臨時急行列車の紛失     コナン・ドイル    新青年編輯局訳

       はしがき

 死刑を宣告されて今マルセイユ監獄に繋がれているヘルバルト・ドゥ・レルナークの告白は、私の信ずるところでは、どこの国の犯罪史を繙《ひもと》いてみても、絶対的に先例が無かっただろう‥‥‥と思われるような、あの異常な事件の上にようやく一道の光明を投げあたえた。官辺では、この事件を論ずることを明らかに避けているけれど、そして新聞もそれに調子を合せてほとんど沈黙を守っているけれど、とにかく我々は、この大犯罪者の告白によって、一つの驚嘆すべき事件の謎が解かれたものと見なければならない。その事件とは、今から八年も前に起った出来事でもあり、かつ、当時はある外交上の危機がわが英国民の注意を一せいに呼集めていた秋《とき》だったため、事件の重大な割合には、人々に感動を与えることが薄かったという事情もあるので、従って、記者がその事件について、集めた材料から知り得た限りの確実さをもって、ここにその顛末を述べるのも無駄ではないと信ずる次第だ。

       

 千九百――年。それは六月三日のことだった。一人の旅客が――ルイ・カラタール氏という仏蘭西《フランス》名の紳士――リヴァプール港にある倫敦《ロンドン》西海岸線中央停車場の駅長ジェームス・ブランド氏に面会を求めた。旅客は小柄な中年の紳士で、その妙に猫脊のところが、見るからに脊髄骨の不具であることを物語っていた。その紳士にはひとりの連れがあった。それは骨組のがっしりした堂々たる男だった。が、その男のいかにも恭《うやうや》しげな態度と、絶えずあたりに眼をくばっている様子とで、彼が紳士の従者であることが読まれた。こころもち黒みがかった皮膚の色合では、おそらくスペイン人か南アメリカ人だろうと想像された。見れば、そこには一つの不思議なことがあった。小型の黒革製の文書袋をこの男が左手《ゆんで》に携えていたのだ、そして、それは居合せた一人の事務員の鋭い観察眼によると、革紐で自分の手頸《てくび》にしっかりと結びつけられてあったのだ。この事実は、その時には決して重大なことには見えなかった。が、やがて展開されるべき未曾有の出来事は、その中《うち》にきわめて深長な意義を持っていたのであった。カラタール氏は駅長室に案内された。その間この供の男は室の外に待っていた。
 カラタール氏は今日の午後、中部|亜米利加《アメリカ》から入港したばかりであるが、緊急な事件が突発したため、一分も猶予することなく至急|巴里《パリー》まで帰らなければならなくなった。ところが彼は倫敦《ロンドン》行の急行に乗遅れてしまったのだ。そこで臨時急行列車を仕立てさせて飛んで行くほかはない。金は問題ではない、時間こそ凡《すべ》てである――と云った。
 駅長のブランド氏は電鈴《ベル》を押して運輸課長のポッター・フード氏を呼んだ。そして五分間内に手筈をことごとく整えさせた。別仕立の列車は四十五分以内に出発させることが出来る。前路の障害なきを期するため、それだけの時間は絶対的に必要なのだ。二輌の客車が、後部に車掌乗用車を添えて、強力な機関車に牽引されることになった。第一の客車は、単に振動を少なくする目的のために着けられた。第二の客車は、例によって、一等室と一等喫煙室、二等室と二等喫煙室という四室に区劃《くぎ》られていた。その機関車に近い方の第一室が、二人の旅客のために用意された客車で、他の三室は空だった。車掌としてジェームス・マックファースンが、火夫としてはウィリアム・スミスがそれぞれ乗込むことになった。
 カラタール氏は、一|哩《マイル》について五|志《シルリング》という規定の特別乗車賃の割合で、総額五十|磅《ポンド》五|志《シルリング》を支払うが早いか、あくあくしながら、例の連れの男を促して、まだ三十分はたっぷり間があろうというに、はや仕立てられた客車に乗込んで定めの室に席を占めた。
 ところがカラタール氏が駅長室から出て行ったのと、ほとんど入替《いれかわり》に、ホレース・ムーアと名のる一見軍人風の紳士が慌ててそこへ入って来た。彼は倫敦《ロンドン》にいる自分の妻が危篤のために、上京するべく今は一瞬間も失ってはならないというのだ。奇妙な偶然である。真に偶然である。その紳士の心配そうな顔を見ては、駅長も心から出来るだけの便宜をはかってやりたいと思った。といって、更に第二の特別列車を仕立ることは、もちろん問題にならなかった。そこには、しかし、ただ一つの択《えら》ぶべき方法がある。カラタール氏の乗車賃を分担して、その臨時列車の空《す》いた室を譲ってもらうことである――カラタール氏さえ承諾してくれるなら。
 が、そのような申出《もうしで》に対して不服を言う人はまず無いだろう。けれども、カラタール氏はそうではなかった。彼は何故《なにゆえ》か絶対的に相客のあることを拒んだ。一たん買切った以上は、列車は自分の専用であると素気《すげ》なく刎ねつけたのである。
 ホレース・ムーアは、自分の採るべき唯一の方法が、夕方の六時にリヴァプール発の普通列車に乗るより外《ほか》にないことを知って、極度の困惑の色を面《おもて》に表わしながら停車場を出て行った。停車場の時計でまさに午後四時三十一分、臨時列車は、佝僂《せむし》のカラタール氏と巨人のような従者とを載せ、白い湯気を吐いてリヴァプール駅を発車した。マンチェスター駅まではひた走りに走ることが出来るはずだった。六時前に早くもその大停車場に到着する予定をもって。
 午後六時を過ぎること十五分。リヴァプール駅の事務員達は、マンチェスター駅から、臨時急行列車が今もって到着しないが、という電信を受取って非常に驚いてしまった。とりあえず、マンチェスター駅よりは三分の一ほど手前のセント・ヘレンス駅へ問合せの電信をうってみると、次のような返電があった――

    『リヴァプール駅長ジェームス・ブランドへ、――臨列、

   遅刻なく四時五十二分当駅通過、――セント・ヘレンス、ダウサー。』

 この電報は六時四十分に受取った。するとまた六時五十分にはマンチェスターから第二信が飛来した。

 『予報の臨列未着』

 それから十分後には、いっそう謎のような第三信が受取られた――

  『臨列の予報は何かの間違と認む。臨列後のセント・ヘレン発短距離列車ただいま到着したるも臨列の姿を見ずという。返信待つ――マンチェスター。』

 この第三信から次のように推測することが出来る。――もし臨時列車に何かの椿事《ちんじ》が起ったのなら、その短距離列車がそれに気づかずに同じ線路を走ったものとはどうしても受取れないはずだ。でないとすれば、何かの理由で支線へはいって、後から来る普通列車を待避しつつあるのだろうか? もしくは、あったのだろうか? とにかく駅長は、セント・ヘレン、マンチェスター両駅間のことごとくの駅に一々電信を打ってみることにした。打電の順序で各駅から続々と次のような返電が来た――

  『臨列、五時当駅通過――コリンス・グリーン。』
 『臨列、五時五分当駅通過――アールスタウン。』
 『臨列、五時十分当駅通過――ニュートン。』
 『臨列、五時二十分当駅通過――ケニヨン。』
 『臨列、当駅通過せず――バートン・モス。』]

 駅長と運輸課長とは驚きの余り顔を見合せた。
『僕は三十年も鉄道に勤めてるが、こんな狐に憑《つ》ままれたような事件は初めてだ。』と駅長が言った。
『ほんとうに開通以来未曾有の出来事です。ケニヨンとバートン・モスの間で何か椿事が起ったのですな。』
『だが僕の記憶にして誤《あやなり》なければ、両駅間には支線は一本も無いはずだ。どうしても、本線を走って行ったものとしか思われんがな――』
『といって、その短距離列車が同じ本線の上を………?』
『フード君、けれども外《ほか》に考えようが無いではないか。本線を進行したものとしか考えられんではないか。たぶんその短距離列車は、何等かの手掛りになるような事実を見たろうと思う。よし、もう一度マンチェスターへ打電してみよう、それからケニヨンへも打電して至急バートン・モスまでの線路を取調べるように請求してみよう。』
 マンチェスターからの返電は三分と経たないうちに来た。


 『今もって何等かの報道なし。短距離列車の機関手も車掌もケニヨン、バートン・モス間に何等かの変事を見ず――マンチェスター。』

 それから三十分が過ぎた。そしてケニヨンの駅長から次の返電が来た――

 『臨列の行方不明。当駅を通過したるもバートン・モスに到着せざること確かなり。貨物車の機関車を利用して本職自らバートン・モスまで行く行く調査したるも何等の変事無し。』

 駅長は困惑して髪の毛を掻むしった。
『こりゃ驚くべき発狂だ、フード君!』と彼は叫んだ。『この昼日中《ひるひなか》、この英国で、列車が空中に消えて無くなろうとは! 実に辻褄の合わない話ではないか。一台の機関車と、二輌の客車と、一輌の車掌車と、五人の人間《ひと》とが、一直線の線路の上で消えて無くなろうとは! そうだ、もう一時間経っても確とした報知がないなら、僕はコリンス方面監察といっしょに現場《げんじょう》へ急行しなければならないだろう。』
 けれども遂に、ケニヨンからの次のような今一通の電報という形をとって、駅長のいわゆる「確としたこと」の一端が洩れて来た。

 『臨列の機関手ジョン・スレーターの死体を、当駅より二|哩《マイル》四分の一の地点なる「はりえにしだ」の藪中に発見したることを悲しむ。機関車より墜落し長堤を転がりて藪中に落ちたるもの。致命傷は頭部の負傷。附近ただいま精査中なるも列車の行方依然不明。』


 かくてその夜、駅長のブランド氏は、探偵長として鉄道会社に聘《へい》せられているコリンス方面監察と共にケニヨンへ向って出発した。二人は翌日を丸一日捜索のために費した。が、列車の行方は全然解らなかった。事実の解明を可能に導くべきような推測さえも立てるわけには行かなかった。それと同時に、しかし、コリンス方面監察の報告書によると――それは現在記者の卓上に置かれてあるのだが――解明の可能性は決して思ったほど乏しいものではないようだ。報告書にはこう書いてあった――
『両駅間の軌道沿線には、炭坑の散在するあり。それらの内、あるものは活坑なれどもその他は廃坑なり。しかして右の内、本線より私設線を炭坑の入口まで引込みおるもの七ヶ所あり。いずれも長さは二三|哩《マイル》に過ぎず。七ヶ所の内、レッド・ガウントレット、ヘロー、デスポンドのスラウ、及びハートシーズの四炭坑へ通ずる四つの引込《ひきこみ》線は本線に合する部分の軌道が取除かれおるをもって、本職はこれが探査を省けり。(右のうち、ハートシーズ坑は十年以前まで当地方主要炭坑の一として有名なりしもの)残るは他《た》の三線すなわち、

 (一)カーンストック鉄工場引込線
 (二)ビッグ・ベン炭坑引込線
  (三)パーシヴィアランス炭坑引込線

なるが、この中《うち》ビッグ・ベン線は延長四分の一|哩《マイル》に過ぎず、軌条《レール》は発掘されたる石炭の山の辺《ほとり》にて尽き、途中に何ものをも見ず。次にカーンストック鉄工場引込線は、六月三日は十六台の赤銅鉄運搬車が軌道《レール》を遮りて留め置かれありし事実あり。最後に、パーシヴィアランス炭坑引込線のみは複線なり、該坑は産額はなはだ多きをもって、六月三日も平常の如く絶えず線路を使用し、二|哩《マイル》四分の一なる全線に沿うて数百の労働者が就業しつつありしも、本線より列車の闖入《ちんにゅう》せるを認めたるもの無し。しかしてこの引込線は、かの機関手の死体の発見されたる地点よりはセント・ヘレン駅により近きをもって、問題の列車は、椿事に出会《しゅっかい》する前、該線の分岐点を通過せしものと信ずべき理由あり。
『機関手のジョン・スレーターに関しては、彼の負傷の模様を検査するも何等の手掛りを引出し得ず、ただ本職は、本職の推定し得る限りにおいて、機関車よりの墜落が彼の死因なることを確言し得るのみ、何故《なにゆえ》彼が墜落せしか、また彼の墜落後機関車がいかになりしかについては全然推測の限りにあらざる次第なり云々。』

  『今もって何等かの報道なし。短距離列車の機関手も車掌もケニヨン、バートン・モス間に何等かの変事を見ず――マンチェスター。』

 それから三十分が過ぎた。そしてケニヨンの駅長から次の返電が来た――

 『臨列の行方不明。当駅を通過したるもバートン・モスに到着せざること確かなり。貨物車の機関車を利用して本職自らバートン・モスまで行く行く調査したるも何等の変事無し。』

  駅長は困惑して髪の毛を掻むしった。
『こりゃ驚くべき発狂だ、フード君!』と彼は叫んだ。『この昼日中《ひるひなか》、この英国で、列車が空中に消えて無くなろうとは! 実に辻褄の合わない話ではないか。一台の機関車と、二輌の客車と、一輌の車掌車と、五人の人間《ひと》とが、一直線の線路の上で消えて無くなろうとは! そうだ、もう一時間経っても確とした報知がないなら、僕はコリンス方面監察といっしょに現場《げんじょう》へ急行しなければならないだろう。』
  けれども遂に、ケニヨンからの次のような今一通の電報という形をとって、駅長のいわゆる「確としたこと」の一端が洩れて来た。

  『臨列の機関手ジョン・スレーターの死体を、当駅より二|哩《マイル》四分の一の地点なる「はりえにしだ」の藪中に発見したることを悲しむ。機関車より墜落し長堤を転がりて藪中に落ちたるもの。致命傷は頭部の負傷。附近ただいま精査中なるも列車の行方依然不明。』

 かくてその夜、駅長のブランド氏は、探偵長として鉄道会社に聘《へい》せられているコリンス方面監察と共にケニヨンへ向って出発した。二人は翌日を丸一日捜索のために費した。が、列車の行方は全然解らなかった。事実の解明を可能に導くべきような推測さえも立てるわけには行かなかった。それと同時に、しかし、コリンス方面監察の報告書によると――それは現在記者の卓上に置かれてあるのだが――解明の可能性は決して思ったほど乏しいものではないようだ。報告書にはこう書いてあった――
『両駅間の軌道沿線には、炭坑の散在するあり。それらの内、あるものは活坑なれどもその他は廃坑なり。しかして右の内、本線より私設線を炭坑の入口まで引込みおるもの七ヶ所あり。いずれも長さは二三|哩《マイル》に過ぎず。七ヶ所の内、レッド・ガウントレット、ヘロー、デスポンドのスラウ、及びハートシーズの四炭坑へ通ずる四つの引込《ひきこみ》線は本線に合する部分の軌道が取除かれおるをもって、本職はこれが探査を省けり。(右のうち、ハートシーズ坑は十年以前まで当地方主要炭坑の一として有名なりしもの)残るは他《た》の三線すなわち、

 (一)カーンストック鉄工場引込線
 (二)ビッグ・ベン炭坑引込線
  (三)パーシヴィアランス炭坑引込線

なるが、この中《うち》ビッグ・ベン線は延長四分の一|哩《マイル》に過ぎず、軌条《レール》は発掘されたる石炭の山の辺《ほとり》にて尽き、途中に何ものをも見ず。次にカーンストック鉄工場引込線は、六月三日は十六台の赤銅鉄運搬車が軌道《レール》を遮りて留め置かれありし事実あり。最後に、パーシヴィアランス炭坑引込線のみは複線なり、該坑は産額はなはだ多きをもって、六月三日も平常の如く絶えず線路を使用し、二|哩《マイル》四分の一なる全線に沿うて数百の労働者が就業しつつありしも、本線より列車の闖入《ちんにゅう》せるを認めたるもの無し。しかしてこの引込線は、かの機関手の死体の発見されたる地点よりはセント・ヘレン駅により近きをもって、問題の列車は、椿事に出会《しゅっかい》する前、該線の分岐点を通過せしものと信ずべき理由あり。
『機関手のジョン・スレーターに関しては、彼の負傷の模様を検査するも何等の手掛りを引出し得ず、ただ本職は、本職の推定し得る限りにおいて、機関車よりの墜落が彼の死因なることを確言し得るのみ、何故《なにゆえ》彼が墜落せしか、また彼の墜落後機関車がいかになりしかについては全然推測の限りにあらざる次第なり云々。』

       

 それから一月《ひとつき》が経った。会社も警察も、絶えず捜索を続行はしていたけれど、毛筋ほどの手掛りさえ見出すことが出来なかった。懸賞金が提出されたりした。人々は「今日こそは」という期待をもって毎日の新聞を取上げた、けれども週また週が、この奇怪《グロテスク》な秘密の幕を切って落すことなしに空しく過ぎて行った。六月の午後の真昼間だというに、そして所はといえば、英国きっての人口の稠密《ちょうみつ》な地方だというに一列車が乗客を載せたまま、熟練な化学実験の大家《たいか》が空々《くうくう》たる瓦斯《ガス》にでも変化してしまったかのように、影も形も見えなくなったのだ。
 実際、当時の諸新聞に掲げられた種々様々な推測の中《うち》には、この事件の背後には、何か理外の理ともいうべき超自然的な魔力が働いたのだと論ずるものすらあったほどだ。けれども、「タイムス」紙上に掲げられた、当時かなりに有名な寄稿家として知られていたある論客の署名の下《もと》に論ぜられた一文は、読者の注意を惹くに充分だった。それは批評的な半ば科学的な方法で事件を論じようと試みたものだった。記者は下《しも》にその主要部分を抄出してみたい。
『………該列車がケニヨン駅を通過したることは確かなる事実なり。しかしてまた、バートン・モスに到着せざりしことも確かなる事実なり。列車が七個所の引込線中の一に進入したるやも知れずとの考えは、おそらく最高の程度において事実らしからぬことなり。されども、それにもかかわらず、可能なることなり。列車が軌道《レール》なき土地を進行するは明らかに不可能なり。従《したがっ》て吾人《ごじん》は、この「事実らしからぬこと」を次の三引込線に帰せんとするものなり。すなわち、カーンストック引込線、ビッグ・ベン引込線、パーシヴィアランス引込線の三を「可能なる」ものと認むるものなり。思えらく、右諸炭坑には、一種の秘密結社の如きものあって、列車をも乗客をも闇の中に葬り去るべき奇怪なる能力あるにや? こは事実らしからぬことに見えて、実は決して事実らしからぬことにあらず……………吾人はここに確信をもって会社に忠告し、もって、会社が該引込線と、その終点に働く労働者等につき、全力を傾注して探査せんことを希望するものなり云々。』
 この推測は、さすがにこうした事件に関して定評のある権威《オーソリティー》の説だけに、かなりの興味を惹起したのは無理もない。しかし、またこの説に対して反駁を試みる者は、論者は善良な人々に対して不自然な誹譏《ひき》を予想するものであるといって攻撃の矢をむくいたりした。ある者はまた次のように論じた。『列車は過《あやま》って軌道《レール》を滑り出した後《のち》、数百ヤードの間|軌道《レール》に沿うて流れておるランカシアー運河の中へ陥没してしまったものだろう』と。けれどもこの臆説は不幸にしてたちまち却下された。運河の水深が発表された結果、そうした巨大な物体を水底に匿《かく》し横たえておるべく余りに浅いことがわかったのである。その外《ほか》にも、いろいろ勝手な臆説、仮説を立てるものもあった。が、その時に当って、突如として全く思いがけない一つの挿話《エピソード》が湧上った。
 というのは、例の失踪列車の車掌だったジェームス・マックファースンの妻が、夫マックファースンから一通の手紙を受取ったということなのだ。手紙は、その年の七月五日付で、米国の紐育《ニューヨーク》から投函されたもので、彼女の手に渡ったのは七月十四日の事だった。それは、彼女の証言によれば、紛《まが》うべくもない本人の筆蹟で、殊に中には、米国の五|弗《ドル》紙幣で百|弗《ドル》の大金が封入してあったのだ。手紙には宿所が記入してなかったが、文言は次のようだった――


『我が親愛なる妻よ。――自分は今まで考えに考えた。が、自分は到底お前と別れ別れになっておるに忍びないことを覚《さと》った。リッジーに対しても同様である。自分はこの心と戦って来たのだ、けれども自分の胸にはやはりいつもいつも御前が帰って来るのだ。英貨にすれば二十|磅《ポンド》の金、それだけの金を自分はお前宛に送る。それだけあればお前とリッジーとが大西洋を航海して来るに充分だと思う。そしてお前は、サザムプトンへ寄港するハンブルグ汽船会社の船でやって来るがいい。[#「。」は底本では欠落]船もよいし、リヴァプール汽船会社のよりは賃金も廉《やす》い。もしお前がここへ来てくれて、ジョンストン館《ハウス》へ投宿するなら自分は何等かの方法で、お前に会う手段を講ずるつもりである。しかし現在自分は身の置き所もないほどの身だ、それにお前達二人を忘れかねて、非常に不幸な日を送っているのだ。今はこれにて、お前の愛する夫から――ジェームス・マックファースン。』

 そして、一時は、この手紙こそやがて全事件の真相を説明するものに相違ないのだと人々からは確信をもって予想されもしたのだ。彼女はその妹のリッジー・ドルトンを連れて、手紙の趣のように紐育《ニューヨーク》へ渡って、指定のジョンストン館《ハウス》に三週間も滞在した。けれども夫たる失踪者からは一言の知らせさえもなかった。というのは、大方、それについて無分別にも色々書き立てたある新聞の記事に智慧をつけられて、本人のマックファースンが「ここでうかうか妻に会っては足がつく」と覚ったためでもあろう。細君の一行も、またリヴァプールまですごすごと引返《ひっかえ》さなければならなかった。
 かくして、カラタール氏等を載せた臨時列車の紛失事件が未解決のままに、今年まで徒《いたず》らに八年の歳月が流れた。ただ、不幸な二人の旅客の来歴を精《くわ》しく探査するにつれて、カラタール氏なる人が中央|亜米利加《アメリカ》における財政家で、政治的代表者であったこと、彼が欧洲への航海中、居ても立ってもおられないほど巴里《パリー》へ早く足を入れたがっていたという事実だけが解ったのであった。それからあの連れの男というのは、船客名簿にはエドゥアルド・ゴメズと記入されたが、この男こそは稀代の兇賊として、また暴漢として中央|亜米利加《アメリカ》を震駭《しんがい》させた危険人物だということも解って来た。けれども、ゴメズがカラタール氏に心服して仕えていたことは疑いのない事実だった。カラタール氏は、前にも言ったように、小兵な体躯《からだ》なので、護衛者としてゴメズを傭《やと》っていたのだ。
 が、そのカラタール氏が大急行で巴里《パリー》まで行こうとしたその目的は一体何であろう――それについては、巴里《パリー》方面からは何等の報道も来なかった。しかし、列車事件にからんだ凡ての事実は、この一事の中《うち》にこそ一切の秘密を集めているのではないか、この一事さえはっきりと解るならば………
 そこへ、あのマルセイユの方の諸新聞に一せいに掲げられたヘルバート・ドゥ・レルナークの告白とはなったのだ。ヘルバート、それはボンヴァローという一人の実業家の殺人犯人として死刑の宣告を受けて、現にマルセイユの監獄に繋がれている男なのだ。記者は次にその告白の全文を文字通りに訳出してみたいと思う――
『自分がこの告白の公表を敢てするのは、決して単なる誇慢の心からではない。もしそれが目的ならば、自分は自分の美談として世に残るべきほどの行為を十ほども数え挙げることが出来るものだから。そんなことではない、カラタール氏の運命についてここに語ることの出来る自分が、同時にまたあの事件を何人《なんびと》の利益のために、何人《なんびと》に依頼されて実行したかをあばくことの出来る人間であるということを、現在|巴里《パリー》に時めく若干《なにがし》かの紳士《ジェントルマン》等に思い知らせるためである。もしその紳士《ジェントルマン》等が余の死刑執行に対して猶予の方法を一日も速《すみや》かに講じようと欲しない限りは。閣下等よ、警戒したまえ、臍《ほぞ》を噛むとも間に合わぬような失態を演じないうちに!閣下等はこのヘルバート・ドゥ・レルナークをよく御存じのはずだ、そしてレルナークの行為《おこない》は語《ことば》のように速かであることをお忘れではないはずだ。今は一日を惜む。でないと、閣下等の万事は休するのだ!
『なるほど現在では、自分も口をつぐんで閣下等の尊名をあばくことをすまい。しかし、自分がかつて自分の抱え主等に対して忠実を誓ったように、彼等は現在の余に対して忠実であるだろうことを自分は信じたい。自分はかく希望する、そしてもし自分が、不幸にして彼等が遂に自分を裏切ったという確信を得るに至るであろうならば、それらの姓名を天下に公表するべく自分は一時も躊躇しないであろう――おそらくそれらの罪の名は全欧洲を震駭するでもあろうが。
『一口にいえば、当時――千九百――年――巴里《パリー》には、政治経済界に勃発した奇々怪々な疑獄事件に関連して有名な恐慌がやって来たのだ。仏蘭西《フランス》を代表する幾多の巨頭の名誉と経歴とは全く危機に瀕していた。そこへもし大西洋の彼方から、あのカラタール氏が爆弾のように飛込んで来ようものなら、彼等巨頭連の存在は一たまりもなく将棊《しょうぎ》倒しにされてしまうのだ。しかもその爆弾は今まさに南|亜米利加《アメリカ》から、巴里《パリー》の空|目蒐《めが》けて飛翔の準備中であるという警鐘は乱打されているのだ。そこで、どうしてもカラタール氏をして仏蘭西《フランス》の地を踏ませない策略を講じなければならないこととなった。そこで彼等は組合《シンジケート》をつくって危急に当ろうと決心した。組合は無限の金力を動かすことが出来た。この巨大な金力を自由にふるって、カラタール氏の入国を絶対にはばむことの出来る人物を彼等は求め始めた。人物、それは独創力に富んだ、果断な、そして眼から鼻へ抜けるような男――百万人中の一人でなければならなかった。彼等はこのヘルバート・ドゥ・レルナークを択んだのだ。その点で自分は彼等の、否《いな》閣下等の明を正しいと言っておく。
『自分の義務は、多くの輩下を探し出し、金力を自由に駆使して、カラタール氏の入国入市を妨害することだった。命令一下、自分は非凡な精力を傾けて、すでに一時間の後《のち》には義務を遂行すべく秘密の活躍を開始していた。
『自分は自分の片腕と頼む男を南|亜米利加《アメリカ》に急行させてカラタール氏と同船させることにした。もしこの男の着米が今一歩早かったならば、船は決してリヴァプールの港を見ることが出来なかっただろうに。けれども、船は既に出航した後《のち》だったのだ、あらゆる偉大な策略家がそうであるように。しかし、自分は失敗に対する第二策第三策をちゃんと準備していたのだ。で、この場合、我々は単にカラタール氏の命を奪えばいいのではない、カラタール氏の携えている書類をも、そして彼の従者等の命をも、もしカラタール氏が彼等に秘密を打明けておると信ずべき理由があるなら、奪わなければならないのだ。
『大西洋の彼方で長蛇を逸した以上、英国こそ今は我々一味の活躍すべき舞台である。それも、彼がやがてリヴァプールの埠頭に姿を現わすであろう、その刹那から、倫敦《ロンドン》で下車する瞬間までの間においてである。倫敦《ロンドン》へ到着するやいなや、彼はかなりの人数の護衛者を身辺に附する約束をしたと信ずべき理由が我々の方にはあったのだから。我々は六通りの計画を立てていた。そのいずれをとることになるだろうかは、一々彼の行動次第で定《き》まるはずだ。もし彼が普通列車の便をとるなら、それもよかろう。急行列車へ投ずるなら、それもよし、臨時急行列車を仕立てようとならば仕立ててもよい。
『だがすべてそれ等の配慮を余が自分自らすることは力の及ばないことだ。仏蘭西《フランス》人たる自分が英国の鉄道について、どうして精密な知識を持合せていよう? が、そこは金の力である、自分は全英国中で最も鋭敏な頭脳の所有者の一人を一味として頼むことが出来たのだ。彼の倫敦《ロンドン》西海岸線に関する知識は驚くべきほど完全精密をきわめたものであり、彼の配下には、頭がよくて信用するに足る職工の一団がひかえているのだ。それだから、我々が手を下すに至った荒療治の計画の大部分は彼の頭の産み出したものであり、自分はただ局部的に意見を与えたに過ぎないのだ。我々は何人かの鉄道勤務員の買収もした。その中での親玉は例のジェームス・マックファースンである。我々の眼は、九分九厘までこの男が、カラタール氏によって請求されるであろう、別仕立列車の車掌に択《えら》ばれるに相違ないことを見抜いていたのだ。それから機関手のジョン・スレーター、この男にも当ってみたけれど、しかしなかなか骨ッぽい、警戒すべき奴だということを発見した。止むを得ず買収は中止した。我々は、カラタール氏が確かに臨時列車を仕立てさせるに相違ないとまでは信じてなかった、けれどもそれは十中八九まで起り得べきことだと考えたのだ。緊急な重大事をひかえて、一刻も猶予することなく巴里《パリー》へはいりたがっていることを知っているので。
『我々は、カラタール氏がリヴァプールに上陸した時、彼が、危険を予知して、身辺近く護衛者を伴なって来たことをすぐさま知った。護衛者、しかもそれはゴメズというはなはだ危険な奴である。常に兇器を携えいざといえば、それを振廻す男である。ゴメズはまた、カラタール氏の証書類を携える役目を自身で引受け、片時たりとも注意おさおさ怠りないのだ。我々の睨んだところでは、主人は彼を自分の顧問として何ごとも相談しているらしく見えた。であるからカラタール氏一人を片づけたところで、このゴメズを片づけない限り、それは全くの徒労というものだ。我々にとっては、彼等を同じ運命の坑《あな》に放り込んでしまうことが必要なのだ。そしてその目的に対する我々の計画は、彼等が果して別仕立列車を請求することになったので、非常に好都合に捗《はかど》ったのだ。列車に乗込むべき三名の乗務員のうち、二名まで我々の買収した一味の仲間なのだから。生涯を安楽に暮せるだけの大金を握らせて。
『自分が絶好の英国人を一味に加えたことは前にも言った通りだ。彼は赫々《かくかく》たる未来ある有為の人物だったが、その後咽喉病に犯されたために夭死した。その男がリヴァプール駅で一切の手筈をやった。余は一足先にケニヨンまで行っていて、駅前の旅店に根拠を構え、暗号の飛来してくるのを待っていた。列車の配車が出来ると同時に、彼は余の手許へ打電して、すぐに手抜かりなく準備をととのえろと知らせて来た。彼は自ら、ホレース・ムーアという偽名をなのって、駅長に、至急|倫敦《ロンドン》行きの別仕立列車を仕立ててもらいたいと申出でた。それは表向きで、心中ではカラタール氏と同車が出来るだろうと期待していたのだ。そうなれば、何かにつけて便利だろうと考えたから――例えばもし、我々の大隠謀《だいいんぼう》が失敗に帰した場合彼等両名を射殺《いころ》した上、書類を奪い取るのが彼の役になっていたのだから。カラタール氏は、しかし、決して気をゆるさなかった。そして他の旅客を相客に持つことを絶対に拒絶した。そこで我が腹心は停車場を去った――というのは実は見せかけで、あらためて他の入口から歩廊《プラットホーム》に忍び入り、歩廊《プラットホーム》から一番遠くの方に位置していた車掌乗用車の中《うち》に姿を匿《かく》した、そして車掌のマックファースンと同乗して出発したのだ。
『その間にこの自分がどんな行動をとっただろうか、それは諸君の知りたく思うところであろう。しかし、万事はもうすでに二三日前から着々準備されていたのだ、ただ最後の仕上げを要するばかりになっていたのだ、我々が択んだ引込線は、以前はもちろん本線に聯結していたのだが、その後引離されたままの状態になっていた。我々はただ二三本の軌条《レール》を当てがって結び付けさえすればよかったのだ。工事は出来るだけ人目につかないように忍んでやった。それも、単に本線との連結点の軌条《レール》を布設し、そこに以前のように転轍器《ポイント》を装置しさせすればすんだのだ。枕木は昔ながらに埋設されていた。軌条《レール》と挟接鉄板と目釘とはすべて用意した、それらは皆その引込線の側線から取って来たものである。自分は、小人数の、しかしそれだけで充分な工夫等を督《とく》して、列車の疾走して来ない間に、凡ての準備をととのえておいた。遂に列車が進行して来た。列車は何の故障もなく安々と支線へ滑り込んだ。そのため、転轍器《ポイント》の動揺も二人の乗客には少しも気づかれないですんだようだった。
『かねて我々の計画では、火夫のスミスが例の手硬《てごわ》い機関手のジョン・スレーターをコロロホルム薬で麻酔させる手筈になっていた。けれども、この点においてはただこの点のみにおいては、我々の計画は失敗に帰した。なぜといって、火夫のスミスはその仕事を恐ろしく不手際にやったため、スレーターは取組合《とっくみあい》の最中に、機関車から墜落したのだから。そして、たとえ幸運が我々の側を見すてずに、スレーターが頸骨《くびほね》を挫折して即死してしまったとはいえ、この一事あるがため、もしさもなければ犯罪上の最大な傑作として、人々を言葉もないほど嗟嘆《さたん》させたでもあろうほどの玉に、一つの瑕《きず》をつけてしまったのである。
『しかし今や我々は、首尾よく列車を二キロメートルまでも、すなわち一|哩《マイル》以上も、支線の中へ引込んだ。この線は、ハートシーズの廃坑へ、以前英国の炭坑として最も大きなものの一つだったその場所へ通じているのだ、正確にいえば、通じていたのだ。が、諸君は、しかしこの廃線へ列車が進入して行ったことを一人も見たものがないとはおかしいという疑問を必ず発するだろう。自分はそれに対して次のように答える。この引込線は全線に亙《わた》って深い切通しの底を走っているのだ。そして何人かが切通しの縁に立っていない限りは列車の姿の眼に留まるはずがないからだと。いや、そこには実際一個の人間が立っていたのだ。それはかくいう自分である。自分がそこで何を見たか、それを諸君に語るであろう。

       

『これより先き、一人の我が助手は、例の列車が果して首尾よく引込線の方へ転轍されて行くかどうかを監視するため、転轍器の側に待っていたのだ。彼は四人の武装した仲間を引連れていた。それは、万一列車が本線を直進してしまうような惧れがあっても――我々はそれをことによると有り得べきことだと思ったからだ、転轍器《ポイント》が非常に錆び切っていたので――直ちに応急手段にうったえることが出来ようためだった。しかし、列車は故障なく引込線へ進入した。彼は自身の責任を余の手に移した。自分は炭坑の入口を見下ろすことの出来る位置に待っていた。自分自身も、仲間と同じように武装をこらして。何でも来いという調子だった、自分にはいつでも用意が出来ていたのだ。
『列車は首尾よく引込線へ滑り込んだ。と、その時、火夫のスミスは機関車の速力をちょっと緩めた。が、今度は更に最大速力で突進するように機械を廻しておいて、彼と車掌のマックファースンと例の英国人とは、時機を失わない内に車上から身を躍らして飛び下りた。最初にわかに速力を緩めた時それはさすがに二人の乗客の不審を買わないはずがなかった。けれども驚いて彼等が開かれた窓口へ頭を出した時には、列車はすでに疾風のように突進し始めていた。その時彼等二人がいかに乱心しただろうか、自分は考えるだに胸がすくような気がする。諸君自身も二人のその時の気持になってみるがよい――驚きの余り贅沢な客車の窓から外を覗くと、自分の列車は幾年《いくとせ》雨風にたたかれて真赤に錆び蝕《くさ》った廃線の上を死物狂いに突進している! 車輪は錆びた鉄路の上で物すごい叫び声を発して行く!
『その時カラタール氏は夢中に神に祈っていた、と自分は考える――彼の片手からは珠数のようなものがぶら下っていたのを自分は見たから。ゴメズは屠牛所の血の匂いを嗅ぎつけた牡牛のように咆《ほ》え続けた。彼は我々が線路の側に立っているのを見た。そして狂人《きちがい》のように我々に向って手振りをしてみせた。が、やがて彼は自分の手頸に掴みかかって、我々の方角目蒐《めが》けて大切な文書袋を投げつけた。もちろん、その意味は明瞭である。サア自分等はこの証拠を渡す、もし命を助けてくれるなら、何ごとも沈黙を守るという誓いの証拠品を渡す………という意味に相違ないのだ。しかし、仕事は仕事である。第一、列車はもはや我々の力でどうにもならぬではないか。
『ゴメズが咆え立てるのを止めた時には、すでに列車は激しいきしり音《ね》を立てながらカーヴを曲っていた。主従は彼等の面前に竪坑の真黒な入口が巨大な顎《あぎと》を開いて待っているのを見た。我々は真四角な入口の板蓋《いたおお》いを取り除いておいたのだ。軌条《レール》は既に、石炭の積載に便利なように坑のほとんど入口まで引込んであった、それだから坑のすぐ縁まで線路を導くためには、我々は二三本の軌条《レール》を継ぎ足しさえすれば事が足りたようなわけである。我々は客車の窓に二つの首を見た、カラタール氏が下に、ゴメズが上に、しかし二人は目前《めのまえ》に見たもののために、叫声《さけびごえ》ももはや凍ってしまったようだ。しかもなお、彼等は首を引込めようとはしなかった。おそらく眼の前の光景《ありさま》が彼等の総身を麻痺させてしまったのだろう。
『遂に最後の瞬間が来た、機関車は轟然たる大音響と共に坑の向う側に突撃した。煙筒《えんとつ》は断ちきれて空中に飛上った。客車と車掌乗用車とは粉砕されてごちゃまぜになり、機関車の残骸と共に、一二分の間坑口を一ぱいに塞いだ。やがてミシミシという音響を発して真ン中の部分がまず頽《くず》れ始め、続いて、緑色《りょくしょく》の鉄と、煙を吐きつつある石炭と、真鍮製附属品と、車輪と木片と長腰掛とが、奈落の底をめがけて、滝つ瀬《せき》のようにくだけ落ちて行った。我々はそれらの砕片が竪坑の岩壁に衝突するガラガラ………ガラガラという凄い反響を耳にした。そしてそれから全く長い間を隔てて、最後にドドーンというような深い地響きが脚下《あしもと》に轟いた。汽缶《ボイラー》が爆発したらしい。なぜなれば、その地響きに引続いて、鋭いがちゃがちゃいう音が聞え、まもなく湯気と煙の渦巻が闇黒《あんこく》の深淵から巻上った。みるみるそれは夏の日光の中《うち》に溶かされて行き、やがて全く消えてなくなった。凡てはふたたびハートシーズの廃坑の静けさに帰った。
『かくていまや多大の成功をもって計画をなし遂げた我々には、犯罪の証跡を残さないための努力だけがただ一つ残された。しかし分岐点にとどまっていた少数の工夫等は、すでに一たん仮設した軌条《レール》を剥がしてもはや元の状態に復帰させただろう。が、こちらは坑口を元通りに始末しなければならないのだ。煙突やその他の砕片やはすべて坑の中へ投込んだ。坑口は、再び覆いの板を持ち運んで元の通りに始末した。継ぎ足しの軌条《レール》は剥取って遠くへ運び去った。そこで一同はどさくさせぬように、しかし一刻の猶予もなく、国外へ逃げ延びる仕度をした。大部分は巴里《パリー》を指して、例の英国人はマンチェスターへ、そしてマックファースン[#「マックファースン」は底本では「マックファーン」]はサザムプトンへ、そこから亜米利加《アメリカ》へ移住するために。
『諸君は、ゴメズが窓の外へ書類袋を投げ出したというあの一事を覚えておるだろう。自分がそれを拾って巴里《パリー》の巨頭等の手に渡したことはもちろんの話だ。
『けれども我が閣下等よ、閣下等は余があの袋の中から一二枚の小形の書類を、あの事件の記念として抜取っておいたことを知るならば、いかなる感じを起すだろうか。自分は元よりそれらの書類を公表するつもりはない。しかし、そこが問題である、現在我が友の助けを求めつつ自分のために、我が友が敢てその挙に出《い》でない場合、自分は公表の外《ほか》にいかなる手段に出ることが出来るだろう? 閣下等よ、閣下等はこのヘルバート・ドゥ・レルナークが、味方として頼むべく、敵として恐るべき男子であることを信じてもよいはずだ。閣下等自身のため、たとえそれがこの自分のためでなくとも、一時《いっとき》をも失わぬように、――閣下よ、そして――大将よ、そして――男爵よ。(閣下等は上のブランクを自らうずめるがよい)


『追――以上の陳述を読み直した時、自分はただ一つの言い洩しのあったことを発見する。それは不幸なる人マックファースンに関してである。彼は愚かにも彼の妻宛に手紙を出して、紐育《ニューヨーク》で会う約束をしたのだ。彼のような奴が、自己の大秘密を女に打明けかねまいかどうか、全く知れたものではない。彼すでに妻に手紙を送ったことによって、我々の堅い誓いを破っている以上、我々は彼を信用することが出来なくなった。そこで我々は彼をして、妻が亜米利加《アメリカ》へやって来ても決して会わないことを誓うべく余儀なくさせるため、断乎として迫った次第だ。』(完)

底本:「「新青年」復刻版 大正10年(第2巻)合本2」本の友社
   2001(平成13)年1月10日復刻版第1刷発行
初出:「新青年 第二卷 第四號」博文館
   1921(大正10)年3月13日印刷納本
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「或、或る→ある 如何→いか 何れ→いずれ 一層→いっそう 於て→おいて 於ける→おける 恐らく→おそらく 居る→おる 拘らず→かかわらず 斯く→かく 且つ→かつ 曽て→かつて 可成り→かなり 兼ね→かね 此→こ 斯う→こう 悉く→ことごとく 之→これ 然→しか 而→しか 併→しか直ぐ→すぐ 即ち→すなわち 凡て→すべて 其→そ 唯→ただ 唯今→ただいま 忽ち→たちまち 多分→たぶん 為め→ため 就て→ついて て居→てお て置→てお て見→てみ 何処→どこ 猶→なお 乍ら→ながら 成程→なるほど 筈→はず 甚だ→はなはだ 程→ほど 殆ど→ほとんど 正に→まさに 先ず→まず 又→また 迄→まで 間もなく→まもなく 若し→もし 以て→もって 勿論→もちろん」
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
※底本中、混在している「セント・ヘレンス」「セント・ヘレン」、「ヘルバート」「ヘルバルト」はそのままにしました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(加藤祐介)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年11月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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