神曲 LA DIVINA COMMEDIA 淨火   アリギエリ・ダンテ Alighieri Dante ——–   山川丙三郎訳

   第一曲

かのごとく酷《むご》き海をあとにし、優《まさ》れる水をはせわたらんとて、今わが才の小舟《をぶね》帆を揚ぐ 一―三
かくてわれ第二の王國をうたはむ、こは人の靈|淨《きよ》められて天に登るをうるところなり 四―六
あゝ聖なるムーゼよ、我は汝等のものなれば死せる詩をまた起きいでしめよ、願はくはこゝにカルリオペ 七―
少しく昇りてわが歌に伴ひ、かつて幸《さち》なきピーケを撃ちて赦《ゆるし》をうるの望みを絶つにいたらしめたる調《しらべ》をこれに傳へんことを ―一二
東の碧玉《あをだま》の妙《たへ》なる色は、第一の圓にいたるまで晴れたる空ののどけき姿にあつまりて 一三―一五
我かの死せる空氣――わが目と胸を悲しましめし――の中よりいでしとき、再びわが目をよろこばせ 一六―一八
戀にいざなふ美しき星は、あまねく東をほゝゑましめておのが伴《とも》なる雙魚を覆へり 一九―二一
われ右にむかひて心を南極にとめ、第一の民のほかにはみしものもなき四の星をみぬ 二二―二四
天はその小《ちひ》さき焔をよろこぶに似たりき、あゝ寡《やもめ》となれる北の地よ、汝かれらを見るをえざれば 二五―二七
われ目をかれらより離して少しく北極――北斗既にかしこにみえざりき――にむかひ 二八―三〇
こゝにわが身に近くたゞひとりの翁《おきな》ゐたるをみたり、その姿は厚き敬《うやまひ》を起さしむ、子の父に負ふ敬といふともこの上にはいでじ 三一―三三
その長き鬚には白き毛まじり、二《ふたつ》のふさをなして胸に垂れし髮に似たり 三四―三六
聖なる四《よつ》の星の光その顏を飾れるため、我彼をみしに日輪前にあるごとくなりき 三七―三九
彼いかめしき鬚をうごかし、いひけるは。失明《めしひ》の川を溯りて永遠《とこしへ》の獄《ひとや》より脱《のが》れし汝等は誰ぞや 四〇―四二
誰か汝等を導ける、地獄の溪を常闇《とこやみ》となす闌《ふ》けし夜《よる》よりいづるにあたりて誰か汝等の燈火《ともしび》となれる 四三―四五
汝等斯くして淵の律法《おきて》を破れるか、將《はた》天上の定《さだめ》新たに變りて汝等罰をうくといへどもなほわが岩に來るをうるか。 四六―四八
わが導者このとき我をとらへ、言《ことば》と手と表示《しるし》をもてわが脛《はぎ》わが目をうや/\しからしめ 四九―五一
かくて答へて彼に曰ふ。我自ら來れるにあらず、ひとりの淑女天より降れり、我その請《こひ》により伴《とも》となりて彼をたすけぬ 五二―五四
されど汝は我等のまことの状態《ありさま》のさらに汝に明《あ》かされんことを願へば、我もいかでか汝にこれを否むをねがはむ 五五―五七
それこの者未だ最後の夕《ゆふ》をみず、されど愚《おろか》にしてこれにちかづき、たゞいと短き時を殘せり 五八―六〇
われさきにいへるごとく、わが彼に遣はされしは彼を救はんためなりき、またわが踏めるこの路を措きては路ほかにあらざりき 六一―六三
我はすべての罪ある民をすでに彼に示したれば、いまや汝の護《まもり》のもとに己を淨むる諸々の靈を示さんとす 六四―六六
わが彼をこゝに伴《ともな》ひ來れる次第は汝に告げんも事長し、高き處より力降りて我をたすけ、我に彼を導いて汝を見また汝の詞を聞かしむ 六七―六九
いざ願はくは彼の來れるを嘉《よみ》せ、彼往きて自由を求む、そもこのもののいと貴《たふと》きはそがために命《いのち》をも惜しまぬもののしるごとし 七〇―七二
汝これを知る、そはそがためにウティカにて汝は死をも苦しみとせず、大いなる日に燦《あざや》かなるべき衣《ころも》をこゝに棄てたればなり 七三―七五
我等|永遠《とこしへ》の法《のり》を犯せるにあらず、そはこの者は生く、またミノス我を繋《つな》がず、我は汝のマルチアの貞節《みさを》の目ある獄《ひとや》より來れり 七六―
あゝ聖なる胸よ、汝に妻とおもはれんとの願ひ今なほ彼の姿にあらはる、されば汝彼の愛のために我等を眷顧《かへり》み ―八一
我等に汝の七《なゝつ》の國を過ぐるを許せ、我は汝よりうくる恩惠《めぐみ》を彼に語らむ、汝若し己が事のかなたに傳へらるゝをいとはずば。 八二―八四
この時彼曰ふ。われ世にありし間、マルチアわが目を喜ばしたれば、その我に請へるところ我すべてこれをなせり 八五―八七
今彼禍ひの川のかなたにとゞまるがゆゑに、わがかしこを出でし時立てられし律法《おきて》に從ひ、またわが心を動かすをえず 八八―九〇
されど汝のいふごとく天の淑女の汝を動かし且つ導くあらば汝そがために我に求むれば足るなり、何ぞ諛言《へつらひごと》をいふを須《もち》ゐん 九一―九三
されば行け、汝一本《もと》の滑かなる藺《ゐ》をこの者の腰に束《つか》ねまたその顏を洗ひて一切の汚穢《けがれ》を除け 九四―九六
霧のために眊《かす》める目をもて天堂の使者《つかひ》の中なる最初の使者の前にいづるはふさはしからず 九七―九九
この小さき島のまはりのいと/\低きところ浪打つかなたに、藺ありて軟《やはら》かき泥《ひぢ》の上に生《お》ふ 一〇〇―一〇二
この外には葉を出しまたは硬くなるべき草木《くさき》にてかしこに生を保つものなし、打たれて撓《たわ》まざればなり 一〇三―一〇五
汝等かくして後こなたに歸ることなかれ、今出づる日は汝等に登り易き山路《やまぢ》を示さむ。 一〇六―一〇八
かくいひて見えずなりにき、我は物言はず立ちあがりて身をいと近くわが導者によせ、またわが目を彼にそゝげり 一〇九―一一一
彼曰ふ。子よ、わが歩履《あゆみ》に從へ、この廣野《ひろの》こゝより垂れてその低き端《はし》におよべばいざ我等|後《うしろ》にむかはむ。 一一二―一一四
黎明《あけぼの》朝の時に勝ちてこれをその前より走《わし》らしめ、我ははるかに海の打震ふを認めぬ 一一五―一一七
我等はさびしき野をわけゆけり、そのさま失へる路をたづねて再びこれを得るまでは 一一八―一二〇
たゞ徒《いたづら》に歩むことぞと自ら思ふ人に似たりき
露日と戰ひ、その邊《わたり》の冷かなるためにたやすく消えざるところにいたれば 一二一―一二三
わが師|雙手《もろて》をひらきてしづかに草の上に置きたり、我即ちその意《こゝろ》をさとり 一二四―一二六
彼にむかひて涙に濡るゝ頬をのべしに、彼は地獄のかくせる色をこと/″\くこゝにあらはせり 一二七―一二九
かくて我等はさびしき海邊《うみべ》、その水を渡れる人の歸りしことなきところにいたれり 一三〇―一三二
こゝに彼、かの翁の心に從ひ、わが腰を括《くゝ》れるに、奇なる哉謙遜の草、彼えらびてこれを採るや 一三三―一三五
その抜かれし處よりたゞちに再び生《お》ひいでき 一三六―一三八

   第二曲

日は今子午線のそのいと高きところをもてイエルサレムを蔽ふ天涯にあらはれ 一―三
これと相對《あひむか》ひてめぐる夜《よ》は、天秤《はかり》(こは夜の長き時その手より落つ)を持ちてガンジェを去れり 四―六
さればわがゐしところにては、美しきアウローラの白き赤き頬、年ふけしため柑子《かうじ》に變りき 七―九
我等はあたかも路のことをおもひて心進めど身止まる人の如くなほ海のほとりにゐたるに 一〇―一二
見よ、朝《あした》近きとき、わたつみの床《ゆか》の上西の方《かた》低きところに、濃き霧の中より火星の紅《あか》くかゞやくごとく 一三―一五
わが目に見えし一の光(あゝ我再びこれをみるをえんことを)海を傳ひていと疾く來れり、げにいかなる羽といふとも斯許《かくばかり》早きはあらじ 一六―一八
われわが導者に問はんとて、しばらく目をこれより離し、後再びこれをみれば今はいよ/\燦《あざや》かにかついよ/\く大いなりき 一九―二一
その左右には何にかあらむ白き物見え、下よりもまた次第に白き物いでぬ 二二―二四
わが師なほ物言はざりしが、はじめの白き物翼とみゆるにいたるにおよび、舟子《ふなこ》の誰なるをさだかに知りて 二五―二七
さけびていふ。いざとく跪き手を合すべし、見よこれ神の使者《つかひ》なり、今より後汝かかる使者等《つかひたち》をみむ 二八―三〇
見よかれ人の器具《うつは》をかろんじ、かく隔たれる二の岸の間にも、擢を用ゐず翼を帆に代ふ 三一―三三
見よ彼これを伸べて天にむかはせ、朽つべき毛の如く變ることなきその永遠《とこしへ》の羽《はね》をもて大氣を動かす。 三四―三六
神の鳥こなたにちかづくに從ひそのさまいよ/\あざやかになりて近くこれを見るにたへねば 三七―三九
われ目を垂れぬ、彼は疾《と》く輕くして少しも水に呑まれざる一の舟にて岸に着けり 四〇―四二
艫《とも》には天の舟人《ふなびと》立ち(福《さいはひ》その姿にかきしるさるゝごとくみゆ)、中には百餘の靈坐せり 四三―四五
イスラエル[#「イスラエル」に白丸傍点]、エヂプトを出でし時[#「エヂプトを出でし時」に白丸傍点]、彼等みな聲をあはせてかくうたひ、かの聖歌に録《しる》されし殘りの詞をうたひをはれば 四三―四五
彼は彼等のために聖十字を截りぬ、彼等即ち皆|汀《みぎは》におりたち、彼はその來れる時の如くとく去れり 四九―五一
さてかしこに殘れる群《むれ》は、この處をば知らじとみえ、あたかも新しきものを試むる人の如くあたりをながめき 五二―五四
日はそのさやけき矢をもてはや中天《なかぞら》より磨羯を逐ひ、晝を四方に射下《いくだ》せり 五五―五七
この時新しき民|面《おもて》をあげて我等にむかひ、いひけるは。汝等若し知らば、山に行くべき路ををしへよ。 五八―六〇
ヴィルジリオ答へて曰ふ。汝等は我等をこの處に精《くは》しとおもへるならむ、されど我等も汝等と同じ旅客なり 六一―六三
我等は他《ほか》の路を歩みて汝等より少しく先に來れるのみ、その路のいと粗《あら》く且つ艱《かた》きに比《くら》ぶれば今よりこゝを登らんは唯|戲《たはぶれ》の如くなるべし。 六四―六六
わが呼吸《いき》によりて我のなほ生くるをしれる魂等はおどろきていたくあをざめぬ 六七―六九
しかしてたとへば報告《しらせ》をえんとて橄欖をもつ使者《つかひ》のもとに人々むらがり、その一人《ひとり》だに踏みあふことを避けざるごとく 七〇―七二
かの幸《さち》多き魂等はみなとゞまりてわが顏をまもり、あたかも行きて身を美しくするを忘るゝに似たりき 七三―七五
我はそのひとりの大いなる愛をあらはし我を抱かんとて進みいづるを見、心動きて自らしかなさんとせしに 七六―七八
あゝ姿のほか凡て空しき魂よ、三度《みたび》われ手をその後《うしろ》に組みしも、三度手はわが胸にかへれり 七九―八一
思ふに我は怪訝《あやしみ》の色に染まれるなるべし、かの魂笑ひて退き、我これを逐ひて前にすゝめば 八二―八四
しづかに我に止《や》めよといふ、この時我その誰なるをしり、しばらくとゞまりて我と語らんことを乞ふ 八五―八七
彼答ふらく。我先に朽つべき肉の中にありて汝を愛せる如く今|紲《きづな》を離れて汝を愛す、此故に止まらむ、されど汝の行くは何の爲ぞや。 八八―九〇
我曰ふ。わがカゼルラよ、我のこの羈旅《たびぢ》にあるは再びこゝに歸らんためなり、されど汝何によりてかく多く時を失へるや。 九一―九三
彼我に。時をも人をも心のまゝにえらぶもの、屡※[#二の字点、1-2-22]我を拒みてこゝに渡るを許さゞりしかどこれ我に非をなせるにあらず 九四―九六
その意正しき意より成る、されど彼はこの三月《みつき》の間、乘るを願ふものあれば、うけがひて皆これを載せたり 九七―九九
さればこそしばしさき、我かのテーヴェロの水|潮《うしほ》に變る海の邊《ほとり》にゆきたるに、彼こころよくうけいれしなれ 一〇〇―一〇二
彼今翼をかの河口《くち》に向く、そはアケロンテの方《かた》にくだらざるものかしこに集まる習ひなればなり。 一〇三―一〇五
我。新しき律法《おきて》汝より、わがすべての願ひを鎭むるを常とせし戀歌の記憶またはその技《わざ》を奪はずば 一〇六―一〇八
肉體とともにこゝに來りて疲《つかれ》甚しきわが魂を、ねがはくは少しくこれをもて慰めよ。 一〇九―一一一
「わが心の中にものいふ戀は」と彼はこのときうたひいづるに、そのうるはしさ今猶耳に殘るばかりに妙《たへ》なりき 一一二―一一四
わが師も我も彼と共にありし民等もみないたくよろこびて、ほかに心に觸るゝもの一だになきごとくみゆ 一一五―一一七
我等すべてとゞまりて心を歌にとめゐたるに、見よ、かのけだかき翁さけびていふ。何事ぞ遲《おそ》き魂等よ 一一八―一二〇
何等の怠慢《おこたり》ぞ、何ぞかくとゞまるや、走《わし》りて山にゆきて穢《けがれ》を去れ、さらずば神汝等にあらはれたまはじ。 一二一―一二三
たとへば食をあさりてつどへる鳩の、聲もいださず、その習ひなる誇《ほこり》もみせで、麥や莠《はぐさ》の實を拾ふとき 一二四―一二六
おそるゝもののあらはるゝあれば、さきにもまさる願ひに攻められ、忽ち食を棄て去るごとく 一二七―一二九
かの新しき群《むれ》歌を棄て、山坂にむかひてゆきぬ、そのさま行けども行方《ゆくへ》をしらざる人に似たりき 一三〇―一三二
我等もまたこれにおくれずいでたてり 一三三―一三五

   第三曲

彼等忽ち馳せ、廣野《ひろの》をわけて散り、理性に促《うなが》されて我等の登る山にむかへるも 一―三
我は身をわがたのもしき伴侶《とも》によせたり、我またいかで彼を觸れて走《わし》るをえんや、誰か我を導いて山に登るをえしめんや 四―六
彼はみづから悔ゆるに似たりき、あゝ尊き清き良心よ、たゞさゝやかなる咎もなほ汝を刺すこといかにはげしき 七―九
彼の足すべての動作《ふるまひ》の美をこぼつ急《いそぎ》を棄つれば、さきに狹《せば》まれるわが心 一〇―一二
さながら求むるものある如く思ひを廣くし、我はかの水の上より天にむかひていと高く聳ゆる山にわが目をそゝぎぬ 一三―一五
後方《うしろ》に赤く燃ゆる日は、わがためにその光を支《さ》へられて碎け、前方《まへ》にわが象《かたち》を殘せり 一六―一八
我わが前方《まへ》にのみ黒き地あるをみしとき、おのが棄てられしことを恐れてわが傍《かたへ》にむかへるに 一九―二一
我を慰むるもの全く我に對《むか》ひていふ。何ぞなほ疑ふや、汝はわが汝と共にありて汝を導くを信ぜざるか 二二―二四
わがやどりて影を映《うつ》せる身の埋《うづ》もるゝ處にてははや夕《ゆふ》なり、この身ナポリにあり、ブランディツィオより移されき 二五―二七
さればわが前に今影なしとも、こはたがひに光を堰《せ》かざる諸天に似てあやしむにたらず 二八―三〇
そも/\威力《ちから》はかゝる體《からだ》を造りてこれに熱と氷の苛責の苦しみを感ぜしむ、されどその爲す事の次第の我等に顯はるゝことを好まず 三一―三三
もし我等の理性をもて、三にして一なる神の踏みたまふ無窮の道を極めんと望むものあらばそのもの即ち狂へるなり 三四―三六
人よ汝等は事を事として足れりとせよ、汝等もし一切を見るをえたりしならば、マリアは子を生むに及ばざりしなるべし 三七―三九
また汝等は、己が願ひをかなふるにふさはしかりし人々にさへ、その願ふところ實を結ばず却つて永遠《とこしへ》に悲しみとなりて殘るを見たり 四〇―四二
わがかくいへるはアリストーテレ、プラトー、その外多くのものの事なり。かくいひて顏を垂れ、思ひなやみてまた言《ことば》なし 四三―四五
かゝるうちにも我等は山の麓に着けり、みあぐれば巖《いはほ》いと嶮しく、脛《はぎ》の疾《はや》きもこゝにては益なしとみゆ 四六―四八
レリーチェとツルビアの間のいとあらびいと廢《すた》れし徑《こみち》といふとも、これに此《くら》ぶれば、寛《ゆるや》かにして登り易き梯子《はしご》の如し 四九―五一
わが師歩みをとゞめていふ。誰か知る、山の腰低く垂れて翼なき族人《たびびと》もなほ登るをうるは何方《いづかた》なるやを。 五二―五四
彼顏をたれて心に路のことをおもひめぐらし、我はあふぎて岩のまはりをながめゐたるに 五五―五七
この時わが左にあらはれし一群《ひとむれ》の魂ありき、彼等はこなたにその足をはこべるも、來ることおそくしてしかすとみえず 五八―六〇
我曰ふ。師よ目を擧げてこなたを見よ、汝自ら思ひ定むるあたはずば彼等我等に教ふべし。 六一―六三
彼かれらを見、氣色《けしき》晴《はれ》やかに答ふらく。彼等の歩履《あゆみ》おそければいざ我等かしこに行かん、好兒《よきこ》よ、望みをかたうせよ。 六四―六六
我等ゆくこと千歩にして、かの民なほ離るゝこと巧みなる投手《なげて》の石のとゞくばかりなりしころ《六七》
彼等はみな高き岸なる堅き岩のほとりにあつまり、互ひに身をよせて動かず、おそれて道を行く人の見んとて止まる如くなりき 七〇―七二
ヴィルジリオ曰ふ。あゝ福《さいはひ》に終れるものらよ、すでに選ばれし魂等よ、我は汝等のすべて待望む平安を指して請ふ 七三―七五
我等に山の斜《なゝめ》にて上りうべきところを告げよ、そは知ることいと大いなる者時を失ふを厭ふことまたいと大いなればなり。 七六―七八
たとへば羊の、一づつ二づつまたは三づつ圈《をり》をいで、殘れるものは臆してひくく目と口を垂れ 七九―八一
而して最初の者の爲す事をばこれに續く者皆傚ひて爲し、かの者止まれば、聲なく思慮《こゝろ》なくその何故なるをも知らで、これが邊《あたり》に押合ふ如く 八二―八四
我はこの時かの幸《さち》多き群《むれ》の先手《さきて》の、容端《かたち》正《たゞしく》歩履《あゆみ》優《いう》にこなたに進み來るをみたり 八五―八七
さきに立つ者、わが右にあたりて光地に碎け、わが影岩に及べるをみ 八八―九〇
とゞまりて少しく後方《うしろ》に退《すさ》れば、續いて來れる者は故をしらねどみなかくなせり 九一―九三
汝等問はざるも我まづ告げむ、汝等の見るものはこれ人の體《からだ》なり、此故に日の光地上に裂く 九四―九六
あやしむなかれ、信ぜよ、天より來る威能《ちから》によらで彼この壁に攀《よ》ぢんとするにあらざるを。 九七―九九
師斯く、かの尊《たふと》き民|手背《てのおもて》をもて示して曰ふ。さらば身をめぐらして先に進め。 一〇〇―一〇二
またそのひとりいふ。汝誰なりとも、かく歩みつゝ顏をこなたにむけて、世に我を見しことありや否やをおもへ。 一〇三―一〇五
我即ちかなたにむかひ、目を定めて彼を見しに、黄金《こがね》の髮あり、美しくして姿けだかし、されど一の傷ありてその眉の一を分てり 一〇六―一〇八
我謙《へりく》だりていまだみしことなしとつぐれば、彼はいざ見よといひてその胸の上のかたなる一の疵を我に示せり 一〇九―一一一
かくてほゝゑみていふ。我は皇妃コスタンツァの孫マンフレディなり、此故にわれ汝に請ふ、汝歸るの日 一一二―一一四
シチーリアとアラーゴナの名譽《ほまれ》の母なるわが美しき女《むすめ》のもとにゆき、世の風評《さた》違はば實《まこと》を告げよ 一一五―一一七
わが身二の重傷《いたで》のために碎けしとき、われは泣きつゝ、かのよろこびて罪を赦したまふものにかへれり 一一八―一二〇
恐しかりきわが罪は、されどかぎりなき恩寵《めぐみ》そのいと大いなる腕《かひな》をもて、すべてこれに歸るものをうく 一二一―一二三
クレメンテに唆《そその》かされて我を狩りたるコセンツァの牧者、その頃神の聖經《みふみ》の中によくこの教へを讀みたりしならば 一二四―一二六
わが體《からだ》の骨は、今も重き堆石《つみいし》に護られ、ベネヴェントに近き橋のたもとにありしなるべし 一二七―一二九
さるを今は王土の外《そと》ヴェルデの岸邊《きしべ》に雨に洗はれ風に搖《ゆす》らる、彼|消《け》せる燈火《ともしび》をもてこれをかしこに移せるなり 一三〇―一三二
それ望みに緑の一點をとゞむる間は、人彼等の詛ひによりて全く滅び永遠《とこしへ》の愛歸るをえざるにいたることなし 一三三―一三五
されどげに聖なる寺院の命に悖《もと》りて死する者、たとひつひに悔ゆといへども、その僭越なりし間の三十倍の時過ぐるまで 一三六―一三八
必ず外《そと》なるこの岸にとゞまる、もし善き祈りによりて時の短くせらるゝにあらずば 一三九―一四一
請ふわが好《よ》きコスタンツァに汝の我にあへる次第とこの禁制《いましめ》とをうちあかし、汝がこの後我を悦ばすをうるや否やを見よ 一四二―一四四
そはこゝにては、世にある者の助けによりて、我等の得るところ大なればなり。 一四五―一四七

   第四曲

心の作用《はたらき》の一部喜びまたは憂ひを感ずる深ければ、魂こと/″\こゝにあつまり 一―三
また他の能力《ちから》をかへりみることなしとみゆ、知るべし、我等の内部《うち》に燃ゆる魂、一のみならじと思ふは即ち誤りなることを 四―六
この故に聞くこと見るもの、つよく魂をひきよすれば、人時の過ぐるを知らず 七―九
そは耳をとゞむる能力《ちから》は魂を全く占《し》むる能力《ちから》と異なる、後者はその状《さま》繋《つな》がるゝに等しく前者には紲《きづな》なし 一〇―一二
我かの靈のいふところをきき且つはおどろきてしたしくこの事の眞《まこと》なるをさとれり、そは我等かの魂等が我等にむかひ 一三―
聲をあはせて、汝等の尋ぬるものこゝにありと叫べる處にいたれる時、日はわがしらざる間に裕《ゆたか》に五十を上《のぼ》りたればなり ―一八
葡萄黒むころ、たゞ一|束《たば》の茨《いばら》をもて、村人《むらびと》の圍《かこ》ふ孔《あな》といふとも、かの群《むれ》我等をはなれし後 一九―
導者さきに我あとにたゞふたり登りゆきし徑路《こみち》よりは間々《まま》大いなるべし ―二四
サンレオにゆき、ノーリにくだり、ビスマントヴァを登りてその頂にいたるにもただ足あれば足る、されどこゝにては飛ばざるをえずと 二五―二七
即ち我に望みを與へ、わが光となりし導者にしたがひ、疾き翼深き願ひの羽を用ゐて 二八―三〇
我等は碎けし岩の間を登れり、崖《がけ》左右より我等に迫り、下なる地は手と足の助けを求めき 三一―三三
我等高き陵《をか》の上縁《うはべり》、山の腰のひらけしところにいたれるとき、我いふ。わが師よ、我等いづれの路をえらばむ。 三四―三六
彼我に。汝一歩をも枉ぐるなかれ、さとき嚮導《しるべ》の我等にあらはるゝことあるまで、たえず我に從ひて山を登れ。 三七―三九
巓《いただき》は高くして視力及ばず、また山腹は象限《しやうげん》の中央《なかば》の線《すぢ》よりはるかに急なり 四〇―四二
我疲れて曰ふ。あゝやさしき父よ、ふりかへりて我を見よ、汝若しとゞまらずば、我ひとりあとに殘るにいたらむ。 四三―四五
わが子よ、身をこの處まで曳き來れ。彼は少しく上方《うへ》にあたりて山のこなたをことごとくめぐれる一の高臺《パルツオ》を指示しつゝかくいへり 四六―四八
この言《ことば》にはげまされ、我は彼のあとより匍匐《はひ》つゝわが足圓の上を踏むまでしひて身をすゝましむ 四九―五一
我等はこゝに、我等の登れる方《かた》なりし東に向ひて倶に坐せり、そは人顧みて心を慰むる習ひなればなり 五二―五四
我まづ目を低き汀《みぎは》にそゝぎ、後これを擧げて日にむかひ、その光我等の左を射たるをあやしめり 五五―五七
詩人はわがかの光の車の我等とアクイロネの間を過ぐるをみていたく惑へることをさだかにさとり 五八―六〇
即ち我にいひけるは。若しカストレとポルルーチェ、光を上と下とにおくるかの鏡とともにあり 六一―六三
かつかのものその舊き道を離れずば、汝は赤き天宮の今よりもなほ北斗に近くめぐるをみるべし 六四―六六
汝いかでこの事あるやをさとるをねがはば、心をこめて、シオンとこの山と地上にその天涯を同じうし 六七―
その半球を異にするを思へ、さらば汝の智にしてもしよく明《あきらか》にこゝにいたらば、かのフェートンが幸《さち》なくも
車を驅るを知らざりし路は何故に此の左、彼の右をかならず過ぐるや、汝これを知るをえむ。 ―七五
我曰ふ。わが師よ、才の足らじとみえしところを、げに今にいたるまで我かくあきらかにさとれることなし 七六―七八
さる學術にて赤道とよばれ、常に日と冬の間にありていと高くめぐる天の中帶は 七九―八一
汝の告ぐる理《ことわり》により、この處を北に距ること、希伯來人《エブレオびと》がこれをみしとき彼等を熱き地の方《かた》に距れるに等し 八二―八四
されど我等いづこまで行かざるをえざるや、汝ねがはくは我にしらせよ、山高くそびえてわが目及ぶあたはざればなり。 八五―八七
彼我に。はじめ常に艱しといへども人の登るに從つてその勞を少うするはこれこの山の自然なり 八八―九〇
此故に汝これをたのしみ、上《のぼ》るの易きことあたかも舟にて流れを追ふごときにいたれば 九一―九三
すなはちこの徑路《こみち》盡《つ》く、汝そこにて疲れを休むることをうべし、わが汝に答ふるは是のみ、しかして我この事の眞《まこと》なるを知る。 九四―九六
彼その言葉を終《を》へしとき、あたりに一の聲ありていふ。おそらくは汝それよりさきに坐せざるをえざるなるべし。 九七―九九
かくいふをききて我等各※[#二の字点、1-2-22]ふりかへり、左に一の大いなる石を見ぬ、こは我も彼もさきに心をとめざりしものなりき 一〇〇―一〇二
我等かしこに歩めるに、そこには岩の後《うしろ》なる蔭に息《いこ》へる群《むれ》ありてそのさま怠惰《おこたり》のため身を休むる人に似たりき 一〇三―一〇五
またそのひとりはよわれりとみえ、膝を抱いて坐し、顏を低くその間に垂れゐたり 一〇六―一〇八
我曰ふ。あゝうるはしきわが主、彼を見よ、かれ不精《ぶせい》を姉妹とすともかくおこたれるさまはみすまじ。 一〇九―一一一
この時彼我等の方《かた》に對ひてその心をとめ、目をたゞ股《もゝ》のあたりに動かし、いひけるは。いざ登りゆけ、汝は雄々《をゝ》し。 一一二―一一四
我はこのときその誰なるやをしり、疲れ今もなほ少しくわが息《いき》をはずませしかど、よくこの障礙《しやうげ》にかちて 一一五―一一七
かれの許《もと》にいたれるに、かれ殆んど首《かうべ》をあげず、汝は何故に日が左より車をはするをさとれりやといふ 一一八―一二〇
その無精《ぶせい》の状《さま》と短き語《ことば》とは、すこしく笑《ゑみ》をわが唇にうかばしむ、かくて我曰ふ。ベラックヮよ、我は今より 一二一―
また汝のために憂へず、されど告げよ、汝何ぞこゝに坐するや、導者を待つか、はたたゞ汝の舊《ふ》りし習慣《ならひ》に歸れるか。 ―一二六
彼。兄弟よ、登るも何の益かあらむ、門に坐する神の鳥は、我が苛責をうくるを許さざればなり 一二七―一二九
われ終りまで善き歎息《なげき》を延べたるにより、天はまづ門の外《そと》にて我をめぐる、しかしてその時の長さは世にて我をめぐれる間と相等し 一三〇―一三二
若し恩惠《めぐみ》のうちに生くる心のさゝぐる祈り(異祈《あだしいのり》は天聽かざれば何の效《かひ》あらむ)、これより早く我を助くるにあらざれば。 一三三―一三五
詩人既に我にさきだちて登りていふ。いざ來れ、見よ日は子午線に觸れ、夜は岸邊《きしべ》より 一三六―一三八
はやその足をもてモロッコを覆《おほ》ふ。

   第五曲

我既にかの魂等とわかれてわが導者の足跡《あしあと》に從へるに、このとき一者《ひとり》、後方《うしろ》より我を指ざし 一―三
叫びていふ。見よ光下なるものの左を照さず、彼があたかも生者のごとく歩むとみゆるを。 四―六
我はこの言《ことば》を聞きて目をめぐらし、彼等のあやしみてわれひとり、ただわれひとりと、碎けし光とを目守《まも》るをみたり 七―九
師曰ふ。汝何ぞ心ひかれて行くことおそきや、彼等の私語《さゝやき》汝と何の係《かゝはり》あらんや 一〇―一二
我につきて來れ、斯民《このたみ》をその言ふに任《まか》せよ、風吹くとも頂《いただき》搖《ゆる》がざるつよき櫓《やぐら》の如く立つべし 一三―一五
そは思ひ湧き出でて思ひに加はることあれば、後の思ひ先の思ひの力をよわめ、人その目的《めあて》に遠ざかる習ひなればなり。 一六―一八
我行かんといふの外また何の答へかあるべき、人にしば/\赦《ゆるし》をえしむる色をうかめてわれ斯くいへり 一九―二一
かゝる間に、山の腰にそひ、横方《よこあひ》より、かはる/″\憐れみたまへを歌ひつゝ、我等のすこしく前に來れる民ありき 二二―二四
彼等光のわが身に遮《さへぎ》らるゝをみしとき、そのうたへる歌を長き嗄れたるあゝに變へたり 二五―二七
しかしてそのうちより使者《つかひ》とみゆるものふたり、こなたにはせ來り、我等にこひていふ。汝等いかなるものなりや我等に告げよ。 二八―三〇
わが師。汝等たちかへり、汝等を遣はせるものに告げて、彼の身は眞《まこと》の肉なりといへ 三一―三三
若しわが量《はか》るごとく、彼の影を見て彼等止まれるならば、この答へにて足る、彼等に彼をあがめしめよ、さらば彼等益をえむ。 三四―三六
夜の始めに澄渡る空《そら》を裂き、または日の落つるころ葉月《はづき》の叢雲《むらくも》を裂く光といふとも、そのはやさ 三七―三九
かなたに歸りゆきし彼等には及ばじ、さてかしこに着くや彼等は殘れる者とともに恰も力のかぎり走る群《むれ》の如く足をこなたに轉《めぐ》らせり 四〇―四二
詩人曰ふ。我等に押寄する民|數《かず》多し、彼等汝に請はんとて來る、されど汝止まることなく、行きつゝ耳をかたむけよ。 四三―四五
彼等來りよばはりていふ。あゝ幸《さいはひ》ならんため生れながらの身と倶に行く魂よ、しばらく汝の歩履《あゆみ》を停《とゞ》めよ 四六―四八
我等の中に汝嘗て見しによりてその消息《おとづれ》を世に傳ふるをうる者あるか、噫《あゝ》何すれぞ過行くや、汝何すれぞ止まらざるや 四九―五一
我等は皆そのかみ横死を遂げし者なり、しかして臨終《いまは》にいたるまで罪人《つみびと》なりしが、この時天の光我等をいましめ 五二―五四
我等は悔いつゝ赦しつゝ、神即ち彼を見るの願ひをもて我等の心をはげますものと和《やは》らぎて世を去れるなり。 五五―五七
我。われよく汝等の顏をみれども、一だにしれるはなし、されど汝等の心に適《かな》ひわが爲すをうる事あらば、良日《よきひ》の下《もと》に生れし靈よ 五八―六〇
汝等いへ、さらば我は、かゝる導者にしたがひて世より世にわが求めゆく平和を指してこれをなすべし。 六一―六三
一者《ひとり》曰ふ。汝誓はずとも我等みな汝の助けを疑はず、もし力及ばざるため意斷たるることなくば 六四―六六
この故に我まづひとりいひいでて汝に請ふ、汝ローマニアとカルロの國の間の國をみるをえば 六七―六九
汝の厚き志により、わがためにファーノの人々に請ひてよき祈りをささげしめ、我をしてわが重き罪を淨むるをえしめよ 七〇―七二
我はかしこの者なりき、されど我の宿れる血の流れいでし重傷《ふかで》をばわれアンテノリの懷《ふところ》に負へり 七三―七五
こはわがいと安全《やすらか》なるべしとおもへる處なりしを、エスティの者、正義の求むる範圍《かぎり》を超えて我を怨みこの事あるにいたれるなり 七六―七八
されどオリアーコにて追ひ及《し》かるゝとき、若しはやくラ・ミーラの方《かた》に逃げたらんには、我は息通《いきかよ》ふかなたに今もありしなるべし 七九―八一
われ澤に走りゆき、葦《あし》と泥《ひぢ》とにからまりて倒れ、こゝにわが血筋《ちすぢ》の地上につくれる湖《うみ》を見ぬ。 八二―八四
この時また一者《ひとり》いふ。あゝねがはくは汝を引きてこの高山《たかやま》に來らしむる汝の願ひ成就せんことを、汝善き憐《あはれみ》をもてわが願ひをたすけよ 八五―八七
我はモンテフェルトロの者なりき我はボンコンテなり、ジヨヴァンナも誰もわが事を思はず、此故にわれ顏を垂れて此等の者と倶に行く。 八八―九〇
我彼に。汝の墓の知られざるまで、カムパルディーノより汝を遠く離れしめしは、そも/\何の力何の運ぞや。 九一―九三
彼答ふらく。あゝカセンティーノの麓に、横さまに流るゝ水あり、隱家《かくれが》の上なるアペンニノより出で、名をアルキアーノといふ 九四―九六
われ喉を刺されし後、徒《かち》にて逃げつゝ野を血に染めて、かの流れの名消ゆる處に着けり 九七―九九
わが目こゝに見えずなりぬ、わが終焉《をはり》の詞はマリアの名なりき、われこゝに倒れ、殘れるものはたゞわが肉のみ 一〇〇―一〇二
われ眞《まこと》を汝に告げむ、汝これを生者《しやうじや》に傳へよ、神の使者《つかひ》我を取れるに地獄の使者よばはりて、天に屬する者よ 一〇三―
汝何ぞ我物を奪ふや、唯一|滴《しづく》の涙の爲に彼我を離れ、汝彼の不朽の物を持行くとも我はその殘りをばわが心のまゝにあしらはんといふ ―一〇八
濕氣空に集りて昇り、冷えて凝る處にいたれば、直ちに水にかへること、汝のさだかに知るごとし 一〇九―一一一
さてかの者たゞ惡をのみ圖る惡意を智に加へ、その性《さが》よりうけし力によりて霧と風とを動かせり 一一二―一一四
かくて日暮れしとき、プラートマーニオよりかの大いなる連山にいたるまで、彼霧をもて溪を蔽ひ、上なる天を包ましむれば 一一五―一一七
密雲變じて水となり、雨|降《ふ》りぬ、その地に吸はれざるものみな狹間《はざま》に入れ 一一八―一二〇
やがて多くの大いなる流れと合し、たふとき川に向ひて下るに、その馳することいとはやくして、何物もこれをひきとむをえざりき 一二一―一二三
たくましきアルキアーンははや強直《こはばり》しわが體をその口のあたりに見てこれをアルノに押流し、わが苦しみにたへかねしとき 一二四―
身をもて造れる十字架を胸の上より解き放ち、岸に沿ひまた底に沿ひて我を轉《まろ》ばし、遂に己が獲物《えもの》をもて我を被ひ且つ卷けり。 ―一二九
この時第三の靈第二の靈に續いて曰ふ。あゝ汝世に歸りて遠き族程《たびぢ》の疲れより身を休めなば 一三〇―一三二
われピーアを憶へ、シエーナ我を造りマレムマ我を毀《こぼ》てるなり、こは縁《えにし》の結ばるゝころまづ珠の指輪をば 一三三―一三五
我に與へしものぞしるなる 一三六―一三八

   第六曲

ヅァーラの遊戲《あそび》果つるとき、敗者《まくるもの》は悲しみて殘りつゝ、くりかへし投げて憂ひの中に學び 一―三
人々は皆|勝者《かつもの》とともに去り、ひとり前《まへ》に行きひとり後《うしろ》よりこれを控《ひか》へひとり傍《かたへ》よりこれに己を憶はしむるに 四―六
かの者止まらず、彼に此に耳を傾け、また手を伸べて與ふればその人再び迫らざるがゆゑに、かくして身をまもりて推合《おしあ》ふことを避《さ》く 七―九
我亦斯の如く、かのこみあへる群《むれ》の中にてかなたこなたにわが顏をめぐらし、約束をもてその絆《きづな》を絶てり 一〇―一二
こゝにはアレッツオ人《びと》にてギーン・ディ・タッコの猛《たけ》き腕《かひな》に死せるもの及び追ひて走りつゝ水に溺れし者ゐたり 一三―一五
こゝにはフェデリーゴ・ノヴェルロ手を伸べて乞ひ、善きマルヅッコにその強きをあらはさしめしピサの者またしかなせり 一六―一八
我は伯爵《コンテ》オルソを見き、また自らいへるごとく犯せる罪の爲にはあらで怨みと嫉みの爲に己が體《からだ》より分たれし魂を見き 一九―二一
こはピエール・ダ・ラ・ブロッチアの事なり、ブラバンテの淑女はこれがためこれより惡しき群《むれ》の中に入らざるやう世に在る間に心構《こゝろがまへ》せよ 二二―二四
さてすべてこれ等の魂即ちはやくその罪を淨むるをえんとてたゞ人の祈らんことを祈れる者を離れしとき 二五―二七
我曰ひけるは。あゝわが光よ、汝はあきらかに詩の中にて、祈りが天の定《さだめ》を枉ぐるを否むに似たり 二八―三〇
しかしてこの民これをのみ請ふ、さらば彼等の望み空なるか、さらずば我よく汝の言《ことば》をさとらざるか。 三一―三三
彼我に。健《すこやか》なる心をもてよくこの事を思ひみよ、わが筆|解《げ》し易く、彼等の望み徒《あだ》ならじ 三四―三六
そは愛の火たとひこゝにおかるゝもののたらはすべきことをたゞしばしのまに滿すとも、審判《さばき》の頂垂れざればなり 三七―三九
またわがこの理《ことわり》を陳べし處にては、祈り、神より離れしがゆゑに、祈れど虧處《おちど》補はれざりき 四〇―四二
されどかく奧深き疑ひについては、眞《まこと》と智《さとり》の間の光となるべき淑女汝に告ぐるにあらずば心を定むることなかれ 四三―四五
汝さとれるや否や、わがいへるはベアトリーチェのことなり、汝はこの山の巓《いただき》に、福《さいはひ》にしてほゝゑめる彼の姿をみるをえむ。 四六―四八
我。主よいそぎてゆかむ、今は我さきのごとく疲れを覺えず、また山のはやその陰を投ぐるをみよ。 四九―五一
答へて曰ふ。我等は日のある間に、我等の進むをうるかぎりすゝまむ、されど事汝の思ふところと違ふ 五二―五四
いまだ巓にいたらざるまに、汝は今山腹にかくれて汝のためにその光を碎かれざる物また歸り來るを見む 五五―五七
されど見よ、かしこにたゞひとりゐて我等の方《かた》をながむる魂あり、かの者我等にいと近き路を教へむ。 五八―六〇
我等これが許にいたりぬ、あゝロムバルディアの魂よ、汝の姿は軒昂《けだか》くまたいかめしく、汝の目は嚴《おごそか》にまた緩《ゆるや》かに動けるよ 六一―六三
かの魂何事をもいはずして我等を行かしめ、たゞ恰もやすらふ獅子のごとく我等を見たり 六四―六六
されどヴィルジリオこれに近づき、登るにいと易きところを我等に示さむことを請へるに、その問ひに答へず 六七―六九
たゞ我等に我等の國と状態《ありさま》をたづねき、このときうるはしき導者マントヴァ……といひかくれば、己ひとりを世とせし魂 七〇―七二
立ちて彼のかたにむかひてそのゐし處をはなれつゝ、あゝマントヴァ人よ、我は汝の邑《まち》の者ソルデルロなりといひ、かくて二者《ふたり》相抱きぬ 七三―七五
あゝ屈辱のイタリアよ、憂ひの客舍、劇しき嵐の中の水夫《かこ》なき船よ、汝は諸州《くに/″\》の女王にあらずして汚れの家なり 七六―七八
かのたふとき魂は、たゞ己が生れし邑《まち》の麗しき名のよばるゝをきき、かく歡びてこの處に同郷人《ふるさとびと》を迎へしならずや 七九―八一
しかるに今汝の中には生者《しやうじや》敬ひをやむる時なく、一の垣一の濠に圍まるゝもの相互《あひたがひ》に噛むことをなす 八二―八四
幸《さち》なきものよ、岸をめぐりて海の邊《ほとり》の地をたづね、後汝の懷《ふところ》を見よ、汝のうちに一なりとも平和を樂しむ處ありや 八五―八七
かのユスティニアーノ汝のために銜《くつわ》を調《とゝの》へしかど、鞍空しくば何の益あらむ、この銜なかりせば恥は却つて少《すく》なかるべし 八八―九〇
あゝ眞心《まごゝろ》をもて神を崇《あが》めかつチェーザレを鞍に載すべき(汝等もしよく神の言《ことば》をさとりなば)人々よ 九一―九三
汝等手綱をとれるよりこのかた、拍車によりて矯《た》めらるゝことなければ、見よこの獸のいかばかり悍《たけ》くなれるやを 九四―九六
あゝドイツ人《びと》アルベルトよ、汝は鞍に跨るべき者なるに、この荒き御しがたき獸を棄つ 九七―九九
ねがはくは正しき審判《さばき》星より汝の血の上に降り、奇《くす》しく且つ顯著《あらは》にて、汝の後を承《う》くる者恐れをいだくにいたらんことを 一〇〇―一〇二
そは汝も汝の父も貪焚《むさぼり》のためにかの地に抑《と》められ、帝國の園をその荒るゝにまかせたればなり 一〇三―一〇五
來りて見よ、思慮なき人よ、モノテッキとカッペルレッティ、モナルディとフィリッペスキを、彼等既に悲しみ此等はおそる 一〇六―一〇八
來れ、無情の者よ、來りて汝の名門の虐《しひた》げらるゝを見、これをその難より救へ、汝またサンタフィオルのいかに安全《やすらか》なるやをみん 一〇九―一一一
來りて汝のローマを見よ、かれ寡婦《やもめ》となりてひとり殘され、晝も夜も泣き叫びて、わがチェーザレよ汝何ぞ我と倶にゐざるやといふ 一一二―一一四
來りて見よ、斯民《このたみ》の相愛することいかに深きやを、若し我等を憐れむの心汝を動かさずば、汝己が名に恥ぢんために來れ 一一五―一一七
また斯く言はんも畏《かしこ》けれど、あゝいと尊きジョーヴェ、世にて我等の爲に十字架にかゝり給へる者よ、汝正しき目を他《ほか》の處にむけたまふか 一一八―一二〇
はたこは我等の全く悟る能はざる福祉《さいはひ》のためいと深き聖旨《みむね》の奧に汝の設けたまふ備《そなへ》なるか 一二一―一二三
そは專横の君あまねくイタリアの諸邑《まち/\》に滿ち、匹夫朋黨に加はりてみなマルチェルとなればなり 一二四―一二六
わがフィオレンツァよ、汝この他事《あだしこと》をきくともこは汝に干係《かゝはり》なければまことに心安からむ、汝をこゝにいたらしむる汝の民は讚むべきかな 一二七―一二九
義を心に宿す者多し、されど漫りに弓を手にするなからんためその射ること遲きのみ、然るに汝の民はこれを口の端《はし》に置く 一三〇―一三二
公共《おほやけ》の荷を拒むもの多し、然るに汝の民は招かれざるにはやくも身を進めて我自ら負はんとさけぶ 一三三―一三五
いざ喜べ、汝しかするは宜《うべ》なればなり、汝富めり、汝泰平なり、汝|智《さと》し、わがこの言《ことば》の僞りならぬは事實よくこれを證《あかし》す 一三六―一三八
文運かの如く開け、且つ古の律法《おきて》をたてしアテーネもラチェデーモナも、汝に比《くら》ぶればたゞ小《さゝ》やかなる治國の道を示せるのみ 一三九―
汝の律法《おきて》の絲は細《こまや》かなれば、汝が十月に紡《つむ》ぐもの、十一月の半《なかば》まで保たじ ―一四四
げに汝が汝のおぼゆる時の間に律法《おきて》、錢《ぜに》、職務《つとめ》、習俗《ならはし》を變へ民を新たにせること幾度《いくたび》ぞや 一四五―一四七
汝若しよく記憶をたどりかつ光をみなば、汝は自己《おのれ》があたかも病める女の軟毛《わたげ》の上にやすらふ能はず、身を左右にめぐらして 一四八―一五〇
苦痛《いたみ》を防ぐに似たるを見む 一五一―一

   第七曲

ふさはしきうれしき會釋《ゑしやく》三度《みたび》と四度《よたび》に及べる後、ソルデルしざりて汝は誰なりやといふ 一―三
登りて神のみもとにいたるを魂等未だこの山にむかはざりしさきに、オッタヴィアーンわが骨を葬りき 四―六
我はヴィルジリオなり、他《ほか》の罪によるにあらずたゞ信仰なきによりてわれ天を失へり。導者この時斯く答ふ 七―九
ふと目の前に物あらはるればその人あやしみて、こは何なり否あらずといひ、信じてしかして疑ふことあり 一〇―一二
かの魂もまたかくのごとくなりき、かくて目を垂れ、再びうや/\しく導者に近づき、僕《しもべ》の抱くところをいだきて 一三―一五
いひけるは。あゝラチオ人《びと》の榮《さかえ》よ――汝によりて我等の言葉その力の極《きはみ》をあらはせり――あゝわが故郷《ふるさと》の永遠《とこしへ》の實よ 一六―一八
我を汝に遭はしめしは抑※[#二の字点、1-2-22]何の功徳何の恩惠《めぐみ》ぞや我若し汝の言《ことば》を聞くの幸《さいはひ》をえば請ふ告げよ汝地獄より來れるかそは何の圍《かこひ》の内よりか。 一九―二一
彼これに答ふらく。我は悲しみの王土の中《うち》なる諸※[#二の字点、1-2-22]の獄《ひとや》をへてこゝに來れり、天の威力《ちから》我を動かしぬ、しかしてわれこれとともに行く 二二―二四
爲すによるにあらず爲さざるによりて我は汝の待望み我の後れて知るにいたれる高き日を見るをえざるなり 二五―二七
下に一の處あり、苛責のために憂きにあらねどたゞ暗く、そこにきこゆる悲しみの聲は歎息《ためいき》にして叫喚《さけび》にあらず 二八―三〇
かしこに我は、人の罪より釋《と》かれざりしさきに死の齒に噛まれし稚兒《をさなご》とともにあり 三一―三三
かしこに我は、三の聖なる徳を着ざれど惡を離れ他《ほか》の諸※[#二の字点、1-2-22]の徳を知りてすべてこれを行へる者とともにあり 三四―三六
されど汝路をしりかつ我等に示すをうべくば、請ふ我等をして淨火のまことの入口にとくいたるをえせしめよ。 三七―三九
答へて曰ふ。我等は定まれる一の場所におかるゝにあらず、上《のぼ》るも※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《めぐ》るも我これを許さる、われ導者となりて汝と倶に 四〇―
わが行くをうる處までゆくべし、されど見よ日は既に傾きぬ、夜登る能はざれば、我等うるはしき旅宿《やどり》を求めむ ―四五
右の方《かた》なる離れし處に魂の群《むれ》あり、汝|肯《うけが》はば我は汝を彼等の許に導かむ、汝彼等を知るを喜びとせざることあらじ。 四六―四八
答へて曰ふ。いかにしてこの事ありや、夜登らんとおもふ者は他《ほか》の者にさまたげらるゝかさらずば力及ばざるため自ら登る能はざるか。 四九―五一
善きソルデルロ指にて地を擦《す》りていふ。見よ、この線《すぢ》をだに日入りて後は汝越えがたし 五二―五四
されど登《のぼり》の障礙《しやうげ》となるもの夜の闇のほかにはあらず、この闇|能力《ちから》を奪ひて意志をさまたぐ 五五―五七
天涯晝をとぢこむる間は、汝げに闇とともにこゝをくだりまたは迷ひつゝ山の腰をめぐるをうるのみ。 五八―六〇
この時わが主驚くがごとくいひけるは。さらば請ふ我等を導き、汝の我等に喜びてとゞまるをうべしといへる處にいたれ。 六一―六三
我等少しくかしこを離れしとき、我は山の窪みてあたかも世の大溪《おほたに》の窪むに似たるところを見たり 六四―六六
かの魂曰ふ。かなたに山腹のみづから懷《ふところ》をつくるところあり、我等かしこにゆきて新たなる日を待たむ 六七―六九
忽ち嶮《けは》しく忽ち坦《たひらか》なる一條の曲路我等を導いてかの坎《あな》の邊《ほとり》、縁《ふち》半《なかば》より多く失せし處にいたらしむ 七〇―七二
金、純銀、朱、白鉛、光りてあざやかなるインドの木、碎けし眞際《まぎは》の新しき縁の珠も 七三―七五
各※[#二の字点、1-2-22]その色を比ぶれば、かの懷の草と花とに及ばざることなほ小の大に及ばざるごとくなるべし 七六―七八
自然はかしこをいろどれるのみならず、また千の良《よ》き薫《かをり》をもて一の奇しきわけ難き香《にほひ》を作れり 七九―八一
我見しにこゝには溪のため外部《そと》よりみえざりし多くの魂サルウェ・レーギーナを歌ひつゝ縁草《あをくさ》の上また花の上に坐しゐたり 八二―八四
我等をともなへるマントヴァ人《びと》いふ。たゞしばしの日全くその巣に歸るまでは、汝等我に導かれてかしこにゆくをねがふなかれ 八五―八七
汝等|窪地《くぼち》にくだりてかの衆と倶にあらんより、この高臺《パルツオ》にありて彼等を見なば却つてよくその姿と顏を認むるをえむ 八八―九〇
いと高き處に坐し、その責務《つとめ》を怠りしごとくみえ、かつ侶《とも》の歌にあはせて口を動かすことをせざる者は 九一―九三
皇帝ロドルフォなりき、かれイタリアの傷を癒すをえたりしにその死ぬるにまかせたれば、人再びこれを生かさんとするともおそし 九四―九六
また彼を慰むるごとくみゆるは、モルタ、アルビアに、アルビア、海におくる水の流れいづる地を治めし者にて 九七―九九
名をオッタケッルロといへり、その襁褓《むつき》に裹《つゝ》まれし頃も、淫樂安逸をむさぼるその子ヴェンチェスラーオの鬚ある頃より遙に善かりき 一〇〇―一〇二
姿いと貴《たふと》き者と親《した》しく相かたらふさまなるかの鼻の小さき者は百合の花を萎《しを》れしめつゝ逃げ走りて死したりき 一〇三―一〇五
かしこに此《これ》のしきりに胸をうつをみよ、また彼のなげきつゝその掌《たなごゝろ》をもて頬の床となすを見よ 一〇六―一〇八
彼等はフランスの禍ひの父と舅なり、彼等彼の邪《よこしま》にして穢れたる世を送れるを知りこれがためにかく憂ひに刺さる 一〇九―一一一
身かの如く肥ゆとみえ、かつかの鼻の雄々しき侶《とも》と節《ふし》をあはせて歌ふ者はその腰に萬の徳の紐を纏ひき 一一二―一一四
若し彼の後《うしろ》に坐せる若き者その王位を繼ぎてながらへたりせば、この徳まことに器《うつは》より器に傳はれるなるべし 一一五―一一七
但し他《ほか》の嗣子《よつぎ》についてはかくいひがたし、ヤーコモとフェデリーゴ今かの國を治む、いと善きものをばその一《ひとり》だに繼がざりき 一一八―一二〇
それ人の美徳は枝を傳ひて上《のぼ》ること稀なり、こはこれを與ふるもの、その己より出づるを知らしめんとてかく定めたまふによる 一二一―一二三
かの鼻の大いなる者も彼と倶にうたふピエルと同じくわがいへるところに適《かな》ふ、此故にプーリアもプロヴェンツァも今悲しみの中にあり 一二四―一二六
げにコスタンツァが今もその夫に誇ること遠くベアトリーチェ、マルゲリータの上に出づる如くに、樹は遠く種に及ばじ 一二七―一二九
簡易の一生を送れる王、イギリスのアルリーゴのかしこにひとり坐せるを見よ、かれの枝にはまされる芽《め》あり 一三〇―一三二
彼等のうち地のいと低きところに坐して仰ぎながむる者は侯爵《マルケーゼ》グイリエルモなり、彼の爲なりきアレッサンドリアとその師《いくさ》とが 一三三―一三五
モンフェルラートとカナヴェーゼとを歎かしむるは。 一三六―一

   第八曲

なつかしき友に別れを告げし日、海行く者の思ひ歸りて心やはらぎ、また暮るゝ日を悼《いた》むがごとく 一―三
鐘遠くより聞ゆれば、はじめて異郷の旅にある人、愛に刺さるゝ時とはなりぬ
我は何の聲をもきかず、一の魂の立ちて手をもて請ひて、耳をかたむけしむるを見たり 七―九
この者手を合せてこれをあげ、目を東の方《かた》にそゝぎぬ、そのさま神にむかひて、われ思ひをほかに移さずといふに似たりき 一〇―一二
テー・ルーキス・アンテその口よりいづるに、信念あらはれ調《しらべ》うるはしくして悉くわが心を奪へり 一三―一五
かくて全衆これに和し、目を天球にむかはしめつゝ、聲うるはしく信心深くこの聖歌をうたひをはりき 一六―一八
讀者よ、いざ目を鋭くして眞《まこと》を見よ、そは被物《おほひ》はげに今いと薄く、内部《うち》をうかがふこと容易なればなり 一九―二一
我はかの際《きは》貴《たか》き者の群《むれ》の、やがて色|蒼《あを》ざめ且つ謙《へりくだ》り、何者をか待つごとくに默《もだ》して仰ぎながむるを見き 二二―二四
また尖《さき》の削りとられし二の焔の劒《つるぎ》をもち、高き處よりいでて下り來れるふたりの天使を見き 二五―二七
その衣《ころも》は、今|萌《も》えいでし若葉のごとく縁なりき、縁の羽に打たれ飜《あふ》られて彼等の後方《うしろ》に曳かれたり 二八―三〇
そのひとりは我等より少しく上方《うへ》にとゞまり、ひとりは對面《むかひ》の岸にくだり、かくして民をその間に挾《はさ》めり 三一―
我は彼等の頭《かうべ》なる黄金《こがね》の髮をみとめしかど、その顏にむかへば、あたかも度を超ゆるによりて能力《ちから》亂るゝごとくわが目|眩《くら》みぬ ―三六
ソルデルロ曰ふ。彼等ふたりは溪をまもりて蛇をふせがんためマリアの懷《ふところ》より來れるなり、この蛇たゞちにあらはれむ。 三七―三九
我これを聞きてそのいづれの路よりなるを知らざればあたりをみまはし、わが冷えわたる身をかの頼もしき背に近寄せぬ 四〇―四二
ソルデルロまた。いざ今より下りてかの大いなる魂の群《むれ》に入り、彼等に物言はむ、彼等はいたく汝等を見るを悦ぶなるべし。 四三―四五
下ることたゞ三歩ばかりにて我はやくも底につきしに、こゝにひとり、わが誰なるを思出さんと願ふ如く、たゞ我をのみ見る者ありき 四六―四八
はや次第に空の暮行く時なりしかど、その暗さははじめかくれたりしものを彼の目とわが目の間にあらはさざるほどにあらざりき 四九―五一
彼わが方《かた》に進み我彼の方に進めり、貴き國司ニーンよ、汝が罪人《つみびと》の中にあらざるを見て、わが喜べることいかばかりぞや 五二―五四
我等うるはしき會釋《ゑしやく》の數をつくせしとき、彼問ひていふ。汝はるかに水を渡りて山の麓に來れるよりこの方いくばくの時をか經たる。 五五―五七
我彼に曰ふ。あゝ悲しみの地を過ぎてわが來れるは今朝《けさ》の事なり、我は第一の生をうく、かく旅して第二の生をえんとすれども。 五八―六〇
わが答を聞けるとき、俄に惑へる人々のごとく、ソルデルロもかれもあとにしざりぬ 六一―六三
その一《ひとり》はヴィルジリオに向へり、また一《ひとり》は彼處《かしこ》に坐せる者にむかひ、起きよクルラード、來りて神の惠深き聖旨《みむね》より出し事を見よと叫び 六四―六六
後我にむかひ。渉《わた》るべき處なきまで己が最初《はじめ》の故由《ゆゑよし》を祕《ひ》めたまふものに汝の負ふ稀有《けう》の感謝を指して請ふ 六七―六九
汝|大海《おほうみ》のかなたに歸らば、わがジョヴァンナに告げて、罪なき者の祈り聽かるゝところにわがために聲をあげしめよ 七〇―七二
おもふに彼の母はその白き首帕《かしらぎぬ》を變へしよりこのかた(あはれ再びこれを望まざるをえず)また我を愛せざるなり 七三―七五
人この例《ためし》をみてげにたやすくさとるをえむ、女の愛なるものは見ること觸るゝことによりて屡々燃やされずば幾何《いくばく》も保つ能はざるを 七六―七八
ミラーノ人《びと》を戰ひの場《には》にみちびく蝮蛇《まむし》も、ガルルーラの鷄のごとくはかの女の墓を飾らじ。 七九―八一
ほどよく心の中に燃ゆる正《たゞ》しき熱《あつ》き思ひの印を姿に捺《お》してかれ斯くいへり 八二―八四
わが飽かざる目は天にのみ、あたかも軸いとちかき輪のごとく星のめぐりのいとおそき處にのみ行けり 八五―八七
わが導者。子よ何をか仰ぎながむるや。我彼に。かの三の燈火《ともしび》なり、南極これが爲にこと/″\く燃ゆ。 八八―九〇
彼我に。今朝《けさ》汝が見たる四のあざやかなる星かなたに沈み、此等は彼等のありし處に上《のぼ》れるなり。 九一―九三
彼語りゐたるとき、ソルデルロ彼をひきよせ、我等の敵を見よといひて指ざしてかなたをみせしむ 九四―九六
かの小さき溪の圍《かこひ》なきところに一の蛇ゐたり、こは昔エーヴァに苦《にが》き食物《くひもの》を與へしものとおそらくは相似たりしなるべし 九七―九九
身を滑《なめらか》ならしむる獸のごとくしば/\頭を背にめぐらして舐《ねぶ》りつゝ草と花とを分けてかの禍ひの紐《ひも》は來《き》ぬ 一〇〇―一〇二
天の鷹の飛立ちしさまは我見ざればいひがたし、されど我は彼も此も倶に飛びゐたるをさだかに見たり 一〇三―
縁の翼|空《そら》を裂く響きをききて蛇逃げさりぬ、また天使等は同じ早さに舞ひ上《のぼ》りつゝその定まれる處に歸れり ―一〇八
國司に呼ばれてその傍にゐたる魂は、この爭ひのありし間、片時《かたとき》も瞳を我より離すことなかりき 一〇九―一一一
さていふ。願はくは汝を高きに導く燈火《ともしび》、汝の自由の意志のうちにて、かの※[#「さんずい+幼」、60-8]藥《えうやく》の巓に到るまで盡きざるばかりの多くの蝋をえんことを 一一二―
汝若しヴァル・ディ・マーグラとそのあたりの地のまことの消息《おとづれ》をしらば請ふ我に告げよ、我は昔かしこにて大いなる者なりき ―一一七
われ名をクルラード・マラスピーナといへり、かの老《らう》にあらずしてその裔《すゑ》なり、己が宗族《うから》にそゝげるわが愛今こゝに淨《きよ》めらる。 一一八―一二〇
我彼に曰ふ。我は未だ汝等の國を過ぎたることなし、されどエウロパ全洲の中苟も人住む處にその聞《きこえ》なきことあらんや 一二一―一二三
汝等の家をたかむる美名《よきな》は、君をあらはし土地をあらはし、かしこにゆけることなきものもまた能くこれを知る 一二四―一二六
我汝に誓ひて曰はむ(願はくはわれ高きに達するをえんことを)、汝等の尊き一族《やから》は財布と劒《つるぎ》における譽《ほまれ》の飾を失はず 一二七―一二九
習慣《ならはし》と自然これに特殊の力を與ふるがゆゑに、罪ある首《かしら》世を枉《ま》ぐれどもひとり直く歩みて邪《よこしま》の道をかろんず。 一三〇―一三二
彼。いざゆけ、牡羊《をひつじ》四の足をもて蔽ひ跨がる臥床《ふしど》の中に、日の七度《なゝたび》やすまざるまに 一三三―一三五
ねんごろなるこの意見《おもひ》は、人の言《ことば》よりも大いなる釘をもて汝の頭《かうべ》の正中《たゞなか》に釘付けらるべし 一三六―一三八
審判《さばき》の進路《ゆくて》支へられずば。 一三九―一四一

   第九曲

年へしティトネの妾《そばめ》そのうるはしき友の腕《かひな》をはなれてはや東の臺《うてな》に白《しら》み 一―三
その額《ひたひ》は尾をもて人を撃つ冷やかなる生物《いきもの》に象《かたど》れる多くの珠《たま》に輝けり 四―六
また我等のゐたる處にては、夜はその昇《のぼり》の二歩を終へ、第三歩もはやその翼を下方に枉げたり 七―九
このとき我はアダモの讓《ゆづり》を受くるによりて睡りに勝たれ、我等|五者《いつたり》みな坐しゐたりし草の上に臥しぬ 一〇―一二
そのかみの憂ひを憶ひ起すなるべし可憐《いとほし》の燕朝近く悲しき歌をうたひいで 一三―一五
また我等の心、肉を離るゝこと遠く思にとらはるゝこと少なくして、その夢あたかも神《しん》に通ずるごとくなる時
我は夢に、黄金《こがね》の羽ある一羽の鷲の、翼をひらきて空《そら》に懸《かゝ》り、降らんとするをみきとおぼえぬ 一九―二一
また我はガニメーデが攫《さら》はれて神集《かんづとひ》にゆき、その侶《とも》あとに殘されしところにゐたりとおぼえぬ 二二―二四
我ひそかに思へらく、この鳥恐らくはその習ひによりて餌をこゝにのみ求むるならむ、恐らくはこれを他《ほか》の處に得て持《もち》て舞上《まひのぼ》るを卑しむならむと 二五―二七
さてしばらく廻《めぐ》りて後、このもの電光《いなづま》のごとく恐ろしく下り來りて我をとらへ、火にいたるまで昇るに似たりき 二八―三〇
鳥も我もかの處にて燃ゆとみえたり、しかして夢の中なる火燒くことはげしかりければわが睡りおのづから破れぬ 三一―三三
かのアキルレが、目覺めてそのあたりを見、何處《いづこ》にあるやをしらずして身をゆるがせしさまといふとも 三四―三六
(こはその母これをキロネより奪ひ、己が腕《かひな》にねむれる間にシロに移せし時の事なり、その後かのギリシア人《びと》これにかしこを離れしむ) 三七―三九
睡《ねむり》顏より逃《に》げしときわがうちふるひしさまに異ならじ、我はあたかも怖れのため氷に變る人の如くに色あをざめぬ 四〇―四二
わが傍には我を慰むる者のみゐたり、日は今高きこと二時《ふたとき》にあまれり、またわが顏は海のかたにむかひゐたりき 四三―四五
わが主曰ふ。おそるゝなかれ、心を固うせよ、よき時來りたればなり、汝の力をみなあらはして抑《おさ》ふるなかれ 四六―四八
汝は今淨火に着けり、その周邊《まはり》をかこむ岩をみよ、岩分るゝとみゆる處にその入口あるをみよ 四九―五一
今より暫《しば》し前《さき》、晝にさきだつ黎明《あけぼの》の頃、汝の魂かの溪を飾る花の上にて汝の中に眠りゐたるとき 五二―五四
ひとりの淑女來りて曰ふ、我はルーチアなり、我にこの眠れる者を齎らすを許せ、我斯くしてその路を易からしめんと 五五―五七
ソルデルとほかの貴き魂は殘れり、淑女汝を携へて日の出づるとともに登り來り、我はその歩履《あゆみ》に從へり 五八―六〇
彼汝をこゝに置きたり、その美しき目はまづ我にかの開きたる入口を示せり、しかして後彼も睡りもともに去りにき。 六一―六三
眞《まこと》あらはるゝに及び、疑ひ解けて心やすんじ、恐れを慰めに變ふる人のごとく 六四―六六
我は變りぬ、わが思ひわづらふことなきをみしとき、導者岩に沿ひて登り、我もつづいて高處《たかみ》にむかへり 六七―六九
讀者よ、汝よくわが詩材のいかに高くなれるやを知る、されば我さらに多くの技《わざ》をもてこれを支へ固むるともあやしむなかれ 七〇―七二
我等近づき、一の場所にいたれるとき、さきにわが目に壁を分つ罅《われめ》に似たる一の隙《ひま》ありとみえしところに 七三―七五
我は一の門と門にいたらんためその下に設けし色異なれる三の段《きだ》と未だ物言はざりしひとりの門守《かどもり》を見たり 七六―七八
またわが目いよ/\かなたを望むをうるに從ひ、我は彼が最高き段《きだ》の上に坐せるをみたり、されどその顏をばわれみるに堪へざりき 七九―八一
彼手に一の白刃《しらは》を持てり、この物光を映《うつ》してつよく我等の方に輝き、我屡※[#二の字点、1-2-22]目を擧ぐれども益なかりき 八二―八四
彼曰ふ。汝等何を欲するや、その處にてこれをいへ、導者いづこにかある、漫りに登り來りて自ら禍ひを招く勿れ。 八五―八七
わが師彼に答へて曰ふ。此等の事に精《くは》しき天の淑女今我等に告げて、かしこにゆけそこに門ありといへるなり。 八八―九〇
門守《かどもり》ねんごろに答へていふ。願はくは彼|幸《さいはひ》の中に汝等の歩みを導かんことを、さらば汝等我等の段《きだ》まで進み來れ。 九一―九三
我等かなたにすゝみて第一の段《きだ》のもとにいたれり、こは白き大理石にていと清くつややかなれば、わが姿そのまゝこれに映《うつ》りてみえき 九四―九六
第二の段は色ペルソより濃き、粗《あら》き燒石にて縱にも横にも罅裂《ひゞ》ありき 九七―九九
上にありて堅き第三の段は斑岩《はんがん》とみえ、脈より迸る血汐のごとく赤く煌《きらめ》けり 一〇〇―一〇二
神の使者《つかひ》兩足《もろあし》をこの上に載せ、金剛石とみゆる閾のうへに坐しゐたり 一〇三―一〇五
この三の段をわが導者は我を拉《ひ》きてよろこびて登らしめ、汝うやうやしく彼に※《とざし》をあけんことを請へといふ 一〇六―一〇八
我まづ三度《みたび》わが胸を打ち、後つゝしみて聖なる足の元にひれふし、慈悲をもてわがために開かんことを彼に乞へり 一〇九―一一一
彼七のP《ピ》を劒《つるぎ》の尖《さき》にてわが額に録《しる》し、汝内に入らば此等の疵を洗へといふ 一一二―一一四
灰または掘上《ほりあげ》し乾ける土はその衣と色等しかるべし、彼はかゝる衣の下より二の鑰《かぎ》を引出《ひきいだ》せり 一一五―一一七
その一は金、一は銀なりき、初め白をもて次に黄をもて、かれ門をわが願へるごとくにひらき 一一八―一二〇
さて我等にいひけるは。この鑰のうち一若し缺くる處ありてほどよく※[#「戸の旧字/炯のつくり」、第3水準1-84-68]《とざし》の中《なか》にめぐらざればこの入口ひらかざるなり 一二一―一二三
一は殊《こと》に價|貴《たふと》し、されど一は纈《むすび》を解《ほぐ》すものなるがゆゑにあくるにあたりて極めて大なる技《わざ》と智《さとり》を要《もと》む 一二四―一二六
我此等をピエルより預かれり、彼我に告げて、民わが足元にひれふさば、むしろ誤りて開くとも誤りて閉《と》ぢおく勿れといへり。 一二七―一二九
かくて聖なる門の扉を押していひけるは。いざ入るべし、されど汝等わが誡めを聞け、すべて後方《うしろ》を見る者は外《そと》に歸らむ。 一三〇―一三二
聖なる門の鳴《なり》よき強き金屬《かね》の肘金《ひぢがね》、肘壺《ひぢつぼ》の中にまはれるときにくらぶれば 一三三―一三五
かの良きメテルロを奪はれし時のタルペーアも(この後これがために瘠す)その叫喚《わめ》きあらがへることなほこれに若かざりしなるべし 一三六―一三八
我は最初《はじめ》の響きに心をとめてかなたにむかひ、うるはしき調《しらべ》にまじれる聲のうちにテー・デウム・ラウダームスを聞くとおぼえぬ 一三九―一四一
わが耳にきこゆるものは、あたかも人々立ちて樂《がく》の器《うつは》にあはせてうたひその詞きこゆることあり 一四二―一四四
きこえざることある時の響きに似たりき 一四五―一四七

   第十曲

我等門の閾の内に入りし後(魂の惡き愛|歪《ゆが》める道を直《なほ》く見えしむるためこの門開かるゝこと稀なり) 一―三
我は響きをききてその再び閉されしことを知りたり、我若し目をこれにむけたらんには、いかなる詫《わび》も豈この咎にふさはしからんや 四―六
我等は右に左に紆行《うね》りてその状《さま》あたかも寄せては返す波に似たる一の石の裂目《さけめ》を登れり 七―九
わが導者曰ふ。我等は今|縁《ふち》の逼らざるところを求めてかなたこなたに身を寄するため少しく技《わざ》を用ゐざるをえず。 一〇―一二
この事我等の歩みをおそくし、虧けたる月|安息《やすみ》を求めてその床に歸れる後 一三―一五
我等はじめてかの針眼《はりのめ》を出づるをえたり、されど山|後方《しりへ》にかたよれる高き處にいたりて、我等自由に且つ寛《ゆるや》かになれるとき 一六―一八
われ疲れ、彼も我も定かに路をしらざれば、われらは荒野《あらの》の道よりさびしき一の平地《ひらち》にとゞまれり 一九―二一
空處に隣《とな》れるその縁《へり》と、たえず聳ゆる高き岸の下《もと》との間は、人の身長《みのたけ》三|度《たび》はかるに等しかるべし 二二―二四
しかしてわが目その翼をはこぶをうるかぎり右にても左にてもこの臺《うてな》すべて斯《かく》の如く見えき 二五―二七
我等の足未だその上を踏まざるさきに、我は垂直にして登るあたはざるまはりの岸の 二八―三〇
純白の大理石より成り、かのポリクレートのみならず、自然もなほ恥づるばかりの彫刻《ほりもの》をもて飾らるゝをみたり 三一―三三
天を開きてその長き禁《いましめ》を解きし平和(許多《あまた》の年の間、世の人泣いてこれを求めき)を告げしらせんとて地に臨める天使の 三四―三六
うるはしき姿との處に刻《きざ》まれ、ものいはぬ像と見えざるまで眞に逼りて我等の前にあらはれぬ 三七―三九
誰か彼が幸《さち》あれ[#「あれ」に白丸傍点]といひゐたるを疑はむ、そは尊き愛を開かんとて鑰を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《まは》せる女の象《かたち》かしこにあらはされたればなり 四〇―四二
しかして神[#「神」に白丸傍点]の婢《はしため》を見よ[#「見よ」に白丸傍点]といふ言葉、あたかも蝋に印影《かた》の捺《お》さるゝごとくあざやかにその姿に摺《す》られき 四三―四五
汝思ひを一の處にのみ寄する勿れ。人の心臟《こゝろ》のある方《かた》に我をおきたるうるはしき師斯くいへり 四六―四八
我即ち目をめぐらして見しに、マリアの後方《うしろ》、我を導ける者のゐたるかなたに 四九―五一
岩に彫りたる他《ほか》の物語ありき、このゆゑに我はこれをわが目の前《さき》にあらしめんとてヴィルジリオを超えて近づきぬ 五二―五四
そこには同じ大理石の上に、かの聖なる匱《はこ》を曳きゐたる事と牛と刻《きざ》まれき(人この事によりて委《ゆだ》ねられざる職務《つとめ》を恐る) 五五―五七
その前には七の組に分たれし民見えたり、彼等はみなわが官能の二のうち、一に否と一に然り歌ふといはしむ 五八―六〇
これと同じく、わが目と鼻の間には、かしこにゑりたる薫物《たきもの》の煙について然と否との爭ひありき 六一―六三
かしこに謙遜《へりくだ》れる聖歌の作者衣《きぬ》ひき
寨《かゝ》げて亂れ舞ひつゝ恩惠《めぐみ》の器《うつは》にさきだちゐたり、この時彼は王者《わうじや》に餘りて足らざりき 六四―六六
對《むかひ》の方《かた》には大いなる殿《との》の窓の邊《ほとり》にゑがかれしミコル、蔑視《さげすみ》悲しむ女の如くこれをながめぬ 六七―六九
我わが立てる處をはなれ、ミコルの後方《うしろ》に白く光れる一の物語をわが近くにみんとて足をはこべば 七〇―七二
こゝには己が徳によりてグレゴーリオを動かしこれに大いなる勝利《かち》をえしめしローマの君の榮光高き事蹟を寫せり 七三―七五
わが斯くいへるは皇帝トラヤーノの事なり、ひとりの寡婦《やもめ》涙と憂ひを姿にあらはし、その轡のほとりに立てり 七六―七八
君のまはりには多くの騎馬武者|群《むら》がりて押しあふごとく、またその上には黄金《こがね》の中なる鷲風に漂《たゞよ》ふごとく見えたり 七九―八一
すべてこれらの者のなかにてかの幸《さち》なき女、主よわがためにわが子の仇を報いたまへ、彼死にてわが心いたく傷《いた》むといひ 八二―八四
彼はこれに答へて、まづわが歸るまで待てといふに似たりき、また女、あたかも歎きのために忍ぶあたはざる人の如く、我主よ 八五―八七
若し歸り給はずばといひ、彼、我に代る者汝の爲に報いんといひ、女又、汝己の爲すべき善を思はずば人善を爲すとも汝に何の係《かゝはり》在らん 八八―
といひ、彼聞きて、今は心を安んぜよ、我わが義務《つとめ》を果して後行かざるべからず、正義これを求め、慈悲我を抑《と》むといふに似たりき ―九三
未だ新しき物を見しことなきもの、この見るをうべき詞を造りたまへるなり、こは世にあらざるがゆゑに我等に奇《めづら》し 九四―九六
かく大いなる謙遜を表はしその造主《つくりぬし》の故によりていよ/\たふときこれらの象《かたち》をみ、われ心を喜ばしゐたるに 九七―九九
詩人さゝやきていふ。見よこなたに多くの民あり、されどその歩《あゆみ》は遲し、彼等われらに高き階《きざはし》にいたる路を教へむ。 一〇〇―一〇二
眺《なが》むることにのみ凝《こ》れるわが目も、その好む習ひなる奇《めづら》しき物をみんとて、たゞちに彼の方《かた》にむかへり 一〇三―一〇五
讀者よ、げに我は汝が神何によりて負債《おひめ》を償はせたまふやを聞きて己の善き志より離るゝを願ふにあらず 一〇六―一〇八
心を苛責の状態《ありさま》にとむるなかれ、その成行《なりゆき》を思へ、そのいかにあしくとも大なる審判《さばき》の後まで續かざることを思へ 一〇九―一一一
我曰ふ。師よ、こなたに動くものをみるに姿人の如くならず、されどわが目迷ひて我その何なるを知りがたし。 一一二―一一四
彼我に。苛責の重荷《おもに》彼等を地に屈《かゞ》ましむ、されば彼等の事につきわが目もはじめ爭へるなり 一一五―一一七
されど汝よくかしこをみ、かの石の下になりて來るものをみわくべし、汝は既におのおののいかになやむやを認むるをえむ。 一一八―一二〇
噫々心|傲《たかぶる》が基督教徒《クリステイアン》よ、幸《さち》なき弱れる人々よ、汝等|精神《たましひ》の視力衰へ、後退《あとじさり》して進むとなす 一二一―一二三
知らずや人は、裸《はだか》のまゝ飛びゆきて審判《さばき》をうくる靈體の蝶を造らんとて生れいでし蟲なることを 一二四―一二六
汝等は羽ある蟲の完《まつた》からず、這ふ蟲の未だ成り終らざるものに似たるに、汝等の精神《たましひ》何すれぞ高く浮び出づるや 一二七―一二九
天井または屋根を支ふるため肱木《ひぢき》に代りてをりふし一の像の膝を胸にあて 一三〇―一三二
眞《まこと》ならざる苦しみをもて眞の苦しみを見る人に起さしむることあり、われ心をとめて彼等をみしにそのさままた斯の如くなりき 一三三―一三五
但し背に負ふ物の多少に從ひ、彼等の身を縮むること一樣ならず、しかして最も忍耐強《しのびづよ》しと見ゆる者すら 一三六―一三八
なほ泣きつゝ、我堪へがたしといふに似たりき 一三九―一四一

   第十一曲

限らるゝにあらず、高き處なる最初《はじめ》の御業《みわざ》をいと潔く愛したまふがゆゑに天に在《いま》す我等の父よ 一―三
願はくは萬物《よろづのもの》うるはしき聖息《みいき》に感謝するの適《ふさ》はしきをおもひ、聖名《みな》と聖能《みちから》を讚《ほ》めたたへんことを 四―六
爾國《みくに》の平和を我等の許《もと》に來らせたまへ、そは若し來らずば、我等|意《こゝろばせ》を盡すとも自ら到るあたはざればなり 七―九
天使等《みつかひたち》オザンナを歌ひつゝ己が心を御前《みまへ》にさゝげまつるなれば、人またその心をかくのごとくにさゝげんことを 一〇―一二
今日《けふ》も我等に日毎のマンナを與へたまへ、これなくば、この曠野《あらの》をわけて進まんとて、最もつとむる者も退く 一三―一五
我等のうけし害《そこなひ》をわれら誰にも赦すごとく、汝も我等の功徳《くどく》を見たまはず、聖惠《みめぐみ》によりて赦したまへ 一六―一八
いとよわき我等の力を年へし敵の試《こゝろみ》にあはせず、巧みにこれを唆《そゝの》かす者よりねがはくは救ひ出したまへ 一九―二一
この最後《をはり》の事は、愛する主よ、我等|祈《ね》ぎまつるに及ばざれども、かくするはげに己の爲にあらずしてあとに殘れる者のためなり。 二二―二四
斯く己と我等のために幸《さち》多き旅を祈りつゝ、これらの魂は、人のをりふし夢に負ふごとき重荷《おもに》を負ひ 二五―二七
等しからざる苦しみをうけ、みな疲れ、世の濃霧《こききり》を淨めつゝ第一の臺《うてな》の上をめぐれり 二八―三〇
彼等もし我等のためにかしこにたえず幸《さいはひ》を祈らば、己が願ひに良根《よきね》を持つ者、こゝに彼等のために請ひまた爲しうべき事いかばかりぞや 三一―三三
我等は彼等が清く輕くなりて諸※[#二の字点、1-2-22]の星の輪にいたるをえんため、よく彼等を助けて、そのこゝより齎《もた》らせし汚染《しみ》を洗はしむべし 三四―三六
あゝ願はくは正義と慈悲速かに汝等の重荷《おもに》を取去り、汝等翼を動かして己が好むがまゝに身を上ぐるをえんことを 三七―三九
請ふいづれの道の階《きざはし》にいとちかきやを告げよ、またもし徑《こみち》一のみならずば、嶮《けは》しからざるものを教へよ 四〇―四二
そは我にともなふこの者、アダモの肉の衣《ころも》の重荷《おもに》あるによりて、心いそげど登ることおそければなり。 四三―四五
我を導く者斯くいへるとき、彼等の答への誰より出でしやはあきらかならざりしかど 四六―四八
その言にいふ。岸を傳ひて我等とともに右に來《こ》よ、さらば汝等は生くる人の登るをうべき徑《こみち》を見ん 四九―五一
我若しわが傲慢《たかぶり》の項《うなじ》を矯《た》め、たえずわが顏を垂れしむるこの石に妨げれずば 五二―五四
名は聞かざれど今も生くるその者に目をとめ、わが彼を知るや否やをみ、この荷のために我を憐ましむべきを 五五―五七
我はラチオの者にて、一人《ひとり》の大いなるトスカーナ人《びと》より生れぬ、グイリエルモ・アルドブランデスコはわが父なりき、この名汝等の間に 五八―
聞えしことありや我知らず、わが父祖の古き血と讚《ほ》むべき業《わざ》我を僭越ならしめ、我は母の同じきをおもはずして ―六三
何人をもいたく侮りしかばそのために死しぬ、シエーナ人《びと》これを知り、カムパニヤティーコの稚兒《をさなご》もまたこぞりてこれをしる 六四―六六
我はオムベルトなり、たゞ我にのみ傲慢《たかぶり》害をなすにあらず、またわが凡ての宗族《うから》をば禍ひの中にひきいれぬ 六七―六九
神の聖心《みこゝろ》の和《やは》らぐ日までわれ此罪のためにこゝにこの重荷を負ひ、生者《しやうじや》の間に爲さざりしことを死者の間になさざるべからず。 七〇―七二
我は聞きつゝ頭《かうべ》を垂れぬ、かれらのひとり(語れる者にあらず)そのわづらはしき重荷の下にて身をゆがめ 七三―七五
我を見て誰なるやを知り、彼等と倶に全く屈《かゞ》みて歩める我に辛うじて目を注ぎつゝ我を呼べり 七六―七八
我彼に曰ふ。あゝ汝はアゴッビオの譽《ほまれ》、巴里《パリージ》にて色彩《しきさい》と稱《とな》へらるゝ技《わざ》の譽なるオデリジならずや。 七九―八一
彼曰ふ。兄弟よ、ボローニア人《びと》フランコの描けるものの華《はなや》かなるには若かじ、彼今すべての譽《ほまれ》をうく、我のうくるは一部のみ 八二―八四
わが生ける間は我しきりに人を凌《しの》がんことをねがひ、心これにのみむかへるが故に、げにかく讓《ゆづ》るあたはざりしなるべし 八五―八七
我等こゝにかゝる傲慢《たかぶり》の負債《おひめ》を償ふ、もし罪を犯すをうるときわれ神に歸らざりせば、今もこの處にあらざるならむ 八八―九〇
あゝ人力の榮《さかえ》は虚《むな》し、衰へる世の來るにあはずばその頂《いたゞき》の縁いつまでか殘らむ 九一―九三
繪にてはチマーブエ、覇を保たんとおもへるに、今はジオットの呼聲《よびごゑ》高く、彼の美名《よきな》微《かすか》になりぬ 九四―九六
また斯の如く一のグイード他のグイードより我等の言語《ことば》の榮光を奪へり、しかしてこの二者《ふたり》を巣より逐ふ者恐らくは生れ出たるなるべし 九七―九九
夫れ浮世《うきよ》の名聞《きこえ》は今|此方《こなた》に吹き今|彼方《かなた》に吹き、その處を變ふるによりて名を變ふる風の一息《ひといき》に外ならず 一〇〇―一〇二
汝たとひ年へし肉を離るゝため、パッポ、ディンディを棄てざるさきに死ぬるよりは多く世にしらるとも 一〇三―一〇五
豈|千年《ちとせ》に亙らむや、しかも千年を永劫に較ぶればその間の短きこと一の瞬《またゝき》をいとおそくめぐる天に較ぶるより甚し 一〇六―
路を刻《きざ》みてわが前をゆく者はかつてその名をあまねくトスカーナに響かせき、しかるに今はシエーナにても(その頃たかぶり今けがるゝフィレンツェの劇しき怒《いかり》亡ぼされし時彼はかしこの君なりき)殆んど彼のことをさゝやく人なし ―一一四
汝等の名は草の色のあらはれてまたきゆるに似たり、しかして草をやはらかに地より生《は》え出《いで》しむるものまたその色をうつろはす。 一一五―一一七
我彼に。汝の眞《まこと》の言《ことば》善き謙遜をわが心にそゝぎ、汝わが大いなる誇《ほこり》をしづむ、されど汝が今語れるは誰の事ぞや。 一一八―一二〇
答へて曰ふ。プロヴェンツァン・サルヴァーニなり、彼心驕りてシエーナを悉くその手に握らんとせるがゆゑにこゝにあり 一二一―一二三
彼は死にしより以來《このかた》かくのごとく歩みたり、また歩みて休《やす》らふことなし、凡て世に膽《きも》のあまりに大《ふと》き者かゝる金錢《かね》を納めて贖《あがなひ》の代《しろ》とす。 一二四―一二六
我。生命《いのち》の終り近づくまで悔ゆることをせざりし靈かの低き處に殘り、善き祈りの助けによらでは 一二七―
その齡《よはひ》に等しき時過ぐるまで、こゝに登るあたはずば、彼何ぞかく來るを許されしや。 ―一三二
彼曰ふ。彼榮達を極めし頃、一切の恥を棄て、自ら求めてシエーナのカムポにとゞまり 一三三―一三五
その友をカルロの獄《ひとや》の中にうくる苦しみの中より救ひいださんとて、己が全身をかしこに震はしむるにいたれり 一三六―一三八
我またいはじ、我わが言《ことば》の暗きを知る、されど少時《しばらく》せば汝の隣人《となりびと》等その爲すところによりて汝にこれをさとるをえしめむ 一三九―一四一
この行《おこなひ》なりき彼のためにかの幽閉を解きたるものは。 一四二―一四四

   第十二曲

我はかの重荷を負へる魂と、あたかも軛《くびき》をつけてゆく二匹の牡牛のごとく並びて、うるはしき師の許したまふ間歩めり 一―三
されど師が、彼をあとに殘して行け、こゝにては人各※[#二の字点、1-2-22]帆と櫂をもてその力のかぎり船を進むべしといへるとき 四―六
我は行歩《あゆみ》の要求《もとめ》に從ひ再び身を直《なほ》くせり、たゞわが思ひはもとのごとく屈みてかつ低かりき 七―九
我既に進み、よろこびてわが師の足にしたがひ、彼も我も既に身のいかに輕きやをあらはしゐたるに 一〇―一二
彼我に曰ふ。目を下にむけよ、道をたのしからしめむため、汝の足を載する床《ゆか》を見るべし。 一三―一五
埋《う》められし者の思出《おもひで》にとて、その上なる平地《ひらち》の墓に、ありし昔の姿|刻《きざ》まれ 一六―一八
たゞ有情《うじやう》の者をのみ蹴る記憶の刺《はり》の痛みによりてしば/\涙を流さしむることあり 一九―二一
我見しに、山より突出《つきい》でて路を成せるかの處みなまた斯の如く、象《かたち》をもて飾られき、されど技《わざ》にいたりては巧みなることその比に非ず 二二―二四
我は一側《かたがは》に、萬物《よろづのもの》のうち最も尊く造られし者が天より電光《いなづま》のごとく墜下《おちくだ》るを見き 二五―二七
また一側に、ブリアレオが、天の矢に中《あた》り、死に冷《ひや》されて重く地に伏せるを見き 二八―三〇
我はティムプレオを見き、我はパルラーデとマルテを見き、彼等猶武器をとりその父の身邊《まはり》にゐて巨人等の切放たれし體《からだ》を凝視《みつ》む 三一―三三
我はネムブロットが、あたかも惑へるごとく、かの大いなる建物《たてもの》のほとりに、己と共にセンナールにてたかぶれる民をながむるをみき 三四―三六
あゝニオベよ、殺されし汝の子|七人《なゝたり》と七人の間に彫られし汝の姿を路にみしときわが目はいかに憂《うれ》はしかりしよ 三四―三六
あゝサウルよ、汝の己が劒《つるぎ》に伏してジェルボエ(この山この後|雨露《あめつゆ》をしらざりき)に死せるさまさながらにこゝに見ゆ 四〇―四二
あゝ狂へるアラーニエよ、我また汝が既に半《なかば》蜘蛛となり、幸《さち》なく織りたる織物の截餘《きれ》の上にて悲しむを見き 四三―四五
あゝロボアムよ、こゝにては汝の姿も、はやおびやかすあたはじとみえ、未だ人に追はれざるにいたく恐れて車を走らす 四六―四八
硬き鋪石《しきいし》はまたアルメオンが、かの不吉なる飾《かざり》の價の貴《たふと》さをその母にしらしめしさまを示せり 四九―五一
またセンナケリプをその子等|神宮《みや》の中にて襲ひ、その死するや、これをかしこに殘して去れるさまを示せり 五二―五四
またタミーリの行へる殘害《そこなひ》と酷《むご》き屠《ほふり》を示せり――この時彼チロにいふ、汝血に渇きたりき、我汝に血を滿さんと 五五―五七
またオロフェルネの死せるとき、アッシーリア人《びと》の敗れ走れるさまと殺されし者の遺物《かたみ》を示せり 五八―六〇
我は灰となり窟《いはや》となれるトロイアを見き、あゝイーリオンよ、かしこにみえし彫物《ほりもの》の象《かたち》は汝のいかに低くせられ衰へたるやを示せるよ 六一―六三
すぐるゝ才ある者といふとも誰とて驚かざるはなき陰《かげ》と線《すぢ》とをあらはせるは、げにいかなる畫筆《ゑふで》または墨筆《すみふで》の妙手ぞや 六四―六六
死者は死するに生者は生くるに異ならず、面《まのあたり》見し人なりとて、わが屈《かゞ》みて歩める間に踏みし凡ての事柄を我よりよくは見ざりしなるべし 六七―六九
エーヴァの子等よいざ誇れ、汝等|頭《かうべ》を高うして行き、己が禍ひの路を見んとて目をひくく垂るゝことなかれ 七〇―七二
繋《つなぎ》はなれぬわが魂のさとれるよりも、我等はなほ多く山をめぐり、日はさらに多くその道をゆきしとき 七三―七五
常に心を用ゐて先に進めるものいひけるは。頭《かうべ》が擧げよ、時足らざればかく思ひに耽りてゆきがたし 七六―七八
見よかなたにひとりの天使ありて我等の許《もと》に來らんとす、見よ第六の侍婢《はしため》の、晝につかふること終りて歸るを 七九―八一
敬《うやまひ》をもて汝の姿容《すがたかたち》を飾れ、さらば天使よろこびて我等を上に導かむ、この日再び晨《あした》とならざることをおもへ。 八二―八四
我は時を失ふなかれとの彼の誡めに慣れたれば、彼のこの事について語るところ我に明かならざるなかりき 八五―八七
美しき者こなたに來れり、その衣《ころも》は白く、顏はさながら瞬《またゝ》く朝の星のごとし 八八―九〇
彼|腕《かひな》をひらきまた羽をひらきていふ。來れ、この近方《ちかく》に階《きざはし》あり、しかして汝等今より後は登り易し。 九一―九三
それ來りてこの報知《しらせ》を聞く者甚だ罕《まれ》なり、高く飛ばんために生れし人よ、汝等|些《すこし》の風にあひてかく墜ちるは何故ぞや 九四―九六
彼我等を岩の截られたる處にみちびき、こゝに羽をもてわが額を打ちて後、我に登《のぼり》の安らかなるべきことを約せり 九七―九九
ルバコンテの上方《かみて》に、めでたく治まる邑《まち》をみおろす寺ある山に登らんため、右にあたりて 一〇〇―一〇二
登《のぼり》の瞼しさ段《きだ》(こは文書《ふみ》と樽板《たるいた》の安全なりし世に造られき)に破らる 一〇三―一〇五
こゝにても次の圓よりいと急に垂るゝ岸、かゝる手段《てだて》によりて緩《ゆる》まりぬ、されど右にも左にも身は高き石に觸る 一〇六―一〇八
我等かしこにむかへるとき、聲ありて、靈の貧しき者は福なり[#「靈の貧しき者は福なり」に白丸傍点]と歌へり、そのさま詞をもてあらはすをえじ 一〇九―一一一
あゝこれらの徑《こみち》の地獄のそれと異なることいかばかりぞや、こゝにては入る者歌に伴はれ、かしこにては恐ろしき歎きの聲にともなはる 一一二―一一四
我等既に聖なる段《きだ》を踏みて登れり、また我はさきに平地《ひらち》にありしときより身のはるかに輕きを覺えき 一一五―一一七
是に於てか我。師よ告げよ、何の重き物我より取られしや、我行けども殆んど少しも疲勞《つかれ》を感ぜず。 一一八―一二〇
答へて曰ふ。消ゆるばかりになりてなほ汝の顏に現れるP《ピ》、その一のごとく全く削り去らるゝ時は 一二一―一二三
汝の足善き願ひに勝たるゝがゆゑに疲勞《つかれ》をしらざるのみならず上方《うへ》に運ばるゝをよろこぶにいたらむ。 一二四―一二六
頭に物を載せてあゆみ自らこれを知らざる人、他《ほか》の人々の素振《そぶり》をみてはじめて異《あやしみ》の心をおこせば 一二七―一二九
手は疑ひを霽《はら》さんため彼を助け探《さぐ》り得て、目の果し能はざる役《つとめ》を行ふ、この時わが爲せることまたかゝる人に似たりき
我はわがひらける右手《めて》の指によりて、かの鑰を持つもののわが額に刻《きざ》める文字たゞ六となれるをしりぬ 一三三―一三五
導者これをみて微笑《ほゝゑ》みたまへり
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   第十三曲

我等階《きざはし》の頂にいたれば、登りて罪を淨むる山、こゝにふたゝび截りとられ 一―三
一の臺《うてな》邱《をか》を卷くこと第一の圈の如し、たゞ異なるはその弧線《アルコ》のいよ/\はやく曲《まが》るのみ 四―六
こゝには象《かた》も文《あや》もみえず、岸も路も滑《なめら》かにみえて薄黒き石の色のみあらはる 七―九
詩人曰ふ。我等路を尋ねんためこゝにて民を待たば、我は我等の選ぶことおそきに過ぐるあらんを恐る。 一〇―一二
かくて目を凝らして日を仰ぎ、身をその右の足に支へ、左の脇《わき》をめぐらして 一三―
いふ。あゝ麗しき光よ、汝に頼恃《よりたの》みてこの新らしき路に就く、願はくは汝我等を導け、そは導く者なくば我等この内に入るをえざればなり ―一八
汝世を暖《あたゝ》め、汝その上に照る、若し故ありて妨げられずば我等は汝の光をもて常に導者となさざるべからず。 一九―二一
心進むによりて時立たず、我等かの處よりゆくこと既にこの世の一|哩《ミーリア》にあたる間におよべり 二二―二四
この時多くの靈の、愛の食卓《つくゑ》に招かんとて懇に物いひつゝこなたに飛來る音きこえぬ、されど目には見えざりき 二五―二七
飛過ぎし第一の聲は、彼等に酒なし[#「彼等に酒なし」に白丸傍点]と高らかにいひ、これをくりかへしつゝ後方《うしろ》に去れり 二八―三〇
この聲未だ遠く離れて全く聞えざるにいたらざるまに、いま一つの聲、我はオレステなりと叫びて過行き、これまた止まらず 三一―三三
我曰ふ。あゝ父よ、こは何の聲なりや。かく問へる時しもあれ、見よ第三の聲、汝等を虐《しひた》げし者を愛せといふ 三四―三六
この時善き師。この圈|嫉妬《ねたみ》の罪をむちうつ、このゆゑに鞭《むち》の紐愛より採《と》らる 三七―三九
銜《くつわ》は必ず響きを異にす、我の量《はか》るところによれば、汝これを赦《ゆるし》の徑《こみち》に着かざるさきに聞くならむ 四〇―四二
されど目を据《す》ゑてよくかなたを望め、我等の前に坐する民あり、各※[#二の字点、1-2-22]岩にもたれて坐せり。 四三―四五
このとき我いよ/\大きく目を開きてわが前方《まへ》を望み、その色石と異なることなき衣《ころも》を着たる魂を見き 四六―四八
我等なほ少しく先に進める時、マリアよ我等の爲に祈り給へと喚《よば》はりまたミケーレ、ピエル及び諸※[#二の字点、1-2-22]の聖徒よと喚ばはる聲を我は聞きたり 四九―五一
思ふに今日地上を歩むいかに頑《かたくな》なる人といふとも、このときわがみしものをみて憐憫《あはれみ》に刺されざることはあらじ 五二―五四
我彼等に近づきてその姿をさだかに見しとき、重き憂ひは涙をわが目よりしぼれり 五五―五七
彼等は粗《あら》き毛織を纏へる如くなりき、互ひに身を肩にて支へ、しかして皆岸にさゝへらる 五八―六〇
生活《なりはひ》の途なき瞽《めしひ》等が赦罪の日物乞はんとてあつまり、彼《かれ》頭を此《これ》に寄せ掛け 六一―六三
詞の節《ふし》によるのみならず、その外見《みえ》によりてこれに劣らず心に訴へ、早く憐《あはれみ》を人に起さしめんとするもそのさままた斯《かく》の如し 六四―六六
また日が瞽の益とならざるごとく、わがいま語れるところにては、天の光魂に己を施すを好まず 六七―六九
鐡《くろがね》の絲凡ての者の瞼《まぶた》を刺し、これを縫ふこと恰もしづかならざる鷹を馴らさんとする時に似たりき 七〇―七二
我はわが彼等を見、みづから見られずして行くの非なるをおもひてわが智《さと》き議者《はからひびと》にむかへるに 七三―七五
彼能くいはざる者のいはんと欲するところをしり、わが問ひを待たずしていふ。語れ約《つづ》まやかにかつ適《ふさ》はしく。 七六―七八
ヴィルジリオは臺《うてな》の外側《そとがは》、縁《ふち》高く繞《めぐ》るにあらねば落下る恐れあるところを行けり 七九―八一
わが左には信心深き多くの魂ありき、その恐ろしき縫線《ぬひめ》より涙はげしく洩れいでて頬を洗へり 八二―八四
我彼等にむかひていふ。己が願ひの唯《たゞ》一の目的《めあて》なる高き光を必ず見るをうる民よ 八五―八七
願はくは恩惠《めぐみ》速かに汝等の良心の泡沫《あわ》を消し、記憶の流れこれを傳ひて清く下るにいたらむことを 八八―九〇
汝等の中にラチオ人《びと》の魂ありや、我に告げよ、我そのしらせを愛《め》で喜ばむ、また我これを知らば恐らくはその者に益あらむ。 九一―九三
あゝわが兄弟よ、我等は皆一の眞《まこと》の都の民なり、汝のいへるは族客《たびびと》となりてイタリアに住める者のことならむ。 九四―九六
わが立てるところよりやゝ先にこの答へきこゆるごとくなりければ、我わが聲をかなたにひゞくにいたらしむ 九七―九九
我は彼等の中にわが言《ことば》を待つ状《さま》なる一の魂を見き、若し人いかなる状ぞと問はば、瞽《めしひ》の習ひに從ひてその頤《おとがひ》を上げゐたりと答へむ 一〇〇―一〇二
我曰ふ。登らむために己を矯《た》むる魂よ、我に答へし者汝ならば、處または名を告げて汝の事を我に知らせよ。 一〇三―一〇五
答へて曰ふ。我はシエーナ人《びと》なりき、我これらの者と共にこゝに罪の生命《いのち》を淨め、御前《みまへ》に泣きて恩惠《めぐみ》を求む 一〇六―一〇八
われ名をサピーアといへるも智慧なく、人の禍ひをよろこぶこと己が福ひよりもなほはるかに深かりき 一〇九―一一一
汝我に欺かると思ふなからんため、わがみづからいふごとく愚なりしや否やを聞くべし、わが齡の坂路《さかみち》はや降《くだり》となれるころ 一一二―一一四
わが邑《まち》の人々その敵とコルレのあたりに戰へり、このときわれ神に祈りてその好みたまへるものを求めき 一一五―一一七
彼等かしこに敗れて幸《さち》なくも逃《に》ぐれば、我はその追はるゝを見、身に例《ためし》なき喜びをおぼえて 一一八―一二〇
あつかましくも顏を上げつゝ神にむかひ、さながら一時《ひととき》の光にあへる黒鳥《メルロ》のごとく、今より後我また汝を恐れずと叫べり 一二一―一二三
我わが生命《いのち》の極《はて》に臨みてはじめて神と和《やはら》がんことを願へり、またもしピエル・ペッティナーイオその慈愛の心よりわがために悲しみその聖なる祈りの中にわが身の上を憶はざりせば、わが負債《おひめ》は今も猶|苦楚《くるしみ》に減《へ》らさるゝことなかりしなるべし 一二四―一二六
されど汝は誰ぞや――汝我等の状態《ありさま》をたづね、氣息《いき》をつきて物いふ、またおもふに目に絆《きづな》なし。 一三〇―一三二
我曰ふ。わが目もいつかこゝにて我より奪はるゝことあらむ、されどそは暫時《しばし》のみ、その嫉妬《ねたみ》のために動きて犯せる罪|少《すく》なければなり 一三三―一三五
この下なる苛責の恐れはなほはるかに大いにしてわが魂を安からざらしめ、かしこの重荷いま我を壓《お》す。 一三六―一三八
彼我に。汝かなたに歸るとおもはば、誰か汝を導いてこゝに登り我等の間に入らしめしや。我。我と倶にゐて物言はざる者ぞ是なる 一三九―一四一
我は生く、されば選ばれし靈よ、汝若し我の己が死すべき足をこの後汝のために世に動かすことをねがはば我に請へ。 一四二―一四四
答へて曰ふ。あゝこは耳にいと新しき事にて神の汝をめで給ふ大いなる休徴《しるし》なれば、汝をりふしわがために祈りて我を助けよ 一四五―一四七
我また汝の切《せち》に求むるものを指して請ふ、若しトスカーナの地を踏むことあらば、わが宗族《うから》の中に汝再びわが名を立てよ 一四八―一五〇
汝は彼等をタラモネに望みを寄する虚榮の民の間に見む(この民その望みを失ふことディアーナを求めしときより大いならむ 一五一―一五三
されどかしこにて特《こと》に危險《あやふき》を顧みざるは船手を統《す》ぶる人々なるべし)。 一五四―一五六

   第十四曲

死いまだ羽を與へざるに我等の山をめぐり、己が意《こゝろ》のまゝに目を開きまた閉づる者は誰ぞや。 一―三
誰なりや我知らず、我たゞその獨りならざるをしる、汝彼に近ければ自ら問ふべし、快く彼を迎へてものいはしめよ。 四―六
たがひに凭《もた》れし二の靈右の方《かた》にてかくわが事をいひ、さて我に物いはむとて顏をあげたり 七―九
その一者《ひとり》曰ふ。あゝ肉體につゝまれて天にむかひてゆく魂よ、請ふ愛のために我等を慰め、我等に告げよ 一〇―一二
汝いづこより來りしや、また誰なりや、我等汝の恩惠《めぐみ》をみていたく驚く、たえて例《ためし》なきことのかく驚かすは宜《うべ》なればなり。 一三―一五
我。トスカーナの中部をわけてさまよふ一の小川あり、ファルテロナよりいで、流るゝこと百|哩《ミーリア》にしてなほ足れりとなさず 一六―一八
その邊《ほとり》より我はこの身をはこべるなり、我の誰なるを汝等に告ぐるは、わが名未だつよく響かざれば、空しく言《ことば》を費すに過ぎず。 一九―二一
はじめ語れるものこの時我に答へて曰ふ。我よく智をもて汝の意中を穿つをえば、汝がいへるはアルノの事ならむ。 二二―二四
その侶《とも》彼に曰ふ。この者何ぞかの流れの名を匿すこと恰も恐るべきことを人のかくすごとくするや。 二五―二七
かく問はれし魂その負債《おひめ》を償《つぐの》ひていふ。我知らず、されどかゝる溪の名はげに滅び失するをよしとす 二八―三〇
そはその源、ペロロを斷たれし高山《たかやま》の水|豐《ゆたか》なる處(かの山の中《うち》これよりゆたかなる處少なし)より 三一―三三
海より天の吸上ぐる物(諸々の川これによりてその中に流るゝものを得《う》)を返さんとて、その注ぐ處にいたるまで 三四―三六
地の幸《さち》なきによりてなるか、または惡しき習慣《ならはし》にそゝのかさるゝによりてなるか、人皆徳を敵と見做して逐出《おひいだ》すこと蛇の如し 三七―三九
此故にかのあはれなる溪に住む者、いちじるしくその性《さが》を變へ、あたかもチルチェに飼《か》はるゝに似たり 四〇―四二
人の爲に造られし食物《くひもの》よりは橡實《つるばみ》を喰ふに適《ふさ》はしき汚《きたな》き豚の間に、この川まづその貧しき路を求め 四三―四五
後くだりつゝ群《むらが》る小犬の己が力をかへりみずして吠え猛るを見ていやしとし、その顏を曲げて彼等をはなる 四六―四八
くだり/\て次第に水嵩《みづかさ》を増すに從ひ、この詛はるゝ不幸の溝《みぞ》、犬の次第に狼に變はるをみ 四九―五一
後また多くの深き淵を傳ひてくだり、智の捕ふるを恐れざるばかりに欺罔《たばかり》滿ちたる狐の群《むれ》にあふ 五二―五四
われ聞く者あるがために豈口を噤まんや、この者この後|眞《まこと》の靈の我にあらはすところを想はば益をえむ 五五―五七
我汝の孫を見るに、彼猛き流れの岸にかの狼を獵り、かれらをこと/″\く怖れしむ 五八―六〇
彼その肉を生けるまゝにて賣り、後これを屠ること老いたる獸に異ならず、多くの者の生命《いのち》を奪ひ自ら己が譽《ほまれ》をうばふ 六一―六三
彼血に塗《まみ》れつゝかの悲しき林を出づれば、林はいたくあれすたれて今より千年《ちとせ》にいたるまで再びもとのさまにかへらじ。 六四―六六
いたましき禍ひの報《しらせ》をうくれば、その難いづれのところより襲ふとも、聞く者顏を曇らすごとく 六七―六九
むきなほりて聞きゐたるかの魂もまたこの詞にうたれ、氣色をかへて悲しみぬ 七〇―七二
一者《ひとり》の言《ことば》と一者の容子《けはひ》は、彼等の名を知らんとの願ひを我に起させき、我はかつ問ひかつ請へり 七三―七五
最初《はじめ》に我に物いへる靈即ち曰ふ。汝は汝のわがために爲すを好まざることを、枉げて我に爲さしめんとす 七六―七八
されど神の聖旨《みむね》によりてかく大いなる恩惠《めぐみ》汝の中に輝きわたれば我も汝に寄に吝《やぶさか》ならじ、知るべし我はグイード・デル・ドゥーカなり 七九―八一
わが血は嫉妬《ねたみ》のために湧きたり、我若し人の福ひを見たらんには、汝は我の憎惡《にくしみ》の色に被《おほ》はるゝをみたりしなるべし 八二―八四
我自ら種を蒔きて今かゝる藁を刈る、あゝ人類よ、侶《とも》を除かざるをえざるところに何ぞ汝等の心を寄するや 八五―八七
此はリニエールとてカールボリ家の誇また譽なり、彼の力を襲《つ》ぐものその後かしこよりいでざりき 八八―九〇
ポーと山と海とレーノの間にて、眞《まこと》と悦びに缺くべからざる徳をかくにいたれるものたゞその血統《ちすぢ》のみならず 九一―九三
有毒《うどく》の雜木《ざつぼく》これらの境界《さかひ》の内に滿つれば、今はたとひ耕すともたやすく除《のぞ》き難からむ 九四―九六
善きリーチオ、アルリーゴ・マナルディ、ピエール・トラヴェルサーロ、グイード・ディ・カルピーニア今|何處《いづこ》にかある、噫※[#二の字点、1-2-22]庶子となれる 九七―
ローマニア人《びと》等よ、フアッブロの如き者いつか再びボローニアに根差《ねざ》さむ、賤しき草の貴き枝ベルナルディン・ディ・フォスコの如き者
いつか再びファーエンツァよりいでむ、トスカーナ人《びと》よ、かのグイード・ダ・プラータ、我等と住めるウゴリーン・ダッツォ
フェデリーゴ・ティニヨーソ及びその侶《とも》、トラヴェルサーラ家アナスタージ(いづれの族《やから》も世繼なし)
また淑女騎士、人の心かく惡しくなりし處にて愛と義氣にはげまされて我等が求めし苦樂を憶ひ出づる時、我泣くともあやしむなかれ ―一一一
あゝブレッティノロよ、汝の族《やから》と多くの民は罪を避けてはや去れるに、汝何ぞ亡びざるや 一一二―一一四
バーニアカヴァールは善し、再び男子《なんし》を生まざればなり、カストロカーロは惡し、而してコーニオは愈※[#二の字点、1-2-22]あし、今も力《つと》めてかゝる伯等《きみたち》を 一一五―
生めばなり、パガーニはその鬼去るの後よからむ、されど無垢《むく》の徴《しるし》をあとに殘すにいたらじ ―一二〇
あゝウゴリーン・デ・ファントリーンよ、汝の名は安し、そは父祖に劣りてこれを辱《はづか》しむる者いづるの憂ひなければなり 一二一―一二三
いざ往けトスカーナ人よ、われらの談話《ものがたり》いたく心を苦しめたれば、今はわれ語るよりなほはるかに泣くをよろこぶ。 一二四―一二六
我等はかの愛する魂等がわれらの足音を聞けるを知れり、されば彼等の默《もだ》すをみて路の正しきを疑はざりき 一二七―一二九
我等進みてたゞふたりとなりしとき、空を擘《つんざ》く電光《いなづま》のごとき聲前より來り 一三〇―一三二
およそ我に遇ふ者我を殺さむといひ、雲|遽《にはか》に裂くれば音《おと》細《ほそ》りてきゆる雷《いかづち》のごとく過ぐ 一三三―一三五
この聲我等の耳に休歇《やすみ》をえさせし程もなく見よまた一の聲、疾《と》く續く雷に似て高くはためき 一三六―一三八
我は石となれるアグラウロなりといふ、この時われ身を近く詩人に寄せんとて一歩あとに(まへに進まず)退きぬ 一三九―一四一
四方《よも》の空はや靜かになりぬ、彼我に曰ふ。これは硬き銜《くつわ》にて己が境界《さかひ》の内に人をとどめおくべきものなり 一四二―一四四
しかるに汝等は餌をくらひ、年へし敵の魚釣《はり》にかゝりてその許に曳かれ、銜《くつわ》も呼《よび》も殆んど益なし 一四五―一四七
天は汝等を招き、その永遠《とこしへ》に美しき物を示しつゝ汝等をめぐる、されど汝等の目はたゞ地を見るのみ 一四八―一五〇
是に於てか萬事《よろづのこと》をしりたまふもの汝等を撃つ。 一五一―一五三

   第十五曲

暮《くれ》にむかひてすゝむ日のなほ殘せる路の長さは、たえず戲るゝこと稚子《をさなご》のごとき球のうち 一―
晝の始めより第三時の終りに亙りてあらはるゝところと同じとみえたり、かしこは夕《ゆふべ》こゝは夜半《よは》なりき ―六
我等既に多く山をめぐり、いまはまさしく西にむかひて歩めるをもて光まともに我等をてらしゐたりしに 七―九
我はその輝《かゞやき》ひときは重くわが額を壓《お》すをおぼえしかば、事の奇《くす》しきにおどろきて 一〇―一二
雙手《もろて》を眉のあたりに翳《かざ》し、つよきに過ぐる光を減《へ》らす一の蔽物《おほひ》をわがために造れり 一三―一五
水または鏡にあたりて光反する方に跳《は》ぬれば、くだるとおなじさまにてのぼり 一六―
その間隔《あはひ》をひとしうして垂線をはなるゝは、學理と經驗によりてしらる ―二一
我もかゝる時に似て、わが前に反映《てりかへ》す光に射らるゝごとくおぼえき、さればわが目はたゞちに逃げぬ 二二―二四
われいふ。やさしき父よ、かの物何ぞや、我これを防ぎて目を護らんとすれども益なし、またこはこなたに動くに似たり。 二五―二七
答へて我に曰ふ。天の族《やから》今なほ汝をまばゆうすとも異《あや》しむなかれ、こは人を招きて登らしめんために來れる使者《つかひ》なり 二八―三〇
これらのものをみること汝の患《うれ》へとならずして却つて自然が汝に感ずるをえさするかぎりの悦樂《たのしみ》となる時速かにいたらむ。 三一―三三
我等|福《さいはひ》なる天使の許にいたれるに、彼喜ばしき聲にていふ。汝等こゝより入るべし、さきの階《きざはし》よりははるかに易き一の階そこにあり。 三四―三六
我等既にかしこを去りて登れるとき、慈悲ある者は福なり[#「慈悲ある者は福なり」に白丸傍点]、また、悦べ汝|勝者《かつもの》よとうたふ聲|後《うしろ》に起れり 三七―三九
わが師と我とはたゞふたりにて登りゆけり、我は行きつゝ師の言《ことば》をききて益をえんことをおもひ 四〇―四二
これにむかひていひけるは。かのローマニアの魂が除く[#「除く」に白丸傍点]といひ侶[#「侶」に白丸傍点]といへるは抑※[#二の字点、1-2-22]何の意《こゝろ》ぞや。 四三―四五
是に於てか彼我に。彼は己の最大《いとおほ》いなる罪より來る損害《そこなひ》を知る、此故にこれを責めて人の歎《なげき》を少なからしめんとすとも異《あや》しむに足らず 四六―四八
それ汝等の願ひの向ふ處にては、侶と頒《わか》てば分減ずるがゆゑに、嫉妬《ねたみ》鞴《ふいご》を動かして汝等に大息《といき》をつかしむれども 四九―五一
至高《いとたか》き球の愛汝等の願ひを上にむかはしむれば、汝等の胸にこのおそれなし 五二―五四
そはかしこにては、我等の所有《もちもの》と稱《とな》ふる者愈々多ければ、各自《おの/\》の享《う》くる幸《さいはひ》愈
々多く、かの僧院に燃ゆる愛亦愈々多ければなり。 五五―五七
我曰ふ。我若しはじめより默《もだ》したりせば、斯く足《た》らはぬことなかりしものを、今は却つて多くの疑ひを心に集む 五八―六〇
一の幸《さいはひ》を頒つにあたり、これを享くる者多ければ、享くる者少なき時より所得多きは何故ぞや。 六一―六三
彼我に。汝は心を地上の物にのみとむるがゆゑに眞《まこと》の光より闇を摘む 六四―六六
かの高きにいまして極《きはみ》なくかつ言ひ難き幸《さいはひ》は、恰も光線の艶《つや》ある物に臨むがごとく、馳せて愛にいたり 六七―六九
熱に應じて己を與ふ、されば愛の大いなるにしたがひ永劫の力いよ/\その上に加はる 七〇―七二
心を天に寄する民愈
々多ければ、深く愛すべき物愈 々多く、彼等の愛亦愈多し、而して彼等の互ひに己を映《うつ》すこと鏡に似たり 七三―七五
若しわが説くところ汝の饑《うゑ》を鎭《しづ》めずば、汝ベアトリーチェを見るべし、さらば彼は汝のために全くこれらの疑ひを解かむ 七六―七八
今はたゞ、痛みの爲にふさがる五の傷《きず》の、とくかの二のごとく消ゆるにいたる途を求めよ。 七九―八一
我はこのとき我よくさとるといはんとおもひしかど、わがすでに次の圓に着けるを見しかば、目の願ひのために默《もだ》せり 八二―八四
こゝにて我俄かにわが官能をはなれて一の幻《まぼろし》の中に曳かれ、多くの人を一の神殿《みや》の内にみしごとくなりき 八五―八七
母たる者のやさしさを姿にあらはせしひとりの女、入口に立ち、わが子よ、何ぞ我等にかくなしたるや 八八―九〇
見よ、汝の父と我と憂へて汝を尋ねたりといひ、いひをはりて默《もだ》せしとき、第一の異象消ゆ 九一―九三
次にまたひとりの女わが前にあらはれき、はげしき怒りより生るゝとき憂ひのしたたらす水その頬をくだれり 九四―九六
彼曰ふ。汝|實《まこと》にかゝる都――これが名について神々の間にかのごとき爭ひありき、また凡ての知識の光この處より閃《きらめ》きいづ――の君ならば 九七―九九
ピシストラートよ、我等の女《むすめ》が抱きたる不敵の腕《かひな》に仇をむくいよ。されど君は寛仁柔和の人とみえ 一〇〇―一〇二
さわぐ氣色《けしき》もなくこれに答へて、我等己を愛する者を罪せば、我等の禍ひを求むる者に何をなすべきやといふごとくなりき 一〇三―一〇五
我また民が怒りの火に燃え、殺せ/\とのみ聲高く叫びあひつゝ石をもてひとりの少年《わかもの》を殺すをみたり 一〇六―一〇八
死はいま彼を壓しつゝ地にむかひてかゞましむれど、彼はたえず目を天の門となし 一〇九―一一一
かゝる爭ひのうちにも憐憫《あはれみ》を惹《ひ》く姿にてたふとき主に祈り、己を虐《しひた》ぐる者のために赦しを乞へり 一一二―一一四
わが魂|外部《そと》にむかひ、その外部《そと》なる眞《まこと》の物に歸れる時、我は己の僞りならざる誤りをみとめき 一一五―一一七
わが導者は、眠りさむる人にひとしきわが振舞をみるをえていふ。汝いかにせる、何ぞ自ら身をさゝふるあたはずして 一一八―一二〇
半レーガ餘の間、目を閉ぢ足をよろめかし、あたかも酒や睡りになやむ人のごとく來れるや。 一二一―一二三
我曰ふ。あゝやさしきわが父よ、汝耳をかたむけたまはば、我かく脛《はぎ》を奪はれしときわが前にあらはれしものを汝に告ぐべし。 一二四―一二六
彼。汝たとひ百の假面《めん》にて汝の顏を覆ふとも、汝の思ひのいと微小《さゝやか》なるものをすら、我にかくすことあたはじ 一二七―一二九
それかのものの汝に見えしは、汝が言遁《いひのが》るゝことなくしてかの永遠《とこしへ》の泉より溢《あふ》れいづる平和の水に心を開かんためなりき 一三〇―一三二
わがいかにせると汝に問へるも、こは魂肉體を離るれば視る能はざる目のみをもて見るものの問ふごとくなせるにあらず 一三三―一三五
たゞ汝の足に力をえさせんとて問へるなり、總て怠惰にて覺醒《めざめ》己に歸るといへどもこれを用ゐる事遲き者はかくして勵ますを宜しとす。 一三六―一三八
我等は夕《ゆふべ》の間、まばゆき暮《くれ》の光にむかひて目の及ぶかぎり遠く前途《ゆくて》を見つゝ歩みゐたるに 一三九―一四一
見よ夜の如く黒き一團の煙しづかに/\こなたに動けり、しかして避くべきところなければ 一四二―一四四
我等は目と澄める空氣をこれに奪はれき 一四五―一四七

   第十六曲

地獄の闇または乏しき空《そら》に雲みち/\て暗き星なき夜《よ》の闇といふとも 一―三
我等をおほへる烟のごとく厚き粗《あら》き面※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]《かほおほひ》を造りてわが目を遮りわが官に觸れしことはあらじ 四―六
われ目をひらくあたはざれば、智《さと》き頼《たのも》しきわが導者は我にちかづきてその肩をかしたり 七―九
我は瞽《めしひ》が路をあやまりまたは己を害《そこな》ふか殺しもすべき物にうちあたるなからんためその相者《てびき》に從ふごとく 一〇―一二
苛《から》き濁れる空氣をわけ、わが導者の、汝我と離れざるやう心せよとのみいへる言《ことば》に耳を傾けて歩めり 一三―一五
こゝに多くの聲きこえぬ、各※[#二の字点、1-2-22]平和と慈悲とを、かの罪を除きたまふ神の羔《こひつじ》に祈るに似たりき 一六―一八
祈りはたえずアーグヌス・デイーにはじまり、詞も節もみな同じ、さればすべての聲全く相和せるごとくなりき 一九―二一
我曰ふ。師よ、かくうたふは靈なりや。彼我に。汝のはかるところ正し、彼等は怒りの結《むすび》を解くなり。 二二―二四
我等の烟を裂き、いまだ時を月に分つ者のごとく我等の事を語る者よ、汝は誰ぞや。 二五―二七
一の聲斯く曰へり、是に於てかわが師曰ふ。汝答へよ、しかして登りの道のこなたにありや否やを問ふべし。 二八―三〇
我。あゝ身を麗しうして己が造主《つくりぬし》に歸らんため罪を淨むる者よ、汝我にともなはば奇《くす》しき事を聽くをえむ。 三一―三三
答へて曰ふ。我汝に從ひてわが行くをうる間はゆかむ、烟は見るを許さずとも聞くことこれに代りて我等を倶にあらしめむ。 三四―三六
このとき我曰ふ。我は死の解く纏布《まきぎぬ》をまきて登りゆくなり、地獄の苦しみを過ぎてこゝに來れり 三七―三九
神はわがその王宮を、近代《ちかきよ》に全く例《ためし》なき手段《てだて》によりて見るを好《よみ》したまふまで、我をその恩惠《めぐみ》につゝみたまへるなれば 四〇―四二
汝死なざる前《さき》は誰なりしや請ふ隱さず我に告げよ、また我のかくゆきて徑《こみち》にいたるや否やを告げて汝の言を我等の導《しるべ》とならしめよ。 四三―四五
我はロムバルディアの者にて名をマルコといへり、我よく世の事を知り、今はひとりだに狙《ねら》ふ人なき徳を慕へり 四六―四八
汝登らんとてこなたにゆくはよし。かく答へてまたいふ。高き處にいたらば請ふ汝わがために祈れ。 四九―五一
我彼に。我は誓ひて汝の請ふところをなさむ、たゞ我に一の疑ひあり、我もしこれを解かずば死すべし 五二―五四
こは初め單《ひとへ》なりしも今|二重《ふたへ》となりぬ、そは汝の言《ことば》、これと連《つら》なる事の眞《まこと》なるをこゝにもかしこにも定かに我に示せばなり 五五―五七
世はげに汝のいふごとく全く一切の徳を失ひ、邪惡を孕みてかつこれにおほはる 五八―六〇
されど請ふ我にその原因《もと》を指示《さししめ》し、我をして自らこれを見また人にみするをえしめよ、そは或者これを天に歸し或者地に歸すればなり。 六一―六三
憂ひの噫《あゝ》に終らしむる深き歎息《ためいき》をつきて後彼曰ひけるは。兄弟よ、世は盲《めしひ》なり、しかして汝まことにかしこより來る 六四―六六
汝等生者は一切の原因《もと》をたゞ上なる天にのみ歸し、この物必然の力によりてよく萬事を定むとなす 六七―六九
若し夫れ然らば自由の意志汝等の中に滅ぶべく、善のために喜び惡のために悲しみを得るは正しき事にあらざるべし 七〇―七二
天は汝等の心の動《うごき》に最初《はじめ》の傾向《かたむき》を與ふれども、凡てに於て然るにあらず、また假りに然りと見做すも汝等には善惡を知るの光と 七三―七五
自由の意志と與へらる(この意志もしはじめて天と戰ふ時の疲勞《つかれ》に堪へ後善く養はるれば凡ての物に勝つ) 七六―七八
汝等は天の左右しあたはざる智力を汝等の中に造るもの即ち天より大いなる力、まされる性《さが》の下《もと》に屬して而して自由を失はず 七九―八一
此故に今の世《よ》路を誤らば、その原因《もと》汝等の中にあり、汝等己が中にたづねよ、我またこの事について今明かに汝に告ぐべし 八二―八四
それ純なる幼《をさな》き魂は、たゞ己を樂しますものに好みてむかふ(喜悦《よろこび》の源なる造主《つくりぬし》よりいづるがゆゑに)外《ほか》何事をも知らず 八五―
あたかも泣きつゝ笑ひつゝ遊び戲るゝ女童《めのわらは》のごとくにて、その未だあらざるさきよりこれをめづる者の手を離れ ―九〇
まづ小《さゝ》やかなる幸《さいはひ》を味ひてこれに欺かれ、導者か銜《くつわ》その愛を枉げずば即ち馳せてこれを追ふ 九一―九三
是に於てか律法《おきて》を定めて銜となし、またせめて眞《まこと》の都の塔を見分くる王を立てざるあたはざりき 九四―九六
律法なきに非ず、されど手をこれにつくる者は誰ぞや、一人《ひとり》だになし、これ上《かみ》に立つ牧者|※[#「齒+台」、第4水準2-94-79]《にれが》むことをうれどもその蹄《つめ》分れざればなり 九七―九九
このゆゑに民は彼等の導者が彼等の貪る幸《さいはひ》にのみ心をとむるをみてこれを食《は》み、さらに遠く求むることなし 一〇〇―一〇二
汝今よく知りぬらむ、世の邪《よこしま》になりたる原因《もと》は、汝等の中の腐れし性《さが》にあらずして惡しき導《みちびき》なることを 一〇三―一〇五
善き世を造れるローマには、世と神との二の路をともに照らせし二の日あるを常とせり 一〇六―一〇八
一は他《ほか》の一を消しぬ、劒《つるぎ》は杖と結ばれぬ、かくして二を一にすとも豈|宜《よろ》しきをうべけんや 一〇九―一一一
これ結びては互ひに恐れざればなり、汝もし我を信ぜずば穗を思ひみよ、草はすべて種によりて知らる 一一二―一一四
アディーチェとポーの濕ほす國にては、フェデリーゴがいまだ爭ひを起さざりしころ、常に武あり文ありき 一一五―一一七
今は善き人々と語りまたは彼等に近づくことを恥ぢて避くる者かしこをやすらかに過ぐるをう 一一八―一二〇
されど古をもて今を責め、神の己をまさる生命《いのち》に復《かへ》し給ふを遲しとおもふ三人《みたり》の翁《おきな》なほまことにかしこにあり 一二一―一二三
クルラード・ダ・パラッツオ、善きゲラルド及びフランス人《びと》の習ひに依《よ》りて素樸のロムバルドの名にて知らるゝグイード・ダ・カステル是なり 一二四―一二六
汝今より後いふべし、ローマの寺院は二の主權を己の中に亂せるにより、泥士におちいりて己と荷とを倶に汚《けが》すと。 一二七―一二九
我曰ふ。あゝわがマルコよ、汝の説くところ好《よ》し、我は今レーヴィの子等がかの産業に與かるあたはざりしゆゑをしる 一三〇―一三二
されど汝が、消えにし民の記念《かたみ》に殘りて朽廢《くちすた》れし代《よ》を責むといへるゲラルドとは誰の事ぞや。 一三三―一三五
答へて曰ふ。汝の言《ことば》我を欺くか將《はた》我を試むるか、汝トスカーナの方言《くにことば》にて我と語りて而して少しも善きゲラルドの事をしらざるに似たり 一三六―一三八
我彼に異名《いみやう》あるをしらず――若し我これをその女《むすめ》ガイアより取らずば――願はくは神汝と倶にあれ、我こゝにて汝と別れむ 一三九―一四一
烟をわけてはや白く映《さ》す光を見よ、天使かしこにあり、我はわが彼に見えざるさきに去らざるをえず。 一四二―一四四
斯くいひて身をめぐらし、わがいふところを聞かんともせざりき 一四五―一四七

   第十七曲

讀者よ、霧|峻嶺《たかね》にて汝を襲ひ、汝物を見るあたかも※[#「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84]鼠《もぐら》が膜を透してみるごとくなりしことあらば、憶《おも》へ 一―三
濕《しめ》りて濃き水氣の薄らぎはじむるころ、日の光微かにその中に入り來るを 四―六
しかせば汝の想像はわが第一に日(このとき沈みかゝりぬ)を再び見しさまを容易《たやす》く見るにいたるべし 七―九
我は斯くわが歩履《あゆみ》をわが師のたのもしきあゆみにあはせてかゝる雲をいで、はや低き水際《みぎは》に死せる光にむかへり 一〇―一二
あゝ千の喇叭《らっぱ》あたりに響くもしらざるまでに人をしば/\外部《そと》より奪ふ想像の力よ 一三―一五
若し官能汝に物を與へずば誰ぞや汝を動かすは、天にて形造《かたちづく》らるゝ光或ひは自ら或ひはこれを地に導く意志によりて汝を動かす 一六―一八
歌ふを最もよろこぶ鳥に己が形を變へたる女の殘忍なりし事の蹟《あと》わが想像の中にあらはれぬ 一九―二一
このときわが魂はみな己の中にあつまり外部《そと》より來るところのものを一だに受けざりき 二二―二四
次にひとりの十字架にかゝれる者わが高まれる想像の中に降《ふ》りぬ、侮蔑と兇猛を顏にあらはし、死に臨めどもこれを變へず 二五―二七
そのまはりには大いなるアッスエロとその妻エステル、及び言《ことば》行《おこなひ》倶に全き義人マルドケオゐたり 二八―三〇
あたかも覆《おほ》へる水の乏しくなれる一の泡《あわ》のごとくこの象《かたち》おのづから碎けしとき 三一―三三
わが幻の中にひとりの處女《をとめ》あらはれ、いたく泣きつゝいひけるは。あゝ王妃よ、何とて怒りのために無に歸するを願ひたまひたる 三四―三六
汝ラヴィーナを失はじとて身を殺し、今我を失ひたまへり、母上よ、かの人の死よりさきに汝の死を悼《いた》むものぞ我なる。 三七―三九
新しき光閉ぢたる目を俄かに射れば睡りは破れ、破れてしかしてその全く消えざるさきに搖《ゆら》めくごとく 四〇―四二
我等の見慣るゝ光よりもなほはるかに大いなるものわが顏にあたるに及びてかの想像の象《かたち》消えたり 四三―四五
我はわがいづこにあるやを知らんとて身をめぐらせるに、この時一の聲、登る處はこゝぞといひて凡ての他《ほか》の思ひよりわが心を引離し 四六―四八
語れる者の誰なるをみんとのわが願ひを、顏を合すにあらざれば絶えて鎭《しづ》まることなきばかり深くせしかど 四九―五一
あたかも我等の視力を壓《あつ》し、強きに過ぐる光によりてその形を被ひかくす日にむかふ時のごとくにわが力足らざりき 五二―五四
こは天の靈なり、己が光の中にかくれ、我等の請ふを待たずして我等に登《のぼり》の道を示す 五五―五七
彼人を遇《あしら》ふこと人の自己《おのれ》をあしらふに似たり、そは人は乏しきを見て乞はるゝを待つ時、その惡しき心より早くも拒まんとすればなり 五八―六〇
いざ我等かゝる招きに足をあはせて暮れざるさきにいそぎ登らむ、暮れなば再び晝となるまでしかするあたはじ。 六一―六三
わが導者かくいへり、我は彼と、足を一の階《きざはし》にむけたり、かくてわれ第一の段《きだ》を踏みしとき 六四―六六
我は身の邊《ほとり》に翼の如く動きてわが顏を扇ぐものあるを覺え、また、平和を愛する者[#「平和を愛する者」に白丸傍点](惡しき怒りを起さざる)は福なり[#「は福なり」に白丸傍点]といふ聲をききたり 六七―六九
夜をともなふ最後の光ははや我等をはなれて高き處を照し、かなたこなたに星あらはれぬ 七〇―七二
あゝわが能力《ちから》よ、汝何ぞかく消ゆるや。我自らかくいへり、そは我わが脛《はぎ》の作用《はたらき》の歇《や》むを覺えたればなり 七三―七五
我等はかの階《きざはし》登り果てしところに立てり、しかして動かざること岸に着ける船に似たりき 七六―七八
また我はこの新しき圓に音する物のあらんをおもひてしばし耳を傾けし後、わが師にむかひていふ 七九―八一
わがやさしき父よ告げたまへ、この圓に淨めらるゝは何の咎ぞや、たとひ足はとゞめらるとも汝の言《ことば》をとどむるなかれ。 八二―八四
彼我に。幸《さいはひ》を愛する愛、その義務《つとめ》に缺くるところあればこゝにて補《おぎな》はる、怠りて遲《おそ》くせる櫂《かい》こゝにて再び早めらる 八五―八七
されど汝なほ明かにさとらんため心を我にむかはしめよ、さらば我等の止まる間に汝善き果《み》を摘むをうべし。 八八―九〇
かくて又曰ふ。子よ、造主《つくりぬし》にも被造物《つくられしもの》にも未だ愛なきことなかりき、これに自然の愛あり、魂より出づる愛あり、汝これを知る 九一―九三
自然の愛は常に誤らず、されど他はよからぬ目的《めあて》または強さの過ぐるか足らざるによりて誤ることあり 九四―九六
愛第一の幸《さいはひ》をめざすか、ほどよく第二の幸をめざす間は、不義の快樂《けらく》の原因《もと》たるあたはず 九七―九九
されど逸《そ》れて惡に向ふか、または幸を追ふといへどもその熱|適《よろしき》を失ひて或ひは過ぎ或ひは足らざる時は即ち被造物《つくられしもの》己を造れる者に逆《さから》ふ 一〇〇―一〇二
是故に汝さとるをうべし、愛は必ず汝等の中にて凡ての徳の種となり、また罰をうくるに當るすべての行爲《おこなひ》の種となるを 一〇三―一〇五
さてまた愛はその主體の福祉より目をめぐらすをえざるがゆゑにいかなる物にも自ら憎むの恐れあるなく 一〇六―一〇八
いかなる物も第一者とわかれて自ら立つの理なきがゆゑにその情はみなこれを憎むことより斷たる 一〇九―一一一
わがかく説分《ときわく》る處正しくば、愛せらるゝ禍ひは即ち隣人《となりびと》の禍ひなる事亦|自《おのづ》から明かならむ、而して汝等の泥《ひぢ》の中にこの愛の生ずる状《さま》三あり 一一二―一一四
己が隣人の倒るゝによりて自ら秀でんことを望み、たゞこのためにその高きより墜つるを希ふ者あり 一一五―一一七
人の高く登るを見て己が權《ちから》、惠《めぐみ》、譽《ほまれ》及び名を失はんことをおそれ悲しみてその反對《うら》を求むる者あり 一一八―一二〇
また復讐を貪るほどに損害《そこなひ》を怨むとみゆる者あり、かゝる者は必ず人の禍ひをくはだつ 一二一―一二三
この三樣の愛この下に歎かる、汝これよりいま一の愛即ち程度《ほど》を誤りて幸を追ふもののことを聞け 一二四―一二六
それ人各※[#二の字点、1-2-22]己が魂を安んぜしむる一の幸をおぼろにみとめてこれを望み、皆爭ひてこれに就《つ》かんとす 一二七―一二九
これを見または求むるにあたりて汝等を引くところの愛|鈍《にぶ》ければ、この臺《うてな》は汝等を、正しく悔いし後に苛責す 一三〇―一三二
また一の幸《さいはひ》あり、こは人を幸にせざるものにて眞《まこと》の幸にあらず、凡ての幸の果《み》またその根なる至上の善にあらず 一三三―一三五
かゝる幸に溺るゝ愛この上なる三の圈にて歎かる、されどその三に分るゝ次第は 一三六―一三八
我いはじ、汝自らこれをたづねよ。 一三九―一四一

   第十八曲

説きをはりて後たふとき師わが足れりとするや否やをしらんと心をとめてわが顏を見たり 一―三
我はすでに新しき渇《かわき》に責められたれば、外《そと》に默《もだ》せるも内《うち》に曰ふ。恐らくは問ふこと多きに過ぎて我彼を累《わづら》はすならむ。 四―六
されどかの眞《まこと》の父はわが臆して闢《ひら》かざる願ひをさとり、自ら語りつゝ、我をはげましてかたらしむ 七―九
是に於てか我。師よ、汝の光わが目をつよくし、我は汝の言《ことば》の傳ふるところまたは陳ぶるところをみな明かに認むるをう 一〇―一二
されば請ふ、わが愛する麗しき父よ、すべての善惡の行の本《もと》なりと汝がいへる愛の何物なるやを我にときあかしたまへ。 一三―一五
彼曰ふ。智の鋭き目をわが方にむけよ、しかせば汝は、かの己を導者となす瞽《めしひ》等の誤れることをさだかに見るべし 一六―一八
夫れ愛し易く造られし魂樂しみのためにさめてそのはたらきを起すにいたればたゞちに動き、凡て己を樂します物にむかふ 一九―二一
汝等の會得《ゑとく》の力は印象を實在よりとらへ來りて汝等の衷《うち》にあらはし魂をこれにむかはしむ 二二―二四
魂これにむかひ、しかしてこれに傾けば、この傾《かたむき》は即ち愛なり、樂しみによりて汝等の中に新たに結ばるゝ自然なり 二五―二七
かくて恰も火がその體《たい》の最や永く保たるゝところに登らんとする素質によりて高きにむかひゆくごとく 二八―三〇
とらはれし魂は靈の動《うごき》なる願ひの中に入り、愛せらるゝものこれをよろこばすまでは休まじ 三一―三三
汝是に依りてさとるをえむ、いかなる愛にても愛そのものは美《ほ》むべきものなりと斷ずる人々いかに眞《まこと》に遠ざかるやを 三四―三六
これ恐らくはその客體常に良《よし》と見ゆるによるべし、されどたとひ蝋は良とも印影《かた》悉くよきにあらず。 三七―三九
我答へて彼に曰ふ。汝の言《ことば》とこれに附隨《つきしたが》へるわが智とは我に愛をあらはせり、されどわが疑ひは却つてこのためにいよ/\深し 四〇―四二
そは愛|外部《そと》より我等に臨み、魂|他《ほか》の足にて行かずば、直く行くも曲りてゆくも己が業《ごふ》にあらざればなり。 四三―四五
彼我に。理性のこれについて知るところは我皆汝に告ぐるをう、それより先は信仰に關《かゝ》はる事なればベアトリーチェを待つべし 四六―四八
それ物質と分れてしかしてこれと結び合ふ一切の靈體は特殊の力をその中にあつむ 四九―五一
この力はその作用によらざれば知られず、あたかも草木《くさき》の生命《いのち》の縁葉《みどりのは》に於ける如くその果《くわ》によらざれば現はれず 五二―五四
是故に最初の認識の智と、慾の最初の目的《めあて》を求むる情とは恰も蜜を造る本能蜂の中にある如く汝等の中にありて 五五―
そのいづこより來るや人知らず、しかしてこの最初の願ひは譽《ほめ》をも毀《そしり》をもうくべきものにあらざるなり ―六〇
さてこれに他《ほか》の凡ての願ひの集まるためには、謀りて而して許諾《うけがひ》の閾《しきみ》をまもるべき力自然に汝等の中に備はる 六一―六三
是即ち評價の源《みなもと》なり、是が善惡二の愛をあつめ且つ簸《ひ》るの如何によりて汝等の價値《かち》定まるにいたる 六四―六六
理をもて物を究めし人々この本然の自由を認めき、このゆゑに彼等徳義を世界に遣《のこ》せるなり 六七―六九
かかればたとひ汝等の衷《うち》に燃ゆる愛みな必須より起ると見做すも、汝等にはこれを抑《おさ》ふべき力あり 七〇―七二
ベアトリーチェはこの貴き力をよびて自由の意志といふ、汝これを憶ひいでよ、彼若しこの事について汝に語ることあらば。 七三―七五
夜半《よは》近くまでおくれし月は、その形白熱の釣瓶《つるべ》のごとく、星を我等にまれにあらはし 七六―七八
ローマの人がサールディニアとコルシーカの間に沈むを見る頃の日の炎をあぐる道に沿ひ天に逆ひて走れり 七九―八一
マントヴァの邑《まち》よりもピエートラを名高くなせる貴き魂わが負はせし荷をはやときおろし 八二―八四
我わが問ひをもて明《あきら》かにして解《げ》し易き説をはや刈り收めたれば、我は恰も睡氣《ねむけ》づきて思ひ定まらざる人の如く立ちゐたり 八五―八七
されど此時|後方《うしろ》よりはやこなたにめぐり來れる民ありて忽ちわが睡氣《ねむけ》をさませり 八八―九〇
テーベ人《びと》等バッコの助けを求むることあれば、イスメーノとアーソポがそのかみ夜その岸邊《きしべ》に見しごとき狂熱と雜沓とを 九一―九三
我はかの民に見きとおぼえぬ、彼等は善き願ひと正しき愛に御せられつゝかの圓に沿ひてその歩履《あゆみ》を曲ぐ 九四―九六
かの大いなる群《むれ》こと/″\く走り進めるをもて、彼等たゞちに我等の許に來れり、さきの二者《ふたり》泣きつゝ叫びていひけるは。 九七―九九
マリアはいそぎて山にはせゆけり。また。チェーザレはイレルダを服《したが》へんとて、マルシリアを刺しし後イスパニアに走れり。 一〇〇―一〇二
衆つゞいてさけびていふ。とく來れとく、愛の少なきために時を失ふなかれ、善行《よきおこなひ》をつとめて求めて恩惠《めぐみ》を新たならしめよ。 一〇三―一〇五
あゝ善を行ふにあたりて微温《ぬるみ》のためにあらはせし怠惰《おこたり》と等閑《なほざり》を恐らくは今強き熱にて償ふ民よ 一〇六―一〇八
この生くる者(我決して汝等を欺かず)登り行かんとてたゞ日の再び輝くを待つ、されば請ふ徑《こみち》に近きはいづ方なりや我等に告げよ。 一〇九―一一一
是わが導者の詞なりき、かの靈の一曰ふ。我等と同じ方《かた》に來れ、しかせば汝徑を見む 一一二―一一四
進むの願ひいと深くして我等止まることをえず、このゆゑに我等の義務《つとめ》もし無禮《むらい》とみえなば宥《ゆる》せ 一一五―一一七
我は良きバルバロッサが(ミラーノ彼の事を語れば今猶愁ふ)帝國に君たりし頃ヴェロナのサン・ヅェノの院主なりき 一一八―一二〇
既に隻脚《かたあし》を墓に入れしひとりの者程なくかの僧院のために歎き、權をその上に揮《ふる》ひしことを悲しまむ 一二一―一二三
彼はその子の身全からず、心さらにあしく、生《うまれ》正しからざるものをその眞《まこと》の牧者に代らしめたればなり。 一二四―一二六
彼既に我等を超えて遠く走り行きたれば、そのなほ語れるやまたは默《もだ》せるや我知らず、されどかくいへるをきき喜びてこれを心にとめぬ 一二七―一二九
すべて乏しき時のわが扶《たすけ》なりし者いふ。汝こなたにむかひて、かのふたりの者の怠惰《おこたり》を噛みつゝ來るを見よ。 一三〇―一三二
凡ての者の後方《うしろ》にて彼等いふ。ひらかれし海をわたれる民は、ヨルダンがその嗣子《よつぎ》を見ざりしさきに死せり。 一三三―一三五
また。アンキーゼの子とともに終りまで勞苦を忍ばざりし民は、榮《はえ》なき生に身を委ねたり。 一三六―一三八
かくてかの魂等遠く我等を離れて見るをえざるにいたれるとき、新しき想ひわが心に起りて 一三九―一四一
多くの異なる想ひを生めり、我彼より此とさまよひ、迷ひのためにわが目を閉づれば 一四二―一四四
想ひは夢に變りにき 一四五―一四七

   第十九曲

晝の暑《あつさ》地球のために、またはしば/\土星のために消え、月の寒《さむさ》をはややはらぐるあたはざるとき 一―三
地占者《ゼオマンテイ》等が、夜の明けざるさきに、その大吉と名《な》づくるものの、ほどなく白む道を傳ひて、東に登るを見るころほひ 四―六
ひとりの女夢にわが許に來れり、口|吃《ども》り目|眇《すが》み足|曲《まが》り手|斷《た》たれ色蒼し 七―九
われこれに目をとむれば、夜の凍《こゞ》えしむる身に力をつくる日のごとくわが目その舌をかろくし 一〇―
後また程なくその全身を直くし、そのあをざめし顏を戀の求むるごとく染めたり ―一五
さてかく詞の自由をえしとき、彼歌をうたひいづれば、我わが心をほかに移しがたしとおもひぬ 一六―一八
その歌にいふ。我はうるはしきシレーナなり、耳を樂しましむるもの我に滿ちみつるによりて海の正中《たゞなか》に水手《かこ》等を迷はす 一九―二一
我わが歌をもてウリッセをその漂泊《さすらひ》の路より引けり、およそ我と親しみて後去る者少なし、心にたらはぬところなければ。 二二―二四
その口未だ閉ぢざる間に、ひとりの聖なる淑女、これをはぢしめんとてわが傍《かたへ》にあらはれ 二五―二七
あゝヴィルジリオよ、ヴィルジリオよ、これ何者ぞやとあららかにいふ、導者即ち淑女にのみ目をそゝぎつゝ近づけり 二八―三〇
さてかの女をとらへ、衣《ころも》の前を裂き開きてその腹を我に見すれば、惡臭《をしう》これよりいでてわが眠りをさましぬ 三一―三三
われ目を善き師にむかはしめたり、彼いふ。少なくも三たび我汝を呼びぬ、起きて來れ、我等は汝の過ぎて行くべき門を尋ねむ。 三四―三六
我は立てり、高き光ははや聖なる山の諸※[#二の字点、1-2-22]の圓に滿てり、我等は新しき日を背にして進めり 三七―三九
我は彼に從ひつゝ、わが額をば、あたかもこれに思ひを積み入れ身を反橋《そりはし》の半《なかば》となす者のごとく垂れゐたるに 四〇―四二
この人界にては開くをえざるまでやはらかくやさしく、來れ、道こゝにありといふ聲きこえぬ 四三―四五
かく我等に語れるもの、白鳥のそれかとみゆる翼をひらきて、硬き巖の二の壁の間より我等を上にむかはしめ 四六―四八
後羽を動かして、哀れむ者[#「哀れむ者」に白丸傍点]はその魂|慰《なぐさめ》の女主となるがゆゑに福なることを告げつつ我等を扇《あふ》げり 四九―五一
我等ふたり天使をはなれて少しく登りゆきしとき、わが導者我にいふ。汝いかにしたりとて地をのみ見るや。 五二―五四
我。あらたなる幻《まぼろし》はわが心をこれにかたむかせ、我この思ひを棄つるをえざれば、かく疑ひをいだきてゆくなり。 五五―五七
彼曰ふ。汝はこの後唯|一者《ひとり》にて我等の上なる魂を歎かしむるかの年へし妖女を見しや、人いかにしてこれが紲《きづな》を斷つかを見しや 五八―六〇
足れり、いざ汝|歩履《あゆみ》をはやめ、永遠《とこしへ》の王が諸天をめぐらして汝等に示す餌に目をむけよ。 六一―六三
はじめは足をみる鷹も聲かゝればむきなほり、心|食物《くひもの》のためにかなたにひかれ、これをえんとの願ひを起して身を前に伸ぶ 六四―六六
我亦斯の如くになりき、かくなりて、かの岩の裂け登る者に路を與ふるところを極め、環《めぐ》りはじむる處にいたれり 六七―六九
第五の圓にいでしとき、我見しにこゝに民ありき、彼等みな地に俯《うつむ》き伏して泣きゐたり 七〇―七二
わが魂は塵につきぬ[#「わが魂は塵につきぬ」に白丸傍点]、我はかく彼等のいへるをききしかど、詞ほとんど解《げ》しがたきまでその歎息《なげき》深かりき 七三―七五
あゝ神に選ばれ、義と望みをもて己が苦しみをかろむる者等よ、高き登の道ある方《かた》を我等にをしへよ。 七六―七八
汝等こゝに來るといへども伏すの憂ひなく、たゞいと亟《すみや》かに道に就かんことをねがはば、汝等の右を常に外《そと》とせよ。 七九―八一
詩人斯く請ひ我等かく答へをえたり、こは我等の少しく先にきこえしかば、我その言《ことば》によりてかのかくれたる者を認め 八二―八四
目をわが主にむけたるに、主は喜悦《よろこび》の休徴《しるし》をもて、顏にあらはれしわが願ひの求むるところを許したまへり 八五―八七
我わが身を思ひのまゝになすをえしとき、かの魂即ちはじめ詞をもてわが心を惹ける者にちかづき 八八―九〇
いひけるは。神のみ許《もと》に歸るにあたりて缺くべからざるところの物を涙に熟《う》ましむる魂よ、わがために少時《しばらく》汝の大いなる意《こゝろばせ》を抑へて 九一―九三
我に告げよ、汝誰なりしや、汝等何ぞ背を上にむくるや、汝わが汝の爲に世に何物をか求むるを願ふや、我は生《いき》ながら彼處《かしこ》よりいづ。 九四―九六
彼我に。何故に我等の背を天が己にむけしむるやは我汝に告ぐべきも、汝まづ我はペトルスの繼承者なりしことを知るべし[#「我はペトルスの繼承者なりしことを知るべし」に白丸傍点] 九七―九九
一の美しき流れシェストリとキアーヴェリの間をくだる、しかしてわが血族《やから》の稱呼《となへ》はその大いなる誇をばこの流れの名に得たり 一〇〇―一〇二
月を超ゆること數日、我は大いなる法衣《ころも》が、これを泥《ひぢ》に汚さじと力《つと》むる者にはいと重くして、いかなる重荷もたゞ羽と見ゆるをしれり 一〇三―一〇五
わが歸依はあはれおそかりき、されどローマの牧者となるにおよびて我は生の虚僞《いつはり》多きことをさとれり 一〇六―一〇八
かく高き地位をえて心なほしづまらず、またかの生をうくる者さらに高く上《のぼ》るをえざるをみたるがゆゑにこの生の愛わが衷《うち》に燃えたり 一〇九―一一一
かの時にいたるまで、我は幸《さち》なき、神を離れし、全く慾深き魂なりき、今は汝の見るごとく我このためにこゝに罰せらる 一一二―一一四
貪婪《むさぼり》の爲すところのことは我等悔いし魂の罪を淨むる状《さま》にあらはる、そも/\この山にこれより苦《にが》き罰はなし 一一五―一一七
我等の目地上の物に注ぎて、高く擧げられざりしごとくに、正義はこゝにこれを地に沈ましむ 一一八―一二〇
貪婪《むさぼり》善を求むる我等の愛を消して我等の働をとゞめしごとくに、正義はこゝに足をも手をも搦《から》めとらへて 一二一―
かたく我等を壓《おさ》ふ、正しき主の好みたまふ間は、我等いつまでも身を伸べて動かじ。 ―一二六
我は既に跪きてゐたりしが、このとき語らんと思へるに、わが語りはじむるや彼ただ耳を傾けて我の尊敬《うやまひ》をあらはすをしり 一二七―一二九
いひけるは。汝何ぞかく身をかゞむるや。我彼に。汝の分《きは》貴《たか》ければわが良心は我の直く立つを責めたり。 一三〇―一三二
彼答ふらく。兄弟よ、足を直くして身を起すべし、誤るなかれ、我も汝等とおなじく一の權威《ちから》の僕《しもべ》なり 一三三―一三五
汝若しまた嫁せず[#「また嫁せず」に白丸傍点]といへる福音の聲をきけることあらば、またよくわがかく語る所以《ゆゑん》をさとらむ 一三六―一三八
いざ往《ゆ》け、我は汝の尚長く止まるを願はず、我泣いて汝のいへるところのものを熟《う》ましむるに汝のこゝにあるはその妨《さまたげ》となればなり 一三九―一四一
我には世に、名をアラージヤといふひとりの姪《めひ》あり、わが族《うから》の惡に染まずばその氣質《こゝろばへ》はよし 一四二―一四四
わがかしこに殘せる者たゞかの女のみ。 一四五―一四七
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   第二十曲

一の意これにまさる意と戰ふも利なし、是故に我は彼を悦ばせんためわが願ひに背きて飽かざる海絨《うみわた》を水よりあげぬ 一―三
我は進めり、わが導者はたえず岩に沿ひて障礙《しやうげ》なき處をゆけり、そのさま身を女墻《ひめがき》に寄せつゝ城壁の上をゆく者に似たりき 四―六
そは片側《かたがは》には、全世界にはびこる罪を一|滴《しづく》また一滴、目より注ぎいだす民、あまりに縁《ふち》近くゐたればなり 七―九
禍ひなるかな汝年へし牝の狼よ、汝ははてしなき饑《う》ゑのために獲物《えもの》をとらふること凡ての獸の上にいづ 一〇―一二
あゝ天よ(人或ひは下界の推移を汝の運行に歸するに似たり)、これを逐ふ者いつか來らむ 一三―一五
我等はおそくしづかに歩めり、我は魂等のいたはしく歎き憂ふる聲をききつゝこれに心をとめゐたるに 一六―一八
ふと我等の前に、産《うみ》にくるしむ女のごとく悲しくさけぶ聲きこえて、うるはしきマリアよといひ 一九―二一
續いてまた、汝の貧しかりしことは汝が汝の聖なる嬰兒《をさなご》を臥さしめしかの客舍にあらはるといひ 二二―二四
また次に、あゝ善きファーブリツィオよ、汝は不義と大いなる富を得んより貧と徳をえんと思へりといふ 二五―二七
これらの詞よくわが心に適《かな》ひたれば、我はかくいへりとみゆる靈の事をしらんとてなほさきに進めるに 二八―三〇
彼はまたニッコロが小女《をとめ》等の若き生命《いのち》を導きて貞淑《みさを》に到らしめんため彼等にをしまず物を施せしことをかたれり 三一―三三
我曰ふ。あゝかく大いなる善を語る魂よ、汝は誰なりしや、何ぞたゞひとりこれらの讚《ほ》むべきわざを新たに陳ぶるや、請ふ告げよ 三四―三六
果《はて》をめざして飛びゆく生命《いのち》の短き旅を終へんためわれ世に歸らば、汝の詞|報酬《むくい》をえざることあらじ。 三七―三九
彼。我はかしこに慰《なぐさめ》をうるを望まざれども、かく大いなる恩惠《めぐみ》いまだ死せざる汝の中に輝くによりてこれを告ぐべし 四〇―四二
一の惡しき木その蔭をもてすべてのクリスト數國をおほひ、良果《よきみ》これより採らるゝこと罕《まれ》なり、そも/\我はかの木の根なりき 四三―四五
されどドアジォ、リルラ、ガンド、及びブルーゼスの力足りなば報《むくい》速かにこれに臨まむ、我また萬物を裁《さば》き給ふ者にこの報を乞ひ求む 四六―四八
我は世に名をウーゴ・チャペッタといへり、多くのフィリッピとルイージ我よりいでて近代《ちかきよ》のフランスを治む 五二―五四
我は巴里《パリージ》のとある屠戸《にくや》の子なりき、昔の王達はやみな薨《かく》れて、灰色の衣を着る者獨り殘れるのみなりし頃 五二―五四
我は王國の統御の手綱のかたくわが手にあるを見ぬ、また新たに得たる大いなる力とあふるゝばかりの友ありければ 五五―五七
わが子の首《かうべ》擢《ぬき》んでられて、寡《やもめ》となれる冠を戴き、かの受膏《じゅかう》の族《やから》彼よりいでたり 五八―六〇
大いなる聘物《おくりもの》プロヴェンツァがわが血族より羞恥の心を奪はざりし間は、これに美《ほ》むべき業《わざ》もなくさりとてあしき行ひもなかりしに 六一―六三
かの事ありしよりこの方、暴《あらび》と僞《いつはり》をもて掠《かす》むることをなし、後|贖《あがな》ひのためにポンティ、ノルマンディア及びグアスコニアを取れり 六四―六六
カルロ、イタリアに來れり、しかして贖のためにクルラディーノを犧牲《いけにへ》となし、後また贖のためにトムマーゾを天に歸らしむ 六七―六九
我見るに、今より後程なく來る一の時あり、この時到らば他《ほか》のカルロは己と己が族《やから》の事を尚《なほ》よく人に知らせんとてフランスを出づべし 七〇―七二
かれ身を固めず、ジュダの試《ため》せし槍を提《ひつさ》げてひとりかしこをいで、これにて突きてフィレンツェの腹を壞《やぶ》らむ 七三―七五
かれかくして國を得ず、罪と恥をえむ、これらは彼が斯《かゝ》る禍ひを輕んずるにより、彼にとりていよ/\重し 七六―七八
我見るに、嘗てとらはれて船を出でしことあるカルロは、己が女《むすめ》を賣りてその價を爭ふこと恰も海賊が女の奴隷をあしらふに似たり 七九―八一
あゝ貪慾《むさぼり》よ、汝わが血族《ちすぢ》を汝の許にひきてこれに己が肉をさへ顧みざらしめしほどなれば、この上《うへ》何をなすべきや 八二―八四
我見るに、過去《こしかた》未來《ゆくすゑ》の禍ひを小《ちひ》さくみえしめんとて、百合《フイオルダリーゾ》の花アラーニアに入り、クリストその代理者の身にてとらはれたまふ 八五―八七
我見るに、彼はふたゝび嘲られ、ふたゝび醋《す》と膽《い》とを嘗《な》め、生ける盜人の間に殺されたまふ 八八―九〇
我見るに、第二のピラート心殘忍なればこれにてもなは飽かず、法によらずして強慾の帆をかの殿《みや》の中まで進む 九一―九三
あゝ我主よ、聖意《みこゝろ》の奧にかくれつゝ聖怒《みいかり》をうるはしうする復讎を見てわがよろこぶ時いつか來らむ 九四―九六
聖靈のたゞひとりの新婦《はなよめ》についてわが語り、汝をしてその解説《ときあかし》を聞かんためわが方にむかはしめしかの詞は 九七―九九
晝の間我等の凡ての祈りにつゞく唱和なり、されど夜いたれば我等これに代へてこれと反する聲をあぐ 一〇〇―一〇二
そのとき我等はかの黄金《こがね》をいたく貪りて背信、盜竊、殺人の罪を犯せるピグマリオンと 一〇三―一〇五
飽くなきの求めによりて患艱《なやみ》をえ常に人の笑ひを招く慾深きミーダのことをくりかへし 一〇六―一〇八
また分捕物《えもの》を盜みとれるため今もこゝにてヨスエの怒りに刺さるとみゆる庸愚《おるか》なるアーカンのことを憶《おも》ひ 一〇九―一一一
次にサフィーラとその夫を責め、エリオドロの蹴られしことを讚《ほ》む、我等はまたポリドロを殺せるポリネストルの汚名をして 一一二―
あまねく山をめぐらしめ、さて最後にさけびていふ、クラッソよ、黄金《こがね》の味《あぢ》はいかに、告げよ、汝知ればなりと ―一一七
ひとりの聲高くひとりの聲低きことあり、こは情の我等を策《むちう》ちて或ひはつよく或ひは弱く語らしむるによる 一一八―一二〇
是故に晝の間我等のこゝにて陳ぶべき徳を我今ひとりいへるにあらず、たゞこのあたりにては我より外に聲を上ぐる者なかりしのみ。 一二一―一二三
我等既に彼を離れ、今はわれらの力を盡して路に勝たんとつとめゐたるに 一二四―一二六
このとき我は山の震ひ動くこと倒るゝ物に似たるを覺えき、是に於てかわが身恰も死に赴く人の如く冷ゆ 一二七―一二九
げにラートナが天の二の目を生まんとて巣を營める時よりさきのデロといふともかく強くはゆるがざりしなるべし 一三〇―一三二
ついではげしき喊聲《さけびごゑ》四方に起れり、師即ち我に近づき、わが導く間は汝恐るゝなかれといふ 一三三―一三五
至高處《いとたかきところ》には榮光神にあれ[#「には榮光神にあれ」に白丸傍点]。衆皆斯くいひゐたり、かくいひゐたるを我は身に近くしてその叫びの聞分《きゝわ》けうべき魂によりてさとれるなりき 一三六―一三八
我等はかの歌を最初に聞ける牧者のごとく、あやしみとゞまりて動かず、震動《ふるひ》止み歌終るにおよびて 一三九―一四一
こゝに再び我等の聖なる行路《たびぢ》にいでたち、既にいつもの歎《なげき》にかへれる多くの地に伏す魂をみたり 一四二―一四四
若しわが記憶に誤りなくば、いかなる疑ひもわがかの時の思ひのうちにありとみえしもののごとく大いなる軍《いくさ》を起して 一四五―
その解説《ときあかし》を我に求めしことあらじ、されどいそぎのためにはゞかりてこれを質《たゞ》さず、さりとて自から何事をも知るをえざれば ―一五〇
我は臆しつゝ思ひ沈みて歩みにき 一五一―一五三
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   第二十一曲

サマーリアの女の乞ひ求めたる水を飮まではとゞまることなき自然の渇《かわき》に 一―三
なやまされ、かつは急《いそぎ》に策《むちう》たれつゝ、我わが導者に從ひて障《さゝはり》多き道を歩み、正しき刑罰を憐みゐたるに 四―六
見よ、はや墓窟《はかあな》より起き出でたまへるクリストが途をゆく二人《ふたり》の者に現はれしこと路加《ルーカ》の書《ふみ》に録《しる》さるゝごとく 七―九
一の魂我等にあらはる、我等かの伏したる群《むれ》を足元に見ゐたりしときこの者|後《うしろ》に來りしかど我等これを知らざりければ彼まづ語りて 一〇―一二
わが兄弟達よ、神平安を汝等に與へたまへといふ、我等直ちに身をめぐらしぬ、而してヴィルジリオは適《ふさ》はしき表示《しるし》をもてこれに答へて 一三―一五
後曰ひけるは。我を永遠《とこしへ》の流刑《るけい》に處せし眞《まこと》の法廷願はくは汝を福なる集會《つどひ》の中に入れ汝に平和を受けしめんことを。 一六―一八
そは如何《いかに》、汝等神に許されて登るをうる魂に非ずば誰に導かれてその段《きだ》をこゝまで踏みしや。彼かくいひ、いふ間《ま》も我等は疾《と》く行けり 一九―二一
わが師。この者天使の描く標《しるし》を着く、汝これを見ば汝は彼が善き民と共に治むるにいたるをさだかに知らむ 二二―二四
されど夜晝|紡《つむ》ぐ女神《めがみ》は、クロートが人各※[#二の字点、1-2-22]のために掛けかつ押固《おしかた》むる一|束《たば》を未だ彼のために繰《く》り終らざるがゆゑに 二五―二七
汝と我の姉妹なるその魂は登り來るにあたり獨りにて來る能はざりき、そは物を見ること我等と等しからざればなり 二八―三〇
是故に彼に路を示さんため我は曳《ひ》かれて地獄の闊《ひろ》き喉を出づ、またわが教《をし》への彼を導くをうる間は我彼に路を示さむ 三一―三三
然《され》ど汝若し知らば我等に告げよ、山今かの如く搖《ゆる》げるは何故ぞや、またその濡《ぬ》るゝ据に至るまで衆|齊《ひと》しく叫ぶと見えしは何故ぞや。 三四―三六
この問ひよくわが願ひの要《かなめ》にあたれり、されば望みをいだけるのみにてわが渇《かわき》はやうすらぎぬ 三七―三九
彼曰ふ。この山の聖なる律法《おきて》はすべて秩序なきことまたはその習ひにあらざることを容《ゆる》さず 四〇―四二
この地一切の變異をまぬかる、たゞその原因《もと》となるをうべきは天が自ら與へて自ら受くるところの者のみ、この外にはなし 四三―四五
是故に雨も雹も雪も露もまた霜も、かの三の段《きだ》より成れる短き階《きざはし》のこなたに落ちず 四六―四八
濃《こ》き雲も淡《うす》き雲も電光《いなづま》も、またかの世に屡々處を變ふるタウマンテの女《むすめ》も現はれず 四九―五一
乾ける氣は、わがいへる三の段の頂、ピエートロの代理者がその足をおくところよりうへに登らず 五二―五四
かしこより下は或ひは幾許《いくばく》か震ひ動かむ、されど上は、我その次第を知らざれども、地にかくるゝ風のために震ひ動けることたえてなし 五五―五七
たゞ魂の中に己が清きを感ずる者ありて起《た》ちまたは昇らんとして進む時、この地震ひ、かのごとき喊《さけび》次ぐ 五八―六〇
清きことの證左《あかし》となるものは意志のみ、魂既に全く自由にその侶を變ふるをうるにいたればこの意志におそはれ且つこれを懷くを悦ぶ 六一―六三
意志はげに始めよりあり、されど願ひこれを許さず、こはさきに罪を求めし如く今神の義に從ひ意志にさからひて苛責を求むる願ひなり 六四―六六
我この苦患《なやみ》の中に伏すこと五百年餘に及びこゝにはじめてまされる里に到らんとの自由の望みをいだけるがゆゑに 六七―六九
汝地の震ふを覺え、また山の信心深き諸々の靈の主(願はくは速かに彼等に登るをえさせたまへ)を讚《ほ》めまつるを聞けるなり。 七〇―七二
彼斯く我等にいへり、しかして渇《かわき》劇しければ飮むの喜び亦從ひて大いなるごとく、彼の言は我にいひがたき滿足を與へき 七三―七五
智《さと》き導者。汝等をこゝに捕ふる網、その解くる状《さま》、地のこゝに震ふ所以、汝等の倶に喜ぶところの物、我今皆これを知る 七六―七八
いざねがはくは汝の誰なりしやを我にしらしめ、また何故にこゝに伏してかく多くの代《よ》を經たるやを汝の詞にて我にあらはせ。 七九―八一
かの靈答へて曰ふ。いと高き王の助けをうけて善きティトがジユダの賣りし血流れ出たる傷の仇をむくいし頃 八二―
最も人にあがめられかつ長く殘る名をえて我ひろく世に知らる、されど未だ信仰なかりき ―八七
わが有聲《うせい》の靈の麗しければ我はトロサ人《びと》なるもローマに引かれ、かしこにミルトをもて額を飾るをうるにいたれり 八八―九〇
世の人わが名を今もスターツィオと呼ぶ、われテーべを歌ひ、後また大いなるアキルレをうたへり、されど第二の荷を負ひて路に倒れぬ 九一―九三
さてわが情熱の種は、千餘の心を燃やすにいたれるかの聖なる焔よりいでて我をあたゝめし火花なりき 九四―九六
わがかくいふは「エーネイダ」の事なり、こは我には母なりき詩の乳母《めのと》なりき、これなくば豈我に一ドラムマの重《おもさ》あらんや 九七―九九
我若しヴィルジリオと代《よ》を同じうするをえたらんには、わが流罪《るざい》の期《とき》滿つること一年《ひととせ》後《おく》るゝともいとはざらんに。 一〇〇―一〇二
これらの詞を聞きてヴィルジリオ我にむかひ聲なき顏にて默《もだ》せといへり、されど意志は萬事《よろづのこと》を爲しがたし 一〇三―一〇五
そは笑《ゑみ》も涙もまづその源なる情に從ひ、その人いよ/\誠實なればいよ/\意志に背けばなり 一〇六―一〇八
我たゞ微笑《ほゝゑ》めるのみ、されどその状《さま》※[#「目+旬」、第3水準1-88-80]《めくばせ》する人に似たれば、かの魂口を噤み、心のいとよくあらはるゝ處なる目を見て 一〇九―一一一
いふ。願はくは汝|幸《さいはひ》の中にかく大いなる勞苦を終《を》ふるをえんことを、汝の顏今|笑《ゑみ》の閃《ひらめき》を我に見せしは何故ぞや。 一一二―一一四
我今左右に檢束をうく、かなたは我に默《もだ》せといひ、こなたは我にいへと命ず、是に於てか大息すれば 一一五―
わが師さとりて我に曰ふ。汝語るをおそるゝなかれ、語りて彼にそのかく心をこめて尋ぬるところの事を告ぐべし。 ―一二〇
是に於てか我。年へし靈よ、思ふに汝はわがほゝゑめるをあやしむならむ、されど我汝の驚きをさらに大いならしめんとす 一二一―一二三
わが目を導いて高きに到らしむるこの者こそは、かのヴィルジリオ、人と神々をうたふにあたりて汝に力を與へし者なれ 一二四―一二六
若しわが笑《ゑみ》の原因《もと》と思へるもの他にあらば、眞《まこと》ならずとしてこれを棄て、彼が事をいへる汝の言《ことば》を眞《まこと》の原因《もと》とおもふべし。 一二七―一二九
わが師の足を抱かんとて彼既に身をかゞめゐたりき、されど師彼に曰ふ。兄弟よ、しかするなかれ、汝も魂汝の見る者も魂なれば。 一三〇―一三二
彼|立上《たちあが》りつゝ。今汝は汝のために燃ゆるわが愛の大いなるをさとるをえむ、そは我等の身の空しきを忘れて 一三三―一三五
我はあたかも固體のごとく魂をあしらひたればなり 一三六―一三八

   第二十二曲

我等すでに天使をあとにす(こは我等を第六の圓にむかはせ、わが顏より一の疵をとりのぞける天使なり 一―三
彼は我等に義を慕ふ者の福なる[#「福なる」に白丸傍点]ことを告げたり、而してその詞はたゞシチウントをもてこれを結びき) 四―六
また我は他《ほか》の徑《こみち》を通れる時より身輕ければ、疲勞《つかれ》を覺ゆることなくしてかの足早き二の靈に從ひつゝ歩みゐたるに 七―九
このときヴィルジリオ曰ふ。徳の燃やせし愛はその焔一たび外にあらはるればまた他の愛を燃やすを常とす 一〇―一二
是故にジヨヴェナーレが地獄のリムボの中なる我等の間にくだりて汝の情愛を我に明《あか》せし時よりこの方 一三―一五
汝に對してわれ大いなる好意《よしみ》を持てり、實《げに》これより固くはまだ見ぬ者と結べる人なし、かかれば今は此等の段《きだ》も我に短しと見ゆるなるべし 一六―一八
されど告げよ――若し心安きあまりにわが手綱|弛《ゆる》みなば請ふ友として我を赦し、今より友いとして我とかたれ 一九―二一
貪婪《むさぼり》はいかで汝の胸の中、汝の勵みによりて汝に滿ちみちしごとき大なる智慧の間に宿るをえしや。 二二―二四
これらの詞をききてスターツィオまづ少しく笑を含み、かくて答へて曰ひけるは。汝の言葉はみな我にとりて愛のなつかしき表象《しるし》なり 二五―二七
それまことの理《ことわり》かくるゝがゆゑに我等に誤りて疑ひを起さしむる物げにしば/\現はるゝことあり 二八―三〇
汝が我をば世に慾深かりし者なりきと信ずることは汝の問ひよく我に證《あかし》す、これ思ふにわがかの圈にゐたるによらむ 三一―三三
知るべし、我は却つてあまりに貪婪《むさぼり》に遠ざかれるため、幾千の月この放縱を罰せるなり 三四―三六
我若し汝が恰も人の性を憤るごとくさけびて、あゝ黄金《わうごん》の不淨の饑ゑよ汝人慾を導いていづこにか到らざらんと 三七―
いへる處に心をとめ、わが思ひを正さざりせば、今は轉《まろ》ばしつゝ憂《う》き牴觸を感ずるものを ―四二
かの時我は費《つひや》すにあたりて手のあまりにひろく翼を伸ぶるをうるを知り、これを悔ゆること他《ほか》の罪の如くなりき 四三―四五
それ無智のために生くる間も死に臨みてもこの罪を悔ゆるあたはず、後《のち》髮を削りて起き出づるにいたる者その數いくばくぞ 四六―四八
汝また知るべし、一の罪とともに、まさしくこれと相反する咎、その縁《みどり》をこゝに涸《か》らすを 四九―五一
是故にわれ罪を淨めんとてかの貪婪《むさぼり》のために歎く民の間にありきとも、これと反する愆《とが》のゆゑにこそこの事我に臨めるなれ。 五二―五四
牧歌の歌人いひけるは。汝ヨカスタの二重《ふたへ》の憂ひの酷《むご》き爭ひを歌へるころは 五五―五七
クリオがこの詩に汝と關渉《かゝりあ》ふさまをみるに、善行《よきおこなひ》にかくべからざる信仰未だ汝を信ある者となさざりしに似たり 五八―六〇
若し夫れ然らばいかなる日またはいかなる燭《ともしび》ぞや、汝がその後かの漁者に從ひて帆を揚ぐるにいたれるばかりに汝の闇を破りしは。 六一―六三
彼曰ふ。汝まづ我をパルナーゾの方《かた》にみちびきてその窟《いはや》に水を掬《むす》ぶをえしめ、後また我を照して神のみもとに向はしめたり 六四―六六
汝の爲すところはあたかも夜|燈火《ともしび》を己が後《うしろ》に携へてゆき、自ら益を得ざれどもあとなる人々をさとくする者に似たりき 六七―六九
そは汝のいへる詞に、世改まり義と人の古歸り新しき族《やから》天より降るとあればなり 七〇―七二
我は汝によりて詩人となり汝によりて基督教徒《クリスティアーノ》となれり、されどわが概略《おほよそ》に畫《ゑが》ける物を尚良く汝に現はさんため我今手を伸《の》べて彩色《いろど》らん 七三―七五
眞《まこと》の信仰は永久《とこしへ》の國の使者等《つかひたち》に播かれてすでにあまねく世に滿ちたりしに 七六―七八
わが今引ける汝の言《ことば》、新しき道を傳ふる者とその調《しらべ》を同じうせしかば、彼等を訪《おとづ》るることわが習ひとなり 七九―八一
かのドミチアーンが彼等を責めなやまししとき、わが涙彼等の歎《なげき》にともなふばかりに我は彼等を聖なる者と思ふにいたれり 八二―八四
われは世に在る間彼等をたすけぬ、彼等の正しき習俗《ならはし》は我をして他《ほか》の教へをあなどらしめぬ 八五―八七
かくてわが詩にギリシア人《びと》を導きてテーべの流れに到らざるさきにわれ洗禮《バッテスモ》をうけしかど、公《おほやけ》の基督教徒《クリスティアーン》となるをおそれて 八八―九〇
久しく異教の下《もと》にかくれぬ、この微温《ぬるみ》なりき我に四百年餘の間第四の圈をめぐらしめしは 九一―九三
されば汝、かゝる幸《さいはひ》をかくしし葢をわがためにひらける者よ、若し知らば、我等が倶に登るをうべき道ある間に、我等の年へし 九四―
テレンツィオ、チェチリオ、プラウト及びヴァリオの何處《いづこ》にあるやを我に告げよ、告げよ彼等罪せらるゝや、そは何の地方に於てぞや。 ―九九
わが導者答ふらく。彼等もペルシオも我もその他の多くの者も、かのムーゼより最も多く乳を吸ひしギリシア人《びと》とともに 一〇〇―一〇二
無明《むみやう》の獄《ひとや》の第一の輪の中にあり、我等は我等の乳母《めのと》等の常にとゞまる山のことをしばしばかたる 一〇三―一〇五
エウリピデ、アンティフォンテ、シモニーデ、アガートネそのほかそのかみ桂樹《ラウロ》をもて額を飾れる多くのギリシア人かしこに我等と倶にあり 一〇六―一〇八
汝が歌へる人々の中《うち》にては、アンティゴネ、デイフィレ、アルジア及び昔の如く悲しむイスメーネあり 一〇九―一一一
ランジアを示せる女あり、ティレジアの女《むすめ》とテーティ、デイダーミアとその姉妹等あり。 一一二―一一四
登りをはりて壁を離れしふたりの詩人は、ふたゝびあたりを見ることに心ひかれて今ともに默《もだ》し 一一五―一一七
晝の四人《よたり》の侍婢《はしため》ははやあとに殘されて、第五の侍婢|轅《ながえ》のもとにその燃ゆる尖《さき》をばたえず上げゐたり 一一八―一二〇
このときわが導者。思ふに我等は右の肩を縁《ふち》にむけ、山を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《めぐ》ること常の如くにせざるをえざらむ。 一二一―一二三
習慣《ならはし》はかしこにてかく我等の導《しるべ》となれり、しかしてかの貴き魂の肯《うけが》へるため我等いよいよ疑はずして路に就けり 一二四―一二六
彼等はさきに我ひとり後《あと》よりゆけり、我は彼等のかたる言葉に耳を傾け、詩作についての教へをきくをえたりしかど 一二七―一二九
このうるはしき物語たゞちにやみぬ、そは我等路の中央《たゞなか》に、香《にほひ》やはらかくして良き果《み》ある一本《ひともと》の木を見たればなり 一三〇―一三二
あたかも樅《もみ》の、枝また枝と高きに從つて細きが如く、かの木は思ふに人の登らざるためなるべし、低きに從つて細かりき 一三三―一三五
われらの路の塞がれる方《かた》にては、清き水高き岩より落ちて葉の上にのみちらばれり 一三六―一三八
ふたりの詩人樹にちかづけるに、一の聲葉の中よりさけびていふ。汝等はこの食物《くひもの》に事缺かむ。 一三九―一四一
又曰ふ。マリアは己が口(今汝等のために物言ふ)の事よりも、婚筵のたふとくして全からむことをおもへり 一四二―一四四
昔のローマの女等はその飮料《のみもの》に水を用ゐ、またダニエルロは食物《くひもの》をいやしみて知識をえたり 一四五―一四七
古《いにしへ》の代《よ》は黄金《こがね》の如く美しかりき、饑ゑて橡《つるばみ》を味《あぢ》よくし、渇きて小川を聖酒《ネッタレ》となす 一四八―一五〇
蜜と蝗蟲《いなご》とはかの洗禮者《バテイスタ》を曠野《あらの》にやしなへる糧《かて》なりき、是故に彼榮え、その大いなること 一五一―一五三
聖史の中にあらはるゝごとし。 一五四―一五六

   第二十三曲

我はあたかも小鳥を逐ひて空しく日を送る者の爲すごとくかの青葉に目をとめゐたれば 一―三
父にまさる者いひけるは。子よ、いざ來れ、我等は定まれる時をわかちて善く用ゐざるをえざればなり。 四―六
われ目と歩《あゆみ》を齊《ひと》しく移して聖達《ひじりたち》に從ひ、その語ることを聞きつゝ行けども疲れをおぼえざりしに 七―九
見よ、歎《なげき》と歌ときこえぬ、主よわが唇を[#「主よわが唇を」に白丸傍点]と唱ふるさま喜びとともに憂ひを生めり 一〇―一二
あゝやさしき父よ、我にきこゆるものは何ぞや。我斯くいへるに彼。こは魂なり、おそらくは行きつゝその負債《おひめ》の纈《むすび》を解くならむ。 一三―一五
たとへば物思ふ異郷の族人《たびびと》、路にて知らざる人々に追及《おひし》き、ふりむきてこれをみれども、その足をとゞめざるごとく 一六―一八
信心深き魂の一|群《むれ》、もだしつゝ、我等よりもはやく歩みて後方《うしろ》より來り、過ぎ行かんとして我等を目安《まも》れり 一九―二一
彼等はいづれも眼《まなこ》窪みて光なく、顏あをざめ、その皮《かは》骨の形をあらはすほどに痩せゐたり 二二―二四
思ふに饑《う》ゑを恐るゝこといと大いなりしときのエリシトネといふともそのためにかく枯れて皮ばかりとはならざりしならむ 二五―二七
我わが心の中にいふ。マリアその子を啄《ついば》みしときイエルサレムを失へる民を見よ。 二八―三〇
眼窩《めあな》は珠《たま》なき指輪に似たりき、OMO《オモ》を人の顏に讀む者M《エムメ》をさだかに認めしなるべし 三一―三三
若しその由來を知らずば誰か信ぜん、果實《このみ》と水の香《かをり》、劇しき慾を生みて、かく力をあらはさんとは 三四―三六
彼等の痩すると膚《はだ》いたはしく荒るゝ原因《もと》未だ明《あきら》かならざりしため、その何故にかく饑ゑしやを我今|異《あや》しみゐたりしに 三七―三九
見よ、一の魂、頭《かうべ》の深處《ふかみ》より目を我にむけてつら/\視、かくて高くさけびて、こはわがためにいかなる恩惠《めぐみ》ぞやといふ 四〇―四二
我何ぞ顏を見て彼の誰なるを知るをえむ、されどその姿の毀てるものその聲にあらはれき 四三―四五
この火花はかの變れる貌《かたち》にかゝはるわが凡ての記憶を燃やし、我はフォレーゼの顏をみとめぬ 四六―四八
彼請ひていふ。あゝ、乾ける痂《かさぶた》わが膚《はだ》の色を奪ひ、またわが肉乏しとも、汝これに心をとめず 四九―五一
故に汝の身の上と汝を導くかしこの二の魂の誰なるやを告げよ、我に物言ふを否むなかれ。 五二―五四
我答へて彼に曰ふ。死《しに》てさきに我に涙を流さしめし汝の顏は、かく變りて見ゆるため、かの時に劣らぬ憂ひを今我に與へて泣かしむ 五五―五七
然《され》ば告げよ、われ神を指《さ》して請ふ、汝等をかく枯《か》らす物は何ぞや、わが異《あやし》む間我に言《い》はしむる勿れ、心に他《ほか》の思ひ滿つればその人いふ事|宜《よろ》しきをえず。 五八―六〇
彼我に。永遠《とこしへ》の思量《はからひ》によりて我等の後方《うしろ》なるかの水の中樹の中に力くだる、わがかく痩するもこれがためなり 六一―六三
己が食慾に耽れるため泣きつゝ歌ふこの民はみな饑ゑ渇きてこゝにふたゝび己を清くす 六四―六六
果實《このみ》より、また青葉にかゝる飛沫《みづけぶり》よりいづる香氣《かをり》は飮食《のみくひ》の慾を我等の中《うち》に燃やすなり 六七―六九
しかして我等のこの處を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《めぐ》りて苦しみを新たにすることたゞ一|度《たび》にとゞまらず――われ苦しみといふ、まことに慰《なぐさめ》といはざるべからず 七〇―七二
そはクリストの己が血をもて我等を救ひたまへる時、彼をしてよろこびてエリ[#「エリ」に白丸傍点]といはしめし願ひ我等を樹下《このもと》に導けばなり。 七三―七五
我彼に。フォレーゼよ、汝世を變へてまさる生命《いのち》をえしよりこの方いまだ五年《とせ》の月日經ず 七六―七八
若し我等を再び神に嫁《とつ》がしむる善き憂ひの時到らざるまに、汝の罪を犯す力既に盡きたるならんには 七九―八一
汝いかでかこゝに來れる、我は汝を下なる麓、時の時を補《おぎな》ふところに今も見るならんとおもへるなりき。 八二―八四
是に於てか彼我に。わがネルラそのあふるゝ涙をもて我をみちびき、苛責の甘き茵蔯《いんちん》を飮ましむ 八五―八七
彼心をこめし祈祷《いのり》と歎息《ためいき》をもて、かの魂の待つ處なる山の腰より我を引きまた我を他の諸※[#二の字点、1-2-22]の圓より救へり 八八―九〇
わが寡婦《やもめ》わが深く愛せし者はその善行《よきおこなひ》の類《たぐひ》少なきによりていよ/\神にめでよろこばる 九一―九三
そは婦人《をんな》の愼《つゝしみ》に於ては、サールディニアのバルバジアさへ、わがかの女を殘して去りしバルバジアよりはるかに上にあればなり 九四―九六
あゝなつかしき兄弟よ、我汝に何を告げんや、今を昔となさざる未來すでにわが前にあらはる 九七―九九
この時到らば教壇に立つ人、面皮《めんぴ》厚きフィレンツェの女等の、乳房《ちぶさ》と腰を露《あら》はしつゝ外《そと》に出るをいましむべし 一〇〇―一〇二
いかなる未開の女いかなるサラチーノの女なりとて、靈または他《ほか》の懲戒《こらしめ》なきため身を被はずして出でし例《ためし》あらんや 一〇三―一〇五
されどかの恥知らぬ女等、若し廻轉《めぐり》早き天が彼等の爲に備ふるものをさだかに知らば、今既に口をひらきてをめくなるべし 一〇六―一〇八
そはわが先見に誤りなくば、今子守歌《ナンナ》を聞きてしづかに眠る者の頬に鬚|生《お》ひぬまに彼等悲しむべければなり 一〇九―一一一
あゝ兄弟よ、今は汝の身の上を我にかくすことなかれ、見よ我のみかは、これらの者皆汝が日を覆ふところを凝視《みつ》む。 一一二―一一四
我即ち彼に。汝若し汝の我と我の汝といかに世をおくれるやをおもひいでなば、その記憶は今も汝をくるしめむ 一一五―一一七
わが前にゆく者我にかゝる生を棄てしむ、こは往日《さきつひ》これの――かくいひて日をさし示せり――姉妹の圓く現はれし時の事なり 一一八―一二〇
彼我を彼に從ひてゆくこの眞《まこと》の肉とともに導いて闌《ふ》けし夜《よ》を過ぎ、まことの死者をはなれたり 一二一―一二三
我彼に勵まされてかしこをいで、汝等世の爲に歪める者を直くするこの山を登りつつまた廻りつゝこゝに來れり 一二四―一二六
彼はベアトリーチェのあるところにわがいたらん時まで我をともなはむといふ、かしこにいたらば我ひとり殘らざるをえず 一二七―一二九
かく我にいふはこの者即ちヴィルジリオなり(我彼を指ざせり)、またこれなるは汝等の王國を去る魂なり、この地今 一三〇―一三二
その隅々《すみ/″\》までもゆるげるは彼のためなりき。

   第二十四曲

言《ことば》歩《あゆみ》を、歩言をおそくせず、我等は語りつゝあたかも順風に追はるゝ船のごとく疾《と》く行けり 一―三
再び死にし者に似たる魂等はわが生くるを知り、我を見て驚愕《おどろき》を目の坎《あな》より吐けり 四―六
我續いてかたりていふ。彼若し伴侶《とも》のためならずは、おそらくはなほ速かに登らむ 七―九
されど知らば我に告げよ、ピッカルダはいづこにありや、また告げよ、かく我を視る民の中に心をとむべき者ありや。 一〇―一二
わが姉妹(その美その善いづれまされりや我知らず)は既に高きオリムポによろこびて勝利《かち》の冠をうく。 一三―一五
彼まづ斯くいひて後。我等の姿斷食のためにかく搾《しぼ》り取らるゝがゆゑに、こゝにては我等|誰《た》が名をも告ぐるをう 一六―一八
此は――指ざしつゝ――ボナジユンタ、ルッカのボナジユンタなり、またその先のきはだちて憔悴《やつれ》し顏は 一九―二一
かつて聖なる寺院を抱けり、彼はトルソの者なりき、いま斷食によりてボルセーナの鰻《うなぎ》とヴェルナッチヤを淨む。 二二―二四
その他《ほか》多くの者の名を彼一々我に告ぐるに、彼等皆名をいはるゝを厭はじとみえ、その一者《ひとり》だに憂《う》き状《さま》をなすはあらざりき 二五―二七
我はウバルディーン・デラ・ピーラと、杖にて多くの民を牧せしボニファーチョとが、饑ゑの爲に空しくその齒を動かすを見たり 二八―三〇
我はメッセル・マルケーゼを見たり、この者フォルリにありし頃はかく劇しき渇《かわき》なく且つ飮むに便宜《たより》多かりしかどなほ飽く事を知らざりき 三一―三三
されど恰も見てその中よりひとりを擇ぶ人の如く我はルッカの者をえらびぬ、彼我の事を知るを最《いと》希ふさまなりければ 三四―三六
彼はさゝやけり、我は彼がかく彼等を痩せしむる正義の苦痛《いたみ》を感ずるところにてゼントゥッカといふを聞きし如くなりき 三七―三九
我曰ふ。あゝかく深く我と語るを望むに似たる魂よ、請ふ汝のいへることを我にさとらせ、汝の言葉をもて汝と我の願ひを滿たせよ。 四〇―四二
彼曰ふ。女生れていまだ首※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]《かしらぎぬ》を被《かづ》かず、この者わが邑《まち》を、人いかに誹るとも、汝の心に適《かな》はせむ 四三―四五
汝この豫言を忘るゝなかれ、もしわが低語《さゝやき》汝の誤解を招けるならば、この後まことの事汝にこれをときあかすべし 四六―四八
されど告げよ、かの新しき詩を起し、戀を知る淑女等とそのはじめにいへる者是即ち汝なりや。 四九―五一
我彼に。愛我を動かせば我これに意を留めてそのわが衷《うち》に口授《くじゆ》するごとくうたひいづ。 五二―五四
彼曰ふ。あゝ兄弟よ、我今かの公《おほやけ》の證人《あかしびと》とグイットネと我とをわが聞く麗はしき新しき調《しらべ》のこなたにつなぐ節《ふし》をみる 五五―五七
我よく汝等の筆が口授者《くじゆしや》にちかく附隨《つきしたが》ひて進むをみる、われらの筆にはげにこの事あらざりき 五八―六〇
またなほ遠く先を見んとつとむる者も彼と此との調《しらべ》の區別《けぢめ》をこの外にはみじ。かくいひて心足れるごとく默《もだ》しぬ 六一―六三
ニーロの邊《ほとり》に冬籠《ふゆごも》る鳥、空に群《むらが》り集《つど》ひて後、なほも速かに飛ばんため達《つらな》り行くことあるごとく 六四―六六
その痩すると願ひあるによりて身輕きかしこの民は、みな首《かうべ》をめぐらしつゝふたゝびその歩履《あゆみ》をはやめぬ 六七―六九
また走りて疲れたる人その侶におくれ、ひとり歩みて腰の喘《あへぎ》のしづまる時を待つごとく 七〇―七二
フォレーゼは聖なる群《むれ》をさきにゆかしめ、我とともにあとより來りていひけるは。我の再び汝に會ふをうるは何時《いつ》ぞや。 七三―七五
我彼に答ふらく。いつまで生くるや我知らず、されどわが歸ること早しとも、我わが願ひの中に、それよりはやくこの岸に到らむ 七六―七八
そはわが郷土《ふるさと》となりたる處は、日に日に自ら善を失ひ、そのいたましく荒るゝことはや定まれりとみゆればなり。 七九―八一
彼曰ふ。いざ行け、我見るに、この禍ひに關《かゝ》はりて罪の最も大いなるもの、一の獸の尾の下《もと》にて曳かれ、罪赦さるゝ例《ためし》なき溪にむかふ 八二―八四
獸はたえずはやさを増しつゝ一足毎にとくすゝみ、遂に彼を踏み碎きてその恥づべき躯《むくろ》を棄つ 八五―八七
これらの輪未だ長く※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《めぐ》らざるまに(かくいひて目を天にむく)、わが言《ことば》のなほよく説明《ときあか》す能はざるもの汝に明《あきらか》なるにいたらむ 八八―九〇
いざ汝あとに殘れ、この王國にては時いと尊し、汝と斯く相並びてゆかば、わが失ふところ多きに過ぎむ。 九一―九三
たとへば先登《さきがけ》の譽をえんとて、馬上の群《むれ》の中より一人《ひとり》の騎士、馳せ出づることあるごとく 九四―九六
彼足をはやめて我等を離れ、我は世の大いなる軍帥《ぐんすゐ》なりし二者《ふたり》とともに路に殘れり 九七―九九
彼既に我等の前を去ること遠く、わが目の彼に伴ふさま、わが心の彼の詞にともなふごとくなりしとき 一〇〇―一〇二
いま一|本《もと》の樹の、果《み》饒《ゆたか》にして盛なる枝我にあらはる、また我この時はじめてかなたにめぐれるなればその處甚だ遠からざりき 一〇三―一〇五
我見しに民その下にて手を伸べつゝ葉にむかひて何事をかよばはりゐたり、罪なき嬰兒《をさなご》物を求めて 一〇六―
乞へども乞はるゝ人答へず、かへつて願ひを増さしめんためその乞ふ物をかくさずして高く擡《もた》ぐるもこの類《たぐひ》なるべし ―一一一
かくて彼等はあたかも迷ひ覺めしごとく去り、我等はかく多くの請《こひ》と涙を卻《しりぞ》くる巨樹《おほき》のもとにたゞちにいたれり 一一二―一一四
汝等過ぎゆきて近づくなかれ、エーヴァのくらへる木この上にあり、これはもとかの樹よりいづ。 一一五―一一七
誰ならむ小枝の間よりかくいふ者ありければ、ヴィルジリオとスターツィオと我とは互ひに近く身を寄せつゝ聳ゆる岸の邊《ほとり》を行けり 一一八―一二〇
かの者またいふ。雲間に生れし詛《のろひ》の子等即ち飽いてその二重《ふたへ》の腰をもてテゼオと爭へる者を憶へ 一二一―一二三
また貪り飮みしため、マディアンにむかひて山を下れるゼデオンがその侶となさざりし希伯來人《エブレオびと》を憶へ。 一二四―一二六
かく我等は二の縁《へり》の一を傳ひて、幸《さち》なき報《むくい》のともなへる多食の罪の事をきゝつゝこゝを過ぎ 一二七―一二九
後身を寛《ゆるやか》にしてさびしき路を行き、いづれも言葉なく思ひに沈みて裕《ゆたか》に千餘の歩履《あゆみ》をはこべり 一三〇―一三二
汝等何ぞたゞみたり行きつゝかく物を思ふや。ふと斯くいへる聲ありき、是に於てか我は恰もおぢおそるゝ獸の如く顫《ふる》ひ 一三三―一三五
その誰なるやを見んとて首《かうべ》を擧ぐればひとりの者みゆ、爐の中なる玻璃または金屬《かね》といふとも斯く光り 一三六―
かく赤くみゆるはあらじ、彼曰ふ。汝等登らんことをねがはばこゝより折れよ、往いて平和をえんとする者みなこなたにむかふ。 ―一四一
彼の姿わが目の力を奪へるため、我は身をめぐらして、あたかも耳に導かるゝ人の如く、わがふたりの師の後《うしろ》にいたれり 一四二―一四四
曉告ぐる五月の輕風《そよかぜ》ゆたかに草と花とを含み、動きて佳《よ》き香《か》を放つごとくに 一四五―一四七
うるはしき風わが額の正中《たゞなか》にあたれり、我は神饌《アムプロージャ》の匂《にほ》ひを我に知らしめし羽の動くをさだかにしれり 一四八―一五〇
また聲ありていふ。大いなる恩惠《めぐみ》に照され、味《あぢはひ》の愛飽くなき慾を胸に燃やさず常に宜《よろ》しきに從ひて饑うる者は福《さいはひ》なり。 一五一―一五三

   第二十五曲

時は昇《のぼり》の遲きを許さず、そは子午線を日は金牛に夜は天蠍にはや付《わた》したればなり 一―三
さればあたかも必要の鞭《むち》にむちうたるゝ人、いかなる物あらはるゝとも止まらずしてその路を行くごとく 四―六
我等はひとりづつ徑《こみち》に入りて階《きざはし》を登れり(階狹きため昇る者並び行くをえず) 七―九
たとへば鸛《こうづる》の雛、飛ぶをねがひて翼をあぐれど、巣を離るゝの勇なくして再びこれを收むるごとく 一〇―一二
わが問はんと欲する願ひ燃えてまた消え、我はたゞいひいださんと構ふる者の状《さま》をなすに過ぎざりき 一三―一五
歩《あゆみ》速かなりしかどもわがなつかしき父は默《もだ》さで、汝|鏃《やじり》までひきしぼれる言《ことば》の弓を射よといふ 一六―一八
この時我これにはげまされ、口を啓きていふ。滋養《やしなひ》をうくるに及ばざるものいかにして痩するを得るや。 一九―二一
彼曰ふ。汝若しメレアグロの身が、炬火《たいまつ》の燃え盡くるにつれて盡きたるさまを憶ひ出でなば、この事故にさとりがたきにあらざるべく 二二―二四
また鏡に映《うつ》る汝等の姿が、汝等の動くにつれて動くを思はば、今硬くみゆるもの汝に軟かにみゆるにいたらむ 二五―二七
されど汝望むがまゝに心を安んずることをえんため、見よ、こゝにスターツィオあり、我彼を呼び彼に請ひて汝の傷を癒さしむべし。 二八―三〇
スターツィオ答ふらく。我この常世《とこよ》の状態《ありさま》を汝のをる處にて彼に説明《ときあか》すとも、こは汝の請《こひ》をわが否む能はざるが爲なれば咎むるなかれ。 三一―三三
かくてまたいふ。子よ、汝の心わが詞を見てこれを受けなば、これは即ち汝の質《たゞ》す疑ひを照す光とならむ 三四―三六
それ血の完全にして、渇ける脈に吸はるゝことなく、あたかも食卓《つくゑ》よりはこびさらるゝ食物《くひもの》のごとく殘るもの 三七―三九
人の諸※[#二の字点、1-2-22]の肢體を營む力をば心臟の中に得《う》、これ此等の物とならんため脈を傳ひて出づるにいたるものなればなり 四〇―四二
いよ/\清くなるに及びて、この血は人のいふを憚かる處にくだり、後又そこより自然の器《うつは》の中なる異なる血の上にしたゝり 四三―四五
二の血こゝに相合ふ、その一には堪ふる性《さが》あり、また一にはその出づる處全きがゆゑに行ふ性あり 四六―四八
此《これ》彼と結びてはたらき、まづ凝固《こりかた》まらせ、後己が材としてその固《かた》め整《とゝの》へる物に生命《いのち》を與ふ 四九―五一
活動の力恰も草木の魂の如きものとなりて(但し一は道程にあり一は彼岸に達す、異なるところたゞこれのみ)後 五二―五四
なほその作用《はたらき》をとゞめず、この物動きかつ感ずること海の菌の如きにいたれば、さらに己を種として諸々の力を組立てはじむ 五五―五七
子よ、生む者の心臟即ち自然が諸々の肢體に意を用ゐる處よりいづる力は今や既に弘がりて延ぶ 五八―六〇
されど汝は未だ生物のいかにして人間となるやを聞かず、こは汝よりさとかりし者の嘗て誤れる一の點なり 六一―六三
そは彼靜智に當つべき何の機官をも見ざるによりて、その教への中にこれを魂より離れしめたればなり 六四―六六
汝わが陳ぶる眞《まこと》にむかひて胸をひらき、而して知るべし、胎兒における腦の組織《くみたて》全く成り終るや否や 六七―六九
第一の發動者、自然のかく大いなる技《わざ》をめでてこれにむかひ、力滿ちたる新しき靈を嘘入《ふきい》れたまひ 七〇―七二
靈はかしこにはたらきゐたるものを己が實體の中にひきいれ、たゞ一の魂となりて、且つ生き且つ感じ且つ自ら己をめぐる 七三―七五
汝この言《ことば》をふかくあやしむなからんため、思ひみよ、太陽の熱葡萄の樹よりしたゝる汁と相混《あひまじ》りて酒となるを 七六―七八
ラケージスの絲盡くる時は、この魂、肉の繋《つなぎ》を離れ、人と神とに屬するものをその實質において携ふ 七九―八一
他《ほか》の能力《ちから》はみな默《もだ》せども、記憶、了知及び意志の作用《はたらき》は却つてはるかに前よりも強し 八二―八四
かくて止まらずしてあやしくも自ら岸の一に落ち、こゝにはじめて己が行くべき路を知る 八五―八七
處一たび定まれば、構成《いとなみ》の力たゞちにあたりを輝かし、その状《さま》もその程《ほど》も、生くる肢體におけるに同じ 八八―九〇
しかしてたとへば空氣雨を含むとき、日の光これに映《うつ》るによりて多くの色に飾らるるごとく 九一―九三
あたりの空氣はそこにとゞまれる魂が己の力によりてその上に捺《お》す形をうく 九四―九六
かくてあたかも火の動くところ焔これにともなふごとく、新しき形靈にともなふ 九七―九九
この物この後これによりてその姿を現すがゆゑに影《オムブラ》と呼ばれ、またこれによりて凡ての官能をとゝのへ、見ることをさへ得るにいたる 一〇〇―一〇二
我等これによりて物言ひ、これによりて笑ふ、またこれによりて我等に涙あり歎息《なげき》あり(汝これをこの山の上に聞けるなるべし) 一〇三―一〇五
諸※[#二の字点、1-2-22]の願ひまたはその他の情の我等に作用《はたらき》を及ぼすにしたがひ、影も亦姿を異にす、是ぞ汝のあやしとする事の原因《もと》なる。 一〇六―一〇八
我等はこの時はや最後の曲路にいたりて右にむかひ、心を他《ほか》にとめゐたり 一〇九―一一一
こゝにては岸焔の矢を射、縁《ふち》は風を上におくりてこれを追返さしめ、そこに一の路を空《あ》く 一一二―一一四
されば我等は開きたる處を傳ひてひとり/″\に行かざるをえざりき、我はこなたに火を恐れかなたに下に落《おつ》るをおそれぬ 一一五―一一七
わが導者曰ふ。かたく目の手綱を緊《し》めてこゝを過ぎよ、たゞ些《すこし》の事のために足を誤るべければなり。 一一八―一二〇
この時こよなき[#「こよなき」に白丸傍点]憐憫《あはれみ》の神[#「の神」に白丸傍点]と猛火の懷《ふところ》にうたふ聲我にきこえてわが心をばまたかなたにもむかはしむ 一二一―一二三
かくて我見しに焔の中をゆく多くの靈ありければ、我は彼等を見またわが足元《あしもと》をみてたえずわが視力をわかてり 一二四―一二六
聖歌終れば、彼等は高くわれ夫を知らず[#「われ夫を知らず」に白丸傍点]とさけび、後低く再びこの聖歌をうたひ 一二七―一二九
これを終ふればまた叫びて、ディアーナ森にとゞまりて、かのヴェーネレの毒を嘗めしエリーチェを逐へりといふ 一三〇―一三二
かくて彼等歌に歸り、後またさけびて、徳と縁《えにし》の命ずる如く貞操《みさを》を守れる妻と夫の事を擧ぐ 一三三―一三五
おもふに火に燒かるゝ間は、彼等たえずかく爲すなるべし、かゝる藥かゝる食物《くひもの》によりてこそ 一三六―一三八
その傷《きず》つひにふさがるなれ 一三九―一四一

   第二十六曲

我等かく縁《ふち》を傳ひ一列《ひとつら》となりて歩める間に、善き師しば/\いふ。心せよ、わが誡めを空しうするなかれ。 一―三
はや光をもて西をあまねく蒼より白に變ふる日は、わが右の肩にあたれり 四―六
我は影によりて焔をいよ/\赤く見えしめ、また多くの魂のかゝる表徴《しるし》にのみ心をとめつゝ行くを見たり 七―九
彼等のわが事を語るにいたれるもこれが爲なりき、かれらまづ、彼は虚《むな》しき身のごとくならずといふ 一〇―一二
かくていくたりか、燒かれざる處に出でじとたえず心を用ゐつゝ、その進むをうるかぎりわが方《かた》に來れる者ありき 一三―一五
あゝ汝おそき歩履《あゆみ》のためならずして恐らくは敬《うやまひ》のために侶のあとより行く者よ、渇《かわき》と火に燃ゆる我に答へよ 一六―一八
汝の答を求むる者我獨りに非ず、此等の者皆これに渇く、そのはげしきに比《くら》ぶればインド人《びと》又はエチオピア人の冷《つめた》き水にかわくも及ばじ 一九―二一
請ふ我等に告げよ、汝未だ死の網《あみ》の中に入らざるごとく、身を壁として日を遮《さへぎ》るはいかにぞや。 二二―二四
その一《ひとり》斯く我にいへり、また若しこの時新しき物現はれて心をひくことなかりせば、我は既にわが身の上をあかせしなるべし 二五―二七
されどこの時顏をこの民にむけ燃ゆる路の正中《たゞなか》をあゆみて來る民ありければ、我は彼等をみんとて詞をとゞめぬ 二八―三〇
我見るにかなたこなたの魂みないそぎ、たがひに接吻《くちづけ》すれども短き會釋《ゑしやく》をもて足れりとして止まらず 三一―三三
あたかも蟻がその黒める群《むれ》の中にてたがひに口を觸れしむる(こはその路と幸《さち》とを探《さぐ》るためなるべし)に似たり 三四―三六
したしみの會釋をはれば、未だ一歩も進まざるまに、いづれも競うてその聲を高くし 三七―三九
新しき群《むれ》は、ソッドマ、ゴモルラといひ、殘りの群は、牡牛をさそひて己の慾を遂げんためパシフェの牝牛の中に入るといふ 四〇―四二
かくてたとへば群鶴《むらづる》の、一部はリフエの連山《やま/\》にむかひ、また一部は砂地《すなぢ》にむかひ、此《これ》氷を彼《かれ》日を厭ひて飛ぶごとく 四三―四五
民の一|群《むれ》かなたにゆき、一群こなたに來り、みな泣きつゝ、さきにうたへる歌と、彼等にいとふさはしき叫びに歸れり 四六―四八
また我に請へるかの魂等は、聽くの願ひをその姿にあらはしつゝ前の如く我に近づきぬ 四九―五一
我斯く再び彼等の望みを見ていひけるは。あゝいつか必ず平安を享くる魂等よ 五二―五四
熟《う》めるも熟まざるもわが身かの世に殘るにあらず、その血その骨節《ふし》みな我とともにこゝにあり 五五―五七
我こゝより登りてわが盲《めしひ》を癒さんとす、我等の爲に恩惠《めぐみ》を求むる淑女天に在り、是故にわれ肉體を伴ひて汝等の世を過ぐ 五八―六〇
ねがはくは汝等の大望速かに遂げ、愛の滿ち/\且ついと廣く弘がる天汝等を住《すま》はしむるにいたらんことを 六一―六三
請ふ我に告げてこの後紙にしるすをえしめよ、汝等は誰なりや、また汝等の背《せ》の方《かた》にゆく群《むれ》は何ぞや。 六四―六六
粗野なる山人《やまびと》都に上れば、心奪はれ思ひ亂れて、あたりをみつゝ言葉なし 六七―六九
かの魂等またみなかくのごとく見えき、されど驚愕《おどろき》(貴き心の中にてはそのしづまること早し)の重荷おろされしとき 七〇―七二
さきに我に問へる者またいひけるは。福なる哉汝生を善くせんとてこの地の經驗を船に載す 七三―七五
我等と共に來らざる民の犯せる罪は、そのかみ勝誇れるチェーザルをして王妃といへる罵詈《のゝしり》の叫びを聞くにいたらしめしものなりき 七六―七八
是故に汝等の聞けるごとく彼等自ら責めてソッドマとさけびて去り、その恥をもて焔をたすく 七九―八一
我等の罪は異性によれり、されど獸の如く慾に從ひ、人の律法《おきて》を守らざりしがゆゑに 八二―八四
我等彼等とわかるゝ時は、かの獸となれる板の内にて獸となれる女の名を讀み、自ら己をはづかしむ 八五―八七
汝既に我等の行爲《おこなひ》と我等の犯せる罪を知る、恐らくはさらに我等の名を知るを望むべけれど告ぐるに時なく又我|然《しか》するをえざるなるべし 八八―九〇
たゞわが身に就《つい》ては我汝の願ひを滿《みた》さむ、我はグイード・グィニツェルリなり、未だ最後《いまは》とならざる先に悔いしため今既に罪を淨む。 九一―九三
我及び我にまさりて愛のうるはしきけだかき調《しらべ》が奏《かな》でしことある人々の父かく己が名をいふを聞きしとき 九四―
我はさながらリクルゴの憂ひのうちに再び母をみしときの二人《ふたり》の男の子の如くなりき、されど彼等のごとく激せず ―九九
たゞ物を思ひつゝ長く彼を見てあゆみ、聞かず語らず、また火をおそれてかなたに近づくことをせざりき 一〇〇―一〇二
かくてわが目飽くにおよび、われかたく誓ひをたてて彼のために能くわが力を盡さんと告ぐれば 一〇三―一〇五
彼我に。わが汝より聞ける事の我心にとゞむる痕跡《あと》いとあざやかなるをもてレーテもこれを消しまたは朦朧《おぼろ》ならしむるあたはず 一〇六―一〇八
されど今の汝の詞我に眞《まこと》を誓へるならば、請ふ告げよ、汝の我を愛すること目にも言《ことば》にもかくあらはるゝは何故ぞや。 一〇九―一一一
我彼に。汝のうるはしき歌ぞそれなる、近世《ちかきよ》の習ひつゞくかぎりは、その文字《もじ》常に愛せらるべし。 一一二―一一四
彼曰ふ。あゝ兄弟よ、わが汝にさししめす者は(前なる一の靈を指ざし)我よりもよくその國語《くにことば》を鍛《きた》へし者なり 一一五―一一七
戀の詩散文の物語にては彼《かれ》衆にぬきんず、レモゼスの人をもてこれにまさるとなすは愚者なり、彼等をそのいふにまかせよ 一一八―一二〇
彼等は眞《まこと》よりも評《うはさ》をかへりみ、技《わざ》と理《ことわり》を問はざるさきにはやくも己が説を立つ 一二一―一二三
多くの舊人《ふるきひと》のグイットネにおけるも亦斯の如し、さらに多くの人を得て眞《まこと》の勝つにいたれるまでは彼等たゞ響きを傳へて彼のみを讚《ほ》めぬ 一二四―一二六
さて汝ゆたかなる恩惠《めぐみ》をうけて、僧侶の首《かしら》にクリストを戴くかの僧院に行くことをえば 一二七―一二九
わが爲に彼に向ひて一遍の主の祈《パーテルノストロ》を唱へよ、但しこの世界にて我等の求むる事にて足る、こゝにては我等また罪を犯すをえざれば。 一三〇―一三二
かくいひて後、後方《うしろ》に近くゐたる者を己に代らしむるためなるべし、恰も水底《みなそこ》深く沈みゆく魚の如く火に入りて見えざりき 一三三―一三五
我は指示されし者の方《かた》に少しく進みて、わが願ひ彼の名のためにゆかしき處を備へしことを告ぐれば 一三六―一三八
彼こゝろよく語りて曰ふ。汝の問ひのねんごろなるにめでて、我は己を汝にかくすこと能はず、またしかするをねがはざるなり 一三九―一四一
我はアルナルドなり、泣きまた歌ひてゆく、われ過去《こしかた》をみてわが痴《おろか》なりしを悲しみ、行末《ゆくすゑ》をみてわが望む日の來るを喜ぶ 一四二―一四四
この階《きざはし》の頂まで汝を導く權能《ちから》をさして今我汝に請ふ、時到らばわが苦患《なやみ》を憶《おも》へ。 一四五―一四七
かくいひ終りて彼等を淨むる火の中にかくれぬ 一四八―一五〇

   第二十七曲

今や日はその造主《つくりぬし》血を流したまへるところに最初《はじめ》の光をそゝぐ時(イベロは高き天秤《はかり》の下にあり 一―
ガンジェの浪は亭午《まひる》に燒かる)とその位置を同じうし、晝既に去らんとす、この時喜べる神の使者《つかひ》我等の前に現はれぬ ―六
彼焔の外《そと》岸の上に立ちて、心の清き者は福なり[#「心の清き者は福なり」に白丸傍点]とうたふ、その聲|爽《さわや》かにしてはるかにこの世のものにまされり 七―九
我等近づけるとき彼曰ひけるは。聖なる魂等よ、まづ火に噛まれざればこゝよりさきに行くをえず 一〇―
汝等この中に入りまたかなたにうたふ歌に耳を傾けよ。かくいふを聞きしとき我はあたかも穴に埋《いけ》らるゝ人の如くになりき ―一五
手を組合《くみあは》せつゝ身をその上より前に伸べて火をながむれば、わが嘗て見し、人の體《からだ》の燒かるゝありさま、あざやかに心に浮びぬ 一六―一八
善き導者等わが方にむかへり、かくてヴィルジリオ我に曰ふ。我子よ、こゝにては苛責はあらむ死はあらじ 一九―二一
憶《おも》へ、憶へ……ジェーリオンに乘れる時さへ我汝を安らかに導けるに、神にいよいよ近き今、しかするをえざることあらんや 二二―二四
汝かたく信ずべし、たとひこの焔の腹の中に千年《ちとせ》の長き間立つとも汝は一|筋《すぢ》の髮をも失はじ 二五―二七
若しわが言《ことば》の僞なるを疑はば、焔にちかづき、己が手に己が衣の裾をとりてみづからこれを試みよ 二八―三〇
いざ棄てよ、一切の恐れを棄てよ、かなたにむかひて心安く進みゆくべし。かくいへるも我なほ動かずわが良心に從はざりき 三一―三三
わがなほ頑《かたくな》にして動かざるをみて彼少しく心をなやまし、子よ、ベアトリーチェと汝の間にこの壁あるを見よといふ 三四―三六
桑|眞紅《しんく》となりしとき、死に臨めるピラーモがティスベの名を聞き目を開きてつらつら彼を見しごとく 三七―三九
わが思ひの中にたえず湧《わ》き出づる名を聞くや、わが固き心やはらぎ、我は智《さと》き導者にむかへり 四〇―四二
是に於てか彼|首《かうべ》を振りて、我等|此方《こなた》に止まるべきや如何《いかに》といひ、恰も一の果實《このみ》に負くる稚兒《をさなご》にむかふ人の如くにほゝゑみぬ 四三―四五
かくて彼我よりさきに火の中に入り、またこの時にいたるまでながく我等の間をわかてるスターツィオに請ひて我等の後《あと》より來らしむ 四六―四八
我火の中に入りしとき、その燃ゆることかぎりなく劇しければ、煮え立つ玻璃の中になりとも身を投入れて冷《ひや》さんとおもへり 四九―五一
わがやさしき父は我をはげまさんとて、ベアトリーチェの事をのみ語りてすゝみ、我既に彼の目を見るごとくおぼゆといふ 五二―五四
かなたにうたへる一の聲我等を導けり、我等はこれにのみ心をとめつゝ登るべきところにいでぬ 五五―五七
わが父に惠まるゝ者よ來れ[#「わが父に惠まるゝ者よ來れ」に白丸傍点]。かしこにありてわが目をまばゆうし我に見るをえざらしめたる一の光の中にかくいふ聲す 五八―六〇
またいふ。日は入り夕《ゆふべ》が來る、とゞまるなかれ、西の暗くならざる間に足をはやめよ。 六一―六三
路直く岩を穿ちて東の方に上《のぼ》るがゆゑに、すでに低き日の光を我はわが前より奪へり 六四―六六
しかしてわが影消ゆるを見て我もわが聖等《ひじりたち》も我等の後方《うしろ》に日の沈むをしりたる時は、我等の試みし段《きだ》なほ未だ多からざりき 六七―六九
はてしなく濶《ひろ》き天涯未だ擧《こぞ》りて一の色とならず、夜その闇をことごとく頒ち與へざるまに 七〇―七二
我等各一の段《きだ》を床となしぬ、そはこの山の性《さが》、登るの願ひよりもその力を我等より奪へばなり 七三―七五
食物《くひもの》をえざるさきには峰の上に馳せ狂へる山羊も、日のいと熱き間蔭にやすみて聲をもいださず 七六―
その牧者(彼杖にもたれ、もたれつゝその群《むれ》を牧《か》ふ)にまもられておとなしく倒嚼《にれが》むことあり ―八一
また外《そと》に宿る牧人、そのしづかなる群のあたりに夜を過《すご》して、野の獸のこれを散らすを防ぐことあり 八二―八四
我等みたりもまたみな斯《かく》の如くなりき、我は山羊に彼等は牧者に似たり、しかして高き岩左右より我等をかこめり 八五―八七
外《そと》はたゞ少しく見ゆるのみなりしかど、我はこの少許《すこし》の處に、常よりも燦《あざや》かにしてかつ大なる星を見き 八八―九〇
我かく倒嚼《にれが》み、かく星をながめつゝ睡りに襲はる、即ち事をそのいまだ出來《いでこ》ぬさきにに屡※[#二の字点、1-2-22]告知らす睡りなり 九一―九三
たえず愛の火に燃ゆとみゆるチテレアがはじめてその光を東の方よりこの山にそゝぐ頃かとおもはる 九四―九六
我は夢に、若き美しきひとりの淑女の、花を摘みつゝ野を分けゆくを見しごとくなりき、かの者うたひていふ 九七―九九
わが名を問ふ者あらば知るべし、我はリーアなり、我わがために一の花圈《はなかざり》を編まんとて美しき手を動かして行く 一〇〇―一〇二
鏡にむかひて自ら喜ぶことをえんため我こゝにわが身を飾り、わが妹ラケールは終日《ひねもす》坐してその鏡を離れず 一〇三―一〇五
われ手をもてわが身を飾るをねがふごとくに彼その美しき目を見るをねがふ、見ること彼の、行ふこと我の心を足《たら》はす。 一〇六―一〇八
異郷の旅より歸る人の、わが家《や》にちかく宿るにしたがひ、いよ/\愛《め》づる曉《あかつき》の光 一〇九―一一一
はや四方より闇を逐ひ、闇とともにわが睡りを逐へり、我即ち身を起《おこ》せば、ふたりの大いなる師この時既に起きゐたり 一一二―一一四
げに多くの枝によりて人のしきりに尋ね求むる甘き果《み》は今日汝の饑《う》ゑをしづめむ。 一一五―一一七
ヴィルジリオかく我にいへり、またこれらの語《ことば》のごとく心に適《かな》ふ賜《たまもの》はあらじ 一一八―一二〇
わが登るの願ひ願ひに加はり、我はこの後一足毎に羽|生《は》えいでて我に飛ばしむるをおぼえき 一二一―一二三
我等|階《きざはし》をこと/″\く渡り終りて最高《いとたか》き段《きだ》の上に立ちしとき、ヴィルジリオ我にその目をそゝぎて 一二四―一二六
いふ。子よ、汝既に一時《ひととき》の火と永久《とこしへ》の火とを見てわが自から知らざるところに來れるなり 一二七―一二九
われ智《さとり》と術《わざ》をもて汝をこゝにみちびけり、今より汝は好む所を導者となすべし、汝|嶮《けは》しき路を出で狹き路をはなる 一三〇―一三二
汝の額を照す日を見よ、地のおのづからこゝに生ずる若草と花と木とを見よ 一三三―一三五
涙を流して汝の許に我を遣はせし美しき目のよろこびて來るまで、汝坐するもよし、これらの間を行くもよし 一三六―一三八
わが言《ことば》をも表示《しるし》をもこの後望み待つことなかれ、汝の意志は自由にして直く健全《すこやか》なればそのむかふがまゝに行はざれば誤らむ 一三九―一四一
是故にわれ冠と帽を汝に戴かせ、汝を己が主たらしむ。
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   第二十八曲

あらたに出し日の光を日にやはらかならしむる茂れる生ける神の林の内部《うち》をも周邊《まはり》をも探《さぐ》らんとて 一―三
我ためらはず岸を去り、しづかに/\野を分けゆけば、地はいたるところ佳香《よきか》を放てり 四―六
うるはしき空氣|變化《かはり》なく動きてわが額を撃ち、そのさまさながら軟かき風の觸るゝに異ならず 七―九
諸々の枝これに靡きてふるひつゝ、みな聖なる山がその最初《はじめ》の影を投ぐる方《かた》にかゞめり 一〇―一二
されどはなはだしく撓《たわ》むにあらねば、梢《こずゑ》の小鳥その一切の技《わざ》を棄つるにいたらず 一三―一五
いたくよろこびて歌ひつゝ、そよふく朝風を葉の間にうけ、葉はエオロがシロッコを解き放つとき 一六―
キアッシの岸の上なる松の林の枝より枝に集まるごとき音をもてその調《しらべ》にあはせぬ ―二一
しづかなる歩履《あゆみ》我を運びて年へし林の中深く入らしめ、我既にわがいづこより入來れるやを見るあたはざりしとき 二二―二四
見よわが行手を遮れる一の流れあり、その細波《さゞなみ》をもて、縁《ふち》に生《は》え出し草を左に曲げぬ 二五―二七
日にも月にもかしこを照すをゆるさざる永劫の蔭に蔽はれ、黒み黒みて流るれども 二八―
一物として隱るゝはなきかの水にくらぶれば、世のいと清き水といふともみな雜《まじり》ありとみゆべし ―三三
わが足とどまり、わが目は咲ける木々の花の類《たぐひ》甚だ多きを見んとて小川のかなたに進めるに 三四―三六
このときあたかも物不意にあらはれて人を驚かし、他《ほか》の思ひをすべて棄てしむることあるごとくかしこにあらはれし 三七―三九
たゞひとりの淑女あり、歌をうたひて歩みつゝ、その行道《ゆくみち》をこと/″\くいろどれる花また花を摘みゐたり 四〇―四二
我彼に曰ふ。あゝ美しき淑女よ、心の證《あかし》となる習ひなる姿に信を置くをうべくば愛の光にあたゝまる者よ 四三―
ねがはくは汝の歌の我に聞ゆるにいたるまで、この流れのかたにすゝみきたれ ―四八
汝は我にプロセルピーナが、その母彼を彼春を失へるとき、いづこにゐしやいかなるさまにありしやを思ひ出でしむ。 四九―五一
たとへば舞をまふ女の、その二の蹠《あしうら》を地にまた互ひに寄せてすゝみ、ほとんど一足《かたあし》を一足の先に置かざるごとく 五二―五四
彼は紅と黄の花を踏みてこなたにすゝみ、そのさま目をしとやかにたるゝ處女《をとめ》に異ならず 五五―五七
かくて麗はしき聲その詞とともに我に聞ゆるまで近づきてわが願ひを滿たせり 五八―六〇
まさしく草がかの美しき流れの波に洗はるゝところに來るやいなや、彼わがためにその目を擧げぬ 六一―六三
思ふにヴェーネレのあやまちてわが子に刺されし時といふとも、その眉の下に輝ける光かく大いならざりしなるべし 六四―六六
彼は種なきにかの高き邱《をか》に生ずる色をなほも己が手をもて摘みつゝ、右の岸に微笑《ほゝゑ》みゐたり 六七―六九
流れは三歩我等を隔てき、されどセルセの渡れる(このこと今も人のすべての誇りを誡しむ)エルレスポントが 七〇―七二
セストとアビードの間の荒浪のためにレアンドロよりうけし怨みも、かの流れが、かの時開かざりしために我よりうけし怨みにはまさらじ 七三―七五
彼曰ふ。汝等は今初めて來れる者なれば、人たる者の巣に擇ばれしこの處に我のほほゑむをみて 七六―七八
驚きかつ異《あや》しむならむ、されど汝我を樂しませ給へり[#「汝我を樂しませ給へり」に白丸傍点]といへる聖歌は光を與へて汝等の了知《さとり》の霧を拂ふに足るべし 七九―八一
また汝先に立つ者我に請へる者よ、聞くべきことあらばいへ、我はいかなる汝の問ひにも足《たら》はぬ事なく答へんと心構《こゝろがまへ》して來れるなれば。 八二―八四
我曰ふ。水と林の響きとはあらたに起せるわが信を攻む、そはわが聞けるところ今見るところと異なればなり。 八五―八七
是に於てか彼。我は汝のあやしむものにそのいで來る原因《もと》あるを陳べて汝を蔽ふ霧をきよめむ 八八―九〇
それ己のみ己が心に適《かな》ふ至上の善は人を善にまた善行の爲に造り、この處をこれに與へて限りなき平和の契約となせり 九一―九三
人己が越度《をちど》によりてたゞ少時《しばらく》こゝにとゞまり、己が越度によりて正しき笑ひと麗はしき悦びを涙と勤勞《ほねをり》に變らせぬ 九四―九六
水より地よりたちのぼりてその力の及ぶかぎり熱に從ひゆくもののこの下に起す亂《みだれ》が 九七―九九
人と戰ふなからんため、この山かく高く天に聳えき、しかしてその鎖《とざ》さるゝところより上はみなこれを免かる 一〇〇―一〇二
さて空氣は、若しその※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《まは》ることいづこにか妨げられずば、こと/″\く第一の囘轉とともに圓を成してめぐるがゆゑに 一〇三―一〇五
かゝる動き、純なる空氣の中にありて全く絆《ほだし》なやこの高嶺《たかね》を撃ち、林に聲を生ぜしむ、これその繁きによりてなり 一〇六―一〇八
また撃たれし草木《くさき》にはその性《さが》を風に滿たすの力あり、この風その後吹きめぐりてこれをあたりに散らし 一〇九―一一一
かなたの地は己が特質と天の利にしたがひて孕み、性《さが》異なる諸※[#二の字点、1-2-22]の木を生む 一一二―一一四
かゝればわがこの言《ことば》を聞く者、たとひ見ゆべき種なきにかしこに萌えいづる草木を見るとも、世の不思議とみなすに足らず 一一五―一一七
汝知るべし、この聖なる廣野《ひろの》には一切の種滿ち、かの世に摘むをえざる果《み》のあることを 一一八―一二〇
また汝の今見る水は、漲《みなぎ》り涸《か》るゝ河のごとくに、冷えて凝れる水氣の補《おぎな》ふ脈より流れいづるにあらず 一二一―一二三
變らず盡きざる泉よりいづ、而して泉は神の聖旨《みむね》によりて、その二方の口よりそゝぐものをば再び得《う》 一二四―一二六
こなたには罪の記憶を奪ふ力をもちてくだりゆき、かなたには諸※[#二の字点、1-2-22]の善行《よきおこなひ》を憶ひ起さしむ 一二七―一二九
こなたなるはレーテと呼ばれ、かなたなるをエウノエといふ、この二の水まづ味はれざればその功徳《くどく》なし 一三〇―一三二
こは他《ほか》の凡ての味《あぢはひ》にまさる、我またさらに汝に教ふることをせずとも、汝の渇《かわき》はや全くやみたるならむ、されど 一三三―一三五
己が好《このみ》にまかせてなほ一の事を加へむ、思ふにわが言《ことば》たとひ約束の外にいづとも汝の喜びに變りはあらじ 一三六―一三八
いにしへ黄金《こがね》の代《よ》とその幸《さち》多きさまを詩となせる人々、恐らくはパルナーゾにて夢にこの處を見しならむ 一三九―一四一
こゝに罪なくして人住みぬ、こゝにとこしへの春とすべての實《み》あり、彼等の所謂ネッタレは是なり。 一四二―一四四
我はこの時身を後方《うしろ》にめぐらしてわがふたりの詩人にむかひ、彼等が笑を含みつゝこの終りの言をきけるを見 一四五―一四七
後ふたゝび目をかの美しき淑女にむけたり 一四八―一五〇

   第二十九曲

彼かたりをはれるとき、戀する女のごとく歌ひて、罪をおほはるゝものは福なりといひ 一―三
かくてたとへばひとりは日を見ひとりはこれを避けんとて林の蔭をあゆみゆきしさびしきニンファの群《むれ》のごとくに 四―六
岸をつたひ流れにさかのぼりて進み、また我はわが歩みを細《こまか》にしてそのこまかなる歩みにあはせ、これと相並びて行けり 七―九
ふたりの足數合せて百とならざるさきに、岸兩つながら等しくその方向《むき》を變へたれば、我は再び東にむかへり 一〇―一二
またかくしてゆくことなほ未だ遠からざりしに、淑女全くわが方にむかひて、わが兄弟よ、視よ、耳を傾けよといふ 一三―一五
このとき忽ち一の光かの大なる林の四方に流れ、我をして電光《いなづま》なるかと疑はしめき 一六―一八
されど電光はその現はるゝごとく消ゆれど、この光は長くつゞきていよ/\輝きわたりたれば、我わが心の中に是何物ぞやといふ 一九―二一
また一のうるはしき聲あかるき空をわけて流れぬ、是に於てか我は正しき憤りよりエーヴァの膽の大《ふと》きを責めたり 二二―二四
彼は造られていまだ程なきたゞひとりの女なるに、天地《あめつち》神に遵《したが》へるころ、被物《おほひ》の下に、しのびてとゞまることをせざりき
彼その下に信心深くとゞまりたりせば、我は早くまた永くこのいひがたき樂しみを味へるなるべし 二八―三〇
かぎりなき樂しみの初穗かく豐かなるに心奪はれ、たゞいよ/\大いなる喜びをうるをねがひつゝ、我その間を歩みゐたるに 三一―三三
我等の前にて縁の技の下なる空氣燃ゆる火のごとくかゞやき、かのうるはしき音《おと》今は歌となりて聞えぬ 三四―三六
あゝげに聖なる處女《をとめ》等よ、我汝等のために饑ゑ、寒さ、または眠りをしのびしことあらば、今その報《むくい》を請はざるをえず 三七―三九
いざエリコナよわがためにそゝげ、ウラーニアよ、歌の侶とともに我をたすけて、おもふだに難き事をば詩となさしめよ 四〇―四二
さてその少しく先にあたりてあらはれし物あり、我等と是とはなほ離るゝこと遠かりければ、誤りて七の黄金《こがね》の木と見えぬ 四三―四五
されど相似て官能を欺く物その時性の一をも距離《へだゝり》のために失はざるまで我これに近づけるとき 四六―四八
理性に物を判《わか》たしむる力は、これの燭臺なるとうたへる歌のオザンナなるをさとりたり 四九―五一
この美しき一組の燭臺、上より焔を放ちてその燦《あざや》かなること澄みわたれる夜半《よは》の空の望月《もちづき》よりもはるかにまされり 五二―五四
我はいたくおどろきて身をめぐらし、善きヴィルジリオにむかへるに、我に劣らざる怪訝《あやしみ》を顏にあらはせる外答へなかりき 五五―五七
我即ちふたゝび目をかのたふとき物にむくれば、新婦《はなよめ》にさへ負くるならんとおもはるゝほどいとゆるやかにこなたにすゝめり 五八―六〇
淑女我を責めていふ。汝いかなればかくたゞ生くる光のさまに心を燃やし、その後方《うしろ》より來るものを見ざるや。 六一―六三
このとき我見しに、白き衣を着(かくばかり白き色世にありし例《ためし》なし)、己が導者に從ふごとく後方《うしろ》より來る民ありき 六四―六六
水はわが左にかゞやき、我これを視れば、あたかも鏡のごとくわが身の左の方を映《うつ》せり 六七―六九
われ岸のこなた、たゞ流れのみ我をへだつるところにいたれるとき、なほよくみんと、わが歩みをとゞめて 七〇―七二
視しに、焔はそのうしろに彩色《いろど》れる空氣を殘してさきだちすゝみ、さながら流るゝ小旗のごとく 七三―七五
空氣は七の線《すぢ》にわかたれ、これに日の弓、デリアの帶のすべての色あり 七六―七八
これらの旌《はた》後《うしろ》の方《かた》に長く流れてわが目及ばず、またわがはかるところによれば左右の端《はし》にあるものの相離るゝこと十歩なりき 七九―八一
かく美しきさにおほはれ、二十四人の長老、百合《フイオルダリーゾ》の花の冠をつけてふたりづつならび來れり 八二―八四
みなうたひていふ。アダモの女子《むすめ》のうちにて汝は福なる者なり、ねがはくは汝の美にとこしへの福あれ。 八五―八七
かの選ばれし民、わが對面《むかひ》なるかなたの岸の花と新しき草をはなれしとき 八八―九〇
あたかも天にて光光に從ふごとく、そのうしろより四の生物《いきもの》各※[#二の字点、1-2-22]頭《かしら》に縁の葉をいただきて來れり 九一―九三
皆六の翼をもち、目その羽に滿つ、アルゴの目若し生命《いのち》あらばかくのごとくなるべし 九四―九六
讀者よ、彼等の形を録《しる》さんとて我またさらに韻語を散らさじ、そは他の費《つひえ》に支《さ》へられてこの費を惜しまざること能はざればなり 九七―九九
エゼキエレを讀め、彼は彼等が風、雲、火とともに寒き處より來るを見てこれを描《ゑが》けり 一〇〇―一〇二
わがこゝにみし彼等の状《さま》もまたかれの書《ふみ》にいづるものに似たり、但し羽については、ジヨヴァンニ彼と異なりて我と同じ 一〇三―一〇五
これらの四の生物《いきもの》の間を二の輪ある一の凱旋車占む、一頭のグリフォネその頸にてこれを曳けり 一〇六―一〇八
この者二の翼を、中央《なか》の一と左右の三の線《すぢ》の間に伸べたれば、その一をも斷《た》たず損《そこな》はず 一〇九―一一一
翼は尖《さき》の見えざるばかり高く上《あが》れり、その身の中《うち》に鳥なるところはすべて黄金《こがね》にて他《ほか》はみな紅まじれる白なりき 一一二―一一四
アフリカーノもアウグストもかく美しき車をもてローマを喜ばせしことなきはいふに及ばず、日の車さへこれに比ぶれば映《はえ》なからむ 一一五―一一七
(即ち路をあやまれるため、信心深きテルラの祈りによりてジョーヴェの奇《くす》しき罰をうけ、燒盡されし日の車なり) 一一八―一二〇
右の輪のほとりには、舞ひめぐりつゝ進み來れるみたりの淑女あり、そのひとりは、火の中にては見分け難しと思はるゝばかりに赤く 一二一―一二三
次なるは、肉も骨も縁の玉にて造られしごとく、第三なるは、新たに降《ふ》れる雪に似たり 一二四―一二六
或時は白或時は赤|他《ほか》のふたりをみちびくと見ゆ、しかしてその歌にあはせて、侶のゆくこと或ひはおそく或ひははやし 一二七―一二九
左の輪のほとりには、紫の衣を着てたのしく踊れるよたりの淑女あり、そのひとり頭に三の目ある者ほかのみたりをみちびきぬ 一三〇―一三二
かく擧げ來れる凡ての群《むれ》の後《うしろ》に、我はふたりの翁を見たり、その衣は異なれどもおごそかにしておちつきたる姿は同じ 一三三―一三五
ひとりは己がかのいと大いなるイッポクラテ(即ち自然がその最愛の生物のために造れる)の流れを汲むものなるをあらはし 一三六―一三八
またひとりは、川のこなたなる我にさへ恐れをいだかしめしほど光りて鋭き一の劒を持ちて、これと反する思ひをあらはせり 一三九―一四一
我は次に外見《みえ》の劣れるよたりの者と、凡ての者の後《うしろ》よりたゞひとりにて眠りて來れる氣色鋭き翁を見たり 一四二―一四四
この七者《なゝたり》は衣第一の組と同じ、されど頭を卷ける花圈《はなわ》百合にあらずして 一四五―一四七
薔薇とその他の紅の花なりき、少しく離れしところにてもすべての者の眉の上にまさしく火ありと見えしなるべし 一四八―一五〇
輦《くるま》わが對面《むかひ》にいたれるとき雷《いかづち》きこえぬ、是に於てかかのたふとき民はまた進むをえざるごとく 一五一―一五三
最初の旌とともにかしこにとゞまれり 一五四―一五六

   第三十曲

第一天の七星(出沒《いるいづる》を知らず、罪よりほかの雲にかくれしこともなし 一―三
しかしてかしこにをる者に各※[#二の字点、1-2-22]その任務《つとめ》をしらしめしこと恰も低き七星の、港をさして舵取るものにおけるに似たりき) 四―六
とゞまれるとき、是とグリフォネの間に立ちて先に進める眞《まこと》の民、己が平和にむかふごとく、身をめぐらして車にむかへば 七―九
そのひとりは、天より遣はされしものの如く、新婦《はなよめ》よリバーノより來れ[#「よリバーノより來れ」に白丸傍点]と三度《みたび》うたひてよばはり、ほかの者みなこれに傚へり 一〇―一二
最後の喇叭《らつぱ》の響きとともに、すべて惠《めぐ》まるゝ者、再び衣を着たる聲をもてアレルヤをうたひつゝその墓より起出づるごとく 一三―一五
かの大いなる翁《おきな》の聲をきゝて神の車の上にたちあがれる永遠《とこしへ》の生命《いのち》の僕《しもべ》と使者《つかひ》百ありき 一六―一八
みないふ。來たる者よ汝は福なり[#「來たる者よ汝は福なり」に白丸傍点]。また花を上とあたりに散らしつゝ。百合を手に滿たして[#「百合を手に滿たして」に白丸傍点]撒《ま》け[#「け」に白丸傍点]。 一九―二一
我かつて見ぬ、晝の始め、東の方こと/″\く赤く、殘りの空すみてうるはしきに 二二―二四
日の面《おもて》曇りて出で、目のながくこれに堪ふるをうるばかり光水氣に和《やは》らげらるゝを 二五―二七
かくのごとく、天使の手より立昇りてふたゝび内外《うちそと》に降れる花の雲の中に 二八―三〇
白き面※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]《かほおほひ》の上には橄欖を卷き、縁の表衣《うはぎ》の下には燃ゆる焔の色の衣を着たるひとりの淑女あらはれぬ 三一―三三
わが靈は(はやかく久しく彼の前にて驚異《おどろき》のために震ひつゝ挫《くじ》かるゝことなかりしに) 三四―三六
目の能くこれに教ふるをまたず、たゞ彼よりいづる奇《く》しき力によりて、昔の愛がその大いなる作用《はたらき》を起すを覺えき 三七―三九
わが童《わらべ》の時過ぎざるさきに我を刺し貫けるたふとき力わが目を射るや 四〇―四二
我はあたかも物に恐れまたは苦しめらるゝとき、走りてその母にすがる稚兒《をさなご》の如き心をもて、たゞちに左にむかひ 四三―四五
一|滴《しづく》だに震ひ動かずしてわが身に殘る血はあらじ、昔の焔の名殘をば我今知るとヴィルジリオにいはんとせしに 四六―四八
ヴィルジリオ、いとなつかしき父のヴィルジリオ、わが救ひのためにわが身を委ねしヴィルジリオははや我等を棄去れり 四九―五一
昔の母の失へるすべてのものも、露に淨められし頬をして、涙にふたゝび汚れしめざるあたはざりき 五二―五四
ダンテよ、ヴィルジリオ去れりとて今泣くなかれ今泣くなかれ、それよりほかの劒《つるぎ》に刺されて汝泣かざるをえざればなり。 五五―五七
己が名(我已むをえずしてこゝに記《しる》せり)の呼ばるゝを聞きてわれ身をめぐらせしとき、我はさきに天使の撒華《さんげ》におほはれて 五八―
我にあらはれしかの淑女が、さながら水軍《ふなて》の大將の、艫《とも》に立ち舳《へさき》に立ちつゝあまたの船に役《つか》はるゝ人々を見てこれをはげまし
よくその業《わざ》をなさしむるごとく、車の左の縁《ふち》にゐて、流れのこなたなる我に目をそそぐを見たり ―六六
ミネルヴァの木葉《このは》に卷かれし面帕《かほおほひ》その首《かうべ》より垂るゝがゆゑに、我さだかに彼を見るをえざりしかど 六七―六九
凛々《りゝ》しく、氣色《けしき》なほもおごそかに、あたかも語りつゝいと熱《あつ》き言《ことば》をばしばし控《ひか》ふる人の如く、彼續いていひけるは 七〇―七二
よく我を視よ、げに我は我はげにベアトリーチェなり、汝如何《いか》してこの山に近づくことをえしや汝は人が福《さいはひ》をこゝに受くるを知らざりしや。 七三―七五
わが目は澄める泉に垂れぬ、されどそこに己が姿のうつれるをみて我これを草に移しぬ、恥いと重く額を壓《お》せしによりてなり 七六―七八
母たる者の子に嚴《いかめ》しとみゆる如く彼我にいかめしとみゆ、きびしき憐憫《あはれみ》の味《あぢ》は苦味《にがみ》を帶ぶるものなればなり 七九―八一
彼は默せり、また天使等は忽ちうたひて、主よわが望みは汝にあり[#「主よわが望みは汝にあり」に白丸傍点]といへり、されどわが足を[#「わが足を」に白丸傍点]の先をいはざりき 八二―八四
スキアヴォーニアの風に吹寄せられてイタリアの背なる生くる梁木《うつばり》の間にかたまれる雪も 八五―八七
陰を失ふ國氣を吐くときは、火にあへる蝋かとばかり、溶け滴りて己の内に入るごとく 八八―九〇
つねにとこしへの球の調《しらべ》にあはせてしらぶる天使等いまだうたはざりしさきには、我に涙も歎息《なげき》もあらざりしかど 九一―九三
かのうるはしき歌をきゝて、彼等の我を憐むことを、淑女よ何ぞかく彼を叱責《さいな》むやと彼等のいふをきかんよりもなほ明《あきら》かに知りし時 九四―九六
わが心のまはりに張れる氷は、息《いき》と水に變りて胸をいで、苦しみて口と目を過ぎぬ 九七―九九
彼なほ輦《くるま》の左の縁《ふち》に立ちてうごかず、やがてかの慈悲深き群《むれ》にむかひていひけるは 一〇〇―一〇二
汝等とこしへの光の中に目を醍《さま》しをるをもて、夜《よる》も睡りも、世がその道に踏みいだす一足をだに汝等にかくさじ 一〇三―一〇五
是故にわが答への求むるところは、むしろかしこに泣く者をしてわが言《ことば》をさとらせ、罪と憂ひの量《はかり》を等しからしむるにあり 一〇六―一〇八
すべて生るゝ者をみちびきその侶なる星にしたがひて一の目的《めあて》にむかはしむる諸天のはたらきによるのみならず 一〇九―一一一
また神の恩惠《めぐみ》(その雨のもとなる水氣はいと高くして我等の目近づくあたはず)のゆたかなるによりて 一一二―一一四
彼は生命《いのち》の新たなるころ實《まこと》の力すぐれたれば、そのすべての良き傾向《かたむき》は、げにめざましき證《あかし》となるをえたりしものを 一一五―一一七
種を擇ばず耕さざる地は、土の力のいよ/\さかんなるに從ひ、いよ/\惡くいよ/\荒る 一一八―一二〇
しばらくは我わが顏をもて彼を支《さゝ》へき、わが若き目を彼に見せつゝ彼をみちびきて正しき方《かた》にむかはせき 一二一―一二三
我わが第二の齡《よはひ》の閾《しきみ》にいたりて生を變ふるにおよび、彼たゞちに我をはなれ、身を他人《あだしびと》にゆだねぬ 一二四―一二六
われ肉より靈に登りて美も徳も我に増し加はれるとき、彼却つて我を愛せず、かへつて我をよろこばす 一二七―一二九
いかなる約束をもはたすことなき空しき幸《さいはひ》の象《かたち》を追ひつゝその歩《あゆみ》を眞《まこと》ならざる路にむけたり 一三〇―一三二
我また乞ひて默示をえ、夢幻《ゆめまぼろし》の中にこれをもて彼を呼戻さんとせしも益なかりき、彼これに心をとめざりければなり 一三三―一三五
彼いと深く墜ち、今はかの滅亡《ほろび》の民を彼に示すことを措きてはその救ひの手段《てだて》みな盡きぬ 一三六―一三八
是故にわれ死者の門を訪《と》ひ、彼をこゝに導ける者にむかひて、泣きつゝわが乞ふところを陳べぬ 一三九―一四一
若し夫れ涙をそゝぐ悔《くい》の負債《おひめ》を償《つぐの》はざるものレーテを渡りまたその水を味ふをうべくば 一四二―一四四
神のたふとき定《さだめ》は破れむ。

   第三十一曲

あゝ汝聖なる流れのかなたに立つ者よ、いへ、この事|眞《まこと》なりや否や、いへ、かくきびしきわが責《せめ》に汝の懺悔のともなはでやは 一―三
彼は刃《は》さへ利《と》しとみえしその言《ことば》の鋩《きつさき》を我にむけつゝ、たゞちに續いてまた斯くいひぬ 四―六
わが能力《ちから》の作用《はたらき》いたく亂れしがゆゑに、聲は動けどその官を離れて外《そと》にいでざるさきに冷えたり 七―九
彼しばらく待ちて後いふ。何を思ふや、我に答へよ、汝の心の中の悲しき記憶を水いまだ損《そこな》はざれば。 一〇―一二
惑ひと怖れあひまじりて、目を借らざれば聞分けがたき一のシをわが口より逐へり 一三―一五
たとへば弩《いしゆみ》を放つとき、これを彎《ひ》くことつよきに過ぐれば、弦《つる》切れ弓折れて、矢の的に中る力の減《へ》るごとく 一六―一八
とめどなき涙|大息《といき》とともにわれかの重荷《おもに》の下にひしがれ、聲はいまだ路にあるまに衰へぬ 一九―二一
是に於てか彼我に。われらの望みの終極《いやはて》なるかの幸《さいはひ》を愛せんため汝を導きしわが願ひの中に 二二―二四
いかなる堀またはいかなる鏈を見て、汝はさきにすゝむの望みをかく失ふにいたれるや 二五―二七
また他《ほか》の幸の額にいかなる慰《なぐさめ》または益のあらはれて汝その前をはなれがたきにいたれるや。 二八―三〇
一のくるしき大息《といき》の後、我にほとんど答ふる聲なく、唇からうじてこれをつくれり 三一―三三
我泣きて曰ふ。汝の顏のかくるゝや、眼前《めのまへ》に在る物その僞りの快樂《けらく》をもてわが歩履《あゆみ》を曲げしなり 三四―三六
彼。汝たとひ默《もだ》しまたは今の汝の懺悔をいなみきとすとも汝の愆《とが》何ぞかくれ易からん、かのごとき士師《さばきづかさ》知りたまふ 三七―三九
されど罪を責むる言《ことば》犯せる者の口よりいづれば、我等の法廷《しらす》にて、輪はさかさまに刃《は》にむかひてめぐる 四〇―四二
しかはあれ汝今己が過ちを恥ぢ、この後シレーネの聲を聞くとも心を固うするをえんため 四三―四五
涙の種を棄てて耳をかたむけ、葬られたるわが肉の汝を異なる方にむかしむべかりし次第を聞くべし 四六―四八
さきに我を包みいま地にちらばる美しき身のごとく汝を喜ばせしものは、自然も技《わざ》も嘗て汝にあらはせることあらざりき 四九―五一
わが死によりてこのこよなき喜び汝に缺けしならんには、そも/\世のいかなる物ぞその後汝の心を牽《ひ》きてこれを求むるにいたらしめしは 五二―五四
げに汝は假初《かりそめ》の物の第一の矢のため、はやかゝる物ならざりし我に從ひて立昇るべく 五五―五七
稚《をさな》き女そのほか空しきはかなきものの矢を待ちて翼をひくく地に低るべきにあらざりき 五八―六〇
それ二の矢三の矢を待つは若き小鳥の事ぞかし、羽あるものの目のまへにて網を張り弓を彎《ひ》くは徒爾《いたづら》なり。 六一―六三
我はあたかもはぢて言なく、目を地にそゝぎ耳を傾けて立ち、己が過ちをさとりて悔ゆる童《わらべ》のごとく 六四―六六
立ちゐたり、彼曰ふ。汝聞きて憂ふるか、鬚を上げよ、さらば見ていよ/\憂へむ。 六七―六九
たくましき樫の木の、本土《ところ》の風またはヤルバの國より吹く風に拔き倒さるゝ時といふとも、そのこれにさからふこと 七〇―七二
わが彼の命をきゝて頤《おとがひ》をあげしときに及ばじ、彼顏といはずして鬚といへるとき、我よくその詞の毒を認めぬ 七三―七五
我わが顏をあげしとき、わが目は、かのはじめて造られし者等が、ふりかくることをやめしをさとり 七六―七八
また(わが目なほ定かならざりしかど)ベアトリーチェが、身たゞ一にて性《さが》二ある獸のかたにむかふを見たり 七九―八一
面※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]《かほおほひ》におほはれ、流れのかなたにありてさへ、彼はその未だ世にありし頃世の女|等《たち》に優《まさ》れるよりもさらに己が昔の姿にまされりとみゆ 八二―八四
悔《くい》の刺草《いらくさ》いたく我を刺ししかば、すべてのものの中にて最も深く我を迷はしわが愛を惹けるものわが最も忌嫌《いみきら》ふものとはなりぬ 八五―八七
我かく己が非をさとる心の痛みに堪へかねて倒れき、此時我のいかなるさまにてありしやは我をこゝにいたらしめし者ぞ知るなる 八八―九〇
かくてわが心その能力《ちから》を外部《そと》に還せし時、我は先に唯獨りにて我に現れし淑女をば我|上《うへ》の方《かた》に見たり、彼曰ふ。我を捉《とら》へよ我をとらへよ。 九一―九三
彼は流れの中に既に我を喉まで引入れ、今己が後《うしろ》より我を曳きつゝ、杼《ひ》のごとく輕く水の上を歩めるなりき 九四―九六
われ福《さいはひ》の岸に近づけるとき、汝我に注ぎ給へ[#「汝我に注ぎ給へ」に白丸傍点]といふ聲聞えぬ、その麗はしさ類《たぐひ》なければ思出づることだに能はず何ぞ記《しる》すをうべけんや 九七―九九
かの美しき淑女|腕《かひな》をひらきてわが首《かうべ》が抱き、なほも我を沈めて水を飮まざるをえざらしめ 一〇〇―一〇二
その後我をひきいだして、よたりの美しき者の踊れるなかに、かく洗はれしわが身をおき、彼等は各々その腕《かひな》をもて我を蔽へり 一〇三―一〇五
こゝには我等ニンフェなり、天には我等星ぞかし、ベアトリーチェのまだ世に降らざるさきに、我等は定まりきその侍女《はしため》と 一〇六―一〇八
我等汝を導いて彼の目の邊《ほとり》に到らむ、されどその中《うち》なる悦びの光を見んため、物を見ること尚深き彼處《かしこ》の三者《みたり》汝の目をば強くせむ。 一〇九―一一一
かくうたひて後、彼等は我をグリフォネの胸のほとり、ベアトリーチェの我等にむかひて立ちゐたるところに連行《つれゆ》き 一一二―一一四
いひけるは。汝見ることを惜しむなかれ、我等は汝を縁の珠の前におけり、愛かつて汝を射んとてその矢をこれより拔きたるなりき。 一一五―一一七
火よりも熱き千々《ちゞ》の願ひわが目をしてかのたえずグリフォネの上にとまれる光ある目にそゞがしむれば 一一八―一二〇
二樣の獸は忽ち彼忽ち此の姿態《みぶり》をうつしてその中にかゞやき、そのさま日輪の鏡におけるに異なるなかりき 一二一―一二三
讀者よ、物みづから動かざるにその映《うつ》れる象《かたち》變るを視しとき我のあやしまざりしや否やを思へ 一二四―一二六
いたくおどろき且つまた喜びてわが魂この食物《くひもの》(飽くに從ひていよ/\慾を起さしむ)を味へる間に 一二七―一二九
かのみたりの女、姿に際《きは》のさらにすぐれて貴《たか》きをあらはし、その天使の如き舞の詞《しらべ》につれてをどりつゝ進みいでたり 一三〇―一三二
むけよベアトリーチェ、汝に忠實《まめやか》なるものに汝の聖なる目をむけよ、彼は汝にあはんとてかく多くの歩履《あゆみ》をはこべり 一三三―
ねがはくは我等のために汝の口を彼にあらはし、彼をして汝のかくす第二の美を辨《わきま》へしめよ。是彼等の歌なりき ―一三八
あゝ生くるとこしへの光の輝《かゞやき》よ、パルナーゾの蔭に色あをざめまたはその泉の水をいかに飮みたる者といふとも 一三九―一四一
汝が濶《ひろ》き空氣の中に汝の面※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]《かほおほひ》を脱《ぬ》ぎて天のその調《しらべ》をあはせつゝ汝の上を覆ふ處に現はれし時の姿をば寫し出さんとするにあたり 一四二―一四四
豈その心を亂さざらんや

   第三十二曲

十年《ととせ》の渇《かわき》をしづめんため、心をこめてわが目をとむれば、他の官能はすべて眠れり 一―三
またこの目には左右に等閑《なほざり》の壁ありき、聖なる微笑《ほゝゑみ》昔の網をもてかくこれを己の許に引きたればなり 四―六
このときかの女神等《めがみたち》、汝あまりに凝視《みつむ》るよといひてしひてわが目を左の方にむかはしむ 七―九
日の光に射られし目にてたゞちに物を見る時のごとく、我やゝ久しくみることあたはざりしかど 一〇―一二
視力|舊《もと》に復《かへ》りて小《ちひ》さき輝《かゞやき》に堪ふるに及び(わがこれを小さしといへるはしひてわが目を離すにいたれる大いなる輝に比ぶればなり) 一三―一五
我は榮光の戰士《つはもの》等が身をめぐらして右にむかひ、日と七の焔の光を顏にうけつゝ歸るを見たり 一六―一八
たとへば一の隊伍の、己を護らんとて盾《たて》にかくれ、その擧りて方向《むき》を變ふるをえざるまに、旗を持ちつゝめぐるがごとく 一九―二一
かの先に進める天の王國の軍人《いくさびと》等は、車がいまだその轅《ながえ》を枉げざるまに、皆我等の前を過ぐ 二二―二四
是に於てか淑女等は輪のほとりに歸り、グリフォネはその羽の一をも搖《ゆる》がさずしてたふとき荷をうごかし 二五―二七
我をひきて水を渉れる美しき淑女とスターツィオと我とは、轍《わだち》に殘せし弓の形の小さき方《かた》なる輪に從ひ 二八―三〇
かくしてかの高き林、蛇を信ぜし女の罪に空しくなりたる地をわけゆけば、天使のうたふ一の歌我等の歩履《あゆみ》を齊《とゝの》へり 三一―三三
彎《ひ》き放たれし矢の飛ぶこと三|度《たび》にして屆くとみゆるところまで我等進めるとき、ベアトリーチェはおりたちぬ 三四―三六
衆皆聲をひそめてアダモといひ、やがて枝に花も葉もなき一|本《もと》の木のまはりを卷けり 三七―三九
その髭は森の中なるインド|人《びと》をも驚かすばかりに高く、かつ高きに從ひていよ/\伸び弘《ひろ》がれり 四〇―四二
福なるかなグリフォネよ、この木口に甘しといへどもいたく腹をなやますがゆゑに汝これを啄《ついば》まず。 四三―四五
たくましき木のまはりにて衆かくよばはれば、かの二樣の獸は、すべての義の種かくのごとくにして保たるといひ 四六―四八
曳き來れる轅《ながえ》にむかひつゝこれを裸なる幹の下《もと》にひきよせ、その小枝をもてこれにつなげり 四九―五一
大いなる光天上の魚の後《うしろ》にかゞやく光にまじりて降るとき、わが世の草木《くさき》 五二―五四
膨れいで、日がその駿馬《しゆんめ》を他の星の下に裝はざるまに、各※[#二の字点、1-2-22]その色をもて姿を新たにするごとく 五五―五七
さきに枝のさびれしこの木、薔薇《ばら》より淡《うす》く菫より濃き色をいだして新たになりぬ 五八―六〇
このときかの民うたへるも我その歌の意《こゝろ》を解《げ》せず――世にうたはるゝことあらじ――またよく終りまで聞くをえざりき 六一―六三
我若しかの非情の目、その守《まもり》きびしきために高き價を拂へる目が、シリンガの事を聞きつゝ眠れる状《さま》を寫すをうべくば 六四―
我自らの眠れるさまを、恰も樣式《かた》を見てゑがく畫家の如くに録《しる》さんものを、巧みに睡りを現はす者にあらざればこの事望み難きがゆゑに ―六九
わがめさめし時にたゞちにうつりて語るらく、とある光の煌《きらめき》と起きよ汝何を爲すやとよばはる聲とはわが睡りの幕を裂きたり 七〇―七二
林檎(諸※[#二の字点、1-2-22]の天使をしてその果《み》をしきりに求めしめ無窮の婚筵を天にいとなむ)の小さき花を見んため 七三―七五
ピエートロとジヨヴァンニとヤーコポと導かれて氣を失ひ、さらに大いなる睡りを破れる言葉をきゝて我にかへりて 七六―七八
その侶の減りたる――モイゼもエリアもあらざれば――とその師の衣の變りたるとをみしごとく 七九―八一
我もまた我にかへりてかの慈悲深き淑女、さきに流れに沿ひてわが歩履《あゆみ》をみちびけるもののわがほとりに立てるを見 八二―八四
いたくあやしみていひけるは。ベアトリーチェはいづこにありや。彼。新しき木葉《このは》の下にてその根の上に坐するを見よ 八五―八七
彼をかこめる組《くみ》をみよ、他はみないよ/\うるはしき奧深き歌をうたひつゝグリフォネの後《あと》より昇る。 八八―九〇
我は彼のなほかたれるや否やをしらず、そはわが心を塞ぎてほかにむかはしめざりし女既にわが目に入りたればなり 九一―九三
彼はかの二樣の獸の繋げる輦《くるま》をまもらんとてかしこに殘るもののごとくひとり眞《まこと》の地の上に坐し 九四―九六
七のニンフェは北風《アクイロネ》も南風《アウストロ》も消すあたはざる光を手にし、彼のまはりに身をもてまろき圍《かこひ》をつくれり 九七―九九
汝はこゝに少時《しばらく》林の人となり、その後かぎりなく我と倶にかのローマ即ちクリストをローマ|人《びと》の中にかぞふる都の民のひとりとなるべし 一〇〇―一〇二
さればもとれる世を益せんため、目を今|輦《くるま》にとめよ、しかして汝の見ることをかなたに歸るにおよびて記《しる》せ。 一〇三―一〇五
ベアトリーチェ斯く、また我はつゝしみてその命に從はんとのみ思ひゐたれば、心をも目をもその求むるところにむけたり 一〇六―一〇八
いと遠きところより雨の落つるとき、濃き雲の中より火の降るはやしといへども 一〇九―一一一
わが見しジョーヴェの鳥に及ばじ、この鳥木をわけ舞ひくだりて花と新しき葉と皮とをくだき 一一二―一一四
またその力を極めて輦《くるま》を打てば、輦はゆらぎてさながら嵐の中なる船の、浪にゆすられ、忽ち右舷忽ち左舷に傾くに似たりき 一一五―一一七
我また見しにすべての良き食物《くひもの》に饑うとみゆる一匹の牝狐かの凱旋車の車内にかけいりぬ 一一八―一二〇
されどわが淑女はその穢《けがら》はしき罪を責めてこれを逐ひ、肉なき骨のこれに許すかぎりわしらしむ 一二一―一二三
我また見しにかの鷲はじめのごとく舞下りて車の匣《はこ》の内に入り己が羽をかしこに散《ちら》して飛去りぬ 一二四―一二六
この時なやめる心よりいづるごとき聲天よりいでていひけるは。ああわが小舟《をぶね》よ、汝の積める荷はいかにあしきかな。 一二七―一二九
次にはわれ輪と輪の間の地ひらくがごときをおぼえ、またその中より一の龍のいで來るをみたり、この者尾をあげて輦《くるま》を刺し 一三〇―一三二
やがて螫《はり》を收むる蜂のごとくその魔性の尾を引縮め車底の一部を引出《ひきいだ》して紆曲《うね》りつつ去りゆけり 一三三―一三五
殘れる物は肥えたる土の草におけるがごとく羽(おそらくは健全《すこやか》にして厚き志よりさゝげられたる)に 一三六―一三八
おほはれ、左右の輪及び轅《ながえ》もまたたゞちに――その早きこと一の歎息《ためいき》の口を開く間にまされり――これにおほはる 一三九―一四一
さてかく變りて後この聖なる建物《たてもの》その處々《ところ/″\》より頭を出せり、即ち轅よりは三、稜《かど》よりはみな一を出せり 一四二―一四四
前の三には牡牛のごとき角あれども後の四には額に一の角あるのみ、げにかく寄《くす》しき物かつてあらはれし例《ためし》なし 一四五―一四七
その上には高山《たかやま》の上の城のごとく安らかに坐し、しきりにあたりをみまはしゐたるひとりのしまりなき遊女《あそびめ》ありき 一四八―一五〇
我また見しにあたかもかの女の奪ひ去らるゝを防ぐがごとく、ひとりの巨人その傍に立ちてしば/\これと接吻《くちづけ》したり 一五一―一五三
されど女がその定まらずみだりなる目を我にむくるや、かの心猛き馴染《なじみ》頭より足にいたるまでこれを策《むちう》ち 一五四―一五六
かくて嫉みと怒りにたへかね、異形《いぎやう》の物を釋き放ちて林の奧に曳入るれば、たゞこの林|盾《たて》となりて 一五七―一五九
遊女《あそびめ》も奇《くす》しき獸も見えざりき 一六〇―一六二
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   第三十三曲

神よ[#「神よ」に白丸傍点]異邦人《ことくにびと》は來れり[#「は來れり」に白丸傍点]、淑女等涙を流しつゝ、忽ちみたり忽ちよたり、かはる/″\詞を次ぎてうるはしき歌をうたひいづれば 一―三
ベアトリーチェは憐み歎きて、さながら十字架のほとりのマリアのごとく變りつゝ、彼等に耳をかたむけぬ 四―六
されどかの處女《をとめ》等彼にそのものいふ機《をり》を與へしとき、色あたかも火のごとく、たちあがりて 七―九
わが愛する姉妹等よ、少時《しばらく》せば汝等我を見ず[#「せば汝等我を見ず」に白丸傍点]、またしばらくせば我を見るべし[#「またしばらくせば我を見るべし」に白丸傍点]と答へ 一〇―一二
後|七者《なゝたり》をこと/″\くその前におき、我と淑女と殘れる聖《ひじり》とをたゞ表示《しるし》によりてその後《うしろ》におくれり 一三―一五
彼かくして進み、その第十歩の足いまだ地につかじとおもはるゝころ、己が目をもてわが目を射 一六―一八
容《かたち》を和らげて我に曰ふ。とく來れ、さらば我汝とかたるに、汝我に近くしてよくわが言《ことば》を聽くをえむ。 一九―二一
我その命にしたがひて彼の許にいたれるとき、彼たゞちにいふ。兄弟よ、汝今我と倶にゆきて何ぞ敢て我に問はざるや。 二二―二四
たとへば長者のまへに、敬ひはゞかりてものいふ人の、その聲を齊《とゝの》ふるをえざるごとく 二五―二七
我もまた言葉を亂していひけるは。わが淑女よ、汝はわが求むるものとこれに適《ふさ》はしきものとを知る。 二八―三〇
彼我に。汝今より後怖れと恥の縺れをはなれよ、さらば再び夢見る人のごとくものいふなからむ 三一―三三
知るべし蛇の破れる器《うつは》はさきにありしもいまあらず、されど罪ある者をして、神の復讐がサッピを恐れざるを信ぜしめよ 三四―三六
羽を輦《くるま》に殘してこれを異形《いぎやう》の物とならしめその後|獲物《えもの》とならしめし鷲は常に世繼なきことあらじ 三七―三九
そは一切の妨碍障礙を離れし星の、一の時を來らせんとてはや近づくを我あきらかに見ればなり(此故に我これを告ぐ) 四〇―四二
この時來らば神より遣はされし一の五百と十と五とは、かの盜人をばこれと共に罪を犯す巨人とともに殺すべし 四三―四五
おそらくはわが告ぐることテミ、スフィンジェの如くおぼろにて、その智を暗ます状《さま》また彼等と等しければ汝さとるをえじ 四六―四八
されどこの事速かに起りてナイアーデとなり、羊、穀物《こくもつ》の損害《そこなひ》なくしてこのむづかしき謎を解かむ 四九―五一
心にとめよ、しかして死までの一走《ひとはしり》なる生をうけて生くる者等にこれらの語《ことば》をわがいへるごとく傳へよ 五二―五四
またこれを録《しる》すとき、こゝにて既に二|度《たび》までも掠められたる樹についてすべて汝の見しことを隱すべからざるを忘るゝなかれ 五五―五七
凡そこれを掠め又はこれを折る者は行爲《おこなひ》の謗※[#「讀+言」、209-8]《ばうとく》をもて神に逆らふ、そは神はたゞ己のためにとてこれを聖なる者に造りたまひたればなり 五八―六〇
これを噛めるがゆゑに第一の魂は、噛める罪の罰を自ら受けしものを待ちつゝ、苦しみと願ひの中に五千年餘の時を經たりき 六一―六三
若しことさらなる理によりてこの樹かく秀でその頂かくうらがへるを思はずば汝の才は眠れるなり 六四―六六
また若し諸々の空しき想《おもひ》汝の心の周邊《まはり》にてエルザの水とならず、この想より起る樂しみ桑を染めしピラーモとならざりせば 六七―六九
たゞかく多くの事柄によりて、汝はこの樹の禁制《いましめ》のうちに神の正義の眞《まこと》の意義を認めしものを 七〇―七二
我見るに汝の智石に變り、石となりてかつ黒きがゆゑに、わが言《ことば》の光汝の目をしてまばゆからしむ、されどわがなほ汝に望むところは 七三―
汝がこの言を心に畫《ゑが》きて(たとひ書《しる》さざるも)こゝより携へ歸るにあり、かくするは巡禮が棕櫚にて卷ける杖を持つとその理《ことわり》相同じ。 ―七八
我。あたかも印の形をとゞめてこれを變へざる蝋のごとく、わが腦は今汝の捺《お》せし象《かた》をうく 七九―八一
されどなつかしき汝の言の高く飛びてわが目およはず、いよ/\みんとつとむればいよ/\みえざるは何故ぞや。 八二―八四
彼曰ふ。こは汝が汝の學べるところのものをかへりみて、その教へのわが語《ことば》にともなふをうるや否やを見 八五―八七
しかして汝等の道の神の道に遠ざかることかのいと高き疾き天の地を離るゝごとくなるをさとるをえんためぞかし。 八八―九〇
是に於てか我答へて彼に曰ふ。我は一|度《たび》も汝を離れしことあるを覺えず、良心我を責めざるなり。 九一―九三
彼|笑《ゑ》みつゝ答へて曰ふ。汝覺ゆるあたはずば、いざ思ひいでよ今日《けふ》この日汝がレーテの水を飮めるを 九四―九六
それ烟をみて火あるを知る、かく忘るゝといふことは他《ほか》に移りし汝の思ひに罪あることをさだかに證《あかし》す 九七―九九
げにこの後はわが詞いとあらはになりて、汝の粗《あら》き目にもみゆるにふさはしかるべし。 一〇〇―一〇二
光いよ/\はげしくして歩《あゆみ》いよ/\遲き日は、見る處の異なるにつれてこゝかしこにあらはるゝ亭午の圈を占めゐたり 一〇三―一〇五
この時あたかも導者となりて群《むれ》よりさきにゆく人が、みなれぬものをその路に見てとゞまるごとく 一〇六―一〇八
七人《なゝたり》の淑女は、とある仄闇《ほのぐら》き蔭(縁の葉黒き枝の下なる冷やかなる流れの上にアルペの投ぐる陰に似たる)果《はつ》る處にとゞまれり 一〇九―一一一
我は彼等の前にエウフラーテスとティーグリと一の泉より出で、わかれてゆくのおそきこと友のごときを見しとおぼえぬ 一一二―一一四
あゝ光よ、すべて人たる者の尊榮《さかえ》よ、かく一の源よりあふれいでてわかれ流るゝ水は何ぞや。 一一五―一一七
わがこの問ひに答へて曰ふ。マテルダに請ひ彼をしてこれを汝に告げしめよ。この時かの美しき淑女、罪を辨解《いひひら》く人のごとく 一一八―
答ふらく。さきに我この事をもほかの事をも彼に告げたり、またレーテの水いかでかこれを忘れしめんや。 ―一二三
ベアトリーチェ。さらにつよく心を惹《ひ》きてしば/\記憶を奪ふもの、彼の智《さとり》の目を昧《くら》ませしなるべし 一二四―一二六
されど見よかしこに流るゝエウノエを、汝かなたに彼をみちびき、汝の常に爲す如く、その萎《な》えたる力をふたゝび生かせ。 一二七―一二九
たとへば他人《ひと》の願ひ表示《しるし》となりて外部《そと》にあらはるゝとき、尊《たふと》き魂|言遁《いひのが》るゝことをせず、たゞちにこれを己が願ひとなすごとく 一三〇―一三二
美しき淑女我を拉《ひ》きてすゝみ、またスターツィオにむかひてしとやかに、彼と倶に來《こ》よといふ 一三三―一三五
讀者よ、我に餘白の滿《みた》すべきあらば、飮めども飽かざる水の甘《うま》さをいさゝかなりともうたはんものを 一三六―一三八
第二の歌に充《あ》てし紙はやみなこゝに盡きたるがゆゑに、技巧の手綱にとゞめられて我またさきにゆきがたし 一三九―一四一
さていと聖なる浪より歸れば、我はあたかも若葉のいでて新たになれる若木のごとく、すべてあらたまり 一四二―一四四
清くして、諸※[#二の字点、1-2-22]の星にいたるにふさはしかりき 一四五―一四七

       註

    第一曲

ダンテ、ウェルギリウスと淨火の海濱に立ち、こゝに島守カトーにあふ、カトー詩人等のこゝに來れる次第をききてその登山を許し且つウェルギリウスに命じまづ岸邊の藺をダンテの腰に束ねまた彼の顏を洗ひて地獄の穢れを除かしむ
一―三
【酷き海を】地獄の刑罰の如き恐ろしき詩材をはなれ
【優れる水を】淨火の歌をうたはんとて
四―六
【第二の王國】淨火即ち救はれし魂天堂にいたるの前まづその罪を淨むる處。當時寺院の教ふるところによれば淨火は地獄に接してこれと同じく地下にあり、これをかく南半球の孤島に聳ゆる美しき山となせるはダンテの創意なり
七―一二
【ムーゼ】ムーサ、詩・音樂等を司る女神(地、二・七―九註參照)
【汝等のもの】汝等を尊崇するもの
【死せる詩】滅亡の民を歌へる詩。これを再起せしむるは望み絶えざる淨火の民をうたはんためなり
【カルリオペ】ムーサの一にして史詩を司る
【ピーケ】テッサリア王ピロスの九人の女。ムーサを侮りこれと歌を競《くら》べんことを求む、カルリオペ即ちムーサの代表者となりこれに應じて勝ち、彼等のなほ罵るを惡み變じて鵲となす(オウィディウスの『メタモルフォセス』五・三〇二以下)
【赦】彼等の僭上に對する
一三―一五
【碧玉】ブーチの註に曰。碧玉に二種あり、一を東の碧玉といふ、東の方メディアの産なればなり、この珠他の一種のものにまさりて光を透さず云々
【第一の圓】地平線。即ち地平線にいたるまで一天蒼碧となれるをいふ
ムーア本には「清き中空《なかぞら》より第一の圓にいたるまでのどけき姿にあつまりて」とあり
一六―一八
【死せる空氣】暗き地獄の空氣
一九―二一
【戀にいざなふ】その光によりて(天、八・一以下參照)
【美しき星】金星即ちこゝにては明《あけ》の明星
【雙魚】金星の光強くしてこれとともにめぐる雙魚宮の星の光を消せるなり
以上四月十日早朝の景を敍せるなり、金星この時雙魚宮にありとすれば時は日出前一時と二時の間即ち午前四時と五時の間の頃なるべし(地、一一・一一二―四註參照)
二二―二四
【第一の民】アダムとエヴァ。彼等樂園を逐はれし後は南半球に人の住めることなし
【四の星】想像の四星。註繹者曰、四星は四大徳即ち思慮、公義、剛氣及び節制を表はすと
二五―二七
【北の地】人の住む處なる北半球。星を見ざるは徳の光を失へるなり
三一―三三
【翁】マルクス・ポルチウス・カトー・ウティチェンシス(前九五―四六年)。自由を唱道してポムペイウスに與《くみ》せしがポムペイウス、カエサルに敗らるゝに及びウティカに退き自刃して死す
カトーは自由の保護者として淨火の島の島守となり、罪の覊絆を脱却して靈の自由を求むる魂等を勵ますなり、ダンテは他の著作に於ても屡※[#二の字点、1-2-22]カトーを激賞せり(『デ・モナルキア』二、五・一三二以下。『コンヴィヴィオ』四、二八・一二一以下等)
又カトーは自殺者として地獄の第七圈に罰せらるべきものなれども古來俗衆の間にてもまた寺院内にても彼の尊重せらるゝこと深く且つウェルギリウス自身その『アエネアス』の中に彼を敬虔なる者の首長となして彼等に法を與へしめたれば(八・六七〇)ダンテも彼にかゝる大切なる地位を保たしめしなり
四〇―四二
カトーは兩詩人を地獄より逃げ來れる魂なりとおもへるなり
【失明の川】闇を流るゝ地下の小川(地、三四・一二七以下)
四六―四八
【淵の律法】地獄の律法即ち地獄に罰せらるゝものその刑場を離るゝをえざるをいふ
四九―五一
【目】原文、眉。ウェルギリウスはダンテをして跪き且つ目を垂れしめしなり
五二―五四
【淑女】ベアトリーチェ(地、二・五二以下參照)
五八―六〇
【最後の夕をみず】死せるにあらず。神恩全く絶えて靈的生命を失へるにあらざる意を寓せり
【たゞいと短き】或ひは、今|少時《しばらく》せばその踵をめぐらしがたし
六一―六三
【路ほかに】地、一・九一以下及び一一二以下參照
六七―六九
【詞】教へ(九四行以下)
七〇―七二
【自由】罪を離れて靈の自由を得ること
七三―七五
【そがために】カトーは自由を失ひて世に生きんより自由の身として世を去らんとて死せるなり(『デ・モナルキア』二、五・一三六以下參照)、その求めし自由は政治上の自由なれども靈の自由と基づくところ相同じ
【大いなる日】最後の審判の日
【衣】肉體
七六―八一
【ミノス】地獄の法官(地、五・四以下)
【マルチア】カトーの妻(『コンヴィヴィオ』四、二八・九七以下參照)リムボにあり(地、四・一二八)
八二―八四
【七の國】淨火の七圈
八五―八七
【世に】原文、かなたに。以下この例多し、一々註せず
八八―九〇
【禍ひの川】アケロンテ(地、三・七〇以下參照)
【かしこを出し】リムボを出し
スカルタッツィニ曰。カトーの死はキリスト(クリスト)の死より早きこと約八十年なり、而してキリストの地獄を訪はざりしさきには人の魂救はれしことなし(地、四・六三)さればカトーもまた多くの魂とともにリムボにありて救ひの日即ち權威ある者の地獄に來る日を待てるなるべし
【律法】救はれし者は地獄に罰をうくるもののためにその心を動かすをえず(ルカ、一六・二六參照)
九四―九六
【齎】罪を淨むるにあたりて最も主要の徳なる謙遜のしるし
【汚穢】地獄の空氣よりうけし
九七―九九
【霧】地獄の
【最初の使者】淨火の門を守る天使(淨、九・七六以下)
一〇三―一〇五
【打たれて】浪に。藺はよく屈折して打つ浪に逆はざるが故に水際に生を保てども他の草木は然らず
謙遜の人は心を屈して神に從ふがゆゑによく刑罰に耐へてその罪を淨むるをうれども、この徳は有せざる人はしからず
一一二―一一四
【端】水際
【後に】詩人等北極の方に向ひてカトーを見、後うしろにむかひて海濱にいたる、知るべし彼等のはじめ島の南方にあらはれしを
一一五―一一七
【朝の時】l’ora mattutina 曉の前、明方《あけがた》近き夜の時をいふ。殘りの闇曉に追はれて逃げゆき、海のさゞ波みゆるなり
或日。ora は微風なり、日出前の微風黎明に追はれて海原遠く小波をたゝふるをいふと
一二一―一二三
【日と戰ひ】長く日の光に耐ふるをいふ
一二七―一二九
【涙】地獄にて流せる
【色】本來の色。ウェルギリウスは地獄の惡氣のために汚れしダンテの顏を露にて洗ひ、再びもとの色にかへせり
一三〇―一三二
【歸りしことなき】地、二六・一三九―四一並びに註參照
一三三―一三六
【かの翁】原文、他の者(altrui)
【再び】穗は頒つによりて減ずることなし

    第二曲

詩人等なほ汀に立てるに、ひとりの天使船をあやつりて岸に着き一群の魂を置きて去る、ダンテの友カセルラこの魂の中にあり、請はれて戀歌をうたふ、衆その聲のうるはしきにめで、とゞまりてこれに耳を傾け、つひにカトーの戒めを受く
一―三
四月十日午前六時に近き頃即ち淨火の朝イエルサレム(ゼレサレムメ)の夕、イスパニアの晝、インドの夜なり
【天涯】イエルサレムは北半球の子午線のいと高き處にあり(地、三四・一一二―七註參照)、しかして淨火はイエルサレムの反對面にあるが故にその地平線は即ち聖都の地平線と同じ
四―六
【夜】夜(即ち夜半)は日と反對の天にあり(地、二四・一―三註參照)而して日は此時白羊宮にあるがゆゑに夜はその反對面の天宮即ち天秤宮にあり、日の登るに從つて夜はインドなるガンジスの河口を去り、次第に西に向ふ
【その手より落つ】秋分にいたれば日天秤宮に入る、これ故に天秤夜の手を離るといへり、秋分以降夜は次第に晝より長し
七―九
【アウローラ】エオス、明方《あけがた》の空色を朝の女神と見做せるなり。この色始め白く後赤く日出づるに及びて橙黄色となる、恰も女神の老ゆるにつれてその頬の色變るに似たり
一〇―一二
【路のことをおもひて】路定かならざるため
一三―一五
【濃き霧】火星の赤色に濃淡あるはこれを蔽ふ水氣の厚薄によるといふこと『コンヴィヴィオ』二、一四・一六一以下に見ゆ
一六―一八
【光】天使
【あゝ我】死後救はるゝものの群に入りて再びこの光を見るをえんことを
二二―二四
【白き物】光の左右の白き物は天使の翼下方の白き物はその衣なり
三一―三三
【隔たれる】テーヴェレ(テーヴェル・テーヴェロ)の河口(一〇〇―一〇二行並びに註參照)と淨火の島の間の如く遠くへだたれる
三四―三六
【朽つべき毛】鳥の羽等
三七―三九
【神の鳥】天使。翼あるによりて鳥といふ
四三―四五
【福その】parea beato per iscripto 消えざる福その姿にあらはる
異本。〔fari`a beato pur descritto〕 その姿振舞いと尊ければ彼を見ずともたゞそのありさまを聞くのみにて人福をえんとの意
四六―四八
【イスラエル】詩篇一一四の初めにあり、イスラエルの族エヂプトを出で奴隷の境界を脱して神の自由民となれりとの聖經の歴史には魂罪の絆を離れ榮光かぎりなき自由を得るの意含まるゝがゆゑに(『コンヴィヴィオ』三、一・五二以下及びダンテがカン・グランデ・デルラ・スカーラに與ふる書一四九行以下參照)新たに來れる魂等特にこの聖歌をうたへるなり
五五―五七
【磨羯】白羊宮地平線上にある時磨羯宮は中天にあり、白羊宮の太陽次第に登るに從ひ磨羯宮は中天より次第に西方に傾きはじむ
六七―六九
【呼吸】地、二三・八八參照
七〇―七二
【橄欖】橄欖の枝は古へ平和のしるしとして用ゐしものなりしがダンテの時代にては平和勝利等おしなべて吉報を齎らす使者これを手にする例なりきといふ
七三―七五
【美しくする】罪を淨むる
七六―七八
【ひとり】カセルラ。ダンテの親友にして歌を善くす、傳不詳
七九―八一
【三度】『アエネイス』(六・七〇〇以下)にアエネアス冥府にくだりて父アンキセスの魂にあひ三度これを抱かんとせることいづ、その一節に曰く
抱けどかひなし父の姿はたゞ輕き風かりそめの夢にひとしく三度《みたび》その手をはなれたり
八八―九〇
【紲】肉體の
九一―九三
【再び】この旅路の教訓に基づきて徳の生涯を送り、死後救ひを得て魂再びこの處に歸らんため
【かく多く時を】汝の死せるは久しき以前のことなるに今漸くこゝに來れるは何故ぞや
異本、「かく大いなる國」(即ち淨火)とあり、意の歸する所同じ
九四―九六
【もの】載すべき時を定め載すべき魂をえらびてこれを船に載せ淨火の島に送る天使
九七―九九
【正しき意】天意
【三月の間】法王ボニファキウス八世の令旨の中なる大赦の初めの日、即ち一二九九年のキリスト降誕祭より(地、一八・二八―三〇註參照)一三〇〇年四月十日まで三箇月餘の間をいふ。大赦の恩惠に浴するもの悉く天使の船に乘るをうるなり
テーヴェレの河口に集まる魂皆船に乘るをうれども生前の徳不徳によりてその乘るに先後あり、さればカセルラも屡※[#二の字点、1-2-22]天使に拒まれて空しく時をすごせるうちジユビレーオの年いたりて特に渡海を許されしなり
一〇〇―一〇二
【テーヴェロ】ローマを過ぐる著名の川なればローマの寺院を代表す、地獄に下らざるもの萬國よりこの河口にあつまるといへるは寺院が救はるゝ魂を神と結びて淨めの途につかしむるを示せるなり
一〇三―一〇五
【アケロンテ】地獄の川(地、三・七〇以下)
一〇六―一〇八
【律法】境遇の變化にともなひて新たなる天の律法のもとにおかれ、そのため昔の技能をあらはす能はざるにあらずば
一一二―一一四
【わが心の中に】Amor che ne la mente mi ragiona ダンテの歌集にある歌の始めの一行なり、『コンヴィヴィオ』第三篇にこの歌の解釋いづ、古註にはカセルラこれが譜を作れりといへり
一一八―一二〇
【翁】カトー
一二一―一二三
【穢】scoglio 蛇の皮魚の鱗等のごとく魂をつゝむ罪の汚れ
一二七―一二九
【まさる願ひ】危きを避くるの願ひ食を求むるの願ひに勝ちて

    第三曲

詩人等やがて山の麓にいたれるに岩石高くして登るをえざればかなたより歩み來れる一群の靈を迎へてこれに路を問ひその教へをきく、彼等の一なるマンフレディ己が身の上をダンテにあかし且つ寺院に背きて死せるものの刑罰をうくるさまを述ぶ
一―三
【理性】理性の聲人をはげまして淨めの道に就かしむ
或日。ragion は神の正義なり fruga は懲すなり、神の正義淨火の山に人を懲すをいふと
四―六
【伴侶】ウェルギリウス
七―九
【みづから】船より下れる魂等はカトーの戒めをききて悔い、ウェルギリウスは自ら省みて悔ゆ
一〇―一二
【狹まれる】カセルラの事及びカトーの戒めにのみその思ひの集中せるをいふ
一三―一五
【求むる】こゝにては處のさまを知るを願ふこと
一九―二一
【棄てられし】ウェルギリウスに。ダンテはウェルギリウスの靈にして影なきを思はず、己獨りを殘して去れるにあらずやと疑へるなり
二五―二七
【夕】淨火の午前六時過はイエルサレムの午後六時過にあたる、イタリアは聖都とイスパニアの中央にあればこの時既に夕(午後三時過)なり(淨、一五・一―六註參照)
【ブランディツィオ】ブルンディジウム、ブリンディシ。イタリアの南アドリアティコ海濱の町
紀元前一九年ヴェルギリウス、ブルンディジウムに死す、皇帝オクタウィアヌス・アウグストゥス命を下してその遺骸をナポリに移し厚くこゝにこれを葬る
二八―三〇
【光を堰かざる】諸天は透明なれば一天より出る光他の天のためにせかるゝことなし
三一―三三
【威力】神の
【かゝる】わが體《からだ》の如く影もなき
【されど】神の大能のいかなるさまにはたらくやは人知らず
三四―三六
若し人智をもて神のきはみなきみわざを知り盡しうべしとおもふ者あらば
三七―三九
【事を事として】al quia(〔=che’〕)たゞ事物の事物たるを知りて何故に然るやを究めんとせざるをいふ
【マリアは子を】キリストの出現によりて人はじめて天啓をうくるに及ばざりしなるべし
四〇―四二
リムボにとゞまる聖賢の如く一切を知るの願ひを果すに最も適せる人々すら世にその願ひを成就するにいたらず、今や却つて望みなき願ひのために(地、四・四二)永遠の憂ひをいだく
四三―四五
【アリストーテレ、プラトー】アリストテレス、プラトン。倶にリムボにあり(地、四・一三一―二及び一三四)
【思ひなやみて】ウェルギリウスも彼等と境遇を同じうすればなり(地、四・三七―九參照)
四九―五一
【レリーチェとツルビア】レリーチェはスペチア灣(ゼノーヴァの東南)に臨める古城、ツルビアはフランス領ニースに近き町。この兩地の間はほゞリグーリアの海濱といふに同じく、東西リヴィエーラに分たれ、連山高くゼーノヴァ灣上に突出す
五八―六〇
【一群の魂】悔い改めて世を去れるも寺院と和することをせざりし者
【おそく】救ひに入るのおそきを表示す
六四―六六
【望み】路を聞くをうるの望み
七〇―七二
【岸】山側
【動かず】道行く人、物におそれてその足をとゞむる如く魂等は詩人等が彼等に路を問はんとて左に進みいづるを見、その淨火の通則に反するをあやしみてとゞまれるなり
滅亡《ほろび》の路は常に左にむかひ(地、九・一三〇―三二註參照)救ひの路は常に右にむかふ
七三―七五
【福に終れる】神と和して死せる
【選ばれし】えらばれて救ひの路にある
七六―七八
【知ること】路を知らずして歩めば時を失ふ、しかして人はその智進むに從つていよ/\時の重んずべきを知る
八八―九〇
【右に】詩人等路を問はんとて左にむかへるがゆゑに山右に、日左にあり
九七―九九
【壁】山の嶮なるをいへり
一〇三―一〇五
【ひとり】マンフレディ。皇帝フリートリヒ二世の庶子、一二三一年の頃シケリアに生れ一二五八年より同六六年までナポリ及びシケリアに王たり、ローマの寺院その放逸を惡みこれと相敵視すること久し、法王クレメンス四世、フランス王聖ルイの弟なるシャルル・ダンジューを招きてこれにマンフレディの領地を與ふることを約す、一二六六年一月シヤルル、ナポリ王國を攻む、マンフレディ敗れ、同年二月ベネヴェントの戰ひに死す(地二八・一三―八註參照)
一一二―一一四
【コスタンツァ】コンスタンツェ。皇帝ハインリヒ六世の妃にしてフリートリヒ二世の母なり(天、三・一一八―二〇並びに註參照)。マンフレディは庶子なればこゝに父の名をいはずして祖母の名ないへるなり
一一五―一一七
【名譽の母】王位に登れる者の母
【女】マンフレディの女にして曾祖母と同じく名をコンスタンツェといふ、アラゴン(イスパニア)王ペドロ(ピエートロ)三世の妃となりアルフォンソ、ヤーコモ、フェデリーコの三子を生めり、一二九一年アルフォンソ死して後ヤーコモはアラゴンにフェデリーコはシケリアに王たり(淨、七・一一五以下並びに註參照)
【實】寺院の破門をうけしをもて世の人我を地獄に罰せらると思はば、汝コスタンツァに我の淨火にあるを告げよ
一一八―一二〇
身は戰場に殪れ、魂神のもとに歸れり
一二一―一二三
【されど】神は喜びてすべてそのもとにかへるものをうけいれ給ふ
一二四―一二六
【コセンツァの牧者】コセンツァはイタリアの南カラブリア州にある町の名なり、牧者(コセンツァの大僧正)の誰なりしやはあきらかならず
法王クレメンス四世の命によりてかの大僧正、マンフレディの遺骸をベネヴェント附近なるその墓より掘出しこれをヴェルデの川邊に棄てたりとの説あるによれるなり
【この教へ】原文、この頁。註釋者多くはヨハネ、六・三七を引照す。かの大僧正その頃もしよくこの聖語をさとりたらんには敢てわが遺骨に侮辱を加ふることなかりしなるべし
一二七―一二九
【堆石】シヤルル・ダンジューの兵士等がその遺骸の上に積める小石
一三〇―一三二
【王土】ナポリ王國
【ヴェルデ】ナポリ王國國境の一部を洗ふガリリアーノ川のことなるべしといふ、異説多し
【消せる燈火】普通の葬儀の時と異なり蝋燭に火を點せざるをいふ
一三三―一三五
【縁の一點】植物の全く枯れ果てずして縁なるところあるごとく人未だ死せずして悔いて神に歸るをうべき一縷の望みある間は
【彼等】牧者等
【永遠の愛】神の恩愛再びその人に臨む能はざるにいたることなし
一三六―一四一
寺院に破門せられしものはたとひ悔いて後死すともその破門の中にへし年月の三十倍の間は淨火門外の山麓にとゞまるのみにて罪の淨めをうくるをえず
【善き祈り】世に住む善人彼等のために神に祈れば彼等は三十倍の時過ぎざる先に淨火門内に入ることをう
一四二―一四四
【コスタンツァ】即ちマンフレディの女
【禁制】世人の祈りによらざれば、定まれる時過ぐるまで淨火の門内に入るあたはざること
【悦ばす】わがために善人の祈りを求めて
一四五
【こゝ】淨火全體を指す、善人祈りによりて淨火の靈をたすくるをうとは當時寺院の教へしところなり、この事以下處々にいづ(淨、四・一三〇以下、六・二五以下、一一・三一以下等)

    第四曲

詩人等狹き岩間の路をのぼりてとある高臺にいたりその上にいこふ、導者こゝに日の左よりいづる所以をダンテに説きあかし、後共に一巨岩に近づきて多くの魂をそのうしろに見る、即ち怠惰のため死に臨みてはじめて悔改めし魂なり、彼等の一ベラックワ、ダンテとかたりこれに己が境遇を告ぐ
一―六
喜び又は悲しみ等の強き刺激をうけて魂心の能力の一(即ち喜び又は悲しみを感ずる)に集まれば他の能力のはたらきすべて止むに似たり、さればプラトン學派の唱ふる如く人に多くの魂ありとなすは誤りなり、そをいかにといふにもし魂多からば一の魂一方に集まるとも他の魂よく他方を顧みるをうればなり
一〇―一二
單なる視聽の能力は強き刺激をうけて魂を獨占する能力と異なる、後者にありてはその能力刺激を與ふるものに固定し(繋がる)て活動の自由を失へども前者にありてはしからず
一三―一八
【かの靈】マンフレディの
【五十度】日の登ること一時間に十五度なれば今は日出後三時二十分即ち年前九時過なり
一九―二四
【たゞ一束】原文、たゞ一熊手
葡萄熟する頃農夫垣根の孔を塞ぎて盜人の入るを防ぐなり
二五―二七
【サンレオ】ウルビーノ市(中部イタリア)附近の小さき町にて嶮しき山の上にあり
【ノーリ】西リヴィエーラ(淨、三・四九―五一註參照)の中サーヴォナとアルベンガの間にある小さき町にて絶壁の下にあり
【ビスマントヴァ】エミリア州レッジオ地方の嶮山の名
二八―三〇
【わが光となりし】理性の光によりてわが行路を照らせる
こゝを登らんとするものはわがなせる如く信頼すべき導者に從ひ徳に進まむとの深き願ひをその羽翼として飛ばざるべからず
三一―三三
【崖】原文、端。即ち左右の岩の縁《ふち》
三四―三六
【高き陵】山の下方を指す
【上縁】岩間の狹路盡くるところ
三七―三九
【枉ぐる】歩を左右に轉ずる
四〇―四二
【象限の中央の線】原文、半象限より中心(圓の)にいたる線。即ち四十五度の角度
四六―四八
【バルツォ】balzo 岩石の山腹より突出せる處。詩人等の目の及ぶかぎり一帶をなして山を圍繞せり
四九―五一
【圓】即ちバルツォ
五五―五七
【あやしめり】わが世界にては東に向ふ人日が右の方(即ち南の方)にかたよるを見る例なればなり
五八―六〇
【光の車】太陽
【アクイロネ】北の風。こゝにては北を指す
六一―六三
【若し】もし太陽雙兒宮にありて
【カストレとポルルーチェ】カストルとポリュデウケース。ゼウスとレダの間の二子。化して宿星(雙兒宮の)となれりといふ
【鏡】太陽。光を南北半球におくる
六四―六六
【舊き道】黄道。太陽もし地球の周圍を囘轉するにあたりて其年毎の軌道を誤ることなくば
【赤き】太陽その中にあるがゆゑに
太陽もし雙兒宮にあらばそのめぐるところは今よりもなほ北にあたる、これ雙兒宮の星は白羊宮(太陽現にこゝにあり)の星よりさらに北にあるによりてなり
六七―七五
【シオン】イエルサレム
イエルサレムと淨火の山とは地球の正反對面にあり、面して前者は夏至線以北に後者は冬至線以南にあるがゆゑに東に向ふ人前者にては日を右に後者にては日を左に見るなり
【天涯を同じうし】淨、二・一―三註參照
【フェートン】フェトンテ。地、一七・一〇六以下並びに註參照
【路】黄道
【此、彼】此は淨火の山、彼は聖都
七九―八一
【さる學術】天文學
【日と冬の間】冬期北半球にては太陽冬至線若しくはその附近にあるが故に赤道は冬の世界と太陽の間にあり、南半球冬期に入れば太陽夏至線若しくはその附近にあるが故に赤道は冬の淨火と太陽の間にあるなり
【中帶】運行する諸天の中の最も高きもの即ち第九天の中帶
八二―八四
淨火の島とその北なる赤道の間の距離は聖都とその南なる赤道の間の距離に等し
【希伯來人《エブレオびと》】古、ヘブライ人がイエルサレムを中心としてパレスチナにのみ居住せる頃をいへるなるべし
八八―九〇
徳の路は入り難しといへども進むに從つて易し
九七―九九
【それよりさき】山の頂即ち疲れを休むるところに達せざるさき
一〇三―一〇五
【群】怠惰のため死に臨むまで悔改めざりし人の魂
一一二―一一四
【目を】不精のため目のみを動かして顏をあげざるなり
【汝は】汝はわがごとく不精の兄弟にあらざれば
一二一―一二六
【ベラックヮ】フィレンツェの樂器製造者、ダンテと相識の間柄なりしこと本文によりて知らる
【憂へず】救ひの道にあれば
【習慣】生前の怠惰なる慣習
一二七―一二九
【神の鳥】淨火の門を守る天使(啓、九・七六以下)
【苛責】門内にてうくる淨めの苛責
一三〇―一三二
【善き歎息】罪を悔ゆる
【天はまづ】淨火の門内に入るの前、我はまづその門外にて我の世に享けし齡と同じ年月を過さざるをえず
一三三―一三五
若し世に住む善人わがために神に祈らばそれよりさきに門内に入りて罪を淨むることをうれども(淨、三・一三六以下參照)
一三六―一三九
【日】時正午なれば太陽中天にあり
【岸邊】ガンジスの(淨、二・四以下參照)
【モロッコ】アフリカの西北端の國。イスパニアのシヴィリアと同じく北半球の西端を指すに用ふ
淨火の正午は聖都の夜半、モロッコの夕にあたる

    第五曲

詩人等なほ少しく登り進みて他の一群の魂にあふ、こは皆横死し、しかして死に臨むまでその罪を悔いざりし者なり、彼等のうちみたりヤーコポ・デル・カッセロ、ブオンコンテ・ダ・モンテフェルトロ及びピーア、ダンテとかたる
四―六
【左】東を背にして登るがゆゑに今は日右にあり(淨、四・五二以下參照)影左に落つ
七―九
【碎けし】影のため(淨、三・八八以下參照)
一〇―一二
【心ひかれ】原文、魂とらはれ。怠惰者の言《ことば》に心ひかるゝなり
一六―一八
思ひ多ければ專なる能はず、ダンテかの魂の言にその心をとむる時は登山の念さまたげられて時空しく過ぐるの恐れあり
二二―二四
【横方より】兩詩人は山を登り魂等はその腰をめぐるがゆゑに
【かはる/″\】a verso a verso 群集二部にわかれてその一部最初の一節をうたひ終れば他の一部第二節をうたひかくして漸次にうたひつぎ歌ひ終るなり
【憐みたまへ】Miserere 詩篇第五一篇をうたへるなり
二五―二七
【あゝ】驚きとあやしみをあらはす
三四―三六
【益を】ダンテ世に歸りて後善人に請ひて彼等のために祈らしむれば
三七―三九
【光】原文、燃ゆる氣體。初更の頃の流星または夏の夕の電光
五二―五四
【横死】戰ひ(ブオンコンテ)、私怨(ヤーコポ)、家庭の悲劇(ピーア)等
【天の光】神恩の光
五五―五七
【赦しつゝ】人を(マタイ、六・一四)
六一―六三
【平和】天堂の幸福
六四―六六
【一者】ヤーコポ・デル・カッセロ。
ファーノ(地、二八・七六―八一註參照)の名族、一二九六年より翌七年までボローニアのポデスタたり此間フェルラーラの侯爵エスティ家のアッツオ八世の怨みを買ふ、一二九八年ミラーノのポデスタとなりエスティ家の領地を過ぐるなからんためまづ海路を取りてヴェネツィアにいたる、しかしてこゝよりパードヴァ人の地を過ぎてその任地に赴かんとしオリアーゴの附近に達するに及びアッツオの命を受けし者の要撃するところとなりて死す
【助け】原文、恩惠。ダンテが彼等の親戚知己に乞ひて彼等のために祈らしむること
【もし力】若し已むを得ざる理由ありて汝の好意も果す能はざるにいたらずば
六七―六九
【間の國】マルカ・ダンコナ。ローマニアとナポリ王國の間にあり、後者は當時シヤルル・ダンジュー二世の治めしところ
七〇―七二
【ファーノ】マルカ・ダンコナにある町
【淨むる】はやく淨火の門内に入りて
七三―七五
【我の宿れる血】我ヤーコポの魂のやどれる血、わが肉體を生かしめし血
レビ記一七・一一に曰。肉の生命は血にあり
【アンテノリ】パードヴァ人。トロイア人アンテノールの子孫なりとの傳説あるによれり、アンテノリの懷といふはバードヴァ人の領地内といふに同じ
七六―七八
【安全】敵地を距たること遠ければ(六四―六行註參照)
【エスティの者】エスティ家のアッツオ八世
七九―八一
【オリアーコ】(オリアーゴ)パードヴァとヴェネツイアの間にある村
【ラ・ミーラ】オリアーコの附近にてブレンタ川に通ずる運河の一の岸にある村
【我は】我は今も世に生きながらふることをえたりしなるべし
八五―八七
【汝の願ひ】平安を得るの望み(六一―三行參照)
【わが願ひ】門内にて罪を淨むるの願ひ
八八―九〇
【ボンコンテ】ブオンコンテ、地、二七に見えしグイード・ダ・モンテフェルトロの子。アレッツオのギベルリニ黨の爲に屡※[#二の字点、1-2-22]戰場に臨み一二八九年六月カムパルディーノの戰ひに死す
【モンテフェルトロ】地、二七・二八―三〇並びに註參照
【ジヨヴァンナ】ブオンコンテの妻。世に殘れるわが妻もその他の親戚も一人としてわが事を思ふものなし
九一―九三
【カムパルディーノ】カセンティーノ(地、三〇・六四―六註參照)なるアルノの溪の一部ビビエーナ附近の平原。一二八九年六月アレッツオのギベルリニ黨フィレンツェのグエルフィ黨とこゝに戰ひて敗る
ダンテは當時フィレンツェ騎兵の中にありてこの戰ひに與かれりとの説あり(地、二二・四―九註參照)、若しこの説にして信ずべくんば彼はブオンコンテの討死せしこと及びその遺骸の戰場に見出されざりしこと等をその頃委しく知りえたるなるべし
九四―九六
【隱家】カマルドリの僧院をいふ、こは十一世紀の初めの頃聖ロムアルド(一〇二七死)の開基にかゝる
【アルキアーノ】僧院の上なる二水相合して下りビビエーナの北なる丘の麓にいたりてアルノに注ぐ、これをアルキアーノといふ、溪を横ぎりてアルノに入るが故によこさまにといへるなり
九七―九九
【名消ゆる處】アルキアーノとアルノの落合。アルキアーノこゝにいたりてその名を失ふ、こゝより海に赴くまでたゞアルノと稱へらるればなり
カムパルディーノよりこの落合まで約二哩半ありといふ
一〇〇―一〇二
【マリア】臨終に聖母の名を呼べるなり
一〇三―一〇八
【地獄の使者】鬼。地、二七・一一二以下にボンコンテの父につきて聖フランチェスコと鬼と爭へることいづ、すべてこの種類の物語中古の傳説に多かりきといふ、ミカエル(ミケーレ)と鬼とモーゼの屍を爭へりとの記事すでに聖書の中(ユダ、九)にあるをおもへ
【天に屬する】異本。天より來れる
【不朽の物】魂
一一二―一一四
以下鬼がブオンコンテの遺骸を虐待せるさまを敍す、但しこの一聯、文の組立につきて異説多し
【性より】靈體として風雲を左右するの力を有す
一一五―一一九
【プラートマーニオ】カセンティーノの西の境にある高山
【連山】アペンニノ山脈。プラートマーニヨと相對して東にあり
一二一―一二三
【流れ】カセンティーノの諸川。アルキアーノも其一なり
【たふとき川】fiume real 直接に海に注ぐ川にてこゝにてはアルノを指す
一二四―一二九
【苦しみに】悔恨の
【身をもて造れる】腕を胸の上に組みて十字架の形をつくれるなり
【獲物】大水に押流さるゝ草木砂泥の類
一三三―一三六
【ピーア】シエーナなるトロメエイ家の者にてマレムマなるピエートラの城主ネルロ・デ・パンノッキエスキに嫁せしが後これに殺されたりといふ、殺害の原因、年月及び其他の事につきては諸説ありて定かなること知り難し
【シエーナ我を造り】我はシエーナに生れてマレムマ(地、一三・七―九註參照)に死せり
【縁の】指輪を與へて後、妻に迎ふること正しき結婚の慣例なればピーアはその私《ひそか》にネルロに嫁せるにあらざるを示せるなりとの説採るべきに似たり、異本異説倶に多し
【與へしもの】即ち夫ネルロ

    第六曲

横死の際にはじめて悔改めし他の多くの魂を見て後、詩人等神の審判と生者の祈祷についてかたり遂にソルデルロ(ソルデル)のたゞひとり坐してゐたる處にいたる、ダンテは彼が同郷の好《よし》みをもてウェルギリウスをよろこび迎ふるを見、己が郷國を思ふの念に堪へず、悲歌慷慨す
一―三
【ヅァーラ】zara 中古、最も流行せる遊戲の一。三個の骰子《さい》を用ゐて勝敗を決す
【くりかへし】悲しみつゝも屡※[#二の字点、1-2-22]骰子を投げて練習を積み次の勝負に勝たんとするなり
四―六
懷ゆたかなる勝者に從ひ行きて各※[#二の字点、1-2-22]多少の恩澤にあづからんとす
一〇―一二
【約束】彼等のために善人の祈りを請ふの約束
一三―一五
【死せるもの】ベニンカーサ・ダ・ラテリーナ。アレッツオの法官にて、十三世紀の人なり、シエーナの貴族ギーノ(ギーン)・ディ・タッコの近親(ギーノと同じく奪掠を事とせるもの)に死刑を宣せしことありしかばギーノこれを含みベニンカーサがローマの法官となりてかの地に赴ける後己もまたローマにいたり法廷に於てこれを殺しその首級を提げて去れり
【追ひて】或ひは、追はれて(敵に)
【溺れし者】名をグッチョといひ、アレッツオなるギベルリニ黨の首領なりしタルラーティ家の者なり、嘗てグエルフイ黨と戰ひてこれを追へるときその馬アルノの川に入れりといふ
一六―一八
【フェデリーゴ・ノヴェルロ】カセンティーノの伯爵グイード・ノヴェルロの子。一二八九年(或曰九一年)ビビエーナの附近にてアレッツオなるボストリ家の者に殺さる。
【ピサの者】古註に曰。こはファリナータとてピサなるスコルニジアーニ家のマ―ルヅッコの子なり、彼ピサの市民に殺されしとき、その頃故ありてフランチェスコ派の僧となりゐたりし父マールヅッコ、他の僧侶と共にいでてその葬儀を營みかつ神の旨に從はんため殺害者の罪を容せりと
【強きを】わが子を殺せる者を赦せるをいふ
一説に曰。ファリナータはウゴリーノ伯爵がピサを治めし頃罪を得て斬首せられし者なり、その遺骸久しく市に放棄せられしかばマールヅッコ姿を變へて伯爵の許にゆき埋葬の事を乞ふ、ウゴリーノその何人なるやを知り、汝の堅忍よくわが固陋と拗執に勝てり行きて汝の欲するところを爲せといひ、その請ひを容れたるなりと
一九―二一
【オルソ】オルソ・デーリ・アルベルティ。ナポレオネ伯(地、三二・五五―七註參照)の子なり、一二八六年その從弟即ちアレッサンドロの子アルベルトの殺すところとなる、アルベルトはこれによりてその父の怨みを報いしなり
二二―二四
【ピエール・ダ・ラ・ブロッチア】もと下賤の生れなりしがフランス王フィリップ三世の信任を得て高官に陞る、のち君寵次第に衰へ遂に反逆の罪をうけて絞罪に處せらる
【ブラバンテの淑女】ブラバンテの公爵エンリコ六世の女にしてマリーといひ、フィリップ三世の後妻なりし者。當時の人ピエールの死をもて王妃の怨みにもとづくと信ぜしなり
一説に曰。一二七六年フィリップの長子ルイ死せる時、ピエールその死因をマリーの毒殺(即ち己の子を位に即かしめんための)に歸し、かくして王妃の怨みを買ひ從つてフィリップの信任を失ふにいたれり、フィリップ、カスティリア王アルフォンソ十世と戰ひを開くに及び、ピエールを嫉む者彼が敵と内通して機密をこれに漏せりとの事を王に具申し王妃一味の者と力を合せ、遂に彼を陷れきと
【これより惡しき群】地獄に罰せらるゝ者。人を讒せる罪によりて死後地獄(第八獄第十嚢)の刑罰をうくるなからんため未だ世にある間にその罪を悔ゆべし
マリーは一三二一年に死せり
二八―三〇
【詩の中にて】『アエネイス』の中にて(四〇―四二行註參照)
三四―三六
【わが筆】わがしるせるところと彼等の求むるところと矛盾せず
三七―三九
神たとひ世人の祈りを聽きたまふとも神の正義は依然として變ることなし
【愛の火】たとひ世にある人あたゝかき愛の心より淨火門外の魂のために祈りこの祈りによりてはやく天意を滿たし(若しこの祈りなくばかの魂等天の定むる時至るに及びてはじめて神慮を和ぐべきに)彼等をはやく門内に入らしむるとも
【審判の頂】神の審判のきびしくおごそかなるはかはらじ
四〇―四二
【陳べし處】アエネアス冥府に入りてスティージェの川に近づけるときパリヌルスの魂、これに己をも倶に渡らしめむことを乞ふ、アエネアスの導者シビルラこれを許さず、且つ曰く
神々の定めたまふこと、祈りのために變りうべしと思ふなかれ
と(『アエネイス』六・三三七以下)
【神よリ】パリヌルスの如きは神の恩寵をうくる者にあらざるがゆゑにその咎赦されずその願ひ聽かれざれしなり(淨、四・一三三―五參照)
四三―四五
【眞と智】靈界の奧義は人智のみを以て覺り難し、大智と雖もなほ天啓の光によりてはじめて眞を見るをうるなり
四九―五一
【主よ】異本、善き導者よ
五二―五四
【違ふ】登るべき路は汝の思ふよりも遠く且つ難し
五五―五七
汝未だ山の巓に達せざるうち、日は入り日は出でむ
六一―六三
【ロムバルディア】地、一・六七―九註參照
七〇―七二
【マントヴァ】同上
七三―七五
【ソルデルロ】マントヴァの出なるトルヴァドル派の詩人(十三世紀)
一説に曰。ソルデルロはマントヴァの領域内なるゴイートの人、十三世紀の初めに生る、後本國を去りてプロヴァンスに赴きシヤルル・ダンジュー一世に擢用せられ武人として又詩人としてこれに事ふ、シヤルル、イタリアに進軍せしときソルデルロこれに從ひて本國に歸り一二六九年の頃死すと(異説多し、委しくはロングフェローの註を見よ)
『デ・ウルガーリ・エーロクェンチアー』一、一五・一一以下にダンテがソルデルロの才藻を賞讚せし詞見ゆ
七六―七八
【屈辱の】國に一統の君主なく政權侯伯の恣にするところとなるをいふ
【水夫】皇帝に當る
七九―八一
【魂】ソルデルロ
八五―八七
チルレーノ、アドリアティコ兩海沿岸の諸州より内地にいたろまであまねくイタリアをたづねみよ
八八―九〇
皇帝ユスティニアヌス(天、六・一〇―一二註參照)汝イタリアの爲に多くの法をたてたりしかどその法に從ひて國を治むべき君主なくば何の益あらむ、法ありて行はれざるは法なきに若かず
九一―九三
【人々】法王僧侶等、即ち專ら靈界の事にたづさはりて國政を皇帝(カエサル)に委ぬべき人々
【神の言】カエサルの物はカエサルに復し神の物は神に復すべし(マタイ、二二・二一)
九四―九六
汝等國政に關與せるよりこの方帝王の統御を缺けるイタリア(馬)がいかに亂れて秩序なきにいたれるやを見よ
九七―九九
【アルベルト】ハプスブルク王家のアルブレヒト一世。皇帝ルドルフの子、一二九八年選ばれてローマ皇帝となりしもイタリアに赴かず、一三〇八年五月その甥ヨハンの弑するところとなる
一〇〇―一〇二
【奇しく】かの弑逆は即ち奇しく著しき天罰なり
【後を承くる者】ルクセンブルクのハインリヒ(アルリ―ゴ)七世(天、三〇・一三六―八參照)
一〇三―一〇五
【父】ルドルフ(淨、七・九一以下參照)
【かの地に】ドイツ諸州の中にとゞまり
一〇六―一〇八
【モンテッキ】ロメオとジュリエトの悲劇にて名高きヴェロナ市のモンテッキ(モンタギュー)カッペルレッティ(キャピユレト)兩家(共にギベルリニ)、及びオルヴィエート市のモナルディ(グエルフィ)ヒリッペスキ(ギベルリニ)兩家。處を同じうして而して相爭へる者の例をあげしなり、但し異説あり
【彼等】前の兩家は既に禍ひをうけて悲しみ、後の兩家も亦今不安の状態にあり
一〇九―一一一
【サンタフィオル】サンタフィーオラ。シエーナ市の領域内なるアルドブランデスコ(ギベルリニ)家の所有地。この一族一時勢ひ旺盛なりしもシエーナのグエルフィと爭ひてその勢ひを失ひ、サンタフィオルには當時盜賊横行せりといふ
一一五―一一七
【相愛する】軋轢爭鬪の甚しきを嘲れるなり
【己が名に】汝皇帝に對するイタリア人の侮蔑の目を見んために
一一八―一二〇
【ジョーヴェ】ゼウス神(地、一四・五二―四註參照)
【他の處に】イタリアをその罪惡のために棄てたまふか
一二一―一二三
或ひは後の福ひの女めに今この禍ひを下したまふか
一二四―一二六
【マルチェル】マルチェルロ。カエサルの勁敵マルクス・クラウディウス・マルチェルルスを指せるなるべしといふ。匹夫も政爭を利用してよく帝國の大敵となるをいへるなり
一二七―一二九
爭亂の中心にして無主義無秩序なるフィレンツェを嘲れる反語
【汝をこゝに】汝にわが非難をも安んじて聞くをえせしむる
一三〇―一三二
他のイタリアの市民の中には心に正義の念を宿せども言責を重んじて漫りに口にせざる者多し、然るにフィレンツェの市民は心にもなき正義を口にす
一三三―一三五
【公共の荷】公職。フィレンツェの市民が私慾の爲に公職を貪るを罵れるなり
一三九―一四四
【ラチェデーモナ】ラケダイモン。スパルタ
【十月に紡ぐ】フィレンツェの法令の常に變じて定まらざるをいふ
一四五―一四七
【汝のおぼゆる】未だ幾年も經ざる間に
【民】一黨勢ひを得れば他黨逐はれ、市に住する者屡※[#二の字点、1-2-22]變ず
一四八―一五一
【光を見なば】物を見るの明あらば

    第七曲

ウェルギリウス、ソルデルロ(ソルデル)に己が身の上をあかせし後ダンテとともにこれに導かれて山腹の美しき一小溪にいたりこゝに著名の君主侯伯の靈を見る
四―六
【登りて】善人の魂すべてリムボにくだり、未だ淨火の山にゆかぎりしさき、即ちキリストの未だ世を去りたまはざりしさき
【オッタヴィアーン】オクタウィアヌス・アウグストゥス(淨、三・二五―七註參照)
七―九
【他の罪】地、四・三七以下參照。
一三―一五
【抱くところ】膝より下
一六―一八
【我等の言葉】ラテン語
一九―二一
【功徳】ソルデルロ自身の
【恩惠】神の
【圍の内】chiostra(地、二九・四〇―二註參照)地獄の圈
二五―二七
我は罪を行へるにあらざれども信仰なく神をあがむるの道を盡さざりしため神(即ち汝がその許にいたらんことを待望み我わが死後にいたりてはじめて知れる神)を見るをえざるなり
二八―三〇
【處】リムボ(地、四・二五以下參照)
三一―三三
【人の罪】始祖アダム罪を犯してより人類一般に相傳し普及せる罪惡的傾向
【釋かれ】洗禮を受けて
三四―三六
【聖なる徳】信と望と愛(コリント前、一三・一三)。リムボの聖賢は多くの徳を有すれども宗教教理の三徳を缺く
四六―四八
【魂】八二―四行註參照
五二―五四
【日】日の光は神より出づる光なり、人神恩に浴せざれば一歩と雖も救ひの途に進むあたはず(ヨハネ、一一・九―一〇、一二・三五參照)
五八―六〇
【間】夜間。神恩なくば人たゞ罪に歸るか、さなくも淨めの道に進むをえずして徒に時を費すのみ
七〇―七二
【忽ち嶮】Tra erto e piano 或ひは、嶮しきにもあらず坦なるにもあらざる
【坎】溪
【縁半より】溪の縁の一部の他の部分に比ぶれば低くしてその半にあたらざるところ。溪に下るに極めて容易なるところ
七三―七五
【光りてあざやかなるインドの木】Indico legno lucido e sereno(ムーア本)或ひはこの一行を二分し「藍、光りて鮮かなる木」と讀み、後者は磨ける樫の木などの色淡黒なるを指せりと解する人あり、また然らずしてインドの木と讀む人の中にも或ひはこれを以て藍を指せりとし、或ひは烏木《こくたん》を指せりとし註釋者の説一ならず
學會本 indaco, lugno lucido, sereno,
八二―八四
【魂】國事に沒頭せるため死に臨むまで罪を悔いざりし帝王侯伯の靈。溪の美しきは世の榮華をあらはせるなるべし
【サルウェ・レーギーナ】Salue Regina(あゝ女王よ)、日沒後の禮拜のをり寺院内にうたふ祈りの歌
こは涙の溪(うき世)より聖母を呼び御子耶蘇を我等に現はしたまへと請ふ歌なればダンテその意を寓し靈の事を顧みざりし君主等をしてその悲境を訴へしめしなり。この歌全部、英譯とともにノルトンの註にいづ
八五―八七
【しばしの日】殘り少なき日暮れはつるまでは
九一―九三
【いと高き】世の地位最も高ければなり、この曲の終りに侯爵グイリエルモがいと低き處にあるも理同じ
【責務】ローマ皇帝としてイタリアに赴き親しく統御の任に當ること(淨、六・一〇三―五參照)
九四―九六
【ロドルフォ】ハプスブルク家のルドルフ。一二一八年に生れ、同七三年十月アクイスグラヌム(ドイツ)にて皇帝の位に登り、同九一年七月死す
【傷】閥族黨與の爭ひ。
【人再び】ハインリヒ七世(淨、六・一〇〇―二註參照)がイタリアの統一を圖りて事成らざりしにいひ及べるならんといふ、ハインリヒのイタリアにいたれるは一三一一年なり
されど神曲のこの部分をハインリヒの死(一三一三年八月)以前の作となす人は九六行の tardi をおそきに過ぐる意にあらずして容易ならざる意に解すべきか(淨、三三・四三―五註參照)
九七―九九
【慰むる】昔の仇敵も今の友となりて
【地】ボヘミア。モルダウ(モルタ)川の水源この國にあり、この川エルべ(アルビ)と合し北流して海に注ぐ
一〇〇―一〇二
【オッタケッルロ】オットカール。ルドルフの勁敵オットカール二世、一二五三年ボヘミアの王となり屡※[#二の字点、1-2-22]ルドルフと戰ひ一二七八年ウィーン附近に戰死す
【襁褓に】弱年のオットカールも今壯年のヴィンチスラーオよりはなほはるかにまされる君主なりき
【ヴェンチェスラーオ】ヴィンチスラーウス四世。一二七〇年に生れ、同七八年父の後を承けてボヘミア王となり一三〇五年に死す(天、一九・一二四―六參照)
一〇三―一〇五
【貴き者】ナヴァール王テバルド二世(地、二二・五二―四)の兄弟エンリケ。一二七〇年ナヴァールの王位を繼ぎ同七四年に死す、その女ジヨヴァンナは父の死後フィリップ四世の妃となれり
【鼻の小さき者】フランス王フィリップ三世。ルイ九世の次子、一二四五年に生れ、同七〇年父につぎてフランス王となり同八五年に死す
【百合の花】アラゴン(イスパニアにあり)王ペドロ三世との戰ひにフランスの艦隊利を失ひ、カタローニアに攻入りしフィリップはその退却中ペルピニアーノ(フランスの南端)にて死せり(一二八五年)。フランス王家の旗は青地に三の金の百合なれば退きて軍旗を辱しめしを花を萎れしむといへるなり
一〇六―一〇八
フィリップ三世の己が胸を打ち、エンリケの己が手に顏を支へて歎くは前者の子後者の女婿なるフィリップ四世の罪惡を恥づるなり
一〇九―一一一
【フランスの禍ひ】フランス王フィリップ四世(一二六八―一三一四年)。フィリップ三世の子なり、『神曲』中ダンテ處々にその非を擧ぐ(地、一九・八五―七。淨、二〇・九一―三。天、一九・一一八―二〇等)
一一二―一一四
【身かの如く】アラゴン王ペドロ(ピエートロ三世。一二三六年に生れ同七六年アラゴンの王位を繼承し、同八二年「シケリアの虐殺」ありし後、彼地の王となり、同八五年に死す、その妻はマンフレディの女コンスタンツェなり(淨、三・一一五―七參照)
【鼻の雄々しき】シヤルル・ダンジュー一世(一二二〇―一二八五年)。フランス王聖ルイ(ルイ九世)の弟にしてプーリア及びシケリアに王たり
一一五―一一七
【若き者】ペドロ三世の長子アルフォンソ三世。一二八五年父の後を承けてアラゴンの王となり一二九一年に死す
【器より器に】父より子に
一一八―一二〇
【ヤーコモとフェデリーゴ】ハイメ(ヤーコモ)はペドロ三世の次子、初めシケリアに王たりしが兄アルフォンソの死後アラゴンの讓りを受け、一三二七年死す。フェデリーコ(フェデリーゴ)はハイメの弟、ハイメ、アラゴンの王となるに及びてシケリアを治め一三三七年に死す
【善きもの】父の徳
一二一―一二三
【それ人の】父の美徳、子に傳へらるゝこと稀なり
【與ふるもの】神。神は徳の神より出ずるものにして遺傳によりて人の有するものにあらざることを世に知らしめたまはんとて
一二四―一二六
ハイメとフェデリーコがその父の徳を嗣がざるごとくシヤルル二世もまたその父シヤルル一世(鼻の大いなる者)の徳を有せず
【プーリア、プロヴェンツァ】シヤルル・ダンジューに次ぎてプーリアとプロヴァンスを治めし者はその子シヤルル二世(一二四三―一三〇九年)なり、このシヤルルは父に及ばずして統御の道その宜しきをえず、民悲歎にくるゝなり
プロヴァンスはシヤルル一世がベアトリスを娶れる時その所領となりしところ
一二七―一二九
シヤルル二世(樹)のその父シヤルル・ダンジュー(種)に及ばざることあたかもシヤルル・ダンジュー自身のペドロ三世に及ばざるに似たり
【コスタンツァ】ペドロ三世の妻(一三〇三年死)
【ベアトリーチェ】ベアトリス。プロヴァンスの伯爵ライモンドの女にしてシヤルル一世の初めの妻
【マルゲリータ】ボルゴニアの公爵エウデの女。一二六八年即ちベアトリスの死せし翌年シヤルルの後妻となれり
一三〇―一三二
【アルリーゴ】英王ヘンリー三世(一二〇六―一二七二年)
【枝には】その子エドワード一世(一二四〇―一三〇七年)の明君なりしをいふ
【まされる】シヤルル、ペドロ等の子に比して
一三三―一三五
【グイリエルモ】モンフェルラートの侯爵グイリエルモ七世。北部イタリアに多くの地を領しギベルリニ黨の首領となりて大いにグエルフィと戰へり、一二九〇年アスチ(ピエモンテの中)の人々アレクサンドリアを唆かしてグイリエルモに叛かしむるやグイリエルモその亂を鎭めんとてかの地に赴き却つてアレクサンドリア人の捕ふるところとなり(同年九月)鐡籠の中に幽せられて死す(一二九二年二月)
一三六
【モンフェルラート】北イタリアの中なるポー川の南の地にて今のピエモンテの一部にあたる
【カナヴェーゼ】北イタリアの西部ポーの北の地。モンフェルラートと共にグイリエルモの侯爵領地たり
グイリエルモの子ジヨヴァンニ父の仇を報いんとてアレクサンドリア人と戰ひしも利あらず、侯爵領地の民久しくその禍亂になやめり

    第八曲

ウェルギリウス及びソルデルロとともにダンテなほ君王の溪にありてニーノ・ヴィスコンティの靈とかたる、溪を襲へる一匹の蛇ふたりの天使に逐はれし後、彼またコルラード・マラスピーナと語りかつその豫言を聞く
一―六
【思ひ歸りて】思ひ郷に歸りて
【時】夕暮
七―九
【きかず】ソルデルロ語らず、君王の魂その歌をうたひ終りてまた聞ゆるものなければ
一〇―一二
【東】往時祈祷を捧ぐる人東に向ふを例とせり
一三―一五
【テー・ルーキス・アンテ】Te lucis ante(terminum)(光消えざるさきに)一日中の最終の禮拜の時(compieta)寺院内にうたふ祈りの歌にて夜の間の加護をねぎもとむるもの
一九―二一
【被物は】難解の譬喩にあらざれば容易にその眞義をさとりうべきをいへり
蛇は誘惑なり、天使は冥助なり、救ひの道にあるものといへどもその初めにあたりては誘惑にあふを免かれず、されどその信仰により天の冥助をえて罪を犯すにいたることなし
二二―二四
【蒼ざめ】誘惑を恐れ神前に謙りてその祐助を待つ
二五―二七
【焔の劒】(創世記三・二四參照)註釋者曰。劒に切尖なきはたゞ敵を防ぐためにて殺すためにあらざればなりと
二八―三〇
【縁】縁色は希望の象徴なり
三七―三九
【マリアの懷】聖母マリアの座所即ちエムビレオの天(天、三一・一一八以下)
四〇―四二
【背】ウェルギリウスの
四九―五一
【はじめかくれ】未だ眞の闇にあらねば、さきにはあはひ遠くして見えざりし互ひの姿も今は近くして見ゆるなり
五二―五四
【ニーン】ニーノ・ヴィスコンティ。ピサ市グエルフ黨の首領なるジヨヴァンニ・ヴィスコンティとウゴリーノ伯の女との間の子(地、三三・一三―五註參照)、一二七五年サールディニア島の一州ガルルーラの知事となり(地、二二・七九―八四註參照)後また祖父ウゴリーノと共にピサの市政に與かれるも幾何もなくこれと相爭ひ、一二八八年ピサを去り一二九六年サールディニアに死す
五五―五七
【水を渡りて】テーヴェレの河口より天使の船に乘りて。ニーノはダンテの境遇を知らざれば斯くいへり
五八―六〇
【今朝】四月十日の朝(淨、一・一九―二一註參照)
【第二の生】原文、他の生。永遠の生命
六一―六三
【しざりぬ】驚き惑ひて。ダンテにあふ者或ひはその呼吸により(淨、二・六七以下等)或ひはその影により(淨、三・九一以下等)てその生者なるを知れり、されどソルデルロはウェルギリウスの事に心奪はれて深くダンテに注意するの暇なく、且つこの頃日既に山の後にかくれゐたれば(淨、六・五六―七)影をみるをえざりしなり
六四―六六
【その一】ソルデルロ
【また一】ニーノ
【クルラード】クルラード・マラスピーナ(一〇九―一一行註參照)
【事】人に生きながら冥界をめぐるをえさせたまひしこと
六七―六九
水の深きがごとく奧深くして人智もこれを知る能はざるまでにみ業《わざ》の源をかくしたまふ神より汝のうくる特殊の惠みを指して
七〇―七二
【ジヨヴァンナ】ニーノの女、一三〇〇年には九歳ばかりなりきといふ
【罪なき者の】わがために祈りを天にさゝげしめよ
七三―七五
【母】ベアトリーチェ・オピッツオ・ダ・エスティ(地、一二・一一一)の女、一二九六年夫ニーノ死して後己が郷里フェルラーラに歸り、一三〇〇年ミラーノの君なるマッテオ・ヴィスコンティの子ガレアッツオに嫁す
【白き首※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]】中古、寡婦の服裝は黒衣に白の首※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]なりき、ベアトリーチェがこれを棄てて再嫁しミラーノに赴きしは一三〇〇年の半の頃なりしかど『神曲』示現の當時婚約既に成立ちゐたりしなるべしといふ
【あはれ】再嫁を悔いて寡婦の昔を慕ふなり。註釋者曰、一三〇二年ガレアッツオ、ミラーノを逐はれしよりこの方その一家久しく悲境に沈淪せりと
七九―八一
再嫁の記念を世に殘すは貞操の記念を世に殘すごとく名譽の事にあらざるべし
蝮蛇はミラーノのヴィスコンティ家の紋所、鷄はピサのヴィスコンティ家の紋所なり、家紋を墓所にあらはすこと日本に於てもその例多し
【ガルルーラ】地、二二・七九―八四註參照
八五―八七
【處】こゝにては南極の天を指す、極の星は赤道に近き處よりもその運行おそければなり
八八―九〇
【三の燈火】註釋者曰。この三の星は信仰、希望、愛を表はす、思慮、公義、剛氣、節制の諸徳は活動の徳にして晝に適し、神學上の三徳は默想の徳にして夜に適すと
九一―九三
【今朝】淨、一・二二以下參照
九四―九六
【我等の敵】默示録、一二・九參照
九七―九九
【エーヴァ】蛇、アダムの妻エヴァを誘ひて禁斷の木の實を食はしむ(創世記、三・一以下)、始祖の罪業は全人類の禍ひの本なりければ苦き[#「苦き」に白丸傍点]といふ
一〇三―一〇五
【天の鷹】天使。ダンテ蛇にのみ心ひかれて天使の飛びはじめし有樣を見ざりしなり
一〇九―一一一
【魂】クルラード(コルラード)・マラスピーナ(幼)。ヴィルラフランカの侯爵フェデリーゴの子、一二九四年頃死す
一一二―一一七
【汝を】汝を導いて天にむかはしむる神恩の光汝がこの山の巓に達するまで、汝の意志のはたらきと相結びて、消ゆることなからんことを
【※[#「さんずい+幼」、242-6]藥の巓】美しくして變らざる地上の樂園
【ヴァル・ディ・マーグラ】ルーニジアーナの一部(地、二四・一四五―七註參照)。ヴィルラフランカの城その中央にあり
一一八―一二〇
【老】クルラード・マラスピーナ(老)。侯爵フェデリーゴの父(即ち前出クルラード・マラスピーナの祖父)、一二五〇年頃死す
【愛】己が宗族の榮達をのみ希へるわが地上の愛
一二七―一二九
【財布と劒】人に施して惜しまず且つ勇武なりとの家の譽を傷けず
一三〇―一三二
【習慣と自然】家風と天性
【罪ある首】法王(ボニファキウス八世か)。政務に關渉して
一三三―一三五
【牡羊四の】今より後七年の月日過ぎぬまに
牡羊の蔽ふ臥床は白羊宮なり、この時太陽白羊宮にありしがゆゑにかくいへり
一三六―一三八
【意見】汝のわが一家に對していだく
【人の言より】汝は世の風評以上に力あるもの即ち自己の經驗によりて汝の意見に誤りなきを知るならむ
一三〇六年の秋逐客のダンテ、ルーニジアーナにいたりてマラスピーナ一家の歡待をうけしを指す
一三九 若し神の定めたまふこと(ダンテの逐客となりて處々に流寓すべきこと等)かはらずば

    第九曲

ダンテ、君王の溪に眠りて夢み、眠り覺むれば日既に高く身は淨火の門に近し、その傍にはたゞウェルギリウスあるのみ、門を守る天使兩詩人のいふところをきき扉をひらきて内に入らしむ
一―六
淨火の夜景を敍せるなるべし、されど極めて難解にして意義明かならざるところ多し、こゝにてはたゞ諸註の中、主なるものの一をあぐ(委しくはムーアの『ダンテ研究』第三卷七四頁以下を見よ)
【ティトネの妾】月のエオス(アクローラ)(月代)即ち月まさに出でんとして東方の白むをいへり(ラーナ)ティトノス(ティーネ)はトロイア王ラオメドンの子、朝の女神エオスに慕はれこれを妻として不死の身となれりといふ(神話)。ダンテこの傳説にもとづき日のエオスをティトノスの正妻と見做し月のエオスをその妾と見做せるか
【友】ティトノス
【臺】地平線上
【生物】蠍。天蠍宮の星東の空にあらはれしをいふ
七―九
【夜は】夜の八時半過。春分の頃の夜の半即ち午後六時より夜半までを昇《のぼり》としその他を降《くだり》とすれば昇の二歩を終ふるは午後八時なり、第三歩翼を下に曲ぐるは八時と九時の間も既に半を過ぎたるなり
一〇―一二
【アダモの】肉體の係累あるにより
【五者】ダンテ、ウェルギリウス、ソルデルロ、ニーノ、クルラード
一三―一八
【憂ひ】化して燕となれるピロメラがトラキア王テレウスの辱しめをうけし昔の悲しみを訴ふるなり(淨、一七・一九―二一註參照)
【時】曙(地、二六・七―一二註參照)
二二―二四
【ところ】プリュギアのイデ(イーダ)山。ガニュメデスはトロイア王トロスの子にして世にたぐひなき美男子なり、かつてその朋輩とイデ山上に狩す、ゼウス一羽の鷲をおくりてこれをさらはせ天にとゞめて神々に奉仕せしむ(神話)
二五―二七
【こゝに】イデ山に
二八―三〇
【火】火炎界。中古の學説に空氣を圍繞する火、空氣と月天の間にあり
三四―三九
キロネはアキレウスをはぐくめるケンタウロスなり(地、一二・七〇―七二參照)
アキレウスの母テティス、トロイアの難をおそれてわが子をキロネより奪ひその眠れる間にこれをエーゲ海中の一島シロ(或ひはスキュロス)に移せり(神話)、眠り覺めしアキレウスのおどろきあやしめるさまスタティウスの『アキルレース』一・二四七以下にいづといふ
【ギリシア人】オデュセウスとディオメデス(地、二六・六一―三註參照)
四三―四五
【慰むる者】ウェルギリウス
【日は】四月十一日の午前八時頃
五二―五四
【汝の中に】汝の肉體の中に
五五―五七
【ルーチア】神恩の光(地、二・九七―九註參照)
五八―六〇
【魂】原文 forme 肉體を形成するものの義(地、二七・七三參照)
六一―六三
【開きたる】岩分るゝとみゆるをいふ(四九―五一行並びに七三―五行參照)
七〇―七二
【技】詩材にふさはしき作詩の技巧
七六―七八
【門守】門を守る天使は僧侶を代表す、懺悔を聞きて人を淨めの途に就かしむればなり
八二―八四
【目を擧ぐれども】かの白刃を見んとて
八五―八七
【導者】天使は兩詩人の淨火にとゞまるべき魂にあらざるを知り、たゞ何の力に導かれてかしこにいたれるやを問へるなり
【禍ひを】神恩とまことの改悔によりて人の罪淨めらる、その道によらずして罪を淨めんとする者は自ら禍ひを招くに等し
九四―一〇二
註釋者曰。淨火門前の三段は改悔の三要素すなはち心の悔、罪の告白、行の贖の象徴なり、第一の段即ち最下方にあるものは汚れなき心に寫して己が姿を見、己が眞状を知るを表示す、第二の段は色の黒きによりて心の暗き影を表示し縱横の龜裂によりて罪の告白能く心の拗執に勝つを表示す、第三の段即ち最上方にあるものはその赤色によりて、改悔を行ひに顯はし神意を滿さんとする心の愛燃ゆるばかりなるを表示すと
【ペルソ】地、五・八八―九〇註參照
一〇三―一〇五
【金剛石】神意によりて定まれる懺悔の僧の立場の堅固なるを表はす
一〇九―一一一
【胸を】ルカ、一八・一三に税吏神前に罪を悔いて己が胸をうちしこといづ
一一二―一一四
【七のP】淨火の七界に淨めらるべき七の罪(Peccati)のしるし。たとひ罪の行ひを赦さるともその行ひの本なる邪念を心に宿すときは人天堂に入ること能はず
一一五―一一七
註繹者曰。灰色は懺悔を聞く僧が謙遜の心をもてその任務を果すを表はすと
【二の鑰】天國の鑰(マタイ、一六・一九)
一二一―一二六
金の鑰は人の罪を釋くことをうる僧侶の權能の象徴にて銀の鑰は改悔者の眞の状態を知悉し、その適不適を判ずる僧侶の技能の象徴なり、僧侶もしその一に於て備はらざるところあれば救ひの門ひらかるゝことなし
【價貴し】僧侶キリストの血によりてはじめてかの權能をうけたればなり
【纈を解す】罪ある者の罪と心の状態とを審議してその罪を釋くべきや否やを定むるなり
一二七―一二九
【ピエル】ピエートロ鑰をキリストよりうけてしかして天使に托せるなり(地、一九・九二參照)
一三〇―一三二
【後方を】罪に歸るものは神の恩寵を失ふ(ルカ、九・六二及びマタイ、一二・四三―五參照)
一三六―一三八
【メテルロ】ルキウス・カエキリウス・メテルルス。ローマの保民官なり、カエサルがタルペア岩と稱する岩山(ローマにあり)よりローマの寶物を奪ひ去らんとせし時これを守れるメテルルス爭ひ止めしかども及ばず、轟然の響きとともに堂宇の藏の戸開かれきといふ
【瘠す】寶物を失へるをいふ
一三九―一四一
【最初の響き】門内に入りて聞ける最初の響き即ち歌
【調にまじれる聲】歌謠の抑揚にまじりて歌詞のきこゆるをいふ
【デー・デウム・ラウダームス】Te Deum laudamus(神よ、我等汝を讚美す)有名なるラテン聖歌の一
一四二―一四五
【詞】歌詞。歌詞のあきらかにきこゆることと器聲に壓せられてきこえざることとあるなり

    第十曲

詩人等淨火の門より岩間の小徑を登りゆきて山をめぐれる一帶の平地即ち淨火の第一圈にいたり山側なる大理石の上に彫り刻まれし謙遜の例を見また石を負ひて傲慢の罪を淨むる一群の靈にあふ
一―三
【魂の惡き愛】ダンテ思へらく、善惡の行爲すべて愛より出づ(淨、一七・一〇三―五參照)、愛正しければ善行を生み正しからざれば惡業を生む、しかるに人多くは惡に傾くがゆゑに淨火門内に入りて罪を淨むる者稀なり
四―六
【我若し】後を顧みたらんには悔ゆとも及ばざりしなるべし(淨、九・一三二參照)
七―九
【紆行りて】原文、動きて。石の動くをいへるにあらずして路の紆曲するをいへるなり
一〇―一二
路狹ければ側面の岩の路を壓して行手を妨ぐることなき處をえらぶなり
一三―一五
【月】月、床に歸るとはその西に沒するをいふ、滿月より五日目の月(地、二〇・一二七參照)にてその入るは午前九時過なるべし
一六―一九
【針眼】岩間の狹路
【後方に】山後方にかたよりて前方に平地(即ち淨火の圈)を殘せるところ
二二―二四
圈の外側と内側の間即ち幅は人の身長の三倍なり
二五―二七
【臺】cornice 圓柱の上部の意より轉じて淨火の圈の意に用ゐらる
二八―三〇
【垂直にして登るあたはざる】ムーア本、Che, dritta(〔=e’ssendo dirtta quasi a perpendicolo〕), di salita aveva manco 學會本、Che dritto(=possibilita)di, etc. 登るすべなき
三一―三三
【ポリクレート】ポリュクレイトス、有名なるギリシアの彫刻家(前五世紀)
三四―四五
七罪に對する七徳の諸例の中第一例をすべて聖母の事蹟より引けり、第一圈にては聖母の謙遜を徳の第一例とす
【天使】ガブリエル(ルカ、一・二六以下)
救世主の出現を告げ知らせんため天使ガブリエル神より遣はされて聖母マリアの許に來れるさまを表はせり、キリストの降誕によりて神人相和し始祖アダム罪を犯せしよりこの方閉ぢて人の入る能はざりし天開け人はその涙を流して久しく求めしものをえたり
【幸あれ】Aue ガブリエルがマリアにのべし會釋の詞(ルカ、一・二八)
【女】マリア。尊き愛[#「尊き愛」に白丸傍点]は人間に對する神の愛
【神の婢を見よ】マリアの天使にいへる詞(ルカ、一・三八)
四六―四八
【人の心臟のある方】左方
四九―五一
【後方】聖母の像よりなほ右に當る方即ちウェルギリウスのゐたる方
五五―六九
第二の例としてイスラエル王ダヴィデの謙遜を擧ぐ
【聖なる匱】神がモーゼに命じて作らせたまひし契約の匱(出エヂプト記、二五・一〇以下)、ダヴィデこれをイエルサレムに移さんとてアビナダブの家より曳出せり(サムエル後、六・一以下)
【人この事により】ウザが神の命なきに手を契約の匱に觸れ、神罰をうけて死せること(サムエル後、六・六―七)を思ひ
【七の組】ラテン語譯の聖書にseptem choriとあるによれり
【一に否と】民の歌をうたふさま眞に逼れば耳は彼等うたはずといへど目は否彼等歌ふといふ
【目と鼻】目は香ありといひ鼻はこれなしといふ
【聖歌の作者】詩篇の詩人、王ダヴィデ
【衣ひき※[#「寨」の「木」に代えて「衣」、第3水準1-91-84]げ】サムエル、後六・二〇參照
【器】神の匱
【王者に餘り】身もあらはに亂舞せること王者にふさはしき振舞にあらず(足らず)、されどこれ皆謙遜の念より出でたる事なればむしろ世の王者にまさる(餘る)
【ミコル】ミカル。サウルの女にしてダヴィデの妃たりし者。王宮の窓より王の群集にまじりて躍り狂ふ姿を見、これを侮り且つ悲しめること聖書にいづ(サムエル後、六・一六及び二〇)
七三―九六
第三の例は皇帝トラヤヌスの物語なり、この物語はディオン・カッシウスの話説よりいでて中古廣く世に行はれきといふ
【グレゴーリオ】傳説に曰。皇帝トラヤヌス(五六―一一七年)の死後法王グレゴリウス一世その魂の救はれんことを神に祈りたれば皇帝この祈りのために地獄の苦しみを脱して天堂に入るをえたりと。一説には皇帝地獄より再び世に歸り洗禮を受くるにいたれりともいふ(天、二〇・一〇六―八參照)
【勝利】その祈りによりてトラヤヌスの魂を救ひ出せること即ち地獄に對する勝利
【鷲】ローマの軍旗として黄地に縫ひとれる鷲
【歸るまで】戰ひ終りて
【新しき物】神は時間に超越す、しかして萬物は皆神の顯現なり、故に神には新しき物あることなし
【奇し】かく複雜なる情の變化をあらはすは世の彫刻家の爲しあたはざるところなり
一〇〇―一〇二
【こなた】左
【民】傲慢の罪を淨むる者。この罪は七大罪のうち最も重き罪なれば最も低き處に淨めらる
一〇三―一〇五
或ひは「その好む習なる奇《めづら》しき物をみんとて眺むることにのみ凝れるわが目も、たゞちに彼の方にむかへり」
一〇六―一〇八
罪を淨むる者の苦しみ甚だ大なるを聞きて心臆し、悔改めの道を離るゝは非也
一〇九―一一一
苦しみの大なるをのみ思はずして後の福をおもへ、またいかに惡しき場合にても最後の審判の日到ればその苛責止むをおもへ
一一五―一一七
【わが目も】はじめは人の姿なるや否やを判じえざりしなり
一一八―一二〇
【石】罪の性質に應じて罰を異にすること地獄に於けるに同じ、世に自ら高うせる者今大石を負うて地にかゞむ
【なやむ】si picchia(打たるゝ、自ら打つ)註釋者多くはこれを罪を悔いて己が胸をうつ意に解すれど大石を負うて低くかゞめる者にふさはしからざるに似たり
一二四―一二六
【靈體の蝶】l’angelica farfalla(天使の如き蝶)人の魂。蟲の羽化して飛ぶどとく、我等の魂肉體をはなれ己が罪をかくさずしてゆいて審判をうくるなり
一二七―一二九
世に住む人の完全ならざるをいひてその高慢を誡めしなり
一三〇―一三二
【肱木】mensola 壁より凸出して梁の類を支ふるもの、往々人物の彫像を用ゐこれをしてその上にあるものを支ふるごとく見えしむ

    第十一曲

第二圈にいたらんため詩人等道をかの一群の靈に問ひ、その一オムベルト・アルドブランデスコの答へをききて彼等と共に右に向ふ、グッビオのオデリジまたかの群の中にありダンテを認めてこれと語りかつこれにプロヴェンツアーン・サルヴァーニの事を告ぐ
一―三
一行より二四行までは傲慢の罪を淨むる魂の祈りにてマタイ、六・九以下及びルカ、一一・二以下にみゆる主の祈りを敷衍せるもの
【限らるゝ】神の天にいますは空間の制限によりてそのいますところ定まれるがゆゑにあらず、たゞ最初の被造物即ち諸天及び天使を愛したまふこと特に深きによりてなり
四―六
【聖息】vapore 神の靈《みたま》のはたらき萬物に及ぶをいふ
七―九
【爾國の平和】天上の福
一〇―一二
人その私心を棄ててよく神意に服從すること天使のごとくなるべし
【オザンナ】Osanna 神を讚美する語(マタイ、二一・九)
一三―一五
【マンナ】manna 糧。昔イスラエルの民がアラビアの曠野にて食せるものにて(出エヂプト、一六・一三以下)こゝにては神の恩惠を指す
【曠野】マンナに因みて淨火を指せり。神恩によらざれば人、罪を淨むるあたはず
一六―一八
【功徳】我等の功徳微少にして罪を贖ふにたらざれば

一九―二一
【敵】惡魔

二二―二四
我等淨火門内にある者は惡の誘惑にあふことなければこの最後の祈りは我等のためにあらずして世人のためなり(淨、八・一九―二一註參照)
二五―二七
【旅】淨めの旅
【夢に】人|魘《おそ》はれて恰も重荷に壓せらるゝ如く感ずるをいふ
二八―三〇
【等しからざる】石の輕重により
【濃霧】誇りの氣
【臺】圈(淨、一〇・二五―七註參照)
三一―三三
【良根】神恩。神は世に住む善人の祈りを受納したまふ(淨、四・一三三―五參照)
【こゝに】世に
三四―三六
【諸※[#二の字点、1-2-22]の星の輪】諸天
三七―三九
以下四五行までウェルギリウスの詞
【正義と慈悲】神の
四〇―四二
【階】第一圈と第二圈の間の
【徑】第一圈より第二圈に通ずる狹路
五八―六三
【我】オムベルト・アルドブランデスコ。サンタフィオルの伯爵アルドブランデスコ家(淨、六・一〇九―一一註參照)の者、ギベルリニ黨に屬し屡々シエーナと爭へるため一二五九年シエーナ人刺客を遣はしてこれを殺さしむといふ
【ラチオの者】イタリア人
【古き血】舊家なること
【母の同じ】人皆地(或曰エヴァと)を母とす
六四―六六
【カムパニヤティーコ】オムブロネの溪なる一丘上の城にてアルドブランデスコ家の所有なり、オムベルトこゝに殺さる
七〇―七二
【生者】生前傲慢にして罪を淨めざりしかば死後この罪を贖はざるをえず
七三―七五
【垂れ】ダンテ自ら省みて傲慢の罪を恐れしなり
七九―八一
【アゴッビオ】クッビオ。マルケにあり
【色彩】alluminar(Fr. enluminer)色彩を用ゐて書籍の裝飾等をなす技
【オデリジ】グッビオの色彩畫家、一二九九年ローマに死す
八二―八四
【フランコ】ボローニアの色彩畫家、十三世紀の末より世に知らる
【一部】我はたゞ先輩として譽の一部を分つのみ。或曰、オデリジはフランコの師なりきと
八八―九〇
【もし罪を】我若し在世の間に悔改むることなかりしならば今猶淨火の門内に入るをえざりしなるべし
九一―九三
【衰へる世】先輩を凌駕する人の出でざる世
【その頂の】人の榮えの時めく間いつまでか續かむ
九四―九六
【チマーブエ】ジヨヴァンニ・チマーブエ。有名なるフィレンツェの畫家(一二四〇―一三〇二年頃)
【ジオット】有名なるフィレンツェの畫家。一二六六年フィレンツェの附近なる一小村に生れ、一三三七年フィレンツェに死す、ダンテの親友なりきといふ
九七―九九
【一のグイード】グイード・カヴァルカンティ(地、一〇・五八―六〇註參照)
【他のグイード】グイード・グイニツェルリ、ボローニアの詩人(淨、二六・九一―三註參照)
【巣より逐ふ者】ダンテがかの二詩人を凌駕するを暗示したりとの説あり、されど殊更に或一人を指せるにあらずしてたゞ一般に榮枯盛衰の定めなきをいへりとの註穩當なるに似たり
一〇三―一〇八
たとひ老いて後死すとも未だ千年經ざるまに世に忘れられ疎んぜられて稚き時に死すると異なるなきにいたらむ
【パッポ、ディンディ】papro(=pane), dindi(=denari)小兒の語、邦語にて飯《まんま》、錢《ぜぜ》といふにあたる。パッポ、ディンディを棄つるは人生長じて小兒の言語を用ゐざるにいたるをいふ
【いとおそくめぐる天】原文、天にいとおそくめぐる圈。恆星の天(第八天)を指す、當時の天文學によればその一※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]轉に三萬六千年を要すといふ
一〇九―一一四
【ゆく者】プロヴェンツァン・サルヴァーニ。シエーナなるギベルリニ黨の首領としてその勢力あまねくトスカーナに及ぶ、一二六〇年モンタペルティの戰ひ(地、一〇・八五―七註參照)の際大いにその黨與のために力め、翌六一年モンタプルチアーノにポデスタたり、一二六九年コルレの戰ひ(淨、一三・一一五―七註參照)に敗れ、虜はれて首斬らる
【亡ぼされし】モンタペルティの戰ひにフィレンツェ人(グエルフィ黨に屬する)の大敗せるをいふ
一一五―一一七
太陽はその光熱によりて地に草を生ぜしめ後これを枯らす、かくの如く時は人を榮えしめ後その榮を奪ふ
一二四―一二六
【かくのごとく】小股に(一〇九行)、荷重ければなり
【かゝる金錢】かゝる苦しみによりてその罪を淨む
―二七―一三二
【低き處】門外(淨、四・一二七以下參照)
【善き祈り】善人の祈り
【かく來る】死後直ちに門内に來る
一三三―一三八
古註曰。ターリアコッツオの戰ひ(地、二八・一三―八並びに註參照)にプロヴェンツァーンの一友某コルラヂーノのためにシヤルルと戰ひ、とらはれて獄に下さる、この時プロヴェンツァーン、一萬フィオリーノ(金貨)を以てその命を贖ふをうるを聞き、シエーナ市中央のピアッツァ(ピアッツア・デル・カムポ)に座を設け自ら人の憐みを乞ふ、シエーナ人尊大彼がごときもの今身を低うして人の助けを求むるを見てその志をあはれみ各※[#二の字点、1-2-22]分に應じて施與す、獄中の友これによりて救はるゝことをえたりと
【震はしむ】人の憐みを乞ふのつらきに身震ふなり
一三九―一四一
【暗き】憐みを乞ふくるしさは經驗によらざれば知り難し
【隣人】フィレンツェ人。汝フィレンツェ人のために郷土を逐はれ自ら人の憐みを乞ひ自ら身を震はすに及びてはじめてよくわが詞を解せむ
一四二
【幽閉を】彼が門外に長く止まらずして早くこの處に來るをえしはこの愛この謙遜の行爲ありたるによりてなり

    第十二曲

ダンテ、ウェルギリウスの誡しめに從ひオデリジの魂とわかれて進み路上に刻める慢心の罰の例を見、かくて階《きざはし》のほとりにいたればひとりの天使その額上なる七字の一を消しこれを勵まして第二圈にむかはしむ
一―三
【魂】オデリジの
四―六
【人各※[#二の字点、1-2-22]】人皆いそぎて改悔の途に進むべきをいへり
七―九
我は歩を早めんため、自然の要求に從ひて身を直くせるもわが心は傲慢のおそるべきものなるを知りてもとのごとく低く屈めり
一六―一八
【平地の墓】tombe terragne 高く築き上げたる墓に對していへり、表を上に向けし大理石の墓石などに生前の姿を刻して死後の記念となすこと中古世に行はるといふ
一九―二一
死者の追憶を拍車にたとへしなり
二五―二七
傲慢の罰の第一例として魔王ルチーフェロを擧ぐ
【尊く】地、三四・一六―八參照
【電光】我は電光の如くサタンの天より墜ちるを見たり(ルカ、一〇・一八)
二五行より三六行に亙る四聯は皆 Vedea(我は見たり)に、次の四聯は皆O(あゝ)に、次の四聯は皆 Mostrava(示せり)にはじまり、その又次の一聯のうち第一行は Vedea に第二行はOに第三行は Mostrava にはじまる
二八―三〇
第二の例はブリアレオスなり、神話にいづる巨人の一にして巨人等が神々と爭へる時ゼウスの電光の矢に射られて死せるもの(地、三一・九七―九並びに註參照)
三一―三三
第三例。神々と戰ひて死せる巨人等
彫像にはアポロン、アテナ、アレスの三神がその父ゼウスの傍にありてフレーグラの戰ひ(地、一四・五五―六〇參照)に死せる巨人等の骸《むくろ》を見る状をあらはせり
【ティムブレオ】アポロン。トロアデ(トロイア地方の名)のテュムブレにこの神を祭れる宮あるよりかく呼べり
三四―三六
第四例は聖書よりいづ、巨人ニムロッドネムブロット(地、三一・七六―八註參照)シナルの野にて高塔を築き、その頂を天に達せしめんとして神怒に觸る(創世記、―一・一以下)
【惑へる】言語亂れて通ぜざれば
【建物】原文、勞苦。バベルの高塔を指す
三七―三九
第五例は神話にいづるニオべの物語なり、ニオベはタンタロスの女、テバイ王アムピオンの妻となりて七男七女を生みその血統、富貴、美貌及び子女の多きに誇りて己をレト神にまされりとしテバイ人のこの神に供物を捧ぐるを責めしかば、レトその二子アポロン、アルテミスを遣はしてニオべの子女を悉く殺さしむ、ニオベは悲歎のあまり化して石となれり(オウィディウスの『メタモルフォセス』六・一四六以下參照)
四〇―四二
第六例。イスラエル王サウル、ペリシテ人と戰ひて利あらず、ギルボア山上に(パレスチナにあり)自刃して死す(サムエル前、三一・一以下)
【雨露】サウルの死を悼めるダヴィデの哀歌に曰く。ギルボアの山々よ、願はくは汝等の上に露も雨も降らざれ(サムエル後、一・二一)
四三―四五
第七例は神話にいづるアラクネ(アラーニエ)の物語なり(地、一七・一六―二四註參照)
【截餘】アテナは己が技《わざ》のアラクネに及ばざるをみて怒り織女の織りたる布帛を斷てり
四六―四八
第八例。レハベアムはイスラエル王ソロモンの子なり、父の死後その民これに苛政の苦しみを訴ふ、しかるにレハベアム、少年等の言に從ひ民の請ひを退けしかば民背きて王の税吏アドラムを殺せり、王即ちいそぎ車に乘りてイエルサレムに逃ぐ(列王紀略上、一二・一以下)
【おびやかす】イスラエルの民を
四九―五一
第九例として神話にいづるエリピュレを擧ぐ
彫像にはエリピュレがその子アルクマイオンに殺さるゝ状をあらはせり
ギリシア七王の一なるアムピアラオス、己がテバイの役に死する(地、二〇・三一―六註參照)を卜知しその所在をくらましたりしに妻エリピュレ、ヘファイストスの作なる金の頸飾を得んためポリュネイケスに誘はれて夫の隱家をこれに告げたり、アルクマイオン即ち母を殺して父の仇を報ゆ
【不吉なる】これを持つ者必ず禍ひに遭ふといはるればなり
五二―五四
第十例。セナケリブ、アッシリアの王なり、倨傲にして眞の神を侮りしが嘗て己の神ニスロクを宮の中にて拜せるとき其二子アデランメレクとシヤレゼルこれを殺して逃げ去れり(列王記略下、一九・三六―七及びイザヤ、三七・三七―八)
五五―五七
第十一例にはペルシア王キルス(クロス)をあげたり、マッサガテ人の女王トミリス激戰の後キルスを破りその屍を求めて頭を截り取りこれを血をもて滿たせし革嚢の中に入れ、血に渇ける者よ今血に飽けといへりといふ古の史家の記事によれり
五八―六〇
第十二例。アッシリアの大將オロフェルネ(ホロフェルネス)、ユダヤのベツーリアといへる町を圍めるとき、寡婦ユウディットその郷土を救はんため敵陣に赴き謀をもてホロフェルネスを殺せり、アッシリア人潰走す(『ユウディット』一一・一以下)
【遺物】首なきホロフェルネスの躯
六一―六三
第十三例。トロイア(地、一・七三―五註及び地、三〇・一三―五參照)
【イーリオン】イリオン、トロイアの異名。或曰、トロイアは町、イリオンは城の名と
六四―六六
【陰と線】線は像の輪郭をいひ、陰は高低をあらはす輪郭内の變化をいふ
【墨筆】stile 鉛錫等にて作れる筆にて最初の輪郭をあらはすに用ゐるもの
六七―六九
【面見し】原文、事實を見し。實際にそれ/″\の事柄を目撃せるをいふ
七〇―七二
【エーヴァの子等】人類。ダンテは世人が古來慢心の罰せられたる多くの例あるをおもはずして相率ゐてこの罪に陷るを嘲れるなり
七三―七五
思へるよりも時の早く過ぎたるをいふ
【繋はなれぬ】彫像にのみ心奪はれて他の事を思ふの餘地なき(淨、四・一以下參照)
【さらに多く】詩人等の歩みおそければ
七九―八一
【第六の侍婢】時を晝の侍女といへり、故に今は晝の第六時の終り即ち正午なり
九一―九三
【今より後】誇りの罪除かれたれば(一一八行以下參照)
九四―九六
ダンテの叫びか天使の詞かあきらかならず
【報知】天使の言を指す、これを聞く者の罕なるは謙遜の人の少なきなり
【高く】天に昇らんために生れし人類よ、汝等誇りの誘ひにあひ世の榮光をのみ求めて地に墜るは何故ぞ
九七―九九
【額を打ち】七のP(淨、九・一一二)の一を消せるなり(一三三―五行參照)
一〇〇―一〇八
第一圈より第二圈に到る徑《こみち》の階《きざはし》を、フィレンツェ市外の一丘モンテ・アルレ・クローチ(Monte alle Croci)の階と比較せるなり
【ルバコンテ】アルノ河に架せる橋の名、今は改めてポンテ・アルレ・グラーチエといふ
【邑】フィレンツェ。非政を嘲りて反語を用ゐしなり
【寺】「サン・ミニアート・ア・モンテ」(San Min iata a Monte)といふ、モンテ・アルレ・クローチの上にあり
【右にあたり】山門をくぐりて登りゆけばしばらくにして路二つにわかる、こゝにしるせし階はそのうちの右の路にあり
【文書と樽板】當時フィレンツェに行はれし二大詐僞をあぐ
一二九九年フィレンツェのポデスタ、モンフィオリートなる者不正の行爲ありて免官せられし時その自白の中にメッセル、ニッコラ・アッチヤイオリのため虚僞の陳述を人になさしめきとの一事あり、ニッコラ聞きて、その發覺を防がんと欲しメッセル・バルト・ダグリオネ(天、一六・五五―七參照)と共謀して市の記録の中より己に不利なる事項を抹殺せり
またこの頃鹽の出納役なりしキアラモンテージ家の一人、市より鹽を受取る時は普通の量器を用ゐ、これを市民に賣渡す時は樽板一枚を取去りて小さくせるものを用ゐ、以て不正の利を貪れりといふ
【安全なりし世に】かゝる惡事の行はれざりし昔
【右にも左にも】この階のモンテ・アルレ・クローチの階と異なるところは、その甚だ狹くして登るとき左右の石身に觸るゝにあり
一〇九―一一一
【聲】voci この語も Cantaron(歌へり)も共に複數なれば歌へる者の何なるやにつきては異説多し、但し他の多くの場合と同じくこれを以てPの一を消せし天使なりとし voci を parole(詞)の義に解し又は複數を單數の意に用ゐしものと解する人あり(ムーア『批判』四一〇六頁參照)
【靈の貧しき者】マタイ、五・三。一の罪淨まれば天使その額より一のPを消しかつキリスト山上の垂訓の始めなる九福の一句を歌ふを例とす、讀者その句と淨めらるゝ罪と相關聯するを思ふべし
一一五―一一七
【平地】第一圈の
一二一―一二三
【消ゆるばかりに】人慢心によりて神を離れ、神を離るゝによりて諸惡を行ふ、故に慢心は即ち諸惡の根源なり(箴言二一・四參照)慢心滅すれば他の罪亦皆消ゆるに近し
一二七―一三二
頭に羽毛などのつきたるを知らずして歩む者、人の笑ふをきゝてはじめて異しと思ひ、手をもてさぐり求むる類
一三三―一三五
【鑰を持つもの】淨火の門を守る天使(淨、九・一一二―四)

    第十三曲

詩人等第二圈即ち嫉妬の罪の淨めらるゝところにいたれば愛の例をあぐる聲きこゆ、また毛の衣を着、瞼を縫はれて岩石の邊に坐せる多くの魂あり、その一シエーナのサピーア己が境遇をダンテに告ぐ
一―三
【截りとられ】山の側面きりひらかれて圓形の路を成すをいふ
四―六
【弧線】第二圈は第一圈よりも小さければ圈の弧線の彎曲すること從つて急なり
七―九
【象も文も】或ひは、陰も線も。石面に彫像なきをいふ
一〇―一二
【選ぶこと】路を
一三―一五
【身を】原文、右脇を動《うごき》の中心として身の左方をめぐらし。日右にありたれば身をめぐらして右にむかへるなり
一六―一八
【光】比喩の意にては神恩の光
一九―二一
【故ありて】罪のために
二五―二七
【愛の食卓】愛は嫉妬と相反す、愛の食卓に招くは愛の例を告げ示して罪を淨むる魂に愛心を養ふを求むるなり
この圈の魂はその瞼を縫はれて(七〇―七二行)物を視る能はざるがゆゑに彫像によらず聲によりて教へらる
二八―三〇
聖母マリアの事蹟を第一例とす。カナの婚禮に招かれしとき酒盡きしかばマリア人々を憐みてキリストにむかひ、彼等に酒なしといふ、キリスト即ち水を變じて酒としたまふ(ヨハネ、二・一以下)
三一―三三
第二例としてピュラデス(ピラーデ)をあぐ。神話に曰く、アガメムノン(トロイアの役にて名高きギリシア軍の總大將)の子オレステス(オレステ)、ポキス王ストロピオスの子ピュラデスと水魚の交りありき、アガメムノンを殺せしアイギストスさらにオレステスを殺さんとせしときピュラデス叫びて我こそオレステスなれといひその友に代りて死せんとせりと
三四―三六
キリストの教訓を第三例とす(マタイ、五・四四)
三七―三九
【鞭の紐】善に導く方法即ち教訓の例
四〇―四二
【銜は】嫉妬の罪を避けしむる方法はこれと異なる例即ち嫉妬の罰の例を示してこの罪を恐れしむるにあり
鞭は魂をむちうち勵まして善に向はしむる積極的教訓をいひ銜は魂を抑制して惡に遠ざからしむる消極的教訓をいふ、前者には徳の例をあげ後者には罪の罰の例をあぐ、淨火の七圈各※[#二の字点、1-2-22]この二者を備ふ
【赦の徑】第二圈と第三圈の間にある徑《こみち》、この下にいたれば天使額上よりP字の一を消去るなり、嫉妬の罰は淨、一四・一三三以下にいづ
四三―四五
【かなたを】原文、空氣を透して
四九―五一
【聖徒よと喚ばはる】或ひは、聖徒をよばはる。聖母を初め諸天使諸聖徒の助けを求むる祈りの歌(Litanie de’Santi)をうたへるなり
五八―六〇
【毛織】cilicio 馬の毛等を結びあはせて造れる粗き衣にて昔隱者これを肌に着けそのたえず身を刺すを忍びて一種の行《ぎやう》となせりといふ
六一―六六
【赦罪の日】寺院に特赦の式ある日近隣の人々赦罪を乞はんためそこに集まるを例とす、かゝる折を待ちて盲目の乞丐《かたゐ》等また寺前に集まり憐れなる言葉をいだし、あはれなる姿を示してかの人々に物乞はんとするなり
七〇―七二
目を大にして他人の境遇をうかゞふは嫉妬の人の常なれば目を縫ひふさぎてこの罪を矯む
【鷹】馴れざる鷹は人を見ればたえず恐れて逃げんとするがゆゑにこれを馴らさんため始め絲をもてその瞼を縫ひ合はす習ひありきといふ
七九―八一
路の右方即ち圈の外側は第一圈に接する斷崖あるところにてその縁平らかなればウェルギリウスはダンテの墜落を防ぎかつは圈の状況をしたしくこれに見せしめんとて自ら右側を行けるなり
八五―八七
【高き光】神
八八―九〇
願はくは神恩によりて汝等の心の汚穢《けがれ》洗ひ去られその記憶だにあとに殘らざるにいたらんことを
【これを】良心を
九一―九三
【ラチオ人】イタリア人
【益あらむ】生者に請ひてその者のために祈らしむべければ
九四―九六
【眞の都】天の都(エペソ、二・一九參照)
【旅客】天は郷土、人は旅客なり
九七―九九
【かなたに】かの魂に聞えしめんため聲を高くして語れる(一〇三―五行)をいふ
一〇三―一〇五
【登らむ】天に
一〇九―一一一
【サピーア】シエーナの貴婦人、家系不明
【智慧なく】Savia non fui 名の Sapia と savia(賢き)とを通はして文飾となせるなり
一一二―一一四
【はや降《くだり》と】われ三十五歳を過ぎしとき(地、一・一―三註參照)
一一五―一一七
【コルレ】エルザの溪の一丘上にある町の名。一二六九年シエーナ及びその他のギベルリニ黨、フィレンツェ人とこゝに戰ひて敗れ、シエーナ軍の主將プロヴェンツアーノ・サルヴァーニ(淨、一一・一二一)虜はれて殺さる
【好みたまへるもの】シエーナ軍の敗北。サピーアは極めて嫉妬深き女なればその同郷人特には當時權勢並びなきプロヴェンツァーンをそねみてその敗戰を希へるなるべしといふ
一二一―一二三
【メルロ】鳥の名、異鶫《くろつぐみ》の類
註釋者曰。こは昔の人の話柄《かたりぐさ》に、メルロは雪の頃身を縮めて元氣なけれど空少しく晴るゝをみれば直ちに勢ひを得て、冬すでに過ぐ、主よ我また汝を恐れずといふといへるによれるなりと
【恐れず】わが願ひすでに成就したれば
一二四―一二九
【ピエル・ペッティナーイオ】ピエートロ・ダ・カムピ、幼少の頃よりシエーナに住み櫛を商へるをもてペッティナーイオ(櫛商)の異名あり、その行ひ極めて清廉にして善行多し、一二八九年シエーナに死す、市民公費を以てその墓を建つといふ
【負債は】我はこゝに來りてたとひ一部なりともわが罪を贖ひ終ることあたはず、臨終に悔改めし魂の例に從ひ今猶淨火の門外に止まれるなるべし
一三三―一三五
我もいつかこのところに來りて嫉みの罪を淨めんために汝等の如く目を縫はるゝことあらむ、されどわがこゝに止まる間は短かかるべし
一三六―一三八
【この下なる】第一圈の。ダンテ自から誇りの罪をおそるゝこと嫉みの罪より甚しきをいへるなり
【かしこの重荷】かしこに罪を淨むる者の背にする石を我今みづから負ふ心地す
一三九―一四一
【かなたに】原文、下に(即ち第一圈に)
サピーアはダンテが淨火の各圈をめぐりゆく者なるを知らず、再び第一圈に歸りて罪を淨むる者なりとおもへるなり
一四二―一四四
【選ばれし】選ばれて禍ひを享くべき(淨、三・七三―五參照)
【動かす】汝の知人に請ひて汝のために祈らしめんとて
一四八―一五〇
【求むるもの】天上の福
【わが名を立てよ】彼等我を地獄に罰せらるとおもへば實を告げて
一五一―一五三
【タラモネ】トスカーナの南海岸にある一小港。シエーナ人これを以て商業及び軍事上の要港となさんと欲し久しく望みを囑しゐたるが一三〇三年にいたりて遂にこれを買取り、その地勢惡くして效果少なきにかゝはらず多くの資本と勞力とをこれがために費せるなり
【ディアーナ】シエーナ市及びその附近の地下にありと信ぜられし川の名。シエーナ市水に乏しければ市民費を惜しまずしてこの水を得んとせりといふ
一五四
註釋者曰。タラモネの築港工事を監督せる海軍の將士等、處の空氣あしきため病みて死せるをいへるなりと、されど異説多くして意義分明ならず
【危險を顧みざるは】異本、失ふところ多きは

    第十四曲

かの魂の一グイード・デル・ドゥーカ、アルノ沿岸の諸市及びローマニアの腐敗を慨く、また聲ありて嫉妬の罰せられし例を擧ぐ
一―三
グイード(七九―八一行註參照)の詞
四―六
リニエール(八八―九〇行註參照)の詞
一〇―一五
【一者】グイード
【汝の恩惠】汝が神よりうくる恩惠即ち生きながら冥界をめぐるをうること
一六―一八
【小川】アルノ。紆曲してトスカーナの中部を流る、長さ百二十哩
【ファルテロナ】アペンニノ山脈中の一高嶺
二八―三〇
【負債を償ひて】答へて。問はるれば答ふる義務あるがゆゑにかくいへり、グイードはリニエールの問ひに對してその義務を果せるなり
【溪の名】川の名といふに同じ、溪は川に因みてアルノの溪とよばる
三二―三三
【ペロロ】シケリア島東端の岬。シケリアはもとイタリア本土の一部なりしが地勢の變化によりてこれと分離するにいたれりとの説に從ひペロロを斷たれし云々といへるなり(『アエネイス』三・四一四以下參照)
【高山】アペンニノ連山
【水豐なる】pregno(孕める)或ひは支脈多き意に解する人あり
三四―三六
この一聯、海にいたるまでといふに同じ。天太陽の熱によりて海水を蒸發せしむれば、その蒸發せるもの雨となりて川に入り、川またこれを海に注ぐ
【その中に流るゝもの】原、己と倶に行く物
四〇―四二
【溪】アルノの溪即ちアルノ沿岸の地
【性を變へ】人たるの性を失ひて獸の如くなり
【チルチェ】名高き妖女(地、二六・八八―九三註參照)、人を獸に變ぜしむ(『アエネイス』七・一〇以下參照)
四三―四五
【豚】アルノ上流の地カセンティーノ(地、三〇・六四―六參照)の民を指す
【貧しき】水少なき
四六―四八
【小犬】Botoli(小さくして善く吠ゆる犬)アレッツオ人を指す
【顏を曲げ】カセンティーノを南に下れるアルノはアレッツオ市を距る三哩の處にいたり忽ち曲折して西に向ふ
四九―五一
【狼】フィレンツェ人を指す
五二―五四
【狐】ピサ人を指す
五五―五七
【聞く者】主としてダンテを指す
【眞の靈の】聖靈の教へに從つてわが豫言するところ
五八―六〇
【汝の孫】フルチェーリ・ダ・カールボリ。リニエールの孫、一三〇二年フィレンツェのポデスタとなりて大いに白黨を虐ぐ
六一―六三
【賣り】黒黨の賄賂をうけて多くの白黨をその敵の手に渡したればなり
六四―六六
【血】市民の
【林】フィレンツェ市
七〇―七二
【魂】リニエール
七六―七八
【好まざる】二〇―二一行參照
七九―八一
【グイード・デル・ドゥーカ】ブレッティノロ(一一二―四行註參照)の名族の出、十三世紀の人にてギベルリニ黨に屬す、傳不詳
八五―八七
【我自ら】我は己が罪によりてこの淨めの罰をうく(ガラテヤ、六・八參照)
【侶】を他人とともに頒つあたはざる世の福に(淨、一五・四三以下參照)
八八―九〇
【リニエール】リニエール・ダ・カールボリ。フォルリの名族の出、十三世紀の後半の人にてグエルフィ黨に屬す
九一―九三
【ポーと山と海とレーノの間】ローマニア。北はポー河、南はアペンニノ山脈、東はアドリアティコ海、西はレーノ河をその堺とす(地、二七・二八―三〇註參照)
【眞と悦びに】精神上及び處世上に必要なる文武の徳
【その血統】カールボリ一家
九四―九六
【有毒の雜木】敗徳の民
九七―一一一
【リーチオ】リーチオ・ダ・ヴァールボナ
リーチオ、アルリーゴ、ピエートロ、グイード等皆ローマニアの名族の出、十三世紀の人々にて仁侠を以て名高かりきといふ
【庶子】父祖の徳を繼ぐ能はざるをいふ
【フアッブロ】フアッブロ・デ・ラムベルタッチ。ボローニアのギベルリニ黨(一二五九年死)
【ベルナルディン・ディ・フォスコ】卑賤より身を起しその徳によりてファーエンツァ(ローマニア州ラーモネ河畔の町)第一流の市民となれるもの
【トスカーナ人】ダンテを指す
【グイード・ダ・プラータ】プラータはファーエンツァの附近にある町
【ウゴリーン・ダッツォ】トスカーナに名高きウバルディーニ家の者にて長くローマニアに住めりといふ
【フェデリーゴ・ティニヨーソ】リミニの人
【トラヴェルサーラ、アナスタージ】ともにラヴェンナ第一流の家柄なりしが一三〇〇年の頃殆んど斷絶の悲境にありきといふ
【處】ローマニア
【愛と義氣】或ひは戀愛のため或ひは義侠のため騎士等が多くの冒險を試みしたしく苦樂を味ひたりしその昔の日をしのぶなり
一一二―一一四
【ブレッティノロ】(今ベルティノロといふ)フォルリとチェゼナの間の町にて前出グイード及びアルリーゴ・マナルディの郷里なり
【汝の族と多くの民】族はブレッティノロを治めしマナルディ家を指せるか。スカルタッツィニ曰く、こは一二九五年ギベルリニ黨がブレッティノロより逐はれしをいふと
一一五―一二〇
【バーニアカヴァル】バーニアカヴァルロ、ラヴェンナの西にある町。十三世紀の頃この町を治めしマルヴィチーニ伯爵家には男子なかりきといふ
【カストロカーロ】モントネの溪にある町
【コーニオ】イモラ附近の町
不徳の子孫仁侠の父祖に代りて君たれば惡しといへり
【パガーニ】ファーエンツァの貴族
【鬼】パガーニ家の家長マギナルド・パガーニ・ダ・スシナーナ(地、二七・四九―五一參照)
【去る】一三〇二年に死す
【徴】美名
一二一―一二三
【ウゴリーン・デ・ファントリーン】ファーエンツァの人、徳を以て知らる、一二八二年に死し、その二子また相尋で死して家絶ゆ
一二七―一二九
かの魂等足音によりてわれらが右にゆくを知り而して何をもいはざるは即ち我等が方向を誤らざる證據なり、若し誤らば彼等必ず我等に教ふべければなり
一三〇―一三二
【聲】見えざる靈の(淨、一三・二五―七參照)
一三三―一三五
嫉妬の罰の第一例としてカインをあぐ、カインは嫉みのためにその弟アベルを殺せし者なり(創世記、四・三以下)
【およそ我に】神罰をおそれしカインの詞(創世記、四・一四)
一三九―一四一
罰第二例。アグラウロはアテナイ王ケクロップスの女アグラウロスなり、その姉妹ヘルセがヘルメス神に愛せらるゝを嫉み、神罰を蒙りて化石す(オウィディウスの『メタモルフォセス』二・七〇八以下)
一四二―一四四
【これは】これ等の例は人の心を抑制して他人の福を嫉むことなからしむるための善き誡めなり
一四五―一四七
【汝等】世人
【敵】惡魔
【銜】罰の例(淨、一三・四〇―二註參照)
【呼】徳に誘ふもの即ち徳の例。鳥を呼ぶにたとふ(地、三・一一五―七註參照)
一四八―一五〇
【美しき物】諸星(地、三四・一三六―八參照)
一五一
これ故に神は汝等を罰したまふ

    第十五曲

詩人等天使の教へに從つて階を踏み幸福の分與を論じつゝ第三圈即ち忿怒の罪の淨めらるゝところにいたる、ダンテこゝに異象によりて寛容柔和の例をみ後導者と共にすゝみて遂に一團の黒煙につゝまる
一―六
今見ゆる太陽と地平線との間は日出時の太陽と第三時(午前九時頃)の終りの太陽との間に同じ。即ち此時は日沒より三時間前(午後三時頃)なり
【球】太陽の天。そのつねに※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]轉して止まざること稚兒の戲るゝに似たり
【かしこ】淨火
【夕】Vespero 午後三時より日沒迄の間をいふ
【こゝ】イタリア。ダンテの計算に從へば淨火の午後三時はイエルサレムの午前三時に當り、聖都の西四十五度の位置にあるイタリアの夜半にあたる
一〇―一二
【輝】光輝のひときは強くなりてダンテの目を眩《くる》めかせしは(額を壓す)天使の光日光に加はりたればなり
一六―二一
ダンテは直接に天使より來る光を被はんとて手を目に翳せるもなほ間接の光(即ち天使よりいでて路にあたり反射してダンテを射る光)に堪ふる能はざりし次第を説きあかさんため光線反射の原理をこゝに敍せるなり
【くだるとおなじ】反射角の投射角と相等しきをいふ、この兩角相等しきがゆゑに反射線と垂線の間は投射線と垂線の間に等し
【垂線】原文、石の墜下(cader de la pietra)
二二―二四
【目は】光を避けんとてウェルギリウスの方にむかへるをいふ
三一―三三
罪清まるに從ひて光を喜ぶこといよ/\深し
三七―三九
【慈悲ある者】(マタイ、五・七)慈悲仁愛は嫉妬に反す
【勝者】嫉みの罪に勝つ者
四三―四五
【ローマニアの魂】グイード・デル・ドゥーカ(淨、一四・八五―七參照)
四六―四八
【最《いと》大いなる罪】嫉み(淨、一四・八二以下參照)
四九―五一
【處】地上の幸
五二―五四
汝等天上の幸を愛して心をこれに向はしむれば分の減ずる憂ひなし
【至高き球】エムピレオの天
五五―五七
【我等の所有と稱ふる者】幸を享くる者
【かの僧院に】聖徒の心に燃ゆる愛、僧院は天堂を指す(淨、二六・一二七―九註參照)
六四―六六
【眞の光より】われ眞を告ぐれども汝さとらず
六七―六九
【幸】神。神が己を愛する者に臨みたまふこと恰も太陽の光が光澤ある物體に臨むごとし
七〇―七二
神は己を愛する者の愛の熱度に應じて幸を與へたまふ、このゆゑに神を愛することいよ/\深ければその者のうくる幸またいよ/\大なり
七三―七五
天上の幸を愛するもの愈※[#二の字点、1-2-22]多ければ神の賜ふ幸從つて多く彼等の神を愛する愛また從つて深し(五五―七行參照)、しかして彼等がおの/\自己の幸を他の者に映《うつ》すこと鏡に似たり
七九―八一
【五の傷】天使が劒を以てダンテの額にしるせし七のPの中の五(淨、九・一一二―五參照)即ち悔恨の苦しみによりて清まる五の罪
【かの二】誇りと嫉みの
八二―八四
【次の圓】第三圈、忿怒の罪を淨むるところ
【目の】處のさまを見んとの
八五―九三
寛容の徳の第一例として聖母マリアの事蹟をあぐ。マリアその子イエスを見失ひ夫と倶にこれを尋ね求むること三日、漸くにしてそのイエルサレムの神殿内にあるを知れるも怒らず罵らず、たゞ言葉を和らげて我子よ云々といへること聖書にみゆ(ルカ、二・四一以下)
【多くの人】イエスと問答しゐたる教師等(ルカ、二・四六)
九四―一〇五
第二例としてアテナイの君ペイシストラトス(前五二七年頃死)の寛容をあぐ。嘗て一青年路にてペイシストラトスの女に接吻せしかば母怒りて夫に復讎を求めしかども夫これに應ぜざりきといふことローマ古代の文人ヴァレリウス・マクシムスの説話集にいづといふ
【これが名に】アテナイの都ははじめその命名に就いてポセイドン、アテナ二神の間に激しき爭ひありしもアテナの勝となりしためかく名づけられたりとの傳説によれり(オウィディウス『メタモルフォセス』六・七〇以下參照)
一〇六―一一四
己を殺すもののために神の赦しを乞へる最初の殉教者ステパノをあげて第三例とす(使徒、七・五四以下)
【民】ユダヤ人
【目を天の】目をひらきて天を望み
一一五―一一七
【わが魂】わが魂己が外《そと》なる實在に歸れるとき、換言すればわが魂夢幻の境界を脱して五官の覺醒に歸れるとき
スカルタッツィニ曰。ダンテはこゝに客觀と主觀の別を明かにせるなり、彼がその幻の中に見し物は眞(實物)なれどもそは主の眞即ち己が心の中《うち》にある物にて心の外《そと》の眞に非ず、されど人には己の外の存在として物を見るの習ひあれば己の内のみの現象を己の外の現象と見做し主の實を客の實に變へ易し、此故にダンテはその夢心地なりし間己が見もし聞きもせることを己の外にて實際に起れること即ち客の眞客の實なりと思へるなり、而してかく思へることの誤りなるをさとれるはその心外物の感觸に歸れる刹那にあり、されど彼がこの誤りを僞りならざる誤りといへるは、いまだ欺かるとの自覺なく己が前に現はれしもの(こは存在の象《かたち》にして實在の象にあらねど)を實際に見たりと思ひたればなり、物の現はれしは眞なれどもこれをまことに彼に見せしめしものはその肉眼にあらずしてその心その魂その靈の眼なり
【僞りならざる】主觀の眞なれば
一二一―一二三
【レーガ】二三|哩《ミーリア》
一三〇―一三二
【泉】神
【平和の水】寛容の徳
一三三―一三五
我は肉眼のみをもて物を見る人と異なりてよく物の内部をみるが故に今かくの如く汝に問へるも汝の足の定まらざりし理由を問へるにあらずしてたゞ汝を勵ませしなり
一三六―一三八
【怠惰】怠惰のため眠り覺めて後もなほ容易に活動せざるもの
一四二―一四四
【煙】忿怒の罪を淨むる烟。烟の目を冒して物を見るあたはざらしむるは怒りの智をくらまして是非を辨ぜしめざるに似たり

    第十六曲

黒烟につゝまれて忿怒の罪を淨むる魂の一、ロムバルディアのマルコ、ダンテの問ひに答へて意志の自由と世の腐敗を論ず
一―三
【乏しき】限界狹き
【星】原文、遊星。すべての天體の光をいふ
一三―一五
【のみ】pur これをウェルギリウスの詞とし、汝たゞ我と離れざるやう心せよと讀む人あり
一六―一八
【神の羔】キリスト(ヨハネ、一・二九)
一九―二一
【アーグヌス・デイー】Agnus Dei(神の羔)名高き祈りの歌にてその各節この二語にはじまる
神の羔、世の罪を取去りたまふものよ、我等を憐みたまへ
神の羔、世の罪を取去りたまふものよ、我等を憐みたまへ
神の羔、世の罪を取去りたまふものよ、我等に平安を與へたまへ
二二―二四
【怒りの結を】怒りの罪を淨む
二五―二七
【いまだ】猶世に生くる者のごとく
【月】calendi(各月の第一日)。永遠の世にては時をかく分つことなし
三一―三三
【奇しき事】生者にして冥界に旅すること
三四―三六
【行くをうる】罪を淨むる者烟の外に出づる能はず、されどその内にては進むも退くも自由なるに似たり
三七―三九
【纏布】肉體
四〇―四二
【近代に】使徒パウロ以來(地、二・二八以下參照)
四六―四八
【ロムバルディアの者】Lombardo 或曰。ロムバルドは國を指せるにあらず、マルコがヴェネツィアのロムバルディ家の出なればかくいへるなりと
【マルコ】十三世紀の人、傳不詳
【ひとりだに狙ふ人なき】原文、人みな弓を弛むべし
四九―五一
【高き處】天の王宮
五二―五四
【死すべし】その苦しみに堪へずして
五五―五七
この疑ひ(世の腐敗の原因に關する)はさきにグイード・デル・ドゥーカよりイタリアの罪惡を聞きしとき(淨、一四・二九以下)既に起れるものなるが今また汝より人類のおしなべて徳に遠ざかることを聞き彼此相對比していよいよ世の眞相をたしかめ疑ひ從つていよ/\深し
【これと連なる事】わがこの疑ひに關すること即ち世の腐敗
【こゝにもかしこにる】マルコの言とグイードの言とを指す。ダンテはマルコの言によりてマルコ自らいへることとグイードのいへることとの眞なるをかたく信ずるにいたれるなり
六一―六三
【或者】或者は世の墮落を星辰(諸天)の人間に及ぼす影響に歸し、或者はこれを人間の惡に傾く性情、その自由の意志の濫用に嫁す
六四―六六
【汝まことに】汝の無智は汝が世より來り世に屬する者なるを示す
七〇―七二
善惡の應報は自由の意志を豫想す
七三―七五
【天は】星辰の影響は人慾の最初の作用に及べどもその作用の全體に及ぶにあらず(星辰以外の影響あり)
七六―七八
【天と戰ふ】星辰の人慾に及ぼす影響と戰ふ。自由の意志もしこの戰ひに勝ちて而して後修養を經れば遂に何物の影響をもうけざるにいたる
七九―八一
汝等は神の大能の下に屬してしかして自由を失はず、この大能は星辰の力の左右し能はざる理智の魂を汝等に賦與す
八二―八四
【明かに】原文、眞《まこと》の説明者とならむ。spia は穿鑿者の義より轉じて説明者若くは報告者の意に用ゐられしもの
八五―九三
創造の初めに於ては人の魂無邪氣にして思慮なくたゞ本能に從つて己を樂します物にむかふ、かくて世の幸を味ふに及び、これに欺かれて以て眞《まこと》の幸となしたゞこれをのみ追ひ求む
【未だあらざるさきより】人の魂はそのいまだ造られざるさきに既に神の聖意《みこころ》の中に存在す、神見てこれを善しとしたまふ
【導者か銜】皇帝(及び法王)か律法、もしその愛慾を正しき道に向はしめずば
九四―九六
【眞の都の塔】天の王宮の塔如ち正義
九七―九九
【手をこれにつくる者】律法を施行する者
【牧者】法王
【※[#「齒+台」、第4水準2-94-79]む】モーゼの律法はイスラエル人が反芻せず蹄分れざる獸の肉を食ふことを禁ぜり(レビ、一一・三以下)
註釋者曰。反芻は智をあらはし雙蹄は善惡の別をあらはす、即ち法王が聖典の事に通ずれども善惡の別をあきらかにせず、天上の幸を顧みずして地上の幸をのみ求め、帝王に代りて正義を行ふ能はざるをいふと
一〇〇―一〇二
【幸】地上の。民その導者に傚ひて地上の慾を追ひ、靈の幸を求むることなし
一〇三―一〇五
かく見來れば世の腐敗の原因は星辰にあらずして人間にあり、人間にありと雖もこは人の性惡しきの謂にあらずして治者の指導その宜しきをえざるの謂なり
一〇六―一〇八
【二の日】二の主權即ち皇帝と法王(地、三四・六七―九註參照)
一〇九―一一一
【一は】然るにその後法王の權は皇帝の權を奪ひ、地上の權は靈界の權に合せらる
【杖】pastorale 僧官のしるしの杖
一一二―一一四
【恐れざれば】二個の獨立せる主權相扶掖してはじめて治國の道を全うす、しかるに政教一途よりいづれば互ひに相顧みて警戒するの要なく互ひに相助くるの要なきがゆゑに從つてその權を恣にするにいたる
【穗を】二主權混合の結果のいかなるやを思ふべし、すべて草木の善惡はその結ぶ實によりて知らるゝなり(マタイ、七・一六以下參照)
一一五―一一七
以下實例を擧げて政教混亂の禍ひを示せり
【國】ロムバルディア。アデーチエ(アディージェ)及びポーの兩河の流るゝ國
【フェデリーゴ】皇帝フリートリヒ二世(地、一〇・一一八―二〇註參照)。フリートリヒがいまだ法王と爭はざりし頃
一一八―一二〇
己あしきため善人と語りまたはこれに近づくことをすら恥づる者今は恐れずしてかの地を過ぐるを得、かの地に善人なければなり
一二一―一二三
【神の己を】かの敗徳の地を去りて神の許に歸るをうる日を待侘《まちわぶ》る三人の翁
一二四―一二六
【クルラード・ダ・パラッツオ】ブレッシアの貴族
【ゲラルド】ゲラルド・ダ・カーミノ。トレヴィーゾの人にて長くこの町を治めしもの(一三〇六年死)、ダンテ『コンヴィヴィオ』の中に(四、一四・一一四以下)その徳を稱せり
【グイード・ダ・カステル】レッジオの人
【ロムバルド】(ロムバルディアの人)グイードはこの異名によりて却つてよく知らるとの意、フランス人云々については或ひはグイードの聞えフランス人の間に高く彼等グイードを呼ぶにこの異名を以てせりといひ或ひはフランス人はイタリア人をおしなべてロムバルドと呼べりともいふ
一二七―一二九
【荷】政教の
一三〇―一三二
【レーヴィ】イスラエルの民の中なる僧侶の族にて代々産業をうくるをえず(民數紀略一八・二三)。ダンテはマルコの言を聞きて寺院の徒に俗慾に腐心するの非なるを思ひ、レーヴィの族が專心神に事ふるをえんため産業に與かる能はざりし次第をさとりえたりとの意
一三三―一三五
【消えにし民】昔の民(文武の徳あまねかりし頃の)
一三六―一三八
我汝の言を聞き違へたるか或ひは汝我になほもゲラルドの事をいはしめんとてかくいひて我を試むるか、汝トスカーナの者にして少しも彼の事を知らざる筈なし
【トスカーナ】ゲラルドの名はトスカーナにて最も人に知られきといふ
一三九―一四一
我若し彼をゲラルドと呼ばずばガイアの父といふの外なし
【ガイア】ゲラルドの女(一三一一年死)、素行修まらざるを以て知らるといふ(但し異説あり、されど思ふにこゝにては善き父と惡しき子とを對照せるならむ)
一四二―一四四
【光】天使よりいづる
【彼に見えざるさきに】罪未だ清まらざるがゆゑに天使の前にいづるをえず

    第十七曲

ウェルギリウスとともに黒烟をいでて後ダンテまづ忿怒の罰の例を異象に觀、次で天使の教へに從ひ階を上りて第四圈即ち懶惰の罪の淨めらるゝ處にいたる、この時日既に暮れてまた進むこと能はざれば導者はこゝにダンテのために人間の愛慾を論じ、淨火の罪の分類を明かにす
一―三
【※[#「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84]鼠】※[#「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84]鼠の眼は薄き膜に蔽はれて物を見る能はずといへる古説によれり
七―九
【第一に】畑をいでて第一に
一〇―一二
【雲】黒烟
【水際に死せる】水際即ち山麓を照らさざる
一三―一五
【外部より奪ふ】外物の刺激を人に感ぜしめざる
一六―一八
想像の力を刺激してこれを活動せしむるもの官能にあらざるときは即ち星辰若くは天意なり
【光】力。天より出づる力は或ひは星辰の影響により(自ら[#「自ら」に白丸傍点])或ひは上帝の聖旨(意志[#「意志」に白丸傍点])によりて人の想像を刺激す
一九―二一
怒りの罰の第一例、プロクネ(プロニエ)
【鳥】鶯
【女】プロクネ。トラキア王テレウスの妻なり、その妹ピロメラ、テレウスに辱しめられしとき、仇を報いんため己とテレウスの間の子イテュスを殺し、夫を欺いてこれが肉をくらはしむ、神々即ちその罪を惡み化して鳥となす(オウィディウス『メタモルフォセス』六・四一二以下參照)
ギリシアの物語によればプロクネは鶯にピロメラは燕に化し、ラテンの物語によれば前者は燕に後者は鶯に化す、ダンテはギリシアの物語に從へり
二二―二四
【わが魂は】心異象にのみ凝りて外部の印象をうけざるをいふ
二五―三〇
第二例、ハマン。ハマンはペルシア王アハシュエロス(アッスエロ)の臣なり、君寵淺からず諸民跪きてこれを拜す、しかるにユダヤ人モルデカイ(マルドケオ)なるもの獨りこれを敬はざりしかばハマン大いに怒り諸州のユダヤ人を悉く殺さんと謀れり、王妃エステルこの謀を王に告げハマン遂に木に懸けて殺さる(エステル書、三以下)
三四―三九
第三例、アマータ。ラチオ人の王ラティヌスの妻なり、アエネアスの軍近づくを見てこれと戰へるツルヌス(女婿となるの約ありし)既に死せりと思ひその女ラウィニアがかの漂流の客アエネアスの妻とならんこと恐れ怨みの餘り縊りて死す(『アエネイス』一二・五九五以下參照)
【處女】ラウィニア
【かの人】ツルヌス(地、一・一〇六―八並びに註參照)
四〇―四二
【消えざるさきに】睡り未だ全く去らずしばらく覺醒と戰ひ眠れる者をして夢現の間にさまよはしむるをいふ、ダンテの異象の一時に消え失せずしてなほしばらく眼前にちらつきたるにたとへしなり
四二―四五
【見慣るゝ光】日光
【もの】天使の光
四九―五一
【顏を合す】物を見るの願ひ切なる時はまのあたりこれを見るにあらざればしづまることなし
五二―五四
【わが力】わが視力
五八―六〇
かの天使の人を愛することは人の己を愛するごとく深し、彼は人に請はるゝを待たずして進んで人を助け導き、人は他人の乏しきをみれば未だ乞はれざるにはやくも助けを拒まんとす
六一―六三
夜の間は一歩もさきに進むをえざること前に見ゆ(淨、七・五二以下參照)
六七―六九
【顏を】天使羽をもて詩人の額上なるP字の一を消せるなり
【平和を愛する】マタイ、五・九。惡しき怒り[#「惡しき怒り」に白丸傍点]云々はその解にて善き怒り(義憤)に對す
八五―八七
ウェルギリウスはダンテの問ひに答へて懶惰の罪のこの圈に淨めらるゝをつげたり、懶惰の罪は即ち第一の幸を愛してその熱心足らず(義務に缺く[#「義務に缺く」に白丸傍点])、あたかも舟人の擢を怠りて徒に時を失ふに似たる罪なればなり
九一―九三
【自然の愛】宇宙萬物の中に自然に備はる愛即ち本能的の愛慾
【魂より出づる愛】自由意志により選びて物を求むる愛即ち理性的の愛慾
九四―九六
【他は】選擇の愛の誤るさま三あり、(一)人の禍ひを愛するとき、即ち誇り、嫉み、怒り(一一二行以下參照)、(二)第一の幸(神)を愛してその愛足らざるとき、即ち懶惰(一二七―三二行參照)、(三)第二の幸を過度に愛するとき、即ち、貪慾、多食、邪淫(一三三行以下參照)
九七―九九
【第一の幸】(複數)天上の幸特に上帝
【第二の幸】地上の幸
一〇六―一〇八
愛慾の目的はこれを起すもの(主體)の福にあるがゆゑに苟くも愛慾を起しうるものにして己が禍ひを求むるはなし
一〇九―一一一
何物も神を離れて自ら存在し能はざるがゆゑに從つて神を憎む能はず、神を憎むは己を憎むにほかならざればなり
一一二―一一四
禍ひを愛する愛かく己にも神にもむかはずばたゞ他人にむかふのみ
【汝等の泥】人間の性情
一一五―一一七
傲慢
一一八―一二〇
嫉妬
一二一―一二三
忿怒
一二四―一二六
【下に】下の三圈に
一二七―一二九
【一の幸】神
一三三―一三五
【また一の幸】地上の幸
【凡ての幸の】眞の幸福の因たり果たるものはたゞ神のみ
一三六―一三八
【三に分る】貪慾、暴食、邪淫の

    第十八曲

ウェルギリウスまたダンテのために愛慾と自由意志の關係を論じ、論じ終れば時既に夜半に近し、懶惰の罪を淨むる一群の靈|後《うしろ》より來て彼等を過ぎつゝ熱心の例及び懶惰の罰の例を唱ふ、靈遠く去るに及びてダンテ眠る
四―六
【渇】求知の念
一三―一五
【すべての善惡の】淨、一七・一〇三―五參照
一六―一八
【瞽等】無智の徒。彼等はいかなる愛に於ても愛その者はあしからずとの謬見をいだき(三四―六行)而して自ら世の指導者たらんとす
一九―二一
人の魂には物を求むる天授の力あり、誘ふものにあはざる間はこの方内に眠れども一たび幸のために目覺むれば直ちに外にあらはれて凡てその幸と認むる物を求めんとす(淨、一六・八五以下參照)
二二―二四
汝等の智力は外物の印象をとらへ來りてこれを汝等の心に示す
二五―二七
若し心この印象に傾きこれと結合するにいたればこゝに愛生ず、これ覺醒の愛即ち外物の刺激によりて心の中なる自然に物を求むる情とあらたに合する力なり
二八―三〇
【ところ】火炎界(淨、九・二八―三〇註參照)。古、火の上方に向ふを以て火炎界に登らんとするその本來の性向によるとおもへるなり、火こゝにあれば即ちその處をえ、地上にあるよりも長く保つを得
三一―三三
實在の樂しみに捉へられし魂はその愛慾の目的に到達せんとの願ひを靈的作用によりて起しこの願ひを滿たさざればやまじ
ダンテは『コンヴィヴィオ』三、二・一八以下に愛の眞義を論じて、こは魂と愛せらるゝものとの靈的結合に外ならず、魂はたとひその自由なると然らざるとによりて緩急の差ありとも、その本來の性質にもとづき走りてこの結合を求むといへり
三七―三九
凡そ人はその自ら認めて幸となすところのものを求むるが故に目的《めあて》(客體)常に善しとみゆれど、その實常によきにあらず(淨、一七・九四以下參照)、また假りによしと見做すも愛の過不足によりて罪を犯すことあるは恰も良き蝋の上にあしき印影《かた》を捺《お》すがごとし
四三―四五
若し外物の印象をうけて愛生じ、魂は物を求むるその自然の性に從つて動くの外なしとせばその向ふところ正しとも正しからずとも何ぞこれがために善惡の報いをうくるに當らむや
四九―五一
物質と類を異にし而してなほこれと相合するすべての靈魂は一種特有の力即ち人自然に物を認め且つ愛する性向を有す
【靈體】forma sustanzial 主要の本質。人間に於てはその靈魂
五二―五四
この性向魂の中に潜む間は見えずさとられず、そのはたらきによりてはじめてさとられ結果によりてはじめてあらはる
五五―六〇
物を認むる最初の力(理智の基)と物を求むる最初の情(愛慾の基)とは自然に魂に備はるものにてそのいづこより來るやは人知り難し
【最初の願ひ】自然に物を認めてこれを愛する情。自由の愛にあらざるがゆゑに毀譽褒貶を受くべきものにあらず
六一―六三
他の諸※[#二の字点、1-2-22]の愛慾がこの自然の愛と相結び相和するにあたりては即ち自然の愛が自由の愛にうつるにあたりては善惡をわかちてしかして取捨すべき一種の力(理性)汝等の中にあり
六七―六九
古來哲人が徳義を説けるは意志の自由を認めたればなり
七三―七五
【ベアトリーチェ】月天に自由の意志を説く(天、五・一九以下)
七六―七八
【月】四月十一日と十二日の間の夜半近き月。その一面缺くれども猶小さき屋の光を沒するに足る
おくれし[#「おくれし」に白丸傍点]は月出のおそきをいへるにあらずして、夜半近きほどおそき時にみえしをいふ、月の出でしは午後十時の頃なり
【釣瓶】secchion イタリアに用ゐらるゝ金屬製の釣瓶、その形球の上部を切り取れるごとし
七九―八一
十一月後半の頃ローマより見れば日はサールディニアとコルシーカ兩島の間に當る方向(やゝ南にかたよれる西)に沒す
【天に逆ひて】西より東に。即ち諸天の運行に從つて東より西に運行するのほか、その固有の※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]轉によりて西より東に逆行するなり(ムーア『ダンテ研究』第三卷六―七頁並びに脚註同七二頁以下參照)
八二―八四
【マントヴァーナの邑よりも】或ひはマントヴァ(マントヴァーナ)領内の何れの村よりもの意と解する人あり
【ピエートラ】古名アンデス、ウェルギリウスの生地にしてマントヴァ市の附近にあり
【わが負はせし荷】わが彼に負はせし疑ひの荷或ひは、わが負へる荷
八八―九〇
【民】懶惰の罪を淨むる
九一―九三
【イスメーノ、アーソポ】イスメノス、アソポス。テバイ附近の河の名。テバイ人等夜燈火をともし、これらの川の邊に群がり走りてこの町の守護神なるバッコス(バッコ)の助けを求めきといふ
一〇〇―一〇二
熱心の例。マリア、カエサル
【マリア】聖母マリアがその親戚エリザベツを訪はんとて山地なるユダの邑にいそぎてゆけることルカ傳(一・三九)にいづ
【チェーザレ】ユーリウス・カエサル。
カエサル、マルシリア(マッシリア、今のマルセイユ)を圍み、ブルートゥスをこゝにとゞめて急遽イスパニアに赴き、ポムペイウス部下の將アフラニオ等をイレルダ(今のレリダ)に攻む
一〇三―一〇五
【恩惠】神恩
一〇九―一一一
【徑】pertugio(孔又は裂目)掘り穿たれし岩間の徑をいふ、一一四行のbucaこれと同じ
一一五―一一七
【我等の】我等の止まらざるは神の正義に從はんためなれば無禮とみゆとも許せとの意
一一八―一二〇
【バルバロッサ】フリートリヒ一世(一一五二年より一一九〇年まで皇帝)の異名
【ミラーノ】一一六二年。バルパロッサこの市を破壞す
【院主】註釋者或曰。こは一一八七年に死せる「サン・ヅェノ」僧院の院主ゲラルド二世の事を指すと
一二一―一二三
【ひとりの者】ヴェロナの君アルベルト・デルラ・スカーラ(一三〇一年死)。一二九二年その庶子ジュセッペをかの僧院の主となせり
一二四―一二六
【身全からず】跪者なりきといふ、モーゼの律法に從へば不具者聖職を奉ずるをえず(レビ、二一・一七以下)
一三〇―一三二
【噛み】懶惰の罰せられし例をあげてこの罰を責むるをいふ
一三三―一三五
罰の第一例、イスラエル人。水分たれし紅海を渡りて、エヂプトよりのがれいでしイスラエル人(出エヂプト、一四・二一以下)は神の人モーゼの教へを守らざりしため、ヨルダン川の流るゝ地パレスティナに到らずして死せり(ヨシュア、五・六)
一三六―一三八
罰の第二例、アエネアスの侶等。アンキセスの子アエネアスと漂流の苦しみを最後まで倶にする能はざりしトロイア人は譽を棄ててシケリアに殘れり(『アエネイス』五・七〇〇以下參照)

    第十九曲

ダンテ夢にセイレン(シレーナ)を見、さめて後天使に導かれてウェルギリウスとともに第五圈に達す、こゝには貪慾の罪を淨むる魂の俯きて地に伏せるあり、その一法王ハドリアヌス五世ダンテとかたる
一―三
明方近き時(地、二六・七―一二並びに註參照)
【地球】前日の暑さの空中又は地上に殘れるもの冷やかなる地球のために消ゆ
【土星】古、土屋に熱を消す力ありとおもへるによる
【月】月はその光によりて空氣と地球を冷却すとおもへるなり、月の寒さ[#「月の寒さ」に白丸傍点]といふは猶夜の寒さといふごとし
四―六
【ゼオマンティ等】geomanti 偶然に地上に劃點し、その點にもとづきて線をひき形を作りて卜する者
【大吉】maggior fortuna その所謂大吉なるものは劃點の位置殆んど寶瓶宮の後半と雙魚宮の前半の星を連ねし如し。太陽は今白羊宮にあり、而して雙魚寶瓶の二宮はこれに先だつものなればこれらの星の東にあらはるゝは日出前約二時間なり
【ほどなく白む】日光のため。原文、その(大吉の)ためにしばし暗さを保つ
七―九
【女】シレーナ(一九―二一行)。貪婪、暴食、多淫の象徴なり(五八―六〇行)、これらはその實極めて醜きものなれども人、情に動かされ誤り見て美しとす(一〇―一五行)
一九―二一
【シレーナ】セイレン、神話に曰。セイレンはイタリア西南の海の一島に住む妖女なり、その美しき歌をもて航海者の心を迷はしこれを引きよせて命を斷つと。海[#「海」に白丸傍点]は地中海
二二―二四
【わが歌をもて】異本、わが歌まで
【ウリッセ】オデュセウス。神話によればオデュセウスを迷はせしものはキルケ(チルチェ)にして(地、二六・八八以下)キルケはセイレンにあらず、ホメロスの『オデュセイア』にはオデュセウス、チルチェの教へに從ひ蝋をもて耳を塞ぎてセイレンの難を免かれしことみゆ、ダンテの據る處あきらかならず
【我と親しみて】一たび罪の快樂に耽る者容易に正道に歸らざるの意を寓す
二五―二七
【淑女】註釋者多くはこれを道理の表象となす、異説多し
三一―三三
【とらへ】淑女かのセイレンをとらへ
三四―三六
この一聯すべてムーアの『ダンテ全集』によれり、異本多し、委くは『神曲用語批判』(三九三―四頁)
【門】岩間の徑をいふ
三七―三九
【新しき日】四月十二日午前の太陽
四〇―四二
ダンテは頭をたれ身をかゞめて歩みゐたるなり
四九―五一
【哀れむ者】マタイ、五・四に曰、哀れむ者は福なり。この圈の靈泣き悲しめること前にいづ(淨、一八・九九)
【女王】所有者
【扇げり】ダンテの額上に現れるP字の一を消さんため
五八―六〇
【上】上の三圈即ち貪婪、多食、及び邪淫の罪を淨むるところ
【年へし】世の初めよりありし罪なればなり
【人いかにして】人、道理の光に照らして此等の慾の眞相を觀その誘ひに勝つをいふ
六一―六三
【歩履をはやめ】原、踵に地をうち
【天】原、大いなる海
神は諸天をめぐらしその美を示して汝等を抱けば汝等その招き(餌)に從つて心を天にむかはしめよ(淨、一四・一四八以下參照)
六四―六六
【聲】鷹匠の
【食物】獲物の一部を鷹に與ふる習ひなりきといふ
六七―六九
【環り】環行すべき處即ち第五圈、第五圈は貪婪の罪を淨むるところなり、ダンテは七大罪の分類に從ひ主としてこの罪をあげたれど浪費者も亦この圈に罰せらるゝこと地獄の場合と同じ(淨、二二・四九以下參照)
七三―七五
【わが魂は】詩篇一一九・二五。塵[#「塵」に白丸傍点]は地なり
七六―七八
ウェルギリウスの詞
【義と望み】神の正義に從つて淨めの苦しみをうくとの觀念及び時至れば天に登るを得との信仰
七九―八一
魂(ハドリアヌス)の答へ
【右を】園を右よりめぐれば兩詩人の左は山腹右は圈の外側なり
八二―八四
【かくれたる者】かく我等に答へし靈。靈皆俯むきて伏しゐたれば目にてはそれと知り難かりしも耳にて知りえたりとの意
八五―八七
かの靈と語らんとて目付にて導者に許しを請へるに導者もまた目付にて許しを與へしなり
九一―九三
【物】罪を淨むること。罪の清むるを果實の熟するにたとへしなり
【意】罪を淨むるの願ひ
九七―九九
【ペトルスの繼承者】法王(地、二・二二―四參照)。この法王は名なオットブオノ・デ・フィエースキといひコンチ・ディ・ラヴァーニアと稱するゼーノヴァの貴族の出なり、一二七六年七月選ばれて法王となりハドリアヌス五世と稱し在位三十八日にして死す
一〇〇―一〇二
【流れ】ラヴァーニア
【シェストリとキアーヴェリ】東シエストリ及びキアーヴェリはともにゼーノヴァの東にある町の名
【稱呼】川の名なとりてコンチ・ディ・ラヴァーニアといへり
一〇三―一〇五
われ法王の位にあること僅かに月餘に過ぎざりしかど、よくこの任の甚だ重きを知りえたり
【これを泥に汚さじ】法王の位を辱しめじ
一〇六―一〇八
【虚僞】世の富貴は眞の幸にあらざること
一〇九―一一一
かくの如き榮位をうるも慾心なほ飽かずまた飽かすべき地位なきを見て我は永遠の生命《いのち》眞《まこと》の幸を愛するにいたれり
一一二―一一四
【かの時】法王となれる時
一一五―一一七
【爲すところのこと】精神上に及ぼす惡結果
【苦き】忌むべきさまなる
一二一―一二六
【働】善行
【正しき主の】神の善しとみたまふまで、罪の全く清まるまで
―二七―一二九
【耳を傾け】ダンテを見る能はざれども聲近く聞ゆるによりてその跪けるをさとり
一三〇―一三二
【汝の分】地、一九・一〇〇―一〇二參照
一三三―一三五
默示録、一九・一〇參照
一三六―一三八
【また嫁せず】或問ひに答へて甦る者は嫁娶せずといへるキリストの言(マタイ、二二・三〇等)。寺院は淑女法王はその夫なり(地、一九・五五―七及び同一〇六―八註參照)、されどかゝる關係は現世にのみありて後世《ごせ》になし故に昔法王なりきとて我今何ぞ殊更に敬をうくるに足らむ
一三九―一四一
【ところのもの】即ち神に歸るにあたりて缺くべからざるところのもの(九一―三行)
一四二―一四四
【アラージヤ】ハドリアヌス五世の姪にてルーニジアーナの猛將モロエルロ・マラスピーナ(地、二四・一四五―七註參照)の妻となれるもの。古註に曰、ダンテは一三〇六年マラスピーナ家に客たりしときこの女を見かつその多くの善行を知れりと
【わが族】原、我等の家。フィエースキ一家
一四五
わが近親の中にはアラージャの外に善人なければ汝彼女に請ひてわがために天に祈らしめよ

    第二十曲

ダンテ、ウェルギリウスとともに山側に沿ひて進み清貧と慈善の例を聞く、ユーグ・カペーの靈第五圈にありてダンテとかたり己が子孫の罪業をのべかつその夜の間に誦《ず》すべき貪慾の罰の例を告ぐ、詩人等さらに前進すれば全山こゝに鳴動して頌詠の聲四方に起る
一―三
一の意[#「一の意」に白丸傍点]は法王ハドリアヌス五世となほも語らんと欲するダンテの願ひ、まさる意[#「まさる意」に白丸傍点]はダンテに妨げられずして罪を淨めんと欲する法王の願ひにあたる
四―六
【障礙なき】地に伏しゐて路の妨げとなる魂なき
七―九
【縁】第四圈に界する斷崖
一〇―一二
【牝の狼】貪婪(地、一・四九以下參照)。始祖の昔より故にありし罪(地、一・一一一參照)なれば年へし[#「年へし」に白丸傍点]といふ
一三―一五
【人或ひは】地上の事物の變遷するを諸天の運行に基因すとなす(淨、一六・六一以下參照)
【逐ふ者】獵犬(地、一・一〇〇以下參照)
一九―二四
清貧任慈の第一例、聖母マリア
【客舍】厩。聖母キリストをこゝに生みて馬槽《かひをけ》の中に臥さしむ(ルカ、二・四以下)
二五―二七
第二例、ガイウス・ファーブリキウス・ルスキヌス。紀元前二八二年ローマのコンスルとなりサンニタ人と和を議するにあたりてその賄賂を却く、ファーブリキウス死して餘財なく市民公金を以てその埋葬の費を辨ぜりといふ、ダンテの彼を賞せる詞他の著作にもいづ(『コンヴィヴィオ』四、五・一〇七以下及び『デ・モナルキア』二、五・九〇以下參照)
三一―三三
第三例、ニコラウス(ニッコロ)。聖ニコラウスはミーラ(小アジアのリキアにあり)の僧正なり、傳へ曰ふ、嘗て人あり貧困のためにその三人の女を賣らんとす、ニコラウスこれを聞きてひそかに財嚢をその家の窓より投げ入れかの女子等なして汚辱の生涯を免れしむと
三七―三九
【報酬】かの靈のために世の善人の祈りを請ふこと
四〇―四二
【慰】善人の祈り。そのこれを望まざるは子孫に善人なければなるべし
四三―四五
フランスのカペー王家(惡き木)の祖先(根)なるを告げしなり、このカペー家は一三〇〇年にフランス、ナポリ、イスパニアの諸國を治めき
四六―四八
されどフランドル人にして若し充分の力あらば速かに仇をわが子孫にむくいむ
ドアジォ、リルラ等はフランドルの主なる町の名なり、こゝにてはフランドル全體を代表す
一三〇二年クルトレイの戰ひにフランドル人大いにフランス軍を破りてこれを國外に逐ひ以てフランス王フィリップ四世の奪略に報いたり
四九―五一
【ウーゴ・チャペッタ】ユーグ・カペ―。フランスのユーグ公の子なり、九八七年ルイ五世の後を承けてフランス王となり九九六年に死す
【フィリッピとルイージ】フィリップ一世、二世、三世、四世。ルイ(ルイージ)六世、七世、八世、九世(以上一三〇〇年までにフランス王となれるもの)
五二―五四
【屠戸の子】或ひは、牛商の子。訛傳に基づく
註釋者のいふごとくダンテはユーグ・カペーとその父ユーグとを混じ、當時の俗説に從つてこれを牛商の子となせるに似たり
【昔の王達】カロリング王家の諸王。その最後の王はルイ五世(九八七年死)なり
【灰色の衣を着る者】僧となれる者。但し何人を指せるや明かならず、恐らくはダンテの記憶の誤りならむ
ルイ五世死して嗣子なく當時カロリング家に屬する者とてはたゞその叔父、ロレーヌ公のシヤルルありしのみ、されどこのシヤルルはユーグ・カペーにとらはれて獄に下され九九二年に死せり
五五―五七
五五行より六〇行に亙る二聯もユーグ父子の事蹟の相混じたる結果なるべし
【わが手に】攝政として
五八―六〇
【わが子】ユーグ・カペーの子はロべ―ル二世といひ九九六年より一〇三一年までフランス王たり、その戴冠式を行へるは九八八年即ちカペー即位の翌年なり
【寡となれる】ルイ五世の死によりて
【かの受膏の族】原、これ等の者の聖別せられし骨(即ちカペー家よりいでし前記の諸王)
六一―六三
【プロヴェンツア】一二四六年、シヤルル・ダンジューがプロヴァンスの伯《きみ》なるラモンド・ベリンギエーリの女ベアトリスを娶れるためこの地フランス王家に屬せり
六四―六六
【贖ひのために】暴逆の罪を贖はんために、嘲りの反語
【ポンティ】ポンティウ、ノルマンディー(ノルマンディア)、ガスコニー(グアスコニア)はいづれもフランス王(特にフィリップ四世)の奪へるイギリス領地
六七―六九
【カルロ】シヤルル・ダンジュー。一二六五年ナポリ王國を征服せんとてイタリアに來れり
【クルラディーノ】一二六八年とらへられてナポリに殺さる(地、二八・一三―八註參照)、時に年十六
【トムマーゾ】聖トマス・アクィナス。名高きイタリアの聖僧(天、一〇・九七―九註參照)、一二七四年リオンの宗教會議に赴かんとてナポリを出でしときシヤルル・ダンジュー己が非行の法王の前に摘發せられんことを恐れ途にて毒殺せしめきとの説による
七〇―七二
以下九三行までカペーの豫言
【他のカルロ】シヤルル・ド・ヴァロア。フランス王フィリップ四世の弟なり、法王ボニファキウス八世に招かれ平和の使命を帶びてフィレンツェに來れるも(一三〇一年)黒黨をたすけて白黨をしひたげたれば却つて甚しく市の擾亂を大ならしむ、後又シケリアを碍んとてかの地に赴けるもその志を果さず翌二年手を空しうしてフランスに歸れり
【己と】己と己が一族の罪惡を
七三―七五
【身を固めず】軍を率ゐず
【槍】裏切《うらぎり》。ジユダこの武器を用ゐてキリストを賣れり(ルカ、二二・四七―八參照)
七六―七八
【いよ/\重し】かゝる罪かゝる恥を小さしとしてその非を悔いざるによりて罪も恥もいよ/\重き報いを來す
七九―八一
【カルロ】シヤルル・ダンジューの子シヤルル二世(一二四三―一三〇九年)。一二八四年アラゴーナ王ペドロ三世の將ルージアロ・ディ・ラウリアとナポリ灣に戰ひ虜となりてシケリアに送らる、されど殺さるゝにいたらず、父の死後その王位を繼ぐ
【己が女】一三〇五年その女ベアトリスをフェルラーラの君なるエスティ家のアッツオ八世(淨、五・七六―八並びに註參照)に與へて莫大の金を得たりといふ
八二―八四
【己が肉】わが肉親の子
八五―八七
以下九〇行まではフィリップ四世の法王ボニファキウス八世をとらへしことを責む、ボニファキウスは聖者にあらずして却つて墮地獄の罪人なれどもその位貴ければこれを責むる者その道を得ざりしを以てダンテは大罪と認めしなり。フィリップ四世ボニファキウスと相敵視すること久し、僧侶課税の爭ひ及びその他の衝突あるに及びて兩者の隔離愈※[#二の字点、1-2-22]甚しく遂に一三〇三年四月フランス王の破門となり、フランス王はこれに對して法王の廢位を圖り同年九月グィリエルモ・ディ・ノガレット及びシアラ・デルラ・コロンナをして法王をその郷里アナーニ(即ちアラーニア)にとらへしむ
【小さく】わが子孫の過去未來における一切の罪業も法王虐待の一事に比ぶれば小さしとみゆべし
【百合の花】フランス王家の旗章
【代理者】法王。法王は地上におけるキリストの代表者なり
八八―九〇
【嘲り】昔の嘲り(マタイ、二七・三九以下等)をこの時ボニファキウスの身にて再びうけたまふ
【酷と膽】聖書の語(マタイ、二七・三四)を借りてボニファキウスの苦しみをいひあらはせるなり
【生ける盜人】二人の盜人キリストと共に磔殺せられし古事(マタイ、二七・三八及び四四)に基づき、かのボニファキウスを嘲りし前記ノガレット及びシアラの二人を指す
この二者は自ら苦しみをうけしにあらず、また殺されしにも何等の害を被りしにもあらず、彼と此と異なるところこゝにあり、しかしてこの差別を適確にあらはせるもの即ちvivi(生ける)の一語なり、さればこの形容詞は當時の光景に一の新しき色彩を施すものといふべし(ムーア)
法王は獄にあること三日にしてローマに歸るをえたれどもかゝる汚辱の痛苦に堪へかね遂に病を得て薨ず(一三〇三年十月)
九一―九三
【第二のピラート】フィリップ四世。キリストを敵手に渡せしポンテオ・ピラト(ルカ、二三・二四―五)に似たれば斯く
【殿の中】フィリップ四世がテムプル騎士團(もとソロモン王の宮殿ありし處にその本部を置きたるをもてこの名あり)を迫害してその富を私せるをいふ(一三〇七年以降)。法によらずして[#「法によらずして」に白丸傍点]といへるは騎士等の正不正を分明に審理せずしての意
九四―九六
【うるはしうする】人の怒りの如く直ちに激發することなく、しづかに時の至るな待つをいふ
九七―九九
【新婦】處女マリア。聖靈に感じてキリストを生めり(マタイ、一・一八)
【わが語り】一九―二四行
一〇〇―一〇二
晝の間は我等祈る毎に恰も祈りの後の唱和の如く清貧仁惠の例を誦《ず》し夜到ればこれに代へて貪慾の罰の例を誦す
一〇三―一〇五
罰の第一例。ピュグマリオン(ピグマリオン)はトュロス(フィニキアにあり)の王なり、その姉妹ディドの夫なるシュカイウスの財寶を奪はんためこれを殺しかつディドを欺きて己が罪を蔽へり(『アエネイス』一・三四〇以下參照)
一〇六―一〇八
第二例。ミダス(ミーダ)はフルュギアの王なり、己が身に觸るゝもの悉く變じて黄金となるを願ひ、バッコス神に請ひてその許しをえたり、されど食物もまた口に觸るゝに從つてすべて黄金に化するをみ、遂に救ひをバッコスに求む(オウィディウス『メタモルフォセス』一一・八五以下參照)
一〇九―一一一
第三例。ユダヤ人アカン、エリコの分捕品の中より金銀若干を盜みしかば、ヨシュア(ヨスエ)人々に命じ石にてこれをうちころさしむ(ヨシュア、七・一以下)
一一二―一一七
第四例、サツピラとその夫アナニア。あひはかりて己が私慾の爲に使徒等を欺かんとし、ペテロに責められて仆れ死す(使徒、五・一―一〇)
第五例、ヘリオドロス(エリオドロ。シリア王セレウコスの命をうけてイエルサレムの殿《みや》の資物を奪はんとせし時一騎士忽焉としてその前に現はれ、馬蹄にかけてこれを逐へり(マッカベエイ後、三・七以下)
第六例、ポリュメストル(ポリネストル)。トラキアの王なり、トロイア王デリアモスの委托によりてその末の子ポリュドロス(地、三〇・一八)を養ひゐたるがトロイアの衰運に赴くを見るやポリュドロスの富を私せんとし、これを殺してその骸《むくろ》をば海に投じぬ、プリアモスの妃ヘカべ、ギリシア軍にとらへられてこの地を過ぐとてはからずもわが子の骸を海濱に見出し(地、三〇・一六―二一參照)悲しみのあまりに復讎を企て、僞り謀りてポリュメストルに近づき、その兩眼を抉りてこれを殺せり(オウィディウス『メタモルフォセス』一三・四二九以下參照)
第七例、マルクス・リキニウス・クラッスス(前五三年死)。カエサル、ポムペイウスとともにローマの三頭政治を行へるもの、強慾を以て名高し、傳へ曰ふ、クラッスス、パルチア人に殺されしとき王オロデスその首級を求めて熔かせる黄金を口につぎこみ、汝常に黄金に渇きゐたれば今こそこれを飮めといへりと
一三〇―一三二
【デロ】デロス、キュクラデス諸島の一にてエーゲ海中にあり、神話に曰、この島はもと浮島なりしがレトこゝにてアポロン、アルテミスの二神(即ちゼウスとレトの間の子)を生むにいたれるより爾來一處に固定して再び浮遊することなしと(『メタモルフォセス』六・一八九以下參照)
【天の二の目】日(アポロン)と月(アルテミス)
一三六―一三八
【至高處】キリストの降誕にあたりて諸天使のうたへる歌(ルカ、二・一四)
一三九―一四一
【牧者】ルカ、二・八以下參照
一四二―一四四
【歎】淨、一九・七〇―二及び二〇・一六―八參照
一四五―一五〇
鳴動及び合唱の原因(淨、二一・四〇以下)を知るの願ひ甚だ切なるをいふ
【疑ひ】原、無智
【解説を】原、知るを

    第二十一曲

ラテン詩人スタティウスの靈罪清まりて天に登らんとし、兩詩人の後より來りてこれに加はり地震と頌詠の由來を説き且つその一の己が師事せしウェルギリウスなるを知りて大いに喜ぶ
一―三
【サマーリアの女】井の傍に坐せるキリスト、サマリアの女の水を汲まんとて來れるを見、我に飮ませよといふ、女そのユダヤ人なるを知りてあやしむ、キリスト曰、汝若し我に求めば我活水を汝に與へん、およそこれを飮む者永遠に渇くことなし、女いふ、主よその水を我に與へよ(ヨハネ、四・六以下)
【水】眞
【渇】求知の願ひ(淨、二〇・一四五以下參照)。ダンテが『コンヴィヴィオ』の卷頭に引用せるアリストテレスの言に曰、人皆自然に知を求むと
四―六
【障】路に伏せし魂
七―九
キリスト甦りて後イエルサレムとエマオの間の路にてその二人の弟子に現はれたまへり(ルカ、二四・一三以下)
一三―一五
【表示】答禮の。或曰、cenno は挨拶の詞にて Pace con voi(汝等安かれ)に對し E collo spirito tuo(汝の靈も)と應ふる定例の挨拶をいふと
一六―一八
問ふ(地震の原因を)に當りてまづ對話者の幸を希へる詞(地、一〇・八二―四並びに註參照)
【永遠の流刑】郷土なる天に歸るをえずして永くリムボに止まること
【眞の法廷】神の正しき審判
一九―二一
ウェルギリウスの問はざるさきにその詞をさへぎりていへむ
【その段】神の許に通ずる路即ち淨火
二二―二四
【標】額上のP字
【善き民と】天上の祝福を受くる者なるを
二五―二七
されど彼猶生くるがゆゑに
【女神】ラケシス。運命を司る三神(モイライ又はパルカエ)の一にて生命《いのち》の絲を紡ぐ者
【クロート】同三神の一、人生るゝ毎にその生命の絲となるべき麻の量を定めてこれを絲車の棒に掛く
二八―三〇
【姉妹】同じ造主よりいづれば
【物を見る】肉體の覊絆を放せざるをもてその理性の目我等の如く明かならず
三一―三三
【闊き喉】地獄の最も輝き廣き圈即ちリムボ
三四―三六
【濡るゝ】海波に
三七―三九
【要にあたれり】原、針の目を透せり
四〇―四二
【この山の聖なる律法は】或ひは、この聖なる山は
四三―四五
【その原因と】淨火門内における變異の原因となるべきものはたゞ罪淨まれる魂のみ。換言すれば、天よりいでし(即ち神に造られし)魂天に歸ることある時に於てのみかの地震喊聲の如き變異起る
四六―四八
【階】淨火の門の(淨、九・七六以下參照)
四九―五一
【タウマンテの女】イリス。タウマス(タウマンテ)とオケアノスの間に生る、虹の女神なり(神話)。朝は西夕は東にあらはるゝをもて處を變ふる[#「處を變ふる」に白丸傍点]といへり
五二―五四
【乾ける氣】アリストテレスの説に曰。地上の變異すべて地氣より生ず、此氣の濕《しめ》れるもの雨、雪、雹、露、霜となり、その乾けるもの風を起し乾きて強きもの地震を起すと(地、三三・一〇三―五註參照)
【ピエートロの代理者】門を守る天使(淨、九・一〇三―五及び一二七―九參照)
五五―五七
【下】淨火門外
【地にかくるゝ】地下にひそむ乾ける氣の動くによりて地震ふといへる古の學説によれり
五八―六〇
【起ち】起つ[#「起つ」に白丸傍点]は地上に伏す第五圈の魂につきていひ、進む[#「進む」に白丸傍点]は他の諸圈の魂につきていふ
六一―六三
【意志】天に登るの願ひ。己が罪清まる時は魂忽ちこの願ひを起しかつこれを起すをよるこぶ、故にこの願ひの起るは即ち罪清まれる證據なり
【侶を變ふる】罪を淨むる魂を離れて福を享くる民に到る
六四―六六
罪未だ清まらざる時に於てる天に登るの願ひなきにはあらず、されどかゝる時の願ひは正義に從つて罪を淨めんとする他の願ひに檢束せらるゝが故に自由の願ひにあらず
【罪を求めし如く】在世の日は心の願ひ罪に傾きて意志(眞の幸を求むる願ひ)にさからひ、今は心の願ひ罪を淨むることを求めて意志(天に昇るの願ひ)にさからふ
六七―六九
【我】プブリウス・パピニウス・スタティウス。有名なるラテン詩人、一世紀の後半の人
【五百年餘】その以前は第四圈にあり(淨、二二・九一―三參照)
【まされる里】原、まされる閾。天
七六―七八
【網】罪を淨むる願ひ
【解くる】罪清まるによりて
【倶に喜ぶ】喊聲をあげて
八二―八七
ローマ皇帝ヴェスパシアヌスの子ティトウス(後、位を嗣ぎ七九年より八一年まで皇帝たり)がイエルサレムを毀てる頃即ちキリスト暦の七〇年
【主】神
【傷】キリストの。聖都の毀たれし事をキリストの磔殺に對する神罰と見做せるなり
【名】詩人の
【信仰】キリスト教の
八八―九〇
【有聲の靈】歌
【トロサ】フランスの南にある町(トウルーズ)。註釋者曰。スタティウスの生地はトロサにあらすしてナポリなり、こはこの詩人の詩集『サルヴェ』に因りて知るをうべし、されど『サルヴェ』の發見は十五世紀の事に屬しダンテの時代にては一般にトロサの文人ルーチオ・スターツィオ・ウルソロと詩人スタティウスとを混じたりと
【ミルト】常縁樹の名、これを詩人の冠とすること桂樹《ラウロ》の如し
九一―九三
スタティウスの作に敍事詩『テーバイス』十二卷及び未完成の『アキルレース』二卷あり
【第二の】『アキルレース』未だ完結せざるうちに我は死せり
九四―九六
【情熱】詩的
【焔】『アエネイス』
九七―九九
【これなくば】この歌なくばわが著作に何等の價値もなかりしなるべし。一ドラクマは一※[#「オンス」の単位記号、291-16]の八分の一
一〇〇―一〇二
ウェルギリウスは前一九年に死せり
【一年】たとひ今一年淨火にとゞまるとも
一〇六―一〇八
【誠實】その人正直なれば正直なるほど哀樂の情を蔽ひ難し
一三〇―一三二
【しかするなかれ】されど淨、六・七五にはウェルギリウスとソルデルロと相抱けること見ゆ

    第二十二曲

詩人等第五圈より階を踏みてのぼる、その道すがらスタティウス、ウェルギリウスに己が罪と改悔の次第を告げかくて第六圈に到りて右に進めば路の中央に一果樹あり、聲葉の中よりいでて節制の例を誦《ず》す
一―三
【疵】額上のP
四―六
【彼は我等に】異本、また義を慕ふ者等(天使等)我等に福なりといひ
【シチウント】sitiunt(渇く)。マタイ傳に曰く、義に饑ゑ渇く者は福なり(五・六)
この一節ウルガータには Beati qui esuriunt et sitiunt institiam とあり、その中の esuriunt を省きて單に Beati qui sitiunt iustitiam(義に渇く者は福なり)といへるなり、饑う[#「饑う」に白丸傍点](esuriunt)を省けるはこれを渇く[#「渇く」に白丸傍点]とわかちて第六圈の頌詠となさんためなり(淨、二四・一五一以下參照)
異本にシチオー(sitio 我渇く)とあり、前項異本の文とあはせて委しくはムーアの『用語批判』四〇五頁以下を見よ
一三―一五
【ジヨヴェナーレ】デーチムス・ユーニウス・ユーヴェナリス。有名なるラテン詩人(一三〇年頃死)、その諷刺詩第七篇(八二行以下)にスタティウスの著作を稱讚せる詞いづ
一九―二一
【わが手綱】わが問ひ露骨にして禮を失ふことあらば
三一―三三
【圈】第五圈
三四―三六
【あまりに】浪費の罪に陷るばかりに
【幾千の月】五百年餘の間(淨、二一・六七以下)浪費の罰をうく
三七―四二
【あゝ黄金の】貪る者も費す者も共に黄金を求めていかなる惡をも行ふをいふ
この句『アエネイス』三・五六―七にいづ、但し sacra(sacer 聖《きよ》き、不淨の)を不淨の意に用ゐることイタリア語の用例に反するがゆゑに異説多し
【轉ばしつゝ】第四の地獄にて重荷をまろばすこと(地、七・二五以下參照)
【牴觸】原、試合。貪る者と費す者と相互に打當ること(同上)
四三―四五
汝の言を聞きてみだりに費すことの罪なるを知り、これを悔ゆることわが他の罪の如くなりき
四六―四八
【髮を削りて】最後の審判の日浪費の記念に髮を短くして墓より起き出るをいふ(地、七・五五―七並びに註參照)
四九―五一
地獄と同じく淨火にても罪の相反するもの(浪費と強慾の如き)同一の場所に罰せらる。縁を涸らす[#「縁を涸らす」に白丸傍点]は活力を消耗するなり、即ち悔恨によりて罪を贖ふなり
五五―五七
【牧歌】ウェルギリウスの著作に牧歌十篇(Bucolica)あり
【二重の憂ひ】テバイ王オイディプスとヨカステ(ヨカスタ)の間の二子(エテオクレス、ポリュネイケス)。ヨカステ、オイディプスの己が子なるを知りて縊死す
【酷き】兄弟相殺すにいたれる(地、一四・六七―七二註及び二六・四九―五四註參照)。この爭のことスタティウスの『テバイス』にいづ
五八―六〇
汝が『テバイス』に詩神ムーサの一なるクレィオ(クリオ)の助けを求め且つその徳をほめたゝへし言葉をおもへば汝はその頃未だキリストの教へを信ぜざりしに似たり(ムーアの『ダンテ研究』第一卷二四四頁參照)
六一―六三
【日】天の光即ち神の導
【燭】地の光即ち人の教へ
【漁者】聖ピエートロ(ペテロ)。キリスト十二弟子の一、魚を漁《すなど》りまた人を漁る(マタイ、四・一八以下等)。これに從つて帆を揚ぐるはその信仰にならひてキリスト教徒となるをいふ
六四―六六
七三行とその意同じ
【パルナーゾ】パルナッソス、ポキス(ギリシアの)の山、詩神等の住むところ
七〇―七二
【世改まり】第四牧歌(五―七)にいづ、中古世に行はれし説に從ひ、この歌をもて救世主(新しき族[#「新しき族」に白丸傍点])降臨の豫言と見做せるなり
【人の古】第四牧歌にはサトウルヌスの王國とあり、世再び罪の涙なき黄金時代にかへるをいふ
七三―七五
【彩色】明細にかたること
七六―七八
【眞の信仰】キリスト教の信仰
【永久の國の使者等】天國の使者即ち使徒等
八二―八四
【ドミチアーン】ドミティアヌス。ヴェスパシアヌスの第二子、兄ティトウス(淨、二一・八二)の後を承けて八一年より九六年まで皇帝たり
八八―九〇
【わが詩に】我未だ『テバイス』第九卷を終へざるさきに
【テーべの流れ】『テバイス』第九卷に王アドラストスがギリシア人をみちびいてテバイ附近の二水イスメノスとアソポスに倒れることみゆ
九一―九三
【微温】怠慢の罪
九四―九九
【幸】キリスト教の信仰
【年へし】異本、友
【テレンツィオ】プブリウス・テレンティウス・アルフェル。ラテン詩人にて喜劇の作者なり(前一五九年死)
【チェチリオ】カエキリウス・スタティウス。ラテン詩人(前一六八年頃死)
【プラウト】ティトゥス・マッキウス・プラウトゥス。ラテン詩人(前一八四年死)。カエキリウスと同じく喜劇の作者なり
【ヴァリオ】ヴァルロ。プブリウス・テレンティウス・ヴァッロ・アタキヌス。ラテン詩人(前三七年頃死)
【何の地方】地獄の第何圈
一〇〇―一〇二
【ペルシオ】アウルス・ペルシウス・フラックス。ラテン諷刺詩人(三四―六二年)
【ギリシア人】ホメロス(地、四・八五以下參照)、詩人中の詩人
一〇三―一〇五
【第一の輪】地獄の第一圈即ちリムボ
【乳母等】ムーサ
【山】パルナッソス
一〇六―一〇八
【エウリピデ】エウリピデス。名高きギリシア詩人、悲劇の作者(前四八〇―四〇六年)
【アンティフォンテ】古のギリシア詩人、悲劇の作者(生死の年不詳)
【シモニーデ】シモニデス。ギリシア抒情詩人(前五五六―四六八年頃)
【アガートネ】アガトン、ギリシア悲劇詩人(前四四八―四〇一年頃)
【桂樹】淨、二一・八八―九〇註參照
一〇九―一一一
【アンティゴネ】テバイ王オイディプスとヨカステの間の女
【デイフィレ】アドラストス王の女にしてテュデウス(淨、三二・一三〇)の妻なり
【アルジア】アルゲイア。デイフィレの姉妹にしてポリュネイケスの妻なり
【イスメーネ】アンティゴネの妹、その生涯を不幸の中に終へたるもの
一一二―一一四
【女】ヒュプシピュレ(イシフィレ)(地、一八・九一―三參照)。海賊のためネメア王リュクルゴスに賣られてその婢となりゐたりしときテバイを攻むる諸王にランギア(ランジア)の泉(ネメアの近傍なる)を教ふ(淨、二六・九四以下參照)
【ティレジアの女】マント(地、二〇・五二以下)。但しマントは第八の地獄第四嚢にあり、もし「淨火」のこの部分を「地獄」のかの部分より後の筆とせば、この錯誤は全く不思議といふの外なし
【テーティ】テティス。アキレウスの母、海の女神
【デイダーミア】デイタメイア、アキレウスの戀人(地、二六・六一―三註參照)
一一八―一二〇
時は日出後四時過即ち午前十時過なり
【侍婢】時(淨、一二・七九―八一並びに註參照)
【轅】日の車の。第五の侍女轅の尖を上にむくるは第五時未だその半に達せざるなり
一二一―一二三
【縁】道の外側
一二四―一二六
【魂】スタティウス
一三六―一三八
【方】左方、岩壁に塞がる
一三九―一四一
【汝等は】貪慾の罪を淨むる魂等はかの果實を採ること能はず(淨、二四・一〇三以下參照)
一四二―一四四
節制の第一例。カナの婚筵に抱かれしマリア酒盡きたるを見てキリストに告ぐ(ヨハネ、二・一以下)。淨、一三・二八―三〇にはこれを慈愛の例としてあげたり
【今汝等の】汝等のために罪の赦しを神に乞ふ
一四五―一四七
第二例。昔のローマの婦人は酒を用ゐざりきといふ
第三例。豫言者ダニエルがバビロニア王ネブカデネザルの與ふる食物と酒を拒めること(ダニエル、一・三以下)
一四八―一五〇
第四例。黄金時代の自然生活(『メタモルフォセス』一・八九以下參照)
【ネッタレ】神話の神々の飮料
一五一―一五三
第五例。バプテスマのヨハネ(マタイ、三・四)
一五四
【聖史】マタイ、一一・一一に曰く、女の産みたる者のうち、バプテスマのヨハネより大いなる者は起らざりき

    第二十三曲

詩人等第六圈にて、貪慾の罪を淨むる一群の靈にあふ、その一フォレーゼ・ドナーティ、ダンテをみとめてこれと語り、かつ大いにフィレンツェの婦人を罵る
一―三
聲葉の中よりいでしをあやしみてこれに目をこらせしダンテの姿は恰も鳥を捕ふる者の獲物を求めて木の間をうかがひ見るごとし
四―六
【時】淨火歴程のために定め與へられし時間
一〇―一二
【主よわが唇を】主よわが唇をひらきたまへ、さらばわが口汝の讚美をあらはさむ(詩篇五一・一五)
第五一篇は詩篇中改悔の七篇と稱せらるゝものの一にてウルガータにては Miserere mei(我を憐みたまへ)にはじまる(淨、五・二二―四參照)。こゝにその第十五節をえらべるは昔ロをもて罪を犯せるに因みてなり
【喜びとともに】その信仰をよろこび、その悲哀に同情をよせしなり
一三―一五
【その負債の】その罪を淨むるならむ
一九―二一
【もだし】はや木と水を散れたれば(六七行以下參照)
二五―二七
【エリシトネ】エリュシクトン、神話。テッサリアの人、斧をデメテルの森に入れしためこの神の罰をうけて飽くなきの饑ゑになやまされ遂に己が身を啖ふ(オウィディウスの『メタモルフォセス』八・七三八以下參照)
二八―三〇
【マリア】イエルサレム包圍の際(七〇年)饑餓に迫りて己が子を喰へりといふ女の名
【艮】饑ゑに苦しめるユダヤ人
三一―三三
【OMO】(人)、人の顏に人[#「人」に白丸傍点]の字あらはるとの説をなす者あればなり、この説に從へば眼は左右のOにあたり鼻と眉のあたりは中央のMにあたる、肉痩するに從ひてMいよ/\いちじるし
四〇―四二
【こは】汝をこゝに見るを得るは
四三―四五
その何人なるやは姿を見て知るをえざりしも聲をきゝて知るをえたり
四六―四八
【火花】聲
【フォレーゼ】フォレーゼ・ドナーティ(一二九六年七月死)。フィレンツェの人にてダンテの妻ゼムマの遠縁にあたれり、そのダンテと往復せる短詩(合せて六篇)ムーアの『ダンテ全集』(一七九―八〇頁)にいづ、詩中にビッチ・ノヴェルロとあるは即ち彼の異名なり
六一―六三
【永遠の思量】天意
七三―七五
神の義に從ひ神と和するの願ひあるによりてキリストは我等のためによろこびて十字架にかゝりたまへり、我等もまたこの願ひあればよろこびて木の下を過ぐ
【エリ】エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神わが神何ぞ我を棄てたまへるや)。十字架上のキリストの叫び(マタイ、二七、四六)にしてその苦しみ最も大なりし時をあらはす
七九―八一
苦し罪を犯す能はざるにいたりて、換言すれば死に臨みて、はじめて悔い改めしならば何ぞ淨火の門外にとゞまらずして
【嫁がしむる】歸らしむる
【善き憂ひ】改悔
八二―八四
【時の時を補ふ】死に臨みて悔ゆる者その世に享けし齡と同じ年數を淨火の門外に過すこと(淨、四・一三〇以下及び一一・一二七以下參照)
八五―八七
わが妻ネルラわがために歎き且つ祈れるによりて我はかく速かにこゝにわが罪を淨むるをえたり
【甘き茵※[#「くさかんむり/陳」、第3水準1-91-23]】うれしき苦しみ
八八―九〇
【山の腰】門外の淨火。魂この處にて門内に入るの時到るを待つ
【他の諸々の圓】この下の五圈
九四―九六
【バルバジア】サルディニア島の一山地にて中古蠻民住み風紀紊れし處なりといふ
【バルバジアより】トスカーナのバルバジアともいふべきフィレンツェより
九七―九九
【今を昔となさざる】今より遠からざる
一〇〇―一〇二
風紀興振の命寺院より出でしをいふ、されどいづれの時の事を指せるや不明なり
一〇三―一〇五
【サラチーノ】サラセン人、異教徒
【靈または】寺院の禁制または法律上の制裁なきため
一〇六―一〇八
【彼等の爲に備ふるもの】彼等の上にくだす禍ひ。一三〇〇年以後、種々の災害フィレンツェに起れること當時の記録に殘れども特にその中のいづれを指していへるやは知りがたし
一〇九―一一一
【ナンナ】nanna 母や子守等が嬰兒を眠らしめんとて ninna nanna ニンナ、ナソナとうたふ歌
一一二―一一四
【日を】これらの魂皆汝の影を見て生者のこゝにあるをあやしむ
一一五―一一七
【汝の我と我の汝と】ダンテがフォレーゼと共に地上の樂しみを求めしこと
一一八―一二〇
【往日】四月八日。今は十二日なり
【姉妹】日(アポロン)の姉妹なる月(アルテミス)
【圓く】七日の夜の滿月(地二〇・一二七參照)
一二一―一二三
【闌けし夜】地獄の闇(淨、一・四三―五參照)
【まことの死者】肉體を失ひ且つまた神の恩惠を失へる者
一二七―一二九
【いふ】地、一・二二以下參照

    第二十四曲

ダンテなほフォレーゼとかたり、その多くの侶の名とその豫言を聞きて後、二詩人とともに第二の果樹のほとりにいたりて食慾の罪の罰せられし例をきき、さらに進みて第七圈に通ずる階《きざはし》の下に達す
四―六
【再び死にし】死後魂いたく痩せ衰へてあるかなきかのさまなるをいふ
【目の坎】深く窪める眼
七―九
【彼若し】前曲の終りの詞を次ぎていへり。スタティウスもし獨りならばなほ速かに歩むべきも、ウェルギリウスと共に旅せんとて恐らくはその足をおそくするならむ
一〇―一二
【ピッカルダ】フォレーゼの姉妹
一三―一五
【オリムポ】オリュムポス。ギリシアのテッサリアにある山にて神話の神々の住むところ、轉じて天。ピッカルダは月天にあり(天、三・三四以下參照)
一六―一八
【我等の姿】饑ゑてやつれてありし日の面影なければ、みる目に誰と知りがたし
一九―二一
【ボナジユンタ】ボナジユンタ・オリビッチアーニ・デーリ・オヴェラルディ。ルッカの人(十三世紀の後半)にてシケリア派の詩人なり(『デ・ウルガーリ・エーロクェンチアー』一・一三參照)
二二―二四
【寺院を】寺院を抱くは寺院の夫即ち法王(地、一九・五五―七參照)となるをいふ、法王マルティヌス四世を指す、一二八一年選ばれて法王となり一二八五年に死す
【トルソ】パリの西南にある町。マルティヌスはトルソに生れしにあらざれどもこの地の寺院に僧官たりしフランス人なれば斯く
【ボルセーナ】ヴィテルボの北にある湖水。古註曰、マルティヌス四世は極めて口腹の慾を恣にせる人にて就中ボルセーナ産の鰻を好みこれをヴェルナッチャ酒(味醂の類)に醉はしめて後燒きて喰へりと
二八―三〇
【ウバルディーン・デラ・ピーラ】(ムゼルロなるピーラ城の名なとれり)カルディナレ・オッタヴィアーノ(地、一〇・一一八―二〇)の兄弟にしてピサの大僧正ルッジエーリ(地、三三―一三―五)の父なりといふ
【ボニファーチヨ】ボニファチオ・デイ・フィエースキ。一二七四年より同九五年までラヴェンナの大僧正たりし者
三一―三三
【マルケーゼ】フォルリの名族、十三世紀の後半の人
【便宜】フォルリの美酒を指す
三七―三九
【ところ】口の中、即ち饑渇の苦しみを最も切に感ずるところ
【ゼントゥッカ】四三行以下にいへる女の名
四三―四五
【女】ゼントゥッカの事傳はらず、一三一四年の頃ダンテ、ルッカに赴きしことあればその時この婦人にあひてその特に賞讚すべき者なるを知れるなるべし
【いまだ首※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]を】未だ嫁せず(一三〇〇年には)、嫁したる者※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]をもてその面をおほへばなり
【誹るとも】腐敗せるルッカの町(地、二一・三七―四二參照)も猶かの女ありてダンテの心を慰むるに足る
四九―五一
【新しき詩】十三世紀の後半におけるイタリアの二大詩派即ち(一)シケリア派とてプロヴァンス派を模せるもの及び(二)教訓派とて推理に傾けるものに對していへり
【戀を知る】Donne ch’ avete intelletto d’ amore『新生』にいづる第一カンツォネの起句
五五―五七
【公の證人】ヤーコポ・ダ・レンティニ。十三世紀の前半の人にてシチーリア派の詩人なり
【グイットネ】グイットネ・デル・ヴィーヴァ(一二九四年死)。アレッツオの人、教訓派の詩人にしてフラーテ・ゴデンティ(地、二三・一〇三參照)たり(淨、二六・一二四―六及び『デ・ウルガーリ・エーロクェンチアー』二・六・八五以下參照)
【節】障礙、即ち彼等をして新しき詩風に到達せしめざる
五八―六〇
【汝等】汝等フィレンツェ新詩派の人々
【口授者】愛。内部にひゞく愛の聲をそのまゝ歌となすをいふ
六一―六三
新舊二派の詩風の相違をこの事以外に求めんとすとも得べからず
六四―六六
【ニーロ】エヂプトのナイル川
【鳥】鶴
六七―六九
【願ひ】罪を淨めんとの
七三―七五
【聖なる群】罪を淨むる魂の群
七六―七八
【いつまで】わがいつまで世に生くるやは我知らず、されど郷土フィレンツェの禍ひを見ることなからんため一日も早く淨火の岸に歸るをねがへば、わが希ふ如く早くは死して世を去る能はざるべし
八二―八四
【罪の最も大いなるもの】フォレーゼ自身の兄弟なるコルソ・ドナーティを指す。コルソは黒黨の首領にしてフィレンツェの禍亂を釀せるもの、一三〇八年反逆の罪に問はれてこの町を逃げ出でしかど馬より落ちて敵に殺さる
【溪】地獄
八五―八七
ダンテの記事に從へばコルソはその乘馬に踏み殺されしなり
八八―九〇
【これらの輪未だ】未だ多くの年過ぎぬまに。輪は天球
九一―九三
【王國】淨火
九七―九九
【軍帥】師
一〇〇―一〇二
【わが目の】我のあきらかにその姿を見る能はざること恰もあきらかにその豫言をさとる能はざるに似たり
一〇三―一〇五
【めぐれる】まがれる路を
一〇六―一一〇
【民】多食の罪を淨むる民
【罪なき】vani(空しき望みにあやさるゝ)
一一五―一一七
【エーヴァのくらへる木】善惡を知るの木(創世記、二・九及び一七)、エヴァ蛇に欺かれてその果を喰へり(同、三・六)
【この上に】淨火の山巓即ち樂園に(淨、三二・三七以下)
【かの樹より】最初の罪最初の罰の記念なる知識の木の芽よりこの木出でてかの木と同じく貪慾をうながしかつ過食の罪の罰を告ぐ
一八〇―一二〇
【岸の邊】木の左即ち岩壁に近きところ
一二一―一二三
罰の第一例、ケンタウロス(チェンタウロ)
【詛の子等】ケンタウロス(地、一二・五五―七註參照)。神話によればイクシオンと雲(ネペレ)との間に生る、嘗てラピチ人の王。ペイリトゥスとヒッポダメイアとの婚筵の席に抱かれしが酒に醉ひて狼藉に及びテセウス及びその他の人々と戰ひて多くこれに死せり(地、一二・七〇―七二註參照)
【二重の】人と馬と(地、一二・八二―四參照)
一二四―一二六
第二例、ギデオン(ゼデオネ)に從ひて勝利の譽をわかつ能はざりしヘブライ人(士師、七・四以下)
【貪り飮みしため】原、飮むにあたりて己の弱きを示せるため。即ち慾を制する能はざるため膝を折り屈みて水を飮めるをいふ(士師、七・六)
一二七―一二九
【縁の一】路の左側
一三〇―一三二
【寛に】木を避けんとて互ひに身を寄せたりしも今は木の下を離れたれば身自由なり
一三三―一三五
【おぢおそるゝ】或ひは休める(或ひは馴れざる)獸のおそるゝ
一三六―一四一
【ひとりの者】天使
【折れよ】左に
一四二―一四四
【あたかも】目にて行手を見る能はざる人、聲をしるべに進むごとく。二詩人と並びて歩みゐたるダンテは天使の光を避けんとて彼等の後よりゆき天使の聲またはこの二詩人の足音をしるべとなせるをいふ
一四八―一五〇
【羽】天使羽をもてダンテを扇ぎてその額の上なるP字の一を削り去ること前の如し
【アムブロージヤ】神々の食料(神話)
一五一―一五四
【福なり】義に饑ゑ渇く者は福なり(マタイ、五・六)といへる聖句の中渇く[#「渇く」に白丸傍点]を第五圈の頌詠とし饑う[#「饑う」に白丸傍点]を第六圈の頌詠とせり、またこゝにては暴食の罪に適合せしめんため此句を自由に敷衍せるなり(淨、二二・四―六註參照)

    第二十五曲

階を踏みて登る道すがら、スタティウスはウェルギリウスの請ひに應じてダンテのために生殖の作用、靈肉の結合、及び死後における靈の状態を論じ、かくて相共に第七圈に達すれば色慾の罪を淨むる一群の魂焔に包まれつゝ聖歌をうたひ且つ貞節の例を誦《ず》す
一―三
【日は】白羊宮にある太陽既に傾きて子午線を離れ金牛宮の星これに代る、金牛宮は白羊宮に次ぐ天の十二宮の一なれば時は今午後(四月十二日)二時の頃なりと知るべし
【夜】日と反對の天に於ては天秤宮にある夜(淨、二・四―六註參照)イエルサレムの子午線を離れ天秤に次ぐ天の十二宮の一なる天蠍宮の星これに代る(即ち午前二時の頃)
一三―一五
【消え】詩人等を累はすことを恐るゝため
一九―二一
【滋養を】肉體の榮養をうくる必要なき魂(第六圈の)の痩するをあやしみてかくいへり
二二―二四
【メレアグロ】メレアグロス。カリュドン王オイネウスとアルタイアの間の子、その生れし時運命の三神一木片を火に投じ、生兒の命數この木とともに盡くべしといひて去れり、アルタイア直ちに火を消してかの木片を祕藏せしかどメレアグロス成人の後二人の叔父を殺せしかば再びこれを火に投じてその兄弟のために仇を返せり(オウィディウスの『メタモルフォセス』八―二六〇以下參照)。榮養以外に人身を左右するの力あるをいふ
二五―二七
見ゆる魂は見えざる魂の鏡なるをいふ。硬[#「硬」に白丸傍点]きは解し難きなり軟[#「軟」に白丸傍点]きは解し易きなり
二八―三〇
【望むがまゝに】或ひは、汝の望みに關して
【傷を癒さしむ】疑ひを解かしむ。人の靈性の状態を論ずるは教理に關することなればウェルギリウスはこれをもてキリスト教徒の詩人スタティウスに委ぬるを善しとせり
三一―三三
【常世の状態】la veduta etterna 死後における魂の状態
異本、la vedetta etterna(永遠の刑罰、若くは永遠の存在者即神の刑罰)
三七―三九
【完全】完全なる血は情液となる血をいふ。榮養に必要なる血の如くに血脈を循環せざるもの
四三―四五
【自然の器】子宮。こゝにて女性の血液と合す
四六―四八
【堪ふる】作用《はたらき》を受くる(男の血の)
【行ふ】作用を與ふる(女の血に)。出る處[#「出る處」に白丸傍点]は心臟なり
五二―五四
この一聯及び以下の各聯に於てダンテはトマス・アクィナス(天、一〇・九七―九註參照)の神學大全(Summa Theologica)の説に基づきスタティウスの口を藉りて胎子の植物性(成長)より動物性(感觸)に進みさらに人間性(理智)に到達する次第を陳ぶ
【活動の力】男性の血の中なる
【異なるところ】草木の魂は生育を限度としてそれ以上に進む能はざれども人間の魂はさらに進んで他の性を備ふ、前者は既に發達の彼岸に達し後者はなほその道程にあり
五五―五七
【海の菌】海中の下等動物。動物性の初期に於てはその物未だ各種の官能を具備するにいたらずしてたゞ動き且つ感ずるのみ
五八―六〇
血が心臟内に得たる肢體構成の力は今や既に弘がりて胎兒の各部各機官に及ぶ
六一―六三
【人間】fante(物言ふ者の義)理性を備ふる者
【さとかりし者】註釋者曰、ダンテはこゝにアヴェルロエス(地、四・一四四)を指してかくいへりと
六四―六六
視るに目あり聽くに耳あるごとく理性に特殊の機官あるにあらざるがゆゑに彼此理性を人の魂より分散したり、されど個性を備へずして普遍に存在する理性人の生るゝと共にこれと合ひ人の死するとともにこれと離るゝものなりとせばこれ死後個人の魂の存在するを認めざるに等し
【靜智】possibile intelletto
アリストテレス(アヴェルロエスの註による)の區分せる智に二あり、一を靜智(intelletto passivo)一を動智(intelletto attivo)といふ、人は靜智即ち所謂possibile intellettoによりて外部の印象を受け動智によりて件の印象を理解し諸※[#二の字点、1-2-22]の觀念を構成するにいたる、動智は分離す非情にして不死なり、靜智は死滅す而して動智を缺くを許さず。その言に曰く、眞の智は分散の智なり、この智獨り永久不死なりと。アヴェルロエスこの説によりて謂へらく、動智は分たれず個性なし、その個人と合するは輔助的にして補成的に非ずと、こは實に個人の魂の不滅を否定するに近し、ダンテは誤りてアヴェルロエス靜智を魂より分散せりと思へるに似たり、アヴェルロエスの離合を云々せるはまことは動智のことなるを(ノルトン)
七〇―七二
【發動者】神。植物動物の二性は生殖の自然の作用より成る、ひとり理性は神が直接に人間に賦與したまふ靈なり
七三―七五
新しき靈は既に胎兒の中にはたらきつゝある植物動物の二魂を己と合して一魂となし三性を兼備ふるにいたる
【且つ生き】生は植物性に屬し感は動物性に屬し自覺(自ら己をめぐる[#「自ら己をめぐる」に白丸傍点])は人間性に屬す
七九―八一
【ラケージス】ラケシス、運命を司る三神(モイライ)の一(淨、二一・二五―七註參照)。その絲盡くる時とは人死する時をいふ
【人と神と】人に屬するものは肉體に屬する能力、神に屬するるのは天賦の靈能なり
八二―八四
肉に屬する能力(感觸)は死と共にその機官を失ふが故にひそみて働きをとゞめ、靈に屬する能力は肉の覊絆を脱するがゆゑに却つていよ/\活動す
八五―八七
【岸の一】罰せらるゝ魂はアケロンテの岸に(地、三・七〇以下)、救はるゝ魂はテーヴェレの岸に(淨、二・一〇〇以下)
【路】地獄か淨火か
八八―九〇
【構成の力】魂の中なる構成の力(四〇―四二行)は周圍の空氣にその作用を及ぼしその及ぼす状態並びに程度はあたかも生時肉體の上にその作用を及ばせると同じ、換言すれば魂はその周圍の空氣をもて生時と同樣の形状を構成す
九一―九三
【日の】原、他の者の。日光、雨滴に映じて虹生ずるごとく
一〇〇―一〇二
【これ】空氣より成れる新しき體
【影】ombra 又亡靈の義あればなり
一〇六―一〇八
【あやしとする事】第六圈の魂の痩すること
一〇九―一一一
【最後の曲路】第七圈。但し ultima tortura を最後の苛責と解する人あり
一一二―一一四
左側の岩壁より火焔噴出すれば右側の縁よりは風起りてこの火炎を追返し、縁に沿ひて一條の徑路をひらけり
【そこに一の】或ひは、これ(火焔)に己(縁)を離れ去らしむ
一二一―一二三
【こよなき憐憫の神】Summe Deus clementie 寺院にて土曜日の朝の禮拜にうたふ讚歌の起句にして貞節を祈り求むる詞この歌の中にあり
一二七―一二九
貞節の第一例、聖母
【われ夫を知らず】天使ガブリエルに答へたる處女マリアの詞(ルカ、一・三四)
一三〇―一三二
第二例、ディアーナ(アルテミス)。アルテミスはゼウスとレトの間に生れし獵の處女神なり
【とゞまり】異本、走り
【エリーチェ】カリスト。アルテミスに事へたる女神(ニムフ)の一。ゼウスの辱しめをうけて森より逐はる(オウィディウスの『メタモルフォセス』二・四〇一以下參照)
【ヴェーネレ】アプロディテ、戀の女神。こゝにては色慾
一三六―一三九
【かゝる】かく聖歌をうたひかつ淑徳の例を唱ふるによりてつひにその罪清まるにいたる
【その傷つひに】la piaga dassezzo 或ひは、最後の傷(即ち最後の圈に淨めらるゝ罪)と解する人あり

    第二十六曲

ダンテ兩詩人と倶になほ第七圈にありてグイード・グイニツェルリ及びアルナルド・ダニエルロと語る
一―三
【誡】淨、二五・一一八―二〇參照
四―六
【日】四月十二日の夕陽
七―九
【表徴】ダンテの影の落つるところ焔いよ/\赤く見ゆ、身に影あるは生者のしるしなり
一三―一五
色慾の罪を淨むる魂焔の外に出づるをえず
一六―一八
【渇】ダンテの生者なりや否やを知らんとするの願ひ
一九―二一
【エチオピア】エヂプトの南にある國。インドと同じく熱帶に屬す
二八―三〇
邪淫の罪人二群に分たる、一は淫慾を恣にせる者にて詩人等と方向を同じうし一は自然に背ける者(男色)にてこれと反對の方向に進む、二群相會ふとき彼と此と互ひに接吻してしかして直ちにわかるゝなり
三四―三六
【路と幸】路のよしあし食物の有無を互ひに尋ねんためなるべし
四〇―四二
【ソッドマ、ゴモルラ】ソドムとゴモラ、罪惡(殊に男色の罪)大なるによりて天火に燒かれし(創世記、一八・二〇及び一九・二四―五)パレスティナの町の名、邪淫の罰の第一例
【パシフェ】パシファエ、第二例(地、一二・一〇―一五並びに註參照)
四三―四五
ありうべからざることを限定していへり
【リフエ】古ヨーロッパの北部にありといはれし連山
【砂地】リビアの砂漠
四六―四八
【歌】淨、二五・一二一―三參照
【叫】貞節の例(淨、二五・一二七以下參照)
四九―五一
【請へる】一三行以下
五五―五七
熟める身を世に殘すは老いて後死せるにいひ、熟まざる身を世に殘すは若くして死せるにいふ
五八―六〇
【淑女】聖母マリア。マリア、人類のために上帝に請ふ(地、二・九四―六參照)
六一―六三
【天】エムピレオの天
七三―七五
【生を善くせんとて】神の恩寵の中に生きんとて。異本、死を善くせんとて
七六―七八
【チェーザル】ガッリアより凱旋せるカエサルにむかひてローマの兵士等、カエサル、ガッリアを從へニコメデス、カエサルを從へり云々と歌ひカエサルとビテュニア(小アジアの)王ニコメデスと不自然の關係あるを嘲りたりとの傳説によれるなり
七九―八一
【恥をもて】かく己が罪をいひあらはし自ら責めて焔と共に罪を淨む
八二―八四
【異性】原文、二形《ふたなり》。男色に對して異性間の淫行をいふ
八五―八七
【板】即ち模擬《まがひ》の牝牛(地、一二・一〇―一五)
【女】パシファエ
九一―九三
【グイード・グイニツェルリ】有名なるイタリア詩人にてダンテ以前第一と解せらる、ボローニアの人(十三世紀、但し生死の年並びに事蹟不詳、岩波文庫版『新生』一五七・一五八頁參照)
九四―九九
【リクルゴの憂ひ】ネメア王リュクルゴスの婢ヒュプシピュレ(イシフィレ)テバイ攻圍の諸王にランジアの泉のある處を教へんとて(淨、二二・一一二參照)行きたる間に草の上に殘されしリュクルゴスの幼兒蛇に噛まれて死せしかば王憂へ且つ怒りて將さにその婢を殺さんとす、ヒュプシピュレの二子トアス、エウネオスその己が母なるを知り走りゆきてこれを救ふ、ダンテは再び母にあへる子の喜びを再びかの詩人にあへる己が喜びにたとへしなり
ヒュプシピュレの物語はスタティウスの『テバイス』第五卷にいづといふ
【されど】ヒュプシピュレの子等は走り進みてその母を抱けるも我は敢てグイードを抱かず
一〇六―一〇八
【聞ける事】神恩によりて生きながら冥界を過行くこと(五五―六〇行)
【レーテ】忘却の川(淨、二八・二五以下參照)
一一二―一一四
【近世の習ひ】俗語を用ゐて詩を作ること(『新生』二五・二二以下參照)
一一五―一一七
【一の靈】アルナルド・ダニエルロ。プロヴァンスのトルヴァドル派の詩人、十二世紀の後半の人、その名聲詩の實質よりもダンテの讚辭に負ふところ多しといふ
一一八―一二〇
【レモゼスの人】グイロー・ドゥ・ボルネイユ。リモージ(フランス)の詩人(一二二〇年頃死)
一二四―一二六
【グイットネ】グイットネ・デル・ヴィーヴァ(淨、二四・五五―七註參照)
【多くの人】世評に盲從してグイットネを激稱することの誤りなるを見し人々
一二七―一二九
【僧院】天堂。キリストこゝに諸聖徒の長たり
一三〇―一三二
【パーテルノストロ】Paternostro(我等の父)キリストの教へたまへるキリスト教徒の祈り(マタイ、六・九以下及びルカ、一一・二以下)
【但し】主の祈りの中、我等を誘惑に遇はせず惡より拯ひ出し給へといふ最後の祈りは淨火門内の魂に必要なきなり(淨、一一・二二―四參照)
一三六―一三八
【指示されし】一一五―七行
【わが願ひ】わが心よろこびて彼の名を迎ふと告ぐれば、わが彼の名を聞くの願ひの切なるを告ぐれば
一三九―一四七
原文にてはアルナルドの答へみなその國語なるプロヴァンスの語にてしるさる
【この階の頂】即ち淨火の山巓
【權能】神の
【憶へ】憶ひ出でてわがために祈れ

    第二十七曲

詩人等猛火の中を過ぎて階を登るに闇既に地上をつゝみて登り終ること能はず、みな階上に臥して天明を待つ、ダンテは夢にレアを見、夜のあくるに及びて二詩人と倶に地上の樂園に到りこゝにウェルギリウスの最後の言を聞く
一―六
日沒近き時(四月十二日)を敍せり、淨火の日沒はイエルサレムの日出、インドの正午イスパニアの夜半にあたる
【ところ】聖都イエルサレム。太陽その他萬物の造主なる(ヨハネ、一・三參照)キリストが十字架にかゝり給ひしところ
【イベロ】イスパニアの川の名
【天秤】日白羊宮にあるがゆゑに夜(即ち夜半)は天秤宮にあり
【ガンジェ】ガンヂス、インドの川の名(淨、二・四―六註參照)
七―九
【心の清き者】マタイ、五・八
一〇―一五
【かなた】火のかなたにうたふ他の天使の歌(五五―六〇行參照)
【穴に埋らるゝ人】生埋にせらるゝ罪人(地、一九・四九―五一參照)
一六―一八
【人の體】火刑に行はるゝ罪人の體なるべし
二二―二四
【ジェーリオン】ジェーリオンの背に跨りて第七獄より第八獄にくだれる時(地、一七・七九以下參照)
三一―三三
【良心】師の言に從へと命ずる
三四―三六
【壁】二人の間を隔つるもの即ち火
三七―三九
ピュラモス(ピラーモ)とティスベはバビロニアの若き男女なり、互ひに深く愛せしかどその親結婚を許さざりしかば、ひそかに相謀り、家をいでて一大桑樹の下に會はんと約し、夜に入りて後ティスベまづかしこに到る、會々獲物を喰へる一匹の獅子の水を飮まんとて來れるあり、ティスベ月光によりてはるかにこれを見、走りて一洞窟の中に避け獅子はティスベの地に落せし面帕をかみて去れり、後れて來れるピュラモス猛獸の足跡と血の附着せる面帕を見てティスべ既に殺さるとおもひ刀を拔いて自刃す、血高く飛びて桑樹に及びその白色の實深紅に變ず、洞窟より出で來れるティスベこの状を見るやその戀人の刀をとりてまたこれに死す、爾後桑樹常に深紅の實を結ぶにいたれりといふ(『メタモルフォセス』四・五五以下參照)
【目を開きて】洞窟より歸れるティスベ自刃せるピュラモスを見てしきりにその名を呼びまた己が名をこれに告ぐればピュラモス、ティスベの名をきくに及び瀕死の目をひらきてその戀人を見やがて再びこれを閉ぢたり
四三―四五
【一の果實に負くる】一個の果實に誘はれて先に爲さざりし事をも爲さんとする
四六―四八
【わかてる】この時まではウェルギリウス最初にスタティウス中にダンテ最後になりゐたり
四九―五一
【煮え立つ】火に熔けし。地上最も熱《あつ》しとなすものといふともかの火にくらぶれば冷水の如し
五八―六〇
【わが父に】キリストの言(マタイ、二五・三四)
【わが目をまばゆうし】原文、我に勝ち
六四―六六
【我は】日光身に遮られて影その前にあらはれしをいふ
七〇―七二
【一の色と】一面に暗く
【夜】夜の闇あまねく天を蔽はざるまに
或ひは。夜その處(天)をこと/″\く占め終らざるまに
七三―七五
【山の性】この山の特性により、夜登らんと欲するも能はざるをいふ(淨、七・四〇以下參照)
八八―九〇
【星】(複數)、註釋者曰、燦かなるは空清ければなり、大いなるはこの處天に近ければなりと
九一―九三
【我かく倒嚼み】見來りしことどもを囘想するなり
【即ち事を】曉方《あけがた》の夢しば/\未來の出來事を告ぐ(地、二六・七―一二並びに註參照)
九四―九六
明け近き頃を指す
【チテレア】キユテレイア、(アプロディテ、ウェヌス、ヴェネレの異名)即ち明《あけ》の明星
アプロディテ(戀の女神)はイオニア海中の一島キュテラ(今のチエリゴ)に住みしことあるによりてこの罪名を得たるなり
一〇〇―一〇二
【リーア】レア、ラバンの長女(創世記、二九・一六以下)。活動の生を代表す。花圈を造りて身を飾るは善行によりて徳を積むなり
地上の樂園は人生至上の幸福を表示す、しかしてこの幸福は人間各自の徳の活動に外ならず(『デ・モナルキア』三、一六・四三以下參照)
一〇三―一〇五
【鏡】聖徒の魂の鏡なる神
【ラケール】ラケル、ラバンの次女(創世記、二九・一六以下)。默想の生を代表す。人間の生活を實行と冥想の二生に分ちレア及びラケルをこれが象徴となすこと當時の教理に見ゆ
一〇六―一〇八
【美しき目を】己を神の鏡に映《うつ》して神のたへなるみわざを思ひめぐらすなり
一〇九―一一一
遠國の旅果てて歸る人わが森に近づくに從ひ歸思いよ/\切にして夜のあくるを待ちわぶ
【曉の光】splendori antelucani 日出前の光
一一五―一一七
ダンテがこの日地上の樂園にいたるをうるを告ぐ。行く道各※[#二の字点、1-2-22]なれども人皆人生の眞の幸福を求む、汝の願ひ今日成就し汝は地上の樂園に到りてこの幸福をうくるをうべし
一一八―一二〇
【賜】或ひは、しらせ
一二七―一二九
【火】一時の火は淨火の苦しみ、時至れば止む。永久の火は地獄の苦しみ、永劫に亙りて盡くることなし
【わが自から】理性は人を導いて現世の幸福に到達せしむることをうれどもすでにこの境に到達しさらに進んで永遠の幸福を享受せんと欲するものを導くをえず、これ信仰に屬することは天啓によらざれば知る能はざればなり
一三三―一三五
【日】四月十三日の旭日
【おのづから】種を要せずして(淨、二八・六七―九)
一三六―一三八
【目】ベアトリーチェの(地、二.一一五―七參照)
一四二
人罪を離れ、己が好むところに從ひて而して誤ることなく、その思ひその行よく正義に合するにいたれば、既に現世の覊絆を脱して自由自主の境界にあり、かゝる人はもはや理性の導者を要せずたゞその養ひ來れる力を活用し天啓の助けによりて進んで永遠の幸福を求むべきなり
【冠と帽】古、法王が帝王の首に冠と帽とを倶に戴かしめしことあるによりて、ウェルギリウスはダンテにその自主の權を認むることを告げしなり

    第二十八曲

ダンテ樂園に入り、レーテの川のかなたの岸に花を摘む一佳人を見、これとかたりてその教へを聞く
一―三
【林】地上の樂園。昔寺院の説に地球の東最高の山の巓にありとなせるもの、これを淨火の山上に置くはダンテの創意にいづ(ムーアの『ダンテ研究』第三卷一三四頁以下參照)
四―六
【岸】山頂の外側即ち詩人等が階を登り終れるところ
一〇―一二
【方】西方即ち淨火の山がその朝影をうつす方
一六―二一
【エオロ】アイオロス、風の神。鎖をもて諸※[#二の字点、1-2-22]の風を大いなる岩窟の中に繋ぎおき、時に應じてこれを海陸に放つ。『アエネイス』にヘラ(ジユノネ)神がかの岩窟に赴きてアイオロスに風を乞へることみゆ(一・五〇以下)
【シロッコ】東南の風
【キアッシ】アドリアティコの海濱ラヴェンナに近き舊城市の名、大いなる松の林このあたりにあり
二五―二六
【流れ】レーテ
二八―三三
【蔭】林の木蔭
四〇―四二
【淑女】名をムテルダといふ(淨、三三・一一九)。かの階上の夢の中なるレアの實現にして活動の生を代表す、されどその名の由來については定かなること知りがたし
四三―八
【愛】神の愛
四九―五一
【プロセルピーナ】ペルセポネ、魔王ハデス(プルート)に奪はれてその妻となれるもの(オウィディウスの『メタモルフォセス』五・三八五以下參照)
【その母】デメテル(ケレス)
【春を失へる】摘み採りし花を失へるをいふ。
ペルセポネがハデスにとらはれし時その摘める花を失ひて悲しみしこと『メタモルフォセス』(五・三九八以下)に見ゆ
【いづこに】花咲く林に
【いかなるさま】若き美しき姿
五二―五四
舞姫の舞ひ進むときその兩足殆んど地を離れずまた相前後せざるごとくなるをいへり
六四―六六
戀の女神アプロディテ(ウェヌス)が自ら戀に陷りし時といふともその目の光かくあざやかならざりしなるべし
【子】エロス(クーピド)。戀の神、戀の矢を放ちて神々また人間の心を貫くもの
【あやまちて】原文、子の習ひに背きて。即ち誤りて矢を射ることなきエロスがかつてその母アプロディテに接吻せんとてあやまりてその胸に矢疵を負はせ、アプロディテこの疵のためにアドニスを慕ふにいたれるをいふ(『メタモルフォセス』一〇・五二五以下參照)
六七―六九
【右の岸】原文、右の對岸
七〇―七二
【セルセ】クセルクセス、ペルシア王ダリウスの子、紀元前四八〇年大軍を率ゐ船橋を造りてヘレスポントス(エルレスポント即ちダルダネルズ海峽)を渡り以てギリシアを征服せんとせしかどサラミスの戰ひに大敗し汚名を殘して故國に歸れり
七三―七五
【レアンドロ】レアンドロス、アビュドス(アジア側なるヘレスポントス沿岸の町、クセルクセスの船橋を裝へるもこの處なり)の一青年、對岸の町セストスに住めるヘロを慕ひ夜毎に海を泳ぎ渡りてこれを訪ふ、されど一夜波荒く、かの地に達するあたはずして死す
【開かざりし】紅海の水の如く(出エヂプト、一四・二一以下)左右に分れて路を與へざりしをいふ
七六―七八
【巣】住むところ(九一―三行參照)

七九―八一
【汝我を】詩篇九二の四に曰、主よ汝みわざをもて我を樂ませ給へり、我|聖手《みて》のわざを歡ばん。マテルダは樂園の中にあらはるゝ神の奇《くす》しきみわざをよろこびてほゝゑめるなり
八二―八四
【先に】ダンテ今は二詩人の先に立てり(一四五―七行參照)
八五―八七
ダンテはさきにスタティウスより淨火門内には風雨霜雪の異變なきよしを聞きて(淨、二一・四三以下)その眞なるを疑はざりしに今現に地上の樂園に風あり河あるをみてあやしめるなり
九一―九三
【至上の善】神。完全なる者神のみなれば、よく聖旨に適《かな》ふ者神の外にあることなし
【限りなき平和の】やがて天上の限りなき福を享けしむべき
九四―九六
始祖罪を犯して樂園より逐はれしをいふ(創世記、三・一以下)
九七―九九
水陸より發する一種の氣あり、太陽の熱度に應じ之に向ひて上昇す、門外の淨火及び人の世に風雨霜雪の變を起すもの即ちこの氣なり
一〇〇―一〇二
【鎖さるゝところ】淨火の門。風雨の異變門内に及ばず、これ地氣のこれより高く昇るあたはざるによる
以上スタティウスの言の眞なるを證す
一〇三―一〇五
以下地上の樂園に風あるの理を示す
【第一の囘轉】第九天、プリーモ・モービレ(第一動)と稱す。當時の天文によれば他の天球皆これに從ひ東より西に向ひて※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]轉す空氣亦然り、しかして地球は宇宙の中心にありて動かざるがゆゑに氣壓の變化なき處にてはたえず微風の東より西に吹くあり
一〇六―一〇八
【純なる】原文、生くる
【絆なき】氣壓の作用をうけざる
一〇九―一一一
草木風にあたれば各※[#二の字点、1-2-22]その自然に有する繁殖の力を風に滿たしこの風これを下方におくる
一一二―一一四
【かなたの地】人の住む地。地質と氣候に應じて風の散らせし力を受く
一一八―一二〇
【一切の種】各種の草木
一二一―一二六
以下樂園に水あるの理を説く。世の水脈は濕氣の冷却して水となれるものに補はるゝがゆゑにこれより流れいづる河或ひは溢れ或ひは涸るゝことあれども樂園の河は神の直接に造りたまふ水より成り、たえず聖旨によつて補はるゝがゆゑにかゝることなし
一二七―一二九
樂園の水一の泉よりいで、二の川となりて左右に流る、その一はレーテといひて罪業を忘却せしむる力を有し他はエウノエ(淨、三三・一二七以下)といひて善行を想起せしむる力を有す
一三〇―一三二
【まづ味はれ】人まづこの二の河水を味はざればその功徳をうけて天に登ることあたはず、即ち人罪を忘れ徳を憶ふにあらざれば不朽の福を享くるあたはず
一三九―一四一
【人々】黄金時代をうたへる詩人等、特にオウィディウスを指す(『メタモルフォセス』一・八九以下參照)
【パルナーゾ】パルナッソス、詩神の山(淨、二二・六四―六參照)。パルナッソスの夢は詩人の想像を指す
一四二―一四四
【人】原文、人の根。即ち始祖アダム、エヴァ未だ罪を犯さずして樂園に住めるをいふ
オウィディウス曰。この頃(黄金時代)人|律法《おきて》によらず、自ら求めて信と正義を行へり
【春】オウィディウス曰。こゝにとこしへの春ありき……地は耕さずして諸※[#二の字点、1-2-22]の實《み》を生じたり
【ネッタレ】神々の飮料
オウィディウス曰。この時乳の川、ネッタレの川流る

    第二十九曲

ダンテ對岸のムテルダとともに流れに溯りてすゝみ、寺院の勝利を象《かた》どれる一の奇《く》しき行列を見る
一―三
【罪を】咎をゆるされ罪をおほはるゝ者は福なり(詩篇、三二・一)
四―六
【ニンファ】ニムフ、山川林野等に住む一種の女神。林の木蔭を歩むをもてその習ひとなせし傳説中のニムフの如く行歩しとやかに優なるをいへり
七―九
【さかのぼりて】右即ち南方に
一〇―一二
【岸】レーテの兩岸ともに左にまがれるなり
一九―二一
【現はるゝごとく】忽ち現はれ忽ち消ゆ
二二―二四
【エーヴァ】エヴァ、蛇に誘はれて禁斷の木の實をくらひしため夫アダムと共に樂園を逐はる(淨、八・九七―九參照)
二五―二七
【被物】服從。或ひは曰、無智と(創世記、三・五―六參照)
二八―三〇
エヴァ禁斷の果を食はざりせば樂園ながく人類の住む處となりて我もわが生れし日より死ぬる日にいたるまでかゝる福をうくるをえしものを
三一―三三
【樂しみの初穗】天上無窮の福を果實にたとふれば地上の樂園の美觀はその初物《はつもの》にあたる
【いよ/\大いなる喜び】ベアトリーチェにあふこと(淨、六・四六―八及び二七・一三六―八參照)
三七―四二
詩神ムーサ(ムーゼ)を呼びてその助けを乞へり
【處女等】ムーサ
【汝等のために】詩を愛するあまりに
【エリコナ】ボイオティア(希)の山にてムーサのとゞまるところ。アガニッペ及びヒッポクレネの泉ありて詩神等にさゝげらる
【ウラーニア】ムーサの一にて天の事を司る
四六―四八
類似の物遠距離にあるときはその差別を沒するがゆゑに視覺を欺きて燭臺をも黄金の木と思はしむれど近距離にあるときは個々の差別性を現はすがゆゑにしかすることなし
四九―五一
【力】認識の力
【オザンナ】(救ひたまへの義)神を讚美する詞(マタイ、二一・九等)
五二―五四
燭臺のこと默示録による、七の燈は神の七の靈なり(默示録、四・五)、聖靈の七の賜これよりいづ(七三行以下參照)
五五―五七
靈界の奧義は理性(ウェルギリウス)の解し能はざるところなるをいへり(淨、二七・一二七―九參照)
六四―六六
【民】二十四人の長老(八二―四行)
七三―七五
【流るゝ小旗】tratti pennelli 七の燭臺の光その餘光を空に殘して七色の線を現出せるさまあたかも細長き七の旗のごとし
或ひはこれを「運ぶ繪筆」と解する人あり
七六―七八
【日の弓】虹
【デリア】アルテミス、又はディアナ(月)の異名、その帶は月暈
七色の線は聖靈の七の賜即ち智慧、聰明、謀略、剛氣、知識、敬虔、及び敬畏をあらはす(『コンヴィヴィオ』四、二一・一〇五以下參照)
八二―八四
【二十四人の長老】默示録(四・四)に曰、寶座の上には二十四人の長老白き衣を着、頭に黄金の冠を戴きて坐せりと。二十四人の長老は舊約全書二十四卷を代表す、但しその分類につきては註釋者の説一ならず
【百合の花】その教義の醇なるをあらはす
八五―八七
【アダモの女子】女。天使ガブリエル及びエリザベツが聖母マリアを祝して、汝は女の中の福なる者なりといへることルカ傳に見ゆ(一・二八及び四二)、かの長老等また聖母を祝してかくうたひ且つその美をほめたゝへしなり
九一―九三
【光光に】一の星他の星に從つて動くがごとく
【四の生物】新約全書中の四福音書を代表す、縁葉の冠は希望をあらはす
九四―九六
【翼】六の翼は福音の世に傳播することはやきを表はし多くの目は福音の眞理のよく一切の事物を洞察するをあらはす。但し異説多し
【アルゴ】アルゴス。神話、ヘラの命によりてイノ(ゼウス神の慕へるニムフ)を守れる者、頭に百の眼あり、この者ヘルメスに殺されし後ヘラその眼をとりて孔雀の尾の飾となせり(『メタモルフォセス』一・五六八以下)
【生命あらば】孔雀の尾の球斑は死せるアルゴスの目なれども、この生物の翼の目は生くるアルゴスの目の如し
一〇〇―一〇二
【エゼキエレ】エゼキエル書(一・四以下)
一〇三―一〇五
【ジヨヴァンニ】默示録の作者として。エゼキエル、一・六には四の生物各※[#二の字点、1-2-22]四の翼ありといひ、默示録四・八には各※[#二の字点、1-2-22]六の翼ありといふ
一〇六―一〇八
【凱旋車】寺院の象徴。但しその兩輪の寓意明かならず、多くの註釋者これを新舊兩約の輪と解す
【グリフォネ】想像の動物、頭及び翼は鷲にしてその他は獅子なり、キリストを代表す、即ち鷲の天に翔り獅子の地に走るごとくキリストの神人兩性を兼備ふるをあらはせるなり
一〇九―一一一
七線即ち七の燭臺の後に流るゝ七の光の中、中央なるはグリフォネの兩翼の間を過ぎ三線はその左を三線はその右を過ぐ
一一二―一二四
【黄金】神性のしるし
【紅まじれる白】人性のしるし。雅歌五・一〇―一一に曰、わが愛する者は白く且つ紅にして萬人の長《をさ》なりその頭は精金のごとし
一一五―一一七
スキピオ・アフリカヌス(有名なるローマの大將)もカエサル・アウグストゥス(ローマ皇帝)もかく美しき車を用ゐてローマに凱旋を祝せしことなし
【日の車】太陽の火車
一一八―一二〇
フェトンテがかの火車をめぐらせしときのこと(地、一七・一〇六以下並びに註參照)
【テルラ】テルラ(即ち地)が火焔になやみその滅亡を免かれんためゼウス神に祈願をさゝげしをいふ、この祈り、オウィディウスの『メタモルフォセス』二・二七八以下にいづ
【奇しき罰】人の僭上を戒めんとてくだせる罰
一二一―一二三
【みたりの淑女】教理の三徳即ち愛(赤)、望(縁)、信(白)
一二七―一二九
或時は愛と望みともに信に導かれ、或時は信と望みともに愛にみちびかる、されど望みは愛または信仰より生るゝものなれば他の二徳を導くあたはず
【その】白或ひは赤の
一三〇―一三二
【よたりの淑女】四大徳即ち思慮、公義、剛氣、節制の象徴。紫の衣はその高貴なるをあらはす
【三の目ある者】思慮。その三の目にて過去現在及び未來を見る、思慮は他の三徳の本なればこの一團をみちびくなり
一三三―一三五
【ふたりの翁】使徒行傳とパウロの諸書とをその作者によりてあらはせるなり
一三六―一三八
【ひとり】使徒行傳の作者なる醫師ルカ(コロサイ、四・一四參照)
【自然が】ヒッポクラテスは自然がその最愛の生物即ち人間の生命を救はんために造り出せる名醫(地、四・一三九―四四並びに註參照)なればかくいへり
一三九―一四一
【またひとり】パウロ。靈の劒(エペソ、六・一七參照)をとりて信仰のために戰へるをあらはす
【反する思ひ】醫師は癒さんことを思ひ武人は撃たんことを思ふ
一四二―一四四
【よたりの者】ヤコブ書、ペテロ書、ヨハネ書、ユダ書。これ等の諸書は他に比して小なれば外見劣る[#「外見劣る」に白丸傍点]といへり
【翁】默示録。新約全書の卷末にありて他に類なき書《ふみ》なればたゞひとり[#「たゞひとり」に白丸傍点]といへり、眠れるはその著者の異象を見しさまをあらはし、氣色鋭きは未來を洞察する意氣の鋭きをあらはす
一四五―一四七
【第一の組】前列なる二十四人の長老
【花圈】brolo ※[#「くさかんむり/翳」、319-16]薈《しげみ》
一四八―一五〇
【薔薇と】紅の色は新約の諸書に滿つる愛の甚だ強きをあらはす
一五四
【旌】燭臺とそのうしろの光
以上寺院の行列について敍せしところは、寺院が悔改めし者を求め喜びてこれに就くを示せり(ルカ、五・四以下參照)

    第三十曲

行列とゞまれるとき天使の散らせる花の中にベアトリーチェあらはれいで(ウェルギリウス去る)車の左の縁に立ちてダンテの罪過を叱責す
一―三
【第一天の七星】七の燭臺。これを第一天(即ちエムピレオの天)の七星といへるはわが世界より見ゆる北斗七星に對してなり、七の燭臺は神の七の星なり(淨、二九・五二―四註參照)
【出沒を知らず】神の靈の常に輝きて善人の目に映ずるをいふ
【罪よりほかの】たゞ罪あるもの神の靈を見るをえず
四―六
七の燭臺のかの行列を導けること恰もわが七星の舟手を導いて舟の方向をあやまらしめざるに似たり
【低き】エムピレオの天は星宿の天(第八天)より高ければ
七―九
【眞の民】二十四人の長老即ち舊約二十四書
【己が平和に】舊約の望みはキリストによりて寺院を建設するにあり、故に寺院をうるに及びて望み達し心安んず
一〇―一二
【新婦よ】雅歌四・八にあり、ラテン譯の聖者には「來れリバーノより、わが新婦よ、來れリバーノより、來れいざ」といひ、來れ[#「來れ」に白丸傍点](veni)の語を三たびくりかへせり。長老の一、神の使命を果さんとする者の如くかく歌ひてベアトリーチェを呼べるなり
一三―一五
最後の審判の日、すべて救はるゝ者|喇叭《らつぱ》の聲をききて再び肉の衣をまとひアレルヤ(默示録、一九・一參照)をうたひつゝその墓より起出るごとく
【再び】再び得たる肉體の聲にてアレルヤをうたひつゝ
異本、再び着たる肉の衣かろらかに
一六―一八
【車】basterna 美しく飾れる車
【永遠の生命の僕と使者】神の僕と使者即ち天使
一九―二一
【來たる】キリスト聖都に入りたまへるとき群集のよろこびてさけべる詞(マタイ、二一・九等)。天使等ベアトリーチェの來らんとするをよろこびてかくいへり
【百合を】Manibus o date lilia plenis!『アエネイス』六・八八三にいづるアンキセスの詞にたゞOの一語を加へしのみ
二五―二七
太陽朝霧に蔽はれていでその光劇しからざるがゆゑに人ながくこれに目をとむるをうるなり
三一―三三
橄欖は智慧と平和のしるし、白は信、縁は望、赤は愛
三四―三六
【かく久しく】一二九〇年ベアトリーチェの死せしよりこの方十年の間ダンテはかの女を見ざりしなり
【彼の前にて】ダンテが驚異の目をもてベアトリーチェを見、深き印象をうけて身を震はせしこと『新生』の處々にいづ
三七―三九
【目の】面※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]にかくれてベアトリーチェの顏あきらかにみえざりしなり(六七―九行)
四〇―四五
【童の時過ぎざるさきに】九歳の時(地、二・七〇―二註參照)
四六―四八
【焔】愛。『アエネイス』四・二三に「昔の焔のあとを、我今知る」といへるディトの詞をとれるなり
五二―五四
樂園における一切の歎樂もわが涙(ウェルギリウスの去れるを悲しむ)をとゞむるをえざりき
【昔の母】エヴァ(淨、二九・二以下參照)
【露に淨められ】ウェルギリウスがカトーの命に從ひ草の露をもてダンテの顏を淨めしこと(淨、一・一二一以下參照)
五五―五七
ベアトリーチェの詞
【ほかの劒に】ダンテを責むるベアトリーチェの言に
五八―六六
【己が名】神曲中ダンテの名の見ゆるはたゞこの處のみ
六七―六九
【ミネルヴァの木葉】橄欖。アテナ(ミネルヴァ)がはじめて地より橄欖を生ぜしめしこと神話に見ゆ
七三―七五
【汝は人が】汝は福を享くるに足る人のみこの山に來るをうるを知らざりしか
八二―八四
【主よわが望みは】詩篇第三一篇を一―八まで歌へるなり、ヴルガータにては第八節 pedes meos(わが足を)に終る、天使等これをうたひダンテに代りてベアトリーチェに答へ、彼はダンテの主を待ち望めるを告げしなり
八五―八七
【スキアヴォーニアの風】スラヴォニア、東北の風。スラヴォニアはユーゴスラヴィアの一地方
【イタリアの背】アペンニノ山脈
【生くる梁木】森の樹木
八八―九〇
【陰を失ふ國】アフリカ。日光直下して陰なき時あり
【己の内に】上層の雪南風に溶けて下層に沈み入るをいふ
九一―九三
【とこしへの球の調】諸天の調(天、一・七六以下參照)
九七―九九
【氷】憂ひ
【息と水】歎息と涙
一〇〇―一〇二
【慈悲深き】pie 天使の敬虔にして慈悲あるをあらはせる語
一〇三―一〇五
汝等神の永遠の光の中に常に目さめて萬の事を視、夜と眼に妨げらるゝ間なければ人の世に行はるゝほどの事一として汝等の目より洩るゝはなし
一〇六―一〇八
汝等悉く世人の行爲を知るがゆゑにわが答へは汝等の知らざることを汝等に告げんがためになさるゝにあらず、ダンテをしてよくわが詞をさとらせその罪の大なるに應じてその悔いを大ならしめんがためなり
一〇九―一一一
【諸天】原文、大いなる輪。諸天が自然にその力を人に及ぼしよき星の下に生れし者を善にむかはせあしき星の下に生れし者を惡にむかはしむるをいふ
一一二―一一四
【その雨の】神の惠みの雨人に降れどその降る次第にいたりては人智何ぞこれをきはむるをえむ
一一五―一一七
【生命の新たなるころ】若き時
【すべての良き】天賦の才能をみちびいて若き時の期待に背かざる效果をあぐるをうべかりしに
一二一―一二三
【しばらく】ダンテがベアトリーチェを初めて知りし時よりこの方この戀人の死にいたるまで
一二四―一二六
【第二の齡】人生に四期あり、第一期は Adolescenza(發育時代)といひて二十五歳に終り第二期は Gioventute(壯年時代)といひて四十五歳に終る(『コンヴィヴィオ』四、二四・一以下參照)、ベアトリーチェの死せるはその二十五歳のはじめなれば即ち人生第二期の閾にいたりて一時の生を永遠の生に變へしなり
【他人】他の婦人。地上の事に專らにして天上の事に遠ざかれる意を寓す
一三三―一三五
【默示】神の。ベアトリーチェがダンテの異象の中にあらはれしこと『新生』四〇にその例あり
一三六―一三八
ダンテを正路に呼戻し罪の中より救ふの道はたゞ恐ろしき惡の報いをまのあたり彼に示してその改悔をうながすにあるのみ
一三九―一四一
【死者の門】罰をうくる者の門即ち地獄の門。ベアトリーチェがリムボにくだりてウェルギリウスにダンテの救ひを托せしこと地、二の五二以下にいづ
一四二―一四五
人若し悔改めずしてその罪を忘るゝをうべくば神の律法は廢らむ
【その水を】原文、かゝる食物。レーテの水には罪を忘れしむる力あり(淨、二八・一二七以下參照)

    第三十一曲

己が罪過を懺悔して後ダンテ、マテルダにたすけられてレーテの流れを渡りその水を飮みて彼岸にいたれば諸徳彼を導いてベアトリーチェの前に立たしめかつこれに請ひてその面帕を脱せしむ
一―六
【刃さへ利しとみえし】間接に(即ちベアトリーチェがダンテの罪過について天使にいへる言を)ききてさへ劇しとおもはれし
七―九
【官】喉と口
一〇―一二
【悲しき記憶】汝未だレーテの水を飮まざるがゆゑに汝の罪過を忘るゝ筈なし
一三―一五
【目を】聲甚だ弱きがために唇の動くさまをみて判ぜざればさとりがたき
【シ】si(然り)責められしことの眞なるをいへる語
一九―二一
【重荷】惑ひと怖れの
二二―二四
【幸】至上の幸即ち神
【わが願ひ】わが汝の心の中に起さしめし善き願ひ
二五―二七
【堀】原文、横の堀(路を遮る堀)カーシーニ曰、堀と鍵とは消極積極二種の障礙なり、一は心の弱みより生じ一は世の誘ひよりいづ、ベアトリーチェに對するダンテの愛の冷却のごときは前者に屬し、濁れる愛、肉の快樂のごときは後者に屬すと
二八―三〇
【他の】世上の
三七―三九
【士師】神
四〇―四二
【我等の】天の
【輪】圓形の砥石をいふ、逆轉して刀にむかへば刃鈍りてその切味《きれあぢ》劣るごとく神の正義の劒慈悲のために鈍るなり
四三―四五
【今】異本、尚深く
【シレーネ】シレーナ(淨、一九・一九―二一註參照)の複數。その歌を聞くは世の快樂の誘ひにあふなり
四六―四八
【涙の種】心のみだれ
【葬られたるわが肉の】わが死の
【異なる】正しき
五五―五七
げに汝はわが死によりて世の無常を觀じ、永遠の生を享くるわが靈を慕ひて向上すべく
【第一の矢】ベアトリーチェの死はダンテが世上の物よりうけし最初の矢即ちほろぶる肉の美のたのむにたらざることを知れる、心の最初の疵なりしなり
五八―六〇
なほも地上の幸を求め虚浮の快樂に欺かれて再び心に疵をうくべきにあらざりき
六一―六三
【羽あるものの】箴言一・一七に曰、すべて鳥の眼の前にて網を張るはいたづらなり
六七―六九
【鬚】童なるざる汝の顏(七三―五行參照)
【見て】わが天上の美を見て、汝がこれを地上の幸に代へしを悔い
七〇―七二
【ヤルバの國】ヤルバス王の治めし國即ちリビア。この吹く風はアフリカ地方より吹く南の風をいひ、本土の風即ち北の方ヨーロッパより吹く北の風に對せしむ
七三―七五
【頤を】木の容易に倒れざるを、ダンテが恥ぢて容易に顏を上げえざるにたとへしなり
七六―七八
【はじめて造られし者】天使。ふりかくる[#「ふりかくる」に白丸傍点]は花をベアトリーチェにふりかくること
七九―八一
【獸】グリフォネ。鷲と獅子とによりて神人の兩性をあらはせるもの(淨、二九・一〇六―八註參照)
八五―八七
【すべてのもの】すべての僞りの快樂
八八―九〇
【者】ベアトリーチェ
九一―九三
【わが心】人我を失ふ時はその心の作用《はたらき》皆内に潜みてあらはれず、このはたらき外にあらはれ諸官を活かしむるに及びてはじめて我にかへるなり
【淑女】マテルダ(淨、二八・三七以下參照)
九七―九九
【汝我に】ウルガータに「汝我にヒソポを注ぎたまふべし」といへる詩篇五一・七の詞。僧が改悔者に淨水をそゝぎてその罪をきよむるときこの歌をうたへりといふ
一〇三―一〇五
【よたり】四大徳の象徴なる(淨、二九・一三〇―三二並びに註參照)。腕にて蔽ふは各※[#二の字点、1-2-22]その徳によりてダンテを護るなり
一〇六―一〇八
【ニンフエ】淨、二九・四―六並びに註參照
【星】淨、一・二二―四並びに註參照)
【まだ世に】世に生れざりしさき。『新生』二六・四三―四に曰、彼は一の奇蹟を示さんとて天より地に降れるものの如く見ゆ
【侍女】寺院の建設、未だ成らざる時にあたりてこの四徳は神意に基づき既に神學のために世に道を備ふるものとなれるなり
一〇九―一一一
【悦びの光】ベアトリーチェの目の中なる悦びの光を充分に見ることをえんため
【三者】教理の三徳を代表するみたりの淑女(淨、二九・一二一以下)。人かの四徳に導かれて神學に到るを得、されどその堂に入ることは神を知ることさらに深きこの三徳の力を借るにあらざれば能はず
一一五―一一七
【縁の珠】ベアトリーチェの目
一二一―一二三
神としてのキリスト、人としてのキリストがこも/″\神學の目に映ずるを敍す
【忽ち彼忽ち此】或ひは鷲(神性)或ひは獅子(人性)の恣態(顯現)
一二七―一二九
【食物】ベアトリーチェの目を見ること
一三〇―一三二
【さらにすぐれ】さきのよたりの淑女にまさりて
一三三―一三八
【第二の美】口。第一の美は目にして第二の美は口にあらはるゝうるはしき微笑なり(『コンヴィヴィオ』三、八・六四以下參照)
一三九―一四五
みたりの淑女の請ひを容れて面※[#「巾+白」、第4水準2-8-83]をぬぎ去れるベアトリーチェの姿の美しさ尊さはいかなる詩人の筆といへども敍するにふさはしからざるをいへり
【パルナーゾ】淨、二二・六四―六參照
【あをざめ】詩の研究につかれて
【飮みたる者】詩想のゆたかなる者
【調をあはせ】運行の諸天相和してその自然の調《しらべ》亂れざること。但しこの一行の解釋につきては異説多し

    第三十二曲

ダンテ目を轉じてかの聖なる行列の東に歸るを見、マテルダ及びスタティウスと共にこれに從ひ一奇樹のほとりにいたりて眠り、眠りさめし後象徴によりて寺院の多くの變遷を見る
一―三
【十年の渇】ベアトリーチェを見んとおもへる十年の間(一二九〇年即ちベアトリーチェの死せる年より一三〇〇年まで)の切なる願ひ
四―六
【等閑の壁】ベアトリーチェを見るに專らにして他の事物をすべて等閑に附するをいふ
【微笑】ベアトリーチェの第二の美(淨、三一・一三三―八並びに註參照)
【昔の網】昔の愛の力
七―九
【女神等】車の右ダンテの左に立てる教理の三徳
一三―一五
【小さき】行列の光の如き小さき
【大いなる】ベアトリーチェの顏の光の
一六―一八
【榮光の戰士等】行列
【日】四月十三日の午前の日光。これと七の燭臺より出づる光を顏にうけつゝ東にむかひてかへりゆくなり
一九―二一
長き列を成せる一隊の兵その方向を變ずる時は後列未だ動かざるまに前列既に旗を先立てて轉換す
二二―二四
【王國の軍人】二十四人の長老
二五―二七
【淑女等】ダンテを導かんとて車の左を去れるよたりの淑女も、またダンテのためにベアトリーチェに請はんとてやゝ先に進めるみたりの淑女も
【荷】凱旋車
二八―三〇
【輪】車の右の輪。車右に方向を轉ずるがゆゑに車轍の弓の形左の輪に此すれば小さし
三一―三三
【女】蛇に欺かれて禁斷の果を食べるエヴァ(淨、二九・二三以下參照)
三七―三九
【アダモ】エヴァに勸められて神命に背けるアダムの罪(創世記、三・六以下)を責め且つそのためになげくなり
【一本の木】善惡を知るの木(創世記、二・九)。神この木を樂園に生ぜしめ且つその果實を採るを禁じて人の服從を求めたまひしものなればこゝには服從の象徴として人類の罪及びキリストの救ひをあらはせるなるべし、但し異説多し、今多く古註によれり
【花も葉もなき】神の律法がその積極的效果を失へるをいふ
ブーチ曰。人かく神の命に背きてその恩寵を失へるがゆゑに能く善を行ひて以て聖旨を和ぐるをえず、キリスト來臨したまふに及びその從順の徳によりて神人はじめて融和すと
四〇―四二
【髮】枝。從順の徳は神に近づくに從つて増すなり
【インド人】インドの森には亭々たる巨木ありて矢もその頂に達せずといふことウェルギリウスの『ゼオルジカ』二・一二二以下にいづ
四三―四五
アダムの罪を責むると同時にキリストの從順を讚めしなり
四六―四八
【すべての義の】ブーチ曰。慢心は衆惡の母、謙讓は諸徳の本なり、しかして謙讓はたゞ從順によりて保たると
四九―五一
グリフォネがかの大樹の枝をもて凱旋車の轍をその幹に結べるは、キリストが從順の例を示して寺院にこの徳を教へしことをあらはす
【その小枝をもて】或ひは quel di lei を「それ(かの木)にて作れるもの(即ち轍、轍を十字架の表章と見做し、キリストの十字架は知識の木にて作られたりとの傳説によれり)を」と解する人あり
五二―五四
春來れば地上の植物(その芽を出し)
【大いなる光】太陽の光
【天上の魚】雙魚宮の星。その後に輝くは白羊宮の星なり(地、一一・一一二―四註參照)、こゝには春太陽の光が白羊宮の星の光とまじりて地上に降るときをいふ
原語 lasca は淡水に住む魚の一種
五五―五七
【日が】太陽白羊宮の後《うしろ》なる金牛宮に移りてその日毎の※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]轉を續けざるまに。太陽の金牛宮に入るは四月の下旬なり
五八―六〇
キリストの模範によりて寺院從順の徳を傳へ、神の律法その失へる效果を克復するにいたりしこと
【薔薇より】薔薇と菫の中間の色、但しその何色なるや(ムーアは、薔薇の如く赤からざれども菫よりは赤勝てる意なるべしといへり)將又これに特殊の寓意ありやあきらかならず
六一―六三
【終りまで】歌をききつゝ眠りたれば
六四―六九
【目】アルゴスの百眼(淨、二九・九四―六並びに註參照)。アルゴスの守りきびしきを見てゼウス神その戀人イノに近づくあたはざるを怨みヘルメスを遣はしてアルゴスを殺さしむ
【高き價を拂へる】生命を失ふにいたれる
【シリンガ】パン神に慕はれしニムフ、シュリンクス。ヘルメス神この物語(『メタモルフォセス』一・六八九以下)をもてアルゴスを眠らしめその頸を撃ちてこれを殺せり
七〇―七二
【煌】天に登る行列の光
【聲】マテルダの
七三―七五
【林檎】キリスト。雅歌二・三に曰。男子等の中にわが愛する者のあるは林の樹の中に林檎のあるがごとし
【花】變容(マタイ、一七・一―八)によりてあらはれしキリストの榮光
【果】天上に於けるキリストの榮光。花の果に於ける如く、キリストの變容はたゞその榮光の一部の顯現即ち全榮光の一約束に過ぎず
【婚筵】(默示録、一九・七―九)、キリストがその榮光によりてかぎりなく聖徒を福ならしむること
七六―七八
【導かれて】キリストに導かれて高山に登り(マタイ、一七・一)
【氣を失ひ】光と聲とにおどろきて(マタイ、一七・六)
【さらに大いなる睡】死の睡。キリストの言によりて死者の蘇れることあるを指す(ルカ、七・一一以下、ヨハネ、一一・一以下等)
【言葉】起きよ恐るゝ勿れといひたまへるキリストの言葉(マタイ、一七・七)
七九―八一
【變りたる】常の如くになれる
八八―九〇
【組】七淑女。キリスト(グリフォネ)天に昇りて後、神學(ベアトリーチェ)は諸徳(七淑女)にかこまれて寺院(車)を護る
九四―九六
【眞の地】terra vera 眞實にして神に從順なる地の謂か、或ひは曰ふ、席を設けざる裸の地の意と
九七―九九
【光】七の燭臺
一〇〇―一〇二
汝が地上の人としてこの樂園にとゞまるはたゞしばしの間のみ、その時過ぐれば天に登りてかぎりなくかしこに住まむ
【ローマ】天の都。キリストもその民のひとりなり
一〇九―一一一
高き密雲の中より電光の射下する早しといへども。註釋者曰、雨雲高處にあるときは當時の所謂火炎界に近きがゆゑにその影響をうけて電雷常よりも劇しき意と
一一二―一一四
【ジョーヴェの鳥】鷲
鷲はローマ帝國の徽章なれば、鷲が知識の木を荒せるはローマ皇帝等(ネロ、ディオクレティアヌス等)が神の律法をなみせるをいひ、その聖車を打てるは彼等が寺院を迫害せるをいふ
一一八―一二〇
【狐】迫害に次ぎて起れる異端。良き食物は健全なる教義
一二一―一二三
正しき教へ(ベアトリーチェ)に逐はれて異端寺院を去れるなり
一二四―一二六
鷲は皇帝、羽は世の利慾なり。即ち皇帝コンスタンティヌスが法王シルヴェステル一世に領地を供物として捧げしこと(地、一九・一一五―七並びに註參照)
一二七―一二九
【小舟】寺院を指す
一三〇―一三五
龍は即ち宗爭にしてその車底の一部を奪へるは寺院の相分散せる(ギリシア寺院のラテン寺院よりわかれしごとく)をいへるか、ダンテの眞意分明ならず、異説或ひはマホメットとし或ひは魔王とす
一三六―一四一
殘れる物即ち底の一部を失へる車の羽をもておほはれしはその後の皇帝等の供物によりて寺院の所得忽ち膨脹せることを表はす
【おそらくは】彼等或ひは眞に寺院の益をおもひてかく供物を捧げしならむもその結果としてはたゞ寺院の腐敗を招くに過ぎざりしなり
一四二―一四七
寺院富を得ていよ/\利慾に迷ひ腐敗を極むるにいたれるをいふ
註釋者曰。七の頭は七の罪なり、七の罪の中、誇りと嫉みと怒りとは神と人とに對しての罪なればこれに各※[#二の字点、1-2-22]二本の角あり、他の四の罪はたゞ人に對して行はるべき罪なればこれに各※[#二の字点、1-2-22]一本の角あるなりと
この項は地、一九・一〇六以下に見ゆる水上の女と同じく默示録よりいでて意は異なれり、讀者よく思ふべし
一四八―一五〇
【遊女】法王。法王ボニファキウス八世及びクレメンス五世の頃の寺院の腐敗を敍せるなり
一五一―一五三
【巨人】フランス王特にフィリップ四世。遊女と接吻せるはボニファキウスとフィリップと初め相和せるをいふ
一五四―一五六
法王ボニファキウス八世がフランス王家の抑壓を免かれんとして却つてフィリップの虐待を受けしをいふ(淨、二〇・八五―七並びに註參照)
【我に】古註に曰、ダンテはこゝにキリスト教徒を代表し、寺院がキリスト教徒に助けを求めしをあらはせるなりと
一五七―一六〇
クレメンス法王たりし時法王の廳ローマよりフランスのアヴィニオンに移されしをいふ
【盾】林盾の如く目を遮りて
【獸】即ち異形の車

    第三十三曲

ベアトリーチェ、マテルダ、スタティウスとともにダンテかの奇樹のもとを離れ、ゆく/\ベアトリーチェより、近く故國に起るべき事及びその他の教へをきき、遂にエウノエのほとりに達し、こゝにてマテルダにたすけられてその水を飮み、天に登るをうるにいたる
一―三
【神よ】Deus, venerunt gentes「あゝ神よ、異邦人は汝の境に入來り、汝の聖なる殿《みや》を汚し、イエルサレムを荒地となせり」といふ詩篇第七九篇第一節の初めの詞。みたりの淑女(教理の三徳)よたりの淑女(四大徳)とつぎ/\にこの歌をうたひて寺院の頽敗を歎きたるなり
四―六
【マリア】聖母マリアが十字架上のキリストを見て哀れにたへざりしごとくベアトリーチェは寺院の悲運をいたみおもひてその顏色を變へしなり
七―九
淑女等うたひをはれるときベアトリーチェはその熱烈の情を面《おもて》にあらはし
一〇―一二
【少時せば】キリストの言(ヨハネ、一六・一六)。寺院の腐敗によりて靈界の知識一時ひそみかくるゝとも久しからずしてまた顯はるべしといひ、寺院の改善を豫言せるなり
一三―一五
七淑女を前に立たしめ、ダンテとマテルダとスタティウスとを身振りに示して後に立たしめ
二五―二七
【聲を齊ふる】原文、聲を完全に齒までひきいだす
二八―三〇
【汝は】わが問ひを待たずして汝は我に必要なるものとこの必要に應じて我に教ふべきこととを知る
三四―三六
かの龍のために底を奪はれし凱旋車は今や遠く移されてこゝにあらず、されどこれを移せる巨人は神の刑罰必ずその上に臨むを知るべし
【サッピ】sappi 酒またはその他の液體に浸せる麪包
註釋者曰。昔フィレンツェの習俗として、人を殺せる者若し兇行の當日より九日の間に於て被害者の墓にゆき、酒に浸せるパンをこゝに食ふときは、死者の遺族復讎をなすことあたはず、故に遺族等九日の間墓を護りて殺害者のこゝに入來るを防ぐを例とせりと。こゝにてはいかなる方法を用ゐるとも神の刑罰の避けうべきにあらざるをいへるなり
三七―三九
【羽を】淨、三二・一二四―六參照
【獲物】巨人の(淨、三二・一五一以下參照)
【鷲】即ち皇帝。世繼なきは帝位の空しきをいふ。フリートリヒ二世の死よりハインリヒ七世の即位まで(一二五〇年―一三〇八年)帝位空しきにあらざりしも名實相そはざるがゆゑに(淨、六・九七以下參照)ダンテはフリートリヒを指して最後のローマ皇帝といへり(『コンヴィヴィオ』四、三・三八以下)
四〇―四二
【妨碍障礙】世に及ぼす星の影響をさまたぐるもの
四三―四五
【五百と十と五】註釋者曰。五百と十と五は D X V なり、少しくその位置を變ずれば D V X(即ちラテン語にて導者、首領の義)となる、偉人出でて世の改善をはかるの意と、但し異説多し、また偉人とは何人を指していへるものなるや不明なり
ムーア博士はこの偉人を以てハインリヒ七世に外ならずとし Arrig(c,or k)o よりヘブライ文字の計算法によりて五百十五の數を得べき一の新しき試みをなせり(『ダンテ研究』第三卷二五三頁以下)、ベアトリーチェのこの豫言をばハインリヒ七世に對するダンテの望みをあらはせるものと見做すべき多くの理由あれどもダンテが果してその名をかく數字の上に現はさんとしたりしや疑はし
【盜人】遊女即ち法王。法王の位を奪へるによりてかくいふ(地、一九・五二以下參照)
四六―四八
【テミ】テミス、神話、ウラノスとゲーの間の女にして神託を以て名高し
【スフィンジェ】スピンクス、女面獸身の怪物、テバイの附近に住み謎を以て旅客をなやませるもの
四九―五一
事實は速かに汝をしてわがこの豫言の眞義をさとるをえせしむべし
【ナイアーデ】ナイアデス(ナイアス)泉の女神
スピンクスの謎を解けるはナイアデスにあらずしてライオスの手、即ちテバイ王オイディプスなり、こは謄寫の誤りよりオウィディウスの『メタモルフォセス』(七・七五九)にナイアデスとなりゐたるがダンテの時代にいたりてもなほいまだ訂正せられざりきといふ
【損害】スピンクス謎を解かれて死するやテミスこれがために讎を報いんとて怪獸を放ち、テバイ人の畜類及び田野に損害を與ふ(『メタモルフォセス』七・七六二以下參照)
五五―五七
【二度】最初はアダムに次は鷲に
五八―六〇
【己のためにとて】神の大權の表章として
六一―六三
禁斷の果實を食へるため、人類の始祖アダムはキリスト(即ち十字架上に死してアダムの罪を贖ひたまへる)の降臨を望み待ちつゝ、神を見るをえざる苦と神を見るをうるの願ひの中に五千年餘の歳月を經たり
【五千年餘】地上にあること九百三十年(創世記五・五)、リムボにあること四千三百二年(天、二六・一一八以下)
六四―六六
【うらがへる】淨、三二・四〇―二並びに註參照)
六七―六九
諸※[#二の字点、1-2-22]の空しき思ひによりて汝の心かたくなになり、かゝる思ひより生ずる樂しみによりて汝の智暗むことなかりせば
【エルザ】アルノの支流。その水多くの礦分を含みてよく物の上層を化石すといふ
【ピラーモ】ピュラモス(ピラーモ)の血に桑の染みしごとく(淨、二七・三七―九並びに註參照)汝の智かゝる樂しみに染ますば
七〇―七二
【多くの事柄】汝のしたしく見し種々の出來事
七三―七八
【書きざるも】智暗みてわが言をあきらかに心に書きしるす能はずとも少なくもその形をとゞめて
【巡禮】聖地に旅する巡禮等その記念として棕櫚にて卷ける杖を携へ歸る如く汝もこの地歴程の記念としてわが言を携へ歸れ
八五―八七
【學べるところ】世の學問のいかなるものなるやを自ら知りてその教へのわが教へに遠ざかるを見
八八―九〇
【天】第九の天即ちプリーモ・モービレ。(イザヤ、五五・九參照)
九七―九九
レーテの水を飮むは過去の罪を忘るゝためなり、罪を忘るゝはわするべき罪ある證《あかし》なり
【他に移りし】天上の教へを棄てて世上の教へを求め、聖道を離れて世道を踏めること
一〇〇―一〇二
我今より後わが言葉を明瞭にして汝にさとり易からしめむ。粗き目[#「粗き目」に白丸傍点]は不充分なるさとりの力
一〇三―一〇五
【いよ/\】正午の太陽は光殊に強く※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]轉殊におそしとみゆ
【見る處の】正午即ち太陽の過ぐる子午線の位置は經度の異なるに從つて異なる意か
【亭午の圈】子午線
一〇九―一一一
【仄闇き蔭】林の
一一二―一一四
【エウフラーテスとティーグリ】エウフラテス、チグリス。エデンの園よりいづる四の川の中第四と第三の川の名(創世記、二・一〇以下)
一一八―一二三
【人のごとく】速かに
【告げたり】淨、二八・八八以下
一二四―一二六
他に強く心を惹くものあれば人屡※[#二の字点、1-2-22]記憶の力を失ふ、思ふに彼ダンテもまたかゝるもの(ベアトリーチェの姿及びその詞、木と輦《くるま》に關する種々の不思議なる現象等)の爲に汝が先に教へし事を今思ひ出づる能はざるならむ
一二七―一二九
【エウノエ】〔Eunoe’〕善事を記憶せしむる川にて(淨、二八・一二七以下參照)その名とともにダンテの創意にいづ
【力】己が善行を憶ひ起す力
一三〇―一三一
心たふとくやさしき人は他人の願ひ、言語または擧動によりて外部にあらはるれば言《こと》に托《よ》せてその願ひを辭《いな》まず、直ちにこれを己が願ひとひとしうす
一三九―一四一
【第二の歌】淨火篇
【技巧の手綱】技巧の法則即ち作品各部の間の調和に制限せられて、さらに章を重ぬるをえず
神曲の各篇曲數相同じく(地獄篇の第一曲は神曲全部の總序なり)その句數亦路※[#二の字点、1-2-22]相同じ

 淨火の山は南半球の海中、聖都イエルサレムの反對面にあたりて突出する一圓錐状の高嶺なり、この山三大部に分る、一は海濱より淨火の門に亙る山麓の急坂にして瀕死の際まで悔改めざりしもののとゞまる處(さらに細別して四となす (一)[#「(一)」は縦中横]寺院の破門をうけし者 (二)[#「(二)」は縦中横]怠惰なりし者 (三)[#「(三)」は縦中横]横死せし者 (四)[#「(四)」は縦中横]國事に沒頭して靈の事を省みざりし者) 一は淨火の門よりの巓の附近に亙る山腹にしてこれを圍繞する七個の地帶より成り淨火の最主要部たり、寺院の教義に基づきて分類せる七大罪(傲慢、嫉妬、忿怒、懶惰、貪慾、暴食、邪淫)の淨めらるゝところ、一は山上の平地にして樂園の在る處なり。
 ウェルギリウスはダンテを導いて海濱より登り、たえず右に道をとりつゝ門外の各地及び門内の諸國を歴程して遂に樂園に達し、ベアトリーチェあらはるゝに及びて去る。
 兩詩人がこの南海の孤島を仰ぎてよりダンテがエウノエの水を樂園に飮むにいたるまでに經過せる時間は三晝夜と約七時間なり。

底本:「神曲(中)」岩波文庫、岩波書店
   1953(昭和28)年3月5日第1刷発行
※「神曲」の原文は、三行一組の句を連ねる形式を踏んでいます。底本は訳文の下に、「一」「四」「七」と数字を置いて、原文の句との対応を示していますが、このファイルでは、行末に「一―三」「四―六」「七―九」を置く形をとりました。
※底本が用いている「〔」と「〕」は、「アクセント分解された欧文をかこむ」記号と重なるため、「【」と「】」に置き換えました。
入力:tatsuki
校正:浅原庸子
2004年9月25日公開
2006年5月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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