ある省のある局に……しかし何局とはっきり言わないほうがいいだろう。おしなべて官房とか連隊とか事務局とか、一口にいえば、あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである。今日では総じて自分一個が侮辱されても、なんぞやその社会全体が侮辱されでもしたように思いこむ癖がある。つい最近にも、どこの市だったかしかとは覚えていないが、さる警察署長から上申書が提出されて、その中には、国家の威令が危殆《きたい》に瀕していること、警察署長という神聖な肩書がむやみに濫用されていること等が明記されていたそうである。しかも、その証拠だといって、件《くだん》の上申書には一篇の小説めいたはなはだしく厖大な述作が添えてあり、その十頁ごとに警察署長が登場するばかりか、ところによっては、へべれけに泥酔した姿を現わしているとのことである。そんな次第で、いろんな面白からぬことを避けるためには、便宜上この問題の局を、ただ【ある局】というだけにとどめておくに如《し》くはないだろう。さて、そのある局に、【一人の官吏】が勤めていた――官吏、といったところで、大して立派な役柄の者ではなかった。背丈がちんちくりんで、顔には薄あばたがあり、髪の毛は赤ちゃけ、それに目がしょぼしょぼしていて、額《ひたい》がすこし禿《は》げあがり、頬の両側には小皺《こじわ》が寄って、どうもその顔いろはいわゆる痔もちらしい……しかし、これはどうも仕方がない! 罪はペテルブルグの気候にあるのだから。官等にいたっては(それというのも、わが国では何はさて、官等を第一に御披露しなければならないからであるが)、いわゆる万年九等官というやつで、これは知っての通り噛みつくこともできない相手をやりこめるというまことにけっこうな習慣を持つ凡百の文士連から存分に愚弄されたり、ひやかされたりしてきた官等である。この官吏の姓はバシマチキンといった。この名前そのものから、それが短靴《バシマク》に由来するものであることは明らかであるが、しかしいつ、いかなる時代に、どんなふうにして、その姓が短靴《バシマク》という言葉から出たものか――それは皆目わからない。父も祖父も、あまつさえ義兄弟まで、つまりバシマチキン一族のものといえば皆が皆ひとりのこらず長靴を用いており、底革は年にほんの三度ぐらいしか張り替えなかった。彼の名はアカーキイ・アカーキエウィッチといった。あるいは、読者はこの名前をいささか奇妙なわざとらしいものに思われるかもしれないが、しかしこの名前はけっしてことさら選《え》り好んだものではなく、どうしてもこうよりほかに名前のつけようがなかった事情が、自然とそこに生じたからだと断言することができる。つまり、それはこういうわけである。アカーキイ・アカーキエウィッチは私の記憶にして間違いさえなければ、三月二十三日の深更に生まれた。今は亡き、そのお袋というのは官吏の細君で、ひどく気だての優しい女であったが、然るべく赤ん坊に洗礼を施こそうと考えた。お袋はまだ戸口に向かいあった寝台に臥《ふせ》っており、その右手にはイワン・イワーノヴィッチ・エローシキンといって、当時元老院の古参事務官であった、この上もなく立派な人物が教父として控えており、また教母としては区の警察署長の細君で、アリーナ・セミョーノヴナ・ビェロヴリューシコワという、世にもめずらしい善良温雅な婦人が佇《たたず》んでいた。そこで産婦に向かって、モーキイとするか、ソッシイとするか、それとも殉教者ホザザートの名に因《ちな》んで命名するか、とにかくこの三つのうちどれか好きな名前を選ぶようにと申し出た。「まあいやだ。」と、今は亡きその女は考えた。「変な名前ばっかりだわ。」で、人々は彼女の気に入るようにと、*暦の別の個所をめくった。するとまたもや三つの名前が出た。トリフィーリイに、ドゥーラに、ワラハーシイというのである。「まあ、これこそ天罰だわ!」と、あの婆さんは言ったものだ。「どれもこれも、みんななんという名前でしょう! わたしゃほんとうにそんな名前って、ついぞ聞いたこともありませんよ、ワラダートとか、ワルーフとでもいうのならまだしも、トリフィーリイだのワラハーシイだなんて!」そこでまた暦の頁をめくると、今度はパフシカーヒイにワフチーシイというのが出た。「ああ、もうわかりました!」と婆さんは言った。「これが、この子の運命なんでしょうよ。そんなくらいなら、いっそのこと、この子の父親の名前を取ってつけたほうがましですわ。父親はアカーキイでしたから、息子もやはりアカーキイにしておきましょう。」こんなふうにして*アカーキイ・アカーキエウィッチという名前はできあがったのである。そこで赤ん坊は洗礼を受けたが、その時彼はわっと泣き出して、あたかも将来九等官になることを予感でもしたようなしかめ面《つら》をした。要するに事のおこりはすべてこんな具合であったのである。こんなことをくだくだしく並べたのも、これが万《ばん》やむを得ぬ事情から生じたことで、どうしてもほかには名前のつけようがなかったといういきさつを、読者にとくと了解していただきたいためにほかならないのである。いつ、どういう時に、彼が官庁に入ったのか、また何人《なんびと》が彼を任命したのか、その点については誰ひとり記憶している者がなかった。局長や、もろもろの課長連が幾人となく更迭しても、彼は相も変らず同じ席で、同じ地位で、同じ役柄の、十年一日の如き文書係を勤めていたので、しまいにはみんなが、てっきりこの男はちゃんと制服を身につけ、禿げ頭を振りかざして、すっかり用意をしてこの世へ生まれてきたものにちがいないと思いこんでしまったほどである。役所では、彼に対しては少しの尊敬も払われなかった。彼がそばを通っても守衛たちは起立するどころか、玄関をたかだか蠅でも飛び過ぎたくらいにしか思わず、彼の方をふり向いてみようともしなかった。課長連は彼に対して妙に冷やかな圧制的な態度をとった。ある課長補佐の如きは、「清書してくれたまえ。」とか、「こいつはなかなか面白い、ちょっといい書類だよ。」とか、またはおよそ礼儀正しい勤め人の間で普通にとりかわされている何かちょっとしたお愛想ひとつ言うでもなく、いきなり彼の鼻先へ書類をつきつけるのであった。すると、彼はちらと書類のほうを見るだけで、いったい誰がそれを差し出したのやら、相手にはたしてそうする権利があるのやら、そんなことにはいっこう頓着なく、それを受け取る。受け取ると、早速その書類の写しにとりかかったものである。若い官吏どもは、その属僚的な駄洒落の限りを尽して彼をからかったり冷かしたり、彼のいる前で彼についてのいろんなでたらめな作り話をしたものである。彼のいる下宿の主婦で七十にもなる老婆の話を持ち出して、その婆さんが彼をいつも殴《ぶ》つのだと言ったり、お二人の婚礼はいつですかと訊ねたり、雪だといって、彼の頭へ紙きれをふりかけたりなどもした。しかし、アカーキイ・アカーキエウィッチは、まるで自分の目の前には誰ひとりいないもののように、そんなことにはうんともすんとも口答え一つしなかった。こんなことは彼の執務にはいっこうさしつかえなかったのである。そうしたいろんなうるさい邪魔をされながらも、彼はただの一つも書類に書きそこないをしなかった。ただあまりいたずらが過ぎたり、仕事をさせまいとして肘《ひじ》を突っついたりされる時にだけ、彼は初めて口を開くのである。「かまわないで下さい! 何だってそんなに人を馬鹿にするんです?」それにしても、彼の言葉とその音声とには、一種異様な響きがあった。それには、何かしら人の心に訴えるものがこもっていたので、つい近ごろ任命されたばかりの一人の若い男などは、見様見真似で、ふと彼をからかおうとしかけたけれど、と胸を突かれたように、急にそれを中止したほどで、それ以来この若者の目には、あたかもすべてが一変して、前とは全然別なものに見えるようになったくらいである。彼がそれまで如才のない世慣れた人たちだと思って交際していた同僚たちから、ある超自然的な力が彼をおし隔ててしまった。それから長いあいだというもの、きわめて愉快な時にさえも、あの「かまわないで下さい! 何だってそう人を馬鹿にするんです?」と、胸に滲み入るような音《ね》をあげた、額の禿げあがった、ちんちくりんな官吏の姿が思い出されてならなかった。しかもその胸に滲み入るような言葉の中から、「わたしだって君の同胞なんだよ。」という別な言葉が響いてきた。で、哀れなこの若者は思わず顔をおおった。その後ながい生涯のあいだにも幾度となく、人間の内心にはいかに多くの薄情なものがあり、洗練された教養ある如才なさの中に、しかも、ああ! 世間で上品な清廉の士とみなされているような人間の内部にすら、いかに多くの凶悪な野性が潜んでいるかを見て、彼は戦慄を禁じ得なかったものである。
こんなに自分の職務を後生大事に生きてきた人間がはたしてどこにあるだろうか。熱心に勤めていたというだけでは言い足りない。それどころか、彼は勤務に熱愛をもっていたのである。彼にはこの写字という仕事の中に、千変万化の、楽しい一種の世界が見えていたのである。彼の顔には、いつも喜びの色が浮かんでいた。ある種の文字にいたっては非常なお気に入りで、そういう文字にでくわすというと、もう我を忘れてしまい、にやにや笑ったりめくばせをしたり、おまけに唇までも手伝いに引っぱり出すので、その顔さえ見ていれば、彼のペンが書き表わしているあらゆる文字を一々読みとることもできそうであった。もしも彼の精励恪勤に相応した報酬が与えられたとしたら、彼自身はびっくり仰天したことであろうけれど、おそらく五等官には補せられていたにちがいない。ところが当の彼がかち得たところのものは、他ならぬ己れの同僚たち、くちさがない連中の言い草ではないが、胸には年功記章、腰には痔疾にすぎなかった。とはいえ、彼に対して何の注意もはらわれなかったというわけではない。ある長官は親切な人で、彼の永年の精励に報《むく》いんがためにありきたりの写字よりは何かもう少し意義のある仕事をさせるようにと命じた。そこで、すでに作製ずみの書類の中から、他の役所へ送るための一つの報告書をつくる仕事が彼に命ぜられたのである。それは単に表題を書き改めて、ところどころ、動詞を一人称から三人称に置きかえるだけの仕事であった。ところが、彼にはそれがもってのほかの大仕事で、すっかり汗だくになり、額を拭き拭き、とうとうしまいには、「いや、これよりわたしにはやっぱり何か写しものをさせて下さい。」と悲鳴をあげてしまった。で、彼はずっとその時以来、あいも変らぬ筆生として残されたのである。どうやら彼にはこの写しもの以外には何ひとつ仕事がなかったもののようである。彼は自分の服装のことなどはまるで心にもとめなかった。彼の着ている制服といえば、緑色があせて変なにんじんに黴《かび》が生えたような色をしていた。それに襟が狭くて低かったため、彼の首はそれほど長いほうではなかったけれど、襟からにゅうと抜け出して、例の外国人をきどったロシア人が幾十となく頭にのせて売り歩く、あの石膏細工の首ふり猫のように、おそろしく長く見えた。それにまた、彼の制服には、いつもきまって、何か乾草の切れっぱしとか糸くずといったものがこびりついていた。おまけに彼は街を歩くのに、ちょうど窓先からいろんな芥屑《ごみくず》を投げすてる時をみはからって、その下を通るという妙なくせがあった。そのために、彼の帽子にはいつも、パンくずだの、きゅうりの皮だのといった、いろんなくだらないものが引っかかっていた。彼は生まれてこの方ただの一度も、日々、街中《まちなか》でくり返されているできごとなどには注意を向けたこともなかったが、知ってのとおり、彼の同僚の年若い官吏などは、向こう側の歩道を歩いている人がズボンの裾の止め紐を綻ばしているのさえみのがさないくらい眼がはやくて、そういったものを見つけると、いつもその顔に狡《ずる》い薄笑いを浮かべたものである。
しかし、アカーキイ・アカーキエウィッチは何を見たとしても、彼の眼には、そうしたものの上に、なだらかな筆蹟で書きあげられた自筆の文字より他には映らなかったのである。で、もし、どこからともしれず、にゅっとばかりに馬の鼻面が彼の肩の上へのしかかって、その鼻口から彼の頬にふうっと一陣の風でも吹きつけないかぎり彼は自分が書きものの行の中にいるのではなくて、往来の真中にいるのだとは気がつかなかったであろう。彼は家へ帰ると早速、食卓につき、大急ぎでおきまりのシチューをすすり、たまねぎを添えた一切れの牛肉をたいらげるが、味加減などには一切無頓着で、蠅であろうが何であろうが、その際食物に付着している物は一緒に食ってしまうのである。胃袋がくちくなりはじめたなと気がつくと、彼は食卓を離れて、墨汁の入った壺を取り出して、家へ持ち帰った書類を書き写しにかかるのである。もし、そういったものの無い場合には、自分の楽しみだけに、わざわざ自分のために写本をつくる。それも、その書類の文体がきれいだからというよりは、誰か新しい人物なり、身分の高いお歴々に宛てられたものだと特にそれを選ぶのであった。
ペテルブルグの灰いろの空がまったく色褪せて、すべての役人連中が貰っている給料なり、めいめいの嗜好なりに従って、分相応の食事をたらふくつめこんだり、また誰も彼もが役所でのペンの軋みや、あくせくたる奔命や、自分のばかりか他人ののっぴきならぬ執務や、またおせっかいなてあいが自分から進んで引き受けるいろんな仕事の後で、ほっと一息いれている時――役人たちがいそいそとして残りの時間を享楽に捧げようとして、気の利いた男は劇場へかけつけ、ある者は街をうろうろしながら、女帽子の品定めに時を捧げ、夜会にゆく者は小さな官吏社会の明星であるどこかの美しい娘におせじをつかって暇をつぶし、またある者は――これが一番多いのだが――安直に自分の仲間のところへ、三階か四階にある、控室なり台所なりのついた二間ばかりの部屋で、食事や行楽をさし控えてずいぶん高い犠牲の払われたランプだの、その他ちょっとした小道具といったようなものを並べて、若干流行を追おうとする色気を見せた住いへやってゆく――要するにあらゆる役人どもがそれぞれ自分の同僚の小さな部屋に陣取って、三文ビスケットをかじりながらコップからお茶をすすったり、長いパイプで煙草の煙を吸い込みながら、カルタの札の配られるひまには、いついかなる時にもロシア人にとって避けることのできない、上流社会から出た何かの噂話に花を咲かせたり、何も話すことがないと、*ファルコーネの作った記念像の馬のしっぽが何者かに切り落とされたといってかつがれたと伝えられている、さる司令官の永遠の逸話をむし返したりしながら*ヴィストにうち興じている時――要するに、この誰も彼もがひたむきに逸楽に耽っている時でさえ、アカーキイ・アカーキエウィッチはなんら娯楽などにうきみをやつそうとはしなかった。ついぞどこかの夜会で彼の姿を見かけたなどということのできる者は、誰一人なかった。心ゆくまで書きものをすると、彼は神様があすはどんな写しものを下さるだろうかと、翌日の日のことを今から楽しみに、にこにこほほえみながら寝につくのであった。このようにして、年に四百ルーブルの俸給にあまんじながら自分の運命に安んずることのできる人間の平和な生活は流れて行った。それでこの人生の行路においてひとり九等官のみならず、三等官、四等官、七等官、その他あらゆる文官、さては誰に忠告をするでもなく、誰から注意をうけるでもないような人たちにすら、あまねく降りかかるところの、あの様々な不幸さえなかったならば、おそらくこの平和な生活は彼の深い老境にいたるまで続いたことであろう。
ペテルブルグには、年に四百ルーブル、またはほぼそれに近い俸給をとっているあらゆる勤め人にとってのゆゆしき強敵がある。その強敵というのはほかでもない、健康のためには良いと言われているが、あの厳しい北国の寒さである。ちょうど、朝の八時から九時ごろ――つまり役所へ出かける人々で街路が一杯になる時刻には、特にそれが厳しくなり、だれかれの容赦なくあらゆる人々の鼻に刺すような痛みを加えるので、哀れな小役人などはまったく鼻のやり場に困じはてるのである。そうとう高い地位たる連中ですら、この寒気のためには額がうずき、両の眼に涙がにじみ出してくる。その時刻には、哀れな九等官などは、まったく手も足も出ないありさまである。唯一の救いは、薄っぺらな外套に身をくるみ、できるだけ早く五つ六つの通りを駆けぬけて、それから守衛室でしこたま足踏みをしながら、途中で凍りついてしまった執務に要するあらゆる技倆や才能が融けだすのを待つことであった。アカーキイ・アカーキエウィッチはできるだけ早く、いつもきまった道程《みちのり》を駆け抜けるように努めていたにもかかわらず、いつからともなく背中と肩の辺が何だか特にひどくちかちかするように感じ出した。ついに彼は、これは何か自分の外套のせいではなかろうかと考えた。家でたんねんに調べてみると、なるほど二、三ヵ所、つまり背中と両肩のところがまるで木綿ぎれのように薄くなっているのを発見した。ラシャは透けて見えるほどすり切れ、裏地がぼろぼろになっている。ところで、このアカーキイ・アカーキエウィッチの外套が、やはり同僚たちの嘲笑の的になっていたことを知っておかなければならない。彼らはそれをまともに【外套】とは呼ばないで、【半纏《はんてん》】と呼んでいた。実際それは一種変てこなものであった。他の部分の補布《つぎ》に使われるので襟は年ごとにだんだん小さくなっていった。しかもその仕事が、裁縫師の技倆のほどを現わしたものでなかったため、じつにぶざまな見苦しいものになっていた。さて、事のしだいを確かめると、アカーキイ・アカーキエウィッチは、外套をペトローヴィッチのところへもってゆかねばならぬと考えた。それはどこかの四階の裏ばしごを上がったところに住んでいる仕立屋で、めっかちな上に顔中あばただらけの男であったけれど、小役人やその他いろんな顧客《とくい》のズボンや燕尾服の繕い仕事をかなり巧くやっていた。といっても、もちろんそれは素面《しらふ》で、ほかに別段なんの企みも抱いていない時に限るのである。こんな仕立屋のことなどは、もちろん多くを語る必要はないのであるが、小説中の人物は残らずその性格をはっきりさせておくのが定法《きまり》であるから、やむを得ずここでペトローヴィッチを一応紹介させてもらうことにする。初め彼はたんにグリゴーリイと呼ばれて、さる旦那の家の農奴であったが、農奴解放証書を握ると同時に、ペトローヴィッチと自ら名のり、したたか酒を飲むようになった。それも最初のうちは大祭日に限られていたが、後には暦に十字架のしるしさえ出ておれば、教会だけの祝祭日だろうが何だろうが、とんと見境いなしに喰い、酔うようになった。その点では父祖の習慣に忠実であったしだいであるが、女房と口論をする段になると、やれ俗物だの、ドイツ女だのとまくしたてたものである。ところで女房のことが出たからには、彼女についても一言しておかずばなるまいが、残念ながら、それはあまりよく知られていないのである。わずかにペトローヴィッチには女房があって、頭布《プラトーク》でなしに頭巾帽《チェプチック》なんぞかぶってはいるが、きりょうの点ではどう見てもほめられた柄ではなく、この女に出あって口ひげをうごめかしながら一種特別な奇声を発して、頭巾帽のかげから顔をのぞきこむのは、せいぜい近衛の兵隊ぐらいのものだということしかわかっていないのである。
ペトローヴィッチのすまいへ通ずる階段をえっちらおっちら登りながら――それはほんとうのことをいえば、こぼれ水や洗い流しですっかり濡れており、また例によって例のごとく、ペテルブルグの家々の裏ばしごにはかならずつきものの、あの眼を刺すようなアルコール性の臭気のしみこんだ階段であったが――その階段をえっちらおっちらと登りながら、アカーキイ・アカーキエウィッチは早くも、ペトローヴィッチがどのくらい吹っかけるだろうかと考えて、けっして二ルーブルより多くは払うまいと肚をきめた。扉は開け放しにしてあった。というのは、主婦が何か魚を調理しながら、油虫の姿すらそれと見分けることができないほどもうもうたる煙を台所にみなぎらしていたからである。アカーキイ・アカーキエウィッチはその主婦にさえ気づかれないで台所を通り抜けて、ついに部屋に入ったが、見ればペトローヴィッチは木地のままの大きなテーブルの上に、まるでトルコの総督《パシャ》よろしくのていであぐらをかいていた。両足は仕事をしている時の仕立屋仲間の習慣《ならわし》でむき出しにしていた。そして何よりさきに眼に映ったのは、まるで亀の甲羅《こうら》みたいに厚くて堅い、妙に形の変化した爪のある、アカーキイ・アカーキエウィッチには先刻おなじみのおや指であった。ペトローヴィッチの首には絹と木綿の捲糸が掛かっており、膝の上には何かのぼろが乗っていた。彼はもう三分間ほど前から針の穴《みぞ》に糸を通そうとしていたが、それがどうも巧くゆかないので、部屋の暗さに腹をたてたり、しまいには糸にまで当たりちらして、「通りやがらねえな、こん畜生! 手をやかせやがって、この極道《ごくどう》めが!」と、口の中でぶつぶつ言っているところであった。アカーキイ・アカーキエウィッチは選りにも選ってこんなにペトローヴィッチがぷりぷりしているところへ来あわせたのはまずいと思った。というのは、彼はペトローヴィッチが少々きこしめしている時か、または彼の女房の言い草ではないが、【一つ目小僧がどぶろくに酔い潰れた】時に、何か誂えものをするのが好きだったからである。そんな場合にはたいてい、ペトローヴィッチはひどく気前よく、進んで値を引いたり、こちらの言い分を聴き入れたり、そのたんびにお辞儀をして、お礼をいったりさえするのであった。もっともその後では、いつも女房が泣きこんで来て、うちの亭主《ひと》は酔っ払っていたので、あんな安値で引受けたのだといってぐちをこぼすが、しかし十カペイカ銀貨の一枚も増してやれば、それで事なく納まるのであった。ところが今はそのペトローヴィッチもどうやら素面《しらふ》らしい、したがって人間が頑《かたく》なで容易には打ちとけず、はたしてどんな法外な値段を吹っかけるか、知れたものではなかった。それと悟るとアカーキイ・アカーキエウィッチはとっさに、いわゆる出直そうと考えたものであるが、時はすでに遅かった。ペトローヴィッチはじっと彼の方を見つめながら、その一つきりの眼をぱちぱちさせていた。それでアカーキイ・アカーキエウィッチも、しょうことなしに言葉をかけてしまった。
「やあ、今日は、ペトローヴィッチ!」
「これはこれは、旦那!」そういって、ペトローヴィッチは相手がいったいどんな獲物を持ち込んで来たのか見きわめようとして、じろりと横目でアカーキイ・アカーキエウィッチの手許をうかがった。
「時にわたしは、君のところへ、その、ペトローヴィッチ、その何だよ……」ここで知っておかねばならないのは、アカーキイ・アカーキエウィッチは物事を説明するのに、大部分、前置詞や副詞やはてはぜんぜん何の意味もない助詞をもってしたということである。また、話がひどく面倒だったりすると、一つの文句を終りまで言いきらないような癖さえあったので、しばしば【その、じつは、まったくその……】といったような言葉で話をきり出しておいて、それっきり何も言わないくせに、自分ではもう何もかも話したつもりで、あとはすっかり忘れてしまうようなことが時々あった。
「何でござんすかね?」ペトローヴィッチはそう言うと同時に、その一つきりの眼で相手の制服を残るくまなく、襟から袖口、背中から、裾《すそ》やボタン穴にいたるまで、しげしげと眺めまわしたが、それは彼自身の手がけたものだけに、一から十まで知りつくしていたのである――もっともこれは仕立屋仲間の習慣《ならわし》で、人に出会うとまず第一にやる癖でもあった。
「いや、実はその、何だよ、ペトローヴィッチ……外套だがね、ラシャは……そら、ほかのところはどこもかも、まだまったく丈夫で……少々ほこりによごれて、古そうには見えるが、新しいんでね、ただほんのひとところ少し、その……背中と、それにほら、こちらの肩のところがちょっぴり擦り切れて、それから、こっちの肩のところもちょっと……ね、わかったろう? それっきりのことなんだよ。大して手間ひまのかかる仕事じゃない……」
ペトローヴィッチは例の【半纏《はんてん》】を手にとると、まずそれをテーブルの上にひろげて、長いことあちらこちら調べていたが、ちょっと首を振ってから、やおら窓のところへ片手をのばして、円い嗅《か》ぎ煙草入れを取った。それにはどこかの将軍の像がついていたが、いったいどういう将軍なのか、それは皆目わからない。というのは、その顔にあたる部分が指ですり剥《は》げて、おまけに四角な紙きれが貼りつけてあったからである。さて、ペトローヴィッチは嗅ぎ煙草を一嗅ぎやると、【半纏《はんてん》】を両手にひろげて、明りに透かして見て、また首を振ったが、それから裏返しにしてみて、もう一度首を振った。そしてふたたび、紙きれの貼りつけてある将軍のついた蓋《ふた》をとって、煙草を一つまみ鼻のところへ持っていってから、蓋を閉じ、煙草入れをしまって、やがてのことにこう言ったものである。「いや、もう繕いはききませんよ、じつにひどいお召物ですて!」
その言葉を聞くと、アカーキイ・アカーキエウィッチの胸はドキンとした。
「どうしてできないんだね、ペトローヴィッチ?」と、まるで子供が物をねだる時のような声で言った。「だって、肩のところが少しすれているだけのことじゃないか。何か、お前んとこに裁《た》ちぎれがあるじゃろうが……」
「そりゃあ、裁ちぎれは探せばありますよ、布きれは見つかりますがね、」とペトローヴィッチが言った。「でも、縫いつけることができませんや。何しろ、地がすっかりまいってますからねえ。針など通そうものなら――ずだずだになっちゃいますよ。」
「ずだずだになったらなったで、またすぐ補布《つぎ》を当ててもらうさ。」
「だって、補布の当てようがないじゃありませんか、第一もたせるところがありませんや。なにしろ土台が大事ですからねえ。これじゃあラシャとは名ばかりで、風でも吹けば、ばらばらに飛んじゃいまさあ。」
「まあさ、とにかく、ひとつ縫いつけてみておくれ、どうしてそんな、ほんとうにその……」
「いやだめでがす。」と、ペトローヴィッチはそっけなく言いきった。「何ともしょうがありませんよ。まるっきり手のつけようがありませんからねえ。冬、寒い時分になったら、いっそこいつで足巻でもこさえなすったらいいでしょう。靴下だけじゃ温まりませんからねえ。これもあのドイツ人の奴が少しでもよけい金儲けをしようと思って考え出しおったことですがね。(ペトローヴィッチは機会あるごとに、好んでドイツ人を槍玉にあげた。)ところで、外套はひとつぜひとも新調なさるんですなあ。」
この【新調】という言葉に、アカーキイ・アカーキエウィッチの眼はぼうっと暗くなり、部屋の中のありとあらゆるものが彼の眼の前でひどく混乱してしまった。彼はただ、ペトローヴィッチの嗅ぎ煙草入れの蓋についている、顔に紙を貼りつけられた将軍の姿だけが、はっきり見えるだけであった。「どうして、新調するなんて?」と、彼はやはり、まるで夢でも見ているような心持でつぶやいた。「わしにそんな金があるものか。」
「いや、新調なさるんですなあ。」とペトローヴィッチは、残忍なほど落ちつきはらって言った。
「じゃあ、どうしても新調せにゃならんとしたら、いったいどのくらい、その……」
「つまり、いくらかかるかとおっしゃるんで?」
「うん。」
「まあ、百五十ルーブルはたっぷりかかりますなあ。」こうペトローヴィッチは言ったが、それと同時に意味ありげに唇を引き締めた。彼はひどい掛値を吹っかけることが恐ろしく好きだった。こうして不意に相手の度胆を抜いておいて、さておもむろに、面喰ったお客がそうした言葉のあとでどんな顔をするかと、横眼でじろじろ眺めるのが好きであった。
「外套一着に百五十ルーブルだって!」と、哀れなアカーキイ・アカーキエウィッチは思わず叫び声をあげた――おそらく彼がこんな頓狂な声を立てたのは、生まれて初めてのことであったろう。というのは、彼は常々、きわめて声の低い男であったからである。
「御意《ぎょい》のとおりで。」と、ペトローヴィッチが言った。「それも外套によりけりでしてな。もし襟に貂《てん》の毛皮でもつけ、頭巾を絹裏にでもして御覧《ごろう》じろ、すぐにもう、二百ルーブルにはなってしまいますからなあ。」
「ペトローヴィッチ、後生だから、」とアカーキイ・アカーキエウィッチはペトローヴィッチの言い草や法外な掛値には耳も貸さず、いや貸すまいとして、歎願するような声で言った。「何とかして、もうほんの少しの間でも保《も》たせるように、繕って見ておくれよ。」
「いや、駄目なことですよ。どうせ骨折り損の銭うしないってことにしきゃなりませんから。」とペトローヴィッチが言った。こんな言葉を聞かされて、アカーキイ・アカーキエウィッチはすっかり意気悄沈して表へ出た。ペトローヴィッチはお客が立ち去ってからもなおしばらくは、意味ありげにきっと唇を結んだまま、仕事にもかからず突っ立っていたが、自分の器量もさげず裁縫師としてへまなまねもしなかったことに満足を覚えていた。
通りへ出てからも、アカーキイ・アカーキエウィッチはまるで夢を見ているような気持だった。【いや、とんでもないことになったぞ。】と、彼は自分で自分に言うのだった。【おれは、ほんとに、まさかこんなことになろうとは思いもよらなかったわい……。】それから、ややしばらく口をつぐんでいてから、こうつけ加えた。【いや、なるほどなあ! 偉いことになってきたぞ! だがほんとうにおれは、こんなことになろうとは、まったく思いもかけなかったて。】それからまた長いこと沈黙が続いたが、その後でこう言った。【そんなことになるのかなあ! まさか、こんなことになろうとは、その、夢にも思わなかったて……。まさか、どうも……こんなことになろうとは!】こうつぶやいて彼は、家の方へ行くかわりに、自分では何の疑いも抱かずに全然反対の方角へ歩いて行った。途中で一人の煙突掃除人がその煤《すす》だらけの脇を突き当てて、彼の肩をすっかり真黒にしてしまい、普請中の家の屋の棟からは石炭がどっと頭の上へ降ってきた。が、彼はそんなことには少しも気がつかなかった。で、それからなおしばらくして、一人の巡査が、傍らに例の*戟《ほこ》を立てかけたまま、角型《つのがた》の煙草入れからタコだらけの拳の上へ嗅ぎ煙草を振り出しているところへ、どすんとつき当たった時、初めて少しばかり人心地がついたが、それも巡査に「こら、何だって人の鼻面へぶつかってくるんだ? きさまにゃあ通る路がないのか?」とどなりつけられたからである。それで彼はようやくあたりを見まわして、わが家の方へと踵《きびす》を返した。ここで初めて彼は自分の考えをまとめにかかり、自己の立場のはっきりした真相を認めて、今はもう切れぎれにではなく理路整然と、しかもどんな打ちとけた内輪話でもできる思慮分別のある親友とでも話しているように、ざっくばらんに自問自答をやりはじめたものである。【いや、駄目だよ】と、アカーキイ・アカーキエウィッチは言った。【今、ペトローヴィッチとかれこれ話してみたところで始まらんわい。やっこさん、今はその……きっと、どうかして、あの女房にぶん殴られでもしたのに違いないて。こりゃあやっぱり、日曜日の朝にでもやっこさんとこへ出かけたほうがよさそうだ。そうすれば、前日の土曜のあくる日だから、先生、眼をどろんとして寝ぼけ面をしているだろう。そこでやっこさん、迎え酒がやりたくってやりたくってたまらないのだが、女房が金を渡さぬ。そんな時に、おれが十カペイカ銀貨の一つも、その、掴ませようものなら――それこそやっこさんずっとおとなしくなるにきまっている。そうなれば外套もその……】こんなふうにアカーキイ・アカーキエウィッチは胸に問い肚に答えて、われとわが心を引き立てて、つぎの日曜日まで辛抱したが、ちょうどその日になって、ペトローヴィッチの女房がどこかへ出かけるのを遠くから見すますと、彼はまっすぐにペトローヴィッチのところへ出かけていった。土曜日のあくる日のこととて、はたしてペトローヴィッチはひどくどろんとした眼つきで、首をぐったり下へ垂れて、すっかり寝ぼけ面をしていた。そのくせ用むきの次第をそれと知るやいなや、まるで悪魔に小突かれでもしたように、「駄目でがすよ。」と言った。「ひとつ新しいのを作らせていただくんですなあ。」アカーキイ・アカーキエウィッチは、そこですかさず彼の手へ十カペイカ銀貨を一つ掴ませた。「旦那、これはどうも。あなた様の御健康のために、ちょっくら一杯景気をつけさせていただきますわい。」と、ペトローヴィッチは語をついだ。「ですがね、あの外套のことは、もうかれこれと御心配は御無用になさいませ。あれはもう、何の役にも立ちはしませんからね。手前が一つ新しいのを、とびきり立派に仕立てて差しあげましょう。いや、それだけはもう保証|請合《うけあい》ですよ。」
アカーキイ・アカーキエウィッチはなおも修繕のことをごてくさ言いかけたが、ペトローヴィッチは皆まで聴かずに「いや、なあに、あなたには是が非でも新しいのを一着つくらせていただきますよ。まあ、当てにしていて下さいませ、せいぜい骨を折りますから。流行《はやり》のようにだってできますよ。襟は銀被せのぴかぴかしたホックで留めることにいたしましょうね。」と言った。
ここでアカーキイ・アカーキエウィッチは、どうしても外套を新調せずには済まされない羽目になったと悟って、すっかり意気悄沈してしまった。だが実際のところ、いったい何を当てに、どういう金でそれを新調したものだろう? もちろん、一部分は近々に貰える歳末賞与をそれに当てることもできるはずだが、しかし、その金はもうとっくから、前もって使い途《みち》の割り当てがついていた。新しくズボンも作らねばならず、古い長靴の胴に新しい面皮を張らせたときの靴屋への旧い借金も払わなければならず、おまけに、シャツを三枚と、それにまだ、こんな公刊物の文中ではどうも明らさまに名前を挙げることもはばかられるような、下につけるものを二つ仕立女に誂《あつ》らえなければならない。つまり、その金は一文残らず費《つか》いはたしてしまわなければならないわけである。かりに局長が、四十ルーブルの賞与のかわりに四十五ルーブルか、ないしは五十ルーブルも支給してくれるほど情け深い人であったとしても、やはり残額はまことに僅少なもので、外套代にとっては、まさに大海の一滴にも当たらないだろう。もっともペトローヴィッチには、だしぬけにとてつもない法外な値段を吹っかける気まぐれな癖があるので、時には連れ添う女房までが堪りかねて、「まあ、お前さん、気でも狂ったのかね、馬鹿馬鹿しい! どうかすると、まるでただみたいな値段で仕事を引き受けるかと思えば、今度はまた、てんで正気の沙汰とも思われないような、まるで自分の柄にもない高い値段を吹っかけたりしてさ。」と、思わず叫び出すようなことさえあるのは、彼も知っていた。それにもちろん、せいぜい八十ルーブルくらいのところでペトローヴィッチが注文を引き受けるだろうことも、承知はしていたが、しかしそれにしても、いったいどこからその八十ルーブルという大金を工面したらいいのか? せめて半額ぐらいならどうにかなるだろう。半額か、ことによれば、もう少しよけいぐらいは調達できるかもしれぬ。しかし、あとの半分はどこから工面するのだ?……だが、読者はまずその最初の半額がいったいどこから手に入るのか、それを知っておく必要がある。アカーキイ・アカーキエウィッチには、つねづね一ルーブルつかうごとに二カペイカ銅貨を一つずつ、鍵がかかって、蓋に金を入れるための小さい穴の切りあけてある小型の箱へ抛り込んでおく習慣があった。そして半年ごとに溜った銅貨の額を調べては、それを細かい銀貨に取り換えておいた。彼はそれをかなり前から続けていたので、こうして数年の間に、その貯金の高が四十ルーブル以上になっていた。そんな次第で入用の半額はすでに手許にあったのである。だが、あとの半額はどこから手に入れたものか? どうしてあとの四十ルーブルを調達したものか? アカーキイ・アカーキエウィッチは考えにも考えた末、少くとも、向こう一年間は日常の経費を節約するほかはないと決心した。毎晩お茶を飲むことをやめ、夜分もローソクを点《とも》さないことにして、もし何かしなければならないことでもあれば、主婦の部屋へ行って、そこのローソクの灯りで仕事をし、街を歩くにも、丸石や鋪石の上はなるだけそっと、用心深く爪立って歩くようにして、靴底が早く磨りへらないように心がけ、また、なるべく下着も洗濯婦《せんたくや》へ出さないようにして、それらを着よごさないために、役所から帰ったら、さっそく脱いで、そのかわりに、ずいぶんな古物で、時の破壊力そのものにさえも慈悲をかけられているような、天にも地にも一枚看板の、木綿《めん》まじりの寛衣《へやぎ》にくるまって過すことにした。正直なところ、こうした切りつめた生活に慣れるということは、彼にとってもさすがに最初のうちはいささか困難であったが、やがてそれにもどうやら馴れて、おいおいうまく行くようになり、毎晩の空腹にすら、彼はすっかり慣れっこになった。けれど、そのかわりにやがて新しい外套ができるという常住不断の想いをその心に懐いて、いわば精神的に身を養っていたのである。この時以来、彼の生活そのものが、何かしら充実してきた観があって、まるで結婚でもしたか、または誰かほかの人間が彼と一緒に暮してでもいるかして、今はもう独り身ではなく、誰か愉快な生活の伴侶が彼と人生の行路を共にすることを同意でもしたかとも思われた――しかも、その人生の伴侶とは、ふっくらと厚く綿を入れて、まだけっして着ずれのしていない丈夫な裏をつけた新調の外套にほかならなかった。彼はどことなく前より生々《いきいき》してきて、性格までがあたかも心に一定の目的を懐ける人のように強固になった。その顔つきからも振舞いからも、いつとはなしに、疑惑の影や優柔不断の色――一言にしていえば、一切のぐらぐらした不安定な面影が消えうせたのである。時には、彼の眼の中にもかっと火が燃えたち、その脳裡に恐ろしく大胆不敵な考えが閃めいて、ほんとに貂皮《てん》の襟でもつけてやるかな? などとすら思うことがあった。そうしたことをかれこれと思いめぐらしながら、彼はほとんど放心状態に陥りさえした。一度などは書類の写しをしていながら、すんでのことに書き損ないをしようとして、「あっ!」と、ほとんど声に出して叫ぶなり、急いで十字を切ったものである。毎月たった一度ずつではあったが、彼は外套のことを――ラシャはどこで買ったらいいか、色合はどんなのがよくて、値ごろはどの辺にしたものだろう、などと、ペトローヴィッチのところへ相談に出かけた。そして、いくぶん不安になりながらも、そうしたものが全部買い調えられて、やがては外套のできあがる時が来るのだと考えて、いつも満足して家へ帰るのであった。ところが、事は彼が予期したよりはるかに手っとり早くはかどった。まったく思いがけなくも、局長はアカーキイ・アカーキエウィッチに対する賞与を四十ルーブルや四十五ルーブルどころか、じつに大枚六十ルーブルと指定してくれたのである。はたして彼が、アカーキイ・アカーキエウィッチに外套の必要なことをそれと察してくれたのか、それとも自然にそういうことになったのか、それはともかく、これで彼の懐ろには二十ルーブルという余分の金が生じたわけである。こうした事情によって、問題は意外にその速度を早めた。で、さらに二、三ヵ月のあいだ多少の空腹を辛抱すると、アカーキイ・アカーキエウィッチの手許には正しく八十ルーブル前後の金がまとまったのである。日頃はいたって落ちつきのある彼の胸も、さすがに早鐘をうちだした。いよいよ金のできた最初の日に、彼はペトローヴィッチと連れだって店へ出かけた。二人は非常に上等なラシャを買った。それもそのはずで、彼らはもう半年も前からそれについては考えに考えて、店へ値段をひやかしに行かなかった月はほとんどなかったくらいだからである。そのかわり、当のペトローヴィッチでさえ、これ以上のラシャ地はあるまいと言った。裏地にはキャラコを選んだが、これまた地質のよい丈夫なもので、ペトローヴィッチの言葉によれば、絹布よりも上等で、外見もずっと立派な、艶もいい品であった。貂皮《てん》はなるほど高価《たか》かったので買わなかったけれど、そのかわりに、店じゅうで一番上等の猫の毛皮を――遠目にはてっきり貂皮《てん》と見まがえそうな猫の毛皮を買った。
ペトローヴィッチは外套を仕立てあげるのにまる二週間もかかったが、それは綿をうんと入れたからで、それさえなければ、ずっと早くできたはずである。仕立代としてペトローヴィッチは十二ルーブルとった――それ以下ではどうしてもできなかったのである。何しろ全部が全部、絹糸を使って、縫目を細かく二重にして縫ってから、ペトローヴィッチは縫目という縫目に自分の口でさまざまの歯型を刻みつけながら、緊め固めたほどであるから。それは……いつの幾日であったか、しかとは言いかねるが、ペトローヴィッチがついに外套を届けに来た日は、恐らくアカーキイ・アカーキエウィッチの生涯においていやが上にもおごそかな日であったに違いない。それを持って来たのは、朝早く、ちょうど役所へ出かけなければならない、出勤まぎわの時刻であった。これほど誂《あつ》らえ向きな時に外套が届けられるということは、ちょっとほかにはあり得ないことだろう。というのはもうかなり厳しい凍寒《いて》が襲来して、しかもそれがいよいよはなはだしくなりそうな脅威を感じさせていたからである。ペトローヴィッチは、さもひとかどの裁縫師らしく、外套を抱えてやって来た。彼の顔には、これまでアカーキイ・アカーキエウィッチがついぞ一度も見たことのないもったいらしい表情が浮かんでいた。どうやら彼は、自分が仕上げたのはささやかな仕事ではなく、いつもせいぜい裏をかえたり、繕ろい仕事ぐらいよりしていない仕立屋と、新しいものを仕立てる裁縫師との截然たる懸隔をその伎倆に示したものと、十二分に自覚しているらしかった。彼は持って来たハンカチ包みから外套を取り出した。(そのハンカチは洗濯屋から届いたばかりのものであったから、彼は手早くそれを折りたたんで、本来の用に立てるべくポケットの中へしまい込んだものである。)彼は外套を取り出すと、さも得意げにそれを見やってから、両手で持ち上げて、アカーキイ・アカーキエウィッチの肩へじつに器用に投げかけた。ついで、ちょっと引っぱって、背中を片手で下へ撫でおろしておいてから、胸を少しはだけた、きざなかっこうにアカーキイ・アカーキエウィッチの身をくるんだので、アカーキイ・アカーキエウィッチは年配の人間らしく、きちんと袖を通そうとした。そこでペトローヴィッチが手伝って袖を通させたが、通してみると、袖のぐあいもよかった。これを要するに、外套は申し分なく、ぴったりと躯《からだ》にあったのである。ペトローヴィッチはそれを機会《しお》に、自分は看板もかけずに狭い裏通りに住んでおり、その上、アカーキイ・アカーキエウィッチとは古い馴染であればこそ、こんなに安く引受けたのであるが、これがもしネフスキー通りあたりだったら、仕立代だけでも七十五ルーブルはふんだくられるところだと吹聴することを忘れなかった。アカーキイ・アカーキエウィッチはそのことでかれこれペトローヴィッチと議論をする気にはならなかった。それにペトローヴィッチがひろげたがる大風呂敷にはいささかへきえきしていたからでもある。彼は勘定をすますと、ちょっと礼を言ってから早速、新しい外套を着こんで役所へ出かけた。ペトローヴィッチもその後から外へ出ると、往来に立ちどまって、じっといつまでも遠くから外套を眺めていたが、それから今度は、わざわざ横へそれて、曲りくねった路次を通って先廻りをして、また本通りへ出ると、もう一度、反対側から、つまり真正面から自分の仕立てた外套を眺めたものである。一方、アカーキイ・アカーキエウィッチは、ぞくぞくするような気分で浮き立ちながら歩いていた。彼は束《つか》の間《ま》も自分の肩に新しい外套のかかっていることが忘れられず、何度も何度も、こみあげる内心の満足からにやりにやりと笑いをもらしさえした。たしかに好いところが二つあった――一つは温かいことで、今一つは着心地のいいことである。彼は通ってきた路筋などにはまったく気もつかず、いつの間にか、もう役所へ着いていた。守衛室で外套を脱ぐと、それを丹念に検《しら》べてから、よくよく注意をしてくれるようにと守衛に頼んだ。どうして知れたものか、アカーキイ・アカーキエウィッチが新調の外套を着て出勤したこと、例の【半纏《はんてん》】はもうどこにも見当たらないことが、たちまち役所じゅうに知れ渡ってしまった。一同は即刻、アカーキイ・アカーキエウィッチの新しい外套を見に守衛室をさしてどっと押しかけた。そして祝辞を述べたり、お世辞を言ったりし始めたので、こちらは初めのうちこそ、にやにや笑っていたが、しまいにはきまりが悪くさえなった。みんなが彼を取り巻いて、新しい外套のために祝杯をあげなければなるまいとか、少なくとも、一夕《いっせき》、彼等のために夜会を催す必要があるとか言い出した時には、アカーキイ・アカーキエウィッチはすっかりまごついてしまって、いったいどうしたらいいのやら、何と返答したものやら、どう言い逃れたものやら、さっぱり見当がつかなかった。数分の後には彼はもうすっかり赧《あか》くなって、これはけっして新調の外套でも何でもなく、ただの古外套なのだと、あくまで無邪気に一同を説き伏せにかかった。そうこうするうちに役人の一人で、副課長を勤めているほどの人物ではあるが、多分、おれはけっして傲慢な人間ではない、それどころか目下《めした》の者とさえ交際しているのだということを示すためであろうが、こんなことを言い出した。「まあ、いいさ、それじゃあ僕が一つアカーキイ・アカーキエウィッチに代って夜会を催すことにするから、どうか今晩、お茶を飲みにやって来て下さい。ちょうどお誂えむきに、今日は僕の命名日《なづけび》でもあるしするから。」言うまでもなく、役人たちは即座に課長補佐に祝辞を述べて、大喜びでその申し出を受け入れた。アカーキイ・アカーキエウィッチは辞退しようとしたが、一同が、それはかえって無作法だの、いやまったく恥だの、不面目だのと言い出したので、もうどうにも断わるに断わりきれなくなってしまった。とはいえ、お蔭で晩にも新しい外套を着て出られるのだと思うと、今度はまたいい気持にもなってきた。この日一日というものは、まるでアカーキイ・アカーキエウィッチにとってはもっとも盛大なお祭りのようであった。こよなく幸福な気分で家へ帰ると、彼は外套を脱いで、もう一度ほれぼれとラシャや裏地に見惚れてから、ていねいにそれを壁にかけたが、今度はそれと較べてみるつもりで、もうすっかりぼろぼろになっている、以前の【半纏《はんてん》】をわざわざ引っぱり出した。それを一目ながめて彼は思わず笑《ふ》き出してしまった――何という似ても似つかぬ相違だろう! それからもずっと長いこと、食事をしたためながらも、例の【半纏】のみじめな現在の身の上を心に思い浮かべては、絶えずくすくす笑っていた。気持よく食事を終ったが、食後ももはやどんな書類にもいっさい筆をとらず、そのまま暗くなるまで、しばらく寝台の上にごろごろしていた。それから、さっさと着換えをして、外套を引っかけると、表へ出た。ところで、くだんの招待主の役人がいったいどこに住んでいたかは、残念ながら、しかと申しあげることができない。記憶力がひどく鈍り、ペテルブルグにある一切のもの、街という街、家という家が、すっかり頭の中で混乱してしまっているので、その中から何なり筋道を立てて引き出すということがはなはだむずかしいのである。それはともかく、少くとも、その役人が市中でも目抜きの場所に住んでおり、従ってアカーキイ・アカーキエウィッチのところからは、かなりの道程《みちのり》があったということだけは確実である。初めのうちアカーキイ・アカーキエウィッチは、薄暗い街燈のついた、何となく寂しい街を通らなければならなかったが、当の役人の住いへ近づくにつれて、街路はしだいに活気を帯びて、賑やかになり、照明もあかるく、通行人の数もいっそうふえて、みなりの美しい婦人の姿も眼につけば、猟虎《らっこ》の襟をつけた紳士連にも出喰わした。鍍金《めっき》釘を打った格子組の木橇を引いたみすぼらしい辻待馭者はだんだん影をひそめて、それとは反対に、緋のビロードの帽子をかぶり、熊の皮の膝掛をかけて漆《うるし》塗りの橇を御した、いなせな高級馭者がひっきりなく往来し、馭者台を飾りたてた箱馬車が、雪に車輪を軋《きし》らせながら、通りを疾走していた。こうしたすべてのものをアカーキイ・アカーキエウィッチは、何か珍しいものでも見るように眺めやった。彼はもう何年も、夜の街へ出たことがなかったからである。彼はものめずらしげに、ある店の明るい飾窓の前に立ちどまって一枚の絵を眺めた。それには今しも一人の美しい女が靴をぬいで、いかにもきれいな片方の足をすっかりむきだしにしており、その背後の、隣室の扉口から、頬髯を生やして唇の下にちょっぴりと美しい三角髯をたくわえた男が顔をのぞけているところが描いてあった。アカーキイ・アカーキエウィッチは首を一つ振ってにやりとすると、まためざす方へと歩きだした。いったいなぜ彼はにやりとしたのだろう? まだ一度も見たことはなくても、何人もがあらかじめそれについてある種の感覚をそなえているところの物件に邂逅《かいこう》したがためだろうか? それとも、ほかの多くの役人たちと同じように、【いや、さすがはフランス人だ! まったく一言もない! 何か一つ思いついたが最後、それはもう、実にどうも!……】とでも考えてのことだろうか?
いやあるいはそんなことも考えなかったのかもしれない。なにしろ他人の肚《はら》の中へ入りこんで、考えていることを残らず探り出すなどということはできない相談である。さて、アカーキイ・アカーキエウィッチはついに、課長補佐が住いを構えている家へとたどりついた。課長補佐はなかなか豪奢な暮しをしていた。住いは二階で、階段にはあかあかと、あかりがついていた。控室へ入ると、その床にごたごたと並んだオーバーシューズの列がアカーキイ・アカーキエウィッチの目に映った。それにまじって、部屋の中央にはサモワールがしゅうしゅういいながらさかんに湯気を吹き出していた。壁には、いろんな外套やマントが、ずらりとかかっていたが、その中には猟虎《らっこ》の襟のついたのや、ビロードの折り返しのついたのもまじっていた。壁のむこうで、ざわめく音や話し声が聞えていたが、扉があいて従僕が盆に空《から》のコップやクリーム入れやラスクの籠をのせて出て来た時には、それが急にはっきりと聞こえだした。明らかに役人たちはもうとっくに集まっていて、まず最初のお茶を一ぱいずつ飲み乾したところらしい。アカーキイ・アカーキエウィッチが自分で外套をかけて、その部屋へ入ると、彼の目の前にはローソクの灯と、役人連と、パイプと、カルタのテーブルが一時にぱっと閃めき、四方八方から起こる矢つぎばやの話し声や、椅子を動かす音が雑然と彼の耳朶《みみたぶ》を打ってきた。彼はどうしたらいいかに思い惑いながら、ひどくぎごちなく部屋の真中に立ちすくんでしまった。ところが、はやくもその姿を認めた一同は、わっと歓声をあげて彼を迎えると、さっそく控室へ駆けだして、またもや、ためつすがめつ彼の外套の品さだめをした。アカーキイ・アカーキエウィッチはいささかてれはしたものの、根が正直な人間だけに、みんなが自分の外套をほめちぎるのを眺めては、どうしても喜ばずにはいられなかった。しかし当然のことではあるが、一同の者は間もなく彼も外套もうっちゃっておいて、例のごとくヴィストのために定められたテーブルへ戻ってしまった。すべてこれらのもの――騒音や、話し声や、人々の群れが、アカーキイ・アカーキエウィッチにはなんとなく奇態なものに思われた。彼はいったいどうしたらいいのか、自分の手足や五体のすべてをどこへ置いたらいいのか、さっぱり見当がつかなかった。それでもとうとうしまいに、勝負をしている人々の傍らへ腰をおろすと、カルタを眺めたり、あちこちの人の顔をのぞきこんだりしていたが、しばらくすると、あくびがでて、退屈を感じはじめた。それにいつもなら、もうとっくに床に就く時刻なので、なおさらのことであった。彼は主人に暇《いとま》を告げて帰ろうと思ったが、みんなは是が非でも新調祝いにシャンパンの杯を挙げなければならないからといって、いっかな放そうとはしなかった。一時間ばかりして、野菜サラダと仔牛の冷肉と、パイと、菓子屋から取った肉饅頭と、それにシャンパンなどで夜食がでた。アカーキイ・アカーキエウィッチはシャンパンを無理やり二杯飲まされた。すると部屋の中がずっと陽気になったような気がし始めたけれど、それでも、もう十二時にはなっているし、とっくに家へ帰らねばならぬ時刻だということは、どうしても忘れることができなかった。そこで彼は、とやかく主人から引きとめられないようにと、こっそり部屋を抜け出して、控室で外套を探したが、それは痛ましくも床の上へ落ちていた。よく振って埃りをすっかり払い落とすと、それを肩にひっかけて、彼は階段を降りて表へ出た。街はそれでもまだ明るかった。界隈《かいわい》の奉公人やいろんな連中の不断の集会所になっている、そこいらあたりの小売りの店はまだあいていた。もう閉めている店もあったが、扉の隙間から長い灯影が洩れているのは、まだ彼らの集《つど》いがひけていないこと――おそらくそれらの召使たちは、彼らの居どころがわからなくて、自分らの主人たちがすっかり当惑しているのをよそに、まだいつもの無駄口や世間話にけりをつけようとしている最中だということを物語っていた。アカーキイ・アカーキエウィッチははなはだ上機嫌で歩いていたがふと、一人の婦人がどうしたわけか、まるで稲妻のように傍らを通り抜けながら、肢体の各部で奇妙な素振《そぶり》を見せて行く後を追っかけようとしたほどであった。しかし彼はとっさに立ちどまると、どうしてこんなに足早になったのかと我ながら怪しみながら、再び前のとおりきわめて静かに歩きだした。間もなく、彼の目の前には、昼間ですらあまり賑やかではなく、いわんや夜はなおさらさびしい通りが現われた。それが今は、ひとしおひっそり閑と静まり返り、街燈も稀《まれ》にちらほらついているだけで――どうやら、もう油がつきかかっているらしい。木造の家や垣根がつづくだけで、どこにも人っ子ひとり見かけるではなく街路にはただ雪が光っているだけで、鎧扉《よろいど》をしめて寝しずまった、軒の低い陋屋がしょんぼりと黒ずんで見えていた。やがて彼は、向こう側にある家がやっと見える、まるでものすごい荒野みたいに思われる広場で街通りが中断されている場所へと近づいた。
どこかとんと見当もつかないほど遠くの方に、まるで世界の涯《はて》にでも立っているように思われる交番の灯りがちらちらしていた。ここまで来るとアカーキイ・アカーキエウィッチの朗らかさも何だかひどく影が薄くなった。彼はその心に何か不吉なことでも予感するもののように、我にもない一種の恐怖を覚えながらその広場へ足を踏み入れた。後ろを振り返ったり、左右を見回したりしたが――あたりはまるで海のようだった。【いや、やはり見ないほうがいい。】そう考えると彼は目をつぶって歩いて行った。やがて、もうそろそろ広場の端へ来たのではないかと思って目をあげたとたんに、突然、彼の面前、ほとんど鼻のさきに、何者か、髭をはやしたてあいがにゅっと立ちはだかっているのを見た。しかしそれがはたして何者やら、彼にはそれを見分けるだけの余裕もなかった。彼の目の中はぼうっとなって、胸が早鐘のように打ちはじめた。「やい、この外套はこちとらのもんだぞ!」と、その中の一人が彼の襟髪をひっつかみざま、雷のような声でどなった。アカーキイ・アカーキエウィッチは思わず【助けて!】と悲鳴をあげようとしたが、その時はやく、もう一人の男が「声をたててみやがれ!」とばかりに、役人の頭ほどもある大きなこぶしを彼の口もとへ突きつけた。アカーキイ・アカーキエウィッチは外套をはぎとられ、膝頭で尻を蹴られたように感じただけで、雪の上へあお向けに顛倒すると、それきり知覚を失ってしまった。しばらくして意識を取り戻して起ちあがった時には、もう誰もいなかった。彼はその広っぱの寒いこと、外套のなくなっていることを感じて、わめきはじめたが、とうていその声が広場の端までとどくはずはなかった。絶望のあまり彼はひっきりなしにわめきたてながら、広場を横ぎってまっしぐらに交番をめがけて駈け出した。交番の傍らには一人の巡査が例の戟《ほこ》にもたれて佇《たたず》んでいたが、大声でわめきながら遠くからこちらへ走って来るのはいったいどこのどいつだろうと、どうやら好奇心を動かされたらしく、じっと目をこらした。アカーキイ・アカーキエウィッチは巡査のところへ駆けつけると、息ぎれで声もしどろもどろに、君はいねむりなどして注意を怠っているから、人が追剥《おいはぎ》にかかっても知らないでいるんだ、とどなりだした。巡査は、いっこう何も気がつかなかったが、なるほど広場の真中で二人の男があなたを呼びとめたのは知っている、けれど多分あれはお友だちだろうと思ったと答えて、ここでいたずらにぐずぐずいうよりは、明日警部のところへ訴えて出れば、外套を奪った犯人を捜査してくれると言った。アカーキイ・アカーキエウィッチはまったくとり乱した姿で家へ駆け戻った。顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》と後頭部にほんの僅かばかり残っていた髪の毛はすっかりもつれて、脇や胸や、それにズボンが全体に雪だらけになっていた。宿の主婦である老婆は、けたたましく扉を叩く音を聞きつけると、急いで床から跳ね起きて、片方だけ靴を突っかけたまま、それでもたしなみから肌着の胸を押えながら、扉を開けに駆け寄った。しかし扉をあけて、アカーキイ・アカーキエウィッチのその風体《ふうてい》を見ると思わずたじたじと後ずさりをした。彼が一部始終を話すと、老婆はぽんと手をうって、それならまっすぐに本署へ行かなければだめだ、駐在所などではいい加減なことを言って口約束だけはしても、埒《らち》があかない、やはり一番いいのはじかに署長のところへ行くことだ、署長なら、もとうちの炊事婦をしていたアンナというフィンランド女が今あすこの乳母に傭われているので自分も知りあいであり、また、よくこの家の傍を通るのを見かけもするし、日曜には必ず教会へお祈りに行って、その際みんなの顔を楽しそうに眺めている、だから、どう見ても、気だての優しい人にちがいない、というのだった。こんな意見を聞いて、アカーキイ・アカーキエウィッチは悄然として自分の部屋へひきとったが、そこで彼がどのようにして一夜を過ごしたかは――少しでも他人の境遇を自分の身にひきくらべて考えることのできる人にはたやすく想像のつくことである。翌る朝はやく、彼は署長のところへ出かけて行った。しかし、まだ眠っているという話だったので、あらためて十時に行ったが、またもや「お寝《やす》みです。」といわれた。十一時にまた行ってみると、今度は「署長は、留守です。」との話。そこでまた昼飯どきに行くと――玄関にいた書記たちが、いっかな通そうともしないで、どんな用があるのか、何の必要があって来たのか、いったい何事が出来《しゅったい》したのかと、うるさくそれを問い糺そうとした。そこでさすがのアカーキイ・アカーキエウィッチもついに一世一代の気概を見せる心になって、自分はじきじき署長に面会する必要があって来たのだ、君たちには自分を通さない権利などはあり得ない。自分は公用を帯びて役所から来たのだから、もし自分が君等を訴えたなら、その時こそ吠え面をかかねばならぬぞ、と断乎として言い放った。それには書記連も一言も返すことばもなく、その中の一人が署長を呼びに行った。署長は外套|追剥《おいはぎ》の話を何かひどく変なふうに解釈した。彼は事件の要点にはいっこう注意を向けないで、アカーキイ・アカーキエウィッチに向かって、いったいどうしてそんなに遅く帰ったのか、どこかいかがわしい家へでも寄っていたのではないか、などと問い糺しはじめた。それでアカーキイ・アカーキエウィッチはすっかりめんくらってしまい、外套の一件が適当な措置をとられるものやらどうやら、さっぱりわからないままで、そこを出てしまった。この日いちにち、彼はとうとう役所へ出勤しなかった。(こんなことは一生に一度きりのことであった。)翌る日、彼はまっさおな顔をして、今はいっそうみすぼらしく見えるくだんの【半※[#「纒」の「厂」に代えて「广」、41-3]《はんてん》】を着て出勤した。外套を強奪された話は、中には、こんな場合にすら、アカーキイ・アカーキエウィッチを嘲笑せずにはいられない役人もあるにはあったが――しかし多くの者の心を動かした。で早速、彼のために義捐金《ぎえんきん》を集めることに話がきまった。が、いざ集めてみると、それはきわめて小額であった。というのは、役人連中はそれでなくてさえ、やれ局長の肖像のための寄付だとか、やれ何とかいう本を、著者の友人である課長のきもいりで買わされるとかで、かなり多額の出費をしていたからである。そんなわけで、集まった醵金《きょきん》は実に瑣々《ささ》たるものにすぎなかった。そこで或る一人の男がつくづくと同情の念に動かされて、せめて良い助言でもしてアカーキイ・アカーキエウィッチを助けてやりたいものと思い、駐在所へなぞ行くことじゃない、よしんば上官に褒められたさいっぱいで、駐在所がなんとかしてその外套を探し出したところで、それがこちらのものにちがいないという法律的な証拠を提出しないかぎり外套はやはり警察に留め置きということになるからだ。そこで何よりいい方法は、或る有力な人物にたよることだ。その有力な人物なら、あちこち適当な方面と連絡をとって、この訴えが上首尾に取り運ばれるように尽力してくれることができるから、と言った。なんともしかたがないので、アカーキイ・アカーキエウィッチはその有力な人物のところへ出かける決心をした。ところで、その有力な人物の職掌が何で、どんな役目についていたか、そのへんのことは今日までわかっていない。ただこの有力な人物も、つい最近に有力者になったばかりで、それまではいっこう無力な人間にすぎなかったということを知っておく必要がある。といったところで、彼の現在の地位にしても、更に重要な地位と比較すれば、大して有力なものとはいえなかったのである。しかし、いつの世にも、他人の目から見ればいっこう重要でもなんでもない地位を自分ではさもたいそうらしく思いこんでいる連中があるものである。ところで、彼はさまざまな手段を弄して、自分の偉さを強調しようと努めていた。たとえば、自分が登庁する際には下僚に階段まで出迎えさせることにしたり、誰にも自分の前へじかに出頭するようなことは許さず、恐ろしく厳格な順序を踏んで、まず十四等官は十二等官に報告し、十二等官は九等官なり、または他の適当な役人に取次ぐという具合にして、最後にやっと用件が彼のところへ到達するようにしていたのである。これはもう聖なるロシアにおいてはあらゆるものが模倣に感染している証左で、猫も杓子も自分の長官の猿真似をしているのである。こんな噂まである。なんでもある九等官は、とある小さな局長に任命されると早速自分だけの部屋を仕切って、それを【官房】と名づけ、扉口には赤襟にモールつきの服を着せた案内係を置いて、来訪者のあるごとに、いちいち把手《とって》をとって扉をあけさせたものである。しかもその【官房】たるや、ありきたりの書物机《かきものづくえ》が一脚、どうにか無理やりに置けるくらいのものであったとのことである。さて、くだんの有力者の態度や習慣は、なかなかどっしりして、威風堂々たるものであったが、しかしいささかこうるさいところがあった。彼の主義方式の根柢は主として厳格という点にあった。【厳格、厳格、また厳格。】と彼はいつも口癖のように言っていたが、その最後の言葉を結ぶ時には、きまって相手の顔をひどく意味深長に眺めやるのであった。とはいえ、これはなんら謂《いわ》れのあるところではなかった。なぜなら、この事務局の全機構を形成している十人ばかりの官吏は、それでなくてさえいい加減|怖気《おぞけ》をふるっていたからである。彼らは遠くからでも彼の姿を見かけると、ただちに事務の手をやめ、直立不動の姿勢で、長官が部屋を通り去るのを待ったものである。彼が下僚を相手にとり交わす日常の会話も、いかにも厳格な調子で、ほとんどつぎの三、四句に限られていた。【言語道断ではないか? いったい誰と話しているのかわかっとるのか? 君の前にいるのを誰だと思う?】そうはいっても、根は善良な人間で、同僚ともよく、人にも親切であった。ただ勅任官という地位がすっかり彼を混乱させてしまったのである。勅任官の位を授かると、彼は妙にまごついて、ひどく脱線してしまい、まったく自分をどうしたらいいのか、さっぱり見当がつかなかったのである。たまたま、同輩の者と一緒のときはまだしも、決して申し分のない、なかなかしっかりした人柄で、あらゆる点において如才のない人間でさえあったが、いったん自分より一級でも下の連中の仲間へ入ったが最後、彼はまるで手も足も出なくなって、しんねりむっつりと黙りこんでしまう。そのようすが、彼自身でもこれとはくらべものにならないほど愉快に時を過すことができそうなものをと感じているだけになおさら憐憫《れんびん》の情をそそるのであった。時には彼の目にも、何か面白そうな集《つど》いや談笑の仲間入りがしたくてたまらないという激しい欲望のほの見えることもあったが、これも、それではあまりにこちらから身を低うすることになりはせぬか、なれなれしすぎはすまいか、こんなことをしては自分の沽券《こけん》にかかわりはせぬか、などといった杞憂《きゆう》に阻まれてしまう。そうしたとりこし苦労のために、つい尻込みをして、彼は相も変らず、いつも沈黙を守り続け、ただ時たま何かきわめて短い言葉をはさむくらいにすぎなかった。そのために彼は退屈きわまる人間という称号をかち得たのであった。わがアカーキイ・アカーキエウィッチのやって行ったのは、じつにこうした有力者の許《もと》であった。しかもそのやって行った時たるや、相手の有力者にとっては好都合な時であったが、彼自身にとってはもっとも具合の悪い、不首尾きわまる時であった。折しもくだんの有力者は自分の書斎で、つい最近に上京したばかりの、古い友人であり、かつ幼な馴染であって、ここ数年来互いに相見なかった男とすこぶる愉快に話し込んでいた。ちょうどそういうところへ、バシマチキンなる人が来訪したと取次がれたのである。彼は吐き出すように「どんな男だ?」と尋ねた。「どこかの役人です。」との答えである。「ああ! 待たせておけ、今は忙がしいんだから。」と有力者は言った。ここで断わっておかなければならないのは、この有力者がまるで根も葉もない嘘をついたということである。なあに、彼は忙しくも何ともなかったのである。彼はもうとっくにその友人と何もかも語りつくして、さっきから時どき話を途切らしては、かなり長く黙り込み、ただその合間々々に、軽くお互いの膝をたたきながら、「というわけか、イワン・アブラーモヴィッチ!」――「そういうわけさ、ステパン・ワルラーモヴィッチ!」などと繰り返しているにすぎなかった。しかし、それにもかかわらず、彼が役人を待たせておくように命じたのは、もうずっと前に官途を退いて、田舎の家に引っこんでいた友人に、自分のところでは役人がどんなに長く玄関で待たされるかを見せびらかそうがためであった。とうとう話の種もつき、その上いい加減あきるほど黙り込んで、折たたみ式のもたれのついたしごく具合のいい安楽椅子に深々と腰かけたまま、悠々と葉巻を一本くゆらしてから、やっと、今急に思い出したような顔をして、ちょうど報告のための書類をもって扉口に立っていた秘書に、こう言ったものである。「うん、そうそう、誰か役人が来て、待っていたはずだねえ、入ってもよろしいと言ってくれ給え。」彼はアカーキイ・アカーキエウィッチのつつましやかな様子と、古ぼけた制服に眼をとめると、いきなり彼の方へ向き直って、「何の用だね?」と、ぶっきら棒な強い語調で言った。その語調は、彼が勅任官に任命されて現在の地位を得る一週間も前から、一人きり自室に閉じこもって、鏡の前であらかじめ練習しておいたものであった。アカーキイ・アカーキエウィッチは、もういい加減に怖気《おじけ》づいてどぎまぎしていたが、廻らぬ舌を精いっぱい働かせて、いつもよりかえって頻繁に、例の【その】という助詞を連発しながら、外套はぜんぜん新しい物であったのに、それが今はじつに非道なやり方で強奪されてしまったこと、それで今日お邪魔したのは、御斡旋をねがって、何とかして、その、警視総監なり誰なり、しかるべき筋と打合わせて、外套を探し出していただきたいがためであると説明した。どうしたものか、勅任官には、そうした態度があまりに馴々しすぎるように思われた。
「何だね、君は、」と、彼は吐き出すように言った。「ものの順序というものを御存じないのかね? 君はいったいどこへやって来たんだ? 手続きというものを知らないのかね? こういう場合にはまず第一、事務課へ願書を提出すべきじゃ。するとそれが主事の手許へ行き、課長のところへ移されて、それから秘書官に廻されるちうと、初めてそれが秘書官の手を経て本官の許へ提出されるのが順序なのじゃ……」
「ですけれど閣下、」とアカーキイ・アカーキエウィッチは、なけなしの勇気をふりしぼると同時に、おそろしく汗だくになったと自ら感じながら口を切った。「閣下、わたくしが、たって御迷惑なお願いをいたしまするのは、じつは、秘書官などと申しまするものは、その……まったく当てにならない連中でございますからで……」
「なに、なに、なんだと?」と、有力者はせきこんで、「君はいったいどこからそんな精神を仕入れてきたのだ? どこからそのような思想を持ってきたのだ? 長官や上長に対して、若い者の間には、何たる不埒《ふらち》な考えが拡がっとることか!」
有力者はどうやら、アカーキイ・アカーキエウィッチがすでに五十の坂を越しており、したがって、彼を若いということができるとすれば、それは七十にもなる老人と対照した場合に限るということに気がつかなかったらしい。
「君はそんなことをいったい誰に向かって言っているつもりなんだ? 君の前にいるのがそもそも誰だかわかってるのか? わかってるのか? わかってるのか? さ、どうだ?」
ここで彼は、アカーキイ・アカーキエウィッチならずとも、ぎょっとしたに違いないような威丈高《いたけだか》な声を張りあげながら、どしんと一つ足を踏み鳴らした。アカーキイ・アカーキエウィッチはそのまま気が遠くなり、よろよろとして、全身をわなわなふるわせ始めると、もうどうしても立っていることができなくなってしまった。で、もしもそこへ守衛が駆《か》けつけて、身を支えてくれなかったら、彼は床の上へばったり倒れてしまうところであった。彼はまるで死んだようになって運び出された。ところが、予期以上の効果に気をよくした有力者は、自分の一言でひとりの人間の感覚をさえ麻痺させることができるという考えにすっかり有頂天になり、友人がこれをどんな眼で見ているだろうかと、ちらとそちらを横目で眺めたが、その友人がまったく唖然たる顔つきをして、そのうえ怖気《おじけ》づきかかってさえいる様子を見て取ると、まんざらでもない気持になったものである。
どうして階段を降りたものやら、どうして街へ出たのやら、アカーキイ・アカーキエウィッチにはそんなことは少しも憶えがなかった。彼は自分の手足の知覚さえ感じなかった。生涯に一度としてこんなにひどく長官から、それも他省の長官から叱責されたことはなかった。彼は街上に吹きすさぶ吹雪の中を、口をぽかんと開けたまま、歩道を踏みはずし踏みはずし歩いていった。ペテルブルグの慣習《ならわし》で、風は四方八方から、小路という小路から彼を目がけて吹きつけた。たちまち彼は扁桃腺《へんとうせん》を冒されて、家へたどりつくなり、一言も口をきくどころか、全身にすっかりむくみがきて、そのままどっと寝込んでしまった。当然の叱責が時にはこれほど強い効果を現わすのである! 翌日になるとひどい熱が出た。ペテルブルグの気候の仮借なき援助によって、病勢が予想外に早く昂進したため、医者は来たけれど、脈をとってみただけで、如何《いかん》とも手の施しようがなく、ただ医術の恩恵にも浴せしめずして患者を見殺しにしたといわれないだけの申し訳に、彼は湿布の処分を書いただけであった。しかもその場で、一昼夜半もすれば間違いなく駄目だと宣告して、さて、宿の主婦の方を向いて、「ところで小母さん、あんたは時間を無駄にすることはないから、さっそくこの人のために松の木の棺を誂《あつ》らえときなさい。この人には槲《かし》の棺ではちと高価《たか》すぎるからね。」アカーキイ・アカーキエウィッチは、こうした自分にとって致命的な言葉を耳にしただろうか。もし耳にしたとしても、それが彼に激動を与えたかどうか、己れの薄命な生涯を歎き悲しんだかどうか、それはまったく不明である。なぜなら、彼はずっと高熱にうかされて夢幻の境を彷徨していたからである。彼の眼前には次から次へと奇怪な幻覚がひっきりなしに現われた。自分はペトローヴィッチに会って、泥棒をつかまえる罠のついた外套を注文しているらしい。その泥棒どもがしょっちゅう寝台の下にかくれているような気がするので、彼はひっきりなしに主婦を呼んでは、蒲団の下にまで泥棒が一人いるから曳きずり出してくれと強請《せが》んだりする。そうかと思うと、ちゃんと新調の外套があるのに、何だって古い半纏《はんてん》なんか眼の前に吊るしておくんだと訊ねたり、そうかと思うと、自分が勅任官の前に立って当然の叱責を受けているものと思い込み、「悪うございました、閣下」などと言ったりするが、はては、この上もなく恐しい言葉づかいで、聞くに堪えないような毒舌を揮ったりするので、ついぞこれまで彼の口からそんな言葉を聞いたことのない主婦の老婆は、あまつさえそうした言葉が【閣下】という敬語のすぐ後に続いて発せられるのに驚いて、十字を切ったほどであった。それからさきはまったくたわいもないことを口走るのみで、何のことやら、さっぱりわからなかったが、そうした支離滅裂な言葉や思想が、相も変らず例の外套を中心にぐるぐると廻っていたということだけは確かである。ついに哀れなアカーキイ・アカーキエウィッチは息を引きとった。彼の部屋にも所持品にも封印はされなかった。それというのも第一には相続人がなかったし、第二に遺産といってもほとんど取るに足らなかったからである。すなわち、鵞ペンが一束に、まだ白紙のままの公用紙が一帖、半靴下が三足、ズボンからちぎれたぼたんが二つ三つ、それに読者諸君が先刻御承知の【半纏《はんてん》】――それだけであった。こうした品が残らず何人の手に渡ったかは知るよしもない。いや、正直なところ、この物語の作者には、そんなことはいっこう興味がないのである。アカーキイ・アカーキエウィッチの遺骸は運び出されて、埋葬された。かくして、そんな人間は初めから生存しなかったもののように、アカーキイ・アカーキエウィッチの存在はペテルブルグから消失したのである。誰からも庇護を受けず、誰からも尊重されず、誰にも興味を持たれずして、あのありふれた一匹の蠅をさえ見逃さずにピンでとめて顕微鏡下で点検する自然科学者の注意をすら惹かなかった人間――事務役人的な嘲笑にも甘んじて堪え忍び、何ひとつこれという事績も残さずして墓穴へ去りはしたけれど、たとえ生くる日の最期の際《きわ》であったにもせよ、それでもともかく、外套という形で現われて、その哀れな生活を束《つか》の間ながら活気づけてくれた輝かしい客に廻りあったと思うとたちまちにして、現世にあるあらゆる強者の頭上にも同じように襲いかかる、あの堪え難い不幸に圧しひしがれた人間は、ついに消え失せてしまったのである!……その死後数日たって、彼の宿へ役所から、即刻出頭すべしという局長の命令をもった守衛が遣わされた。しかし守衛は空しく立ち帰って、彼がもはや登庁し得ないことを報告して、「なぜ?」という質問に対しては、「なぜって、亡くなってしまったんですよ。一昨々日《さきおととい》、葬《とむ》らいも済みましたそうで。」と、答えるほかはなかった。こんな具合にして、アカーキイ・アカーキエウィッチの死は局内に知れ渡り、もうその翌日からは、彼の席に新しい役人が坐っていたが、それは背もはるかに高かったし、その筆蹟も、あんなに真直な書体ではなく、ずっと傾斜して歪んでいた。
ところが、これだけでアカーキイ・アカーキエウィッチについての物語が全部おわりを告げたわけではなく、まるで生前に誰からも顧みられなかった償いとしてでもあるように、その死後なお数日のあいだ物情騒然たる存在を続けるように運命づけられていようなどと、誰が予想し得ただろう? しかもたまたまそんなことになってこの貧弱な物語が、思いもかけぬ幻想的な結末を告げることになったのである。突然、カリンキン橋のほとりや、そのずっと手前の辺まで、夜な夜な官吏の風態をした幽霊が現われて、盗まれた外套を捜しているという噂がペテルブルグじゅうに拡がり、盗まれた外套だといっては、官位や身分のけじめなく、あらゆる人々の肩から外套という外套を、それが猫の毛皮のついたのであろうが、猟虎《らっこ》のついたのであろうが、綿いれのであろうが、浣熊《あらいぐま》や狐や熊などの毛皮外套であろうが、要するに、およそ人がその身をおおうために考えついた毛皮やなめし皮なら何でも剥ぎ取ってしまうという噂であった。某局の官吏の一人は目のあたりその幽霊の姿を見て、たちどころにそれがアカーキイ・アカーキエウィッチであることを看破した。しかしそのためにかえって非常な恐怖に襲われて、後をも見ずに遮二無二《しゃにむに》、駆け出してしまった。それゆえ、死人の顔をはっきり見とどける訳には行かず、ただ死人が遠くから指でこちらを脅かしているのをみただけであった。かくて、あらゆる方面から、九等官あたりならまだしも、七等官の肩や背中までがしばしば外套を剥ぎとられるので、すっかり感冒の脅威にさらされているという愁訴の声がのべつに聞えてきた。警察では、どんなことがあっても、生きたものであろうが死んだものであろうが、その幽霊を逮捕して、他へのみせしめに、もっとも手きびしい方法で処罰しようという手配がついていて、それがもう少しで成功するところであった。というのはほかでもない、某区の一巡査がキリューシキン小路で、かつてフリュート吹きであったある退職音楽師の粗ラシャの外套を剥ぎとろうという犯行の現場で、まさにくだんの幽霊の襟がみを、完全に取って押えようとしたのである。その襟がみをつかみざま、彼は大声でわめいて二人の同僚を呼び、その二人に幽霊を押えていてくれと頼んで、自分はほんのちょっとの間、長靴の中をさぐって、樺の皮の嗅ぎ煙草入れを取り出すと、これまでに六度も凍傷にかかったことのある自分の鼻に、一時、生気をつけようとしたのであるが、おそらくその嗅ぎ煙草が死人にさえ我慢のならぬ代物《しろもの》だったのであろう――巡査が指で右の鼻の穴をふさぎ、左の鼻の穴で半つかみほどの嗅ぎ煙草を吸いこもうとするやいなや、突然幽霊がくしゃみをしたため、三人の巡査はいずれも目潰しをくわされてしまった。そこで彼らが拳で眼をこすっているすきに幽霊は影も形もなく消えうせていた。で、はたして幽霊が彼らの手中にあったのやらどうやら、それさえとんとわからなくなってしまった。それ以来、巡査たちは幽霊に対する恐怖のあまり、生きた犯人を捕えることをさえ危ぶんで、ただ遠くから「おい、こら、さっさと行け!」などとどなるくらいが関の山であったから、役人の幽霊はカリーンキン橋の向こう側へさえ姿を現わすようになって、あらゆる臆病な人々に多大の恐怖を抱かせたものである。それはさて、われわれはこの徹頭徹尾真実な物語が、幻想的傾向を取るに至った、事実上の原因といっても差支えないくだんの有力者のことをまったく等閑に付していた。第一に公平という義務観念の要求によって述べなければならないのは、哀れなアカーキイ・アカーキエウィッチがめちゃくちゃに叱り飛ばされて、すごすご立ち去ってから間もなく、例の有力者は何かしら悔恨に似た感じを抱いたということである。彼とてもけっして血も涙もない人間ではなかった。ともすれば、官位がそれを表白することを妨げがちであったとはいえ、彼の胸奥にも多くの善心が潜んでいたのである。遠来の友が彼の書斎を出て行くや否や、彼はアカーキイ・アカーキエウィッチのことをじっと考えこんだほどであった。そしてその時以来、ほとんど毎日のように、職責上の叱責にすら耐え得なかったあのアカーキイ・アカーキエウィッチの青ざめた顔が彼の眼前に浮かんだ。あまりにもその官吏のことが気になってならないので、一週間ほど後、彼は思いきって、あの男はどうしたろう、どんな様子だろう、また実際、何とか彼を援助してやれないものだろうかと、それを知るために下役を出むかせたほどである。が、やがてアカーキイ・アカーキエウィッチが熱病で急逝したという報告がもたらされると、彼はがく然として驚き、良心の苛責を感じて、終日怏々として楽しまなかったほどである。彼は少しでも心をまぎらして不快な印象を免れたいものと考えて、ある友人の家の夜会へ出かけていったが、そこには相当の人数が集まっており、なおさいわいなことに、それがいずれもほとんど自分と同等の身分の者ばかりであったので、彼は少しも固苦しい思いをする必要がなかった。そのことが彼の精神状態に驚ろくべき作用をあたえた。彼は打ちくつろぎ、気持よく談笑して、にこにこと愛想もよかった――一言にしていえば、一夕を非常に愉快に過したのである。晩餐の席ではシャンパンを二杯傾けたが、これは周知の通り上機嫌になるには持って来いの薬である。このシャンパンが彼にいろんな突飛な気分を沸き立たせた。そこで彼は、まだ家へは真直に帰らないで、かねて馴染《なじみ》の婦人のところへ立寄ろうと肚をきめたのである。それはどうやらドイツ生まれらしいカロリーナ・イワーノヴナという女で、彼がことのほかねんごろな情意を寄せている相手であった。断わっておかねばならないが、この有力者はもうけっして若いほうではなく、よき良人であり、尊敬すべき一家の父でもあった。二人の息子のうち一人はすでに役所づとめをしていたし、いくぶん反《そ》り気味ではあったが、なかなか美しい鼻を持った十六になる愛くるしい娘もあって、彼らは毎朝、「|お早よう《ボンジュール》、パパ」と言いながら彼の手を接吻しに来た。夫人はまたみずみずしくて、きりょうもけっして悪くないほうであったが、まず自分の手を与えて良人に接吻させ、そのまま裏返して今度は良人の手に接吻するのだった。しかしこの有力者は、こうした幸福な家庭生活にすっかり満足していながらも、ねんごろな関係の女友だちを一人ぐらい都の他の一角に囲っておくのは妥当なことだと考えた。その女友だちは彼の細君にくらべてそれほど美しくもなければ、若くもなかったが、これは世間にはざらにあることで、こんな問題をうんぬんすることはわれらのあずかり知るところではない。で、くだんの有力者は階段を降りて、橇《そり》に乗ると、「カロリーナ・イワーノヴナのところへ!」と馭者に命じておいて、自分はじつにふっくらと温かい外套にくるまると、ロシア人にとってとうていこれ以上のことは考え出されないくらい愉快な状態、つまり自分では何ひとつ考えようともしないのに、一つは一つより楽しい思いがひとりでに浮かんできて、こちらからそれを追っかけたり捜し求めたりする面倒はさらさらないといった状態に身を委せたのである。すっかり満足しきった彼は、今すごして来たばかりの夜会のあらゆる愉快な場面や、少人数のまどいをどっとばかりに笑わせたいろんな言葉をそこはかとなく思い出した。そして、それらの言葉の多くを声に出して繰り返してみたりさえしたが、それがやはり先刻のとおりいかにもおかしく思われたので、彼が自分でも肚の底からふきだしてしまったのもけっして不思議ではなかった。とはいえ、その境地も時おり、どこからどういう仔細があってとも知れずに、だしぬけにどっと吹き起こる突風のために妨げられた。風は彼の顔へまともに吹きつけて、雪の塊りを叩きつけたり、外套の襟を帆のように吹きはらませるかと思うと、たちまち超自然的な力でそれを首のまわりへ捲きあげたりしたため、彼は絶えずそれを防ぐためにあくせくしなければならなかった。突然、有力者は誰かにむんずとばかり襟髪を掴まれたように感じた。思わず振り返って見ると、そこにいるのは、ぼろぼろの古ぼけた制服を身につけた背の低い男で、それがアカーキイ・アカーキエウィッチであることを認めて彼はぎょっとした。役人の顔は雪のように青ざめて完全に死人の相を現わしていた。しかし、有力者の恐怖がその極点に達したのは、死人が口を歪めて、すさまじくも墓場の臭いを彼の顔へ吹きかけながら、つぎのような言葉を発した時である。「ああ、とうとう今度は貴様だな! いよいよ貴様の、この、襟首をおさえたぞ! おれには貴様の外套が要るんだ! 貴様はおれの外套の世話をするどころか、かえって叱り飛ばしやがって。――さあ、今度こそ、自分のをこっちへよこせ!」哀れな有力者はほとんど生きた心地もなかった。彼が役所で、総じて下僚の前で、どんなに毅然としていて、その雄々しい姿や風采に接する者が等しく「まあ、何という立派な人柄だろう!」と感嘆していたにもせよ、今ここでは、ざらにある、見かけだけはいかにも勇壮らしい人々のように、非常な恐怖を覚えて、自分は何かの病気の発作にでも襲われたのではないかと、まんざら根拠のなくもない危惧の念をすら懐いたほどであった。彼はあわてて外套を脱ぎすてざま、まるで自分の声とは思われないような声を振りしぼって馭者にこう叫んだ。「全速力で家へやれ!」馭者は一般にいよいよせっぱつまった時にかぎって発せられるような、そのうえ何か言葉以上にはるかに現実的な調子さえ帯びている声を耳にすると、万一の用心に首を肩の間へすっこめて、鞭を一振りすると同時に、矢のように橇を飛ばせた。六分間あまりで、有力者は早くも自分の家の玄関さきへ着いていた。顔は青ざめ、戦々きょうきょうたるありさまで、外套もなしに、カロリーナ・イワーノヴナの許ならぬ我が家へと立ち帰った彼は、どうにかこうにか自分の部屋へ辿《たど》りつくと、そのまま一夜を極度の動乱のうちに送ったため、翌る朝お茶の時に娘がいきなり、「パパ、きょうはお顔が真青よ。」と言ったくらいである。しかし、パパは押し黙ったまま、誰にも、自分がどんな目にあったとも、どこにいたとも、またどこへ行こうとしたとも、一言も語らなかった。この出来事は彼に強い感銘を与えた。彼は下僚に対しても、例の「言語道断ではないか! 君の前にいるのが誰だか分っとるのか?」というきまり文句を、以前ほどは浴びせなくなった。もし浴びせたにしても、それはまず、事の顛末をいちおう聴取してからであった。ところが、それ以上に顕著な事実は、それ以来ふっつりと、かの役人の幽霊が姿を現わさなくなったことである。おそらく勅任官の外套が彼の肩にぴったり合ったためであろう。少くとも、外套を剥ぎ取られたなどという噂は爾来どこへ行っても聞かれなかった。それでも、多くのまめで、苦労性な連中はいっかな心を落ちつけようとしないで、まだ都のどこか遠くの方角で官吏の幽霊が出るなどと噂していた。それに事実コロームナのある巡査はまぎれもない自分の眼で、一軒の家の蔭から亡霊の現われるところを目撃したのである。しかし、その巡査は生まれつき虚弱なほうで――ある時など、どこかの民家から飛び出してきた何でもない一頭の、よく肥った子豚に突き倒されて、あたりに居あわせた辻馬車屋たちの哄笑を買い、その揶揄を咎めて、その連中から二カペイカずつの煙草銭をせしめたほどであった。――それくらい虚弱な男だったから、彼は強《し》いて幽霊を引き留めようともしないで、そのまま暗がりの中を尾行していったが、とうとう終いに幽霊が、突然くるりと後ろを振り向いて立ちどまりながら、「何ぞ用か?」と詰問するなり、生きた人間には見られないような大きな拳を突きつけたので、巡査は「いや、別に。」と言ったきり、ほうほうのていで後へ引っ返してしまった。しかし、この時の亡霊は、はるかに背が高くて、すばらしく大きな口髭《くちひげ》をたてていた。そしてどうやらオブーホフ橋の方へ足を向けたようであったが、それなり夜の闇の中へ姿をかき消してしまった。
一八四〇年作
訳注
暦の別の個所をめくった――ロシア正教の暦には各々その日に命名すべきクリスチャンネームが数個ずつ指定してあるからである。
アカーキイ・アカーキエウィッチ――ロシア人の名前には父称といって自分の父の名に一定の語尾を附したものが添えられる。名前に父称をつけて相手を呼べば、それだけで敬語となり、様とか殿という敬称を必要としない。
ファルコーネ――モーリス・エチエン 1716―1791. フランスの彫刻家。一七六六年ロシアへ招かれてペテルブルグにピョートル大帝の像を作った。
ヴィスト――骨牌遊びの一種。
戟《ほこ》――鉞《まさかり》に似た昔の武器であるが、当時ロシアの巡査の交番所では、これを傍らに立てかけて一種の標章としていたのである。
底本:「外套・鼻」岩波文庫、岩波書店
1938(昭和13)年1月20日第1刷発行
1965(昭和40)年4月16日第20刷改版発行
※底本で使用されている「《》」はルビ記号と重複しますので「【】」に改めました。
※「半纏」と「半※[#「纒」の「厂」に代えて「广」、41-3]」の混在は底本通りにしました。
入力:柴田卓治
校正:Juki
1999年1月13日公開
2007年8月21日修正
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