第一曲
われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き林のなかにありき 一―三
あゝ荒れあらびわけ入りがたきこの林のさま語ることいかに難いかな、恐れを追思にあらたにし 四―六
いたみをあたふること死に劣らじ、されどわがかしこに享けし幸《さいはひ》をあげつらはんため、わがかしこにみし凡ての事を語らん 七―九
われ何によりてかしこに入りしや、善く説きがたし、眞《まこと》の路を棄てし時、睡りはわが身にみち/\たりき 一〇―一二
されど恐れをもてわが心を刺しゝ溪の盡くるところ、一《ひとつ》の山の麓にいたりて 一三―一五
仰ぎ望めば既にその背はいかなる路にあるものをも直《なほ》くみちびく遊星の光を纏ひゐたりき 一六―一八
この時わが恐れ少しく和ぎぬ、こはよもすがら心のおくにやどりて我をいたく苦しましめしものなりしを 一九―二一
しかしてたとへば呼吸《いき》もくるしく洋《わた》より岸に出でたる人の、身を危うせる水にむかひ、目をこれにとむるごとく 二二―二四
走りてやまぬわが魂はいまだ生きて過ぎし人なき路をみんとてうしろにむかへり 二五―二七
しばし疲れし身をやすめ、さてふたゝび路にすゝみて、たえず低き足をふみしめ、さびたる山の腰をあゆめり 二八―三〇
坂にさしかゝれるばかりなるころ、見よ一匹の牝《め》の豹あらはる、輕くしていと疾《はや》し、斑點《まだら》ある皮これを蔽へり 三一―三三
このもの我を見れども去らず、かへつて道を塞ぎたれば、我は身をめぐらし、歸らんとせしこと屡々なりき 三四―三六
時は朝の始めにて日はかなたの星即ち聖なる愛がこれらの美しき物をはじめて動かせるころ 三七―
これと處を同じうせるものとともに昇りつゝありき、されば時の宜きと季《き》の麗しきとは毛色《けいろ》華《はな》やかなるこの獸にむかひ
善き望みを我に起させぬ、されどこれすら一匹の獅子わが前にあらはれいでし時我を恐れざらしむるには足らざりき ―四五
獅子は頭を高くし劇しき飢ゑをあらはし我をめざして進むが如く大氣もこれをおそるゝに似たり 四六―四八
また一匹の牝の狼あり、その痩躯によりて諸慾内に滿つることしらる、こはすでに多くの民に悲しみの世をおくらせしものなりき 四九―五一
我これを見るにおよびて恐れ、心いたくなやみて高きにいたるの望みを失へり 五二―五四
むさぼりて得る人失ふべき時にあひ、その思ひを盡してなげきかなしむことあり 五五―五七
我またかくの如くなりき、これ平和なきこの獸我にたちむかひて進み次第に我を日の默《もだ》す處におしかへしたればなり 五八―六〇
われ低地をのぞみて下れる間に、久しく默せるためその聲嗄れしとおもはるゝ者わが目の前にあらはれぬ 六一―六三
われかの大いなる荒野の中に彼をみしとき、叫びてかれにいひけるは、汝魂か眞《まこと》の人か何にてもあれ我を憐れめ 六四―六六
彼答へて我にいふ、人にあらず、人なりしことあり、わが父母《ちゝはゝ》はロムバルディアの者|郷土《ふるさと》をいへば共にマントヴァ人《びと》なりき 六七―六九
我は時後れてユーリオの世に生れ、似非《えせ》虚僞《いつはり》の神々の昔、善きアウグストの下《もと》にローマに住めり 七〇―七二
我は詩人にて驕れるイーリオンの燒けし後トロイアより來れるアンキーゼの義しき子のことをうたへり 七三―七五
されど汝はいかなればかく多くの苦しみにかへるや、いかなればあらゆる喜びの始めまた源《もと》なる幸の山に登らざる 七六―七八
われ面《おもて》に恥を帶び答へて彼にいひけるは、されば汝はかのヴィルジリオ言葉《ことのは》のひろき流れをそゝぎいだせる泉なりや 七九―八一
あゝすべての詩人の譽《ほまれ》また光よ、願はくは長き學《まなび》と汝の書《ふみ》を我に索めしめし大いなる愛とは空しからざれ 八二―八四
汝はわが師わが據《よりどころ》なり、われ美しき筆路を習ひ、譽をうるにいたれるもたゞ汝によりてのみ 八五―八七
かの獸を見よ、わが身をめぐらせるはこれがためなりき、名高き聖《ひじり》よ、このものわが血筋をも脈をも顫はしむ、ねがはくは我を救ひたまへ 八八―九〇
わが泣くを見て彼答へて曰ひけるは、汝この荒地《あれち》より遁《のが》れんことをねがはゞ他《ほか》の路につかざるをえず 九一―九三
そは汝に聲を擧げしむるこの獸は人のその途を過ぐるをゆるさず、これを阻みて死にいたらしむればなり 九四―九六
またその性《さが》邪惡なれば、むさぼりて飽くことなく、食をえて後いよいよ餓う 九七―九九
これを妻とする獸多し、また獵犬《かりいぬ》來りてこれを憂ひの中に死なしむるまでこの後なほ多からむ 一〇〇―一〇二
この獵犬はその營養《やしなひ》を土にも金《かね》にもうけず、これを智と愛と徳とにうく、フェルトロとフェルトロとの間に生れ 一〇三―一〇五
處女《おとめ》カムミルラ、エウリアーロ、ツルノ、ニソが創をうけ命を棄てゝ爭ひし低きイタリアの救ひとなるべし 一〇六―一〇八
すなはち徧く町々をめぐりて狼を逐ひ、ふたゝびこれを地獄の中に入らしめん(嫉みはさきにこゝより之を出せるなりき) 一〇九―一一一
この故にわれ汝の爲に思ひかつ謀りて汝の我に從ふを最も善しとせり、我は汝の導者となりて汝を導き、こゝより不朽の地をめぐらむ 一一二―一一四
汝はそこに第二の死を呼び求むる古《いにしへ》のなやめる魂の望みなき叫びをきくべし 一一五―一一七
その後汝は火の中にゐてしかも心足る者等をみむ、これ彼等には時至れば幸なる民に加はるの望みあればなり 一一八―一二〇
汝昇りて彼等のもとにゆくをねがはゞ、そがためには我にまされる魂あり、我別るゝに臨みて汝をこれと倶ならしめむ 一二一―一二三
そは高きにしろしめす帝《みかど》、わがその律法《おきて》に背けるの故をもて我に導かれてその都に入るものあるをゆるし給はざればなり 一二四―一二六
帝の稜威《みいつ》は至らぬ處なし、されど政かしこよりいでその都も高き御座《みくらひ》もまたかしこにあり、あゝ選ばれてそこに入るものは福《さいはひ》なるかな 一二七―一二九
我彼に、詩人よ、汝のしらざりし神によりてわれ汝に請ふ、この禍ひとこれより大なる禍ひとを免かれんため 一三〇―一三二
ねがはくは我を今汝の告げし處に導き、聖ピエートロの門と汝謂ふ所の幸《さち》なき者等をみるをえしめよ 一三三―一三五
この時彼進み、我はその後方《うしろ》に從へり 一三六―一三八
第二曲
日は傾けり、仄闇《ほのくら》き空は地上の生物をその勞苦より釋けり、たゞ我ひとり 一―三
心をさだめて路と憂ひの攻めにあたらんとす、誤らざる記憶はこゝにこれを寫さむ 四―六
あゝムーゼよ、高き才よ、いざ我をたすけよ、わがみしことを刻める記憶よ、汝の徳はこゝにあらはるべし 七―九
我いふ、我を導く詩人よ、我を難路に委ぬるにあたりてまづわが力のたるや否やを思へ 一〇―一二
汝いへらく、シルヴィオの父は朽つべくして朽ちざるの世にゆき、肉體のまゝにてかしこにありきと 一三―一五
されど彼より出づるにいたれる偉業をおもひ、彼の誰たり何たるをおもはゞ、衆惡の敵《あた》のめぐみ深かりしとも 一六―一八
識者見て分に過ぎたりとはなさじ、そは彼エムピレオの天にて選ばれて尊きローマ及びその帝國の父となりたればなり 一九―二一
かれもこれもげにともに定めに從ひて聖地となり、大ピエロの後を承くる者位に坐してこゝにあり 二二―二四
彼かしこにゆき(汝これによりてかれに名をえしむ)勝利《かち》と法衣《ころも》の本となれる多くの事を聞きえたり 二五―二七
その後|選《えらび》の器《うつは》、救ひの道の始めなる信仰の勵《はげみ》を携へかへらんためまたかしこにゆけることあり 二八―三〇
されど我は何故に彼處《かしこ》にゆかむ誰か之を我に許せる、我エーネアに非ず我パウロに非ず、わがこの事に堪ふべしとは我人倶に信ぜざるなり 三一―三三
されば我若し行くを肯はゞその行くこと恐らくはこれ狂へるわざならん、汝は賢《さか》し、よくわが言《ことば》の盡さゞるところをさとる 三四―三六
人その願ひを飜し、新なる想《おもひ》によりて志を變へ、いまだ始めにあたりてそのなすところをすべて抛つことあり 三七―三九
我も暗き山路《やまぢ》にありてまたかくのごとくなりき、そはわが思ひめぐらしてかくかろがろしく懷けるわが企圖《くはだて》を棄てたればなり 四〇―四二
心おほいなる者の魂答へて曰ひけるは、わが聽くところに誤りなくは汝のたましひは怯懦にそこなはる 四三―四五
夫れ人しば/\これによりて妨げられ、その尊きくはだてに身を背くることあたかも空しき象《かたち》をみ、臆して退く獸の如し 四六―四八
我は汝をこの恐れより解き放たんため、わが何故に來れるや、何事をきゝてはじめて汝のために憂ふるにいたれるやを汝に告ぐべし 四九―五一
われ懸垂の衆とともにありしに、尊き美しきひとりの淑女の我を呼ぶあり、われすなはち命を受けんことを請ひぬ 五二―五四
その目は星よりも燦《あざや》かなりき、天使のごとき聲をもて言《ことば》麗しくやはらかく我に曰ひけるは 五五―五七
やさしきマントヴァの魂よ(汝の名はいまなほ世に殘る、また動《うごき》のやまぬかぎりは殘らん) 五八―六〇
わが友にて命運の友にあらざるもの道を荒《さ》びたる麓に塞がれ、恐れて踵をめぐらせり 六一―六三
我は彼のことにつきて天にて聞ける所により、彼既に探く迷ひわが彼を助けんため身を起せしことの遲きにあらざるなきやを恐る 六四―六六
いざ行け、汝の琢ける詞またすべて彼の救ひに缺くべからざることをもて彼を助け、わが心を慰めよ 六七―六九
かく汝にゆくを請ふものはベアトリーチェなり、我はわが歸るをねがふ處より來れり、愛我を動かし我に物言はしむ 七〇―七二
わが主のみまへに立たん時我しば/\汝のことを譽《ほ》むべし、かくいひて默《もだ》せり、我即ちいひけるは 七三―七五
徳そなはれる淑女よ(およそ人|圈《けん》最《いと》小さき天の内なる一切のものに優るはたゞ汝によるのみ) 七六―七八
汝の命ずるところよくわが心に適ひ、既にこれに從へりとなすともなほしかするの遲きを覺ゆ、汝さらに願ひを我に闢《ひら》くを須《もち》ゐず 七九―八一
たゞねがはくは我に告げよ、汝何ぞ危ぶむことなく、闊き處をはなれ歸思衷に燃ゆるもなほこの中心に下れるや 八二―八四
彼答へていひけるは、汝かく事の隱微をしるをねがへば、我はわが何故に恐れずここに來れるやを約《つゞま》やかに汝に告ぐべし 八五―八七
夫れ我等の恐るべきはたゞ人に禍ひをなす力あるものゝみ、その他《ほか》にはなし、これ恐れをおこさしむるものにあらざればなり 八八―九〇
神はその恩惠《めぐみ》によりて我を造りたまひたれば、汝等のなやみも我に觸れず燃ゆる焔も我を襲はじ 九一―九三
ひとりの尊き淑女天にあり、わが汝を遣はすにいたれるこの障礙《しやうげ》のおこれるをあはれみて天上の嚴《おごそか》なる審判《さばき》を抂ぐ 九四―九六
かれルチーアを呼び、請ひていひけるは、汝に忠なる者いま汝に頼らざるをえず、我すなわち彼を汝に薦むと 九七―九九
すべてあらぶるものゝ敵《あだ》なるルチーアいでゝわが古《いにしへ》のラケーレと坐しゐたる所に來り 一〇〇―一〇二
いひけるは、ベアトリーチェ、神の眞《まこと》の讚美よ、汝何ぞ汝を愛すること深く汝のために世俗を離るゝにいたれるものを助けざる 一〇三―一〇五
汝はかれの苦しき歎きを聞かざるか、汝は河水漲りて海も誇るにたらざるところにかれを攻むる死をみざるか 一〇六―一〇八
世にある人の利に趨り害を避くる急《はや》しといへども、かくいふをききて 一〇九―一一一
汝の言《ことば》の品《しな》たかく汝の譽また聞けるものゝ譽なるを頼《たのみ》とし、祝福《めぐみ》の座を離れてこゝに下れるわがはやさには若かじ 一一二―一一四
かくかたりて後涙を流し、その燦《あざや》かなる目をめぐらせり、わが疾《と》くとく來れるもこれがためなりき 一一五―一一七
さればわれ斯く彼の旨をうけて汝に來り、美山《うつくしきやま》の捷路《ちかみち》を奪へるかの獸より汝を救へり 一一八―一二〇
しかるに何事ぞ、何故に、何故にとゞまるや、何故にかゝる卑怯を心にやどすや、かくやむごとなき三人《みたり》の淑女 一二一―一二三
天の王宮に在りて汝のために心を勞し、かつわが告ぐるところかく大いなる幸《さち》を汝に約するに汝何ぞ勇なく信なきや 一二四―一二六
たとへば小さき花の夜寒《よさむ》にうなだれ凋めるが日のこれを白むるころ悉くおきかへりてその莖の上にひらく如く 一二七―一二九
わが萎《な》えしたましひかはり、わが心いたくいさめば、恐るゝものなき人のごとくわれいひけるは 一三〇―一三二
あゝ慈悲深きかな我をたすけし淑女、志厚きかなかれが傳へし眞の詞にとくしたがへる汝 一三三―一三五
汝言によりわが心を移して往くの願ひを起さしめ、我ははじめの志にかへれり 一三六―一三八
いざゆけ、導者よ、主《きみ》よ、師よ、兩者《ふたり》に一の思ひあるのみ、我斯く彼にいひ、かれ歩めるとき 一三九―一四一
艱き廢れし路に進みぬ 一四二―一四四
第三曲
我を過ぐれば憂ひの都あり、我を過ぐれば永遠《とこしへ》の苦患《なやみ》あり、我を過ぐれば滅亡《ほろび》の民あり 一―三
義は尊きわが造り主《ぬし》を動かし、聖なる威力《ちから》、比類《たぐひ》なき智慧、第一の愛我を造れり 四―六
永遠《とこしへ》の物のほか物として我よりさきに造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ 七―九
われは黒く録《しる》されしこれらの言《ことば》を一の門の頂に見き、この故に我、師よ、かれらの意義我に苦し 一〇―一二
事すべてあきらかなる人の如く、彼我に、一切の疑懼一切の怯心ここに棄つべく滅ぼすべし 一三―一五
我等はいま智能の功徳《くどく》を失へる憂ひの民をみんとわがさきに汝に告げしところにあるなり 一六―一八
かくて氣色《けしき》うるはしくわが手をとりて我をはげまし、我を携へて祕密の世に入りぬ 一九―二一
ここには歎き、悲しみの聲、はげしき叫喚、星なき空《そら》にひゞきわたれば、我はたちまち涙を流せり 二二―二四
異樣の音《おん》、罵詈《のゝしり》の叫び、苦患《なやみ》の言《ことば》、怒りの節《ふし》、強き聲、弱き聲、手の響きこれにまじりて 二五―二七
轟動《どよ》めき、たえず常暗《とこやみ》の空をめぐりてさながら旋風吹起る時の砂のごとし 二八―三〇
怖れはわが頭《かうべ》を卷けり、我即ちいふ、師よわが聞くところのものは何ぞや、かく苦患《なやみ》に負くるとみゆるは何の民ぞや 三一―三三
彼我に、この幸《さち》なき状《さま》にあるは恥もなく譽もなく世をおくれるものらの悲しき魂なり 三四―三六
彼等に混《まじ》りて、神に逆《さから》へるにあらず、また忠なりしにもあらず、たゞ己にのみ頼れるいやしき天使の族《むれ》あり 三七―三九
天の彼等を逐へるはその美に虧くる處なからんため、深き地獄の彼等を受けざるは罪ある者等これによりて誇ることなからんためなり 四〇―四二
我、師よ、彼等何を苦しみてかくいたく歎くにいたるや、答へていふ、いと約《つゞま》やかにこれを汝に告ぐべし 四三―四五
それ彼等には死の望みなし、その失明の生はいと卑しく、いかなる分際《きは》といへどもその嫉みをうけざるなし 四六―四八
世は彼等の名の存《のこ》るをゆるさず、慈悲も正義も彼等を輕んず、我等また彼等のことをかたるをやめん、汝たゞ見て過ぎよ 四九―五一
われ目をさだめて見しに一旒の旗ありき、飜り流れてそのはやきこと些《すこし》の停止《やすみ》をも蔑視《さげす》むに似たり 五二―五四
またその後方《うしろ》には長き列を成して歩める民ありき、死がかく多くの者を滅ぼすにいたらんとはわが思はざりしところなりしを 五五―五七
われわが識れるものゝ彼等の中にあるをみし後、心おくれて大事を辭《いな》めるものゝ魂を見知りぬ 五八―六〇
われはたゞちに悟《さと》りかつ信ぜり、こは神にも神の敵にも厭はるゝ卑しきものの宗族《うから》なりしを 六一―六三
これらの生けることなき劣れるものらはみな裸のまゝなりき、また虻あり蜂ありていたくかれらを刺し 六四―六六
顏に血汐の線をひき、その血の涙と混れるを汚らはしき蟲|足下《あしもと》にあつめぬ 六七―六九
われまた目をとめてなほ先方《さき》を望み、一の大いなる川の邊《ほとり》に民あるをみ、いひけるは、師よねがはくは 七〇―七二
かれらの誰なるや、微《かすか》なる光によりてうかゞふに彼等渡るをいそぐに似たるは何の定《さだめ》によりてなるやを我に知らせよ 七三―七五
彼我に、我等アケロンテの悲しき岸邊に足をとゞむる時これらの事汝にあきらかなるべし 七六―七八
この時わが目恥を帶びて垂れ、われはわが言《ことば》の彼に累をなすをおそれて、川にいたるまで物言ふことなかりき 七九―八一
こゝに見よひとりの翁《おきな》の年へし髮を戴きて白きを、かれ船にて我等の方に來り、叫びていひけるは、禍ひなるかな汝等惡しき魂よ 八二―八四
天を見るを望むなかれ、我は汝等をかなたの岸、永久《とこしへ》の闇の中熱の中氷の中に連れゆかんとて來れるなり 八五―八七
またそこなる生ける魂よ、これらの死にし者を離れよ、されどわが去らざるをみて 八八―九〇
いふ、汝はほかの路によりほかの港によりて岸につくべし、汝の渡るはこゝにあらず、汝を送るべき船はこれよりなほ輕し 九一―九三
導者彼に、カロンよ、怒る勿れ、思ひ定めたる事を凡て行ふ能力《ちから》あるところにてかく思ひ定められしなり、汝また問ふこと勿れ 九四―九六
この時目のまはりに炎の輪ある淡黒《うすぐろ》き沼なる舟師《かこ》の鬚多き頬はしづまりぬ 九七―九九
されどよわれる裸なる魂等はかの非情の言《ことば》をきゝて、たちまち色をかへ齒をかみあわせ 一〇〇―一〇二
神、親、人およびその蒔かれその生れし處と時と種《たね》とを誹《そし》れり 一〇三―一〇五
かくて彼等みないたく泣き、すべて神をおそれざる人を待つ禍ひの岸に寄りつどへり 一〇六―一〇八
目は熾火《おきび》のごとくなる鬼のカロン、その意《こゝろ》を示してみな彼等を集め、後るゝ者あれば櫂にて打てり 一〇九―一一一
たとへば秋の木《こ》の葉の一葉《ひとは》散りまた一葉ちり、枝はその衣《ころも》を殘りなく地にをさむるにいたるがごとく 一一二―一一四
アダモの惡しき裔《すゑ》は示しにしたがひ、あひついで水際《みぎは》をくだり、さながら呼ばるゝ鳥に似たり 一一五―一一七
かくして彼等|黯《くろず》める波を越えゆき、いまだかなたに下立《おりた》たぬまにこなたには既にあらたに集まれる群《むれ》あり 一一八―一二〇
志厚き師曰ひけるは、わが子よ、神の怒りのうちに死せるもの萬國より來りてみなこゝに集《つど》ふ 一二一―一二三
その川を渡るをいそぐは神の義これをむちうちて恐れを願ひにかはらしむればなり 一二四―一二六
善き魂この處を過ぐることなし、さればカロン汝にむかひてつぶやくとも、汝いまその言の意義をしるをえん 一二七―一二九
いひ終れる時|黒暗《くらやみ》の廣野《ひろの》はげしくゆらげり、げにそのおそろしさを思ひいづればいまなほわが身汗にひたる 一三〇―一三二
涙の地風をおこし、風は紅《くれなゐ》の光をひらめかしてすべてわが官能をうばひ 一三三―一三五
我は睡りにとらはれし人の如く倒れき 一三六―一三八
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第四曲
はげしき雷《いかづち》はわが頭《かうべ》のうちなる熟睡《うまい》を破れり、我は力によりておこされし人の如く我にかへり 一―三
たちなほりて休める目を動かし、わが在るところを知らんとて瞳を定めあたりを見れば 四―六
我はげにはてしなき叫喚の雷をあつめてものすごき淵なす溪の縁《へり》にあり 七―九
暗く、深く、霧多く、目をその深處《ふかみ》に注げどもまた何物をもみとむるをえざりき 一〇―一二
詩人あをざめていひけるは、いざ我等この盲《めしひ》の世にくだらむ、我第一に汝第二に 一三―一五
われその色を見、いひけるは、おそるゝごとに我を勵ませし汝若しみづから恐れなば我何ぞ行くをえん 一六―一八
彼我に、この下なる民のわづらひは憐みをもてわが面《おもて》を染めしを、汝みて恐れとなせり 一九―二一
長途我等を促せばいざ行かむ、かくして彼さきに入り、かくして我をみちびきぬ、淵をめぐれる第一の獄《ひとや》の中に 二二―二四
耳にてはかるに、こゝにはとこしへの空《そら》をふるはす大息《ためいき》のほか歎聲《なげき》なし 二五―二七
こは苛責の苦なきなやみよりいづ、またこのなやみをうくるは稚兒《をさなご》、女、男の數多き、大いなる群《むれ》なりき 二八―三〇
善き師我に、汝これらの魂をみてその何なるやを問はざるならずや、いざ汝なほさきに行かざるまに知るべし 三一―三三
彼等は罪を犯せるにあらず、嘉《よみ》すべきことはありとも汝がいだく信仰の一部なる洗禮《バッテスモ》をうけざるが故になほたらず 三四―三六
またクリストの教へのさきに世にありたれば神があがむるの道をつくさゞりき、我も亦このひとりなり 三七―三九
われらの救ひを失へるはほかに罪あるためならず、たゞこの虧處《おちど》のためなれば我等はたゞ願ひありて望みなき生命《いのち》をこゝにわぶるのみ 四〇―四二
われこの言をきくにおよびてリムボに懸れるいとたふとき民あるをしり、深き憂ひはわが心をとらへき 四三―四五
我は一切の迷ひに勝つ信仰にかたく立たんことをおもひ、いひけるは、我に告げよわが師、我に告げよ主《きみ》 四六―四八
おのれの功徳《くどく》によりまたは他人《ひと》の功徳により、かつてこの處をいでゝ福《さいはひ》を享くるに至れるものありや、かれわが言《ことば》の裏をさとり 四九―五一
答へて曰ひけるは、われこゝにくだりてほどなきに、ひとりの權能《ちから》あるもの勝利《かち》の休徴《しるし》を冠《かうむ》りて來るを見たり 五二―五四
この者第一の父の魂、その子アベルの魂、ノエの魂、律法《おきて》をたてまたよく神に順へるモイゼの魂 五五―
族長アブラアム、王ダヴィーデ、イスラエルとその父その子等およびラケーレ(イスラエルかれの、ために多くの事をなしたりき)
その外なほ多くの者の魂をこゝよりとりさり、彼等に福《さいはひ》を與へたりき、汝しるべし、彼等より先には人の魂の救はれしことあらざるを ―六三
かれかたる間も我等歩みを停《とど》めず、たえず林を分けゆけり、即ち繁き魂の林なり 六四―六六
睡りのこなた行く道いまだ長からぬに、我は半球の闇を服せる一の火を見き 六七―六九
我等なほ少しくこれと離れたりしもその距離《へだゝり》大ならねば、我はまたこの處の一部にたふとき民の據れるを認めき 七〇―七二
汝學藝のほまれよ、かくあがめをうけてそのさま衆と異なるは誰ぞや 七三―七五
彼我に、汝の世に響くかれらの美名《よきな》はその惠みを天にうけ、かれらかく擢んでらる 七六―七八
この時聲ありて、いとたふとき詩人を敬へ、出でゝいにしその魂はかへれりといふ 七九―八一
聲止みしづまれるとき我見しに四《よつ》の大いなる魂ありて我等のかたに來れり、その姿には悲しみもまた喜びもみえざりき 八二―八四
善き師曰ひけるは、手に劒《つるぎ》を執りて三者《みたり》にさきだち、あたかも王者《わうじや》のごとき者をみよ 八五―八七
これならびなき詩人オーメロなり、その次に來るは諷刺家オラーチオ、オヴィディオ第三、最後はルカーノなり 八八―九〇
かの一の聲の稱《とな》へし名はかれらみな我と等しくえたるものなればかれら我をあがむ、またしかするは善し 九一―九三
我はかく衆を超えて鷲の如く天翔《あまがけ》る歌聖の、うるはしき一族のあつまれるを見たり 九四―九六
しばらくともにかたりて後、かれらは我にむかひて會釋す、わが師これを見て微笑《ほゝゑ》みたまへり 九七―九九
かれらはまた我をその集《つどひ》のひとりとなしていと大いなる譽を我にえさせ、我はかゝる大智に加はりてその第六の者となりにき 一〇〇―一〇二
かくて我等はかの時かたるに適《ふさ》はしくいまは默《もだ》すにふさはしき多くの事をかたりつゝ光ある處にいたれり 一〇三―一〇五
我等は一の貴き城のほとりにつけり、七重《なゝへ》の高壘これを圍み、一の美しき流れそのまはりをかたむ 一〇六―一〇八
我等これを渡ること堅き土に異ならず、我は七《なゝつ》の門を過ぎて聖《ひじり》の群《むれ》とともに入り、緑新しき牧場《まきば》にいたれば 一〇九―一一一
こゝには眼《まなこ》緩《ゆるや》かにして重く、姿に大いなる權威をあらはし、云ふことまれに聲うるはしき民ありき 一一二―一一四
我等はこゝの一隅《かたほとり》、廣き明《あかる》き高き處に退きてすべてのものを見るをえたりき 一一五―一一七
對面《むかひ》の方《かた》には緑の泑藥《えうやく》の上にわれ諸々の大いなる魂をみき、またかれらをみたるによりていまなほ心に喜び多し 一一八―一二〇
我はエレットラとその多くの侶《とも》をみき、その中に我はエットル、エーネア、物具《ものゝぐ》身につけ眼《まなこ》鷹の如きチェーザレを認めぬ 一二一―一二三
またほかの處に我はカムミルラとパンタシレアを見き、また女《むすめ》ラヴィーナとともに坐したる王ラティーノを見き 一二四―一二六
我はタルクイーノを逐へるブルート、またルクレーチア、ユーリア、マルチア、コルニーリアを見き、また離れてたゞひとりなる 一二七―
サラディーノを見き、我なほ少しく眉をあげ、哲人の族《やから》の中に坐したる智者の師を見き ―一三二
衆皆かれを仰ぎ衆皆かれを崇む、われまたこゝに群《むれ》にさきだちて彼にいとちかきソクラーテとプラートネを見き 一三三―一三五
世界の偶成を説けるデモクリート、またディオジェネス、アナッサーゴラ、ターレ、エムペドクレス、エラクリート、ツェノネ 一三六―一三八
我また善く特性を集めしもの即ちディオスコリーデを見き、またオルフェオ、ツルリオ、リーノ、道徳を設けるセネカ 一三九―一四一
幾何學者エウクリーデまたトロメオ、イポクラーテ、アヴィチェンナ、ガリエーノ、註の大家アヴェルロイスを見き 一四二―一四四
いま脱《おち》なくすべての者を擧げがたし、これ詩題の長きに驅られ、事あまりて言足らざること屡々なればなり 一四五―一四七
六者《むたり》の伴侶《なかま》は減《へ》りて二者《ふたり》となれり、智《さと》き導者異なる路によりて我を靜なる空より震ひゆらめく空に導き 一四八―一五〇
我は光る物なき處にいたれり 一五一―一五三
第五曲
斯く我は第一の獄《ひとや》より第二の獄に下れり、是は彼よりをさむる地少なく苦患《なやみ》ははるかに大いにして突いて叫喚を擧げしむ 一―三
こゝにミノス恐ろしきさまにて立ち、齒をかみあはせ、入る者あれば罪業《ざいごふ》を糺《たゞ》し刑罰を定め身を卷きて送る 四―六
すなはち幸《さち》なく世に出でし魂その前に來れば一切を告白し、罪を定むる者は 七―九
地獄の何處《いづこ》のこれに適《ふさは》しきやをはかり、送らむとする獄《ひとや》の數《かず》にしたがひ尾をもて幾度も身をめぐらしむ 一〇―一二
彼の前には常に多くの者の立つあり、かはる/″\出でゝ審判をうけ、陳べ、聞きて後下に投げらる 一三―一五
ミノス我を見し時、かく重き任務《つとめ》を棄てゝ我にいひけるは、憂ひの客舍に來れる者よ 一六―一八
汝みだりに入るなかれ、身を何者に委ぬるや思ひ見よ、入口ひろきによりて欺かるるなかれ、わが導者彼に、汝何ぞまた叫ぶや 一九―二一
彼定命に從ひてゆく、之を妨ぐる勿れ、思ひ定めたる事を凡て行ふ能力《ちから》あるところにてかく思ひ定められしなり、汝また問ふこと勿れ 二二―二四
苦患《なやみ》の調《しらべ》はこの時あらたに我にきこゆ、我はこの時多くの歎聲《なげき》の我を打つところにいたれり 二五―二七
わがいたれる處には一切の光|默《もだ》し、その鳴ることたとへば異なる風に攻められ波たちさわぐ海の如し 二八―三〇
小止《をやみ》なき地獄の烈風吹き荒れて魂を漂はし、旋《めぐ》りまた打ちてかれらをなやましむ 三一―三三
かれら荒ぶる勢ひにあたれば、そこに叫びあり、憂ひあり、歎きあり、また神の權能《ちから》を誹る言《ことば》あり 三四―三六
我はさとりぬ、かゝる苛責の罰をうくるは、理性を慾の役《えき》となせし肉の罪人《つみびと》なることを 三七―三九
たとへば寒き時|椋鳥《むくどり》翼に支へられ、大いなる隙《すき》なき群をつくりて浮び漂ふごとく、風惡靈を漂はし 四〇―四二
こゝまたかしこ下また上に吹送り、身をやすめまたは痛みをかろむべき望みのその心を慰むることたえてなし 四三―四五
またたとへば群鶴《むらづる》の一線長く空《そら》に劃し、哀歌をうたひつゝゆくごとく、我は哀愁の聲をあげ 四六―
かの暴風《はやち》に負《お》はれて來る魂を見き、すなはちいふ、師よ、黒き風にかく懲さるゝ此等の民は誰なりや ―五一
この時彼我にいふ、汝が知るをねがふこれらの者のうち最初《はじめ》なるは多くの語《ことば》の皇后《きさい》なりき 五二―五四
かれ淫慾の非に耽り、おのが招ける汚辱を免かれんため律法《おきて》をたてゝ快樂《けらく》を囘護《かば》へり 五五―五七
かれはセミラミスなり、書にかれニーノの後を承く、即ちその妻なる者なりきといへるは是なり、かれはソルダンの治むる地をその領とせり 五八―六〇
次は戀のために身を殺しシケーオの灰にむかひてその操を破れるもの、次は淫婦クレオパトラースなり 六一―六三
エレーナを見よ、長き禍ひの時めぐり來れるもかれのためなりき、また戀と戰ひて身ををへし大いなるアキルレを見よ 六四―六六
見よパリスを、トリスターノを、かくいひてかれ千餘の魂の戀にわが世を逐はれし者を我にみせ、指さして名を告げぬ 六七―六九
わが師かく古の淑女騎士の名を告ぐるをきける時、我は憐みにとらはれ、わが神氣《こゝろ》絶えいるばかりになりぬ 七〇―七二
我曰ふ、詩人よ、願はくはわれかのふたりに物言はん、彼等相連れてゆき、いと輕く風に乘るに似たり 七三―七五
かれ我に、かれらのなほ我等に近づく時をみさだめ、彼等を導く戀によりて請ふべし、さらば來らむ 七六―七八
風彼等をこなたに靡かしゝとき、われはたゞちに聲をいだして、あはれなやめる魂等よ、彼もし拒まずば來りて我等に物言へといふ 七九―八一
たとへば鳩の、願ひに誘《さそ》はれ、そのつよき翼をたかめ、おのが意《こゝろ》に身を負はせて空《そら》をわたり、たのしき巣にむかふが如く 八二―八四
情《なさけ》ある叫びの力つよければ、かれらはディドの群《むれ》を離れ魔性《ましやう》の空《そら》をわたりて我等にむかへり 八五―八七
あゝやさしく心あたゝかく、世を紅に染めし我等をもかへりみ、暗闇《くらやみ》の空をわけつつゆく人よ 八八―九〇
汝我等の大いなる禍ひをあはれむにより、宇宙の王若し友ならば、汝のためにわれら平和をいのらんものを 九一―九三
すべて汝が聞きまたかたらんとおもふことは我等汝等にきゝまた語らむ、風かく我等のために默《もだ》す間《あひだ》に 九四―九六
わが生れし邑《まち》は海のほとり、ポーその從者《ずさ》らと平和を求めてくだるところにあり 九七―九九
いちはやく雅心《みやびごゝろ》をとらふる戀は、美しきわが身によりて彼を捉へき、かくてわれこの身を奪はる、そのさまおもふだにくるし 一〇〇―一〇二
戀しき人に戀せしめではやまざる戀は、彼の慕はしきによりていと強く我をとらへき、されば見給ふ如く今猶我を棄つることなし 一〇三―一〇五
戀は我等を一の死にみちびきぬ、我等の生命《いのち》を斷てる者をばカイーナ待つなり、これらの語を彼等われらに送りき 一〇六―一〇八
苦しめる魂等のかくかたるをきゝし時、我はたゞちに顏をたれ、ながく擧ぐるをえざりしかば詩人われに何を思ふやといふ 一〇九―一一一
答ふるにおよびて我曰ひけるは、あはれ幾許《いくそ》の樂しき思ひ、いかに切《せち》なる願ひによりてかれらこの憂ひの路にみちびかれけん 一一二―一一四
かくてまた身をめぐらしてかれらにむかひ、語りて曰ひけるは、フランチェスカよ、我は汝の苛責を悲しみかつ憐みて泣くにいたれり 一一五―一一七
されど我に告げよ、うれしき大息《といき》たえぬころ、何によりいかなるさまにていまだひそめる胸の思ひを戀ぞと知れる 一一八―一二〇
かれ我に、幸《さち》なくて幸ありし日をしのぶよりなほ大いなる苦患《なやみ》なし、こは汝の師しりたまふ 一二一―一二三
されど汝かくふかく戀の初根《うひね》をしるをねがはゞ、我は語らむ、泣きつゝかたる人のごとくに 一二四―一二六
われら一日こゝろやりとて戀にとらはれしランチャロットの物語を讀みぬ、ほかに人なくまたおそるゝこともなかりき 一二七―一二九
書《ふみ》はしば/\われらの目を唆《そゝの》かし色を顏よりとりされり、されど我等を從へしはその一節《ひとふし》にすぎざりき 一三〇―一三二
かの憧《あこが》るゝ微笑《ほゝゑみ》がかゝる戀人の接吻《くちづけ》をうけしを讀むにいたれる時、いつにいたるも我とはなるゝことなきこの者 一三三―一三五
うちふるひつゝわが口にくちづけしぬ、ガレオットなりけり書《ふみ》も作者も、かの日我等またその先《さき》を讀まざりき 一三六―一三八
一《ひとつ》の魂かくかたるうち、一はいたく泣きたれば、我はあはれみのあまり、死に臨めるごとく喪神し 一三九―一四一
死體の倒るゝごとくたふれき 一四二―一四四
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第六曲
所縁の兩者をあはれみ、心悲しみによりていたくみだれ、そのため萎《な》えしわが官能、また我に返れる時 一―三
我わがあたりをみれば、わが動く處、わが向ふ處、わが目守《まも》る處すべて新《あらた》なる苛責|新《あらた》なる苛責を受くる者ならぬはなし 四―六
我は第三の獄《ひとや》にあり、こは永久《とこしへ》の詛ひの冷たきしげき雨の獄なり、その法《のり》と質《さが》とは新なることなし 七―九
大粒《おほつぶ》の雹、濁れる水、および雪はくらやみの空よりふりしきり、地はこれをうけて惡臭《をしう》を放てり 一〇―一二
猛き異樣の獸チェルベロこゝに浸れる民にむかひ、その三《みつ》の喉によりて吠ゆること犬に似たり 一三―一五
これに紅の眼、脂ぎりて黒き髯、大いなる腹、爪ある手あり、このもの魂等を爬き、噛み、また裂きて片々《きれ/″\》にす 一六―一八
雨はかれらを犬のごとくさけばしむ、かれら幸《さち》なき神なき徒《ともがら》、片脇《かたわき》をもて片脇の防禦《ふせぎ》とし、またしば/\反側す 一九―二一
大いなる蟲チェルベロ我等を見し時、口をひらき牙をいだしぬ、その體《からだ》にはゆるがぬ處なかりき 二二―二四
わが導者|雙手《もろて》をひらきて土を取り、そのみちたる土を飽くことなき喉の中に投げ入れぬ 二五―二七
鳴いてしきりに物乞ふ犬も、その食物《くひもの》を噛むにおよびてしづまり、たゞこれを喰ひ盡さんとのみおもひてもだゆることあり 二八―三〇
さけびて魂等を驚かし、かれらに聾《みゝしひ》ならんことをねがはしめし鬼チェルベロの汚《きたな》き顏もまたかくのごとくなりき 三一―三三
我等ははげしき雨にうちふせらるゝ魂をわたりゆき、體《からだ》とみえてしかも空《くう》なるその象《かたち》を踏みぬ 三四―三六
かれらはすべて地に臥しゐたるに、こゝにひとり我等がその前を過ぐるをみ、坐《すわ》らんとてたゞちに身を起せる者ありき 三七―三九
この者我にいひけるは、導かれてこの地獄を過行くものよ、もしかなはゞわが誰なるを思ひ出でよ、わが毀たれぬさきに汝は造られき 四〇―四二
我これに、汝のうくる苦しみは汝をわが記憶より奪へるか、われいまだ汝を見しことなきに似たり 四三―四五
然《され》ど告げよ、汝いかなる者なればかく憂き處におかれ又かゝる罰を受くるや、たとひ他《ほか》に之より重き罰はありともかく厭はしき罰はあらじ 四六―四八
彼我に、嫉み盈ち/\てすでに嚢《ふくろ》に溢るゝにいたれる汝の邑《まち》は、明《あか》き世に我を收めし處なりき 四九―五一
汝等|邑民《まちびと》われをチヤッコとよびなせり、害多き暴食の罪によりてわれかくの如く雨にひしがる 五二―五四
また悲しき魂の我ひとりこゝにあるにあらず、これらのものみな同じ咎によりて同じ罰をうく、かくいひてまた言《ことば》なし 五五―五七
われ答へて彼に曰けるは、チヤッコよ、汝の苦しみはわが心をいたましめわが涙を誘《いざな》ふ、されどもし知らば、分れし邑《まち》の邑人《まちびと》の行末 五八―六〇
一人《ひとり》だにこゝに義者《たゞしきもの》ありや、またかく大いなる不和のこゝを襲ふにいたれる源《もと》を我に告げよ 六一―六三
かれ我に、長き爭ひの後彼等は血を見ん、鄙《ひな》の徒黨《ともがら》いたく怨みて敵を逐ふべし 六四―六六
かくて三年《みとせ》の間にこれらは倒れ、他はいま操縱《あやな》すものゝ力によりて立ち 六七―六九
ながくその額を高うし、歎き、憤りいかに大いなりとも敵を重き重荷の下に置くべし 七〇―七二
義者|二人《ふたり》あり、されどかへりみらるゝことなし、自負、嫉妬、貪婪は人の心に火を放てる三の火花なり 七三―七五
かくいひてかれその斷腸の聲をとゞめぬ、我彼に、願はくはさらに我に教へ、わがために言《ことば》を惜しむなかれ 七六―七八
世に秀でしファーリナータ、テッギアイオ、またヤーコポ・ルスティクッチ、アルリーゴ、モスカそのほか善を行ふ事にその才をむけし者 七九―八一
何處にありや、我に告げ我に彼等をしらしめよ、これ大いなる願ひ我を促し、天彼等を甘くするや地獄彼等を毒するやを知るを求めしむればなり 八二―八四
彼、彼等は我等より黒き魂の中にあり、異なる罪その重さによりて彼等を深處《ふかみ》に沈ましむ、汝下りてそこに至らば彼等をみるをえん 八五―八七
されど麗しき世にいづる時、ねがはくは汝我を人の記憶に薦めよ、われさらに汝に告げず、またさらに汝に答へず 八八―九〇
かくてかれその直《すぐ》なりし目を横に歪め、少しく我を見て後|頭《かうべ》をたれ、これをほかの盲《めしひ》等とならべて倒れぬ 九一―九三
導者我に曰ふ、天使の喇叭《らつぱ》ひゞくまで彼ふたゝび身を起すことなし、仇なる權能《ちから》來るとき 九四―九六
かれら皆悲しき墓にたちかへり、ふたゝびその肉その形をとりてとこしへに鳴渡るものをきくべし 九七―九九
少しく後世《ごせ》のことをかたりつゝ我等は斯く魂と雨と汚《きたな》く混《まじ》れるなかを歩《あゆみ》しづかにわけゆきぬ 一〇〇―一〇二
我すなはちいふ、師よ、かゝる苛責の苦しみは大いなる審判《さばき》の後増すべきか減《へ》るべきかまたはかく燃ゆべきか 一〇三―一〇五
彼我に汝の教にかへるべし、曰く、物いよ/\全きに從ひ、幸を感ずるいよ/\深し、苦しみを感ずるまた然りと 一〇六―一〇八
たとひこの詛ひの民|眞《まこと》の完全《まつたき》にいたるをえずとも、その後は前よりこれにちかゝらむ 一〇九―一一一
我等迂囘してこの路をゆき、こゝにのべざる多くの事をかたりつゝ降るべき處にいたり 一一二―一一四
こゝに大敵プルートを見き 一一五―一一七
第七曲
パペ、サタン、パペ、サタン、アレッペ、聲を嗄らしてプルートは叫べり、萬《よろづ》のことを知りたまへるやさしき聖《ひじり》 一―三
我を勵まさんとていひけるは、汝おそれて自ら損ふなかれ、彼にいかなる力ありとも、汝にこの岩を降らしめざることあらじ 四―六
またかの膨るゝ顏にむかひいひけるは、默《もだ》せ、冥罰《みやうばつ》重き狼よ、その怒りをもて己が心を滅ぼし盡せ 七―九
かく深處《ふかみ》にゆくは故なきにあらず、こはミケーレが仇を不遜の非倫にかへせる天にて思ひ定められしなり 一〇―一二
たとへば風にはらめる帆の檣碎けて縺れ落つるごとく、かの猛き獸地に倒れぬ 一三―一五
かくして我等は宇宙一切の惡をつゝむ憂ひの岸をすゝみゆき、第四の坎《あな》に下れり 一六―一八
あゝ神の正義よ、かく多くの新なる苦しみと痛みとを押填《おしつ》むるは誰ぞ、我等の罪何ぞ我等をかく滅ぼすや 一九―二一
かの逆浪《さかなみ》に觸れてくだくるカリッヂの浪の如く、斯民《このたみ》またこゝにリッダを舞はではかなはじ 二二―二四
我はこゝに何處よりも多くの民のかなたこなたにありていたくわめき、胸の力によりて重荷をまろばすをみき 二五―二七
かれらは互に打當り、あたればたゞちに身を飜し、何ぞ溜むるや何ぞ投ぐるやと叫び、もときしかたにまろばせり 二八―三〇
かくて彼等はかなたこなたより異なる方向《むき》をとりてまたも恥づべき歌をうたひ、暗き獄《ひとや》を傳ひてかへり 三一―三三
かくして圈の半《なかば》にいたればふたゝびこゝに渡り合ひ、各々その身をめぐらせり、心刺さるゝばかりなりしわれ 三四―三六
いひけるは、わが師よ、これ何の民なりや、また我等の左なる髮を削れるものらすべてこれ僧なりしや、いま我に示したまへ 三七―三九
彼我に、かれらは悉く第一の世に心ゆがみて程よく費すことをなさざりしものなり 四〇―四二
こはこの地獄の中|表裏《うらうへ》なる咎かれらを分つ二の點にいたる時かれらその吠ゆる聲によりていと明かならしむ 四三―四五
頭に毛の蔽物《おほひ》なき者は僧なりき、また法王、カルディナレあり、慾その衷に權を行ふ 四六―四八
我、師よ、わが識れるものにてこの罪咎に汚るゝものかならずかれらの中にあらん 四九―五一
かれ我に、汝空しき思ひを懷けり、彼等を汚せる辨別《わきまへ》なき生命《いのち》はいまかれらを昧《くらま》し、何者もかれらをわきまへがたし 五二―五四
かれら限りなくこの二の牴觸をみん、此等は手を閉ぢ、これらは髮を短くして墓よりふたゝび起きいづべし 五五―五七
あしく費しあしく貯へしことは美しき世をかれらより奪ひ、かれらにこの爭ひあらしむ、われこゝに言《ことば》を飾りてそのさまをいはじ 五八―六〇
子よ、汝いま知りぬらん、命運に委ねられ、人みなの亂《みだれ》の本なる世の富貴のただ苟且《かりそめ》の戲《たはぶれ》を 六一―六三
そは月の下に今ありまた昔ありし黄金《こがね》こと/″\く集まるともこれらよわれる魂の一にだに休みをえさすることはよくせじ 六四―六六
我彼に曰ふ、師よ、さらにいま我に告げよ、汝謂ふ所の命運とはこれいかなるものにて斯く世の富貴をその手の裡にをさむるや 六七―六九
彼我に、あゝ愚《おろか》なる人々よ、汝等を躓かすは何等の無智ぞや、いざ汝この事についてわがいふところのことを含め 七〇―七二
夫れその智萬物に超ゆるもの諸天を造りてこれに司るものを與へたまへり、かくて各部は各部にかゞやき 七三―七五
みな分に應じてその光を頒つ、これと同じく世にありてもまたその光輝をすべをさめ且つ導く者を立てたまへり 七六―七八
このもの時至れば空しき富貴を民より民に血より血に移し人智もこれを防ぐによしなし 七九―八一
此故にその定《さだめ》にしたがひて一の民榮え一の民衰ふ、またその定の人にかくるゝこと草の中なる蛇の如し 八二―八四
汝等の智何ぞこれに逆《さから》ふことをえん、彼先を見て定めおのが權を行ふことなほ神々のしかするに似たり 八五―八七
その推移には休歇《やすみ》なし、已むなきの力かれをはやむ、その流轉《るてん》にあふもの屡※[#二の字点、1-2-22]と出づるも宜なるかな 八八―九〇
彼を讚むべきもの却つて彼を十字架につけ、故なきに難《なん》じ、汚名を負はしむ 九一―九三
されどかれ祝福《めぐみ》をうけてこれを聞かず、はじめて造られしものと共にこゝろよくその輪を轉らし、まためぐまるゝによりて喜び多し 九四―九六
いざ今より我等は尚大いなる憂ひにくだらん、わが進みしとき登れる星はみな既にかたむきはじむ、我等ながくとゞまる能はず 九七―九九
我等この獄《ひとや》を過ぎてかなたの岸にいたれるに、こゝに一の泉ありて湧きこゝより起れる一の溝《みぞ》にそゝげり 一〇〇―一〇二
水の黒《くろ》きことはるかにペルソにまさりき、我等|黯《くろず》める波にともなひ慣れざる路をつたひてくだりぬ 一〇三―一〇五
この悲しき小川はうす黒き魔性の坂の裾にくだりてスティージェとよばるゝ一の沼となれり 一〇六―一〇八
こゝにわれ心をとめて見んとて立ち、この沼の中に、泥にまみれみなはだかにて怒りをあらはせる民を見き 一〇九―一一一
かれらは手のみならず、頭、胸、足をもて撃ちあひ、齒にて互に噛みきざめり 一一二―一一四
善き師曰ふ、子よ、今汝は怒りに負《ま》けしものゝ魂を見るなり、汝またかたく信すべし 一一五―一一七
この水の下に民あることを、かれらその歎息《ためいき》をもて水の面に泡立たしむ、こはいづこにむかふとも汝の目汝に告ぐる如し 一一八―一二〇
泥《ひぢ》の中にて彼等はいふ、日を喜ぶ麗しき空氣のなかにも無精《ぶせい》の水氣を衷にやどして我等鬱せり 一二一―一二三
今我黒き泥水《どろみづ》のなかに鬱すと、かれらこの聖歌によりて喉に嗽《うがひ》す、これ全き言《ことば》にてものいふ能はざればなり 一二四―一二六
かくして我等は乾ける土と濡れたる沼の間をあゆみ、目を泥を飮む者にむかはしめ、汚《きたな》き瀦《みづたまり》の大なる孤をめぐりて 一二七―一二九
つひに一の城樓《やぐら》の下《もと》にいたれり 一三〇―
第八曲
續いて語るらく、高き城樓《やぐら》の下《もと》を距るなほいと遠き時、我等は目をその頂に注げり 一―三
これ二《ふたつ》の小さき焔のこゝにおかるゝをみしによりてなり、又|他《ほか》に一《ひとつ》之と相圖を合せしありしも距離《あはひ》大なれば我等よく認むるをえざりき 四―六
こゝにわれ全智の海にむかひ、いひけるは、この火何といひ、かの火何と答ふるや、またこれをつくれるものは誰なりや 七―九
彼我に、既に汝は來らんとすることを汚《けが》れし波の上に辨《わか》ちうべし、若し沼の水氣これを汝に隱さずば 一〇―一二
矢の絃《つる》に彈《はじ》かれ空を貫いて飛ぶことはやきもわがこの時見し一の小舟には如かじ 一三―一五
舟は水を渡りて、我等のかたにすゝめり、これを操《あやつ》れるひとりの舟子《ふなこ》よばゝりて、惡しき魂よ、汝いま來れるかといふ 一六―一八
わが主曰ひけるは、フレジアス、フレジアス、こたびは汝さけぶも益なし、我等汝に身を委ぬるは、泥《ひぢ》を越えゆく間《あひだ》のみ 一九―二一
怒りを湛へしフレジアスのさま、さながら大いなる欺罔《たばかり》に罹れる人のこれをさとりていたみなげくが如くなりき 二二―二四
わが導者船にくだり、尋《つい》で我に入らしめぬ、船はわが身をうけて始めてその荷を積めるに似たりき 二五―二七
導者も我も乘り終れば、年へし舳《へさき》忽ち進み、その水を切ること常よりも深し 二八―三〇
我等死の溝を馳せし間に、泥を被れるもの一人わが前に出でゝいひけるは、時いたらざるに來れる汝は誰ぞ 三一―三三
我彼に、われ來れども止まらず、然《さは》れ、かく汚るゝにいたれる汝は誰ぞ、答へていふ、見ずやわが泣く者なるを 三四―三六
我彼に、罰當《ばちあたり》の魂奴《たましひめ》、歎悲《なげきかなしみ》の中にとゞまれ、いかに汚るとも我汝を知らざらんや 三七―三九
この時彼船にむかひて兩手《もろて》をのべぬ、師はさとりてかれをおしのけ、去れ、かなたに、他の犬共にまじれといふ 四〇―四二
かくてその腕《かひな》をもてわが頸をいだき顏にくちづけしていひけるは、憤りの魂よ、汝を孕める女は福《さいはひ》なるかな 四三―四五
かれは世に僭越なりしものにてその記憶を飾る徳なきがゆゑに魂ここにありてなほ猛し 四六―四八
それ地上現に大王の崇《あがめ》をうけしかも記念《かたみ》におそるべき誹りを殘して泥《ひぢ》の中なる豚の如くこゝにとゞまるにいたるものその數いくばくぞ 四九―五一
我、師よ、我等池をいでざる間に、願はくはわれ彼がこの羹《あつもの》のなかに沈むを見るをえんことを 五二―五四
彼我に、岸汝に見えざるさきにこの事あるべし、かゝる願ひの汝を喜ばすはこれ適はしきことなればなり 五五―五七
この後ほどなく我は彼が泥《ひぢ》にまみれし民によりていたく噛み裂かるゝをみぬ、われこれがためいまなほ神を讚め神に謝す 五八―六〇
衆皆叫びてフィリッポ・アルゼンティをといへり、怒れるフィレンツェの魂は齒にておのれを噛めり 六一―六三
こゝにて我等彼を離れぬ、われまた彼の事を語らじ、されど此時|苦患《なやみ》の一聲《ひとこゑ》わが耳を打てり、我は即ち前を見んとて目をみひらけり 六四―六六
善き師曰ひけるは、子よ、ディーテと稱ふる邑《まち》は今近し、こゝには重き邑人《まちびと》大いなる群集《むれ》あり 六七―六九
我、師よ、我は既にかなたの溪間に火の中より出でたる如く赤き伽藍をさだかにみとむ 七〇―七二
彼我に曰ふ、内に燃ゆる永久《とこしへ》の火はこの深き地獄の中にもなほ汝にみゆるごとく彼等を赤くす 七三―七五
我等はつひこの慰めなき邑《まち》を固むる深き濠《ほり》に入れり、圍《かこひ》は鐡より成るに似たりき 七六―七八
めぐり/\てやうやく一の處にいたれば、舟子《ふなこ》たかくさけびて、入口はこゝぞ、いでよといふ 七九―八一
我見しに天より降《ふ》れる千餘のもの門上にあり、怒りていひけるは、いまだ死なざるに 八二―
死せる民の王土を過ぐる者は誰ぞや、智《さと》きわが師はひそかに語らはんとの意《こゝろ》を彼等に示せるに ―八七
かれら少しくその激しき怒りをおさへ、いひけるは、汝ひとり來り、かく膽《きも》ふとくもこの王土に入りたる者を去らせよ 八八―九〇
狂へる路によりて彼ひとりかへり、しかなしうべきや否やを見しめ、かくこの暗き國をかれに示せる汝はこゝに殘るべし 九一―九三
讀者よ、この詛ひの言をきゝて再び世にかへりうべしと信ぜざりし時、わが心挫けざりしや否やをおもへ 九四―九六
我曰ふ、あゝ七度《なゝたび》あまり我を安全《やすき》にかへらしめ、たちむかへる大難より我を救ひいだせし愛する導者よ 九七―
かくよるべなき我を棄てたまふなかれ、もしなほさきに行くあたはずは、我等|疾《と》く共に踵をめぐらさん ―一〇二
我をかしこに導ける主曰ひけるは、恐るゝなかれ、何者といへども我等の行方《ゆくへ》を奪ふをえず、彼これを我等に與へたればなり 一〇三―一〇五
さればこゝにて我を待ち、よわれる精神《たましひ》をはげまし、眞《まこと》の希望《のぞみ》を食《は》め、我汝をこの低き世に棄てざればなり 一〇六―一〇八
かくてやさしき父は我をこの處に置きて去り、我は疑ひのうちに殘れり、然と否とはわが頭《かうべ》の中に爭へるなりき 一〇九―一一一
彼何をかれらにいへるや、我は聞くをえざりき、されど彼かれらとあひてほどなきに、かれ等みな競ひて内にはせいりぬ 一一二―一一四
我等の敵は門をわが主の前に閉せり、主は外《そと》に殘され、その足おそくわが方にかへれり 一一五―一一七
目は地にむかひ、眉に信念の跡をとゞめず、たゞ歎きて憂ひの家を我に拒めるは誰ぞといふ 一一八―一二〇
また我にいひけるは、わが怒るによりて汝恐るゝなかれ、いかなる者共内にゐて防ぎ止めんとつとむとも、我はこの爭ひにかつべし 一二一―一二三
彼等の非禮を行ふは新しきことにあらず、かく祕めらるゝことなく今も※[#「戸+炯のつくり」、第3水準1-84-68]《とざし》なき門のほとりにそのかみ彼等またこれを行へり 一二四―一二六
汝がかの死の銘をみしは即ちこの門の上なりき、いまそのこなたに導者なく圈また圈を過ぎて坂を降るひとりのものあり 一二七―一二九
かれよくこの邑を我等のためにひらくべし 一三〇―一三二
第九曲
導者の歸り來るを見てわが面《おもて》を染めし怯心の色は彼の常ならぬ色をかへつてはやくうちに抑へき 一―三
彼は耳を欹つる人の如く心してとゞまれり、これその目、黒き空、濃き霧をわけて遠くかれを導くをえざりしによりてなり 四―六
彼曰ふ、さばれ我等必ずこの戰ひに勝つべし、されどもし……彼なりき進みて助けを約せるは、あゝかの一者《ひとり》の來るを待つ間《ま》はいかに長いかな 七―九
我は彼が先《さき》と異なれることを後《あと》にいひ、これをもてその始めを蔽へるさまをさだかに知れり 一〇―一二
彼かくなせるもそのいふ事なほ我を怖《おぢ》しめき、こはわが彼の續かざる言《ことば》に彼の思ひゐたるよりなほ惡き意義を含ませし故にやありけん 一三―一五
罰はたゞ望みを絶たれしのみなる第一の獄《ひとや》より悲しみの坎《あな》かく深くくだるものあることありや 一六―一八
われこの問を起せるに彼答へて曰ひけるは、我等の中にはかゝる旅路につくものあることまれなり 一九―二一
されどまことは我一たびこゝに降れることあり、こは魂等を呼びてその體《からだ》にかへらしめし酷《むご》きエリトンの妖術によれり 二二―二四
わが肉我を離れて後|少時《しばし》、ジュダの獄より一の靈をとりいださんため彼我をこの圍《かこひ》の中に入らしめき 二五―二七
この獄はいと低くいと暗く萬物を廻らす天を距ることいと遠し、我善く路をしる、この故に心を安んぜよ 二八―三〇
はげしき惡臭《をしう》を放つこれなる沼は、我等がいま怒りをみずして入るをえざる憂ひの都をかこみめぐる 三一―三三
このほかなほいへることありしも我おぼえず、これわが目はわが全心を頂もゆる高き城樓《やぐら》にひきよせたればなり 三四―三六
忽ちこゝに血に染みていと凄き三のフーリエ時齊しくあらはれいでぬ、身も動作《ふるまひ》も女性《によしやう》のごとく 三七―三九
いと濃き緑の水蛇《イドラ》を帶とす、小蛇チェラスタ髮に代りてその猛き後額《こめかみ》を卷けり 四〇―四二
この時かれ善くかぎりなき歎きの女王の侍婢《はしため》等を認めて我にいひけるは、兇猛なるエーリネを見よ 四三―四五
左なるはメジェラ右に歎くはアレットなり、テシフォネ中にあり、斯く言ひて默せり 四六―四八
彼等各※[#二の字点、1-2-22]と爪をもておのが胸を裂き掌《たなごゝろ》をもておのが身を打てり、その叫びいと高ければ我は恐れて詩人によりそひき 四九―五一
俯《うつむ》き窺《うかゞ》ひつゝみないひけるは、メヅーサを來らせよ、かくして彼を石となさん、我等テゼオに襲はれて怨みを報いざりし幸《さち》なさよ 五二―五四
身をめぐらし後《うしろ》にむかひて目を閉ぢよ、若しゴルゴンあらはれ、汝これを見ば、再び上に歸らんすべなし 五五―五七
師はかくいひて自らわが身を背かしめ、またわが手を危ぶみ、おのが手をもてわが目を蔽へり 五八―六〇
あゝまことの聰明《さとり》あるものよ、奇《くす》しき詩のかげにかくるゝをしへを見よ 六一―六三
この時既にすさまじく犇《ひし》めく物音濁れる波を傳ひ來りて兩岸これがために震へり 六四―六六
こはあたかも反する熱によりて荒れ、林を打ちて支ふるものなく、枝を折り裂き 六七―
うち落し吹きおくり、塵を滿たしてまたほこりかに吹き進み、獸と牧者を走らしむる風の響きのごとくなりき ―七二
かれ手を放ちていひけるは、いざ目をかの年へし水沫《みなわ》にそゝげ、かなた烟のいと深きあたりに 七三―七五
たとへば敵なる蛇におどろき、群居《むれゐ》る蛙みな水に沈みて消え、地に蹲まるにいたるごとく 七六―七八
我は一者《ひとり》の前を走れる千餘の滅亡《ほろび》の魂をみき、この者|徒歩《かち》にてスティージェを渡るにその蹠《あしうら》濡るゝことなし 七九―八一
かれはしば/\左手《ゆんで》をのべて顏のあたりの霧をはらへり、その疲れし如くなりしはたゞこの累《わづらひ》ありしためのみ 八二―八四
我は彼が天より遣はされし者なるをさだかに知りて師にむかへるに、師は我に示して口を噤ましめ、また身をその前にかゞめしむ 八五―八七
あゝその憤りいかばかりぞや、かれ門にゆき、支ふる者なければ一の小さき杖をもてこれをひらけり 八八―九〇
かくて恐ろしき閾の上よりいふ、あゝ天を逐はれし者等よ、卑しき族《うから》よ、汝等のやどす慢心はいづこよりぞ 九一―九三
その目的《めあて》削《そ》がるゝことなく、かつしば/\汝等の苦患《なやみ》を増せる天意に對ひ足を擧ぐるは何故ぞ 九四―九六
命運に逆ふ何の益ぞ、汝等のチェルベロいまなほこれがため頤《おとがひ》と喉《のんど》に毛なきを思はずや 九七―九九
かくて彼我等に何の言だになく汚れし路をかへりゆき、そのさまさながらほかの思ひに責め刺され 一〇〇―
おのが前なる者をおもふに暇なき人のごとくなりき、聖語を聞いて心安く、我等足を邑《まち》のかたにすゝめ ―一〇五
戰はずして内に入りにき、我はまたかゝる砦《とりで》の内なるさまのいかなるやをみんことをねがひ 一〇六―一〇八
たゞちに目をわがあたりに投ぐれば、四方に一の大なる廣場《ひろには》ありて苦患《なやみ》ときびしき苛責を滿たせり 一〇九―一一一
ローダーノの水澱むアルリ、またはイタリアを閉してその境を洗ふカルナーロ近きポーラには 一一二―一一四
多くの墓ありて地に平らかなる處なし、こゝもまた墓のためにすべてかくの如く、たゞ異なるはそのさまいよ/\苦《にが》きのみ 一一五―一一七
そは多くの焔墓の間に散在して全くこれを燒けばなり、げにいかなる技工《わざ》といへどもこれより赤くは鐡《くろがね》を燒くを需《もと》めぬなるべし 一一八―一二〇
蓋は悉く上げられ幸《さち》なき者苦しむ者にふさはしきはげしき歎聲《なげき》内より起れり 一二一―一二三
我、師よ、これらの墓の中に葬られ、たゞ憂ひの歎息《ためいき》を洩すのみなるこれらの民は何なりや 一二四―一二六
彼我に、邪宗の長《をさ》等その各流の宗徒とともにこゝにあるなり、またこれらの墓の中には汝の思ふよりも多くの荷あり 一二七―一二九
みな類にわかちて葬られ、塚の熱度一樣ならず、かくいひて右にむかへり 一三〇―一三二
我等は苛責と高壘の間を過ぎぬ 一三三―一三五
第十曲
さて城壁と苛責の間のかくれたる路に沿ひ、わが師さきに我はその背に附きて進めり 一―三
我曰ふ、あゝ心のまゝに我を導き信なき諸※[#二の字点、1-2-22]の獄《ひとや》をめぐる比類《たぐひ》なき功徳《くどく》よ、請ふ我に告げわが願ひを滿たせ 四―六
墓の中に臥せる民、われこれを見るをうべきか、蓋みな上げられて守る者なし 七―九
彼我に、かれら上《うへ》の世に殘せる體《からだ》をえてヨサファットよりこゝにかへらば皆閉ぢん 一〇―一二
こなたにはエピクロとかれに傚ひて魂を體とともに死ぬるとなす者みな葬らる 一三―一五
さればたゞちにこの中にて汝は我に求めしものをえ、默して我にいはざりし汝の願ひもまた成るべし 一六―一八
我、善き導者よ、言少なきを希ふにあらずばわれ何ぞわが心を汝に祕むべき、汝かく我に思はしめしは今のみならじ 一九―二一
恭しくかたりつゝ生きながら火の都を過ぎゆくトスカーナ人よ、ねがはくはこの處にとゞまれ 二二―二四
汝は汝の言によりて尊きわが郷土《ふるさと》(恐らくはわが虐げし)の生れなるをしらしむ 二五―二七
この聲ゆくりなく一の墓より出でければ、我はおそれてなほ少しくわが導者に近づけり 二八―三〇
彼我に曰ひけるは、汝何をなすや、ふりかへりてかしこに立てるファーリナータを見よ、その腰より上こと/″\くあらはる 三一―三三
我はすでに目をかれの目にそゝぎゐたるに、かれはその胸と額をもたげ起してあたかもいたく地獄を嘲るに似たりき 三四―三六
この時導者は汝の言《ことば》を明かならしめよといひ、臆せず弛《たゆみ》なき手をもて我を墓の間におしやりぬ 三七―三九
われ彼の墓の邊《ほとり》にいたれるとき、彼少しく我を見てさて蔑視《さげすむ》ごとく問ひていひけるは、汝の祖先は誰なりや 四〇―四二
我は從はんことをねがひてかくさず、一切をかれにうちあけしに、少しく眉をあげて 四三―四五
いひけるは、かれらは我、わが祖先、またわが黨與の兇猛なる敵なりき、さればわれ兩度《ふたゝび》かれらを散らせることあり 四六―四八
我答へて彼に曰ひけるは、かれら逐はれしかども前にも後にも四方より歸れり、されど汝の徒《ともがら》は善くこの術《わざ》を習はざりき 四九―五一
この時開ける口より一の魂これとならびて頤《おとがひ》まであらはせり、思ふにかれは膝にて立てるなるべし 五二―五四
我とともにある人ありや否やをみんとねがへる如くわが身のあたりをながめたりしが、疑ひ全く盡くるにおよびて 五五―五七
泣きて曰ひけるは、汝若し才高きによりてこの失明《くらやみ》の獄《ひとや》をめぐりゆくをえば、わが兒はいづこにありや、かれ何ぞ汝と共にあらざる 五八―六〇
我彼に、われ自ら來れるにあらず、かしこに待つ者我を導きてこゝをめぐらしむ、恐らくはかれは汝のグイードの心に侮りし者ならん 六一―六三
かれの言《ことば》と刑罰の状《さま》とは既にその名を我に讀ましめ、わが答かく全きをえしなりき 六四―六六
かれ忽ち起きあがり叫びていひけるは、汝何ぞ「りし」といへるや、彼猶生くるにあらざるか、麗しき光はその目を射ざるか 六七―六九
わがためらひてとみに答へざりしをみ、かれは再び仰《あふの》きたふれ、またあらはれいづることなかりき 七〇―七二
されど我に請ひて止まらしめし心大いなる者、顏をも變へず頸をも動かさずまた身をも曲げざりき 七三―七五
かれさきの言を承けていひけるは、彼等もしよくこの術《わざ》を習はざりきとならば、その事この床《とこ》よりも我を苦しむ 七六―七八
されどこゝを治むる女王の顏燃ゆることいまだ五十度《いそたび》ならぬ間《ま》に、汝自らその術《わざ》のいかに難きやをしるにいたらむ 七九―八一
(願はくは汝麗しき世に歸るをえんことを)請ふ我に告げよ、かの人々何故に凡てその掟《おきて》により、わが宗族《うから》をあしらふことかく殘忍なりや 八二―八四
我すなはち彼に、アルビアを紅《あけ》に色採《いろど》りし敗滅《ほろび》と大いなる殺戮《ほふり》とはかかる祈りを我等の神宮《みや》にさゝげしむ 八五―八七
彼歎きつゝ頭《かうべ》をふりていひけるは、そもかの事に與《あづか》れるはわれひとりにあらざりき、また我何ぞ故なくして人々とともに動かんや 八八―九〇
されどフィレンツェを毀たんとて人々心をあはせし處にては、これをあらはに囘護《かば》ひたる者たゞわれひとりのみなりき 九一―九三
我彼に請ひていひけるは、あゝねがはくは汝の裔《すゑ》つひに安息《やすき》をえんことを、請ふここにわが思想《おもひ》の縺《もつれ》となれる節《ふし》を解け 九四―九六
我善く汝等のいふところをきくに、汝等は時の携へ來るものをあらかじめみれども現在にわたりてはさることなきに似たり 九七―九九
彼曰ふ、我等遠く物をみること恰も光備はらざる人のごとし、これ比類《たぐひ》なき主宰いまなほ我等の上にかく輝くによりてなり 一〇〇―一〇二
物近づきまたはまのあたりにある時我等の智全く空し、若し我等に告ぐる者なくば世のありさまをいかでかしらん 一〇三―一〇五
この故に汝|會得《ゑとく》しうべし、未來の門の閉さるゝとともに我の知識全く死ぬるを 一〇六―一〇八
この時われいたく我咎を悔いていひけるは、さらば汝かの倒れし者に告げてその兒いまなほ生ける者と共にありといへ 一〇九―一一一
またさきにわが默《もだ》して答へざりしは汝によりて解かれし迷ひにすでに心をむけたるが故なるをしらしめよ 一一二―一一四
わが師はすでに我を呼べり、われすなはちいよ/\いそぎてこの魂にともにある者の誰なるやを告げんことを請ひしに 一一五―一一七
彼我にいひけるは、我はこゝに千餘の者と共に臥す、こゝに第二のフェデリーコとカルディナレあり、その他はいはず 一一八―一二〇
かくいひて隱れぬ、我はわが身に仇となるべきかの言《ことば》をおもひめぐらし、足を古《いにしへ》の詩人のかたにむけたり 一二一―一二三
かれは歩めり、かくてゆきつゝ汝何ぞかく思ひなやむやといふ、われその問に答へしに 一二四―一二六
聖《ひじり》訓《さと》していひけるは、汝が聞けるおのが凶事を記憶に藏《をさ》めよ、またいま心をわが言にそゝげ、かくいひて指を擧げたり 一二七―一二九
美しき目にて萬物を見るかの淑女の麗しき光の前にいたらば汝はかれによりておのが生涯の族程《たびぢ》をさとることをえん 一三〇―一三二
かくて彼足を左にむけたり、我等は城壁をあとにし、一の溪に入りたる路をとり、内部《うち》にむかひてすゝめり 一三三―一三五
溪は忌むべき惡臭《をしう》をいだして高くこの處に及ばしむ 一三六―一三八
第十一曲
碎けし巨岩《おほいは》の輪より成る高き岸の縁《ふち》にいたれば、我等の下にはいよ/\酷《むご》き群《むれ》ありき 一―三
たちのぼる深淵の惡臭《をしう》たへがたく劇しきをもて、我等はとある大墳《おほつか》の蓋の後方《うしろ》に身を寄せぬ 四―
われこゝに一の銘をみたり、曰く、我はフォーチンに引かれて正路を離れし法王アナスターショを納むと ―九
我等ゆるやかにくだりゆくべし、かくして官能まづ少しく悲しみの氣息《いき》に慣れなば、こののち患《うれへ》をなすことあらじ 一〇―一二
師斯く、我彼に曰ふ、時空しく過ぐるなからんため補充《おぎなひ》の途を求めたまへ、彼、げに我もまたその事をおもへるなり 一三―一五
又曰ひけるは、わが子よ、これらの岩の中に三の小さき獄《ひとや》あり、その次第をなすこと汝が去らんとする諸※[#二の字点、1-2-22]の獄の如し 一六―一八
これらみな詛ひの魂にて滿たさる、されどこの後汝たゞ見るのみにて足れりとするをえんため、彼等の繋がるゝ状《さま》と故《ゆゑ》とをきけ 一九―二一
夫れ憎《にくみ》を天にうくる一切の邪惡はその目的《めあて》非を行ふにあり、しかしてすべてかゝる目的は或は力により或は欺罔《たばかり》によりて他を窘《くるし》む 二二―二四
されど欺罔は人特有の罪惡なれば、神意に悖ること殊に甚し、この故にたばかる者低きにあり、かれらを攻むる苦患《なやみ》また殊に大なり 二五―二七
第一の獄《ひとや》はすべて荒ぶる者より成る、されど力のむかふところに三の者あれば、この獄また三の圓にわかたる 二八―三〇
力の及びうべきところに神あり、自己《おのれ》あり、隣人《となりびと》あり、こは此等と此等に屬《つ》けるものゝ謂なることわれなほ明かに汝に説くべし 三一―三三
力隣人に及べば死となりいたましき傷となり、その持物におよべば破壞、放火、また不法の掠奪となる 三四―三六
この故に人を殺す者、惡意より撃つ者、荒らす者、掠むる者、皆類にわかたれ、第一の圓これを苛責す 三七―三九
人|暴《あらび》の手を己が身己が産にくだすことあり、この故に自ら求めて汝等の世を去り 四〇―
またはその産業を博奕によりて盡し、費し盡し、喜ぶべき處に歎く者|徒《いたづら》に第二の圓に悔ゆ ―四五
心に神を無《な》みし神を誹り、また自然と神の恩惠《めぐみ》をかろんずるは、これ人神にむかひてその力を用ふるものなり 四六―四八
この故に最小の圓はその印をもてソッドマ、カオルサ、また心より神を輕んじかつ口にする者を封ず 四九―五一
欺罔《たばかり》は(心これによりて疚《やま》しからぬはなし)人之を己を信ずるものまたは信ぜざるものに行ふ 五二―五四
後者はたゞ自然が造れる愛の繋《つなぎ》を斷つに似たり、この故に僞善、諂諛、人を惑はす者 五五―
詐欺、竊盜、シモエア、判人《ぜげん》、汚吏、およびこのたぐひの汚穢《けがれ》みな第二の獄《ひとや》に巣《す》くへり ―六〇
前者にありては自然の造れる愛と、その後これに加はりて特殊の信を生むにいたれるものとともにわすらる 六一―六三
この故に宇宙の中心ディーテの座所ある最小の獄にては、すべて信を賣るもの永遠《とこしへ》の滅亡《ほろび》をうく 六四―六六
我、師よ、汝の説くところまことに明かに、この深處《ふかみ》とその中なる民をわかつことまことによし 六七―六九
されど我に告げよ、泥深き沼にあるもの、風にはこばるゝもの、雨に打たるゝもの、行當りて罵るもの 七〇―七二
もし神の怒りに觸れなば何ぞ罰を朱《あけ》の都の中にうけざる、またもし觸れずば何故にかゝる状態《さま》にありや 七三―七五
彼我に曰ふ、汝の才何ぞその恆《つね》をはなれてかく迷ふや、またさにあらずば汝の心いづこをか視る 七六―七八
汝は天の許さゞる三の質《さが》、即ち放縱、邪惡、狂へる獸心をつぶさにあげつらひ 七九―
また放縱は神の怒りにふるゝこと少なく誹りを招くこと少なきをいへる汝の倫理の言を憶《おも》はずや ―八四
汝善くこの教へを味ひ、かつ上に外《そと》に罰をうくるものゝ誰なるやを恩ひ出でなば 八五―八七
また善く何故に彼等この非道の徒《ともがら》とわかたれ、何故に彼等を苛責する神の復讎の怒りかへつて輕きやを見るをえん 八八―九〇
我曰ふ、あゝ一切のみだるゝ視力を癒す太陽よ、汝解くにしたがひて我心をたらはすが故に、疑ひの我を喜ばすこと知るにおとらじ 九一―
請ふなほ少しく溯りて、高利を貪るは神恩にさからふものなりとの汝の言に及び、その纈《むすび》を解け ―九六
彼我に曰ふ、哲理はこれを究むる者に自然が神の智とその技《わざ》よりいづるを處々に示せり 九七―
汝また善く汝の理學を閲《けみ》せば、いまだ幾葉ならざるに汝等の技《わざ》のつとめて
自然に從ふこと弟子のその師における如く、汝等の技は神の孫なりともいひうべきを見ん ―一〇五
人みな生の道をこの二のものに求め、しかして進むべきなり、汝『創世記』の始めにこの事あるを思ひ出づべし 一〇六―一〇八
しかるに高利を貪るものは、これと異なる道を踏みて望みを他《ほか》に置き、自然とその從者をかろんず 一〇九―一一一
されどいざ我に從へ、われ行くをねがへばなり、雙魚天涯に煌《きら》めき、北斗全くコーロの上にあり 一一二―一一四
しかもくだるべき斷崖《きりぎし》なほこゝより遠し 一一五―一一七
第十二曲
岸をくだらんとて行けるところはいと嶮しく、あまつさへこゝに物ありていかなる目にもこれを避けしむ 一―三
トレントのこなたに、或は地震へるため、或は支ふる物なきため、横さまにアディーチェをうちし崩壞《くづれ》あり 四―六
(くづれはじめし山の巓より野にいたるまで岩多く碎け流れて上なる人に路を備ふるばかりになりぬ) 七―九
この斷崖《きりぎし》の下るところまたかくの如くなりき、くだけし坎《あな》の端には模造《まがひ》の牝牛の胎に宿れる 一〇―
クレーチの名折《なをれ》偃《ふ》しゐたり、彼我等を見て己が身を噛みぬ、そのさま衷《うち》より怒りにとらはれし者に似たりき ―一五
わが聖《ひじり》彼にむかひて叫びていひけるは、汝を地上に死なしめしアテーネの公《きみ》こゝにありと思へるか 一六―一八
獸よ、たち去れ、彼は汝の姉妹《いも》の教へをうけて來れるならず、汝等の罰をみんとて行くなり 一九―二一
撲たれて既に死に臨むにおよびて絆《きづな》はなれし牡牛の歩む能はずしてかなたこなたに跳《は》ぬることあり 二二―二四
我もミノタウロのしかするを見き、彼|機《とき》をみてよばゝりていふ、走りて路を得よ、彼狂ふ間《ま》にくだるぞ善き 二五―二七
かくて我等はくづれおちたる石をわたりてくだれり、石は例《つね》ならぬ重荷を負ひ、わが足の下に動くこと屡※[#二の字点、1-2-22]なりき 二八―三〇
我は物思ひつゝゆけり、彼曰ひけるは、恐らくは汝はわがしづめし獸の怒りに護らるゝこの崩壞《くづれ》のことを思ふならん 三一―三三
汝今知るべし、さきに我この低き地獄に下れる時はこの岩いまだ落ちざりき 三四―三六
されどわが量るところ違はずば、ディーテに課して第一の獄《ひとや》に大いなる獲物《えもの》をえし者の來れる時より少しく前の事なりき 三七―三九
深き汚《けがれ》の溪四方に震ひ、我は即ち宇宙愛に感ぜりとおもへり(或人信ずらく 四〇―
世はこれあるによりて屡※[#二の字点、1-2-22]と渾沌に變れりと)、此時この古き岩こゝにもほかのところにもかく壞《くづ》れしなりき ―四五
されど目を下に注げ、血の河近ければなり、すべて暴《あらび》によりて人を害《そこな》ふものこの中に煮らる 四六―四八
あゝ惡き狂へる盲《めしひ》の慾よ、苟且《かりそめ》の世にかく我等を唆《そゝの》かし、後かぎりなき世にかく幸《さち》なく我等を漬《ひた》すとは 四九―五一
われ見しに導者の我に告げし如く、彎曲して弓を成し全く野を抱くに似たる一の廣き濠ありき 五二―五四
岸の裾と是との間にはあまたのチェンタウロ矢を持ち列をくみて駛せゐたり、そのさま恰も世にすみて狩にいでし時の如し 五五―五七
我等の下《くだ》るを見てみなとゞまりぬ、群のうちよりみたりの者まづ弓矢をえらびこれをもてすゝめり 五八―六〇
そのひとり遙かに叫びていひけるは、汝等|崖《がけ》を下る者いかなる苛責をうけんとて來れるや、その處にて之をいへ、さらずば弓|彎《ひ》かむ 六一―六三
わが師曰ひけるは、我等近づきそこにてキロンに答ふべし、汝は心常にかく燥《はや》るによりて禍ひをえき 六四―六六
かくてわが身に觸れていひけるは、彼はネッソとて美しきデイアーニラのために死し、自ら怨みを報いしものなり 六七―六九
眞中《まなか》におのが胸をみるはアキルレをはぐゝめる大いなるキロン、いまひとりは怒り滿ち/\しフォーロなり 七〇―七二
彼等|千々《ちゞ》相集まりて濠をめぐりゆき、罪の定むる處を越えて血より出づる魂あればこれを射るを習ひとす 七三―七五
我等は此等の疾《と》き獸に近づけり、キロン矢を取り、※[#「弓+肖」、78-1]《はず》にて鬚を腮《あぎと》によせて 七六―七八
大いなる口を露はし、侶《とも》に曰ひけるは、汝等見たりや、かの後《あと》なる者觸るればすなはち物の動くを 七九―八一
死者の足にはかゝることなし、わが善き導者この時既に二の象《かたち》結び合へる彼の胸ちかくたち 八二―八四
答へて曰ひけるは、誠に彼は生く、しかもかく獨りなるにより、我彼にこの暗闇の溪をみせしむ、彼を導く者は必須なり娯樂にあらず 八五―八七
ひとりのものアレルヤの歌をはなれてこの新しき任務《つとめ》を我に委ねしなり、彼盜人にあらず、我また盜人の魂にあらず 八八―九〇
さればかく荒れし路を傳ひて我に歩みを進ましむる權威《ちから》によりこゝに我汝に請ふ、群のひとりを我等にえさせよ、我等その傍《かたへ》にしたがひ 九一―九三
彼は我等に渉るべき處ををしへ、また空ゆく靈にあらねばこの者をその背に負ふべし 九四―九六
キロン右にむかひネッソにいひけるは、歸りてかく彼等を導け、もしほかの群《むれ》にあはゞそれに路を避けしめよ 九七―九九
我等は煮らるゝものゝ高く叫べる紅の煮の岸に沿ひ、このたのもしき先達《しるべ》と共に進めり 一〇〇―一〇二
我は眉まで沈める民を見き、大いなるチェンタウロいふ、彼等は妄りに血を流し産を掠めし暴君なり 一〇三―一〇五
こゝに彼等その非情の罪業を悼《いた》む、こゝにアレッサンドロあり、またシチーリアに患《うれへ》の年を重ねしめし猛きディオニシオあり 一〇六―一〇八
かの黒き髮ある額はアッツォリーノなり、またかの黄金《こがね》の髮あるはげに上の世にその繼子《まゝこ》に殺されし 一〇九―
オピッツオ・ダ・エスティなり、この時われ詩人の方《かた》にむかへるに、彼曰ひけるは、この者今は汝のために第一となり我は第二となるべし ―一一四
なほ少しく進みて後チェンタウロは煮ゆる血汐の外に喉まで出せる如くなりし一の民のあたりに止まり 一一五―一一七
片側なるたゞ一の魂を我等に示していひけるは、彼はターミーチにいまなほ崇《あがめ》をうくる心臟《こゝろ》を神の懷《ふところ》に割きしものなり 一一八―一二〇
やがて我は河の上に頭《かうべ》を出し、また胸をこと/″\く出せる民を見き、またその中にはわが知れる者多かりき 一二一―一二三
斯くこの血次第に淺くなりゆきて、遂にはたゞ足を燒くのみ、我等の濠を渉るところはすなはちこゝなりき 一二四―一二六
チェンタウロいふ、こなたにては煮ゆる血汐のたえず減《へ》ること汝見る如し、またこれに應じ 一二七―一二九
かなたにては暴虐《しひたげ》の呻吟《うめ》く處と再び合ふにいたるまで水底《みなそこ》次第に深くなりまさるを汝信ずべし 一三〇―一三二
神の義こゝに地の笞《しもと》なりしアッティラとピルロ、セストを刺し、また大路《おほぢ》をいたくさわがしし 一三三―
リニエール・ダ・コルネート、リニエール・パッツオを煮、その涙をしぼりて永遠《とこしへ》にいたる ―一三八
かくいひて身をめぐらし、再びこの淺瀬を渉れり 一三九―一四一
第十三曲
ネッソ未だかなたに着かざるに我等は道の跡もなき一の森をわけて進めり 一―三
木の葉は色|黯《くろず》みて緑なるなく、枝は節だちくねりて直く滑かなるなく、毒をふくむ刺《とげ》ありて實なし 四―六
チェチーナとコルネートの間なる耕せる處を嫌ふ猛き獸の栖《すみか》にもかくあらびかくしげれる※[#「くさかんむり/翳」、81-6]薈《しげみ》はあらじ 七―九
穢《きたな》きアルピーエこゝにその巣を作れり、こは末凶なりとの悲報をもてトロイア人《びと》をストロファーデより追へるものなり 一〇―一二
その翼はひろく頸と顏とは人にして足に爪、大いなる腹に羽あり、彼等|奇《く》しき樹の上にて歎けり 一三―一五
善き師我にいひけるは、遠くゆかざるさきに知るべし、汝は第二の圓にあるなり 一六―
また恐ろしき砂にいたるまでこの圓にあらん、この故によく目をとめよ、さらばわが言《ことば》より信を奪ふべきものをみん ―二一
われ四方に叫喚を聞けども、これを上ぐる人を見ざれば、いたく惑ひて止まれり 二二―二四
思ふにかく多くの聲はかの幹の間我等のために身をかくせし民よりいでぬと我思へりと彼思へるなるべし 二五―二七
師乃ち曰ふ、汝この樹の一より小枝を手折らば、汝のいだく思ひはすべて斷たるべし 二八―三〇
この時われ手を少しく前にのべてとある大いなる荊棘《いばら》より一の小枝を採りたるに、その幹叫びて何ぞ我を折るやといふ 三一―三三
かくて血に黯《くろず》むにおよびてまた叫びていひけるは、何ぞ我を裂くや、憐みの心|些《すこし》も汝にあらざるか 三四―三六
いま木と變れども我等は人なりき、またたとひ蛇の魂なりきとも汝の手にいま少しの慈悲はあるべきを 三七―三九
たとへば生木《なまき》の一端《かたはし》燃え、一端よりは雫《しづく》おち風聲を成してにげさるごとく 四〇―四二
詞と血と共に折れたる枝より出でにき、されば我は尖《さき》を落して恐るゝ人の如くに立てり 四三―四五
わが聖《ひじり》答へて曰ひけるは、しひたげられし魂よ、彼若しわが詩の中にのみ見しことを始めより信じえたりしならんには 四六―四八
汝にむかひて手を伸ぶることなかりしなるべし、たゞ事信じ難きによりて我彼にすすめてこの行あらしむ、わが心これが爲に苦し 四九―五一
されど汝の誰なりしやを彼に告げよ、さらば彼汝の名を上の世に(彼かしこに歸るを許さる)新にし、これを贖《あがなひ》のよすがとなさん 五二―五四
幹、かゝる麗しき言《ことば》にさそはれ、われ口を噤み難し、願はくは心ひかるゝまゝにわが少しく語らん事の汝に累となるなからんことを 五五―五七
我はフェデリーゴの心の鑰《かぎ》を二ながら持てる者なりき、我これをめぐらして或ひは閉ぢ或ひは開きその術《わざ》巧みなりければ 五八―六〇
殆ど何人と雖も彼の祕密に係《たづさ》はるをえざりき、わがこの榮《はえ》ある職《つとめ》に忠なりし事いかばかりぞや、我之がために睡りをも脈をも失へり 六一―六三
阿諛《おもねり》の眼《まなこ》をチェーザレの家より放ちしことなく、おしなべての死、宮の罪惡なる遊女《あそびめ》は 六四―六六
すべての心を燃やして我に背かしめ、燃えし心はアウグストの心を燃やし、喜びの譽悲しみの歎きとかはりぬ 六七―六九
わが精神《たましひ》は怒りに驅られ、死によりて誹りを免かれんことを思ひ、正しからざることを正しきわが身に行へり 七〇―七二
この樹の奇《く》しき根によりて誓ひて曰はん、我はいまだかく譽をうるにふさはしかりしわが主の信に背けることなしと 七三―七五
汝等のうち若し世に歸る者あらば、嫉みに打たれていまなほ地に伏すわが記憶を慰めよ 七六―七八
待つこと須臾《しばらく》にして詩人我に曰ひけるは、彼|默《もだ》すために時を失ふことなく、なほ問ふことあらばいひて彼に問へ 七九―八一
我乃ち彼に、汝我心に適ふべしと思ふ事をば請ふわがために彼に問へ、憐み胸にせまりて我しかするあたはざればなり 八二―八四
此故に彼又曰ひけるは、獄裏の魂よ、願はくは此人ねんごろに汝のために汝の言《ことば》の乞求むるものをなさんことを、請ふ更に 八五―八七
我等に告げて魂此等の節《ふし》の中に繋がるゝに至る状《さま》をいへ、又若しかなはゞそのかゝる體《からだ》より解放たるゝ事ありや否やをもいへ 八八―九〇
この時幹はげしく氣を吐けり、この風《かぜ》聲に變りていふ、約《つゞま》やかに汝等に答へん 九一―九三
殘忍なる魂己を身よりひき放ちて去ることあればミノスこれを第七の口におくり 九四―九六
このもの林の中に落つ、されど定まれる處なく、たゞ命運の投入るゝ處にいたりて芽《めざ》すこと一粒の麥の如く 九七―九九
若枝《わかえ》となり後野生の木となる、アルピーエその葉を食みてこれに痛みを與へまた痛みに窓を與ふ、我等はほかの者と等しく 一〇〇―
我等の衣の爲めに行くべし、されど再びこれを着る者あるによるに非ず、そは人自ら棄てし物をうくるは正しき事に非ざればなり ―一〇五
我等これをこゝに曳き來らむ、かくて我等の體《からだ》はこの憂き林、いづれも己を虐げし魂の荊棘《いばら》の上に懸けらるべし 一〇六―一〇八
幹のなほ我等にいふことあらんを思ひて我等心をとめゐたるに、この時さわがしき物音起り、我等の驚かされしこと 一〇九―一一一
さながら野猪《しゝ》と獵犬と己が立處《たちど》にむかふをさとり、獸と枝との高き響きを聞くものの如くなりき 一一二―一一四
見よ、左に裸なる掻き裂かれたるふたりの者あり、あらゆる森のしげみをおしわけ、逃げわしることいとはやし 一一五―一一七
さきの者、いざ疾《と》く、死よ、疾くと叫ぶに、ほかのひとりは己がおそくして及ばざるをおもひ、ラーノ、トッポの試藝《しあひ》に 一一八―
汝の脛《はぎ》はかく輕くはあらざりしをとさけび、呼吸《いき》のせまれる故にやありけむ、その身をとある柴木と一團《ひとつ》になしぬ ―一二三
後《うしろ》の方《かた》には飽くことなく、走ること鏈《くさり》を離れし獵犬にひとしき黒き牝犬林に滿ち 一二四―一二六
かの潛める者に齒をくだしてこれを刻み、後そのいたましき身を持ち行けり 一二七―一二九
この時導者わが手をとりて我をかの柴木のほとりにつれゆけるに、血汐滴たる折際《をれめ》より空しく歎きていひけるは 一三〇―
あゝジャーコモ・ダ・サント・アンドレーアよ、我を防禦《ふせぎ》となして汝に何の益かありし、汝罪の世を送れりとて我身に何の咎あらんや ―一三五
師その傍《かたへ》にとゞまりていひけるは、かく多くの折際《をりめ》より血と共に憂ひの詞をはく汝は誰なりしや 一三六―一三八
彼我等に、あゝこゝに來りてわが小枝を我よりとりはなてる恥づべき虐《しひたげ》をみし魂等よ 一三九―一四一
それらを幸《さち》なき柴木のもとにあつめよ、我は最初《はじめ》の守護《まもり》の神をバーティスタに變へし邑《まち》の者なりき、かれこれがために 一四二―一四四
その術《わざ》をもて常にこの邑を憂へしむ、もしその名殘のいまなほアルノの渡りにとゞまるあらずば 一四五―一四七
アッティラが殘せる灰の上に再びこの邑《まち》を建てたる邑人《まちびと》の勞苦は空しかりしなるべし 一四八―一五〇
我はわが家《や》をわが絞臺《しめだい》としき 一五一―一五三
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第十四曲
郷土の愛にはげまされ、落ちちらばりし小枝を集めて既に聲なきかの者にかへせり 一―三
さてこゝよりすゝみて第二と第三の圓のわかるゝところなる境にいたればこゝに恐るべき正義の業《わざ》みゆ 四―六
めなれぬものをさだかに知らしめんためさらにいはんに、我等は一草一木をも床《ゆか》に容れざる一の廣野につけり 七―九
憂ひの林これをめぐりて環飾《わかざり》となり、さながら悲しみの濠の林に於ける如くなりき、こゝに我等|縁《ふち》いと近き處に足をとゞめぬ 一〇―一二
地は乾ける深き砂にてその状《さま》そのかみカートンの足踏めるものと異なるなかりき 一三―一五
あゝ神の復讎よ、わがまのあたり見しことを讀むなべての人の汝を恐るゝこといかばかりなるべき 一六―一八
我は裸なる魂の多くの群《むれ》を見たり、彼等みないと幸《さち》なきさまにて泣きぬ、またその中に行はるゝ掟《おきて》一樣ならざるに似たりき 一九―二一
仰《あふの》きて地に臥せる民あり、全《また》く身を縮めて坐せるあり、またたえず歩めるありき 二二―二四
めぐりゆくものその數《かず》いと多し、また臥して苛責をうくるものはその數いと少なきもその舌歎きによりて却つて寛《ゆる》かりき 二五―二七
砂といふ砂の上には延びたる火片《ひのひら》しづかに降りて、風なき峻嶺《たかね》の雪の如し 二八―三〇
昔アレッサンドロ、インドの熱き處にて焔その士卒の上に落ち地にいたるも消えざるをみ 三一―三三
火はその孤なるにあたりて消し易かりしが故に部下に地を踏ましめしことありき 三四―三六
かくの如く苦患《なやみ》を増さんとて永遠《とこしへ》の熱おちくだり、砂の燃ゆることあたかも火打鎌の下なる火口《ほくち》にひとしく 三七―三九
忽ちかなたに忽ちこなたに新《あらた》なる焔をはらふ幸《さち》なき雙手《もろて》の亂舞《トレスカ》にはしばしの休みもあることなかりき 四〇―四二
我曰ふ、門の入口にて我等にたちむかへる頑《かたくな》なる鬼のほか物として勝たざるはなき汝わが師よ 四三―四五
火をも心にとめざるさまなるかの大いなる者は誰なりや、嘲りを帶び顏をゆがめて臥し、雨もこれを熟《う》ましめじと見ゆ 四六―四八
われ彼の事をわが導者に問へるをしりて彼叫びていひけるは、死せる我生ける我にかはらじ 四九―五一
たとひジョーヴェ終りの日にわが撃たれたる鋭き電光《いなづま》を怒れる彼にとらせし鍛工《かぢ》を疲らせ 五二―五四
またはフレーグラの戰ひの時の如くに、善きヴルカーノよ、助けよ、助けよとよばはりつゝモンジベルロなる黒き鍛工場《かぢば》に 五五―
殘りの鍛工等をかはる/″\疲らせ、死力を盡して我を射るとも、心ゆくべき復讎はとげがたし ―六〇
この時わが導者聲を勵まして(かく高らかに物言へるを我未だ聞きしことなかりき)いひけるは、カパーネオよ、汝の罰のいよ/\重きは汝の慢心の盡きざるにあり、汝の劇しき怒りのほかはいかなる苛責の苦しみも汝の怒りにふさはしき痛みにあらじ 六一―六六
かくいひて顏を和らげ、我にむかひていひけるは、こはテーベを圍める七王の一《ひとり》にて神を侮れる者なりき 六七―
いまも神を侮りて崇《あが》むることなしとみゆ、されどわが彼にいへる如く彼の嘲りはいとにつかしきその胸の飾なり ―七二
いざ我に從へ、またこの後愼みて足を熱砂に觸れしむることなく、たえず森に沿ひて歩むべし 七三―七五
我等また語らず、さゝやかなる一の小川の林の中より迸る處にいたれり、その赤きこといまもわが身を震へしむ 七六―七八
さながらブリカーメより細き流れ(罪ある女等ほどへてこれをわけもちふ)の出づる如く、この川砂を貫いて下り 七九―八一
その水底《みなそこ》、傾ける兩岸、縁《ふち》はみな石と成れり、此故に我こゝに行手の路あるを知りき 八二―八四
閾を人のこゆるに任《まか》す門より内に入りしこのかた、凡てわが汝に示せるものゝうちすべての焔をその上に消すこの流れの如くいちじるしきは汝の目未だ見ず 八五―八七
これわが導者の言なりき、我乃ち彼に請ひ、慾を我に惜しまざりし彼の、食をも惜しむなからんことを求めぬ 九一―九三
この時彼曰ふ、海の正中《たゞなか》に荒れたる國あり、クレータと名づく、こゝの王の治世の下《もと》、世はそのかみ清かりき 九四―九六
かしこにそのかみ水と木葉《このは》の幸《さち》ありし山あり、イーダと呼ばる、今は荒廢《あれすた》れていと舊《ふ》りたるものゝごとし 九七―九九
そのかみレーアこれをえらびてその子の恃《たのみ》の搖籃となし、その泣く時特に善くかくさんためかしこに叫びあらしめき 一〇〇―一〇二
この山の中には一人《ひとり》の老巨人の直立するあり、背をダーミアータにむけ、ローマを見ること己が鏡にむかふに似たり 一〇三―一〇五
その頭は純金より成り、腕と胸とは純銀なり、そこより跨《また》にいたるまでは銅 一〇六―一〇八
またその下はすべて精鐡なれどもたゞ右足のみは燒土にてしかも彼の直く立つ却つて多くこれによれり 一〇九―一一一
黄金《こがね》の外はいづこにも罅《さけめ》生じて涙したゝり、あつまりてかの窟《いはや》を穿ち 一一二―一一四
岩また岩を傳はりてこの溪に入り、アケロンテ、スティージェ、フレジェトンタとなり、その後この狹き溝によりて落ち 一一五―一一七
またくだるあたはざる處にいたりてそこにコチートと成る、この池の何なるやは汝見るべし、この故にこゝに語らず 一一八―一二〇
我彼に、若しこの細流かくわが世より出でなば何故にこの縁《へり》にのみあらはるゝや 一二一―一二三
彼我に、汝此處のまろきを知る、汝の來る遠しといへども常に左に向ひて底にくだるが故に 一二四―一二六
未だあまねく獄をめぐらず、されば新しきもの我等にあらはるとも何ぞあやしみを汝の顏に見するに足らむ 一二七―一二九
我また、師よ、フレジェトンタとレーテはいづこにありや、汝|默《もだ》してその一のことをいはず、また一は此雨より成るといへり 一三〇―一三二
彼答へて曰ひけるは、汝問ふところの事みなよくわが心に適ふ、されど、煮ゆる紅《くれなゐ》の水はよく汝の問の一に答へん 一三三―一三五
レーテは汝見るをうべし、されどこの濠《ほり》の外《そと》、罪悔によりて除かれし時魂等己を洗はんとて行く處にあり 一三六―一三八
又曰ひけるは、いまは森を離るべき時なり、汝我に從へ、燃えざる縁《ふち》路を造り 一三九―一四一
一切の炎その上に消ゆ 一四二―一四四
第十五曲
堅き縁《ふち》の一は今我等を負《お》ひゆけり、小川の烟はおほひかゝりて水と堤とを火より救へり 一―三
グイッツァンテとブルッジアの間なるフィアンドラ人《びと》こなたに寄せくる潮《うしほ》を恐れ海を走らしめんため水際《みぎは》をかため 四―六
またはブレンタの邊《ほとり》なるパードヴァ人キアレンターナの熱に觸れざる間にその邑《まち》その城を護らんためまたしかするごとく 七―九
この堤は築かれき、たゞ築けるもの(誰にてもあれ)之をかく高くかく厚くなさゞりしのみ 一〇―一二
我等既に林を離るゝこと遠くわれ後《うしろ》を顧みれどもそのいづこにあるやを見るをえざりしころ 一三―一五
我等は堤に沿ひて來れる一群《ひとむれ》の魂にいであへり、さながら夕間暮れ新月《にひづき》のもとに人の人を見る如く 一六―
彼等みな我等を見、また老いたる縫物師《ぬひものし》の針眼《はりのめ》にむかふごとく目を鋭くして我等にむかへり ―二一
かゝる族《やから》にかくうちまもられ我はそのひとりにさとられき、彼わが裾をとらへ叫びて何等の不思議ぞといふ 二二―二四
彼その腕《かひな》を我にむかひてのべし時、われ目を燒けし姿にとむるに、顏のたゞれもなほわが智《さとり》を妨げて 二五―
彼を忘れしむるにはたらざりき、われわが顏を彼の顏のあたりに低れて、セル・ブルネットよ、こゝにゐ給ふやと答ふ ―三〇
彼、わが子よ、ねがはくはブルネット・ラティーニしばらく汝と共にあとにかへりてこの群《むれ》をさきに行かしめん 三一―三三
我彼にいふ、これわが最も希ふところなり、汝またわが汝と共に坐《すわ》らん事を願ひその事彼の心に適はゞしかすべし、我彼と共に行けばなり 三四―三六
彼曰ふ、あゝ子よ、この群の中|縱《たと》ひ束の間なりとも止まる者あればその者そののち身を横たゆる百年《もゝとせ》に及び火これを撃つとも扇ぐによしなし 三七―三九
されば行け、我は汝の衣につきてゆき、永劫の罰を歎きつゝゆくわが伴侶《なかま》にほどへて再び加はるべし 四〇―四二
我は路をくだり彼とならびてゆくを得ず、たゞうや/\しく歩む人の如くたえずわが頭《かうべ》を低れぬ 四三―四五
彼曰ふ、終焉《をはり》の日未だ至らざるに汝をこゝに導くは何の運何の定《ぢやう》ぞや、また道を教ふるこの者は誰ぞや 四六―四八
我答へて彼に曰ふ、明《あか》き上の世に、わが齡未だ滿たざるに、我一の溪の中に迷へり 四九―五一
わが背《そびら》を之にむけしはたゞ昨日《きのふ》の朝の事なり、この者かしこに戻らんとする我にあらはれ、かくてこの路により我を導いて我家《わがや》に歸らしむ 五二―五四
彼我に、美しき世にてわが量れること違はずば汝おのが星に從はんに榮光の湊を失ふあたはず 五五―五七
またわが死かく早からざりせば天かく汝に福《さいはひ》するをみて我は汝の爲すところをはげませしなるべし 五八―六〇
されど古《いにしへ》、フィエソレを下りいまなほ山と岩とを含める恩を忘れしさがなき人々 六一―六三
汝の善き行ひの爲に却つて汝の仇とならむ、是亦宜なり、そは酸きソルボに混《まじ》りて甘き無花果の實を結ぶは適《ふさ》はしき事に非ざればなり 六四―六六
彼等は世の古き名によりて盲《めしひ》と呼ばる、貪り嫉み傲《たかぶり》の民なり、汝自ら清くしてその習俗《ならひ》に染むなかれ 六七―六九
汝の命運大いなる譽を汝のために備ふるにより彼黨此黨いづれも飢ゑて汝を求めむ、されど草は山羊より遠かるべし 七〇―七二
フィエソレの獸等に己をその敷藁《しきわら》となさせ、若し草木のなほその糞《ふん》の中より出づるあらばこれに觸れしむるなかれ 七三―七五
この處かく大いなる邪惡の巣となりし時こゝに殘れるローマ人《びと》の聖き裔《すゑ》これによりて再び生くべし 七六―七八
我答へて彼に曰ふ、若しわが願ひ凡て成るをえたらんには汝は未だ人の象《かたち》より逐はるゝことなかりしものを 七九―八一
そは世にありて我にしば/\人不朽に入るの道を教へたまひし當時の慕はしき善きあたゝかきおも影はわが記憶を離るゝことなく 八二―
今わが胸にせまればなり、われこの教へを徳とするいかばかりぞや、こは生ある間わが語ることによりてあきらかなるべし ―八七
わが行末に關《かゝ》はりて汝の我に告ぐる所は我之を録《しる》し他《ほか》の文字と共に殘し置くべし、かくして淑女のわがそのもとにいたるに及びて 八八―
知りて義を示すを待たん、願はくは汝この一事を知るべし、曰く、わが心だに我を責めずば、我はいかなる命運をも恐れじ ―九三
かゝる契約はわが耳に新しき事に非ざるなり、この故に命運は己が好むがまゝに其輪を轉らし農夫は鋤をめぐらすべし 九四―九六
この時我師右の方《かた》より後《うしろ》にむかひ我を見て、善く聽く者心をとむといふ 九七―九九
かゝる間も我はたえずセル・ブルネットとかたりてすゝみ、その同囚《なかま》の中いと秀でいと貴き者の誰なるやを問へり 一〇〇―一〇二
彼我に、知りて善き者あり、されど他《ほか》はいはざるを善しとす、これ言《ことば》多くして時足らざればなり 一〇三―一〇五
たゞ知るべし、彼等は皆僧と大いなる名ある大いなる學者の同じ一の罪によりて世に穢れし者なりき 一〇六―一〇八
プリシアンかの幸なき群にまじりて歩めり、フランチェスコ・ダッコルソ亦然り、また汝深き願ひをかゝる瘡《かさ》によせしならんには 一〇九―一一一
僕《しもべ》の僕によりてアルノよりバッキリオーネに遷され、惡の爲に竭せる身をかしこに殘せる者を見たりしなるべし 一一二―一一四
その外なほ擧ぐべき者あれど行くも語るもこの上にはいで難し、かしこに砂原より立登る新しき烟みゆ 一一五―一一七
こはわが共にあることをえざる民來れるなり、我わがテゾーロによりて生く、ねがはくは之を汝に薦めん、また他を請はず 一一八―一二〇
かくいひて身をめぐらし、あたかも緑の衣をえんとてヴェロナの廣野《ひろの》を走るものゝ如く、またその中にても 一二一―一二三
負くる者ならで勝つ者の如くみえたりき 一二四―一二六
第十六曲
我は既に次の獄《ひとや》に落つる水の響きあたかも蜂窠《はちのす》の鳴る如く聞ゆるところにいたれるに 一―三
この時三《みつ》の魂ありてはしりつゝ、はげしき苛責の雨にうたれて過ぎゆく群を齊しくはなれ 四―六
我等の方にむかひて來り、各々叫びていひけるは、止まれ、衣によりてはかるに汝は我等の邪《よこしま》なる邑《まち》の者なるべし 七―九
あはれ彼等の身にみゆるは何等の傷ぞや、みな焔に燒かれしものにて新しきあり、古きあり、そのさま出づればいまなほ苦し 一〇―一二
我師彼等のよばゝる聲に心をとめ顏をわが方にむけていひけるは、待て、彼等は人の敬ひをうくべきものなり 一三―一五
さればもし處の性《さが》の火を射るなくば我は急《いそぎ》は彼等よりもかへつて汝にふさはしといふべし 一六―一八
我等止まれるに彼等は再び古歌をうたひ、斯くて我等に近づける時|三者《みたり》あひ寄りて一の輪をつくれり 一九―二一
裸なる身に膏《あぶら》うちぬり將に互に攻め撲たんとしてまづおさゆべき機會《すき》をうかゞふ勇士の如く 二二―二四
彼等もまためぐりつゝ各※[#二の字点、1-2-22]目を我にそゝぎ、頸はたえず足と異なる方にむかひて動けり 二五―二七
そのひとりいふ、この軟かき處の幸なさ、黯《くろず》み爛れし我等の姿、たとひ我等と我等の請ひとに侮りを招く事はありとも 二八―三〇
願はくは我等の名汝の意《こゝろ》を枉げ、生くる足にてかく安らかに地獄を擦《す》りゆく汝の誰なるやを我等に告げしめんことを 三一―三三
見らるゝ如く足跡を我に踏ましむるこのひとりは裸にて毛なしといへども汝の思ふよりは尚|際《きは》貴《たか》き者なりき 三四―三六
こは善きグアルドラーダの孫にて名をグイード・グエルラといひ、その世にあるや智と劒をもて多くの事をなしたりき 三七―三九
わが後《うしろ》に砂を踏みくだく者はその名上の世に稱《たゝ》へらるべきテッギアイオ・アルドブランディなり 四〇―四二
また彼等と共に十字架にかゝれる我はヤーコポ・ルスティクッチといへり、げに萬《よろづ》の物にまさりてわが猛き妻我に禍す 四三―四五
我若し火を避くるをえたりしならんには身を彼等の中に投げ入れしなるべく思ふに師もこれを許せるなるべし 四六―四八
されど焦され燒かるべき身なりしをもて、彼等を抱かんことを切《せち》に我に求めしめしわが善き願ひは恐れに負けたり 四九―五一
かくて我曰ひけるは、汝等の状態《さま》はわが衷《うら》に侮りにあらで大いなる俄に消え盡し難き憂ひを宿せり 五二―五四
こはこれなる我主の言《ことば》によりてわが汝等の如き民來るをしりしその時にはじまる 五五―五七
我は汝等の邑《まち》の者なり、常に心をとめて汝等の行《おこなひ》と美名《よきな》をかたり且つきけり 五八―六〇
我は膽《ゐ》を棄て眞《まこと》の導者の我に約束したまへる甘き實をえんとてゆくなり、されどまづ中心《たゞなか》までくだらではかなはじ 六一―六三
この時彼答ふらく、ねがはくは魂ながく汝の身をみちびき汝の名汝の後に輝かんことを 六四―六六
請ふ告げよ、文と武とは昔の如く我等の邑《まち》にとゞまるや、または廢れて跡なきや 六七―六九
そはグイリエールモ・ボルシエーレとて我等と共に苦しむ日淺くいまかなたに侶とゆく者その言《ことば》によりていたく我等を憂へしむ 七〇―七二
新《あらた》なる民|不意《おもはざる》の富は、フィオレンツァよ、自負と放逸を汝のうちに生み、汝は既に是に依りて泣くなり 七三―七五
われ顏を擧げて斯くよばゝれるに、かの三者《みたり》これをわが答と知りて互に面《おもて》を見あはせぬ、そのさま眞《まこと》を聞きて人のあひ見る如くなりき 七六―七八
皆答へて曰ひけるは、かく卑しき價をもていづれの日にかまた人の心をたらはすをえば、かく心のまゝに物言ふ汝は福《さいはひ》なるかな 七九―八一
此故に汝これらの暗き處を脱れ、再び美しき星を見んとて歸り、我かしこにありきと喜びていふをうる時 八二―八四
ねがはくは我等の事を人々に傳へよ、かくいひてのち輪をくづしてはせゆきぬ、その足|疾《と》きこと翼に似たりき 八五―八七
彼等は忽ち見えずなりにき、アーメンもかくはやくは唱へえざりしなるべし、されば師もまた去るをよしと見たまへり 八八―九〇
我彼に從ひて少しく進みゆきたるに、この時水音いと近く、たとひ我等語るとも聲聞ゆべくはあらざりき 九一―九三
モンテ・ヴェーゾの東にあたりアペンニノの左の裾より始めて己の路をわしり 九四―九六
その高處にありて未だ低地にくだらざる間アクアケータと呼ばれ、フォルリにいたればこの名を空しうする川の 九七―九九
たゞ一落《ひとおち》に落下りて千を容るべきサン・ベネデット・デル・アルペの上に轟く如く 一〇〇―一〇二
かの紅の水はほどなく耳をいたむるばかりに鳴渡りつゝ一の嶮しき岸をくだれり 一〇三―一〇五
我は身に一筋の紐を卷きゐたり、嘗てこれをもて皮に色ある豹をとらへんと思ひしことありき 一〇六―一〇八
われ導者の命に從ひてこと/″\くこれを解き、結び束《たば》ねて彼にわたせり 一〇九―一一一
彼乃ち右にむかひ、少しく縁《ふち》より離してこれをかの深き溪間に投入れぬ 一一二―一一四
我謂へらく、師斯く目を添へたまふ世の常ならぬ相圖には、應ふるものもまた必ず世の常ならぬものならむと 一一五―一一七
あゝたゞ行ひを見るのみならで、その智よく衷《うち》なる思ひをみる者と共にある人心を用ふべきこといかばかりぞや 一一八―一二〇
彼我に曰ふ、わが待つものたゞちに上《のぼ》り來るべし、汝心に夢みるものたゞちに汝にあらはるべし 一二一―一二三
夫れ僞《いつはり》の顏ある眞《まこと》については人つとめて口を噤むを善しとす、これ己に咎なくしてしかも恥を招けばなり 一二四―一二六
されど我今默し難し、讀者よ、この喜劇《コメディア》の詞によりて(願はくは世の覺《おぼえ》ながく盡きざれ)誓ひていはむ 一二七―一二九
我は濃き暗き空氣の中にいかなる堅き心にもあやしとなすべき一の象《かたち》の泳ぎつゝ浮び來るを見たり 一三〇―一三二
そのさまたとへば岩または海にかくるゝほかの物よりこれを攫める錨を拔かんとをりふしくだりゆく人の 一三三―一三五
身を上にひらき足は窄《すぼ》めて歸る如くなりきと 一三六―一三八
第十七曲
尖れる尾をもち山を越え垣と武器《うちもの》を毀つ獸を見よ、全世界を穢すものを見よ 一―三
わが導者かく我にいひ、さて彼に示して踏來れる石の端《はし》近く岸につかしむ 四―六
この時|汚《きたな》き欺罔《たばかり》の像《かたち》浮び上りて頭と體《からだ》を地にもたせたり、されど尾を岸に曳くことなかりき 七―九
その顏は義しき人の顏にて一重の皮に仁慈《いつくしみ》をみせ、身はすべて蛇なりき 一〇―一二
二の足には毛ありて腋下に及び、背胸《せむね》また左右の脇には蹄係《わな》と小楯と畫かれぬ 一三―一五
タルターロ人《びと》またはトルコ人の作れる布《きぬ》の浮織《うきおり》の裏文表文《うらあやおてあや》にだにかく多くの色あるはなく、アラーニエの機《はた》にだに 一六―
かゝる織物かけられしことなし、たとへばをりふし岸の小舟の半《なかば》水に半|陸《くが》にある如く、または食飮《くひのみ》しげきドイツ人《びと》のあたりに
海狸戰ひを求めて身を構ふる如く、いとあしきこの獸は砂を圍める石の縁《ふち》にとゞまりぬ ―二四
蠍《さそり》の如く尖《さき》を固めし有毒《うどく》の叉《また》を卷き上げて尾はこと/″\く虚空に震へり 二五―二七
導者曰ふ、いざすこしく路を折れてかしこに伏せるあしき獸にいたらむ 二八―三〇
我等すなはち右にくだり、砂と炎を善く避けんため端《はし》をゆくこと十歩にしてやがて 三一―三三
かしこにいたれる時、我はすこしくさきにあたりて空處に近く砂上に坐せる民を見き 三四―三六
師こゝに我にいひけるは、汝この圓の知識をのこりなく携ふるをえんためゆきて彼等の状態《ありさま》をみよ 三七―三九
彼等とながくものいふなかれ、我はこれと汝の歸る時までかたりてその強き肩を我等に貸さしむべし 四〇―四二
斯くて我はたゞひとりさらに第七の獄《ひとや》の極端《いやはし》をあゆみて悲しみの民坐したるところにいたれり 四三―四五
彼等の憂ひは目より湧き出づ、彼等は手をもてかなたにこなたに或ひは火氣或ひは焦土を拂へり 四六―四八
夏の日、蚤、蠅または虻に刺さるゝ犬の忽ち口忽ち足を用ふるも、そのさまこれと異なることなし 四九―五一
われ目を數ある顏にそゝぎて苦患《なやみ》の火を被むる者をみしもそのひとりだに識れるはなく 五二―
たゞ彼等各※[#二の字点、1-2-22]色も徽號《しるし》もとり/″\なる一の嚢《ふくろ》を頸に懸けまたこれによりてその目を養ふに似たるを認めき ―五七
我はうちまもりつゝ彼等のなかをゆき、一の黄なる嚢の上に獅子の面《かほ》と姿態《みぶり》とをあらはせる空色《そらいろ》をみき 五八―六〇
かくてわが目のなほ進みゆきし時、我は血の如く赤き一の嚢の、牛酪よりも白き鵞鳥を示せるをみき 六一―六三
こゝにひとり白き小袋に空色の孕める豚を徽號《しるし》とせる者我にいひけるは、汝この濠《ほり》の中に何を爲すや 六四―六六
いざ去れ、しかして汝猶生くるがゆゑに知るべし、わが隣人《となりびと》ヴィターリアーノこゝにわが左にすわらむ 六七―六九
これらフィレンツェ人《びと》のなかにありて我はパードヴァの者なり、彼等叫びて三の嘴の嚢をもて世にまれなる武夫《ますらを》來れといひ 七〇―
わが耳を擘《つんざ》くこと多し、かく語りて口を歪めあたかも鼻を舐《ねぶ》る牡牛の如くその舌を吐けり ―七五
我はなほ止まりて我にしかするなかれと誡めしものゝ心を損はんことをおそれ、弱れる魂等を離れて歸れり 七六―七八
かくて既に猛き獸の後《しり》に乘りたるわが導者にいたれるに、彼我に曰ひけるは、いざ心を強くしかたくせよ 七九―八一
この後我等かゝる段《きだ》によりてくだる、汝は前に乘るべし、尾の害をなすなからんためわれ間にあるを願へばなり 八二―八四
瘧をわづらふ人、惡寒《さむけ》を覺ゆる時迫れば、爪既に死色を帶び、たゞ日蔭を見るのみにてもその身震ひわなゝくことあり 八五―八七
我この言《ことば》を聞けるときまた斯くの如くなりき、されど彼の戒めは我に恥を知らしめき、善き主の前には僕強きもまたこの類《たぐひ》なるべし 八八―九〇
我はかの太《ふと》く醜《みにく》き肩の上に坐せり、ねがはくは我を抱きたまへといはんと思ひしかどもおもふ如くに聲出でざりき 九一―九三
されど危きに臨みてさきにも我を助けし者、わが乘るや直ちにその腕《かひな》をもて我をかかへ我をさゝへ 九四―
いひけるは、いざゆけジェーリオン、輪を大きくし降りをゆるくせよ、背にめづらしき荷あるをおもへ ―九九
たとへば小舟岸をいでゝあとへ/\とゆくごとく彼もこの處を離れ、己が身全く自由なるをしるにいたりて 一〇〇―一〇二
はじめ胸を置ける處にその尾をめぐらし、これをひらきて動かすこと鰻の如く、また足をもて風をその身にあつめき 一〇三―一〇五
思ふにフェートンがその手綱を棄てし時(天これによりて今も見ゆるごとく焦《こが》れぬ)または幸なきイカーロが 一〇六―
蝋熱をうけし爲め翼腰をはなるゝを覺え、善からぬ路にむかふよと父よばゝれる時の恐れといへども
身は四方大氣につゝまれ萬象消えてたゞかの獸のみあるを見し時のわが恐れにはまさらじ ―一一四
いとゆるやかに泳ぎつゝ彼進み、めぐりまたくだれり、されど顏にあたり下より來る風によらでは我之を知るをえざりき 一一五―一一七
我は既に右にあたりて我等の下に淵の恐るべき響きを成すを聞きしかば、すなはち目を低れて項《うなじ》をのぶるに 一一八―一二〇
火見え歎きの聲きこえ、この斷崖《きりぎし》のさまいよ/\おそろしく、我はわなゝきつゝかたく我身をひきしめき 一二一―一二三
我またこの時四方より近づく多くの大いなる禍ひによりてわがさきに見ざりし降下《くだり》と廻轉《めぐり》とを見たり 一二四―一二六
ながく翼を驅りてしかも呼ばれず鳥も見ず、あゝ汝下るよと鷹匠《たかづかひ》にいはるゝ鷹の 一二七―一二九
さきにいさみて舞ひたてるところに今は疲れて百《もゝ》の輪をゑがいてくだり、その飼主を遠く離れ、あなどりいかりて身をおくごとく 一三〇―一三二
ジェーリオネは我等を削れる岩の下《もと》なる底におき、荷なるふたりをおろしをはれば 一三三―一三五
弦《つる》をはなるゝ矢の如く消えぬ 一三六―一三八
第十八曲
地獄にマーレボルジェといふところあり、その周圍《まはり》を卷く圈の如くすべて石より成りてその色鐡に似たり 一―三
この魔性の廣野《ひろの》の正中《たゞなか》にはいと大いなるいと深き一の坎《あな》ありて口をひらけり、その構造《なりたち》をばわれその處にいたりていはむ 四―六
されど坎と高き堅き岸の下《もと》との間に殘る處は圓くその底十の溪にわかたる 七―九
これ等の溪はその形たとへば石垣を護らんため城を繞りていと多くの濠ある處のさまに似たり 一〇―一二
またかゝる要害には閾より外濠《そとぼり》の岸にいたるまで多くの小さき橋あるごとく 一三―一五
數ある石橋《いしばし》岩根より出で、堤《つゝみ》と濠をよこぎりて坎にいたれば、坎はこれを斷ちこれを集めぬ 一六―一八
ジェーリオンの背より拂はれし時我等はこの處にありき、詩人左にむかひてゆき我はその後《うしろ》を歩めり 一九―二一
右を見れば新《あらた》なる憂ひ、新なる苛責、新なる撻者《うちて》第一の嚢《ボルジヤ》に滿てり 二二―二四
底には裸なる罪人等ありき、中央《なかば》よりこなたなるは我等にむかひて來り、かなたなるは我等と同じ方向《むき》にゆけどもその足はやし 二五―二七
さながらジュビレーオの年、群集《ぐんじゆ》大いなるによりてローマ人《びと》等民の爲に橋を渡るの手段《てだて》をまうけ 二八―三〇
片側《かたがは》なるはみな顏を城《カステルロ》にむけてサント・ピエートロにゆき、片側なるは山にむかひて行くごとくなりき 三一―三三
黯《くろず》める岩の上には、かなたこなたに角ある鬼の大なる鞭を持つありてあら/\しく彼等を後《うしろ》より打てり 三四―三六
あはれ始めの一撃《ひとうち》にて踵《くびす》を擧げし彼等の姿よ、二撃《ふたうち》三撃《みうち》を待つ者はげにひとりだにあらざりき 三七―三九
さて歩みゆく間、ひとりわが目にとまれるものありき、我はたゞちに我嘗て彼を見しことなきにあらずといひ 四〇―四二
すなはち定かに認《したゝ》めんとて足をとむれば、やさしき導者もともに止まり、わが少しく後《あと》に戻るを肯ひたまへり 四三―四五
この時かの策《むちう》たるゝもの顏を垂れて己を匿さんとせしかども及ばず、我曰ひけるは、目を地に投ぐる者よ 四六―四八
その姿に詐りなくば汝はヴェネディーコ・カッチヤネミーコなり、汝を導いてこの辛《から》きサルセに下せるものは何ぞや 四九―五一
彼我に、語るも本意《ほい》なし、されど明かなる汝の言《ことば》我に昔の世をしのばしめ我を強ふ 五二―五四
我は侯《マルケーゼ》の心に從はしめんとてギソラベルラをいざなひし者なりき(この不徳の物語いかに世に傳へらるとも) 五五―五七
さてまたこゝに歎くボローニア人《びと》は我身のみかは、彼等この處に滿つれば、今サヴェーナとレーノの間に 五八―六〇
シパといひならふ舌もなほその數これに及びがたし、若しこの事の徴《しるし》、證《あかし》をほしと思はゞたゞ慾深き我等の胸を思ひいづべし 六一―六三
かく語れる時一の鬼その鞭をあげてこれを打ちいひけるは、去れ判人《ぜげん》、こゝには騙《たら》すべき女なし 六四―六六
我わが導者にともなへり、かくて數歩にして我等は一の石橋の岸より出でし處にいたり 六七―六九
いとやすく之に上《のぼ》りて破岩をわたり右にむかひ此等の永久《とこしへ》の圈を離れき 七〇―七二
橋下空しくひらけて打たるゝ者に路をえさするところにいたれば、導者曰ひけるは、止まれ 七三―七五
しかしてこなたなる幸なく世に出でし者の面《おもて》を汝にむけしめよ、彼等は我等と方向《むき》を等しうせるをもて汝未だ顏を見ず 七六―七八
我等古き橋より見しに片側《かたがは》を歩みて我等のかたに來れる群ありてまたおなじく鞭に逐はれき 七九―八一
善き師問はざるに我に曰ひけるは、かの大いなる者の來るを見よ、いかに苦しむとも彼は涙を流さじとみゆ 八二―八四
あゝいかなる王者の姿ぞやいまなほ彼に殘れるは、彼はヤーソンとて智と勇とによりてコルコ人《びと》より牡羊を奪へる者なり 八五―八七
レンノの島の膽太《きもふと》き慈悲なき女等すべての男を殺し盡せし事ありし後、彼かしこを過ぎ 八八―九〇
さきに島人を欺きたりし處女《おとめ》イシフィーレを智と甘《あま》きことばをもてあざむき 九一―九三
その孕むにおよびてひとりこれをこゝに棄てたり、この罪彼を責めてこの苦をうけしめ、メデーアの怨みまた報いらる 九四―九六
すべて斯の如く欺く者皆彼と共にゆくなり、さて第一の溪とその牙に罹るものをしる事之をもて我等足れりとなさん 九七―九九
我等は此時細路第二の堤と交叉し之を次の弓門《アルコ》の橋脚《はしぐひ》となせるところにいたれるに 一〇〇―一〇二
次の嚢《ボルジヤ》の民の呻吟《うめ》く聲、あらき氣息《いき》、また掌《たなごゝろ》にて身をうつ音きこえぬ 一〇三―一〇五
たちのぼる惡氣岸に粘《つ》き、黴《かび》となりてこれをおほひ、目を攻めまた鼻を攻む 一〇六―一〇八
底は深く窪みたれば石橋のいと高き處なる弓門《アルコ》の頂に登らではいづこにゆくもわきがたし 一〇九―一一一
我等すなはちこゝにいたりて見下《みおろ》せるに、濠の中には民ありて糞《ふん》に浸《ひた》れり、こは人の厠より流れしものゝごとくなりき 一一二―一一四
われ目をもてかなたをうかゞふ間、そのひとり頭いたく糞によごれて緇素を判《わか》ち難きものを見き 一一五―一一七
彼我を責めて曰ひけるは、汝何ぞ穢れし我|侶《とも》を措きて我をのみかく貪り見るや、我彼に、他に非ずわが記憶に誤りなくば 一一八―一二〇
我は汝を髮乾ける日に見しことあり、汝はルッカのアレッショ・インテルミネイなり、この故にわれ特《こと》に目を汝にとゞむ 一二一―一二三
この時|頂《いたゞき》を打ちて彼、我をかく深く沈めしものは諂《へつらひ》なりき、わが舌これに飽きしことなければなり 一二四―一二六
こゝに導者我に曰ひけるは、さらに少しく前を望み、身穢れ髮亂れかしこに不淨の爪もて 一二七―一二九
おのが身を掻《か》きたちまちうづくまりたちまち立ついやしき女の顏を見よ 一三〇―一三二
これ遊女《あそびめ》タイデなり、いたく心に適《かな》へりやと問へる馴染《なじみ》の客に答へて、げにあやしくとこそといへるはかれなりき 一三三―一三五
さて我等の目これをもて足れりとすべし 一三六―一三八
第十九曲
あゝシモン・マーゴよ、幸なき從者《ずさ》等よ、汝等は貪りて金銀のために、徳の新婦《はなよめ》となるべき 一―三
神の物を穢れしむ、今|喇叭《らつぱ》は汝等のために吹かるべし、汝等第三の嚢《ボルジヤ》にあればなり 四―六
我等はこの時石橋の次の頂《いたゞき》まさしく濠の眞中《まなか》にあたれるところに登れり 七―九
あゝ比類《たぐひ》なき智慧よ、天に地にまた禍ひの世に示す汝の技《わざ》は大いなるかな、汝の權威《ちから》の頒《わか》ち與ふるさまは公平なるかな 一〇―一二
こゝに我見しに側《かは》にも底にも黒める石一面に穴ありて大きさ皆同じくかついづれも圓《まろ》かりき 一三―一五
思ふにこれらは授洗者《じゆせんじや》の場所としてわが美しき聖ジョヴァンニの中に造られしもの(未だ幾年《いくとせ》ならぬさき我その一を碎けることあり 一六―一八
こはこの中にて息絶えんとせし者ありし爲なりき、さればこの言《ことば》證《あかし》となりて人の誤りを解け)より狹くも大きくもあらざりしなるべし 一九―二一
いづれの穴の口よりも、ひとりの罪ある者の足およびその脛腓《はぎこむら》まであらはれ、ほかはみな内にあり 二二―二四
二の蹠《あしうら》火に燃えて關節《つがひめ》これがために震ひ動き、そのはげしさは綱《つな》をも組緒《くみを》をも斷切るばかりなりき 二五―二七
油ひきたる物燃ゆれば炎はたゞその表面《おもて》をのみ駛するを常とす、かの踵《くびす》より尖《さき》にいたるまでまた斯くの如くなりき 二八―三〇
我曰ふ、師よ、同囚《なかま》の誰よりも劇しく振り動かして怒りをあらはし猛き炎に舐《ねぶ》らるる者は誰ぞや 三一―三三
彼我に、わが汝をいだいて岸の低きをくだるを願はゞ汝は彼によりて彼と彼の罪とを知るをうべし 三四―三六
我、汝の好むところみな我に好《よ》し、汝は主なり、わが汝の意《こゝろ》に違ふなきを知り、またわが默《もだ》して言はざるものを知る 三七―三九
かくて我等は第四の堤にゆき、折れて左にくだり、穴多き狹き底にいたれり 四〇―四二
善き師は我をかの脛《はぎ》にて歎けるものゝ罅裂《われめ》あるところに着かしむるまでその腰よりおろすことなかりき 四三―四五
我曰ふ、悲しめる魂よ、杙《くひ》の如く插されて逆《さか》さなる者よ、汝誰なりとももしかなはば言《ことば》を出《いだ》せ 四六―四八
我はあたかも埋《いけ》られて後なほ死を延べんとおもへる不義の刺客に呼戻されその懺悔をきく僧の如くたちゐたり 四九―五一
この時彼叫びていひけるは、汝既にこゝに立つや、ボニファーチョよ、汝既にこゝに立つや、書《ふみ》は僞りて數年を違へぬ 五二―五四
斯く早くもかの財寶《たから》に飽けるか、汝はそのため欺いて美しき淑女をとらへ後|虐《しひた》ぐるをさへ恐れざりしを 五五―五七
我はさながら答をきゝてさとりえずたゞ嘲りをうけし如く立ちてさらに應《こた》ふるすべを知らざる人のさまに似たりき 五八―六〇
この時ヴィルジリオいひけるは、速かに彼に告げて我は汝の思へる者にあらず汝の思へる者にあらずといへ、我乃ち命ぜられし如く答へぬ 六一―六三
是に於て魂足をこと/″\く搖《ゆる》がせ、さて歎きつゝ聲憂はしく我にいふ、さらば我に何を求むるや 六四―六六
もしわが誰なるを知るをねがふあまりに汝此岸を下れるならば知るべし、我は身に大いなる法衣《ころも》をつけし者なりしを 六七―六九
まことに我は牝熊《めぐま》の仔なりき、わが上《うえ》には財寶《たから》をこゝには己を嚢《ふくろ》に入るゝに至れるもたゞひたすら熊の仔等の榮《さかえ》を希へるによりてなり 七〇―七二
我頭の下には我よりさきにシモニアを行ひ、ひきいれられて石のさけめにかくるゝ者多し 七三―七五
わがゆくりなく問をおこせる時汝とおもひたがへたるもの來るにいたらば、我もかしこに落行かむ 七六―七八
されどわがかく足を燒き逆《さかさ》にて經し間の長さは、彼が足を赤くし插されて經ぬべき時にまされり 七九―八一
これその後《あと》に西の方より法《おきて》を無みしいよ/\醜き行ひありて彼と我とを蔽ふに足るべきひとりの牧者來ればなり 八二―八四
彼はマッカベエイの書《ふみ》のうちなるヤーソンの第二とならむ、また王これに甘《あま》かりし如くフランスを治むるもの彼に甘かるべし 八五―八七
我はこの時わがたゞかゝる歌をもて彼に答へし事のあまりに愚なるわざなりしや否やを知らず、曰く、あゝいま我に告げよ 八八―九〇
我等の主|鑰《かぎ》を聖ピエートロに委ぬるにあたりて幾許《いくばく》の財寶《たから》を彼に求めしや、げにその求めしものは我に從へ[#「我に從へ」に白丸傍点]の外あらざりき 九一―九三
また罪ある魂の失へる場所を補はんとて鬮《くじ》にてマッティアを選べる時、ピエルもほかの弟子達《でしたち》も彼より金銀をうけざりき 九四―九六
此故にこゝにとゞまれ、罰をうくるは宜《うべ》なればなり、かくして汝にカルロを侮らしめし不義の財貨《たから》をかたくまもれ 九七―九九
若し喜びの世にて汝が手にせし比類《たぐひ》なき鑰の敬《うやまひ》いまなほ我を控《ひか》ゆるなくば 一〇〇―一〇二
これより烈《はげ》しき言《ことば》をこそもちゐめ、汝等の貪りは世界に殃《わざはひ》し善《よき》を踏みしき悖《もと》れるを擧ぐ 一〇三―一〇五
女水の上に坐し淫を諸王に鬻ぐを見し時、かの聖傳を編める者汝等牧者を思へるなり 一〇六―一〇八
すなはち生れて七の頭あり、その夫の徳を慕ふ間十の角《つの》よりその證《あかし》をうけし女なり 一〇九―一一一
汝等は己の爲に金銀の神を造れり、汝等と偶像に事ふるものゝ異なる處いづこにかある、彼等一を拜し汝等百を拜す、これのみ 一一二―一一四
あゝコスタンティーンよ、汝の歸依ならず、最初の富める父が汝よりうけしその施物《せもつ》はそもいかなる禍ひの母となりたる 一一五―一一七
我この歌をうたへる間、彼は怒りに刺されしか或ひは恥に刺されしか、はげしく二の蹠《あしうら》を搖《ゆ》れり 一一八―一二〇
思ふにこの事必ずわが導者の意をえたりしなるべし、かれ氣色《けしき》いとうるはしくたえず耳をわがのべし眞《まこと》の言に傾けき 一二一―一二三
かくて雙腕《もろかひな》をもて我を抱き、我を全くその胸に載せ、さきにくだれる路をのぼれり 一二四―一二六
またかく抱きて疲るゝことなく、第四の堤より第五の堤に通ふ弓門《アルコ》の頂《いたゞき》まで我を載せ行き 一二七―一二九
石橋粗く嶮しくして山羊《やぎ》さへたやすく過ぐべきならねば、しづかにこゝにその荷をおろせり 一三〇―一三二
さてこゝよりみゆるは次の大いなる溪なりき 一三三―一三五
第二十曲
新《あらた》なる刑罰を詩に編《あ》み、これを第一の歌沈める者の歌のうちなる曲《カント》第二十の材となすべき時は至れり 一―三
こゝにわれよく心をとめて望み見しに、くるしみの涙を浴《あ》びし底あらはれ 四―六
まろき大溪《おほたに》に沿ひて來れる民泣いて物言はず、足のはこびはこの世の祈祷《いのり》の行列に似たりき 七―九
わが目なほひくゝ垂れて彼等におよべば、頤《おとがひ》と胸との間みな奇《く》しくゆがみて見ゆ 一〇―一二
すなはち顏は背《うしろ》にむかひ、彼等前を望むあたはで、たゞ後方《うしろ》に行くあるのみ 一三―一五
げに人|中風《ちゆうぶ》のわざによりてかく全くゆがむにいたれることもあるべし、されど我未だかゝることをみず、またありとも思ひがたし 一六―一八
讀者よ(願はくは神汝に讀みて實《み》を摘むことをえしめよ)、請ふ今自ら思へ、目の涙|背筋《せすぢ》をつたひて 一九―二一
臂《ゐさらひ》を洗ふばかりにいたくゆがめる我等の像《かたち》をしたしく見、我何ぞ顏を濡らさゞるをえん 二二―二四
我はげに堅き石橋の岩の一に凭《もた》れて泣けり、導者すなはち我に曰ふ、汝なほ愚者に等しきや 二五―二七
夫れこゝにては慈悲全く死してはじめて敬虔生く、神の審判《さばき》にむかひて憐みを起す者あらばこれより大いなる罪人あらんや 二八―三〇
首《かうべ》をあげよ、あげてかの者を見よ、テーベ人《びと》の目の前にて地そのためにひらけしはこれなり、この時人々皆叫びて、アンフィアラーオよ 三一―三三
何處《いづこ》におちいるや何ぞ軍《いくさ》を避くるやとよべるもおちいりて止まるひまなく、遂に萬民をとらふるミノスにいたれり 三四―三六
見よ彼は背を胸に代ふ、あまりに前《さき》をのみ見んことをねがへるによりていま後《あと》を見|後方《うしろ》にゆくなり 三七―三九
ティレージアを見よ、こは體《からだ》すべて變りて男より女となり、その姿あらたまるにいたれるものなり 四〇―四二
この事ありて後、再び雄々しき羽をうるため、彼まづ杖をもて二匹の縺《もつ》れあへる蛇をふたゝび打たざるをえざりき 四三―四五
背を彼の腹に向くるはアロンタなり、ルーニ山の中、その下に住むカルラーラ人の耕すところに 四六―四八
白き大理石のうちなる洞《ほら》を住居《すまゐ》とし、こゝより星と海とを心のまゝに見るをえき 四九―五一
みだれし髪をもて汝の見ざる乳房《ちぶさ》をおほひ、毛ある肌《はだへ》をみなかなたにむけしは 五二―五四
マントといへり、多くの國々をたづねめぐりて後わが生れし處にとどまりき、されば請ふ少しくわがこゝに陳《の》ぶることを聞け 五五―五七
その父世を逝《さ》りバーコの都|奴婢《はしため》となるにおよびてかれはひさしく世にさすらへり 五八―六〇
上《うへ》なる美しきイタリアの中、ティラルリに垂れて獨逸《ラーマニア》を閉すアルペの裾に一湖あり、ベナーコと名づく 六一―六三
ガルダとヴァル・カーモニカの間にはおもふに千餘の泉あるべし、その水みなアペンニノを洗ひてこの湖に湛ふ 六四―六六
湖の中央に一の處あり、トレント、ブレシヤ、ヴェロナの牧者等若しこの路を取ることあらば各※[#二の字点、1-2-22]こゝに祝福を與ふるをえん 六七―六九
美しき堅き城ペスキエーラはブレシヤ人ベルガーモ人を防がんとてまはりの岸のいと低き處にあり 七〇―七二
ベナーコの懷《ふところ》にあまるものみな必ずこゝに落ち、川となりて緑の牧場をくだる 七三―七五
この水流れはじむればベナーコと呼ばれず、ゴヴェルノにいたりてポーに入るまでミンチョとよばる 七六―七八
未だ遠く進まざるまにとある窪地《くぼち》をえて中にひろがり沼となり、夏はしば/\患ひを釀す恐れあり 七九―八一
さてこの處を過ぐとてかの猛き處女《をとめ》沼の中央に不毛無人の地あるを見 八二―八四
すべて世の交際《まじらひ》を避けおのが術《わざ》を行はんためその僕等と共にとゞまりてこゝに住みこゝにその骸《むくろ》を殘せり 八五―八七
この後あたりに散りゐたる人々みなこの處にあつまれり、これ四方に沼ありてその固《かため》強かりければなり 八八―九〇
彼等町を枯骨の上に建て、はじめてこの處をえらべるものに因《ちな》み、占《うら》によらずして之をマンツアと呼べり 九一―九三
カサロディの愚未だピナモンテの欺くところとならざりし頃は、この中なる民なほ多かりき 九四―九六
されど我汝を戒む、たとひ是と異なるわが邑《まち》の由來を聞くことありとも、汝|僞《いつはり》をもて眞《まこと》となすなかれ 九七―九九
我、師よ、汝の陳ぶること我にあきらかに、善くわが信をえたり、さればいかなる異説出づとも我には消えし炭に過ぎじ 一〇〇―一〇二
されど我に告げよ、汝は歩みゆく民の中に心をとむべきものを見ずや、そはわが思ひたゞこの事にのみむかへばなり 一〇三―一〇五
この時彼我に曰ふ、髯を頬より黯《くろず》める肩に垂るゝものはギリシアに男子なく 一〇六―一〇八
搖籃滿つるにいたらざりし頃の卜者にて、カルカンタと共にアウリーデに最初の纜《ともづな》解かるべき時を卜せり 一〇九―一一一
彼名をエウリピロといひき、わが高き悲曲の調《しらべ》はいづこにか彼をかく歌へることあり、汝この詩を知り盡せばまたよくこの事を知らん 一一二―一一四
雙脇《もろわき》いたく痩せたるはミケーレ・スコットといひ、惑はし欺く無益《むやく》の術《わざ》にまことに長けし者なりき 一一五―一一七
見よグイード・ボナッティを、見よアスデンテを(彼革と絲とに心をむけし事を願ひ今悔ゆれどもおそし) 一一八―一二〇
針、杼《ひ》、紡錘《つむ》を棄てゝ卜者となりし幸なき女等を見よ、彼等は草と偶人《ひとがた》をもてその妖術を行へり 一二一―一二三
されどいざ來れ、カイーノと茨《いばら》は既に兩半球の境を占め、ソビリアのかなたの波に觸る 一二四―一二六
昨夜既に月は圓かりき、こは低き林の中にてしば/\汝に益をえさせしものなれば汝いかでか忘るべき 一二七―一二九
かく彼我に語り、語る間も我等は歩めり 一三〇―一三二
第二十一曲
このほかわが喜曲《コメディア》の歌ふを好まざる事どもかたりつゝ、かく橋より橋にゆき、頂《いたゞき》にいたるにおよびて 一―三
我等はマーレボルジェなる次の罅裂《われめ》と次の空しき歎きを見んとてとゞまれり、我見しにこの處あやしく暗かりき 四―六
たとへば冬の日ヴェネーツィア人の船廠《アールセーナ》に、健《すこや》かならぬ船を塗替へんとて、粘《ねば》き脂《やに》煮ゆるごとく 七―九
(こは彼等海に浮ぶをえざるによる、すなはち之に代へてひとりは新《あらた》に船を造り、ひとりはあまたの旅をかさねし船の側《わき》を塞ぎ 一〇―一二
ひとりは舳《へさき》ひとりは艫《とも》に釘うち、彼櫂を造り是綱を縒《よ》り、ひとりは大小の帆を繕《つくら》ふ) 一三―一五
下には濃き脂《やに》火によらず神の技《みわざ》によりて煮え、岸いたるところこれに塗《まみ》れぬ 一六―一八
我之を見れども、煮られて浮ぶ泡の外には一としてその中に見ゆる物なく、たゞこの脂の一面に膨れいでゝはまた引縮むさまをみるのみ 一九―二一
われ目を凝らして見おろしゐたるに、あれ見よあれ見よといひてわが導者わが立處《たちど》より我をひきよす 二二―二四
しきりに見んことをねがへども、そは逃げて避くべきものにしあれば、俄におそれていきほひ挫《くじ》け 二五―
見るまも足を止めざる人の如く、われ身を返して後方《うしろ》をみしに石橋をわたりてはせきたれる一の黒き鬼ありき ―三〇
あゝその姿猛きこといかばかりぞや、翼ひらかれ足かろきその身の振舞あら/\しきこといかばかりぞや 三一―三三
尖りて高きその肩には、ひとりの罪人《つみびと》の腰を載せ、その足頸《あしくび》をかたく握れり 三四―三六
橋の上よりいふ、あゝマーレブランケよ、見よ聖チタのアンチアンの一人を、汝等彼を沈むべし、我は再びかの邑《まち》に歸らん 三七―
かの處には我よくかゝる者を備へおきたり、さればボンツーロの他《ほか》、汚吏ならぬものなく、否も錢のために然りに代へらる ―四二
かくいひて彼を投げいれ堅き石橋をわたりてかへれり、繋《つなぎ》はなれし番犬《ばんいぬ》の盜人を追ふもかく疾《はや》からじ 四三―四五
彼沈み、背を高くして再び浮べり、されど橋を戴ける鬼共叫びていひけるは、聖顏《サント・ヴオルト》もこゝには益なし 四六―四八
こゝに泳ぐはセルキオに泳ぐと異なる、此故に我等の鐡搭《くまで》好ましからずばこの脂の上にうくなかれ 四九―五一
かくて彼等は彼を百餘の鐡鉤《かぎ》に噛ませ、こゝは汝のかくれて踊る處なれば、盜みうべくば目を掠《かす》めてなせといふ 五二―五四
厨夫《ちゆうふ》が庖仕《ばうじ》に肉叉《にくさし》をもて肉を鍋の眞中《まなか》に沈めうかぶことなからしむるもこれにかはらじ 五五―五七
善き師我に曰ふ、汝は汝のこゝにあること知られざるため、岩の後《うしろ》にうづくまりておのが身を掩へ 五八―六〇
またいかなる虐《しひたげ》わが身に及ぶも恐るゝなかれ、さきにもかゝる爭ひにのぞめることあれば我よくこれらの事を知る 六一―六三
かくいひて橋をわたりてかなたにすゝめり、げにそのさわがぬ氣色《けしき》をみすべきは彼が第六の岸にいたれる時なりき 六四―六六
その怒りあらだつさまはさながら立止《たちど》まりてうちつけに物乞ふ乞食《かたゐ》にむかひて群犬《むらいぬ》はせいづる時の如く 六七―六九
小橋の下より出でし鬼共みなその鐡搭《くまで》を彼にむけたり、されど彼よばゝりていふ、汝等いづれも惡意をいだくことなかれ 七〇―七二
鐡搭《くまで》の我をとらふる前に、汝等のひとりすゝみいでゝわがいふところのことをきゝ、のち相謀りて我を之にかくべきや否やをさだめよ 七三―七五
彼等皆叫びてマラコダ行くべしといふ、即ちその一者《ひとり》進み出で(他《ほか》はみな止まれり)かくするも彼に何の益かあるといひつゝ彼に近づけり 七六―七八
わが師曰ひけるは、マラコダよ、われ天意冥助によらずして今に至るまですべて汝等の障礙《しやうげ》をまのかれ 七九―
こゝに來るをうべしと汝思ふや、我等を行かしめよ、わがこの荒れたる路をひとりの者に教ふるも天の定むるところなればなり ―八四
此時彼の慢心折れ、彼は鐡搭《くまで》をあしもとにおとして彼等にいふ、かくては彼を撃ちがたし 八五―八七
導者我に、橋の岩間にうづくまる者よ、いまは安らかにわがもとにかへれ 八八―九〇
我いでゝいそぎて彼の處にいたれば、鬼こと/″\く進みいづ、我はすなはち彼等が約を履まざらんことをおそれぬ 九一―九三
嘗て契約によりてカープロナをいでし歩兵の一軍群がる敵の間にありてまたかく恐るゝを見しことあり 九四―九六
我は全身を近くわが導者によせ、目をよからぬ彼等の姿より放つことなかりき 九七―九九
彼等は鐡鉤《かぎ》をおろせり、その一者《ひとり》他《ほか》の一者《ひとり》にいふ、汝わが彼の臀《しり》に觸るゝをねがふや、彼等答へて、然り一撃《ひとうち》彼にあつべしといふ
されどわが導者と言《ことば》をまじへし鬼たゞちにふりかへりて、措《お》け措け、スカルミリオネといひ 一〇三―一〇五
さて我等に曰ひけるは、是より先はこの石橋をゆきがたし、第六の弓門《アルコ》悉く碎けて底にあればなり 一〇六―一〇八
されば汝等なほさきに行くをねがはゞこの堤を傳ひてゆくべし、近き處にいま一の石橋あり、これぞ路なる 一〇九―一一一
昨日《きのふ》は今より五時の後にてこの路こゝにくづれしこのかた千二百六十六年を滿たせり 一一二―一一四
我は此等の部下を分ちてかなたに遣はし、身を干《ほ》す者のありや否やを見せしむべければ、汝等之と共に行け、彼等禍ひをなすことあらじ 一一五―一一七
又曰ひけるは、出でよアーリキーノ、カルカブリーナ、汝も出でよカーニヤッツオ、バルバリッチヤ汝は十の者を率ゐよ 一一八―一二〇
進めリビコッコ、ドラギニヤッツォ、牙《きんば》のチリアット、グラッフィアカーネ、ファールファレルロ、狂へるルビカンテ 一二一―一二三
煮ゆる黐《もち》の邊《ほとり》を巡視《みめぐ》り、またこの多くの岩窟《いはあな》の上に隙《すき》なく懸れる次の岩まで此等の者をおくりゆけ 一二四―一二六
我曰ふ、あゝ師よ、これいかなる事の態《さま》ぞや、汝だに路を知らば我何ぞ道案内《みちしるべ》を要《もと》むべき、願はくはこれによらで我等のみ行かむ 一二七―一二九
汝常の如く心をもちゐなば、見ずや彼等の齒をかみあはせ、眉に殃《わざはひ》の兆《きざし》をあらはすを 一三〇―一三二
彼我に、請ふ汝恐るゝなかれ、彼等に好むがまゝに齒をかましめよ、彼等かくするは煮られてなやむ者のためのみ 一三三―一三五
彼等は折れて左の堤をとれり、されど各※[#二の字点、1-2-22]とまづその長《をさ》にむかひ、齒にて舌を緊《し》めて相圖とし 一三六―一三八
長《をさ》はその肛門を喇叭《らつぱ》となしき 一三九―一四一
第二十二曲
我嘗て騎兵の陣を進め、戰ひを開き、軍を整《とゝの》へ、或時はまた逃げのびんとて退くを見き 一―三
アレッツォ人《びと》よ、我は或ひは喇叭《らつぱ》或ひは鐘或ひは太鼓或ひは城の相圖或ひは本國異邦の物にあはせ 四―六
進んで偵《うかゞ》ふもの襲うて掠むるもの汝等の地にわしり、また軍軍と武を競ひ、兵兵と技を爭ふを見き 七―九
されど未だかく奇《くす》しき笛にあはせて歩騎動き、陸《くが》または星をしるべに船進むをみしことあらじ 一〇―一二
我等は十の鬼と共に歩めり、げに兇猛なる伴侶《みちづれ》よ、されど聖徒と寺に浮浪漢《ごろつき》と酒肆《さかみせ》に 一三―一五
我心はたゞ脂《やに》にのみむかへり、こはこの嚢《ボルジヤ》とその中に燒かるゝ民の状態《ありさま》とを殘りなく見んためなりき 一六―一八
たとへば背の弓をもて水手《かこ》等をいましめ、彼等に船を救ふの途を求めしむる海豚《いるか》の如く 一九―二一
苦しみをかろめんため、をりふし罪人《つみびと》のひとりその背をあらはし、またこれをかくすこと電光《いなづま》よりも早かりき 二二―二四
またたとへば濠水《ほりみづ》の縁《ふち》にむれゐる蛙顏をのみ出して足と太《ふと》やかなるところをかくすごとく 二五―二七
罪人等四方にうかびゐたるが、バルバリッチヤの近づくにしたがひ、みなまた煮《にえ》の下にひそめり 二八―三〇
我は見き(いまも思へば我心わなゝく)、一匹《ひとつ》の蛙殘りて一匹《ひとつ》飛びこむことあるごとくひとりの者のとゞまるを 三一―三三
いと近く立てるグラッフィアカーネ、脂にまみれしその髮の毛を鐡搭《くまで》にかけ、かくして彼をひきあぐれば、姿さながら河獺《かはうそ》に似たりき 三四―三六
我は此時彼等の名を悉く知りゐたり、これ彼等えらばれし時よく之に心をとめ、その後彼等互に呼べる時これに耳を傾けたればなり 三七―三九
詛はれし者共聲をそろへて叫びていふ、いざルビカンテよ、汝爪を下して彼奴《かやつ》の皮を剥《は》げ 四〇―四二
我、わが師よ、おのが敵の手におちしかの幸なき者の誰なるやをもしかなはゞ明《あきら》めたまへ 四三―四五
わが導者その傍《かたへ》にたちよりていづくの者なるやをこれに問へるに、答へて曰ひけるは、我はナヴァルラの王國の生《うまれ》なりき 四六―四八
父|無頼《ぶらい》にして身と持物とを失へるため、わが母我を一人《ひとり》の主に事へしむ 四九―五一
我はその後善き王テバルドの僕《しもべ》となりてこゝにわが職《つとめ》をはづかしめ、今この熱をうけてその債《おひめ》を償ふ 五二―五四
この時口の左右より野猪《ゐのこ》のごとく牙露はれしチリアットはその一の切味《きれあぢ》を彼に知らせぬ 五五―五七
よからぬ猫の群のなかに鼠は入來れるなりけり、されどバルバリッチヤはその腕にて彼を抱《かゝ》へて曰ふ、離れよ、わが彼をおさゆる間 五八―六〇
かくてまた顏をわが師にむけ、ほかに聞きて知らんと思ふことあらば、害《そこな》ふ者のあらぬまに彼に問へといふ 六一―六三
導者、さらば今ほかの罪人等のことを告げよ、この脂の下に汝の識れるラチオの者ありや、彼、我は少しくさきに 六四―
その隣の者と別れしなりき、あゝ我彼と共にいまなほかくれゐたらんには、爪も鐡搭《くまで》もおそれじものを ―六九
この時リビコッコは我等はや待ちあぐみぬといひてその腕を鐡鉤《かぎ》にてとらへ引裂きて肉を取れり 七〇―七二
ドラギニヤッツォもまたその脛を打たんとしければ、彼等の長《をさ》はまなざしするどくあまねくあたりをみまはしぬ 七三―七五
彼等少しくしづまれる時、わが導者は己が傷より目を放たざりし者にむかひ、たゞちに問ひて曰ひけるは 七六―七八
汝は岸に出でんとて幸《さち》なく別れし者ありといへり、こは誰なりしぞ、彼答へて曰ふ、ガルルーラの者にて 七九―
僧《フラーテ》ゴミータといひ、萬の欺罔《たばかり》の器《うつは》なりき、その主の敵を己が手に收め、彼等の中己を褒《ほ》めざるものなきやう彼等をあしらへり ―八四
乃ち金《かね》を受けて穩《おだや》かに(これ彼の言なり)彼等を放てるなり、またそのほかの職務《つとめ》においても汚吏の小さき者ならでいと大なる者なりき 八五―八七
ロゴドロのドンノ・ミケーレ・ツァンケ善く彼と語る、談サールディニアの事に及べば彼等の舌疲るゝを覺ゆることなし 八八―九〇
されどあゝ齒をかみあはす彼を見給へ、ほかに告ぐべきことあれど彼わが瘡《かさ》を引掻《ひきか》かんとてすでに身を構ふるをおそる 九一―九三
たゞ撃つばかりに目をまろばしゐたるファールファレルロにむかひ、大いなる長《をさ》曰ひけるは、惡しき鳥よ退《すさ》れ 九四―九六
この時|戰慄《をのゝく》者《もの》語《ことば》をついでいひけるは、汝等トスカーナまたはロムバルディアの者をみまたはそのいふ事を聞かんと思はゞ我彼等を來らせん 九七―九九
されど彼等に罰を恐れざらしめんため、禍ひの爪|等《たち》少しくこゝを離るべし、我はこのまゝこの處に坐して 一〇〇―一〇二
嘯《うそぶ》き(我等のうち外《そと》に出るものあればつねにかくする習ひあり)、ひとりの我に代へて七人《なゝたり》の者を來らせん 一〇三―一〇五
カーニヤッツオこの言を聞きて口をあげ頭をふりていひけるは、身を投げ入れんとてめぐらせる彼の奸計《わるだくみ》をきけ 一〇六―一〇八
羂《わな》に富める者乃ち答へて曰ひけるは、侶《とも》の悲しみを増さしむれば、我は至極の奸物《わるもの》なるべし 一〇九―一一一
アーリキーン堪《こら》へず衆にさからひて彼に曰ふ、汝身を投げなば我は馳せて汝を追はず 一一二―一一四
翼を脂《やに》の上に搏《う》つべし、我等|頂上《いたゞき》を棄て岸を楯とし、汝たゞひとりにてよく我等を凌ぐや否やをみん 一一五―一一七
讀者よ、奇《くす》しき戲れを聞け、彼等みな目を片側《かたがは》にむけたり、しかも第一にかくなせるは彼等の中|殊《こと》にその心なかりしものなりき 一一八―一二〇
たくみに機《すき》を窺へるナヴァルラの者、その蹠《あしうら》をもてかたく地を踏み、忽ち躍りて長《をさ》を離れぬ 一二一―一二三
かくとみし鬼いづれも咎を悔ゆるがなかに、わけて越度《をちど》の本なりし者そのくゆることいと深ければ、すなはち身を動かして 一二四―一二六
汝は我手の中《うち》にありと叫べり、されど益なし、翼ははやきもなほ恐れに超ゆるあたはず、彼は沈み、此は胸を上にして飛べり 一二七―一二九
鴨忽ち潛《くゞ》り、既に近づける鷹の、怒りくづほれて空にかへるもこれにかはらじ 一三〇―一三二
カルカブリーナは欺かれしを憤り、彼と格鬪《くみあ》はんため、却つてかの者の免かれんことをねがひ、飛びつゝ彼をあとより追ひゆき 一三三―一三五
汚吏の姿消ゆるとともに爪をその侶にむけ、濠の上にてこれを攫《つか》みぬ 一三六―一三八
されど彼また眞《まこと》の青鷹《もろがへり》なりければ、劣らず爪をこなたにうちこみ、二ながら煮ゆる澱《よどみ》の眞中《まなか》に落ちたり 一三九―一四一
熱はたちまち爭鬪《あらそひ》をとゞめぬ、されど彼等身を上ぐるをえざりき、其翼|脂《やに》にまみれたればなり 一四二―一四四
殘りの部下と共に歎きつゝバルバリッチヤはその中|四人《よたり》の者にみな鐡鉤《かぎ》を持ちて對岸《むかひのきし》に飛ばしめぬ、かくていと速かに 一四五―一四七
かなたにてもこなたにても彼等はおのが立處《たちど》に下り、既に黐《もち》にまみれて上層《うはかは》の中に燒かれし者等にその鐡搭《くまで》をのべき 一四八―一五〇
我等は彼等をこの縺《もつれ》の中に殘して去れり 一五一―一五三
第二十三曲
言《ことば》なく伴侶《とも》なくたゞふたり、ひとりはさきにひとりはあとに、さながらミノリ僧の路を歩む如く我等は行けり 一―三
わが思ひは今の爭ひによりて蛙と鼠のことをかたれるイソーポの寓話《フアーヴオラ》にむかひぬ 四―六
心をとめてよくその始終《はじめをはり》を較べなば、モとイッサの相似たるも彼と此との上にはいでじ 七―九
また一の思ひよりほかの思ひのうちいづるごとく、これよりほかの思ひ生れてわがさきの恐れを倍せり 一〇―一二
我おもへらく、彼等は我等のために嘲られてその怨み必ず大ならんとおもはるゝばかりの害《そこなひ》をうけ詭計《たくらみ》にかゝるにいたれるなり 一三―一五
若し怒り惡意に加はらば、彼等我等を追來り、その慈悲なきこと口に銜《くは》へし兎にむかひて酷《むご》き犬にもまさりぬべし 一六―一八
我は既に恐れのために身の毛悉く彌立《いよだ》つをおぼえ、わが後方《うしろ》にのみ心を注ぎつゝいひけるは、師よ、汝と我とを 一九―
直ちに匿《かく》したまはずば、我はマーレブランケをおそる、彼等既にうしろにせまれり、我わが心に寫しみて既に彼等の近きをさとる ―二四
彼、たとへばわれ鏡なりとも、わが今汝の内の姿をうくるよりはやく汝の外の姿を寫しうべきや 二五―二七
今といふ今汝の思ひは同じ働《はたらき》同じ容《かたち》をもてわが思ひの中に入り、我はこの二の物によりてたゞ一の策《はかりごと》を得たり 二八―三〇
右の岸もし斜にて次の嚢《ボルジヤ》の中にくだるをえば、我等は心にゑがける追《おひ》をまのかるべし 三一―三三
彼この策《はかりごと》を未だ陳べ終らざるに、我は彼等が翼をひらき、我等をとらへんとてほどなき處に來るを見たり 三四―三六
たとへば騷擾《さわぎ》に目覺めし母の、燃ゆる焔をあたりにみ、我兒をいだいてにげわしり 三七―
之を思ふこと己が身よりも深ければ、たゞ一枚の襯衣《したぎ》をさへ着くるに暇あらざるごとく、導者は忽ち我を抱き ―四二
堅き岸の頂より、次の嚢《ボルジヤ》の片側《かたがは》を閉す傾ける岩あるところに仰《あふの》きて身を投げいれぬ 四三―四五
粉碾車《こひきぐるま》をめぐらさんとて樋《ひ》をゆく水の、輻《や》にいと近き時といへどもそのはやきこと 四六―四八
侶《とも》にはあらで子の如く我をその胸に載せ、かの縁《へり》を越えしわが師にはおよばじ
その足|下《した》なる深處《ふかみ》の底にふれしころには彼等はやくも我等の上なる頂《いただき》にありき、されどこゝには恐れあるなし 五二―五四
彼等をえらびて第五の濠の僕《しべ》となせし尊き攝理は、かしこを離るゝの能力《ちから》を彼等より奪ひたればなり 五五―五七
下には我等|彩色《いろど》れる民を見き、疲れなやめる姿にて涙を流し、めぐりゆく足いとおそし 五八―六〇
彼等は型《かた》をクルーニの僧の用ゐるものにとりたる衣《ころも》を着、目の前まで垂れし帽を被《かぶ》れり 六一―六三
外《そと》は金を施したれば、みる目|眩暈《くるめ》くばかりなれども、内はみな鉛にて、その重きに比ぶればフェデリーゴの着せしは藁なり 六四―六六
あゝ永遠《とこしへ》の疲《つかれ》の衣よ、我等は心を憂き歎きにとめつゝ彼等とともにこたびもまた左にむかへり 六七―六九
されど重量《おもさ》のためこのよわれる民の歩みいとおそければ、我等は腰をうごかすごとに新なる侶をえき 七〇―七二
我乃ちわが導者に、行《おこなひ》または名によりて知らるべき者をたづね、かくゆく間目をあたりにそゝぎたまへ 七三―七五
この時|一者《ひとり》トスカーナの言《ことば》をきゝてうしろよりよばゝりいひけるは、黯《くろず》める空をわけてはせゆく者等よ、足をとゞめよ 七六―七八
おそらくは汝求むるものを我よりうくるをえん、導者乃ちかへりみて曰ふ、待て、待ちてのち彼の歩みにしたがひてすゝめ 七九―八一
我止まりて見しにふたりの者あり、我に追及ばんとてしきりに苛《いら》つ心を顏にあらはせども荷と狹き路のために後《おく》れぬ 八二―八四
さて來りて物をも言はず、目を斜《はす》にしばらく我をうちまもり、のち顏をみあはせていひけるは 八五―八七
この者喉を動かせば生けりとおもはる、また彼等死せる者ならば何の恩惠《めぐみ》により重き衣に蔽はれずして歩むや 八八―九〇
かくてまた我に曰ひけるは、幸なき僞善者の集會《つどひ》に來れるトスカーナ人《びと》よ、願はくは汝の誰なるやを告ぐるを厭ふなかれ 九一―九三
我彼等に、わが生れし處おひたちし處はともに美しきアルノの川邊《かはべ》大いなる邑《まち》なりき、また我はわが離れしことなき肉體と共にあるなり 九四―九六
されど憂ひの滴《したゝり》かく頬をくだる汝等は誰ぞや、汝等の身にかく煌《きら》めくは何の罰ぞや 九七―九九
そのひとり答へて我に曰ひけるは、拑子《かうじ》の衣《ころも》鉛にていと厚く、その重量《おもさ》かく秤《はかり》を軋《きし》ましむ 一〇〇―一〇二
我等は喜樂僧《フラーテ・ゴデンテイ》にてボローニア人なりき、我はカタラーノといひ、これなるはローデリンゴといへり、汝の邑《まち》に平和をたもたんため 一〇三―
常は一人《ひとりのひと》取らるゝ例《ならひ》なるに、我等は二人《ふたり》ながら彼處《かしこ》にとられき、我等のいかなる者なりしやは今もガルディンゴの附近《あたり》を見てしるべし ―一〇八
あゝ僧達よ、汝等の禍ひは……我かくいへるもその先をいはざりき、これ三の杙《くひ》にて地に張られし者ひとりわが目にとまれるによりてなり 一〇九―一一一
彼我を見し時、その難息《ためいき》を髯に吐き入れ、はげしくもがきぬ、僧《フラーテ》カタラーン之を見て 一一二―一一四
我に曰ふ、かしこに刺されて汝の目をひくはこれファリセイ《びと》に勸めて、民の爲にひとりの人を苛責するは善しといへる者なり 一一五―一一七
みらるゝ如く裸にて路を遮り、過ぐる者あればまづその重さを身にうけではかなはじ 一一八―一二〇
その外舅《しうと》およびジユデーア人《びと》の禍ひの種なりしほかの議員等もまた同じさまにてこの濠の中に苛責せらる 一二一―一二三
我はこの時ヴィルジリオがかくあさましく十字にはられ永久《とこしへ》の流刑《るけい》をうくるものあるをあやしめるをみたり 一二四―一二六
彼やがて僧《フラーテ》にむかひていひけるは、汝等|禁《とゞ》むるものなくば、請ふ右に口ありや我等に告げよ 一二七―一二九
我等これによりて共に此處をいで、黒き天使に強ひて來りて、この底より我等を出さしむるなきをえん 一三〇―一三二
この時彼答へて曰ひけるは、いと近き處に岩あり、大いなる圈より出でてすべてのおそろしき大溪《おほたに》の上を過ぐ 一三三―一三五
たゞこの溪の上にのみ碎けてこれを蔽はざるなり、汝等|側《かは》によこたはり底に高まる崩壞《くづれ》を踏みて上りうべし 一三六―一三八
導者しばらく首《かうべ》を垂れて立ち、さていひけるは、かなたに罪人を鐡鉤《かぎ》にかくるもの事をいつはりて我等に教へき 一三九―一四一
僧、我昔ボローニアにて鬼のよからぬことゞも多く聞きたり、彼は僞る者、僞りの父なりときけるもその一なり 一四二―一四四
かくいへる時導者は顏に少しく怒りをうかべ、足をはやめて去り行けり、されば我また重荷を負ふ者等とわかれ 一四五―一四七
ゆかしき蹠《あしうら》の趾を追へりき 一四八―一五〇
第二十四曲
一年《ひとゝせ》未だうらわかく、日は寶瓶宮裏に髮をとゝのへ、夜はすでに南にむかひ 一―三
霜は白き姉妹《いも》の姿を地に寫せども、筆のはこびの長く續きもあへぬころ 四―六
貯藏《たくはへ》盡きしひとりの農夫、おきいでゝながむるに、野は悉く白ければ、その腰をうちて 七―九
我家《わがや》にかへり、かなたこなたに呟《つぶや》くさまさながら幸なき人のせんすべしらぬごとくなれども、のち再びいづるにおよびて 一〇―
世の顏|束《つか》の間にかはれるを見、あらたに望みを呼び起してつゑをとり、小羊を追ひ牧場にむかふ ―一五
かくの如く師はその額に亂《みだれ》をみせて我をおそれしめ、またかくの如く痛みはたゞちに藥をえたりき 一六―一八
そは我等壞れし橋にいたれる時、導者はわがさきに山の麓に見たりし如きうるはしき氣色《けしき》にてわがかたにむかひたればなり 一九―二一
かれまづよく崩壞《くづれ》をみ、心に思ひめぐらして後その腕《かひな》をひらきて我をかゝへ 二二―二四
且つ行ひ且つ量り常に預め事に備ふる人の如く我を一の巨岩《おほいは》の頂《いただき》に上げつゝ 二五―
目をほかの岩片《いはくづ》にとめ、これよりかの岩に縋《すが》るべし、されどまづその汝を支へうべきや否やをためしみよといふ ―三〇
こは衣を着し者の路にはあらじ、岩より岩を上りゆくは我等(彼輕く我押さるゝも)にだに難きわざなりき 三一―三三
若しこの堤の一側《かたがは》對面《むかひ》の側《かは》より短かゝらずば、彼のことはしらねど、我は全く力盡くるにいたれるなるべし 三四―三六
されどマーレボルジェはみないと低き坎《あな》の口にむかひて傾くがゆゑに、いづれの溪もそのさまこの理にもとづきて 三七―三九
彼岸《かのきし》高く此岸ひくし、我等はつひに最後の石の碎け散りたる處にいたれり 四〇―四二
上り終れる時はわが氣息《いき》いたく肺より搾《しぼ》られ、我また進むあたはざれば、着くとひとしくかしこに坐れり 四三―四五
師曰ひけるは、今より後汝つとめて怠慢《おこたり》に勝たざるべからず、夫れ軟毛《わたげ》の上に坐し、衾《ふすま》の下に臥してしかも美名《よきな》をうるものはなし 四六―四八
人これをえず徒《いたづら》にその生命《いのち》を終らば地上に殘すおのが記念《かたみ》はたゞ空《そら》の烟《けぶり》水の泡抹《うたかた》のみ 四九―五一
此故に起きよ、萬《よろづ》の戰ひに勝つ魂もし重き肉體と共になやみくづほるゝにあらずば之をもて喘《あへぎ》に勝て 五二―五四
是よりも長き段《きだ》のなは上るべきあり、これらを離るゝのみにて足らず、汝わが言《ことば》をさとらばその益を失ふなかれ 五五―五七
我乃ち身を起し、くるしき呼吸《いき》をおしかくしていひけるは、願はくは行け、身は強く心は堅し 五八―六〇
我等石橋を渡りて進むに、このわたりの路岩多く狹く艱くはるかにさきのものよりも嶮し 六一―六三
我はよわみをみせざらんため語りつゝあゆみゐたるに、忽ち次の濠の中より語を成すにいたらざる一の聲いでぬ 六四―六六
この時我は既にこゝにかゝれる弓門《アルコ》の頂にありしかども、その何をいへるやをしらず、されど語れるものは怒りを起せし如くなりき 六七―六九
我は俯《うつむ》きたりき、されど闇のために生ける目底にゆくをえざれば、すなはち我、師よ請ふ次の堤にいたれ 七〇―
しかして我等石垣をくだらん、そはこゝにてはわれ聞けどもさとらず、見れども認《したゝ》むるものなければなり ―七五
彼曰ふ、行ふの外我に答なし、正しき願ひには所爲《わざ》たゞ默《もだ》して從ふべきなり 七六―七八
我等は橋をその一端、第八の岸と連れるところに下れり、この時|嚢《ボルジヤ》の状《さま》あきらかになりて 七九―八一
我見しに中にはおそろしき蛇の群ありき、類《たぐひ》いと奇《くす》しく、その記憶はいまなほわが血を凍らしむ 八二―八四
リビヤも此後その砂に誇らざれ、たとひこの地ケリドリ、ヤクリ、ファレー、チェンクリ、アムフィシベナを出すとも 八五―八七
またこれにエチオピアの全地または紅海の邊《ほとり》のものを加ふとも、かく多きかくあしき毒を流せることはあらじ 八八―九〇
この猛くしていとものすごき群のなかを孔をも血石《エリトロピア》をも求めうるの望みなき裸なる民おぢおそれて走りゐたり 九一―九三
蛇は彼等の手を後方《うしろ》に縛《いま》しめ、尾と頭にて腰を刺し、また前方《まへ》にからめり 九四―九六
こゝに見よ、こなたの岸近く立てるひとりの者にむかひて一匹の蛇飛び行き、頸と肩と結びあふところを刺せり 九七―九九
oまたはiを書くともかく早からじとおもはるゝばかりに彼は忽ち火をうけて燃え、全く灰となりて倒るゝの外すべなかりき 一〇〇―一〇二
彼かく頽《くづ》れて地にありしに、塵おのづからあつまりてたゞちにもとの身となれり 一〇三―一〇五
名高き聖等《ひじりたち》またかゝることあるをいへり、曰く、靈鳥《フエニーチエ》はその齡《よはひ》五百年に近づきて死し、後再び生る 一〇六―一〇八
この鳥世にあるや、草をも麥をも食《は》まず、たゞ薫物《たきもの》の涙とアモモとを食む、また甘松と沒藥《もつやく》とはその最後の壽衣《じゆい》となると 一〇九―一一一
人或ひは鬼の力によりて地にひかれ、或ひは塞《ふさぎ》にさへられて倒れ、やがて身を起せども、おのがたふれし次第をしらねば 一一二―
うけし大いなる苦しみのためいたくまどひて目をうちひらき、あたりを見つゝ歎くことあり ―一一七
起き上れる罪人《つみびと》のさままた斯くの如くなりき、あゝ仇を報いんとてかくはげしく打懲す神の威力《ちから》はいかにきびしきかな 一一八―一二〇
導者この時彼にその誰なるやを問へるに、答へて曰ひけるは、我は往日《さきつひ》トスカーナよりこのおそろしき喉の中に降《ふ》り下れる者なり 一二一―一二三
我は騾馬なりければまたこれに傚ひて人にはあらで獸の如く世をおくるを好めり、我はヴァンニ・フッチといふ獸なり、しかして 一二四―
ピストイアは我に應《ふさは》しき岩窟《いはあな》なりき、われ導者に、彼に逃《にぐ》る勿れといひ、また彼をこゝに陷らしめしは何の罪なるやを尋ねたまへ
わが見たるところによれば彼は血と怒りの人なりき、この時罪人これを聞きて佯《いつは》らず、心をも顏をも我にむけ、悲しき恥に身を彩色《いろど》りぬ ―一三二
かくて曰ひけるは、かゝる禍ひの中にて汝にあへる悲しみは、わがかの世をうばゝれし時よりも深し 一三三―一三五
我は汝の問を否むあたはず、わがかく深く沈めるは飾美しき寺の寶藏《みくら》の盜人たりし故なりき 一三六―一三八
またこの罪嘗てあやまりて人に負はされしことあり、されど汝此等の暗き處をいづるをえてわがさまをみしを喜びとなすなからんため 一三九―一四一
耳を開きてわがうちあかすことを聞け、まづピストイアは黒黨《ネーリ》を失ひて痩せ、次にフィオレンツァは民と習俗《ならはし》を新《あらた》にすべし 一四二―一四四
マルテはヴァル・ヂ・マーグラより亂るゝ雲に裹《つゝ》まれし一の火氣をひきいだし、嵐劇しくすさまじく 一四五―一四七
カムポ・ピチェンに戰起りて、この者たちまち霧を擘《つんざ》き、白黨《ビアンキ》悉くこれに打たれん 一四八―一五〇
我これをいふは汝に憂ひあらしめんためなり 一五一―一五三
第二十五曲
かたりをはれる時かの盜人|雙手《もろて》を握りて之を擧げ、叫びて曰ひけるは、受けよ神、我汝にむかひてこれを延ぶ 一―三
此時よりこの方蛇はわが友なりき、一匹《ひとつ》はこの時彼の頸にからめり、そのさまさながら我は汝にまた口をきかしめずといへるに似たりき 四―六
また一匹《ひとつ》はその腕にからみてはじめの如く彼を縛《いまし》め、かつ身をかたくその前に結びて彼にすこしも之を動かすをゆるさゞりき 七―九
あゝピストイアよ、ピストイアよ、汝の惡を行ふこと己《おの》が祖先の上に出づるに、何ぞ意を決して己を灰し、趾《あと》を世に絶つにいたらざる 一〇―一二
我は地獄の中なる諸※[#二の字点、1-2-22]の暗き獄《ひとや》を過ぎ、然も神にむかひてかく不遜なる魂を見ず、テーべの石垣より落ちし者だに之に及ばじ 一三―一五
かれ物言はで逃去りぬ、此時我は怒り滿々《みち/\》し一のチェンタウロ、何處《いづこ》にあるぞ、執拗《かたくな》なる者何處にあるぞとよばはりつゝ來るを見たり 一六―一八
思ふに彼が人の容《かたち》の連《つらな》れるところまでその背に負へるとき多くの蛇はマレムマの中にもあらぬなるべし 一九―二一
肩の上|項《うなじ》の後《うしろ》には一の龍翼をひらきて蟠まり、いであふ者あればみなこれを燒けり 二二―二四
わが師曰ひけるは、こはカーコとてアヴェンティーノ山の巖の下にしばしば血の湖《うみ》を造れるものなり 二五―二七
彼はその兄弟等と一の路を行かず、こは嘗てその近傍《あたり》にとゞまれる大いなる家畜《けもの》の群を謀りて掠めし事あるによりてなり 二八―三〇
またこの事ありしため、その歪《ゆが》める行《おこなひ》はエルクレの棒に罹りて止みたり、恐らくは彼百を受けしなるべし、然もその十をも覺ゆる事なかりき 三一―三三
彼斯く語れる間(彼過ぎゆけり)三《みつ》の魂我等の下に來れるを我も導者もしらざりしに 三四―三六
彼等さけびて汝等は誰ぞといへり、我等すなはち語ることをやめ、今は心を彼等にのみとめぬ 三七―三九
我は彼等を識らざりき、されど世にはかゝること偶然《ふと》ある習ひとて、そのひとり、チヤンファはいづこに止まるならんといひ 四〇―四二
その侶の名を呼ぶにいたれり、この故に我は導者の心をひかんためわが指を上げて頤《おとがひ》と鼻の間におきぬ 四三―四五
讀者よ、汝いまわがいふことをたやすく信じえずともあやしむにたらず、まのあたりみし我すらもなほうけいるゝこと難ければ 四六―四八
我彼等にむかひて眉をあげゐたるに、六の足ある一匹の蛇そのひとりの前に飛びゆきてひたと之にからみたり 四九―五一
中足《なかあし》をもて腹を卷き前足をもて腕をとらへ、またかなたこなたの頬を噛み 五二―五四
後足《あとあし》を股《もゝ》に張り、尾をその間《あひ》より後方《うしろ》におくり、ひきあげて腰のあたりに延べぬ 五五―五七
木に絡《から》む蔦《つた》といへどもかの者の身に纏《まつ》はれる恐ろしき獸のさまにくらぶれば何ぞ及ばん 五八―六〇
かくて彼等は熱をうけし蝋のごとく着きてその色を交《まじ》へ、彼も此も今は始めのものにあらず 六一―六三
さながら黯《くろず》みてしかも黒ならぬ色の炎にさきだちて紙をつたはり、白は消えうするごとくなりき 六四―六六
殘りの二者《ふたり》之を見て齊しくさけびて、あゝアーニエルよ、かくも變るか、見よ汝ははや二《ふたつ》にも一にもあらずといふ 六七―六九
二の頭既に一となれる時、二の容《かたち》いりまじりて一の顏となり二そのうちに失せしもの我等の前にあらはれき 七〇―七二
四の片《きれ》より二の腕成り、股《もゝ》脛《はぎ》腹《はら》胸《むね》はみな人の未だみたりしことなき身となれり 七三―七五
もとの姿はすべて消え、異樣の像《かたち》は二にみえてしかも一にだにみえざりき、さてかくかはりて彼はしづかに立去れり 七六―七八
三伏の大なる笞《しもと》の下に蜥蜴籬《とかげまがき》を交《か》へ、路を越ゆれば電光《いなづま》とみゆることあり 七九―八一
色青を帶びて黒くさながら胡椒の粒《つぶ》に似たる一の小蛇の怒りにもえつゝ殘る二者《ふたり》の腹をめざして來れるさままたかくの如くなりき 八二―八四
この蛇そのひとりの、人はじめて滋養《やしなひ》をうくる處を刺し、のち身を延ばしてその前にたふれぬ 八五―八七
刺されし者これを見れども何をもいはず、睡りか熱に襲はれしごとく足をふみしめて欠《あくび》をなせり 八八―九〇
彼は蛇を蛇は彼を見ぬ、彼は傷より此は口よりはげしく烟を吐き、烟あひまじれり 九一―九三
ルカーノは今より默《もだ》して幸なきサベルロとナッシディオのことを語らず、心をとめてわがこゝに説きいづる事をきくべし 九四―九六
オヴィディオもまた默してカードモとアレツーザの事をかたるなかれ、かれ男を蛇に女を泉に變らせ、之を詩となすともわれ羨まじ 九七―九九
そは彼|二《ふたつ》の自然をあひむかひて變らしめ兩者の形あひ待ちてその質を替ふるにいたれることなければなり 一〇〇―一〇二
さて彼等の相應ぜること下の如し、蛇はその尾を割きて叉《また》とし、傷を負へる者は足を寄せたり 一〇三―一〇五
脛《はぎ》は脛と股《もゝ》は股と固く着き、そのあはせめ、みるまにみゆべき跡をとゞめず 一〇六―一〇八
われたる尾は他の失へる形をとりて膚《はだへ》軟らかく、他のはだへはこはばれり 一〇九―一一一
我また二《ふたつ》の腕《かひな》腋下に入り、此等の縮むにつれて獸の短き二の足伸びゆくをみたり 一一二―一一四
また二の後足《あとあし》は縒《よ》れて人の隱すものとなり、幸なき者のは二にわかれぬ 一一五―一一七
烟|新《あらた》なる色をもて彼をも此をも蔽ひ、これに毛を生《は》えしめ、かれの毛をうばふあひだに 一一八―一二〇
此《これ》立ち彼《かれ》倒る、されどなほ妄執《まうしふ》の光を逸《そ》らさず、その下《もと》にておのおの顏を變へたり 一二一―一二三
立ちたる者顏を後額《こめかみ》のあたりによすれば、より來れる材《ざい》多くして耳|平《たひら》なる頬の上に出で 一二四―一二六
後方《うしろ》に流れずとゞまれるものはその餘《あまり》をもて顏に鼻を造り、またほどよく唇を厚くせり 一二七―一二九
伏したる者は顏を前方《まへ》に逐ひ、角を收《をさ》むる蝸牛の如く耳を頭にひきいれぬ 一三〇―一三二
またさきに一にて物言ふをえし舌は裂け、わかれし舌は一となり、烟こゝに止みたり 一三三―一三五
獸となれる魂はその聲あやしく溪に沿ひてにげゆき、殘れる者は物言ひつゝその後方《うしろ》に唾《つば》はけり 一三六―一三八
かくて彼新しき背を之にむけ、侶に曰ひけるは、願はくはブオソのわがなせしごとく匍匐《はらば》ひてこの路を走らんことを 一三九―一四一
我は斯く第七の石屑《いしくづ》の變り入替《いりかは》るさまをみたりき、わが筆少しく亂るゝあらば、請ふ人|事《こと》の奇なるをおもへ 一四二―一四四
またわが目には迷ひありわが心には惑ひありしも、かの二者《ふたり》我にかくれて逃ぐるをえざれば 一四五―一四七
我はひとりのプッチオ・シヤンカートなるをさだかに知りき、さきに來れるみたりの伴侶《なかま》の中にて變らざりしはこの者のみ 一四八―一五〇
またひとりは、ガヴィルレよ、いまも汝を悼《いた》ましむ 一五一―一五三
第二十六曲
フィオレンツァよ、汝はいと大いなるものにて翼を海陸の上に搏《う》ち汝の名遍く地獄に藉《し》くがゆゑに喜べ 一―三
我は盜人の中にて汝の際《きは》貴《たか》き邑民《まちびと》五人《いつたり》をみたり、我之を恥とす、汝もまた之によりて擧げられて大いなる譽を受くることはあらじ 四―六
されど曙《あかつき》の夢正夢ならば、プラート(その他はもとより)の汝のためにこひもとむるもの程なく汝に臨むべし、また今既にこの事ありとも 七―九
早きに過ぎじ、事避くべきに非ざれば若かず速に來らんには、そはわが年の積るに從ひ、この事の我を苦しむる愈※[#二の字点、1-2-22]大なるべければなり 一〇―一二
我等この處を去れり、わが導者はさきに下れる時我等の段《きだ》となれる巖角《いはかど》を傳ひて上りまた我をひけり 一三―一五
かくて石橋の上なる小岩大岩の間のさびしき路を進みゆくに手をからざれば足も效《かひ》なし 一六―一八
この時我は悲しめり、わがみしものに心をむくれば今また憂へ、才を制すること恆《つね》を超ゆ 一九―二一
これわが才、徳の導きなきに走り、善き星または星より善きものこの寶を我に與へたらんに、我自ら之を棄つるなからんためなり 二二―二四
たとへば世界を照すもの顏を人にかくすこといと少なき時、丘《をか》の上に休む農夫が 二五―二七
蚊の蠅に代る比《ころはひ》、下なる溪間《たにま》恐らくはおのが葡萄を採りかつ耕す處に見る螢の如く 二八―三〇
數多き炎によりて第八の嚢《ボルジヤ》はすべて輝けり、こはわがその底のあらはるゝ處にいたりてまづ目をとめしものなりき 三一―三三
またたとへば熊によりてその仇をむくいしものが、エリアの兵車の去るをみし時の如く(この時その馬天にむかひて立上り 三四―三六
彼目をこれに注げども、みゆるはたゞ一抹の雲の如く高く登りゆく炎のみなりき) 三七―三九
焔はいづれも濠《ほり》の喉を過ぎてすゝみ、いづれもひとりの罪人《つみびと》を盜みてしかも盜《ぬすみ》をあらはすことなかりき 四〇―四二
我は見んとて身を伸べて橋の上に立てり、さればもし一の大岩をとらへざりせば押さるゝをもまたで落ち下れるなるべし 四三―四五
導者はわがかく心をとむるをみていひけるは、火の中に魂あり、いづれも己を燒くものに卷かる 四六―四八
我答へて曰ひけるは、わが師よ、汝の言によりてこの事いよ/\さだかになりぬ、されど我またかくおしはかりて既に汝に 四九―
エテオクレとその兄弟との荼毘《だび》の炎の如く上方《うへ》わかれたる火につゝまれてこなたに來るは誰なりやといはんとおもひたりしなり ―五四
彼答へて我に曰ふ、かしこに苛責せらるゝはウリッセとディオメーデなり、ともに怒りにむかへるごとくまたともに罰にむかふ 五五―五七
かの焔の中に、彼等は門を作りてローマ人《びと》のたふとき祖先をこゝよりいでしめし馬の伏勢《ふせぜい》を傷《いた》み 五八―六〇
かしこにアキルレのためにいまなほデイダーミアを歎くにいたらしめし詭計《たくみ》をうれへ、またかしこにパルラーディオの罰をうく 六一―六三
我曰ふ、彼等かの火花のなかにて物言ふをえば、師よ、我ひたすらに汝に請ひまた重ねて汝に請ふ、さればこの請ひ千度《ちたび》の請ひを兼ねて 六四―六六
汝は我に角《つの》ある焔のこゝに來るを待つを否むなかれ、我わが願ひのためにみたまふ如く身をかなたにまぐ 六七―六九
彼我に、汝の請ふところ甚だ善し、この故に我これを容る、たゞ汝舌を愼しめ 七〇―七二
我既に汝の願ひをさとりたれば語ることをば我に任《まか》せよ、そは彼等はギリシア人《びと》なりしがゆゑに恐らくは汝の言を侮るべければなり 七三―七五
焔近づくにおよびて導者は時と處をはかり、これにむかひていひけるは 七六―七八
あゝ汝等二の身にて一の火の中にあるものよ、我生ける時汝等の心に適ひ、高き調《しらべ》を世に録《しる》して 七九―
たとひいさゝかなりとも汝等の心に適へる事あらば、請ふ過ぎゆかず、汝等の中ひとり路を失ひて後いづこに死處をえしやを告げよ ―八四
年へし焔の大いなる角、風になやめる焔のごとく微《かすか》に鳴りてうちゆらぎ 八五―八七
かくて物いふ舌かとばかりかなたこなたに尖《さき》をうごかし、聲を放ちていひけるは 八八―
一年《ひとゝせ》あまりガエタ(こはエーネアがこの名を與へざりしさきの事なり)に近く我を匿《かく》せしチルチェと別れ去れる時 ―九三
子の慈愛《いつくしみ》、老いたる父の敬ひ、またはペネローペを喜ばしうべかりし夫婦《めをと》の愛すら 九四―九六
世の状態《さま》人の善惡を味はひしらんとのわがつよきねがひにかちがたく 九七―九九
我はたゞ一艘の船をえて我を棄てざりし僅かの侶《とも》と深き濶き海に浮びぬ 一〇〇―一〇二
スパニア、モロッコにいたるまで彼岸をも此岸をも見、またサールディニア島及び四方この海に洗はるゝほかの島々をもみたり 一〇三―一〇五
人の越ゆるなからんためエルクレが標《しるし》をたてしせまき口にいたれるころには 一〇六―
我も侶等もはや年老いておそかりき、右にはわれシビリアをはなれ左には既にセッタをはなれき ―一一一
我曰ふ、あゝ千萬《ちよろづ》の危難《あやふき》を經て西にきたれる兄弟|等《たち》よ、なんぢら日を追ひ 一一二―
殘るみじかき五官の覺醒《めざめ》に人なき世界をしらしめよ、汝等|起原《もと》をおもはずや
汝等は獸のごとく生くるため造られしものにあらず、徳と知識を求めんためなり ―一二〇
わがこの短き言《ことば》をきゝて侶は皆いさみて路に進むをねがひ、今はたとひとゞむとも及び難しとみえたりき 一二一―一二三
かゝれば艫《とも》を朝にむけ、櫂を翼として狂ひ飛び、たえず左に舟を寄せたり 一二四―一二六
夜は今南極のすべての星を見、北極はいと低くして海の床《ゆか》より登ることなし 一二七―一二九
我等難路に入りしよりこのかた、月下の光|五度《いつたび》冴え五度消ゆるに及べるころ 一三〇―一三二
かなたにあらはれし一の山あり、程遠ければ色薄黒く、またその高さはわがみし山のいづれにもまさるに似たりき 一三三―一三五
我等は喜べり、されどこの喜びはたゞちに歎きに變れり、一陣の旋風新しき陸《くが》より起りて船の前面《おもて》をうち 一三六―一三八
あらゆる水と共に三度《みたび》これに旋《めぐ》らし四度《よたび》にいたりてその艫《とも》を上げ舳《へさき》を下せり(これ天意《みこゝろ》の成れるなり) 一三九―一四一
遂に海は我等の上に閉ぢたりき 一四二―一四四
第二十七曲
語りをはれるため、焔はすでに上にむかひて聲なく、またやさしき詩人の許しをうけてすでに我等を離れし時 一―三
その後《うしろ》より來れるほかの焔あり、不律の音を中より出して我等の目をその尖《さき》にむけしめき 四―六
たとへばシチーリアの牡牛が(こは鑢《やすり》をもて己を造れる者の歎きをその初聲《はつごゑ》となせる牛なり、またかくなせるや好し) 七―九
苦しむ者の聲によりて鳴き、銅《あかがね》の器《うつは》あたかも苦患《なやみ》に貫かるゝかと疑はれし如く 一〇―一二
はじめは火に路も口もなく、憂ひの言《ことば》かはりて火のことばとなれるも 一三―一五
遂に路をえて登り尖《さき》にいたれる時、こゝにその過ぐるにのぞみて舌よりうけし動搖《ゆるぎ》を傳へ 一六―一八
いひけるは、わが呼ぶ者よ、またいまロムバルディアの語にていざゆけ我また汝を責めずといへる者よ 一九―二一
我おくれて來りぬとも請ふ止まりて我とかたるを厭ふなかれ、わが燃ゆれどもなほ之を厭はざるを見よ 二二―二四
汝若しわが持來れるすべての罪を犯せる處、かのうるはしきラチオの國よりいまこの盲《めしひ》の世に落ちたるならば 二五―二七
ローマニヤ人《びと》のなかに和ありや戰ひありや我に告げよ、我はウルビーノとテーヴェレの源なる高嶺《たかね》との間の山々にすめる者なればなり 二八―三〇
我はなほ心を下にとめ身をまげゐたるに、導者わが脇に觸れ、汝語るべしこれラチオの者なりといふ 三一―三三
この時既にわが答成りければ我ためらはずかたりていふ、下にかくるゝたましひよ 三四―三六
汝のローマニヤには今も昔の如く暴君等の心の中に戰ひたえず、たゞわが去るにあたりて顯著《あらは》なるものなかりしのみ 三七―三九
ラヴェンナはいまも過ぬる幾年《いくとせ》とかはらじ、ポレンタの鷲これを温《あたゝ》め、その翼をもてさらにチェルヴィアを覆ふ 四〇―四二
嘗て長き試みに耐へ、フランス人《びと》の血染めの堆《つか》を築ける邑《まち》は今緑の足の下にあり 四三―四五
モンターニアを虐《しひた》げし古き新しきヴェルルッキオの猛犬《あらいぬ》は舊《もと》の處にゐてその齒を錐《きり》とす 四六―四八
夏より冬に味方を變ふる白巣《しろす》の小獅子はラーモネとサンテルノの二の邑《まち》を治む 四九―五一
またサーヴィオに横を洗はるゝものは野と山の間にあると等しく暴虐と自由の國の間に生く 五二―五四
さて我こゝに汝に請ふ、我等に汝の誰なるやを告げよ、人にまさりて頑ななるなかれ、(かくて願はくは汝の名世に秀でんことを) 五五―五七
火はその習ひにしたがひてしばらく鳴りて後とがれる鋒《さき》をかなたこなたに動かし、氣息《いき》を出していひけるは 五八―六〇
我若しわが答のまた世に歸る人にきかるとおもはゞこの焔はとゞまりてふたゝび搖《ゆら》めくことなからん 六一―六三
されどわがきくところ眞《まこと》ならば、この深處《ふかみ》より生きて還れる者なきがゆゑに、我汝に答ふとも恥をかうむるの恐れなし 六四―六六
我は武器の人なりしがのち帶紐僧《コルヂーリエロ》となれり、こはかく帶して罪を贖はんとおもひたればなり、また我を昔の諸惡にかへらしめし 六七―六九
かの大いなる僧(禍ひ彼にあれ)微《なか》つせばわれこの思ひの成れるを疑はず、されば請ふ事の次第と濫觴《おこり》とをきけ 七〇―七二
我未だ母の與へし骨と肉とをとゝのへる間、わが行《おこなひ》は獅子に似ずして狐に似たりき 七三―七五
我は惡計《たくらみ》と拔道《ぬけみち》をすべてしりつくし、これらの術《わざ》をおこなひてそのきこえ地の極《はて》にまで及べり 七六―七八
わが齡《よはひ》すゝみて人おの/\その帆をおろし綱をまきをさむる時にいたれば 七九―八一
さきにうれしかりしものいまはうるさく、我は悔いまた自白して身を棄てき、かくして救ひの望みはありしをあゝ幸《さち》なし 八二―八四
第二のファリセイびとの王ラテラーノに近く軍《いくさ》を起し、(こはサラチーノ人またはジュデーア人との戰ひにあらず 八五―八七
その敵はいづれも基督教徒《クリスティアーノ》にてしかもその一人《ひとり》だにアークリに勝たんとてゆきまたはソルダーノの地に商人《あきびと》たりしはなし) 八八―九〇
おのが至高の職をも緇衣の分をもおもはず、また帶ぶるものいたく瘠するを常とせし紐《ひも》のわが身にあるをも思はず 九一―九三
あたかもコスタンティーンが癩を癒されんとてシルヴェストロをシラッティに訪へる如く、傲《たかぶり》の熱を癒されんとて 九四―
この者我を醫《くすし》として訪へり、彼我に謀を求め我は默《もだ》せり、その言《ことば》醉へるに似たりければなり ―九九
この時彼我に曰ふ、汝心に懼るゝ勿れ、今よりのち我汝の罪を宥さん、汝はペネストリーノを地に倒さんためわがなすべき事を我に教へよ 一〇〇―一〇二
汝の知る如く我は天を閉ぢまた開くをうるなり、この故に鑰《かぎ》二あり、こは乃ち我よりさきに位にありしものゝ尊まざりしものなりき 一〇三―一〇五
此時この力ある説我をそゝのかして、默すのかへつてあしきを思はしむるにいたれり、我即ちいひけるは、父よ、汝は 一〇六―
わがおちいらんとする罪を洗ひて我を淨むるが故に知るべし、長く約し短く守らば汝高き座《くらゐ》にありて勝利《かち》を稱《とな》ふることをえん ―一一一
我死せる時フランチェスコ來りて我を連《つ》れんとせしに、黒きケルビーニの一《ひとり》彼に曰ひけるは彼を伴ふ勿れ、我に非をなす勿れ 一一二―一一四
彼は下りてわが僕等と共にあるべし、これ僞りの謀を授けしによる、この事ありてより今に至るまで我その髮にとゞまれり 一一五―一一七
悔いざる者は宥さるゝをえず、悔いと願ひとはその相反すること障礙《しやうげ》となりて並び立ちがたし 一一八―一二〇
あゝ憂ひの身なるかな、彼我を捉へて汝は恐らくはわが論理に長《た》くるをしらざりしなるべしといへる時わがをのゝけることいかばかりぞや 一二一―一二三
彼我をミノスにおくれるに、この者|八度《やたび》尾を堅き背に捲き、激しく怒りて之を噛み 一二四―一二六
こは盜む火の罪人等の同囚《なかま》なりといへり、さればみらるゝ如く我こゝに罰をうけてこの衣を着、憂ひの中に歩を《あゆみ》すゝむ 一二七―一二九
さてかく語りをはれる時、炎は歎きつゝその尖れる角をゆがめまた振りて去りゆけり 一三〇―一三二
我もわが導者もともに石橋をわたりて進み、一の濠を蔽へる次の弓門《アルコ》の上にいたれり、この濠の中には 一三三―一三五
分離を釀して重荷を負ふものその負債《おひめ》をつくのへり 一三六―一三八
第二十八曲
たとひ紲《きづな》なき言《ことば》をもちゐ、またしば/\かたるとも、此時わが見し血と傷とを誰かは脱《おち》なく陳べうべき 一―三
收《をさ》むべきことかく多くして人の言《ことば》記憶には限りあれば、いかなる舌といふとも思ふに必ず盡しがたし 四―六
命運|定《さだめ》なきプーリアの地に、トロイア人《びと》のため、また誤ることなきリヴィオのしるせるごとくいと多くの指輪を 七―
捕獲物《えもの》となせし長き戰ひによりて、そのかみその血を歎ける民みなふたゝびよりつどひ ―一二
またロベルト・グイスカールドを防がんとて刃《やいば》のいたみを覺えし民、プーリア人のすべて不忠となれる處なるチェペラン 一三―
およびターリアコッツォのあたり、乃ち老いたるアーラルドが素手《すで》にて勝利《かち》をえしところにいまなほ骨を積重ぬる者之に加はり ―一八
ひとりは刺されし身ひとりは斷たれし身をみすとも、第九の嚢《ボルジヤ》の汚らはしきさまには較《くら》ぶべくもあらぬなるべし 一九―二一
我見しにひとり頤《おとがひ》より人の放屁する處までたちわられし者ありき、中板《なかいた》または端板《はしいた》を失へる樽のやぶれもげにこれに及ばじ 二二―二四
腸《はらわた》は二の脛《はぎ》の間に垂れ、また内臟と呑みたるものを糞《ふん》となす汚《きたな》き嚢《ふくろ》はあらはれき 二五―二七
我は彼を見んとてわが全心を注ぎゐたるに、彼我を見て手をもて胸をひらき、いひけるは、いざわが裂かれしさまをみよ 二八―三〇
マオメットの斬りくだかれしさまをみよ、頤《おとがひ》より額髮まで顏を斬られて歎きつゝ我にさきだちゆくはアーリなり 三一―三三
そのほか汝のこゝにみる者はみな生ける時不和分離の種を蒔けるものなり、この故にかく截らる 三四―三六
後方《うしろ》に一の鬼ありて、我等憂ひの路をめぐりはつればこの群の中なるものを再び悉く劒の刃《は》にかけ 三七―
かく酷《むご》く我等を裝《よそふ》ふ、我等再びその前を過ぐるまでには傷すべてふさがればなり ―四二
されど汝は誰なりや、石橋の上よりながむるはおもふに汝の自白によりて定められたる罰に就くを延べんためならん 四三―四五
わが師答ふらく、死未だ彼に臨まず、また罪彼を苛責に導くにあらず、たゞその知ること周《あまね》きをえんため 四六―四八
死せる我彼を導いて地獄を過ぎ、圈また圈をつたひてこゝに下るにいたれるなり、この事の眞《まこと》なるはわが汝に物言ふことの眞なるに同じ 四九―五一
此言を聞ける時、あやしみのあまり苛責をわすれ、我を見んとて濠の中に止まれる者その數《かず》百を超えたり 五二―五四
さらば汝ほどなく日を見ることをうべきに、フラー・ドルチンに告げて、彼もしいそぎ我を追ひてこゝに來るをねがはずば 五五―
雪の圍《かこみ》が、たやすく得べきにあらざる勝利《かち》をノヴァーラ人に與ふるなからんため糧食《かて》を身の固《かため》となせといへ ―六〇
すでにゆかんとしてその隻脚《かたあし》をあげし後、マオメットかく我に曰ひ、さて去らんとてこれを地に伸ぶ 六一―六三
またひとり喉を貫かれ、鼻を眉の下まで削《そ》かれ、また耳をたゞ一のみ殘せるもの 六四―六六
衆と共にあやしみとゞまりてうちまもりゐたりしが、その外部《そと》ことごとく紅なる喉吭《のどぶえ》を人よりさきにひらきて 六七―六九
いひけるは、罪ありて罰をうくるにあらず、また近似《により》の我を欺くにあらずば上《うへ》なるラチオの國にてかつて見しことある者よ 七〇―七二
汝歸りてヴェルチェルリよりマールカーボに垂るゝ麗しき野を見るをえば、ピエール・ダ・メディチーナの事を忘れず 七三―七五
ファーノの中のいと善き二人《ふたり》メッセル・グイードならびにアンジオレルロに、我等こゝにて先を見ること徒《いたづら》ならずば 七六―
ひとりの殘忍非道の君信を賣るをもて彼等その船より投げられ、ラ・カットリーカに近く沈めらるべしと知らしめよ ―八一
チープリとマイオリカの二の島の間に、海賊によりても希臘人《アルゴスびと》によりてもかゝる大罪の行はるゝをネッツーノだに未だ見ず 八二―八四
かの一をもて物を見、かつわが同囚《なかま》のひとりにみざりしならばよかりしをとおもはしむる邑《まち》の君なる信なき者 八五―八七
詢《はか》ることありとて彼等を招き、かくしてフォカーラの風のためなる誓ひも祈りも彼等に用なきにいたらしむべし 八八―九〇
我彼に、わが汝の消息《おとづれ》を上《うへ》に齎らすをねがはゞ、見しことを痛みとするは誰なりや我に示しかつ告げよ 九一―九三
この時彼手を同囚《なかま》のひとりの※[#「鰐」の「魚」に代えて「月」、第3水準1-90-51]《あぎと》にかけて口をあけしめ、叫びて、これなり、物いはず 九四―九六
彼は逐はれて後チェーザレに説き、人|備《そなへ》成りてなほためらはゞ必ず損害《そこなひ》をうくといひてその疑ひを鎭めしことありきといふ 九七―九九
かく臆することなく物言ひしクーリオも舌を喉吭《のどぶえ》より切放たれ、その驚き怖るゝさまげにいかにぞや 一〇〇―一〇二
こゝにひとり手を二《ふたつ》ともに斷たれしもの、殘りの腕を暗闇のさにさゝげて顏を血に汚し 一〇三―一〇五
さけびていふ、汝また幸なくも事行はれて輙ち成るといへるモスカをおもへ、わがかくいへるはトスカーナの民の禍ひの種なりき 一〇六―一〇八
この時我は詞を添へて、また、汝の宗族《うから》の死なりきといふ、こゝにおいて憂へ憂ひに加はり、彼は悲しみ狂へる人の如く去れり 一〇九―一一一
されど我はなほ群をみんとてとゞまり、こゝに一のものをみたりき、若しほかに證《あかし》なくさりとて良心 一一二―
(自ら罪なしと思ふ思ひを鎧として人に恐るゝことなからしむる善き友)の我をつよくするあらずば、我は語るをさへおそれしなるべし ―一一七
げに我は首《くび》なき一の體《からだ》の悲しき群にまじりてその行くごとくゆくを見たりき、また我いまもこれをみるに似たり 一一八―一二〇
この者切られし首の髮をとらへてあたかも提燈《ちようちん》の如く之をおのが手に吊《つる》せり、首は我等を見てあゝ/\といふ 一二一―一二三
體《からだ》は己のために己を燈《ともしび》となせるなり、彼等は二にて一、一にて二なりき、かゝる事のいかであるやはかく定むるもの知りたまふ 一二四―一二六
まさしく橋下に來れる時、この者その言《ことば》の我等に近からんため腕を首と共に高く上げたり 一二七―一二九
さてその言にいふ、氣息《いき》をつきつゝ死者を見つゝゆく者よ、いざこの心憂き罰を見よ、かく重きものほかにもあるや否やを見よ 一三〇―一三二
また汝わが消息《おとづれ》をもたらすをえんため、我はベルトラム・ダル・ボルニオとて若き王に惡を勸めし者なるをしるべし 一三三―一三五
乃ち我は父と子とを互に背くにいたらしめしなり、アーキトフェルがアブサロネをよからぬ道に唆《そゝの》かしてダヴィーデに背かしめしも 一三六―
この上にはいでじ、かくあへる人と人とを分てるによりて、わが腦はあはれこの體《からだ》の中なるその根元《もと》より分たれ、しかして我これを携ふ ―一四一
應報の律《おきて》乃ち斯くの如くわが身に行はる 一四二―一四四
第二十九曲
多くの民もろ/\の傷はわが目を醉はしめ、目はとゞまりて泣くをねがへり 一―三
されどヴィルジリオ我に曰ふ、汝なほ何を凝視《みつむ》るや、何ぞなほ汝の目を下なる幸なき斬りくだかれし魂の間にそゝぐや 四―六
ほかの嚢《ボルジヤ》にては汝かくなさゞりき、もし彼等をかぞへうべしとおもはゞこの溪|周圍《めぐり》二十二|哩《ミーリア》あるをしるべし 七―九
月は既に我等の足の下にあり、我等にゆるされし時はや殘り少なきに、この外にもなほ汝の見るべきものぞあるなる 一〇―一二
我之を聞きて答へて曰ふ、汝わがうちまもりゐたりし事の由《よし》に心をとめしならんには、わがなほ止まるを許し給ひしなるべし 一三―一五
かくかたる間も導者はすゝみ我は答へつゝうしろに從ひ、さらにいひけるは 一六―
わが目をとめし岩窟《いはあな》の中には、おもふにかく價高き罪をいたむわが血縁の一の靈あり ―二一
この時師曰ひけるは、汝今より後思ひを彼のために碎くなかれ、心をほかの事にとめて彼をこゝに殘しおくべし 二二―二四
我は小橋のもとにて彼の汝を指示《さししめ》し、指をもていたく恐喝《おびや》かすを見たり、我またそのジェリ・デル・ベルロと呼ばるゝを聞けり 二五―二七
汝は此時嘗てアルタフォルテの主なりしものにのみ心奪はれたればかしこを見ず、彼すなはち去れるなり 二八―三〇
我曰ふ、わが導者よ、彼はその横死の怨みのいまだ恥をわかつものによりて報いられざるを憤り 三一―
はかるにこれがために我とものいはずしてゆけるなるべし、我またこれによりて彼を憐れむこといよ/\深し ―三六
斯く語りて我等は石橋のうち次の溪はじめてみゆる處にいたれり、光こゝに多かりせばその底さへみえしなるべし 三七―三九
我等マーレボルジェの最後の僧院の上にいで、その役僧等《やくそうたち》我等の前にあらはれしとき 四〇―四二
憂ひの鏃《やじり》をその矢につけし異樣の歎聲《なげき》我を射たれば我は手をもて耳を蔽へり 四三―四五
七月九月の間に、ヴァルディキアーナ、マレムマ、サールディニアの施療所《せれうじよ》より諸※[#二の字点、1-2-22]の病みな一の濠にあつまらば 四六―
そのなやみこの處のごとくなるべし、またこゝより來る惡臭《をしう》は腐りたる身よりいづるものに似たりき ―五一
我等は長き石橋より最後の岸の上にくだり、つねの如く左にむかふにこの時わが目あきらかになりて 五二―五四
底の方《かた》をもみるをえたりき、こはたふとき帝《みかど》の使者《つかひ》なる誤りなき正義がその世に名をしるせる驅者《かたり》等を罰する處なり 五五―五七
思ふに昔エージナの民の悉く病めるをみる悲しみといへども、(この時空に毒滿ちて小さき蟲にいたるまで 五八―
生きとし生けるもの皆斃る、しかして詩人等の眞《まこと》とみなすところによればこの後古の民
蟻の族《やから》よりふたゝびもとのさまにかへさる)、この暗き溪の中にあまたの束《たば》をなして衰へゆく魂を見る悲しみにまさらじ ―六六
ひとりは俯《うつむ》きて臥し、ひとりは同囚《なかま》の背にもたれ、ひとりはよつばひになりてこの悲しみの路をゆけり 六七―六九
我等は病みて身をあぐるをえざる此等の者を見之に耳をかたむけつつ言《ことば》はなくてしづかに歩めり 七〇―七二
こゝにわれ鍋の鍋に凭《もた》れて熱をうくる如く互に凭れて坐しゐたる二人《ふたり》の者を見き、その頭より足にいたるまで瘡斑點《かさまだら》をなせり 七三―七五
その痒きことかぎりなく、さりとてほかに藥なければ、彼等はしば/\おのが身を爪に噛ましむ 七六―
主《きみ》を待たせし厩奴《うまやもり》または心ならず目を覺《さま》しゐたる僕の馬梳《うまぐし》を用ふるもかくはやきはいまだみず ―八一
爪の痂《かさぶた》を掻き落すことたとへば庖丁の鯉またはこれより鱗大なる魚の鱗をかきおとすごとくなりき 八二―八四
わが導者そのひとりにいひけるは、指をもて鎧を解きかくしてしば/\これを釘拔にかゆる者よ 八五―八七
この中《なか》なる者のうちにラチオ人《びと》ありや我等に告げよ、(かくて願はくは汝の爪|永遠《とこしへ》にこの勞《いたづき》に堪へなんことを) 八八―九〇
かの者泣きつゝ答へて曰ひけるは、かく朽果てし姿をこゝに見する者はともにラチオ人なりき、されど我等の事をたづぬる汝は誰ぞや 九一―九三
導者曰ふ、我はこの生くる者と共に岩また岩をくだるものなり、我彼に地獄を見せんとす 九四―九六
この時互の支《さゝへ》くづれておの/\わなゝきつゝ我にむかへり、また洩れ聞けるほかの者等もかくなしき 九七―九九
善き師身をいとちかく我によせ、汝のおもふことをすべて彼等にいへといふ、我乃ちその意に從ひて曰ひけるは 一〇〇―一〇二
ねがはくは第一の世にて汝等の記憶人の心をはなれず多くの日輪の下にながらへんことを 一〇三―一〇五
汝等誰にて何の民なりや我に告げよ、罰の見苦しく厭はしきをおもひて我に身を明《あ》かすをおそるゝなかれ 一〇六―一〇八
そのひとり答へて曰ふ、我はアレッツオの者なりき、アールベロ・ダ・シエーナによりてわれ火にかゝるにいたれるなり、然《され》ど 一〇九―
我をこゝに導けるは我を死なしめし事に非ず、我戲れに彼に告げて空飛ぶ術《すべ》をしれりといひ、彼はまた事を好みて智乏しき者なりければこの技《わざ》を示さん事を我に求め、たゞわが彼をデーダロたらしめざりし故により彼を子となす者に我を燒かしめしは實《まこと》なり ―一一七
されど過つあたはざるミノスが我を十の中なる最後の嚢《ボルジヤ》に陷らしめしはわが世に行へる錬金の術によりてなりき 一一八―一二〇
われ詩人に曰ひけるは、そも事を好むシエーナ人の如き民かつて世にありしや、げにフランス人《びと》といへどもはるかにこれにおよばじ 一二一―一二三
此時いまひとりの癩を病める者かくいふをきゝてわが言に答へて曰ひけるは、費《つひえ》を愼しむ術《すべ》しれるストリッカ 一二四―
丁子《ちやうじ》の實《み》ねざす園の中にその奢れる用《もちゐ》をはじめて工夫《くふう》せしニッコロを除け ―一二九
また葡萄畑と大なる林とを蕩盡《つかひはた》せしカッチア・ダシアーンおよびその才を時めかせしアツバリアート等の一隊を除け 一三〇―一三二
されどかく汝に與してシエーナ人にさからふ者の誰なるやをしるをえんため、目を鋭くして我にむかへ、さらばわが顏よく汝に答へ 一三三―一三五
汝はわが錬金の術によりて諸※[#二の字点、1-2-22]の金《かね》を詐り變へしカポッキオの魂なるをみん、またわが汝を見る目に誤りなくば、汝は思ひ出づるなるべし 一三六―一三八
我は巧みに自然を似せし猿《ましら》なりしを 一三九―一四一
[#改ページ]
第三十曲
テーベの血セーメレの故によりユノネの怒りに觸れし時(その怒りをあらはせることしば/\なりき) 一―三
いたく狂へるアタマンテはその妻が二人《ふたり》の男子《をとこのこ》を左右の手に載せてゆくを見て 四―六
我等網を張らむ、かくしてわれ牝獅子と獅子の仔をその路にてとらへんとさけび、非情の爪をのばし 七―九
そのひとり名をレアルコといへるを執らへ、ふりまはして岩にうちあて、また女は殘れる荷をもて自ら水に溺れにき 一〇―一二
また何事をもおそれず行へるトロイア人《びと》の僭上命運の覆すところとなりて、王その王土と共に亡ぶにいたれる時 一三―一五
悲しき、あぢきなき、囚虜《とらはれ》の身のエークバは、ポリッセーナの死せるをみ、またこのなやめる者その子ポリドロを 一六―
海のほとりにみとめ、憂ひのために心亂れ、その理性《さとり》をうしなひて犬の如く吠えたりき ―二一
されど物にやどりて獸または人の身を驅るテーベ、トロイアの怒りの猛きも 二二―
わが蒼ざめて裸なる二の魂の中にみし怒りには及ばじ、彼等は恰も欄《をり》を出でたる豚の如く且つ噛み且つ走れり ―二七
その一はカポッキオにちかづき、牙を項《うなじ》にたてゝ彼を曳き、堅き底を腹に磨《す》らしむ 二八―三〇
震ひつゝ殘れるアレッツオの者我に曰ひけるは、かの魔性の魑魅《すだま》はジャンニ・スキッキなり、狂ひめぐりてかく人をあしらふ 三一―三三
我彼に曰ふ、(願はくはいま一の者汝に齒をたつるなからんことを)請ふ此者の誰なるやをそのはせさらぬまに我に告げよ 三四―三六
彼我に、こはいとあしきミルラの舊《ふり》し魂なり、彼正しき愛を超えてその父を慕ひ 三七―三九
おのれを人の姿に變へてこれと罪を犯すにいたれり、あたかもかなたにゆく者が 四〇―
獸の群の女王をえんとて己をブオソ・ドナーティといつはり、その遺言書《ゆゐごんしよ》を作りてこれを法例《かた》の如く調《とゝの》ふるにいたれるに似たり ―四五
狂へる二の者過ぎ去りて後、我は此等に注げる目をめぐらし、ほかの幸《さち》なく世に出でし徒《ともがら》を見たり 四六―四八
我見しにこゝにひとり人の叉生《またさ》すあたりより股の附根《つけね》を切りとるのみにて形琵琶に等しかるべき者ありき 四九―五一
同化しえざる水氣によりて顏腹と配《そ》はざるばかりに身に權衡《けんかう》を失はせ、また之を重からしむる水腫《すゐしゆ》の病は 五二―五四
たえずその唇をひらかしめ、そのさまエチカをやめる者の渇きて一を頤《おとがひ》に一を上にむくるに似たりき 五五―五七
彼我等に曰ふ、あゝいぶかしくも苦患《なやみ》の世にゐて何の罰をもうけざる者よ、心をとめてマエストロ・アダモの幸なきさまを見よ 五八―
生ける時は我ゆたかにわが望めるものをえたりしに、いまはあはれ水の一滴《ひとしづく》をねぎもとむ ―六三
カセンティーンの緑の丘《をか》よりアルノにくだり、水路涼しく軟かき多くの小川は 六四―六六
常にわがまへにあらはる、またこれ徒《いたづら》にあらず、その婆の我を乾すことわが顏の肉を削《そ》ぐこの病よりはるかに甚しければなり 六七―六九
我を責むる嚴《おごそか》なる正義は、我に歎息《ためいき》をいよ/\しげく飛ばさしめんとてその手段《てだて》をわが罪を犯せる處に得たり 七〇―七二
即ちかしこにロメーナとてわがバッティスタの像《かた》ある貨幣《かね》の模擬《まがひ》を造り、そのため燒かれし身を世に殘すにいたれる處あり 七三―七五
されど我若しこゝにグイード、アレッサンドロまたは彼等の兄弟の幸《さち》なき魂をみるをえばその福《さいはひ》をフォンテ・ブラングにもかへじ 七六―七八
狂ひめぐる魂等の告ぐること眞《まこと》ならば、ひとりはすでにこの中にあり、されど身|繋《つな》がるゝがゆゑに我に益なし 七九―八一
たとひ百年《もゝとせ》の間に一|吋《オンチヤ》をゆきうるばかりなりともこの身輕くば、この處|周圍《めぐり》十一|哩《ミーリア》あり 八二―八四
幅半哩を下らざれども、我は既に出立ちて彼をこの見苦しき民の間に尋ねしなるべし 八五―八七
我は彼等の爲にこそ斯かる家族《やから》の中にあるなれ、我を誘ひて三カラートの合金《まぜがね》あるフィオリーノを鑄らしめしは乃ち彼等なればなり 八八―九〇
我彼に、汝の右に近く寄りそひて臥し、冬の濡手《ぬれて》のごとく烟《けぶ》るふたりの幸なき者は誰ぞや 九一―九三
答へて曰ふ、我この巖間《いわま》に降《ふ》り下れる時彼等すでにこゝにありしが其後一|度《たび》も身を動かすことなかりき、思ふに何時《いつ》に至るとも然《しか》せじ 九四―九六
ひとりはジユセッポを讒《しこづ》りし僞りの女、一はトロイアにありしギリシア人《びと》僞りのシノンなり、彼等劇しき熱の爲に臭き烟を出すことかく夥《おびたゞ》し 九七―九九
この時そのひとり、かくあしざまに名をいはれしを怨めるなるべし、拳《こぶし》をあげて彼の硬き腹を打ちしに 一〇〇―一〇二
その音恰も太鼓の如くなりき、マエストロ・アダモはかたさこれにも劣らじとみゆるおのが腕をもてかの者の顏を打ち 一〇三―一〇五
これにいひけるは、たとひこの身重くして動くあたはずともかゝる用《もちゐ》にむかひては自在の肱《かひな》我にあり 一〇六―一〇八
かの者即ち答へて曰ふ、火に行ける時汝の腕かくはやからず、貨幣《かね》を造るにあたりてはかく早く否これよりも早かりき 一〇九―一一一
水氣を病める者、汝のいへるは眞《まこと》なり、されどトロイアにて眞を問はれし時汝はかかる眞の證人《あかしびと》にあらざりき 一一二―一一四
シノネ曰ふ、我は言《ことば》にて欺けるも汝は貨幣《かね》にて欺けるなり、わがこゝにあるは一《ひとつ》の罪のためなるも汝の罪は鬼より多し 一一五―一一七
腹|脹《ふく》るゝ者答へて曰ふ、誓ひを破れる者よ、馬を思ひいで、この事全世界にかくれなきをしりて苦しめ 一一八―一二〇
ギリシアの者曰ふ、汝はまた舌を燒くその渇《かわき》と腹を目の前の籬《まがき》となすその腐水《くさりみづ》のために苦しめ 一二一―一二三
この時|贋金者《にせがねし》、汝の口は昔の如く己が禍ひのために開《あ》く、我渇き水氣によりて膨るるとも 一二四―一二六
汝は燃えて頭いためば、もしナルチッソの鏡だにあらば人のしふるをもまたで之を舐《ねぶ》らむ 一二七―一二九
我は彼等の言をきかんとのみ思ひたりしに、師我に曰ふ、汝少しく愼しむべし、われたゞちに汝と爭ふにいたらん 一三〇―一三二
彼怒りをふくみてかく我にいへるをきける時我は今もわが記憶に渦《うづま》くばかりの恥をおぼえて彼の方にむかへり 一三三―一三五
人凶夢を見て夢に夢ならんことをねがひ、すでに然るを然らざるごとく切《せち》に求むることあり 一三六―一三八
我亦斯くの如くなりき、我は口にていふをえざれば、たえず詫《わ》びつゝもなほ詫びなんことを願ひてわが既にしかせるを思ふことなかりき 一三九―一四一
師曰ふ、恥斯く大いならずともこれより大いなる過ちを洗ふにたる、されば一切の悲しみを脱れよ 一四二―一四四
若し民かくの如く爭ふところに命運汝を行かしむることあらば、わが常に汝の傍にあるをおもへ 一四五―一四七
かゝる事をきくを願ふはこれ卑しき願ひなればなり 一四八―一五〇
第三十一曲
同じ一の舌なれども先には我を刺して左右の頬を染め、後には藥を我にえさせき 一―三
聞くならくアキルレとその父の槍もまたかくのごとく始めは悲しみ後は幸ひを人に與ふる習ひなりきと 四―六
我等は背を幸《さち》なき大溪にむけ、之を繞れる岸の上にいで、言《ことば》も交《まじ》へで横ぎれり 七―九
さてこの邊《あたり》は夜たりがたく晝たりがたき處なれば、我は遠く望み見るをえざりしかど、はげしき雷《いかづち》をも微《かすか》ならしむるばかりに 一〇―
角笛《つのぶえ》高く耳にひゞきて我にその行方《ゆくへ》を溯りつゝ目を一の處にのみむけしめき ―一五
師《いくさ》いたましく敗れ、カルロ・マーニオその聖軍を失ひし後のオルラントもかくおそろしくは吹鳴らさゞりしなりけり 一六―一八
われ頭《かうべ》をかなたにめぐらしていまだほどなきに、多くの高き櫓《やぐら》をみしごとく覺えければ、乃ち曰ふ、師よ、告げよ、これ何の邑なりや 一九―二一
彼我に、汝はるかに暗闇の中をうかゞふがゆゑに量ることたゞしからざるにいたる 二二―二四
ひとたびかしこにいたらば遠き處にありては官能のいかに欺かれ易きものなるやをさだかに知るをえん、されば少しく足をはやめよ 二五―二七
かくてやさしく我手をとりていひけるは、我等かなたにゆかざるうち、この事汝にいとあやしとおもはれざるため 二八―三〇
しるべし、彼等は巨人にして櫓にあらず、またその臍《ほぞ》より下は坎《あな》の中岸のまはりにあり 三一―三三
水氣空に籠《こも》りて目にかくれし物の形、霧のはるゝにしたがひて次第に浮びいづるごとく 三四―三六
我次第に縁《ふち》にちかづきわが眼《まなこ》濃き暗き空を穿つにおよびて誤りは逃げ恐れはましぬ 三七―三九
あたかもモンテレッジオンが圓き圍《かこひ》の上に多くの櫓を戴く如く、おそろしき巨人等は 四〇―
その半身をもて坎をかこめる岸を卷けり(ジョーヴェはいまも雷《いかづち》によりて天より彼等を慴《おび》えしむ) ―四五
我は既にそのひとりの顏、肩、胸および腹のおほくと腋を下れる雙腕《もろかひな》とをみわけぬ 四六―四八
げに自然がかゝる生物を造るをやめてかゝる臣等《おみら》をマルテより奪へるは大いに善し 四九―五一
また彼象と鯨を造れるを悔いざれども、見ることさとき人はこれに依りて彼をいよいよ正しくいよ/\慮《おもんぱかり》あるものとなすべし 五二―五四
そは心の固めもし惡意と能力《ちから》に加はらばいかなる人もこれを防ぐあたはざればなり 五五―五七
顏は長く大きくしてローマなる聖ピエートロの松毯《まつかさ》に似、他《ほか》の骨みなこれに適《かな》へり 五八―六〇
されば下半身の裳《も》なりし岸は彼を高くその上に聳えしむ、おもふに三人《みたり》のフリジア人《びと》もその髮に屆《とゞ》くを 六一―
誇りえざりしなるべし、人の外套《うはぎ》を締合《しめあ》はすところより下方《した》わが目にうつれるもの裕《ゆたか》に三十パルモありき ―六六
ラフェル・マイ・アメク・ツアビ・アルミ、猛き口はかく叫べり、(これよりうるはしき聖歌はこの口にふさはしからず) 六七―六九
彼にむかひてわが導者、愚なる魂よ、怒り生じ雜念起らばその角笛に縋りて之をこころやりとせよ 七〇―七二
あわたゞしき魂よ、頸をさぐりてつなげる紐をえ、また笛のその大いなる胸にまつはるをみよ 七三―七五
かくてまた我に曰ひけるは、彼己が罪を陳ぶ、こはネムブロットなり、世に一の言語《ことば》のみ用ゐられざるは即ちそのあしき思ひによれり 七六―七八
我等彼を殘して去り、彼と語るをやめん、これ益なきわざなればなり、人その言《ことば》をしらざる如く彼また人の言をさとらじ 七九―八一
かくて左にむかひて我等遠くすゝみゆき弩《いしゆみ》とゞく間《あひ》をへだてゝまたひとりいよ/\猛くかつ大いなる者をみき 八二―八四
縛《しば》れる者の誰なりしや我はしらねど、彼|鏈《くさり》をもてその腕を左はまへに右はうしろに繋《つな》がれ 八五―
この鏈頸より下をめぐりてその身のあらはれしところを絡《ま》くこと五囘《いつまき》に及べり ―九〇
わが導者曰ふ、この傲《たかぶ》る者|比類《たぐひ》なきジョーヴェにさからひておのが能力《ちから》をためさんとおもへり、此故にこの報《むくい》をうく 九一―九三
彼名をフィアルテといふ、巨人等が神々の恐るゝところとなりし頃大いなる試《こゝろみ》をなし、その腕を振へるも、今や再び動かすによしなし 九四―九六
我彼に、若しかなはゞ願はくは量り知りがたきブリアレオのわが目に觸れなんことを 九七―九九
彼すなはち答へて曰ふ、汝はこゝより近き處にアンテオを見ん、彼語るをえて身に縛《いましめ》なし、また我等を凡ての罪の底におくらん 一〇〇―一〇二
汝の見んとおもふ者は遠くかなたにありてかくの如く繋がれ形亦同じ、たゞその姿いよ/\猛きのみ 一〇三―一〇五
フィアルテ忽ち身を搖《ゆ》れり、いかに強き地震《なゐ》といへどもその塔をゆるがすことかく劇しきはなし 一〇六―一〇八
此時我は常にまさりて死を恐れぬ、また若し繋《つなぎ》を見ることなくば怖れはすなはち死なりしなるべし 一〇九―一一一
我等すゝみてアンテオに近づけり、彼は岩窟《いはあな》より外にいづること頭を除きて五アルラを下らざりき 一一二―一一四
あゝアンニバールがその士卒と共に背《そびら》を敵にみせし時、シピオンを譽の嗣《よつぎ》となせし有爲《うゐ》の溪間に 一一五―一一七
そのかみ千匹の獅子の獲物《えもの》をはこべる者よ(汝若し兄弟等のゆゝしき師《いくさ》に加はりたらば地の子等|勝利《かち》をえしものをと 一一八―
いまも思ふものあるに似たり)、願はくは我等を寒さコチートを閉すところにおくれ、これをいとひて ―一二三
我等をティチオにもティフォにも行かしむる勿れ、この者よく汝等のこゝに求むるものを與ふるをうるがゆゑに身を屈《かゞ》めよ、顏を顰《しか》むる勿れ 一二四―一二六
彼はこの後汝の名を世に新にするをうるなり、彼は生く、また時未だ至らざるうち恩惠《めぐみ》彼を己が許によぶにあらずばなほ永く生くべし 一二七―一二九
師かく曰へり、彼速かに嘗てエルクレにその強《つよみ》をみせし手を伸べてわが導者を取れり 一三〇―一三二
ヴィルジリオはおのが取られしをしりて我にむかひ、こゝに來《こ》よ、我汝をいだかんといひ、さて己と我とを一の束《たば》とせり 一三三―一三五
傾ける方《かた》よりガーリセンダを仰ぎ見れば、雲その上を超ゆる時これにむかひてゆがむかと疑はる 一三六―一三八
われ心をとめてアンテオの屈むをみしにそのさままた斯くの如くなりき、さればほかの路を行かんとの願ひもげにこれ時に起れるなるを 一三九―一四一
彼は我等をかるやかにジユダと共にルチーフェロを呑める底におき、またかくかゞみて時ふることなく 一四二―一四四
船の檣の如く身を上げぬ 一四五―一四七
第三十二曲
若し我にすべての巖壓《いはほお》しせまる悲しみの坎《あな》にふさはしきあらきだみたる調《しらべ》あらば 一―三
我わが想《おもひ》の汁《しる》をなほも漏れなく搾《しぼ》らんものを、我に是なきによりて語るに臨み心後る 四―六
夫れ全宇宙の底を説くは戲れになすべき業《わざ》にあらず、阿母阿父とよばゝる舌また何ぞよくせんや 七―九
たゞ願はくはアムフィオネをたすけてテーべを閉せる淑女等わが詩をたすけ、言《ことば》の事と配《そ》はざるなきをえしめんことを 一〇―一二
あゝ萬の罪人にまさりて幸なく生れし民、語るも苦《つら》き處に止まる者等よ、汝等は世にて羊または山羊《やぎ》なりしならば猶善かりしなるべし 一三―一五
我等は暗き坎《あな》の中巨人の足下《あしもと》よりはるかに低き處におりたち、我猶高き石垣をながめゐたるに 一六―一八
汝心して歩め、あしうらをもて幸なき弱れる兄弟等の頭を踏むなかれと我にいふものありければ 一九―二一
われ身をめぐらしてみしにわが前また足の下に寒さによりて水に似ず玻璃に似たる一の池ありき 二二―二四
冬のオステルリッキなるダノイアもかの寒空《さむぞら》の下なるタナイもこの處の如く厚き覆面衣《かほおひ》をその流れの上につくれることあらじ 二五―
げにタムベルニッキまたはピエートラピアーナその上に落ちぬともその縁《ふち》すらヒチといはざりしなるべし ―三〇
また農婦が夢にしば/\落穗を拾ふころ、顏を水より出して鳴かんとする蛙の如く 三一―三三
蒼ざめしなやめる魂等は愧《はぢ》のあらはるゝところまで氷にとざゝれ、その齒を鶴の調《しらべ》にあはせぬ 三四―三六
彼等はみなたえず顏を垂る、寒さは口より憂き心は目よりおの/\その證《あかし》をうけぬ 三七―三九
我しばしあたりをみし後わが足元にむかひ、こゝに頭の毛まじらふばかりに近く身をよせしふたりの者を見き 四〇―四二
我曰ふ、胸をおしあはす者よ、汝等は誰なりや我に告げよ、彼等頸をまげ顏をあげて我にむかへるに 四三―四五
さきに内部《うち》のみ濕へるその眼《まなこ》、あふれながれて唇に傳はり、また寒さは目の中の涙を凍らしてふたゝび之をとざせり 四六―四八
鎹《かすがひ》といふともかくつよくは木と木をあはすをえじ、是に於て彼等はげしき怒りを起し、二匹の牡山羊《をやぎ》の如く衝《つ》きあへり 四九―五一
またひとり寒さのために耳を二《ふたつ》ともに失へるもの、うつむけるまゝいひけるは、何ぞ我等をかく汝の鏡となすや 五二―五四
汝このふたりの誰なるを知らんとおもはゞ、聞くべし、ビセンツォの流るゝ溪は彼等の父アルベルト及び彼等のものなりき 五五―五七
彼等は一の身より出づ、汝あまねくカイーナをたづぬとも、氷の中に埋《いけ》らるゝにふさはしきこと彼等にまさる魂をみじ 五八―六〇
アルツーの手にかゝりたゞ一突《ひとつき》にて胸と影とを穿たれし者も、フォカッチヤーも、また頭をもて我を妨げ我に遠く 六一―
見るをえざらしむるこの者(名をサッソール・マスケローニといへり、汝トスカーナ人《びと》ならばよく彼の誰なりしやをしらむ)もまさらじ ―六六
又汝かさねて我に物言はす莫からんため、我はカミチオン・デ・パッチといひてカルリンのわが罪をいひとくを待つ者なるをしるべし 六七―六九
かくて後我は寒さのため犬の如くなれる千の顏をみき、又之を見しによりて凍れる沼は我をわなゝかしむ、後もまた常にしからむ 七〇―七二
我等一切の重力集まる處なる中心にむかひてすゝみ、我はとこしへの寒さの中にふるひゐたりし時 七三―七五
天意常數命運のいづれによりしやしらず、頭《かうべ》の間を歩むとてつよく足をひとりの者の顏にうちあてぬ 七六―七八
彼泣きつゝ我を責めて曰ひけるは、いかなれば我をふみしくや、モンタペルティの罰をまさんとて來れるならずば何ぞ我をなやますや 七九―八一
我、わが師よ、わがこの者によりて一の疑ひを離るゝをうるため請ふ、この處にて我を待ち、その後心のまゝに我をいそがせたまへ 八二―八四
導者は止まれり、我すなはちなほ劇しく詛ひゐたる者にむかひ、汝何者なればかく人を罵るやといへるに 八五―八七
彼答へて、しかいふ汝は何者なればアンテノーラを過ぎゆきて人の頬を打つや、汝若し生ける者なりせば誰かはこれに耐《た》へうべきといふ 八八―九〇
我答へて曰ひけるは、我は生く、このゆゑに汝名を求めば、わが汝の名を記録の中にをさむるは汝の好むところなるべし 九一―九三
彼我に、わが求むるものはその反對《うら》なり、こゝを立去りてまた我に累をなすなかれ、かく諂《へつら》ふともこの窪地《くぼち》に何の益あらんや 九四―九六
この時我その項《うなじ》の毛をとらへ曰ひけるは、いまはのがるゝに途なし、若し名をいはずば汝の髮一筋をだにこゝに殘さじ 九七―九九
彼聞きて曰ふ、汝たとひわが髮を※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》るとも我の誰なるやを告げじ、また千度《ちたび》わが頭上《づじやう》に落來るともあらはさじ 一〇〇―一〇二
我ははやくも髮を手に捲き、これを拔くこと一房より多きにおよび、彼は吠えつゝたえずその目を垂れゐたるに 一〇三―一〇五
ひとり叫びていひけるは、ボッカよ何をかなせる、※[#「鰐」の「魚」に代えて「月」、第3水準1-90-51]《あぎと》を鳴らすもなほ足らずとて吠ゆるか、汝に觸《さは》るは何の鬼ぞや 一〇六―一〇八
我曰ふ、恩に背きし曲者奴《くせものめ》、いまは汝に聞くの用なし、我汝の眞《まこと》の消息《おとづれ》を携へゆきこれを汝の恥となさん 一〇九―一一一
彼答へて曰ふ、往け、しかして思ひのまゝにかたれ、されど汝この中よりいでなば、いまかく口を輕くせし者のことをものべよ 一一二―一一四
彼こゝにフランス人《びと》の銀を悼《いた》む、汝いふべし、我は罪人の冷ゆる處にヅエラの者をみたりきと 一一五―一一七
汝またほかに誰ありしやと問はるゝことあらん、しるべし、汝の傍《そば》にはフィオレンツァに喉を切られしベッケーリアの者あり 一一八―一二〇
かなたにガネルローネ及び眠れるファーエンヅァをひらきしテバルデルロとともにあるはおもふにジャンニ・デ・ソルダニエルなるべし 一二一―一二三
我等既に彼をはなれし時我は一の孔の中に凍れるふたりの者をみき、一の頭は殘りの頭の帽となり 一二四―一二六
上なるものは下なるものゝ腦《なう》と項《うなじ》とあひあふところに齒をくだし、さながら饑ゑたる人の麪麭《パン》を貪り食ふに似たりき 一二七―一二九
怒れるティデオがメナリッポの後額《こめかみ》を噛めるもそのさま之に異ならじとおもふばかりにこの者|腦蓋《なうがい》とそのあたりの物とをかめり 一三〇―一三二
我曰ふ、あゝかく人を食《は》みあさましきしるしによりてその怨みをあらはす者よ、我に故を告げよ、我も汝と約を結び 一三三―一三五
汝の憂ひに道理《ことわり》あらば、汝等の誰なるや彼の罪の何なるやをしり、こののち上《うへ》の世に汝にむくいん 一三六―一三八
わが舌乾くことなくば 一三九―一四一
第三十三曲
かの罪人《つみびと》口をおそろしき糧《かて》よりもたげ、後方《うしろ》を荒らせし頭なる毛にてこれをぬぐひ 一―三
いひけるは、望みなき憂ひはたゞ思ふのみにて未だ語らざるにはやくも我心を絞るを、汝これを新《あらた》ならしめんとす 四―六
されどわが言《ことば》我に噛まるゝ逆賊の汚辱《をじよく》の實を結ぶ種たりうべくば汝はわがかつ語りかつ泣くを見ん 七―九
我は汝の誰なるをも何の方法《てだて》によりてこゝに下れるをも知らず、されどその言をきくに汝は必ずフィレンツェの者ならん 一〇―一二
汝知るべし、我は伯爵《コンテ》ウゴリーノ此《こ》は僧正ルツジェーリといへる者なり、いざ我汝に何によりてか上る隣人《となりびと》となれるやを告げん 一三―一五
彼の惡念あらはるゝにおよびて彼を信ぜる我とらへられ、のち殺されしことはいふを須ひず 一六―一八
されば汝の聞きあたはざりし事、乃ちわが死のいかばかり殘忍なりしやは汝聞きて彼我を虐《しひた》げざりしや否やを知るべし 一九―二一
わがためには餓《うゑ》の名をえてこののちなほも人を籠《こ》むべき塒《とや》なる小窓が 二二―二四
既に多くの月をその口より我に示せる頃、我はわが行末の幔《まく》を裂きし凶夢を見たり 二五―二七
すなはちこの者|長《をさ》また主《きみ》となりてルッカをピサ人に見えざらしむる山の上に狼とその仔等を逐ふに似たりき 二八―三〇
肉瘠せ氣|燥《はや》り善く馴らされし牝犬《めいぬ》とともにグアンディ、シスモンディ、ランフランキをその先驅《さきて》とす 三一―三三
逐はれて未だ程なきに父も子もよわれりとみえ、我は彼等が鋭き牙にかけられてその傍腹《わきばら》を裂かるゝを見しとおぼえぬ 三四―三六
さて曉に目をさましし時我はともにゐしわが兒等の夢の中に泣きまた麪麭《パン》を乞ふ聲をきゝぬ 三七―三九
若しわが心にうかべる禍ひの兆《きざし》をおもひてなほいまだ悲しまずば汝はげに無情なり、若し又泣かずば汝の涙は何の爲ぞや 四〇―四二
彼等はめさめぬ、糧《かて》の與へらるべき時は近づけり、されど夢のためそのひとりだに危ぶみ恐れざるはなかりき 四三―四五
この時おそろしき塔の下なる戸に釘打つ音きこえぬ、我はわが兒等の顏を見るのみ言《ことば》なし 四六―四八
我は泣かざりき、心石となりたればなり、彼等は泣けり、わがアンセルムッチオ、かく見たまふは父上いかにしたまへるといふ 四九―五一
かくても我に涙なかりき、またわれ答へでこの日この夜をすごし日輪再び世にあらはるゝ時に及べり 五二―五四
微《かすか》なる光憂ひの獄《ひとや》にいりきたりてかの四の顏にわれ自らのすがたをみしとき 五五―五七
我は悲しみのあまり雙手《もろて》を噛めり、わがかくなせるを食《くら》はんためなりとおもひ、彼等俄かに身を起して 五八―六〇
いひけるは、父よ我等をくらひたまはゞ我等の苦痛《いたみ》は却つて輕からむ、この便《びん》なき肉を我等に着せたまへるは汝なれば汝これを剥《は》ぎたまへ 六一―六三
我は彼等の悲しみを増さじとて心をしづめぬ、この日も次の日も我等みな默《もだ》せり、あゝ非情の土よ、汝何ぞ開かざりしや 六四―六六
第四日《よつかめ》になりしときガッドはわが父いかなれば我をたすけたまはざるやといひ、身をのべわがあしもとにたふれて 六七―六九
その處に死にき、かくて五日と六日目の間に我はまのあたり三人《みたり》のあひついでたふるゝをみぬ、我また盲《めしひ》となりしかば 七〇―
彼等を手にてさぐりもとめて死後なほその名を呼ぶこと二日、この時斷食の力憂ひにまさるにいたれるなりき ―七五
かくいへる時彼は目を斜《なゝめ》にしてふたゝび幸《さち》なき頭顱《かうべ》を噛めり、その齒骨に及びて強きこと犬の如くなりき 七六―七八
あゝピサよ、シを語となすうるはしき國の民の名折《なをれ》よ、汝の隣人《となりびと》等汝を罰するおそければ 七九―八一
ねがはくはカプライアとゴルゴーナとゆるぎいでゝアルノの口に籬《まがき》をめぐらし、汝の中なる人々悉く溺れ死ぬるにいたらんことを 八二―八四
そはたとひ伯爵《コンテ》ウゴリーノに汝に背きて城を賣れりとのきこえありとも汝は兒等をかく十字架につくべきにあらざればなり 八五―八七
第二のテーべよ、年若きが故にすなはち罪なし、ウグッチオネもイル・ブリガータもまた既にこの曲に名をいへる二人《ふたり》の者も 八八―九〇
我等はなほ進み、ほかの民の俯《うつむ》かずうらがへりてあらく氷に包まるゝところにいたれり 九一―九三
こゝには憂へ憂ひをとゞめ、なやみは目の上の障礙《しやうげ》にさへられ、苦しみをまさんとて内部《うち》にかへれり 九四―九六
そははじめの涙|凝塊《かたまり》となりてあたかも玻璃の被物《おほひ》の如く眉の下なる杯を滿たせばなり 九七―九九
わが顏は寒さのため、胼胝《たこ》のいでたるところにひとしく凡ての感覺を失へるに 一〇〇―一〇二
この時わが風に觸るゝを覺え、曰ひけるは、わが師よ、これを動かすものは誰ぞや、この深處《ふかみ》には一切の地氣消ゆるにあらずや 一〇三―一〇五
彼即ち我に、汝は程なく汝の目が風を降《ふ》らす源《もと》をみてこれが答を汝にえさすところにいたらん 一〇六―一〇八
氷の皮なる幸なき者の中ひとり叫びて我等にいひけるは、あゝ非道にして最後の立處《たちど》に罪なはれたる魂等よ 一〇九―一一一
堅き被物《おほひ》を目よりあげて涙再び凍らぬまに我胸にあふるゝ憂ひを少しく洩すことをえしめよ 一一二―一一四
我すなはち彼に、わが汝をたすくるをねがはゞ汝の誰なるやを我に告げよ、かくして我もしその支障《さゝはり》を去らずば我は氷の底にゆくべし 一一五―一一七
この時彼答ふらく、我は僧《フラーテ》アルベリーゴなり、よからぬ園の木の實の事ありてここに無花果に代へ無漏子《むろし》をうく 一一八―一二〇
我彼に曰ふ、さらば汝既に死にたるか、彼我に、我はわが體《からだ》のいかに上の世に日をふるやをしらず 一二一―一二三
このトロメアには一の得ありていまだアトローポスに追はれざるに魂しば/\こゝに落つることあり 一二四―一二六
また汝玻璃にひとしき此涙をいよ/\こゝろよくわが顏より除くをえんため、しるべし、魂わがなせるごとく信に背くことあれば 一二七―
鬼たゞちにその體《からだ》を奪ひ、みづからこれが主となりて時のめぐりをはるを待ち ―一三二
おのれはかゝる水槽《みづぶね》の中におつ、さればわが後方《うしろ》に冬を送る魂もおもふにいまなほその體《からだ》を上の世にあらはすなるべし 一三三―一三五
汝今此處にくだれるならば彼を知らざることあらじ、彼はセル・ブランカ・ドーリアなり、かく閉されてより既に多くの年を經たり 一三六―一三八
我彼に曰ふ、我は汝の欺くをしる、ブランカ・ドーリアは未だ死なず、彼|食《く》ひ飮み寢《い》ねまた衣《ころも》を着るなり 一三九―一四一
彼曰ふ、上なるマーレブランケの濠の中、粘《ねば》き脂《やに》煮ゆるところにミケーレ・ツァンケ未だ着かざるうち 一四二―一四四
この者その體《からだ》に鬼を殘して己にかはらせ、彼と共に逆を行へるその近親のひとりまたしかなせり 一四五―一四七
されどいざ手をこなたに伸べて我目をひらけ、我はひらかざりき、彼にむかひて暴《みだり》なるは是即ち道なりければなり 一四八―一五〇
あゝジエーノヴァ人《びと》よ、一切の美風をはなれ一切の邪惡を滿たす人々よ、汝等の世より散りうせざるは何故ぞ 一五一―一五三
我は極惡《ごくあく》なるローマニアの魂と共に汝等のひとりその行《おこなひ》によりて魂すでにコチートに浸《ひた》り 一五四―
身はなほ生きて地上にあらはるゝ者をみたりき ―一五九
第三十四曲
地獄の王の旗あらはる、此故に前方《まへ》を望みて彼を認むるや否やを見よ、わが師かく曰へり 一―三
濃霧起る時、闇わが半球を包む時、風のめぐらす碾粉車《こひきぐるま》の遠くかなたに見ゆることあり 四―六
我もこの時かゝる建物《たてもの》をみしをおぼえぬ、また風をいとへどもほかに避くべき處なければ、われ身を導者の後方《うしろ》に寄せたり 七―九
我は既に魂等全く掩《おほ》ひ塞《ふさ》がれ玻璃の中なる藁屑《わらくづ》の如く見え透《す》ける處にゐたり(これを詩となすだに恐ろし) 一〇―一二
伏したる者あり、頭を上にまたは蹠《あしうら》を上にむけて立てる者あり、また弓の如く顏を足元《あしもと》に垂れたる者ありき 一三―一五
我等遠く進みし時、わが師は昔姿美しかりし者を我にみすべき機《おり》いたれるをみ 一六―一八
わが前をさけて我にとゞまらせ、見よディーテを、また見よ雄々《をゝ》しさをもて汝を固《かた》むべきこの處をといふ 一九―二一
この時我身いかばかり冷《ひ》えわが心いかばかり挫《くじ》けしや、讀者よ問ふ勿れ、言《ことば》及ばざるがゆゑに我これを記《しる》さじ 二二―二四
我は死せるにもあらずまた生けるにもあらざりき、汝|些《すこし》の理解《さとり》だにあらば請ふ今自ら思へ、彼をも此をも共に失へるわが當時のさまを 二五―二七
悲しみの王土の帝《みかど》その胸の半《なかば》まで氷の外《そと》にあらはれぬ、巨人をその腕に比ぶるよりは 二八―
我を巨人に比ぶるかたなほ易し、その一部だにかくのごとくば之に適《かな》へる全身のいと大いなること知りぬべし ―三三
彼今の醜《みにく》きに應じて昔美しくしかもその造主《つくりぬし》にむかひて眉を上げし事あらば一切の禍ひ彼よりいづるも故なきにあらず 三四―三六
我その頭に三の顏あるを見るにおよびてげに驚けることいかばかりぞや、一は前にありて赤く 三七―三九
殘る二は左右の肩の正中《たゞなか》の上にてこれと連《つらな》り、かつ三ともに※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]冠《とさか》あるところにて合へり 四〇―四二
右なるは白と黄の間の色の如く、左なるはニーロの水上《みなかみ》より來る人々の如くみえき 四三―四五
また顏の下よりはかゝる鳥ににつかしき二《ふたつ》の大いなる翼いでたり、げにかく大いなるものをば我未だ海の帆にも見ず 四六―四八
此等みな羽なくその構造《つくりざま》蝙蝠《かうもり》の翼に似たり、また彼此等を搏ち、三の風彼より起れり 四九―五一
コチートの悉く凍れるもこれによりてなりき、彼は六の眼《まなこ》にて泣き、涙と血の涎《よだれ》とは三の頤《おとがひ》をつたひて滴《したゝ》れり 五二―五四
また口毎にひとりの罪人《つみびと》を齒にて碎くこと碎麻機《あさほぐし》の如く、かくしてみたりの者をなやめき 五五―五七
わけて前なる者は爪にかけられ、その背しば/\皮なきにいたれり、これにくらぶれば噛まるゝは物の數ならじ 五八―六〇
師曰ふ、高くかしこにありてその罰最も重き魂はジユダ・スカリオットなり、彼頭を内にし脛を外に振る 六一―六三
頭さがれるふたりのうち、黒き顏より垂るゝはプルートなり、そのもがきて言《ことば》なきを見よ 六四―六六
また身いちじるしく肥ゆとみゆるはカッシオなり、されど夜はまた來れり、我等すでにすべてのものを見たればいざゆかん 六七―六九
我彼の意に從ひてその頸を抱けるに彼はほどよき時と處をはかり、翼のひろくひらかれしとき 七〇―七二
毛深き腋に縋《すが》り、叢《むら》また叢をつたはりて濃き毛と氷層のあひだをくだれり 七三―七五
かくて我等股の曲際《まがりめ》腰の太《ふと》やかなるところにいたれば導者は疲れて呼吸《いき》もくるしく 七六―七八
さきに脛をおけるところに頭をむけて毛をにぎり、そのさま上《のぼ》る人に似たれば我は再び地獄にかへるなりとおもへり 七九―八一
よわれる人の如く喘ぎつゝ師曰ひけるは、かたくとらへよ、我等はかゝる段《きだ》によりてかゝる大いなる惡を離れざるをえず 八二―八四
かくて後彼とある岩の孔《あな》をいで、我をその縁《ふち》にすわらせ、さて心して足をわが方《かた》に移せり 八五―八七
我はもとのまゝなるルチーフェロをみるならんとおもひて目を擧げて見たりしにその脛上にありき 八八―九〇
わが此時の心の惑ひはわが過ぎし處の何なるやを辨《わきま》へざる愚なる人々ならではしりがたし 九一―九三
師曰ふ、起きよ、路遠く道程《みちすぢ》艱《かた》し、また日は既に第三時の半に歸れり 九四―九六
我等の居りし處は御館《みたち》の廣間《ひろま》にあらず床《ゆか》粗《あら》く光乏しき天然の獄舍《ひとや》なりき 九七―九九
我立ちて曰ひけるは、師よ、わがこの淵を去らざるさきに少しく我に語りて我を迷ひの中よりひきいだしたまへ 一〇〇―一〇二
氷はいづこにありや、この者いかなればかくさかさまに立つや、何によりてたゞしばしのまに日は夕《ゆふ》より朝に移れる 一〇三―一〇五
彼我に、汝はいまなほ地心のかなた、わがさきに世界を貫くよからぬ蟲の毛をとらへし處にありとおもへり 一〇六―一〇八
汝のかなたにありしはわがくだれる間のみ、われ身をかへせし時汝は重量《おもさ》あるものを四方より引く點を過ぎ 一〇九―一一一
廣き乾ける土に蔽はれ、かつ罪なくして世に生れ世をおくれる人その頂點のもとに殺されし半球を離れ 一一二―
いまは之と相對《あひむか》へる半球の下にありて、足をジユデッカの背面を成す小さき球の上におくなり ―一一七
かしこの夕はこゝの朝にあたる、また毛を我等の段《きだ》となせし者の身をおくさまは今も始めと異なることなし 一一八―一二〇
彼が天よりおちくだれるはこなたなりき、この時そのかみこの處に聳えし陸は彼を恐るゝあまり海を蔽物《おほひ》となして 一二一―一二三
我半球に來れるなり、おもふにこなたにあらはるゝものもまた彼をさけんためこの空處をこゝに殘して走り上《のぼ》れるなるべし 一二四―一二六
さてこの深みにベルヅエブの許より起りてその長さ墓の深さに等しき一の處あり、目に見えざれども 一二七―
一の小川の響きによりてしらる、この小川は囘《めぐ》り流れて急ならず、その噛み穿てる岩の中虚《うつろ》を傳はりてこゝにくだれり ―一三二
導者と我とは粲《あざや》かなる世に歸らんため、このひそかなる路に入り、しばしの休《やすみ》をだにもとむることなく 一三三―一三五
わが一の圓き孔の口より天の負《お》ひゆく美しき物をうかゞふをうるにいたるまで、彼第一に我は第二に上《のぼ》りゆき 一三六―一三八
かくてこの處をいでぬ、再び諸々の星をみんとて 一三九―一四一
註
第一曲
ダンテ路を失ひて暗き林の中に迷ふ、會※[#二の字点、1-2-22]一丘上に光明を認め之に向ひて進む、されど豹、獅子、狼の出でゝ路を塞ぐにあひ再び林にかへらんとす、この時ウェルギリウスこれにあらはれて救ひの道を示し三界の歴程を勤め且つ自ら導者となりてまづ地獄、淨火をめぐらんと告ぐ
一―三
【正路】有徳の路
【半】詩人三十五歳の時、人生を七十と見做してその半にあたるをいふ(詩篇、九〇・一〇及びダンテの『コンヴィヴィオ』四・二三、八八以下參照)
ダンテの生れしは一二六五年なり、故に『神曲』示現の時は一三〇〇年聖金曜日の前夜にはじまる(地、二・一註參照)一三〇〇年はダンテがフィレンツェのプリオレとなりし年又ローマに有名なる大會式(ジュビレーオ)(地、一八・二九及び註參照)ありし年なり
【林】罪の路乃ち時黒なる娑婆世界
七―九
【幸】覺醒、理性の聲を聞き、覺めて救ひの路に就くにいたれること
一〇―一二
【睡り】罪の甘き夢に魁せられ我知らず光の路を失へるさま
一三―一五
【溪】即ち暗き林
【山】喜びの始めまた源なる幸の山(七八行)、罪の路は林の苦しみに導き有徳の路は山の喜びに導く
一六―一八
【直くみちびく】ヨハネ、一一・九に曰、人若し晝あるかば躓くことなしこの世の光を見るによりてなり
【遊星】太陽、當時遊星の一にかぞへられたればなり、太陽の光は神より出づる生命の光なり(ヨハネ、八・一二)
二二―二四
【人】破船の厄に遭へる人
二五―二七
【路】林の路、即ち罪の生涯を囘顧せるなり
二八―三〇
【低き足】坂路を上るが故に片足高く片足低し
三一―三三
【豹】肉慾の象徴、その皮斑紋ありて美しければなり
註釋者曰、豹、獅子、狼は肉慾、慢心、貪婪の三惡を表はし、エレミヤ、五・六に、林よりいづる獅子は彼等を殺し荒野の狼は彼等を滅ぼし豹は彼等の町々をねらふとあるに據れるなりと
三七―四五
【朝の始め】一三〇〇年聖金曜日の朝まだき
【星】白羊宮の星、太陽の白羊宮にあるは春の始め(三月下旬より四月下旬まで)なり
傳説に曰、天地の創造せられし時は春なり而して太陽が白羊宮に入りてその運行をはじめし日乃ち春分はキリストの懷胎並びに磔殺の日と相同じと
【美しき物】天體(地、三四・一三七參照)神天地を造り日月星辰に始めて運行を與へ給へる時白羊宮にありし太陽はこの天宮の中なる他の諸星と共に今同じ處にありて登れり
【望み】豹に勝つべき望み
四九―五〇
【多くの民】貪婪の禍ひ大なるをいふ
五八―六〇
【默す】光照らざる
六一―六三
【聲嗄る】久しく人と語らざる古人の靈の如く見えたり
六七―六九
【彼】ウェルギリウス(ヴィルジリオ)、有名なるラテン詩人(前七〇―一九年)、著書數卷あり、就中『アエネイス』最もあらはる
ウェルギリウスはホメロスと共に古來最大詩人の一に數へられ、中古特にいちじるしく歎美せられし詩人なり、しかしてダンテのあまねくその著作を愛讀しこれに精通せるは、この曲中ダンテ自らいへること及び『神曲』を通じてこの古詩人を引照せる甚だ多き事等によりてあきらかなり、『アエネイス』はその詩材よりいふもアエネアスの冥府めぐりイタリア建國の事業等ダンテ自身及びその詩に關係深きものゝみなればこの歌の作者を導者にえらべるはその當をえたりといふべし、『神曲』中のウェルギリウスは理性若しくは哲理の代表者なり
【ロムバルディア】イタリア北部の國名、ダンテの時代には今の所謂ロムバルディアより廣かりきといふ
【マントヴァ】ロムバルディアにある町、その地勢及び由來は地、二〇・五五以下に詳し
七〇―七二
【後れて】ウェルギリウスはユーリウス・カエサル(ジウリオ・チエーザレ)に後るゝこと二十九年にして生れカエサルの殺害せられしとき二十六歳なりき
おもふに七〇行の Sub Iulio(ユーリオの世)はカエサルの名の世に知られし時をも加へおしなべてかくいへるなるべし、カエサルが政權を掌握せるはウェルギリウスの誕生よりはるかに後の事なればなり
【アウグスト】アウグストゥス・オクタウィアヌス、ローマ皇帝(前六三―後一四年)
七三―七五
【イーリオン】トロイア。小アジアの海濱にありし町にて有名なるトロイア戰爭ありし處
トロイア王プリアモスの子パリス、スパルタ王メネラオスに客たりしがその妻ヘレネを奪ひて本國に歸り、これがためにトロイア戰爭なるもの起るにいたれるなり、戰ひ十年に亙りて城陷り兵火に罹りて燒く
【アンキーゼの義しき子】アエネアス、アンキセスとアプロディテの間に生る、トロイアの名將なり
ウェルギリウスの『アエネイス』はトロイア城陷落の後なるアエネアスの流落にはじまり、そのイタリアにいたりツルヌスを殺して建國の基を起すにをはる
八五―八七
【譽】『神曲』以前の作なる短詩すでに世に知らる(淨、二四・四九以下參照)
九一―九三
【他《ほか》の路】罪の恐るべきをさとれる者徳の生涯を心中に畫くといへども未だ全く罪の覊絆を脱せるにあらず徳に入るの準備成れるにあらねばたゞちに光明の山に登りて神恩に浴する能はず、まづ地獄を經て罪をはなれ淨火を經て穢れを淨めざるべからず
一〇〇―一〇二
【妻とする獸】貪婪に伴ふ罪惡
【獵犬】將來世に出でゝ物質上及び精神上よりその救ひとなるべき偉大の人物(恐らくは皇帝若しくは法王)
註釋者或ひはキリストの再來をいひ或ひは當時ヴェロナの明君なりしカン・グランデ・デルラ・スカーラの如き知名の士を擧ぐるもいづれも疑はし、思ふに捕捉し難きダンテの獵犬にしひて具體的な解釋を求めんとするは無益の業ならん
一〇三―一〇五
【フェルトロ】意義不明
一〇六―一〇八
【カムミルラ】ヴォルシ人の王メタブルの女なり、ツルヌスを助けてトロイア人と戰ひ、戰死す(『アエネイス』七・八〇三及び一一卷)
【エウリアーロ、ニソ】エウリアルス、ニスス共にトロイア人、友情を以て名高し、ヴォルシ人と戰ひ共に斃る(同上、九・一七九以下)
【ツルノ】ツルヌス、ルツルリア人の王、アエネアスと戰ひて死す(同上、一二卷)
【低きイタリア】古くラチオ(ラティウム)と稱しローマを含めるイタリアの一部、北方の高地に對し平野多きを以て低しといふ
一〇九―一一一
【嫉み】地獄の王ルチーフェロ(ルキフェル)の嫉み、惡魔人類の幸福をねたみ、禍ひの獸なる貪慾を世に放てるなり
一一二―一一四
【不朽の地】地獄
一一五―一一七
異本曰、汝はそこに望みなき叫びを聞き第二の死を呼び求なる古のなやめる魂をみるべし
【第二の死】魂肉を離るゝは第一の死、魂無に歸するは第二の死なり、地獄に罰をうくる魂苦しみのあまり己の滅び失せんことを求むるなり
【古の】ダンテ以前の死者を總括していへり
一一八―一二〇
時滿ちて天界に登るを得る望みあるが故に甘んじて淨めの苦しみをうくる淨火中の魂
一二一―一二三
【魂】ベアトリーチェ
一二四―一二六
【律法に背ける】神をあがむるの道をつくさゞりしをいふ(地、四・三八)
一三〇―一三二
【禍ひ】現世の
【大なる禍ひ】後世の
一三三―一三五
【聖ピエートロの門】淨火の門、キリスト鑰をピエートロに與へ(マタイ、一六・一九)、ピエートロはこれを天使に托して淨火の門を開閉せしむ(淨、九・一一七以下參照)
第二曲
既にしてダンテ自らかへりみてその力よく冥界をめぐるに足るや否やを疑ふ、ウェルギリウス乃ちこれに告ぐるに己がリムボを出でゝ曠野に來るに至れる由來を以てし、これを勵まして地獄にむかはしむ
一―三
【日は傾けり】一三〇〇年四月八日の夕暮
兩詩人の地獄にむかへるは一三〇〇年の聖金曜日なりしこと地、二一・一一二以下なるマラコダの言によりて明かなり、されどこの金曜日は何月何日に當りしや、或人は三月二十五日といひ或人は四月八日といふ、こゝにはムーア博士の説に從ひて後説を採れり、詳しくは博士の『神曲中の時に就て』(Moore, Time-Reference in the Divina Commedia)を見よ
四―六
ダンテに二の難あり、路の瞼惡なるは其一、見るに忍びざる罪人の苦患を見るの苦しみ其二なり、前者は身を攻め後者は心を攻む
七―九
【ムーゼ】ムーサ、神話中の女神、九柱ありて詩音樂等を司る
第一曲は『神曲』の總序にして所謂地獄篇は第二曲にはじまるが故にこゝにムーゼと理想の才と記憶とを呼べり、卷頭に詩神をよべるは古來詩人の例に倣へるなり、『神曲』の他の二篇また然り
一三―一五
【いへらく】『アエネイス』六・二三六以下に
【シルヴィオの父】アユネアス、シルウィウス(シルヴィオ)はアエネアスとラウィニア(地、四・一二六)の間の子なり
一六―一八
【誰】ローマ人の祖先
【何】ローマ帝國の創業者
【衆惡の敵】神
一九―二一
【エムピレオの天】至高の天
二二―二四
ローマ(彼)もローマ帝國(此)も神の定むるところによりて共に聖地となり聖ピエートロの後繼者なる法王の座所こゝにあり
寺院と互に獨立し、しかも相提携して天命を行ふ、これダンテの理想の帝國なり
【大ピエロ】聖ピエートロ又はペテロ、キリスト十二弟子の一、道をローマに傳へ、教に殉じて死す
二五―二七
アエネアス冥府にゆきてその父アンキセスにめぐりあひ、これと語りて己が將來の事を知り信念いよ/\固く遂にイタリアにいたりて亂を平げ建國の基を起せり、されば後年法王の座所をこの地に見るにいたれるもアエネアスの冥府めぐりに負ふとこる多し
二八―三〇
【選の器】使徒パウロ(使徒、九・一五)
【かしこ】冥界
コリント後、一二・二以下にはたゞ第三の天に擧げらる云々とあり、されど中世紀の傳説によればパウロは天堂のみならず地獄にも赴けるなり
五二―五四
【懸垂の衆】第一の地獄なるリムボの賢哲、天界の祝福を受くるにあらず地獄の苛責を受くるにあらすその中間に懸れるなり
【淑女】ベアトリーチェ(七〇―七二行註參照)
五八
【動】諸天の運行、即ち時の存するかぎり
異本、世のあるかぎりは殘らん
譯者曰くこの書本文殆ど全くムーアの『ダンテ全集』(Tutte le Opere di Dante Alighieri)に據れり、異本各種の比較については同博士の『神曲用語批判』(Textual Criticism of the Divina Commedia)を見ば詳細を知るをうべし、乃ちこの項 moto 及び mondo の比較はその第二七一―三頁にあり、以下煩を避けて一々引照せず
六一―六三
我に愛せられてしかも命運に愛せられざるもの
七〇―七二
【ベアトリーチェ】ダンテの『新生』(La Vita Nuova)に出づる詩人の戀人
(1)『新生』の解説につきては甲論乙駁今に至りて定説なし、されどこれを以て史實に基づき詩想によりて潤飾せる詩人自傳の一部と見做す説多くの點に於て信ずべきに似たり、故にベアトリーチェ及びベアトリーチェとダンテの關係を知らんと欲せば必ずまづ『新生』によらざるをえず
また假りに『新生』を以て一種の譬喩と見做しダンテはこれによりて自己の理想を表現しその理想の形成せるところに「ベアトリーチェ」なる名稱を冠らしめしに過ぎずとし或ひは之を以て詩人の宗教觀詩人時代の寺院及び教理等を寫し出せる一種の象徴に過ぎずと見做すも、ダンテのベアトリーチェを知らんと欲せば同じくまづ『新生』によらざるをえざるなり
(2)『新生』中ベアトリーチェに關する事項の主なるものをあぐれば、ダンテが始めてベアトリーチェを見たる事及びこの時八歳の少女が九歳の少年の心に殘せし深き印象(二)、ダンテが寺院内に一婦人を帷としてベアトリーチェの祈姿をうかゞひ見しこと(五)、ベアトリーチェを婚姻の(ベアトリーチェ自身の婚姻なるべし)席上に見、友の扶けによりてこの席を去れること(一四)、ベアトリーチェの父の死=一二八九年(二二)、ベアトリーチェの死=一二九〇年(二九、但し學會本によれば――從つて岩波文庫も――二八)、等なり、戀人の家系住居につきては何等云ふ所なし
(3)ベアトリーチェを史實と配合せる者はボッカッチョなり、その説に曰く、ベアトリーチェはフォルコ・ポルチナーリの女にしてフィレンツェに生る、一二七四年ダンテ始めてこの女を見、後次第に愛慕するにいたれり、一二八六年の頃ベアトリーチェはシモネ・デ・バルヂなるものと婚し一二九〇年六月死すと
(4)『神曲』中のベアトリーチェは『新生』のベアトリーチェのさらに理想化したる者にて神學の象徴なり、ダンテ、ウェルギリウスに導かれて地獄・淨火の兩界をめぐれども、進んで天上に赴くに及びてはベアトリーチェに導かれざるをえず、これ靈界の機微にいたりては天啓によるにあらざれば覺得し難きを示せるなり
【愛】淨、三〇・七九以下及び天、一・一〇一―二參照
七六―七八
【天】月天、地球は宇宙の中心にありて日月星辰の諸天之をめぐる、而して月は最も地球に近ければその天は諸天中最小の天なり、人、地上の萬物にまさるはたゞ天の奧義をさとるによる
九四―九六
慈悲の泉なる聖母マリア、ダンテの大難をあはれみてその罪に對する上帝の怒りをやはらぐ
九七―九九
【ルチーア】聖ルチーア、シラクサ(シケリア島にあり)の殉教者を指せるなるべしといふ、惠みの光なり
一〇〇―一〇二
【ラケーレ】ラケル。ラバンの女にしてヤコブの妻(創世記、二九・一〇以下及び地、四・六〇)、默想の象徴
一〇三―一〇五
【神の眞の讚美】『新生』二六・一四(岩波文庫『新生』八七頁參照)以下に曰く
かれ(ベアトリーチェ)過ぐる時多くの人々いひけるは、こは女にあらでいと美しき天使のひとりなり、またほかの人々いひけるは、こは世の常の女にあらず、かくたへなるみわざをあらはし給ふ主は讚むべきかな
【汝のために】『新生』の末(同上・一二九頁參照)に曰く
この歌ありて後我は異象によりて多くの事を見、わがいまよりもなほふさはしくこの惠まれしもの(ベアトリーチェの事を陳ぶるをうるにいたるまでは再びかれの事をいはじと思ひ定めたり、またわがこゝにいたらんため力を盡して勵みいそしむことはかれのよく知るところなり、かくて萬物に生をさづくるものわが世にあるなほ數年なるを許したまはゞ望むらくはわれ未だ女につきて用ゐられざりし言をかれにつきて用ゐることをえん
一〇六―一〇八
【河水漲りて】或ひは、河波さわぎたち(詩篇、九三・三―四參照)、罪の路を激流にたとへしなり
一一八―一二〇
【獸】狼
一二一―一二六
【三人】聖母、ルチーア、ベアトリーチェ
一三三―一三五
【淑女】ベアトリーチェ
一四二
【艱き】或ひは、低き
第三曲
地獄門上の銘を讀みて後兩詩人まづ地獄圈外に入りこゝに怯者の魂を見、進んでアケロンテの川にいたれば舟子カロン亡魂を麾き船に載せて對岸にむかふ、この時曠野鳴動して電光閃めきダンテ爲に喪神して地に倒る
一―三
【憂ひの都】地獄全體
四―六
正義の念によりて獄門を建つるの天意定まり、父(威力)子(智慧)聖靈(愛)なる三一の神の働きによりてその意行はる
七―九
【永遠の物】諸天、天使等
一六―一八
【智能の功徳】神を見ること
【さきに】地、一・一一四以下
一九―二一
【祕密の世】原文、祕密の物の中
二八―三〇
【旋風吹起る時】異本、風旋風に似たる時
三一―三三
【怖れ】異本、迷ひ
三四―三六
地獄外房の罪人、善を行ふの勇なく惡を行ふの膽なく、卑怯にして意味なき生を送れるもの
三七―三九
ルキフェル(魔王ルチーフェロ)神に背ける時、中立の態度に出でし天使の一群
四〇―四二
【罪ある者】地獄に罰をうくる者等惡を行はざりし天使の一群の己と同じく罰せらるゝを見て自ら得たりとなさゞらんため
四六―四八
【死】魂の消滅
【失明】暗く光なき地獄のさまに神を見るをえざる迷ひの生涯を含めていへり
【いかなる分際】天上の祝福を享くる者をも地獄圈内に前を受くるをも妬むなり
四九―五一
【慈悲も正義も】天を逐はれ地獄は拒まる
五八―六〇
【魂】『神曲』中疑問の人物の一なり、されど古來最も有力なる説はこれを以て法王ケレスティヌス五世を指せりとなす。ケレスティヌス五世はピエートロ・ダ・モルロネといひアブルッチの隱者なりしが一二九四年選ばれて法王となり在位五ケ月の後自らその器に非ざるをしりて辭しボニファキウス(ボニファーチョ)八世其後をうくるに至れり、一説にはボニファキウス、法王の位を望み謀を以てケレスティヌスに退位の意を固めしめきといふ(地、一九・五五―七參照)
六四―六六
【生けることなき】一生を空しくおくれる
七〇―七二
【川】アケロンテ、冥界を流るゝ諸水の一、屡※[#二の字点、1-2-22]『アエネイス』にいづ
八二―八四
【翁】カロン、神話にいづる三途の川の渡守なり
古代神話にみゆる多くの神々は中古なほその存在を保ち寺院に屬する人々之を以て鬼となせり、使徒パウロの言に、異邦人の獻ぐるものは神に獻ぐるにあらず鬼に獻ぐるなり(コリント前、一〇・二〇)とあるもかゝる信仰を生むにいたれる一因なるべし、さればダンテが傳説の神々傳説の人物材料を多く『神曲』中に收むるにいたりしも此等のものゝ存在を認め事件を事實と信ぜしにあらず、たゞその人口に膾炙し當時の思想を具體的にあらはすに最も適したるによりてなり、古典とダンテの關係を詳しく知らんと欲する人はムーア博士の『ダンテ研究』(Studies in Dante)第一卷を見よ
九一―九三
フラティチェルリ(Fraticelli)曰く、カロンが此處には他に渡る舟なく舟子なきをしりてかくいへるは生者に對する怒りと嘲りをあらはせるなりと
註釋者多くはこれを以て淨火の路即ちテーヴェレの河口より淨火の山に至る路をいひ、輕き舟は淨、二・四一なる天使の舟を指すものとなせども、生けるダンテに對する怒れるカロンの言としてふさはしからざるに似たり
九四―九六
地、二一・八三―四參照
一〇三―一〇五
神、親、人類、生國、生時、祖先(蒔かれし種)、生みの親(生れし種)
一〇九―一一一
【後るゝ、】或ひは、くつろぐ(船の中にて)
一一二―一一四
『アエネイス』六・三〇九以下に曰く
たとへば秋始めて冷やかなる頃、數しれぬ木の葉の凋みて林に落つるごとく、または鳥群をなして寒さきびしき年に逐はれ、暖き陸を求めてわたつみのかなたより來るごとく
【衣】或ひは、獲物
【地にをさむる】異本、地に見る
一一五―一一七
【アダモ】アダム、人類の始祖(創世記)
【呼ばるゝ】鷹匠が小鳥若しくは鳥の羽を合せしものを示して放ちやりし鷹を呼戻すこと
一二四―一二六
【願ひ】望なきを知りて刑に服せんとの心
一二七―一二九
【善き】罰のためにくだれるにあらざる
第四曲
我にかへれば詩人すでに第一の地獄の縁にあり、こゝよりウェルギリウスに導かれてリムボにくだる、すなはちキリストを知らず洗禮をうけざりし者の止まるところなり、ダンテこゝに古の詩人哲人名將烈婦の魂を見、導者とともにさらに進んで第二の地獄にむかふ
一―三
【雷】第三曲の終りにみえたる電光にともなふ雷
或ひは曰、九行の雷と同じく罪人の叫喚あつまりて雷の如きをいふと、ダンテがいかにしてアケロンテの川を越えしやは知りがたし
七―九
【溪】地獄全體
一三―一五
【盲の世】地、三・四七註參照
一九―二一
【下なる民】リムボ即ち第一の地獄の民
二二―二四
【獄】原語、圈、深淵の縁をめぐる一帶の地にて一大環状をなすが故にかくいふ
三四―三六
【一部】異本、門
三七―三九
【道】天啓によりキリストの出現を信じて神を拜すること
【我も】ウェルギリウスの詩によりて詩人となり又キリストの徒となれるスタティウスは救はれて福の路に就きウェルギリウス自身は今もリムボにゐて望みなき生をおくる、これ彼は、火をうしろにともして夜行く人の如くわが身に益をえず後の人をさとくす(淨、二二・六七以下)る者なればなり
四〇―四二
【願ひ、望み】神を見るの願ひ、その願ひ成るの望み
四三―四五
【リムボ】(端、縁の義)第一の地獄の名
【懸れる】地、二・五二―四註參照
四六―四八
【信仰】キリスト教の信仰、特にキリスト、地獄に下り給へることありとの信仰
五二―五四
【ほどなき】ウェルギリウスの死せる年乃ち紀元前一九年よりキリストの死乃ち紀元三三年までの間
【權能あるもの】キリスト、聖母と同じく地獄内に名を稱へず
五五―六三
【第一の父】アダム
【アベル】アダムの第二子(創世記四・二以下)
【ノエ】ノア、大洪水を免かれしヘブライ人の族長(創世記五・二八以下)
【モイゼ】モーゼ、舊約時代の偉人にしてヘブライ人の律法を定めし者(出エヂプト記二以下)
【神に順へる】民數紀略一二・七に曰く、わが僕モーゼは然らず、彼はわが全家に忠義なる者なり(ヘブル、三・五參照)
或ひは ubidiente を五八行のアブラハムに附し、立法者モーゼ、從順なる族長アブラハムと讀む人あり、これアブラハムがその子イサクを神に捧げんとしたる(創世記第二二章)を特にこゝに指せりとなせしなり
【アブラアム】アブラハム、舊約時代の偉人(創世記一一・二六以下)
【ダヴィーデ】ダヴィデ、イスラエルの王、『詩篇』中の詩人(ルツ、四・二二、其他)
【イスラエル】アブラハムの孫なるヤコブ、天使と相撲ひて後この名を得たり(創世記三二・二八)
【その父】アブラハムの子イサク
【その子等】創世記二九・三一以下參照
【ラケーレ】ラケル、イスラエルの妻
【多くの事】ラケルを妻とせんためその父ラバンの許にとゞまりて十四年間勞役に從へるをいふ(創世記二九・九以下)
六四―六六
【林】古はリムボを大人と小兒との二部に分ちしかどダンテは當時の教に基づきこの區別を廢して之を厚く遇せらるゝ魂と然らざるものとの二にわかてるなり、こゝにいふ林は即ち後者の群なり
六七―六九
【睡り】この曲の始めダンテが頭の中なる熟睡を破られしところ
異本、響き(雷の)または頂
【半球の闇を】偉人等の止まるところより道理の光いでゝリムボの獄の一半を照せるなり
七九―八一
【聲】註釋者多くはこれをホメロスの聲なりといふ
八五―八七
【劒】その詩多く戰ひを敍したればなり
八八―九〇
【オーメロ】ホメロス、ギリシアの詩聖、『イリアス』の作者(前九〇〇年頃)
ダンテは零碎なるラテン語の飜譯によりて僅かにその一部をうかゞひみしに過ぎず、しかれども彼がこの大詩人を尊重する甚だ大なるを見る(淨、二二・一〇一―二參照)
【オラーチオ】ホラティウス、有名なるラテン詩人(前六五―八年)、『サチレス』(諷刺の詩)二卷及び其他の著作あり
されどムーア博士は Satiro は教の詩人(乃ち詩論の著者として)の意にて、諷刺家の意にあらず、ダンテがホラティウスの『サチレス』を知れることはその著作の中にあらはれずといへり、いかゞ
【オヴィディオ】オウィディウス、有名なるラテン詩人(前四三―後一八年)、その著書の中『メタモルフォセス』最もあらはる、ダンテがウェルギリウスに次ぎて最も多く引用せる詩人なり
【ルカーノ】ルカヌス、有名なるラテン詩人(三九―六五年)、カエサルとポムペイウスとの戰ひを敍したる『ファルサリア』の作者なり
九一―九三
【一の聲】或ひはひとりの聲、七九行にいでし聲をいふ
いとたふとき詩人の讚辭は彼等皆我と同じくうくべきものなり、かゝる詩人にしてはじめてよく詩人をしりかく我をうやまふ、また詩聖等相和して他を讚むるに吝ならざるは善し
九四―九六
【鷲の如く天翔る歌聖】ホメロス
一〇三―一〇八
【光】六七―九行
一〇六―一〇八
【城】智徳世にすぐれし知名の士女にしてしかもキリストを信ずるにいたらざりし者のとゞまるところ
【七重の高壘】註釋者曰、七重の高壘は四徳(思慮、公義、剛氣、節制)三知(聰明、知識、智慧)をあらはし一一〇行の七の門は當時ローマの教育科目たりし三文(文法、修辭、論理)四數(音樂、算術、幾何、天文)をあらはせるなりと
ダンテの七數にかゝる寓意ありしや否やもとより明かに知り難し、或ひは單に七數を好み用ゐし一例に過ぎざるか
【流れ】註釋者曰、これ美しき詞の流れなり、これを地上をゆく如く容易に渡りゆきしは筆路の難は詩人の難しとするところにあらざればなりと
一一八―一二〇
【緑の※[#「さんずい+幼」、222-7]藥】緑草の美しきをいへり
一二一―一二三
【エレットラ】エレクトラ、神話、アトラスの女にしてゼウス(ジョーヴェ)神との間にトロイアの建設者なるダルダノスを生めり
【侶】エレクトラの子孫なるトロイア人
【エットル】ヘクトル、トロイア王プリアモスの長子、トロイア戰役の名將
【エーネア】地、一・七三―五註參照
【チェーザレ】ユーリウス・カエサル、最も著名なる古の英傑(前一〇〇―四四年)
アエネアスはイタリア帝業の基をたてしトロイア人なればローマ人はその起源をトロイア人と同じうするのみならず中古の人々カエサルを最初の皇帝と信ぜるが故にダンテ彼をヘクトル、アエネアスと並ばしめしなり
一二四―一二六
【カムミルラ】地、一・一〇六―八註參照
【パンタシレア】アレスの女にしてアマゾン(女軍)の王たり、トロイアの役にギリシア軍と戰ひて死す
【ラティーノ】ラティヌス、ラティウム人の王、アエネアスの外舅
【ラヴィーナ】ラウィニア、ラティヌスの女、アエネアスの妻
一二七―一三二
【ブルート】ルキウス・ユウニウス・ブルートゥス、前六世紀の人、ローマ最後の王タルクィニウス・スペルブスを逐ひローマ共和國を建設す
【ルクレーチア】ルクレティア、ブルートゥスと共にローマ共和國の民政官となれるコルラティヌスの妻なり、タルクィニウスの子セスト(セクストゥス)の辱しむるところとなりて死す
【ユーリア】カエサルの女、ポムペイウスの妻
【マルチア】マルキウス・フィリップスの女にして初めカートン(カトー・ウティケンシス)の妻たりし者
【コルニーリア】スキピオ・アフリカヌスの女、ティベリウス・セムプロニウス・グラックスの妻にてローマ施政の改革に殉ぜる有名なるグラックス兄弟の母なり
【サラディーノ】エヂプト及びシリアのソルダン、寛仁大度の明君として世に知らる(一一三七―一一九三年)
【智者の師】アリストテレス、(アリストーテレ)有名なるギリシアの哲學者、中古の人これを以て哲人中の第一となせり、ダンテはラテン語譯によりてその著書に精通し引用せること甚だ多し(前三八四―三二二年)
一三三―一三五
【ソクラーテ】ソクラテス、有名なるギリシアの哲學者(前四七〇―三九九年)
【プラートネ】プラトン、有名なるギリシアの哲學者(前四二七―三四七年)
一三六―一三八
【デモクリート】デモクリトス、ギリシアの哲學者、その師レウキッボスの説に基づきて原子論を敷衍せり(前三六一年死)
デモクリトスを原子偶然に結合して世界成ると説けりといへるはキケロの著書に據れるなり
【ディオジェネス】ディオゲネス、有名なるキュニコス派の哲學者、小アジアに生れてギリシアに住めり(前三二三年死)
【アナッサーゴラ】アナクサゴラス、ギリシアの哲學者(前四二八年死)
【ターレ】タレス、ギリシア七賢の一、水原説を以て名高し(前六世紀)
【エムペドクレス】シケリアの哲學者(前五世紀)
【エラクリート】ヘラクレイトス、ギリシアの哲學者(前六世紀)
【ツェノネ】ゼノン、ギリシアの哲學者、ストア學派を起せる者(前三〇〇年頃)
一三九―一四四
【ディオスコリーデ】ディオスクリデス、ギリシアの名醫、藥法に關する著者五卷ありてその中に草木の特性を論じたりといふ(一世紀)
【オルフェオ】オルフェウス、ギリシア神話中の詩人樂人
【ツルリオ】マルクス・ツルリウス・キケロ、ローマの哲人能辯家、ダンテ善くその著作に通ぜり(前四三年死)
【リーノ】リノス、ギリシア神話中の詩人伶人
異本、リヴィウス(ローマの史家)
【セネカ】ルキウス・アンナエウス・セネカ、ローマの哲學者、ダンテ善くその著作に通ぜり(六五年死)
【道徳を説ける】文人なりしその父セネカと區別せるなり
【エウクリーデ】エウクレイデス、有名なるアレクサンドレイアの數學者、『幾何原理』十三卷を著はす(前三〇〇年頃)
【トロメオ】クラウディウス・プトレマイオス、有名なるアレクサンドレイアの天文地理學者、ダンテ時代の天文學多く之に據れり(二世紀)
【イポクラーテ】ヒッポクラテス、ギリシアの名醫(前四世紀頃)
【アヴィチェンナ】アラビアの名醫(一〇三七年死)
【ガリエーノ】クラウディウス・ガレヌス、ギリシアの名醫(二〇一年死)
【アヴェルロイス】アラビアの名醫、哲學者、アリストテレスの註疏を大成せるを以て廣く世に知らるゝにいたれり(一一二六―一一九八年)
一四八―一五〇
【二者】ダンテと導者
或ひは、分れて二(乃ち二組)となれりと解する人あり、事同じ
【震ひゆらめく空】第二の獄の
第五曲
やがて第二の地獄にいたればこゝには邪淫の罪を犯せる多くのものゝ狂風に漂はされて暗空の中をめぐるあり、その一なるフランチェスカ・ダ・リミニの魂ダンテに招かれて戀人パオロと共にこれに近づきおのが悲哀なる戀物語をなす
一―三
【少なく】地獄は一大漏斗状をなすが故に下るに從つて地狹し
四―六
【ミノス】地獄の法官
神話に曰、ミノスはゼウスとエウロペの間の子なりクレタ島の君となりて賢明の聞え高し、死後ラダマントス及びアイアコスと共に冥界の法官となると
【入る者あれば】或ひは、入口にて
七―九
【幸なく】マタイ、二六・二四に曰く、その人生れざりしならばかへつて幸なりしならん
一〇―一二
ミノス、刑を宣告するにあたり尾にて身を卷きその卷きたる囘數によりて送るべき獄を示すなり、地、二七・一二
四―六に彼グイードを第八の地獄に送らんため八度尾をもておのが背を卷きしこといづ
一三―一五
【投げらる】地、二一・三四―六には鬼によりて獄に送らるゝ例もあれど多くは罪人のみ各自の刑場におちゆくに似たり
一九―二一
ミノスはダンテと共にあるものの鬼にあらずしてウェルギリウスなるを見、ダンテを威嚇してその導者に對する信念を奪はんとせしなり
【入口ひろき】マタイ、七・一三に曰く、滅亡にいたる路は廣し
三一―三三
心に檢束を加へず情の翼に駕してその行方に任せし生前のさまをあらはすなり
三四―三六
ruina(狂風の吹きまく勢ひ)、異説或ひはこれをキリスト磔殺の當時に起れる岩の崩れ(地、一二・三一以下及び二一・一一二以下)とし或ひはこれを第二の地獄の入口とす
四六―五〇
【暴風】原語、なやむるもの、或ひは爭ひ
五二―五四
【語】語を異にする國民
五五―五七
己が非倫の行爲を蔽はんため不正の結婚を諸氏にゆるせる事
五八―六〇
【セミラミス】アッシリアの女王、前十四世紀頃の者なりといはる
【書】中古廣く行はれし五世紀の史家パウルス・オロシウスの歴史、乃ちダンテの引用書目の主なるものゝ一なり
【ニーノ】ニーヌス。オロシウス曰く、彼ニーノ(ニーヌス)死せる時その妻セミラミス位を繼げり(オロシウス『歴史』第一卷四の四)
【ソルダンの治むる地】エヂプトなるバビロニア(昔のカイロ)
セミラミスはアッシリアの女王なればこゝにソルダンの治むる地云々といへるはエウフラテス河畔のバビロニアとナイル河畔のバビロニアとを混同せるダンテの誤りか、或ひは或る註釋者のいへる如くニーヌスはその存命中にエヂプトの一部を征服してこれをアッシリアの領地に加へしことありとの傳説によれるものか明かならず
六一―六三
【操を破れる者】ディド、アフリカ北海岸なるカルタゴの女王、夫死して後こゝに漂着せるアエネアスを慕ひ、アエネアス、イタリアに向ふに及びて失望のあまり自刃して死す、事『アエネイス』第四卷にくはし
【クレオパトラース】クレオパトラ、有名なるエヂプトの女王、カエサル及びアントニウスを惱まし嬌名甚高し、オクタウィアヌス權を執るに及び恥をローマに晒すをおそれ毒蛇の毒をうけて死す(前六九―三〇年)
六四―六六
【エレーナ】ヘレネ、スパルタ王メネラオスの妻、パリスに誘はれてトロイアに赴き、爲に十年に亙れるトロイア戰役を惹起すにいたれるもの(地、一・七三―五註參照】
【アキルレ】アキレウス、トロイア戰役の猛將
アキレウスはホメロスに歌はれしギリシア方の名將なり、傳説に曰、トロイア戰役の際、彼敵將プリアモスの女ポリユクセナ(地、三〇・一七)を慕ひ武裝を解きてアポロンの宮殿に入りこゝにてパリスの殺すところとなれりと
六七―六九
【パリス】ヘレネを奪へるもの(六四―六行註參照)
【トリスターノ】トリスタン、中古ひろく行はれし英王アーサー物語にいづ、叔父マークの妻を戀ひ、マークの殺すところとなる
七三―七五
【かのふたり】パオロ・マラテスタ及びフランチェスカ・ダ・リミニ(ポレンタ)
今當時の記録によりてこの悲劇の大要をあぐれば左の如し
フランチェスカはラヴェンナの君なるグイード・ダ・ポレンタ(老グイード)の女なり、當時ポレンタ家とリミニなるマラテスタ家の間に葛藤絶ゆることなかりしが仲裁者いでて和議成るに及び、いよ/\和親を固うせんため老グイードはその女フランチェスカをマラテスタ・ダ・ヴェルルッキオ(地、二七・四六―八註參照)の子ジャンチオットに嫁するを許せり、このジャンチオットは武勇の聞えありしものなれども風姿粗野にして且つ不具なりければグイード、人の諫めに從ひその弟パオロを兄に代りてポレンタ家に來らしむ、フランチェスカはパオロの若くして美しきを見これをその夫となるべき人なりと聞き伴はれてリミニにいたれり
フランチェスカ、リミニにいたりこゝにはじめて己が欺かれしを知りて悔ゆれどもおよばず、されどパオロに對する戀々の情はかへつてこの事あるによりてまされり、會※[#二の字点、1-2-22]ジャンチオット公務のため出でゝ家に在らず、兩人相會して情をかたる、ジャンチオット下人の告ぐるところによりてこれを知り不意にひきかへして彼等を殺せり(一二八五年頃の事といふ)
七九―八一
【彼】神、(Altri は古く大能ある者をあらはすに用ひし不定代名詞)、地獄内にては罪人にをかひて神の名を稱ふることなし
八二―八四
【願ひ】巣に歸らんとの
【たかめ】異本、ひらき
八五―八七
【ディド】六一-三行註參照
八八―九〇
以下一〇七行までフランチェスカの詞
【暗闇の】Perso. ダンテの『コンヴィヴィオ』第四卷二〇の一四―五に曰く、ペルソは紫と黒とまじりてしかも黒勝てる色なり
九一― 三
ヘブライの古諺に曰、祈りの門は閉さるとも涙の門は閉されず
九七― 九
【邑】ラヴェンナ、アドリアティコ海濱にあり、ダンテ時代にはこの町今よりもなほ海に近かりきといふ
【ポー】イタリア最大の川、ラヴェンナの北にあたりてアドリアティコ海に入る
【從者ら】多くの支流
一〇〇―一〇八
三聯みな Amor(戀)なる一語にはじまる
【そのさま】ジャンチオットの刃にかゝりてこの身の魂より奪はれしさま
ムーア博士の引用せるフォスコロの説にてはこのさきに三の條項あり、乃ち、(一)死を招くにいたれる事情(二)死の急にして悔ゆるに暇なかりし事(三)殺害てふ蠻的行爲
【今猶】この戀今猶わが心を離れじ
【カイーナ】アダムの子にして弟アベルを殺せるもの(創世記四・八)、第九の地獄第一の圓はカインに因みてカイーナの名を得たる處なればこの獄に下り來るをカイーナ待つといへり、ジャンチオットの死せるは一三〇四年にて『神曲』の時なる一三〇〇年には猶存命せるなり
一二一―一二三
【汝の師】ウェルギリウス、古註曰、ウェルギリウスは願ひありてしかも望みなきリムボに止まり生時の光榮を囘顧し自己の經驗によりてかゝる苦患を味ひしると
一二七―一二九
【ランチャロット】ランスロット、『アーサー物語』(六七―九行註參照)にみゆる圓卓武士の一人にてアーサーの妻ギニヴァーを慕へるもの
【おそるゝこと】戀をそれと知らぎりしさきなれば本讀の危險なるべきを思はざりしなり
一三三―一三五
【微笑】ゑみを湛へし王妃の口
一三六―一三八
【ガレオット】王妃ギニヴァーとランスロットの不義の取持をなせるもの、昔のガレオットの如くこの物語と作者とは我等を罪に陷らしめきとの意
一三九―一四一
【一の魂】フランチェスカ
第六曲
第三の地獄は飮食の慾に耽りし者の罰せらるゝ處なり、鬼チェルベロ雨雪と共に彼等を苛責す、こゝにフィレンツェのチヤッコなる者ありダンテを認めて之を呼び、近くその郷土に起るべき黒白兩黨の爭ひをかたる
一―三
ダンテが失神せる間に第二の地獄より第三の地獄におくられしことさきにアケロンテの川を越えし場合と同じ
【所縁】パオロはフランチェスカの義弟にあたる
七―九
【法と質】雨の落ちる度及び雨の成立に變化なく、詛ひの雨間斷なく降りくだるをいふ
一三―一五
【チェルベロ】ケルベロス、神話に出づ、地獄の門を守る怪犬、頭三ありて尾は蛇なり
一六―一八
【噛み】異本、皮剥ぎ
二二―二四
【蟲】姿の忌むべく怒るべきをいへるなり、他の生物を蟲とよべること聖書に例多し(イザヤ、四一・一四、詩篇二二・六等參照)
三四―三六
あゝ姿のほか凡て空しき魂よ(淨、二・七九)
されど地、三二にはダンテがボッカといへる罪人の頭を蹴りまたその毛髮を拔きしことあり(七八行及び一〇三行以下)
三七―三九
【ひとり】チヤッコ、フィレンツェの人にてボッカッチョが食をたしなむこと何人にも劣らじといへるものなり
四〇―四二
【わが毀たれぬ】チヤッコいまだ死なざるさきにダンテ生れしをいふ(或曰、チヤッコは一二八六年に死すと)
四九―五一
【汝の邑】フィレンツェ、黒白兩黨の爭ひ皆權勢の嫉みより起れり
五二―五四
【チヤッコ】或人はこれを食を貪るを嘲りて呼べる綽名(豚の義)なりといひ或人はジャコモの略名といひ或人は普通の家名にてフィレンツェには今もチヤッキ家なるものありといへり
五八―六三
【もし知らば】ダンテは既に魂のよく未來を知るを聞きゐたればこの問を起せるなり(地、二・二五―七註參照)
【分れし邑】フィレンツェ
一二一五年この方フィレンツェはグエルフィ、ギベルリニの兩黨に分る、十三世紀の末グエルフィ黨、獨り權勢を得て爭亂一時鎭靜に歸せしもピストイアに生ぜし黒白兩黨の軋轢ひいて濁波をフィレンツェに揚げチェルキ、ドナーティ兩家の確執となり次第にその範圍をひろくし一三〇〇年の始めにいたりて遂に激烈なる黒白の爭ひをこゝに見るにいたれるなり
六四―六六
【長き爭ひ】チェルキ、ドナーティ兩家の互に敵視せるは一二八〇年にはじまれり、前者は白黨を後者は黒黨を率ゆ
【鄙の徒黨】ビアンキ(白黨)
チェルキ家はヴァル・ディ・シエヴェといふ片田舍より來れる粗野の民なりき
【敵を逐ふべし】一三〇一年五月ネーリ(黒黨)フィレンツェの市外に逐はる
六七―六九
【三年の間】原文、三の日輪の間に(地、二九・一〇五參照)すなはちチヤッコの語れる時より三年の間に
白黨の逐はるゝにいたりしは一三〇二年の四月四日にしてチヤッコの豫言は一三〇〇年の四月八日なれば誠はこの事二年の間に起れるなり、これにつきスカルタッチニ(G. A. Scartazzini)は曰く、ダンテのかく三年といへるは(一)三の數を好みて用ゐしによるか(二)歴史傳記と異なり正確なる日子を豫言に附するをふさはしからずと思へるによるか(三)白黨が最後の迫害を受けしは一三〇二年の十月なればこれに基づきてかくしるせるか云々
【操縱《あやな》すもの】法王ボニファキウス八世、當時未だあらはに黒黨を助くるに至らず黒白兩黨の間に立ちて巧みにこれをあやつりフランスのシャルル・ド・ヴアロア(フランス王フィリップ四世の弟)のフィレンツェに至るを待てり
七〇―七二
【憤り】或ひは恥
七三―七五
【義者二人】何人を指せるや不明なり
さきに、いま操縱《あやな》すものといひこゝに義者二人ありといふ、チヤッコは未來を知るのみならずまたよく現在をも知るに似たり(地、一〇・一〇〇―一〇二註參照)
七九―八一
【ファーリナータ】(地、一〇・三一―三註參照)
【テッギアイオ】(地、一六・四〇―四二註參照)
【ヤーコポ・ルスティクッチ】(地、一六・四三―五註參照)
【アルリーゴ】アルリーゴの事この後に見えず、註者多くは之をもてブォンデルモンテの殺害に與れるものゝ一人なるべしといふ(地、二八・一〇六―八註參照)
【モスカ】(地、二八・一〇六―八註參照)
以上皆當時世に知られしフィレンツェ人
【善を行ふ】市政に關する(地、一六・三―一八及び五八―六〇參照)
八八―九〇
一切の望みなき地獄の魂その慰藉をたゞ知人の記憶に求むるのみ(地、二七―六四―六註參照)
九一―九三
【盲】汚泥の上にうつむき伏して見ることをえざる暴食者
九四―九六
【喇叭ひゞくまで】世界審判の日來るまで(マタイ、二四・三一)
【仇なる權能】諸惡の敵なるキリスト、人類の罪を定めんために來るなり
九七―九九
審判の日いたれば魂ヨサファットの溪にゆきて再び肉體の衣をうけ永遠きはみなき刑罰の宣言をきくべし(地、一〇・一一―二及び三の一〇三以下參照)
一〇六―一〇八
【汝の教】アリストテレスの教
一〇九―一一一
【その後】天使の喇叭ひゞきし後即ち最後の審判の後
靈肉相合して人はじめて全し、されど此等の罪人は魂すでに全からねばたとひ肉を得るも眞の完全にいたれりといふをえす、たゞ肉を離れし時に比すれば完全に近きが故に審判の後の苦しみは從つて前よりも深し
一一五
【プルート】ハデス、神話にいづる富の神なり、財寶の慾は世界人類の平和を亂し諸惡の源となるものなれば大敵といへり
第七曲
兩詩人第四の地獄の入口にいたりてプルートを見、のち獄内に進む、この獄二に分たれ一には貪り貯へし者一には妄りに費せる者罰せらる、導者は命運を論じつゝダンテと共に此處を過ぎて第五の地獄にくだり忿怒の罪を犯せる者スティージェの沼泥濘の中にひたりて相爭ふをみる
一―三
【パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ】〔PapeSata
n, PapeSata
n aleppe !〕 怒れるプルートの詞、義不明
七―九
【狼】貪りをあらはすこと地、一・四九と同じ
一〇―一二
【ミケーレ】ミカエル、天使の長(ユダ、九)、魔軍と戰ひこれに勝つ(默示録一二・七―九)
【非倫】strupo(姦淫、強姦)、ルキフェル一味の魔軍が慢心を起して神に背くにいたれること
神と人との關係を男女の關係によりてあらはせること聖書に例多し(詩篇、七三・二七、イザヤ、一・二一等)
一六―一八
【第四の坎】第四の地獄
一九―二〇
【誰ぞ】汝正義にあらずして誰ぞ
二二―二四
【カリッヂ】カリブディス。ホメロス、ウェルギリウス、オウィディウス等の詩に見えて名高き渦卷、メッシナ海峽(イタリア、シケリア間)にあり、イオニオ海の潮とチレニア海の潮(逆浪)とうちあひて波荒く古より航海の難所たり
【リッダ】大勢にて舞ひめぐる舞踏の一種
二八―三〇
第四の地獄には貪る者と費す者と同一の罰を受く、圈二に等分せられその一乃ち兩詩人の左には貪る者(三八―九行)同じく右には費す者あり、罪人等胸にて重荷をまろばしつゝ各※[#二の字点、1-2-22]その半圈を來往し半圈の兩端なる分岐點にいたれば彼此こゝにうちあひ、これと同時に費す者は貪る者にむかひて何ぞ貪り貯ふるやと罵り貪る者は費す者にむかひて何ぞ漫りに費すやと難じ各々踵をめぐらして一端にむかひかくして限りなくその觸をくりかへすなり
三一―三三
【歌】何ぞ溜むるや云々なる罵詈の叫び
三七―三九
【僧】cherci 僧侶たると俗僧たるとを問はずすべて寺院に屬する者をいふ
四〇―四二
【ほどよく】一方は費すべきに費さず一方は費すべからざるに費せるなり
四六―四八
【カルディナレ】寺院の高官、七十人相集まりてローマの聖團を組織し法王選擧の權を有す、當時寺院に屬するものゝ貪婪なること俗衆に比して更に甚しきをいへるなり
五五―五七
【二の】半圈の兩端なる
【手を閉ぢ】固く握りて放たざる守錢奴のさま
【髮を短くし】浪費者の姿、イタリアの諺に dissipato fino a’capelli(髮の毛までも遣ひ果す)といふことありと
五八―六〇
【美しき世】天堂
【いはじ】汝のしたしく目撃するところなれば
六一―三
【戲】或ひは、力、空なる事、欺、と解する人あり
七〇―七二
【わがいふところ】命運に關するダンテの所説は多くボエティウス(天、一〇・一二四―六註參照)の著書に據れり
七三―七八
神は日月及びその他の諸天を造りたまひ、これと同時に此等諸天の運行を司るもの即ち各種の天使をも造りたまへり、是に於てか九種の天使九個の天にわかれて輝きいづれもその神より附與せられたる光の割合に應じて天の全體を照すなり、これと等しく神は世界に命運なるものを立てゝその光輝となるべきもの即ち財産、地位、名譽等を司らしめたまふ
七九―八一
【血】血統
八五―八七
【神々】天球の運行を司る靈體乃ち九種の天使、これらの天使の諸天を司るに似たり
八八―九〇
【流轉】命運のめぐり來るにあひて世の幸をうくる人、相ついで出づ
九一―九三
【十字架につけ】責め誹り
九四―九六
【はじめて造られしもの】天使
九七―九九
【進みしとき】地、一・一三六、星の傾くは子午線を過ぎ西にむかひて降るなり、時夜半を過ぐ乃ち一三〇〇年四月九日聖土曜日の初めなり
一〇三―一〇五
【ペルソ】地、五・八八―九〇註參照
一〇六―一〇八
【スティージェ】ディーテ(地、八・六八)を繞れる沼
スティージェは神話にいづる地獄の川の一なり、神々この川によりて誓ひを立てしこと古詩に散見す
一一八―一二〇
泥水の下に沈める者は忿怒の罪人の一種にして邪氣を宿し怨みをいだき沈鬱陰險なる徒なり
一二一―一二三
【空氣】地上の
【無精の】accidioso 心のひきたゝぬ、美しき日の光をうくるもなほ樂しまず快き外界の響きに應ぜざる
一二四―一二六
【聖歌】反語、歎聲
一二七―一二九
坂(第四と第五の地嶽の間の)と沼との間の路をあゆみてこの地獄の大部分をへめぐり
第八曲
彼等進んでディーテの城樓の下にいたりフレギュアスの船に乘りてスティージェの沼に浮びこゝにフィリッポ・アルゼンティなる者にあふ、やがて岸につきてディーテの門にむかふに魔軍群集して之を固め彼等の内に入るを許さず
一―三
【續いて】第七曲の物語をうけて
四―六
【焔】二の烽火は魂の來れるを示す相圖にて他の一の烽火はこれに應へこの相圖の通じたるをあらはす
七―九
【全智の海】ウェルギリウス
一〇―一二
【來らんとすること】相圖の結果として
一六―一八
【舟子】フレギュアス、神話に曰。フレギュアスはアレスの子なり。その女コロニスがアポロンに辱められしを憤りデルポイなるこの神の宮殿に火を放てりと、ダンテがこれに第五の地獄をまもらしめしもその愛みによりてなりされどフレギュアスの舟子なりしことはダンテ以前の記録に見えずといふ
【魂】原語に單數を用ゐしにつきては古註或ひは沼を渡る魂多からねば口ぐせとなりてかくいへるなりといひ或ひはウェルギリウスとダンテとを別々に指していへるなりともいふ
二八―三〇
【常よりも】原文、ほかの者等を載する時よりも(肉體の重みあれば)、思ふにフレギュアスの來れる時ウェルギリウスの載れる時のさまを見、一般をおしはかりてかくいへるなるべし
三一―三三
【死の】水の淀みて動かざる
【一人】フィリッポ・アルゼンティ、フィレンツェの貴族アーヂマリ家の者にてボッカッチョが怒り易きこと他に類を見ずといへる者
【時いたらざるに】いまだ死なざるに(八四行參照)
四〇―四二
ダンテを害せんとて手を伸べしなり
【犬共】怒り易き罪人等
六一―六三
【おのれを】怒りのあまり我とわが身を噛めるなり(地、二七・一二六參照)
六七―六九
【ディーテ】神話、プルート(魔王即ち『神曲』中のルチーフェロ)の異名、ディーテの都はディーテの城壁より地心に至るまでの地獄全體を含む、ダンテが魔王ルキフェル(ルチーフェロ)をディーテと呼べる例は地、一一・六五、一二・三九、三四・二〇に見えたり
【重き】罪も罰も(地、一一・七九以下參照)
七〇―七二
【伽藍】meschite(マホメット教徒の禮拜所)、ディーテの城樓をかくいへり
七六―七八
【固むる】或ひは、繞れる
八二―八七
【天より降れる】ルキフェルと共に神に背きて天を逐はれしもの
【門上】閾の上の意に解する人あり
九一―九三
【狂へる】地、二・三四―五參照
九四―九六
【世に】原語、こゝに
九七―一〇二
【七度あまり】思ふに地、二二・一〇三に見ゆるとおなじくあまたゝびの意に用ゐしなるべし、七なる數を不定數若しくは完全數として用ゐしこと聖書中に例多し(詩篇、一二・六、箴言、二四・一六等)
一〇三―一〇五
【彼】神
一〇九―一一一
【然と否】ウェルギリウスの歸り來るべきや否やを判じえざりしなり
一一八―一二〇
【憂ひの家】ディーテの邑
一二四―一二六
【門】地獄の門、傳説に曰ふ、キリスト、リムボに降れる時(地、四・五二以下)惡鬼等地獄の門を閉ぢてこれにさからひしかば打碎きて内に入りその後この門再び閉さるゝことなしと
一二七―一二九
【死の】永久に滅亡を宣言する
【ひとりのもの】天より遣はされしもの(地、九・八〇註參照)
第九曲
あまつさへフーリエあらはれいでゝ彼等を威嚇す、彼等すなはち天の冥助を待ち遂にこれによりて門内に入りこゝに異端邪説の徒を葬れる多くの熱火の墓を見る
一―三
ウェルギリウスの事成らずして歸り來る姿を見、おそれのあまりダンテの顏蒼白となりたれば導者はその恐れを去らしめんため己が怒りの色を外にあらはさじとつとめしなり
【常ならぬ色】怒りの色(地、八―一二一―三參照)
七―九
【彼なりき】ベアトリーチェを指せるなるべし(地、二・七〇以下參照)
【一者】天より遣はされしもの
一〇―一二
先にはされどもしといひて疑ひをあらはし後には助けを約せる者のことをいひて望みをあらはせり
一六―一八
【望みを絶たれし】地、四・四〇―四二
二二―二四
【エリトン】テッサリアの巫女、大ポムペイウスの子セクスツスの請ひによりファルサーリアの戰ひ(ポムペイウスとカエサルとの)を語らしめんため一兵士の魂を呼起せることルカヌスの『ファルサーリア』(六・五〇七以下)にいづ
二五―二七
【ジュダの獄】ジュデッカ(地、三四・一一七)、第九の地獄にあり、イスカリオテのユダの罰せらるゝところ
二八―三〇
【天】プリーモ・モービレとて他の諸天を囘轉せしむる第九の天なり(天、二八・七〇―七一參照)
三一―三三
【怒りを見ずして】尋常にては
三七―三九
【フーリエ】エリニュエス、神話にいづる三女神、仇を報い罪ある者を罰す
四〇―四二
【チェラスタ】頭に二個の黒き角ある小蛇
異本、小蛇とチェラスタ
四三―四五
【侍婢等】フーリエ傳説に曰、フーリエは魔王ハデスの妻ペルセポネの侍婢なりと、かぎりなき歎きは、かぎりなき歎きの國乃ち地獄なり
【エーリネ】エリニュエス、フーリエのギリシア名
五二―五四
【メヅーサ】神話ゴルゴン(三女怪)の一、その頭を見るもの直ちに化して石となるといふ
【テゼオ】テセウス、神話に曰、テセウスはアテナイ王アイゲウスの子なり、その友ピリトウスを助けペルセフォネを奪はんとて地獄に下りハデスの捕ふるところとなる、後エルクレ(ヘラクレス)地獄にゆきて之を救へりとテセウスに十分の怨みをむくいしならば世の人おそれて再び地獄に入來る者あるまじかりしを
五五―五七
【ゴルゴン】メヅーサの頭
六一―六三
メヅーサの譬喩的解説につきてはダンテの眞意明かならず古來或ひはこれを異端邪説の象徴とし、或ひは色慾、貪婪、恐怖、嫉妬、疑惑、絶望等の表示とし異説甚だ多し、されどおもふにディーテの城は放縱の罪乃ち情を制する能はずして犯せる罪と邪惡乃ち惡心衷に萌して人を害するにいたりし罪とをわかつ境にあるものなれば、メヅーサを邪惡の代表と見做す説採るべきに似たり、その頭を見る人化石するはディーテ城外の罪と異なり惡念心に入りて習性的色彩を帶びあたかも惡性の痼疾の醫藥に於ける如く解脱の望みさらになきを示せり(詳しくはスカルタッチニの註にいづ、スカルタッチニはエリニュエスを本心の苦しみ乃ち自責としメヅーサを疑念と解せり)
六七―七二
【反する熱】異なる地方の熱
七九―八一
【一者】天使、兩詩人をたすけて門内に入らしめんため特に天よりくだれるもの
【魂】怒る者の魂
【徒歩にてスティージェを渡るに】或ひは、スティージェの渡りをわたるに
九七―九九
【チェルベロ】ケルベロス、(地、六・一三)、神話に曰、ヘラクレス天の命によりて地獄にくだれる時ケルベロスこれにさからひたれば鎖をもてこれをいましめ地獄門外に引出せりと
【毛なき】鎖のあと
一〇〇―一〇五
【ほかの思ひ】天に歸るを願ふ心
一一二―一一五
【アルリ】アルル。ローダーノ(フランスのローン川)河畔の町、河水わかるゝにあたり停滯して一湖をなす、名高き墓地ありしところ、傳説に曰、シヤルルマーニュ(カルロ・マーニオ)こゝにサラセン人と戰ひキリスト教徒の死者甚だ多くして葬るに暇なかりしが神恩これに臨み一夜にして無數の墳墓現出せりと
【ポーラ】イストリア(現今オーストリヤ領)の南端にある町、昔ローマの墓地ありし處、カルナーロ灣はアドリアティコ海の一部にてイストリアの岸を洗ふ
一二七―一二九
【邪宗】こゝに eresia といへるは寺院の教理に反して靈魂の不滅キリストの神性等な認めざりし者の謂なり
【荷】罪人、一の墓の中に多くの罪人を葬れるなり
一三〇―一三二
【右】詩人等地獄をくだるに常に道を左にとれり、これ罪の道は左より左にむかひ、惡より惡に進むを示せるなり(地、一四・一二六參照)しかるにこれに反し道を右にとれること二囘ありその一はこの處、他は地、一七・三一にいづ、この二囘の例外につきてはダンテの眞意知りがたし
第十曲
詩人等第六の地獄の中エピクロス(エピクロ)及びその一派の者の葬らるゝところにいたりし時ダンテはこゝにファーリナータ及びカヴァルカンテとかたり前者の言によりてその身のフィレンツェより逐はるべきを知る
一―三
【かくれたる】異本、狹き
一〇―一二
【ヨサファット】エルサレムに近き溪の名、最後の審判の行はるゝところ(ヨエル書三・二及び一二)
一三―一五
【エピクロ】エピクロス、有名なるギリシアの哲學者、エピクロス學派を起せるもの(前三四一―二七〇年)
一六―一八
【願ひ】フィレンツェの者を見んとの願ひなるべし
一九―二一
【今のみならじ】多言を愼しむの意を起さしめしは今のみにあらず(地、三・七六―八一參照)
二二―二四
【トスカーナ】ダンテの郷國、フィレンツェこの中にあり
二五―二七
【郷土】フィレンツェ
【虐げし】フィレンツェのグエルフィ黨を惱まし(三一―三行註參照)
三一―三三
【ファーリナータ】フィレンツェなるウベルティ家の出、一二三九年ギベルリニ黨の首領となる、一二五八年その徒黨と共に郷土を逐はれてシエーナにいたりこゝに同志を糾合し同六〇年九月グエルフィ黨とモンタペルティ(八五―七行註參照)に戰ひ大いにこれを敗る(一二六四年死)
三七―三九
【明かならしめよ】政敵に對して言語の明截的確なるべきを注意せしなり
四三―四五
【從はん】ウェルギリウスの注意に背かざらんため
【眉をあげ】過去の記憶を呼起すさま
四六―四八
【かれら】ダンテの父祖は皆グエルフィ黨なりければ
【兩度】一二四八年友び一二六〇年
四九―五一
【前にも後にも】一二五一年及び一二六六年
【術】フィレンツェに歸ること、一二六六年ベネヴェントの戰ひの後グエルフィ黨再びフィレンツェに歸りギベルリニ黨はこゝより逐はる、一二八〇年にいたりて兩黨調停の事あり、されどウベルティ一家の者はなほその郷土に入るを許されざりき
五二―五四 或ひは、この時頤まであらはなりし一の魂これとならびてあらはれいでたり
【口】墓の
【一の魂】カヴァルカンテ・カヴアルカンティ、グエルフィ黨に屬せり、ファーリナータと同じく來世の存在を信ぜざりきといふ
五八―六〇
【わが兒】グイード・カヴァルカンティ、ダンテが『新生』三・九八―九にわが第一の友といへるもの、詩を書くしまた哲學に通ぜり、十三世紀の半フィレンツェに生る、一三〇〇年黒白兩黨の爭ひこゝに起れる時故ありて白黨に與し、これがためにフィレンツェの西北なるサルツァーナに幽せられ病を得、郷に歸りて死す(同年八月)、グイードの妻はファーリナータの女なり
カヴァルカンテはわが兒グイードの才ダンテに劣るまじきとまたそのダンテの親しき友なるをおもひてかくいへるなり
六一―六三
【侮りし】義不明、ドヴィディオ(D’ Ovidio)はこは『アエネイス』の著者としてのウェルギリウスに對するグイードの態度をいへるに外ならずとし兩者の趣味詩風の相違を論じかつグイードのエピクロス派的傾向若しこの問題に聯關せば『アエネイス』にあらはれし宗教思想來世の状態の記述等この傾向と相反するの謂なるべしといへり
六四―六六 その言によりて友の父なるを知りその罰によりてエピクロスの末流なるを知る
六七―六九 侮るといはずして侮りし[#「りし」に傍点]といひ過去の動詞を用ゐたるをあやしめるなり
【光】日の
七三―七五
【請ひて】二二―四行
七六―七八
【床】燃ゆる墓
七九―八一
ファーリナータの豫言なり、曰く、汝は今より五十ケ月以内に郷里に歸ることのいかばかり難きやを自ら味ひ知るなるべしと
【女王】魔王プルートの妻ペルセポネ(地、九・四三―五註參照)神話によりて月と見做せるなり
八二―八四
【願はくは】物を請ふにあたりて請はるゝ人の幸を希ふ意を陳ぶ、以下この例甚だ多し
【わが宗族】四九―五一行註參照
八五―八七
【アルビア】トスカーナ州の川の名、有名なるモンタペルティの戰場(シエーナの東南六十餘哩)はこの河畔にあり、一二六〇年九月四日追放されしフィレンツェのギベルリニ黨シエーナ人と合してフィレンツェのグエルフィ黨と戰ひ大いに之を敗る(三一―三三行註參照)
【祈りを】再び政權をフィレンツェにえしグエルフィ黨はモンタペルティの殺戮を惡むのあまりかくウベルティ家に不利なる法令を出してその郷土にかへるをゆるさず
【神宮】註釋者曰ふ、當時聖ジョヴアンニの寺院をフィレンツェ高官の議場にあてたればこれに因みて法令を祈りといへるなりと
八八―九〇
【かの事】モンタペルティの戰ひ
九一―九三
【處】エムポーリ、フィレンツェの西十九哩なるアルノ河畔の町、モンタペルティの戰ひの後ギペルリニ黨の人々この處に相會し後日の累を免かれんためフィレンツェ破壞の事を議せしがファーリナータ一人の劇烈なる反對ありて議遂に成るに至らざりきといふ
九七―九九
汝等は未來の事を知りてしかも現在の事に暗きに似たり、ファーリナータはダンテの未來を豫知しカヴァルカンテはわが兒の生死を知らず
一〇〇―一〇二
【光備はらざる】遠視眼の
こゝに我等といへるは地獄全體の罪人を指せるか第六の地獄の罪人のみを指せるか明かならざるに似たれども註釋者多くは之をもて全地獄の罪人と解せり、地、二七・二五以下にグイード・ダ・モンテフェルトロがローマニアの現状をダンテに問ひし如きまたこの例に洩れず、罪人の未來を豫言せる例は處々に見ゆれども現在の事を語れる例はたゞ第六曲のチヤッコの物語にあるのみ(地、六・四九以下、同七三)、さればむしろチヤッコを例外と見做すかた自然なるべし
一〇六―一〇八
最後の審判の日至れば未來の門は閉されて永遠の門開かる、未來既に消滅すれば未來の事にかぎられし罪人の知識は從つて全く消滅す
一〇九―一一一
【咎】カヴァルカンテの問に直ちに答へざりしこと(七〇―七一行)
一一八―一二〇
【フェデリーコ】有名なるローマ皇帝フリートリヒ二世(一一九四―一二五〇年)、エピクロスの徒と見做されし者
【カルディナレ】オクタヴィアーノ・デーリ・ウバルディニ、一二四五年カルディナレとなり、同七三年に死す、ギベルリニ黨に屬しエピクロスの流れを汲める者にて死に臨み、たとひ世に魂なるものありとも我は既にギベルリニ黨のためにこれを失へりといへりと傳へられる
一二七―一二九
【わが言に】原、こゝに
【指を擧げたり】ダンテの注意を促すため
一三〇―一三二
【淑女】ベアトリーチェ。ベアトリーチェ、ダンテにすゝめてカッチャグイーダにその生涯の事を問はしむ(天、一七・七以下)
一三三―一三五
【溪】第七の地獄
第十一曲
第六の地獄を去るに臨みウェルギリウスはこれよりめぐるべき三の地獄の構造とその中なる罪人の分類を論じディーテ城門の内と外との罪を比較しさらに高利を貪る者の罪を擧げてダンテに教ふ
一―三
【岸】第六と第七の地獄の間の(第十二曲の始めにくはし)
四―九
【フォーチン】フォティヌス、テッサロニアの僧、チェーザレア(パレスチナにあり)の僧正アカキウスが異端の故をもて僧籍より除名されしことありしときフォティヌス彼のために復籍を取りはからはんとてローマにいたれり
【アナスターショ】法王アナスタシウス二世(四九六年より同八年まで在位)、ローマの人、當時東西二派の寺院異端につきて爭へるにアナスタシウスその調停に志しその頃ローマに來れるフォティヌスを屡※[#二の字点、1-2-22]引見せるより己もまた異端に陷れるが如くおもはるゝにいたりしなりといふ
一六―一八
【次第】大小高低次をなすこと
一九―二一
【見るのみにて】罪人の種類をウェルギリウスに問ふ(地、三・三三、七三、四・七四等)に及ばざるため
三一―三三
【屬けるもの】神に屬するものは自然と神恩、人に屬するものはその持物(三四行以下)
四〇―四五
第七の地獄第二圓に罰せらるゝ浪費者は第四の地獄に罰せらるゝ放縱なる浪費者と異なり博奕またはこの類の事により人の不利をわが利となさんとするものなり
【喜ぶべき處】地上、生命財産は善用して幸に入るの階段となすべきを惡用して自ら悲歎の境界に陷るなり
四九―五〇
【ソッドマ】男色即ち自然に反する罪(創世記第一九章)
【カオルサ】高利貸即ち神の恩惠(自然の賜なる財寶)にむかひて暴を行ふ罪、カオルサはフランスの南にある一都會(カオルス)の名なり、中古、高利貸の極めて多かりしところなりければかくいふ
【封ず】默示録、二〇・三參照
五二―五四
【心これによりて】豫め深くたくらみて人を欺くが故にこれを行ふ人、本心に痛みを感ぜざるはなし
五五―六〇
己に特殊の關係なきものを欺くは人間相愛の道に背くなり
第八の地獄なる各種罪惡の分布左の如し
僞善 第六嚢 地、二三
諂諛 第二嚢 一八
惑はす者 第四嚢 二〇
詐欺 第十嚢 二九、三〇
竊盜 第七嚢 二四、二五
シモニア 第三嚢 一九
判人 第一嚢 一八
汚吏 第五嚢 二一、二二
外にこのたぐひの汚穢
詐りの謀 第八嚢 二六、二七
爭ひを蒔く者 第九嚢 二八
【シモニア】僧官及び其他の神聖なる物を賣買すること、この語の出處につきては地、一九・一―六註參照
【汚吏】baratti 公私に論なく己が職務を利用して益をはかる者
【第二の】これよりめぐらんとする獄の中の第二、即ち全體よりいへば第八の獄
六四―六六
【ディーテ】地獄王ルキフェル(地、八・六七―九註參照)
七〇―七二
デイーテ城外の諸地獄にある者(第五、第二、第三、第四)
七九―八四
【汝の倫理】アリストテレスの倫理學第七卷の始め
ダンテの分類とアリストテレスの分類とは同一にあらず、ダンテの邪惡はアリストテレスの邪惡とその義を異にすムーア博士曰、ダンテはまづアリストテレスにより、地獄に罰せらるべき凡ての罪をば情を制する能はずして犯せる罪と痼疾の罪との二にわかちさらにキケロにより、後者を力と欺の二にわかてるなりと(『ダンテ研究』第二卷一五八頁以下)
八五―八七
【上に外に】地獄の上方ディーテの門外
八八―九〇
【復讎】異本、正義
九一―九六
【汝の言】四六行以下
九七―一〇五
【その枝】神が自ら定めたまひし故に從ひてその業をなしたまふこと
【汝の理學】アリストテレスの『理學』(フィージカ)二卷二・七
【孫】人間の技は自然よりいで自然は神よりいづ、故に人間の技は神の孫の如し
一〇六―一〇八
【二のもの】自然と技、即ち人は自然に倣ひその法に從つて努力し神の賜を自然の中に求むべきものなること
【創世記】創世記三・一九に曰く、汝顏に汗して食を得べし
一〇九―一一一
高利を貪る者は神の定むるところに反し自然の恩惠と自己の努力によりて富を求むることをなさずたゞ貨をして貨を生ましむるの道をとりその望みを不正の利益におきて自然とその從者なる人間の技とをないがしろにす
一一二―一一四
【雙魚】雙魚宮は白羊宮にさきだつ天の十二宮の一、この時太陽は白羊宮にあり(地、一・三八)そのあらはるゝは雙魚の星に後るゝこと約二時間なり、故に兩詩人がアナスタシウスの墓側を離れしは日出前約二時間乃ち四月九日年前四時の頃なるべし
【コーロ】西北の風、こゝには西北の空の意
第十二曲
詩人等斷崖を下りて第七の地獄第一の圓にいたればこゝに血の流れあり他人にむかひて暴なるものを煮またあまたのケンタウロス(チェンタウロ)ありて掟に從はざるものを射る、その一ネッソス(ネッソ)ウェルギリウスの請ひによりダンテを負ひて淺瀬を渡り第二の圓にむかふ
一―三
【物】一一行以下のミノタウロス(ミノタウロ)
四―六
【トレント】イタリア北方の山地にある町(チロルの南)
【アディーチェ】川の名、チロルよりいでヴェロナの市街を貫流し北イタリアの平野を過ぎてアドリアティコ海に入る
山壞れのありしところはトレントとヴェロナ兩市の間なるロヴェレートの町に近き處にてスラヴィーニ・ディ・マルコといひ一三〇二年ダンテ逐はれてヴェロナに客たりし時親しく見し處と傳へらる
一〇―一五
【くだけし坎の端】破岩により成る第六獄の端
【クレーチの名折】ミノタウロス(ミノタウロ)
神話に曰、ミノタウロスは牛頭人體の怪物なり、その母パシファエ(パシフエ)(淨、二六・四一)はクレタ(クレーチ)島(ギリシアの南地中海にあり)の王ミノス(地、五・四にみゆるミノスの孫)の妻なりしが海神ポセイドンよりミノスに賜はれる牡牛を慕ひ當時の名匠ダイダロスの造れる木製の牝牛の中に入りて遂にミノタウロスを生むに至れり
一六―一八
【アテーネの公】テセウス(テゼオ)
神話に曰、ミノスはミノタウロスの生れしを恥辱とし、ダイダロスの造れる一迷宮の中にこれを幽して外に出づるをなからしめ且つ年々若き男女各※[#二の字点、1-2-22]七人をアテナイに課してこの怪物の食に宛てたり、アテナイ王アイゲウスの子テセウス(地、九・五四)ミノスの不法を憤り海を渡りてクレタに赴きまづミノスとパシファエの間に生れしアリアドネ(乃ち、汝の姉妹)の歡心を得その教に從ひ歸路に迷ふことなからんため絲を身に結びて迷宮に入りミノタウロスを殺せり
三四―三六
【地獄に下れる】エリトネ(エリトン)の命をうけて(地、九・二二以下)
三七―三九
【ディーテ】地獄の王ルキフェル(ルチーフェロ)
キリスト地獄にくだり第一の獄乃ちリムボにとゞまる人類の始祖アダムの魂をはじめ多くの魂をルキフェルの手より奪ひ去りしことあり(地、四・五二以下)この時より少しく前といへるは即ちキリスト磔殺の時を指せるなり、地獄内の岩の壞れを教祖磔殺の時に起れることゝなせるはマタイ、二七・五一に、地震ひ岩裂け云々とあるによれり
四〇―四五
【宇宙愛に】エムペドクレス(地、四・一三八)の説を指せり
エムペドクレス思へらく宇宙は愛と憎の如き異分子の結合によりてその常の状態を持續するものなれば若し一方の力勝ち類その類と相合ふにいたる時は却つてこれがために混亂の状態に變ずと
四六―四八
【血の河】地獄の川の一なるフレジェトンタ(地、一四・一三〇以下參照)
四九―五一
異本、あゝ失明の慾よ狂へる怒りよ
四九行よりは地の文なり
五二―五四
【告げし】地、二・三〇、三七―九
五五―五七
【チェンタウロ】ケンタウロス、暴びの代表なり、神話にいふ、この者胸部より上は人にして下は馬なりと
【世に住みて】ケンタクロスはもとギリシアのテッサリア山地の蠻民なりしを次第に誤り傳へて妖怪となせしなり、骨格逞しき山地の蠻民が肥馬に跨がつて狩にいでし姿はげに半人半馬の怪物群を成して横行するの風情ありしなるべし
六四―六六
【キロン】キロネ、ケンタウロスの一、クロノス神の子、天文、醫藥、音樂、狩獵の諸術に通じ兇猛なるケンタウロスの中にありてひとり異彩な放てり、ホメロスかつてこれをよびてケンタウロスの中の最も義しきものといへることあり、また善く人と親しみアキレウスの父ペレウスとテチスの媒となり又自らアキレウスの師となれり、ウェルギリウスが殊更にキロンをえらべるも此等の消息に通ぜるによりてなり
【禍ひをえき】死を抱くにいたれり(ネッソの條參照)
六七―六九
【ネッソ】ネッソス、神話に曰、ヘラクレスその妻デイアネラ(デイアニーラ)と旅してエウェノス河(ギリシア)に至れる時こゝにケンタウロス、ネッソスの川越人足をなしゐたるを見、妻をその背に托し自らまづ川を渡り岸に着きて後をみしにネッソスはデイアネラを負ひしまゝ逃げさらんとするところなりければ乃ち弓にてこれを射その矢ネッソスの胸を貫けり、ネッソス死に臨み血に染みし己が衣をデイアネラに與へこの衣には男の心を放れしめざる不思議の力ありと欺き教ふ、この後いくばくもなくヘラクレスの心他の女にうつれりとの評さかんなるなきゝデイアネラ乃ちネッソスの衣をこれに送れり、ヘラクレス之を着くるに及びて忽ちその毒に感じ苦悶甚しく遂にオエタ山上に死せり(オウィディウスの『メタモルフォセス』九・一〇一行以下)
七〇―七二
【胸をみる】沈思の状
【はぐゝめる】教育せる(六四―六行註參照)
【フォーロ】フォロス、ケンタウロスの一、テセウスの友ピリトウスとヒッポダーミアの婚姻の筵に招かれ酒に醉ひて暴れ廻り自ら死を招くにいたれり(オウィディウスの『メタモルフォセス』一二・二一〇以下)
八二―八四
【二の象】人と馬との
八八―九〇
【ひとりのもの】ベアトリーチェ
【アレルヤ】(主をたゝへよ)天堂にて歌ふ頌詠
【盜人の魂】或ひは惡き魂、欺く魂
一〇六―一〇八
【アレッサンドロ】有名なるマケドニア王アレクサンドロス(前三五六―三二三年)の事なるべし
異説曰、テッサリアのフェレ市の暴君アレクサンドロス(前三五九年死)の事と
【ディオニシオ】ディオニシウス、シケリア島シラクサ市の僭主(前三六七年死)
一〇九―一一四
【アッツォリーノ】アッツォリーノ(或ひはエッツェリーノ)・ダ・ローマーノ(一一九四―一二五九年)北イタリアに多くの地を領し暴虐を極めし者
【オピッツォ・ダ・エスティ】一二六四年よりポー河の南三哩なるフェルラーラ市に君たり、一二九三年その妾腹の子アッツォ(淨、五・七七)の殺すところとなる
或曰、こゝに繼子といへるはたゞ罪の不自然なるより實子アッツォをダンテかく呼べるならんと
【この者今は】今はネッソス第一の案内者にて我はこれに次ぐものなれば彼の云ふところな疑ふ勿れ
一一五―一一七
【煮ゆる血汐】bulicame ブリカーメはヴィテルポに近き温泉の名(地、一四・七九及び註參照)をとれるなり
【一の民】人を殺せる者等
一一八―一二〇
【一の魂】ガイ・オブ・モンフォート、その父シモンがイギリス王エドワード一世のため死するにいたれる(一二六五年)を怨みエドワードの叔父にてシモンの義兄弟なるリチャードの子ヘンリー(即ちガイの從兄弟にあたる)が法王選擧の事に關しヴィテルポに止まれるを知りこの地の寺院の式に臨める時をうかゞひこれを寺院内(神の懷)に刺殺せり(一二七一年)
【ターミーチ】ロンドンのテムズ川、ヘンリーの心臟は黄金の器にをさめられてテムズ橋上に供へられきといふ説あるによれり
一二一―一二三
【民】人を傷けまたはその持物を奪へる者
一二四―一二六
【燒く】異本、蔽ふ
一三〇―一三二
【暴虐】一〇三行の僭主
一三三―一三八
【アッティラ】神の笞と呼ばれし有名なる匈奴(フンヌ)人の王にて五世紀にイタリアを襲へるもの
【ピルロ】ギリシアのエピロスの王ピルロス(前三一八―二七二年)、イタリアを攻めてローマ人を惱ませし者一説にはアキレウスの子ピルロスを指せりともいふ
【セスト】セクスツス、大ポムペイウスの子、イタリアの海岸を荒せしもの(前三五年死)
【リニエール・ダ・コルネート】ダンテ時代の名高き盜賊
【リニエール・パッツォ】同上
第十三曲
第七の地獄第二の圓は己が身己が産に暴を加へし者の罰せらるゝ處なり、詩人等こゝに自殺者ピエール・デルラ・ヴィーニアと語りまた産を荒せし者の犬に噛み裂かるゝを見る
七―九
チェチーナとコルネートの間の不毛の地をえらびて棲む猛き獸、チェチーナはイタリアの西海岸地中海に注ぐ小河コルネートは同じ海岸の町、この川と町との間は略※[#二の字点、1-2-22]マレムマと稱せらるゝ一帶不毛の地にあたり山林沼地多くして耕地甚だ少なし
一〇―一二
【アルピーエ】ハルプュイアイ、神話にいづる怪物、頭處女の如く體羽翼爪は鳥に似たり常に群集し汚穢極りなしといふ
【悲報】アエネアスその士卒と共にストロファデス(ストロファーデ、イオニア海中の二小島)に上陸せし時、ハルプュイアスのために惱まされ劒を拔いてこれを追へるに其一ケライノなる者トロイア人にむかひ汝等後日饑に迫りて食卓をも喰ひ盡すに至るべしといへること『アエネイス』三・二〇九以下に見ゆ
一六―二〇
【恐ろしき砂】第三の圓なる砂
【信を奪ふ】わが言をきくのみにては眞と信ずまじき
異本、わが言に信を與ふべき
二五―二七
【我等のために】我等をおそれて、我等に見れらざらんため
三七―三九
【木】自殺者の理性と官能の作用とを失へるをあらはせり
四三―四五
【尖】折取りし小枝の先
四六―四八
【我詩の中にのみ見しこと】アエネアス、トラキヤに上陸しその母アプロディテ及び其他の神々を祭らんとし祭壇を蔽はんためそのあたりの丘にゆきて樹木を曳けるに黒き血滴りて地を染む、かくすること三度に及べば悲しき聲丘下より出で、アエネアスよ何とて幸なき者を裂くや云々とつぶやき且つその生前はアエネアスの身寄なるポリドロス(地、三〇・一八)といへる者なりしことを告ぐ(『アエネイス』三・一九以下)
五八―六〇
【我】ピエール・デルラ・ヴィーニア、十二世紀の末ナーポリ附近の下賤の家に生れしものなりしが皇帝フリートリヒ(フェデリーコ)二世に事ふるに及びてその信任を得大いに用ゐらる、一二四八年反逆の罪をうけて獄に投ぜられ翌九年獄中に自殺す、彼また詩文を善くしその著作今に傳るといふ
【或は閉ぢ或は開き】わが好むところには帝の心を開き好まざるところには之を閉ぢ
六一―六三
【睡りをも脈をも】夜は眠りをなさず晝はいたく疲勞す
異本、血筋をも脈をも
六四―六六
【チェーザレの家】王宮
【遊女】嫉み、萬民共通の罪惡にして特にやんごとなきあたりに甚し
六七―六九
【アウグスト】オクタウィアヌス以下ローマ皇帝の稱號、こゝにてはフリートリヒ二世を指す
七三―七五
【奇しき】或ひは、新しき
九四―九六
【第七の口】第七の地獄
一〇〇―一〇五
【窓】痛みの歎きとなりて外に出るところ即ち傷口
【行くべし】肉體をえんとてヨサファッテの溪にゆくなり(地、六・九七―九、同一〇・一一)
一〇六―一〇八
魂木に入り、體はその木の上に懸けらる
一一二―一一四
【立處】獵の一行のうち野獸の逃げ路を見張る者の立つ處
一一八―一二三
【さきの者】ラーノ、シエーナの人、一二八八年フィレンツェ人を助けピエーヴェ・デル・トッポ(寺領の名)の戰ひに臨みアレッツォ人の敗るところとなりて死す
【疾く】或ひは、助けよ
苦しさのあまり魂の無に歸せんことを希ひて死を呼べるなり
【ひとり】ジャーコモ・ダ・サント・アンドレーア、パードヴアの人にてラーノと同じくその資産を妄りにせしものなりといふ
【汝の脛】トッポの戰ひにラーノは戰場をのがれて命を全うし得べかりしも資産すでに盡き餘生を幸ならしむる望みなきをおもひ軍利なきにかゝはらずとゞまりて敵に當れるなりといふ
一二四―一二六
【牝犬】ハルプュイアイ(アルピーエ)の徐々蠶食しゆくは自殺者の心を晝き黒犬の猛烈なるは浪費者の生涯を寫せるなり
一三〇―一三五
【折際《をりめ》より】或ひは、折傷のため
ジャーコモのかくれしため折り荒されしなり
一三九―一四一
【彼】自殺者の名不明
一四二―一四四
【邑】フィレンツェ、初め軍神マルス(ギリシアではアレス)をその守護神とせしがキリスト教の傳來と共にバプテスマのヨハネを以てこれに代へたり
一四五―一四七
【その術】軍神の術乃ち戰亂
【アルノの渡り】マルスの堂宇ジョヴァンニの寺院に變ずるとともに人々軍神の像をアルノ河邊の一塔中になさめたりしが五四二年ゴート人の王トチラ、フィレンツェを攻めて陷るゝに及びこの像アルノの水に沈めり、シャルルマーニュの世フィレンツェ復舊の事ありし時、人々まづ沈めるマルスの像を取上げこれをアルノの渡乃ちポンテ・ヴェッキオと名づくる橋の一端に安置す、こゝに名殘といへるはこの像すでに多く破損したればなり(天、一六・一四五參照)
一四八―一五〇
【アッティラ】有名なる匈奴(フンヌ)人の王(地、一二・一三四)、されどフィレンツェに侵入せるはトチラにしてアッティラにあらず、ダンテは傳説によりてこの名をあげしなるべし
【灰の上】トチラ(或ひはアッティラ)、フィレンツェを燒けりといふ傳説によれり
一五一
我はわが家の内にて首を縊れるなり
第十四曲
第七の地獄第三の圓は神及び神の物にむかひて暴を行へる者の罰せらるゝ處にてこゝに三種の罪人ありこの曲にてはまづその一種乃ち神を侮るものゝ刑罰をあぐ、詩人等そのひとりなるカパネウス(カパーネオ)を見その暴言をきゝて後フレジェトンタの川にいたりこゝに導者地獄内なる諸川の由來をダンテにかたる
一―三
【郷土の愛】自殺者と同郷の好みあれば
一〇―一二
【憂の林】自殺者の森
【悲の濠】血の河
一三―一五
【カートンの足踏めるもの】アフリカなるリビヤの砂漠
紀元前四七年ウティカのカトー(カートン)(前九五―四六年)ポンペイウス敗餘の軍を率ゐてヌミディア王ジウバと合せんためリビヤの砂漠を過ぐ
二二―二四
【臥せる】神を侮れる者
【坐せる】自然と神の賜をしひたげしもの(高利貸)
【歩める】自然に背けるもの(男色)
仰臥するは侮蔑の目を天にむかはしむるなり、坐するは額に汗せずして貸殖に腐心するなり、歩むは情慾の誘ふままに正道を離るゝなり、三種の罪人いづれも生前の状態に從つてその罰を異にす
二五―二七
男色を行ふものその數最も多く高利貸これに次ぎ神を侮る者最も少なし、しかもその最も少なき者罪却つて重ければ歎聲を發することまた却つて他よりも多し
三一―三三
【アレッサンドロ】アレクサンドロス大王よりアリストテレスに送れりと傳へらるゝ書簡の中インド行軍の記あるによれり
この書の中には大王、大雪にあひ士卒にこれを踏ましめ次に雨下する火焔にあひ部下に衣をもて拂はしめしことしるさるゝも火焔を踏ましめしことみえねばダンテは中古の大哲アルベルトス・マグヌスの著書によりてかく火と雪とを混ずるにいたれるなるべしといふ、委しくはトインビーの『ダンテ字典』(A Dictionary of Proper Names and Notable Matters Works of Dante-P. Toynbee)にいづ
四〇―四二
【亂舞《トレスカ》】手足を急速に動かして舞ふ舞踏の一種
四六―四八
【大いなる者】カバネウス、テバイを圍める際ゼウスの怒りに觸れその電光に撃たれて死す(六七―七二註參照)
【熟ましめじ】火の雨もその慢心を挫く能はず、果實の始めは固く酸くして後は軟かく甘きに譬へしなり
五二―五四
【ジョーヴェ】ゼウス。ギリシア・ローマの神話にいづる神
カパネウスの神は昔の神にしてキリスト教の神にあらず、彼は全く智能の功徳を失ひ(地、三・一八)我を罰する神の何たるを知らざるなり、ダンテがこゝに神を侮るものゝ代表者としてカパネウスをあげしはその神と信ずる者にむかひて不遜なる點よりみれば名異なるも實同じきを以てなり、淨、六・一一八にダンテ自らキリスト教の神をジョーヴェと呼べることあるをおもふべし
【鍛工】ヴルカーノ(ヴルカヌス又はヘファイストス)。ゼウスの子にして火の神なり、神話に曰ふ、この神エトナ山中の工場にてゼウス神のためにその電光の矢を鍛へりと
五五―六〇
【フレーグラ】プレグライ。ギリシアのテッサリアの曠原、ゼウスと巨人軍との戰ひありしところ
【モンジベルロ】エトナ山の古名なり、シケリア島にある火山にてヘファイストスの鍛工場ありしところ
【鍛工等】キクロペ(チクロピ)と稱する一眼の巨人等、ヘファイストスをたすけてエトナの工場に鐡鎚をふるふ
六一―六六
【劇しき怒り】怒りて自ら苦しむは神の刑罰をいよ/\大ならしむるに外ならず
六七―七二
【七王】ギリシアの七王、カパネウス、アドラストス、テュデウス、ヒッポメドン、アンフィアラオス、パルテノパイオス、ポリュネィケス
テバイ王オイデプスとイオカステの間に二兒あり、エテオクレス、ポリュネィケスといふ、父オイデプスの後を承け年毎に交代してテバイを治むる約ありしにエテオクレス時至るもなほ弟に讓るを肯はざらしかば、ポリュネィケスこゝに諸王をかたらひその助けを得て軍を起しテバイを攻む、是即ち七王の役なり
七六―七八
【小川】フレジェトンタ(一三一行)、地獄の川の一、第一の圓の血の河自殺者の森の下を過ぎてこゝに流れ下れるなり
七九―八一
【ブリカーメ】ヴィテルボを距る二哩にある温泉の名、この水集まりて池となり池より一の細流いづ(ダンテ時代に)、こゝにては水の湧くと流れの急なるとをくらべしなり
【罪ある女等】遊女等、彼等他の婦人と混じて浴を取る能はず少しく水源地を離れしところより各戸に水を引きて己が浴場の用となせりといふ
八二―八四
【路】第八獄への
八五―八七
【門】地獄の門(地、八・一二四―六及び註參照)
八八―九〇
【その上に消す】地、一五・二―三參照
九一―九三
【慾を】流れの不思議なるを告げて求知の念を起させたれば今教示してその念を滿足せしめよ
九四―九六
【海】當時地中海を單に海といへり
【クレータ】地、一二・一二
【王】クロノス(サトルノ)神、クレタ島最初の王にてこの王の治めし頃を黄金時代といふ
九七―九九
【イーダ】イダ、クレタ島の中央にあり
一〇〇―一〇二
【レーア】レア、神話に曰、レアはクロノス神の妻にてゼウス及びその他の神々の母なり、そのころクロノスの位はその子の奪ふところなるべしとの豫言ありしかばわが子の生るゝに從ひ神これを喰ひ盡せり、ゼウス生るゝに及び母レアこれをイダ(イーダ)山中の洞窟にかくし且つ泣く聲によりてその所在を知られんことを恐れクレタ人に命じ或ひは樂を奏し或ひは饗宴を張りて聲をあげて以て呱々の聲を沒せしむ
一〇三―一〇五
【老巨人】ダニエル、二・三一以下ネブカドネザル王の夢の中にあられし巨人の像によれり、聖書の巨人はこの王以後の世の變遷を示しダンテの巨人は人類の歴史を總括す、頭より以下金の銀となり銅となり鐡となるは黄金時代次第に退歩し歴史の老ゆるに從つて人類次第に墮落しゆくを示せるなり、またクレタ島を巨人の立つ處となせるはクロノスの治世の下にこゝに理想の世を現出したるとこの島は當時の所謂世界三大睦の略※[#二の字点、1-2-22]中央に位するが故なるべし(スカルタッチニ註參照)
【ダーミアータ】エヂプトの北海岸ナイル河口を距る八哩にある町、こゝにては東方一帶の地を指し古代王國の所在地として過去を代表す
【ローマ】世界活動の中心として現在を代表す
一〇九―一一一
【右足】註釋者曰、巨人の兩足は帝國と寺院なり、寺院の腐敗したるを燒土にたとへしかも輿望のなほ之にあつまれるを巨人を支ふるにたとへしなりと
一一二―一一四
罪の涙流れざるはたゞ黄金時代あるのみ
【窟】イダ山中の洞窟
一一五―一一七
【アケロンテ】地、三・七〇以下
【スティージェ】地、七・一〇六以下
【フレジェトンタ】地、一二・五二以下
一一八―一二〇
【コチート】地獄の底の池、地、三二・二二以下
一二一―一二三
【縁】第二の圓の
一二四―一二六
【左】地、九・一三〇―三二註參照
一三〇―一三二
【レーテ】一三六―八行註參照、ウェルギリウス未だレーテの事をいはず、フレジェトンタは巨人の罪の涙より成るといへり
一三三―一三五
【煮ゆる紅の水】第一の圓の河水赤く湧くをみてそのフレジェトンタなるを知りうべかりきとなり
ウェルギリウスはダンテの『アエネイス』に精しきを知りてかくいへり、この歌六・五五〇―五一に、冥府の急流フレジェトンタその迸る焔をもてこれをめぐり云々とあり
一三六―一三八
レーテ(忘るゝ義)の川は地獄の外淨火に穢れを淨むる魂己を洗はんとてゆくところにあり(淨、二八・一二一以下)
第十五曲
兩詩人フレジェトンタの堤を傳ひて進み第三の圓第二種の罪人乃ち自然を亂せる者(男色)の火の雨にうたれつゝ砂上を歩み來るをみる、その中にブルネット・ラティーニあり己が群を離れてダンテと共にゆきその將來を豫言しまたその群の中の主なる罪人の名をこれに告ぐ
四―六
【グイッツァンテ】(乃ちウィサント)ダンテ時代のフランドル(フィアンドラ)の西端カレーに近き町
【ブルッジア】ブルージェ、同東端の町
兩地の間約六十五哩にて略※[#二の字点、1-2-22]フィランドルの海邊(今のフランスの東北端とベルギーの一部の)といふに同じ、土地低きが故に海水の浸入を防がんため堤防を築く
七―九
【ブレンタ】アルピの峰よりパードヴァの町のほとりに流れ下る川
【キアレンターナ】バードヴァの北の山地にてブレンタの水源地をも含む、この山地の雪春日の熱をうくれば溶けて流れて河水ために氾濫す
一〇―一二
【誰にてもあれ】神か天使か惡魔か(地、三一・八五參照)
二二―二四
【裾】岸高く砂低ければなり
二五―三〇
【わが顏を】異本、手を
【セル・ブルネット】ブルネット・ラティーニ、一二一〇年頃、フィレンツェに生る。哲學文學に通じまたグエルフィ黨に屬して時の政治に干與せり、一二六〇年モンタペルティの戰ひの後、グエルフィ黨の首領と共に郷土を追はれフランスのパリに赴き久しくこゝに止まりてその間佛文『テゾーロ』を編せり、後再びフィレンツェに歸り一二九四年に死す、「セル」は、ブルネットが逐客とならざりし前公證人たりしことあればその尊稱をここにも用ゐしなり
四九―五〇
【齡未だ滿たざるに】未だ人生の半乃ち頂點に達せざるに、備へ未だ全く成らざるに
ダンテの林に迷ひ入れるは神曲示現の以前にあり
五二―五四
【昨日の朝】四月八日の朝(地、一・三七)、今は翌土曜日の未明なり
【この者】罪人にむかひてウェルギリウスの名をいはず
【わが家】世界、三界を歴程して再び世に歸る路にあればウェルギリウスはたゞ地獄、淨火の導者なれどもかくいへるなるべし
或曰、地上乃ち南半球(地、三四・一三九)と、又或曰、天と
五五―五七
【星に從】天賦の才のあるところに從つて進まば(古來天文によりて人の運命を測知しうべしとの信仰ありしに基づけり)
五八―六〇
【早からざりせば】ダンテと聯關して己が死の早きをいへりブルネット自身は齡八十に及ぶまで世にながらへるなり
六一―六三
【フィエソレ】フィレンツェを距る約三哩なる一丘上の町、この町ローマ人のために攻め落されし時その民アルノ河畔にのがれ、ローマの移住者とこ、に合してフィレンツェ市な成すにいたれりといふ傳説によれり
【山と岩とを含める】粗野にして拗執なる
六四―六六
【ソルボ】果樹、その實酸く醂して始めて食用とす
六七―六九
【古き名】史家ヴィルラーニの説によればフィレンツェ人の瞽と呼ばるゝにいたりしはトチラ侵略(地、一三・一四五―七註參照)の際その甘言に欺かれ門なひらきてこれを迎へ入れたるによれりといふ
【貪嫉傲】地、六・七四參照
七〇―七二
【彼黨此黨】黒白の兩黨
【飢ゑて汝を求めむ】汝を害せんとはかるべし
七三―七五
フィエソレの血をわかつフィレンツェ人たゞ相互に搏噬しその腐敗の中より一人たりとも眞のローマ人のあらはるるあらば彼等手をこれに觸るべからず
七六―七八
フィエソレ人下り來りて邪惡の巣なるフィレンツェの町建てられし時
【聖き】ローマは聖地、ローマ人は選民なり
七九―八〇
【汝は未だ】汝は未だ死せざりしものを
八二―八七
【教へたまひし】ダンテはしば/\この老碩儒の教をうけたれども所謂師として之に事へたりしや否やは明かならず(スカルタッツィニ註參照)
八八―九三
【録し】記憶に
【他の文字】チヤッコ及びファーリナータの豫言(地、六・六四以下及び地、一〇・七九以下)
【淑女】ベアトリーチェ(地、一〇・一三〇―三二參照)
九四―九六
【契約】未來の契約即ち不吉なる豫言
或曰、人と命運との間の契約即ち人の命運に逆ふべからざることをいふと
【農夫は鋤を】人事を盡して天命を待つの外なきをいへり
九七―九九
【善く聽く】聖賢の教をきゝ之をさとりて心にをさむるものこれ善く聽く者なり
ウェルギリウスはこの答によりダンテが地、一〇・一二七以下ファーリナータの豫言に關しまた地、七・七〇以下命運に關し師の教へしところを理解し銘記するをしりて大いにこれを賞せるなり
一〇九―一一四
【プリシアン】プリスキアヌス、有名なるラテン文法學者、六世紀の始めの人
【フランチェスコ・ダッコルソ】有名なるフィレンツェの法律學者アッコルソの子にて父と同じく法理を修め一二七三年イギリスのオックスフォードに赴きて講師となれり(一二二五―一二九三年)
【瘡】汚き罪人等、かゝる穢れを見んことを願ひたらば
【僕の僕】法王
【アルノ】フィレンツェをいふ、川の名を町に代へしなり
【バッキリオーネ】ヴィチェンツァの町を貫流する川、前のアルノと同じく町の名に代へて用ゐしなり
【殘せし者】アンドレーア・デ・モッチ、フィレンツェの人、一二八七年この邑の僧正となりしも不徳のため同九五年法王ボニファキウス八世の命により遷されてヴィチェンツァの僧正となり翌九六年此處に死す
一一五―一一七
【烟】砂烟
一一八―一二〇
世の地位により分たれて多くの小團をなしその一に屬する者他の一團に加はるをえず、ブルネットの一群には學者と僧とあり
【テゾーロ】ブルネットがフランスに滯在中フランス文にて編せる百科事典的著作
ブルネットの著作にはこの他、本國の語にてしるせる短詩『テゾレット』あり
一二一―一二四
【ヴェロナ】中古ヴェロナ市の郊外には四〇日齋の始めの日曜日に徒歩競爭行はるゝ例あり、勝者はいろどれる衣を受け敗者即ち最後の到着者は一初の雄鷄を受けたりといふ
第十六曲
かくてさらに進みゆくにフィレンツェの者みたり群を離れてはせ來りそのひとりヤーコポ・ルスティクッチといへる者ダンテと語る、彼等去りて後詩人等第七の地獄盡くるところにいたりウェルギリウスはこゝにダンテの身にまける紐を解かしめ斷崖の上より之を投げおろしてジェーリオネ(ジェーリオン)を招く
一―三
【次の獄】第八獄
四―六
【群】男色の罪を犯せる者の一群にて文武の公職にありしものをあつむ
七―九
【衣】町によりては特殊の服裝行はれし處あればなり
一三―一五
【聲に心をとめ】或ひは、聲をきゝてとゞまり
一六―一八
この處の習として火の雨下ることなくば彼等のはせ來るを待たず汝まづいそぎすゝみて彼等を迎ふべきなり
一九―二〇
【古歌】例となれる歎聲
【輪】しばらくもとゞまること能はざれば輪をつくりてめぐれるなり
二二―二四
【勇士】註釋者曰、この譬は人に雇はれてその權利の保護者となり拳鬪によりて司法上の爭ひを決せし力士にとれるなり、かゝる風習は十三世紀より十四世紀の始めにかけイタリア各地の都市に行はれたるなり云々
二五―二七
【頸は】目ダンテに注ぎ足圓を畫けばなり
三一―三三
【名】世に殘せる
三四―三六
【毛】異本、皮
三七―三九
【グイード・グエルラ】フィレンツェ、グエルフィ黨の首領。一二六〇年モンタペルティの戰ひ敗れて後郷里を逐はれ亡命の士を糾合して之に將たり、一二六六年ベネヴェントの戰ひに殊勳をあらはし翌六七年黨與を率ゐてフィレンツェに歸り同七二年に死す、その父マルコヴァルドはグアルドラーダとその夫、老グイードの間の第四子なりグアルドラーダはフィレンツェの名門ラヴィニアーニ家の者なるベルリンチオン・ベルティ(天、一五・一一二)の女、容姿美にして夙に貞淑の聞えあり、老グイードに嫁して四子を生む
四〇―四二
【テッギアイオ・アルドブランディ】フィレンツェの名門アヂマーリ家の出にて、當時著名の武人なり、フィレンツェなるグエルフィ黨の人々にシエーナな攻むるの無謀なるを諭せしもその言用ゐられずして遂にモンタペルティの大敗を招くにいたれり(一二六六年死)
【名】voce この字を言の意にとりその言(乃ちグエルフィ黨を戒めし)世に用ゐらるべかりし云々と解する人あり
四三―四五
【十字架にかゝれる】苛責を受くる
【ヤーコポ・ルスティクッチ】傳不詳、十三世紀の半の人、古註曰、彼、妻と合はずして別れしため一般婦人を厭ひて不自然の罪を犯すにいたれるなりと
五五―五七
【主の言】一四―五行
六一―六三
【膽】にがき罪、禍ひ
【甘き實】あまき救ひ、福
七〇―七二
【グイリエイルモ・ボルシーレ】ボッカッチョの『デカメローネ』に見ゆるフィレンツェの武人
七三―七五
ダンテの詞
【新なる民】十三世紀の末フィレンツェ附近より來りて住むにいたれる民、民新なるによりて市を愛するの念うすし
【フィオレンツァ】フィレンツェ
【汝は既に】爭亂分離の萌既にこの時にあらはれしなり
七九―八一
汝は心のまゝにかたり勞せずして自然に巧みなる言を出しうるが故にこれより後にも今の如く僅かの詞にて問ふ者の心に滿足な與へうべくば幸なり
八二一八四
【星を見んとて】地、三四・一三九參照
【我かしこに】過去を追想するをうる時
八八―九〇
【アーメン】ファンファーニ(P. Fanfani)曰、in un ammen(アーメンの間に)、in men d’un ammen(アーメンより早く)といふ言今もまたゝくまの意に用ゐらると
九四―一〇二
【川】モントネ川(ローマニアにあり)、アペンニノ連峰の一部よりいでゝアドリアティコ海に注ぐ、ポーの源なるモンテ・ヴェーゾ(アルピ山中の高嶺)の東アペンニノの左にあたる諸川は皆東流してポーに注ぎモントネにいたりて初めて獨立す(今は地勢の變化によりてこれよりさきに海に注ぐ川あり)、この川ダンテの時代にはフォルリの町にいたるまでアクアケータと呼ばれし溪流なりきといふ、低地はローマニアの平原を指せるなり
【サン・ベネデット・デル・アルペ】アペンニノの山麓フォルリの附近にある僧院の名、アクアケータの水このあたりにいたれば飛瀑となり一瀉して落つ
千を容るべき云々につきては異説ありていづれとも定め難し
(1)僧院の生活豐かなれば猶多くの僧を容るべき
(2)多くの民の住む處となる筈なりし
この説はボッカッチョがこの僧院の院主を訪へる時院主かたりてこのあたりの高地を領する侯伯の中、瀧のあたりに一城市を築きて近隣の都邑をひとまとめにせんとの計畫をたつるものありしも事行はれずしてやみたりといへりといふにもとづく
(3)この一句を瀑に附し、その量その高さ裕に千の飛瀑となりて落ちくだるに足るべきにたゞ落ちに落下りて
一〇六―一〇八
【紐】豹は第一曲に見ゆる如く情慾の象徴なり、之を捕ふるために用ゐし紐は慾を抑へんとする人間の努力修養若しくは結縁の誓ひなり、ダンテ既に邪淫の兩界を經この罪の誘ひに勝つべき信念を得るにいたれば今は紐を帶ぶる必要を見ず、またウェルギリウスは便宜上その必要なき物を借り之を相圖としジェーリオネを呼べるなるべし(ノルトン C. E. Norton 註參照)
一二四―一二六
ダンテの詞地の文
【恥】眞を語りてしかも人に僞りなりとおもはるればなり
一二七―一二九
【喜劇《コメディア》】ダンテはカン・グランデ・デルラ・スカーラに與へし書二一八行以下にこの詩を喜劇といふは地獄の不幸にはじまりて天堂の幸に終り且つ記すに俗語を以てしたればなりといへり
第十七曲
ジェーリオネ岸にあらはれて後ダンテは導者と別れてそのあたりなる第三の圓第三種の罪人即ち高利貸の群に入りこゝにフィレンツェ及びパードヴァの人々な見、やがてかへりて導者と共にジェーリオネの背に跨がり斷崖を下りて第八の地獄にいたる
一―三
【獸】ジェーリオネ(ゲリュオン)ダンテはたゞ名を傳説に借りるに過ぎす、神話に見ゆるジェーリオネはヘラクレスに殺されし三頭三體の巨人にて『神曲』中のものと全く異なればなり
ジェーリオネは欺罔の象徴なり、尖れる尾を持つは人を害するをいひ山を越え垣と武器を毀つは自然も人工もその行方を遮りとゞむること能はざるを示せるなり
四―六
【踏來れる石】詩人等の歩み來れるフレジェトンタの岸
一〇―一二
ロセッテイ(G. Rossetti)曰、欺罔はまづ義人の顏によりて人の信を得次にいろどれる體をもて人を惑はし後尖れる尾を動かして人を撃つと
一三―一五
【係蹄】人を誘ひ陷るゝしるし
【小楯】欺罔を蔽ひかくすしるし
一六―二四
韃靼人《タルターロ》及びトルコ人共に織物にて名高かりしなり
【アラーニエ】アラクネ、神話にいづ、有名なるリディア(小アジア)の織女、女神アテナとその技を爭ひ死して蜘蛛となる(オウィディウスの『メタモルフォセス』第六卷の始めにくはし)
戰ひ求めて魚を捕へんとして、こは海狸が屡※[#二の字点、1-2-22]尾を水に垂れて岸にうづくまることあるより起れる俗説なり
二五―二七
【蠍】默示録、九・一〇參照
三一―三三
【右】地、九・一三〇―三二註參照
三四―三六
【民】人の技に背ける罪人即ち高利貸
五二―五七
【嚢】家紋を附したる財嚢にて在世の日と同じくこれをみて目を喜ばすなり
五八―六〇
黄地に空色の獅子を出せるはグエルフィ黨に屬するフィレンツェの名門ジャンフィリアッティ家の紋
六一―六三
赤地に白鵞を浮べしはギベルリニ黨に屬するフィレンツェの貴族ウブリアーキ家の紋
六四―六六
白地に空色の牝豚をあらはせるはバードヴァ市スクロヴェーニ家の紋
六七―六九
【生くるが故に】世に歸りてわが言を人に傳へうるため
【ヴィターリアーノ】古註曰、ヴィターリアーノ・デル・デンテといひパートヴァの人なり、一三〇七年その郷里のポデスタとなると
【左に】罪いよ/\大なればなり
七〇―七五
【まれなる武夫】反語、此者はジヨヴァンニ・ブイアモンテといひフィレンツェ第一の高利貸なりきといふ
ラーナ(Lana)の古註に曰、ブイアモンテ家の紋は青地に金にて三の鳶の嘴をあらはせるものなりきと
七六―七八
【誡めし】四〇行
八二―八四
【かゝる段】アンテオの手によりて第九の地獄に下り(地、三一・一三〇以下)ルチーフェロの毛にすがりて地心を超ゆ(他、三四・七〇以下)
八五―八七
【瘧】quartana 四日目毎に起る間歇熱
八八―九〇
【戒め】八一―二行
九四―九九
【めづらしき】地、一二・二八―三〇參照
一〇六―一一四
【フェートン】ファエトン。神話に曰、ファエトンはヘリオスとクリメネの間の子なり、一日父に請ひその火車をめぐらせしにこれを曳ける馬御者を侮り軌道を逸して天に近づく、ゼウス、火焔の宇宙を燒盡さんことを恐れ電光を投じてファエトンを殺せり(オウィディウスの『メタモルフォセス』第二卷の始めにくはし)
【今も見ゆる】銀河を天の燒跡と見做せるなり
ダンテの銀河説は『コンヴィヴィオ』二・四四―八六にいづ
【イカーロ】イカルス、神話に曰く、イカルスはダイダロス(地、一二・一〇―一五註參照)の子なり、父の作れる翼を身につけ父と共にクレタを去りし時その教に背きて高く飛び日に近づけるため翼を支へし蝋熱によりて溶け海に陷りて死す(オウィディウスの『メタモルフォセス』八・一八八以下に委し)
一一八―一二〇
【項】原語、頭
一二四―一二六
【禍ひ】第八獄の刑罰
一二七―一二九
【呼ばず】(地、三・一一五―七註參照)、飼主に呼ばれもせず捕ふべき鳥もなく
一三三―一三五
【削れる岩】第七と第八の地獄の間の斷崖
第十八曲
第八の地獄はマーレボルジェと呼ばれ十の嚢《ボルジヤ》より成る、兩詩人ジェーリオネの背をくだりて後次第に中心にむかふにあたりまづ第一嚢に己または人のために女を欺けるものゝ鬼に鞭たるゝを見、次に第二嚢におもねりへつらふものゝ糞土にひたるをみる
一―三
【マーレボルジェ】(禍ひの嚢)第八獄の總稱、十個の圈状の溪より成る、詩人等がジェーリオネの背に跨がりて下れる斷崖の下より岩石流れ出で溪と溪との間の堤を橋脚として多くの橋となり中央の坎に達す、しかして斷崖上りこの坎に近づくに從ひ地は次第に下方に傾斜せり(地、一九・三四―五及び二四・三七―四〇)
Bolgia は嚢の一種なり、溪を嚢といふはその中に罪人ををさめて恰も長き嚢の如くみゆればなり
【圈】第七と第八の兩獄の堺にある斷崖
四―六
【坎】第九の地獄この坎の底にあり
七―九
【岸】斷崖、三行の圈と同じ
一〇―一五
【閾】城門の
一六―一八
【石橋】原語、岩、破岩溪の上を過ぎて橋となれるもの
【坎は】多くの石橋四方より皆中央の坎にあつまり坎にいたりて盡く、その状恰も車の輻の軸に聚まるに似たり
二五―二七
第一嚢は中央より分たれて二の輪となりその中なる二種の罪人互に反對の方向に進む、外の輪には人の爲に女を欺けるもの内の輪には己のために女を欺けるものあり
二八―三〇
【ジュビレーオの年】罪の赦の年(一二九九―一三〇〇年)
このジュビレーオは法王ボニファキウス八世の令旨によりて行はれき、乃ち法王は一二九九年のキリスト降誕祭より向ふ一ケ年間すべてローマに集まる巡禮者にしてこの地に十五日を過し且つ聖ピエートロ聖パウロの兩寺院に詣でてその罪を懺悔するものに大赦を宜せるなり、この時ヨーロッパ各地より集まり來れる旅客の數莫大なりければ此等の者に對する取締り保護の方法種々ありし中にダンテのこゝに引用せる一項ありき、即ち聖アンジェロの橋を縱に一個の柵をしつらひ聖ピエートロの寺院にゆくもの及びそこより歸る者に往來の故障なく各※[#二の字点、1-2-22]その方向に從つて橋を渡るをえせしめしことこれなり(ノルトン)
三一―三三
【カステルロ】カステルロ・サンタンジェロ、もとは歴代皇帝の靈廟なりしが六世紀にいたり市民これを城に代へたり、聖アンジェロ橋の右側にあり
【サント・ピエートロ】カステルロの西にあり、使徒ピエートロ(ペテロ)この墓の上に建てられし大寺院
【山】橋の左にあるモンテ・ジョルダーノを拜せりといふ
三四―三六
【鞭】ferze 棒の先に多くの革紐をつけしもの
四九―五一
【ヴェネディーコ・カッチァネミーコ】一二六〇年より同九七年までボローニアなるグエルフィ黨の首領たりしもの
【サルセ】salse サルセまたは藥味、註釋者曰く、ボローニアの附近にサルセと名づくる溪ありて昔處刑せられし罪人の遺骸こゝに棄てられ罪輕き者こゝに策たれしことあれば辛き藥味即ち苦しみの場所と兩義に通はして用ゐしなりと
五二―五四
【明かなる】善くボローニアの事に通ぜるを示す
五五―五七
【侯】フェルラーラ市の侯爵にてエスティ家の者なりといふ、名不明
【ギソラベルラ】ヴェネディーコの姉妹
五八―六三
我と共に此處に罰せらるゝボローニア人は今現に世に住むボローニア人よりその數多し
【サヴェーナとレーノの間】ボローニア、サヴェーナとレーノは東西よりボローニアを插みて流るゝ川の名なり
【シパ】sipa ボローニアの方言にてシア sia(si 然り)の意に用ゐる、故にシパといひならふ、舌はボローニアの方言を用ゐるもの即ちボローニア人なり
六四―六六
【騙すべき】da conio 或ひは人に取持ちて錢にすべき、錢のために己が身を賣る等の意に解する人あり
七〇―七二
【永久の圈】第七獄と第八獄第一嚢の間の岸、永久は地、一・一一四不朽の地と同義なるべし
七九―八一
【群】己のために女な欺けるものゝ群
八五―八七
【ヤーソン】イアソン、神話に名高き『金の羊毛』の勇士、テッサリアの王アイソンの子なり、金の羊毛をえんためアルゴナウタイ遠征隊を組織し自らその長となりてコルキス(黒海の東にあり)に渡れり
八八―九〇
【レンノの島】レムノス、エーゲ海中の島
アプロディテこの島の女の己を敬はざるを憤りこれを罰せんためまづ男子をして女子を疎んぜしむ、女子怨みのあまり相謀りて立ち島中の男子を鏖にす
九一―九三
【イシフィーレ】ヒュプシュピレ、レムノス王トアスの女、男子殺戮の事ありし時父を殺せる如く裝ひてひそかにこれを助け自らレムノスの女王となれり
【智】異本、しるし(戀の)
イアソンは遠征終らばヒュプシュピュレを娶りて妻とせんと約し女雙兒を孕める後コルキスにむかへるなり(淨、二六・九四―六參照)
九四―九六
【メデーア】メデイア、コルキス王アイエテスの女なり、イアソンを慕ひ妖術を以てこれをたすけて羊皮を得せしめこれに從ひてギリシアに赴き後棄てらる
九七―九九
【牙に罹る】これにとらへらるゝ
一〇〇―一〇二
【細路】石橋
【弓門】溪の上なる石橋の弓形なるをいふ
一一五―一一七
【緇素を判ち】剃髮せるや否やによりて
一二一―一二三
【アレッショ・インテルミネイ】ルッカ市の貴族、一二九五年の末猶生存せりといふ、傳不詳
一三三―一三五
【タイデ】タイス、名高きアテナイの遊女なり、トラソオなるものタイスの歡心を買はんため幇間グナトオを介してこれに奴隷の一少女を贈り使歸れる時タイスの喜びいかなりしやを問へるにいと厚く禮を陳べたりと答へきといふことローマ詩人テレンティウス(前二世紀)の喜劇『エウヌクス』三幕一場の始めにありといふ
或曰、キケロの『友情について』にいづるタイスの物語には對話者の誰なりといふことあきらかならず、さればダンテこの書によりてトラソオが直接タイスに問へる如く記せしなるべしと
第十九曲
第三嚢にはシモニアを行へるものあり倒さまに孔の中にいけられたゞ足のみな外にいだし且つそのあしうら火に燒かる、詩人等堤を下りてそのひとりニコラウス三世とかたり後第四嚢の橋上にいづ
一―六
【シモン・マーゴ】(魔術者シモン)、サマーリアに住める魔術者にて使徒ピリポより洗禮を受けし後錢を持來りペテロ及びヨハネに聖靈を授くる力を與へんことを求めし者(使徒八・九―二四)
「シモニア」なる語(地、一一・五五―六〇註參照)はこのシモンよりいでしなり
【今喇叭は】われ今こゝに汝等の罪業を公にすべし
七―九
或ひは、我等既に石橋のまさしく濠の眞中にあたれるところに登りて次の墓(乃ち第三嚢)の上にありき
【次の】第三嚢の上なる弓門の
一〇―一二
【禍ひの世】地獄
【頒ち】賞罰を
一六―二一
【聖ジョヴァンニ】フィレンツェ市にある聖ジョヴァンニの洗禮所
堂内には中央の柱をめぐれる一大水盤あり水盤の外部を固めし大理石の中には四ケ所に長圓形の孔を設け僧の稚兒に洗禮を授くる時この中に立ち水に近きと(當時すべて浸禮を用ゐしなり)群集を避くるの便あるをはかれりといふ
【碎ける】古註曰ふ、曾て堂内に群集雜沓して孔のあたりに爭へることありしに一人の小兒その中に陷り人々これを引出さんとつとめしも能はざりしかばダンテ斧を揮つて大理石を破壞し小兒を死より救へるなりと
【人の誤り】聖物破壞の事をあしざまにいひ傳ふる人ありしより理由をあげてその妄を辯ぜるなり
二五―二七
【綱、組緒】ritorte は若枝を搓りて作れる綱 strambe は草をあみて作れる綱(或ひは若枝を組合せて作れる綱ともいふ)
三一―三三
【猛き】異本、赤き
三四―三六
【低き】第八の地獄は中央の坎に向ひ次第に下方に傾斜するが故に内の岸は外の岸より低し(地、一八・一―三註參照)
三七―三九
【默して】地、一〇・一六以下及び地、一六・一一八以下參照
四三―四五
【脛にて】脛を振りて苦をあらはすものゝ孔あるところ
四九―五一
詮釋者曰、中古の刑罰に暗殺者を逆さにして地に掘れる穴にいれ土塊を投じて次第に穴を埋めしことあり、かゝる刑に處せられし罪人が既に穴に入りたる後懺悔僧を呼戻して罪を告白し暫しの命を延べんとせしこと珍らしからずこれ懺悔の間は刑吏土塊を投ずることなければなりと
五二―五四
【彼】ニコラウス(ニコロ)三世、一二七七年より一二八〇年まで法王たり
【ボニファーチョ】ボニファキウス八世、一二九四年より一三〇三年まで法王たり
【書】未來記
ニコラウスはダンテをボニファキウス八世と誤り思へるなり、ボニファキウスの死は一三〇三年にてニコラウスは地獄の罪人の未來をしる例によりてこれを知りゐたるに今は一三〇〇年なればかくいへり
五五―五七
【欺いて】謀を以てチェレスティーノ(ケレスティヌス)五世に法王の位を退かしめしをいふ(地、三・五八―六〇註參照)
【淑女】寺院、淑女をとらふは法王となること
【虐ぐ】シモニアを行ひて
七〇―七二
【牝熊の仔】オルシーニ家の出
ローマのオルシーニ家は家紋に牝熊(オルサ)を用ひ古くより牝熊の裔の名ありきといふ
【上には】世にある日は財貨を嚢に入れ地獄にくだりてはわが身を嚢(孔)に入る
【熊の仔等】一門
七六―七八
ボニファキウス來らば我もこの孔の下に沈みゆくべし
七九―八一
ニコラウスのこの時まで足をさらせし日の數はボニファキウスの足をさらすべき日の數より多し
ニコラウスは一二八〇年の八月より一三〇〇年の四月までボニファキウスは一三〇三年の十一月より一三一四年の四月まで
スカルタッツィニ曰、ダンテ若し史實に據りてかくいひしならば『神曲』のこの一部の一三一四年四月以後に成れるものなること知るべしと
八二―八四
【牧者】法王クレメンス五世、一三〇五年ベネデクトゥス十一世(一三〇三年ボニファキウスに次ぎて法王となり、在位九ケ月にして死す)の後を承け一三一四年四月に死す
【西の方より】クレメンスはガスコニー(フランス)の生れにてボルドー(フランス)の僧正なりければ
【法を無みし】法王廳をローマよりフランスのアヴィニォンに移せるは彼なり。またシモニアを行ひ性貪婪にして放縱なりきといふ
八五―八七
【ヤーソン】イアソン、ユダヤの祭司の長なるシモン二世の子、シリア王アンティオコスに金を與ふることを約して祭司の長となれり(マッカベエイ後、四―五章)
クレメンスがフランス王フィリップ四世の歡心を買ひて法王となれる事これと相似たり
【また王】シリア王アンティオコスのイアソンに厚かりし如くフランス王フィリップ、クレメンスに厚からむ
八八―九三
【愚なる】或ひは、大膽なる
【我等の主】マタイ、一六・一九、鑰は天國の鑰なり
【我に從へ】マタイ、四・一九 マルコ、一・一七等
九四―九六
ピエートロ(ペテロ)及び其他の弟子等ジュダ・スカリオット(イスカリオテのユダ)の死後マッティア(マッテヤ)をえらびて使徒とせり(使徒、一・一五―二六)
【ピエル】ピエートロ
九七―九九
【カルロ】ナポリとシケリアの王シャルル・ダンジュウ(カルロ・ダンジオ)
ヴィルラーニの記録に曰、法王はシャルルが結婚の申込を拒めるを含みローマの議官及びトスカーナの僧官たる資格をシャルルより奪ひ、さらにジョヴァンニ・プロチダなる者より賄賂を受けて陰謀をめぐらし、死後かの有名なるシケリアの虐殺(一二八二年フランス人の虐殺)を見るにいたれるなりと
一説にはこゝに所謂不義の財貨とはニコラウスが寺院所屬の十分一税を私せるを指せるなりともいふ
一〇六―一〇八
【編める者】ヨハネ傳を編める者、默示録の著者と同一なりとの説に從へるなり
默示録第一七章に水の上に坐せる女の事いづ、但しその記事その寓意に於て聖書とダンテと必下しも同一にあらず默示録の中なる女は七の頭と十の角を持ち且つ獸に乘れり(一七・三)、その解に曰、水は諸民なり(一七・一五)七の頭は七の山なり(一七・九)十の角は十の王なり(一七・一二)と
今ダンテの女につきて註釋者の説を聞くに、曰、女は法王の下なるローマ若しくは寺院なり淫を諸王に鬻ぐは諸王の歡心を求むるを事とするなり七の頭は七の聖式《サクラメンテ》なり(或曰、聖靈の七の賜と)十の角はモーゼの十誡なり乃ち寺院は靈の賜をうけその夫即ち法王は徳を慕ひかくして始めて十誡によりて寺院の寺院たる眞を證せらるゝ(若しくは寺院の威力を之によりてうる)なりと
一一二―一一四
【彼等】イスラエルの民、彼等金の犢を鑄てこれを拜せること出エヂプト、三二・四、八等にいづ
或曰、廣く偶像信者を指していへりその拜する神多けれども黄金崇拜者の百に對し一に當るべき割合なるの意と
【百】金貨銀貨一として神ならぬはなし(地、三〇・一一七參照)
一一五―一一七
【コスタンティーン】皇帝コンスタンティヌス一世(二七四―三三七年)、キリスト教に歸依し時の法王シルヴェステル一世にローマの領地を供物として捧げたりとの説ありて中古事實と認められしも、而後その訛傳に過ぎざること證明せらるゝにいたれり
【父】シルヴェステル一世(三一四年より三三六年まで法王たり)、前項記戰の供物を受けて法王中最初の長者となれるなり、またかく富を得たるがために其後の牧者心を利慾に注ぎ從つて寺院の腐敗を招くにいたれり
此曲の中一〇六行より一一七行に亙る四聯は地、一一・八―九行とともに十七世紀の始めイスパニアの宗教裁判所に於て新に出版せんとするダンテの『神曲』中より削除すべき事を命ぜり(ムーア『ダンテ研究』二卷七頁脚註參照)
第二十曲
第四嚢の橋上にいたれば魔術卜筮等によりて人を蠱惑せる者背を前にして歩み來れり、ウェルギリウスその中數人を指示してダンテに教へまたマントと名づくる卜者のことより郷里マントヴァの由來に説き及び後共に第五嚢にむかふ
一―三
【第一の歌】地獄即ち深淵の中に沈める者の歌
七―九
【祈りの行列】祈りの歌をうたひつゝしづかに歩みゆく寺院内の行列
二八―三〇
【慈悲全く】ダンテは pieta を慈悲と敬虔との兩意に用ゐて文飾とせり、罪人に對する慈悲心亡びて(地、二・九一―三參照)初めて神に對する敬虔の念生く
【神の審判にむかひて】神の審判により罰をうくる者にむかひて
ウェルギリウスの意は同情を寄するに足るざる罪人をあはれむは神の審判を誹議するに等しければ許すべからざる罪なりといふにあり、眞に同情を寄するに足るべき罪人に對してはウェルギリウス自身憐みのため色を變ずるにいたれることあり(地、四・一九―二一)何ぞダンテのフランチェスカ、チヤッコ及びヤーコポ・ルスチクッチ等に對する同情を責むべき
三一―三六
【アンフィアラーオ】アンフィアラオス、ギリシアの卜者、テバイを圍める七王の一(地、一四・六七―七二註參照)なり、テバイ攻圍中ゼウス電光を投じて大地をひらきアンフィアラオスを地獄に陷る
四〇―四二
【ティレージア】テバイの卜者、嘗て森に入り二匹の蛇の交はれるを見、杖にて撃ちて放れしめしにその身變じて女となれり、七年の後再び此等の蛇を見しかばまたさきの如く撃ち、ここに再び男にかへれり(オウィディウスの『メタモルフォセス』三・三二四以下)
四三―四五
【雄々しき羽】髯
四六―四八
【アロンタ】エトルリア(イタリア)の卜者、カエサルとポムペイウスの間に戰ひありし時前者の勝を豫言せりといふ
【ルーニ】イタリアの西北海岸マーグラの河口に近き町、この町今は僅かに荒廢の跡をとゞめ名はこの地方の總稱なるルーニジアーナとなりて存するに過ぎず、ルーニの山はカルラーラの山をも含むなり
四九―五〇
【大理石】カルラーラの大理石坑はローマ時代よりすでに世に知られたりといふ
五五―五七
【マント】ティレージア(四〇行)の女
【わが生れし處】マントヴァ市をいへりされどウェルギリウスの生れし處はマントヴァ市の附近なるアンデスなり
五八―六〇
【バーコの都】酒神バッコスを守護神とせる町、乃ちテバイ、エテオクレス兄弟の死後(地、二六・四九―五四註參照)クレオンなる者テバイを治めて虐政を布きテバイはたゞ屈從を事とせるのみ
六一―六三
【上なる】地獄に對して世界を上といふ
【ティラルリ】ガルダ潮の北方メラーノに近き城、もとドイツ領たり、アルピ連峰の一部此上に聳ゆ、湖上最初のドイツの城なれば獨逸(ラーマニア)を閉すといへるなり
【ベナーコ】今のガルダ湖
六四―六六
【ガルダ】湖東の城
【ヴァル・カーモニカ】湖水の西北にあたる溪、延長五十餘哩
【アペンニノ】異本ペンニノとあり、ガルダ湖附定の連山を指せるならんも不明なり、所謂アペンニノ連峰にはあらず
六七―六九
【一の處】不明、或ひはフラーチと稱する一小島なりといひ或ひはチニアールガの河口といひ或ひは想像の一地點に過ぎすといふ、此處はトレント(湖北)、ブレシヤ(湖西)、ヴェロナ(湖東)の牧者の管轄地互に境を接する處なれば三の中いづれの管轄地より來る僧もこゝに立ちて十字を截りてわが牧する民に祝福を授くることを得べし(僧の公けに祝福を授くることは己が管轄地内にのみなしうべき定めあればなり)
七〇―七二
【ペスキエーラ】ガルダ湖の南端にあるヴェロナ人の城
【ベルガーモ】ブレシヤの西にあり
七六―七八
【ゴヴェルノ】今ゴヴェルノロといふ、ミンチョの右側にある邑
七九―八一
【夏は】夏時往々地乾き汚水處々に停滯して市民の衞生を害することあり
九一―九三
【占】昔土地に新に名をつくる時は卜筮によりてその名をえらぶ習ありきといふ
【マンツア】マントヴァ
九四―九六
【カサロディ】ブレシヤの一城主カサロディ家のアルベルト伯なる者マントヴァに君たりし時(一二七〇年頃)この地の名族ピナモンテ・デ・ボナーコルシ、市の平和の爲と稱しアルベルトに勸めてまづ多くの貴族を市外に逐はしめ後遂にアルベルトを逐ひ自らマントヴァの君となれり
九七―九九
【由來】『アエネイス』一〇の一九八以下には
オクヌスもまた一隊を率ゐて故國の岸より來れり、彼は卜者マントとエトルリアの川(テーヴェレ川)の間の子にて、マントヴァよ、汝に石垣と母の名を與へし者なり
とあり、ダンテの説とウェルギリウスの説に多少の差あること知るべし、思ふに或人の云へる如くダンテは當時の傳説若しくは記録に據りて一種の由來説を得たればこゝにウェルギリウスの口を借りてかく陳ぶるに至れるならむ
一〇六―一〇八
【男子なく】丈夫悉くトロイアの戰ひに赴き幼兒新に生るゝことなければ搖籃多くは空しきなり
一〇九―一一一
【卜者】ギリシア軍中の卜者エウリピロス
【カルカンタ】同じくギリシア軍中の卜者
【アウリーデ】アウリス。ギリシア軍のトロイアにむかひて船出せし港
一一二―一一四
【悲曲】『アエネイス』。これを悲曲といへるは詩材文體の高逸なるによりてなり(ダンテの『デ・ウルガーリ・エーロクエンチァー』二、四の三八以下)
【いづこにか】二の一一四以下
『アエネイス』にはたゞ反間者シノンの詞の中ギリシア軍がトロイアを去らんとしてエウリピロスにアポロンの宣託を受けしめし事あるのみアウリス解纜に關しては何等の記事なし、されば或人はこゝにかく歌へるといへるは彼の卜者なることを歌へる意に外ならずと解せり
一一五―一一七
【ミケーレ・スコット】スコットランドの人、十三世紀の始めローマ皇帝フリートリヒ二世の朝に仕へて妖術を行へりといふ
一一八―一二〇
【グイード・ボナッティ】イタリア、フォルリの星學者(十三世紀の後半)
【アスデンテ】イタリアのパルマ市の靴師、マエストロ・ベンヴェヌートといひアスデンテはその綽名なり、本業の傍卜筮を習ひ遂には卜者として世に知らるゝにいたれり(十三世紀の半)
一二一―一二三
【草】或種類の草の液を用ゐて術を行ふこと、オウィディウスの『メタモルフォセス』第七卷(二三二行以下)にメデイアがイアソンの父を若返らしめんとて多くの奇しき草を集め根を煎じてその液を用ゐしこといづ
【偶人】人の形を蝋の類にて作り或ひは火にかけ或ひは頸に針を打ちて術を行ふこと
一二四―一二六
【カイーノと茨】月
月の斑點の形人に似たるより古の俗説にこはカイン(カイノ)(創世記第四章始め)が賞罰をうけ神に顧みられざりし野の植物を肩にして立てる姿なりといへるによれり(天、二・五以下參照)
【南半球】南半球は聖都イエルサレムと淨火の山を二個の頂點としイスパニアとインドの一部を境として分割せる南北二個の半球(三二六頁插圖參照)、その境を占むるは地平線にかゝるなり
【ソビリア】ゾビリア、イスパニアの西南にある町、月の沈むは年前六時頃
一二七―一二九
【昨夜】四月八日の前の夜にてこの時よりいへば一昨夜なり
【しば/\】しば/\路を照して
第二十一曲
かくて第五嚢の上にいたれば下には煮ゆる脂たゝへ公私の職を利用して己の慾をはかれる者其中に沈めらる、ウェルギリウス、ダンテを岩蔭にかくし自らまづ進みて第六の堤に達し鬼の長マラコダとかたり後ダンテを呼びて一群の鬼と共に左に堤を傳ふ
一―三
【コメディア】地、一六・一二七―九註參照
七―九
【船廠】ヴェネツィア市の東端にあり、中古、世に名高き船廠なりしといふ
一〇―一二
【彼等】ヴェネツィア人
三七―四二
或ひは、彼いふ我等の橋のマーレブランケよ
【マーレブランケ】(禍ひの爪)第五嚢を守る鬼の總稱
【聖チタ】ルッカ市
聖チタは一二一八年ルッカの西北約五十哩にあるボントレモリの附近に生れ無垢の一生をルッカに送り一二七二年に死せる比丘尼の名なり、ルッカの人々特に尊び敬ふをもて町の名の代りとす
【アンチアン】ルッカ市の行政官、十人あり
【ボンツーロ】一四世紀の始めルッカ民黨の首領となれるものにて古註に汚吏の隨一とあり、外は反語なり
【否、然】ラーナの古註に曰、ルッカの公會にては議事の採決をなすにあたり二個の投票箱を會場に持來り其一には然の投票を入れしめ他には否を入れしむる例あり、かゝる時黄白のために心迷へる議員等否の投票をなすべき場合にも然をもて之に代らしむること屡※[#二の字点、1-2-22]ありと
四六―四八
【聖顏】「サント・ヴォルト」は昔東方より傳來しルッカ市聖マルチーノの禮拜堂に安置せられし木製十字架上のキリストなり、ラーナ曰、ルッカの人冥助を祈ることあれば、サント・ヴォルトよ今我を助けたまへといふを例とせりと
橋下の鬼等かの罪人が背を脂の外にあらはし恰も神前にぬかづく如くなるをみて嘲りてかくいへるなり
四九―五一
【セルキオ】ルッカの附近を流るゝ川、ルッカの人々夏の日よくこの河水に浴せりといふ
五二―五四
【盜みうべくば】脂の上に浮くべき機會を
五五―五八
【厨夫が庖仕に】厨人(くりやびと)がその下廻りに(改譯より)
六一―六三
【さきにも】地、九・二二以下參照
七六―七八
【マラコダ】(禍ひの尾)第五嚢の鬼の長
七九―八四
【我等を】異本、我を
九四―九六
【契約】生命の安全を降服の條件として
【カープロナ】アルノ河畔にありしピサ人の城、一二八九年八月ルッカとフィレンツェの同盟軍攻めて之を陷る、ダンテは戰鬪員としてフィレンツェの軍中にありしかばピサの歩兵の敵前を通過するさまを此時したしくみしならんといふ
一〇九―一一一
【石橋あり】マラコダの虚言、策六嚢にては壞れざる橋一もなきなり(地、二三及び二四)
一一二―一一四
地獄内なる岩の崩れはキリスト磔殺の當時に起れり(地、一二・三七以下)而してダンテの信ずる所によるにキリストの死せしはその三十四歳の時の聖金曜日なり(『コンヴィヴィオ』四・二三の九五より一〇七まで)、今、中古の計算に從ひ三十四年に一二六六年を如ふれば即ち神曲示現の年なる一三〇〇年を得べし、聖金曜日はダンテの地獄に入りし初めの日なれば一夜を其中に過して今は昨日となれるなり、またキリストの息絶えし時即ち第六時(ルカ、二三・四四)をダンテは正午と解したれば(『コンヴィヴィオ』四・二三、一〇七)これより五時を引去る時は朝の約七時となる、さればマラコダの兩詩人とかたれるは一三〇〇年型金曜日の翌日(四月九日)午前七時の頃なりとしるべし
一一八―一二三
ダンテが一々鬼に名を附せしはこの後起らんとする事柄を明瞭に讀者の腦裡に印せんとするにあり、されど此等の名をえらぶにあたりていくばくの用意ありしやあきらかに知り難し、この中には翼犬鬚龍等を編込めるもあれどもまた音調以外に何等の摸索し得べきものなきもあり。おもふに附會の説によりてしひて解釋を求むるは詩人の本意にあらざるべし、また此等の名は詩人時代のフィレンツェの行政官或ひは黒黨の首領等の名を巧みに作り變へしものなりとのロセッティの説は一部のダンテ學者の認むるところなれどもダンテがかゝる姑息の手段によりてその欝憤を洩せりとは信じ難きに似たり
一二四―一二六
【岩窟】すべての溪(十の嚢)をいふ
一三六―一三六
【齒にて】兩詩人の欺かるゝを嘲り長と相圖をあはせしなり
第二十二曲
兩詩人と共に堤をゆける鬼脂の中よりチヤムポロなる者をとらへ岸に引上げて之を苛責す、この者詩人等に己とその侶の事を告げし後鬼を欺いて再び脂に沈み遂に鬼と鬼との爭を惹起すにいたれり
一―三
【軍を整へ】或ひは、兵を閲し
四―九
【アレッツォ】カムバルディーノ(アレッツォ市の北アルノの溪の戰場なり、一二八九年アレッツォ人こゝにフィレンツェ軍と戰ひて敗る)の戰ひの折を指せるならん、ダンテはこの時フィレンツェ騎兵の中に加はりゐたりといへば
【鐘】フィレンツェ人戰時にマルチネルラと名づくる巨鐘を鳴らし後之を戰場に曳きゆきその響きによりて士氣を鼓舞するを例とせりといふ
【城の相圖】晝は旗または烟、夜は烽火
【物】樂器
【軍、軍と】torneamenti は馬上の競技、組に分れて行ふもの
【兵、兵と】giostra 同上、一騎打
一〇―一二
【笛】cennamella 戰時に用ゐし笛の一種、奇しき笛は肛門の喇叭(地、二一・一三九)と同じ
一九―二一
海豚が背を水上にあらはして船を追來るは海に嵐起る前兆なりといふ事此頃一般に信ぜられきといふ
三七―三九
【えらばれし】マラコダに(地、二一・一一八―二三)
四六―四八
【我】古註にナヴァルラのチャムポロなりとあり、傳不詳
【ナヴァルラ】ナヴァール、イスパニアの東北にあり
四九―五二
【身】身を失へるは自殺せるをいふ
五二―五四
【テバルド】ナヴァルラ王テバルド二世(一二五三―一二七〇年間王たり)を指せるなるべしといふ
【債を償ふ】rendo ragione ムーアの引照せるルカ、一六・二には rendi ragione del tuo governo とあり
六四―六九
或ひは、導者すなはち(曰ふ)いざ告げよ脂の下なる罪人の中汝の識れるラチオの者ありや
【ラチオの者】イタリアの者。ラチオ(ラティウム)はローマを含めるイタリア一部の古名
【隣の者】イタリアに隣れるサールディニア島の者
七九―八四
【ガルルーラ】一〇一七年ピサ人サールディニアをサラセン人より奪ひ之を四州に分つ、ガルルーラはその一にして島の東北にあり
【ゴミータ】サールディニアの人、ガルルーラ州の知事なるウゴリーノ(或ひはニーノ)ヴィスコンティに仕へ祕書官となりてその信任を得たり、會※[#二の字点、1-2-22]ニーノ敵を攻め多くの捕虜を得て之を獄に下せることありしにゴミータ賄賂を受けてひそかに彼等を自由の身となし事覺はるゝに及びて絞罪に處せらる
八五―八七
【穩かに】di piano 詮議に及ばす、しかるべき手續を經ずして
ゴミータの首をそのまゝ借り來れるなり
八八―九〇
【ロゴドロ)サールディニア四州の中西北の一州
【ミケーレ・ツァンケ】ロゴドロ州の知事たりしエンチオ(フリートリヒ二世の庶子)、ボローニア人に捕はれし時ミケーレこれに代りて政務を司り、一二七一年エンチオ死して後その寡婦アデラーシアを娶り一女を生む、一二九〇年頃その女婿ブランカ・ドーリアこれを殺せり(地、三三・一三七以下參照)、「ドンノ」は敬語
【善く彼と語る】或ひは、尊く彼と會す
九一―九三
【瘡を引掻かんとて】卑しき俗言、用捨なく打つこと
九七―九九
【トスカーナ、ロムバルディア】まづサールディニアの者をあげ次にイタリアの者の事をいふこれチャンポロの奸智なり
一〇〇―一〇二
【禍ひの爪】鬼(地、二一―三七―四二註參照)
一〇三―一〇五
口笛を相圖に鬼のゐざるを知らして侶を招くなり
【七人】多數をいふ(地、八・九七―一〇二註參照)
一〇九―一一一
鬼を欺くのあしきをいへるカーニヤッツォの詞をうけて侶を欺くのあしきにいひかへたるチャムポロの奸智
一一五―一一七
【頂上を棄て】第五と第六嚢の間の堤の頂を下り少しく六嚢の方にむかひ岸を隔とし
一一八―一二〇
【心なかりしもの】カーニヤッツォ、或曰カルカブリーナと
鬼皆背を脂にむけしなり
一二一―一二三
【長】九四行の大なる長バルバリッチヤ
或曰、proposto は企の意にてチャムポロが鬼の引裂かんとする企をまのがれしをいふと
一三三―一三五
カルカブリーナはアーリキーノ(アリキーン)にむかひて怒りを起せるなり
一四八
【かなた、こなた】彼岸に飛びゆける四の鬼及びあとに殘れる長と三の鬼
【上層の中に燒かれし】脂の表近きところに燒かれし
一説に曰、crosta は鬼の皮膚の脂に燒かれて硬くなりたるものを指しその中にといへるはかたき皮膚を透して既に肉まで燒け初めし意をあらはせるなりと
第二十三曲
詩人等たゞふたり堤を傳ひて進むうち鬼後より追來ればウェルギリウスはダンテを抱き逃れて第六嚢の中にくだる、こゝには鉛の衣を着し僞善者の群あり、そのうちボローニアのカタラーノなる者その侶ローデリンゴと共に來りてダンテとかたりまた路をウェルギリウスに教ふ
一―三
【ミノリ僧】フランチェスコ派の僧、古註曰、此等の僧路を行く時は上位の僧をさきに一列となりて相前後せりと
四―六
【イソーポの寓話】アイソポスの寓話、蛙と鼠あり共に放して水邊にいたる、蛙は鼠をたすけて水を超ゆべしといひて之を欺きその足と己が足とを結びあはせ水深き處にいたりて溺れしむ、會※[#二の字点、1-2-22]一羽の鳶(或ひは鷹)鼠の水に浮ぶをみて之をひきあげ、はからずも生ける蛙を得たり
中古專ら行はれしラテン語譯の『アイソポス物語』の中には往々類似の寓話(所謂アイソポス以外の)をも收めし者ありて區別明かならず、蛙と鼠の話もまたその一なりといふ
七―九
【モとイッサ】‘mo’e‘issa’共にラテン語より出でし今の義
カルカブリーナのアーリキーノを害せんとせるは鼠の蛙を水に溺れしめんとせるに同じくその相爭ひて脂の上に落ちしは蛙と鼠と共に鳶に捕へられしに似たり
二五―二七
【鏡】原語、鉛ひきし硝子
二八―三〇
【二の物】汝の思ひとわが思ひ
三一―三三
【追】詩人等の心に畫きておそるゝ鬼の追撃
四六―五六
【縁】岸の側面
六一―六三
【クルーニ】ボルゴニア州(フランスの東)にあるベネデクト派の僧院なり
オックスフォード版其他にはコローニアとあり不明、古註曰、コローニアはドイツのライン河畔の一都會にてこゝに一僧院あり當時富貴第一なりければ院の主僧虚榮の念に驅られあまたの僧徒を從へて法王の許にいたり緋の僧衣を許されんことを乞ふ、法王その僭越を惡み命を下して却つて之に粗服を着けしめ且つ巨大の僧帽を戴かしむ云々
六四―六六
【フェデリーゴ】フリートリヒ二世(地、一〇・一一九)大逆の罪を犯せる者を罰するに指の厚さなる鉛の衣を裸なる罪人に着せ大釜の中に入れて熱火にかけしといふ當時の説によれるなり
七六―七八
【はせゆく】己の足おそければ詩人等の歩むさま恰もはせゆくに似たり
八二―八四
【荷】重き鉛の衣
九四―九六
【邑】フィレンツェ
九七―九九
【煌めくは】あきらかにあらはるゝは
一〇〇―一〇二
重き物體を秤にかくればその秤軋む如く我等も金色の衣のおもさにかく歎聲をいだすなり
一〇三―一〇八
【フラーテ・ゴデンティ】もと聖マリアの騎士と稱し一二六一年法王ウルバヌス四世の批准をえてボローニアに編成せられ軍事と宗教とに關せし一團なり、イタリア各市の黨派の軋轢及び閥族爭鬪の調停弱者の保護等を目的とし勢力甚だ盛なりしも騎士等次第にこの目的を忘れてたゞ安逸をのみ求めしかばこゝに喜樂僧の名を得るにいたれるなり
【カタラーノ、ローデリンゴ】一二六六年ギベルリニ黨の首領王マンフレディ、ベネヴェントの戰ひに敗れ屍を戰陣に曝せし時モンタペルティの戰ひ(一二六〇年)よりこの方敵黨の威壓の下にありしフィレンツェのグエルフィ黨再びその頭を擡ぐるにいたりたればフィレンツェは禍ひを未發に防がんため同じ年ボローニアよりグエルフィ黨のカタラーノ、ギベルリニ黨のローデリンゴを招き同時にフィレンツェのポデスタとなし兩黨の調和市政の革新を計らしむ、しかるに彼等利慾に迷ひ法王クレメンス四世の意を迎へグエルフィ黨と好みを通じて密かにその頽勢を挽囘するに力めたり
【常は】通例はひとりのポデスタを選ぶ定めなるに
【ガルディンゴ】ガルディンゴはフィレンツェ市の一部にてギベルリニ黨中屈指の名族ウベルティ家の邸宅ありしところ、カタラーノ等表に公平を飾りて暗に一黨派の益をはかれる結果ギベルリニ黨遂に市外に逐はれその邸宅多く破壞せらるゝにいたりし時ウベルティ家も亦暴徒等の燒くところとなりてその燒跡當時ガルディンゴの附近に殘れるなり
一一二―一一四
【彼】カイアファ(カヤバ)、ユダヤの祭司長、名を國益に藉り善人の死を謀れるもの(ヨハネ、一一・四七以下)
一一五―一一八
【民の爲に】ヨハネ、一一・四九―五〇に曰、汝等何事をも知らずまた一人民のために死して擧國亡びざるは我等の益たることをも思はざるなり
一二一―一二三
【外舅】アンナス(ヨハネ一八・一三)、祭司長たり(ルカ、三・二)
【苛責せらる】或ひは、ひきはらる
一二四―一二六
嘗てエリトネの命に從つて地獄の底に下れる時はかゝる刑罰をうくるものを見ざりしによりてあやしめるか、異説多し、委しき事スカルタッツィニの註にいづ
一三〇―一三二
【黒き天使】鬼(地、二七・一一二―四註參照)
一三三―一三五
【岩】石橋なり、斷崖よりいでゝ十の嚢の上を過ぐ
一三九―一四一
【鐡鉤にかくる者】マラコダ(地、二一・一〇九―二參照)
一四二―一四四
【僞る者】ヨハネ、八・四四
第二十四曲
ダンテ、ウェルギリウスと僞善者の溪を出で第七嚢の橋をわたりて堤の上より見おろせばこゝには無數の毒蛇ありて盜人の魂を苛責す、中にヴァンニ・フッチといふ盜人あり兩詩人とかたりて身の來歴を告げまた白黨の禍ひを豫言す
一―三
【日は】日の寶瓶宮にあるは一月二十日頃より二月二十日まで
【髮をとゝのへ】日の光を金髮になぞらへしなり、『アエネイス』九の六三八に、髮長きアポローとあるが如し、日髮をとゝのふとは暖氣の加はりゆくをいふ
【夜は】夜は日と反對の天にあり(淨、二・四參照)、十二月以降春分に近づくに從ひ日は北に夜は南にむかふ即ち日次第に長く夜次第に短し
四―六
【白き姉妹】雪、霜雪の如く白く地上に落つるも日出ると共に消ゆるを筆先鈍りて長く使用に堪へざるに譬へしなり
七―九
【腰をうち】霜を雪なりと思ひあやまり腰をうつ
一六―一八
【亂】地、二三・一四五―六參照
一九―二一
【山の麓】地、一・六一以下
三一―三三
【衣を】鉛の
四〇―四二
地、一九・三四―六註參照
五五―五七
人罪を離るゝのみにては未だ足らず進んでさらにその穢れを淨め而して後はじめて福の路に就くべし
【段】淨火の山の
【これら】此等の段乃ち地獄
六四―六六
【次の濠】第七嚢
七〇―七五
【生ける目底にゆくを】或ひは、目あきらかに底をみるを
生ける目は肉眼なり
【次の堤】第七と第八嚢の間の堤
【石垣】第七嚢を蔽へる橋
八二―八四
【蛇】ランディーノ(Landino)曰、蛇猾智に富む盜人亦然り蛇身を細くして穴といふ穴に入り盜人身を輕くして處といふ處に入る蛇萬人に嫌はる盜人亦然り蛇草にかくれて戰ひ盜人亦ひそかに人を害すと
八五―八七
【リビヤ】エヂプトの西、名高き砂漠あるところ
【ケリドリ】以下すべて蛇の名なり、ルカヌスの『ファルサリア』九・七〇六以下にいづ
八八―九〇
【エチオピア】エヂプトの南
【紅海の邊のもの】砂漠多きアラビア
九一―九三
【エリトロピア】寶石、色緑にして紅の斑點あり、古の俗説に此石よく蛇の毒を癒しまた持人の姿を人の目に見えざらしむる力ありといへり
一〇〇―一〇二
【o、i】いづれも一筆にて書き得べき文字
一〇六―一〇八
【聖等】プリーニオ、クラウディアーノ、ブルネット・ラティーニ、オウィディウス等、就中オウィディウスは主として詩人の引用せるものなり、『メタモルフォセス』一五・三九二以下に曰く
再び身を新にして再び生るゝ鳥あり、アッシリア人は之をフェーニカ(フェニックス)と名づく、この鳥麥をも草をも食まず、薫物の涙アモモの汁を食む、その世を經ること五百年にいたれば爪とゆがめる嘴とをもて青樫の枝またはそよめく棕櫚の梢に巣を作り、そが中には桂枝、甘松の穗、碎ける肉桂、黄なる沒藥を撒散らし此事果れば直ちにこゝに横たはり香氣に包まれてその生を終ふ、聞くならくフェニィクスの雛母體よりいで齡を重ぬるはじめの如しと
一〇九―一一一
【アモモ】木の名、種子より香料を得
一一二―一一七
【鬼の力】マルコ、一・二六、ルカ、四・三五等參照
【塞にさへられ】癲癇の類、體内生氣の通路塞がり官能その作用を失ひて倒るゝものと見做されしなり
一一八―一二〇
異本、神の威力(異本、正義)よ汝はいかに誠なるかを
一二一―一二三
【我】ヴァンニ・フッチ、ピストイア(フィレンツェの西北約廿哩)市の名族フッチオ・ディ・ラッツァーリの庶子、黒黨に屬せり
【往日】約五年前、ヴァンニの處刊せられしは一二九五年なり
【喉】嚢
一二四―一三二
【騾馬】イタリア語 mulo にはまた私生兒の義あればなり
【ピストイア】罪惡の邑(地、二五・一〇以下參照)
【血と怒りの人】即ち第七の地獄に罰せらるべき
ヴァンニ・フッチはフィレンツェの軍に加はりてピサ人の亂(地、二一の九四―六註參照)に赴けることあればダンテの彼を見しはこの頃の事なるべし、又ヴァンニのピストイアに暴を行へる(乃ち血の人)事につきてはスカルタッツィニの註にくはし
一三三―一三五
【汝】白黨の一人なる
一三六―一三八
【盜人】この事古註に詳なりされど古註の傳ふるところ悉く事實なるや疑はし今その概略をいはんに、一二九三年ヴァンニは二人の同類をかたらひ金銀の飾美しき聖ヤコブの寶藏(寺の名を聖ツェノネといふ)に忍び入り多くの寶物を盜み出し發覺の憂をからんためこれをその知人の家にかくし置きたり、盜難の報四方に傳はるに及びあまたの嫌疑者捕へられて拷問をうけしその中にラムピーノといへるもの苛責の苦しみに堪へずして無實の罪を負ひ將に刑せられんとす、ラムピーノはヴァンニの友なりければヴァンニこれを冤に死せしむるにしのびず自ら罪状を市吏に具申し共犯者と共に刑に服せり(或ひはヴァンニ罪を他人に歸して自ら刑を免かれきともいふ)
一四二―一四四
【ピストイア】一三〇一年ピストイアの白黨はフィレンツェの助けをかりて黒黨を市外に逐へり(ピストイアが黒白兩黨の分爭を見るにいたれるはその前年なり)
【フィオレンツァ】フィレンツェ(フィオレンツァ)にては事これに反し、表に兩黨の調和を裝ひひそかに法王の意を行へるシャルル・ド・ヴァロア、フランスより來れる爲一三〇一年に入りて白黨勢衰へ翌二年の始めにはこの黨に屬する者多く市外に逐はるゝにいたれり
【習俗】市の政權黒黨の手にうつるをいふ
一四五―一四七
【マルテ】マルス(ギリシアではアレス)軍の神
【ヴァル・ディ・マーグラ】マークラ川の流るゝ溪、ルーニジアーナ(地、二〇・四六―八註參照)にあり
【火氣】電光即ち猛將モロエルロ・マラスピーナを指す、モロエルロは侯爵マンフレディ一世の子にてルーニジアーナに君たり。一三〇二年さきにピストイアを逐はれし黒黨及びフィレンツェ、ルッカの黒黨を率ゐてピストイアを攻む
亂雲は戰雲(或曰、黒黨の士卒と)なり
一四八―一五〇
【カムポ・ピチェン】不明、一説にはこはピストイア附近の一地方にてこの戰ひは一三〇二年五月マラスピーナがセルラヴァルレの城砦を陷れたるを指せりといひ又一説にはこはピストイアを含める一地方にてこの戰ひは一三〇六年四月ピストイアの陷落せるを指せりといふ
第二十五曲
詩人等なほ同じ處にとゞまりてフィレンツェの盜人等の不思議なる變形を見る
一―三
【雙手を握り】原語 fiche は拇指を中指食指の間より出して手を握ることにて人を侮り嘲る時の野卑なる仕打なり
一〇―一二
【祖先】ピストイア市を初めて建てし人々、傳説によればピストイアはローマの賊將カチリーナ(前六一年死)の死後その殘餘の部下の建てしところなりといふ
一三―一五
【落ちし者】カパネオス(地、一四・四六以下)
一六―一八
【チェンタウロ】ケンタウロス、地、一二・五五―七註參照、この者ヴァンニを追ひ來れるなり
一九―二一
【マレムマ】海に沿へるトスカーナ州一帶の地、沼澤多く沃野少なし(地、一三・七―九註參照)
二五―二七
【カーコ】カクス、神話に出づる名高き盜人、ローマ七丘の一なるアヴェンティーノ(アヴェティヌス)山に住みし巨人なり、ヘラクレス、ジェネーリオネの牛を奪ひイスパニアより本國ギリシアに歸らんとてアヴェンティヌスの岩穴近く來れる時カクスはヘラクレスの眠れる間に若干の牛を盜みいだしその足跡をくらまさんため尾を曳きて逆行せしめ己が棲家にかくし置きたり、されどヘラクレス鳴聲によりてその所在を知り巨人を襲うて之を殺せり
カクスの物語は『アエネイス』八・一九三―二六七にくはし、されどウェルギリウスのカクスは半人半獸なれどもケンタウロスにはあらざりしものゝ如くまた自ら口より火と煙を吐けり
【血の潮】近郷を掠め畜類を奪ひ來りて屠れるなり、『アエネイス』には、地には常に新しき血汐のぬくみあり云々といへり
二八―三〇
【兄弟等】他のケンタウロスは皆第七の地獄(地、一二・五五以下)にあれどもカクスのみは盜なりしため第八の地獄にあり
三一―三三
【十をも】ヘラクレス(神話中最著名の英傑)の棍棒にて打たるゝことあまた度に及びしかも幾度にもいたらざる中早くも絶え果てたれば其餘の打撃は身に覺えしらざりしなり
三四―三六
【三の魂】アーニエル(六八行)、ブオソ(一四〇行)、ブッチオ(一四八行)
四〇―四五
【チヤンファ】フィレンツェ市ドナーティ家の者にグエルフィ黨に屬せる盜なりきといふ(十三世紀の末)、委しき事古註にも見えず
【指】指を唇にあてゝ導者に沈默を求めしなり
四九―五一
【蛇】チヤンファの變形せるもの
五八―六〇
【獸】尋常ならぬ動物
六一―六三
【彼も此も】人の色も蛇の色も
六四―六六
白と黒との間の色いづるを人と蛇との間の色いづるにたとへしなり
【紙】當時綿より作れる一種の紙ありし事古註によりてしらる、されど一説に曰、papiro は紙にあらずして燈心(乃ち細藺のなかご)なりと
六七―六九
【アーニエル】(アーニエルロ、或ひはアーニオロ)、古註にフィレンツェの貴族ブルネルレスキ家の者といへり
七三―七五
【四の片】人の兩腕と蛇の二の前足
七六―七八
【二にみえて】人と蛇とをかねし如くみえしかもいづれともつかざるなり
七九―八一
【笞】熱
八二―八四
【小蛇】カヴァルカンティ(一五一行註)の變形せるもの
八五―八七
【ひとり】ブオソ
【人はじめて】生兒胎内にありて母體より滋養をうくるところ即ち臍
九一―九三
【烟】人は人蛇は蛇の自然性を互に吐き出し烟のまじると共に變形の作用を起すなり
九四―九六
【ルカーノ】ルカヌス(地、四・九〇)、『ファルサリア』九・七六一以下にカトーがリビヤの砂漠を過ぎし時部下のザベルルス(ザベルロ)なる者セプスと名づくる蛇に噛まれ肉忽ちくづれ落ちて一扼の灰となり同ナッシディオなる者プレステルと呼ばるゝ蛇に噛まれ全身腫れあがりて胸甲裂け破るゝにいたれることいづ
九七―九九
【オヴィディオ】(地、四・九〇)
【カードモ】カドモス、フェニキア王アゲノルの子にてテバイの基を起せるもの、晩年テバイを出でて處々に流寓し遂に化して蛇となれり(オウィディウス『メタモルフォセス』四・五六三以下)
【アレツーザ】アルテミスに事へし女神の一、河神アルフェウスに追はれて泉に變ず(同上、五・五七二以下)
一〇〇―一〇二
オウィディウスの物語には人と蛇との如き二の自然が相對して變形し互に順序を同じくして入更るにいたれることなし
一〇九―一一一
二つに分れし蛇の尾は人の足脛股の形(乃ちブオソの失へる)をとり
一一二―一一四
【獸の短書】蛇の二の前足は伸びて人の腕となる
一一五―一一七
蛇の二の後足は合して人の生殖器となり、ブオソの生殖器は二に分かれて蛇の後足となる
一二一―一二三
【光】目なり、互に瞰みあひつゝ顏を變ぜしなり
一二四―一二九
蛇の顏の人の顏に變る有樣を敍せり
【その餘をもて】或ひは、その餘のうしろに流れずとゞまれるは顏に鼻を造り
一三〇―一三二
人の顏の蛇の顏に變る有樣を敍せり
一三三―一三五
蛇の舌叉をなすとの當時の説によれるなり
一三六―一三八
【唾はけり】人の物言ふ時よく唾吐くことあればかくいへり
或曰、人の唾は蛇の毒となるとの迷信によりブオソを詛ひてかく唾吐けるなりと
一三九―四一
人となれる蛇はその新に得たる背を蛇となれる人にむけ
【侶】プッチオ・シヤンカート
【ブオソ】(蛇となれる者)、フィレンツェの盜人、傳不詳
一四二―一四四
【石屑】zavorra(船の動搖を防ぐため船底に積入るゝ砂利の類)第七嚢の罪人等を卑みて指せる語
【亂るゝ】或ひは、拙し不明瞭なり横路に入れり等異説多し
一四八―一五〇
【プッチオ・シヤンカート】フィレンツェのもの、傳不詳
一五一
【ひとり】フランチェスコ・デ・カヴァルカンティ、このフィレンツェ人アルノの溪の一小村ガヴィルレの者に殺されしかばその近親仇を報いんとて多くの村民を殺害せり
第二十六曲
かくてこゝを去りて第八嚢の橋上にいたれば謀をめぐらして人を欺ける者焔につゝまれて溪を歩めり、そのひとりトロイア役の名將ディオメデス(ディオメーデ)と共に來りて己が最後の航海の物語をなす
一―三
【翼を】フィレンツェの名市外にひゞき渡れるをいふ
四―六
【五人】アーニエル(アーニエルロ)、ブオソ、プッチオ、チヤンファ、カヴァルカンティ
七―一二
【曙の夢】オウィディウス、ホラティウス等の著作に見ゆる如く古、早朝に結ぶ夢を正夢とをせり
地、三三のウゴリーノの夢、淨火に結べるダンテの夢等參照、ダンテはフィレンツェの災害を曙の夢に見たる如くしるせるなり
【プラート】プラート(ピストイアとフィレンツェの間にある町)がフィレンツェの不幸を希ふ理由に關し一説には、この町フィレンツェに從屬してしかもその統治に快からざりしによるといひ一説にはこれ一三〇四年プラートのカルディナレなるニッコロが時の法王ベネデクト十一世の命をうけてフィレンツェに赴き市の平和をはかれるも事成らず遂に神と寺院の詛ひを市民にあびせてこゝを去るに至れるを指せりといふ、恐らくは後説正しからむ
註釋者又曰、フィレンツェの禍ひとは白黨の追放及びフィレンツェの大火(一三〇四年)等を指せるなりと
【我年】老いて郷土の禍ひを見んはいよ/\心苦し
一三―一五
【さきに】地、二四・七九―八〇
一九―二一
【悲しめり】第八嚢の罪人等世にまれなる才を天よりうけてしかも善用せずかくはかなき罰を蒙るにいたれるを悲しめるなり
二二―二四
【星】善き星は幸運なり(地、一五・ゝ五五―七參照)
【星より善きもの】神の恩寵
【寶】天才、之を棄つるは善用せずしてその特權を失ふなり
二五―二七
日最も長き時乃ち夏
三四―三六
【仇をむくいしもの】豫言者エリシヤ、兒童の一群に嘲られて怒り林中より二匹の熊を出してその四十二人を裂かしむ(列王紀略下二・二三・四)
【エリアの兵車】豫言者エリア、エリシヤの目の前にて昇天す(列王紀略下二・一一―一二)、その時炎につゝまれて姿見えざりしを罪人の炎の中にかくるゝにたとへしなり
四〇―四二
【喉】狹き底
【盜みて】罪人を中にかくして少しも外にあらはすことなきをいふ
註釋者曰、炎の罰はヤコブ、三・六に、舌は火なりとあるによれりと
四九―五四
【エテオクレ】エテオクレス(地、一四・六七―七二註參照)七王の役徒に久しきに亙れるよりエテオクレスとポリュネイケス一騎打をもて兩軍の勝敗を定むることとし戰ひて共に斃れぬ、人々その骸をあつめて共に荼毘に附せしに立登る焔二に分れたりといふ
五五―五七
【ウリッセ、ディオメーデ】オデュセウス・ディオメデス共にホメロスの詩にうたはれて名高きギリシアの英雄
【怒り】トロイア人に對する怒り
五八―六〇
包圍十年に亙りてトロイアの城未だ落ちざりければギリシア軍オデュセウスの謀により山の如く巨大なる一の木馬を作りてその中に多くの勇士をひそましめ自餘の士卒は悉く海に浮びて附近の島影にかくれ恰も事の成らざるをしりて全軍本國に引返すものゝ如く裝ひまた殘せる木馬はアテナへの捧物なりとのことを敵地に流布せしむ、トロイア軍欺かれてこれを城内にひきいる、夜に入りてその中なる將士一齊にあらはれいで城門を内よりひらき既に城外に待ちゐたるギリシア軍を迎へ火を放つて城を燒きトロイアこゝに陷落す(『アエネイス』二・一三以下)
【門を作り】木馬城に入りアエネアス、城より出でしを門を作るといへるなり
【祖先】アエネアス(地、二・二〇―二一參照)、木馬のために城陷りて後イタリアにゆけり
六一―六三
【デイダーミア】ディダメイア。スキュロス島の王リコメデスの女
アキレウスの母テチスわが子がギリシア軍に加はりてトロイアに赴く事あらんを恐れこれを女裝せしめてリコメデスに托し置きたりしにオデュセウス商人に姿を變へディオメデスと共にスキュロスにわたり武器を示してアキレウスを試み遂に誘ひてトロイアに向はしむ、この時すでにひとりの子の母なりしデイダメイアは別離の悲しみに堪へかねてために世を早うするにいたれり
【パルラーディオ】トロイア城内に安置せられしパルラス(アテナ)の像、この像城内にある間は城安全なりと信ぜられければオデュセウス、ディオメデスと變裝して忍び入りこれを盜みてギリシアの陣に送れり
六七―六九
【身を】四三―五行參照
七三―七五
【ギリシア人】異説多し
ダンテは本國イタリアの人とかたるを例とするにギリシアは國異なる上その文物に關する詩人の知識悉く間接にて從つて充分ならざるをいへるなるべし
七九―八四
【心に適ひ】『アエネイス』に殘りてその名不朽に垂るゝをいへり
【いづこに】ホメロスの『オデュセイア』にうたはれしオデュセウスは百難を免かれ再び故國イタカに歸りてペネローペの貞操に報いたり、されど當時これと異なる傳説あり、この説によればオデュセウスは大西洋上の航海を企て勇敢なる士卒若干とまづポルトガルに赴きてこゝにリスボン市の基を起し、それよりアフリカの西にあたる海をゆき遂に暴風に遭つて死せりといふ、さればダンテは後の傳説にもとづきこれに自己の創意を如へて一の新しき物語を作れるなり
八五―八七
【大なる角】オデュセウスのディオメデスに比してさらに傑出せるを示す
八八―九三
【ガエタ】ローマの東南セッサ市の西にある港、アエネアスこの處に上陸し死せる保姆カイエクを葬りその名に因みてこゝをカイエタ(ガエタ)と呼べること『アエネイス』第七卷の始めにいづ
【置せし】或ひは、とゞめし
【チルチェ】ガエタとアンチオの岬の間のチルチェイオ山に住める妖女の名
九四―九六
【子】イタカ島に殘しおきしわが子テレマコス
【父】ラエルテス
【ペネローペ】オデュセウスの妻
【夫婦の】debito(義理ある)、父子の如く生れながらの關係にあらざるをいふ
一〇〇―一〇二
【海】地中海
一〇三―一〇五
地中海の兩岸即ち北の岸はイスパニアまで南の岸はモロッコ(アフリカの西北)まで
【スパニア】イスパニア
一〇六―一一一
【せまき口】ジブラルタルの海峽、この海峽二の山に閉さる、ヨーロッパなるをカールペとよび、アフリカなるをアービラと名づく、神話に曰、ヘラクレス、ジエーリオネの牛を得んとてイスパニアにわたりこの處にいたれる時西方地果る處たる標としてこの二の山(ヘラクレスの柱の名あり)をこゝに築けりと
【シヴィリア】イスパニアの西南にある町(地、二〇・一二四―六註參照)
【セッタ】セウタ、ジブラルタルの海峽に面するアフリカの一市
一一二―一二〇
【日を追ひ】日の行方を追うて西に進み
【人なき】南半球はみな水に蔽はれて人の住むべきところなしとの古の話によりてかくいへり
我等既に年老いて餘命いくばくもなければ五官の未だ死の眠りにいらざる間に南半球をさぐるべし
【起原】人間の世にいでし
一二四―一二六
かくて船尾を東にし櫂の翼を驅りて不知の大海に漂ひたえず西南(地球面よりみて東南)の航路を取れり
一三〇―一三二
我等大海に浮びしこの方五ヶ月にして
【月下の光】月の地球にむかへる半面の光
一三三―一三五
【山】淨火の山、イエルサレムの反對面にあり
一三九―一四一
【天意】神は生ける者の足淨火の陸を踏むを許したまはざるなり(淨、一・一三〇―三二參照)
第二十七曲
ウリッセ(オデュセウス)等去りて後グイード・ダ・モンテフェルトロの魂同じく焔に包まれて來りローマニアの現状をダンテに問ひ己が地獄にくだるにいたれる顛末を告ぐ
一―三
【許し】二一行
七―九
【シチーリアの牡牛】アテナイの工匠ペリルロスがシケリア島アグリゲントウムの暴君ファラリスの爲に造れる銅製の牡牛なり、人をこの中に入れて燒けば外に洩るゝ呻吟の聲恰も牛の鳴くに似たり、しかしてその最初の犧牲となれる者乃ちペリルロスなりきといふ
【好し】詩篇五七・六に曰、彼等はわが前に※[#「こざとへん+井」、292-20]をほれりしかしてみづからその中に陷れりと(箴言二六・二七、傳道之書一〇・八等參照)
一三―一五
【はじめは火に】異本、火の尖に
【火のことば】焔の風にゆらめく音(地、二六・八六―七參照)
一六―一八
【舌】グイードの詞はその口を過ぐる時舌よりうけし動搖を炎の尖に傳へ
一九―二二
【ロムバルディアの語】ウェルギリウスの本國の語(地、一・六八參照)
【いざゆけ】ウェルギリウスのオデュセウスにいへる言をくりかへせるなり
ウェルギリウスの首をロムバルディア(地、二八・七三―五註參照)方言といへるについては諸説あり、(一)issa(異本、istra)と adizzo とをこの地方特有の語となすもの(二)前者のみを然りとなすもの(三)言の形にあらず單に發音の相違をいへりとなすもの等これなり
二五―二七
【ラチオの國】ラティウム。イタリア(地、二二・六四―九註參照)
【盲の世】地、四・一三參照、グイードはウェルギリウスを前をうけんためにくだれる罪人なりとおもへるなり
二八―三〇
【ローマニア人】當時のローマニアは東にアドリアティコ海西にボローニア市南にアペンニノ山脈北にポー河を境とせるイタリア東北一帶の地を指す、ラヴェンナ、チェルヴィア、フォルリ、リミニ等の諸市皆この中にあり
【我は】グイード・ダ・モンテフェルトロ、ローマニアなるギベルリニ黨の首領にて當時武勇第一と稱せらる、その生地モンテフェルトロはウルビーノ市とティーヴェレ河の水源地なるコロナーロ山(アペンニノ連峰中の一高山)の間にあり
三四―三六
【下にかくるゝ】橋の下火の中に
三七―三九
【汝の】汝の郷國
【去るにあたりて】一三〇〇年には公けの戰ひなくたゞ例によりて權門勢家互に嫉視反目せり
四〇―四二
【ラヴェンナ】一二七〇年ポレンタ家の手に歸してより一四四一年までその治下にあり
【鷲】ポレンタ家の紋はラーナの説によれば黄地に朱の鷲なり
一三〇〇年にはグイード・ダ・ポレンタ即ち老グイードとて、第五曲にうたはれしフランチェスカの父なりし者ラヴェンナを治めたり
【チェルヴィア】ラヴェンナの南約十二哩アドリアティコ海濱の町にて當時ポレンタ家の治下に屬せり
四三―四五
【邑】フォルリ、一二八一年法王マルチーノ四世多くのフランス人にイタリアのグエルフィ黨を加へし一軍をローマニアに遣はしこの地方のギベルリニ黨を攻めしを、この軍久しくフォルリを圍みしかども城善くその難に耐へ城主グイード・モンテフェルトロ兵を集めて市外に突進し大に敵軍を敗れり
當時フォルリを治めしオルデラッフィ家の紋は上半金地に緑の獅子(ベンヴェヌーチ Benvenut の説による)あるものなりしかばフォルリを緑の足の下にありといへるなり
四六―四八
【ヴェルルッキオの猛犬】マラテスタ家、ヴェルルッキオはリミニの西南約十哩にある城の名、この城久しくマラテスタ家の所有たり、古き犬は第五曲の中なるパオロ及びその兄ジャンチオットの父にてマラテスタ・ダ・ヴェルルッキオといひ新しき犬はその長子乃ち前二者の異母兄にてマラテスティーノといふ、父子共に獰猛リミニ及び其他の領地に君となりて民の膏血を絞れり
【モンターニア】リミニ市ギベルリニ黨の首領なるモンターニア・デ・パルチターティ、一二九五年マラテスタ父子のために虜はれて獄中に死しリミニ市彼等の手に落つ
四九―五一
【白巣の小獅子】マギナルド・パガーニ・ダ・スシナーナ(淨、一四・一八―二〇參照)家紋白地に青の獅子を用ゐたり
【夏より冬に】四季のたえず變遷する如くマギナルドの時宜に應じて黨與を變ぜるをいへり、史家ヴィルラーニ曰、この者ローマニアにてはギペルリニ黨に屬しフィレンツェにてはグエルフィ黨に屬せりと
【ラーモネ】川の名によりて町を示す、即ちラーモネ河畔のファーエンヅァ
【サンテルノ】同上、サンテルノ河に近きイモラ
五二―五四
【洗はるゝもの】チェゼナ、サーヴィオ河畔にある町、一三〇〇年チェゼナ自治制を布き年々ポデスタを選びて政務をとらしめこの者政權を亂用し市民を虐ぐる恐れあるにいたれば直ちにこれを追へり
五五―五七
【人】地獄内なる他の罪人、或曰、ダンテ自身よくグイードの問に答へしをいふと
六一―六三
【この焔は】我は何事をも其人に語るまじ
六四―六六
地獄に苛責を受くる者多くは、詩人の傳言によりて在世知友の間に新しき記憶を呼起さんことを願へり、チヤッコ(地、六・八九)ピエール・デルラ・ヴィーニア(地、二二・五五―六)みたりのフィレンツェ人(地、一六・八五)等これなり、しかるにこれに反し一方には生者にあふを恥辱としつとめてその罪業を掩はんとするものあり、カッチァニミーコ(地、一八・四六)この曲のグイード、コチートのボッカ(地、三二・一〇〇―一〇三)等これなり
六七―七二
【帶紐僧】聖フランチェスコ派の僧。身に紐を帶ぶるを以てこの名あり(九一―三行註參照)、グイードが結縁の身となりしは一二九六年のことなり
【大いなる僧】法王ボニファキウス八世
七三―七五
わが世に住みし間の行は猛者の行といはんよりはむしろ奸智に長けし者の行なりき
七九―八一
ダンテの『コンヴィヴィオ』四、二八・一四以下に曰く
クリオがその『老年論』にいへる如く自然の死は長き航海の後なる港また休みともいひつべし、されば良き舟人の港に近づくにあたり其帆をおるしてゆるやかに船を操りしづかにそこに入る如く、人また地上の活動の帆ををさめその志を盡し心を盡して神に歸るべきなり
八五―八七
【ファリセイびとの王】法王ボニファキウス八世、即ち當時の僧侶(僞善者)の王なり、僞善者を第二のパリサイ(ファリセイ)人といへるは聖書によれり(マタイ、二三・一三等)
【ラテラーノ】ローマ市の一部、コロンナ家はラテラーノなる聖ジョヴァンニの寺院近き處にありしなり
一二九七年法王ボニファキウス八世軍を起してコロンナ家を攻め遂にペネストリーノ(ローマを距る約二十四哩)にあるその本城を圍むにいたれり、されどこの城はアペンニノ連峰の裾にあり要害堅固にして容易に落つべくもあらざりければ法王やがてグイードの智を借り奸計を用ゐてこれを奪へり
【サラチーノ(サラセン)人、ジュデーア人】法の爲、教の爲、異教徒と戰へるにあらず
八八―九〇
その一人だに教に背きキリスト教徒たる實を失ひしはなし
【アークリ】シリアの一市、パレスチナなるキリスト教徒最後の苦戰その效なく、一二九一年、サラセン人の手に歸せり
【ソルダーノの地】ソルダン。アークリ陷落の後法王令旨を下し一般キリスト教徒のイスラム教徒と貿易を行ふことを禁ぜり、ソルダンの地は主にアレクサンドレア及びエヂプトを指す
九一―九三
【瘠する】戒めと斷食によりて身瘠するなり
【紐】天、一一・八七に卑しき紐といひ同一二・一三二に紐に上りて神の友となりとあり、身を卑しうして貧しき者と親しみ慾を戒めて上帝と親しむの意を寓せるなり
九四―九九
【コスタンティーン】コンスタンティヌス。當時の傳説に曰、コンスタンティヌスはキリスト教徒を迫害せるため冥罰によりて癩を病めり時に一醫の言を進むるあり曰ふ小兒を集めその血を絞り大帝自らこれに浴せば病即ち癒えんと、無辜の兒童等宮廷に集めらるゝに及び母の號泣する聲大帝の耳に入る大帝小兒を殺すにしのびずこれを殺さんよりは我むしろ死を待つべしといふ、この憐憫の情上帝の嘉納し給ふところとなりペテロ、パウロの兩聖徒夜帝にあらはれてシルヴェステル(地、一九・一一五―七註參照)を訪ふべしと告ぐ、この頃シルヴェステルは迫害を避けてシラッティといふローマ附近の山中にひそみゐたりければ大帝即ちこゝに赴き洗禮をうけてキリスト教徒となり癩病全く癒えたり、かの有名なる大帝供物の一條(地、一九・一一五―七)もまたこの事に基づきてなりと
【傲の熱を】コロンナ一家を倒してひとり勝を誇らんとの熱望を達せんとて
一〇〇―一〇二
【ペネストリーノ】八五―七行註參照
一〇三―一〇五
【鑰】天國の(地、一九・九二參照)
【我よりさきに】ケレスティヌス五世、位を退けるを鑰を尊まずといへり(地、三・五八―六〇註參照)
一〇六―一一一
【長く約し】ペネストリーノをわが物とする策は他にあらず、多くの事を約束してしかもその約束を果さざるにあり
ペネストリーノの城危機に瀕し和を乞ふにいたれる時(一二九八年)法王より寛典の沙汰ありければコロンナ家の出なる二人のカルディナレ、法王の許にいたれるに法王はたゞに破門の取消ををせるのみならず彼等の名譽地位財産をももとのまゝならしむる意あることを告げ彼等をこゝに止めおき之と同時に人を遣はしてペネストリーノを占領せしめ盡くこの市を破壞したり
一一二―一一四
【黒きケルビーニ】鬼(地、二三・一三一)、當時色黒き人の形を畫きて鬼となせるより黒きといふ、またケルビーニは九種の天使の一なり、各種の天使天を逐はれて地獄にくだれり
一一八―一二〇
【悔いと願ひ】罪を悔ゆる心と罪を犯さんとの意志とは兩立せず
一二四―一二六
【ミノス】ミノスの八度尾を捲くは罪人の第八の地獄に落つべきものなるを示す(地、五・四以下)
一二七―一二九
【盜む火】罪人をつゝみかくす火乃ち第八嚢(地、二六・四一―二參照)
【衣】炎の
一三三―一三六
【分離を】不和軋轢の種を蒔きそのため罪の重荷を負ふにいたれる者こゝに應分の罰を受く
第二十八曲
詩人等やがて第九嚢にいたれば鬼に斬られし多くの罪人あり即ち宗教政治の上に不和分爭の種を蒔ける者なり、このうちマホメット、ピエール・ダ・メディチーナ、モスカ、ベルトラムの四人ダンテとかたりて己と侶との事を告ぐ
一―三
【紲なき者】平仄押韻の制限なき者乃ち散文
七―一二
【プーリア】イタリアのナポリの王國を指す
【トロイア人】アエネアスと共にイタリアに來れるトロイア亡命の勇士等。古代ローマの東南に居住せるサンニタ人とローマ人との間に屡※[#二の字点、1-2-22]戰ひ起り(前三四三―二九〇年)サンニタ人遂に征服せらる
異本、ローマ人とありされどダンテはトロイア人をローマ人の意に用ゐしものなればその實同じ
【リヴィオ】ティトゥス・リウィウス、有名なるローマの歴史家(前五九―一六年)、『ローマ史』の著あり
【長き戰ひ】第二のポエニ戰爭(前二一八―二〇一年)とてカルタゴ人とローマ人の間に起れる戰ひなり、この戰ひの中カルタゴの驍將ハンニバル、プーリアのカンナエといふところにて大いにローマの軍を敗ることあり(前二一六年)戰ひ終りて後敵の死者の指より黄金の指輪を集めしに數俵の多きにいたれりといふ(リウィウスの『ローマ史』二三・一二及びダンテの『コンヴィヴィオ』四、五・一六四以下參照)
一三―一八
【ロベルト・グイスカールド】ロベール・ギスカール(天、一八・四八)、ノルマンディの勇將にてプーリア及びカーラブリアに君たり、十一世紀の後半サラセン人並びにギリシア人此等の地をロベールの手より奪はんとして軍敗れ南部イタリアを逐はる
【チェペラン】チェペラーノ。リリス河畔にある町の名、ローマよりナポリ王國に入る通路として重要の地なり、一二六六年シヤルル・ダンジュウ(カルロ・ダンジオ)、ナポリ王國を攻めし時チェペラーノの橋を守れるプーリアの貴族等私怨を懷いてその王マンフレディに背き、橋を敵の過ぐるに任し遂にベネヴェントの激戰となりマンフレディ戰場の露と消ゆ、註釋者多くはダンテのチェペラーノは乃ち間接にベネヴェントの戰ひを指せるものなるべしといふ
【ターリアコッツォ】アブルッツォ國の一城市(ローマの東)
【アーラルド】エラール・ド・ヴァレリ。フランス軍の將なり、マンフレディ殪れシャルル一世既にプーリアに王たるにいたりしも、マンフレディの甥コルラディーノ(コンラッド)なほ干戈を用ゐてこれに當りしかばシャルルはその軍師老エーラルの謀に從ひ軍を三手に分け、まづ二手をもてコルラディーノを迎へしむ、かくて一二六八年ターリアコッツォのあたりに激戰あり敵軍勝に乘じて戰場に散亂す、シヤルルこの機をうかゞひ軍を收めてこれを殘しおきし一手の兵と合し不意に敵を襲ひ大いにこれを敗りコルラディーノを虜にす、ベネヴェントの戰ひと共に世これを稱してアンジュウの亂といふ
二二―二四
【中板、端板】mezzul は樽の底三枚の板のうち中央にある物 lulla は同じく兩端にある物
三一―三三
【マオメット】マホメット。イスラム教の教祖、紀元五六〇年アラビアのメッカに生れ同六三三年メヂナに死す、ダンテは宗教の分爭を釀せる者としてこゝにこの偉人を罰せり
【アーリ】マホメットの從兄弟にして且つその筋なりし者(五九七―六六〇年)
三七―四二
【裝ふ】或ひは、傷つく、截る
四三―四五
【自白】ミノスの前にて告白せる罪(地、五・七―八參照)
五五―六〇
【フラー・ドルチン】ドルチーノ。有名なる使徒派の管長、一二九六年使徒派(寺院を使徒時代の状態に復歸せしむとの主義によりてかく名づけしなり)の長となりその勢力次第にトレント、ブレッシア、ベルガーモ等の諸處に及ベり、法王クレメンス五世令旨を下し十字軍を起してこれを攻む、ドルチーノ、ヴァル・セシアにて久しくこの軍と對峙し一三〇六年五千の宗徒を率ゐてノヴァーラとヴェルチェルリ兩市の間の山地に籠れり、一三〇七年三月にいたり糧の乏しきと雪の大いなるため遂に法王の軍に降り同年六月ヴェルチェルリに於て火刑に處せらる
【ノヴァーラ人】十字軍に加はれる
六一―六三
カーシーニ(T. Casini)曰、この一聯はマホメットの人に後れざらんため早口にかたりて去れるを示すと
七三―七五
【ヴェルチェルリ、マールカーボ】ヴェルチェルリはピエーモンテ州の一市、マールカーポはポーの河口に近きラヴェンナの一城なり、故にこゝに所謂麗しき野はアルピの麓よりアドリアティコの海岸にわたりて次第に傾斜する一帶の曠野即ちロムバルディアを指せるなり
【ピエール・ダ・メディチーナ】ローマニア各市を歴遊してその侯伯等の間に爭亂の種を蒔ける者、傳不詳
メディチーナはボローニア、イモラ兩市の間にあり、或曰、ピエールはこの邑を治めしカッターニ家の出と
ペンヴェヌーチ曰、ダンテ嘗てメディチーナに赴きカッターニの歡待をうけしことあり七一行にダンテをみしことありとピエールのいへるもこれによりてなり云々
七六―八一
【ファーノ】リミニの東南約三十哩にある海濱の町、ピエールはボローニアを逐はれし後この町に住めることありといふ
【メッセル・グイード、アンジオレルロ】グイード・デル・カッセロ及びアンジオレルロ・ダ・カリニアーノ、共にファーノの貴族
一三一二年の頃リミニの暴君マラテスティーノ(新しき犬、地、二七・四六)この二人とラ・カットリーカに會して國事を議せんといひて彼等を欺きひそかに人を遣はしてその船を路に要し彼等を殺しその黨與を逐ひ自らファーノを治む
【ラ・カットリーカ】アドリアティコの海濱リミニとファーノの間にある町
八二―八四
【チープリ、マイオリカ】キュプロス、マジョリカ。地中海の東端及び西端にある島、兩島の間は猶地中海といふが如し
【アルゴス人】昔、地中海上を横行せるよりいふ
【ネッツーノ】海の神、ポセイドン(ネプチューン)
八五―八七
【一をもて】マラテスティーノは生れて獨眼なりしなり
【ひとり】クーリオ(九七―九註參照)
【邑】リミニ
八八―九〇 【フォカーラ】ファーノとラ・カットリーカの間の岬。このあたり航海の難所にて風荒き時は舟子等神に誓願かけ航路の安全を求むるを常とせりといふ、グイード、アンジオレルロの二人はこの難所にさしかゝらざるうちに殺され誓願の必要なきにいたれるなり
九一―九三
【見しことを】リミニを見しことを悔ゆるなり、九七―九註參照
九七―九九
【彼】クーリオ。ローマの民政官、カエサルがローマ議會に敵視せらるゝに及び彼ローマを逐はれてラヴェンナにいたりこゝにカエサルにあひこれにすゝめてルビコン川(リミニの北數哩)を渡らしむ、ルビコンを渡るはローマ共和國に對して宣戰の布告をなすと等しければ當時カエサルが容易にその心を決し得ざりしこと人の知るところなり
クーリオのリミニを見しことを悔ゆるはこの附近にてカエサルの心をうごかし爭亂の基を起せるため第九嚢に罰せらるゝにいたりたればなり
一〇六―一〇八
【モスカ】モスカ・デ・ロムベルティ(一二四三年死)
こゝにフィレンツェの貴族ブオンデルモンテ家の一人にて同じ町なるアーミデイ家の一女と許嫁の間柄なりし者あり、この者約に背き他家と縁を結びしかばアーミデイ家にてはこれを以て忍び難き侮辱となし親戚知己を集めて復讐の策を講ぜり、席に連れるモスカこの時辯をふるつて破約者の殺害を説き議ここに一決す
ブオンデルモンテ殺害せられこの報全市に傳はるに及びて事態いよ/\紛亂し市民のうち或者は殺害者に與してギベルリニ黨となり或者は被害者に加擔してグエルフィ黨となりかくて兩黨相軋轢し禍亂長く盡きざるに至れるなり
【事行はれて輙ち成る】Capo ha cosa fatta 事一度行はるればまたいかんともしがたし、進んで事を成せさらば好結果を生ぜん、換言すればブオンデルモンテを殺せさらば一切の解決を見ん
【トスカーナ】兩黨の爭ひはフィレンツェよりトスカーナ州の各地にひろまれり
一〇九―一一一
【宗族の死】一二五八年ロムベルティ家は他のギベルリニと共にフィレンツェを逐はれ再び歸ることをえず遂にはその消息を知るものすらなきにいたれるなり
一二四―一二六
體は己の爲に己の一部なる首を燈となせり(目ありて前を見分くればなり)されば體と首とは二にして一、一にして二なり、かゝる不思議のいかでありうべきやはたゞ神のみ知りたまふ
一三三―一三五
【ベルトラム・ダル・ボルニオ】ベルトランド・デル・ボルン。フランスのペリゴー(當時英領)の貴族にてオートフォルの城主(地、二九・二九)なり、十二世紀の半の人、英王ヘンリー二世(一一三三―一一八九年)の長子ヘンリー(一一五五―一一八三年)に説きてその父に叛かしむ、子死して後父の補ふるところとなりしも赦されて僧となりその身を終ふ
【若き王】ヘンリー二世の長子ヘンリー。父の在世中兩度まで戴冠式を行へるためフランスにてもイタリアにても若き王として知られたりきといふ
異本、王ジョヴァンニ(ジョン)とありて謄寫本多く之によれりといふ、この異本と本文との比較につき委しく知らんと欲する人は異本を可とするスカルタッツィニ不可とするムーア(『用語批判』三四四―五一頁)の説を參照せらるべし、王ジョンはヘンリー二世の末子にて一一九九年より一二一六年までイギリス王たり
一三六―一四一
【アーキトフェル】イスラエル王ダヴィーデの議官、王子アブサロムの反逆を助けこれに授くるに父を殺すの謀を以てす(サムエル後、一五・一二以下、一六・一五以下、一七・一以下)
【根元】脊髓
第二十九曲
ダンテ、ウェルギリウスと第九嚢を去り第十嚢の橋をわたりて最後の堤の上に下り左の溪を見おろせば種々なる手段を用ゐて人を欺けるもの種々なる惡疫に罹りて苦しめり、その一部錬金の術を行へるもの、うちアレッツォ、シエーナの二の魂兩詩人と語る
一―三
【目を醉はしめ】目に涙を湛へしめ
七―九
【二十二哩】地、三〇・八六註參照
一〇―一二
【月】地、二〇・一二七に昨夜圓かりきといへる月は今南の中天にあり即ち年後一時と二時との間なり、地獄内の時間は日によらずして月によりてあらはすを例とす(地、一〇・七九以下、同二〇・一二四以下參照)
【時】地獄全體にて約一晝夜を費す豫定なれば殘すところ今や僅かに五六時間あるのみ
一六―二一
或ひは、導者は我に答へんとしてすゝみ我はうしろに從ひつゝさらににいひけるは
【岩窟】第九嚢
【價高き】罰重き
二五―二七
【指示し】仲間の罪人等に
【指をもて】指をうちふりて
【ジェリ・デル・ベルロ】ベルロ・アリギエーリ(ダンテの祖父ベルリンチオネの兄弟)の子。性極めて爭ひを起すを好み之がために自ら禍ひを招きて同じ町(フィレンツェ)なるサッケッティ家の者に殺さる、一三〇〇年の頃はこの怨みいまだ報いられざりしがジェリの死後三十年にいたりてその甥等サッケッティ家のひとりを殺しそれより一三四二年まで兩家の間に爭ひ絶ゆることなかりしといふ
二八―三〇
【アルタフォルテの主】ベルトラム・ダル・ボルニオ(地、二八・一三三―五及び註參照)アルタフォルテは城の名なり
三一―三六
【恥をわかつもの】死者の血族、仇討をもて死者に對する遺族の義務とをせること恰も昔時の日本の如し
四〇―四二
【僧院】嚢、chiostra は壁に圍まるゝところ及び僧院の兩義を有するが故に、前の意によりて嚢をひゞかせ後の意をうけてその内なる罪人を役僧といへるなり
四六―五一
【七月九月の間】夏。沼澤の地病最も多き時
【ヴァルディキアーナ】キアーナ河の流域に沿へる溪、アレッツオ、コルトナ、キウーシ、モノテプルチアーノ等の諸市このあたりにあり、當時夏に至れば河水停滯してその毒氣に感ずる者多かりしところなり
【マレムマ】トスカーナ州海邊の沼地
【サールディニア】中古人口少なく沼多かりきといふ
五五―五七
【世に】原語、こゝに正義は神の使命によりて罪人の名を娑婆世界に録しおき後彼等を地獄に罰す
五八―六六
【エージナ】アイギナ。アテナイ西南の一小島、女神アイギナに因みてこの名あり
神話に曰、ヘラ(ジュノー)神夫ゼウスがアイギナを愛せるを怨み疫癘の禍ひをアイギナ(乃ち女神の住めるとこる)に下せり、人畜悉く斃れ死したゞ殘れるものはアイギナの子エアコありしのみ、エアコ樫のほとりに立ちて蟻群の樹皮を上下するを見、かくの如く多くの民を新に與へられんことを父ゼウスに請へり、ゼウス即ち蟻を變じて人となし民再びアイギナに滿つ(オウィディウスの『メタモルフォセス』七・五二三以下)
七三―七五
【瘡】癩病の
七六―八一
【心ならず】早く馬の手入を終りて臥床に入らんとおもふ僕
八八―九〇
【ラチオ人】イタリア人
九七―九九
二人背を合せて凭れゐたるがむき直りてダンテを見しなり
一〇〇―一〇二
【身をいとちかく我によせ】或ひは、心を全く我にむけ
一〇三―一〇五
【第一の世】世界
【多くの日輪の下に】多くの年の間
一〇九―一一七
【我】十三世紀の半の人にて名をグリッフォリーノといへりと古註に見ゆ
【アールベロ・ダ・シエーナ】傳不詳
【デーダロ】ダイダロス。イカルスの父、翼を作りてクレタ島を脱せるもの(地、一七・一〇六―一四註參照)
【子となすもの】シエーナの僧正を指せりといふ、されどその名もまたアールベロの父なりしや單に恩人なりしやも明かならず
一一八―一二〇
【錬金の術】科學の研究を目的とせずして人を欺くを目的としたればなり
一二四―一二九
【癩を病める者】カポッキオ(一三六行)、シエーナ人の虚榮心を罵れるダンテの言に答へてストリッカ、ニッコロ等は例外なりといひ皮肉の反語を用ゐしなり
【ストリッカ】シエーナの者、傳不詳
【ニッコロ】同上、丁子の香料を燒鳥に加味してくらへりといふ(一説には丁子を炭の代りに用ゐこれにて雉子鷄等を燒けりともいふ)
【園】酒食に耽る人々の間
或曰、シエーナの町のことゝ
一三〇―一三二
【一晩】ブリガータ、スペンデレッチヤ(浪費隊)と名づくる一隊、十三世紀の後半シエーナ市中富豪の子等十二人相結んでこの一隊を組成し各自莫大の金を抛つて一高樓を營み日夜遊樂を事とす、ストリッカ、ニッコロ、カッチア、アッパリアート皆これに屬せりといふ
一三六―一三八
【カポッキオ】錬金の術によりて人を欺けるため一二九三年シエーナ市にて火刑に處せられし者、註或ひはフィレンツェの人とし或ひはシエーナの人とす、その言ふところによりてダンテと相識の間なりしことしるべし
第三十曲
詩人等なほ第十嚢の堤をゆき詐僞によりて地獄に落ちし罪人の中姿を變へて欺ける者貨幣のまがひを造れるもの及び言によりて欺ける者を見る。
一―三
ヘラはゼウスがテバイ王カドモスの女セメレを愛せるを怨み、カドモスの全家に禍ひを下せることあり(オウィディウスの『メタモルフォセス』三・二五三以下參照)
【しば/\】カドモスの甥アクタイオンの横死、セメレの妹アガウエがわが子ペンテウスを殺せること等
四―六
【アタマンテ】アタマス。カドモスの女イノの夫にてテバイの王となれる者、イノが姉セメレの子バッコス(乃ちゼウスとセメレの間の子)を養育してヘラの怒りを招けるより禍ひアタマスに及びて心狂ふにいたれるなり
【妻】イノ
【男子】レアルコスとメリケルテス
七―九
オウィディウスの『メタモルフォセス』に曰く、いぎ侶よ網をこの林に張るべし我今こゝに二匹の仔ある牝獅子を見たりと(四・五一三)
一〇―一二
【荷】メリケルテス
一三―一五
【王】プリアモス(地、一・七三―五註參照)
一六―二一
【エークバ】ヘカベ。プリアモスの妻、トロイア城陷落の後虜はれてギリシア軍中にあり
【ポリツセーナ】ポリュクセナ、ヘカベの女、トロイアよりの歸途トラキヤに立寄れるギリシア軍アキレタスの靈を慰めんため(地、五・六四―六註參照)ポリュクセナをその墓前に殺せり(オウィディウスの『メタモルフォセス』一三・四三九以下)
【ポリドロ】ポリュドロス。ヘカベの子なり、ヘカベ、ポリュクセナの骸を淨めんとて海濱にゆきこゝにトラキヤ人に殺されしわが子ポリュドロスを見出せるなり(地、一三・四六―八註參照)
二二―二七
テバイのアタマス、トロイアのヘカベを狂はしめその他獸をも人をも狂はしむる瞋恚の一念
三一―三三
【アレッツォの者】グリッフォリーノ(地、二九・一〇九)
【ジャンニ・スキッキ】フィレンツェ市カヴァルカンティ家の一人
フィレンツェの貴族ブオソ・ドナーティなる者死するにあたりその子(或曰弟)シモン父が遺産の多くを他人に讓らんとするの意あるを察し遺言書を作らしめずブオソ死して後ジャンニに説き、これを床に臥さしめブオソ未だ死せざるが如く裝ふ、かくてジャンニは巧みに死者の聲調を似せて公吏を詐りこれに型の如くなる遺言書を認めしめきといふ
三七―三九
【ミルラ】神話に曰、ミルラはキュプロス島の王キニュラスの女なり、非倫の慾を滿たさんため變裝して己が父を欺きこれと罪を犯すにいたれり(オウィディウスの『メタモルフォセス』一〇・二九八以下)
四〇―四五
【群の女王】ブオソの所有せる騾馬、この騾馬は當時トスカーナ州第一と稱せられし名馬なりければスキッキは前記遺言書の中に一項を加へてこれを己の所有とをせり
五二―五四
水分の營養化せざるもの惡所に停滯して身ために權衡を失ひ顏瘠せ腹脹る
五五―五七
【エチカ】熱病の一種
五八―六三
【マエストロ・アダモ】プレシヤの人
【水の一滴】ルカ、一六・二四富者の言に、父アブラハムよ我を憐みてラザロを遣はし指の尖を水にひたしてわが舌を冷やさせ給へ
六四―六六
【カセンティーン】カセンティーノ。アペンニノ山間アルノの溪の一地方
七〇―七二
神の正義はわが犯罪地なるカセンチィーノのあたりの水ゆたかに空氣涼しき處を我に思ひ起さしめ、これによりて却つてわが苦を増しわが歎きを大ならしむ
七三―七五
【ロメーナ】カセンティーノの城。グイード伯爵家の所有たり
【バッティスタの像】フィレンツェの貨幣は一面に守護神なる洗禮者ヨハネの像あり一面にこの市のしるしなる百合の花形ありしなり
【燒かれし】アダモはカセンティーノ附近のコンスマといふ處にてフィレンツェ人により火刑に處せらる(一二八一年)
七六―七八
【グイード、アレッサンドロ、彼等の兄弟】グイード、アレッサンドロ及びアージノルフォ。ロメーナの伯爵にて三人共兄弟なり、アダモに勸めて通貨を贋造せしむ
【フォンテ・ブランダ】シエーナなるフォンテ・ブランダ(泉の名)最も名高く古註皆これをもつてダンテの指すところとす、されどその後ロメーナ附近に同名の泉あること知れ(フラティチェルリ註參照)近代之をあぐる註疏家多し
七九―八一
【ひとり】グイードなるべしといふ
【身繋がる】病ひの爲に動く能はざるをいふ
八二―八七
【十一哩】第十嚢の周圍はまさしく第九嚢の半にあたれり(地、二九・九)、地獄全體の大なることしるべし、されど或ひはこれを標準として第八嚢を四十四第七嚢を八十八哩と計算する人あるも思ふにこれ必ずしも詩人の意にあらじ
八八―九〇
【カラート】一※[#「オンス」の単位記号、307-7]の二十四分の一フィレンツェの金貨は二十四カラートの金なるにアダモの贋造貨幣は二十一カラートの金に三カラートの混合物を加へしものなり
【フィオリーノ】フィレンツェの本位貨幣。一面に花(フィオレ)の形あるよりかく名づけしもの
九四―九六
【巖間】greppo は、破鉢(古義)
九七―九九
【僞りの女】エヂプト王パロの司なるポテパルの妻、ヤコブの子ヨセフに思ひを懸けその己の意に從はざるをうらみて無實の罪をこれに責はしむ(創世記三九・六以下)
【シノン】トロイア軍中ギリシア人の殘せる木馬(地、二六・五八―六〇註參照)に就きての評定まち/\にして容易に決せざりし時シノンは恰もギリシア軍に背きて逃れ來りしものゝ如くみせかけ王プリアモスに近づきて巧みに辯を弄し遂に木馬を城内に曳入らしむ(『アエネイス』二・五七以下)
一〇三―一一五
【これにも】シノンの拳にも
一〇九―一一一
【火に行ける】火刑に處せられし時はその手縛られて動かすをえざりしなり
一一二―一一四
【トロイアにて】王プリアモスに木馬のことを問はれし時
一一五―一一七
【鬼より多し】貨幣の數即ち罪の數なり(地、一九の一一四參照)
一一八―一二〇
【誓ひ】『アエネイス』二・一五二以下にシノンが手をあげて日月星辰を指しその言の眞なるを證せしこといづ、馬は即ち木馬なり
一二四―一二六
汝世にある日僞りの口を開き身の禍ひを招ける如く今も我を罵りて却つて我にいひこめらる
【己が禍ひのために】異本、惡をいはんため
一二七―一二九
【ナルチッソの鏡】水
ナルチッソ(ナルキッソス)の物語はオウィディウスの『メタモルフォセス』三・四〇七以下にいづ、ある河神の子なりき嘗て水を呑まんとて澄める泉のほとりにいたり水にうつれる己が姿を見之を慕ふあまりに此處を放れずして死せり
一三〇―一三二
【少しく愼しむべし】Or pur mira! 思ひのまゝにみよと裏をいへるなりとの説あり
一三六―一三八
【すでに然るを】事實夢なるを夢ならざる如く
一三九―一四一
あまりに恥ぢかつ惑へるため却つて詫の詞出ねばこの無言の表情乃ち是詫なるを思はずしてなほ詞をもて詫びんとせるなり
第三十一曲
かくして後最後の岸を横ぎりマーレボルジェ中央の坎にいたればこゝに多くの巨人ありその一アンテオなる者導者の請に從ひ兩詩人を第九の地獄におくる
一―三
【舌】ウェルギリウスの
【先には】地、三〇・一三一―二
【染め】恥、頬を赤く染めしなり
【藥】慰藉(地、三〇・一四二以下)
四―六
【槍】父ペレウスより傳はりしアキレウスの槍。傳説に曰、アキレウスの槍に突かれて傷をうけし者再びその槍に突かるれば傷癒ゆと
この槍トロイアのテレフオスを傷つけ後その疵を癒せることオウィディウスの『メタモルフォセス』一二・一一二、一三・一七一等にいづ
一〇―一五
【角笛】七〇―七二行註參照
一六―一八
【カルロ・マーニオ】シャルルマーニュ大王(七四二―八一四年)。イスパニヤ遠征の際此國の東北ロンチスバルレなるその後陣、敵の襲撃を受けて難戰苦鬪す、後陣の將ローラン(或ひはオルランド、シヤルルの甥なり)衆寡敵せざるを知り救ひをシャルルに求めんため角笛を吹きしに笛聲遠く響きわたりて既にこの地を距る四里なりしシヤルルの耳に達せりといふ、有名なるフランス中古の史詩『ローランの歌』にくはし
【聖軍】十字軍なれば
三一―三三
【巨人】神話の巨人、己が力を恃みて神に逆へる者
ムーア曰、ダンテが巨人の一群をこの處に置けるは『アエネイス』六・五八〇―八一に、地の古の族ティタンの子等(巨人)雷に撃たれてかくいと深き處にきまろべりとあるに基づくと
【坎】(地、一八・五)第九の地獄この底にあり、巨人等足を氷に觸れ半身を坎の外にあらはす
三七―三九
【誤り】巨人を櫓とおもへる誤り
四〇―四五
【モンテレッジオン】シエーナの北約九哩にある城にて圓き高き城壁の上にさらに十四個の櫓ありきといふ
【ジョーヴェ】ゼウス。フレーグラの戰ひ(地、一四・五五―六〇並びに註參照)にゼウス神雷にて巨人等を撃ち滅ぼせる事あればなり
四九―五一
巨人等新に生るゝことなければかくの如く剽悍獰猛の勇士(軍神アレスに事ふるものは乃ち戰士なり)跡を世に絶つにいたれり
五五―五七
【心の固め】智能、象鯨の類は巨大にして力餘りあれども智足らざれば危險ならず、此故に自然は巨人を滅ぼして象と鯨とを生存せしむ
五八―六〇
【松毬】青銅製の松毬にて長約七呎半あり、ローマ皇帝ハドリアヌスの廟を飾らんため作られしものと傳へらる、當時ローマ聖ピエートロの寺院の構内にありしが今はヴァチカンの宮殿内松毬の園と稱する園の中にあり
六一―六六
【フリジア人】大男の稱あるフリジア(オランダの北)人。三人の丈を繼合はすともその髮に達し能はざるべし
【三十パルモ】約二十一呎(頸より臍までの長)なり
六七―六九
バベル高塔の事によりて言語の亂れたる有樣をあらはさんため殊更に無意味の語を連ねしなり
七〇―七二
【角笛】獵夫(創世記一〇・九)に因みて
七三―七五
導者の嘲りていへる詞
七六―七八
【己が罪】言語の通ぜざるによりて罪の何たるをしるべし
ニムロデ(ネムブロット)の事創世記一〇・八以下にいづ、されどその巨人なりしこと及びバベル高塔の建築者なりしことは見えず
【一の言語】世界の言語はもとたゞ一のみなりしが人々バベルに高塔を築かんとするに及びて亂れわかれたり(創世記一一・一以下)
八二―八四
【左に】坎の縁に沿ひて左にむかへり
八五―九〇
【誰なりしや】地、一五・一二參照
九四―九六
【フィアルテ】(或ひはエフィアルテ)ゼウスに背ける巨人の一
【大いなる試み】山に山を重ねて天に達せんとせしこと
九七―九九
【ブリアレオ】神々と爭へる巨人の一、體躯巨大にしてはかりしり難きなり、『アエネイス』一〇・五六五以下に曰く
我聞くエゲオン(ブリアレオの一名)には百の腕百の手あり、彼五十の楯を鳴らし五十の劒を拔きてジョーヴェ(ゼウス、ユピテル)の雷を冐せる時その五十の口と胸とは焔を吐けり
と、されどダンテのブリアレオはその形フィアルテの如しとあれば五十頭百手の怪物にあらず
一〇〇―一〇二
【アンチオ】アンタイオス。リビアの巨人ポセイドンとゲーの間の子なり、人の過ぐるにあへば強ひてこれと力を競べかつ必ず勝ちて死にいたらしむ、ヘラクレスこれと爭ふに及びアンタイオスが地に倒れその母(ゲー即ち地)の身に觸るゝ毎に力新に加はるを知り宙に吊してこれを殺せり、アンタイオスの身に縛なきは、プレグライ(プレグラ)の戰ひの後に世に出で巨人軍に加はらざりしによりてなり
【凡ての罪の底】地獄の底、第九の地獄
一一二―一一四
【五アルラ】古註の曰ふところ一ならねば、今さだかに知り難し、フラティチェルリは曰く、一アルラはフィレンツェの二ブラッチヤに等しく一ブラッチヤは三パルモなり故に五アルラは即ち三十パルモに當ると
一一五―一一七
ウェルギリウスの詞
【シピオン】スキピオ
【溪間】バグラーダ川(アフリカ)の流域、ザマ(リビヤの西、カルタゴの南)の古戰場この附近にあり
紀元前二〇一年ローマのスキピオ、カルタゴのハンニバルとザマに戰ひてこれを敗る
一一八―一二三
【獅子】アンタイオスはバグラーダの溪間の岩窟に棲み常に獅子を捕へてその肉をくらへりといふ(ルカヌスの『ファルサリア』四・六〇一以下)、千匹は多數の意
【師】神々と巨人との戰ひ
【地の子等】地を母とする巨人等
【コチート】(歎きの川の義)氷の池(地、三二・二二以下)
一二四―一二六
【ティチオ、ティフォ】共に神話にいづる巨人の名
【求むるもの】名
一二七―一二九
【恩惠】神の
一三〇―一三二
【エルクレ】ヘラクレス。一〇〇―一〇二行註參照
一三六―一三八
【ガーリセンダ】有名なるボローニア雙塔の一、ガーリセンディ家の建設にかゝるが故にこの名あり、この塔高さ約百六十呎東方に傾斜すること約八呎ダンテの時代にはなほはるかに高かりきといふ
雲西方に飛行く時は恰も塔まづ雲にむかひて傾き倒るゝかと疑はる、アンタイオスの身を屈めし時もこれと同じく恰も我等の上に倒れかゝれる如く見えたり
一四二―一四四
【ジユダ】キリストを賣れるイスカリオテのユダ(地、三四・六二)
【ルチーフェロ】魔王(地三四・二八以下)、ルキフェルはもと明星を指していへる語なるを(イザヤ、一四・一二)後世の詩人等惡魔の名となすにいたれるなり
第三十二曲
第九の地獄は特殊の信に背ける者の罰せらるゝところにてカイーナ、アンテノーラ、トロメア、ジュデッカの四圓にわかる、詩人等まづカイーナにいたりて血族の信に背ける者をみ、次にアンテノーラにいたりて郷土若しくは黨與を賣れる者を見る
一―三
【坎】第九の地獄、地球の中心なれば地獄全體の岩の重力皆此上に集まるなり
七―九
【全宇宙の底】プトレマイオスの天文學によれば地球は宇宙の中心にあり故に地獄の底は即ち全宇宙の底なり
【阿母阿父とよばゝる舌】我等乳臭の口をもて
或曰、俗語の謂と
一〇―一二
【アムフィオネ】神話にいづる有名なる樂人、テバイの王となり城壁を築かんとて琴を彈ぜしに岩石聲に應じてキタイロンの山よりまろび來り圍みおのづから成れりといふ
【淑女等】「ムーサ」(地、二・七)、詩音樂等の神々
一六―一八
巨人等の足を觸るゝところは第九の地獄の縁なり、しかるにこの地中央にむかひ次第に下方に傾斜するをもて兩詩人がアンタイオスの手によりて石垣を下れる時は既に巨人の足の前方即ち足元上り低き處に立てるなり
一九―二一
【兄弟等】我等二人の兄弟(四一行以下)
或曰、兄弟等は侶の謂にてこの地獄の罪人をすべて指せるなりと
二二―二四
【池】コチート、クレタの巨人の涙流れくだりて地獄の諸水となり後底に集まりて氷の池となる(地、一四・一〇三以下參照)、氷は罪人の心の冷酷なるを表はせるなり
二五―三〇
【オステルリッキ】オーストリア
【ダノイア】ダニューブ又はドナウ、オーストリア最大の川
【タナイ】ドン、ロシアの南にある川
【タムベルニッキ】山の名、所在不明
【ピエートラピアーナ】トスカーナ州の西北セルキオ、マーグラ兩河の間の連山(今のパーニア)
三一―三三
夏の初めの刈入時、農婦等その日なせしことをその夜の夢に見るなり
三四―三六
【愧あらはるゝところ】顏(地、三一・二參照)
或ひは、愧あらはるゝところまで蒼きなやめる魂等はと讀む人あり
【鶴の調】寒さのためにうちあふ齒の音鶴の嘴を鳴らすに似たり
三七―三九
【その證】寒さの強きは齒の音にてしられ苦しみの大なるは目の涙にてしらる
四六―四八
【唇】或ひは、瞼
五二―五四
【鏡】何ぞ鏡にむかふ如くかく我等を見るや
五五―五七
【ビセンツォ】トスカーナ州の川、プラート市の附近を流れフィレンツェの西約十哩にいたりてアルノに注ぐ、その上流の溪間にヴェルニオ、チェルバイアと名づくる二の城ありてアルベルト家に屬せり
【アルベルト】マンゴナの伯爵、二人の子ありてナポレオネ、アレッサンドロといへり、一二八二年の頃この二人の間に相續上の爭ひ起りて互に他を害せんことをはかり遂に共にたふる
五八―六〇
【一の身より出づ】母を同じうす
【カイーナ】第九の地獄第一圓の名、弟を殺せるカイン(創世記四・八)の名を附せるなり
六一―六六
カイーナの罪人をあぐ
【穿たれし者】モドレッド、有名なる『アーサー物語』にいづ
モドレッドはアーサーの子(或曰甥)なり、父の國を奪はんとして殺さる、傳へいふ、アーサーの突きいだせる槍モドレッドの胸を貫きやがて拔くに及びて日光その傷を射透せりと
【フォカッチャー】フッカッチャー・デ・カンチェルリエーリ、十三世紀の後半の人にてピストイアの白黨なり、伯父を殺せりとも父を殺せりともいふ人ありて罪業あきらかならず
【サッソール・マスケローニ】フィレンツェの者、父の兄弟にたゞ一人の男子ありしがサッソール之を欺きて市外に殺害し伯父死して後その資産を横領せりといふ、この罪業當時あまねくトスカーナ州にしれわたれるなるべし
六七―六九
【カミチオン・デ・パッチ】上アルノの溪なるパッチ家のアルベルト・カミチオネ、その血族の一人(從兄弟との説あり)ウベルチーノを殺せり
【カルリン】カルリーノ。同じパッチ家の一人、一三〇二年、フィレンツェの白黨と共にピアントラヴィーニの城(アルノの溪にあり)を守れる間、黄金を貪りてフィレンツェの黒黨と内通し之を城内に入らしめしため白黨多く殺され或ひは虜はれたり
【待つ】アンテノーラに落ち來るを待つなり、その罪甚だ大にしてこれに比すればカミチオネの罪さへいとかろしとみゆればわが罪をいひとくといへり
七〇―七二
以下アンチノーラを敍す
【犬の如く】註釋者或ひは色の蒼黒きをいふといひ或ひは齒をむき出すをいふといふ
【凍れる沼】池水の凍れるを見るごとに地獄の底を思ふなり
七三―七五
【重力】地、三四・一一一參照
七九―八一
【彼】ボッカ、フィレンツェなるアバーチ家の者、モンタペルティの戰ひ(地一〇・八五―七註參照)酣なりしころグエルフィ黨にまじりて戰ひゐたりしボッカは、旗手ヤーコポに近づきてその手を斬りフィレンツェ騎兵の軍旗を倒せり、是に於てかグエルフィの士氣大いに沮喪し遂にかの大敗を抱くにいたれるなり
八八―九〇
【アンテノーラ】第二圓の名、トロイアの老將アンテノルの名よりいづ(これ後代アンテノルを以てトロイアを賣れるものゝ如くいひなすにいたればなり)
一〇〇―一〇二
【あらはさじ】顏を上げて
一一五―一一七
【彼】ブオソ、クレモナ市(ミラーノの東南約六十哩)ヅエラ家の者なり、一二六五年ロムバルディアのギベルリニ黨に推され王マンフレディの命によりて一方の將となりシヤルル・ダンジュウの南進を防がんためパルマの附近に陣取りたりしがフランス軍より賄賂をうけ一戰にも及ばずして自由に敵を通過せしめきといふ
一一八―一二〇
【ベッケーリアの者】テサウロ・デイ・ベッケーリア。パーヴィア(ミラーノの南約二十二哩)の人にてヴァルロムブロサ(フィレンツェの東)僧院の院主なり、フィレンツェを逐はれしギベルリニ黨とひそかに歡を通じこれを郷土に入らしめんとしたりとの罪により一二五八年フィレンツェにて馘らる
一二一―一二三
【ガネルローネ】『ローランの歌』(地、三一・一六―八註參照)に名高き模範的賣國奴なり、彼シャルルマーニュの軍中にありてサラセン人の王より莫大の贈物を受けシャルルに説きてその軍を引上げしむ、こゝに於てかピレネイ連山のかなたに止まれるその後陣、敵の襲撃にあひロンチスパルレの敗戰となりてシャルル部下の名將多くこれに死せり
【テバルデルロ】ファーエンヅァの者、一二七四年ボローニアなるラムベルタッチ家(ギベルリニ黨)の人々その郷土を逐はれてファーエンヅァに來れり、テバルデルロはこれらの者に私怨をいだき一二八〇年ボローニアなるジエレメーイ家(グエルフィ黨)の人々を迎へ入れ多くの逐客を殺害せしむ
【眠れる】テバルデルロが門をひらきてグエルフィをファーエンヅァに導ける時は昧爽なりき
【ジャンニ・デ・ソルダニエル】フィレンツェの貴族にてギベルリニ黨に屬せる者なりしが一二六六年騷擾市民の間に起れる時己が黨與を棄てゝグエルフィ黨にくみしその權勢を振はんとはかれり
一三〇―一三二
【ティデオ】テュデウス、テバイを圍めるギリシア七王(地、一四・六七―七二註參照)の一なり、テバイ人メナリッポスと戰ひ致命傷をうけしかども奮つて敵を殺し猶餘怨を霽さんため侶に請ひて首級を得その骨を噛めり
一三九
我死なずして物言ふをえば
第三十三曲
アンチノーラの罪人の中にウゴリーノ伯爵なる者ありてその悲慘の最期をダンテに告ぐ、詩人等さらに第三の圓にいたりこゝに友を賣れる者をみ、かつファーエンヅァのアルベリーゴとかたる
一〇―一二
【言】(地、一〇・二五―六參照)言の形にあらずして音を指せるなるべしといふ
一三―一五
【伯爵ウゴリーノ】ウゴリーノ・デルラ・ゲラールデスカ、ピサの貴族、十三世紀の前半に生る、一二八四年ピサの艦隊を率ゐてゼーノヴァと戰ひメロリアの海戰に敗れてピサにかへり、市を擾亂の中より救はんため若干の城をルッカ及びフィレンツェの軍に交付して以て敵の主力をわかてり、同年選ばれてポデスタとなり、その孫ニーノ・ヴィスコンティ(女婿ジョヴァンニ・ヴィスコンティの子、地、二二・七九―八四註及び淨、八・四六―八註參照)と共に市政を行へるもいくばくもなくこれと相爭ひ、ピサのグエルフィ黨また彼等に與して相わかるゝにおよびて葛藤止む時なく黨勢とみに衰ふ、ギベルリニ黨の首領大僧正ルツジェーリ時の至れるを見てひそかに爲す所あらんとし、まづウゴリーノを助けてニーノを逐はしむ、一二八八年ニーノ、ピサを去りて後ルツジェーリ乃ち伯の罪状を擧げて民心を煽動しこゝに猛烈なる市街戰を見るにいたれり
この戰ひ遂にグエルフィ黨の敗に歸し一二八八年七月ウゴリーノ及びその二子二孫共に虜はれてピサなるグアランディ家の塔中に幽せられ翌年に至りて悉く餓死す
【ルツジェーリ】ルツジェーリ・デーリ・ウバルディーニ。ピサの東ムジエルロの者、一二七八年ピサの大僧正となり、ウゴリーノの變にあづかりしこと前述の如し、法王ニコラウス四世彼がグエルフィ黨に對する行爲をにくみ終身禁錮の命を下せしかども法王死して彼刑を免かれ一二九五年ヴィテルポに死す
【かゝる隣人】隣人といへば親しみをあらはすこと常なるに彼等は同じ處にありてしかも仇敵なればなり
二二―二四
【塒】グアランディ家の塔(當時市有)、伯爵等の死後「餓ゑの塔」とよばる
muda は羽毛の變り時に鳥を養ふ處なり、ブーティ(Buti)曰、作者この塔をかくよべるは塔の中に羽替頃の市有の鷹を飼へるため當時かくよびならはせしによるかさらずば轉用して伯爵等がこゝに籠の鳥の如く幽閉せられしをいへるならんと
註釋者曰、この後にもなほ人を籠むべしといへるはウゴリーノの想像にてその後この塔中に幽せられし人あるを聞かずと
二五―二七
【多くの月】牢獄の中たゞ月の盈虚によりて時の過ぎゆくをしるなり、ウゴリーノ等のとらはれしは一二八八年七月にてその死せしは翌年三月なればその間幾多の月を閲せり
二八―三〇
【山】サン・ジュリアーノ、ピサとルッカの間にあり
三一―三三
【牝犬】ギベルリニ黨に屬する僧正一味のピサ人
【グアランディ、シスモンディ、ランフランキ】僧正に與せしピサの名族
三七―三九
【曉】地、二六・七參照
【兒等】四人の中ガッドとウグッチオネはウゴリーノの子ブリガータとアンセルムッチオはその孫なり、おしなべて兒等といへるは親愛の意をあらはせるなるべし
四六―四八
【釘打つ音】chiavar 異説に釘打つにあらず鍵もて閉すなりといへどうけがたし
四九ー五一
【アンセルムッチオ】(稚なきアンセルモの義)、ウゴリーノの長子グエルフォの子
五五―五七
【われ自らのすがた】血肉の似寄り並びに同じ憂ひ同じ恐れ
六四―六六
【土よ】何ぞ開きて我を呑みこの憂ひより救はざりしや
六七―六九
【第四日】釘打つ音をきゝし日より四日目
【ガッド】ウゴリーノの子にてウグッチオネの兄なり
七〇―七五
【まのあたり】原文、汝の我を見る如く
【二日】七日と八日目の二日(或曰、六日と七日目の二日と)
異本、三日
【斷食の力】悲哀その極みに達してしかもいまだ死なざりしかど遂に餓ゑの爲に死にたり
七九―八一
【うるはしき國】イタリア、「シ」siを然の意に用ゐる國なり
【隣人等】フィレンツェ、ルッカの人々
八二―八四
【カプライァ、ゴルゴーナ】チレニア海中の二島嶼、アルノ河口の西南にあり、ピサはこの河口に近く且つその兩岸に跨がる町なれば河水氾濫して全市の民溺れ死するを願へるなり
八五―八七
【城を賣れり】一三―五行註參照
【きこえ】ウゴリーノ伯が城を敵に渡せるは私慾を滿たさんためなりきとの流言當時行はれ僧正ルツジェーリ亦之を以て民心を煽動する一の利器たらしめし如し、されど伯のこの行爲はピサを窮厄の中より救ひ出さんとする苦肉の謀なりければダンテもこゝにたゞこれを世評として記載せるのみ、ウゴリーノのアンテノーラに罰せらるゝは己が權勢を大ならしめんためニーノ・ヴィスコンティを逐ひ却つて自らグエルフィ黨の禍ひを釀すにいたりたればなるべし
【十字架につく】苛責す
八八―九〇
【第二のテーべ】ピサ、テバイ(テーベ)は多くの殘虐行はれし處なればなり
【年若き】ダンテは事實を枉げて二子二孫皆幼少なりし如くしるせり、このうち丁年に滿たざりしはアンセルムッチオのみ
【ウグッチオネ】ウゴリーノの子にてガッドの弟なり
【イル・ブリガータ】アンセルッチオの兄、名をウゴリーノ又はニーノといふ、イル・ブリガータはその綽名なり
【此曲】五〇行及び六八行
九一―九三
以下トロメアを敍す
九四―九六
初めの涙凍りて次の涙を出でしめざるをいへり
九七―九九
【被物】visiere 眼鏡又は兜の表と解する人あり
【杯】眼孔
一〇三―一〇五
【地氣】太陽の熱によりて一種の氣地より生ずその乾けるもの風を起し濕れるもの雨を起すといへる古の學説によれり、ダンテは日光なき地獄の底に風あるをあやしめるなり
一〇六―一〇八
【源】地獄の王ルキフェルの翼(地、三四・五〇―五一)
一〇九―一一一
【最後の立處】第四圓即ちジュデッカ、詩人等をジュデッカに罰せらるべき魂なりとおもへるなり
一一二―一一四
【洩す】涙によりて
一一五―一一七
【氷の底】ルキフェルの許、ダンテは約を果すも果さゞるもいづれ地心にゆくべきものなればそのいへること誓言に似て誓言にあらず
一一八―一二〇
【アルベリーゴ】アルベリーゴ・ディ・マンフレディ。一二六七年より「フラーテ・ゴデンティ」(地、二三・一〇三參照)たり、ファーエンヅァのグエルフィ黨を統ぶ、その血族マンフレディ(弟なりとの説あり)及びマンフレディの子アルベルゲットと權勢を爭ひ、ひそかに彼等を害せんとはかり言を和親に托して宴に招き食終れる時果物を持來れといふ、この時忍びの者共この詞を相圖に座席に入來りて父子を殺せり(一二八五年)
【よからぬ園の】客人を賣る相圖に用ゐたれば罪の園に生ぜる果といへり
【無花果に代へ】罪業相當の刑罰をうく
一二一―一二三
【しらず】地、一〇・一〇三―五參照
一二四―一二六
【トロメア】第三園、賓客の信に背ける者の罰せらるゝところ、ジエリコの首長トロメオの名をとれるなり、このトロメオはおのが岳父にして祭司長なるシモネ・マッカベオ及びその二子をわが城内に招き酒を飮ましめて後殺せり(マッカベエイ前、一六・一一―六)
【アトローポス】運命を司る神の一にていのちの絲を斷ち切るもの
その人未だ死なざるに魂まづトロメアにくだりて罰をうくることありとの意なり、之に關し註釋者曰、ダンテは詩篇五五・一五に、願はくは彼等生けるまゝにてシエオルに下らんことをといへるにもとづきこの種の刑罰に思ひいたれるなるべしと
一三三―一三五
【おのれは】魂自らは地獄の底に落つ
一三六―一三八
【セル・ブランカ・ドーリア】ジエーノヴァの名族ドーリア家の者にてミケーレ・ツァンケ(一四〇行)の婿なり、一二九〇年の頃、(或ひは七五年の頃ともいふ)サールディニア島のロゴドロ州(地、二二・八八―九〇及び註參照)を奪はんため舅を招きて會食し欺いてこれを己が城内に殺せり
一四二―一四四
【マーレブランケの濠】第八の地獄第五嚢、汚吏の罰せらるゝところ
一四五―一四七
異本、この者己が身と……その近親のひとりの身に鬼を殘せり
一四八―一五〇
【暴】約を履まざりし事
一五四―一五七
【ローマニアの魂】アルペリーゴ(一一八行)、その郷里ファーエンヅァはローマニアにあり
【ひとり】ブランカ・ドーリア
第三十四曲
ダンテ、ウェルギリウスと第九の地獄第四の圓にいたりこゝに恩人を賣れるものゝ魂を見、後その中央にあらはれし地獄の王ルキフェル(ルチーフェロ)に近づきその毛にすがりて地心を過ぎさらに一條の幽路をたどりて外界にむかふ
一―三
Vexilla Regis prodeunt inferni(地獄の王の旗進む)、この中初めの三語はフォルツナート・ヂ・チエーネダー(イタリアの生れにてフランス、ポアチエの僧正となれり)の作なるキリスト磔刑の聖歌の始めをとれるなり、この歌今も寺院の一部に用ゐらるといふ、地獄の王はルキフェル、旗はその翼なり
七―九
【風】五〇―五一行參照
一三―一五
四種の罪人、註釋者曰、恩人を賣れる罪人の中、伏したるは己と同等の地位にあるもの、直立せるは己より地位低きもの、倒立せるは同じく高きものを賣り、弓形をなすは高きと低きと二種の恩人を賣れる者なりと
一六―一八
【昔姿美】魔王が未だ天を逐はれざりしさきには天使中その姿特に美しく尊かりしと信ぜられたればなり(淨、一二・二五―六參照)
一九―二一
【ディーテ】魔王の名として用ゐられしこと『アエネイス』に例多し
二五―二七
【彼をも此をも】死をも生をも
三四―三六
特殊の神恩によりてその美しき事萬の天使にもまされる程なるになほその造主に背けりといへば今一切の禍ひの本となるもあやしむにたらず
三七―三九
【三の顏】寓意のあるところあきらかならず、註釋者曰、これ地、三・五―六なる三一の神の對照なり即ち權威智慧愛の三に對し無力無智憎惡の三を示せるものにて無力は黄無智は黒憎惡は赤を以てあらはすと
四〇―四二
【※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]冠あるところ】頭の頂、四七行に鳥といへると同じく翼あるに因みてなり
四三―四五
【ニーロ】エジプトのナイル川、南方エチオピアよりいづ
【人々】エチオピアの黒人
四九―五一
【羽なく】當時の説によれるなり。
五二―五四
【コチート】地、一四・一一八―二〇參照
五五―五七
【碎麻機】maciulla 二個の木片うちあひて麻を碎き莖と絲とをわかつ機具
六一―六三
【ジユダ・スカリオット】イスカリオテのユダ、キリスト十二弟子の一、師を賣りて銀三十をえ後悔いて縊る(マタイ、二六・一四以下及び二七の三以下等)
六四―六六
【プルート】マルクス・ユウニウス・ブルートゥス(前八五―四二年)、カエサル殺害者の一人
六七―六九
【カッシオ】カイウス・カッシウス・ロンギーヌス(前四二年死)ブルートゥスと共にカエサルを殺害せるもの、或人曰く、ダンテがカッシウスを肉逞しきものとせるはキケロがルキウス・カッシウスを肥えたりといへるに基づきルキウスを、カイウスと誤り混じたるによると
ダンテの所謂理想的國家には二個の重要なる機關あり、一は法王にして靈界の事を司り一は帝王にして物質界の事を司る、ダンテ思へらく、この二の者各※[#二の字点、1-2-22]その範圍内に於て絶對の權能を有し各※[#二の字点、1-2-22]直接に神より受けたる使命を果し、しかも相提携し相並馳して初めてこゝに人類の幸福を増し一は天上の樂園を作り一は地上の樂園を造るにいたるべし、キリストは法王の法王なりこれに背けるユダはたゞに恩師の罪人なるのみならずまた神の攝理にむかひてその刃をむけしなり罪最も重し、カエサルは皇帝の皇帝なりこれに背けるブルートゥス等はたゞに恩人を賣れる逆賊なるのみならずまた神意に基づいて地上の樂園を完成すべき國家至要の機關にむかひてその旗を擧げしなりユダにつぎての罪人といふべし
【夜はまた來れり】一三〇〇年四月九日の夕暮となれるをいふ
七六―七八
【疲れて】重力の集まるところなれば身を轉じて地心を離るゝこといとかたし
七九―八一
ルチーフェロ(ルキフェル)の腰乃ち地球の中心までくだりその後身を逆にして南半球を上りゆくが故に下るも上るも同一の方向に進むに他ならねどダンテまどひてもとの地獄に歸るとおもへりとの意
八二―八四
【とらへよ】わが頸を
【段】地、一七・八二參照
九一―九三
【何なるやを】地球の中心なることを
九四―九六
【日】時を示すに日を用ゐしは既に地獄を離れたればなり
【第三時の半】昔晝間の十二時を四分して第三時第六時及び第九時を夕とをせり、第三時は日出後の三時間なれば日出を六時頃と見做してその半即ち約七時半にあたる、再び九日の朝となりたれば歸るといへり(一一八―二〇行註參照)
一〇〇―一〇二
【淵】地獄
一〇三―一〇五
【氷】コチートの
一〇六―一〇八
【蟲】ルキフェル、地心を貫いて立てり、蟲は姿の忌むべきをあらはす詞(地、六・二二―四註參照)
一〇九―一一一
【點】地球の中心、當時の科學によれば宇宙の重力のすべてあつまるところなり(くはしくはムーアの『ダンテ研究』二卷三二一頁以下參照)
一一二―一一七
【人】キリスト
【頂點のもと】イエルサレム、インドより起れる北半球の子午線はその頂點にいたりてイエルサレムの都を蔽ふ(淨、二・一以下)
【ジュデッカ】第九の地獄第四の圓、恩人に背けるものゝ罰せらるゝところ(一〇―一五行)、キリストを賣りしジュダ(ユダ)の名による
【小さき球】ジユデッカと相當する背面の小圓即ち詩人等の立てる圓き岩
一一八―一二〇
南北兩半球の相對面に於ける時間の差は十二時間なり、すなはち南半球は北半球より時後るゝこと十二時なれば地獄の夕はその背面の朝にあたる
一二一―一二六
ルキフェル天を逐はれて南半球に落つ、この時この半球を蔽へる陸は恐怖のあまり海にかくれて北半球に入りたり、また淨火の山は魔王が地獄にくだれる時これに觸るゝをおそれて地底を離れし土より成りこの土地底を離れしためこゝにこの空虚あるにいたれるなるべし
一二七―一三二
【ベルヅエブ】ベルセブル、地獄の王ルキフェルの異名(マタイ、一二・二四)
【墓】地獄
【一の處】半球地下の狹路、ルキフェルの許より地上の一點に通ずる路なればその長さは地獄の入口よりルキフェルまでの距離に等し
【小川】淨火に淨められし罪地獄にかへるなり、註釋者多くはこれをレーテの流れと解すれど疑はし
一三六―一三八
【孔の口】地上への出口即ち地下の狹路の一端
【美しき物】星(地、一・四〇參照)、天と共にめぐりゆくもの
一三九
【いでぬ】九日の午前七時半頃にて今見る星は十日の早朝の星なれば(淨、一・一九―二一註參照)南半球地下の幽路を辿れる間は二十時間餘なり
【諸※[#二の字点、1-2-22]の星】『神曲』の各篇皆 stelle(星)の一語に終る
[#改丁]
ダンテの地獄は漏斗状をなす一の大いなる坎なり、その頂《いただき》地表に接し、底地心に達す、坎に沿ひ坎をめぐりて多くの圓形の地帶あり、底を合せて九個の獄となる(この中第七獄は三、第八獄は十、第九獄は四に細分せられ各※[#二の字点、1-2-22]罰する罪人を異にす)、すべて上方に罰せらるゝものはその罪輕く下るに從つてその罪重し、しかして第五獄と第六獄の間にはディーテの城壁ありて地獄全體を二大分す、その上なる諸獄には放縱の罪罰せられ下なる諸獄には邪惡の罪罰せらる、この他地獄圈外に怯者の罰をうくるところ第八獄と第九獄の間に巨人の罰をうくるところあり、地心を貫いて地獄の王ルチーフェロの立つあり。
地獄内の諸水にはアケロンテの川、スティージェの沼、フレジェトンテの流れあり、名異なれども實一なり、クレタ島の巨人よりいでて地獄にくだり或ひは川、瀑、沼となりてあらはれ或ひはまた地下にかくれて次第に地底にむかひ、遂に凍りてコチートの池となる。
ダンテはウェルギリウス(ヴィルジリオ)に導かれて暗き林を離れ、地獄の門よりたえず左に道を取り、地獄各圈を歴程してその底にくだり、さらに地心を過ぎて南半球に移り、地下の幽路を辿りて再び地上にいづ。
二詩人が地獄内に費せる時間は約二十四時間にて地心より南半球の地上にいたるまでに費せる時間は約二十一時間なり。
底本:「神曲(上)」岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年8月5日第1刷発行
※「神曲」の原文は、三行一組の句を連ねる形式を踏んでいます。底本は訳文の下に、「一」「四」「七」と数字を置いて、原文の句との対応を示していますが、このファイルでは、行末に「一―三」「四―六」「七―九」を置く形をとりました。
※底本が用いている「〔」と「〕」は、「アクセント分解された欧文をかこむ」記号と重なるため、「【」と「】」に置き換えました。
入力:tatsuki
校正:浅原庸子
2003年9月29日作成
2006年5月19日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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