死刑囚最後の日 LE DERNIER JOUR D’UN CONDAMNE ユゴー・ヴィクトル Hugo Victor 豊島与志雄訳

       一

           ビセートルにて

 死刑囚!
 もう五週間のあいだ、私はその考えと一緒に住み、いつもそれと二人きりでおり、いつもその面前に凍《こご》えあがり、いつもその重みの下に背を屈めている。
 昔は、というのもこのいく週かがいく年ものように思われるからであるが、昔は私も他の人々と同じように一人前の人間だった。どの日にも、どの時間にも、どの分秒にも、それぞれの思いがあった。私の精神は若くて豊かで、気まぐれな空想でいっぱいだった。そして楽しげにその一つ一つを、秩序もなく際限もなく、生活のあらい薄い布地を無尽蔵な唐草模様《からくさもよう》で飾りながら、つぎつぎにひろげて見せてくれた。若い娘、司教のきらびやかな法衣、たけなわな戦争、響きと光とに満ちてる芝居、それからなお若い娘、夜はマロニエの広い茂みの下のほの暗い散歩。私の想像の世界はいつもお祭りみたいだった。私は自分の望むものを何でも考えることができた。私は自由だった。
 今は私は囚《とら》われの身である。私の体は監獄の中に鉄鎖に繋がれており、私の精神は一つの観念の中に監禁されている。恐ろしい、血なまぐさい、一徹な観念だ。私はもう一つの考えしかもたず、一つの確信しか持たず、一つの確実さしか持っていない、すなわち、死刑囚!
 私がどんなことをしようと、それが、その地獄めいた考えが、いつもそこに控えていて、鉛の幽霊のように私のそばにつっ立ち、二人きりなのに嫉妬深く、私のあらゆる気散じを追い払い、みじめな私と向かい合い、私が顔をそむけたり眼をつぶったりしようとすれば、その氷のような手で私をゆさぶる。私の精神が逃げだそうとするところにはどこにでも、あらゆる形となって滑りこんでき、人が私に話しかけるどの言葉にも、恐ろしいきまり文句として交わってき、監獄の呪わしい鉄門に私と一緒にしがみつき、目覚めてるあいだじゅう私につきまとい、ぎくりぎくりとした私の眠りをうかがい、そして夢の中にも首切り庖丁の形となって現われてくる。
 私はそれに追っかけられ、はっと目を覚まして考える。「ああ、夢なんだ!」ところが、重い瞼《まぶた》をようやく開きかけて、自分を取り巻いてる恐ろしい現実の中に、監房のしめっぽいじめじめした床石の上に、夜灯の青ざめた光の中に、衣服の布の粗い織り糸の中に、監獄の鉄門ごしに弾薬|盒《ごう》が光ってる警護兵の陰鬱《いんうつ》な顔の上にいたるところに書かれてるその宿命的な考えをよくも見ないうちに、すでに一つの声が私の耳に囁《ささや》くような気がする、「死刑囚!」と。

       二

 八月のうるわしい朝のことだった。
 もう三日前から、私の裁判は始められていた。三日前から、私の名前と私の犯罪とは、毎朝たくさんの傍聴人を呼び寄せて、死骸のまわりに烏《からす》が集まるように法廷のベンチに集めていた。三日前から、判事や証人や弁護士や検事たちが、あるいは奇怪なあるいは血なまぐさい、そしていつも陰惨な宿命的なふうで、幻灯のように私の前を往き来していた。初めの二晩は、不安と恐怖とで私は眠れなかった。三日目の晩は、倦怠と疲労のため眠った。真夜中に、陪審員らを評議してるままに残して、私は監獄の藁《わら》の上に連れ戻され、そこですぐに、深い眠りに、忘却の眠りに落ちたのだった。それがいく日目かに得た最初の休息の時間だった。
 そしてまだその深い眠りの底にある時に、私は呼び起こされた。その時は、看守の重い足音や鉄鋲《てつびょう》の靴音や、その鍵鎖《かぎくさり》のがちゃつきや、閂《かんぬき》の太いきしりなどでは、私は昏睡《こんすい》からさめなくて、荒々しい声を耳に浴《あび》せられ、荒々しい手で腕をつかまれた。「起きないか!」私は目を開き、びっくりして体を起こした。その時、監房の狭い高い窓から、隣りの廊下の天井に、それが私の垣間見《かいまみ》ることのできる唯一の天空だったが、そこに黄ばんだ反映のあるのが目についた。牢獄の暗闇になれてる目は、そういう反映で太陽の光を見て取ることができるものだ。私は太陽が好きである。
「天気だな。」と私は看守に言った。
 彼はそれが言葉を費やすほどのことであるかどうかわからないかのように、すぐには返事をしなかった。が、次に多少努めてぶっきらぼうにつぶやいた。
「そうかもしれない。」
 私は身動きもしないで、まだ頭はなかば眠り、口には微笑を浮かべて、廊下の天井を染めてるそのやさしい金色の反射に目をすえていた。
「今日はいい天気だな。」と私はくりかえした。
「うむ。」と看守は答えた。「みんな君を待ってるぞ。」
 そのわずかな言葉は、一筋の糸が虫の飛ぶのを妨げるように、私を激しく現実の中に投げおろした。そして稲妻の光に照らされたように、突然私の目に再び映ってきた、重罪裁判の薄暗い広間、血なまぐさい服をつけてる判事らの円形席、茫然《ぼうぜん》たる顔つきをしてる証人らの三列、私のベンチの両端に控えてる二人の憲兵、動きまわってる黒い法服の人々、影の底にうようよしてる群集の頭、私が眠ってるあいだじゅう起きていた十二人の陪審員らが、私の上にじっとすえてる目つき!
 私は立ちあがった。歯はがたがた鳴り、手は震えて服を探しあてることができず、足は弱りきっていた。一足ふみ出すと、荷を背負いすぎた人夫のようによろめいた。それでも私は看守のあとについていった。
 二人の憲兵が監房の入口で私を待ち受けていた。私は再び手錠をはめられた。それには複雑な小さな錠前がついていて、注意深く鍵がかけられた。機械の上にまた機械をつけるのであるが、私はされるままにまかした。
 私たちは内部の庭を横ぎっていった。朝の鋭い空気が私を元気づけた。私は頭をあげて歩いた。空は青々としていて、暖かい太陽の光が、多くの長い煙突に断ち切られ、監獄の高い薄暗い壁の上方に、大きな光の角度を描いていた。果たして上天気だった。
 私たちは螺旋形《らせんけい》に回ってる階段をのぼっていった。そして一つの廊下に出《い》で、なおも一つの廊下に出で、なおも一つ廊下を通った。それから低い扉が開かれた。そうぞうしい熱い空気が私の顔に吹きつけてきた。重罪裁判廷の群集の息吹《いぶき》だった。私は中にはいった。
 私の姿を見て、武器や人声のどよめきが起こった。腰かけが音高く置き直された。仕切りの板がきしった。そしてその長い広間を、兵士らに遮られてる二塊りの人々の間を通ってゆくあいだじゅう、私には自分自身が、茫然と前にのりだしてるそれらのあらゆる顔を動かす操り糸のゆわえてある中心であるように思えた。
 その瞬間、私はもう鉄枷《てつかせ》がつけられていないことに気づいた。しかしどこでいつそれが取りのけられたかを思い出すことはできなかった。
 その時ひどくひっそりとなった。私は自分の席に来ていた。群集の中にどよめきがやんだ時、私の頭の中のどよめきもやんだ。私は突然、それまでぼんやり垣間見《かいまみ》てるにすぎなかった事を、決定的な瞬間がきてるという事を、自分の判決を聞くために自分は出て来てるという事を、はっきり悟った。
 そういうふうにして私はそのことを悟っても、なぜかはわからないが、別に恐怖の念を覚えなかった。窓は開かれていた。町の空気と物音とが外部から自由にはいりこんでいた。広間はちょうど結婚式でも行なわれるかのように明るかった。楽しげな日の光が、あちらこちらに明るいガラス窓の形を描いて、それがあるいは床板の上に長くのび、あるいはテーブルの上にひろがり、あるいは壁の角に折れ曲っていた。そして窓からその明るい菱形までそれぞれ光線のために、金色の埃《ほこり》の大きな角柱が空中に浮きだしていた。
 裁判官らは広間の奥に、もうじきにすんでしまうという喜びのためであろう、満足げな様子をしていた。裁判長の顔は、ある窓ガラスの反映で軽く照らされていて、何か平静な善良なものを浮かべていた。一人の若い陪席判事は、特別にその後ろの席を与えられてるばら色の帽子のきれいな婦人を相手に、胸飾りをいじりながらほとんど愉快げに話をしていた。
 陪審員らだけが、青ざめてがっかりしているように見えた。しかしそれは明らかに夜どおし起きていた疲労のせいだった。ある者はあくびをしていた。彼らの様子のうちにはどこにも、死の判決をもたらしたばかりのようなところは見えなかった。それらの善良な市民らの顔の上には、ただ眠りたいという欲望しか見て取れなかった。
 私の正面に、一つの窓がすっかり開ききってあった。河岸通りの花売娘らの笑い声が聞えていた。そして窓べりには、黄色のかわいい草が一本石のすきまに生えて、すっかり日の光を浴びながら風と戯れていた。
 それらの多くのやさしい感じの中で、どうして不吉な考えが起こることができたろう。私は空気と日光とにひたされて自由よりほかのことは考えることができなかった。周囲の日の光と同じように、希望が私のうちに輝いてきた。私は信頼しきって、解放と生命とを待つように自分の判決を待った。
 そのうちに私の弁護士がやって来た。人々は彼を待っていた。彼はうまうまと十分に食事をしてきたところだった。自分の席につくと、彼は微笑を浮かべて私のほうをのぞきこんだ。
「うまくいくだろう。」と彼は私に言った。
「そうでしょうか。」と私も微笑《ほほえ》んで軽い気持で答えた。
「そうさ。」と彼は言った。「まだあの連中がどう申告したか少しも分らないが、しかし予謀の点はむろん取りあげなかったろう。そうすれば、終身懲役だけのことだ。」
「なんですって!」と私は憤然として言った。「そんならいっそ死刑のほうがましだ。」
 そうだ死刑のほうが! とある内心の声が私にくりかえした。それにもとより、そう口に出して言ったところで、なんの危ういことがあろう。死刑の判決はいつも、夜中に、蝋燭《ろうそく》の光で、黒い薄暗い室で、冬の雨天の寒い晩にくだされたのではないか。この八月に、朝の八時に、こんなよい天気に、あれらの善良な陪審員らがあって、そんなことがあるものか! そして私の目はまた、日の光を受けてる黄色いかわいい花の上に向いた。
 弁護士だけを待ってた裁判長は、突然私に起立を命じた。兵士らは武器をとった。電気じかけででもあるように、全会衆は同時に立ちあがった。法官席の下のテーブルについてるやくざな無能な顔つきの男、たぶん書記だろうと私は思うが、その男が口を開いて、私の不在中になされた陪審員らの評決を読みあげた。冷たい汗が私の全身から流れた。私は倒れないようにと壁につかまった。
「弁護士、君は本刑の適用について何か言いたいことがあるか。」と裁判長はたずねた。
 私のほうでは言いたいことばかりだったが、何一つ口に出てこなかった。舌が顎にくっついてしまっていた。
 弁護人は立ちあがった。
 私にも分ったが、彼は陪審員らの申告を軽減しようとつとめ、彼らが申請した刑のかわりに、他の刑を、先刻彼がそれを望んでいるのを見て私がひどく気色《きしょく》を害したあの刑を、そこに持ってこようとつとめた。
 私の憤慨の念はひどく強くて、私の考えを争奪してるあらゆる感情を貫いて現われてきたほどだった。私はすでに彼に言ったことを、いっそ死刑のほうがましだということをも一度、高い声でくりかえしたかった。しかし息が切れて、ただ手荒く彼の腕をひっぱりながら、痙攣《けいれん》的な力をこめて、「いけません!」と叫ぶことができただけだった。
 検事長は弁護士の説を反駁《はんばく》した。私はぼんやりした満足の念でそれに耳を傾けた。それから判事らは室外に出て、つぎにまた戻ってきた。そして裁判長は私に判決を読んできかした。
「死刑!」と群集は言った。そして私が連れ去られる時、皆の者は家が崩れるような音を立てて後にくっついてきた。私は酔ったように呆然として歩いていった。一つの革命が私のうちに起こったのだった。死刑の判決までは、私は呼吸し脈打ってる自分を感じ、他の人々と同じ世界に生きてるのを感じていた。が今や私は、世間と自分との間に、ある仕切りみたいなものをはっきり感じた。もう何一つ以前と同じ姿には見えなかった。それらの大きな明るい窓、そのうるわしい日の光、その清らかな空、そのかわいい花、どれもこれもただ白く色あせて、経帷子《きょうかたびら》の色になった。私のほうに集まってくるそれらの男や女や子供も、幻影のように見えた。
 階段の下に、格子《こうし》のはまった黒い汚い馬車が私を待っていた。それに乗る時、私はどこということもなく広場の中を眺めた。死刑囚と叫びながら通行人らは馬車のほうへ駆けてきた。私は自分と他物との間におりてきたように思われる靄《もや》をとおして、むさぼるような目つきであとについてくる二人の若い娘を見てとった。その年下のほうは手をたたきながら言った。
「いいわね、六週間後でしょう!」

       三

 死刑囚!
 ところで、それがどうしていけないか。私は何かの書物の中で読んだのであるが、ためになることはただそれだけだったのを覚えている。すなわち、人はみな不定期の猶予つきで死刑に処せられている。それではいったい私の地位に何がこんな変化をもたらしたのか。
 私に判決がくだされた時から今までに、長い生涯を当てにしていたいくばくの人が死んだことか。若くて自由で健康であって、某日グレーヴの広場で私の首が落ちるのを見に行くつもりでいた者で、いくばくの人が私より先立ったことか。今からその日までの間に、戸外を歩き大気を吸い自由に外出し帰宅している者で、なおいくばくの人が私に先立つことだろうか。
 それにまた、人生は私にとってなんでこんなに名残り惜しいのか。実際のところ、監獄の薄暗い日と黒いパン、囚人用のバケツから汲み取られた薄いスープの分け前、教育を受けて啓発されてる身でありながら、手荒く取り扱われ、看守や監視らから虐待され、ひとこと言葉をかわすにたりる者と思ってくれる一人の人もなく、自分のしたことに絶えずおののき、人からどうされるだろうかということに絶えずおののいている、ただほとんどそれだけのことが、死刑執行人が私から奪いうるものではないか。
 ああ、それでもやはり、恐ろしいことだ!

       

 黒い馬車は私をここに、この呪わしいビセートルに運んだ。
 ある距離をへだてて遠くから見ると、この建物はあるおごそかさをもっている。丘の上に地平線上にひろがっていて、昔の光輝の多少を、王城の様子を、なお失わずにいる。しかし近寄ってゆくにしたがって、その宮殿は破家《やぶれや》となってくる。破損してるその切妻は見るにたえない。なんともいえぬ賤《いや》しいみすぼらしい風《ふう》が、その堂々たる正面をけがしている。壁はらい病に冒されたようである。もうガラス戸もなければ、ガラス窓もない。交差してる太い鉄格子がついていて、それのあちらこちらに、囚人や狂人のやつれた顔がくっついてる。
 それはまぢかに眺めた人生だ。

       

 到着するかしないうちに、鉄の手が私をつかみ取った。人々は注意に注意を重ねた。私の食事にはナイフもフォークもなかった。緊束衣《きんそくい》が、一種の帆布の袋が、私の両腕を捉《とら》えた。人々は私の生命について責めを帯びてるのだった。私の事件は上告してあった。そのやっかいな事柄がまだ六、七週間はかかるはずだったし、またグレーヴの広場のために私を無事に保存しておくことが大切だった。
 初めの数日間私はやさしく取り扱われた。それがかえって私には恐ろしく思えた。看守の敬意は死刑台を思わせるものだ。が、しあわせにも数日たつと、また習慣どおりになった。彼らは私を他の囚人らと一緒に暴虐に取り扱い、私の目に絶えず死刑執行人を映らせるような、不|馴《な》れなていねいな区別をもうしなかった。よくなったのはそのことばかりではなかった。私の若さ、私の従順さ、監獄|教誨師《きょうかいし》の世話、それからことに、わかりもしない門衛に私が言ってやったラテン語の数語、そんなもののために私は、他の囚人らとともに一週一回散歩することが許され、身動きのできなかった緊束衣もつけずにすんだ。いろいろ躊躇《ちゅうちょ》されたのちに、インキと紙とペンも与えられ、夜のランプも与えられた。
 毎日曜日には、ミサの式の後で、休息の時間に、私は中庭に放たれる。そこで私は囚人らと話をする。話をせずにはいられないものだ。彼らは、そのみじめな者たちは、みな善良である。彼らはその仕事を私に話してきかせる。聞いてると恐ろしいほどであるが、しかし彼らが自慢誇張してることを私は知っている。彼らは私に隠語を話すことを、彼らの言葉でいえば赤舌をたたくことを教えてくれる。それは一般の言葉の上につぎ合わした一つの言葉であって、見苦しい瘤《こぶ》のようなものであり、疣《いぼ》のようなものである。時とするとふしぎな力をそなえ、恐ろしい光景を見せる。リボンの上にジャムがある――道の上に血がある。後家をめとる――絞首される。あたかも首吊り台の縄はすべての被絞首者の寡婦《かふ》であるかのようだ。盗人の頭は二つの名前をもっている。考えたり理屈をこねたり罪悪をすすめたりする時には、ソルボンヌ大学と言い、死刑執行人に切られる時には、切株となる。また時とすると、通俗喜劇めいた才気を示すこともある。柳の肩掛け――屑屋の負籠《おいかご》。嘘つき――舌。またいたるところに絶えず由来のわからない奇態なふしぎな醜い下品な言葉が出てくる、かなとこ――死刑執行人。松ぼっくり――死。押入れ――死刑場。まるで蟇《がま》や蜘蛛《くも》の言葉のようだ。その言葉が話されるのを聞く時には、何か汚ならしい埃まみれのもののような気がし、ひとたばのぼろ布を顔の前で打ち振られるような気がする。
 少なくともその男たちは私を憐れんでくれる。その男たちだけだ。獄吏や看守や鍵番らは――私はそれを怨《うら》むのではないが――話し合ったり笑ったりしていて、私の前ででも私のことを一個の物のように話している。

       

 私は自ら言った――
 自分は物を書くことができるからには、どうして書かずにおこう。しかし何を書いたらよいか。裸の冷たい石壁に四方とざされ、自由に歩くこともできず、地平線を見ることもできず、ただ一つの気晴らしとしては、扉ののぞき穴から真向いの薄暗い壁の上に投げられるほの白い四角な明るみが、徐々に移ってゆくのを一日じゅう機械的に見守ることだけであり、しかも前に述べたとおり、一つの観念、罪と罰との観念、殺害と死刑との観念と、二人きりでいて、私は、もうこの世になにもなすことのない私は、いったい何か言うべきことをもっているだろうかしら。罰を受けた空虚なこの頭脳の中に、書くだけの価値のある何かが見出せるだろうかしら。
 いやどうしてそうでないといえよう。たとい私の周囲ではすべてが単調で色あせてるとはいえ、私のうちには一つの暴風雨が、一つの争闘が、一つの悲劇があるではないか。私につきまとってるこの固定観念は、各時間に、各瞬間に、新たな形で、期限が迫るにつれてますます忌《いま》わしい血まみれの形で、私に現われてくるではないか。かく世間から見放された地位にあって私が感ずるあらゆる激越な未知なものを、どうして自分自身に向かって言わずにすまされよう。確かに材料は豊富である。そしてたとい私の生涯はいかに短かろうと、今から最後の時までそれを満たすはずの、苦悶や恐怖や責め苦のうちにはなお、このペンをすりへらし、このインキ壺を涸《か》らすだけのものがあるだろう。――そのうえ、それらの苦悶を和らげる唯一の方法はそれを観察することであるし、それを描きだすことによって私の気もまぎらさるるだろう。
 それにまた、こうして私が書きつける事柄はおそらく無用にはなるまい。この苦しみの日記、書き続けることが肉体的にできなくなるまぎわまで継続する力が私にあったら、各時間の、各瞬間の、各苦悩のこの日記、必ず未完成に終わるだろうが、しかし私の情緒のできるだけ完全なこの物語、それが一つの大きな深い示教をもたらさないだろうか。死にのぞんでる思考のこの調書のうちには、常に高まってゆくこの苦悩の増進のうちには、一受刑人のこの一種の精神的解剖のうちには、処刑する人々に対する一つならずの教訓がないだろうか。おそらく彼らがこれを読んだならば、他日、思考する一つの頭を、一個の人間の頭を、正義のはかりとよばるるものの中に投ずる場合に、彼らの手はより重くなるだろう。おそらく彼らは不幸にも、死刑判決の早急なしかたのうちに責め苦のゆるやかな連続が含まれてることを、かつて考えたことがなかったろう。彼らが除き去るその男のうちには、一つの精神がある、生命に望みをかける一つの精神があり、死を予期していない一つの魂がある、というこの痛切な観念に、彼らはただ目をすえたことでもあるだろうか。いや。彼らはただ三角な肉切り庖丁の垂直な落下をその中に見てとるだけであって、受刑人にとってはその前にも後にも何物もないと思ってるにちがいない。
 これらの数ページはそういう彼らの謬見《びゅうけん》を醒ますだろう。おそらくいつかは世に出版されて、人の精神の苦悶のほうへ彼らの精神をしばし向けさせるだろう。人の精神の苦悶こそ彼らがすこしも思い浮かべないことである。彼らはほとんど肉体を苦しめずに人を殺すことができるというのを得意にしている。が、まさしくそれが問題なのだ。精神的苦痛に比べては肉体的苦痛がなんであろう。今のようにしてできてる法律こそ、恐るべきまた憐れむべきものである。やがていつかは、そしておそらく、一人のみじめな男の最後の告白たるこの手記もその一助となって……。
 せめて、私の死後、これらの紙片が泥にまみれて監獄の中庭で風になぶらるることさえなければ、あるいは、看守のガラス戸の破れめに点々と貼られて雨に朽《く》ちることさえなければ……。

       

 私がここに書いてるものが他日他の人々の役に立たんこと、判決しようとする判事を引き止めんこと、無罪にしろ有罪にしろすべて不幸な人々を私が受けたこの苦悩から救わんこと、そう願うのはなぜか、何のためになるか、何の関係があるか。私の首が切れてしまった後で他の人々の首が切られることが私に何のかかわりがあるか。右のようなばかげたことを私は本当に考えうるのか。自分がそれにのぼった後で死刑台を打ち倒す! それがいったい私に何をもたらしてくれるものか。
 そうだ、太陽、春、花の咲き満ちた野、早朝目覚むる小鳥、雲、樹木、自然、自由、生命、すべてそれらはもう私のものではない。
 ああ、私自身をこそ救わなければならないのだ。――それができないというのは、明日にもあるいはおそらく今日にも死ななければならないというのは、そうしたものだというのは、まさしく本当なのか。おお、それを思うと、自分の監獄の壁で自ら頭を打ち砕きたくなるほど恐ろしいことだ。

       

 私に残ってるところを数えてみよう。
 判決がくだされた後、上告のために三日間の遅延。
 重犯裁判廷の検事局で八日間の閑却。その後で彼らのいわゆる一件書類[#「一件書類」に傍点]が大臣に提出される。
 大臣のところで十五日間の遅滞。大臣はその書類の存在さえ知らないが、それでも、検討後それを破毀院《はきいん》へ回付するものとされている。
 破毀院で、類別や番号づけや登録。というのは、断頭台は満員で、各自順番でしか通れないから。
 特典がほどこされないことを調べるため十五日間。
 最後に、ふつう木曜日に破毀院は開廷され、多くの上告を一挙にしりぞけ、全部を大臣の手もとに返付し、大臣は検事長に返付し、検事長は死刑執行人に回付する。三日間。
 四日目の朝、検事長代理はネクタイをつけながら考える。「この事件も片づけなくちゃなるまい。」そこで、書記代理が友人との会食か何かでさしつかえることがなければ、処刑命令の正本が作成され、書きあげられ、浄書され、送達される。そして翌日夜明け頃から、グレーヴの広場には一つの木組みが釘づけされる音が聞こえ、パリの四つ辻には呼売人が嗄《しわが》れた声をはりあげて叫ぶのが聞こえる。
 全部で六週間。あの若い娘が言ったことはもっともだ。
 ところで、私がこのビセートルの監房にやってきてから、数えるのもつらいが、少なくとも五週間、あるいは六週間たっているかもしれない。そして、三日前が木曜日だったようだ。

       

 私は遺書を書いた。
 でもそれが何になるか。私は訴訟費用負担を言い渡されてる。そして私の家産はそれにもたりないだろう。断頭台、それはいかにも高価なものだ。
 私の後には、一人の母が残る、一人の妻が残る、一人の子供が残る。
 三歳の小さな女の子で、ばら色でやさしくよわよわしく、黒い大きな目をし、栗色の長い髪を生やしている。
 最後に私が見た時は、その子は二年と一か月だった。
 かくて、私の死後には、子がなく夫がなく父がない三人の女が残る。各種の三人の孤独者だ。法律から作られた三人の寡婦《かふ》だ。
 私は自分が正当に罰せられてることを認める。しかしそれら三人の無辜《むこ》の者は、いったい何をしたのか。ただ無鉄砲に、彼らは不名誉を担わせられ、破滅させられる。それが正義なのだ!
 年老いた憐れな母のことを私は心配するのではない。彼女はもう六十四歳になっていて、この打撃で死ぬだろう。あるいはなお数日生きながらえるとしても、最後のまぎわまでその懐炉《かいろ》の中に多少の温い灰がありさえすれば、なにも不平をこぼさないだろう。
 妻のことも私の気にはかからない。彼女はもうすでに健康を害してるし精神も弱ってる。やはり死ぬだろう。
 さもなければ狂人になるか。狂人は生きながらえるそうだ。しかし少なくとも、その精神はもう苦しまない。精神は眠って、死んだも同様である。
 けれども、私の娘、私の子、今もなお笑いたわむれ歌っていて、なんにも考えていない、あの憐れな小さなマリー、それが私の心を苦しめる。

       一〇

 私の幽閉監房はつぎのとおりである。
 八ピエ四方〔一ピエは約三十センチ〕。四方切石の壁で、そとの廊下から一段高くなってる敷石の床の上に、それが直角につっ立っている。
 外からはいると扉の右手に、奥まったところがあって、人をばかにした寝所となっている。そこにひとたばの藁《わら》が投げだしてある。囚人は夏も冬も、麻のズボンに粗織の上衣をつけたまま、そこで休息し眠るものとされている。
 頭の上には、空のかわりに、アーチ形といわれてる真暗な円天井があって、厚い蜘蛛《くも》の巣がぼろ布のようにぶらさがっている。
 それに、窓もなく、風窓もない。木材に鉄を張りつめた扉が一つあるきり。
 いや違っていた。扉のまんなかの上のほうに、九インチ四方ほどの穴がある。十字の鉄格子がついていて、夜は看守が閉めきってしまう。
 外には、かなり長い廊下がある。壁の上方の狭い風窓から空気もかよい明るみもさし、煉瓦《れんが》の仕切りで分かたれているが、まるい低い扉で通行ができる。それらの廊下部屋はそれぞれ、私がはいってるような監房の一種の控え室となっている。そしてそれらの監房には、典獄から懲戒に付せられた囚人が入れられる。最初の三つは死刑囚のものとされている。獄舎にいちばん近くて、獄吏にとってももっとも便利だからだ。
 それらの幽閉監房だけが、昔のビセートルの城の名残りであって、ジャンヌ・ダルクを火刑にしたあのウィンチェスターの枢機官が十五世紀に建てたままのものである。先日やって来た見物人らの話から私はそのことを聞きとった。彼らは檻《おり》の中の私を見に来て、動物園の獣のように私を遠くから見ていった。看守はそれで百スーもらった。
 言うのを忘れていたが、私の監房の扉には昼も夜も番人がついていて、その四角な穴のほうへ目をあげると必ず、いつも打ち開いて見すえているその二つの目にでっくわす。
 それでも、この石の箱の中に空気と昼の光とがあるものとされている。

       一一

 まだ明るくなっていないし、夜の間をどうしたものだろう。私はあることを考えついた。私は起きあがって、監房の四方の壁にあちこちランプをさしつけた。文字や絵やおかしな顔や名前などがいっぱい書いてあって、互いに入り組み消し合っている。各囚人がみな、少なくともここに、なんらかの跡を残そうとしたものらしい。鉛筆のも白墨のも炭のもあるし、黒や白や灰色の文字があるし、石の中に深く刻みこまれてるのが多く、血で書かれたかのような錆《さ》びてる字体もところどころにある。確かに私は、もしも自分の精神がもっと自由だったら、この監房の石の一つ一つの上に、自分の目の前に、一ページずつひろがってゆくそのふしぎな書物に対して、興味をもっただろう。そして私は好んで、板石の上に散らばってるそれらの断片的な思想を一つに組み合わせ、名前の下にそれぞれその男を見出し、細断されてるそれらの記銘に、手足を切り離されてる文句に、頭の欠けてる言葉に、それを書いた人々と同じく首のないその胴体に、意義と生命とを与えてやったことだろう。
 私の枕ほどの高さのところに、一本の矢に貫かれて燃え立ってる二つの心臓があって、「生涯の愛」とその上に書かれている。不幸なこの男は長い約束はしかねたと見える。
 その横には、三つの角のある帽子めいたものがあって、その上に小さな顔が無器用に描かれ、「皇帝万歳、一八二四年。」と書いてある。
 それからなお、燃え立った心臓がいくつもあって、監獄の中の特質たるこういう記銘がついている、「マティユー・ダンヴァンを愛し崇む、ジャック。」
 それと反対の壁には、「パパヴォアーヌ」という名前が見えている。その頭のPの大文字は、唐草模様《からくさもよう》の縁《ふち》どりがついて入念に飾られている。
 猥褻《わいせつ》な小唄の一連がある。
 石にかなり深く刻んである自由の帽子が一つあって、その下にこう書かれている、「ボリー。――共和。」それはラ・ロシェルの四人の下士の一人だった。憐れな青年だ。政治上のいわゆる必要事なるものはいかに忌《いま》わしいことか。一つの観念に対して、一つの夢想に対して、一つの抽象に対して、断頭台という恐ろしい現実をもってくる。しかも私でさえ、ほんとうの罪悪を犯し血を流したこのみじめな私でさえ、不平を訴えているのに!
 もうこれ以上壁面を探しまわるのをよそう。――壁の片隅に恐ろしい形のものが白く書かれてるのを、私は見てとった。今頃はおそらく私のために立てられてるはずの、あの死刑台の形だ。――あやうく私はランプを取り落としそうだった。

       一二

 私は急いで寝藁のところに戻って、頭を膝に垂れて座った。それから子供らしい恐怖の念は消え、異様な好奇心にまたとらえられて、壁面を読んでゆくことを続けた。
 パパヴォアーヌの名前の横で、壁の角に張られ埃で厚くなってるごく大きな蜘蛛《くも》の巣を、私は払いのけた。その蜘蛛の巣の下に、ただ一つの汚点をしか壁面にとどめていない多くの名前の中に、はっきり読みとれる四つ、五つの名前があった。「ドータン、一八一五年。――プーラン、一八一八年。――ジャン・マルタン、一八二一年。――カスタン、一八二三年。」私はそれらの名前を読んだ。そして痛ましい記憶が浮かんできた。ドータンは、兄弟を四つ切りにして、夜パリの中に出て行き、頭を貯水池に、胴体を下水道に投げ込んだ男だ。プーランは、自分の妻を謀殺した男だ。ジャン・マルタンは、年とった父が窓を開いてる時、それをピストルで狙撃した男だ。カスタンは医者で、友人に毒を飲ませ、自分が与えたその重病の手当てをしてやりながら、薬のかわりにまた毒をもった男だ。そしてその男どものかたわらには、子供たちの頭を刃物で打ち切って殺した恐ろしい狂人、パパヴォアーヌが控えている。
 そういうのが、と私は考えながら、熱っぽいおののきが背すじにのぼってきた、そういうのが私より前のこの監房の主だったのだ。ここで、今私がいるこの床石の上で、殺害と流血との男たる彼らが、その最後の考えを考えたのだ。この壁のそばで、この狭い四角な中で、彼らが最後に野獣のように歩きまわったのだ。彼らは短い間をおいてあいついでやって来た。この監房はあくことがないらしい。彼らが去った席はまだ温かい。そして私がその後に来たのだ。こんどは私が、あんなによく草のはえるクラマールの墓地に、彼らと一緒になりに行くことだろう。
 私は幻覚者でもなく迷信家でもないし、たぶんは右のような考えのために熱に浮かされたのであろうが、そういうふうに夢想してるうちに突然、それらの不吉な名前が黒い壁の上に火で書かれてるように思えた。耳鳴りが起こってしだいに高まってきた。赤茶けた光が目にいっぱい映った。それから、この監房が人でいっぱいになってるように見えた。異様な人々で、自分の頭を左手に持ち、しかも髪の毛がないので口をつかんで持っていた。昔は手を切られたはずの親殺し犯人以外は、みな私に拳固《げんこ》をさしつけていた。
 私は恐ろしさのあまり目を閉じた。するとなおはっきりすべてのことが見えてきた。
 夢にせよ、幻にせよ、現実にせよ、とにかく私はも少しで気が狂うところだった。が、ちょうど折よく、突然ある感じが私を覚ましてくれた。あおむけに倒れかかった時、ある冷たい腹と毛のはえた足とが自分の裸の足の上を通ってゆくのを感じた。それは私にじゃまされて逃げてゆく蜘蛛《くも》だった。
 そのために私は我にかえった。――おお恐ろしい亡霊ども!――いやそれは一つの煙であり、痙攣《けいれん》している空虚な私の頭脳の想像だった。マクベス式の幻だ! 死者は死んでいる、ことに彼らはそうだ。墳墓の中に入れられて錠をおろされてる。それは監獄とちがって脱走はできない。私があんなに恐怖を覚えたのはどうしたわけか。
 墓穴の扉は内部から開くことはできない。

       一三

 近ごろ、私はある忌《いま》わしいものを見た。
 まだ夜が明けるか明けないうちだったか、監獄じゅうがそうぞうしくなった。重い扉の開いたり閉じたりする音、鉄の閂《かんぬき》や海老錠《えびじょう》のきしる音、看守の帯にさがってる鍵束のがちゃつく音、階段の上から下まであわただしい足音、長い廊下の両端から互いに呼び合い答え合う声、などが聞こえた。私の近くの幽閉監房の者たち、懲戒囚たちは、平素よりいっそう陽気になっていた。ビセートルの監獄全体の者が、笑い歌い走り踊ってるようだった。
 私はただ一人、その喧騒の中に口をつぐみ、その騒動の中に身動きもせず、驚いて注意深く耳を澄ましていた。
 一人の看守が通りかかった。
 私は思いきって彼を呼び、監獄で祝いごとでもあるのかとたずねた。「お祝いといえばまあお祝いだ。」と彼は答えた。
「今日は、明日ツーロンの徒刑場へ行く囚人どもに鎖をつけるんだ。見せてやろうか、面白いぞ。」
 なるほど、いかに醜悪なものであろうとも何かを見るということは、孤独な幽閉者にとってはありがたいことだった。私はその娯楽を承諾した。
 看守は警戒のためにいつもするとおりの周到な処置をほどこして、それから私をまったくなんにも備えつけてない小さなあいている監房に連れていった。そこには鉄格子のはまっている窓が一つあったが、ひじがかけられるくらいの高さの本当の窓で、そこから真実の空が見られた。
「そら、」と看守は私に言った、「ここから、君は見たり聞いたりすることができる。王様のように室の中に一人きりだ。」
 それから彼は外に出て、錠前と海老錠と閂とで私を閉じこめた。
 窓はかなり広い四角な中庭に面していた。庭の四方には壁のように、切石づくりの大きな七階の建物がそびえていた。その四つの建物の正面ほど不体裁に露骨にみじめに見えるものはおそらくあるまい。鉄格子づきのたくさんの窓が穴をあけていて、その窓には下から上まで、無数の痩《や》せた青ざめた顔が、壁の石のように積みかさなって、いわば鉄格子の身にみなはめこまれたようにしてしっかりくっついていた。それは自分がやがて登場する番になるのを待ちながらまず見物人となっている囚人どもだった。地獄に面した煉獄の風窓にしがみついている受刑の魂みたいだった。
 彼らは皆、まだ何もない中庭を黙って眺めていた。待ってるのだった。そしてそれらの生気のない沈鬱な顔のあいだに、あちらこちら、鋭い強い目が一点の火のように光っていた。
 中庭を取り囲んでいる監獄の四角な建物は、すっかり閉じ合わさってはいない。四つの翼の一つは(東を向いてるのは)中ほどで切れていて、隣の翼と鉄柵で続いてるだけである。その鉄柵の向うに、こちらのより小さな第二の中庭があって、こちらと同じように黒ずんだ壁と切妻とで囲まれている。
 こちらの大きな中庭には、周囲にぐるりと、壁によりかかってる石の腰かけがあって、まんなかに、ランプをさげるためのまがった鉄の柱が立っている。
 十二時が鳴った。奥まったところにかくれてる大きな大門が突然開かれた。一台の荷車が、青い服と赤い肩章と黄色い負革とをつけてる汚い見苦しい一種の兵士らに護られて、鉄具の音をたてて重々しく中庭にはいってきた。それは徒刑の一群と鎖とであった。
 同時に、あたかもその音が監獄じゅうの音を呼びさましたかのように、その時まで黙ってじっとしていた窓の見物人らは、喜びの叫びや、唄の節や、脅かしの言葉や、呪いの声を、聞くもいたましい笑いとともに、一度にどっと挙《あ》げた。ちょうど悪魔の面を見るがようだった。どの顔にもみな渋面が浮かび、すべての拳《こぶし》が鉄格子から突き出され、すべての声がわめき、すべての目が燃えたった。いわばその灰の中からそれほどの火花がひらめきだすのを見て、私は恐ろしくなった。
 そのうちに監視らは平然と仕事を始めた。その中には、きれいな服装や恐怖の様子などで、パリからやってきた好奇な連中のまじってることが見てとられた。監視の一人は荷車に乗って、鎖と旅行首輪と麻ズボンのたばとを仲間に投げおろした。そこで彼らはそれぞれ仕事を分担した。ある者らは中庭の隅に行って、彼らの言葉で綱と言われる長い鎖を伸ばした。ある者らは敷石の上に、琥珀と言われるシャツとズボンとをひろげた。一方ではもっとも目の利く連中が、背の低いでっぷりした老人である監視長の見る前で、鉄の首枷《くびかせ》を一つ一つ検査し、つぎにそれを火花の出るほど敷石の上にたたきつけてためした。すべてそれらの仕事につれて、囚人らの嘲笑的な歓呼の声が起こり、ついでなお高く、それらの準備の当人たる徒刑囚らのそうぞうしい笑い声が起こった。徒刑囚らは小さいほうの中庭に面した古い監獄の窓に拘禁されてるのが見えていた。
 それらの用意が整ってしまうと、監察官殿と呼ばれてる銀のぬいとりをつけた男が、監獄の主事に命令をくだした。とすぐに、二、三の低い門が開いて、ぼろをつけた見苦しいわめきたてる男の群を、みなほとんど同時に、ひと息ごとに吐き出すように、中庭の中に送りだした。徒刑囚だった。
 彼らがやって来ると、窓の者らはますます喜びの声をはりあげた。徒刑囚のうちのある者など、徒刑場に名の響き渡ってる者などは、歓呼と喝采《かっさい》とを浴びせられて、それを一種のほこらかな謙遜《けんそん》さで迎えた。多くの者は監房の藁で手ずから編んだ帽子めいたものをかぶっていたが、通ってゆく町々でそれによって自分を目立たせようと、どれもみなへんてこな形をしていた。そういうのはなおいっそう喝采された。ことにある一人は熱烈な称賛を博した。それは娘のような顔をした十七歳の青年だった。八日前から接見禁止で禁錮されてる監房から出て来たのだった。彼は監房の藁たばで一つの服を作って、それを頭から足先まですっぽりとまとい、蛇のような軽快さでとんぼ返りをしながら中庭にはいってきた。窃盗のために処刑された道化役者だった。激しい拍手と歓喜の声とがおこった。徒刑囚らもそれに答えた。ほんものの徒刑囚と見習いの徒刑囚とのあいだのその喜悦の贈答は、恐るべき事柄だった。獄吏らとふるえている見物人らとで代表されてる社会がいくらそこに控えていても、罪悪は面と向かって社会を嘲笑し、その恐ろしい懲罰を内輪同士の祝いごととしていた。
 彼らはやってくるにしたがって、監視らの立ちならんでいるあいだを、鉄柵のついた小さなほうの中庭に押しやられた。そこには医者たちが彼らを診察するために待ち受けていた。囚人らは皆そこで、目が悪いとか足が不自由だとか手が不具だとか、なんらかの健康上の口実を述べたてて、移送を避けるために最後の努力を試みた。しかし皆たいていは徒刑場に適するものと認められた。すると彼らは各自こともなげにあきらめをつけて、いわゆる生涯の不具なるものをすぐに忘れてしまった。
 小さな中庭の鉄柵はまた開かれた、一人の獄吏がアルファベット順に点呼した。すると彼らは一人一人出てきて、大きなほうの中庭の隅に行き、名前の頭文字のままに与えられた仲間のそばに立ちならんだ。かくて彼らは各自に自分自身だけになされる。各自に自分の鎖を担い、未知の者と相並ぶ。偶然一人の友があっても、鎖のためにへだてられる。最後の悲惨事だ。
 約三十人ばかり出てきたとき、鉄柵はまた閉ざされた。一人の監視が棒で彼らに列を正させ、粗麻《あらあさ》の一枚のシャツと上衣とズボンとを一人一人の前に投げ出し、それから合図をした。一同は服を脱ぎはじめた。ところが、思いがけないことが時機をねらったようにおこって、その屈辱を呵責《かしゃく》に変えた。
 その時まで天気はかなりよくて、十月の北風のために空気はひえびえしてたとはいえ、またそのためにときどき空の灰色の靄《もや》があちこち吹き払われて、そこから日の光が落ちてきた。けれども、徒刑囚らが監獄の服をようやく脱ぎ終えて、裸のままそこにつっ立って、獄吏らの疑い深い検査に身をまかせ、まわりをうろついて肩の烙印《らくいん》を見ようとする無関係な人々の好奇な目つきに身をさらしたとき、空は暗くなり、その冷たい驟雨《しゅうう》がにわかにおこって、その四角な中庭のなかに、彼らの裸の頭の上に、裸の体の上に、地面にならべられているみじめな衣類の上に、滝のように降りそそいだ。
 またたくまに、監視と徒刑囚以外のものはみな中庭から逃げだした。パリから来た見物人らは門のひさしの下に身を避けた。
 雨はやはりさかんに降りつづいた。もう中庭に見えるのは、水にひたった敷石の上にびしょぬれになっている裸の徒刑囚らばかりだった。そのそうぞうしい饒舌《じょうぜつ》は陰鬱な沈黙にかわった。彼らはうち震えて歯の根も合わなかった。彼らの痩《や》せ細った脛《すね》は、ふしくれだった膝は、両方ぶつかりあった。そして彼らが血の気を失った手足に、そのぬれたシャツをひっかけ、その上衣をまとい、その水のしたたるズボンをつけるのは、見るも憐れなありさまだった。裸体のほうがまだましだろう。
 ただ一人、老人だったが、なお多少の快活さを見せていた。ぬれたシャツで体をふきながら、これは予定にはいってなかった、と叫んだ。それから天に拳《こぶし》をさしつけて笑いだした。
 彼らは旅の服をつけてしまうと、二、三十人ずつ一団をなして中庭の他の隅に連れていかれた。そこには地面に伸ばされてる綱がそれぞれ待ち受けていた。それは長いじょうぶな鎖で、二ピエおきに他の短い鎖がついていて、その先端に四角な首枷《くびかせ》が取りつけてある。首枷は一方の角にはめてあるちょうつがいで開き、反対の角で鉄のボルトで閉まるようになっていて、徒刑囚の首に移送のあいだじゅう鋲締《びょうじ》めされる。そういう綱が地面に広げられているところは、大きな魚の骨の形に似ている。
 徒刑囚らはぬれた敷石の上に泥のなかに座らせられた。首輪がためしてみられた。それから監獄の二人の鍛冶屋が、携帯用のかなとこを持ってきて、冷酷にもその首輪をかなづちで彼らに鋲締めした。もっとも豪胆な者でさえあおくなる恐ろしい瞬間だ。背にあてられてるかなとこに打ちおろされるかなづちの一撃一撃は、受刑人のあごをはね返させる。前から後ろへちょっとでも動こうものなら、頭蓋骨はくるみの殻のように打ち砕かれるだろう。
 その処置がすむと、彼らは陰鬱になってしまった。聞こえるのはもう鎖の震える音だけで、また間をおいて、強情な者の手足に監視が加える棒の純い音と、ある叫び声とだけだった。泣きだす者もあった。老人らは唇をかみしめて震えていた。鉄の枠のなかのそれらの凄惨《せいさん》な横顔を、私は恐怖の念で眺めた。
 かくて、医者の検査の後、獄吏の検査があり、獄吏の検査の後、鉄枷がつけられる。三幕の観物《みもの》である。
 日の光がまたさしてきた。そのために徒刑囚らの頭のなかには火が燃えだしたかのようだった。彼らは痙攣《けいれん》的な動作で一度に立ちあがった。五すじの綱は手で繋ぎ合わされて、突然ランプの柱のまわりに大きな円を作った。そして彼らはめまぐるしいほどにまわった。まわりながら徒刑場の唄を、隠語の情歌を、あるいは激しい快活な、あるいは悲しい節で歌った。間をおいては、金切声の叫びが、息をはずませたきれぎれの笑いが、ふしぎな唄の言葉にまじって聞こえた。それから猛り狂う歓呼の声がおこった。拍子をとってぶつかりあう鎖の音が、それより鈍い唄声に管弦楽の用をしていた。魔法使いの宴を想像するとすれば、ちょうどそれにふさわしいものだったろう。
 中庭に大きなバケツが持ってこられた。監視らは徒刑囚らを棒でなぐってその踊りをやめさせ、バケツのところへつれていった。バケツには湯気のたってる汚いなんとも知れぬ液体のなかになんとも知れぬ草みたいなものの浮いているのが見えていた。徒刑囚らは食事をした。
 食べてしまうと彼らは、残りのスープと黒いパンとを地面に投げすてて、また踊りと唄とをはじめた。鉄枷をつける日とその晩とは、それだけの自由が彼らに与えられているものと見える。
 私はその異様な光景を、ごく貪欲な痛烈な注意深い好奇心で見守っていたので、自分自身を忘れはてていた。強い憐れみの念に胸の底までかきむしられ、彼らの笑いに涙が出てきた。
 突然、深い夢想に沈みながらも私は、彼らのそうぞうしい輪舞がやんでひっそりとなったのを見た。すると、私がつかまってる窓のほうへそのすべての目が向いた。「死刑囚だ、死刑囚だ!」と彼らはみな私を指さしながら叫んだ。そして歓喜の声が一層さかんにどっとおこった。
 私は石のように固くなった。
 彼らがどこから私のことを聞きこんでいたのか、どうして私をそれだと見てとったのか、私にはわからない。
「こんにちは! こんにちは!」と彼らはその不逞《ふてい》な冷笑の調子で私に叫んだ。つやつやした鉛色の顔をした終身徒刑囚の一人の若者は、うらやましいふうで私を眺めながら言った。「あいつしあわせだな、刈られちまうんだから。さようなら、お仲間!」
 私の内心にどういうことがおこったかはとても言いえない。まったく私は彼らの仲間だった。グレーヴ死刑場はツーロン徒刑場の兄弟だ。私は彼らよりも下位にさえ置かれていた。私にとって彼らは光栄ある仲間だった。私はふるえあがった。
 そうだ、私は彼らの仲間だ。そして数日後には、この私もまた彼らの観物となることだろう。
 私は身動きする力もうせて窓のところにじっとしていた。けれども、その五すじの綱が進んできて、けがらわしくもなれなれしい言葉をかけながら私のほうへ近づいてきたとき、そして彼らの鎖や叫びや歩行のそうぞうしい音を、壁の根もとに聞いたとき、私はその悪魔の群が私のみじめな監房をのっとろうとしているように思えた。私は叫び声をたて、打ち破るようないきおいで扉にとびかかった。しかし逃げだすすべもなかった。外部から閂がかけられていた。私は扉を打ちたたき、夢中になって呼びたてた。それから徒刑囚らの恐ろしい声がなお身近に聞こえるような気がした。彼らの醜悪な顔がもう窓の縁にのぞきだしているように思えた。私は再度苦悶の叫び声をたてて、気を失って倒れた。

       一四

 私が我にかえったときは、もう夜だった。私は粗末な寝台に寝かされていた。天井にゆらめいてるランプの光で、私の両側にも他の粗末な寝台のならんでるのが見られた。私は病室に移されてるのだということがわかった。
 私はしばらくのあいだ目を覚ましていたが、何の考えもなく何の思い出もなく、ただ寝台に寝てるという幸福にひたりきっていた。たしかに、他の時だったら、この監獄の病室の寝台に対して私は不快さとなさけなさのため、たじろいだろう。しかし私はもう以前と同じ人間ではなかった。おおい布は灰色で手ざわりが粗く、毛布は貧弱で穴があいており、ふとん越しに下の藁ぶとんが感じられはしたが、それでも、そのひどいおおい布のあいだに、私の手足は自由にくつろぐことができ、どんなに薄かろうとその毛布の下に、私がいつも覚えるあの骨の髄の恐ろしい寒さはしだいに消えてゆくのが感じられた。――私はまた眠った。
 ひどい物音に私はまた目を覚ました。夜が明けかかっていた。物音は外から聞こえていた。私の寝台は窓のそばにあった。私は体をおこして、なにごとかと眺めた。
 窓はビセートルの大きい中庭に面していた。その中庭は人でいっぱいだった。二列に立ちならんでいる老兵らが、その人ごみのまんなかに、中庭を横ぎって、狭い通路をかろうじてあけていた。その兵士の二重の列のあいだに、人を積んだ長い荷馬車が五つ、敷石の一つ一つに揺らめきながら徐々に進んでいた。徒刑囚らが出かけるのだった。
 それらの荷馬車には何の覆いもなかった。一連の徒刑囚がそれぞれ一台に乗っていた。彼らは馬車の両側に横向きに腰かけ、互いに背中合わせになり、その間に共同の鎖が置かれていた。鎖は馬車の長さだけに伸び、その先端に一人の監視が、装填《そうてん》した銃を持って徒歩で控えていた。徒刑囚らの鉄具の音が聞こえ、また馬車の動揺ごとに、彼らの頭がとびあがり彼らの足がふらつくのが見えた。
 こまかなしみ通るような雨のために、空気は冷えきっていた。そして彼らの膝に、麻のズボンは灰色のが黒くなってこびりついていた。彼らの長いひげや短い髪には、雨水がしたたっていた。彼らの顔は紫色になっていた。彼らがうち震えて憤激と寒さとに歯ぎしりしているのが、見てとられた。そのうえ、彼らは身を動かすこともできなかった。その鎖に一度鋲締めされると、一人の者のように動く綱という醜悪な全体の一部分にすぎなくなる。知能も身を退かなければならない。徒刑場の首枷は人の知能を死刑に処する。そして動物的な半面でさえも、一定の時にしか尿意や食欲を起こしてはいけなくなる。そういうふうに彼らは身動きもできず、多くはなかば裸で帽子もかぶらず足をぶらさげて、二十五日間の旅にのぼるのだった。同じ荷馬車に積まれ、七月の太陽の直射にも十一月の冷たい雨にも、同じ服を着せられるのだ。人はその体刑執行の仕事になかば天候の力をかりたがってるかのようである。
 群集と馬車の男たちとの間に、なんともいえぬ恐ろしい対話が始められていた。一方から侮辱的な言葉、他方から挑戦的な言葉、そして両方に呪いの言葉がまじった。しかし指揮官の一つの合図で、見てるまに棒の打撃が、肩といわず頭といわず手当りしだいに馬車のなかに降りそそいだ。そしてすべては秩序[#「秩序」に傍点]といわれる外的の一種の平静さにかえった。しかし彼らの目は復讐の色に満ち、彼らの拳《こぶし》は膝の上に震えていた。
 五台の荷馬車は、騎馬の憲兵と徒歩の監視とに護られて、ビセートルの高い円門の下にあいついで見えなくなった。六台めの馬車が後に続いて、そのなかには、釜や銅の鉢や予備の鎖などがごたごた揺れていた。酒保にぐずついてた数人の監視は、列に加わるために駈け出していった。群集は四散した。その光景は幻のように消え失せた。フォンテーヌブローの敷石道に響く車輪や馬足の重々しい音、鞭の鳴る音、鎖のかち合う音、徒刑囚らの旅を呪う群集のわめき声、それらもしだいに空中に弱まっていった。
 しかしそれは彼らにとってはまだ初めにすぎないのだ。
 かの弁護士はいったい私に何ということを言ったのか。終身徒刑! ああそうだ、いっそ死刑のほうがましだ。徒刑場よりもむしろ死刑台のほうが、地獄よりもむしろ虚無のほうが、徒刑囚の首枷へよりもむしろギヨタン氏の刃《やいば》へこの首をわたしたほうが! 徒刑とは、おお!

       一五

 不幸にして私は病気ではなかった。翌日は病室から出なければならなかった。幽閉監房がまた私を囚《とら》えた。
 病気でないというのか! 実際私は若くて健康で丈夫である。血は自由に私の血管を流れ、四肢は私の気ままになる。体も精神も頑健で、長命にできている。そうだ、それは本当だ。しかしそれでも、私は一つの病気を、致命的な病気を、人間の手で作られた病気をもっている。
 病室を出てしまってから、一つの痛切な考えが、気が狂うほどの考えが私に浮かんだ。もし病室に残っていたらあるいは脱走することができたろうという考えである。あの医者たちは、あの修道女の看護婦たちは、私に同情してるように見えた。こんなに若くてこんな死にかたをする! 彼らは私を不憫《ふびん》に思ってくれてるようだった。それほど彼らは私の枕頭で親切をつくしてくれた。なに、好奇心からだ。それにまた、病いをなおすそれらの人々は、発熱を回復させることはできるが、死の宣告を回復させることはできない。とはいえ、それは彼らにいとたやすいことだったろう。戸を一つ開くだけだ。それが彼らにとって何であろう。
 今はもう何の機会もない。破毀院は私の上告を却下するだろう、万事が規定どおりになされているから。証人らは立派に証言したし、弁論人らは立派に弁論したし、判事らは立派に裁判した。私は物の数にはいらない。ただせめて……。いや。ばかげたことだ。もう望みはない。上告などというものは、深淵の上に人をぶらさげるひとすじの縄であって、切れるまでは絶えずみりみりいう音が聞こえる。あたかも断頭台の刃が落ちるのに六週間かかるかのようである。
 もし赦免を得たら? ――いや、赦免を、いったい誰から、何のわけで、どうして? 私が赦免されるようなことがあるものか。彼らが言うとおりに、私は実例なのだ!
 私はもう三度足をはこぶだけのことだ。ビセートルの監獄、コンシエルジュリーの監獄、グレーヴの刑場。

       一六

 病室でわずかな時間をすごしたとき、私は窓のそばに座って、日の光に――日の光がまた射してきたのだった――あたっていたことがある。あるいは少なくとも、窓の鉄格子がもらしてくれる日光を受けていたことがある。
 私はそこで、重い燃えるような頭を、支えかねる両手でかろうじて支え、両|肱《ひじ》を膝につき、両足先を椅子の桟《さん》にかけていた。というのも、喪心の極、四肢には骨がなくなり肉には筋肉がなくなったかのように、かがみこみ折れまがってしまったのだ。
 私は監獄のよどんだ臭いにいつもよりひどく息苦しさを覚え、耳にはなお徒刑囚らの鎖の音が残っており、ビセートル全体の大きなものうさを感じていた。そしてもし善良な神があったら、私を憐れんでくれて、せめて一羽の小鳥でも私に送って、そこで、正面のところで、屋根のへりで、さえずらせてくれるはずだが、というように思われた。
 その私の願いをききとどけてくれたのは、はたして善良な神だか悪魔だかわからないが、ほとんどその時すぐに、窓の下に、一つの声がおこってくるのが聞こえた。小鳥の声ではなかったが、もっとよいもので、十五、六歳の小娘の清い爽やかな柔かな声だった。私は飛びたつように頭をあげて、彼女が歌ってる唄にむさぼるように耳をすませた。それはゆるやかな弱々しい節《ふし》で、悲しい哀れっぽい一種のさえずりで、文句はつぎのとおりだった。――〔次の唄の言葉は隠語交りであるが、そのまま日本の隠語交りに翻訳することは至難であるから、だいたい普通の言葉に訳出する。しかし隠語交りの唄であることを頭において読んでいただきたい。〕

マイユ街にて
俺は捕えられた、
    マリュレ、
三人の憲兵に、
  リルロンファ・マリュレット、
おっ伏せられた、
  リルロンファ・マリュレ。

 私の失望がどんなに苦々しいものであったか、言葉にはつくされない。歌声はなおつづいた。

おっ伏せられた、
    マリュレ。
手錠もらった、
  リルロンファ・マリュレット。
刑事がやってきた、
  リルロンファ・マリュレ。
途中で出会った、
  リルロンファ・マリュレット、
町内のどろぼう、
  リルロンファ・マリュレ。

町内のどろぼう、
    マリュレ。
――行って女房に言っとくれ、
  リルロンファ・マリュレット、
俺は上げられちまったと、
  リルロンファ・マリュレ。
女房は腹立ち、
  リルロンファ・マリュレット。
俺に言う、何をしたんだ?
  リルロンファ・マリュレ。

俺に言う、何をしたんだ?
    マリュレ。
――俺はばらした、一人の野郎を、
  リルロンファ・マリュレット、
剥《は》いでやった、そいつの金を、
  リルロンファ・マリュレ。
そいつの金と時計とを、
  リルロンファ・マリュレット、
それから靴の留金を、
  リルロンファ・マリュレ。

それから靴の留金を、
    マリュレ。――
女房は出かける、ヴェルサイユ、
  リルロンファ・マリュレット、
国王陛下の足もとに、
  リルロンファ・マリュレ。
請願一つたてまつる、
  リルロンファ・マリュレット、
俺を放免してもらおうと、
  リルロンファ・マリュレ。

俺を放免してもらおうと、
    マリュレ。
――ああそれで放免されたなら、
  リルロンファ・マリュレット、
女房を飾ってやろうもの、
  リルロンファ・マリュレ。
つけさせようよ、蝶々リボン、
  リルロンファ・マリュレット、
靴には革のほこりよけ、
  リルロンファ・マリュレ。

靴には革のほこりよけ、
    マリュレ。
けれども王様いらだって、
  リルロンファ・マリュレット、
言うことに――どうでもこうでも、
  リルロンファ・マリュレ、
彼女をひとつ踊らせなくては、
  リルロンファ・マリュレット、
床なしの宙ぶらりんで、
  リルロンファ・マリュレ。――

 唄はそれから先は聞こえなかった。聞こえても私は聞くにたえなかったろう。その恐ろしい哀歌のなかばわからない意味、盗賊と警官とのその争闘、盗賊が途中で出会って女房のところへ差し立てるその盗人、俺は一人の男を殺害して捕縛された――樫の木に汗を流さしてくらいこんだ、というその恐るべき使命、請願をもってヴェルサイユの宮殿へ駆けてゆくその女房、床なしの宙踊りをさせるぞと罪人を威嚇《いかく》するその憤った陛下……しかもそれらのことが、およそ人の聞きうるもっともやさしい調子ともっともやさしい声とで歌われたのである。私は胸をえぐられ凍《こご》えあがり参らされてしまった。それらの恐ろしい言葉が小娘のまっかな鮮やかな口から出てくるというのは、たえがたいことだった。ばらの花になめくじの粘液がついているようなものだった。
 私がどういう気持を覚えたかを書き表わすことはできそうもない。私は傷つけられるとともに慰撫された。賊の巣窟と徒刑場との方言、血まみれの奇怪なその言葉、子供の声と女の声との微妙な中間にある若い娘の声に合わさっている、その醜悪な隠語、うたわれ調子をとられ真珠をちりばめられている、すべてそれらの奇形な不恰好な言葉よ!
 ああ、いかに監獄というものはけがらわしいものであることか。そこにはあらゆるものを汚す一つの毒液がある。すべてが、十五歳の娘の唄でさえも、そこでは色あせてしまう。そこで小鳥を一羽見つければ、翼に泥がついている。そこできれいな花を一つ摘んで嗅げば、くさい臭いがする。

       一七

 おお、もし脱出したら、どんなにか私は野原をつっきって駆けてゆくことだろう!
 いや、駆けてはいけないだろう。駆ければ人の目について疑われる。駆けないで、頭をあげ唄をうたいながらゆっくり歩くことだ。赤い模様のある青いうわっぱりの古いのを手に入れることだ。それを着ればなかなかわからない。この付近の野菜作りたちはみなそれをつけている。
 アルクイユの近くに、一群の木立が沼のそばにあるのを私は知っている。中学のとき友人たちと一緒に木曜日にはいつもそこへ蛙を取りに行ったものだ。そこに私は晩まで隠れよう。
 夜になってまた、歩きだそう。ヴァンセンヌへ行こう。いや、川でじゃまされるかもしれない。アルパジョンへ行こう。――サン・ジェルマンのほうへ向かったほうがいいかもしれない。そしてル・アーヴルへ行き、イギリス行の船に乗りこむ。――そんなことはとにかく、ロンジュモーを通る。憲兵が通りかかる。旅行券を調べられる……。おしまいだ。
 ああ、不幸な夢想者よ、汝《なんじ》を閉じこめている三ピエの厚みの壁をまず破って出てみるがいい。死だ、死があるばかりだ!
 まだ子供のおり、ここに、このビセートルに、大きな井戸と狂人たちとを見にきたときのことを、考えてもみると、ああ!

       一八

 こんなことを書いている間に、ランプの光は淡くなって、もう夜が明けた。礼拝堂の大時計が六時を打った。――
 どういうわけだろう、係りの看守が私の監房のなかにはいってきて、帽子をぬぎ、会釈《えしゃく》をし、邪魔するいいわけをして、荒々しい声をできるだけやわらげながらたずねた、朝食になにか食べたいものはないかと……。
 私は戦慄を覚えた。――今日なんだろうか?

       一九

 今日なんだ!
 典獄も自分で私を訪れてきた。私の意にかなうためになることをしてやりたいが何かないかとたずね、彼やその部下の者たちをうらむことのないようにと希望する旨を述べ、私の健康のことや前夜をどういうふうにすごしたかということを、興味深く聞きただした、そして別れぎわに、私をきみ[#「きみ」に傍点]と呼んだ。
 今日なんだ!

       二〇

 あの獄吏は、私が彼やその部下の者らをうらむべきところはないと思っている。道理なことだ。うらみに思えば私のほうが悪いだろう。彼らはその職務をつくした。私を立派に保護した。そのうえ、私が到着の時と出発の時にはていねいだった。私は満足すべきではないか。
 この善良な獄吏は、そのほどよい微笑と、やさしい言葉と、慰撫しかつ探索する目と、太い大きな手とをもってして、まったく監獄の化身であり、ビセートルが人間化したものである。私の周囲はすべて監獄である。あらゆる物の形に監獄がひそんでいる、人間の形にも、鉄門や閂の形にも。この壁は石の監獄であり、この扉は木の監獄であり、あの看守らは肉と骨との監獄である。監獄は一種の恐ろしい完全な不可分な生物であって、なかば建物でありなかば人間である。私はそれの虜《とりこ》となっている。それは私を翼でおおい、あらゆる襞《ひだ》で抱きしめる。その花崗岩《かこうがん》の壁に私を閉じこめ、その鉄の錠の下に私を幽閉し、その看守の目で私を監視する。
 ああみじめにも、私はどうなるのであろう? どうされるのであろう?

       二一

 今はもう私は平静である。万事終った、すっかり終った。典獄が訪れてきたため恐ろしい不安におちいったが、もうそれからも出てしまった。うちあけて言えば、前には私はまだ希望をいだいていた。――今や、ありがたいことには、もう何の希望もなくなった。
 次のようなことがおこったのである。
 六時半が鳴ってる時に――いや、六時十五分だった――私の監房の扉はまた開かれた。褐色のフロックを着た白髪の老人がはいってきた。老人はフロックの前をすこし開いた。法衣と胸飾りとを私は見てとった。老人は司祭だった。
 その司祭は監獄の教誨師《きょうかいし》ではなかった。不吉なことだった。
 彼は好意ある微笑をうかべて私と向かいあって座った。それから頭を振って、目を天のほうへ、すなわち監房の天井のほうへあげた。私はその意を悟った。
「用意はしていますか。」と彼は私に言った。
 私は弱い声で答えた。
「用意はしていませんが、覚悟はしています。」
 それでも、私の視線は乱れ、冷たい汗が一度に全身から流れ、こめかみのあたりが脹《ふく》れあがる気がし、ひどい耳鳴りがした。
 私が眠ったように椅子の上にぐらついているあいだ、善良な老人は口をきいていた。少なくとも口をきいてるように私には思えた。その唇がふるえその手が動きその目が光ってるのを、私は見たように覚えている。
 扉は再度開かれた。その閂の音で、私はぼうぜんとしていたのから我にかえり、老人は話をやめた。黒い服をつけた相当な人が、典獄を従えてやってきて、私にていねいに会釈をした。その顔は、葬儀係りの役人めいたある公式の悲哀を帯びていた。彼は手に一巻の紙を持っていた。
「私は、」と彼は慇懃《いんぎん》な微笑をうかべて私に言った、「パリ法廷づきの執達吏です。検事長殿からの通牒を持って来ました。」
 最初の惑乱はもう過ぎ去っていた。私はすっかりもとの沈着にかえっていた。
「検事長がそんなに私の首をほしがったのですか。」と私は答えた。「通牒を書いてくれたのは、私にとって光栄の至りです。私の死が彼に大きな喜びをもたらさんことを希望します。彼があれほど熱心に要求してる私の死が、じつは彼にとってどうでもよいことだなどとは、どうにも考えられませんからね。」
 私はすっかりそう言って、それからしっかりした声でつづけた。
「読んでください。」
 彼はその長い主文を、各言葉のまんなかではためらうように、各行の終りではうたうようにして、私に読んできかした。それは私の上告の却下だった。
「判決は今日グレーヴの広場で執行されることになっています。」と彼は読み終えた時まだその公文書から目をあげないで言い添えた。「正七時半にコンシエルジュリーへ出かけるのです。私と一緒に来ていただけますか。」
 すこし前から私はもう彼の言葉に耳をかしていなかった。典獄は司祭と話をしていた。執達吏はその公文書の上に目をすえていた。私は扉のほうを眺めていた。扉は半開きのままになっていた……。ああ、あさましくも、廊下には四人の銃卒が!
 執達吏はこんどは私のほうを見ながらその問いをくりかえした。
「ええ、いつでも。」と私は答えた。「ご都合しだいで。」
 彼は私に会釈しながら言った。
「三十分ほど後に、迎えにまいりましょう。」
 そこで彼らは私ひとり残して出ていった。
 逃げる方法が、ああ、なんらかの方法がないものか。私は脱走しなければならない。ぜひとも、直ちに、扉や、窓や、屋根を越して、たといそれらの構桁《こうげた》に自分の肉を残そうとも!
 おお、畜生、悪魔、呪われてあれ! この壁を破ることは立派な道具でしても数か月はかかるだろう。しかるに私には一本のくぎもない、一時間の余裕もない。

       二二

                      コンシエルジュリーにて
 調書のいうところにしたがえば、私はここに移送された。
 しかしその旅のことは語るだけの値打ちがある。
 七時半が鳴った時、執達吏はまた私の監房の入口に現われた。彼は私に言った。「迎えに来ました。」ああ、彼だけではなく、他の人々も!
 私は立ちあがった。一歩進んだ。が二歩とは進めないような気がした。それほど頭が重く足がよわっていた。それでも私は気をとりなおして、かなりしっかりと歩いていった。外に出る前に、監房のなかを最後にちょっと見まわした。――私はそれを、自分の幽閉監房を好きだった。――それから、私はそれを空虚な打ち開いたままに残して外に出た。そのため監房は妙なありさまに見えた。
 けれども、監房は長くそのままではないだろう。鍵番らの言うところによれば、だれかが、ちょうどいまごろ重罪裁判廷でこしらえられている一人の死刑囚が、晩にはやってくるはずになっている。
 廊下のまがりかどで、教誨師が私に加わった。彼は食事をしてきたのだった。
 獄舎を出ると、典獄は懇切に私の手を握りしめ、それから私の護衛に四人の老兵を加えた。
 病室の前を通る時、死にかけてる一人の老人が私に叫んだ。「また逢おうよ。」
 私たちは中庭に出た。私は息をついた。それでいくらか楽になった。
 長くは戸外を歩かなかった。駅次馬に引かれた馬車が第一の中庭にとまっていた。私をはじめ連れてきたあの馬車である。細長い一種の二輪馬車で、編まれてるのかと思われるほど目のこまかい針金の格子が横に通って、二つの部分に分かたれている。その二つの部分にはそれぞれ、馬車の前方と後方とに一つの扉がついている。全体がいかにも汚く黒く埃っぽくて、貧乏人の葬式馬車もそれにくらべれば成聖式の幌馬車ほどになる。
 その二輪車の墓のなかにはいりこむ前に、私は中庭に一瞥《いちべつ》を、壁をも突き崩すほどの絶望の一瞥を投げた。中庭は樹木の植えてある小さな広場みたいなものだったが、徒刑囚らの時よりもなおいっそう見物人でいっぱいだった。いまからもう人だかりだ!
 鎖に繋がれた者たちが出発した日と同じに、季節の雨が、こまかな冷たい雨が、降っていた。これを書いている今もなおその雨が降っている。おそらく今日じゅうは降るだろう。私の生命よりも長く降りつづくことだろう。
 道は壊れていたし、中庭は泥と水とでいっぱいだった。その群集をその泥のなかに見るのが私にはうれしかった。
 私たちは馬車に乗った、執達吏と一人の憲兵とは前部の室に、司祭と私と一人の憲兵とは後部の室に。騎馬の憲兵が四人馬車のまわりにしたがった。かくて、御者を別にして、一人に八人の者がついてるわけである。
 私が馬車に乗ってる時、灰色の目をした老年の女が言った。「私は鎖よりあのほうが好きさ。」
 それは私にも合点できる。この観物《みもの》のほうが一目でたやすく見てとられるし、早く見られる。同じほどすてきでいっそう簡便だ。何も気を散らさせるものはない。一人の者しかいないし、その一人の者に、徒刑囚ら全部をひとまとめにしたほどのみじめさがある。ただひろがりが少ないだけだ。それは濃くした酒で味がいっそうよい。
 馬車は動きだした。大きな門の穹窿《きゅうりゅう》の下を通る時重々しい音をたて、それから並木道に出た。ビセートルの重い門扉は馬車の後ろにまた閉ざされた。私はただぼうぜんとして自分が運び去られるのを感じた。昏睡状態におちいっている者が、動くことも叫ぶこともできずに、墓穴に埋められる音をただ聞いてるがようなものだった。私はぼんやり聞いていた、駅次馬の首にさがってる鈴のたばが拍子をとってしゃっくりをするように鳴るのを、鉄輪の車輪が敷石の上に音をたてたり轍《わだち》を変えて車体にぶつかったりするのを、馬車のまわりに憲兵らが馬を駆けさせる響きを、御者の鞭が鳴るのを。そしてすべてそれらのものは、自分を運び去る旋風のように私には思えた。
 正面にあけられているのぞき穴の金網ごしに私は、ビセートルの大きな門の上に大字で刻まれてる銘に、機械的に目をすえていた。養老院[#「養老院」に傍点]としてあった。
「おや、」と私は考えた、「あすこで年をとる者があると見える。」
 そして夢うつつの間でするように、私はそのことを苦悩で麻痺《まひ》した頭のなかであらゆる意味に考えまわしてみた。と突然、馬車は並木道から街道へ出て、のぞき穴の視点を変えた。ノートル・ダームの塔が、パリの靄《もや》の中になかば隠れて青い姿で、そこにはめこまれた。とすぐに私の精神の視点も変わった。私は馬車と同じく機械的になっていた。ビセートルの観念のつぎにノートル・ダームの塔の観念が現われた。――あの旗の立ってる塔に登ったらよく見えることだろう。と私は呆《ほう》けた微笑をうかべながら考えた。
 ちょうどその時だったと思うが、司祭はまた私に口をききはじめた。私は気長に彼をしゃべらせておいた。私の耳にはもう、車輪や駆ける馬や御者の鞭などの音がいっぱいになっていた。それにもう一つ音が加わったわけである。
 その単調な言葉が落ちかかってくるのに私はだまって耳をかしていた。それは泉の囁《ささや》きのように私の考えを眠らせ、街道のまがりくねった楡《にれ》の木のように、どれも異なってはいるがどれも同じようで、私の前を通りすぎていった。その時、前部に乗ってる執達吏の短い荒い声が、突然響いて私をはっとさせた。
「ねえ、司祭さん、」と彼はほとんど快活な音調で言っていた、「なにか変わったことはありませんか。」
 彼がふりむいてそう話しかけてるのは司祭へだった。
 教誨師はたえまなく私に口をきいていたし、馬車の響きに耳をふさがれていたので、返事をしなかった。
「いやはや、」と執達吏は車輪の音にうち勝つため声を高めて言った、「地獄のような馬車だ。」
 地獄の! 実際そうである。
 彼は言いつづけた。
「まったく、がたがたの混沌界《こんとんかい》だ。言葉も通じやしない。何のことを言ってたのかしら。司祭さん、何のことでしたかね。――ああそう、あなたはパリの大事件を知っていますか、今日の……」
 私は自分のことを話されているかのようにぞっとした。
「いいえ。」と司祭はついに聞きとって言った。「けさ新聞を読むひまがなかったものですから。晩に見てみましょう。私はこんなに一日じゅうふさがってるときには、新聞を取っておくように門番にたのんでおいて、家に帰ってからそれを読むことにしています。」
「へえー、」と執達吏は言った、「よくも知らないでいたもんですね。パリの大事件ですよ、けさの事件ですよ。」
 私は口を開いた。
「私は知ってるつもりです。」
 執達吏は私を眺めた。
「あなたが、そうですか。では、あなたの意見は?」
「好奇ですね。」と私は言った。
「なぜです?」と執達吏は答え返した。「誰でも政治上の意見を持っているものです。私はあなたを尊敬するから、あなたが政治上の意見を持たないとは思いません。私としては、国民軍の復興にまったく賛成です。私はもと中隊の軍曹でした。そしてどうも、それはいいものでしたよ。」
 私は彼の言葉をさえぎった。
「さきほどの話は、そのことではなかったはずです。」
「では何のことですか。あなたが知ってる事件というのは……」
「私が言ったのはもうひとつの事件です。そのことでも今日パリじゅうが騒いでいます。」
 愚かな彼は会得しなかった。ひどく好奇心をおこした。
「もうひとつの事件ですって? どこでいったいあなたはそういろいろ知ったんですか。何ですか、ほんとに。司祭さんあなたは知っていますか。私よりくわしいんですか。聞かしてください、どうか。どういうことですか。――まったく、私は新しい話が好きです。それを裁判長殿に話してきかせるんです。すると、面白がりますよ。」
 そして彼はやたらに言葉を費やした。司祭と私のほうへかわるがわるふりむいた。私はただ肩をそびやかすだけで返事をしなかった。
「ねえ、何をいったい考えてるんですか。」と彼は私に言った。
「もう今晩は考えなくなるだろうということを考えています。」と私は答えた。
「ああ、そのことですか。」と彼は答え返した。「どうも、あなたはあまり沈んでいますね。カスタン氏は話をしていましたよ。」
 それから、ちょっと口をつぐんだ後彼はまた言った。
「私はパパヴォアーヌ氏をも同道しました。パパヴォアーヌ氏はかわうその皮の帽子をかぶって、葉巻をくゆらしていました。ラ・ロシェルの若い人たちのほうは、仲間同士にしか口をききませんでした。でもとにかく口をきいていましたよ。」
 彼はまたちょっと間をおいて、それから言いつづけた。
「あの人たちは狂人ですね、熱狂家ですね。世間じゅうの者をみな軽蔑してるようなふうでしたよ。あなたのほうはどうかっていえば、まったく考えこんでいますね、若いのに。」
「若い!」と私は彼に言った。「あなたよりも年とっています。四半時間ほどたつごとに一年ほど年をとるんですから。」
 彼はふりむいて、愚かな驚きのふうでしばらく私を眺めた。それから重々しい冷笑の調子をとった。
「御冗談でしょう、私より年とってるなんて! 私はあなたのおじいさんともいえるほどですがね。」
「私は冗談を言ってるんじゃありません。」とまじめに私は答えた。
 彼は嗅ぎたばこ入れを開いた。
「ねえ気を悪くしちゃいけませんよ。まあ一服なすって、私を悪く思わないでください。」
「お気づかいにはおよびません。悪く思おうとしても、もう長いことではないでしょうから。」
 その時、彼が私にさし出してるたばこ入れは間をへだてている金網にあたった。それも、馬車の動揺のためにかなり激しくぶつかって、開いたまま憲兵の足の下に落ちた。
「金網のやつめ!」と執達吏は叫んだ。
 彼は私のほうへ向いた。
「これはどうも、困りました。たばこをすっかりなくして!」
「あなたよりもっと多くのものを私はなくしています。」とほほえみながら私は答えた。
 彼はたばこを拾おうとしながら口のなかでつぶやいた。
「私よりもっと多くのものだって! 言うだけなら容易《やす》いさ。パリまでたばこなしとは、ひどいことだ。」
 その時教誨師は彼に少しなぐさめの言葉をかけた。私は他に気を向けてたかもしれないが、とにかくそれは私には、私がはじめ受けてた説教のつづきのように思われた。そして少しずつ、司祭と執達吏とのあいだに会話がはじまっていった。私は彼らのほうを話すままにさしておいて、自分のほうでは考えはじめた。
 市門に近づいてゆくと、やはり私は他に気を奪われたにはちがいないが、パリが平素よりもそうぞうしいように思えた。
 馬車はちょっと入市税関所の前にとまった。市の税関吏が馬車を検査した。もし羊か牛かを屠殺所に運ぶのだったら、彼らに金袋を一つ投げ出さなければならないだろう。しかし人間の首は当然何も払わなくてよい。私たちは通りすぎた。
 大通りを越すと、サン・マルソー大通りやシテ島の古いまがりくねった街路に、馬車はまっしぐらに駆けこんでいった。蟻《あり》の巣の無数の穴のようにうねりうねって互いに交差してる、それらの狭い街路の敷石の上に、馬車はいかにも音高く速やかに進んでいったので、外部の物音はもうすこしも私の耳にはいらなかった。しかし四角な小さなのぞき窓からちらと見ると、通りがかりの人波が立ちどまって馬車を眺めてるように思われるし、子供の群れが馬車の後をつけて走ってくるように思われた。またときどき、四つ辻のあちらこちらで、ぼろをまとった男や老婆が、時とすると二人そろって、印刷した紙の一たばを手に持って、大声で叫んでるらしく口を開き、その紙を通行人が奪い合ってるのが、見てとられるようにも思われた。
 パレ・ド・ジュスティスの大時計が八時半を打ってる時に、私たちはコンシエルジュリーの中庭に着いた。その大きな階段、その黒い礼拝堂、その多くの不気味なくぐり戸などを見て私はちぢみあがった。馬車がとまった時には、自分の心臓の鼓動もとまりかかってるような気がした。
 私は力をふるいおこした。馬車の扉は電光のような速さで開かれた。私はその移動監房からとびおりた。そして二列の兵士らのあいだを穹窿《きゅうりゅう》の下へ、大股にはいりこんでいった。私の通り路にはすでに人だかりがしていた。

       二三

 パレ・ド・ジュスティスの公共回廊を歩いてるうちは、私はほとんど自由な気楽な心地だった。しかしやがて私の決意はくじけてしまった。低い扉や、秘密の階段や、内部の通路や、奥よりこもった長い廊下などが、私の前に開かれた。処刑する者と処刑される者しかはいらない場所である。
 執達吏はやはり私についてきていた。司祭は私から離れて、二時間ほどしたらまたやってくることになっていた。彼は自分の用があるのだった。
 私は典獄の室に導かれて、執達吏から典獄の手にわたされた。それは一つの交換だった。典獄は執達吏にちょっと待ってくれるようにたのんで、引き渡すべき獲物が来るはずだから、それをすぐに帰りの馬車でビセートルへ連れていってもらいたいと言った。きっと今日の死刑囚で、すり切らすだけの時日が私にはなかったあの藁たばの上に今晩寝るはずの、その男のことにちがいない。
「承知しました。」と執達吏は典獄に言った。「しばらく待ちましょう。ごいっしょに二つの調書をこしらえるとしましょう。うまくいくでしょう。」
 そのあいだ、私は典獄の室のつぎの小さな室に入れられた。そこに厳重に閉めこまれて一人きりにされた。
 私は何のことを考えていたか、またどれくらいそこにいたか、自分でもわからないが、ふいに、激しい笑い声が耳に響いて、夢想からさめた。
 私はぞっとして目をあげた。室の中には私一人きりではなかった。一人の男が私と一緒にいた。五十歳ほどで、ふつうの背丈で、しわがより、背がかがみ、髪は白くなりかかり、ずんぐりした手足をし、灰色の目に斜視の目つきをし、顔に苦笑をうかべ、不潔で、ぼろをまとい、なかば裸体で、見るもいやなほどの男だった。
 私が気づかぬうちにいつのまにか、扉が開いて、その男を吐き出し、それからまた閉まったものらしい。もしも死がそういうふうにして来るものなら!
 私たちは数秒のあいだじっと見合った、男のほうは最期のあえぎに似たその笑いを長びかせながら、私のほうはなかば驚きなかば恐れて。
「誰です?」と私はついに言った。
「ばかなおたずねだな。」と彼は答えた。「あがったりだよ。」
「あがったり! 何です、それは?」
 その問いは彼をますます上機嫌にした。
「それはな、」と彼は大笑いをしながら叫んだ、「首切り人が六時間後にお前の切り株にじゃれるように、六週間後には俺のソルボンヌにじゃれるってことさ。――ははは、もうお前にもわかったらしいな。」
 実際私は顔色が変わり、髪の毛がさかだっていた。それはもう一人の受刑人、その日の死刑囚、私の後継者としてビセートルで待ち受けられている男だった。
 彼は言いつづけた。
「どうもね、身の上を話しゃあこういうわけさ。俺は立派な熊手〔泥棒〕の息子なんだ。ところが残念なことに、首切り人のやつご苦労にも、ある日親父にネクタイ〔絞首の縄〕を結んじゃった。ありがたくもねえ、首吊り柱の時代なんだ。六つの年に、俺にはもう親父も母親もなかった。夏には、路傍の埃のなかに逆立ちをして駅馬車の窓から一スー二スーを投げてもらった。冬には、はだしで泥のなかを歩いてさ、まっかになった手に息を吐きかけた。ズボンの破れからしりがのぞいてるしまつだ。九つになるとお手が役立ってきた。ときどき、懐中をひっこぬいたり、マントをくすねたりした。十の年には、立派な巾着切《きんちゃくき》りさ。それから知合いもできてきた。十七の頃には、立派などろちゃんだ。店を破り、錠をねじあける。とうとうつかまった。もうその年齢だったんで船こぎのほうにやらされちゃった。徒刑場ってつらいもんだぜ。板の上に寝るし、真水を飲み、黒パンを食い、何の役にも立たねえ鉄のたまを引きずる。棒はくらわせられるし、日には照りつけられる。それに頭は刈られてるんだ。俺は栗色のみごとな髪をしてたんだがな! だがまあいいさ……俺は刑期をつとめあげた。十五年、それだけふいになっちゃった。俺は三十二になってた。ある朝、一枚の旅行券と、六十六フランもらった。徒刑場で、日に十六時間、月に三十日、年に十二か月、十五年間働きづめでためた金だ。それはまあいいとして、俺はその六十六フランで正直な人間になろうとした。俺のぼろの下には、坊さんの上っ張りの下なんかより、ずっと立派な気持がひそんでいた。ところが旅行券のやつめ! 黄色なんだ、放免囚徒[#「放免囚徒」に傍点]と書きつけてあるんだ。そいつをどこに行くにも見せなけりゃならねえし、いなかにこっそりひそんでりゃあ、一週間ごとに役場に差し出さなきゃあならねえ。みごとな紹介だ、徒刑囚とさ! こわがらあね。子供は逃げるし、家の戸は閉められる。誰も仕事をくれる者はねえ。俺は六十六フランを食っちまった。それから、かせがなきゃあならなかった。俺は立派に働ける腕を見せたが、どこにも使ってくれねえ。日雇の代を十五スーにし、十スーにし、五スーにした。がだめだ。どうなるものか。ある日俺は腹がすいてた。パン屋の窓ガラスを肱で突き破って、パンをひときれつかみ取った。するとパン屋は俺をつかみ取った。そのパンを食いもしねえのに、終身徒刑で、肩に三つ烙印《らくいん》の文字だ。――見てえなら、見せてやろうか。――その裁きを再犯というんだ。そこで逆もどりさ。ツーロンの徒刑場に連れもどされたが、こんどは終身の緑帽だ、脱走しなきゃあならなかった。それには、壁を三つ突き抜き、鎖を二つ断ち切るんだが、俺には一本のくぎがあった。俺は脱走しちゃった。警戒砲が撃たれた。俺たちはな、ローマの枢機官みてえで、赤い服をつけてさ、出発の時には大砲が撃たれるんだ。だが役には立たなかったね。俺のほうでは、こんどは黄色い旅行券はなかったが、しかし金もなかった。すると仲間に出会った。刑期をつとめあげてきたやつもいれば、鎖を打ち切ってきたやつもいる。一緒になれと首領がすすめた。街道でばさ[#「ばさ」に傍点]をやってるんだ。俺は承知して、人殺しで暮らしはじめた。乗合馬車のこともあるし、郵便馬車のこともあるし、馬車に乗ってる牛商人のこともあった。そして金は奪っちまい、馬や馬車はどこになりと行くままにし、死骸は足が出ねえように用心して木の下に埋めた。その墓の上で、土が新しく掘り返されたのが見えねえようにと、みんなして踊りまわった。俺はそんなふうにして、やぶの中に巣くい、野天で眠り、森から森へと狩り立てられ、でもとにかく自由で自分のままで、年をとっていったものだ。だがなにごとにも終りがある。それにだって同じだ。ある晩、俺たちは捕縄の連中にとっちめられた。同類は逃げちまった。が俺は、いちばん年とってたもんで、その金帽子の猫どもの爪に押さえられた。そしてここに連れてこられた。俺はもう梯子《はしご》のどの段も通ってきて、ただおしまいの一段が残ってるだけだった。ハンカチを一つ盗むのも、人を一人殺すのも、もう俺にとっちゃ同じことだったんだ。もう一つ再犯が重なるってわけだ。首刈り人のところを通るよりほかはねえんだ。裁判は簡単に片づいちゃった。まったく、俺はもう老いぼれかけてるし、もうやくざ者になりかけてる。俺の親父は後家縄をめとった〔絞首刑にされた〕し、俺は無念の刃のお寺にひっこむ〔ギロチンにかかる〕んだ。――そういうわけさ、お前!」
 私はぼうぜんとして聞いていた。彼ははじめの時よりなお高く笑いだして、私の手をとろうとした。私は嫌悪のあまり後にさがった。
「お前は、」と彼は言った、「元気らしくねえよ。死に目にびくびくするもんじゃねえ。そりゃあ、お仕置場でちょっとの間はつれえさ。だがじきにすんじまわあ。俺がそこでとんぼ返りをするところをお前に見せてやりてえもんだな。まったくだ、今日お前と一緒に刈り取られるんなら、俺は上告をよしちまいてえ。おなじ司祭が俺たち二人に用をしてくれる。お前のおあまりをいただいてもいいさ。ねえ俺はいい子だろう。え、どうだ、仲よくさ!」
 彼はなお一歩私に近寄ってきた。
「どうかあなた、」と私は彼を押しのけながら答えた、「ありがとう。」
 その言葉で、彼はまた笑いだした。
「ほほう、あなた、あなたさまは侯爵かね、侯爵だな。」
 私はそれをさえぎった。
「きみ、ぼくは考えたいんだ。ほっといてくれ。」
 私の言葉がごくまじめな調子だったので、彼は突然考えこんだ。灰色のもうはげかかってる頭を動かし、それから、だらけたシャツの下にむきだしになってる毛深い胸を爪でかきながら、口でつぶやいた。
「わかった。つまり、坊主みてえだ……」
 それから、しばらくだまってた後で、彼はほとんどおずおずと言った。
「ねえ、あなたは侯爵だ、それはいい。だが立派なフロックを着ていなさる。もうそれもたいした役にも立つめえ。首切り人が取っちまうだろう。俺にくれませんかな。売り払ってたばこの代にするんだが。」
 私はフロックをぬいで、彼に渡した。彼は子供のように喜んで手をたたいた。それから、私がシャツだけで震えてるのを見て言った。
「寒いんでしょうな。これを着なさるがいい。雨が降ってる。ぬれますぜ。それに、車の上じゃあ体裁もある。」
 そう言いながら、彼は灰色の厚っぽい毛糸の上衣をぬいで、私の腕に持たした。私は彼のするままにまかせた。
 そのとき私は壁のところに行って身を支えた。言葉につくせない感銘をその男から受けたのだった。彼は私からもらったフロックを調べていて、たえず喜びの声をたてた。
「ポケットはどれも真新しだ。えりもすりきれていねえ。――少なくも十五フランは手にはいるな。なんてありがてえことだ。あと六週間のたばこができた!」
 扉が開いた。彼らは私たち二人を連れにきた、私のほうは死刑囚が最後の時間を待つ室へ、彼のほうはビセートルへ。彼は憲兵らの護送隊のまんなかに笑いながらつっ立って、彼らに言っていた。
「ほんとに、まちげえちゃいけませんぜ。私たちは、旦那と私は、上っ張りを取り換えたんだ。私をかわりに連れてっちゃいけませんぜ。まったく、そいつあ困る。もうたばこの代ができたんだからな!」

       二四

 あの老背徳漢、彼は私のフロックを奪い取った。というのは、私はそれをくれてやったのではなかったから。そして彼は私に、このぼろを、自分のけがらわしい上衣を残していった。私はこれからどんな様子に見えるだろう?
 私が彼にフロックを渡したのは、無頓着《むとんちゃく》からでも慈悲心からでもなかった。いや、彼が私よりも強かったからだ。もし拒んだら、私はあの太い拳《こぶし》でなぐられたろう。
 そうだ、悲しいかな、私は悪い感情でいっぱいになっていた。あの古泥棒のやつを、この手でしめ殺すことができたら、この足で踏みつぶすことができたら、とそう思ったのだ。
 私は憤激と苦々しさとで胸がいっぱいになる気がする。苦汁の袋がはち切れたような気持だ。死はいかに人を邪悪にすることか。

       二五

 私は一つの監房に連れこまれた。そこには四方の壁があるばかりだった。もとより、窓には多くの鉄棒がはまっており、扉に多くの閂がかかっているのは、いうまでもないことである。
 私はテーブルと椅子と物を書くに必要なものとを求めた。それはみな持ってこられた。
 次に私は寝床を一つ求めた。看守はびっくりした目つきで私を見た。「何になるんだ?」というような目つきだった。
 それでも、彼らは片隅に十字寝台を一つ広げてくれた。しかしそれと同時に、私の室と彼らがいってる監房のなかに、憲兵が一人やってきて腰をすえた。私がふとんの布で首をくくりはすまいかと彼らは気づかったものらしい。

       二六

 十時だ。
 おお私のかわいそうな小さな娘よ! これから六時間、そしたら私は死ぬんだ。私はあるけがらわしいものとなって、医学校の冷たいテーブルの上に投げ出されるだろう。一方では頭の型を取られ、他方では胴体が解剖されるだろう。そうした残りは棺にいっぱいつめこまれるだろう。そしてすべてがクラマールの墓地に行ってしまうだろう。
 お前の父を、彼らはそういうふうにしようとしている。が、その人たちは誰も私を憎んではいないし、みな私を気の毒に思ってるし、みな私を助けることもできるはずだ。だが私を殺そうとしている。お前にそのことがわかるかい、マリーや。おちつきはらって、儀式ばって、よいこととして、私を殺す。ああ!
 かわいそうな娘よ! お前の父をだよ。父はお前をあんなに愛していた。お前の白いかぐわしい小さな首にいつも接吻していた。絹にでも手をあてるようにして、お前の髪の渦巻の中にしじゅう手を差し入れていた。お前のかわいいまるい顔を、てのひらにのせていた。お前を膝の上に跳んだりはねたりさしていた。そして晩には、神に祈るために、お前の小さな両手を合わしてやっていた。
 そういうことを、これから誰がお前にしてくれるだろうか。誰がお前を愛してくれるだろうか。お前くらいの年齢の子供たちにはみな父親があるだろう。ただお前だけにはない。お正月に、お年玉や美しい玩具やお菓子や接吻などを、お前はどうしてなくてもすませるようになるかしら。――不幸な孤児のお前は飲み物や食べ物をどうしてなくてもすませるようになるかしら。
 ああ、もしあの陪審員らがせめて彼女を見たなら、私のかわいい小さなマリーを見たなら、三歳の子供の父親を殺してはいけないということを、了解したろうに。
 そして彼女が大きくなったら、それまでもし生きてるとすれば、彼女はどうなるだろう。父親のことがパリの人々の頭に残ってるにちがいない。彼女は私のことと私の名前とに顔をあからめるだろう。彼女は私のせいで、心にあるかぎりの愛情で彼女を愛してる私のせいで、軽蔑され排斥され卑しめられるだろう。おお私のいとしい小さなマリーよ! 本当にお前は私を恥じ私をきらうだろうか。
 みじめにも、何たる罪を私は犯したことか、そして何たる罪を私は社会に犯させようとしてることか!
 ああ、今日の日の終らないうちに私が死ぬというのは、はたして本当なのか。本当にそれは私なのか。外に聞こえるあの漠然たる叫び声、もう河岸通りを急いでいるあの愉快げな人波、衛舎のなかで用意をしているあの憲兵ら、黒い長衣をつけてるあの司祭、まっかな手をしてるあのもう一人の男、それは私のためなんだ。死ぬのは私なんだ。ここに、生きて、動いて、息をして、このテーブルに、普通のこのテーブルに座っていて、そしてどこにでもいることのできる、この同じ私なんだ。自分でさわって、自分で感じて、服にはこんな着癖がついてる、私なんだ、この私なんだ!

       二七

 それがどんなふうになされるものか、そこではどんなふうに死んでゆくものか、それがわかっていたらまだしも! しかし恐ろしいことには、私はそれを知らない。
 その機械の名前は人をぞっとさせる。どうして私は今までそれを字に書いたり口に言ったりすることができたか、自分でもわからない。
 その十個の文字の組合せ、その風采、その顔つきは、恐るべき観念を呼び起こさせるようにできている。その機械を考案した不幸の医者は、宿命的な名前を持っていたものだ。〔断頭台は guillotine、断頭台考案の医者は Guillotin。〕
 その醜悪な名前で私が想起する形象は、漠然とした不定なものであって、それだけにまた不気味なものである。名前の一綴り一綴りがその機械の一片みたいだ。私はその各片で、異様な機械を頭のなかでたえず組み合わせたり壊したりしてみる。
 それについては誰にも一言もたずねかねるのではあるが、しかしそれがどんなものであるかもわからず、どんなふうにしたらよいかもわからないというのは、恐ろしいことだ。なんでも、一枚の跳ね板があって、うつぶせに寝かされるらしいが……。ああ、私は首が落ちる前に頭の毛が白くなってしまうことだろう!

       二八

 けれども、私は一度それを瞥見したことがある。
 ある日午前十一時ごろ、馬車でグレーヴの広場を通りかかった。すると馬車は突然とまった。
 広場は雑踏していた。私は馬車の扉口からのぞいてみた。あさましい群集が広場と河岸とにいっぱいになっていて、河岸の胸壁の上にも女や男や子供らが立っていた。群集の頭越しに、三人の男が組み立てている赤い木の台みたいなものが見えた。
 一人の死刑囚がその日刑を執行されることになっていて、機械が立てられているのだった。
 私はそれを見るか見ないうちに頭をそらした。馬車のそばに一人の女がいて、子供に言っていた。
「おや、ごらんよ、庖丁のすべりが悪いので、蝋燭《ろうそく》の切れっぱしで溝縁《みぞぶち》にあぶらをひくんだよ。」
 今日もたぶん今ごろはそうだろう。十一時が打ったところだ。彼らはきっと溝縁にあぶらをひいてることだろう。
 ああ、こんどは不幸にも、私は頭をそらすことがないだろう。

       二九

 おお、赦免、赦免、私はおそらく赦免されるかもしれない。国王は私に悪意をいだいてはいない。私の弁護士をさがしてきてほしい。はやく、弁護士を! 私は徒刑を望む。五年の徒刑、それだけにしてほしい――あるいは二十年――あるいは鉄の烙印《らくいん》の終身でも。ただ生命《いのち》だけは助けてくれ!
 徒刑囚は、それはまだ歩くし、往ったり来たりするし、太陽の光を見る。

       三〇

 司祭がまたやってきた。
 彼は白髪で、ごく穏和な様子で、善良な尊い顔をしている。まったく立派な慈悲深い人だ。けさ私は彼が財布をはたいて囚人らに恵むのを見た。けれどもどうしたわけか、彼の声には何も人を感動させるようなところがなく、また自ら感動してるようなところもない。どうしたわけか、私の精神を動かしたり心を動かしたりするようなことを、彼はまだなにひとつ私に言ってくれなかった。
 けさは私は茫然としていた。彼が何を言ってるかもよく聞き取らなかった。でも彼の言葉などは何の役にも立たないような気がして、無関心な態度でいた。この冷たい窓ガラスの上のこの寒い雨のように、彼の言葉はただ滑り落ちていったのだった。
 それでも、先刻彼が戻ってきた時、私はうれしい気がした。これらの人々のうちで、この人だけが私にとってはまだ人間である、と私は思った。そして親切な慰安の言葉をせつに求める気持がおこった。
 私たちは腰をかけた、彼は椅子に、私は寝台に。彼は私にやさしく「あなた……」と言った。その言葉は私の心を開いてくれた。彼は言いつづけた。
「あなた、神を信じますか。」
「はい。」と私は答えた。
「あなたは、使徒の旨を体したローマの聖《きよ》いカトリックの教会を信じますか。」
「もちろんです。」と私は言った。
「あなた、」と彼は言った、「疑っているようです。」
 そして彼は話しはじめた。長いあいだ話した。たくさんの言葉を言った。それから、心ゆくばかり言ってしまうと、立ちあがって、話をしはじめてからようやくはじめて私の顔を見ながら、私にたずねかけた。
「どうです?」
 私は実際のところ、はじめはむさぼるように、次には注意深く、次には心をこめて、彼の言葉に耳をかたむけてたのだった。
 私も彼とともに立ちあがった。
「どうか、」と私は答えた、「私を一人きりにしておいてください、お願いです。」
 彼はたずねた。
「いつ戻ってきたらよろしいですか。」
「私のほうからお知らせしましょう。」
 すると彼は出ていった。べつに怒ってるふうはなかったが、頭を振りながら、ちょうどこう自ら言ってるようだった。
「不信仰者だ!」
 いや、私はいかにも低く堕《お》ちてはいるが、不信仰者ではない。私が神を信じていることは、神が知っている。いったい彼は、あの老人は、何を私に言ったか。本当に感じたもの、心を動かしたもの、涙のにじんだもの、魂からじかに出てきたもの、彼の心から私の心へとかようもの、彼から私へつながるもの、そういうものは一つもなかった。そしてただ、ある漠然としたもの、ぼやけたもの、万事にまた万人に通用できるものばかりだった。深みを要するところに誇張を持ち来し、素純を要するところに平明を持ち来した。それは一種の感傷的な説教であり、神学的な哀歌だった。ところどころにラテンの句をラテン語で引用し、聖アウグスティヌスとか聖グレゴリウスとかいうものが出てきた。そのうえ彼は、すでに二十ぺんも暗唱した課目を復唱してるようであり、知りすぎてるために記憶のうちに消えかかった課題を復習しているがようだった。目には何の輝きもなく、声には何の抑揚もなく、手には何の身振りもなかった。
 がどうして他のことを彼に望めよう。その司祭は監獄の本職の教誨師である。彼の職業は人を慰安し訓戒することで、彼はそれによって生活している。徒刑囚や科人《とがにん》は彼の雄弁のばねである。彼はそれが自分の仕事だからして、彼らを懺悔させ彼らを補佐する。彼は人を死に連れてゆくことで年老いている。戦慄すべきことに長く馴れている。白の髪粉をつけたその髪の毛はもう逆立つことはない。徒刑場と死刑台とは彼にとっては毎日のことである。彼は鈍りきっている。たぶん彼は帳面でも持っていて、徒刑囚のページや死刑囚のページがあることだろう。翌日の何時には慰めてやるべき者がある、ということを前日から知らせられる。そこで徒刑囚か死刑囚かをたずね、そのページを読み返して、それからやってくる。そういうふうにして自然に、ツーロンに行く者もグレーヴに行く者も彼にとっては普通事となり、また彼らにとっては彼が普通事となる。
 おお、そういうもののかわりに、どこでもよいから手近な教区に行って、どんな人でもよいからある若い助任司祭を、あるいは年とった司祭を、私のために探してもらいたい。そして彼が暖炉《だんろ》のほとりで、書物でも読んでいてなにも予期していないところをつかまえて、こう言ってもらいたい。
「死にのぞんでいる一人の男がいます。あなたにその男を慰めていただきたいのです。その男が手を縛られる時、髪の毛を切られる時、あなたはそこについていてください。その男の馬車に十字架像を持って一緒に乗って、死刑執行人が彼の目につかないようにしてください。グレーヴの刑場まで彼と一緒に揺られていってください。血に飢えてる恐ろしい群集のあいだを彼と一緒に通ってください。死刑台の下で彼を抱擁して、それから彼の頭と体とがはなればなれになるまで、そこに控えていてください。」
 そして、頭から足先まであえぎおののいてるその司祭を、私のところへ連れてきてほしい。その両腕のなかに、その膝の上に、私の身を投げ出させてほしい。彼は涙を流すだろう。私たち二人は涙を流すだろう。彼はよく話してくれるだろう。私は慰められるだろう。私の心は彼の心のなかでやわらぐだろう。彼は私の魂を受け取るだろう、私は彼の神を受け取るだろう。
 しかしあの人のよい老人は、私にとって何であるか。私は彼にとって何であるか。彼にとって、私は不幸な部類に属する一個人であり、彼がすでにたくさん見た影と変りない一つの影であり、刑執行の数に加うべき一個にすぎない。
 私が彼をこういうふうに退けるのは、おそらく間違いであろう。彼のほうは善良で、私のほうは邪悪である。ただ悲しいかな、それは私のせいではない。すべてを害《そこ》ない凋《しぼ》ます死刑囚の息吹きのせいである。
 食物が持ってこられた。彼らは私が食べたがってると思ったのだ。念を入れた軽い食物、若鶏らしいものと他の何か。私は食べようとしてみた。しかし一口ものどには通らなかった。それほど私にはにがにがしい胸悪い味がした。

       三一

 帽子をかぶった相当な人が一人はいってきた。彼は私のほうにはほとんど目もくれず、尺度器を開いて、壁の石を下から上まで測っていきながら、よろしいとか、いけないとか、高い声で言った。
 私は憲兵にそれが誰であるかたずねた。監獄に雇われてる下級の建築技師らしい。
 彼のほうでも、私に対して好奇心をおこした。一緒について来てる鍵番と低く数語をかわした。それからちょっと私の上に目をすえ、無頓着なふうで頭を振って、また高い声で口をきいたり尺度を測ったりしはじめた。
 仕事がすむと、彼は私のほうへ近づきながら、その響きの高い声で言った。
「きみ、六か月たつと、この監獄はずっとよくなるですよ。」
 そしてその身振りはこう言い添えてるようだった。
「きみがそれを味わえないのは、気の毒だ。」
 彼はほとんどほほえんでいた。婚礼の晩に新婦をからかいでもするようなふうに、彼がいまにも私を静かに冷笑しかかってるらしく、私には思えた。
 古参の腕章をつけてる老兵である憲兵は、返事をひきうけてくれた。
「あなた、」と彼は言った、「死人の室でそんなに高い声で話すものではありません。」
 建築技師は出ていった。
 私はそこに、彼が測ってた石の一つのようにじっとしていた。

       三二

 それから次に、おかしなことがあった。
 私についてる善良な老憲兵は取り除かれた。私は恩知らずに得手勝手にも彼に握手をさえしてやらなかった。彼と交替に他の憲兵が来た。額のひしゃげた、目の太い、無能な顔つきの男だった。
 それにまた、私はすこしも注意を払っていなかった。扉に背を向け、テーブルの前に座って、手で額を冷やそうとしていた。いろんな考えに頭が乱れていた。
 肩を軽くたたかれて、私はふりむいた。それは新たに来た憲兵で、室のなかに私は彼と二人きりだった。
 ほぼ次のようなふうに彼は私へ話しかけた。
「おい、きみには親切心があるかね。」
「ない。」と私は言った。
 ぶっきらぼうな私の返事に、彼はまごついたらしかった。それでもまた彼はためらいながら言った。
「すき好んで不親切なんて者はあるはずはない。」
「なぜないんだ。」と私は答え返した。「それだけの話だったら、ほっといてくれたまへ。いったい何のつもりでそんなことを言いだすんだ。」
「まあ聞いてくれ。」と彼は答えた。「ほんのちょっとだ。これだけのことだ。もしきみが一人の気の毒な男の幸福をはかってやることができて、それもきみになんの迷惑もおよぼさないことだったら、それでもきみはそれをしてくれないというのかね。」
 私は肩をそびやかした。
「きみはシャラントンの精神病院からでも来たのかね。ふしぎなことを楽しみにしたもんだ。わしだったら、他人の幸福をはかってやるんだがな。」
 彼は声を低めて、意味ありげな様子をした。それは彼の愚かな顔つきには不似合いだった。
「そうだ、きみ、幸福だ、財産だ。それがすっかりきみのおかげでわしに来ようというのさ。こういうわけだよ。わしは憐れな憲兵だ。役目は重いし、月給は少ないし、馬は自分持ちでやりきれない。そこで、たりない分を手に入れるつもりで富籤《とみくじ》をやってる。何とかひと工夫しなくちゃならないんだからな。ただいい番号さえあてれば、これまでずいぶん儲かったんだがな。いつも確かなのを探してるが、いつもはずれてばかりいる。七十六番にかければ、七十七番が出るってしまつだ。いくらやっても、どうもうまくいかない。――もうすこしだ、じきに話はすむよ。――ところで、わしにいい機会がきた。ねえきみ、こう言っちゃなんだが、きみは今日|逝《い》っちまうんだろう。ところが、そういうふうに死なせられた者は、確かに前から富籤がわかる。だから、明日の晩わしのところへ来てくれないか、何でもないことだろう。そして三つばかり番号を、いいのを知らせてくれないか。ねえ?――わしは幽霊なんぞこわがりはしない。大丈夫だ。――わしの住所はな、ポパンクール兵営A階段二十六号室、廊下の奥だ。わしの顔を覚えててくれるだろうね。――今晩のほうがつごうがいいっていうんなら、今晩来てくれよ。」
 私はそのばか者に返事するのもくだらないはずだったが、その時あるおかしな希望が頭にうかんだ。私のように絶望的な地位にあると、人は時として、ひとすじの髪の毛ででも鎖が断ち切れるような気をおこすものである。
「では言うがね、」と私は死にのぞんでる者としてはできるだけの仮面をかぶって言った、「まったくぼくは、きみを王様より金持にならせることができる。何百万となく儲けさせることができる。――がただ一つの条件がある。」
 彼は呆然と目をみはった。
「どういう条件だ、どういう条件だ。何でも君の望みしだいだ。」
「番号を三つどころか、四つも知らせてやろう。だから、僕と服を取り換えるんだ。」
「それだけのことなら!」と彼は叫びながら制服のホックをはずしはじめた。
 私は椅子から立ちあがっていた。そして彼の動作を見守っていた。胸は動悸していた。もうすでに、憲兵の制服の前にどの扉も開き、それから広場、街路、そしてパレ・ド・ジュスティスの建物は後ろに遠くなってゆくのが、目に見えるようだった。
 しかるに、彼は不決断な様子でふりかえった。
「ああ、ここから出るためじゃないだろうね。」
 私は万事だめだと悟った。それでも最後の努力をやってみた、無益にもそして無謀にも!
「そのためだ。」と私は言った。「しかしきみは財産ができるし……」
 彼は私の言葉をさえぎった。
「いやいや! どうも! わしの番号だって、いいのがわかるには、きみが死ななくちゃいけない。」
 ほの見えた希望がいっそう完全に消えてしまって、私はむっつりとまた腰をおろした。

       三三

 私は目をふさいで、その上に両手をのせて、忘れようとつとめた、現在を過去のうちに忘れようとつとめた。そして夢みながら、自分の幼年時代や青年時代の思い出が、いま頭のなかに渦巻いている暗い錯雑した考えの深淵の上の花の小島のように、穏やかな静かな喜々たる姿で一つ一つうかんでくる。
 子供の時の自分自身が見える。にこやかな元気な小学生で、自然な庭の広い緑の径で、兄弟たちと遊び駆けり叫んでいる。私はそこで幼時の幾年かをすごしたのだった。以前は女修道院の構内だった庭で、上にはヴァル・ド・グラースの黒ずんだ円屋根の鉛の頭がそびえている。
 次には、四、五年後の自分が見える。やはりまだ子供ではあるが、もう夢想的に情熱的になっている。さびしい庭には一人の少女がいる。
 スペインの少女で、大きい目、ふさふさした髪の毛、浅黒い金色の皮膚、赤い唇、ばら色の頬、アンダルシア生れの十四歳の少女ペパ。
 一緒に駆けまわっていらっしゃいと、私たちは両方の母から言われた。で私たちはぶらついてくる。
 お遊びなさいと私たちは言われた。で私たちは話をする。同性でない同年配の子供なのだ。
 それでも一年前まではまだ、私たちは一緒に駆けったり争ったりした。私は小さなペピタと、りんごの木のいちばん立派なりんごを奪いあう。私は小鳥の巣のことで彼女を打つ。彼女は泣きだす。あたりまえだ、と私は言う。そして二人で一緒に母たちのところへ訴えに行く。母たちは大きい声でしかり、小さい声でうなずいてくれた。
 いまではもう彼女は私の腕によりかかっている。私はひどく得意でひどく感動している。私たちはゆっくりと歩き、声低く話をする。彼女はハンカチを取り落とす。私はそれを拾ってやる。二人の手は触れあって震える。彼女は私に語る、小鳥のこと、かなたに見える星のこと、木立のむこうの真赤な夕日のこと、あるいは学校の友だちのこと、自分の長衣やリボンのことなど。私たちは無邪気な事柄を口にして、そしてどちらも顔をあからめる。少女は若い娘となっている。
 あの晩――夏の晩だった――私たちは庭の奥のマロニエの木の下にいた。いつもよく散歩のあいだじゅう続く長い沈黙の後で、彼女は突然私の腕を離れて、駆けましょう、と私に言った。
 その姿がまだ私の目に残っている。彼女は祖母の喪のためにすっかり黒の服装だった。彼女の頭に子供らしい考えがうかび、ペパはまた小さなペピタとなって、私に言った、駆けましょう!
 そして、彼女は私より先に、蜜蜂の胸のようにすらりとした体と小さな足とで、すねのなかばまで長衣をまくらせながら駆けだしはじめた。私は後を追っかけた。彼女は逃げた。彼女の黒い肩衣《かたぎぬ》はときどき駆ける拍子に風を受けてまくれて、その褐色のみずみずしい背が私に見えた。
 私はむちゅうになっていた。廃《すた》れた古い水溜めの近くで彼女に追っついた。打ち勝った元気で彼女の帯のところをつかまえて、ひとむらの芝生の上に座らせた。彼女はさからわなかった。息を切らして笑っていた。私はまじめだった。彼女の黒い睫毛《まつげ》ごしにその黒いひとみを眺めていた。
「お座りなさいよ。」と彼女は私に言った。「まだ明るいわ。何か読みましょう。ご本を持っていらしって?」
 私はスパランツァーニの旅行記の第二巻を手にしていた。いいかげんのところを開いて、彼女のかたわらに寄った。彼女は私の肩に自分の肩をもたした。そして私たちは同じページをべつべつにごく低く読みはじめた。ページをめくる前に、彼女はいつも私を待たねばならなかった。私の頭は彼女ほど早く進めなかった。
「すんで?」と彼女は私がまだ読みはじめたばかりなのに聞くのだった。
 そうしてるうちに、私たちの頭は触れあい、髪の毛は一緒になり、息はしだいに近よって、突然口と口とが合わさった。
 また読みつづけようとした時には、空に星が出ていた。
「ああ、お母さま、お母さま、」と彼女は家のなかにもどると言った、「あたしたちはそりゃあ走ったわ!」
 私のほうは黙っていた。
「なんにも言わないで、」と私の母は私に言った、「あなたは悲しそうなふうですよ。」
 私は心のなかに天国を持っていた。
 その晩のことを、私は生命《いのち》のあるかぎり忘れないだろう。
 生命のあるかぎり!

       三四

 ただいま時が鳴った。それが何時だか私にはわからない。大時計の音も私にはよく聞こえない。耳のなかにオルガンの音でも響いているような気がする。最後の考えがうなってるのだ。
 自分の思い出にふけるこの最期の時になって、私はまた自分の犯罪を思いだしてぞっとする。しかし私はもっと深く悔悛したいのだ。死刑判決以前には私はいまより多く良心の呵責《かしゃく》を受けていた。それが死刑判決後には、死の考えよりほかになんらの余地も心にないような気がする。それでも私は深く悔悛したいのだ。
 自分の生涯のうちの過去のものをしばし夢みたのち、その生涯をやがて終らすべき斧の一撃のことを思いやる時、私は何かある新奇なものに出会ったようにびっくりとする。うるわしい幼年時代、うるわしい青年時代、金色の布地、そしてその先端は血ににじんでいる。あの当時と今とのあいだには、血潮の川がある、他の男と私自身との血がある。
 もし他日私の経歴を読む者があったら、潔白と幸福との多くの年月の後に、犯罪で始まり刑罰で終わるこの呪うべき年があろうとは、おそらく信じかねるだろう。この一年は不釣合いな感じを与えるだろう。
 それにしても、みじめなる法律とみじめなる人間らよ、私は悪人ではなかったのだ。
 おお、数時間後には死するのか。そして、一年前のこういう日には、私は自由で清らかで、秋の散歩をし、木立の下をさまよい、木の葉の上を歩いていた、ということを考えると!

       三五

 今この時間に、私のまわりには、パレ・ド・ジュスティスの建物とグレーヴの広場とをとりまいてる人家のなかには、往き来し、談笑し、新聞を読み、自分の仕事のことを考えている、多くの人々がいる。物を商ってる商人たち、今晩の舞踏会の長衣を用意してる若い娘たち、子供と遊んでる母親たちがいる。

       三六

 ある日子供の頃、ノートル・ダームの釣鐘を見に行ったときのことを、私は覚えている。
 薄暗い螺旋階段をのぼり、二つの塔をつないでいる細長い回廊を通り、パリを足の下に見て、私はもう目がくらみながら、石と木との檻の中にはいっていった。そこから鐘鐸《しょうたく》のついた釣鐘が千斤の重さでさがっていた。
 よく合わさってない床板の上を私はふるえながら進んでいって、パリの子供や人民のうちにあれほど名高いその鐘を、すこし先のほうに眺めた。ななめの屋根で鐘をとりかこんでるスレートぶきの庇《ひさし》が、自分の足と同じ高さにあるのを見てとって、私は恐ろしくなった。そしてときどき上からちらと、ノートル・ダーム寺院の前庭を見おろし、蟻のような通行人を見おろした。
 突然、その大きな鐘が鳴った。深い震動が空気をゆさぶり、重々しい塔を震わせた。床板は構桁《こうげた》の上に跳びあがった。私はその音であやうくひっくりかえるところだった。よろめいて、倒れかかって、スレートぶきのななめの庇《ひさし》の上を滑り落ちそうだった。恐ろしさのあまり私は床板の上に寝て、両手でしっかとそこにしがみつき、口もきけず、息もできず、耳には非常な響きが鳴りわたり、そして目の下には、断崖があり、深い広場があって、そこにはうらやましくも平然と多くの通行人らが往来していた。
 ところで、私は今もちょうどその釣鐘の塔の中にいるような心地がする。すべて茫然自失と眩暈《めまい》とだ。鐘の音のようなものがあって、頭のなかを揺り動かす。そして私は人々が往来しているあの平坦な静かな人生から離れていて、周囲を見まわしても、ただ遠く深淵の隙間ごしにしかもうそれが見えない。

       三七

 市庁は不気味な建物である。
 とがった急な屋根、奇妙な小塔、大きな白い時計面、小さな円柱の並んでる各階、無数のガラス窓、人の足ですりへってる階段、左右二つの迫持《せりもち》、そういうものをつけてそこに、グレーヴの広場と同平面に控えている。陰鬱で、悲しげで、全面老い朽ちて、ひどく黒ずんで、日があたってる時でさえ黒く見える。
 死刑執行の日には、そのあらゆる戸口から憲兵が吐き出され、そのあらゆる窓から人の目が受刑人を眺める。
 そして晩には、刑執行の時間を報じたその時計面が、建物の暗い正面に光っている。

       三八

 一時十五分だ。
 私はいま次のような感じを覚える。
 激しい頭痛。寒い腰と、燃えるような額。立ちあがったりかがみこんだりするたびに、脳のなかに液体でもはいってるような気がし、そのために脳みそが頭蓋骨の内側にぶつかるような気がする。
 痙攣《けいれん》的な身震いがする。そしてときどき、電気にでも打たれるようにペンが手から落ちる。
 煙のなかにでもいるように目がひりひり痛む。
 肱の具合が悪い。
 もう二時間と四十分、そうすれば私はすべて回復するだろう。

       三九

 彼らは言う、それはなんでもない、苦しくはない、安らかな終りだ、その種の死はごく平易なものになっていると。
 では、この六週間の苦悶とこの一日じゅうの残喘《ざんぜん》とは、いったい何なのか。こんなに徐々にまたこんなに早くたってゆくこの取り返しのつかぬ一日の苦悩は、いったい何なのか。死刑台で終わってるこの責苦の段階は、いったい何なのか。
 外見上、それは苦しむことではない。
 けれど、血が一滴一滴つきてゆくことと、知能が一つの考えから一つの考えへと消えてゆくこととは、同じ臨終の痙攣《けいれん》ではないか。
 それにまた、苦しくはないということも、確かであるか。誰かそう告げてくれた者があるか。かつて、切られた頭が血まみれのまま籠のふちに伸びあがって、それは何ともないことだ! と人々に叫んだというような話でもあるのか。
 そういう死にかたをした者で、礼にやってきてこう言った者でもあるのか、これはうまく考案されてる、満足するがいい、機械はよくできていると。
 それはロベスピエールなのか、ルイ十六世なのか……。
 なるほど、わけもないことだ、一分間たらずのうちに、一秒間たらずのうちに、ことはなされてしまう。――が彼らはかつて、重い刃が落ちて肉を切り神経を断ち頸骨をくだく瞬間に、そこにいる者のかわりに自ら身を置いてる場合を、せめて頭のなかだけででも考えてみたことがあるか。なに、ほんの半秒のあいだだ、苦痛はごまかされると……。呪うべきかな!

       四〇

 妙なことに、私はたえず国王のことを考える。どんなにしても、どんなに頭を振っても、一つの声が耳に響いて、いつも私に言う。
「この同じ町に、この同じ時間に、しかもここから遠くないところに、もう一つの壮大な建物のなかに、やはりどの扉にも番人のついてる一人の男がいる。お前と同じく民衆のなかの唯一の男であって、お前が最下位にあるのと彼が最上位にあるのとの違いだけだ。彼の生涯はすべてどの瞬間も、光栄と権威と愉悦と恍惚ばかりである。彼のまわりは、愛と尊敬と崇拝とに満ちている。もっとも高い声も彼に話しかける時には低くなり、もっとも傲慢な額も彼の前には下にかがむ。彼の目にふれるものは絹と黄金ばかりである。いまごろ彼は、誰も彼の意にさからう者のない閣議にのぞんでいるか、あるいはまた、明日の狩猟のことや今晩の舞踏会のことを考えていて、宴楽は適宜の時にいつでも得られるものと安心し、自分の快楽のための仕事を他人に任せきりでいる。ところで、その男もお前と同様に肉と骨とから成っているのだ。――そして、今すぐにあの恐るべき死刑台が取り壊されるためには、生命と自由と財産と家庭とすべてがお前に返されるためには、このペンで彼が一枚の紙の隅に自署するだけでたりるし、あるいは彼の箱馬車がお前の荷馬車に出会うだけでもたりる。――そして、彼は善良だし、おそらく右のことは彼の望むところだろうし、また彼にとって何でもないことだろう!

       四一

 さあ、死に対して元気を出そう。その恐ろしい観念を両手に取りあげて、それをまともにじっと眺めよう。それがどんなものであるか探ってみよう。それがわれわれに求めるところは何であるか明らかにしよう。それをあらゆる方面から調べ、その謎を解き、その墳墓のなかを前もってのぞいてみよう。
 最期の目をつぶると、大きな明るみと光の罩《こ》めた深淵とが見えてきて、そのなかに自分の精神は、はてしなく飛んでゆくだろう、というように私には思われる。空はそれ自身の精気で輝きわたって、そこではもろもろの星も暗い汚点となり、生者の肉眼に映るような黒ビロードの上の砂金とは見えなくて、黄金の羅紗《らしゃ》の上の黒点と見えるだろう、というように私には思われる。
 あるいはまた、みじめにも、四方闇黒にとざされたいまわしい深い淵であるかもしれない。そしてそのなかに私は、影のなかに物の形がうごめくのを見ながら、たえず落ちてゆくことだろう。
 あるいはまた、私は死後に目を覚まして、何か平たい湿っぽい平面にいて、暗闇のなかを、一つの頭がころがるように回転しながら進んでいくだろう。強い風に吹きやられて、あちこちでころがり動いてる他の頭にぶつかることだろう。ところどころに、何とも知れぬなまぬるい液体の、水たまりや流れがある。すべてまっくらだ。回転のあいだあいだに目を上に向けても、見えるのは闇の空ばかりで、その厚い闇の層がずっしりと垂れている。そして遠く奥のほうに、闇黒よりもひときわ黒い煙が、大きくむくむくとたちのぼっている。またその闇夜のなかに、小さな赤い火の粉が飛ぶのも見える。近づいてゆくと、それは火の鳥となる。そしてそういうのが永遠につづくだろう。
 またある時、冬の暗い夜なんかに、グレーヴ刑場の死人らが自分のものたるその広場に集まる、ということもあるかもしれない。青ざめた血まみれの群集で、私もそのなかにはいってるだろう。月の光はなく、みなは低い声で話す。市庁がそこに腐食した正面と、きれぎれの屋根と、みなに無慈悲だった時計面とを見せている。広場には地獄の断頭台があって、一人の悪魔が一人の死刑執行人を処刑している。午前の四時のことだ。こんどはわれわれが周囲の群集となるのである。
 おそらくそうなんだろう。しかしそれらの死人がまた出てくるとしたら、どういう形で出てくるだろうか。断ち切られた不完全な体のどこを保存してるだろうか。どこを選んでるだろうか。幽霊になるのは、頭だろうか胴体だろうか。
 悲しいかな、死はいったいわれわれの魂をどうするのか。いかなる実体を魂に残すのか。魂から何を奪い、あるいは魂に何を与えるのか。魂をどこに置くのか。この地上で眺めるためにそして泣くために、肉眼を魂にかしてやることがあるのか。
 ああ、司祭、そういうことを知ってる司祭、それを一人私はほしい、そして接吻すべき一つの十字架像を!
 ああしかし、やはり同じことだ!

       四二

 私は眠らせてもらいたいとたのんで、寝床の上に身を投げだした。
 実際私は頭に鬱血していて、そのために眠った。それは私の最後の眠り、この種の最後の眠りだった。
 私は夢を見た。
 夢のなかでは、夜だった。私は自分の書斎に二、三の友人と座っていたようだ。どの友人かは覚えていない。
 妻は隣りの寝室に寝て、子供とともに眠っていた。
 私たち、友人たちと私とは、低い声で話をしていた。そして自分の言ってることに自分で恐がっていた。
 突然、どこか他の室に、一つの音が聞こえるようだった。何だかはっきりしない弱い異様な音だった。
 友人らも私と同じくそれを聞いた。私たちは耳を澄ました。ひそかに錠前を開けてるような、こっそり閂を切ってるような音だった。
 何だかぞっとするようなものがあって、私たちは恐かった。この夜ふけに盗人どもが私の家へはいりこんできたのだろう、と私たちは思った。
 見に行ってみようと私たちは決心した。私は立ちあがって蝋燭を取った。友人らは順次についてきた。
 私たちは隣りの寝室を通った。妻は子供と眠っていた。
 それから私たちは客間に出た。何の変りもなかった。肖像はどれも赤い壁布の上に金枠のなかにじっとしていた。ただ客間から食堂へ通ずる扉が、いつものとおりでないように私には思えた。
 私たちは食堂にはいった。そしてひとまわりした。私はまっ先に歩いた。階段の上の扉はよく閉まっていたし、窓もみなそうだった。炉のそばまで行って、見ると、布巾《ふきん》戸棚が開いていて、その扉が壁の隅を隠すようにそちらへひっぱられていた。
 私はびっくりした。扉の後ろに誰かがいると私たちは思った。
 私はその扉に手をかけて戸棚を閉めようとした。扉は動かなかった。驚いていっそう強くひっぱると、扉はふいに動いて、私たちの前に一人の老婆の姿があらわれた。背が低く、両手をたれ、目を閉じ、不動のままで、つっ立って、壁の隅にくっついたようになっていた。
 何かしらひどく醜悪な感じだった。今考えても髪の毛がさかだつほどである。
 私はその老婆にたずねた。
「何をしてるんだ。」
 彼女は答えなかった。
 私はたずねた。
「お前は誰だ。」
 彼女は答えもせず、身動きもせず、目を閉じたままだった。
 友人らは言った。
「はいりこんできた悪いやつらの仲間にちがいない。ぼくたちがやってくるのを聞いて、みんな逃げだしてしまったが、こいつは逃げきれないで、そこに隠れたんだ。」
 私は再び彼女にたずねかけたが、彼女はやはり声も出さず、動きもせず、見もしなかった。
 私たちの誰かが彼女を押し伏せた。彼女は倒れた。
 彼女は丸太のように、命のないもののように、ばったり倒れた。
 私たちはそれを足先で動かしてみた。それから誰か二人がかりで彼女を立たせて、また壁によりかからせた。彼女にはまったく生きてるしるしもなかった。耳のなかに大声でどなりつけてやっても、聾者のように黙っていた。
 そのうちに私たちはじれだしてきた。私たちの恐怖のなかには憤怒の情がまじっていた。誰か一人が私に言った。
「あごの下に蝋燭をつけてやれ。」
 私は彼女のあごの下に燃えてる芯を持っていった。すると彼女は片方の目をすこし開いた。空虚な、どんよりした、恐ろしい、何も見てとらない目つきだった。
 私は炎をのけて言った。
「ああこれで、返事をするだろうな、鬼婆め。誰だお前は?」
 彼女の目はひとりでに閉じるようにまた閉じてしまった。
「これはどうも、あまりひどい。」と友人らは言った。「もっと蝋燭をつけてやれ、もっとやれ。ぜひとも口をきかせなくちゃいけない。」
 私はまた老婆のあごの下に火をさしつけた。
 すると、彼女は両方の目を徐々に開き、私たち一同をかわるがわる眺めて、それからふいに身をかがめながら、氷のような息で蝋燭を吹き消した。と同時に、暗闇のなかで、私は三本の鋭い歯が手にかみつくのを感じた。
 私はふるえあがり冷たい汗にまみれて、目を覚ました。
 善良な教誨師が寝台のすそのほうに座って、祈祷書を読んでいた。
「私は長く眠りましたか。」と彼に私はたずねた。
「あなた、」と彼は言った、「一時間眠りましたよ。あなたの子供を連れてきてあります。隣りの室にいて、あなたを待っています。私はあなたを呼び起こしたくなかったのです。」
「おお!」と私は叫んだ、「娘、娘を連れてきてください。」

       四三

 彼女はいきいきとして、ばら色で、大きな目をもっていて、美しい!
 小さな長衣を着せられていたが、それがよく似合う。
 私は彼女をつかまえ、両腕に抱きあげ、膝の上に座らせ、髪に接吻した。
 なぜ母親と一緒には?――母は病気だし、祖母も病気だ。それでよい。
 彼女はびっくりした様子で私を見ていた。なでられ、抱きしめられ、やたらに接吻されながら、なされるままになっていた。けれどときどき、片隅で泣いてる女中のほうを、不安そうに見やった。
 ついに私は口がきけた。
「マリー、」と私は言った、「私のマリーや!」
 私はむせびなきのこみあげてくる胸に激しく彼女を抱きしめた。彼女は小さな声をたてた。
「おお、苦しい、おじちゃま。」と彼女は私に言った。
 おじちゃま! かわいそうに、彼女はもうやがて一年間も私に逢わずにいる。彼女は私を、顔も言葉も声の調子も忘れたのだ。それにまた、このひげとこの服装とこの青ざめた顔色とで、誰が私をそれと見てとることができたろう。おお、そこにだけは生きながらえたいと思っていたその記憶のなかからも、私はもう消えてしまった。おお、もう父でもなくなった。子供の言葉のあの一語、おとなの言葉のなかに残ることができないほどやさしいあの一語、パパというあの一語、それをももう聞かれないように私は定められてしまったのだ。
 それでも私は、なおも一度、ただ一度、その一語をあの口から聞くことができさえすれば、残り四十年の生涯を奪われようと不足には思わない。
「ねえ、マリー、」と私は彼女の小さな両手を一緒に自分の手のなかにはさんで言った、「お前は私をちっとも知らないのかい。」
 彼女はその美しい目で私を眺めて、そして答えた。
「ええそうよ。」
「よく見てごらん。」と私はくりかえした。「なんだって、私が誰だかわからないのかい。」
「ええ。」と彼女は言った。「おじちゃまよ。」
 ああ、世にただひとりの者だけを熱愛し、全心をかたむけてそれを愛し、それが自分の前にいて、むこうでもこちらを見また眺め、話したり答えたりしてるのに、こちらが誰であるか知らないとは! その者からだけ慰安を求めていて、死にかかってるので、その者を必要としてるのに、むこうはそれを知らない世にただひとりの者であろうとは!
「マリー、」と私はまた言った、「お前にはパパがあるの。」
「ええ。」と子供は言った。
「では、今どこにいるの。」
 彼女はびっくりした大きな目をあげた。
「ああおじちゃま知らないの。死んだのよ。」
 それから彼女は声をたてた。私は彼女をあやうく取り落とそうとしたのだった。
「死んだって!」と私は言っていた。「マリー、死んだとはどういうことか知ってるのかい。」
「ええ。」と彼女は答えた。「地の下にそして天にいるのよ。」
 彼女は自分でつづけて言った。
「あたし、ママのお膝で、朝と晩、パパのため神様にお祈りするの。」
 私は彼女の頬に接吻した。
「マリー、私にお前の祈りを言っておくれ。」
「だめよ、おじちゃま。お祈りって、昼間言うもんじゃないの。今晩おうちにいらっしゃい。言ってあげるわ。」
 それでもう十分だった。私は彼女の言葉をさえぎった。
「マリー、お前のパパは、私だよ。」
「え!」と彼女は言った。
 私は言いそえた。
「私がお前のパパでいいかい。」
 子供は顔をそむけた。
「いいえ、パパはずっときれいだったわ。」
 私は彼女に接吻と涙とをあびせた。彼女は私の腕からのがれようとしながら叫んだ。
「おひげが痛い。」
 そこで私はまた彼女を膝の上に座らせて、しきりに眺めて、それからたずねかけた。
「マリー、お前は字が読めるの。」
「ええ。」と彼女は答えた。「ちゃんと読めるわ。ママはあたしに字を読ませるの。」
「では、すこし読んでごらん。」と私は言いながら、彼女が小さな片手にもみくちゃにしている紙きれを指さした。
 彼女はそのかわいい頭をふった。
「ああ、おとぎばなしきり読めないの。」
「でも読んでごらん。さあ、お読みよ。」
 彼女は紙を広げて、指で一字一字読みはじめた。
「は、ん、け、つ、はんけつ……」
 私はそれを彼女の手からつかみ取った。彼女が読んできかせるのは私の死刑宣告文だった。女中がそれを一スーで買ったのだ。が、私にははるかに高価なものだった。
 私がどういう気持を覚えたかは、言葉にはつくされない。私の激しい仕打ちに彼女はふるえていた。
 ほとんど泣きだしかけていた。が、突然私に言った。
「紙を返してよ。ね、今のはうそね。」
 私は彼女を女中にわたした。
「つれていってくれ。」
 そして私は陰鬱なさびしい絶望的な気持で椅子に身をおとした。いまこそ彼らはやってきてもよい。私にはもう何の未練もない。私の心の最後の糸のひとすじも切れた。彼らがなさんとする事柄に私はちょうどふさわしい。

       四四

 司祭は善良な人だし、憲兵もそうである。子供をつれていってほしいと私が言ったとき、彼らは一滴の涙を流したようだった。
 済《す》んだ。いまや私はしっかりと身を持さなければならない。死刑執行人のこと、護送馬車のこと、憲兵らのこと、橋の上の群集、河岸の上の群集、人家の窓の群集のこと、そこで落ちた人の頭が敷きつめてあるかもしれないあの痛ましいグレーヴの広場に、私のために特に備えられるもののこと、それをしっかりと考えなければならない。
 そういうものに対して覚悟をきめるために、まだ一時間ほどあると私は思う。

       四五

 群集はみな笑うだろう、手をたたくだろう、喝采《かっさい》するだろう。しかも、喜んで死刑執行を見に駆けてくるそれらの自由なそして看守などを知らない人々のうちには、その広場にいっぱいになる群立った頭のうちには、私の頭の後を追っていつかは赤い籠のなかに転げ込むように運命づけられてる頭が、一つならずあるだろう。私のためにそこへ来てるがやがて自分のためにそこへ来るようになる者が、一人ならずあるだろう。
 それらの宿命的な人々のために、グレーヴの広場のある地点に、一つの宿命的な場所が、人をひきつける一つの中心が、一つの罠《わな》がある。彼らはその周囲をまわりながらついに自らそこに陥ってゆくのだ。

       四六

 私の小さなマリーよ!――彼女は遊びにつれもどされた。いま彼女は辻馬車の扉口から群集を眺めていて、もうこのおじちゃま[#「おじちゃま」に傍点]のことは考えてもいない。
 おそらく私は彼女のためにいくページか書くひまがまだあるだろう。他日彼女がそれを読んでくれて、そして十五年もたったら今日のために涙を流してくれるようにと!
 そうだ、私は自分の身の上を自分で彼女に知らせなければならない。私から彼女へ残す名前がなぜ血ににじんでいるかを、彼女へ知らせなければならない。

       四七

 予が経歴

発行者曰――ここに該当する原稿を探したが、まだ見出せない。おそらく、次の記事が示すように、受刑人はそれを書くひまがなかったものらしい。彼が書こうと思いついた時は、もう遅かった。

       四八

                   市庁の一室にて

 市庁にて!――私はこうして市庁に来ている。呪うべき道程はなされた。広場はすぐそこにある。窓の下には嫌悪すべき人群が吠えている、私を待っている、笑っている。
 私はいかに身を固くしても、いかに身をひきしめても、やはり気がくじけてしまった。群集の頭越しに、黒い三角刃を一端に具えてるあの二本の赤い柱が、河岸の街灯のあいだにつっ立っているのを見た時、私は気がくじけてしまった。私は最後の申立てをしたいと求めた。人々は私をここに置いて、検事か誰かを呼びに行った。私はそれが来るのを待っている。とにかくそれだけ猶予を得るわけだ。
 これまでのことを述べておこう。
 三時が鳴ってる時、時間だと私に知らせに人が来た。私は六時間前から、六週間前から、六か月も前から、他のことばかり考えていたかのように、ぞっと震えた。何だか意外なことのような感じがした。
 彼らは私にいくつもの廊下を通らせ、いくつもの階段を降りさせた。彼らは私を一階の二つのくぐり戸のあいだに押し入れた。薄暗い狭い円天井の室で、雨と霧の日の弱い明るみだけがほのかにさしていた。室のまんなかに椅子が一つあった。彼らは私に座れと言った。私は座った。
 扉のそばと壁にそって、司祭と憲兵らのほかになお、数人の者が立っていた。三人のあいつらもいた。
 三人のうち最初のは、いちばん背が高く、いちばん年長で、あぶらぎって赤い顔をしていた。フロックを着て、変な形の三角帽をかぶっていた。そいつがそうだった。
 そいつが死刑執行人、断頭台の給仕だった。他の二人はそいつについてる助手だった。
 私が腰をおろすや否や、その二人が後ろから猫のように近寄ってきた。それから突然、私は刃物の冷たさを髪のなかに感じた。はさみの音が耳に響いた。
 私の髪の毛は手当りしだいに切られて、ひと房ずつ肩の上に落ちた。三角帽の男はそれを太い手で静かにはらいのけた。
 周囲では人々が低い声で話していた。
 戸外には、空中にうねってる振動のような大きな音がしていた。私ははじめそれを河の音と思った。しかしどっとおこる笑い声を聞いて、群集であることがわかった。
 窓のそばにいて手帳に鉛筆で何か書いてた若い男が、看守の一人にそこでなされてる事柄は何というのかたずねた。
「受刑人の身じたくです。」と看守は答えた。
 それが明日の新聞に出ることを私は悟った。
 突然助手の一人は私の上衣を脱ぎ取った。もう一人の助手は私の垂れてる両手をとらえ、それを背後にまわさせた。そして私は合わさってるその両の手首のまわりに、綱の結び目が徐々にできてくるのを感じた。と同時に、一方の助手は私のネクタイをといた。昔の私自身の唯一のなごりの布きれであるバチスト織のシャツに、彼はちょっと躊躇《ちゅうちょ》したらしかった。が、やがてそのシャツのえりを切りはじめた。
 私はその恐ろしい用心を見てとり、首にふれる刃物の感触が身にしみて、両肱がふるえ、息をつめたうなり声をもらした。えりを切ってる男の手はふるえた。
「どうか、ごめんください。」と彼は私に言った。「どこか痛かったのですか。」
 その死刑執行人はきわめて穏和な人間だ。
 群集は外部でますます高くわめいていた。
 顔に吹出物のある大きな男は、私に嗅がせるため酢にひたしたハンカチを差し出した。
「ありがとう。」と私はできるだけ強い声で彼に言った。「それにはおよびません。大丈夫です。」
 すると彼らの一人は身をかがめて、小股でしか歩かれないようなふうに、私の両足を巧妙にゆるく縛った。その綱は両手の綱へ結びつけられた。
 それから大きな男は、上衣を私の背に投げかけ、その両袖の先を私のあごの下でゆわえた。なすべきことはすっかりなされた。
 そこで司祭が十字架像を持って近寄ってきた。
「さあ、あなた。」と彼は私に言った。
 死刑執行人の助手たちは私の両脇をとらえた。私は持ちあげられて歩いた。私の足には力がなく、両方に膝が二つずつもあるかのようにまがった。
 その時、外部に通ずる戸口の両の扉がさっと開かれた。激しい喧騒の声と冷たい空気と白っぽい光とが、影のなかに私のところへまではいりこんできた。私は薄暗い戸口の奥から、雨のなかをすかして、すべてを急に一度に見てとった。パレ・ド・ジュスティスの大階段の斜面にごっちゃに積み重なってる人々の、喚き立ててる無数の頭。右手には、入口と同平面に、戸口が低いので私には馬の前足と胸としか見えないが、騎馬の憲兵の一列。正面には、展開している一隊の兵士。左手には、急なはしごが立てかけてある荷馬車の後部。すべて監獄の戸口にはめこまれた一幅の醜悪な画面だ。
 その恐るべき瞬間のために私は勇気をたくわえておいたのだった。私は三歩進んで、くぐり戸の出口にあらわれた。
「あれだ、あれだ!」と群集は叫んだ。「とうとう、出てきた。」
 そして私に近い者らは手をたたいた。人民からいかに愛されてる国王であろうと、これほどの歓迎はされないだろう。
 車はふつうの荷馬車で、痩《や》せこけた馬が一頭つけられていて、ビセートル付近の野菜作りらが着るような赤い模様の青の上っ張りを着てる、荷馬車ひきが一人ついていた。
 三角帽の大きな男がまっ先に乗った。
「こんにちは、サンソン先生!」と鉄柵にぶらさがってる子供らは叫んだ。
 一人の助手が彼につづいて乗った。
「ひやひや、どんたく先生!」と子供らはまた叫んだ。
 彼らは二人とも前部の腰かけに座った。
 こんどは私の番だった。私はかなりたしかな態度で馬車に乗った。
「しっかりしてる!」と憲兵のそばの一人の女が言った。
 その不逞《ふてい》な賛辞は私を元気づけた。司祭が私のそばに来て席を占めた。私は馬のほうに背を向けて後ろむきに、後部の腰かけに座らされたのだった。そういう最後の注意を見てとって私はぞっとした。
 彼らはそれを人情のあることだとしている。
 私はあたりを見まわしてみた。前には憲兵ら、後にも憲兵ら、それから群集に群集に群集、広場の上はまるで人の頭の海だった。
 鉄門のところに、騎馬の憲兵の一隊が私を待っていた。
 将校は命令をくだした。荷馬車とつきそいの行列とは、いやしい群集の喚声で押し進められるように動きだした。
 鉄門を通過した。馬車がポン・トー・シャンジュのほうへまがった時、広場じゅうが敷石から屋根に至るまでどっとわき立ち、ほうぼうの橋と河岸とがこたえ合って、地震のような騒ぎになった。
 そこで、待ってる憲兵の一隊が護衛に加わった。
「帽子取れ、帽子取れ!」と無数の声が一緒に叫んでいた。――国王に対してのようだ。
 そこでこの私までがひどく笑った。そして司祭に言った。
「彼らのほうは帽子だが、私のほうは頭です。」
 一同は並足で進んでいった。
 花物河岸は香りを立てていた。花市の日だった。花売娘らは花をすてて私のほうに駆けだしてきた。
 真正面に、パレ・ド・ジュスティスの角となってる四角な塔のすこし前方に数軒の居酒屋があって、その中二階は好位置だというので見物人でいっぱいだった。ことに女が多かった。居酒屋にとっては上乗の日にちがいない。
 テーブルや椅子やふみ台や荷車などが貸し出されていた。どれにもみなしなうほど見物人が乗っていた。人の血をあてこんだ商人らが声のかぎりに叫んでいた。
「席のいるかたはありませんか。」
 そういう群集に対して私は憤激を覚えた。彼らにむかって叫んでやりたかった。
「俺の席のほしい者はないか。」
 そのうちにも馬車は進んでいた。馬車が進むにつれて、群集はその後ろから崩れていって、私の道すじの遠くのほうに行ってまた集まるのが、私の茫然とした目にも見えた。
 ポン・トー・シャンジュの橋にさしかかった時、私はふと右手後ろのほうを見やった。するとむこう岸に、人家の上方に、彫像のいっぱいついている黒い塔が一つぽつりと立ってるのが目についた。その頂上に、横向きに座ってる二つの石の怪物が見えていた。なぜだかわからないが、私はそれが何の塔だか司祭にたずねた。
「サン・ジャック・ラ・ブーシュリーの塔です。」と死刑執行人は答えた。〔ラ・ブーシュリーは普通の言葉では屠殺所のこと。〕
 靄《もや》がかかっていたし、こまかな白い雨脚が蜘蛛《くも》の巣をはったようになっていたが、それでも周囲に起こることはみな、どうしてだかわからないが、なにひとつ私の目をのがれなかった。そしてそのひとつひとつの事柄が私を悩ました。その感じはとうてい言葉にはつくされない。
 ポン・トー・シャンジュの橋は広かったが、やっとのことでしか通れないほど人でいっぱいになっていた。その橋の中ほどで、私は急激な恐怖の念に襲われた。私は気を失いはしないかと心配した。最後の見栄《みえ》だ。で私は自ら自分をごまかして、なにも見ずなにも聞かないで、ただ司祭のほうだけに心を向けようとした。が、司祭の言葉は、喧騒のためとぎれてよく聞こえなかった。
 私は十字架像を取ってそれに接吻した。
「御慈悲を、神よ!」と私は言った。――そしてその一念のうちに沈潜しようとつとめた。
 しかし冷酷な荷馬車の動揺は私の心をゆすった。それから突然私はひどい寒さを覚えた。雨はもう服をしみ通していたし、みじかく刈られた髪を通して頭の皮膚をぬらしていた。
「寒さにふるえていますね、あなた。」と司祭は私にたずねた。
「ええ。」と私は答えた。
 悲しいかな、ただ寒さのためばかりではなかった。橋からまがってゆく角のところで、私の若さを女どもが憐れんでくれた。
 私たちは最後の河岸に進んだ。私はもう目が見えず耳が聞こえなくなりはじめた。それらの人声、窓や戸口や商店の格子窓や街灯の柱などに積み重なってるそれらの頭、貪欲な残忍なそれらの見物人、皆が私を知っていて私のほうでは一人も知らないその群集、敷石も壁も人の顔でできてるその街路……私は酔わされ、茫然とし、白痴のようになっていた。あれほど多くの人の目が自分の上にのしかかってくることは堪えがたいものである。
 私は腰かけの上にふらふらして、もう司祭にも十字架にも注意をかさなかった。
 周囲の騒擾《そうじょう》のなかに、憐れみの叫びと喜びの叫びとを、笑いと嘆きとを、人声と物音とを、私はもう聞きわけられなかった。それらはみな一つの轟きとなって、銅の太鼓の中のように私の頭のなかに鳴りわたった。
 私の目は機械的に商店の看板を読んでいた。
 一度私は異様な好奇心にかられて、自分の進んでるほうをふりむいて見ようとした。それが、私の知性の最後の挑戦だった。しかし体はいうことをきかなかった。私の首すじは麻痺《まひ》して、前もって死んだようになっていた。
 私はただ横手に、左のほうに、河のむこうに、ノートル・ダームの塔をちらと見ただけだった。そこから見ると、その塔はもう一つの塔を隠している。見えるのは旗の立った塔だけだ。塔の上には多くの人がいた。彼らはよく見えたにちがいない。
 そして荷馬車はますます進んでゆき、商店はつぎつぎに通りすぎ、看板は書いたのや塗ったのや金色のがひきつづき、いやしい群集は泥のなかで笑い躍った。そして私は、眠ってる者が夢のままになるように、連れてゆかれるままに自分をまかせた。
 突然、私の目に映っていた商店の軒なみは、一つの広場の角で切れた。群集の声はなおいっそう広く甲高く愉快そうになった。馬車は急にとまった。私はうつむけに倒れかかった。司祭が私を支えてくれた。
「しっかりなさい。」と彼は囁いた。その時馬車の後部に梯子《はしご》が持ってこられた。司祭は私に腕をかした。私は降りた。それから一足歩いた。次に向きなおってもう一足歩こうとした。が足は進まなかった。河岸の街灯のあいだに、すごいものを見てとったのである。
 おお、それは現実だった!
 私はもうその打撃を受けてよろめいてるかのように立ちどまった。
「最後の申し立てをしたい。」と私はよわよわしく叫んだ。
 彼らは私をここに連れてきた。
 私は最後の意志を書かせてくれと願った。彼らは私の手を解いてくれた。しかし綱はいつでも私を縛るばかりになってここにあるし、その他のものは、あすこに、下のほうにある。

       四九

 裁判官だか検察官だか属官だか、どういう種類のものか私にはわからないが、一人やってきた。私は両手を合わせ両膝をつきながら赦免を願った。彼は余儀ない微笑をうかべながら、言いたいことはそれだけかと私に答えた。
「赦《ゆる》してください、赦してください!」と私はくりかえした。「さもなくば、御慈悲に、もう五分間猶予してください。どうなるかわかりません、赦されるかもしれません。私くらいの年齢で、こんな死にかたをするのは、どうにも恐ろしいことです。最後のまぎわに特赦がくる、そういうこともたびたびありました。私が特赦を受けないとすれば、誰が特赦を受ける資格がありましょう?」
 呪うべき死刑執行人、彼がそのとき裁判官に近寄ってきて言った、死刑の執行は一定の時間になされなければならない、その時間がもうせまっている、自分は責任をになっている、そのうえ雨が降っている、機械のさびるおそれがあると。
「どうぞ御慈悲に、一分間私の赦免の来るのを待ってみてください。さもなくば、私は抵抗します、かみつきます!」
 裁判官と死刑執行人とは出ていった。私はひとりきりだ。――二人の憲兵と一緒なだけだ。
 おお、山犬のように叫び声をたててる恐ろしい群集!――わかるものか、私が彼らから遁《のが》れられないかどうか、私が助からないかどうか、私の赦免が……。私が赦免されないということがあるものか。
 ああ、あいつら、階段をのぼってくるようだ……。

 四時!

     序

 本書の初めの諸版は、著者の名前なしでまず出版されたものであって、冒頭には次の数行しかついていなかった。

 本書の成立を会得するのに、二つのしかたがある。すなわち、黄ばんだ不揃いなひとたばの紙が実際あって、一人のみじめな男の最後の思想が、それに一つ一つ書き留められているのが見出されたのだと。あるいはまた、哲学者とか詩人とか、とにかく一人の者が、芸術のために自然を観察している夢想家があって、本書のなかにあるような観念を心にうかべ、それを取りあげて、というよりむしろそれに捉えられて、それからのがれる途はただ、それを一冊の書物として投げ出すよりほかはなかったのだと。
 その二つの説明のうち、どちらなりと好きなほうを読者は選ぶがよい。

 右のことでわかるとおり、本書が出版された当時、著者は自分のすべての考えをすぐに述べるのが適当だとは思わなかった。そして自分の考えが人に理解されるのを待つほうを好み、はたして理解されるかどうかを見るのを好んだ。ところが著者の考えは理解された。で今や著者は、文学という潔白清純な形式で普及させようとした自分の政治的思想や社会的思想を、あからさまに持ち出すことができる。そこで著者は言明する、というよりむしろ公然と告白する、『死刑囚最後の日』は、直接にかあるいは間接にかは問わずして、死刑の廃止についての弁論にほかならないと。著者が意図したところのものは、そして後世の人がかかる些事にも気を配ってくれることがあるとすれば、後世の人から作品のなかに見てとってもらいたいと著者が思ったところのものは、選ばれたる某罪人についての、特定の某被告についての、いつでも容易なそして一時的な特殊の弁護ではなくて、現在および未来のあらゆる被告についての、一般的なそして恒久的な弁論である。大いなる最高法院たる社会の前においてあらゆる人が陳述し弁護する、人間の権利に関する重大な一事である。すべての刑事訴訟より以前に永遠に打ち立てられている、最上の妨訴抗弁であり、血に対する嫌悪である。すべての重罪審の底で、法官らの血なまぐさい修辞学の熱弁の三重の厚みにおおわれながら、ひそかにうごめいているほの暗い避けがたい問題である、生と死との問題であり、なおあえて言えば、衣をはがれ、裸体にされ、検事局の堂々たる世迷《よま》い言《ごと》をはぎ取られ、むごたらしく白日の明るみにさらされ、正当の視点にすえられ、本来あるべき場所に、実際ある場所に、本当の環境に、恐るべき環境におかれ、法廷にではなくて死刑台に、判事の手中にではなくて死刑執行人の手中におかれた、生と死との問題である。
 著者が取り扱おうと欲したものは右のとおりである。あえて望みかねることではあるが、それをなした光栄をもしも将来いつか著者が得ることがあるとすれば、著者にとって本懐の至りである。
 そこでなお言明しくりかえすが、著者は無罪のあるいは有罪のあらゆる被告の名において、すべての法廷や裁判所や陪審や審判の面前に席を占め、本書はすべて裁判官たる者に掲示されるものである。そしてこの弁論は、事件が広範にわたると同様に広範にわたるべきものであるから、したがって、『死刑囚最後の日』はそういうふうに書かれたのであるが、主題において各方面に削除をほどこし、偶発的なこと、事件的なこと、個人的なこと、特殊なこと、相対的なこと、変更できること、枝葉のこと、珍しいこと、結末のこと、人物の名前などはすべて除いてしまって、ただ特定のものでなしに、ある罪のためにある日処刑されたある死刑囚の事件を弁論する、というだけに限らねばならなかった(それが限るということになるならば)。もし著者が、ただ自分の思想だけの道具でかなり深く穿鑿《せんさく》して、三重の青銅板[#「三重の青銅板」に傍点]で張られている一司法官のかたくなな心に断腸の思いをさせえたならば、仕合せである。自ら正しいと思っている人々を憐れむべき者となしえたならば仕合せである。裁判官の内部を掘り返して、時としてそこに一個の人間を再現させることができたならば、仕合せである。
 三年前本書が世に出た時、ある人々は著者の観念を非議すべきものだと考えた。そして本書を、あるいはイギリスのものだとし、あるいはアメリカのものだとした。ふしぎな癖である、事物の源を百里のかなたに探し求めようとするとは、われわれの街路を洗っている溝をナイル河の水源池に流れさせようとするとは。遺憾《いかん》ながらこのなかには、イギリスの書物もなく、アメリカの書物もなく、または中国の書物もない。著者は『死刑囚最後の日』の観念を書物のなかから取ってきたのではない。著者は観念をそう遠くに探し求める習慣をもってはいない。著者が本書を思いついたのは、誰でもみなが思いつきうるところ、誰でもおそらく思いついたろうところ(というのは、死刑囚最後の日[#「死刑囚最後の日」に傍点]を頭のなかで考えるか想像するかしなかった者があろうか)、ただ単に公けの広場、グレーヴの刑場においてである。ある日そこを通りながら著者は、断頭台のまっかな木組の下の血の溜りのなかに横たわってるこの避けがたい観念を拾いあげたのである。
 それからというもの、最高法院の悲しむべき木曜日のなりゆきにしたがって、死刑決定の叫びがパリの中におこる日がくるたびごとに、グレーヴの刑場に見物人を呼び集める嗄《しわが》れたわめき声が窓の下を通ってゆくのを聞くたびごとに、著者は右の痛ましい観念に再会して、それにとらえられ、憲兵や死刑執行人や群集などのことが頭にいっぱいになり、死にのぞんでいるみじめな男の最期の苦悶を刻々に見る気がし――ただいま彼は懺悔《ざんげ》をさせられてる、ただいま彼は両手を縛られてる――そしてただ一介の詩人たる著者は、そういう恐ろしいことが行なわれているのに平然と自分の仕事をしている全社会にむかって、すべてのことを言ってやらずにはおられなくなり、せきたてられ突っつかれ揺すられて、詩を作っている折にはその詩を頭からもぎとられ、ようやくできあがりかけてる詩をすべて打ち砕かれ、あらゆる仕事を妨げられ、万事に途を遮られ、ただその観念におそわれつきまとわれ攻めつけられるのだった。それは一つの刑罰であって、その日とともに始まって、他方で同時に苦しめられているみじめな男の刑罰と同様に、四時まで続くのだった。四時になってようやく、切られし頭死せりと大時計の凄惨《せいさん》な音が叫んでから、著者は息をつくことができ、精神の自由をややとりもどすのだった。そしてついにある日、ユルバックの処刑の翌日だったと思うが、著者は本書を書きはじめた。それ以来はじめて胸が和らいだ。司法的執行といわれるそれら公けの罪悪の一つが行なわれる時、著者はもはやそれについて連帯の責がないことを良心から告げられた。グレーヴの刑場から社会の全員の頭上にほとばしりかかる血のしたたりを、著者はもはや自分の額に感じなくなった。
 とはいえ、それではまだ足りない。自分の手を洗い清めるのはよいことである。が、血を流すことをやめさせるのはさらによいことであろう。
 それゆえ著者はもっとも高い神聖な荘厳な目標をめざしたい。すなわち、死刑の廃止に協力すること。それゆえ著者は、もろもろの革命がまだ引き抜いていない唯一の柱たる死刑台の柱を打ち倒すことに数年来つとめている、各国の殊勝な人々の希願と努力とに、心底から左袒《さたん》する。そして弱小な者ではあるが、喜んで自ら斧《おの》の一撃を加えて、多くの世紀をさかのぼる昔からキリスト教諸国の上につっ立っている古い磔刑《たっけい》台に、六十年前ベッカリアが与えた切り口を、力のおよぶかぎり大きくしたいのである。
 今言ったとおり、死刑台はもろもろの革命から転覆されていない唯一の建物である。実際、革命はめったに人間の血を惜しまない。社会の葉を刈り、枝を刈り、頭を刈るために到来した革命にとっては、死刑はもっとも手放しにくい鉈《なた》の一つである。
 それでもうちあけて言えば、死刑を廃止するにふさわしくそれができそうに見えた革命があるとすれば、それは七月革命であった。まったく、ルイ十一世やリシュリューやロベスピエールなどの野蛮な刑罰を除き、人間の生命の不可侵性を法律の額に記入することは、近代のもっとも寛仁な民衆運動たるこの革命の仕事であるようだった。一八三〇年は一七九三年の肉切り庖丁を折り捨てるにふさわしかった。
 われわれは一時そのことに望みをかけた。一八三〇年八月には、多くの寛仁と憐憫とが空中に浮かんでおり、穏和と文明との強い精神が衆人のうちに漂っており、美しい未来が近づいてくる輝かしい心地を人に深く感じさせたので、われわれのじゃまとなっていた他のあらゆる悪事と同様に死刑も、暗々裡の衆人一致の合意で正当に一挙に廃止されるもののように、われわれには思われた。民衆は旧制度のあらゆる古着を燃やして祝い火としていた。そしてこんどのは血ににじんだ古着だった。われわれはそれが多くの古着の積み重なっているなかにあると思った。他のものと同様に燃やされたのだと思った。そして数週間のあいだ、信頼しやすく信じやすいわれわれは、自由の不可侵性とともに生命の不可侵性が未来に対して確保されたものと思った。
 はたして二か月とたたないうちに、セザール・ボヌザナの崇高な理想を実際法律上に解決せんがために、一つの試みがなされた。
 不幸にもその試みは、粗悪で、拙劣で、ほとんど偽善的なものであって、一般の利害よりも他の利害のためになされた。
 一八三〇年十月、人の記憶するかぎり、ナポレオンを円柱塔の下に埋めようとの提議を議事日程で退けた数日後、議会は全員泣きはじめ嘆きはじめた。死刑の問題が議題にのぼったのである。どういう機会でかは後ですこし述べるつもりであるが、その時、それらすべての議員の心は突然異常な慈悲の念にとらえられたらしい。各人が争って口をきき、うち嘆き、両手を天に差し出した。死刑とは、ああ何と恐ろしいことか! ある老年の検事長は、血色の法服のうちに老いて白髪となり、血に浸った論告のパンを生涯かじってきた男だったが、突然哀れっぽい様子をして、神に誓って断頭台を憤る旨を述べた。二日間たえまなく、議政壇上は泣き女めいた長広舌で満たされた。それは一つの哀歌であり、喪の歌であり、挽歌の合奏であり、「バビロンの河の上に」の聖歌であり、「マリア立ちいたりき」の聖歌であり、合唱隊つきのト調の一大交響楽であって、議会の上席を占め白昼いかにもみごとな音を出す雄弁家などの楽隊によって演奏されたのである。ある者は低音をもたらし、ある者は金切声をもたらした。なにひとつ欠けてるものはなかった。このうえもなく悲壮な痛ましい光景だった。ことに夜の会議は、ラショーセの戯曲の五幕目のように、情け深いやさしいまた悲痛なものだった。善良な公衆は、何のことかわけもわからずに、目に涙をうかべていた。――(われわれは、その時議会で述べられたものの全部を、同じ軽蔑のうちに包みこもうとするものではない。あちらこちらで、品位ある立派な言も発せられた。われわれもすべての人々とともに、ラファイエット氏のまじめな率直な演説を喝采《かっさい》したし、また他のある意味で、ヴィルマン氏の注目すべき即席演説を喝采した。)
 それはいったい何の問題についてであったか。死刑の廃止についてであったか。
 そうでもあるし、またそうでもない。
 事実はつぎのとおりである。
 上流社会の四人の男、申し分のない男、社交場裡に立ち交って敬意をもって遇せられた人物、その四人の男が、ベーコンに言わせれば罪悪となりマキアヴェリに言わせれば企図となるような大胆な行いを、政界の中心で試みた。ところで罪悪にせよ企図にせよとにかく、万人に対して横暴な法律はそれを死刑で罰した。そして四人の不幸な男は、ヴァンセンヌのみごとなアーチ建築のなかに閉じこめられ、法律の捕虜となって、三色の帽章をつけた三百人の者に護られていた。どうしたらよいか。どういうふうにしたらよいか。われわれと同じような四人の男を、四人の上流の男を、それと名ざすことさえはばかられる役人と背中合せにし、いやしい太縄で縛りあげ、荷車に乗せて、グレーヴの刑場に送ることは、どうも不可能なことではないか。マホガニーでできている断頭台でもあればまだしも!
 だから、死刑を廃止するだけのことだ。
 そこで、議会はその仕事にとりかかる。
 ところで代議士諸君よ、昨日まで諸君はこの死刑の廃止を、単に空想で理論で夢想で狂愚で詩だとしていた。がその荷車や太縄やまっかな恐ろしい機械に諸君の注意を呼ぼうとするのは、これがはじめてではない。そしてこの醜悪な器具がようやく突然諸君の眼につくというのは、ふしぎなことである。
 いや、そこに問題があるのだ。われわれが死刑を廃止しようとしたのは、それは民衆のためにではなく、われわれのため大臣ともなりうるわれわれ代議士たちのためにである。われわれはギヨタンの機械が上流階級をついばむのを欲しない。そこでわれわれはその機械を壊す。もしそのことが一般世人のためになれば仕合せというものだ。しかしわれわれが考えたのはわれわれだけのことである。隣りのユカレゴンの宮殿が燃えている。その火を消せ。いそいで、死刑執行人を廃し、縄を取り除こうではないか。
 そういうふうにして、利己主義の混和はもっとも美しい社会的結合を変質させ不自然になす。それは白大理石のなかの黒脈である。それが到るところに通っていて、鑿《のみ》の下に不意にたえず現われてくる。彫像は造りなおさなければならない。
 たしかに、ここに言明するにもおよばないことではあるが、われわれは四人の大臣の首を要求する者ではない。それらの不幸な人々がひとたび捕縛されるや、彼らの犯罪によって惹起された憤怒の念は、われわれにおいてもすべての人におけると同様に、深い憐憫の情に変わった。われわれは思いやった、彼らのうちのある者たちのかたよった教育のこと、一八〇四年の陰謀の熱狂的な頑固な再犯者であり、牢獄のしめっぽい影の下に早老の白髪となっている、彼らの首領の偏狭な頭脳のこと、彼らの共通な地位が宿命的に要求していたもののこと、一八二九年八月八日に王政自身がまっしぐらに駆け降りたあの急坂を、途中で立ちどまることの不可能だったこと、それまでわれわれがあまり考慮を払わずにいた、王家の者の勢力のこと、ことに、彼らのうちの一人が彼らの不幸のうえに緋《ひ》の衣のように広げかけていた威厳のことなどを。それでわれわれは、彼らの命が助かることを衷心《ちゅうしん》から希望する者であり、そのためには常に尽力を惜しまない者である。万一彼らの死刑台がグレーヴの刑場に立てられることであったとすれば、たとい空想にもせよわれわれは信じたいのであるが、たぶんその死刑台を転覆するために暴動が起こったであろう。そして今これを書いている著者はその神聖な暴動の仲間にはいっていたであろう。なぜかなれば、これもまた言っておかなければならないことであるが、すべて社会的危機においては、あらゆる死刑台のうちでも、政治的死刑台はもっとも呪うべきものであり、もっとも痛ましいものであり、もっとも有毒なものであり、もっとも根絶しなければならないものである。この種の断頭台は敷石のなかにも根をおろして、わずかの間にあらゆる地点に生え広がる。
 革命の時には、切り落とされる最初の首に注意しなければいけない。それは首に対する貪欲心を民衆におこさせる。
 それゆえわれわれは個人的には、四人の大臣に死刑を免れさしてやろうと欲する人々に賛成であり、感情的にも政治的にもあらゆる点で賛成であった。ただ、死刑の廃止を提議するのに議会が他の機会を選ぶことこそ、われわれのさらに好むところだった。
 もしその望ましい廃止が、チュイルリーの宮殿からヴァンセンヌの牢獄へ落ちこんだ四人の大臣についてでなく、ある大道の強盗について、あるみじめな者について、提議されたのであったならば……。みじめな人々、街路で諸君のそばを通っても、諸君はそれにほとんど目もくれず、言葉をかけもせず、その埃まみれの肱を本能的に避けようとする。不幸な人々、幼年時代にはぼろを着て、四つ辻の泥のなかをはだしで駆けまわり、冬は河岸べりにうち震え、諸君が食事をしに行くヴェフールの家の料理場の風窓で身をあたため、あちこちで塵埃塚《ちり》のなかからパンの皮を掘り出し、それをふいてから食べ、終日|鉤《かぎ》で溝をかきまわしては一文二文を漁《あさ》り、楽しみとしてはただ、国王の祝日の無料の見世物と、もう一つの無料の見世物たるグレーヴの死刑執行だけである。憐れな者ども、空腹から窃盗をするようになり、窃盗からその他のことをするようになる。邪険な社会の裸一貫の子供たち、十二歳で懲治監《ちょうじかん》に引き取られ、十八歳で徒刑場に送られ、四十歳で死刑台にのぼらせられる。不運な人々、一つの学校と仕事場とを与えられれば、善良な者となり、正当な者となり、有用な者となるはずなのを、なすすべを知らぬ諸君のために、ただ無益な荷物として、あるいはツーロン徒刑場の赤服の群のなかに投げこまれ、あるいはクラマール墓地の黙然たる囲壁のなかに投げこまれて、自由を盗まれた後に生命を強奪される。もしそれらの人々の誰かについて、諸君が死刑の廃止を提議していたならば、おお、その時こそ、諸君の会議は本当に立派な偉大な神聖なおごそかな尊むべきものとなったであろう。トラントの崇《あが》むべき教父たちは、異端者らの改宗をも希望したので、神聖会議は不信者の帰依を希うがゆえに[#「神聖会議は不信者の帰依を希うがゆえに」に傍点]、神の内臓の名において異端者をも会議に招いたが、そのトラントの会議以来、諸君の会議は人の集会としては、もっとも崇高な顕著な慈悲深い光景を世に示したであろう。弱い者や微賤な者のことを図ってやるのはいつも、真に強い者や真に偉大な者の仕事である。バラモン僧の会議は第四階級の事件を取りあげる時に立派なものとなる。そしてここでは、その第四階級の事件はすなわち民衆の事件である。民衆のために、そして諸君自身の利害が問題となるまで待つことをせずに、死刑を廃止するのであったら、諸君は政治的な仕事以上のものをなすことになり、一つの社会的な仕事をなすことになるのであった。
 しかるに、死刑を廃止せんがためにではなく、武断政略の現行を押さえられた四人の不幸な大臣を救わんがために、それを廃止しようとすることによって、諸君は一つの政治的な仕事をさえもなさなかった。
 そこでどういうことになったか。諸君が真摯《しんし》でなかったと同様に、人は諸君を信用しなかった。
 諸君が民衆をだまそうとしてるのを民衆は見てとって、その問題全体に憤慨し、そして注意すべきことには、自分たちだけでその重みをになっている死刑に対して味方した。民衆をそこまで導いたのは諸君の失策である。その問題に間接に不正直に手をつけて、諸君はそれを長く害《そこ》なった。諸君は芝居をした。芝居は失敗に終わった。
 それでもその茶番狂言を、ある人々は親切にも本気で受け容れてくれた。あのすてきな会議のすぐ後で、正直な司法卿は、あらゆる極刑をいつまでということなく停止するよう、検事長らに指令を与えた。それは表面上一大進歩だった。死刑反対者らは息をついた。しかし彼らのいたずらな望みは長くつづかなかった。
 大臣らの裁判は終結した。どういう判決が下されたかを私はしらない。四人の生命は赦《ゆる》された。ハムの牢獄が死と自由とのあいだの中庸として選ばれた。そういう種々の処置がひとたびなされてしまうと、国政を指導する人々の頭からすべての恐怖が消えうせ、恐怖とともに人情も去った。極刑を廃止することはもはや問題でなくなった。そしてひとたびその問題の必要がなくなると、彼らのいわゆる空想はふたたび空想となり、理論はふたたび理論となり、詩はふたたび詩となってしまった。
 けれどもなお監獄のなかには、数人の不幸な平民の囚人らがいて、五、六か月前からその中庭を歩き、空気を吸い、入獄後おとなしくなり、生きられるものだと信じ、死刑執行の延びるのを赦免のしるしだと思っている。けれども、早まってはいけない。
 実をいえば、死刑執行人はひどく恐れた。立法家が人情や仁愛や進歩などを説くのを聞いた日、彼はもう万事だめだと思った。みじめな彼は断頭台の下にうずくまり、夜の鳥が真昼の光に遭《あ》ったように七月革命の太陽に不安をおぼえ、自分を忘れようとつとめ、耳をふさぎ息をひそめた。そして六か月間姿を見せなかった。生きてるしるしさえ示さなかった。けれどもしだいに彼はその闇黒のなかで安心しだした。彼は議会のほうに耳をすましたが、もう自分の名が口にのぼせられるのを聞かなかった。ひどく恐れていたあの響きの高い堂々たる言説ももう聞こえなかった。『犯罪および刑罰論』の大げさな注釈ももう聞こえなかった。人々は他の事柄に頭を向けていた。ある重大な社会的利害問題、ある村道問題、オペラ・コミック座に対する補助金問題、あるいは、卒中患者みたいな十五億の予算からわずか十万フランの出血治療をなす問題、などに頭を向けていた。もう誰もかの首切り人のことを考えていなかった。それを見て彼は心がおちつき、穴から頭を出して四方を眺めた。そしてラ・フォンテーヌの物語の中のあるはつかねずみのように、一足二足とはい出し、それから思いきってその木組の下からすっかり外に出で、次にその上に跳び乗って、それを修繕し修復し研《みが》き擦《す》り動かし光らして、使われなかったために調子がくるっているその古いさびた機械にふたたび油をぬりはじめる。そして突然彼はふりむいて、監獄のなかから手当りしだいに助かるつもりでいる不運な者を一人つかまえ、その頭髪をつかんで自分のほうへひきよせ、何もかも剥ぎ取り、縄でゆわえ鎖で縛る。そしてふたたび死刑執行がはじまる。
 それは恐るべきことではあるが、しかし事実である。
 実際、不幸な囚人らへ六か月の猶予が与えられた。そのため彼らは助かるかもしれないという望みを懐くことによって、いわれなく刑を重くされたようなものである。六か月後のある朝、理由もなく、必要もなく、なぜかもわからず、面白半分[#「面白半分」に傍点]に、猶予が撤回されて、それらの男たちは規定の切断機へ冷やかにまわされた。ああ、諸君にたずねたい。それらの男たちが生きているということがわれわれ皆の者に何のわずらいとなったか。フランスには万人のために呼吸する空気が十分にないのか。
 ある日、司法省のいやしい一使用人が、どうでもよいことなのに、椅子から立ちあがって、「さて、もう誰も死刑廃止のことを考えていないから、また首切りをはじめてみるかな。」と言ったとすれば、その男の心のなかには、きわめて奇怪な何かがおこったにちがいない。
 それにまた、あえていえば、この七月の猶予撤回の後、死刑執行にはもっとも恐ろしい事故がともなって、グレーヴ刑場の話はもっともいまわしいものとなり、死刑の呪うべきことをもっともよく証明した。そして人の嫌悪を倍加させたことは、死刑法をふたたび実施した人々の受ける正当な懲罰である。彼らはそのなせるわざによって罰せられてあれ。あっぱれ出来《しゅったい》したるものかな。
 死刑執行が往々にしていかに恐ろしい非道なものであるかについて、ここに二、三の実例をあげなければならない。検事夫人らの神経を痛ませなければならない。女は時として良心である。
 昨年の九月の末ごろ、南方で、たぶんパミエでだったと思うが、その場所や日や囚人の名前は今はっきり覚えていない。しかし事実を否定する者があったら、それを探し出してみせてもよい。で、九月の末ごろ、一人の男が監獄のなかで、落ち着いてカルタをやってるところを呼ばれて、二時間後には死ななければならないことを告げられた。彼は全身ふるえあがった。なぜなら、もう六か月間も彼は放っておかれて、死を予期していなかった。彼はひげをそられ、髪を刈られ、縛りあげられ、懺悔《ざんげ》をさせられた。それから四人の憲兵に護られ、群集のあいだを通って、刑場へ車で運ばれた。そこまでは何の奇もなかった。いつもそういうふうになされるのである。断頭台に着くと、死刑執行人は彼を司祭から受け取り、彼を奪い去り、彼を跳板の上にゆわえ、隠語を用いれば彼を竈に入れ[#「竈に入れ」に傍点]、それから肉切り庖丁を放した。重い鉄の三角刃は落ちぐあいが悪く、溝縁の中にがたついて、ひどいことには、男を切っただけで殺すに至らなかった。男は恐ろしい叫び声をたてた。死刑執行人は狼狽して、また庖丁を引きあげて落とした。庖丁は二度|科人《とがにん》の首を切ったが、まだそれを切断しなかった。科人はわめき、群集もわめいた。死刑執行人はまた庖丁を引きあげて、三度目に望みをかけた。だめだった。三度目の打撃は受刑人の首すじから三度血をほとばしらせたが、頭を切り落とさなかった。簡単に述べよう。肉切庖丁は五度引きあげられ落とされて、受刑人を五度切りつけた。受刑人は五度ともその打撃の下にわめき声をたて、宥恕《ゆうじょ》を求めながら生きた頭をうち振った。群集は憤激して石を拾い、みじめな死刑執行人に正義の石を投じた。死刑執行人は断頭台の下に逃げだして、憲兵らの馬の後ろに隠れた。しかしそれだけではない。受刑人は断面台の上に一人きりになったのを見て、跳板の上に立ちあがり、なかば切られて肩に垂れている首を支えながら、血の流れる恐ろしい姿でそこにつっ立って、首を切り離してくれと弱い声で訴えた。群集は憐れみの念でいっぱいになって、いまにも憲兵の列をつき破って五度死刑を受けた不幸な男を助けにいこうとした。ちょうどそのまぎわに、死刑執行人の一人の助手が、二十歳ばかりの青年だったか、断頭台の上にのぼって、縄をといてやるから向きを変えるようにと男に言い、男がそれを信じて言われるままの姿勢をしたのに乗じ、その死にかかってる男の背にとびついて、なんらかのある肉切り庖丁で、首の残りをようやくのことで切り離した。それは実際あったことである。実際見られたことである。本当だ。
 法律の条文によれば、一人の裁判官がその処刑には立ち会っていたはずである。一人の合図で彼はすべてをやめさせることができるのだった。しかるにこの裁判官は、一人の男が屠殺されてるあいだ、その馬車の奥で何をしていたのか。この殺害人懲罰者は、真昼間、眼前で、自分の馬の鼻先で、自分の馬車の扉口で、一人の男が殺害されているあいだ、何をしていたのか。
 そしてその裁判官は裁判に付せられなかった。その死刑執行人は裁判に付せられなかった。神に造られた一個の神聖な人命においてあらゆる掟《おきて》が残酷に破棄されたことについて、どの法廷も詮議《せんぎ》をしたものはなかった。
 十七世紀において、リシュリューやクリストフ・フーケが上に立っている刑法の野蛮時代において、ド・シャレー氏はナントのブーフェーの前で殺されたが、刑執行人の兵士は不器用にも、剣の一撃でせずに、樽屋の手斧で三十四回の打撃を与えた。(ラ・ポルトは二十二回と言ってるが、オーブリーは三十四回と言っている。ド・シャレー氏は二十回まで叫び声をたてた。)その時でもそれは反則なものだとパリ裁判所の目に映じた。調査が行なわれ裁判がなされた。そしてたといリシュリューは罰せられなかったとはいえ、たといクリストフ・フーケは罰せられなかったとはいえ、兵士は罰せられた。むろんそれは不正ではあるが、しかし底には多少正義があった。
 が、こちらには何物もない。七月革命の後に、穏良な風習と進歩との時代に、死刑に対して議会がひどく悲嘆した一年後に起こったことである。ところがその事実は全然看過された。パリの諸新聞はそれを一つの話柄として掲げた。誰も心を動かす者はなかった。高等事務執行者を陥れようとする[#「高等事務執行者を陥れようとする」に傍点]者が故意に断頭台の機械を狂わしていた、ということが知られたばかりだった。死刑執行人の一人の助手が、主人から追い出されて、意趣ばらしにそういう悪事を謀《はか》ったのだった。
 それは一つのいたずらにすぎなかった。が、先をつづけよう。
 ディジョンで、三か月前に、一人の女が刑場に引き出された。(女なのだ!)その時もまた、ギヨタン博士の肉切り庖丁は用をしそこなった。首はすっかりは切れなかった。すると死刑執行人の助手らは女の足につかまり、不幸な彼女のわめき声のあいだに、跳ねあがったりひっぱったりして、頭と体とをもぎ離してしまった。
 パリにおいては、秘密処刑の時代が再現した。七月革命後、人はもはやグレーヴの刑場で首を切ることをあえてしかねたし、恐れていたし、卑怯だったので、次のようなことがなされた。最近のこと、一人の男が、一人の死刑囚が、デザンドリューという名前の男だったと思うが、ビセートルの監獄で取りあげられた。彼は四方閉ざされ海老錠と閂がかけられている二輪車の一種の籠のなかに入れられた。そして前後に一人ずつ憲兵がつきそい、あまり音もたてず人だかりもせず、サン・ジャックのさびしい市門へ運ばれた。まだ十分明るくならないうち朝の八時にそこまで行くと、新しく組み立てられたばかりの断頭台が一つ立っていた。公衆としてはただ十二、三人の子供らが、近くの小石の山の上に意外な機械のまわりに集まっていた。人々はいそいで男を籠馬車から引き出し、息をつくひまも与えず、ひそかに狡猾《こうかつ》に見苦しくもその首を盗み切った。そしてそれが高等司法の公けのおごそかな行為と呼ばれる。いやしむべき愚弄である。
 法官らはいったい文明という言葉をどう解釈しているのか。われわれはいったいいかなる時代にあるのか。策略と瞞着とに堕した司法、方便に堕した法律、奇怪なるかな!
 死刑に処せられるということは、社会からそういうふうに陰険に取り扱われるからには、きわめて恐るべきことであるにちがいない。
 とはいえ実のところ、右の死刑執行は全然秘密にされたものでもなかった。その朝、例のとおり、パリの四つ辻で死刑決定の報道が呼売された。そういうものを売って暮らしている人があるらしい。嘘のようだが実際、一人の不運な男の罪悪や、その懲罰や、その責苦や、その臨終の苦悶などで、一つの商品が、一つの印刷物が作られて、一スーで売られている。血のなかにさびたその銅貨ほどいまわしいものが、他に何かあるだろうか。それを拾い取る者が誰かあるだろうか。
 事実はこれでもう十分だ。あまりあるほどである。すべてそれらは嫌悪すべきことではないか。死刑に左袒《さたん》すべき余地がどこにあるか。
 われわれはこの質問を真剣に提出する。返答を求めて提出する。饒舌《じょうぜつ》な文学者へではなく、刑法学者へ提出する。われわれの知ってるところでは、死刑の妙味をまったく他の問題として逆説の主題とする人々がいる。また、死刑を攻撃する誰かれを憎むというだけで死刑に賛成する人々もいる。彼らにとってはそれはなかば文学的な事柄であり、個人的な事柄であり、固有名詞的な事柄である。それは羨望者であって、善良な法律家にも偉大な芸術家にもともに現われてくる。フィランジエリに対してはジョゼフ・グリッパのような者が常にいるとともに、ミケランジェロに対してはトレジアーニのような者が常におり、コルネイユに対してはスキュデリーのような者が常にいる。
 われわれが言葉をかけるのは、そういう者へではなくて、本来の法律家へであり、弁証論者へであり、理論家へであり、死刑のために、その美と善の恩恵とのために、死刑に賛成する人々へである。
 ところで彼らは多くの理由をあげる。
 裁判し処刑する側の人々は、死刑を必要だと言う。第一に、なぜかなれば、社会共同体からすでにその害となりなお将来害となりうる一員を除くことは大事なことだと。――しかし、もしそれだけのことであったら、終身懲役で十分だろう。死が何の役にたつか。監獄では脱走の恐れがあるというならば、巡警をなおよくすればよい。鉄格子の強さでは不安心だというならば、どうして他に動物園などを設けておくのか。
 看守で十分なところには、死刑執行人の要はない。
 けれども、社会は復讐しなければならない。社会は罰しなければならない、と次に彼らは言う。――しかし、どちらもそうではない。復讐は個人のことであり、罰は神のことである。
 社会は両者の中間にある。懲罰は社会より以上であり、復讐は社会より以下である。それほど偉大なこともそれほど微小なことも社会にはふさわしくない。社会は「復讐するために罰する」ことをしてはいけない。改善するために矯正することをなすべきである。刑法学者の慣用の文句をそう変えれば、われわれも了解し同意する。
 第三の最後の理由、実例論が残っている。すなわち、実例を見せてやらなければならないと。罪人がいかなる目にあうかを示して、同様な心をおこす人々を恐れさせなければならないと。――これが多少調子の差はあるけれど、フランスの五百の検事局の論告が千篇一律に用いるほとんどそのままの文句である。ところで、われわれは実例をまず否定する。刑罰を示して所期の効果を生ずるというのを否定する。刑罰を示すことは、民衆を訓育するどころか、民衆の道徳を頽廃させ、その感受性を滅ぼし、したがってその徳操を滅ぼす。例証はたくさんあって、いちいちあげていたならば推理のじゃまとなるほどである。でもここにその無数のうちの一つを、最近の事実であるから持ち出してみよう。今これを書いている日からわずか十日前のことである。謝肉祭最終日の三月五日のことである。サン・ポルで、ルイ・カミュという放火犯人の死刑執行のすぐ後に、仮面行列の一群がやってきて、まだ血煙を立てている断頭台のまわりで踊ったのである。実例を示すがいい。謝肉祭最終日は諸君の鼻先で笑っている。
 もし諸君が、経験にもかんがみず、実例という古めかしい理論に固執するならば、十六世紀をとりもどすがいい。本当に畏怖すべきものとなって、多様の刑罰をとりもどし、ファリナッキをとりもどし、審裁刑吏らをとりもどし、首吊台、裂刑車、火刑台、吊刑台、耳切りの刑、四つ裂きの刑、生埋めの穴、生煮の釜、などをとりもどすがいい。千客万来の店として、たえず新しい肉を備えている死刑執行人のいまわしい肉店を、パリのあらゆる四つ辻にとりもどすがいい。モンフォーコンの刑場を、その十六本の石の柱と、あらあらしい平段と、骸骨のあなぐらと、梁と、鉤《かぎ》と、鎖と、死体串と、点々と烏がとまってる白堊の本堂と、首吊柱の分堂とをともにとりもどし、北東の風でタンプル大通り一帯にさっと広がる、その屍《しかばね》の臭気をとりもどすがいい。パリの死刑執行人のあの大きな小屋を、同じ強さと不朽の形のままで、とりもどすがいい。よきかな! それこそ大いなる実例である。よく腑に落ちる死刑である。多少規模のある刑罰様式である。それこそ嫌悪すべきものである。が、しかし怖るべきものである。
 あるいはまた、イギリスのようにするがいい。商業国たるイギリスでは、ドーヴァーの海岸で密輸入者を一人捕えると、それを実例として首吊りにし、実例として首吊台にさらしておく。しかし天気の不順のために死体がいたむことがあるので、瀝青《れきせい》を塗った布で死体を注意深く包んで、たびたび手入れをしないでよいようにする。倹約の国なるかな、首を吊られた死体に瀝青を塗るとは!
 けれどもそれはまだ多少理屈に合う。実例論に対するもっとも人情的な理解のしかたである。
 しかし諸君は郭外の大通りのもっとも寂しい片隅で一人の憐れな男の首をみじめにも断ち切る時、一つの実例を示すものだとまじめに考えているのか。グレーヴの刑場で真昼間なら、まだよい。しかしサン・ジャック市門で、朝の八時に! そこを誰が通るか。そこに誰が行くか。そこで一人の男が殺されていることを誰が知るか。そこに一つの実例を示されていることを誰が気づくか。誰にむかっての実例ぞ。明らかに大通りの樹木にむかってであろう。
 諸君にはわからないのか、諸君の公けの処刑はこそこそとなされていることが。諸君は自ら身を隠していることが。諸君は自分の仕事を恐れ恥じてることが。この告知の後は正理を知るべしを諸君は滑稽《こっけい》に口ごもっていることが。諸君は内心動揺し困却し心配し、自分が正当だとは信じかね、万般の疑惑にとらえられ何をなしてるかもよくわからないでただ旧慣にしたがって首を切っているということが、諸君にはわからないのか。諸君の先人らが、古い議員らが、あれほど平然たる良心をもって果たしていた血の使命について、諸君は少なくともその道徳的および社会的感情を失ってしまっているということを心の底に感じないのか。先人たちよりもしばしば諸君は、家に帰って夜の安眠ができないのか。諸君以前にも極刑を指令した人々がある。しかし彼らは法と正と善とのうちに自負するところがあった。ジュヴネル・デ・ジュルサンは自ら審判者だと信じ、エリー・ド・トレットは自ら審判者だと信じ、ローバルドモンやラ・レーニーやラフマスなどでさえ、みな自ら審判者だと思っていた。が、諸君は心底において、自分は殺害者ではないという確信さえもたない。
 諸君はグレーヴの刑場を去ってサン・ジャック市門におもむき、群集を避けて寂寞《せきばく》の地を選び、白昼よりも薄明の頃を好んでいる。もはや確固たる信念でことをなしてはいない。諸君は隠れひそんでいる、と私はあえて言う。
 死刑に賛成のあらゆる理由は、かくのごとく破れてしまう。検事局のあらゆる論法は、かくのごとく無に帰してしまう。それらのあらゆる論告のはしくれは、かくのごとく一掃されて灰燼《かいじん》になる。すべてのへりくつは論理の鎧袖一触《がいしゅういっしょく》で解決される。
 法官らが、社会を保護するという名目のもとに、重罪公訴を保証するという名目のもとに、実例を示すという名目のもとに、ねこなで声で懇願しながら、陪審者たり人間たるわれわれにむかって罪人の首を求めにくることが、もはやないようにしたいものである。すべてそれらの名目は、美辞麗句であり空太鼓《からだいこ》であり空言《そらごと》である。そのふくらみは針でひと突きすれば縮んでしまう。その描かぶりの饒舌《じょうぜつ》の下にあるものは、冷酷、残忍、野蛮、職務熱心を示そうとの欲望、俸給を得るの必要、などばかりである。不徳官吏ども、口をつぐむがいい。裁判官のもの静かな足の下に死刑執行人の爪がのぞいている。
 非道な検事はいったいどういうものであるかと考える時、人はなかなか冷静ではいられない。それは他人を死刑台に送ることによって生活している人間である。本官の刑場用達人である。そのうえ、文章や文学にうぬぼれをもってる一個の紳士で、弁舌が巧みであり、あるいは弁舌が巧みだと自ら思っており、死を結論する前にラテン語の詩を一、二行必要に応じて暗唱し、効果を与えることにつとめ、他人の生命が賭けられてる事柄に、みじめなるかな、自分の自負心だけを問題とし、特別な模範を、およびもつかない典型を、その古典ともいうべき人物をもっていて、某詩人がラシーヌを目ざしあるいはボアローを目ざすように、ベラールとかマルシャンジとかいう目標をもっている。弁論では断頭台のほうをねらい、それが彼の役目であり本職である。彼の論告は彼の文学的作品であって、彼はそれに比喩の花を咲かせ、引照の香りをつけ、聴衆を感心させ婦人を喜ばせるものとなさなければならない。彼は優雅な口調とか凝《こ》った趣味とか精練された文体などという、田舎にとってはまだごく新しいくだらないものをたくさん持っている。彼はドリーユ一派の悲壮詩人らとほとんど同じほど適宜な言葉をきらう。彼が事物をその本来の名前で呼ぶ気づかいはない。ばかなこと! むき出しにすればいやになるような観念をすべて、彼はすっかり付加形容の言葉で仮装させる。サンソン氏をも見栄《みば》えよくする。肉切り庖丁を紗の布で包む。跳ね板に色をぼかす。赤い籠を婉曲な言いかたでごまかす。それが何のことだかもうわからないほどになる。穏やかな上品なものとなる。彼が夜分書斎で、六週間後には一つの死刑台を建てさせるべき長広舌をゆっくりとできるかぎり推敲しているところを、想像してみるがいい。法典のもっとも痛ましい箇条に一被告の頭をはめこもうとして汗水流している彼を、眼前に描きだしてみるがいい。粗製の法律で一人のみじめな男の首を鋸挽《のこぎりび》きしている彼を、眼前に描きだしてみるがいい。寓意や提喩の泥のなかに二、三の有毒な文体を煮こんで、それから一人の男の死を一生懸命にしぼりだし煎じだそうとしている彼に、目を止めてみるがいい。彼がその論告を書いている一方には、そのテーブルの下に、影のなかに、彼の足もとに、たぶん死刑執行人がうずくまっていることだろう。そして彼はときどきペンを休めて、主人が自分の犬に言うように、死刑執行人に言うだろう、
「静かに、静かにしておれ、いまに骨をしゃぶらしてやるよ。」
 しかるに、私的生活ではこの法官も、ペール・ラシェーズのあらゆる墓碑の銘にあるように、正直な男で、よい父で、よい子で、よい夫で、よい友であることができる。
 法律がそれらの悲しむべき職務を廃する日の近からんことを、希望しようではないか。われわれの文明の空気だけでも、時がたてば死刑を磨滅してしまうはずである
 死刑の弁護者らは死刑がどんなものであるかをよく考えてみなかったのではないか、と思われることがよくある。社会が自分で与えもしなかったものを取り去ることについて僭有《せんゆう》しているその無法な権利を、取り返しのつかない刑罰のうちでももっとも取り返しのつかないその刑罰を、たといどんな犯罪であろうともその犯罪と、少しく比較計量してみるがよい。
 二つのことのうちまず第一のことから言おう。
 諸君がやっつけるその男は、この世に家族も親戚も朋輩ももたない者であることもあろう。その場合には彼は、なんらの教育も訓育も、精神上の世話も心情上の世話も受けたことがない。しかるに諸君は、そのみじめな孤児をいかなる権利で殺すのか。幼年時代に幹も支柱もなくて地面をはいまわったからといって彼を罰するのか。孤立のまま捨てておかれたのを無法にも彼のせいだとするのか。彼の不幸を彼の罪悪とするのか。彼は自分がどういうことをしてるかを誰からも教えられはしなかった。彼はなにも知らない。彼の罪はその運命にあって、彼にはない。諸君は一人の無辜《むこ》の者をやっつけるのである。
 またその男が家族をもっていることもあろう。その場合に諸君は、彼の首を切ることが彼だけしか傷つけないと思うのか。彼の父や母や子供たちは血を出さないと思うのか。そうではない。彼を殺すことによって諸君は彼の全家族の首を切る。この場合にもやはり諸君は無辜の人々をやっつけるのである。
 拙劣な盲目の刑罰よ、どちらに向いても無辜の者をやっつける。
 その男を、家族をもってるその罪人を、保管してみるがいい。彼は監獄のなかで家族のためになお働くことができるだろう。しかし墓の下からではどうして家族を生かすことができよう。その小さな男の子たちが、その小さな女の子たちが父親を奪われてどうなってゆくか、言い換えればパンを奪われてどうなってゆくか、それを考えておののかないでいられるか。諸君はその子供たちをめざして、男のほうは徒刑場に、女のほうは魔窟に、十五年もたったら備えつけるつもりででもいるのか。おお、憐れな無辜の者たちよ!
 植民地では、死刑の判決で一人の奴隷が殺される時、その奴隷の所有者へ千フランの賠償金が出される。ああ諸君は主人の損害をあがなって、家族へはなんらの賠償もしない。この場合にもまた諸君は、本当の所有者から一人の男を奪ってるのではないか。彼は奴隷が主人に対するのよりもはるかに神聖な名目で、その父親の所有物であり、妻の財産であり、子供たちのものであるではないか。
 われわれはすでに諸君の法律を殺害だと認定した。そしてここにまた窃盗だと認定する。
 もう一つのことを言おう。その男の魂、それを考えてみるがいい。その魂がどういう状態にあるか、諸君は知っているか。諸君はあえてそれをかく軽率に追いはらおうとするのか。昔は少なくとも、ある信仰が民衆のなかに流布していた。最期のまぎわに、空中に漂っている宗教的息吹がもっともかたくなな者をもやわらげることができた。受刑人はまた同時に悔悛者だった。社会が彼に一つの世界を閉ざす時、宗教は彼に他の世界を開いてくれた。どの魂も神を覚えた。死刑台は天の国境にすぎなかった。しかし、民衆の多くが信仰を失っている今日、諸君は死刑台の上にいかなる希望をおいてくれているか。昔はおそらく諸大陸を発見したろうが今は港に朽ちている古船のように、あらゆる宗教はかびに腐食されている。今は小さな子供たちも神をあざけっている。いかなる権利で諸君は、受刑人の薄暗い魂を、ヴォルテールやピゴー・ルブランがこしらえあげたままの魂を、諸君自身も信じかねている何物かのなかに投げこむのか。諸君はそれらの魂を監獄の教誨師《きょうかいし》に引きわたす。それはむろん立派な老人ではあろうが、しかし自ら信仰をもっているか、そして人に信仰をもたせうるか。彼はその崇高な仕事を一つの賦役として機械的にやってはしないか。囚人馬車のなかで死刑執行人と相並んでるその好々爺《こうこうや》を、一個の司祭だと諸君はいうのか。魂をも才能をも十分そなえた一著述家がわれわれより前にこう言っている、懺悔聴聞者を追い払った後もまだ死刑執行者を残しておくのはいまわしいことである[#「懺悔聴聞者を追い払った後もまだ死刑執行者を残しておくのはいまわしいことである」に傍点]。
 頭のなかでしか推理しないある傲慢な人々が言うように、これはもとより「感情的な理由」にすぎない。しかしわれわれの見るところでは、このほうがさらに立派な理由である。われわれはたいてい理性上の理由よりも感情上の理由を取りたい。そのうえ両者は常に支持しあうものである。それを忘れてはいけない。『犯罪論』は『法の精神』の上に接木《つぎき》されたものである。モンテスキューはベッカリアを生んだ。
 理性はわれわれに味方し、感情はわれわれに味方し、経験もまたわれわれに味方する。死刑が廃止されている模範的な国家では、重罪の数は年ごとに漸減している。よく考えてみるがいい。
 けれどもわれわれは、議会があれほど夢中になって唱え出したように、死刑を今ただちに突然に完全に廃してしまいたいというのではない。いな、われわれは、あらゆる試みと注意と研究とをもって慎重にやりたいのである。もとよりわれわれの望むところは、単に死刑の廃止ばかりではなく、徹頭徹尾、閂から肉切り庖丁に至るまで、あらゆる形における刑罰の完全な改訂である。そしてそういう仕事が立派に仕上げられるためには、時間は必要な要素の一つである。なおわれわれはこの問題については、実行できると思っている一つのまとまった考えを、他のところで詳述するつもりでいる。けれども、貨幣贋造や放火や加重情状付窃盗などの件に対する部分的な死刑廃止とは引き離して、今からただちに求めたいことは、あらゆる重大な事件において裁判長が陪審員らにむかって、「被告は情熱によって行動したかまたは私欲によって行動したか」という問いをかけることにし、「被告は情熱によって行動した」と陪審員らが答える場合には、死刑に処することのないようにしたい。そうすれば少なくとも、いまわしいある種の処刑ははぶけるだろう。ユルバックやドバケルなどは助かっただろう。オセロのごとき人物を断頭台にのぼらせることはなくなるだろう。
 それにまた、誤解のないようにしてほしいことには、この死刑の問題は日に日に成熟している。やがては社会全体がわれわれと同様にそれを解決するだろう。
 もっとも頑迷な刑法学者らにも留意してもらいたいことには、一世紀このかた死刑は漸次減退している。死刑はほとんど穏和になっている。それは老衰のきざしであり、衰弱のきざしであり、やがて死滅するしるしである。責め道具はなくなった。刑車はなくなった。首吊柱はなくなった。ふしぎなことではあるが、断頭台そのものも一つの進歩である。
 断頭台創案者ギヨタン氏は仁者である。
 実際、恐ろしい歯をそなえて、ファリナッキやヴーグランを、ドランクルやイザーク・ロアゼルを、オペードやマショーをむさぼり食う、恐ろしい正義の神テミスも、健康が衰えてき、痩《や》せ細っている。もう死にかけている。
 はやすでにグレーヴの刑場もそれをきらっている。名誉を回復しようとしている。この古い吸血婆たるグレーヴは、七月革命の折には品行をつつしんだ。それ以来彼女はよい生活を望み、最後のみごとな行いを涜《けが》すまいとしている。三世紀前からあらゆる死刑台に身を売った彼女も、羞恥心を覚えて以前の商売を恥じている。いやしい名前をなくしたいと思っている。死刑執行人をこばみ、敷石を洗っている。
 現在では、死刑はもうパリの外に出ている。しかるに、ここに言っておきたいことには、パリから出ることは文明から出ることである。
 あらゆる兆候はわれわれに味方する。あの忌《い》むべき機械、なおよくいえば、ギヨタンにとってはちょうどピグマリオンに対するガラテアのようなものであるあの木と鉄との怪物も、落胆し渋面しているようである。ある点から見れば、上に述べた恐ろしい処刑も喜ばしいきざしである。断頭台は躊躇《ちゅうちょ》している。切りそこなうまでになっている。死刑の古い機械は全部調子が狂っている。
 けがらわしいその機械はフランスから立ち去るだろう。われわれはそれを期待する。もしよろしくば、われわれのきびしい打撃を受けて、足をひきずりながら立ち去るだろう。
 そして他の土地へ行って、ある野蛮な民衆のところへ行って、優遇を求めるがよい。トルコへでもない。トルコは文明の風に浴している。未開の民へでもない。彼らでさえそれをきらっている。(タヒチ島の州会は最近死刑を廃した。)それよりなお数段文明の階段をくだって、スペインかロシアへでも行くがよい。
 過去の社会の殿堂は、司祭と国王と死刑執行人との三つの柱に支えられていた。しかるに、すでに長い以前に一つの声が言った、神々は去れりと。最近他のもう一つの声が起こって叫んだ。国王らは去れりと。いまや第三の声が起こって言うべき時である。死刑執行人は去れりと。
 かくて旧社会は一塊一塊と崩れてしまうだろう。かくて天意は過去の崩壊を完成してしまうだろう。
 神々を愛惜した人々にむかっては、唯一の神がとどまっている、と言うことができた。国王らを愛惜してる人々にむかっては、祖国が残っている、と言うことができる。死刑執行人を愛惜するだろう人々にむかっては、何も言うべきものはない。
 秩序は死刑執行人とともになくなりはしないだろう。なくなるなどと思ってはいけない。未来の社会の穹窿《きゅうりゅう》は、その醜い要石がなくても崩れはしないだろう。文明というものはあいついで起こる一連の変更にほかならない。いま人が直面しようとするのは、刑罰の変更にである。キリストの穏和な掟は、ついに法典にもはいりこみ、法典を貫いて光り輝くだろう。罪悪は一つの病気と見られるだろう。そしてその病気には、医者があって裁判官のかわりとなり、病院があって徒刑場のかわりとなるだろう。自由と健康とは相似たものとなるだろう。鉄と火とが当てられたところに香料と油とが塗られるだろう。憤怒をもって処置されたその病苦は慈愛をもって処置されるだろう。それは単純な崇高なことだろう。磔刑台のかわりに据えられた十字架。それだけのことである。
  一八三二年三月十五日

底本:「死刑囚最後の日」岩波文庫、岩波書店
   1950(昭和25)年1月30日第1刷発行
   1982(昭和57)年6月16日改版第30刷発行
※原題の「LE DERNIER JOUR D’UN 〔CONDAMNE’〕」は、ファイル冒頭ではアクセント符号を略し、「LE DERNIER JOUR D’UN CONDAMNE」としました。
入力:tatsuki
校正:大野晋、小林繁雄、川山隆
2008年5月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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