置かれていた。
 そういう日こそは、夢幻の確実との得も言えぬ混同の日である。人は実際に所有しまた仮想する。種々想像するだけの余裕がまだ残っている。ま昼にあってま夜中のことを思うその日こそは、実に名状し難い情緒に満ちてるものである。彼らふたりの心の楽しさは、衆人の上にも流れ出し、通りすがりの者らにも喜悦の気を与えていた。
 サン・タントアーヌ街のサン・ポール教会堂の前には、多くの人が立ち止まって、コゼットの頭の上に震える橙花《オレンヂ》を馬車のガラス戸越しにながめていた。
 それから一同は、フィーユ・デュ・カンヴェール街の自宅に戻った。マリユスはコゼットと相並んで、かつて瀕死の身体を引きずり上げられたあの階段を、光り輝き昂然《こうぜん》として上っていった。貧しい人々は、戸口の前に集まってもらった金を分かちながら、ふたりを祝福した。至る所に花が撒《ま》かれていた。家の中も教会堂に劣らずかおりを放っていた。香《こう》の次に薔薇《ばら》の花となったのである。ふたりは無窮のうちに歌声を聞くような気がし、心のうちに神をいだき、宿命を星の輝く天井のように感じ、頭の上に朝日の光を見るがように思った。突然大時計が鳴った。マリユスはコゼットの美しい裸の腕と、胴衣のレース越しにかすかに見える薔薇色のものとをながめた。そしてコゼットはマリユスの視線を見て、目の中までもまっ赤になった。
 ジルノルマン一家の旧友の多数は、皆招待されていた。人々はコゼットのまわりに集まって、先を争いながら男爵夫人と彼女に呼びかけた。
 今は大尉になってるテオデュール・ジルノルマン将校も、徒弟ポンメルシーの結婚に列するため、任地のシャルトルからやってきていた。コゼットは彼の顔を忘れていた。
 彼の方では、いつも婦人らからきれいだと思われてばかりいたので、もうコゼットのことも頭に残っていなかった。
「この槍騎兵《そうきへい》の話を本当にしないでよかった。」とジルノルマン老人はひとりで思った。
 コゼットはこれまでにないほどジャン・ヴァルジャンに対してやさしかった。また彼女はジルノルマン老人としっくり調子が合っていた。老人が盛んに警句や格言を使って喜びを述べ立ててる間、彼女は愛と善良さとをかおりのように発散さしていた。幸福はすべての者が楽しからんことを欲するものである。
 彼女はジャン・ヴァルジャンに話しかける時は、少女時代の声の調子に戻っていた。また、ほほえみを送って彼に甘えていた。
 饗応《きょうおう》の宴は食堂に設けられていた。
 昼間のように明るい灯火は、大なる喜びの席にはなくてならないものである。靄《もや》と暗さとは決して幸福な人々の好むものではない。彼らは黒い姿となるのを喜ばない。夜はよいが、暗闇《くらやみ》はいけない。もし太陽が出ていなければ、それを別に一つこしらえなければならない。
 食堂は楽しい器具の巣であった。中央には、まっ白に光ってる食卓の上に、平たい延べ金の下飾りがついてるヴェニス製の大燭台《だいしょくだい》が一つあって、その四方の枝の蝋燭《ろうそく》に囲まれたまんなかには、青や紫や赤や緑などに塗った各種の鳥がとまっていた。大燭台《おおしょくだい》のまわりには多くの飾り燭台があり、壁には三枝もしくは五枝に分かれた反射鏡がかかっていた。鏡、水晶器具、ガラス器具、皿、磁器、陶器、土器、金銀細工物、銀の器具など、すべてが輝き笑っていた。燭台の間々には花輪がいっぱい積まれていて、至る所光か花かであった。
 次の間《ま》では、三つのバイオリンと一つの笛とが制音器をつけて、ハイドンの四部合奏曲を奏していた。
 ジャン・ヴァルジャンは客間の入り口の横手の椅子《いす》にすわっていて、扉《とびら》が開くとほとんどそのうしろに隠れるようになっていた。食堂にはいるちょっと前に、コゼットはふと引きずられるように彼のそばに寄ってゆき、両手で花嫁の衣裳をひろげながら深い愛敬の様子を示し、やさしいいたずらそうな目つきをして尋ねた。
「お父さま、あなたおうれしくて?」
「ああ、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「うれしい。」
「では笑ってちょうだいな。」
 ジャン・ヴァルジャンは笑顔をした。
 やがて、バスクは食事の用意が整ったことを告げた。
 客人らは、コゼットに腕を貸してるジルノルマン氏のあとについて、食堂にはいり、予定の順序で食卓のまわりに並んだ。
 花嫁の右と左とにある二つの大きな肱掛《ひじか》け椅子《いす》には、一つにジルノルマン氏がすわり、一つにジャン・ヴァルジャンがすわることになっていた。ジルノルマン氏は席についた。しかしも一つの肱掛《ひじか》け椅子《いす》にはだれもいなかった。
 人々は「フォーシュルヴァン氏」の姿を見回した。
 彼はもうそこにいなかった。
 ジルノルマン氏はバスクに声をかけた。
「フォーシュルヴァンさんはどこにおらるるか知っていないか。」
「はい存じております。」とバスクは答えた。「フォーシュルヴァン様は、お手の傷が少し痛まれて、男爵お二方と会食ができないから、旦那様《だんなさま》によろしく申し上げてほしいと私にお伝えでございました。そして今晩は御免を被って、明朝来るからと申されて、ただ今お帰りになりました。」
 その空《から》の肱掛け椅子のために、婚礼の宴は一時|白《しら》けた。しかしフォーシュルヴァン氏は不在でも、ジルノルマン氏がそこにいて、ふたり分にぎやかにしていた。もし傷が痛むようならフォーシュルヴァン氏は早くから床につかれた方がよいが、しかしそれもちょっとしたいたいた[#「いたいた」に傍点]に過ぎない、と彼は断言した。そしてその言葉でもう充分だった。それにもとより、一座喜びにあふれてる中にあってその薄暗い一隅《いちぐう》などは何でもないことだった。コゼットとマリユスはもう幸福の影しか頭に映らないような利己的な至福な瞬間にあった。それにまたジルノルマン氏は妙案を思いついた。「ところでその肱掛け椅子が空《あ》いている。マリユス、お前がそこにすわるがいい。伯母《おば》さんの方に権利はあるんだが、きっとお前に許してくれるよ。その席はお前のだ。それが正当で、また至極おもしろい。好運児と幸運女とは相並ぶべしだ。」人々は皆|喝采《かっさい》した。マリユスはコゼットのそばにジャン・ヴァルジャンの席についた。そして万事うまくいったので、初めジャン・ヴァルジャンの不在を悲しく思っていたコゼットも、ついに満足するようになった。マリユスがジャン・ヴァルジャンの代わりになった時、コゼットはもう神を恨まなかった。彼女は白繻子《しろじゅす》の上靴《うわぐつ》をつけた小さなやさしい足を、マリユスの足の上にのせた。
 肱掛《ひじか》け椅子《いす》はふさがり、フォーシュルヴァン氏はなくなってしまい、何も欠けた所はなかった。そして五分もたつうちには、食卓全体はすべてを忘れた上きげんで、端から端まで笑いさざめいていた。
 食後の茶菓子の時になって、ジルノルマン氏はたち上がり、九十二歳の高齢のために手が震えるのでこぼれないようにと、半分ばかり注がしたシャンパンの杯を取り、新夫婦の健康を祝した。
「お前たちは二度の説教をのがれることはできない。」と彼は声を張り上げた。「朝に司祭の説教があり、晩に祖父の説教があるのだ。まあわしの言うことを聞くがいい。わしはお前たちに一つの戒めを与える、それは互いに熱愛せよということだ。わしはくどくど泣き言を並べないで、すぐに結論に飛んでゆく、すなわち幸福なれというのだ。万物のうちで賢いのはただ鳩《はと》だけである。ところが哲学者らは言う、汝の喜びを節せよと。しかるにわしは言う、汝の喜びを奔放ならしめよと。むちゃくちゃにのぼせ上がるがいい、有頂天になるがいい。哲学者どもの言うことは阿呆《あほ》の至りだ。彼らの哲学なんかはその喉《のど》の中につき戻すがいいのだ。かおりが多すぎ、開いた薔薇《ばら》の花が多すぎ、歌ってる鶯《うぐいす》が多すぎ、緑の木の葉が多すぎ、人生に曙が多すぎる、などということがあり得ようか。互いに愛しすぎるということがあり得ようか。互いに気に入りすぎるということがあり得ようか。気をつけるがいい、エステル、お前はあまりにきれいすぎる、気をつけるがいい、ネモラン、お前はあまりに麗しすぎる(訳者注 フロリアンの牧歌中の若い女と男)、などというのは何というばかげたことだ。互いに惑わしよろこばし夢中にならせすぎるということがあり得るものか。あまり上きげんすぎるということがあり得るものか。あまり幸福すぎるということがあり得るものか。汝の喜びを節せよだと、ばかな。哲学者どもを打ち倒すべしだ。知恵はすなわち歓喜なり、歓喜せよ、歓喜すべし。いったいわれわれは、善良だから幸福なのか、もしくは幸福だから善良なのか? サンシー金剛石は、アルレー・ド・サンシーの所有だったからサンシーといわれるのか、またはサン・シー(百六)カラットの重さがあるからサンシーと言われるのか? そういうことはわしにはわからない。人生はそんな問題で満ちている。ただ大切なのは、サンシー金剛石を所有することだ、幸福を所有することだ。おとなしく幸福にしているがいい。太陽に盲従するがいい。太陽とは何であるか? それは愛だ。愛と言わば婦人だ。ああそこにこそ全能の力はあるんだ。それが婦人だ。この過激派のマリユスに聞いてみるがいい、彼がこのコゼットという小さな暴君の奴隷《どれい》でないかどうかを。しかも甘んじてそうなってるではないか。実に婦人なるかなだ。ロベスピエールのごとき者でさえ長く地位を保つことはできない。常に婦人が君臨するのだ。わしがまだ王党だというのも、この婦人の王位に対してのことだ。アダムは何であるか? それはイブの王国だ。イヴにとっては八九年(一七八九年)の事変なんかはない。百合《ゆり》の花を冠した国王の笏《しゃく》はあった、地球を上にのせた皇帝の笏はあった、鉄でできたシャールマーニュ大帝の笏はあった、黄金でできたルイ大王の笏はあった、けれども革命は、親指と人差し指とで、一文のねうちもない藁屑《わらくず》のようにそれらをへし折ってしまった。廃せられ砕かれ地に投ぜられて、もはや笏はなくなっている。ところが、蘭麝《らんじゃ》のかおりを立てる刺繍《ししゅう》した小さなハンカチに対して、革命をやれるならやってみるがいい。一つ見たいものだ。やってみなさい。なぜそれが強固かと言えば、一片の布だからだ。ああ諸君は十九世紀ですね。どうです。われわれは十八世紀の者です。そしてわれわれも諸君と同じくらいにばかであった。しかし諸君は、ころり[#「ころり」に傍点]がコレラ病と言われるようになり、ブーレ踊りがカチューシャ舞踏と言われるようになったからと言って、世界に大変化をきたしたと思ってはいけません。根本においては、常に婦人を愛せざるを得ないでしょう。その原則からはだれだってなかなか出られるものではない。それらの鬼女がわれわれの天使である。そうだ、愛と婦人と脣《くち》づけ、その世界からだれも出られるものではない。わしはむしろそこにはいりたいと思うくらいだ。ヴィーナスの星([#ここから割り注]金星[#ここで割り注終わり])が、天空の偉大な洒落女《しゃれおんな》が、大洋のセリメーヌが、あらゆるものをおのれの下に静めながら、海の波濤《はとう》をも一婦人のように物ともしないで、無窮の空に上ってゆくのを、諸君のうちに見られた方がありますか。大洋はすなわち謹厳なアルセストです(訳者注 モリエールの戯曲「人間ぎらい」中の主人公にてセリメーヌはその中の嬌艶な女)。ところで彼がいかに苦《にが》い顔をしていようと、ヴィーナス(愛の神)が現われてくれば、ほほえまざるを得ないのである。この粗暴な獣も屈服してしまう。われわれにしても同じことだ。憤怒、暴風、雷鳴、天井まで水沫《しぶき》が飛んでいようと、ひとりの婦人が舞台に現わるれば、一つの星が上ってくれば、平伏してしまうのである。マリユスは六カ月前には戦争をしていた。しかるに今日は結婚をしている。それは結構なことだ。マリユス、そうだとも、コゼット、お前たちのやることはもっともだ。大胆にふたり頼り合って生きてゆくがいい、互いに恋し合うがいい、さんざん他の者をうらやませるがいい、互いに崇拝し合うがいい。お前たちふたりの嘴《くちばし》で、地上にありとあらゆる幸福の藁屑《わらくず》をつまみ取って、それで生涯の巣を作るがいい。愛し愛さるることは、若い時には麗しい奇蹟のような気がするものだ。だがそれは、自分たちが始めて考え出したことだと思ってはいけない。このわしもやはり夢をみたり、思いを走《は》せたり、憧《あこが》れをいだいたりしたことがある。わしもやはり、月のように輝いた魂を自分のものにしたことがある。恋愛は六千歳の子供だ。恋愛は長い白髯《はくぜん》をつけてもいい者なんだ。メトセラ(訳者注 ノアの祖父にて九百六十九年生きたと言わるる人物)もキューピッドに比ぶれば鼻たらし小僧にすぎない。六十世紀も前から男女は互いに愛しながら困難をきりぬけてきた。狡猾《こうかつ》な悪魔は人間をきらい始めたが、いっそう狡猾な人間は女を愛し始めた。そうして、悪魔から受ける災いよりもいっそう多くのいいことをした。この妙策は、地上の楽園の初めから見いだされていたのである。この発明は古くからのものだが、いつまでも新しいものである。それを利用しなければいけない。フィレモンとボーシスになるまでは、まずダフニスとクロエになるがいい(訳者注 前者は近代のオペラの中のふたりの恋人、後者はギリシャの物語の中のふたりの恋人)。お前たちがふたりいっしょにいさえすれば、何も不足なものはなく、コゼットはマリユスにとって太陽となり、マリユスはコゼットにとって全世界となる、そういうふうでなくてはいかん。コゼット、夫のほほえみをお前の晴天とするがいい、マリユス、妻の涙をお前の雨とするがいい。そして願わくば、お前たちの家庭に決して雨が降らないようにな。お前たちは恋愛結婚といういい籤《くじ》を引きあてた。その大変な賞品を得たのだから、それを大事にし、鍵《かぎ》をかけてしまって置き、やたらに使ってしまわないで、互いに愛し合い、その他のことは顧みないでいい。わしが言うことをよく心に止めておかなくてはいかん。これは良識《ボンサンス》だ。良識は決して人を誤るものではない。互いに信仰し合わなくてはいかん。だれにでも神を拝む独特のやり方があるものだ。ところで神を拝む最もいい方法は、自分の妻を愛することだ。私はお前を愛する! というのがわしの教理要領だ。だれでも愛を持ってるものはすなわち正教派だ。アンリ四世の誓投詞では飽食と酩酊《めいてい》との間に神聖というものが置かれていた。すなわち酔っ払いの神聖なる腹!(訳者注 語気を強めるために、よし、畜生、などというのと同じ意味のもの)しかしわしはそういう宗派ではない。それには婦人が忘れられてる。アンリ四世の誓投詞にそういうことがあるのはわしの意外とするところだ。諸君、婦人なるかなです。人はわしを老人だと言う。しかし不思議にもわしは自分ながら若返ってくるような気がする。わしは森の中に行って睦言《むつごと》を聞きたいくらいだ。麗しく幸福である道を心得てるそれらの若者どもは、わしの心を酔わしてくれる。もしだれか見たいというなら、すてきな結婚をしてみせてもいい。いずれの点から考えても、神がわれわれ人間を作ったのは、こういうことをさせるためだったに違いない、すなわち、夢中にかわいがり、喋々喃々《ちょうちょうなんなん》し、美しく着飾り、鳩のようになり、牡鶏《おんどり》のようになり、朝から晩まで恋愛をつっつき回し、かわいい妻のうちに自分の姿を映してみ、得意になり、意気揚々として、反《そ》りくり返ることだ。それが人生の目的である。御免を被って申せば、われわれ老人がまだ若い頃一般に考えていたことは、そういうようなことだった。ああその頃は、いかにあでやかな女が、愛くるしい顔ややさしい姿が、たくさんいたことだろう! わしはその中を荒し回ったものだ。すべからく互いに愛し合うべし。もし愛し合うことがなかったならば、春があったとて何の役に立つかわしにはわからない。そうなったらわしはむしろ神に願って、神がわれわれに示してくれる美しいものを皆寄せ集め、それをわれわれから取り戻し、花や小鳥やきれいな娘を、再びその箱に閉じ込めてもらいたいくらいだ。子供たちよ、この好々爺《こうこうや》の祝福を受けてくれ。」
 その一晩の饗宴《きょうえん》は、にぎやかで快活で楽しいものだった。一座を支配する祖父の上きげんさは、すべてのものの基調となり、各人はほとんど百歳に近い老人のへだてない態度に調子を合わしていた。舞踏も少し行なわれ、また盛んに談笑された。甘えっ児の婚礼だった。高砂《たかさご》の爺《じい》さんを招いてもいいほどだった。それにまた、高砂の爺さんはジルノルマン老人のうちに含まれていた。
 かくて大騒ぎをした後に、静寂《せいじゃく》が落ちてきた。
 新夫婦は退いていった。
 十二時少し前に、ジルノルマン家は寺院のようにひっそりとなった。
 ここでわれわれは筆を止めよう。結婚の夜の入り口には、ひとりの天使が立っていて、ほほえみながら口に指をあてている。
 愛の祝典があげらるる聖殿に対しては、人の魂は瞑想《めいそう》にはいってゆく。
 それらの人家の上には光輝があるに違いない。その中にこもってる喜びは、光となって石の壁を通し、ほんのりと暗黒を照らすに違いない。その運命に関する神聖な祝いは、必ずや天国的な光明を無窮のうちに送るに相違ない。愛は男女の融合が行なわれる崇高な坩堝《るつぼ》である。一体と三体と極体と、人間の三位一体がそれから出てくる。かく二つの魂が一つとなって生まれ出ることは、影にとっては感動すべきことに違いない。愛する男はひとりの牧師である。歓喜せる処女はびっくりする。かかる喜悦のあるものは神のもとまで達する。真に結婚がある所には、すなわち恋愛がある所には、理想もそれに交じってくる。結婚の床は、暗闇《くらやみ》の中の一隅に曙《あけぼの》を作り出す。もし上界の恐るべきまた麗しい象《かたち》を肉眼で見得るものとするならば、夜の形象が、翼のある見知らぬ者らが、目に見えない境を過《よ》ぎりゆく青色の者らが、身をかがめて、輝く人家のまわりに暗い頭を寄せ集め、満足し祝福しつつ、処女の新婦を互いにさし示し、やさしい驚きの様子をして、その聖《きよ》い顔の上に人間の至福の反映を浮かべているのを、おそらく人は見るであろう。もしその極致の瞬間に、歓喜に眩惑《げんわく》せるふたりの者が、他にだれもいないと信じつつも耳を澄ますならば、飛びかわす翼の音を室の中に聞くであろう。完全なる幸福は、天使をも参与させるものである。その小さな暗い寝所は、全天空を天井としている。愛に聖《きよ》められた二つの脣《くちびる》が、創造のために相接する時、その得も言えぬ脣《くち》づけの上には、星辰《せいしん》の広漠《こうばく》たる神秘のうちに、必ずや一つの震えが起こるに相違ない。
 それらの幸福こそ真正なるものである。それらの喜悦を外にしては真の喜悦は存しない。愛、そこにこそ唯一の恍惚《こうこつ》たる喜びがある。他のすべては皆嘆きである。
 愛しもしくは愛した、それで充分である。更に求むることをやめよ。人生の暗い襞《ひだ》のうちに見いだされ得る真珠は、ただそれのみである。愛することは成就することである。

     三 側《そば》より離さざる物

 ジャン・ヴァルジャンはどうなったか?
 コゼットのやさしい命令で笑顔をしたあと間もなく、だれからも注意を向けられていないのに乗じて、ジャン・ヴァルジャンは立ち上がり、人に気づかれぬうちに次の間《ま》へ退いた。八カ月以前に、彼が泥《どろ》と血と埃《ほこり》とでまっ黒になって、祖父のもとへその孫を運んではいってきたのも、やはりその同じ室《へや》へであった。今やその古い壁板は、緑葉と花とで飾られていた。かつてマリユスが横たえられた安楽椅子《あんらくいす》には、音楽師らが集まっていた。黒い上衣と短いズボンと白い靴足袋《くつたび》と白い手袋とをつけたバスクは、これから出そうとする皿のまわりにそれぞれ薔薇《ばら》の花を配っていた。ジャン・ヴァルジャンは首につった腕を彼に示し、席をはずす理由を伝えてくれるように頼んで、そこを出て行った。
 食堂の窓は街路に面していた。ジャン・ヴァルジャンはしばらく、それらの明るい窓の下の影の中に、身動きもしないでたたずんでいた。彼は耳を澄ました。祝宴の混雑した物音が伝わってきた。祖父の堂々たる声高な言葉、バイオリンの響き、皿やコップの音、哄笑《こうしょう》の声、などが聞こえてきた。そして彼はその愉快な騒ぎの中に、コゼットの楽しいやさしい声を聞き分けた。
 彼はフィーユ・デュ・カルヴェール街を去って、オンム・アルメ街へ帰っていった。
 帰ってゆくのに彼は、サン・ルイ街とキュルテュール・サント・カトリーヌ街とブラン・マントー教会堂の方の道筋を取った。それは少し遠回りの道だったが、三カ月以前から、ヴィエイユ・デュ・タンプル街の混雑と泥濘《でいねい》とを避けるために、コゼットと共にオンム・アルメ街からフィーユ・デュ・カルヴェール街へ行くのに、毎日通いなれた道筋であった。
 コゼットが通りつけたその道は、彼に他の道筋を取らせなかった。
 ジャン・ヴァルジャンは自分の家に戻った。蝋燭《ろうそく》をともして階段を上っていった。部屋はがらんとしていた。トゥーサンももういなかった。ジャン・ヴァルジャンの足音は、室《へや》の中にいつもより高く響いた。戸棚《とだな》は皆開かれていた。彼はコゼットの室へはいった。寝台には敷き布もなかった。綾布《あやぬの》の枕は枕掛けもレース飾りもなくなって、床の下《しも》の方にたたまれてる夜具の上にのせてあり、床はむき出しになってもうだれも寝られないようになっていた。コゼットが大事にしていた細々した婦人用の器物は、皆持ってゆかれていた。残ってるのはただ、大きな家具と四方の壁ばかりだった。トゥーサンの寝床も同じように取り片づけてあった。ただ一つの寝床だけが用意されていて、だれかを待ってるようだった。それはジャン・ヴァルジャンの寝床だった。
 ジャン・ヴァルジャンは壁をながめ、戸棚《とだな》の二、三の戸を閉ざし、室《へや》から室へと歩き回った。
 それから彼は自分の室にはいり、テーブルの上に燭台《しょくだい》を置いた。
 彼はつるしていた腕をはずし、別に痛みもしないかのようにその右手を使っていた。
 彼は自分の寝台に近寄った。そして彼の目は、偶然にかまたは意あってか、コゼットがうらやんでたつき物の上に、決して彼のそばを離れない小さな鞄《かばん》の上に落ちた。六月四日オンム・アルメ街にやってきた時、彼はそれを枕頭《まくらもと》の小卓の上に置いていた。彼はすばしこくその小卓の所へ行き、ポケットから一つの鍵《かぎ》を取り出し、そして鞄を開いた。
 彼はその中から、十年前コゼットがモンフェルメイュを去る時につけていた衣裳を、静かに取り出した。第一に小さな黒い長衣、次に黒い襟巻《えりま》き、次にコゼットの足はごく小さいので今でもまだはけそうな丈夫な粗末な子供靴《こどもぐつ》、次にごく厚い綾織《あやお》りの下着、次にメリヤスの裳衣、次にポケットのついてる胸掛け、それから毛糸の靴足袋《くつたび》。その靴足袋には、小さな脛《はぎ》の形がまだかわいく残っていて、ほとんどジャン・ヴァルジャンの掌《たなごころ》の長さほどしかなかった。それらのものは皆黒い色だった。彼女のためにそれらの衣裳をモンフェルメイュまで持ってってやったのは彼だった。今彼はそれらを鞄から取り出しては、一々寝床の上に並べた。彼は考え込んでいた。昔のことを思い起こしていた。冬で、ごく寒い十二月のことだった。彼女はぼろを着て半ば裸のまま震えていた。そのあわれな小さな足は木靴をはいてまっかになっていた。彼ジャン・ヴァルジャンは、それらの破れ物を脱がせて、この喪服をつけさしてやった。彼女の母も、彼女が自分のために喪服をつけるのを見、ことに相当な服装をして暖かにしてるのを見ては、墓の中できっと喜んだに違いなかった。また彼はモンフェルメイュの森のことを思い出していた。コゼットと彼とはふたりいっしょにその森を通っていった。天気のこと、葉の落ちた樹木のこと、小鳥のいない木立ちのこと、太陽の見えない空のこと、それでもなお楽しかったこと、などが皆思い出された。そして今彼はそれらの小さな衣類を寝床の上に並べ、襟巻《えりま》きを裳衣のそばに置き、靴足袋《くつたび》を靴のそばに置き、下着を長衣のそばに置き、それらを一つ一つながめた。あの時彼女はまだごく小さかった。大きな人形を腕に抱き、ルイ金貨をこの胸掛けのポケットに入れ、そして笑っていた。ふたりは手を取り合って歩いた。彼女が頼りとする者は、世にただ彼ひとりだった。
 そこまで考えた時、ジャン・ヴァルジャンの敬すべき白髪の頭は寝床の上にたれ、その堅忍な老いた心は張り裂け、その顔はコゼットの衣裳の中に埋ってしまった。もしその時階段を通る者があったら、激しいすすり泣きの声が耳に聞こえたであろう。

     四 きわみなき苦悶《くもん》

 われわれが既にその多くの局面をながめてきた古い恐るべき争闘が、再び始まった。
 ヤコブが天使と争ったのはただ一夜だけであった。しかるに痛ましくも、ジャン・ヴァルジャンが暗黒の中で自分の本心とつかみ合って猛烈に争うのを、幾度吾人は見たことであろう!
 実に異常な争闘であった。ある時は足がすべり、ある時は足下の地面がくずれた。善へ進まんとあせる本心が、彼をつかみ彼を圧倒したことも、幾度であったろう。一歩も譲らない真理が、彼の胸を膝《ひざ》の下に押さえつけたことも、幾度であったろう。彼が光明から投げ倒されてその宥恕《ゆうじょ》を願ったことも、幾度であったろう。彼のうちにまた彼の上に司教からともされた仮借なき光明が、盲目ならんと欲する彼を強《し》いて眩惑《げんわく》さしたことも、幾度であったろう。巖《いわお》に身をささえ、詭弁《きべん》によりかかり、塵にまみれ、あるいは本心を自分の下に打ち倒し、あるいは本心から打ち倒されながら、争闘のうちに彼が立ち直ったことも、幾度であったろう。曖昧《あいまい》な理屈を立てた後、利己心の一見道理あるらしい狡猾《こうかつ》な論法を用いた後、憤った本心から「奸佞《かんねい》の徒、みじめなる奴、」と耳に叫ばれるのを彼が聞いたのも、幾度であったろう。頑迷《がんめい》なる彼の思想が、瞭然《りょうぜん》たる義務の下に痙攣的《けいれんてき》なうめきを発したのも、幾度であったろう。神に対する抗争。暗い汗。多くの秘密な傷、彼ひとりだけが感ずる多くの出血。彼の痛ましい生が受くる多くの擦《す》り傷。血にまみれ、傷におおわれ、身を砕かれ、光に照らされ、心に絶望の念をいだき、魂に清朗の気をたたえて、彼がまた起き上がったのも、幾度であったろう。敗者でありながら彼は勝者のように感じていた。そして彼の本心は、彼を挫《くじ》き苦しめ打ち折った後、恐ろしい煌々《こうこう》たる落ち着いた姿をして彼の上につっ立ち、彼に言った、「今は平和に歩くがいい!」
 しかし、かく陰惨な争闘から出てきた後では、それもいかに悲しい平和であったことか!
 けれどもその晩ジャン・ヴァルジャンは、最後の戦いをしてるような心地になった。
 痛切な一つの問題が現われていた。
 定められた運命はまっすぐなものではない。それは当の人間の前にまっすぐな大道となって開けゆくものではない。行き止まりもあり、袋庭もあり、まっくらな曲がり角《かど》もあり、多くの道が交錯してる不安な四《よ》つ辻《つじ》もある。ジャン・ヴァルジャンは今、それらの四つ辻のうち最も危険なものに立ち止まっていた。
 彼は善と悪との最後の交差点に到達していた。その暗黒な接合点を眼前に見ていた。そしてこんども、他の痛ましい変転の折既に幾度か起こったように、二つの道が前に開けていた。一つは彼を誘惑し、一つは彼を恐れさした。いずれを取るべきであるか?
 彼を恐れさする道の方を、神秘な指先がさし示していた。その指こそは、影の中に目を定めるたびごとに万人が認め得るところのものである。
 ジャン・ヴァルジャンはなお一度、恐るべき港とほほえめる陥穽《かんせい》とのいずれかを選択しなければならなかった。
 それでは、魂は癒《いや》され得るが運命はいかんともし難いということは、果たして真実なのか。不治の宿命! 恐るべきことである。
 彼の前に現われた問題とは、次のようなものであった。
 ジャン・ヴァルジャンはコゼットとマリユスとの幸福に対していかなる態度を取らんとしていたのか。しかもその幸福たるや、彼が自ら望み、彼が自ら作ってやったものである。彼はその幸福を自分の内臓のうちにしまい込んでいたが、今やそれを取り出してながめていた。そして、自分の胸から血煙を立てる短刀を引きぬきながらその上におのれの製作銘を認むる刀剣師のような一種の満足を、彼は感じ得るのであった。
 コゼットはマリユスを得、マリユスはコゼットを所有していた。彼らはすべてを、富をさえも得ていた。しかもそれは彼が自らなしてやった業だった。
 しかし、今現に存在し今そこにあるその幸福に対して、彼ジャン・ヴァルジャンはどうしようとしていたのか。彼はその幸福の仲間にはいってもよかったであろうか。それを自分のものであるかのように取り扱ってもよかったであろうか。確かにコゼットは他人のものであった。しかし彼ジャン・ヴァルジャンは、自分が保有し得るだけのものをコゼットから保有してもよかったであろうか、推定されたものではあるがしかし大切にされていた父たるの地位に、彼は今までどおり止まっていてもさしつかえなかったであろうか。平然としてコゼットの家にはいり込んでもよかったであろうか。その未来の中に自分の過去を、一言も明かさずに持ち込んでもよかったであろうか。当然であるかのようにそこに出てゆき、素性を隠しながらその輝く炉辺にすわっても、さしつかえなかったであろうか。彼らの潔《きよ》い手を自分の悲惨な手のうちに、ほほえみながら取ってもよかったであろうか。ジルノルマン家の客間の平和な炉火の前に、法律の不名誉な影をあとに引きずってる自分の足を置いても、よかったであろうか。コゼットとマリユスと共に、彼も幸運の分前《わけまえ》をもらってもよかったであろうか。自分の頭の上の曇りと彼らの上の雲とを深めても、さしつかえなかったであろうか。彼らふたりの至福に自分の覆滅を、第三者として付け加えてもよかったであろうか。やはり何も打ち明けないでもよかったであろうか。一言にして言えば、それらふたりの幸福な者のそばに、宿命の気味悪い沈黙としてすわっていても、さしつかえないのであったろうか。
 人は常に宿命とその打撃とになれていて、ある種の疑問が恐ろしい赤裸の姿で現われてきても、あえて目をあげてそれを見つめ得るようになっていなければいけない。善と悪とはそのきびしい疑問の背後に控えている。「どうするつもりか、」とそのスフィンクスは尋ねる。
 ジャン・ヴァルジャンはそういう試練になれていた。彼はそのスフィンクスをじっと見つめた。
 彼はその残忍な問題をあらゆる方向から考究した。
 あの麗しいコゼットは、難破者たる彼にとっては一枚の板子《いたご》であった。しかるに今やいかにすべきであったか。それに取りついているべきか。それを離すべきか!
 もしそれに取りついていれば、彼は破滅から免れ、日光のうちに上ってゆき、衣服と頭髪とから苦い水をしたたらせ、救われ、生きながらえることができるのだった。
 もしそれを離せば!
 その時は深淵《しんえん》あるのみだった。
 かく彼は自分の考えに悲痛な相談をなしてみた。あるいは更に適切に言えば、戦いを開いた。彼は心のうちで、あるいは自分の意志に対してあるいは自分の確信に対して、猛然として飛びかかっていった。
 泣くことができたのは、ジャン・ヴァルジャンにとって一つの仕合わせだった。それはおそらく彼の心を晴らしたであろう。けれども争いの初めは激烈だった。一つの暴風雨が、昔彼をアラスの方へ吹きやったのよりもいっそう猛烈な暴風雨が、彼のうちに荒れ回った。過去は現在の前に再び現われてきた。彼はその両者を比較し、そしてすすり泣いた。一度涙の堰《せき》が開かるるや、絶望した彼は身をもだえた。
 彼は道がふさがったのを感じていた。
 ああ、利己心と義務との激戦において、昏迷《こんめい》し、奮激し、降伏を肯《がえ》んぜず、地歩を争い、何らかの逃げ道をねがい、一つの出口を求めつつ、巍然《ぎぜん》たる理想の前から一歩一歩退く時、後方にある壁の根本は、いかに凄惨《せいさん》なる抵抗を突然なすことであるか。
 道をさえぎる聖なる影を感ずる心地は!
 目に見えざる酷薄なるもの、それはいかに執拗《しつよう》につきまとってくることか!
 本心との戦いには決して終わりがない、ブルツスといえどもあきらめるがいい。カトーといえどもあきらめるがいい。本心は神なるがゆえに、底を持たない。その井戸の中へ、一生の仕事を投げ込み、幸運を投げ込み、富を投げ込み、成功を投げ込み、自由や祖国を投げ込み、安寧も、休息も、喜悦も、皆投げ込んでみよ。まだ、まだ、まだ足りない。瓶《びん》を空しゅうし、壺《つぼ》の底をはたけ。そして終わりに、おのれの心をも投げ込まなければならない。
 いにしえの地獄の靄《もや》の中には、そういう大樽《おおだる》がどこかにある。
 それを拒むのは許されないことであろうか。尽きることなき追求はその権利を持ってるのであろうか。限りなき鉄鎖は人力のたえ得ないものではないのであろうか。シシフス(訳者注 死後地獄の中にて永久に岩石を転がす刑に処せられし者)やジャン・ヴァルジャンが、「もうこれが力の限りだ!」と言うのを、だれかとがめる者があろうか。
 物質の服従には、磨損《まそん》するがために一定の限度がある。しかるに、精神の服従には限度がないのであろうか。永久の運動が不可能であるとするのに、それでも永久の献身が求め得らるるのであろうか。
 第一歩は容易である。困難なのは最後の一歩である。シャンマティユーの事件も、コゼットの結婚および続いて来る事柄に比ぶれば何であったろう。再び徒刑場にはいることも、虚無のうちにはいりゆくことに比ぶれば何であろう。
 下降の第一段は、いかに暗いものであることか。更に第二段は、いかに暗黒なるものであることか!
 このたびは、いかにして顔をそむけないでおられようぞ。
 殉教は、一つの浄化である、侵蝕による浄化である。聖化せしむる苛責《かしゃく》である。最初のうちはそれを甘んじて受くることができる。赤熱した鉄の玉座にすわり、赤熱した鉄の冠を額にいただき、赤熱した鉄の王国を甘諾し、赤熱した鉄の笏《しゃく》を執る。しかしなおその上に炎のマントを着なければならない。そしてその時こそ、みじめな肉体は反抗し、人はその苦痛を避けたく思うことが、ないであろうか。
 ついにジャン・ヴァルジャンは、喪心の極、平静のうちにはいった。
 彼は計画し、夢想し、光明と陰影との神秘な秤皿《はかりざら》の高低をながめた。
 光り輝くふたりの若者に自分の刑罰を添加すること、もしくは、救う道なき自分の陥没を自分ひとりに止めること。前者はコゼットを犠牲にすることであり、後者は自己を犠牲にすることであった。
 彼はいかなる解決をなしたか。いかなる決心を定めたか。宿命の森厳なる尋問に対して彼が心のうちでなした最後の確答は、何であったか。いかなる扉《とびら》を開こうと彼は決心したか。生命のいかなる方面の扉を、彼はいよいよ閉鎖しようと決心したか。四方をとりまいてる測り知られぬ断崖《だんがい》のうち、いずれを彼は選んだか。いかなる絶端を彼は甘受したか。それらの深淵《しんえん》のいずれに向かって、彼は首肯したか?
 彼の昏迷的《こんめいてき》な夢想は終夜続いた。
 彼はそのまま同じ態度で、寝床の上に身をかがめ、巨大な運命の下に平伏し、おそらくは痛ましくも押しつぶされ、十字架につけられた後|俯向《うつむ》けに投げ出された者のように、拳《こぶし》を握りしめ両腕を十の字にひろげて、夜が明けるまでじっとしていた。十二時間の間、冬の長い夜の十二時間の間、頭も上げず一言も発しないで、凍りついたようになっていた。自分の思念が、あるいは蛇のように地面をはい、あるいは鷲《わし》のように天空を翔《かけ》ってる間、死骸《しがい》のように身動きもしないでいた。その不動の姿は、あたかも死人のようだった。と突然彼は痙攣的《けいれんてき》に身を震わし、その口はコゼットの衣裳に吸い着いて、それに脣《くち》づけをした。彼がなお生きてることを示すものはただそれだけだった。
 それを見ていた者は、だれであるか、だれかであるか? ジャン・ヴァルジャンはただひとりであって、そこにはだれもいなかったではないか。
 否、闇《やみ》の中にある「あの人」が。

   第七編 苦杯の最後の一口   

  一 地獄の第七界と天国の第八圏

 結婚の翌日は寂しいものである。人々は幸福なふたりの沈思に敬意を表し、またその眠りの長引くのに多少の敬意を表する。訪問や祝辞の混雑はしばらく後にしか始まってこないものである。さて二月十七日の朝、もう正午少し過ぎた頃だったが、バスクが布巾《ふきん》と羽箒《はねぼうき》とを腕にして、「次の間を片づけ」ていた時、軽く扉《とびら》をたたく音が聞こえた。呼び鐘は鳴らされなかった。こういう日にとっては少し不謹慎な訪れ方だった。バスクが扉を開くと、フォーシュルヴァン氏が立っていた。バスクは彼を客間に通した。客間はまだいっぱい取り散らされていて、前夜の歓楽のなごりをとどめていた。
「まあ旦那様《だんなさま》、」とバスクは言った、「私どもは遅く起きましたので。」
「御主人は起きておいでかね。」とジャン・ヴァルジャンは尋ねた。
「お手はいかがでございます。」とバスクは尋ね返した。
「だいぶいい。御主人は起きておいでかね。」
「どちらでございますか、大旦那様《おおだんなさま》と若旦那様と。」
「ポンメルシーさんの方だ。」
「男爵様でございますか。」と言いながらバスクはまっすぐに身を伸ばした。
 男爵などということは召し使いにとってはことに尊く思われるものである。彼らはそれから何かを受ける。哲学者が称号の余沫《よまつ》とでも呼びそうなものを、彼らは自分の身にまとって喜ぶ。ついでに言うが、マリユスは共和の戦士であり、実際それを行為に示してきたが、今は心ならずも男爵となっていた。この称号に関して家庭内に小さな革命が起こっていた。その称号を好んで用いるのは今ではジルノルマン氏であって、マリユスはむしろそれを避けていた。しかし、「予が子は予の称号を用うべしとポンメルシー大佐から書き残されていたので、マリユスもそれに服従していた。その上、女たる自覚ができかかってきたコゼットは、男爵夫人たることを喜んでいた。
「男爵でございますか。」とバスクは繰り返した。「見て参りましょう。フォーシュルヴァン様がおいでになりましたと申し上げましょう。」
「いや、私だと言わないでくれ。内々にお話したいことがあると言ってる人とだけで、名前は言わないでくれ。」
「へえ!」とバスクは言った。
「ちょっとびっくりさしてみたいから。」
「へえ!」とバスクは、前の「へえ!」を自ら説明するようにして繰り返した。
 そして彼は出て行った。
 ジャン・ヴァルジャンはひとりになった。
 上に言ったとおり、客間の中はすっかり取り散らされていた。もし耳を澄ましたら、婚礼の漠然《ばくぜん》たる騒ぎがまだ聞こえそうにも思われた。床《ゆか》の上には、花輪や髪飾りから落ちた各種の花が散らばっていた。根元まで燃えつきた蝋燭《ろうそく》は、燭台《しょくだい》の玻璃《はり》に蝋のしたたりを添えていた。器具はすっかりその位置が乱されていた。片すみには、三、四脚の肱掛《ひじか》け椅子《いす》が互いに丸く寄せられてなお話を続けてるがようだった。室《へや》全体が笑っていた。宴の果てた跡にもなお多くの優美さが残ってるものである。すべてが幸福だったのである。乱れてるそれらの椅子の上で、凋《しぼ》んでるそれらの花の間で、消えてるそれらの灯火の下で、人々は喜びの念をいだいたのである。今や太陽の光は蝋燭の後を継いで、客間のうちに楽しくさし込んでいた。
 数分間過ぎた。ジャン・ヴァルジャンはバスクと別れた所にじっと立っていた。顔は青ざめていた。その目は落ちくぼんで、不眠のためほとんど眼窩《がんか》の中に隠れてしまっていた。その黒服には乱れた皺《しわ》がついていて、一晩中着通されたことを示していた。その肱は敷き布とすれ合った跡が白く毛ばだっていた。彼は自分の足もとに、太陽の光で窓の形が床の上に投げられてるのをながめていた。
 扉《とびら》の所に音がした。彼は目をあげた。
 マリユスがはいってきた。頭を上げ、口もとに笑《え》みを浮かべ、一種の輝きを顔に漂わせ、ゆったりとした額で、揚々たる目をしていた。彼もまた一睡もしていなかった。
「あああなたでしたか、お父さん!」と彼はジャン・ヴァルジャンを見て叫んだ。「バスクの奴《やつ》妙にもっともらしい様子をしたりなんかして! それにしてもたいそう早くいらしたですね。まだ十二時半にしかなりませんよ。コゼットは眠っています。」
 フォーシュルヴァン氏に向かってマリユスが言った「お父さん」という言葉は、最上の喜びを意味するものだった。読者の知ってるとおり、彼らの間には常に、絶壁と冷ややかさと気兼ねとが、砕き融《と》かさなければならない氷が、介在していた。ところが今やマリユスに喜びの時がきて、その絶壁も低くなり、その氷も融け、フォーシュルヴァン氏は彼にとってもコゼットにとっても同じくひとりの父となったのである。
 彼は続けて言った。喜悦の聖《きよ》い発作の特色として、言葉は彼からあふれ出た。
「お目にかかってほんとにうれしく思います。昨日いて下さらなかったので私どもはどんなに寂しかったでしょう。よくきて下さいました、お父さん。お手はいかがです。よろしい方で、そうではありませんか。」
 そして、自らいいと答えたのに満足しながら、彼はなお言い続けた。
「私どもはふたりでよくあなたの噂《うわさ》ばかりしています。コゼットはどんなにかあなたを慕っています。この家にあなたのお室《へや》があることもお忘れではありませんでしょうね。私どもはもうオンム・アルメ街をあまり好みません。実際もう好ましくありません。どうしてあなたはあんな街路にお移りなすったのです。あすこは、不健康で、うるさくて、きたなくて、一方の端には柵《さく》があり、寒くて、とても行けやしません。ここにお住みになったがよろしいです。今日からそうなすって下さい。そうでないとコゼットが承知しませんよ。まったくコゼットは私どもを自分の好きなとおりにするつもりでいます。あなたはあの室《へや》をごらんなすったでしょう。私どもの室のすぐわきで、庭に向いています。錠前も直してあれば、寝台も整っていて、すっかり用意ができています。ただおいでになりさえすればよろしいんです。コゼットはあなたの寝台のそばに、ユトレヒト製ビロードの大きな安楽椅子を据えて、お父様をいたわっておくれと言いました。春になるといつも、窓の正面にあるアカシアの茂みに、鶯《うぐいす》がやってきます。二カ月の間も続いております。その鶯の巣がお室《へや》の左にあって、私どものが右手にあるわけです。晩には鶯が歌い、昼間はコゼットがお話相手になります。室は日当たりも上等です。コゼットがあなたの書物も並べてあげます。クック大尉の旅行記やヴァンクーヴァーの旅行記や、何でも御入用なものを整えてあげます。たしかごく大事にしていられる小さな鞄《かばん》が一つありましたね。あのためには片すみにちゃんと置き場所をこしらえさしてあります。私の祖父はまったくあなたに心服しています。ちょうどいいお相手です。みんないっしょに住みましょう。あなたはトランプを御存じですか。もしおやりでしたら祖父はどんなに喜ぶでしょう。私が裁判所に弁論に出る時には、あなたがコゼットを散歩に連れていって下さい、昔リュクサンブールでなすったように、コゼットに腕を貸して。私どもは是非ともごく幸福にしたいときめています。それにはあなたの幸福も欠けてはいけません。ねえお父さん。そして今日は、私どもといっしょに朝食をして下さい。」
「私は、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「あなたに一つ話したいことがあるんです。私はもと徒刑囚だった身の上です。」
 およそ鋭い音は、耳に対すると同じく精神に対しても、知覚の範囲を越すことがある。フォーシュルヴァン氏の口から出た「私はもと徒刑囚だった身の上です[#「私はもと徒刑囚だった身の上です」に傍点]」という言葉は、マリユスの耳に響きはしたが、まとまった意味の範囲を越えたものだった。マリユスは了解しなかった。ただ何か言われたように思えたが、何であるかわからなかった。彼はぼんやりしてしまった。
 その時彼は、相手が恐ろしい様子をしてるのに気づいた。彼は自分の喜びに夢中になって、相手のひどく青ざめてるのがそれまで目にはいらなかった。
 ジャン・ヴァルジャンは右腕をつっていた黒布を解き、手に巻いていた包帯をはずし、親指を出して、それをマリユスに示した。
「手はなんともなっていません。」と彼は言った。
 マリユスはその親指をながめた。
「初めからなんともなかったのです。」とジャン・ヴァルジャンはまた言った。
 実際何らの傷痕《きずあと》もなかった。
 ジャン・ヴァルジャンは言い続けた。
「私はあなたの結婚の席にいない方がよかったのです。できるだけ出席しないようにつとめました。私は偽証をしないために、結婚の契約書に無効なものをはさまないために、署名することをのがれるために、怪我《けが》をしたと嘘《うそ》を言いました。」
 マリユスは口ごもった。
「どういうわけですか。」
「そのわけは、」とジャン・ヴァルジャンは答えた、「私は徒刑場にはいったことがある身だからです。」
「そんなことが!」とマリユスは恐れて叫んだ。
「ポンメルシーさん、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「私は十九年間徒刑場にいました。窃盗のためにです。次に無期徒刑に処せられました。窃盗のためにです。再犯としてです。今では脱走の身の上です。」
 マリユスはいたずらに、現実の前にたじろぎ、事実を拒み、明確を排しようとしたが、しかもその本意を屈しなければならなかった。彼はようやくいっさいを了解し始めた。そしてかかる場合の常として、言外のことまで了解した。内心にさしてきた嫌悪《けんお》すべき光に彼は戦慄《せんりつ》を覚えた。慄然《りつぜん》たる一つの観念が彼の精神を過《よ》ぎった。自分にあてられてる一つのおぞましい宿命を、未来のうちに垣間《かいま》見た。
「すべてを言って下さい、すべてを言って下さい!」と彼は叫んだ。「あなたはコゼットの父ですね。」
 そして彼は言い難い恐怖に駆られて二、三歩後ろに退《さが》った。
 ジャン・ヴァルジャンは天井まで伸び上がるかと思われるようなおごそかな態度で頭を上げた。
「今あなたは私の言うことを信じて下さらなければいけません。そして、私のような者の誓言は法廷からは受け入れられませんけれども……。」
 そこで彼はちょっと口をつぐんだ。それから一種の崇厳陰惨な力をもって、ゆっくりと一語一語力を入れて言い添えた。
「……私の言葉を信じて下さい。コゼットの父は私ですと! 神に誓って否と言います。ポンメルシー男爵、私はファヴロールの田舎者《いなかもの》です。樹木の枝切りをして生活していた者です。名前もフォーシュルヴァンではなく、ジャン・ヴァルジャンと言います。コゼットとは何の縁故もありません。御安心下さい。」
 マリユスはつぶやいた。
「だれが証明してくれましょう……。」
「私がです。私がそう言う以上は。」
 マリユスは相手をながめた。相手は沈痛で落ち着いていた。そういう静平から偽りが出ようはずはなかった。氷のごとき冷ややかさは誠実なものである。その墳墓のごとき冷然さのうちには真実が感ぜられた。
「私はあなたの言葉を信じます。」とマリユスは言った。
 ジャン・ヴァルジャンは承認するように頭を下げ、そしてまた言い続けた。
「コゼットに対して私は何の関係がありましょう。ただ通りがかりの者にすぎません。十年前までは彼女が世にいることすらも知りませんでした。なるほど私が彼女を愛していたのは本当です。既に年を取ってからごく小さな娘を見ると、それを愛したくなるものです。年を取ってくると、どの子供に対しても祖父のような気になるものです。私のような者でも人並みの心をいくらか持ってるらしいです。コゼットは孤児でした。父も母もありませんでした。それでせめて私でもあった方がよかったのです。そういうわけで私は彼女を愛し始めました。子供という者はか弱いもので、偶然出会った私のような者でもその保護者となり得ます。私はコゼットに対して保護者の務めをしてきました。私はそれくらいのことを善《よ》い行ないだと言い得ようとは思いませんが、しかしもし善い行ないだとすれば、私がそれをしたことも考えてやって下さい。私の罪を多少なりと軽くするものとして考えていただきたいです。そして今日、コゼットは私の手もとを離れ、ふたりは行路を異にすることになりました。これから以後、私はもうコゼットに対しては何の関係もなくなります。彼女はポンメルシー夫人です。彼女の保護者が変わったわけです。そしてコゼットにはそれが仕合わせです。万事好都合です。六十万フランの金については、あなたは何とも言われませんが、私から先に申し上ぐれば、それは委託されたものです。その委託金がどうして私の手にはいったか、それは問う必要はありますまい。私はただそれを返すまでです。それ以上私は人に求めらるるところはないはずです。私は自分の本名を明かして本来の自分に返りました。それは私一個に関することです。ただ私は、私がどんな人間だかあなたに知っていただきたいのです。」
 そしてジャン・ヴァルジャンはマリユスの顔を正面からじっとながめた。
 マリユスが感じたことは、ただ雑然たる連絡もないことばかりだった。宿命のある種の風は人の魂のうちにそういう波を立たせるものである。
 自分のうちのすべてのものが分散してしまうような惑乱の瞬間を知らない者は、およそ世にあるまい。そういう時人は、いつも的はずれのことをでたらめに口にする。世には突然意外なことが現われてくることもあって、人はそれにたえ得ないで、強烈な酒を飲んだように酔わされてしまう。マリユスは新たに現われてきた自分の地位に惘然《ぼうぜん》としてしまって、ほとんど相手の自白を難ずるがような口のきき方をした。
「ですが、」と彼は叫んだ、「なぜあなたはそんなことを私に言うのです。だれに強《し》いられて言うのです。自分ひとりで秘密を守っておればいいではありませんか。あなたは告発されてもいず、捜索されてもいず、追跡されてもいないではありませんか。自ら好んでそんなことを打ち明けられるのには何か理由があるでしょう。言っておしまいなさい。何かあるでしょう。どういうつもりで自白をなさるのです。どういう動機で?」
「どういう動機?」とジャン・ヴァルジャンは、マリユスに話しかけるというよりもむしろ自分自身に話しかけるような低い鈍い声で答えた。「なるほど、この囚徒が私は囚徒ですと言ったのは、どういう動機からかと、そうです、妙な動機でです。それは正直からです。不幸なことですが、私の心の中に私をつなぎ止めてる一筋の綱があります。ことに老年になるとその綱がますます丈夫になるものです。まわりの生活がすべてこわれかけてくるのに、その綱だけは頑固に残ります。もし私が、その綱を払いのけ、それを断ち切り、その結び目を解くか切り捨てるかして、遠くへ立ち去ることができてたら、私は救われたでしょう。ただ出立つするだけでよかったでしょう。ブーロア街に駅馬車もあります。そうすれば、あなたは幸福になり、私は行ってしまうだけです。で私はその綱を切ろうとつとめ、引きのけようとしたが、綱は丈夫で、中々切れるどころではなく、私の心をいっしょに引きもぎろうとするのです。その時私は、他の所へ行って生活することはできないと思いました。どうしても他へは行けません。で、なるほどあなたの言われるのは道理です、私はばかです。このまま黙ってここにいればいいわけです。あなたは私に室《へや》を一つ与えて下さるし、ポンメルシー夫人は私を愛して、あの人をいたわっておくれと安楽椅子《あんらくいす》に言って下さるし、あなたのお祖父《じい》様は私がここにいさえすればよろしいとおっしゃるし、私がそのお相手となり、皆いっしょに住みいっしょに食事をし、私はコゼット……いやごめん下さい、つい口癖になってるものですから、で私はポンメルシー夫人に腕を貸し、皆同じ屋根、同じ食卓、同じ火、冬には暖炉の同じ片すみに集まり、夏にはいっしょに散歩をする。実に喜ばしいことで、実に楽しいことで、それ以上のことはありません。そして一家族のように暮らしてゆく、一家族のように!」
 その言葉を発して、ジャン・ヴァルジャンはにわかに荒々しくなった。彼は両腕を組み、あたかもそこに深い穴でも掘ろうとしてるように足下の床《ゆか》をにらみつけ、声は急に激しくなった。
「一家族! いや。私には家族はない。私はあなたの家族のひとりではありません。およそ人間の家族にはいるべき者でありません。人が自分の家とする所では、どこへ行っても私はよけいな者となるのです。世にはたくさんの家庭があるが、私が加わり得る家庭はありません。私は不幸な者です。社会の外にほうり出されてる人間です。父母があったとさえも思えないくらいです。私があの娘さんを結婚さした日、私のすべては終わりました。彼女が幸福であること、愛する人といっしょにいること、親切な御老人がおらるること、ふたりの天使の家庭ができたこと、家中喜びに満ちてること、万事よくいってること、それを私は見て、自分で言いました、汝は入るべからずと、実際私は、嘘《うそ》をつくこともでき、あなた方皆を欺くこともでき、フォーシュルヴァン氏となってることもできました。そして彼女のためである間は嘘もつきました。しかし今は私のためである以上、嘘をついてはいけないのです。なるほど私がただ黙ってさえおれば、今のまま続いていったでしょう。あなたは、だれに強《し》いられて自白するのかと私にお尋ねなさる。それは下らないものです。私の良心です。けれども、黙っているのもまたたやすいことでした。私は一晩中、黙っていようといろいろ考えてみました。あなたは私にすべてを打ち明けてくれと言われる。実際私があなたに申したことは普通のことではないので、あなたがそう言われるのも無理はありません。ところで私は一晩中、いろいろ理屈を並べてみ、至当な理由を並べてみて、できるだけの努力はしました。しかしどうしても私の力に及ばないことが二つあったのです。私の心をここにつなぎとめ釘《くぎ》付けにしこびりつかせてる綱を断ち切ることと、ひとりでいる時私に低く話しかけるある者を黙らせることとです。それで私は今朝《けさ》あなたにすべてを自白しにきました。すべてを、もしくはほとんどすべてをです。私にだけ関係したことで言う必要のないものは、胸にしまって申しません。要点は既に御存じのとおりのことです。私は自分の秘密を取り上げて、あなたの所へ持ってきました。そしてあなたの目の前に底まで開いて見せました。これは容易な決心ではなかったのです。私は終夜苦しみました。私は自ら言ってみました。これはシャンマティユー事件とは違う、自分の名前を隠したとてだれに害を及ぼすものでもない、フォーシュルヴァンという名前はあることをしてやった礼としてフォーシュルヴァン自身からもらったものである、それを自分の名前としておいてさしつかえない、あなたからいただくあの室《へや》にはいったらどんなに幸福だろう、だれの邪魔にもなるまい、自分だけの片すみに引きこもっていよう、コゼットはあなたのものであるが、私は彼女と同じ家にいることを考えていようと。そうすれば各自相応な幸福を得られるわけです。続けてフォーシュルヴァンとなっておれば、すべてはよくなるわけです。もちろんただ私の魂を別にしてはです。そうして私のまわりには喜びの光が満ち、私の魂の底だけが暗黒なばかりです。しかし人は幸福であるだけでは足りません。満足でなければいけません。そうして私はフォーシュルヴァン氏となっており、自分の本当の顔を隠し、あなたの晴れやかな心の前に私は謎《なぞ》をいだき、あなたの白日の輝きの中に私は影をいだき、何らの警告もせず善良な顔をしてあなたの家庭に徒刑場を引き入れ、もしあなたに知られたら追い払われるに違いないと考えながら、あなたと同じ食卓につき、もし召し使いたちに知られたら実に汚らわしいと言われるに違いないと思いながら、彼らから用をしてもらうことになるのです。当然あなたからきらわれるべき肱《ひじ》をあなたに接し、あなたの握手を騙《かた》り取ることになります。あなたの家では、尊い白髪と烙印《らくいん》をおされた白髪との両方に、尊敬を分かつことになります。最も親しい談話の折り、皆が互いに心の底まで打ち開いてると思ってる時に、あなたのお祖父様《じいさま》とあなた方ふたりと私と四人いっしょにいる時に、そこにはもひとり見知らぬ男がいることになります。私は自分の恐ろしい井戸の蓋《ふた》を開くまいということにばかり注意して、あなた方の生活のうちに立ち交わることになります。そうしてもはや葬られてる私が、生命のあるあなた方の邪魔にはいることになります。私は永久に彼女につきまとうことになります。あなたとコゼットと私と三人とも、緑色の帽子をかぶることになります。あなたはそれでも平然としておられますか。私は最も踏みにじられた人間にすぎません。そしてこんどは最も恐ろしい人間となるわけです。そして毎日罪悪を犯すこととなるでしょう。毎日|嘘《うそ》をつくこととなるでしょう。毎日暗夜の仮面をつけることとなるでしょう。毎日自分の汚辱をあなた方に分かつこととなるでしょう。毎日です、しかも私の愛するあなた方に、私の子供たるあなた方に、潔白なるあなた方にです。黙っているのが何でもないことでしょうか。沈黙を守っているのがわけもないことでしょうか。いえ、わけもないことではありません。沈黙が虚偽となることもあります。しかも私の虚偽、私の欺瞞《ぎまん》、私の汚辱、私の怯懦《きょうだ》、私の裏切り、私の罪悪、それを私は一滴一滴と飲み、また吐き出し、また飲み込み、夜中に終えてはまた昼に始め、そして私の朝の挨拶《あいさつ》も偽りとなり、晩の挨拶も偽りとなり、その虚偽の上に眠り、その虚偽をパンと共に食い、しかもコゼットと顔を合わせ、天使のほほえみに地獄の者のほほえみで答え、忌むべき瞞着者《まんちゃくしゃ》となるわけです。幸福になるにはどうしたらいいでしょうか。ああこの私が幸福になるには! そもそも私に幸福になる権利があるのでしょうか。私は人生の外にいる者です。」
 ジャン・ヴァルジャンは言葉を切った。マリユスは耳を傾けていた。かかる一連の思想と苦悶《くもん》との声は決して中断するものではない。ジャン・ヴァルジャンは再び声を低めたが、こんどはもう単に鈍い声ではなくて凄惨《せいさん》な声だった。
「なぜそんなことを言うのかとあなたは尋ねなさる。告発されても捜索されても追跡されてもいないではないかと、あなたは言われる。ところが事実私は告発されてるのです。捜索され、追跡されてるのです。だれからかと言えば、私自身からです。私の行く手をさえぎる者は私自身です。私は自分を引きつれ、自分を突き出し、自分を捕縛し、自分を処刑しています。人は自分自身を捕える時ほど、しかと捕えることはないものです。」
 そして彼は自分の上衣をぐっとつかんで、それをマリユスの方へ引っ張った。
「この拳《こぶし》をごらん下さい。」と彼は言い続けた。「この拳は襟《えり》をつかんでどうしても放さないようには見えませんか。ところでこれと同じも一つの拳があります。すなわち良心です。人は幸福でありたいと欲するならば、決して義務ということを了解してはいけません。なぜなら、一度義務を了解すると、義務はもう一歩も曲げないからです。あたかも了解したために罰を受けるがようにも見えます。しかし実はそうではありません。かえって報われるものです。なぜなら、義務は人を地獄の中につき入れますが、そこで人は自分のそばに神を感ずるからです。人は自分の内臓《はらわた》を引き裂くと、自分自身に対して心を安んじ得るものです。」
 そして更に痛切な音調で、彼は言い添えた。
「ポンメルシーさん、これは常識をはずれたことかも知れませんが、しかし私は正直な男です。私はあなたの目には低く堕《お》ちながら、自分の目には高く上るのです。前にも一度そういうことがありましたが、こんどほど苦しいものではありませんでした。何でもないことでした。そう、私はひとりの正直な男です。しかし私の誤ったやり方のために、もしあなたがなお続けて私を重んずるようなことになれば、私はもう正直ではなくなります。ところが今あなたは私を賤《いや》しんでいられるから、私は正直な男と言えるのです。私は一つの宿命を担《にな》っていまして、人の尊敬はただ盗んでしか得られないのですが、そういう尊敬はかえって私をはずかしめ私の内心を苦しめます。そして自ら自分を尊敬するには、人から賤しまれなければいけないのです。その時私は始めてまっすぐに立てます。私は自分の良心に服従してる一徒刑囚です。他に類もないことだとは自分でも知っています。しかしどうしたらいいのでしょう。それが事実です。私は自分自身に対して約束をしています。それを守るだけです。生涯のうちには身を縛られるようなことに出会いもすれば、義務のうちに引きずり込まれるような機会に会うこともあります。おわかりでしょう、ポンメルシーさん、私の生涯にはいろいろなことが起こったのです。」
 ジャン・ヴァルジャンはまた言葉を切りながら、自分の言葉の後口がいかにも苦《にが》いかのようにようやく唾《つば》をのみ込んで、また続けた。
「そういう嫌悪《けんお》すべきものを身に担っている場合、人はそれをひそかに他人へ分かち与えてはいけません、自分の疫病を他人に伝染さしてはいけません、気づかれないようにして他人を自分の深みへ引きずり込んではいけません、他人にまでも自分の赤い着物をまとわせてはいけません、狡猾《こうかつ》なやり方をして自分のみじめさで他人の幸福を妨げてはいけません。聖《きよ》い人々に近寄って、目に見えない自分の膿《うみ》をひそかに他人になすること、それは忌むべきことです。フォーシュルヴァンは私にその名前を貸してくれはしましたが、私にはそれを用うる権利はありません。彼は私にその名前を与えることもできましたが、私はそれを取ることができませんでした。一つの名前はすなわち一つの自己です。ところで私はひとりの田舎者にすぎませんが、このとおり少しは考えもし、少しは書物も読みました。そして物事のわきまえもあります。このとおり相当に自分の意見も表白できます。私は自分で自分を教育しました。そう確かに、他人の名前を盗み取ってその下に身を置くのは、不正直なことです。アルファベットの文字は、金入れや時計のように騙《かた》り取ることもできます。しかし、肉と骨とをそなえた偽りの名前となり、生きた偽りの鍵《かぎ》となり、錠前をこじあけて正直な人の家にはいり込み、決してまっすぐに物を見ず、いつも偸《ぬす》み見ばかりをし、自分の内部に汚辱をいだいていることは、どうして、どうして、どうして! それよりもむしろ、苦しみもだえ、血をしぼり、涙を流し、爪《つめ》で肉体をかきむしり、悩みにもだえて夜を過ごし、自分の心身を自ら食いつくす方が、よほどまさっています。そういうわけで、私はすべてをあなたに話しに参ったのです。おっしゃるとおり自ら好んでです。」
 彼は苦しい息をついて、最後の言葉を投げつけた。
「昔私は生きるために、一片のパンを盗みました。そして今日私は、生きるために一つの名前を盗みたくはありません。」
「生きるため!」とマリユスは言葉をはさんだ。「生きるためにその名前があなたに必要なわけはないでしょう。」
「ああ、あなたの言われる意味はよくわかります。」とジャン・ヴァルジャンは答えながら、幾度も続けて頭をゆるく上げ下げした。
 それから沈黙が落ちてきた。ふたりとも黙り込んで、深く考えの淵《ふち》に沈んでしまった。マリユスはテーブルのそばにすわり、折り曲げた指の一本の上に口の角をもたせていた。ジャン・ヴァルジャンは歩き回っていた。そして彼は鏡の前に立ち止まり、そこにじっとたたずんだ。それから、映ってる自分の姿も目に入れないで鏡の面をながめながら、あたかも内心の推理に答えるかのように言った。
「でも、これで私は気が安らいだ!」
 彼はまた歩き出して、室《へや》の先端まで行った。そして向き返ろうとした時、マリユスが自分の歩いてるのをながめているのに気づいた。その時彼は、名状し難い調子でマリユスに言った。
「私の足は少し引きずり加減になっています。その理由ももうおわかりでしょう。」
 それから彼はマリユスの方へすっかり向き直った。
「ところで、まあ仮りにこうなったとしたらどうでしょう、私が何にも言わず、フォーシュルヴァン氏となっており、あなたの家にはいり込み、あなたの家庭のひとりとなり、自分の室をもらい、毎朝楽しく食事をし、晩は三人で芝居に行き、私はテュイルリーの園やロアイヤル広場にポンメルシー夫人の伴をし、皆いっしょに暮らし、私も人並みの人間と思われているとします。しかるにある日、私もそこにおり、あなた方もそこにおられ、いっしょに話をし笑い合っている時に、突然ジャン・ヴァルジャンと叫ぶ声が聞こえ、警察の恐ろしい手が陰から現われてき、私の仮面をにわかにはぎ取るとします!」
 彼はまた口をつぐんだ。マリユスは慄然《りつぜん》として立ち上がっていた。ジャン・ヴァルジャンは言った。
「それをあなたはどう思われます?」
 マリユスは沈黙をもってそれに答えた。
 ジャン・ヴァルジャンは続けて言った。
「私は黙っていない方が正しいと、あなたにもよくおわかりでしょう。でどうか、あなたは幸福で、天にあって、ひとりの天使をまもる天使となり、日の光の中に住み、それに満足して下さい。そして、ひとりのあわれな罪人が、自分の胸を開いて義務をつくすために取った手段については、心をわずらわさないで下さい。今あなたの前に立ってるのはひとりのみじめな男です。」
 マリユスは静かに室《へや》を横切り、ジャン・ヴァルジャンのそばにきて、彼に手を差し出した。
 しかしマリユスは相手が手を出さないので、進んでそれを取らなければならなかった。ジャン・ヴァルジャンはなされるままに任した。マリユスはあたかも、大理石の手を握りしめたような気がした。
「私の祖父にはいくらも親しい人がいます。」とマリユスは言った。「あなたの赦免を得るように努めてみましょう。」
「それはむだなことです。」とジャン・ヴァルジャンは答えた。「私は死んだ者と思われています。それで充分です。死んだ者は監視を免れています。静かに腐蝕してると見|做《な》されています。死は赦免と同じことです。」
 そしてマリユスに握られていた手を放しながら、犯すべからざる威厳をもって言い添えた。
「その上、義務を果たすことは、頼りになる友を得ると同じです。私はただ一つの赦免をしか必要としません、すなわち自分の良心の赦免です。」
 その時、客間の他の一端にある扉《とびら》が少し静かに開いて、その間からコゼットの頭が現われた。こちらからはそのやさしい顔だけしか見えなかった。髪はみごとに乱れており、眼瞼《まぶた》はまだ眠りの気にふくらんでいた。彼女は巣から頭を差し出す小鳥のような様子で、最初に夫《おっと》をながめ、次にジャン・ヴァルジャンをながめ、そして薔薇《ばら》の花の奥にあるほほえみかと思われるような笑顔をして、彼らに言葉をかけた。
「政治の話をしていらっしゃるのね、私をのけものにして何ということでしょう!」
 ジャン・ヴァルジャンは身を震わした。
「コゼット!」とマリユスはつぶやいた。そしてそのまま口をつぐんだ。あたかも彼らふたりは罪人ででもあるかのようだった。
 コゼットは光り輝いて、なおふたりをかわるがわる見比べていた。その日の中には、楽園の反映があるかと思われた。
「実際の所をつかまえたのよ。」とコゼットは言った。「フォーシュルヴァンお父様が、良心だの義務を果たすだのとおっしゃってるのを、私は扉《と》の外から聞いたんですもの。それは政治のことでしょう。いやよ。すぐ翌日から政治の話をするなんていけないことよ。」
「そうではないんだよ、コゼット。」とマリユスは答えた。「僕たちは用談をしている。お前の六十万フランをどこに預けたら一番いいか話し合って……。」
「いえ、そんなことではないわ。」とコゼットはそれをさえぎった。「私もはいって行ってよ。私が参ってもいいでしょう。」
 彼女は思い切って扉から出て、客間の中にはいってきた。たくさんの襞《ひだ》と大きな袖《そで》のあるまっ白な広い化粧着をつけて、それを首から足先まで引きずっていた。古いゴチックの画面には天使のまとうそういう美しい長衣が黄金色の空に描いてある。
 コゼットは大鏡に映して自分の姿を頭から足先までながめ、それから言い難い喜びにあふれて叫んだ。
「むかし王様と女王様とがおられました、というお噺《はなし》のようだわ。私ほんとにうれしいこと!」
 そう言って彼女は、マリユスとジャン・ヴァルジャンとに会釈した。
「さあ私は、」と彼女は言った、「あなた方のそばの肱掛《ひじか》け椅子《いす》にすわっていますわ。もう三十分もすれば御飯なのよ。何でも好きなことを話しなさるがいいわ。男の方って話をしずにはいられないものね。私おとなしくしていますわ。」
 マリユスは彼女の腕を取って、やさしく言った。
「僕たちは用談をしているのだからね。」
「あそうそう、」とコゼットはそれに答えて言った、「私窓をあけたら、庭にたくさんピエロ([#ここから割り注]訳者注 雀の俗称[#ここで割り注終わり])がきていましたわ。小鳥の方のよ、仮装のではないのよ。今日は灰の水曜日([#ここから割り注]四旬節第一日[#ここで割り注終わり])でしょう。でも小鳥には大斎日もないのね。」
「僕たちは用談をしているんだから、ねえ、コゼット、ちょっと向こうへ行ってておくれ。数字のことだからお前は退屈するに違いない。」
「まああなたは、今朝《けさ》きれいな襟飾《えりかざ》りを[#「きれいな襟飾《えりかざ》りを」は底本では「きれいな襟飾《えりかざ》を」]していらっしゃるのね。ほんとにおしゃれだこと。いえ、数字でも私は退屈しませんわ。」
「きっと退屈するよ。」
「いいえ。なぜって、あなたのお話ですもの。よくはわからないか知れないけれど、おとなしく聞いていますわ。好きな人の声を聞いておれば、その意味はわからなくてもいいんですもの。ただ私はいっしょにいたいのよ。あなたといっしょにいますわ、ねえ。」
「大事なお前のことだけれど、それはいけないんだ。」
「いけないんですって!」
「ああ。」
「よござんすわ。」とコゼットは言った。「いろんなお話があるんだけれど。お祖父様《じいさま》はまだお起きになっていません。伯母様《おばさま》は弥撒《みさ》に参られました。フォーシュルヴァンお父様の室《へや》では、暖炉から煙が出ています。ニコレットは煙筒掃除人を呼びにやりました。トゥーサンとニコレットとはもう喧嘩《けんか》をしました。ニコレットがトゥーサンの吃《ども》りをからかったんです。でも何にもあなたには話してあげないわ。いけないんですって? では私の方でも、覚えていらっしゃい、いけないと言ってあげるわ。どちらが降参するでしょうか。ねえ、マリユス、私もあなたたちおふたりといっしょにここにいさして下さいな。」
「いや、是非ともふたりきりでなければいけないのだ。」
「では私はほかの者だとおっしゃるの?」
 ジャン・ヴァルジャンはそれまで一言も発しなかった。コゼットは彼の方を向いた。
「まずお父様、私はあなたに接吻《せっぷん》していただきたいわ。私の加勢もしず何ともおっしゃらないのは、どうなすったんです。そんなお父様ってあるものでしょうか。このとおり私は家庭の中でごく不幸ですの。夫《おっと》が私をいじめます。さあすぐに私を接吻して下さいな。」
 ジャン・ヴァルジャンは近寄った。
 コゼットはマリユスの方を向いた。
「私はあなたはいや。」
 それから彼女はジャン・ヴァルジャンに額を差し出した。
 ジャン・ヴァルジャンは一歩進み寄った。
 コゼットは退った。
「お父様、まあお顔の色が悪いこと。お手が痛みますの。」
「それはもうよくなった。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
「よくお眠りにならなかったんですか。」
「いいや。」
「何か悲しいことでもおありになるの。」
「いいや。」
「私を接吻《せっぷん》して下さいな。どこもお悪くなく、よくお眠りになり、御安心していらっしゃるのなら、私何とも小言《こごと》は申しません。」
 そして新たに彼女は額を差し出した。
 ジャン・ヴァルジャンは天の反映の宿ってるその額に脣《くちびる》をあてた。
「笑顔をして下さいな。」
 ジャン・ヴァルジャンはその言に従った。しかしそれは幽霊の微笑のようだった。
「さあ夫《おっと》から私をかばって下さい。」
「コゼット!」とマリユスは言った。
「お父様、怒ってやって下さい。私がいる方がいいと言ってやって下さい。私の前ででもお話はできます。私をばかだと思っていらっしゃるのね。ほんとにおかしいわ、用談だの、金を銀行に預けるだのって、大した御用ですわね。男って何でもないことに勿体《もったい》をつけたがるものね。私ここにいたいんです。私は今朝《けさ》大変きれいでしょう、マリユス、私を見てごらんなさい。」
 そしてかわいい肩を少しそびやかし、ちょっとすねてみた何とも言えない顔をして、彼女はマリユスをながめた。ふたりの間には一種の火花があった。そこに人がいようと少しもかまわなかった。
「僕はお前を愛するよ!」とマリユスは言った。
「私はあなたを慕ってよ!」とコゼットは言った。
 そしてふたりはどうすることもできないでしかと抱き合った。
「もうこれで、私がここにいてもいいでしょう。」とコゼットは勝ち誇ったようにちょっと口をとがらして化粧着の襞《ひだ》をなおしながら言った。
「それはいけない。」とマリユスは哀願するような調子で答えた。「僕たちはまだきまりをつけなければならないことがあるから。」
「まだいけないの?」
 マリユスは厳格な口調で言った。
「コゼット、どうしてもいけないのだ。」
「ああ、あなたは太い声をなさるのね。いいわ、行ってしまいます。お父様も私を助けて下さらないのね。お父様もあなたも、ふたりともあまり圧制です。お祖父様《じいさま》に言いつけてあげます。私がまたじきに戻ってきてつまらないことをするとお思いなすっては、まちがいですよ。私だって矜《ほこ》りは持っています。こんどはあなた方《がた》の方からいらっしゃるがいいわ。私がいなけりゃあなた方の方で退屈なさるから、見ててごらんなさい。私は行ってしまいます、ようございます。」
 そして彼女は出て行った。
 二、三秒たつと、扉《とびら》はまた開いて、彼女の鮮麗な顔が扉《とびら》の間からも一度現われた。彼女はふたりに叫んだ。
「ほんとに怒っていますよ。」
 扉は再び閉ざされ、室《へや》の中は影のようになった。
 彼女が現われたのは、あたかも道に迷った太陽の光が、自ら気づかないで突然|闇夜《やみよ》を過《よ》ぎったがようなものだった。
 マリユスは扉が固く閉ざされたのを確かめた。
「かわいそうに!」と彼はつぶやいた、「コゼットがやがて知ったら……。」
 その一言にジャン・ヴァルジャンは全身を震わした。彼は昏迷《こんめい》した目でマリユスを見つめた。
「コゼット! そう、なるほどあなたはコゼットに話されるつもりでしょう。ごもっともです。だが私はそのことを考えていませんでした。人は一つの事には強くても、他の事にはそうゆかない場合があります。私はあなたに懇願します、哀願します、どうか誓って下さい、彼女には言わないと。あなたが、あなただけが、知っている、というので充分ではないでしょうか。私は他から強《し》いられなくとも自らそれを言うことができました。宇宙に向かっても、世界中に向かっても、公言し得るでしょう。私には結局どうでもいいことです。しかし彼女は、彼女には、それがどんなことだかわかりますまい。どんなにおびえるでしょう。徒刑囚、それが何であるかも説明してやらなければなりますまい。徒刑場にはいっていた者のことだ、とも言ってやらなければなりますまい。彼女は、かつて一鎖《ひとくさり》の囚人らが通るのを見たことがあります。ああ!」
 彼は肱掛《ひじか》け椅子《いす》に倒れかかり、両手で顔をおおうた。声は聞こえなかったが、肩の震えを見れば、泣いてるのが明らかだった。沈黙の涕泣《ていきゅう》、痛烈な涕泣だった。
 むせび泣きのうちには息のできないことがある。彼は一種の痙攣《けいれん》にとらえられ、息をするためのように椅子の背に身を反《そ》らせ、両腕をたれ、涙にぬれた顔をマリユスの前にさらした。そしてマリユスは、底のない深みに沈んでるかと思われる声で、彼が低くつぶやくのを耳にした。
「おお死にたい!」
「御安心なさい、」とマリユスは言った、「あなたの秘密は私だけでだれにももらしません。」
 そしてマリユスは、おそらく読者が想像するほど心を動かされてはいなかったであろうが、一時間ばかり前から意外な恐ろしいことにもなれてこざるを得なかったし、目の前で一徒刑囚の姿が徐々にフォーシュルヴァン氏の姿に重なってくるのを見、痛むべき現実にしだいにとらえられ、その場合の自然の傾向として、相手と自分との間にできたへだたりを認めざるを得ないようになって、こう言い添えた。
「私は、あなたが忠実にまた正直に返して下すった委託金について、一言も言わないではおられないような気がします。それは実に清廉な行ないです。あなたはその報酬を受けられるのが正当です。どうかあなたから金額を定めて下さい、それだけ差し上げますから。いかほど多くとも御遠慮にはおよびません。」
「御親切は感謝します。」とジャン・ヴァルジャンは穏やかに答えた。
 彼はしばらく考え込んで、人差し指で親指の爪《つめ》を機械的にこすっていたが、やがて口を開いた。
「もうほとんど万事すんだようです。そして最後にも一つ残っていますが……。」
「何ですか。」
 ジャン・ヴァルジャンはこれを最後というように躊躇《ちゅうちょ》しながら、声という声も出さず、ほとんど息もしないで、言った、というよりむしろ口ごもった。
「すべてを知られた今となっては、御主人としてあなたは、私がもうコゼットに会ってはいけないとお考えになるでしょうか。」
「その方がいいだろうと思います。」とマリユスは冷ややかに答えた。
「ではもう会いますまい。」とジャン・ヴァルジャンはつぶやいた。
 そして彼は扉《とびら》の方へ進んでいった。
 彼はとっ手に手をかけ、閂子《かんぬき》ははずれ、扉は少し開いた。ジャン・ヴァルジャンは通れるくらいにそれを開き、ちょっと立ち止まり、それからまた扉をしめて、マリユスの方へ向き直った。
 彼はもう青ざめてるのではなく、ほとんど色を失っていた。目にはもう涙もなく、ただ悲壮な一種の炎が宿っていた。その声は再び不思議にも落ち着いていた。
「ですが、」と彼は言った、「もしおよろしければ、私は彼女に会いにきたいのです。私は実際それを非常に望んでいます。もしコゼットに会いたくないのでしたら、あなたにこんな自白はしないで、すぐにどこかへ行ってしまったはずです。けれども、コゼットのいる所に留まっており、やはり続けて会いたいと思いますから、すべてを正直にあなたに申さなければならなかったのです。私の考えの筋はおわかりでしょう、容易にわかることです。私は九カ年以上も彼女といっしょにいたのです。私どもは初めは大通りの破家《あばらや》に住み、それから修道院に住み、次にリュクサンブールの近くに住んでいました。あなたが始めて彼女に会われたのはリュクサンブールでですね。彼女の青いペルシの帽を覚えておいでですか。それから私どもは、アンヴァリード街区に行きました。鉄門と庭とのある家です。プリューメ街です。私は小さな後庭の離れに住んでいて、そこからいつも彼女のピアノを聞いていました。それが私の生命でした。私どもは決して別々になったことはありませんでした。九年と何カ月か続いたのです。私は実の親のようであり、彼女は実の娘のようでした。あなたにもよくおわかりかどうか知りませんが、ポンメルシーさん、今立ち去ってしまい、もう彼女に会わず、もう彼女に言葉もかけず、まったく彼女を失ってしまうのは、実にたえ難いことです。もし悪いとお考えになりませんでしたら、私は時々コゼットに会いにきたいのです。たびたびは参りません。長居もいたしません。表の小さな室《へや》にきめていただいてもよろしいです。階下《した》の室ででもよろしいです。召し使い用の裏門から出入りしてもかまいません。しかしそれではかえって怪しまれましょう。やはり普通の表門からはいった方がよろしいでしょう。まったくのところ私は、なおコゼットに会いたいのです。どんなにまれにでもよろしいです。私の地位になって考えて下さい。私はそれ以外に何の望みもありません。それにまたもちろん用心もしなければなりません。私がまったくこなくなれば、かえって悪いことになり、人から不思議に思われるでしょう。で最も都合よくするには、夕方参った方がいいでしょう、夜になろうとする頃。」
「毎晩こられてもよろしいです。」とマリユスは言った。「コゼットにお待ちさせます。」
「御親切はありがたく思います。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 マリユスはジャン・ヴァルジャンにお辞儀をし、幸福は絶望を扉《とびら》の所まで送り出し、そしてふたりは別れた。

     二 語られし秘密の中の影

 マリユスの心は転倒してしまった。
 コゼットのそばについてるその男に対して、彼がいつも感じていた一種のへだたりは、今や彼にも了解できた。その男の身には何となく謎《なぞ》のような趣があって、彼は本能からそれに気づいていたのである。謎というのは、最も忌まわしい汚辱、徒刑場だった。あのフォーシュルヴァン氏は徒刑囚ジャン・ヴァルジャンであった。
 幸福の最中に突然そういう秘密を知ることは、あたかも鳩《はと》の巣の中に蠍《さそり》を見いだすがようなものだった。
 マリユスとコゼットとの幸福は、今後かかるものと隣《となり》しなければならないように定められていたのか。それはもう動かし難い事実だったのか。成立した結婚の一部としてその男を受け入れなければならなかったのか。もはやいかんともする道はなかったのか。
 マリユスは徒刑囚ともまた離れ難い関係となったのか。
 いかに光明や喜悦の冠をいただこうとも、人生の紅の時期を、幸福な愛を、いかに味わおうとも、それを忍ぶことができようか。かかる打撃は、恍惚《こうこつ》たる大天使をも、光栄に包まれたる半神をも、必ずや戦慄《せんりつ》させるであろう。
 かかる限界の激変の常として、マリユスは自ら責むべき点はないかを顧みてみた。洞察《どうさつ》の明を欠いてはいなかったか。注意の慎重さを欠いてはいなかったか。いつとなくうっかりしてはいなかったか。おそらく多少その気味があったかも知れない。ついにコゼットとの結婚に終わったその恋愛事件のうちに、まず周囲のことを明らかにしないで、不注意にふみ込んでゆきはしなかったか。およそ吾人が生活から少しずつ改善されてゆくのは、吾人が自ら自身に対してなす一連の認定によってであるが、彼も今、自分の性質の空想夢幻的な一面を自認した。そういう一面は、多くの者が有する一種の内心の雲であって、熱情や悲哀の激発のうちにひろがってゆき、魂の気温に従って変化し、その人全体を侵し、その本心を霧に包んでしまうものである。われわれは前にしばしば、マリユスの個性のこの独特な要素を指摘しておいた。マリユスは今になってようやく思い起こした、自分の恋に酔いながらプリューメ街で、無我夢中になっていた六、七週間の間、あのゴルボーの破家《あばらや》における活劇のことを、争闘の間沈黙していて次に逃げ出すという不思議な行動を被害者が取ったあの活劇のことを、コゼットに一口も語らなかったのを。その事件を少しもコゼットに話さなかったというのは、どうしたことだろうか。ごく最近のことだったのに! テナルディエという名前をさえ口外しなかったのは、ことにエポニーヌに会った日でさえ口をつぐんでいたのはどうしたことだったろうか。今となってみれば、彼はその当時の自分の沈黙をほとんど自ら説明に苦しむほどだった。けれどもいろいろ理由も考えられた。自分のそそっかしいこと、コゼットに酔ってしまっていたこと、すべてが恋にのみつくされていたこと、互いに理想の天地に舞い上がっていたこと、またおそらく、その激越な楽しい心の状態にほとんどわからぬくらいの理性が交じっていて、ために漠然《ばくぜん》たる鋭い本能から、あの触れることを恐れていた恐怖すべき事件について、何らの役目もつとめたくなく、ただのがれようとばかり欲していて、その話をしまたは証人となるには同時に告訴者とならざるを得ない地位に自分が立ってるあの事件を、記憶のうちに隠して堙滅《いんめつ》さしてしまおうとしていたこと。それにまた、その数週間は電光のようであって、ただ愛し合うのほか何の余裕もなかった。それからまた、すべてを考量し、すべてをひっくり返してみ、すべてを調べて、ゴルボー屋敷の待ち伏せのことをコゼットに話し、テナルディエという名前を彼女に言ったところで、その結果はどうなったろうか。ジャン・ヴァルジャンが徒刑囚であることを発見したところで、彼マリユスの心が変わり、またコゼットの心が変わったであろうか。それで彼は退いたであろうか。彼女を愛しなくなったであろうか。彼女と結婚しなくなったであろうか。否。何かが今と違うようになったであろうか。否少しも。それでは何も後悔し、何も自責することはなかったではないか。すべていいようになったのだ。恋人と呼ばるる酩酊者《めいていしゃ》にとっては一つの神があるものである。マリユスは盲目でありながら、洞察《どうさつ》の明をそなえていたのと少しも変わらない道をたどったのである。恋は彼の目をおおっていた。しかしそれはどこへ導かんがためにか。楽園へ導かんがためにではなかったか。
 しかし今後は、その楽園は傍《かたわら》に地獄を引き連れてゆくことになったのである。
 あの男に対して、ジャン・ヴァルジャンとなったフォーシュルヴァンに対して、元からマリユスがいだいていたへだたりの感じは、今は嫌悪《けんお》の情を交じうるに至った。
 あえて言うが、その嫌悪の情の中にはまた、あわれみの念があり、ある驚きの念さえも含まれていた。
 その盗人は、その再犯の盗人は、委託金をそのまま返した。しかもいくらであるかと言えば、実に六十万フランである。彼ひとりしかその秘密を知ってる者はなかった。そしてすべてを自分のものとなし得るのだった。しかも彼はそっくり返してしまった。
 その上、彼は自ら進んで身分を打ち明けた。しかも何からも強いられたのではない。彼がいかなる者であるかを人に知られたとすれば、それは彼自身の言葉によってである。その自白はただに屈辱を甘受するばかりではなく、また危険をも甘受するものであった。罪人にとっては、仮面は単なる仮面でなく、また一つの避難所である。彼はその避難所を自ら捨ててしまった。偽名は一身の安全を得さするものである。彼はその偽名を自ら投げ捨ててしまった。徒刑囚たる彼も正しい家庭のうちに長く身を隠し得たのであるが、彼は自らその誘惑に抵抗した。そしてそれらはいかなる動機からかと言えば、ただ良心の懸念からである。彼は偽りだとはどうしても思えない強い調子でそれを自ら説明した。要するにこのジャン・ヴァルジャンなる者がいかなる男であったにせよ、確かに目ざめたる一つの良心であった。そこには神秘な再生が始まっていた。そして外からながめたところによれば、彼は既に長い以前から謹直の僕《しもべ》となっていた。かかる正と善との発動は下賤《げせん》な性格者にはあり得べからざることである。良心の覚醒《かくせい》、それは魂の偉大さを示すものである。
 ジャン・ヴァルジャンは誠実であった。その誠実さは、目に見えるものであり、手に触れられるものであり、否定し得べからざるものであり、そのために彼が自ら受けた悲痛の情によっても明らかに知らるるものであって、真実か否かの穿鑿《せんさく》を不用ならしめ、彼が言ったすべてに権威を与えていた。かくてマリユスは不思議な地位にはさまれた。フォーシュルヴァン氏の口から出てくるものは、すべて不誠実であり、ジャン・ヴァルジャンの口から発するものは、すべて誠実であった。
 マリユスは種々考慮してジャン・ヴァルジャンに対する不思議な貸借表を作ってみ、その貸しと借りとを調べ上げ、一つの平均点に達せんとつとめた。しかしそれらはすべてあたかも暴風雨の中にあるがようだった。マリユスはその男に対して明確な観念を得ようとつとめ、言わばジャン・ヴァルジャンの思想の奥底まで見きわめようとしたが、彼の姿はいかんともし難い靄《もや》の中に出没してとらえ難かった。
 正直に返された委託金、誠実になされた告白、それは善良なることであった。それはあたかも雲の中にひらめく光のようなものだった。が次にまた雲は暗くなった。
 マリユスの記憶はいかにも混乱していたが、多少の影は浮かんできた。
 ジョンドレットの陋屋《ろうおく》におけるあの事件は果たしてどういうことであったろうか。警官がきた時、なぜあの男は訴えることをせずに逃げ出してしまったのか。そのことについてはマリユスも答えを見いだし得た。すなわちその男は脱走の身で法廷から処刑されていたからである。
 次に第二の疑問が起こってきた。なぜあの男は防寨《ぼうさい》にやってきたのか。というのは、今やマリユスは炙出《あぶりだ》しインキのように、記憶が激しい情緒のうちに再び現われてくるのを明らかに認めたからである。あの男は防寨にいた。しかも戦ってはいなかった。いったい何をしにきたのであるか。その疑問に対して、一つの幻が浮かんできて答えた、ジャヴェルと。ジャン・ヴァルジャンが縛られてるジャヴェルを防寨の外へ連れてゆくすごい光景を、マリユスは今明らかに思い起こした、そしてモンデトゥール小路の角《かど》の向こうに恐ろしいピストルの音がしたのを、今なお耳にするがように覚えた。おそらくあの間諜《スパイ》とあの徒刑囚との間には、憎悪《ぞうお》の念があったに違いない。互いに邪魔になっていたのであろう。それでジャン・ヴァルジャンは復讐《ふくしゅう》をしに防寨《ぼうさい》へきたのだ。彼は遅くやってきた。たぶんジャヴェルが捕虜になってることを知ってきたのかも知れない。コルシカのいわゆるヴェンデッタ(訳者注 コルシカの閥族間に行なわれる猛烈な復讐)はある種の下層社会にはいりこんで一つの法則となっている。半ば善の方へ向かってる者でもそれを至当だと思うほど普通のことになっている。彼らは悔悟の途中において窃盗は慎むとしても、復讐には躊躇《ちゅうちょ》しない。それでジャン・ヴァルジャンはジャヴェルを殺したのだ。あるいは少なくとも殺したらしい。
 最後になお一つの問題が残っていた。そしてこれには何らの解答も得られなかった。マリユスはあたかも釘抜《くぎぬ》きにはさまれたように感じた。すなわち、ジャン・ヴァルジャンとコゼットとあれほど長く生活を共にしてきたのは、どうしてだったろうか。この少女をあの男といっしょに置いた痛ましい天の戯れは、何の意味だったろうか。天上には二重鍛えの鎖もあるもので、神は天使と悪魔とをつなぎ合わして喜ぶのであろうか。罪悪と潔白とが悲惨の神秘な牢獄《ろうごく》において室《へや》を同じゅうすることもあるのか。人間の宿命と呼ばるる一連の囚徒のうちにおいて、二つの額が、一つは素朴であり、一つは獰猛《どうもう》であり、一つは曙の聖《きよ》い白色に浸り、一つは劫火《ごうか》の反映で永久に青ざめている、二つの額が、相並ぶこともあるのか。その説明し難い配合をだれが決定し得たのか。いかにして、いかなる奇跡によって、この天の少女と地獄の老人との間に共同の生活が立てられたのか。何者が子羊を狼《おおかみ》に結びつけ得たのか。そして更に不可解なことには、何者が狼を子羊に愛着させ得たのか。なぜならば、その狼は子羊を愛していたではないか、凶猛なる者がか弱い者を慕っていたではないか、また九カ年間、天使は怪物によりかかって身をささえていたではないか。コゼットの幼年および青年時代、世の中への顔出し、生命と光明との方への潔《きよ》い生育、それらは皆この不思議な献身によってまもられていたのである。ここに問題は、言わば数限りない謎《なぞ》に分かれ、深淵《しんえん》の下に更に深淵が開けてきて、マリユスはもはや眩暈《げんうん》を感ぜずにはジャン・ヴァルジャンの方をのぞき込むことができなかった。その深淵のごとき男はそもそも何者であったろうか。
 創世紀の古い比喩《ひゆ》は永久に真なるものである。現在のごとき人間の社会には、将来大なる光によって変化されない限り、常に二種の人間が存在する。一つは高きにある者であり、一つは地下にある者である。一つは善に従う者、すなわちアベルであり、一つは悪に従うもの、すなわちカインである。しかるに今、このやさしい心のカインは、そもそもいかなるものであったろうか。処女に対して、敬虔な心を傾けて愛し、彼女を監視し、彼女を育て、彼女をまもり、彼女を敬い、自ら不潔の身でありながら、純潔をもって彼女をおおい包むこの盗賊は、そもそもいかなるものであったろうか。無垢《むく》なる者を尊んで、それに一つの汚点をもつけさせなかったこの汚泥《おでい》は、そもそもいかなるものであったろうか。コゼットを教育したこのジャン・ヴァルジャンは、そもそもいかなるものであったろうか。上りゆく一つの星をしてあらゆる影と雲とを免れさせんとのみつとめた、この暗黒の男は、そもそもいかなるものであったろうか。
 そこにジャン・ヴァルジャンの秘密があった。またそこに神の秘密があった。
 その二重の秘密の前にマリユスはたじろいだ。ある意味において、一つは他を確実ならしめていた。この一事の中に、ジャン・ヴァルジャンの姿とともにまた神の姿も見られた。神はおのれの道具を持っている。神は欲するままの道具を使用する。神は人間に対しては責任を持たない。吾人はいかにして神の意を知り得ようぞ。ジャン・ヴァルジャンはコゼットのために力を尽した。彼はある程度まで彼女の魂を作り上げた。それは争うべからざる事実だった。しかるに、その仕事をした者は恐るべき男であった。しかしなされた仕事はみごとなものであった。神はおのれの心のままに奇跡を行なった。神は麗しいコゼットを作り上げ、その道具としてジャン・ヴァルジャンを使った。神は好んでこの不思議な共同者を選んだ。それはどういうつもりであったかを、吾人は神に尋ぬべきであろうか。肥料が春に手伝って薔薇《ばら》の花を咲かせるのは、別に珍しいことでもないではないか。
 マリユスはそういう答えを自ら与えて、自らそれをよしと思った。上に指摘したあらゆる点に関して、彼はあえてジャン・ヴァルジャンに肉迫してゆかなかった。あえて肉迫し得ないでいるのは自ら気づかなかった。彼はコゼットを鍾愛《しょうあい》し、コゼットを所有し、そしてコゼットは純潔に光り輝いていた。それでもう彼には充分だった。この上いかなる説明を要しようぞ。コゼットは光輝そのものであった。光輝を更に明らかにする要があろうか。マリユスはすべてを持っていた。更に何を望むべきことがあろう。まったく、それで十分ではないか。ジャン・ヴァルジャン一身のことなどは、彼の関することではなかった。その男のいかんともし難い影をのぞき込みながら、彼はそのみじめなる男の荘重な断言にすがりついた。「コゼットに対して私は何の関係がありましょう[#「コゼットに対して私は何の関係がありましょう」に傍点]。十年前までは彼女が世にいることすらも知りませんでした。」
 ジャン・ヴァルジャンはただ通りがかりの者にすぎなかった。それは彼が自ら言ったことである。そして彼は今通りすぎようとしていた。彼がいかなる者であったにせよ、その役目はもう終わっていた。今後コゼットのそばで保護者の役目をする者はマリユスとなっていた。コゼットは蒼天《そうてん》のうちに、自分と似寄った者を、恋人を、夫《おっと》を、天国における男性を、見いだしたのである。翼を得姿を変えたコゼットは、空虚な醜い脱殻たるジャン・ヴァルジャンを、地上に残してきたのだった。
 かくてマリユスは種々考え回したが、いつも終わりには、ジャン・ヴァルジャンに対する一種の恐怖に落ちていった。おそらくそれは聖なる恐怖であったろう。なぜなら彼は、その男のうちに天意的なものを感じていたからである。けれどもとにかく、いかに考えてみても、またいかに事情を酌《く》んでやっても、常にこういう結論に落ちゆかざるを得なかった。すなわち、彼は徒刑囚である。換言すれば、社会の最も下の階段よりも更に下にいて、自分の立つべき階段を有しない者である。最下等の人間の次が、徒刑囚である。徒刑囚は言わば生きた人間の仲間にはいる者ではない。徒刑囚は法律から、およそ奪われ得る限りの人間性を皆奪われた者である。マリユスは民主主義者であったが、刑法上の問題については厳格な社会組織の味方であって、法律に問わるる者に対してはまったく法律と同じ精神で臨んでいた。彼もまだあらゆる進歩をしたとは言えなかった。人間によって書かれたものと神によって書かれたものとを、法律と権利とを、彼はまだ区別し得なかった。人力にて廃しまたは回復し得ざるものをも処断するの権利を人が有するか否かを、少しも精査し考察していなかった。刑罰[#「刑罰」に傍点]という語に少しも反感を持っていなかった。成文律を犯した者が永久の罰を被るのは、きわめて至当なことであると考え、文明の方法として、社会的永罰を承認していた。彼は天性善良であり、根本においては内心の進歩をもなし遂げていたので、必ずや将来更に進んだ考えを持つには違いなかったが、現在においてはまだ右のような地点にしかいなかった。
 そういう思想状態にあったので、彼にはジャン・ヴァルジャンがいかにも醜いいとうべきものに見えた。それは神に見|棄《す》てられたる男だった。徒刑囚だった。この徒刑囚という一語は、彼にとっては、審判のラッパの響きのように思えた。そして長くジャン・ヴァルジャンをながめた後、彼が最後に取った態度は顔をそむけることだった。退け(訳者注 サタンよ退け)であった。
 あえて実際のところを言うならば、マリユスはジャン・ヴァルジャンにいろいろ尋ねて、ついにジャン・ヴァルジャンをして「あなたは私にすべてを打ち明けてくれと言われる」と言わしめた程であったが、それでも重要な二、三の疑問は避けたのだった。それらの疑問が頭に浮かばないではなかったが、彼はそれを尋ねることを恐れた。すなわち、ジョンドレットの陋屋《ろうおく》のこと、防寨《ぼうさい》のこと、ジャヴェルのこと。それらの疑問からはいかなる事実が現われてくるか見当がつかなかった。ジャン・ヴァルジャンは自白を躊躇《ちゅうちょ》するような男とは思われなかった。そしてマリユスは、強《し》いて彼の口を開かせた後、また中途で、彼の口をつぐませたくなるかも知れなかった。ある非常な疑念の場合において、一つの問いを発した後、その答えが恐ろしくなって耳をふさごうとするようなことは、だれにでもあるものである。そういう卑怯《ひきょう》な念は、恋をしてる場合にことによく起こってくる。いとうべき事情を極度に聞きただすのは、賢明なことではない。自分の生命と分かつべからざる方面が必ずや関係してくるような場合には、ことにそうである。ジャン・ヴァルジャンが我を捨ててかかった説明からは、いかなる恐ろしい光が出て来るかわからなかったし、その忌むべき光がコゼットの身にまでおよぶかも知れなかった。その天使の額にも、地獄の光が多少残ってるかも知れなかった。電光の飛沫《ひまつ》もなお雷である。人の宿命にも一種の連帯性があるもので、潔白それ自身といえどもなお、他物をも染める反射の痛ましい法則によって罪悪の印が押されてることがある。最も純潔なるものにも、忌むべきものと隣した反映の跡がなお残ってることがある。正当か不当かは別として、とにかくマリユスは恐れをいだいた。彼は既にあまりあるほどのことを聞かされていた。その上深入りすることよりもむしろ心を転ずることを求めていた。彼は我を忘れて、ジャン・ヴァルジャンに対しては目を閉じながら、コゼットを両腕に抱き去った。
 その男は闇《やみ》夜であった。生きたる恐ろしい闇夜であった。いかにしてその奥底を探ることをなし得よう。闇に向かって問いを発するのは恐怖すべきことである。いかなる答えが出てくるかわかったものではない。そのために曙《あけぼの》までも永久に暗くされるかも知れない。
 そういう精神状態にあったから、以来その男がコゼットと何らかの接触を保つということは、マリユスにとっては思うもたえ難いことだった。自ら躊躇してなし得なかったその恐ろしい問い、動かすべからざる決定的な解決が出て来るかも知れなかったその恐ろしい問い、それをあえて発しなかったことを、彼は今となってほとんど自ら責めた。彼は自分があまりに善良で、あまりにおだやかで、更に言えば、あまりに弱かったのを知った。その弱さのために彼は、不注意な譲歩をするに至ったのである。彼はその感傷に乗ぜられた。彼は誤った。きっぱりと簡単にジャン・ヴァルジャンを拒絶すべきであった。ジャン・ヴァルジャンはむしろ火に与うべき部分であって、彼はそれを切り捨てて自分の家を火災から免れさせるべきであった。彼は自ら自分を恨み、また自分の耳をふさぎ目をふさいで巻き込んでいったその情緒の突然の旋風を恨んだ。彼は自分自身に不満だった。
 今はいかにしたらいいか。ジャン・ヴァルジャンの訪問は彼のはなはだしくいとうところだった。あの男を家に入れて何の役に立つか。どうしたらいいか。そこまで考えてきて彼は迷った。彼はそれ以上掘り下げることを欲せず、それ以上深く考慮することを欲しなかった。彼は自ら自分を測ることを欲しなかった。彼は約束を与えていた、言わるるままに約束してしまった。ジャン・ヴァルジャンは彼の誓約を得ていた。徒刑囚に対しても、否徒刑囚に対してであるからなおさら、約束は守らなければならない。とは言え彼の第一の義務はコゼットに対するものだった。要するに彼は、何よりもまず嫌悪《けんお》の念に揺すられた。
 マリユスは、頭の中にあるあらゆる観念を一々取り上げ、そのたびごとに心を動かされながら、雑然たる全体のことを持ちあぐんだ。その結果深い惑乱に陥った。またその惑乱をコゼットに隠すのは容易なことではなかった。しかし愛は一つの才能である。マリユスはついにそれを隠し遂げた。
 その上彼は、鳩《はと》の白きがように率直であって何らの疑念をもいだいていないコゼットに、それとなくいろいろなことを尋ねてみた。彼女の子供の時のこと、彼女の若い時のこと、それについて彼女と話をしてみた。そしてあの徒刑囚がコゼットに対して、およそあり得る限り善良で慈悲深くりっぱに振る舞ってきたことを、しだいに確認するに至った。マリユスが推察し仮定していたことはすべて事実だった。その気味悪い蕁麻《いらくさ》はこの百合《ゆり》を愛して保護してきたのであった。

    第八編 消えゆく光

     一 下の室《へや》

 翌日、夜になろうとする頃、ジャン・ヴァルジャンはジルノルマン家を表門から訪れた。彼を迎えたのはバスクだった。バスクはちょうど中庭に出ていて、何か言いつけを受けてでもいるがようだった。誰某《だれそれ》さんがこられるから気をつけておいでと召し使いに言うと、ちょうどその人がやってくる、そういうことも時々あるものである。
 バスクはジャン・ヴァルジャンが近寄るのも待たないで、彼に言葉をかけた。
「二階がおよろしいか階下《した》がおよろしいか伺うようにと、男爵様の仰せでございます。」
「階下《した》にしよう。」とジャン・ヴァルジャンは答えた。
 バスクはもとよりきわめて恭《うやうや》しい態度で、低い室の扉《とびら》を開いて、そして言った。「ただ今奥様に申し上げます。」
 ジャン・ヴァルジャンが通されたのは、丸天井のついたじめじめした階下の室で、時々物置きに使われ、街路に面し、赤い板瓦が舗《し》いてあり、鉄格子《てつごうし》のついた窓が一つあるきりで、中は薄暗かった。
 それははたきやブラシや箒《ほうき》でいじめられる室《へや》ではなかった。ほこりは静かに休らっていた。蜘蛛《くも》は何らの迫害も受けないでいた。りっぱな蜘蛛の巣が一つ、まっ黒に大きくひろげられ蠅の死体で飾られて、窓ガラスの上に車輪のようにかかっていた。室は狭くて天井も低く、一隅には空罎《あきびん》が積まれていた。石黄色の胡粉《ごふん》で塗られた壁は、所々大きく剥落《はくらく》していた。奥の方に黒塗りの木の暖炉が一つあって、狭い棚《たな》がついていた。中には火が燃えていた。それは「階下にしよう」というジャン・ヴァルジャンの返事が既に予期されてたことを、明らかに示すものだった。
 二つの肱掛《ひじか》け椅子《いす》が暖炉の両すみに置かれていた。椅子の間には、毛よりも糸目の方がよけいに見えてる古い寝台敷きが、絨毯《じゅうたん》の代わりにひろげられていた。
 室の中は暖炉の火の輝きと窓からさす薄明りとで照らされてるのみだった。
 ジャン・ヴァルジャンは疲れていた。数日来食も取らず眠ってもいなかった。彼は肱掛け椅子の一つに身を落とした。
 バスクが戻ってきて、点火《とも》した蝋燭《ろうそく》を一本暖炉の上に置き、また出て行った。ジャン・ヴァルジャンは首をたれ、頤《あご》を胸に埋めて、バスクにも蝋燭にも目を向けなかった。
 突然彼は飛び上がるようにして身を起こした。コゼットが彼のうしろに立っていた。
 彼は彼女がはいってくるのを見はしなかったが、その気配《けはい》を感じたのだった。
 彼は振り向いて彼女をながめた。彼女はいかにもあでやかな美しさだった。しかし彼がその深い眼眸《ひとみ》でながめたのは、その美ではなくて魂であった。
「まあ、」とコゼットは叫んだ、「何というお考えでしょう! お父様、私あなたが変わったお方だとは知っていましたが、こんなことをなさろうとは思いもよりませんでしたわ。ここで私に会いたいとおっしゃるのだと、マリユスが申すのですよ。」
「そう、私から願ったことだ。」
「そうおっしゃるだろうと思っていました。ようございます。仕返しをしてあげますから。でもまあ最初のことからしましょう。お父様、私を接吻して下さいな。」
 そして彼女は頬《ほお》を差し出した。
 ジャン・ヴァルジャンは不動のままでいた。
「お動きなさいませんのね。わかりますよ。罪人のようですわ。でもとにかく許してあげます。イエス・キリストも言われました、他の頬をもめぐらしてこれに向けよと。さあここにございます。」
 そして彼女は他の頬を差し出した。
 ジャン・ヴァルジャンは身動きもしなかった。あたかもその足は床に釘《くぎ》付けにされてるがようだった。
「本気でそうしていらっしゃるの。」とコゼットは言った。「私あなたに何かしましたかしら。ほんとに困ってしまいますわ。私あなたに貸しがありますのよ。今日は私どもといっしょに御飯を召し上がって下さらなければいけません。」
「食事は済んでいる。」
「嘘《うそ》ですわ。私ジルノルマン様にあなたをしかっていただきますよ。お祖父様《じいさま》ならお父様を少したしなめることができます。さあ、私といっしょに客間にいらっしゃいよ、すぐに。」
「いけない。」
 それでコゼットは多少地歩を失った。彼女は上手《うわて》に出るのをやめて、こんどはいろいろ尋ねるようになった。
「どうしてでしょう! 私に会うのに家で一番きたない室《へや》をお望みなさるなんて。ここはほんとにひどいではありませんか。」
「お前も知っ……。」
 ジャン・ヴァルジャンは言い直した。
「奥さんも御存じのとおり、私は変人だ、私にはいろいろ変わった癖がある。」
 コゼットは小さな両手をたたいた。
「奥さん! 御存じのとおり!……それもまた変だわ。どういうわけでしょう?」
 ジャン・ヴァルジャンは時々ごまかしにやる例の悲痛なほほえみを彼女に向けた。
「あなたは奥さんになることを望んだ。そして今奥さんになっている。」
「でもあなたに対してはそうではありませんわ、お父様。」
「もう私を父と呼んではいけない。」
「まあ何をおっしゃるの?」
「私をジャンさんと呼ばなければいけない、あるいはジャンでもいい。」
「もう父ではないんですって、私はもうコゼットではないんですって、ジャンさんですって。いったいどうしてでしょう。大変な変わりようではありませんか。何か起こったのですか。まあ私の顔を少し見て下さいな。あなたは私どもといっしょに住むのをおきらいなさるのね。私の室をおきらいなさるのね。私あなたに何をしまして! 何をしましたでしょう。何かあるのでございましょう。」
「いや何にも。」
「それで?」
「いつもと少しも変わりはない。」
「ではなぜ名前をお変えなさるの。」
「あなたも変えている。」
 彼はまた微笑をして言い添えた。
「あなたはポンメルシー夫人となっているし、私はジャンさんとなっても不思議ではない。」
「私にはわけがわかりませんわ。何だかばかげてるわ。あなたをジャンさんと言ってよいか夫《おっと》に聞いてみましょう。きっと許してはくれないでしょう。あなたはほんとに、大変私に心配をさせなさいますのね。いくら変わった癖があるからといって、この小さなコゼットを苦しめてはいけません。悪いことですわ。あなたは親切な方だから、意地悪をなすってはいけません。」
 彼は答えなかった。
 彼女は急に彼の両手を取り、拒む間を与えずそれを自分の顔の方へ持ち上げ、頤《あご》の下の首元に押しあてた。それは深い愛情を示す所作だった。
「どうか、」と彼女は言った、「親切にして下さいな。」
 そして彼女は言い進んだ。
「私が親切というのはこういうことですわ。意地っ張りをなさらないで、ここにきてお住みになって、またちょいちょいいっしょに散歩して下すって、プリューメ街のようにここにも小鳥がいますから、私どもといっしょにお暮らしなすって、オンム・アルメ街のひどい家をお引き払いになり、私たちにいろんな謎《なぞ》みたいなことをなさらず、普通のとおりにしていらっして、私どもといっしょに晩餐《ばんさん》もなされば、私どもといっしょに昼御飯もお食べになり、私のお父様になって下さることですわ。」
 彼は取られた手を離した。
「あなたにはもう父はいらない、夫《おっと》があるから。」
 コゼットは少し気を悪くした。
「私に父がいらないんですって! そんな無茶なことをおっしゃるなら、もう申し上げる言葉もありません。」
「トゥーサンだったら、」とジャン・ヴァルジャンは考えの拠《よ》り所を求めて何でも手当たりしだいにつかもうとしてるかのように言った、「私にはまったくいつも自己一流のやり方があることを、一番に認めてくれるだろう。何も変わったことが起こったのではない。私はいつも自分の薄暗い片すみを好んでいた。」
「でもここは寒うございます。物もよく見えません。そしてジャンさんと言ってくれとおっしゃるのも、あまりひどすぎます。私にあなたなんておっしゃるのもいやです。」
「ところで、さっきここへ来る途中、」とジャン・ヴァルジャンはそれに答えて言った、「サン・ルイ街で私の目についた道具が一つある。道具屋の店先に置いてあった。私がもしきれいな女だったらあの道具をほしがったに違いない。ごくりっぱにできてる新式の化粧台だった。たしかあなたが薔薇《ばら》の木と言っていたあの道具だった。篏木細工《はめきざいく》も施してあった。鏡もかなり大きかった。引き出しもいくつかついていた。実にきれいなものだった。」
「ほんとに人をばかにしていらっしゃるわ!」とコゼットは答え返した。
 そしてこの上もないかわいい様子で、歯をくいしばり、脣《くちびる》を開いて、ジャン・ヴァルジャンに息を吹きかけた。それは猫のまねをした美の女神だった。
「私はもう腹が立ってなりません。」と彼女は言った。「昨日《きのう》から、みんなで私にひどいことばかりなさるんですもの。私はほんとに怒っています[#「怒っています」は底本では「恐っています」]。私にはわけがわかりません。マリユスが何か言ってもあなたは私をかばって下さらないし、あなたが何かおっしゃってもマリユスは私の味方になってくれません。私はひとりぽっちです。私はおとなしく室《へや》まで用意しています。もし神様にでもはいっていただけるのでしたら、ほんとに喜んでお入れしたいくらいです。だれもその室にはいって下さる人もありません。室の借り手がないので私は破産してしまいます。ニコレットに少しごちそうのしたくをさしても、どなたも食べて下さいません。そして私のフォーシュルヴァンお父様はジャンさんと言えとおっしゃるし、また、壁には髯《ひげ》がはえていて、玻璃器《はりき》の代わりには空罎《あきびん》が並んでおり、窓掛けの代わりには蜘蛛の巣が張っているような、恐ろしい古いきたないじめじめした窖《あなぐら》のような所で、私に会ってくれとおっしゃるんですもの。あなたが一風変わった方だとは私も承知しています。あなたのいつものことですから。けれども結婚したばかりの者には、少し気を休ませてやるものですわ。あとでまたすぐに変わったこともできるではありませんか。あなたはあのオンム・アルメ街のひどい家がいいとおっしゃいますの。私はもういやでたまりません。いったい私に何を怒っていらっしゃいますの。私心配でなりませんわ。ああ!」
 そして急にまじめになって、彼女はジャン・ヴァルジャンをじっと見つめ、こう言い添えた。
「あなたは、私が幸福であるのをおもしろく思っていらっしゃらないんですか。」
 無邪気も時には自ら知らないで深くつき込むことがある。右の疑問は、コゼットにとってはごく単純なものだったが、ジャン・ヴァルジャンにとっては深くつき込んだものだった。コゼットはちょっとひっかくつもりだったが、実は深い傷を相手に与えた。
 ジャン・ヴァルジャンは顔色を変えた。彼はしばらく返事もせずにじっとしていたが、次に自ら自分に話しかけるような何とも言えない調子でつぶやいた。
「その幸福は私の生涯の目的であった。今神は私が去るべきを示して下さる。コゼット、お前は幸福だ。私の日は終わったのだ。」
「ああお前と呼んで下すったのね!」とコゼットは叫んだ。
 そして彼女は彼の首に飛びついた。
 ジャン・ヴァルジャンは我を忘れて、彼女を惘然《ぼうぜん》と自分の胸に抱きしめた。彼はほとんど彼女をまた取り戻したような心地になった。
「ありがとう、お父様。」とコゼットは言った。
 その感情の誘惑はジャン・ヴァルジャンにとって痛烈なものとなり始めた。彼は静かにコゼットの腕から身を退け、そして帽子を取り上げた。
「どうなさるの。」とコゼットは言った。
 ジャン・ヴァルジャンは答えた。
「奥さん、お別れします。皆様が待っていられましょうから。」
 そして扉《とびら》の閾《しきい》の上で彼は言い添えた。
「私はあなたにお前と言いました。しかしもうこれからそんなことはしないと御主人に申し上げて下さい。ごめん下さい。」
 ジャン・ヴァルジャンはコゼットをあとにして出て行った。コゼットはその謎《なぞ》のような別れの言葉に茫然《ぼうぜん》としてしまった。

     二 更に数歩の退却

 翌日、同じ時刻に、ジャン・ヴァルジャンはやってきた。
 コゼットはもう何にも尋ねもせず、不思議がりもせず、寒いとも言わず、客間のことも口に出さなかった。彼女はお父様ともまたはジャンさんとも言わなかった。そして自分はあなたと言われるままにしておいた。奥さんと言われるままにしておいた。ただ喜びの情が少し減じてるのみだった。もし悲しみが彼女にも可能であるとすれば、彼女はいくらか悲しんでいた。
 愛せられる男は、好き勝手なことを語って、何にも説明せず、しかもそれで愛せられている女を満足させるものであるが、おそらくコゼットもマリユスとそういう談話をかわしたのであろう。恋人らの好奇心は、自分らの愛より以外に遠くわたるものではない。
 下の室は多少取り片づけられた。バスクは空罎《あきびん》を取り除け、ニコレットは蜘蛛《くも》の巣を払った。
 その後毎日同じ時刻に、ジャン・ヴァルジャンはやってきた。彼はマリユスの言葉を文字どおりに解釈して日々こざるを得なかったのである。マリユスはジャン・ヴァルジャンがやって来る時刻には、いつも外出するようにしていた。一家の人々は、フォーシュルヴァン氏の一風変わったやり方になれてきた。それにはトゥーサンの助けもよほどあった。「旦那様はいつもあんなでございました」と彼女は繰り返し言った。祖父も、「あの人は変わり者だ」と断言した。そしてすべてはきまった。その上九十歳にもなれば、もう交際などということはできなくて、ただいっしょに並ぶというだけである。そして新来の者は皆一つのわずらいとなってくる。もう他人を入れる余地はない。日常の習慣がすっかりでき上がっている。ジルノルマン老人には、フォーシュルヴァン氏とかトランシュルヴァン氏とかいう「そんな人」はこない方がよかったのである。彼は言い添えた。「ああいう変わり者は何をするかわかったものではない。ずいぶん奇抜なことをやる。と言ってその理由は何もない。カナプル侯爵はもっとひどかった。りっぱな邸宅を買い入れて、自分はその物置きに住んでいた。ああいう人たちは表面《うわべ》だけ変なことをしてみたがるものだ。」
 だれもその凄惨《せいさん》な裏面には気づく者はなかった。第一どうしてそんなことが推察し得られたろう? 印度にはそういう沼がいくらもある。異様な不思議な水がたたえていて、風もないのに波を立て、静穏であるべきなのが荒れている。人はただその理由もない混乱の表面だけをながめる。そして底に水蛇《みずへび》がのたうっていることを気づかない。
 多くの人もそういう秘密な怪物を持っている、心中にいだいている苦悩を、身を噛《か》む竜《りゅう》を、内心の闇《やみ》の中に住む絶望を。かかる人も普通の者と同じようにして暮らしている。彼のうちに無数の歯を持ってる恐ろしい苦悶が寄生し、みじめなる彼のうちに生活し、彼の生命を奪いつつあることは、だれからも知られない。その男が一つの深淵《しんえん》であることは、だれからも知られない。その淵《ふち》の水は停滞しているが、きわめて深い。時々、理由のわからぬ波が表面に現われてくる。不思議なうねりができ、次に消えうせ、次にまた現われる。底から泡《あわ》が立ちのぼってきては、消えてゆく。何でもないことのようであるが、実は恐ろしいことである。それは人に知られぬ獣の吐く息である。
 ある種の妙な習慣、たとえば、他の人が帰る頃にやってくるとか、他の人が前に出てる間うしろに隠れてるとか、壁色のマントをつけるとでも言い得るような態度をあらゆる場合に取るとか、寂しい道を選ぶとか、人のいない街路を好むとか、少しも会話の仲間入りをしないとか、人込みやにぎわいを避けるとか、のんきそうにして貧乏な暮らしをするとか、金があるのにいつも鍵《かぎ》をポケットに入れ蝋燭《ろうそく》を門番の所に預けておくとか、潜門《くぐりもん》から出入りするとか、裏の階段から上ってゆくとか、すべてそういう何でもなさそうな特殊の癖、表面に現われたる波紋や泡やとらえ難い皺《しわ》は、しばしば恐るべき底から発してくることがある。
 かくて数週間過ぎ去っていった。新しい生活はしだいにコゼットをとらえていった。結婚のために生じた交際、訪問、家政、遊楽、それらの大事件が起こってきた。コゼットの楽しみは費用のかかるものではなかった。それはただマリユスといっしょにいるということだけだった。彼と共に出かけ、彼と共に家にいる、それが彼女の一番大事な仕事だった。互いに腕を組み合わし、白昼街路を公然と、人通りの多い中をただふたりで歩くこと、これは彼らにとって常に新しい喜びだった。コゼットが気を痛めたことはただ一つきりなかった。すなわち、年取ったふたりの独身女は融和し難いけれど、祖父は達者であり、マリユスは時々何かの弁論に出廷し、ジルノルマン伯母《おば》は新家庭のそばに差し控えた日々を送りつつ満足していた。ジャン・ヴァルジャンも毎日訪れてきた。
 お前という呼び方は消えうせてしまい、あなたとか奥さんとかジャンさんとかいうことになって、彼はコゼットに対してまったく別人のようになった。彼女の心を自分から離そうとした彼の注意は、うまく成功した。彼女はますます快活になり、ますますやさしみが減じてきた。それでもなお彼女はよく彼を愛してい、彼もそのことを感じていた。ある日彼女は突然彼に向かって言った。「あなたは私のお父様でしたが、今はそうでなくなり、あなたは私の伯父様《おじさま》でしたが、今はそうでなくなり、あなたはフォーシュルヴァン様でしたが、今はジャン様となられたのですね。するとあなたは、いったいどういう方なんでしょう。私そんなこといやですわ。もしあなたがごくいい方だということを知らなかったら、私はあなたをこわがるかも知れません。」
 彼はなおオンム・アルメ街に住んでいた。以前コゼットが住んでいた街区を去るに忍びなかったのである。
 初めのうち彼は、数分間しかコゼットのそばにいないで、すぐ帰っていった。
 ところがしだいに、彼は長居をするようになってきた。あたかも日が長くなるのに乗じた形だった。彼は早くきては遅く帰っていった。
 ある日、コゼットはふと「お父様」と言ってしまった。すると喜びのひらめきが、ジャン・ヴァルジャンの陰鬱《いんうつ》な老年の顔に輝いた。彼は彼女をとらえた。「ジャンと言って下さい。」彼女は笑い出しながら答えた。「ああそうでしたわね、ジャンさん。」「それでよろしいです、」と彼は言った。そして彼は顔をそむけて、彼女に見えないように目をぬぐった。

     三 プリューメ街の庭の思い出

 それが最後であった。その最後のひらめき以来、光はまったく消えうせてしまった。もはや親しみもなく、抱擁をもって迎えられることもなく、お父様! という深いやさしみの言葉もなくなった。彼は自ら命じ自ら行なって、自分のあらゆる幸福を相次いで卻《しりぞ》けてしまった。一日にしてコゼットをすべて失った後、次に再び彼女を少しずつ失うという、悲惨な目に彼は出会った。
 目もついには窖《あなぐら》の明るみになれてくるものである。結局コゼットの姿を毎日見るというだけで彼には充分だった。彼の全生命はその時間に集中されていた。彼は彼女のそばにすわり、黙って彼女をながめ、あるいはまた、昔のこと、彼女の子供の折りのこと、修道院にいた頃のこと、当時の小さなお友だちのこと、などを彼女に話した。
 ある日の午後――それは四月のはじめであって、既に暖かくなってるがまださわやかであり、日の光はきわめてうららかで、マリユスとコゼットとの窓のほとりの庭は春の目ざめの気に満ち、山楂《サンザシ》は芽ぐみ、丁子は古壁の上に宝石を飾り、薔薇色《ばらいろ》の金魚草は石の割れ目に花を開き、草の間にはひな菊や金鳳花《きんぽうげ》がかわいく咲きそめ、年内の白い蝶《ちょう》は始めて飛び出し、永遠の婚礼の楽手たる春風は、古い詩人らが一陽来復と呼んだ黎明《れいめい》の大交響曲の最初の譜を樹木の間に奏していた――そのある日の午後、マリユスはコゼットに言った。「プリューメ街の庭にまた行ってみようといつか話したね。今すぐに行こう。恩を忘れてはいけない。」そしてふたりは、二羽の燕《つばめ》のように春に向かって舞い上がった。プリューメ街の庭は曙《あけぼの》のような気を彼らに与えた。愛の春とも言うべき何物かを彼らは過去に持っていた。プリューメ街の家はまだ借受期限内で、コゼットのものになっていた。ふたりはその庭に行き、その家に行った。そして昔に返って、我を忘れてしまった。その夕方いつもの時刻に、ジャン・ヴァルジャンはフィーユ・デュ・カルヴェール街にやってきた。バスクは彼に言った。「奥様は旦那様《だんなさま》と御いっしょにお出かけになりまして、まだお帰りになっていません。」彼は黙って腰をおろし、一時間ばかり待った。コゼットは帰ってこなかった。彼はうなだれて帰っていった。
 コゼットは「自分たちの庭」を散歩したことに気を奪われ、「過去のうちに一日を過ごした」ことを非常に喜んで、翌日もそのことばかり言っていた。ジャン・ヴァルジャンに会わなかったことなんかは念頭になかった。
「どうしてあそこまで行きました?」とジャン・ヴァルジャンは彼女に尋ねた。
「歩いて。」
「そして帰りには?」
「辻馬車《つじばしゃ》で。」
 しばらく前からジャン・ヴァルジャンは、若夫婦がごくつつましい生活をしてるのに気づいていた。そのために彼は心をわずらわされた。マリユスの倹約は厳重で、ジャン・ヴァルジャンに向かって彼が言った言葉は絶対的な意味を持っていた。彼は思い切って尋ねてみた。
「なぜあなたは自分の馬車を備えないのですか。小ぎれいな箱馬車なら月に五百フランもあればいいでしょう。あなた方は金持ちではありませんか。」
「私にはわかりません。」とコゼットは答えた。
「トゥーサンについてもそうでしょう。」とジャン・ヴァルジャンは言った。「いなくなったままで、代わりも雇ってないのは、なぜですか。」
「ニコレットだけで充分ですから。」
「しかしあなたには小間使いがひとりいるでしょう。」
「マリユスがいてくれますもの。」
「あなた方は自分の家を持ち、自分の召し使いを持ち、馬車を一つ備え、芝居の席も取っておいていいはずです。あなた方には何でもできます。なぜ金持ちのようにしないのですか。金を使えばそれだけ幸福も増すわけです。」
 コゼットは答えなかった。
 ジャン・ヴァルジャンの訪問の時間は決して短くはならなかった。否かえって長くなった。心がすべってゆく時には、人は坂の途中で足を止めることはできない。
 ジャン・ヴァルジャンは訪問の時間を長引かし、時のたつのを忘れさせようと思う時には、いつもマリユスのことをほめた。マリユスは美しく気高く勇気があり才があり雄弁であり親切であるとした。コゼットは更にマリユスをほめた。ジャン・ヴァルジャンは何度も繰り返した。そして言葉の尽きることはなかった。マリユスという一語は無尽蔵な言葉だった。その四字の中には幾巻もの書籍が含まっていた。そういうふうにして、ジャン・ヴァルジャンは長く留まることができた。コゼットをながめそのそばですべてを忘れることは、彼にとってはいかに楽しいことであったろう。それは自分の傷口を結わえることだった。バスクが二度もきて、「食事の用意ができたことを奥様に申し上げてこいと、大旦那様《おおだんなさま》が仰せられました、」と告げるようなことも、幾度かあった。
 そういう日ジャン・ヴァルジャンは、深く思いに沈みながら戻っていった。
 マリユスの頭に浮かんだあの脱殻のたとえには、何か真実な点が含まっていたであろうか。ジャン・ヴァルジャンは果たして一つの脱殻であって、自分から出た蝶《ちょう》を執拗《しつよう》に訪れて来る身であったろうか。
 ある日、彼はいつもより長座をした。するとその翌日は暖炉に火がはいっていなかった。「おや、火がない、」と彼は考えた。そして自らその説明を下した。「なに当然のことだ。もう四月だ。寒さは済んでしまったのだ。」
「まあ、寒いこと!」とコゼットははいってきながら叫んだ。
「寒くはありません。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
「では、バスクに火を焚《た》くなとおっしゃったのはあなたですか。」
「ええ。もうすぐ五月です。」
「でも六月までは火を焚くものです。こんな低い室《へや》では一年中火がいります。」
「私はもう火はむだだと思ったのです。」
「それもあなたの一風変わったところですわ。」とコゼットは言った。
 翌日はまた火がはいっていた。しかし二つの肱掛《ひじか》け椅子《いす》は、室の端の扉《とびら》の近くに並んでいた。「どういうわけだろう?」とジャン・ヴァルジャンは考えた。
 彼はその肱掛け椅子を取りにゆき、いつものとおり暖炉のそばに並べた。
 それでも再び火が焚かれたので彼は元気を得た。彼はいつもより長く話した。帰りかけて立ち上がった時、コゼットは彼に言った。
「主人は昨日《きのう》変なことを私に言いました。」
「どういうことですか。」
「こうなんです。コゼット、僕たちには三万フランの年金がはいってくる、二万七千はお前の方から、三千はお祖父《じい》さんから下さるので、というんです。それで三万ですわと私が答えますと、お前には三千フランで暮らしてゆく勇気があるかってききます。私は、ええあなたといっしょなら一文なしでも、と答えました。それから私は、なぜそんなことをおっしゃるの、と尋ねてみますと、ただ聞いてみたのだ、と答えたのですよ。」
 ジャン・ヴァルジャンは一言も発し得なかった。コゼットはたぶん彼から何かの説明を待っていたのであろう。しかし彼は沈鬱《ちんうつ》な無言のまま彼女の言葉に耳を傾けた。彼はオンム・アルメ街に戻っていった。彼は深く考え込んでいたので、入り口をまちがえて、自分の家にはいらず、隣の家にはいり込んだ。そしてほとんど三階まで上っていってからようやく、まちがったことに気づいて、またおりていった。
 彼の精神は種々の推測に苦しめられた。マリユスがあの六十万フランの出所について疑いをいだき、何か不正な手段で得られたものではないかと恐れてるのは、明らかだった。おそらく彼は、その金がジャン・ヴァルジャンから出たものであることを発見したのかも知れなかったし、その怪しい財産に不安の念をいだき、それを自分の手に取ることを好まず、コゼットとふたりでうしろ暗い金持ちとなるよりむしろ貧しい暮らしをしようと思ってるのかも知れなかった。
 その上|漠然《ばくぜん》とジャン・ヴァルジャンは、自分が排斥されてるのを感じ始めた。
 翌日、例の下の室《へや》にはいってゆくと彼は一種の戦慄《せんりつ》を感じた。肱掛《ひじか》け椅子《いす》は二つともなくなっていた。普通の椅子さえ一つもなかった。
「まあ、椅子がない!」とコゼットははいってきて叫んだ。「椅子はどこにあるんでしょう?」
「もうありません。」とジャン・ヴァルジャンは答えた。
「あんまりですわ!」
 ジャン・ヴァルジャンはつぶやいた。
「持ってゆくように私がバスクに言いました。」
「なぜです。」
「今日はちょっとの間しかいないつもりですから。」
「長くいないからと言って、立ったままでいる理由にはなりません。」
「何でも客間に肱掛け椅子がいるとかバスクが言っていたようです。」
「なぜでしょう。」
「たしか今晩お客があるのでしょう。」
「いえだれもきはしません。」
 ジャン・ヴァルジャンはそれ以上何とも言うことができなかった。
 コゼットは肩をそびやかした。
「椅子を持ってゆかせるなんて! こないだは火を消さしたりして、ほんとにあなたは変な方ですわ。」
「さようなら。」とジャン・ヴァルジャンはつぶやいた。
 彼は「さようなら、コゼット」とは言わなかった。しかし「さようなら、奥さん」と言う力もなかった。
 彼は気力もぬけはてて出て行った。
 こんどは彼もよく了解した。
 翌日彼はもうこなかった。コゼットは晩になってようやくそれに気づいた。
「まあ、」と彼女は言った、「ジャンさんは今日いらっしゃらなかった。」
 彼女は軽い悲しみを覚えたが、すぐにマリユスの脣《くち》づけにまぎらされて、ほとんど自ら気にも止めなかった。
 その翌日も彼はこなかった。
 コゼットは別にそれを気にもせず、いつものとおりその晩を過ごし、その夜を眠り、目をさました時ようやくそのことを頭に浮かべた。彼女はそれほど幸福だったのである。彼女はその朝すぐにジャン氏のもとへニコレットをやって、病気ではないか、また昨日はなぜこなかったかと尋ねさした。ニコレットはジャン氏の答えをもたらしてきた。少しも病気ではない。ただ忙しかった。すぐにまた参るだろう、できるだけ早く。それにまたちょっと旅をしようとしている。奥さんは自分がいつも時々旅する習慣になってるのを覚えていられるはずである。決して心配されないように。自分のことは考えられないように。
 ニコレットはジャン氏の家へ行って、奥様の言葉をそのまま伝えたのだった。「昨日ジャン様はなぜおいでにならなかったか」を尋ねに奥様からよこされたのだと。「私が参らないのはもう二日になります、」とジャン・ヴァルジャンは静かに答えた。
 しかしその注意はニコレットの気に止まらなかった。彼女はそのことについては一言もコゼットに復命しなかった。

     四 牽引力《けんいんりょく》と消滅

 一八三三年の晩春から初夏へかけた数カ月の間、マレーのまばらな通行人や店頭にいる商人や門口にぼんやりしてる人などは、さっぱりした黒服をまとってるひとりの老人を見かけた。老人は毎日日暮れの頃同じ時刻に、オンム・アルメ街からサント・クロア・ド・ラ・ブルトンヌリー街の方へ出てきて、ブラン・マントー教会堂の前を通り、キュルテュール・サント・カトリーヌ街へはいり、エシャルプ街まできて左に曲がり、そしてサン・ルイ街へはいるのだった。
 そこまで行くと、彼は足をゆるめ、頭を前方に差し出し、何にも見ず何にも聞かず、目を常に同じ一点にじっととらえていた。その一点は、彼にとっては星が輝いてるのかと思われたが、実はフィーユ・デュ・カルヴェール街の角《かど》にほかならなかった。その街路に近づくに従って、彼の目はますます輝いてきた。内心の曙《あけぼの》のように一種の喜悦の情がその眸《ひとみ》に光っていた。そして魅せられ感動されてるような様子をし、脣《くちびる》はかすかに震え動き、あたかも目に見えない何者かに話しかけてるがようで、ぼんやり微笑を浮かべて、できるだけゆっくり足を運んだ。向こうに行きつくことを願いながら、それに近寄る瞬間を恐れてるとでもいうようだった。彼を引きつけるらしいその街路からもはや家の四、五軒しかへだたらない所まで行くと、彼の歩調は非常にゆるやかになって、時とするともう歩いてるのでないとさえ思われるほどだった。その震える頭とじっと定めた瞳《ひとみ》とは、極を求める磁石の針《はり》を思わせた。かくていくら到着を長引かしても、ついには向こうへ着かなければならなかった。彼はフィーユ・デュ・カルヴェール街に達した。すると、そこに立ち止まり、身を震わし、最後の人家の角《かど》から、一種沈痛な臆病さで頭を差し出し、その街路をのぞき込んだ。その悲愴《ひそう》な眼差《まなざし》の中には、不可能事から来る眩暈《めまい》と閉ざされたる楽園とに似た何かがあった。それから一滴の涙が、徐々に眼瞼《まぶた》のすみにたまってきて、下に落ちるほど大きくなり、ついに頬《ほお》をすべり落ち、あるいは時とすると口もとに止まった。老人はその苦《にが》い味を感じた。彼はそのまましばらく石のようになってたたずんだ。それから、同じ道を同じ歩調で戻っていった。その角から遠ざかるに従って、目の光は消えていった。
 そのうちしだいに、老人はフィーユ・デュ・カルヴェール街の角まで行かないようになった。彼はよくサン・ルイ街の中ほどに立ち止まった、あるいは少し遠くに、あるいは少し近くに。ある日などは、キュルテュール・サント・カトリーヌ街の角に止まって、遠くからフィーユ・デュ・カルヴェール街をながめた。それから彼は何かを拒むがように、黙って頭を左右に振り、そして引き返していった。
 やがて彼は、もうサン・ルイ街までも行かなくなった。パベ街までしか行かないで、頭を振って戻っていった。次にはトロア・パヴィヨン街より先へは行かなくなった。その次にはもうブラン・マントー教会堂から先へ出なくなった。ちょうど、もう撥条《ばね》を巻かれなくなった振り子が、しだいに振動を狭《せば》めてついに止まってしまおうとしてるのによく似ていた。
 毎日、彼は同じ時刻に家をいで、同じ道筋をたどったが、向こうまで行きつくことができなかった。そしておそらく自分でも気づかないで、行く距離を絶えず縮めていた。彼の顔にはただ一つの観念が浮かんでいた、すなわち、何の役に立とう? と。眸《ひとみ》の光は消えうせて、もう外に輝かなかった。涙もまた涸《か》れて、もう眼瞼《まぶた》のすみにたまらなかった。その思い沈んだ目はかわいていた。彼の頭はいつも前方に差し出されていた。時々その頤《あご》が震え動いていた。やせた首筋のしわは見るも痛ましいほどだった。時としては、天気の悪い時など、腕の下に雨傘《あまがさ》を抱えていたが、それを開いてることはなかった。その辺の上《かみ》さんたちは言った、「あの人はおばかさんですよ。」子供たちは笑いながらそのあとについていった。
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     第九編 極度の闇《やみ》、極度の曙《あけぼの》

     一 不幸者をあわれみ幸福者を恕《ゆる》すべし

 幸福であるのは恐るべきことである。いかに人はそれに満足し、いかにそれをもって足れりとしていることか! 人生の誤れる目的たる幸福を所有して、真の目的たる義務を、いかに人は忘れていることか!
 けれどもあえて言うが、マリユスを非難するのは不当であろう。
 マリユスは前に説明したとおり、結婚前にもフォーシュルヴァン氏に向かって問い糺《ただ》すことをせず、結婚後にもジャン・ヴァルジャンに向かって問い糺すことを恐れた。彼は心ならずも約束するに至ったことを後悔した。望みなきあの男にそれだけの譲歩をなしたのは誤りだったと、彼は幾度も自ら言った。そして今は、しだいにジャン・ヴァルジャンを家から遠ざけ、できるだけ彼をコゼットの頭から消してしまおうと、ただそれだけをはかっていた。コゼットとジャン・ヴァルジャンとの間にいつも多少自分をはさんで、彼女がもう彼のことを気づかず彼のことを頭に浮かべないようにと、願っていた。それは消し去ること以上で、蝕《しょく》し去ることであった。
 マリユスは必要であり正当であると判断したことを行なってるに過ぎなかった。彼は苛酷なこともせずしかも弱々しい情も動かさないでジャン・ヴァルジャンを排斥し去ろうとしていたが、それには、彼の考えによれば、読者が既に見てきたとおりの重大な理由があり、また次に述べる別の理由もあった。彼は自ら弁論することになったある訴訟事件において、偶然にも昔ラフィット家に雇われていた男と出会い、何も別に尋ねたわけではないが、不思議な話を聞かされた。もとより彼は秘密を厳守すると約束した手前もあり、ジャン・ヴァルジャンの危険な地位をも考えてやって、その話を深く探ることはできなかった。ただ彼はその時、果たすべき重大な義務があることを感じた。それはあの六十万フランを返却するということで、彼はその相手をできるだけひそかにさがし求めた。そしてその間金に手をつけることを避けた。
 コゼットに至っては、それらの秘密を少しも知らなかった。しかし彼女を非難するのもまたあまり苛酷であろう。
 一種の強い磁力がマリユスから彼女へ流れていて、そのために彼女は、本能的にまたほとんど機械的に、マリユスの欲するままになっていた。「ジャン氏」のことについても、彼女はマリユスの意志に感応して、それに従っていた。夫《おっと》は彼女に何も言う必要はなかった。彼女は夫《おっと》の暗黙の意向から漠然《ばくぜん》たるしかも明らかな圧力を感じて、それに盲従した。彼女の服従はここではただ、マリユスが忘れてることは思い出すまいというのにあった。そのためには何ら努力の要はなかった。彼女は自らその理由を知らなかったし、また彼女にとがむべきことでもないが、彼女の魂はまったく夫の魂となり了《おう》せて、マリユスの考えの中で影に蔽《おお》われてるものは皆、彼女の考えの中でも暗くなるのであった。
 けれどもそれはあまり強く言えることではない。ジャン・ヴァルジャンに関することでは、その忘却と消滅とはただ表面的のものに過ぎなかった。彼女は忘れやすいというよりもむしろうっかりしていた。心の底では、長く父と呼んできたその男をごく愛していた。しかし夫《おっと》の方をなおいっそう愛していた。そのために彼女の心は、多少平衡を失って一方に傾いたのである。
 時々、コゼットはジャン・ヴァルジャンのことを言い出して怪しむこともあった。するとマリユスは彼女をなだめた。「留守なんだろう。旅に出かけるということだったじゃないか。」それでコゼットは考えた。「そうだ。あの人はいつもこんなふうにいなくなることがあった。それにしてもこう長引くことはなかったが。」二、三度彼女はニコレットをオンム・アルメ街にやって、ジャン氏が旅から帰られたかと尋ねさした。ジャン・ヴァルジャンはまだ帰らないと答えさした。
 コゼットはそれ以上尋ねなかった。この世でなくてならないものは、ただマリユスばかりだったから。
 なお言っておくが、マリユスとコゼットの方でもまた不在になった。彼らはヴェルノンへ行った。マリユスはコゼットを父の墓へ連れて行った。
 マリユスはコゼットをしだいにジャン・ヴァルジャンからのがれさした。コゼットはされるままになっていた。
 それにまた、子供の忘恩などとある場合にはあまりきびしく言われてることも、実は人が考えるほど常にとがむべきことではない。それは自分自身の忘恩である。他の所で言っておいたように、自然は「前方を見て」いる。自然は生きてるものを、来る者と去る者とに分かっている。去る者は闇《やみ》の方へ向き、来る者は光明の方へ向いている。ここにおいてか乖離《かいり》が生じてきて、老いたる者にとっては宿命的なものとなり、若い者にとっては無意識的なものとなる。その乖離《かいり》は初めは感じ難いほどであるが、木の枝が分かれるようにしだいに大きくなる。小枝はなお幹についたまま遠ざかってゆく。それは小枝の罪ではない。青春は喜びのある所へ、にぎわいの方へ、強い光の方へ、愛の方へ、進んでゆく。老衰は終焉《しゅうえん》の方へ進んでゆく。両者は互いに姿を見失いはしないが、もはや抱擁はしなくなる。若き者は人生の冷ややかさを感じ、老いたる者は墳墓の冷ややかさを感ずる。そのあわれなる子供らをとがめてはいけない。

     二 油尽きたるランプの最後のひらめき

 ある日、ジャン・ヴァルジャンは階段をおりてゆき、街路に二、三歩ふみ出して、ある標石の上に腰をおろした。それは、六月五日から六日へかけた晩、ガヴローシュがやってきた時、彼が考えふけりながら腰掛けていたのと、同じ石であった。彼はそこにしばらくじっとしていたが、やがてまた階上《うえ》へ上っていった。それは振り子の最後の振動だった。翌日、彼はもう室《へや》から出なかった。その翌日には、もう寝床から出なかった。
 門番の女は、キャベツや馬鈴薯《ばれいしょ》に少しの豚肉をまぜて、彼の粗末な食物をこしらえてやっていたが、その陶器皿の中を見て叫んだ。
「まああなたは、昨日《きのう》から何も召し上がらないんですね。」
「いや食べたよ。」とジャン・ヴァルジャンは答えた。
「お皿はまだいっぱいですよ。」
「水差しを見てごらん。空《から》になってるから。」
「それは、ただ水を飲んだというだけで、なにも食べたことにはなりません。」
「でも、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「水だけしかほしくなかったのだとしたら?」
「それは喉《のど》がかわいたというもんです。いっしょに何にも食べなければ、熱ですよ。」
「食べるよ。明日《あした》は。」
「それともいつかは、でしょう。なぜ今日召し上がらないんです。明日は食べよう、なんていうことがありますか。私がこしらえてあげたのに手をつけないでおくなんて! この煮物はほんとにおいしかったんですのに!」
 ジャン・ヴァルジャンは婆さんの手を取った。
「きっと食べるよ。」と彼は親切な声で言った。
「あなたはわからずやです。」と門番の女は答えた。
 ジャン・ヴァルジャンはその婆さんよりほかにはほとんどだれとも顔を合わせなかった。パリーのうちにはだれも通らない街路があり、だれも訪れてこない家がある。彼はそういう街路の一つに住み、そういう家の一つにはいっていた。
 まだ外に出かけた頃、彼はある鋳物屋の店で、五、六スー出して小さな銅の十字架像を買い、それを寝台の正面の釘《くぎ》にかけて置いた。そういう首つり台はいつ見ても快いものである。
 一週間過ぎたが、その間ジャン・ヴァルジャンは室《へや》の中さえ一歩も歩かなかった。彼はいつも寝たままだった。門番の女は亭主に言った。「上のお爺《じい》さんは、もう起きもしなければ、食べもしないんだよ。長くはもつまい。何かひどく心配なことがあるらしい。私の推察じゃ、きっと娘が悪い所へかたづいたんだよ。」
 亭主は夫《おっと》としての威厳を含んだ調子でそれに答えて言った。
「もし金があれば、医者にかかるさ。金がなければ、医者にかからないさ。医者にかからなければ、死ぬばかりさ。」
「医者にかかったら?」
「やはり死ぬだろうよ。」と亭主は言った。
 女房は自ら自分の舗石《しきいし》と言ってる所にはえかかってる草を、古ナイフで掻《か》き取りはじめたが、そうして草を取りながらつぶやいた。
「かわいそうに。きれいな爺《じい》さんなのに。雛鶏《ひよっこ》のようにまっ白だが。」
 彼女は街路の向こう端に、近所の医者がひとり通りかかるのを見た。そして自分ひとりできめて、その医者にきてもらうことにした。
「三階でございますよ。」と彼女は医者に言った。「かまわずにはいって下さい。お爺さんはもう寝床から動けないので、鍵《かぎ》はいつも扉《とびら》についています。」
 医者はジャン・ヴァルジャンに会い、彼に話をしかけた。
 医者がおりてくると、門番の女は彼に呼びかけた。
「どうでございましょう?」
「病人はだいぶ悪いようだ。」
「どこが悪いんでございましょうか。」
「どこと言って悪い所もないが、全体がよくない。見たところどうも大事な人でも失ったように思われる。そんなことで死ぬ場合もあるものだ。」
「あの人はあなたに何と言いましたか。」
「病気ではないと言っていた。」
「またあなたにきていただけますでしょうか。」
「よろしい。」と医者は答えた。「だが私よりもほかの人にきてもらわなければなるまい。」

     三 今は一本のペンも重し

 ある晩ジャン・ヴァルジャンは、辛うじて肱《ひじ》で身を起こした。自ら手首を取ってみると、脈が感ぜられなかった。呼吸は短くて時々止まった。彼は今まで知らなかったほどひどく弱ってるのに気づいた。すると、何か最期の懸念に駆られたのであろう、彼は努力をして、そこにすわり、服をつけた。自分の古い労働服を着た。もう外にも出かけないので、またその服を取り出し、それを好んでつけたのだった。服をつけながら何度も休まなければならなかった。上衣の袖《そで》に手を通すだけでも、額から汗が流れた。
 ひとりになってから彼は、控え室の方に寝台を移していた。寂しい広間にはできるだけいたくなかったからである。
 彼は例の鞄《かばん》を開いてコゼットの古い衣裳を取り出した。
 彼はそれを寝床の上にひろげた。
 司教の二つの燭台《しょくだい》は元のとおり暖炉の上にのっていた。彼は引き出しから二つの蝋燭《ろうそく》を取って、それを燭台《しょくだい》に立てた。それから、夏のこととてまだ充分明るかったが、その蝋燭《ろうそく》に火をともした。死人のいる室《へや》の中にそんなふうに昼間から蝋燭がともされてるのは、時々見られることである。
 一つの道具から他の道具へと行く一歩一歩に、彼は疲れきって腰をおろさなければならなかった。それは力を費やしてはまた回復するという普通の疲労ではなかった。ある限りの運動の残りだった。二度とはやれない最後の努力のうちにしたたり落ちてゆく、消耗し尽した生命であった。
 彼が身を落とした椅子《いす》の一つは、ちょうど鏡の前になっていた。その鏡こそは、彼にとっては宿命的なものであり、マリユスにとっては天意的なものであって、すなわち彼がコゼットの逆の文字を吸い取り紙の上に読み得たその鏡だった。彼は鏡の中に自分の顔をのぞいたが、自分とは思えないほどだった。八十歳にもなるかと思われた。マリユスの結婚前には、ようやく五十歳になるかならないくらいに思えたが、この一年の間に三十ほども年を取ってしまっていた。今額にあるものは、もはや老年の皺《しわ》ではなくて、死の神秘な標《しるし》だった。無慈悲な爪《つめ》の痕《あと》がそこに感ぜられた。両の頬《ほお》はこけていた。顔の皮膚は、既に土をかぶったかと思われるような色をしていた。口の両すみは、古人がよく墓の上に刻んだ多くの面に見るように、下にたれ下がっていた。彼は非難するような様子で空《くう》をながめた。だれかをとがめずにはいられない悲壮な偉人のひとりかと思われた。
 彼はもはや悲哀の流れも涸《か》れつくしたという状態に、疲憊《ひはい》の最後の一段にあった。悲しみも言わば凝結してしまっていた。人の魂についても、絶望の凝塊とでも言うべきものがある。
 夜になった。彼は非常な努力をして、テーブルと古い肱掛《ひじか》け椅子《いす》とを暖炉のそばに引き寄せ、テーブルの上にペンとインキと紙とをのせた。
 それがすんで、彼は気を失った。意識を恢復すると、喉《のど》がかわいていた。水差しを持ち上げることができないので、それをようやく口の方へ傾けて、一口飲んだ。
 それから彼は寝床の方を振り向き、立っておれないのでやはりすわったまま、小さな黒い長衣とその他の大事な品々とをながめた。
 そういう観照は、数分間と思ってるうちにはや幾時間にもなるものである。突然彼は身震いをし、寒気《さむけ》に襲わるるのを感じた。彼は司教の燭台《しょくだい》にともってる蝋燭《ろうそく》に照らされたテーブルに肱《ひじ》をかけて、ペンを取り上げた。
 ペンもインキも長く使わないままだったので、ペンの先は曲がり、インキはかわいていた。彼は立ちあがって数滴の水をインキの中に注がなければならなかった。それだけのことをするにも二、三回休んで腰をおろした。それにまたペンは背の方でしか字が書けなかった。彼はときどき額を拭《ふ》いた。
 彼の手は震えていた。彼はゆっくりと次のような数行を認めた。

   コゼット、私はお前を祝福する。私はここにちょっと説明しておきたい。お前の夫《おっと》が、私に去るべきものであることを教えてくれたのは、至当なことである。けれども、彼が信じていることのうちには少し誤りがある。しかしそれも彼が悪いのではない。彼はりっぱな人である。私が死んだ後も、常に彼をよく愛しなさい。ポンメルシー君、私の愛児を常に愛して下さい。コゼット、私はここに書き残しておく。これは私がお前に言いたいと思ってることである。私にまだ記憶の力が残っていたら、数字も出てくるであろうが、よく聞きなさい。あの金はまったくお前のものである。そのわけはこうである。白飾玉はノールウェーからき、黒飾玉はイギリスからき、黒ガラス玉はドイツから来る。飾り玉の方が軽くて貴《とうと》くて価も高い。その擬《まが》い玉はドイツでできるが、フランスでもできる。二寸四方の小さな鉄碪《かなしき》と鑞《ろう》を溶かすアルコールランプとがあればよい。その鑞は、以前は樹脂と油煙とで作られていて、一斤四フランもしていた。ところが私は漆《うるし》とテレビン油とで作ることを考え出した。価はわずかに三十スーで、しかもずっと品がよい。留め金は紫のガラスでできるのだが、右の鑞でそのガラスを黒い鉄の小さな輪縁につける。ガラスは鉄の玉には紫でなければいけないし、金《きん》の玉には黒でなければいけない。スペインにその需要が多い。それは飾り玉の国で……

 そこで彼は書くのをやめ、ペンは指から落ち、時々胸の底からこみ上げてくる絶望的なすすり泣きがまた襲ってき、あわれな彼は両手で頭を押さえ、そして思いに沈んだ。
「ああ、万事終わった。」と彼は心の中で叫んだ(神にのみ聞こえる痛むべき叫びである)。「私はもう彼女に会うこともあるまい。それは一つのほほえみだったが、もう私の上を通りすぎてしまった。彼女を再び見ることもなく、私はこのまま闇夜《やみよ》のうちにはいってゆくのか。おお、一分でも、一秒でも、あの声をきき、あの長衣にさわり、あの顔を、あの天使のような顔をながめ、そして死ねたら! 死ぬのは何でもない。ただ恐ろしいのは、彼女に会わないで死ぬことだ。彼女はほほえんでくれるだろう、私に言葉をかけてくれるだろう。そうしたとてだれかに災いをおよぼすだろうか。いやいや、もう済んでしまった、永久に。私はこのとおりただひとりである。ああ、私はもう彼女に会えないだろう。」
 その時だれか扉《とびら》をたたく者があった。

     四 物を白くするのみなる墨壺《すみつぼ》

 ちょうどその時、なおよく言えばその同じ夕方、マリユスが食卓を離れ、訴訟記録を調べる用があって、自分の事務室に退いた時、バスクが一通の手紙を持ってきて言った。「この手紙の本人が控え室にきております。」
 コゼットは祖父の腕を取って、庭を一回りしていた。
 手紙にも人間と同じく、気味の悪いものがある。粗末な紙、荒い皺《しわ》、一目見ただけでも不快の気を起こさせるものがある。バスクが持ってきた手紙はそういう種類のものだった。
 マリユスはそれを手に取った。煙草《たばこ》のにおいがしていた。およそにおいほど記憶を呼び起こさせるものはない。マリユスはその煙草のにおいに覚えがあった。彼は表をながめた。「御邸宅にて、ポンメルシー男爵閣下。」煙草のにおいに覚えがあるために、彼は手跡にも覚えがあることがわかった。驚きの情にも電光があると言っても不当ではない。マリユスはそういう電光の一つに照らされたようだった。
 記憶の神秘な助手であるにおいは、彼のうちに一世界をよみがえらした。紙といい、たたみ方といい、インキの青白い色といい、また見覚えのある手跡といい、ことに煙草のにおいといい、すべてが同じだった。ジョンドレットの陋屋《ろうおく》が彼の目の前に現われてきた。
 偶然の不思議なる悪戯よ! かくて、彼があれほどさがしていた二つの踪跡《そうせき》のうちの一つ、最近更に多くの努力をしたがついにわからずもう永久に見いだせないと思っていた踪跡《そうせき》は、向こうから彼の方へやってきたのである。
 彼は貪《むさぼ》るように手紙を披《ひら》いて読み下した。


    男爵閣下
 もし天にして小生に才能を与えたまいしならんには、小生は学士院(科学院)会員テナル男爵となり得|候《そうら》いしものを、ついにしからずして終わり候《そうろう》。小生はただその名前のみを保有し居候が、この一事によって閣下の御好意に浴するを得ば幸甚に御座候。小生に賜わる恩恵は報いらるるべき所これ有り候。と申すは、小生はある個人に関する秘密を握りおり、その個人は閣下に関係ある男に候。小生はただ閣下の御ためを計るの光栄を希望する者にて、おぼしめしこれ有り候わばその秘密を御伝え申すべく候。男爵夫人閣下は素性高き方に候えば、小生はただ閣下の貴き家庭より何ら権利なきその男を追い払い得る、きわめて簡単なる方法を御知らせ申すべく候。高徳の聖殿も長く罪悪と居を共にする時は、ついには汚るるものに御座候。
  小生は控え室にて、閣下の御さし図を相待ち居候。敬具。
[#ここで字下げ終わり]

 手紙にはテナルと署名してあった。
 その署名は必ずしも偽りではなかった。ただ少し縮めただけのものだった。
 その上、その冗文と文字使いとは事実を明らかに語っていた。出所は充分|明瞭《めいりょう》だった。疑問をはさむの余地はなかった。
 マリユスは深く心を動かされた。そして驚駭《きょうがい》の後に喜びの念をいだいた。今はもはや、捜索しているもうひとりの男を、自分を救ってくれた男を、見いだすのみであって、それができればもう他に望みはなくなるわけだった。
 彼は仕事机の引き出しを開き、中からいくばくかの紙幣を取り出し、それをポケットに入れ、机をまた閉ざし、そして呼鈴《ベル》を鳴らした。バスクが扉《とびら》を少し開いた。
「ここに通してくれ。」とマリユスは言った。
 バスクは案内してきた。
「テナル様でございます。」
 ひとりの男がはいってきた。
 マリユスは新たな驚きを覚えた。はいってきたのはまったく見知らぬ男だった。
 その男は、と言ってももう老人だが、大きな鼻を持ち、頤《あご》を首飾りの中につき込み、目には緑色の琥珀絹《こはくぎぬ》で縁|覆《おお》いした緑色の眼鏡《めがね》をかけ、髪は額の上に平らになでつけられて眉毛《まゆ》の所まで下がり、イギリスの上流社会の御者がつけてる鬘《かつら》のようだった。その髪は半ば白くなっていた。頭から足先まで黒ずくめで、その黒服はすり切れてはいるが小ぎれいだった。一ふさの飾り玉が内隠しから出ていて、時計がはいってることを示していた。手には古い帽子を持っていた。前かがみに歩いていて背中が曲がってるために、そのお時儀はいっそう丁寧らしく見えた。
 一目見ても不思議なことには、その上衣はよくボタンがかけられてるのにだぶだぶしていて、彼のために仕立てられたものではなさそうだった。
 ここにちょっと余事を述べておく必要がある。
 当時パリーには、ボートレイイ街の造兵廠《ぞうへいしょう》の近くの古い怪しい小屋に、ひとりの怜悧《れいり》なユダヤ人が住んでいて、不良の徒を良民に変装してやるのを仕事としていた。長い時間を要しなかったので、悪者らにとっては、至って便利だった。日に三十スー出せば、一日か二日の約束で、見てるまに服装を変えてくれて、できるだけうまくあらゆる種類の良民に仕立ててくれた。衣裳を貸してくれるその男は、取り替え人[#「取り替え人」に傍点]と呼ばれていた。それはパリーの悪者らがつけた名前で、別の名前は知られていなかった。彼はかなりそろった衣服室を持っていた。人々を変装してやる衣服は相当な品だった。彼は特殊な才能を持ち、種々の方法を心得ていた。店の釘《くぎ》にはそれぞれ、社会のあらゆる階級の擦《す》れ切れた皺《しわ》だらけの衣裳がかかっていた。こちらに役人の服があり、あちらに司祭の服があり、一方に銀行家の服があり、片すみに退職軍人の服があり、他のすみには文士の服があり、向こうには政治家の服がある、という具合になっていた。その男はパリーで演ぜられる大きな泥坊芝居《どろぼうしばい》の衣裳方だった。その小屋は詐偽窃盗の出入りする楽屋だった。ぼろをまとってるひとりの悪漢が衣服室にやってき、三十スー出し、その日演じようとする役目に従って適当な服装を選み、そして再び階段をおりてゆく時には、まったく相当な人間に変わっていた。翌日になると、その衣服は正直に返却された。盗賊らをすっかり信用してる取り替え人は、決して品物を盗まれることがなかった。ただその衣服には一つ不便な点があった。すなわち「うまく合わない」ということだった。着る人の身体に合わして作られたものでなかったから、甲の者には小さすぎ、乙の者には大きすぎるという具合に、だれにもきっちり合わなかった。普通の者より小さいか大きいかが常である悪者らは、取り替え人の衣服にははなはだ具合が悪かった。またあまりふとっていてもあまりやせていてもいけなかった。取り替え人は普通の人間をしか頭に入れていなかった。ふとってもいずやせてもいず、背が高くも低くもない、始めてぶっつかった奴の身体に合わして、標準をきめていた。そのために着換えをすることが困難な場合もしばしば起こって、顧客らはできるだけの手段を尽してその困難を切りぬけようとしていた。並みはずれの体格を持ってる者には、気の毒なわけだった。たとえば、政治家の服装はすっかり黒ずくめで、従って適宜なものであったが、ピットにはあまり広すぎ、カステルシカラにはあまり狭すぎた。この政治家[#「政治家」に傍点]の服は、取り替え人の目録の中には次のように指定されていた。それをここに書き写してみよう。「黒ラシャの上衣、黒の厚ラシャのズボン、絹のチョッキ、靴《くつ》、およびシャツ。」欄外に、前大使[#「前大使」に傍点]としてあって、注がついていた。その注をも写してみよう。「別の箱にあり、程よき巻き髪の鬘《かつら》、緑色の眼鏡、時計の飾り玉、および、綿にくるみたる長さ一寸の小さな羽軸二本。」それだけで前大使たる政治家ができ上がるのだった。その服装は言わば衰弱しきっていた。縫い目は白ばんでおり、一方の肱《ひじ》にはボタン穴くらいの破れ目ができかかっていた。その上、上衣の胸にボタンが一つ取れていた。しかしそれは何でもないことだった。政治家の手はいつも上衣の中に差し込まれて胸を押さえてるものであるから、ボタンが一つ足りないのを隠す役目をもするわけだった。
 もしマリユスが、パリーのそういう隠密な制度に通じていたならば、今バスクが案内してきた客の背に、取り替え人の所から借りてきた政治家の上衣を、すぐに見て取り得たはずである。
 マリユスは予期していたのと違った男がはいってくるのを見て失望し、失望の念はやがて新来の客に対する嫌悪《けんお》の情となった。そして男が低く頭を下げてる間、彼はその頭から足先までじろじろながめて、きっぱりした調子で尋ねた。
「何の用ですか。」
 男は鰐《わに》の媚《こ》び笑いとでも言えるように、歯をむき出して愛相笑いをしながら答えた。
「閣下には方々でお目にかかる光栄を得ましたように覚えております。ことに数年前、バグラシオン大公夫人のお邸《やしき》や、上院議員ダンブレー子爵のお客間などで、お目にかかったように存じております。」
 まったく初対面の人にもどこかで前に会ったような様子をするのは、卑劣な男の巧みな慣用手段である。
 マリユスは男の話に注意していた。しかしいくらその声の調子や身振りに目をつけても、失望は大きくなるばかりだった。鼻にかかった声であって、予期していた鋭いかわいた声音《こわね》とはまったく異なっていた。彼はまったく推定に迷わされた。
「僕は、」と彼は言った、「バグラシオン夫人もダンブレー氏も知りません。まだどちらの家にも足をふみ入れたことはかつてありません。」
 その答えは無愛想だった。それでもなお男は慇懃《いんぎん》に言い続けた。
「ではお目にかかりましたのは、シャトーブリアン氏のお宅でしたでしょう。私はシャトーブリアン氏をよく存じております。なかなか愛想のよいお方です。どうだテナル、いっしょに一杯やろうか、などと時々申されます。」
 マリユスの顔はますます険しくなった。
「僕はまだシャトーブリアン氏の宅に招かれたことはありません。つまらないことはぬきにしましょう。結局どういう用ですか。」
 男はいっそうきびしくなったその声の前に、いっそう低く頭を下げた。
「閣下、まあどうかお聞き下さい。アメリカのパナマに近い地方にジョヤという村がございます。村と申しましても、家は一軒きりございません。堅い煉瓦作りの四階建てになっている大きな四角な家でありまして、その四角の各辺が五百尺もあり、各階は下の階より十二尺ほど引っ込んで、それだけがぐるりと平屋根になっています。中央が中庭で、食料や武器が納められています。窓はなくてみな銃眼になり、戸はなくてみな梯子《はしご》になっています。すなわち地面から二階の平屋根へ上れる梯子、次は二階から三階へ、三階から四階へとなっていまして、また中庭におりられる梯子もあります。室《へや》には扉《とびら》がなくてみな揚げ戸になり、階段がなくてみな梯子になっています。晩になると、揚げ戸をしめ、梯子を引き上げ、トロンブロン銃やカラビン銃を銃眼に備えます。内へはいることは到底できません。昼間は住家で、夜は要塞《ようさい》で、住民は八百人というのがその村のありさまでございます。なぜそんなに用心をするかと申せば、ごく危険な地方だからであります。食人人種がたくさんおります。ではなぜそんな所へ行くかと言いますれば、実に素敵な土地でありまして、黄金が出るからであります。」
「結局どういうことになるんですか。」と失望から性急に変わってマリユスは話をさえぎった。
「こういうことでございます、閣下。私はもう疲れはてた古い外交官であります。古い文明のために力を使い果たしてしまいました。それで一つ野蛮な仕事をやってみようと思っているのでございます。」
「だから?」
「閣下、利己心は世界の大法であります。日傭稼《ひようかせ》ぎの貧乏な田舎女《いなかおんな》は、駅馬車が通れば振り返って見ますが、自分の畑の仕事をしてる地主の女は、振り向きもいたしません。貧乏人の犬は金持ちに吠《ほ》えかかり、金持ちの犬は貧乏人に吠えかかります。みな自分のためばかりです。利益、それが人間の目的であります。金は磁石であります。」
「だから? 結局何ですか。」
「私はジョヤに行って住みたいと思っております。家族は三人で、私の妻に娘、それもごく美しい娘でございます。旅は長くて、金もよほどかかります。私は金が少しいるのでございます。」
「それが何で僕に関係があるんですか。」とマリユスは尋ねた。
 男は首飾りから首を差し出した。禿鷹《はげたか》のよくやる身振りである。そして彼はいっそう笑顔を深めて答えた。
「閣下は私の手紙を御覧になりませんでしたでしょうか。」
 それはほとんどそのとおりであった。実際、手紙の内容にマリユスはよく気を止めなかった。彼は手紙を読んだというよりむしろその手跡を見たのだった。何が書いてあったかはほとんど覚えていなかった。けれどもちょっと前から新しい糸口が現われてきた。彼は「私の妻に娘」という一事に注意をひかれた。そして鋭い目を男の上に据えていた。予審判事といえどもそれにおよぶまいと思われるほど、じっと目を注いでいた。ほとんど待ち伏せをしてるようなありさまだった。それでも彼はただこう答えた。
「要点を言ってもらいましょう。」
 男は二つの内隠しに両手をつき込み、背筋をまっすぐにせずただ頭だけをあげて、こんどはこちらから緑色の眼鏡越しにマリユスの様子をうかがった。
「よろしゅうございます、閣下。要点を申し上げましょう。私は一つ買っていただきたい秘密を手にしております。」
「秘密!」
「秘密でございます。」
「僕に関しての?」
「はい少しばかり。」
「その秘密とはどういうことです?」
 マリユスは相手の言うことに耳を傾けながら、ますます注意深くその様子を観察していた。
「私はまず報酬を願わないでお話しいたしましょう。」と男は言った。「私がおもしろい人物である事もおわかりでございましょう。」
「お話しなさい。」
「閣下、あなたはお邸《やしき》に盗賊と殺人犯とをおいれになっております。」
 マリユスは慄然《りつぜん》とした。
「僕の宅に? いや決して。」と彼は言った。
 男は平然として、肱《ひじ》で帽子の塵《ちり》を払い、言い進んだ。
「人殺しでかつ盗賊であります。よくお聞き下さい、閣下。私が今申し上げますのは、古い時期おくれの干からびた事実ではありません。法律に対しては時効のために消され、神に対しては悔悟のために消されたような、そういう事実ではありません。最近の事実、現在の事実、今にまだ法廷から知られていない事実、それを申してるのであります。続けてお話しいたしますが、その男がうまくあなたの信用を得、名前を変えて御家庭にはいり込んでおります。その本名をお知らせ申しましょう。しかもただでお知らせいたしましょう。」
「聞きましょう。」
「ジャン・ヴァルジャンという名でございます。」
「それは知っています。」
「なお私は報酬も願わないで、彼がどういう人物だかを申し上げましょう。」
「お言いなさい。」
「元は徒刑囚だった身の上です。」
「それは知っています。」
「私が申し上げましたからおわかりになりましたのでしょう。」
「いや。前から知っていたのです。」
 マリユスの冷然たる調子、それは知っています[#「それは知っています」に傍点]という二度の返事、相手に二の句をつがせないような簡明さ、それらは男の内心を多少|激昂《げっこう》さした。彼は憤激した目つきをちらとマリユスに投げつけた。そのまなざしはすぐに隠れて、一瞬の間にすぎなかったが、一度見たら忘れられないようなものだった。マリユスはそれを見のがさなかった。ある種の炎はある種の魂からしか発しない。思想の風窓である眸《ひとみ》は、そのために焼かれてしまう。眼鏡《めがね》もそれを隠すことはできない。地獄にガラスをかぶせたようなものである。
 男はほほえみながら言った。
「私は何も男爵閣下のお言葉に逆らうつもりではございません。がとにかく、私がよく秘密を握っているということは認めていただきたいのでございます。これからお知らせ申し上げますことは、ただ私ひとりしか承知していないことであります。それは男爵夫人閣下の財産に関することでございます。非常な秘密でありまして、金に代えたいつもりでいます。でまず最初閣下にお買い上げを願いたいのです。お安くいたしましょう。二万フランに。」
「その秘密というのも、他の秘密と同様に私は知っています。」とマリユスは言った。
 男はその価を少しく下げる必要を感じた。
「閣下、一万フラン下されば申し上げましょう。」
「繰り返して言うが、君は僕に何も教えるものはないはずです。君が話そうという事柄を僕は皆知っています。」
 男の目には新しいひらめきが浮かんだ。彼は声を高めた。
「それでも私は今日の食を得なければなりません。まったくそれは非常な秘密です。閣下、お話しいたしましょう。お話しいたしましょう。二十フラン恵んで下さい。」
 マリユスは彼をじっと見つめた。
「僕も君の非常な秘密を知っています。ジャン・ヴァルジャンの名前を知ってると同様に、君の名前も知っています。」
「私の名前を?」
「そうです。」
「それはわけもないことでしょう、閣下。私はそれを手紙に書いて差し上げましたし、また自分で申し上げました、テナルと。」
「ディエ。」
「へえ!」
「テナルディエ。」
「それはだれのことでございますか。」
 危険になると、豪猪《やまあらし》は毛を逆立て、甲虫《かぶとむし》は死んだまねをし、昔の近衛兵は方陣を作るが、この男は笑い出した。
 それから彼は上衣の袖《そで》を指で弾《はじ》いてほこりを払った。
 マリユスは続けて言った。
「君はまたそのほか、労働者ジョンドレット、俳優ファバントゥー、詩人ジャンフロー、スペイン人ドン・アルヴァレス、およびバリザールの家内とも言う。」
「何の家内で?」
「なお君は、モンフェルメイュで飲食店をやっていた。」
「飲食店? いえ、どうしまして。」
「そして君の本名はテナルディエというのだ。」
「さようなことはありません。」
「そして君は悪党だ。そら。」
 マリユスはポケットから一枚の紙幣を取り出して、相手の顔に投げつけた。
「ありがとうございます。ごめん下さい。五百フラン! 男爵閣下!」
 男は狼狽《ろうばい》して、お時儀をし、紙幣をつかみ、それを調べた。
「五百フラン!」と彼は茫然《ぼうぜん》として繰り返した。そして半ば口の中でつぶやいた、「いい代物《しろもの》だ!」
 それから突然彼は叫んだ。
「これでいいとしよう。楽にしましょう。」
 そして猿《さる》のような敏捷《びんしょう》さで、髪をうしろになで上げ、眼鏡《めがね》をはずし、二本の羽軸を鼻から引き出してしまい込んだ。その羽軸は上《かみ》に述べておいたもので、また本書の他の所でも読者が既に見てきたものである。かくて彼は、あたかも帽子でも脱ぐようなふうに仮面をはいでしまった。
 その目は輝き出した。所々でこぼこして上の方に醜い皺《しわ》の寄ってる変な額が出てきた。鼻は嘴《くちばし》のようにとがった。肉食獣のような獰猛《どうもう》狡獪《こうかい》な顔つきが現われた。
「男爵の申されるとおりです。」と彼は全く鼻声がなくなった明らかな声で言った。「私はテナルディエです。」
 そして彼は曲がっていた背をまっすぐにした。
 まさしくその男はテナルディエだったので以後そう呼ぶが、テナルディエは非常に驚かされた。もし惑乱し得るとしたら、惑乱するところだった。彼は向こうを驚かすつもりできて、かえって反対に驚かされた。その屈辱は五百フランで償われた。そして結局彼はそれを受け取ってしまった。しかしそれでもやはり惘然《ぼうぜん》とさせられたには違いなかった。
 彼はそのポンメルシー男爵とは初対面だった。そして彼が仮装していたにかかわらず、ポンメルシー男爵は彼を見破り、しかもその奥底までも見て取った。その上男爵は、ただテナルディエのことをよく知ってるのみでなく、またジャン・ヴァルジャンのこともよく知ってるらしかった。かく冷然としてしかも寛厚なるまだ青二才にすぎないこの青年は、そもそもいかなる人物だろうか、人の名前を知っており、その名前をみな知っており、しかも財布の口を開いてくれ、裁判官のように悪人をいじめつけ、しかも欺かれた愚人のように金を出してくれるとは?
 読者の記憶するとおり、テナルディエはかつてマリユスの隣の室に住んでいたけれども、彼を見たことは一度もなかった。そういうことは、パリーでは別に珍しくはない。彼は以前に自分の娘たちから、マリユスというごく貧しい青年が、同じ家に住んでるとぼんやり聞かされた。そしてその顔も知らないで、読者が知るとおりの手紙を彼に書いた。そのマリユスとこのポンメルシー男爵とを結びつけることは、彼の頭の中ではとうていできなかった。
 ポンメルシーという名前については、読者の記憶するとおり、彼はワーテルローの戦場で、ただその終わりの三字([#ここから割り注]訳者注 メルシとはまたありがとうという意味である[#ここで割り注終わり])と解釈しただけであって、ただ一つの感謝の言葉としてあまり注意も払わなかったのは、無理ならぬことである。
 ところで彼は、娘のアゼルマを使って、二月十六日の婚礼の跡を探らせ、また自分でも種々|穿鑿《せんさく》して、ついに多くのことを知るに至り、自分は暗黒の底にいながら、秘密の糸口を数多つかみ得た。そしてある日大|溝渠《こうきょ》の中で出会った男がいかなる人物であったかを、狡智《こうち》によって発見した、あるいは少なくとも帰納的に察知し得た。その名前までも容易に推察した。また、ポンメルシー男爵夫人はコゼットであることをも知っていた。そしてこの方面では、慎重に差し控えた方がいいと思った。コゼットは何者であるか? それは彼にもよくわからなかった。私生児であることは漠然《ばくぜん》とわかっていた。がファンティーヌの話にはどうも怪しいふしがあるように思われた。それを話して何の役に立とう、その口止め料をもらうためにか? 否彼は、それよりも更によい売り物を持っていた、あるいは持ってると思っていた。それに、何らの証拠もなくただ推察だけで、「あなたの夫人は私生児です[#「あなたの夫人は私生児です」に傍点]」とポンメルシー男爵に告げたところで、それはただ夫《おっと》の激怒を買うに過ぎなかったろう。
 テナルディエの考えでは、マリユスとの会話はまだ始まったとも言えないものであった。もとより彼は、一旦退却し、戦略を改め、陣を撤し、方向を変えなければならなかった。けれども、大事な点はまだ先方に知られていないし、ポケットには五百フランせしめていた。その上、いざとなれば言うべきことも持っていたので、深い知識といい武器とをそなえてるポンメルシー男爵に対してもなお、自分の方に強味があると感じていた。テナルディエのような者にとっては、一々の会話が皆戦闘である。さて今始めんとする戦闘においては、彼の地位はどういうものであったか? 彼は相手がいかなる人物であるかを知らなかった、しかし問題がいかなるものであるかを知っていた。彼はすみやかに、自分の武力を心の中で調べてみて、「私はテナルディエです[#「私はテナルディエです」に傍点]」と言った後、先方の様子を待ってみた。
 マリユスは考えに沈んでいた。彼はついにテナルディエを捕《つかま》えたのである。あれほど見つけ出したいと思っていた男が、今目の前にいるのだった。彼はポンメルシー大佐の要求を果たすことができるのだった。あの英雄がこの悪漢に多少なりとも恩を受けていること、墓の底から父が彼マリユスに向かって振り出した手形は今にまだ支払われていないこと、それに彼は屈辱を感じていた。そしてまた、テナルディエに対して複雑な精神状態の中にありながら彼は、大佐がかかる悪漢に救われた不幸について、返報してやる所がなければならないように考えられた。しかしそれはとにかく、彼は満足であった。今や、かかる賤《いや》しい債権者から大佐の影を解き放してやる時がきたのだった。負債の牢獄《ろうごく》から父の記憶を引きぬいてしまう時がきたのだった。
 そういう義務のほかに、彼にはも一つなすべきことがあった。もしできるならばコゼットの財産の出所を明らかにすることだった。今ちょうどその機会がきたように思われた。テナルディエはおそらく何か知ってるに違いなかった。この男を底まで探りつくしたら何かの役に立つかも知れなかった。で彼はまずそれから始めた。
 テナルディエはその「いい代物《しろもの》」を内隠しにしまい込んで、ほとんど媚《こ》びるようにおとなしくマリユスをながめていた。
 マリユスは沈黙を破った。
「テナルディエ、僕は君の名前を言ってやった。そして今また、君のいわゆる秘密、君が僕に知らせようと思ってきたものを、僕から言ってもらいたいのか? 僕もいろいろ知ってることがある。君よりもくわしく知ってるかも知れない。ジャン・ヴァルジャンは、君が言うとおり、人殺しで盗人だ。マドレーヌ氏という富有な工場主を破滅さしてその金を盗んだから、盗人である。警官ジャヴェルを殺害したから、人殺しである。」
「何だかよくわかりかねますが、男爵。」とテナルディエは言った。
「ではよくわからしてあげよう。聞きなさい。一八二二年ごろ、パ・ド・カレー郡に、ひとりの男がいた。彼は以前少しく法律に問われたことのある者だったが、マドレーヌ氏という名前で身を立て名誉を回復していた。まったく一個の正しい人間となっていた。そしてある工業で、黒ガラス玉の製造で、全市を繁昌さした。自分の財産もできたが、それは第二の問題で、言わば偶然にできたのである。それから彼は貧しい人たちの養い親となった。病院を建て学校を開き、病人を見舞い、娘には嫁入じたくをこしらえてやり、寡婦《やもめ》には暮らしを助けてやり、孤児は引き取って育ててやった。ほとんどその地方の守り神だった。彼は勲章を辞退したが、ついに市長に推された。ところがひとりの放免囚徒が、その人の旧悪の秘密を知っていて、その人を告発し捕縛させ、その捕縛に乗じてパリーにやってき、偽署をしてラフィット銀行から――この事実はその銀行の出納係から直接に聞いたことだ――マドレーヌ氏のものである五十万以上の金額を引き出してしまった。そのマドレーヌ氏の金を奪った囚人というのが、すなわちジャン・ヴァルジャンである。またも一つの事実についても、僕は何も君から聞く必要はない。ジャン・ヴァルジャンは警官ジャヴェルを殺した。ピストルで殺した。かく言う僕がその場にいたのだ。」
 テナルディエは厳然たる一瞥《いちべつ》をマリユスに投げた。あたかも一度打ち負けた者が再び勝利に手をつけ、失っていた地歩を一瞬間のうちに取り戻したかのようだった。しかしまたすぐに例の微笑が現われた。上位の者に対しては、下位の者はただ気兼ねした勝利をしか持ち得ないものである。テナルディエはただこれだけマリユスに言った。
「男爵は、何だか筋道が違っていますようですが。」
 そう言いながら彼は、時計の飾り玉を意味ありげにひねくってそれに力を添えた。
「なに!」とマリユスは言った、「君はそれに抗弁するのか。それは実際の事実だ。」
「いえ、譫言《うわごと》みたいなものです。男爵も打ち明けて言われましたから、私の方でも打ち明けて申しましょう。何よりもまず真実と正義とが第一です。私は不正な罪を被ってる者を見るのを好みません。男爵、ジャン・ヴァルジャンはマドレーヌ氏のものを盗んではいません。ジャン・ヴァルジャンはジャヴェルを殺してはいません。」
「何だと! それはどうしてだ?」
「二つの理由からです。」
「どういう理由だ? 言ってみなさい。」
「第一はこうです。彼はマドレーヌ氏のものを盗んだというわけにはなりません、ジャン・ヴァルジャン自身がマドレーヌ氏であるからには。」
「何を言うんだ。」
「そして第二はこうです。彼はジャヴェルを殺したはずはありません、ジャヴェルを殺したのはジャヴェル自身であるからには。」
「と言うと?」
「ジャヴェルは自殺したのです。」
「証拠があるか、証拠が!」とマリユスは我を忘れて叫んだ。
 テナルディエはあたかも古詩の句格めいた調子で言った。
「警官……ジャヴェルは……ポン・トー・シャンジュの橋の……小船の下に……おぼれて……いました。」
「それを証明してみなさい!」
 テナルディエは腋《わき》のポケットから、大きな灰色の紙包みを取り出した。種々の大きさにたたんだ紙が中にはいっているらしく見えた。
「私は記録を持っています。」と彼は落ち着いて答えた。
 そしてまた言い添えた。
「男爵、私はあなたのために、このジャン・ヴァルジャンのことをすっかり探り出そうと思いました。私はジャン・ヴァルジャンとマドレーヌとは同一人であると申しましたし、ジャヴェルを殺したのはジャヴェル自身にほかならないと申しましたが、そう申すにはもとより証拠があってのことです。しかも手で書いた証拠ではありません。書いたものは疑うこともでき、またどうにでもなるものです。けれども私が持ってるのは、印刷した証拠物であります。」
 そう言いながらテナルディエは、黄ばみがかって色が褪《あ》せてしかも強い煙草《たばこ》のにおいがする二枚の新聞紙を、包みの中から引き出した。そのうちの一枚は、折り目が破れて四角な紙片に切れており、も一枚のよりずっと古いものらしかった。
「二つの事実と二つの証拠です。」とテナルディエは言った。そして彼はひろげた二枚の新聞紙をマリユスに差し出した。
 その二枚の新聞は、読者の知ってるものである。古い方のは、一八二三年七月二十五日のドラポー・ブラン紙の一枚であって、その記事は本書の第二部第二編第一章で読者が見たとおり、マドレーヌ氏とジャン・ヴァルジャンとが同一人である事を証明するものだった。もう一枚は、一八三二年六月十五日の機関紙であって、ジャヴェルの自殺を証明し、なおジャヴェルが自ら警視総監に語った口頭の報告が添えてあった。その報告によれば、ジャヴェルはシャンヴルリー街の防寨《ぼうさい》で捕虜になったが、ひとりの暴徒がピストルをもって彼を手中のものにしながら、彼の頭を射|貫《ぬ》かないで空に向けて発射し、その寛大なはからいのために一命を助かったというのだった。
 マリユスは読んだ。その中には明らかな事実があり、確かな日付けがあり、疑うべからざる証拠があった。その二枚の新聞紙は、テナルディエが自説を支持するためにことさら印刷さしたものではなかった。機関紙に掲げられた記事は、警視庁から公《おおやけ》に発表したものだった。マリユスも疑う余地を見いださなかった。銀行の出納係が伝えた話はまちがっていて、彼自身も誤解をしていたのだった。ジャン・ヴァルジャンはにわかに偉大なものとなって、雲の中から現われてきた。マリユスは喜びの叫びを自らおさえることができなかった。
「それでは、あのあわれむべき男は、驚くべきりっぱな人物だったのか! あの財産はまったく彼自身のものだったのか! 一地方全体の守護神たるマドレーヌであり、ジャヴェルの救い主たるジャン・ヴァルジャンであるとは! 実に英雄だ、聖者だ!」
「いえあの男は、聖者でも英雄でもありません。」とテナルディエは言った。「人殺しで盗賊です。」
 そして彼は自らある権威を感じ始めたような調子で付け加えた。「落ち着いてお話しましょう。」
 盗賊、人殺し、もはや消え去ったと信じていたらそれらの言葉が再び現われて落ちかかってきたので、マリユスは氷の雨に打たれるような思いがした。
「それでもやはり!」と彼は言った。
「そうですとも。」とテナルディエは言った。「ジャン・ヴァルジャンはマドレーヌのものを盗みはしませんでしたが、やはり盗賊です。ジャヴェルを殺しはしませんが、やはり人殺しです。」
「君はあの、」とマリユスは言った、「四十年前の盗みを言うのだろう。あれならば、その新聞にもあるとおり、悔悟と克己と徳操との生涯で贖《あがな》われている。」
「男爵、私は殺害と窃盗と申すのです。しかも繰り返して言いますが、現在の事実です。あなたにこれからお知らせいたしますことは、まったくだれも知らないことであります。まだ世間に発表されていないことであります。そしてたぶんあなたは、ジャン・ヴァルジャンから巧みに男爵夫人へ贈られた財産の出所も、それでおわかりになりますでしょう。私は特に巧みにと申しますが、実際そういう種類の寄贈によって、名誉ある家にもぐり込み、その安楽にあずかり、同時にまた、自分の罪悪を隠し、盗んだものをおもしろく使い、名前を包み、家庭の人となるのですから、まあまずいやり方ではありません。」
「そう言うなら、僕にも言うべきことがある。」とマリユスは口を入れた。「だがまあ続けて話してみなさい。」
「男爵、私はあなたにすべてを包まず申しましょう。報酬の方は、あなたの寛大なおぼしめしにお任せいたします。その秘密は黄金《こがね》の山を積んでもよろしいものです。こう申しますと、なぜジャン・ヴァルジャンの方へ行かないのかと言われるかも知れませんが、それはごく簡単な理由からであります。彼がすっかり金を出してしまったことを、しかもあなたのために出してしまったことを、私は存じております。そのやり方は実に巧《うま》いものだと思います。ところで彼はもう一文も持ってはいませんので、ただ私に空《から》っぽの手を開いて見せるほかはありますまい。それに私は、ジョヤまで行くのに少し金がいりますので、何も持たない彼の所よりも、何でも持っておいでになるあなたの方へ参ったのであります。ああ少し疲れましたから、どうか椅子《いす》にすわることを許して下さい。」
 マリユスは腰をおろし、彼にもすわるように身振りをした。
 テナルディエはボタン締めの椅子《いす》に腰をおろし、二枚の新聞紙を取り、それを包み紙の中にまたたたみ込みながら、ドラポー・ブラン紙を爪《つめ》ではじいてつぶやいた、「こいつ、手に入れるのにずいぶん骨を折らせやがった。」それから彼は膝《ひざ》を重ね、椅子の背によりかかった。自分の語ろうとする事に対して安心しきってる者が取る態度である。そしていよいよ、落ち着き払い一語一語力を入れて、本題にとりかかった。
「男爵、今からおおよそ一年ばかり前、一八三二年六月六日、あの暴動のありました日、パリーの大下水道の中に、アンヴァリード橋とイエナ橋との間のセーヌ川への出口の所に、ひとりの男がいました。」
 マリユスはにわかに自分の椅子を、テナルディエの椅子に近寄せた。テナルディエはその動作に目を注いで、相手の心をとらえ一語一語に相手の胸のとどろきを感ずる弁士のように、おもむろに続けていった。
「その男は、政治とは別なある理由のために身を隠さなければならないので、下水道を住居として、そこへはいる鍵《かぎ》を持っていました。重ねて申しますが、それは六月六日でした。晩の八時ごろだったでしょう。その男は、下水道の中に物音を聞いて、非常に驚き、身を潜めて待ち受けました。物音というのは人の足音で、何者かが暗闇《くらやみ》の中を歩いて、彼の方へやってきました。不思議なことに、彼以外にもひとり下水道の中にいたのです。下水道の出口の鉄格子《てつごうし》は遠くありませんでした。それからもれて来るわずかな光で、彼は新らしくきた男が何者であるかを見て取り、また背中に何かかついでるのを知りました。その男は背をかがめて歩いていました。それは前徒刑囚で、肩に担《にな》ってるのは一つの死体でした。でまあ言わば、殺害の現行犯です。窃盗の方はそれから自然にわかることです。人はただで他人を殺すものではありません。その囚徒は死体を川に投げ込むつもりだったのです。なお一つ注意までに申しますと、出口の鉄格子《てつごうし》の所までたどりつく前に、下水道の中を遠くからやってきたその囚徒は、恐ろしい泥濘孔《どろあな》に必ず出会ったはずで、そこに死体をほうり込んで来ることもできたわけです。しかし、明日《あす》にも下水人夫がその泥濘孔を掃除に来れば、殺された男を見つけ出すかも知れません。殺した方ではそんなことをいやがったのです。そしてむしろ泥濘孔を、荷をかついだまま通りぬけて来ることにきめたのです。どれほど大変な努力をしたかは察しられます。それくらい危険なことはまたとあるものではありません。よく死なずに通りぬけてこられたのが不思議なほどです。」
 マリユスの椅子《いす》は更に近寄った。テナルディエはそれに乗じて長く息をついて、言い続けた。
「閣下、下水道は広い練兵場とは違います。隠れる物は何もなく、身を置く所さえないくらいです。そこにふたりの男がいれば、互いに顔を合わさないわけにはゆきません。そのふたりも出会いました。そこに住んでいる男とそこを通りぬけようとしてる男とは、互いに困ったとは思いながらも、あいさつをかわさないわけにはゆきませんでした。通りぬけようとしてる男は、そこに住んでる男に言いました。『お前には俺の背中のものが何だかわかるだろう[#「お前には俺の背中のものが何だかわかるだろう」に傍点]。俺は出なけりゃならねえ[#「俺は出なけりゃならねえ」に傍点]。お前は鍵を持ってるようだから[#「お前は鍵を持ってるようだから」に傍点]、それを俺に貸してくれ[#「それを俺に貸してくれ」に傍点]。』ところで、その囚徒は恐ろしく強い奴《やつ》でした。拒むわけにはゆきません。けれども鍵《かぎ》を持ってる男は、ただ時間を延ばすためにいろんなことをしゃべりました。彼はその死んだ男をよく見ましたが、ただ年が若く、りっぱな服装《なり》をして金持ちらしく、また血のために顔の形もわからなくなってるというほかは、何にもよくわかりませんでした。それで、しゃべってるうちに彼は、人殺しの男に気づかれないように、そっとうしろから、殺された男の上衣の端を裂き取りました。言うまでもなく証拠品としてです。それによって事件を探索し犯罪者にその犯罪の証拠品をつきつけてやるためです。彼はその証拠品をポケットにしまいました。それから彼は、鉄格子を開き、相手の男をその背中の厄介物と共に外へ送り出し、鉄格子をまた閉ざし、そして逃げてしまいました。事件にそれ以上関係したくないと思い、ことに殺害者がその被害者を川に投げ込む時その近くにいたくないと思ったからでした。で、これまでお話し申せばもう充分おわかりでしょう。死体をかついでいたのはジャン・ヴァルジャンです。鍵《かぎ》を持っていたのは、現にかく申し上げてる私です。そして上衣の布片《きれ》は……。」
 そしてテナルディエは、一面に黒ずんだ汚点のついてる引き裂けた黒ラシャの一片を、ポケットから取り出し、両手の親指と人差し指とでつまんでひろげながら、それを目の所まで上げて、物語の結末とした。
 マリユスは色を変えて立ち上がり、ほとんど息もつけないで黒ラシャの一片を見つめ、一言も発せず、その布片から目を離しもせず、壁の方へ退《さが》ってゆき、うしろに差し出した右手で壁の上をなでながら、暖炉のそばの戸棚の錠前についていた一本の鍵をさがした。そしてその鍵を探りあて、戸棚《とだな》を開き、なおテナルディエがひろげてる布片から驚きの眸《ひとみ》を離さず、後ろ向きのまま戸棚の中に腕を差し伸ばした。
 その間テナルディエは言い続けていた。
「男爵、その殺された青年は、ジャン・ヴァルジャンの罠《わな》にかかったどこかの金持ちで、大金を所持していたものだと思える理由が、いくらもあります。」
「その青年は僕だ、その上衣はこれだ!」とマリユスは叫んだ。そして血に染《そ》んだ古い黒の上衣を床《ゆか》の上に投げ出した。
 彼はテナルディエの手から布片を引ったくり、上衣の上に身をかがめ、裂き取られた一片を裂けてる据《すそ》の所へあててみた。裂け目はきっかり合って、その布片のために上衣は完全なものとなった。
 テナルディエは茫然《ぼうぜん》とした。「こいつはやられたかな、」と彼は考えた。
 マリユスは身を震わし、絶望し、また驚喜して、すっくとつっ立った。
 彼はポケットの中を探り、恐ろしい様子でテナルディエの方へ進み寄り、五百フランと千フランとの紙幣をいっぱい握りつめた拳《こぶし》を差し出し、彼の顔につきつけた。
「君は恥知らずだ! 君は嘘《うそ》つきで、中傷家で、悪党だ! 君はあの人に罪を着せるためにやってきて、かえってあの人を公明なものにした。あの人を破滅させようとして、かえってあの人をりっぱな者にした。そして君こそ盗賊だ。君こそ人殺しだ。おいテナルディエ・ジョンドレット、君がオピタル大通りの破家《あばらや》にいた所を、僕は見て知っている。君を徒刑場へ送るだけの材料を、いやそれよりもっと以上の所へ送るだけの材料を、僕は握っている。さあ、悪者の君に、千フランだけ恵んでやる。」
 そして彼は一枚の千フラン紙幣をテナルディエへ投げつけた。
「おいジョンドレット・テナルディエ、卑劣きわまる悪漢、これは君にいい見せしめだ、秘密を売り歩き、内密なことを商売にし、暗闇《くらやみ》の中を漁《あさ》り回る、みじめな奴《やつ》! この五百フランもくれてやる。拾ったらここを出ていっちまえ! それもワーテルローのお陰だ。」
「ワーテルロー!」とテナルディエは五百フランを千フランと共にポケットにしまいながらつぶやいた。
「そうだ、人殺しめが! 君はそこで……大佐の命を救った。」
「将軍ので。」とテナルディエは頭を上げながら言った。
「大佐だ!」とマリユスは憤然として言った。「将軍なら一文もやりはしない。それから君は、また悪事をしにここへきた。君は既にある限りの罪悪を犯している。どこへなりと行くがいい、姿を消してしまうがいい。ただ楽に暮らすようにと、それだけ僕は希望しておく。さあ、ここにまだ三千フランある。それを持ってゆけ。明日《あした》からでもアメリカへ行くがいい、娘といっしょに。君の妻はもう死んでいる、けしからん嘘《うそ》つきめが! 出発の時には僕が見届けてやる、そしてその時二万フランは恵んでやる。どこへなりと行ってくたばってしまえ!」
「男爵閣下、」とテナルディエは足下まで頭を下げながら答えた、「御恩は長く忘れません。」
 そしてテナルディエは何にもわけがわからず、黄金の袋で打ちのめされ、頭の上に紙幣をまき散らす雷電に打たれ、ただあっけに取られたまま狂喜して、そこを出て行った。
 彼はまったく雷に打たれたと同じだったが、しかしまた満足でもあった。もしその雷に対して避雷針を持っていたならば、かえって不満な結果となってたであろう。
 ここにすぐ、この男のことを片づけておこう。今述べてる事件から二日の後、彼はマリユスの世話によって、名前を変え、娘のアゼルマを連れ、ニューヨークで受け取れる二万フランの手形を持ち、アメリカへ向かって出発した。一度踏みはずしたテナルディエのみじめな徳性は、もはや矯正すべからざるものになっていた。彼はアメリカへ行っても、ヨーロッパにいる時と同様だった。悪人が手を触るる時には、善行も往々にして腐敗し、それから更に悪事が出てくるようになる。マリユスからもらった金で、テナルディエは奴隷売買を始めた。
 テナルディエが出てゆくや否や、マリユスは庭に走っていった。コゼットはまだ散歩していた。
「コゼット! コゼット!」と彼は叫んだ。「おいで、早くおいで! すぐに行くのだ。バスク、辻馬車《つじばしゃ》を一つ呼んでこい。コゼット、おいで。ああ、僕の命を救ってくれたのはあの人だった。一刻も遅らしてはいけない。すぐ肩掛けをつけるんだ。」
 コゼットは彼が気でも狂ったのかと思ったが、その言葉どおりにした。
 彼は息もつけないで、胸に手をあてて動悸《どうき》を押ししずめようとしていた。彼は大胯《おおまた》に歩き回った。コゼットを抱いて言った。
「ああ、コゼット、僕は実にあわれむべき人間だ!」
 マリユスは熱狂していた。彼はジャン・ヴァルジャンのうちに、高いほの暗い言い知れぬ姿を認め始めた。非凡な徳操の姿が彼に現われてきた。最高にしてしかもやさしい徳であり、広大なるためにかえって謙譲なる徳であった。徒刑囚の姿はキリストの姿と変わった。マリユスはその異変に眩惑《げんわく》した。彼は自分の今ながめているものがただ偉大であるというほか、何にもはっきりとわからなかった。
 間もなく一台の辻馬車が門前にやってきた。
 マリユスはそれにコゼットを乗せ、次に自分も飛び乗った。
「御者、」と彼は言った、「オンム・アルメ街七番地だ。」
 馬車は出かけた。
「まあうれしいこと!」とコゼットは言った、「オンム・アルメ街なのね。私は今まで言い出しかねていましたのよ。私たちはジャンさんに会いに行くんですわね。」
「お前のお父《とう》さんだ、コゼット、今こそお前のお父さんだ。コゼット、僕にはもうすっかりのみ込めた。お前はガヴローシュに持たしてやった僕の手紙を受け取らなかったと言ったね。きっとあの人の手に落ちたに違いない。それで僕を救いに防寨《ぼうさい》へきて下すったのだ。そして、天使となるのがあの人の務めでもあるように、ついでに他の人たちをも救われたのだ。ジャヴェルをも救われた。僕をお前に与えるために、あの深淵《しんえん》の中から僕を引き出して下すった。僕を背中にかついで、あの恐ろしい下水道を通られた。ああ僕は実に恐ろしい恩知らずだ。コゼット、あの人はお前の守り神だった後、僕の守り神になられた。まあ考えてもごらん、恐ろしい泥濘孔《どろあな》があったのだ、必ずおぼれてしまうような所が、泥の中におぼれてしまうような所が、コゼット、それをあの人は僕をつれて渡られた。僕は気を失っていた。何にも見えず、何にも聞こえず、自分がどんなことになってるか知ることができなかったのだ。僕たちはあの人を連れ戻し、否でも応でも家に引き取り、もう決して離すことではない。ああ家にいて下さればいいが、すぐ会えればいいが! 僕はこれから一生あの人を敬い通そう。そうだ、そうしなければいけない、そうだろう、コゼット。ガヴローシュが僕の手紙を渡したのは、あの人へだったに違いない。それですっかりわかる。お前にもわかったろう。」
 コゼットには一言《ひとこと》もわからなかった。
「おっしゃる通りですわ。」と彼女は言った。
 馬車はそのうちにも駛《はせ》っていた。

     五 背後に昼を有する夜

 扉《とびら》をたたく音を聞いてジャン・ヴァルジャンは振り向いた。
「おはいり。」と彼は弱々しく言った。
 扉は開かれた。コゼットとマリユスとが現われた。
 コゼットは室の中に飛び込んできた。
 マリユスは扉の框《かまち》によりかかって、閾《しきい》の上にたたずんだ。
「コゼット!」とジャン・ヴァルジャンは言った。そして蒼白《そうはく》な昏迷《こんめい》した凄惨《せいさん》な様子で、目には無限の喜びを浮かべ、震える両腕を開いて、椅子《いす》の上に身を起こした。
 コゼットは激しい感動に息もふさがって、ジャン・ヴァルジャンの胸に身を投げた。
「お父様!」と彼女は言った。
 ジャン・ヴァルジャンは心転倒して、ようやくにつぶやいた。
「コゼット! 彼女! あなた、奥さん! お前だったか! ああ!」
 そしてコゼットの腕に抱きしめられて、彼は叫んだ。
「お前だったか! きてくれたか! では私を許してくれるんだね。」
 マリユスは涙を落とすまいとして眼瞼《まぶた》を下げながら、一歩進み出て、泣き声をおさえようとしてびくびく震えてる脣《くちびる》の間からつぶやいた。
「お父さん!」
「おおあなたも、あなたは私を許して下さるのですね!」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 マリユスは一言も発し得なかった。ジャン・ヴァルジャンは言い添えた。「ありがとう。」
 コゼットは肩掛けをぬぎ捨て、帽子を寝台の上に投げやった。
「邪魔だわ。」と彼女は言った。
 そして老人の膝《ひざ》の上にすわりながら、得も言えぬやさしい手つきで彼の白髪を払いのけ、その額に脣《くち》づけをした。
 ジャン・ヴァルジャンは惘然《ぼうぜん》として、されるままになっていた。
 コゼットはただ漠然《ばくぜん》としか事情を了解していなかったが、あたかもマリユスの負い目を払ってやりたいと思ってるかのように、いっそう親愛の度を強めていた。
 ジャン・ヴァルジャンは口ごもりながら言った。
「人間というものは実に愚かなものです。私はもう彼女に会えないと思っていました。考えてもごらんなさい、ポンメルシーさん、ちょうどあなたがはいってこられる時、私はこう自分で言っていました。万事終わった、そこに彼女の小さな長衣がある、私はみじめな男だ、もうコゼットにも会えないのだ、と私はそんなことを、あなたが階段を上ってこられる時言っていました。実に私はばかではありませんか。それほど人間はばかなものです。しかしそれは神を頭に置いていないからです。神はこう言われます。お前は人から見捨てられるだろうと思うのか、ばかな、いや決して、そんなことになるものではないと。ところで、天使をひとり必要とするあわれな老人がいるとします。すると天使がやってきます。コゼットにまた会います。かわいいコゼットにまた会います。ああ、私は実に不幸でした。」
 彼はそれからちょっと口がきけなかった。がまた言い続けた。
「私は実際、ごく時々でもコゼットに会いたかったのです。人の心は噛《か》みしめるべき骨を一つほしがるものです。けれどもまた、自分はよけいな者だと私は感じていました。あの人たちにはお前はいらない、お前は自分の片すみに引っ込んでいるがよい、人はいつでも同じようにしてることはできないものだ、そう私は自分で自分に言いきかせました。ああしかし、ありがたいことには、私はまた彼女に会った! ねえコゼット、お前の夫《おっと》は実にりっぱだ。ああお前はちょうど、刺繍したきれいな襟《えり》をつけているね。私はその模様が好きだ。夫から選んでもらったのだろうね。それからお前にはカシミヤがよく似合うから是非買ってごらん。ああポンメルシーさん、私に彼女をお前と呼ばして下さい。わずかの間ですから。」
 コゼットは言い出した。
「あんなに私共を見限ってしまうなんて、何という意地悪でしょう。いったいどこへいらしたの、何でこう長く行っていらしたの? 昔は、旅はいつも三、四日だけだったではありませんか。私はニコレットをやりましたが、いつもきまってお留守だという答えきりだったんですもの。いつからお戻りになっていましたの。なぜお知らせなさいませんでしたの。ほんとに様子も大変お変わりになっていますよ。まあ、悪いお父様ね! 御病気だったのでしょう、そして私どもにお知らせなさらなかったのでしょう。マリユス、この手にさわってみてごらんなさい、冷たいこと!」
「こうしてあなたもきて下すったのですね、ポンメルシーさん、あなたは私を許して下さるのですね!」とジャン・ヴァルジャンは繰り返した。
 ジャン・ヴァルジャンが二度言ったその言葉に、マリユスの心にいっぱいたまっていたものが出口を得て、彼は急に言い出した。
「コゼット、聞いたか、この方《かた》はいつもこうだ、いつも僕に許しを求めなさる。しかも僕にどんなことをして下すったか、お前は知ってるか、コゼット。この方は僕の命を救って下すった。いやそれ以上をして下すった。お前を僕に与えて下すった。そして、僕を救って下すった後、お前を僕に与えて下すった後、コゼット、自分をどうされたか? 自分の身を犠牲にされたのだ。実にりっぱな方だ。しかも、その恩知らずの僕に、忘れっぽい僕に、無慈悲な僕に、罪人の僕に、ありがとうと言われる。コゼット、僕は一生涯この方の足下にひざまずいても、なお足りないのだ。あの防寨《ぼうさい》、下水道、熱火の中、汚水の中、それを通ってこられたのだ、僕のために、お前のために、コゼット! あの死ぬばかりの所を通って僕を運んできて下すった。僕を死から助け出し、しかも御自分は甘んじて生命を危険にさらされた。あらゆる勇気、あらゆる徳、あらゆる勇壮、あらゆる高潔、それらをすべて持っていられる。コゼット、この方こそ実に天使だ!」
「ま、まあ!」とジャン・ヴァルジャンは低く言った。「なぜそんなことを言われるのです。」
「だがあなたこそ、」とマリユスは崇敬の念のこもった奮激をもって叫んだ。「なぜそれを言われなかったのです? あなたも悪い。人の命を助けておいて、それを隠すなんて! その上になお、自分の素性を語るという口実の下に、自分自身を誹謗《ひぼう》なすった。実にひどいことです。」
「私は真実を申したのです。」とジャン・ヴァルジャンは答えた。
「いや、」とマリユスは言った、「真実はすべてでなければいけません。あなたはすべてを申されなかった。あなたはマドレーヌ氏であったのに、なぜそれを言われませんでした。あなたはジャヴェルを救ったのに、なぜそれを言われませんでした。私はあなたに命の恩になってるのに、なぜそれを言われませんでした。」
「なぜといって、私もあなたと同じように考えたからです。あなたの考えはもっともだと思いました。私は去らなければいけなかったのです。もしあの下水道のことを知られたら、私をそばに引き止められたに違いありません。それで私は黙っていなければなりませんでした。もしそれを私が話したら、まったく困ることになったでしょう。」
「何が困るのです、だれが困るのです!」とマリユスは言った。「あなたはここにこのままおられるつもりですか。私どもはあなたをお連れします。ああ、偶然ああいうことを知った時のことを考えると! 是非とも私どもはあなたを連れてゆきます。あなたは私どもの一部です。あなたは彼女の父で、また私の父です。もう一日もこのひどい家で過ごされてはいけません。明日《あした》もここにいるなどと考えられてはいけません。」
「明日は、」とジャン・ヴァルジャンは言った。「私はもうここにいますまい、しかしあなたの家にもいますまい。」
「それはどういうことです?」とマリユスは答え返した。「ああそうですか、いやもう旅もお許ししません。もう私どものそばを離れられてはいけません。あなたは私どものものです。決してあなたを離しません。」
「こんどこそは是非そうします。」とコゼットも言い添えた。「下に馬車も待たしてあります。私あなたを連れてゆきます。やむを得なければ力ずくでもかついでゆきます。」
 そして笑いながら彼女は、老人を両腕に持ち上げるような身振りをした。
「あなたのお室《へや》は、まだ私どもの家にそのままになっています。」と彼女は言い進んだ。「この頃はまあどんなに庭がきれいになったでしょう! 躑躅《つつじ》が大変みごとになりました。道には川砂を敷きましたし、菫色《すみれいろ》の小さな貝殻も交じっています。私の苺《いちご》も食べていただきましょう。私がそれに水をやっていますのよ。そしてもう、奥さんというのもやめ、ジャンさんというのもやめ、私どもは共和政治になり、みんなお前[#「お前」に傍点]と言うことにしましょう、ねえ、マリユス。番付けが変わったのよ。それからお父様、私はほんとに悲しいことがありましたの。壁の穴の中に駒鳥《こまどり》が一匹巣をこしらえていましたが、それを恐ろしい猫《ねこ》が食べてしまいました。巣の窓から頭を差し出していつも私を見てくれた、ほんとにかわいい小さな駒鳥でしたのに! 私泣きましたわ。猫を殺してやりたいほどでしたの。でもこれからは、もうだれも泣かないことにしましょう。みんな笑うんですわ、みんな幸福になるんですわ。あなたは私どもの所へいらっしゃいますでしょうね。お祖父《じい》様もどんなに御満足なさるでしょう。庭に畑を差し上げますから、何かお作りなさいましよ。あなたの苺が私の苺の相手になれるかどうか、競争をしてみましょう。それからまた、私は何でもあなたのお望みどおりにいたしましょう。そしてまた、あなたも私の言うことを聞いて下さいますのよ。」
 ジャン・ヴァルジャンはそれをよく聞かないでただぼんやり耳にしていた。その言葉の意味よりむしろその声の音楽を聞いていた。魂の沈痛な真珠である大きな涙の一滴が、しだいに彼の目の中に宿ってきた。彼はつぶやいた。
「彼女がきてくれたことは、神が親切であらるる証拠だ。」
「お父様!」とコゼットは言った。
 ジャン・ヴァルジャンは続けて言った。
「いっしょに住むのは楽しいことに違いない。木には小鳥がいっぱいいる。私はコゼットと共に散歩する。毎日あいさつをかわし、庭で呼び合う、いきいきした人たちの仲間にはいる、それは快いことだろう。朝から互いに顔を合わせる。めいめい庭の片すみを耕す、彼女はその苺《いちご》を私に食べさせ、私は自分の薔薇《ばら》を彼女につんでやる。楽しいことだろう。ただ……。」
 彼は言葉をとぎらして、静かに言った。
「残念なことだ。」
 涙は落ちずに、元へ戻ってしまった。ジャン・ヴァルジャンは涙を流す代わりにほほえんだ。
 コゼットは老人の両手を自分の両手に取った。
「まあ!」と彼女は言った、「お手が前よりいっそう冷たくなっています。御病気ですか。どこかお苦しくって?」
「私? いや、」とジャン・ヴァルジャンは答えた、「私は病気ではない。ただ……。」
 彼は言いやめた。
「ただ、何ですの?」
「私はもうじきに死ぬ。」
 コゼットとマリユスとは震え上がった。
「死ぬ!」とマリユスは叫んだ。
「ええ、しかしそれは何でもありません。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 彼は息をつき、ほほえみ、そしてまた言った。
「コゼット、お前は私に話をしていたね。続けておくれ。もっと話しておくれ。お前のかわいい駒鳥《こまどり》が死んだと、それから、さあお前の声を私に聞かしておくれ!」
 マリユスは石のようになって、老人をながめていた。
 コゼットは張り裂けるような声を上げた。
「お父様、私のお父様! あなたは生きておいでになります。ずっと生きられます、私が生かしてあげます、ねえお父様!」
 ジャン・ヴァルジャンはかわいくてたまらないような様子で彼女の方へ頭を上げた。
「そう、私を死なないようにしておくれ。あるいはお前の言うとおりになるかも知れない。お前たちがきた時私は死にかかっていた。ところがお前たちがきたのでそのままになっている。何だか生き返ったような気もする。」
「あなたにはまだ充分力もあり元気もあります。」とマリユスは叫んだ。「そんなふうで死ぬものだと思っていられるのですか。いろいろ心配もあられましたでしょうが、これからもうなくなります。お許しを願うのは私の方です、膝《ひざ》をついてお願いします! お生きになれます、私どもといっしょに、そして長く、お生きになれます。あなたにまたきていただきます。私たちふたりが、あなたの幸福という一つの考えしかもう持っていない私たちふたりが、ここについております。」
「おわかりでしょう、」とコゼットは涙にまみれながら言った、「お死にはなさらないとマリユスも言っています。」
 ジャン・ヴァルジャンはほほえみ続けていた。
「あなたが私をまた引き取って下すっても、ポンメルシーさん、それで私はこれまでと変わった者になるでしょうか。いや、神はあなたや私と同じように考えられて、決してその意見を変えられはしません。私が逝《い》ってしまうのはためになることです。死はよい処置です。神は、私どもがどうなればよいかを私どもよりよく知っていられます。あなたが幸福であられること、ポンメルシー氏がコゼットを得ること、青春は朝を娶《めと》ること、あなた方ふたりのまわりにはライラックの花や鶯《うぐいす》がいること、あなた方の生活は日の輝いた芝生のようであること、天の喜びがあなた方の魂を満たすこと、そして今、もう何の役にも立たない私は、死んでゆくこと、すべてそれらは正しいことに違いありません。まあよく考えてみて下さい、今はもう何にもなすべきことはありません。私は万事終わったのだとはっきり感じています、一時間前に、私は一時気を失いました。そしてまた昨晩、私はそこにある水差しの水をみな飲みました。コゼット、お前の夫《おっと》は実にいい方だ、お前は私といっしょにいるよりはずっと仕合わせだ。」
 扉の音がした。はいってきたのは医者だった。
「お目にかかって、またすぐお別れです、先生。」とジャン・ヴァルジャンは言った、「これは私の子供たちです。」
 マリユスは医者に近寄った。彼はただ、「先生?……」と一言言いかけた。その調子には充分な問いが含まっていた。
 医者は意味深い一瞥《いちべつ》でその問いに答えた。
「万事が望みどおりにならないからといって、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「それで神を恨んではいけない。」
 沈黙が落ちてきた。皆の胸は圧《おさ》えつけられていた。
 ジャン・ヴァルジャンはコゼットの方を向いた。彼は永久に失うまいとするように彼女をながめ始めた。彼は既に深い影の底に沈んではいたが、なおコゼットをながめて恍惚《こうこつ》たることができた。彼女のやさしい顔の反映が彼の蒼白な面《おもて》を照らしていた。墳墓にもその歓喜の情があり得る。
 医者は彼の脈を診《み》た。
「ああ御病人に必要なのはあなた方でした。」と彼はコゼットとマリユスとをながめながらつぶやいた。
 そして彼はマリユスの耳元に身をかがめてごく低く言い添えた。
「もう手おくれです。」
 ジャン・ヴァルジャンはなおほとんどコゼットをながめることをやめないで、心朗らかな様子をしてマリユスと医者とをじろりと見た。そして彼の口から聞き分け難い次の言葉がもれた。
「死ぬのは何でもないことだ。生きられないのは恐ろしいことだ。」
 突然彼は立ち上がった。かくにわかに力が戻ってくるのは、時によると臨終の苦悶《くもん》の徴候である。彼はしっかりした足取りで壁の所まで歩いてゆき、彼を助けようとしたマリユスと医者とを払いのけ、壁にかかってる小さな銅の十字架像をはずし、また戻ってきて、健全な者のように自由な動作で腰をおろした。そして十字架像をテーブルの上に置きながら、高い声で言った。
「実に偉大な殉教者だ。」
 それから、彼の胸は落ちくぼみ、頭は震え動き、あたかも死に酔わされたかのようになって、両膝《りょうひざ》の上に置かれた両手はズボンの布に爪《つめ》を立てはじめた。
 コゼットは彼の肩をささえ、すすり泣きながら、彼に何か言おうとつとめたが、それもできなかった。ただ、涙の交じった痛ましい唾液《だえき》とともに出て来る単語のうちに、次のような言葉がようやく聞き取られた。「お父様! 私たちのもとを離れて下さいますな。せっかくお目に掛かったままお別れになるなどということが、あるものでございましょうか。」
 臨終の苦悶《くもん》は紆余《うよ》曲折すると言い得る。あるいは行き、あるいはきたり、あるいは墳墓の方へ進み、あるいは生命の方へ戻ってくる。死んでゆくことのうちには暗中模索の動作がある。
 ジャン・ヴァルジャンはその半ば失神の状態の後、再び気を取り直し、あたかも暗黒の影を払い落とそうとするように額を振り立て、ほとんどまったく正気に返った。彼はコゼットの袖《そで》の一|襞《ひだ》を取り、それに脣《くちびる》をあてた。
「回復してきました、先生、回復してきました!」とマリユスは叫んだ。
「あなた方はふたりともいい人だ。」とジャン・ヴァルジャンは言った。「今私の心を苦しめてる事は何であるか、言ってみましょう。私の心を苦しめる事は、ポンメルシーさん、あなたがあの金に手をつけようとされないことです。あの金は、まさしくあなたの奥さんのものです。そのわけを今ふたりに言ってきかしてあげます。私があなた方に会ったのを喜ぶのも、一つはそのためです。黒い飾り玉はイギリスからき、白い飾り玉はノールウェーからきます。それらのことは皆この紙に書いてありますから、それをお読みなさい。腕環《うでわ》には、鑞《ろう》付けにしたブリキの自在環の代わりに、はめ込んだブリキの自在環をつけることを発明しました。その方がきれいで、品もよく、価も安いのです。それでどれくらい金が儲《もう》けられるかわかるでしょう。コゼットの財産はまったく彼女のものです。私がこんな細かな事を話すのも、あなたの心を安めようと思うからです。」
 門番の女は、階段を上がってき、少し開いてる扉の間から中をのぞき込んでいた。医者はそこを去るように知らせたが、その心の篤《あつ》い婆さんは、立ち去る前に臨終の人に向かってこう言わないではおられなかった。
「牧師様をお呼びしましょうか。」
「牧師様はひとりおられる。」ジャン・ヴァルジャンは答えた。
 そして彼は指で、頭の上の一点を指し示すようなふうをした。おそらく彼の目には、そこに何者かの姿を見ていたのであろう。
 実際ミリエル司教がその臨終に立ち会っていられたかも知れない。
 コゼットは静かに彼の腰の下に枕をさし入れた。
 ジャン・ヴァルジャンはまた言った。
「ポンメルシーさん、どうか気使わないで下さい。あの六十万フランはまさしくコゼットのものです。もしあなたがあれを使われなければ、私の生涯はむだになってしまうでしょう。私どもはそのガラス玉製造に成功したのでした。ベルリン玉と言われてるのと対抗しました。ドイツの黒玉も到底かないはしません。ごくよくできた玉の千二百もはいってる大包みが、わずかに三フランしかしないのです。」
 大事な人がまさに死なんとする時には、人はその人にしがみついて引き止めようとする目つきで、それを見つめるものである。ふたりとも、心痛の余り黙然として、死に対して何と言うべきかを知らず、絶望し身を震わしながら、コゼットの方はマリユスに手を取られ、ふたりで彼の前にじっと立っていた。
 刻々にジャン・ヴァルジャンは弱っていった。彼はしだいに沈んでいって、暗黒な地平に近づきつつあった。呼吸は間歇的《かんけつてき》になり、わずかな残喘《ざんぜん》にも途切らされた。もはや前腕の位置を変えるのも容易でなくなり、両足はまったく動かなくなり、そして手足のみじめさと身体の疲憊《ひはい》とが増すとともに、魂の荘厳さが現われてきて、額の上にひろがってきた。他界の光は既にその眸《ひとみ》の中に明らかに宿っていた。
 彼の顔は蒼白《そうはく》になり、同時にまたほほえんでいた。もはやそこには生命の影はなくて、他のものがあった。呼吸は微弱になり、目は大きくなっていた。それは翼が感ぜらるる死骸《しがい》であった。
 彼はそばに来るようにコゼットに合い図をし、次にマリユスに合い図をした。明らかに臨終の最後の瞬間だった。そして彼は、遠くから来るかと思われるような声で、ふたりと彼との間には既に壁ができてるかと思われるようなかすかな声で、ふたりに話しかけた。
「近くにおいで、ふたりとも近くにおいで。私はお前たちふたりを深く愛する。ああ、こうして死ぬのは結構なことだ。コゼット、お前もまた私を愛してくれるね。私は、お前がいつもお前の老人《としより》に愛情を持っていてくれたことを、よく知っていた。私の腰の下にこの括《くく》り蒲団《ふとん》を入れてくれるとは、何というやさしいことだろう。お前は私の死を、少しは泣いてくれるだろうね。あまり泣いてはいけない。私はお前がほんとに悲しむことを望まない。お前たちふたりはたくさん楽しまなければいけない。それから私は、あの締金のない金環で何よりもよく儲《もう》かったことを、言い忘れていた。十二ダース入りの大包みが十フランでできるのに、六十フランにも売れた。まったくよい商売だった。だから、ポンメルシーさん、あの六十万フランも驚く程のことではありません。正直な金です。安心して金持ちになってよろしいのです。馬車も備え、時々は芝居の桟敷《さじき》も買い、コゼットは美しい夜会服も買うがいいし、それから友人たちにごちそうもし、楽しく暮らすがいい。私はさっきコゼットに手紙を書いておいた。どこかにあるはずだ。それから私は、暖炉の上にある二つの燭台《しょくだい》を、コゼットにあげる。銀であるが、私にとっては、金《きん》でできてると言ってもいいし、金剛石でできてるといってもいい品である。立てられた蝋燭《ろうそく》を聖《きよ》い大蝋燭に変える力のある燭台だ。私にあれを下すった人が、果たして私のことを天から満足の目で見て下さるかどうかは、私にもわからない。ただ私は自分でできるだけのことはした。お前たちはふたりとも、私が貧しい者であるということを忘れないで、どこかの片すみに私を葬って、ただその場所を示すだけの石を上に立てて下さい。それが私の遺言である。石には名前を刻んではいけない。もしコゼットが時々きてくれるなら、私は大変喜ぶだろう。あなたもきて下さい、ポンメルシーさん。私は今白状しなければなりませんが、私はいつもあなたを愛したというわけではなかった。それは許して下さい。けれど今は、彼女とあなたとは、私にとってただひとりの者です。私はあなたに深く感謝しています。私はあなたがコゼットを幸福にして下さることをはっきり感じています。ああ、ポンメルシーさん、彼女の美しい薔薇色《ばらいろ》の頬《ほお》は私の喜びでした。少しでも色が悪いと、私は悲しかったものです。それから、戸棚《とだな》の中に五百フランの紙幣が一枚はいっています。私はそれに手をつけないでいます。それは貧しい人たちにやるためのものです。コゼット、その寝台の上にお前の小さな長衣があるでしょう。お前はあれを覚えていますか。まだあの時から十年にしかならない。時のたつのは実に早いものだ。私たちはごく幸福だった。がもうすべて済んでしまった。ふたりとも泣くにはおよばない。私はごく遠くへ行くのではない。向こうからお前たちの方を見ていよう。お前たちは夜になってただながめさえすればよい、私がほほえんでいるのがわかるだろう。コゼット、お前はモンフェルメイュを覚えていますか。お前は森の中にいて、大変|恐《こわ》がっていた。私が水桶《みずおけ》の柄を持ってやった時のことを、まだ覚えていますか。私がお前の小さな手に触《さわ》ったのは、それが始めてだった。ほんとに冷たい手だった。ああ、その頃、その手はまっかだったが、今では大変白くなっている。それから大きな人形、あれも覚えていますか。お前はあれにカトリーヌという名前をつけていた。あれを修道院に持っていかなかったことを、お前は残念がっていたものだ。お前は幾度私を笑わしたことだろう。雨が降ると、溝《みぞ》の中に藁屑《わらくず》を浮かべて、それが流れてゆくのを見ていた。ある時私は、柳編みの羽子板《はごいた》と、黄や青や緑の羽毛のついた羽子《はね》とを、お前に買ってやったことがある。お前はもう忘れているでしょう。お前はごく小さい時はほんとにいたずらだった。いろんなわるさをしていた。自分の耳に桜ん坊を入れてしまったこともある。しかしそれはみな過去のことだ。人形を抱いて通った森、歩き回った木立ちの中、身を隠した修道院、いろんな遊びごと、他愛もない大笑い、それらはみな影にすぎなくなっている。私はそういうものがみな自分のものだと思っていた。しかし私のばかげた考えだった。またあのテナルディエ一家の者は、みな悪者だった。しかしそれは許してやらなければいけない。コゼット、今ちょうどお前の母親の名前を言ってきかせる時がきた。お前の母親は、ファンティーヌという名前である。その名前をよく覚えておきなさい、ファンティーヌだ。それを口にするたびごとにひざまずかなくてはいけない。あの人は非常に難儀をした。お前を大変かわいがっていた。お前が幸福な目にあったのと、ちょうど同じくらい不幸な目に会った。それが神の配剤である。神は天にあって、われわれ皆の者を見られ、大きな星の間にあって自分の仕業《しわざ》を知っていられる。私はもう逝《い》ってしまう。ふたりとも、常によく愛し合いなさい。世の中には、愛し合うということよりほかにはほとんど何もない。そして時々は、ここで死んだあわれな老人の事を考えて下さい。おおコゼットや、この頃お前に会わなかったといっても、それは私の罪ではない。そのために私はどんなに苦しんだろう。私はよくお前が住んでいる街路の角《かど》まで出かけて行った。私が通るのを見た人たちは、きっと変に思ったに違いない。私は気ちがいのようになっていた。ある時などは帽子もかぶらないで出かけて行ったものだ。おお私のふたり、私はもうこれで目もはっきり見えない。まだ言いたいこともたくさんあるが、もうそれはどうでもよい。ただ私のことを少し考えておくれ。お前たちは祝福された人たちだ。私はもう自分で自分がよくわからない。光が見える。もっと近くにおいで。私は楽しく死ねる。お前たちのかわいい頭をかして、その上にこの手を置かして下さい。」
 コゼットとマリユスとは、そこにひざまずき、我を忘れ、涙にむせび、ジャン・ヴァルジャンの両手に各々すがりついた。そのおごそかな手はもはや動かなかった。
 彼はあおむけに倒れた。二つの燭台《しょくだい》から来る光が彼を照らしていた。その白い顔は天の方をながめ、その両手はコゼットとマリユスとの脣《くち》づけのままになっていた。彼は死んでいた。
 夜は星もなく、深い暗さだった。必ずやその影の中には、ある広大なる天使が、魂を待ちながら翼をひろげて立っていたであろう。

     六 草は隠し雨は消し去る

 ペール・ラシェーズの墓地の、共同埋葬所のほとり、その墳墓の都のりっぱな一郭から遠く離れ、永遠の面前に死の醜い様式をひろげて見せている種々工夫を凝らされた石碑の、立ち並んでる所から遠く離れ、寂しい片すみの、古い壁の傍《そば》、旋花《ひるがお》のからんだ一本の大きな水松《いちい》の下、茅草《かやくさ》や苔《こけ》のはえている中に、一基の石がある。その石もまた、他の石と同じく、長い年月の傷害や苔や黴《かび》や鳥の糞《ふん》などを免れてはいない。水のために緑となり、空気のために黒くなっている。近くには小道もなく、草が高く茂っていてすぐに足をぬらすので、その方へ踏み込んでみようとする人もない。少し日がさす時には、蜥蜴《とかげ》がやってくる。あたりには、野生の燕麦《えんばく》がそよいでいる。春には、木の間に頬白《ほおじろ》がさえずる。
 その石には何らの加工も施してない。ただ墓石に用うるということだけを考えて切られたものであり、ただ人をひとりおおうだけの長さと幅とにしようということだけを注意されたものである。
 何らの名前も見られない。
 ただ、既にもう幾年か前に、だれかが四行の句を鉛筆で書きつけていたが、それも雨やほこりに打たれてしだいに読めなくなり、今日ではおそらく消えてしまったであろう。その句は次のとおりであった。

     彼は眠る。数奇なる運命にも生きし彼、
     己《おの》が天使を失いし時に死したり。
     さあそれもみな自然の数ぞ、
     昼去りて夜の来るがごとくに

                            ――終わり――

底本:「レ・ミゼラブル(四)」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年5月18日改版第1刷発行
※「橙花《オレンヂ》と橙花《オレンジ》」、「挺(何挺《なんちょう》)と梃(一梃)」、「大燭台《だいしょくだい》と大燭台《おおしょくだい》」、「イブとイヴ」、「撥条《ばね》と発条《ばね》」の混在は底本通りにしました。
※誤植の確認に「レ・ミゼラブル(六)」岩波文庫、岩波書店1960(昭和35)年8月30日第12刷、「レ・ミゼラブル(七)」岩波文庫、岩波書店1961(昭和36)年12月10日第13刷を用いました。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年2月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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