2019-06

リルケ

リルケ書翰(ロダン宛) ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳

一九〇二年の秋、巴里にはじめて出かけて行つて、ロダンに親しく接しつつ、遂にロダン論を書き上げ、伯林の一書肆より上梓せしめた後、やや健康を害したリルケは、伊太利ピサの近くのヴィアレジオに赴いて(三月)、靜養してゐた。ヴィアレジオは海に面した、...
リルケ

トレドの風景 ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳

一九一二年秋、リルケは一人飄然と西班牙に旅した。この西班牙への旅--殊にトレド一帶の何か不安を帶びた風物――は、詩人にはいたく氣に入つたやうに見える。彼は其處にもつと長く滯在して當時彼の心を捉へてゐた仕事(Duineser Elegien)...
リルケ

ドゥイノ悲歌 ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳

次ぎの手紙の斷片は、リルケの作品をポオランド語に飜譯したヴィトルト・フォン・フレヴィチのさまざまな質疑に答へて詩人が書き與へた返事のうちの「ドゥイノ悲歌」に關する部分である。この手紙には日付がないが、消印によつて一九二五年十一月十三日のもの...
リルケ

さらにふたたび ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳

さらにふたたび、よしや私達が愛の風景ばかりでなく、 いくつも傷ましい名前をもつた小さな墓地をも、 他の人達の死んでいつた恐ろしい沈默の深淵をも 知つてゐようと、さらにふたたび、私達は二人して 古い樹の下に出ていつて、さらにふたたび、身を横た...
リルケ

「マルテ・ロオリッツ・ブリッゲの手記」から ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke ——堀辰雄訳

九月十一日、トゥリエ街にて  一體、此處へは人々は生きるためにやつて來るのだらうか? 寧ろ、此處は死場所なのだと思つた方がよくはないのか知らん? 私はいま其處から追ひ出されてきた。私はいくつも病院を見た。私は一人の男がよろめき、卒倒するのを...
モーパッサン

頸飾り  モウパンサン—- 辻潤訳

その女というのは男好きのしそうなちょっと見奇麗な娘であった。このような娘は折々|運命《なにか》の間違いであまりかんばしくない家庭に生まれてくるものである。無論、持参金というようなものもなく、希望《のぞみ》など兎《う》の毛でついた程もなかった...
モーパッサン

墓  モオパッサン—– 秋田滋訳

一八八三年七月十七日、草木もねむる真夜なかの二時半のことである。ベジエ墓地のはずれに建っている小さなほったて[#「ほったて」に傍点]小屋に寐起《ねお》きをしている墓番は、台所のなかへ入れておいた飼犬がけたたましく吠えだしたので、その声に夢を...
モーパッサン

世界怪談名作集 幽霊 モーパッサン Guy De Maupassant ——岡本綺堂訳

私たちは最近の訴訟事件から談話に枝が咲いて、差押えということについて話し合っていた。それはルー・ド・グレネルの古い別荘で、親しい人たちが一夕《いっせき》を語り明かした末のことで、来客は交るがわるにいろいろの話をして聞かせた。どの人の話もみな...
モーパッサン

親ごころ  モオパッサン                ——- 秋田滋訳

一条の街道がこれから村へかかろうとするあたりに、這い込むような小さな家が一軒、道のほとりにたっていた。彼はむかしその家に住んでいた。土地の百姓のむすめを妻に迎えると、この男は車大工を稼業にして暮し[#「暮し」に傍点]をたてていた。夫婦そろっ...
モーパッサン

初雪  モオパッサン— 秋田滋訳

長いクロワゼットの散歩路が、あおあおとした海に沿うて、ゆるやかな弧を描いている。遥か右のほうに当って、エストゥレルの山塊がながく海のなかに突き出て眼界を遮り、一望千里の眺めはないが、奇々妙々を極めた嶺岑《みね》をいくつとなく擁するその山姿は...