わたくしのつかへまつる聖母さま、おんみの為に、わたくしの悲しみの奥深く、地下の神壇を建立《こんりふ》したい心願にござります。
わたくしの心のいと黒い片隅に、俗世の願ひ、また嘲けりの眼《め》の及ばぬあたり、おんみのおごそかな御像《みすがた》の立たせまするやう、紺と金との七宝の聖盒をしつらへたい心願にござります。
懇ろに宝石の韻をちりばめた、純金属の格子細工のやうに、琢《みが》きあげたわたくしの詩《うた》で、おんみの御頭《おつむり》の為に、大宝冠を造るでござりませう。
またわたくしの嫉妬の布地《きれぢ》で、永遠《とこしへ》ならぬ聖母さま、おんみの為に、外套《まんとお》を裁つでござりませう。仕立ては品あしく、ぎごちなく、不恰好で、なほまた裏地は疑ひの心でありまする故、隠処《かくれが》のやうにおんみのあでやかさを包み隠すでござりませう。縁《へり》も真珠ではござりませぬ、ありとあるわたくしの涙の玉で縁《ふち》どりまする。
おんみの聖衣《みころも》は打慄へて波をうつわたくしの欲望《ねがひ》で造りまする。わたくしの欲望《ねがひ》は高くまた低く、皺襞《ひだ》の高みでは打|揺《ゆら》ぎ、谷|間《あひ》では鎮まりまするが、白と薔薇色のおんみの御体《みからだ》を一様に接吻《くちづけ》で被ひまする。
わたくしは神々しいへりくだつた御《おん》足の為に、わたくしの敬《うやま》ひの心で美しい繻子の御《おん》靴を造りまする、善い鋳型が形《かた》を守る如く、しつくりと御《おん》足を抱き裹《つゝ》みまするやう。
丹精こめた効《かひ》もなく、銀《しろがね》の月を鏤《き》つて御足《みあし》の台とすることがかなひませぬならば、わたくしの腸《はらわた》を噛む蛇《くちなは》を御《み》かかとの下に置くでござりませう、いとさはに罪を贖ひたまふ、栄光《さかえ》ある女王さま、憎悪と唾液とに脹れあがつたこの妖怪をおんみの踏み弄びまするやう。
処女たちの女王《きみ》のゐます、花飾りした神壇の前の大蝋燭のやうに、立ち列ぶわたくしのもろもろの想念が、星のやうに空色の天井に照り映えて、燃ゆる眼で飽かずおんみを凝視《うちまも》るをみそなはすでござりませう。
わたくしの内なるものは、なべておんみを慈しみ、讃めたゝへまする故、なべては安息香となり、沈香となり、乳香、没薬となるでござりませう。
また、暴風雨《あらし》のやうに立ち騒ぐわたくしの精霊は、霧となつて、まつしろな雪の峯なるおんみの方《かた》へ、絶え間なくたち騰るでござりませう。
さておんみが瑪利亜の役を完うし、かつはまた、おんみかぐろい快楽《けらく》よ、七戒を破る蛮気をいとしさに混ぜ合はさうとて、悔恨に満ちたわたくし死刑執行人は、七本の刃《やいば》を研ぎすまし、いと深いおんみの愛をとつて柄《つか》となし、ひくひくと鼓《う》つおんみの心の臓に、啜り泣くおんみの心の臓に、血を噴き上ぐるおんみの心の臓に、奇術師の無感覚もて七本ながら立てゝしまふでござりませう。
底本:「富永太郎詩集」現代詩文庫、思潮社
1975(昭和50)年7月10日初版第1刷
1984(昭和59)年10月1日第6刷
底本の親本:「定本富永太郎詩集」中央公論社
1971(昭和46)年1月
※表題は底本では、「或るまどんな[#「まどんな」に傍点]に」となっています。
入力:村松洋一
校正:岩澤秀紀
2013年1月24日作成
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