レ・ミゼラブル LES MISERABLES 第一部 ファンティーヌ ビクトル・ユーゴー Victor Hugo ——豊島与志雄訳

   第一部 ファンティーヌ

   第一編 正しき人

     一 ミリエル氏

 一八一五年に、シャール・フランソア・ビヤンヴニュ・ミリエル氏はディーニュの司教であった。七十五歳ばかりの老人で、一八〇六年以来、ディーニュの司教職についていたのである。
 彼がその教区に到着したころ、彼についてなされた種々な噂《うわさ》や評判をここにしるすことは、物語の根本に何らの関係もないものではあるが、すべてにおいて正確を期するという点だけででも、おそらく無用のことではあるまい。嘘《うそ》にせよ真《まこと》にせよ、人の身の上について言わるることは、その人の生涯《しょうがい》のうちに、特にその運命のうちに、往々実際の行為と同じくらいに重要な位置を占むるものである。ミリエル氏はエークスの高等法院の評議員のむすこであって、顕要な法官の家柄だった。伝えらるるところによれば、彼の父は、彼に地位を継がせようとして、当時、法院関係の家庭にかなり広く行なわれていた習慣に従い、彼をごく早く十八歳か二十歳かの時に結婚さしたそうであるが、彼はその結婚にもかかわらず、多くの噂の種をまいたとかいうことである。背《せい》は少し低い方であったが、品位と優美と才気とを備えたりっぱな男であった。その生涯の前半は社交と情事とのうちに費やされた。そのうちに革命となり、種々の事件が相次いで起こり、法院関係の家柄は皆多く虐殺され、放逐され、狩り立てられ、分散してしまった。シャール・ミリエル氏は革命の初めからイタリーに亡命した。彼の妻は、そこで、長くわずらっていた肺病のために死んだ。彼らには子がなかった。それからミリエル氏の運命にはいかなることが起こったか。フランスの旧社会の瓦解《がかい》、彼の一家の零落、一七九三年の悲惨な光景、恐怖の念を深めて遠くからながむる亡命者らにとっては、おそらくいっそう恐ろしかったろうその光景、それらが彼の心のうちに脱俗|遁世《とんせい》の考えを起こさしたのであろうか。世の変動によってその一身や財産に打撃を被っても、あえて動じないような人をも、時としてその心を撃って顛動《てんどう》せしむるあの神秘な恐るべき打撃が、当時彼がふけっていた娯楽や逸楽のさなかに突然落ちかかったのであろうか。それらのことは、だれも言うことはできなかった。ただ知られていたことは、イタリーから帰ってきた時、彼は牧師になっていたということだけであった。
 一八〇四年には、ミリエル氏はブリニョルの主任司祭であった。既に年老いていて、まったく隠遁の生活をしていた。
 皇帝の戴冠式《たいかんしき》のあったころ、何であったかもうだれもよく覚えていないが、あるちょっとした職務上の事件のために、彼はパリーに出かけねばならなかった。多くの有力な人々のうちでも枢機官フェーシュ氏の所へ彼は行って、自分の教区民のために助力を願った。ある日、皇帝が叔父《おじ》のフェーシュ氏を訪れてきた時、このりっぱな司祭は控室に待たされていて、ちょうど皇帝がそこを通るのに出会った。皇帝はこの老人が自分を物珍しげにながめているのを見て、振り向いてそして突然言った。
「わたしをながめているこの老人は、どういう者か。」
「陛下、」とミリエル氏は言った、「陛下は一人の老人を見ていられます。そして私は一人の偉人をながめております。私どもはどちらも自分のためになるわけでございます。」
 皇帝はすぐその晩、枢機官に司祭の名前を尋ねた。そして間もなくミリエル氏は、自分がディーニュの司教に任ぜられたのを知って驚いたのであった。
 ミリエル氏の前半生について伝えられた話のうち、結局どれだけが真実であったろうか、それはだれにもわからなかった。革命以前にミリエル氏の一家を知っていた家《うち》はあまりなかったのである。
 ミリエル氏は、小さな町に新しくやってきた人がいつも受ける運命に出会わなければならなかった。そこには陰口をきく者はきわめて多く、考える者は非常に少ないのが常である。彼は司教でありながら、また司教であったがゆえに、それを甘んじて受けなければならなかった。しかし結局、彼に関係ある種々の評判は、おそらく単なる評判というに過ぎなかったであろう、風説であり言葉であり話であって、南方の力ある言葉でいわゆるむだ口[#「むだ口」に傍点]というのにすぎなかったであろう。
 しかし、それはそれとして、九年間ディーニュに住んで司教職にあった今では、当初小都会や小人どもの話題となるそれらの噂話は、全く忘られてしまっていた。だれもあえてそれを語ろうとする者もなく、あえてそれを思い出してみようとする者もなかった。
 ミリエル氏は老嬢であるバティスティーヌ嬢とともにディーニュにきたのであった。彼女は彼より十歳年下の妹だった。
 彼らの召し使いとしては、バティスティーヌ嬢と同年配のマグロアールという婢《ひ》が一人いたきりだった。彼女は司祭様の召し使い[#「司祭様の召し使い」に傍点]であったが、今では、老嬢の侍女であり司教閣下の家事取り締まりであるという二重の肩書きを持つようになっていた。
 バティスティーヌ嬢はひょろ長い、色の青いやせた穏和な女であった。「尊敬すべき」という言葉が示す理想そのままの女であった。というのは、およそ女が尊重さるべきという趣を持つためには、まず母であることが必要であるように思われる。バティスティーヌ嬢はかつて美しかったことがなかった。引き続いて神様の務めをしてきたというに過ぎない彼女の一生は、一種の白さと輝きとを彼女に与えたのだった。そして年をとるにつれて、温良の美しさともいうべきものを彼女は得た。若いころのやせ形は、成熟すると透明の趣に変わった。そしてその身体《からだ》を透かして心の中の天使が見えるようであった。処女であるというよりもなおいっそう、霊であった。その身体は影でできているように見えた。男女の性を持つに足りないほどの肉体であって、光を包んだわずかな物質にすぎなかった。いつもうつむいてる大きい目、霊が地上にとどまってるというだけのものだった。
 マグロアールは、背の低い色の白い脂肪質《しぼうしつ》の肥満した、忙しそうにしている年寄りであって、第一非常に働いているために、第二に喘息《ぜんそく》のために、いつも息を切らしていた。
 ミリエル氏はその到着の日に、司教を旅団長のすぐ次位に位させた勅令に相当する名誉の儀式をもって、その司教邸に据えられた。市長と市会議長とが第一に彼を訪問し、彼の方ではまた、第一に将軍と知事とを訪問した。
 就任の式が終わって、市はその司教の働きを待った。

     二 ミリエル氏ビヤンヴニュ閣下となる

 ディーニュの司教邸は、施療院の隣にあった。
 司教邸は広大な美しい家で、シモールの修道院長で一七一二年にディーニュの司教となったパリー大学神学博士アンリ・ピュジェー閣下によって、十八世紀のはじめに建てられた石造のものだった。全く堂々たる住宅であった。すべてに壮大な面影があった、司教の居間、客間、奥の間、古いフロレンス式どおりに迫持揃《せりもちぞろ》いのある歩廊を持った広い中庭、りっぱな樹木が植えてある後園など。第一階にあって後園に面した、長いみごとな回廊をなしている食堂には、アンリ・ピュジェー閣下が一七一四年七月二十九日に、アンブロンの大司教公爵シャール・ブリューラル・ド・ジャンリー閣下、カピュサン派の牧師でグラスの司教アントアヌ・ド・メグリニー閣下、マルタ騎士団の騎士でサン・トノレ・ド・レランの修道院長フィリップ・ド・ヴァンドーム閣下、ヴァンスの司教男爵フランソア・ド・ベルトン・ド・グリヨン閣下、グランデーヴの司教領主シェザール・ド・サブラン・ド・フォルカキエ閣下、およびスネーの司教領主にしてオラトアール派の牧師で王の常任説教師なるジャン・ソーナン閣下を、正式の食堂に招待したことがあった。これら主客七人の高貴な人々の肖像が、その室を飾っていた。そしてその一七一四年七月二十九日[#「一七一四年七月二十九日」に傍点]の記念すべき日付は、真っ白な大理石の板に金文字で彫ってあった。
 施療院は、狭い低い二階建ての建物で、小さな庭が一つあるきりだった。
 到着して三日後に、司教は施療院を見舞った。それがすむと、こんどは院長にも自分の家にきてくれるように願ったのであった。
「院長さん、」と彼は言った、「今、幾人病人がいますか。」
「二十六人おります。」
「私の数えたところも、さようでした。」と司教は言った。
「寝台があまり接近しすぎています。」と院長は言った。
「私もそう認めました。」
「室がみな小さすぎます、そして空気がよく通いません。」
「私にもそう見えました。」
「それにまた、日がさしましても、回復しかけた患者たちが散歩するには、庭が小さすぎます。」
「私もそう思いました。」
「今年はチフスがありましたし、二年前には粟粒発疹熱《つぶはしか》がありましたし、そんな流行病のおりには、時とすると百人もの患者がありますが、実はどうしてよろしいかわからないのです。」
「私もそういう時のことを考えました。」
「どうも仕方がありません。あきらめるよりほかはありません。」と院長は言った。
 この会話は、司教邸の一階の回廊食堂でなされたのであった。
 司教はちょっと黙っていたが、それから突然、院長の方をふり向いた。
「院長さん、」と彼は言った、「この室だけでどれだけ寝台が置けましょうか。」
「閣下のこの食堂にですか。」と院長は呆気《あっけ》にとられて叫んだ。
 司教は室を見回して、目で尺度をはかり、計算をしているらしかった。
「二十は置けるだろう!」と彼はひとりごとのように言って、それから声を高めた。「院長さん、少し申し上げたいことがあります。明らかにまちがったことがあるのです。あなたの方は、五つか六つの小さな室に二十六人はいっています。私の方は三人きりですが、六十人くらいははいれる家にいます。それがまちがっているのです。あなたが私の家に住み、私があなたの家に住みましょう。私にあなたの家をあけていただきましょう。あなたの家はここです。」
 その翌日、二十六人の貧しい人々は司教邸に移され、司教は施療院の方へ移った。
 ミリエル氏には少しも財産がなかった。彼の一家は革命のために零落したのだった。が、妹の方は五百フランの終身年金を得ていて、僧家にあっては、それで自分の費用にはじゅうぶんだった。ミリエル氏は司教として国家から一万五千フランの手当を受けていた。施療院の方へ移り住んだその日に、彼は次のようにその金を使おうと断然決心した。ここに彼自らしたためた覚え書きを写すとしよう。
   わが家の支出規定覚え書き
神学予備校のため…………………………………千五百リーヴル
伝道会……………………………………………………百リーヴル
モンディディエの聖ラザール会員のため……………百リーヴル
パリー外国伝道学校…………………………………二百リーヴル
サン・テスプリ修道会……………………………百五十リーヴル
聖地宗教会館……………………………………………百リーヴル
母の慈善会……………………………………………三百リーヴル
なおアールの同会のため……………………………五十リーヴル
監獄改善事業…………………………………………四百リーヴル
囚徒慰問および救済事業……………………………五百リーヴル
負債のため入獄せる戸主解放のため…………………千リーヴル
管下教区の貧しき教員の手当補助…………………二千リーヴル
上アルプの備荒貯蔵所…………………………………百リーヴル
貧民女子無料教育のためのディーニュ、マノスク、および
 システロンの婦人会……………………………千五百リーヴル
貧しき人々のため……………………………………六千リーヴル
自家費用…………………………………………………千リーヴル
  合計……………………………………………一万五千リーヴル
           (訳者注 リーヴルはフランの同称)
 ミリエル氏はディーニュの司教だった間、この処置にほとんど少しの変更もなさなかった。覚え書きに見らるるとおり彼はそれをわが家の支出規定[#「わが家の支出規定」に傍点]と呼んでいた。
 バティスティーヌ嬢もこの処置に絶対に服従していた。この聖《きよ》き嬢にとっては、ディーニュ司教は同時に自分の兄であり自分の司教であった、自然からいえば親しい友で、教会からいえば教長だった。彼女はただ単純に彼を愛し彼を崇敬していた。彼が口をきく時にはそれに承服し、彼が行動する時にはそれに力を合わせていた。ただ召し使いのマグロアールのみが少し不平をもらした。前述のとおり司教は千リーヴルきり取って置かないので、バティスティーヌ嬢の年金と加えて年に千五百フランになるきりだった。それだけの金で二人の老婦と一人の老人とが生活したのである。
 それでも、マグロアールのきりつめた節倹と、バティスティーヌ嬢の巧みな家政とのおかげで、村の司祭などがディーニュにやって来る時には、司教はなおそれをもてなすことができるのだった。
 ある日――もうディーニュにきてから三月ばかりたったころ――司教は言った。
「これだけのものではなかなか苦しい!」
「そうでございましょうとも。」とマグロアールは叫んだ。「旦那《だんな》様は、町でのられます馬車代と教区をお回りになる費用とを、県に当然御請求をなさらないからでございます。以前の司教様方はいつもそうなさいましたのですよ。」
「なるほど!」と司教は言った、「マグロアール、お前の言うことはもっともだ。」
 彼はその請求をした。
 しばらくたって、県会ではこの請求を評議して、次のような名目で彼に年三千フランを与えることに定めた。四輪馬車代[#「四輪馬車代」に傍点]、駅馬車代[#「駅馬車代」に傍点]、及び教区巡回の費用として[#「及び教区巡回の費用として」に傍点]、司教へ支給[#「司教へ支給」に傍点]。
 その一事は市民の物議を醸《かも》した。そして革命第二月十八日に味方した五百人会の一人であって、現に帝国の上院議員でありディーニュの近くにりっぱな世襲財産を持っていた一人は、そのとき宗務大臣ビゴー・ド・プレアムヌー氏に宛《あて》て、不平満々たる内密な寸簡をしたためた。今ここにそのうちの信ずべき数行を引用してみよう。


 「――四輪馬車代とや。人口四千をいでざる小都市において何ぞそを用いんや。駅馬車および巡回の費用とや。まず、かかる巡回の用いずこにある。次にかかる山間の地において、いかんぞ駅馬車を用ゆることを得《う》べき。道路と称すべきものなく、人はただ馬によりて行くのみ。シャトー・アルヌーへ至るデューランス河《がわ》の橋さえもほとんど牛車を支《ささ》うること能《あた》わじ。彼ら牧師輩は皆かくのごとく、貪慾《どんよく》飽くなきの徒なり。この司教も就任の初めにおいては善良なる使徒らしく振舞いたれども、今や他と異なる所なし。今や彼には四輪馬車を要し駅馬車を要す。以前の司教らの如く豪奢《ごうしゃ》を要す。おおこれらすべての司祭輩よ! 陛下がこれら緇衣《しい》の手より我らを解放せらるる時に非《あら》ずんば、伯爵よ、事みなそのよろしきを得じ。法王を仆《たお》せ!(そのころ万事が皆ローマと乖離《かいり》していたのである。)余はただ皇帝のためにのみ尽さんとするなり。云々《うんぬん》」

 その代わりにこのことはマグロアールをひじょうに喜ばせた。彼女はバティスティーヌ嬢に言った。「けっこうなことでございます。閣下は他人のことからお初めなさいました。けれどやはりおしまいには御自身のことをなさらなければならなかったのです。慈善の方はすっかりもう定めてございます。それでこの三千リーヴルは私どものものでございますよ。」
 その晩に司教は、次のような覚え書きをしたためてそれを妹に渡した。


   馬車と巡回との費用
施療院の患者に肉汁を与えるため……………千五百リーヴル
エークスの母の慈善会のため………………二百五十リーヴル
ドラギィニャンの母の慈善会のため………二百五十リーヴル
捨児のため…………………………………………五百リーヴル
孤児のため…………………………………………五百リーヴル
  合計………………………………………………三千リーヴル

 これがミリエル氏の予算表であった。
 司教区の臨時の収入、すなわち結婚公示免除、結婚免許、灌水《かんすい》式、説教、会堂や礼拝堂の祝祷《しゅくとう》、結婚式、などの収入について、司教はできるだけ多く富者から徴収し、それだけまた貧しい人々に与えた。
 しばらくの後、金銭の寄進が流れ込んできた。金のある者もない者もミリエル氏の門をたたいた。後者は前者が置いていった施与を求めるためである。一年たたないうちに司教は、あらゆる慈善の会計係となり、あらゆる困窮の金庫係となった。莫大《ばくだい》な金額が彼の手を経るようになった。しかしなお彼の生活法は少しも変わるところなく、彼の必要に対して何かが加えられることもなかった。
 いや、それどころではなかったのである。上の者に情けがあるよりも下の者に困窮がある方がいつも多いものであるから、言わばすべてが受けらるる前にまず与えられたのであった。乾《かわ》ききった土地の上の水のようなものだった。いかに彼は金を受け取っても、手には一文もなかった。そういう時、彼は身の衣をもはいだ。
 司教たるものは、すべて宗教上の命令や教書の初めに自分の洗礼名を書く習慣になっていたので、この地方の貧しい人たちは、一種の本能的な愛情よりして、司教の種々な姓名のうちから意味のあるようなのを選んで、彼をビヤンヴニュ([#ここから割り注]訳者注 歓待の意[#ここで割り注終わり])閣下としか呼ばなかった。われわれもこれから彼らの例にならって、場合によっては彼をそう呼ぶことにしよう。その上、この呼び名は彼の気にいっていた。彼は言った、「私はその名がすきだ。ビヤンヴニュという言葉は閣下という言葉を償ってくれる。」
 われわれは、ここに描かれてる彼の面影が真実らしいものであるとは主張しない、ただ本物に似よったものであると言うに止めておく。

     三 良司教に難司教区

 司教はその馬車代を施与に代えてしまったとはいえ、巡回をやめてしまったのではなかった。ディーニュの司教区は困難な土地であった。前に言ったとおり、平地は非常に少なく、山は多く、ほとんど道路というほどのものがなかった。三十二の主任司祭館と四十一の助任司祭館と二百八十五の補助礼拝堂とがあった。それらをすべて見舞うことはかなりの仕事だった。司教はそれをやってのけた。近くは徒歩で、平地は小車《こぐるま》で、山は騾馬《らば》の椅子鞍《いすくら》で行った。二人の老婦人が彼の伴《とも》をした。道が彼女らに困難な時には、司教は一人で行った。
 ある日彼は、昔司教在住の町であったスネズに驢馬《ろば》で行った。その時、彼の財布はきわめて軽く、他の乗り物を取ることができなかったのである。町長は司教館の入り口まで彼を出迎えた、そして彼が驢馬からおりるのを憤慨したような目つきでながめた。数名の町人はその周囲で笑っていた。「町長さん並びに皆さん、」と司教は言った、「私には皆さんの憤慨しておられる理由がわかっています。イエス・キリストの乗り物であった驢馬にまたがることは、憐《あわ》れな一牧師にとってははなはだ不遜《ふそん》なことである、と諸君は思われるでしょう。しかし私はやむを得ずそうしたのでして、断じて虚栄からではありません。」
 巡回中において彼は、きわめて寛大で穏和であって、説教するというよりもむしろ話をするという方が多かった。彼は人の了解し難い言辞を有効だとしていなかった、そして理論や範例を決してかけ離れたところに求めなかった。ある地方の人々にはその付近の地方の例を取ってきた。貧乏な人たちに冷酷である村々では、次のように言った。「ブリアンソンの人々をごらんなさい。彼らは貧民や寡婦《かふ》や孤児などには、人より三日前から牧場の草を刈ることを許しています。その家が壊《こわ》れる時は無料で建ててやります。それゆえその地方は神に恵まれているのです。まる百年もの間、一人の人殺しもないのでした。」
 利益や収穫を貪《むさぼ》る村々では、彼は次のように言った。
「アンブロンの人々をごらんなさい。もし刈り入れの時に、息子《むすこ》たちは兵役に出ており、娘たちは町に奉公に出ており、主人は病気で働けないような場合には、司祭は説教のとき彼のことを皆に伝えます。そして日曜日の弥撒《ミサ》の後に、村の男や女や子供やすべての人々が、その人の畑に行って刈り入れをしてやり、藁《わら》や穀物を納屋へ納めてやります。」――金銭や遺産の問題で反目している家族には次のように言った。「ドゥヴォルニーの山国の人々をごらんなさい。そこは五十年に一度も鶯《うぐいす》の声が聞かれぬほどの荒涼たる地方です。そこで、一家の主人が死にますと、息子たちは稼《かせ》ぎに他国へ出て行って、娘たちが夫を得ることができるように、全財産を彼女たちに残してやります。」――訴訟を好んで印紙税に破産してしまうような村々では、彼は言った。「クイラスの谷地の善良な農夫たちをごらんなさい。そこには三千人の人たちがいます。おおちょうど小さな共和国のようです。一人の裁判官も執達吏もいません。村長がいっさいの事をするのです。村長は税を割り当て、各人に正当な負担を負わせ、無報酬で争いを裁《さば》き、無料で遺産を分配し、無費用で判決を下しています。人々は皆彼に服します、というのは彼は素朴な人々のうちの正しい人でありますから。」――学校の教師がいない村々には、やはりクイラスの人々の話をした。「彼らがどんなふうにやっているかを御存じですか。十二軒や十五軒くらいの小さな村では、いつも一人の先生を雇うことができませんから、その地方全体で幾人かの教師を雇っています。教師たちは、ある村には八日、ある村には十日というふうに、村々を回って教えています。彼らは市場に行きます。私はそれを見かけました。帽子のリボンにさしている羽筆《ペン》でそれとわかるのです。読み方だけを教える人は一本の羽筆《ペン》、読み方と算術とを教える人は二本、読本と算術とラテン語とを教える人は三本つけています。そういう人は非常な学者です。何にも知らないということは何という恥辱でしょう! このクイラスの人々のようになさるがよろしいです。」
 彼はかくまじめにまた慈父のように語り、実例がない場合には比喩《ひゆ》をこしらえ、言葉少なく形象豊かに、直接に要点をつくのであった。実に自ら確信し人を説服させるイエス・キリストの雄弁にも似寄っていた。

     四 言葉にふさわしい行ない

 司教の談話は懇切で愉快であった。自分のそばで生涯を送ってる二人の年老いた婦人にもよくわかるようなことばを使った。笑う時には小学児童のような笑い方をした。
 マグロアールは彼を好んで大人《だいじん》様と呼んだ。ある日彼は椅子から立ち上がって、一冊の書物をさがしに図書室に行った。その書物は上方の書棚《しょだな》にあった。彼はかなり背が低い方だったからそれに届かなかった。「マグロアールや、」と彼は言った、「椅子を持ってきておくれ[#「椅子を持ってきておくれ」に傍点]。大人様もあの棚までは届かないよ[#「大人様もあの棚までは届かないよ」に傍点]。」
 彼の遠い親戚《しんせき》の一人であるロー伯爵夫人は、折りさえあればたいてい彼の前で、彼女のいわゆる三人の息子の「希望」なるものを数え立てることを忘れなかった。彼女はごく年老いて死ぬに間もない多くの親戚を持っていたが、彼女の息子たちは自然その相続者であった。三人のうちの末の子は一人の大伯母《おおおば》から十万リーヴルのいい年金を継ぐことになっており、二番目の子はその伯父《おじ》の公爵の称号をつぐことになっており、長男はその祖父の爵位を継承することになっていた。司教はいつも、それらの罪のない許さるべき母の自慢話を黙ってきいていた。それでもある時、ロー夫人がまたそれらの相続や「希望」などの細かい話をくり返していた時、司教はいつになく考え込んでるように見えた。彼女はもどかしそうにその話を止めた。「まあ、あなた、いったい何を考え込んでいなさるのです?」司教は言った。「私は妙なことを何か考えていました。そう、たしか聖アウグスチヌスのうちにあった句と思いますが、『その遺産を継承し能《あた》わざる者に汝《なんじ》の希望をかけよ』というのです。」
 またある時、彼はその地方の一人の紳士の死を報ずる手紙を受けたが、その中には、故人の位階のみならずあらゆる親戚の封建的貴族的資格のすべてが全紙にしるしてあった。「まあ死ぬのに何といういい肩書きだろう!」と彼は叫んだ。「何というりっぱな肩書きの重荷をやすやすと負わせられてることだろう。かようにして虚栄のために墓まで用うるとは、人間というものは何と才知に長《た》けてることか。」
 時として司教は軽い冗談《じょうだん》の口をきいたが、そのうちにはいつもたいていまじめな意味がこもっていた。四旬節の間に、一人の年若い助任司祭がディーニュにきて大会堂で説教をしたことがあった。彼はかなりの雄弁だった。説教の題目は慈善であった。彼は富者に勧むるに地獄をさけて天国を得るため貧者に施さんことをもってし、でき得《う》る限り恐ろしく地獄の光景を説き、楽しく快きものとして天国の様を説いた。聴衆のうちにジェボランという隠退した金持ちの商人がいた。高利貸しの類《たぐい》で、粗悪なラシャやセルや綾織布《あやおり》やトルコ帽などを製造して五十万ばかりを得たのだった。一生のうちで彼は一人の不幸な人にも施しをしたことがなかった。がこの説教いらい、大会堂の玄関にいる年をとった乞食《こじき》の女どもに、日曜ごとに一スー([#ここから割り注]訳者注 一スーは一フランの二十分の一[#ここで割り注終わり])を与えている彼の姿が見られた。その一スーを乞食の女たち六人は分けなければならなかった。ある日司教はジェボランがいつもの慈善をしているのを見て、ほほえみながら妹に言った。「そらジェボランさんが一スーで天国を買っているよ[#「そらジェボランさんが一スーで天国を買っているよ」に傍点]。」
 慈善に関する場合には、司教はたとい拒まれてもそのまま引っ込むことをしなかった、そして人をして再考せしむるような言葉を発するのだった。かつて彼は町のある客間で、貧民のために寄付金を集めたことがあった。そこには、老年で富裕で貪慾《どんよく》で、過激な王党であるとともに過激なヴォルテール党ともなるシャンテルシエ侯爵がいた。そういう変わった男もずいぶんいたものである。司教は彼の所へ行ってその腕を捉《とら》えた。「侯爵[#「侯爵」に傍点]、あなたは私に何か下さらなければなりません[#「あなたは私に何か下さらなければなりません」に傍点]。」侯爵はふり向いて冷淡に答えた。「私にもまた自分の貧民があるんです[#「私にもまた自分の貧民があるんです」に傍点]。」「それを私にいただきたいのです[#「それを私にいただきたいのです」に傍点]、」と司教は言った。
 ある日司教は大会堂で次の説教をした。
「親愛なる兄弟たち、善良なる皆さん、フランスには、ただ三個の開《あ》き口だけを持ってる民家が百三十二万戸、一つの戸口と一つの窓との二つの開き口だけを持ってる民家が百八十一万七千戸、最後に一つの戸口すなわち一つの開き口だけを持ってる茅屋《ぼうおく》が三十四万六千戸あります。そしてそれは戸口および窓の税と呼ばるるものから由来してるのであります。貧しい家族、年老いた女や幼い小児を、これらの家に起臥《きが》せしめる、熱病やその他病気が起こるのは明らかです。ああ神は人に空気を与えたもう、しかも法律は人に空気を売る。私は法律を咎《とが》むるのではありません。しかし私は神を讃《たた》えるのです。イゼール県、ヴァール県、上下両アルプ二県などにおいては、農夫は手車をも持っていません。人の背によって肥料を運んでいます。彼らは蝋燭《ろうそく》をも持っていません。樹脂《やに》のある木片や松脂《まつやに》に浸した繩屑《なわくず》を燃しています。ドーフィネの山地においても、すべてそのとおりです。彼らは一度に六カ月分のパンを作り、乾かした牛糞《ぎゅうふん》でそれを焼きます。冬には斧《おの》でそのパンをうちわって、食べられるようにするため二十四時間水中に浸すのです。――兄弟たちよ、憐憫《れんびん》の情をお持ちなさい。皆さんの周囲においていかに人が苦しんでるかをごらんなさい。」
 プロヴァンスの生まれであったので彼はたやすく南方の方言に親しむことができた。たとえば、下ラングドック地方の言葉で、「まあ、ごきげんだった。」また下アルプ地方の言葉で、「どこば通っておいでなはったか。」あるいは上ドーフィネ地方の言葉で「よか羊と、脂肪《あぶら》のうんとあるよかチーズを持ってきちゃんなさい。」それはひじょうに人民を喜ばせ、あらゆる人たちと近づきになることを少なからず助けた。彼は茅屋《ぼうおく》の中においても山中においても親しく振舞った。きわめて卑俗な語法できわめて高遠なことを言うことができた。あらゆる方言を話しながらあらゆる人の心の中にはいり込んだ。
 その上彼は、上流の人々に対してもまた下層の人々に対しても同様の態度を取っていた。
 彼は何事をも早急に咎《とが》むることなく、また周囲の事情を斟酌《しんしゃく》せずして咎むることがなかった。彼はいつも言った、誤ちが経てきた道を見てみよう。
 彼自ら自分を昔罪ありし者[#「昔罪ありし者」に傍点]とほほえみながら言っていただけに、彼は少しも苛酷《かこく》なことがなかった、そしていかめしい道学者のごとく眉根《まゆね》を寄せることもせずに一つの教理を公言していた。その要点は大略次のようであった。
「人は同時におのれの重荷たりおのれの誘惑たる肉体を身に有す。人はそれを担《にな》い歩きしかしてそれに身を委《ゆだ》ぬるなり。」
「人はこの肉体を監視し制御し抑制して、いかんともなす能《あた》わざるに至りて初めてそれに屈服すべきなり。かくのごとき屈服においても、なお誤ちのあることあれど、かくてなされたる誤ちは許さるべきものなり。そは一の墜堕なり、しかれども膝《ひざ》を屈するの墜堕にして、祈祷《きとう》に終わり得べきものなればなり。」
「聖者たるは異例なり、正しき人たるは常則なり。道に迷い、務めを欠《か》き、罪を犯すことはありとも、しかも常に正しき人たれ。」
「能う限り罪の少なからんことこそ、人の法なれ。全く罪の無きは天使の夢想なり。地上に在《あ》りと在るものは皆罪を伴う。罪は一の引力なり。」
 世の人々が声高く叫びたやすく怒るのを見る時、彼はほほえみながら言うのであった。「おおおお、世人が皆犯しているこのことは大いなる罪のように見える。それ、脅かされた偽善が、抗弁することを急ぎ、おのれを隠すことを急いでいる。」
 社会の重荷の下にある婦人や貧者に対して彼は寛容であった。彼はいつも言った。
「婦人や子供や召し使いや、弱者や貧者や無学者など、彼らの誤ちは皆、夫や父や主人や強者や富者や学者などのせいである。」
 彼はなお言った。「無学の人々には能う限り多くのことを教えねばいけない。無料の教育を与えないのは社会の罪である。社会は自ら作り出した闇《やみ》の責を負うべきである。心のうちに影多ければ罪はそこに行なわるる。罪人は罪を犯した者ではなく、影を作った者である。」
 上に見らるるとおり、彼は事物を判断するのに彼独特の方法を持っていた。おそらくそれは、福音書から得られたものと察せらるる。
 ある日彼はさる客間で、既に予審がすんで、まさに判決が下されようとしている一つの犯罪事件のことを耳にした。ある困窮な男が、金を得る手段もつき果てて、一人の女とその間にできた子供とを愛するあまり、貨幣を贋造《がんぞう》した。当時なお貨幣贋造は死刑をもって罰せられたものであった。女は男が造った贋造貨幣を初めに使って捕えられた。彼女は拘留されたけれども、彼女の現行犯以外には何らの証拠も得られなかった。ただ彼女のみがその情人《おとこ》の罪証を挙《あ》げることができ、自白によって彼を破滅せしむることができるのであった。彼女は否認した。いかに尋問されても、彼女はかたく否認して動かなかった。そこで検事はある手段を考えついた。彼は情人《おとこ》の不実を言い立て、巧みに偽った手紙の紙片を見せて、彼女には一人の競争者があり、彼女は男から欺かれたのであるということを、ついにその不幸な女に信じさせてしまった。そのとき女は嫉妬《しっと》の情に駆《か》られて、男を訴え、すべてを白状しすべてを立証した。男の罪は定まった。彼はその共犯者の女とともに近々エークスで判決を下されることになっていた。
 人々はその事実を語り合って、皆検事の巧妙さを讃嘆《さんたん》した。彼は嫉妬心を利用して、怒りの念によって真実を現わさせ、復讐心《ふくしゅうしん》から正義を引き出したのであると言われた。司教はそれを黙って聞いていた。そして話が終わると彼は尋ねた。
「その男と女はどこで裁判されるのですか。」
「重罪裁判所においてです。」
 司教はまた言った。
「そしてその検事はどこで裁判されるのですか。」
 また他の悲惨な一事件がディーニュに起こった。一人の男が殺人罪のために死刑に処せられた。その不幸な男はまったく文盲でもなくまったく無知でもなかった。市場の手品師だったこともあり、代書人だったこともある。その裁判は非常に市人の興味をひいた。死刑執行の前日に監獄の教誨師《きょうかいし》が病気になった。刑人の臨終の折りに立会うため一人の牧師が必要になった。で、主任司祭を呼びにやった。ところが主任司祭は次のように言ってそれを断わったらしい。「それは私の関するところでない。そんな仕事やそんな手品師なんか私の知るところでない。私もまた病気なんです。その上、それは私の地位じゃない。」この主任司祭の答えを聞かされて司教は言った。「司祭の言うのは道理だ[#「司祭の言うのは道理だ」に傍点]。それは彼の地位じゃない[#「それは彼の地位じゃない」に傍点]、私の地位だ[#「私の地位だ」に傍点]。」
 彼は即刻監獄に行って、「手品師」の監房へやって行った。彼はその男の名前を呼んで、その手をとって話をした。彼は終日終夜その男のそばで過ごし、ほとんど寝食を忘れて、刑人の霊のために神を祈り、また自分の霊のためにその刑人を祈った。彼は最も単純な最善の真理を語ってきかせた。彼はその男の父となり兄弟となり友となった。ただ祝福するためにのみ司教であった。あるいは元気をつけてやったりあるいは慰めたりして、その男にいっさいの事を教えた。その男はまさに絶望のうちに死なんとしていたのである。死は彼にとって深淵のようだった。その悲しむべき岸辺《きしべ》に立って震えながら、恐怖のために後退《あとずさ》りしていた。彼はまったく平気でいられるほど無知ではなかった。その処刑は、その深い震動は、われわれを事物の神秘から距《へだ》てわれわれが人生と呼ぶところのあの障壁を、かしこ、ここ、彼のまわりにうち破ったようであった。彼は絶えずその痛ましいすき間からこの世の外をながめていた、そしてそこに暗黒を見るのであった。司教は彼にある光明を見さしてやった。
 翌日、人々が罪人を引き立てにきた時、司教はなおそこにいた。彼は罪人のあとに従った。彼は紫の上着を着、首に司教の十字架章をつけ、繩《なわ》で縛られた罪人と相並んで群集の目前に現われた。
 彼は罪人とともに馬車に乗り、罪人とともに断頭台に上った。前日まであれほど憂悶《ゆうもん》のうちに沈んでいた罪人は、今は輝きに満ちていた。彼は自分の魂がやわらいでいるのを感じ、そして神に希望をつないでいた。司教は彼を抱擁した。そして刃がまさに下されんとするとき彼に言った。「人が殺すところの者を神は蘇《よみがえ》らしめたもう。同胞に追われたる者は父なる神を見い出す。祈れよ、信ぜよ、生命《いのち》のうちにはいれよ。父なる神は彼処《かしこ》にいます。」彼が断頭台から下りてきた時、彼の目の中にはあるものがあって、人々は思わず道を開いた。彼の蒼白《そうはく》さに心を打たれたのか、またはその清朗さに心を打たれたのか、人々はいずれとも自らわからなかった。司教は自ら御殿[#「御殿」に傍点]と呼んでいたその粗末な住家に帰ると、妹に言った。「私は今司教の式をすましてきた[#「私は今司教の式をすましてきた」に傍点]。」
 最も崇高なことは往々にして最も了解せられ難いことであるので、その市においても、司教のかかる行ないを解して「それは見栄である[#「それは見栄である」に傍点]」と言う者もあった。がそれは単なる客間の話にすぎなかった。神聖なる行為に悪意を認めない人民たちは、いたく心を動かされて讃嘆した。
 司教の方では、断頭台を見たことは一種の感動であった。心を落ち着けるにはかなりの時間を要した。
 実際断頭台がくみ建てられてそこに立っている時、それは人に幻覚を起こさせるだけのある物を持っている。自らの目で断頭台を見ない間は、人の死の苦痛について一種の無関心であり得る、そして可否を言わずにいることができる。しかしながら断頭台の一つに出会う時には、受くる感動は激しく、断然賛否いずれかを決しなければいられない。ある者はド・メェーストルのごとくそれを讃美するであろう、またある者はベッカリアのごとくそれを呪《のろ》うであろう。断頭台は法律の具現であり、称してこれを刑罰[#「刑罰」に傍点]と呼び、中性ではない、そして人をして中立の地位に立つことを許さない。それを見る者は最も神秘な戦慄《せんりつ》を感ずる。あらゆる社会の問題はその疑問点をこの首切り刃のまわりに置く。断頭台は一の幻影である。それは一個の木組《きぐみ》ではない、一個の機械ではない、木材と鉄と綱とで作られた無生の仕掛けではない。それは言い知れぬ一種の陰惨な自発力を有する生物であるかのようである。あたかもその木組は物を見、その機械は物を聞き、その仕掛けは物を了解し、その木材やその鉄やその綱は物を欲するがようである。見る人の魂を投げこむ恐ろしい夢幻のうちに、断頭台は恐怖すべき姿を現わし、そこに行なわるることと絡《から》みつく。断頭台は刑執行人の共働者であり、人を呑《の》みつくし、肉を食い、血をすする。それは法官と大工とによって作られた一種の怪物である。おのれが与えたるすべての死より成るある恐るべき生に生きているらしい一つの悪鬼である。
 ゆえに、その印象は深刻でまた恐るべきものであった。刑執行の翌日およびその後なお長い間、司教は心が圧倒せられたように見えた。あの最期の瞬間の激越な清朗さは消え失《う》せ、社会的正義の幻が彼につきまとった。あらゆる仕事から常に輝きに満ちた満足の意をもって帰ってきていた彼は、今や自らおのれを咎めてるもののようであった。時々彼は自分自身に話しかけ、半ば口の中で憂うつな独白をもらした。その独白の一つを、ある晩、彼の妹は聞き取った。「それがかくも恐ろしいものとは私は信じていなかった。人間の法《おきて》に気がつかないほど神の法に専心するのは一つの誤りだ。死は神の手にのみあるものである。いかなる権利をもって人はこの測り知るべからざるものに手を触れるのか?」
 しかし時とともに、それらの印象は薄らぎ、そしておそらく消え失せたであろう。それでも、以来、司教はその刑場を通ることを避けているのが、傍《はた》にもわかった。
 人はいつでも病人やまたは臨終の人の枕辺《まくらべ》にミリエル氏を呼び迎えることができた。彼はそこに自分の最も大なる務めと仕事とがあることを知らなくはなかった。寡婦や孤児の家では、わざわざ頼む必要はなかった。彼は自分できてくれたのである。愛する妻を失った男や子供を失った母親のそばに、彼はすわって長い間黙っていた。彼は黙《もだ》すべき時を知っていたように、また口をきくべき時をも知っていた。嘆賞すべき慰藉《いしゃ》者よ! 彼は忘却によって悲しみを消させることなく、希望によってそれを大きくなし崇《たか》めさせんとした。彼は言った。「亡《な》くなった人の方をふり返るその仕方を注意しなければならないのです。滅び朽ちることを考えてはいけません。じっと見つめてごらんなさい。あなたは、あなたが深く愛する死者の生ける光耀《こうよう》を高き天のうちに認むるでしょう。」信仰は健全なるものであることを彼は信じていた。忍従の人の例を引いて絶望の人を教え和《やわら》げんとつとめた。そして星を見つめる人の悲しみを示して、墓穴を見つめる人の悲しみを変形させんとつとめた。

     五 ビヤンヴニュ閣下長く同じ法衣を用う

 ミリエル氏の私生活はその公生活と同じ思想で満たされていた。その近くに接して見ることのできる人にとっては、この司教が自ら甘んじている貧窮の生活は、おごそかな、また美しいものであった。
 すべての老人や多くの思想家のごとく、彼は少ししか眠らなかった。がその短い眠りはいつも深い睡眠であった。朝は一時間のあいだ瞑想《めいそう》にふけり、それから大会堂かまたは家の祈祷所かで弥撒《ミサ》を唱えた。弥撒がすむと自家の牛から取った乳につけて裸麦のパンの朝食をし、それから仕事をした。
 司教の職は非常に忙しいものである。たいてい司教会員である司教書記を毎日引見し、また管轄の主《おも》な助任司祭をほとんど毎日引見しなければならない。集会を監督し、允許《いんきょ》を与え、祈祷書や教区内の教理問答や日課祈祷書など教理に関するいっさいの書物を調べ、教書を書き、説教を認可し、司祭らと村長らとの間を疎通させ、国家へ施政上の通信をなし、ローマ法王へ宗教上の通信をしたたむるなど、なすべき無数の仕事がある。
 それら無数の仕事やそれから祭式や祈祷などをしてなお余った時間を、彼はまず貧しき者や病める者や悩める者のために費やした。そしてなおその残りの時間は仕事に費やした。あるいは自分の庭の土地を耕やし、あるいは書物を読み文を綴《つづ》った。この二種の仕事のために彼は一つの言葉きり持たなかった、すなわちそれを栽培[#「栽培」に傍点]と呼んでいた。彼は言った、「人の精神も一つの庭である。」
 正午に彼は昼食をした。それは朝食と同じくらいの粗末なものであった。
 天気の時には二時ごろに家を出かけて、しばしば破屋《あばらや》に立ち寄ったりしながら、徒歩で田舎《いなか》やまたは町の方へ散歩した。一人で道を歩きながら、何か考えに沈み込み、目を伏せて長い杖《つえ》に身をささえ、綿のはいった暖い紫の絹|外套《がいとう》を着、紫の靴足袋《くつたび》と粗末な靴とをはき、三すみから三つの金モールの縒総《よりふさ》がたれてる平たい帽子をかぶっている彼の姿が、よく見られた。
 彼が姿を現わす所はどこでも祭りのようであった。彼の入来は何かしら人を暖め、光明をもたらすがようだった。子供や老人は、ちょうど太陽に対するように司教に対して戸口へ出てきた。彼は人々を祝福し、人々は彼を祝福した。何か必要に迫られてる者には皆、人々が彼の家を教えてやった。
 彼処《かしこ》此処《ここ》と彼は歩みを止めて、小さい男の子や女の子に話をし、母たちに笑顔を見せた。彼は金のある間は貧しい人々を訪れ、金がなくなれば富める人々を訪れた。
 彼は長い間その法衣を着続けていて、それを人から知られることをあまり好まなかったので、紫の絹外套を着ずには決して町へ出かけなかった。夏には、少しそれに困らされた。
 晩は八時半に妹とともに夕食をした。マグロアールが彼らのうしろに立って給仕をした。この上もなく粗末な食事であった。けれども司祭たちのだれかが食事につらなることがあると、マグロアールはその機を利用して、湖水で取れるいい魚類や山で取れるりっぱな鳥類などを閣下に食べさした。どの司祭もみなごちそうの口実になった。司教はなすままにさしていた。それをほかにしては、彼のいつもの食物はほとんどゆでた野菜と油の汁とだけだった。それで町ではこんなことが言われた、「司教は司祭の御馳走をしない時には[#「司教は司祭の御馳走をしない時には」に傍点]、トラピストの御馳走をする[#「トラピストの御馳走をする」に傍点]。」([#ここから割り注]訳者注 トラピストは極端な質素簡易な生活を主義とするトラップ派の信者[#ここで割り注終わり])
 夕食後に彼はバティスティーヌ嬢やマグロアールとともに三十分ばかり話をし、それから室に引っ込んで、紙片や二折本の余白などに物を書いた。彼は文ができ、またいくらか学者だった。彼はかなり珍しい書き物を五つ六つ残した。なかんずく創世記の一節「元始に神の霊水の上に漂いたりき[#「元始に神の霊水の上に漂いたりき」に傍点]」という句についての論があった。彼はこの句に三つの原文を対照さした。アラビヤの文には、「神の風吹きたりき[#「神の風吹きたりき」に傍点]」とあり、フラヴィウス・ヨセフスによれば、「いと高きより風地上に落ちきたりたりき[#「いと高きより風地上に落ちきたりたりき」に傍点]」であり、終わりにオンケロスのカルデア語の説明によれば、「神よりきたれる風水の面に吹きたりき[#「神よりきたれる風水の面に吹きたりき」に傍点]」であるというのだった。も一つの論においては、本書の作者の曾祖伯父《おおおじ》であるプトレマイスの司教ユーゴーの神学上の著述を調べて、十八世紀にバルレークールという匿名で公にされた種々の小冊子はこの司教に帰せなければならない、ということを彼は確かめている。
 時としては、手にした書物が何であろうとその読書の最中に、彼は突然、深い瞑想に沈んだ。そしてその瞑想からさめると、いつも書物のページに数行したためるのであった。その数行は往々その書物に書いてあることと何の関係もないことがあった。ここに彼がある四折本の余白に書きつけた文句が一つある。その四折本の題はこういうのであった。「クリトン将軍に傍点]、コルンワリス将軍、並びにアメリカ鎮守府の提督らとかわしたる、ゼルマン卿の書信。ヴェルサイユ、ポアンソー書店、および、パリー、オーギュスタン河岸、ピソー書店[#、発行。」
 彼の文は次のごときものである。
「おお汝《なんじ》はだれぞ!
 伝道書は汝を全能と呼び、マカベ書は汝を創造主と呼び、エベソ人《びと》に贈れる文《ふみ》は汝を自由と呼び、ベーラク書は汝を無限と呼び、詩篇《しへん》は汝を知恵および真理と呼び、ヨハネは汝を光と呼び、列王記は汝を主と呼び、出埃及記《しゅつエジプトき》は汝を天と呼び、レヴィ記は聖と、エズラ書は正義と、万物は神と、人は父と呼ぶ。しかれどもソロモンは汝を慈悲と呼ぶ。しかして、これこそ汝のあらゆる名のうちの最も美しきものなり。」
 九時ごろに二人の女は退いて二階の各自の室に上がってゆき、司教は階下《した》に一人で朝までとどまっていた。
 ここに吾人《ごじん》は、ディーニュの司教のすまいの明瞭《めいりょう》な概念を与えておかなくてはならない。

     六 司教の家の守護者

 司教が住んでいた家は、前に言ったとおり、一階と二階とから成っていた。一階に三室、二階に三室、その上に一つの屋根裏の部屋《へや》があり、家のうしろに約二反歩たらずの庭があった。二人の女は二階を占領し、司教は階下《した》に住んでいた。道路に面した第一の室は食堂となり、第二の室は寝室となり、第三の室は祈祷所《きとうしょ》となっていた。この祈祷所から出かけるには寝室を通らなければならないし、寝室から出かけるには食堂を通らなければならなかった。祈祷所の奥の方に、人を泊める場合の寝床が置いてあるしめきった寝所が一つあった。司教はこの寝床を、教区の事件や用事でディーニュに来る田舎《いなか》の司祭たちの用に供した。
 家に附属して庭のうちに建てられている小さな建物は、もと病院の薬局であったが、料理場兼物置きにされている。
 そのほかなお庭には、もと施療院の料理場となっていた家畜小屋があったが、司教はそこに二頭の牝牛《めうし》を飼っていた。それから取れる牛乳の量はどんなに少ない時でも、毎朝必ずその半分を施療院の病人たちに送った。「私は自分の十分の一税を払うのである[#「私は自分の十分の一税を払うのである」に傍点]、」と彼は言っていた。
 彼の部屋はかなり広くて、天気の悪い時など暖めるのにかなり困難であった。ディーニュでは薪《まき》がきわめて高かったので、彼は牛小屋のうちに一つの部屋を板で仕切らせることを思いついた。大寒の宵などを彼がすごしたのはそこであった。彼はそれを冬の座敷[#「冬の座敷」に傍点]と呼んでいた。
 この冬の座敷には、食堂と同じように、四角な白木の卓と四つの藁椅子《わらいす》とのほか何の道具もなかった。食堂の方はそれになお顔料で淡紅色に塗られた古い戸棚《とだな》が一つ備えてあった。同じような戸棚を白い布とまがいレースとで適宜におおって、司教は祈祷所《きとうしょ》に備える祭壇を作っていた。
 彼が悔悟をさしてやった金持ちや、ディーニュの信仰深い婦人たちは、しばしば閣下の祈祷所に美しい新しい祭壇を備える費用を出し合ったが、彼はそのたびごとに金を受け取って、それを貧しい者に与えてしまった。彼は言った。「祭壇のうちでの最も美しいものは、神に感謝している慰められた不幸な人の心である。」
 祈祷所には祈念台の藁椅子《わらいす》が二つと、寝室には同じく藁をつめた肱掛椅子《ひじかけいす》が一つあった。偶然一度に七八人の客がある場合に、すなわち県知事や将軍や兵営の連隊参謀官たちや、または神学予備校の数人の生徒などが来る場合には、牛小屋のうちの冬の座敷の椅子や、祈祷所の祈念台や、寝室の肱掛椅子などを取りに行かなければならなかった。そのようにして客のために十一の座席だけは設けることができた。新しく客が来るごとに、各室の道具が持ち出された。
 時としては十二人の集まりとなることもあった。そんな時司教は、冬ならば暖炉の前に立ち、夏ならば庭を一巡しようと言い出して、その困った情況をまぎらすのであった。
 それからまたしめきった寝所に一つの椅子があった。しかしそれは、つめてある藁も半ば無くなり、足も三本きりなかったので、壁によせかけてでなければ役に立たなかった。バティスティーヌ嬢はまた自分の室の中に、以前は金で塗られて花模様の南京繻子《なんきんじゅす》でおおわれている木製のきわめて大きな安楽椅子を一つ持っていた。はしご段があまり狭かったので、それは窓から二階に上げなければならなかったものである。でそれは予備の道具のうちには数えることができなかった。
 バティスティーヌ嬢の望みは、ばら模様の黄いろいユトレヒトのビロードを張り、白鳥の頭を刻んだマホガニーでできてる客間の一組みの道具を、長椅子といっしょに買いたいということだった。しかしそれには少なくとも五百フランかかるのであった。そしてそのためにいくら貯蓄しても五年間に四十二フラン十スーしか得ることができなかったので、ついに彼女はその望みを投げうってしまった。がおよそおのれの理想に達することを得る者はだれがあろう。
 司教の寝室は寝室としてこの上もなく簡素なものであった。一つの出入り口が庭に向かって開かれていて、それに向き合って寝台があった。それは緑のセルの帷《とばり》がかかってる鉄製の病院用寝台であった。寝台の陰の所の幕の向こうに、昔世に時めいた人の高雅な習慣の面影がなお残っている化粧道具があった。二つの扉《とびら》があって、一つは暖炉の近くにあって祈祷所《きとうしょ》の方に通じ、も一つは書棚の近くにあって食堂の方に通じていた。書棚は大きなガラス戸棚で書物がいっぱいつまってい、暖炉は大理石模様に塗られた木がつけられていて通例は火がなかった。暖炉のうちに鉄の薪台が一対あって、以前は銀粉を塗られていた花帯と丸みぞとで飾られてる二つの花びんが備えてあった。それは司教の家の一種のぜいたく品となっていた。その上の方の普通鏡が置かれる場所には、銀色のはげ落ちた銅製の十字架像が、金箔《きんぱく》のはげた木のわくのうちに、すり切れた黒ビロードに留めてあった。出入り口の近くに、インキ壺《つぼ》の置いてある大きな卓があって、上には雑多な紙や分厚な書物がのっていた。卓の前に藁の肱掛椅子《ひじかけいす》があった。寝台の前には祈祷所から持ってこられた一つの祈念台があった。
 楕円形《だえんけい》のわくの中に入れられた二つの肖像が寝台の両側に壁にかけられていた。画布の余地に像の横に小さな金文字がその名をしるしていた。一人はサン・クロードの司教であるド・シャリオ師であり、一人はアグドの副司教でありグラン・シャンの修道院長でありシャルトル教区のシトー会員であるトゥールトー師であった。司教は病院の患者から引き継いでこの室にはいった時、そこにこの二つの肖像を見い出してそのままにしておいたのだった。二人は牧師であって、またおそらく病院への寄付者であったろう。その二つの理由から司教は二人を尊敬したのであった。二人について彼が知っていたことは、一人は司教に他は扶持付牧師に、同じ一七八五年四月二十七日に国王から任ぜられたということだけであった。マグロアールが塵《ちり》をはらうためその画面を壁からおろした時、グラン・シャン修道院長の肖像のうしろに、四つの封糊でとめられて時を経て黄色がかっている小さな四角な紙に、白っぽいインキで、それらのことがしるしてあるのを、司教は見いだしたのであった。
 窓には粗悪な毛織りの古代窓掛けがあったが、それは非常に古くなっていて、新しいのを買わないで倹約するためには、マグロアールはそのまん中に大きな縫い目をこしらえなければならなかった。その縫い目は十字になっていた。司教はよくそれを指《さ》して言った。「何とうまくいってることだろう。」
 一階も二階もすべての室はみな、ことごとく石灰乳で白く塗ってあった。それは兵営や病院に普通のやり方だった。
 けれども後年になってマグロアールは、いずれそれは後に語ることではあるが、バティスティーヌ嬢の室には、その白塗りの壁紙の下に絵画があるのを見い出した。施療院になる前、この建物は市民の集会所であった。それでそういう装飾がなされたものであろう。各室は皆赤い煉瓦《れんが》で敷かれていて、それは毎週洗われ、また寝台の前には藁で編んだ蓆《むしろ》が置かれていた。その上この住居は、二人の婦人で保たれているので、いたるところ心地《ここち》よいほどきれいであった。それが司教の許した唯一の贅沢だった。彼は言った。「それは貧しい人々から何物をも奪いはしない[#「それは貧しい人々から何物をも奪いはしない」に傍点]。」
 しかしながら、司教には昔の所持品のうちから、銀製の食器類が六組みと大きなスープ匙《さじ》が一つ残っていたことを言わなければならない。それが粗末な白い卓布の上に光り輝いているのを、毎日マグロアールはながめて喜んでいた。そしてここにはディーニュの司教のありのままを描いているのだから、次の一事もつけ加えておかなくてはならない。すなわち彼は一度ならずこう言った。「銀の器で食事することはなかなかやめ難いものである。」
 この銀の食器に加うるに、彼がある大伯母《おおおば》の遺産から所持している、二つの大きな銀の燭台《しょくだい》があった。それには二本の蝋燭《ろうそく》が立てられてたいてい司教の暖炉の上に置かれていた。夕食に客がある場合には、マグロアールは両方の蝋燭に火をともして、その二つの燭台を食卓の上に置いた。
 司教の室のうちには、寝台の枕頭《まくらもと》に小さな戸棚が一つあった。マグロアールはその中に毎晩六組みの銀の食器と一本の大きな匙とをしまった。戸棚の鍵《かぎ》はいつもつけっ放しであったことは言っておかなければならない。
 後園は前述のかなり見すぼらしい建物で、いくらかそこなわれていたが、池のまわりに放射している十字に交わった四つの道がついていた。またも一つの道は、囲いの白壁に沿ってそのまわりに走っていた。それらの道は黄楊樹《こうようじゅ》でかこんだ四つの方形を作っていた。その三つにマグロアールは野菜を栽培し、残った一つに司教は草花を植えていた。またそこここに数本の果樹があった。
 マグロアールは一度、一種の穏やかな皮肉の調子で彼に言った。「旦那《だんな》様はどんなものでも利用なされますのに、これはまた地面をむだにしていらっしゃいます。花よりはサラダでもお植えなされたがよろしいでしょうに。」司教はそれに答えた。「マグロアール、それは考え違いだよ。美しいものは有用なものと同じように役に立つものだ。」それからちょっと言葉を切って、またつけ加えた。「いやおそらくいっそう役に立つだろう。」
 三つか四つの花壇でできているこの第四の区画は、ほとんど書籍と同じくらいに司教の心をとらえていた。木を切ったり草を取ったり、あちこちに地を掘って種をまいたりしながら、喜んでそこに一、二時間を過した。彼は園芸家のように、虫を敵視することがなかった。その上何ら植物学に対して私見を有しなかった。類別や分類などを知らなかった。また少しもトゥールヌフォールの方法と自然栽培法とのいずれかを選ぶこともせず、胞果と子葉《しよう》とのいずれかを取ることもなく、ヂュシユーとリンネとのいずれかの説を取るということもしなかった。彼は植物を研究することもせず、ただ花を愛した。学者をもはなはだ尊敬していたが、なおいっそう無学者を尊敬していた。そして決してこの両者に対する尊敬を失わないで、夏の夕方など毎日青く塗ったブリキのじょうろで花壇に水をやった。
 家には錠をおろされる戸は一枚もなかった。前に言ったように、石段もなくすぐに会堂の広場に出られる食堂の戸口は、昔の牢屋《ろうや》の戸口のように錠前と閂《かんぬき》とがつけられていた。が司教はそれらいっさいの金具をとり除いたので、戸口は昼も夜も※[#「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37]《かきがね》でしめられるばかりであった。通りかかりの人でも何時たるを問わず、ただそれを押せば開くのだった。初め二人の女はこの締りのない戸口をたいへん心配したが、司教は彼女たちに言った。「もしよければ自分の室に閂をつけさせるがいい。」でついに彼女たちも彼と同様に安心し、また少なくとも安心したふうをするようになった。ただマグロアールだけは恐ろしがった。司教の方は、彼が聖書の余白に自ら書きつけた次の三行の句に、その考えが説明され、もしくは少なくとも示されている。「ここにその微妙なる意味あり。医師の戸は決して閉さるるべからず、牧師の戸は常に開かれてあらざるべからず。」
 医学の哲理[#「医学の哲理」に傍点]と題する他の一冊の書物に、彼はも一つ文句を書いていた。「余もまた彼らのごとく医師に非《あら》ざるか。余もまた余が患者を有す。第一に、彼らが病人と称する彼らの患者を余は有し、次に、余が不幸なる者と呼ぶ余の患者を有するなり。」
 他に彼はまたしるした。「汝に宿を求むる者にその名を尋ぬべからず。自ら名乗るに心苦しき者こそ特に避難所を要する人なればなり。」
 ある日のことたまたま、クールーブルーの司祭であったかまたはポンピエリーの司祭であったかちょっとわからないが、あるりっぱな主任司祭が、たぶんマグロアールに説かれてであろう、司教に次のことを尋ねてみた。だれでもはいろうとする人の意のままに昼夜戸を開いておくことは、ある意味において軽率なふるまいとはならないと信ずるのであるか、そしてまた、かくも締りのない家のうちに何か不幸な事が起こりはしないかを恐れないのであるか。すると司教は、おごそかに、しかもやさしく司祭の肩に手を置いて言った。「神が家を守って下さらなければ、人がいかにそれを守っても無益です。」それから彼は顧みて他のことを言った。
 彼はよく好んでこんなことを言った。「竜騎兵の隊長の勇気というものがあるように、牧師の勇気というものがある。」またつけ加えて言った。「ただわれわれ牧師の勇気は静かなものでなければならない。」

     七 クラヴァット

 ここに自然、省いてならない一事を述べておかなければならない。それはディーニュの司教がいかなる人物であったかをよく示す事がらの一つだから。
 オリウールの峡路を荒した山賊ガスパール・ベスの一隊が瓦解《がかい》した後、その首領の一人であったクラヴァットという者が山中に逃げ込んだ。彼はガスパール・ベスの仲間の残党である無頼の徒とともに、しばらくニースの伯爵領に身を潜めていたが、それからピエモンの方へ行き、そして突然フランスのバルスロンネットの方面に現われた。ジューグ・ド・レーグルの洞窟《どうくつ》に身を隠して、そこからユベーおよびユベイエットの谷合いを通って村落の方へやってきた。アンブロンまでも出かけてゆき、ある晩などは大会堂に侵入して聖房の品物を奪い去った。その略奪はその地方を悩ました。憲兵をして追跡せしめたが無益であった。彼はいつも巧みに脱し、時としては猛烈な抵抗を試みた。実に不敵な悪漢だった。
 その恐惶《きょうこう》の最中に司教がそこへやって行った。巡回をしていたのである。シャストラルで、村長は彼を訪れてきて途を引き返すように勧めた。クラヴァットはアルシュおよびその向こうまで山を占領していたのである。警護の人をつれてもなお危険であった。三四人の不幸な憲兵をいたずらに危険にさらすのみだった。
「それですから、」と司教は言った、「私は警護なしに一人で行くつもりです。」
「そんなお考えを……。」と村長は叫んだ。
「そう考えているのです。で私は絶対に憲兵をお断わりします。そして一時間後には出立つするつもりです。」
「御出立つ?」
「出立つします。」
「お一人で?」
「一人で。」
「閣下、そんなことをなされてはいけません。」
「あの山の中には、」と司教は言った、「ごく小さな憐《あわ》れな村があります。もう三年このかたそこを見舞わないでいます。皆私の善良な友だちです。穏和な正直な羊飼いたちです。飼っている山羊《やぎ》のうち三十頭につき一頭を自分のものにしています。彼らはいろいろな色のごく美しい毛糸ひもをこしらえたり、または六つの穴のある小さな笛で山の歌を吹きます。時々は彼らにも神様のことを話してきかせなければなりません。物を恐《こわ》がっている司教のことをきいたら彼らは何と申すでしょう。もし私があそこへ行かなかったら彼らは何と申すでしょう。」
「けれども閣下、山賊が! もし山賊にお出会いなされたら!」
「いや、」と司教は言った、「それも考えています。御道理《ごもっとも》です。山賊に出会うかも知れません。彼らもまた神様のことを話してきかせられる必要があるに違いありません。」
「ですけれども彼らは徒党を組んでいます。狼《おおかみ》の群れでございます。」
「村長どの、イエスが私を牧人《ひつじかい》にされたのは、まさにそれらの群れの牧人にされたのかもわかりません。だれが神の定められた道を知りましょう。」
「閣下、彼らはあなたの持物《もちもの》を奪うでしょう。」
「私は何も持っていません。」
「あなたを殺すかも知れません。」
「他愛もないことをつぶやいて通ってゆく年老いた牧師をですか? ばかな! それが何になるでしょう。」
「ああそれでも、もしお出会いなされたら!」
「私は彼らに貧しい人々のための施しを求めましょう。」
「閣下、どうか行かないで下さい。お命にかかわります。」
「村長どの、」と司教は言った、「ちょうどそのことです。私がこの世にいるのは、自分の生命《いのち》を守るためではなくて、人々の魂を守らんがためです。」
 彼のなすに任せるよりほかはなかった。彼は案内者になろうと自ら申し出た一人の子供だけを伴なって出立つした。彼の頑固《がんこ》はその付近の人々の口に上り、そして非常に人々の心を痛めた。
 彼は妹をもマグロアールをも連れて行こうとしなかった。彼は騾馬《らば》の背に乗って山を通り、だれにも出会わず、無事に彼の「善良な友」たる羊飼いたちのもとに着いた。そこで彼は信仰を説き祭式を執り物を教え道徳を説きなどして、十五日の間留まっていた。出発の迫ってきた頃彼は正式をもって讃歌《テデオム》を歌うことにした。彼はそのことを主任司祭に話した。しかしいかにしたらいいか。司教の飾具なんか一つもない。村のみすぼらしい聖房と平紐《ひらひも》で飾られたダマ織りの古いすりきれた二三の法衣とが、使用し得らるるすべてであった。
「なに、」と司教は言った、「司祭さん、やはり会衆に讃歌《テデオム》のことを伝えておきましょう。どうにかなるでしょう。」
 人々は付近の会堂をさがし歩いた。が付近の教区のすべてのりっぱなものを集めても、大会堂の一人の合唱隊長の適宜な衣装にも足りなかった。
 この当惑の最中に、二人の見知らぬ騎馬の男が大きな一つの箱を持ってきて、司教へと言って司祭の家に置き、そのまま立ち去ってしまった。箱を開いてみると中には、金襴《きんらん》の法衣、金剛石をちりばめた司教の冠、大司教の十字架、見事な笏杖《しゃくじょう》、その他一月前にアンブロンのノートル・ダーム寺院から盗まれたすべての司教服がはいっていた。箱の中に一枚の紙があって、その上に次の語が誌《しる》してあった。「クラヴァットよりビヤンヴニュ閣下へ。」
「だから、どうにかなるでしょうと私が申したのです!」と司教は言った。それから彼はほほえみながらつけ加えた。「司祭の白衣で満足する者に、神は大司教の法衣を下されます。」
「閣下、」と司祭は頭を振り立てながらほほえんでつぶやいた、「神様か――または悪魔か。」
 司教は司祭をじっとながめた、そしておごそかに言った。「神です。」
 司教がシャストラルに帰っていった時、またその途中でも、人々は出てきて不思議そうに彼をながめた。彼はシャストラルの主任司祭の家に、彼を待っていたバティスティーヌ嬢とマグロアールとを見い出した。彼は妹に言った。「ごらん、私が言うとおりではなかったか。憐《あわ》れな牧師は何も持たずにあの憐れな山中の人たちの所へ行った、そしてたくさんのものを手にして帰ってきた。私はただ神に対する信頼の念だけを持って行ったが、大会堂の宝を持ち返ってきた。」
 その晩床につく前に彼はなお言った。「決して盗賊や殺人者をも恐れてはいけない。それらは外部の危険で小さなものである。われわれはわれわれ自身を恐れなければならない。偏見は盗賊である。悪徳は殺人者である。大きな危険はわれわれの内部にある。われわれの頭《こうべ》や財布を脅かすものは何でもない。われわれの心霊を脅かすもののことだけを考えればよいのだ。」
 それから彼は妹の方へふり向いた。「ねえお前、決して牧師の方から隣人に向かって用心をする必要はない。隣人がなすことは神の許されるところである。危険が身に迫ってると思う時には、ただ神を祈るだけのことだ。われわれ自身のためにではない、われわれの兄弟がわれわれのことで罪を犯すことのないようにと、神を祈ればよいのだ。」
 もとよりかかる変わった事件は彼の生涯《しょうがい》においてきわめて稀《まれ》であった。われわれはただわれわれの知るところだけを物語るのである。普通彼はいつも同じ時間に同じようなことをしつつ生涯を過ごしていたのである。その一年の一月《ひとつき》もその一日の一時間と変わりはなかった。
 アンブロン大会堂の「宝」がどうなったかについては、それを尋ねられるとわれわれは当惑するのである。きわめてりっぱなもの、非常に心をそそるもの、不幸な人たちのために盗むによいものがそこにあった。盗むとしてもそれは実際既にもう盗まれてあったのである。仕事はもう半ば遂げられていた。ただ盗みの方面を変えることだけが残っていた、そしてただ貧しい人々の方へ少しばかり進ませることだけが。といってもわれわれはこのことについては何にも言明すまい。ただたぶんこの事がらに関係がありそうに思わるるかなり曖昧《あいまい》な手記が、司教の書き物のうちに見いだされた。次のような文句である。「それは大会堂に戻さるべきかもしくは施療院に送らるべきか、その決定が問題なり。」

     八 酔後の哲学

 前に述べたあの上院議員は悧巧《りこう》な男で、自分の途に当たるあらゆるもの、いわゆる良心、信仰、正義、義務などと称せらるる障害物を意に介せずして、一直線におのれの道を進んできた男であった。彼はまっすぐに目的に向かって進み、昇進と利益との途中において一度も躓《つまず》かなかったのである。もと検事であって、成功して性質が柔らぎ、決して悪意のある男ではなかった。自分の子供や婿や親戚《しんせき》やまたは朋友《ほうゆう》などにさえ、できるだけのわずかな世話はしてやった。いい方面やいい機会や不意の利得などを巧みに世の中からつかんだ。その他のことはばかげてると彼は思っていた。才気があり、またかなり学問もあって、エピクロスの弟子《でし》であると自ら思っていたが、おそらくビゴール・ルブランの描いた人物くらいのものに過ぎなかったろう。無窮とか永久とかいうことや、「司教輩の児戯」などについては、よく愉快そうに冷笑した。時としては、じっと聞いているミリエル氏の前でさえ、愛すべきおごそかな調子でそれらのことを嘲笑《あざわら》った。
 ある何か半ば非公式の機会に、伯爵(この上院議員)とミリエル氏とは知事の家で晩餐《ばんさん》を共にすることになった。食後のお茶の時に、上院議員は少し上きげんでしかも品位をくずさずに言い出した。
「さあ司教さん、少し論じようではないですか。上院議員と司教とはまともには妙に顔を見合わせ悪《にく》いものだが、われわれはお互いに先覚者である。私は君にこれから一つ打ち明けて話をしよう。私は私の哲学を持っている。」
「なるほどもっともです。」と司教は答えた。「人は自分のこしらえた哲学の上に寝ます。あなたは緋服《ひふく》の寝床にねていられますからな。」
 議員はそれに元気を得て言った。
「まあお互いにいい児《こ》になるとしよう。」
「いやいい悪魔にでも。」と司教は言った。
「私はあえて言うが、」と議員は言った、「アルジャン公爵やピロンやホッブスやネージョン氏など決して野人《やじん》ではないです。私はこれら哲学者たちの金装の著書を書棚に持っているが。」
「伯爵、それはあなたと同様な人たちです。」と司教は口を入れた。
 上院議員は言葉を続けた。
「私はディドローがきらいだ。彼は観念論者で、壮語家で、革命家で、それで内心神を信じてい、そしてヴォルテール以上に頑迷《がんめい》である。ヴォルテールはニードハムを嘲《あざけ》ったが、それは誤りだ。何となればニードハムの針鰻《はりうなぎ》は神の無用を証明するのだから。一|匙《さじ》の捏粉《こねこ》のうちに酢の一滴をたらせば、それがすなわち|光あれ《フィア・リュクス》である。かりにその一滴をいっそう大きくし、その一匙をいっそう大きくしてみれば、すなわち世界となる。そして人間はすなわち針鰻である。しからば永久の父なる神も何の役に立とう! 司教さん、エホバの仮説には私はもうあきあきする。そういう仮説はただ、がらん洞《どう》のやせこけた人間を作るに役立つばかりだ。予をわずらわすこの大なる全《ぜん》を仆《たお》せ、予を安静ならしむるかの無《む》なるかな、である。ここきりの話だが底をわって言えば、そして私の牧人《ひつじかい》なる君に至当なる懺悔《ざんげ》をすれば、私は正当なる理性を有するのである。口を開けば常に解脱と犠牲とを説く君のイエスに私は熱中することができない。それは乞食《こじき》に対する吝嗇家《りんしょくか》の助言である。解脱! 何ゆえか。犠牲! 何物に対してか。私は一つの狼《おおかみ》が他の幸福のために身を犠牲にするのをかつて見ない。われわれは自然に従うべきである。われわれは頂上にいる。優《すぐ》れたる哲学を持たなければならない。他人の鼻の頭より以上を見得ないならば、高きにいる事も何の役に立とう。愉快に生きるべしである。人生、それがすべてだ。人は未来の生を、かの天国にか、かの地獄にか、どこかに所有すると言わば言うがいい。私はそういう欺瞞《ぎまん》の言葉を信じない。ああ人は私に犠牲と脱却とを求める。自分のなすすべての事に注意し、善と悪、正と邪、合法《ファス》と非法《ネファス》とに頭を痛めざるべからずと言う。しかし何のためにであろう。私はやがて自己の行ないを弁義せなければならないであろうからというのか。そしてそれは何の時に? 死して後にである。何というりっぱな夢か? 死して後に私を取り上げるとは結構なことだ。影の手をもって私の一握の灰をつかむがいい。神秘に通じイシスの神の裳《もすそ》をあげたる吾人をして真を語らしめよ、曰《いわ》く、善もあるなく悪もあるなし、ただ生長あるのみ。真実を求むべきである。掘りつくすべきである。奥底まで行くべきである。真理を追い求め、地下を掘り穿《うが》ちてそれをつかまなければならない。その時真理は人に美妙なる喜びを与える。人は力強くなり、真に笑うことができる。私は確乎《かっこ》たる信念を持っている。司教さん、人間の不死というのは一つの狐火《きつねび》にすぎない。まことに結構な約束だ! それを信ずるもまたいいでしょう。アダムは結構な手形を持ったものだ。人は霊である、天使になるであろう、双肩に青い翼を持つであろうと。それからテルツリアヌスではないですか、幸福なる人々は星より星へ行くであろうと言ったのは。それもいいでしょう。人は星の蝗虫《ばった》になる。そしてそれから、神を見るであろう。アハハハ。それらの天国なるものは皆|囈語《たわごと》にすぎない。神というはばかばかしい怪物にすぎない。もちろん私はかかることを新聞雑誌の上で言いはしないが、ただ親友の間でささやくだけです。杯盤《インテル》の間《ポキュラ》にです。天のために地を犠牲にするのは、水に映った影を見て口の餌物《えもの》を放すようなものです。無限なるものから欺かるるほど愚かなことはない。私は虚無である。私は自ら元老院議員虚無伯と呼ぶ。生まれいずる前に私は存在していたか。否。死後に私は存在するであろうか。否。私は何物であるか。有機的に凝結したわずかの塵《ちり》である。この地上において何をなすべきか。それは選択を要する。すなわち、苦しむべきかもしくは楽しむべきか。ところで、苦しみは私をどこへ導くであろうか。虚無へである。しかし既に苦しんだ後にである。楽しみは私をどこへ導くであろうか。虚無へである。しかし既に楽しんだ後にである。私の選択は定まっているのだ。食《くら》うべきかもしくは食わるべきかの問題だ。私は食う。草たらんよりはむしろ歯たるに如《し》かず。そういうのが私の知恵である。いいですか、その後には墓掘りが控えている。われわれにとっては神廟《しんびょう》が。皆大きな穴の中に落ちこむのである。死。結末《フィニス》。全部の清算。そこが消滅の場所である。死は死しているのである。私に何か言うべき人がそこにいるというのか。考えるだに可笑《おか》しい。乳母《うば》の作り話だ。子供にとってはお化け、大人《おとな》にとってはエホバ。いな。われわれの明日《あす》は夜である。墓のかなたにはだれにも同じ虚無があるばかりだ。背徳漢サルダナパロスであろうと、聖者ヴァンサン・ド・ポールであろうと、常に同じ無《む》に帰する。それが真実である。ゆえに何よりもまず生きるべし。汝が汝の自己を保つ間、そを用うべし。実際、司教さん、君に重ねて言うが、私には私の哲学がある、私の哲学者たちがある。私は児戯に類した言によっておのれを飾りはしない。もとより下層の者には、乞食や研師《とぎし》や惨《みじ》めな奴《やつ》らには、何かがなくてはならない。彼らには伝説や妄想《もうそう》や霊魂や不死や天国や星などを食わせるがよい。彼らはそれをかみしめる。堅パンの上にふりかける。何物をも有しない者は善良なる神を持つ。まあそれくらいのものだ。私は決してそれに反対はしない。しかし私は自分のためにネージョン氏の説を取っておくのである。善良なる神は民衆にとって善良なのだ。」
 司教は手をたたいた。
「よくも言われた!」と彼は叫んだ、「あなたの唯物主義は実にりっぱな、まことに驚くべきものです。だれにでも得らるるものではない。ああそんな主義を会得した暁には、もう欺かるることはないです。愚かにもカトーのように追放さるることもなく、エティエンヌのように石で打たるることもなく、ジャンヌ・ダルクのように生きながら焼かるることもないでしょう。そういうみごとな唯物主義を首尾よく得た者は、責任解除の喜びを得るものです。いかなる地位も、冗官《じょうかん》も、位階も、正当に得られた権利も不当に得られた権利も、利益ある変説も、有利な背反も、都合よい自己弁解も、すべてを安んじて食い得ると思う喜びを得るものです。そして消化を終えて墓の中にはいると思う喜びを得るものです。まことに愉快なことです! 私はそれをあなたに向かって言うのではありませんよ。けれどもあなたに祝意を表わさずにはおれないです。あなた方りっぱな方々は、お言葉のとおりに、御自身のそして御自身のための一つの哲学を持っていられる。美妙で、精巧で、富者ばかりが手にすることができ、いかなるものにもよくきくソースであって、人生の快楽にうまく味をつける哲学です。その哲学は地下深くから取られ、特別な探求者によって掘り出されたものです。しかしあなたはいい方です。善良なる神の信仰は民衆の哲学であることが差しつかえないと言われる、あたかも鵞鳥《がちょう》の栗《くり》料理は貧しい者にとっては七面鳥の松露料理だとでも言うように。」

     九 妹の語りたる兄

 ディーニュの司教一家の生活状態と、二人の聖《きよ》き婦人がその行為も思想もまた動かされやすい本性まで、司教の指導をまつまでもなく彼の習慣と考えとに従わしていった日常の様とを、おおよそ示さんがためには、バティスティーヌ嬢がその幼な友だちのボアシュヴロン子爵夫人にあてた一通の手紙を、ここに写すに越したことはない。その手紙をわれわれは所有している。

ディーニュにて、一八――年十二月十六日
 子爵夫人さま、一日としてあなたのお噂《うわさ》をせずに過ごしたことはありませぬ。それはほとんど私どもの習慣でもありますが、なお他に一つの理由がありますので。マグロアールが天井や壁のほこりをはらったり洗ったりして、ある発見をいたしたのです。ただ今では、石灰乳で白くぬられた古い壁紙の私どもの二つの室は、お宅のようなりっぱなお住居《すまい》にも比べて恥ずかしからぬほどになりました。マグロアールが壁紙をみなはがしてしまいましたところ、その下にあるものがあったのです。私の客間は、何の道具もなく、ただ洗濯物をひろげるくらいのことに使っていまして、高さ十五尺に縦も横もともに十八尺でありますが、天井はもとから金色に塗られ、桁《けた》はちょうどお宅ののようにこしらえてあります。施療院でありましたころは、布地《きれじ》で蔽《おお》われていたのでした。それからまた、私どもの祖母時代に属する壁板細工もあります。けれども特にお目にかけたいのは、私の居間《いま》なのです。マグロアールが、少なくも十枚ばかりの壁紙の張られていました下に、絵画を見出したのです。いいものではないにしてもかなり見られます。テレマックが馬上にてミネルヴァに迎えらるる所、それからまた彼が庭にいる所など。画家の名はちょっとわかりません。またローマの婦人たちが一夜出歩いてゆく場所。どう申したらよろしいでしょうか、まあ多くのローマの男子や(この所一語読み難し)婦人や、その多くの従者たちがいます。マグロアールがそれらの絵からすっかり塵《ちり》を払ってくれました。そしてこの夏には、室の所々の破損を直し全部を塗りかえるように言っていますので、私の室はまったく博物館のような趣になりますでしょう。彼女はまた納屋の片すみに古風な二つの木卓を見つけました。それを金色に塗りかえるには六リーヴル金貨二枚くらいはかかるでしょう。けれどそれは貧しい人たちに施した方がよろしいのです。その上その小卓はごく体裁が悪くて、マホガニーの円卓の方が私は好ましいのです。
 私はいつも仕合わせでいます。兄はきわめて親切なのです。自分の持ってるものは残らず困窮な者や病人などに与えてしまいます。大変困まることもあります。この地方は冬がごく厳《きび》しくて、貧乏[#「貧乏」は底本では「貧之」]な人たちのために何かしてやらなければなりません。私どもはようやくに薪《まき》をたいたり燈火《あかり》をともしたりしています。でもそれは非常に楽しいことなのです。
 兄は自己一流のやりかたを持っています。話をする時には、司教たるものはかくしなければならないというようなことを申します。家の戸口は決して締りをいたしません。だれでもはいれます、そしてすぐに兄の所へ行けるのです。兄は何物も恐れません、夜ですら。自分でよく言いますように、それが兄の勇気なのです。
 兄は私やマグロアールが兄の身を心配するのを好みません。どんな危険でも冒しまして、そして私たちがその危険を案じているようなふうをするのさえ好みません。よく兄の性質を了解しなければいけないのです。
 兄は雨中に出かけたり、水の中を歩いたり、冬に旅をしたりいたします。兄は夜をもこわがりません、怪しい道や、悪者に出会うことなども。
 昨年のことでしたが、兄は一人で盗賊の出没している地方に出かけました。私どもを連れてゆくことを好まなかったのです。十五日間帰りませんでした。帰って来るまで兄には何事も起こらなかったのでした。兄は死んでいるものとだれも思っていましたのに、丈夫でいたのです。そして、こんな盗人に出会った、と申します。行李《こうり》を開きますと、中にはアンブロン大会堂のいっさいの宝物がはいっています。盗賊どもがそれを兄にくれたのです。
 私は兄の友だちの方々といっしょに二里ばかり出迎えに行ったのでしたが、その帰りに、その時ばかりは少し小言《こごと》を言わないではおれませんでした。それでも他の人に聞こえないように馬車が音を立てて走っている間に申したのです。
 初めのうち私は、いかなる危険も兄を止めることはできない、兄は恐ろしい人である、と思っていました。けれど今ではそれになれてしまいました。マグロアールにも合い図をして兄の意に逆《さから》わぬようにさせます。兄は自分で思ったことはどんな危険をも冒します。私はマグロアールを伴ない、自分の室に帰り、兄のために祈りをして、それから眠るのです。私は心安らかにしております。もし兄に何か不幸が起こるならばその時が私の終わりであることを、はっきり知っていますから。私は私の兄たり司教たる人とともに神様のもとへ行きますでしょう。マグロアールの方は、彼女が兄の不用心と呼んでいますこのことになれるのに、私よりもよほど困難でありました。けれどもただ今ではもうなれっこになっています。私どもは二人でいっしょに祈り、いっしょに気づかい、いっしょに眠りにつきます。家の中に悪魔がはいってきますなら、なすままにさしておきましょう。要するにこの家の中で私どもは何を恐れることがありましょう。最も強い人が常に私どもとともにいるのです。悪魔はこの家を通り過ぎることもありましょう。しかし神様はこの家に住まわれています。
 それで私には十分であります。兄はもう今では私に一言も申さなくてよろしいのです。ことばなくとも私は兄の心を了解します。そして私どもは神のおぼし召しに身を任せます。
 精神に偉大なものを持っている人とともにあるには、かくなければなりません。
 フォー一家についてお尋ねのことは兄に聞き訊《ただ》してみました。兄は常に善良な王党の人でありますので、御承知のとおりいろいろなことを知っており、いろいろな事を記憶しております。この一家は確かにカアン地方のきわめて古いノルマンディーの家がらであります。五百年前にはラウール・ド・フォー、ジャン・ド・フォー、トーマ・ド・フォーなどの貴族がありまして、その一人はロシュフォールの領主でした。一家の最後の人はギー・エティエンヌ・アレクサンドルと言って、連隊の指揮官でまたブルターニュ軽騎兵の何かの役を持っていました。その娘のマリー・ルイズは、ルイ・ド・グラモン公爵の息子《むすこ》アドリアン・シャール・ド・グラモンと言って、枢密官であり親衛軍の連隊長で陸軍中将であった人と、結婚しています。それからフォーというのには Faux, Fauq, Faoucq の三とおりの綴《つづ》り方があります。
 子爵夫人さま、私どものことをあなたの聖《きよ》き御親戚枢機官様へよろしくお願いいたします。あなたの御親愛なるシルヴァニー様については、おんもとに御滞在もしばしのことと存じますので、私へおたよりのひまもございますまい。ただ、いつもお健やかに、あなたのお望みのとおりによく務められ、また常に私を愛して下されんこと、それのみが私の望みであります。あなたを通してお送り下さいましたあの方の記念の品、到着いたしました。たいへんにうれしく存ぜられます。私の健康はさして悪い方ではありませぬ、けれども日に日にやせて参ります。それでは紙もつきましたのでこれで筆をとめます。

かしこ。
バティスティーヌ

追白――御令弟夫人には若き御一家とともにいつもこの地におられま—-す。 御子息はまことに愛くるしくていられます。御存じでもありましょう–が、やが て五歳になられます。昨日、膝当《ひざあて》をした馬の通るのを見て言われるのです。「あの馬は膝をどうしたの。」いかにもかわいらしいお子様です。その小さい弟御は古い箒《ほうき》を馬車にして室の内を引きずりながら、「ハイ、ハイ」と申されています。

 この手紙によって見るも、これらの二人の婦人は、男子が自らを了解するよりもいっそうよく男子を了解するあの特殊な女の才能をもって、司教のやり方におのれを一致させることを得たのである。ディーニュの司教は、常に変わらぬ穏和率直なふうをもってして、しかも往々豪胆な崇高な大事をなしたのである。彼は自らもそれに気付かないがようであった。二人の婦人はそれを非常に心配したが、しかし彼のなすままにして置いた。時としてマグロアールは事の前にあらかじめ注意することもあったが、その最中や事後には決してしなかった。一度何かが初められると、彼女たちは決して身振りでさえも彼をわずらわすことをしなかった。ある場合など、彼はおそらく自らもはっきり意識しないほどまったく単純に行なったので、一言も言われなくても、彼女たちは漠然《ばくぜん》と彼が司教らしい行動をしているように感じた。そういう時には、彼女たちは家の中において単に二つの影にすぎなかった。彼女たちは全く受動的に司教に仕え、もし身を退けることが彼の意に従うならば、その傍《そば》から身を退くのであった。彼女たちは非常に微妙な本能によって、ある種の世話はかえって彼の心をわずらわすものであることを知っていた。それで司教が危険な場合に臨んでいると思う時ですら、彼女たちは、彼の思想をとは言えずとも彼の性質をよく了解していたので、彼の身についてあまり注意することをしなかった。彼女たちは彼を神にゆだねていた。
 その上前の手紙にあったようにバティスティーヌは、司教の最期はまた自分の最期であると言っていた。マグロアールは、そうと口には出さなかったが、また彼女にとってもそうであることを知っていた。

     十 司教未知の光明に面す

 前章に引用した手紙の日付より少し後のことであったが、司教はあることを行なった。市民の言うところを信ずれば、それはあの盗賊の出没する山間を通ったことよりもいっそう危険なことだったのである。
 ディーニュの近くの田舎《いなか》に、孤独な生活をしている一人の男があった。この男は、一言無作法な言葉をもって言えば、もとの民約議会の一員であった。名をG《ゼー》某と言った。
 ディーニュの小さな社会では、一種の恐怖をもってこの民約議会の一員Gのことが話された。民約議会の一員、それを想像してもみよ。互いにぞんざいな言葉を使い、君と呼びあう革命時代にいた奴《やつ》である。彼はほとんど一つの怪物である。彼は王の死刑には賛成しなかったが、ほとんどしたも同じである。准|弑虐者《しぎゃくしゃ》で、恐るべき奴である。正当な君主が戻られた際に、人々はなぜこの男を臨時国事犯裁判所に連れ出さなかったのか。必ずしも首を切る必要はなかったかも知れない。寛大が必要であったろうから。しかし終身追放くらいは。要するに一つの見せしめなんだ! それから……またそれから……。その上彼は、その仲間の奴らと同じに無神論者なんだ。――市民らはちょうど禿鷹《はげたか》について鶩《あひる》の騒ぐがような調子であった。
 で結局このGは禿鷹であったであろうか。もし彼の孤独な生活のうちにおけるその獰猛《どうもう》な有様より判断するならば、しかりと言わなければならなかった。ただ王の処刑に賛成しなかったばかりで、彼は追放被布告者のうちに入れられずに、フランスにとどまってることができたのであった。
 彼は町から四五十分ほどかかる所に、村里遠く道路から遠く、荒涼たる谷間の人知れぬ場所に住んでいた。彼はそこに少しの畑地と、一つの陋屋《ろうおく》、巣窟《そうくつ》を持っていると言われていた。隣人もなく通りすぎる人もなかった。彼がその谷合いに住んでいらい、そこに通ずる一筋の小道は草におおわれてしまった。そこのことを人々は死刑執行人の住家のように言っていた。
 けれども司教はそれに思いを馳《は》せ、一群《ひとむれ》の木立ちがその年老いた民約議会員のいる谷間を示しているあたりを時折ながめた。そして言った、「彼処《あそこ》に一人ぽっちの魂がある。」
 そして彼は胸の奥でつけ加えて言った。「私は彼を訪れてやるの責がある。」
 しかし実を言えば、一見きわめて自然なことのように見えるその考えは、少しの考慮の後には尋常ならぬ不可能なことのように彼には思えた、そしてほとんど嫌悪《けんお》すべきことのようにさえ思えた。何となれば、彼もまた内心一般の人々と同じ印象を受けていた。そして彼自らはっきり自覚はしなかったが、この民約議会員は憎悪《ぞうお》に近い感情を、敬遠という言葉によってよく現わさるる一種の感情を、彼の心に吹き込んでいたのである。
 けれども、羊の悪病は牧人を後《しり》えに退かしむるであろうか。いな。とはいえ何という羊であるかよ!
 善良な司教は困惑していた。時とするとその方へ出かけてみたが、また戻ってきた。
 ところがある日、一の噂《うわさ》が町にひろがった。その陋屋《ろうおく》の中で民約議会員G《ゼー》に仕えていた牧者らしい若者が、医者をさがしにきたそうである。年老いた悪漢はまさに死にかかっている。全身|麻痺《まひ》している。今晩がむつかしい。「ありがたいことだ!」とある者はその話の終わりにつけ加えた。
 司教は杖《つえ》を取った。それから、前に言ったとおりあまりすり切れている法衣を隠すためと、間もなく吹こうとする夕の風を防ぐために、外套を着た。そして家を出かけた。
 日は傾いてまさに地平線に沈まんとする頃、司教はその世を距《へだ》てた場所に着いた。小屋の近くにきたことを知って、一種の胸の動悸《どうき》を覚えた。溝《みぞ》をまたぎ、生籬《いけがき》を越え、垣根《かきね》を分け、荒れはてた菜園にはいり、大胆に数歩進んだ。すると突然、その荒地の奥の高く茂った茨《いばら》の向こうに一つの住家が見えた。
 それは軒低い貧しげなこぢんまりした茅屋《ぼうおく》であって、正面にぶどう棚がつけられていた。
 戸の前に、農夫用の肱掛椅子《ひじかけいす》である車輪付きの古い椅子に腰掛けて、白髪の一人の男が太陽を見てほほえんでいた。
 腰掛けている老人の傍《そば》には、牧者である年若い小僧が立っていた。彼は老人に一杯の牛乳を差し出していた。
 司教がじっとながめている間に、老人は声を立てて言った。「ありがとう。もう何もいらないよ。」そして彼のほほえみは太陽の方から子供の上に向けられた。
 司教は進んでいった。その足音に、腰掛けていた老人は頭をめぐらした。彼の顔には、長い生涯を経た後にもなお感じ得るだけの驚きが浮かんだ。
「私がここにきていらい、人が私の所へきたのはこれが初めてだ。」と彼は言った。「あなたはどなたです。」
 司教は答えた。
「私はビヤンヴニュ・ミリエルという者です。」
「ビヤンヴニュ・ミリエル! 私はその名前をきいたことがあります。人々がビヤンヴニュ閣下と呼んでいるのはあなたですか。」
「私です。」
 老人は半ば微笑を浮かべて言った。
「それではあなたは私の司教ですね。」
「まあいくらか……。」
「おはいり下さい。」
 民約議会員は司教に手を差し出した。しかし司教はそれを取らなかった。そしてただ言った。
「私の聞き違いだったのを見て、私は満足です。あなたは確かに御病気とは見受けられません。」
「もう癒《なお》るに間もないのです。」と老人は答えた。
 彼はそれからちょっと言葉を切ったが、また言った。
「三時間もしたら死ぬでしょう。」
 それからまた彼は続けて言った。
「私は少々医学の心得があります。どんなふうに最期の時間がやって来るかを知っています。昨日私は足だけが冷えていました。今日は膝《ひざ》まで冷えています。ただ今では冷えが腰まで上ってきてるのを感じます。心臓まで上って来る時は、私の終わりです。太陽は美しいではありませんか。私は種々なものに最後の一瞥《いちべつ》を与えるため、外に椅子を出さしたのです。お話し下すってかまいません。私はそれで疲れはしませんから。あなたは死んでゆく者を見守りにちょうどよくこられました。死に目を見届けてくれる人がいるのはいいことです。人には何かの奇妙な望みがあるものです。私は夜明けまで生きていたいと思っています。しかしやっと三時間くらいきり生きられないのをよく知っています。夜になるでしょう。だが実はそんなことはどうでもよろしいのです。生を終わるということは簡単なことです。そのためには別に朝を必要としません。そうです、私は星の輝いた下で死にましょう。」
 老人は牧者の方へふり向いた。
「お前は行っておやすみ。昨夜は一晩起きていた。お前は疲れている。」
 子供は小屋の中にはいった。
 老人は彼を見送った。そしてひとり言のようにしてつけ加えた。
「彼が眠っている間に私が死ぬだろう。二つの眠りはよい仲間だ。」
 司教は想像されるほど感動してはいなかった。かくのごとき死に方のうちに神が感ぜらるるような気はしなかった。偉大な心のうちの小さな矛盾も他のものと同じく示されなければならないから、うちあけてすべてを言ってしまえば、折りにふれて大人様という敬称を好んで笑っていた彼も、閣下と今呼ばれないことをいくらか気持ち悪く感じていた、そして君と呼び返してやりたい気持ちさえも覚えていた。また医者や牧師のよくする不作法ななれなれしい態度をとってみようという気もしたが、それは彼には仕慣れないことだった。要するに、この男は、この民約議会員は、この人民の代表者は、世俗の有力な一人であったことがあるのである。おそらく生涯にはじめて、司教は厳酷な気持になったように自ら感じた。
 民約議会員は謙譲な実意で彼を見守っていた。まさに塵に帰らんとする人にふさわしい卑下《ひげ》とも思えるものがそこにあった。
 司教は元来好奇心をもって侮辱に隣せるものとしてそれを慎んでいたのであるけれども、今や一種の注意をもってこの民約議会員を観察せざるを得なかった。それは同情から出たものではなくて、おそらく他の人に対してなら彼は自ら良心の非難を感じたであろう。しかし民約議会員たる者は、法の外にある、慈悲の法の外にさえある、という印象を彼に与えたのである。
 ほとんど真っ直な体躯《たいく》と震える声とを持っているこの冷静なG《ゼー》は、生理学者を驚かしむる堂々たる八十年配の老人であった。革命は時代にふさわしいかかる人々の多くを出した。この老人のうちには堅忍|不撓《ふとう》な人物を思わせるものがあった。かく臨終に近づいていながら、彼は健康の外見を保っていた。その明らかな目つき、しっかりした語調、両肩の頑健《がんけん》な動き、それらのうちには死と不調和なものがあった。マホメット教の墳墓の天使なるアズラエルも、家を間違えたと思って道を引き返したかも知れない。G《ゼー》はただ自ら欲したが故に死なんとしているもののようであった。彼の臨終の苦痛のうちには何か自由なものがあった。ただ両脚のみが動かなかった。そこから暗黒が彼を捕えていた。両足は既に死して冷ややかであったが、頭脳はなお生命のすべての力をもって生きており、光明のさなかにあるように見えた。Gはこの危急な場合において、上半は肉体で下部は大理石であったという東方の物語の王にも似寄っていた。
 そこに石があったので、司教は腰を掛けた。対話の初まりはまったくだしぬけ[#「だしぬけ」に傍点]であった。
「私はあなたを祝します。」と司教はまるで詰責するような調子で言った。「あなたは少なくとも国王の死刑には賛成しなかったのですから。」
 民約議会員はこの「少なくとも」という言葉のうちに隠されている言外の苦々《にがにが》しい意味を見て取ったようではなかった。彼は答えた。微笑は彼の顔から消えてしまっていた。
「あまり私を祝して下さるな。私は暴君の終滅に賛成したのです。」
 それは酷《きび》しい調子に返されたる厳粛な調子であった。
「それはどういう意味です。」と司教は聞き返した。
「人間は一つの暴君を持っているというのです。すなわち無知を指《さ》すのです。私はその暴君の終滅に賛成しました。その暴君は王位を生んだ。王位は虚偽のうちに得られた権力です。しかるに学問は真実のうちに取られた権力です。人はただ学問によって支配さるべきです。」
「それから良心によって。」と司教はつけ加えた。
「良心も同じものです。良心とは、われわれが自己のうちに有している天稟《てんびん》の学問の量をさすのです。」
 ビヤンヴニュ閣下は、少し驚いて、自分にとってきわめて新しいその言葉に耳を傾けた。
 民約議会員は続けた。
「ルイ十六世については、私は否と言ったのです。私は一人の人を殺す権利を自分に信じない。しかし私は悪を絶滅するの義務を自分に感ずる。私は暴君の終滅に賛成したのです。言い換えれば、婦人に対しては醜業の終滅、男子に対しては奴隷《どれい》の終滅、小児に対しては暗夜の終滅に。私は共和政治に賛成することによって、以上のことに賛成したのです。私は友愛と親和と曙《あけぼの》とに賛成した。私は偏見と誤謬《ごびゅう》との倒壊を助けた。誤謬と偏見との崩落は光明をきたすものである。われわれは古き世界を倒したのです。そして悲惨の容器であった古き世界は、人類の上に覆《くつがえ》って喜悦《きえつ》の壺《つぼ》となったのです。」
「混乱したる喜悦の。」と司教は言った。
「錯乱したる喜悦とも言えるでしょう。そして今日、一八一四年と称するあの痛ましい過去の復帰の後に、喜びは消え失せてしまったのです。不幸にも事業は不完全であった。私もそれは認める。われわれは事実のうちにおいて旧制を打破したが、思想のうちにおいてそれをまったく根絶することはできなかったのです。弊風を破る、それだけでは足りない、風潮を変更しなければならない。風車はもはや無くなったが、風はなお残っているのです。」
「あなた方は打破せられた。打破することが有益であることもある。しかし私は憤怒の絡《から》みついた打破には信を置きません。」
「正義にはその憤怒があるものです、そして、正義の憤怒は進歩の一要素です。とまれ何と言われようとも、フランス大革命はキリスト降誕以来、人類の最も力強い一歩です。不完全ではあったでしょう。しかし荘厳なものでした。それは社会上の卑賤《ひせん》な者を解放した。人の精神をやわらげ、それを静め慰め光明を与えた。地上に文明の波を流れさした。りっぱな事業であった。フランス大革命は実に人類を聖《きよ》めたのです。」
 司教は自らつぶやくことを禁じ得なかった。
「え、一七九三年が!」
 民約議会員はほとんど悲痛なほどのおごそかさをもって椅子の上に起き直った。そして瀕死《ひんし》の人の発し得る限りの大きな声で言った。
「ああ、ついにあなたはそこまでこられた。九三年! 私はその言葉を待っていたのです。暗雲は千五百年間形造られていた。十五世紀間の後にそれが破裂したのです。あなたはまるで雷電の一撃を非難されるがようです。」
 司教は、おそらく自らそうとは認めなかったろうが、心の中の何かに一撃を受けたように感じた。けれど彼は従容《しょうよう》として答えた。
「法官は正義の名において語り、牧師は憐憫《れんびん》の名において語るのです。そして憐憫とはいっそう高い正義にほかならないです。雷電の一撃に道を誤ってはいけません。」
 それから彼は民約議会員をじっと見つめながらつけ加えた。
「しかるにルイ十七世は?」
 議員は手を伸べて司教の腕をつかんだ。
「ルイ十七世! よろしい。あなたは何のために涙を流すのです? 一個の罪なき子供としてそのためにですか。それならば至当です。私はあなたとともに涙を流しましょう。また一個の王家の子供としてそのためにですか。それならば私はあなたに考慮を求めたい。私をして言わしむれば、凶賊カルトゥーシュの弟、単にその弟であったという罪のためにグレーヴの広場で繩《なわ》をもって両|腋《わき》をつるされ、ついに死に至ったあの罪なき子供は、単にルイ十五世の孫であったという罪のためにタンブル城の塔内で死に処せられたルイ十五世の罪なき孫ルイ十七世に比して、同じく惨《いた》ましいものであったのです。」
「私は、」と司教は言った、「それらの二つの名前をいっしょにすることを好まないです。」
「カルトゥーシュのためにですか。またはルイ十五世のためにですか。二人のうちどれのためにあなたは異議をとなえるのです?」
 ちょっとの間沈黙が続いた。司教はほとんどここにきたことを悔いた。それでもなお彼は、漠然《ばくぜん》とまた不思議に心の動揺を感じた。
 議員はまた言った。
「あああなたは生々《なまなま》しい真実を好まれないのです。がキリストはそれを好んでいた。キリストは笞《むち》を取ってエルサレムの寺院から奸商《かんしょう》らを追い放った。彼の光輝に満ちた笞は真理を生々しく語るものです。彼が|幼児をして《シニテ・パルヴュロス》([#ここから割り注]訳者注 幼児をして我にきたらしめよ[#ここで割り注終わり])と叫んだ時、彼は幼児《おさなご》の間に何らの区別をも立てなかった。彼は凶賊バラバスの子と国王ヘロデの子とをあわせ呼ぶに少しも躊躇《ちゅうちょ》しなかった。罪なき心は、それ自身に王冠を持っているのです。王家に属するの要はありません。ぼろをまとっても百合《ゆり》の花に飾られたと同じくりっぱなものです。」
「それは本当です。」と司教は低い声で言った。
「私はなお主張したい。」と民約議会員G《ゼー》は続けた。「あなたはルイ十七世のことを言われた。それについては互いに理解したいものです。すべての罪なき者、すべての道のために殉ぜる者、すべての幼き者、高き者と同じく卑《いや》しき者、すべてそれらのために涙を流すというのですか。それは私も同意です。しかしそれならば、前に申したとおり、九三年以前にさかのぼらなければならないです、そしてわれわれの涙の初まるべきは、ルイ十七世以前にあるのです。私もあなたとともに王の子らのために涙をそそぎましょう、ただあなたが私とともに人民の子らのために涙を流して下さるならば。」
「私はすべての人の上に涙をそそぐのです。」と司教は言った。
「同じ程度に!」とGは叫んだ。「そしてもしいずれかが重くなるべきであるならば、それは人民の方へでありたいです。人民の方がいっそう久しい前から苦しんでいるのです。」
 またちょっと沈黙が続いた。それを破ったのは民約議会員であった。彼は肱《ひじ》をついて立ち上り、尋問し裁断する時に人が機械的になすように、人さし指をまげて親指との間にほほの一端をつまみ、臨終の精力を全部こめた眼眸《まなざし》で司教に呼びかけた。それはほとんど一つの爆発であった。
「そうです、人民は久しい前から苦しんでいる。しかも単にそれだけではない。あなたはいったい何をルイ十七世について私に尋ねたり話したりしにきたのです? 私は、私はあなたがどんな人だか知らない。この地方にきていらい、私はこの囲いのうちにただひとりで暮らしてきた。一歩も外に出たこともなく、私を助けてくれているあの子供のほかだれにも会わなかった。実際あなたの名前はぼんやり私の耳にはいってい、それも悪いうわさではなかった。しかしそれは何の意味をもなさないです。巧みな人々は、正直な人民に自分をよく言わせる種々な方法を知っているものです。ついでながら、私はあなたの馬車の音を聞かなかったですが、たぶんあすこの分かれ道の所の林の後ろに乗り捨ててこられたのでしょう。あえて言うが私はあなたを知らないです。あなたは司教であると言われた、しかしそれはあなたの精神上の人格について私に何かを告げるものではない。要するに私は私の質問をくり返すばかりです。あなたはだれであるか? あなたは司教である。換言すれば教会の主長で、金襴《きんらん》をまとい、記章をつけ、年金を受け、ばく大な収入を有する人々の一人である。ディーニュの司教、一万五千フランの定収入、一万フランの臨時収得、合計二万五千フラン。多くの膳部《ぜんぶ》があり、多くの従僕があり、美食を取り、金曜日には田鶴《ばん》を食し、前後に従者を従えて盛装の馬車を駆り、大邸宅を持ち、はだしで歩いたイエス・キリストの名において四輪馬車を乗りまわす人々の一人である。あなたは法衣の役人である。定収入、邸宅、馬車、従僕、珍膳《ちんぜん》、あらゆる生活の楽しみ、あなたはそれらのものを他の人々と同じく所有し、同じく享楽していらるる。それは結構である。しかしそれは十分の説明にはならない。おそらく私に知恵を授けんつもりでこられたあなた自身の、あなたの真実根本の価値について、それは私に何も知らせないのである。今私が話してる相手はだれであるか? あなたはだれであるか?」
 司教は頭をたれて答えた、「私は虫けらにすぎません[#「私は虫けらにすぎません」に傍点]。」
「四輪馬車に乗った地上の虫けら!」と民約議会員はつぶやいた。
 こんど傲然《ごうぜん》たるは民約議会員であって、謙譲なるは司教であった。
 司教は穏やかに言った。
「それとまあしておきましょう。しかし私に説明していただきたいものです。あの木立ちの向こう二歩の所にある私の四輪馬車が、私が金曜日に食する田鶴《ばん》と珍膳とが、私の邸宅や従僕らが、憐憫《れんびん》は徳でなく、寛容は義務でなく、九三年は苛酷《かこく》なものでなかった、ということを何において証明するでしょうか。」
 民約議会員は手を額《ひたい》にやった、あたかもある雲をそこから払いのけんがためのように。
「あなたにお答えする前に、」と彼は言った、「私はお許しを願っておきたい。私はただ今間違ったことをしたようです。あなたは私の家にきておられ、あなたは私の客人です。私はあなたに対して丁寧であらねばならないはずです。あなたは私の意見を論ぜらるる。で私はあなたの推論を駁《はく》するに止むるが至当です。あなたの財宝や享楽などは私があなたを説破するための利点です。しかしそんなことについては何も言わない方が作法でしょう。私は誓ってそれらの利点をもう用いないことにしましょう。」
「それはありがたいことです。」と司教は言った。
 G《ゼー》は更に言った。
「あなたが求められた説明に帰りましょう。ところでどういうことでしたか。何をあなたは言ってたのですか。九三年は苛酷であったと?」
「苛酷、そうです。」と司教は言った。「断頭台に向かって拍手をしたマラーをどう考えますか。」
「では新教迫害に関して讃歌《テデオム》を歌ったボシュエについて何と考えます?」
 答えは冷酷だった、しかも刃の切れ先をもってするごとく厳《きび》しく要所を衝《つ》いた。司教はぞっとした。何の抗論もちょっと彼の心に浮かばなかった。しかし彼はボシュエに対するかくのごとき言い方に不快の念をいだいた。すぐれたる人も皆その崇拝者を有するものである。そしてしばしば論理上にもその人に対する尊敬を欠かれると漠然と不快の念を覚ゆることがある。
 民約議会員は息をあえぎはじめた。臨終の呼吸に交じり来る苦痛の息切れは、彼の言葉を妨げた。それでも彼はなお、目のうちにはまったく明瞭《めいりょう》な精神を宿していた。彼は続けて言った。
「なおかれこれ数言費やしてみましょう。全体としては広大なる人類的肯定である革命の外にあって、九三年は不幸にも一つの抗弁です。あなたはそれが苛酷であると言わるる。しかしすべて王政時代はどうですか。カリエは盗賊であるとするも、しかしあなたはモントルヴェルにいかなる名前を与えるのですか。フーキエ・タンヴィールは乞食《こじき》であるとするも、しかしラモアニョン・バーヴィルについてあなたはいかなる意見をいだいているのですか。マイヤールは恐るべきであるとするも、しかしソー・タヴァンヌはいかがです。老デュシェーヌは獰猛《どうもう》であるとするも、しかし老ルテリエに対してあなたはいかなる形容をするのですか。ジュールダン・クープ・テートは怪物であるとするも、しかしルーヴォア侯ほどではなかった。私は大公妃にして女王であったマリー・アントアネットをあわれに思う。しかし私はまた、ルイ大王の時に、小児《こども》に乳を与える所を捕えられて、腰まで裸にされ、杭《くい》に縛られ、小児は彼方《かなた》へ引き離された、あのユーグノー派の気の毒な婦人をも、同様にあわれむのです。乳房《ちぶさ》は乳に満ち心は苦しみに満ちていた。飢えたまっさおな小児はその乳房を見ながら、もだえ泣き叫んだ。刑執行人は母たり乳母《うば》たるその婦人に向かって、異端の信仰を去れ、と言いながら、小児の死か良心の死かいずれかを選ばせようとした。一個の母親に適用されたタンタルス([#ここから割り注]訳者注 永久の飢渇に処刑せられたるギリシャ神話中の人物[#ここで割り注終わり])の処刑を、あなたは何と言われますか。よろしいですか、フランス大革命はその正当の理由を有しているのです。その憤怒は未来によって許さるるでしょう。その結果はよりよき世界です。その最も恐るべき打撃からは人類に対する愛撫《あいぶ》が出て来るのです。簡単に言ってのけましょう。私の方が有利だから止《よ》しましょう。それに私はもう死ぬのです。」
 そして司教を見るのをやめて民約議会員は、次の静かな数語のうちにその思想を言ってのけた。
「そうだ、進歩の激烈なるを革命と呼ぶ。革命が過ぎ去る時に人は認むる、人類は酷遇されたと、しかも人類は進歩をしたと。」
 民約議会員は、司教の内心の防御障壁をことごとくそれからそれへと打ち破ったことを疑わなかった。しかれどもなおそこには一つ残っていた。そしてビヤンヴニュ閣下の最後の抵抗手段たるその障壁から、次の言葉が出た。そのうちにはほとんど初めのとおりの辛辣《しんらつ》さがまた現われていた。
「進歩なるものは神を信じてるはずです。善は不信の僕《しもべ》を持つわけはありません。無神論者である人は、人類の悪い指導者です。」
 人民の代表者たる老人は答えをしなかった。彼は身を震わした。彼は空をながめた、そしてしだいに目に涙がわき出てきた。涙はまぶたにあふれて、蒼白《そうはく》のほほに伝わって流れた。彼は空の深みに目を定めたまま、自分自らにささやくがように声低くほとんどどもりながら言った。
「おお汝《なんじ》! おお理想! 汝のみひとり存在する!」
 司教は名状すべからざる一種の衝動を感じた。
 ちょっと沈黙の後、老人は空の方に指をあげてそして言った。
「無限は存在する。無限は彼処《かしこ》にある。もしも無限にその自我がないとするならば、この我なる自我がその範囲となるだろう。無限は無限でなくなるだろう。言い換えれば無限は存在しなくなるだろう。しかるに無限は存在する。ゆえにそれは一つの自我を持つ。この無限の自我、それが神である。」
 瀕死《ひんし》の彼は、あたかも何者かを認めたがように、恍惚《こうこつ》として身を震わしながら声高に、それらの最後の言葉を発した。言い終えた時に、彼の目は閉じた。努力のために疲憊《ひはい》しつくしたのであった。残された数時間を一瞬間のうちに彼は明らかに生きたのだった。彼の今言ったことが、彼を死のうちにある彼と接近せしめたのだった。最期の時が近づいていた。
 司教はそれを了解した。時機は切迫していた。彼がそこへきたのは、あたかも臨終に迎えられた牧師のようであった。彼は極度の冷淡よりしだいに極度の感動に移されていた。彼はその閉じた目をながめた。彼は年老いしわ寄ったその冷たい手を取った。そして臨終の人の上に身をかがめた。
「今は神の時間です。もしわれわれが互いに出会ったことが無益であるならば、それは遺憾なことだとは思われませぬか。」
 民約議会員は目を再び開いた。暗影の漂った沈重さが顔には印せられた。「司教、」と彼はゆるやかに言い出した。そのゆるやかな調子は、気力の喪失によるよりもむしろ尊厳な心霊のためにであったろう。「私は自分の一生を瞑想《めいそう》と研究と観照とのうちに過ごした。国家が私を招き国事に参与するように命じた時、私は六十歳であった。私はその命に服したのである。多くの弊害があった。私はそれと戦った。種々の暴戻《ぼうれい》があった。私はそれを破壊した。種々の正義と主義とがあった。私はそれを布告し宣言した。領土は侵された。私はそれを防御した。フランスは脅かされた。私はそのために自己の胸を差し出した。私は富者ではなかった。私は貧しい者である。私は参事院議官の一人であった。国庫の室は正金に満ちていて、金銀貨の重みにこわれかかってる壁には支柱を施さねばならなかった。が私はアルブル・セック街で一人前二十二スーの食事をしていた。私は虐《しいた》げられし者を助け、悩める者を慰めた。私が祭壇の幕を引き裂いたのは事実である。しかしそれは祖国の瘡痍《そうい》を繃帯《ほうたい》せんがためであった。私は常に光明へ向かって人類が前進するのを助けた。そして時としては慈悲を知らぬ進歩には反対した。場合によってはあなた方私自身の敵をも保護した。フランドルのペテゲムに、メロヴァンジアン家の諸王が夏の宮殿を所有していたあの場所に、ユルバニストらの修道院たるサント・クレール・アン・ボーリユー修道院があったが、一七九三年には私はそれを救った。私は自分の力に従って自分の義務を尽くし、自分のなし得る善をなした。しかる後に私は、追われ、狩り出され、追跡され、迫害され、誹謗《ひぼう》され、嘲笑《ちょうしょう》され、侮辱され、のろわれ、人権を剥奪《はくだつ》された。既に久しい以前から私は自分の白髪とともに、多くの人々が私を軽蔑《けいべつ》するの権利を有するかのように思っているのを、知っている。憐れな無知な群衆にとっては、私は天罰を被った者のような顔をしていただろう。そして私は自らだれをも恨まずに、人より嫌悪《けんお》せられた者の孤独を甘受している。今や私は八十六歳になっている。私はまさに死なんとしている。あなたは私に何を求めにこられたのか?」
「あなたの祝祷を。」と司教は言った。
 そして彼はひざまずいた。
 司教が再び頭をあげた時、民約議会員の顔はおごそかになっていた。彼は息を引き取ったのであった。
 司教はある言い知れぬ考えに沈みながら家に帰った。彼は終夜祈祷のうちに過ごした。その翌日、好奇《ものずき》な人々は民約議会員G《ゼー》氏のことについて彼と話そうとした。が彼はただ天を指《さ》すのみであった。その時いらい、彼は小児や苦しめる者に対する温情と友愛とを倍加した。
 この「極悪なるG老人」に関するあらゆる言葉は皆、彼を特殊な専念のうちに沈み込ませるのであった。彼の精神の目前におけるあの精神の通過と、彼の本心の上に投じたあの大なる本心の反映とは、彼を多少ともますます完全の域に近づかしめる助けにならなかったであろうとは、だれが言い得よう。
 この「牧師的訪問」は自然に、その地方の小さな社会にとっては議論の種となった。
「……かくのごとき男の死の枕辺《まくらべ》は、司教たる者の行くべき場所であったろうか。信仰にはいることなどをそこに待ち望むことは明らかにできなかったのである。すべてかれら革命家どもは、皆異端に陥る者らである。それでは何のためにそこに行くか。何をながめに彼は行ったのか。悪魔によって魂がかの世に運ばるるのを見たかったのに違いない。」
 ある日、自ら才機があると思っている一種無作法な一人の未亡人が、次のような皮肉を彼にあびせかけた。「大人様がいつ赤い帽子をもらわれるだろうかと人々は言っていますよ。」司教は答えた。「おおそれは下等な色です。ただ幸いにも、帽子だとそれを軽蔑する人も冠《かんむり》だとそれを尊敬します。」([#ここから割り注]訳者注 赤い帽子は革命党の章、赤の冠は枢機官の冠

     十一 制限

 前述のことよりして、ビヤンヴニュ閣下は「哲学的司教」もしくは「愛国的司祭」であったと結論するならば、誤解に陥りやすい恐れがある。彼のその出会い、民約議会員G《ゼー》との連結ともほとんど呼ばれ得るところのその出会いは、彼の心に一種の驚異を残し、彼をしてなおいっそう温和ならしめた。単にそれだけのことであった。
 ビヤンヴニュ閣下は少しも政治家的人物ではなかったけれども、当時の事件に対して彼がある態度を取らんとするならばその態度はいかなるものであったかを、きわめて簡単に示すのに、今ちょうどよい場所であるように思われる。
 それで、数年前のことにさかのぼってみよう。
 ミリエル氏が司教にあげられてしばらく後のことであるが、皇帝は他の多くの司教とともに彼を帝国の男爵になした。そして人の知るとおり、一八〇九年七月五日から六日の夜に法王の逮捕がなされた。その時にミリエル氏は、パリーに催されるフランスおよびイタリーの司教会議にナポレオンから召集された。この会議はノートル・ダーム寺院において、枢機官フェーシュ氏の議長のもとに、一八一一年六月十五日に初めて開かれた。ミリエル氏はそこに赴《おもむ》いた九十五人の司教の一人であった。しかし彼はただ一回の会議と三、四回の特殊協議に出席しただけだった。山間の教区の司教であり、粗野と欠乏とのうちに自然に接して生活していた彼は、これら顕著な人々のうちに、会議の気分を変更せしむるほどの思想をもたらしたがようであった。彼は早くディーニュに帰ってきた。そしてそのわけを尋ねられたのに対して答えた。「私は皆の邪魔になったのです[#「私は皆の邪魔になったのです」に傍点]。戸外の空気が私から皆に伝わったのです[#「戸外の空気が私から皆に伝わったのです」に傍点]。私は扉をあけ放したようなものでした[#「私は扉をあけ放したようなものでした」に傍点]。」
 また他のおりに言った。「どうせよと言うんですか[#「どうせよと言うんですか」に傍点]。あの司教たちは殿様なんです[#「あの司教たちは殿様なんです」に傍点]。それに私の方は貧しい田舎者の司教にすぎません[#「それに私の方は貧しい田舎者の司教にすぎません」に傍点]。」
 事実を言えば、彼は人々から喜ばれなかったのである。種々な変わったことのうちでも、ある晩最も高位な仲間の一人の家に行った時、彼はこんなことをうっかり言ったらしい。「まことに美しい掛け時計、美しい絨緞《じゅうたん》、美しい召し使いの服装である。こんなものはどんなにかわずらわしいにちがいない。おお私はこんな贅沢物なんかは実にいやである。それは絶えず私の耳にこうささやく。飢えている人たちがいる、凍えている人たちがいる、貧しい人たちがいる、貧しい人たちがいるのだ。」
 ついでに言うが、贅沢を憎むことは知的の嫌悪《けんお》ではないだろう。かかる嫌悪のうちには芸術の嫌悪が含まれるようである。さりながら教会の人々の間においては、演戯典例を除いては、贅沢は一つの不正である。それは実際においてあまり慈善的ならぬ習慣を示すがように見える。栄耀《えいよう》なる牧師というものは一つの矛盾である。牧師は貧しき人々に接触していなければならない。およそ自ら自己のうちに、労働の埃《ほこり》のごとき聖《きよ》き貧しさを多少有せずして、人はいかにして日夜絶えずあらゆる憂悶《ゆうもん》や不運や困窮に接することができるであろうか。炉《いろり》のほとりにいて暖かくないという者を、想像し得らるるであろうか。絶えず竈《かまど》で働いている労働者で、髪の毛を焦がさず、爪《つめ》を黒くせず、一滴の汗をも知らず、顔に一粒の灰をも受けない者を、想像できるであろうか。牧師において、特に司教において、慈悲の第一のしるしは、それは貧しいということである。
 ディーニュの司教が考えていたことは、疑いもなくその点であったろう。
 その上またある微妙な点において、司教はわれわれが「時代思潮」と称するところのものを分有していたと信じてはいけない。彼は当時の神学上の議論にあまり立ち交わらなかった。そして教会と国家とが混入している問題には口を噤《つぐ》んだ。もし意見を強《し》いられたならば、彼はフランス教会派というよりもむしろ法王派の態度を取ったであろう。われわれは司教の人物を描くのであって何物をも隠すを欲しないから、彼がナポレオンの衰微に対しては冷淡な態度を取ったことを付記しなければならない。一八一三年以後、あらゆるナポレオン反対の運動に彼は賛成しもしくは喝采《かっさい》した。彼はナポレオンがエルバ島より帰来する途中、それを迎えることを拒み、またナポレオンの再挙一百日の間、皇帝のための公の祈祷を教区内に禁じた。
 妹のバティスティーヌ嬢のほかに彼は二人の兄弟を持っていた。一人は将軍で他は知事であった。彼は二人のいずれにもかなりしばしば手紙を書いた。前者はナポレオンのカーヌ上陸の際プロヴァンスの司令官をしていて、千二百人の部下を率いてナポレオンを追跡したが、それがあたかも彼に遁走《とんそう》することを故意に許したような追跡だったので、司教は一時あまり好意を持たなかった。も一人の兄弟に対する司教の通信はいっそう愛情の籠《こも》ったものであった。その兄弟はもと知事であったが、堂々たるりっぱな人で、今はパリーのカセット街に隠退していた。
 それでビヤンヴニュ閣下といえどもまた、党派心を有する時があり、にがにがしい気分の時があり、心の曇ることがあった。永遠の事物に向けられているその穏かな偉大な精神にも、一時の私情の影がさすこともあった。たしかにかくのごとき人物は政治上の意見を有しないでもよろしいわけだった。といってもこの言を誤解してはいけない。われわれはいわゆる「政治上の意見」というものを、進歩に対する熱望、現今の高潔な知力の根本たるべき愛国的民主的人類的なる崇高な信念と、混同するものではない。だがこの書物の主題と間接にしか交渉のない問題には深入りすることをしないで、ただ単に次のことだけを、ここにしるしておこう。すなわち、ビヤンヴニュ閣下が王党でなかったならばみごとであったろう。そして、騒然と去来する人事をこえて、真理と正義と慈愛との三つの潔《きよ》き光が輝くのが明らかに認め得らるるあの清澄な観想から、彼が一瞬たりとも目を転じなかったならば、みごとであったろう。
 神がミリエル閣下を造ったのは政治上の職務のためではなかったことを是認しながらも、われわれはまた、全権を有するナポレオンに対して、正義と自由との名における抗議、傲然《ごうぜん》たる反対、危険なるしかも正当なる対抗、それを彼があえてなした理由を了解し賞賛したいのである。しかしながら、勢いの盛んなる人々に対する行為にしてわれわれに快心なことも、勢いの衰えゆく人々に対してはさほどにもないものである。われわれは危険の伴う戦いをのみ快しとする。そしていかなるばあいにおいても、最初の戦士のみが最後の撃滅者たるの権利を有する。人の盛時において、執拗《しつよう》なる非難者でなかった者は、その滅落の前に黙すべきである。成功の排斥者のみが失敗の正当なる裁断者である。われわれは天命が手を出して打撃を与える時には、天命の成すままに任せるのである。一八一二年はわれわれの武装を解除しはじめた。一八一三年において、黙々たりし立法部は、災害に勇気を得て卑怯《ひきょう》にも沈黙を破ったが、それは恥ずべき行ないであった、それを喝采《かっさい》するは誤りであった。一八一四年において、裏切れるあの将軍らの前から、一度|跪拝《きはい》せしものを凌辱《りょうじょく》しながら、汚行より汚行へ移りゆきしあの上院の前から、遁走しながら偶像を唾棄《だき》するあの偶像崇拝の前から、顔をそむけるのが正当であった。一八一五年において、最後の災いが大気に瀰漫《びまん》した時、フランスがその不吉なる災いの近接のもとに震えた時、ワーテルローの敗戦がナポレオンの前に開かれしことが漠然と感じ得られた時、運命に罰せられたる人に対する軍隊および国民の悲しき歓呼の声は、決して笑うべきものではなかった。しかしその専制君主に多くの難を認むるとしても、ディーニュの司教のごとき心の人は、偉大なる一国民と偉大なる一人の人との深淵《しんえん》の縁における堅き抱擁のうちには厳粛にして痛切なるもののありしことを、おそらく否認してはいけなかったであろう。
 それを外にしては、司教は何事においても常にまたその時々に、正当、真実、公平、聡明《そうめい》、謙譲、廉直であった。恵み深く、また慈恵の一種なる親切でもあった。彼は一個の牧師で、一個の賢者で、かつ一個の人であった。そしてここに言わなければならないことは、われわれが彼を非難し、ほとんどあまりに厳《きび》しく彼を批判せんとしたあの政治上の意見においても、彼は寛容で穏和であって、おそらくここに語るわれわれよりもいっそうそうであろう。――ディーニュの市役所の門衛は皇帝からそこに置かれたものであった。彼は以前の近衛軍の老下士で、アウステルリッツの戦いに臨んだ勲章所有者で、鷲《わし》の紋章のごとく離るべからざるブオナパルト党であった。このあわれな男は時々、当時の掟《おきて》にいわゆる挑発的言論[#「挑発的言論」に傍点]という無遠慮な言葉をもらすことがあった。皇帝の横顔像がレジオン・ドンヌールの勲章から除かれてからは、彼は決して彼のいわゆる制定服[#「制定服」に傍点]を着なかった。その服を着てその十字勲章をかけさせらるることのないようにである。彼はナポレオンから授かったその十字勲章から、皇帝の肖像をうやうやしく自ら取り除いた。ために、そこに一つの穴ができたが、彼は何物をもつめることを欲しなかった。彼は言った。「三びきの蛙[#「三びきの蛙」に傍点]([#ここから割り注]訳者注 該勲章に新たにつけられたる三葉模様をさす[#ここで割り注終わり])を胸につけるよりは死んだがましだ[#「を胸につけるよりは死んだがましだ」に傍点]。」また彼は好んで声高にルイ十四世を嘲《あざけ》って言った。「イギリスふうのゲートルをつけた中風病みの老耄奴[#「イギリスふうのゲートルをつけた中風病みの老耄奴」に傍点]、サルシフィの髪[#「サルシフィの髪」に傍点]([#ここから割り注]訳者注 ルイ十八世式の頭髪[#ここで割り注終わり])といっしょにプロシアへでも行っちまうがいい[#「いっしょにプロシアへでも行っちまうがいい」に傍点]。」彼はうまく一つの悪口のうちに最もきらいなプロシアとイギリスとをいっしょに言ってのけたのであった。が彼はそういう毒舌をあまりきいたので、ついに自分の地位を失った。かくて妻子をつれて街頭にパンに窮したのである。司教は彼をよんで、穏かに戒《いさ》め、そして大会堂の門番に任じたのであった。
 ミリエル氏はその教区のうちにあって、真の牧人《ひつじかい》であり、すべての人の友であった。
 九年の間にビヤンヴニュ閣下は、聖《きよ》き行ないと穏かな態度とをもって、優しいそして子の父に対するがごとき一種の尊敬の念をディーニュ市民の心にいだかしめた。ナポレオンに対する彼の態度すら、人民から容認され黙許されたがようであった。彼らは善良な弱い羊の群れであって、彼らの皇帝を崇拝していたが、また彼らの司教を愛していた。

     十二 ビヤンヴニュ閣下の孤独

 司教のまわりには、あたかも将軍の周囲に少年士官の多数が集まっているように、年少宗教家らの取り巻きが常にある。あのおもしろいサン・フランソア・ド・サールがどこかで「黄口の牧師」と呼んだところのものが、それである。いかなる仕事にも、その志望者があって、すでに到達した人の周囲に集まる。いかなる権威もその取り巻きを有せざるはなく、いかなる幸運もその阿諛者《あゆしゃ》を持たざるはない。未来の成功を目ざす人々は、現在の光栄のまわりに集合する。あらゆる大司教所在地にはその一群の幕僚がある。多少とも勢力のあるあらゆる司教の近くには、紅顔の神学校生徒らの斥候がある。彼らは司教の宮殿内において巡邏《じゅんら》をなし秩序を維持し、司教の微笑を窺《うかが》う。司教の気にいることは、副助祭になるについて既に鐙《あぶみ》に足をかけることである。人は巧みに自分の途を開くことを要する。使徒たらんには、まず役僧たるを厭《いと》ってはならない。
 世界に大なる冠があるごとく、教会にも大なる司教の冠がある。宮廷の覚えめでたく、富裕で、収入があり、巧妙で、世間に受けがよく、神に祈ることはもちろん、人に哀願する術をも心得ており、全教区内の人々にひそかに面接することもあまり疚《やま》しく思わず、神事と外交との間の連鎖となり、牧師たるよりはむしろ修道院長たるに適し、司教たるよりはむしろ法王庁内の役人たるに適するがごとき司教らが、すなわちそれである。彼らに近づく人は幸いなるかな! 彼らは勢力を有するがゆえに、自己のまわりに、奔走する者らや贔屓《ひいき》の者らに、彼らを喜ばすことを知れるすべての若き者らに、司教の位を得るに至るまでの間にまず、広き教区や扶持や大補祭の職や教誨師《きょうかいし》の職や大教会堂内の役目などを盛んに与える。自ら位階を経上がりながら、彼らは取り巻き者どもを引き立ててゆく。あたかも行進し行く一の太陽系のようである。彼らの輝きはその従者らに紅の光を投ずる。彼らの栄達はその背後に控ゆる人々に何らかの昇進をまき散らす。保護者の教区が大なれば、従って恩顧を受くる牧師の受け持ち区も大きい。しかして終わりにローマがある。大司教となり得る司教は、更に枢機官となり得る大司教は、汝を随行員として召し連れるであろう、そして汝は宗務院にはいり、汝は肩布を賜わり、やがて汝は聴問官となり、法王の侍従となり、司教となる。司教職と枢機官職との間は一歩にすぎず、更に枢機官職と法王の位との間にはただ徒《いたず》らなる投票があるのみである。頭巾《ずきん》の牧師は皆法王の冠を夢想し得る。今日において普通の順序により王となり得るはただ牧師あるのみである。しかもその王たるや最上の王である。ゆえに神学校なるものはいかに高きへの野心を起させるところなるか! 顔を赤らめる合唱隊の子供のいかに多くが、年わかき法師のいかに多くが、ペルレットの牛乳の壺《つぼ》を頭にいただくことであるか!([#ここから割り注]訳者注 ペルレットとはラ・フォンテーヌの物語中の娘、町に売りにゆく牛乳の代より大なる幸運を夢想し、それに心を奪われて途中牛乳の壺を地上に落としてしまったのである[#ここで割り注終わり])しかして野心は、自らおのれをごまかしながらしかもおそらくはまじめに、いかに恬然《てんぜん》として天職の名を容易に僣することであるか!
 ビヤンヴニュ閣下は、謙譲で貧しく独特な性質の人であって、右の大なる司教の冠のうちにはいらなかった。それは彼のまわりに年若い牧師が一人も集まっていないことからでも明らかにわかるのであった。パリーにおいても「彼はうまくやらなかった」ことは、既に述べたとおりである。未来を望む者は一人として、この孤独な老人によって身を立てようと思う者はなかった。野心の芽をもつ者で、彼の影に枝葉を伸ばさんとするの愚をなすものは一人もなかった。彼の下の役僧や大補祭らは皆善良な老人のみであった。彼らは彼と同じく多少平民的であり、枢機官になる望みもないその教区のうちに籠《こも》り、司教にまったく似寄っていて、ただその差異は、彼らは老衰しており、司教は完成しているというのみだった。ビヤンヴニュ閣下の側《そば》にあっては昇進が不可能であることはだれも明らかに感じたところで、彼から資格を与えられた若い人々も、神学校をいずれば直ちにエークスやオーシュの大司教らに紹介を得て、すみやかに去ってしまうのであった。何となれば、繰り返して言うが、人は引き立てらるることを求むるから。極端なる克己のうちに生きている聖者は、危険なる隣人である。彼は、不治の貧困や、昇進に利ある技能の麻痺《まひ》や、要するに人が欲する以上の解脱を、伝染せしむることがある。かかるところからビヤンヴニュ師の孤立はきたった。吾人の住む社会は暗澹《あんたん》たるものである。成功することこそ、まさに潰《つぶ》れんとする腐敗より一滴また一滴としたたる教えである。
 ついでにここに付言したい。成功とは嫌悪すべきことである。真の価値と誤られ易《やす》いその類似は人を惑わす。群衆に対しては、成功はほとんど優越と同じ面影を有する。才能の類似者たる成功は一つの妄信者《もうしんじゃ》を持つ。すなわち歴史である。ただユヴェナリスとタキツスのみがそれに不平をとなえた。今日においては、ほとんど公の哲学が成功の家に住み込み、その奴僕《どぼく》の服をつけ、その控え室の仕事をしている。成功せよ、というが学説である。栄達は能力を仮定する。投機に富を得ればその人はすなわち巧妙な人物となる。勝利者は尊敬せらるる。幸運に生まれよ、そこにすべてがある。幸機を得よ、さらば汝は悉《ことごと》くを得ん。幸福なれ、さらば汝は偉大なりと信ぜられん。時代の精彩たる五、六の偉大なる例外を除けば、同時代の賞賛は近視にすぎない。鍍金《めっき》は純金となる。第一着者であることは、到達者であることを得さえすれば何物をもそこなわない。俗衆は、自らおのれを崇拝しまた俗衆を喝采《かっさい》する一つの年老いたナルシスにすぎない。人をモーゼたらしめ、アイスキロスたらしめ、ダンテたらしめミケランゼロたらしめ、あるいはナポレオンたらしむる巨大なる才能を、群衆は何事によらずその目的に到達せる者に、即座にしかも歓呼してこれを与える。ある公証人が代議士となり、ある似而非《えせ》コルネイユがティリダートを書き、ある宦官《かんがん》が後宮を所有し、陸軍のあるプルュドンムが偶然に一時期を画すべき決定的勝利を得、ある薬種商がサンブル・エ・ムーズの軍隊のためにボール紙の靴底《くつぞこ》を発明し、それを皮として売り出して四十万リーヴルの年金を得、ある行商人が高利貸しの女と結婚して二人の仲に七、八百万の金を出産させ、ある説教者がその鼻声のために司教となり、ある家の執事がその役を止《や》むる頃には大なる富者となって大蔵大臣になされるなど、世人はそれを呼んで天才と言う。あたかも彼らがムスクトンの顔を美なりと称し、クロードの風采《ふうさい》を尊厳なりと称すると同一である。天空の星座と軟《やわら》かき泥地に印するあひるの足跡の星形とを、彼らは混同するのである。

     十三 彼の信仰

 ローマ正教の見地よりすれば、われわれはディーニュの司教を検校してみるの要を持たない。彼がごとき魂の前においては、われわれはただ尊敬の念を感ずるのみである。正しき人の良心はそのままに信ぜられなければならない。その上、ある種の性質が提出さるる時、われわれは、われわれと異なる信仰の中においても、人間の徳のあらゆる美が発展し得るものであることを認めるのである。
 司教は甲の信条についてどう考えていたか、また乙の秘蹟《ひせき》についてどう考えていたであろうか。しかしそのような内心の信念の奥秘は、人の魂があらゆる衣をぬぎすててはいりゆく墳墓によって知らるるのみである。ただ吾人に確かであることは、信仰上の難事に会っても彼はかつてそのために偽善に陥ることがなかったということである。金剛石にはいかなる腐敗もあり得ない。彼はでき得《う》る限り信仰のうちに身を投じ、われ父なる神を信ず[#「われ父なる神を信ず」に傍点]と、しばしば叫んだ。その上、彼はおのれの善行のうちより良心に必要なだけの満足をくみ取り、汝神とともにあり[#「汝神とともにあり」に傍点]と、低くささやく声を自らきいた。
 ここにしるさなければならないと思われることは、言わば信仰の外に、そして信仰のかなたに司教が過度の愛を有していたことである。自己主義が衒学癖《げんがくへき》の合言葉となるようなこの悲しき時代の用語を用うれば、彼が「まじめな人々」や「謹厳な人々」や「理性的な人々」から欠点ありと目せられたのは、そこから由来したことであって、彼があまりに多く愛した[#「あまりに多く愛した」に傍点]がゆえである。がこの過度の愛とは何であったか。それは吾人がすでに前に示したように、人間の上に満ちあふれ、時としては事物にまでも及ぶ一つの朗らかな親切であった。司教は何物をも侮蔑《ぶべつ》しなかった。彼は神の造られし万物に対して仁慈であった。人は皆、最善の人といえども、動物に対して思慮なき酷薄さを心中にひそかに有するものである。その酷薄さは多くの牧師に固有なものであるが、ディーニュの司教は少しもそれを持たなかった。もとよりバラモン教の僧侶《そうりょ》ほどに極端ではなかったが、「動物の魂のどこへ行くかを知れる者ありや」という伝道書の言葉を、彼は深く考えたのであるように思われる。その外貌《がいぼう》の醜悪も、その本能の不具も、彼をわずらわさず彼をいら立たせなかった。彼はそれに感動させられ、ほとんど心をやわらげられた。彼は深く考えに沈みながら、その醜怪の原因や説明や弁明を表面の生のかなたにさがし求めんとするがようであった。時としては変更を神に求むるがようであった。彼は怒りの念もなく、古文書を判読する言語学者のごとき目をもって、自然のうちになお存する多くの混沌《こんとん》たるものを観察した。その夢想は時として彼の口から不思議な言語を発せさせるのであった。ある朝、彼は庭に出ていた。彼は自分一人だと思っていた、自分のうしろに妹が歩いていたのを気づかなかったのである。突然、彼は歩みを止めて、地上に何かを見つめた。それは毛のはえたまっ黒な恐ろしい大|蜘蛛《ぐも》であった。妹は彼がこう言うのを聞いた。「かわいそうなものだ! それも彼自身の罪ではない。」
 慈愛深きことほとんど神のようなそのかわいげな言葉をどうしてしるさずにおかれよう。小児らしいと言ってもよい。しかしその崇高な小児らしさは、アッシシの聖フランチェスコやマルクス・アウレリウスなどのそれと同じものであった。ある日彼は一匹の蟻《あり》を踏みつぶさないようによけたために足を挫《くじ》いたこともあった。
 そのようにしてこの正しき人は生活していたのである。時として彼は庭で眠ることもあったが、その時の彼の姿ほど尊いものはなかった。
 その青年時代やまたは壮年時代について伝えらるるところによれば、ビヤンヴニュ閣下はかつては熱情的なまたおそらく激越な人であったらしい。そして今の広い温和な性質は、天性によるものというよりはむしろ、彼の心中に長い生涯を通じて澱《よど》みきたり、思想を通じて静かに彼の心中に落ちきたった、大なる確信の結果であった。何となれば、岩石におけるごとく人の性格においても、水の点滴によって穴をあけらるることがあるからである。そのくぼみは消し得ないものであり、その形成は破壊し得ないものである。
 すでに前に述べたことと思うが、一八一五年に彼は七十五歳に達していたけれど、六十歳以上とは見受けられなかった。彼は背は高くはなかった。いくらか肥満すぎる傾きがあって、それを重らせないために好んで長い徒歩を試みた。しっかとした足取りで、ごくわずかしか腰がまがっていなかった。しかしそんな些事《さじ》からわれわれは何か結論を引き出そうとするのではない。グレゴリウス十六世は八十歳にしてなお身を真っ直ぐに保ち微笑をたたえていた、がそれでも悪い司教だったのである。ビヤンヴニュ閣下は「りっぱな人」と人民たちに言われる相貌《そうぼう》をしていたが、それはいかにもかわいらしいものだったので美しいということを忘れさせるほどだった。
 彼の優雅な風貌《ふうぼう》の一つであってわれわれが既に述べたところの、あの子供らしい快活さをもって彼が話をする時、人は彼の傍《そば》にあっていかにも安易な気持を覚え、あたかも彼の全身から喜悦がわき出て来るかのようであった。彼の生き生きした赤味を帯びた顔色や、笑うたびにほの見えるまだそろってる真っ白な歯列《はなみ》などは、彼に打ちあけた気安い風格を与えていて、若い人についてなら「いい児だ」と言いたく、老人についてなら「好々爺《こうこうや》だ」と言いたい気を起こさせるほどのものだった。彼がナポレオンに与えた感じはちょうどそういうものであったことは、人の思い起こし得るところであろう。最初のうちは、または初めて彼を見る人にとっては、実際彼はほとんど一個の好々爺にすぎなかった。しかしながら、もし彼の側に数時間とどまっているならば、そして少しでも彼が考え込んだ様子をしているのを見る時には、その好々爺はしだいに姿を変じて何かしら人を威圧するような風貌になるのであった。彼の広い真摯《しんし》な額《ひたい》は、すでにその白髪のためにおごそかであったが、また瞑想によってもおごそかになっていた。その温良のうちには威厳がのぞいていたが、しかもなお温良は光を放っていた。ほほえめる天使が静かにその翼を広げながら、なおもほほえむのをやめないでいる姿を見るような、一種の感動を人は感ずるのであった。尊敬の念、言葉に現わし得ない尊敬の念が、しだいに起こってきて心を打ち、試練を経た寛容な強い一つの魂に向き合っているように、人は感ずるのであった。その思想はあまりに偉大で、もはや穏和でしかあり得ないような魂だった。
 既に前に述べたごとく、祈祷、宗務上の祭式、施与、苦しめる者の慰安、僅少な土地の耕作、友愛、質素、歓待、節欲、信頼、研究、労作、それらが彼の生活の日々を満たしていた。満たす[#「満たす」に傍点]というのは適当な言葉である。そして確かに、司教の日々はそのすみずみまで、善良な思想と善良な言葉と善良な行為とでいっぱいになっていた。けれども、晩に二人の女が寝室に退いた後眠る前の一、二時間を庭に出てすごすことが、寒さや雨のために妨げらるるような場合には、彼の一日は完全なものではなかった。夜の空の偉観の前に瞑想して眠りを誘うことは、彼にとって一つの慣例となっていたがようである。時とすると夜ふけた頃、まだ眠りにつかないでいた二人の年老いた婦人は、彼が静かに庭の道を歩いている足音をきくことがあった。彼はそこにただ一人で、考えに沈み、心穏やかに、跪拝《きはい》の心地で、おのが心の朗らかさと精気《エーテル》の朗らかさとを比べて見、暗やみの中で目に見得る星辰《せいしん》の輝きと目に見えざる神の光輝とに感動し、未知のものより落ちてくる思いに心をうち開いていた。そういう時彼は、夜の花がかおりを送りくる時間のうちに、心を投げ出し、星の輝ける夜のただ中にランプのごとく輝き、万有の光を放つ中に恍惚《こうこつ》と伸び拡がって、おそらくおのれの精神のうちにいかなることが起こってるかを自ら知らなかったであろう。彼は何かがおのれの外に飛び去り、何かがおのれのうちに降りて来るのを感じていた。魂の深淵と宇宙の深淵との神秘なる交換であった。
 彼は神の偉大とその現在とを思った。永遠の未来という不可思議な神秘を。永久の過去という更になお不可思議な神秘を。おのれの目前にあらゆる方向に深まってるすべての無限なるものを。そして彼はその不可解なものを了解せんと努むることなく、ただそれを見つめた。彼は神を研究しなかった。彼はただそれに眩惑《げんわく》した。彼は原子のあの驚くべき逢合《ほうごう》を考察した。物質に諸《もろもろ》の外形を与え、その外形を定めながら力を顕現し、統一のうちに個性を作り、広がりのうちに割合を作り、無限のうちに無数を作り、そして光によって美を生ぜしむるあの逢合を。それはたえず結ばれてはまた解ける。そこから生と死とが生ずる。
 彼はこわれかけたぶどう棚によせかけてある木のベンチに腰掛けた、そして庭の果樹の小さな細やかな枝影をすかして星をながめた。貧しい木立ちに破屋《あばらや》や小屋が建ち並んだそのわずかの土地は、彼にとっては尊いそしてじゅうぶんなものであった。
 いたって少ないわずかな隙《ひま》の時間を、昼は園芸に夜は観想に分かち用いていたこの老人にとって、それ以上何が必要であったか。空を天井とするその狭い宅地は、神を、あるいはその最も美しい御業《みわざ》において、あるいはその最も荘厳な御業において、礼拝するには十分ではなかったか。実際そこにすべてがあるではないか、そしてそれ以外に何を望むべきであるか。歩を運ぶためには小さな庭があり、夢想するためには無窮の天がある。足下には耕耘《こううん》し採集し得るもの、頭上には研究し瞑想《めいそう》し得るもの、地上に数株の花と、空にあらゆる星辰《せいしん》と。

     十四 彼の思想

 最後に一言する。
 今述べたようなこの種のこまかなことは、ことに現今においては、そして現時流行の語をもってすれば、ディーニュの司教にある「汎神論《はんしんろん》者」的面影を与えるかも知れない、そして、彼を非難することになるか、もしくは賞賛することになるかはともかくとして、往々[#「往々」は底本では「住々」]孤独な人の心のうちに萌《きざ》し生長してついに宗教の地位を奪うまでになる現世紀特有な個人的哲学の一つが、彼のうちにあったことを信ぜさせるかも知れない。それでわれわれは、ビヤンヴニュ閣下を実際に知っていた人たちは一人としてそのような考え方をしていいと思っていた者のないことを、力説しておかなければならない。彼を輝かしたところのものは、その心であった。彼の知恵は、そこから来た光明によって得られたものであった。
 体系的思想の皆無と行為の豊富。深遠な推論は眩迷《げんめい》をきたすものである。司教が神秘な考察のうちに頭をつき込んだ徴《しるし》は何もない。使徒たる者は大胆なるもいい、しかし司教たるものは小心でなければならない。言わば恐るべき偉大な精神のために取り置かれてるある種の問題にあまり深入りして探究することを、彼はおそらく差し控えたであろう。謎《なぞ》の戸口の下には犯すべからざる恐怖がある。そのほの暗い入り口はそこにうち開いているが、人生の旅人なる汝らには、入るべからずと何物かがささやく。そこに足をふみ入れる者は禍《わざわい》なるかな! 抽象と純粋思索との異常な深淵のうちにおいて、言わばあらゆる信条の上高く座を占めて、天才らはおのれの観念を神に訴える。彼らの祈祷は大胆にも議論の提出であり、彼らの礼拝は質疑である。その峻嶮《しゅんけん》を試みんとする人にとっては、それは多大の憂苦と責任とのこもった直接的宗教である。
 人の瞑想には際限がない。それは自ら危難を冒しておのれの眩惑《げんわく》を分析し推究する。一種の荘厳な反動によって自然を眩惑するともほとんど言い得るであろう。吾人を囲む神秘な世界はその受けしところのものを返して、おそらく観者は被観者となるであろう。それはともかくとして、地上にはある種の人――それは果して人であるか?――がいる。彼らは夢想の地平の奥の絶対境の高地を明らかに認め、無限の山の恐ろしい幻を見る。しかしビヤンヴニュ閣下はそういう人々の一人ではなかった。彼は天才ではなかった。彼はその高遠なる境地を恐れた。ある者は、そしてスウェデンボルグやパスカルのごとき偉大なる人さえも、その境地から転落して正気を失ったのであった。確かにそれらの力強い夢想は精神的効果を有する、そしてその険しい道によって人は理想的完全の域に近づく。しかし司教は簡略な道を選んだ、すなわち福音の道を。
 彼はおのれの法衣にエリアの外套の襞《ひだ》をつけさせようとは少しもしなかった。([#ここから割り注]訳者注 旧約エリアの故事、――彼はエリアの衣鉢を継がんとはしなかった[#ここで割り注終わり])彼は事変の暗黒な大浪の上に何ら未来の光明を投じようとはしなかった。彼は事物の輝きを凝集さして火炎たらしめようともつとめなかった。彼は何ら予言者の趣もまたは魔術師の趣も持たなかった。彼の素純なる魂はただ愛した、それがすべてであった。
 彼が超人間的な希願にまでその祈祷を高めていったというならば、おそらくそれは事実であろう。しかしながら人は、あまりに愛しすぎるということのないと同じく、あまりに祈りすぎるということはなお更ない。経典以上の祈りをすることが異端であるとなすならば、聖テレサや聖ヒエロニムスのごときも異端者となるであろう。
 彼は悲しむ者や罪を悔いる者の方へ身をかがめた。世界は彼に一つの広大なる病であるごとく思われた。彼はいたる所に病熱を感じ、いたる所に苦悩の声をきいた。そして彼はその謎《なぞ》を解かんとせず、瘡痍《そうい》を繃帯《ほうたい》せんとした。万物の恐るべき光景は、彼のうちにやさしき情をますます深からしめた。あわれみ慰むべき最良の方法を自己のために見い出すことと、他人にそれを勧むることとにのみ、彼は意を用いた。存在するところのものは皆、このまれな善良な牧師にとっては、慰藉《いしゃ》を求めながら常に悲哀に沈んでるのであった。
 世には黄金を採掘するために働いている人々がいる。司教は憐憫《れんびん》を引き出すために働いていた。全世界の悲惨は彼の鉱区であった。いたる所に苦しみがあることは、常に親切を施すの機縁となるばかりであった。汝ら互いに愛せよ[#「汝ら互いに愛せよ」に傍点]。彼はその言を完全なるものとして、それ以上を何も希《ねが》わなかった。そこに彼の教理のすべてがあった。ある日、前に述べたあの自ら「哲学者」と思っている上院議員は司教に言った。「だがまず世界の光景を見らるるがいい。あらゆるものは皆互いに戦っている。最も強い者が最も知力を持っている。君の汝ら互いに愛せよ[#「君の汝ら互いに愛せよ」に傍点]は愚なことだ。」ビヤンヴニュ閣下はあえて論争せずにただ答えた。「なるほど、たといそれは愚であるとしても、貝殻の中の真珠のように、魂はその中にとじこめておかなければいけないです。」かくて彼はそこにとじこもり、その中に生き、それに絶対に満足していた。そして他のすべてを傍《かたわら》にうち捨てた。人をひきつけまた恐れさする不可思議な問題、抽象の不可測な深淵、形而上学の絶壁、使徒にとりては神が中心たり無神論者にとりては虚無が中心たるそれらのあらゆる深奥の理、すなわち、運命、善と悪、存在者相互の戦い、人の良心、動物の専心的な夢遊歩行、死による変形、墳墓のうちにおける生存の反覆、永続する自我に対する不可解な継承的愛情、本質、実体、無と有、魂、自然、自由、必然など、人類の偉大なる精神がのぞき込むあの陰惨な難問題、ルクレチウスやマヌーや聖パウロやダンテらが無限を凝視して星を生ぜしめるほどの燃え立った目で観想した恐るべき深淵、それらを彼は皆傍にうち捨てたのであった。
 ビヤンヴニュ閣下は単に一個の人であった。神秘な問題はこれを外部から観《み》るのみで、それを推究することなく、それを攪拌《かくはん》することなく、それをもっておのれの精神をわずらわすことなく、しかも神秘の闇に対する深き尊敬を魂の中に有している、一個の人にすぎなかった。

   第二編 墜落

     一 終日歩き通した日の夜

 一八一五年十月の初め、日没前およそ一時間ばかりの頃、徒歩で旅している一人の男が、ディーニュの小さな町にはいってきた。ちょうど人家の窓や戸口にあまり人のいない時間ではあったが、なおいくらかの人々はそこにいて、一種の不安の念を覚えながら旅人をながめた。おそらくこれ以上みすぼらしい風をした旅人はめったに見られなかった。それは中背の幅広い頑丈な元気盛りの男であった。四十六か七、八くらいであろう。皮の目庇《まびさし》のたれた帽子が、日に焼け風にさらされ汗の流れてる顔の一部を隠していた。黄色がかった粗末な布のシャツは、ただ首の所で銀の小さな止め金で止めてあるきりなので、そのすきから毛深い胸が見えていた。ネクタイは縒《よ》れてひものようになっている。青い綾織《あやお》りのズボンは傷《いた》んですり切れ、片|膝《ひざ》は白くなり、片膝には穴があいている。ぼろぼろな灰色の上衣には、撚《よ》り糸で縫われた青ラシャの補綴《はぎ》が一方の肱《ひじ》の所にあたっている。背中にはいっぱい物のはいった、堅く締め金をとめた、まだ新しい背嚢《はいのう》を負い、手には節《ふし》のあるごく大きな杖《つえ》を持ち、足には靴足袋《くつたび》もはかずに鉄鋲《てつびょう》を打った短靴を穿《うが》ち、頭は短く刈り込み、ひげを長くはやしている。
 汗、暑気、徒歩の旅、ほこり、それらのものが右の荒れすさんだ全体の姿に、更に何かしらきたならしい趣を加えていた。
 頭髪は短かったが、逆立っていた。もうしばらく刈られないでいるらしく、そして少し伸びはじめていたからである。
 だれも彼を知っている者はなかった。明らかに一人の通りすがりの男にすぎなかった。どこからきたのであろうか。南方から、たぶん海辺からきたのであろう。というのは、彼がディーニュにはいってきたのは、七カ月以前にナポレオンがカーヌからパリーへ行く時に通ったのと同じ道からであった。この男は終日歩きづめだったに違いない。大変疲れているように見えていた。下手《しもて》の昔の市場のほとりの女どもが見たところによると、彼はガッサンディ大通りの並木の下に立ち止まって、そのはずれにある泉の水を飲んだ。大変|喉《のど》がかわいていたにちがいない。彼の後をつけて行った子供らは、彼がそれからまた二百歩ばかり行って、市場の泉の所に立ち止まって水を飲むのを見た。
 彼はポアンシュヴェル街の角まで行って左に曲がり、市役所の方へ足を運んだ。彼は市役所にはいり、それから十五分ばかりしてまた出てきた。門のそばの石のベンチに憲兵が一人腰をかけていた。それは、ドルーオー将軍が三月四日に、驚駭《きょうがい》したディーニュ市民の群衆に向かって、ジュアン湾([#ここから割り注]訳者注 ナポレオンが一八一五年三月一日エルバ島より再びフランスに上陸したる湾[#ここで割り注終わり])の宣言を読みきかすために上った石である。旅の男は帽子をぬいで、丁寧にその憲兵に礼をした。
 憲兵は彼に答礼もせず、彼を注意深くうちながめ、なおしばらく彼の後ろを見送ったが、それから、市役所の中にはいった。
 当時ディーニュの町にはクロア・ド・コルバという看板のりっぱな宿屋があった。その主人はジャカン・ラバールといって、昔教導兵でありグルノーブルにトロア・ドーファンの看板の宿屋を持っている他のラバールという者の親戚《しんせき》であるというので、町でかなり尊敬されていた。皇帝上陸の際には、このトロア・ドーファンの宿屋について多くの風説がその地方に伝えられたものである。ベルトラン将軍が馬車屋に仮装して一月にしばしばそこに旅をして、兵士らにクロア・ドンヌール勲章を分与し、市民らに多くの金貨を与えた、というような噂《うわさ》が立てられていた。が事実はこうである、グルノーブルにはいってきた時、皇帝は知事の邸宅に行くのを断わり、私は知り合いの男の家にゆくのだから[#「私は知り合いの男の家にゆくのだから」に傍点]と言って、トロア・ドーファンの宿屋に行ったのであった。そのトロア・ドーファンのラバールの光栄は、二十五里へだてたクロア・ド・コルバのラバールの上にまで反映していた。町では彼のことをグルノーブルの男の従弟[#「グルノーブルの男の従弟」に傍点]だと言っていた。
 旅の男はこの地方で最上等のその宿屋の方へ歩みを向けた。そしてすぐ街路に開かれてる料理場にはいった。竈《かまど》はみな火が燃えており、炉には威勢よく炎が立っていた。主人はまた同時に料理人頭であって、竈《かまど》や鍋《なべ》を見て回り、馭者《ぎょしゃ》たちのためにこしらえる旨《うま》い食事の監督をし、ひじょうに忙しかった。馭者たちが隣の室で声高に笑い興じてるのも聞こえていた。旅をしたことのある人はだれでも知ってる通り、およそ馭者たちほどぜいたくな食事をする者はいない。肥った山鼠《モルモット》は白鷓鴣《しろやっこ》や松鶏《らいちょう》と並んで、長い鉄ぐしにささって火の前に回っており、竈の上には、ローゼ湖の二|尾《ひき》の大きな鯉《こい》とアロズ湖の一尾の鱒《ます》とが焼かれていた。
 主人は、戸があいて新しくだれかはいってきた音をきいて、竈から目を離さずに言った。
「何の御用ですか。」
「食事と泊まりです。」と男は言った。
「訳ないことです。」と主人は言った。その時彼はふり向いて旅人の様子をじろりとながめたが、つけ加えて言った。「金を払って下されば……。」
 男はポケットから皮の大きい財布を取り出して答えた。
「金は持っています。」
「では承知しました。」と主人は言った。
 男は財布をポケットにしまい、背嚢をおろし、それを戸のそばに置き、手に杖を持ったままで、火のそばの低い腰掛けの所へ行って腰をおろした。ディーニュは山間の地であって、十月になれば夜はもう寒かった。
 その間主人は、あちらこちらへ行ききしながら、旅人に目をつけていた。
「すぐに食事ができますか。」と男は言った。
「ただ今。」と主人は言った。
 その新来の客がこちらに背を向けて火に当たっているうちに、しっかりした亭主のジャカン・ラバールはポケットから鉛筆をとり出して、それから窓の近くの小卓の上に散らばっていた古い新聞の片すみを引き裂いた。彼はその欄外の空所に一二行の文句を書きつけ、それを折って別に封もせずに、料理手伝いや小使いをやっているらしい子供に渡した。亭主が耳もとに一言ささやくと子供は市役所をさしてかけて行った。
 旅人はそれらのことには少しも気がつかなかった。
 彼はも一度尋ねた。「食事はすぐですか。」
「ただ今。」と主人は言った。
 子供は帰ってきた。紙片を持ち戻っていた。主人は返事を待っているかのように急いでそれを披《ひら》いた。彼は注意深くそれを読んでいるらしかったが、それから頭を振って、しばらくじっと考え込んだ。ついに彼は一歩旅人の方へ近よった。旅人は何か鬱々《うつうつ》と考えに沈んでいるらしかった。
「あなたは、」と主人は言った、「お泊めするわけにいきません。」
 男は半ば席から立ち上った。
「どうして! 私が金を払うまいと心配するんですか。前金で払ってほしいんですか。金は持っていると言ってるではないですか。」
「そのことではありません。」
「では、いったい何です。」
「あなたは金を持っている……。」
「そうです。」と男は言った。
「だが私の所に、」と主人は言った、「室がないのです。」
 男は落ち着いて口を開いた。「廐《うまや》でもいい。」
「いけません。」
「なぜ?」
「どこにも馬がはいっています。」
「それでは、」と男はまた言った、「物置きのすみでもいい。藁《わら》が一束あればいい。が、そんなことは食事の後にしましょう。」
「食事を上げることはできません。」
 その宣告は、抑《おさ》えられてはいるが、しかし断固たる調子でなされたので、男には重々しく響いたらしかった。彼は立ち上がった。
「ええッ! だが私は腹が空《す》ききってるんだ。私は日の出から歩き通した。十二里歩いたんだ。金は払う。何か食わしてくれ。」
「何もありません。」と主人は言った。
 男は笑いだした、そして炉や竈《かまど》の方へふり向いた。
「何もない! そしてあそこのは?」
「あれは約束のものです。」
「だれに?」
「馭者の方たちに。」
「幾人いるんだい。」
「十二人。」
「二十人分くらいはあるじゃないか。」
「すっかり約束なんです、そしてすっかり前金で払ってあるんです。」
 男は再び腰をおろした、そして別に声を高めるでもなく言った。
「私は宿屋にいるのだ。腹がすいている。ここを動きはしない。」
 そこで主人は彼の耳元に身をかがめて、彼を慄然《ぎょっ》とさしたほどの調子で言った。「出てゆきなさい。」
 その時旅人は前かがみになって、杖の先の金具の所で火の中に燃え残りを押しやっていたが、急にふり返った。そして彼が何か答弁しようとして口を開いた時に、主人はじっと彼を見つめて、やはり低い声でつけ加えた。「さあもう文句を言うには及ばない。君の名を言ってあげようか。君はジャン・ヴァルジャンというのだ。それから君がどんな人だか言ってあげようか。君がはいって来るのを見て、あることを感づいたんだ。私は市役所に人をやった。そしてここに役所からの返事がある。君は字が読めるだろう。」
 そう言いながら彼はその見知らぬ男へ、宿屋と市役所との間を往復した紙片をすっかりひろげて差し出した。男はその上に一|瞥《べつ》を与えた。亭主はちょっと沈黙の後にまた言った。
「私はだれに向かっても丁寧にするのが習慣《ならわし》だ。出て行きなさい。」
 男は頭をたれ、下に置いてる背嚢をまた取り上げ、そして出て行った。
 彼は大通りの方へ進んで行った。はずかしめられ悲しみに沈んでいる者のように、彼は人家のすぐ傍《わき》に寄って、ただ当てもなくまっすぐに歩いて行った。一度も後ろを振り返らなかった。もし振り返ったならば彼は、クロア・ド・コルバの亭主が入り口に立っていて、宿の客人たちや通りすがりの人たちにとりかこまれて、声高に話しながら彼の方を指《さ》しているのを見たであろう。そしてまた、群集の目付の中にある軽侮や恐怖の色によって、彼がやってきたことはやがて町中の一事件となるだろうということを見て取ったであろう[#「見て取ったであろう」は底本では「見て取ったのであろう」]。
 が彼はそれらのことを何にも見なかった。絶望しきった者は自分の後ろを振り返り見ないものである。悪い運命が自分の後について来るのをあまりによく知っている。
 彼はそうしてしばらく歩いて行った。ちょうど悲しみに沈んだ時に人がなすように、知らない通りをむやみに歩きながら疲れも忘れてただ歩き続けた。と突然彼は激しく空腹を感じた。夜は迫っていた。彼は何か身を宿すべき場所はないかと思ってあたりを見回した。
 りっぱな宿屋は彼に対して閉ざされたのである。彼は粗末な居酒屋《いざかや》か貧しい下等な家をさがした。
 ちょうど通りの向こうの端に燈火《あかり》がひらめいていた。鉄の支柱につるされている一本の松の枝が薄暮のほの白い空に浮き出していた。彼はそこへ行ってみた。
 果してそれは一軒の居酒屋であった。シャフォー街にある居酒屋であった。
 旅人はちょっと立ち止まって、窓からその中をのぞいてみた。天井の低い室のうちは、テーブルの上に置かれた小さなランプと盛んな炉の火とで照らされていた。四五人の者が酒を飲んでおり、主人は火に当たっていた。自在|鈎《かぎ》につるしてある鉄の鍋は火に煮立っていた。
 その居酒屋はまた同時に一種の宿屋であって、はいるには二つの戸口があった。一つは通りに開《あ》いているし、一つは廃物がいっぱい散らかってる小さな中庭に開いている。
 旅人は通りに面した入り口からはいることをはばかった。彼は中庭にはいりこみ、なおちょっと足を止め、それからおずおずと※[#「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37]《かきがね》をあげて戸を押した。
「だれだ、そこに居るのは。」と主人は言った。
「晩飯と一泊とをお願いしたいんです。」
「よろしい。晩飯と一泊ならここでできる。」
 彼ははいってきた。酒を飲んでいた人々は皆ふり向いた。ランプがその半面を照らし炉の火が他の半面を照らしていた。彼が背嚢をおろしている間、人々はしばらく彼をじろじろながめた。
 主人は彼に言った。「火がおこっている。晩飯は鍋で煮えているから、まあこっちへきて火に当たりなさるがいい。」
 彼は炉火のそばに行って腰を掛けた。疲れきった両足を火の前に伸ばした。うまそうなにおいが鍋から立っていた。目深にかぶった帽子の下から見えている彼の顔のうちには、安堵《あんど》の様子と絶えざる苦しみから来る険しい色とがいっしょになって浮かんでいた。
 それはまたしっかりした精悍《せいかん》なそして陰気な顔つきであった。変に複雑な相貌で、一見しては謙譲に見えるが、やがて峻酷《しゅんこく》なふうに見えて来る。目はちょうどくさむらの下に燃ゆる火のように眉毛《まゆげ》の下に輝やいていた。
 ところが、テーブルにすわっていた人々のうちに一人の魚屋がいた。彼はこのシャフォー街の居酒屋にやって来る前に、自分の馬をラバールの家の廐《うまや》に預けに行ったのだった。また偶然その日の午前にも、彼はその怪しい男がブラ・ダスと……(名前は忘れたがエスクーブロンであったと思う)との間を歩いているのに出会った。男はもう大変疲れているらしく、彼に出会うと、馬の臀《しり》の方にでも乗せてくれないかと頼んだ。魚屋はそれに答えもしないで足を早めた。その魚屋は約三十分ばかり前には、ジャカン・ラバールを取巻いた群衆のうちにいた、そして彼自身、クロア・ド・コルバの客たちにその午前の気味悪い出会いを話してきかしたのだった。で今彼は自分の席からひそかに居酒屋の亭主に合い図をした。亭主は彼の所へ行った。二人は低い声で少し話しあった。あの男はまた考えに沈んでいた。
 亭主は炉の所に帰ってきて、突然男の肩に手を置いた、そして言った。
「お前さんはここから出て行ってもらおう。」
 男はふり返って、そして穏かに答えた。
「ああ、あなたも知っているんですね。」
「そうだ。」
「私はほかの一軒の宿屋からも追い出された。」
「そしてこの宿屋からも追い出されるんだ。」
「では、どこへ行けと言うんです。」
「他の所へ行くがいい。」
 男は杖と背嚢とを取って、出て行った。
 彼が出てきた時、クロア・ド・コルバからあとをつけてきて、今も彼の出て来るのを待っていたらしい数人の子供たちが、彼に石を投げた。彼は憤って引き返し、杖で子供たちをおどかした。子供たちは鳥の飛びたつように散ってしまった。
 男は監獄の前を通りかかった。門の所に、呼び鐘につけてある鉄の鎖が下がっていた。彼はその鐘を鳴らした。
 潜《くぐ》り戸《ど》が開いた。
「門番さん、」と言って彼は丁寧に帽子をぬいだ、「私を中に入れて今晩だけ泊めて下さるわけにいきませんか。」
 中から答える声がした。
「監獄は宿屋じゃない。捕縛されるがいい。そしたら入れてもらえるんだ。」
 潜り戸はまた閉じられた。
 彼は庭のたくさんある小さな通りにはいった。ただ生籬《いけがき》で囲まれたばかりの庭もあって、通りがいかにもさわやかであった。その庭や生籬のうちに、彼の目にとまった小さな一軒の二階家があって、窓には燈火《あかり》がさしていた。彼は居酒屋でしたようにその窓からのぞいてみた。それは石灰で白く塗った大きな室であって、型付き更紗《さらさ》の布が掛かっている寝台が一つと、片すみに揺籃《ゆりかご》が一つと、数脚の木製の椅子《いす》と、壁にかけてある二連発銃が一つあった。室のまん中の食卓には食事が出されていた。銅のランプが粗末な白布のテーブル掛けを照らし、錫《すず》のびんは銀のように輝いて酒がいっぱいはいっており、褐色《かっしょく》のスープ壺《つぼ》からは湯気が立っていた。食卓には快活淡泊な顔つきをした四十かっこうの男がすわっていて、膝《ひざ》の上に小さな子供が飛びはねていた。そのそばに年若い女がも一人の小児に乳をやっていた。父は笑っており、子供は笑っており、母はほほえんでいた。
 男はこの穏和なやさしい光景の前にしばらくうっとりと立っていた。その心のうちにはどんな考えが浮かんだか? それを言い得るのはただ彼のみであろう。がたぶん彼は、その楽しい家は自分を歓待してくれるかも知れないと思ったろう、そしてかくも幸福に満ちた家からはおそらく少しの憐憫《れんびん》を得らるるかも知れないと。
 彼はきわめて軽く窓ガラスを一つたたいた。
 家の人にはそれが聞こえなかった。
 彼は再びたたいた。
 彼は女がこういうのをきいた。「あなた、だれかきたようですよ。」
「そうじゃないよ。」と夫は答えた。
 彼は三度たたいた。
 夫は立ち上がって、ランプを取り、そして戸の方へ行って開いた。
 それは半ば農夫らしく半ば職人らしい背の高い男であった。左の肩まで届いている大きな皮の前掛けを掛けていて、その上に帯をしめてポケットのようになった所に、槌《つち》や赤いハンケチや火薬入れや種々なものを入れていた。頭はずっと後方に反《そ》らし、広くはだけて襟《えり》を折ったシャツは白い大きな裸の首筋を現わしていた。濃い眉毛、黒い大きな頬鬚《ほほひげ》、ぎろりとした目、下半面がつき出た顔、そしてそれらの上に言葉に現わせない落ち着いた様子が漂っていた。
「ごめんください。」と旅人は言った。「金を出しますから、どうぞ一ぱいのスープを下すって、それから、あの庭の中の小屋のすみに今晩寝かしてもらえませんか。いかがでしょう? 金は差し上げますが。」
「お前さんはどういう人だね。」と主人は尋ねた。
 男は答えた。「ビュイ・モアソンからきた者です。一日歩き通しました。十二里歩いたのです。いかがでしょうか、金は出しますが。」
「私は、」と農夫は言った、「金を出してくれる確かな人なら泊めるのを断わりはしない。だがお前さんはなぜ宿屋に行かないのだ。」
「宿屋に部屋《へや》がないんです。」
「なに、そんな事があるものか。今日は市《いち》の立つ日でもないし、売り出しの日でもない。ラバールの家に行ってみたかね。」
「行きました。」
「それで?」
 旅人は当惑そうに答えた。「なぜだか知りませんが、泊めてくれないんです。」
「それではシャフォー街のあの男の家に行ったかね。」
 男はますます当惑してきた。彼はつぶやいた。
「そこでも泊めてもらえないんです。」
 農夫の顔には疑惑の表情が浮かんだ。彼はその新来の男を頭の上から足の先までじっとながめた。と突然身を震わすようにして叫んだ。
「お前さんは例の男ではあるまいね……。」
 彼は男をじろりとながめて、後ろに三歩|退《さが》って、テーブルの上にランプを置き、そして壁から銃を取りおろした。
 その間に、「お前さんは例の男ではあるまいね[#「お前さんは例の男ではあるまいね」に傍点]……」という農夫の声をきいて、女も立ち上がり、両腕に二人の子供を抱いて、急いで夫の背後に隠れ、胸を露《あら》わにびっくりした目つきをしてその見知らぬ男をこわごわながめながら、低く田舎《いなか》言葉で「どろぼう[#「どろぼう」に傍点]」とつぶやいた。
 それらのことは、想像にも及ばないほどわずかな間に行なわれたのだった。主人はあたかも蝮《まむし》をでも見るように例の男[#「例の男」に傍点]をしばらくじろじろ見ていたが、やがて戸の所へきて言った。
「行っちまえ。」
「どうぞ、」と男は言った、「水を一ぱい。」
「ぶっ放すぞ!」と農夫は言った。
 それから彼は荒々しく戸を閉ざした。そして大きな二つの閂《かんぬき》のさされる音が聞こえた。一瞬の後には雨戸も閉ざされ、鉄の横木のさされる音が外まで聞こえた。
 夜はしだいに落ちてきた。アルプス颪《おろし》の寒い風が吹いていた。暮れ残った昼の明るみで、見なれぬ男は、通りに接したある庭のうちに芝土でできてるように思われる小屋らしいものを認めた。彼は思い切って木|柵《さく》を越えて庭の内にはいった。小屋に近よってみると、入り口といってはきわめて低い狭い開戸《ひらき》がついていて、道路工夫が道ばたにこしらえる建物に似寄ったものであった。彼はそれが実際道路工夫の住居であると思った。彼は寒さと飢えとに苦しんでいた。飢えの方はもう我慢していたが、しかしそこは少なくとも寒さを避け得る場所であった。その種の住居には普通夜はだれもいないものである。彼は腹ばいになって小屋の中にはいりこんだ。中は暖かで、かなりよい藁の寝床が一つあった。彼はしばらくその寝床の上に横たわっていた。すっかり疲れ果てて身を動かすこともできなかったのである。それから背中の背嚢が邪魔になり、またそれは、ありあわせの枕《まくら》となるので、負い皮の留金《とめがね》をはずしはじめた。その時、恐ろしいうなり声が聞えた。彼は目をあげてみた。大きな番犬の頭が、小屋の入り口のやみの中に浮き出していた。
 犬小屋だったのである。
 彼自身も力ある恐ろしい男であった。彼は杖をもって身構え、背嚢を楯《たて》となし、そしてうまく犬小屋から出ることができた。もとより、そのために衣服の破れは更に大きくなったのではあるが。
 彼はまたその庭から外へ出た。しかし犬を近よらせないためにあとずさりしながら、撃剣の方で隠ればらと呼ばるる仕方で杖を振り回さなければならなかった。
 漸《ようや》くにして木柵を越えて通りに出たが、彼はもはやただ一人で、宿るべき場所もなく、身を蔽《おお》う屋根も身を避ける所もなく、藁の寝床とあわれな犬小屋からさえも追い出されたのであった。彼はある石の上に、腰をおろすというより倒れてしまった。そこを通る人があったら、彼の叫ぶのを聞いたであろう、「俺《おれ》は犬にも及ばないのか!」
 やがて彼はまた立ち上がって歩き出した。町から出て行った。野の中に何か樹木か堆藁《つみわら》かを見出してそこに身を避けようと思ったのである。
 そして彼はうなだれながらしばらく歩いた。人の住居から遠くへきたと思った頃、目をあげてあたりを物色してみた。野の中にきていた。前には短く刈られた切株に蔽われた低い丘が一つあって、刈り入れをした後のその有り様は刈り込みをした頭のようだった。
 地平は真暗《まっくら》になっていた。それはただ夜のやみばかりのためではなかった。低くたれた雲のためでもあって、雲は丘の上に立ちこめているらしく、しだいに昇って、空をも蔽わんとしていた。けれども、月がまさに出んとする頃、そしてなお中天に暮れ残った明るみが漂っている時、雲は高く空中に一種のほの白い円屋根を形造って、そこから明るみが地上に落ちていた。
 そこで地上は空よりも明るく、妙に気味悪い光景で、貧しげな荒涼たる輪郭の丘は暗い地平の上に青白くぼんやりと浮き出していた。すべての様が醜く卑しく悲しげでまた狭苦しかった。野の中にも丘の上にも一物もなく、ただ数歩前に曲がりくねった無様《ぶざま》な樹木が一本立ってるきりだった。
 この旅の男はもとより、事物の神秘な光景を痛感するほどの知力や精神の微妙な習慣を少しも持ってはいなかった。けれども、今見るその空、その丘、その平野、その樹木、それらのうちには何か深いわびしさがこもっていたので、彼はちょっと立ち止まって思いに沈んだが、突然|踵《くびす》をめぐらした。自然さえも、敵意を有するらしく思える瞬間があるものである。
 彼はまた戻って来た。ディーニュの市門はもう閉ざされていた。ディーニュ市は、宗教戦争のおり長く包囲をささえた所であって、後にこわされてしまったが、一八一五年にはなおその周囲に、方形の塔がついてる古い城壁があったのである。彼はその城壁の破れ目を通ってまた町の中にはいった。
 もうたぶん晩の八時くらいになっていたろう。彼は町の様子を知らないので、再びただむやみに歩き出した。
 そのようにして彼は県庁の所にき、それから神学校の所まできた。大会堂の広場を通る時には、彼は会堂に対して拳《こぶし》をさしつけた。
 その広場の角に印刷屋があった。エルバ島から持ちきたされ、ナポレオン自身の口授になった、皇帝の宣言及び軍隊に対する親衛の宣言が初めて印刷せられたのは、そこにおいてであった。
 全く疲れはててもはや何らの望みもなく、彼はただ、その印刷所の門口にあった石の腰掛けの上に身を横たえた。
 その時、一人の年老いた女が会堂から出てきた。彼女はやみのうちに横たわってるその男を認めた。「あなたはそこで何をしていますか、」と彼女は言った。
 彼は荒々しくそして怒って答えた。「親切なお上《かみ》さんだな、私は御覧のとおり寝ているんですよ。」
 実際親切なお上さんという名前に至当な彼女は、R某侯爵夫人であった。
「この腰掛けの上で?」と彼女は言った。
「私は十九年の間木の寝床に寝起きしたのです。」と男は言った。「今日は石の寝床の上に寝るんです。」
「あなたは軍人だったのですか。」
「そうですよ、軍人です。」
「なぜ宿屋へお出でなさらないのです。」
「金がありませんから。」
「困りましたね、」とR夫人は言った。「私は今四スーきり持ち合わせがありませんが。」
「いいからそれを下さい。」
 男は四スーを受け取った。R夫人は続けて言った。「そればかりでは宿屋には泊まれませんでしょう。ですがあなたは宿屋に尋ねてみましたか。そんなふうに一晩を過ごすことはできるものではありません。きっと寒くて、また腹もおすきでしょう。慈善に一晩泊めてくれる人もありましょうのに。」
「どの家《うち》も尋ねてみたんです。」
「それで?」
「どこからも追い出されたんです。」
 その「親切なお上《かみ》さん」は男の腕をとらえ、広場の向こう側にある司教邸と並んだ小さな低い家を指《さ》し示した。
「あなたは、」と彼女は言った、「どの家も尋ねてみられたのですか。」
「ええ。」
「あの家を尋ねましたか。」
「いいえ。」
「尋ねてごらんなさい。」

     二 知恵に対して用心の勧告

 その晩ディーニュの司教は町を散歩した後、かなり遅くまで自分の室にとじこもっていた。彼は義務[#「義務」に傍点]に関する大著述にとりかかっていた。この著述は不幸にも未完成のままになっている。司教は教父や博士らがその重大な問題について述べた所のものを注意深く詮索《せんさく》していた。彼の著述は二部に分かたれていて、第一はすべての人の義務、第二はおのれの属する階級に応じての各人の義務。すべての人の義務は大なる義務であって、それに四種ある。使徒マタイはそれをあげている、神に対する義務(マタイ伝第六章)自己に対する義務(同第五章二十九、三十節)隣人に対する義務(同第七章十二節)万物に対する義務(同第六章二十、二十五節)。他のいろいろな義務については、司教は種々のものに示され述べられてるのを見いだした、君主および臣下の義務はローマ書に、役人や妻や母や年若き者のそれはペテロ書に、夫や父や子供や召し使いのそれはエペソ書に、信者のそれはヘブライ書に、処女のそれはコリント書に。司教はすべてそれらの教えからよく調和したる一の全体を作らんと努力し、そしてそれを人々に示そうと思っていた。
 彼は八時になるまでまだ仕事にかかって、膝の上に大きな書物をひろげ、小さな四角の紙片に骨をおって物を書いていた。その時マグロアールはいつもの通り、寝台のそばの戸棚から銀の食器を取りにはいってきた。やがて司教は、食卓がととのい、たぶん妹が自分を待っていると思って、書物を閉じ、机から立ち上がり、食堂にはいってきた。
 食堂は暖炉のついてる長方形の室で、戸口は街路に開いており(前に言ったとおり)窓は庭の方に向いていた。
 マグロアールは果して食卓を整えてしまっていた。
 用をしながら、彼女はバティスティーヌ嬢と話をしていた。
 ランプが一つテーブルの上に置かれていた。テーブルは暖炉の近くにあった。暖炉にはかなり勢いよく火が燃えていた。
 この六十歳を越した二人の女はたやすく描き出すことができる。マグロアールは背の低い肥った活発な女である。バティスティーヌ嬢は穏和なやせた細長い女で、兄よりも少し背が高く、茶褐色《ちゃかっしょく》の絹の長衣を着ている。それは一八〇六年にはやった色で、その頃パリーで買ってから後ずっと着続けたものである。一ページを費やしても言いきれぬほどのことを一語で言うことのできる卑俗な言い方をかりて言えば、マグロアールは田舎女[#「田舎女」に傍点]の風をそなえており、バティスティーヌ嬢は貴婦人[#「貴婦人」に傍点]の風をそなえていた。マグロアールは筒襞《つつひだ》のある白い帽子をかぶり、頭には家の中でただ一つの女持ちの飾りである金の十字架をつけ、大きい短かい袖のついた黒い毛織りの長衣からまっ白な襟巻《えりまき》をのぞかせ、赤と緑の格子縞《こうしじま》の木綿の前掛けを青いひもで帯の所にゆわえ、同じ布の胸当てを上の両端で二本の留め針でとめ、足にはマルセイユの女のように大きな靴と黄いろい靴下をはいていた。バティスティーヌ嬢の長衣は一八〇六年式の型で、胴が短く、裾《すそ》が狭く、肩襞《かたひだ》のある袖で、ひもとボタンとがついていた。灰色の頭髪は小児の鬘[#「小児の鬘」に傍点]といわれる縮れた鬘《かずら》に隠されていた。マグロアールは怜悧《れいり》活発で善良な風をしていた。不ぞろいにもち上がった口の両端と下|脣《くちびる》より大きい上脣とは、いくらか気むずかしい勝気な風を示していた。閣下が黙っている間は、彼女は尊敬と気ままとの交じったきっぱりした調子で話しかけるが、閣下が一度口を開くと、前に言った通り、彼女はバティスティーヌ嬢と同様に穏かにその言に服するのであった。バティスティーヌ嬢の方は自分から口をきくことさえもなかった。彼女はただ彼の言うことを聞き、彼の気分をそこなうまいとするのみだった。若い時でさえ彼女はきれいではなかった。ばかに目につく大きな青い目ときわ立った長い鼻とを持っていた。しかしその全体の顔つきと全体の人柄とは、初めに言った通り、言うに言われぬ温良さを示していた。彼女はいつも温厚なるべく定められていた。
 しかし信仰と慈悲と希望との三つの徳は、静かに人の魂を暖めるものであって、彼女においてもまた次第にその温良さを神聖の域にまで高めたのであった。自然は彼女を単に一個の牝羊《めひつじ》に造ったが、宗教は彼女を天使たらしめた。あわれなる聖《きよ》き女よ! 消え失せし楽しき思い出よ!
 バティスティーヌ嬢はその晩司教の家に起こったことを爾来《じらい》しばしば繰り返し話したので、その詳細を思い出し得る人は今もなおたくさんある。
 さて司教が食堂にはいってきた時、マグロアールは元気に話をしていた。いつも老嬢によく話すことで司教にもなじみの事がらだった。すなわち入り口の戸の締まりに関してであった。
 夕食のために何か買い物に行った時、マグロアールは、方々で話されていることを聞いてきたらしい。悪い顔つきの風来漢の噂が種々なされていた。怪しい浮浪人がやってきた。町のどこかにいるに違いない。今晩遅く家に帰ろうとでもする人があれば、その男に出会って悪いことが起こるかも知れない。その上、県知事と市長とが反目して何か事件を起こしては互いにおとしいれようとしている際なので、警察の働きもすこぶるまずい。それで賢い者はみずから警察の働きをなし、みずから警戒すべきである。そして、堅く締まりをし閂《かんぬき》をさし横木を入れておかなければならない、よく戸を閉ざしておかなければならない[#「よく戸を閉ざしておかなければならない」に傍点]。
 マグロアールはその終わりの文句に力を入れた。しかし司教は、かなり寒さを感じていた自分の室からやってき、暖炉の前にすわって暖まり、それから何か他のことを考えていて、マグロアールが口にした言葉を別に心にかけなかった。マグロアールはそれを再び繰り返した。その時バティスティーヌ嬢は、兄の気にさわらないでしかもマグロアールを満足させようと思って、おずおずと言ってみた。
「お兄さん、マグロアールの言ってることを聞かれましたか。」
「何かぼんやり聞いたようだが。」と司教は答えた。それから半ば椅子を回して、両手を膝の上に置き、わけなく楽しげな親しい顔を老婢《ろうひ》の方へあげた。火が下からその顔を照らしていた。「ええ、何だい? 何かあるのかね? 何か恐ろしい危険でもあるというのかね。」
 するとマグロアールは、またその話をすっかりやり直して、自分で気もつかなかったがいくらか誇張して話した。一人の放浪者が、一人の非人が、ある危険な乞食《こじき》が、今ちょうど町にきているらしい。その男はジャカン・ラバールの家に行って泊めてもらおうとしたが、宿屋では受け付けなかった。その男がガッサンディの大通りから町にはいってきて、薄暗がりの通りをうろついている所を、見かけた人がある。背嚢《はいのう》と繩《なわ》とを持ってる恐ろしい顔つきの男である。
「本当かね。」と司教は言った。
 司教がそのように問いかけたことにマグロアールは力を得た。彼女には司教がいくらか心配しているのだと思えた。彼女は勝誇ったように言い進んだ。
「本当ですとも。そのとおりでございますよ。今晩、町に何か不幸なことが起こります。皆そう申しております。その上に警察がいかにも手ぬかりなのです(彼女はうまくそのことをくり返したのである)。山国なのに、町には晩に燈火《あかり》もないのですから! 出かけるとします。暗やみばかりです。それで私は申すのです、そしてまた、お老嬢《じょう》さままで私のように申されて……。」
「私?」と妹はそれをさえぎった。「私は何も言いはしないよ。お兄様のなされることは皆いいのだからね。」
 マグロアールはその異議も聞かないがように言葉を続けた。
「私どもはこの家がごく無用心だと申すのです。もしお許しになりますならば、錠前屋のポーラン・ミューズボアの所へ行って、前についていた閂《かんぬき》をまた戸につけに来るように申しましょう。閂はあの家にありますので、すぐにできます。せめて今晩だけでも閂をつけなければいけませんですよ。だれでも通りがかりの人が把手《とって》で外からあけることのできるような戸は、何より一番恐ろしいものではございませんか。それに旦那《だんな》様はいつでもおはいりなさいと言われます、その上夜中にでも、おはいりという許しがなくてもはいれるのですもの……。」
 その時、だれかがかなり強く戸をたたいた。
「おはいりなさい。」と司教は言った。

     三 雄々しき服従

 戸は開いた。
 それは急に大きく開いて、あたかもだれかが力を入れて決然と押し開いたようだった。
 一人の男がはいってきた。
 この男をわれわれは既に知っている。泊まり場所をさがしながら先刻うろついていた旅人である。
 彼ははいってきて一歩進み、そしてうしろに戸を開いたまま立ち止まった。肩に背嚢《はいのう》を負い、手に杖を持ち、目には荒々しい大胆な疲れたそして激した色があった。暖炉の火が彼を照らしていた。嫌悪《けんお》の感を起こせるような姿で、まるできみ悪い化け物のようだった。
 マグロアールは声を立てる力さえもなかった。彼女は身震いをして茫然《ぼうぜん》と立ちつくした。
 バティスティーヌ嬢はふり向いてはいってきた男を見た。そして驚いて半ば身を起こしたが、それから静かに暖炉の方へ頭をめぐらして、兄をながめた。そして彼女の顔は深い静けさと朗らかさとに帰った。
 司教は穏かな目付きでその男を見つめていた。
 彼がその新来の男にたぶん何しにきたかを尋ねるために口を開いた時、男は一度に両手を杖の上に置いて、老人と二人の婦人とをかわるがわる見回して、そして司教が口をきくのを待たないで高い声で言った。
「お聞き下さい。私はジャン・ヴァルジャンという者です。私は懲役人です。私は徒刑場で十九年間過ごしました。私は四日前に放免されて、ポンタルリエへ行くため旅に上ったのです。ツーロンから四日間歩いたのです。今日は十二里歩きました。夕方この地について宿屋に行ったのですが、追い出されました。市役所に黄いろい通行券を見せたためです。見せなければならなかったのです。も一軒の宿屋にも行ってみましたが、出て行けと言うんです。どちらでもそうです。だれも私を入れてくれません。監獄に行けば、門番が開いてくれません。犬小屋にもはいりました。が犬も人間のように、私に噛《か》みついて追い出してしまったのです。私がどういう者であるか犬も知っていたのでしょう。私は野原に出て行って、星の下に野宿《のじゅく》をしようと思いました。ところが星も出ていません。雨が降りそうでした。雨の降るのを止めてくれる神様もないのかと私は思いました。そして私は、戸の陰でも見つけようと思ってまた町にはいってきました。そして向こうの広場の所で石の上に寝ようとしていました。するとある親切なお上《かみ》さんがあなたの家《うち》を指《さ》して、あそこを尋ねてごらんなさいと言ってくれました。それで尋ねてきたのです。ここはいったい何という所ですか。あなたは宿屋さんですか。私は金は持っています。自分の積立金です。徒刑場で十九年間働いて得た百九フラン十五スーです。金はきっと払います。それが何でしょう。金は持っているんですから。私はたいへん疲れています、十二里歩いたのです、たいへん腹がへっています。泊めていただけましょうか。」
「マグロアールや、」と司教は言った、「も一人分だけ食器の用意をなさい。」
 男は三歩進んで、食卓の上にあったランプに近寄った。そしてよく腑《ふ》に落ちないようなふうで言った。「いや、そんなことではないんです。わかったのですか。私は懲役人ですよ。囚人ですよ。監獄から出てきた者ですよ。」彼はポケットから大きな黄いろい紙片をとり出してひろげた。「これが私の通行券です。御覧のとおり黄色です。このために私はどこへ行っても追い出されるんです。読みませんか。私も読むことはできる。徒刑場で習ったのです。志望者のために学校ができてるんです。いいですか、通行券にこう書いてあります。『ジャン・ヴァルジャン、放免囚徒、生地……――これはどうでもいいことだ、――徒刑場に十九カ年間いたる者なり。家宅破壊窃盗のため五カ年。四回脱獄を企てたるため十四カ年。至って危険なる人物なり。』このとおりです! だれでも私を追っ払うんです。それをあなたは泊めようというんですか。ここは宿屋ですか。食物と寝所とを私にくれると言うのですか。あなたの所に廐《うまや》でもあるのですか。」
「マグロアールや、」と司教は言った、「寝所の寝台に白い敷布をしきなさい。」
 二人の婦人がいかなるふうに司教に服従しているかは、前に説明したところである。
 マグロアールはその命令を行なうために室を出て行った。
 司教は男の方へ向いた。
「さああなた、おすわりなさい、そして火に当たりなさい。すぐに食事にします。そして食事をしている間に寝床の用意もできるでしょう。」
 そこで男はたちまちはっきり了解したのである。その時まで沈うつで堅苦しかったその顔の表情には、疑惑と喜びと茫然《ぼうぜん》自失した様とが浮かんで、異様な趣になった。
 彼は何か気違いのようにつぶやきはじめた。
「本当ですか。なに、私を泊めて下さる? 私を追い出さない! 囚人を! 私のことをあなた[#「あなた」に傍点]とお呼びなさる。お前とおっしゃらない! 畜生行っちまえといつも私は言われた。あなたも私を追い出されることと思っていました。それで私はすぐに素性《すじょう》を言ったのです。おお、ここを私に教えてくれたあのお上さんは何といい人だろう! 食事をする! 寝床! ふとんと敷き布とのある寝床! 世間の人と同じように! もう十九年の間私は寝床に寝たことがないんだ! あなたは本当に私を追い出さないんですね! あなたはりっぱな方だ! もとより私は金は持っている。お払いします。ごめん下さい、御主人、お名前は何とおっしゃるのですか。お望みだけ金は払います。あなたはいいお方だ。あなたは宿屋の御主人でしょう、そうではないんですか。」
「私は、」と司教は言った、「ここに住んでいる一人の牧師です。」
「牧師!」と男は言った。「おおりっぱな牧師さん! ではあなたは私に金を求められないのですね。司祭、そうではないんですか、あの大きな会堂の司祭では? おや、そうだ、私はばかだった! 私はあなたの丸い帽子に気がつかなかったのです!」
 しゃべりながら彼は片すみに背嚢《はいのう》と杖とを置いて、それから通行券をポケットにしまい、そして腰をおろした。バティスティーヌ嬢は穏かな目つきで彼をながめていた。彼は続けて言った。
「司祭さん、あなたはほんとに情け深い。あなたは軽蔑ということをなさらない。いい牧師さんというものは実にありがたいものだ。ではあなたは私に金を払わせはしませんね。」
「いいです。」と司教は言った。「金はとっておきなさい。いくら持っています。百九フランとか言いましたね。」
「それと十五スー。」と男はつけ加えた。
「百九フラン十五スー。そしてそれを得るのにどれだけかかりました!」
「十九年。」
「十九年!」
 司教は深くため息をもらした。
 男は言い進んだ。「私はまだその金をすっかり持っています。四日の間に私は、グラスで車の荷おろしの手伝いをしてもらった二十五スーきり使わなかったのです。あなたが牧師さんだから言いますが、徒刑場にも一人の教誨師《きょうかいし》がいました。それからまたある日、私は司教を見ました。皆が閣下と言っていました。マルセイユのマジョールの司教でした。多くの司祭の上に立つ司祭なんです。どうも私にはうまく言えません。その方面のことはまるで縁が遠いんです。――あなた方にはわかりきったことでしょうが。――その司教が徒刑場のまん中で祭壇の上で弥撒《ミサ》を唱えられました。頭の上に金でできた先のとがったものをかぶっていられました。真昼間の光にそれが光っていました。私どもは並んでいました、三方に。私どもの前には、大砲と火のついた火繩とが置かれていました。よく見えませんでした。何か話をされましたが、あまり向こうの方だったので私どもの所までは聞こえませんでした。司教というものはそうしたものです。」
 彼が話している間に、司教は立っていってあけ放しになってる戸をしめた。
 マグロアールは戻ってきた。彼女は一人分の食器を持ってきてそれを食卓の上に置いた。
「マグロアールや、」と司教は言った、「その食器をできるだけ暖炉の近くに置きなさい。」そして彼は客人の方へふり向いた。「アルプスの夜風は大変きびしいです。あなたはきっとお寒いでしょう。」
 司教がそのあなた[#「あなた」に傍点]という言葉を、優しい重みのある、いかにも上品な声で言うたびごとに、男の顔は輝いた。囚人に対して言わるるあなた[#「あなた」に傍点]という言葉は、メデューズ号の難破者([#ここから割り注]訳者注 一八一六年に起こった最も悲惨な難破船[#ここで割り注終わり])に対する一ぱいの水のごときものである。はずかしめらるる者は他人の尊敬に飢えている。
「このランプは、」と司教は言った、「あまり明るくないな。」
 マグロアールはその意味を了解した。そして閣下の寝間の暖炉の上から二つの銀の燭台《しょくだい》を取ってきて、それにすっかり火をともして食卓の上に置いた。
「司祭さん、」と男は言った、「あなたは善《よ》い方だ。あなたは私を軽蔑なさらない。私を家に入れて下さる。私のために蝋燭《ろうそく》をともして下さる。私がどこからきたかを隠さず、私が惨《みじ》めな者であることを隠さなかったのに。」
 司教は彼のそばに腰を掛けて、静かに彼の手に触《さわ》った。「あなたはあなたがだれであるかを私に言わなくてもよかったのです。ここは私の家ではなくて、イエス・キリストのお家です。この家の戸ははいって来る人に向かって、その名前を尋ねはしません、ただ心に悲しみの有る無しを尋ねます。あなたが苦しんでいられ、飢えと渇《かわ》きとを感じていられるならば、あなたは歓待せられます。そして私に礼を言ってはいけません、私があなたを自分の家に迎え入れたのだと言ってはいけません。だれも、安息所を求める人を除いてはだれも、ここは自分の家ではありません。私は通りすがりのあなたに向かってもそれを言います。ここは私の家というよりもむしろあなたの家です。すべてここに在《あ》るものはあなたのものです。何で私があなたの名前を知る必要がありましょう。それにまた、あなたが言われない前から私はあなたの一つの名前を知っています。」
 男は驚いた目を見開いた。
「本当ですか。あなたは私が何という名前か知っていられたのですか。」
「そうです。」と司教は答えた。「あなたの名前は私の兄弟というのです。」
「司祭さん、」と男は叫んだ、「ここにはいって来る時、私はたいへん腹がすいていた。けれどあなたがあまり親切なので、今ではもうどうなのかわからなくなりました。そんなことは通りすぎてしまったんです。」
 司教は彼を見まもった、そして言った。
「あなたは大変苦しんだのですね。」
「おお、赤い着物や、足の鉄丸や、板の寝床や、暑さ、寒さ、労働、囚人の群れ、打擲《ちょうちゃく》! 何でもないことに二重の鎖で縛られるのです。ちょっと一言《ひとこと》間違えばすぐに監禁です。寝ついてる病人にまで鎖がつけられてるんです。犬、そう、犬の方がまだしあわせです! それが十九年間! 私は今四十六歳です。そしてこんどは黄いろい通行券! そういうわけです。」
「なるほど、」と司教は言った、「あなたは悲しみの場所から出てこられた。がお聞きなさい。百人の正しい人々の白衣に対してよりも、悔い改めた一人の罪人《つみびと》の涙にぬれた顔に対して、天にはより多くの喜びがあるでしょう。もしあなたがその痛ましい場所から、人間に対する憎悪と憤怒との思想を持って出てこられるならば、あなたはあわれむべき人で、もしそこから好意と穏和と平和との思想を持って出てこられるならば、あなたはわれわれのだれよりもまさった人です。」
 その間にマグロアールは夕食を整えた。水と油とパンと塩とでできたスープ、少しの豚の脂肉《あぶらにく》、一片の羊肉、無花果《いちじく》、新しいチーズ、それに裸麦の大きなパン。彼女はまた自分で、司教の普通の食物にそえてモーヴの古いぶどう酒の一びんを出した。
 司教の顔には急に、人を歓待する性質の人に特有な快活な表情が浮かんだ。「どうか食卓に!」と彼は元気よく言った。いつも他人と食事を共にする時のとおりに、彼は男を自分の右にすわらせた。バティスティーヌ嬢はまったく穏かにそして自然に、彼の左の席についた。
 司教はいつものとおりに、祝祷《しゅくとう》をささげてからみずからスープをついだ。男はむさぼるように食い初めた。
 突然司教は言った。「何か食卓に足りないようだね。」
 マグロアールは実際そこに必要だった三人分の食器をそろえたのみだった。しかるに、司教がだれかと食事を共にする場合には、無邪気な見栄《みえ》ではあるが、卓布の上に六組の銀の食器をすっかり置いておくのが家の習慣となっていた。その優しい贅沢《ぜいたく》の見栄は、貧しさをも一つの品位たらしめているこの穏和な厳格の家の中にあって、一種の子供らしい愛嬌であった。
 マグロアールは司教の注意の意味を了解して、何とも言わずに室を出ていった。そして間もなく、司教の言った余分の三組みの食器は、食卓の三人のおのおのの前にきちんと並べられて、卓布の上に輝いた。

     四 ポンタルリエのチーズ製造所の話

 さて食卓でいかなることが起こったかをだいたい伝えんがためには、バティスティーヌ嬢がボアシュヴロン夫人に送った手紙の一節をここに書き写すに如《し》くはないと思われる。その手紙の中には、囚人と司教との会話がありのままに細かく述べられている。
 …………
 ……その男はだれにも注意を向けませんでした。飢えた者のようにむさぼり食っていました。けれども、スープのあとで彼は言いました。
「ありがたい神様の司祭さん、このような食物は私にとってはなお結構すぎます。ですが申し上げたいのは、私をいっしょに食べさしてくれなかったあの馭者たちは、あなたよりもっとぜいたくをしています。」
 ここだけのお話ですが、その言葉はいくらか私に快からぬ感じを与えました。兄は答えました。
「彼らは私よりも多く疲れています。」
「いえ、」と男は言いました、「よけいに金を持っているのです。あなたは貧乏だ。よく私にもわかっている。あなたはたぶん司祭でもないんでしょう。それとも司祭ではあるんですか。ああまったくのところ、神様が公平だったら、あなたは確かに司祭にはなってるはずですが。」
「神様はこの上もなく公平ですよ。」と私の兄は答えました。
 しばらくして兄はまた申しました。
「ジャン・ヴァルジャンさん、あなたがこれから行かれるのはポンタルリエですね。」
「そして旅程もちゃんと定められているのです。」
 私はその男が答えたのはたしかにそのようにであったと覚えています。それから彼は続けて言いました。
「明日私は夜明けに出立つしなければなりません。旅をするのは辛《つら》いものです。夜は寒いし、昼は暑いんです。」
「あなたの行かれようとする土地はいい所です。」と私の兄は言いました。「革命の時に私の家は零落して、私は最初フランシュ・コンテにのがれて、そこでしばらく働いて生活していました。私は丈夫な意志を持っていたのです。仕事はたくさんあって、ただ勝手に何かを選ぶだけでした。製紙場、製革所、蒸溜《じょうりゅう》所、製油場、時計製作所、製鋼所[#「製鋼所」は底本では「製綱所」]、製銅所、その他少なくも二十余りの鉄工所があって、そのうち、ロオ、シャーティヨン、オーダンクール、ブールの四カ所にある四つは重立ったものです……。」
 私はたぶん聞き違いはないと存じます、そして兄があげた地名は右のとおりだったと思います。兄はそれから言葉を切って、私の方へ話を向けました。
「ねえ、あの土地に親類はなかったかね。」
 私は答えました。
「ええあります。そのうちでも、革命前にポンタルリエの門衛長であったリュスネーさんがあります。」
「そうそう。」と兄は言いました。「しかし、一七九三年には、もう親類なんか無いも同様だった。ただ自分の腕だけだった。私は働いたのです。ヴァルジャンさん、あなたがおいでになろうというポンタルリエには、まったく素朴な楽しい仕事が一つあります。それはフリエイティエールと言われているチーズ製造所です。」
 その時私の兄は、男に食事をさせながら、ポンタルリエのチーズ製造所がどんなものであるかくわしく説明してやりました。兄の言葉によればおおよそ次のようなのです。――それには二つの種類があります。大納屋[#「大納屋」に傍点]というのは金持ちに属するもので、四、五十頭の牝牛《めうし》があり、一夏ごとに六、七千斤のチーズができます。また組合製造所[#「組合製造所」に傍点]という方は貧しい人たちに属するもので、彼らは山地の百姓でして、共同に牝牛《めうし》を飼って、その産物を分配するのです。彼らはグリュラン[#「グリュラン」に傍点]と呼ばるるチーズ製造人を雇います。グリュランは日に三度組合の牛乳を受け取り、その量を合札《あいふだ》に誌《しる》します。チーズ製造の仕事が初まるのは四月の末ごろでありまして、チーズ製造人らがその牝牛を山中に追いやってしまうのは六月中ごろだそうです。
 男は食事をしているうちに元気づいて参りました。兄は彼にモーヴのいいぶどう酒を飲ませました。それは高価なものだといって兄自身飲まなかったものなのです。兄は御存じのとおりの気安そうな快活な調子で、そして時々私の方へもやさしく言葉を向けながら、男に右の細かい話をしてきかせました。兄は何度もそのグリュランのおもしろい有様をくり返しまして、それがその男のための逃《のが》れ場所であることを、直接にぶしつけに説かないで自然にわからせようと願っているかのようでありました。
 それから一つ私の心を動かしたことがございます。その男は前に申したとおりの者なのです。ところが私の兄は、彼がはいってきた時キリストについて二、三のことを申しましたほかには、食事の間もまたその晩中も、その男に身分を思い起こさせまた自分がだれであるかを知らせるようなことは、一言も言わなかったのであります。ちょっと考えれば、多少の説教などをいたし、囚人の上に司教の威を示して、その通りがかりの印象を深くしてやるのにいい機会であったように思われます。またその不幸な男を家に入れてやったことでありますから、その身体を養ってやるとともに心をも養ってやり、いくらかその罪を責めるとともに訓戒や忠告を与えたり、または彼の将来の善行を勧めながら少しの慈悲を施してやりますのに、ちょうどいい場合のようにも思われるのでありました。しかるに兄は、彼がどこの生まれであるかを聞きもしなければ、その経歴を尋ねもいたしませんでした。それも彼の経歴のうちには罪悪があったのでありまして、兄は彼にそれを思い起こさせるような話をいっさいさけてるようでありました。一度兄はポンタルリエの山国の人たちのことを話しまして、彼らは天に近く穏かな仕事をしていると[#「彼らは天に近く穏かな仕事をしていると」に傍点]いうことにつけ加えて、彼らは心が[#「彼らは心が」に傍点]潔《きよ》らかであるから幸福である[#「らかであるから幸福である」に傍点]と申しました時、ふともらしたその言葉のうちに、男の心を痛ましめるようなものがありはしないかを恐れて、突然口をつぐんでしまったほどでした。いろいろ考えてみますと、兄の心のうちにどういう考えがあったかは私にも理解できるように思われます。そのジャン・ヴァルジャンという男は自分の惨《みじ》めさをはっきり心に感じているので、そういうことを忘れさせ、普通の待遇をしてやって、たとい一時でも他の人と同じような人間であると信ぜさせるが最上の策だと、兄はきっと思っていたに違いありません。実際それこそ慈悲ということをよく了解した仕方ではありませんでしょうか。説教や訓戒や諷諭《ふうゆ》などをいたさないその思いやりの深い態度のうちにこそ、本当に伝道的な何物かがあるのではありませんでしょうか。そして人が心の痛みを持つ時には、少しもそれに触れないようにするのが最もいいあわれみではないでしょうか。兄の内心の考えもそこにあったに違いないように私には思われました。けれども、いずれにせよ、私のここに断言し得ますことは、たとい兄がそういう考えを持っていましたとしても、兄は私に対してさえそういう素振りを少しも見せなかったことであります。兄はどこまでもいつもの晩と同じようでありました。そして、牧師会長のジェデオン氏やまたは教区のある司祭と会食する時と全く同じような様子と仕方とで、ジャン・ヴァルジャンと食事をともにいたしました。
 食事の終わりに無花果《いちじく》を食べていました時に、だれか戸をたたきました。それはジェルボー婆さんが子供を抱いてきたのでありました。兄は子供の額《ひたい》に接吻《せっぷん》しまして、それからジェルボー婆さんにやるために私が持ち合わしていた十五スーを借りました。その間、あの男は別に注意もいたしていませんでした。もう一言も口をきかないで、大変疲れているように見受けられました。あわれなジェルボー婆さんは立ち去りました。兄は食後の祈祷をしまして、それから男の方へ向いて、きっともうお寝《やす》みになりたいんでしょう、と言いました。マグロアールは急いで食器を片付けました。旅人を静かに眠らせるために室に退くべきだと私は存じまして、マグロアールと二人で二階の室へ上がりました。けれどもすぐそのあとで、私はマグロアールに、私の室にありましたフォレー・ノアールの鹿《しか》の皮を男の寝床に持たしてやりました。夜は凍るように寒くありますが、それで暖まれましょう。ただ残念なことには、その皮はもう古くて毛がすっかりなくなっています。それは、兄がダニューブ河の水源近くのドイツのトットリンゲンに居ました頃、私が食卓で使っています象牙《ぞうげ》柄の小さなナイフといっしょに、買ってきてくれたものであります。
 マグロアールは、すぐにまた二階へ戻ってきました。私どもは、洗たく物をひろげる室で神を祈り初めました。それから二人とも一言も交じえないでおのおの自分の室に退きました。

     五 静穏

 ビヤンヴニュ司教は妹に晩の別れを言った後、テーブルの上の二つの銀の燭台の一つを自分の手に取り、一つを客に渡し、そして言った。
「さあ、あなたの室に御案内しましょう。」
 男は彼の後ろに従った。
 上に述べた所によってわかるとおり、その家の構造は、寝所のある礼拝所にゆき、またはそこから出て来るには、司教の寝台を通らなければならないようになっていた。
 彼らがその寝室を通る時にちょうど、マグロアールは寝床の枕頭《まくらもと》にある戸棚に銀の食器をしまっていた。それは毎晩彼女が寝に行く前にする最後の仕事であった。
 司教は客を礼拝所の寝所に導いた。白く新しい寝床ができていた。男は小卓の上に燭台を置いた。
「それでは、」と司教は言った、「よくお寝《やす》みなさい。あしたの朝はお出かけの前に、家の牝牛《めうし》から取れる乳を一杯あたたかくして差し上げましょう。」
「ありがとうございます。」と男は言った。
 その和《やわら》ぎに満ちた言葉を発したかと思うと、彼は突然そしてだしぬけに、一種異様な身振いをした。もし二人の聖《きよ》き婦人がそれを見たなら、おそらく慄然《りつぜん》として縮み上がったであろう。その時男がどういう感情に駆られたのかは、今もってわれわれにもよくはわからない。何かあることを知らせんためであったか、または脅かさんがためであったか? 彼自身にもわからない一種の本能的な衝動に従ったのみであったろうか? とにかく彼は、突然老司教の方へふり向き、両腕を組み、あらあらしい目つきで見つめながら、嗄《しゃが》れた声で叫んだ。
「ああなるほど! こんなふうにあなたのすぐそばに私を泊めるのですな!」
 彼はふと口をつぐんで、何かある恐るべきものを含んだ笑い方をしながら付け加えた。
「よく考えてみましたか? 私が人殺しではないというようなことをだれかが言いでもしましたか?」
 司教は天井の方へ目をあげて、答えた。
「それは神の知らるるところです。」
 それから、祈りをしあるいは独語をしている人のように脣《くちびる》を動かしながら荘重に、司教は右手の二本の指をあげて男の上に祝福を祈った。が彼は首もたれなかった。そして頭をめぐらしもせず、うしろを顧みもせずして、寝所にはいった。
 寝所に人が泊まる時には、礼拝所の中に大きなセルの幕が一方から他方へ張りめぐらされて祭壇を隠すことになっていた。司教はその幕の前を通る時に跪《ひざまず》いて、短い祈祷をした。
 そのあとですぐ彼は庭に出た。歩きながら、夢想にふけり、観想に沈み、なお開かれている人の目に夜間神が示す、あの偉大な神秘なある物に心も頭もすっかり投じてしまった。
 男の方は、まったく疲れ切っていたので、りっぱな白い敷き物さえ何が何やらわからなかった。囚人らがやるように鼻息で蝋燭を吹き消し、着物を着たまま寝床の上に身を投げ出して、すぐにぐっすり寝込んでしまった。
 司教が庭から自分の室に帰ってきた時、十二時が打った。
 数分の後には、その小さな家の中は寝静まってしまっていた。

     六 ジャン・ヴァルジャン

 真夜中ごろに、ジャン・ヴァルジャンは目をさました。
 ジャン・ヴァルジャンは、ブリーの貧しい農家に生まれた。子供の時に文字も教わらなかった。成人してからファヴロールで樹木の枝切り人となった。母はジャンヌ・マティーユーと言い、父はジャン・ヴァルジャンと言い、あるいはたぶん語を縮めまたボアラ・ジャン(ジャンの野郎)の綽名《あだな》としてヴラジャンとも言った。
 ジャン・ヴァルジャンは陰気ではないが考え込んだ性質の男であった。それは情の深い性質の特徴である。けれども全体として少なくとも外見上、ジャン・ヴァルジャンにはかなり無精なやくざな様子があった。彼はごく早くに両親を失った。母は産褥熱《さんじょくねつ》の手当てがゆき届かなかったために死に、父は彼と同じく枝切り職であったが木から落ちて死んだ。ジャン・ヴァルジャンに残ったものは、七人の男女の子供をかかえ寡婦《かふ》になっているずっと年上の姉だけだった。その姉がジャン・ヴァルジャンを育てたのであって、夫のある間は若い弟の彼を自分の家に引き取って養っていた。そのうちに夫は死んだ。七人の子供のうち一番上が八歳で、一番下は一歳であった。ジャン・ヴァルジャンの方は二十五歳になったところだった。彼はその家の父の代わりになり、こんどは彼の方で自分を育ててくれた姉を養った。それはあたかも義務のようにただ単純にそうなったので、どちらかといえばジャン・ヴァルジャンの方ではあまりおもしろくもなかった。そのようにして彼の青年時代は、骨は折れるが金はあまりはいらない労働のうちに費やされた。彼がその地方で「美しい女友だち」などを持ってるのを見かけた者はかつてなかった。彼は恋をするなどのひまを持たなかった。
 夕方彼は疲れきって帰ってきて、黙って夕飯を食べた。姉のジャンヌお上《かみ》さんはよく彼の食べてるそばから、牛肉や豚肉の片《きれ》や、キャベツの芯《しん》など、食べ物のいい所を彼の皿から取って、それを自分の子供にくれてやった。彼はいつも食卓に身をかがめ、ほとんど顔をスープの中につけるようにして、長い髪を鉢《はち》のまわりにたらし自分の目を隠しながら、何にも見ないようなふうをして姉のするままにさしておいた。ファヴロールには、ヴァルジャンの藁《わら》家から遠くない所に、道路の向こう側に、マリー・クロードという百姓の女がいた。ヴァルジャンの子供らはいつも腹をすかしていて、時々母の名前を言ってはマリー・クロードの所へ牛乳を一杯借りに出かけて行って、それを生垣《いけがき》のうしろや小路の角で互いにつぼを奪い合いながら飲んだ。しかもそれを大急ぎでやったので、小さい娘の児たちはよく乳を前掛けの上や胸の中にたらした。もし彼らの母がその騙《かた》りを知ったら、罪人らをきびしく罰したであろう。けれども性急でむっつりやのジャン・ヴァルジャンは、母に知らせずにマリー・クロードへ牛乳の代を払ってやったので、子供たちはいつも罰せられないですんだ。
 彼は樹木の枝おろしの時期には日に二十四スー得ることができた。それからまた、刈り入れ人や、人夫や、農場の牛飼い小僧や、耕作人などとして、雇われていった。彼はできるだけのことは何でもやった。姉も彼について働いたが、七人の幼児をかかえてはどうにも仕方がなかった。それはしだいに貧困に包まれて衰えてゆく悲惨な一群であった。そのうちあるきびしい冬がやってきた。ジャンは仕事がなかった。一家にはパンがなかった。一片のパンもなかったのである、文字どおりに。それに七人の子供。
 ある日曜の晩、ファヴロールの教会堂の広場に面したパン屋のモーベル・イザボーという男が、これから寝ようと思っている時に、格子《こうし》とガラスとでしめた店先に当たって激しい物音がするのを聞きつけた。きてみるとちょうど、格子とガラスとを一度にたたき破った穴から一本の手が出てるのを見つけた。その手は一片のパンをつかんで持っていった。イザボーは急いで表に飛び出した。盗人は足に任して逃げ出した。イザボーはその後を追っかけて取り押えた。盗人はパンを早くも投げすてていたが、手には血が流れていた。その男こそジャン・ヴァルジャンだったのである。
 それは一七九五年のことであった。ジャン・ヴァルジャンは、「夜間家宅を破壊して窃盗を働きし廉《かど》により、」時の裁判官の前に連れてゆかれた。彼は前から小銃を一|挺《ちょう》持っていて、だれよりも上手で、少しは密猟もやっていた。それが彼にはなはだ不利であった。密猟者に対しては世間一般の至当な悪感情がある。密猟者は密輸入者とともに、きわめて盗賊に近いものである。けれどもついでに一言すれば、これらの人々と憎悪すべき都会の殺人者との間にはなお大なる相違がある。密猟者は森林中に住み、密輸入者は山中もしくは海上に住む。都会は腐敗したる人を作るがゆえにまた猛悪なる人を作る。山や海や森は野性の人を作る。それらは人の荒々しい方面を大ならしむるが、しかしそれでもなおよく人の人間的な方面を失わせはしない。
 ジャン・ヴァルジャンは有罪を宣告された。法典の規定は明白であった。われわれの文明においても恐るべき時期がある。処刑が一つの破滅を宣告する時期がそれである。社会がまったく遠ざかってゆき、一個の精神を有する人が再び回復し得ざるまでに全然棄却され終わるその時期は、いかに恐るべき時期であるか! ジャン・ヴァルジャンは五カ年の懲役に処せられた。
 一七九六年四月二十二日、執政官政府が五百人議会にいたした革命第四年花月二日の通牒《つうちょう》にはブォナパルトと呼ばれてる、イタリー軍総司令官によって得られたモンテノッテの勝利が、パリーに伝えられた。ちょうどその日に、多くの囚徒がビセートルにおいて鎖につながれた。ジャン・ヴァルジャンもその一人であった。今ではもう九十歳に近い当時の監獄の古い看守は、中庭の北すみの第四列の一端につながれていたその一人の不幸な囚人を、今日でもなおよく思い起こすであろう。彼も他の者らと同じく地面にすわっていた。彼はただ恐ろしいものであるということを外にしては、自分の地位が何であるか少しも知らなかったようである。けれども、まったく無知なあわれな漠然《ばくぜん》たる考えのうちにも、何かしら余りに酷に過ぐるもののあるのを、たぶん感じていたであろう。頭のうしろで鉄の首輪のねじが金槌《かなづち》で荒々しく打ち付けられる時、彼は泣いた。涙に喉《のど》がつまって声も出なかった。ただ時々かろうじて言うことができた、「私はファヴロールの枝切り人です[#「私はファヴロールの枝切り人です」に傍点]。」それからすすり泣きしながら、右手をあげて、それを七度にしだいにまた下げた、ちょうど高さの違っている七つの頭を順次になでてるようであった。彼が何かをなしたこと、そしてそれも七人の小さな子供に着物を着せ食を与えるためになしたことが、その身振りによって見る人にうなずかれた。
 彼はツーロン港へ送られた。首に鉄の鎖をつけられ、荷車にのせられて、二十七日間の旅の後にそこについた。ツーロンで彼は赤い獄衣を着せられた。過去の生涯はいっさい消え失せ、名前さえも無くなった。彼はもはやジャン・ヴァルジャンでさえもなかった。彼は二四六〇一号であった。姉はどうなったか? 七人の子供はどうなったか? だれがそんなことにかまっていようぞ。若い一本の樹木が根本《ねもと》から切り倒される時、その一つかみの木の葉はどうなるだろうか。
 それはいつも同じことである。それらのあわれな人々、神の子なる人々は、以来助ける人もなく、導く人もなく、隠れるに場所もなく、ただ風のまにまに散らばった、おそらく各自に別々に。そしてしだいに、孤独な運命の人々をのみ去るあの冷たい霧の中に、人類の暗澹《あんたん》たる進行のうちに多くの不幸な人々が相次いで消え失せるあの悲惨な暗黒のうちに、沈み込んでいった。彼らはその土地を去った。彼らの住んでいた村の鐘楼も彼らを忘れた。彼らのいた田畑も彼らを忘れた。ジャン・ヴァルジャンさえも獄裏の数年の後には彼らを忘れた。かつては傷を負っていた彼の心の中には、もはや傷跡があるのみであった。ただそれだけである。ツーロンにいた間に、彼はただ一度姉のことを聞いたことがあった。それはたぶん囚《とら》われの四年目の末ごろだったらしい。その噂がどうして彼の所まで伝わったかはわからない。ただ彼らを国で知っているある人が、姉を見かけたというのである。彼女はパリーにいた。サン・スュルピスの近くの貧しい通りギャンドル街に住んでいた。手もとには一人の子供、末の小さい男の児だけがいた。他の六人の子供はどこにいたのだろうか? 彼女自身もおそらくそれを知らなかったろう。毎朝、彼女はサボー街三番地のある印刷所に出かけ、そこで紙を折ったり製本したりして働いていた。朝の六時、冬には夜の明ける前に、そこへ行かなければならなかった。印刷所と同じ建物のうちに一つの学校があって、彼女は当時七歳になる自分の子供をそこに連れていった。彼女は六時に印刷所にはいり学校は七時にしか始まらないので、子供は中庭で学校の始まるのを一時間待たなければならなかった。冬に戸外でまだ暗い夜の一時間である。印刷所では子供を内に入れなかった。子供は邪魔になるからだそうであった。朝職工たちは、その可憐《かれん》な小さな子供が眠そうに舗石《しきいし》の上にすわり、またしばしば自分の道具包みの上にちぢこまって薄暗い中に眠っているのを、通りがかりによく見かけた。雨が降る時などは、門番の婆さんが気の毒に思って、その小屋の中に入れてくれた。そこには一つの粗末な寝床と一つの糸取り車と二つの木の椅子とがあるきりだった。そして子供はそのすみの方で、なるべく寒くないように猫《ねこ》のそばに身を寄せて眠った。七時に学校が始まって子供はそこにはいってゆくのであった。ジャン・ヴァルジャンが聞いたのはそれだけのことだった。ある日彼はその話を聞かされたのだったが、それはほんの一瞬の間、電光の間にすぎなかった。愛する人たちの運命に関して突然一つの窓が開かれたのであるが、またそれはすっかり閉ざされてしまった。彼はもうその後は何も聞かなかった、永久に。彼らの消息はもう何も彼のもとに伝わらなかった。彼は再び彼らを見かけることも彼らに出会うこともなかった。そしてこの悲しき物語のうちにも再び彼らは出てこないであろう。
 その第四年目の終わりの頃に、ジャン・ヴァルジャンの脱獄の機会が到来した。彼の仲間はかかる悲惨な場所においてよく行なわれるように彼を助けた。彼は徒刑場を脱《ぬ》け出した。二日間野を自由に彷徨《さまよ》った、もしそれが自由にと言い得るならば。後《あと》をつけられ、絶えず後ろを振り返り、少しの物音にも飛び立ち、すべてのものに恐れをいだき、煙の立ち上る屋根にも、通り過ぎる人にも、犬のほえるにも、馬の走るにも、時計の鳴るにも、昼は物が見えるので、夜は物が見えないので、街道にも小路にも、叢《くさむら》にも、また眠るにも、すべてに恐れをいだいた。かくて二日目の夕方彼はまた捕えられた。三十六時間物も食べず一睡もしなかったのである。海事法廷はその罪によって彼を三カ年の延刑にした。それで彼の刑期は八カ年になった。六年目にまた脱獄の機会があった。彼はそれをのがさなかった、しかし逃走をまっとうすることはできなかった。彼は点呼の時にいなかったのである。大砲が打たれた。その晩、巡邏《じゅんら》の人々は、彼がある建造中の船の竜骨の下に隠れているのを見い出した。彼は自分を捕えにきた守衛に向かって抵抗した。脱獄と抵抗。特別法に規定せられていたその事実は、五カ年の増刑とそのうち二年の二重鉄鎖の刑とによって罰せられた。計十三カ年。十年目にまた機会がきた、そして彼はそれに乗じた、やはりうまくゆかなかった。しかしその新しい未遂犯のために三カ年。計十六カ年。終わりに十三年目だったと思うが、彼は最後にも一度やってみたが、ようやく四時間身を隠し得ただけでまたつかまった。その四時間のためにまた三カ年。計十九カ年。一八一五年十月に、彼は放免せられた。彼は窓ガラスを破りパンの一片に手をつけたがために、一七九六年にそこにはいったのであった。
 ここにちょっと一言余事をはさむ。本書の著者が刑法問題ならびに法律上の処刑判決について研究中、一片のパンの窃盗が一人の運命の破滅の出発点となった例に接するのは、これが二回目である。クロード・グウという男も一片のパンを盗んだ、ジャン・ヴァルジャンも一片のパンを盗んだ。英国のある統計によれば、ロンドンにおいて行なわれた窃盗中、五件のうち四件まではその直接原因が飢えにあることを証している。
 ジャン・ヴァルジャンはすすり泣きし戦慄《せんりつ》しながら徒刑場にはいった、そしてまったく没感情的になってそこから出てきた。彼はそこに絶望をもってはいり、そこから沈鬱《ちんうつ》をもって出てきた。
 彼の魂のうちにはいかなる事が起こったのであったか?

     七 絶望のどん底

 さて彼の魂のうちにいかなることが起こったかを述べてみよう。
 それらのことを作り出したのは社会であるから、社会はまさにそれらのことを見るべきである。
 前述のごとくこの男は無知であった、しかしながら遅鈍ではなかった。自然の光明は彼のうちにも点ぜられていた。不幸もそれ自身の光を有するもので、それはこの男の精神のうちにあった少しの明るみをいっそう大きくなした。鞭《むち》の下に、鎖の下に、牢獄のうちに、疲労の間に、徒刑場の燃ゆるがごとき太陽の下に、囚徒の板の寝床の上に、彼は自分の内心を顧み、考えにふけった。
 彼は自分を法官の地位に置いてみた。
 彼は我と我が身を裁断し初めた。
 彼は自分を無実の罪で罰せられた潔白な者とは思わなかった。罰せらるべきひどい行為を犯したことをみずから認めた。もし求めて手を差し出したならばあのパンはおそらく拒まれなかったであろう。いずれにしても、あるいは人の情けにすがるか、あるいはみずから働いてかして、そのパンを得るまで待つに如《し》かなかったであろう。飢えたる時に待つことができるか、ということは、確固たる理由にはならない。第一に、字義どおりに餓死することは至ってまれにしかない、次に、幸か不幸か人間は精神上および肉体上の苦悩を生きながら長くそして多く堪《た》えることができるように作られている。ゆえに堪え忍ぶことが必要であったのだ。あの小さなあわれな子供たちにとってもその方がよかったはずである。社会に向かって荒々しくつかみかかり窃盗によって困窮から脱せんと考えることは、弱い不幸なる自分にとってはばかげた行ないであった。いずれにしても、汚辱にはいりゆく戸口は困窮を脱するによい戸口ではなかったのである。要するに自分は誤ったのである。
 それから彼はまたみずから問うてみた。
 この不幸な事件のうちにおいて、誤ってるのは自分一人だけであったであろうか。第一に、労働者なる自分に仕事がなく勤勉な自分にパンがなかったことは、重大なことではなかったであろうか。次に、罪は犯され自白されたが、刑罰は重くして酷に過ぎはしなかったであろうか。犯人の方に過《あやまち》の弊があったとするも、法律の方に刑罰の一層の弊がありはしなかったであろうか。秤《はかり》の一方に、贖罪《しょくざい》の盛らるる一方の皿に、過度の重さがなかったであろうか。刑罰の過重も罪悪を決して消さなかったではないか。そして、事情を転換し、犯罪の過失に換うるに抑圧の過失をもってし、罪人をして犠牲者たらしめ、債務者をして債務者たらしめ、法権を破りたる者に法権を与えきるという結果になりはしなかったか。脱獄企図のために、相次いで加重されたその刑罰は、ついには弱者に対する強者の暴行ともなりはしなかったであろうか、個人に対する社会の罪、日々に新たにせられる罪、十九年間引き続いた罪、となりはしなかったであろうか。
 彼はみずから問うてみた。果して人類社会は、あるいはその不道理なる不注意を、あるいはその無慈悲なる警戒を、各人に同じく受けさせるの権利を有するを得るであろうか、そして欠乏と過重との間に、仕事の欠乏と刑罰の過重との間に、あわれなる者を囚《とら》えるの権利を有するを得るであろうか。偶然によってなさるる財産の分配にあずかること最も少ない人々を、ためにまた最も容赦すべき人々を、社会はまさしくかくのごとく待遇するとするならば、それは不法なことではあるまいか。
 それらの疑問が提出されて答えられた。彼は社会を裁《さば》いてそれを罪ありとした。
 彼は社会を罰するに自分の憎悪の念をもってした。
 彼は自分の受けた運命について社会にその責任があるとなし、他日|躊躇《ちゅうちょ》することなくその責を問わんと考えた。自分のなした損害と人が自分に加えた損害との間には平衡を欠いているとみずから宣言した。自分の受けた刑罰は事実不正ではなくとも確かに不公平であると結論した。
 憤怒は愚かにして不法なることもある。人は不当に怒ることもある。しかしながら人は、何処《どこ》にか心のうちに道理を有する時にしか憤慨しない。ジャン・ヴァルジャンは憤慨の気持ちを覚えたのであった。
 それにまた、人類社会が彼になしてくれたものは悪のみであった。彼はかつて社会については、社会がおのれの正義と称して打撃を与えんとする者に示す所の、あの恐るべき顔をしか見なかったのである。すべての人々はただ彼を訶《さいな》まんがためにのみ彼に接触した。人々との接触は彼にとっては皆打撃であった。いまだかつて、小児たりし時より、母の膝下にありし時より、姉に育てられし時より、彼は親しい言葉や親切な目に出会ったことがなかった。苦しみより苦しみへと過ぎるうちに、彼はしだいに一つの信念にたどりついて、人生は戦いであり、その戦いにおいて自分は敗北者であると思うに至った。彼はその憎悪を除いては他に武器を有しなかった。徒刑場においてその唯一の武器を磨《みが》き、徒刑場を去りながらそれを携えゆかんことを、彼は決心したのである。
 ツーロンには囚徒のためにインニョランタン派の教徒らが経営している学校があった。不幸な囚徒らのうちの志ある者に最も必要な事がらが教えられた。彼はその志ある者のうちの一人だった。四十歳でその学校に行った、そして読むことと書くことと計算することとを学んだ。彼は自分の知力を強固にすることはすなわち自分の憎悪を強固にすることのように感じた。ある場合においては、教育と光明といえども悪を助長する助けとなることがある。
 口にするも悲しいことではあるが、彼は彼の不幸を作り出した社会を裁断した後に、社会を作った天をも裁断した。
 彼はまた天をも罪ありと断じたのである。
 かくて苦悩と労役との十九年の間に、彼の魂は同時に上りまた墜《お》ちた。一方からは光明がはいり、他方からは暗黒がはいってきた。
 前に言ったごとく、ジャン・ヴァルジャンはその性質が悪ではなかった。徒刑場にはいった時でさえ彼はなお善良であった。しかし、彼はそこで社会を非難し、そしてみずからは悪意ある者となったのを感じた。彼はそこで天を非難し、そしてみずからは不信の徒となったのを感じた。
 ここでしばらく多少の考慮を費やさざるを得ない。
 人間の性質はかくのごとく根本より全く変化し得るものであろうか。神によって善良に創《つく》られた人間が、人によって悪くなされ得るものであろうか。人の魂が運命によって全く改造せられ、運命の悪《あ》しきがゆえに魂も悪しくなることがあり得るであろうか。あまりに低い天井の下にあって人の背骨が彎曲《わんきょく》するごとく、人の心も過重の不幸の圧迫の下に形|歪《ゆが》んで、不治の醜さと不具とに陥ることがあるだろうか。ある本来のひらめき、この世において腐敗するを得ず彼《か》の世において不死なるある聖なる要素、善によって発展させられ煽《あお》られ点火され燃え立たせられ燦然《さんぜん》と輝かされるところのもの、悪によっても決して全く消さるることなきところのものが、すべての人の心のうちにないであろうか、そしてまた特にジャン・ヴァルジャンの心のうちにそれがなかったであろうか。
 それは重大にして困難な問題である。そしてこの終わりの問題に対しては、すべての生理学者はおそらく否[#「否」に傍点]と答えたであろう、ことにツーロンにおいて休息の時間にある彼を見たならば、躊躇《ちゅうちょ》するところなく否[#「否」に傍点]と答えたであろう。その休息の時間はジャン・ヴァルジャンにとっては夢想の時間であった。彼は両腕を組んで、轆轤《ろくろ》の柄に腰をかけ、地面に引きずらないように鎖の一端をポケットにねじ込んでいた。憤怒をもって人間をながめている法律によって賤民《せんみん》に落とされ、厳酷に天をながめている文明によってのろわれたるその囚人は、引きしまった顔をして沈鬱《ちんうつ》に黙然と考えにふけっているのであった。
 確かに、そしてわれわれもそれを隠そうとは思わないが、観察者たる生理学者はそこに医すべからざる惨《みじ》めさを認めたであろう、おそらく彼は法律によってなされたその病人をあわれんだであろう、しかし彼は治療を試みようとはしなかったであろう。その男の魂のうちにほの見える洞窟《どうくつ》から彼は目をそらしたであろう。そして、地獄の入り口におけるダンテのごとく、彼はその男の生涯からあの一語を消したであろう、神の指によってなおすべての人の額《ひたい》に書かれてるその一語を、希望[#「希望」に傍点]! の語を。
 われわれが今解剖を試みたかかる魂の状態は、読者にわれわれが伝えんとした程度だけでも、ジャン・ヴァルジャンにはっきりわかっていたであろうか。ジャン・ヴァルジャンは自分の精神上の惨めさを形造っているすべての要素を、その形成の後にはっきり認めていたであろうか、もしくは形成せらるるに従ってはっきり認めてきたであろうか。この荒々しい文盲な男は、相次いで起こりきたったその思想をみずからはっきり意識していたであろうか、その一連の思想によって彼は、はや多くの年月の間彼の精神の内界であったその悲しむべき光景にまで、しだいに上りまた下ったのではあったが。彼は彼のうちに起こったすべてのこと、彼のうちに動いたすべてのものについて、はっきり自覚していたであろうか。それはわれわれのあえて言い得ないところである。われわれの信ぜないところでさえある。ジャン・ヴァルジャンのうちにはあまりに多くの無知があったので、多くの不幸の後でさえ、彼のうちには多くの空漠《くうばく》たるものが残っていた。時としては、みずから感じていることさえもはっきりみずから知っていなかった。彼は暗黒のうちにあった。暗黒のうちにおいて苦しんだ、暗黒のうちにおいて憎んだ。言わばおのれの前方を憎んだのである。彼は常にその影のうちに生きていた、盲人のようにまた夢見る人のように手探りをしながら。ただ時々、憤怒の衝動が、過度の苦悩が、そして彼の魂のすみずみまでを輝《て》らす青白い急速な光が、彼自身からかまたは外からか突然に襲ってきた。そしてその恐ろしい光の輝きで、急に彼の前にも後ろにもそしてその周囲いたる所に、自分の運命ののろうべき絶壁と暗澹《あんたん》たる光景とが現われてきた。
 閃光《せんこう》はすぐに去って、夜はまた落ちてきた。そして彼はどこにいたのであるか、みずからもはやそれを知らなかった。
 無慈悲なるもの換言すれば人を愚昧《ぐまい》にするところのものを、最も多く含有するこの種の刑罰の特色は、一種の惘然《もうぜん》たる変容によってしだいに人を野獣に化せしむることである。時としては人を猛獣に化せしむる。ジャン・ヴァルジャンが相次いで行なった執拗《しつよう》な脱獄の計画は、人の魂の上に法律によってなされるその不思議な働きを証明するに十分であろう。ジャン・ヴァルジャンはもしその計画がまったく無益で愚であるとしても、機会のある限りはかならずそれを繰り返したであろう、そして彼はその結果については少しも考えず、また既になされた経験についても少しも考えなかったであろう。彼は檻《おり》の開かれてるのを見る狼《おおかみ》のようにただむやみと身をのがれようとした。本能は彼に言った、逃げよ! と。理性は彼に言ったであろう、止まれ! と。しかしながら、かく強烈な誘惑の前には理性は影を潜めてしまっていた。そこにはもはや本能しかなかったのである。ただ獣性のみが活《はたら》く。再び捕えられた時、新たに課せらるる苛酷《かこく》さはただ彼をますます荒ら立たせるのみであった。
 ここにもらしてはならぬ一事は、彼が強大な体力を有していて、徒刑場のうちの何人《なにびと》も遠く及ばなかったことである。労役において、錨鎖《ケーブル》を撚《ひね》りまたは轆轤《ろくろ》を巻くのに、彼は四人分の価値があった。時には莫大な重量のものを持ち上げて背中にささえた、そして場合によっては起重機の代わりをした。ついでに言うが、この起重機は、昔はオルグイュ(傲慢《ごうまん》)と言われたもので、パリーの市場の近くのモントルグイュ街は、それから由来した名前である。さてジャン・ヴァルジャンの仲間は彼を「起重機のジャン」と綽名《あだな》していた。かつてツーロンの市庁の露台《バルコン》が修繕さるる時、その露台をささえているピュゼーの有名な人像柱の一つがゆるんで倒れかかったことがあった。ちょうどそこに居合わしたジャン・ヴァルジャンは、その人像柱を肩にささえて職人らがやって来るまでの時間を保った。
 彼の身軽さはまたその強力にもまさっていた。ある囚徒らは常に脱獄を夢みて、ついに体力と手練とを結合して一種のりっぱな学問を作り出す。それは筋肉の学問である。不思議な力学のあらゆる方式が、永久に蠅《はえ》や鳥をうらやむ彼ら囚徒らによって日々適用せらるる。垂直の壁をよじ上り、ほとんど何らの突起も見いだせないくらいの所に足場を得ることは、ジャン・ヴァルジャンにとってはわけもないことであった。壁の一角を与うれば、背中および両|脛《すね》の[#「両|脛《すね》の」は底本では「両脛《すね》の」]緊張と、石の凹《へこ》みにかけた両|肱《ひじ》および両の踵《かかと》とをもって、魔法でも使うように四階までも上ることができた。時には徒刑場の屋根までそうして上ることがあった。
 彼はあまり口をきかなかった。笑うことはなかった。ただ年に一度か二度、極度の興を覚ゆる時に、悪魔の笑いの反響に似た囚徒特有の沈痛な笑いを、ふともらすことがあるきりだった。見たところ彼は、何かある恐ろしいものに絶えずながめ入ってるがようだった。
 彼は実際何かに心を奪われていた。
 不完全な性格と圧倒せられた知力との病的な知覚を通して、彼は何か怪奇なものが自分の上にかぶさってるのを漠然と感じていた。そのほの暗い蒼白《そうはく》な陰影のうちにはい回りながら、首をめぐらすたびごとに、そして目をあげんとするたびごとに、種々の事物や法律や偏見や人物や事実などが、その輪郭は眼界を逸し恐ろしいほど重畳して、互いにつみ重なり堆積《たいせき》し、慄然《りつぜん》たらしむる断崖《だんがい》をなしながら、上方眼の届かない所まで高くそびえているのを、彼は憤激の情に交じった恐怖をもって認めた。その集団は彼をたえず脅かした。そしてその巨大な三角塔こそは、われわれの呼んで文明と称するところのものに外ならなかったのである。その混乱せる異様なる全体のうち此処《ここ》彼処《かしこ》に、あるいは身の近くに、あるいは遠く至り及ばぬ高所に、或る群がりを、強く照らし出されてるある細部を、彼は認むることができた。こちらには看守とその棒とがあり、あちらには憲兵とその剣とがあり、彼方《かなた》には冠を戴《いただ》ける大司教があり、はるか高くには太陽のごとく輝いたる中に、帝冠を戴きまぶしきまでに輝いてる皇帝があった。その遠く輝ける人々は、夜のやみを散ずるどころか、かえってそれを一そう痛ましく一そう暗黒になすように彼には思えた。すべてそれらのもの、法律や偏見や事実や人物や事物などは、神が文明なるものに与えた複雑不可思議な運動によって彼の上を往来して、残忍のうちにこもる言い難き静けさと、無関心のうちにこもる言い難き酷薄さとをもって、彼の上を踏みつけ彼を踏みつぶした。およそあり得べきほどの不幸のどん底に陥った魂、だれももうのぞかんともせぬ地獄の最も深い所に墜《お》ちた不幸なる人々、法律によって見捨てられた人々、彼らは、おのれの頭の上に人類社会の全重量が、その外部にある者にはきわめて強大でその下にある者にはきわめて恐ろしい人類社会の全重量が、押しかぶさって来るのを感ずるものである。
 かくのごとき境涯にあってジャン・ヴァルジャンは考えにふけっていた。そして、彼のその夢想はいかなる性質のものであったであろうか。
 もし粟粒《あわつぶ》にして挽臼《ひきうす》の下にあって考うることをするならば、それは疑いもなくジャン・ヴァルジャンが考えていたと同じことを考えるであろう。
 すべてそれらのこと、幻影に満ちた現実と現実に満ちた夢幻とは、ついにほとんど名状すべからざる内的状態を彼に造りあげた。
 時として彼は徒刑場の労役の合い間に手を休めた。そして考え初めた。以前よりも更に熟すると同時に更に乱された彼の理性は、いきり立っていた。到来したすべてのことが彼には不条理に思われた。とりまいているすべてのことがあり得べからざることのように思われた。彼はみずから言った、これは夢であると。彼は数歩向こうに立っている看守を見やった。看守は彼には幻影のように見えた。と突然その幻影は彼に棒の一撃を加えるのであった。
 目に見える自然も彼のためにはほとんど存在していなかった。太陽も、夏の麗しい日々も、輝いた空も、四月のさわやかな黎明《れいめい》も、ジャン・ヴァルジャンのためにはほとんど存在しなかった、と言っても偽りではないであろう。それともいえぬ風窓からのほのかな明るみが、いつも彼の魂を輝《て》らしていたのみである。
 終わりに、われわれが今まで指摘しきたったところのすべてにおいて、確かなる帰結に約言し換言し得る限りのものをつづめて言わんがために、われわれはただこれだけのことを述ぶるに止めておこう。すなわち、ファヴロールの正直な枝切り人であり、ツーロンの恐るべき囚徒であるジャン・ヴァルジャンは、十九カ年のうちに、徒刑場の加工を受けたために、二種の悪事をなすことができるようになった。第一には、自分が受けた悪に対する一種の返報として、急速な無思慮な忘我的な全く本能的な悪行であり、第二には、かくのごとき不幸が与うる誤れる思想をもって、心のうちに討議し熟慮した重大なまじめな悪行である。彼の行為前の考えは相次いで三段の順序を経た。それは、ある種の素質を有するもののみが経過する三段であって、理屈と意欲と執拗《しつよう》とである。彼の行為の動力としては、たえざる憤激、内心の憂悶《ゆうもん》、自分の受けた不公平についての根深い感情、それから反動、もしありとすれば、善なるもの無垢《むく》なるもの正しきものにさえ対する反動、などがあった。彼のあらゆる思想の発点は、その帰点と同じく、人間の法律に対する憎悪であった。その憎悪の念は、もしその発展の途において何か天意のでき事によって止めらるることのない時には、やがては社会に対する憎悪となり、次には人類に対する憎悪となり、次には天地万物に対する憎悪となり、ついには、いかなる者たるを問わず、いやしくも生ける者ならばそれを害せんとする、漠然《ばくぜん》たるやむことなき獣性の願望となって現わるるものである。――これをもって見れば、通行券にジャン・ヴァルジャンを至って危険なる人物[#「至って危険なる人物」に傍点]なりと称したのは理由なきことではない。
 年ごとに彼の魂は、徐々にしかし決定的に乾燥していった。心のかわく時には、目もかわく。徒刑場をいずるまで、十九年間、彼は実に一滴の涙をも流さなかった。

     八 海洋と闇《やみ》夜

 海中に一人の男!
 それが何ぞや! 船は止まることをせぬ。風は吹き荒《すさ》む。暗澹《あんたん》たる船は一つの進路を有し、続航を強《し》いらるる。船は通り過ぎてゆく。
 男の姿は消え次にまた現わるる。彼は波間に沈みまた水面に上り来る。彼は助けを呼び腕を差し出す。しかもだれもその声を聞かない。船は暴風雨の下に揺られながらみずからの運転に意を注ぎ、水夫と乗客との目にはもはや溺《おぼ》るる男の姿は止まらない。彼のあわれなる頭は、広漠《こうばく》たる波間にあってただの一点にすぎない。
 彼は深海のうちに絶望の叫びを投げる。去りゆく船の帆はいかなる幻であるか! 彼はそれを見つめ、狂乱したように凝視する。帆は遠ざかり、おぼろになり、しだいに小さくなる。彼は先刻までその船にいたのである。彼は船員の一員であった。他の者とともに甲板を行ききし、空気と日光との分け前を有し、生きたる一人の者であった。が今何が起こったのか。彼はただ足をすべらし、落下した。それで万事終わったのである。
 彼は大海のうちにある。足下には逆巻き流るる水のみである。風に砕け散る波は不気味に彼をとり巻き、深海のうねりは彼を運び去り、あらゆる水沫《すいまつ》は彼の頭のまわりにざわめき、無数の波は彼の上に打ちつけ、乱るる水の間に彼は半ばのまるる。下に沈むたびごとに、彼は暗黒な深淵をかいま見る。恐るべき名も知れぬ海草は彼を捕え、足に絡《から》み、彼を引き寄せる。彼はみずから深淵となるのを感ずる。彼は泡沫《ほうまつ》の一部となり、波より波へと投ぜられ、苦惨を飲む。太洋は彼を溺らさんとして、あるいは緩《ゆるや》かにあるいは急に襲いかかり、その広漠は彼の苦痛を弄《もてあそ》ぶ。それらすべての水はあたかも憎悪のごとくである。
 それでも彼は争う。彼は身を守らんと努め、身をささえんと努め、努力し、泳ぐ。直ちに消耗するそのあわれな力をもって、彼は尽きざるものに対して戦う。
 船はどこにあるのか。かしこに。水平線のおぼろな闇《やみ》の中にかろうじて姿が見える。
 ※[#「颱」の「台」に代えて「炎」、第4水準2-92-35]風《ひょうふう》は吹きつのる。あらゆる水沫は彼の上よりかぶさる。彼は目をあげるが、見ゆるものとては鉛色の雲ばかり。苦痛にもだえながら彼は、海の広漠たる狂暴を目撃する。彼はその狂乱によって訶《さいな》まれる。彼は人の聞きなれない異様な物音を聞く。あたかも陸地のかなた遠くから、人に知られぬ恐るべき外界から、伝わり来るがようである。
 雲の高きに鳥が舞う、それと同じく人の苦難をこえたるかなたに天使がある。しかしながらその天使らも彼のために何をなすことができるか。それらは飛び歌い翔《かけ》る、そして彼は息をあえいでいる。
 彼は二つの無限なるものによって同時に葬られたごとく感ずる、すなわち大洋と天との二つによって。一つは墳墓であり、他は経帷子《きょうかたびら》である。
 夜は落ちて来る。はや彼は数時間泳いでいたのである。彼の力はまさに尽きんとしている。あの船、人々のいたあの遠い物は、姿が消えた。彼はただひとり恐ろしい薄暮の深淵のうちにある。彼は沈みゆき、身を固くし、身を悶《もだ》える。身の下には目に見えざるものの怪奇な波動を感ずる。彼は呼ぶ。
 人はもはやいない。神はどこにあるか。
 彼は呼ぶ。おおい! おおい! 彼は呼び続ける。
 水平線には一物もない。空には何物もない。
 彼は歎願する、大海と波と海草と岩礁とに向かって。しかしそれらは耳を貸さない。彼は暴風に向かって切願する。しかし自若たる暴風はただ無限のものの命に従うのみである。
 彼の周囲には、暗黒と、靄《もや》と、寂寞《せきばく》と、強暴にして無心なる騒擾《そうじょう》と、怒れる波の定まりなき高低。波のうちには、恐怖と疲労。彼の下には、奈落《ならく》の底。身をささうべき一点もない。彼は際限なき暗黒のうちにおける死屍《しかばね》の盲《めし》いたる冒険を考える。底なき寒さは彼を麻痺《まひ》する。彼の両手は痙攣《けいれん》し、握りしめられ、そして虚無をつかむ。風、雲、旋風、疾風、無用の星! いかにすべきぞ。絶望したる者は身を投げ出し、疲弊したるものは死を選ぶ。彼はなさるるままに身を任せ、運ばるるままに身を任せ、努力を放棄する。そして今や彼は、呑噬《どんぜい》の痛ましい深淵のうちに永久にころがり込む。
 おお人類社会の厳酷なる歩み! 進行の途中における多くの人々および魂の喪失! 法律が投げ落とすすべてのものの陥る大洋! 救助の悲しき消滅! おお精神上の死!
 海、それは刑罰がそれを受けたる者を投ずる社会的の酷薄なる夜である。海、それは際涯なき悲惨である。
 人の魂は、この深淵のうちに流れ込むとき死屍《しかばね》となる。だれかそれを甦《よみがえ》らするであろうか。

     九 新たな被害

 徒刑場から出る時がきたとき、ジャン・ヴァルジャンが汝は自由の身となった[#「汝は自由の身となった」に傍点]という不思議な言葉を耳に聞いたとき、その瞬間は嘘《うそ》のようで異常なものに思われた。強い光明の光、生ける者の真の光明の光が、にわかに彼のうちにはいってきた。しかしその光はやがて間もなく薄らいだ。ジャン・ヴァルジャンは自由のことを考えて眩惑《げんわく》していた。彼は新しい生涯を信じていた。がすぐに彼は、黄いろい通行券をつけられたる自由の何物であるかを見た。
 またそれにつれて多くの不快があった。彼は徒刑場にいた間に積み立てた金が百七十一フランには上るであろうと勘定をしておいた。日曜と祭日との定められた休業は十九年間に約二十四フランの減少をきたしたことを、彼が勘定に入れるのを忘れたのは、ここに付言しておかなければならない。がそれはそれとして、積立金は種々の場合の引去高によって百九フラン十五スーの額に減ぜられていた。それが彼の出獄の際に渡された。
 彼はそれらのことが少しもわからなかった、そして損害を被ったのだと思った。露骨な言葉を使えば、盗まれたのだと。
 釈放せられた翌日、グラスにおいて、彼は橙《オレンジ》の花の蒸溜所《じょうりゅうじょ》の前で人々が車から荷をおろしているのを見た。彼はその手伝いをしたいと申し出た。仕事は急ぎのことだったので、働くことが許された。彼は仕事にかかった。彼は怜悧《れいり》で頑丈《がんじょう》で巧みであった。できる限り精を出した。主人は満足げに見えた。ところが彼が働いている間に、一人の憲兵が通りかかって彼を認め、彼に身元証明を求めた。で、黄いろい通行券を見せねばならなかった。そうした後に、ジャン・ヴァルジャンはまた仕事にかかった。それより少し前に彼は、そこに働いてる者の一人に向かって、その仕事で一日いくらになるかと尋ねた。その男は三十スー[#「三十スー」に傍点]であると答えた。彼は翌朝にはまた道をすすまねばならなかったのでその夕方、蒸溜所の主人の前に出て、金を払ってくれるように願った。主人は一言も口をきかないで、ただ二十五スー渡した。彼は不足を言った。貴様にはそれでたくさんだ[#「貴様にはそれでたくさんだ」に傍点]と答えられた。彼はしつこく言い張った。主人は彼を正面《まとも》にじっと見つめて、そして言った。監獄に気をつけろ[#「監獄に気をつけろ」に傍点]!
 そこでまた彼は盗まれたのだと考えた。
 社会は、国家は、彼の積立金を減らしながら彼を大きく盗んだ。今や彼を小さく盗むのは個人であった。
 釈放は解放ではない。人は徒刑場から出る、しかし処刑からは出られない。
 グラスで彼に起こったことは上の通りである。ディーニュで彼がいかなるふうに遇せられたかは前に述べたところである。

     十 目をさました男

 大会堂の大時計が午前二時を打った時に、ジャン・ヴァルジャンは目をさました。
 彼が目をさましたのは、寝床があまり良すぎたからだった。やがて二十年にもなろうという間、彼は寝床に寝たことがなかったのである。そして彼は着物を脱いではいなかったけれども、その感じはきわめて新奇なもので眠りを乱したのだった。
 彼はそれまで四時間余り眠ったのだった。疲れは消えていた。彼は休息に多くの時間を与えることにはなれていなかった。
 彼は目を開いた。そしてしばし身のまわりの闇《やみ》の中をすかし見たが、次にまた目を閉じて再び眠ろうとした。
 多くの種々な感情が一日のうちに起こった時に、雑多な事が頭を満たしている時に、人は眠りはするが二度と寝つくものではない。眠りは再び来る時よりも初めに来る時の方が安らかなものである。ジャン・ヴァルジャンに起こった所のものはまさにそれだった。彼は再び眠ることができなかった、そして考え初めた。
 彼はちょうど自分の頭の中にいだいてる思想が混沌《こんとん》としているような場合にあった。彼の脳裏には一種のほの暗い雑踏がこめていた。昔の思い出や近い現在の記憶などが雑然と浮かんで、入り乱れて混乱し、形を失い、ばかげて大きくひろがり、それから忽然《こつぜん》と姿を消して、あたかも泥立ち乱るる水の中にでもはいってしまったかのようだった。多くの考えが彼のうちにわいてきたが、絶えず姿を現わして他の考えを追い却《しりぞ》ける一つのものがあった。その考え、それをここにすぐ述べておこう――彼は、マグロアールが食卓の上に置いた六組みの銀の食器と大きな一つの匙《さじ》とに目をつけたのであった。
 それらの六組みの銀の食器が彼の頭について離れなかった。――それは向こうにあるのだった。――数歩の所に。――彼が今いる室に来るために隣室を通ってきた時にちょうど、年寄った召し使いがそれを寝台の枕頭の小さな戸棚にしまっていた。――彼はその戸棚をよく見ておいた。――食堂からはいって来ると右手の方に。――厚みのある品だ。そして古銀の品だ。――大きい匙《さじ》といっしょにすれば、少なくも二百フランにはなりそうだ。――それは彼が十九年間に得たところの二倍にも当たる。――もっとも政府[#「政府」に傍点]が盗み[#「盗み」に傍点]さえしなかったら彼はもっと儲《もう》けていたではあろうけれど。
 彼の心は、多少逆らいながらもあれかこれかと一時間もの間迷っていた。三時が鳴った。彼は目を開き、突然半身を起こし、手を伸ばして、寝所の片すみに投げすてて置いた背嚢《はいのう》に触《さわ》ってみ、それから両|脚《あし》を寝台からぶら下げて足先を床《ゆか》につけ、ほとんどみずから知らないまにそこに腰掛けてしまった。
 彼はしばらくの間その態度のままぼんやり考え込んでいた。寝静まった家の中にただ一人目ざめて闇《やみ》の中にそうしている彼の姿は、もし見る人があったら確かに不気味な思いをしたであろう。突然彼は身をかがめて靴をぬぎ、それを寝台のそばの敷き物の上にそっと置いた。それからまた考えに沈んだ姿勢に返って、もうじっとして動かなかった。
 その凶悪な瞑想《めいそう》のうちに、われわれが先に述べたところの考えは絶えず彼の頭に出入してかき乱し、一種の圧迫を加えていた。それから彼はまた、みずから何ゆえともわからなかったが機械的に執拗《しつよう》な夢想を続けて、徒刑場で知ったブルヴェーという囚徒のことを考えていた。その男のズボンはただ一本の木綿の編みひものズボンつりで留められてるきりだった。そのズボンつりの碁盤目の縞《しま》が絶えず彼の頭に上ってきた。
 彼はそういう状態のうちにじっとしていた。そしてもし大時計が一つ――十五分もしくは三十分を、打たなかったならば、いつまでもおそらく夜明けまでもそのままでいたであろう。が彼にはその時計の一つの音が、いざ! と言うように聞こえたらしかった。
 彼は立ち上がり、なお一瞬間|躊躇《ちゅうちょ》して、耳を澄ました。家の中はすべてひっそりとしていた。で彼はほのかに見えている窓の方へ真っすぐに小刻みに歩いていった。夜は真っ暗ではなかった。ちょうど満月で、ただ風に追わるる大きな雲のかたまりがその面《おもて》を流れていた。そのために外は影と光とが入れ交じり、あるいは暗くあるいは明るくなり、そして家の中には薄ら明るみが湛《たた》えていた。雲のために明滅するその薄明りは、足下を輝《て》らすには十分であって、ゆききする人影に妨げられるあなぐらの風窓から落つる一種の青白い光にも似ていた。窓の所へきて、ジャン・ヴァルジャンはそれを調べてみた。窓には格子《こうし》もなく、庭に向いていて、その地方の風習に従って小さな一つの楔《くさび》でしめてあるきりだった。彼はその窓を開いた。しかし激しい寒風が急に室の中に吹き込んだので、またすぐにそれをしめた。彼はただながめるというよりもむしろ研究するといったふうな注意深い目付きで庭をながめた。庭はわけなく乗り越されるくらいのかなり低い白壁で囲まれていた。庭の奥の向こうに、彼は一様の間隔を置いた樹木の梢《こずえ》を認めた。それによってみれば、壁はある大通りかもしくは樹の植わった裏通りと庭との界《さかい》になってるらしかった。
 その一瞥《いちべつ》を与えてから、彼はもう決心したもののような行動をした。彼は寝所の所に歩いてゆき、背嚢《はいのう》を取り、それを開いて中を探り、何かを取り出して寝床の上に置き、靴をポケットにねじ込み、方々を締め直し、背嚢を肩に負い、帽子をかぶり、その目庇《まびさし》を目の上に深く引きおろし、手探りに杖をさがして、それを窓のすみに行って置き、それから寝床の所に戻ってきて、そこに置いてるものを決然と手につかんだ。それは短い鉄の棒に似たもので、一端は猟用の槍《やり》のようにとがっていた。
 その鉄の一片が何用のために作られたものであるかは、暗闇《くらやみ》の中では見きわめ難かった。たぶんそれは梃《てこ》ででもあったろうか、またはおそらく棍棒《こんぼう》ででもあったろうか。
 が昼間であったならば、それが坑夫用の燭台にほかならないことがよく認められたであろう。当時ときどき囚徒らは、ツーロンを囲む高い丘から岩を切り出すことに使われていた。そして彼らが坑夫用の道具を自由に使っていたのは珍しいことではなかった。坑夫の使う燭台は分厚い鉄でできていて、下端がとがって岩の中につき立てられるようになっている。
 彼はその燭台を右手に取って、そして息をころし足音をひそめながら、隣室の扉《とびら》の方へやって行った。それは既にわかっているとおり司教の室である。その扉の所へ行ってみると、彼はそれが少し開いていることを見い出した。司教はそれをしめておかなかったのである。

     十一 彼の所業

 ジャン・ヴァルジャンは耳を澄ました。何の音もしない。
 彼は扉を押した。
 彼はそれを指の先で軽くやったのである。はいってゆこうとする猫《ねこ》のようなひそやかなおずおずした穏かさで。
 扉は押されたとおりにほとんど見えないくらい静かに動いて、前よりなお少し大きく開いた。
 彼は一瞬間待った。それから再び、こんどは少しく大胆に扉を押した。
 扉はやはり音もなく押されるまま動いた。そしてもう彼が通れるくらいにはじゅうぶん開いた。しかし扉《とびら》のそばに一つの小さなテーブルがあって、それが扉と具合悪い角度をなして入り口をふさいでいた。
 ジャン・ヴァルジャンは困難を見て取った。どうあってももっと扉を大きく開かなければならなかった。
 彼は心を決して、前よりもいっそう力を入れて三度扉を押した。ところがこんどは、肱金《ひじがね》に油がきれていたので、突然闇の中にかすれた音がきしって長くあとを引いた。
 ジャン・ヴァルジャンは身を震わした。その肱金の音は、最後の審判のラッパのように激しく大きく彼の耳に響いた。
 最初の瞬間には、それが奇怪に誇大されて感じられた。肱金が生き上って突然恐ろしい生命を授かり、すべての人に変を告げ眠った人々をさますために犬のようにほえていると、彼はほとんど思ったほどであった。
 彼は胆《きも》をつぶして震えながら立ち止まり、爪立《つまだ》っていた足の踵《かかと》をおろした。動脈は両のこめかみに、鍛冶屋《かじや》の槌《つち》のように激しく脈打っているのが聞こえ、胸から出る息は洞穴《どうけつ》から出る風のような音を立ててるらしく思えた。その苛《い》ら立った肱金の恐ろしい響きは、地震のように全家を揺り動かさないではおかなかったろうと彼には思えた。扉は彼に押されて、変を告げて人を呼んだ、老人はまさに起きようとしている、二人の老婦人はまさに声を立てようとしている、彼らを助けに人々がやって来るだろう、十五分とたたないうちに全市は沸き返り、憲兵は動き出すだろう。一瞬間、彼はもう身の破滅だと思った。
 彼はその場に立ちつくした。塑像《そぞう》のように固まってあえて身動きもなし得なかった。
 数分過ぎた。扉はすっかり大きく開いていた。彼はふと室の内をのぞき込んでみた。何物も動いてはいなかった。彼は耳を澄ました。家の中には何も物の蠢《うご》めく気配もなかった。さびついた肱金《ひじがね》の音はだれの眠りをもさまさなかったのである。
 その第一の危険は過ぎ去ったが、しかしなお彼のうちには恐ろしい胸騒ぎがあった。けれども彼はもう後に退かなかった。もはや身の破滅だと思った時でさえ、彼は退かなかったのである。彼はもうただ早くやり遂げようということしか考えなかった。彼は一歩ふみ出して、室の中にはいった。
 室の中はまったく静まり返っていた。あちらこちらに雑然とした漠然《ばくぜん》たる形が認められた。それは昼間見れば、テーブルの上に散らばった紙や、開かれたままの二折本や、台の上に積み重ねられた書籍や、着物の置いてある肱掛椅子や、祈祷台などだとわかるが、その時にはただ暗いすみやほの白い場所などを作ってるだけだった。ジャン・ヴァルジャンは器物にぶっつからないようにしながら用心して足を進めた。室の奥に、寝込んでる司教の静かな規則的な呼吸の音が聞こえていた。
 彼は突然足を止めた。司教の寝台のそばにきていた。自分でも思いがけないほど早くそこまでやって行ったのである。
 自然は時として、吾人《ごじん》に考慮させんと欲するかのように、それとなく巧みなる時機を図って、その効果と光景とを吾人の行動に絡《から》ませるものである。約三十分ばかり前から大きな雲のかたまりが空を蔽《おお》っていた。がジャン・ヴァルジャンが寝台の前に立ち止まった瞬間に、その雲は心あってかのように裂けて、月の光が長い窓から射して司教の青白い寝顔をふいに照らした。司教は穏かに眠っていた。下アルプの寒夜のために床の中でもほとんど着物を着ていて、褐色《かっしょく》の毛織りの上着は腕から手首までも包んでいた。頭は枕の上にもたせられて、まったく休息のうちに投げ出されたような様子だった。多くの慈善や聖《きよ》い行ないをなすその手は、牧師の指輪をはめて寝台の外にたれていた。その全体の顔付きは、満足と希望と至福との漠然たる表情に輝いていた。それは微笑《ほほえ》み以上のものでほとんど光輝であった。その額《ひたい》の上には、目に見えぬ光明の言い知れぬ反照があった。睡眠中の正しき人々の魂は、ある神秘なる天をながめているものである。
 その天の反映が司教の上にあった。
 それはまた同時に光に満ちた透明さであった、何となればその天は彼の内部にあったのだから。その天こそ、すなわち彼の本心であった。
 月の光が、言わば司教のその内部の輝きの上にさしかかった時に、眠ってる彼の姿は栄光のうちにあるかのようであった。けれどもそれは言葉につくし難い薄ら明りに包まれて穏かだった。空にあるあの月、まどろめるあの自然、小揺らぎもないあの庭、静まりかえったその家、その時、その瞬間、その沈黙、それらはこの聖者の尊い休息の姿にある壮厳な言葉に絶した趣を添え、そして、その白髪、その閉じたる目、すべて希望と信頼とのみなるその顔、その年老いたる頭とその小児のような眠りとを、一種のおごそかな朗らかな後光をもって包んでいた。
 かくてみずから知らずして尊厳なる彼のうちには、ほとんど神聖なるものがあった。
 ジャン・ヴァルジャンは影のうちに居た。彼は鉄の燭台を手に持ち、その輝いてる老人の姿に驚いて身動きもせずに立っていた。かつて彼はそういうものを見たことがなかった。その信頼しきった様は彼を恐れさした。精神の世界において最も壮大なる光景は、まさに悪事をせんとしながらしかも正しき人の睡眠をながめている、乱れた不安な人の本心がそれである。
 孤独のうちにおけるその眠り、そして彼がごとき者を隣に置いてのその眠りは、何かしら厳《おごそ》かなるものを持っていた。彼はそれを漠然と、しかし強く感じた。
 彼のうちにいかなることが起こったか、それはだれにも言えないであろう、そして彼自身でさえも。それを推測せんがためには、まず最も穏やかなるものと最も暴戻《ぼうれい》なるものとの対立を想像してみるがよい。彼の顔の上にさえ、確かに認め得らるるものは何もなかったであろう。それは一種の野性の驚愕《きょうがく》であった。彼はそれをじっと見ていた。それだけである。しかし彼の考えは何であったか。それを推察するは不可能であろう。ただ明らかなのは、彼が感動し顛倒《てんとう》していたことである。しかしその感激はいかなる性質のものであったか。
 彼の目は老人から離れなかった。彼の態度とその顔付きとに明らかに浮き出していたただ一つのことは、異様な不決断であった。あたかも一は身を亡《ほろ》ぼし一は身を救う二つの深淵の間に躊躇《ちゅうちょ》していたとも言えよう。その眼前の頭脳を打ち砕くか、もしくはその手に脣《くちびる》をつけるか、いずれかをしようとしているもののようであった。
 数分の後、彼の左手はおもむろに額に上げられた。彼は帽子をぬいだ。それから手は同じくおもむろに、また下された。そしてジャン・ヴァルジャンはまたうちながめはじめた、帽子を左手に持ち、棍棒《こんぼう》を右手に持ち、あらあらしい頭の上に髪の毛を逆立たして。
 司教はその恐るべき凝視の下にあって、なお深き平和のうちに眠っていた。
 月の光の反映は、暖炉の上に十字架像の姿をぼんやり見せていた。それは両手を開いて、一人には祝福を与え一人には赦免《しゃめん》を与えるために、その二人を抱かんとするかのようであった。
 突然、ジャン・ヴァルジャンは額に帽をかぶった。それから、司教の方を見ずに寝台に沿って足を早めながら、その枕頭に見えている戸棚の方へまっすぐに行った。彼は錠前をこじあけようとするかのように鉄の燭台を高くあげた。が、そこには鍵《かぎ》がついていた。彼は開いた。第一に彼の目にはいったものは、銀の食器のはいってる籠《かご》だった。彼はそれを取り、もう何の用心もせず足音にも気をとめずに大またに室を通り、扉《とびら》の所に達し、礼拝所にはいり、窓を開き、杖を取り、窓縁をまたぎ、背嚢《はいのう》に銀の食器をしまい、籠をなげ捨て、庭を過ぎ、虎《とら》のように壁を飛び越え、そして姿を消した。

     十二 司教の働き

 翌朝、日の出る頃、ビヤンヴニュ閣下は庭を歩いていた。
 マグロアールがすっかり狼狽《ろうばい》して彼の所へかけてきた。
「旦那《だんな》様、旦那様、」と彼女は叫んだ、「銀の器《うつわ》の籠《かご》はどこにあるか御存じでいらっしゃいますか。」
「知っているよ。」と司教は言った。
「まあありがたい!」と彼女は答えた。「私はまた、どうなったかと思いました。」
 司教は花壇の中でその籠を拾ったところだった。彼はそれをマグロアールに差し出した。
「ここにあるよ。」
「え?」と彼女は言った、「中には何もないではございませんか。銀の器は?」
「ああそう、」と司教は言った、「お前が心配しているのは銀の器だったのか。それはどこにあるか私も知らない。」
「まあ何ということでしょう! 盗まれたんでございますよ。昨晩のあの男が盗んだのでございますよ、きっと。」
 すぐに、元気のよい老婦マグロアールは勢いこんで礼拝所へかけてゆき、寝所にはいり、そしてまた司教の所へ戻ってきた。司教は身をかがめて、籠《かご》が花壇に落ちた時に折られたギーヨンのコクレアリアの草花を嘆息しながらながめていた。彼はマグロアールの声に身を起こした。
「旦那《だんな》様! あの男は逃げてしまいました。銀の器は盗まれたのです。」
 そう叫びながら彼女の目は、庭のすみに落ちた。そこには壁をのり越した跡が見えていた。壁の屋根の垂木《たるき》が取れていた。
「もし、あそこから逃げたのです。コシュフィレ通りへ飛び越したのです。まあ悪いやつ。銀の器を盗んだのでございますよ。」
 司教はちょっと黙っていた。それから、まじめな目をあげて、穏かにマグロアールに言った。
「が第一に、あの銀の食器は私どもの物だったのかね。」
 マグロアールは茫然《ぼうぜん》としてしまった。しばし沈黙が続いて、それから司教は言った。
「マグロアールや、私は誤って長い間あの銀の器を私していた。あれは貧しい人たちのものなんだ。ところであの男は何であったろう。明らかに一人の貧しい人だったではないか。」
「まあ何をおっしゃいます!」とマグロアールは言った。「何も私や嬢様のためではございません。私どもにはどうだってかまいません。けれどそれは旦那様のためでございます。これから旦那《だんな》様は何で御食事をなさいます?」
 司教は驚いたようなふうで彼女を見た。
「ああそんなことなら! 錫の器があるだろう。」
 マグロアールは肩をそびやかした。
「錫はにおいがいたします。」
「では鉄の器は?」
 マグロアールは意味深く顔をしかめた。
「鉄には妙な味がいたします。」
「それでは、」と司教は言った、「木の器がいい。」
 数分後には、彼は前夜ジャン・ヴァルジャンがすわっていたその食卓で朝食をした。食事をしながらビヤンヴニュ閣下は、何にも言わない妹と、何かぶつぶつ不平を言ってるマグロアールとに、パンの切れを牛乳につけるためには、匙《さじ》も肉叉《フォーク》もいらなければまた木で作ったそんなものもいらないということを、快活に述べ立てた。
「まあ、何という考えだろう!」とマグロアールは行ったりきたりしながら独語した。「あんな男を家に入れるなんて! そしてそれを自分の近くに寝かすなんて! まあ盗まれただけで済んだのが仕合わせというものだ! ほんとに考えてみると身震いがする!」
 兄と妹とが食卓から立ち上がろうとする時に、だれか戸をたたくものがあった。
「おはいりなさい。」と司教は言った。
 戸は開かれた。異様な荒々しい一群が入り口に現われた。そのうちの三人の者が一人の男の首筋をとらえていた。三人の者は憲兵で一人の男はジャン・ヴァルジャンであった。
 その一群を率いているらしい憲兵の班長が戸の近くに立っていた。彼ははいってきて、軍隊式の敬礼をしながら司教の方へ進んできた。
「閣下……」と彼は言った。
 その言葉に、黙り込んで悄然《しょうぜん》としていたジャン・ヴァルジャンは、あっけにとられた様子で頭をあげた。
「閣下!」と彼はつぶやいた。「ではこの人は司祭じゃないんだな……。」
「黙ってろ!」と一人の憲兵が言った。「この方は司教閣下だぞ。」
 その間にビヤンヴニュ閣下は、老年にもかかわらずできるだけ早く進み出てきた。
「ああよくきなすった!」と彼はジャン・ヴァルジャンを見ながら叫んだ。「私はあなたに会えて嬉しい。ところでどうしなすった、私はあなたに燭台も上げたのだが。あれもやっぱり銀で、二百フランぐらいにはなるでしょう。なぜあれも食器といっしょに持って行きなさらなかった?」
 ジャン・ヴァルジャンは目を開いて、尊むべき司教をながめた。その表情はいかなる言葉をもってしてもおそらく伝えることはできなかったであろう。
「閣下、」と憲兵の班長は言った、「それではこの男の言ったことは本当でありますか。私どもはこの男に出会ったのです。逃げるようにして歩いています。つかまえて調べてみました。するとこの銀の食器類を持っていました……。」
「そうしてこう申したのでしょう、」と司教は微笑《ほほえ》みながらその言葉をさえぎった、「一晩泊めてもらった年寄りの牧師からもらったのだと。よくわかっています。そしてあなたは彼をここまでつれてこられたのでしょう。それは誤解でした。」
「さようなわけでしたら、」と班長は言った、「このまま放免しますが。」
「ええもちろんです。」と司教は答えた。
 憲兵らはジャン・ヴァルジャンを放した。ジャン・ヴァルジャンは後ろにさがった。
「本当に私は許されたのかしら?」と彼は、ほとんど舌も回らないような声で、あたかも夢の中にでもいるようなふうで言った。
「そうだ、許されたんだ。それがわからないのか。」と一人の憲兵が言った。
「さあ出かける前に、」と司教は言った、「ここにあなたの燭台がある。それも持って行きなさい。」
 彼は暖炉の所へ行って、銀の二つの燭台を取り、それをジャン・ヴァルジャンの所へ持ってきた。二人の婦人は、何の言葉も発せず、何の身振りもせず、邪魔になるような目付きもせずに、彼のなすままをじっと見ていた。
 ジャン・ヴァルジャンは身体中を震わしていた。彼はぼんやりしたふうで機械的に二つの燭台を取った。
「それでは、」と司教は言った、「平和に行きなさるがよい。――ついでに言っておきますが、こんどおいでなさる時には、庭の方から回ってこられるには及びませんよ。いつでも表の戸口から出入りなすってよろしいのです。戸口は昼夜とも※[#「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37]《かきがね》でしめてあるきりですから。」
 それから彼は憲兵の方へふり向いた。
「皆さん、もうどうかお引き取り下さい。」
 憲兵らは立ち去っていった。
 ジャン・ヴァルジャンは気を失いかけてる者のようだった。
 司教は彼に近寄って、低い声で言った。
「忘れてはいけません、決して忘れてはいけませんぞ、この銀の器《うつわ》は正直な人間になるために使うのだとあなたが私に約束したことは。」
 何も約束した覚えのないジャン・ヴァルジャンはただ茫然としていた。司教はその言葉を発するのに強く力をこめたのである。彼は一種のおごそかさをもってまた言った。
「ジャン・ヴァルジャンさん、あなたはもう悪のものではない、善のものです。私が購《あがな》うのはあなたの魂です。私はあなたの魂を暗黒な思想や破滅の精神から引き出して、そしてそれを神にささげます。」

     十三 プティー・ジェルヴェー

 ジャン・ヴァルジャンは逃げるようにして町を出て行った。彼は大急ぎで野の中を進み出して、前に現われる街道といわず小道といわず無茶苦茶にたどっていって、始終あと戻りをしていることにも気づかなかった。そのようにして昼間中さまよい続けて、何も食べもしなければまた別に空腹をも感じなかった。彼は全く新しい一団の感情の囚《とりこ》となっていた。一種の憤怒を内に感じていたが、だれに対してだか自ら知らなかった。感動したのかまたは屈辱を感じたのか自分にもわからなかった。時々異様な感傷を覚えたが、それと戦って、そしてそれに対抗せしむるに、最近二十年間に得た頑《かたくな》な心をもってした。そういう状態は彼を疲らした。彼はまた不正なる不幸によって与えられた一種の恐ろしい落ち着きが、心のうちでぐらつくのを見て不安を覚えた。その恐ろしい落ち着きに代わろうとしているものは何であるか自ら尋ねてみた。往々彼は憲兵につれられて獄に投ぜられた方が本当によかったと思い、事件がこんなふうにならなかった方がよかったのだと思った。その方が彼の心を乱すことは少なかったであろう。季節はよほど進んではいたが、なおそこここの生垣《いけがき》のうちにはおくれ咲きの花が残っていて、通りすがりにそのかおりが、彼に幼時のことを思い出さした。それらの思い出は彼にはほとんどたえ難いものであった、もう長い間そういう思い出が浮んできたことはかつてなかったのだから。
 言葉に言い現わし難い考えが、かくて終日彼のうちに集まってきた。
 太陽が傾いて没せんとする時、小石さえその影を地上に長く引く頃、ジャン・ヴァルジャンは全く荒涼たる霜枯れ色の曠野《こうや》の中に、一叢《ひとむら》の藪《やぶ》のうしろにすわった。地平線にはアルプス連山がそびえてるばかりだった。遠く村落の鐘楼の影さえも見えなかった。ジャン・ヴァルジャンはディーニュから多分三里くらいはきていた。平野を横切っている一筋の小道が、藪から数歩の所に走っていた。
 彼は考えに沈んでいた。その様子は出会う人の目に彼のまとったぼろを、いっそう恐ろしく映じさせたであろう、とその時、彼の耳に楽しそうな響きが聞こえてきた。
 彼は首をめぐらした。そして十歳ばかりのサヴォア生まれの少年が歌を歌いながら小道をやって来るのを見た。絞絃琴《ヴイエル》を脇《わき》につけ、モルモットの箱を背に負っていた。地方から地方へ渡り歩いて、ズボンの破れ目から膝頭《ひざがしら》をのぞかせてる、あのおとなしい快活な少年の一人であった。
 歌をうたいながら少年は、時々歩みを止めて、手に持ってる数個の貨幣を手玉に取ってもてあそんでいた。おそらくそれは彼の全財産であったろう。その貨幣のうちには一つ四十スー銀貨がはいっていた。
 少年はジャン・ヴァルジャンには気がつかないで藪のそばに立ち止まった、そして一握りの貨幣を放り上げた。それまで彼は巧みにそのすべてを手の甲に受け止めていたのであった。
 がこのたびは、四十スーの銀貨が手からすべって、藪の方へころがってジャン・ヴァルジャンの所までいった。
 ジャン・ヴァルジャンはその上に足先をのせた。
 でも少年はその貨幣を見やっていて、彼がそうするのを見て取った。
 少年は少しも驚かないで、彼の方へ真っすぐにやってきた。
 それはきわめて寂しい場所であった。目の届く限り野にも道にもだれもいなかった。非常に高く空を飛んでゆく渡り鳥の一群の弱いかすかな鳴き声が聞こえるばかりだった。子供は背を太陽に向けていて、髪の毛のうちには金色の光の線が流れていた。そしてジャン・ヴァルジャンの荒々しい顔は真っ赤な光で赤く照らされていた。
「小父《おじ》さん、」とそのサヴォアの少年は、無知と無邪気とからなる子供らしい信頼の調子で言った、「私のお金を。」
「お前の名は何というのか。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
「プティー・ジェルヴェーっていいます。」
「行っちまえ。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
「小父《おじ》さん、」と少年はまた言った、「私のお金を返して下さいな。」
 ジャン・ヴァルジャンは頭をたれて、答えなかった。
 少年はまた初めた。
「私のお金を、小父さん。」
 ジャン・ヴァルジャンの目はじっと地面を見つめていた。
「私のお金をさ!」と少年は叫んだ。「私の白いお金を! 私の銀貨をさ!」
 ジャン・ヴァルジャンはそれを少しも耳にしなかったかのようであった。少年はその上着のえりをとらえて、彼を揺すった。同時にまた、自分の貨幣の上にのせられてる鉄鋲を打った大きなその靴を動かそうと努めた。
「私のお金をよう! 四十スー銀貨を!」
 少年は泣いていた。ジャン・ヴァルジャンは頭をあげた。でも彼はなおすわっていた。彼の目付きは乱れていた。彼は驚いたように少年を見つめ、それから杖の方へ手を伸べて、恐ろしい声で叫んだ。
「だれだ、貴様は?」
「私よ、小父さん。」と少年は答えた。「プティー・ジェルヴェーよ。私ですよ、私ですよ。どうか四十スー銀貨を返して下さいな。ねえ小父さん、足をどけて下さいよう!」
 それから、小さくはあったが彼は苛《い》ら立ってきて、ほとんど脅かすような様子になった。
「さあ、足をどけてくれますか。足をどけて、さあ!」
「ああまだ貴様いたのか!」とジャン・ヴァルジャンは言った。そしてやはり貨幣の上をふまえながら突然すっくと立ち上がって、言い足した。「失《う》せやがれ!」
 少年はびっくりして彼をながめた。そして頭から足の先まで震え上がり、ちょっと惘然《ぼうぜん》としていた後、ふり返りもせず声も立てず一目散に逃げ出した。
 けれどしばらく行くと息が続かないで彼は立ち止まった。そしてジャン・ヴァルジャンは、ぼんやり何か考え込んでいるうちにも少年のすすりなく声を聞いた。
 やがて少年の姿は見えなくなった。
 太陽は没していた。
 ジャン・ヴァルジャンのまわりには影が迫ってきた。彼はその日何も食べていなかった。少し熱もあったらしい。
 彼は立ちつくしていた、少年が逃げ出した時のままの姿勢だった。長い不規則な間を置いては呼吸が胸をふくらした。彼の目は十一、二歩前のところに据えられて、草の中に落ちている青い陶器の古い破片《かけら》の形を注意深く見きわめているようだった。と突然彼は身震いをした。夕の冷気を感じたのだった。
 彼はまた額《ひたい》に帽を深く引き下げ、機械的に手探りで上着の前を合わせボタンをはめ、一歩前に出て、地面から杖を取り上げるために身をかがめた。
 その時、四十スー銀貨が彼の目にとまった。足で半ば地面の中にふみ込まれて、小石の間に光っていた。
 あたかも電気に触れたかのようだった。「これは何だ?」と彼は口の中で言った。彼は三歩退いた。けれども、一瞬間前まで足でふみつけたその場所から目を離すことができなくてたたずんだ。闇《やみ》の中に光っているそのものを、見開いて自分を見つめてる何かの目のように感じたかのようだった。
 しばらくしてから、彼は痙攣《けいれん》的にその銀貨の方へ進んでゆき、それをつかみ、身を起こしながら遠く平野のうちを見渡し初めた。脅かされた野獣が隠れ場を求むるかのように、突っ立ちながら身を震わして、地平線のかなたを方々同時に見回した。
 彼の目には何にもはいらなかった。夜の闇は落ちかかって、平原は寒く茫漠《ぼうばく》としており、大きな紫の靄《もや》が夕の薄明のうちに立ち昇っていた。
 彼は「ああ!」と嘆息をもらして、ある方向へ、少年の姿の消えた方へ、急いで歩き出した。百歩ばかりも歩いたのちに、彼は立ち止まり、あたりをながめたが、何にも見えなかった。
 すると彼はあらん限りの声を搾《しぼ》って叫んだ。「プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー!」
 彼は口をつぐんで、待った。
 何の返事もなかった。
 野は荒涼として陰鬱《いんうつ》だった。彼は広々とした空間にとりかこまれていた。まわりにあるものとてはただ、見透かせない闇と声をのむ静寂とばかりだった。
 凍るような北風が吹いて、彼のまわりのすべてのものに悲愴《ひそう》な気を与えていた。あたりの灌木《かんぼく》はいうにいわれぬ狂暴さでそのやせた小さな枝をふり動かしていた。あたかもそれはだれかを脅かし追っかけてるがようだった。
 彼はまた歩き出し、それからかけ出した。そして時々立ち止まっては、最も恐ろしいまた最も悲しげな声をしぼって寂寞《せきばく》の中に叫んだ。「プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー!」
 もし少年がそれを聞いたとしても、必ずや恐れて身を現わさなかったであろう。しかし少年はもちろんもう遠くに行っているに違いない。
 ジャン・ヴァルジャンは馬に乗った一人の牧師に出会った。そのそばへ行って言った。
「司祭さん、あなたは子供が一人通るのを見かけられはしませんでしたか。」
「いいえ。」と牧師は言った。
「プティー・ジェルヴェーというんですが。」
「私はだれにも会いませんでしたよ。」
 彼は財布から五フランの貨幣を二つ取り出して、それを牧師に渡した。
「司祭さん、これは貧しい人たちに施して下さい。――司祭さん、十歳《とお》ばかりの小さい子供です。たしか一匹のモルモットと絞絃琴《ヴイエル》とを持っています。向こうへ行きました。サヴォアの者です。御存じありませんか。」
「私はその子に会いませんよ。」
「プティー・ジェルヴェーに? この辺の村の者ではありますまい。どうでしょうか。」
「あなたが言うとおりなら、それはこの辺の子供ではありますまい。この地方をそんな人たちが通ることはありますが、どこの者だかだれも知りませんよ。」
 ジャン・ヴァルジャンは荒々しく五フランの貨幣をもう二つ取り出して、それを牧師に与えた。
「貧しい人たちにやって下さい。」と彼は言った。
 それから彼は心乱れたようにつけ加えた。
「司祭さん、私を捕縛して下さい。私は泥坊です。」
 牧師はひどく慴《おび》えて、馬に拍車をくれて逃げ出した。
 ジャン・ヴァルジャンは最初向かっていた方向にまた走り出した。
 彼はそのようにして、見回し呼び叫びながらかなり長い間行ったが、もうだれにも出会わなかった。二、三度彼は、何か人の横たわっているようにもまた蹲《うずく》[#ルビの「うずく」は底本では「うづく」]まっているようにも見えるものの方へ、野の中をかけて行った。がそれはただ荊棘《いばら》であったり、地面に出てる岩であったりするきりだった。終わりに、三つの小道が交叉《こうさ》している所に出て、彼は止まった。月が出ていた。彼は遠くに目をやって、最後にも一度叫んだ。「プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー! プティー・ジェルヴェー!」その叫びは靄《もや》の中に消え失せて、反響をも返さなかった。彼はなおつぶやいた。「プティー・ジェルヴェー!」しかしその声は弱々しくてほとんど舌が回らないかのようだった。それは彼の最後の努力であった。彼の膝はにわかに立っているにたえられなくなった。あたかも何か目に見えない力によって悪心の重みで突然押しつぶされたかのようだった。彼はある大きな石の上にがっくりと身を落として、両手で髪の毛をつかみ、顔を膝に押しあて、そして叫んだ。「ああ俺は惨《みじ》めな男だ!」
 その時彼は胸がいっぱいになって、泣き出した。十九年この方涙を流したのはそれが初めてであった。
 ジャン・ヴァルジャンは司教の家から出てきた時、前に述べたとおり、これまでの考えから全く外に出ていた。彼は自分のうちに起こったところのことを自ら了解することができなかった。彼はその老人の天使のごとき行ないや優しい言葉に反抗して心を固くした。「あなたは正直な人間になることを私に約束なすった。私はあなたの魂を購《あがな》うのです。私はあなたの魂を邪悪の精神から引き出して、それを善良なる神にささげます。」そのことがたえず彼の心に返ってきた。彼はその神のごとき仁恕《じんじょ》に対抗せしむるに、吾人の心のうちにある悪の要塞《ようさい》たる傲慢をもってした。彼は漠然と感じていた、その牧師の容赦は自分に対する最も大なる襲撃であり最も恐るべき打撃であって、そのために自分はまだ揺り動かされていると。もしその寛容に抵抗することができるならば、自分のかたくなな心はついに動かすべからざるものであろう、もしそれに譲歩するならば、多くの年月の間他人の行為によって自分の心のうちに満たされ自ら喜ばしく思っていたあの憎悪の念を、捨てなければならないであろう。もうこんどは勝つか負けるかの外はない。そして戦いは、決定的な大戦は、自分自身の悪意とあの老人の仁慈との間になされているのだ。
 それらのはっきりした意識を持って、彼は酔える人のように立ち去ったのであった。かくて荒々しい目付きをしながら歩いている間、ディーニュのその事件から自分に対していかなる結果が起こるであろうかは、彼ははっきり覚《さと》っていたであろうか。生涯のある瞬間において、人の精神を戒めもしくは悩ますところのあの神秘なるざわめきを、彼は聞き取っていたであろうか。ある声が次のことを彼の耳にささやいたであろうか、すなわち、彼はおのれの運命のおごそかなる瞬間を通りすぎてきたこと、もはや彼にとっては中間は存在しないこと、もし今後最善の人とならないとすれば最悪の人となるであろうということ、言わば司教よりも高きに昇るか囚人よりもなお低きに落つるか、いずれかを取らなければならない場合であること、もし善良たらんと欲せば天使とならなければならないこと、邪悪に留まらんと欲せば怪物とならなければならないこと。
 ここになお、他の所で既になした疑問を繰り返さなければならない、すなわち、彼はすべてこれらのことの何かの影だにも雑然と思念のうちに取り入れていたであろうか。確かに、前に述べたごとく、不幸は人の知力を育てるものである。けれども、われわれが右に指摘したところのすべてを弁別し得るだけの状態にジャン・ヴァルジャンがいたかどうかは疑わしい。たといそれらの観念が彼の頭に浮かんだとするも、彼はそれをよく見たというよりもむしろ瞥見《べっけん》したにすぎなかった、そしてそれはただ彼をたえがたい痛ましい惑乱に投げ込むに終わったのみであった。徒刑場と呼ばるる醜い暗黒なものから出た彼の魂に、司教は苦痛を与えたのである。あたかもあまりに強い光が暗やみから出る彼の目をそこなうがように。未来の生涯、今後可能なものとして彼の前に提出された純潔な輝いた生涯は、彼をして全く戦慄せしめ不安ならしめた。彼はもはや何処《どこ》に自分があるかを本当に知らなかった。にわかに太陽の出るのを見た梟《ふくろ》のごとく、囚人たる彼は徳に眩惑《げんわく》され盲目となされてしまっていた。
 ただ確実であったこと、彼も自ら疑わなかったことは、彼がもはや以前と同じ人間ではなく、彼の内部がすべて変化していたということである。司教が彼に語り彼の心に触れたということを拒むの力はもはや彼にはなかったことである。
 そういう精神状態にあって、彼はプティー・ジェルヴェーに出会い、そしてその四十スーを盗んだ。何ゆえであるか? 彼自身も確かにそれを説明することはできなかったであろう。それは彼が徒刑場から持ちきたった悪念の最後の働き、言わば最上の努力ででもあったのか。衝動の名残り、力学に慣習力[#「慣習力」に傍点]と称するところのものの結果であったのか。そうであったろう、そしてまたおそらくそれよりもなお小さなものであったろう。簡単に言えば、盗みをしたのは、彼ではなかった。彼の人ではなかった。知力が多くの異常な新奇なものに纏綿《てんめん》されてもがきつつある間に、習慣と本能とによって貨幣の上にただ茫然と足を置かした獣性であった。知力が目ざめてその獣的な行為を見た時に、ジャン・ヴァルジャンは苦悶《くもん》して後ろにしざり、そして恐怖の叫びを発した。
 何ゆえかなれば、それは不思議な現象で、彼があったような状態においてのみ可能なことではあるが、その少年から金を奪いながら、彼はもはや自らなし得ないところのことをなしたのであったから。
 それはとにかく、その最後の悪事は彼に決定的な効果を及ぼした。その一事は、彼の知力のうちの混沌《こんとん》たるものを突然貫いて、それを消散させ、一方に濃い暗黒と他方に光明とを分かち、その時の状態の彼の魂に働きかけて、あたかもある化学的反応体が混沌たる混和物の上に働いて、一の原素を沈澱《ちんでん》させ他の原素を清澄ならしむるがような作用を及ぼしたのである。
 彼はまず第一に、よく自らを顧み熟慮する前に、身をのがれんとする者のようにただむやみと、金を返すために少年を見つけだそうとつとめた。それから、それがむだなことでまたでき得ないことであるのを知った時に、絶望して立ち止まった。ああ俺は惨《みじ》めな男だ! と叫んだとき、彼は自分のありのままの姿を認めていたのであった。そして彼は自分自身がもはや一つの幻であるように思われたほど既に自己を絶した地点にあって、肉と骨とをそなえた醜い囚人ジャン・ヴァルジャンの方は、手に杖を握り、胴に仕事着をまとい、窃盗品でいっぱいになってる背嚢《はいのう》を背に負い、決然たるしかも沈鬱《ちんうつ》なる顔をし、のろうべき企《たく》らみに満ちてる思念をいだいて、そこに彼の前に立っていたのである。
 過度の不幸は、前に述べたとおり、彼をして一種の幻覚者たらしめていた。で、このことも一つの幻影に似ていた。彼は本当に自分の前に、ジャン・ヴァルジャンを、その凄愴《せいそう》な顔を見た。その瞬間彼は、その男がだれであるか、自ら怪しみ、その男に嫌悪《けんお》の念をいだいた。
 彼の頭は、幻想がいかにも深刻で現実をのみ尽さんとする、あの激越なしかも恐ろしく静かな瞬間の一つにあった。かかるとき人は、もはやおのれの周囲にある事物は目に止まらず、おのれの精神のうちにある像《すがた》をおのれの外にあるかのように目に見るものである。
 そして彼は、言わば面と向かって自己をうちながめ、同時に、その幻覚を通してある神秘な奥深い所に一種の光明を見た。彼は最初それを炬火《たいまつ》の炎のようにも思った。が自分の本心のうちに現われてきたその光明をいっそう注意してながめていると、それが人間の形をそなえていることを知った、そしてその炎は司教であることを知った。
 彼の本心は、かくおのれの前に置かれた二人の者、司教とジャン・ヴァルジャンとを、かわるがわるうちながめた。後者をうち砕かんがためには前者でなければならなかった。その幻想が引き続くにつれて、この種の幻惑の特質たる特殊な働きの一つによって、司教の姿はしだいに大きくなって彼の目に輝き渡り、ジャン・ヴァルジャンの姿は、しだいに小さくなって消えていった。やがてそれは一つの影にすぎなくなり、忽然《こつぜん》と消え失《う》せた。そして司教一人|後《あと》に残った。
 その姿は、この惨《みじ》めなる者の魂をすみずみまで燦然《さんぜん》たる光明をもって満たした。
 ジャン・ヴァルジャンは長い間泣いた。女よりも弱々しく小児よりもおびえて、熱い涙を流して咽《むせ》び泣いた。
 泣いている間に、彼の脳裏にはしだいに明るみがさしてきた。異常なる明るみ、喜ばしいしかも同時に恐ろしい明るみであった。彼の過去の生涯、彼の最初の過《あやま》ち、彼の長い贖罪《しょくざい》、彼の外部の愚鈍、彼の内部の冷酷、あれほど多くの復讐《ふくしゅう》の計画をもって楽しんだ彼の釈放、司教の家で彼に起こったこと、彼がなした最後の一事、少年から四十スーを盗んだこと、司教の仁恕の後に行なわれただけにいっそう卑劣でいっそう凶悪であったその罪、すべてそれらのことが、明らかに、かつてなかったほどの明るさで、彼の心に蘇《よみがえ》って現われてきた。彼は自分の生涯をながめた、そしてそれは彼の目に嫌悪すべきもののように映じた。彼は自分の魂をながめた、そしてそれは彼の目に恐怖すべきもののように映じた。けれども穏かな明るみがその生涯とその魂との上に射《さ》していた。天国の光明によって悪魔を見たように彼には思えた。
 かくしていくばくの間彼は泣いていたか。泣いた後に彼は何をなしたか。どこへ彼は行ったか。だれもそれを少しも知らなかった。ただ一つ確かめられたことは、その同じ夜、当時グルノーブル通いをしていた馬車屋が、朝の三時頃ディーニュに着いて、司教邸のある通りを通ってゆく時に、一人の男がビヤンヴニュ司教の家の前で、祈るような姿をして闇《やみ》の中に舗石《しきいし》の上にひざまずいているのを、見かけたということである。

   第三編 一八一七年のこと

     一 一八一七年

 一八一七年は、ルイ十八世が幾分|矜《ほこ》らかに厳《いか》めしくも彼の治世第二十二年と称した年である。それはブリュギエール・ド・ソルソン氏が世に高名であった年である。あらゆる理髪屋の店は、髪粉の流行と王鳥式の髪の再流行とを望んで、青く塗られて百合《ゆり》の花で飾られていた。それはごく天真|爛漫《らんまん》なる時期であって、ちょうどランク伯爵が、上院議員の服装をし綬章《じゅしょう》をつけ、あの長い鼻をして、赫々《かくかく》たる行ないをなした人にふさわしいいかめしい顔付きで、サン・ジェルマン・デ・プレ会堂の定めの席に理事として日曜ごとに臨んでいた時である。で、ランク氏の赫々たる行ないというのは、ボルドーの市長をしていて、少しく早めに一八一四年三月十二日に、その市をアングーレーム公爵に与えてしまったことである。そのために彼は上院議員となったのである。一八一七年に、四歳から六歳くらいの子供は皆、エスキモー人の帽子に似寄った耳|被《おお》いのついた粒皮の大きい帽子をすっぽりとかぶることが流行していた。フランス軍隊はオーストリアふうに白の服を着ていた。連隊の鎮台といって、連隊の番号の代わりにその県の名前をつけていた。ナポレオンはセント・ヘレナの島にいた、そしてイギリスは彼に青ラシャを許さなかったので、彼は自分の古い服を裏返しにさして着ていた。一八一七年に、ペルグリニが歌い、ビゴティニ嬢が踊っていた。ポティエが名声を得ていた。オドリーはまだ世に出ていなかった。サキー夫人がフォリオゾの後を継いでいた。フランスにはなおプロシア人がいた。ドゥラロー氏が頭角を現わしていた。プレーニエやカルボンノーやトレロンの手を切り次に首を切って、正統王位の権は堅固になっていた。侍従長のタレーラン公と大蔵大臣に就任したルイ師とは、互いに顔を見合って占考官のような笑《え》みを交《か》わしていた。二人は一七九〇年七月十四日に練兵場で同盟大会《フェデラシオン》の弥撒《ミサ》祭をあげたのであるが、タレーランは司教として弥撒をとなえ、ルイは補祭としてそれに働いたのだった。一八一七年に、その同じ練兵場の側道には、鷲《わし》と蜂《はち》との模様の金箔《きんぱく》ははげ落ちて、青く塗られてる大きな木の円筒が、幾つも雨に打たれ雑草の中に朽ちてるのが見られた。それは二年前には閲兵式の時の皇帝の席をささえていた円柱であった。グロス・カイヨーの近くに宿営していたオーストリア軍の陣営の焚火《たきび》のために所々黒くすすけていた。その二、三のものは陣営の中で燃されてしまって、オーストリア兵士の大きな手を暖めたのであった。その閲兵式(五月の野)は六月の練兵場(三月の野)で開かれたので注意をひいた。一八一七年には二つのことが世間に評判だった、それはトゥーケのヴォルテール本とシャルトの煙草《たばこ》入れとであった。新しくパリー人の視聴を欹《そばだ》てたことは、マルシェ・オー・フルールの池の中に自分の兄弟の首を投げ込んだドウトンの罪悪であった。海軍省では、あのショーマレーに不名誉を与えジェリコーの名をあげさした不幸なる二等艦メデューズ号について調査をはじめた。セルヴ大佐はソリマン総督になるためにエジプトに赴《おもむ》いた。アルブ街のテルムの邸宅は桶屋《おけや》の店になった。クリュニーの邸《やしき》の八角塔の平屋根の上には、ルイ十六世の時の海軍の天文学者であるメシエが観象台に使った板囲いの小屋が、まだ残って見えていた。デューラー公爵夫人は、青い空色の繻子《しゅす》を張ったX脚の床几《しょうぎ》がそなえてある自分の化粧室で、禁止になったウーリカ[#「ウーリカ」に傍点]を三、四人の友に読んできかしていた。ルーヴルの美術館では、ナポレオンの頭字Nはすべてのものから消されていた。オーステルリッツ橋はその名が廃せられてジャルダン・デュ・ロア橋となっていた、それはオーステルリッツ橋とジャルダン・デ・プラント園とを同時に隠した二重の隠語である。ルイ十八世は爪先《つまさき》でホラチウスの書に線を引いて読みながら、自ら皇帝となる英雄や自ら皇帝の後継となる賤民《せんみん》などのことを考えつつ、二つの心配を持っていた、すなわちナポレオンとマチュラン・ブリュノーとであった。フランスのアカデミーはその懸賞課題に研学によりて得らるる幸福[#「研学によりて得らるる幸福」に傍点]というのを出していた。ベラール氏はまったく堂々たる雄弁であって、ポール・ルイ・クーリエの譏刺《きし》を思わするあの未来のブローの検事と育ちつつあった。マルシャンジーと呼ぶ似而非《えせ》シャトーブリアンがいた、と一方にはアルランクールという似而非《えせ》マルシャンジーも出かかっていた。クレール[#「クレール」に傍点]・ダルブ[#「ダルブ」に傍点]とマレ[#「マレ」に傍点]・カデル[#「カデル」に傍点]との二つの書物は傑作であった、そしてコタン夫人は当時の第一流の作家だといわれていた。学士院会はその帳簿からアカデミー会員ナポレオン・ボナパルトの名前を抹殺《まっさつ》さしていた。勅令によってアングーレームは海軍兵学校の所在地となされていた、というのは、アングーレーム公爵は偉い海軍提督で、したがってアングーレームの町は海港たるのすべての資格をそなえていて、もしさもなくば王政の大綱は破綻《はたん》をきたしていたであろうから。内閣会議では、フランコニ曲馬団の広告のまわりに書かれて町の子供らを集めている綱渡りの芸を現わした模様の絵を、許すべきかどうかが問題となっていた。アグネーズ[#「アグネーズ」に傍点]の作者であって、頬に一つ疣《いぼ》のある四角い顔の好人物たるパエル氏は、ヴィル・レヴェーク街のサスネー侯爵夫人の催しにかかる親しい間がらだけの小さな演奏会を指導していた。若い娘たちはエドモン・ジェローの歌詞であるサン[#「サン」に傍点]・タヴェルの隠士[#「タヴェルの隠士」に傍点]を歌っていた。骨牌《カルタ》のナーン[#「ナーン」に傍点]・ジョーヌ[#「ジョーヌ」に傍点]はミロアール[#「ミロアール」に傍点]に代えられていた。ランブランの珈琲《コーヒー》店は皇帝派をもって立ち、ブールボン派をもって立っているヴァロア珈琲店と対抗していた。シシリーのある王女とまだ幼にしてルーヴェルに認められていたベリー公爵とが結婚したばかりだった。マダム・ド・スタールが死んで既に一年になっていた。親衛兵らはマルス嬢の舞台を邪魔していた。大新聞も皆紙面が小さかった。形は制限せられていたが、記事の自由は大であった。コンスティチュシオンネル[#「コンスティチュシオンネル」に傍点]紙は立憲派であった。ミネルヴ[#「ミネルヴ」に傍点]紙は Chateaubriand《シャトーブリアン》 を Chateaubriant と書いていた。シャトーブリアンには気の毒であるが、そのT[#「T」に傍点]を市民は大変おかしがっていた。買収せられた紙上で節を二にした記者らは、一八一五年に追放を受けた者らを侮辱した。曰《いわ》く、ダヴィッドももはや才能を有せず、アルノーももはや機才を有せず、カルノーももはや誠実を有せず、スールトももはや戦勝をもたらさず、ナポレオンももはや天下を有しないのは事実であると。郵便で被追放者にあてられた手紙は、警察の方で忠実に途中で押さえるので届くことはきわめてまれであるのを、だれも知らないではなかった。その事実は何も新しいことではない、追放されたデカルトもそれを嘆いている。ところで、ダヴィッドが自分にあてられた手紙の届かないことについてベルギーの一新聞紙上で不平を言ったが、それは追放せられた者らを当時あざけっていた王党の新聞にとっては愉快なことだった。弑逆人[#「弑逆人」に傍点]といいもしくは投票者[#「投票者」に傍点]といい、敵[#「敵」に傍点]といいもしくは同盟者[#「同盟者」に傍点]といい、ナポレオン[#「ナポレオン」に傍点]といいもしくはブォナパルト[#「ブォナパルト」に傍点]ということは、二者の間を、深淵よりもなおはなはだしく距《へだ》てることだった。よく物のわかった人々は皆、「憲章の不朽なる作者」と称せられたルイ十八世によって革命時代は永久に閉じられてしまったと認めていた。ホン・ヌーフの土手には、アンリ四世の銅像がやがて据えらるることになっている台の上に、レディヴィヴ[#「レディヴィヴ」に傍点]・ス[#「ス」に傍点](甦《よみがえ》れる)という語が彫られていた。ピエー氏は王政を強固にせんがための集会をテレーズ街四番地に立てていた。右党の領袖《りょうしゅう》らは重大な問題のたびごとに言った、「バコーに書き送らなければならない。」カニュエル、オマオニー、ド・シャブドレーヌの三氏は、多少王弟の許しを得て、後に「海辺の陰謀」となったところのものの芽を作っていた。エパングル・ノアール一派もまたその方で陰謀をめぐらしていた。ドラヴェルドリーは、トロゴフと接するに至った。ある程度の自由主義の精神を持ってるドカーズ氏が勢力を有していた。シャトーブリアンは、襞付《ひだつ》きズボンをつけ、上靴をはき、その半白の髪にマドラス織りの帽をかぶり、鏡を見つめ、歯科医の道具のそろった鞄を前に置き、痛んでいる歯を自ら治療しながら、憲章による王政[#「憲章による王政」に傍点]の種々の異本の差異を秘書のピロルジュ氏に書き取らせつつ、サン・ドミニク街二十七番地の自分の家の窓ぎわに毎朝立っていた。重な批評はタルマよりもラフォンをほめていた。ド・フェレズ氏はAと署名し、ホフマン氏はZと署名していた。シャール・ノディエはテレーズ[#「テレーズ」に傍点]・オーベル[#「オーベル」に傍点]を書いていた。離婚は廃せられていた。リセーは皆コレージュと呼ばれていた。コレージュ(高等中学校)の生徒らはえりに金の百合《ゆり》の花をつけ、ローマの王([#ここから割り注]訳者注 ナポレオン一世の子の称号[#ここで割り注終わり])の問題について互いに争論していた。宮廷の監察官は妃殿下に、どこにも出てるオルレアン公の肖像のことを告げていた。その像は軽騎兵司令官の制服をつけたもので、竜騎兵司令官の制服をつけたベリー公よりもりっぱであった。それは大なる不都合だった。パリー市は市の金で廃兵院の丸屋根の金を塗り直していた。まじめな人たちは、かくかくの場合にはド・トランクラーグ氏はどういうふうになすだろうかと考えていた。クローゼル・ド・モンタル氏は種々の点でクローゼル・ド・クーセルグ氏と離反した。ド・サラベリー氏は不平をいだいていた。モリエールさえはいることができなかったアカデミーの一員である喜劇作者ピカールは、オデオン座で二人のフィリベール[#「二人のフィリベール」に傍点]を上演さしていた。同座の破風からは女皇座[#「女皇座」に傍点]の文字がぬき取られていたが、その跡がまだ残って見えていた。キュネー・ド・モンタルロに対して賛否の論がされていた。ファブヴィエは乱を好むの徒であり、パヴーは革命家であった。ペリシエ社はフランス・アカデミー会員たるヴォルテール集[#「ヴォルテール集」に傍点]という題で、ヴォルテールのものの出版をした。その無邪気な出版屋は「それは売れますよ」と言っていた。一般の意見によれば、シャール・ロアゾン氏は本世紀を通じての天才だということであった。がうらやむ人々は彼を誹謗《ひぼう》しはじめていた。それも光栄の一つの兆である。そして彼について次のような句ができていた。
いかにロアゾン飛ぶとても、足あることを人は知る。

 枢機官フェーシュが辞職することを拒んだので、アマジーの大司教ド・パン氏はリオンの管轄区を統《す》べていた。ダップ渓谷の争議が、後に将軍となったデュフール大尉の覚書によって、スウィスとフランスとの間に始まっていた。世にまだ知られなかったサン・シモンは、その壮大な夢想を築きかけていた。アカデミー・デ・シヤンスには、有名であるがしかし後世忘れられてしまうようなあるフーリエがいた、そしてどこかの陋屋《ろうおく》のうちにも、まだ世に知られないが将来忘れらるることのないあるフーリエがいた。バイロン卿が世に現われはじめていた。ミルボアのある詩の注には次のような言葉で彼をフランスに紹介していた、あるバイロン卿とかいう者[#「あるバイロン卿とかいう者」に傍点]。ダヴィッド・ダンジェは熱心に大理石を弄《いじ》くっていた。カロン師は、フイヤンティーヌの袋町の神学校生徒の小さな集会で、後にラムネーとなったが当時まだ世に知られてなかった一牧師フェリシテ・ロベールのことを、非常に称賛して話した。泳いでる犬のような音を出してセーヌ河上に煙を吐き蠢《うご》めいている一つの物が、チュイルリー宮殿の窓下をロアイヤル橋からルイ十五世橋まで往来していた。それはつまらない一の機械であり、一種の玩具《おもちゃ》であり、妄想《もうそう》発明家の夢想であり、一つの空想であった、すなわち蒸汽船であった。パリー人は無関心の態度でそのばかな物をながめた。断行と規定と多数の任命とによって学士院会を改革した人であり、多くのアカデミー会員を推挙した有名な人であるヴォーブラン氏は、それらのことをした後に、自らはアカデミー会員となることができないでいた。サン・ジェルマン郭外とマルサン村とは、その警察長にドラヴォー氏を望んでいた、それは彼の熱誠のためであった。デュビュイトランとレカミエとは、イエス・キリストの神性について、医学校の階段教室で互いに論争してなぐり合うほどだった。一方の目で創世記を見、他方の目で自然を見ているキュヴィエは、化石を創世記の原文と比べてみたり、象鼻動物をしてモーゼのことをほめ称《たた》えさしたりしながら、妄信的《もうしんてき》反動に媚《こび》を呈していた。パルマンティエの記録のほむべき研究家たるフランソア・ド・ヌーシャトー氏は、ポンム[#「ポンム」に傍点]・ド[#「ド」に傍点]・テール[#「テール」に傍点](馬鈴薯《ばれいしょ》)をパルマンティエール[#「パルマンティエール」に傍点]と一般に言わせようとして、大層な努力をしていたが、それに成功しなかった。グレゴアール師は、もと司教であり、もと民約議会員であり、もと元老院議員であったが、王党の論戦において「破廉恥なるグレゴアール」の状態に陥っていた。ここにわれわれが使った「の状態に陥る[#「の状態に陥る」に傍点]」という言い方は、ロアイエ・コラール氏によって新語法として指摘せられていた。イエナ橋の第三の橋弧の下には、ブリューヘルが橋を爆発させんために穿《うが》った火薬坑を二年前にふさいだ新しい石を、その白さでなお見分けることができていた。法廷は一人の男を白州に引き立てた。その男はアルトア伯爵がノートル・ダーム寺院にはいってゆくのを見て、声高く言ったのである。「ああボナパルトとタルマとが互いに腕を組んで練兵場にはいってゆくのを見られた時代がなつかしい[#「ああボナパルトとタルマとが互いに腕を組んで練兵場にはいってゆくのを見られた時代がなつかしい」に傍点]。」それは挑発的な言葉であった。で六カ月牢にはいった。反逆人らはボタンをはずして何も隠さなかった。戦いの前日敵に通じた者らは、受けた報酬を少しも隠さないで、卑しい財宝と位階とに包まれて白日の下をはばかり気もなくのさばり歩いていた。リニーやカトル・ブラの脱走兵らは、その卑劣の報酬を受けて、王に対する彼らの忠誠を臆面《おくめん》もなくすっかり見せかけていた。彼らは皆、イギリスの共同便所の内側の壁に書かれてることを忘れているのであった、「出る前に服装を整えられたし[#「出る前に服装を整えられたし」に傍点]。」
 以上雑多なことは、今日はもう忘れられているが、一八一七年から雑然と浮き出してくるところのものである。歴史はこれらの特殊な事がらをほとんどことごとく閑却している。そしてそれも余儀ないことである。歴史は無限になるだろうから。けれどもこれらの詳細は、それを些事《さじ》と言い去るのは誤りであって――人生のうちに些事はなく、植物のうちに瑣末《さまつ》なる葉はない――それは皆有用なことである。時代の容貌が形造らるるのはその年々の相《すがた》によってである。
 さてこの一八一七年に、四人の若いパリーっ子が「おもしろい狂言」を仕組んだ。

     二 二重の四部合奏

 それらの四人のパリーっ子のうち、一人はツウルーズの者で、次はリモージュの者で、第三はカオールの者で、第四はモントーバンの者であった。けれども彼らはみな学生であった。学生というのはパリーっ子というのと同じで、パリーで学問をすることはパリーで生まれるのと同じである。
 それらの四人の青年らは、何らとりたてて言うべきほどの点をもたず、至ってありふれた人物だった。どこにでもある型だった。善《よ》くもなくまた悪くもなく、学問があるでもなくまた無知でもなく、天才でもなければまた愚か物でもなかったが、二十歳という楽しい青春の花盛りだった。それはある四人のオスカール([#ここから割り注]訳者注 北欧神話オシアン中の勇士[#ここで割り注終わり])であった。というのは、この時代にはまだアーサア([#ここから割り注]訳者注 イギリスの物語中の騎士[#ここで割り注終わり])式の人物はいなかったのだから。物語は言う、「彼のためにアラビアの香料を[#「彼のためにアラビアの香料を」に傍点]焚《た》け[#「け」に傍点]。オスカール来る[#「オスカール来る」に傍点]。オスカール[#「オスカール」に傍点]、余はまさに彼を見む[#「余はまさに彼を見む」に傍点]。」人々はちょうどオシアン物語から出てきたところで、典雅といえば皆スカンディナヴィアふうかカレドニアふうかであった。純粋のイギリスふうはずっと後にしかはやらなかった。そしてアーサア式の第一者たるウェリントンは、まだようやくワーテルローで勝利を得たばかりの時だった。
 で、その四人のオスカールのうち、ツウルーズのはフェリックス・トロミエスといい、カオールのはリストリエ、リモージュのはファムイュ、終わりのモントーバンのはブラシュヴェルといった。もちろんおのおの自分の情婦《おんな》を持っていた。ブラシュヴェルは、イギリスに行っていたことがあるのでファヴォリットと英語ふうに呼ばれている女を愛していた。リストリエは、花の名を綽名《あだな》としているダーリアという女を鍾愛《しょうあい》していた。ファムイュは、ジョゼフィーヌをつづめてゼフィーヌと呼ぶ女をこの上ない者と思い込んでいた。トロミエスは、美しい金髪のためにブロンドと呼ばるるファンティーヌという女を持っていた。
 ファヴォリット、ダーリア、ゼフィーヌ、ファンティーヌ、その四人は、香水のにおいを散らしたきらびやかな娘盛りだった。針の臭みからぬけきらないで多少女工ふうの所もあり、また情事に濁らされてもいたが、しかしその顔にはなお労働の朗らかな影が残っており、その心の中には、最初の堕落にもなお女のうちに残る誠実の花を留めていた。四人のうちの一人は一番年下なので若い娘《こ》と呼ばれてい、そのうちの一人は年増《としま》と呼ばれていた。その年増は二十三になっていた。うち明けて言えば初めの三人は、最初の楽しみにあるブロンドのファンティーヌよりは、経験も多くつみ、いっそう放縦で世なれていた。
 ダーリアとゼフィーヌ、わけてもファヴォリットは、ファンティーヌと同日には論じられなかった。彼女らの物語はようやく始まったばかりなのにもう既にいくつもの插話《エピソード》があった、そして相手の男の名も、その第一章にアドルフというかと思えば、第二章にはアルフォンズとなり、第三章にはギュスターヴとなっていた。貧苦と嬌艶《きょうえん》とはいけない相談役である。一は不平を言い、他は媚《こ》びる。そして下層の美しい娘らはそれを二つながら持っていて、両方から耳に低くささやかれる。護りの弱い彼女らの魂はそれに耳を傾ける。そこから彼女らは堕落して、人に石を投げらるるに至る。そして彼女らは、もはやおのれのいたり及ばぬ清らかなるものの輝きで圧倒せらるる。ああ、もしユングフラウ([#ここから割り注]訳者注 物語の聖き少女[#ここで割り注終わり])にして飢えていたとせんには!
 ファヴォリットはイギリスにいたことがあるというので、ゼフィーヌとダーリアとから尊敬されていた。彼女はごく早くから自分の家というのを一つ持っていた。父は乱暴で法螺《ほら》吹きの数学教師であって、結婚したことがなく、老年にもかかわらず家庭教師に出歩いていた。この数学の教師はまだ若い時に、暖炉の灰|除《よ》けにかかっていた女中の着物をある日見て、そのためにその女を思うようになった。ファヴォリットはその間に生まれたのである。彼女は時々自分の父に出会ったが、父は彼女に丁寧な態度をとった。ある朝、信仰深そうな年寄った女が彼女の家にはいってきて、彼女に言った。「あんたは私がわかりませんか。」「わかりません。」「私はあんたの母親だよ。」それからその老婦人は、戸棚をあけて飲み食いし、自分のふとんを持ち込み、そこに腰を据えてしまった。その口やかましい信仰深い母親は、決してファヴォリットには口もきかず、一言も言わないで数時間じっとすわっていて、朝と昼と晩と三度の食事を驚くほどたくさん食い込み、そして門番のところへ話しにおりてゆき、そこで娘のことを悪口するのを常とした。
 ダーリアがリストリエの方へなびき、またおそらく他の種々な男の方へなびき、なまけてしまったのは、あまり美しすぎる薔薇《ばら》色の爪を持っていたからである。どうしてその美しい爪で働かれよう。貞節を守らんと欲する者はおのれの手をあわれんではならない。ゼフィーヌの方は、「そうよ、あんた、」と言う言葉つきに、ちょいと無遠慮な愛くるしいところがあったので、ファムイュの心を得たのだった。
 その若い男たちは仲間同士であり、その若い女たちも友だち同士であった。かかる恋愛はいつもかかる友誼《ゆうぎ》といっしょになるものである。
 賢いのと分別があるのとは別である。その証拠には、その貧しい乱れた生活をば斟酌《しんしゃく》してやるとすれば、ファヴォリットとゼフィーヌとダーリアとは分別のある女であった、そしてファンティーヌは賢い女であった。
 賢い? そしてトロミエスを思う? と人は反問するだろう。が、愛は知恵の一部なりとソロモンは答えるであろう。吾人はただこう言うに止めておこう、すなわち、ファンティーヌの愛は、最初の愛であり、唯一の愛であり、誠ある愛であったと。
 四人の女のうちで、唯一人の男からだけお前と呼ばれていたのは、彼女だけだった。
 ファンティーヌは、いわば民衆の奥底から花を開き出したともいえるような者の一人であった。社会の測るべからざる濃い闇《やみ》の底から出てきたので、彼女は額に無名および不明の印を押されていた。彼女はモントルイュ・スュール・メールで生まれた。どういう親からか? だれがそれを言い得よう。彼女の父も母も少しもわからなかった。彼女はファンティーヌという名だった。なぜファンティーヌというか? 他の名前がわからなかったからである。彼女の出生は、まだ執政内閣のある時分だった。彼女には姓もなかった、家族がなかったから。洗礼名もなかった。その地にはもう教会がなかったから。まだ小さい時に通りを跣足《はだし》で歩いていると、通りがかりの人がいい名だと言ってつけてくれた名をもらった。雨の降る時に雲から落ちてくる水のしたたりを額に受けるように、彼女はその名前をもらった。そして小さなファンティーヌと呼ばれた。だれも彼女のことをそれ以上に知ってる者はいなかった。この一個の人間はそのようにして人の世にやってきたのである。十歳の時に、ファンティーヌはその町を去って、近くの農家に雇われて行った。十五の時に、「金もうけに」パリーに出てきた。ファンティーヌはきれいであった、そしてできるだけ長く純潔を守っていた。美しい歯をしたかわいらしい金髪の娘だった。彼女は結婚財産として黄金《こがね》と真珠とを持っていたのである。しかし黄金というのは頭の上にあり、真珠というのは口の中にあるのだった。
 彼女は生活のために働いた。それから、やはり生活のために、というのは心もまた飢えるものだから、彼女は愛した。
 彼女はトロミエスを愛した。
 男の方には情欲があり、女の方には熱情があった。学生やうわ気女工らが蟻《あり》のように群らがってるカルティエ・ラタンの小路が、二人の夢の初まりの場所だった。ファンティーヌは、多くの情事が結ばれ解けるあのパンテオンの丘の迷路で、長い間トロミエスを避けながら、しかもいつもまた彼に出会うようにした。さがすのに似た隠れ方があるものである。要するに、牧歌の恋が起こったのである。
 ブラシュヴェルとリストリエとファムイュとは一種の党をなしていて、トロミエスはその首領であった。機才のきいてるのは彼だったのである。
 トロミエスは年とった古書生だった。金持ちで年に四千フランの収入があった。年に四千フランといえば、サント・ジュヌヴィエーヴの山([#ここから割り注]訳者注 パンテオンの丘[#ここで割り注終わり])では素敵な評判のものだった。トロミエスは三十歳の道楽者で、身体は衰えていた。しわがより、歯が抜けていた。頭がそろそろ禿《は》げかかっていたが、彼は平気で自ら言っていた、「三十歳にして禿げ[#「三十歳にして禿げ」に傍点]、四十歳にして腰が立たず[#「四十歳にして腰が立たず」に傍点]。」消化が悪く、一方の目には涙がにじんでいた。けれども、若さがなくなるに従ってますます元気になった。歯の無い所は洒落《しゃれ》で補い、禿げた所は快活さで、健康の悪いのは皮肉で補った、そして、涙のにじんでる目は絶えず笑っていた。身体はくずれていたが、なお花を咲かしていた。彼の青春は、年齢《とし》よりも早く逃げ出しながら、うまく退却の太鼓を鳴らし、笑いくずれていて、人の目には活気しかはいらなかった。ヴォードヴィル座に作品を送って拒絶されたこともあった。時々は何か歌をも作った。その上、彼は何事にも頭から疑惑をいだいていたが、弱い者らの目にはそれが強大な力に見えた。それで、皮肉であり頭は禿げていたが、皆の上に立っていた。iron というのは英語で鉄の意味である、そこから ironie(皮肉)の語はきたのであろうか。
 ある日トロミエスは他の三人の者をわきに呼んで、神託でも授けるような身振りで彼らに言った。
「もう一年前からファンティーヌとダーリアとゼフィーヌとファヴォリットは、何かびっくりするようなことをしてくれと言っている。われわれはそれをまたりっぱに約束している。女どもはいつもそのことを言っているし、ことに僕にははなはだしい。ちょうどナポリの年寄った女たちが一月の護神《まもりがみ》に向かって叫ぶようだ。黄いろな顔の神様[#「黄いろな顔の神様」に傍点]、奇蹟を施して下さいませ[#「奇蹟を施して下さいませ」に傍点]! われわれの美人たちは絶えず僕に言う、トロミエス、いつびっくりするようなことをしでかすの? 同時にまた親父《おやじ》どもからはうるさい手紙が来る。両方から繰言《くりごと》だ。僕はもう時機がやってきたように思う。いっしょに相談しよう。」
 そこでトロミエスは声をひくくして、何やら秘密にささやいた。よほどおもしろいことだったと見えて、同時に四人の口から、大きな感にたえたような冷笑がもれた。そしてブラシュヴェルは叫んだ、「そいつは、うまい考えだ!」
 煙草の煙の立ちこめたある喫煙珈琲店《エスタミネ》が前にあった。彼らはそこへはいって行った。その後の彼らの相談は物影に消えてしまった。
 人に知られぬその相談の結果は、四人の青年が四人の若い女を招いて、次の日曜に催した有頂天《うちょうてん》な遊楽となった。

     三 四人に四人

 四十五年前の学生やうわ気女工らの野遊びのさまは、今日ではもう想像するも困難である。パリーは今ではもはやその頃のような郊外を持たない。パリーの周囲の生活とでもいうべきものの姿は、半世紀以来まったく変わってしまった。昔がた馬車の走っていた所には今は鉄道があり、小舟の浮かんでいた所には汽船がある。昔はサン・クルーのことを今日フェカンの話をするように話したものである。現今一八六二年のパリーは、フランス全部を郊外とする都市となっている。([#ここから割り注]訳者注 本書は一八六二年に出版せられたものなることを記憶せられたい[#ここで割り注終わり])
 さて四組みの男女の者は、当時でき得る限りの郊外ばか騒ぎを本気にやってのけた。ちょうど夏の休みになっていた時で、暑いうち晴れた日であった。前日、文字を知ってるただ一人の者であるファヴォリットは、四人の名前でトロミエスに次のように書いてよこした。「早くから出かけるのが楽しみですわ。」それで彼らは朝の五時から起き上がった。それから馬車でサン・クルーに行った。水の涸《か》れている滝を見て叫んだ、「水があったらさぞきれいだろう!」まだ毒殺者カスタンがやって来る前のことで、テート・ノアールの茶屋で朝食をすまし、大池の側の五点形の輪遊び場で一勝負し、ディオゼーヌの塔に上り、セーヴル橋で菓子を賭《か》けて球《たま》ころがしをし、プュトウで花を摘み、ヌイイーで芦笛《あしぶえ》を買い、いたる所でリンゴ菓子を食い、そしてすてきに愉快だった。
 若い女たちは、籠《かご》から出た小鳥のように騒ぎ回りさえずり回った。まったく夢中になっていた。時々男たちを軽くたたいた。人生の朝《あした》の酔いである! 愛すべき青春の年である! 蜻蛉《とんぼ》の翼は震える。おお、いかなる人にも覚えがあるはずである。藪《やぶ》の中を歩きながら、後《あと》について来る愛《いと》しい人の顔にかからないようにと木の枝を押し開いたことを。愛する女とともに、雨にぬれた坂道を笑いながらすべりおりたことを。その時女は君の手につかまって叫んだであろう、「ああ、ま新しの半靴なのに、こんなになってしまった!」
 ところですぐに言ってしまえば、その愉快な邪魔物の夕立ちは、この上きげんな一行には降らなかった。ただしファヴォリットは出がけに、もっともらしい年長者らしい調子で、「蛞蝓《なめくじ》が道にはっている[#「が道にはっている」に傍点]、雨の降るしるしだわ[#「雨の降るしるしだわ」に傍点]、」と言ったのだったが。
 四人とも非常にきれいであった。当時有名なクラシックの老詩人であり、一人のエレオノールを持っていた好人物である、ラブーイスの騎士という男が、その日サン・クルーのマロニエの木の下を逍遙《しょうよう》していると、朝の十時ごろ彼らが通るのを見かけた、そして三女神カリテスのことを思い出して叫んだ、「一人多すぎる[#「一人多すぎる」に傍点]。」ブラシュヴェルの情婦で二十三になる年増《としま》のファヴォリットは、緑の大きな枝下にかけ入り、溝《みぞ》を飛び越え、むやみに茂みをまたぎ、若い野の女神のようなはしゃぎ方で一行の浮かれ心を引き立てた。ゼフィーヌとダーリアとは、互いに相俟《あいま》ってその美しさを輝かし完《まっと》うする人がらだったので、友情からというよりもむしろ嬌艶《きょうえん》の本能から決して離れないで、互いに寄り合ってイギリスふうの態度を取っていた。イギリス年刊文学集が出だした頃のことで、後にバイロンふうが男を風靡《ふうび》したように憂鬱《ゆううつ》が女の流行となり初め、女性の髪は悲しげに装うことが初まっていた。ゼフィーヌとダーリアとは捲《ま》き髪であった。リストリエとファムイュとは教師らのことを論じ合って、デルヴァンクール氏とブロンドー氏との違いを、ファンティーヌに説明してきかしていた。
 ブラシュヴェルは、ファヴォリットのテルノー製の片方縁飾りのショールを日曜日ごとに腕にかけて持ち歩くために、特に天より創《つく》られたかの観があった。
 トロミエスは後《あと》に続いて、その一群を支配していた。彼は大変快活だった。しかしだれも何かしら彼のうちに皆を支配する力のあるのを感じていた。彼の陽気さのうちには執政権が含まれていた。その重な身の飾りは、南京木綿《なんきんもめん》で象脚形に仕立てたズボンと、それについてる銅色の打ちひものズボン止めであった。手には二百フランもする丈夫な籐《とう》の杖を持っていた。そしてどんなことでもやってみるつもりだったので、口には葉巻き煙草というへんてこなものをくわえていた。彼にとっては何もありがたいというものはなかったので、彼はそれを平気でくゆらしていた。
「トロミエスは実にえらい。」と他の者らは尊敬の言葉を発した。「あのズボンはどうだ! あの元気はどうだ!」
 ファンティーヌに至っては見るも喜ばしい女であった。そのみごとな歯並びは明らかに神から一つの職分を、すなわち笑いを、授かっていた。長い白ひものついた麦藁《むぎわら》編みの小さな帽子を、頭に被《かぶ》るよりもむしろ好んで手に持っていた。そのふさふさした金髪は、ややもすれば波打って容易に解《ほど》けやすいので絶えず押さえ止めなければならなかった、そして柳の木の下を逃げてゆくガラテア姫にもふさわしく思われるのだった。その薔薇《ばら》色の脣《くちびる》は人を惑わす魅力をもってむだ口をきいていた。その口の両端は、エリゴーネの古代面におけるがように肉感的にもち上がっていて、男の元気を励ますように見えた。しかし影深い長い睫毛《まつげ》は、顔の下部のそのはなやかさの上に、それを静めるためででもあるかのようにしとやかに下がっていた。その全体の服装《みなり》は、歌うがごとく燃ゆるがごとく、何ともいえない美しさだった。葵《あおい》色の薄ものの長衣をつけ、海老茶《えびちゃ》色の小さな役者靴をはいていた。靴のリボンは、真っ白な繊《こま》かな透き靴足袋の上にX形に綾取《あやど》られていた。それからモスリンの一種の胴着をつけていた。それはマルセイユで初めて作られたものでカヌズーという名前のものであるが、その名は、キャンズ・ウー(八月十五日)という語をカヌビエール地方でなまってできたもので、上天気、暑気、正午、などの意味を有するのである。他の三人は、既に述べたとおり、それほど内気ではなく、すっかり首筋を露《あら》わにしていた。それは夏には、花を一面につけた帽子を被ると、非常に優美で男の心を苛《い》ら立たせるのである。しかしそれらの大胆な装いの傍にあって、金髪のファンティーヌのカヌズーは、同時に肌を隠すようでも現わすようでもある透明な不謹慎なかつ控え目な様を呈して、人の心をそそる珍しい上品さをそなえていた。そしてあの海のように青い目をしたセット子爵夫人が主宰していた有名な恋愛会は、しとやかさを目ざしたこのカヌズーに妖艶《ようえん》の賞を与えたことであろう。最も素朴なものは時として最も賢いものである。往々そういうものがある。
 顔は燃ゆるがようで、顔立ちは優美で、ごく青い目、大きいまぶた、甲高の小さい足、かっこうのよい手首と足首、所々に血管の青い筋を見せている真っ白い肌、あどけない瑞々《みずみず》しい頬、エジナ島で見い出されたジュノーの像のように丈夫な首、しっかりしてまたしなやかな首筋、クーストーが彫刻したかと思われるようで真ん中にモスリンを透かして肉感的なくぼみが見えている両の肩、夢想で和らげられてる快活さ、彫刻のようで美妙な姿、そういうのが即ちファンティーヌであった。そしてその衣装の下には一つの立像があり、その立像の中には一つの魂があることが見えていた。
 ファンティーヌは自ら知らずしてきれいであった。世にまれな夢想家ら、何物をもひそかに完成に比較する美の不思議な司祭らは、この小さな女工のうちに、パリー婦人の透明な美を通して、古代の聖《きよ》い階調を見い出したであろう。この下層の娘はその美の血統を持っていた。彼女は風姿と調子との二つの種類において美しかった。風姿は理想の形体であり、調子はその運動である。
 われわれはファンティーヌをもって快楽そのもののように言った。が、ファンティーヌはまた貞淑そのものでもあった。
 彼女をよく注意して見る時には、その年齢と季節と愛情との酔いを通して彼女から浮かび上がって来るところのものは、内気と謙譲とのうちに消し難い表情であった。彼女はいくらかびっくりしたようなふうをしていた。その潔《きよ》いびっくりした様こそは、サイキーをヴィーナスと異ならしむる色合いである。彼女の真っ白な長い細い指は、金の留め金で聖火の灰をかきまわすという貞節を守る巫女《みこ》のそれのようだった。後《あと》で明らかにわかるとおり、彼女はトロミエスに対しては何事も拒まなかったけれども、その穏やかな平時の顔はまったく処女のようだった。まじめなそしてほとんどいかめしい一種の威厳が時々突如として現われた。そして快活さが急に消え失せて何ら推移の影を見せないで直ちに沈思の趣に変わってゆく様子は、まったく不思議な驚くべきことだった。その突然のそして時としては厳《いか》めしくきわ立って見えるまじめさは、女神の軽蔑《さげすみ》にも似ていた。額と鼻と※[#「丿+臣+頁」、第4水準2-92-28]《あご》とは、割合の平衡とはまったく異なる線の平衡を示していた。そしてそれによって顔立ちの調和が取れていた。また鼻の下と上脣《うわくちびる》との間のごく目につきやすい間隔のうちには、見えるか見えないかの魅力あるしわがあった。それは貞節の神秘な兆《しるし》で、バルバロッサをしてイコニオムの発掘の中に見い出されたディアナに恋せしめたところのものである。
 恋は過ちである。さもあらばこそ、ファンティーヌは過ちの上に浮かんでいる潔白そのものであった。

     四 トロミエス上機嫌《じょうきげん》にてスペインの歌を歌う

 その日は始めから終わりまでまるで曙《あけぼの》のようだった。自然もすべて休日で笑い楽しんでるように見えた。サン・クルーの花壇はかおりを散らし、セーヌの河風はそよそよと木の葉を揺るがし、木々の枝は風のままに動き、蜜蜂《みつばち》はジャスミンの花に集まり、蝶の群れはクローバーやのこぎり草や野生の燕麦《えんばく》の間を飛び回り、ロア・ド・フランスの壮大な園には鳥の浮浪の群れがいた。
 四組みの楽しい男女は、太陽や野や花や木にうち交じって光り輝いていた。
 そしてこの楽園の一群は、饒舌《しゃべ》り、歌い、かけ、踊り、蝶を追い、昼顔を摘み、高い草の中にその薔薇《ばら》色の透き編みの靴足袋をぬらし、生き生きとして、狂気のごとく、何らの意地悪げもなく、あちこちで皆互いに接吻《せっぷん》し合っていた。ただ一人ファンティーヌだけは、夢みるようななれ難い反発のうちにぼんやり閉じこもっていた、そして恋を心にいだいていた。「あんたは、」とファヴォリットは彼女に言った、「あんたはいつも妙なふうをしてるわね。」
 そこに快楽がある。それらの楽しい男女の遊山は、人生と自然とへの深い呼びかけであり、すべてのものから愛撫《あいぶ》と輝きとを誘い出すのである。かつて一人の魔女がいて、恋する者たちばかりのために野と森とを作った。それで恋人らの永遠の野遊びの学校が初まった。それは絶えず開かれており、木々の茂みと学生とがある間は続くであろう。それで思想家の間に春が名高くなった。貴族も大道の研屋《とぎや》も、華族も平民も、殿上人も町人も、皆その魔女の臣下である。人は笑い楽しみ、互いにさがし求め、賛美の光輝が空中に漂う。愛することはいかに万物の姿を変ずるか! 公証人書記も神となる。そして、かわいい叫び、草の中の追いっくら、急な抱擁、かえって音楽のように響く言葉のなまり、一言のうちにほとばしるその情愛、口から口へ移し合う桜ん坊、それらは皆燃え上がり、天国の栄光のうちに包まるる。美しい娘たちは楽しくその美を浪費する。永久に終わらないもののようである。哲学者も詩人も画家も、ただその恍惚《こうこつ》たる様をながめるのみでなすところを知らない。それほど彼らも眩惑せられるのだ。シテール島([#ここから割り注]訳者注 愛の恍惚の島[#ここで割り注終わり])への出発とワットーは叫び、平民の画家なるランクレーは蒼空《そうくう》に翔《か》け上る市民らをうちながめ、ディドローはそれらの情愛をとらえんとて手を伸ばし、デュルフェーはそれにゴールの祭司をささえしめた。
 昼食の後に四組みの男女は、当時王の花壇と呼ばれていた所に、インドから新たにきた植物を見に行った。今ちょっとその名は忘れたが、当時それはサン・クルーにパリー中の人を引きつけたものだった。幹の高い不思議な面白い灌木《かんぼく》で、無数の細かな枝が糸のようでうち乱れ、葉はなく、たくさんの小さな白い花形のもので蔽《おお》われていた。そのため木は一面に花の咲いた毛髪のような観を呈していた。いつもそれを嘆賞してる大勢の人がいた。
 その灌木を見てから、トロミエスは叫んだ、「驢馬《ろば》に乗せてあげよう!」驢馬屋に賃金をきめて、彼らはヴァンヴとイッシーとの道から戻ってきた。ところがイッシーでおもしろいことがあった。当時、陸軍御用商人ブウルガンの所有であったその公園ビヤン・ナシオナルは、偶然にもすっかり開かれていた。彼らは門をはいって、洞窟《どうくつ》の中のばかの隠者を見、有名な鏡の間の不思議な働きをためしに行った。そこはある半羊神が百万の富者になり卑しいチュルカレーがプリアプ神になったという話しにふさわしい、淫猥《いんわい》な陥穽《あな》だった。また彼らはベルニス修道院長が祝福した二本の栗《くり》の木にゆわえられてる、大きな綱のぶらんこを激しくゆすった。トロミエスが美人連を代わる代わるぶらんこにのせて揺すると、ちょうどグルーズの好んで画いた絵のようにその裾《すそ》がまくれるので、皆ははやし立てた。そしてツウルーズはスペインのトロサと関係があるので、ツウルーズ生まれで多少スペインと縁のあるトロミエスは、愁《うる》わしい調子で古いスペインの小唄《こうた》ガレガ[#「ガレガ」に傍点]を歌った、おそらく二本の木の間の綱の上に勢い込めて揺られてる美しい娘から感興を得たのであろう。

わたしの生まれはバダホース。
恋というのがわたしの名。
わたしの心は
みんなわたしの目の中に、
ほんにかわいい
お前の足が出てるから。

 ただファンティーヌだけはぶらんこに乗らなかった。
「あんなふうに気取ってるのはあたし大きらい。」とファヴォリットはかなり手酷《てひど》くつぶやいた。
 驢馬《ろば》をすてても、やはりまたおもしろかった。彼らは船でセーヌ河を渡り、パッシーから歩いてエトアール市門まで行った。読者は記憶しているであろうが、彼らは朝の五時から起き上がっていたのである。けれども、「なあに日曜には[#「日曜には」に傍点]疲《くたび》れることなんかないわ[#「る
となんかないわ」に傍点]、」とファヴォリットは言った、「日曜には疲れもお休みだわ[#「日曜には疲れもお休みだわ」に傍点]。」そして三時ごろに、楽しみに夢中になってる四組みの男女は、ロシアの山をかけおりた。ロシアの山というのは、当時ボージョンの高地に立っていた奇妙な建造物で、シャン・ゼリゼーの並み木の上にその波状をなした線が見えていたものである。
 時々ファヴォリットは叫んだ。
「そしてびっくりするようなものというのは! あたしそれを早く知りたいわ。」
「まあ待っといでよ。」とトロミエスは答えた。

     五 ボンバルダ料理店

 ロシアの山を遊びつくして、彼らは夕食のことを考えた。そしてその愉快な八人組みも、ついに少し疲れを覚えて、ボンバルダ料理店へ引き上げた。それは当時デロルム路地の側にリヴォリ街に看板を出していたあの有名な料理屋のボンバルダが、シャン・ゼリゼーに出している支店であった。
 奥に寝所と寝台とのある大きいしかしきたない室で(日曜で客の多い時だったのでそんな所でも我慢しなければならなかったのである)、二つの窓があり、窓からは楡《にれ》の木立ちを透かして河岸と川とを見渡すことができた。八月のうららかな日光が窓に軽く当たっていた。二つのテーブルがあって、その一つには、男女の帽子に交じって花環《はなわ》が山のように積まれ、他のテーブルには、大皿と小皿や杯やびんなどが楽しげに並べられて、そのまわりに四組みの男女はすわっていた。ビールのびんはぶどう酒のびんと入れ交じっていた。食卓の上にはほとんど秩序がなく、その下にも狼藉《ろうぜき》があった。


彼らはテーブルの下に音を立つ、
足を触れ合うおぞましき音を。

とモリエールは言っている。
 以上が、朝の五時に初まった遊山の午後四時半ごろの有り様であった。日は傾き、彼らの食欲も満たされた。
 シャン・ゼリゼーは日の光と群集とに満ちて、輝きと塵《ちり》とのみだった。その二つこそ光栄を形造るところのものである。マルリーの嘶《いなな》ける大理石の馬は黄金の雲の中におどり上がっていた。四輪馬車がゆききしていた。はなやかな親衛騎兵の一隊は、先頭にラッパを鳴らしてヌイイーの大通りを下っていった。夕日にやや薔薇《ばら》色に染まった白い旗が、チュイルリー宮殿の丸屋根の上にひるがえっていた。当時再びルイ十五世広場と呼ばれていたコンコルドの広場は、満足げな散歩の人をもって満たされていた。多くの者は、銀色の百合《ゆり》の花を波形模様の白リボンに下げて身につけていた。それは一八一七年にもなおボタンの穴につけられてる昔のなごりである。所々に、丸く集まって喝采してる通行人の真ん中に、輪舞《ロンド》の娘らが当時名高かったブールボン派の歌を歌っていた。その歌はナポレオン再挙の百日をのろうために作られたもので、次のような複唱の句を持っていた。


われらにガンの父を返せ、
われらにわれらの父を返せ。

 郭外の大勢の人々は、日曜の晴れ着をつけ、稀《たま》には郭内の者のように百合の花をさえつけて、マリーニーの大小の広場に散らかり、輪遊びをしたり、木馬に乗って回ったりしていた。ある者は酒を飲んでいた。活版屋の小僧らは紙の帽子をかぶってるのもあった。人々の笑い興ずる声は遠くまで聞えていた。すべてが喜びに輝いていた。揺るぎなき平和と王党の確かな安泰との時代だった。警視総監アングレーがパリー郭外に関して王にいたした内密な特別報告が次の数行で結ばれた時代であった。「陛下、すべてを考察するにこれらの人民には何ら恐るべきものなし。彼らはむとんちゃくにして怠慢なること猫《ねこ》のごとし。地方の下層の人民は不安なれども、パリーのそれはしからず。彼らは皆小人どものみなり。陛下、陛下の精兵一人を作らんがためには彼ら二人を接合するを要すべし。首府の賤民《せんみん》につきては少しも恐るるに足らず。五十年以来彼らの身長なお減じたるは著しきことにして、パリー郭外の者らは革命前よりもいっそう矮小《わいしょう》となれり。更に危険なることなし。要するに、そは愛すべき細民なり。」
 猫が獅子《しし》に変わり得ることもあるとは、警察の長官らは信じない。けれどもそれは可能で、そこにパリー民衆の奇蹟がある。そのうえ猫は、アングレー伯爵からはかくも軽蔑せられたが、古《いにし》えの共和制を尊んでいた。そのために彼らの目には自由の姿が刻み込まれていた。そしてピレウスにある無翼のミネルヴァの像と相対立せしめんがためかのように、コラントの広場には猫の青銅の巨像が立っていた。王政復古の正直な警察は、パリーの人民をあまりに「りっぱ」に見た。が、それは人が信ずるほど「愛すべき[#「愛すべき」は底本では「感すべき」]細民」では決してない。パリー人のフランス人におけるは、アテネ人のギリシャ人におけるがごときものである。彼らほどよく眠る者はなく、彼らほど公然と軽佻《けいちょう》で怠惰なるものはなく、彼らほど忘却のふうを多く有するものはない。けれどもそれを当てにしてはならない。いかなるむとんちゃくをも現わすが、しかし名誉に関する場合には、あらゆる熱狂を示す。槍《やり》を与うれば八月十日([#ここから割り注]訳者注 一七九三年の[#ここで割り注終わり])の事件を起こし、銃を与うればアウステルリッツの勝利を得る。彼らはナポレオンの支柱であり、ダントンの根拠である。祖国のためには軍籍に入り、自由のためには舗石《しきいし》をもあげて戦う。注意せよ! 怒りに満ちたる彼らの頭髪は叙事詩的であり、彼らの上着は古ギリシャの外套にも似る。注意せよ。グルネタ([#ここから割り注]訳者注 パリー[#ここで割り注終わり])のあらゆる街路は、彼らの手によって恐ろしき刃の関所となるであろう。一度時機きたらば、その郭外の住民は大きくなり、その矮小なる男は立ち上がり、恐ろしき目をもってにらみ、吐く息は暴風となり、その狭いあわれなる胸からは、アルプス連山の起伏をも動かすほどの風が出るであろう。フランス革命が、軍隊の力をも借りはしたが、欧州を席巻したのは、パリー郭外の人民の力によってである。彼らは歌う、それが彼らの楽しみである。彼らの歌をしてその天性に応ぜしめよ、しからばわかるであろう。その複唱句としてカルマニョールをのみ与うれば、彼らはただルイ十六世をくつがえすのみ。マルセイエーズを歌わしむれば、彼らは世界を解放せん。
 アングレーの報告の余白に以上のことを付記して、われわれはまたわが四組みの男女のことに帰ろう。前に言ったとおり、晩餐《ばんさん》は既に終わりかけていた。

     六 うぬぼれの一章

 食卓の雑話、恋のさざめき。いずれ劣らぬ捕え難いものである。恋のさざめきは雲であり、食卓の雑話は煙である。
 ファムイュとダーリアとは鼻歌を歌っていた。トロミエスは酒を飲んでいた。ゼフィーヌは笑い、ファンティーヌはほほえんでいた。リストリエはサン・クルーで買った木のラッパを吹いていた。ファヴォリットはやさしくブラシュヴェルをながめて言った。
「ブラシュヴェル、あたしあんたをほんとに愛してよ。」
 その言葉はブラシュヴェルの質問をひき起こした。
「もし僕がお前を愛さなくなったら、ファヴォリット、お前はどうするんだい。」
「あたし!」とファヴォリットは叫んだ。「ああ、そんなことおよしなさいよ、冗談にも! もしあんたがあたしを愛さなくなったら、あたし追っかけて、しがみついて、引っ捕えて、水をぶっかけてやるわ、警察に捕えてもらうわ。」
 ブラシュヴェルは自負心に媚《こ》びられた者のように嬉しげににやりと笑った。ファヴォリットはまた言った。
「ええ、あたし警察にどなり込んでやる。それこそほんとに困まっちまうわ。憎らしい!」
 ブラシュヴェルはうっとりとして、椅子《いす》にぐっと身を反《そ》らせ、得意げに両の目を閉じた。
 ダーリアは物を食べながら、その騒ぎの中で声を潜めてファヴォリットに言った。
「それじゃあんたはほんとにあの人を大事に思ってるの、ブラシュヴェルを?」
「あたし、あの人大きらい。」とファヴォリットはフォークを取り上げながら同じ低い声で答えた。「それは吝嗇《けち》でね。それよりかあたし、家《うち》の向こうにいるかわいい男が好きなのよ。若い男だが、それはりっぱよ。あんた知ってて? 見たところ何だか役者のようだわ。あたし役者が大好き。その男が帰って来ると、そのお母さんが言うのよ、ああああ、煩《うるさ》いことだ、また喚《わめ》き立てるんだろう、頭がわれそうだって。鼠《ねずみ》のはうようなきたない家なのよ、真っ暗な小さな家よ、それは高い上階《うえ》でね。その家の中で、歌ったり読誦《どくしょう》したりするんだが、何だかわかりゃしない、ただ下からその声が聞こえるだけよ。代言人の所へ通って裁判のことを書くんで、今では日に二十スーとかもらうんだって。サン・ジャック・デュ・オー・パのもとの歌い手の息子《むすこ》なのよ。ほんとにそれはきれいよ。あたしに夢中なの。ある日なんかパンケーキの粉をねってるあたしを見て言うのよ、嬢さん[#「嬢さん」に傍点]、あなたの手袋でお菓子をこしらえたら私が食べてあげますよって[#「あなたの手袋でお菓子をこしらえたら私が食べてあげますよって」に傍点]。そんなふうには芸術家でなくちゃ言えやしないわ。ああそれは好《い》い男よ。どうやらあたしも夢中になりそうだわ。でもどうだっていい、あたしブラシュヴェルに、あんたに惚《ほ》れてるって言っておくの。あたし嘘《うそ》をつくのはうまいでしょう、ねえ、上手でしょう!」
 ファヴォリットはちょっと言葉を切って、そしてまた続けた。
「ダーリア、ねえあたしつまんないわ。夏中雨ばかりだし、いやあな風が吹くし、風は何の足《た》しにもなりはしないし、ブラシュヴェルは大変|吝嗇《けち》だしさ。市場には豌豆《えんどう》もあまりないので、何を食べていいかわかりゃしない。イギリス人が言うように憂鬱《ゆううつ》を感じるわ。バタが大変たかいしね。それからまあ御覧なさいよ、何という所でしょう。寝台のある所で食事をしてるんじゃないの。ほんとに世の中が嫌《いや》になっちまうわ。」

     七 トロミエスの知恵

 さて、ある者は歌っており、ある者はやかましく饒舌《しゃべ》っていて、そして時々皆いっしょになって、ただもう非常な騒ぎであった。トロミエスは皆をさえぎった。
「そうやたらに饒舌ったり、あまり早口をきいたりするなよ。」と彼は叫んだ。「ほんとに楽しもうと思うなら少し考えなくちゃいけない。あまり即興なことばかりやってると、変に頭を空《から》にするものだ。流れるビールは泡《あわ》を立てない。諸君、急ぐなかれだ。御ちそうには荘重さを加えなければいけない。よく考えて食い、ゆるゆると味わおうじゃないか。あわてないがいい。春を見たまえ。春も急げば失敗する、すなわち凍る。あまり熱心なのは、桃や杏《あんず》を害する。あまり熱心なのは、りっぱな饗宴《きょうえん》の美と楽しみとを殺す。熱中したもうな、諸君。食通グリモー・ド・ラ・レーニエールもタレーランの意見に賛成しているではないか。」
 反対のささやきが仲間のうちに聞こえた。
「トロミエス、われわれの邪魔をするな。」とブラシュヴェルは言った。
「圧制者はなぐり倒せ!」とファムイュは言った。
「ボンバルダに暴食に暴飲だ!」とリストリエは叫んだ。
「まだ日曜のうちだ。」とファムイュはまた言った。
「われわれは簡潔だ。」とリストリエがつけ加えた。
「トロミエス、」とブラシュヴェルは言った、「モン・カルム(僕の落ち着いてる様)を見ろ。」
「なるほど君は侯爵だ。」とトロミエスは答えた。
 その駄洒落《だじゃれ》は、水たまりに石を投げ込んだようなものだった。モンカルム侯爵といえば当時名高い王党の一人だったのである。蛙《かえる》どもは皆声をしずめた。
「諸君、」とトロミエスは再び帝国を掌握した者のような声で叫んだ、「落ち着くべしだ。天から落ちたこの洒落にあまり感心しすぎてはいけない。天から落ちたもの必ずしも感心し尊敬すべきもののみではない。洒落は飛び去る精神の糞である。冗談はどこへも落つる。そして精神はむだ口を産み落とした後、蒼空にかけ上る。白い糞は岩の上にへたばるとも、なお禿鷹《はげたか》は空に翔《か》けることをやめない。予の目前にて洒落を侮辱するなかれ! 僕はその価値相当に洒落を尊重する。ただそれだけだ。人類のうちにおいて、そしておそらく人類以外においても、最も厳《いか》めしき者、最も崇高なる者、最も美しき者、みな多少言葉の遊戯をしている。イエス・キリストは聖ペテロについて、モーゼはイザヤについて、アイスキロスはポリニセスについて、クレオパトラはオクタヴィアについて、洒落を言った。このクレオパトラの洒落はアクチオムの戦いの前に言われたことで、もし彼女がいなかったらだれも、ギリシャ語で鍋匙《なべさじ》という意味のトリネの町のことを思い出す者はなかったろう。がそれはそれとしておいて、僕はまた僕の勧告に立ち戻ろう。諸君、繰り返して言うが、熱中したもうな、混乱したもうな、度を過ごしたもうな。たとい才気や快活や楽しみや洒落においてもそれはいけない。聞きたまえ、僕はアンフィアラウスの慎重とシーザーの禿頭《はげあたま》とを持っているんだ。限度というものがなければならない。洒落においてもそうだ。すべてのことに程度あり[#「すべてのことに程度あり」に傍点]だ。限度がなければならない。食事においてもそうだ。婦人諸君、君たちはリンゴ菓子が好きだ、しかしやたらに食べてはいけない。リンゴ菓子にも才能と技術とを要する。大食はそれをなす者を害する。大食大食漢を罰す[#「大食大食漢を罰す」に傍点]だ。消化不良は神の命を受けて胃袋に訓戒をたれる。そしてよろしいか、われわれの各感情は、恋でさえ、一つの胃袋を持っている。それにあまりいっぱいつめ込んではいけない。すべてのことに適当な時期においてフィニス(終局)の文字を刻まなければいけない。おのれを制しなければいけない。もし危急の場合には、欲望の上に錠をおろし、感興を拘束し、自らおのれを監視しなければいけない。賢者とは、一定の時機におのれを制する道を知れる者をいうのである。まあ僕の言うことを信じたまえ。僕はいくらか法律を、その試験を受けたんだから、やったわけである。僕は既定問題と未定問題との差異を知っている。ローマにおいてムナチウス・デメンスが大虐罪の審問掛かりであった頃いかなる拷問を与えたかについて、僕はラテン語の論文を書いたことがある。あるいは僕は博士になるかも知れない。だから必然に僕が愚か物だということは言えないだろう。で僕は諸君に、欲望の節制を勧める。僕がフェリックス・トロミエスという名であることが真実であるように、僕はまったく本当のことを言うんだ。時機至った時に勇ましき決心の臍《ほぞ》を固め、シルラもしくはオリゲネスのごとく後ろを顧みざる者は、幸福なるかな!」
 ファヴォリットは深い注意を払ってそれを聞いていた。
「フェリックス、」と彼女は言った、「何といい言葉でしょう。あたしそういう名前が好きよ。ラテン語だわね。繁昌《はんじょう》という意味でしょう。」
 トロミエスは言い続けた。
「市民よ紳士よ騎士よわが友よ! 諸君は、何らの刺激をも感ずることを欲せず、婚姻の床にもはいらず、恋をないがしろにせんと欲するか。それよりたやすいことはない。ここにその処方がある、曰《いわ》く、レモン水、過度の運動、労役、疲労、石|曳《ひ》き、不眠、徹夜、硝酸水および睡蓮《すいれん》の煎《せん》じ薬の飲取、罌粟《けし》および馬鞭草《くまつづら》の乳剤の摂取、それに加うるに厳重なる断食をもって腹を空《から》にし、その上になお冷水浴、草の帯、鉛板着用、鉛酸液の洗滌《せんじょう》、酸水剤の温蒸。」
「僕はそれよりも女を選ぶ。」とリストリエが言った。
「女!」とトロミエスは言った。「女を信ずるな。女の変わりやすき心に身を投げ出すものは不幸なるかなだ。女は不実にして邪曲である。女は商売|敵《がたき》の感情で蛇《へび》をきらうのだ。蛇は女と向かい合いの店だ。」
「トロミエス、」とブラシュヴェルは叫んだ、「君は酔っている!」
「なあに!」とトロミエスは言った。
「それではもっと愉快にしろ。」とブラシュヴェルは言った。
「賛成。」とトロミエスは答えた。
 そして杯に酒を満たしながら、彼は立ち上がった。
「酒に光栄あれ! バッカスよわれ今汝を[#「バッカスよわれ今汝を」に傍点]頌《たた》えん[#「えん」に傍点]! ごめん、婦人諸君、これはスペイン式だ。ところで、その証拠はここにある、曰く、この人民にしてこの樽《たる》あり。カスティーユの樽《アローブ》は十六リットルであり、アリカントの樽《カンクロ》は十二リットル、カナリーの樽《アルムユード》は二十五リットル、バレアールの樽《キュアルタン》は二十六リットル、ピーター大帝の樽《ボット》は三十リットルである。偉大なりし大帝万歳、しかして更にいっそう偉大なりし彼の樽《ボット》万歳だ。婦人諸君、これは友人としての忠告だ。よろしくば互いに隣人を欺け。恋の特性は流転にある。愛情は膝《ひざ》に胼胝《たこ》を出かしてるイギリスの女中のように、すわり込んでぼんやりするために作られてはいない。そのためにではないんだ。愛情は愉快にさ迷う。楽しき愛情よ! 迷いは人間的であると人は言う。が僕は言いたい、迷いは恋愛的であると。婦人諸君、僕は諸君を皆崇拝する。おおゼフィーヌ、おおジョゼフィーヌ、愛嬌のある顔よ、歪《ゆが》んでさえいなければ素敵である。うっかり腰をかけられてつぶされたようなかわいい顔つきをしている。ファヴォリットに至っては、ニンフにしてミューズの神だ。ある日ブラシュヴェルがゲラン・ボアソー街の溝《どぶ》の所を通っていると、白い靴足袋《くつたび》を引き上げ脛《はぎ》を露《あら》わにした美しい娘を見た。その初会が彼の気に入って、そして彼は恋するに至った。その彼の恋人がファヴォリットなのだ、おおファヴォリットよ! 汝の脣《くちびる》はイオニア式だ。エウフォリオンというギリシャの画家が居たが、脣の画家と綽名《あだな》されていた。そのギリシャ人一人のみが汝の脣を画くに足る。聞きたまえ、汝以前にはかつてその名に値する人間はいなかったのだ。汝はヴィーナスのように林檎《りんご》をもらい、イヴのように林檎を食うために作られている。美は汝より始まる。僕は今イヴのことを言ったが、イヴを作ったのはそれは汝だ。汝は美人発明の特許権を得てもいいのだ。おおファヴォリット、こんどは汝と呼ぶことをやめよう、詩から散文の方へ移るのだ。君は先刻僕の名のことを言ったね。それは僕の心を動かした。しかしわれわれが何であろうとも、われわれは名前に疑問をいだこうではないか。名前も誤ることがある。僕はフェリックス([#ここから割り注]訳者注 繁昌幸福の意[#ここで割り注終わり])という名だ、そして少しも幸福ではない。言葉は嘘《うそ》つきである。言葉がわれわれにさし示すことをむやみに受け入れてはならない。栓《せん》を買わんためにリエージュ([#ここから割り注]訳者注 キルク栓の意[#ここで割り注終わり])の町に手紙を書き、手袋を得んためにポー([#ここから割り注]訳者注 革の意[#ここで割り注終わり])の町に手紙を出すは誤りである([#ここから割り注]訳者注 ファヴォリットの名は寵愛の意を有することを記憶せられたい[#ここで割り注終わり])。ダーリア嬢よ、僕がもし君であったら、ローザと自分を称したい。花にはいいかおりがなくてはいけない、婦人には機才がなくてはいけない([#ここから割り注]訳者注 ローザとは薔薇の意で、薔薇にはダリアと違って芳香がある[#ここで割り注終わり])。僕はファンティーヌについて一言も費やさなかったが、ファンティーヌこそは、夢想的な瞑想的な沈思的な敏感な女である。ニンフの姿と尼僧の貞節とをそなえた幻影であって、誤ってうわ気女工の生活のうちに迷い込んだが、しかし幻のうちに逃げ込み、歌を歌い、祈りをし、何を見何をしてるかを自ら知らずして蒼空をうちながめ、小鳥の多い空想の庭の中を空を仰ぎながらさ迷う女である。おおファンティーヌよ、このことを知れ、我トロミエスは一つの幻にすぎないことを。しかし彼女はこの言を耳にも入れない、空想の金髪の娘よ! 要するに彼女のうちにあるものは、新鮮、爽快《そうかい》、青春、朝の穏やかな光である。おおファンティーヌよ、汝はマルグリット(菊)もしくはペルル(真珠)の名にふさわしい娘で、最も光輝美しい女である。さて婦人諸君、ここに第二の忠告がある。曰《いわ》く、決して結婚するなかれ。結婚は一つの接木《つぎき》である。うまくもゆけば、まずくもゆく。そういう危険は避けるがよい。しかし、つまらぬことを僕は言い出したものだ。言葉をむだにするばかりだ。結婚については、娘たちは救われない。われわれ賢者がいかに言葉を費やしても、チョッキを仕立て半靴を縫う娘たちまでが、やはりダイヤモンドを飾った夫を夢みるのだ。それもよし。ただ美人諸君、よく心に入れたまえ、諸君はあまりに多く砂糖を食いすぎる。婦人諸君、君たちはただ一つの欠点を持っている、すなわち、砂糖を蚕食することだ。おお齧歯獣《げっしじゅう》の婦人よ、君たちの美しい小さな白い歯は砂糖を崇拝する。がよく聞かれよ、砂糖は一種の塩である。塩はすべて物を乾燥せしむる。中にも砂糖はあらゆる塩のうちで最も乾燥力が強い。それは血管を通して血液の水分を吸い取る。それ故血液の凝結と次にその固結をきたす。そのために肺に結核を生じ、次いで死をきたす。糖尿病と肺病とが隣するはこのゆえである。それで、砂糖をかじらなければ君たちは万々歳だ! 次に男子諸君に言う。諸君、よろしく婦人を獲得すべしだ。何ら悔いの念なく互いに恋人を奪い合うべしだ。恋には友人も存しない。美人ある所には至る所に対抗がはじまる。仮借なき決戦! 美人はカジュス・ベリ(戦囚)であり、美人は一つの現行犯である。歴史上のすべての侵入は女の腰巻きによって決定せられた。婦人は男子の権利物である。ロムルスはサビネの女らを奪い、ウィリアムはサクソンの女らを奪い、シーザーはローマの女らを奪った。愛せられざる男は禿鷹のごとくに他人の恋人らの上を飛ぶ。僕はひとり者の不幸な男らに、ボナパルトがイタリー軍になした崇高なる宣言を投げ与える、曰く、兵士らよ、汝らは何物をも有せず、敵はすべてそれらを持てり。」
 トロミエスはちょっとやめた。
「少し息をつけ、トロミエス。」とブラシュヴェルは言った。
 同時にブラシュヴェルはリストリエとファムイュとにつけられて、哀歌の節《ふし》で歌を歌い出した。それはでたらめの言葉を並べた工場の小唄《こうた》の一つで、豊富にむちゃに韻をふみ、木の身振りや風の音と同じく何らの意味もなく、煙草の煙とともに生まれ、その煙とともに散り失せ飛び去ってゆく歌の一つであった。トロミエスの長談義に答えて皆が歌ったその歌は次のようなものだった。


ばかな長老さんたちは、
代理の者に金《かね》くれて、
クレルモン・トンネールさんを、
サン・ジャンの法皇に骨折った。
クレルモンは牧師でないゆえ、
法皇になることできんかった。
代理の者は腹立てて、
その金持って戻ってきた。

 それはトロミエスの即席演説を静めはしなかった。彼は杯をのみ干して、また酒をつぎ、再びはじめた。
「知恵をうち仆《たお》せ! 僕が言ったことはすべて忘れるがいい。貞淑ぶるなかれ、小心たるなかれ、廉直なるなかれ。僕は愉悦に向かって祝杯をささぐる。よろしく快活なれ! わが法律の講座を補うにばか騒ぎと御ちそうとをもってすべし。不消化と法律全書。ジュスティニアンは男性にしてリパイユは女性たるべし! 深淵《しんえん》のうちにおける快楽よ! 生きよ、おお天地万物よ! 世界は大なるダイヤモンドなるかな! 僕は愉快だ。小鳥は驚くべきものだ。どこもこれお祭りだ! 鶯《うぐいす》は無料《ただ》で聞けるエルヴィウーだ。夏よ、われは汝を祝する。おおリュクサンブール、おおマダム街の鄙唄《ひなうた》! おおオブセルヴァトアールの通路の鄙唄! おお夢みる兵士ら! 子供を守《もり》しながらその姿を描いて楽しむかわいい婢《おんな》ら! オデオンの拱廊《きょうろう》がなければ、僕はアメリカの草原を喜ぶ。わが魂は人跡いたらぬ森林と広漠《こうばく》たる草原とに飛ぶ。万物みな美である。蠅《はえ》は光のうちを飛び、太陽に蜂雀《ほうじゃく》はさえずる。わが輩を抱け、ファンティーヌ!」
 そして彼はまちがえてファヴォリットを抱いた。

     八 馬の死

「ボンバルダよりエドンの方がうまいものを食べさせるわ。」とゼフィーヌが叫んだ。
「僕はエドンよりボンバルダの方が好きだ。」とブラシュヴェルは言った。「こっちの方がよほど上等だ。よほどアジアふうだ。下の部屋を見てみたまえ。壁にはグラス(鏡)がかかっている。」
「グラス(氷)ならお皿の中のの方がいいわ。」とファヴォリットは言った。
 ブラシュヴェルは言い張った。
「ナイフを見たまえ。ボンバルダでは柄が銀だが、エドンでは骨だ。銀の方が骨よりも高いんだ。」
「そう、銀|髯《ひげ》の腮《えら》を持ってる人を除いてはね。」とトロミエスが言った。
 彼はその時、ボンバルダの窓から見える廃兵院の丸屋根を見ていた。
 それからちょっと言葉がと絶えた。
「おいトロミエス、」とファムイュは叫んだ、「先程、リストリエと僕と議論をしたんだが。」
「議論は結構だ。」とトロミエスは答えた、「喧嘩《けんか》ならなおいい。」
「哲学を論じ合ったんだ。」
「なるほど。」
「デカルトとスピノザと君はどっちが好きなんだ。」
「デゾージエ([#ここから割り注]訳者注 当時歌謡の作者[#ここで割り注終わり])が好きだ。」とトロミエスは言った。
 そうくいとめておいて、彼は一杯飲んで、そして言った。
「わが輩は生きるに賛成だ。地上には何物も終滅していない、何となれば人はなおばかを言い得るからだ。僕はそれを不死なる神々に感謝する。人は嘘をつく、しかし人は笑う。人は確言する、しかし人は疑う。三段論法から意外なことが飛び出す。それがおもしろいのだ。逆説のびっくり箱を愉快に開《あ》けたり閉《し》めたりすることのできる人間が、なおこの下界にはいる。だが婦人諸君、君たちが安心しきったように飲んでるこのぶどう酒はマデール産だ。よろしいか。海抜三百十七|尋《ひろ》の所にあるクーラル・ダス・フレイラスの生《き》ぶどう酒だ。飲むうちにも注意するがいい! 三百十七尋だぞ! そしてこのりっぱな料理屋のボンバルダ氏は、その三百十七尋を四フラン五十スーで諸君にくれるのだ。」
 ファムイュはまたそれをさえぎった。
「トロミエス、君の意見は法則となるんだ。君の好きな作者はだれだ!」
「ベル……。」
「ベル……カンか。」
「いや。……シューだ。」([#ここから割り注]訳者注 ベルシューは「美食法」という詩の作者[#ここで割り注終わり])
 そしてトロミエスはしゃべり続けた。
「ボンバルダに栄誉あれ! エジプト舞妓《まいこ》の一人を加うれば、エレファンタのムノフィス料理店にも肩を並べ、ギリシャ売笑婦の一人を加うれば、ケロネのティジェリオン料理店とも肩を並べるだろう。何となれば、婦人諸君、ギリシャにもエジプトにも、ボンバルダというのがあったのである。アプレウスの書物に出ている。ただ悲しいかな、世事は常に同一にして何ら新しきことなし。創造主の創造のうちにはもはや何ら未刊のものなし! ソロモンは言う、天が下に新しきものなし[#「天が下に新しきものなし」に傍点]! ヴィルギリウスは言う、恋は世の人すべてのものなり[#「恋は世の人すべてのものなり」に傍点]! 今日、学生が女学生と共にサン・クルーの川舟に乗るのは、昔アスパジアがペリクレスと共にサモスの流れに浮かんだのと同じである。なお最後に一言を許せ。婦人諸君、君たちはアスパジアがいかなる女であったかを知っているか。彼女は女なる者が未だ魂を持たなかった時代にいたのであるが、彼女のみは一個の魂であった。薔薇《ばら》色と緋《ひ》色との色合いをした魂で、火よりもいっそう熱く、曙《あけぼの》よりもいっそう新鮮であった。アスパジアは女の両極を同時に有する女性であった。娼婦《しょうふ》にして女神であった。ソクラテスに加うるにマノン・レスコーであった。アスパジアは実に、プロメシュースに女が必要である場合には、その用をなすために作られたようなものであった。」
 トロミエスは一度口を開けば容易に止まらなかったのであるが、その時ちょうど河岸で一頭の馬が倒れた。その事件のために、荷車と弁士とはにわかに止まった。それはボース産の牝馬で、年老いてやせて屠殺所《とさつじょ》に行くに相当したものだったが、きわめて重い荷車をひいていた。ボンバルダの家の前まで来ると、力つきて疲憊《ひはい》した馬は、もうそれ以上進もうとしなかった。そのためまわりに大勢の人が集まった。ののしり怒った馬車屋が、その時にふさわしい力をこめて断然たる「畜生[#「畜生」に傍点]!」という言葉を発しながら、鞭《むち》をもって強く一打ち食わせるか食わせないうちに、やせ馬は倒れてしまって、また再び起きなかったのである。通行人らの騒ぎに、トロミエスの愉快な聴衆もふり向いてながめた。そしてその間にトロミエスは、次の愁《うる》わしい一節《ひとふし》を歌っておしゃべりの幕を閉じた。


辻《つじ》馬車と四輪の馬車と同じ運命《さだめ》の
浮き世にありてまた駑馬《どば》なりければ、
ああ畜生の一種なる駑馬のなみに
この世を彼女は生きぬ。

「かわいそうな馬。」とファンティーヌはため息をもらした。
 ダーリアは叫んだ。
「そらファンティーヌが馬のことを悲しみ出したわ! どうしてそんなばかな気になれるんだろう!」
 その時ファヴォリットは、両腕を組み頭を後ろに投げ、じっとトロミエスを見つめて言った。
「さあ! びっくりするようなことは?」
「そうだ。ちょうど時がきた。」とトロミエスは答えた。
「諸君、この婦人たちをびっくりさす時がやってきたんだ。婦人諸君、しばらくわれわれを待っていてくれたまえ。」
「まずキッスで初まるんだ。」とブラシュヴェルが言った。
「額にだよ。」とトロミエスはつけ加えた。
 皆めいめい荘重に自分の女の額にキッスを与えた。それから口に指をあてながら、四人とも相続いて扉《とびら》の方へ行った。
 ファヴォリットは彼らが出て行くのを見て手を拍《たた》いた。
「そろそろおもしろくなってきたわ。」と彼女は言った。
「あまり長くかかってはいやよ。」とファンティーヌは口の中で言った。「みんな待っているから。」

     九 歓楽のおもしろき終局

 若い娘たちは、後に残った時、二人ずついっしょになって窓の手すりにもたれ、首をかがめ窓から窓へ言葉をかわして、なおしゃべっていた。
 彼女らは四人の青年が互いに腕を組んでボンバルダ料理店から出てゆくのを見た。彼らはふり返って、笑いながら女たちに合い図をし、毎週一回シャン・ゼリゼーにいっぱいになるそのほこりだらけの日曜の雑沓《ざっとう》のうちに姿を消した。
「長くかかってはいやよ!」とファンティーヌは叫んだ。
「何を持ってきてくれるんでしょう。」とゼフィーヌは言った。
「きっときれいなものよ。」とダーリアは言った。
「あたし、」とファヴォリットは言った、「黄金《きん》のものがいいわ。」
 だが彼女らは間もなく、川縁《かわっぷち》のどよめきに気を取られてしまった。大きな木立ちの枝の間からはっきり見て取られて、大変おもしろかったのである。ちょうど郵便馬車や駅馬車が出かける時だった。南と西とへ行くたいていの馬車は、当時シャン・ゼリゼーを通っていったものである。その多くは河岸に沿って、パッシーの市門から出て行くのを常としていた。黄色や黒に塗られ、重々しく荷を積まれ、多くの馬にひかれ、行李《こうり》や桐油《とうゆ》紙包みや鞄《かばん》などのため変な形になり、客をいっぱいのみこんでる馬車が、絶えまなく通って、道路をふみ鳴らし、舗石に火を発し、鍛冶場《かじば》のような火花を散らし、ほこりの煙をまき上げ、恐ろしい有様をして、群集の間を走っていった。その騒擾《そうじょう》が若い娘たちを喜ばせた。ファヴォリットは叫んだ。
「何という騒ぎでしょう! 鎖の山が飛んでゆくようだわ。」
 ところが一度、楡《にれ》の茂みのうちにわずかに見えていた一つの馬車が、ちょっと止まって、それからまた再びかけ出した。ファンティーヌはそれにびっくりした。
「変だわ!」と彼女は言った。「駅馬車は途中で止まるものでないと思っていたのに。」
 ファヴォリットは肩をそびやかした。
「ファンティーヌはほんとに人をびっくりさせるよ。おかしな人だこと。ごくつまらぬことにも目を見張るんだもの。かりにね、あたしが旅をするとするでしょう。駅馬車にこう言っておくとする、先に行ってるから通りがかりに河岸の所で乗せておくれって。するとその駅馬車が通りかかって、あたしを見て、止まって、乗せてくれるわ。毎日あることよ。あんたは世間を知らないのね。」
 そんなことをしているうちにしばらく時がたった。とにわかにファヴォリットは、目をさました[#「目をさました」は底本では「目がさました」]とでもいうような身振りをした。
「ところで、」と彼女は言った、「びっくりすることはまだかしら。」
「そうそう、」とダーリアは言った、「例のびっくりすることだったわね。」
「あの人たちは大変長いわね!」とファンティーヌは言った。
 ファンティーヌがそのため息をもらした時に、食事の時についていたボーイがはいってきた。何か手紙らしいものを手に持っていた。
「それなあに?」とファヴォリットが尋ねた。
 ボーイは答えた。
「皆様へと言って旦那《だんな》方が置いてゆかれた書き付けです。」
「なぜすぐに持って来なかったの。」
「旦那方が、」とボーイは言った、「一時間後にしか渡してはいけないとおっしゃったものですから。」
 ファヴォリットはボーイの手からその書き付けを引ったくった。それは果して一通の手紙であった。
「おや!」と彼女は言った、「あて名がないわ、だがこう上に書いてある。」
 びっくりすることとはこれである。
 彼女は急いで封を切り、それを披《ひら》き、そして読み下した。(彼女は字が読めるのだった。)


  愛する方々よ!
  われわれに両親のあることは御承知であろう。両親、貴女たちはそれがいかなるものであるかよく御存じあるまい。幼稚な正直な民法では、それを父および母と称している。ところで、それらの両親は悲嘆にくれ、それらの老人はわれわれに哀願し、それらの善良なる男女はわれわれを放蕩息子《ほうとうむすこ》と呼び、われわれの帰国を希《ねが》い、われわれのために犢《こうし》を殺してごちそうをしようと言っている。われわれは徳義心深きゆえ、彼らのことばに従うことにした。貴女たちがこれを読まるる頃には、五頭の勢いよき馬はわれわれを父母のもとへ運んでいるであろう。ボシュエが言ったようにわれわれは営を撤する。われわれは出発する、いやもう出発したのである。われわれはラフィットの腕に抱かれカイヤールの翼に乗ってのがれるのである。ツウルーズの駅馬車はわれわれを深淵から引き上げる。そして深淵というは、貴女たち、おおわが美しき少女らである。われわれは社会のうちに、義務と秩序とのうちに、一時間三里を行く馬の疾走にて戻るのである。県知事、一家の父、野の番人、国の顧問、その他すべて世間の人のごとくに、われわれの存在もまた祖国に必要である。われわれを尊重せられよ。われわれはおのれを犠牲にするのである。急いでわれわれのことを泣き、早くわれわれの代わりの男を求められよ。もしこの手紙が貴女たちの胸をはり裂けさせるならば、またこの手紙をも裂かれよ。さらば。
 およそ二カ年の間、われわれは貴女たちを幸福ならしめた。それについてわれわれに恨みをいだきたもうなかれ。

署名 ブラシュヴェル
ファムイュ
リストリエ
フェリックス・トロミエス

追白、食事の払いは済んでいる。

 四人の若い娘は互いに顔を見合った。
 ファヴォリットが第一にその沈黙を破った。
「なるほど、」と彼女は叫んだ、「とにかくおもしろい狂言だわ。」
「おかしなことだわ。」とゼフィーヌは言った。
「こんなことを考えついたのはブラシュヴェルに違いない。」とファヴォリットは言った。「そう思うとあの男が好きになったわ。いなくなったら恋しくなる。まあ万事そうしたものね。」
「いいえ、」とダーリアは言った、「これはトロミエスの考えたことだわ。受け合いだわ。」
「そうだったら、」とファヴォリットは言った、「ブラシュヴェルだめ、そしてトロミエス万歳だわ。」
「トロミエス万歳!」とダーリアとゼフィーヌとは叫んだ。
 そして彼女たちは笑いこけた。
 ファンティーヌも他の者と同じく笑った。
 一時間後、自分の室に帰った時に、ファンティーヌは泣いた。前に言ったとおり、それは彼女の最初の恋であった。彼女は夫に対するようにトロミエスに身を任していた。そしてこのあわれな娘にはもう一人の児ができていたのであった。
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   第四編 委託は時に放棄となる

     一 母と母との出会い

 パリーの近くのモンフェルメイュという所に、今ではもう無くなったが、十九世紀の初めに一軒の飲食店らしいものがあった。テナルディエという夫婦者が出していたもので、ブーランジェーの小路にあった。戸口の上の方には、壁に平らに釘《くぎ》付けにされてる一枚の板が見られた。その板には、一人の男が他の一人の男を背負っているように見える絵が描《か》いてあった。背中の男は、大きな銀の星がついてる将官の太い金モールの肩章をつけていた。血を示す赤い斑点《はんてん》が幾つもつけられていた。画面の他の部分は、一面に煙であってたぶん戦争を示したものであろう。下の方に次の銘が読まれた、「ワーテルローの軍曹へ。」
 旅籠屋《はたごや》の入口に箱車や手車があるのは、いかにも普通のことである。一八一八年の春のある夕方、ワーテルローの軍曹の飲食店の前の通りをふさいでいた馬車は、なお詳しく言えばそのこわれた馬車は、いかにも大きくて、もし画家でも通りかかったらきっとその注意をひくであろうと思われるほどだった。
 それは森林地方で厚板や丸太を運ぶのに使われる荷馬車の前車《まえぐるま》であった。その前車は、大きな鉄の心棒と、それに嵌《は》め込んである重々しい梶棒《かじぼう》と、またその心棒をささえるばかに大きな二つの車輪とでできていた。その全体はいかにもでっぷりして、重々しく、またぶかっこうだった。ちょうど大きな大砲をのせる砲車のようだった。車輪や箍《たが》や轂《こしき》や心棒や梶棒などは厚く道路の泥をかぶって、大会堂を塗るにもふさわしい変な黄色がかった胡粉《ごふん》を被《き》せたがようだった。木の所は泥にかくれ、鉄の所は錆《さび》にかくれていた。心棒の下には、凶猛な巨人ゴライアスを縛るにいいと思われるような太い鎖が、綱を渡したようにつるされていた。その鎖は、それで結《ゆわ》えて運ぶ大きな木材よりもむしろ、それでつながれたかも知れない太古の巨獣マストドンやマンモスなどを思い浮かばせた。それは牢獄のような感じだった。それも巨人のそして超人間的な牢獄である。そして何かある怪物から解き放して置かれているかのようだった。ホメロスはそれをもってポリフェモスを縛し、シェークスピアはそれをもってカリバンを縛したことであろう。
 なぜそんな荷馬車の前車がそこの小路に置かれているかというと、第一には往来をふさぐためで、第二には錆《さ》びさせてしまうためだった。昔の社会には種々な制度があって、そんなふうに風雨にさらして通行の邪魔をするものがいくらもあった、そしてそれも他には何らの理由もないのである。
 さてその鎖のまん中は心棒の下に地面近くまでたれ下がっていた。そしてその撓《たる》んだ所にちょうどぶらんこの綱にでも乗ったようにして、その夕方、二人の小さな女の児が腰を掛けて嬉しそうに寄りそっていた。一人は二歳半ぐらいで、も一人のは一歳半ぐらいであって、小さい方の児は大きい方の児の腕に抱かれていた。うまくハンカチを結びつけて二人が鎖から落ちないようにしてあった。母親がその恐ろしい鎖を見て、「まあ、私の子供にちょうどいい遊び道具だ、」と言ってそうさしたのだった。
 二人の子供は、それでもきれいなそしていくらか念入りな服装《みなり》をさせられて、そして生き生きとしていた。ちょうど錆びくちた鉄の中に咲いた二つの薔薇《ばら》のようだった。その目は揚々《ようよう》と輝き、その瑞々《みずみず》しい頬には笑いが浮かんでいた。一人は栗《くり》色の髪で、一人は褐色《かっしょく》の髪をしていた。その無邪気な顔は驚喜すべきものだった。通り過ぐる人たちににおって来る傍《かたわら》の叢《くさむら》の花のかおりも、その子供たちから出てくるのかと思われた。一歳半の方の子供は、かわいらしい腹部を露《あら》わに見せていたが、その不作法さもかえって幼児の潔《きよ》らかさであった。その幸福と輝きとのうちに浸ってる二人の優しい頭の上やまわりには、荒々しい曲線と角度とがもつれ合い錆で黒くなってほとんど恐ろしいばかりの巨大な前車が、洞穴《ほらあな》の入り口のように横たわっていた。そこから数歩離れて、宿屋の敷居《しきい》の所にうずくまってあまり人好きのせぬ顔立ちではあるがその時はちょいとよく見えていた母親が、鎖につけた長いひもで二人の子供を揺すりながら、母性に特有な動物的で同時に天使的な表情を浮かべて、何か危険なことが起こりはすまいかと気使って見守っていた。鎖の揺れるたびごとに、その気味悪い鉄輪は、怒りの叫び声にも似た鋭い音を立てた。が子供たちは大喜びで、夕日までがその喜びに交じって輝いていた。巨人の鎖を天使のぶらんこにしたその偶然の思いつきほど人の心をひくものはなかった。
 二人の子供を揺すりながら、母親は当時名高い恋歌を調子はずれの声で低く歌っていた。


余儀なし、と勇士は言いぬ……

 歌を歌いまた子供たちを見守っていたために、彼女には往来で起こってることが聞こえも見えもしなかった。
 けれども、彼女がその恋歌の初めの一連を初めた時には、だれかが彼女のそばにきていた。そして突然彼女は自分の耳のすぐそばに人の声をきいた。
「まあかわいいお児さんたちでございますね。」


美しく優しきイモジーヌへ。

と母親はなお歌い続けながらその声に答えて、それからふり向いてみた。
 一人の女がすぐ数歩前の所にいた。その女もまた一人の子供を腕に抱いていた。
 女はなおその外に、重そうに見えるかなり大きな手鞄《てかばん》を持っていた。
 その女の子供は、おそらくこの世で見らるる最も聖《きよ》い姿をしたものの一つであった。二歳《ふたつ》か三歳《みっつ》の女の児だった。服装《みなり》のきれいなことも前の二人の子供に劣らなかった。上等のリンネルの帽子をかぶり、着物にはリボンをつけ、帽子にはヴァランシエーヌ製のレースをつけていた。裳《も》の襞《ひだ》が高くまくられているので、ふとった丈夫そうな白い腿《もも》が見えていた。美しい薔薇《ばら》色の顔をして健康そうだった。頬は林檎《りんご》のようでくいつきたいほどだった。その目については、ごく大きくてりっぱな睫毛《まつげ》を持ってるらしいというほかはわからなかった。子供は眠っていたのである。
 子供はその年齢特有な絶対の信頼をこめた眠りにはいっていた。母親の腕は柔和である、子供はそのなかに深く眠るものである。
 母親の方は見たところ貧しそうで悲しげだった。またもとの百姓女に返ろうとでもしているような女工らしい服装をしていた。まだ年は若かった。あるいはきれいな女であったかも知れないが、その服装ではそうは見えなかった。ほつれて下がっている一ふさの金髪から見ると、髪はいかにも濃さそうに思えるけれど、あごに結びつけたきたない固い小さな尼さんのような帽子のために、すっかり隠されていた。美しい歯があれば笑うたびに見えるのだが、その女は少しも笑わなかった。目は既に久しい以前から涙のかわく間もなかったように見えていた。顔は青ざめていた。疲れきって病気ででもあるようなふうをしていた。腕の中に眠っている女の児を、子供を育てたことのある母親に独特な一種の顔付きでのぞき込んでいた。廃兵の持ってるような大きな青いハンカチをえりにたたみつけて、肩が重苦しそうに蔽《おお》われていた。手は日に焼けて茶褐色の斑点《はんてん》が浮き出していて、食指は固くなって針を持った傷がついていた。褐色の荒い手織りのマントを着、麻の長衣をつけ、粗末な靴をはいていた。それがファンティーヌであった。
 まさしくファンティーヌであった。がちょっと中々そうとは思えなかった。けれどよく注意してみれば、彼女はなおその美貌を持っていた。少し皮肉らしさのある愁《うる》わしげなしわが、右の頬に寄っていた。彼女の化粧、快楽とばか騒ぎと音楽とでできてるかのようで、鈴を数多くつけライラックの香気をくゆらしたあのモスリンとリボンとの軽快な化粧は、金剛石かと思われるばかりに日の光に輝く美しい霜のように、はかなく消え失せてしまったのだった。美しい霜は解けて、黒い木の枝のみが残る。
 あの「おもしろい狂言」から十カ月過ぎ去ったのである。
 その十カ月の間にどんなことが起こったか? それは想像するに難くない。
 捨てられた後には苦境。ファンティーヌはすぐにファヴォリットやゼフィーヌやダーリアをも見失ってしまった。男たちの方からの綱が切れれば、女たちの方からの結び目も解ける。もし半月もすぎてから、お前たちは互いに友だちであったと言われたら彼女らはびっくりすることだろう。もはや友だちであるなどという理由はなくなったのである。ファンティーヌはただ一人になってしまった。彼女の子供の父はもう立ち去ってしまった――悲しくもそういう分離は再び元にかえすことのできないものである――彼女は全然孤独になってしまった。それに労働の習慣は薄らぎ、快楽の趣味は増していた。トロミエスとの関係に引きずられて、自分のできるつまらぬ職業を軽蔑するようになったので、彼女は世の中への出口を閑却していた。そしてその出口はまったく閉ざされてしまった。金を得る途がなかった。彼女はどうかこうか字が読めはしたが、書くことはできなかった。子供の時に名を書くことを教わっただけであった。彼女は代書人にたのんでトロミエスに手紙を書いてもらった、それからまた第二、第三と手紙を書いてもらった。がトロミエスはそのどれにも返事をくれなかった。ある日ファンティーヌは、おしゃべりの女どもが彼女の女の児を見て言ってるのを聞いた。「あんな子供をだれが本気にするものか。あんな子供にはだれだって肩をそびやかすばかりさ!」そこでファンティーヌは、自分の子供に肩をそびやかしてその罪ない児を本気に取ろうとしないトロミエスのことを思った。そして彼女の心はその男のことで暗くなった。それにしても、どう心をきめたらいいか? 彼女はもはやだれに訴えん術《すべ》もなかった。彼女は過《あやま》ちを犯したのであった。しかし読者が知るとおり、彼女の心底は純潔で貞淑だった。彼女は漠然《ばくぜん》と、破滅のうちに陥りかけてること、いっそう悪い境涯にすべり込みかけてることを感じた。勇気が必要だった。彼女は勇気を持っていた、そして意地張った。生まれ故郷のモントルイュ・スュール・メールの町に帰ってみようという考えがふと浮かんだ。そこへ行ったら、たぶんだれかが自分を見知っていて、仕事を与えてくれるかも知れない。そうだ。けれども自分の過ちを隠さなければならない。そして彼女は、第一のより更につらい別れをなさなければならないであろうと、ぼんやり感じた。胸がつまった、けれども決心を固めた。これからわかることであるが、ファンティーヌは生活の手荒い元気を持っていた。
 彼女は既に勇ましくも華美をしりぞけ、自分は麻の着物を着、あらゆる絹物や飾りやリボンやレースを女の児に着せてやった。それは彼女に残っていた唯一の見栄《みえ》であって、それも聖《きよ》い見栄だった。彼女は自分のものをすべて売り払って、それで二百フランを得た。けれど細々《こまごま》した負債を払ってしまうと、八十フランばかりしか残らなかった。二十二歳で、春のある美しく晴れた朝、彼女は背中に子供を負ってパリーを出立つした。そうして子供と二人で歩いてゆくのを見た者があったら、きっと二人をあわれに思ったであろう。その女は世の中にその子供のほか何も持たなかった、そしてその子供は、世の中にその女のほか何も持たなかった。ファンティーヌはその女の児に自分で乳を与えてきた。それは彼女の胸部を疲らしていた。彼女は少し咳《せき》をしていた。
 フェリックス・トロミエス君のことを語る機会はもう再びないだろう。で、ただちょっと、ここに言っておこう。二十年後ルイ・フィリップ王の世に、彼は地方の有力で富裕な堂々たる代言人となっており、また賢い選挙人、いたって厳格な陪審員となっていた。けれど相変わらず道楽者であった。
 ファンティーヌは身体を疲らせないために、一里四スーのわりで、当時パリー近郊の小馬車[#「パリー近郊の小馬車」に傍点]といわれていた馬車に時々乗ったので、その日の正午《ひる》ごろには、モンフェルメイュのブーランジェーの小路にきていた。
 テナルディエ飲食店の前を通りかかった時、あの二人の女の児が気味悪いぶらんこにのって喜んでいるのを見て、彼女は心を打たれて、その喜びの様に見とれて立ち止まったのだった。
 人の心をひきつけるものはいくらもある。二人の女の児は、母なるファンティーヌにとってはその心をひくものの一つであった。
 彼女は心を動かされて二人の女の児を見守った。天使のいるのは楽園の近きを示す。彼女はその飲食店の上に、神に書かれたる不思議なるこの所[#「この所」に傍点]という文字を見るような気がした。二人の女の児は、いかにも幸福そうだった。彼女はその二人を見守り、その二人に見とれ、しみじみとした気持ちになったので、その母親が歌の二句の間に息をついた時、彼女の口からは前に言った次の言葉が自然に出てきた。
「まあかわいいお児さんたちでございますね。」
 いかに猛々《たけだけ》しい動物でも自分の児をかわいがられると穏やかになるものである。母親は頭をあげて礼を言った。そして自分は敷居《しきい》の上に腰掛けていたので、その通りがかりの女を戸口の腰掛けにすわらした。二人の女は話した。
「私はテナルディエの家内なんです。」と二人の子供の母親は言った。「私どもは、この飲食店をやっているんです。」
 それからまた、例の恋歌に返って、彼女は口の中で歌った。


余儀なし、われは騎士なれば、
パレスティナへ出《い》で立たん。

 そのテナルディエの家内というのは、ふとった角ばった赤毛の女だった。そのぶかっこうな様は、ちょうど女兵隊という型だった。そして変なことには、小説を耽読《たんどく》したためか妙に容態ぶっていた。愛嬌を作った男とでもいうような女だった。古い小説が飲食店の主婦式の想像の上に絡《から》みついたので、そんなふうになったのだった。まだ若くて、ようやく三十になるかならない程度だった。もし彼女がうずくまっていないで直立していたら、その丈《たけ》高い身体と市場でもうろついてそうな大きな肩幅は、おそらく初めから旅の女を驚かし、その信用を失わせ、われわれがこれから語るようなことは起こらなかったであろう。一人の女が立っていないですわっていた、ただそれくらいのことに運命の糸は絡むものである。
 旅の女は少し手加減をして身の上を語った。
 女工であったこと、夫が死んだこと、パリーで仕事がなくなったこと、他の土地へ仕事をさがしに出かけること、自分の故郷へ行くこと、その日の朝徒歩でパリーを発《た》ったこと、子供を背負っていたので疲れを覚えると、幸いにヴィルノンブル行きの馬車に出会ってそれに乗ったこと、ヴィルノンブルから歩いてモンフェルメイュまでやってきたこと、子供は少しは歩けるがまだ年もゆかないので多くは歩けぬこと、それで抱き上げなければならなかったこと、それゆえ子供は眠ってしまったこと。
 そう言って彼女は子供に熱いキッスをしたので、子供は目をさました。子供は目を開いた。母親のような青い大きな目であった。そしてながめた、何を? 何物をも、またすべてを、小さな子供に特有なまじめなまた時としてきつい眼眸《まなざし》で。それはわれわれ大人の頽廃《たいはい》しかけた徳義に対して子供の光り輝く清浄無垢が有する神秘である。あたかも彼らは自ら天使であることを感じ、われわれ大人が人間であることを知ってるかのようである。それからその女の子は笑い出した。そしていくら母親が引きとめても、走り出さんとする子供のおさえることのできない力で、地面にすべりおりてしまった。と突然、その子はぶらんこにのってる他の二人の子供を見て、急に立ち止まって、感じ入ったように口を開いて舌を出した。
 テナルディエの上さんは二人の子を解き放し、ぶらんこからおろしてやり、そして言った。
「三人でお遊びよ。」
 そのくらいの年ごろにはすぐになれ親しむものである。間もなくテナルディエの二人の子は新しくきた子供といっしょに地面に穴を掘って遊んだ。限りない楽しみのようだった。
 新来の子供は非常に快活だった。母親の温良さはその児の快活さのうちにあらわれる。子供は木の一片を拾ってそれをシャベルにして、蠅《はえ》のはいるくらいの小さな穴を元気そうに掘った。墓掘りのするようなことも、子供がすればかわゆくなる。
 二人の婦人は話し続けていた。
「あなたのお子さんの名は?」
「コゼットといいます。」
 コゼットというもウューフラジーが本当である。女の児の名はウューフラジーだった。しかし母親はウューフラジーをコゼットにしてしまった。それはジョゼファをペピタにかえ、フランソアーズをシエットにかえる、母親や民衆の柔和な優しい本能からである。それは一種の転化語であって、実に語原学を乱し困らすところのものである。われわれはテオドールをグノンというのに首尾よく変えてしまった一人の祖母のあるのを知っている。
「お幾歳《いくつ》ですか。」
「じきに三つになります。」
「うちの上の子と同じですね。」
 そのうちに三人の女の児はいっしょに集まって、ひどく気をひかれてうっとりしてるような様子だった。一事件が起こったのである。大きなみみずが一匹地の下から出てきたので、それに見とれてるのだった。
 彼らの輝いた額は相接していた、あたかも一つの後光のうちにある三つの頭のようだった。
「子供はほんとにすぐに仲よくなるものですね。」とテナルディエの上《かみ》さんは叫んだ。「あんなにしているとまるで三人の姉妹《きょうだい》のようですね。」
 その言葉は、おそらくも一人の母親が待ち受けていた火花であった。彼女はお上さんの手を執り、その顔をじっと見守って、そして言った。
「私の子供を預っていただけませんか。」
 テナルディエの上さんは、承知とも不承知ともつかないびっくりした様子を示した。
 コゼットの母親はつづけて言った。
「ねえ、私は娘を国へつれてゆくことができませんのです。そうしては仕事ができません。子供連れでは仕事の口が見つかりません。あちらの人はほんとに変なんです。私がお店の前を通りかかったのは神様のお引き合わせでございます。私はお子さんたちのあんなにかわゆくきれいで楽しそうなところを見まして、ほんとに心を取られてしまいました。ああいいお母さんだ、そうだ、三人で姉妹のように見えるだろう、と思いました。それに私はじきに帰って参ります。子供を預っていただけませんでしょうか。」
「考えてみましてから。」とテナルディエの上さんは言った。
「月に六フランずつ差し上げますから。」
 その時店の奥から男の声が響いた。
「七フランより少なくてはいかん。そして六カ月分前払いでなければ。」
「六七、四十二。」とテナルディエの上さんは言った。
「それを差し上げますから。」と母親は言った。
「そのほか支度の金に十五フラン。」と男の声はつけ加えた。
「すっかりで五十七フラン。」とテナルディエの上さんは言った。そしてその数字とともに、彼女はまた何とはなしに歌い出した。


余儀なし、と勇士は言いぬ。

「差し上げますとも。」と母親は言った。「八十フラン持っていますから。それで国へ行けるだけは残ります。歩いてさえ行けば。あちらへ行ったらお金をもうけまして、少しでもできたら子供を連れにまた帰って参ります。」
 男の声がまた響いた。
「その子は着物は持ってるね。」
「あれは私の亭主ですよ。」とテナルディエの上さんは言った。
「ええ着物はありますとも、――大事な子ですもの。私はあなたの御亭主だとわかっていました。――それも上等の着物なんです。ずいぶん贅沢なのです。皆ダースになっています。それからりっぱな奥様が着るような絹の長衣もあります。みんな私の手鞄の中にあります。」
「それを渡しておかなければいかんよ。」と男の声がした。
「ええ上げますとも!」と母親は言った。「子供を裸で置いてゆくなんて、そんな変なことができましょうか。」
 主人の顔がそこに現われた。
「それでよろしい。」と彼は言った。
 取り引きはきまった。母親はその一晩をその宿屋で過ごし、金を与え、子供を残し、子供の衣類を出してしまって軽くなった手鞄の口をしめ、そして翌朝、間もなく戻って来るつもりで出立つした。そういう出立つは静かになされる、がその心は絶望である。
 テナルディエの近所の一人の女が、立ち去ってゆくその母親に出会った、そして帰ってきて言った。
「通りで泣いてる女を見ましたが、かわいそうでたまらなかった。」
 コゼットの母親が出発してしまった時、亭主は女房に言った。
「これで明日《あした》が期限になってる百十フランの手形が払える。五十フランだけ不足だったんだ。執達吏と拒絶証書とを差し向けられるところだった。うまくお前は子供どもで罠《わな》をかけたもんだね。」
「別にそういうつもりでもなしにさ。」と女は言った。

     二 怪しき二人に関する初稿

 捕えられた鼠《ねずみ》はきわめて弱々しかった。しかし猫《ねこ》はやせた鼠をも喜ぶ。
 一体そのテナルディエ夫婦はいかなる人物であったか?
 ここでまずそれについて一言費やしておこう。そして後になってこの稿を完《まっと》うすることにしよう。
 この二人は、成り上がりの下等な人々と零落した知識ある人々とからできてる不純な階級に属するものであって、そういう階級の人々は、いわゆる中流社会といわゆる下層社会との中間に位し、後者の欠点の多少を有するとともにまた前者のほとんどすべての欠点を有し、労働者の寛大な発情もなければ中流民の正直な秩序をも知らないのである。
 彼ら二人は、もし或る焔が偶然その心を温むることがあるとしても、またたやすく凶悪になるごとき下賤《げせん》な性質の者であった。女のうちには野獣のような性根があり、男のうちには乞食《こじき》のような素質があった。二人とも、悪い方にかけてはどんなひどいことでもやり得る性質だった。世には蟹《かに》のごとき心の人がいる。常に暗やみの方へ退き、人生において前に進むというよりもむしろ後ろに退き、自分の不具をますます大ならしめることに経験を用い、絶えず悪くなってゆき、しだいにますます濃い暗黒に染まってゆく。二人は男女とも、そういう魂の者であった。
 亭主のテナルディエの方は特に、人相家にとって厄介な人物だった。ちょっと見てもすぐにこいつは用心しなければいけないと思えるような人がいるものである。彼らはその両端が暗い。後方に不安を引きずり、前方に威嚇《いかく》を帯びている。彼らのうちには不可知なるものがある。将来何をなすかわからないように、また過去に何をしてきたかもわからない。その目付きのうちにある影で、それとわかるのである。彼らが一語発するのを聞き、一つの身振りをするのを見ただけで、その過去の暗い秘密とその未来の暗い機密とを見てとることはできる。
 このテナルディエは、その言うところを信ずるならば、兵士であった。自分では軍曹だったと言っていた。たぶん一八一五年の戦争に出て、相当勇ましく戦ったらしい。果してどうであったかは、後に述べることにしよう。飲食店の看板はその軍功の一つを示したものであった。彼は自分でそれを書いたのである。何でもちょっとはやることができた、もとより上手ではなかったが。
 ちょうど古いクラシックの小説が、クレリー[#「クレリー」に傍点]の後にロドイスカ[#「ロドイスカ」に傍点]となってしまい、まだ高尚ではあったがしだいに卑俗になり、ド・スキュデリー嬢からバルテルミー・アドー夫人に堕《おと》し、ド・ラファイエット夫人からブールノン・マラルム夫人へ堕し、そしてパリーの饒舌《おしゃべり》な女の恋情を焼き立て、なお多少郊外の方までも荒した時代であった。テナルディエの上さんは、ちょうどその種の書物を読むくらいの知識を持っていた。彼女はそれを自分の心の糧《かて》とした。貧しい頭脳をすっかりそれにおぼらした。そのため、まだ若かった時はなおさら、少し年取ってからも、亭主のそばで変に沈思的な態度を取るようになった。亭主の方がまた、かなり食えない奴《やつ》で、ようやく文法を学んだくらいの賤《いや》しい男で、野卑でありながらまた同時に狡猾《こうかつ》で、しかもピゴー・ルブランの猥※[#「褻」の「陸のつくり」に代えて「幸」、276-17]《わいせつ》な小説をよみながら、感情の方面のことやまた彼が気取って言うように「すべて性に関すること」においては、まじり気のないまったくの無骨者であった。上さんは彼よりも十四、五歳若かった。その後、愁《うる》わしげにほつれさした髪にも白いのが交じるようになり、令嬢パミーラから憎悪の神メゲラが解放される頃の年になると、彼女はもう下等な小説を味わった卑しい意地悪い女にすぎなかった。いったいばかなものを読めばきっとその害を受ける。彼女もまたその結果自分の長女をエポニーヌと名づけた。あわれな小さな次女の方はギュルナールと名付けられるはずだったが、デュクレー・デュミニルの小説から何かしらまねてきて、アゼルマとしか呼ばれなかった。
 しかしついでに言っておくが、洗礼名の混乱時代とも称し得るこの珍しい時代にあっては、何事も笑うべき下らないものではない。われわれが指摘しきたった空想的な要素の傍《かたわら》には、社会的風潮がある。今日、下流の小僧にアルチュールとかアルフレッドとかアルフォンズとかいう、しかつめらしい名前をつけ、子爵なんかが――なお子爵などというものがあるとすれば――トーマとかピエールとかジャックとかいう砕けた名前をつけることは珍しくはない。かく平民に「優雅な」名前をつけ貴族に田舎者の名前をつける転倒は、平等の一つの潮流にすぎない。新風潮の不可抗なる侵入は、他におけるがごとくそこにもある。その表面の不調和のもとには、重大な深い一事が潜んでいる。それはすなわちフランス大革命である。

     三 アルーエット

 繁昌《はんじょう》するには悪人であるだけでは足りない。この飲食店もうまくゆかなかった。
 旅の女から巻き上げた五十七フランのおかげで、テナルディエは拒絶証書を避けることができ、契約を履行することができたが、翌月彼らはまた金の必要ができて、上さんはコゼットの衣類をパリーに持って行き、モン・ド・ピエテに入質して六十フランこしらえた。その金が無くなってしまうと、テナルディエ夫婦はその小さな女の子を慈善のために置いてやってるというような気になって、取扱いも従ってそんなふうになってしまった。その児にはもう衣類が無くなったので、テナルディエ夫婦は自分の子供らの古い裾着やシャツなどを着せたが、もとよりそれは襤褸《ぼろ》であった。食物といえば、皆の食い残しを食わせられ、犬猫と同様だった。その上猫と犬とはいつも彼女の食事仲間だった。彼女は犬猫のと同じような木の皿で彼らといっしょに食卓の下で食事をした。
 母親は、後にまた述べるが、モントルイュ・スュール・メールに落ち着いて、子供の消息を知らんがために、毎月手紙を書いた、いや、いっそうよく言えば手紙を書いてもらった。テナルディエ夫婦はそれにいつもきまってこう答えた。「コゼットはすばらしくしてる。」
 初めの六カ月が過ぎた時、母親は七カ月目の七フランを送り、そしてかなり正確に月々の義務を果たした。一カ年もたたないうちにテナルディエは言った。「ありがたい仕合わせだ! 七フランばかりでどうしろというんだい。」そして彼は手紙をやって十二フランを請求した。子供は仕合わせで「うまくいってる」と言われたので、母親はその要求を入れて十二フランずつ送ってよこした。
 一方を愛すれば必ず他方を憎むような性質の人がいる。テナルディエの上さんは、自分の二人の女の子をひどくかわいがったので、そのために他人の子を憎んだ。母親の愛にも賤《いや》しい方面があるというのは、思っても嘆かわしいことである。コゼットはその家ではごく少しの場所を占めてるばかりだったが、テナルディエの上さんにとっては、それだけ自分の子供らの地位が奪われ、また自分の子供らの呼吸する空気が減らされたかのように思われた。彼女はその種の多くの女らと同じく、日々一定量の愛撫《あいぶ》を与え、また一定量の打擲《ちょうちゃく》と罵詈《ばげん》とをなさねば納まらなかった。もしコゼットがいなかったならば、二人の子供はいかに鍾愛《しょうあい》せられようともきっとまたすべてを受けたであろう。しかしその他人の子は、彼女らの代わりに打擲を受けてやった。二人の子供はただ愛撫ばかりを受けた。コゼットは何をしても必ず不当な激しい苛責《かしゃく》を頭上に浴びた。世間のことは何も知らずまた神のことをも知らないその弱々しい優しい子供は、自分と同じような二人の小さな子供が曙の光の中に生きてるのを側に見ながら、絶えず罰せられ叱《しか》られ虐待され打擲されていた。
 テナルディエの上さんがコゼットにつらく当たっていたので、エポニーヌとアゼルマも意地が悪かった。その年齢の子供らは母親の雛形《ひながた》にすぎない。ただ形が小さいだけのものである。
 一年過ぎ去った、そしてまた一年。
 村ではこんなことが言われていた。
「あのテナルディエ夫婦は豪気だ。金持ちでもないのに、家に捨ててゆかれたあわれな子供を育ててやってる。」
 コゼットは母親に捨てられたのだと思われていた。
 けれどもテナルディエは、どういう方面から探ったのかわからないが、子供はたぶん私生児であって母親はそれを公にすることができないのを知って、「餓鬼」も大きくなって「たくさん食う[#「たくさん食う」に傍点]」ようになったからと言って月に十五フランを要求し、もし応じなければ子供を送り返すと言って脅かした。彼は叫んだ。「女に勝手にされてたまるものか。隠していやがるところへ子供をたたきつけてやるばかりだ。も少し金を出させなけりゃ置かない。」で母親は十五フランずつを払った。
 年々に子供は大きくなっていった、そしてその苦しみもまた増していった。
 コゼットはまだ小さい時には、他の二人の子供の苦しみの身代わりであった。少し大きくなってくると、言いかえれば五つにもならないうちに、彼女は女中となってしまった。
 五つで、そんなことがあるものか、と言う人があるかも知れない。が、悲しいかな、それは事実である。世の中の苦しみは幾歳からでも初まる。孤児で泥棒になったデュモーラルという者の裁判が最近にあったではないか。法廷の記録によれば、はや五歳の時から彼は世の中にただひとり者であって、「生活のために働きそして窃盗をなしていた。」
 コゼットは言いつけられて、使い歩きをし、室や庭や往来を掃除し、皿を洗い、荷物を運びまでした。テナルディエ夫婦は、やはりモントルイュ・スュール・メールにいる母親からの支払いが思わしくなくなり初めたので、またいっそうそんなふうに扱うのを至当と考えた。
 数カ月間金が滞ったりした。
 もしその母親が、それらの三カ年の後にモンフェルメイュに帰ってきたとしても、もう自分の子供を見分けることはできなかったろう。その家に到着した時にはあれほどかわゆく生き生きとしていたコゼットは、今はやせ衰えて青ざめていた。何ともいえない不安な様子をしていた。「陰険な子だ!」とテナルディエ夫婦は言っていた。
 不正は彼女をひねくれた性質にし、不幸は彼女を醜くした。以前の面影とてはただ美しい目が残ってるのみだったが、それはかえって痛ましい思いを人に与えた、大きい目だったのでいっそう多くの悲しみがそのうちに見えるようだったから。
 冬には、そのあわれな子供の姿はまったく痛々しかった。まだ六つにもならないのに、穴だらけの古い襤褸《ぼろ》を着て震えながら、赤くかじかんだ小さな手に大きな箒《ほうき》を持ち、大きい目に涙を浮かべて、日の出る前に往来を掃除していた。
 その土地では彼女のことをアルーエット([#ここから割り注]訳者注 ひばりの意[#ここで割り注終わり])と呼んでいた。綽名《あだな》を好む世人はその名をこの小さな子につけて喜んだ。小鳥くらいの大きさで、震え、恐れ、おののき、毎朝その家でもまた村でも一番に起き上がり、いつも夜の明けないうちに往来や畑に出ていたのである。
 ただそのあわれなアルーエットは決して歌わなかった。
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   第五編 下降

     一 黒飾玉の製法改良の話

 モンフェルメイュで子供を捨てていったように噂《うわさ》されている間に、その母親はどうなったか、どこにいたか、また何をしていたか。
 テナルディエの家に小さなコゼットを預けてから、彼女は旅を続けて、モントルイュ・スュール・メールに到着した。
 それは読者の記憶するとおり、一八一八年のことである。
 ファンティーヌはもう十年も前にその故郷を出たのであった。モントルイュ・スュール・メールはその間にすっかり様子が違っていた。ファンティーヌがしだいに困窮から困窮へと陥っていった間に、その故郷の町は栄えていった。
 約二年ばかり前から、その田舎《いなか》では大事件たる工業方面に、ある一事が成就されていた。
 その詳細は重要なものであって、少しく言を費やすのもむだではあるまい。いやおそらく圏点を施してもいいことと思う。
 いつの頃よりか昔から、モントルイュ・スュール・メールには、イギリスの擬《まが》い黒玉とドイツの黒ガラス玉とをまねて製造する特殊な工業があったが、原料が高くて賃金があまり出せないので、いつもはかばかしくゆかなかった。しかしファンティーヌがその地に帰っていった頃には、異常な変化がそれらの「黒い装飾品」の製法に起こっていた。一八一五年の末に、一人のある他郷《よそ》の男がやってきて、その町に住み、そしてその製造法にふと考案をめぐらして、樹脂の代わりに漆を用い、また特に腕輪には、はんだづけにした鉄環《てつわ》の代わりにただ嵌《は》め込んだ鉄環を使った。ただそれだけの変化であったが、それがほとんど革命をきたした。
 ただそれだけの変化ではあったが、それは実際、原料の価をいちじるしく低下さした。そのため、第一には賃金を高くして、その地方の利益となり、第二にはその製造法を改善して、購買者の得となり、第三には多くもうけながらもなお安く売ることができて、製造者側の利得ともなった。
 かくてただ一つの考案から三つの結果が生じた。
 三年もたたないうちに、その方法の発明者は結構なことには金持ちになり、そしてなお結構なことには周囲の人々をも金持ちにした。彼はその地方の人ではなかった。だれもその生国を知ってる者はなく、またやってきた初めもあまり人の注意をひかなかった。
 人の噂によれば、彼は高々数百フランくらいのはした金を持って町にやってきたという。
 彼はそのわずかな金を、巧みな考案の実施に使い、だんだん注意してそれを殖《ふや》し、ついに一財産を作り上げ、またその地方全体を富ましたのだった。
 モントルイュ・スュール・メールにやってきたときには、彼はただ一個の労働者然たる服装と様子と言葉つきをしてるのみだった。
 たしか、十二月のある夕方、背に背嚢《はいのう》を負い手に荒い杖をついて彼がこっそりとモントルイュ・スュール・メールの小さな町にはいってきた時、ちょうど大火が町の役所に起こった。その男は炎の中に飛び込んで、身の危険をも顧みず二人の子供を助け出した。それは憲兵の隊長の子供だった。そのため彼の通行券を調べてみようとする人もなかった。そのことのあってから彼の名前は人々に知られた。それはマドレーヌさん[#「マドレーヌさん」に傍点]というのだった。

     二 マドレーヌ

 その男は約五十歳ばかりで、何かに気を取られてるようなふうをしていて、また親切だった。彼について言い得ることはただそれだけであった。
 彼がうまく改良してくれたその工業の急速な進歩のお陰で、モントルイュ・スュール・メールは著名な産業の中心地となった。擬《まが》いの黒玉を多く消費するスペインからは、毎年莫大な注文があった。その取り引きにおいては、モントルイュ・スュール・メールは、ほとんどロンドンやベルリンなどと肩を並べるまでになった。マドレーヌさんの利益は非常なもので、二年目にはもう、男女のためにそれぞれ広い仕事場を備えた大きな工場を建てるまでになった。飢えた者があれば、その工場に行きさえすればきっと仕事とパンとが得られるのだった。マドレーヌさんは、男には善良な意志、女には純潔な風儀、そしてすべての人に誠実なることを求めた。彼は男女を分離し、娘や女たちに貞節を保たせんために、その仕事場を二つに分けていた。その点においては彼は一歩もまげなかった。彼がいくらか厳酷であったのは、ただその点に関してだけだった。モントルイュ・スュール・メールは兵営のある町で、風俗の乱れる機会が非常に多かったので、なおいっそう彼は厳格だったのである。とにかく彼がそこにきたことは一つの恩恵であり、彼がそこにいることは天の賜物であった。マドレーヌさんが来る前までは、その地方はすべてが萎靡《いび》していた。が今ではすべてが労働の聖《きよ》い生命に生き上っていた。盛んな活動がすべてのものをあたため、またいたる所に流れ入っていた。仕事の欠乏や困窮はもう知られなかった。いかなる粗末な蟇口《がまぐち》の中にも金のないことはなく、いかなるあわれな住家にも何らかの喜びのないことはなかった。
 マドレーヌさんはいかなる人をも使った。彼はただ一つのことをしか要求しなかった、すなわち正直な人たれ! 正直な娘たれ!
 前に述べたとおり、マドレーヌは自らその原動力であり中心であった活動のうちにあって、財産を作ったのだった。しかし単なる商人としてはかなり妙なことであるが、何だか金を得ることが彼の主な意図であるようには見えなかった。他人のことのみ多く考えて自分のことはあまり考えないようだった。一八二〇年には、ラフィット銀行へ自分の名前で六十三万フランの金額を預けていたそうである。しかし六十三万フランを貯蓄する前に、彼は既に町のためや貧しい人々のために百万フラン以上を使っていたのである。
 町の病院は設備がはなはだ不十分だったので、彼はそこに十個の寝台を寄付した。モントルイュ・スュール・メールの町は山の手と下町とに分かれていた。彼が住んでいた下町にはただ一つの学校しかなくて、それもこわれかけたひどい破屋《あばらや》だった。で彼は二つの学校を建てた、一つは女の子のために、一つは男の子のために。そして彼はその両方の教師に、官からもらえる薄給の二倍の給料を自分の金で払ってやった。そのことを驚いてるある人に向かって彼の言ったことがある、「国家の第一の官吏というのは、すなわち保母と教師との二つです。」自分の金で彼はまた、当時ほとんどフランスに知られていなかった幼稚園を建て、また老衰してる労働者や身体のきかない労働者のために救済基本金を出した。彼の製作所は一つの中心をなしていたので、多くの貧困な家族らが住む新しい街区がまわりににわかにできてきた。彼はそこにまた無料の薬店を建ててやった。
 初めのうちは、彼が仕事をやり出すのを見て口善悪《くちさが》ない人々は言った。「金もうけをたくらんでる豪気な男だな。」ところが自分で金をためる前にその地方を富ましてやってるのを見て、彼らはまた言った、「ははあ野心家だな。」そのことがある点まで当たってるらしく思われた事には、彼は宗教を信じていて、当時いいこととせられていた教義を守ることをある程度まで行なっていた。彼は日曜日には必ず低唱|弥撒《ミサ》を聞きに教会へ出かけて行った。いたる所に競争心をかぎつけるその地方の一代議士は、やがて彼の信仰に不安を覚え出した。その代議士はもと帝政時代に立法部の一員であって、彼がその子分であり友だちであったオトラント公、すなわちフーシェという名前で世に知られているオラトアール派の一長老と、宗教上の意見を同じくしていた。内々で彼は神のことをそれとなく笑っていた。しかし金持ちの工場主マドレーヌが七時の低唱弥撒に行くのを見て、自分の競争者が現われたように思い、マドレーヌに打ち勝とうと決心した。彼はゼジュイット派の牧師を懺悔《ざんげ》聴聞者に選び、大弥撒や夕の祈祷などに出かけて行った。当時の野心なるものは文字どおりに鐘楼への競争であった。そういう警戒から、貧しい人たちも神と同じく利益を得た。何となればそのりっぱな代議士もまた病院に二つの寝台を寄付したのだから。それで寄付の寝台は十二になったわけである。
 そのうち一八一九年に、ある朝、一つの噂が町中に広まった。マドレーヌさんが、知事の推挙とその地方に施した功績とによって、国王からモントルイュ・スュール・メールの市長に任命されるということであった。新来の彼を野心家だなどと言った人たちは、喜んでその望みどおりの機会をとらえて言った、「それみたことか、俺たちは何と初めに言ったか。」モントルイュ・スュール・メールの町中はどよめいた。噂は果して事実であった。数日後には、その任命が官報に出た。がその翌日、マドレーヌさんは辞退した。
 その同じ一八一九年に、マドレーヌの発明した新製造法に成る製品は工業博覧会に出て人目をひいた。審査員の報告によって、国王はその発明者にレジオン・ドンヌールのシュヴァリエ章を付与した。小さな町の人たちはまた一騒ぎした。「なるほど、彼が望んでいたのは勲章だな!」けれどもマドレーヌさんはその勲章を辞して受けなかった。
 まさしくその男は一の謎《なぞ》であった。口善悪《くちさが》ない人々はかろうじて、こんな苦しいことを言い出した、「つまり彼は一種の山師だ。」
 前に述べたとおり、その地方は多く彼のお陰を被むり、貧しい人々はすべてにおいて彼のお陰を被っていた。彼はかく世に有用な人だったので、ついに人々は彼を尊敬するようになり、また彼はひどく穏やかな人物だったので、人々はついに彼を愛するようになった。特に彼から使われてる職工らは彼を崇拝した、そして彼はその崇拝を受くるに一種の憂鬱《ゆううつ》な重々しい態度をもってした。彼が金持ちだということが一般に知れ渡ると、「社交界の人々」は彼に頭を下げ、町では彼をマドレーヌ氏と呼んだ。が彼の職工や子供たちはやはりマドレーヌさん[#「マドレーヌさん」に傍点]と呼んでいた。そして彼はその呼び方の方を喜んでいた。彼の地位が高まるにつれて、招待は降るがようにやってきた。「社交界」は彼を引き入れようとした。モントルイュ・スュール・メールの気取った小客間は、初めのうちは言うまでもなくこの職人には閉ざされていたが、今ではその分限者に向かって大きく開かれた。その他百千の申し出があった。しかし彼はそれをみな断わった。
 そういうことになっても、人の陰口はやまなかった。
「彼は無学であまり教育のない男だ。いったいどこからやってきた奴《やつ》かわかりもしない。上流社会に出ても作法も知らないのだろう。字が読めるということの証拠さえないじゃないか。」
 彼が金をもうけるのを見た時には、人々は言った、「彼奴《あいつ》は商人だ。」彼が金をまき散らすのを見ては人々は言った、「彼奴は野心家だ。」彼が名誉を辞退するのを見ては人々は言った、「彼奴は山師だ。」また彼が社交界を断わるのを見ては人々は言った、「彼奴は下等な人間だ。」
 彼がモントルイュ・スュール・メールにやってきて五年目に、すなわち一八二〇年に、その地方における彼の功績は赫々《かくかく》たるものがあり、その地方の衆人の意見も一致していたので、国王は再び彼を市長に任命した。彼はこのたびもまた辞退した。しかし知事はその辞退を受けつけず、知名な人々は彼のもとに懇願にき、一般の人たちは大道で彼に哀願し、それらの強請がいかにも激しくなったので、彼もついに職を受けることになった。ことに彼をそう決心さしたのは、卑しい一人の年寄った婦人がほとんど怒ったような調子で彼に浴びせかけた言葉だったらしいということである。その女は門口の所で強く叫びかけた、「いい市長さんがあるのは大事なことです[#「いい市長さんがあるのは大事なことです」に傍点]。人間は自分のできるよいことをしないでいいものでしょうか[#「人間は自分のできるよいことをしないでいいものでしょうか」に傍点]。」
 かくてそれは彼の立身の第三段であった。マドレーヌさんはマドレーヌ氏となり、マドレーヌ氏は市長殿となったのである。

     三 ラフィット銀行への預金額

 けれども彼はなお初めのほどと同じように質朴だった。灰色の髪、まじめな目付き、労働者のように日に焼けた顔色、哲学者のように考え深い顔付き。いつも縁広《ふちびろ》の帽子と、えりまでボタンをかけた粗末なラシャの長いフロックコート。市長たるの職務を尽しはしたが、それ以外には孤独な生活を送っていた。人にもあまり言葉をかけなかった。丁重な仕方をすべて避け、簡単なあいさつにとどめ、さっさと行ってしまい、話をするよりもむしろただほほえみ、ほほえむよりもむしろ金を与えた。女たちは彼のことを言った、「何という人の良い世間ぎらいだろう!」彼の楽しみは野外を散歩することだった。
 彼は書物を前に開いて読みながら、いつも一人で食事をした。よく精選された少しの書籍を持っていた。書物を愛していた。書物は冷ややかではあるが完全な友である。財産とともに暇ができるにつれて、彼は自分の精神を啓発するのにその時間を使ったらしかった。モントルイュ・スュール・メールにきて以来、一年一年といちじるしく彼の言葉は丁寧になり、上品になり、優しくなっていった。
 彼は散歩の時好んで小銃を持って出たが、それを使うのは稀《たま》にしかなかった。たまたまそれを使うような時には、その射撃は当たらないということがなく、人を恐れさせるほどだった。かつて彼は無害な動物を殺さなかった。またかつて彼は小鳥を撃たなかった。
 もはや若いとは言われない年齢だったが、彼は非常な大力をそなえてるということだった。必要な者には手助けをしてやって、たおれた馬を起こしてやったり、泥濘《でいねい》にはまった車を押してやったり、逃げ出した牡牛《おうし》の角をつかんで引き止めてやったりした。家を出かける時はいつもポケットに金をいっぱい入れていたが、帰って来る時にはみな無くなっていた。彼が村を通る時には、襤褸《ぼろ》を着た子供たちが喜ばしそうに彼の後を追っかけてき、蠅《はえ》の群れのように彼を取り巻いた。
 彼は以前|田舎《いなか》に住んでいたに違いないと思われた。なぜなら、あらゆる有益な秘訣《ひけつ》を知っていて、それを百姓どもに教えてやったからである。麦の虫を撲滅するために、普通の塩水を穀倉に撒布《さんぷ》しまた床板《ゆかいた》の裂け目に流し込んでおくことを教えたり、穀象虫を駆除するために、壁や屋根やかき根や家の中などすべてにオリヴィオの花をつるしておくことを教えたりした。空穂草や黒穂草や鳩豆《はとまめ》草やガヴロールや紐鶏頭《ひもけいとう》など、すべて麦を害する有害な雑草を畑から根絶させるための種々な「処方」を知っていた。また養兎《ようと》場に天竺鼠《てんじくねずみ》を置いてそのにおいで野鼠の来るのを防がした。
 ある日彼は、その地方の人々が一生懸命に蕁麻《いらぐさ》を抜き取ってるのを見かけた。その草が抜き取られて、うずたかく積まれながらかわき切ってるのをながめて、彼は言った。「もう枯れてしまってる。だがその使い道を心得ておくのはいいことだ。この蕁麻《いらぐさ》はその若い時には、葉がりっぱな野菜となる。時がたつと、苧《からむし》や麻のように繊維や筋がたくさんできる。蕁麻の織物は麻の布と同じようだ。また細かく切れば家禽《かきん》の食物にいい。搗《つ》き砕けば角のある動物にいい。その種を秣《まぐさ》に混ぜて使えば動物の毛並みをよくする。根は塩と交ぜれば黄色い美しい絵具《えのぐ》となる。そのうえ蕁麻はりっぱな秣で二度も刈り取ることができる。作るにしても何の手数もいらない。少しの地面さえあれば、手入れをすることもいらないし、地面を耕す必要もない。ただその種子は熟すにつれて地に落ちるので、収穫に少し困難である。ただそれだけのことだ。ちょっと手をかけてやれば、蕁麻《いらぐさ》はごく益《やく》に立つんだが、うっちゃっておけば害になる。害になるようになって人はそれを枯らしてしまう。人間にもまったく蕁麻に似たものが随分ある!」それからちょっと黙って彼はまたつけ加えた。「よく覚えておきなさい、世には悪い草も悪い人間もいるものではない。ただ育てる者が悪いばかりだ。」
 子供たちはいっそう彼が好きであった。麦藁《むぎわら》や椰子《やし》の実《み》でちょっとしたおもしろい玩具《おもちゃ》をこしらえてくれたからである。
 教会堂の戸に黒い喪の幕がかかっているのを見ると、彼はいつもそこにはいって行った。ちょうど人々が洗礼式をさがすように、彼は埋葬をさがした。また優しい心を持っていたので、寡婦暮《やもめぐら》しや他人の不幸に彼は心をひかれた。喪装の友だちや、黒布をまとった家族や、柩《ひつぎ》のまわりに悲しんでる牧師らに、彼はよく立ち交じった。他界の幻に満ちたあの葬礼の哀歌に、喜んで自分の考えをうち任してるようだった。目を天に向け、無限のあらゆる神秘に対する一種のあこがれの情をもって彼は、死の暗い深淵の縁に立って歌うそれらの悲しい声に耳を傾けた。
 彼はたくさんの善行をなしたが、悪事を行なう時人が身を隠してするように、ひそかにそれをなした。彼は人知れず夕方多くの人家にはいり込み、そっとはしご段を上っていった。あわれな人が自分の屋根裏に帰って来ると、自分の不在中に戸が開かれてるのを見いだす。それも時としては無理にこじあけられてるのである。彼は叫ぶ、「ああどんな悪者がきたんだろう!」しかるに家にはいって最初に見出すところのものは、家具の上に置き忘れられてる金貨である。そこにやってきた「悪者」は、実にマドレーヌさんであった。
 彼は慇懃《いんぎん》でまた悲しげなふうをしていた。人々は言った。「あの人こそは金持ちであっても傲慢《ごうまん》でなく、幸福であっても満足のふうをしていない。」
 ある人々は、彼をもって不可思議な人物と見なし、決してだれもはいったことのない彼の室には、翼のついた砂時計が備えられ、十字に組み合わした脛骨《けいこつ》や死人の頭蓋骨《ずがいこつ》などが飾られていて、いかにも隠者の窖《あなぐら》のようだと言った。その噂は広く町にひろがって、ついにはモントルイュ・スュール・メールのりっぱな若い婦人で意地の悪い者が四、五人集まって、ある日彼の家を訪れて彼に願った。「市長さん、あなたのお室を見せて下さいな。世間では洞窟《どうくつ》だと言っていますから。」彼はほほえんで、即座にその「洞窟」へ彼女らを導いた。彼女らは好奇心のためにまったくばかを見た。普通ありふれたかなり粗末なマホガニー製の器具が簡単に並べられ十二スーの壁紙が張られてる室にすぎなかった。そして彼女らの目に止まったものとしてはただ、暖炉の上にある古い型の燭台二つだけで、「調べてみると」銀でできているらしかった。いかにも小さな町に住んでる者にふさわしい注意である。
 それでもなお、彼の室にはだれもはいった者がなく、それは隠士の洞窟で、穴倉であり、穴であり、墓穴であるといわれていた。
 また人々の陰での噂によると、彼は「莫大な」金をラフィット銀行に預けていて、いつでも自由にできるようになっているということだった。マドレーヌ氏はいつでもその銀行に行って受取証を書きさえすれば、十分とかからぬうちに二、三百万フランは持ち出すことができるということだった。けれども実際においては、上に述べたとおりその「二、三百万フラン」も六十三、四万フランになっていたのである。

     四 喪服のマドレーヌ氏

 一八二一年の初めに、諸新聞は「ビヤンヴニュ閣下[#「ビヤンヴニュ閣下」に傍点]と綽名《あだな》せられた」ディーニュの司教ミリエル氏の死を報じた。八十二歳をもって聖者のごとく永眠したというのであった。
 新聞に書かれなかった一事をここにつけ加えておくが、ディーニュの司教はその生前数年来盲目であった、そして妹がそばにいてくれるので彼はその盲目に満足していたのだった。
 ついでに言う。盲目にしてしかも愛せられているということは、何も完全なるもののないこの世においては、実に最も美妙な幸福の一である。自分の傍《かたわら》に絶えず一人の女が、一人の娘が、一人の妹が、一人のかわいい者がある。彼女を自分は必要とし、また彼女も自分なしには生きてゆけないのである。彼女が自分に必要であるごとく、自分もまた彼女になくてならない者であることを知る。彼女が自分の傍にいてくれる度数によって、彼女の愛情を絶えず計ることができる。そして自ら言う、彼女がその時間をすべて私にささげてくれるのは、私が彼女の心をすべて占領しているからだと。彼女の顔は見えないけれどもその考えを見る。世界がすべて自分の眼界から逸した中にただ一人彼女の忠実なことを認める。翼の音のような彼女の衣擦《きぬず》れの音を感ずる。彼女が行き、きたり、外出し、帰り、話をし、歌をうたうのを聞く。そして自分は、その歩み、その言葉、その歌の中心であることを思う。各瞬間ごとに、彼女が自分に心|牽《ひ》かれていることがわかる。身体が不具になればなるほどいっそう力強くなるのを感ずる。暗黒のうちに、また暗黒によって、自ら太陽となり、そのまわりにはこの天使が回転している。かくのごときはほとんど類《たぐ》いまれなる幸福というべきである。人生最上の幸福は、愛せられているという確信にある。直接自分自身が愛せられる、いや、むしろ自分自身の如何《いかん》にかかわらず愛せられるという確信にある。そういう確信は盲者にして初めて有し得る。惨《いた》ましき盲目のうちにおいては、世話を受くるはすなわち愛撫《あいぶ》を受くることにほかならない。彼にはその他に何かが不足するであろうか。いや。愛を有する以上、光明を失ったものではない。しかもその愛はいかなる愛であるか。まったく徳操をもって作られた愛である。確実なる信念があるところに失明なるものは存しない。魂は手探りに魂をさがしそれを見いだす。しかもその見いだされとらえられた魂は、一個の婦人である。汝をささえてくれる手、それは彼女の手である。汝の額に触れてくれる脣《くちびる》、それは彼女の脣である。汝はすぐそばに呼吸の音をきく、それは彼女である。その崇拝より憐憫《れんびん》に至るまで彼女のすべてを所有する。決してそばを離れられることがない。その弱々しい優しさで助けられる。その心確かな蘆《あし》のごとき弱き女性に身をささえる。直接おのれの手をもって神の摂理にふれ、おのれの腕のうちにそれを、肌に感じ得る神をいだく。これ実にいかなる喜悦であろうぞ! その心は、その人知れぬ聖《きよ》き花は、神秘のうちにひらく。それはあらゆる光明にもまさった影である。天使の魂がそこにある、常にある。もしそれが立ち去ることあっても、また再び帰りきたらんがためにである。それは夢のごとくに姿を消し、現実のごとくに再び現われる。暖きものの近づくのを感ずる時にはもはや、それがそこにある。清朗と喜悦と恍惚《こうこつ》とに人は満たされる。暗夜のうちにおける輝きである。そして数々の細かな心尽し。些細《ささい》なものもその空虚のうちにあっては巨大となる。得も言えぬ女声の音調は汝を揺籃《ゆりかご》に揺すり、汝のために消え失せし世界を補う。魂をもって愛撫せらるるのである。何物も見えないが、しかし鍾愛《しょうあい》せられてるのを感ずる。それは実に暗黒の楽園である。
 ビヤンヴニュ閣下は、かくのごとき楽園より他の天国へと逝《い》ったのであった。
 彼の死の報知は、モントルイュ・スュール・メールの地方新聞にも転載された。マドレーヌ氏はその翌日から、黒の喪服をつけ帽子に黒紗を巻いた。
 町の人々はその喪装に目を止めて、いろいろ噂をし合った。そのことはマドレーヌ氏の生まれについて一つの光明を投ずるものと思われた。人々は彼があの尊い司教と関係があるように推論した。
「彼はディーニュの司教のために黒紗をつけた[#「彼はディーニュの司教のために黒紗をつけた」に傍点]、」と町の社交界で噂に上った。そのことは大いにマドレーヌ氏の地位を高め、にわかにモントルイュ・スュール・メールの貴族社会において重きをなすようになった。その小都市のサン・ジェルマンとも称すべき区郭の人々は、おそらく司教の身寄りの者であるマドレーヌ氏の四旬節の勤めを止めさせようとした。マドレーヌ氏はまた、年取った女らの敬意と年若い婦人らのほほえみとの増したことを見て、自分の地位の上がったことを認めた。ある晩、その小都市の交際社会の首脳ともいうべき一人の老婦人が、老人の好奇心から彼に尋ねたことがあった。「市長さんはきっと亡《な》くなられたディーニュの司教の御親戚でございましょうね。」
 彼はいった。「そうではありません。」
「けれども、」とその老婦人は言った、「あなたは司教のために喪服をつけていられるではありませんか。」
 彼は答えた。「それはただ、若い頃司教の家に使われていたことがあるからです。」
 なおも一つ人々の注意をひいたことには、地方を回って煙筒の掃除をして歩いてるサヴォア生まれの少年が町にやって来るたびごとに、市長はその少年を呼んで名前を尋ね、そして金を与えた。サヴォア生まれの少年らはそのことをよく語り合った、そしてわざわざやってきて金をもらってゆく者も多かった。

     五 地平にほのめく閃光

 しだいに、そして時がたつにつれて、反対はみななくなってしまった。立身した人々が常に受くることになってる中傷や誹謗《ひぼう》などは、初めマドレーヌ氏に対してもかなりなされたが、やがてそれらは単なる悪口になり、次ぎには単に陰口になり、ついにまったくなくなってしまった。全市|挙《こぞ》って丁重に彼を尊敬し、一八二一年ごろには、モントルイュ・スュール・メールにおいて市長どのという言葉は、一八一五年ディーニュにおいて司教閣下と言われた言葉とまったく同じ調子で口に上せらるるようになった。その付近では、十里も隔たった所からマドレーヌ氏に相談に来る者もあった。彼は争論を終わらせ、訴訟を止め、敵同士を和解さしてやった。だれもみな彼を裁判官として奉じた、そしてそれも正当であった。彼は自然法則の書籍をもって心としているがようだった。あたかも伝染するがように彼に対する尊敬の念は、六、七年のうちにしだいにその地方全部に広まった。
 しかるに、町や地方を通じて、その尊敬の感染を絶対に受けないものがただ一人いた。マドレーヌさんがいかなることをなそうとも、彼はいつもそれに敵意を持ち、あたかも一種の乱し動かすを得ない本能によってさまされ警《いまし》められてるがようだった。実際ある種の人のうちには、あらゆる本能と同じく一つの動物的で純で完全な真の本能がなお存しているらしい。その本能は反感や同感を起こさせ、一性格の者と他の性格の者とを全然分け隔て、また自ら少しも躊躇《ちゅうちょ》することなく、惑うことなく、黙することなく、自らを欺くことなく、自らの愚昧《ぐまい》のうちに揺るがず、知力のあらゆる勧告や理性のあらゆる訴えにも、決して撓《たわ》むことなく、厳として軟化せず、運命がいかなる状態にあろうとも、ひそかに犬人に戒むるに猫人の存在をもってし、狐人に戒むるに獅子人の存在をもってする。
 マドレーヌ氏が愛情を含んだ穏かな様子で、万人の祝福にとりまかれながら町を通る時、しばしば鉄鼠色のフロックを着、大きなステッキを手にし、縁を引き下げた帽子をかぶっている背の高い一人の男が、突然彼の後ろからふり向いて、見えなくなるまで後姿を見送ってることがあった。そんな時その男は、腕を組み、軽く頭を振り、下脣と上脣《うわくちびる》とをいっしょに鼻の下までつき出して、一種の意味ありげな、しかめ顔をするのだった。その顔付きを翻訳してみればたぶんこんなことになるらしかった。
「いったいあの男は何者だろう?……確かにどこかで見たようだが。……いずれにしても俺はあんな奴に瞞《だま》されはしないぞ。」
 その男はほとんど人を脅威するほどの重々しい様子をしていて、ちょっと見ただけでも人の心をひくような者の一人だった。
 彼はジャヴェルといって、警察に出てる男であった。
 彼はモントルイュ・スュール・メールで、困難ではあるがしかし有用な方面監察の役目をしていた。彼はマドレーヌのきた当時のことを知らなかったのである。国務大臣で当時のパリーの警視総監をしていたアングレー伯の秘書官シャブーイエ氏の引き立てで、現在の地位を得たのだった。彼がモントルイュ・スュール・メールにきた時には、その大製造業者の財産は既にでき上がり、マドレーヌさんはマドレーヌ氏となっていた。
 警察のある種の役人は、陋劣《ろうれつ》と権威との交じった複雑な特別な相貌をそなえてるものである。ジャヴェルは陋劣の方を欠いたその特別な相貌を持っていた。
 吾人の確信するところによれば、もし人の魂なるものが目に見えるものであったならば、人間の各個人は各種の動物の何かに相当するものであるという不思議な一事を、人は明らかに知るであろう。そして、蠣《かき》から鷲《わし》に至るまで、また豚から虎《とら》に至るまで、すべての動物が人間のうちに存在し、各動物が各個人のうちに存在しているという、思想家がかろうじて瞥見《べっけん》する真理を、人はたやすく認め得るであろう。時としてはまた数匹の動物がいっしょに一人の人間のうちにあるということをも。
 動物は皆、われわれの善徳および悪徳の表象であって、われわれの眼前に彷徨《ほうこう》しわれわれの魂の目に見える幻影にほかならない。神はわれわれを反省せしめんがためにそれをわれわれに示す。ただ動物は影に過ぎないがゆえに、神は厳密なる意味において教育し得るがようには動物を作らなかったのみである。教育が何の役に立とうぞ? これに反してわれわれの魂は現実であり、自己本来の目的を持っているがゆえに、神はそれに知力を与えた、換言すれば教育の可能を。ゆえによく成されたる社会的教育は、いかなる魂にもせよ、魂のうちからそれが有する効用を引き出すことができる。
 かく言うのはもとより、表面に表われたる地上の生活に限らるる見地においてであって、人間以外の生物の先天的および後天的性格に関する深い問題を考えてのことではない。目に見える自己のために内部の自己を否定することは、いかなる意味においても思想家には許されないのである。それだけの制限をしておいて先に進もう。
 今しばらく、あらゆる人のうちには各種の動物のいずれか一つが存在しているということが許さるるならば、ここに警官ジャヴェルのうちにはいかなるものがいるかを述べるのは、いとたやすいことである。
 アスチェリーの農民の間には次のことが信ぜられている。狼《おおかみ》の子のうちには必ず一匹の犬の子が交じっているが、それは母狼から殺されてしまう、もしそうしなければその犬の子は大きくなって他の狼の子を食いつくしてしまうからである。
 その狼の子の犬に人間の顔を与えれば、それがすなわちジャヴェルである。
 ジャヴェルは骨牌占《カルタうらな》いの女から牢獄の中で生まれた。女の夫は徒刑場にはいっていた。ジャヴェルは大きくなるに従って、自分が社会の外にいることを考え、社会のうちに帰ってゆくことを絶望した。社会は二種類の人間をその外に厳重に追い出していることを彼は認めた、すなわち社会を攻撃する人々と、社会を護る人々とを。彼はその二つのいずれかを選ぶのほかはなかった。同時にまた彼は、厳格、規律、清廉などの一種の根が自分のうちにあることを感じ、それとともに自分の属している浮浪階級に対する言い難い憎悪を感じた。彼は警察にはいった。
 彼はその方面で成功した。四十歳の時には警視になっていた。
 彼は青年時代には南部地方の監獄に雇われていたこともあった。
 さてこれ以上に言を進める前に、先にジャヴェルについて言った人間の顔ということを説明してみよう。
 ジャヴェルの人間の顔というのは、平べったい一つの鼻と、深い二つの鼻孔と、鼻孔の方へ頬の上を上っている大きな鬚《ひげ》とでできていた。その二つの鬚の森と二つの小鼻の洞穴とを見る者は、初めはだれもある不安を感ずるのであった。ジャヴェルは笑うことがごくまれであったが、その笑いは恐ろしく、薄い脣《くちびる》が開いて、ただに歯のみではなく歯齦《はぐき》までも現わし、野獣の鼻面にあるような平たい荒々しいしわが鼻のまわりにできた。まじめな顔をしている時はブルドッグのようであり、笑う時は虎のようだった。その上頭が小さく、頤《あご》が大きく、髪の毛は額を蔽《おお》うて眉毛の上までたれ、両眼の間のまん中に絶えず憤怒の兆のような、しかめた線があり、目付きは薄気味が悪く、口は緊《きっ》と引きしまって恐ろしく、その様子には強猛な威力があった。
 この男は、きわめて単純で比較的善良ではあるが誇張せられるためにほとんど悪くなっている二つの感情でできていた。すなわち、主権に対する尊敬と、反逆に対する憎悪と。そして彼の目には、窃盗、殺害、すべての罪悪は、ただ反逆の変形にすぎなかった。上は総理大臣より下は田野の番人に至るまでおよそ国家に職務を有する者を皆、盲目的な深い一種の信用のうちに包み込んで見ていた。一度法を犯して罪悪の方に踏み込んだ者を皆、軽蔑と反感と嫌悪《けんお》とをもって見ていた。彼は絶対的であって、いっさいの例外を認めなかった。一方では彼は言った、「職務を帯びてるものは誤ることはない、役人は決して不正なことをしないものだ。」他方ではまた彼は言った、「こいつらはもう救済の途はない、何らの善もなし得ない者だ。」世には極端な精神を有していて、刑罰をなすの権利あるいは言い換えれば刑罰を定めるの権利を人間の作った法則が持っているように信じ、社会の底に地獄の川スティックスを認める者がいる。ジャヴェルもまたそういう意見を多分に持っていた。彼は禁欲主義で、まじめで、厳格であった。憂鬱《ゆううつ》な夢想家であった。狂信家のように謙遜でまた傲慢《ごうまん》であった。彼の目は錐《きり》のごとく、冷たくそして鋭かった。彼の一生は二つの言葉につづめられる、監視と取り締まりと。彼は世間の曲りくねったものの中に直線を齎《もたら》した。彼は自己の有用をもって良心となし、自己の職務をもって宗教となしていた。彼の探偵たることはあたかも牧師たるがごとくであった。彼の手中に落ちたる者は不幸なるかなである。彼は父がもし脱獄したらんには父を捕縛し、母がもし禁令を犯したらんには母をも告発したであろう。そして徳行によって得らるるごとき一種の内心の満足をもってそれをなしたであろう。その上に、貧しい生活、孤独、克己、純潔をもってし、何らの遊びにもふけらない。彼は厳格なる義務それ自身であり、あたかもスパルタ人らがスパルタに身をささげたがごとくに献身的な警官であり、無慈悲な間諜《かんちょう》であり、恐るべき正直さであり、冷酷なる探偵であり、名探偵ヴィドックのうちに住むブルツスであった。
 ジャヴェルの全身は、物をうかがいしかも身を潜める男そのものを示していた。当時のいわゆる急進派新聞に高遠な宇宙形成論の色をつけていたジョゼフ・ド・メーストルを頭《かしら》とする神秘派は、必ずやジャヴェルを一つの象徴であると称《たた》えたであろう。彼の額は帽子の下に隠れて見えず、彼の目は眉毛に蔽《おお》われて見えず、その頤《あご》はえり飾りのうちに埋まって見えず、その両手は袖のうちに引っ込んで見えず、その杖はフロックの下に隠されて見えなかった。しかしながら一度時機至れば、角張った狭い額、毒々しい目付き、脅かすような頤、大きな手、および恐ろしい太い杖などが、その陰のうちから突然伏兵の立つように現われて来るのであった。
 暇とてはめったになかったが、もし暇があれば彼は、書物はきらいではあったが、それでもなお何か読んでいた。してみれば、彼はまったくの無学ではなかったらしい。またそれは彼の言葉のうちの一種の大げさな調子でもわかることだった。
 彼が何らの悪徳をも持たないことは、前に言ったとおりである。自ら満足に感じてる時には一服煙草を吸うことにしていた。そこだけが彼の普通の人間らしいところだった。
 たやすく察せらるるとおり、ジャヴェルは、司法省の統計年鑑のうちに無頼漢[#「無頼漢」に傍点]と朱書せられてる一種の階級からは非常に恐れられていた。ジャヴェルという名は彼らを狼狽《ろうばい》さした。ジャヴェルの顔は彼らを縮み上がらした。
 この恐ろしい男は上述のとおりの者であった。
 ジャヴェルは絶えずマドレーヌ氏の上に据えられてる目のごときものだった。疑念と憶測とに満ちた目だった。マドレーヌ氏もついにそれを気づくようになった。しかし彼は別に何とも思っていないらしかった。ジャヴェルに一言の問いをもかけず、またジャヴェルの姿をさがすでもなく避けるでもなく、その気味悪い圧迫するような目付きをじっと受けながら別に気に留めてもいないらしかった。彼はジャヴェルをも他のすべての人と同じく平気で温和に取り扱っていた。
 ジャヴェルの口からもれた二、三の言葉から察すれば、彼は彼ら仲間特有のそして意志とともにまた本能から由来する一種の好奇心をもって、マドレーヌさんが他の所に残してきた前半生の足跡を秘密に探っていたらしい。ある行方《ゆくえ》不明の一家族に関してある地方で多少の消息を得ている者がいるということを、彼は知っているらしかった、また時としては暗にそれを言葉に現わすこともあった。ある時などは彼はふとこう独語した、「彼奴の尻尾《しっぽ》を押さえたようだ!」それから彼は三日の間一言も口をきかずに考え込んでいた。そしてとらえたと思った糸も切れたらしかった。
 しかしおよそ、そしてこれはある言葉はあまりに絶対的の意味を現わすかも知れないということに対する必要な緩和物であるが、人間のうちには真に確実なるものはあり得ないものである、そしてまた本能の特質は乱され惑わされ迷わされ得るということにあるものである。もししからずとすれば、本能は知力にまさり、動物は人間よりもすぐれたる光明を有するに至るであろう。
 ジャヴェルは明らかに、マドレーヌ氏のまったくの自然さと落ち着きとによって、やや心を惑わされたのであった。
 けれどもある日、彼の不思議な態度はマドレーヌ氏に印象を与えたらしかった。いかなる場合でかは次に述べよう。

     六 フォーシュルヴァンじいさん

 ある朝マドレーヌ氏は、モントルイュ・スュール・メールの敷石のない小さな通りを通っていた。その時彼は騒ぎを聞きつけ、少し向こうに一群の人々を認めた。彼はそこに行ってみた。フォーシュルヴァンじいさんと呼ばれている老人が、馬の倒れたため馬車の下に落ちたのだった。
 このフォーシュルヴァンは、当時マドレーヌ氏がまだ持っている少数の敵の一人だった。マドレーヌがこの地にやってきた当時、以前は公証人をしていて田舎者としてはかなり教育のあるフォーシュルヴァンは、商売をしていたが、それがしだいにうまくゆかないようになりはじめていた。彼はその一職人がしだいに富裕になってゆくのを見、また人から先生と言われている自分がしだいに零落してゆくのを見た。それは彼に嫉妬《しっと》の念を燃やさした。そして彼はマドレーヌを害《そこな》うために機会あるごとにできるだけのことをした。そのうちに彼は破産してしまった。そして年は取っており、もはや自分のものとしては荷車と馬とだけであり、その上家族もなく子供もなかったので、食べるために荷馬車屋となったのだった。
 さて馬は両脚《りょうあし》を折ったので、もう立つことができなかった。老人は車輪の間にはさまれていた。車からの落ち方が非常に悪かったので、車全体が胸の上に押しかかるようになっていた。車にはかなり重く荷が積まれていた。フォーシュルヴァンじいさんは悲しそうなうめき声を立てていた。人々は彼を引き出そうとしてみたがだめだった。無茶なことをしたり、まずい手出しをしたり、下手《へた》に動かしたりしようものなら、ただ彼を殺すばかりだった。下から車を持ち上げるのでなければ、彼を引き出すことは不可能だった。ちょうどそのでき事の起こった時にき合わしたジャヴェルは、起重機を取りにやっていた。
 マドレーヌ氏がそこにやってきた。人々は敬意を表して道を開いた。
「助けてくれ!」とフォーシュルヴァン老人は叫んだ。
「この年寄りを助けてくれる者はいないか。」
 マドレーヌ氏はそこにいる人々の方へふり向いた。
「起重機はありませんか。」
「取りに行っています。」と一人の農夫が答えた。
「どれくらいかかったらここにきますか。」
「一番近い所へ行っています、フラショーで。そこに鉄工場があります。しかしそれでも十五分くらいはじゅうぶんかかりましょう。」
「十五分!」とマドレーヌは叫んだ。
 前の日雨が降って地面は湿って柔らかになっていた。車は刻一刻と地面にくい込んで、しだいに老荷馬車屋の胸を押しつけていった。五分とたたないうちに彼は肋骨《ろっこつ》の砕かれることはわかりきっていた。
「十五分も待てはしない。」とマドレーヌはそこにながめている農夫らに言った。
「仕方がありません!」
「しかしそれではもう間に合うまい。車はだんだんめいり込んでゆくじゃないか。」
「だと言って!」
「いいか、」とマドレーヌは言った、「まだ車の下にはいり込んで背中でそれを持ち上げるだけの余地はじゅうぶんある。ちょっとの間だ。そしたらこのあわれな老人を引き出せるんだ。だれか腰のしっかりした勇気のある者はいないか。ルイ金貨([#ここから割り注]訳者注 二十フランの金貨[#ここで割り注終わり])を五枚あげる。」
 一群の中で動く者はだれもなかった。
「十ルイ出す。」とマドレーヌは言った。
 そこにいる者は皆目を伏せた。そのうちの一人はつぶやいた。「滅法に強くなくちゃだめだ。その上自分でつぶされてしまうかも知れないんだ。」
「さあ!」マドレーヌはまた言った、「二十ルイだ!」
 やはりだれも黙っていた。
「やる意志が皆にないのではない。」とだれかが言った。
 マドレーヌ氏はふり返った、そしてジャヴェルがそこにいるのを知った。彼はきた時にジャヴェルのいるのに気がつかなかったのである。
 ジャヴェルは続けて言った。
「皆にないのは力だ。そんな車を背中で持ち上げるようなことをやるのは、恐ろしい奴でなくてはだめだ。」
 それから彼は、マドレーヌ氏をじっと見つめながら、一語一語に力を入れて言った。
「マドレーヌさん、あなたがおっしゃるようなことのできる人間は、私はただ一人きりまだ知りません。」
 マドレーヌは慄然《ぞっ》とした。
 ジャヴェルは無とんちゃくなようなふうで、しかしやはりマドレーヌから目を離さずにつけ加えた。
「その男は囚人だったのです。」
「え!」とマドレーヌは言った。
「ツーロンの徒刑場の。」
 マドレーヌは青くなった。
 そのうちにも荷車はやはり徐々にめいり込んでいっていた。フォーシュルヴァンは息をあえぎ叫んだ。
「息が切れる! 胸の骨が折れそうだ! 起重機を! 何かを! ああ!」
 マドレーヌはあたりを見回した。
「二十ルイもらってこの老人の生命を助けようと思う者はだれもいないのか?」
 だれも身を動かさなかった。ジャヴェルはまた言った。
「起重機の代わりをつとめる者はただ一人きり私は知りません。あの囚人です。」
「ああ、もう私はつぶれる!」と老人は叫んだ。
 マドレーヌは頭を上げ、見つめているジャヴェルの鷹《たか》のような目付きに出会い、じっとして動かない農夫らを見、それから淋しげにほほえんだ。そして一言も発しないで、膝を屈《かが》め、人々があッと叫ぶ間もなく車の下にはいってしまった。
 期待と沈黙との恐ろしい一瞬間が続いた。
 マドレーヌがその恐ろしい重荷の下にほとんど腹|這《ば》いになって、二度|両肱《りょうひじ》と両膝《りょうひざ》とを一つ所に持ってこようとしてだめだったのが、見て取られた。人々は叫んだ。
「マドレーヌさん! 出ておいでなさい!」フォーシュルヴァン老人自身も言った。「マドレーヌさん、およしなさい! 私はどうせ死ぬ身です、このとおり! 私のことはかまわないで下さい! あなたまでつぶれます!」しかしマドレーヌは答えなかった。
 そこにいる人々は息をはずました。車輪はやはり続いてめいり込んでいた。そしてもうマドレーヌが車の下から出ることはほとんどできないまでになった。
 突然人々の目に、その車の大きい奴が動き出し、だんだん上がってき、車輪は半ば轍《わだち》から出てきた。息を切らした叫び声が聞えた。「早く! 手伝って!」マドレーヌが最後の努力をなしたのだった。
 人々は突き進んだ。一人の人の献身がすべての者に力と勇気とを与えた。荷馬車は多数の腕で引き上げられた。フォーシュルヴァン老人は救われた。
 マドレーヌは立ち上がった。汗が流れていたが青い顔をしていた。服は破れ泥にまみれていた。一同は涙を流した。その老人は彼の膝に脣《くちびる》をつけ、神様と呼んだ。彼は幸福な聖い苦難の言い難い表情を顔に浮かべていた、そしてジャヴェルの上に静かな目付きを向けた。ジャヴェルはなお彼を見つめていた。

     七 パリーにてフォーシュルヴァン庭番となる

 フォーシュルヴァンは荷馬車から落ちる時に膝蓋骨《しつがいこつ》をはずしたのだった。マドレーヌさんは彼を病院に運ばせた。その病院は工場と同じ建物のうちに労働者らのために彼が設けたもので、慈恵院看護婦の二人の修道女がいっさいの用をしていた。翌朝老人は寝台わきの小卓の上に千フランの手形を見い出した。手形とともに、「小生は貴下の荷車と馬とを買い受け候[#「小生は貴下の荷車と馬とを買い受け候」に傍点]」というマドレーヌさんの書いた紙片があった。荷車はこわれ馬は死んでいたのである。フォーシュルヴァンは全快した、しかし膝の関節は不随になったままだった。マドレーヌ氏は修道女たちと司祭との推薦を得て、パリーのサン・タントアーヌ街区の女修道院の庭番にその老人を世話してやった。
 その後しばらくしてマドレーヌ氏は市長に任ぜられたのである。全市に対して全権を有せしむる市長の飾り帯をマドレーヌ氏がつけている所を初めて見た時、ジャヴェルは主人の衣の下に狼のにおいをかいだ犬のような一種の戦慄《せんりつ》を感じた。その時以来、彼はできるだけマドレーヌを避けた。ただ職務上やむを得ず他に方法がなくて市長と顔を合わせなけれはならないような時には、深い敬意を表しながら口をきいていた。
 マドレーヌさんによって持ちきたされたモントルイュ・スュール・メールの繁栄は、前に述べた種々の外見上の徴候ででもわかるが、なお他にも一つの証拠があった。それはちょっと目にはつかないものであるが等しく意義深いものである。そしてそれは常に誤り無いものである。人民が苦しんでいる時、仕事が不足している時、商売が不振である時には、納税者は困窮のために課税を拒みまたは納期を過ごし、政府の方では強制し徴収するために多くの金を浪費する。けれども仕事が多く一般に幸福で富んでいる時には、税金はわけもなく納入せられ、政府の費用は少なくなる。すなわち民衆の貧富は常に正しい寒暖計を、すなわち租税徴収の費用を持っている。ところで、モントルイュ・スュール・メールの郡においては、七年間に租税徴収の費用はその四分の三を減じた。それで時の大蔵大臣ド・ヴィレール氏から特にこの郡を模範としてしばしばあげられたほどであった。
 ファンティーヌが戻ってきた時は、その地方は右のような状態であった。がだれももう彼女を覚えていなかった。幸にもマドレーヌ氏の工場の扉は彼女を親しく迎えてくれた。彼女はそこへ行って、女工の仕事場にはいることを許された。その仕事はファンティーヌには新しくて上手にやることができなかった。終日働いても大して金にならなかった。しかしそれでも事は足りた。問題は解決された。彼女は自分の手で生活をしていった。

     八 ヴィクチュルニヤン夫人三十五フランをもって貞操を探る

 ファンティーヌは自分で暮らしてゆけるのをみて、一時は非常に喜びを感じた。自分で働いて正直に暮らしてゆくということは、何という天の恵みであろう! 労働の趣味が本当に彼女に戻ってきた。彼女は鏡を一つ買って、自分の若さやりっぱな髪の毛や美しい歯などを映して見ては楽しみ、多くのことを忘れてしまい、もう自分のコゼットのことや未来の希望などのことをしか考えなかった、そしてほとんど幸福であった。小さな室を一つ借り、これから働いて代を払うということにして種々な道具を備えた。それだけは以前のだらしない習慣の名残りだった。
 彼女は結婚したことがあると言いかねて、前にちょっと言っておいたとおり、自分の小さな女の児のことについては何にも言わないようにつとめていた。
 初めのうちは、前に述べたとおり、彼女はきちょうめんにテナルディエの所へ金を送っていた。けれど彼女はただ自分の名が書けるだけだったから、テナルディエの所へ手紙をやるには代書人に書いてもらわなければならなかった。
 彼女はたびたび手紙を出した。それが人目をひいた。ファンティーヌは「よく手紙を書いてる」とか「気取ってる」とかいう低い噂が女工の部屋《へや》に立ちはじめた。
 およそ人の行為は、それに関係のない者が一番その機密を知りたがるものである。――なぜあの人はいつも夕方にしかこないんだろう。だれそれさんはなぜ木曜日にはきっと出かけるんだろう。なぜあの人はいつも裏通りばかり歩くんだろう。なぜあの夫人はいつも家よりずっと手前で馬車からおりるんだろう。なぜあの奥さんは家にたくさんあるのにペーパーを買いにやるんだろう。云々《うんぬん》――世にはそういう人がいるものである。彼らはもとより自分には何ら関係のないそれらの謎《なぞ》の鍵《かぎ》を得んがためには、多くの善事をなし得てあまりあるほどの金と時間と労力とを費やす。そしてそれもただいたずらに自分の楽しみのためにするのであって、好奇心をもって好奇心をつぐのうばかりである。彼らは何日間も男や女の後《あと》をつけてみたり、町角や木戸口に寒い雨の降る晩数時間立番をしてみたり、小僧に金を握らしたり、辻馬車屋や徒僕を煽《おだ》てたり、女中を買収したり、門番を取り入れたりする。それもなぜであるか。何の理由もない。ただ見たい知りたい探りたいがためのみである。ただ種々なことを言いふらしてみたいためのみである。そして往々にして、それらの秘密が知られ、それらの不思議が公にされ、それらの謎が白日の光に照らさるる時には、災難、決闘、失脚、家庭の没落、生涯の破滅などをきたし、それがまた、何らの利害関係もなく単なる本能から「すべてを発見した」彼らの大なる喜びとなるのである。まことに痛むべきことである。
 ある人は単に噂をしたい心から悪者となることがある。彼らの会話、客間での世間話、控え室での饒舌《じょうぜつ》は、すみやかに薪《まき》を燃やしつくす炉のごときものである。彼らには多くの燃料がいる。そしてその燃料はすなわち近所の人々である。
 かててファンティーヌは人から目をつけられた。
 その上に、彼女の金髪と白い歯をうらやむ者も一人ならずいた。
 ファンティーヌがしばしば人中でそっとわきを向いて涙をふくことが、工場の中で見て取られた。それは彼女が子供のことを、そしておそらくはまたかつて愛した男のことを、考えている時なのだった。
 過去のわびしい絆《きずな》をたち切ることは、痛ましい仕事である。
 ファンティーヌが少なくとも月に二回、いつも同じあて名で、配達料をも払って、手紙を出すということが確かになった。ついには、モンフェルメイュ旅館主テナルディエ様[#「モンフェルメイュ旅館主テナルディエ様」に傍点]というあて名まで知られてしまった。人々は酒場で代書人にしゃべらしたのだった。代書人は人のいい老人だったが、秘密の袋をあけないではいい酒で胃袋を満たすこともできなかったのである。要するに、人々はファンティーヌが子供を持ってることを知った。「どうしても普通の娘ではない。」ある一人の饒舌《じょうぜつ》な女は、モンフェルメイュまで出かけて行き、テナルディエ夫婦と話をして、帰ってきて言った。「三十五フラン使ってやっとわかった。子供も見てきました!」
 そういうことをしたその饒舌家は、ヴィクチュルニヤンという恐ろしい女で、すべての人の徳操の番人で門番だった。ヴィクチュルニヤン夫人は五十六歳で、顔が醜いうえに年を取っていた。震え声で移り気だった。こんな婆さんにも不思議と一度は若い時があったのである。その若いころ、一七九三年の騒動最中に、革命の赤帽をかぶって修道院から逃げ出しベルナール宗派から過激民主派へ変節した一人の修道士と、結婚したことがあった。彼女は冷酷で、ひねくれて、頑固で、理屈っぽく、気むずかしく、ほとんど毒薬のような女だった。しかも、自分を押さえつけて意のままにしていたもとの夫の修道士のことをいつも思い出していた。彼女はまったく僧衣に押しつぶされた蕁麻《いらぐさ》だった。王政復古の時に及んで、彼女は信者となり、しかも非常に熱心だったので、教会は彼女に亡くなった夫の修道士の罪を許してくれた。少しの財産があったが、彼女はそれを声を大にしてある宗教的組合に遺贈していた。アラスの司教区では彼女はきわめて敬意を払われていた。そのヴィクチュルニヤン夫人が、モンフェルメイュに行って「子供も見てきました」と言いながら帰ってきた。
 それまでになるにはかなり時間がかかった。ファンティーヌは工場にきてもう一年以上になっていた。ところがある日の朝、仕事場の監督が市長殿からと言って彼女に五十フランを渡して、もう彼女は仕事場の者ではないと言いそえ、この地方から立ち去るようにと市長殿の名をもって言い渡した。
 それはちょうど、テナルディエが六フランから十二フランを要求した後、さらにこんどは十五フランを要求してきたその月のことだった。
 ファンティーヌは途方にくれた。彼女はその地を去ることができなかった。部屋代や道具の代価などがたまっていた。それらの負債を返すには五十フランでは足りなかった。彼女は二三言口ごもりながら哀願した。が監督はすぐ仕事場を立ち去るようにと言うのだった。それにファンティーヌは下手《へた》な女工にすぎなかったのである。絶望というよりもなお多く恥ずかしさでいっぱいになって、女は仕事場を去り、自分の室に帰った。彼女の過去のあやまちは、今ではもう皆の知るところとなっていたのである!
 彼女はもう一言を発するだけの力も自分に感じなかった。市長さんに会ってみるがいいと勧める人もあったが、それもしかねた。市長は親切であればこそ五十フランもくれたのである、そして彼は正しい人であればこそ自分を解雇したのである。彼女はその裁《さば》きに服した。

     九 ヴィクチュルニヤン夫人の成功

 かくて修道士の未亡人も何かの役には立ったというものである。
 しかしマドレーヌ氏はそれらのことについては何も知っていなかった。人生においてはたいてい事件はそういうふうに結ばれてゆくものである。マドレーヌ氏は女の仕事場にはほとんどはいらないことにしていた。その仕事場の頭《かしら》として彼は、司祭から紹介された一人の独身の老女を据えて置いた、そしてその監督にすべてを任した。実際それは尊敬すべき確実な公平な清廉な女であった。施与をする方の慈悲心に非常に富んでいた。ただ人の心を了解し人を許容するという方面の慈悲心はそれほど多く持たなかった。マドレーヌ氏はすべて彼女に信頼していた。最善の人々は往々、自分の権力を他に譲らなければならなくなることがあるものである。かくてその監督が、訴えを聞き、裁き、ファンティーヌの罪を認めて処罰したのも、まったく自分の握っている権力をもってしたのであって、また善をなすという確信をもってしたのであった。
 また五十フランというのは、マドレーヌ氏から女工への施与や補助として託せられてる金から割《さ》いて与えたのだった。彼女はその金の計算報告はいつもしないでよかったのである。
 ファンティーヌはその地で女中奉公をしようと思って、家から家へと訪ね回った。が、だれも彼女を望まなかった。彼女はそれでも町を去ることができなかった。彼女に道具を、しかも随分ひどい道具を売りつけた古物商は、彼女に言っていた、「もしお前が逃げだしたら泥坊だとして捕縛してもらうだけだ。」室代のたまってる家主は彼女に言っていた、「お前は若くてきれいだ、払えないことがあるものか。」彼女は五十フランを家主と古物商とにわけ与え、なお古物商には道具の四分の三を戻して必要のものだけしか残しておかなかった。そして彼女は仕事もなく、籍もなく、ただわずかに寝る所があるきりで、しかもなお百フランほどの借りがある身となった。
 彼女は衛戌兵《えいじゅへい》の粗末なシャツを縫い初め、日に十二スーだけ得ることになった。が、娘の方へだけでも十スーずつはやらねばならなかった。彼女がテナルディエへ送金を遅《おく》らしはじめたのはこの時だった。
 けれども、晩に家に帰ってくるといつも燈火《あかり》をつけてくれる年取った一人の婆さんが、彼女に貧困のうちに暮らしてゆく方法を教えてくれた。わずかの金で暮らしてゆくその先には、また一文なしで暮らしてゆくということがある。それは引き続いた二つの室で、第一のは薄暗く、第二のは真っ暗である。
 ファンティーヌはいろいろなことを覚えた。冬の間まったく火の気なしですますこと、二日ごとに四、五文だけの粟《あわ》を食う小鳥を捨ててしまうこと、裾衣をふとんにしふとんを裾衣に仕立て直すこと、正面の窓の明りで食事をして蝋燭《ろうそく》を倹約することなど。貧乏と正直とのうちに老い果てた弱い人々が一スーの金をどんなふうに使うかは、人の知らないところである。それはついに一つの才能ともなるものである。ファンティーヌはそのおごそかな才能を会得した、そして少しは元気を回復した。
 この時分に彼女はある近所の女に言った。「なあに私はこう思っていますわ。五時間だけ眠ってあとの時間に針仕事をしていったら、どうかこうかパンだけは得てゆけるでしょう。それに悲しい時には少ししか食べませんもの。苦しみや気使い、一方に少しのパンと一方に心配、それでどうにか生きてゆけますでしょう。」
 かような艱難《かんなん》のうちにも、自分の小さな娘がもしそばにいたらどんなにかしあわせであろうものを。彼女は娘を呼び寄せようと思った。けれどもそれでどうしようというのか! 娘に困窮を分かち与ようというのか。それからテナルディエにも負債になっている。どうして払われよう。そしてまた旅。その費用は?
 彼女に貧乏生活の教えとでもいうべきものを与えてくれた婆さんは、マルグリットという聖《きよ》い独身者で、りっぱな信仰を持ち、貧乏ではあるが、貧しい者のみでなく金持ちに対してまで恵み深く、マルゲリト[#「マルゲリト」に傍点]と署名するだけのことはりっぱに知っており、また学問としては神を信ずることを知っていた。
 かかる有徳の人が下界にも多くいる。他日彼らは天国に至るであろう。かかる生命は未来を有しているものである。
 初めのうちファンティーヌは、非常に恥ずかしがってなるべく外へも出なかった。
 通りに出ると、皆が後ろから振り返って自分を指さすのを彼女は気づいていた。皆が彼女をながめてゆくが、あいさつする者は一人もなかった。通りすぎる人々の冷ややかな鋭い軽蔑は、朔風《きたかぜ》のように彼女の肉を通し心を貫いた。
 小都市においては、一人の不幸な女がいる時、その女はすべての人のあざけりと好奇心との下に裸にせられずんばやまないようである。パリーにおいては、少なくともだれも顔を知った者がいない、そしてその暗黒は身を蔽《おお》う一つの衣となる。おお、いかにファンティーヌはパリーに行くことを望んだであろう! しかしそれは不可能だった。
 貧乏になれたように、彼女はまた軽蔑にもなれざるを得なかった。しだいに彼女はそれをあきらめていった。二、三カ月後には、恥ずかしさなどは振りすててしまって、何事もなかったかのように外出しはじめた。「どうだってかまうものか」と彼女は言った。彼女は頭を上げ、にがい微笑を浮かべながら往来した、そして自らだいぶ厚顔になったように感じた。
 ヴィクチュルニヤン夫人は時々彼女が通るのを窓から見かけた、そして自分のおかげで「本来の地位に戻されたあの女」の困窮を見て取って自ら祝した。心の悪い人々はさすがに暗黒な幸福を有しているものである。
 過度の労働はファンティーヌを疲らした。そして平素からの軽いかわいた咳《せき》が増してきた。彼女は時々隣のマルグリットに言った。「触《さわ》ってごらんなさい、私の手の熱いこと。」
 けれども朝に、こわれた古|櫛《ぐし》で素絹のように流れたきれいな髪をとかす時には、おめかしの一瞬を楽しむのであった。

     十 成功の続き

 ファンティーヌが解雇されたのは冬の末だった。そして夏が過ぎ、冬は再びきた。日は短く、仕事は少ない。冬、暖気もなく、光もなく、日中《にっちゅう》もなく、夕方はすぐ朝と接し、霧、薄明り、窓は灰色であって、物の象《すがた》もおぼろである。空は風窓のごとく、一日はあなぐらの中のようで、太陽も貧しい様子をしている。恐ろしい季節! 冬は空の水を石となし、人の心をも石となす。その上ファンティーヌは債権者らに悩まされていた。
 彼女のもうける金はあまりにも少なかった。負債は大きくなっていた。金がこないのでテナルディエの所からは始終手紙をよこした。彼女はその中の文句に脅え、またその郵税に懐《ふところ》をいためた。ある日の手紙によると、小さなコゼットはこの冬の寒さに着物もつけていない、どうしても毛織の裾着がいるので、少なくともそのために十フラン送ってくれということだった。ファンティーヌはその手紙を受け取って、終日それを手に握りしめていた。その晩彼女は通りの片すみにある理髪店にはいって、櫛をぬき取った。美しい金髪は腰の所までたれ下がった。
「みごとな髪ですね。」と理髪師は叫んだ。
「いかほどなら買えますか。」と彼女は言った。
「十フランなら。」
「では切って下さい。」
 彼女はその金で毛糸編みの裾着を買って、それをテナルディエの所へ送った。
 その据着はテナルディエ夫婦を怒らした。彼らが求めていたのは金であった。彼らはその裾着をエポニーヌへ与えた。あわれなアルーエットは相変わらず寒さに震えていた。
 ファンティーヌは考えた。「私の子供はもう寒くあるまい、私の髪を着せてやったのだから。」そして彼女は小さな丸い帽子をかぶって毛の短くなった頭を隠していたが、それでもなおきれいに見えた。
 ファンティーヌの心のうちにはある暗い変化が起こっていた。もはや髪を束ねることもできないのを知った時に、周囲の者すべてを憎みはじめた。彼女は長い間皆の人とともにマドレーヌさんを尊敬していた。けれども、自分を追い払ったのは彼であり、自分の不幸の原因は彼であると、幾度もくり返して考えてるうちに、彼をもまた、そして特に彼を、憎むようになった。職工らが工場の門から出て来るころ、その前を通るような時、彼女はわざと笑ったり歌ったりしてみせた。
 そんなふうにしてある時彼女が笑い歌うのを見た一人の年取った女工は言った、「あの娘も終わりはよくないだろう。」
 ファンティーヌは情夫をこしらえた。手当たり次第にとらえた男で、愛するからではなく、ただ傲慢《ごうまん》と内心の憤激とからこしらえたのだった。やくざな男で、一種の乞食《こじき》音楽者で、浮浪の閑人《ひまじん》で、彼女を打擲《ちょうちゃく》し、彼女が彼とでき合った時のように嫌悪の情に満たされて、彼女を捨てて行ってしまった。
 ファンティーヌは自分の娘だけは大事に思っていた。
 彼女が堕落してゆけばゆくほど、彼女の周囲が暗黒になればなるほど、そのやさしい小さな天使はいっそう彼女の魂の奥に光り輝いてきた。彼女はよく言っていた、「お金ができたら私コゼットといっしょに住もう。」そして笑った。咳《せき》はなお去らなかった、背中に汗をかいた。
 ある日彼女はテナルディエの所から次のような手紙を受け取った。「コゼットは土地に流行《はや》ってる病気にかかっている。粟粒疹熱《つぶはしか》と俗にいう病だ。高い薬がいる。そのため金がなくなって薬代がもう払えない。一週間以内に四十フラン送らなければ、子供は死ぬかも知れない。」
 ファンティーヌは大声に笑い出した、そして隣の婆さんに言った。「まあおめでたい人たちだわ。四十フランですとさ。ねえ、ナポレオン金貨二つだわ。どうして私《あたし》にそんなお金がもうけられると思ってるんでしょう。ばかなものね、この田舎の人たちは。」
 それでも彼女は軒窓の近くへ階段を上っていって、手紙を読み返した。
 それから彼女は階段をおりて、笑いながらおどりはねて出て行った。
 出会った人が彼女に言った。「何でそんなにはしゃいでるの。」
 彼女は答えた。「田舎の人たちがあまりばかばかしいことを書いてよこすんですもの。四十フラン送れですとさ。ばかにしてるわ。」
 彼女が広場を通りかかった時、そこには大勢の人がいて、おかしな形の馬車を取り巻いていた。馬車の平屋根の上には、赤い着物を着た一人の男が立って何か弁じ立てていた。それは方々を渡り歩く香具師《やし》の歯医者で、総入れ歯や歯みがき粉や散薬や強壮剤などを売りつけていた。
 ファンティーヌはその群集の中に交じって、卑しい俗語や上品な壮語の交じった長談義をきいて、他の人たちといっしょに笑いはじめた。歯医者はそこに笑っている美しい彼女を見つけて、突然叫び出した。「そこに笑っていなさる娘さん、あんたの歯はまったくきれいだ。お前さんのその羽子板を二枚売ってくんなさるなら、一枚についてナポレオン金貨一つずつを上げるがな。」
「何ですよ、私の羽子板というのは。」とファンティーヌは尋ねた。
「羽子板ですか、」と歯医者は言った、「なにそれは前歯のことですよ、上の二枚の歯ですよ。」
「まあ恐ろしい!」とファンティーヌは叫んだ。
「ナポレオン金貨二つ!」とそこにいた歯の抜けた婆さんがつぶやいた。「なんてしあわせな娘さんでしょう。」
 ファンティーヌは逃げ出した、そして男の嗄《しゃが》れた声を聞くまいとして耳を押さえた。男は叫んでいた。「考えてみなさい、別嬪《べっぴん》さん! ナポレオン金貨二つですぜ。ずいぶん役に立つね。もし気があったら、今晩ティヤック・ダルジャンの宿屋においでな、私はそこにいるから。」
 ファンティーヌは家に帰った。彼女は怒っていた。そしてそのことを親切な隣のマルグリット婆さんに話した。「いったいそんなことがあるものでしょうか。恐ろしい男じゃありませんか。どうしてあんな奴をこの辺に放《ほう》っておくんでしょう。私《あたし》の前歯二本を抜けなんて、ほんとに恐ろしいわ。髪の毛ならまた生《は》えもしようが、歯はね。ああ畜生! そんなことするくらいなら、六階の上から真っ逆様に舗石《しきいし》の上に身を投げた方がいいわ。今晩ティヤック・ダルジャンの宿屋に待っていると言ったわ。」
「そしていくら出すと言いました。」とマルグリットは尋ねた。
「ナポレオン二つだって。」
「では四十フランですね。」
「ええ、四十フランになるのよ。」とファンティーヌは言った。
 彼女は考え込んだ、そして仕事にかかった。やがて十五分もたつと、縫い物をやめて、階段の上へ行ってテナルディエの所からきた手紙をまた読んでみた。
 室に帰ってから彼女は、そばで仕事をしていたマルグリットに言った。「何でしょう、粟粒疹熱《つぶはしか》ってあなた知っていて?」
「ええ、」と婆さんは答えた、「ひどい病気ですよ。」
「では薬がたくさんいるでしょうか。」
「そうですとも、大変な薬が。」
「どうしてそんな病気にかかるんでしょう。」
「すぐにとっつく病気ですよ。」
「では子供にもあるんですね。」
「おもに子供ですよ。」
「その病気で死ぬことがあるんでしょうか。」
「ずいぶんありますよ。」とマルグリットは言った。
 ファンティーヌは室を出て行って、も一度階段の上で手紙を読んだ。
 その晩彼女は出かけて行った。そして宿屋の多いパリー街の方へ歩いてゆくのが見られた。
 翌朝マルグリットは夜明け前にファンティーヌの室へはいって行った。彼女らはいつもいっしょに仕事をして、二人で一本の蝋燭《ろうそく》ですましていたのである。見ると、ファンティーヌは青ざめて氷のようになって寝床の上にすわっていた。彼女は寝なかったのである。帽子は膝の上に落ちていた。一晩中ともされていた蝋燭は、もうほとんど燃え尽きていた。
 マルグリットはその大変取り乱れた光景にあきれて、敷居《しきい》の上に立ち止まった、そして叫んだ。
「おお! 蝋燭が燃えてしまっている。何か起こったに違いない!」
 それから彼女は、こちらへ髪のない頭を向けてるファンティーヌをながめた。
 ファンティーヌは一夜のうちに十歳も老《ふ》けてしまっていた。
「まあ!」とマルグリットは言った。「お前さんどうしたの。」
「何でもないわ。」とファンティーヌは答えた。「それどころか、恐ろしい病気にかかってる私《あたし》の子供もね、助けがなくて死ぬようなこともないでしょう。これで安心だわ。」
 そう言いながら彼女は、テーブルの上に光っているナポレオン金貨二つを婆さんに指《さ》し示した。
「あらまあ!」とマルグリットは言った。「大変なお金! どこからそんな金貨を手に入れたの。」
「手にはいったのよ。」とファンティーヌは答えた。
 と同時に彼女はほほえんだ。蝋燭《ろうそく》の光は彼女の顔を照らしていた。それは血まみれの微笑だった。赤い唾液《だえき》が脣《くちびる》のはじに付いていて、口の中には暗い穴があいていた。
 二枚の歯は抜かれていた。
 彼女はその四十フランをモンフェルメイュに送った。
 がそれは、金を手に入れんためのテナルディエ夫婦の策略だったのである。コゼットは病気ではなかった。
 ファンティーヌは鏡を窓から投げ捨てた。もうよほど前から彼女は三階の室から、ただ※[#「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37]《かきがね》の締まりだけの屋根裏の室に移っていた。天井と床《ゆか》とが角度をなしていて絶えず頭をぶっつけそうな屋根裏だった。そこに住む者は、その室の奥に行くにはちょうど自分の運命のどん底へ行くように、しだいに低く身をかがめなければならない。ファンティーヌはもう寝台も持たなかった。ただ残っていたものは、掛けぶとんと自ら言っていた襤褸《ぼろ》と、床にひろげた一枚の敷きぶとんと、藁《わら》のはみ出た一脚の椅子だけだった。小さな薔薇《ばら》の鉢植《はちう》えを持っていたが、それも忘られて室の片すみに枯れしぼんでいた、他の片すみにはバタ用の壺《つぼ》があって水がはいっていたが、冬にはその水が凍って、氷の丸い輪で幾度も水のさされた跡がながく見えていた。彼女は前から羞恥の感を失っていたが、また身だしなみの心をも失った。そうなってはもうおしまいである。彼女はよごれた帽子をかぶって外に出かけた。暇がないのか、また平気になったのか、もう下着を繕いもしなかった。靴足袋は踵《かかと》が切れるに従って靴の中に引き下げてはいた。縦にしわが寄ってるのでそうしてるのがよく外からでもわかった。コルセットが古くなってすり切れると、すぐに裂けそうなキャラコの布でつぎを当てた。貸しのある人々は彼女をいじめ続けて、少しの休息をも与えなかった。彼女はそういう者らに往来でも出会い、家の階段でもまた出会った。彼女は幾晩も、泣き明かしまた考え明かした。目は妙に輝き、肩には左の肩胛骨《かいがらぼね》の上あたりに始終痛みを覚えた。咳も多くなった。彼女は深くマドレーヌさんを憎んだ、それでも少しも不平はもらさなかった。日に十七時間縫い物をした。しかし監獄の仕事請負人が、安く女囚徒らに仕事をさしたので、にわかにその仕事の賃金が少なくなって、普通の工女の一日分の賃金は九スーになってしまった。日に十七時間働いてしかも九スー! 債権者らはますます苛酷になった。古道具屋はほとんどすべての道具を取り戻したのだったが、なお絶えず言った、「いつになったら払おうというんだ、太《ふて》え女《あま》め。」いったい彼らは彼女をどうするつもりなのか! 彼女はいつも追いまわされてるような気がした。そしてしだいに彼女のうちには野獣のような何かが芽を出してきた。その頃またテナルディエからも手紙がきた。今まではあまりに気をよくして待っていたが、こんどはすぐ百フラン送るよう、さもなければ、あの大病から病み上がりの小さなコゼットをこの寒空に往来に追い出すばかりだ、そしたらどうとでもなるがいい、勝手にくたばってしまうがいい。「百フラン」とファンティーヌは考えた、「だが、日に百スーでももうけられる仕事がどこにあろう?」
「いいわ!」と彼女は言った、「身に残ってる一つのものを売ることにしよう。」
 不幸な彼女は売笑婦となった。

     十一 キリストわれらを救いたもう

 このファンティーヌの物語はそもそも何を意味するか? それは社会が一人の女奴隷を買い入れたということである。
 そしてだれから? 悲惨からである。
 飢渇と寒気と孤独と放棄と困苦とからである。悲しき取り引き、一片のパンと一つの魂との交換、悲惨は売り物に出し、社会は買う。
 イエス・キリストの聖なる法則はわが文明を支配する。しかしながらなおそれは文明の底まで徹してはいない。奴隷制度は欧州文明から消滅したと人は言う。しかしそれは誤りである。なおやはりそれは存在している。ただもはや婦人の上にのみしか残っていないというだけである。そしてその名を売淫《ばいいん》という。
 それは婦人の上、換言すれば、優しきもの、弱きもの、美しきもの、母なるものの上に、かぶさっている。このことは男子の少なからざる恥辱でなければならない。
 われわれが見きたったこの痛ましき物語もここに及んでは、ファンティーヌにはもはや昔の面影は何物も残っていない。彼女は泥のごとくよごれるとともに大理石のごとく冷たくなっている。彼女に触れる者は皆その冷ややかさを感ずる。彼女は流れ歩き、男を受け入れ、しかもその男のだれなるやを知らない。彼女の顔は屈辱と冷酷とのそれである。人生と社会の秩序とは、彼女に最後の別れを告げた。きたるべきすべてのものは彼女にきた。彼女はすべてを感じ、すべてを受け、すべてを経験し、すべてを悩み、すべてを失い、すべてを泣いた。あたかも死が眠りに似ているように、無関心に似たあきらめを彼女はあきらめた。彼女はもはや何物をも避けない。もはや何物をも恐れない。雲霧落ちきたらばきたれ、大海襲いきたらばきたれ。それが何ぞや! もはや水に浸され終わった海綿である。
 少なくとも彼女自らはそう信じていた。しかしながら、もはや運命を知りつくし、いっさいの事のどん底に落ちたと思うことは、一つの誤りである。
 ああ、かくのごとく無茶苦茶に狩り立てられたこれらの運命は何を意味するか? それはどこへ行くか? 何ゆえにかくのごとくなったのであるか?
 それを知る者は、いっさいの暗き所をも見通す者である。
 それはただ一人。それを神という。

     十二 バマタボア氏の遊惰

 すべての小都市には、そして特にモントルイュ・スュール・メールには、一種の青年らがあった。彼らはその同輩がパリーにおいて年に二十万フランを消費すると同じに、地方において年に千五百フランの定収入を浪費する。彼らは中性の大種類に属する。去勢者、寄食者、無能力者ともいうべきもので、少しの土地と少しの無分別と少しの機才とを持っており、社交裏《しゃこうり》に出ては田舎者でありながら、居酒屋においては一かどの紳士だと自惚《うぬぼ》れている。「僕の牧場、僕の森林、僕の小作人」などという口をきく。芝居《しばい》の女優を喝采《かっさい》してはおのれの趣味を示さんとし、兵営の将校と争論してはおのれの勇者なるを衒《てら》い、狩猟をし、煙草をふかし、欠伸《あくび》をし、酒を飲み、嗅煙草《かぎたばこ》をかぎ、撞球《たまつき》をし、駅馬車からおりる旅人に目をつけ、カフェーに入りびたり、飲食店で食事をする。食卓の下では連れている犬に骨をしゃぶらし、その上では情婦に御ちそうをする。一スーを憎しみ、流行を競い、悲劇を賞賛し、婦人を軽蔑し、古靴をすりへらし、パリーを介してロンドンのふうをまね、ポン・タ・ムーソンを介してパリーのふうをまね、年を取るとともに愚かになり、何の仕事もせず、何の役にも立たず、また大した害にもならないのである。
 フェリックス・トロミエス君も、田舎にいてパリーを知らなかったなら、この種の人間になったことであろう。
 もし彼らがいくらか金持ちであれば、しゃれ者と言われ、もしいくらか貧乏であれば、なまけ者と言われるところである。がみな単に閑人《ひまじん》である。それらの閑人のうちには、厄介者もあり、退屈してる者もあり、夢想家もいれば、変わった男もいる。
 その頃、しゃれ者といえば、高いカラーをつけ、大きなえり飾りをつけ、金ぴかの時計を持ち、色の違った三枚のチョッキを青や赤を下にして重ねて着、胴が短く後が魚の尾のようになってるオリーブ色の上衣をつけ、たくさん密に並んだ二列の銀ボタンを肩の所までつけ、ズボンはそれよりやや明るいオリーブ色で、両方の縫い目には幾つかの筋飾りをつけていて、その数は一から十一までの間できまってなかったが、必ず奇数で、また十一を限度としたものだった。それに加うるに、踵に小さな鉄のついた半靴に、縁の狭い高帽、長い髪の毛、大きなステッキ、ポアティエもどきの洒落《しゃれ》を交じえた会話。とりわけ、拍車と口|髭《ひげ》。当時、口髭は市民のしるしであり、拍車は徒歩の人のしるしであった。
 田舎のしゃれ者は特に長い拍車をつけ、特に勢いよい口髭をのばしていた。
 それはちょうど、南米の諸共和国がスペイン国王と争っていた折で、ボリヴァル([#ここから割り注]訳者注 南米の将軍[#ここで割り注終わり])とモリロ([#ここから割り注]訳者注 スペインの将軍[#ここで割り注終わり])とが争闘していた頃だった。縁の狭い帽子を被ってるのは王党でモリロ派と称し、自由党の方は広い縁の帽子をかぶってボリヴァル派と称していた。
 さて前述の事件があってから八カ月か十カ月ばかり後、一八二三年の正月の初め、雪の降ったある晩、この種のしゃれ者の一人であり、閑人《ひまじん》の一人であり、モリロ派の帽をかぶってるので「正統派」と呼ばれている一人の男が、寒中の流行の一つである大きなマントに暖かく身を包んで、士官らの集まるカフェーの窓の前をうろついて、一人の女をからかっておもしろがっていた。女は夜会服をつけ首筋を露《あら》わにし頭には花をさしていた。そして彼しゃれ者は煙草をふかしていた、なぜなら煙草をふかすのはまさしく時の流行であったから。
 女が前を通るたびに、彼は葉巻きの煙とともに悪態を投げつけていた。彼は自分ではその悪口を巧みなおもしろいものと思っていたが、まずこんなものに過ぎなかった。「やあまずい顔だね!……いい加減に身を隠したがいいね!……歯がないんだね!……云々《うんぬん》。」その男の名はバマタボア氏といった。女は雪の上を行ききしてるただ化粧をしたというばかりの陰気な幽霊のような姿で、彼に返事もしなければふり向きもしなかった。そしてやはり黙ったまま陰鬱《いんうつ》に規則的にそこを歩き回って、笞刑《たいけい》を受ける兵士のように五分間ごとに男の嘲罵《ちょうば》の的となっていた。嘲罵の反応があまりないので、閑人《ひまじん》はひどくきげんをそこねたに違いない。彼は女が向こうへ通りすぎた機会をねらって、笑いをこらえながら抜き足で女の後ろに進んでいって、身をかがめて舗石《しきいし》の上から一握りの雪を取り、不意にそれを女の露《あら》わな両肩の間の背中に押し込んだ。女は叫び声を立て、向き返って、豹《ひょう》のようにおどり上がり、男に飛びつき、あらん限りの卑しい恐ろしい悪態とともに男の顔に爪を突き立てた。ブランデーのために声のかれたその罵詈《ばり》は、なるほど前歯の二本なくなってる口から醜くほとばしり出ていた。女はファンティーヌであった。
 その騒ぎに、士官らはいっしょにカフェーから出てき、通行人は足を止め、大きな円を作って群集は笑いののしりまた喝采《かっさい》した。そのまん中に二人は旋風のように取り組み合っていた。それが男と女とであることも見分け難いほどだった。男は帽子を地に落したまま身をもがいていた。女は帽子もなく前歯も髪の毛もなく、憤怒に青くなって恐ろしい様子でわめき立てながら、なぐりつけ蹴《け》りつけていた。
 と突然、背の高い一人の男が、群集の中から飛び出して、女の泥にまみれた繻子《しゅす》の胴着をつかんで言った。「ちょっとこい!」
 女は頭を上げた。その狂気のようなわめき声は急に止まった。目はどんよりとし、青白かった顔色は真っ青になり、恐怖にぶるぶる身を震わした。彼女はジャヴェルを見て取ったのだった。
 しゃれ者はその間に逃げてしまった。

     十三 市内警察の若干問題の解決

 ジャヴェルは見物人をおしのけ、群集の輪を破り、後ろにその惨めな女を従えて、広場の一端にある警察署の方へ大|股《また》に歩き出した。女はただ機械的にされるままになっていた。二人とも一言も口をきかなかった。多くの見物人はひどくおもしろがって、ひやかし半分について行った。極端な悲惨は卑猥心《ひわいしん》の的となる。
 警察は天井の低い室で、暖炉がたいてあり、番兵がひかえていて、鉄格子にガラスのはまった戸が往来の方についていた。そこに着くと、ジャヴェルはその戸を開き、ファンティーヌとともに中にはいって、後ろに戸をしめてしまった。やじ馬はいたく失望したが、中を見ようとして、爪立ちながら警察署のよごれたガラス戸の前に首を伸ばした。好奇心は一の貪食《どんしょく》である。見ることはすなわち食うことである。
 中にはいるとファンティーヌは、恐《こわ》がってる犬のように片すみに縮こまって、身動きもしなければ口もきかなかった。
 署詰めの下士が蝋燭《ろうそく》をともしてきてテーブルの上に置いた。ジャヴェルは腰を掛けて、ポケットから捺印《なついん》してある一枚の紙を取り出して、何か書き始めた。
 この種の婦人は法律上まったく警察の処分に任せられている。警察では何でも勝手に処置して思うままに彼女らを罰し、彼女らが自分の仕事と呼び自由と呼んでいる二つの悲しき事をも随意に取り上げてしまうのである。ジャヴェルは感情を動かさない男であった。彼のまじめくさった顔付きは何らの情緒をも示してはいなかった。けれども彼は沈重で何か深く思いふけっていた。自由にしかも厳粛なる本心の注意を集めて、恐るべき臨機処分の権を行使している時であった。そういう時、彼は自分の警官の腰掛けを法廷であると感じていた。彼は判決をなしていた。判決をなし、そして宣告を与えていた。彼は自分の脳裏にあるすべての思想を呼び起こして、おのれのなさんとする大事に集注した。彼はその女の行為を調ぶれば調ぶるほど、ますます嫌悪《けんお》の情を感じた。明らかに一つの罪悪が行なわれるのを目撃したのだった。あの往来において、一人の選挙権を有する土地所有者によって代表せられてる社会が、人の歯《よわい》せざる一人の女から侮辱され攻撃されてるのを見たのである。一人の売春婦が一個の市民に害を加えたのである。彼ジャヴェルは、それをまさしく見たのである。彼は黙々として書き続けた。
 書き終えてから彼はそれに署名した。そしてその紙をたたんで署詰めの下士に渡しながら言った。「二、三人呼んで、この女を牢《ろう》に連れてってもらいましょう。」それからファンティーヌの方へ向いて言った。「お前は六カ月間牢にはいるんだぞ。」
 不幸な女は身を震わした。
「六カ月、牢に六カ月!」と彼女は叫んだ。「日に七スーずつしか取れないで六カ月間! そしたらコゼットはどうなるだろう。娘は、ああ娘は! 私はまだテナルディエの所に百フラン余りの借りがあるんです。警視さん、考えてみて下さい。」
 大勢の泥靴によごれてじめじめしてる床の上に彼女は身を投げた。そして立ち上がろうともせず、両手を握り合わしたまま、膝頭《ひざがしら》ではい回った。
「ジャヴェルの旦那、」と彼女は言った、「どうぞお許し下さい。決して私《わたし》が悪かったんじゃありませんから、初めから御覧なすっていたら、きっとおわかりになったはずです。私が悪かったのでないことは神様に誓います。知りもしないあの男の人が私の背中に雪を押し込んだんです。だれにも何にもしないで静かに歩いてる時、背中に雪を押し込むなんていう法がありましょうか。それで私は気が立ったんです。私はこのとおり少し身体《からだ》も悪いんですもの。その上、前からあの人は私に無茶を言っていたんです。まずい顔だね、歯がないんだねって。歯のないことは自分でもよく知っていますわ。だから私は何にもしなかったんです。冗談言ってるんだと思ってました。私はおとなしくしていました。口もききませんでした。その時です、あの人が私に雪を入れたのは。ジャヴェルの旦那、警視さん、初めからそこに見ていて、私の申すのが本当だと言ってくれる人はだれもいないんでしょうか。怒ったのは悪かったでしょう。が、初めは自分をおさえることのできないこともありますわ。むっとすることがあるものですわ。それにあんな冷たいものを、思いがけない時背中に入れられてごらんなさい。あの人の帽子を台なしにしたのは私が悪いんです。けれどなぜあの人は逃げていってしまったんでしょう。私あやまるんですのに。おお神様も見て下さい、私はいつでもあやまります。だから今日の所だけはどうぞ許して下さい、ジャヴェルの旦那。ねえ、あなたは御存じないでしょうが、監獄では七スーしかもらえないんです。お上《かみ》の知ったことではないでしょうが、七スーしか取れないんです。それだのに、察して下さい、私は百フランも払わなければなりません。そうしないと娘は私の所へ返されるんです。おお神様、私は娘といっしょに住むことはできない。私のしてることはあまり汚らわしい! 私のコゼット、聖《きよ》い天使のような私の娘、かわいそうにあれはどうなるでしょう! こうなんです、娘を預ってるのはテナルディエといって、田舎者で宿屋をしてる夫婦者ですが、わけのわからない人たちです。お金ばかりほしがっているんです。どうぞ私を牢に入れないで下さい。小さい児なのに、この冬の最中に勝手にしろといって往来に放《ほう》り出されるんです。ねえジャヴェルの旦那、かわいそうではありませんか。もっと大きくなっていれば、どうにか食べてゆけもしましょうが、あの年ではそれもできません。私は心底から悪い女ではないんです。なまけたりうまいものを食べたりしたいためにこんなになったのではありません。ブランデーも飲みますけれど、それも苦しいからです。酒なんか好きではありませんが、酒をのむと苦しみを忘れるからです。私がもっと仕合わせであった時には、ちょっと戸棚をあけてみただけでもふしだらな賤《いや》しい女でないことがわかったものです。下着などもたくさん持っていたものです。お情けにどうか、ジャヴェルの旦那!」
 彼女はそういうふうに言いながら、身体を二つに曲げ、身を震わして啜《すす》り泣き、目にいっぱい涙をため、首を露《あら》わにし、両手を握り合わせ、かわいた短い咳をし、苦痛の声をしぼって静かに訴えた。大なる苦悩は聖いそして恐ろしい光で、悲惨なる者の姿を浄化する。その瞬間ファンティーヌはまた美しくなっていた。時々彼女は言葉を切って、警官のフロックの裾《すそ》にやさしく脣《くちびる》をつけた。彼女は花崗岩《かこうがん》のような冷ややかな心をもやわらげたであろう。しかし木のごとき心をやわらげることはできないものである。
「よろしい、」とジャヴェルは言った、「言うだけは聞いてやった。もうすんだのか。それではさあ行け。六カ月だぞ。父なる神でさえもはやどうにもできないことなんだ。」
 父なる神でさえもはやどうにもできないことなんだ[#「父なる神でさえもはやどうにもできないことなんだ」に傍点]というそのおごそかな言葉をきいて、彼女は判決が下されたのだということを了解した。彼女はそこにくずおれて口の中で言った。
「お慈悲を!」
 ジャヴェルは背中を向けた。
 兵士らは彼女の腕をとらえた。
 しばらく前からそこに一人の男がはいってきていた。だれもそれに気づいていなかった。彼は戸をしめて、それによりかかって、ファンティーヌの絶望的な訴えをきいていたのだった。
 身を起こそうともしないあわれな女に兵士らが手を触れた時に、男は一歩進んで、物陰から出てきて言った。
「どうか、しばらく!」
 ジャヴェルは目をあげて、そしてマドレーヌ氏を認めた。彼は帽子をぬいで、不満な様子であいさつをした。
「失礼しました、市長どの……」
 この市長殿という言葉は、ファンティーヌに不思議な刺激を与えた。彼女は地面から飛び出した幽霊のように突然すっくと立ち上がった。そして両手で兵士らを払いのけ、人々が引き留める間もなくもう、マドレーヌ氏の方へまっすぐに進んでゆき、我を忘れたようにじっと彼を見つめ、そして叫んだ。
「おお、市長というのはお前さんのことですか。」
 それから彼女は突然笑い出して、彼の顔に唾《つば》をはきかけた。
 マドレーヌ氏は顔をふいてそして言った。
「ジャヴェル君、この女を放免しておやりなさい。」
 ジャヴェルはその瞬間気が狂ったかと思った。彼はその一瞬の間に、相ついでそしてほとんどいっしょに、いまだかつて知らないほどの種々の激情を経験した。醜業婦が市長の顔に唾を吐きかけるのを見たこと、それはいかにも奇怪千万なことで、いかに恐ろしい想像をたくましゅうしてみても、あり得べきことだと信ずるのでさえすでに冒涜《ぼうとく》であるような気がした。また他方には、この女はいったい何者で、また市長は何者であろうかと考えて、両者の間に忌むべき関係を心の底でふと立ててみた。そして女の奇怪な侮辱のうちに何かごく簡単な理由を想像してみて慄然《りつぜん》とした。しかしながら、市長が、行政官が、静かに顔をふいて、この女を放免しておやりなさい[#「この女を放免しておやりなさい」に傍点]と言うのを見た時に彼は、にわかに茫然《ぼうぜん》としてしまった。何の考えも言葉も出てこなかった。驚駭《きょうがい》の度が彼にはあまり大きかった。彼は口をきき得ないでぼんやり立ちつくしていた。
 また市長の言葉は、ファンティーヌにも同じく不思議な影響を与えた。彼女はその露《あら》わな腕を上げ、よろめく者のように暖炉の戸前につかまった。それでも彼女は自分のまわりを見回して、そして自分自身に言うかのように低い声で言い出した。
「放免! 免《ゆる》してやれ、六カ月牢に行かせるな! それを言ったのはだれだろう。いやだれが言えるものか。私の聞き違いかしら。市長の奴が言うはずはない。あなた、ジャヴェルの旦那、あなたですか、私を放免してやれとおっしゃったのは。おお聞いて下さい、申し上げたらきっと私を許して下さるでしょう。このひどい市長です、元はといえば皆この市長のおいぼれのお陰です。察して下さい、ジャヴェルの旦那、この人が私を追い払ったんです。工場でいろいろなことを言いふらす乞食婆どものためにです。あまり酷《ひど》いではありませんか、正直に仕事をしてるあわれな者を追い出すなんて! それからというもの、私は十分お金が取れなかったんです、そしてこんなに不仕合《ふしあわせ》になったんです。第一警察の方でも是非ともしていただきたい改良が一つありますわ。監獄の請負人が貧乏人たちを苦しめないように、してもらいたいことです。説明してあげてもよござんすわ。シャツを縫って十二スー取れていたのが、九スーになってしまったんです。それではもう暮らしてはいけません。だから何にでもならなければならなくなったんです。それに私には娘のコゼットがいます。いやな商売でもしなければならなかったんです。これでおわかりでしょう、あの市長のやつがみな不運の元なんです。それから私は、あの軍人の集まるカフェーの前であの男の帽子を踏みつけました。ですがあの人は、雪で私の着物をすっかり台なしにしてしまったんです。私どものような女は、晩に着る絹物はただ一枚きり持ちません。ねえジャヴェルの旦那、私は何もことさら悪いことをしたのではありませんわ、本当です。私よりもっと悪い女はどこにでもいます、そしてもっと楽をしています。ああジャヴェルの旦那、私を許してやれとおっしゃったのはあなたでしょう。よく調べてみて下さい。家主さんにもきいて下さい。今では家賃もちゃんと払っています。私が正直なことはだれにきいてもわかります。おや、ごめん下さい、知らずに暖炉の戸前にさわったのでけむり出して。」
 マドレーヌ氏は深い注意を払って彼女の言うのを聞いていた。彼女がしゃべっている間に、彼はチョッキを探って金入れを取り出して開いてみた。が、それは空《から》だった。彼はそれをまたポケットにしまった。彼はファンティーヌに言った。
「いくら借りがあると言ったっけね。」
 ジャヴェルの方ばかり見ていたファンティーヌは、彼の方へふり向いた。
「だれもお前さんに口をきいてやしません!」
 そして彼女は兵士らへ言葉を向けた。
「ねえ、お前さんたちも、私がこの人の顔に唾を吐きかけたのを見たでしょう。ああ、市長の古狸《ふるだぬき》め、私を嚇《おど》かしにきたんでしょうが、だれがお前さんをこわがるものかね。私はジャヴェルの旦那がこわい。親切なジャヴェルの旦那がこわいのさ!」
 そう言いながら、彼女はまた警視の方へ向いた。
「ねえ、警視さん、物事は正しくしなければいけません。私はあなたが正しいことも知っています。実際ごく簡単なことですわ。一人の男が冗談に女の背中に少し雪を入れた。それが士官たちを笑わした。人は何か慰みをするものです、そして私どもは人の慰みになるんです。それだけのことですわ。それからあなたがいらした。あなたは秩序を保たなければならなかった。あなたは悪い女を拘引なすった。けれど、あなたは親切だからよく考えて、私を放免してやれとおっしゃった。それは子供のためですわね。なぜなら、六カ月も牢にはいっていては子供を養うことができませんもの。ただ二度とあんなことをするなっておっしゃるんでしょう。ええ私はもう二度とあんなことは致しません。ジャヴェルの旦那、もうこんどはどんなことをされようと決して手出しは致しません。ただ今日は私あまり大声を立てました。つらかったんですもの。あの人が雪を入れようなどとは夢にも思ってなかったんです。それにさっき申したとおり、私は身体《からだ》もあまりよくないんです。咳《せき》が出て、何か熱いかたまりで胸がやけるようです。用心せよってお医者さんも言いました。ちょっと、手をかして、さわってごらんなさい。こわがらなくってもいいでしょう。ここですのよ。」
 彼女はもう泣いていなかった。声は甘えるようだった。彼女は自分の白いやさしい喉元《のどもと》にジャヴェルの大きい荒々しい手をあてた、そして、ほほえみながら彼をながめた。
 突然彼女は着物の乱れているのをなおし、下にこごんでいたため膝の所までまくれている着物の裾をおろし、戸の方へ歩いてゆきながら、親しげにうなずいて兵士らに低い声で言った。
「皆さん、許してやれと警視さんがおっしゃったから、私行きますわ。」
 彼女は※[#「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37]《かきがね》に手をかけた。今一歩で外に出るところだった。
 ジャヴェルはその時まで立ちつくしていた。身動きもしないで、床《ゆか》に目を落として、位置を動かされてどこかに据えられるのを待ってる立像のように、この光景のまん中に立ちつくしていた。
 ※[#「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37]の音は彼を覚《さま》した。彼は頭を上げた。顔には、主権者の権力の表情、下等なものになればなるほどいっそう恐ろしくなり、野獣においては獰猛《どうもう》となり、卑しい人間においては凶悪となる表情があった。
「下士官、」と彼は叫んだ、「そいつが出て行こうとするのが見えないか。そいつを許せとだれが言った。」
「私です。」とマドレーヌは言った。
 ファンティーヌはジャヴェルの声に震え上がって、盗賊が盗んだ品物を放すように※[#「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37]から手を放した。マドレーヌの声に彼女はふり向いた。そしてその時から、一言も発せず、息も自由につかないで、二人が口をきくにつれて、マドレーヌからジャヴェルへ、ジャヴェルからマドレーヌへ、かわるがわる目を移した。
 市長がファンティーヌを許してやるように申し出た後、あえてこのように下士官を呼びかけるには、ジャヴェルはいわゆる「箍《たが》を外《はず》して」いたに違いない。そのために彼は市長がそこにいるのも気付かなかったのであろうか。または、いかなる「権力」といえどもかかる命令を与えることはできないと信じ、市長が自ら気付かずして何か取り違えてかかる言を発したのであると信じたのであろうか。もしくは、二時間前から目撃してきた暴行の前において、いよいよ最後の決断を取らなければならないと思い、小官も大官となり、一個の刑事巡査も長官となり、警官も法官となることが必要だと思い、この危急な場合においては、秩序、法律、道徳、政府、社会すべてが、おのれジャヴェル一個のうちに代表せらるべきものであると信じたのであろうか。
 それはともかくとして、前のごとくマドレーヌが私です[#「私です」に傍点]という言葉を発した時に、警視ジャヴェルは市長の方へ向き直り、青くなり、冷たくなり、脣《くちびる》を紫色にし、憤激の目付きをし、全身をこまかく震わし、そして目を伏せながらしかも確乎《かっこ》たる声で、あえて市長に言った。
「市長どの、それはなりませぬ。」
「どうしてですか。」とマドレーヌ氏は言った。
「この女は市民を侮辱しました。」
「ジャヴェル君、まあ聞きたまえ。」とマドレーヌ氏はなだめるような静かな調子で言った。「君は正直な人です。君に説明してあげるのは困難ではない。事実はこうです。君がこの女を引き立ててゆく時私はその広場を通った。まだそこには大勢の人がいた。私はいろいろ聞いてみてすべてのことがわかった。悪いのはあの男の方で、まさしく拘留すべきはあの男の方です。」
 ジャヴェルは答えた。
「この女は市長殿を侮辱したのです。」
「それは私一個のことです。」とマドレーヌ氏は言った。「私の受けた侮辱はおそらく私一個人だけに関することでしょう。それは私が自分でどうにでもすればいいのです。」
「市長どの、お言葉ですが、女の侮辱はあなた一人だけにとどまらず、実に法を犯すものです。」
「ジャヴェル君、」とマドレーヌ氏は反駁《はんばく》した、「最高の法は良心です。私はこの女の言うことを聞いた。そして自分のすべきことを知っている。」
「市長どの、私は一向に了解できません。」
「それではただ私の言に従うので満足なさるがいいでしょう。」
「私は自分の義務に従うのです。私の義務は、この女が六カ月間入牢することを要求します。」
 マドレーヌ氏は穏やかに答えた。
「よくお聞きなさい、この女は一日たりとも入牢させてはなりませぬ。」
 その断乎《だんこ》たる言葉をきいて、ジャヴェルはそれでもじっと市長を見つめた、そして深い敬意をこめながらもなお言った。
「私は市長どのに反対するのを遺憾に思います。これは生涯初めてのことです。しかし、私は自分の権限内において行動していると申すのを許していただきます。お望みですから、あの一市民に関することだけに止めましょう。私は現場にいました。この女があの市民に飛びかかったのです。彼はバマタボア氏と言って、選挙資格を有し、遊歩地の角にあるバルコニーのついた石造りのりっぱな四階建ての家屋を所有しています。まあそれらのことも参考にすべきです。それはとにかく、市長どの、この事件は私に関係ある道路取り締まりに関することです。私はこのファンティーヌという女を取り押さえます。」
 その時マドレーヌ氏は腕を組み、まだ町でだれも聞いたことのないほどの厳格な声で言った。
「君の言う事実は市内警察に関する事がらです。刑事訴訟法第九条、第十一条、第十五条、および第六十六条の明文によって、私はその判事たるべきものです。私はこの女を放免することを命ずる。」
 ジャヴェルは最後の努力をなさんとした。
「しかし、市長どの……」
「不法監禁に関する一七九九年十二月十三日の法律第八十一条を思い出されるがいい。」
「市長どの、どうか……。」
「一言もなりませぬ。」
「しかし……。」
「お退《さが》りなさい。」とマドレーヌ氏は言った。
 ジャヴェルはつっ立ちながら真っ正面に、ロシア兵士のように胸のまん中にその打撃を受けた。彼は市長の前に地面まで頭を下げ、そして出ていった。
 ファンティーヌは戸口から身をよけて、ジャヴェルが前を通るのを茫然とながめた。
 けれども彼女もまた異常な惑乱にとらえられていた。彼女は自分が互いに反対の二人の権力者の間の何か争論の種となったのを見て取った。彼女は自分の自由と生命と魂と子供とを手に握って二人の人が目前に争うのを見た。一人は自分を暗黒の方へ引こうとし、一人は自分を光明の方へ連れ戻そうとした。その争いは恐怖のために大きく見えて、二人が巨人のように思われた。一人は悪魔の巨人のように口をきき、一人は善良な天使の巨人のように語った。天使は悪魔に打ち勝った。そして彼女を頭の頂から爪先まで戦慄せしめたことは、その天使、その救い主は、だれあろう、自分がのろっていたその男、自分のすべての不幸の元であると長い間考えていたあの市長、あのマドレーヌその人であろうとは! しかも激しく侮辱してやったその瞬間に自分を救ってくれようとは! それでは自分は思い違いをしていたのか? それでは自分はまったく心を変えてしまわなければならないであろうか?……彼女にはいっさいわからなかった。彼女は身を震わした。彼女は前後を忘れて耳を傾け、驚いて見つめ、そしてマドレーヌの発する一言ごとに、憎悪の恐ろしい暗やみが胸から解けくずれるのを感じ、喜悦と信頼と愛情との一種言うべからざる温《あたたか》きものが心のうちに生ずるのを感じた。
 ジャヴェルが室を出て行った時、マドレーヌ氏は彼女の方へ向いた。そして涙を流すことを欲しないまじめな人のようにかろうじておもむろに言った。
「私はあなたの言うところを聞きました。あなたが言ったようなことを私は何も知らなかった。が、私はあなたの言ったことが事実であると信ずる、また事実であると感ずる。私はあなたが工場を去ったことさえ知らなかった。なぜあなたは私に訴えなかったのです。しかしそれはそれとして、私はあなたの負債を払ってあげよう。子供を呼んであげよう。あるいはあなたが子供の所へ行かれてもいい。ここにいようと、またパリーへ行こうと、どこへでも随意です。私はあなたの子供とあなたとを引き受けてあげる。いやだったらもう仕事をしなくともよろしい。いるだけの金は出してあげる。あなたは再び仕合わせになるとともにまた正道に立ち直るでしょう。いやそればかりか、よくお聞きなさい、ただ今から私はあなたに向かって言います、すべてあなたが言ったとおりであるならば、そしてそれを私も疑いはしませんが、それならばあなたは決して堕落したのでもなければ、また神様の前に対して汚れた身になったのでもありません。まことに気の毒な方です!」
 それはあわれなファンティーヌに取っては身に余るほどのことだった。コゼットといっしょになる! この汚辱の生活から脱する! 自由に、豊かに、幸福に、正直に、コゼットとともに暮らす! この悲惨のただ中に突然現実の楽園が開ける! 彼女は自分に話しかけてるその人を茫然自失したかのように見守った、そして「おお、おお!」と二、三のすすり泣きが出るきりだった。膝はおのずから下って、彼女はマドレーヌ氏の前にひざまずいた。マドレーヌ氏はそれを止める間もなく、自分の手が取られてそれに脣《くちびる》が押しあてられたのを感じた。
 そしてファンティーヌは気を失った。
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   第六編 ジャヴェル

     一 安息のはじめ

 マドレーヌ氏は自分の住宅のうちにある病舎にファンティーヌを移さして、そこの修道女たちに託した。修道女たちは彼女をベッドに休ました。激しい熱が襲ってきていた。彼女はその夜長く正気を失って高い声で譫言《うわごと》を続けていたが、やがては眠りに落ちてしまった。
 翌日|正午《ひる》ごろにファンティーヌは目をさました。彼女は自分の寝台のすぐそばに人の息を聞いた。帷《とばり》を開いてみると、そこにマドレーヌ氏が立っていた。彼は彼女の頭の上の方に何かを見つめていた。目付きはあわれみと心痛とに満ちていて、祈願の色がこもっていた。その視線をたどってみると、壁に釘付けにされてる十字架像に目を据えてるのだった。
 その時以来、マドレーヌ氏の姿はファンティーヌの目には異なって映るようになった。彼女には彼が光明に包まれてるように思えた。彼は一種の祈祷のうちに我を忘れていた。彼女はあえて彼のその心を妨げず長い間ただ黙ってながめた。がついに、彼女はおずおずと口を開いた。
「そこに何をしていらっしゃいますの。」
 マドレーヌ氏はもう一時間もそうしていたのである。彼はファンティーヌが目をさますのを待っていた。彼は彼女の手を取り、その脈をみて、そして答えた。
「加減はどうです。」
「よろしゅうございます。よく眠りました。」と彼女は言った。「だんだんよくなるような気がします。もう大したことではありませんわ。」
 彼はその時、ファンティーヌが最初になした問いをしか耳にしなかったかのようにそれに答えて言った。
「私は天にある殉教者に祈りをしていました。」
 そして彼は頭の中でつけ加えた、「地上にあるこの受難者のために。」
 マドレーヌ氏は前晩とその午前中とを調査に費やしたのだった。今ではもうすべてを知っていた。ファンティーヌの痛ましい身の上を詳細に知っていた。彼は続けて言った。
「あわれな母親、あなたはずいぶん苦しんだ。不平を言ってはいけません。今ではあなたは天から選ばれた者の資格を持っている。人間はいつもそういうふうにして天使となるものです。しかしそれは人間の罪ではない、他になす術《すべ》を知らないからです。あなたが出てこられたあの地獄は天国の第一歩です。まずそこから始めなければなりません。」
 彼は深いため息をついた。けれど彼女は二本の歯の欠けた崇高な微笑《ほほえ》みを彼に示した。
 ジャヴェルの方では、その晩一つの手紙を書いた。翌朝自らそれをモントルイュ・スュール・メールの郵便局に持って行った。それはパリーへ送ったもので、あて名には警視総監秘書シャブーイエ殿[#「警視総監秘書シャブーイエ殿」に傍点]としてあった。警察署のあの事件が盛んに噂の種となっていたこととて、その手紙が発送される前にそれを見てあて名の文字にジャヴェルの手蹟《しゅせき》を見て取った局長や他の人々は、それがジャヴェルの辞表だと思った。
 マドレーヌ氏はまた急いでテナルディエ夫婦の所へ手紙を書いた。ファンティーヌは彼らに百二十フラン借りになっていた。彼は三百フラン送って、そのうちからすべてを差し引き、なお母親が病気で子供に会いたがっているから、すぐに子供をモントルイュ・スュール・メールに連れて来るようにと言ってやった。
 そのことはテナルディエを驚かした。「畜生、子供を手放してたまるものか。」と彼は女房に言った。「この雲雀《ひばり》娘がこれから乳の出る牛になったというものだ。わかってらあね。ばか者があのおふくろに引っかかったのだ。」
 彼は五百フランとなにがしかの覚え書きをうまく整えて送ってきた。この覚え書きのうちには三百フラン余りの明らかな二つの内訳がのっていた。一つは医者の礼で他は薬剤師の礼で、いずれもエポニーヌとアゼルマとの長い病気の手当てと薬の代であった。前に言ったとおりコゼットは病気にかかりはしなかったのである。ただ名前を変えるという些細《ささい》な手数だけでよかった。テナルディエは覚え書きの下の方に三百フラン受け取り候[#「三百フラン受け取り候」に傍点]と書きつけた。
 マドレーヌ氏はすぐにまた三百フラン送って、早くコゼットを連れてきてくれと書いてやった。
「なあに、子供を手放すものか。」とテナルディエ[#「テナルディエ」は底本では「エナルディエ」]は言った。
 そうこうするうちにもファンティーヌは回復しなかった。相変わらず病舎にいた。
 修道女たちが「その女」を受け取って看護したのは初めはいやいやながらであった。フランスの寺院にある浮き彫りを見た者は、賢い童貞らが不潔な娘らをながめながら、下脣《したくちびる》をとがらしているのを思い起こすだろう。貞節な婦人の不運な女に対するこの古来の軽侮は、女性の威厳より来る最も深い本能の一つである。でこの修道女たちは、宗教のためになお倍加してその気持を経験したのである。しかしやがてファンティーヌは彼女たちの心をやわらげた。彼女は謙遜でやさしい言葉を持っていた、そして彼女のうちにある母性は人の心を動かした。ある日、彼女が熱に浮かされながら次のように言うのを修道女たちは聞いた。「私は罪深い女でした。けれど子供が私の所へ来るならば、それは神様が私をお許しなされたことになりますでしょう。悪い生活をしている間は、私はコゼットをそばに呼びたくありませんでした。私はコゼットのびっくりした悲しい目付きを見るのにたえられなかったでしょう。けれども私が悪い生活をしたのもあの児のためだったのです。だから神様は私をお許し下さるのです。コゼットがここに来る時、私は神様のお恵みを感ずるでしょう。私は子供を見つめましょう。その罪ない子供を見ることは私のためにいいでしょう。あの児はまったく何にも知りません。ねえ皆さん、あの児は天の使いですわね。あれくらいの年では、翼はまだ決して落ちてはいませんわ。」
 マドレーヌ氏は日に二度ずつ彼女を見舞ってきた。そのたびごとに彼女は尋ねた。
「じきにコゼットに会えましょうか。」
 彼は答えた。
「たぶん明朝は。今に来るかと私も始終待ち受けているのです。」
 すると母親の青白い顔は輝いてきた。
「ああ、そしたらどんなにか私は仕合わせでしょう!」と彼女は言った。
 さて前に彼女は回復しなかったと言ったが、いやかえって容態は一週ごとに重くなるようだった。二つの肩胛骨《けんこうこつ》の間の露《あら》わな肌の上に押し当てられた一握りの雪は、急に皮膚排出を抑止してしまったので、その結果数年来の病芽がにわかに激発したのだった。当時、胸部の病気の研究ならびに処置についてはラエネックのみごとな説が一般に奉じられつつあった。医者はファンティーヌを診察して頭を振った。
 マドレーヌ氏は医者に言った。
「いかがでしょう。」
「会いたがっている子供でもありませんか。」と医者は尋ねた。
「あります。」
「では至急お呼びなさるがよろしいでしょう。」
 マドレーヌ氏は身を震わした。
 ファンティーヌは彼に尋ねた。
「お医者様は何と言われまして?」
 マドレーヌ氏は強《し》いてほほえんだ。
「早くあなたの子供を連れて来るようにと言いました。そうすれば丈夫になるだろうと。」
「ええ、そうですとも!」と彼女は言った。「けれどもテナルディエの人たちはいったいどうしたのでしょう。私のコゼットを引き留めておくなんて。おお、娘はきますわ! ああとうとう幸福が私のそばに!」
 けれどもテナルディエは「子供を手放さ」なかった。そしていろいろな口実を構えた。コゼットはまだ少し身体が悪くて冬に旅はできないとか、あるいはまた、近所にこうるさい負債が少しずつ残っていてその書き付けを集めているとか、いろいろなことを。
「私は人をやってコゼットを連れてこさせよう。」とマドレーヌさんは言った。「もしやむを得なければ自分で行こう。」
 彼はファンティーヌの言葉どおりに次のような手紙を書き、それに彼女の署名をさした。


  テナルディエ殿
この人へコゼットを御渡し下されたく候。
種々の入費は皆支払うべく候。
謹《つつし》みて御|挨拶《あいさつ》申し上げ候。

ファンティーヌ

 ちょうどその間に大事件が持ち上がった。人生が形造られてる不可思議なる石塊をいかによく刻まんとするもむだである、運命の黒き鉱脈は常にそこに現われて来る。

     二 ジャン変じてシャンとなる話

 ある朝マドレーヌ氏は書斎にいて、自らモンフェルメイュに旅する場合のために市長としての緊急な二、三の事務を前もって整理していた。その時警視のジャヴェルが何か申し上げたいことがあってきた旨が取りつがれた。その名前をきいてマドレーヌ氏はある不快な印象を自ら禁ずることができなかった。警察署でのあの事件以来、ジャヴェルは前よりもなおいっそう彼を避けていた。そして彼はジャヴェルの姿を少しも見かけなかったのである。
「通しておくれ。」と彼は言った。
 ジャヴェルははいってきた。
 マドレーヌ氏は暖炉の近くにすわり、手にペンを持って、道路取り締まり違反の調書がのってる記録を開いて何か書き入れながら、それに目を据えていた。彼はジャヴェルがきてもそれをやめなかった。彼はあわれなファンティーヌのことを考え止めることができなかった、そして他のことに対して冷淡であるのは自然のことだった。
 ジャヴェルは自分の方に背を向けてる市長にうやうやしく礼をした。が市長は彼の方へ目を向けないで、続けて記録に書き込んでいた。
 ジャヴェルは室の中に二、三歩進んだ、そしてその静けさを破らずに無言のまま立ち止まった。
 もし一人の人相家があって、ジャヴェルの性質に親しんでおり、この文明の奴僕たる蛮人、ローマ人とスパルタ人と僧侶と下士とのおかしなこの雑種人、一の虚言をもなし得ないこの間諜《かんちょう》、この純粋|無垢《むく》な探偵《たんてい》を、長い間研究しており、更にまたマドレーヌ氏に対する彼の昔からのひそかな反感や、ファンティーヌに関する彼と市長との争いなどを知っており、そしてこの瞬間における彼をよく見たとするならば、その人相家は「何が起こったのだろう」と思ったであろう。彼の正直で清澄でまじめで誠実で謹厳で猛烈な内心を知っている者にとっては、彼が心内のある大変化を経たことを明らかに見て取り得られたであろう。ジャヴェルはいつも心にあることはすぐに顔にも現わした。彼は荒々しい気質の人のようにすぐに説を変えた。が、この時ほど彼の顔付きは不思議な意外な様をしていることはかつてなかった。室にはいって来るや、何らの怨恨《えんこん》も憤りも軽侮も含まない目付きで、マドレーヌ氏の前に身をかがめ、それから市長の肱掛椅子《ひじかけいす》の後ろ数歩の所に立ち止まったのだった。そして今彼は規律正しい態度をし、かつて柔和を知らない常に堅忍な人のような素朴な冷ややかな剛直さをもって、そこに直立していたのである。彼は一言も発せず、何らの身振りもせず、真の卑下と平静な忍従とのうちに、市長がふり向くのを待っていた。そして落ち着いたまじめな様子をして、手に帽子を持ち、目を伏せ、隊長の前に出た兵士と裁判官の前に出た罪人との中間な表情を浮かべていた。彼が持っていたと思われるあらゆる感情や記憶は消え失せてしまっていた。その花崗石のごとき単純でしかも測り難い顔の上には、ただ憂鬱《ゆううつ》な悲しみのほかは何も見られなかった。彼のすべての様子は、屈従と決意と一種の雄々しい銷沈《しょうちん》とを示していた。
 ついに市長はペンを擱《お》いて、半ばふり返った。
「さて、何ですか、どうかしたのですか、ジャヴェル君。」
 ジャヴェルは何か考え込んでいるかのようにちょっと黙っていたが、やがてなお率直さを失わない悲しげな荘重さをもって声を立てて言った。
「はい、市長殿、有罪な行為がなされたのです。」
「どういうことです?」
「下級の一役人が重大な仕方である行政官に敬意を失しました。私は自分の義務としてその事実を報告に参ったのです。」
「その役人というのはいったいだれです。」とマドレーヌ氏は尋ねた。
「私です。」とジェヴェルは言った。
「君ですって。」
「私です。」
「そしてその役人に不満なはずの行政官というのはだれです。」
「市長殿、あなたです。」
 マドレーヌ氏は椅子の上に身を起こした。ジャヴェルはなお目を伏せながらまじめに続けた。
「市長殿、私の免職を当局に申し立てられんことをお願いに上がったのです。」
 マドレーヌ氏は驚いて何か言おうとした。ジャヴェルはそれをさえぎった。
「あなたは私の方から辞職すべきだとおっしゃるでしょう。しかしそれでは足りません。自ら辞職するのはまだ名誉なことです。私は失錯をしたのです。罰せらるべきです。私は放逐せられなければいけないのです。」
 そしてちょっと言葉を切ってまたつけ加えた。
「市長殿、あなたは先日私に対して不当にも苛酷であられました。今日は正当に苛酷であられなければいけません。」
「そしてまた何ゆえにです。」とマドレーヌ氏は叫んだ。
「何でそう無茶なことを言うのです。いったい[#「いったい」は底本では「いつたい」]どういう意味ですか。君は私《わたし》に対してどういう有罪な行為を犯したのです? 君は私に何をしました? どんな悪い事を君は私にしました? 君は自分で自分を責め、免職されることを望んでいるが……」
「放逐されることをです。」とジャヴェルは言った。
「放逐ですって、それもいいでしょう。しかし私にはどうも了解できない。」
「只今説明申します、市長殿。」
 ジャヴェルは胸の底からため息をもらした、そしてやはり冷ややかにまた悲しげに言い出した。
「市長殿、六週間前、あの女の事件後、私は憤慨してあなたを告発しました。」
「告発!」
「パリーの警視庁へ。」
 ジャヴェルと同様にあまり笑ったことのないマドレーヌ氏も笑い出した。
「警察権を侵害した市長としてですか。」
「前科者としてです。」
 市長は顔色を変えた。
 なお目を伏せていたジャヴェルは続けた。
「私はそれを信じていました。長い前からそういう考えをいだいていました。ある類似点、あなたがファヴロールでなされた探索、あなたの腰の力、フォーシュルヴァン老人の事件、あなたの狙撃《そげき》の巧妙さ、少し引きずり加減のあなたの足、その他種々な下らないことです。そしてついに私はあなたをジャン・ヴァルジャンという男だと信じたのです。」
「え?……何という名前です。」
「ジャン・ヴァルジャンというのです。それは二十年前私がツーロンで副看守をしていた時見たことのある囚人です。徒刑場を出てそのジャン・ヴァルジャンは、ある司教の家で窃盗を働いたらしいのです、それからまた、街道でサヴォアの少年を脅かして何かを強奪したらしいのです。八年前から彼は姿をくらまして、だれもその男がどうなったか知る者はなかったのですが、なお捜索は続けられていました。私は想像をめぐらして……ついにそのことをやってしまったのです。怒りに駆られたのです。私はあなたを警視庁へ告発しました。」
 少し前から記録を手に握っていたマドレーヌ氏は、まったく無関心な調子で尋ねた。
「そして何という返事がきました。」
「私は気違いであると。」
「そして?」
「そして実際、向こうの方が正当でありました。」
「君がそれを認めたのは幸いです。」
「認めざるを得なかったのです。真のジャン・ヴァルジャンが発見されたのですから。」
 マドレーヌ氏は持っていた帳簿を手から落とした。彼は頭をあげてじっとジャヴェルを見つめた。そして名状し難い調子で言った。「ほう!」
 ジャヴェルは続けた。
「こういう次第です、市長殿。アイイー・ル・オー・クロシェの近くの田舎に、シャンマティユーじいさんと呼ばるる一人の老人がいたそうであります。惨《みじ》めな奴でだれも注意を向ける者はなかったそうです。いったいこういう奴らは何で生活しているのかだれにもわかりません。ところで昨年の秋に、そのシャンマティユーじいは、酒造用の林檎《りんご》を盗んだために捕えられました。だれの家でしたか……まあそれはどうでもいいことです。とにかく窃盗を行ない、塀《へい》を越え、枝を折ったのです。でシャンマティユーは捕えられました。彼はなお手に林檎の枝を持っていました。彼は拘禁されました。ここまでは単に懲罰だけです。しかし天命が働いてきます。その牢《ろう》はこわれかけていましたので、予審判事はシャンマティユーをアラスの県の監獄に移したがいいと思ったのです。そのアラスの監獄にはブルヴェーという前科者がいました。何かのために拘禁されたのですが、行ないがよかったので牢番にされていました。ところがシャンマティユーがそこに着くや、ブルヴェーは叫びました。『やあ、わしはこの男を知ってる。こいつはいわくつきの男だ。おい、貴様、おれを見てみろ。貴様はジャン・ヴァルジャンだな。』『ジャン・ヴァルジャン! いったいジャン・ヴァルジャンてだれの事だい。』とシャンマティユーは驚いたふうをしました。がブルヴェーは言いました。『白ばくれちゃいけねえ。貴様はジャン・ヴァルジャンだ。ツーロンの徒刑場にいたろう。二十年前の事だ。俺といっしょにいたじゃねえか。』シャンマティユーは否定しました。なにそれはありそうなことです。調査が進められました。私の方にも調べがきています。結局こういうことが発見されたのです。そのシャンマティユーは約三十年前にファヴロールを中心に各地で枝切り職をやっていた。ところがファヴロールで行方《ゆくえ》がわからなくなった。その後久しくしてオーヴェルニュに姿を見せ、次にパリーに現われた。そこで彼は車大工をやり、娘が一人あって洗たく業をやっていたというが、それは証拠不十分であった。そしてついにあの土地にやって行った。しかるに、加重情状の窃盗罪で徒刑場にはいる前、ジャン・ヴァルジャンは何をしていたかといえば、枝切り職であった。そしてどこにおいてかといえば、やはりファヴロールにおいてであった。なおその上他にも事実がある。ジャン・ヴァルジャンはその洗礼名をジャンと言い、その母は姓をマティユーと言っていた。で徒刑場を出るや、彼が前身をくらますために母の姓を取ってジャン・マティユーと名乗ったという推察は、至って自然のことである。そして彼はオーヴェルニュに行った。その地方ではジャンをシャンと発音するので、彼をも自然シャン・マティユーと呼んだ。でその男はそのままシャンマティユーと変わったのである。……おわかりになりましたでしょう。それからファヴロールに調査が進められました。ジャン・ヴァルジャンの家族の者はもはやそこにいませんでした。どこへ行ったかもうわかりません。御存じでもありましょうが、こういう階級では全家族が突然姿を消すことは往々あります。いくらさがしても見い出せません。こういう奴らは泥のようであるかと思うと、また埃《ほこり》のように散り失せるものです。それにまた、この話の初まりは三十年も前のことですから、ファヴロールにはジャン・ヴァルジャンを知っている者もいません。ツーロンの方を調べますと、ジャン・ヴァルジャンを見たという者はブルヴェーのほか二人の囚人しかいません。それは無期徒刑囚のコシュパイユとシュニルディユーという二人です。でその二人を徒刑場から引き出して連れてきました。そしてその自称シャンマティユーを見せると、彼らは少しの躊躇《ちゅうちょ》もしなかったのです。ブルヴェーと同じく彼らの目にも、その男はジャン・ヴァルジャンだったのです。同じく五十四歳で、同じ身長で同じ様子で、どうしても同一人です、彼です。ちょうどその時私はパリーの警視庁に告発状を送ったのです。その返事には、私は気が狂ったのだ、ジャン・ヴァルジャンは司法の手に捕えられてアラスにいるということでした。私は、ここでそのジャン・ヴァルジャンを捕えたと思っていた私は、いかほど驚いたかお察し下さい。私は予審判事に手紙を書きました。そして私はそこに呼ばれて、私の前にそのシャンマティユーが引き出されました……」
「すると?」とマドレーヌ氏は言葉をはさんだ。
 ジャヴェルは厳格なまた悲しそうな顔をして答えた。
「市長殿、事実は事実です。残念ですが、その男はジャン・ヴァルジャンです。私もそれを認めました。」
 マドレーヌ氏は低い声で言った。
「確かですか。」
 ジャヴェルは深い確信から出る悲しげな笑いを立てた。
「ええ確かです。」
 彼はテーブルの上にあった吸墨用の箱から鋸屑《おがくず》を機械的につまみ出しながら、ちょっと考え込んだ、そしてつけ加えた。
「そして真のジャン・ヴァルジャンを見ました今では、私はどうして他の人をそうだと信ずることができたかが自分にもわかりません。市長殿、私はあなたにお許しを願います。」
 六週間前、大勢の風紀兵らの面前において自分を辱《はずか》しめ、自分に「お退《さが》りなさい!」と言ったその人に向かって、今そのまじめな嘆願の言葉を発しながら、彼傲慢なるジャヴェルは、自ら知らずして素朴と威厳とに満ちていた。マドレーヌ氏は彼のその嘆願に答えるに、ただ次の唐突《とうとつ》な問いをもってした。
「そしてその男は何と言っていました。」
「いや市長殿、事件は険悪です。彼がジャン・ヴァルジャンであるとすれば、再犯となるのです。塀《へい》をのり越え、枝を折り、林檎《りんご》を盗むくらいは、子供なら悪戯《いたずら》に過ぎず、大人なら軽罪ですみますが、囚人ではりっぱな犯罪です。侵入と窃盗、みな具備することになります。それはもう軽罪裁判の問題でなく重罪裁判の問題です。数日の監禁でなく、終身徒刑です。それからまたサヴォアの少年の事件もあります。それも問題になるべきです。そうなるとじゅうぶん論争するだけのものはありますでしょう。そうです、ジャン・ヴァルジャンでない限り他の者ならそうするところです。しかしジャン・ヴァルジャンは狡猾《こうかつ》な奴です。私がにらんだのはまたその点です。他の者なら逆上するところです。きっと、わめき叫ぶでしょう。火の上に沸き立つ鍋《なべ》のように、自分はジャン・ヴァルジャンではないと言って、騒ぎ出したりするはずです。ところが、彼奴《あいつ》は何もわからないようなふうをして、こう言うだけです。『わしはシャンマティユーというのだ、そのほかの者じゃない!』彼奴はびっくりしたふうをして、ばかをよそおっています。有効なやり方です。なかなか巧妙です。しかし結局は同じです、証拠はじゅうぶんです。四人の人から認定されたのですから、いずれ有罪になるでしょう。アラスの重罪裁判に回されています。私は証人としてそこへ行くことになっています。召喚されたのです。」
 マドレーヌ氏はまた机の方を向いて、記録を手にしていた、そして何か用に追われているかのように読んだり書き入れたりして、静かにそのページをめくっていた。がやがて彼はジャヴェルの方へ振り向いた。
「わかりました、ジャヴェル君。実際それらの詳細は私にあまり関係ないことです。時間をむだにするばかりです。そしてわれわれには他に急ぎの用があります。ジャヴェル君、あのサン・ソールヴ街の角で野菜を売ってるブュゾーピエ婆さんの家へすぐに行ってくれませんか。そして車力のピエール・シェヌロンを訴え出るように言って下さい。あの男は乱暴な奴で、その婆さんと子供とを轢《ひ》き殺そうとしたのです。処罰しなければいけません。それからまたモントル・ド・シャンピニー街のシャルセレー君の家に行って下さい。隣の家の樋《とい》から雨水が流れ込んできて自分の家の土台を揺るがすと言って訴えてきたのです。次に、ギブール街のドリス未亡人とガロー・ブラン街[#「ガロー・ブラン街」は底本では「ガローー・ブラン街」]のルネ・ル・ボセ夫人の家とに警察規則違反があると言ってきていますから、それを調べて調書を作ってきて下さい。だがあまり仕事が多すぎますね。君は不在になるんでしたね。一週間か十日かすればあの事件のためにアラスに行くと先刻言いましたね。」
「そんなにゆっくりではありません、市長殿。」
「ではいつです。」
「明日裁判になるので私は今晩駅馬車で出かけることを、先刻申し上げたと思いますが。」
 マドレーヌ氏は目につき難いほどのかすかな身振りをした。
「そしてその事件はどれくらい続きますか。」
「長くて一日ですむでしょう。遅くとも判決は明晩下されるでしょう。しかし判決はもうわかっていますから、私はそれを待っていないつもりです。自分の供述をすましたらすぐに帰ってくるつもりです。」
「なるほど。」とマドレーヌ氏は言った。
 そして彼は手振りでジャヴェルを去らせようとした。
 ジャヴェルは立ち去らなかった。
「失礼ですが、市長殿。」と彼は言った。
「まだ何か用ですか。」とマドレーヌ氏は尋ねた。
「市長殿、まだ一つ思い出していただきたいことが残っています。」
「何ですか。」
「私が免職されなければならないことです。」
 マドレーヌ氏は立ち上がった。
「ジャヴェル君、君はりっぱな人だ、私は君を尊敬しています。君は自分で自分の過失を大きく見すぎているのです。その上、このことはただ私一個に関する非礼にすぎません。ジャヴェル君、君は罰を受けるどころか昇進の価値があります。私は君に職にとどまっていてもらいたいのです。」
 ジャヴェルはその誠実なる目でじっとマドレーヌ氏をながめた。その瞳《ひとみ》の底には、聡明《そうめい》ではないがしかし厳格清廉な内心が見えるようだった。彼は平静な声で言った。
「市長殿、私はお説に従うことができません。」
「繰り返して言うが、事は私一個だけのことです。」とマドレーヌ氏は答えた。
 しかしジャヴェルは自分の一つの考えにばかり心を向けて、続けて言った。
「過失を大きく見すぎてると言われますが、私は決して大きく見すぎてはいません。私の考えていることはこうであります。私はあなたを不当に疑ったのです。それは何でもありません。たとい自分の上官を疑うのは悪いことであるとしても、疑念をいだくのは私ども仲間の権利です。しかし、証拠もないのに、一時の怒りに駆られて、復讐《ふくしゅう》をするという目的で、あなたを囚人として告発したのです、尊敬すべき一人の人を、市長を、行政官を! これは重大なことです。きわめて重大です。政府の一機関たる私が、あなたにおいて政府を侮辱したのです! もし私の部下の一人が私のなしたようなことをしたならば、私は彼をもって職を涜《けが》す者として放逐するでしょう。いかがです。――市長殿なお一言いわして下さい。私はこれまでしばしば苛酷でありました、他人に対して。それは正当でした。私は正しくしたのです。しかし今、もし私が自分自身に対して苛酷でないならば、私が今まで正当になしたことは皆不当になります。私は自分自身を他人よりもより多く容赦すべきでしょうか。いや他人を罰するだけで自分を罰しない! そういうことになれば私はあさましい男となるでしょう。このジャヴェルの恥知らずめ! と言われても仕方ありません。市長殿、私はあなたが私を穏和に取り扱われることを望みません。あなたが他人に親切を向けられるのを見て私はかなり憤慨しました。そしてあなたの親切が私自身に向けられるのを欲しません。市民に対して賤業婦《せんぎょうふ》をかばう親切、市長に対して警官をかばう親切、上長に対して下級の者をかばう親切、私はそれを指《さ》して悪しき親切と呼びます。社会の秩序を乱すのは、かかる親切をもってしてです。ああ、親切なるは易《やす》く、正当なるは難いかなです。もしあなたが私の初め信じていたような人であったならば、私は、私は決してあなたに親切ではなかったでしょう。おわかりになったであろうと思います。市長殿、私は他のすべての人を取り扱うように自分自身をも取り扱わなければなりません。悪人を取り押さえ、無頼漢を処罰する時、私はしばしば自分自身に向かって言いました、汝自らつまずき汝自らの現行を押さえる時、その時こそ思い知るがいい! と。今不幸にも私はつまずき、自分の現行を押さえています。さあ解雇し罷免《ひめん》し放逐して下さい。それが至当です。私には両の腕があります、地を耕します。結構です。市長殿、職務をりっぱにつくすには実例を示すべきです。私は単に警視ジャヴェルの免職を求めます。」
 それらのことは、卑下と自負と絶望と確信との調子で語られた、そしてその異常に正直な男に何ともいえぬ一種のおかしな荘重さを与えていた。
「まあ今にどうとかなるでしょう。」とマドレーヌ氏は言った。
 そして彼は手を差し出した。
 ジャヴェルは後に退《さが》った。そして荒々しい調子で言った。
「それは御免こうむります、市長殿。そんなことはあり得べからざることです。市長が間諜《かんちょう》に向かって握手を与えるなどということが。」
 彼はそしてなお口の中でつけ足した。
「そうです、間諜です。警察権を濫用《らんよう》して以来、私は一個の間諜にすぎません。」
 それから彼は低く頭を下げて、扉の方へ進んだ。
 扉の所で彼はふり向いて、なお目を伏せたまま言った。
「市長殿、私は後任が来るまで仕事は続けて致しておきます。」
 彼は出て行った。そのしっかりした堅固な足音が廊下の床《ゆか》の上を遠ざかってゆくのを聞きながら、マドレーヌ氏は惘然《ぼうぜん》と考えに沈んだ。
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   第七編 シャンマティユー事件

     一 サンプリス修道女

 次に述べんとするできごとはモントルイュ・スュール・メールにことごとく知られたものではない。しかしこの町に伝わってきた少しの事がらは深い印象を人の心に残したので、詳細にそのできごとを叙述しない時には本書のうちに大きな欠陥をきたすであろう。
 それらの詳細のうちに、読者は二、三の真実らしからぬ事情に接するであろうが、しかもそれも事実の尊重からして書きもらさぬことにする。
 さて、ジャヴェルが訪れてきた日の午後、マドレーヌ氏はいつものとおりファンティーヌを見に行った。
 ファンティーヌのそばに行くまえに、彼はサンプリス修道女を呼んだ。
 病舎で働いていた二人の修道女は、すべての慈恵院看護婦の例にもれず、聖ラザール派の修道女で、一人をペルペチューと言い一人をサンプリスと言った。
 ペルペチュー修道女はありふれた田舎女《いなかおんな》であり、粗野な慈恵院看護婦であって、普通世間の職につくと同じように神の務めにはいってきたのだった。料理女になるのと同じようにして修道女となったのだった。こういうタイプの人は珍しくはない。修道団というものは、カプュサン派やユルシュリーヌ派の修道女にたやすく鋳直された田舎女《いなかおんな》の重々しい陶器をも喜んで受け入れるものである。その粗野な人たちも信仰の道の粗末な仕事には役立つ。牛飼いがカルメル修道士と変化するのも少しも不思議ではない。それはわけもないことである。田舎の無学と修道院の無学との根本の共通な点において、既に準備はととのっている。そしてすぐに野の片すみの田舎者は僧侶《そうりょ》と伍《ご》するに至る。田舎者の仕事着を少し広くすれば、そのまま道服である。ペルペチュー修道女はきつい信者であって、ポントアーズの近くのマリーヌの生まれであり、田舎なまりを出し、聖歌をうたい、何かぶつぶつつぶやき、患者の頑迷《がんめい》や偽善の度に応じて薬の中の砂糖を加減し、病人を手荒らく取扱い、瀕死《ひんし》の者に対して気むずかしく、彼らの顔に神を投げつけるようなことをし、臨終の苦しみに向かって荒々しい祈りをぶっつけ、粗暴で正直で赤ら顔の女であった。
 サンプリス修道女は白蝋《はくろう》のようにまっ白な女であった。ペルペチュー修道女と並べると、細巻きの蝋燭《ろうそく》に対する大蝋燭のように輝いていた。ヴァンサン・ド・ポールは自由と奉仕とのこもった次のみごとな言葉のうちに、慈恵院看護婦の姿を完全に定めた。「修道院としてはただ病舎を、室としては唯一の貸間を、礼拝所としてはただ教区の会堂を、回廊としてはただ町の街路や病舎の広間を、垣根《かきね》としてはただ服従を、鉄門としてはただ神の恐れを、頭被としてはただ謙遜《けんそん》を、彼女らは有するのみならん。」かかる理想はサンプリス修道女のうちに生き上がっていた。だれもサンプリス修道女の年齢を測り得るものはなかった。かつて青春の時代があったとは見えず、また決して老年になるということもなさそうだった。平静で謹厳で冷静で育ちもよくまたかつて嘘《うそ》を言ったことのない人――あえて女とは言うまい――であった。脆弱《ぜいじゃく》に見えるほど穏やかであったが、また花崗石《かこうせき》よりも堅固であった。不幸な者に触るる彼女の指は細く清らかに優しかった。その言葉のうちには、いわば沈黙があるとでも言おうか。必要なことのほかは口をきかず、しかもその声の調子は、懺悔室《ざんげしつ》においては信仰の心を起こさせ、また客間においては人の心を魅するようなものであった。そして優しさは常に粗末な毛織の着物に満足し、荒らい感触によって絶えず天と神とを忘れずにいた。それからなお特に力説しなければならない一事は、決して嘘を言わなかったこと、何らかの利害関係があるなしにかかわらず、真実でないこと、まったくの真実でないことは決して言わなかったこと、それがサンプリス修道女の特質であった。それが彼女の徳の基調であった。彼女はその動かし難い真実をもって会衆のうちに聞こえていた。シカール修道院長もサンプリス修道女のことを聾唖《ろうあ》のマシユーに与える手紙のうちに述べたことである。およそ人はいかに誠実であり公明であり純潔であっても、皆その誠直の上には少なくとも罪なきわずかな虚言の一片くらいは有するものである。が彼女には少しもそれがなかった。わずかな嘘、罪なき嘘、そういうものはいったい有り得るであろうか。嘘をつくということは悪の絶対の形である。あまり嘘はつかないということは有り得ないことである。少しでも嘘を言う人はすべて嘘を言うと同じである。嘘を言うということは悪魔の貌《すがた》である。悪魔は二つの名を持っている、すなわちサタンおよびマンソンジュ([#ここから割り注]訳者注 虚言の意[#ここで割り注終わり])の二つを。かく彼女は考えていた。そしてまた考えのとおりに行なった。その結果、前述のごとく彼女は純白な色を呈し、その輝きは彼女の脣《くちびる》や眼をもおおうていた。その微笑も白く、その目つきも白かった。その内心の窓ガラスには一筋の蜘蛛《くも》の巣もなく一点の埃《ほこり》もかかっていなかった。聖ヴァンサン・ド・ポール派のうちに身を投ずるや、彼女は特に選んでサンプリスの名前をつけた。シシリーのサンプリスといえば人の知る有名な聖女である。聖女はシラキューズで生まれたのであって、セゲスタで生まれたと嘘《うそ》をつけば生命は助かるのであったが、嘘を答えるよりもむしろ両の乳を引きぬかれる方を好んだのである。その聖女の名前を受けることが彼女の心にかなったのだった。
 サンプリス修道女は初め組合にはいった頃、二つの欠点を持っていて、美食を好み、また手紙をもらうことが好きだった。がしだいにそれを矯正《きょうせい》していった。彼女は大きい活字のラテン語の祈祷書《きとうしょ》のほかは何も読まなかった。彼女はラテン語は知らなかったが、その書物の意味はよく了解した。
 この敬虔《けいけん》な婦人はファンティーヌに愛情を持っていた。おそらくファンティーヌのうちにある美徳を感じたのであろう。そして彼女はほとんど他をうち捨ててファンティーヌの看護に身をささげていた。
 マドレーヌ氏はサンプリス修道女を片すみに呼んで、ファンティーヌのことをくれぐれも頼んだ。その声に異常な調子のこもっていることを彼女は後になって思い出した。
 サンプリス修道女を離れて、彼はファンティーヌに近寄った。
 ファンティーヌは毎日、マドレーヌ氏の来るのを待っていた、ちょうど暖気と喜悦との光を待つかのように。彼女はよく修道女たちに言った。「私は市長さんがここにおられる時しか生きてる心地は致しません。」
 彼女はその日熱が高かった。マドレーヌ氏を見るや、すぐに尋ねた。
「あの、コゼットは?」
 彼はほほえみながら答えた。
「じきにきます。」
 マドレーヌ氏はファンティーヌに対していつもと少しも様子は違わなかった。ただ彼はいつも三十分だけなのにその日は一時間とどまっていた。それをファンティーヌは非常に喜んだ。彼はそこにいる人たちに、病人に少しも不自由をさせないようにと繰り返し頼んだ。ちょっと彼の顔がひどく陰鬱《いんうつ》になるのを気づいた者もあった。しかし医者が彼の耳に身をかがめて「だいぶ容態が悪いようです。」と言ったことが知れると、その理由はすぐに解かれた。
 それから彼は市役所に帰った。書斎に掛かっているフランスの道路明細地図を彼が注意深く調べているのを給仕は見た。彼は紙に鉛筆で何か数字を書きつけた。

     二 スコーフレール親方の烱眼《けいがん》

 町はずれに、スコーフラエルをフランス流にしてスコーフレール親方と呼ばれてる一人のフランドル人が、貸し馬や「任意貸し馬車」をやっていた。マドレーヌ氏は市役所からその家にやって行った。
 そのスコーフレールの家に行くのに一番近い道は、マドレーヌ氏の住んでいた教区の司祭邸がある人通りの少ない街路であった。司祭は人のいうところによると物のよくわかったりっぱな尊敬すべき人だった。マドレーヌ氏がその司祭邸の前に通りかかった時、街路にはただ一人の通行人がいるだけだったが、その人は次のようなことを目撃した。市長は司祭の住居を通り越して足を止め、じっとたたずんだが、それからまた足を返して司祭邸の戸の所まで戻ってきた。その戸は中門であって鉄の戸たたきがついていた。彼はすぐにその槌《つち》に手をかけて振り上げた。それからふいに手を休めて躊躇《ちゅうちょ》し、何か考えてるようだったが、やがて槌を強く打ちおろさないで、静かにそれを元に戻し、そして前と違って少し急ぎ足に道を進んでいった。
 マドレーヌ氏が尋ねて行った時、スコーフレールは家にいて馬具を繕っていた。
「スコーフレール君、」と彼は尋ねた、「馬のよいのがあるかね。」
「市長さん、私どもの馬は皆ようがす。」とそのフランドル人は言った。「あなたがよい馬とおっしゃるのは一体どういうんです。」
「一日に二十里行ける馬なんだ。」
「なんですって!」とその男は言った、「二十里!」
「さよう。」
「箱馬車をつけてですか。」
「ああ。」
「それだけかけてから後はどのくらい休めます。」
「場合によっては翌日また出立しなければならないんだが。」
「同じ道程《みちのり》をですか。」
「さよう。」
「いやはや! 二十里ですな。」
 マドレーヌ氏は鉛筆で数字を書きつけておいた紙片をポケットから取り出した。彼はそれをフランドル人に見せた。それには、五、六、八半という数字が書いてあった。
「このとおりだ。」と彼は言った。「総計十九半だが、まあ二十里だね。」
「市長さん、」とフランドル人は言った、「間に合わせましょう。あのかわいい白馬です。時々歩いてるのを御覧なすったことがあるでしょう。下ブーロンネー産のかわいい奴《やつ》です。大変な元気者です。最初は乗馬にしようとした人もあったですが、どうもあばれ者で、だれ彼の用捨なく地面《じべた》に振り落とすという代物《しろもの》です。性が悪いというのでだれも手をつける者がなかったです。そこを私が買い取って馬車につけてみました。ところが旦那《だんな》、それが奴の気に入ったと見えて、おとなしい小娘のようで、走ることといったら風のようです。ええまったくのところ、乗るわけにはいきません。乗馬になるのは気に合わないと見えます。だれにだって望みがありますからな。引くのならよろしい、乗せるのはごめんだ。奴の心はまあそんなものでしょう。」
「その馬なら今言った旅ができようね。」
「ええ二十里くらいは。かけとおして八時間足らずでやれます。ですが条件付きですよ。」
「どういう?」
「第一に、半分行ったら一時間休まして下さい。その時に食い物をやるんですが、宿の馬丁が麦を盗まないように食ってる間ついていてもらわなければいけません。宿屋では麦は馬に食われるより廐《うまや》の小僧どもの飲み代《しろ》になってしまうことを、よく見かけますからな。」
「人をつけておくことにしよう。」
「第二に……馬車は市長さんがお乗りになるんですか。」
「そうだ。」
「馬を使うことを御存じですか。」
「ああ。」
「では馬を軽くしてやるために、荷物を持たないで旦那《だんな》一人お乗りなすって下さい。」
「よろしい。」
「ですが旦那一人だと、御自分で麦の番をしなければならないでしょう。」
「承知している。」
「それから一日に三十フランいただきたいですな。休む日も勘定に入れて。一文も引けません。それから馬の食い料も旦那の方で持っていただきます。」
 マドレーヌ氏は金入れからナポレオン金貨三個をとり出して、それをテーブルの上に置いた。
「では二日分前金として。」
「それから第四に、そんな旅には箱馬車はあまり重すぎて馬を疲らすかも知れません。今私の家にある小馬車で我慢していただきたいものですが。」
「よろしい。」
「軽いですが、幌《ほろ》がありませんよ。」
「そんなことはどうでもいい。」
「でも旦那、冬ですよ……。」
 マドレーヌ氏は答えなかった。フランドル人は言った。
「ひどい寒さですがよろしゅうござんすか。」
 マドレーヌ氏はなお黙っていた。スコーフレール親方は続けて言った。
「雨が降るかも知れませんよ。」
 マドレーヌ氏は頭をあげて、そして言った。
「その小馬車と馬とを、明朝四時半にわしの家の門口までつけてほしいね。」
「よろしゅうございます、市長さん。」とスコーフレールは答えた。それから彼はテーブルの木の中についている汚点《しみ》を親指の爪《つめ》でこすりながら、自分の狡猾《こうかつ》をおし隠す時のフランドル人共通な何気ないふうをして言った。
「ちょっと思い出したんですが、旦那《だんな》はまだどこへ行くともおっしゃらなかったですね。いったいどこへおいでになるんです。」
 彼は話のはじめからそのことばかりを考えていたのであるが、なぜかその問いを出しかねていた。
「その馬は前足は丈夫かね。」とマドレーヌ氏は言った。
「丈夫ですとも。下り坂には少しおさえて下さればよろしゅうござんす。おいでになろうって所までは下り坂がたくさんあるんですか。」
「あすの朝四時半きっかりに門口まで忘れないように頼むよ。」とマドレーヌ氏は答えた。そして彼は出て行った。
 フランドル人は、後に彼が自分でも言ったように、「まったく呆気《あっけ》にとられて」しまった。
 市長が出て行って二、三分した頃、戸はまた開かれた。やはり市長だった。
 彼はなお同じように、何かに思いふけってる自若たる様子だった。
「スコーフレール君、」と彼は言った、「君がわしに貸そうという馬と小馬車とはおよそどれほどの価に見積るかね、馬に馬車をのせて。」
「馬に馬車を引かせるんですよ、旦那《だんな》。」とフランドル人は大きく笑いながら言った。
「そうそう。それで?」
「旦那が買い取って下さるんですか。」
「いや。ただ万一のために保証金を出しておくつもりだ。帰ってきたらその金を返してもらうさ。馬車と馬とをいくらに見積るかね。」
「五百フランに、旦那。」
「それだけここに置くよ。」
 マドレーヌ氏はテーブルの上に紙幣を置いて、それから出て行った。そしてこんどはもう戻ってこなかった。
 スコーフレール親方は千フランと言わなかったことをひどく残念がった。馬と馬車とをいっしょにすれば百エキュー([#ここから割り注]訳者注 五百フランに当る[#ここで割り注終わり])の価はあったのである。
 フランドル人は家内《かない》を呼んで、そのできごとを話した。いったい市長はどこへ行くんだろう? 二人は相談し合った。「パリーへ行くんでしょうよ。」と家内は言った。「俺はそうは思わん。」と亭主は言った。ところが、マドレーヌ氏は暖炉の上に数字をしるした紙片を置き忘れていた。フランドル人はそれを取り上げて調べてみた、「五、六、八半、これは宿場にちがいない。」彼は家内の方に向いた。「わかったよ。」「どうして?」「ここからエダンまで五里、エダンからサン・ポルまで六里、サン・ポルからアラスまで八里半、市長はアラスへ行くんだ。」
 そのうちにマドレーヌ氏は家に帰っていた。
 スコーフレール親方の家から帰りに彼は、あたかも司祭邸の戸が何か誘惑物ででもあって、それを避けんとするかのように、回り道をした。それから彼は自分の室に上ってゆき、そして中に閉じこもった。彼はよく早くから床につくことがあったので、それは別に怪しむべきことではなかった。けれども、マドレーヌ氏のただ一人の下婢《かひ》であって同時に工場の門番をしていた女は、彼の室の燈火《あかり》が八時半に消されたのを見た。そして彼女はそのことを帰ってきた会計係りの男に話し、なおつけ加えた。
「旦那様《だんなさま》は病気ではないでしょうか。何だか御様子が変わっていたようですが。」
 この会計係りの男は、マドレーヌ氏の室のちょうど真下の室に住んでいた。彼は門番の女の言葉を気にもかけず、床について眠った。夜中に彼は突然目をさました。夢現《ゆめうつつ》のうちに彼は、頭の上に物音をきいたのだった。彼は耳を澄ました。だれかが上の室を歩いてるような行き来する足音だった。彼はなお注意して耳を澄ました。するとマドレーヌ氏の足音であることがわかった。彼にはそれが異様に思えた。マドレーヌ氏が起き上がる前にその室に音のすることは、平素なかったのである。しばらくすると彼は、戸棚が開かれてまたしめらるるような音を聞いた。それから何か家具の動かされる音がして、そのままちょっとひっそりして、また足音がはじまった。彼は寝床に身を起こした。すっかり目がさめて、じっと目を据えると、窓越しにすぐ前の壁の上に、燈火のついたどこかの窓の赤い火影《ほかげ》がさしてるのを認めた。その光の方向をたどってみると、それはマドレーヌ氏の室の窓としか思えなかった。火影の揺れているのからみると、普通の燈火ではなくて燃えてる火から来るものらしかった。窓ガラスの枠《わく》の影がそこに写っていないのから考えると、窓はすっかり開かれているに違いなかった。その寒い晩に、窓の開かれているのは異常なことだった。が彼はそのまままた眠ってしまった。一、二時間後に彼はまた目をさました。ゆるい規則的な足音が、やはり頭の上で行きつ戻りつしていた。
 火影《ほかげ》はなお壁の上にさしていた。しかしそれはもうランプか蝋燭《ろうそく》かの反映のように薄く穏やかになっていた。窓は相変わらず開かれていた。
 ところで、マドレーヌ氏の室の中に起こったことは次のとおりである。

     三 脳裏の暴風雨

 読者は疑いもなくマドレーヌ氏はすなわちジャン・ヴァルジャンにほかならぬことを察せられたであろう。
 われわれは前にこの人の内心の奥底をのぞいたことがあるが、更になおのぞくべき時がきた。がそれをなすには、われわれは深い感動と戦慄《せんりつ》とを自ら禁じ得ない。この種の考察ほど恐ろしいものはない。人の心眼は人間のうちにおいて最も多く光輝と暗黒とを見いだす。またこれ以上恐るべき、複雑な、神秘な、無限なものは、何も見ることができない。海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である。
 人の内心の詩を作らんには、たといそれがただ一個人に関してであろうとも、たとい最も下等な一人の者に関してであろうとも、世のあらゆる叙事詩を打って一丸となして一つのすぐれたる完全なる叙事詩になすを要するであろう。人の内心、そは空想と欲念と企画との混沌界《こんとんかい》であり、夢想の坩堝《るつぼ》であり、恥ずべき諸《もろもろ》の観念の巣窟《そうくつ》である。そは詭弁《きべん》の魔窟であり、情欲の戦場である。ある時を期して、考えに沈める一人の人の蒼白《そうはく》なる顔をとおし、その内部をのぞき、その魂をのぞき、その暗黒のうちをうかがい見よ。そこにこそ外部の静穏の下に、ホメロスの描ける巨人の戦いがあり、ミルトンの語れる竜や九頭|蛇《だ》の混戦があり妖怪の群れがあり、ダンテの言える幻の渦がある。人が皆自己のうちに有し、それによって脳裏の意志と生涯の行動とを測って絶望するこの無際限は、いかに幽玄なるものぞ!
 ダンテはかつて地獄の門に出会い、その前に躊躇《ちゅうちょ》した。ここにもまた吾人《ごじん》の前に、くぐるを躊躇せざるを得ない門がある。しかしてあえてそれをくぐってみよう。
 あのプティー・ジェルヴェーの事件の後ジャン・ヴァルジャンにいかなる事が起こったかについては、読者の既に知っていること以外にあまり多くつけ加える要はない。その時以来、前に述べたとおり彼はまったく別人になった。司教が彼に望んだことを彼は実現した。それはもはや単なる変化にあらずして変容であった。
 彼は首尾よく姿を隠し、記念として燭台《しょくだい》のみを残して司教からもらった銀の器具を売り払い、町より町へと忍び行き、フランスを横ぎり、モントルイュ・スュール・メールにきて、前に述べたとおりのことを考えつき、前に物語ったとおりのことを仕とげ、押さえられ手をつけられることのないようになって、そして爾来《じらい》、モントルイュ・スュール・メールに居を定め、過去のために悲しい色に染められたおのれの心と、後半生のために夢のごとくなった前半生とを感じながら、心楽しく、平和と安心と希望とをいだいて生活していた。そしてもはや二つの考えしか持っていなかった。すなわち、おのれの名前を隠すことと、おのれの生を清めること、人生をのがれることと、神に帰ること。
 その二つの考えは彼の心のうちに密接に結ばれ合って、ただ一つのものとなっていた。二つとも等しく彼の心を奪い彼を従え、その些細《ささい》な行為をも支配していた。そして普通は両者一致して彼の世に処する道を規定し、彼を人生の悲惨なものの方へ向かわしめ、彼を親切にまた質朴ならしめ、彼に同じ助言を与えていた。けれども時としては両者の間に争いがあった。その場合には、読者の記憶するごとく、モントルイュ・スュール・メールのすべての人が呼んでもってマドレーヌ氏としたその人は、第一を第二のものの犠牲とし、自己の安全を自己の徳行の犠牲とすることに躊躇《ちゅうちょ》しなかった。かくて彼は、あらゆる控え目と用心とにもかかわらず、司教の二つの燭台を保存しておき、司教のために喪服をつけ、通りすがりのサヴォアの少年を呼んでは尋ね、ファヴロールにおける家族らのことを調べ、ジャヴェルの不安な諷諭《ふうゆ》をも顧みずして、フォーシュルヴァン老人の生命を救ったのである。前に述べたごとく、彼は賢人聖者または正しき人々にならって、おのれの第一の義務は自己に対するものではないと思っているらしかった。
 しかしながら、こんどのようなことはいまだかつて彼に起こったことがなかったのである。われわれがここにその苦悩を述べつつあるこの不幸な人を支配していた二つの考えが、かくも激しく相争ったことはかつてなかったのである。ジャヴェルが書斎にはいってきて発した最初の言葉において、彼は早くも漠然《ばくぜん》としかし深くそれを感じた。地下深く埋めておいたあの名前が意外にも発せられた瞬間には、彼は唖然《あぜん》としておのれの運命の恐ろしくも不可思議なのに惘然《ぼうぜん》としてしまったかのようだった。そしてその呆然《ぼうぜん》たるうちに、動乱に先立つ一種の戦慄《せんりつ》を感じた。暴風雨の前の樫《かし》の木のごとく、襲撃の前の兵士のごとく、彼は身をかがめた。迅雷《じんらい》と電光とのみなぎった黒影が頭上をおおうのを感じた。ジャヴェルの言葉を聞きながら彼には、そこにかけつけ、自ら名乗っていで、シャンマティユーを牢《ろう》から出して自らそこにはいろうという考えが、第一に浮かんだ。それは肉体を生きながら刻むほどの苦しいたえ難いことであった。が次にそれは過ぎ去った。そして彼は自ら言った、「まてよ! まてよ!」彼はその最初の殊勝な考えをおさえつけ、その悲壮な行ないの前にたじろいだ。
 もとより、あの司教の神聖なる言葉をきいた後、長い間の悔悛《かいしゅん》と克己との後、みごとにはじめられた贖罪《しょくざい》の生活の最中に、かくも恐ろしき事情に直面しても少しも躊躇《ちゅうちょ》することなく、底には天国がうち開いているその深淵《しんえん》に向かって同じ歩調でもって進み続けたならば、それはいかにりっぱなことであったろう。しかしいかにりっぱなことであったろうとはいえ、そうはゆかなかったのである。われわれは彼の魂のうちにいかなることが遂げられつつあったかを明らかにしなければならない。そしてわれわれはその魂のうちにあったことのみをしか語ることを得ない。まず第一に彼を駆ったところのものは、自己保存の本能であった。彼はにわかに考えをまとめ、感情をおし静め、大危険物たるジャヴェルがそこにいることを考え、恐怖のためにすべての決心を延ばし、おのれの取るべき道に対する考察を捨て、戦士が楯《たて》を拾い上げるようにおのれの冷静を回復した。
 その一日の残りを彼はそういう状態のうちに過ごした、内心の擾乱《じょうらん》と外部の深い平静とをもって。いわゆる「大事を取る」ということをしか彼はしなかった。すべてはまだ脳裏に漠然と紛乱していた。何らのまとまった観念も認められないほどにその擾乱は激しかった。ただある大なる打撃を受けたということのほかは、彼自らも自分自身がわからなかったであろう。彼は平素のとおりファンティーヌの病床を見舞い、親切の本能からいつもより長くそこにとどまり、自分のなすべきことを考え、万一不在になる場合のために、彼女を修道女たちによく頼んでおかなければならないと思った。アラスへ行かなければなるまいとぼんやり感じた。が少しもその旅を心に決したのではなかった。実際のところ何らの疑念をも被るわけはないので、これからの裁判に列席しても何ら不都合はないとひそかに考えた。そしてあらゆる事変の準備を整えておくために、スコーフレールの馬車を約束した。
 彼はかなりよく食事もした。
 自分の室に帰って彼は考え込んだ。
 彼は自分の立場を考えて、それが異常なものであることを知った。あまりに異常だったので、ほとんど名状し難いある不安な衝動に駆られて、黙想の最中にわかに椅子《いす》から立ち上がり、戸を閉ざし閂《かんぬき》をさした。何かが更にはいってきはしないかを恐れた。何か起こるかも知れないことに対して身を護った。
 間もなく彼は燈火《あかり》を消した。それがわずらわしかったのである。
 だれかが自分を見るかも知れないと彼は思ったらしい。
 だれが? 人が?
 悲しいかな、彼が室に入れまいとしたところのものは、既にはいってきていた。彼がその目を避けようとしたところのものは、既に彼を見つめていた。彼の本心が。
 彼の本心、すなわち神が。
 けれども初めは、彼は自ら欺いていた。彼は安全と孤独とを感じた。閂をして彼はもうだれにもつかまることがないと思った。蝋燭《ろうそく》を消して彼はもうだれにも見らるることがないと思った。そこで彼はほっと安心した。両肱《りょうひじ》をテーブルの上につき、掌《てのひら》に頭をささえ、暗やみのうちで瞑想《めいそう》しはじめた。
「自分はいったいどこにいるのか。――夢を見ているのではないのか。――何を聞いたのか。――ジャヴェルに会って彼があんなことを言ったのは本当なのか。――そのシャンマティユーというのはいったいだれなのか。――では自分に似ているのか。――そんなことがあり得ようか。――昨日は自分はあれほど落ち着いていて何一つ夢にも知らなかったのに。――で昨日の今時分は何をしていたのであろう。――このできごとはいったいどういうのか。――終わりはどうなるのか。――どうしたらいいか。」
 そういう苦悶《くもん》のうちに彼はあった。彼の頭脳はいろいろの考えを引き止める力を失っていた。考えは波のように過ぎ去って行った。彼はそれを捕えようとして、両手のうちに額《ひたい》を押しあてた。
 彼の意志と理性とをくつがえしたその擾乱《じょうらん》、彼がそのうちから一つの的確なものを引き出し、一つの決心を引き出さんとしたその擾乱、それからはただ心痛のほか何物も出てこなかった。
 彼の頭は燃えるようだった。彼は窓の所へ行って、それをいっぱいに開いた。空には星もなかった。彼はまたテーブルの所へきてすわった。
 初めの一時間はかくして過ぎた。
 そのうちしだいに漠然《ばくぜん》たる輪郭が瞑想のうちに浮かんできて一定の形を取るようになった。そして彼は自分の立場の全体ではないが、いくらかの局部を、現実の明確さをもってつかむことができた。
 その立場はいかにも異常なものであり危急なものであるにしても、自分はまったくその主人公であることを、彼は認めはじめた。
 彼の困惑はますます増すばかりだった。
 彼の行為の目ざしていた厳格な宗教的目的をほかにしては、彼が今日までなしきたったすべてのことは、自分の名を埋めんがために掘る穴にほかならなかった。自ら顧みる時、眠れぬ夜半において、彼が最も恐れたところのものは、その名前が人の口から出るのを聞くことであった。その時こそ自分に取ってはすべての終わりであると思っていた。その名前が再び世に現われる時こそは、この新生涯も自分の周囲から消滅し、またおそらくはこの新しい魂も自分のうちに消滅するであろうと。彼はそういうことがあるかも知れないと思っただけで身を震わした。もしそういうおりにだれかが彼に向かって、やがて時が来るであろう、その名前が彼の耳に鳴り響き、その嫌悪《けんお》すべきジャン・ヴァルジャンという名前が突然夜の暗黒から姿を現わして彼の前につっ立ち、彼が身を包んでいる秘密の幕を消散させる恐るべき光が彼の頭上に突然輝くであろう、そしてまた、その名前はもはや彼を脅かさないであろう、その光はますますやみを濃くなすのみであろう、引き裂かれた幕はなおいっそう秘密を増させるであろう、その地震はかえって建物を堅固にするであろう、その異常なでき事は、もし彼が欲するならば、彼の存在を同時にいっそう明らかにしいっそう不可測ならしむるという以外の結果はきたさないであろう、そして、そのジャン・ヴァルジャンの幻と面を接することによって、りっぱな一個の市民たるマドレーヌ氏はいよいよ光栄と平和と尊敬とを得るに至るであろう――そうだれかが彼に向かって言ったとしても、彼は頭を振って、それらの言葉を狂人の戯言となしたであろう。しかるにそれらのことがまさしく起こったのである。すべてそれらの不可能事と思われたことは事実となった。そして神は、それらの荒唐事が現実の事となるのを許したもうたのであった。
 彼の妄想《もうそう》はますます明るくなってきた。彼は漸次に自分の立場を了解してきた。
 彼は何かある眠りからさめたような気がした。そして、立ちながら、震えながら、いたずらに足をふみ止めようとしながら、暗黒のうちに急坂を深淵の縁まですべり落ちてゆくような思いをした。彼はやみの中に、見知らぬ一人の男をはっきりと見た。運命はその男を彼と取り違えて、彼の代わりに深淵のうちにつき落とそうとしている。その淵が再び閉ざされるためには、だれかが、彼自身かもしくはその男かが、そこに陥らなければならなかった。
 彼は成り行きに任せるのほかはなかった。
 明るみは十分になってきた。彼は次のことを自ら認めた。「徒刑場において自分の席はあいている。いかにつとめても、その空席は常に自分を待っている。プティー・ジェルヴェーからの盗みは自分をそこに連れ戻すのである。自分がそこに行くまでは、その空席は自分を待ち自分をひきつけるであろう。それは避くべからざる決定的なことである。」そして次にまた彼は自ら言った。「今自分は一人の代人を持っている。そのシャンマティユーとかいう男は運が悪かったのだ。自分は以後、そのシャンマティユーという男において徒刑場にあり、またマドレーヌの名の下に社会にある。もはや何も恐るべきことはない。ただシャンマティユーの頭の上に、墓石のごとく一度落つれば再び永久に上げられることのないその汚辱の石がはめらるるままにしておけばよいのだ。」
 それらのことはいかにも荒々しく不可思議だったので、彼のうちに一種の名状すべからざる震えが突然起こった。それは何人《なにびと》も生涯中に二、三度とは経験することのないものであって、内心の一種の痙攣《けいれん》と言おうか、心のうちの疑わしいすべてのものを揺り動かし、皮肉と喜悦と絶望より成るものであって、心内の哄笑《こうしょう》とも称し得べきものであった。
 彼はまたにわかに蝋燭《ろうそく》をともした。
「で、それがどうしたというのだ!」と彼は自ら言った。「何に自分は恐れているのか? 何を自分はそんなに考えるのか? 私は助かったのだ。すべては済んだのだ。新しい自分の生涯に過去が闖入《ちんにゅう》してくる口は、わずか開いている一つの扉《とびら》があるきりだった。がその扉も今や閉ざされてしまった。永久に! 長く私の心を乱していたあのジャヴェル、私の素性をかぎ出したらしい、いや実際かぎ出していたるところ私の後をつけていたあの恐るべき本能、始終私につきまとっていたあの恐ろしい猟犬、彼ももはや道に迷いほかに行ってしまって、まったく私の足跡を見失ったのだ。その後彼は満足している。私を落ち着かせるだろう。彼は彼のジャン・ヴァルジャンを捕えているのだ! だれにわかるものか。彼さえもどうやらこの町を去りたがっている。そしてそれもみなひとりでにそうなったことで、私はそれに何の関《かかわ》りもないのだ。そうだ、それに何の不幸な事があろう。おそらく私を見る者は、私に非常な災いが起こったと思うかも知れない。が結局、何人《なにびと》かの上に災いがあるとしても、それは少しも私のせいではない。すべては天意によってなされたのだ。明らかに天はそれを欲したからだ。天の定めることを乱す権利が私にあろうか。今私は何を求めようとするのか。何に私は干渉しようとするのか。私に関係したことではないのだ。なに、私は満足でないと! しからば何が私に必要なのか。長い年月望んでいた目的、夜半の夢想、天へ祈っていた目的物、安全、私は今それを得たのだ。それを欲するのは神である。私は神の意志に反しては何事をもなすべきでない。そして神は何ゆえにそれを欲するのか? 私が初めたことを継続させんがため、私に善をなさせんがため、他日私をして偉大な奨励的実例となさんがため、私がなした悔悛《かいしゅん》と私が立ち戻った善行とにはついに多少の幸福が伴ったということを言い得んがためだ! 先刻、あの善良な司祭の所にはいってゆき、聴罪師に向かってするように彼にすべてを語り、そして彼の助言を求めようとした時、何ゆえに私はそれを恐れたのか実際自らわからない。彼はきっと私に同様なことを言ったはずだ。それは既に決定したことである。なるがままに任せるがいい。善良なる神の御手に任しておくがいい。」
 彼は彼自身の深淵とも称し得べきものの上に身をかがめて、本心の底からかくのごとく自ら言った。彼は椅子《いす》から身を起こした、そして室のうちを歩き初めた。「もうそれにこだわるまい。決心は定まっているのだ!」と彼は言った。しかし彼は何らの喜びをも感じなかった。
 いや、まったく反対であった。
 人の思想がある観念の方へ立ち戻るのを止めることができないのは、あたかも海が浜辺に寄せ返すのを止めることができないと同じである。船乗りにとってそれを潮という。罪人にとってはそれを悔恨という。神は海洋を持ち上げると同じくまた人の魂をも持ち上げる。
 間もなく彼はまた、いかに自ら制しても暗澹《あんたん》たる対話を初めざるを得なかった。その対話においては、話す者も彼自身であり聞く者も彼自身であり、語るところは彼が黙せんと欲していたことであり、聞くところは彼が聞くを欲しなかったことだった。二千年前の刑人([#ここから割り注]訳者注 キリスト[#ここで割り注終わり])に向かっては「進め!」と言ったごとく今彼に向かっては「考えよ!」というある神秘なる力に、彼は駆られたのであった。
 これ以上筆を進める前に、そしてすべてを十分明らかにせんがために、ここに一つの必要な注意をつけ加えておこう。
 人間は確かに自分自身に向かって話しかけることがある。思考する生物たる人間にしてそれを経験しなかった者は一人もあるまい。言語なるものは、人の内部において思想より本心へ本心より思想へと往復する時ほど、荘厳なる神秘さを取ることはない。本章においてしばしば用いらるる彼は言った[#「彼は言った」に傍点]または彼は叫んだ[#「彼は叫んだ」に傍点]という言葉は、ただかかる意味においてのみ理解されなければならない。人は外部の沈黙を破らずして、自己のうちにおいて言い、語り、叫ぶものである。そこに非常な喧噪《けんそう》がある。口を除いてすべてのものがわれわれのうちにおいて語る。魂のうちの現実は、それが目に見るを得ず手に触るるを得ざるのゆえをもって、現実でないという理由にはならない。
 かくて彼は自分がどこにいるかを自ら尋ねた。彼はあの「既になされた決心」なるものについて自ら問いただした。頭のうちで自ら処置したところのものは奇怪なことであり、「なるがままに任せるがいい、善良なる神の御手に任しておくがいい」ということはただただ恐ろしいことであると、彼は自ら認めた。運命と人間との誤謬《ごびゅう》をそのまま遂げしむること、それを妨げないこと、沈黙によってそれを助けること、結局何らの力をもいたさぬこと、それはすべて自ら手を下してなすのと同じではないか。それは陋劣《ろうれつ》なる偽善の最後の段階ではないか。それは賤《いや》しい卑怯《ひきょう》な陰険な唾棄《だき》すべきまた嫌悪《けんお》すべき罪悪ではないか!
 八年このかた初めて、不幸なる彼は、悪念と悪事との苦《にが》い味を感じたのである。
 彼は胸を悪くしてそれをまた吐き出した。
 彼はなお続けて自ら問いかけた。「目的は達せられたのだ!」という言葉の意味を、自らきびしく尋ねてみた。自分の生活は果して一つの目的を持っていたということを彼は自ら公言した。しかしながら、それはいかなる目的であったか。名前を隠すことか。警察を欺くことか。彼がなしたすべてのことは、そんな小さなことのためだったのか。本当に偉大であり真実である他の目的を彼は持たなかったのか。自分の身をでなく自分の魂を救うこと。正直と善良とに立ち戻ること。正しき人となること! 彼が常に欲していたことは、あの司教が彼に命じたことは、特に、いや単に、そこにあるのではなかったか。「汝の過去に扉《とびら》を閉ざせよ!」しかし彼はその扉を閉ざさなかった。卑劣なる行ないをしながらそれを再び開いた。彼は盗人と、最も賤《いや》しい盗人と再びなろうとした。他人からその存在と生活と平和と太陽に浴する地位とを奪おうとした。彼は殺害者となろうとした。一人のあわれなる男を殺そうとした、精神的に殺そうとした。その男にあの恐るべき生きながらの死を、徒刑場と称する大空の下の死を与えんとした。しかしこれに反して、身を投げ出し、その痛ましい誤謬《ごびゅう》に陥れられた男を救い、自分の名をあかし、義務として再び囚人ジャン・ヴァルジャンとなったならば、それこそ、真に自分の復活の道であり、のがれ出た地獄に永久に戸をとざす道ではなかったか! 外観上その地獄に再び落つることは、実際において、そこから脱することであった。それをなさなければならない! それをしもなさなければ、何をもなさないのと同じである。彼の全生涯は無益なものとなり、彼のあらゆる悔悛《かいしゅん》は失われ、ただ「何の役に立とうぞ?」と言うのほかはなかったであろう。彼はあの司教がそこにいるように感じた。司教の姿は死んでますますはっきり目に見えてきた。司教は彼をじっと見つめていた。今後市長マドレーヌ氏は、そのいかなる徳をもってしても司教の目には忌むべきものと映ずるであろう。そして囚徒ジャン・ヴァルジャンは司教の前には尊敬すべき純潔なる姿となるであろう。世人は彼の仮面を見る、しかし司教は彼の素顔《すがお》をながめる。世人は彼の生活を見るが、司教は彼の本心を見ている。それゆえ、アラスへ行き、偽りのジャン・ヴァルジャンを救い、真のジャン・ヴァルジャンを告発しなければならない。ああそれこそ、最大の犠牲であり、最も痛切なる勝利であり、なすべき最後の一歩であった。それをなさなければならなかった。悲痛なる運命よ! 人の目には汚辱なるもののうちに戻る時、その時初めて彼は、神の目には聖なるもののうちにはいるであろう。
「よろしい、」と彼は言った、「これを決行しよう。義務を果そう。あの男を助けてやろう!」
 彼は自ら気づかずしてその言葉を声高に叫んだ。
 彼は書類を取って、それを調べ、それを秩序よく並べた。困窮な小売商人らから取っていた借用証書の一束を火中に投じた。手紙を一つしたためて封をした。そのとき室にだれかいたならば、その人は、「パリー[#「パリー」に傍点]、アルトア街[#「アルトア街」に傍点]、銀行主ラフィット殿[#「銀行主ラフィット殿」に傍点]」という文字をその封筒の上に読み得たであろう。
 彼は机から紙入れを取り出した。その中には紙幣や、その年彼が選挙に行くおりに使った通行券などがはいっていた。
 重大なる考慮をめぐらしながら彼がそれらの種々のことをやっているところを見た者があったとしても、その人は彼の心のうちに起こっていることを察することはできなかったであろう。彼はただ時々その脣《くちびる》が震えるのみであった。またある時は、頭をあげて壁の一点をじっと見つめていた。そこには彼が何か見きわめまたは尋ねかけんと欲してる物があるかのようだった。
 ラフィット氏へあてた手紙を書き終えると、彼は紙入れとともにそれをポケットに入れ、そしてまた歩き初めた。
 彼の瞑想《めいそう》は少しもその方向を変じていなかった。彼は光り輝く文字に書かれた自分の義務をなお明らかに見ていた。その文字は彼の眼前に炎と燃え、視線を移すごとについて回った。「行け[#「行け」に傍点]! 汝の名を名乗れ[#「汝の名を名乗れ」に傍点]! 自首して出よ[#「自首して出よ」に傍点]!」
 彼はまた、これまで彼の生活の二つの規則となっていた二つの観念を、あたかもそれが目に見える形となって眼前に動き出したかのようにじっと見つめた。汝の名前を隠せよ! 汝の魂を聖《きよ》めよ! それらの二つは初めて全然別になって見えてきた。そしてその二つが互いにへだたっている距離を彼は見た。その一つは必ずや善《よ》きものであり、も一つは悪きものともなり得るものであることを、彼は認めた。一は献身であり、他は自己中心である。一は隣人[#「隣人」に傍点]を口にし、他は自己[#「自己」に傍点]を口にする。一は光明からきたり、他は暗黒から来ると。
 その二つは互いに争っていた。彼はその二つが相争うのを見た。彼が黙想するに従って、その二つは彼の心眼の前に大きくなってゆき、今では巨人のごとき姿となっていた。そして彼自身のうちにおいて、先ほど述べたあの無限のうちにおいて、暗黒と光明との間に、神と巨人との争うのを彼は見るように思った。
 彼は恐怖に満たされた。しかし善の考えが勝利を得るように見えた。
 彼は新たに自分の本心と運命との決定的時期に遭遇しているように感じた。司教は彼の新生涯の第一期を画し、あのシャンマティユーはその第二期を画しているように感じた。大危機の後に大試練がきたのである。
 そのうちにまた一時しずまっていた熱はしだいに襲ってきた。無数の考えが彼の脳裏を過ぎた。しかしそれはただ彼の決心をますます強固にするのみだった。
 ある瞬間には彼は自ら言った。「私はあまり事件を大袈裟《おおげさ》に考えすぎているのかも知れない。結局そのシャンマティユーなる者は大した者ではない。要するに彼は盗みをしたのだ。」
 彼は自ら答えた。「その男が果して林檎《りんご》をいくらか盗んだとしても、一カ月の監禁くらいのものだ。徒刑場にはいるのとはずいぶん差がある。そして彼が盗んだということもわかったものではない。証拠があったのか。ジャン・ヴァルジャンという名前が落ちかかったので、証拠なんかはどうでもよくなったのであろう。いったい検事などという者はいつもそういうふうなやり方をするではないか。囚人だというので、盗人だと考えられたのだ。」
 またある瞬間に彼はこうも考えた。自分が自首して出たならば、自分の勇壮な行為と、過去七年間の正直な生活と、この地方のために尽した功績とは、十分に考量されて許されることになるかも知れない。
 しかしそういう想像はすぐに消え失せてしまった。そして彼は苦笑しながら考えた。プティー・ジェルヴェーから四十スーを盗んだことは、自分を再犯者となすものである。その事件も必ずや現われて来るであろう。そして法律の明文によって自分は終身懲役に処せらるるであろう。
 彼はついにすべての妄想《もうそう》を断ち切って、しだいに地上を離れ、他の所に慰安と力とを求めた。彼は自ら言った。自分は自己の義務を果たさなければならない。義務を避けた後よりも義務を果たした後の方が、より不幸になるということがあり得ようか。もし成り行きに任せ[#「成り行きに任せ」に傍点]、モントルイュ・スュール・メールにとどまっているならば、自分の高い地位、自分の好評、自分の善業、人の推服、人の敬意、自分の慈善、自分の富、自分の高名、自分の徳、それらは皆罪悪に汚されるであろう。そしてそれらの潔《きよ》い数々もこの忌むべき一事に関連するならば、何の滋味があろう。しかるに、もし自分が犠牲になり果たしたならば、徒刑場の柱と鉄鎖と緑の帽子と絶えざる労働と無慈悲な屈辱とにも、常に聖《きよ》い考えを伴うことができるであろう。
 最後に彼はまた自ら言った。すべては必然の数《すう》である。自分の運命はかく定められたものである。自分には天の定めを乱す力はない。自分はただいずれの場合においても、外に徳を装って内に汚れを蔵するか、もしくは内に聖《きよ》きを抱いて外に汚辱を甘受するか、その一つを選ばなければならない。
 かく雑多な沈痛な考えをめぐらしつつも、彼の勇気は少しも衰えなかった。しかし彼の頭脳は疲れてきた。彼は我にもあらず、他の事を、まったく関係のない種々のことを、考え初めた。
 顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》の血管は激しく波打っていた。彼はなお室の中を歩き続けていた。会堂の時計がまず十二時を報じ、次に市役所の時計が鳴った。彼はその二つの大時計が十二打つ音を数えた。そしてその二つの鐘の音を比較してみた。その時彼は、ある金物屋で数日前に見た売り物の古い鐘の上に、ロマンヴィルのアントアーヌ[#「ロマンヴィルのアントアーヌ」に傍点]・アルバン[#「アルバン」に傍点]という名前が刻まれていたのを思い出した。
 彼は寒気《さむけ》がした。そして少し火をたいた。窓をしめることには気がつかなかった。
 そのうちに彼は昏迷《こんめい》の状態にまた陥っていた。十二時を打つ前に考えたことを思い出すのに、かなりの努力をしなければならなかった。ついにそれが思い出せた。
「ああそうだ、」と彼は自ら言った、「私は自首しようと決心したのであった。」
 それから突然彼はファンティーヌのことを考えた。
「ところで、」と彼は言った、「あのかわいそうな女は!」
 そこにまた新しい危機が現われた。
 彼の瞑想《めいそう》のうちに突然現われたファンティーヌは、意外な一条の光のごときものであった。彼には自分のまわりのすべてがその光景を変えたように思われた。彼は叫んだ。
「ああ私は今まで自分のことしか考えなかった。私は自分一個の都合ばかりしか考えなかったのだ! 沈黙すべきかあるいは自首すべきか、自分の身の上を隠すかあるいは自分の魂を救うか、賤《いや》しむべきしかし世人に尊敬さるる役人となるか、あるいは恥ずべきしかし尊むべき囚人となるか、それは私一個のこと、常に私一個のことであり、私一個のことにすぎない。しかしああ、それらすべては自己主義である。自己主義の種々の形ではあるが、とにかく自己主義たる事は一つである。もし今少しく他人のことを考えたならば! およそ第一の神聖は他人のことを考えることである。さあ少し考えてみなければいけない。自己を除外し、自己を消し、自己を忘れてしまったら、すべてそれらのことはどうなるであろう?――もし私が自首して出たら? 人々は私を捕え、そのシャンマティユーを許し、私を徒刑場に送るであろう。それでよろしい。そして? ここはどうなるであろう。ああここには、一地方、一つの町、多くの工場、一つの工業、労働者、男、女、老人、子供、あわれなる人々がある。それらのものを私はこしらえた。私はそれらを生かしてやった。すべて煙の立ちのぼる煙筒のある所、その火のうちに薪《まき》を投じその鍋《なべ》のうちに肉を入れてやったのは、私である。私は安楽と流通と信用とをこしらえてやった。私の来る前には何もなかったのだ。私はこの地方全部を引き上げ、活気立たせ、にぎわし、豊かにし、刺激し、富ましてやった。私がなければ魂がないようなものだ。私が取り去らるれば、すべては死滅するであろう。――そして、あれほど苦しんだあの女、堕落のうちにもなおあれほどのいいものを持っているあの女、思いがけなく私がそのあらゆる不幸の原因となったあの女! そして、その母親に約束して自らさがしにゆくつもりであったあの子供! 私は自分のなした悪の償いとしてあの女に何か負うところはないのか。もし私がいなくなればどうなるであろう。母親は死ぬであろう。そして子供はどうなるかわからない。私が自首して出れば、結果はそんなものである。――もし自首しないならば? まてよ、もし私が自首して出ないとするならば?」
 自らそう問いかけた後に、彼はちょっと考えを止めた。彼はしばし躊躇《ちゅうちょ》と戦慄《せんりつ》とを感じたようだった。しかしそういう時間は長くは続かなかった。そして彼は静かに自ら答えた。
「ところであの男は徒刑場にゆく。それは事実だ。しかし仕方もない、彼は盗みをしたのだ。私がいくら彼は盗みをしなかったと言ってもむだである、彼は実際盗んだのだから。私はここにとどまっていよう。続けて働こう。十年のうちには千万の金をこしらえ、それをこの地方にふりまこう。少しも自分の身にはつけまい。身につけて何になろう。私がなすことはみな自分のためではないのだ。人々の繁栄は増すだろう。工業は盛んになり活気立ってくる。大小の工場は増加してくる。家は百となり千となり、また幸福になる。人民はふえる。田畑であった所には村ができ、荒地であった所には田畑ができる。貧困は後をたち、それとともに放逸や醜業や窃盗や殺害や、あらゆる不徳、あらゆる罪悪は、みな消え失せる。あのあわれな女も自分の子供を育てる。そしてこの地方全部が富み栄え正直になるのだ! ああ実に、私は愚かで誤っていた。自首して出るとは、まあ何ということを言ったのだろう。実際よく注意しなければいけない、何事もあわててはいけない。なに、偉大な高潔なことをなすのを好んだからというのか。結局それは一つのお芝居《しばい》に過ぎないのだ。なぜなら私は自分のこと、自分だけのことしか考えなかったのだから。どこの奴《やつ》ともわからない盗人を、明らかに賤《いや》しむべき一人の男を、多少重すぎはするがしかし実は正当である刑罰から救わんがために、一地方全部が破滅しなければならないというのか。一人のあわれな女が病舎で死に、一人のあわれな子供が路傍にたおれなければならないというのか、犬のように! ああそれこそのろうべきことである。母親はその子供を再び見ることもなく、子供は自分の母親をほとんど知りもしないで終わる。そしてそれもみな、林檎《りんご》を盗んだあの老耄《おいぼれ》のためというのか。たしかに彼奴《あいつ》だって、林檎のためでなくとも、何か他のことで徒刑場にはいってもいい奴だろう。一人の罪人を助けて罪ない多くの人を犠牲にするとは、徒刑場にいても自分の茅屋《ぼうおく》にいてもあまりその不幸さに変わりもなく、またせいぜい四、五年とは生きてもすまい老いぼれの浮浪人を助けて、母親や妻や児やすべての住民を犠牲にするとは、何という結構な配慮なのか。あの小さなあわれなコゼットは、世の中に助けとなるものは私だけしか持たない、そして今では、あのテナルディエの怪しい家で寒さのためにきっと青くなってるだろう。そこにもまた悪党がいる。そして私はこれらのあわれな人々に対する自分の義務を欠こうとしている。自首して出ようとしていた。何というばかなことをしようとしたのか。まず悪い方から考えるとして、かくするのは自分にとって悪い行ないであると仮定し、他日私の本心はそれを私に非難すると仮定しても、自分だけにしか当たらないそれらの非難を、自分の魂だけにしかかかわらないその悪い行ないを、他人の幸福のために甘んじて受けること、そこに献身があり、そこに徳行があるではないか。」
 彼は立ち上がった、そして歩き初めた。こんどは自ら満足であるような気がした。
 金剛石は地下の暗黒のうちにしか見いだされぬ。真理は思想の奥底にしか見いだされぬ。その奥底に下がった後、その最も深い暗黒のうちを長く探り歩いた後、金剛石の一つを、真理の一つを、彼はついに見いだしたと思った。そしてそれをしかと手に握っていると思った。彼はそれをながめて眩惑《げんわく》した。
「そうだ、そのとおりだ。」と彼は考えた。「これが本当のことだ。私は解決を得た。ついには何かにしかとつかまらなければいけない。私の決心は定まった。なるままに任せよう。もう迷うまい。もう退くまい。これはすべての人のためであって、自分一個の利害のためではない。私はマドレーヌである、またマドレーヌのままでいよう。ジャン・ヴァルジャンなる人は不幸なるかな! それはもはや私ではない。私はそんな人を知らない。私はもはやそれが何であるかを知らない。今だれかがジャン・ヴァルジャンになっているとするなら、その人自身で始末をつけるがいい。それは私の関係したことではない。それは実に暗夜のうちに漂っている不運の名前である。もしそれがだれかの頭上にとどまり落ちかかったとすれば、その人の災難とあきらめるのほかはない。」
 彼は暖炉の上にあった小さな鏡の中をのぞいた。そして言った。
「おや、決心がついたので私は安堵《あんど》したのか! 私は今まったく生まれ変わったようになった。」
 彼はなお数歩あるいた、そしてふいに立ち止まった。
「さあ、一度決心した以上はいかなる結果になろうとたじろいではいけない。」と彼は言った。「私をあのジャン・ヴァルジャンに結びつけるひもはなお残っている。それを断ち切らなければいけない。ここに、この室の中に、私を訴える品物が、証人となるべき無言の品物が、なお残っている。事は決した。すべてそれらのものをなくしてしまわなければいけない。」
 彼はポケットを探って、紙入れを取り出し、それを開いて、中から小さな一つの鍵《かぎ》を引き出した。
 彼はその鍵をある錠前の中に差し入れた。その錠前は、壁にはられてる壁紙の模様の最も暗い色どりの中に隠されていて、ちょっと見てはその鍵穴も見えないくらいだった。がそこに、隠し場所が、壁の角と暖炉棚との間にこしらえられた一種の戸棚みたようなものがあいた。中にはただ少しのつまらぬ物がはいっていた、青い麻の仕事着と、古いズボンと、古い背嚢《はいのう》と、両端に鉄のはめてある大きな刺々《とげとげ》の棒とが。一八一五年十月にディーニュを通って行った頃のジャン・ヴァルジャンを見た人はその惨《みじ》めな服装の品々をよく見覚えているであろう。
 彼は自分の出発点を常に忘れないために、銀の燭台をしまっておいたと同じようにそれらをしまっておいたのである。ただ彼は徒刑場からきたそれらのものを隠し、司教からきた燭台を出しておいたのだった。
 彼はちらと扉《とびら》の方を見やった。閂《かんぬき》で閉ざしておいたのがなお開きはしないかと恐れるかのように。それからにわかに急に身を動かして、長い年月の間危険を冒して大事にしまっておいたそれらのものを、目もくれず一かかえに手につかんで、火中に投じてしまった、ぼろの着物も、棒も、背嚢も、すべてを。
 彼はその戸棚みたようなものを再び閉ざし、中は空《から》であるのに以前に倍したむだな注意をして、大きな家具をその前に押しやって戸口を隠した。
 やがて室の中と正面の壁とは、まっかなゆらめく大きな火影《ほかげ》で照らされた。すべてのものが燃え出したのである。刺々《とげとげ》の棒は音を立てて室のまんなかまで火花を投げた。
 背嚢《はいのう》はその中にはいっているきたないぼろとともに燃えつくして、灰の中に何か光ってるものを残した。身をかがめて見ればそれが銀貨であることは容易にわかったであろう。いうまでもなく、サヴォアの少年から奪った四十スーの銀貨であった。
 彼は火の方を見ずに、やはり同じ歩調で歩き回っていた。
 突然彼の目は、火影《ほかげ》を受けてぼんやり暖炉の上で光ってる二つの銀の燭台に止まった。
「やあ、ジャン・ヴァルジャンの全身がまだあの中にある。」と彼は考えた。「あれをもこわさなければいけない。」
 彼は二つの燭台を取った。
 火はまだ十分おこっていて、その燭台をすぐに溶して訳のわからぬ地金とするには足りるほどだった。
 彼は炉の上に身をかがめ、ちょっとそれに身を暖めた。まったくいい心地であった。「ああ結構な暖かみだ!」と彼は言った。
 彼は燭台の一つで火をかきまわした。
 もう一瞬間で、二つの燭台は火の中に入れられるところだった。
 その時に、彼は自分の内部から呼ぶ声を聞いたような気がした。
「ジャン・ヴァルジャン! ジャン・ヴァルジャン!」
 髪の毛は逆立って、彼は何か恐ろしいことを聞いてる人のようになった。
「そうだ、そのとおりにやってしまえ!」とその声は言った。「やりかけたことを果たせ。その二つの燭台をこわせ。その記念物をなくしろ。司教を忘れよ。すべてを忘れよ。あのシャンマティユーをも滅ぼせ。さあそれでよし。自ら祝うがいい。それでみな定まり、決定し、済んだのだ。そこに一人の男が、一人の老人がいる。人からどうされようとしてるかを自分でも知らない。おそらく何もしたのではなく罪ない男かも知れない。汝の名前がすべての不幸をきたさしたのだ。彼の上に汝の名前が罪悪のようにのしかかっている。汝とまちがえられ、刑に処せられ、卑賤《ひせん》と醜悪とのうちに余生を終わろうとしている! それでよし。汝は正直な人間となっておれ。市長のままでおり、尊敬すべきまた尊敬せられた人としてとどまり、町を富まし、貧者を養い、孤児を育て、幸福に有徳に人に称賛されて日を過ごせ。そしてその間に、汝がここで喜悦と光明とのうちにある間に、一方には、汝の赤い獄衣をつけ、汚辱のうちに汝の名をにない、徒刑場の中で汝の鎖を引きずってる者がいるだろう。そうだ、うまくでき上がったものだ。惨《みじ》めなる奴《やつ》!」
 彼は額《ひたい》から汗が流れた。彼は荒々しい目つきを二つの燭台の上に据えた。その間にも彼のうちで語る声はやまなかった。声は続けて言った。
「ジャン・ヴァルジャン! 汝の周囲には多くの声あって、大なる響きを立て、大声に語り、汝を頌《たた》えるであろう。それからまただれにも聞こえぬ一つの声あって、暗黒のうちに汝をのろうであろう。いいか、よく聞くがよい、恥知らず奴《め》! すべてそれらの祝福は天に達せぬ前に落ち、神の処までのぼりゆくのはただ一つののろいのみであろう!」
 その声は、初めはきわめて弱く、彼の本心の最も薄暗いすみから起こってきたのであったが、しだいに激しく恐ろしくなり、今では彼の耳にはっきり響いてきた。そして彼のうちから外に出て外部から話しかけてるように思えてきた。彼はその最後の言葉をきわめてはっきり聞いたような気がして、一種の恐怖を感じて室の中を見まわした。
「だれかいるのか。」と彼は自ら惑《うたが》って大声に尋ねた。
 それから彼は白痴に似た笑いを立てた。
「ばかな! だれもいるはずはない。」
 しかしそこにはだれかがいたのである。ただそれは人の目には見えない者であった。
 彼は二つの燭台を暖炉の上に置いた。
 そして彼は再び単調なうち沈んだ歩調で歩き出した。それが、下の室に眠っていた会計係りの男の夢を妨げ突然その眠りをさましたのだった。
 その歩行は彼をやわらげ、また同時に彼を熱狂さした。時とすると危急の場合において人は、あちこちで出会うすべてのものに助言を求めるため方々動き回るものらしい。さてしばらくすると、彼はもはや自分自身がわからなくなってしまった。
 彼は今や、次々に取った二つの決心の前にいずれも同じ恐怖をいだいてたじろいだ。彼に助言を与えた二つの観念は、いずれも同じく凶悪なものに思えた。――あのシャンマティユーが彼とまちがって捕えられたことは、いかなる宿命であろう、いかなるめぐり合わせであろう! 天が最初は彼を安全にせんがために用いたように見えるその方法によって、かえって急迫せられるとは!
 彼はまたある瞬間には未来を考えることもあった。ああ、自首していで、自ら自分を引き渡すとは! 別れなければならないもの、再び取らなければならないもの、そのすべてを彼は無限の絶望で見守った。かくも善良で潔《きよ》らかで光輝ある生涯にも、人々の尊敬や名誉や自由にも、別れを告げなければならないだろう。もはや野を歩き回ることもないだろう。五月にさえずる鳥の声をきくこともないだろう。子供らに物を与えることもないだろう。自分の方に向けられた感謝と愛情とのやさしい目つきをも感ずることはないだろう。自ら建てたこの家、この室、この小さな室、それにも別れるだろう。彼はその時あらゆるものに心ひかれる思いをした。もはやこれらの書物を読むこともなく、この白木の小さな机の上で書き物をすることもないだろう。一人の召し使いである門番の老婆も、もはや朝の珈琲《コーヒー》を持ってきてくれることがないだろう。ああ、それらのものの代わりに、徒刑囚、首枷《くびかせ》、赤い上衣、足の鎖、疲労、監房、組み立て寝台、その他覚えのあるあらゆる恐ろしいもの! しかもこの年になって、かほどの者となった後に! まだ年でも若いのだったら! ああこの老年におよんで、だれからも貴様と呼び捨てにされ、牢番《ろうばん》に身体をあらためられ、看守の棍棒《こんぼう》をくらわされ、靴足袋《くつたび》もなしに鉄鋲《てつびょう》の靴をはき、鉄輪を検査する番人の金槌《かなづち》の下に朝晩足を差し出し、外からきた見物人には、「あれがモントルイュ[#「あれがモントルイュ」に傍点]・スュール[#「スュール」に傍点]・メールの市長であった有名なジャン[#「メールの市長であった有名なジャン」に傍点]・ヴァルジャンです[#「ヴァルジャンです」に傍点]。」と言われてその好奇な視線を受けるのか。晩には、汗まみれになり疲れはてて、緑の帽子を目深にかぶり、監視の者の笞《むち》の下に、海に浮かんだ徒刑場の梯子段《はしごだん》を二人ずつ上ってゆくのだ。おお何という惨《みじ》めなことだろう! 運命というものも、知力ある人間のごとくに悪意をいだき、人間の心のごとくに凶猛になり得るものであろうか。
 そしていかに考えをめぐらしても常にまた、瞑想《めいそう》の底にある痛切なジレンマに落ちてゆくのであった。「天国のうちにとどまって悪魔となるか! あるいは、地獄に下って天使となるか!」
 どうしたらいいか、ああ、いかにしたらばいいのか?
 ようやくにして彼が脱した苦悩は、また彼のうちに荒れてきた。種々の観念はまた互いに混乱しはじめた。それらの観念は絶望の特質たる一種の呆然《ぼうぜん》たる機械的な働きを取ってきた。あのロマンヴィルという名前が、昔耳にしたことのある小唄《こうた》の二句とともに、絶えず頭に上がってきた。ロマンヴィルというのは、パリーの近くの小さな森で、若い恋人らが四月にライラックの花を摘みにゆく所だと、彼は思っていた。
 彼はその内部におけると同じく外部においてもよろめいていた。一人でようやく歩くのを許された小児のような歩き方をしていた。
 折々彼は、疲労と戦って、自分の知力を回復しようと努力した。疲憊《ひはい》の極にまたふと探りあてたその問題を、最後に今一度決定的に解決してみようと努めた。自首すべきか? 默しているべきか?――彼は何物をも明瞭《めいりょう》に認めることができなかった。瞑想《めいそう》によって描き出されたあらゆる理論の漠然《ばくぜん》たる姿は、すぐに揺らめいて、煙のように次から次へと消え去った。彼はただこう感ずるのみだった。必然にそしてやむを得ずしていずれかの決心を取る時に、自分のうちの何物かは死滅するであろう。右を行っても左を行っても、自分は一つの墓場のうちにはいるであろう。自分の幸福か、もしくは自分の徳操か、いずれかを臨終の苦しみへ送らなければならないであろう。
 悲しいかな、あらゆる不決断はまた彼を襲った。彼はまだその初めより一歩も踏み出してはいなかった。
 かくてこの不幸なる魂は苦悩のうちにもだえていたのである。この不運なる人より千八百年前に、人類のすべての至聖とすべての苦難とを一身に具現していた神秘なる人([#ここから割り注]訳者注 キリスト[#ここで割り注終わり])、彼もまた、無限の残忍なる風に橄欖《かんらん》の木立ちの震える頃、星をちりばめた大空のうちに、影をしたたらせ暗黒にあふれてる恐るべき杯《さかずき》が前に現われた時、それを手に取って飲み干すことを長くなし得なかったこともあるではないか。

     四 睡眠中に現われたる苦悶《くもん》の象

 午前の三時が鳴った。彼はほとんど休みなく五時間室の中を歩き回っていたのである。そして初めて彼は椅子《いす》の上に身を落とした。
 彼はそこに居眠って、夢を見た。
 多くの夢がそうであるとおりに、この夢も、何ともいえぬ不吉な悲痛なものであったというほかには、その時の事情には何ら関係もないものだった。しかしそれは彼に深い印象を与えた。彼はその悪夢にひどく心を打たれて、後にそれを書き止めた。次のものは、彼が自ら書いて残しておいた記録の一つである。われわれはただそれを原文どおりにここに再録すべきであろう。
 その夢がたといいかようなものであろうとも、それを省けば、その夜の物語は不完全たるを免れないだろう。それは実に病める魂の暗澹《あんたん》たる彷徨《ほうこう》である。
 記録は次のとおりである。表題には、その夜予の見たる夢[#「その夜予の見たる夢」に傍点]、という一行が書かれている。

 私は平野のうちにいた。一本の草もない広い寂しい平野であった。昼であるか夜であるか、私にはわからなかった。
 私は自分の兄弟といっしょに歩いていた。それは私の子供のおりの兄弟であった。そしてここに言っておかなければならないことは、私はその後彼のことを考えたこともなければ、もはやほとんど覚えてもいなかったのである。
 私どもは話し合っていた。そしてまたいろいろな通行人に出会った。私どもは昔隣家に住んでいた女のことを話していた。その女は街路に面した方に住み初めてからは、いつも窓を開いて仕事をしていた。話をしながらも、私どもはその開かれた窓のために寒さを感じていた。
 平野のうちには一本の樹木もなかった。
 私どもはすぐそばを通ってゆく一人の男を見た。その男はまっ裸で、灰色をして、土色の馬に乗っていた。頭には毛がなく、頭蓋骨《ずがいこつ》が見えており、その上には血管が見えていた。手にはぶどう蔓《づる》のようにしなやかで鉄のように重い鞭《むち》を持っていた。その騎馬の男は私どものそばを通ったが、何とも口をきかなかった。
 私の兄弟は言った。「くぼんだ道を行こうじゃないか。」
 一本の灌木《かんぼく》もなく一片の苔《こけ》もないくぼんだ道があった。あらゆるものが、空までも、土色をしていた。しばらく行くと、私の言葉にはもう返事がなかった。私は兄弟がいっしょにいないのに気づいた。
 私は向こうに見える一つの村にはいった。私はそれがロマンヴィルにちがいないと思った。(なぜロマンヴィルなのか。)(この注句はジャン・ヴァルジャンの自筆である。)
 私がはいって行った第一の街路にはだれもいなかった。私は第二の街路にはいった。二つの街路が角をなす後ろの方に、一人の男が壁にもたれて立っていた。私はその男に尋ねた。「ここは何という所ですか。私が今いるのはどこでしょう?」男は答えなかった。私はある家の戸が開いているのを見て、その中にはいって行った。
 第一の室にはだれもいなかった。私は第二の室にはいった。その室の扉《とびら》の後ろに、一人の男が壁にもたれて立っていた。私はその男に尋ねた。「これはだれの家ですか。私が今いるのはどこでしょう?」男は答えなかった。その家には庭があった。
 私は家を出て庭にはいった。庭にはだれもいなかった。が第一の樹木の後ろに、一人の男が立っているのを私は見た。私はその男に言った。「この庭は何という所ですか。私が今いるのはどこでしょう?」男は答えなかった。
 私はその村の中を歩いた。そしてそれが一つの町であることに気づいた。どの街路にもだれもいなかった。どの家の戸も皆開かれていた。生きてる者は一人として、街路を通る者もなければ、室の中を歩いてる者もなければ、庭を散歩してる者もなかった。けれども、壁の角の後ろや、扉の後ろや、樹木の後ろには、いつも黙って立っている男がいた。そして一度にただ一人いるきりであった。それらの男たちは私が通ってゆくのをじっと見ていた。
 私はその町から出て、野を歩き初めた。
 しばらくしてふり返ってみると、私の後《あと》から大勢の人がついてきていた。その人たちは皆、私が町で見た男であることがわかった。彼らは不思議な顔をしていた。彼らは別に急いでいるとも見えなかったが、私より早く歩いていた。歩きながら少しの音も立てなかった。すぐにその人たちは私に追いついて、私を取り囲んだ。彼らの顔は皆土色をしていた。
 その時、町にはいって私が最初に出会って尋ねたあの男が、私に言った。「君はどこへ行くんですか。君はもう長い前から死んでるということを知らないのですか。」
 私は返事をするために口を開いた。すると、自分のまわりにはだれもいないのに気がついた。

 彼は目をさました。氷のように冷たくなっていた。明け方の風のように冷ややかな風が、あけ放したままの窓の扉《とびら》をその肱金《ひじがね》のうちに揺すっていた。暖炉の火は消えていた。蝋燭《ろうそく》も燃えつきようとしていた。そしてまだ暗い夜であった。
 彼は立ち上がった、そして窓の所へ行った。空にはやはり星もなかった。
 窓から家の中庭や街路が見られた。鋭い堅い物音が突然地上に響いたので、彼はそちらに目をやった。
 彼は下の方に二つの赤い星を認めた。その光はやみの中に不思議に延びたり縮んだりしていた。
 彼の頭はなお夢想の霧のうちに半ば沈んでいた。彼は考えた。「おや、空には星は一つもないが、かえって地上に星がある。」
 そのうち彼の頭の靄《もや》も消え失せ、初めのと同じような第二の物音は、彼をすっかりさましてしまった。彼は見つめた、そしてその二つの星は馬車の角燈であることがわかった。その角燈の光で彼は馬車の形をはっきり見て取ることができた。小さな白馬に引かれた小馬車であった。彼が聞いた物音は、舗石《しきいし》の上の馬の蹄《ひづめ》[#ルビの「ひづめ」は底本では「ひずめ」]の音だった。
「あの馬車は何だろう。」と彼は自ら言った。「いったいだれがこんなに早くきたんだろう。」
 その時、室の戸が軽くたたかれた。彼は頭から足の先まで震え上がった、そして恐ろしい声で叫んだ。
「だれだ?」
 だれかが答えた。
「私でございますよ、旦那様《だんなさま》。」
 彼はその声で門番の婆さんであることがわかった。
「そして、何の用だ。」と彼は言った。
「旦那様、もう朝の五時になりますよ。」
「それがどうしたんだ。」
「馬車が参りましたのです。」
「何の馬車が?」
「小馬車でございます。」
「どういう小馬車だ?」
「小馬車をお言いつけなすったのではございませんか。」
「いいや。」と彼は言った。
「御者は旦那様の所へ参ったのだと申しておりますが。」
「何という御者だ。」
「スコーフレールさんの家の御者でございます。」
「スコーフレール?」
 その名前に、あたかも電光の一閃《いっせん》で顔をかすめられたように彼は身を震わした。
「ああそうだ!」と彼は言った。「スコーフレール。」
 もし婆さんがその時の彼を見ることができたら、きっとおびえてしまったであろう。
 かなり長く沈黙が続いた。彼は呆然《ぼうぜん》と蝋燭《ろうそく》の炎を見調べていた、そしてその芯《しん》のまわりから熱い蝋を取っては指先で丸めていた。婆さんは待っていた。が彼女は今一度声を高くして言ってみた。
「旦那様《だんなさま》、どう申したらよろしゅうございましょう。」
「よろしい、今行く、と言ってくれ。」

     五 故障

 モントルイュ・スュール・メールとアラスとの間の郵便事務は、当時なお帝政時代の小さな郵便馬車でなされていた。それは二輪の車で、内部は茶褐色《ちゃかっしょく》の皮で張られ、下には組み合わせ撥条《ばね》がついており、ただ郵便夫と旅客との二つの席があるきりだった。車輪には、今日なおドイツの田舎《いなか》にあるような、他の車を遠くによけさせる恐ろしい長い轂《こしき》がついていた。郵便の箱は大きい長方形のもので、馬車の後ろについていてそれと一体をなしていた。その郵便箱の方は黒く塗られ、馬車の方は黄色に塗られていた。
 今日ではもうそれに似寄ったものもないほどのその馬車は、何ともいえないぶかっこうな体裁の悪いものだった。遠く地平線の道を通ってゆくのを見ると、たぶん白蟻《しろあり》という名だったと思うが、小さな胴をして大きい尻《しり》を引きずっている虫、あれによく似ていた。ただ速力はきわめて早かった。パリーからの郵便馬車が通った後、毎夜一時にアラスを出て、モントルイュ・スュール・メールに朝の五時少し前に到着するのだった。
 さてその夜、エダンを通ってモントルイュ・スュール・メールへやってきた郵便馬車が、町にはいろうとする時そこの町角で、反対の方向へゆく白馬にひかれた一つの小馬車につき当たった。中には一人の男がマントに身をくるんで乗っていた。小馬車の車輪はかなり強い打撃を受けた。郵便夫はその男に止まるように声をかけたが、男は耳をかさないで、やはり馬を走らして去って行った。
「馬鹿に急いでやがるな!」と郵便夫は言った。
 かく急いでいた男は、まったくあわれむべき煩悶《はんもん》のうちにもだえていたあの人にほかならなかった。
 どこへ行こうとするのか? 彼自らもそれを言い得なかったであろう。何ゆえにそう急ぐのか? 彼自ら知らなかった。彼はむやみと前へ進んで行ったのである。いずこへ? もちろんアラスへではあったが、しかしまたおそらく他の所へも行きつつあったのである。時々彼はそれを感じて、身を震わした。
 彼はあたかも深淵《しんえん》に身を投ずるがごとく暗夜のうちにつき進んだ。何かが彼を押し進め、何かが彼を引っ張っていた。彼のうちに起こってることは、だれもそれを語り得ないであろう。しかしやがてだれにもわかることである。生涯中少なくも一度はこの不可解な暗い洞窟《どうくつ》にはいらない者は、おそらくないであろう。
 要するに彼は、何も決心せず、何も決定せず、何も確定せず、何もなさなかったのだった。彼の本心の働きには何も決定的なものはなかったのである。彼は初めより一歩も出てはいなかった。
 何ゆえに彼はアラスへ行こうとしたのか?
 彼はスコーフレールの馬車を借りながら自ら言ったことをまた繰り返していた。「どんな結果をきたそうと、その事件を自らの目で見、自ら判断するに、不都合はあるまい。――いやそれはかえって用心深いやり方だ。どんなことになるか知らなければいけないのだ。――自分で観察し探査しなければ何も決定することはできないものだ。――遠くからながめると何事も大袈裟《おおげさ》に見えるものだ。ともかくも、どんな賤《いや》しい奴《やつ》かそのシャンマティユーを見たならば、自分の代わりにその男が徒刑場にやられても、自分の心はおそらくそう痛みはしないだろう。――なるほどそこにはジャヴェルと、自分を知ってる古い囚徒のブルヴェー、シュニルディユー、コシュパイユがいるだろう。しかし確かに彼らは自分を看破《みやぶ》ることはできまい。――ああ何という下らないことを考えてるんだ!――ジャヴェルの方はもう大丈夫だ。――それにあらゆる推測と仮定とはそのシャンマティユーの上に立てられている。そして推測と仮定ほど頑固《がんこ》なものはない。――でそこへ行っても何らの危険もないわけだ。」
「もちろんそれは喜ばしいことではない。しかし自分はすぐにそれから脱することができよう。――結局、自分の運命はいかに悪かろうと、自分はそれを自分の掌中《しょうちゅう》に握っている。――自分は今自ら運命の主人公である。」
 彼はそういう考えに固執していた。
 うち明けて言えば、心の底ではアラスへ行かない方を彼は望んだであろう。
 けれども、彼はやはりそこへ行こうとしたのである。
 考えにふけりながら、彼は馬に鞭《むち》をあてた。馬は一時間二里半の速度で正確によくかけていった。
 馬車が進むに従って、彼は自分のうちにある物が後退《あとしざ》りしているのを感じた。
 明方、彼は平野に出ていた。モントルイュ・スュール・メールの町は後方はるかになっていた。彼は白みゆく地平線をながめた。冬の夜明けのあらゆる冷ややかな物の象《すがた》が目の前を通過するのを、目には見ないで心で見つめた。朝にも夕のごとくその幻影がある。彼はそれらを目では見なかったが、しかし彼の知らぬまにほとんど肉体を通して、樹木や丘陵のその黒い映像は、彼の激越な魂の状態に何か陰鬱《いんうつ》な悲痛なものを加えさした。
 所々に往来の傍《かたわら》に立っている一軒家の前を通るごとに、彼は自ら言った。「あの中に安らかに眠っている人もある!」
 馬の足並みや馬具の鈴や路上の車輪は、静かな単調な音を立てていた。それらのものは、心の喜ばしい時には快いものであり、心の悲しい時には陰鬱《いんうつ》なものである。
 エダンに着いた時はもうすっかり夜が明けきっていた。彼は馬に息をつかせ麦を与えるために、ある宿屋の前に馬を止めた。
 馬はスコーフレールの言ったとおり、ブーロンネー産の小さな奴で、その特質として、頭と腹とが大きく首が短く、しかも胸が開き臀《しり》が大きく、脚《あし》はやせて細く、蹄《ひづめ》[#ルビの「ひづめ」は底本では「ひずめ」]は丈夫であった。姿はよくなかったが、頑丈《がんじょう》で強健だった。二時間に五里走って、背に一滴の汗も流していなかった。
 彼は馬車からおりなかった。ところが麦を持ってきた馬丁は急に身をかがめて、左の車輪を調べた。
「これでまだ遠方までいらっしゃるかね。」とその男は言った。
 彼はまだほとんど自分の瞑想《めいそう》のうちに沈んだまま答えた。
「なぜ?」
「遠くからいらっしゃったのかね。」と馬丁はまた言った。
「五里向こうから。」
「へえー。」
「へえーってどういうわけだ。」
 馬丁はまた身をかがめて、しばらく黙ったまま車輪を見ていたが、それから身を起こして言った。
「ですがね、これで五里の道を来るこたあできたろうが、これからはどうも半里とは行けませんぜ。」
 彼は馬車から飛びおりた。
「何だって?」
「なあに、旦那《だんな》も馬もよくまあ往来の溝《みぞ》にもころげ込まねえで、五里もこられたなあ不思議だ。まあ見てごらんなさるがいい。」
 なるほど車輪はひどくいたんでいた。郵便馬車との衝突のために、車輪の輻《や》が二本折れ、轂《こしき》がゆがんで螺旋《ねじ》がきいていなかった。
「おい、この近くに車大工はいないか。」と彼は馬丁に言った。
「ありますとも。」
「連れてきてもらえまいかね。」
「すぐ向こうにおるですよ。おーい。ブールガイヤール親方!」
 車大工のブールガイヤール親方は、戸口の所に立っていた。彼はやってきて車輪を調べたが、外科医が折れた足を診《み》る時のように顔をしかめた。
「すぐにこの車輪を直してもらうことができようか。」
「ええ旦那《だんな》。」
「いつ頃また出かけられるだろうね。」
「明日《あした》ですな。」
「明日!」
「十分一日は手間が取れますよ。旦那は急ぐんですか。」
「大変急ぐんだ。遅くも一時間したらまた出かけなくちゃならないんだ。」
「そいつあだめですぜ旦那。」
「いくらでも金は出すが。」
「だめです。」
「では、二時間したら?」
「今日中はだめです。二本の輻《や》と轂《こしき》とを直さなきゃあなりません。明日までは出かけられませんぜ。」
「明日までは待てない用なんだ。ではこの車輪を直さないで外のと取り換えたらどうだろう。」
「そんなこたあ……。」
「君は車大工だろう。」
「そうには違いねえんですが。」
「わしに売ってもいい車輪があるだろう。そうすればすぐに発《た》てるんだ。」
「余りの車輪ですか。」
「そうだ。」
「旦那《だんな》の馬車に合うような車輪はありません。二つずつ対《つい》になっていますからな。車輪をいい加減に二つ合わせようたってうまくいくもんじゃありません。」
「それなら、一対売ってくれたらいいだろう。」
「旦那、どの車輪でも同じ心棒に合うもんじゃありません。」
「が、まあやってみてくれないか。」
「むだですよ、旦那。私《わたし》ん所には荷車の車輪きり売るなあありません。なんにしてもここは田舎《いなか》のことですからな。」
「ではわしに貸してくれる馬車はないかね。」
 親方は彼の馬車が貸し馬車なのを一目で見て取っていた。そして肩をそびやかした。
「貸し馬車をそんなに乱暴にされちゃあ! 私んところにあったにしろ旦那には貸せませんな。」
「では売ってくれないか。」
「無《ね》えんですよ。」
「なに、一つもない? わしはどんなんでも構わないんだが。」
「なにしろごく田舎《いなか》のことですからな。ただ一つ貸していいのがあるにはあるですが。」と車大工はつけ加えた。「古い大馬車で、町の旦那《だんな》んです。私が預っているですが、めったに使ったこたあありません。貸してもいいですよ。なにかまやしません。ただ旦那に見つからねえようにしないと。それに大馬車だから、馬が二頭いるんですが。」
「駅の馬を借りることにしよう。」
「旦那はいったいどこへ行くんですかね。」
「アラスへ。」
「そして今日向こうに着きたいというんですな。」
「もちろんだ。」
「駅の馬で?」
「行けないことはなかろう。」
「旦那は明日《あした》の朝の四時に向こうに着くんじゃいけませんか。」
「いけないんだ。」
「ちょっと申しておきますがね、駅の馬で……。いったい旦那には通行券はあるんでしょうな。」
「ある。」
「では、駅の馬で、それでも明日しかアラスへは着けませんぜ。ここは横道になってるんです。それで駅次馬《えきつぎうま》は少ししかいないし、馬はみな野良《のら》に出てます。ちょうどこれから犂《すき》を入れる時だから馬がいるんです。どこの馬も、駅のもなにもかも、そっちに持ってゆかれてるんです。一頭の駅次馬を手に入れるには、まあ三、四時間は待つですな。それに、駆けさせらりゃあしません。上り坂も多いですからな。」
「それでは、わしは乗馬で行こう。馬車をはずしてくれ。この辺に鞍《くら》を売ってくれる所はあるだろう。」
「そりゃああります。だがこの馬に鞍が置けますかね。」
「なるほど。そうだった。この馬はだめだ。」
「そこで……。」
「なに村で一頭くらい借りるのがあるだろう。」

「アラスまで乗り通せる馬ですか。」
「そうだ。」
「この辺にあるような馬じゃだめです。第一|旦那《だんな》を知ってる者あねえから、買ってやらなくちゃ無理です。ですが、売るのも貸すのも、五百フラン出したところで千フラン出したところで、見つかりゃあしませんぜ。」
「いったいどうしたらいいんだ。」
「まあ一番いいなあ、私に車を直さして明日《あした》出立なさるのですな。」
「明日では遅くなるんだ。」
「ほう!」
「アラスへ行く郵便馬車はないのか。いつここを通るんだ。」
「今晩です。上りも下りも両方とも夜に通るんです。」
「どうしてもこの車を直すには一日かかるのか。」
「一日かかりますとも、十分。」
「二人がかりでやったら?」
「十人がかりでも同じでさ。」
「繩《なわ》で輻《や》を縛ったら?」
「輻はそれでいいでしょうが、轂《こしき》はそういきません。その上|※[#「車+罔」、第3水準1-92-45]《たが》もいたんでます。」
「町に貸し馬車屋はいないのか。」
「いません。」
「ほかに車大工はいないのか。」
 馬丁と親方とは頭を振って同時に答えた。
「いません。」
 彼は非常な喜びを感じた。
 それについて天意が働いていることは明らかであった。馬車の車輪をこわし、途中に彼を止めたのは、天意である。しかも彼はその最初の勧告とでもいうべきものにすぐ降伏したのではなかった。あらゆる努力をして旅を続けようとした。誠実に細心にあらゆる手段をつくしてみた。寒い季節をも疲労をも入費をも、意に介しなかった。彼はもはや何ら自ら責むべきところを持ってはいなかった。これ以上進まないとしても、それはもはや彼の責任ではなかった。それはもはや彼の罪ではなかった。彼の本心の働きではなく、実に天意のしからしむるところであった。
 彼は息をついた。ジャヴェルの訪問いらい初めて、自由に胸いっぱいに息をした。二十時間の間心臓をしめつけていた鉄の手がゆるんできたような思いがした。
 今や神は彼の味方をし、啓示をたれたもうたように、彼には思えた。
 すべてでき得る限りのことはなしたのだ、そして今ではただ静かに足を返すのほかはない、と彼は自ら言った。
 もし彼と車大工との会話が宿屋の室の中でなされたのであったら、そこに立会った者もなく、それを聞いた者もなく、事はそのままになっただろう。そしておそらく、われわれがこれから読者に物語らんとするできごとも起こらなかったろう。しかしその会話は往来でなされたのだった。往来の立ち話は、いつも必ず群集をそのまわりに集めるものである。外から物事を見物するのを好む者は常に絶えない。彼が車大工にいろいろ尋ねている間に、行き来の人たちが二人のまわりに立ち止まった。そのうちの人の気にもとまらぬ一人の小さな小僧が、しばらくその話をきいた後、群集を離れて向こうに駆けて行った。
 旅客が前述のように内心で考慮をめぐらした後、道を引き返そうと決心したちょうどその時に、その子供は戻ってきた。彼は一人の婆さんを伴っていた。
「旦那《だんな》、」と婆さんは言った、「倅《せがれ》が申しますには、旦那は馬車を借りたいそうでございますね。」
 子供が連れてきたその婆さんの簡単な言葉に、彼の背には汗が流れた。自分を離した手がやみの中に後ろから現われて、自分を再びつかもうとしているのを、彼は目に見るような気がした。
 彼は答えた。
「そうだよ、貸し馬車をさがしてるところなんだが。」
 そして彼は急いでつけ加えた。
「しかしこの辺には一台もないよ。」
「ございますさ。」と婆さんは言った。
「どこにあるんだい。」と車大工は言った。
「私どもに。」と婆さんは答えた。
 旅客は慄然《りつぜん》とした。恐るべき手は再び彼を捕えたのだった。
 婆さんはなるほど一種の籠《かご》馬車を物置きに持っていた。車大工と馬丁とは、旅客が自分たちの手から離れようとしているのに落胆して、言葉をはさんだ。
「ひどいがた馬車だ。――箱がじかに心棒についてやがる。――なるほど中の腰掛けは皮ひもでぶら下げてあるぜ。――雨が降り込むぜ。――車輪は湿気にさびついて腐ってるじゃねえか。――あの小馬車と同じにいくらも行けるものか。まったくのがたくり馬車だ。――こんなものに乗ったら旦那《だんな》は災難だ。」――などと。
 なるほどそのとおりであった。しかしそのがた馬車は、そのがたくり馬車は、その何かは、ともかくも二つの車輪の上についていた、そしてアラスまでは行けるかも知れなかった。
 旅客は婆さんの言うだけの金を渡し、帰りに受け取るつもりで小馬車の修繕を車大工に頼んで、そのがた馬車に白馬をつけさせ、それに乗って、朝から進んできた道に再び上った。
 馬車が動き出した時彼は、自分の行こうとしてる所へは行けないだろうと思って先刻ある喜びの情を感じたことを、自ら認めた。彼は今その喜びの情を一種の憤怒をもって考えてみて、それはまったく不合理だということを認めた。何ゆえにあとに戻ることを喜ばしく感じたのか? 要するに彼は勝手に自らその旅を初めたのではなかったか。だれも彼にそれを強《し》いたのではなかったのだ。
 そしてまた確かに、彼が自ら望んでることのほかは何も起こるはずはないのだ。
 エダンを去る時に、彼はだれかが呼びかける声を聞いた。「止めて下さい! 止めて下さい!」彼は勢いよく馬車を止めた。そのうちにはなお、希望に似た何か熱烈な痙攣的《けいれんてき》なものがあった。
 彼を呼び止めたのは婆さんの子供だった。
「旦那《だんな》、」と子供は言った、「馬車をさがして上げたなあ私だが。」
「それで?」
「旦那は何もくれないだもの。」
 だれにも少しも物をおしまなかった彼も、その請求を無法なほとんど憎むべきもののように感じた。
「ああそれはお前だった。」と彼は言った。「だがお前には何もやれないぞ!」
 彼は馬に鞭《むち》をあてて大駆けに走り去った。
 彼はエダンでだいぶ時間を失っていた。彼はそれを取り返そうと思った。小さな馬は元気に満ちて、二頭分の力で駆けていた。しかし時は二月で、雨の後でさえあったので、道は悪くなっていた。その上こんどは小馬車ではなかった。車は鈍く重く、かつ多くの坂があった。
 エダンからサン・ポルまで行くのに四時間近くかかった。五里に四時間である。
 サン・ポルに着いて彼は、見当たり次第の宿屋で馬をはずし、それを廐《うまや》に連れて行った。スコーフレールとの約束もあるので、馬に食物をやってる間|秣槽《かいおけ》のそばに立っていた。そして悲しいごたごたしたことを考えていた。
 宿屋の主婦が廐《うまや》にやってきた。
「旦那《だんな》はお食事はいかがです。」
「なるほど、」と彼は言った、「ひどく腹がすいてる。」
 彼は主婦について行った。主婦は元気な美しい顔色をしていた。彼を天井の低い広間に案内した。そこには卓布の代わりに桐油《とうゆ》をしいた食卓が並んでいた。
「大急ぎだよ。」と彼は言った。「わしはすぐにまた出立しなければならない。急ぎの用だから。」
 ふとったフランドル人の女中が、大急ぎで食器を並べた。彼はほっとしたような気持でその女をながめた。
「何だか変だと思ったが、なるほどまだ食事もしていなかったのだ。」と彼は考えた。
 食物は運ばれた。彼は急いでパンを取って一口かじった。それから静かに食卓の上にパンを置いて、再びそれに手をつけなかった。
 一人の馬方が他のテーブルで食事をしていた。彼はその男に向かって言った。
「どうしてここのパンはこうまずいだろうね。」
 馬方はドイツ人で、彼の言葉がわからなかった。
 彼は馬の所へ廐に戻って行った。
 一時間後に、彼はサン・ポルを去ってタンクの方へ進んでいた。タンクはもうアラスから五里しかへだたっていなかった。
 その道程の間彼は、何をなし、何を考えていたか? 朝の時と同じく、樹木や、茅屋《ぼうおく》の屋根や、耕された畑や、道を曲がるたびに開けてゆく景色の変化を、ながめていた。人の心は時として、ただ惘然《ぼうぜん》と外界をながめることに満足し、ほとんど何事をも考えないことがある。しかし、かく種々の事物を初めて見、しかもそれで見納めとなることは、いかに悲しいまた深刻なことであろう! 旅をすることは、各瞬間ごとに生まれまた死ぬることである。おそらく、彼はその精神の最も空漠《くうばく》たる一|隅《ぐう》において、移り変わりゆく眼界と人間の一生とを比べてみたであろう。人生のあらゆる事物は絶えず吾人《ごじん》の前を過ぎ去ってゆく。影と光とが入れ交じる。眩惑《げんわく》の輝きの後には陰影が来る。人はながめ、急ぎ、手を差し出し、過ぎゆくものをとらえんとする。各事変は道の曲がり角である。そして突然人は老いる。ある動揺を感ずる。すべては暗黒となる。暗い戸が開かれているのがはっきりと見える。人を引いていた人生の陰暗な馬は歩みを止める。そして人は覆面の見知らぬ男が暗やみのうちにその馬を解き放すのを見る。
 旅客がタンクの村にはいるのを学校帰りの子供らが見たのは、もう薄暗がりの頃だった。一年の中でも日の短い季節であった。彼はタンクに止まらなかった。彼がその村から出た時、道に砂利を敷いていた道路工夫が、頭をあげて言った。
「馬がだいぶ疲れてるようだな。」
 あわれな馬は実際もう並み足でしか歩いていなかった。
「アラスへ行きなさるのかね。」と道路工夫はつけ加えた。
「そうだ。」
「そういうふうじゃ、早くは着けませんぜ。」
 彼は馬を止めて、道路工夫に尋ねた。
「アラスまでまだいかほどあるだろう?」
「まあたっぷり七里かな。」
「どうして? 駅の案内書では五里と四分の一だが。」
「ああお前さんは、」と道路工夫は言った、「道普請中なのを知りなさらねえんだな。これから十五分ほど行くと往来止めになっている。それから先は行けませんぜ。」
「なるほど。」
「まあ、カランシーへ行く道を左へ取って、川を越すだね。そしてカンブランへ行ったら、右へ曲がるだ。その道がモン・サン・エロアからアラスへ行く往来だ。」
「だが夜にはなるし、道に迷わないとも限らない。」
「お前さんはこの辺の者じゃねえんだな。」
「ああ。」
「それに方々に道がわかれてるでね。……まてよ、」と道路工夫は言った、「いいことを教えてあげよう。お前さんの馬は疲れてるで、タンクへ戻るだね。いい宿もありますぜ。お泊まんなさい。そして明日《あした》アラスへ行くだね。」
「今晩行かなくちゃならないんだ。」
「ではだめだ。それじゃあやはりタンクの宿へ行って、なお一頭馬をかりるだね。そして馬丁に道を案内してもらうだね。」
 彼は道路工夫の助言に従って、道を引き返していった。そして三十分後には、りっぱな副馬《そえうま》をつけて大駆けに同じ所を通っていた。御者だと自ら言ってる馬丁は、馬車の轅《ながえ》の上に乗っていた。
 それでも彼はなお急ぎ方が足りないような気がした。
 もうまったく夜になっていた。
 彼らは横道に進み入った。道は驚くほど悪くなった。馬車はあちこちの轍《わだち》の中へ落ちこんだ。彼は御者に言った。
「どしどし駆けさしてくれ。酒代《さかて》は二倍出す。」
 道のくぼみに一揺れしたかと思うと、馬車の横木が折れた。
「旦那《だんな》、」と御者は言った、「横木が折れましたぜ。これじゃ馬のつけようがありません。この道は夜はひどいですからな。旦那がこれからタンクへ戻って泊まるんなら、明日《あした》は早くアラスへ行けますが。」
 彼は答えた。「繩《なわ》とナイフはないかね。」
「あります。」
 彼は一本の木の枝を切り、それを横木にした。
 それでなお二十分費やした。しかし彼らはまた大駆けに走っていった。
 平野はまっくらだった。低い狭い黒い靄《もや》が丘の上をはって、煙のように丘から飛び散っていた。雲のうちにはほの白い明るみがあった。海から来る強い風は、家具を動かすような音を遠く地平線のすみずみに響かしていた。目に触れるものすべては、恐怖の姿をしていた。暗夜の広大な風の息吹《いぶ》きの下にあって、何物か身を震わさないものがあろうか!
 寒さは彼の身にしみた。彼は前日来ほとんど何も食べていなかった。彼は漠然《ばくぜん》と、ディーニュ付近の広野のうちを暗夜に彷徨《ほうこう》した時のことを思いだした。それは八年前のことだったが、昨日のことのように思われた。
 遠い鐘楼で時を報じた。彼は馬丁に尋ねた。
「あれは何時だろう。」
「七時です、旦那《だんな》。八時にはアラスに着けます。もう三里しかありません。」
 その時に彼は初めて次のようなことを考えてみた。どうしてもっと早く考えおよぼさなかったかが自ら不思議に思えた。「こんなに骨折ってもおそらくは徒労に帰するかも知れない。自分は裁判の時間さえ知ってはいない。少なくともそれくらいは聞いておくべきだった。何かに役立つかどうかもわからないで、前へばかり進んでゆくのは、狂気の沙汰だ。」それから彼は頭の中で少し計算し初めた。「通例なら重罪裁判の開廷は午前九時からである。――あの事件はたぶん長くはならないだろう。――林檎《りんご》窃盗の件はすぐに済むだろう。――後《あと》はただ人物証明の問題だけだ。――四、五人の証人の陳述があり、弁護士が口をきく余地は少ない。――すべてが終わってから自分はそこに着くようになるかも知れない!」
 御者は二頭の馬に鞭《むち》を当てていた。彼らはもう川を越して、モン・サン・エロアを通りこしていた。夜はますます深くなっていった。

     六 サンプリス修道女の試練

 一方において、ちょうどその時ファンティーヌは喜びのうちにあった。
 彼女はきわめて険悪な一夜を過したのだった。激しい咳《せき》に高熱、それからまた悪夢に襲われた。朝、医者が見舞った時には、意識が乱れていた。医者は心配そうな様子をして、マドレーヌ氏がきたら知らしてくれと頼んでいった。
 午前中、彼女は沈鬱《ちんうつ》で、あまり口もきかず、何か距離に関するらしい計算を小声でつぶやきながら、敷布に折り目をつけたりしていた。目はくぼみ、じっと据わって、ほとんど光もなくなってるようだった。そしてただ時々、また光を帯びてきて星のように輝いた。ある暗黒な時間の迫っている時、地の光を失った人に天の光が差して来ることがあるようである。
 サンプリス修道女がその心持ちをきくごとに、彼女はきまってこう答えた。「よろしゅうございます。私はただマドレーヌ様にお目にかかりたいのですけれど。」
 数カ月前、最後の貞節と最後の羞恥《しゅうち》と最後の喜びとを失った時、彼女はもう自分自身の影にすぎなくなった。そして今や彼女は自分自身の幻にすぎなかった。身体の苦しみは、心の悩みがなしかけた仕事を仕上げてしまった。二十五歳というのに、額《ひたい》にはしわがより、頬《ほほ》はこけ、小鼻はおち、歯齦《はぐき》は現われ、顔色は青ざめ、首筋は骨立ち、鎖骨《さこつ》は飛び出し、手足はやせ細り、皮膚は土色になり、金髪には灰色の毛が交じっていた。ああいかに病は老衰を早めることぞ!
 正午にまた医者がきた。彼はある処方をしるし、市長が病舎にこられたかと尋ね、そして頭を振った。
 マドレーヌ氏はいつも三時に見舞に来るのだった。正確は一つの親切である。彼はいつも正確だった。
 二時半ごろにファンティーヌは気をもみ初めた。二十分間の間に、彼女は十回以上もサンプリス修道女に尋ねた。「もう何時でございましょう?」
 三時が鳴った。ファンティーヌはいつもなら床の中で寝返りもできないくらいだったのに、三つの時計が鳴ると上半身で起き上がった。彼女はその骨立った黄色い両手を痙攣的《けいれんてき》にしかと組み合わした。そして何か重いものを持ち上げようとするような深いため息が一つ彼女の胸からもれるのを、サンプリス修道女は聞いた。それからファンティーヌは振り向いて、扉《とびら》の方をながめた。
 だれもはいってこなかった。扉は開かなかった。
 彼女は十五分ばかりもそのままで、扉に目を据え、息をつめたようにじっと動かないでいた。サンプリス修道女も口をききかねた。教会の時計は三時十五分を報じた。ファンティーヌはまた枕の上に身を落とした。
 彼女は何とも言わなかった、そしてまた敷布に折り目をつけ初めた。
 三十分たち、次いで一時間たった。だれもやってこなかった。大時計が打つたびに、ファンティーヌは起き上がって扉の方をながめた。そしてまた倒れた。
 その心持ちは傍《はた》からよく察せられた。しかし彼女はだれの名も言わず、苦情も言わず、だれをも責めなかった。ただ痛ましげに咳《せき》をした。何か暗黒なものが彼女の上にかぶさってくるようだった。彼女はまっさおになり、脣《くちびる》は青くなっていた。時々は微笑《ほほえ》みをもらした。
 五時が鳴った。その時サンプリス修道女は、彼女が低い声で静かに言うのを聞いた。「もう私は明日|逝《い》ってしまうのに、今日きて下さらないのはまちがってるわ。」
 サンプリス修道女の方でも、マドレーヌ氏の遅いのに驚いていた。
 その間にも、ファンティーヌは寝床から空をながめていた。彼女は何かを思い出そうと努めてるらしかった。そして突然、息のような弱い声で歌い出した。サンプリス修道女はそれに耳を傾けた。ファンティーヌが歌ったのは次のようなものだった。


美しいものを買いましょう
  市外の通りを歩きつつ。
  野菊は青く、薔薇《ばら》はまっかに、
   野菊は青く、ほんにかわいい私の児。

   昨日私の炉辺にいらせられた
   刺繍《ししゅう》のマントの聖母マリア様、
  「いつかお前の願った小さな児、
   それ私のヴェールの中に、」との御仰せ。
  「町に行って布《きれ》求め、
  指貫《ゆびぬき》と糸とを買っとくれ。」

  美しいものを買いましょう
  市外の通りを歩きつつ。

  聖母様、リボンで飾った揺籃《ゆりかご》を
  私は炉のもとに置きました。
  神様の一番きれいな星よりも、
  いただいた子供がかわいうございます。
  「奥様この布《きれ》で何をこしらえましょう?」
  「坊やに着物《おべべ》をこしらえておくれ。」

  野菊は青く、薔薇《ばら》はまっかに、
   野菊は青く、ほんにかわいい私の児。

  「この布《きれ》洗っておくれ。」「どこで洗いましょう?」
   「川の中でよ。痛めず汚《よご》さないでね、
   美しい裾着《すそぎ》と下着をこしらえておくれ。
  私はそれに刺繍《ししゅう》の花をいっぱいつけましょう。」
  「赤ちゃんが見えませぬ。奥様何にいたしましょう?」
   「それなら、私を葬る経帷子《きょうかたびら》にしておくれ。」

   美しいものを買いましょう
   市外の通りを歩きつつ。
  野菊は青く、薔薇《ばら》はまっかに、
  野菊は青く、ほんにかわいい私の児。

 それは古い子守歌だった。昔ファンティーヌはそれを歌って小さなコゼットを寝かしつけた。けれど子供に別れて五年この方、一度も頭に浮かばなかったのである。今それを彼女は、修道女をも泣かせるほどの悲しい声とやさしい調子とで歌った。厳格なことにのみなれていたサンプリス修道女も、しだいに涙が目に浮かんでくるのを感じた。
 大時計は六時を報じた。ファンティーヌはそれを聞かなかったようだった。彼女はもう周囲のことには何にも注意を向けていないらしかった。
 サンプリス修道女は雑仕婦をやって、市長は帰ってこられたか、そしてすぐに病舎にこられるかどうかを、工場の門番の婆さんの所に尋ねさした。雑仕婦は二、三分して帰ってきた。
 ファンティーヌはやはり身動きもせず、何か自分の考えにふけってるらしかった。
 雑仕婦は低い声でサンプリス修道女に語った。市長はこの寒さに朝六時前に、白い馬に引かせた小馬車で出かけられた、一人の御者も連れないで。どちらの方へ行かれたかだれも知らない。アラスへ行く道の方へ曲がられたのを見たという者もあり、パリーへ行く道で出会ったという者もある。出かけられる時もいつものとおりもの柔らかだった。ただ門番の婆さんに今晩待っていないようにとだけ言ってゆかれた。
 サンプリス修道女は問い尋ね雑仕婦はいろいろ想像しながら、二人でファンティーヌの寝台に背を向けてひそひそささやいていた。その間、ファンティーヌは健康の自由な運動と死の恐るべき衰弱とを同時にきたすあの臓器病特有な熱発的元気で、寝床の上にひざまずき枕頭《まくらもと》に震える両手をついて、帷《とばり》の間から頭をつき出して聞いていた。そして突然彼女は叫んだ。
「あなた方はマドレーヌ様のことを話していらっしゃいますね! なぜそんな低い声をなさるの。あの人はどうなさったのです。なぜいらっしゃらないのです?」
 その声は荒々しく嗄《しわが》れていて、二人の女は男の声をきいたような気がした。二人はびっくりしてふり向いた。
「返事をして下さい!」とファンティーヌは叫んだ。
 雑仕婦はつぶやいた。
「門番のお婆さんの言葉では、今日はあの方はおいでになれないかも知れませんそうです。」
「まあ、あなた、」修道女は言った、「落ちついて、横になっていらっしゃいね。」
 ファンティーヌはなおそのままの姿勢で、おごそかな悲痛な調子で声高に言った。
「こられません? なぜでしょう? でもあなた方にはわかってるはずです。今お二人で小声で話していらしたじゃありませんか。私にも知らして下さい。」
 雑仕婦は急いで修道女の耳にささやいた。「市会の御用中だとお答えなさいませ。」
 サンプリス修道女は軽く顔をあからめた。雑仕婦が勧めたことは一つの虚言であった。しかしまた一方においては、本当のことを言えば必ず病人に大きい打撃を与えるだろうし、ファンティーヌの今の容態では重大なことになりそうにも思えた。しかし彼女の赤面は長くは続かなかった。彼女は静かな悲しい目付きをファンティーヌの上に向けた。そして言った。
「市長さんはどこかへ出かけられました。」
 ファンティーヌは身を起こしてそこにすわった。その目は輝いてきた。異常な喜びがその痛ましい顔に輝いた。
「出かけられた!」と彼女は叫んだ。「コゼットを引き取りに行かれた!」
 そして彼女は両手を天に差し出した。その顔は名状し難い様を呈した。その脣《くちびる》は震えていた。彼女は低い声で祈りをささげたのだった。
 祈祷を終えて彼女は言った。「あなた、私はまた横になりたくなりました。これから何でもおっしゃるとおりにいたしますわ。今私はあまり勝手でした。あんな大きい声を出したりなんかして、お許し下さいな。大きい声を出すのは悪いことだとよく知っております。けれど、ねえあなた、私はほんとにうれしいんですわ。神様は御親切です。マドレーヌ様は御親切です。まあ考えてみて下さい、あの方は私の小さなコゼットを引き取りにモンフェルメイュへ行って下すったんですもの。」
 彼女は横になった。修道女に自ら手伝って枕を直した。そして、サンプリス修道女からもらって首にかけていた小さな銀の十字架に脣《くちびる》をつけた。
「あなた、」と修道女は言った、「これから静かにお休みなさい。もう口をきいてはいけませんよ。」
 ファンティーヌは汗ばんだ両手のうちに修道女の手を取った。修道女は彼女のその汗を感じて心を痛めた。
「あの方は今朝パリーへ発《た》たれたのでしょう。ほんとうはパリーを通る必要はないんです。モンフェルメイュは向こうから来ると少し左の方にそれてます。あなた覚えておいででしょう、昨日私がコゼットのことを話しますと、じきだ[#「じきだ」に傍点]、じきだ[#「じきだ」に傍点]、とおっしゃったのを。私をびっくりさせようと思っていらっしゃるんですわ。あなたも御存じでしょう、テナルディエの所から子供を取り戻す手紙に私に署名させなすったのを。もう先方でも否《いや》とは言えませんわねえ。きっとコゼットを返してくれるでしょう。金を受け取ってるんですもの。金は受け取って子供は返さないなどということを、お上《かみ》も許しておかれるはずがありません。あなた、口をきくなって様子をしないで下さい。私はたいそううれしいんです。大変よくなってきました。もうちっとも苦しかありません。コゼットに会えるんですもの。何だか物も少し食べたいようですの。あの児にはもう五年も会わないんです。子供がどんなものか、あなたにはわかりませんよ。それにきっとあの児は大変おとなしいでしょうよ。ねえ、薔薇色《ばらいろ》の小さなそれはかわいい指を持っていますわ。第一大変きれいな手をしていますでしょうよ。でも一歳《ひとつ》の時にはそれはおかしな手をしていました。ええそうですよ。――今では大きくなってるでしょう。もう七歳《ななつ》ですもの、りっぱな娘ですわ。私はコゼットと呼んでいますが、本当はユーフラージーというんです。そう、今朝暖炉の上のほこりを見てましたら、間もなくコゼットに会えるだろうという考えがふと起こりましたのよ。ああ、幾年も自分の子供の顔も見ないでいるというのは、何というまちがったことでしょう! 人の生命《いのち》はいつまでも続くものでないことをよく考えておかなければなりません。おお、行って下さるなんて市長さんは何と親切なお方でしょう! 大変寒いというのは本当なんですか。せめてマントくらいは着てゆかれましたでしょうね。明日《あした》はここにお帰りですわね。明日はお祝い日ですわ。明日の朝は、レースのついた小さな帽子をかぶることを私に注意して下さいね。モンフェルメイュはそれは田舎《いなか》ですわ。昔私は歩いてやってきたんです。ずいぶん遠いように思えました。けれど駅馬車なら早いものです。明日《あした》はコゼットといっしょにここにおいでになりますわ。ここからモンフェルメイュまでどのくらいありますでしょう?」
 サンプリス修道女には距離のことは少しもわからなかったので、ただ答えた。「ええ、明日はここに帰っておいでになると思います。」
「明日、明日、」とファンティーヌは言った、「明日私はコゼットに会える! ねえ、御親切な童貞さん、私はもう病気ではありませんわね。気が変なようですわ。よかったら踊ってもみせますわ。」
 十五分も前の彼女の様子を見た者があったら、今のその様子に訳がわからなくなったであろう。彼女はもう美しい顔色をしていた。話す声も元気があり自然であって、顔にはいっぱい微笑をたたえていた。時々は低く独語しながら笑っていた。母親の喜びはほとんど子供の喜びと同じである。
「それで、」とサンプリス修道女は言った、「あなたはそのとおり仕合わせですから、私の言うことを聞いて、もう口をきいてはいけませんよ。」
 ファンティーヌは頭を枕につけて、半ば口の中で言った。「そう、お寝《やす》みなさい、子供が来るんだからおとなしくしなければいけませんって、サンプリスさんのおっしゃるのは道理《もっとも》だわ。ここの人たちのおっしゃることは皆本当だわ。」
 それから、身動きもせず、頭も動かさず、目を大きく見開いてうれしそうな様子で、彼女はあたりを見回し初めた。そしてもう何とも言わなかった。
 サンプリス修道女は、彼女が眠るようにとその帷《とばり》をしめた。
 七時と八時との間に医者がきた。何の物音も聞こえなかったので、彼はファンティーヌが眠ってるものと思って、そっと室にはいってきて、爪先《つまさき》立って寝台に近寄った。彼は帷《とばり》を少し開いた、そして豆ランプの光でさしのぞくと、ファンティーヌの静かな大きい目が彼をじっと見ていた。
 彼女は彼に言った。「あなた、私のそばに小さな床をしいてあの子を寝かして下さいますわね。」
 医者は彼女の意識が乱れているのだと思った。彼女はつけ加えた。
「ごらんなすって下さい、ちょうどそれだけの場所はありますわ。」
 医者はサンプリス修道女をわきに呼んだ。修道女は事情を説明した。マドレーヌ氏は一日か二日不在である、病人は市長がモンフェルメイュに行かれたのだと信じているが、よくわからないので事実を明かさなければならないとも思えないし、また病人の察するところがあるいはかえって本当かも知れない。すると医者はそれに同意した。
 医者はまたファンティーヌの寝台に近寄っていった。彼女は言った。
「そうすれば私は、朝あの子が目をさましたらこんにちはと言ってやれますし、また晩に眠れない時は、子供の寝息が聞けますでしょう。そのやさしい小さな寝息をきくと、きっと心持ちがよくなりますわ。」
「手を貸してごらんなさい。」と医者は言った。
 彼女は腕を差し出した、そして笑いながら叫んだ。
「まあ、ほんとに、あなたにはおわかりになりませんの。私は治《なお》ったのですわ。コゼットが明日《あした》参りますのよ。」
 医者は驚いた。彼女は前よりよくなっていた。息苦しさは和《やわら》いでいた。脈は力を回復していた。突然生命の力がよみがえって、その衰弱しきったあわれな女に元気を与えていた。
「先生、」と彼女は言った、「市長さんが赤ん坊をつれに行かれましたことを、サンプリスさんはあなたにおっしゃいませんでしたか。」
 彼女になるべく口をきかせないように、また彼女の心を痛めるようなことをしないようにと、医者は人々に頼んだ。彼はまた規那皮《きなひ》だけの煎薬《せんやく》と、夜分に熱が出た場合のため鎮静水薬とを処方した。そして立ち去る時修道女に言った。「よくなってきました。幸いにも果たして市長が明日《あした》子供を連れてこられたら、そうですね、望外なことがあるかも知れません。非常な喜びが急に病気を治《なお》した例もあります。この患者の病気は明らかに一つの臓器病ですし、しかもだいぶ進んでいます。しかしまったく不可思議なものです。あるいは生命を取り留めることができましょう。」

     七 到着せる旅客ただちに出発の準備をなす

 さてわれわれが途中に残しておいたあの馬車がアラスの郵便宿の門をくぐったのは、晩の八時近くであった。われわれがこれまで述べきたったあの旅客は、馬車からおり、宿屋の人たちのあいさつにはほとんど目もくれず、副馬《そえうま》を返し、そして自ら小さな白馬を廐《うまや》に引いて行った。それから彼は一階にある撞球場《たまつきば》の扉《とびら》を排して中にはいり、そこに腰をおろして、テーブルの上に肱《ひじ》をついた。六時間でなすつもりの旅に十四時間かかったのである。彼はそれを自分の過《あやまち》ではないとして自ら弁解した。しかし心のうちでは別に不快を覚えてるのでもなかった。
 宿の主婦がはいってきた。
「旦那《だんな》はお泊まりでございますか。お食事はいかがでございますか。」
 彼は頭を横に振った。
「馬丁が申しますには、旦那の馬はたいそう疲れているそうでございますが。」
 それで初めて彼は口を開いた。
「馬は明朝また出立するわけにはゆかないでしょうかね。」
「なかなか旦那、まあ二日くらいは休ませませんでは。」
 彼は尋ねた。
「ここは郵便取扱所ではありませんか。」
「はいさようでございます。」
 主婦は彼を郵便取扱所に案内した。彼は通行証を示して、その晩郵便馬車でモントルイュ・スュール・メールに帰る方法はないかと尋ねた。ちょうど郵便夫の隣の席が空《あ》いていた。彼はそれを約束して金を払った。「では、」と所員は言った、「出発するために午前正一時にまちがいなくここにきて下さい。」
 それがすんで、彼はその郵便宿を出た。そして町を歩き初めた。
 彼はアラスの様子を知らなかった。街路は薄暗く、彼はでたらめに歩いた。頑固《がんこ》に構えて通行人に道を尋ねもしなかった。小さなクランション川を越すと、狭い小路の入り乱れた所にふみ込んで道がわからなくなった。一人の町人が提灯《ちょうちん》をつけて歩いていた。ちょっと躊躇《ちゅうちょ》した後に彼はその人に尋ねてみようと決心した。そしてまず、だれかが自分の発しようとする問いを聞きはしないかを恐るるもののように、前後を見回した後に言った。
「ちょっと伺いますが、裁判所はどこでしょう。」
「あなたは町の人ではないと見えますね。」とかなり年取ってるその町人は答えた。「では私についておいでなさい。私もちょうど裁判所の方へ、というのは県庁の方へ、ゆくところです。ただ今では裁判所が修繕中ですから、かりに裁判は県庁で開かれてるのです。」
「そこで、」と彼は尋ねた、「重罪裁判も開かれるのですか。」
「もちろんです。今日県庁となっている建物は、大革命前には司教邸でした。一七八二年に司教だったコンジエ氏が、そこに大広間を建てさせたものです。裁判はその大広間でなされています。」
 歩きながら町人は彼に言った。
「もし裁判が見たいというのなら、少し遅すぎますよ。普通は法廷は六時に閉じますから。」
 けれども二人がそこの広場にきた時、まっくらな大きな建物の正面の燈火《あかり》のついた四つの長い窓を、町人は彼に指《さ》し示した。
「やあ間に合った。あなたは運がいいんですよ。あの四つ窓が見えましょう。あれが重罪裁判です。光が差してるところをみると、まだ済んでいないと見えます。事件が長引いたので夜までやってるのでしょう。あなたは事件に何か関係があるのですか。刑事問題ででもあるのですか。あなたは証人ですか。」
 彼は答えた。
「私は別に事件に関係があってきたのではありません。ただちょっとある弁護士に話したいことがあるものですから。」
「いやそうでしたか。」と町人は言った。「それ、ここに入り口があります。番人はどこにいるかしら。その大階段を上がってゆかれたらいいでしょう。」
 彼は町人の教えに従った。そしてやがてある広間に出た。そこには大勢の人がいて、法服の弁護士を交じえた集団を所々に作って何かささやいていた。
 黒服をつけて法廷の入り口で小声にささやき合ってるその人々の群れは、いつも見る人の心を痛ましめるものである。慈悲と憐憫《れんびん》とがそれらの言葉から出るのはきわめてまれである。最も多く出るものは、あらかじめ定められた処刑である。考えにふけりつつそこをよぎる傍観者にとっては、それらの群集は陰惨な蜂《はち》の巣のように見えるのであろう。その巣の中においては、うち騒いでる多くの頭が協同してあらゆる暗黒な建物を築こうとしているのである。
 そのただ一つのランプの燈《とも》された大きな広間は、昔は司教邸の控えの間であったが、今は法廷の控室となっていた。観音開きの扉が、その時閉ざされていて、重罪裁判が開かれている大きな室をへだてていた。
 広間の中は薄暗かったので、彼は最初に出会った弁護士に平気で話しかけた。
「審問はどの辺まで進みましたか。」
「もう済みました。」と弁護士は言った。
「済みました!」
 そう鋭い語調で鸚鵡《おうむ》返しにされたので、弁護士はふり返って見た。
「失礼ですが、あなたは親戚なんですか。」
「いや私の知ってる者は一人もここにはいません。そして刑に処せられたのですか。」
「無論です。処刑は当然です。」
「徒刑に?……」
「そうです、終身です。」
 彼はようやく聞き取れるくらいの弱い声で言った。
「それでは、同一人だということが検証せられたわけですね。」
「同一人ですって?」と弁護士は答えた。「そんなことを検証する必要はなかったのです。事件は簡単です。その女は子供を殺した、児殺しの事実は証明された、しかし陪審員は謀殺を認めなかった、で終身刑に処せられたのです。」
「では女の事件ですか。」と彼は言った。
「そうですとも。リモザンの娘です。いったい何の事をあなたは言ってるんですか。」
「いや何でもありません。ですが裁判はすんだのに、どうして法廷にはまだ燈火《あかり》がついてるのですか。」
「次の事件があるからです。もう開廷して二時間ほどになるでしょう。」
「次の事件というのはどういうのです。」
「なにそれも明瞭な事件です。一種の無頼漢で、再犯者で、徒刑囚で、それが窃盗を働いたのです。名前はよく覚えていません。人相の悪い奴です。人相からだけでも徒刑場にやっていい奴《やつ》です。」
「どうでしょう、」と彼は尋ねた、「法廷の方へはいる方法はないでしょうか。」
「どうもむずかしいでしょう。大変な人です。ですがただいま休憩中です。外に出た人もありますから、また初まったら一つ骨折ってごらんなさい。」
「どこからはいるのです。」
「この大きな戸口からです。」
 弁護士は向こうへ行った。二、三瞬間の間に彼は、あらゆる感情をほとんど同時にいっしょに感じた。その無関係な弁護士の言葉は、あるいは氷の針のごとくあるいは炎の刃のごとく、こもごも彼の心を刺し貫いた。まだ何も終結していないのを知った時、彼は息をついた。しかし彼が感じたのは満足の情であったか、あるいは苦悩の情であったか、彼自身も語ることはできなかったであろう。
 彼は幾多の群集に近寄って、その話に耳を傾けた。――法廷は事件が非常に輻輳《ふくそう》していたので、裁判長はその一日のうちに簡単な短い二つの事件を選んだのだった。まず児殺しの事件から初めて、こんどは、あの徒刑囚、再犯者、「古狸」の方の番になった。その男は林檎《りんご》を盗んだのである。しかしそれは証拠不十分らしかった。がかえってその男は一度ツーロンの徒刑場にはいっていたという証拠が上がった。事件は険悪になった。本人の尋問と証人の供述とは済んだ。しかしなお弁護士の弁論と検事の論告とが残っている。夜半にならなければ終結しないに違いない。その男はたぶん刑に処せられるだろう。検事は賢明な人で、決して被告を射外した[#「射外した」に傍点]ことがなく、また少しは詩も作れる才人である。
 法廷の室に通ずる扉《とびら》の所に一人の守衛が立っていた。彼はその守衛に尋ねた。
「この扉は間もなく開かれますか。」
「いや開きません。」と守衛は答えた。
「え! 開廷になっても開かないのですか。今裁判は休憩になってるのではないですか。」
「裁判は今また初まったところです。」と守衛は答えた。
「しかし扉《とびら》は開かれません。」
「なぜです。」
「中は満員ですから。」
「何ですって! もう一つの席もないのですか。」
「一つもありません。扉はしまっています。もうだれもはいることはできません。」
 守衛はそこでちょっと言葉を切ったが、またつけ加えた。「裁判長殿の後ろになお二、三の席がありますが、そこには官吏の人きり許されていません。」
 そう言って、守衛は彼に背を向けた。
 彼は頭をたれてそこから去り、控え室を通り、あたかも一段ごとに逡巡《しゅんじゅん》するかのようにゆっくり階段を下りていった。たぶん自ら自分に相談していたのであろう。前日来彼のうちに戦われていた激しい闘争はなお終わっていなかった。そして彼は各瞬間ごとにその新しい局面を経てきたのだった。階段の中の平段までおりた時、彼は欄干にもたれて腕を組んだ。それから突然フロックの胸を開き、手帳を取り出し、鉛筆を引き出し、一枚の紙を破り、その上に反照燈の光で手早く次の一行を認めた。「モントルイュ[#「モントルイュ」に傍点]・スュール[#「スュール」に傍点]・メール市長[#「メール市長」に傍点]、マドレーヌ[#「マドレーヌ」に傍点]。」それから彼は大またにまた階段を上って、大勢の人を押しわけ、まっすぐに守衛の所へ行き、その紙片を渡し、そして彼に断然と言った。「これを裁判長の所へ持って行ってもらいたい。」
 守衛はその紙片を取り、ちょっとながめて、そして彼の言葉に従った。

     八 好意の入場許可

 モントルイュ・スュール・メールの市長といえば、彼自身はそうとも思っていなかったが、世に評判になっていた。その有徳の名声は、七年前から下《しも》ブーロンネーにあまねく響いていたが、ついにはその狭い地方を越えて、二、三の近県までひろがっていた。あの黒飾玉工業を回復してその中心市に大なる貢献をなしたのみならず、モントルイュ・スュール・メール郡の百四十一カ村のうち一つとして彼から何かの恩沢を被らない村はなかった。彼はなお必要に応じては他郡の工業も助けて盛大にしてやった。たとえばある場合には彼は、自分の信用と資本を投じて、ブーローニュの網目機業を助け、フレヴァンの麻糸紡績業を助け、ブーベル・スュール・カンシュの水力機業を助けた。いたるところ人はマドレーヌ氏の名前を敬意をもって口にしていた。アラスやドゥーエーの町は、かくのごとき市長をいただくモントルイュ・スュール・メールの仕合わせな小さな町をうらやんでいた。
 アラスの重罪裁判を統《す》べていたドゥーエーの控訴院判事は、かくも広くまた尊敬されてる彼の名を、世間の人と同じくよく知っていた。守衛が評議室から法廷に通ずる扉《とびら》をひそかに開いて、裁判長の椅子《いす》の後ろに低く身をかがめ、前述の文字がしたためてある紙片を彼に渡して、「この方が法廷にはいられたいそうです[#「この方が法廷にはいられたいそうです」に傍点]、」とつけ加えた時に、裁判長は急に敬意ある態度を取って、ペンを取り上げ、その紙片の下に数語したためて、それを守衛に渡して言った、「お通し申せ。」
 われわれがここにその生涯を述べつつあるこの不幸な人は、守衛が去った時と同じ態度のままで同じ場所に、広間の扉《とびら》のそばに立っていた。彼は惘然《ぼうぜん》と考えに沈みながら、「どうぞこちらへおいで下さい、」とだれかが言うのを聞いた。先刻は彼に背を向けて冷淡なふうをした守衛が、今は彼に向かって低く身をかがめていた。と同時に彼に紙片を渡した。彼はそれを開いた。ちょうど近くにランプがあったので、彼は読むことができた。
「重罪裁判長はマドレーヌ氏に敬意を表し候《そうろう》。」
 彼はその数語を読んで異様な苦々《にがにが》しい気持ちを感じたかのように、紙片を手の中にもみくちゃにした。
 彼は守衛に従っていった。
 やがて彼は、壁板の張られてる、いかめしい室の中に自分を見いだした。そこにはだれもいず、ただ青い卓布のかかった一つのテーブルの上に二本の蝋燭《ろうそく》がともっていた。そして彼の耳にはなお、彼をそこに残して行った守衛の言葉が響いていた。「これが評議室でございます。この扉の銅の取っ手をお回しになりますれば、ちょうど法廷の裁判長殿のうしろにお出になれます。」そしてその言葉は、今通ってきた狭い廊下と暗い階段との漠然《ばくぜん》とした記憶に、彼の頭の中でからみついていた。
 守衛は彼を一人残して行ってしまった。最後の時がきた。彼は考えをまとめようとしたができなかった。思索の糸が脳裏にたち切れるのは特に、人生の痛ましい現実に思索を加える必要を最も多く感ずる時においてである。彼は既に判事らが討議し断罪するその場所にきていたのである。彼は呆然《ぼうぜん》たる落ち着きをもってその静まり返ってる恐ろしい室を見回した。この室において、いかに多くの生涯が破壊されたことであろう。やがて彼の名前もこの室に響き渡るのである。そしていまや彼の運命はこの室を過《よぎ》りつつある。彼はじっとその壁をながめ、次に自分を顧みた。それがこの室であり、それが自分自身であることを、彼は自ら驚いた。
 彼はもう二十四時間以上の間何も食べず、また馬車の動揺のために弱り切っていた。しかし彼はそれを自ら感じなかった。何の感じをも持っていないような心地《ここち》がしていた。
 彼は壁にかかっている黒い額縁に近寄った。そのガラスの下にはパリー市長でありまた大臣であったジャン・ニコラ・パーシュの自筆の古い手紙が納めてあった。日付は、きっとまちがったのであろうが、革命第二年六月[#「六月」に傍点]九日としてあった。それはパーシュが、自家拘禁に処せられた大臣や議員の名簿をパリー府庁に送ったものだった。その時もしだれか彼を見彼を観察したならば、必ずや彼がその手紙を非常に珍しがってるものと思ったであろう。なぜなら、彼はその手紙から目を離さず、二、三度くり返して読んだのだった。しかし彼は何らの注意も払わず、ほとんど無意識にそれを読んでるにすぎなかった。心ではファンティーヌとコゼットのことを考えていた。
 考えにふけりながら彼はふとふり返った。そして彼の目は、彼を法廷から距《へだ》ててる扉《とびら》の銅の取っ手にぶつかった。彼はほとんどその扉を忘れていたのである。彼の視線は初めは穏かにその銅の取っ手に引きつけられてとどまり、次に驚いてじっとそれに据《すわ》り、そしてしだいに恐怖の色を帯びてきた。汗の玉が髪の間から両の顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》に流れてきた。
 ふと彼はおごそかにまた反抗的に何ともいえぬ身振りをした。それは、「馬鹿な[#「馬鹿な」に傍点]! だれがいったい私にこんなことを強いるのか[#「だれがいったい私にこんなことを強いるのか」に傍点]?」という意味らしく、またその意味がよく現われていた。それから彼は急に向き返って、自分の前に今はいってきた扉のあるのを見、その方に歩いてゆき、それを開いて出て行った。そしていまやもう彼はその室の中にはいないのだった。室の外に、廊下に出ているのだった。廊下は狭く長く、段々や戸口に仕切られ、種々折れ曲がっており、ここかしこに病人用の豆ランプに似た反照燈がついていた。これを彼は先刻通ってきたのである。彼はほっと息をついた。耳を澄ますと、前にも後ろにも何の物音もなかった。彼は追わるる者のように逃げ出した。
 廊下の幾つかの角を曲がった時、彼はなお耳を傾けた。周囲はやはり同じような沈黙とやみとばかりだった。彼は息を切らし、よろめき、壁に身をささえた。壁の石は冷ややかに、額《ひたい》の汗は氷のようになっていた。彼は身を震わしながら立ち竦《すく》んだ。
 そしてそこにただ一人暗やみのうちにたたずみ、寒さとまたおそらく他のあるものとに震えながら彼は考えた。
 彼は既に終夜考え、既に終日考えたのであった。そしてもはや自分のうちにただ一つの声を聞くのみだった、「ああ」と。
 十五分ばかりはかくして過ぎた。ついに彼は首をたれ、苦しいため息をもらし、両腕をたれ、また足を返した。彼はあたかも圧伏されたかのようにゆるやかに足を運んだ。逃げるところをとらえられて引き戻されるがような様子だった。
 彼は再び評議室にはいった。最初に彼の目にとまったものは、扉の引き金であった。そのみがき上げた銅の丸い引き金は、彼の目には恐るべき星のように輝いていた。あたかも羊が虎《とら》の目を見るように彼はそれを見つめた。
 彼の両の目はそれから離れることができなかった。
 時々彼は歩を進めた、そしてその扉《とびら》に近づいていった。
 もし耳を澄ましたならば、雑然たるささやきのような隣室の響きを彼は聞き取り得ただろう。しかし彼は耳を澄まそうとしなかった、そして何物をも聞かなかった。
 突然、自分でもどうしてだか知らないうちに、彼は扉のそばに自分を見いだした。彼は痙攣的《けいれんてき》にその取っ手をつかんだ。扉は開いた。
 彼は法廷のうちにあった。

     九 罪状決定中の場面

 彼は一歩進み、後ろに機械的に扉をしめ、そしてそこに立ちながら眼前の光景をながめた。
 それは十分に燈火《あかり》のついていない広い室であって、あるいは一せいに騒ぎ立ち、あるいはまたひっそりと静まり返っていた。刑事訴訟の機関が、その賤《いや》しい痛ましい荘重さをもって群集のうちに展開していた。
 彼が立っている広間の一|隅《ぐう》には、判事らがぼんやりした顔つきをしすり切れた服を着て、爪をかんだり目を閉じたりしていた。他の一隅には粗服の群集がいた。それからまた、種々の姿勢をした弁護士らや、正直ないかめしい顔の兵士ら。汚点《しみ》のついてる古い壁板、きたない天井、緑というよりもむしろ黄いろくなってるセルの着せてあるテーブル、手|垢《あか》で黒くなってる扉、羽目板の釘に下がって光よりもむしろ煙の方を多く出してる居酒屋にでもありそうなランプ、テーブルの上の銅の燭台に立ってる蝋燭《ろうそく》、薄暗さと醜さとわびしさ。そしてすべてそれらのものには一種尊厳な印象があった。なぜなら人はそこにおいて、法律と呼ぶ偉大なる人事と正義と呼ぶ偉大なる神事とを感ずるのであるから。
 それらの群集のうちだれも彼に注意する者はなかった。人々の視線はただ一つの点に集中されていた。そこには、裁判長の左手に当たって壁に沿い小さな扉《とびら》によせかけた木の腰掛けがあった。幾つもの蝋燭《ろうそく》に照らされたその腰掛けの上には、二人の憲兵にはさまれて一人の男がすわっていた。
 それが即ち例の男であった。
 彼は別にさがしもしないですぐにその男を見た。あたかもそこにその男がいるのをあらかじめ知っていたかのように、彼の目は自然にそこへ向けられたのである。
 彼は年を取った自分自身を見るような気がした。もちろん顔は全然同じではなかった。しかしその同じような態度や様子、逆立った髪、荒々しい不安な瞳《ひとみ》、広い上衣、それは、十九年間徒刑場の舗石《しきいし》の上で拾い集めたあの恐ろしい思想の嫌悪《けんお》すべき一団を魂のうちに隠しながら憤怨《ふんえん》の情に満ちて、ディーニュの町にはいって行ったあの日の自分と、同じではないか。
 彼は慄然《りつぜん》として自ら言った。「ああ、自分も再びあんなになるのか。」
 その男は少なくとも六十歳くらいに見えた。何ともいえぬ粗暴な愚鈍なこじれた様子をしていた。
 扉《とびら》の音で、そこにいた人たちは横に並んで彼に道を開いた。裁判長は頭をめぐらし、はいってきたのはモントルイュ・スュール・メールの市長であることを知って、会釈をした。検事は公務のため一度ならずモントルイュ・スュール・メールに行ったことがありマドレーヌ氏を知っていたので、彼の姿を見て同じく会釈をした。彼の方ではそれにほとんど気づかなかった。彼は一種の幻覚の囚《とりこ》になっていた。彼はあたりをながめた。
 数人の判事、一人の書記、多くの憲兵、残忍なほど好奇な人々の群れ、彼は昔二十七年前にそれらを一度見たことがあった。そして今再びそれらの凶悪なるものに出会った。それはそこにあり、動いてい、存在していた。それはもはや、記憶中のものでなく、瞑想《めいそう》の投影ではなかった。現実の憲兵、現実の判事、現実の群集、肉と骨との現実の人間だった。いまや万事終わったのである。過去の異常なる光景が、現実の恐ろしさをもって周囲に再び現われよみがえって来るのを彼は見た。
 すべてそれらのものは彼の前に口を開いていた。
 彼は恐怖し、目を閉じ、そして魂の奥底で叫んだ、「いや決して!」
 しかも、彼のいっさいの考えを戦慄《せんりつ》せしめ、彼をほとんど狂わする悲痛な運命の悪戯《いたずら》によって、その法廷にいるのは他の彼自身であった。裁判を受けている男を、人々は皆ジャン・ヴァルジャンと呼んでいた。
 生涯のうち最も恐ろしかったあの瞬間が、再びそこに自分の影によって演出されているのを、彼は目前に見た。何たる異様な光景ぞ。
 すべてがそこにあった、同じ機関、同じ夜の時刻、判事や兵士や傍聴者のほとんど同じ顔が。ただ、裁判長の頭の上に一つの十字架像がかかっていた。それだけが彼の処刑の時の法廷になかったものである。彼が判決を受けた時には、神はいなかったのである。
 彼の後ろに一つの椅子《いす》があった。彼は人に見らるるのを恐れてその上に身を落とした。席について彼は、判事席の上に積み重ねてあった厚紙とじの影に隠れて、広間全体の人々の前に自分の顔を隠した。もう人に見られずにすべてを見ることができた。しだいに彼は落ち着いてきた。再び現実のことを十分よく感ずるようになった。外部のことを聞き取り得る平静を得てきた。
 バマタボア氏も陪審員の一人としてそこにいた。
 彼はジャヴェルをさがしたが、見つからなかった。証人の席はちょうど書記のテーブルに隠れていた。そしてまた、前に言ったとおりその広間は十分に明るくなかった。
 彼がはいってきた時は、被告の弁護士がその弁論を終えようとしてるところだった。人々の注意は極度に緊張していた。事件は三時間も前から続いていたのである。三時間の間人々は、その男、その曖昧《あいまい》な奴《やつ》、極端にばかなのか極端に巧妙なのかわからないその浅ましい奴、それが恐るべき真実らしさの重荷の下にしだいに屈してゆくのをながめていたのである。読者の既に知るとおり、その男は一の浮浪人であって、ピエロンの園といわれているある果樹園の林檎《りんご》の木から、熟した林檎のなってる枝を一本折って持ち去るところを、すぐそばの畑の中で捕えられたのである。でその男はいったい何という奴であるか? 調査がなされた。証人らの供述も求められたが、みなその言葉は一致していた。事件は初めから明瞭《めいりょう》であった。起訴は次のとおりだった。――この被告は、単に果実を盗んだ窃盗犯人たるのみではない。被告は実に無頼漢であり、監視違反の再犯者であり、前徒刑囚であり、最も危険なる悪漢であり、長く法廷よりさがされていたジャン・ヴァルジャンと呼ばるる悪人である。彼は八年前ツーロンの徒刑場をいずるや、プティー・ジェルヴェーと呼ばるるサヴォアの少年より大道において強盗を行なった。これ実に刑法第三百八十三条に規定せる犯罪である。これについては、人物証明の成るをまって更に追及すべきである。彼は今新たに窃盗を働いた。これは実に再犯である。よってまず新たなる犯罪について処罰し、更に再犯については後に裁《さば》くべきである。――この起訴に対して、また証人らの一様なる供述に対して、被告は何よりもまず驚いたようだった。彼はそれを否定せんとするつもりらしい身振りや手つきをし、または天井を見つめていた。彼はかろうじて口をきき、当惑した返答をしたが、頭から足先までその全身は否定していた。彼は自分を包囲して攻めよせるそれらの知力の前にあって白痴のごとく、自分を捕えんとするそれらの人々の中にあってあたかも局外者のごとくであった。けれどもそれは彼の未来に関する最も恐るべき問題であった。真実らしさは各瞬間ごとに増していった。そして公衆は、おそらく彼自身よりもなおいっそうの懸念をもって、不幸なる判決がしだいに彼の頭上にかぶさって来るのをながめた。もし同一人であることが認定せられ、後にプティー・ジェルヴェーの事件までが判決せらるるならば、徒刑は愚か死刑にまでもなりそうな情勢だった。しかるにその男はいかなる奴《やつ》であったか? 彼の平気はいかなる性質のものであったか。愚鈍なのかまたは狡猾《こうかつ》なのか。彼はあまりによく了解していたのか、または何もわかっていなかったのか。そういう疑問に、公衆は二派に分かれ、陪審員も二派にわかれているらしかった。その裁判のうちには、恐るべきまた困惑すべきものがあった。その悲劇は単に陰惨なるばかりでなく、また朦朧《もうろう》としていた。
 弁護士はあの長く弁護士派の雄弁となっていた地方的言辞でかなりよく論じた。その地方的言辞は、ロモランタンやモンブリゾンにおいてはもとよりパリーにおいても、昔あらゆる弁護士によって使われたものであるが、今日では一種のクラシックとなって、ただ法官の公の弁論にのみ使用され、荘重なる音と堂々たる句法とによってそれによく調和している。夫や妻を配偶者[#「配偶者」に傍点]と言い、パリーを学芸および文明の中心地[#「学芸および文明の中心地」に傍点]と言い、王を君主[#「君主」に傍点]と言い、司教を聖なる大司祭[#「聖なる大司祭」に傍点]と言い、検事を能弁なる訴訟解釈者[#「能弁なる訴訟解釈者」に傍点]と言い、弁論をただいま拝聴せる言語[#「ただいま拝聴せる言語」に傍点]と言い、ルイ十四世時代を偉大なる世紀[#「偉大なる世紀」に傍点]と言い、劇場をメルポメネの殿堂[#「メルポメネの殿堂」に傍点]と言い、王家を王のおごそかなる血統[#「王のおごそかなる血統」に傍点]と言い、演奏会を音楽の盛典[#「音楽の盛典」に傍点]と言い、師団長を何々の高名なる勇士[#「何々の高名なる勇士」に傍点]と言い、神学校の生徒をかの優しきレヴィ人[#「かの優しきレヴィ人」に傍点]と言い、新聞紙に帰せらるる錯誤を新聞機関の欄内に毒を注ぐ欺瞞[#「新聞機関の欄内に毒を注ぐ欺瞞」に傍点]と言い、その他種々の言い方を持っている。――ところで弁護士はまず林檎《りんご》窃盗の件の説明より初めた。美しい語法においては説明に困難な事がらである。しかしベニーニュ・ボシュエもかつて祭文のうちにおいて一羽[#「一羽」に傍点]の牝鶏《めんどり》の事に説きおよぼさなければならなかった、しかも彼はみごとにそれをやってのけたのだった。今弁護士は、林檎の窃盗は具体的には少しも証明せられていない旨を立論した。――弁護人として彼がシャンマティユーと呼び続けていたその被告は、壁を乗り越えもしくは枝を折るところをだれからも見られたのではない。――彼はただその枝(弁護士は好んで小枝[#「小枝」に傍点]と言った)を持っているところを押さえられただけである。――しかして彼は、地に落ちているのを見いだして拾ったまでだと言っている。どこにその反対の証拠があるのか? ――おそらくその一枝はある盗人によって、壁を越えた後に折られ盗まれ、見つかってそこに捨てられたものであろう。疑いもなく、盗人はあるにはあった。――しかしその盗人がシャンマティユーであったという何の証拠があるか。ただ一事、徒刑囚であったという資格、不幸にしてそれはよく確証せられたらしいことを弁護士も否定しなかった。被告はファヴロールに住んでいたことがある。被告はその地で枝切り職をやっていた。シャンマティユーという名前は本来ジャン・マティユーであったであろう。それは事実である。それから四人の証人も、シャンマティユーを囚人ジャン・ヴァルジャンであると躊躇《ちゅうちょ》するところなく確認している。それらの徴証とそれらの証言に対しては、弁護士も被告の否認、利己的な否認をしか持ち出し得なかった。しかし、たとい彼がもし囚徒ジャン・ヴァルジャンであったとしても、それは彼が林檎《りんご》を盗んだ男であるという証拠になるであろうか? それは要するに推定であって、証拠ではない。が被告は「不利な態度」を取った。それは事実で、弁護士も「誠実なところ」それを認めざるを得なかった。被告は頑固《がんこ》にすべてを否認した、窃盗《せっとう》もまた囚人の肩書きをも。だがこの後者の方は確かに自白した方がよかったであろう。そうすればあるいは判事らの寛大な処置を買い得たかも知れなかった。弁護士もそれを彼に勧めておいたのであった。しかし被告は頑強にそれを否認した。きっと何も自白しなければすべてを救い得ると思ったのであろう。それは明らかに誤りであった。しかしかく思慮の足りないところもよろしく考量すべきではあるまいか。この男は明らかに愚かである。徒刑場における長い間の不幸、徒刑場を出て後の長い間の困苦、それは彼を愚鈍になしてしまったのである。云々《うんぬん》。彼は下手《へた》な弁解をしたが、それは彼を処刑すべき理由にはならない。ただプティー・ジェルヴェーの事件に至っては、弁護士もそれを論議すべきものを持たなかった。それはまだ訴件のうちにはいっていなかったのである。結局、もし被告がジャン・ヴァルジャンと同一人であると認定せらるるにしても、監視違反囚に対する警察法にのみ彼を問い、再犯囚に対する重罪に処せないようにと、弁護士は陪審員および法官一同に向かって懇願しながら、その弁論を結んだ。
 検事は弁護士に対して反駁《はんばく》した。彼は検事の通性として辛辣《しんらつ》でまた華麗であった。
 彼は弁護士の「公明」を祝した、そしてその公明を巧みに利用した。彼は弁護士の認めたすべての点によって被告を難じた。弁護士は被告がジャン・ヴァルジャンであることを認めたがようであった。彼はその点をとらえた。被告はゆえにジャン・ヴァルジャンである。この点は既に起訴のうちに明らかで、もはや抗弁の余地はない。そこで検事は巧みに論法を換えて、犯罪の根本および原因にさかのぼり、ロマンティック派の不道徳を痛論した。ロマンティック派は当時、オリフラム紙やコティディエンヌ紙の批評家らが与えた悪魔派[#「悪魔派」に傍点]の名の下に起こりかけていたのだった。検事はいかにも真《まこと》らしく、シャンマティユーいや換言すればジャン・ヴァルジャンの犯罪は、その敗徳文学の影響であるとした。その考察が済んで、彼は直接ジャン・ヴァルジャンに鋒先《ほこさき》を向けた。ジャン・ヴァルジャンとはいったい何物であるか? 彼はそこでジャン・ヴァルジャンのことを詳細に描出した。地より吐き出されたる怪物|云々《うんぬん》。それらの描出の模範はこれをテラメーヌ([#ここから割り注]訳者注 ラシーヌの戯曲フエードル中の人物[#ここで割り注終わり])の物語のうちに求められる。それは悲劇には無用なものであるが、常に法廷の雄弁には大なる貢献をなすものである。傍聴人や陪審員らは「震え上がった。」その描出がすんで彼は、翌朝のプレフェクチュール紙の大なる賛辞をかち得んための抑揚《よくよう》をもって言を進めた。――そして被告は実にかくのごとき人物である、云々。浮浪人であり、乞食《こじき》であり、生活の方法を有せぬ奴《やつ》である、云々。――被告は過去の生涯によって悪事になれ、入獄によっても少しもその性質が改まらなかったのである。プティー・ジェルヴェーに関する犯罪はそれを証して余りある、云々。――被告は不敵なる奴である。大道において、乗り越した壁より数歩の所において、盗める品物を手に持っていて、現行犯を押さえられ、しかもなおその現行犯を、窃盗《せっとう》を、侵入を、すべてを否認し、おのれの名前までも否認し、同一人なることまでも否認している。しかし吾人《ごじん》はここに一々持ち出さないが、幾多の証拠がある。それを外にしても四人の証人が認めている。すなわち、ジャヴェル、あの清廉なる警視ジャヴェル、および被告の昔の汚辱の仲間、ブルヴェー、シュニルディユー、コシュパイユの三人の囚人。その一致したる恐るべき証言に対して、彼はいかなる反駁《はんばく》を有するか? 彼は単に否定する。いかなる頑強さぞ! 陪審員諸君、諸君はよろしく公平なる判断を下さるることと思う、云々《うんぬん》。――検事がかく語っている間、被告は多少感嘆を交じえた驚きをもって呆然《ぼうぜん》と口を開いて聞いていた。人間の力でよくもかく語り得るものだと彼は明らかに驚いたのである。時々、論告の最も「溌剌《はつらつ》」たる瞬間、自らおさえかねる能弁が華麗なる文句のうちにあふれ出て、被告を暴風雨のごとく包囲する瞬間には、彼は右から左へ左から右へとおもむろに頭を動かした。それは一種の悲しい無言の抗弁であって、彼は弁論の初めよりそれだけで自ら満足していたのである。彼の最も近くに立会ってる人々は、彼が二、三度口のなかで言うのを聞いた。「バルーさんに尋ねなかったからこんなことになるんだ!」――その愚昧《ぐまい》な態度を検事は陪審員らに注意した。それは明らかに故意にやっているもので、被告の痴鈍を示すものではなく、実に巧妙と狡猾《こうかつ》とを示すものであり、法廷を欺く常習性を示すものであり、被告の「根深い奸悪《かんあく》」を現わすものである。そして彼は、プティー・ジェルヴェーの事件はこれを保留しておき、厳刑を請求しながら弁論を終えた。
 ここに厳刑というのは、読者の知るとおり、無期徒刑をさすのである。
 弁護士はまた立ち上がって、まず「検事殿」にその「みごとなる弁舌」を祝し、次にできる限りの答弁を試みた。しかし彼の論鋒《ろんぽう》は鈍っていた。地盤は明らかに彼の足下にくずれかけていた。

     十 否認の様式

 弁論を終結すべき時はきた。裁判長は被告を起立さして、例のごとく尋ねた。「被告はなお何か申し開きをすることはないか。」
 男は立ったまま手に持っているきたない帽子をひねくっていた。裁判長の言葉も聞こえぬらしかった。
 裁判長は再び同じ問いをかけた。
 こんどは男にも聞こえた。彼はその意味を了解したらしく、目がさめたというような身振りをし、周囲を見回し、公衆や憲兵や自分の弁護士や陪審員や法官らをながめ、腰掛けの前の木|柵《さく》の縁にその大きな拳《こぶし》を置き、なお見回して、突然検事の上に目を据えて語り初めた。それはあたかも爆発のごときものだった。その言葉は、支離滅裂で、急激で、互いに衝突し混乱して、口からほとばしりいで、一時に先を争って出て来るかのようだった。彼は言った。
「私の言うのはこうだ。私はパリーで車大工をしていた。バルー親方の家だ。それはえらい仕事だ。車大工というものは、いつも戸外《そと》で、中庭で、仕事をしなくちゃならない。親切な親方の家じゃ仕事場でするんだが、決してしめ切った所じゃない。広い場所がいるからだ。冬なんかひどく寒いから、自分で腕を打って暖まるくらいだ。だが親方はそれを喜ばない。時間がつぶれるというんだ。舗石《しきいし》の間には氷がはりつめていようという寒い時に鉄を扱うのは、つらいもんだ。すぐに弱ってしまう。そんなことをしていると、まだ若いうちに年をとってしまう。四十になる頃にはもうおしまいだ。私は五十三だった、非常につらかった。それに職人というものは意地が悪いんだ! 年が若くなくなると、もう人並みの扱いはしないで老耄奴《おいぼれめ》がと言いやがる。私は一日に三十スーよりもらわなかった。給金をできるだけ安くしようというのだ。親方は私が年をとってるのをいいことにしたんだ。それに私は、娘が一人あった。川の洗たく女をしていたが、その方でも少ししか取れなかった。でも二人で、どうにかやってはゆけた。娘の方もつらい仕事だった。雨が降ろうが、雪が降ろうが、身を切るような風に吹かれて、腰まである桶《おけ》の中で一日働くんだ。氷が張っても同じだ。洗たくはしなけりゃならない。シャツをよけいに持っていない人がいるんだ。後を待っている。すぐに洗わなけりゃ流行《はや》らなくなってしまう。屋根板がよく合わさっていないので、どこからでも雨がもる。上着や下着は皆びしょぬれだ。身体にまでしみ通ってくる。娘はまた、アンファン・ルージュの洗たく場でも働いたことがある。そこでは水が鉄管から来るので、桶の中にはいらないですむ。前の鉄管で洗って、後ろの盥《たらい》でゆすぐんだ。戸がしめてあるんだからそんなに寒くはない。だが恐ろしく熱い蒸気が吹き出すから、目を悪くしてしまう。娘は夕方七時に帰ってきて、すぐに寝てしまう。そんなに疲れるんだ。亭主はそれをなぐる。そのうち娘は死んでしまった。私どもは非常に不仕合わせだった。娘は夜遊びをしたこともなく、おとなしいいい子だった。一度カルナヴァルのしまいの日に、八時に帰ってきて寝たことがあったばかりだ。そのとおりだ。私は本当のことを言ってる。調べたらすぐわかることだ。ああそうだ、調べるといったところで、パリーは海のようなもんだ。だれがシャンマティユーじいなんかを知ってよう。だがバルーさんなら知ってる。バルーさんの家に聞いてみなさい。その上で私をどうしようと言いなさるのかね。」
 男はそれで口をつぐんで、なお立っていた。彼はそれだけのことを、高い早い嗄《しわが》れたきつい息切れの声で、いら立った粗野な率直さで言ってのけた。ただ一度、群集の中のだれかにあいさつするため言葉を途切らしただけだった。やたらにつかんでは投げ出したようなその断定の事がらは、吃逆《しゃっくり》のように彼の口から出た。そして彼はその一つ一つに、木を割ってる樵夫《きこり》のような手つきをつけ加えた。彼が言い終わった時、傍聴人は失笑《ふきだ》した。彼はその公衆の方をながめた。そして皆が笑ってるのを見て、訳もわからないで、自分でも笑い出した。
 それは彼にとって非常な不利であった。
 注意深いまた親切な裁判長は、口を開いた。
 彼は「陪審員諸君」に、「被告が働いていたという以前の車大工親方バルーという者を召喚したが出頭しなかった、破産をして行方《ゆくえ》がわからないのである、」ということを告げた。それから彼は被告の方に向いて、自分がこれから言うことをよく聞くようにと注意し、そして言った。「その方はよく考えてみなければならない場合にあるのだぞ。きわめて重大な推定がその方の上にかかったのだ、そして最悪な結果をきたすかも知れないのだ。被告、その方のために本官は最後に今一度言ってやる。次の二つの点を明瞭《めいりょう》に説明してみよ。第一に、その方はピエロンの果樹園の壁を乗り越え枝を折り林檎《りんご》を盗んだか、否か。言い換えれば、侵入|窃盗《せっとう》の罪を犯したか、否か。第二に、その方は放免囚ジャン・ヴァルジャンであるか、否か。」
 被告はそれをよく理解しかつ答うべきことを知ってるかのように、悠然《ゆうぜん》と頭を振った。彼は口を開き、裁判長の方を向き、そして言った。
「まず……。」
 それから彼は自分の帽子を見、天井をながめ、それきり黙ってしまった。
「被告、」と検事は鋭い声で言った、「注意せい。その方は審問には何も答えない。その方の当惑を見ても罪は十分明らかだ。みな明瞭にわかっているのだぞ。その方はシャンマティユーという者ではない。徒刑囚ジャン・ヴァルジャンである。初め母方の姓を取ってジャン・マティユーという名の下に隠れていたのだ。その方はオーヴェルニュに行ったことがある。その方はファヴロールの生まれで、そこで枝切り職をやっていた。それからまた、その方がピエロン果樹園に侵入して熟した林檎《りんご》を盗んだことも明白である。陪審員諸君も十分認められることと思う。」
 被告は再び席についていた。しかし検事が言い終わると急に立ち上がって叫んだ。
「旦那《だんな》はわるい人だ、旦那は! 私は初めから言いたかったのだが、どう言っていいかわからなかったのだ。私は何も盗みはしなかった。私のようなものは、毎日食べなくてもいいのだ。私はその時アイイーからやってきた。その田舎《いなか》を歩いていた。夕立の後で田圃《たんぼ》は黄色くなっていた。池の水はいっぱいになっていた。路傍《みちばた》には小さな草が砂から頭を出してるきりだった。私は林檎のなってる枝が折れて地に落ちてるのを見つけた。私はその枝を拾った。それがこんな面倒なことになろうとは知らなかったのだ。私はもう三月《みつき》も牢にはいっている。方々引き回された。それから、私は何と言っていいかわからないが、旦那方は私を悪くいって、返事をしろ! と言いなさる。憲兵さんは親切に、私を肱《ひじ》でつっついて、返事をするがいいと小声で言いなさる。が私は何と説き明かしていいかわからない。私は学問もしなかった。つまらない男だ。それがわからないと言うのは旦那方の方がまちがってるんだ。私は盗みはしなかった。落ちてるものを地から拾い上げたまでだ。旦那方はジャン・ヴァルジャン、ジャン・マティユーと言いなさる。私はそんな人たちは知らない。それは村の人かも知れない。私はロピタル大通りのバルーさんの家で働いていたんだ。私はシャンマティユーという者だ。よくも旦那方は私の生まれた所まで言ってきかしなさる。だが自分ではどこで生まれたか知らないんだ。生まれるに家のない者もいる。その方が便利かもわからないんだ。私の親父《おやじ》と母親《おふくろ》とは大道を歩き回ってる者だったに違いない。だがそれも私はよく知らない。子供の時私は小僧と言われていた、そして今では爺さんと人が言ってくれる。それが私の洗礼名だ。どう考えようとそれは旦那方《だんながた》の勝手だ。私はオーヴェルニュにもいたし、ファヴロールにもいた。だが、オーヴェルニュやファヴロールにいた者は皆牢にいた者だというのかね。私は泥坊なんかしなかったというんだ。私はシャンマティユー爺というものだ。私はバルーさんのうちにいた。ちゃんと住居《すまい》があったんだ。旦那方は訳もわからないことを言って私をいじめなさる。なぜそう一生懸命になって私を皆でつけ回しなさるのかね!」
 検事はその間立ったままでいたが、裁判長へ向かって言った。
「裁判長殿、被告は曖昧《あいまい》なしかも至って巧妙な否認を試み、白痴として通らんとしている。しかしそうはゆかぬ。吾人《ごじん》はその手には乗らない。裁判長並びに法廷の諸君、吾人は被告の否認に対して、ふたたび囚徒ブルヴェー、コシュパイユ、シュニルディユー、および警視ジャヴェルを、この場に召喚することを請求したい。しかして最後に今一度、被告とジャン・ヴァルジャンとが同一人なるや否やを彼らに尋問したいのである。」
「検事に注意するが、」と裁判長は言った、「警視ジャヴェルは公用によって隣郡の町に帰るため、供述を終えて直ちに法廷を去り、この町をも去っている。検事および被告弁護士の同意を得てそれを彼に許可したのである。」
「裁判長殿、まさにそのとおりです。」と検事は言った。「しかしてジャヴェル君の不在により、私は彼が二、三時間前この席において供述したところのことを、陪審員諸君の前に再び持ち出したい。ジャヴェルはりっぱな人物であり、下役ではあるが、しかし至って重要なるその役目を厳粛なる正直《せいちょく》さをもって果たす男である。そして彼は実にかくのごとく陳述したのである。『私は被告の否認を打ち消すべき心理的推定並びに具体的証拠をさえも必要としませぬ。私はこの男を十分見|識《し》っています。この男はシャンマティユーという者ではありませぬ。この男は極悪なる恐るべき徒刑囚ジャン・ヴァルジャンであります。刑期過ぎてこの男を放免するのもすこぶる遺憾なほどでありました。彼は加重情状付|窃盗《せっとう》のために十九年間の徒刑を受けたのです。その間に五、六回の脱獄を企てたのであります。プティー・ジェルヴェーに関する窃盗並びにピエロンに関する窃盗のほかに、私はなお、故ディーニュの司教閣下の家においてもある窃盗を働いたことを睨《にら》んでいるのであります。私はツーロンの徒刑場において副看守をしていました時に、彼をしばしば見たことがあります。私はこの男を十分|識《し》っていることをここにくり返して申したいのであります。』」
 そのきわめて簡明なる申し立ては、公衆および陪審員に強い印象を与えたらしかった。検事はジャヴェルを除いた三人の証人、ブルヴェー、シュニルディユー、コシュパイユを再び呼び寄せて厳重に尋問すべきを主張して席に着いた。
 裁判長は一人の守衛に命令を伝えた。直ちに証人の室の扉《とびら》は開かれた。守衛は万一の場合手助けとなる憲兵を一人伴って、囚徒ブルヴェーを導いてきた。傍聴人らは不安に息を凝らし、彼らのすべての胸はただ一つの心を持ってるかのように皆一時におどった。
 前囚徒ブルヴェーは、中央監獄の暗灰色の上衣を着ていた。六十歳ばかりの男で、事務家らしい顔つきと悪者らしい様子とをそなえていた。事務家の人相と悪者の様子とは互いに相応することがあるものである。彼はある新しい悪事で再び監獄にはいったのであるが、いくらか取り立てられて牢番になっていた。「奴《やつ》何かの役にたちたいと思ってるらしい、」と上役どもから言われていた。教誨師《きょうかいし》らも彼の宗教上の平素については善《よ》く言っていた。もちろんそれは王政復古後のことであるのはいうまでもないことである。
「ブルヴェー、」と裁判長は言った、「その方は賤《いや》しい刑を受けたる身であるから、宣誓をすることはできないが……。」
 ブルヴェーは目を伏せた。
「しかしながら、」と裁判長は続けた、「法律によって体面を汚された者のうちにも、神の慈悲によって、なお名誉と公正の感情はとどまり得る。今この大切なる時に当たって本官はその感情に訴えたい。なおその方のうちに、本官の希望するごとく、その感情があるならば、本官に答える前によく考えてみよ。一方には、その方の一言によって身の破滅をきたすかも知れない男があり、他方には、その方の一言によって公明になるかも知れない正義があるのだ。重大な場合である。誤解だと信ずるならばその方はいつでも前言を取り消してよろしい。――被告、起立せい。――ブルヴェー、よく被告を見、記憶をたどって、被告はその方の徒刑場の昔の仲間ジャン・ヴァルジャンであるとなお認むるかどうか、その方の魂と良心とをもって申し立ててみよ。」
 ブルヴェーは被告をながめた。それから法官の方へ向き直った。
「そうです、裁判長殿。最初に彼を認めたのは私です。私は説を変えませぬ。この男はジャン・ヴァルジャンです。一七九六年にツーロンにはいり、一八一五年にそこを出たのです。私はそれから一年後に出ました。今ばかな様子をしていますが、それは老耄《おいぼれ》たからでしょう。徒刑場では狡猾《こうかつ》な奴でした。私は確かにこの男を覚えています。」
「席につけ。」と裁判長は言った。「被告は立っておれ。」
 シュニルディユーが導かれてきた。その赤い獄衣と緑の帽子とが示すように無期徒刑囚であった。彼はツーロンの徒刑場で服役していたが、その事件のために呼び出されたのである。いらいらした、顔にしわのよった、弱々しい身体の、色の黄いろい、鉄面皮な、落ち着きのない、五十歳ばかりの背の低い男で、手足や身体には病身者らしいところがあり、目つきには非常な鋭さがあった。徒刑場の仲間らは彼をジュ・ニ・ディユーと綽名《あだな》していた。([#ここから割り注]訳者注 吾神を否定するという意味であってシュニルディユーをもじったものである[#ここで割り注終わり])
 裁判長はブルヴェーに言ったのとほとんど同じような言葉を彼に言った。裁判長が彼に、その汚辱のために宣誓する権利がないことを注意した時、彼は頭を上げて、正面の群集を見つめた。裁判長は彼によく考えるように言って、それからブルヴェーに尋ねたとおり、彼がなお被告を知っていると主張するかどうかを尋ねた。
 シュニルディユーは放笑《ふきだ》した。
「なあに、知ってるかって! 私どもは五年も同じ鎖につながれていたんだ。おい爺さん、何をそう口をとがらしているんだ。」
「席につけ。」と裁判長は言った。
 守衛はコシュパイユを連れてきた。シュニルディユーと同じく徒刑場から呼び出された、赤い獄衣を着てる無期徒刑囚だった。ルールドの田舎者《いなかもの》で、ピレネー山の山男だった。彼は山中で羊の番をしていたのであるが、羊飼いから盗賊に堕したのである。被告同様の野人で、かつなおいっそう愚鈍らしかった。自然から野獣に作られ社会から囚人に仕上げられた不幸なる人々の一人だった。
 裁判長は感慨ぶかい荘重な言葉で、彼の心を動かそうとした、そして前の二人にしたように、前に立っている男を何らの躊躇《ちゅうちょ》も惑いもなく認定しつづけるかどうかを尋ねた。
「こいつはジャン・ヴァルジャンだ。」とコシュパイユは言った。「起重機のジャンとも言われていた。そんなに力が強かったんだ。」
 明らかにまじめに誠実になされたその三人の断定をきくたびごとに、傍聴人の間には被告の不利を予示するささやきが起こった。新しい証言が前の証言に加わってゆくごとに、そのささやきはますます大きくなり長くなった。被告の方は、それらの証言を例のびっくりしたような顔つきで聞いていた。反対者から言わすれば、それは彼の自己防衛の重なる手段であった。第一の証言に、両側にいた二人の憲兵は彼が口のうちでつぶやくのを聞いた。「なるほど彼奴《あいつ》がその一人だな!」第二の証言の後、彼はほとんど満足らしい様子ですこし高い声で言った、「結構だ!」三番目には彼は叫んだ、「素敵だ!」
 裁判長は彼に言葉をかけた。
「被告、ただいま聞いたとおりだ。何か言うことがあるか。」
 彼は答えた。
「私は、素敵だ! と言うのだ。」
 喧騒《どよめき》が公衆のうちに起こって、ほとんど陪審員にまでおよんだ。その男がもはや脱《のが》れられないのは明白であった。
「守衛たち、」と裁判長は言った、「場内を取り静めよ。本官はこれより弁論の終結を宣告する。」
 その時、裁判長のすぐ傍に何か動くものがあった。人々は一つの叫ぶ声をきいた。
「ブルヴェー、シュニルディユー、コシュパイユ! こちらを見ろ。」
 その声を聞いた者は皆凍りつくような感じがした。それほど悲しいまた恐ろしい声であった。人々の目はその声のした一点に向けられた。法官席の後ろにすわっている特別傍聴人のうちの一人の男が、立ち上がって、判事席と法廷とをへだてる半戸を押し開き、広間の中央につっ立っていた。裁判長も検事もバマタボア氏も、その他多くの人が、その男を認めた、そして同時に叫んだ。
「マドレーヌ氏!」

     十一 シャンマティユーますます驚く

 それは実際マドレーヌ氏であった。書記席のランプは彼の顔を照らしていた。彼は手に帽子を持っていた。その服装には少しも乱れた所はなく、フロックはよくボタンがかけられていた。ひどく青ざめて軽く震えていた。アラスに着いた頃はまだ半白であったその髪の毛も、今はまったく白くなっていた。そこにいた一時間前から白くなったのである。
 人々は皆頭を上げた。その激情の光景は名状すべからざるものだった。聴衆のうちには一瞬間|躊躇《ちゅうちょ》があった。あの声はいかにも痛烈で、そこに立っている人はいかにも平静で、初めは何のことだか人々にはわからなかった。だれがいったい叫んだのかわからなかった。あれほど恐ろしい叫びを発したのがその落ち着いた人だとは、だれにも思えなかった。
 がその不決定な時間は数秒しか続かなかった。裁判長や検事が一言を発する間もなく、憲兵や守衛が身を動かす間もなく、まだその時までマドレーヌ氏と呼ばれていたその人は、証人コシュパイユ、ブルヴェー、シュニルディユー、三人の方へ進んで行った。
「お前たちは私を知らないか?」と彼は言った。
 三人はびっくりしたままで、頭を振って知らない旨を示した。コシュパイユは恐れて挙手の礼をした。マドレーヌ氏は陪審員および法官の方へ向いて、穏やかな声で言った。
「判事諸君、被告を放免していただきたい。裁判長殿、私《わたし》を捕縛していただきたい。あなたのさがしていらるる人物は、彼ではない、この私である。私がジャン・ヴァルジャンである。」
 皆息をひそめた。最初の驚駭《きょうがい》の動揺に次いで、墳墓のような沈黙がきた。人々はその広間の中に、何か偉大なることがなさるる時群集を襲うあの宗教的恐怖の一種を感じた。
 そのうちに裁判長の顔には同情と悲哀との色が上った。彼は検事とすみやかな合い図をかわし、陪席判事らと低声な数語を交じえた。彼は公衆の方に向かって、すべての人にその意中がわかる調子で尋ねた。
「このうちに医者はおりませんか。」
 検事は口を開いた。
「陪審員諸君、今法廷を乱したこの不思議な意外なできごとは、ここに説明をまつまでもない感情を、諸君並びに吾人《ごじん》に与える。諸君は皆少なくとも世間の名声によって、名誉あるモントルイュ・スュール・メールの市長マドレーヌ氏を御存じであることと思う。もしこの中に医者がおらるるならば、マドレーヌ氏を助けてその自宅に送り届けられんことを、吾人《ごじん》は裁判長殿とともに願うものであります。」
 マドレーヌ氏は検事をして終わりまで言わせなかった。彼は温厚と権威とにみちた調子で検事の言葉をさえぎった。彼が発した言葉は次のとおりであった。そしてこれは、その光景を目撃した者の一人が裁判後直ちに書きつけておいた原文どおりのものであって、それを聞いた人の耳には約四十年後の今日までまだはっきりと残っているそのままのものである。
「私は、検事殿、あなたに感謝します、しかし私は気が狂ったのではありません。今におわかりになるでしょう。あなたは非常な誤りを犯されようとしていたのです。この男を放免して下さい。私はただ自分の義務を果すのです。私が問題の罪人です。この事件を明確に見通せる者はただ私一人です。私はあなたに事実を語っています。今私のなすことは、天にいます神が見ていられる。それで十分である。私はここにいるから、あなたは私を捕縛されることができます。とはいえ、私は私の最善をなしてきたのです。私は違った名前のもとに身を穏した、富を得た、市長になった。私は正直なる人の列に再び加わろうと欲した。しかしそれはできないことのように思われる。要するに、私が今語ることのできないいろいろなことがある。ここに私は自分の一生を物語ろうとはしますまい。他日すべてわかるでしょう。私は司教閣下のものを盗んだ、それは事実です。私はプティー・ジェルヴェーのものを盗んだ、それも事実です。ジャン・ヴァルジャンなる者はあわれむべき悪漢であるというのは道理です。しかしおそらく罪は彼にのみあるのではありますまい。判事諸君、しばらく聞いていただきたい。私のように堕落したる人間は、天に対して不平を言う資格もなく、また社会に対して意見を述べる資格もないでしょう。しかしながら、私がぬけ出そうと試みたあの汚辱ははなはだ人を害《そこな》うものです。徒刑場は囚人を作るものです。少しくこの点を考えていただきたい。徒刑場にはいる前、私は知力の乏しい一個のあわれな田舎者《いなかもの》でした、一種の白痴でした。しかるに徒刑場は私を一変さしてしまった。愚鈍であった私は、悪人となった。一個の木偶《でく》にすぎなかった私は、危険な人物となった。そして苛酷《かこく》が私を破滅さしたと同じく、その後寛容と親切とは私を救ってくれたのである。いやしかし、諸君は私がここに言うことをおわかりにならないでしょう。諸君は私の家の暖炉の灰の中に、七年前私がプティー・ジェルヴェーから盗んだ四十スー銀貨を見いだされるでしょう。私はもうこれ以上何も申すことはありません。私を捕縛していただきたい。ああ検事殿は頭を振っていられる。あなたはマドレーヌ氏は気が狂ったと言われるのですか。あなたは私の言うのを信じないのですか! それははなはだ困ることです。少なくともこの男を処刑せられないようにしていただきたい。なに、この人々は私を知らないというのか。ジャヴェルがここにいないのを私は残念に思う。彼ならば、必ず私を認めてくれるだろう。」
 それらの言葉が発せられた調子のうちに、親愛にして悲痛な憂鬱《ゆううつ》のこもっていた様は、到底これを伝えることはできない。
 彼は三人の囚徒の方へ向いた。
「おい、私の方ではお前たちを覚えている! ブルヴェー! お前は思い出さないのか?……」彼は言葉を切って、ちょっと躊躇《ちゅうちょ》した。それから言った。
「お前が徒刑場で使っていたあの弁慶縞《べんけいじま》の編みズボンつりを、お前は覚えていないか。」
 ブルヴェーは愕然《がくぜん》とした、そして恐る恐る彼を頭から足先まで見おろした。彼は続けて言った。「シュニルディユー、お前は自分でジュ・ニ・ディユーと呼んでいたが、お前には右の肩にひどい火傷《やけど》の跡がある。T・F・Pという三つの文字([#ここから割り注]訳者注 汝は人を恐れしむるならんという意を表わす入墨の文字[#ここで割り注終わり])を消すために、火のいっぱいはいった火鉢《ひばち》にある時その肩を押し当てたのだ。しかし文字はやはり残っている。どうだ、そのとおりだろう。」
「そのとおりです。」とシュニルディユーは言った。
 彼はコシュパイユに向かって言った。
「コシュパイユ、お前には左の腕の肱《ひじ》の内側《うちがわ》に、火薬で焼いた青い文字の日付がある。それは皇帝のカーヌ上陸の日で、一八一五年三月一日[#「一八一五年三月一日」に傍点]というのだ。袖《そで》をまくってみろ。」
 コシュパイユは袖をまくった。すべての人々の目はその露《あら》わな腕の上に集まった。一人の憲兵はランプを差し出した。日付はそこにあった。
 その不幸な人は傍聴人および判事らの方へ向き直った。顔には微笑を浮かべていた。その微笑を見た者は、今なお思い出しても心の痛むのを感ずるのである。それは勝利の微笑であり、同時にまた絶望の微笑であった。
「よくおわかりでしょう、」と彼は言った、「私はジャン・ヴァルジャンです。」
 その室のうちには、もはや判事も検事も憲兵もいなかった。ただじっと見守ってる目と感動した心ばかりだった。だれもみな自分のなすべき職分を忘れていた。検事は求刑するためにそこにいることを忘れ、裁判長は裁判を統《す》べるためにそこにいることを忘れ、弁護士は弁護するためにそこにいることを忘れていた。驚くべきことには、何らの質問もなされず、何らの権威も手を出し得なかった。およそ荘厳なる光景の特質は、すべての人の魂をとらえ、すべての目撃者をして単なる傍観者たらしむるにある。おそらく何人《なんぴと》も、その時感じたことを自ら説明することはできなかったであろう。何人もただ、そこに偉大なる光明の光り輝くのを見たとしか自ら言い得なかったであろう。人々は皆、眩惑《げんわく》されたのを内心に感じた。
 明らかに人々は眼前にジャン・ヴァルジャンを見たのである。それは光を投じた。その男の出現は、一瞬間前まであれほど朦朧《もうろう》としていた事件を明白ならしむるに十分だった。それ以上何らの説明をもまたないで、すべての人々は、自分のために刑に処せられようとする一人の男を救わんがために身を投げ出した彼の簡単なしかも壮麗な行為を、あたかも電光に照らされたごとく直ちに一目で了解した。その詳細、逡巡《しゅんじゅん》、多少反対の試みなどは、その広大なる燦然《さんぜん》たる一事のうちにのみ去られてしまった。
 その印象はやがてすみやかに消え失せたのであるが、その瞬間には抗すべからざる力を持っていた。
「私はこれ以上法廷を乱すことは欲しません。」とジャン・ヴァルジャンは言った。「諸君は私を捕縛されぬゆえ、私は引き取ります。私はいろいろなすべき用を持っています。検事殿は、私がどういう者であるか、私がどこへ行くかを、知っていられる。いつでも私を捕縛されることができるでしょう。」
 彼は出口の方へ進んで行った。一言声を発する者もなく、手を差し延べて引き止めようとする者もなかった。皆身を遠ざけた。群集をして退かしめ一人の前に道を開かしむるある聖なるものが、その瞬間のうちにあった。彼はおもむろに足を運んで人々の間を通って行った。だれが扉《とびら》を開いたか知る者はなかったが、彼がそこに達した時扉は確かに開かれていた。そこまで行って、彼はふり返って言った。
「検事殿、御都合でいつでもよろしいです。」
 それから彼は傍聴人の方へ向かって言った。
「諸君、ここに列席された諸君、諸君は私をあわれむに足るべきものと思われるでしょう。ああしかし私は、こういうことをなそうとする瞬間の自分がいかようであったかと思う時、自分はうらやむに足るべきものと思います。しかしながら、かような事の起こらなかった方を私はむしろ望みたかったのであります。」
 彼は出て行った。そして扉《とびら》は開かれた時と同じようにだれからともなく閉ざされた。荘厳なる何かを行なう者は、群集のうちのだれかによって常に奉仕されるものである。
 それから一時間とたたないうちに、陪審員らの裁決は、あのシャンマティユーをいっさいの起訴から釈放した。シャンマティユーは直ちに放免されて、皆|気狂《きちが》いばかりだと考え、またその光景について少しも訳がわからないで、呆然《ぼうぜん》として帰って行った。
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   第八編 反撃

     一 マドレーヌ氏の頭髪を映せし鏡

 夜は明け初めていた。ファンティーヌは、楽しい幻を見続けた熱の高い不眠の一夜を過ごしたのだった。朝方彼女は眠りについた。夜通し彼女についていたサンプリス修道女は、その間を利用して規那皮《きなひ》の新しい薬をこしらえに行った。尊むべき彼女はしばらく病舎の薬局にはいって、夜明けの薄暗い光のうちに、薬剤や薬びんの上近く身をかがめてそれを見わけていた。とふいに彼女は頭をめぐらして、軽い叫び声を立てた。マドレーヌ氏が彼女の前に立っていた。彼は黙ってそこにはいってきたのである。
「ああ市長様でございますか!」と彼女は叫んだ。
 彼は低い声でそれに答えた。
「あのかわいそうな女はどんなあんばいです。」
「ただいまはそう悪くはございません。でも私どもは大変心配いたしました。」
 彼女は経過を話した。ファンティーヌは前日非常に悪かったが、今では、市長がモンフェルメイュに子供を引き取りに行ってると思い込んでるのでずっとよくなったと。彼女はあえて市長に尋ね得なかったが、市長がそこから帰ってきたのでないことをその様子で見て取った。
「それはいい具合だ、」と彼は言った、「事実をうち明けないでおかれたのはよかった。」
「さようです。」と修道女は言った。「ですけれど今、あの女《ひと》があなたに会って子供を見なかったら、私どもは何と申してやったらよろしいでしょう。」
 彼はちょっと考え込んだ。
「神様が何とか教えて下さるでしょう。」と彼は言った。
「ですけれど嘘《うそ》は言えないんですもの。」と修道女は口の中でつぶやいた。
 昼の光は室の中に流れ込んでいた、そしてマドレーヌ氏の顔を正面から照らしていた。修道女はふと目を上げた。
「まあ、あなた!」と彼女は叫んだ、「どうなされたのでございます? あなたの髪はまっ白になっております。」
「まっ白に!」と彼は言った。
 サンプリス修道女は鏡を持っていなかった。彼女はそこにある道具|鞄《かばん》の中を探って、小さな鏡を一つ取り出した。病人が死んで呼吸《いき》が止まったのを確かめるために病舎の医者が使っていたものである。マドレーヌ氏はその鏡を取って、それに映して自分の髪の毛をながめた。そして言った、「ほほう!」
 彼はその言葉を、あたかも他に心を取られているかのように無関心な調子で言った。
 修道女はそれらのことのうちに何か異様なものを感じてぞっとした。
 マドレーヌ氏は尋ねた。
「あの女に会ってもいいでしょうかね。」
「あなたは子供をつれ戻してやるつもりではいらっしゃらないのですか。」と彼女はようやくにして一つ問いをかけた。
「もとよりそうするつもりです。けれど少なくも二、三日はかかるでしょう。」
「ではその時まであの女《ひと》に会わないことになさいましては。」と彼女はおずおず言った。「あの女はあなたがお帰りの事を知らないでしょう。そうして気長く待たせるようにするには容易でございましょう。そして子供がきましたら、自然に市長様も子供といっしょにお帰りなすったと思うに違いありません。そういたせば少しも嘘《うそ》を言わないですみます。」
 マドレーヌ氏はしばらく考えてるようだったが、それから落ち着いた重々しい調子で言った。
「いや、私はあの女《ひと》に会わなけりゃならない。たぶん、私は急ぐんだから。」
 修道女はその「たぶん」という語に気づかないらしかった。しかしそれは、市長の言葉に曖昧《あいまい》な特殊な意味を与えるものだった。彼女はうやうやしく目を伏せ声を低めて答えた。
「それでは、あの女《ひと》は寝《やす》んでいますが、おはいり下さいませ。」
 彼は扉《とびら》の具合いが悪くてその音が病人の目をさまさせるかも知れないことをちょっと注意して、それからファンティーヌの室にはいり、その寝台に近づいて、帷《とばり》を少し開いてみた。彼女は眠っていた。胸から出る息には悲痛な音が交じっていた。その音はその種の病気に固有なものであって、眠りについてる死に瀕《ひん》した子供のそばで徹宵《てっしょう》看護する母親らの胸を痛ましめるところのものである。しかしその困難な呼吸も、彼女の顔の上にひろがって彼女の眠った姿を変えている一種言い難い晴朗さを、ほとんど乱してはいなかった。彼女の青ざめた色は今は白色になっていた。その頬《ほほ》には鮮やかな色が上っていた。処女と青春とからなお残っている彼女の唯一の美である長い金色の睫毛《まつげ》は、低く閉ざされていながら揺《ゆら》めいていた。彼女の全身は軽く震えていた。目には見えないがその動くのは感ぜらるるある翼がまさに開いて、彼女を運び去ろうとしているかのようだった。そのような彼女の姿を見ては、ほとんど絶望の病人であるとは信ぜられなかったろう。彼女はまさに死なんとしているというよりもむしろ、まさに飛び去らんとしているかのようだった。
 人の手が花を摘み取らんとして近づく時、その枝は震えて、身を退けるとともにまた身を差し出すがごとく思われる。死の神秘なる指先がまさに魂を摘み取らんとする時、人の身体もそれに似た震えをなすものである。
 マドレーヌ氏は病床のそばにしばらくじっとたたずんで、ちょうど二カ月前初めて彼女をこの避難所に見舞ってきた日のように、病人と十字架像とを交互にながめていた。彼らは二人ともそこにやはり同じ姿勢をしていた、彼女は眠り、彼は祈って。ただ二カ月過ぎた今日では、彼女の髪は灰色になり、彼の髪はまっ白になっていた。
 サンプリス修道女は彼とともにはいってきていなかった。彼は寝台のそばに立ちながら、あたかも室の中にだれかがいてそれに沈黙を命ずるかのように、指を口にあてていた。
 ファンティーヌは目を開いた。彼女は彼を見た。そしてほほえみながら静かに言った。
「あの、コゼットは?」

     二 楽しきファンティーヌ

 ファンティーヌはびっくりした身振りも喜びの身振りもしなかった。彼女は喜びそのものであった。「あの、コゼットは?」というその簡単な問いは、深い信念と確信とをもって、不安も疑念もまったくなしに発せられたので、マドレーヌ氏はそれに答うべき言葉が見つからなかった。ファンティーヌは続けて言った。
「私はあなたがそこにいらっしゃるのを知っていました。私は眠っておりましたが、あなたを見ていました。もう長い間見ていました。夜通し私は目であなたの後《あと》をつけていました。あなたは栄光に包まれて、あなたのまわりにはあらゆる天の人たちがいました。」
 彼は十字架像の方に目を上げた。
「ですが、」と彼女は言った、「どこにコゼットはいるのか教えて下さい。私が目をさます時のために、なぜ私の寝床の上に連れてきて下さらなかったのでしょう。」
 彼は何か機械的に答えた。しかし何と答えたのか、自分でも後でどうしても思い出せなかった。ちょうど仕合わせにも、医者が知らせを受けてやってきた。彼はマドレーヌ氏を助けた。
「まあ静かになさい。」と医者は言った。「子供はあちらにきています。」
 ファンティーヌの目は輝き渡り、顔一面に光を投げた。すべて祈願の含み得る最も激しいまた優しいものをこめた表情をして、彼女は両手を握り合わした。
「ああどうか、」と彼女は叫んだ、「私の所へ抱いてきて下さい。」
 ああいかに人の心を動かす母の幻想であるかよ! コゼットは彼女にとっては常に、抱きかかえ得る小さな子供であった。
「まだいけません。」と医者は言った。「今すぐはいけません。まだあなたには熱があります。子供を見たら、興奮して身体にさわるでしょう。まずすっかりなおらなければいけません。」
 彼女は苛《い》ら立ってその言葉をさえぎった。
「私はなおっていますわ! なおっていますっていうのに! この先生は何てわからずやでしょう。ああ、私は子供に会いたいんです。私は!」
「それごらんなさい、」と医者は言った、「あなたはそんなに興奮するでしょう。そんなふうでいる間は、子供に会うことに私は反対します。子供に会うだけでは何にもなりません、子供のために生きなければいけません。あなたがしっかりしてきたら、私が自分で子供は連れてきてあげます。」
 あわれな母は頭を下げた。
「先生、お許し下さい。ほんとうに許して下さいませ。昔は今のような口のきき方をしたことはありませんでしたが、あんまりいろいろな不仕合わせが続きましたので、どうかすると自分で自分の言ってる事がわからなくなるのです。私はよくわかっております、あまり心を動かすことを御心配なすっていらっしゃるんですわね。私は先生のおっしゃるまで待っていますわ。ですけれど、娘に会っても身体にさわるようなことは決してありませんわ。私は娘を見ています。昨晩から目を離さないでいます。今娘が抱かれて私の所へきても、私はごく静かに口をききます。それだけのことですわ。モンフェルメイュからわざわざ連れてきて下すった子供に会いたがるのは、当たりまえのことではありませんか。私は苛《い》ら立ってはいません。私はこれから仕合わせになるのをよく知っています。夜通し私は、何か白いものを、そして私に笑いかけてる人たちを見ました。先生のおよろしい時に、私のコゼットを抱いてきて下さいませ。私はもう熱はありません、なおってるんですもの。もう何ともないような気がしますわ。けれど、病人のようなふうをして、ここの御婦人方の気に入るように動かないでおりましょう。私が静かにしてるのを御覧なすったら、子供に会わしてやるがいいとおっしゃって下さいますでしょう。」
 マドレーヌ氏は寝台のそばにある椅子《いす》にすわっていた。ファンティーヌは彼の方に顔を向けた。彼女はまるで子供のような病衰のうちに、自分でも言ったとおり、静かにそして「おとなしく」しているのを見せようと明らかに努力をしていた。そして自分が穏やかにしているのを見たらだれもコゼットを連れて来るのに反対しないだろうと、思っているらしかった。けれども、自らそうおさえながらも、彼女はマドレーヌ氏にいろいろなことを尋ねてやまなかった。
「市長様、旅はおもしろうございましたか。ほんとに、私のために子供を引き取りに行って下さいまして、何という御親切でしょう。ただちょっと子供の様子をきかして下さいませ。旅にも弱りませんでしたでしょうか。ああ、娘は私を覚えていませんでしょう! あの時から私をもう忘れてるでしょう、かわいそうに! 子供には記憶というものがないんですもの。小鳥のようなものですわ。今日はこれを見てるかと思うと、明日はあれを見ています、そしてもう何にも思い出しません。娘は白いシャツくらいは着ていましたでしょうか。テナルディエの人たちは娘をきれいにしてくれていましたでしょうか。どんな物を食べていましたでしょう。ほんとうに、私は困っていました頃、そんなことを考えてはどんなに苦しい思いをしましたでしょう。でも今ではみんな済んでしまいました。私はほんとにうれしいのです。ああ私はどんなに娘に会いたいでしょう! 市長様、娘はかわいうございましたか。娘はきれいでございましょうね。あなたは駅馬車の中でお寒くていらっしゃいましたでしょうね。ほんのちょっとの間でも娘をつれてきていただけませんでしょうか。一目見たらまたすぐ向こうに連れてゆかれてもよろしいんですが。ねえ、あなたは御主人ですから、あなたさえお許しになりますれば!」
 彼は彼女の手を取った。「コゼットはきれいです。」と彼は言った。「コゼットは丈夫です。じきに会えます。がまあ落ち着かなくてはいけません。あなたはあまりひどく口をきくし、それに寝床から腕を出しています。それで咳《せき》が出るんです。」
 実際、激しい咳はほとんど一語一語彼女の言葉を妨げていた。
 ファンティーヌはもう不平を言わなかった。あまり激しく訴えすぎて、皆に安心させようとしていたのがむだになりはしないかと恐れた。そして関係のない他のことを言い出した。
「モンフェルメイュは相当よい所ではございませんか。夏になるとよく人が遊びに行きます。テナルディエの家は繁盛しておりますか。あの辺は旅の客が多くありません。であの宿屋もまあ料理屋みたようなものですわね。」
 マドレーヌ氏はやはり彼女の手を取ったままで、心配して彼女の顔を見ていた。明らかに彼女に何事かを言うためにきたのであったが、いまや彼の頭はそれに躊躇《ちゅうちょ》していた。医者は診察をすまして出て行った。ただサンプリス修道女だけが彼らの傍に残った。
 そのうち、その沈黙の最中に、ファンティーヌは叫んだ。
「娘の声がする。あ、娘の声が聞こえる!」
 彼女は周囲の人たちに黙っているように腕を伸ばし、息を凝らして、喜ばしげに耳を澄まし初めた。
 ちょうど中庭に一人の子供が遊んでいた。門番の女の児か、またはだれか女工の児であろう。それこそ実に、痛ましいできごとの神秘な舞台面の一部をなすらしいあのよくある偶然事の一つである。それは一人の小さな女の児で、身を暖めるために行ったりきたり走ったりして、高い声で笑い歌っていた。ああ、子供の戯れまですべてのことに立ち交じるものである! ファンティーヌが聞いたのはその小さい娘の歌う声であった。
「おお!」とファンティーヌは言った、「あれは私のコゼットだわ! 私はあの声を覚えている。」
 子供はきた時のようにまたふいに去って行った。声は聞こえなくなった。ファンティーヌはなおしばらく耳を傾けていたが、次にその顔は暗くなった。そしてマドレーヌ氏は、彼女が低い声で言うのを聞いた。「私を娘に会わしてくれないとは、あのお医者は何という意地悪だろう! ほんとにいやな顔をしているわ、あの人は。」
 しかし彼女の頭の底の楽しい考えはまた浮き出してきた。彼女は頭を枕につけながら、自ら自分に語り続けた。「私たちは何と仕合わせになることだろう! まず一番に小さな庭が持てる。マドレーヌ様がそうおっしゃっていらした。娘はその庭で遊ぶだろう。それにもう字も覚えなければならない。綴《つづ》り方を教えてやろう。草の中に蝶々《ちょうちょう》を追っかけることだろう。私はその姿を見てやるわ。それからまた、初めての聖体拝受《コンムユニオン》もさしてやろう。ああ、いつそれをするようになるかしら?」
 彼女は指を折って数え初めた。
「……一《ひい》、二《ふう》、三《みい》、四《よう》、もう七歳《ななつ》になる。もう五年したら。白いヴェールを被《かぶ》らせ、透き編みの靴下をはかせよう。一人前の娘さんのようになるだろう。ああ童貞さん、ほんとに私はばかですわね、娘の最初の聖体拝受《コンムユニオン》なんかを考えたりして。」
 そして彼女は笑い出した。
 マドレーヌ氏はファンティーヌの手を離していた。彼は下に目を伏せ底知れぬ考えのうちに沈んで、あたかも風の吹く音を聞くかのようにそれらの言葉に耳を貸していた。と突然、彼女は口をつぐんだ。彼はそれで機械的に頭を上げた。ファンティーヌは恐ろしい様子になっていた。
 彼女はもう口をきこうとしなかった、息さえも潜めていた。彼女はそこに半ば身を起こし、やせた肩はシャツから現われ、一瞬間前まで輝いていた顔はまっさおになり、そして、自分の前に室の向こうの端に、何か恐ろしいものを見つめてるようだった。その目は恐怖のために大きく見開かれていた。
「おう!」と彼は叫んだ、「どうした? ファンティーヌ。」
 彼女は答えなかった。その見つめたある物から目を離さなかった。彼女は片手で彼の腕をとらえ、片手で後ろを見るように合い図をした。
 彼はふり返って見た。そこにはジャヴェルが立っていた。

     三 満足なるジャヴェル

 事実の経過はこうである。
 マドレーヌ氏がアラスの重罪裁判廷を去ったのは、夜の十二時半が鳴った時だった。彼は宿屋に帰って、読者の知るとおり席を約束しておいた郵便馬車で出発するのに、ちょうど間に合った。朝の六時少し前にモントルイュ・スュール・メールに到着した。そして第一の仕事は、ラフィット氏への手紙を郵便局に投げ込み、次に病舎へ行ってファンティーヌを見舞うことだった。
 しかるに一方では、彼が重罪裁判の法廷を去るや、検事は初めの驚きから我に返って、モントルイュ・スュール・メールの名誉ある市長の常規を逸した行動をあわれむ由を述べ、後にわかるべきその奇怪なできごとによっても自分の確信は少しも変わらないことを表明し、真のジャン・ヴァルジャンなることが明白であるそのシャンマティユーの処刑をさしあたり要求する旨を論じた。その検事の固執は、公衆や法官や陪審員などすべての人の感情と明らかに衝突した。弁護士は容易に検事の論旨を弁駁《べんばく》することができ、マドレーヌ氏すなわち真のジャン・ヴァルジャンの告白によって事件の局面は根本からくつがえされ、陪審の人々はもはや眼前に一個無罪の男を見るのみであることを、容易に立論することができた。彼はまたそれに乗じて、裁判上の錯誤やその他種々のことについて、惜しいかな、さして事新しくもない感慨的結論を述べたてた。裁判長は結局弁護士に同意した。そして陪審員らは数分の後、シャンマティユーを免訴した。
 しかし検事には一人のジャン・ヴァルジャンが必要であった。そして既にシャンマティユーを逸したので、マドレーヌの方をとらえた。
 シャンマティユーの放免後直ちに、検事は裁判長とともに一室に閉じこもった。彼らは「モントルイュ・スュール・メールの市長その人の逮捕の必要のこと」を商議した。このの[#「の」に傍点]という文字の多い文句は検事のであって、検事長への報告の原稿に全部彼の手によってしたためられたものである。初めの感動はもう通り過ぎていたので、裁判長もあまり異議を立てなかった。正義の行進をささえ止めるわけにはいかなかった。なおついでに言ってしまえば、裁判長は善良なかなり頭のいい男ではあったが、同時に非常なほとんど激烈な王党であって、モントルイュ・スュール・メールの市長がカーヌ上陸のことを言うおり、ブオナパルト[#「ブオナパルト」に傍点]と言わないで皇帝[#「皇帝」に傍点]と言ったことに気を悪くしていたのである。
 そこで逮捕の令状は発送せられた。検事は特使に馬を駆らしてモントルイュ・スュール・メールにつかわし、警視ジャヴェルにそのことを一任した。
 ジャヴェルは供述をすました後直ちにモントルイュ・スュール・メールに帰っていたことは、読者の既に知るとおりである。
 特使が逮捕令状と拘引状とをもたらした時には、ジャヴェルはもう起き上がっていた。
 特使の男もものなれた一警官であって、わずか数語でアラスに起こった事をジャヴェルに伝えた。検事の署名のある逮捕令状は次のようだった。「警視ジャヴェルは本日の法廷において放免囚徒ジャン・ヴァルジャンなりと認定せられたるモントルイュ・スュール・メール市長マドレーヌ氏を逮捕せらるべし。」
 ジャヴェルを知らずしてたまたま彼が病舎の控え室にはいってきたところを見た人があったとしたら、その人はおそらくどういうことが起こったか察することはできなかったろう、そして彼の中に何ら異常な様子も見いださなかったろう。彼は冷ややかで落ち着いて重々しく、半白の髪をすっかり顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》の上になでつけ、いつものようにゆっくり階段を上がってきたのだった。しかし彼をよく知っていて今その様子を注意して見た人があったら、その人は戦慄《せんりつ》を覚えたであろう。その鞣革《なめしがわ》のカラーの留め金は、首の後ろになくて、左の耳の所にきていた。それは非常な動乱を示すものであった。
 ジャヴェルは一徹な男であって、その義務にも服装にも一つのしわさえ許さなかった。悪人に対して規律正しいとともに、服のボタンに対しても厳正であった。
 カラーの留め金を乱している所を見ると、内心の地震とも称し得べき感情の一つが、彼のうちにあったに違いなかった。
 彼は近くの屯所《とんしょ》から一人の伍長と四人の兵士とを請求し、それを中庭に残して置き、ただ簡単にやってきたのだった。彼は門番の女からファンティーヌの室を聞いた。門番の女は兵士らが市長を尋ねてくるのは見なれていたので、別に怪しみもしなかったのである。
 ファンティーヌの室にくると、ジャヴェルは取っ手を回し、看護婦かあるいは探偵のようにそっと扉《とびら》を押し開き、そしてはいってきた。
 厳密に言えば彼は中にはいったのではなかった。帽子をかぶったまま、頤《あご》までボタンをかけたフロックに左手をつき込み、半ば開いた扉の間に立っていたのである。曲げた腕の中には、後ろに隠し持った太い杖の鉛の頭が見えていた。
 彼はだれにも気づかれずに一分間ばかりそうしていた。と突然ファンティーヌが目をあげて、彼を見、マドレーヌ氏をふり向かしたのだった。
 マドレーヌの視線とジャヴェルの視線とが合った時、ジャヴェルは身をも動かさず位置をも変えず近づきもしないで、ただ恐るべき姿になった。およそ人間の感情のうちで、かかる喜びほど恐るべき姿になり得るものはない。
 それは実に、地獄に堕《お》ちたる者を見いだした悪魔の顔であった。
 ついにジャン・ヴァルジャンを捕え得たという確信は、魂の中にあるすべてをその顔の上に現わさしたのである。かき回された水底のものが水面に上がってきたのである。少し手掛かりを失って一時シャンマティユーを誤認したという屈辱の感は、最初いかにもよく察知して長い間正当な本能を持ち続けていたという高慢の念に消されてしまった。ジャヴェルの満足はその昂然《こうぜん》たる態度のうちに現われた。醜い勝利の感はその狭い額《ひたい》の上に輝いた。それは満足したる顔つきが与え得る限りの恐怖の発現であった。
 ジャヴェルは、その瞬間に天にいたのである。自らはっきり自覚してはいなかったが、しかし自己の有用と成功とに対するおぼろな直覚をもって彼ジャヴェルは、悪をくじく聖《きよ》き役目における正義光明真理の権化《ごんげ》であった。彼はその背後と周囲とに、無限の深さにおいて、権威、正理、判定せられたるもの、合法的良心、重罪公訴など、あらゆる星辰《せいしん》を持っていた。彼は秩序を擁護し、法律よりその雷電を発せしめ、社会のために復讐《ふくしゅう》し、絶対なるものに協力し、自ら光栄のうちに突っ立っていた。彼の勝利のうちには、なお挑戦と戦闘とのなごりがあった。光彩を放ちながら傲然《ごうぜん》とつっ立って彼は、獰猛《どうもう》なる天使の長《おさ》の超人間的獣性を青空のまんなかにひろげていた。彼が遂げつつある行為の恐るべき影は、社会の剣の漠然《ばくぜん》たる光をその握りしめた拳《こぶし》に浮き出さしていた。満足しかつ憤然として彼は、罪悪、不徳、反逆、永罰、地獄を、その足下に踏み押さえていた。彼は光り輝き、撃滅し、微笑していた。そしてその恐るべき聖ミカエル([#ここから割り注]訳者注 天の兵士の長[#ここで割り注終わり])のうちには争うべからざる壮大の趣があった。
 ジャヴェルはかく恐ろしくはあったが、何ら賤《いや》しいところはなかった。
 清廉、真摯《しんし》、誠直、確信、義務の感などは、悪用せらるる時には嫌悪《けんお》すべきものとなるが、しかしなおそれでも壮大さを失わない。人間の良心に固有なるそれらのものの威厳は、人をおびえさする時にもなお残存する。それらのものは、錯誤という一つの欠点をのみ有する徳である。凶猛に満ちた狂信者の正直な無慈悲な喜悦のうちには、痛ましくも尊むべきある光燿《こうよう》がある。ジャヴェルは自ら知らずして、あらゆる無知なる勝利者と同じく、そのおそるべき幸福のうちにあってあわれまるべき者であった。善の害悪とも称し得べきものの現われてるその顔ほど、痛切なまた恐るべきものはなかった。

     四 官憲再び権力を振るう

 ファンティーヌは市長が彼女を奪い取ってくれたあの日いらいジャヴェルを見なかったのである。彼女の病める頭には何事もよくわからなかったが、ただ彼が再び自分を捕えにきたのだということを信じた。彼女はその恐ろしい顔を見るにたえなかった。息がつまるような気がした。彼女は顔を両手のうちに隠して苦しげに叫んだ。
「マドレーヌ様、助けて下さいませ!」
 ジャン・ヴァルジャン――われわれはこれからはもうこの名前で彼を呼ぶことにしよう――は立ち上がっていた。彼は最もやさしい落ち着いた声でファンティーヌに言った。
「安心なさい。あの人がきたのはあなたのためにではありません。」
 それから彼はジャヴェルへ向かって言った。
「君の用事はわかっている。」
 ジャヴェルは答えた。
「さあ、早く!」
 その二語の音調のうちにはある荒々しい狂気じみたものがあった。ジャヴェルは「さあ、早く!」というよりもむしろ、「さあやく!」と言ったようだった。いかなるつづりをもってしても、それが発せられた調子を写すことはできないほどだった。それはもはや人間の言葉ではなく、一種の咆哮《ほうこう》だった。
 彼は慣例どおりのやり方をしなかった。一言の説明も与えず、拘引状をも示さなかった。彼の目にはジャン・ヴァルジャンは一種不思議なとらえ難い勇士であって、五年間手をつけながらくつがえすことのできなかった暗黒な闘士であるように見えた。その逮捕は事の初めではなく終局であった。彼はただ「さあ、早く!」とだけ言った。
 そう言いながらも彼は一歩も進まなかった。彼はいつも悪党らを自分の方へ手荒らく引きつけるあの目つきを、鉤索《かぎなわ》のようにジャン・ヴァルジャンの上に投げつけた。
 二カ月以前ファンティーヌが骨の髄まで貫かれたように感じたあの目つきが、やはりそれであった。
 ジャヴェルの叫ぶ声に、ファンティーヌは目を開いた。しかしそこには市長さんがいる、何を恐《こわ》がることがあろう?
 ジャヴェルは室のまんなかまで進んだ、そして叫んだ。
「さあ、貴様こないか。」
 あわれなる彼女は周囲を見回した。そこには修道女と市長とのほかだれもいなかった。その貴様というひどい言葉はだれに向けられたのであろう。自分よりほかにない。彼女は震え上がった。
 その時彼女は異常なことを見た。それほどのことは、熱に浮かされた最も暗黒な昏迷《こんめい》のうちにさえ見たことがなかった。
 彼女は探偵ジャヴェルが市長の首筋をとらえたのを見た。市長が頭をたれたのを見た。彼女には世界が消え失せるような気がした。
 ジャヴェルは事実ジャン・ヴァルジャンの首筋をつかんだのだった。
「市長様!」とファンティーヌは叫んだ。
 ジャヴェルはふきだした。歯をすっかりむき出した恐ろしい笑いだった。
「もう市長さんなどという者はここにいないんだぞ!」
 ジャン・ヴァルジャンはフロックのえりをとらえられた手を離そうともしなかった。彼は言った。
「ジャヴェル君……。」
 ジャヴェルはそれをさえぎった。「警視殿と言え。」
「あなたに、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「内々で一言言いたいことがあります。」
「大声で、大声で言え!」とジャヴェルは答えた、「だれでも俺《おれ》には大声で言うのだ。」
 ジャン・ヴァルジャンはやはり声を低めて言った。
「あなたに是非一つのお願いがあるのですが……。」
「大声で言えというに。」
「しかしあなただけに聞いてもらいたいのですから……。」
「俺に何だって言うのだ。俺は聞かん!」
 ジャン・ヴァルジャンは彼の方へ向き、早口にごく低く言った。
「三日の猶予を与えて下さい! このあわれな女の子供を連れに行く三日です。必要な費用は支払います。いっしょにきて下すってもよろしいです。」
「笑わせやがる!」とジャヴェルは叫んだ。「なあんだ、俺は貴様をそんなばかだとは思わなかった。逃げるために三日の猶予をくれと言うのだろう。そしてそいつの子供を連れて来るためだと言ってやがる。あはは、けっこうなことだ。なるほどうまい考えだ!」
 ファンティーヌはぎくりとした。
「私の子供!」と彼女は叫んだ。「私の子供を連れに行く! では子供はここにいないのかしら! 童貞さん、言って下さい、コゼットはどこにいるんです? 私は子供がほしい。マドレーヌ様、市長様!」
 ジャヴェルは足をふみ鳴らした。
「またそこに一人いるのか! 静かにしろ、醜業婦《じごく》め! 徒刑囚が役人になったり、淫売婦が貴族の取り扱いを受けたり、何という所だ! だがこれからはそうはいかないぞ。もう時がきたんだ。」
 彼はファンティーヌをにらみつけ、ジャン・ヴァルジャンのえり飾りとシャツと首筋とをつかみながらつけ加えた。
「もうマドレーヌさんも市長さんもないんだぞ。泥坊がいるだけだ、悪党が、ジャン・ヴァルジャンという懲役人が。そいつを今俺が捕えたんだ。それだけのことだ。」
 ファンティーヌは硬《こわ》ばった腕と両手とでそこに飛び起きた。ジャン・ヴァルジャンを見、ジャヴェルを見、修道女を見、何か言いたそうに口を開いた。ごろごろいう音が喉《のど》の奥から出、歯ががたがた震えた。そして彼女は苦悶《くもん》のうちに両腕を差し伸べ、痙攣的《けいれんてき》に両手を開き、おぼれる者のようにあたりをかき回し、それからにわかに枕《まくら》の上に倒れた。その頭は枕木にぶつかって、胸の上にがっくりたれた。口はぽかんと開いて、目は開いたまま光が消えていた。
 彼女は死んだのである。
 ジャン・ヴァルジャンは自分をつかんでいるジャヴェルの手の上に自分の手を置き、赤児の手を開くがようにそれを開き、そしてジャヴェルに言った。
「あなたはこの女を殺した。」
「早く片づけてしまおう!」とジャヴェルは憤激して叫んだ。「俺は理屈を聞きにここにきたんじゃない。そんなことははぶいたがいい。護衛の者は下にいる。すぐに行くか、もしくは手錠かだぞ!」
 室の片すみに古い鉄の寝台があった。かなりひどくなっていたが、修道女たちが病人を看護しながら寝る時のに使われていた。ジャン・ヴァルジャンはその寝台の所へ歩み寄り、いたんでるその枕木をまたたくまにはずした。それくらいのことは彼のような腕力にはいとたやすいことだった。彼はその枕木の太い鉄棒をしっかとつかんで、ジャヴェルを見つめた。
 ジャヴェルは扉《とびら》の方へ退いた。
 鉄棒を手にしたジャン・ヴァルジャンは、おもむろにファンティーヌの寝台の方へ歩いて行った。そこまで行くと彼はふり返って、ようやく聞き取れるくらいの声でジャヴェルに言った。
「今しばらく私の邪魔をしてもらいますまい。」
 確かなことには、ジャヴェルは震えていた。
 彼は護衛の者を呼びに行こうと思ったが、その間を利用してジャン・ヴァルジャンは逃走するかも知れなかった。それで彼はそのままそこに残って、その杖の一端を握りしめ、ジャン・ヴァルジャンから目を離さずに扉《とびら》の框《かまち》を背にして立っていた。
 ジャン・ヴァルジャンは寝台の枕木の頭に肱《ひじ》をつき、額を掌《てのひら》に当て、そこに横たわって動かないファンティーヌを見つめはじめた。彼はそのまま気を取られて無言でいた。明らかにこの世のことは何にも思っていなかったのであろう。彼の顔にも態度にも、もはや言い知れぬ憐憫《れんびん》の情しか見えなかった。そしてその瞑想《めいそう》をしばらく続けた後、彼はファンティーヌの方に身をかがめて、低い声で何かささやいた。
 彼は彼女に何と言ったのであろうか? この世から捨てられたその男は死んだその女に何を言い得たであろうか。その言葉は何であったろうか。地上の何人《なんぴと》にもそれは聞こえなかった。死んだ彼女にはそれが聞こえたであろうか。おそらくは崇高なる現実となる痛切なる幻影が世にはある。少しの疑いもはさみ得ないことには、その光景の唯一の目撃者であったサンプリス修道女がしばしば語ったところによれば、ジャン・ヴァルジャンがファンティーヌの耳に何かささやいた時、墳墓の驚きに満ちたるその青ざめた脣《くちびる》の上と茫然《ぼうぜん》たる瞳のうちとに、言葉に尽し難い微笑の上ってきたのを、彼女ははっきり見たのであった。
 ジャン・ヴァルジャンはその両手にファンティーヌの頭を取り、母親が自分の子供にするようにそれを枕の上にのせ、それからシャツのひもを結んでやり、帽子の下に髪の毛をなでつけてやった。それがすんで、彼はその目を閉ざしてやった。
 ファンティーヌの顔はその時、異様に明るくなったように見えた。
 死、それは大なる光耀《こうよう》への入り口である。
 ファンティーヌの手は寝台の外にたれていた。ジャン・ヴァルジャンはその手の前にひざまずいて、それを静かに持ち上げ、それに脣《くちびる》をつけた。
 それから彼は立ち上がった、そしてジャヴェルの方へ向いた。
「さあ、これから、」と彼は言った、「どうにでもしてもらいましょう。」

     五 ふさわしき墳墓

 ジャヴェルはジャン・ヴァルジャンを市の監獄に投じた。
 マドレーヌ氏の逮捕はモントルイュ・スュール・メールに、一つの感動を、あるいはむしろ非常な動揺を起こした。まことに悲しむべきことではあるが、あの男は徒刑囚であった[#「あの男は徒刑囚であった」に傍点]というそれだけの言葉でほとんどすべての人は彼を捨てて顧みなかったことを、われわれは隠すわけにはゆかない。わずか二時間足らずのうちに、彼がなしたすべての善行は忘れられてしまった、そして彼はもはや「一人の徒刑囚」に過ぎなくなった。ただし、アラスのできごとの詳細はまだ知られていなかったことを言っておかなければならない。終日町の方々で次のような会話がかわされた。
「君は知らないのか、あれは放免囚徒だったとさ。――だれが?――市長だ。――なにマドレーヌ氏が?――そうだ。――本当か。――彼はマドレーヌというのではなくて、何でもベジャンとかボジャンとかブージャンとかいう恐ろしい名前だそうだ。――へーえ!――彼は捕《つかま》ったのだ。――捕った!――護送するまで市の監獄に入れられてるんだ。――護送するって! これから護送するって! どこへ連れて行くんだろう。――昔大道で強盗をやったとかで重罪裁判に回されるそうだ。――なるほど、僕もそんな奴《やつ》だろうと思っていた。あまり親切で、あまり申し分がなく、あまり物がわかりすぎた。勲章は断わるし、餓鬼どもに会えばだれにでも金をやっていた。それには何かきっと悪いことでもしてきた奴だろうと、僕はいつも思っていた。」
「客間」では特にその種の話でもちきっていた。
 ドラポー[#「ドラポー」に傍点]・ブラン[#「ブラン」に傍点]紙の読者である一人の老婦人は、ほとんど測り得られないほど深い意味のこもった次のような考えを述べた。
「私は別にお気の毒とも思いませんよ。ブオナパルト派の人たちにはいい見せしめでしょう。」
 かくのごとくして、マドレーヌ氏と呼ばれていた幻はモントルイュ・スュール・メールから消え失せてしまった。ただ全市中において三、四人の人々がその記憶を忠実に保っていた。彼に仕えていた門番の婆さんもそのうちの一人だった。
 その日の晩、その忠実な婆さんは、なお心おびえながら悲しげに思い沈んで、門番部屋の中にすわっていた。工場は終日閉ざされ、正門は閂《かんぬき》がさされ、街路には人通りもなかった。家の中には、ファンティーヌの死体のそばで通夜をしてるペルペチューとサンプリスとの二人の修道女がいるばかりだった。
 マドレーヌ氏がいつも帰って来る頃の時間になると、善良な門番の婆さんは機械的に立ち上がり、引き出しからマドレーヌ氏の室の鍵《かぎ》を取り出し、毎晩マドレーヌ氏が自分の室に上がってゆく時に使っていた手燭《てしょく》を取り上げて、それから、マドレーヌ氏がいつも取ってゆく釘《くぎ》に鍵をかけ、そのそばに手燭を置き、あたかも彼を待ってるかのようだった。それからまた彼女は椅子《いす》に腰をおろして考え初めた。その正直なあわれな婆さんは、自分でも知らずにそれらのことをしたのだった。
 それからおよそ二時間あまりも過ぎてからだったが、彼女は夢想からさめて叫んだ。「まあ、どうしたというんだろう、私はあの方の鍵を釘にかけたりなんかして!」
 その時、部屋《へや》のガラス窓が開き、そこから一つの手が出てきて、鍵と手燭とを取り、火のついた別の蝋燭《ろうそく》から手燭の小蝋燭に火をつけた。
 門番の婆さんは目をあげてあっと口を開いた。喉元《のどもと》まで叫び声が出たが、彼女はそれを押さえつけた。
 彼女は、その手、その腕、そのフロックの袖《そで》を覚えていた。
 それはマドレーヌ氏であった。
 彼女は数秒間口がきけなかった。彼女自ら後になってそのできごとを人に話す時いつも言ったように、まったくたまげ[#「たまげ」に傍点]てしまったのである。
「まあ、市長様、」と彼女はついに叫んだ、「私はあなたのいらっしゃる所は……。」
 彼女は言い澱《よど》んだ。その言葉の終わりは初めの言い方に対して敬意を欠くことになるのだった。ジャン・ヴァルジャンは彼女にとってはやはり市長様であった。
 彼は彼女の思ってるところを言ってやった。
「牢屋だと思ってたというんだろう。」と彼は言った。
「私はなるほど牢屋にいた。だが私は窓の格子《こうし》をこわし、屋根の上から飛びおり、そしてここにきたのだ。私は自分の室に上がってゆくから、サンプリス修道女を呼びに行ってくれ。きっとあのあわれな女のそばにいるだろうから。」
 婆さんは急いでその言葉に従った。
 彼は彼女に何らの注意も与えなかった。自分で用心するよりもなおよく彼女は自分を保護してくれることと、彼は信じきっていたのである。
 どうして彼が正門をあけさせないで中庭にはいって来ることができたかは、だれにもわからなかったことである。彼は小さな潜《くぐ》り戸を開く合い鍵を持っていて、それを常に身につけてはいた。しかし身体をしらべられてその合い鍵も取り上げられたはずであった。この点は不明のままに終わった。
 彼は自分の室に通ずる階段を上がっていった。その上までゆくと、手燭を階段の一番上の段に置き、音のしないように扉を開き、手探りに進んでいって窓と雨戸とを閉ざし、それから手燭を取りに戻ってきて、室の中にまたはいった。
 それは有用な注意であった。彼の窓が街路から見えることは読者の思い起こすところであろう。
 彼はあたりをじろりと見回した、テーブルや、椅子《いす》や、三日前から手もつけられていない寝台などを。一昨夜の取り乱した跡は少しも残っていなかった。門番の婆さんが「室をこしらえた」のであった。ただ彼女は、鉄のはまった杖の両端と火に黒くなった四十スー銀貨とを、灰の中から拾い上げて丁寧にテーブルの上に置いていた。
 彼は一枚の紙を取って、その上にしたためた。「これは我が鉄を着せし杖の両端および重罪法廷にて語りたるプティー[#「これは我が鉄を着せし杖の両端および重罪法廷にて語りたるプティー」に傍点]・ジェルヴェーより奪いし四十スー貨幣なり[#「ジェルヴェーより奪いし四十スー貨幣なり」に傍点]。」そして彼は、その紙の上に銀貨と二つの鉄片とを置き、室にはいれば一番に目につくようにしておいた。彼は戸棚から自分の古いシャツを引き出して、それを引き裂いた。そして幾つかの布片を作って、その中に二つの銀の燭台を包み込んだ。彼は別に急いでもそわそわしてもいなかった。司教の燭台を包みながら、黒パンの一片をかじった。たぶんそれは、脱走しながら携えてきた監獄のパンであったろう。
 そのことは、警察からあとで捜索にきた時、室の床《ゆか》の上に見いだされたパンのくずによって確かめられた。
 だれかが扉《とびら》を低く二つたたいた。
「おはいりなさい。」と彼は言った。
 サンプリス修道女であった。
 彼女は色青ざめ、両眼は赤くなり、持っていた蝋燭《ろうそく》は手のうちに揺らめいていた。運命の暴力は、いかに吾人《ごじん》が完成しておりあるいは冷静となっていても、吾人の臓腑《ぞうふ》の底より人間性を引き出し、それを外部に現わさせるだけの特性を持っているものである。その一日の感動のうちに、その修道女も再び一個の女性となっていた。彼女は泣いたのだった、そして今震えていた。
 ジャン・ヴァルジャンは一枚の紙に数行したため終わって、それを修道女に差し出して言った。
「どうかこれを司祭さんに渡して下さい。」
 その紙は折り畳んであった。彼女はその上に目を落とした。
「読んでもよろしいです。」と彼は言った。
 彼女は読んだ。「ここに残してゆくいっさいのものを御監理下さるよう司祭殿に御願い申し候。そのうちより、訴訟費用および今日死去せる婦人の埋葬費御支払い下さるべく候。残余のものは貧しき人々へ御施し下されたく候。」
 修道女は何か言おうとした。しかしかろうじて不明な音を少しつぶやき得たばかりだった。それでもついに彼女はこれだけ言うことができた。
「市長様は、最後にも一度あのかわいそうな女《ひと》を見ておやりになりたくはございませんか。」
「いや、」と彼は言った、「私は追跡されています。その室で捕《つか》まるばかりです。そうなるとかえってあの女の霊を乱すでしょう。」
 彼がそう言い終わるか終わらぬうちに、大きな物音が階段にした。二人は階段を上がって来る騒々しい足音を聞いた。そしてまた、できるだけ高い鋭い声で門番の婆さんの言うのが聞えた。
「あなた、私は誓って申します、昼間も晩もだれ一人ここへははいりませんでした、それに私は一度も門から離れたこともなかったのです。」
 一人の男が答えた。
「それでもあの室に燈火《あかり》が見える。」
 二人にはジャヴェルの声だとわかった。
 その室は、扉《とびら》を開くとそれで右手の壁のすみが隠れるようになっていた。ジャン・ヴァルジャンは手燭の火を吹き消した、そしてそのすみにはいった。
 サンプリス修道女はテーブルのそばにひざまずいた。
 扉《とびら》は開かれた。
 ジャヴェルがはいってきた。
 数人の者のささやく声と、門番の婆さんの言い張る声とが、廊下に聞こえていた。
 修道女は目をあげなかった。彼女は祈っていた。
 蝋燭《ろうそく》は暖炉の上にあって、ごく淡い光を投げていた。
 ジャヴェルは修道女を見て、茫然《ぼうぜん》と立ち止まった。
 ジャヴェルの根本、彼の元素、彼の呼吸の中心、それはあらゆる権威に対する尊敬であったことは、読者の思い起こし得るところであろう。彼はまったく単一であって、何らの異論も制限も容《ゆる》さないのだった。もとより彼にとっては、宗教上の権威はすべての権威の第一なるものであった。彼はこの点について他のあらゆることについてと同じく、厳格で皮相的で正確だった。彼の目には、牧師は誤りをすることのない者であり、修道女は罪を犯すことのない者であった。それはいずれも、真実を通す時のほかは決して開かぬただ一つの扉でこの世と通じてる魂であった。
 修道女を認めて、彼の第一の動作は引き退《さが》ろうとすることだった。
 けれどもまた、彼を捕え彼を反対の方向に厳として押し進めるも一つの義務があった。そして彼の第二の動作は、そこに立ち止まり、少なくとも一つの問いをかけてみることだった。
 しかもそれは生涯に一度も嘘《うそ》を言ったことのないサンプリス修道女だった。ジャヴェルはそれを知っていた、そして特にそのために彼女を尊敬していた。
「童貞さん、」と彼は言った、「この室にはあなた一人ですか。」
 恐ろしい一瞬間があった。あわれな門番の婆さんは気が遠くなるような心地がした。
 修道女は目をあげて、そして答えた。
「はい。」
「だが、」とジャヴェルは言った、「しつこく言うのをお許し下さい、私の義務ですから。あなたは今晩、だれか、一人の男を見かけませんでしたか。その男が逃走したのでさがしているところです。あのジャン・ヴァルジャンという男です。あなたはその男を見かけませんでしたか。」
 修道女は答えた。「いいえ。」
 役女は嘘《うそ》を言った。相次いで、躊躇《ちゅうちょ》することなく、即座に、献身的に、続けて二度嘘を言った。
「失礼しました。」とジャヴェルは言った。そして彼は深くおじぎをして退いて行った。
 おお聖《きよ》き貞女よ! 汝は既に久しき以前よりこの世の者ではなかった。汝は光明のうちに汝の姉妹の童貞たちや汝の兄弟の天使たちと伍《ご》していたのである。その虚言も汝のために天国において数えられんことを!
 サンプリス修道女の確答は、ジャヴェルにとってはある決定的なものであって、吹き消されたばかりでテーブルの上にまだ煙ってる手燭の訝《いぶか》しさにも気を留めなかったのである。
 一時間ほど過ぎて、一人の男が、木立ちと靄《もや》との間を、パリーの方へ向かってモントルイュ・スュール・メールから急いで遠ざかって行った。それはジャン・ヴァルジャンだった。彼に出会った二、三の荷車屋の証言によって、彼は一つの包みを持ち、身には作業用の上衣をまとっていたことが立証された。どこで彼はその上衣を手に入れたか? だれにも知られなかった。ところで、数日前に工場の病舎で一人の老職工が死んだが、残ってるものとてはその作業服だけだった。彼が着ていたのはたぶんそれであったろう。
 最後にファンティーヌについて一言する。
 吾人《ごじん》は皆一人の母親を持っている、大地を。人々はファンティーヌをその母に返した。
 司祭はジャン・ヴァルジャンが残していったもののうちからできるだけ多くの金を貧しい人々のために取って置いた。彼はそうするのがいいと信じた、そしてまたおそらくそれは至当であったろう。結局、だれに関係したことであったか、一人の徒刑囚と一人の醜業婦とに関することではなかったか。それゆえに彼は、ファンティーヌの埋葬を簡単にし、共同墓地と言われるただ形《かた》だけの所に彼女を葬った。
 ファンティーヌはかくて、すべての人のものでありかつ何人《なんぴと》にも属さない墓地、貧しい人々の消え失せゆく無料の墓地の一隅《いちぐう》に埋められた。ただ幸いにも神はその魂のいずこにあるかを知りたもう。人々は何人たるを問わない無名の死骨の間に暗やみのうちにファンティーヌを横たえた。彼女は塵《ちり》にまみれてしまった。彼女は共同墓地に投げ込まれた。彼女の墓地はその寝所に似寄っていた。

底本:「レ・ミゼラブル(一)」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年4月16日改版第1刷発行
※誤植の確認に「レ・ミゼラブル(一)」岩波文庫、岩波書店1961(昭和36)年3月10日第20刷、「レ・ミゼラブル(二)」岩波文庫、岩波書店1960(昭和35)年12月20日第15刷を用いました。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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