墓地見晴し御|休処《やすみどころ》――「妙な看板だな」――と我が散策者は独言つた――「それにしても、あれを見ると実際喉が渇く様に出来てゐる! きつとこゝの主人は、オラースや、エピキユールの弟子の詩人たちぐらゐは解つてゐるにちがひない。事によつたら、骸骨か、何か人生のはかなさを示す徴《しるし》がなくては宴会が出来なかつた、古代埃及人程ひどく凝り性なのかもしれない。」
彼は入つて行つて、墓地に向つて一杯のビールをのみ、それからゆつくりとシガーを一本吸つた。すると、幻想が彼を駆つて墓地の中へと降りて行かせた。そこの草は、そんなに丈が高く、そんなに人を誘ふやうだつたのだ、そこには、そんなに豊満な太陽が権威を振つてゐたのだ。
実際光と熱とは其処を煮えくり返して居た。まるで陶酔した太陽が、破壊作用の為に肥え太つた太陽が、すばらしい花の絨毯の上をのたうち廻つてゐるやうであつた。おびただしい生命の囁きが――限りなく微細なものの生命の囁きが空中を満たしてゐた――ひそやかなシンフオニーのざわめきの中に、丁度シヤンパンの栓が抜けるやうな音をたてゝ、隣りの射的場から響いて来る小銃の音が、一定の合ひ間ごとにそれを断ち切つてゐた。
此の時、彼は彼の脳髄を燃え立たせてゐる太陽の下に、焼けつくやうな「死」の臭ひに満ちてゐる大気の中に、彼の坐つてゐる墓の下でさゝやく声を聞いた。その声は云つた、「お前達の標的《まと》も小銃も呪はれろ、地下のものと、其の神聖な休息とのことを少しも考へぬ、騒々しい生物《いきもの》よ! お前達の野心も、計画も呪はれろ、『死』の聖殿《みや》の側で、殺人の術を学ばうとする我慢のならぬ人間共よ! 如何に報酬が得易いか、如何に目的が達し易いか、また『死』を除いては、すべてが如何に空しいものだかを知つたなら、お前達はそんなに疲れきつてはゐなからうに、勤勉な生物《いきもの》よ、そしてずつと以前に『目的』を――厭ふべき人生の唯だ一つの真実の目的を達してゐる人達の眠りをこんなに度々妨げることはなからうに!」
底本:「富永太郎詩集」現代詩文庫、思潮社
1975(昭和50)年7月10日初版第1刷
1984(昭和59)年10月1日第6刷
底本の親本:「定本富永太郎詩集」中央公論社
1971(昭和46)年1月
入力:村松洋一
校正:岩澤秀紀
2013年1月24日作成
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