初版例言
一、即興詩人は※[#「王+連」、第3水準1-88-24]馬《デンマルク》の HANS《ハンス》 CHRISTIAN《クリスチアン》 ANDERSEN《アンデルセン》(1805―1875)の作にして、原本の初板は千八百三十四年に世に公にせられぬ。
二、此譯は明治二十五年九月十日稿を起し、三十四年一月十五日完成す。殆ど九星霜を經たり。然れども軍職の身に在るを以て、稿を屬するは、大抵夜間、若くは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に於いてす。予は既に、歳月の久しき、嗜好の屡※[#二の字点、1-2-22]《しばしば》變じ、文致の畫一なり難きを憾《うら》み、又筆を擱《お》くことの頻にして、興に乘じて揮瀉すること能はざるを惜みたりき。世或は予其職を曠《むな》しくして、縱《ほしいまゝ》に述作に耽ると謂ふ。寃《ゑん》も亦甚しきかな。
三、文中|加特力《カトリツク》教の語多し。印刷成れる後、我國公教會の定譯あるを知りぬ。而れども遂に改刪《かいさん》すること能はず。
四、此書は印するに四號活字を以てせり。予の母の、年老い目力衰へて、毎《つね》に予の著作を讀むことを嗜《たしな》めるは、此書に字形の大なるを選みし所以の一なり。夫れ字形は大なり。然れども紙面殆ど餘白を留めず、段落猶且連續して書し、以て紙數をして太《はなは》だ加はらざらしむることを得たり。
明治三十五年七月七日下志津陣營に於いて
譯者識す
第十三版題言
是れ予が壯時の筆に成れる IMPROVISATOREN《イムプロヰザトオレン》 の譯本なり。國語と漢文とを調和し、雅言と俚辭とを融合せむと欲せし、放膽にして無謀なる嘗試は、今新に其得失を論ずることを須《もち》ゐざるべし。初めこれを縮刷に付するに臨み、予は大いに字句を削正せむことを期せしに、會※[#二の字点、1-2-22]《たま/\》歐洲大戰の起るありて、我國も亦其旋渦中に投ずるに至りぬ。羽檄旁午《うげきばうご》の間、予は僅に假刷紙を一閲することを得しのみ。
大正三年八月三十一日觀潮樓に於いて
譯者又識す
わが最初の境界
羅馬《ロオマ》に往きしことある人はピアツツア、バルベリイニ[を知りたるべし。こは貝殼持てるトリイトンの神の像に造り做《な》したる、美しき噴井《ふんせい》ある、大なる廣こうぢの名なり。貝殼よりは水湧き出でゝその高さ數尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの廣こうぢのさまをば銅板畫にて見つることあらむ。かゝる畫にはヰア、フエリチエの角なる家の見えぬこそ恨なれ。わがいふ家の石垣よりのぞきたる三條の樋《ひ》の口は水を吐きて石盤に入らしむ。この家はわがためには尋常《よのつね》ならぬおもしろ味あり。そをいかにといふにわれはこの家にて生れぬ。首《かうべ》を囘《めぐら》してわが穉《をさな》かりける程の事をおもへば、目もくるめくばかりいろ/\なる記念の多きことよ。我はいづこより語り始めむかと心迷ひて爲《せ》むすべを知らず。又我世の傳奇《ドラマ》の全局を見わたせば、われはいよ/\これを寫す手段に苦《くるし》めり。いかなる事をか緊要ならずとして棄て置くべき。いかなる事をか全畫圖をおもひ浮べしめむために殊更に數へ擧ぐべき。わがためには面白きことも外人《よそびと》のためには何の興もなきものあらむ。われは我世のおほいなる穉物語《をさなものがたり》をありのまゝに僞り飾ることなくして語らむとす。されどわれは人の意を迎へて自ら喜ぶ性《さが》のこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は早くもわが穉き時に、畠の中なる雜草の如く萌え出でゝ、やうやく聖經に見えたる芥子《かいし》の如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の間にわが七情は巣食ひたり。わが最初の記念の一つは既にその芽生《めばえ》を見せたり。おもふにわれは最早六つになりし時の事ならむ。われはおのれより穉き子供二三人と向ひなる尖帽僧《カツプチノオ》の寺の前にて遊びき。寺の扉には小《ちひさ》き眞鍮の十字架を打ち付けたりき。その處はおほよそ扉の中程にてわれは僅に手をさし伸べてこれに達することを得き。母上は我を伴ひてかの扉の前を過ぐるごとに、必ずわれを掻き抱きてかの十字架に接吻せしめ給ひき。あるときわれ又子供と遊びたりしに、甚だ穉《をさな》き一人がいふやう。いかなれば耶蘇《やそ》の穉子は一たびもこの群に來て、われ等と共に遊ばざるといひき。われさかしく答ふるやう。むべなり、耶蘇の穉子は十字架にかゝりたればといひき。さてわれ等は十字架の下にゆきぬ。かしこには何物も見えざりしかど、われ等は猶母に教へられし如く耶蘇に接吻せむとおもひき。さるを我等が口はかしこに屆くべきならねば、我等はかはる/″\抱き上げて接吻せしめき。一人の子のさし上げられて僅に唇を尖らせたるを、抱いたる子力足らねば落しつ。この時母上通りかゝり給へり。この遊のさまを見て立ち住《と》まり、指組みあはせて宣《のたま》ふやう。汝等はまことの天使なり。さて汝はといひさして、母上はわれに接吻し給ひ、汝はわが天使なりといひ給ひき。
母上は隣家の女子の前にて、わがいかに罪なき子なるかを繰り返して語り給ひぬ。われはこれを聞きしが、この物語はいたくわが心に協《かな》ひたり。わが罪なきことは固《もと》よりこれがために前には及ばずなりぬ。人の意を迎へて自ら喜ぶ性《さが》の種は、この時始めて日光を吸ひ込みたりしなり。造化は我におとなしく軟《やはらか》なる心を授けたりき。さるを母上はつねに我がこゝろのおとなしきを我に告げ、わがまことに持てる長處と母上のわが持てりと思ひ給へる長處とを我にさし示して、小兒の罪なさはかの醜き「バジリスコ」の獸におなじきをおもひ給はざりき。かれもこれもおのが姿を見るときは死なでかなはぬ者なるを。
彼《かの》尖帽宗《カツプチヨオ》の寺の僧にフラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]といへるあり。こは母上の懺悔を聞く人なりき。かの僧に母上はわがおとなしさを告げ給ひき。祈のこゝろをばわれ知らざりしかど、祈の詞をばわれ善く諳《そらん》じて洩らすことなかりき。僧は我をかはゆきものにおもひて、あるとき我に一枚の圖をおくりしことあり。圖の中なる聖母《マドンナ》のこぼし給ふおほいなる涙の露は地獄の※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《ほのほ》の上におちかかれり。亡者は爭ひてかの露の滴りおつるを承《う》けむとせり。僧は又一たびわれを伴ひてその僧舍にかへりぬ。當時わが目にとまりしは、方《けた》なる形に作りたる圓柱の廊なりき。廊に圍まれたるは小《ちさ》き馬鈴藷圃《ばれいしよばたけ》にて、そこにはいとすぎ(チプレツソオ)の木二株、檸檬《リモネ》の木一株立てりき。開《あ》け放ちたる廊には世を逝《みまか》りし僧どもの像をならべ懸けたり。部屋といふ部屋の戸には獻身者の傳記より撰び出したる畫圖を貼り付けたり。當時わがこの圖を觀し心は、後になりてラフアエロ、アンドレア・デル・サルトオが作を觀る心におなじかりき。
僧はそちは心|猛《たけ》き童なり、いで死人を見せむといひて、小き戸を開きつ。こゝは廊《わたどの》より二三級低きところなりき。われは延《ひ》かれて級を降りて見しに、こゝも小き廊にて、四圍悉く髑髏《どくろ》なりき。髑髏は髑髏と接して壁を成し、壁はその並びざまにて許多《あまた》の小龕《せうがん》に分れたり。おほいなる龕には頭のみならで、胴をも手足をも具へたる骨あり。こは高位の僧のみまかりたるなり。かゝる骨には褐色の尖帽を被《き》せて、腹に繩を結び、手には一卷の經文若くは枯れたる花束を持たせたり。贄卓《にへづくゑ》、花形《はながた》の燭臺、そのほかの飾をば肩胛《かひがらぼね》、脊椎《せのつちぼね》などにて細工したり。人骨の浮彫《うきぼり》あり。これのみならず忌まはしくも、又趣なきはこゝの拵へざまの全體なるべし。僧は祈の詞を唱へつゝ行くに、われはひたと寄り添ひて從へり。僧は唱へ畢《をは》りていふやう。われも早晩《いつか》こゝに眠らむ。その時汝はわれを見舞ふべきかといふ。われは一語をも出すこと能はずして、僧と僧のめぐりなる氣味わるきものとを驚き※《み》たり。まことに我が如き穉子をかゝるところに伴ひ入りしは、いとおろかなる業《わざ》なりき。われはかしこにて見しものに心を動かさるゝこと甚しかりければ、歸りて僧の小房に入りしとき纔《わづか》に生き返りたるやうなりき。この小房の窓には黄金色なる柑子《かうじ》のいと美しきありて、殆ど一間の中に垂れむとす。又聖母の畫あり。その姿は天使に擔ひ上げられて日光明なるところに浮び出でたり。下には聖母の息《いこ》ひたまひし墓穴ありて、もゝいろちいろの花これを掩《おほ》ひたり。われはかの柑子を見、この畫を見るに及びて、わづかに我にかへりしなり。
この始めて僧房をたづねし時の事は、久しき間わが空想に好き材料を與へき。今もかの時の事をおもへば、めづらしくあざやかに目の前に浮び出でむとす。わが當時の心にては、僧といふ者は全く我等の知りたる常の人とは殊なるやうなりき。かの僧が褐色の衣を着たる死人の殆どおのれとおなじさまなると共に棲《す》めること、かの僧があまたの尊き人の上を語り、あまたの不思議の蹟《あと》を話すこと、かの僧の尊さをば我母のいたく敬ひ給ふことなどを思ひ合する程に、われも人と生れたる甲斐《かひ》にかゝる人にならばやと折々おもふことありき。
母上は未亡人なりき。活計《くらし》を立つるには、鍼仕事《はりしごと》して得給ふ錢と、むかし我等が住みたりしおほいなる部屋を人に借して得給ふ價《あたひ》とあるのみなりき。われ等は屋根裏《やねうら》の小部屋に住めり。かのおほいなる部屋に引き移りたるはフエデリゴといふ年|少《わか》き畫工なりき。フエデリゴ[は心|敏《さと》く世をおもしろく暮らす少年なりき。かれはいとも/\遠きところより來ぬといふ。母上の物語り給ふを聞けば、かれが故郷にては聖母をも耶蘇の穉子をも知らずとぞ。その國の名をば※馬《デンマルク》といへり。當時われは世の中にいろ/\の國語ありといふことを解せねば、畫工が我が言ふことを曉《さと》らぬを耳とほきがためならむとおもひ、おなじ詞を繰り返して聲の限り高くいふに、かれはわれを可笑《をか》しきものにおもひて、をり/\果《このみ》をわれに取らせ、又わがために兵卒、馬、家などの形をゑがきあたへしことあり。われと畫工とは幾時も立たぬに中善くなりぬ。われは畫工を愛しき。母上もをり/\かれは善き人なりと宣《のたま》ひき。さるほどにわれはとある夕母上とフラア・マルチノに傍線]との話を聞きしが、これを聞きてよりわがかの技藝家の少年の上をおもふ心あやしく動かされぬ。かの異國人は地獄に墜《お》ちて永く浮ぶ瀬あらざるべきかと母上問ひ給ひぬ。そはひとりかの男の上のみにはあらじ。異國人のうちにはかの男の如く惡しき事をば一たびもせざるもの多し。かの輩《ともがら》は貧き人に逢ふときは物取らせて吝《をし》むことなし。かの輩は債あるときは期を愆《あやま》たず額をたがへずして拂ふなり。然《しか》のみならず、かの輩は吾邦人のうちなる多人數の作る如き罪をば作らざるやうにおもはる。母上の問はおほよそ此の如くなりき。
フラア・マルチノの答へけるやう。さなり。まことにいはるゝ如き事あり。かの輩のうちには善き人少からず。されどおん身は何故に然るかを知り給ふか。見給へ。世中をめぐりありく惡魔は、邪宗の人の所詮おのが手に落つべきを知りたるゆゑ、強ひてこれを誘はむとすることなし。このゆゑに彼輩は何の苦もなく善行をなし、罪惡をのがる。善き加特力《カトリコオ》教徒はこれと殊《こと》にて神の愛子《まなご》なり、これを陷《おとしい》れむには惡魔はさま/″\の手立を用ゐざること能はず。惡魔はわれ等を誘ふなり。われ等は弱きものなればその手の中に落つること多し。されど邪宗の人は肉體にも惡魔にも誘はるゝことなしと答へき。
母上はこれを聞きて復た言ふべきこともあらねば、便《びん》なき少年の上をおもひて大息《といき》つき給ひぬ。かたへ聞《ぎき》せしわれは泣き出しつ。こはかの人の永く地獄にありて※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]に苦められむつらさをおもひければなり。かの人は善き人なるに、わがために美しき畫をかく人なるに。
わが穉きころ、わがためにおほいなる意味ありと覺えし第三の人はペツポ[のをぢなりき。惡人《あくにん》ペツポといふも西班牙磴《スパニアいしだん》の王といふも皆その人の綽號《あだな》なりき。此王は日ごとに西班牙磴の上に出御《しゆつぎよ》ましましき。(西班牙廣こうぢよりモンテ、ピンチヨオ[#「モンテ、ピンチヨオ」に二重傍線]の上なる街に登るには高く廣き石級あり。この石級は羅馬の乞兒《かたゐ》の集まるところなり。西班牙廣こうぢより登るところなればかく名づけられしなり。)のをぢは生れつき兩の足痿《な》えたる人なり。當時そを十字に組みて折り敷き居たり。されど穉きときよりの熟錬にて、をぢは兩手もて歩くこといと巧なり。其手には革紐を結びて、これに板を掛けたるが、をぢがこの道具にて歩む速さは健《すこや》かなる脚もて行く人に劣らず。をぢは日ごとに上にもいへるが如く西班牙磴の上に坐したり。さりとて外の乞兒の如く憐を乞ふにもあらず。唯だおのが前を過ぐる人あるごとに、詐《いつはり》ありげに面《おもて》をしかめて「ボン、ジヨオルノオ」(我俗の今日はといふ如し)と呼べり。日は既に入りたる後もその呼ぶ詞はかはらざりき。母上はこのをぢを敬ひ給ふことさまでならざりき。あらず。親族《みうち》にかゝる人あるをば心のうちに恥ぢ給へり。されど母上はしば/\我に向ひて、そなたのためならば、彼につきあひおくとのたまひき。餘所《よそ》の人の此世にありて求むるものをば、かの人|筐《かたみ》の底に藏《をさ》めて持ちたり。若し臨終に、寺に納めだにせずば、そを讓り受くべき人、わが外にはあらぬを、母上は恃《たの》みたまひき。をぢも我に親むやうなるところありしが、我は其側にあるごとに、まことに喜ばしくおもふこと絶てなかりき。或る時、我はをぢの振舞を見て、心に怖を懷きはじめき。こは、をぢの本性をも見るに足りぬべき事なりき。例の石級の下に老いたる盲《めくら》の乞兒《かたゐ》ありて、往きかふ人の「バヨツコ」(我二錢|許《ばかり》に當る銅貨)一つ投げ入れむを願ひて、薄葉鐵《トルヲ》の小筒をさら/\と鳴らし居たり。我がをぢは、面にやさしげなる色を見せて、帽を揮《ふ》り動しなどすれど、人々その前をばいたづらに過ぎゆきて、かの盲人の何の會釋もせざるに、錢を與へき。三人かく過ぐるまでは、をぢ傍より見居たりしが、四人めの客かの盲人に小貨幣二つ三つ與へしとき、をぢは毒蛇の身をひねりて行く如く、石級を下りて、盲の乞兒の面を打ちしに、盲の乞兒は錢をも杖をも取りおとしつ。ペツポ[#「ペツポ」に傍線]の叫びけるやう。うぬは盜人なり。我錢を竊《ぬす》む奴《やつ》なり。立派に廢人《かたは》といはるべき身にもあらで、たゞ目の見えぬを手柄顏に、わが口に入らむとする「パン」を奪ふこそ心得られねといひき。われはこゝまでは聞きつれど、こゝまでは見てありつれど、この時買ひに出でたる、一「フオリエツタ」(一勺)の酒をひさげて、急ぎて家にかへりぬ。
大祭日には、母につきてをぢがり祝《よろこび》にゆきぬ。その折には苞苴《みやげ》もてゆくことなるが、そはをぢが嗜《たしな》めるおほ房の葡萄二つ三つか、さらずば砂糖につけたる林檎なんどなりき。われはをぢ御《ご》と呼びかけて、その手に接吻しき。をぢはあやしげに笑ひて、われに半「バヨツコ」を與へ、果子をな買ひそ、果子は食ひ畢《をは》りたるとき、迹かたもなくなるものなれど、この錢はいつまでも貯へらるゝものぞと教へき。
をぢが住めるところは、暗くして見苦しかりき。一|間《ま》には窓といふものなく、また一|間《ま》には壁の上の端に、破硝子《やれガラス》を紙もて補ひたる小窓ありき。臥床《ふしど》の用をもなしたる大箱と、衣を藏《をさ》むる小桶二つとの外には、家具といふものなし。をぢがり往け、といはるゝときは、われ必ず泣きぬ。これも無理ならず。母上はをぢにやさしくせよ、と我にをしへながら、我を嚇《おど》さむとおもふときは、必ずをぢを案山子《かゝし》に使ひ給ひき。母上の宣《の》たまひけるやう。かく惡劇《いたづら》せば、好きをぢ御の許にやるべし。さらば汝も磴《いしだん》の上に坐して、をぢと共に袖乞するならむ、歌をうたひて「バヨツコ」をめぐまるゝを待つならむとのたまふ。われはこの詞を聞きても、あながち恐るゝことなかりき。母上は我をいつくしみ給ふこと、目の球にも優れるを知りたれば。
向ひの家の壁には、小龕《せうがん》をしつらひて、それに聖母の像を据ゑ、その前にはいつも燈を燃やしたり。「アヱ、マリア」の鐘鳴るころ、われは近隣の子供と像の前に跪《ひざまづ》きて歌ひき。燈の光ゆらめくときは、聖母も、いろ/\の紐、珠、銀色したる心《しん》の臟などにて飾りたる耶蘇のをさな子も、共に動きて、我等が面を見て笑み給ふ如くなりき。われは高く朗なる聲して歌ひしに、人々聞きて善き聲なりといひき。或る時|英吉利《イギリス》人の一家族、我歌を聞きて立ちとまり、歌ひ畢《をは》るを待ちて、長《をさ》らしき人われに銀貨一つ與へき。母に語りしに、そなたが聲のめでたさ故、とのたまひき。されどこの詞は、その後我祈を妨ぐること、いかばかりなりしを知らず。それよりは、聖母の前にて歌ふごとに、聖母の上をのみ思ふこと能はずして、必ず我聲の美しきを聞く人やあると思ひ、かく思ひつゝも、聖母のわがあだし心を懷けるを嫉《にく》み給はむかとあやぶみ、聖母に向ひて罪を謝し、あはれなる子に慈悲の眸を垂れ給へと願ひき。
わが餘所の子供に出で逢ふは、この夕の祈の時のみなりき。わが世は靜けかりき。わが自ら作りたる夢の世に心を潜め、仰ぎ臥して開きたる窓に向ひ、伊太利《イタリア》の美しき青空を眺め、日の西に傾くとき、紫の光ある雲の黄金色したる地の上に垂れかゝりたるをめで、時の遷《うつ》るを知らざることしば/\なりき。ある時は、遠くクヰリナアル(丘の名にて、其上に法皇の宮居あり)と家々の棟《むね》とを越えて、紅に染まりたる地平線のわたりに、眞黒《まくろ》に浮き出でゝ見ゆる「ピニヨロ」の木々の方へ、飛び行かばや、と願ひき。我部屋には、この眺ある窓の外、中庭に向へる窓ありき。我家の中庭は、隣の家の中庭に並びて、いづれもいと狹く、上の方は木の「アルタナ」(物見のやうにしたる屋根)にて鎖《とざ》されたり。庭ごとに石にて甃《たゝ》みたる井ありしが、家々の壁と井との間をば、人ひとり僅かに通らるゝほどなれば、我は上より覗きて、二つの井の内を見るのみなりき。緑なるほうらいしだ(アヂアンツム)生ひ茂りて、深きところは唯だ黒くのみぞ見えたる。俯してこれを見るたびに、われは地の底を見おろすやうに覺えて、ここにも怪しき境ありとおもひき。かゝるとき、母上は杖の尖《さき》にて窓硝子を淨め、なんぢ井に墜ちて溺れだにせずば、この窓に當りたる木々の枝には、汝が食ふべき果《このみ》おほく熟すべしとのたまひき。
隧道、ちご
我家に宿りたる畫工は、廓外に出づるをり、我を伴ひゆくことありき。畫を作る間は、われかれを妨ぐることなかりき。さて作り畢《をは》りたるとき、われ穉《をさな》き物語して慰むるに、かれも今はわが國の詞を解《げ》して、面白がりたり。われは既に一たび畫工に隨ひて、「クリア、ホスチリア」にゆき、昔游戲の日まで猛獸を押し込めおきて、つねに無辜《むこ》の俘囚を獅子、「イヱナ」獸なんどの餌としたりと聞く、かの暗き洞の深き處まで入りしことあり。洞の裡《うち》なる暗き道に、我等を導きてくゞり入り、燃ゆる松火《たいまつ》を、絶えず石壁に振り當てたる僧、深き池の水の、鏡の如く明《あきらか》にて、目の前には何もなきやうなれば、その足もとまで湛へ寄せたるを知らむには、松火もて觸れ探らではかなはざるほどなる、いづれもわが空想を激したりき。われは怖をば懷かざりき。そは危しといふことを知らねばなりけり。
街のはつる處に、「コリゼエオ」(大觀棚《おほさじき》)の頂見えたるとき、われ等はかの洞の方へゆくにや、と畫工に問ひしに、否、あれよりは※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に大なる洞にゆきて、面白きものを見せ、そなたをも景色と倶《とも》に寫すべし、と答へき。葡萄圃の間を過ぎ、古の混堂《ゆや》の址《あと》を圍みたる白き石垣に沿ひて、ひたすら進みゆく程に羅馬の府の外に出でぬ。日はいと烈しかりき。緑の枝を手折りて、車の上に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]し、農夫はその下に眠りたるに、馬は車の片側に弔《つ》り下げたる一束の秣《まぐさ》を食ひつゝ、ひとり徐《しづか》に歩みゆけり。やう/\女神エジエリアの洞にたどり着きて、われ等は朝餐《あさげ》を食《たう》べ、岩間より湧き出づる泉の水に、葡萄酒混ぜて飮みき。洞の裏《うち》には、天井にも四方の壁にも、すべて絹、天鵝絨《びろおど》なんどにて張りたらむやうに、緑こまやかなる苔生ひたり。露けく茂りたる蔦《つた》の、おほいなる洞門にかゝりたるさまは、カラブリア州の谿間《たにま》なる葡萄架《ぶだうだな》を見る心地す。洞の前數歩には、その頃いと寂しき一軒の家ありて、「カタコンバ」のうちの一つに造りかけたりき。この家今は潰《つひ》えて斷礎をのみぞ留めたる。「カタコンバ」は人も知りたる如く、羅馬城とこれに接したる村々とを通ずる隧道《すゐだう》なりしが、半《なかば》はおのづから壞れ、半は盜人、ぬけうりする人なんどの隱家となるを厭ひて、石もて塞がれたるなり。當時猶存じたるは、聖セバスチヤノ寺の内なる穹窿の墓穴よりの入口と、わが言へる一軒家よりの入口とのみなりき。さてわれ等はかの一軒家のうちなる入口より進み入りしが、おもふに最後に此道を通りたるはわれ等二人なりしなるべし。いかにといふに此入口はわれ等が危き目に逢ひたる後、いまだ幾《いくばく》もあらぬに塞がれて、後には寺の内なる入口のみ殘りぬ。かしこには今も僧一人居りて、旅人を導きて穴に入らしむ。
深きところには、軟《やはらか》なる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その樣の相似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心《をさなごゝろ》に何ともおもはず。畫工はまた豫め其心して、我を伴ひ入りぬ。先づ蝋燭一つ點《とも》し、一をば猶衣のかくしの中に貯へおき、一卷《ひとまき》の絲の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるゝところあり、忽ち又岐路の出づるところ廣がりて方形をなし、見上ぐるばかりなる穹窿をなしたるあり。われ等は中央に小き石卓を据ゑたる圓堂を過《よぎ》りぬ。こゝは始て基督教に歸依《きえ》したる人々の、異教の民に逐はるゝごとに、ひそかに集りて神に仕へまつりしところなりとぞ。フエデリゴはこゝにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外數千の獻身者の事を物語りぬ。われ等は石龕のわれ目に燭火《ともしび》さしつけて、中なる白骨を見き。(こゝの墓には何の飾もなし。拿破里《ナポリ》に近き聖ヤヌアリウスの「カタコンバ」には聖像をも文字をも彫りつけたるあれど、これも技術上の價あるにあらず。基督教徒の墓には、魚を彫りたり。希臘《ギリシア》文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエソウス、クリストス、テオウ ウイオス、ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文はこゝに耶蘇《やそ》基督《キリスト》神子《かみのこ》救世者と云ふ。)われ等はこれより入ること二三歩にして立ち留りぬ。ほぐし來たる絲はこゝにて盡きたればなり。畫工は絲の端を控鈕《ボタン》の孔に結びて、蝋燭を拾ひ集めたる小石の間に立て、さてそこに蹲《うづくま》りて、隧道の摸樣を寫し始めき。われは傍なる石に踞《こしか》けて合掌し、上の方を仰ぎ視ゐたり。燭は半ば流れたり。されどさきに貯へおきたる新なる蝋燭をば、今取り出してその側におきたる上、火打道具さへ帶びたれば、消えなむ折に火を點すべき用意ありしなり。
われはおそろしき暗黒天地に通ずる幾條の道を望みて、心の中にさま/″\の奇怪なる事をおもひ居たり。この時われ等が周圍には寂として何の聲も聞えず、唯だ忽ち斷え忽ち續く、物寂しき岩間の雫の音を聞くのみなりき。われはかく由《よし》なき妄想を懷きてしばしあたりを忘れ居たるに、ふと心づきて畫工の方を見やれば、あな訝《いぶ》かし、畫工は大息つきて一つところを馳せめぐりたり。その間かれは頻《しきり》に俯して、地上のものを搜し索《もと》むる如し。かれは又火を新なる蝋燭に點じて再びあたりをたづねたり。その氣色《けしき》ただならず覺えければ、われも立ちあがりて泣き出しつ。
この時畫工は聲を勵まして、こは何事ぞ、善き子なれば、そこに坐《すわ》りゐよ、と云ひしが、又眉を顰《ひそ》めて地を見たり。われは畫工の手に取りすがりて、最早登りゆくべし、こゝには居りたくなし、とむつかりたり。畫工は、そちは善き子なり、畫かきてや遣らむ、果子をや與へむ、こゝに錢もあり、といひつゝ、衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる錢をば、ことごとく我に與へき。我はこれを受くるとき、畫工の手の氷の如く冷《ひやゝか》になりて、いたく震ひたるに心づきぬ。我はいよ/\騷ぎ出し、母を呼びてます/\泣きぬ。畫工はこの時我肩を掴みて、劇《はげ》しくゆすり搖《うご》かし、靜にせずば打擲《ちやうちやく》せむ、といひしが、急に手巾《ハンケチ》を引き出して、我腕を縛りて、しかと其端を取り、さて俯してあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり、そちも聖母に願へ、といひき。絲をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ。今こそ見出さめ、といひ/\、畫工は又地上をかいさぐりぬ。
さる程に、地上なりし蝋燭は流れ畢りぬ。手に持ちたる蝋燭も、かなたこなたを搜し索《もと》むる忙しさに、流るゝこといよ/\早く、今は手の際まで燃え來りぬ。畫工の周章は大方ならざりき。そも無理ならず。若し絲なくして歩を運ばば、われ等は次第に深きところに入りて、遂に活路なきに至らむも計られざればなり。畫工は再び氣を勵まして探りしが、こたびも絲を得ざりしかば、力拔けて地上に坐し、我頸を抱きて大息つき、あはれなる子よ、とつぶやきぬ。われはこの詞を聞きて、最早家に還られざることぞ、とおもひければ、いたく泣きぬ。畫工にあまりに緊《きび》しく抱き寄せられて、我が縛られたる手はいざり落ちて地に達したり。我は覺えず埃の間に指さし入れしに、例の絲を撮《つま》み得たり。こゝにこそ、と我呼びしに、畫工は我手を※[#「てへん+參」、10-下段-6]《と》りて、物狂ほしきまでよろこびぬ。あはれ、われ等二人の命はこの絲にぞ繋ぎ留められける。
われ等の再び外に歩み出でたるときは、日の暖に照りたる、天の蒼く晴れたる、木々の梢のうるはしく緑なる、皆常にも増してよろこばしかりき。フエデリゴ[は又我に接吻して、衣のかくしより美しき銀の※[#「金+表」、10-下段-13]《とけい》を取り出し、これをば汝に取らせむ、といひて與へき。われはあまりの嬉しさに、けふの恐ろしかりし事共、はや悉《こと/″\》く忘れ果てたり。されど此事を得忘れ給はざるは、始終の事を聞き給ひし母上なりき。フエデリゴはこれより後、我を伴ひて出づることを許されざりき。フラア・マルチノに傍線]もいふやう。かの時二人の命の助かりしは、全く聖母《マドンナ》のおほん惠にて、邪宗のフエデリゴが手には授け給はざる絲を、善く神に仕ふる、やさしき子の手には與へ給ひしなり。されば聖母の恩をば、身を終ふるまで、ゆめ忘るゝこと勿《なか》れといひき。
フラア・マルチノがこの詞と、或る知人の戲《たはむれ》に、アントニオ[#はあやしき子なるかな、うみの母をば愛するやうなれど、外の女をばことごとく嫌ふと見ゆれば、あれをば、人となりて後僧にこそすべきなれ、といひしことあるとによりて、母上はわれに出家せしめむとおもひ給ひき。まことに我は奈何《いか》なる故とも知らねど、女といふ女は側に來らるゝだに厭はしう覺えき。母上のところに來る婦人は、人の妻ともいはず、處女《をとめ》ともいはず、我が穉き詞にて、このあやしき好憎の心を語るを聞きて、いとおもしろき事におもひ做《な》し、強《し》ひて我に接吻せむとしたり。就中《なかんづく》マリウチア[#「マリウチア」に傍線]といふ娘は、この戲にて我を泣かすること屡《しば/\》なりき。マリウチアに傍線]は活溌なる少女なりき。農家の子なれど、裁縫店にて雛形娘をつとむるゆゑ、華靡《はで》やかなる色の衣をよそひて、幅廣き白き麻布もて髮を卷けり。この少女フエデリゴが畫の雛形をもつとめ、又母上のところにも遊びに來て、その度ごとに自らわがいひなづけの妻なりといひ、我を小き夫なりといひて、迫りて接吻せむとしたり。われ諾《うけが》はねば、この少女しば/\武を用ゐき。或る日われまた脅されて泣き出しゝに、さては猶|穉兒《をさなご》なりけり、乳房|啣《ふく》ませずては、啼き止むまじ、とて我を掻き抱かむとす。われ慌てゝ迯《に》ぐるを、少女はすかさず追ひすがりて、兩膝にて我身をしかと挾み、いやがりて振り向かむとする頭を、やう/\胸の方へ引き寄せたり。われは少女が※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]したる銀の矢を拔きたるに、豐なる髮は波打ちて、我身をも、露《あらは》れたる少女が肩をも掩《おほ》はむとす。母上は室の隅に立ちて、笑みつゝマリウチアがなすわざを勸め勵まし給へり。この時フエデリゴは戸の片蔭にかくれて、竊《ひそか》に此群をゑがきぬ。われは母上にいふやう。われは生涯妻といふものをば持たざるべし。われはフラア・マルチノの君のやうなる僧とこそならめといひき。
夕ごとにわが怪しく何の詞もなく坐したるを、母上は出家せしむるにたよりよき性《さが》なりとおもひ給ひき。われはかゝる時、いつも人となりたる後、金あまた得たらむには、いかなる寺、いかなる城をか建つべき、寺の主、城の主となりなん日には、「カルヂナアレ」の僧の如く、赤き衷甸《ばしや》に乘りて、金色に裝ひたる僕《しもべ》あまた隨へ、そこより出入せんとおもひき。或るときは又フラア・マルチノに聞きたる、種々なる獻身者の話によそへて、おのれ獻身者とならむをりの事をおもひ、世の人いかにおのれを責むとも、おのれは聖母のめぐみにて、つゆばかりも苦痛を覺えざるべしとおもひき。殊に願はしく覺えしは、フエデリゴが故郷にたづねゆきて、かしこなる邪宗の人々をまことの道に歸依せしむる事なりき。
母上のいかにフラア・マルチノと謀《はか》り給ひて、その日とはなりけむ。そはわれ知らでありしに、或る朝母上は、我に小《ちひさ》き衣を着せ、其上に白衣を打掛け給ひぬ。此白衣は膝のあたりまで屆きて、寺に仕ふる兒《ちご》の着るものに同じかりき。母上はかく爲立てゝ、我を鏡に向はせ給ひき。我は此日より尖帽宗《カツプチヨオ》の寺にゆきてちごとなり、火伴《なかま》の童達と共に、おほいなる弔香爐《つりかうろ》を提げて儀にあづかり、また贄卓《にへづくゑ》の前に出でゝ讚美歌をうたひき。總ての指圖をばフラア・マルチノなしつ。われは幾程もあらぬに、小き寺のうちに住み馴れて、贄卓に畫きたる神の使の童の顏を悉く記《おぼ》え、柱の上なるうねりたる摸樣を識り、瞑目したるときも、醜き龍と戰ひたる、美しき聖ミケル[#「ミケル」に傍線]を面前に見ることを得るやうになり、鋪床《ゆか》に刻みたる髑髏の、緑なる蔦かづらにて編みたる環を戴けるを見てはさま/″\の怪しき思をなしき。(聖ミケルが大なる翼ある美少年の姿にて、惡鬼の頭を踏みつけ、鎗をその上に加へたるは、名高き畫なり。)
美小鬟、即興詩人
萬聖祭には衆人《もろひと》と倶《とも》に骨龕《ほねのほくら》にありき。こはフラア・マルチノに傍線]の嘗て我を伴ひて入りにしところなり。僧どもは皆經を誦《じゆ》するに、我は火伴《なかま》の童二人と共に、髑髏の贄卓《にへづくゑ》の前に立ちて、提香爐《ひさげかうろ》を振り動したり。骨もて作りたる燭臺に、けふは火を點したり。僧侶の遺骨の手足全きは、けふ額に新しき花の環を戴きて、手に露けき花の一束を取りたり。この祭にも、いつもの如く、人あまた集ひ來ぬ。歌ふ僧の「ミゼレエレ」(「ミゼレエレ、メイ、ドミネ」、主よ、我を愍《あはれ》み給へ、と唱へ出す加特力《カトリコオ》教の歌をいふ)唱へはじむるとき、人々は膝を屈《かゞ》めて拜したり。髑髏の色白みたる、髑髏と我との間に渦卷ける香の烟の怪しげなる形に見ゆるなどを、我は久しく打ち目守《まも》り居たりしに、こはいかに、我身の周圍《めぐり》の物、皆|獨樂《こま》の如くに※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]り出しつ。物を見るに、すべて大なる虹を隔てゝ望むが如し。耳には寺の鐘|百《もゝ》ばかりも、一時に鳴るらむやうなる音聞ゆ。我心は早き流を舟にて下る如くにて、譬へむやうなく目出たかりき。これより後の事は知らず。我は氣を喪ひき。人あまた集ひて、鬱陶《うつたう》しくなりたるに、我空想の燃え上りたるや、この眩暈《めまひ》のもとなりけむ。醒めたるときは、寺の園なる檸檬《リモネ》の木の下にて、フラア・マルチノが膝に抱かれ居たり。
わが夢の裡に見きといふ、首尾整はざる事を、フラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]を始として、僧ども皆神の業《わざ》なりといひき。聖《ひじり》のみたまは面前を飛び過ぎ給ひしかど、はるかなき童のそのひかり耀《かゞや》けるさまにえ堪へで、卒倒したるならむといひき。これより後、われは怪しき夢をみること頻なりき。そを母上に語れば、母上は又友なる女どもに傳へ給ひき。そが中には、われまことにさる夢を見しにはあらねど、見きと詐《いつは》りて語りしもありき。これによりて、我を神のおん子なりとする、人々の惑は、日にけに深くなりまさりぬ。
さる程に嬉しき聖誕祭は近づきぬ。つねは山住ひする牧者の笛ふき(ピツフエラリ)となりたるが、短き外套着て、紐あまた下げ、尖りたる帽を戴き、聖母の像ある家ごとに音信《おとづ》れ來て、救世主の誕《うま》れ給ひしは今ぞ、と笛の音に知らせありきぬ。この單調にして悲しげなる聲を聞きて、我は朝な/\覺《さ》むるが常となりぬ。覺むれば説教の稽古す。おほよそ聖誕日と新年との間には、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺なる基督《キリスト》の像のみまへにて、童男童女の説教あること、年ごとの例なるが、我はことし其一人に當りたるなり。
吾齡《わがよはひ》は甫《はじ》めて九つなるに、かしこにて説教せむこと、いとめでたき事なりとて、歡びあふは、母上、マリウチア、我の三人のみかは。わがありあふ卓の上に登りて、一たびさらへ聞かせたるを聞きし、畫工フエデリゴもこよなうめでたがりぬ。さて其日になりければ、寺のうちなる卓の上に押しあげられぬ。我家のとは違ひて、この卓には毯《かも》を被ひたり。われはよその子供の如く、諳《そらん》じたるまゝの説教をなしき。聖母の心《むね》より血汐出でたる、穉き基督のめでたさなど、説教のたねなりき。我順番になりて、衆人に仰ぎ見られしとき、我胸跳りしは、恐ろしさゆゑにはあらで、喜ばしさのためなりき。これ迄の小兒の中にて、尤も人々の氣に入りしもの、即ち我なること疑なかりき。さるをわが後に、卓の上に立たせられたるは、小き女の子なるが、その言ふべからず優しき姿、驚くべきまでしほらしき顏つき、調《しらべ》清き樂に似たる聲音《こわね》に、人々これぞ神のみつかひなるべき、とさゝやきぬ。母上は、我子に優る子はあらじ、といはまほしう思ひ給ひけむが、これさへ聲高く、あの女の子の贄卓に畫ける神のみつかひに似たることよ、とのたまひき。母上は我に向ひて、かの女子の怪しく濃き目の色、鴉青《からすば》いろの髮、をさなくて又|怜悧《さかし》げなる顏、美しき紅葉《もみぢ》のやうなる手などを、繰りかへして譽め給ふに、わが心には妬《ねた》ましきやうなる情起りぬ。母上は我上をも神のみつかひに譬へ給ひしかども。
鶯の歌あり。まだ巣ごもり居て、薔薇《さうび》の枝の緑の葉を啄《ついば》めども、今生ぜむとする蕾をば見ざりき。二月三月の後、薔薇の花は開きぬ。今は鶯これにのみ鳴きて聞かせ、つひには刺《はり》の間に飛び入りて、血を流して死にき。われ人となりて後、しば/\此歌の事をおもひき。されど「アラチエリ」の寺にては、我耳も未だこれを聞かず、我心も未だこれを會《ゑ》せざりき。
母上、マリウチア、その外女どもあまたの前にて、寺にてせし説教をくりかへすこと、しば/\ありき。わが自ら喜ぶ心はこれにて慰められき。されど我が未だ語り厭《あ》かぬ間に、かれ等は早く聽き倦《う》みき。われは聽衆を失はじの心より、自ら新しき説教一段を作りき。その詞は、まことの聖誕日の説教といはむよりは、寺の祭を敍したるものといふべき詞なりき。そを最初に聞きしはフエデリゴなるが、かれは打ち笑ひ乍らも、そちが説教は、兎も角もフラア・マルチノが教へしよりは善し、そちが身には詩人や舍《やど》れる、といひき。フラア・マルチノより善しといへる詞は、わがためにいと喜ばしく、さて詩人とはいかなるものならむとおもひ煩ひ、おそらくは我身の内に舍れる善き神のみつかひならむと判じ、又夢のうちに我に面白きものを見するものにやと疑ひぬ。
母上は家を離れて遠く出で給ふこと稀なりき。されば或日の晝すぎ、トラステヱエル[#「トラステヱエル」に二重傍線](テヱエル河の右岸なる羅馬の市區)なる友だちを訪はむ、とのたまひしは、我がためには祭に往くごとくなりき。日曜に着る衣をきよそひぬ。中單《チヨキ》の代にその頃着る習なりし絹の胸當をば、針にて上衣の下に縫ひ留めき。領巾《えりぎぬ》をば幅廣き襞《ひだ》に摺《たゝ》みたり。頭には縫とりしたる帽を戴きつ。我姿はいとやさしかりき。
とぶらひ畢《をは》りて、家路に向ふころは、はや頗る遲くなりたれど、月影さやけく、空の色青く、風いと心地好かりき。路に近き丘の上には、「チプレツソオ」、「ピニヨロ」なんどの常磐樹《ときはぎ》立てるが、怪しげなる輪廓を、鋭く空に畫《ゑが》きたり。人の世にあるや、とある夕、何事もあらざりしを、久しくえ忘れぬやうに、美しう思ふことあるものなるが、かの歸路の景色、また然《さ》る類《たぐひ》なりき。國を去りての後も、テヱエルの流のさまを思ふごとに、かの夕の景色のみぞ心には浮ぶなる。黄なる河水のいと濃《こ》げに見ゆるに、月の光はさしたり。碾穀車《こひきぐるま》の鳴り響く水の上に、朽ち果てたる橋柱、黒き影を印して立てり。この景色心に浮べば、あの折の心輕げなる少女子《をとめご》さへ、扁鼓《ひらづゝみ》手に把《と》りて、「サルタレルロ」舞ひつゝ過ぐらむ心地す。(「サルタレルロ」の事をば聊《いさゝか》注すべし。こは單調なる曲につれて踊り舞ふ羅馬の民の技藝なり。一人にて踊ることあり。又二人にても舞へど、その身の相觸るゝことはなし。大抵男子二人、若くは女子二人なるが、跳《は》ねる如き早足にて半圈に動き、その間手をも休むることなく、羅馬人に産れ付きたる、しなやかなる振をなせり。女子は裳裾《もすそ》を蹇《かゝ》ぐ。鼓をば自ら打ち、又人にも打たす。其調の變化といふは、唯遲速のみなり。)サンタ、マリア、デルラ、ロツンダ[の街に來て見れば、こゝはまだいと賑はし。魚蝋《ぎよらふ》の烟を風のまにまに吹き靡《なび》かせて、前に木机を据ゑ、そが上に月桂《ラウレオ》の青枝もて編みたる籠に貨物《しろもの》を載せたるを飾りたるは、肉|鬻《ひさ》ぐ男、果《くだもの》賣る女などなり。剥栗《むきぐり》並べたる釜の下よりは、火※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]立昇りたり。賈人《あきうど》の物いひかはす聲の高きは、伊太利ことば知らぬ旅人聞かば、命をも顧みざる爭とやおもふらむ。魚賣る女の店の前にて、母上識る人に逢ひ給ひぬ。女子の間とて、物語長きに、店の蝋燭流れ盡むとしたり。さて連れ立ちて、其人の家の戸口までおくり行くに、街の上はいふもさらなり、「コルソオ」の大道さへ物寂しう見えぬ。されど美しき水盤を築きたるピアツツア、ヂ、トレヰイに曲り出でしときは、又賑はしきさま前の如し。
こゝに古き殿づくりあり。意《こゝろ》なく投げ疊《かさ》ねたらむやうに見ゆる、礎《いしずゑ》の間より、水流れ落ちて、月は恰《あたか》も好し棟の上にぞ照りわたれる。河伯《うみのかみ》の像は、重き石衣《いしごろも》を風に吹かせて、大なる瀧を見おろしたり。瀧のほとりには、喇叭《らつぱ》吹くトリイトンの神二人海馬を馭したり。その下には、豐に水を湛《たゝ》へたる大水盤あり。盤を繞《めぐ》れる石級を見れば農夫どもあまた心地好げに月明の裡に臥したり。截《き》り碎きたる西瓜より、紅の露滴りたるが其傍にあり。骨組太き童一人、身に着けたるものとては、薄き汗衫《じゆばん》一枚、鞣革《なめしがは》の袴《はかま》一つなるが、その袴さへ、控鈕《ボタン》脱《はづ》れて膝のあたりに垂れかゝりたるを、心ともせずや、「キタルラ」の絃《いと》、おもしろげに掻き鳴して坐したり。忽ちにして歌ふこと一句、忽にして又|奏《かな》づること一節。農夫どもは掌《たなそこ》打ち鳴しつ。母上は立ちとまり給ひぬ。この時童の歌ひたる歌こそは、いたく我心を動かしつれ。あはれ此歌よ。こは尋常《よのつね》の歌にあらず。この童の歌ふは、目の前に見え、耳のほとりに聞ゆるが儘なりき。母上も我も亦曲中の人となりぬ。さるに其歌には韻脚あり、其調はいと妙《たへ》なり。童の歌ひけるやう。青き空を衾《ふすま》として、白き石を枕としたる寢ごゝろの好さよ。かくて笛手《ふえふき》二人の曲をこそ聞け。童は斯く歌ひて、「トリイトン」の石像を指したり。童の又歌ひけるやう。こゝに西瓜の血汐を酌める、百姓の一群は、皆戀人の上安かれと祈るなり。その戀人は今は寢て、聖《サン》ピエトロの寺の塔、その法皇の都にゆきし、人の上をも夢みるらむ。人々の戀人の上安かれと祈りて飮まむ。又世の中にあらむ限の、箭《や》の手開かぬ少女が上をも、皆安かれと祈りて飮まむ。(箭の手開かぬ少女とは、髮に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]す箭をいへるにて、處女の箭には握りたる手あり、嫁《とつ》ぎたる女の箭には開きたる手あり。)かくて童は、母上の脇を※[#「てへん+諂のつくり」、13-下-25]《ひね》りて、さて母御の上をも、又その童の鬚|生《お》ふるやうになりて、迎へむ少女の上をも、と歌ひぬ。母上善くぞ歌ひしと讚め給へば、農夫どもゝジヤコモが旨《うま》さよ、と手打ち鳴してさゞめきぬ。この時ふと小き寺の石級の上を見しに、こゝには識る人ひとりあり。そは鉛筆取りて、この月明の中なる群を、寫さむとしたる畫工フエデリゴなりき。歸途には畫工と母上と、かの歌うたひし童の上につきて、語り戲れき。その時畫工は、かの童を即興詩人とぞいひける。
フエデリゴ[の我にいふやう。アントニオ聞け。そなたも即興の詩を作れ。そなたは固より詩人なり。たゞ例の説教を韻語にして歌へ。これを聞きて、我初めて詩人といふことあきらかにさとれり。まことに詩人とは、見るもの、聞くものにつけて、おもしろく歌ふ人にぞありける。げにこは面白き業なり。想ふにあながち難からむとは思はれず、「キタルラ」一つだにあらましかば。わが初の作の料《たね》になりしは、向ひなる枯肉鋪《ひものみせ》なりしこそ可笑《をか》しけれ。此家の貨物《しろもの》の排《なら》べ方は、旅人の目にさへ留まるやうなりければ、早くも我空想を襲ひしなり。月桂《ラウレオ》の枝美しく編みたる間には、おほいなる駝鳥の卵の如く、乾酪の塊懸りたり。「オルガノ」の笛の如く、金紙卷きたる燭は並び立てり。柱のやうに立てたる腸づめの肉の上には、琥珀の如く光を放ちて、「パルミジヤノ」の乾酪据わりたり。夕になれば、燭に火を點ずるほどに、其光は腸づめの肉と「プレシチウツトオ」(らかん)との間に燃ゆる、聖母像前の紅玻璃燈と共に、この幻《まぼろし》の境を照せり。我詩には、店の卓の上なる猫兒《ねこ》、店の女房と價を爭ひたる、若き「カツプチノ」僧さへ、殘ることなく入りぬ。此詩をば、幾度か心の内にて吟じ試みて、さてフエデリゴに歌ひて聞かせしに、フエデリゴめでたがりければ、つひに家の中に廣まり、又街を踰《こ》えて、向ひなるひものやの女房の耳にも入りぬ。女房聞きて、げに珍らしき詩なるかな、ダンテの神曲《ヂヰナ、コメヂア》とはかゝるものか、とぞ稱《たゝ》へける。
これを手始に、物として我詩に入らぬはなきやうになりぬ。我世は夢の世、空想の世となりぬ。寺にありて、僧の歌ふとき、提香爐《ひさげかうろ》を打ち振りても、街にありて、叫ぶ賈人《あきうど》、轟《とゞろ》く車の間に立ちても、聖母の像と靈水盛りたる瓶の下なる、小《ちさ》き臥床《ふしど》の中にありても、たゞ詩をおもふより外あらざりき。冬の夕暮、鍛冶の火高く燃えて、道ゆく百姓の立ち倚《よ》りて手を温むるとき、我は家の窓に坐して、これを見つゝ、時の過ぐるを知らず。かの鍛冶の火の中には、我空想の世の如き殊《こと》なる世ありとぞ覺えし。北山おろし劇《はげ》しうして、白雪街を籠め、廣こうぢの石の「トリイトン」に氷の鬚おふるときは、我喜限なかりき。憾《うら》むらくは、かゝる時の長からぬことよ。かゝる日には年ゆたかなる兆《きざし》とて、羊の裘《かはころも》きたる農夫ども、手を拍《う》ちて「トリイトン」のめぐりを踊りまはりき。噴き出づる水に雨は、晴れなんとする空にかゝれる虹の影映りて。
花祭
六月の事なりき。年ごとにジエンツアノにて執行せらるゝ、名高き花祭の期は近づきぬ。(ジエンツアノはアルバノ山間の小都會なり。羅馬と沼澤との間なる街道に近し。)母上とも、マリウチアとも仲好き女房ありて、かしこなる料理屋の妻となりたり。(伊太利の小料理屋にて「オステリア、エエ、クチイナ」と招牌《かんばん》懸けたる類なるべし。)母上とマリウチアとが此祭にゆかむと約したるは、數年前よりの事なれども、いつも思ひ掛けぬ事に妨げられて、えも果さゞりき。今年は必ず約を履《ふ》まむとなり。道遠ければ、祭の前日にいで立たむとす。かしまだちの前の夕には、喜ばしさの餘に、我眠の穩《おだやか》ならざりしも、理《ことわり》なるべし。
「ヱツツリノ」といふ車の門前に來しときは、日未だ昇らざりき。我等は直に車に上りぬ。是れより先には、われ未だ山に入りしことあらざりき。祭の事を思ひての喜に胸さわぎのみぞせられたる。身の邊《ほとり》なる自然と生活とを、人となりての後、當時の情もて觀《み》ましかば、我が作る詩こそ類なき妙品ならめ。街道の靜けさ、鐵物《かなもの》いかめしき閭門《りよもん》、見わたす限遙なるカムパニアの野邊に、物寂しき墳墓のところ/″\に立てる、遠山の裾を罩《こ》めたる濃き朝霧など、我がためにはこたび觀るべき、めでたき祕事の前兆の如くおもはれぬ。道の傍に十字架あり。そが上には枯髏《されこうべ》殘れり。こは辜《つみ》なき人を脅したる報《むくい》に、こゝに刑せられし強人《ぬすびと》の骨なるべし。これさへ我心を動すことたゞならざりき。山中の水を羅馬の市に導くなる、許多《あまた》の筧《かけひ》の數をば、はじめこそ讀み見むとしつれ、幾程もあらぬに、倦《う》みて思ひとゞまりつ。さて我は母上とマリウチアとに問ひはじめき。壞れ傾きたる墓標のめぐりにて、牧者が焚く火は何のためぞ。羊の群のめぐりに引きめぐらしたる網は何のためぞ。問はるゝ人はいかにうるさかりけむ。
アルバノに着きて車を下りぬ。こゝよりアリチアを越す美しき道の程をば徒《かち》にてぞゆく。木犀草《もくせいさう》(レセダ)又はにほひあらせいとう(ヘイランツス)の花など道の傍に野生したり。緑なる葉の茂れる橄欖樹《オリワ》の蔭は涼しくして、憩ふ人待貌なり。遠き海をば、我も望み見ることを得き。十字架立ちたる山腹を過ぐるとき、少女子の一群笑ひ戲れて過ぐるに逢ひぬ。笑ひ戲れながらも、十字架に接吻することをば忘れざりき。アリチア[#「アリチア」に二重傍線]の寺の屋根、黒き橄欖の林の間に見えたるをば、神の使が戲《たはむれ》に据ゑかへたる聖《サン》ピエトロ寺の屋根ならむとおもひき。索にて牽《ひ》かれたる熊の、人の如くに立ちて舞へるあり。人あまた其|周《めぐり》につどひたり。熊を牽ける男の吹く笛を聞けば、こは羅馬に來て聖母の前に立ちて吹く、「ピツフエラリ」が曲におなじかりき。男に軍曹と呼ばるゝ猿あり。美しき軍服着て、熊の頭の上、脊の上などにて翻筋斗《とんぼがへり》す。われは面白さにこゝに止らむとおもふほどなりき。ジエンツアノの祭も明日のことなれば、止まればとて遲るゝにもあらず。されど母上は早く往きて、友なる女房の環飾編むを助けむとのたまへば、甲斐なかりき。
幾程もなく到り着きて、アンジエリカが家をたづね得つ。ジエンツアノの市にて、ネミ[#「ネミ」に二重傍線]といふ湖に向へる方にありき。家はいとめでたし。壁よりは泉湧き出でゝ、石盤に流れ落つ。驢馬あまたそを飮まむとて、めぐりに集ひたり。
料理屋に立ち入りて見るに賑しき物音我等を迎へたり。竈《かまど》には火燃えて、鍋の裡なる食は煮え上りたり。長き卓あり。市人も田舍人も、それに倚りて、酒飮み、※[#「酉+奄」、第3水準1-92-87]藏《しほづけ》にせる豚を食へり。聖母の御影の前には、青磁の花瓶に、美しき薔薇花を活けたるが、其傍なる燈は、棚引く烟に壓されて、善くも燃えず。帳場のほとりなる卓に置きたる乾酪の上をば、猫跳り越えたり、鷄の群は、我等が脚にまつはれて、踏まるゝをも厭はじと覺ゆ。アンジエリカは快く我等を迎へき。險しき梯《はしご》を登りて、烟突の傍なる小部屋に入り、こゝにて食を饗せられき。我心にては、國王の宴《うたげ》に召されたるかとおぼえつ。物として美しからぬはなく、一「フオリエツタ」の葡萄酒さへ其瓶に飾ありて、いとめでたかりき。瓶の口に栓がはりに※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]したるは、纔《わづか》に開きたる薔薇花なり。主客三人の女房、互に接吻したり。我も否《いな》とも諾《う》とも云ふ暇なくして、接吻せられき。母上片手にて我頬を撫《さす》り、片手にて我衣をなほし給ふ。手尖《てさき》の隱るゝまで袖を引き、又頸を越すまで襟を揚げなどして、やう/\心を安《やすん》じ給ひき。アンジエリカは我を佳《よ》き兒なりと讚めき。
食後には面白き事はじまりぬ。紅なる花、緑なる梢を摘みて、環飾を編まむとて、人々皆出でぬ。低き戸口をくゞれば庭あり。そのめぐりは幾尺かあらむ。すべてのさま唯だ一つの四阿屋《あづまや》めきたり。細き欄《おばしま》をば、こゝに野生したる蘆薈《ろくわい》の、太く堅き葉にて援けたり。これ自然の籬《まがき》なり。看卸《みおろ》せば深き湖の面いと靜なり。昔こゝは火坑にて、一たびは焔の柱天に朝したることもありきといふ。庭を出でゝ山腹を歩み、大なる葡萄|架《だな》、茂れる「プラタノ」の林のほとりを過ぐ。葡萄の蔓は高く這ひのぼりて、林の木々にさへ纏ひたり。彼方の山腹の尖りたるところにネミ[#「ネミ」に二重傍線]の市あり。其影は湖の底に印《うつ》りたり。我等は花を採り、梢を折りて、且行き且編みたり。あらせいとうの間には、露けき橄欖の葉を織り込めつ。高き青空と深き碧水とは、乍《たちま》ち草木に遮られ、乍ち又一樣なる限なき色に現れ出づ。我がためには、物としてめでたく、珍らかならざるなし。平和なる歡喜の情は、我魂を震はしめき。今に到るまで、この折の事は、埋沒したる古城の彩石壁畫《ムザイコゑ》の如く、我心目に浮び出づることあり。
日は烈しかりき。湖の畔《ほとり》に降りゆきて、葡萄蔓《えびかづら》纏へる「プラタノ」の古樹の、長き枝を水の面にさしおろしたる蔭にやすらひたる時、我等は纔に涼しさを迎へて、編みものに心籠むることを得つ。水草の美しき頭の、蔭にありて、徐《しづか》に頷《うなづ》くさま、夢みる人の如し。これをも祈りて編み込めつ。暫しありて、日の光は最早水面に及ばずなりて、ネミとジエンツアノとの家々の屋根をさまよへり。我等が坐したるところは、次第にほの暗うなりぬ。我は遊ばむとて、群を離れたれど、岸低く、湖の深きを母上氣づかひ給へば、數歩の外には出でざりき。こゝには古きヂアナの祠《ほこら》の址《あと》あり。その破壞して形《かた》ばかりになりたる裡に、大なる無花果樹《いちじゆく》あり。蔦蘿《つたかづら》は隙なきまでに、これにまつはれたり。われは此樹に攀《よ》ぢ上りて、環飾編みつゝ、流行の小歌うたひたり。
―Ah rossi, rossi flori,
Un gelsomin d’amore―“
(あはれ、赤き、赤き花よ。
菫《すみれ》の束《たば》よ。
戀のしるしの素馨《そけい》〔ジエルソミノ〕の花よ。)
この時あやしく咳枯《しはが》れたる聲にて、歌ひつぐ人あり。
―Per dar al mio bene!“
(摘みて取らせむその人に。)
忽ちフラスカアチ の農家の婦人の裝したる媼《おうな》ありて、我前に立ち現れぬ。その脊はあやしき迄眞直なり。その顏の色の目立ちて黒く見ゆるは、頭より肩に垂れたる、長き白紗のためにや。膚《はだへ》の皺は繁くして、縮めたる網の如し。黒き瞳は※[#「目+匡」、第3水準1-88-81]《まぶち》を填《う》めん程なり。この媼は初め微笑《ほゝゑ》みつゝ我を見しが、俄に色を正して、我面を打ちまもりたるさま、傍なる木に寄せ掛けたる木乃伊《みいら》にはあらずや、と疑はる。暫しありていふやう。花はそちが手にありて美しくぞなるべき。彼の目には福《さいはひ》の星ありといふ。我は編みかけたる環飾を、我唇におし當てたるまゝ、驚きて彼の方を見居たり。媼またいはく。その月桂の葉は、美しけれど毒あり。飾に編むは好し。唇にな當てそといふ。此時アンジエリカ 籬《まがき》の後より出でゝいふやう。賢き老女、 。そなたも明日の祭の料にとて、環飾編まむとするか。さらずは日のカムパニア のあなたに入りてより、常ならぬ花束を作らむとするかといふ。媼はかく問はれても、顧みもせで我面のみ打ち目守り、詞を續《つ》ぎていふやう。賢き目なり。日の金牛宮を過ぐるとき誕《うま》れぬ。名も財《たから》も牛の角にかゝりたりといふ。此時母上も歩み寄りてのたまふやう。吾子が受領すべきは、緇《くろ》き衣と大なる帽となり。かくて後は、護摩《ごま》焚きて神に仕ふべきか、棘《いばら》の道を走るべきか。そはかれが運命に任せてむ、とのたまふ。媼は聞きて、我を僧とすべしといふ意《こゝろ》ぞ、とは心得たりと覺えられき。されど當時は、我等悉く媼が詞の顛末《もとすゑ》を解《げ》すること能はざりき。媼のいふやう。あらず。此兒が衆人《もろひと》の前にて説くところは、げに格子の裏《うち》なる尼少女の歌より優しく、アルバノ の山の雷より烈しかるべし。されどその時戴くものは大なる帽にあらず。福《さいはひ》の座は、かの羊の群の間に白雲立てる、カヲ[#「カヲ」に二重傍線]の山より高きものぞといふ。この詞のめでたげなるに、母上は喜び給ひながら、猶|訝《いぶか》しげにもてなして、太き息つきつゝ宣給《のたま》ふやう。あはれなる兒なり。行末をば聖母こそ知り給はめ。アルバノ[#「アルバノ」に二重傍線]の農夫の車より福《さいはひ》の車は高きものを、かゝるをさな子のいかでか上り得むとのたまふ。媼のいはく。農車の輪のめぐるを見ずや。下なる輻《や》は上なる輻となれば、足を低き輻に踏みかけて、旋《めぐ》るに任せて登るときは、忽ち車の上にあるべし。(アルバノ の農車はいと高ければ、農夫等かくして登るといふ。)唯だ道なる石に心せよ。市に舞ふ人もこれに躓《つまづ》く習ぞといふ。母上は半ば戲のやうに、さらばその福の車に、われも倶に登るべきか、と問ひ給ひしが、俄に打ち驚きてあなやと叫び給ひき。この時大なる鷙鳥《してう》ありて、さと落し來たりしに、その翼の前なる湖を撃ちたるとき、飛沫は我等が面を濕《うるほ》しき。雲の上にて、鋭くも水面に浮びたる大魚を見付け、矢を射る如く來りて攫《つか》みたるなり。刃の如き爪は魚の脊を穿《うが》ちたり。さて再び空に揚らむとするに、騷ぐ波にて測るにも、その大さはよの常ならぬ魚にしあれば、力を極めて引かれじと爭ひたり。鳥も打ち込みたる爪拔けざれば、今更にその獲ものを放つこと能はず。魚と鳥との鬪はいよ/\激しく、湖水の面ゆらぐまに/\、幾重ともなき大なる環を畫き出せり。鳥の翼は忽ち斂《をさ》まり、忽ち放たれ、魚の背は浮ぶかと見れば又沈みつ。數分時の後、雙翼靜に水を蔽ひて、鳥は憩ふが如く見えしが、俄にはたゝく勢に、偏翼|摧《くだ》け折るゝ聲、岸のほとりに聞えぬ。鳥は殘れる翼にて、二たび三たび水を敲き、つひに沈みて見えずなりぬ。魚は最後の力を出して、敵を負ひて水底に下りしならむ。鳥も魚も、しばしが程に、底のみくづとなるならむ。我等は詞もあらで、此|光景《ありさま》を眺め居たり。事果てゝ後顧みれば、かの媼は在らざりき。
我等は詞少く歸路をいそぎぬ。森の木葉《このは》のしげみは、闇を吐き出だす如くなれど、夕照《ゆふばえ》は湖水に映じて纔《わづか》にゆくてに迷はざらしむ。この時聞ゆる單調なる物音は粉碾車《こひきぐるま》の轢《きし》るなり。すべてのさま物凄く恐ろしげなり。アンジエリカ に傍線]はゆく/\怪しき老女が上を物語りぬ。かの媼は藥草を識りて、能く人を殺し、能く人を惑はしむ。オレワアノ といふ所に、テレザ といふ少女ありき。ジユウゼツペといふ若者が、山を越えて北の方へゆきたるを戀ひて、日にけに痩せ衰へけり。媼さらば其男を喚び返して得させむとてテレザが髮とジユウゼツペが髮とを結び合せて、銅の器に入れ、藥草を雜《まじ》へて煮き。ジユウゼツペは其日より、晝も夜も、テレザが上のみ案ぜられければ、何事をも打ち棄てゝ歸り來ぬとぞ。我は此物語を聞きつゝ、「アヱ、マリア」の祈をなしつ。アンジエリカが家に歸り着きて、我心は纔におちゐたり。
新に編みたる環飾一つを懸けたる、眞鍮の燈には、四條《よすぢ》の心《しん》に殘なく火を點し、「モンツアノ、アル、ポミドロ」といふ旨《うま》きものに、善き酒一瓶を添へて供せられき。農夫等は下なる一間にて飮み歌へり。二人代る/″\唱へ、末の句に至りて、坐客|齊《ひと》しく和したり。我が子供と共に、燃ゆる竈の傍なる聖母の像のみまへにゆきて、讚美歌唱へはじめしとき、農夫等は聲を止めて、我曲を聽き、好き聲なりと稱《たゝ》へき。その嬉しさに我は暗き林をも、怪しき老女をも忘れ果てつ。我は農夫等と共に、即興の詩を歌はむとおもひしに、母上とゞめて宣給《のたま》ふやう。そちは香爐を提《ひさ》ぐる子ならずや。行末は人の前に出でゝ、神のみことばをも傳ふべきに、今いかでかさる戲せらるべき。謝肉《カルネワレ》の祭はまだ來ぬものを、とのたまひき。されど我がアンジエリカが家の廣き臥床《ふしど》に上りしときは、母上我枕の低きを厭ひて、肱さし伸べて枕せさせ、頼《たのみ》ある子ぞ、と胸に抱き寄せて眠り給ひき。我は旭《あさひ》の光窓を照して、美しき花祭の我を喚《よ》び醒《さま》すまで、穩なる夢を結びぬ。
その旦《あした》先づ目に觸れし街の有樣、その彩色したる活畫圖を、當時の心になりて寫し出さむには、いかに筆を下すべきか。少しく爪尖あがりになりたる、長き街をば、すべて花もて掩《おほ》ひたり。地は青く見えたり。かく色を揃へて花を飾るには、園生《そのふ》の草をも、野に茂る枝をも、摘み盡し、折り盡したるかと疑はる。兩側には大なる緑の葉を、帶の如く引きたり。その上には薔薇の花を隙間なきまで並べたり。この帶の隣には又似寄りたる帶を引きて、その間をば暗紅なる花もて填めたり。これを街の氈《かも》の小縁《さゝへり》とす。中央には黄なる花多く簇《あつ》めて、その角立ちたる紋を成したる群を星とし、その輪の如き紋を成したる束を日とす。これよりも骨折りて造り出でけんと思はるゝは、人の名頭《ながしら》の字を花もて現したるにぞありける。こゝにては花と花と聯《つら》ね、葉と葉と合せて形を作りたり。總ての摸樣は、まことに活きたる五色の氈《かも》と見るべく、又|彩石《ムザイコ》を組み合せたる牀《とこ》と見るべし。されどポムペイに二重傍線]にありといふ床にも、かく美しき色あるはあらじ。このあした、風といふもの絶てなかりき。花の落着きたるさまは、重き寶石を据ゑたらむが如くなり。窓といふ窓よりは、大なる氈を垂れて石の壁を掩《おほ》ひたり。この氈も、花と葉とにて織りて、おほくは聖書に出でたる事蹟の圖を成したり。こゝには聖母と穉《をさな》き基督とを騎《の》せたる驢《うさぎうま》あり、ジユウゼツペ[その口を取りたり。顏、手、足なんどをば、薔薇の花もて作りたり。こあらせいとう(マチオラ)の花、青き「アネモオネ」の花などにて、風に翻《ひるがへ》りたる衣を織り成せり。その冠を見れば、ネミの湖にて摘みたる白き睡蓮《ひつじぐさ》(ニユムフエア)の花なりき。かしこには尊きミケルの毒龍と鬪へるあり。尊きロザリアは深碧なる地球の上に、薔薇の花を散らしたり。いづかたに向ひて見ても、花は我に聖書の事蹟を語れり。いづかたに向ひて見ても、人の面は我と同じく樂しげなり。美しき衣|着裝《きよそ》ひて、出張りたる窓に立てるは、山のあなたより來し異國人《ことくにびと》なるべし。街の側には、おのがじし飾り繕ひたる人の波打つ如く行くあり。街の曲り角にて、大なる噴井あるところに、母上は腰掛け給へり。我は水よりさしのぞきたるサチロ(羊脚の神)の神の頭《かうべ》の前に立てり。
日は烈しく照りたり。市中の鐘ことごとく鳴りはじめぬ。この時美しき花の氈を踏みて、祭の行列過ぐ。めでたき音樂、謳歌の聲は、その近づくを知らせたり。贄櫃《モンストランチア》の前には、兒《ちご》あまた提香爐《ひさげかうろ》を振り動かして歩めり。これに續きたるは、こゝらあたりの美しき少女を撰《え》り出でて、花の環を取らせたるなり。もろ肌ぬぎて、翼を負ひたる、あはれなる小兒等は、高卓《たかづくゑ》の前に立ちて、神の使の歌をうたひて、行列の來るを待てり。若人等は尖りたる帽の上に、聖母の像を印したる紐のひら/\としたるを付けたり。鎖に金銀の環を繋ぎて、頸に懸けたり。斜に肩に掛けたる、彩《いろど》りたる紐は、黒|天鵝絨《びろおど》の上衣に映じて美し。アルバノ、フラスカアチの少女の群は、髮を編みて、銀《しろがね》の箭《や》にて留め、薄き面紗《ヴエール》の端を、やさしく髻《もとゞり》の上にて結びたり。ヱルレトリの少女の群は、頭に環かざりを戴き、美しき肩、圓き乳房の露《あらは》るゝやうに着たる衣に、襟の邊《あたり》より、彩《いろど》りたる巾《きれ》を下げたり。アプルツチイよりも、大澤《たいたく》よりも、おほよそ近きほとりの民悉くつどひ來て、おの/\古風を存じたる打扮《いでたち》したれば、その入り亂れたるを見るときは、餘所《よそ》の國にはあるまじき奇觀なるべし。花を飾りたる天蓋の下に、華美《はでやか》なる式の衣を着けて歩み來たるは、「カルヂナアレ」なり。さま/″\の宗派に屬する僧は、燃ゆる蝋燭を取りてこれに隨へり。行列のことごとく寺を離るゝとき、群衆はその後に跟《つ》いて動きはじめき。我等もこの間にありしが、母上はしかと我肩を按《おさ》へて、人に押し隔てられじとし給へり。我等は人に揉まれつゝ歩を移せり。我目に見ゆるは、唯だ頭上の青空のみ。忽ち我等がめぐりに、人々の諸聲《もろごゑ》に叫ぶを聞きつ。我等は彼方へおし遣られ、又此方へおし戻されき。こは一二頭の仗馬《ぢやうめ》の物に怯《お》ぢて駈け出したるなり。われは纔《わづか》にこの事を聞きたる時、騷ぎ立ちたる人々に推し倒されぬ。目の前は黒くなりて、頭の上には瀑布《たき》の水漲り落つる如くなりき。
あはれ、神の母よ、哀なる事なりき。われは今に至るまで、その時の事を憶ふごとに、身うち震ひて止まず。我にかへりしとき、マリウチアア」に傍線]は泣き叫びつゝ、我頭を膝の上に載せ居たり。側には母上地に横《よこたは》り居給ふ。これを圍みたるは、見もしらぬ人々なり。馬は車を引きたる儘《まゝ》にて、仆《たふ》れたる母上の上を過ぎ、轍《わだち》は胸を碎きしなり。母上の口よりは血流れたり。母上は早や事きれ給へり。
人々は母上の目を瞑《ねむ》らせ、その掌を合せたり。この掌の温きをば今まで我肩に覺えしものを。遺體をば、僧たち寺に舁《か》き入れぬ。マリウチア[#「マリウチア」に傍線]は手に淺痍《あさで》負ひたる我を伴ひて、さきの酒店《さかみせ》に歸りぬ。きのふは此酒店にて、樂しき事のみおもひつゝ、花を編み、母上の腕《かひな》を枕にして眠りしものを。當時わがいよ/\まことの孤《みなしご》になりしをば、まだ熟《よ》くも思ひ得ざりしかど、わが穉き心にも、唯だ何となく物悲しかりき。人々は我に果子《くわし》、くだもの、玩具《もてあそびもの》など與へて、なだめ賺《すか》し、おん身が母は今聖母の許にいませば、日ごとに花祭ありて、めでたき事のみなりといふ。又あすは今一度母上に逢はせんと慰めつ。人々は我にはかく言ふのみなれど、互にさゝやぎあひて、きのふの鷙鳥《してう》の事、怪しき媼《おうな》の事、母上の夢の事など語り、誰も/\母上の死をば豫め知りたりと誇れり。
暴馬《あれうま》は街はづれにて、立木に突きあたりて止まりぬ。車中よりは、人々齡《よはひ》四十の上を一つ二つ踰《こ》えたる貴人の驚怖のあまりに氣を喪《うしな》はんとしたるを助け出だしき。人の噂を聞くに、この貴人はボルゲエゼの族《うから》にて、アルバノとフラスカアチとの間に、大なる別墅《べつしよ》を搆《かま》へ、そこの苑《その》にはめづらしき草花を植ゑて樂《たのしみ》とせりとなり。世にはこの翁《おきな》もあやしき藥草を知ること、かのフルヰアといふ媼に劣らずなど云ふものありとぞ。此貴人の使なりとて、「リフレア」着たる僕《しもべ》盾銀《たてぎん》(スクヂイ)二十枚入りたる嚢《ふくろ》を我に貽《おく》りぬ。
翌日の夕まだ「アヱ、マリア」の鐘鳴らぬほどに、人々我を伴ひて寺にゆき、母上に暇乞《いとまごひ》せしめき。きのふ祭見にゆきし晴衣《はれぎ》のまゝにて、狹き木棺の裡《うち》に臥し給へり。我は合せたる掌に接吻するに、人々|共音《ともね》に泣きぬ。寺門には柩《ひつぎ》を擔ふ人立てり。送りゆく僧は白衣着て、帽を垂れ面を覆へり。柩は人の肩に上りぬ。「カツプチノ」僧は蝋燭に火をうつして挽歌をうたひ始めたり。マリウチアに傍線は我を牽《ひ》きて柩の旁《かたへ》に隨へり。斜日《ゆふひ》は蓋《おほ》はざる棺を射て、母上のおん顏は生けるが如く見えぬ。知らぬ子供あまたおもしろげに我めぐりを馳せ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りて、燭涙の地に墜ちて凝りたるを拾ひ、反古《ほご》を捩《ひね》りて作りたる筒に入れたり。我等が行くは、きのふ祭の行列の過《よぎ》りし街なり。木葉《このは》も草花も猶地上にあり。されど當時織り成したる華紋は、吾少時の福《さいはひ》と倶に、きのふの祭の樂と倶に、今や跡なくなりぬ。幽堂《つかあな》の穹窿を塞《ふさ》ぎたる大石を推し退け、柩を下ししに、底なる他《ほか》の柩と相觸れて、かすかなる響をなせり。僧等の去りしあとにて、マリウチアに傍線]は我を石上に跪《ひざまづ》かせ、「オオラ、プロオ、ノオビス」(祷爲我等《いのれわれらがために》)を唱へしめき。
ジエンツアノにを立ちしは月あかき夜なりき。フエデリゴと知らぬ人ふたりと我を伴ひゆく。濃き雲はアルバノの巓《いたゞき》を繞《めぐ》れり。我がカムパニアの野を飛びゆく輕き霧を眺むる間、人々はもの言ふこと少かりき。幾《いくばく》もあらぬに、我は車の中に眠り、聖母を夢み、花を夢み、母上を夢みき。母上は猶生きて、我にものいひ、我顏を見てほゝ笑み給へり。
蹇丐
羅馬なる母上の住み給ひし家に歸りし後、人々は我をいかにせんかと議するが中に、フラア・マルチノはカムパニアの野に羊飼へる、マリウチアが父母にあづけんといふ。盾銀二十は、牧者が上にては得易からぬ寶なれば、この兒を家におきて養ふはいふもさらなり、又心のうちに喜びて迎ふるならん。さはあれ、この兒は既に半ば出家したるものなり。カムパニアの野にゆきては、香爐を提げて寺中の職をなさんやうなし。かくマルチノの心たゆたふと共に、フエデリゴも云ふやう。われは此兒をカムパニアにやりて、百姓にせんこと惜しければ、この羅馬市中にて、然るべき人を見立て、これにあづくるに若《し》かずといふ。マルチノ[#「マルチノ」に傍線]思ひ定めかねて、僧たちと謀《はか》らんとて去《いぬ》る折柄、ペツポのをぢは例の木履《きぐつ》を手に穿《は》きていざり來ぬ。をぢは母上のみまかり給ひしを聞き、又人の我に盾銀二十を貽《おく》りしを聞き、母上の追悼《くやみ》よりは、かの金の發落《なりゆき》のこゝろづかひのために、こゝには訪《おとづ》れ來ぬるなり。をぢは聲振り立てゝいふやう。この孤《みなしご》の族《うから》にて世にあるものは、今われひとりなり。孤をばわれ引き取りて世話すべし。その代りには、此家に殘りたる物悉くわが方へ受け收むべし。かの盾銀二十は勿論なりといふ。マリウチアは臆面せぬ女なれば、進み出でゝ、おのれフラア・マルチノ其餘の人々とこゝの始末をば油斷なく取り行ふべければ、おのが一身をだにもてあましたる乞丐《かたゐ》の益なきこと言はんより、疾く歸れといふ。フエデリゴは席を立ちぬ。マリウチアとペツポのをぢとは、跡に殘りてはしたなく言ひ罵り、いづれも多少の利慾を離れざる、きたなき爭をなしたり。マリウチアのいふやう。この兒をさほど欲《ほ》しと思はゞ、直に連れて歸りても好し。若し肋《あばら》二三本打ち折りて、おなじやうなる畸形《かたは》となし、往來《ゆきゝ》の人の袖に縋らせんとならば、それも好し。盾銀二十枚をば、われこゝに持ち居れば、フラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]の來給ふまで、決して他人に渡さじといふ。ペツポ[#「ペツポ」に傍線]怒りて、頑《かたくな》なる女かな、この木履もてそちが頭に、ピアツツア、デル、ポヽロの通衢《おほぢ》のやうなる穴を穿《あ》けんと叫びぬ。われは二人が間に立ちて、泣き居たるに、マリウチアは我を推しやり、をぢは我を引き寄せたり。をぢのいふやう。唯だ我に隨ひ來よ。我を頼めよ。この負擔だに我方にあらば、その報酬も受けらるべし。羅馬の裁判所に公平なる沙汰なからんや。かく云ひつゝ、強ひて我を※[#「てへん+止」、第3水準1-84-71]《ひ》きて戸を出でたるに、こゝには襤褸《ぼろ》着たる童《わらべ》ありて、一頭の驢《うさぎうま》を牽《ひ》けり。をぢは遠きところに往くとき、又急ぐことあるときは、枯れたる足を、驢の兩脇にひたと押し付け、おのが身と驢と一つ體になりたるやうにし、例の木履のかはりに走らするが常なれば、けふもかく騎《の》りて來しなるべし。をぢは我をも驢背《ろはい》に抱き上げたるに、かの童は後より一鞭加へて驅け出《いだ》させつ。途すがらをぢは、いつもの厭はしきさまに賺《すか》し慰めき。見よ吾兒。よき驢にあらずや。走るさまは、「コルソオ」の競馬にも似ずや。我家にゆき着かば、樂しき世を送らせん。神の使もえ享《う》けぬやうなる饗應《もてなし》すべし。この話の末は、マリウチアを罵る千言萬句、いつ果つべしとも覺えざりき。をぢは家を遠ざかるにつれて、驢を策《むちう》たしむること少ければ、道行く人々皆このあやしき凹騎《ふたりのり》に目を注《つ》けて、美しき兒なり、何處よりか盜み來し、と問ひぬ。をぢはその度ごとに我《わが》身上話を繰り返しつ。この話をば、ほと/\道の曲りめごとに浚《さら》へ行くほどに、賣漿婆《みづうりばゞ》はをぢが長物語の酬《むくい》に、檸檬《リモネ》水|一杯《ひとつき》を白《たゞ》にて與へ、をぢと我とに分ち飮ましめ、又別に臨みて我に核《さね》の落ち去りたる松子《まつのみ》一つ得させつ。
まだをぢが栖《すみか》にゆき着かぬに、日は暮れぬ。我は一言をも出さず、顏を掩《おほ》うて泣き居たり。をぢは我を抱き卸《おろ》して、例の大部屋の側なる狹き一間につれゆき、一隅に玉蜀黍《たうもろこし》の莢《さや》敷きたるを指し示し、あれこそ汝が臥床《ふしど》なれ、さきには善き檸檬水呑ませたれば、まだ喉も乾かざるべく、腹も減らざるべし、と我頬を撫でゝ微笑《ほゝゑ》みたる、その面恐しきこと譬《たと》へんに物なし。マリウチアが持ちたる嚢には、猶銀幾ばくかある。馭者《エツツリノ》に與ふる錢をも、あの中よりや出しゝ。貴人の僕は、金もて來しとき、何といひしか。かく問ひ掛けられて、我はたゞ知らずとのみ答へ、はては泣聲になりて、いつまでもこゝに居ることにや、あすは家に歸らるゝことにや、と問ひぬ。勿論なり。いかでか歸られぬ事あらん。おとなしくそこに寐よ。「アヱ、マリア」を唱ふることを忘るな。人の眠る時は鬼の醒めたる時なり。十字を截《き》りて寐よ。この鐵壁をば吼《たけ》る獅子《しゝ》も越えずといふ。神を祈らば、あのマリウチアの腐女《くさりをんな》が、そちにも我にも難儀を掛けたるを訴へて、毒に中《あた》り、惡瘡を發するやうに呪へかし。おとなしく寐よ。小窓をば開けておくべし。涼風《すゞかぜ》は夕餉《ゆふげ》の半といふ諺あり。蝙蝠《かはほり》をなおそれそ。かなたこなたへ飛びめぐれど、入るものにはあらず。神の子と共に熟寐《うまい》せよ。斯く云ひ畢《をは》りて、をぢは戸を鎖《と》ぢて去りぬ。
をぢの部屋には久しく立ち働く音聞えしが、今は人あまた集《つど》へりと覺しく、さま/″\の聲して、戸の隙《ひま》よりは光もさしたり。部屋のさまは見まほしけれど、枯れたる玉蜀黍の莢のさわ/\と鳴らば、おそろしきをぢの又入來ることもやと、いと徐《しづか》に起き上りて、戸の隙に目をさし寄せつ。燈心は二すぢともに燃えたり。卓には麺包《パン》あり、莱※[#「くさかんむり/服」、第4水準2-86-29]《だいこん》あり。一瓶の酒を置いて、丐兒《かたゐ》あまた杯《さかづき》のとりやりす。一人として畸形《かたは》ならぬはなし。いつもの顏色には似もやらねど、知らぬものにはあらず。晝はモンテ、ピンチヨオに二重傍線]の草を褥《しとね》とし、繃帶したる頭を木の幹によせかけ、僅に唇を搖《うごか》すのみにて、傍に侍《はべ》らせたる妻といふ女に、熱にて死に垂《なん/\》としたる我夫を憐み給へ、といはせたるロレンツオは、高趺《たかあぐら》かきて面白げに饒舌《しやべ》り立てたり。には公園あり。西班牙《スパニヤ》磴《いしだん》、法蘭西《フランス》大學院よりポルタ、デル、ポヽロに至る。羅馬の市の過半とヰルラ、ボルゲエゼの内苑とはこゝより見ゆ。)十指墮ちたるフランチアは盲婦カテリナが肩を叩きて、「カワリエエレ、トルキノ」の曲を歌へり。戸に近き二人三人は蔭になりて見えわかず。話は我上なり。我胸は騷ぎ立ちぬ。あの小童《こわつぱ》物の用に立つべきか、身内に何の畸形《かたは》なるところかある、と一人云へば、をぢ答へて。聖母は無慈悲にも、創一つなく育たせしに、丈《たけ》伸びて美しければ、貴族の子かとおもはるゝ程なりといふ。幸《さち》なきことよ、と皆口々に笑ひぬ。瞽《めしひ》たるカテリナのいふやう。さりとて聖母の天上の飯を賜《たま》ふまでは、此世の飯をもらふすべなくては叶はず。手にもあれ、足にもあれ、人の目に立つべき創つけて、我等が群に入れよといふ。をぢ。否※[#二の字点、1-2-22]母親だに迂闊ならずば、今日を待たず、善き金の蔓となすべかりしものを。神の使のやうなる善き聲なり。法皇の伶人には恰好なる童なり。人々は我齡を算へ、我がために作《な》さでかなはぬ事を商量したり。その何事なるかは知らねど、善きことにはあらず。奈何《いかに》してこゝをば※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《のが》れむ。われは穉心《をさなごころ》にあらん限りの智慧を絞り出しつ。固《もと》よりいづこをさして往かんと迄は、一たびも思ひ計らざりき。鋪板《ゆか》を這ひて窓の下にいたり、木片《きのきれ》ありしを踏臺にして窓に上りぬ。家は皆戸を閉ぢたり。街には人行絶えたり。※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]るゝには飛びおるゝより外に道なし。されどそれも恐ろし。とつおいつする折しも、この挾き間の戸ざしに手を掛くる如き音したれば、覺えず窓縁《まどぶち》をすべりおちて、石垣づたひに地に墜《お》ちぬ。身は少し痛みしが、幸にこゝは草の上なりき。
跳ね起きて、いづくを宛《あて》ともなく、狹く曲りたる巷《ちまた》を走りぬ。途にて逢ひたるは、杖もて敷石を敲《たゝ》き、高聲にて歌ふ男一人のみなりき。しばらくして廣きところに出でぬ。こゝは見覺あるフオヽルム、ロマアヌムなりき。常は牛市と呼ぶところなり。
露宿、わかれ
月はカピトリウム(羅馬七陵の一)の背後を照せり。セプチミウス・セヱルス帝の凱旋門に登る磴《いしだん》の上には、大外套被りて臥したる乞兒《かたゐ》二三人あり。古《いにしへ》の神殿のなごりなる高き石柱は、長き影を地上に印せり。われはこの夕まで、日暮れてこゝに來しことなかりき。鬼氣は少年の衣を襲へり。歩をうつす間、高草の底に横はりたる大理石の柱頭に蹶《つまづ》きて倒れ、また起き上りて帝王堡《ていわうはう》の方を仰ぎ見つ。高き石がきは、纏《まつ》はれたる蔦かづらのために、いよゝおそろし氣《げ》なり。青き空をかすめて、ところ/″\に立てるは、眞黒《まくろ》におほいなるいとすぎの木なり。毀《こぼ》れたる柱、碎けたる石の間には、放飼《はなしがひ》の驢《うさぎうま》あり、牛ありて草を食《は》みたり。あはれ、こゝには猶我に迫り、我を窘《くるし》めざる生物こそあれ。
月あきらかなれば、物として見えぬはなし。遠き方より人の來り近づくあり。若し我を索《もと》むるものならば奈何せん。われは巨巖の如くに我前に在る「コリゼエオ」に匿《かく》れたり。われは猶きのふ落《らく》したる如き重廊の上に立てり。こゝは暗くして且《また》冷《ひやゝか》なり。われは二あし三あし進み入りぬ。されど谺響《こだま》にひゞく足音《あのと》おそろしければ、徐《しづか》に歩を運びたり。先の方には焚火する人あり。三人の形明に見ゆ。寂しきカムパニアの野邊を夜更けては過ぎじとて、こゝに宿りし農夫にやあらん。さらずばこゝを戍《まも》る兵土にや。はた盜《ぬすびと》にや。さおもへば打物の石に觸るゝ音も聞ゆる如し。われは却歩《あとしざり》して、高き圓柱の上に、木梢《こずゑ》と蔦蘿《つたかづら》とのおほひをなしたるところに出でぬ。石がきの面をばあやしき影往來す。處々に抽《ぬ》け出でたる截石《きりいし》の將《まさ》に墜《おち》んとして僅に懸りたるさま、唯だ蔓草にのみ支へられたるかと疑はる。
上の方なる中の廊を行く人あり。旅人の此古跡の月を見んとて來ぬるなるべし。その一群のうちには白き衣着たる婦人あり。案内者に續松《ついまつ》とらせて行きつゝ、柱しげき間に、忽ち顯《あらは》れ忽ち隱るゝ光景今も見ゆらん心地す。
暗碧なる夜は大地を覆ひ來たり、高低さまざまなる木は天鵝絨《びろうど》の如き色に見ゆ。一葉ごとに夜氣を吐けり。旅人のかへり行くあとを見送りて、ついまつの赤き光さへ見えずなりぬる時、あたりは闃《げき》として物音絶えたり。この遺址《ゐし》のうちには、耶蘇教徒が立てたる木卓あまたあり。その一つの片かげに、柱頭ありて草に埋もれたれば、われはこれに腰掛けつ。石は氷の如く冷なるに、我頭の熱さは熱を病むが如くなりき。寐られぬまゝに思ひ出づるは、この「コリゼエオ」の昔語なり。猶太《ユダヤ》教奉ずる囚人が、羅馬の帝《みかど》の嚴しき仰によりて、大石を引き上げさせられしこと、この平地にて獸を鬪はせ、又人と獸と相|搏《う》たせて、前低く後高き廊の上より、あまたの市民これを觀きといふ事、皆我當時の心頭に上りぬ。
そも/\この「コリゼエオ」は楕圓なる四層のたてものにして、「トラヱルチイノ」石もてこれを造る。層ごとに組かたを殊にす。「ドロス」、「イオン」、「コリントス」の柱の式皆備はりたり。基督生れてより七十餘年の後、ヱスパジアヌス[#「ヱスパジアヌス」に傍線]帝の時、この工事を起しつ。これに役せられたる猶太教徒の數一萬二千人とぞ聞えし。櫛形の迫持《せりもち》八十ありて、これをめぐれば千六百四十一歩。平地の周匝《めぐり》には八萬六千坐を設け、頂に二萬人を立たしむべかりきといふ。今はこゝにて基督教の祭儀を執行せしむ。バイロン卿詩あり。
この場《には》のあらん限は
内日《うちひ》刺《さ》す都もあらん
このにはのなからん時は
うちひさす都もあらじ
うちひさす都あらずば
/\この世間《よのなか》もあらじとぞおもふ
頭の上にあたりて物音こそすれ。見あぐれば物の動くやうにこそおもはるれ。影の如き人ありて、椎《つち》を揮《ふる》ひ石をたゝむが如し。その人を見れば、色蒼ざめて黒き髯長く生ひたり。これ話に聞きし猶太教徒なるべし。積み疊ぬる石は見る見る高くなりぬ。「コリゼエオ」は再び昔のさまに立ちて、幾千萬とも知られぬ人これに滿ちたり。長き白き衣着たるヱスタ[#「ヱスタ」に傍線]の神の巫女《みこ》あり。帝王の座も設けられたり。赤條々《あかはだか》なる力士の血を流せるあり。低き廊の方より叫ぶ聲、吼《ほ》ゆる聲聞ゆ。忽ち虎豹の群ありて我前を奔《はし》り過ぐ。我はその血ばしる眼を見、その熱き息に觸れたり。あまりのおそろしさに、かの柱頭にひたと抱きつきて、聖母の御名をとなふれども、物騷がしさは未だ止まず。この怪しき物共の群《むらが》りたる間にも、幸なるかな、大なる十字架の屹《きつ》として立てるあり。こはわがこゝを過ぐるごとに接吻したるものなり。これを目當に走り寄りて、緊《しか》と抱きつくほどに、石落ち柱倒れ、人も獸もあらずなりて、我は復《ま》た人事をしらず。
人心地つきたる時は、熱すでに退きたれど、身は尚いたく疲れて、われはかの木づくりの十字架の下に臥したり。あたりを見るに、怪しき事もなし。夜は靜にして、高き石垣の上には鶯鳴けり。われは耶蘇をおもひ、その母をおもひぬ。わが母上は今あらねば、これよりは耶蘇の母ぞ我母なるべき。われは十字架を抱きて、その柱に頭を寄せて眠りぬ。
幾時をか眠りけん。歌の聲に醒《さ》むれば、石垣の頂には日の光かゞやき、「カツプチノ」僧二三人蝋燭を把《と》りて卓より卓に歩みゆきつゝ、「キユリエ、エレイソン」(主よ、憫《あはれ》め)と歌へり。僧は十字架に來り近づきぬ。俯して我面を見るものは、フラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]なりき。わが色蒼ざめてこゝにあるを訝《いぶか》りて、何事のありしぞと問ひぬ。われはいかに答へしか知らず。されどペツポ[#「ペツポ」に傍線]のをぢの恐ろしさを聞きたるのみにて、僧は我上を推し得たり。我は衣の袖に縋りて、我を見棄て給ふなと願ひぬ。連なる僧もわれをあはれと思へる如し。かれ等は皆我を知れり。われはその部屋をおとづれ、彼等と共に寺にて歌ひしことあり。
僧は我を伴ひて寺に歸りぬ。壁に木板の畫を貼《てう》したる房に入り、檸檬《リモネ》樹の枝さし入れたる窓を見て、われはきのふの苦を忘れぬ。フラア・マルチノ[#「フラア・マルチノ」に傍線]は我をペツポが許へは還《かへ》さじと誓ひ給へり。同寮の僧にも、このちごをば蹇《あしな》へたる丐兒《かたゐ》にわたされずとのたまふを聞きつ。
午のころ僧は莱※[#「くさかんむり/服」、第4水準2-86-29]《あほね》、麪包《パン》、葡萄酒を取り來りて我に飮啖《いんたん》せしめ、さて容《かたち》を正していふやう。便《びん》なき童よ。母だに世にあらば、この別《わかれ》はあるまじきを。母だに世にあらば、この寺の内にありて、尊き御蔭を被り、安らかに人となるべかりしを。今は是非なき事となりぬ。そちは波風荒き海に浮ばんとす。寄るところは一ひらの板のみ。血を流し給へる耶蘇、涙を墮《おと》し給ふ聖母をな忘れそ。汝が族《うから》といふものは、その外にあらじかし。此詞を聞きて、われは身を震はせ、さらば我をばいづかたにか遣らんとし給ふと問ひぬ。これより僧は、われをカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野なる牧者夫婦にあづくること、二人をば父母の如く敬ふべき事、かねて教へおきし祈祷の詞を忘るべからざる事など語り出でぬ。夕暮にマリウチアと其父とは寺門迄迎へに來ぬ。僧はわれを伴ひ出でゝ引き渡しつ。この牧者のさまを見るに、衣はペツポ[#「ペツポ」に傍線]のをぢのより舊《ふ》りたるべし。塵を蒙り、裂けやぶれたる皮靴を穿《は》き、膝を露《あらは》し、野の花を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]したる尖帽《せんばう》を戴けり。かれは跪《ひざまづ》きて僧の手に接吻し、我を顧みて、かゝる美しき童なれば、我のみかは、妻も喜びてもり育てんと誓ひぬ。マリウチアは財嚢を父にわたしつ。われ等四人はこれより寺に入りて、人々皆默祷す。われも共に跪きしが、祈祷の詞は出でざりき。我眼は久しき馴染《なじみ》の諸像を見たり。戸の上高きところを舟に乘りてゆき給ふ耶蘇、贄卓《にへづくゑ》の神の使、美しきミケル[#「ミケル」に傍線]はいふもさらなり、蔦かづらの環を戴きたる髑髏《どくろ》にも暇乞しつ。別に臨みて、フラア・マルチノは手を我頭上に加へ、晩餐式施行法(モオドオ、ヂ、セルヰレ、ラ、サンクタ、メツサア)と題したる、繪入の小册子を贈《おく》りぬ。
既に別れて、ピアツツア、バルベリイニの街を過ぐとて、仰いで母上の住み給ひし家をみれば、窓といふ窓悉く開け放たれたり。新しきあるじを待つにやあらん。
曠野《あらの》
羅馬城のめぐりなる大曠野《だいくわうや》は、今我すみかとなりぬ。古跡をたづね、美術を究めんと、初てテヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]河畔の古都に近づくものは、必ずこの荒野に歩をとゞめて、これを萬國史の一ひらと看做《みな》すなり。起《た》てる丘、伏したる谷、おほよそ眼に觸るゝもの、一つとして史册中の奇怪なる古文字にあらざるなし。畫工の來るや、古の水道のなごりなる、寂しき櫛形|迫持《せりもち》を寫し、羊の群を牽《ひき》ゐたる牧者を寫し、さてその前に枯れたる薊《あざみ》を寫すのみ。歸りてこれを人に示せば、看るもの皆めでくつがへるなるべし。されど我と牧者とは、おの/\其情を殊にせり。牧者は久しくこゝに住ひて、この焦《こが》れたる如き草を見、この熱き風に吹かれ、こゝに行はるゝ疫癘《えやみ》に苦められたれば、唯だあしき方、忌まはしき方のみをや思ふらん。我は此景に對して、いと面白くぞ覺えし。平原の一面たる山々の濃淡いろいろなる緑を染め出したる、おそろしき水牛、テヱエルの黄なる流、これを溯《さかのぼ》る舟、岸邊を牽かるゝ軛《くびき》負《お》ひたる牧牛、皆目新しきものゝみなりき。われ等は流に溯りて行きぬ。足の下なるは丈低く黄なる草、身のめぐりなるは莖長く枯れたる薊のみ。十字架の側を過ぐ。こは人の殺されたるあとに立てしなり。架《か》に近きところには、盜人の屍の切り碎きて棄てたるなり。隻腕《かたうで》、隻脚《かたあし》は猶その形を存じたり。それさへ心を寒からしむるに、我|栖《すみか》はこゝより遠からずとぞいふなる。
此家は古の墳墓の址《あと》なり。この類《たぐひ》の穴こゝらあれば、牧者となるもの大抵これに住みて、身を戍《まも》るにも、又身を安んずるにも、事足れりとおもへるなり。用なき窪《くぼみ》をば填《う》め、いらぬ罅《すきま》をば塞ぎ、上に草を葺《ふ》けば、家すでに成れり。我牧者の家は丘の上にありて兩層あり。隘《せば》き戸口なるコリントスに二重傍線]がたの柱は、當初墳墓を築きしときの面影なるべし。石垣の間なる、幅廣き三條の柱は、後の修繕ならん。おもふに中古は砦《とりで》にやしたりけん。戸口の上に穴あり。これ窓なるべし。屋根の半は葦簾《よしすだれ》に枯枝をまじへて葺き、半は又枝さしかはしたる古木をその儘に用ゐたるが、その梢よりは忍冬《にんどう》(カプリフオリウム)の蔓長く垂れて石垣にかゝりたり。
こゝが家ぞ、と途すがら一言も物いはざりしベネデツトオ告げぬ。われは怪しげなる家を望み、またかの盜人の屍をかへり見て、こゝに住むことか、と問ひかへしつ。翁《おきな》にドメニカ、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]と呼ばれて、荒※[#「栲」のおいがしらの下が「丁」、第4水準2-14-59]《あらたへ》の汗衫《はだぎ》ひとつ着たる媼《おうな》出《い》でぬ。手足をばことごとく露《あらは》して髮をばふり亂したり。媼は我を抱き寄せて、あまたゝび接吻す。夫の詞少きとはうらうへにて、この媼はめづらしき饒舌《ぜうぜつ》なり。そなたは薊生ふる沙原より、われ等に授けられたるイスマエル(亞伯拉罕《アブラハム》の子)なるぞ。されどわが饗應《もてなし》には足らぬことあらせじ。天上なる聖母に代りて、われ汝を育つべし。臥床《ふしど》はすでにこしらへ置きぬ。豆も烹《に》えたるべし。ベネデツトオに傍線]もそなたも食卓に就け。マリウチアはともに來ざりしか。尊き爺《てゝ》(法皇)を拜まざりしか。※[#「酉+奄」、第3水準1-92-87]豚《ラカン》をば忘れざりしならん。眞鍮の鉤《かぎ》をも。新しき聖母の像をも。舊きをば最早形見えわかぬ迄接吻したり。ベネデツトオ[よ。おん身ほど物覺好き人はあらじ。わがかはゆきベネデツトオよ。かく語りつゞけて、狹き一間に伴ひ入りぬ。後にはこの一間、わがためには「ワチカアノ」(法皇の宮)の廣間の如く思はれぬ。おもふに我詩才を産み出ししは、此ひとつ家ならんか。
若き棕櫚《しゆろ》は重《おもき》を負ふこといよ/\大にして、長ずることいよ/\早しといふ。我空想も亦この狹き處にとぢ込められて、却《かへ》りて大に發達せしならん。古の墳墓の常とて、此家には中央なる廣間あり。そのめぐりには、許多《あまた》の小龕《せうがん》並びたり。又二重の幅|闊《ひろ》き棚あり。處々色かはりたる石を甃《たゝ》みて紋を成せり。一つの龕をば食堂とし、一つには壺鉢などを藏し、一つをば廚《くりや》となして豆を煮たり。
老夫婦は祈祷して卓に就けり。食|畢《をは》りて媼は我を牽《ひ》きて梯《はしご》を登り、二階なる二|龕《がん》にいたりぬ。是れわれ等三人の臥房《ねべや》なり。わが龕は戸口の向ひにて、戸口よりは最も遠きところにあり。臥床の側には、二條の木を交叉《くひちが》はせて、其間に布を張り、これにをさな子一人寐せたり。マリウチアが子なるべし。媼が我に「アヱ、マリア」唱へしむるとき、美しき色澤《いろつや》ある蜥蝪《とかげ》我が側を走り過ぎぬ。おそろしき物にはあらず、人をおそれこそすれ、絶てものそこなふものにはあらず、と云ひつゝ、かの穉兒をおのが龕のかたへ遷《うつ》しつ。壁に石一つ抽《ぬ》け落ちたるところあり。こゝより青空見ゆ。黒き蔦《つた》の葉の鳥なんどの如く風に搖らるゝも見ゆ。我は十字を切りて眠に就きぬ。亡《な》き母上、聖母、刑せられたる盜人の手足、皆わが怪しき夢に入りぬ。
翌朝より雨ふりつゞきて、戸は開けたれどいと闇き小部屋に籠り居たり。わが帆木綿の上なる穉子をゆすぶる傍にて、媼は苧《を》うみつゝ、我に新しき祈祷を教へ、まだ聞かぬ聖《ひじり》の上を語り、またこの野邊に出づる劫盜《ひはぎ》の事を話せり。劫盜は旅人を覗《ねら》ふのみにて、牧者の家|抔《など》へは來ることなしとぞ。食は葱、麺包《パン》などなり。皆|旨《うま》し。されど一間にのみ籠り居らんこと物憂きに堪へねば、媼は我を慰めんとて、戸の前に小溝を掘りたり。この小テヱエル河は、をやみなき雨に黄なる流となりて、いと緩やかにながるめり。さて木を刻み葦を截りて作りたるは羅馬よりオスチア河口の港にかよふなる帆かけ舟なり。雨あまり劇《はげ》しきときは、戸をさして闇黒裡に坐し、媼は苧をうみ、われは羅馬なる寺のさまを思へり。舟に乘りたる耶蘇は今面前に見ゆる心地す。聖母の雲に駕《の》りて、神の使の童供に舁《か》かせ給ふも見ゆ。環かざりしたる髑髏《されかうべ》も見ゆ。
雨の時過ぐれば、月を踰《こ》ゆれども曇ることなし。われは走り出でゝ遊びありくに、媼は戒《いまし》めて遠く行かしめず、又テヱエル[#「テヱエル」に二重傍線]の河近く寄らしめず。この岸は土|鬆《ゆる》ければ、踏むに從ひて頽《くづ》るることありといへり。そが上、岸近きところには水牛あまたあり。こは猛き獸にて、怒るときは人を殺すと聞く。されど我はこの獸を見ることを好めり。蠎蛇《をろち》の鳥を呑むときは、鳥自ら飛びて其|咽《のんど》に入るといふ類にやあらん。この獸の赤き目には、怪しき光ありて、我を引き寄せんとする如し。又此獸の馬の如く走るさま、力を極めて相鬪ふさま、皆わがために興ある事なりき。我は見たるところを沙《すな》に畫き、又歌につゞりて歌ひぬ。媼は我聲のめでたきを稱《たゝ》へて止まず。
時は暑に向ひぬ。カムパニアの野は火の海とならんとす。瀦水《たまりみづ》は惡臭を放てり。朝夕のほかは、戸外に出づべからず。かゝる苦熱はモンテ、ピンチヨオにありし身の知らざる所なり。かしこの夏をば、我猶|記《おぼ》えたり。乞兒《かたゐ》は人に小銅貨をねだり、麪包《パン》をば買はで氷水を飮めり。二つに割りたる大西瓜の肉赤く核《さね》黒きは、いづれの店にもありき。これをおもへば唾《つ》湧《わ》きて堪へがたし。この野邊にては、日光ますぐに射下せり。我が立てる影さへ我脚下に沒せんばかりなり。水牛は或は死せるが如く枯草の上に臥し、或は狂せるが如く驅けめぐりたり。われは物語に聞ける亞弗利加《アフリカ》沙漠の旅人になりたらんやうにおもひき。
大海の孤舟にあるが如き念をなすこと二月間、何の用事をも朝夕の涼しき間に濟ませ、終日我も出でず人も來ざりき。※[#「火+共」、第3水準1-87-42]《や》く如き熱、腐りたる蒸氣の中にありて、我血は湧きかへらんとす。沼は涸れたり。テヱエルの黄なる水は生温《なまぬる》くなりて、眠たげに流れたり。西瓜の汁も温し。土石の底に藏したる葡萄酒も酸《す》くして、半ば烹《に》たる如し。我喉は一滴の冷露を嘗むること能はざりき。天には一纖雲なく、いつもおなじ碧色にて、吹く風は唯だ熱き「シロツコ」(東南風)のみなり。われ等は日ごとに雨を祈り、媼は朝夕山ある方を眺めて、雲や起ると待てども甲斐なし。蔭あるは夜のみ。涼風の少しく動くは日出る時と日入る時とのみ。われは暑に苦み、この變化なき生活に倦《う》みて、殆ど死せる如くなりき。風少しく動くと覺ゆるときは、蠅|蚋《ぶよ》なんど群がり來りて人の肌を刺せり。水牛の背にも、昆蟲|聚《あつま》りて寸膚を止めねば、時々怒りて自らテヱエルの黄なる流に躍り入り、身を水底に滾《まろが》してこれを攘《はら》ひたり。羅馬の市にて、闃然《げきぜん》たる午時《ひるどき》の街を行く人は、綫《すぢ》の如き陰影を求めて夏日の烈しきをかこつと雖《いへども》、これをこの火の海にたゞよひ、硫黄氣ある毒※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]を呼吸し、幾萬とも知られぬ惡蟲に膚を噛まるゝものに比ぶれば、猶是れ樂土の客ならんかし。
九月になりて氣候やゝ温和になりぬ。フエデリゴはこの燒原を畫かんとて來ぬ。我が住める怪しき家、劫盜《ひはぎ》の屍《かばね》をさらしたる處、おそろしき水牛、皆其筆に上りぬ。我には紙筆を與へて畫の稽古せよと勸め、又折もあらば迎へに來て、フラア・マルチノ、マリウチア其外の人々に逢はせばやと契りおきぬ。惜むらくはこの人久しく約を履《ふ》まざりき。
水牛
十一月になりぬ。こゝに來しより最《もつとも》快き時節なり。爽《さはやか》なる風は山々よりおろし來ぬ。夕暮になれば、南の國ならでは無しといふ、たゞならぬ雲の色、目を驚かすやうなり。こは畫工のえうつさぬところなるべく、また敢て寫さぬものなるべし。あめ色の地に、橄欖《かんらん》(オリワ)の如く緑なる色の雲あるをば、樂土の苑囿《ゑんいう》に湧き出でたる山かと疑ひぬ。又|夕映《ゆふばえ》の赤きところに、暗碧なる雲の浮べるをば、天人の居る山の松林ならんと思ひて、そこの谷かげには、美しき神の童あまた休みゐ、白き翼を扇の如くつかひて、みづから涼を取るらんとおもひやりぬ。或日の夕ぐれ、いつもの如く夢ごゝろになりてゐたるが、ふと思ひ付きて、鍼《はり》もて穿《うが》ちたる紙片を目にあて、太陽を覗きはじめつ。ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]これを見つけて、そは目を傷《そこな》ふわざぞとて日の見えぬやうに戸をさしつ。われ無事に苦みて、外に出でゝ遊ばんことを請《こ》ひ、許《ゆるし》をえたる嬉しさに、門のかたへ走りゆき、戸を推し開きつ。その時一人の男|遽《あわた》だしく驅け入りて、門口に立ちたる我を撞《つ》きまろばし、扉をはたと閉ぢたり。われは此人の蒼ざめたる面を見、その震ふ唇より洩れたる「マドンナ」(聖母)といふ一聲を聞きも果てぬに、おそろしき勢にて、外より戸を衝《つ》くものあり。裂け飛んだる板は我頭に觸れんとせり。その時戸口を塞《ふさ》ぎたるは、血ばしる眼《まなこ》を我等に注ぎたる、水牛の頭なりき。ドメニカはあと叫びて、我手を握り、上の間にゆく梯《はしご》を二足三足のぼりぬ。逃げ込みたる男は、あたりを見※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]はし、ベネデツトオが銃の壁に掛かりたるを見出しつ。こは賊なんどの入らん折の備にとて、丸《たま》をこめおきたるなり。男は手早く銃を取りぬ。耳を貫く響と共に、烟は狹き家に滿ちわたれり。われは彼男の烟の中にて、銃把を擧げて、水牛の額を撃つを見たり。獸は隘《せば》き戸口にはさまりて前にも後にもえ動かざりしなり。
こは何事をかし給ふ。君は物の命を取り給ひぬ。この詞はドメニカが纔《わづか》にわれにかへりたる口より出でぬ。かの男。否聖母の惠なりき。我等が命を拾ひぬとこそおもへ。さて我を抱き上げて、されどわがために戸を開きしはこの恩人なりといひき。男の面は猶蒼く、額の汗は玉をなしたり。その語を聞くに外國人にあらず。その衣を見るに羅馬の貴人とおぼし。この人草木の花を愛《め》づる癖あり。けふも採集に出でゝ、ポンテ、モルレにて車を下り、テヱエル河に沿ひてこなたへ來しに、圖らずも水牛の群にあひぬ。その一つ、いかなる故にか、群を離れて衝《つ》き來たりしが、幸にこの家の戸開きて、危き難を免れきとなり。ドメニカ聞きて。さらばおん身を救ひしは、疑もなく聖母のおんしわざなり。この童は聖母の愛でさせ給ふものなれば、それに戸をば開かせ給ひしなり。おん身はまだ此童を識り給はず。物讀むことには長《た》けたれば、書きたるをも、印《お》したるをも、え讀まずといふことなし。畫かくことを善くして、いかなる形のものをも、明にそれと見ゆるやうに寫せり。「ピエトロ」寺の塔をも、水牛をも、肥えふとりたるパアテル・アムブロジオ(僧の名)をもゑがきぬ。聲は類なくめでたし。おん身にかれが歌ふを聞かせまほし。法皇の伶人もこれには優らざるべし。そが上に性《さが》すなほなる兒なり。善き兒なり。子供には譽めて聞かすること宜しからねば、その外をば申さず。されどこの子は、譽められても好き子なりといふ。客。この子の穉《をさな》きを見れば、おん身の腹にはあらざるべし。ドメニカ。否、老いたる無花果《いちじゆく》の木には、かかる芽は出でぬものなり。されど此世には、この子の親といふもの、われとベネデツトオとの外あらず。いかに貧くなりても、これをば育てむと思ひ侍り。そは兎《と》まれ角《かく》まれ、この獸をばいかにせん。(頭より血流るゝ、水牛の角を握りて。)戸口に挾まりたれば、たやすく動くべくもあらず。ベネデツトオの歸るまでは、外に出でんやうなし。こを殺しつとて、咎めらるゝことあらば、いかにすべき。客。そは心安かれ。あるじの老女《おうな》も聞きしことあるべきが、われはボルゲエゼの族《うから》なり。媼。いかでか、と答へて衣に接吻せんとせしに、客はその手をさし出して吸はせ、さて我手を兩の掌の間に挾みて、媼にいふやう。あすは此子を伴ひて、羅馬に來よ。われはボルゲエゼの館《やかた》に住めり。ドメニカは忝《かたじけな》しとて涙を流しつ。
ドメニカはわが日ごろ書き棄てたる反古《ほご》あまた取り出でゝ、客に示しゝに、客は我頬を撫で、小きサルワトル・ロオザに傍線](名高き畫工)よと讚め稱へぬ。媼。まことに宣《のたま》ふ如し。穉きものゝ業《わざ》としては、珍しくは候はずや。それ/\の形明に備はりたり。この水牛を見給へ。この舟を見給へ。こはまた我等の住める小家なり。こは我姿を寫したるなり。鉛筆なれば、色こそ異なれ、わが姿のその儘ならずや。又我に向ひて、何にもあれ、この御方に歌ひて聞せよ。自ら作りて歌ふが好し。この童は長き物語、こまやかなる法話をさへ、歌に作りて歌ひ侍り。年|長《た》けたる僧にも劣らじと覺ゆ。客は我等二人のさまを見て、おもしろがり、我には疾《と》く歌ひて聞せよ、と勸めつ。われは常の如く遠慮なく歌ひぬ。媼は常の如くほめそやしつ。されど其歌をば記憶せず。唯だ聖母、貴き客人、水牛の三つをくりかへしたるをば未だ忘れず。客は默坐して聽きゐたり。媼はそのさまを見て、童の才に驚きて詞なきならんと推し量《はか》りつ。
歌ひ畢《をは》りしとき、客は口を開きていふやう。さらば明日疾くその子を伴ひ來よ。否、夕暮のかたよろしからん。「アヱ、マリア」の鐘鳴る時より、一時ばかり早く來よ。さて我は最早|退《まか》るべきが、いづくよりか出づべき。水牛の塞ぎたる口の外、この家には口はなきか。又こゝを出でゝ車まで行かんに、水牛に追はるゝやうなる虞《おそれ》なからしめんには、いかにして好かるべきか。媼。かしこの壁に穴ありて、それより這ひ出づるときは、石垣も高からねば、すべりおりんこと難からず。わが如き老いたるものも、かしこより出入すべく覺え侍り。されど貴きおん方を案内しまゐらすべき口にはあらず。客は聞きも果てず、梯を上りて、穴より頭を出し、外の方を覗きていふやう。否、善き降口なり。「カピトリウム」に降りゆく階段にも讓らず。水牛の群は河のかたに遠ざかりぬ。道には眠たげなる百姓あまた、籘《とう》の束積みたる車を、馬に引かせて行けり。あの車に沿ひゆかば、また水牛に襲はるとも身を匿《かく》すに便よからん。かく見定めて、客は媼に手を吸はせ、わが頬を撫で、再びあすの事を契りおきて、茂れる蔦かづらの間をすべりおりぬ。われは窓より見送りしが、客は間もなく籘の車に追ひすがりて、百姓の群と倶《とも》に見えずなりぬ。
みたち
牧者二三人の※[#「邦/巾」、第4水準2-8-86]《たすけ》を得て、ベネデツトオは戸口なる水牛の屍《かばね》を取り片付けつ。その日の物語は止むときなかりしかど、今はよくも記《おぼ》えず。翌朝疾く起きいでゝ、夕暮に都に行かんと支度に取り掛りぬ。數月の間行李の中に鎖されゐたる我|晴衣《はれぎ》はとり出されぬ。帽には美しき薔薇の花を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]したり。身のまはりにて、最も怪しげなりしは履《はき》ものなり。靴とはいへど羅馬の鞋《サンダラ》に近く覺えられき。
カムパニアの野道の遠かりしことよ。その照る日の烈しかりしことよ。ポヽロの廣こうぢに出でゝ、記念塔のめぐりなる石獅の口より吐ける水を掬《むす》びて、我涸れたる咽《のんど》を潤《うるほ》しゝが、その味は人となりて後フアレルナ、チプリイの酒なんどを飮みたるにも増して旨かりき。〔北より羅馬に入るものは、ポルタア、デル、ポヽロの關を入りて、ピアツツア、デル、ポヽロといふ美しく大なる廣こうぢに出づ。この廣こうぢはテヱエル山との間にあり。兩側にはいとすぎ、亞刺比亞《アラビア》護謨《ゴム》の木(アカチア)茂りあひて、その下かげに今樣なる石像、噴水などあり。中央には四つの石獅に圍まれたる、セソストリス[時代の記念塔あり。前には三條の直道あり。即ちヰア、バブヰノ[#「ヰア、バブヰノ」に二重傍線]、イル、コルソオなり。の兩角をなしたるは、同じ式に建てたる兩|伽藍《がらん》なり。歐羅巴《ヨオロツパ》に都會多しと雖、古羅馬のピアツツア、デル、ポヽロほど晴やかなるはあらじ。〕我は熱き頬を獅子の口に押し當て、水を頭に被りぬ。衣や潤《うるほ》はん、髮や亂れん、とドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]は氣遣ひぬ。ヰア、リペツタを下りゆきて、ボルゲエゼの館に近づきぬ。我もドメニカも、此館の前をば幾度となく過《よぎ》りしかど、けふ迄は心とめて見しことなし。今歩を停めて仰ぎ見れば、その大さ、その豐さ、その美しさ、譬へんに物なしと覺えき。殊に目を駭《おどろ》かせるは、窓の裡なる長き絹の帷《とばり》なり。あの内にいます君は、いま我等が識る人となりぬ。きのふその君の我家に來給ひし如く、いま我等はそのみたちに入らんとす。斯く思へば嬉しさいかばかりならん。
中庭、部屋々々を見しとき、身の震ひたるをば、われ決して忘れざるべし。あるじの君は我に親し。彼も人なり。我も人なり。然《さ》はあれどこの家居のさまこそ譬へても言はれね。聖《ひじり》と世の常の人との別もかくやあらん。方形をなして、いろ/\なる全身像、半身像を据ゑつけたる、白塗の※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]廊のいと高きが、小き園を繞《めぐ》れるあり。(後にはこゝに瓦を敷きて中庭とせり。)高き蘆薈《ろくわい》、霸王樹《はわうじゆ》なんど、廊の柱に攀《よ》ぢんとす。檸檬樹《リモネ》はまだ日の光に黄金色に染められざる、緑の實を垂れたり。希臘《ギリシヤ》の舞女の形したる像二つあり。力を併《あは》せて、金盤一つさし上げたるがその縁少しく欹《そば》だちて、水は肩に迸《はし》り落ちたり。丈高く育ちたる水草ありて、露けき緑葉もてこの像を掩《おほ》はんとす。烈しき日に燒かれたるカムパニアの瘠土に比ぶるときは、この園の涼しさ、香《かぐは》しさ奈何《いかに》ぞや。
闊《ひろ》き大理石の梯を登りぬ。龕《がん》あまたありて、貴き石像立てり。其一つをば、ドメニカ聖母ならんと思ひ惑ひて、立ち停りてぬかづきぬ。後に聞けば、こはヱスタの像なりき。これも人間の奇《く》しき處女にぞありける。(譯者のいはく。希臘の竈《かまど》の神なり。男神二人に挑《いど》まれて、嫁せずして終りぬと云ひ傳ふ。)飾美しき「リフレア」着たる僮《しもべ》出で迎へつ。その面持《おももち》の優しさには、こゝの間《ま》ごとの大さ、美しさかくまでならずば、我胸の躍ることさへ治りしならん。床は鏡の如き大理石なり。壁といふ壁には、めでたき畫を貼《てふ》したり。その間々には、玻※[#「王+黎」、第3水準1-88-35]《はり》鏡を嵌《は》め、その上に花束、はなの環など持たる神童の飛行せるを畫きたり。又色美しき鳥の、翼を放ちて、赤き、黄なる、さま/″\の木の實を啄《ついば》めるを畫きたるあり。かく華やかなるものをば、今まで見しことあらざりき。
暫し待つほどに、あるじの君出でましぬ。白衣着たる、美しき貴婦人の、大なる敏《さと》き目を我等に注ぎたるを、伴ひ給へり。婦人は我額髮を撫で上げ、鋭けれども優しき目にて、我面を打ち守り、さなり、君を助けしは神のみつかひなり、この見ぐるしき衣の下に、翼はかくれたるべしと宣《のたま》ひぬ。主人。否、この兒の紅なる頬を見給へ。翼の生ゆるまでにはテヱエルの河波あまた海に入るならん。母もこの兒の飛び去らんをば願はざるべし。さにあらずや。この兒を失はんことは、つらかるべし。媼。げにこの兒あらずなりなば、我小家の戸も窓も塞がりたるやうなる心地やせん。我小家は暗く、寂しくなるべし。否、このかはゆき兒には、われえ別れざるべし。婦人。されど今宵しばらくは、別るとも好からん。二三時間立ちて迎へに來よ。歸路は月あかゝるべし。そち達は盜《ぬすびと》を恐るゝことはあらじ。主人。さなり。兒をばしばしこゝにおきて、買ふものあらば買ひもて來よ。斯く云ひつゝ、主人は小き財嚢《かねいれ》をドメニカが手に渡し、猶何事をか語り給ふに、我は貴婦人に引かれて奧に入りぬ。
奧の座敷の美しさ、賓客の貴さに、我魂は奪はれぬ。我はあるは壁に畫ける神童の面の、緑なる草木の間にほゝゑめるを見、あるは日ごろ半ば神のやうにおもひし、紫の韈《くつした》穿《は》ける議官《セナトオレ》、紅の袴着たる僧官《カルヂナアレ》達を見て、おのれがかゝる間に入り、かゝる人に交ることを訝《いぶか》りぬ。殊に我眼をひきしは、一間の中央なる大水盤なり。醜き龍に騎《の》りたる、美しきアモオルの神を据ゑたり。龍の口よりは、水高く迸り出でゝ、又盤中に落ちたり。
貴婦人のこはをぢの命を救ひし兒ぞ、と引き合せ給ひしとき、賓客達は皆ほゝゑみて、我に詞を掛け、議官僧官さへ頷き給ひぬ。法皇の禁軍《まもりのつはもの》の號衣《しるし》を着たる、少《わか》く美しき士官は我手を握りぬ。人々さま/″\の事を問ふに、我は臆することなく答へつ。その詞に、人々或は譽めそやし、或は高く笑ひぬ。主人入り來りて、我に歌うたへといふに、我は喜んで命に從ひぬ。士官は我に報せんとて、泡立てる酒を酌みてわたしゝかば、我何の心もつかで飮み乾さんとせしに、貴婦人|快《はや》く傍より取り給ひぬ。我口に入りしは少許《すこしばかり》なるに、その酒は火の如く※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《ほのほ》の如く、脈々をめぐりぬ。貴婦人はなほ我傍を離れず、笑を含みて立ち給へり。士官我にこの御方の上を歌へと勸めしに、我又喜んで歌ひぬ。何事をか聯《つら》ねけん、いまは覺えず。人々はわが詞の多かりしを、才豐なりと稱へ、わが臆せざるを、心|敏《さと》しと譽めたり。カムパニアなる貧きものゝ子なりとおもへば、世の常なる作をも、天才の爲せるわざの如く、愛《め》でくつがへるなるべし。人々は掌を鳴せり。士官は座の隅なる石像に戴かせたりし、美しき月桂冠を取り來りて、笑みつゝ我頭の上に安んじたり。こは固《もと》より戲謔に過ぎざりき。されどわが幼き心には、其間に眞面目なる榮譽もありと覺えられて、又なく嬉しかりき。我は尚席上にて、マリウチア[#「マリウチア」に傍線]、ドメニカ等に教へられし歌をうたひ、又曠野の中なる古墳の栖家《すみか》、眼の光おそろしき水牛の事など人々に語り聞せつ。時は惜めども早く過ぎて、我は媼に引かれて歸りぬ。くだもの、果子など多く賜り、白銀幾つか兜兒《かくし》にさへ入れられたるわが喜はいふもさらなり、媼は衣服、器什くさ/″\の外、二瓶の葡萄酒をさへ購《あがなひ》ひ得て、幸《さち》ある日ぞとおもふなるべし。夜は草木の上に眠れり。されど仰いでおほ空を見れば、皎々《かう/\》たる望月《もちづき》、黄金の船の如く、藍碧なる青雲の海に泛《うか》びて、焦《こが》れたるカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野邊に涼をおくり降せり。
家に還りてより、優しき貴女の姿、賑はしき拍手の聲、寤寐《ごび》の間斷えず耳目を往來せり。喜ばしきは折々我夢の現《うつゝ》になりて、又ボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の館に迎へらるゝ事なりき。かの貴婦人はわが人に殊なる性を知りておもしろがり給へば、我も亦ドメニカに對する如く、これに對して物語するやうになりぬ。貴婦人はこれを興あることに思ひて、主人の君に我上を譽め給ふ。主人の君も我を愛し給ふ。この愛は、曩《さき》に料《はか》らずも我母上を、おのが車の轍《わだち》にかけしことありと知りてより、愈※[#二の字点、1-2-22]深くなりまさりぬ。逸したる馬の母上を踏|仆《たふ》しゝとき、車の中に居たるは、こゝの主人の君にぞありける。
貴婦人の名をフランチエスカといふ。我を率《ゐ》て宮のうちなる畫堂に入り給ひぬ。美しき畫幀《ぐわたう》に對して、我が穉《をさな》き問、癡《おろか》なる評などするを、面白がりて笑ひ給ひぬ。後人々に我詞を語りつぎ給ふごとに、人々皆聲高く笑はずといふことなし。午前は旅人この堂に滿ちたり。又畫工の來ていろ/\なる畫を寫し取れるもあり。午後になれば、堂中に人影なし。此時フランチエスカの君我を伴ひゆきて、畫ときなどし給ふなり。
特に我心に※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56]《かな》ひしは、フランチエスコ・アルバニが四季の圖なり。「アモレツトオ」といふ者ぞ、と教へられたる、美しき神の使の童どもは、我夢の中より生れ出でしものかと疑はる。その春と題したる畫の中に群れ遊べるさまこそ愛でたけれ。童一人大なる砥《と》を運《めぐら》すあれば、一人はそれにて鏃《やじり》を研ぎ、外の二人は上にありて飛行しつゝも、水を砥の上に灌《そゝ》げり。夏の圖を見れば、童ども樹々のめぐりを飛びかひて、枝もたわゝに實りたる果《このみ》を摘みとり、又清き流を泳ぎて、水を弄《もてあそ》びたり。秋は獵の興を寫せり。手に繼松《ついまつ》取りたる童一人小車の裡《うち》に坐したるを、友なる童子二人牽き行くさまなり。愛はこの優しき獵夫《さつを》に、共に憩ふべき處を指し示せり。冬は童達皆眠れり。美しき女怪水中より出でゝ、眠れる童たちの弓矢を奪ひ、火に投げ入れて焚き棄つ。
神の使の童をば、何故「アモレツトオ」(愛の神童)といふにか。その「アモレツトオ」は、何故|箭《や》を放てる。こは我が今少し詳《つばら》に知らんと願ふところなれど、フランチエスカの君は教へ給はざりき。君の宣ふやう。そは文にあれば、讀みて知れかし。おほよそ文にて知らるゝことは、その外にもいと多し。されど讀みおぼゆる初は、あまり樂しきものにはあらず。汝《そち》は終日|榻《たふ》に坐して、文を手より藉《お》かじと心掛くべし。カムパニアの野にありて、山羊と戲れ、友達を訪はんとて走りめぐることは、叶はざるべし。そちは何事をか望める。かのフアビアニの君のやうなる、美しき軍服に身をかためて、羽つきたる※[#「(矛+攵)/金」、第3水準1-93-30]《かぶと》を戴き、長き劍を佩《は》きて、法皇のみ車の傍を騎《の》りゆかんとやおもふ。さらずば美しき畫といふ畫を、殘なく知り、はてなき世の事を悟り、我が物語りしよりも、※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に面白き物語のあらん限を記《おぼ》えんとや思ふ。我。されど左樣なる人になりては、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]が許には居られぬにや。また御館へは來られぬにや。フランチエスカ。汝は猶母の上をば忘れぬなるべし。初の栖家《すみか》をも忘れぬなるべし。亡き母御にはぐゝまれ、かの栖家にありしときは、ドメニカが事をも、我上をも思はざりしならん。然るに今はドメニカと我と、そちに親きものになりぬ。この交《まじはり》もいつか更《かは》ることあらん。かく更りゆくが人の身の上ぞ。我。されどおん身は、我母上の如く果敢《はか》なくなり給ふことはあらじ。斯く云ひて、我は涙にくれたり。フランチエスカ。死にて別れずば、生きながら分れんこと、すべての人の上なり。そちが我等とかく交らぬやうにならん折、そちが上の樂しく心安かれ、とおもひてこそ、我は今よりそちが發落《なりゆき》を心にかくるなれ。我涙は愈※[#二の字点、1-2-22]繁くなりぬ。我はいかなる故と、明には知らざりしが、斯く諭《さと》されたる時、限なき幸なさを覺えき。フランチエスカは我頬を撫でゝ、我が餘りに心弱きを諫《いさ》め、かくては世に立たんをり、いと便《びん》なかるべしと氣づかひ給ひぬ。この時主人の君は、曾て我頭の上に月桂冠を戴せたるフアビアニといふ士官と倶《とも》に一間に歩み入り給ひぬ。
ボルゲエゼの別墅《べつしよ》に婚禮あり。世に罕《まれ》なるべき儀式を見よ。この風説は或る夕カムパニアなるドメニカがあばら屋にさへ洩れ聞えぬ。フランチエスカの君はかの士官の妻になるべき約を定めて、遠からずフイレンチエなるフアビアニの莊園に遷《うつ》らんとす。儀式あるべき處は羅馬附近の別墅なり。※[#「木+解」、第3水準1-86-22]《かしは》いとすぎ桂など生ひ茂りて、四時緑なる天を戴けり。昔も今も、羅馬人と外國人と、恆《つね》に來り遊ぶ處なり。麗《うるは》しく飾りたる馬車は、緑しげき※[#「木+解」、第3水準1-86-22]の並木の道を走り、白き鵝鳥は、柳の影うつれる靜けき湖を泳ぎ、機泉《しかけのいづみ》は積み累《かさ》ねたる巖の上に迸《ほとばし》り落つ。道傍には、農家の少女ありて、鼓を打ちて舞へり。胸(乳房)ゆたかなる羅馬の女子は、燿《かゞや》く眼にこの樣を見下して、車を驅《か》れり。我もドメニカに引かれて、恩人のけふの祝に、蔭ながら與《あづか》らばやと、カムパニアに二重傍線]を立出で、別墅の苑《その》の外に來ぬ。燈の光は窓々より洩れたり。フランチエスカとフアビアニとは、彼處《かしこ》にて禮を卒《を》へつるなり。家の内より、樂の聲響き來ぬ。苑の芝生に設けたる棧敷《さじき》の邊より、烟火空に閃き、魚の形したる火は青天を翔《かけ》りゆく。偶※[#二の字点、1-2-22]《たま/\》とある高窓の背後に、男女の影うつれり。あれこそ夫婦の君なれと、ドメニカ耳語《さゝや》きぬ。二人の影は相依りて、接吻する如くなりき。ドメニカは合掌して祈祷の詞を唱へつ。我も暗きいとすぎの木の下についゐて、恩人の上を神に祈りぬ。我傍なるドメニカは二人の御上安かれとつぶやきぬ。烟火の星の、數知れず亂れ落るは、我等が祈祷に答ふる如くなりき。されどドメニカは泣きぬ。こは我がために泣くなり。我が遠からず、分れ去るべきをおもひて泣くなり。ボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の主人の君は、「ジエスヰタ」派の學校の一座を買ひて我に取らせ給ひしかば、我はカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野と牧者の媼《おうな》とに別れて、我行末のために修行の門出せんとす。ドメニカは歸路に我にいふやう。我目の明きたるうちに、おん身と此野道行かんこと、今日を限なるべし。ドメニカなどの知らぬ、滑《なめらか》なる床、華やかなる氈《かも》をや、おん身が足は踏むならん。されどおん身は優しき兒なりき。人となりてもその優しさあらば、あはれなる我等夫婦を忘れ給ふな。あはれ、今は猶|果敢《はか》なき燒栗もて、おん身が心を樂ましむることを得るなり。おん身が籘を焚く火を煽《あふ》ぎ、栗のやくるを待つときは、我はおん身が目の中に神の使の面影を見ることを得るなり。かく果敢なき物にて、かく大なる樂をなすことは、おん身忘れ給ふならん。カムパニアの野には薊《あざみ》生ふといへど、その薊には尚紅の花咲くことあり。富貴の家なる、滑《なめらか》なる床には、一|本《もと》の草だに生ひず。その滑なる上を行くものは、蹉《つまづ》き易しと聞く。アントニオよ。一たび貧き兒となりたることを忘るな。見まくほしき物も見られず、聞かまくほしき事も聞かれざりしことを忘るな。さらば御身は世に成りいづべし。我等夫婦の亡からん後、おん身は馬に騎り、又は車に乘りて、昔の破屋をおとづれ給ふこともあらん。その時はおん身に搖《ゆ》られし籃《かご》の中なる兒は、知らぬ牧者の妻となりて、おん身が前にぬかづくならん。おん身は人に驕《おご》るやうにはなり給はじ。その時になりても、おん身は我側に坐して栗を燒き、又籃を搖りたることを思ひ給ふならん。言ひ畢りて、媼は我に接吻し、面を掩ひて泣きぬ。我心は鍼《はり》もて刺さるゝ如くなりき。この時の苦しさは、後の別の時に増したり。後の別の時には、媼は泣きつれど、何事をもいはざりき。既に閾《しきゐ》を出でしとき、媼走り入りて、薫《くゆり》に半ば黒みたる聖母の像を、扉より剥ぎ取りて贈りぬ。こは我が屡※[#二の字点、1-2-22]接吻せしものなり。まことにこの媼が我におくるべきものは、この外にはあらぬなるべし。
學校、えせ詩人、露肆《ほしみせ》
フランチエスの君は夫に隨ひて旅立ち給ひぬ。我は「ジエスヰタ」派の學校の生徒となりたり。わが日ごとの業《わざ》もかはり、われに交る人の面も改まりて、定なき演劇めきたる生涯の端はこゝに開かれぬ。時々刻々の變化のいと繁きに、歳月の遷《うつ》りゆくことの早きことのみぞ驚かれし。當時こそ片々の畫圖となりて我目に觸れつれ、今に至りて首《かうべ》を囘《めぐら》せば、その片々は一幅の大畫圖となりて我前に横はれり。是れわが學校生活なり。旅人の高山の巓《いたゞき》に登り得て、雲霧立ち籠めたる大地を看下すとき、その雲霧の散るに從ひて、忽ち隣れる山の尖《さき》あらはれ、忽ち日光に照されたる谿間《たにま》の見ゆるが如く、我心の世界は漸く開け、漸く擴ごりぬ。カムパニアの野を圍める山に隔てられて、夢にだに見えざりける津々浦々は、次第に浮び出で、歴史はそのところ/″\に人を住はせ、そのところ/″\にて珍らしき昔物語を歌ひ聞せたり。一株の木、一輪の花、いづれか我に興を與へざる。されど最も美しく我前に咲き出でたるは、わが本國なる伊太利なりき。我も一個の羅馬人ぞとおもふ心には、我を興起せしむる力なからんや。我都のうちには、寸尺の地として、我愛を引き、我興を催さゞるものなし。街の傍に棄てられて、今は界《さかひ》の石となりたる、古き柱頭も、わがためには、神聖なる記念なり、わがためには、めでたき音色に心を惱ますメムノンが塔なり。(昔物語にアメノフイスといふ王ありき。エチオピアを領しつるが、希臘のアヒルレエスに滅されぬ。その像を刻める塔、埃及《エヂプト》なるヂオスポリスに立てり、日出日沒ごとに鳴るといひ傳ふ。)テヱエル河に生ふる蘆の葉は風に戰《そよ》ぎて、我にロムルスとレムスとの上を語れり。凱旋門、石の柱、石の像は、皆我心に本國の歴史を刻ましめんとす。我心はつねに古希臘、古羅馬の時代に遊びて、師の賞譽にあづかりぬ。
凡そ政界にも、教界にも、旗亭に集まるものも、富豪の骨牌《かるた》卓《づくゑ》のめぐりに寄るものも、社會といふ社會の限、必ず太郎|冠者《くわじや》のやうなるものありて、もろ人の嘲戲は一身に聚《あつ》まる習なり。學校にも亦此の如き人あり。我等少年生徒の眼は、早くも嘲戲の的《まと》を見出したり。そは我等が教師多かる中にて、最眞面目なる、最怒り易き、最|可笑《をか》しき一人なりき。名をば「アバテ」ハツバス・ダアダアとなんいひける。元と亞拉伯《アラビア》の産《うまれ》なるが、穉《をさな》き時より法皇の教の庭に遷《うつ》されて、こゝに生ひ立ち、今はこの學校の趣味の指南役、テヱエル大學院《アカデミア》の審美上主權者となりぬ。
詩といふ神のめづらしき賜《たまもの》につきては、われ人となりて後、屡※[#二の字点、1-2-22]考へたづねしことあり。詩は深山の裏なる黄金の如くぞおもはるゝ。家庭と學校との教育は、さかしき鑛掘《かねほり》、鑛鋳《かねふき》などのやうに、これを索《もと》め出だし、これを吹き分くるなり。折々は初より淨き黄金にいで逢ふことあり。自然詩人が即興の抒情詩これなり。されど鑛山の出すものは黄金のみにあらず。白銀いだす脈もあり。錫《すゞ》その外|卑《いやし》き金屬を出す脈もあり。その卑きも世に益あるものにしあれば、只管《ひたすら》に言ひ腐《くた》すべきにもあらず。これを磨き、これに鏤《ちりば》むるときは、金とも銀とも見ゆることあらん。されば世の中の詩人には、金の詩人、銀の詩人、銅の詩人、鐵の詩人などありとも謂ふことを得べし。こゝに此列に加はるべきならぬ、埴《はに》もて物作る人ありて、強ひて自ら詩人と稱す。ハツバス・ダアダアは實にその一人なりき。
ハツバス・ダアダアは當時一流の埴瓮《はにべ》つくりはじめて、これを氣象情致の※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に優れたる詩人に擲《な》げ付け、自ら恥づることを知らざりき。字法句法の輕捷《けいせふ》なる、體制音調の流麗なる、詩にあらねども詩とおもはれ、人々の喝采を受けたり。平生ペトラルカを崇《あが》むも、その「ソネツトオ」の音調のみ會し得たるにやあらん。さらずば、矮人《わいじん》觀場なりしか。又狂人にありといふなる固執の妄想か。兎まれ角まれ、ペトラルカとハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]とは似もよらぬ人なるは、爭ひ難かるべし。ハツバス・ダアダアに傍線]は我等にかの亞弗利加《アフリカ》と題したる、長き敍事詩の四分の一を諳誦せしめんとせしかば、幾行の涙、幾下の鞭か、我等が世々のスチピオを怨む媒《なかだち》をなしたりけん。
ペトラルカは基督暦千三百四年七月二十日アレツツオに二重傍線]に生れき。いにしへの希臘羅馬時代にのみ眼を注ぎたりしが、千三百二十七年アヰニヨンにてラウラといふ婦人に逢ひ、その戀に引かれて、又|現世《げんせ》の詩人となりぬ。おのが上と世々のスチピオ(羅馬の名族)の上とを、千載の下に傳へんと、長篇の敍事詩亞弗利加を著《あらは》しつ。今はその甚だ意を經ざりし小抒情詩世に行はれて、復た亞弗利加を説くものなし。
我等は日ごとにペトラルカ[#「ペトラルカ」に傍線]の深邃《しんすゐ》なる趣味といふことを教へられき。ハツバス・ダアダアの云ふやう。膚淺《ふせん》なる詩人は水彩畫師なり、空想の子なり。凡そ世道人心に害あること、これより甚しきものあらじ。その群にて最大なりとせらるゝダンテすら、我眼より見るときは、小なり、極めて小なり。ペトラルカ[#「ペトラルカ」に傍線]は抒情詩の寸錦のみにても、尚朽ちざることを得べきものなり。ダンテ[#「ダンテ」に傍線]は不朽ならんがために、天堂人間地獄をさへ擔ひ出しゝものなり。さなり。ダンテも韻語をば聯《つら》ねたり。そのバビロン[#「バビロン」に二重傍線]塔の如きもの、後の世に傳はりたるは、これが爲なり。されど若しその詞だにも拉甸《ラテン》ならましかば、後の世の人せめては彼が學殖をおもひて、些の敬をば起すなるべし。さるを彼は俚言もて歌ひぬ。ボツカチヨオの心醉せる、これを評して、獅《しゝ》の能く泳ぎ、羊の能く踏むべき波と云ひき。我はその深さをも、その易さをも見ること能はず。通篇脚を立つべき底あることなし。唯だ昔と今との間を、ゆきつ戻りつするを見るのみ。我が眞理の聖使たるペトラルカを見ずや。既往の天子法皇を捉へて、地獄に墮すを、手柄めかすやうなる事をばなさず、その生れあひたる世に立ちて、男性のカツサンドラ(希臘の昔物語に見えたる巫女《みこ》)となり、法皇王侯の嗔《いかり》を懼《おそ》れずして預言したるは、希臘悲壯劇の中なる「ホロス」の群の如くなりき。嘗て面《まのあた》り査列斯《チヤアルス》四世を刺《あざけ》りて、徳の遺傳せざるをば、汝に於いてこれを見ると云ひき。羅馬と巴里とより、月桂冠を贈らんとせしとき、ペトラルカ[#「ペトラルカ」に傍線]は敢て輙《すなは》ち受けずして、三日の考試に應じき。その謙遜なりしこと、今の兒曹《こら》も及ばざるべし。考試畢りて後、彼は「カピトリウム」の壇に上りぬ。拿破里《ナポリ》の王は手づから濃紫の袍《はう》を取りて、彼が背に被《き》せき。これに月桂《ラウレオ》の環をわたしたるは、羅馬の議官《セナトオレ》なりき。此の如き光榮は、ダンテの身を終ふるまで受くること能はざりしところなり。
ダンテは千二百六十五年フイレンチエに生れぬ。そのはじめの命名はヅランテ[#「ヅランテ」に傍線]なりき。神曲に見えたるベアトリチエとの戀は、夙《はや》く九歳の頃より始りぬ。千二百九十年戀人みまかりぬ。是れダンテが女性の美の極致にして、ダンテはこれに依りて、心を淨め懷《おもひ》を崇《たか》うせしなり。アレツツオとピザとの戰ありしときは、ダンテ軍人たりき。後政治家となりて、千三百二十一年ラヱンナにて歿す。
ハツバス・ダアダアが講説は、いつも此の如くペトラルカを揚げダンテ[#を抑ふるより外あらざりき。この兩詩人をば、匂ふ菫花、燃ゆる薔薇の如く並び立たせてもあるべきものを。ペトラルカが小抒情詩をば、盡く諳《そら》んぜしめられき。ダンテが作をば生徒の目に觸れしめざりき。我は僅に師の詞によりて、そのおもなる作は、地獄、淨火、天堂の三大段に分れたるを知れりしのみ。この分けかたは、既に我空想を喚《よ》び起して、これを讀まんの願は、我心に溢れたり。されどダンテは禁斷の果《くだもの》なり。その味は、竊《ぬす》むにあらでは知るに由なし。
或る日ピアツツア、ナヲネ(大なる廣こうぢにて、夏の頃水を湛ふることあり)を漫歩して、積み疊《かさ》ねたる柑子《かうじ》、地に委《ゆだ》ねたる鐵の器、破衣《やれごろも》、その外いろ/\の骨董を列ねたる露肆《ほしみせ》の側に、古書古畫を賣るものあるを見き。こゝに卑き戲畫あれば、かしこに刃を胸に貫きたる聖母の圖あり。似も通はぬものゝ伍をなしたる中に、ふとメタスタジオが詩集一卷我目にとまりぬ。我懷には猶一「パオロ」ありき。こは半年前ボルゲエゼの君が、小遣錢にせよと賜《たまは》りし「スクヂイ」の殘にて、わがためには輕んじ難き金額なりき。(一「スクウド」は約我一圓五十錢に當る。十「パオリ」に換ふべし。一「パオロ」は十五錢許なり。十「バヨツチ」に換ふべし。「スクウド」、「パオロ」は銀貨、「バヨツチ」は銅貨なり。)幾個の銅錢もて買ふべくば、この卷|見※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《みのが》すべきものならねど、「パオロ」一つを手離さんはいと惜しとおもひぬ。價を論ずれども成らざりしかば、思ひあきらめて立ち去らんとしたる時、一書の題簽《だいせん》に「ヂヰナ、コメヂア、ヂ、ダンテ」が神曲)と云へるあるを見出しつ。嗚呼、これこそは我がために、善惡二途の知識の木になりたる、禁斷の果《このみ》なれ。われはメタスタジオの集を擲《なげう》ちて、ダンテの書を握りつ。さるに哀《かなし》きかな、この果は我手の屆かぬ枝になりたり。その價は二「パオリ」なりき。露肆の主人は、一錢も引かずといふに、わが銀錢は掌中に熱すれども、二つにはならず。主人、こは伊太利第一の書なり、世界第一の詩なりと稱《たゝ》へて、おのれが知りたる限のダンテの名譽を説き出しつ。ハツバス・ダアダアには無下《むげ》にいひけたれたるダンテの名譽を。
露肆の主人のいふやう。この卷は一葉ごとに一場の説教なり。これを書きしは、かう/″\しき預言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の火※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]を踏み破りて、天堂に抵《いた》らんとす。若き華主《だんな》よ。君はまだ此書を讀み給ひし事なきなるべし。然らずば君一「スクウド」をも惜み給はぬならん。二「パオリ」は言ふに足らざる錢なり。それにて生涯讀み厭くことなき、伊太利第一の書を藏することを得給はゞ、實にこよなき幸ならずや。
嗚呼、われは三「パオリ」をも惜まざるべし。されど我手中にはその錢なきを奈何せん。かの伊蘇普《エソオポス》が物語に、おのがえ取らぬ架上の葡萄をば、酸《す》しといひきといふ狐の事あり。われはその狐の如く、ハツバス・ダアダアに聞きたるダンテの難を囀《さへづ》り出し、その代にはいたくペトラルカを讚め稱へき。露肆の主人は聞|畢《をは》りて。さなりさなり。おのれの無學なる、固より此の如き大家を囘護せん力は侍らず。されど君もまだ歳若ければ、此の如き大家を非難すべきにあらざるべし。おのれはえ讀まぬものなり。君は未だ讀まざるものなり。されば褒むるも貶《けな》すも、遂に甲斐なき業ならずや。唯だ訝《いぶ》かしきは、君はまだ讀まぬ書をいひおとし給ふことの苛酷なることぞといふ。われは心に慙《は》ぢて、我詞の全く師の口眞似なるを白状したり。主人も我が樸直《すなほ》なるをや喜びけん、書を取りて我にわたしていふやう。好し、一「パオロ」にて君に賣らん。その代には早く讀み試みて、本國の大詩人をあしざまに言ふことを止め給へ。
神曲、吾友なる貴公子
何等の快事ぞ。神曲は今我書となりぬ。我が永く藏することを得るものとなりぬ。ハツバス・ダアダアが非難をば、我始より深く信ぜざりき。わが奇を好む心は、かの露肆《ほしみせ》の主人が言に挑《いど》まれて、愈※[#二の字点、1-2-22]|熾《さかん》になりぬ。われは人なき處に於いて、はじめて此卷を繙《ひもと》かん折を、待ち兼ぬるのみなりき。
われは生れかはりたる如くなりき。ダンテは實にわがために、新に發見したる亞米利加なりき。我空想は未だ一たびも斯く廣大に、斯く豐饒なる天地を望みしことなかりしなり。その岩石何ぞ峨々たる。その色彩何ぞ奕々《えき/\》たる。我は作者と共に憂へ、作者と共に樂み、作者と共に當時の生活を閲《けみ》し盡したり。地獄の關に刻めりといふ銘は、全篇を讀む間、我耳に響くこと、世の末の裁判の時、鳴りわたるらん鐘の音の如くなりき。その銘に云《いは》く。
こゝすぎて うれへの市《まち》に
こゝすぎて 歎の淵に
こゝすぎて 浮ぶ時なき
群に社《こそ》 人は入るらめ
あたゝかき 情はあれど
おぎろなき 心にたづね
きはみなき ちからによりて
いつくしき 法《のり》をうき世に
しめさんと この關の戸を
神や据ゑけん
われは※[#「風にょう+(犬/(犬+犬))、第4水準2-92-41]風《へうふう》に捲き起さるゝ沙漠の砂の如き、常に重く又暗き空氣を見き。われは亡魂の風に向ひて叫喚するとき、秋深き木葉の如く墜ちゆく亞當《アダム》が族《やから》を見き。而れども言語の未だ血肉とならざりし世にありし靈魂の王たる人々のこゝにあるを見るに※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53]《およ》びて、我眼は千行《ちすぢ》の涙を流しつ。ホメロス、ソクラテエス[#、これ皆永く樂土の門に入ること能はずしてこゝに留りたるものなりき。ダンテ[#「ダンテ」に傍線]が筆は、此等の人に、地獄といふに負《そむ》かざらん限の、安さ樂しさを與へたれど、そのこゝにあるは、呵責《かしやく》ならぬ苦、希望なき恨にして、長く浮ぶ瀬なき罪人の陷いるなる、毒泡迸り、瘴烟《しやうえん》立てる、深き池沼に圍まれたる大牢獄の裡《うち》なること、よその罪人に殊ならず。われはこれを讀みて、平なること能はざりき。基督の一たび地獄に降りて、又主の傍に昇りしとき、彼は何故にこゝの谿間の人々を隨へゆかざりしか。彼は當時同じ不幸にあへるものに、同じ憐を垂れざることを得たりしか。われは讀むところの詩なるを忘れつ。沸きかへる膠《にべ》の海より聞ゆる苦痛の聲は、我胸を衝《つ》きたり。われは「シモニスト」の群を見き。その浮き出でゝは、鬼の持てる鋭き鐵搭《くまで》にかけられて、又沈めらるゝを見き。ダンテが敍事の生けるが如きために、其|状《さま》深くも我心に彫《ゑ》りつけられたるにや、晝は我念頭に上り、夜は我夢中に入りぬ。我囈語《うはごと》の間には、屡※[#二の字点、1-2-22]「パペ、サタン、アレツプ、サタン、パペ」といふ詞聞えぬ。こはわが讀みたる神曲の文なるを、同房の書生はさりとも知らねば、我魂まことに惡魔に責められたるかと疑ひ惑ひぬ。教場に出でゝも、我心は課程に在らざりき。師の聲にて、アントニオよ、又何事をか夢みたる、と問はるゝ毎に、われは且恐れ且恥ぢたり。されどこの儘に神曲を擲《なげう》たんことは、わがなすこと能はざるところなりき。
我が暮らす日の長く又重きことは、ダンテが地獄にて負心《ふしん》の人の被《き》るといふ鍍金《めつき》したる鉛の上衣の如くなりき。夜に入れば、又我禁斷の果に匍《は》ひ寄りて、その惡鬼に我妄想の罪を數《せ》めらる。かの人を螫《さ》しては※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《ほのほ》に入り、一たびは烟となれど、又「フヨニツクス」(自ら焚《や》けて後、再び灰より生るゝ怪鳥)の如く生れ出でゝ、毒を吐き人を傷《やぶ》るといふ蛇の刺《はり》をば、われ自ら我膚の上に受くと覺えき。
わが夢中に地獄と呼び、罪人と叫ぶを聞きて、同房の書生は驚き醒むることしば/\なりき。或る朝老僧の舍監を勤むるが、我|臥床《ふしど》の前に來しに、われ眠れるまゝに眼を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みひら》き、おのれ魔王と叫びもあへず、半ば身を起してこれに抱きつき、暫し角力《すま》ひて、又枕に就きしことあり。
わがよな/\惡魔に責めらるといふ噂は、やう/\高くなりぬ。我床には呪水を灑《そゝ》ぎぬ。わが眠に就くときは、僧來りて祈祷を勸めたり。此處置は益※[#二の字点、1-2-22]我心を妥《おだやか》ならざらしめき。囈語《うはごと》の由りて出づるところは、われ自ら知れり。これを隱して人を欺《あざむ》くことの快からぬために、我血はいよ/\騷ぎ立ちぬ。數日の後、反動の期至り、我心は風の吹き荒れたる迹《あと》の如くなりぬ。
學校の書生|衆《おほ》しといへども、その家世、その才智、並に人に優れたるは、ベルナルドオといふ人なりき。遊戲に日をおくるは咎むべきならねど、あまりに情を放ちて自ら恣《ほしいまゝ》にするさまも見えき。或ときは四層の屋の棟《むね》に騎《の》り、或ときは窓より窓にわたしたる板を踐《ふ》みて、人の膽を寒からしめき。凡そこの學校國に、内訌《ないこう》起りぬといふときは、其責は多く此人の身に歸することなり。しかもベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]これを寃《ぬれぎぬ》とすること能はざるが常なりき。舍内の靜けさ、僧尼の房の如くならんは、人々の願なるに、このベルナルドオあるがために、平和はいつも破られき。されど彼が戲《たはぶれ》は人を傷《そこな》ふには至らざりしが、獨りハツバス・ダアダアに對しての振舞は、やゝ中傷の嫌ありとおもはれぬ。ハツバス・ダアダアはこれを憎みてあはれ福《さいはひ》の神は、直《すぐ》なる「ピニヨロ」の木を顧みで、珠を朽木に抛《な》げ與へしよ抔《など》いひぬ。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は羅馬の議官《セナトオレ》の甥《おひ》にて、その家富みさかえたればなるべし。
ベルナルドオは何事につけても、人に殊なる見《けん》を立て、これを同學のものに説き聞かせて、その聽かざるものをば、拳もて制しつれば、いつも級中にて、出色の人物ともてはやされき。彼と我とは性質|太《いた》く異なるに、彼は能く我に親みき。唯だわがあまりに爭ふ心に乏《とぼし》きをば、ベルナルドオ嘲り笑ひぬ。
或時ベルナルドオの我にいふやう。われ若し我拳の、一たび爾《なんぢ》を怒らしむるを知らば、われは必ず爾を打つべし。汝は人に本性を見するときなきか。わが汝を嘲るとき、汝は何故に拳を揮《ふる》ひて我面を撲《う》たんとせざる。その時こそ我は汝がまことの友となるならめ。されど今はわれこの望を絶ちたりといひき。
わがダンテの熱の少しく平らぎたる頃なりき。ひと日ベルナルドオは我前なる卓に腰掛けて、しばし故ありげなる笑をもらしつゝ我顏を見つめ居たるが、忽ち我にいふやう。汝は我にもまして横着なる男なり。善くも狂言して人を欺くことよ。床は呪水に濡らされ、身は護摩《ごま》の煙に薫《いぶ》さるゝは、これがために非ずや。我知らじとやおもふ、汝はダンテを讀みたるを。
血は我頬に上りぬ。われは爭《いか》でかさる禁を犯すべきと答へき。ベルナルドオのいはく。汝が昨夜物語りし惡魔の事は、全く神曲の中なる惡魔ならずや。汝が空想はゆたかなれば、わが説くを厭かず聽くならん。地獄に火※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]の海、瘴霧《しやうむ》の沼あるは、汝が早くより知るところならん。されど地獄には又深き底まで凍りたる海あり。その中に閉ぢられたる亡者も亦少からず。その底にゆきて見れば、恩に負《そむ》きし惡人ども集りたり。「ルチフエエル」(魔王)も神に背きし報にて、胸を氷にとぢられたるが、その大いなる口をば開きたり。その口に墮ちたるは、ブルツス、カツシウス、ユダス・イスカリオツトなり。中にもユダス・イスカリオツトは、魔王が蝙蝠《かはほり》の如き翼を振ふ隙に、早く半身を喉の裡に沒したり。この「ルチフエエル」が姿をば、一たび見つるもの忘るゝことなし。われもダンテが詩にて、彼奴《かやつ》と相識《ちかづき》になりたるが、汝はよべの囈語《うはごと》に、その魔王の状を、詳《つばら》に我に語りぬ。その時われは今の如く、汝はダンテ[#「ダンテ」に傍線]を讀みたるかと問ひぬ。夢中の汝は、今より直《すなほ》にて、我に眞を打ち明け、ハツバス・ダアダアが事をさへ語り出でぬ。何故に覺めたる後には我を隔てんとする。我は汝が祕事《ひめごと》を人に告ぐるものにあらず。汝が禁を犯したるは、汝が身に取りて譽となすべき事なり。我は久しく汝が上にかゝることあらんを望みき。されど彼書をば、汝何處にてか獲つる。我も一部を藏したれば、汝若し蚤《はや》く我に求めば、我は汝に借しゝならん。我はハツバス・ダアダアがダンテを罵りしを聞きしより、その良き書なるを推し得て、汝に先だちて買ひ來りぬ。われは長く机に倚《よ》ることを好まず。神曲の大いなる二卷には、我とほ/\厭《あぐ》みしが、これぞハツバス・ダアダアが禁ずるところとおもひ/\、勇を鼓して讀みとほしつ。後にはかのふみ我にさへ面白くなりて、今は早や三たび閲しつ。その地獄のめでたさよ。汝はハツバス・ダアダアに傍線]の墮つべきを何處とか思へる。火のかたなるべきか、冰《こほり》のかたなるべきか。
わが祕事は訐《あば》かれたり。されどベルナルドオはこれを人に語るべくもあらず。ベルナルドオとわれとの交は、この時より一際《ひときは》密になりぬ。旁《かたはら》に人なき時は、われ等の物語は必ず神曲の事にうつりぬ。わがこれを讀みて感じたるところをば、必ずベルナルドオに傍線]に語り聞かせたり。この間にわが文字を知りてよりの初の詩は成りぬ。その題はダンテと其神曲となりき。
わが買ひ得たる神曲の首《はじめ》には、ダンテが傳を刻したりき。そはいたく省略したるものなりしかど、尚わが詩材とするに堪へたれば、われはこれに據りて、此詩人の生涯を歌ひき。ベアトリチエとの淨《きよ》き戀、戰爭の間の苦、逐客《ちくかく》となりてアルピイ山を踰《こ》えし旅の憂さ、異郷の鬼となりし哀さ、皆我詩中のものとなりぬ。わが最も力を用ゐしは、ダンテ[#「ダンテ」に傍線]が靈魂|天翔《あまかけ》りて、人間地獄を見おろす一段なりき。その敍事は省筆を以て、神曲の梗概を摸寫したるものなりき。淨火は又燃え上れり。果實累々たる、樂園の木のこずゑは、漲《みなぎ》り落つる瀑布の水に浸されたり。ダンテが乘りたる、そら行く舟は、神童の白く大なる翼を帆としたり。その舟次第に騰《のぼ》りゆく程に、山々は搖り動《うごか》されたり。太陽とそのめぐりなる神童の群とは、明鏡の如く、神の光明を映じ出せり。この時に遇ふものは、賢きも愚なるも、こゝろ/″\に無上の樂を覺えたり。
誦《ず》してベルナルドオに聞せしに、彼はこれを激稱せり。彼のいはく。アントニオよ。次の祭の日には、汝其詩を讀み上げよ。ハツバス・ダアダアいかなる面《おもて》をかすらん。面白し/\。汝が讀むべき詩は、その外にはあらじ。斯く勸めらるゝに、われは手を揮《ふ》りて諾《うべな》はざりき。ベルナルドオ語を繼ぎていふやう。さらば汝はえ讀まぬなるべし。我にその詩を得させよ。われダンテ[#「ダンテ」に傍線]の不朽をもて、ハツバス・ダアダアを苦めんとす。汝はおのが美しき羽を拔きて、このおほおそ鳥を飾らんを惜むか。讓るは汝が常の徳にあらずや。いかに/\、と勸めて止まざりき。我もその日のありさまいかに面白からんとおもへば、詩稿をば直にベルナルドオにわたしつ。
今も西班牙《スパニア》廣こうぢの「プロパガンダ」といふ學校にては、毎年一月十三日に、祭の式行はるゝ事なるが、當時は「ジエスヰタ」學校に、おなじ式ありき。諸生徒はおの/\その故郷の語、若くはその最も熟したる語にて、一篇の詩を作り、これを式場に持ち出でゝ讀むことなり。題をば自ら撰びて、師の認可を請ひ、さて章を成すを法とす。
題の認可の日に、ハツバス・ダアダアに傍線]はベルナルドオにいふやう。君は又何の題をも撰び給はざりしならん。君は歌ふ鳥の群にあらねば。ベルナルドオのいはく。否。ことしは例に違ひて作らんとおもへり。伊太利詩人の中にて題とすべきものを求めたるが、その第一の大家を歌はんは、わが力の及ばざるところなり。さればわれは稍※[#二の字点、1-2-22]《やゝ》小なるものをとて、ダンテを撰びぬ、ハツバス・ダアダア冷笑《あざわら》ひていふ。ダンテを詠ずとならば、定めて傑作をなすなるべし。そは聞きものなり。さはあれ式の日には、僧官たちも皆臨席せらるゝが上に、外國の貴賓も來べければ、さる戲はふさはしからず。謝肉《カルネワレ》の祭をこそ待ち給ふべけれ。この詞にて、他人ならば思ひとゞまるべきなれど、ベルナルドオはなか/\屈すべくもあらず。別の師の許を得て、かの詩を讀むことゝ定めき。われは本國を題として、新に一篇を草しはじめつ。
學校の規則には、詩賦は他人の助を藉《か》ることを允《ゆる》さずと記したり。されどいつも雨雲に蔽《おほ》はれたるハツバス・ダアダアが面に、些《ちと》の日光を見んと願ふものは、先づ草稿を出して閲を請ひ、自在に塗抹せしめずてはかなはず。大抵|原《もと》の語は、纔《わづか》にその半を存するのみなり。さて詩の拙《つたな》さは、すこしも始に殊ならず。その始に殊なるは、唯だその癖、その手段のみなるべし。斯く改めたる作、他日よそ人に譽めらるゝ時は、ハツバス・ダアダアは必ずおのれが刪潤《さんじゆん》せしを告ぐ。こたび讀むべき詩も、多く一たびハツバス・ダアダアが手を經たるが、ひとりベルナルドオが詩のみは、遂にその目に觸れざりき。
兎角する程にその日となりぬ。馬車は次第に學校の門に簇《むらが》りぬ。老僧官たちは、赤き法衣の裾を牽《ひ》きて式場に入り、美しき椅子に倚《よ》り給ひぬ。詩の題、その國語、その作者など列記したる刷ものは、來賓に頒《わか》たれぬ。ハツバス・ダアダア先づ開場の演説をなし、諸生徒は次を逐ひて詩を讀みたり。シリア、カルデア、新|埃及《エヂプト》、其外梵文英語の作さへありて、その耳ざはり愈※[#二の字点、1-2-22]あやしうして、喝采の聲は愈※[#二の字点、1-2-22]盛なりき。但だ喝采の聲には、拍手なんどのみならで、高笑もまじるを常とす。
われは胸を跳らせて進み出で、伊太利を頌したる短篇を讀みき。喝采の聲は幾度となく起りぬ。老いたる僧官達も手を拍ち給ひぬ。ハツバス・ダアダア出來る限のやさしき顏をなし、手中の桂冠を動かしつ。伊太利語の詩もて、我後に技を奏すべきは、獨りベルナルドオあるのみにて、其次なる英語は固《もと》より賞を得べくもあらねば、あはれ此冠は我頭の上に落ちんとぞおもはれける。
その時ベルナルドオは壇に登りぬ。我はあやぶみながら友の言動に耳を傾け目を注ぎつ。友は些《いさゝか》の怯《おく》れたる氣色もなく、かのダンテを詠ずる詩を誦《ず》したり。式場は忽ち水を打ちたるやうに鎭まりぬ。讀誦《どくじゆ》の力あるに、聽くもの皆感動したるなり。われは初より隻句を遺《のこ》さず諳《そらん》じたり。されど今改めてこれを聽けば、ほと/\ダンテ其人の作を聞くが如くおもはれぬ。誦し畢《をは》りし時、場に臨みたる人々は、悉く喝采せり。僧官達は席を離れ給ひぬ。式はこゝに終れるが如く、桂冠はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]がものと定りぬ。次なる英語の詩をば、人々止むことを得ずして聽き、又止むことを得ずして拍手せしのみ。その畢るや、滿場の話柄はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]がダンテの詩の上にかへりぬ。
我頬は火の如くなりき。我胸は擴まりたり。我心は人々のベルナルドオがために焚ける香の烟を吸ひて、ほと/\醉へるが如くなりき。この時われは友の方を打ち見たるに、彼が容貌はいたく常にかはりて見えき。その面色土の如く、目を床に注ぎて立てるさまは、重き罪を犯したる人の如くなりき。ハツバス・ダアダアも亦いたく不興げなるおも持して、心こゝにあらねばか、その手にしたる桂冠を摘み碎かんとする如くなりき。僧官のうちなる一人、迺《すなは》ちこれを取りて、ベルナルドオが前に進み給ひぬ。我友は此時|跪《ひざまづ》きたるが、もろ手に面を掩《おほ》ひて、この冠を頭に受けたり。
式畢りて後、われは友の側に歩み寄りしに、彼は明日こそと云ひもあへず、走り去りぬ。翌日になりても、彼は我を避けて、共に語らざりき。我は唯だ一人なる友を失へるやうに覺えて、憂きに堪へざりき。二日過ぎて、ベルナルドオは我頸を擁《いだ》き、我手を把《と》りていふやう。アントニオよ。今こそは我心を語らめ。桂冠の我頭に觸れたる時は、われは百千《もゝち》の棘《いばら》もて刺さるゝ如くなりき。人々の我を譽むる聲は、我を嘲るが如くなりき。この譽を受くべきは、我に非ずして汝なればなり。我は汝が目のうちなる喜の色を見き。汝知らずや。この時われは汝を憎みたり。おもふに我はこゝにありて、今迄の如く汝に交ることを得ざるべし。この故に我はこゝを去らんとす。試におもへ。明年の式あらんとき、われ又汝が羽毛を借らずば、人々の前に出づることを得ざるべし。我心|爭《いか》でかこれに堪へん。我に勢あるをぢあり。我はこれに我上を頼みき。我は身を屈して願ひき。こはわが未だ嘗て爲さざることなり。わが敢てせざるところなり。我はその時又汝が事をおもひ出しつ。斯くわが心に負《そむ》きて人に頼るも、その原《もと》は汝に在るらんやうにおもはれぬ。この故に我は汝に對して、忍びがたき苦を覺ゆるなり。我は一たびこゝを去りて、別に身を立つるよすがを求め、その上にて又汝が友とならん。アントニオよ。願はくはその時を待て。吾は去らん。
この夕ベルナルドオは晩《おそ》く歸りて床に入りしが、翌朝は彼が退校の噂諸生の間に高かりき。ベルナルドオは思ふよしありて、目的を變じたりとぞ聞えし。
ハツバス・ダアダア[は冷笑の調子にていはく。彼男は流星の如く去りぬ。その光を放てると、その影を隱しゝとは、一瞬の間なりき。その學校生涯は爆竹の遽《にはか》に耳を駭《おどろ》かす如くなりき。その詩も亦然なり。彼草稿は猶我手に留まれり。何等の怪しき作ぞ。熟※[#二の字点、1-2-22]《つら/\》これを讀むときは、畢竟是れ何物ぞ。斯くても尚詩といはるべき歟《か》。全篇支離にして、絶て格調の見るべきなし。看て瓶《へい》となせば、これ瓶。盞《さん》となせば、是れ盞。劍となせば、これ劍。その定まりたる形なきこと、これより甚しきはあらず。字を剩《あま》すこと凡そ三たび。聞くに堪へざる平字《ひやうじ》の連用(ヒアツス)あり。神《ヂアナ》といふ字を下すことおほよそ二十五處、それにて詩をかう/″\しくせんとにや。性靈よ、性靈よ。誰かこれのみにて詩人とならん。このとりとめなき空想能く何事をか做《な》し出さん。こゝに在りと見れば、忽焉《こつえん》としてかしこに在り。汝は才といふか。才果して何をかなさん。眞の詩人の貴むところは、心の上の鍛錬なり。詩人はその題のために動さるゝこと莫《なか》れ。その心は冷なること氷の如くならんを要す。その心の生ずるところをば、先づ刀もて截《き》り碎き、一片々々に査《しら》べ視よ。かく細心して組み立てたるを、まことの名作とはいふなり。厭ふべきは熱なり、激興なり。誰かその熱に感じて、桂冠を乳臭兒の頭に加へし。その詩に史上の事實を矯《た》め、聞くに堪へざる平字の連用をなしたるなど、皆|笞《むちう》ち懲《こら》すべき科《とが》なるを。我はまことに甚しき不快を覺えき。かゝる事に逢ふごとに、我は健康をさへ害せられんとす。ベルナルドオのこわつぱ奴《め》。ハツバス・ダアダアが批評は大抵此の如くなりき。
學校の中、ベルナルドオが去りしを惜まざるものなかりき。されどその惜むことの最も深きは我なりき。身のめぐりは遽《にはか》に寂しくなりぬ。書を讀みても物足らぬ心地して、胸の中には遺るに由なき悶《もだえ》を覺えき。さて如何《いかに》してこれを散ずべき。唯だ音樂あるのみ。我生活我願望はこれを樂の裡《うち》に求むるとき、始めて殘るところなく明《あきらか》なる如くなりき。こゝを思へば、詩には猶飽き足らぬところあり。ダンテに傍線]が雄篇にも猶我心を充たすに足らざるところあり。詩は我《わが》魂《こん》を動せども、樂はわが魂と共に、わが耳によりてわが魄《はく》を動《うごか》せり。夕されば我窓の外に、一群の小兒來て、聖母の像を拜みて歌へり。その調は我にわが穉《をさな》かりける時を憶ひ起さしむ。その調はかの笛ふきが笛にあはせし搖籃の曲に似たり、又或時は野邊送の列、窓の下を過ぐるを見て、これをおくる僧尼の挽歌を聽き、昔母上を葬りし時を思ひ出しつ。我心はこしかたより行末に遷《うつ》りゆきぬ。我胸は押し狹《せば》めらるゝ如くなりぬ。昔歌ひし曲は虚空より來りて我耳を襲へり。その曲は知らず識らず我唇より洩れて歌聲となりぬ。
ハツバス・ダアダアが室は、我室を去ること近からぬに、我聲は覺えず高くなりて、そこまで聞えぬ。ハツバス・ダアダア人して言はしむるやう。こゝは劇場にもあらず、又唱歌學校にもあらず、讚美歌に非ざる歌の聞ゆるこそ心得られねとなり。われは默して答へず。頭を窓の縁に寄せかけて、目を街のかたに注ぎたれど、心はこゝに在らざりき。
忽ち街上より「フエリチツシイマ、ノツテエ、アントニオ」(幸《さち》あらん夜をこそ祈れ、アントニオよといふ事なり、北歐羅巴にては善き夜をとのみいふめれど、伊太利の夜の樂きより、かゝる詞さへ出來ぬるなるべし)と呼ぶ人あり。窓の前にて、美しく猛き若駒に首を昂《あ》げさせ、手を軍帽に加へて我に禮を施し、振り返りつゝ馳せ去りしは、法皇の禁軍《このゑ》なる士官なりき。嗚呼、我はその顏を見識りたり。これわがベルナルドオなり。わが幸あるベルナルドオなり。
我生活は今彼に殊なること幾何《いくばく》ぞ。われは深くこれを思ふことを好まず。われは傍なる帽を取りて、目深《まぶか》にかぶり、惡魔に逐はるゝ如く、學校の門を出でぬ。おほよそ「ジエスヰタ」學校、「プロパガンダ」學校、その外この教國の學校生徒は、外に出づるとき、おのれより年|長《た》けたる、若《もし》くはおのれと同じ齡なる、同學のものに伴はるゝを法とす。稀に獨り行くには、必ず許可を請ふことなり。こは誰も知りたる掟なるを、われはこの時少しも思ひ出でざりき。老いたる番僧はわが出づるを見つれど、許可を得たるものとや思ひけん、我を誰何《とが》めざりき。
めぐりあひ、尼君
大路《おほぢ》に出づれば馬車ひきもきらず。羅馬の人を載せたるあり、外國の客を載せたるあり。往くあり、還るあり。こは都の習なる夕暮の逍遙《あそび》乘《のり》といふものにいでたる人々なるべし。銅版畫を挂《か》けつらねたる技藝品鋪の前には、人あまた立てり。その衣にまつはれて錢を得んとするは、乞兒《かたゐ》の群なり。されば車の間を馳せぬくることを厭ひては、こゝを行くべくもあらず。我が車の隙を覗《うかゞ》ひて走りぬけんとしたる時「ボン、ジヨオルノオ、アントニオ」(吉日《よきひ》をこそ、アントニオ)と呼ぶは、むかし聞き慣れたる忌《いま》はしき聲なり。見卸せば、ペツポのをぢ例の木履《きぐつ》を手に穿《は》きて、地上にすわり居たり。この人にかく近づきたることは、この年頃絶てなかりき。西班牙《スパニア》の磴《いしだん》を避けてとほり、道にて逢ふときは面を掩《おほ》ひて知らしめず、式の日などに諸生の群にありてこれに近づくときは、友の身を盾に取りて見付けられぬ心がまへしたりき。ペツポは我|裳裾《もすそ》を握りて離たずしていふやう。血を分けたるアントニオよ。そちがをぢなるペツポを知らぬ人のやうになあしらひそ。尊きジユウゼツペ(ペツポはこの名を約《つゞ》めたるなり)の上を思はゞ、我名を忘るゝことなからん。暫く見ぬ隙に、おとなびたることよ。かく親しく物言はるゝ程に、道行く人は怪みて我面を見たり。我は放ち給へと叫びて裾を引けども、ペツポは容易《たやす》く手をゆるめず。アントニオよ。共に驢《うさぎうま》に乘りし日の事を忘れしか。善き兒なるかな。今は丈高き馬に乘れば、最早我を顧みざるならん。母の同胞《はらから》の西班牙の磴にあるを訪はざるならん。そちも我手に接吻せしことあり。そちも我宿の一束の藁を敷寢せしことあり。昔をわすれなせそ。かくかきくどかるゝうるさゝに、我は力を極めて裾ひきはなち、車の間をくゞりぬけて、横街に馳せ入りぬ。
我胸は跳《をど》れり。こは驚のためのみにはあらず、辱《はづかしめ》のためなりき。我はをぢがもろ人の前に我を辱めたりとおもひき。されど此心は久しからずして止み、これに代りて起りしは、これよりも苦しき情なりき。をぢが詞は一つとして僞ならず。われはまことにペツポが一人の甥なり。わがこれに對して恩すくなかりしは、そも/\何故ぞ。若し餘所に見る人なくば、我は昔の如くをぢの手に接吻せしならん。さるを今かく殘忍なる振舞せしは、わが罪深き名譽心にあらずや。われは自ら愧《は》ぢ、又神に恥ぢて、我胸は燃ゆる如くなりき。
この時|聖《サン》アゴスチノ寺の「アヱ、マリア」の鐘の聲響きしかば、われは懺悔せんとて寺の内に入りぬ。高き穹窿の下は暗くして人影絶えたり。卓の上なる蝋燭は僅に燃ゆれども光なかりき。われは聖母の前に伏し沈みて、心の重荷をおろさんとしつ。忽ち我側にありて、我名を呼ぶ人あり。アントニオの君よ。館《やかた》も御奧もフイレンツエより歸り來ませり。かしこにて設け給ひし穉《をさな》き姫君をも伴ひ給ひぬ。今より共に往きて喜をのべ給はずやといふ。寺の内の暗さに見えざりしが、かく言はれてその人を見れば、我恩人の館なる門者《かどもり》の妻にてフエネルラといふものなりき。年久しく相見ざりし人々に逢はせんといふが嬉しさに、われは共に足を早めてボルゲエゼの館《たち》にゆきぬ。
フアビアニの君はやさしく我をもてなし給ひ、フランチエスカの君は又母の如くいたはり給ひぬ。姫君にも引きあはせ給ひぬ。名をばフラミニアといふ。目の美しく光ある穉子なり。我に接吻し、我側に來居たるが、まだ二分時ならぬに、はや我に昵《なじ》み給へり。かき抱きて間のうちをめぐり、可笑《をか》しき小歌うたひて聞せしかば、面白しと打笑ひ給ひぬ。館は微笑みつゝ。穉き尼君を世の中の少女の樣になせそ。法皇の手づから授けられし壻君《むこぎみ》をば、今より胸にをさめたるをとのたまふ。げにこの姫君は、白かねもて造りたる十字架に基督の像つきたるを、鎖もて胸に懸け給へり。(伊太利の俗、尼寺に入れんと定めたる女兒をば、夙《はや》くより小尼公《アベヂツサ》など呼ぶことあり。)夫婦の君は婚禮の初、喜のあまりに始て生るべき子をば、み寺に參らせんと誓ひ給ひしなり。勢ある家の事とて、羅馬に名高き尼寺の首座をば、今よりこの姫君の爲めに設けおけりとぞ。さればこの君には、苟且《かりそめ》の戲にも法《のり》の掟《おきて》に背かぬやうなることのみをぞ勸め參らせける。小尼公は偶人《にんぎよう》いれたる箱取り出でゝ、中なる穉き耶蘇の像、またあまたの白衣きたる尼の像を示し給ふ。さて尼の人形を二列に立てて、日ごとにかく歩ませて供養のにはに連れゆくとのたまひぬ。又尼どもは皆聲めでたく歌ひて、穉き耶蘇を拜めりとのたまひぬ。こは皆|保姆《うば》が教へつるなり。我は畫かきて小尼公を慰めき。長き※[#「曷+毛」、37-下段-28]衣《けおりごろも》を着て、噴水のトリイトン[#「トリイトン」に傍線]の神のめぐりに舞ふ農夫、一人の匍匐《はらば》ひたるが上に一人の跨《またが》りたる侏儒《プルチネルラ》抔《など》、いたく姫君の心にかなひて、始はこれに接吻し給ひしが、後には引き破りて棄て給ひぬ。兎角する程に、はや常に眠り給ふ時過ぎぬとて、うば抱きて入りぬ。
夫婦の君は我上を細《こまか》に問ひて、今より後も助にならんと契り、こゝに留らん間は日ごとに訪へかしとのたまひぬ。カムパニアの野邊に住める媼が事を語り出で給ひしかば、我は春秋の天氣好き折、かしこに尋ねゆきて、我|臥床《ふしど》の跡を見、媼が經卷|珠數《じゆず》と共に藏したる我畫|反古《ほご》を見、また爐の側にて燒栗を噛みつゝ昔語せばやとおもふ心を聞え上げぬ。暇乞《いとまごひ》して出でんとせしとき、夫人は館を顧みてのたまふやう。學校は智育に心を用ゐると覺ゆれど、作法の末まではゆきとゞかぬなるべし。この子の禮《ゐや》するさまこそ可笑しけれ。世の中に出でん後は、これをも忽《ゆるがせ》にすべからず。されど、アントニオよ、心をだに附けなば、そはおのづから直るべきものぞ。
學校に還らんとて館を出でしは、まだ宵の程なりしが、街はいと暗かりき。羅馬の市に竿燈《かんとう》を點《つ》くるは近き世の事にて、其の頃はまださるものなかりしなり。狹き枝みちに歩み入れば、平ならざる道を照すもの唯だ聖母の像の御前《みまへ》に供へたる油燈のみなり。われは心のうちに晝の程の事どもを思ひめぐらしつゝ、徐《しづか》にあゆみを運びぬ。固より咫尺《しせき》の間もさやかには見えねば、忽ち我手に觸るゝものあるに驚きて、われはまだ何とも思ひ定めぬ時、耳慣れたる聲音にて、奇怪なる人かな、目をさへ撞《つ》きつぶされなば、道はいよ/\見えずやならんといふ。われは喜のあまりに聲高く叫びて、さてはベルナルドオなるよ、嬉くも逢ひけるものかなといひぬ。アントニオか、可笑き再會もあるものよと、友は我を抱きたり。さるにても何處よりか來し。忍びて訪ふところやある。そは汝に似合はしからず。されど我に見現されぬれば是非なし。例の獄丁はいづくに居る。學校よりつけたる道づれは。我。否けふはひとりなり。ベルナルドオ。ひとりとは面白し。汝も天晴《あつぱれ》なる少年なり。我と共に法皇の護衞に入らずや。
我は恩人夫婦のこゝに來ませし喜を告げしに、吾友も亦喜びぬ。これよりは足の行くに任せて、暗路を辿りつゝ、別れての後の事どもを語りあひぬ。
猶太《ユダヤ》の翁
途すがらベルナルドオの云ふやう。我は今こそ浮世の樣をも見ることを得つれ。そなた等が世にあるは、唯だ世にありといふ名のみにて、まだ襁褓《むつき》の中を出でざるにひとし。冷なる學校の榻《たふ》に坐して、黴《かび》の生《は》えたるハツバス・ダアダアが講釋に耳傾けんは、あまりに甲斐なき事ならずや。見よ、我が馬に騎《の》りて市《まち》を行くを。美しき少女達は、燃ゆる如き眼《ま》なざしして、我を仰ぎ瞻《み》るなり。わが貌《かほばせ》は醜からず。われには號衣《ウニフオルメ》よく似合ひたり。此街の暗きことよ、汝は我號衣を見ること能はざるべし。我が新に獲たる友は、善く我を導けり。彼等は汝が如き窮措大《きうそだい》めきたる男にあらず。我等は御國を祝ひて盞を傾け、又折に觸れてはおもしろき戲をもなせり。されど其戲をもの語らんは、汝が耳の聽くに堪へざるところならん。そなたの世を渡るさまをおもへば、男に生れたる甲斐なくぞおもはるゝ。我はこの二三月が程に十年の經驗をなしたり。我はわが少年の血氣を覺えたり。そは我血を湧し、我胸を張らしむ。我は人生の快樂を味へり。我唇はまだ燃え、我咽はまだ痒《かゆ》きに、我身はこれを受用すること醉ひたる人の水を飮むらんやうなり。斯く説き聞せられて、我はいつもながら氣|沮《はゞ》みて聲も微《かすか》に、さらば君が友だちといふはあまり善き際《きは》にはあらぬなるべしと答へき。ベルナルドオはこらへず。善き際にあらず、とは何をか謂ふ。我に向ひて道徳をや説かんとする。吾友だちは汝にあしさまに言はるべきものにはあらず。吾友だちは羅馬にあらん限の貴き血統にこそあなれ。われ等は法皇の禁軍《このゑ》なり。縱《たと》ひわづかの罪ありとも、そは法皇の免除するところなり。われも學校を出でし初には、汝が言ふ如き感なきにあらざりしが、われは敢て直ちにこれを言はず、敢て友等に知らしめざりき。われは彼輩《かのともがら》のなすところに傚《なら》ひき。そは我意志の最も強き方に從ひたるのみ。我意馬を奔《はし》らしめて、その往くところに任するときは、我はかの友だちに立ち後《おく》るゝ憂なかりしなり。されど此間我胸中には、猶少しの寺院教育の滓《かす》殘り居たれば、我も何となく自ら安《やすん》ぜざる如き思をなすことありき。我はをり/\此滓のために戒《いまし》められき。我は生れながらの清白なる身を涜《けが》すが如くおもひき。かゝる懸念は今や名殘《なごり》なく失せたり。今こそ我は一人前の男にはなりたるなれ。かの教育の滓を身に帶びたる限は、その人小兒のみ、卑怯者のみ。おのれが意志を抑へ、おのれが欲するところを制して、獨り鬱々として日を送らんは、その卑怯ものゝ舉動ならずや、餘に饒舌《しやべ》りて途のついでをも顧みざりしこそ可笑しけれ。こゝはキヤヰカの前なり。類《たぐひ》なき酒家《オステリア》にて、羅馬の藝人どもの集ふところなり。我と共に來よ。切角の邂逅《めぐりあひ》なれば、一瓶の葡萄酒を飮まん。この家のさまの興あるをも見せまほしといふ。われ。そは思ひもよらぬ事なり。若し學校の人々、わが禁軍《このゑ》の士官と倶《とも》に酒店にありしを聞かば奈何。ベルナルドオ。現《げ》に酒一杯飮まんは限なき不幸なるべし。されど試に入りて見よ。外國の藝人等が故郷の歌をうたふさまいと可笑し。獨逸語あり。法朗西《フランス》語あり。英吉利《イギリス》語あり。またいづくの語とも知られぬあり。これ等を聞かんも興あるべし。われ。否、君には酒一杯飮まんこと常の事なるべけれど、我は然らず。強ひて伴はんことは君が本意にもあらざるべし。斯く辭《いろ》ふほどに、傍なる細道の方に、許多《あまた》の人の笑ふ聲、喝采する聲いと賑はしく聞えたり。われはこれに便を得て、友の臂《ひぢ》を把《と》りていはく。見よ、かしこに人あまた集りたるは何事にかあらん。想ふに聖母の御龕《みほごら》の下にて手品使ふものあるならん。我等も往きてこそ觀め。
我等が往方《ゆくて》を塞ぎたるは、極めて卑き際《きは》の老若男女なりき。この人々は聖母のみほごらの前にて長き圈《わ》をなし、老いたる猶太《ユダヤ》教徒一人を取り卷きたり。身うち肥えふとりて、肩幅いと廣き男あり。手に一條の杖を持ちたるが、これを翁《おきな》が前に横《よこた》へ、翁に跳《をど》り超えよと促すにぞありける。
凡そ羅馬の市には、猶太教徒みだりに住むことを許されず。その住むべき廓《くるわ》をば嚴しく圍みて、これを猶太街《ゲツトオ》といふ。(我國の穢多まちの類なるべし。)夕暮には廓の門を閉ぢ、兵士を置きて人の出入することを許さず。こゝに住める猶太教徒は、歳に一たび仲間の年寄をカピトリウムに遣り、來ん年もまた羅馬にあらんことを許し給はゞ、謝肉祭《カルネワレ》の時の競馬《くらべうま》の費用《ものいり》をも例の如く辨《わきま》へ、又定の日には加特力《カトリコオ》教徒の寺に往きて、宗旨がへの説法をも聽くべし、と願ふことなり。
今杖の前に立てる翁は、こよひ此街のをぐらき方を、靜に走り過ぎんとしたるなり。「モルラ」といふ戲《たはぶれ》せんと集ひたりし男ども、道に遊び居たりし童等は、早くこれを見付けて、見よ人々、猶太の爺《ぢゞ》こそ來ぬれと叫びぬ。翁はさりげなく過ぎんとせしに、群衆はゆくてに立ちふさがりて通さず。かの肥えたる男は、杖を翁が前に横へて、これを跳り超えて行け、さらずは廓の門の閉ぢらるゝ迄えこそは通すまじけれ、我等は汝が足の健《すこやか》さを見んと呼びたり。童等はもろ聲に、超えよ超えよ、亞伯罕《アブラハム》の神は汝を助くるならんといと喧しく囃《はや》したり。翁は聖母の像を指ざしていふやう。人々あれを見給へ。おん身等もかしこに跪きては、慈悲を願ひ給ふならずや。我はおん身等に對して何の辜《つみ》をもおかしゝことなし。我髮の白きを憫《あはれ》み給はゞ、恙《つゝが》なく家に歸らしめ給へといふ。杖持ちたる男|冷笑《あざわら》ひて、聖母|爭《いか》でか猶太の狗《いぬ》を顧み給はん、疾《と》く跳り超えよといひつゝいよ/\翁に迫る程に、群衆は次第に狹き圈《わ》を畫して、翁の爲《せ》んやうを見んものをと、息を屏《つ》めて覗ひ居たり。ベルナルドオはこの有樣を見るより、前なる群衆を押し退けて圈の中に躍り入り、肥えたる男の側につと寄せて、その杖を奪ひ取り、左の手にこれを指し伸べ、右の手には劍を拔きて振り翳《かざ》し、かの男を叱して云ふやう。この杖をば、汝先づ跳り超えよ。猶與《たゆた》ふことかは。超えずは、汝が頭を裂くべしといふ。群衆は唯だ呆れてベルナルドオが面を打ち眺めたり。彼男はしばし夢見る如くなりしが、怒氣を帶びたる詞、鞘《さや》を拂ひし劍、禁軍の號衣、これ皆膽を寒からしむるに足るものなりければ、何のいらへもせず、一跳《ひとはね》して杖を超えたり。ベルナルドオは男の跳り超ゆるを待ちて杖を擲《なげう》ち、その肩口をしかと壓へ、劍の背《せ》もて片頬を打ちていふやう。善くこそしつれ。狗にはふさはしき舉動《ふるまひ》かな。今一たびせよさらば免《ゆる》さんといふ。男は是非なく又跳り超えぬ。初め呆れ居たる群衆は、今その可笑しさにえ堪へず、一度にどつと笑ひぬ。ベルナルドオのいはく。猶太の翁《おきな》よ。邪魔をば早や拂ひたれば、いざ送りて得させんといふ。されど翁はいつの間にか逃げゆきけん、近きところには見えざりき。
我はベルナルドオを引きて群衆の中を走り出でぬ。來よ我友。今こそは汝と共に酒飮まんとおもふなれ。今より後は、たとひいかなる事ありても、われ汝が友たるべし。ベルナルドオ。そなたは昔にかはらぬ物ずきなるよ。されど我が知らぬ猶太の翁のかた持ちて、かの癡人《しれもの》と爭ひしも、おなじ物ずきにやあらん。
我等は酒家《オステリア》に入りぬ。客は一間に滿ちたれども、別に我等に目を注《つ》くるものあらざりき。隅の方なる小卓に倚りて、共に一瓶の葡萄酒を酌み、友誼の永く渝《かは》らざらんことを誓ひて別れぬ。
學校の門をば、心やすき番僧の年老いたるが、仔細なく開きて入れぬ。あはれ、珍しき事の多かりし日かな。身の疲に酒の醉さへ加はりたれば、程なく熟睡して前後を知らず。
猶太をとめ
許をも受けで校外に出で、士官と倶に酒店に入りしは、輕からぬ罪なれば、若し事|露《あらは》れなば奈何《いか》にすべきと、安き心もあらざりき。さるを僥倖《げうかう》にもその夕我を尋ねし人なく、又我が在らぬを知りたるは、例の許を得つるならんとおもひて、深くも問ひ糺《たゞ》さで止みぬ。我が日ごろの行よく謹《つゝし》めるかたなればなりしなるべし。光陰は穩に遷《うつ》りぬ。課業の暇あるごとに、恩人の許におとづれて、そを無上の樂となしき。小尼公は日にけに我に昵《なじ》み給ひぬ。我は穉《をさな》かりしとき寫しつる畫など取り出でゝ、み館にもて往き、小尼公に贈るに、しばしはそれもて遊び給へど、幾程もあらぬに破《や》り棄て給ふ。我はそをさへ拾ひ取りて、藏《をさ》めおきぬ。
その頃我はヰルギリウスを讀みき。その六の卷なるエネエアスがキユメエの巫《みこ》に導かれて地獄に往く條《くだり》に至りて、我はその面白さに感ずること常に超えたり。こはダンテの詩に似たるがためなり。ダンテに傍線]によりて我作をおもひ、我作によりて我友をおもへば、ベルナルドオが面を見ざること久しうなりぬ。恰も好しワチカアノに二重傍線]の畫廊開かるべき日なり。且は美しき畫、めでたき石像を觀、且はなつかしき友の消息を聞かばやとおもひて、われは又學校の門を出でぬ。
美しきラフアエロ[が半身像を据ゑたる長き廊の中に入りぬ。仰塵《てんじやう》にはかの大匠の下畫によりて、門人等が爲上げたりといふ聖經の圖あり。壁を掩《おほ》へるめづらしき飾畫、穹窿を填《うづ》めたる飛行の童の圖、これ等は皆我が見慣れたるものなれど、我は心ともなくこれに目を注ぎて、わが待つ人や來るとたゆたひ居たり。欄《おばしま》に凭《よ》りて遠く望めば、カムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野のかなたなる山々の雄々しき姿をなしたる、固より厭《あ》かぬ眺なれど、鋪石に觸るゝ劍の音あるごとに、我は其人にはあらずやとワチカアノの庭を見おろしたり。されどベルナルドオは久しく來ざりき。
間といふ間を空《むなし》くめぐり來ぬ。ラオコオンの群の前をも徒《いたづら》に過ぎぬ。我はほと/\興を失ひて、「トルソオ」をも「アンチノウス」をも打ち棄てゝ、家路に向はんとせしとき、忽ち羽つきたる※[#「(矛+攵)/金」、第3水準1-93-30]《かぶと》を戴き、長靴の拍車を鳴して、輕らかに廊を歩みゆく人あり。追ひ近づきて見ればベルナルドオなり。友の喜は我喜に讓らざりき。語るべき事多ければ、共に來よと云ひつゝ、友は我を延《ひ》きて奧の方へ行きぬ。
汝はわが別後いかなる苦を嘗めしかを知らざるべし。又その苦の今も猶止むときなきを知らぬなるべし。譬へば我は病める人の如し。そを救ふべき醫は汝のみ。汝が採らん藥草の力こそは、我が唯一の頼なれ。斯くさゝやきつゝ、友は我を延いて大なる廳を過ぎ、そこを護れる禁軍《このゑ》の瑞西《スイス》兵の前を歩みて、當直士官の室に入りぬ。君は病めりと云へど、面は紅に目は輝けるこそ訝《いぶか》しけれ。さなり。我身は頭の頂より足の尖まで燃ゆるやうなり。我はそれにつきて汝が智惠を借らんとす。先づそこに坐せよ。別れてより後の事を語り聞すべし。
汝はかの猶太の翁の事を記《おぼ》えたりや。聖母の龕《がん》の前にて、惡少年に窘《くるし》められし翁の事なり。我はかの惡少年を懲《こら》して後、翁猶在らば、家まで送りて得させんとおもひしに、早やいづち往きけん見えずなりぬ。その後翁の事をば少しも心に留めざりしに、或日ふと猶太廓《ゲツトオ》の前を過ぎぬ。廓の門を守れる兵士に敬禮せられて、我は始めてこゝは猶太街の入口ぞと覺《さと》りぬ。その時門の内を見入りたるに、黒目がちなる猶太の少女あまた群をなして佇《たゝず》みたり。例のすきごゝろ止みがたくて、我はそが儘馬を乘り入れたり。こゝに住める猶太教徒は全き宗門の組合をなして、その家々軒を連ねて高く聳え、窓といふ窓よりは、「ベレスヒツト、バラ、エロヒム」といふ祈の聲聞ゆ。街には宗徒|簇《むらが》りて、肩と肩と相摩するさま、むかし紅海を渡りけん時も忍ばる。簷端《のきば》には古衣、雨傘その外骨董どもを、懸けも陳《なら》べもしたり。我駒の行くところは、古かなもの、古畫を鬻《ひさ》ぐ露肆《ほしみせ》の間にて、目も當てられず穢《けが》れたる泥※[#「さんずい+卓」、第3水準1-86-82]《ぬかるみ》の裡《うち》にぞありける。家々の戸口より笑みつゝ仰ぎ瞻《み》る少女二人三人を見るほどに、何にても買ひ給はずや、賣り給ふ物あらば價尊く申し受けんと、聲々に叫ぶさま堪ふべくもあらず。想へ汝、かゝる地獄めぐりをこそダンテに傍線]は書くべかりしなれ。
忽ち傍なる家より一人の翁馳せ出でゝ、我馬の前に立ち迎へ、我を拜むこと法皇を拜むに異ならず。貴き君よ、我命の親なる君よ。再び君と相見る今日《けふ》は、そも/\いかなる吉日ぞ。このハノホ[#「ハノホ」に傍線]老いたれども、恩義を忘れぬほどの記憶はありとおぼされよ。かく語りつゞけて、末にはいかなる事をか言ひけん、悉くは解《げ》せず、又解したるをも今は忘れたれば甲斐なし。これ去《い》ぬる夜惡少年の杖を跳り越ゆべかりし翁なり。翁は我手の尖《さき》に接吻し、我衣の裾に接吻していふやう。かしこなるは我|破屋《あばらや》なり。されど鴨居《かもゐ》のいと低くて君が如き貴人を入らしむべきならぬを奈何せん。かく言ひては拜み、拜みては言ふ隙に、近きわたりの物共は、我等二人のまはりに集ひ、あからめもせず打ち守りたる、そのうるさゝにえ堪へず、我は早や馬を進めんとしたり。この時ふと仰ぎ見れば、翁が家の樓上よりさし覗きたる少女あり。色好なる我すらかゝる女子を見しことなし。大理石もて刻めるアフロヂテに傍線]の神か。されど亞剌伯《アラビア》種の少女なればにや、目と頬とには血の温さぞ籠りたる。想へ汝、我が翁に引かれて、辭《いろ》はずその家に入りしことの無理ならぬを。
廊の闇さはスチピオ等の墓に降りゆく道に讓らず。木の欄《てすり》ある梯《はしご》は、行くに足の尖まで油斷せざる稽古を、怠りがちなる男にせさするに宜しかるべし。部屋に入りて見れば、さまで見苦しからず。されど例の少女はあらず。少女あらずば、われこゝに來て何をかせん。技癢《ぎやう》に堪へざる我心をも覺らず、かの翁は永々しき謝恩の演説をぞ始めける。その辭に綴り込めたる亞細亞《アジア》風の譬喩の多かりしことよ。汝が如き詩人ならましかば、そを樂みて聞きもせん。我は恰も消化し難き饌《せん》に向へる心地して、肚《はら》のうちには彼女子今か出づるとのみおもひ居たり。此時翁は感ずべき好き智慧を出しぬ。あはれ此智慧、好き折に出でなば、いかにか我を喜ばしめしならん。翁のいはく。貴きわたりに交らひ給ふ殿達は、定めて金多く費し給ふならん。君も卒《には》かに金なくてかなはぬ時、餘所にてそを借り給はば、二割三割などいひて、夥《おびたゞ》しき利息を取られ給ふべし。さる時あらば、必ず我許に來給へ。利息は申し受けずして、いくばくにても御用だて侍らん。そはイスラエル[#「イスラエル」に傍線]の一枝を護りたる君が情《なさけ》の報なりといひぬ。我は今さる望なきよし答へぬ。翁さらに語を繼ぎて。さらば先づ平かに居給へ。好き葡萄酒一瓶あれば、そを獻《たてまつ》らんといふ。我は今いかなる事を答へしか知らず。されどその詞と共に一間に入り來りしは彼少女なり。いかなる形ぞ。いかなる色ぞ。髮は漆《うるし》の黒さにてしかも澤《つや》あり。こは彼翁の娘なりき。少女はチプリイの酒を汲みて我に與へぬ。我がこれを飮みて、少女が壽《ことほぎ》をなしゝとき、その頬にはサロモ王の餘波《なごり》の血こそ上りたれ。汝はいかにかの天女が、言ふにも足らぬ我腕立を謝せしを知るか。その聲は世にたぐひなき音樂の如く我耳を打ちたり。あはれ、かれは斯世のものにはあらざりけり。されば其姿の忽ち見えずなりて、唯だ翁と我とのみ座に殘りしも宜《むべ》なり。
この物語を聞きて、我は覺えず呼びぬ。そは自然の詩なり。韻語にせばいかに面白からん。
媒《なかだち》
士官のいふやう。この時よりして我がいかばかり戀といふものゝ苦を嘗めたるを知るか。我が幾たび空中に樓閣を築きて、又これを毀《こぼ》ちたるを知るか。我が彼|猶太《ユダヤ》をとめに逢はんとていかなる手段を盡しゝを知るか。我は用なきに翁を訪ひて金を借りぬ。我は八日の期限にて、二十「スクヂイ」を借らんといひしに、翁は快く諾《うべな》ひて粲然たる黄金を卓上に並べたり。されど少女は影だに見せざりき。我は三日過ぎて金返しに往きぬ。初翁は我を信ぜること厚しとは云ひしが、それには世辭も雜りたりしことなれば、今わが斯く速に金を返すを見て、翁が喜は眉のあたりに呈《あらは》れき。我は前の日の酒の旨《うま》かりしを稱へしかど、翁自ら瓶取り出して、顫《ふる》ふ痩手にて注ぎたれば、これさへあだなる望となりぬ。この日も少女は影だに見せざりき。たゞ我が梯《はしご》を走りおりしとき、半ば開きたる窓の帷《とばり》すこしゆらめきたるやうなりき。是れ我少女なりしならん。さらば君よ、とわれ呼びしが、窓の中はしづまりかへりて何の應《いらへ》もなし。おほよそ其頃よりして、今日まで盡しゝ我手段は悉くあだなりき。されど我心は決して撓《たわ》むことなし。我は少女が上を忘るゝこと能はず。友よ。我に力を借せ。昔エネエアスを戀人に逢せしサツルニアとヱヌスとをば、汝が上とこそ思へ。いざ我をあやしき巖室《いはむろ》に誘はずや。われ。そは我身にはふさはしからぬ業なりと覺ゆ。さはれおん身は猶いかなる手段ありて、我をさへ用ゐんとするか、かゝる筋の事に、この身用立つべしとは、つや/\思ひもかけず。士官。否々。汝が一諾をだに得ば、我事は半ば成りたるものぞ。ヘブライオスの語は美しき詞なり。その詩趣に富みたること多く類を見ずと聞く。汝そを學びて、師には老いたるハノホを撰べ。彼翁は廓内にて學者の群に數へられたり。彼翁汝がおとなしきを見て、娘にも逢はせんをり、汝我がために娘に説かば、我戀何ぞ協《かな》はざることを憂へん。されど此手段を行はんには、決して時機を失ふべからず。駈足《かけあし》にせよ歩度を伸べたる驅足にせよ。燃ゆる毒は我脈を循《めぐ》れり。そは世におそろしき戀の毒なり。異議なくば、あすをも待たで猶太の翁を訪へ。われ。そは餘りに無理なる囑《たのみ》なり。我が爲すべきことの面正しからぬはいふも更なり、汝が志すところも卑しき限ならずや。その少女|縱令《よしや》美しといふとも、猶太の翁が子なりといへば。士官。それ等は汝が解《げ》し得ざる事なり。貨《しろもの》だに善くば、その産地を問ふことを須《もち》ゐず。友よ、善き子よ。我がためにヘブライオスの語を學べ。我も諸共に學ばんとす。たゞその學びさまを殊にせんのみ。想へ、我がいかに幸ある人となるべきかを。我。わが心を傾けて汝に交るをば、汝知りたるべし。汝が意志、汝が勢力のおほいなる、常に我心を左右するをも、汝知りたるべし。汝若し惡人とならば、我おそらくは善人たることを得じ。そは怪しき力我を引きて汝が圈《わ》の中に入るればなり。我は素より我心を以て汝が行を匡《たゞ》さんとせず。人皆天賦の性《さが》あり。そが上に我は必ずしも汝が將に行はんとする所を以て罪なりとせず。汝が性然らしむればなり。されど此事は、縱令成りたらんも、汝が上にまことの福を降すべきものにあらずとおもへり。士官。善し/\。我はたゞ汝に戲れたるのみ。我がために汝を驅りて懺悔の榻《たふ》に就かしめんは、初より我願にあらず。たゞ汝がヘブライオスの語を學ばんに、いかなる障《さはり》あるべきか、そは我に解せられず。況《いは》んやそを猶太の翁に學ぶことをや。されどこの事に就きては、我等また詞を費さゞるべし。今日は善くこそ我を訪ねつれ。物欲しからずや。酒飮まずや。
友なる士官がかく話頭を轉じたるとき、我はその特《こと》なる目《ま》なざしを見き。こはベルナルドオが學校にありしとき屡※[#二の字点、1-2-22]ハツバス・ダアダア[に對してなしたる目なざしなりき。友の擧動《ふるまひ》、その言語、一つとして不興のしるしならぬはなし。我も快からねば程なく暇乞して還りぬ。別るゝときは友の恭《うや/\》しさ常に倍して、その冷なる手は我が温なる手を握りぬ。我はわが辭退の理に※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56]《かな》へる、友の腹立ちしことの我儘に過ぎざるを信じたりき。されど或時は無聊に堪へずしてベルナルドオなつかしく、我詞の猶|穩《おだやか》ならざるところありしを悔みぬ。一日散歩のついで、吾友の上をおもひつゝ、かの猶太廓《ゲツトオ》に入りぬ。若し期せずして其人に逢はゞ、我友の怒を霽《はら》す便《たより》にもならんとおもひき。されど我は彼翁をだに見ざりき。門《かど》よりも窓よりも、知らぬ人面を出せり。街の兩側なる敷石の上には、例の古衣、古かねなど陳《の》べたるその間には見苦き子供遊べり。物買はずや、物賣らずやと呼ぶ聲は、我を聾《みゝしひ》にせんとする如し。少女あり。向ひの家なる友と、窓より窓へ毬《まり》投げつゝ戲れ居たり。そが一人は頗《すこぶる》美しと覺えき。吾友の戀人はもしこれにはあらずや。我は圖らず帽を脱したり。嗚呼、おろかなる振舞せしことよ。我は人の思はん程も影護《うしろめた》くて、手もて額を拭ひつ。こは帽を脱したるは、少女のためならで、暑に堪へねばぞと、見る人におもはしめんとてなりき。
一とせの月日は事なくして過ぎぬ。稀にベルナルドオに傍線]に逢ふことありても、交情昔のごとくならず。我はそのやさしき假面の背後に、人に※[#「りっしんべん+敖」、第4水準2-12-67]《おご》る貴人の色あるを見て、友の無情なるを恨むのみにて、かの猶太廓の戀のなりゆきを問ふに遑《いとま》あらざりき。ボルゲエゼの館をば頻におとづれて、主人の君、フアビアニ、フランチエスカの人々のやさしさに、故郷にある如き思をなしつ。されどそれさへ時としては胸を痛むる媒《なかだち》となることありき。我胸には慈愛に感ずる情みち/\たれば、彼人々の一たび顰《ひそ》めることあるときは、徑《たゞち》に我世の光を蔽はるゝ如く思ひなりぬ。フランチエスカの我性を譽めつゝも、強ひて備はらんことを我に求めて、わが立居振舞、わが詞遣《ことばづかひ》の疵《きず》を指すことの苛酷なる、主人の君のわが獨り物思ふことの人に踰《こ》えたるを戒《いまし》めて、わが草木などの細かなる區別に心入れぬを咎め、我を自ら卷きて終には萎《しを》るゝ葉に比べたる、皆我心を苦むるものなりき。我齡は早く十六になりぬ。さるを斯《か》ばかりの事に逢ひて、必ず涙を墮《おと》すは何故ぞや。主人の君は我が憂はしげなるさまを見るときは、又我頬を撫でゝ、聖母の善き人を得給はんためには、美しき花の壓《お》さるゝ如く、人も壓されではかなはぬが浮世の習ぞと慰め給ひぬ。獨りフアビアニの君のみは、何事をもをかしき方に取りなして、岳翁《しうと》と夫人との教の嚴なることよと打笑ひ、さて我に向ひてのたまふやう。君は父上の如き學者とはならざるべし。はた妻のやうに怜悧なる人ともならざるならん。されど君が如き性もまた世の中になくて協はぬものぞと宣《のたま》ふ。斯く裁判し畢りて、小尼公《アベヂツサ》を召し給へば、我はその遊び戲れ給ふさまのめでたきを見て、身の憂きことを忘れ果てつ。人々は來ん年を北伊太利にて暮さんとその心構《こゝろがまへ》し給へり。夏はジエノワ[にとゞまり、冬はミラノに往き給ふなるべし。我は來ん年の試驗にて、「アバテ」の位を受けんとす。人々は首途《かどで》に先だちて、大いなる舞踏會を催し、我をも招き給ひぬ。門前には大篝《おほかゞり》を焚かせたり。賓客の車には皆|松明《まつ》とりたる先供あるが、おの/\其火を石垣に設けたる鐵の柄に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]したれば、火の子|迸《ほとばし》り落ちて赤き瀑布《カスカタ》を見る心地す。法皇の兵《つはもの》は騎馬にて門の傍に控へたり。門の内なる小き園には五色の紙燈を弔《つ》り、正面なる大理石階には萬點の燭を點せり。階《きざはし》を升《のぼ》るときは奇香衣を襲ふ。こは級《きだ》ごとに瓶花《いけばな》、盆栽の檸檬《リモネ》樹を据ゑたればなり。階の際なる兵は肩銃の禮を施しつ。「リフレア」着飾りたる僕《しもべ》は堂に滿ちたり。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]の君は眩《まばゆ》きまで美かりき。珍らしき樂土鳥の羽、組緒多くつけたる白き「アトラス」の衣はこれに一層の美しさを添へたり。そのやさしき指に觸れたるときの我喜はいかなりし。廣間二つに樂の群を居らせて、客の舞踏の場《には》としたり。舞ふ人の中にベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]ありき。金絲もて飾りたる緋|羅紗《らしや》の上衣、白き細袴《ズボン》、皆發育好き身形《みなり》に適《かな》ひたり。その舞の敵手《あひて》はこよひ集ひし少女の中にて、すぐれて美しき一人なるべし。纖《かぼそ》き手をベルナルドオが肩に打ち掛けて秋波を送れり。我が舞を知らざることの可悔《くやし》かりしことよ。客に相識る人少ければ、我を顧みるものなし。ベルナルドオが舞果てゝ我傍に來りしとき、我憂は忽ち散じたり。紅なる帷《とばり》の長く垂れたる背後《うしろ》にて、我等二人は「シヤムパニエ」酒の杯を傾け、別後の情を語りぬ。面白き樂の調《しらべ》は耳より入りて胸に達し、昔日の不興をば少しも殘さず打ち消しつ。われ遠慮せで猶太少女の事を語り出でしに、友は唯だ高く笑ひぬ。その胸の内なる痍《きず》は早くも愈《い》えて跡なきに至りしものなるべし。友のいはく。われはその後聲めでたき小鳥を捕へたり。この鳥我戀の病を歌ひ治《なほ》しき。これある間は、よその鳥はその飛ぶに任せんのみ。その猶太廓より飛び去りしは事實なり。人の傳ふるが信ならば、今は羅馬にさへ居らぬやうなり。友と我とは又杯を擧げたり。泡立てる酒、賑はしき樂は我等が血を湧しつ。ベルナルドオに傍線]は又舞踏の群に投ぜり。我は獨り殘りたれど、心の中には前に似ぬ樂しさを覺えき。街のかたを見おろせば、貧人の兒ども簇《むらが》りて、松明《まつ》より散る火の子を眺め、手を打ちて歡び呼べり。われも昔はかゝる兒どもの夥伴《つれ》なりしに、今堂上にありて羅馬の貴族に交るやうになりたるは、いかなる神のみ惠ぞ。われは帷《とばり》の蔭に跪《ひざまづ》きて神に謝したり。
謝肉祭
その夜は曉近くなりて歸りぬ。二日たちて人々は羅馬を立ち給ひぬ。ハツバス・ダアダアは日ごとに我を顧みて、ことしは「アバテ」の位受くべき歳ぞと、いましめ顏にいふ。されば此頃は文よむ窓を離れずして、ベルナルドオをも外の友をも尋ぬることなかりき。週を累《かさ》ね月を積みて、試驗|畢《をは》る日とはなりぬ。
黒き衣、短き絹の外套。是れ久しく夢みし「アバテ」の服ならずや。目に觸るゝもの一つとして我を祝せざるなし。街を走る吹聽人はいふも更なり、今咲き出づる「アネモオネ」の花、高く聳ゆる松の末《うれ》より空飛ぶ雲にいたるまで、皆我を祝する如し。恰も好しフランチエスカの君は、臨時の費《つひえ》もあるべく又日ごろの勞《つかれ》をも忘れしめんとて、百「スクヂイ」の爲換《かはせ》を送り給ひぬ。我はあまりの嬉さに、西班牙《スパニア》磴《いしだん》を驅け上りて、ペツポのをぢに光ある「スクウド」一つ抛げ與へ、そのアントニオの主公《だんな》と呼ぶ聲を後《しりへ》に聞きて馳せ去りぬ。
頃は二月の初なりき。杏花《きやうくわ》は盛に開きたり。柑子《かうじ》の木日を逐ひて黄ばめり。謝肉祭《カルネワレ》は既に戸外に來りぬ。馬に跨り天鵞絨《びろうど》の幟《のぼり》を建て、喇叭《らつぱ》を吹きて、祭の前觸《まへぶれ》する男も、ことしは我がためにかく晴々しくいでたちしかと疑はる。ことしまでは我この祭のまことの樂しさを知らざりき。穉《をさな》かりし程は、母上我に怪我せさせじとて、とある街の角に佇《たゝず》みて祭の盛《さかり》を見せ給ひしのみ。學校に入りてよりは、「パラツツオオ、デル、ドリア」の廡《ひさし》作《づく》りの平屋根より笑ひ戲るゝ群を見ることを許されしのみ。すべて街のこなたよりかなたへ行くことだに自由ならず。矧《まして》や「カピトリウム」に登り、「トラステヱエル」(河東の地なり、テヱエル河の東岸に當れる羅馬の一部を謂ふ)に渡らんこと思ひも掛けざりき。かゝれば我がことしの祭に身を委《ゆだ》ねて、兒どもの樣なる物狂ほしき振舞せしも、無理ならぬ事ならん。唯だ怪しきは此祭我生涯の境遇を一變するに至りしことなり。されどこれも我がむかし蒔きて、久しく忘れ居たりし種の、今緑なる蔓草《つるくさ》となりて、わが命の木に纏《まと》へるなるべし。
祭は全く我心を奪ひき。朝《あした》にはポヽロの廣こうぢに出でゝ、競馬の準備《こゝろがまへ》を觀、夕にはコルソオの大道をゆきかへりて、店々の窓に曝《さら》せる假粧《けしやう》の衣類を閲《けみ》しつ。我は可笑しき振舞せんに宜《よろ》しからんとおもへば、状師《だいげんにん》の服を借りて歸りぬ。これを衣《き》て云ふべきこと爲すべきことの心にかゝりて、其夜は殆《ほとほ》と眠らざりき。
明日《あす》の祭は特《こと》に尊きものゝ如く思はれぬ。我喜は兒童の喜に遜《ゆづ》らざりき。横街といふ横街には「コンフエツチイ」の丸《たま》賣る浮鋪《とこみせ》簷《のき》を列べて、その卓の上には美しき貨物《しろもの》を盛り上げたり。(「コンフエツチイ」の丸は石灰を豌豆《ゑんどう》[#「豌豆」は底本では「※[#「足+宛」、第3水準1-92-36]豆」]の大さに煉りたるなり。白きと赤きと雜《まじ》りたり。中には穀物の粒を石膏泥中に轉《まろが》して作れるあり。謝肉祭の間は人々互に此丸を擲《なげう》ちて戲るゝを習とす。)コルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]の街を灑掃《さいさう》する役夫《えきふ》は夙《つと》に業を始めつ。家々の窓よりは彩氈《さいせん》を垂れたり。佛蘭西時刻の三點に我は「カピトリウム」に出でゝ祭の始を待ち居たり。(伊太利時刻は日沒を起點とす。かの「アヱ、マリア」の鐘鳴るは一時なり。これより進みて二十四時を數ふ。毎週一度|日景《ひかげ》を瞻《み》て、※[#「金+表」、44-下段-7]《とけい》を進退すること四分一時。所謂佛蘭西時刻は羅馬の人常の歐羅巴時刻を指してしかいふなり。)出窓《バルコオネ》には貴き外國人《とつくにびと》多く並みゐたり。議官《セナトオレ》は紫衣を纏ひて天鵞絨《びろうど》の椅子に坐せり。法皇の禁軍《このゑ》なる瑞西《スイス》兵整列したる左翼の方には、天鵞絨の帽《ベルレツタ》を戴ける可愛らしき舍人《とねり》ども群居たり。少焉《しばし》ありて猶太《ユダヤ》宗徒の宿老《おとな》の一行進み來て、頭を露《あらは》して議官の前に跪きぬ。その眞中なるを見れば、美しき娘持てりといふ彼ハノホにぞありける。式の辭をばハノホ陳べたり。我宗徒のこの神聖なる羅馬の市の一廓に栖《す》まんことをば、今一とせ許させ給へ。歳に一たびは加特力《カトリコオ》の御寺《みてら》に詣でゝ、尊き説法を承り候はん。又昔の例《ためし》に沿ひて、羅馬人の見る前にて、コルソオを奔《はし》らんことをば、今年も免ぜられんことを願ふなり。若しこの願かなはゞ、競馬の費、これに勝ちたるものに與ふる賞、天鵞絨の幟の代《しろ》、皆|法《かた》の如く辨《わきま》へ候はんといふ。議官《セナトオレ》は頷きぬ。(古例に依れば、この時議官足もておも立ちたる猶太の宿老の肩を踏むことありき。今は廢《すた》れたり。)事果つれば、議官の一列樂聲と倶《とも》に階を下り、舍人《とねり》等を隨へて、美しき車に乘り遷《うつ》れり。是を祭の始とす。「カピトリウム」の巨鐘は響き渡りて、全都の民を呼び出せり。我は急ぎ歸りて、かの状師《だいげんにん》の服に着換へ、再び街に出でしに、假裝の群は早く我を邀《むか》へて目禮す。この群は祭の間のみ王侯に同じき權利を得たる工人と見えたり。その假裝には價極めて卑《ひく》きものを揀《えら》びたれど、その特色は奪ふべからず。常の衣の上に粗※[#「栲」のおいがしらの下が「丁」、第4水準2-14-59]《あらたへ》の汗衫《じゆばん》を被りたるが、その衫《さん》の上に縫附けたる檸檬《リモネ》の殼《から》は大いなる鈕《ぼたん》に擬《まが》へたるなり。肩と※[#「革+華」、第4水準2-92-10]《くつ》とには青菜を結びつけたり。頭に戴けるは「フイノツキイ」(俗曲中にて無遠慮なる公民を代表したる役なり)の假髮《かづら》にて、目に懸けたるは柚子《みかん》の皮を刳《く》りぬきて作りし眼鏡なり。我は彼等に對《むか》ひて立ち、手に持ちたる刑法の卷を開きてさし示し、見よ、分を踰《こ》えたる衣服の奢《おごり》は國法の許さゞるところなるぞ、我が告發せん折に臍《ほぞ》を噬《か》む悔あらんと喝《かつ》したり。工人は拍手せり。我は進みてコルソオに出でたるに、こゝは早や變じて假裝舞の廣間となりたり。四方の窓より垂れたる彩氈は、唯だおほいなる欄《てすり》の如く見ゆ。家々の簷端《のきば》には、無數の椅子を並べて、善き場所はこゝぞと叫ぶ際物師《きはものし》あり。街を行く車は皆正しき往還の二列をなしたるが、これに乘れる人多くは假裝したり。中にも月桂《ラウレオ》の枝もて車輪を賁《かざ》りたるあり。そのさま四阿屋《あづまや》の行くが如し。家と車との隙間をば樂しげなる人|填《うづ》めたり。窓には見物の人々充ちたり。そが間には軍服に假髭《つけひげ》したる羅馬美人ありて、街上なる知人《しるひと》に「コンフエツチイ」の丸《たま》を擲《なげう》てり。我これに向ひて、「コンフエツチイ」もて人の面を撃つは、國法の問ふところにあらねど、美しき目より火箭《ひや》を放ちて人の胸を射るは、容易ならぬ事なれば許し難しと論告せしに、喝采の聲と倶に、花の雨は我頭上に降り灑《そゝ》ぎぬ。公民の妻と覺しき婦人の際立ちて飾り衒《てら》へるあり。權夫《けんふ》(夫に代りて婦人に仕ふる者、「チチスベオ」)と覺しき男これに扈從《こじう》したり。この時我はぬけ道の前に立ちたるが、道化役《プルチネルラ》に打扮《いでた》ちたる一群|戲《たはむれ》に相鬪へるがために、しばし往還の便を失ひて、かの婦人と向きあひゐたり。我は廼《すなは》ちこれに對して論じていはく。君よ。かくても誓に負《そむ》かざることを得るか。かくても羅馬の俗、加特力《カトリコオ》の教に背かざることを得るか。嗚呼、タルクヰニウス・コルラチニウスが妻なるルクレチア[#「ルクレチア」に傍線](辱《はづかしめ》を受けて自殺す、事は羅馬王代の末、紀元前五百九年に在り)は今|安《いづく》にか在る。君は今の女子の爲すところに倣《なら》ひて、謝肉祭の間、夫を河東に遣りて、僧と倶に精進《せじみ》せしめ給ふならん。君が良人は寺院の垣の内に籠りて日夜苦行し、復た滿城の士女狂せるが如きを顧みず、其心には、あはれ我最愛の妻も家に籠りて齋戒《ものいみ》[#「齋戒」は底本では「齊戒」]するよとおもふならん。さるを君は何の心ぞ。この時に乘じて自在に翼を振ひ、權夫に引かれてコルソオ[#「コルソオ」に二重傍線]をそゞろありきし給ふ。君よ。我は刑法第十六章第二十七條に依りて、君が罪を糺《たゞ》さんとす。語未だ畢らざるに、婦人は手中の扇をあげてしたゝかに我面を撃ちたり。その撃ちかたの強さより推《お》すに、我は偶※[#二の字点、1-2-22]《たま/\》女の身上を占ひて善く中《あ》てたるものならん。友なる男は、アントニオ、物にや狂へると私語《さゝや》ぎて、急に婦人を拉《ひ》きつゝ、巡査《スビルロ》、希臘人、牧婦などにいでたちたる人の間を潛りて逋《のが》れ去りぬ。その聲を聞くに、ベルナルドオなりき。さるにても彼婦人は誰にかあらん。椅子を借さんとて、觀棚《さじき》々々(ルオジ、ルオジ、パトロニ)と呼ぶ聲いと喧《かまびす》し。われは思慮する遑《いとま》あらざりき。されど謝肉祭の間に思慮せんといふも、固より世に儔《たぐひ》なき好事《かうず》にやあらん。忽ち肩尖《かたさき》と靴の上とに鈴つけたる戲奴《おどけやつこ》(アレツキノ)の群ありて、我一人を中に取卷きて跳ね※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りたり。忽ち又いと高き踊《つぎあし》したる状師《だいげんにん》あり。我傍を過ぐとて、我を顧みて冷笑《あざわら》ひていはく。あはれなる同業者なるかな。君が立脚點の低きことよ。おほよそ地上にへばり着きたるものは、正を邪に勝たしむること能はず。我は高く擧りたり。我に代言せしむるものは、天の祐《たすけ》を得たらん如し。かく誇りかに告げて大蹈歩《おほまた》に去りぬ。ピアツツア、コロンナに伶人の群あり。非常を戒めんと、徐《しづか》にねりゆく兵隊の間をさへ、學士《ドツトレ》、牧婦などにいでたちたるもの踊りくるひて通れり。我は再び演説を始めしに、書記の服着たる男一僕を隨へたるが我前に來て、僕《しもべ》に鐸《おほすゞ》を鳴《なら》さする其響耳を裂くばかりなれば、われ我詞を解《げ》し得ずして止みぬ。この時號砲鳴りぬ。こは車の大道を去るべき知らせなり。我は道の傍に築《きづ》きたる壇に上りぬ。脚下には人の頭波立てり。今やコルソオの競馬始らんとするなれば、兵士は人を攘《はら》はんことに力を竭《つく》せり。街の一端に近きポヽロの廣こうぢに索《つな》を引きて、馬をば其|後《うしろ》に並べたり。馬は早や焦躁《いらだ》てり。脊には燃ゆる海綿を貼《は》り、耳後には小き烟火具《はなび》を裝ひ、腋《わき》には拍車ある鐵板を懸けたり。口際に引き傍《そ》ひたる壯丁《わかもの》はやうやくにして馬の逸《はや》るを制したり。號砲は再び鳴りぬ。こは埒《らち》にしたる索を落す合圖なり。馬は旋風《つむじかぜ》の如く奔《はし》りて、我前を過ぎぬ。幣《ぬさ》の如く束ねたる薄金《うすがね》はさら/\と鳴り、彩りたる紐は鬣《たてがみ》と共に飄《ひるがへ》り、蹄《ひづめ》の觸るゝ處は火花を散せり。かゝる時彼鐵板は腋を打ちて、拍車に釁《ちぬ》ると聞く。群衆は高く叫びて馬の後に從ひ走れり。そのさま艫《とも》打《う》つ波に似たり。けふの祭はこれにて終りぬ。
歌女《うため》
衣《きぬ》脱《ぬ》ぎ更へんとて家にかへれば、ベルナルドオ訪《とぶら》ひ來て我を待てり。われ。いかなれば茲《こゝ》には來たる。さきの婦人をばいづくにかおきし。友は指を堅《た》てゝ我を威《おど》すまねしていはく。措《お》け。我等は決鬪することを好まず。さきに邂逅《いであ》ひたるときの狂態は何事ぞ。言ふこともあるべきにかゝることをばなど言ひたる。然《さ》れどもこのたびは釋《ゆる》すべし。今宵は我と倶に芝居見に往け。「ヂド」(カルタゴ女王の名にて又|樂劇《オペラ》の名となれり)を興行すといふ。音樂よの常ならず。女優の中には世に稀なる美人多し。加旃《しかのみなら》ず主人公に扮するは、嘗てナポリに在りしとき、闔府《かふふ》の民をして物に狂へる如くならしめきといふ餘所の歌女《うため》なり。その發音、その表情、その整調、みな我等の夢にだに見ざるところと聞く。容貌も亦美し、絶《はなは》だ美しと傳へらる。汝は筆を載せて從ひ來よ。若し世人の言半ば信《まこと》ならんには、汝が「ソネツトオ」の工《たくみ》を盡すも、これに贈るに堪へざらんとす。我はけふの謝肉祭に賣り盡して、今は珍しきものになりたる菫《すみれ》の花束を貯へおきつ。かの歌女もし我心に協《かな》はゞ、我はこれを贄《にへ》にせんといふ。我は共に往かんことを諾《うべな》ひぬ。すべて謝肉祭に連りたる樂《たのしみ》をば、つゆ遺《のこ》さずして嘗《こゝろ》みんと誓ひたればなり。
今は我がために永く※[#「言+爰」、第4水準2-88-66]《わす》るべからざる夕となりぬ。我|羅馬日記《ヂアリオ、ロマノ》を披《ひら》けば、けふの二月三日の四字に重圈を施したるを見る。想ふにベルナルドオ如《も》し日記を作らば、また我筆に倣《なら》はざることを得ざるならん。そも/\「アルベルトオ」座といへるは、羅馬の都に數多き樂劇部の中にて最大なるものなり。飛行の詩神を畫ける仰塵《プラフオン》、オリユムポスの圖を寫したる幕、黄金を鏤《ちりば》めたる觀棚《さじき》など、當時は猶新なりき。棚《さじき》ごとに壁に鉤《かぎ》して燭を立てたれば、場内には光の波を湧かしたり。女客の來て座を占むるあれば、ベルナルドオ必ずその月旦を怠ることなし。
開場の樂(ウヱルチユウル)は始りぬ。こは音を以て言に代へたる全曲の敍《じよ》と看做《みな》さるべきものなり。狂※[#「風にょう+(犬/(犬+犬))、第4水準2-92-41]《きやうへう》波を鞭《むちう》ちてエネエアス[#「エネエアス」に傍線]はリユビアの瀲《なぎさ》に漂へり。風波に駭《おどろ》きし叫號の聲は神に謝する祈祷の歌となり、この歌又變じて歡呼となる。忽ち柔なる笛の音起れり。是れヂドが戀の始なるべし。戀といふものは我が未だ知らざるところなれど、この笛の音は、我に髣髴《はうふつ》としてその面影を認めしめたり。忽ち角聲|獵《かり》を報ず。暴風又起れり。樂聲は我を引いて怪しき巖室《いはむろ》の中に入りぬ。是れ温柔郷なり。一呼一吸戀にあらざることなし。忽ち裂帛《れつぱく》の聲あり。幕は開きたり。
エネエアスは去らんとす。去りてアスカニウス(エネエアスの子)がために、ヘスペリヤ(晩國の義、伊太利)を略せんとす。去りてヂドを棄てんとす。憐むべしヂドはおのれが榮譽と平和とを捧げて、これを無情の人におくり、その夢猶未だ醒めざるなり。エネエアスが歌にいはく。その夢は早晩《いつか》醒むべし。トロアスに二重傍線]の兵《つはもの》黒き蟻の群の如く獲《えもの》を載せて岸に達せば、その夢いかでか醒めざることを得ん。
ヂドに傍線]は舞臺に上りぬ。その始めて現はるゝや、萬客|屏息《へいそく》してこれを仰ぎ瞻《み》たり。その態度、その嚴《おごそか》なること王者の如くにして、しかも輕《かろ》らかに優しき態度には、人も我も徑《たゞち》に心を奪はれぬ。初めわれこのヂドといふ役を我心に畫きしときは、その姿いたく今見るところに殊《こと》なりしかど、この歌女の意外なる態度はすこしも我興を損ふことなかりき。その優しく愛らしく、些《ちと》の塵滓《じんし》を留めざる美しさは、名匠ラフアエロが空想中の女子の如し。烏木《こくたん》の光ある髮は、美しく凸《なかだか》なる額を圍めり。深黒なる瞳には、名状すべからざる表情の力あり。忽ち喝采の聲は柱を撼《ゆるが》さんとせり。こは未だその藝を讚むるならずして、先づ其色を稱ふるなり。所以者何《ゆゑいかに》といふに、彼は今|纔《わづか》に場《ぢやう》に上りて、未だ隻音《せきおん》をも發せざればなり。彼は面《おもて》に紅を潮して輕く會釋し、その天然の美音もて、百錬千磨したる抑揚をその宣敍調《レチタチイヲオ》の上にあらはしつ。
友は遽《にはか》に我|臂《ひぢ》を把《と》りて、人にも聞ゆべき程なる聲していはく。アントニオよ。あれこそ例の少女なれ、飛び去りたる例の鳥なれ、その姿をば忘るべくもあらず。その聲さへ昔のまゝなり、われ心狂ひたるにあらずば、わがこの目利《めきゝ》は違ふことなし。われ。例のとは誰が事ぞ。友。猶太廓《ゲツトオ》の少女なり。されど彼の少女いかにしてこの歌女とはなりし。不思議なり。有りとしも思はれぬ事なり。友は再び眼を舞臺に注ぎて詞なし。ヂドは戀の歡を歌へり。清き情は聲となりて肺腑より迸《ほとばし》り出づ。是時《このとき》に當りて、我心は怪しく動きぬ。久しく心の奧に埋もれたりし記念は、此聲に喚《よ》び醒《さま》されんとする如し。この記念は我が全く忘れたるものなりき。この記念は近頃夢にだに入らざるものなりき。さるを忽ちにして我はその目前に現るゝを覺えき。今は我も亦ベルナルドオと倶に呼ばんとす。あれこそ例の少女なれ。われ穉《をさな》かりし時、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺にて聖誕日の説教をなしき。その時聲めでたき女兒ありて、その人に讚めらるゝこと我右に出でき。今聞くところは其聲なり。今見るところ或は其人にはあらずや。
エネエアスは無情なる語を出せり。我は去りなん。我は嘗ておん身を娶《めと》りしことなし。誰かおん身が婚儀の松明《まつ》を見しものぞ。この詞を聞きたるときの心をば、ヂドいかに巧にその眉目の間に畫き出しゝ。事の意外に出でたる驚、ことばに現すべからざる痛、負心《ふしん》の人に對する忿《いかり》、皆明かに觀る人の心に印せられき。ヂドは今|主《おも》なる單吟《アリア》に入りぬ。譬へば千尋《ちひろ》の海底に波起りて、倒《さかしま》に雲霄《うんせう》を干《をか》さんとする如し。我筆いかでか此聲を畫くに足らん。あはれ此聲、人の胸より出づとは思はれず。姑《しばら》く形あるものに喩《たと》へて言はんか。大いなる鵠《くゞひ》の、皎潔《けうけつ》雪の如くなるが、上りては雲を裂いて※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]氣《かうき》たゞよふわたりに入り、下りては波を破りて蛟龍《かうりよう》の居るところに沒し、その性命は聲に化して身を出で去らんとす。
喝采の聲は屋《いへ》を撼《うごか》せり。幕下りて後も、アヌンチヤタ、アヌンチヤタと呼ぶ聲止まねば、歌女は面《おもて》を幕の外にあらはして、謝することあまたゝびなりき。
第二|齣《せつ》の妙は初齣を踰《こ》ゆること一等なりき。これヂドとエネエアスとの對歌《ヅエツトオ》なり。ヂドに傍線]は無情なる夫のせめては啓行《いでたち》の日を緩《おそ》うせんことを願へり。君が爲めにはわれリユビアの種族を辱《はづかし》めき。君がためにはわれ亞弗利加《アフリカ》の侯伯に負《そむ》きぬ。君がために恥を忘れ、君がために操を破りたるわれは、トロアスに向けて一|隻《せき》の舟をだに出さゞりき。我はアンヒイゼス(エネエアス[の父)が靈の地下に安からんことを勉めき。これを聞きて我涙は千行《ちすぢ》に下りぬ。この時萬客聲を呑みてその感の我に同じきを證したり。
エネエアスは行きぬ。ヂドは色を喪《うしな》ひて凝立すること少《しば》らくなりき。その状《さま》ニオベ(子を射殺されて石に化した女神)の如し。俄《にはか》にして渾身の血は湧き立てり。これ最早ヂドならず、戀人なるヂド[#「ヂド」に傍線]、棄婦《きふ》なるヂドならず。彼は生《いき》ながら怨靈《をんりやう》となれり。その美しき面は毒を吐けり。その表情の力の大いなる、今まで共に嘆きし萬客をして忽《たちまち》又共に怒らしむ。フイレンツエの博物館に、レオナルドオ・ダ・ヰンチに傍線]が畫きたるメヅウザ(おそろしき女神)の頭あり。これを觀るもの怖るれども去ること能はず。大海の底に毒泡あり。能くアフロヂテを作りぬ。その目の状《さま》は言ふことを須《ま》たず、その口の形さへ、能く人を殺さんとす。
エネエアスが舟は波を蹴て遠ざかりゆけり。ヂドは夫の遺《わす》れたる武器を取りて立てり。その歌は沈みてその聲は重く、忽ちにして又激越悲壯なり。同胞《はらから》なるアンナアが彼を焚かんとて積み累《かさ》ねたる薪は今燃え上れり。幕は下りぬ。喝采の聲は暴風の如くなりき。歌女はその色と聲とを以て滿場の客を狂せしめたるなり。觀棚《さじき》よりも土間よりも、アヌンチヤタ、アヌンチヤタと呼ぶ聲|頻《しきり》なり。幕上りて歌女出でたり。その羞《はじらひ》を含める姿は故《もと》の如くなりき。男は其名を呼び、女は紛※[#「巾+兌」、47-下段-24]《てふき》を振りたり。花束の雨はその頭《かうべ》の上に降れり。幕再び下りしに、呼ぶ聲いよ/\劇《はげ》しかりき。こたびはエネエアスに扮せし男優と並びて出でたり。幕三たび下りしに、呼ぶ聲いよ/\劇しかりき。こたびはすべての俳優を伴ひ出でぬ。幕四たび下りしに、呼ぶ聲猶劇しかりき。こたびはアヌンチヤタ又ひとり出でて短き謝辭を陳《の》べたり。此時我詩は花束と共に歌女が足の下に飛べり。呼ぶ聲は未だ遏《や》まねど、幕は復た開かず。この時アヌンチヤタは幕の一邊より出でゝ、舞臺の前のはづれなる燭に沿ひて歩みつゝ觀客に謝したり。その面には喜の色溢るゝごとくなりき。想ふにけふは歌女が生涯にて最も嬉しき日なりしならん。されどこは特《ひと》り歌女が上にはあらず。我も亦わが生涯の最も嬉しき日を求めば、そは或はけふならんと覺えき。わが目の中にも、わが心の底にも、たゞアヌンチヤタあるのみなりき。觀客は劇場を出でたり。されど皆未だ肯《あへ》て散ぜず。こは樂屋の口に※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りゆきて、歌女が車に上るを見んとするなるべし。我も衆人《もろひと》の間に介《はさ》まりて、おなじ方《かた》に歩みぬれど、後には傍へなる石垣に押し付けられて動くこと能はず。歌女は樂屋口に出でぬ。客は皆帽を脱ぎてその名を唱へたり。われもこれに聲を合せつゝ、言ふべからざる感の我胸に滿つるを覺えき。ベルナルドオはもろ人を押し分けて進み、早くも車に近寄りて、歌女がためにその扉を開きぬ。少年の群は轅《ながえ》にすがりて馬を脱《はづ》したり。こは自ら車を輓《ひ》かんとてなりき。アヌンチヤタは聲を顫《ふるは》せてこれを制せんとしつれど、その聲は萬人のその名を呼べるに打ち消されぬ。ベルナルドオは歌女を車に載せ、おのれは踏板に上りて説き慰めたり。我も轅《ながえ》を握りてかの少年の群と共に喜びぬ。惜むらくは時早く過ぎて、たゞ美しかりし夢の痕を我心の中に留めしのみ。
歸路に珈琲《コーヒー》店に立寄りしに、幸にベルナルドオに逢ひぬ。羨むべき友なるかな。彼はアヌンチヤタに近づき、アヌンチヤタともの語せり。友のいはく。アントニオよ。奈何《いか》なりしぞ。汝が心は動かずや。若し骨焦がれ髓《ずゐ》燃えずば、汝は男子にあらじ。さきの年我が彼に近づかんとせしとき、汝は實に我を妨げたり。汝は何故にヘブライオス語を學ぶことを辭《いな》みしか。若し辭まずば、かゝる女と並び坐することを得しならん。汝は猶アヌンチヤタの我|猶太《ユダヤ》少女なることを疑ふにや。我にはかく迄似たる女の世にあらんとは信ぜられず。アヌンチヤタはたしかに猶太をとめなり。我にチプリイの酒を飮せし少女なり。少女は巣を立ちし「フヨニツクス」鳥の如く、かの穢《けがら》はしき猶太廓を出でつるなり。われ。そは信じ難き事なり。我も昔一たびかの女を見きと覺ゆ。若し其人ならば、猶太教徒にあらずして加特力教徒なること疑なし。汝も熟々《つく/″\》彼姿を見しならん。不幸なる猶太教徒の皆負へるカイン(亞當《アダム》の子)が印記《しるし》は、一つとしてその面に呈《あらは》れたるを見ざりき。又その詞さへその聲さへ、猶太の民にあるまじきものなり。ベルナルドオよ。我心はアヌンチヤタが妙音世界に遊びて、ほと/\歸ることを忘れたり。汝は彼少女に近づきたり。汝は彼少女ともの語せり。彼少女は何をか云ひし。彼少女も我等と同じくこよひの幸《さいはひ》を覺えたりしか。友。アントニオよ。汝が感動せるさまこそ珍らしけれ。「ジエスヰタ」の學校にて結びし氷今融くるなるべし。アヌンチヤタが何を云ひしと問ふか。彼少女は粗暴なる少年に車を挽《ひ》かれて、且《かつ》は懼《おそ》れ且は喜びたりき。彼少女は面紗《めんさ》を緊《きび》しく引締めて、身をば車の片隅に寄せ居たり。我は途すがらかゝる美しき少女に言ふべきことの限を言ひしかど、彼は車を下るとき我がさし伸べたる手にだに觸れざりき。われ。汝が大膽なることよ。汝は歌女と相識れるにあらずして、よくもさまで馴々しくはもてなしゝよ。こは我が決して敢てせざる所ぞ。友。我もさこそ思へ。汝は世の中を知らず、又女の上を知らねばなり。今日はかの女いまだ我に答へざりしかど、我には猶多少の利益あり。そは少女が我面を認めたることなり。我友はこれより我にさきの詩を誦《ず》せしめて聞き、頗妙なり、羅馬日記《ヂアリオ、ロオマ》に刻するに足ると稱へき。我等二人は杯を擧げてアヌンチヤタが壽《ことほぎ》をなしたり。我等のめぐりなる客も皆歌女の上を語りて口々に之を讚め居たり。
我がベルナルドオに別れて家に歸りしは、夜ふけて後なりき。床に上りしかど、いも寐られず。われはこよひ見し阿百拉《オペラ》の全曲を繰り返して心頭に畫き出せり。ヂド[が初めて場に上りし時、單吟《アリア》に入りし時、對歌《ヅエツトオ》せし時より、曲終りし時まで、一々肝に銘じて、其間の一節だに忘れざりき。我は手を被中《ひちゆう》より伸べて拍《う》ち鳴らし、聲を放ちてアヌンチヤタと呼びぬ。次に思ひ出したるは我が心血を濺《そゝ》ぎたる詩なり。起きなほりてこれを寫し、寫し畢《をは》りてこれを讀み、讀みては自ら其妙を稱《たゝ》へき。當時はわれ此詩のやゝ情熱に過ぐるを覺えしのみにて、その名作たることをば疑はざりき。アヌンチヤタは必ず我詩を拾ひしならん。今は彼少女家に歸りて半ば衣を脱ぎ、絹の長椅《ソフア》の上に坐し、手もて頤《おとがひ》を支へて、ひとり我詩を讀むならん。
きみが姿を仰ぎみて、君がみ聲を聞くときは、おほそら高くあま翔《かけ》り、わたつみふかくかづきいり、かぎりある身のかぎりなき、うき世にあそぶこゝちして、うた人なりしいにしへのダヌテ[#「ダヌテ」に傍線]がふみをさながらに、おとにうつしてこよひこそ、聞くとは思へ、うため(歌女)の君に。
我は嘗てダンテ[#「ダンテ」に傍線]の詩をもて天下に比《たぐひ》なきものとなしき。さるを今アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が藝を見るに及びて、その我心に入ること神曲よりも深く、その我胸に迫ること神曲よりも切なるを覺えたり。その愛を歌ひ、苦を歌ひ、狂を歌ふを聞けば、神曲の變化も亦こゝに備はれり。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]我詩を讀まば、必ず我意を解して、我を知らんことを願ふならん。斯く思ひつゞけて、やう/\にして眠に就きぬ。後に思へば、我は此夕我詩を評せしにはあらで、始終詩中の人をのみ思ひたりしなり。
をかしき樂劇
翌日になりて、ベルナルドオを尋ね求むるに、何處にもあらざりき。ピアツツア、コロンナをばあまたゝび過ぎぬ。アントニウスの像を見んとてにはあらず。アヌンチヤタの影を見る幸もあらんかとてなり。彼君はこゝに住へり。外國人にして共に居るものもあり。いかなる月日の下に生れあひたる人にか。「ピアノ」の響する儘に耳|聳《そばだ》つれど、彼君の歌は聞えず。二聲三聲試みる樣なるは、低き「バツソオ」の音なり。樂長ならずば彼群の男の一人なるべし。幸ある人々よ。殊に羨ましきはエネエアスの役勤めたる男なるべし。かの君と目を見あはせ、かの君の燃ゆる如き目《ま》なざしに我面を見させ、かの君と共に國々を經めぐりて、その譽を分たんとは。かく思ひつゞくる程に、我心は怏々《あう/\》として樂まずなりぬ。忽ち鈴つけたる帽を被れる戲奴《おどけやつこ》、道化役者、魔法つかひなどに打扮《いでた》ちたる男あまた我|圍《めぐり》を跳《をど》り狂へり。けふも謝肉の祭日にて、はや其時刻にさへなりぬるを、われは心づかでありしなり。かゝる群の華かなる粧《よそほひ》、その物騷がしき聲々はます/\我心地を損じたり。車幾輛か我前を過ぐ。その御者《ぎよしや》はこと/″\く女裝せり。忌はしき行裝かな。女帽子の下より露《あらは》れたる黒髯《くろひげ》、あら/\しき身振、皆程を過ぎて醜し。我はきのふの如く此間に立ちて快を取ること能はず。今しも最後の眸を彼君の居給ふ家に注ぎて、はや踵《くびす》を囘《めぐら》さんとしたるとき、その家の門口より馳せ出る人こそあれ。こはベルナルドオなり。滿面に打笑みて。そこに立ち盡すは何事ぞ。疾《と》く來よ。アヌンチヤタに引きあはせ得さすべし。彼君は汝を待ち受けたり。こは我|友誼《いうぎ》なれば。なに彼君が。と我は言ひさして、血は耳廓《みゝのは》に昇りぬ。戲《たはむれ》すな。我をいづくにか伴ひゆかんとする。友。汝が詩を贈りし人の許へ、汝も我も世の人も皆魂を奪れたる彼人の許へ、アヌンチヤタの許へ。かく云ひつゝ、友は我手を取りて門の内へ引き入れたり。我。先づわれに語れ。いかにして彼君の家に往くことゝはなしたる。いかにして我を紹介するやうにはなりし。友。そは後にゆるやかにこそ物語らめ。先づその沈みたる顏色をなほさずや。我。されどこのなよびたる衣をいかにせん。かの君にあまりに無作法なりとや思はれん。かく言ひつゝ我は衣など引き繕《つくろ》ひてためらひ居たり。友。否々その衣のままにて結構なり。兎角いひ爭ふほどに我等ははや戸の前に來ぬ。戸は開けり。我はアヌンチヤタが前に立てり。
衣は黒の絹なり。半紅半碧の紗《しや》は肩より胸に垂れたり。黒髮を束ねたる紐の飾は珍らしき古代の寶石なるべし。傍に、窓の方に寄りて坐りたるは、暗褐色の粗服したる媼《おうな》なり。彼君の目の色、顏の形は猶太少女といはんも理《ことわり》なきにあらずと思はる。我友がむかし猶太廓《ゲツトオ》にて見きといふ少女の事は、忽ち胸に浮びぬ。されど我心に問へば、この人その少女ならんとは思はれず。室の内には、尚一人の男居あはせたるが、わが入り來るを見て立ちあがれり。アヌンチヤタも亦起ちて笑みつゝ我を迎へたり。友はわざとらしき聲音《こわね》にて。これこそ我友なる大詩人に候へ。名をばアントニオといひ、ボルゲエゼの族《うから》の寵兒なり。主人の姫は我に向ひて。許し給へ。おん目にかゝらんことは、寔《まこと》に喜ばしき限なれど、かく強ひて迎へまつらんこと本意《ほい》なく、二たび三たび止めしに、ベルナルドオの君聽かれねば是非なし。さきにはめでたき歌を賜《たま》はりぬ。その作者は君なること、おん友達より承りて、いかでおん目にかゝらんと願ひ居りしに、窓より君を見付けて、わが詞を聞かで呼び入れ給ひぬ。禮なしとや思ひ給ひけん。されどおん友達の上は、我より君こそよく知りておはすらめ。ベルナルドオは戲もて姫がこの詞に答へ、我は僅にはじめて相見る喜を述べたり。我頬は燃ゆる如くなりき。姫のさし伸べたる手を握りて、我は熱き唇に當てたり。姫は室にありし男を我に引き合せつ。すなはちこの群の樂長なりき。又媼は姫のやしなひ親なりといふ。その友と我とを見る目《ま》なざしは廉《かど》ある如く覺えらるれど、姫が待遇《もてなし》のよきに、我等が興は損《そこな》はるゝに至らざりき。
樂長は我詩を讚めて、われと握手し、かゝる技倆ある人のいかなれば樂劇《オペラ》を作らざる、早くおもひ立ちて、その初の一曲をば、おのれに節附せさせよと勸めたり。姫その詞を遮《さへぎ》りて。彼が言を聞き給ふな。君にいかなる憂き目をか見せんとする。樂人は作者の苦心をおもはず、聽衆はまた樂人よりも冷淡なるものなり。こよひの出物《でもの》なる樂劇の本讀《ラ、プルオバ、ヅン、オペラ、セリア》といふ曲はかゝる作者の迷惑を書きたるものなるが、まことは猶一層の苦界《くがい》なるべし。樂長の答へんとするに口を開かせず、姫は我前に立ちて語を繼ぎたり。君こゝろみに一曲を作りて、全幅の精神をめでたき詞に注ぎ、局面の體裁人物の性質、いづれも心を籠めてその趣を盡し、扨《さて》これを樂人の手に授け給へ。樂人はこゝにかゝる聲を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]まんとす。君が字句はそのために削らるべし。かしこには笛と鼓とを交へむとす。君はこれにつれて舞はしめられん。さておもなる女優は來りて、引込の前に歌ふべき單吟《アリア》の華かなるを一つ作り添へ給はでは、この曲を歌はじといふべし。全篇の布置は善きか惡きか。そは俳優の責にあらず。「テノオレ」うたひの男も、これに讓らぬ我儘をいはむ。君は男女の役者々々を訪ひて項《うなじ》を曲げ色を令《よ》くし、そのおもひ付く限の注文を聞きてこれに應ぜざるべからず。次に來るは座がしらなり。その批評、その指※[#「てへん+適」、第4水準2-13-57]、その刪除《さんじよ》に逢ふときは、その人いかに愚ならんも、枉《ま》げてこれに從はでは協《かな》はず。道具かたはそれの道具を調へんは、我座の力の及ぶところにあらずといふ。かゝる場合に原作を改むることを、芝居にては曲を曲《ま》ぐといふ。畫工は某《それ》の畑、某の井、其の積み上げたる芻秣《まぐさ》をばえ寫さじといふ。これがためにさへ曲ぐべき詞も出來たるべし。最後におもなる女優又來りて、それの詞の韻脚は囀《さへづ》りにくし、あの韻をば是非とも阿《あ》のこゑにして賜はれといふ。これがためにいかなる重みある詞を削《けづ》り給はんも、又いづくより阿のこゑの韻脚を取り給はんも、そは唯だ君が責に歸せん。かくあまたゝび改めて、ほと/\元の姿を失ひたる曲を革《かは》に掛けたるとき、看客のうけあしきを見て、樂長はかならず怒りて云はむ。拙劣なる詩のために、いたづらなる骨折せしことよ。わが譜の翼を借したれども、癡重《ちちよう》なるかの曲はつひに地に墜ちたりと云はむ。
外よりは樂の聲おもしろげに聞えたり。假面着けたる人はこゝの街にもかしこの辻にもみち/\たり。たちまち拍手の音と共に聞ゆる喝采の響いとかしましきに、一座の人々みな窓よりさし覗きぬ。いまわれ意中の人の傍にありて見れば、さきに厭はしと見つるとは樣かはりて、けふの祭のにぎはひ又面白く、我はふたゝびきのふ衆人に立ち廁《まじ》りて遊びたはぶれし折に劣らぬ興を覺えき。
道化役者にいでたちたるもの五十人あまり。われ等のさし覗ける窓の下につどひ來て、おのれ等が中より一人の王を選擧せんとす。これに中《あた》りたるものは、彩《いろど》りたる旗、桂の枝の環飾《わかざり》、檸檬《リモネ》の實の皮などを懸けたる小車に乘り遷《うつ》りぬ。その旗のをかしく風に翻《ひるがへ》るさま、衣の紐などの如く見えき。王の着座するや、其頭には金色に塗りて更にまた彩りたる鷄卵を並べて作れる笠を冠として戴かせ、其手には「マケロニ(麪《めん》類の名)つけたる大いなる玩具《もてあそび》の柄つきの鈴を笏《こつ》として持たせたり。さて人々その車のめぐりを踊りめぐれば、王はいづかたへも向ひて頷《うなづ》きたり。やゝありて人々は自ら車の綱取りて挽《ひ》き出せり。この時王は窓にアヌンチヤタに傍線]あるを見つけ、親しげに目禮し、車の動きはじむると共に聲を揚げ。きのふは汝、けふは我。羅馬の牧のまことの若駒を轅《ながえ》に繋ぐ快さよ、とぞ叫びける。姫は面をさと赤めて一足退きしが、忽ち心を取直したる如く、又手を欄《おばしま》にかけて、聲高く。我にも汝にも過分なる事ぞ。かりそめにな思ひそといふ。群集も亦きのふの歌女を見つけたりけるが、今その王との問答を聞きて、喝采の聲しばしは鳴りも止まず、雨の如き花束は樓の上なる窓に向ひて飛びぬ。その花束の一つ、姫が肩に觸れて我前に落ちたれば、我はそを拾ひて胸におしつけ、何物にも換へがたき寶ぞと藏《をさ》めおきぬ。
ベルナルドオは祭の王のよしなき戲を無禮《なめ》しといきどほり、そのまゝ樓を走り降りて筈《むちう》ち懲らさばやといひしを、樂長は餘《よ》のひと/″\と共になだめ止むるほどに、「テノオレ」うたひの頭なる男おとづれ來ぬ。その男は歌女に初對面なりといふ「アバテ」一人と外國うまれの樂人一人とを伴へり。續いて外國の藝人あまた打連れ來りて對面を請ひぬ。これにて一間に集ひし客の數俄に殖えたれば、物語さへいと調子づきて、さきの夕「アルジエンチナ」座にて興行したる可笑《をかし》き假粧舞《フエスチノ》の事、詩女《ムウザ》の導者たるアポルロン、古代の力士、圓鐵板《ヂスコス》投ぐる男の像等に肖《に》せたる假面の事など、次を逐《お》ひて談柄となりぬ。獨りかの猶太種と覺しき老女のみはこの賑しき物語に與《あづか》らで、をり/\姫がことさらに物言掛けたる時、僅に輕く頷くのみなりき。この時姫の態度に心をつくるに、きのふ芝居にて思ひしとは、甚しき相違あり。その家にありてのさまは、世を面白く渡りて、物に拘《こだは》ることなき尋常の少女なり。されどわが姫を悦ぶ心はこれがために毫《すこ》しも減ぜず。この穉《をさな》き振舞は却《かへ》りてあやしく我心に協《かな》ひき。姫は譯もなき戲言《ざれごと》をも、面白くいひ出でゝ、我をも人をも興ぜさせ居たりしが、俄にこゝろ付きたるやうに※[#「金+表」、51-中段-7]《とけい》を見て、はや化粧すべき時こそ來ぬれ、今宵は樂劇の本讀《ラ、プルオバ、ヅン、オペラ、セリア》のうちなる役に中《あた》り居ればとて座を起ち、側なる小房のうちに入りぬ。
門を出でたるとき。われ。汝が惠によりてゆくりなき幸に逢ひしことよ。舞臺なるを見し面白さに讓らぬ面白さなりき。さはれ汝はいかにして彼君とかく迄親くはなりし。又いかにして我をさへ紹介しつる。我は猶さきよりの事を夢かと疑はんとす。友。わが少女の許を訪れしは、別にめづらしき機會を得しにあらず。羅馬貴族の一人、法皇|禁軍《このゑ》の一將校、すべての美しきものを敬する人のひとりとして、姫をば見舞つるなり。若し又戀といふものゝ上より云はゞ、この理由の半ばをだに須《もち》ゐざるならん。されば我が姫を訪ひて、汝も前《さき》に見つる如き紹介なき客に劣らぬ、善き待遇を得しこと、復た怪むに足らざるべし。且《また》戀はいつも我交際の技倆を進む。彼と相對するときは、倦怠せしめざる程の事我掌中に在り。相見てよりまだ半時間を經ざるに、我等は頗《すこぶ》る相識ることを得き。さてかくは汝をさへ引合せつるなり。我。さては汝彼君を愛すといふか。眞心もて愛すといふか。友。然り、今は昔にもまして愛するやうになりぬ。さきに猶太廓にて我に酒を勸めし少女の、今のアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]なることは、最早疑ふべからず。わが始て居向ひしとき、姫は分明《ぶんみやう》に我を認むるさまなりき。かの老いたる猶太婦人の詞すくなく、韈《くつした》編めるも、わがためには一人の證人なり。されどアヌンチヤタは生れながらの猶太婦人にあらず。初め我がしかおもひしは、其髮の黒く、其瞳の暗きと其境界とのために惑はされしのみ。今思へば姫は矢張《やはり》基督教の民なり。終には樂土に生るべき人なり。
この夕ベルナルドオと芝居にて逢ふことを約しき。されど餘りの大入なれば、我はつひに吾友を見出すこと能はざりき。我は辛く一席を購《あがな》ふことを得き。いづれの棧敷《さじき》にも客滿ちて、暑さは人を壓するやうなり。演劇はまだ始まらぬに、我身は熱せり。きのふけふの事、わがためには渾《すべ》て夢の如くなりき。かゝる折に逢ひて、我心を鎭めんとするに、最も不恰好なるは、蓋《けだ》し今宵の一曲なりしならん。世に知れわたりたる如く、樂劇の本讀といふは、極めて放肆《はうし》なる空想の産物なり。全篇を貫ける脈絡あるにあらず。詩人も樂人も、只管《ひたすら》觀客をして絶倒せしめ、兼ねて許多《あまた》の俳優に喝采を博する機會を與へんことを勉めたるなり。主人公は我儘にして動き易き性なる男女二人にして、これを主なる歌女及譜を作る樂人とす。絶間なき可笑しさは、盡る期なき滑稽の葛藤を惹起せり。主人公の外なる人物には人のおのれを取扱ふこと一種の毒藥の如くならんことを望める俳優をのみ多く作り設けたり。かくいふをいかなる意ぞといふに、そは能く人を殺し又能く人を活す者ぞとなり。此群に雜《まじ》れる憐むべき詩人は、始終人に制せられ役せられて、譬へば猶犧牲となるべき價なき小羊のごとくなり。
喝采の聲と花束の閃《ひらめき》は場《ぢやう》に上りたるアヌンチヤタを迎へき。その我儘にて興ある振舞、何事にも頓着せずして面白げなる擧動を見て、人々は高等なる技《わざ》といへど、我はそを天賦の性《さが》とおもひぬ。いかにといふに、姫が家にありてのさまはこれと殊なるを見ざればなり。その歌は數千の銀《しろかね》の鈴|齊《ひとし》く鳴りて、柔なる調子の變化|極《きはまり》なきが如く、これを聞くもの皆頭を擧げて、姫が目より漲《みなぎ》り出づる喜をおのが胸に吸ひたり。姫と作譜者と對して歌ふとき相代りて姫男の聲になり、男姫の聲になる條《くだり》あり。この常に異なる技は、聽衆の大喝采を受けたるが、就中《なかんづく》姫が最低の「アルトオ」の聲を發し畢《をは》りて、最高の「ソプラノ」の聲に移りしときは、人皆物に狂へる如くなりき。姫が輕く艷なる舞は、エトルリアの瓶《へい》の面なる舞者《まひこ》に似て、その一擧一動一として畫工彫工の好粉本ならぬはなかりき。われはこのすべての技藝を見て姫の天性の發露せるに外ならじとおもひき。アヌンチヤタがヂドは妙藝なり、その歌女は美質なり。曲中には間《まゝ》何の縁故もなき曲より取りたる、可笑しき節々を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《はさ》みたるが、姫が滑稽なる歌ひざまは、その自然ならぬをも自然ならしめき。姫はこれを以て自ら遣り又人に戲るゝ如くなりき。大團圓近づきたるとき、作譜者、これにて好し、場びらきの樂を始めんとて、舞臺の前なるまことの樂人の群に譜を頒《わか》てば、姫もこれに手傳ひたり。樂長のいざとて杖を擧ぐると共に、耳を裂くやうなる怪しき雜音起りぬ。作譜者と姫と、旨《うま》し/\と叫びて掌を拍《う》てば、觀客も亦これに和したり。笑聲は殆ど樂聲を覆へり。我は半ば病めるが如き苦悶を覺えき。姫の姿は驕兒《けうじ》の恣《ほしい》まゝに戲れ狂ふ如く、その聲は古《いにしへ》の希臘の祭に出できといふ狂女の歌ふに似たり。されどその放縱の間にも猶やさしく愛らしきところを存せり。我はこれを見聞きて、ギドオ・レニイ(伊太利畫工)が仰塵畫《てんじやうゑ》の朝陽《あさひ》と題せるを想出しぬ。その日輪の車を繞《めぐ》りて踊れる女のうちベアトリチエ・チエンチイ(羅馬に刑死せし女の名)の少《わか》かりしときの像に似たるありしが、その面影は今のアヌンチヤタなりき。我もし彫工にして、この姿を刻みなば、世の人これに題して清淨なる歡喜となしたるなるべし。あら/\しき雜音は愈※[#二の字点、1-2-22]高く、作譜者と姫とは之に連れて歌ひたるが、忽ち旨し/\、場びらきの樂は畢りぬ、いざ幕を開けよといふとき幕閉づ。これを此曲の結局とす。姫はこよひもあまたゝび呼び出されぬ。花束、緑の環飾、詩を寫したるむすび文、彩りたる紐は姫が前に翻《ひるがへ》りぬ。
即興詩の作りぞめ
この夕我と同じ年頃なる人々にて、中には我を知れるものも幾人か雜りたるが、アヌンチヤタが家の窓の下に往きて絃歌を催さむといふ。我は崇拜の念止み難き故をもて、膽《きも》太くもまたこの群に加りぬ。唱歌といふものをば止めてより早や年ひさしくなりたるにも拘らで。
姫が歸りてより一時間の後なりき。一群はピアツツア、コロンナに至りぬ。出窓の内よりは猶燈の光さしたり。樂器執りたる人々は窓の前に列びぬ。我心は激動せり。我聲は臆することなく人々の聲にまじりたり。歌の一節をば、われ一人にて唱へき。この時我は唯だアヌンチヤタが上をのみ思ひて、すべての世の中を忘れ果てたり。さて深く息して聲を出すに、その力、その柔《やはらか》さ、能くかく迄に至らんとは、みづからも初より思ひかけざる程なりき。火伴《つれ》のものは覺えず微《かすか》なる聲にて喝采す。その聲は微なりと雖、猶我耳に入りて、我はおのが聲の能く調へるに心付きたり。喜は我胸に滿ちたり。神は我身に舍《やど》り給へり。アヌンチヤタに傍線]が出窓よりさし覗きて、身を屈し禮をなしたるときは、その禮を受くるもの殆ど我一人なる如くおもはれき。我は我聲の一群を左右する力ありて、譬へば靈魂の肢體を役するが如くなるを覺えき。事果てて後家に歸りしが、身は唯だ夢中に起ちてさまよひありく、怪しき病ある人の如くにして、その夜枕に就きての夢には始終アヌンチヤタが我歌を喜べるさまをのみ見き。
翌日姫をおとづれぬ。ベルナルドオ、昨夜の火伴《つれ》の二人三人は我に先だちて座にありき。姫のいはく。きのふ絃歌の中にて「テノオレ」の聲のいと善きを聞きつといふ。我面はこの詞と共に火の如くなりぬ。それこそアントニオなれと告ぐるものあり。姫は直ちに我を引きて「ピアノ」の前に往き、倶《とも》に歌へと勸む。我は法廷に立てるが如き心地して、再三|辭《いな》みたるに、人々側より促して止まず、又ベルナルドオは聲を勵まして、さては汝切角の姫の聲をさへ我等に聞せざらんとするかと責めたり。姫に手を拉《ひ》かれたる我は、捕《とらへ》られし小鳥に殊ならず。縱《たと》ひ羽ばたきすとも、歌はでは叶はず。姫の歌はんといふは、わが知れる雙吟《ヅエツトオ》なり。姫は「ピアノ」に指を下して、先づ聲を擧げ、我は震ひつゝもこれに和したり。この時姫の目なざしは、我に膽々《たん/\》とさゝやきて、我をその妙音界に迎ふる如くなりき。わが怯《おそれ》は已みて、我聲は朗になりぬ。一座は喝采を吝《おし》まず、かの猶太おうなさへやさしげに頷きぬ。
このときベルナルドオは汝はいつも人の意表に出づる男ぞとつぶやきて、さて衆人に向ひ、吾友には猶かくし藝こそあれ、そは即興の詩を作ることなり、作らせて聞き給はずやといひき。喝采に醉ひたる我は、アヌンチヤタが一言の囑《たのみ》を待ちて、大膽にも即興の詩を歌はんとせり。この技は人と成りての後未だ試みざるものなるを。我は姫の「キタルラ」を把《と》りぬ。姫は直に不死不滅といふ題を命ぜり。材には豐なる題なりき。しばしうち案じて、絃を撥《はじ》くこと二たび三たび、やがて歌は我肺腑より流れ出でたり。詩神は蒼茫たる地中海を渡り、希臘《ギリシア》の緑なる山谷の間にいたりぬ。雅典《アテエン》は荒草斷碑の中にあり。こゝに野生の無花果樹《いちじゆく》の摧《くだ》け殘りたる石柱を掩《おほ》へるあり。この間には鬼の欷歔《ききよ》するを聞く。むかしペリクレエスの世には、この石柱の負へる穹窿の下に、笑ひさゞめく希臘の民往來したりき。そは美の祭を執《と》り行へるなり。ライス(名娼の名)の如く美しき婦人は環飾を取りて市に舞ひ、詩人は善と美との不死不滅なるを歌ひぬ。忽ちにして美人は黄土となりぬ。當時の民の目を悦ばしたる形は世の忘るゝ所となりぬ。詩神は瓦礫《ぐわれき》の中に立ちて泣くほどに、人ありて美しき石像を土中より掘り出せり。こは古の巨匠の作れるところにして、大理石の衣を着けて眠りたる女神なり。詩神はこれを見て、さきの希臘の美人の俤《おもかげ》を認めき。あはれ古人が美をかう/″\しき迄に進めて、雪の如き石に印し、これを後昆《こうこん》に遺したるこそ嬉しけれ。見よや、死滅するものは浮世の權勢なり。美いかでか死滅すべき。詩神は又波を踏みて伊太利に渡り、古の帝王の住みつる城址に踞《きよ》して、羅馬の市を見おろしたり。テヱエル河の黄なる水は昔ながらに流れたり。されどホラチウス・コクレスが戰ひし處には、今|筏《いかだ》に薪と油とを積みてオスチアに輸《おく》るを見る。されどクルチウスが炎火の喉《のんど》に身を投ぜし處には、今牧牛の高草の裡《うち》に眠れるを見る。アウグスツスよ。チツスよ。汝が雄大なる名字《みやうじ》も、今は破れたる寺、壞れたる門の稱に過ぎず。羅馬の鷲、ユピテルの猛《たけ》き鳥は死して巣の中にあり。あはれ羅馬よ。汝が不死不滅はいづれの處にか在る。鷲の眼は忽ち耀《かゞや》きて、その光は全歐羅巴を射たり。既に倒れたる帝座は、又起ちてペトルスの椅子(法皇座)となり、天下の王者は徒跣《とせん》してこゝに來り、その下に羅拜せり。おほよそ手の觸るべきもの、目の視るべきもの、いづれか死滅せざらん。されどペトルスの刀いかでか※[#「金+肅」、第3水準1-93-39]《さび》を生ずべき。寺院の勢いかでか墮つる期《ご》あるべき。縱《たと》ひ有るまじきことある世とならんも、羅馬は猶その古き諸神の像と共に、その無窮なる美術と共に、世界の民に崇《あが》められん。東よりも西よりも、又天寒き北よりも、美を敬《うやま》ふ人はこゝに來て、羅馬よ、汝が威力は不死不滅なりといはん。この段の畢《をは》るや、喝采の聲は座に滿ちたり。獨りアヌンチヤタは靜座して我面を見たるが、其姿はアフロヂテの像の如く、其|眸《ひとみ》には優しさこもれり。我情は猶輕き詩句となりて、唇より流れ出でたり。詩境は廣き世界より狹き舞臺に遷《うつ》れり。こゝに技倆すぐれたる俳優あり。その所作、その唱歌は萬客の心を奪へり。歌ひてこゝに至りたるとき、姫は頭を低《た》れたり。そは我上とおもへばなるべし。座中の人々も、亦我敍述する所によりて我意の在るところを認めしならん。かゝる俳優も歌|歇《や》み幕落ちて、喝采の聲絶ゆるときは、其藝術は死なん。死して美き屍《かばね》となりて、聽衆の胸に※[#「やまいだれ+(夾/土)」、第3水準1-88-54]《うづ》められたるのみならん。されど詩人の胸は衆人の胸に殊なり。譬へば聖母の墓の如し。こゝに※[#「やまいだれ+(夾/土)」、第3水準1-88-54]《うづ》めらるゝものは、悉く化して花となり香となり、死者は再びこれより起たん。しかしてその詩は一たび死したる藝術をして、不死不滅の花となりて開かしめん。我目はアヌンチヤタに傍線]が顏を見やりたり。我心は吐き盡したり。われは起ちて禮をなしたるに、人々は我を圍みて謝したり。姫は我を視て、君は深く我心を悦ばしめ給ひぬといひぬ。我は僅に唇をやさしき手に押し當てたり。
そも/\劇は虹の如きものなり。彼も此も天地の間に架したる橋梁なり。彼も此も人皆仰いで其光彩を喜ぶ。然はあれどその※[#「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2-1-57]忽《しゆくこつ》にして滅するや、彼も此も迹《あと》の尋ぬべきなし。アヌンチヤタとアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が技《わざ》とは、其運命實にかくの如し。姫はわがこれを不朽にせんとする心を、この時能く曉《さと》り得たり。姫が我を解することの斯く深かりしことは、當時我未だ知ること能はざりしが、後に至りて明かになりぬ。
我は日ごとに姫をおとづれき。わづかに殘れる謝肉祭の日はいつしか夢の如くに過ぎ去りぬ。されどこの間われは遺憾なくこのまつりの興を受用し盡せり。そはアヌンチヤタが我に賦《ふ》したる樂天主義の賜《たまもの》なりき。或時ベルナルドオのいふやう。汝はやうやくまことの男とならんとす。われ等に變らぬ眞の男とならんとす。されど汝はまだ唇を杯の縁にあてしに過ぎず。我は明かに知る、汝が唇の未だ曾て女子の口に觸れず、汝が頭の女子の肩に倚《よ》らざるを。今若しアヌンチヤタまことに汝を愛せばいかに。我。思ひも掛けぬ事かな。アヌンチヤタは我が僅に能く仰ぎ見るものゝ名にして、我手の屆くべきものゝ名にあらず。彼。あらず。高くもあれ低くもあれ、アヌンチヤタとは女子の名なり。汝は詩人にあらずや。詩人は測るべからざる性あるものなり。その女子の胸の片隅を占むるや、その奧に進むべき鍵は、詩人の手にあるものぞ。我。姫がやさしさ、賢《さか》しさ、姫が藝術のすぐれたるをこそ慕へ。これに戀せんなどとは、われ實に夢にだにおもひしことなし。彼。汝が眞面目なるおも持こそをかしけれ。好し/\、我は汝が言を信ぜん。汝は素《もと》より蛙なんどに等しき水陸兩住の動物なり。現《うつゝ》の世のものか、夢の世のものか、そを誰か能く辨ぜん。汝はまことに彼君を愛せざるべし、わが愛する如く、世の人の戀するときに愛する如く愛せざるべし。されど汝が姫に對する情果して戀に非ずば、今より後彼に對して面をあかめ、火の如き目《ま》なざしゝて彼に向ふことを休《や》めよ。そは彼君のためにあしかりなん。傍より見ん人の心のおもはれて。されど姫はあさて此地を立つといへば、最早その憂もあらざるべし。基督再生祭の後には歸るといへど、そも恃《たの》むべきにはあらず。これを聞きたるとき、我胸は躍りぬ。アヌンチヤタを見るべからざること五週に亙《わた》るべし。彼君はフイレンツエの芝居に傭《やと》はれ、斷食日の初にこゝを立つなりとぞ。ベルナルドオは語を繼ぎていはく。かしこに至らば崇拜者の新なる群は姫がめぐりに集ふべし。さらば舊きは忘れられん。譬へば汝が即興の詩の如きも、その時こそ姫のやさしき目なざしに、汝に謝する色現れつれ、かしこにては思出さるゝ暇なからん。さはあれ一個の婦人にのみ心を傾くるは癡漢《ちかん》の事なり。羅馬には女子多し。野に遍《あまね》き花のいろ/\は人の摘み人の采《と》るに任するにあらずや。
この夕我はベルナルドオと共に芝居に往きぬ。アヌンチヤタとなりて出でぬ。その歌、その振《ふり》、始に讓らざりき。完備せるものゝ上には完備を添ふるに由なし。姫が技藝はまことに其域に達したるなり。こよひは姫また我理想の女子となりぬ。その本讀の曲にての役《やく》、その平生の擧動は、例へば天上の仙の暫くこの世に降りて、人間の態をなせるが如くぞおもはるる。その態《さま》も好し。されどヂドの役にては、姫が全幅の精神を見るべし。姫がまことの我《われ》を見るべし。萬客は又狂せり。想ふにこの羅馬の民のむかし該撤《カエザル》とチツスとを迎へけん歡も、おそらくは今宵の上に出でざるならん。曲|畢《をは》りて姫は衆人に向ひて謝辭を陳《の》べ、再びこゝに來んことを約せり。姫はこよひもあまたゝび呼出されぬ。歸途に人々の車を挽けるも亦同じ。我もベルナルドオと共に車に附き添ひて、姫がやさしき笑顏を見送りぬ。
謝肉祭の終る日
翌日は謝肉祭《カルナワレ》の終る日なりき。又アヌンチヤタ[が滯留の終る日なりき。我は暇乞《いとまごひ》におとづれぬ。市民がその技能に感じて與へたる喝采をば、姫深く喜びたり。フイレンチエはその自然の美しき、その畫廊の備《そなは》れる、居るに宜《よろ》しきところなれど、再生祭の後こゝに歸らんことは、今より姫の樂むところなり。姫はかしこの景色を物語りぬ。アペンニノの森林、豪貴の人々の別莊の其間に碁布せるピアツツア、デル、グランヅカ、其外美しき古代の建築物など、その言ふところ人をして目のあたりに見る心地せしめき。
姫のいはく。我は再び畫廊に往かむ。我に彫刻を喜ぶこゝろを生ぜしめしは彼處《かしこ》なり。プロメテウスが死者に生を與ふるに同じく、人間の心の偉大なるを、わが悟りしはかしこなり。彼廊に一室あり。そは最も小なる室にして、わが最も好める室なり。今若し君をかしこに在らしむることを得ば、君は能くわがむかしの喜を解し、又能くわが今日そを想起《おもひおこ》す喜を解し給はん。この八角に築きたる室には、實に全廊の尤物《いうぶつ》を擢《ぬきん》でゝ陳列せり。されどその尤物の皆けおさるるは、メヂチのヱヌスの石像あればなり。かくまでに生けるが如き石像をば、われこの外に見しことなし。その目は人を視る如し。あらず。人の心の底を觀る如し。石像の背後には、チチアノの畫けるヱヌスの油畫二幅を懸けたり。その色彩目を奪ふと雖《いへども》、こゝに寫し得たるは人間の美しさにして、彼石の現せるは天上の美しさなり。ラフアエロがフオルナリイナ(作者意中の人)は心を動すに足らざるにあらず。されどヱヌスに傍線]の生けるをば、われあまたゝび顧みざること能はず。否々、おほよそ世に彫像多しと雖、いづれか彼ヱヌスの右に出づべき。ラオコオンにてはまことに石の痛楚《つうそ》のために泣くを見る。しかも猶及ばざるところあり。獨り我ヱヌスと美を※[#「女+貔のつくり」、55-中段-5]《くら》ぶるは、君も知り給へるワチカアノに二重傍線]のアポルロンならん。その詩神を摸したる力量は、彼ヱヌスに於きてやさしき美の神を造れるなり。我答へて。君の愛《め》で給ふ像を石膏に寫したるをば、我も見き。姫。否、われは石膏の型《かた》ばかり整はざるものはなしと思へり。石膏の顏は死顏なり。大理石には命あり靈あり。石はやがて肌肉となり、血は其下を行くに似たり。フイレンチエまで共に行き給はずや。さらばわれ君が案内すべし。我は姫が志の厚きを謝して、さていひけるは、さらば再生祭の後ならでは、又相見んこと難かるべしといふ。姫こたへて。さなり。聖ピエトロ寺の燈を點し、烟火戲《ジランドラ》を上ぐる折は、我等が相逢ふべき時ならん。それまでは君われを忘れ給ふな。我はまたフイレンチエの畫廊に往きて君とけふ物語れることを想ふべし。われは常に面白きことに逢ふごとに、我友のその樂を分たざるを恨めり。これも旅人の故郷を偲《しの》ぶたぐひなるべのヱヌスに傳へ給へ。姫。さては我にとてにはあらざりしか。我は決して私《わたくし》することなかるべしといひぬ。我は分れて一間を出でしとき夢みる人の如くなりき。戸の外にて家の媼《おうな》に出で逢ひ、心の常ならぬけにやありけむ、われその手を取りて接吻せしに、これは善き性《さが》の人なるよとつぶやくを聞きつ。
最後の謝肉祭の日をば、飽く迄樂まむと思ひぬ。唯だアヌンチヤタと別れむことは、猶|現《うつゝ》とも覺えず。又逢はむ日は遙なる後にはあらで、明日の朝にはあらずやとおもはる。假面をば被りたらねど、「コンフエツチイ」の粒|擲《な》ぐることは、人々に劣らざりき。道の傍なる椅子には人滿ちたり。家ごとの窓よりも人の頭あらはれたり。車のゆきかふこと隙間なく見ゆるに、その餘せる地にはうれしげなる面持したる人肩|摩《す》るほどに集へり。歩まむとする人は、車と車との隙を行くより外すべなし。音樂の聲は四面より聞ゆ。車の内よりも「イル、カピタノ」(大尉)の歌洩りたり。陸に海に立てたる勳《いさをし》とぞ歌ふなる。腰に木馬を結びたる童あり。首と尾とのみ見えて、四足のところは膝かけの色ある巾《きれ》にて掩《おほ》はれたり。童の足二つにて、馬の足の用をなせるなり。かゝるものさへ車と車との間に入れば、混雜はまた一入《ひとしほ》になりぬ。われは楔《くさび》の如く車の間に介《はさ》まりて、後へも先へも行くこと叶はず。後なる車|挽《ひ》ける馬の沫《あわ》は我耳に漑《そゝ》げり。わがこれにえ堪へで、前なる車の踏板に飛び乘りたるを、これに乘れる寢衣《ねまき》着たる翁とやさしき花賣娘とは、早くも惡劇《いたづら》のためよりは避難のためと見て取りぬと覺しく、娘は輕く我手背を敲《たゝ》き、例の玉のつぶて二つ投げかけしのみなれど、翁の打つ飛礫《つぶて》は雨の如くなりき。娘もこの攻撃を興あることにや思ひけん、遂には翁の所爲に傚《なら》ひて、持てる籠の空《むな》しくならんとするをも厭はで唯だ打ちに打つ程に、我衣は斑々として雪を被《かぶ》れる如くぞなりぬる。われはこの地點を守りかねて、飛びおるれば、戲奴《おどけやつこ》にいでたちたる男走り來て、手に持てる采配もて、我衣を拂ひ呉れたり。
暫し避けて佇《たゝず》む程に、さきの車又かへり路に我を見て、再び「コンフエツチイ」を投げかけたり。わが未だ迎へ戰ふに遑《いとま》あらざる時、砲聲地に震ひて、くらべ馬始まるをしらせしかば、車は皆狹き横道に入りて、翁と娘とも見えずなりぬ。二人は我を識りたりと覺し。奈何《いか》なる人にかあらん。ベルナルドオは今日街に見えざりき。かの翁は其人にて、娘はアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]にはあらずや。
我は街の角に近き椅子に倚りぬ。砲は再び響きて、競馬は街のたゞ中をヱネチアの廣こうぢさして馳せゆき、荒浪の寄するが如き群衆はその後に隨ひぬ。わが踵《くびす》を旋《めぐら》して還《かへ》らむとするとき、馬よ/\と呼ぶ聲俄に喧《かまびす》しく、競馬の内なる一頭の馬、さきなる埒《らち》にて留まらず、そが儘街を引きかへし來れるに、最早馬過ぎたりと心許しゝ群衆は、あわて騷ぐこと一かたならず。吾心頭には稻妻の如く昔のおそろしかりしさま浮びたり。瞬《またゝ》くひまに街の兩側に避けたる人の黒山の如くなる間を、兩脇より血を流し、鬣《たてがみ》戰《そよ》ぎ、口より沫《あわ》出でたる馬は馳せ來たり。されど我前を過ぐるとき、いかにかしけむ銃もて撃《うた》れたる如く打ち倒れぬ。怪我せし人やあると、人々しばしは安き心あらざりしが、こたびは聖母やさしき手を信者の頭の上に擴げ給ひて、一人をだに傷け給はざりき。
危さの容易《たやす》く過ぎ去りしは、祭の興を損ぜずして、却《かへ》りて人の心を亂し、人の歡を助けたり。これよりは謝肉祭の大詰なる燭火の遊(モツコロ)始まらんとす。今まで列を成したりし馬車は漸く亂れて、街上の雜※[#「二点しんにょう+鰥のつくり」、第4水準2-89-93]《ざつたふ》は人聲の噪しさと共に加はり、空の暗うなりゆくを待ち得て、人々持たる燭に火を點せり。中には一束を握りて、こと/″\く燃せるもあり。徒《かち》なるも車なるも燭を把《と》りたるに、窓のうちに坐したる人さへ火持たぬはあらねば、この美しき夜は地にも星ある如くなり。家々より街の上へさし出せる火には、いろ/\なる提灯《ちやうちん》、燈籠ありて、おの/\功を爭へり。さて人々皆おのが火を護りて、人のを消さむとす。火持たぬ人は死ね(リア、アムマツアトオ、キイ、ノン、ポルタア、モツコオリ)と叫ぶ聲は、次第に喧しくなりまされり。我が持てる燭も、人に觸れさせじとする骨折は其甲斐なくて、打ち滅《け》さるゝこと頻《しきり》なりければ、われ餘りのもどかしさに、智慧ある人は我に倣《なら》へよと叫びつゝ、柄ながらに投げ棄てつ。道の傍なる婦人數人は、その燭を家々の窖《あなぐら》の窓にさし込みて、これをば誰もえ消さじと心安んじ、我を指ざして燭なき人の笑止さよと嘲るほどに、家の童どもいつか窖に降り行きて、その燭を吹き滅したり。又高き窓なる人々は竿に着けたる堤燈《ひさげとう》さし出して誇貌《ほこりがほ》なるを、屋根に這ひ出でたる男ども竿の尖に紛※[#「巾+兌」、56-下段-1]《てふき》結びたるを揮ひて、これをさへ拂ひ消すめり。
異國人《ことくにびと》にて此祭見しことなきものは、かゝる折の雜※[#「二点しんにょう+鰥のつくり」、第4水準2-89-93]《ざつたふ》を想ひ遣ること能はざるべし。立錐《りつすゐ》の地なき人ごみに、燃やす燭の數限なければ、空氣は濃く熱くのみなり勝《まさ》りぬ。忽ち街の角を曲らんとする馬車二三輌あるを認めて頭を囘しゝに、かの覆面したる翁と娘とを載せたる車は我側に來りぬ。寢衣《ねまき》纏ひたる老紳士の燭は早や消えたり。花賣に扮したる娘は猶四五尺許なる籘《とう》の竿に蝋燭幾本か束ねたるを着けて高く翳《かざ》せり。彼の紛※[#「巾+兌」、56-下段-12]《てふき》結びたる竿の長《たけ》足らで、我火をえ消さざるを見て、娘は嬉し氣に笑ひぬ。老紳士は又娘の火に近づくものありと見るごとに、容赦なく「コンフエツチイ」の霰《あられ》を迸《ほとばし》らせたり。われはこれをこそと思ひければ、車の背後に飛び乘り、籘の竿をしかと握るに、娘はあなやと叫び、男は石膏の丸《たま》を放つこと雨より繁かりしかど、屈せずしてかの竿を撓《たわ》ませんとせしに、竿は半ばよりほきと折れて、燭の束《たば》ははたと落つ。群衆は喝采せり。娘はアントニオ[#「アントニオ」に傍線]、餘りならずやと怨じたり。その聲は我骨を刺すが如く覺えぬ。そはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が聲なればなり。娘は籠の内なる丸の有らん限を我頭に擲《な》げ付け、續いて籠を擲げ付けしに、われ驚きて跳《をど》り下るれば、車ははや彼方へ進み、和睦《わぼく》のしるしなるべし、娘のうしろざまに投じたる花束一つ我掌に留りぬ。われは車を追はんとせしが、雜沓甚しきため其甲斐なく、遂にとある横街に身を避けつ。
身の周圍の混雜收りて心落つくと共に、心に懸かるはアヌンチヤタが同乘《あひのり》したる男の上なり。察するにベルナルドオが故意《わざ》と翁に扮したるなるべし。いで二人の家に歸るを待ち受けて確めばやと人通り少かるべき横街を駈け拔けて、姫が住めるコロンナの廣こうぢに出で、戸口に立ちて待つほどに、車は果して歸り着きぬ。われは家の僮僕《しもべ》などの如き樣して走り寄りつゝ、車より下る二人を援けんとするに、姫は我手に縋らで先づおり立ちぬ。さて彼老神士に心を着くるに、その立ちあがりいざりおるゝ樣にて、わが推せし人ならぬは早く明かになりたりしが、寢衣の裾より出でたる褐色の裳《も》を見るに及びて、姫が家の媼《おうな》なることは漸く知られぬ。媼はわがさし伸ばす手に縋りて下りぬ。われは姫の供《とも》したる人の男ならざりし嬉しさに、幸あらん夜をこそ祈れと聲高く呼びて去らんとせしに、姫進み寄りて、惡しき人かな、早くフイレンチエに遁《のが》れ行かばやといひつゝも、手さし出せるを握るに、かなたも親く握り返しつ。嬉しさに嬉しさの重なりたる我は、火持たぬ手うち振りて、火持たぬ人は死ねと叫び行きぬ。我心の中には姫が徳を頌する念滿ちたり。その車の傍なる座をば、樂長にも許さず、吾友にも許さで、彼媼を伴ひしこそ、姫が心の清き證《あかし》なれ。彼媼は又かゝる遊を喜ぶべき人とも見えぬに、男寢衣を身に着けて供せしを思へば、壹《もは》ら姫を悦ばせんがために心を竭《つく》せるものなるべし。唯だ姫が側なる人をベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]ならんと疑ひしとき、我心の噪《さわ》がしかりしは、妬《ねたみ》なるか否《あら》ざるか、そはわが考へ定めざるところなりき。
われは殘れる謝肉祭の時間を面白く過さんとて、假粧舞《フエスチノ》の場《には》に入りぬ。堂の内には處狹《ところせま》きまで燈燭を懸け列ねたり。假粧《けはひ》せる土地《ところ》の人、素顏のまゝなる外國人と打ち雜《まじ》りて、高き低き棧敷を占めたり。平土間より舞臺へ幅廣き梯《はしご》をわたしたるが、樂人の群の座はその梯の底となりたり。舞臺には畫紙を貼《は》り、環飾《わかざり》紐飾を掛けて、客の來り舞ふに任せたり。樂人は二組ありて、代る代る演奏す。今は酒の神なるバツコスとその妻なる女神アリアドネ[#「アリアドネ」に傍線]との姿したる人を圍みて、貸車の御者《ヱツツリノ》に扮したる男あまた踊り狂ふ最中なりき。われは梯を踏みてその群に近づき、引かるゝまゝに共に舞ひしが、心樂しく身輕きに、曲二つまで附き合ひて、夜更けたる後|塒《ねぐら》に歸りぬ。
眠りしは短き間にて、翌朝は天氣好かりき。姫は今羅馬を立つにやあらむ。華かにして賑はしく、熱して騷がしかりし謝肉祭は、今我を殘して去りぬ。外に出でゝ風に吹かれなば、心寂しきけふを慰むるに足ることもやと思ひて、獨り街に立ち出でぬ。家々の戸は閉されたり。物賣る店もまだ起き出でざりき。昨日は人の波打ちしコルソオの大道には、往き交ふ人|疎《まばら》にして、白衣に藍《あゐ》色の縁取りしを衣《き》たる懲役人の一群、霰《あられ》の如く散りぼひたる石膏の丸《たま》を掃き居たり。塵を積むべき車の轅《ながえ》には、骨立《ほねたゝ》したる老馬の繋がれつゝ、側なる一團の芻秣《まぐさ》を噛めるあり。とある家の戸口には、貸車の御者立ちて、あき箱あき籠あまた車の上に載せ、その上をば毛布もて覆ひ、背後に結び附けたる革行李の凹《くぼ》くなるまで鐵の鎖を引き締め居たり。この車は横街より出でたる、同じ樣に梱《こり》載せる車と共に去りぬ。ナポリにや行くらん。フイレンチエにや行くらん。耶蘇更生祭の來ん日まで、羅馬は五週間の長眠をなさんとするなり。
精進日、寺樂
事なくして靜に日を暮せば、その永さの常にもあらで覺えらるゝと共に、謝肉祭の間の珍らしかりし事、その事の中心をなせる姫が上のみ心頭に往來せり。墳墓の如き靜けさは日ごとに甚しくなりぬ。わが胸の空虚は書卷の能く填《うづ》むるところにあらざりき。ベルナルドオはわが無二の友なり。然るに今はその音容に接することの厭《いと》はしくなれるぞ怪しき。嗚呼我等二人の間にはアヌンチヤタの立てるなり。縱《たと》ひ友を失はんも、彼君のためには惜からじと一たびは思ひぬ。されどつら/\思ひ返せば、友は我に先だちて姫と交を結びぬ。わが姫と相識ることを得しは、全く友の紹介の賜《たまもの》なり。われは友に對して、我が姫に運ぶ情の戀にあらず、藝術上の感歎なるを誓ひたり。ベルナルドオはわが無二の友なり。われは今これを欺かんとす。悔恨の棘は我心を刺せり。されどわれは遂にアヌンチヤタを忘るゝこと能はず。
アヌンチヤタを懷ふはアヌンチヤタの我に與へたる歡喜を懷ふなり。されどその歡喜をなしゝは昔日の事にして、今これが記念を喚《よ》び起せば、一として悲痛に非ざるものなし。譬へば亡人《なきひと》の肖像の笑へるが如し。その笑はたま/\以て我を泣かしむるに足る。學校にありしころ人の世途の難を説くを聞きては、或課題のむづかしき、或師匠の意地わるきなどに思ひ比べて、我も亦早く其味を知れりといひしことあり。今やその非なるを悟りぬ。われ若し能く此戀に克《か》つにあらずば、此力以て世途の難を排するに足るとはいふべからず。試に此戀の前途を思へ。アヌンチヤタは尋常の歌妓に非ずして、その妙藝は現に天下の仰ぎ望むところなりと雖《いへども》、われ往《ゆ》いてこれに從はゞ、その形迹世の蕩子《たうし》と擇《えら》ぶことなからん。我友はこれを何とか言はむ。加之《しかのみなら》ず若し心術の上より論ぜば、我守護神たる聖母もこれよりは復《また》我を憐み給はざるべし。況《いはん》や此戀は果して能く成就せんや否や。我は口惜しきことながら、實に未だアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の心を知らざりき。我は寺に往きて聖母の前に叩頭《ぬかづ》き、いかで我に己に克つ力を授け給はれと祈りて、さて頭を擧げしに、何ぞ料《はか》らむ聖母の面《おもて》は姫の面となりて我を悦ばせ又我を苦めむとは。我は縱《たと》ひ姫再び來んも、誓ひて復た逢はじとおもひ定めつ。
我は嘗て古《いにしへ》の信徒の自ら笞《むちう》ち自ら傷《きずつ》けしを聞きて、其情を解せざりしに、今や自らその爲す所に倣《なら》はんと欲するに至りぬ。燃ゆるが如き我血を冷さんとて、我は聖母の像の下に伏して、我唇をその冷《ひやゝか》なる石の足に觸れたり。憶ひ起せば、わがまだ穉《をさな》き時の心安かりしことよ。母の膝下《しつか》にて過す精進日《せじみび》は、常にも増して樂《たのし》き時節なりき。四邊《あたり》の光景は今猶|昨《きのふ》のごとくなり。街の角、四辻などには金紙銀紙の星もて飾りたる常磐木《ときはぎ》の草寮《こや》あり。處々に懸けし招牌《せうはい》には押韻《あふゐん》したる文もて精進食《せじみしよく》の名を列べ擧げたり。夕になれば緑葉の下に彩《いろど》りたる提燈《ひさげとう》を弔《つ》れり。雜食品賣る此頃の店は我穉き目に空想界を現ぜる如く見えにき。銀紙卷きたる腸詰肉を柱とし、ロヂイ産の乾酪《かんらく》を穹窿としたる小寺院中にて酪《ブチルロ》もて塑《こ》ねたる羽ある童の舞ふさまは、我最初の詩料なりき。食品店の妻は我詩を聞きて、ダンテの神曲なりと稱へき。當時われは不幸にして未だこの譽《ほまれ》ある歌人のいかに世を動かしゝかを知らず、又幸にして未だアヌンチヤタ[が如き才貌ある歌妓のいかに人を動かすかを知らざりしなり。嗚呼、われは奈何《いかに》してアヌンチヤタを忘るゝことを得べきぞ。
われは羅馬《ロオマ》の七寺を巡りて、行者《ぎやうじや》と偕《とも》に歌ひぬ。吾情は眞にして且深かりき。然るをこれに出で逢ひたるベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]は、刻薄なる語氣もて我に耳語していふやう。コルソオの大道にて戲謔能く人の頤《おとがひ》を解きしは誰ぞ。アヌンチヤタが家にて即興の詩を誦《そら》んじ座客を驚《おどろか》しゝは誰ぞ。今は目に懺悔の色を帶び頬に死灰の痕を印して、殊勝なる行者と伍をなせり。汝はいかなる役をも辭せざる名優なるよ。此の如きは我が遂にアントニオに及ばざるところぞといひぬ。吾友の言ふところは實録なりき。されど當時我を傷《やぶ》ること此實録より甚しきはあらざりしなり。
精進《せじみ》の最後週は來ぬ。外國人は多く羅馬に歸り集《つど》ひぬ。ポヽロ門よりも、馬車相驅逐して進み入りぬ。水曜日午後にはワチカアノのシクスツス堂にて「ミゼレエレ」(ミゼレエレ、メイ、ドミネ、憐を我に垂れよ、主よの句に取りたるにて、第五十頌の名なり)の樂あり。われは樂を聽きて悶を遣らんがために往きぬ。聽衆は堂の内外に押し掛け居たり。前なる椅榻《こしかけ》には貴婦人肩を連ねたり。色絹、天鵝絨《びろうど》もて飾れる觀棚《さじき》の彫欄の背後《うしろ》には、外國の王者並び坐せり。法皇の護衞なる瑞西《スイス》隊は正裝して、その士官は※[#「(矛+攵)/金」、第3水準1-93-30]《かぶと》に唐頭《からのかしら》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《はさ》めり。この裝束は今若き貴婦人に會釋せるベルナルドオに傍線]には殊に好く似合ひたり。
われ裏面より埒《らち》に近き處に席を占めしに、こゝは歌者の席なる斗出《としゆつ》せる棚に遠からざりき。背後には許多《あまた》の英吉利《イギリス》人あり。この人々は謝肉祭《カルナワレ》の頃|假粧《けはひ》して街頭を彷徨《さまよ》ひたりしが、こゝにさへ假粧して集ひしこそ可笑しけれ。推するにその打扮《いでたち》は軍隊の號衣《ウニフオルメ》に擬したるものならん。されど十歳|許《ばかり》の童《わらべ》までこれを着けたるはいかにぞや。その華美ならんことを欲することの甚しきを證せんがために、こゝに一例を擧げんに、其人の上衣は淡碧《うすみどり》にして銀絲の縫ひあり、長靴には黄金を鏤《ちりば》め、扁圓なる帽には羽毛連珠を着けたり。英吉利人のかゝる習をなしゝは、美しき號衣《ウニフオルメ》の好《よ》き座席を得しむる利益を知りたるためなるべし。我傍よりは笑を抑ふる聲洩れたり。されどわがそを可笑しと見しは、唯だ一瞬間なりき。
老いたる僧官《カルヂナアレ》達は紫天鵝絨の袍の領《えり》に貂《エルメリノ》の白き毛革を附けたるを穿《き》て、埒の内に半圈状をなして列び坐せり。僧官達の裾を捧げ來し僧等は共足元に蹲《うづくま》りぬ。贄卓《にへづくゑ》の傍なる小《ちさ》き扉は開きぬ。そこより出でたるは、白帽を戴き濃赤色の袍を纏《まと》へる法皇なりき。法皇は交椅に坐したり。侍者等は香爐を搖り動したり。紅衣の若僧の松明《まつ》取りたるもの數人法皇と贄卓との前に跪《ひざまづ》けり。
讀誦《どくじゆ》は始まりぬ。(絃歌に先だちて十五章の讀誦あり。壇上に巨燭十五|枝《し》を燃やしおきて、一章終るごとに一燭を滅す。)われは心を死せる文字の間に濳むること能はず、魂を彼のミケランジエロが世に罕《まれ》なる丹青の力もて此堂の天井と四壁とに現ぜしめたる幻界に馳せたり。その活けるが如き預言者等の形は一個々皆大册の藝術論の資をなすに餘あるべし。その力量ある容貌風采とこれを圍める美しき羽ある兒《ちご》の群とは、我眼を引くこと磁石の鐵を引く如くなりき。こは畫にあらず。活ける神人なり。エワが果《このみ》を夫に贈りし智慧の木は鬱蒼として彼處《かしこ》に立てり。父なる神は、古の畫工の作れる如く羽ある童に擔はれたるにはあらで、その肢體の上、その風に翻《ひるがへ》る衣裳の上に、許多《あまた》の羽ある童を載せつゝ、水の上を天翔《あまかけ》り給ふ。われはけふ始めて此畫を觀たるにあらず。されど此畫の我心を動かすこと今日の如きは未だ有らず。われはけふの群集のためにや、わが熱したる情のためにや知らねど、此畫中に限なき詩趣あるを認めたり。或は想ふにこは我が抒情の興多き心を畫中に投じ入れたるにはあらずや。そは兎まれ角まれ、此畫に對して此情をなすは、恐らくは獨り我のみならず、こは我に先だてる幾多の詩人の亦免れざるところなりしなるべし。
險《けは》しきを行くこと夷《たひらか》なる如き筆力、望み瞻《み》る方嚮《はうかう》に從ひて無遠慮なるまで肢體の尺を縮めたる遠近法は、個々の人物をして躍りて壁面を出でしめんとす。昔基督の山上に在りて言語もて説き給ひし法(馬太《マタイ》五至七)は、今此大匠によりて色彩と形象ともて現されたるなり。吾人はラフアエロと共に膝を此大匠の技倆の前に屈せんとす。此數多き預言者は、一つとして同じ人の石もて刻める摩西《モセス》に劣ることなし。何等の魁偉《くわいゐ》なる人物ぞ。堂に入るものゝ心目は先づこれがために奪はるゝなり。
吾人はこゝに心目を淨め畢《をは》りて、さて頭を擧げて堂の後壁に向ふなり。下は大床より上は天井に至るまで、立錐《りつすゐ》の地を剩《あま》さゞるこの大密畫は、即ち是れ一|顆《くわ》の寶玉にして、堂内の諸畫は悉くこれを填《うづ》めんがために設けし文飾ある枠《わく》たるに過ぎず。これを世の季《すゑ》の審判の圖となす。
判官たる基督は雲中に立てり。使徒と聖母とは不便《ふびん》なる人類のために憐を乞はんとて手をさし伸べたり。死人は墓碣《ぼけつ》を搖り上げて起《た》たんとす。惠に逢へる精靈は拜みつゝ高く翔《かけ》り、地獄はその※[#「月+咢」、第3水準1-90-51]《あぎと》を開いて犧牲を呑めり。宣告を受けたる同胞の早く毒蛇に卷かれたるを、雲に駕せる靈の援《たす》け出さんとするあり。悔い恨める罪人の拳もて我額を撃ちつゝ、地獄の底深く沈み行くあり。天堂と地獄との間には、或は登り或は降る神將力士あまたありて、例の大膽なる遠近法もて寫し出されたり。優しく人を恤《めぐ》みがほなる天使、再會して相悦べる靈ども、金笛《きんてき》の響に母の懷に俯したる穉子《をさなご》など、いづれ自然ならざるなく、看るものは覺えず身を圖中に※[#「宀かんむり/眞」、第3水準1-47-57]《お》きて、審判のことばに耳を傾く。ミケランジエロは蓋し能くダンテの歌ひしところを畫けるなり。
恰も好し將《まさ》に沒せんとする夕日はそのなごりの光を最高列の窓より射込みたり。圖の下の端なる死人の起つあたり、艤《ふなよそひ》せる羅刹《らせつ》の罪あるものを拉《ひ》き去るあたりは、早や暗黒裡に沒せるに、基督とその周匝《めぐり》なる天翔《あまがけ》る靈とは猶金色に照されたり。日の入ると共に最後の燭は吹き滅《け》されて、讀誦は全く果てたり。暗黒は審判の圖の全面を覆へり。絲聲肉聲は又湧きて、世の季《すゑ》の審判の喜怒哀樂皆洋々たる音となりつゝ、われ等の頭上を漲り過ぐ。
法皇は式の衣を脱ぎて、贄卓《にへづくゑ》の前に立ち、十字架を拜せり。金笛の響凄じく、「ポプルス、メウス、クヰツト、フエチイ、チビイ」の歌は起りぬ。低階の調に雜《まじ》る軟《やはらか》なる天使の聲は、男の胸よりも出でず、女の胸よりも出でず、こは天上より來れるなり。こは天使の涙の解けて旋律に入りたるなり。
われはこれを聽きて、力づき甦《よみがへ》り、この頃になき歡喜は胸に滿ちたり。われはアヌンチヤタを愛し、ベルナルドオを愛せり。この瞬時の愛はかの天上の靈の相愛するに殊《こと》ならざるべし。祈祷の我に與へざりし安慰は、今音樂にて我に授けられたるなり。
友誼と愛情と
式終りてベルナルドオが許を訪ひぬ。手を握り襟《えり》を披《ひら》きて語るに、高興は能辯の母なるを知りぬ。けふ聞きつるアレエグリイ(寺樂の作者)が曲、我が夢物語めきたる生涯、我と主人との友誼は我に十分なる談資を與へたり。けふの樂はいかに我憂を拂ひし。未だ聽かざりし時の我|疑懼《ぎく》、鬱悶、苦惱は幾何《いくばく》なりし。われは此等の事を殘なく物語りしが、唯だこれが因縁をなしゝものゝ主に我友なりしか、又はアヌンチヤタなりしかをば論じ究めざりき。我が今友に對して展《の》べ開くことを敢てせざる心の襞《ひだ》はこれ一つのみなりき。友は打ち笑ひて、さて/\面倒なる男かな、カムパニアの羊かひの頃よりボルゲエゼの館に招かるゝまで、女子の手して育てられしさへあるに、「ジエスヰタ」派の學校に在りしなれば、斯くむづかしき性質にはなりしならん、切角《せつかく》の伊太利の熱血には山羊の乳を雜《ま》ぜられたり、「ラ、トラツプ」派の僧侶めきたる制欲は身を病ましめたり、馴れたる小鳥一羽ありて、美しき聲もて汝を喚《よ》び、夢幻境を出で現實界に入らしめざるこそ憾《うらみ》なれ、汝が心身の全く癒《い》えんは人なみになりたる上の事ぞといひぬ。われ。我等二人の性は懸隔すること餘りに甚し。然るを我は怪しきまで汝を愛せり。折々は共に棲まばやとさへ思ふことあり。友。そは啻《たゞ》に我等を温めざるのみならず、却りて何時ともなくこの交を絶つべし。友誼と戀情とは別離によりて長ず。我は時に夫婦の生活のいかに我を倦《う》ましむべきかを思へり。斷えず相見て互に心の底まで知りあはむ程興なき事はあらざるべし。さればおほかたの夫婦は幾《いくばく》もあらぬに厭《あ》き果つれども、名聞《みやうもん》を憚《はゞか》ると人よきとにて、其|縁《えにし》の絲は猶繋がれたるなり。我は思ふに、我情いかに一女子のために燃えんも、その女子の情いかに我に過ぎたらんも、その※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《ほのほ》の相合ふ時は即ち相滅する時ならん。愛とは得んと欲する心なり。得んと欲する心は既に得て止むべし。われ。若し汝が妻アヌンチヤタの如く美しく又賢からむには奈何《いかん》。友。其薔薇花の美しき間は、わが愛づべきこと慥なり。されど色香一たび失せたらむ日には、われは我心のいかになり行くべきを知らず。汝はわが今何事を思ひしかを知るや。この念は忽ち生じ忽ち滅すれど、今始て生ぜるにはあらず。われは汝の血のいかに赤きかを見んと願ふことあらむも計られず。されどわれには智あり。汝は我友なり。わが潔白なる友なり。縱令《よしや》われ等二人同じ女に懸想《けさう》することあらんも、相鬪ふには至らざるべし。斯く言ひつゝ友は聲高く笑ひ、我首を抱きて戲れながらにいふやう。我に馴れたる小鳥ありて、その情はいと濃《こまや》かなれど、この頃は些《すこ》し濃かなるに過ぎて厭はしくなりぬ。思ふに汝には氣に入るべし。こよひ我と共に來よ。親友の間には隱すべきことなし。面白く一夜を遊び明さむ。さて日曜日にならば、法皇は我等が罪を洗ひ淨め給ふべきぞ。われ。否、我は共に往かざるべし。友。そは卑怯なり。汝は汝の血を傾け盡して、只だ山羊の乳のみを留めんとするか。汝が目は我目に等しく耀《かゞや》くことあり。われは嘗てこれを見き。汝が鬱悶、汝が苦惱、汝が懺悔《ざんげ》、是れ畢竟何物ぞ。われあからさまに言ふべきか。是れ得んと欲して得ざるところあるなり。その得ざるところのものは、赤き唇なり、軟なる膚なり。汝が假面の被《かぶ》りざま拙《つたな》ければ、われは明白に看破せり。いざ往いてその得んと欲する所のものを得よ。汝否といはゞ、そは卑怯なり、臆病なり。われ。止めよ。そは餘りなる詞なり。そは我を辱《はづかし》むる詞なり。友。されど汝はその辱《はづかしめ》を甘んじ受けざること能はざるべし。これを聞きしとき、我血は上りて頭を衝《つ》きしが、我涙も亦湧きて目に溢れたり。いかなれば汝はかくまでに無情なる。我は汝を愛し汝は我を弄ぜんとす。アヌンチヤタと汝との間にわれ立てりと思へるにはあらずや。アヌンチヤタの我を視ること汝より厚しとおもへるにはあらずや。友。否、決して然らず。わが空想家ならずして思遣《おもひやり》少きは汝も知りたらん。されど女の事をば姑《しばらく》く置け。唯だ心得がたきは、汝がいつも愛々といふことなり。我等二人は手を握りて友となりたり。その外には何も無し。我は汝と共に夸張《くわちやう》すること能はず。我をばたゞ此儘にてあらせよ。對話はおほよそ此の如くなりき。ベルナルドオが毒箭《どくや》は痛く我胸を傷けしが、別に臨みて我に握らせたる手は、遂にわれ等が交情を滅するに至らずして止みぬ。
をさなき昔
翌日は木曜の祭日なりき。鐘の音は我を聖《サン》ピエトロの寺に誘ひぬ。嘗て外國人《とつくにびと》ありて此寺の堂奧はこゝに盡きたりとおもひぬといふ、いと廣き前廳《まへには》に、人あまた群《む》れたるさま、大路《おほぢ》の上又天使橋の上に殊ならず。羅馬の民はけふ悉くこゝに集へるなり。されば彼外國人ならぬものも、おなじ迷を起すべう思はる。何故といふに、人愈※[#二の字点、1-2-22]|衆《おほ》くして廳は愈々闊《ひろ》しと見ゆればなり。
歌は頭の上に起りぬ。伶人の群をば棚の二箇處に居らせて、其聲相應ずるやうにせり。群衆は洗足の禮の今始まるを見んとて押し合へり。(此日法皇老若の僧徒十三人の足を洗ひ、僧徒は法皇の手に接吻して、おの/\「マチオラ」の花束を賜《たまは》り退くことなり。)偶 々 《たま/\》貴婦人席より我に目禮するものあり。誰ぞと視ればアヌンチヤタなりき。彼君は歸りぬ。彼君は此堂にあり。我胸はいたく騷げり。その席幸に遠からねば、我等は詞を交すことを得たり。姫は咋日歸りしかど、樂ははや果てし後にて、僅に「アヱ、マリア」の時此寺には來ぬとなり。
姫。此寺の光景はきのふ暗くて見しかた、けふのめでたきにも増してめでたかりき。聖ピエトロの墓の前なる一燈の外には何の光もなく、その光さへ最近き柱を照すに及ばざる程なるに、人々跪《ひざまづ》きて祷《いの》れば、われも亦跪きぬ。緘默《かんもく》の裡《うち》に無量の深祕あるをば、その時にこそ悟り侍りしかといふ。側にありし例の猶太《ユダヤ》婦人は、長き紗もて面を覆ひたれば、今までそれと知らざりしに、優しく我に會釋しつ。式は早や終りぬれば、姫はおのれを車に導くべき從者や來ると顧みたれど、その影だに見えず。若き人々の姫を認めて耳語《さゝや》き合ふもあれば、姫は早くこの堂を出でんとおもへる如し。われは車に導かんことを請《こ》ひしに、猶太婦人は直ちに手を我肘に懸け、姫は我と並びて行けり。我は姫に我肘に倚《よ》らんことを勸むる膽《たん》なかりき。されど表口の戸に近づきて、人の籠《こ》み合ふこと甚しかりしとき、姫は手を我肘に懸けたり。我脈には火の循《めぐ》り行くを覺えき。車をば直ちに見出だしつ。わが暇を告げんとせしとき、姫今は精進《せじみ》の時なれば何もあらねど、夕餉《ゆふげ》參らすべければ來まさずやと案内したるに、媼《おうな》は快手《てばや》くおのれが座の向ひなる榻《こしかけ》に外套、肩掛などあるを片付け、こゝに場所あり、いざ乘り給へと、我手を把《と》りぬ。共に車に載せんといひしならぬを、媼の耳|疎《うと》くしてかく聞き誤りたるなれば、姫ははしたなくや思ひけん、顏さと赧《あか》めたり。されど我は思慮する遑《いとま》もあらで乘り遷《うつ》り、御者《ぎよしや》も亦早く車を驅りぬ。
膳は豐なるにはあらねど、一として王侯の口に上《のぼ》すとも好かるべき贅澤品ならぬはなし。姫はフイレンチエにての事細かに語りて、さて精進日の羅馬はいかなりしと問ひぬ。こは我がためにはあからさまに答ふべくもあらぬ問なりき。
われ。土曜日には猶太教徒の洗禮あるべし。君も往きて觀給ふべきか。此詞は料《はか》らず我口より出でしが、われは忽ち彼媼の側にあるを思ひ出だして、氣遣はしげにかなたを見き。姫。否、心に掛け給ふな。御身の詞は聞えざりき。されど聞ゆとも惡しく聞くべうもあらず。唯だ彼人の往かんは妥《おだやか》ならねば、我もえ往かざるべし。そが上コンスタンチヌスの寺なる彼儀式は固より餘り愛《め》でたからぬ事なり。(この儀式は歳ごとに基督再生祭に先だつこと一日にして行へり。猶太教徒若くは囘々《フイフイ》教徒|數人《すにん》をして加特力《カトリコオ》教に歸依《きえ》せしめ、洗禮を行ふなり。羅馬年中行事に「シイ、アフ、イル、バツテシイモ、ヂイ、エブレイ、エ、ツルキイ」と記せり。)僧侶は異教の人の歸依せるをもて正法の功力《くりき》の所爲となし、看る人に誇れども、その異教の人のまことに心より宗旨を改むるは稀なり。われもをさなき時一たび往きて觀しことあり。その折の厭ふべき摸樣は今に至るまで忘られず。拉《ひ》き來りしは六つ七つばかりの猶太人の童なりき。櫛の痕なき頭髮の蓬々たるに、寺の贈なる麗しき素絹の上衣を纏へり。靴と韈《くつした》とは汚れ裂けたるまゝなり。後に跟《つ》きて來たるは同じさまに汚れたる衣着たる父母なりき。この父母はおのれ等の信ぜざる後世《ごせ》のために、その一人の童を賣りしなるべし。われ。君はをさなき時この羅馬にありてそを見きとのたまふか。姫。然なり。されど我は羅馬のものにはあらず。われ。我は始て君が歌を聽きしとき、直ちに君のむかし識りたる人なることを想ひき。そを何故とも言ひ難けれど、この念は今も猶|失《う》することなし。若しわれ等|輪※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《りんね》應報の教を信ぜば、われも君も前生は小鳥にて、おなじ梢に飛びかひぬともいひつべし。君にはさる記念なしや。何處にてか我を見しことありとはおぼさずや。姫は我と目を見あはせて、絶てさる事なしと答へき。われ詞を繼ぎて。初めわれ君は穉きときより西班牙《スパニア》に居給ひぬと思ひしに、今のおん詞にては羅馬にも居ましゝなり。我惑はいよ/\深くなりぬ。君既にをさなくして此都に居給ひきといへば、若しこゝの稚き子等と共に、「アラチエリ」の寺にて説教のまねし給ひしことあらずや。姫。あり/\。まことにさやうなる事|侍《はべ》りき。さてはかの折人々の目に留まりし童はアントニオ、おん身なりしか。われ。いかにも初め目に留まりしは我なりき。されど勝をば君に讓りしなり。姫はげに思ひも掛けぬ事かなと、我兩手を把《と》りて我面を見るに、媼さへその氣色《けしき》の常ならぬを訝《いぶか》りて、椅子をいざらせ、我等が方をうちまもりぬ。姫は珍らしき再會の顛末《もとすゑ》を媼に説き聞《きか》せつ。われ。我母もその外の人々も暫くは君が上をのみ物語りぬ。その姿のやさしさ、その聲の軟さをば、穉き我心にさへ妬《ねた》ましきやうに覺えき。姫。その時君は金《かね》の控鈕《ボタン》附きたる短き上衣を着たまひしこと今も忘れず。その衣をめづらしと見しゆゑ、久しく記憶に殘れるなるべし。我。君は又胸の上に美しき赤き鈕《ひも》を垂れ給ひぬ。されど最も我目に留まりしはそれにはあらず。君が目、君が黒髮なりき。人となり給へる今も、その俤《おもかげ》は明に殘れり。始て君がヂド[に扮し給へるを見しとき、われは直ちにこの事をベルナルドオに語りぬ。さるをベルナルドオはそを我迷ぞといひ消して、却りておのれが早く君を見きと覺ゆる由を語りぬ。姫、そは又いかにしてと問ひしが、その聲うち顫ふ如くなりき。われ。ベルナルドオが君を見きといふは、いたく變りたる境界なり。惡しくな聞き給ひそ。ベルナルドオも後に誤れることを覺りぬ。君が髮の色濃きなど、人にしか思はるゝ端となりしなるべし。君は、君はわが加特力教の民にあらず、されば「アラチエリ」の寺にて説教のまねし給ふ筈なしとの事なりき。姫は媼の方を指ざして、さては我友とおなじ教の民ぞといひしなるべしといふ。われは直にその手を取りて、わが詞のなめしきを咎め給ふなと謝したり。姫微笑みて、君が友の我を猶太少女とおもひきとて、われ爭《いかで》でか心に掛くべき、君は可笑しき人かなといひぬ。この話は我等の交を一と際深くしたるやうなりき。わが日頃の憂さは悉く散じたり。さてわが再び見じとの決心は、生憎《あやにく》にまた悉く消え失せたり。
姫はふと基督再生祭前のこの頃閉館中なる羅馬の畫廊の事を思ひ出でゝ、かゝる時好き傳《つて》を得て往き看《み》ば、いと面白かるべしといふに、姫の願としいへば何事をも協へんとおもふわれ、幸にボルゲエゼの館の管守、門番など皆識りたれば、そは容易《たやす》き事なりとて、あくる朝姫と媼とを伴ひ往かんことを約しつ。かの館は羅馬の畫廊のうちにて最も備れる一つなり。フランチエスカ[の君の穉《をさな》き我を伴ひ往き給ひしはかしこなれば、アルバニが畫の羽ある童は皆わが年ごろの相識なり。
靜なる我室に歸りて、つら/\物を思ふに、ベルナルドオはまことに彼君を戀ふるに非ず。卑しき色慾を知りて、高き愛情を解せざる男の心と、深けれども能く澹泊《たんぱく》に、大いなれども能く抑遜《よくそん》せる我心とは、日を同じくして語るべからず。さきの日の物語の憎かりしことよ。彼はたゞ驕慢《けうまん》なり。彼はたゞ放縱なり。かくて飽くまで我を傷けたり。そはアヌンチヤタの我に優しきを妬《ねた》みてなるべし。初め我を紹介せしは、いかにも彼男なりき。されど今その心を推《すゐ》すれば、好意とはおもはれず。おのが風采態度のすぐれたるを彼君に見するとき、その側に世馴れぬ我を居らせて反映せしめんためにはあらずや。さるを我歌我詩は端《はし》なく彼君の心にかなひぬ。妬の心はこれより萌《きざ》せるならん。さて我を又姫に逢はせじとて、かくは我を脅しゝなるべし。幸にわれ好き機會を得て、今は姫との交いと深くなりぬ。姫は我を憐めり。加之《しかのみなら》ず姫は我戀を知りたり。かく思ひつゞけつゝ、我は枕に接吻せり。さるにても口惜しきは、わが意氣地なき性質なり。いかなれば我は先の日直ちに彼の無禮を責めざりしぞ。かの詞にはかく答ふべかりしなり。かの辱《はづかしめ》をばかく雪《そゝ》ぐべかりしなり。我血は湧き上りたり。無上の快樂に無比の慙恨打ち雜りて、我は睡ること能はざりしが、曉近くおもひの外に妥《おだやか》なる夢を結びぬ。
翌朝は夙《はや》く起き、管守を訪ひて預《あらかじ》めことわりおき、さて姫と媼とを急がせつゝ共にボルゲエゼの館に往きぬ。
畫廊
畫廊はわが穉かりしとき、惠深き貴婦人の我を伴ひ往きて、おろかなる問、いまだしき感の我口より出で我言に發するごとに、面白しとて嬉《たのし》み笑ひ給ひしところにして、又わが獨り入りて遊び暮らしゝところなれば、今アヌンチヤタを導き往くことゝなりたる我胸には、言ひ知らず怪しき情漲り起れり。既に入りて畫を看れば、幅《ふく》ごとに舊知なるごとく思はる。されど姫は却りてこれを知ること我より深かりき。姫は生れながらの官能に養ひ得たる鑒識《かんしき》をさへ具へたれば、その妙處として指し示すところは悉く我を服せしめ、我にその神會《しんゑ》の尋常に非ざるを歎ぜしめたり。
姫はジエラルドオ・デル・ノツチイの名ある作なるロオト(ソドムに住みしハラン]の子)とその女兒との圖の前に立てり。われはをゝしき父の面、これに酒を勸むる樂しげなる少女の姿、暗く繁りあひたる木立のあなたに見ゆる夕映の空などめでたしと稱へしに、姫我ことばを遮《さへぎ》りて、げに/\奇なる才激せる情もて畫けるものと覺し、作者の筆の傅色《ふしよく》表情の一面は寔《まこと》に貴むべし、さるを此の如き題(ロオトは其女子と通じたり)を選みしこそ心得られね、畫にも禮儀あり、品性あらんは我がつねに望む所なり、コルレジヨオがダナエなども、己れは人の愛《め》づらんやうには愛でず、少女(ダナエを謂ふ、希臘諸神の祖なるチエウス黄金の雨となりて遘《ま》き給ひ、ペルセウスを生ませ給ふ)の貌はいかにも美しく、臥床《ふしど》の上にて黄金掻き集むる羽ある童の形もいと神々しけれど、その事餘りにみだりがはしくして、興さむる心地す、ラフアエロの大なるはこゝにあり、わが知れる限は、その採るところの題、毎《つね》に高雅にして些《いさゝか》の穢《けが》れだになし、かくてこそめでたき聖母の面影をば傳ふべかりしなれといふ。われ。仰せは理あるに似たれども、畫の妙は題の穢を忘れしむることあるべし。姫。そはきはめて有るべからざる事なり。藝術はその枝その葉の末までも、清淨|醇白《じゆんぱく》なるべきものにて、理想の高潔は人を動かすこと形式の美麗に倍す。古の作者の手に成りし聖母の像を視るに、すべて硬く鋭くして、支那人の畫もかくやとおもはるれども、我はこれに打ち向ふごとに、必ず心の底に徹する如き念をなせり。この高潔といふものは、その作畫者のために缺くべからざること、度曲者《ときよくしや》に於けると同じ。名作中こゝかしこに稍々 [#二の字点、1-2-22]過ぎたりと見ゆる節あるをば、その作者の一時の出來心と看做《みな》して、恕《ゆる》すこともあるべけれど、その疵瑕《しか》は遂に疵瑕たることを免るべからず。わがまことに愛づるは無瑕の美玉にこそ。われ。さらば君は變化を命題の間に求めんことをば是とし給はずや。いかなる大家|鉅匠《きよしやう》にても、幅ごとに題を同うせば人の厭倦を招くなるべし。姫。否々、そは我が言はんと欲せしところにあらず。わが本意は畫工に聖母のみ畫かせんとにはあらず。めでたき山水も好し。賑はしき風俗畫、颶風《ぐふう》に抗《あらが》ふ舟の圖も好し。サルワトオレ・ロオザが山賊の圖もいかでか好からざらん。われは唯だ藝術の境に背徳を容れじとこそ云へ。わが趣味より視れば、かの「シヤリア」宮なるシドオニイの畫の如きすら、その巧緻その汚穢《をわい》を掩《おほ》ふに足らず。君は猶彼圖を記し給ふや。驢《うさぎうま》に騎《の》りたる農夫二人石垣の下を過ぐ。垣の上に髑髏《どくろ》ありて、一|※[#「鼬」の「由」に代えて「奚」、第4水準2-94-69]鼠《けいそ》、一|蚯蚓《みゝず》、一|木※[#「亡/((虫+虫))、第3水準1-91-58]《きあぶ》これに集り、石面には「エツト、エゴオ、イン、アルカヂア」と云ふ四つの拉甸《ラテン》語を書したり。われ。その畫はラフアエロの「ヰオリノ」彈《ひ》きの隣に懸けられたるを、われも記憶す。姫。さなり。そのラフアエロが落※[#「疑のへん+欠」、第3水準1-86-31]《らくくわん》の見苦しき彼圖の上邊にあるこそ憾《うらみ》なれ。
既にしてわれ等はフランチエスコ・アルバニイが四季の圖の前に來ぬ。われは昔穉かりし日にこゝに遊び、この圖の中なる羽ある童を見て感ぜし時の事を語りぬ。姫は君が穉くて樂しき日を送り給ひしこそ羨ましけれといひて、憂をかくすやうなるさまなり。昔の身の上にや思ひ比べけんと、あはれに覺ゆ。われ。君とても樂しき日少なからざりしならん。わが初めて相見しときは、君は幸ありげなるをさな子なりき、人々に感覆《めでくつがへ》られたるをさな子なりき。わが再び相逢ふ日は、羅馬全都の君がために狂するを見る。餘所目《よそめ》には君、まことに樂しく見え給へり。さるを心には樂しとおもひ給はずや。かく問ひつゝ、我は頭を傾けて姫の面を俯《ふ》し視たるに、姫はそのそこひ知られぬ目《ま》なざしもて打ち仰ぎ、そのめでくつがへられたるをさな子は、父もなく母もなきあはれなる身となりぬ、譬へば木葉落ち盡したる梢にとまる小鳥の如し、そを籠《こ》の内に養ひしは世の人にいやしまれ疎《うと》まるゝ猶太教徒なり、その翼を張りておそろしき荒海の上に飛び出でたるはかの猶太教徒の惠なりといひかけて、忽ち頭を掉《ふ》り動かし、あな無益《むやく》なる詞にもあるかな、由縁《ゆかり》なき人のをかしと聞き給ふべき筋の事にはあらぬをといふ。由縁なき人とはわれかと、姫の手首とりてさゝやくに、暫しあらぬ方打ち目守《まも》りてありしが、その面には憂の影消え去りて、微笑の波起りぬ。否々、われも樂しかりし日なきにあらず、その樂しかりし日をのみ憶ひてあるべきに、君が昔話を聞きて、端なくもわが心の裡に雕《ゑ》られたる圖を繰りひろげつゝ、身のめぐりなるめでたき畫どもを忘れたりとて、姫は我に先だちて歩を移しき。
わがアヌンチヤタと老媼《おうな》とを伴ひて旅館にかへりしとき、門守る男はベルナルドオ[が留守におとづれしことを告げたり。我友はこの男の口より二婦人を連れ出だしゝものゝ我なるを聞けりといふ。友の怒は想ふに堪へたり。かゝる事あるごとに、我は前《さき》の日には必ず氣遣ひ憂ふる習なりしが、アヌンチヤタに對する戀は我に彼友に抗する心を生ぜしめき。さきには友我を性格なし、意志なしと罵りき。今はわれ友に見《しめ》すに我性格と我意志とをもてすべしとおもひぬ。
姫が猶太教徒の籠の内に養はれきといふ詞は、絶えず我耳の根にあり。依りておもふに、友がハノホの許にて見きといふ少女はアヌンチヤタなりしならん。されど又姫にそを問ふ機會あるべきか、心許《こゝろもと》なし。
あくる日往きしときは、姫は一間にありて某《それ》の役を浚《さら》ひ居たり。われはおうなに物言ひこゝろみしに、この人はおもひしよりも耳疎かりき。されどそのさま我が詞を交ふるを喜べる如し。われは前《さき》の日即興の詩を歌ひしとき、この人の嬉《たのし》み聽けるさまなりしをおもひ出でゝ、その故をたづねしに、あやしとおもひ給ひしも理《ことわ》りなり、君の面を見、君の詞の端々を聞きて、おほよそに解《げ》したるなり、さてその解したるところはいとめでたかりき、平生アヌンチヤタが歌うたふを聽くときも亦同じ、耳の遠くなりゆくまゝに、目もて人の聲を聞くすべをば、やう/\養ひ成せりといふ。媼はベルナルドオが上を問ひ、そのきのふ留守の間におとづれて、共に畫廊に往くこと能はざりしを惜みき。われ媼がベルナルドオを喜べるゆゑを問ふに、かの人の心ざまには優れたるふしあり、われその證《あかし》を見しことあればよく知りたり、猶太の徒も基督の徒も、神の目より視ば同じかるべければ、彼人の行末を護り給ふならんといふ。やうやくにして媼はことば多くなりぬ。その姫を愛でいつくしむ情はいと深しと見えたり。物語のはし/″\より推するに、姫が過ぎ來し方のおほかたは明かになりぬ。姫は西班牙《スパニア》に生れき。父も母も彼國の人なり。穉くて羅馬に來つるに、ふた親はやく身まかりて、頼るべき方もなし。猶太の翁ハノホは西班牙に旅せしころ、彼親達を識りつれば、孤兒を引き取りて養へりしに、故郷なる某《それ》の貴婦人あはれがりて迎へ歸り、音樂の師に就きて學ばしめき。その頃某の貴公子この若草手に摘まばやとてさま/″\のてだてを盡しゝに、姫の餘りにつれなかりしかば、公子その恨にえたへで、果はおそろしき計《はかりごと》をさへ運《めぐ》らしつ。その始末をば媼深く祕めかくす樣なれど、姫の命も危《あやふ》かるべき程の事なりきとぞ。姫は彼公子に索《たづ》ね出されじとて、再び羅馬に逃れ來たり。かくて昔のやしなひ親にたよりて、人目少き猶太廓《ゲツトオ》に濳み居たるは、一年半ばかり前の事といへば、ベルナルドオが逢ひしは此時なり。幾《いくばく》もなくして彼公子身まかりぬ。姫はこれより一身をミネルワの神(藝術の神)に捧げまつりて、その始て桂冠を戴きしはナポリにての催しなりき。媼はその頃より姫のほとりを離れずといふ。語り畢りて媼は、姫の才あり智ありて、敬神の心いよ/\深きを稱ふること頻りなりき。
旅館を出でしは祝射《しゆくしや》の眞盛《まさかり》なりき。玄關よりも窓よりも、小銃拳銃などの空射をなせり。こは精進日の終を告ぐるなり。寺々の壁畫を覆《おほ》へる黒布をば、此聲とゝもに截《き》りて落すなり。鬱陶しき時はけふ去りて、蘇生祭のうれしき月はあすよりぞ來るなる。その嬉しさはアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と媼とを祭見に誘ひ得たるにて、又一層を加へたり。
蘇生祭
祭の鐘は鳴りわたれり。僧官《カルヂナアレ》を載せたる彩車は聖《サン》ピエトロの寺に向ひて奔《はし》りゆく。車の後なる踏板には、式の服着たる僮僕《しもべ》あまた立てり。外國人の車馬、ところの子女の裙屐《くんげき》に、狹き巷の往來はむづかしき程になりぬ。神使の丘の巓《いたゞき》には、法皇の徽章、聖母《マドンナ》の肖像を染めたる旗閃き動けり。ピエトロの辻には樂人の群あり。道の傍には露肆《ほしみせ》をしつらひて、もろ手さし伸べたる法皇授福の木板畫、念珠などを賣りたり。噴水の銀線は日にかゞやけり。柱弓《せりもち》の下には榻《たふ》あまた置きたるに、家の人も賓客も居ならびたり。群衆は忽ち寺門より漲《みなぎ》り出でたり。供養の儀式聲樂を見聞き、磔柱《たくちゆう》の鐵釘《てつてい》、長鎗などありがたき寶物を拜み得しなるべし。廣き十字街は人の頭の波打ちて、車は相倚りて隙間なき列をなせり。※[#「にんべん+倉」、第4水準2-1-77]父《さうふ》少童には石像の趺《だいいし》に攀《よ》ぢ上れるあり。全羅馬の生活《なりはひ》の脈は今此辻に搏動するかと思はる。既にして法皇の行列寺門を出づ。藍色の衣を纏へる僧六人に舁《か》かせたる、華美なる手輿《てごし》に乘りたるは法皇なり。若僧二人大なる孔雀《くじやく》の羽もて作りたる長柄の翳《えい》を取りて後に隨ひ、香爐搖り動かす童子は前に列びてぞゆく。輿に引き添ひて歩めるは
僧官《カルヂナアレ》達なり。行列の門を出づるや、樂隊は一齊に聲を揚ぐ。輿を大理石階の上に舁き上げて、法皇の姿廊の上に見ゆるを相圖として、廣き辻なる老若の群集は跪《ひざまづ》けり。隊伍をなせる兵士もこれに倣《なら》へり。こゝかしこに立てる人の殘りしは、新教を奉ずる外國人なるべし。アヌンチヤタは停めたる車の内に跪きて、その美しき目を法皇の面に注げり。われは見るべからざる法雨のこの群の上に降り灑《そゝ》ぐを覺えき。廊の上より紙二ひら翩《ひるがへ》り落つ。一は罪障消滅の符、一は怨敵調伏の符なり。衆人はその片端を得んとてひしめきあへり。鐘の音再び響き、奏樂又起りぬ。われ等の乘れる車の此辻を離るゝとき、ベルナルドオが馬、側を過ぎたり。馬上の友はアヌンチヤタと媼とに禮《ゐや》して、我をば顧みざりき。姫は君が友の色の蒼さよ、病めるにあらずやとさゝやきぬ。われはたゞさることはあらざるべしと答へしが、我心は明に友の面色土の如くなりし所以《ゆゑん》を知りたり。而してわれは我決心の期《ご》到れるを覺えき。
わが姫を慕ふ情は甚だ深し。姫にしてわれを棄てずば、我は一生を此戀に委《ゆだ》ぬとも可なり。われは嘗て我才の戲場に宜《よろし》くして、我|吭《のんど》の喝采を博するに足るを驗《ため》し得たれば、一たび意を決して俳優の群に投ぜば、多少の發展を見んこと難《かた》からざるべし。ベルナルドオ畢竟|何爲者《なにするもの》ぞ。その年ごろ姫に近づかんとする心にして、公正なる情ならば、われ決してこれが妨碍《ばうげ》をなさじ。友と我との間に擇《えら》ばんは、一にアヌンチヤタが寸心に存ず。姫我を取らば友去れかし。友を取らば我|退《ひ》かん。この日われは机に對《むか》ひて書を裁し、これをベルナルドオが許に寄せたり。筆を落すに臨みて舊情を喚び起せば、不覺の涙紙上に迸りぬ。發送せし後は心やゝ安きに似たれど、或は姫を失はんをりの苦痛を想ひ遣りて、プロメテウスの鷲の嘴《くちばし》に刺さるゝ如き念《おもひ》をなし、或は姫に許されて戲場を雙棲のところとなさん日の樂|奈何《いか》なるべきと思ひ浮べて、獨り微笑を催すなど、ほとほど心亂れたる人に殊ならざりき。
燈籠、わが生涯の一轉機
夕の勤行《ごんぎやう》の鐘響く頃、姫と媼とを伴ひて御寺《みてら》の燈籠見に往きぬ。聖ピエトロの伽藍《がらん》には中央なる大穹窿、左右の小穹窿、正面の簷端《のきば》、悉く透き徹《とほ》りたる紙もて製したる燈籠を懸け連ねたるが、その排置いと巧なれば、此莊嚴なる大廈は火※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]の輪廓もて青空に畫き出されたるものゝ如くなり。人の群れ集《つど》へること、晝の祭の時にも増されるにや、車をば並足《なみあし》にのみ曳かせて、僅に進む事を得たり。神使の橋の上より、御寺の全景を眺むるに、燈の光は黄なるテヱエル河の波を射て、遊び嬉《たのし》む人の限を載せたる無數の舟を照し、爰《こゝ》に又一段の壯觀をなせり。樂の聲、人の歡び呼ぶ聲の滿ちわたれるピエトロの廣こうぢに來りし時、火を換ふる相圖《あひづ》傳へられぬ。御寺《みてら》の屋根々々に分ち上したる數百の人は、一齊に鐵盤中なる松脂環飾《やにのわかざり》に火を點ず。小き燈のかず/\忽ち大火※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]と化したる如く、この時|聖《サン》ピエトロの寺は羅馬の大都を照すこと、いにしへベトレヘムの搖籃の上に照りし星にもたとへつべきさまなり。(原註。寺院もそのめぐりなる家屋も、皆石もて築き立てたるものなれば、この盤中の火は松脂の盡くるまで燃ゆれども、火虞《くわぐ》あるべきやうなし。)群衆の歡び呼ぶ聲はいよ/\盛になりぬ。アヌンチヤタこの活劇を眺めたるが、遽《にはか》に我に向ひていふやう。かの大穹窿の上なる十字架に火皿を結び付くる役こそおそろしけれ。おもひ遣るに身の毛いよ竪《た》つ心地す。われ。げに埃及《エヂプト》の尖塔にも劣らぬ高さなり。かしこに攀《よ》ぢしむるには膽《きも》だましひ世の常ならぬ役夫を選むことにて、預《あらかじ》め法皇の手より膏油の禮を受くと聞けり。姫。さてはひと時の美觀のために、人の命をさへ賭《と》するなりしか。われ。これも神徳をかゞやかさんとての業なり。世には卑しき限の事に性命を危くする人さへ少からず。かく語るうち、車の列は動きはじめたり。人々はモンテ、ピンチヨオの頂にゆきて、遙かにかゞやく御寺と其光を浴《あ》むる市とを見んとす。われ重ねて。御寺に光を放たせて、都の上に照りわたらしむるは、いとめでたき意匠にて、コルレジヨオが不死の夜の傑作も、これよりや落想しつるとおもはる。姫。さし出《で》がましけれど、そのおん説は時代たがへり。彼圖は御寺に先だちて成りたり。作者は空《くう》に憑《よ》りて想ひ得しなるべく、又まことに空に憑りて想ひ得たりとせんかた、藍本《らんぽん》ありとせんよりめでたからん。モンテ、ピンチヨオに二重傍線]は餘りに雜※[#「二点しんにょう+鰥のつくり」、第4水準2-89-93]《ざつたふ》すべければ、やゝ遠きモンテ、マリヨ[#「モンテ、マリヨ」に二重傍線]へ往かばや。こゝより市門まではいと近ければといふ。われは馭者に命じて、柱廊の背後を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]らしめ、幾ほどもなく市外に出でたり。丘の半腹なる酒店の前に車を停めて見るに、穹窿の火の美しさ、前に見つるとはまた趣を殊にして、正面の簷《のき》こそは隱れたれ、星を聯《つら》ねたる火輪の光の海に漂《たゞよ》へるかとおもはる。この景色は四邊《あたり》のいと暗くして、大空なるまことの星の白かねの色をなして、高く隔たりたる處に散布せるによりて、いよ/\その美觀を添へ、人をして自然の大なるすら羅馬の蘇生祭には歩を讓りたるを感ぜしむ。鐘の響、樂の聲はこゝまでも聞えたり。
われは車を下りて、些の稍事《せうじ》を買はゞやと酒店の中に入りぬ。店の前には狹き廊ありて、小龕《せうがん》に聖母を崇《いつ》きまつり、さゝやかなる燈を懸けたり。わが店を出でんとて彼龕の前に來ぬるとき、忽ちベルナルドオが吾前に立ち塞がりたるを見き。その面の色は、むかし「ジエスヰタ」派の學校のこゝろみの日に、桂冠を受け戴きしをりに殊ならず。眼は熱を病める如くかゞやけり。物狂ほしく力を籠《こ》めて我|臂《ひぢ》を握り、あやしく抑へ鎭《しづ》めたる聲して、アントニオ、われは卑しき兇行者たらんを嫌へり、然らずば直ちに此劍もて汝が僞多き胸を刺すならん、汝は臆病ものなれば辭《いな》まむも知れねど、われは強ひて潔《いさぎよ》き決鬪を汝に求む、共に來れといふ。われは把《と》られたる臂を引き放さんとすまひつゝ、ベルナルドオ、物にや狂へると問ふに、友は焦燥《いらだ》つ聲を抑へて、叫ばんとならば叫べ、男らしく立ち向ふ心なくば、人をも呼べ、この兩腕の縛らるゝ迄には、汝が息の根とめでは置かじ、兵《えもの》はこゝにあり、我に恥ある殺人罪を犯させじとおもはゞ疾く來れといひつゝ、拳銃一つ我手にわたし、われを廊の外に拉《ひ》き行かんとす。われは遞與《わた》されたる拳銃を持ちながら、猶身を脱せんとして爭へり。友。彼君は淺はかにも汝に靡《なび》きしならん。汝は誇らしくも、そを我に、そを羅馬の民に示さんとす。われを出し拔きしは猶忍ぶべし。いかなれば我に弔辭《くやみ》めきたる書を贈りて、重ねて我を辱めたる。われ。ベルナルドオ、そは皆病める人の詞なり。先づその手を弛《ゆる》めずや。われは力を極めて友の體を撥《は》ね退けたり。
その時われは銃聲の耳邊に轟くを聞きたり。我右臂には衝動を感じたり。烟は廊道《わたどのみち》に滿ちたり。われは又叫ぶに似て叫ぶにあらざる一種の氣息を聞きたり。この氣息の響は我耳を襲ふよりは寧ろ我心を襲ひき。發したるは我手中の銃にして、黒く數石を染めたる血に塗《まみ》れて我前に横れるは我友なり。われは喪心者の如く凝立して、拘攣《こうれん》せる五指の間に牢《かた》く拳銃を攫《つか》みたり。
わが此不慮此不幸の全範圍を感ぜしは、酒店の人の罵り噪《さわ》ぎつゝ走り寄りアヌンチヤタと媼との我前に來るを見し時なりき。わがベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]と叫びて、その躯《からだ》に抱き付かんとするに先だちて、姫は早くもその傍に跪き、鮮血湧き出づる創口を押へたり。姫はかく我友をいたはりつゝ、血の色全く失《う》せたる面を擧げて、我を凝視せり。媼は我臂を搖り動かして、疾《と》く此場をと呼べり。
われは胸裂くるが如き苦痛を覺えき。われは叫び出せり。思ひ掛けぬ怪我なり。殺さんと欲せしは他《かれ》なり。銃は他の我にわたしゝなり。われは身を脱せんとして撥條《はつでう》に觸れたり。アヌンチヤタ聞き給へ。我等二人は命に懸けて君を慕ひしなり。君がために血を流さんことは、われも厭はざるべきこと、我友と同じ。われはおん身が一言を聞きて去らん。おん身は我友を愛し給ひしか、我を愛し給ひしか。
友の介抱に餘念なき姫は、詞のあやもしどろに、疾く往き給へといひて、手を揮《ふ》りたり。姫は往き給へと繰反したり。われは心もそらに再び、友なりしか我なりしかと叫びたり。
その時われはアヌンチヤタが友の上に俯して唇をその※[#「桑+頁」、第3水準1-94-2]《ひたひ》に觸るゝを見、その聲を呑みて微かに泣くを聞きたり。
次第に集りたる衆人の中より、忽ち邏卒々々《らそつ/\》と呼ぶ聲を聞けり。われは目に見えぬ幾條の腕もて拉《ひ》き去らるゝ心地して、此場を遁《のが》れたり。
基督の徒
基督の徒
愛せられしは友なり。この一條の毒箭《どくや》は我渾身の血を濁して、人を殺せり友を殺せりといふ悔悟の情の頭を擡《もた》ぐるをさへ妨げんとす。灌木雜草を踏みしだき、棘《いばら》に面を傷《きずつけ》られ、梢に袖を裂かれつゝも、幾畝の葡萄畠を限れる低き石垣を乘り越え乘り越え、指すかたをも分かでモンテ、マリヨの丘を走り下るに、聖ピエトロの御寺の火は、昔カインの奔《はし》りしとき、同胞の躯《からだ》を供へたる贄卓《にへづくゑ》の火のゆくてを照しゝ如くなり。(譯者云。カインは亞當《アダム》が第一の子にして、弟を殺して神に供へき。)この間幾時をか經たる、知らず。わが足を駐《とゞ》めしは、黄なるテヱエルの流の前を遮《さへぎ》るを見し時なりき。羅馬より下、地中海の荒波寄するあたりまで、この流には橋もなし、また索《もと》むとも舟もあらざるべし。この時我は我胸を噬《か》む卑怯の蛆《うじ》の兩斷せらるゝを覺えしが、そは一瞬の間の事にて、蛆は忽《たちまち》又|蘇《よみがへ》りたり。われは復《ま》たいかなる決斷をもなすこと能はざりき。
われはふと首《かうべ》を囘《めぐ》らしてあたりを見しに、我を距ること數歩の處に、故墳の址あり。むかしドメニカが許に養はれし時、往きて遊びし冢《つか》に比ぶれば、大さは倍して荒れたることも一入《ひとしほ》なり。頽《くづ》れ墮《お》ちたるついぢの石に、三頭の馬を繋ぎたるが、皆おの/\顋下《さいか》に弔《つ》りたる一束の芻《まぐさ》を噛めり。
墓門より下ること二三級なる窪みに、燃え殘りたる焚火を圍める三個の人物あり。その火影の早く我目に映らざりしにても、我が慌てたるを知るに足るべし。火の左右に身を横《よこた》へたる二人は、逞《たく》ましげに肥えたる農夫なるが、毛を表にしたる羊の裘《かはごろも》を纏ひ、太き長靴を穿き、聖母の圖を貼《つ》けたる尖帽を戴き、短き烟管《きせる》を銜《ふく》みて對《むか》ひあへり。第三個は鼠色の大外套にくるまり、帽をまぶかに被りてついぢに靠《よ》りかゝりたるが、その身材《みのたけ》はやゝ小く、瓶《へい》を口にあてゝ酒飮み居たり。
わが渠等《かれら》を認めしとき、渠等も亦我を認めき。肥えたる二人は齊《ひと》しく銃を操《と》りて立ち上りたり。客人は何の用ありてこゝに來しぞ。われ。舟をたづねて河をこさんとす。三人は目を合せたり。甲。むづかしきたづねものかな。挈《さ》げ持ちて旅するものは知らず。こゝ等には舟も筏《いかだ》もなし。乙。客人は路にや迷ひ給ひし。こゝは物騷なる土地なり。デ・チエザアリが夥伴《なかま》は遠き處まで根を張れば、法皇はいかに鋤《すき》を揮《ふ》り給ふとも、御腕の痛むのみなり。甲。客人はなどて何の器械《えもの》をも持ち給はぬ。見られよ、この銃は三連發なり。爲損《しそん》じたるときの用心には腰なる拳銃あり。丙。この小刀《こがたな》も馬鹿にはならぬ貨物《しろもの》なり。(かの身材小さき男は冰《こほり》の如き短劍を拔き出だして手に持ちたり。)乙。早く※[#「革+室」、67-下段-23]《さや》に納めよ。年若き客人は刃物は嫌ひなるべし。客人、われ等に逢ひ給ひしは爲合《しあは》せなり。若し惡棍《わるもの》などに逢ひ給はゞ、素裸にせられ給はん。金あらば我等にあづけ給へ。
われは今三人の何者なるかを知りたり。我五官は鈍りて、我性命は價なきものとなりぬ。諸君よ、わが持てる限の物をば、悉く贈るべし、されどおん身等を※[#「厭/食」、第4水準2-92-73]《あ》かしむるに足らざるこそ氣の毒なれと答へて、われは進寄りつゝ、手を我|衣兜《かくし》にさし籠《こ》みたり。われは兜兒《かくし》の中に猶|盾銀《たてぎん》二つありしを記したり。而るに我手に觸れたるは、重みある財布なりき。抽《ひ》き出して見れば、手組《てあみ》の女ものなるが、その色は曾てアヌンチヤタが媼の手にありしものに似たり。落人《おちうど》の盤纏《ろよう》にとて、危急の折に心づけたる、彼媼の心根こそやさしけれ。三人ひとしくさし伸ぶる手を待たで、われは財布の底を掴みて振ひしに、焚火に近き※[#「匚<扁」、第4水準2-3-48]石《ひらいし》の上に、こがねしろかね散り布けり。眞物《ほんもの》ぞと呼びつゝ、人々拾ひ取りて勿體なき事かな、盜人などに取られ給はゞいかにし給ふといふ。われ。貨物《しろもの》はそれ丈なり。疾《と》く我命を取り給へ。生甲斐なき身なれば毫《すこ》しも惜しとはおもはず。甲。思ひも寄らぬ事なり。我等はロツカ・デル・パアパ[に住める正直なる百姓仲間なり。同じ教の人を敬ふ基督の徒なり。酒少し殘りたり。これを飮みて、かく怪しき旅し給ふ事のもとを明し給へ。われ。そはわが祕事《ひめごと》なり。かく答へて我は彼瓶を受け、燥《かわ》きたる咽を潤したり。
三人は何事をかさゝやきあひしが、小男は嘲《あざ》み笑ふ如き面持して我に向ひ、煖《あたゝか》き夕のかはりに寒き夜をも忍び給へといひて立ちぬ。渠《かれ》は驅歩《かけあし》の蹄の音をカムパニアに二重傍線]の廣野に響かせて去りぬ。甲。いざ客人、船を待ち給はんは望なき事なり。我馬の尾に縋《すが》りて泅《およ》がんこともたやすからねば、鞍の半を分けて參らすべし。渠は我を後《うしろ》ざまに馬の脊に掻き載せて、おのれは前の方に跨り、水に墜《おと》さぬ用心なりとて、太き綱を我胸と肘《ひぢ》とのめぐりに卷きて、脊中合せにしかと負ひたり。我には手先を動かす餘地だになかりき。逞ましき馬は前脚もて搜《さぐ》りつゝ流に入りしが、水の脇腹に及ぶころほひより、巧に泳ぎて向ひの岸に着きぬ。渠《かれ》は河ごしは濟みたりと笑ひて、綱を弛《ゆる》むる如くなりしが、こたびは我脊を緊《きび》しく縛りて、その端を鞍に結《ゆ》ひつけ、鞍をしかと掴みておはせ、墜ちなば頸の骨をや摧《くじ》き給はんといひて、靴の踵を馬の脇に加ふれば、連なる男も同じく足をはたらかせたり。かくて二匹の馬三個の人は、弦《つる》を離れし矢の如くカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の原野を横ぎりたり。前なる男の長き髮は、風に亂れて我頬を拂へり。頽《くづ》れたる家の傍、斷えたる水道の柱弓《せりもち》の畔《ほとり》を、夢心に過ぎゆけば、血の如く紅なる大月《たいげつ》地平線より輾《まろが》り出で、輕く白き靄《もや》騎者《のりて》の首《かうべ》を繞《めぐ》りてひらめき飛べり。
山塞
友を殺し、女に別れ、國を去りて、兇賊の馬背に縛《いまし》められ、カムパニアの廣野を馳《は》す。一切の事、おもへば夢の如く、その夢は又怪しくも恐ろしからずや。あはれ此夢いつかは醒《さ》めん、醒めてこの怖るべき形相《ぎやうさう》は消え淪《ほろ》びなん。心を鎭めて目を閉づれば、冷《ひやゝか》なる山おろしの風は我頬を繞《めぐ》りて吹けり。
山路にさしかゝると覺しき時、騎者《のりて》は背後なる我を顧みて詞をかけたり。程なく大母《おほば》の蔽膝《まへだれ》の下に息《やす》らふべければ、客人も心安くおぼせよ。良き馬にあらずや。この頃|聖《サン》アントニオの禳《はらひ》を受けたり。小童《こわつぱ》の絹の紐もて飾りて牽《ひ》き往きしに、經を聽かせ水を灌《あび》せられぬれば、今年中はいかなる惡魔の障碍をも免るゝならん。
岩間の細徑に踏み入る頃、東の天は白みわたりぬ、連《つれ》なる騎者馬さし寄せて、夜は明けんとす、客人の目疾《めやみ》せられぬ用心に、涼傘《ひがさ》さゝせ申さんと、大なる布を頭より被せ、頸のまはりに結びたれば、それより方角だに辨《わきま》へられず。諸手《もろて》をば縛《いまし》められたり。我|身上《みのうへ》は今や獵夫《さつを》に獲られたる獸にも劣れり。されど憂に心|昧《くら》みたる上なれば、苦しとも思はでせくゞまり居たり。馬の前足は大方仰ぐのみなれど、ともすれば又暫し阪道を降る心地す。茂りあひたる梢は頻りに我頬を拊《う》てり。道なき處をや騎《の》り行くらん覺束《おぼつか》なし。
久しき後馬より卸《おろ》して、我を推して進ましむ。かれこれ復た隻語《せきご》を交へず。狹き門を過ぎて梯《はしご》を降りぬ。心神定まらず、送迎|忙《いそが》はしき際の事とて、方角|道程《みちのり》よくも辨へねど、山に入ること太《はなは》だ深きにはあらずと思はれぬ。わがその何れの地なるを知りしは、年あまた過ぎての事なり。後には外國人《とつくにびと》も尋ね入り、畫工の筆にも上りぬ。こゝは古《いにしへ》のツスクルムの地なり。栗の林、丈高き月桂《ラウレオ》の村立《むらだち》ある丘陵にて、今フラスカアチと呼ばるゝ處の背後にぞ、この古跡はあなる。「クラテエグス」、野薔薇などの枝生ひ茂りて、重圈をなせる榻列《たふれつ》の石級を覆へり。山のところどころには深き洞穴あり、石の穹窿あり。皆|草叢《くさむら》に掩《おほ》はれて、迫り視るにあらでは知れ難かるべし。谷のあなたに聳《そばだ》てるはアプルツチイの山にて、沼澤《せうたく》を限り、この邊の景に、物凄き色を添ふ。あはれ此山の容《かたち》よ。この故址《こし》斷礎の間より望むばかり、人を動すことは、またあらぬなるべし。
騎者等の我を拉《ひ》き往くは、とある洞窟の一つにて、その入口は石楠《エピゲエア》の枝といろ/\なる蔓艸《つるくさ》とに隱されたり。我等は足を駐《とゞ》めつ。徐《しづ》かに口笛吹く聲と共に、扉を開く響す。再び數級の石磴《せきとう》を下る。數人《すにん》の亂れ語る聲我耳に入りし時、頭に纏《まと》へる布は取り除けられぬ。わが身は大穹窿の裏《うち》に在り。中央なる大卓の上に眞鍮《しんちゆう》の燈二つ据ゑて、許多《あまた》の燈心に火を點じ、逞しげなる大漢《おほをとこ》數人の羊の裘《かはごろも》着たるが、圍み坐して骨牌《かるた》を弄《もてあそ》べり。火光の照し出せる面《おも》ざしは、苦《にが》みばしりて落ち着きたるさまなり。人々は生面の客あるを見ても、絶て怪み訝《いぶか》ることなく、我に榻《こしかけ》を與へて坐せしめ、我に盞《さかづき》を與へて飮ましめ、肴《さかな》せんとて鹽肉團《サラメ》をさへ截《き》りてくれたり。その相語るを聞くに、方言にて解すべからず、されど我上に關《かゝ》はらざる如くなりき。
我は飢を覺えずして、たゞ燃ゆる如き渇を覺えしかば、酒を飮みつゝ四邊《あたり》を見たり。隅々には脱ぎ棄てたる衣服と解き卸したる兵器とあるのみ。一角に龕《がん》の如く窪みたる處あり。その天井には半ば皮剥ぎたる兎二つ弔《つ》り下げたり。初め心付かざりしが、その窪みたる處には一人の坐せるあり。年老いたる媼《おうな》の身うち痩せ細りたるが、却りて脊直《せすぐ》にすくやかげなる坐りざまして、あたりに心留めざる如く、手はゆるやかに絲車を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]せり。銀の如き髮の解けたるが、片頬に墜《お》ちかゝりて、褐色なる頸のめぐりに垂るゝを見る。その墨の如き瞳は、とこしへに苧環《をだまき》の上に凝注せり。焚《た》きさしたる炭の半ば紅なるが、媼の座の畔《ほとり》にちりぼひたるは、妖魔の身邊に引くといふ奇《くす》しき圈《わ》とも看做《みな》さるべし。まことに是れ一幅クロトの活畫像なり。(譯者云。古説に三女ありて人生運命の泰否を掌《つかさど》る。性命の絲を繰るをクロトと曰ひ、これを撮みたるをラヘシスと曰ひ、これを斷つをアトロポスと曰ふ。姉妹神なり。)
人々の我事にかゝづらはざりしは、久しからぬ程なりき。忽ち糺問《きうもん》は始まりぬ。職業は何ぞ、資産ありや否や、親戚ありや否や抔《など》いふことなりき。我は徐《しづ》かに答へき。わが帶び來たるところのものをば、最早君等に傾け贈りぬ。かくてこの身はやうなき貨《しろもの》となりぬ。縱《たと》ひ羅馬《ロオマ》わたりに持ち往きて沽《う》らんとし給ふとも、盾銀《たてぎん》一つ出すものだにあらじ。廉《かど》ある生活《なりはひ》の業《わざ》をも知らず。頃日《このごろ》は拿破里《ナポリ》に往きて、客に題をたまはりて、即座に歌作りて謳《うた》はんと志したり。斯く語るついでに、われはこたび身を以て逃れたる事のもとさへ、包み藏《かく》さずして告げぬ。唯だアヌンチヤタが上をば少しも言はざりき。さてわが物語の終は、この上殊なる望なければ、この身を官府に引き渡して、襃美にても受け給へといふことなりき。
一人の男のいはく。さりとては珍らしき望なるかな。想ふに羅馬市には、黄金《こがね》の耳環《みゝわ》を典して、客人を贖《あがな》ひ取ることを吝《をし》まざる人あるならん。拿破里《ナポリ》の旅稼《たびかせぎ》は、その後の事とし給はんも妨《さまたげ》あらじ。さはあれ強ひて直ちに拿破里に往かんとならば、あぶなげなく彊《さかひ》を越させ申さんことも、亦我等の手中に在り。留りて此樂園に居らんとならば、それも好し。こゝに在るは善き人々なるをば、客人も夙《と》く悟り給ひしならん。されど此等の事思ひ定め給はんには、先づ快く一夜の勞を醫《いや》し給ふに若かず。こゝに佳《よ》き牀《とこ》あり。それのみならず、來歴ある好き衾《ふすま》をも借し參らせん。巽風《シロツコ》吹く頃の夕立をも、雪ふゞきをも凌《しの》ぎし衾ぞとて、壁よりはづして投げ掛くるは、褐色なる大外套なり。牀といふは卓の一端の地上に敷ける藁蓆《わらむしろ》なり。その男は何やらん一座のものに言置き、「ヂツセンチイ、オオ、ミア、ベツチイナ」(降《お》り來よ、やよ、我戀人)と俚歌《ひなうた》口ずさみて出行きぬ。
血書
われは眠ることを期せずして、身を藁蓆の上に僵《たふ》しゝに、前《さき》の日よりの恐ろしき經歴は魘夢《えんむ》の如く我心を劫《おびやか》し來りぬ。されど氣疲れ力衰へたればにや目※[#「目+匡」、第3水準1-88-81]《まぶた》おのづから合ひ、いつとは知らず深き眠に入りて、終日復た覺むることなかりき。
醒めたる時は心地|爽《さはや》かになりて、前に心身を苦めつる事ども、唯だ是れ一場の夢かと思はるゝ程なりき。然はれそは一瞬の間にして、身の在るところを顧み、四邊なる男等の蹙《しか》みたる顏付を見るに及びては、我魘夢の儼然として動《うごか》すべからざる事實なるを認めざることを得ざりき。
一客あり。灰色の外套を偏肩に引掛け、腰に拳銃を帶びたるが、馬に騎《の》りたる如く長椅に跨《またが》りて、男等と語れり。穹窿の隅の方には、彼の雜種《あひのこ》いろしたる老女の初の如く坐して繰車《くりぐるま》まはせるあり。黒地《くろぢ》に畫ける像の如し。座のめぐりには、新き炭を添へて、その煖氣は室に滿ちたり。われは客の、彈《たま》は脇を擦過《かす》りたり、些《いさゝか》の血を失ひつれど、一月の間には治すべしといふを聞き得たり。
わが頭を擡《もた》げしを見て、われを鞍に縛《ばく》せし男のいふやう。客人醒め給ひしよ。十二時間の熟睡は好き保養なるべし。こゝなるグレゴリオ[#「グレゴリオ」に傍線]は羅馬より好き信《たより》をもて來たり。そはおん身の喜び給ふべき筋の事なり。手を下しゝはおん身に極つたり。時も所も符を合す如し。驕《おご》りたる評議廳の官人は、おん身がために、容赦なくその長裾《ちやうきよ》を踏まれぬと見えたり。お身の大膽なる射撃に遭ひしは、評議官の從子《をひ》なりき。これを聞きてわれは僅に、命にはさはらずやと問ふことを得き。グレゴリオの云はく。先づ死なで濟むべし。醫者は然《しか》云ひきとぞ。鶯の如き吭《のど》ありといふ、美しき外國婦人の夜を徹《とほ》して護り居たるに、醫者は心を勞し給ふな、本復《ほんぷく》疑なしといひきとぞといふ。我を伴ひ來し男の云はく。われおもふに、君は男の身を錯《あやま》り射給ひしのみにあらず、女の心をも亦錯り射給ひしなり。雌雄《めを》は今|雙《なら》び飛ぶべし。君は唯だこゝに在《いま》せ。自由なる快活なる生計《たつき》なり。君は小なる王者たることを得べし。而してその危さは決して世間の王位より甚しからず。酒は酌めども盡きざるべし。女は君を欺《あざむ》きし一人の代りに、幾人をも寵し給へ。同じく是れ生活なり、餘瀝《よれき》を嘗むると、滿椀を引くと、唯だ君が選み給ふに任すと云ひき。
ベルナルドオは死せず。我は人を殺さず。この信は我がために起死の藥に※[#「にんべん+牟」、第3水準1-14-22]《ひと》しかりき。獨りアヌンチヤタを失ひつる憂に至りては、終に排するに由なきなり。われは猶豫することなく答へき。我身は只君等の處置するに任すべし。されどわが嘗て受けし教と、現《げん》に懷《いだ》ける見《けん》とは、俘囚《とりこ》たるにあらずして、君等が間に伍すべきやうなし。これを聞きて、我を伴ひ來し男の顏は、忽ち嚴《おごそか》なる色を見せたり。盾銀《たてぎん》六百枚は定まりたる身のしろなり。そを六日間に拂ひ給はゞ、君は自由の身なるべく、さらずば君が身は、生きながらか、殺してか、我物とせではおかじ。こは此處の掟《おきて》なれば、君が紅顏も我丹心も、寛假《くわんか》の縁《えにし》とはならぬなるべし。六百枚なくば、我等の義兄弟となりて生きんとも、彼處《かしこ》なる枯井の底にて、相擁して永く眠れる人々の義兄弟となりて終らんとも、二つに一つと思はれよ。身のしろ求むる書をば、友達に寄せ給はんか、又彼歌女に寄せ給はんか。おん身の一撃|媒《なかだち》となりて、二人はその心を明しあひつれば、さばかりの報恩をば、喜びてなすなるべし。斯く語りつゝ、男は又から/\と笑ひて云ふ。廉《やす》き價なり。この宿の客人に、還錢《かんぢやう》のかく迄廉きことは、その例少からん。都よりの馬のしろ、六日の旅籠《はたご》を思ひ給へ。われ。我志をば既に述べたり。我はさる書をも作らざるべく、又君等が夥伴《なかま》にも入らざるべし。男。さて/\強情なる人かな。されどその強情は憎くはあらず。我|彈丸《たま》の汝が胸を貫かんまでも、その心をば讚めて進ずべし。命惜まぬ客人よ。生くといふには種々あり。少年の心は物に感じ易しといふに、吾黨がかく累《わずらひ》なく障《さはり》なき世渡するを見て、羨ましとは思はずや。そが上おん身は詩人にて、即興詩もて口を糊せんといふにあらずや。吾黨の自由|不羇《ふき》の境界《きやうがい》を見て心を動すことはなきか。客人試みに此境界を歌ひ給へ。題をば巖穴の間なる不撓《ふたう》の氣象とも曰ふべきならん。客人若しこれを歌はゞ、彼生活といひ性命といふものゝ、樂む可く愛す可きを説かざることを得ぬなるべし。その杯を傾けて、歌ひて我等に聽せ給へ。出來好くば六日の期を一日位は延ばすべしといふ。男は手をさし伸べて、壁上なる「キタルラ」を取りて我に授けつ。賊の群は立ちて我席を繞《めぐ》りたり。
われはそを把《と》りて暫く首を傾けたり。課する所の題は巖穴山野にて、こは我が曾て經歴せざるところなり。前の夜こゝに來し時は、目を掩《おほ》はれたれば甲斐なし。昔見しところを言はゞ、羅馬のボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]、パムフイリの兩苑に些の松林ありしに過ぎず。まことの山とては、幼かりし程ドメニカが家の窓より望みしより外知らず。已むことなくば只だ一たび山を見き。ジエンツアノの花祭に往きし途すがらの事なり。ネミ湖畔の高原を歩みしに、道は暗く靜けき森林の間を通じたり。彼祭はわが爲には悲き祭なりければ、湖畔の道にて花束つくりしことをさへ、今猶忘れでありしなり、景は心目に上り來れり。今かく物語する時間の半をだに費さずして、景は情を生じ、情は景を生ずるほどに、我は絃を撥《はじ》きたり。情景は言の葉となり、言の葉は波起り波伏す詩句となりぬ。且我が歌ひしところを聽け。深き湖あり。暗き林はそを環《めぐ》れり。湖の畔なる巖は聳《そばだ》ちて天を摩せんとす。こゝに暴鷲《あらわし》の巣あり。母鳥は雛等に教へて、穉《をさな》き翼を振はしめ、またその目を鋭くせんために、日輪を睨ましめき。扨《さて》母鳥の云ひけるやう。汝達は諸鳥の王なるぞ。目は利《と》く、拳は強し。いでや飛べ。飛びて母の側を去れ。我目は汝を送り、我情は彼の死に臨める大鵝《たいが》の簧舌《くわうぜつ》の如く汝が上を歌ふべし。その歌は不撓の氣力を題とせんといひき。雛等は巣立せり。一隻は翅《はね》を近き巖の頂に斂《をさ》めて、晴れたる空の日を凝矚《ぎようしよく》すること、其光のあらん限を吸ひ取らんと欲する如くなりき。一隻は高く虚空に翔《かけ》りて、大圈を畫し、林※[#「木+越」、第3水準1-86-11]《りんゑつ》沼澤を下瞰《かかん》するが如くなりき。岸に近き水面には緑樹の影を倒せるありて、その中央には碧空の光を※[#「くさかんむり/(酉+隹)/れんが」、第3水準1-91-44]《ひた》すを見る。時に大魚の浮べるあり。その脊は覆《くつがへ》りたる舟の如し。忽ち彼雛鷲は電《いなづま》の撃つ勢もて、さと卸《おろ》し來つ。刃《やいば》の如き利爪《とづめ》は魚の背を攫《つか》みき。母鳥は喜、色に形《あらは》れたり。然るに鳥と魚とは力|相若《あひし》くものなりければ、鳥は魚を擧ぐること能はず、魚は鳥を沈むること能はず、打ち込みたる爪の深かりしために、これを拔かんとするも、亦意の如くならず。こゝに生死の爭は始まりぬ。今まで靜なりける湖水の面は、これがために搖り動され、大圈をなせる波は相重りて岸に迫れり。既にして波上の鳥と波底の魚と、一齊に鎭《しづ》まり、鷲の翼の水面《みのも》を掩《おほ》ふこと蓮葉《はちすは》の如くなりき。忽ち隻翼は又|聳《そばだ》ち起り、竹を割《さ》く如き聲と共に、一翼はひたと水に着き、一翼は劇《はげ》しく水を鞭《う》ち沫《しぶき》を飛ばすと見る間に、鳥も魚も沈みて痕なくなりぬ。母鳥は悲鳴して、巖角なる一隻の雛を顧みるに、こもいつか在らずなりて、首を仰いで遠く望めば、只だ一黒斑の日に向ひて飛ぶを見き。母鳥は悲を轉じて喜となしたり。その胸は高く躍りて、その聲は折るれども撓《たわ》まぬ力を歌ひぬ。我歌はこゝに終り、喝采の聲は座に滿ちぬ。獨り我は※[#「目+寅」、第4水準2-82-14]《またゝき》きもせで、龕《がん》の前なる老女をまもり居たり。そは我が歌ひて半に至りし時、老女の絲繰る手やうやく緩く、はては全く歇《や》みて、暗き瞳の光は我面を穿《うが》つ如く、こなたに注がれたればなり。又我が能く少時の夢を喚《よ》び起して、この詩中に入るゝことの、かくまで細かなることを得しは、この老女の振舞|與《あづか》りて力ありければなり。
媼《おうな》は忽ち身を起し、健《すこや》かなる歩みざまして我前に來て云ふやう。能くも歌ひて、身のしろを贏《か》ち得つるよ。吭《のど》の響はやがて黄金《こがね》の響ぞ。鳥と魚との水底に沈みし時にこそ、この姥《うば》は汝が星の躔《やど》るところを見つれ。鷲よ。いで日に向ひて飛べ。老いたる母は巣にありて、喜の目もてそを見送らんとす。汝が翼をば、誰にも折らせじといふ。我に勸めて歌はせし男|恭《うや/\》しく媼の前に※[#「石+盍」、第4水準2-82-51]頭《ぬかづ》きて、さてはフルヰアの君は此わかうどを見給ひしことあるか、又その歌を聞き給ひしことあるかと問ひぬ。媼。そは汝の知らぬ事なり。われは早く幸運の兒の身と光と眼の星とを見き。兒はむかし花の環を作りぬ。後又愈※[#二の字点、1-2-22]美しき花の環を作るならん。その臂《ひぢ》を縛《いまし》むべきことかは。六日が程は巣にあれかし。脊に爪打ち込みしにはあらず。六日立たば、汝この雛を放ち遣りて、日の邊へ飛ばしめよ。斯くつぶやきつゝ、媼は壁の前なる筐《はこ》を探りて、紙と筆とを取り出でつ。あな、やくなし。墨は巖の如くなりぬ。コスモよ。人の上のみにはあらず。汝が腕の血を呉れずやといふ。コスモと喚《よ》ばれし彼男は、一語をも出さで、刀を拔きて淺くその膚を截《き》りたり。媼はその血に筆を染めて我にわたし、「往《ゆく》拿破里《ナポリ》」と書して名を署せしめて云ふ。好し好し、法皇の封傳《てがた》に劣らぬものぞとて、懷にをさめつ。傍なる一人の男、その紙何の用にか立つべきとつぶやきしに、媼目を見張りて、蛆《うぢ》のもの言はんとするにや、大いなる足の蹂躙《ふみにじ》らんを避けよといふ。コスモは首《かうべ》を低《た》れて不敢《いかでか》不敢《いかでか》汝の命は神璽《しんじ》靈寶にも代へじといひき。人々と媼との物語はこれにて止み、卓を圍める一座の興趣は漸くに加はりて、瓶《へい》は手より手にと忙はしく遣り取りせらるゝことゝなりぬ。さて食を供するに至りて、賊の中にはわが肩を敲きて、皿に肉塊を盛りて呉るゝもありき。唯だ彼媼は故《もと》の如く、室隅に坐して、飮食の事には與《あづか》らざりき。賊の一人は火をその坐のめぐりに添へて、大母よ、汝は凍《こゞ》ゆるならんといひき。我は媼の詞につきて熟※[#二の字点、1-2-22]《つら/\》おもふに、むかし母とマリウチアに傍線]とに伴はれて、ネミに二重傍線]湖畔に花束作りし時、わが上を占ひしことあるは此媼なりしなるべし。我運命の此媼の手中にありと見ゆること、今更にあやしくこそ覺えらるれ。媼はわれに往拿破里と書かしめき。こは固《もと》より我が願ふところなり。されど封傳《てがた》なくして、いかにして拿破里には往かるべきぞ。又|縱令《よしや》かしこに往き着かんも、識る人とては一人だに無き身の、誰に頼りてか活《なりはひ》をなさん。前にはわれ一たび即興詩もて世を渡らんとおもひき。されど羅馬にて人を傷けたりと知られんことおそろしければ、舞臺に出づべきこゝろもなし。されど方言をばよく知りたり、聖母のわれを見放ち給ふことだにあらずば、ともかくもして身を立てんと、強ひて安堵の念を起しつ。あはれ、あやしきものは人のこゝろにもあるかな。この時アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が我を卻《しりぞ》けて人に從ひし悲痛は、却りて我心を抑し鎭むる媒《なかだち》となりぬ。我がこの時の心を物に譬へて言はゞ、商人のおのが舟の沈みし後、身一つを三版《はぶね》に助け載せられて、知らぬ島根に漕ぎゆかるゝが如しといふべき歟《か》。
かくて一日二日と過ぎ行きぬ。新に來り加はる人もあり、又もとより居たる人の去りていづくにか往けるもあり。ある日彼媼さへ、ひねもす出でゝ歸らざりしかば、我は賊の一人とこの山寨《さんさい》の留守することゝなりぬ。この男は年二十の上を一つばかりも超えたるならん。顏は卑しげなるものから、美しき髮長く肩に掛かり、その目《ま》なざしには、常にいと憂はしげなる色見えて、をり/\は又手負ひたる獸などの如きおそろしき氣色《けしき》現るゝことあり。我と此男とは暫し對《むか》ひ坐して語を交ふることなく、男は手を額に加へて物案ずるさまなりしが、忽ち頭を擧げて我面をまもりたり。
花ぬすびと
若者はふと思ひ付きたる如く。おん身は物讀むことを能くし給ふならん。此卷の中なる祈誓の歌一つ讀みて聞せ給へとて、懷より小き讚美歌集一卷取出でたり。われいと易き程の事なりとて、讀み初めしに、若者の黒き瞳子《ひとみ》には、信心の色いと深く映りぬ。暫しありて若者我手を握りて云ふやう。いかなれば汝は復た此山を出でんとするか。人情の詐《いつはり》多きは、山里も都大路《みやこおほぢ》も殊なることなけれど、山里は爽かに涼しき風吹きて、住む人の少きこそめでたけれ。汝はアリチアの婚禮とサヱルリ侯との昔がたりを知るならん。壻《むこ》は卑しき農夫なりき。婦《よめ》は貧しき家の子ながら、美しき少女《をとめ》なりき。侯爵の殿は婚禮の筵《むしろ》にて新婦が踊の相手となり、宵の間にしばし花園に出でよと誘ひ給へり。壻この約を婦に聞きて、婦の衣裳を纏ひ、婦の面紗《おもぎぬ》を被りて出でぬ。好くこそ來つれと引き寄せ給ふ殿の胸には、匕首《あひくち》の刃深く刺されぬ。これは昔がたりなり。われも此の如き貴人を知りたり。そは某《なにがし》といふ伯爵の殿なりき。又此の如き壻を知りたり。唯だ婦は此の如く打明けて物言ふ性《さが》ならねば、新枕《にひまくら》の樂しさを殿に讓りて、おのれは新佛《しんぼとけ》の通夜することゝなりぬ。刃の詐《いつはり》多き胸を貫きし時、膚《はだへ》は雪の如くかゞやきぬとぞ語りし。
わが心中には畏怖と憐愍と交※[#二の字点、1-2-22]《こも/″\》起りぬ。われは詞はなくて、若者の面を打まもりしに、若者又云ふやう。彼も一時なり。此も一時なり。われを女の肌知らぬものと思ひ給ふな。英吉利《イギリス》の老婦人ありて、年若き男女と共に、拿破里《ナポリ》へ往かんと、此山の麓を過ぎぬ。我等は此一群を馬車より拉《ひ》き卸《おろ》したり。我等は三人を擒《とりこ》にして、財物を掠《かす》め取りつ。少女《をとめ》は若き男の許嫁《いひなづけ》の婦《よめ》なりしならん。顏ばせつやゝかに、目なざし涼しかりき。男をば木に括《くゝ》りたり。女は猶處子なりき。われはサヱルリ[#「サヱルリ」に傍線]侯に扮することを得たり。賠《つぐの》ひの金屆きて一群の山を下りし時、少女の顏は色|褪《あ》せて、目は光鈍りたりき。深山は蔭多きけにやあらん。
この物語にわれは覺えず面をそむけしかば、若者は分疏《いひわけ》らしく詞を添へて、されど新教の女なりき、惡魔の子なりきとつぶやきぬ。われ等二人はしばし語なくして相|對《むか》へり。若者は今一つ讀み給へと乞ひぬ。われは喜びて又尊き書を開きつ。
封傳
夕ぐれにフルヰアの媼歸りて、われに一裹《ひとつゝみ》の文書《もんじよ》を遞與《わた》して云ふやう。山々は濕衾《ぬれぶすま》を被《かつ》きたるぞ。巣立するには、好き折なり。往方《ゆくて》は遙なるに、禿げたる巖の面《おもて》には麪包《パン》の木生ふることなし。腹よく拵へよといふ。若者のかひ/″\しく立ち働きて、忙しげに供ふる饌《ぜん》に、われは言はるゝ儘に飢を凌《しの》ぎつ。媼は古き外套を肩に被き、手を把《と》りて暗き廊道《わたどのみち》を引き出でつゝ云ふやう。我雛鷲よ。疆《さかひ》守《も》る兵《つはもの》も汝が翼を遮ることあるまじきぞ。その一裹は尊き神符にて、また打出の小槌なり。おのが寶を掘り出さんまで、事|闕《か》くことはあらじ。黄金も出づべし、白銀《しろかね》も出づべしといふ。媼は痩せたる臂《ひぢ》さし伸べて、洞門を掩《おほ》へる蔦蘿《つたかづら》の帳《とばり》の如くなるを推し開くに、外面《とのも》は暗夜なりき。濕りたる濃き霧は四方の山岳を繞《めぐ》れり。媼の道なき處を疾《と》く奔《はし》るに、われはその外套の端を握りて、やう/\隨ひ行きぬ。木立草むらを左右に看過して、媼は魔神の如くわれを導き去りぬ。
數時の後挾き山の峽《かひ》に出でぬ。こゝに伊太利《イタリア》の澤池にめづらしからぬ藁小屋一つあり。籘《とう》に藁まぜて、棟より地まで葺《ふ》き下せり。壁といふものなし。燈の光は低き戸の隙間洩りたり。媼は我を延《ひ》きて進み入りぬ。小屋の裡《うち》は譬へば大なる蜂窩《はちのす》の如くにして、一方口より出で兼ねたる烟は、あたりの物を殘なく眞黒《まくろ》に染めたり。梁柱《うつばり》はいふもさらなり、籘の一條《ひとすぢ》だに漆《うるし》の如く光らざるものなし。間《ま》の中央に、長さ二三尺、幅これに半ばしたる甎爐《せんろ》あり。炊《かし》ぐも煖むるも、皆こゝに火焚きてなすなるべし。炭と灰とはあたりに散りぼひたり。奧に孔ありて小き間につゞきたるが、そのさま芋塊に小芋の附きたる如し。その中には女子一人|臥《こや》して、二三人の小兒はそのめぐりに横《よこたは》れり。隅の方に立てる驢《うさぎうま》は、頭を延べて客を見たり。主人なるべし、腰に山羊《やぎ》の皮を卷き、上半身は殆ど赤條々《あかはだか》なる老夫は、起ちて媼の手に接吻し、一語を交へずして羊の皮をはふり、驢を門口に率《ひ》き出し、手まねして我に騎《の》れと教へぬ。媼は我に向ひて、カムパニアに二重傍線]の馬に勝《まさ》るべき足どりの駒なり、幸運の門出は今ぞとさゝやきぬ。われはその志の嬉しければ、媼の手に接吻せんとせしに、媼は肩に手を掛け、額髮おし上げて、冷なる唇を我額に當てたり。
老夫は鞭を驢《うさぎうま》に加へて、おのれもひたと引き添ひつゝ、暗き徑《みち》を馳《は》せ出せり。われは猶媼の一たび手もて揮《さしまね》くを見しが、その姿忽ち重《かさな》る梢に隱れぬ。心細さに馬夫《まご》に物言ひ掛くれば、聞き分き難き聲立てゝ、指を唇に加へたり。さては※[#「やまいだれ+音」、第3水準1-88-52]《おし》なるよと思ひぬ。いよ/\心もとなくて媼の授けし裹《つゝ》み引き出すに、種々の書《かき》ものありと覺ゆれど、夜暗うして一字だに見え分かず。兎角して曉がたになりぬ。路は山の脊に出でゝ、裸なる巖には些《すこし》許りなる蔓草《つるくさ》纏ひ、灰色を帶びて緑なる亞爾鮮《アルテミジア》の葉は朝風に香を途りぬ。空には星猶輝けり。脚下には白霧の遠く漂へるを見る。是れ大澤《たいたく》の地なり。此澤はアルバノ山下に始まりて、北ヱルレトリに二重傍線]より南テルラチナに至る。馬夫のしばし歩を留めし時、われは仰いで青空の漸く紅に染まりゆきて、山々の色の青|天鵝絨《びろうど》の如くなるを視き。偶※[#二の字点、1-2-22]《たま/\》山腹に火を焚くものあり。その黄なる※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]は晴天の星の如くなりき。われは覺えず驢背に合掌して、神の惠の大なるを謝したり。
われは漸くにして媼の賜《たまもの》を見ることを得き。その一通の文書は羅馬《ロオマ》警察|衙《が》の封傳《てがた》にして、拿破里《ナポリ》公使の奧がきあり。旅人の欄には分明に我氏名を注したり。一通は又拿破里フアルコネツトオ銀行に振り込みたる爲換《かはせ》金五百「スクヂイ」の劵なり。これに添へたる紙片に二三行の女文字あり。手負ひたる人の上をば、みこゝろ安く思されよ。遠からぬ程に癒《い》ゆべしと申すことに侍り。されどしばらくは羅馬に歸り給はぬこそよろしく侍らめとあり。フルヰアは我を欺かざりき。わがためには、これに増す神符あらじとおもひぬ。
道は少し夷《たひらか》になりぬ。とみれば一群の牧者あり。草を藉《し》きて朝餉《あさげ》たうべて居たり。我馬夫は兼て相識れるものと覺しく、進み寄りて手まねするに、牧者は我等にその食を分たんといふ。水牛の乾酪と麪包《パン》とにて飮ものには驢の乳あり。われは快く些の食事をしたゝめしに、馬夫《まご》は手まねして別を告げたり。さて牧者のいふやう。この徑《こみち》を下りゆき給へ。只だ山を左に見て行き給はゞ、小河の流に逢ひ給はん。そは山より街道に出づる水なり。霧晴れなば、そこより街※[#「木+越」、第3水準1-86-11]《なみき》の長く續けるを見給ふならん。流に沿ひて街※[#「木+越」、第3水準1-86-11]の方へ往き給はゞ、程なく街道の側なる廢寺の背後《うしろ》に出で給はん。その寺今は「トルレ、ヂ、トレ、ポンテ」とて旅籠屋《はたごや》となりたり。目の暮れぬ内にテルラチナ[に着き給ふべしといひぬ。我は此人々に報《むくい》せんとおもふに、拿破里にて受取るべき爲換《かはせ》の外には、身に附けたるものなし。されど財布をこそ人にやりつれ、さきに兜兒《かくし》の裡《うち》に入れ置きし「スクヂイ」二つ猶在らば、人々に取らせんものをと、かい探ぐるにあらず。馬夫には領《えり》なる絹の紛※[#「巾+兌」、74-上段-18]《てふき》解きて與へ、牧者等と握手して、ひとり徑を下りゆきぬ。
大澤、地中海、忙しき旅人
世の人はポンチネの大澤《たいたく》(パルウヂ、ポンチネ)といふ名を聞きて、見わたす限りの曠野《あらの》に泥まじりの死水をたゝへたる間を、旅客の心細くもたどり行くらんやうにおもひ做《な》すなるべし。そはいたく違へり。その土地の豐腴《ほうゆ》なることは、北伊太利ロムバルヂアに比べて猶優りたりとも謂ふべく、茂りあふ草は莖肥えて勢|旺《さかん》なり。廣く平なる街道ありてこれを横斷せり。(耶蘇《ヤソ》紀元前三百十二年アピウス・クラウヂウスの築く所にして、今猶アピウス街道の名あり。)車にて行かば坐席極めて妥《おだやか》なるべく、菩提樹の街※[#「木+越」、第3水準1-86-11]《なみき》は鬱蒼として日を遮り、人に暑さを忘れしむ。路傍は高萱《たかがや》と水草と、かはる/″\濃淡の緑を染め出せり。水は井字の溝洫《かうきよく》に溢れて、處々の澱《よど》みには、丈高き蘆葦《あし》、葉|闊《ひろ》き睡蓮《ひつじぐさ》(ニユムフエア)を長ず。羅馬の方より行けば左に山岳の空に聳《そび》ゆるあり。その半腹なる村落の白壁は、鼠いろなる岩石の間に亂點して、城郭かとあやまたる。左は海に向へる青野のあなたに、チルチエオの岬《みさき》(プロモントリオ、チルチエオ)の隆《たか》く起れるあり。こは今こそ陸つゞきになりたれ、古のキルケが島にして、オヂツセウスが舟の着きしはこゝなり。(ホメロスの詩に徴するに、トロヤの戰果てゝ後、希臘《ギリシア》イタカ王オヂツセウスこの島に漂流せしに、妖婦キルケ舟中の一行を變じて豕《ゐのこ》となす、オヂツセウス神傳の藥草にて其妖術を破りぬといふ。)
霧は歩むに從ひて散ぜり。晒《さら》せる布の如き溝渠《こうきよ》、緑なる氈《かも》の如き草原の上なる薄ぎぬは、次第に※[#「寨」の「木」に代えて「衣」、第3水準1-91-84]《かゝ》げ去られたり。時はまだ二月末なれど、日はやゝ暑しと覺ゆる程に照りかゞやきぬ。水牛は高草の間に群れり。若駒の馳せ狂ひて、後脚《とも》もて水を蹴るときは、飛沫高く迸《ほとばし》り上れり。その疾《と》く捷《はや》き運動を、畫かく人に見せばやとぞ覺ゆる。左の方なる原中に一道の烟の大なる柱の如く騰《あが》れるあり。こはこの地の習にて、牧者どものおのが小屋のめぐりなる野を燒きて、瘴氣《しやうき》を拂ふなるべし。
途にて農夫に逢ひぬ。その痩せたる姿、黄ばみし面は、あたりの草木のすくやかに生ひ立てると表裏《うらうへ》にて、冢《つか》を出でたる枯骨にも譬へつべし。驪《くろうま》に騎《の》りて、手に長き槍めきたるものを執れるが、こは水牛を率《ゐ》て返るとき、そは驅り集むる具なりとぞ。げにこゝらの水牛の多きことその幾何《いくばく》といふことを知らず。草むらを見もてゆけば、斗《はか》らず黒く醜き頭と光る眼とを認め得て、こゝにも臥したるよと驚くこと間々あり。
道に沿ひて處々に郵亭を設けたり。その造りざま、小きながら三層四層ならぬはなし。こは瘴氣《しやうき》を恐るればなり。亭は皆白壁なれど、礎《いしずゑ》より簷端《のきば》迄、緑いろなる黴《かび》隙間なく生ひたり。人も家も、渾《す》べて腐朽の色をあらはして、日暖に草緑なる四邊《あたり》の景と相容れざるものゝ如し。わが病める心はこれを見て、つく/″\人生の頼みがたきを感じたり。
「アヱ、マリア」の鐘響くに先だつこと一時ばかりにして、澤地のはづれに出でぬ。山脈の黄なる巖《いはほ》は漸く迫り近づきて、南國の風光に富めるテルラチナの市は、忽ち我前に横りぬ。三株の棕櫚樹《しゆろのき》高く道の傍に立てるが、その實は累々として葉の間に垂れたり。山腹の果圃《くわほ》は黄なる斑紋ある青氈《あをがも》に似たり。その斑紋は檸檬《リモネ》、柑子《かうじ》などの枝たわむ程みのりたるなり。一農家の前に熟し落ちたる檸檬を堆《うづたか》く積みたるを見るに、餘所にて栗など搖りおとして掃き寄するさまと殊なることなし。岩石のはざまよりは、青き迷迭香《まんねんらふ》(ロスマリヌス)、赤き紫羅欄花《あらせいとう》など生《お》ひ上《のぼ》りたるが、その巓《いたゞき》にはチウダレイクスが廢城の殘壁ありて、猶|巍々《ぎゞ》として雲を凌《しの》げり。(譯者云。東「ゴトネス」族の王なり。西暦四百八十九年東羅馬帝の命を奉じて敵を破り、伊太利を領す。)
我心は景色に撲《う》たれて夢みる如くなりぬ。忽ち海の我前に横はるに逢ひぬ。われは始て海を見つるなり、始て地中海を見つるなり。水は天に連りて一色の琉璃《るり》をなせり。島嶼《たうしよ》の碁布《きふ》したるは、空に漂ふ雲に似たり。地平線に近きところに、一條の烟立ちのぼれるは、ヱズヰオの山(モンテ、ヱズヰオ)なるべし。沖の方は平なること鏡の如きに、岸邊には青く透きとほりたる波寄せたり。その岩に觸るゝや、鼓《つゞみ》の如き音立てゝぞ碎くる。われは覺えず歩を駐《とゞ》めたり。わが滿身の鮮血は蕩《とろ》け散りて氣となり、この天この水と同化し去らんと欲す。われは小兒の如く啼きて、涙は兩頬に垂れたり。市に大なる白堊《しろつち》の屋ありて、波はその礎《いしずゑ》を打てり。下の一層は街に面したる大弓道をなして、その中には數輛の車を並べ立てたり。こはテルラチナの驛舍にして、羅馬《ロオマ》拿破里《ナポリ》の間第一と稱へらる。
鞭聲《べんせい》の反響に、近き山の岩壁を動かして、駟馬《しば》の車を驛舍の前に駐《とゞ》むるものあり。車座の背後《うしろ》には、兵器《うちもの》を執りたる從卒|數人《すにん》乘りたり。車中の客を見れば、痩せて色蒼き男の斑《まだら》に染めたる寢衣《ねまき》を纏ひて、懶《ものう》げに倚《よ》り坐せるなり。馭者は疾く下りて、又二たび三たび其鞭を鳴し、直ちに馬を續《つ》ぎ替へたり。さて護衞の士兵ありやと問へば、十五分間には揃ふべしと答へぬ。こはゆくての山路に、フラア・ヂヤヲロ、デ・チエザレの流を汲むものありとて、當時こゝを過ぐる旅客の雇ふものとぞ聞えし。(前者は伊太利大盜の名にして、同胞魔君の義なり。實の氏名をミケレ・ペツツアといふ。千七百九十九年|夥伴《なかま》を率《ひき》ゐて拿破里王に屬し、佛兵と戰ひて功あり。官職を授けらる。後佛兵のために擒《とりこ》にせられて、千八百六年拿破里に斬首せらる。後者も亦名ある盜なり。)客は英吉利語に伊太利語まぜて、此國の人の心鈍く氣長き爲に、旅人の迷惑いかばかりぞと罵りしが、やうやく思ひあきらめたりと覺しく、大なる紛※[#「巾+兌」、75-中段-15]《てふき》を結びて頭巾となし、兩の耳も隱るゝやうに被り、眼を閉ぢて默坐せり。馭者の語るを聞けば、この英人は伊太利に來てより十日あまりなるべし。北伊太利、中伊太利をばことごとく見果てつ。羅馬をば一日に看盡したり。此より拿破里にゆきて、ヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]に登り、汽船にて馬耳塞《マルセイユ》に渡り、南佛蘭西を遊歴すべしとなり。士兵八騎はいかめしく物具して至れり。馭者は鞭を揮《ふる》へり。馬も車も、忽ち黄なる岩壁にそひたる閭門《りよもん》を過ぎ去りぬ。
一故人
客舍の前にはたけ矮《ひく》く逞《たく》ましげなる男ありて、車の去るを見送りたるが、手に持てる鞭を揮ひて鳴らし、あたりの人に向ひていふやう。護衞はいかに嚴めしくとも、兵器《うちもの》の數はいかに多くとも、我客人となりて往くことの安穩なるには若《し》かじ。英吉利人ほど心忙しきものはなし。馬はいつも驅歩《かけあし》なり。氣まぐれなる人柄かなと嘲《あざ》み笑へり。われこれに聲かけて、おん身の車には既に幾位《いくたり》の客人をか得給ひしと問へば、隅ごとに眞心《まごころ》一つなれば、四人は早く備りたり、されど二輪車の中は未《まだ》一人のみなり。ナポリへと志し給はゞ、明後日は旭日《あさひ》のまだサンテルモ城(ナポリ[府を横斷する丘陵あり、其|巓《いたゞき》の城を「カステル、サンテルモ」といふ)に刺さぬ間に送り屆け參らすべしと答ふ。爲換《かはせ》ありて現金なき我がためには、此勸めのいと嬉しく、談合は忽ちに纏まりぬ。(原註。伊太利の旅を知らぬ人のために註すべし。彼國の車主《エツツリノ》は例として前金を受けず、途中の旅籠《はたご》一切をまかなひくれたる上、小使錢さへ客に交付《わた》し、安着の後決算するなり。)
車主は客人も零錢《こぜに》の御用あるべければとて、五「パオリ」の銀貨一枚|撮《つま》み出して我に渡しつ。われ。さらば食卓の好き座席と臥床《ふしど》とを頼むなり。明日は滯《とゞこほり》なく車を出してよ。車主。勿論にこそ候へ。聖《サン》アントニオと我馬との思召だにくるはずば、正三時には出で立つべし。されど明日はむづかしき日にて候ふ。税關の調べ二度、手形の改め三度あるべし。さらば、平かに憩はせ給へとて、車主は手を帽庇《ばうひ》に加へ、輕く頷きて去りぬ。
誘はれたる部屋は海に向へり。折しも風輕く起りて、窓の下には長き形したる波の寄ては又返すを見る。こゝの景色はカムパニアの景色とは全く殊なるに、いかなれば吾胸中には、少時の住家の事、ドメニカの媼《おうな》の事など浮び出でけん。世の中は廣けれど、眞ごゝろより我上を氣遣ひ呉るゝ人、彼媼の如きはあらじ。近きところに住みながら、屡※[#二の字点、1-2-22]往きて訪ふことだになかりしは、我と我身の怪まるゝばかりなり。彼フランチエスカの君の如きは、我を愛し給はざるにあらねど、凡そ恩をきるものと恩をきするものとの間には、未だ報恩の志を果さゞる限は、大なる溝渠ありて、縱《たと》ひ優しき情《なさけ》の蔓草の生ひまつはりて、これを掩《おほ》ふことあらんも、能く全くこれを填《うづ》むることなし。漸くにして、ベルナルドオとアヌンチヤタとの上に想ひ及ぶとき、われは頬《ほ》の邊の沾《うるほ》ふを覺えき。涙にやありし、又窓の下なる石垣に中《あた》りし波の碎け散りて面に濺《そゝ》ぎたるにやありし。
翌日は夜のまだ明けぬに、車に乘りてテルラチナを立ちぬ。領分境に至りて、手形改めあるべしとて、人々車を下りぬ。此の時始めて同行の人を熟視したるに、齡《よはひ》三十あまりと覺しく、髮の色|明《あか》く瞳子《ひとみ》青き男我目にとまれり。何處にてか見たりけん、心におぼえある顏なり。その詞を聞けば外國音《とつくにおん》なり。
手形は多く外國文《とつくにおん》もて認《したゝ》めたるに、境守る兵士は故里《ふるさと》の語だによくは知らねば、檢閲は甚しく手間取りたり。瞳子青き男は帖《てふ》一つ取出でゝ、あたりの景色を寫せり。げに街道に据ゑたる關の、上に二三の尖《とが》れる塔を戴きたる、その側なる天然の洞穴、遠景たるべき山腹の村落、皆好畫料とぞ思はるゝ。
わが背後《うしろ》よりさし覗きし時、畫工はわれを顧みて、あの大なる洞《ほら》の中なる山羊《やぎ》の群のおもしろきを見給へと指ざし示せり。その詞未だ畢《をは》らざるに、洞の前に横へたる束藁《たばねわら》は取り除《の》けられたり。山羊は二頭づゝの列をなして洞より出で、山の上に登りゆけり。殿《しんがり》には一人の童子あり。尖りたる帽を紐もて結び、褐色《かちいろ》の短き外套を纏ひ、足には汚れたる韈《くつした》はきて、鞋《わらぢ》を括《くゝ》り付けたり。童は洞の上なる巖頭に歩を停めて、我等の群を見下せり。
忽ち車主《エツツリノ》の一聲の因業《マレデツトオ》を叫びて、我等に馳せ近づくを見き。手形の中、不明なるもの一枚ありとの事なり。われはその一枚の必ず我劵なるべきを思ひて、滿面に紅を潮《さ》したり。畫工は劵の惡しきにはあらず、吏のえ讀まぬなるべしと笑ひぬ。
我等は車主の後につきて、彼塔の一つに上りゆき戸を排して一堂に入りて見るに、卓上に紙を伸べ、四五人の匍匐《はらば》ふ如くにその上に俯したるあり。この大官人中の大官人と覺しく、豪《えら》さうなる一人頭を擡《もた》げて、フレデリツクとは誰ぞと糺問《きうもん》せり。畫工進み出でゝ、御免なされよ、それは小生《わたくし》の名にて、伊太利にていふフエデリゴなりと答ふ。吏。然らばフレデリツク・シイズとはそこなるか。畫工御免なされよ。それは劵の上の端に記されたる我國王の御名なるべし。吏。左樣か。(と謦咳《せきばらひ》一つして讀み上ぐるやう。)「フレデリツク、シイズ、パアル、ラ、グラアス、ド、ヂヨオ、ロア、ド、ダンマルク、デ、ワンダル、デ、ゴオト。」さてはそこは「ワンダル」なるか。「ワンダル」とは近ごろ聞かぬ野蠻人の名ならずや。畫工。いかにも野蠻人なれば、こたび開化せんために伊太利には來たるなり。その下なるが我名にて、矢張王の名と同じきフレデリツクなり、フエデリゴなり。(「ワンダル」は二千年前の日耳曼《ゲルマン》種の名なり。文に天祐に依りて※[#「王+連」、第3水準1-88-24]馬《デンマルク》の王、「ワンダル」、「ゴオツ」諸族の王などゝ記するは、彼國の舊例なり。)書記の一人語を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]みて、英吉利人なりしよと云へば、外の一人|冷笑《あざわら》ひて、君はいづれの國をも同じやうに視給ふか、劵面にも北方より來しことを記せり、無論|魯西亞《ロシア》領なりといふ。
フエデリゴ、※[#「王+連」、第3水準1-88-24]馬《デンマルク》、この數語はわが懷しき記念を喚び起したり。※[#「王+連」、第3水準1-88-24]馬の畫工フエデリゴとは、むかし我母の家に宿り居たる人なり、我を窟墓《カタコムバ》に伴ひし人なり。我がために畫かき、我に銀※[#「金+表」、76-下段-22]《ぎんどけい》を貽《おく》りし人なり。
關守る兵卒は手形に疑はしき廉《かど》なしと言渡しつ。この宣告の早かりしにはフエデリゴの私《ひそ》かに贈りし「パオロ」一枚の效驗もありしなるべし。塔を下るとき、われフエデリゴに名謁《なの》りしに、この人は想ふにたがはぬ舊相識にて、さては君は可哀《かはゆ》き小アントニオなりしかと云ひて我手を握りたり。車に上るとき、人に請ひて席を換へ、われとフエデリゴとは膝を交へて坐し、再び手を握りて笑ひ興じたり。
われは相別れてより後の身の上をつゞまやかに物語りぬ。そはドメニカが家にありしこと、羅馬に返りて學校に入りしことなどにて、それより後をばすべて省きつるなり。我は詞を改めて、さてこれよりはナポリへ往かんとすと告げたり。
むかし畫工と最後に相見たるは、カムパニアの野にての事なりき。その時畫工は早晩一たび我を羅馬に迎へんと約したり。畫工は猶當時の言を記し居りて、我にその約を履《ふ》まざりしを謝したり。君に別れて羅馬に歸りしに、故郷の音信《おとづれ》ありて、直ちに北國へ旅立つことゝなりぬ。その後數年の間は、故里《ふるさと》にありしが、伊太利の戀しさは始終忘れがたく、このたびはいよ/\思ひ定めて再遊の途に上りぬ。こゝはわが心の故郷なり。色彩あり、形相《ぎやうさう》あるは、伊太利の山河のみなり。わが曾遊の地に來たる樂しさをば、君もおもひ遣り給へといふ。
彼問ひ我答ふる間に、路程の幾何《いくばく》をか過ぎけん。フオンヂイの税關の煩ひをも、我心には覺えざりき。途上一微物に遭ふごとに、友はその詩趣を發揮して我心を慰めたり。この憂き旅の道づれには、フエデリゴこそげに願ひても無かるべき人物なりしなれ。
友は往手《ゆくて》を指ざしていふやう。かしこなるが我が懷かしき穢《きたな》きイトリの小都會なり。汝は故里の我が居る町をいかなる處とかおもへる。街衢《がいく》の地割の井然《せいぜん》たるは、幾何學の圖を披《ひら》きたる如く、軒は同じく出で、梯《はしご》は同じく高く、家々の並びたるさまは、檢閲のために列をなしたる兵卒に殊ならず。清潔なることはいかにも清潔なり。されどかくては復た何の趣をかなさん。イトリに入りて灰色に汚れたる家々の壁を仰ぎ見よ。その窓には太《はなは》だ高きあり、太だ低きあり、大なるあり、小なるあり。家によりては異樣に高き梯の巓《いたゞき》に門口を開けるあり。その内を望めば、※[#「糸+樔のつくり」、第4水準2-84-55]車《いとぐるま》の前に坐せる老女あり。側なる石垣の上よりは黄に熟したる木の實の重げに生《な》りたる枝さし出でたるべし。この參差《しんし》錯落《さくらく》たる趣ありてこそ、好畫圖とはなるべきなれといふ。
車のイトリに入らんとするとき、同じく乘れる一客は、これフラア・ヂヤヲロの故郷なりと叫びぬ。この小都會は削立《さくりつ》千尺の大岩石の上にあり。これを貫ける街道は僅に一車を行《や》るべし。こゝ等の家は、概《おほむ》ね皆|平家《ひらや》に窓を穿《うが》つことなく、その代りには戸口を大いにしたり。戸の内なる泣く小兒、笑ふ女子は、皆|襤褸《つゞれ》を身に纏ひて、旅人の過ぐるごとに、手を伸べ錢を索《もと》む。馬の足掻《あがき》の早きときは、窓より首を出すべからず。石垣に觸るゝ虞《おそれ》あればなり。時ありて出窓《でまど》の下を過ぐるときは、隧道《すゐだう》の中を行くが如し。唯《た》だ黒烟の戸窓《とまど》より溢れて、壁に沿ひて上るを見るのみ。
閭門《りよもん》を出づるに及びて、友は手を拍《う》ちつゝ、美なる都會かなと叫びぬ。車主《エツツリノ》は顧みて、否、盜人《ぬすびと》の巣なり、警察の累《わずらひ》絶ゆる間なければとて、一たび市民の半を山のあなたに徙《うつ》し、その跡へは餘所より移住せしめしことあり、されどそれさへ雜草の叢《くさむら》に穀物の種を蒔きしに似て、何の利益もあらで止みぬ、兎角は貧の上の事にて、貧人の根絶やし出來ねば、無駄なるべしと、諭《さと》し顏に物語りぬ。
げにも羅馬とナポリとの間ほど、劫掠《ひはぎ》に便よきところはあらざるべし。奧の知られぬ橄欖《オリワ》の蒼林、所々に開ける自然の洞窟より、昔がたりの一目の巨人が築きぬといふ長壁のなごりまで、いづれか身を隱し人を覗ふに宜《よろ》しからざる。
友は蔦蘿《つたかづら》の底に埋れたる一|堆《たい》の石を指ざして、キケロの墓を見よといへり。是れ無慙《むざん》なる刺客《せきかく》の劍の羅馬第一の辯士の舌を默《もだ》せしめし處なりき。(キケロの別墅《べつしよ》はこゝを距ること遠からざるフオルミエにあり。該撤《ケエザル》歿後、アントニウス一派の刺客キケロを刺さんと欲す。キケロ身を以て逃れ、將《まさ》にブルツスの陣に投ぜんとして、遂に刺客の及ぶところとなりぬ。時に西暦前四十三年十二月七日なり。)友は語をつぎて、車主はこたびもモラ、ヂ、ガエタ(即ち昔のフオルミエ)の別墅に車を停むるならん、今は酒店となりて、眺望好きがために人に知らるといひぬ。
旅の貴婦人
山嶽は秀で、草木は茂れり。車は月桂《ラウレオ》の街※[#「木+越」、第3水準1-86-11]《なみき》を過ぎて客舍の門に抵《いた》りぬ。薦巾《セルヰエツト》を肘《ひぢ》にしたる房奴《カメリエリ》は客を迎へて、盆栽|花卉《くわき》もて飾れる闊《ひろ》き階《きざはし》の下《もと》に立てり。車を下る客の中に、稍※[#二の字点、1-2-22]肥えたる一夫人あるを見て進み近づき、扶《たす》けて下らしめ、ことさらに挨拶す。相識の客なればなるべし。夫人の顏色は太《はなは》だ美し。その瞳子《ひとみ》の漆《うるし》の如きにて、拿破里《ナポリ》うまれの人なるを知りぬ。
われ等の衆人と共に、門口に近き食堂に入る時、夫人は房奴に語りぬ。こたびの道づれは婢《はしため》一人のみ。例の男仲間は一人だになし。かく膽太く羅馬拿破里の間を往來《ゆきき》する女はあらぬならん、奈何《いかに》などいへり。
夫人は食堂の長椅子に、はたと身を倚《よ》せ掛け、いたく倦《うん》じたる體《てい》にて、圓く肥えたる手もて頬を支へ、目を食單《もくろく》に注げり。「ブロデツトオ、チポレツタ、フアジヲロ」とか。わが汁を嫌ふをば、こゝにても早く知れるならん。否々、わが「アムボンポアン」の「カステロ、デ、ロヲオ」の如くならんは、堪へがたかるべし。「アニメルレ、ドオラテ」に「フイノツキイ」些計《ちとばかり》あらば足りなん。まことの晩餐をばサンタガタにてしたゝむべし。こゝは早く拿破里《ナポリ》の風の吹くが快きなり。「ベルラ、ナポリ」と呼びつゝ、夫人は外套の紐を解き、苑《その》に向へる廊《わたどの》の扉を開き、もろ手を擴げて呼吸したり。(此詞の中には食單の品目に見えたる料理の稱多し。「ブロデツトオ」は卵の※[#「穀」の「禾」に代えて「黄」、78-上段-27]《きみ》を入れたる稀《うす》き肉羹汁《スウプ》、「チポレツタ」は葱、「フアジヲロ」は豆、「カステロ、デ、ロヲオ」は卵もて製したる菓子、「アニメルレ、ドオラテ」は犢《こうし》の臟腑の料理、「フイノツキイ」は香料なり。「アムボンポアン」は肥胖《ひはん》、「ベルラ、ナポリ」は美しき拿破里といふ程の事なり。)
われは友を顧みて、拿破里は最早こゝより見ゆるかと問ひしに、友は笑ひて、まだ見えず、されどヘスペリアは見ゆるなり、アルミダの奇《く》しき園《その》は見ゆるなりと答へき。(譯者云。ヘスペリアに二重傍線]は希臘《ギリシア》語、晩國、西國の義なり。或は伊太利を斥《さ》して言ひ、或は西班牙《スパニア》を斥して言ふ。されどこゝには、希臘神話にヘスペリアといふ女神ありて、西方の林檎園を守れるを謂ふならん。アルミダはタツソオが詩中の妖艷なる王女なり。基督教徒を惑はし、丈夫《ますらを》リナルドオをアンチオヒア[#の園に誘ひて、酒色に溺れしむ。フエデリゴが詞の意は、山水を問ふこと勿れ、彼美人を見よとなり。)
友と廊に出でゝ望むに、その景色の好きこと、想像の能く及ぶ所にあらず。脚の下には柑子《かうじ》、檸檬《リモネ》などの果樹の林あり。黄金いろしたる實の重きがために、枝は殆ど地に低《た》れんとす。丈高き針葉樹の園を限りたるさまは、北伊太利の柳と相似たり。この木立の極めて黒きは、これに接したる末遙なる海原《うなばら》の極めて明《あか》ければなり。園の一邊《かたほとり》の石垣の方を見れば、寄せ來る波は古の神祠|温泉《いでゆ》の址《あと》を打てり。白帆懸けたる大舟小舟は、徐《しづ》かに高き家の軒を並べたるガエタの灣《いりえ》に進み入る。(原註。ガエタはカエタより出でたる名なりといふ。是れヰルギリウスが詩の主人公エネエアス[#「エネエアス」に傍線]が乳媼《めのと》の名にして、此港を以て其埋骨の地となせるなり。)灣《いりえ》の背後《うしろ》に一山の聳ゆるありて、その嶺には古壘壁を見る。友は左の方を指してヱズヰオの烟を見よといふ。眸を轉じて望めば、火山の輪廓は一抹の輕雲の如く、美しき青海原の上に現れたり。われは小兒の情もて此景物を迎へ、心の裡《うち》に名状すべからざる喜を覺えき。
われ等は相携へて果園に下りぬ。われは枝上の果《このみ》に接吻して、又地に墜ちたるを拾ひ、毬《まり》の如くに玩《もてあそ》びたり。友の云ふやう。げに伊太利はめでたき國なる哉。北方の故郷に在りし間、常に我|懷《おもひ》に往來《ゆきき》せしものはこの景なり、この情なり。嘗て夢裡に呑みつる霞は、今うつゝに吸ふ霞なり。故郷の牧を望みては、此|橄欖《オリワ》の林を思ひ、故郷の林檎を見ては、此|柑子《かうじ》を思ひき。されど北海の緑なる波は、終に地中海の水の藍碧なるに似ず、北國の低き空は、終に伊太利の天《そら》の光彩あるに似ざりき。汝はわが伊太利を戀ひし情のいかに切なりしかを知るか。一たび淨土を去りたるものゝ不幸は、嘗て淨土を見ざりしものゝ不幸より甚し。我故郷なる※[#「王+連」、第3水準1-88-24]馬《デンマルク》は美ならざるに非ず。山毛欅《ぶな》の林の鬱として空を限るあり。東海の水の闊《ひろ》くして天に連《つらな》るあり。されど是れ皆|猶《なほ》人界の美のみ。伊太利は天國なり、淨土なり。かへす/″\も嬉しきは再び斯《この》土に來しことぞと云ふ。友はわれと同じく枝なる果に接吻し、又目に喜の涙を浮べて、我|項《うなじ》を抱き我額に接吻せり。
火は火を呼び、情は情を呼ぶ。われは最早此舊相識に對して、胸臆を開き緘※[#「口+黒」、第4水準2-4-36]《かんもく》を破ることを禁じ得ざりき。われは我が羅馬に在りての遭遇を語りて、高くアヌンチヤタの名を唱へたり。人を傷けて亡命せしこと、身を賊寨《ぞくさい》に托せしことより、怪しき媼《おうな》の我を救ひしことまで、一も忌み避くることなかりき。友の手は牢《かた》く我手を握りて、友の眼光《まなざし》は深く我眼底を照せり。
忽ち啜泣《すゝりなき》の聲の背後《うしろ》に起るあり。背後はキケロ[#の温泉《いでゆ》の入口にて、月桂《ラウレオ》朱欒《ザボン》の枝繁りあひたれば、われは始より人あるべしとは思ひ掛けざりしなり。枝推し分けて見れば、彼温泉の入口なる石に踞して泣く女あり。そは前《さき》の拿破里の夫人なりき。
夫人は涙の顏を擧げて我に謝して云ふやう。我が無禮《なめ》なるを恕《ゆる》し給へ。君等の歩み寄り給ひしときは、われ早くこゝに坐して涼を貪《むさぼ》り居たり。御物語の祕事《ひめごと》と覺しきには、後に心付きしが、せんすべなかりしなり。されど哀れ深き御物語を聞きつとこそ思ひまゐらすれ、人に告ぐべきにはあらねば、惡しく思ひ取り給ふなといふ。われは間《ま》の惡さを忍びて夫人に禮を施し、友と共に踵《くびす》を旋《めぐら》したり。友は我を慰めて云ふやう。彼夫人の期せずして我等と物言ひしは、或は他日我等に利あらんも知るべからず。斯く言へば土耳格《トルコ》人めきたれど、われは運命論者なり。且汝の語りし所は國家の祕密などにはあらず。誰が心中の帳簿にも、此種の暗黒文字數葉なきことはあらざるべし。彼夫人の汝が言を聞きて泣きしは、或は他人の語中より自家の閲歴を聽き出し、他人の杯酒もて自家の磊塊《らいくわい》に澆《そゝ》ぎしにはあらずや。涙は己れのために出で易く、人のために出で難きこと、なべての情なればといひき。
我等は再び車に乘り途《と》に上りぬ。四邊《あたり》の草木はいよ/\茂れり。車に近き庭園、田圃の境には、多く蘆薈《ろくわい》を栽《う》ゑたるが、その高さ人の頭を凌げり。處々の垂楊の枝は低《た》れて地に曳かんとせり。
日の夕《ゆふべ》にガリリヤノの河を渡りぬ。古のミンツルネエ(羅馬の殖民地)は此岸にありしなり。我好古の眼《まなこ》もて視るときは、是れ猶|古《いにしへ》のリリス河にして、其水は蘆荻《ろてき》叢間の黄濁流をなし、敗將マリウス[#「マリウス」に傍線]が殘忍なるズルラに追躡《ついせふ》せられて身を此岸に濳めしも、昨《きのふ》の猶《ごと》くぞおもはるゝ。(紀元前八十八年ズルラ政柄《せいへい》を得つる時、マリウスこれと兵馬の權を爭ふ。所謂第一|内訌《ないこう》是なり。マリウス敗れて此河岸に濳み、萬死を出で一生を得て、難を亞弗利加《アフリカ》に避けしが、その翌年土を捲きて重ねて來るや、羅馬府を陷いれ、兵を縱《はな》ちて殺戮《さつりく》せしむること五日間なりき。)此よりサンタガタまでは、まだ若干の路程あるに、闇《やみ》は漸く我等の車を罩《つゝ》まんとす。馭者は畜生《マレデツトオ》を連呼して、鞭策《べんさく》亂下せり。拿破里《ナポリ》の夫人は心もとながりて、頻りに車窓を覗き、賊の來りて、行李を括《くゝ》り付けたる索《さく》を截《き》らんを恐るゝさまなり。われ等は纔《わづか》に前面に火光あるを認めて、互に相慶したり。須臾《しゆゆ》にして車はサンタガタに抵《いた》りぬ。
晩餐の間、夫人は何事をか思ふさまにて、いともの靜なりき。さるをその目の斷えずわが方に注げるをば、われ心に訝《いぶか》りぬ。翌朝車の出づべき期《ご》に迫りて、われは一盞の珈琲《カツフエ》を喫せんために、食堂に下りしに、堂には夫人只一人在りき。優しく我を迎へて詞を掛け、われを惡しく思ひ給ふな、總べて思ひ設けぬ事なりしなればと云ふ。われは夫人を慰めて、否、あしき人に聞かれたりとは思ひ候はず、言はであるべき事をば言ひ給ふべき方ならねばと答へき。夫人。さなり。おん身はまだ我をよくも識り給はず。或は我を識り給ふ期《ご》あらんも知るべからず。おん身は知らぬ大都會に往き給ふといへば、かしこにて一度我家におとづれ、我夫と相識《さうしき》になり給はんかた宜しからん。交際は無くて協《かな》はぬものにて、又一たび誤りてあらぬ人と相結ぶときは、悔あるべきことなりといふ。われは深くその好意を謝して、善人は隨處にありといふ諺《ことわざ》の虚《むな》しからぬを喜びぬ。夫人は我側に寄りて、兼ねても聞き給ふならん、拿破里は少《わか》き人には危き地なりなど云ひ、猶何事をか告げんとせしに、フエデリゴも房《へや》より出でしかば、物語はこゝに絶えぬ。
我等は又車に乘りたり。今は車中の客も漸く互に打解けて、はかなき世語《よがたり》などしつゝ拿破里の市《まち》に近づきぬ。偶※[#二の字点、1-2-22]|驢《うさぎうま》に騎《の》りたる一群の過ぐるあり。我友はこれを見て、いたくめでたがりたり。紅の上衣を頂より被りて、一人の穉兒《をさなご》には乳房を啣《ふく》ませ、一人の稍※[#二の字点、1-2-22]年たけたる子をば、腰の邊《あたり》なる籠《こ》の中に睡らせたる女あり。又一家族を擧げて一驢の脊に托したりと覺しく、眞中には男騎りて、背後なる妻は臂《ひぢ》と頭とを夫の肩に倚《よ》せて眠り、子は父の膝の間に介《はさ》まれて策《むち》を手まさぐり居たるあり。いづれもピニエルリが風俗畫の拔け出でたるかと怪まるゝばかりなり。
空氣は鼠色にて雨少し降れり。ヱズヰオの山もカプリの島も見えず。葡萄の纏ひ付きたる高き果樹と白楊との間には、麥の露けく緑なるあり。夫人我等を顧みて、見給へ、此野はさながらに饗應のむしろなり、麪包《パン》あり、葡萄酒あり、果《このみ》あり、最早わが樂しき市《まち》と美しき海との見ゆるに程あらじといひぬ。
夕に拿破里に着きぬ。トレドの街の壯觀は我前に横はりぬ。(原註。羅馬及ミラノにては大街《おほどほり》をコルソオと曰ひ、パレルモ[#「パレルモ」に二重傍線]にてはカツサロと曰ひ、拿破里にてはトレドと曰ふ。)硝子燈と彩《いろど》りたる燈籠とを點じたる店相並びて、卓《つくゑ》には柑子《かうじ》無花果《いちじゆく》など堆《うづたか》く積み上げたり。道の傍には又魚蝋を焚き列ねて、見渡す限、火の海かとあやまたる。兩邊の高き家には、窓ごとに床張り出したるが、男女の群のその上に立ち現れたるさまは、こゝは今も謝肉祭《カルネワレ》の最中にやとおもはるゝ程なり。馬車あまた火山の坑《あな》より熔け出でし石を敷きたる街を馳《は》せ交《か》ひて、間※[#二の字点、1-2-22]馬のその石面の滑《なめらか》なるがために躓《つまづ》くを見る。小なる雙輪車あり。五六人これに乘りて、背後には襤褸《ぼろ》着たる小兒をさへ載せ、又この重荷の小づけには、網床めくものを結び付けたる中に半ば裸なる賤夫《ラツツアロオネ》のいと心安げにうまいしたるあり。挽《ひ》くものは唯だ一馬なるが、その足は驅歩《かけあし》なり。一軒の角屋敷の前には、焚火して、泅袴《およぎばかま》に扣鈕《ボタン》一つ掛けし中單《チヨキ》着たる男二人、對《むか》ひ居て骨牌《かるた》を弄べり。風琴、「オルガノ」の響喧しく、女子のこれに和して歌ふあり。兵士、希臘《ギリシア》人、土耳格《トルコ》人、あらゆる外國人《とつくにびと》の打ち雜《まじ》りて、且叫び且走る、その熱鬧《ねつたう》雜沓《ざつたふ》の状《さま》、げに南國中の南國は是なるべし。この嬉笑怒罵の天地に比ぶれば、羅馬は猶幽谷のみ、墓田のみ。夫人は手を拍《う》ち鳴して、拿破里々々々と呼べり。
車はラルゴ、デル、カステルロに曲り入りぬ。(原註。拿破里《ナポリ》大街《おほどほり》の一にして其末は海岸に達す。)同じ※[#「門<眞」、第3水準1-93-54]溢《てんいつ》、同じ喧囂《けんがう》は我等を迎へたり。劇場あり。軒燈籠懸け列ねて、彩色せる繪看板を掲げたり。輕技《かるわざ》の家あり。その群の一家族高き棚の上に立ちて客を招けり。婦《をみな》は叫び、夫は喇叭《らつぱ》吹き、子は背後より長き鞭を揮《ふる》ひて爺孃《やぢやう》を亂打し、その脚下には小き馬の後脚にて立ちて、前に開ける簿册を讀む眞似したるあり。一人あり。水夫の環坐せる中央に立ちて、兩臂《りやうひぢ》を振りて歌へり。是れ即興詩人なり。一翁あり。卷を開いて高く誦すれば、聽衆手を拍ちて賞讚す。是れ「オランドオ、フリオゾ」を讀めるなり。(譯者云。わが太平記よみの類《たぐひ》なるべし。讀む所はアリオストオの詩なり。)
夫人は忽ちヱズヰオと呼びぬ。げに/\廣こうぢの盡くる處に、彼の世界に名高き火山の半空に聳ゆるを見る。熔けたる巖《いはほ》の山腹を流れ下るさま、血の創より出づる如し。嶺の上に片雲あり。その火光を受けたる半面は殷紅《あんこう》なり。されど此偉觀の我眼に入りしは一瞬間なりき。車は廣こうぢを横ぎりて、旅店「カアザ、テデスカ」の前に駐《と》まりぬ。店の隣には、小き傀儡場《くゞつば》あり。一人ありてその前に立ち、道化役《プルチネルラ》の偶人《にんぎやう》を踊らせ、且泣き且笑ひ、又|可笑《をか》しき演説をなさしめたり。衆人は環《めぐ》り視て笑へり。向ひの家の石級には一僧あり。船頭らしき、肩幅|闊《ひろ》く逞しげなる男に、基督の像を刻み附けたる十字架を捧げさせて説教せり。此方《こなた》には聽衆いと少し。
僧は目を瞋《いか》らして傀儡師の方を見やりて云ふやう。斯くても精進日《せじみび》なるか。天主に仕ふる日なるか。反省して苦行する日なるか。汝達《なんたち》がためには、春の初より冬の終迄、日として謝肉祭《カルネワレ》ならぬはなし。斯く跳《をど》り狂ひ笑み戲《たはむ》れて、一歩一歩地獄に進み近づくなり。疾《と》く奈落の底に往きて狂ひ戲れよといふ。僧の聲は漸く大に、我耳はこの拿破里|訛《なまり》を聞くこと、一篇の詩を聞く如くなりき。されど僧の叫ぶこと愈々大なれば、偶人《にんぎやう》の跳ること愈々 忙しく、群衆は舊に依りて傀儡師に面し談義僧に背《そむ》けり。僧は最早え堪へずして、石級を飛び下りさまに連なる男の手より聖像を奪ひ取り、そを高くかざして衆人の間に分け入りたり。見よ/\。これがまことの傀儡なり。汝達に眼あるは、これを視んためなり。耳あるはこれの教を聽かんためなり。「キユリエ、エレイソン」(主よ、慈を垂れよの義にして、歌頌の首句)とぞ唱へける。聖像は流石《さすが》人に敬を起さしめて、四圍《あたり》の群衆忽ち跪《ひざまづ》けば、傀儡師も亦壇を下りて跪きぬ。
われは車の側に立ちてこれを見つゝ、心に神恩の深きと人心のやさしきとを思へり。フエデリゴは夫人のために辻の馬車を雇へり。夫人は友の手を握りて謝すと見えしが、その軟《やはらか》き兩臂は俄に我|頸《うなじ》を卷きて、我唇の上には燃ゆる如き接吻を覺えき。
慰籍
友の眠に就きし後、われは猶|※[#「宀かんむり/浸」、第4水準2-8-7]《やゝ》久しく出窓に坐して、外《と》の方《かた》を眺め居たり。こゝよりは啻《たゞ》に廣こうぢの隈々《くま/″\》迄見ゆるのみならず、かのヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山さへ眞向《まむき》に見えたり。夢の裡《うち》に移り來しにはあらずやと疑はるゝ此境の景色は、われをして容易《たやす》く臥床《ふしど》に上ることを得ざらしめしなり。目の下なる街は漸く靜になりて、燈火《ともしび》の數も亦減ぜり。最早眞夜中過ぎたるなるべし。
ヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山の姿は譬《たとへ》ば焔もて畫きたる松柏の大木の如し。直立せる火柱はその幹、火光を反射せる殷紅《あんこう》なる雲の一群《ひとむら》はその木の巓《いたゞき》、谷々を流れ下る熔巖《ラワ》はその闊《ひろ》く張りたる根とやいふべき。わがこれに對する情をば、いかなる詞もて寫し出すべきか、われは神と面《おも》相向へり。神の聲は彼火坑より發して直ちに我耳に響けり。神の威力、智慧、矜恤《きようじゆつ》、愛憐は我胸に徹したり。その迅雷《じんらい》風烈を放ち出す手は、また一隻の雀をだに故なくして地に墮《おと》すことなきなり。わが久しき間の經歴は我前に現じて一瞬時の事蹟に同じく、神の扶掖嚮導《ふえききやうだう》の絲は分明《ぶんみやう》に辨識せられたり。われは敢て自家を以て否運の兒となさじ。神の禍《わざはひ》を轉じて福《さいはひ》となし給へる迹《あと》は掩《おほ》ふ可からざるものあればなり。初めわれ不測の禍のために母上を喪《うしな》ひまゐらせき。されど故《わざ》とならぬ其罪を贖《あがな》はんとてこそ、車上の貴人《あてびと》は我に字を識り書を讀むことを教へしめ給ひしなれ。マリウチアとペツポとのわが身を爭ひて、わが全く寄邊《よるべ》なき身の上となりしは、寔《まこと》に限なき不幸なりき。されど斯くてわれカムパニアの曠野《あらの》に日を送ることなくば、かゝる貴人の爭《いか》でか我を認め得給はん。此の如く因果の鐺《くさり》を手繰《たぐ》りもて行くに、われは神の最大の矜恤、最大の愛憐を消受せしこと疑ふべからず。唯だ凡慮に測り知られぬは我とアヌンチヤタとの上なり。ベルナルドオが姫を得んと欲せしは卑陋《ひろう》なる色慾にして、縱《たと》ひ渠《かれ》一たびその願の成らざるを憂ふとも、渠は月日を費すことなくして、その失望を慰めその遺憾を忘れしならん。わが情はいと高くいと深くして、われ若し姫を獲たらんには、此世の中には最早何の欲望をも殘さゞりしならん。さるを姫は我を棄てゝ渠を取りたり。我|黄金《こがね》なす夢は一旦にして塵芥となり畢《をはん》ぬ。こはそもいかなる故ぞや。此煩惱の間、我は忽ち「キタルラ」の音の街上に起るを聞く。見下せば肩に輕く一領の外套を纏ひて、手に樂器を把《と》り、戀の歌の一曲を試みんとする男あり。未だ數彈ならざるに、對《むか》ひの家の扉は響なくして開《あ》き、男の姿は戸に隱れぬ。想ふに此人を待つものは、優しき接吻と囘抱となるべし。われは星斗のきらめける空を仰ぎ、又熔巖の影處々に紅《くれなゐ》を印したる青海原を見遣りたり。好し々々、我は我戀人を獲たり。我戀人は自然なり。自然よ。汝はわがためにその霽《はれ》やかなる天《そら》を打明けて何の隱すところもなし。汝はそよ吹く風の優しきを送りて、我額我唇に觸るゝことを嫌はず。我は汝が美しさを歌はん、汝が我心を動す所以《ゆゑん》を歌はん。言ふこと莫《なか》れ、汝が心の痍《きず》は尚血を瀝《したゝ》らすと。針に貫《つらぬ》かれたる蝶の猶その五彩の翼を揮《ふる》ふを見ずや。落ちたぎつ瀧の水の沫《しぶき》と散りて猶|麗《うるは》しきを見ずや。これはこれ詩人の使命なり。この世は束《つか》の間《ま》の夢なり。あの世に到らんには、アヌンチヤタも我も淨《きよ》き魂《たま》にて、淨き魂は必ず相愛し相憐み、手に手を取りて神のみまへに飛び行かむ。
氣力と希望とは再び我胸に入り來れり。わが此より即興詩人として世に立たんは、なか/\に樂しかるべき事ぞと思ひ返されぬ。只だ猶心に懸るは、恩人なる貴人《あてびと》の思ひ給はん程|奈何《いかゞ》なるべきといふ事なり。彼人はわれ舊に依りて羅馬にありて書《ふみ》を讀めりとおもひ給ふならん。彼人のわが都を逃れしさまと我新|境界《きやうがい》とを聞き知り給はんには、果して何とか言はるべき。われは今宵を過ごさで書を裁して、人々に我未來の事を認め許されんことを請《こ》ふことゝなしたり。我書には、子の母に言はんが如く、些《いさゝか》の繕ふことなく有の儘に、我とアヌンチヤタとの中を語り、我が一たび絶望の境に陷りて後、今又慰藉を自然と藝術とに求むるに至れる顛末《てんまつ》を敍して、さて人々の憐を垂れてわが即興詩人となることを許されんを願ひぬ。われはその答を得ん日までは、敢て公衆のために歌はざるべしと誓へり。これを書く時、涙は紙上に墜《お》ちて斑《まだら》をなし、われは心の中に答書の至らんこと一月の間にあらんことを祈るのみなりき。書き畢《をは》りて、われは久し振にて心安く眠に就きぬ。
翌日フエデリゴはとある横町なる賃房《かしべや》に移り、己れは猶さきの獨逸《ドイツ》宿屋なる、珍らしき山と海との眺ある一間に留まりぬ。われは聚珍館《しうちんくわん》(ムゼオ、ボルボニイコ)、劇場、公苑など尋ねめぐりて、未だ三日《みか》ならぬに、早く此都會の風俗のおほかたを知ることを得たり。
考古學士の家
或日|房奴《カメリエリ》は我に一封の書《ふみ》をわたしたり。披《ひら》きて讀めば、博士マレツチイと夫人サンタとの案内状にして、フエデリゴ君をも伴ひて來ませとあり。初めはわれこは屆先を誤りたる書ならずやと疑ひぬ。宿屋の人に博士はいかなる人ぞと問ふに、いと名高き學者にて、考古學とやらんに長《た》け給ふと聞ゆ、その夫人近きころ羅馬より歸り給ひしなれば、客人は途上にて相識になり給ひしにはあらずやといふ。嗚呼《あゝ》、われこれを獲たり。これこそ前《さき》の拿破里《ナポリ》の貴婦人なるらめ。
夕暮にフエデリゴを誘ひて往きぬ。いと廣き間に客あまた集へり。滑《なめらか》なる大理石の床は、蝋燭の光を反射し、鐵の格子を繞《めぐ》らしたる火鉢(スカルヂノ)は、程好き煖《あたゝか》さを一間の内に頒《わか》てり。
サンタと名告《なの》れる夫人は、嬉しげに我等二人を迎へて、一坐の客達に引合せ、又我等に、毫《すこ》しも心をおかで家に在る如く振舞はんことを勸めたり。夫人は今宵空色の衣《きぬ》を着たるが、いと善く似合ひたり。我等は若し此人をして少し痩せしめば、第一流の美人たるべきものをとさゝやきたり。
我等は夫人に促されて坐せり。此時一少女ありて「ピアノ」に對《むか》ひ、短歌《アリア》を唱《うた》ひ出せり。その曲は偶々《たま/\》アヌンチヤタがヂドに扮して唱ひしものと同じけれども、その力を用ゐる多少と人を動《うごか》す深淺とは、固《もと》より日を同うして語るべきならず。われは只だ衆のなすところに傚《なら》ひて、共に拍手したるのみ。少女《をとめ》は又輕快なる舞の曲を彈じ出せり。男客《をとこきやく》の三人四人は、急に傍《かたはら》なる婦人を誘《いざな》ひて舞ひはじめたり。われは避けて、とある窓龕《さうがん》に躱《かく》れたり。
初めわれは席に入りしとき、痩せたる小男の眼鏡懸けたるが、忙《せは》しげに此間に出入するを見たり。この男わが窓龕にかくれしを見て、我前に立ち留まり、慇懃《いんぎん》なる禮をなせり。われはその何人なるを知らねども、姑《しばら》く共に語らばやとおもひて、ヱズヰオの山の噴火の事を説き、その熔巖の流れ下る状《さま》など、外より來るものゝ目を驚かす由を云ひたり。小男の答ふるやう。否。今の噴火の景などは言ふに足らず。プリニウスの書《ふみ》に見えたる九十六年の破裂は奈何《いかゞ》なりけん。灰はコンスタンチノポリスにさへ降りしなり。近き年の破裂の時も、我等拿破里人は傘さして行きしが、均《ひと》しく灰降るといふも、拿破里に降るとコンスタンチノポリスに降るとは殊なり。何事によらず、今の世は遠く古の希臘《ギリシア》羅馬《ロオマ》の世に及ばずと知り給へ。澆季《げうき》の世は古に復さんよしもなしと、かこち顏なり。われ芝居話に轉ずれば、彼は遠くテスピスの車に遡《さかのぼ》りて、(世に傳ふ、テスピスは前五四〇年頃の雅典人《アテエンびと》にして、舞臺を車上にしつらひ、始て劇を演じたりと)希臘俳優の被《かぶ》りぬといふ、悲壯劇の假面と滑稽劇との假面とを列擧せり。われ又近頃|禁軍《このゑ》の檢閲ありしを聞きつと噂すれば、彼は希臘の兵制を論じて、マケドニア歩兵の方陣《フアランクス》の操錬を細敍すること目撃の状《さま》の如くなり。既にして彼は我に考古學又は美術史を研究し給ふやと問ひぬ。われ答へて、己れは専門の學をなさずと雖、凡そ宇宙の事は一として我研究の資料ならぬはなし、己れは詩人たらんと心掛くるなりと云へば、彼手を拍ちて喜び、ホラチウスが句を朗誦し、我琴を以てヨヰスの神の龜甲琴《リラ》に比したり。
忽ちサンタ我前に來て云ふやう。さては終に生捕《いけど》られ給ひしよ。おん身等の物語は、定めてセソストリス時代の事なるべし。(希臘傳説に見えたる埃及《エヂプト》王の名なり。前十四五紀の間の名ある王二人の上を混じて説けり。)客人《まらうど》には現世の用事あり。かしこに少《わか》き貴婦人の敵手《あひて》なくて寂しげなるあり。願はくは誘ひ出して舞の群に入り給へとなり。われ逡巡《しりごみ》して、否われは舞ふこと能はず、曾《かつ》て舞ひしことなしと答ふれば、サンタ重ねて、家のあるじたる我身おん身に請はゞ奈何《いかに》といふ。われ。まことに濟まぬ事ながら、われ若し強ひて踊り出でば、おのれ一人|跌《つまづ》き轉ぶのみならず、敵手の貴婦人をさへ拉《ひ》き倒すならん。夫人打ち笑ひて、そは好き見ものなるべしといひつゝ、フエデリゴの方に進み近づき、直ちに伴ひて舞の群に入りぬ。小男は我を顧みて、氣輕なる女なり、されど貌《かほ》は醜からず、さは思ひ給はずやといふに、我はまことに仰《おほせ》の如く、めでたき姿なりと讚め稱《たゝ》へき。此よりいかなる話の運《はこび》なりしか知らねど、我等二人は忽ち又古のエトルリヤ人(昔羅馬の北に住みし民)の遺しゝ陶器《すゑもの》の事を論ぜざるべからざることゝなりぬ。彼は此地の聚珍館内なる瓶《へい》又は壺の數々を擧げて、これに畫きし畫工に説き及ぼし、次いでその畫工の技巧を辯明したり。此等の陶畫《すゑものゑ》は、皆濕に乘じて筆を用ゐるものなれば、一點一畫と雖、漫然これを下すべきにあらずなど云へり。彼は猶其|詳《つまびらか》なるを教へんために、不日我を聚珍館に連れ往かんと約せり。
夫人は再び我前に來て、さては論文はまだ結局とならぬにや、以下次號とし給へと呼び、急に我手を把《と》りて拉《ひ》き去りつゝ、聲を低うして云ふやう。おん身は餘りに人|好《よ》きにはあらずや。我夫はいつも此の如くなれば、うるさき時は忍びて聽き給ふには及ばず。おん身の兎角沈み勝になり給ふは惡しき事なり。人々と共に樂み給へ。いざ我身おん相手となるべければ、何にても語り聞せ給へ。こゝに來給ひてより、何をか見給ひし、何をか聞き給ひし、何をか最もめでたしと思ひ給ひしといふ。われ。兼ておん身の告げ給ひしに違はず、拿破里はいとめでたき地なり。今日の午《ひる》過ぎなりき。獨り歩みてポジリツポの巖窟《いはや》に往きしに、葡萄の林の繁れる間に古寺の址《あと》あり。そこに貧しき人住めり。可哀げなる子供あまた連れたる母はなほ美しき女なりき。我は女の注《つ》ぎくれたる葡萄酒を飮みて、暫くそこに憩ひしが、その情その景、さながらに詩の如くなりきと語りぬ。夫人は示指《ひとさしゆび》を竪《た》てゝ、笑《ゑ》みつゝ我顏を打守り、油斷のならぬ事かな、さるいちはやき風流《みやび》をし給ふにこそ、否々、面をあかめ給ふことかは、君の齡《よはひ》にては、精進日《せじみび》の説法聞きて心を安じ給ふべきにはあらぬものをとさゝやきぬ。
夫婦の上にて、此夕わが知ることを得たるところは、いと少かりき。されどサンタが性《さが》の拿破里婦人の特色と覺しく、語《ことば》を出すに輕快にして直截《ちよくせつ》なる、人に接するに自然らしく情ありげなるは、深く我心に銘せり。その夫は博學の人と見えたり。共に聚珍館に遊ばんには、これに増す人あるべからず。
われは次第に足近く彼家に出入するやうになりぬ。サンタの待遇は漸く厚く親くなりて、われは早くも心の底を打明けて此婦人に語りぬ。後に思へば、われは世馴れぬ節多く、男女《なんによ》の間の事などに昧《くら》きは、赤子に異ならぬ程なれば、サンタの如き女に近づくことの、多少の危險あるべきを知るに由なかりしなり。サンタが夫は卑しき饒舌家《ぜうぜつか》ならずして、まことに學殖ある人なりしこと、此|往來《ゆきき》の間に明になりぬ。
或日われはサンタに語るに、アヌンチヤタと別れし時の事を以てせり。サンタは我を慰めて、ベルナルドオの心ざまを難じ、又アヌンチヤタの性《さが》をさへ貶《おとし》め言へり。そのベルナルドオを難ずる詞は、多少我|創痍《さうい》に灌《そゝ》ぐ藥油となりたれども、アヌンチヤタに傍線]を貶《おとし》むる詞は、わが容易《たやす》く首肯し難きところなりき。
サンタのいふやう。彼女優をばわれも屡々見き。舞臺に上る身としては、丈《たけ》餘りに低く、肌餘りに痩せたりき。拿破里にありても、若き人々の崇拜|尋常《よのつね》ならざりしが、そは聲の好かりしためなり。アヌンチヤタが聲は人を空想界に誘ひ行く力ありき。而してその小く痩せたる身も亦空想界に屬するものゝ如くなりしなり。おん身若し我言を非《たが》へりとし給はゞ、そは猶肉身なくて此世に在らんを好しとし給ふごとくならん。假令《よしや》われ男に生るとも、抱かば折るべき女には懸想《けさう》せざるべしといへり。われは覺えず失笑せり。想ふにサンタは話の理に墜つるを嫌ふ性なれば、始より我を失笑せしめんとて此説をなしゝならんか。奈何《いかに》といふにサンタもアヌンチヤタ[が品性の高尚なると才藝の人に優《すぐ》れたるとをば一々認むといひたればなり。
或時われは詩稿を懷にして往きぬ。こは拿破里《ナポリ》に來てよりの近業にて、獄中のタツソオ、托鉢僧など題せる短篇の外、無題一首ありき。われは愛情の犧牲なり。わが曾て敬し曾て愛しつる影像は、皆碎けて塵となり、わが寄邊《よるべ》なき靈魂は其間に漂へり。われはサンタに向ひ居て詩稿を讀み始めしに、未だ一篇を終らずして、情迫り心激し、われは鳴咽《をえつ》して聲を續《つ》ぐことを得ざりき。サンタは我手を握りて、我と共に泣きぬ。わがサンタに親むことは、此より舊に倍したり。
サンタの家は我第二の故郷となりぬ。われは日ごとにサンタと相見て、日ごとに又その相見ることの晩《おそ》きを恨みつ。この婦人の家にあるさまを見るに、其戲謔も愛すべく其氣儘も愛すべし。これをアヌンチヤタの一種近づくべからず褻《な》るべからざる所ありしに比ぶれば、固《もと》より及ぶべくもあらねど、かの捉へ難き過去の幻影には、最早この身近き現在の形相《ぎやうさう》を斥《しりぞ》くる力なかりしなり。
或時我は又サンタと對坐して語れり。夫人。近ごろポジリツポの眺好き家と顏好き女とを尋ね給ひしか。われ。否、前後二たび往きしのみ。夫人。女は最早餘程おん身になじみしならん。子供は案内者に雇はれ、主人は漁《すなどり》に出でゝ在らざりしにはあらずや。用心し給へ、拿破里《ナポリ》の海の底は、やがて地獄なりといへば。われ。否、我心を引くものは唯景色のみなり。かの賤女《しづのめ》いかに美しとて、決して我を誘ひ寄すること能はざるべし。夫人。吾友よ、われは明におん身の心を知れり。曩《さき》にはその心に初戀の充※[#「牛+刃」、第4水準2-80-18]《きざ》したるため、些の餘地だになかりき。われは君が初戀を陋《いや》しとせざるべし。されどその敵手《あひて》なる女の、君の直きが如く直からざりしは、爭ふべからざる事實なるべし。否、我話の腰を折り給ふな。さてその初戀の眞の價《あたひ》は兎《と》まれ、角《かく》まれ、その君が心に充※[#「牛+刃」、第4水準2-80-18]したるもの、今や無慙《むざん》にも引き放ちて棄てられ、その跡は空虚になりぬ。この空虚は何物もて填《うづ》むべきか。君は昔こそ書《ふみ》を讀み空想に耽りて自ら足れりとし給ひけめ、彼女優の一たび君を現實世界に引き出したる上は、君も亦我等と同じく血あり肉ある人となり給ひて、その血その肉はその本來の權利を求めでは止まざるべし。少壯幾時かある。男兒何の敢てすべからざる事かあらん。されば我に物隱さんとし給ふには及ばざるにあらずや。われ。おん説の前半は、げにさもあるべく思はれて、空虚の事などは首肯しても好し。されどそを填めん策をば未だ講ぜしことあらず。夫人。さらば君は猶我説を問はんとし給ふか。君の既に一たび空想を出でながら、猶再びこれに還りて、一個の空想人物とならんとし給ふが怪しきなり。アヌンチヤタは君が理想の女ならずや。高尚なる人物ならずや。それすら空想人物のアントニオの君を棄てゝ、人柄下りたるベルナルドオを取りしなり。アヌンチヤタも男欲しかりしなり。斯く言ひ掛けて、サンタは愛らしき聲して笑ひ、おん身の餘りに罪なき性《さが》なるため、我に女の口より言ひ難き事さへ言はしめ給ふこそ憎けれとて、指もて我頬を彈《はじ》きたり。
旅店に還りて獨り思ふに、サンタの我を評する言は、昔ベルナルドオの我を評せし言と同じ。此頃又フエデリゴの話を聞きしに、その羅馬にありし日の經歴には、我の夢にだに知らざるやうなることもありて、賤《いや》しきマリウチアさへその事に與《あづか》れりといふ。世の人はわが厭ひおそるゝところのものを悦び樂むにや。アヌンチヤタの我を棄てゝベルナルドオを取りしなどは、現《げ》にもこれを證して餘あるが如くなり。果して然らばアヌンチヤタは我感情を愛して我意志を嫌ひしにやあらん。あらず、わが意志の闕乏《けつばう》を嫌ひしにやあらん、いと覺束《おぼつか》なく心許《こゝろもと》なき事にこそ。
絶交書
拿破里《ナポリ》に來てより既に一月を經ぬ。さるにアヌンチヤタとベルナルドオとの上に就きては、何の聞くところもあらず。或夕一封の書は到りぬ。何人のいかなる便するにかと、打ち返してこれを見るに、印はボルゲエゼ家の印にして、筆は主公の筆なり。われは心に聖母《マドンナ》を祈りつゝ、開いてこれを讀みたり。其文に曰く。
御書状拜讀|仕候《つかまつりそろ》。素《も》と拙者の貴君の御世話|可致《いたすべく》と決心候節、貴君の爲めに謀《はかり》候は、當地に於いて正當なる教育を受けられ、社會に益ある一人物となられ候樣にと希望候儀に有之《これあり》候。然處《しかるところ》貴君の行跡全く此希望と相反《あひそむき》候は、今更是非なき次第と諦念《あきらめ》候より外無之候。當初|御萱堂《ごけんだう》不幸之|砌《みぎり》、存寄《ぞんじよ》らざる儀とは申《まうし》ながら、拙者の身上共禍因と連係候故、報謝の一端にもと志候御世話も、此の如く相終候上は、最早債を償《つぐの》ひ劵《ふだ》を折候と同じく、何の恩讐《おんしう》も無之、一切|事濟《ことずみ》と看做《みなし》候て宜《よ》かるべしと存候。然上《しかるうへ》は即興詩人と爲り藝人と爲りて公衆の前に出でられ候とも、拙者に於いて故障等可申には無之候。唯此際申入置度は、後日貴君の拙者一家に於ける從來の關係等、一切口外下さる間敷《まじき》儀に御座候。生涯當家の恩義忘却致さずとは先年度々申聞けられ候處に有之候へども、拙者に報ずる所以の最大事件たる學問修行をば塵芥の如く棄てられ候て、今は其最小事件即ち拙者を呼ぶに恩人を以てせられ候儀さへ、拙者の心に屑《いさぎよし》とせざるものと成果《なりはて》候段、歎息の外無之候。草々不宣。
われは血の胸に迫るを覺えて、兩手《もろて》は力なく膝の上に垂れたり。泣かば心鎭まるべけれども涙出でず、祈らば力着くべけれども語《ことば》出でず。我は悶絶せる人の如く、頭を卓上に支へて坐すること良※[#二の字点、1-2-22]《やゝ》久しかりしが、其間何の思ふところもあらざりき。われは痛苦をだに明には覺えざりしなり。只だ心の底には言ふべからざる寂しさを感じて、今は聖母《マドンナ》さへ世の人と同じく我を見放し給ふかと疑ひおもへり。
フエデリゴはこゝに來ぬ。進みて我手を握りて云ふやう。病めるか、アントニオ。獨り物思ふは惡しき事なり。汝はアヌンチヤタを失ひて不幸なりといへど、我は汝のアヌンチヤタを得て幸なるべかりしや否やを知らず。我經歴に徴するに、大抵わが遭逢せし所は、後に顧みるにわが最も宜《よろ》しき所なりし也。然れども運命の人を引き廻すは、間々頗《すこぶ》る手荒きものにて、人はこれを痛苦とし不幸とするなりといふ。我は詞なくて、卓上の書状を指し、友のこれを讀む間、これに背《そむ》きて涙を拂ひつ。友は我肩を撫でゝ、泣くが好し、泣かば心落着くべしと云へり。暫しありて友は我に、此書状を見たる後、既に思ひ定むる所ありやと問ひたり。此時われは忽ち思ひ付くよしありて、友に向ひて語り出でぬ。聞け吾友、われは僧とならんとす。我は幼きより聖母《マドンナ》に仕へたるが、今思へば淺からぬ縁《えにし》ありしならん。聖母の慈悲は廣大なれば、縱《たと》ひ一たび我を棄て給ふとも、いかでか我懺悔を聞き給はざることあらん。われは空想人物にて、汝等と同じからず。世間に立ち交《まじ》るとも、何の益かあるべき。若《し》かじ、今の機到り縁熟せるを幸として、平和を寺院の中に求めんには。友。おろかなり、アントニオ。否運《ひうん》に遭《あ》ひて志を屈せずしてこそ人たる甲斐はあれ。汝の氣力あり技倆あるを、傲慢なる羅馬の貴人《あてびと》に見せよ、世間に見せよ。詩人は賤《いや》しき業《わざ》にあらず。汝は才あり學あればこそ、詩人とならんとは思ひ立ちしなれ。汝が前途は多望なり。されどわれおもふに、わが斯く辭《ことば》を費すはいたづら事にはあらずや。汝が僧とならんといふは、けふの黄昏《たそがれ》の暗黒なる思案にて、あすは旭日の光に觸れて泡沫のごとく消え去るべきものにはあらずや。兎まれ角まれ、汝が病をばわが手ぬかりにて長じたりと覺《おぼ》し、汝は獨り籠り居て蟲をおこしたるならん。あすは車一輛|倩《こ》ひて、エルコラノ、ポムペイに往き、それよりヱズヰオの山に登るべし。先づ今宵は大路《トレド》まで出でゝ、面白く時を過さん。世の中は驅足《かけあし》して行く如し。而して人々のおのが荷を負ひたり。鉛の重さなるもあり。翫具《おもちや》と一般なるもあり。友は斯く語りつゝ我を促し立てゝ出で行かんとせり。嗚呼、我にも猶此の如く慰め呉るゝ友あるこそ嬉しけれ。我は默して帽を戴き、友の後に跟《つ》きて出でぬ。
好機會
戸を出づれば小屋掛《こやがけ》の小劇場より賑かなる音樂の聲聞ゆ。われ等二人は群集の間に立ちてその劇場の状《さま》を看たり。夫婦と覺しき男女《なんによ》、表《おもて》をのみ飾りたる衣を纏《まと》ひて板敷の上に立ちたるが、客を喚《よ》ぶことの忙しさに、聲は全く嗄《か》れたり。色蒼ざめたる一童子「ピエロオ」(滑稽役)の服を着けて、悲しげに「ヰオリノ」彈けば、姉妹なるべし、少女《をとめ》二人のこれを繞《めぐ》りて踊るを見る。哀なるかな此人々。その運命のはかなきこと我と同じきなるべし。我は大息《ためいき》を抑へて友の肩に倚《よ》りたり。友は慰めて云ふやう。物思《ものもひ》も好き程にせよ。暫くこの邊《あたり》を漫歩《そゞろあるき》して、汝が目の赤きを風に吹き消させ、さて共にマレツチイ夫人の許に往かん。夫人は汝と共に笑ひ共に泣きて、汝が厭ふをも知らぬなるべし。こは我が能くせざるところにして夫人の能くするところなり。いざ/\と勸めつゝ、友は我を拉《ひ》きて街上を行き巡り、遂に博士の家に入りぬ。
夫人は出で迎へて、好くこそ來給ひたれ、君等の定《さだめ》の日を待たで來給はんは何時《いつ》なるべきと、兼ねてより思ひ居たりといふ。友。わがアントニオは又例の物の哀《あはれ》といふものに襲はれ居れば、そを少し爽かなる方に向はせんは、おん宅ならではと思ひて參りしなり。明日は共にエルコラノとポムペイとに往きて、ヱズヰオの山にも登らんとす。折好く噴火の壯觀あれかしと願ふのみといふ。博士聞きて友に對《むか》ひて云ふやう。そはいと好き消遣《せうけん》の法なり。われも暇《いとま》あらば共にこそ往かまほしけれ。ヱズヰオに登らんは煩《わづら》はしけれど、ポムペイの發掘の近状を見んこと面白かるべし。われはかしこより彩色の硝子器《ガラスうつは》數種を得たれば、この頃そを時代別《じだいわけ》にして小論文一篇を作りぬ。今君に見せて、彩色に關する二三の疑を質《たゞ》さばやと思ふなり。アントニオ君はしばし妻の許に居給へ。後には集りて一瓶の「フアレルノ」(フアレルナに産する葡萄酒)を傾け、ホラチウスが詩を歌はんと云ふ。かくて主人は友を延《ひ》いて入り、我をばサンタ夫人の許に留め置きぬ。
夫人。君は又新しき詩を作り給ひしならん。君が面を見るにその經營慘憺とやらんいふことの痕深く刻まれたる如きを覺ゆるなり。さきにはタツソオ[#「タツソオ」に傍線]の詩を誦《ず》して聞せ給ひしが、その句は今も我|懷《おもひ》に往來《ゆきき》して、時ありては獨り涙を墮《おと》すことあり。そはわが泣蟲なるためにはあらず。など少しく氣を霽《はれ》やかにして我面を見て面白き事を語り聞せ給はざる。尚|默《もだ》して居給ふか。若し言ふべきことなくば、わがこの新しき衣《きぬ》をだに譽《ほ》め給へ。好く似合ひたるにあらずや。體にひたと着《つ》きてめでたからずや。詩人はかゝる些細なる事をも心に留めでは叶はぬものなり。我姿のすらりと痩せて「ピニヨロ」の木の如くなるを見給はずや。われ。そは直ちに心付き候ひぬ。夫人。おん身はまことに世辭《せじ》好《よ》き人なり。我姿はいつもの通りなり。衣は緩《ゆる》く包みし袱《ふく》の如し。否々、面を赤うし給ふことかは。おん身も年若き男達の癖をばえ逃れ給はずと思はる。今少し多く女子《をなご》に交り給へ。われ等はおん身を教育すべし。おん身の友と我夫とは、今その考古學の深みに嵌《は》まり居て、身動きだにせざるならん。いざ共に「フアレルノ」を飮まん。後には人々と同じく改めて杯を把り給ひても好しといふ。夫人に斯く勸められて、われは急に酒飮むことを辭《いな》み、世の常の物語せばやと、一言二言いひ試みしが、胸の憂に詞《ことば》淀《よど》みて、いかにも心苦しければ、夫人よ恕《ゆる》し給へ、われは今快からず、さるを強ひて物語せば、そは徒《いたづら》におん身を惱ますに近からんと云ひつゝ、起ちて帽を取らんとせしに、夫人は忽ち我手を把《と》りて再び椅子に着かしめ、優しく我顏を目守《まも》りて云ふやう。今は歸し參らせじ。おん身は何事にか遭ひ給ひしならん。心を隔て給ふことかは。わが氣輕なる詞つきは、おん身の心を傷つけたらんも計られねど、そは稟賦《うまれつき》なれば、是非なし。われはまことにおん身の上を氣遣へり。何事にか遭ひ給ひしならば、包まずわれに語り給へ。故里《ふるさと》の文《ふみ》をや得給ひし。ベルナルドオが創のためにみまかりしにはあらずやと云ふ。初めわれは主公の書《ふみ》を得たることを此人に告げん心なかりしが、斯く問はれて心弱く、有の儘に物語りぬ。さて詞を續ぎて、われは全く世に棄てられたり、世には一人の猶我を愛するものなしと欷歔《ききよ》して叫びし時、否、アントニオと云ふ聲耳に響きて、われは温き掌の我額を撫で、忽《たちまち》又熱き唇の其上に觸るゝを覺えき。否、アントニオ猶おん身を愛する人あり。おん身は善き人なり、可哀き人なり。夫人はかく言ひつゝ、もろ手もて我頭を抱き、その頬は我耳の邊に觸れたり。我血は湧き返りて、渾身震ひ氣息|塞《ふさ》がりたり。此時人の足音して一間《ひとま》の扉は外より開かれ、主人はフエデリゴと共に入り來りぬ。サンタ夫人は徐《しづか》に友を顧みて、好き處に來給ひたり、アントニオ君は熱を患《うれ》へ給ふにやあらん、心地惡しとのたまひつゝ、忽ち青くなり又赤くなり給ふ故、安き心はあらざりきなど云ひ、又我に向ひて、いかに、今は前《さき》の如くにはあらざるならんと云ふ。その面持《おもゝち》すこしも常に殊ならず。われは心の底に、言ふべからざる羞《はぢ》と憤《いきどほり》とを覺えて、口に一語をも出すこと能はざりき。博士は例の古語を引きて、客人《まらうど》心地はいかなるにか、クピド(愛の神)の磨く箭《や》にや中《あた》り給ひしなどいひつゝ、われ等に酒を勸めたり。夫人はわれと杯を打合せ《うちあは》せて、意味ありげなる目を我面に注ぎ、これを乾《ほ》さばや、好《よき》機會《をり》のためにと云ふに、我友|點頭《うなづ》きてげに好機會は必ず來べきものぞ、屈せずして待つが丈夫《ますらを》の事なりと云ふ。この時博士も亦杯を擧げて、さらば我もその好機會のために飮まんと云ひぬ。夫人は高く笑ひて手もて我頬を撫でたり。
古市
翌朝フエデリゴは博士マレツチイと共に我客舍に來て促《うなが》し立て、打ち連れて馬車に上りぬ。車は拿破里《ナポリ》の入江を匝《めぐ》りて行くに、爽かなる朝風は海の面より吹き來れり。友は遙にヱズヰオの山を指さして、あの烟の渦卷き騰《あが》る状《さま》を見よ、今宵は興ある遊となるべきぞと云ひしに、博士|首《かうべ》を掉《ふ》りて、かばかりの烟は物の數ならず、紀元七十九年の噴火の時を想ひ見給へと云ひぬ。拿破里の町はづれを過ぎて、程なくサンジヨワンニイ、ポルチチ、レジナの三市の相連れるを見る。そのさま一市をなせるが如し。レジナに至りて車を下れば、われ等の踐《ふ》める所の脚下は、早く是れ熔巖熱灰のために埋沒せられしエルコラノの古市なり。
博士に延《ひ》かれて一家に入れば、その中庭に大なる枯井あるを見る。井の裏には螺旋梯《らせんばしご》を架したり。博士われ等を顧みて云ふやう。見給へ人々。これこそ紀元千七百二十年エルボヨフ公の掘らせし井なれ。穿《うが》つこと僅に數尺にして石人現れければ、その工事は遽《にはか》に止められき。これより人の手を此井に觸れざること三十年。西班牙《スパニア》王カルロス此《こゝ》に來て猶深く掘らせしに、見給へ、かしこの奧に見ゆる石階に掘り當てたりと云ふ。われ等はその井をさし覗《のぞ》くに、日光はエルコラノの市《まち》なる大劇場の石階の隅を照せり。案内者は燭を點して、われ等をして各々みて云ふやう。この境の慘状をばわれ目《ま》のあたり見ることを得たり。われは猶幼かりき。この車轍の過ぐるところは、其時火※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]の海をなし、その怖ろしき流は山岳の方より希臘塔市(トルレ、デル、グレコ)の方へ向ひたり。葡萄圃は多く熔巖に掩《おほ》はれ、父とわれとの立てる側なる岩は其光を受けて殷紅《あんこう》なり。寺院の火海の中央に漂へるさまはノアの船に異ならず、その燈の未だ滅せざるが微かに青く見えたり。われは生涯その時の事を忘れず。父の燒け殘りたる葡萄を摘みてわれに食はせしは、今も猶|昨《きのふ》のごとしと云ひぬ。
凡そ拿破里《ナポリ》の入江の諸市は、譬へば葡萄の蔓の梢より梢にわたりて相|連《つらな》れるが如く、一市を行き盡せば一市又前に横《よこたは》る。(希臘塔市の次は即トルレ、デル、アヌンチヤタの市なり。)道は此熔巖の平野に至るまで、都會の大街《おほどほり》に異ならず。馬に乘る人、驢《うさぎうま》に騎る人、車を驅る人など絶えず往來して、その間には男女《なんによ》打ち雜りたる旅人の群の一しほの色彩を添ふるあり。
初めわれはエルコラノもポムペイ[#「ポムペイ」に二重傍線]も深く地の底に在りと思ひき。されど其實は然らず。古のポムペイは高處に築き起したるものにして、その民は葡萄圃のあなたに地中海を眺めしなり。われ等は漸く登りて、今暗黒なる燼餘の灰壘を打ち拔きたる洞穴の前に立てり。洞穴の周圍には灌木、草綿など少しく生ひ出でゝ、この寂しき景に些《いさゝか》の生色あらせんと勉《つと》むるものゝ如し。われ等は番兵の前を過ぎて、ポムペイ[#「ポムペイ」に二重傍線]の市《まち》の口に入りぬ。
博士マレツチイは我等を顧みて、君等は古のタチツスをもプリニウスをも讀み給ひしならん、凡そ此等の書《ふみ》の最も好き註脚は此市なりと云ひたり。われ等の進み入りたる道を墳墓街と名づく。許多《あまた》の石碣《せきけつ》並び立てり。二碑の前に彫鏤《てうる》したる榻《こしかけ》あり。是れポムペイ[#「ポムペイ」に二重傍線]の士女の郊外に往反《ゆきかへり》するときしばらく憩ひし處なるべし。想ふに當時この榻《こしかけ》に坐するものは、碑碣のあなたなる林木郊野を見、往來織るが如き街道を見、又波靜なる入江を見つるならん、今は唯だ窓※[#「片+(扈の邑に代えて甫)」、第3水準1-87-69]《さういう》ある石屋《せきおく》の處々に立てるを望むのみ。屋《いへ》は地震の初に受けたりと覺しき許多《あまた》の創痕を留めて、その形|枯髑髏《されかうべ》の如く、窓は空しき眼※[#「穴/巣」、第4水準2-83-21]《がんさう》かと疑はる。間々當時|普請《ふしん》の半ばなりし家ありて、彫りさしたる大理石塊、素燒の模型などその傍《かたはら》に横れり。
われ等は漸くにして市の外垣に到りぬ。これに登るに幅廣き石級あり。古劇場の觀棚《さじき》の如し。當面には細長き一條の町ありて通ず。熔巖の板を敷けること拿破里の街衢《がいく》と異なることなし。蓋《けだ》しこの板は遠く彼基督紀元七十九年の前にありて噴火せし時の遺物なるべし。今その面を見るに、深く車轍を印したればなり。家壁には時に戸主の姓氏を刻めるを見る。又|招牌《かんばん》の遺れるあり。偶々《たま/\》その一を讀めば、石目細工の家と題したり。
家裏《やぬち》を窺ふに、多くは小房なり。門扇上若くは仰塵《てんじやう》より光を採りたり。中庭の大さは大抵僅に一小花壇若くは噴水ある一水盤を容るゝに足り、柱廊ありてこれを繞《めぐ》れり。壁又|歩牀《ゆか》には石目もて方圓種々の飾文を作る。白青赤などの顏料もて畫ける壁を見るに、舞妓、神物の類猶頗る鮮明なり。博士とフエデリゴとはこの美麗にして久しきに耐ふる顏料の性状を論ずと見えしが、いつかバヤルヂイが大著述の批評に言ひ及びて、身の何《いづれ》の處に在るかを忘るゝものゝ如くなりき。(バヤルヂイの著カタロオゴ、デリ、アンチイキイ、モヌメンチイ、デルコラノは大判紙十卷ありて千七百五十五年の刊行なり。)幸に我は平生多く書《ふみ》を讀まざりしかば、此物語に引き入れらるゝ虞《おそれ》なく、詩趣ゆたかなる四圍《あたり》の光景《ありさま》は、十分に我心胸に徹して、平生の苦辛はこれによりて全く排せられ畢《をはん》ぬ。
われ等はサルルストが故宅の前に立てり。博士帽を脱して云ふやう。縱《たと》ひ靈魂は逸し去らんも、吾|豈《あに》その遺骸を拜せざらんやと。前壁には、ヂアナとアクテオンとの大圖を畫けり。(アクテオンは、希臘の男神の名なり、女神ヂアナを垣間《かいま》見て、罰のために鹿に變ぜられ、畜《やしな》ふ所の群犬に噬《か》まる。)二個の「スフインクス」(女首獅身の石像)を脚としたる大理石の巨卓《おほづくゑ》あり。傳へいふ、初めこの皓潔《こうけつ》玉の如き卓を發掘せしとき、工夫は驚喜の餘、覺えず聲を放ちて叫びぬと。されど我を動すことこれより深かりしは、色褪せたる人骨と灰に印せる美しき婦人の乳房となりき。
われ等は廣こうぢを過ぎて、ユピテルの祠《ほこら》の前に至りぬ。日は白き大理石の柱を照せり。其|背後《うしろ》にはヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山あり。巓《いたゞき》よりは黒烟を吐き、半腹を流れ下る熔巖の上には濃き蒸氣|簇《むらが》れり。
われ等は劇場に入りて、磴級《とうきふ》をなせる石榻《せきたふ》に坐したり。舞臺を見るに、その柱の石障石扉、昔のまゝに殘りて、羅馬の俳優のこゝに演技せしは咋《きのふ》の如くぞおもはるゝ。されど今は音樂の響も聞えず、公衆の喝采に慣れたるロスチウスが聲も聞えず。わが觀るところの演劇は、緑肥えたる葡萄圃《ぶだうばたけ》、行人|絡繹《らくえき》たるサレルノ街道、其背後の暗碧なる山脈等を道具立書割として、自ら悲壯劇の舞群《ホロス》となれるポムペイ市の死の天使の威を歌へるなり。われは覿面《てきめん》に死の天使を見たり。その翼は黒き灰と流るゝ巖《いはほ》とにして、一たびこれを開張するときは、幾多の市村はこれがために埋めらるゝなり。
噴火山
熔巖は月あかりにて見るべきものぞとて、我等は暮に至りてヱズヰオに登りぬ。レジナにて驢《うさぎうま》を雇ひ、葡萄圃、貧しげなる農家など見つゝ騎《の》り行くに、漸くにして草木の勢衰へ、はては片端《かたは》になりたる小灌木、半ば枯れたる草の莖もあらずなりぬ。夜はいと明《あか》けれど、強く寒き風は忽ち起りぬ。將《まさ》に沒せんとする日は熾《さかり》なる火の如く、天をば黄金色ならしめ、海をば藍碧色ならしめ、海の上なる群れる島嶼《たうしよ》をば淡青なる雲にまがはせたり。眞に是れ一の夢幻界なり。灣《いりえ》に沿へる拿破里の市《まち》は次第に暮色微茫の中に沒せり。眸《ひとみ》を放ちて遠く望めば、雪を戴けるアルピイの山脈氷もて削り成せるが如し。
紅《くれなゐ》なる熔巖の流は、今や目睫《もくせふ》に迫り來りぬ。道絶ゆるところに、黒き熔巖もて掩《おほ》はれたる廣き面《おも》あり。驢馬は蹄《ひづめ》を下すごとに、先づ探りて而る後に踏めり。既にして一の隆起したる處に逢ふ。その状《さま》新に此熔巖の海に涌出せる孤島の如し。されど其草木は只だ丈低き灌木の疎《まばら》に生ぜるを見るのみ。この處に山人《やまびと》の草寮《こや》あり。兵卒數人火を圍みて聖涙酒を呑めり。(「ラクリメエ、クリスチイ」とて葡萄酒の名なり。)こは遊覽の客を護りて賊を防ぐものなりとぞ。われ等を望み見て身を起し、松明《まつ》を點じて導かんとす。劇《はげ》しき風に焔は横さまに吹き靡《なび》けられ、滅《き》えんと欲して僅に燃ゆ。博士は疲れたりとて草寮《こや》に留まりぬ。我等の往手は巖の間なる細徑にて、熔巖の塊の蹄に觸るゝもの多し。處々道の險しき谿《たに》に臨めるを見る。
既にして黒き灰もて盛り成したる山上の山ありて、我等の前に横はりぬ。我等は皆|徒立《かちだち》となりて、驢《うさぎうま》をば口とりの童にあづけおきぬ。兵卒は松明振り翳《かざ》して斜に道取りて進めり。灰は踝《くるぶし》を沒し又膝を沒す。石片又は熔巖の塊ありて、歩ごとに滾《ころが》り落つるが故に、縱《たて》に列びて登るに由なし。我等は雙脚に鉛を懸けたる如く、一歩を進みては又一歩を退き、只だ一つところに在るやうに覺えたり。兵卒は、巓近し、今一息に候と叫びて、我等を勵《はげま》したり。されど仰ぎ視れば山の高きこと始に異ならず。一時|許《ばかり》にして僅に巓に到りぬ。われは奇を好む心に驅られて、直に踵《くびす》を兵卒に接したれば、先づ足を此山の巓に着けたり。
巓は大なる平地にして、大小いろ/\なる熔巖の塊《かたまり》錯落として途に横《よこたは》る。平地の中央に圓錐形の灰の丘あり。是れ火坑の堤なり。火球の如き月は早く昇りて、此丘の上に懸れり。我等の來路に此月を見ざりしは、山のために遮られぬればなり。忽ちにして坑口黒烟を噴き、四邊闇夜の如く、山の核心と覺しき處に不斷の雷聲を聞く。地震ひ足危ければ、人々相|倚《よ》りて支持す。忽ち又千百の巨※[#「石+駮」、第3水準1-89-16]《きよはう》を放てる如き聲あり。一道の火柱直上して天を衝き、迸《ほとばし》り出でたる熱石は「ルビン」を嵌《は》めたる如き觀をなせり。されど此等の石は或は再び坑中に沒し、或は灰の丘に沿ひて顛《ころが》り下り、復た我等の頭上に落つることなし。われは心裡に神を念じて、屏息《へいそく》してこれを見たり。
兵卒は、客人《まらうど》達は山の機嫌好き日に來あはせ給ひぬとて、我等を揮《さしまね》きて進ましめたり。われは初めその何處に導くべきかを知らざりき。火を噴ける坑口は今近づくべきにあらねばなり。導者は灰の丘を左にして進まんとす。忽ち見る。我等の往手に火の海の横れるありて、身幹《みのたけ》數丈なる怪しき人影のその前にゆらめくを。これ我等に前だてる旅客の一群なり。我等は手足を動《うごか》して熔岩の塊を避けつゝ進めり。色|褪《あ》せたる月の光と松明《まつ》の光とは、岩の隈々《くま/″\》に濃き陰翳を形《かたちづく》りて、深谷の看《かん》をなせり。忽ち又例の雷聲を聞きて、火柱は再び立てり。手もて探りて漸く進むに、石土の熱きを覺ゆるに至りぬ。巖罅《がんか》よりは白き蒸氣|騰上《たうじやう》せり。既にして平滑なる地を見る。こは二日前に流れ出でたる熔岩なり。風に觸るゝ表層こそは黒く凝りたれ、底は猶紅火なり。この一帶の彼方には又常の石原ありて、一群の旅客はその上に立てり。導者は我等一行を引きて此|火殼《くわかく》を踐《ふ》ましめたるに、足跡|炙《あ》ぶるが如く、我等の靴の黒き地に赤き痕《あと》を印するさま、橋上の霜を踏むに似たり。處々に斷文ありて、底なる火を透し見るべし。我等は凝息《ぎやうそく》して行くほどに、一英人の導者と共に歸り來るに逢ひぬ。渠《かれ》、汝等の間に英人ありやと問ふに、われ、無しと答ふれば、一聲|畜生《マレデツトオ》と叫びて過ぎぬ。
我等は彼旅客の群に近づきて、これと同じく一大石の上に登りぬ。此石の前には新しき熔岩流れ下れり。譬へば金の熔爐より出づる如し。其幅は極めて闊《ひろ》し。蒸氣の此流を被へるものは火に映じて殷紅《あんこう》なり。四圍は暗黒にして、空氣には硫黄の氣滿ちたり。われは地底の雷聲と天半の火柱と此流とを見聞《みきゝ》して、心中の弱處病處の一時に滅盡するを覺えたり。われは胸前《むなさき》に合掌して、神よ、詩人も亦汝の預言者なり、その聲は寺裏に法を説く僧侶より大なるべし、我に力あらせ給へ、我心の清きを護り給へと念じたり。
われ等は歸途に就《つ》きたり。此時身邊なる熔岩の流に、爆然聲ありて、陷穽《かんせい》を生じ炎焔《ほのほ》を吐くを見き。されどわれは復《ま》た戰《をのゝ》き慄《ふる》ふことなかりき。一行は積灰の新に降れる雪の如きを蹴《け》て、且滑り且降るほどに、一時間の來路は十分間の去路となりて、何の勞苦をも覺えざりき。われもフエデリゴも心に此遊の徒事ならざりしを喜びあへり。驢に乘りて草寮《こや》に至れば、博士は踞座して我等を待てり。促し立てゝ共に出づるに、風|斂《をさま》り月明かなり。拿破里《ナポリ》灣に沿ひて行けば、熔岩の赤き影と明月の青き影と、波面に二條の長蛇を跳らしむ。聞説《きくな》らく、昔はボツカチヨオ涙をヰルギリウス[#「ヰルギリウス」に傍線]の墳《つか》に灑《そゝ》ぎて、譽を天下に馳せたりとぞ。われ韮才《ひさい》、固《もと》よりこれに比すべきにあらねど、けふヱズヰオの山の我詩思を養ひしは、未だ必ずしもむかし詩人の墳のボツカチヨオの天才を發せしに似ずばあらず。
博士はわれ等を誘ひて其家にかへりぬ。われは前度の別をおもひて、サンタ夫人との應對いかがあらんと氣遣ひしに、夫人の優しく打解けたるさまは、毫も疇昔《ちうせき》に異ならざりき。夫人はわが即興の手際を見んとて、こよひの登山を歌はせ、辭《ことば》を窮《きは》めて我才を讚めたり。
嚢家
初舞臺
日暮れて劇場の馬車の我を載せ行きしは、樂劇《オペラ》の幕の既に開《あ》きたる後なりき。若し運命の女神にして、剪刀《はさみ》を手にして此車中に座したらんには、恐らくは我は、いざ、截《き》れと呼ぶことを得しならん。われは只だ神を頼みて餘念なかりき。
場内の逍遙場《フオアイエエ》には俳優と文士と打雜《うちまじ》りたる一群ありき。中には我と同業なる即興詩人さへありて、其名をサンチイニイと云ふ。平素人に佛蘭西語を教ふ。われはその群に近づきたり。會話は甚だ輕く、交ふるに笑謔《せうぎやく》を以てす。セヰルラの剃手《とこや》の曲の爲めに登場する俳優は、乍《たちまち》ち去り乍ち來り、演戲のその心を擾《みだ》さゞること尋常《よのつね》の社交舞に異ならず。舞臺はその定住《ぢやうぢゆう》の地なればさもあるべし。
サンチイニイの云ふやう。吾等は君に難題を與ふべし。譬へば殼硬き胡桃《くるみ》の拆《さ》き難きが如し。されど君は能く拆き能く解き給ふならん。われも猶初めて登場せし時の戰慄の状《さま》を記せり。されど我智は我に祕訣を授けたり。そは閨情《けいじやう》、懷古、伊太利風土の美、藝術、詩賦等、何物にも附會し易きものあるを用ゐ、又人の喝采を博すべき段をば先づ作りて諳《そら》んじ置くことを得る事なりと云ふ。われ絶て此種の準備なしと答へしに、サンチイニイ頭を掉《ふ》りて、否、そは隱し給ふなり、要するに君の如き怜悧なる人には此|業《わざ》いと易しと耳語《さゝや》けり。
剃手《とこや》の曲は終りて、われは獨り廣闊なる舞臺の上に立てり。座長《レジツシヨオル》は笑を帶びて我顏を打目守《うちまも》り、斷頭臺は築かれたりと耳語《さゝや》きて、道具方《マシニスト》に相圖せり。幕は開きたり。斯《かく》て此大劇場の觀棚《さじき》に對して立てる時、わが視る所は譬へば黒洞々《こくとう/\》たる大坑に臨める如く、僅に伶人席《オルケストラ》の最前列と高き觀棚《ロオジユ》の左右の端となる人の頭を辨ずることを得るのみ。濃く温なる空氣は漲《みなぎ》り來りて我面を撲《う》てり。われは我精神の此の如く安く夷《たひらか》なるべきをば期せざりき。その状態は固より興奮せり。而《しか》れどもその諸機に※[#「てへん+長」、93-上段-4]觸《たうしよく》し易き性は十分に備はりたり。われは自家の精神作用の緊張を覺ゆると共に、又其明徹を覺えたり。猶晴れたる冬の日の空氣の極めて冷に兼ねて極めて明なるがごとくなるべし。
看客は片紙に題を記して出し、警吏これを檢して、その法律に抵觸せざるを認めたる後、われに交付す。われは數題中に就いて其一を簡《えら》み取る自由あり。初なる一紙には侍奉《じぶ》紳士と題せり。こは人妻《ひとづま》に事《つか》ふる男を謂ふ。中世士風の一變したるものなるべし。されどわれは未だ深く心をこれに留めしことなし。(原註。「イル、カワリエル、セルヱンテ」又「チチスベオ」、今侍奉紳士と翻《ほん》す。此俗|本《も》とジエノワ[#「ジエノワ」に二重傍線]府|商賈《しやうこ》より出づ。その行販して郷を離るゝもの婦を一友に托す。これを侍奉紳士といふ。初め僧に托するを常とせしが、後又俗士を擇《えら》む。侍奉紳士は婦の早起|盥漱《かんそう》する時より、深更寢に就く時に至るまで、其身邊に在りて奉侍す。他婦を顧みることを容《ゆる》さず、聞く侍奉紳士中|※[#「女+徭のつくり」、第4水準2-5-69]褻《いんせつ》に及ばざるもの往々にして有り。嘗て一男子の歿するや、其|誄辭《るゐじ》中侍奉紳士となりて責を負ひ任を全うすといふ語ありきと。)われは此俗を歌ふ一曲の人口に膾炙《くわいしや》するものあるを知れど、急にこれに依りて思を搆《かま》ふること能はず、(曲とは「フエミナ、ヂ、コスツメ、ヂ、マニエレ」と題するものを謂ふ、「ソネツトオ」なり、ミユルレルの羅馬と其士女との卷中に收めたり。)望を第二紙に屬してこれを開きたり。紙上にはカプリと書せり。是れ亦わが爲めの難題なり。われは拿破里《ナポリ》よりその山脈の美しきを賞しつれども、未だ一たびも此島に航せしことあらず。若し二者中一を取らば、猶侍奉紳士をこそ辭を措《お》き易しとせめ。われは第三紙を開きたり。題して拿破里の窟墓といふ。これも亦我未知の境なり。されど窟墓の一語は忽ち少時の怖ろしき經歴を想ひ起す媒《なかだち》となりぬ。フエデリゴとの漫歩《そゞろありき》より地下に路を失ひたる時の心の周章など、悉く目前に浮びぬ。われは直ちに絃を撥《はじ》きて歌ひ出でぬ。章句は自らにして成りぬ。われは唯だ自家少時の經歴を語りしのみ、唯だ羅馬の地下窟を以て拿破里の地下窟となしゝのみ。即興詩の末解は、一たび失ひつる絲の端を再び探り得たる喜を敍したり。喝采はあまたゝび起りぬ。われは脈絡中に三鞭酒《シヤムパニエ》の循《めぐ》るが如き感をなしたり。
われは第二曲の題として蜃氣樓《しんきろう》を得たり。こは拿破里又シチリアの水濱にて屡々見《あらは》るゝものといへど、われは未だ嘗て見しことあらず。唯だ此重樓複閣の奧には、我に親しき神女|棲《す》み給ふ。これをフアンタジア(空想)の君とはいふなり。われは唯だ平生夢裏に遊べる境界《きやうがい》を歌はんのみ。その中には同じ神女の宮殿あり、苑囿《ゑんいう》あり。われは急に我資材を引纏めて、一の布局を定め、一の物語となしたり。歌ひ出づるに從ひて、新しき思想は多く來り加はりぬ。先づ敍したるは荒廢せる一寺院なりき。景をポジリツポに取りて、わざと其名をば擧げざりき。簷《のき》傾き廊朽ちて、今や漁父の栖家《すみか》となりぬ。聖像を燒き附けたる窓の下に床ありて、一童子臥したり。月あかくいと靜けき夜、美しき童女來りおとづれぬ。その美しさは譬へんに物なく、その身の輕きことそよ吹く風に殊ならず。兩の肩には五彩燦然たる翼|生《お》ひたり。二人は共に嬉《たのし》み遊べり。少女《をとめ》は漁家の子を引きて、緑深き葡萄園に往き、又近きわたりの山に分け入るに、まだ見ぬ景色いと多く、殊に山腹の自ら闢《ひら》けて、その中にめでたき壁畫と數多き贄卓《にへづくゑ》とある寺院の見えたるなど、言へば世の常なり。或るときは共に舟に棹《さをさ》して青海原を渡り、烟立つヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山に漕ぎ寄せつるに、山は全《また》く水晶より成れりと覺しく、巖の底なる洪爐《こうろ》中に、烟《けぶり》渦卷《うづま》き火燃え上るさま掌《たなぞこ》に指すが如くなり。或るときは共に地下の古市に遊ぶに、康衢《かうく》屋舍悉く存じて、往來織るが如く、その殷富《いんぷ》豐盛なること、書《ふみ》讀む人の遺蹟を見て説き聞かするところに増したり。少女は嘗て其羽を脱ぎ卸《おろ》して、その童子の肩に結び、いざ共に空に翔《かけ》らんといふ。おのれは風なす輕き身なれば、羽なきと羽あると殊ならずとなり。橘柚《オレンジ》檸檬《リモネ》の林を見下し、高くは山巓《さんてん》の雲を踏み、低くは水草茂れる沼澤の上を飛びしときは、終に茫漠たる平野の正中《たゞなか》なる羅馬の都城に至りぬ。鏡の如き蒼海を脚下に見、カプリ[#「カプリ」に二重傍線]の島の外遠く翔《かけ》りて、夕陽の雲の奧深く入りしときは、忽ち粉※[#「土へん+楪のつくり」、第4水準2-4-94]彫墻《ふんてふてうしやう》の前に横はるを見て、これは何ぞと問ひしに、少女答へて、母君の築き給ひし城よと云ひぬ。少女は童子と樂しき日をこの城の内に送りしこと數※[#二の字点、1-2-22]なりき。童子の齡《よはひ》漸く長ずるに及びて、少女の訪ひ來ること漸く稀になり、はてはをり/\葡萄棚の葉の間又は柑子の樹の梢の隙《ひま》より、美しき目もてそとさし覗くのみとなりぬ。童子はこれを見るごとに戀しく懷《なつ》かしきこと限なく、人知らぬ愛に胸を苦めたりき。漁父は童子を伴ひて海に往き、艫《ろ》を搖《うごか》し帆を揚げ、暴風と爭ひ怒濤と鬪ふことを教へつ。年|長《た》けて後、この少年の今は影だに見せぬ昔の友を懷ふ情は愈々深くのみなりゆきぬ。月清く波靜なる夜半に、獨り舟中にあるときは、ともすれば艫を搖す手のおのづから休み、澄み渡りて底深く生《お》ふる藻のゆらめくさへ見ゆる水にきと目を注《つ》けて、瞬《またゝき》もせず打目守《うちまも》ることあり。かゝる時は昔の少女、その嬌眸を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みひら》きて水底《みなそこ》より覗き、或は頷《うなづ》き或は招けり。とある朝漁村の男女あまた岸邊に集ひぬ。そは旭日の波間より出でんとする時、一箇の奇《く》しく珍らしき島國のカプリに近き處に湧き出でたればなり。飛簷《ひえん》傑閣隙間なく立ち並びて、その翳《くもり》なきこと珠玉の如く、その光あること金銀の如く、紫雲棚引き星月|麗《かゝ》れり。現《げ》にこの一幅の畫圖の美しさは、譬へば長虹を截《た》ちてこれを彩《いろど》りたる如し。蜃氣樓よと漁父等は叫びて、相|指《ゆびさ》して嬉《たのし》み笑へり。彼の漁父の子のみは獨り笑はざりき。知らずや、かの樓閣はわが昔少女と共に遊び暮しゝ處なるを。懷舊の念しきりにして、戀慕の情止むことなく、雙眸《さうぼう》涙に曇る時、島國は忽ち滅《き》えたり。月あかき宵の事なりき。島國は又湧き出でぬ。忽ち一隻の舟ありて、漁父等の立てる岬《みさき》の下より、弦《つる》を離れし征箭《さつや》の如く、波平かなる海原を漕ぎ出で、かの怪しき島國の方に隱れぬ。黒雲空を蔽ひて、海面には暗緑なる大波を起し、潮水倒立して一條の巨柱を成せり。須臾《しゆゆ》にして雲|斂《をさ》まり月清く、海面|復《また》た平かになりぬ。されど小舟は見えざりき。彼漁父の子も亦あらずなりぬ。歌ひ畢《をは》るとき、喝采の聲前に倍し、我膽力は漸く大に、我|興會《きようくわい》は漸く高し。
第三曲の題はタツソオなりき。われは一たびタツソオたりしことあり。レオノオレは即ちアヌンチヤタなり。我等はフエルララ宮中に相見たり。われは囹圄《れいご》の苦を嘗め、懷裡に死を藏して又自由の身となり、波立てる海を隔てゝソルレントオより拿破里《ナポリ》を望み、また聖《サン》オノフリイ寺の※[#「木+解」、第3水準1-86-22]樹《かしのき》の下に坐し、戴冠式の鐘聲カピトリウム街頭に起るを聞けり。されど冥使早く至りて其冠をわれに授けつ。是れ不死不滅の冠なりき。思想の急流は我を漂し去りて、我|心跳《しんてう》は常に倍せり。
最後の一曲はサツフオオの死を題とす。嫉妬の苦も亦我が自ら味ひたるところなり。アヌンチヤタが痍負《てお》ひたるベルナルドオに吝《おし》まざりし接吻は、今|憶《おも》ふも猶胸焦がる。サツフオオの美はアヌンチヤタに似て、その戀情の苦は我に似たり。波濤はこの可憐なる佳人を覆ひ了《をは》んぬ。(十六世紀の伊太利詩人タツソオと前七世紀の希臘《ギリシア》女詩人サツフオオとの傳は今煩を憚《はゞか》りて悉く註せず。)看客は皆泣けり。拍手の聲は狂瀾怒濤の如く、幕一たび墮ちて後、われは二たび幕の外に呼び出されぬ。
喜は身に滿ち兼ねて胸を壓せり。舞臺を下りて、人々の來り賀するに逢ひし時、われは痙攣《けいれん》のさましたる啼泣を發したり。此夕サンチイニイ、フエデリゴ及二三の俳優は我が爲めに小筵《せうえん》を開けり。我心は嬉《たのし》みたれど我舌は緘《むす》ぼれたりき。フエデリゴに傍線]打興じて曰ふやう。此男は一の明珠なり。その一失は第二のヨゼツフたるにあり。(ヨゼツフは童貞女の夫にして耶蘇の義父なり。)盍《なん》ぞ薔薇を摘まざる、その凋落《てうらく》せざるひまに。
夜更けて後客舍に歸り、聖母と救世主との我を棄て給はざりしを謝して、いと穩なる夢を結びつ。
人火天火
翌朝は心地|爽《さはや》かに生れ更《かは》りたる如くにて、われはフエデリゴに對して心のうちの喜を語ることを得たり。身の周圍なる事々物々、皆我を慰むるものに似たり。又我心は一夜の間に老成人となりたるを覺えぬ。そは喝采の雨露の我性命樹上に墜ちて、其果實を熟せしめたるにやあらん。われは昨夜サンタの劇場にありしを知る。いでや往きて彼夫人をたづね、その讚詞をも受けてましと、足の運《はこび》も常より輕く、マレツチイ博士の家に往きぬ。博士は繰り返しつゝよろこびを陳《の》べて、さてその妻の劇場より歸りし後夜もすがら熱に惱みしを告げたり。又|曰《い》ふ、今は眠れり、眠|醒《さ》めなば必ず快きに至るならん、夕暮に再び訪ひ給へと。午餐にはフエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]新に獲たる友だちと、我を誘ひ出して酒店《さかみせ》に至り、初め白き基督涙號《ラクリメエ、クリスチイ》を傾け、次いで赤き「カラブリア」號を倒し、わが最早え飮まずと辭《いな》むに※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53]《およ》びて、さらば三鞭酒《シヤンパニエ》もて熱を下《さま》せなどいひ、歡《よろこび》を盡して別れぬ。街《ちまた》に歩み出づれば、大空は照りかゞやきぬ。そはヱズヰオの山の噴火一層の劇《はげ》しさを加へて、熔巖の流愈々闊《ひろ》く漲り遠く下ればなり。岸邊には早くそを看んとて、舟を買ひて漕ぎ出づるものあり。
「アヱ、マリア」の鐘鳴り止む頃、再び博士の家に往きぬ。門に進みて婢《はしため》に問へば、家にいますは夫人のみにて、目覺《めざ》めて後は快くなれりとのたまへり。間雜《つね》の客をばことわれと仰せられつれど、檀那《だんな》は直ちに入り給ひても宜《よろ》しからんとなり。美しくして晴れがましからず、心もおのづから靜まりぬべき室なり。窓の前には厚き質の幌《とばり》を垂れたるが、長く床を拂へり。鏃《やじり》研《と》ぐ愛の神の童の大理石像あり。アルガント燈は人を迷はさんと欲する如き光もてこれを照し出せり。こはわが轉瞬の間に看出《みいだ》したる室内のさまなりき。夫人は輕げなる寢衣《ねまき》を着て、素絹の長椅《ソフア》の上に横はりたりしが、我が入るを見て半ば身を起し、左手《ゆんで》もて被《ひ》を身に纏ひ、右手を我にさし伸べたり。
アントニオの君よ、思の儘に捷《か》ち給ひぬ、おん身も嬉しと思ひ給ふならん、千萬人の心は渾《すべ》て君に奪はれたり、君は初め我がいかに君のために胸を跳らせ、後君の成功の期《ご》するところに倍するに及びて、いかに君のために安心の息《いき》を※[#「口+(虍/乎)」、95-中段-6]《つ》きたるかを知り給ふまじとは、夫人が我を迎ふる詞なりき。われはその病を問ひしに、否、はや※[#「やまいだれ+差」、第4水準2-81-66]《い》えんとす、君も生れ更り給へる如し、舞臺に立ち給ひしとき、君の姿は美しかりき、極めて美しかりき、興會に乘じて歌ひ給ふに及びては、この世の人とは覺えざりき、又その歌ひ給ふところは皆君が上なるやうに聞き做《な》されたり、地下の窟《いはや》に迷ひ入りし少年と畫工とは、君とフエデリゴの君とに外ならず思はれたりといふ。われ。いかにもそは宣《のたま》ふところの如し。我が歌ひしは皆我閲歴なりしなり。夫人。しかなるべし。君は戀の喜をも知り給へり、戀の悲をも知り給へり。君は樂を享《う》くべき福《さいはひ》ある人なり。今よりその福を消受し給はんことをこそ祈れといふ。われ隨即《やがて》きのふより心爽かになりて、四邊《あたり》のものごとの我を樂ましむる由を語りしに、夫人は我手を引き寄せて我と目と目を見合せたり。その目《ま》なざしは人の心の奧深く穿《うが》ち透すものゝ如くなりき。夫人は現《げ》に美しき女なりき。又此時は常にも増して美しく見えたり。その頬は薄紅に匂へり。形好くつやゝかなる額際より、平に後《うしろ》ざまに櫛けづりたる黒髮は、ゆたかなる波打ちて背後《うしろ》に垂れたり。譬へば古のフイヂアスならではえ作るまじきユノ[#「ユノ」に傍線]の姿にも似たるなるべし。夫人。されば君は世のために生存《ながら》へ給ふべき人なり、世の寶なり、幾百萬の人をか喜ばせ樂ませ給ふらん。ゆめ一人の人になその尊き身を私《わたくし》せしめ給ひそ。世の中の人、誰かおん身を戀ひ慕はざらん。おん身の才、おん身の藝は、いかなる頑《かたくな》なる人の心をも挫《くじ》きつべし。斯く云ひつゝ、夫人は我を引きて、其|長椅《ヂワノ》の縁に坐《こしか》けさせ、さて詞を繼ぎて云ふやう。猶改めておん身に語るべき事こそあれ。疇昔《さき》の日おん身が物思はしげに打沈みてのみ居給ひしとき、拙《つたな》き身のそを慰め參らせばやとおもひしことあり。その時より今日までは、まだしみ/″\とおん物語せしことなし。いかに申し解き侍らんか。おん身は妾《わらは》が心を解き誤り給ひしにはあらずやと思はれ侍りといふ。嗚呼、此詞は深く我を動したり、我もしば/\或は情《なさけ》厚き夫人の詞、夫人の振舞を誤り解《げ》したるにはあらずやと、自ら疑ひ自ら責めしことあり。われは唯だ、御身が情は餘りに厚し、我身はそを受くるにふさはしからずと答へて、夫人の手背に接吻し、自ら勵まし自ら戒《いまし》めて、淨き心、淨き目もて夫人の面を仰ぎ視たり。夫人の美しく截《き》れたる目の深黒なる瞳は、極めて靜かに極めて重く、我面を俯視《ふし》す。若し人ありて、此時我等二人を窺ひたらんには、われその何の辭《ことば》もてこれを評すべきを知らず。されどわれは聖母《マドンナ》に誓ふことを得べし。我心は清淨|無垢《むく》にして、譬へば姉と弟との心を談じ情を話《わ》するが如くなりしなり。さるを夫人の目には常ならぬ光ありて、その乳房のあたりは高く波立てり。われはその自《おのづか》ら感動するを以爲《おも》へり。夫人は呼吸の安からざるを覺えけん、領《えり》のめぐりなる紐一つ解きたり。夫人は、おん身にふさはしからざる情《なさけ》といふものあるべしや、おん身の才《ざえ》あり、おん身の貌《かほばせ》ありてとさゝやきて、徐《しづ》かに臂《ひぢ》を我肩に纏ひ、きと目と目を見合せて、無際限の意味ありげなる、名状すべからざる微笑を面に湛《たゝ》へ、猶其詞を繼いで云ふやう。いかなれば妾《わらは》は初め君を知る明なくして、空想に耽り實世《じつせ》に疎《うと》き、偏僻《へんぺき》なる人とは看做《みな》したりけん。おん身は機微を知り給へり。機微を知るものは必ず能く勝を制す。妾が血を焚《や》いて熱をなすものは何ぞ。妾を病ましむるものは何ぞ。妾は寤《さ》めて何をか思へる。妾は寐《いね》て何をか夢みたる。おん身の愛憐のみ。おん身の接吻のみ。アントニオよ。妾が身を生けんも殺さんも、唯だおん身の命《めい》のまゝなり。夫人はひしと我身を抱けり。一道の猛火《みやうくわ》は夫人の朱唇より出でゝ、我血に、我心に、我|靈《たましひ》に燃えひろごりたり。彼時速し、此時遲し。はたと我頂を撃つものあり。嗚呼、功徳《くどく》無量なる聖母《マドンナ》よ。こはおん身の像を寫せる小※[#「匚<扁」、第4水準2-3-48]額《せうへんがく》にして、偶々《たま/\》壁頭より墮《お》ち來りしなり。否《あら》ず、偶々墮ち來りしに非ず。聖母は我が慾海の波に沈み果てんを愍《あはれ》みて、ことさらに我を喚び醒《さま》し給ひしなり。否 々と叫びて、我は起ち上りぬ。我渾身の血は涌き返る熔巖にも比べつべし。アントニオよ、妾《わらは》を殺せ、妾を殺せ、只だ妾を棄てゝな去りそと、夫人は叫べり。其|臉《かほ》、其|眸《まなじり》、其|瞻視《せんし》、其|形相《ぎやうさう》、一として情慾に非ざるもの莫《な》く、而《しか》も猶美しかりき。火もて畫き成せる天人の像とや謂ふべき。我身の内なる千萬條の神經は一時に震動せり。我は一語を出すこと能はずして、室を出で階《きざはし》を下りぬ、怖ろしきものに逐はれたらん如く。
戸の外の皆火なること、身の内の皆火なると同じかりき。薫赫《くんかく》の氣は先づ面を撲《う》てり。ヱズヰオの嶺は炎焔|霄《そら》を摩し、爆發の光遠く四境を照せり。涼を願ふ煩心《わづらひごゝろ》は、我を驅《か》りてモロ[#「モロ」に二重傍線]の船橋を下り、汀灣《みぎは》に出でしめたり。我は身を波打際にはたと僵《たふ》しつ。我は自《みづか》ら面の灼《や》くが如く目の血走りたるを覺えて、巾《きれ》を鹹水《しほみづ》に漬《ひた》して額の上に加へ、又水を渡《わた》り來る汐風《しほかぜ》の些《すこ》しをも失はじと、衣の鈕《ボタン》を鬆開《しようかい》せり。されど到る處皆火なるを奈何《いかに》せん。山腹を流れ下る熔巖の色は海波に映じて、海もまた燃えんとす。眸を凝らして海を望めば、髣髴《はうふつ》の間、サンタが姿のこの火焔の波を踏みて立ち、その燃ゆる如き目《ま》なざしもて我を責め我を訴ふるを視、耳邊忽ち又妾を殺せ、妾を殺せと叫ぶを聞く。われ眼を閉ぢ耳を掩《おほ》ひ、心に聖母を念じて、又|※[#「目+匡」、第3水準1-88-81]《まぶた》を開けば、怖るべき夫人の身は踉蹌《よろめ》きて後《しりへ》に※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37]《たふ》れんとす。そのさま火焔の羽衣を燒くかとぞ見えし。あはれ、其罪を想ふだに、畏怖の念の此の如きあり。その罪を遂げたらん後は、果して奈何なるべき。
もゆる河
舟に召さずや、檀那《だんな》、トルレ、デル、アヌンチヤタへ渡しまゐらせんと呼ぶ聲は、身のほとりより起りて、そのアヌンチヤタといふ語は、猶能く思に沈みし我を喚《よ》び起せり。頭を擡《もた》げて見れば、岸近く櫂《かい》を止《やす》めたる舟人あり。熔巖の流るゝこと一分時に三|臂長《ひちやう》なりといへり、(伊太利の尺の名)往きて看給はんとならば、半時間には渡しまゐらせんといふ。舟は我熱を冷《さま》すに宜しからんとおもへば乘りぬ。舟人は棹《さを》取りて岸邊を離れ、帆を揚げて風に任せたるに、さゝやかなる端艇《はぶね》の快《こゝろよ》く、紅の波を凌《しの》ぎ行く。汐風《しほかぜ》兩《りやう》の頬《ほ》を吹きて、呼吸漸く鎭《しづ》まり、彼方の岸に登りしときは、心も頗るおちゐたり。
我は心に誓ひけるやう。我は再び博士の閾《しきゐ》を踰《こ》えじ。禁ぜられたる果《このみ》を指《ゆび》ざし示す美しき蛇に近づきて、何にかはすべき。幾千《いくち》の人か、これによりて我を嘲り我を侮《あなど》るべけれど、猶良心に責められんには※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に優れり。壁の上なる聖母《マドンナ》は、我を墮《おと》さじとてこそ自ら墮ち給ひけめ。斯く思ふにつけて、聖母の惠の袖に掩《おほ》はれつゝ、水をも火をも避け得つべき喜は一身に溢れ、心の中に有りとあらゆる善なるもの正なるものは一齊に凱歌を奏し、我は復《ま》た心の上の小兒となりぬ。天に在《いま》す父よ、願はくは禍《わざはひ》を轉じて福《さいはひ》となし給へと唱へつゝ、身を終ふるまでの安樂の基《もとゐ》を立てもしたらん如く、足は心と共に輕く、こゝの小都會を歩み過ぎて、田圃《たんぼ》間《あひ》の街道に出でぬ。
人叫び、人笑ひ、人歌ひ、徒《かち》にて走るものあり、大小くさ/″\の車を驅るものあり。その騷しさ言はん方なし。熔巖《ラワ》の流は今しも山麓なる二三の村落を襲へるなり。一群の老若男女ありて奔《はし》り逃れんとす。左に嬰兒を抱き、右に裹《つゝ》みを挾《わきばさ》める村婦の、且泣き且走るあり。われは財嚢《ざいのう》を傾けてこれに贈りぬ。われは山に向ふ看者《みて》の間に介《はさ》まりて、推《お》されながらも、白き石垣もて仕切りたる葡萄圃《ぶだうばたけ》の中なる徑《こみち》を登り行きぬ。衆人は先を爭ひて、熔巖の將に到らんとする部落の方へと進めり。われは數畝の葡萄圃を隔てゝ、始て熔巖を望み見たり。數間《すけん》の高さなる火の海は墻《まがき》を掩ひ屋《いへ》を覆ひて漲り來れり。難に遭へるものは號泣し、壯觀に驚ける外國人《とつくにびと》は讙呼《くわんこ》して、御者商人などは客を招き價を論ぜり。馬に跨れる人あり、車を驅れる人あり、燒酎|鬻《ひさ》ぐ露肆《ほしみせ》を圍みて喧譟《けんさう》せる農夫の群あり。凡そ此等のもの總て火光に照し出されたれば、そのさま筆舌もて描き盡すべからず。
熔巖は同じ嚮《むき》に流れ行くものなれば、好事《かうず》のものは歩み近づきて迫り視ることを得べし。杖の尖《さき》又は貨幣などを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]込《さしこ》みて、熔巖の凝りて着きたるを拔き出し、こを看たる記念にとて持ち行くものあり。流れ下る熱質の一部、その高きが爲めに分れて迸り落つることありて、その奇觀は岸|拍《う》つ波に似たり。その落ちて地上に留まるや、猶暫くその火紅を存じて、銀河の側に輝く星を看る如し。既にして空氣は漸くその隅角と周縁とを冷却して黒變せしめ、そのさま黒き絲もて編める網に黄金を裹《つゝ》める如し。
熔巖の流れ行く先なる葡萄の幹に聖母《マドンナ》の像を懸《か》けたるものあり。こはその功徳《くどく》もて熔巖の炎を避けんとのこゝろしらひなるべし。されど熔巖はその方嚮《はうかう》を改めず。像を懸けたる一本《ひともと》の葡萄は、早く熱のために葉を焦《こが》し、その幹は傾きて、首を垂れ憐を乞ふ如くなり。衆人《もろひと》の中なる淳樸《じゆんぼく》なる民等が眼は、その發落《なりゆき》いかならんとこの尊き神像に注げり。幹は愈※[#二の字点、1-2-22]曲り低《た》れて、今や聖母《マドンナ》のおほん裳裾《もすそ》と火の流との間數尺となりぬ。忽ち我が立てる側なるフランチスクス[#「フランチスクス」に傍線]派の一僧ありて、もろ手高くさし上げて叫べり。聖母は火に燒かれ給はんとす。汝等を永劫不滅の火焔の中より救ひ給ふ聖母なるぞ。早や助け出さずやといふ。衆人は皆震慄して一歩退き、畏怖の眼を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りて、次第に撓《たわ》む梢頭の尊像を仰げり。一人の女房あり。口に聖母の御名《みな》を唱へつゝ、走りて火に赴きて死せんとす。爾時《そのとき》僅に數尺を剩《あま》したる烈火の壁面と女房との間に、馬を躍らして騎《の》り入りたる一士官あり。手に白刃を拔き持ちてかの女房を逐ひ郤《しりぞ》け、大音に呼びけるやう。物にや狂ふ、女子《をなご》、聖母《マドンナ》爭《いか》でか汝が援《たすけ》を求めん。聖母は彼|拙《つたな》く彩《いろど》りたる、罪障深きものゝ手に穢《けが》されたる影像の、灰燼となりて滅せんことをこそ願ふなれといふ。その聲はベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が聲なり。その行《おこなひ》は※[#「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2-1-57]忽《しゆくこつ》の間に一人の命を助けて、その言は俗僧の妄誕《ばうたん》をいましめ得たるなり。われはこの昔の友を敬する念を禁ずること能はずして、運命の我等二人を遠離《とほざ》けしを憾《うらみ》とせり。されど我胸は高く跳りて、今|渠《かれ》に對《むか》ひて名告《なの》り合ふことを欲せず、又能はざりき。
舊羈※[#「革+勺」、第3水準1-93-76]《きうきてき》
アントニオならずやと呼ぶ聲あり。我に迫りて手を※[#「てへん+參」、97-下段-3]《と》れり。初はわれベルナルドオの己れを認め得たるならんとおもひしが、その面を視るに及びて、そのフアビアニ公子なるを知りぬ。公子はわが昔の恩人の壻《むこ》にして、フランチエスカの君の夫なり。我を以て不義の人となし、我に訣絶《けつぜつ》の書を贈れる人の族《うから》なり。公子。こゝにて逢はんとは思ひ掛けざりき。夫人に語らば定めて喜ぶことならん。されどいかなれば夙《はや》く我們《われら》を訪《たづ》ねんとはせざりし。カステラマレに來てより既に八日になりぬ。われ。君達のこゝに在《いま》すべしとは、毫《すこ》しも思ひ掛けざりき。そが上わが伺候を許し給はんや否やだに知らねば。公子。現《げ》にさることありき。おん身は昔にかはる男となりて、婦人のために人と決鬪し、脱走したりとの事なりき。そは我とても好しとは思はず。をぢ君のことば短なる物語にて、その概略《あらまし》を知りし時は、我等もいたく驚きたり。おん身はをぢ君の書を獲たるならん。その書は優しき書にはあらざりしならんといふ。我はこれを聞きつゝも、むかしの羈※[#「革+勺」、第3水準1-93-76]《きづな》の再び我身に纏《まつは》るゝを覺えて、只だ恩人に見放されたる不幸なる身の上を侘《かこ》ちぬ。公子は我を慰めがほに、又詞を繼いで云ふやう。否々、おん身を見放さんはをぢ君の志にあらず。我車に上りて共に來よ。今宵は妻のために思掛《おもひがけ》なき客を伴ひ還らんとす。カステラマレは遠くもあらず。旅宿は狹けれど、猶おん身が憩はん程の房《へや》はあるべし。をぢ君の性急なるはおん身も兼ねて知れるならずや。この和睦《わぼく》をばわれ誓ひて成し遂ぐべしといふ。我は首を垂れてこの成《たひら》ぎの覺束《おぼつか》なかるべきを告げしに、公子は無造作に我詞を打消して、我を延《ひ》きて車の方に往きぬ。
車に乘りてより、公子は我に別後の事を語れと迫りぬ。わが賊寨《ぞくさい》に入りしことを語るに及びて、公子は面に笑を帶びて、そは即興詩にはあらずや、記憶より出でずして空想より出づるにはあらずやといひ、又恩人の絶交書の事を語るに及びて、苛酷なり、太《はなは》だ苛酷なり、されどそはおん身の改悛《かいしゆん》すべきを期してなり、おん身を愛してなり、おん身はよもや非を遂げて劇場に出でなどはせざりしならんといふ。われは直ちに、否、昨晩出でたりと答へき。公子。そは實に大膽なる事なりき。結果はいかなりしか。われ。望外なりき。喝采の聲止まずして、幕の外に出でゝ謝すること再びなりき。公子。御身にかゝる成功ありしか。そは責《せ》めてもの事なりき。此詞は我材能に疑を挾めるものなれば、われはそを聞きて快からずおもひぬ、されど恩惠の我口を塞げるを奈何せん。われは夫人に會はんことの心苦しさを訴へしに、公子は唯だ戲《たはむれ》に、そは説法なくては濟まぬならん、されど説法を聽聞《ちやうもん》せんもおん身に害あらじと答へぬ。
兎角いふ程に、車は旅店の門に到りぬ。一少年の髮に燒※[#「土へん+曼」、98-上段-29]《やきごて》當てゝ好き衣《きぬ》着たるが、門前に立てり。公子を迎へて云ふやう。フアビアニなるか。好くこそ歸り來たれ。細君は待ち兼ね給へり。かく云ひつゝ我を視て、扨《さて》は新顏の即興詩人を伴ひ歸りしか、チエンチイといふなるべし、違《たが》へりやと云ふ。公子はチエンチイとはと我面を顧みたり。われ。そは我が番附に書かせし名なり。公子。然《しか》なりしか。そは責めてもの思案なりき。少年。フアビアニ、御身は此人のいかに戀愛を歌ひしを想ひ得るか。昨夜おん身が「サン、カルロ」座に往かざりしこそ遺憾なれ。めでたき才藝にこそとて、我と握手し、我と相見る喜びを述べ、又フアビアニに向ひて云ふ。今宵はおん身に晩餐の馳走を所望すべし。この好謳者《かうおうしや》をおん身等夫婦にて私せんとはせじ。公子。問はるゝまでもなく、おん身は何時にても我方《わがかた》に歡迎せらるゝならずや。少年。さるにてもおん身は、何故に猶我等二人のために紹介の勞を取らずして、互にその名を知ることを得ざらしむるぞ。公子。そはいらぬ禮儀なり。われは熟《よ》く渠《かれ》と相知れり。汝は我友なれば、渠は特《ことさ》らに紹介をば求めざるべし。渠は唯だおん身を知ることを得たるを喜ぶならんといふ。此挨拶は固《もと》より我心に慊《あきたら》ねど、われは又恩惠のために口を塞がれたり。少年は我方に向ひぬ。さらばわれ自ら我身を紹介すべし。おん身の何人たるは我既に知れり。我名はジエンナロなり。國王陛下の護衞たる一將校なり。(微笑《ほゝゑ》みつゝ)拿破里《ナポリ》の名族にて、世の人は第一に位すとぞいふ。そは僞にもあらざるべし。就中《なかんづく》わがをばは頗るこれに重きを置けり。おん身の如きを知るは、大いなる幸なり。おん身の才と云ひおん身の吭《のど》と云ひと、猶詞を繼がんとするを、フアビアニは押しとゞめて、止めよ/\、さる挨拶を受くることは猶不慣なるべし、紹介とやらんも最早濟みたるべければ、夫人の許に往かん、かしこには又和議といふ難關あり、おん身仲裁の煩を避けずば、今の辯舌を殘し置きて其時の用に立てよと云ひつゝ、彼士官と我とを延《ひ》きて、旅店の一間《ひとま》に進み入りぬ。われはこの生客《せいかく》の前にて、我身の上の大事を語らるゝを喜ばねど、二人は親しき友なるべければと自ら思ひのどめて、遲れ勝《がち》に跟《したが》ひ行きぬ。
やうやくにして歸り給ひしよと迎ふるは、久しく面を見ざりしフランチエスカの君なりき。公子。現《げ》にやうやくにして歸りぬ。されど二人の賓客を伴へり、夫人は一聲アントニオ[と云ひしが、忽《たちまち》又調子を更《か》へてアントニオ君《ぎみ》と云ひつゝ、その嚴《おごそ》かに落つきたる目を擧げて、夫と我とを見くらべたり。われは身を僂《かゞ》めてその手に接吻せんとせしに、夫人は我を顧みず、手をジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]にさし伸べて、晩餐の友を得たる喜を述べ、夫に向ひて、ヱズヰオの爆發はいかなりし、熔巖はいづ方へ流れんとするなど問ひぬ。公子は略《ほ》ぼ見しところを語りて、我等の邂逅の事に及び、今は客として伴ひたれば昔の事を責め給ふなと云へり。ジエンナロ。然《さ》なり。此人いかなる罪を犯しゝか知らず。されど天才には何事をも許さるべきならずや。夫人は纔《わづか》に面を和《やはら》げて我に會釋しつゝジエンナロに對《むか》ひて云ふやう。君のいつも面白げに見え給ふことよ。犯しゝ科《とが》もあらねば、免《ゆる》すべき筋の事もなし。けふは何の新しき事を齎《もたら》し給ふ。佛蘭西《フランス》新聞には何の記事かありし。昨夜はいづくにてか時を過し給ひしと問ひぬ。ジエンナロ。新聞には珍らしき事も候はず。昨夜は劇場にまゐりぬ。セヰルラの剃手《とこや》の僅に末齣《まつせつ》を餘したる頃なりき。ジヨゼフイインはまことに天使の如く歌ひしが、一たびアヌンチヤタを聞きし耳には、猶飽かぬ節のみぞ多かりし。さはいへ我が往きしは彼曲のためにはあらず。即興詩を聞かんとてなりき。夫人。その即興詩人は君の心に協《かな》ひしか。ジエンナロ。わが期《ご》する所の上に出でたり。否、衆人《もろひと》の期せし所の上に出でたり。我は諛《へつら》はんことを欲せず。又藝術は我等の批評もて輕重すべきものにあらず。されど我は夫人に告げんとす。夫人よ、渠《かれ》の即興詩をいかなる者とか思ひ給ふ。謳者《うたひて》の人物はその詩中に活動して、滿場の客はこれが爲めに魅せらるゝ如くなりき。何等の情ぞ。何等の空想ぞ。題にはタツソオあり、サツフオオあり、地下窟ありき。篇々皆書卷に印して、不朽に垂《た》るとも可なるやう思ひ候ひぬ。夫人。そは珍らしき才ある人なるべし。きのふ往きて聽かざりしこそ口惜しけれ。ジエンナロ。(我方を見て)夫人は其詩人の今宵の客なるをば、まだ知らでやおはせし。夫人。さてはアントニオなりとか。舞臺にまで上りて、即興詩を歌ひしとか。ジエンナロ。然《さ》なり。その歌は舞臺の上にも珍らしき出來なりき。されど夫人は舊《ふる》く相識り給ふことなれば、定めて屡々その技倆を試み給ひしならん。夫人。(ほゝ笑みつゝ)まことに屡
々 聞きたり。まだ童《わらべ》なりし頃より、アントニオが技倆をば讚め居りしなり。公子。その時われは早く桂の冠をさへ戴かせたり。夫人は處女なりしとき其即興詩の題となりぬ。されど今は食卓に就《つ》くべき時なり。ジエンナロ、おん身はフランチエスカを伴ひ往け。われは外に婦人なければ即興詩人を伴はん。いざ、アントニオ君、手を携へて往かんと、戲れつゝ我を導けり。ジエンナロ。さるにても、フアビアニ、おん身は何故我に一たびもチエンチイの事を語らざりしぞ。公子。我家にてはアントニオと呼びならへり。その即興詩人となれるを夢にだに知らねばこそ、前《さき》の和睦の一段は生じたるなれ。アントニオは言はゞ我家の子なり。アントニオ、然《さ》にはあらずや。(我は公子を仰ぎ視て會釋せり。)アントニオは好き人物なり。唯だ物學ぶことを嫌へり。ジエンナロ。渠《かれ》は既に萬物を師とする詩人なり。いかなれば強ひて書を讀ませんとはし給ひし。夫人。(戲《たはぶれ》の調子にて)餘りに讚めちぎり給ふな。我等が渠の机に對ひて數學理學に思を覃《ふか》むるを期せし時、渠は拿破里《ナポリ》の女優に懸想してうはの空なりしなり。ジエンナロ。そは多情多恨なる證《あかし》なるべし。女優とはいかなる美人なりしぞ。その名をば何とかいひし。夫人。アヌンチヤタとて人柄も技倆も共に優れし女なりき。ジエンナロ。(盃を擧げて)アヌンチヤタは我も迷ひし一人なり。そは好趣味ありと謂ふべし。さらば、即興詩人の君、アヌンチヤタの健康を祝して一杯《ひとつき》を傾けてん。(我は苦痛を忍びて盞《さかづき》を※[#「石+並」、第3水準1-89-8]《うちあは》せたり。)夫人。そも一わたりの迷にあらず。議官《セナトオレ》の甥と鞘當《さやあて》して、敵手《あひて》には痍《きず》を負はせたれど、不思議にその場を遁《のが》れ得たり。かくてこたび「サン、カルロ」座には出でしなり。アントニオをば舊く知りたれども、その大膽なることかくまでならんとは、我等も思ひ掛けざりき。ジエンナロ。その議官の甥と宣《のたま》ふは、近頃こゝに來て禁軍《このゑ》の指揮官となりし男ならん。我も前《さき》の夜出逢ひしが、才氣ある好男子と思はれたり。想ふに情夫先づ來りて、アヌンチヤタも繼《つ》いで至るにはあらずや。此推測にして差《たが》はずば、拿破里はアヌンチヤタが最後の興行とその合※[#「丞/己」、99-下段-16]《がふきん》の禮とを見るならん。夫人。禁軍の將校たるものゝ爭《いか》でか歌妓を娶《めと》るべき。そは家を汚すに當るべければ。われ。(震ふ聲をえも隱さで)名士の妻を藝術界に求めて、幸福と名譽とを得たるは、その例《ためし》ありとこそ思ひ候へ。夫人。幸福は或は有らん。名譽は有るべきやうなし。ジエンナロ。否、おん身に忤《さか》ふには似たれど、己れなどはアヌンチヤタを得ば、名譽此上なしとおもへり。されば人も然《しか》ならんとおもふなり。そは兎まれ角まれ、アントニオの君、今宵の即興を聞せ給へ。夫人は君がために好き題を撰み給ふべければ。夫人。そは撰むまでもなし。ジエンナロの好むところにしてアントニオの能くするところといはゞ、題は戀愛と定まり居るならずや。ジエンナロ。善くこそ宣《のたま》ひたれ。その戀愛とアヌンチヤタとを題とせん。われ。又の日にはいかなる題をも辭《いな》まざるべし。今宵のみは免《ゆる》し給へ。心地も常ならぬやうなり。外套着ずして汐風を受け、直ちに火山の熱さに逢ひ、歸るさの車にて又涼風《すゞかぜ》に觸れし故にや。公子。アントニオも早や技藝家の自重といふことを覺えたりと見えたり。今宵は免すべければ、明日《あす》は共にペスツムに往け。かしこには詩料あり。こも亦拿破里におん身が自重を示す手段なるべし。(我はえ辭《いな》まで會釋せり。)ジエンナロ。好し、渠《かれ》を伴ひて行かん。渠一たび希臘廢祠の中に立たば、神來の興忽ち動きて、古のピンダロスを欺く詩を得るならん。公子明日より四日の旅路なり。歸るさにはアマルフイイ[#「アマルフイイ」に二重傍線]とカプリとを見んとす。夫人。旅の事をば猶明朝かたらふべし。夫人先づ起ちて我等は卓《つくゑ》を離れ、我は始て夫人の手に接吻することを得たり。公子は今夜書を作りてをぢに寄せ、我がために地をなさんと云ひぬ。ジエンナロは打ち戲れて、我はアヌンチヤタを夢にだに見ん、夢なれば決鬪を求むる人はあらじと云ひて別れぬ。
われ若《も》しこの遊《あそび》を辭《いな》みなば、我生涯の運命はこゝに一變したるならん。後に思へば、此遊の四日は我少壯時代の六星霜を奪ひ去りたるなりき。誰か人間を自由なりと謂ふ。いかにも我は、目前に張りたる交錯せる綱を擇《えら》み引くことを得べし。されど我はその綱のいづれの處に結ばれたるを知るに由なし。我は恩人の勸に會ひて諾《う》と曰ひたり。こは我生涯の未來の幾齣のために、舞臺の幕を緊《きび》しく閉づべき綱なりしを奈何せん。已《や》みぬるかな。
われは數行の書をフエデリゴに寄せて、この思掛《おもひがけ》なき邂逅と小旅行とを報ぜんとす。こを寫し畢《をは》りしとき、我胸には種々の情の群り起るを覺えき。さても此夕の事多かりしことよ。サンタが道ならぬ戀、ベルナルドオの再び逢ひて名告《なの》り合はざる、恩人にめぐりあひての後の境遇、彼といひ此といひ、此身は風のまに/\弄ばるる一片の木葉《このは》にも譬へつべき心地ぞする。きのふは縁なくゆかりなき公衆の喝采を得て、けふは世に稀なるべき美人のわが優しき一言を希《ねが》ひ求むるに逢ふも我なり。忽ち舊誼の絲に手繰《たぐ》り寄せられて、一餐《さん》の惠に頭を垂れ、再び素《もと》のカムパニアの孤となるも我なり。恩人夫婦はわが昔の罪を宥《ゆる》して我を食卓に列《つらな》らしめ、我を遊山《ゆさん》に伴はんとす。豈《あに》慈愛に非ざらんや。唯だ富人の手に任せて輕く投卑《とうひ》するときは、その賚《たまもの》は貧人心上の重荷となるを奈何《いかに》せん。
苦言
伊太利風景の美は羅馬《ロオマ》又はカムパニアに在らず。されば我が少しくこれを觀ることを得しは、曾《かつ》てネミの湖畔に遊びし時と近ごろ拿破里《ナポリ》に來し時とのみ。こたび尋ねし勝概こそは、始めて我心を滿ち足らしめ、我をして平生夢寐《むび》する所の仙郷に居る念《おもひ》をなさしめしものなれ。凡そ外國《とつくに》の人などの此境を來り訪ふものは、これをその曾て見し所の景に比べて、或《ある》は勝《まさ》れりとし或は劣れりともするなるべし。足本國の外を踐《ふ》まざる我徒《ともがら》に至りては、只だその瑰偉《くわいゐ》珍奇なるがために魂を褫《うば》はれぬれば、今|復《ま》たその髣髴《はうふつ》をだに語ることを得ざるならん。
素《も》とわれは山水の語ることを得べきや否やを疑ふものなり。山水の全景は一齊に人目を襲ふ。而《しか》るにこれを筆舌に上《のぼ》すときは、語を累《かさ》ねて句を作《な》し、句を積みて章を作し、一の零碎の景に接するに他の零碎の景を以てす。譬《たと》へば寄木細工《よせきざいく》の如し。いかなる能辯能文の士なりとも、その描寫遺憾なきことを得ざらん。そが上に我が臚列《ろれつ》する所の許多《あまた》の小景は、われ自らこれを前後左右に排置して寄木の如くならしむるに由なし。その排置の如きは、一に聽者讀者の空想に委《ゆだ》ぬ。是に於いてや、我が説く所の唯一の全景は、人々の心鏡に映じて千樣萬態窮極することなし。且《かつ》人をして面貌《おもばせ》を語らしめて聽け。目は此の如し、鼻は此の如しと云はんも、到底これに縁《よ》りて其眞相を想像するに由なからん。唯《た》だ君の識る所の某に似たりと云ふに至りて、僅にこれを彷彿すべきのみ。山水を談ずるも亦復|是《かく》の如し。人ありて我にヘスペリアの好景を歌へと曰《い》はゞ、我は此遊の見る所を以てこれに應《こた》ふるならん。而して聽者のその空想の力を殫《つく》して自ら描出する所のものは、竟《つひ》にわが目撃せし所の美に及ばざるなるべし。蓋し自然の空想圖は※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に人間の空想圖の上にあるものなればなり。
カステラマレを發せしは天氣めでたき日の朝なりき。これを憶《おも》へば烟立つヱズヰオの巓《いたゞき》、露けく緑深き葡萄の蔓の木々の梢より梢へと纏ひ懸れる美しき谿間《たにま》、或は苔を被れる岩壁の上に顯《あらは》れ或は濃き橄欖《オリワ》の林に遮られたる白堊《はくあ》の城砦《じやうさい》など、皆猶目前に在る心地ぞする、穹窿《きゆうりゆう》あり大理石柱ある竈女《ヘスチア》の祠《ほこら》の、今や聖母《マドンナ》の堂となりたる(マドンナ、サンタ、マリア)は、古《いにしへ》を好む人の心を留むべき遺蹟なり。一壁崩壞して、枯髏《ころ》殘骨の露呈せる處に、葡萄の覃《は》ひ來りて、半ばそを覆ひたるは、心ありてこの悲慘の景を見せじとするにやとさへ思はれたり。
我目前には猶突兀《とつこつ》たる山骨の立てるあり。物寂しく獨り聳えたる塔の尖《さき》に水鳥の群立《むらた》ち來らんを候《うかゞ》ひて網を張りたるあり。脚底の波打際を見おろせばサレルノの市《まち》の人家|碁子《きし》の如く列《つらな》れり。而して會々[《たま/\》その街を過ぐる一行ありしがために、此一|寰區《くわんく》は特に明かなる印象を我心裡に留むることを得たり。角|極《きはめ》て長き二頭の白牛一車を輓《ひ》けり。車上には山賊四人を縛して載せたるが、その眼は猛獸の如く、炯々《けい/\》として人を射る。瞳黒く貌《かほ》美しきカラブリア人あり。銃を負ひて、車の兩邊を騎行せり。
旅の初一日の宿をばサレルノと定めたり。この中古學問の淵叢《えんそう》たる市に近づくとき、ジエンナロのいふやう。※[#「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17]帛《けんぱく》は黄變《わうへん》すべし。サレルノ騷壇の光は今既に滅せり。されど自然といふ大著述は歳ごとに鏤梓《るし》せらる。予はアントニオと同じく、師とするところ此に在りて彼に在らずといふ。われ答へて、自然|固《もと》より師とすべし、只だ書册も亦未だ棄つべからず、譬へば酒飯の並びに廢すべからざるが如しといひしに、フランチエスカの君は我言を是なりとし給ひぬ。
此時フアビアニ公子傍《かたはら》より、アントニオよ、言ふは易く行ふは難きものぞ、羅馬に歸りての後は、その詞の僞ならぬを明にせよといふ。羅馬の一語は我が思ひ掛けざるところなりき。我は心の中に、復た羅馬には往かじと誓ひながら、詞に出して爭はんとはせざりき。
公子は更に語を繼ぎてさま/″\の事をいひ出で、人々のこれに答へなどするひまに一行は早くサレルノに到りぬ。我等は先づ一寺院に入りたり。ジエンナロ進み出でゝいふやう。こゝにてはわれ案内者たることを得べし。これはサレルノにてみまかり給ひし法皇グレゴリヨ七世(獨帝と爭ひて位を逐《お》はれ、千八十五年此に終りぬ)の遺骨を收めし龕《がん》なり。その大理石像はかしこなる贄卓《したく》の上に立てり。さてこの石棺は歴山《アレキサンドル》大帝の遺骸を藏《をさ》むといふ。公子。何とかいふ、歴山大帝の躯《むくろ》こゝにありとや。ジエンナロ、我が聞きしは然《しか》なりき、さにはあらずや、と寺僮《じどう》を顧みれば、まことに仰の如しと答ふ。われつら/\棺を見て、否、そは誤りなるべし、歴山大帝の躯こゝに在りといはんは、歴史を蔑《ないがしろ》にするに近し、この浮彫の圖樣は大帝凱旋の行列なれば、かゝる誤を傳へしにや、見給へ、かしこなる寺門に近き處にもこれに似たる石棺ありて、その圖様は酒神《バツコス》の行列なり、彼棺は素《も》とペスツムに在りしを、こゝに移してサレルノの一貴人の永眠の處となし、その石像をば傍に立てたり、此類《このたぐひ》の棺槨《くわんくわく》いと多し、大帝の事を圖したりとて其屍を藏《をさ》むとは定め難しといふ。ジエンナロは唯だ冷かに、現《げ》にさることあらんも計られずとのみ答へしに、フランチエスカの君我耳に付きて、自ら怜悧《さかし》がりて人を屈するは惡しき習《ならひ》ぞと宣《のたま》ふ。我は頭を低《た》れて人々の後《しりへ》に退きぬ。
晩鐘の鳴る頃、公子とジエンナロとは散歩にとて出で、我は夫人に侍して客舍の軒に坐し居たり。海づらは乳《ち》の如き白色に見え、熔巖石を敷きたる街路より薔薇紅《ばらいろ》にかゞやける地平線のあたりまで、いと廣やかに晴れ渡り、波打際は藍色にきらめけり。かゝる色彩の配合は羅馬の無きところなり。われ、めでたき彩繪《いろゑ》には候はずやと云へば、夫人、見よ、雲は今「フエリチツシイマ、ノツテ」(幸ある夜を祈る)を言ふ時ぞ、と山嶽の方を指ざし給ふ。橄欖《オリワ》の林に隱顯せる富人の別業《べつげふ》の邊よりは※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に高く、二塔の巓を摩する古城よりは又※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]に低く、一叢《ひとむら》の雲は山腹に棚引きたり。われ。彼雲の中に棲《す》みて、大海の潮《しほ》の漲落《みちひ》を觀ばや。夫人。さなり。かしこに住みて即興詩を吟ぜよ。唯だ聽くものなきが恨なるべし。われ。のたまふ如く、其恨は思ひ棄て難し。詩人の喝采を受くるは草木の日光を受くると同じ。囹圄《ひとや》のタツソオが身を害《そこな》ひしは、獨り戀路の關を据ゑられしが爲めのみにあらず。その詩の爲めに知音《ちいん》を得ざるを恨みしが爲めなり。夫人。われは今おん身が上を語れり。タツソオが事を言はず。われ。タツソオは詩人なり。されば好き例《ためし》と思ひて引き出でしまでに候ふ。夫人。アントニオに傍線]よ、さてはおん身は自ら詩人なりと許す心あるにやあらん。我上を語らんときは、不朽の業《わざ》ある人の名をば呼ばぬぞ好き。おん身は物に感動し易き情ありて、又能くさる情を解するより、直ちに己れの詩人たるを信ぜんとするならん。そは世間幾多の人の具ふる所にして、又能くする所なり。これに惑ひて徒《いたづ》らに思ひ上がりなどせば、生涯の不幸となるべきものぞといふ。われは面の火の如くなれるを覺えて、仰せはさる事ながら、わが自ら深く信ずるところをば包まで申すを聞き給へ、「サン、カルロ」座なる數千の客は我に何の由縁《ゆかり》もなきに、口を齊《ひとし》うして喝采したり、われは惠深き君の我喜を分ち給はんことを忖《はか》りしにと答へたり。夫人。おん身の友は多かるべし。されどまことにおん身の喜を分たんもの我が如きは少からん。おん身の情に厚きこと、心ざまの卑からぬことは、我等よく知りたり。さればこそをぢ君の御腹立をも申解《まうしと》かばやとさへ思ふなれ。おん身には好き稟賦《ひんぷ》あり。學ばゞ一廉《ひとかど》の人物ともなるらん。されど今の儘にては、その才僅かに坐客の耳を悦ばしむるに足りて、未だ世に立ち名を成さんには遑《いとま》あらざるべし。われ。才の拙《つたな》く學の足らざるは、げにおん詞の如くなり。されどわが公衆に對せし時の成功をば、君の親しく視給はねば知らせ參らせんやうなし。只だ君の信ぜさせ給ふと覺しきジエンナロの君は彼夕劇場にありて、我技を賞し給ひきと申さば足りなん。夫人。おん身はジエンナロを證人とせんとやいふ。ジエンナロは好き紳士なれど、われは其藝術上の批評には重きを置かず。劇場に集ひし一夜の公衆に至りては、いよ/\信ずべからず。おん身若し彼夕もろひとに辱《はづかし》められんには、われ深く憾《うらみ》とすべし。その事なくして畢《をは》りしは、まことに自他の幸なり。おん身が場に上りしは唯だ一夜にして、假名《けみやう》をさへ用ゐぬれば、かゝる夢の如きよしなしごとの久しく人の記憶に殘らん憂はあらじ。三日の後には我等又拿破里に在り。そのあくる日には羅馬へ旅立すべし。羅馬に往きて、おん身の耐忍と勉勵とを見せよ。おん身に眞《まこと》の事を告ぐるは我のみぞとのたまひぬ。
古祠、瞽女《ごぜ》
ペスツムは宿るべき家もなく、こゝよりかしこへの道は賊などの出沒することもありと聞えければ、翌日《あくるひ》まだ暗きに一行は車に上りぬ。騎馬の憲兵は護衞として車の傍に隨へり。
道の左右には柑子《かうじ》の林ありて、その鬱茂せる状《さま》は深山《みやま》の森にも似たるべし。セラの流を渡るときは、垂柳|月桂《ラウレオ》の澄める水の面に影を倒せるを見き。荒蕪せる丘陵の間、時に穀《たなつもの》の長ぜる田圃あり。道に沿ひて蘆薈《ろくわい》霸王樹《サボテン》など野生したるが、皆ところ得がほに延び育ちたり。
既にして一行は一古祠の前に立てり。即ち二千年前の建立《こんりふ》にして、その樣式|希臘《ギリシア》時代の粹と稱せらる。この祠、見苦しき酒店一軒、貧しげなる人家三棟、籘《とう》もて作れる小屋三つ四つ。是れ世界に名高きペスツム[#「ペスツム」に二重傍線]の村なり。いにしへは此村|薔薇《さうび》に名あり。見渡す限り紅《くれなゐ》の霞に掩《おほ》はれたりし由《よし》物に見えたれども、今は一株をだに留めず。身邊|渾《すべ》て是れ緑にして、其色遙に山嶽に連《つらな》れり。平地には菫花《すみれ》多く、薊《あざみ》その外の雜草の間に咲きひろごりたり。自然の力|餘《あまり》ありて人間の工《たくみ》を加へざる處なれば、草といふ草、木といふ木、おのがじし生ひ榮ゆるが中に、蘆薈、無花果《いちじゆく》、色紅なる「ピユレトルム、インヂクム」などの枝葉《えだは》さしかはしたる、殊に目ざましくぞ覺えられし。
シチリアの自然、その豐饒《ほうねう》の一面と荒蕪の一面とはこゝにあり。シチリアの希臘古祠はこゝにあり。而してシチリアの貧窶《ひんく》もまたこゝにあり。一行のめぐりには一群の乞丐《かたゐ》來り集ひたり。その状《さま》南海諸島の蕃人にも似たるべし。男子は長き羊の皮を、毛を表にして身に纏へり。暗褐色なる雙脚には靴を穿かず、剪《き》らざる髮は黒き面の邊に翻《ひるがへ》り垂れたり。妬《ねた》ましき迄に直《すぐ》に美しく生ひ立ちたる娘たちのこれに隨へるを見るに、そのさま半ば赤はだかなりといふべし。膝の上まで截《き》り開きたる短衣は裂け綻《ほころ》び、鬆《ゆる》く肩に纏へる外套めきたる褐色《かちいろ》の布は垢つきよごれ、長き黒髮をば項《うなじ》に束ね、美しき目よりは恐ろしき光を放てり。
此群に十二歳を踰《こ》えじと見ゆる、すぐれて麗《うるは》しき娘あり。アヌンチヤタとなるべき姿にもあらず、さればとて又サンタとなるべき貌にもあらず。前にアヌンチヤタが物語に聞きつる、メヂチ家の愛憐神女の像は、かゝる面影あるにはあらずやと思はる。實に此|少女《をとめ》の清き容《かたち》は、人をして囘抱せんと欲せしむるものにあらで、却りて膜拜《もはい》せんと欲せしむるものなり。
この少女は少し群を離れて立てり。褐《かち》色なる方巾《はうきん》偏肩《へんけん》より垂れたるが、巾《きれ》を纏《まと》はざる方《かた》の胸と臂《ひぢ》とは悉く現はれたり。雙脚には何物をも着けざりき。かくはかなき身と生れても、流石《さすが》に粧《よそほ》ひ飾る心をば持ちたるにや、髮平かに結ひ上げて、一束の菫花《すみれ》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]せるが、額の上に垂れ掛れり。われその容《かたち》を窺ふに、羞慙《しうざん》あり、慧巧《けいかう》あり。而して別に一種言ふべからざる憂愁の色を帶びたる如くなりき。唯だその雙眸は恆に地上に注ぎて、人の面を見んことを恐るゝものゝ如し。
口々に物乞ふ中に、この少女のみは一言をだに發せざりき。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]先づ進み寄りてこれに錢を與へ、手を頤《おとがひ》の下に掛けて、此群には惜しき佳《よ》き兒ぞといふ。公子夫婦もまことに然《さ》なりといひぬ。われは少女の面の紅を潮するをみたり。少女は目を開けり。而してわれ始てその瞽《めしひ》なるを知りぬ。
われは同じくこれに物を贈らんと欲して敢てせざりき。既にして人々は乞丐《かたゐ》の群に窘《くるし》められて、酒店の軒に避けたれば、獨り立ち戻りて、盾銀《たてぎん》一つ握らせたり。盲人の敏《さと》き習として、少女はその常の錢ならぬを知りたるなるべし、顏は燃ゆる如くなりて、その健《すこや》かに美しき唇は我手背に觸れたり。われはその接吻の渾身《こんしん》の血に浸《し》み渡る心地して、遽《あわたゞ》しく我手を引き退け、酒店の軒に馳せ入りぬ。
酒店は只だ一室ありて、大いなる竈《かまど》殆どその全幅を占めたり。惜しげもなく投げ入れたる薪は盛に燃えあがりて、烟は岫《しう》を出づる雲の如く、騰《のぼ》りて黒みたる仰塵《てんじやう》に至り、更に又出口を求めて室内をさまよへり。主人の蔭多き大柳樹の下にありて、誂《あつら》へし朝餉《あさげ》の支度する間に、我等はこの烟煤《えんばい》の窟を※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《のが》れ、古祠《ふるほこら》を見に往くことゝしたり。委它《いだ》たる細徑は荊榛《けいしん》の間に通ぜり。公子とジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]とは手を組み合せて、フランチエスカ[#はこれに腰掛けつゝ舁《か》かれ行く。
漫歩《そゞろありき》には似つかはしからぬ恐ろしき道かな、と夫人笑みつゝ云へば、案内者の一人、さのたまへど三とせの前迄は此道全く棘《いばら》に塞がれたりき、又己れが幼き頃|社《やしろ》の圓柱のめぐりに、砂土|堆《うづたか》く積もり居しを記《おぼ》え居り候ふと答ふ。案内者は皆この詞の誤らざるを證せり。一行の後には、さきの乞丐《かたゐ》の群猶隨ひ來り、皆目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りて我等を打目守《うちまも》れり。若しわれ等にしてふとその一人の面を見ることあるときは、その手は忽ち賜《たまもの》を受くるがために伸べられ、その口は忽ち「ミゼラビレ」(憐を乞ふ語)を唱へ出すなり。瞽女《ごぜ》はいづち往きけん見えず。われはあはれなる少女の、獨りいかなる道の邊《べ》に蹲《うづくま》り居るかを思ひ遣りぬ。
我等は一の劇場と一の平和神祠との迹《あと》なる斷礎の上を登り行きぬ。ジエンナロ人々を顧みて、あはれ平和と演劇との二つのもの、いかなればかく迄相親むことを得たるぞと云ふ。(劇場の徒の多く相嫉視するを諷するにや。)我等は海神《ポセイドン》祠《し》の前に立てり。世にはこれを「バジリカ」とぞいふ。近き頃、彼《かの》ポムペイの古市《こし》と同じく、闇黒の裡《うち》より出でゝ人の遺忘を喚び醒《さま》したるものは、此祠と穀神祠《デメエテル》となり。この祠《ほこら》の荊棘《けいきよく》に鎖《とざ》され、土石に埋められたること幾百年ぞ。幸に外國《とつくに》の一畫師ありてこゝを過ぎ、柱尖の僅に露出せるを見、その美を喜びて寫し歸りしより、世の人こゝに注目し、終に棘を刈り土を掘りて、此の宏壯なる柱堂の、新に落《らく》せるものゝ如く、耽古者流の愛《め》で翫《もてあそ》ぶところとなるには至りしなり。圓柱は黄なるトラヱルチイノに石もて作られたり。(相待上新しき地層の石にして、石灰分ある温泉の鹽類の凝りて生ずる所なり。)無花果樹《いちじゆく》はその匝《めぐり》に枝さしかはし、野生の葡萄は柱頭迄|攀《よ》ぢ上り、石質の罅隙《かげき》を生じたる處には、菫花の紫と「マチオラ」の紅とを見る。
我等は倒れたる一圓柱の趺《ふ》の上に踞したり。ジエンナロの力に頼りて、乞兒《かたゐ》の群を逐ひ拂ふことを得たりしかば、我等の心靜に四邊《あたり》の風景を玩《もてあそ》ぶには、復た何の妨《さまたげ》もあらざりき。山の姿、海の色、この古神祠の頽敗の状《さま》など、一として我情を動さゞるものなし。公子、今こそは我等がために一篇の即興詩を作《な》すことを辭せざるならめ、と問ひ掛け給へば、夫人も頷きて同じ心を表し給ふ。われは柱を背にして立ち、少時記せしところの一歌謠の調を借りて、目前の景を歌ひ出せり。山水の美、古藝術のすぐれたる遺蹟を見るにつけ、哀なるはかの目しひたる少女《をとめ》の上にぞある。この自然の無盡藏は誰も受くべき賜《たまもの》なるに、少女はそをだに受くることを得ずといふ。是れ我一曲の主なる着想なりき。歌|※[#「門<癸」、第3水準1-93-53]《をは》る比《ころほ》ひには、われ聲涙共に下るを禁ずること能はざりき。ジエンナロは手を拍《う》ちて激賞し、公子夫妻はわが多少の情あるを認諾せり。
人々は石級を下りぬ。われはこれに從はんと欲して、ふと頭《かうべ》を囘《めぐ》らしゝに、我が倚《よ》りたりし柱の背後《うしろ》に、身を薫高き「ミユルツス」の叢《そう》に埋めて、もろ手を項《うなじ》に組み合せたる人あるを見き。而《しか》してそはかの目しひたる少女なりき。われはこの哀むべき少女の我歌を聞きしを知りぬ、我がその限なき不幸を歌ふを聞きしを知りぬ。餘りの便《びん》なさに、身を僂《かゞ》めてさし覗けば、袖は梢に觸れてさや/\と鳴り、少女はさとくも頭を擡《もた》げつ。われは思做《おもひなし》にや、その面《おも》の色のさきより蒼きを覺えたるが、少女を驚さんことのいとほしくて、身を動すことを敢てせざりき。少女は暫し耳を欹《そばだ》てゝアンジエロにやと呼びぬ。われは覺えず屏息《へいそく》せり。少女は又|俯《うつむ》きて坐せり。前《さき》にアヌンチヤタの我に語りし希臘の神女も、石彫の像なれば瞻視《せんし》をば闕《か》きたるべし。今我が見るところは殆ど全くこれに契《あ》へりとやいふべき。少女は祠の礎《いしずゑ》に腰掛けて、身を無花果樹と「ミユルツス」との裡に埋め、手に一物を取りてこれを朱唇に宛て、面に微笑を湛へたり。何ぞ料《はか》らん、その物は我が與へしところの盾銀ならんとは。
我情はこれに動かされて耐へ忍ぶべからざるに至りぬ。我は再び身を僂《かゞ》めて少女の額に接吻せり。少女はあなやと叫び、物に驚きたる牝鹿の如く、瞬く隙《ひま》に馳せ去りぬ。その叫びし聲は我骨髓に徹し、その遽《あわたゞ》しく奔《はし》り去りし状《さま》は我心魂を奪ひ、われは身邊の柱楹《ちゆうえい》草木悉く旋轉《せんてん》するを覺えて、何故ともなく馳せ出し、荊莽《けいぼう》の上を踏みしだきつゝ徐《しづ》かに歩める人々を追ひ越し行きぬ。
アントニオ、アントニオと呼ぶ公子の聲|※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》なる後に聞えて、我は始て我にかへりぬ。兎をや獵《かり》せんとする、否《さら》ずば天馬空を行くとかいふ詩想の象徴をや示さんとする、と公子語を繼いで云へば、ジエンナロ、否、われ等の※[#「足+圭」、第4水準2-89-29]歩《きほ》に蹇《なや》める處を、渠《かれ》は能く飛行すと誇るなるべし、いざ我が濟勝《さいしよう》の具の渠に劣らぬを證せんとて、我傍に引き傍《そ》うて走り出しぬ。公子|後《しりへ》より、汝等は我が夫人の手を拉《ひ》きて同じ戲をなすことを要《もと》むるにやといふとき、ジエンナロは直に歩を駐《とゞ》めたり。
酒店に歸り着きし後は、瞽女《ごぜ》は影だに見えざりき。その叫びし聲の猶絶間なく耳に聞ゆるを、怪しとおもひてつく/″\聽けば、そは我|心跳《しんてう》のかく聞做《きゝな》さるゝにぞありける。嗚呼卑むべきは我心にもあるかな。少女が胸中の苦を永言《えいげん》して、これをして深く生涯の不幸を感ぜしめ、終にはその額に接吻して驚かしたるは何事ぞや。そが上にかの接吻は我が婦女に與へたる第一の接吻なり。少女の貧しきを侮《あなど》り、その目しひたるを奇貨として、我は我が未だ嘗て敢てせざりしところのものを敢てしたり。我はベルナルドオを輕佻《けいてう》なりとせり。而《しか》るに我が爲すところも亦此の如し。現《げ》に塵の世に生れたる人、誰か罪業なきことを得ん。いかなれば我は自ら待つことの寛《ゆる》くして、人を責むることの酷なりしぞ。われ若し再び瞽女《ごぜ》に逢はば唯だ地上に跪いてこれに謝せん。
一行は車に上りてサレルノに歸らんとす。我は心に今一度瞽女を見んことを願ひしが、人に問ふことを憚りたり。忽ちジエンナロの案内者を顧みて、さるにても彼の目しひたる娘はいかにしたると問ふを聞く。案内者の一人答へてララが事にて候ふや、海神《ポセイドン》祠《し》のほとりにやあるらん、常に彼處にあることを好めばといふ。ジエンナロは「ベルラ、ヂヰナ」(神々しきまで美しき子よとなり)と呼びて、手もて接吻の眞似《まね》したり。車は動き出しぬ。さては彼子の名をばララといふとこそ覺ゆれ。われは馭者と脊中《せなか》合《あは》せに乘りたれば、古祠の柱列《ちゆうれつ》のやうやく遠ざかりゆくを見やりつゝ、耳には猶少女の叫びし聲を聞きて、限なき心の苦しさを忍び居たり。
路傍に「チンガニイ」族の一群あり。火を溝渠《こうきよ》の中に焚きて食を調《とゝの》へたり。手に小鼓《タムブリノ》を把《と》りて、我等を要して卜筮《ぼくぜい》せんとしつれど、馭者は馬に策《むちう》ちて進み行きぬ。黒き瞳子《ひとみ》の※[#「目+炎」、104-下段-29]電《せんでん》の如き少女二人、暫し飛ぶが如くに車の迹を追ひ來りしが、ジエンナロはこれをも美しと愛《め》で稱《たゝ》へき。されどララの氣高《けだか》きには比ぶべうもあらざりき。
夕にサレルノに還りぬ。明日《あす》はアマルフイイに往きて、それよりカプリに※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りて還らんとなり。公子の宣給《のたま》ふやう。拿破里に還らば、留まることは一日にして羅馬へ立たんとぞ思ふ。アントニオが準備も暇取ることはあらじと宣給ふ。われは羅馬に往くことを願はねど、例の恩誼に口を塞がれて、僅かに、老公のおほん憤《いきどほり》の氣遣はれてとのみ云ひしに、そはわれ等申し解くべしと答へて我に詞を繼がしめ給はず。兎角する程に、賓客のおとづれ來て、會話はこゝに絶え、我不幸なる運命もまた定まりぬ。
夜襲
天氣好き日の朝舟出して、海より望めばサレルノの美しさは又一しほなるを覺えぬ。筋骨逞ましき男六人|※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]《ろ》を搖《うごか》せり。畫にしても見まほしき美少年一人|柁《かぢ》の傍に蹲《うづくま》りたるが、名を問へばアルフオンソオと答ふ。水は緑いろにして透《す》き徹《とほ》り、硝子《ガラス》もて張りたる如し。右手《めて》なる岸の全景は、空想のセミラミスや築き起しゝ、唯だ是れ一大|苑囿《ゑんいう》の波上に浮べる如くなり。その水に接する處には許多《あまた》の洞窟あり。その状柱列の迫持《せりもち》を戴けるに似て、波はその門に走り入り、その内にありて戲れ遊べり。突き出でたる巖端《いははな》に城あり、城尖《じやうせん》の邊には、一帶の雲ありて徐《しづ》かに靡き過ぎんとす。我等は大島小島(マユウリイ、ミヌウリイ)を望みて、程なく彼マサニエルロとフラヰオ・ジヨオヤとの故郷の緑いろ濃き葡萄丘の間に隱見するを認め得たり。(マサニエルロは十七世紀の一揆《いつき》の首領なり。オベエルが樂曲の主人公たるを以て人口に膾炙《くわいしや》す。フラヰオ・ジヨオヤは羅針盤を創作せし人なり。)
伊太利に名どころ多しと雖《いへども》、このアマルフイイの右に出づるもの少かるべし。われは天下の人のことごとくこれを賞することを得ざるを憾《うらみ》とす。此地は廣袤《くわうばう》幾里の間、四時《しいじ》春なる芳園にして、其中央なる石級上にアマルフイイの市《まち》あり。西北の風絶て至ることなければ、寒さといふものを知らず。風は必ず東南より起り、棕櫚《しゆろ》橘柚《オレンジ》の氣を帶びて、清波を渉《わた》り來るなり。
市の層疊して高く聳ゆる状《さま》は、戲園の觀棚《さじき》の如く、その白壁の人家は皆東國の制《おきて》に從ひて平屋根なり。家ある處を踰えて上り、山腹に逼《せま》るものは葡萄丘なり。山上には※[#「土へん+楪のつくり」、第4水準2-4-94]壁《てふへき》もて繞《めぐ》らされたる古城ありて雲を※[#「てへん+(掌の手に代えて牙)」、105-中段-20]《さゝ》ふる柱をなし、その傍には一株の「ピニヨロ」樹の碧空を摩して立てるあり。
舟の着く處は遠淺なれば、舟人は我等を負ひて岸に上らしめたり。岸には岩窟多くして、水に浸されたると否《あら》ざるとあり。小舟三つ四つ水なき處に引上げたるを、好き遊びどころにして、子供あまた集へり。身に挂《か》けたるは、大抵襦袢一枚のみにて、唯だ稀に短き中單《チヨキ》を襲ねたるが雜《まじ》れり。「ラツツアロオネ」といふ賤民(立坊《たちんばう》抔《など》の類)の裸※[#「ころもへん+呈」、第3水準1-91-75]《らてい》なるが煖き沙《すな》に身を埋めて午睡せるあり。その常に戴ける褐《かち》色の帽は耳を隱すまで深く引き下げられたり。寺院の鐘は鳴り渡れり。紫衣の若僧の一行あり。頌《じゆ》を唱へて過ぐ。捧ぐる所の磔像《たくざう》には、新に摘みたる花の環を懸けたり。
市の上なる山の左手に、深き洞穴に隣れる美しき大僧堂あり。今は外人《よそびと》の旅館となりて、凡そこゝに來らん程のもの一人としてこれに投ぜざるはなし。夫人をば輿《こし》に載せて舁《か》かせ、我等はこれに隨ひて深く巖《いはほ》に截《き》り込みたる徑《こみち》を進みぬ。下には清き蒼海を瞰《み》る。一行は僧堂の前に留りぬ。内暗き洞穴は我等に向ひて其|※[#「月+咢」、第3水準1-90-51]《あぎと》を開けり。穴の裏《うち》には十字架三基ありて、耶蘇と二賊との像これに懸り、巖上には彩衣を着て大いなる白き翼を負ひたる數人の天使|跪《ひざまづ》けり。皆美術品などいふべき限のものにはあらず、木もて彫り斑《まだら》にいろどりたるまでなり。されど信仰の温き情は影を此拙作の上に留めて、おのづから美を現ぜり。
小《ちさ》き中庭を歩みて宿るべき部屋々々に登り着きぬ。我室の窓より見れば、烟波|渺茫《べうばう》として、遠きシチリアのあたりまで只だ一目に見渡さる。地平線の際《きは》に、しろかね色したるものゝ點々數ふべきは舟なり。
ジエンナロは我を遊歩に誘はんとて來ぬ。いかに詩人よ。共に麓のかたに降り行きて、かしこの風景の美のこゝに殊なりや否やを見んとおもはずや。少くも女性の美は麓のかたの優れたること疑ふべからず。こゝの隣房なる英吉利《イギリス》婦人の色蒼ざめて心冷なるは、我が堪ふること能はざる所なり。おん身も女子《をなご》を見ることをば嫌ひ給はぬならん。恕《ゆる》し給へ、こは我ながらおろかなる問なりき。女子を見ることを嫌ひ給はねばこそ、君はこゝらわたりを彷徨《さまよ》ひて、我は又この邂逅の奇縁を結ぶことを得つるなれ。斯く戲れつゝ、ジエンナロは我を促し立てゝ石徑を下り行けり。途《みち》すがら又いふやう。猶忘れ難きは彼の目しひたる娘の美しさなり。拿破里に歸りての後、カラブリア酒《ざけ》誂へんをりは、かの娘をも共に取寄せんとぞおもふ。我血を沸き立たしむる功は此も彼に讓らざるべし。
我等は市街に歩み入りぬ。アマルフイイの市は裹《つゝ》める貨物《しろもの》をみだりに堆積したる状《さま》をなせり。羅馬なる猶太街《ゲツトオ》の狹きも、これに比べては尚|通衢《つうく》大路《おほぢ》と稱するに足るならん。こゝの街といふは、まことは家と家との間に通じ、又は家を貫きて通じたるろぢの類《たぐひ》のみ。或るときは狹く長き歩廊を行くが如く、左右に小き窓ありて、許多《あまた》の暗黒なる房《へや》に連《つらな》れり。或るときは巖壁と石垣との間に、二人並び歩むに堪へざるばかりの道を開けるが、暗くして曲り、濕りて穢《けが》れ、級を登り級を降りて、その窮極するところを知らず。我等はをり/\身の戸外に在るを忘れて、大いなる廢屋の内を彷徨《さまよ》ふ念《おもひ》をなせり。所々燈を懸けて闇を照すを見る。而して山上は日獨り高かるべき時刻なりしなり。
既にして我等は稍※[#二の字点、1-2-22]|開豁《かいくわつ》なる處に出でたり。一の石橋あり。こなたの巖端《いははな》よりかなたの巖端に架したり。橋下の辻は市内第一の大逵《ひろこうぢ》なるべし。二少女ありて「サタレルロ」の舞を演せり。貌《かほばせ》めでたく膚|褐《かち》いろなる裸※[#「ころもへん+呈」、第3水準1-91-75]《らてい》の一童子の、傍に立ちてこれを看るさま、愛《アモオル》の神童に彷彿《はうふつ》たり。人の説くを聞くに、この境《さかひ》寒《さむさ》を知らず、數年前|祁寒《きかん》と稱せられしとき、塞暑針は猶八度を指したりといふ。(寒暑針はレオミユウル式ならん。)
巖頭に小さき塔ありて、美しき入江の景色の、遠く大小二島の邊まで見ゆる處より、蘆薈《ろくわい》、「ミユルツス」の間を通ずる迂曲《うきよく》せる小みちあり。これを行けば、幾《いくばく》もあらぬに、穹窿《きゆうりゆう》の如く茂りあへる葡萄《ぶだう》の下に出づ。我等は渇を覺えぬれば、葡萄圃のあなたに白き屋壁の緑樹の間より見ゆるを心あてに歩《あゆみ》をそなたへ向けたり。輕暖の空氣の中には草木の香みち/\て、美しき甲蟲《かぶとむし》あまた我等の身邊に飛びめぐれり。
到り着きて見れば、この小家のさまの畫趣多きこと言はんかたなし。壁には近き故墟《こきよ》より掘り出したる石柱頭と石臂《せきひ》石脚とを塗り籠めて飾とせり。屋上に土を盛りて園とし、柑子《かうじ》の樹又はくさ/″\の蔓草類を栽ゑたるが、その枝その蔓四方に垂れ下りて、緑の天鵞絨《びろうど》もて掩へる如し、戸前には薔薇叢《さうびそう》ありて花盛に開けるが、殆ど野生の状《さま》をなせり。六つ七つばかりの美しき小娘二人その傍に遊び戲れ、花を摘みて環《たまき》となす。されどそれより一際《ひときは》美きは、此家の門口に立ち迎へたる女子なり。髮をば白き※[#「台/木」、第4水準2-14-45]布《あさぬの》もて束ねたり。その瞻視《まなざし》の情《なさけ》ありげなる、睫毛《まつげ》の長く黒き、肢體《したい》の品《しな》高くすなほなる、我等をして覺えず恭《うや/\》しく帽を脱し禮を施さゞること能はざらしめたり。
ジエンナロ進み近づきて、さては此|家《いへ》あるじこそは、土地に匹儔《たぐひ》なき美人なりしなれ、疲れたる旅人二人に、一杯《ひとつき》の飮《のみもの》を惠み給はんやと云へば、いと易き程の御事なり、戸外に持ち出でてまゐらせん、されど酒は只だ一種《ひとくさ》ならでは貯《たくは》へ侍らずと笑ひつゝ答ふ。その眞白なる齒に、唇の紅はいよ/\美さを増すを覺えき。ジエンナロ。酒はいかなる酒にもあれ、君の酌《く》みて給はらんに、旨《うま》からぬことやはある。美しき娘の酌める酒をば、われ平生|嗜《たしな》みて飮めり。女主人《をみなあるじ》。されどけふは美しき娘のあらねば、色香なき人妻の酌みてまゐらするを許し給へ。ジエンナロ。さらば君ははや主《ぬし》ある花となり給ひしにや、そのうら若さにて。女主人。否、われははや年多くとりたり。この時|傍聽《かたへぎき》したりしわれ、おん身の芳紀《とし》いくばくぞと問ひぬ。想ふにこの女子まだ十五ばかりなるべけれど、脊丈《せたけ》伸びて恰好《かつかう》なれば、行酒女神《ヘエベ》の像の粉本とせんも似つかはしかるべし。女主人はわが何の爲めに問ひしかを疑ふものゝ如く、我面を暫し守りて二十八歳と答へつ。ジエンナロ。そはまことに好き年紀《としごろ》にて、殊におん身には似あひたり。さるにても人の妻となりてより幾年をか經給《へたま》ひし。女主人。最早《もはや》十とせあまりになりぬ。かしこなる娘たちに問ひ試み給へかしといふ。この時先に門の口にて遊び居たりし二人の娘、我等が前に走り來りぬ。われは故意《わざ》と娘等に向ひて、これは汝たちの母なりやと問ひしに、娘等はゑましげに主人を見て、さなり/\と頷きつゝ右ひだりより主人に倚《よ》り添ひたり。
女主人は酒もち來りて薦《すゝ》めたり。その味はいとめでたかりき。我等は杯を擧げてあるじの健康を祝したり。ジエンナロわれを指さして、この男は詩人なり、舞臺に出でゝ即興詩といふ者を歌ふを業《わざ》とす、されば拿破里《ナポリ》の婦人をばことごとく迷はしたれど、生來|頑《かたくな》なること石の如く、世に謂ふ女嫌ひなどいふものにや、まだ婦人に接吻したることなしといへり、珍らしき人にあらずやといへば、主人、さる人は世に有りがたからんとて笑へり。ジエンナロ語を繼ぎてわれはそれとは表裏《うらうへ》なり、あらゆる美しき女を愛し、あらゆる美しき女に接吻し、あらゆる美しき女の身方《みかた》となりて、到るところ人の心をやはらぐ、されば美しき女に接吻を求むるは我權利なり、我が受け納るべき租税なり、これをばおん身も拂ひ給はざるべからずといひて、つとあるじの手を※[#「てへん+參」、107-上段-22]《と》りたり。女主人。われは人の心やはらげ給ふといふおん惠に與《あづか》らんことをも願はず、さればさる租税をもえ納め侍らず。我租税をば、我夫自ら來りて收め取る習なり。ジエンナロ。その夫はいづくにあるか。女主人。さまで遠からぬところにあり。ジエンナロ。われは拿破里に居れども、いまだかくまで美しき手を見つることあらず。此上に接吻一つせんといはゞ、價いくばくをか求め給ふ。女主人。盾銀《たてぎん》一つにては貴かるべきか。ジエンナロ。さらば盾銀二つ出さば、唇をも任せ給ふべきか。女主人。否、そは千金にも換へ難し。そは吾夫の特權なり。この對話の間、女あるじは我等に酒を侑《すゝ》めて、ジエンナロの慣々《なれ/\》しきをも惡《にく》む色なく、尚暫く無邪氣なる應答をなし居たり。我等はあるじのまことは十四歳にて、去年同じ里の美少年|某《なにがし》と結婚せしこと、その夫は今拿破里にありて明日歸り來るべきこと、二人の子どものあるじの妹にて夫の留守の間來り舍《やど》れることなど、話の裏《うち》より聞き出せり。ジエンナロは二人の小娘に、査列斯《チヤアレス》銀《ぎん》一つ(伊太利名「カルリイノ」約十五錢五厘)與ふべければ薔薇の花束得させよといひて、そを遠ざけ、あるじに迫りて接吻せんとしたり。初めは詞もてさま/″\に誘ひたれどその驗《しるし》なかりき。次には戲《たはぶれ》のやうにもてなして、掻き抱きたれど、女はいち早く擦《す》り脱《ぬ》けたり。終には路易《ルイ》金《きん》一つ(「ルイドオル」と云ふ、約九圓七十八錢)取出し、指もて撮《つま》みて女の前にきらめかし、只だ一たびの接吻を許さば、これをおん身におくるべし、この金あらば、めでたき飾紐《リボン》あまた買はるべし、その黒き髮に映《うつり》好《よ》きものを擇《えら》み試みんは、いかに樂かるべきぞなど、繰返して説き勸めつ。女は我を指して、あちらのおん方は、おん身に比ぶれば※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に善き人なりと云へり。われ女の手を取りて、努《ゆめ》彼詞に耳傾けんとなし給ひそ、彼黄金の色に目を注がんとなし給ひそ、彼男は惡しき人なり、願はくは彼男にの面當《つらあて》に、われに接吻一つ許し給へといひぬ。女はきと我面を見たり。われ重ねて、さきに彼男の我上を語りし中に、唯だ一つの實事あり、われ未だ一たびも女の唇に觸れずといひしは是なり、我唇は清淨なり、われに接吻し給ふは小兒に接吻し給ふと同じといひぬ。ジエンナロ。さて/\狡猾なる事を言ふものかな。女をくどく方便《てだて》のみはわれ汝に優れりと覺えつるに、今は汝又我を凌《しの》がんとす。女主人。否々、御身は金をこそ持ち給へれ、心ざま善ならぬ人なり。我が黄金《こがね》をも何ともおもはず、接吻をも何とも思はぬをおん身に見せんため、我はこの詩人の方《かた》に接吻すべし。新く言ひ畢《をは》りて、女主人は雙手《もろて》もて我頬を押へ、我唇に接吻して、家の内に走り入りぬ。
日の入り果てし頃、われは獨り山上なる寺院の一房に坐して、窓より海を眺め居たり。波頭の殘紅は薔薇色をなして、岸打つ潮に自然の節奏を聞く。舟人は漁舟《すなどりぶね》を陸《くが》に曳き上げたり。暮色漸く至れば、新に點《とも》したる燈火その光を増して、水面《みのも》は碧色にかゞやけり。一時四隣は寂として聲なかりき。忽ち歌曲の聲の岸より起るあり。こは漁父の妻子と共に歌ひ出せるにて、子どもらしき「ソプラノ」の音は低き「バツソオ」の音にまじりたり。一種の言ふべからざる情は我胸に溢《あふ》れて、我心はこれがために震ひ動けり。一の流星あり。その疾《と》きこと撃石火《げきせきくわ》の如く、葡萄の林のあなたに隕《お》ちぬとぞ見えし。けふ我に接吻せし氣輕なる新婦《にひよめ》の家も亦彼林のあなたにあり。われは彼女主人の美《うつくし》かりしをおもひ出で、又彼|海神《ポセイドン》祠《し》[#「祠」は底本では「詞」]の畔《ほとり》なる瞽女《ごぜ》の美しかりしをおもひ出でしが、その背後には心と身と皆美しかりしアヌンチヤタありて、その一たび點したる火は今も猶我身を焦せり。我は餘りの堪へ難さに、口に聖母《マドンナ》の御名《みな》を唱へて、瓶裡《へいり》の薔薇一輪摘み、そを唇に押し當てつゝ心には猶アヌンチヤタが上を思へり。われは情に堪へずして、僧堂を出で、海の方へ降り行きぬ。即ち星輝《せいき》を浴《あ》びたる波の岸に碎くる處、漁父の歌ふ處、涼風の面を撲《う》つ處なり。歩みて晝間過ぎし所の石橋の上に至りぬ。この時一人の身に大外套を被り、忙《せは》しげに我傍を馳せ去りたるあり。われはその姿勢態度を見て、直ちにそのジエンナロなるを知りぬ。ジエンナロは驀地《まつしくら》に走りて、曾て憩ひし白壁の家に向へり。我は心ともなく、その後に跟《したが》ひ行きぬ。家の窓よりは燈火の影洩りたるが、彼の外套着たる姿は其光に照されて、窓の直下に浮び出でぬ。われは葡萄架《ぶだうだな》の暗き處に躱《かく》れ、石に踞して其|状《さま》を覗ひ居たり。帷《まどかけ》を引かざれば、室の内外の光景は明白に我眼に映ぜり。この家の裏の方、側廂《かたびさし》に通ずる大なる梯《はしご》の室内より見ゆる處に、別に又一つの窓あるをも、われは此時始て認め得たり。
室内《へやぬち》には一小卓を安んじ、上に十字架を立てたるが、燈《ともしび》をばその前に點せるなり。二人の小娘は衣《きぬ》を脱《はづ》して、白き汗衫《はだぎ》を鬆《ゆる》やかに身に纏《まと》ひ、卓の下に跪きて讚美歌を歌へり。姉なる新婦《にひよめ》も亦二人の間に坐せり。我目に映じたる此一幅の圖はラフアエロの筆に成りたる聖母と二天使との圖と擇《えら》むことなかりき。新婦の漆黒なる瞳子《ひとみ》は上に向ひて、その波紋をなせる髮は白き肩に亂れ落ち、もろ手は曲線美しき胸の上に組み合されたり。
われは屏息《へいそく》してこれを窺《うかゞ》ひ居て、我脈搏の亢進するを覺えたり。既にして三人は立ちあがりぬ。新婦は二兒を延《ひ》きて梯《はしご》を上り、しばらくありて靜かに傍廂《かたびさし》の戸を閉ぢ、獨り梯を下り來りぬ。さて窓に近きところを往來《ゆきき》して、物取り片付けなどし、ふと何事をか思ひ出でしものゝ如く、箪笥の前に坐して、その抽箱《ひきだし》より紅色の手帳一つ取り出だしつ。打ち返し見てほゝ笑み、開き見んとするさまなりしが、忽ち又首打ち掉《ふ》りて、手快《てばや》く抽箱《ひきだし》の中に投じたり。そのさま密事《みそかごと》して父母などに見られしに驚く小兒に似たりき。
暫くして裏の方なる窓を敲《たゝ》く音す。新婦は驚きて頭を擡《もた》げ、耳|欹《そばだ》てゝ聞けり。敲く音は又響きて、何事をか戸外にて言ふ如くなれど、基詞は我が居るところには聞えず。新婦は忽ち聲高く呼べり。檀那《だんな》は何とて斯く遲くこゝに來給ひしぞ。何の用のおはすにか。うしろめたき事には侍らずやといふ。戸外の人は又何やらん言ひたり。新婦。さなり/\。おん詞はまことなり。おん身は手帳を忘れ置き給へり。さきに妹に持せて、麓《ふもと》なる宿屋まで遣りたれど、かしこにてはさる檀那は宿り給はずといひぬ。定めて山の上に宿り給ふならん。つとめて又持たせ遣らんとこそ思ひ侍りしなれ。手帳は現《げん》にこゝに在り。斯く云ひて、新婦《にひよめ》は抽箱《ひきだし》よりさきの手帳を取出せり。戸外の人は何やらん言へり。新婦は首を掉《ふ》りて、否々、門《かど》の口をばえひらき侍《はべ》らず、おん身のこゝに來給はんは宜《よろ》しからずと云ひ、起ちてかなたの窓を開きつ。手帳をわたさんとして差し伸べたる新婦の手をば、外より握りたりと覺しく、手帳ははたと音して窓の外に落ちたり。ジエンナロの頭は此響と共に窓の内に顯れたり。新婦は走りてこなたの窓のほとりに來つ。これより後我は明に二人の詞を辨ずることを得るに至りぬ。
ジエンナロ。さらば君はわが感謝のために君の手に接吻するをだに許し給はぬにや。物落しし人の拾ひ主に謝するは世の習ならずや。そが上に走りてこゝに來つれば、喉乾きて堪へ難し。我に一杯《ひとつき》の酒を飮ませ給ふとも、誰かはそを惡しき事といはん。何故に君は我がそこに入らんとするを拒《こば》み給ふぞ。新婦。否、かく夜ふけておん身と物言ひ交すだに影護《うしろめた》き事なり。疾《と》くおん身の手帳を取りて歸り給へ、我は窓を鎖すべきに。ジエンナロ。我はおん身の手を握らでは歸らず。おん身のけふ我に惜みて、彼馬鹿者に與へ給ひし接吻を取り返さでは歸らず。新婦は周章の間に一聲の笑を洩せり。否々。君は人の與へざる所のものを奪はんとし給ふにや。君強ひて奪はんとし給はゞ、われまた誓ひて與へざるべしといふ。ジエンナロは哀れげなる聲していふやう。我等の相見るはこれを限なるを思ひ給へ。われは再び此地に來るものにあらず。さるを君は我が手を握らんといふをだに聽き納《い》れたまはず。我胸には君に言ふべき事さはなれど、君が手を握らんの願の外は、われ敢て口に出さじ。聖母《マドンナ》は我等に何とか教へ給ふぞ。人は兄弟姉妹の如く相愛せよとこそ宣給《のたま》へ。われはおん身の兄弟なり。我黄金をおん身と分ちて、おん身の艷《あで》やかなる姿を飾る料《かて》となさんとこそ願へ。貴き飾を身に着け給はば、おん身の美しさ幾倍なるべきぞ。おん身の友だちは皆おん身を羨むべし。されど我とおんみとの中をば世に一人として知るものなからん。斯く云ひも果てず、ジエンナロは一躍して窓より入りぬ。新婦《にひよめ》は高く聖母の名を叫べり。
われは表の窓に走り寄りて、力を極めて其扉を打ちたり。硝子《ガラス》はから/\と鳴りたり。我は目に見えぬ威力に驅らるゝものゝ如く、走りて裏口に至り、得物《えもの》もがなと見※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]す傍《かたへ》の、葡萄|架《だな》の横木引きちぎりつ。女はニコオロにやと叫べり。さなり、我なりと、われは假聲《つくりごゑ》して答へたり。室内《へやぬち》の燈消ゆると共に、ジエンナロは窓より跳り出で、いち足出して逃げて行く。其外套は風に翻《ひるがへ》れり。ニコオロよ、いかにしておん身は歸りし、これも聖母の御惠《みめぐみ》にこそといひつゝ、女は窓に走り寄りぬ。その聲は猶|慄《わなゝ》けり。われは吃《ども》りて、恕《ゆる》し給へ君と叫びぬ。あなやと呼ぶ女の聲と共に、扉ははたと鎖され、われは茫然として獨り窓外に立てり。
暫しありて、我は新婦《にひよめ》の靜かに歩ゆみ、戸を開き、戸を閉ぢ、鑰《ぢやう》を下す響を聞き、今は心安しとおもひて、そと歸途に就きぬ。われは心中に無量の喜を覺えたり。かくてこそわれは晝間の接吻に報い得つるなれ。若し彼女主人にして豫《あらかじ》め守護の功を測り知りたらんには、渠《かれ》は猶一たび接吻することをも辭せざりしなるべし。
僧堂に歸りしは恰も晩餐の時なり。人々は我が外に出でしを知らざるさまなり。食卓に就きて程經ぬるに、ジエンナロのみ來ざりければ、フランチエスカの君は心を勞し、公子はあまたたび人を馳せて、その歸るを候《うかゞ》はせぬ。ジエンナロはやうやくにして來りぬ。漫歩《そゞろありき》して岐《みち》に迷ひ、農夫に教へられて纔《わづか》に歸ることを得つといふ。夫人その姿を見て、げにおん身の衣《きぬ》は綻《ほころ》びたりといへば、ジエンナロ手もてその破れたる處を摘《つま》み、この端の斷《ちぎ》れたるは棘《いばら》にかゝりて跡に殘りぬ、われは直ちに心附きぬれど、奈何《いかん》ともすること能はざりき、このあたりにて斯くまで道を失はんとは、流石《さすが》に思掛けざりき、目暮の景色を弄《もてあそ》ぶ中《うち》、俄に暗くなりしを見て、近道より歸らんとおもひしが事の原《もと》なりといふ。一座は此遊の可笑《をか》しき話柄《わへい》を得たりとて打ち興じ、杯を擧げて、此|迷失兒《まよひご》の健康を祝しつ。こゝの葡萄酒はいと旨きに、人々醉を帶び、歡を竭《つく》して分れぬ。
わが寢室に入りしとき、隣室なるジエンナロは上衣を脱ぎ襦袢《じゆばん》一つとなりて進み來り、いとさかしげに笑ひつゝ、掌《たなぞこ》を我肩上に置きて、晝見つる美人の爲めに思を勞すること莫《なか》れといふ。われ。然《し》か宣給《のたま》へど、接吻をばわれ博し得たり。渠《かれ》。そは固《もと》よりなり。されどわれを始終|繼子《まゝこ》たりしものとな思ひそ。われ。繼子たりしや否やは知らず。唯だ繼子らしかりしは事實なり。渠。われは未だ曾て繼子たりしことなし。おん身若し能く祕密を守らば、われは敢て告ぐるところあらんとす。われ。何事まれ語り給へ。われは誓ひて餘所《よそ》に洩さゞるべし。渠。さらば包まず語るべし。われは歸るさに故意《わざ》と手帳を遺《わす》れ置きぬ。そは日暮れて再び往かん爲めなり。原《も》と女といふものは、只二人居向ひては頑《かたくな》ならぬが多し。さて我は再び往きぬ。衣の綻びたるは、墻《かき》踰《こ》え籬《まがき》を穿《うが》ちし時の過《あやまち》なり。われ。さらば女はいかなりし。渠。晝見しよりも美しかりき。美しくして頑《かたくな》ならざりき。わが預《あらかじ》め度《はか》りし如く、さし向ひとなりては何のむづかしき事もなかりき。おん身が得しは只一つの接吻なりしが、わが得しは千萬にて總て殘る隈《くま》なき爲合《しあはせ》なりき。これよりはその時のさまを樂しき夢に見んとぞおもふ。便《びん》なきアントニオ[#「アントニオ」に傍線]よと語りもあへず、ジエンナロはおのが臥房《ふしど》に跳り入りぬ。
たつまき
僧堂を辭し去る朝《あした》、大空は灰色の紗《うすぎぬ》を被せたる如くなりき。岸には腕たしかなる漕手《こぎて》幾人か待ち受け居て、一行を舟に上らしめたり。纔《ともづな》を解きてカプリに向ふ程に、天を覆ひたりし紗は次第に斷《ちぎ》れて輕雲となり、大氣は見渡す限澄み透りて、水面には一波の起るをだに認めず。美しきアマルフイイは巖のあなたに隱れぬ。ジエンナロは後《しりへ》を指ざして、かしこにてはわれ薔薇を摘み得たりと云ふ。われは頷《うなづ》きて、心の中にはこの男の強顏《きやうがん》なることよ、まことは刺《はり》に觸れて自ら傷けしものをとおもひぬ。
舟のゆくては杳茫《えうばう》たる蒼海にして、その抵《いた》る所はシチリアの島なり、あらず、亞弗利加《アフリカ》の岸なり。ゆん手の方は巖石屹立したる伊太利の西岸にして、所々に大なる洞穴あり。洞前に小村落あるものは、其幾個の人家、わざと洞中より這ひ出でゝ、背を日に曝《さら》すものゝ如く、洞の直ちに水に臨めるものゝ前には漁人の火を焚き食を調へ又は小舟に※[#「父/多」、第4水準2-80-13]兒《チヤン》を塗れるあり。
舷下の水は碧《あを》くして油の如し。試みに手をもて探れば、手も亦水と共に碧し。舟の影の水に落ちたるは極て濃き青色にして、艪《ろ》の影は濃淡の紋理ある青蛇を畫けり。われは聲を放ちて叫びぬ。げに美しきは海なる哉。若し彼蒼《ひさう》の大いなるを除かば、何物か能く之と美を※[#「女+貔のつくり」、110-上段-20]《くら》ぶべき。我は幼かりし時、地に仰臥して天を觀つるを思ひ出でぬ。今見る所の海は即ち當時見し所の天にして、譬へば夢の一變して現《うつゝ》となれるが如し。
舟はイ、ガルリといふ巖より成れる三|小嶼《せうしよ》の傍を過ぎぬ。そのさま海底より石塔を築き上げて、その上に更に石塔を僵《たふ》し掛けたる如し。青き波は緑なる石を洗へり。想ふに風雨一たび到らば、このわたりは群狗《ぐんく》吠ゆてふ鳴門《なると》(スキルラ)の怪《くわい》の栖《すみか》なるべし。
不毛にして石多きミネルワの岬《みさき》は、眠るが如き潮《うしほ》これを繞《めぐ》れり。いにしへ妙音の女怪の住めりきといふはこゝなり。而してカプリの風流天地はこれと相對せり。いにしへチベリウス帝が奢《おごり》をきはめ情を縱《ほしいまゝ》にし、灣頭より眸を放ちて拿破里《ナポリ》の岸を望みきといふはこゝなり。
舟人は帆を揚げたり。我等は風と波とに送られて、漸くカプリの島邊に近づきぬ。水のまことの清さ、まことの明《あか》さを知らんと欲せば、この海を見ざるべからず。舷に倚りて水を望めば、一塊の石、一叢の藻、歴々として數ふべく、晴れたる日の空氣といへども、恐らくはこの玲瓏《れいろう》透徹なからんとぞおもはるゝ。
カプリの島は唯だ一面の近づくべきあるのみ。その他は皆|削《けづ》り成せる斷崖にして、その地勢拿破里に向ひて級を下るが如く、葡萄圃と橘柚《オレンジ》橄欖《オリワ》の林とは交る/″\これを覆へり。岸に沿へる處には、數軒の蜑戸《たんこ》と一棟《むね》の哨舍《ばんごや》とを見る。稍※[#二の字点、1-2-22]《やゝ》高き林木の間に、屋瓦の叢《そう》を成せるはアンナア、カプリイの小都會なり。一橋一門ありてこれに通ず。一行は棕櫚《しゆろ》の木立てるパガアニイが酒店の前に歩を留めつ。
我等はこゝに朝餐《あさげ》して、公子夫婦は午時《ひるどき》まで休憩し、それより驢《うさぎうま》を倩《やと》ひてチベリウス[#「チベリウス」に傍線]帝の別墅《べつしよ》の址《あと》を訪はんとす。われは憩はんこゝろなければ、ジエンナロと共に此島を一周し、南に突き出でたる大石門をも見ばやとて、漕手二人を呼び、岸なる舟に乘り遷《うつ》りぬ。
風少し起りたれば、我等は行程の半ばばかり帆の力に頼ることを得べし。巖壁に近き處には、漁人の網を張りたるあれば、舟はこれを避けて沖の方に進みぬ。既にして奇景の人目を驚すに足るものあるを見る。灰色なる巨石の直立すること千丈なるあり。その頂は天を摩し、所々僅に一石塊を容《い》るべき罅隙《かげき》を存じて、蘆薈《ろくわい》若くは紫羅欄《あらせいとう》これに生じたり。青き焔の如き波に洗はれたる低き岩根には、紅殼《べにがら》の毛星族《まうせいぞく》(クリノイデア)いと繁《しげ》く着きたるが、その紅の色は水を被《かぶ》りて愈々紅に、岩石の波に觸れて血を流せるかと疑はる。
既にして我等は海を右にし島を左にする處に至りぬ。水を呑吐する大小の窟《いはや》許多《あまた》ありて、中には波の返す毎に僅かに其天井を露《あらは》すあり。こは彼妙音の女怪のすみかにして、草木繁茂せるカプリの島は唯だこれを蓋《おほ》へる屋上《やね》たるに過ぎざるにやあらん。
漕手の一人なる白髮の翁のいふやう。這裏《このうち》には惡しきもの住めり。人若し過《あやま》ちて此門に入るときは、多くは再びこれを出づることを得ず。その或は又出づるものは、痴なるが如く狂せるが如く、復《ま》た尋常人間の事を解せずといふ。往手《ゆくて》のかたに稍※[#二の字点、1-2-22]大なる一窟あり。されど若し舟に棹《さを》さしてこれに入らんとせば、帆を卸《おろ》し頭を屈するも、猶或は難からんか。柁《かぢ》取りの年|少《わか》き男のいふやう。これ魔窟なり。黄金珠玉その内にみち/\たれど、これを探らんとするものは妖火のために身を焚《や》かる。げにいふだに恐ろしき事なり。尊きルチアよ、(サンタ、ルチア)我を護り給へといふ。ジエンナロ。彼妙音の女怪の一人此舟の中に來ぬこそ殘惜しけれ。その容色はいと好しとぞ聞く。さるものを待遇せんは、わが徒《ともがら》の難《かた》んぜざるところぞ。われ。おほよそ女といふ女のおん身の言に從はぬはあらざるべければ、化《け》しやうのものなりとも、其數には洩れぬなるべし。ジエンナロ。接吻し囘抱するは波濤《はたう》の常態なれば、その上に泛《うか》べるものも之に倣《なら》ふべき筈ならずや。責《せめ》ては彼アマルフイイの女房をなりとも、共に載せて來べかりしものを。げに得易からぬ女なり。然《しか》おもひ給はずや。おん身も一たびは彼唇の味を試み給ひぬ。われはその人前にておとなしぶりたるを怪しとおもふなり。憾《うら》むらくはおん身はその夜のさまを見給はざりき。その迎ふる情の熱さは我が送る情の熱きに讓らざりき。ジエンナロが此詞は遂に我をして耐へ忍ぶこと能はざらしむるに至りぬ。我はいと冷かに、されどわが彼《かの》夕見しところは、いたくおん詞と違《たが》へりといひぬ。ジエンナロは驚きたる面持《おももち》して、暫し我顏を打ち守りつゝ、何とかいふ、おん身の詞は解《げ》し難しと問ひ返しつ。われ重ねて、おん身の女子にもてはやされ給ふべきをば、われ露ばかりも疑はねど、彼夕はわれふと同じ處に落ち合ひてまことのさまを目撃したり、さればわれは始よりおん身の詞の戲言《ざれごと》なるべきを知りぬといふ。ジエンナロは猶|訝《いぶか》しげに我顏を見て一語をも出さゞりき。われ微笑《ほゝゑ》みつゝジエンナロが前夜の口吻を眞似《まね》て、おん身のけふ我に惜みて彼馬鹿者に與へ給ひし接吻を取返さでは歸らずといひたり。ジエンナロの面は血色全く失せて、さてはおん身は立聞せしか、おん身は我を辱《はづかし》めたり、我と決鬪せよといふ。其聲|極《きはめ》て冷《ひやゝか》に、極てあらゝかなりき。わが實を述べたる一語の、此の如く渠《かれ》を激せんことは、わが預期せざる所なりき。われは徐《しづ》かに、ジエンナロよ、そはよも眞面目なる詞にはあらじといひて、其手を握りしに、ジエンナロは手を引き面を背《そむ》け、舟人に陸《くが》に着けよと命ぜり。老いたる方の漕手答へて、舟を停むべきところは、さきに漕ぎ出でしところの外|絶《たえ》て無ければ、是非とも島を一周せでは叶はずといひつゝ、※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]《ろ》を搖《うごか》す手を急にしたり。舟は深碧の水もて繞《めぐら》されたる高き岩窟《いはや》に近づきぬ。ジエンナロは杖を揮《ふる》ひて舷側の水を打てり。われは且怒り且悲みて、傍より其面を打ち目守《まも》りぬ。爾時《そのとき》年|少《わか》き漕手いと慌《あわた》だしく、龍卷(ウナ、トロムバ)と叫べり。その瞠視《みつめ》たる方を見れば、ミネルワの岬より起りて、斜に空に向ひて竪立《じゆりつ》せる一道の黒雲あり。形は圓柱の如く、色は濃墨の如し。その四邊《あたり》の水、恰も鍋中の湯の滾沸《こんふつ》せるが如くなり。ジエンナロはいづかたに避くるかと問へり。少年は後々《あと/\》といへり。われ。されば又全島を巡らんとするか。少年。風なき方の岩に沿うて漕がん。龍卷は島を離れて走る如し。翁。此小舟の若し岩に觸れて碎けずば幸なり。語未だ畢らず、龍卷の嚮《むき》は一轉せり。一轉して吾舟の方に進めり。その疾《と》きこと※[#「風にょう+(犬/(犬+犬))、第4水準2-92-41]風《へうふう》の如し。舟若し高く岩頭に吹き上げられずば、必ず岩根に傍《そ》ひて千尋《ちひろ》の底に壓《お》し沈めらるべし。われは翁と共に※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]《ろ》を握りつ。ジエンナロ瀾は既に我等の脚下に翻《ひるがへ》れり。二人の漕手は異口同音に、尊きルチア、助け給へと叫びつゝ、※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]を捨てゝ跪拜せり。ジエンナロ聲を勵《はげま》して、など※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]を捨つると叱すれども、二人は喪心せるものゝ如く、天を仰いで凝坐《ぎようざ》す。われは忽ち乘る所の舟の、木葉の旋風に弄《もてあそ》ばるる如きを覺え、暗黒なる物の左舷に迫るを視、舟は高く高く登り行けり。飛瀑の如き水は我頭上に灌《そゝ》ぎ、身は非常なる氣壓の加はるところとなりて、眼中血を迸《ほとばし》らしめんと欲するものゝ如く、五官の能既に廢して、わが絶えざること縷《いと》の如き意識は唯だ死々と念ずるのみ。われは終に昏絶《こんぜつ》せり。
夢幻境
わが再び眼を開きし時の光景は、今猶目に在ること、彼壯大なる火山の活畫の如く、又彼沈痛なるアヌンチヤタの別離の記念の如し。我身を繞《めぐ》れるものは、八面皆碧色なる※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]氣《かうき》にして、俯仰《ふぎやう》の間|物《もの》として此色を帶びざるはなかりき。試みに臂《ひぢ》[#「臂」は底本では「臀」]を擧ぐれば、忽ち無數の流星の身邊に飛ぶを見る。われは身の既に死して無際空間の氣海に漂へるを覺えたり。我身は將《まさ》に昇りて天に在《ま》せる父の許《もと》に往かんとす。然るに一物の重く我頭上を壓するあり。是れ我罪障なるべし。此物はわが昇天を妨げ、我身を引いて地に向へり。而して冷なること海水の如き※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]氣《かうき》は我|顱頂《ろちやう》の上に注げり。
われは心ともなく手を伸べて身邊を摸《も》し、何物とも知られぬながら、竪き物の手に觸るゝを覺えて、しかとこれに取り付きたり。我疲勞は甚だしく、我身には復《ま》た血なく、我骨には復た髓《ずゐ》なきに似たり。我魂は天上の法廷に招かれ、我骸《わがかばね》は海底に横《よこたは》れるにやあらん。われは纔《わづか》にアヌンチヤタと呼びて、又我眼を閉ぢたり。
われはこの人事不省の境にあること久しかりしならん。既にしてわれは己れの又呼吸するを覺え、我疲勞の稍々恢復すると共に、我意識は稍 々鬯明《ちやうめい》なりき。我身は冷にして堅き物の上に在り。こは一の巨巖の頭なるべし。而して此巖は高く天半に聳えたるものゝ如く、彼の光ある碧色の※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]氣《かうき》のこれを繞《めぐ》れる状《さま》は、前《さき》に見しと殊なることなし。天は碧穹窿をなして我を覆ひ、怪しき圓錐形の雲ありてこれに浮べり。雲の色は天と同じく碧《あを》かりき。四邊|寂《せき》として音響なく、天地皆墓穴の靜けさを現ず。われは寒氣の骨に徹するを覺えたり。われは徐《しづ》かに頭を擡《もた》げたり。我衣は青き火の如く、我手は磨ける銀《しろかね》の如し。されどこの怪しき身の虚《むなし》き影にあらずして、實《じつ》なる形なるは明《あきらか》なりき。我は疲れたる腦髓に鞭うちて、強ひて思議せしめんとしたり。われは眞に既に死したるか、又或は猶生けるか。われは手を展《の》べて身下の碧氣を探りしに、こは冷なる波なりき。されどその我手に觸れて火花を散らす状《さま》は、酒精《アルコール》の火に殊ならず。我側には怪しき大圓柱あり。その形は小なれども、略《ほ》ぼ前《さき》に見つる龍卷に似て、碧き光眼を射たり。こはわが未だ除《のぞ》かざる驚怖の幻出する所なるか、將た未だ滅《き》えざる記念の化現《けげん》する所なるか。暫しありて、われは手をもてこれを摸することを敢てしたるに、その堅くして冷なること石の如くなりき。摸して後邊に至れば、手は堅く滑なる大壁に觸る。その色は暗碧なること夜の天色の如し。
そも/\われは何處にか在る。前に身下に積氣《せきき》ありとおもひしは、燃ゆれども熱からざる水なりき。我四圍を照すものは、彼燃ゆる水なるか、さらずば彼穹窿と巖壁と皆自ら光を放つものなるか。こは幽冥の境なるか、わが不死の靈魂の宅なるか。われは現世に此の如き境ありとおもふこと能はず。凡そ身邊の物、一として深淺種々の碧光を放たざることなく、我身も亦内より碧火を發して、その光明は十方を照すものの如し。
身に近き處に大石級あり。琅※[#「王+干」、第3水準1-87-83]《らうかん》もて削《けづ》り成せるが如し。これに登らんと欲すれば、巖扉|密《みつ》に鎖して進むべからず。推《すゐ》するに、こは天堂に到る階級《きざはし》にして、其門扉は我が爲めに開かざるならん。我は一人の怒を齎《もたら》して地下に入りぬ。ジエンナロはいかにしたるぞ、又二人の舟人はいかにしたるぞ。
われは獨り此境に在り。我母を懷《おも》ひ、ドメニカをおもひ、フランチエスカの君をおもひ、我記憶の常に異ならざるを知りぬ。さればわが見る所のものは、必ず幻影に非ざるならん。我は故《もと》の我なり。只だ在るところの境の幽明いづれに屬するかを辨ずること能はざるのみ。
彼邊の壁に罅隙《かげき》ありて、一の大なる物を安んず。手もて摸すれば銅の鉢《はち》なり。その内には金銀貨を盛りて溢れんと欲す。われは此異境の異の愈々益 々 甚しきを覺えたり。
地平線に接する處に、我身を距ること甚だ遠からず、青光まばゆき一星ありて、その清淨なる影は波面《なみのも》に長き尾を曳けり。われは俄に彼星の、譬へば日月の蝕《しよく》の如く、其光を失ふを見たり。既にして黒き物の其前に現るゝあり。諦視《ていし》すれば、一葉の舟の、海底より湧き出でもしたらん如く、燃ゆる水の上を走り來るにぞありける。
その漸く近づくを候《うかゞ》へば、靜かに※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]《ろ》を搖《うごか》すものは一人の老翁なり。※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]の一たび水を打つごとに、波は薔薇花紅《ばらいろべに》を染め出せり。舟の舳《へさき》に一人の蹲《うづくま》れるあり。その形女子《をみなご》に似たり。舟は漸く近づけども、二人は口に一語を發せず、その動かざること石人の如く、動くものは唯だ翁が手中の※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]のみ。忽ち聲ありて、一の長大息の如く、我耳に入り來りぬ。その聲は曾《かつ》て一たび聞けるものゝ如くなりき。
舟は岸に近づきて圈《わ》を劃《ゑが》き、我が起《た》ちて望める邊《ほとり》に漕ぎ寄せられたり。翁が手は※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]を放てり。女子はこの時もろ手高くさし上げて、哀《あはれ》に悲しげなる聲を揚げ、神の母よ、我を見棄て給ふな、我は仰を畏みてこゝに來たりと云へり。われは此聲を聞きて一聲ララと叫べり。舟中の女子は彼ペスツム古祠の畔なる瞽女《ごぜ》なりしなり。
ララは我に對《むか》ひて起ち、聲振り絞りて、我に光明を授け給へ、我に神の造り給ひし世界の美しさを見ることを得させたまへと祈願したり。その聲音《こわね》は尋常《よのつね》ならず、譬へば泉下の人の假に形を現して物言ふが如くなりき。我即興詩は漫《みだ》りに混沌の竅《あな》を穿《うが》ちて、少女に宇宙の美を教へき。今や少女は期《ご》せずして我前に來り、我に眼を開かんことを請《こ》へり。われは少女の聲の我心魂に徹するを覺えて、口一語を出すこと能はず、只だ手を少女の方にさし伸べたるのみ。少女は再び身を起して、我に光明を授け給へと唱へかけしが、張り詰めし氣や弛《ゆる》みけん、小舟の中にはたと伏し、舷側《ふなばた》なる水ははら/\と火花を飛しつ。
翁は暫く身を屈して、少女のさまを覗《うかゞ》ひ居たるが、やをら岸に登りて、きと眼を我姿に注ぎ、空中に十字を書し、彼|大銅鉢《だいどうはつ》を抱いて舟中に移し、己も續いて乘りうつれり。われは思慮するに遑《いとま》あらずして、同じく舟に上りしに、翁は我を迎へんともせず、さればとて又我を拒《こば》まんともせず、只だ目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りて我を視るのみ。翁は又|※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]《ろ》を握りて、彼青き星に向ひて漕ぎ行けり。冷なる風は舟に向ひて吹き來れり。舟は巖窟の中に進み入りて、我等の頭は巖に觸んとす。われは身をララ[#「ララ」に傍線]の上に俯したり。忽《たちまち》にして舟は杳茫《えうばう》として涯《かぎり》なき大海の上に出でぬ。頭《かうべ》を囘《めぐら》せば、斷崖千尺、斧もて削り成せる如くにして、乘る所の舟は崖下の小洞穴より濳《くゞ》り出でしなり。
新月の光は怪しきまでに清澄なりき。斷崖の一隅に龕《がん》の形をなしたる低き岸あり。灌木|疎《まばら》に生じて、深紅の花を開ける草之に雜《まじ》れり。岸邊には一隻の帆船を繋げるを見る。翁は小舟を其側に留めしに、少女は期する所ある如く、身を起して我に向へり。われはその手に觸るゝことをだに敢てせずして、心の裡《うち》に我が遇ふ所の夢に非ず幻に非ず、さればとて又|現《うつゝ》にも非ず、人も我も遊魂の陰界に相見るものなるべきを思ひぬ。少女は、いざ藥草を采りて給へと云ひて、右手《めて》を我にさし着けたり。われは鬼に役《えき》せらるるものゝ如く、岸に登りて彼|香《かぐは》しき花を摘み、束ねて少女に遞與《わた》しつ。この時われは堪へ難き疲を覺えて、そのまゝ地上に僵《たふ》れ臥したり。われは猶首を擡《もた》げて、翁が手快《てばや》くララを彼帆船に抱き上げ、わが摘みし花束をも移し載せて、自らこれに乘りうつり、小舟を艫《とも》に結び付けて、帆を揚げて去るを見たり。されど我は身を起すこと能はず、又聲を出すこと能はずして、徒らに身を悶え手を振るのみ。我は死の我心《わがむね》に迫りて、心の裂けんと欲するを覺えたり。
蘇生
かくては性命の虞《おそれ》はあらじとは、始て我耳に入りし詞なりき。われは眼を開いてフアビアニ公子と夫人フランチエスカとを見たり。されど彼語を出しゝは、我手を握りて、眞面目なる思慮ありげなる目を我面に注ぎたる未知の男なりき。我は廣闊にして敞明《しやうめい》なる一室に臥せり。時は白晝《まひる》なりき。われは身の何《いづく》の處にあるを知らずして、只だ熱の脈絡の内に發《おこ》りたるを覺えき。わがいかにして救はれ、いかにしてこゝに來しを審《つまびらか》にすることを得しは、時を經ての後なりき。
きのふジエンナロとわれとの歸り來ざりしとき、人々はいたく心を苦め給ひぬ。我等を載せて出でし舟人を尋ぬるに、こも行方《ゆくへ》知れずとの事なりき。さて島の南岸に沿ひて、龍卷ありしを聞き給ひしより、人々は早や我等の生きて還らざるべきを思ひ給ひぬ。搜索の爲めに出し遣られし二艘の舟は、一はこなたより漕ぎ往き、一はかなたより漕ぎ戻りて、末遂に一つところに落ち合ふやうに掟《おき》てられしに、その舟皆歸り來て、舟も人もその踪跡《そうせき》を見ずといふ。フランチエスカの君は我がために涙を墮し給ひ、又ジエンナロと舟人との上をも惜み給ひぬと聞えぬ。
その時公子の宣給《のたま》ふやう。かくて思ひ棄てんは、猶そのてだてを盡したりといふべからず。若し舟中の人にして、或は浪に打ち揚げられ、或は自ら泅《およ》ぎ着きて、巖のはざまなどにあらんには、人に知られで飢渇の苦艱《くげん》を受けもやせん。いでわれ親《みづか》ら往いて求めんとて、朝まだきに力強き漕手《こぎて》四人を倩《やと》ひ、湊《みなと》を舟出《ふなで》して、こゝかしこの洞窟より巖のはざまゝで、名殘《なごり》なく尋ね給ひぬ。されど彼魔窟といふところには、舟人|辭《いな》みて行かじといふを、公子強ひて説き勸め、草木生ひたりと見ゆる岸邊をさして漕ぎ近づかせしに、程近くなるに從ひて、人の僵《たふ》れ臥したりと覺しきを認め、さてこそ我を救ひ取り給ひしなれ。われは緑なる灌木の間に横はり、我衣は濱風に吹かれて半ば乾きたりしなり。公子は舟人して我を舟に扶《たす》け載せしめ、おのれの外套もて被ひ、手の尖《さき》胸のあたりなど擦《す》り温めつゝ、早く我呼吸の未だ絶え果てぬを見給ひぬといふ。われはかくてこゝに伴はれ、醫師《くすし》の治療を受けつるなりけり。
さればジエンナロと二人の舟人とは魚腹に葬《はうむ》られて、われのみ一人再び天日を見ることゝなりしなり。人々は我に當時の事を語らしめたり。われは光まばゆき洞窟の中に醒《さ》めしを姶とし、目しひたる少女を載せ來し翁に遭へるに至るまで、そのおほよそを語りしに、人々笑ひて、そは熱ある人の寒き夜風に觸れ、半醒半夢の間にありて妄想せるならんといへり。げにわれさへ事の餘りに怪しければ、夢かと疑ふ心なきにしもあらねど、また熟※[#二の字点、1-2-22]《つく/″\》思へばしかはあらじと思ひ返さざることを得ず。かへす/″\も奇《く》しく怪しきは、彼洞天の光景と舟中の人物となり。
我物語を傍聽《かたへぎゝ》せし醫師は公子に向ひ頭を傾けて、さては君の此人を搜し得給ひしは彼魔窟の畔《ほとり》なりけるよといひぬ。公子。さなり。さりとて君は世俗のいふ魔窟に、まことに魔ありとは、よも思ひ給はじ。醫師。そは輒《たやす》く答へまつるべうもあらぬ御尋なり。自然は謎語《なぞ》の鉤鎖《くさり》にして吾人は今その幾節をか解き得たる。
我心は次第に爽かになりぬ。抑※[#二の字点、1-2-22]《そも/\》わが見し洞窟はいかなる處なりしぞ。舟人の物語に、この石門の奧に光りかゞやくところありといひしは、わが漂《たゞよ》ひ着きし別天地を斥《さ》して言へるにはあらざるか。かの怪しき翁の舟の、狹き穴より濳《くゞ》り出しをば、われ明かに記憶せり。夢まぼろしにてはよもあらじ。さらば彼洞窟は幽魂の往來《ゆきき》するところにして、我は一たび其境に陷り、聖母《マドンナ》の惠によりて又|現世《うつしよ》に歸りしにや。われはかく思ひ惑《まど》ひつゝも、わが掌《たなぞこ》を組み合せて彼舟中の少女の上を懷ひぬ。まことに彼少女は我を救へる天使なりき。
年經て我夢の夢に非ざることは明かになりぬ。彼洞窟は今カプリ[#「カプリ」に二重傍線]島の第一勝、否伊太利國の第一勝たる琅※[#「王+干」、第3水準1-87-83]洞《らうかんどう》(グロツタ、アツウラ)にして、舟中の少女も亦實にかのペスツムの瞽女《ごぜ》ララ[#「ララ」に傍線]なりしなり。
歸途
公子夫婦は我を率《ゐ》て拿破里《ナポリ》に歸らんために、猶カプリに留まること二日なりき。二人の我を待つ言動は、始の程こそ屡々我感情を傷《そこな》ふこともありつれ、遭難の後病弱の身となりては、親族にも稀なるべき人々の看護の難有《ありがた》さ身にしみて、羅馬へ伴ひ行かんと云はるゝが嬉しとおもはるゝやうになりぬ。そが上かの洞窟の内に遭遇せし怪異と、萬死を出でゝ一生を獲たる幸とは、いたくわが興奮したる腦髓を刺戟して、我をして無形の威力の人の運命を左右することの復た疑ふべからざるを思はしめぬれば、我は公子夫婦の羅馬へ往けと勸め給ふを聞きても、又直ちにその聲を以て運命の聲となさんとしたり。わが健康の漸く故《もと》に復《かへ》らんとする頃、公子夫婦は又我床頭にありて、何くれとなく語り慰め給ひき。夫人。アントニオよ。おん身の往方《ゆくへ》まだ知れざりし程は、我等は屡々おん身の爲めに泣きぬ。おん身の不思議に性命を全うせしは、聖母の御惠なりしならん。今はおん身情|強《こは》きも、よも再び拿破里に住みて、ベルナルドオと面をあはせんとは云はぬならん。公子。そは勿論なるべし。われ等は只だ羅馬に伴ひ歸りて、曾て過《あやまち》ありしアントニオは地中海の底の藻屑となりぬ、今こゝに來たるはその昔幼く可哀《かは》ゆかりしアントニオなりと云はん。夫人。さるにても便《びん》なきはジエンナロなり。才も人に優れ情《なさけ》も深かりしものを、いかなれば神は末猶遠き此人の命を助けんとはし給はざりけん。惜みても餘あることならずやなど宣給《のたま》へり。
醫師《くすし》は屡々病牀をおとづれて、數時間を我室に送れり。この人は拿破里に住みて、いまは用事ありて此カプリに來居《きゐ》たるなりといふ。第三日に至りて、醫師我を診して健康の全く故《もと》に復《かへ》りたるを告げ、己れも我等の一行と共に歸途に就きぬ。醫師の我を健全なりといふは、形體上より言へるにて、若し精神上より言はゞ、われは自ら我心の健全ならざるを覺えき。わが少壯の心は、かの含羞草《ねむりぐさ》といふものゝ葉と同じく萎《しぼ》み卷きて、曩《さき》に一たび死の境界に臨みてよりこのかた、死の天使の接吻の痕は、猶明かに我額の上に存せり。公子夫婦の我と醫師とを引き連れて舟に上り給ふとき、我は澄み渡れる海水を見下《みおろ》して、忽ち前日の事を憶ひ起し、激しく心を動したり。今日影のうらゝかに此積水の緑を照すを見るにつけても、我は永く此底に眠るべき身の、恙《つゝが》なくて又此天日の光に浴するを思ひ、涙の頬に流るゝを禁ずること能はざりき。人々は皆優しく我を慰めたり。フランチエスカの君は我才を稱へ、我を呼びて詩人となし、醫師に我が拿破里の劇場に上りて、即興詩を歌ひしことを語り給ひしに、醫師驚きたる面持《おももち》して、さてはかの謳者《うたひて》は此人なりしか、公衆の稱歎は尋常《よのつね》ならざりき、重ねて技《わざ》を演じ給はゞ、世に名高き人ともなり給はんものをなどいへり。風の餘り好かりければ、初めソレントオより陸《くが》に上るべかりし航路を改め、直ちに拿破里の入江を指して進むことゝなりぬ。
われは拿破里の旅寓《はたご》に入りて、三通の書信に接したり。その一は友人フエデリゴが手書なり。フエデリゴはきのふイスキアの島に遊び、三日の後ならでは還らずとの事なりき。明日《あす》の午頃には人々こゝを立たんと宣給《のたま》へば、われはこの唯だ一人なる友にだに、暇乞《いとまごひ》することを得ざらんとす。その二はわが宿を出でし次の日に來しものなる由、房奴《カメリエリ》われに語りぬ。これを讀むに唯だ二三行の文あり。心誠なるものゝおん身の爲め好かれとおもへるありて、今宵おん身の來まさんことを願ふとのみ書きて、末に昔の友なる女と署し、會合の家を指し示せり。其三はこれと同じ手して書けるものなり。その文左の如くなりき。
よしなき御疑念など起し給はで、御出下されかしと、ひたすら御待申上候。御別申上候節は、實に思ひ掛けぬ事にて、胸騷ぎ魂消えて、申上ぐべき詞をもえ辨《わきま》へ侍らざりしかど、今は御許にても、あわたゞしかりし當時の事を思ひ棄て給ひつらんと存じ候。御許にて思ひ違《たが》へ給ひしにはあらずやと思はるゝ節も候へども、そはすべて御目にかゝりたる上にて申解くべく候。只だ一刻も早く御目にかゝり度御待申上ぐるより外無御座《ほかござなく》候。かしこ。
末には又昔の友なる女と署したり。會合の家は知らぬ巷《ちまた》に在れど、サンタならではかゝる文書くべき婦人あるべうもあらず。われは今更彼婦人に逢ひて何とかすべきと思ひぬれば、御返事もやあると促《うなが》しに來し男を呼び入れて、詞短かにいひぬ。われは遽《には》かに思ひ定むる事ありて、拿破里を去らんとす。今までの厚き御惠は誓ひて忘れ侍らじ。御目に掛かりて御暇乞すべきなれど、あわたゞしき折なれば、唯だこの由御使に申すなりといひぬ。フエデリゴには數行の書を作りて遺し置きつ。その概略《あらまし》は今物書くべき心地もせねば、精《くはし》しき事の顛末をば、羅馬に到り着きて後にこそ告ぐべけれ、手を握らで別れ去ることの心苦しさを察せよといふ程の意《こゝろ》なりき。
暇乞にとては、何處へも往かざりき。街上にてベルナルドオの面を見んことの影護《うしろめた》く、又此地に來てより交を結びし人には、相見んことの願はしくもあらねば、われは旅寓の一室にたれこめて此日を暮さんとおもひ居たり。さるを公子の車を誂へ置きたれば、共に醫師の家訪はずやと宣給ふがことわりなれば、隨ひて行きぬ。小く心安げなる家にて、年|長《た》けたる姉の家政を掌《つかさど》れるあり。質直なる性質眉目の間に現はれて、むかしカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野邊にありける時、鞠育《きくいく》の恩を受けしドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]に似たるところあり。されど此は教育ある人なれば、起居振舞のみやびやかなる、いろ/\なる藝能ある抔《など》、日を同じうして語るべくもあらざるなるべし。
翌朝われは先づヱズヰオ]の山を仰ぎ見て別を告げたり。嶺《いたゞき》は深く烟霧の裏《うち》に隱れて、われに送別の意を表せんともせざる如し。是日《このひ》海原はいと靜にして、又我をして洞窟と瞽女《ごぜ》との夢を想はしむ。嗚呼《あゝ》、此拿破里の市も、今よりは同じ夢中の物となり了《をは》るならん。
房奴《カメリエリ》はけふの拿破里日報(ヂアリオ、ヂ ナポリ)を持ち來りぬ。披《ひら》きて見れば、我《わが》假名《けみやう》あり。さきの日の初舞臺の批評なりき。いかなる事を書けるにかと、心|忙《せは》しく讀みもて行くに、先づ空想の贍《ゆたか》にして、章句の美しかりしを稱《たゝ》へ、恐らくは是れパンジエツチイの流を酌《く》めるものにて、摸倣の稍々甚しきを嫌ふと斷ぜり。パンジエツチイといふ人はわれ夢にだに見しことあらず。われは唯だ我天賦の情に本《もと》づきて歌ひしなり。想ふに彼批評家といふものは、おのれ常に摸擬の筆を用ゐるより、人の藝術も亦|然《しか》ならんと思へるにやあらん。末の方には例に依りて、奬勵の語を添へたり。いはく。此人終に名を成すべき望なきにあらず、今の見る所を以てするも、猶非凡なる材能たることを失はざるべし、空想感情靈應の諸性具備したりと見ゆればなりとあり。此評は惡しき方にはあらねど、當日の公衆の喝采に比ぶるときは、その冷かなること著《いちじる》しとおもはる。われは此新聞紙を疊みて行李の中に藏《をさ》めたり。そは他年わが拿破里の遭遇の悉く夢ならぬを證せん料《しろ》にもとてなり。嗚呼、われ拿破里を見たり、拿破里の市を彷徨《はうくわう》せり。わが得しところそも幾何《いくばく》ぞ、わが失ひしところはたそも幾何ぞ。知らず、フルヰアの預言は既に實現し盡せりや否や。
われ等は拿破里を出立《いでた》ちたり。葡萄栽ゑたる丘陵は見る/\烟雲の間に沒せり。一行は羅馬に向ひて行くこと四日なりき。わが行くところの道は、二月の前にフエデリゴ、サンタの二人と與《とも》に行きし道なりき。モラの旅亭に來て見れば、柑子の林は今花の眞盛なり。われは再び我《わが》祕言《ひめごと》をサンタに偸《ぬす》み聽かれし木蔭に立寄りたり。人の離合聚散の測り難きこと、また今更に驚かれぬ。イトリの狹隘を過ぐる時、われはフエデリゴが上を憶ひ起しつ。旅劵を閲《けみ》する國境には、けふも洞穴の中に山羊の群をなせるあり。されどフエデリゴが筆に上りし當時の牧童は見えざりき。
一行はテルラチナに宿りぬ。夜明くれば天氣晴朗なりき。あはれ、美しき海原よ。汝は我を懷抱し我をゆり動かして、我にめでたき夢を見させ、我をかう/″\しきララに逢はせき。今はわれ汝に別れんとぞすなる。水の天に接する處には、猶エズヰオの山の雄々しき姿見えて、立昇る烟の色は淡き藍色を成し、そのさま清明にして而《しか》も幽微に、譬へば霞を以て顏料となし、かゞやく空の面《おも》に畫ける如し。われは大息《といき》して呼べり。さらば/\、いで我は羅馬に入らん。我墓穴は我を待つこと久し。
われは曾て怪しき媼《おうな》フルヰアとさまよひありきし山を望みき。われはジエンツアノ市を過ぎて、我母の車に觸れてみまかり給ひし廣こうぢを見き。路の傍なる乞兒《かたゐ》は我衣服の卑しからぬを見て、われを殿樣《エツチエレンツア》と呼べり。むかし母に手を拉《ひ》かれて祭を見し貧家の子幸《さち》ありといはんか、今ボルゲエゼ家の賓客となりて歸れる紳士幸ありといはんか、そは輒《たやす》く答へ難き問なるべし。
一行はアルバノ[の山を踰《こ》えたり。カムパニアの曠野《ひろの》は我前に横《よこたは》れり。道の傍なる、蔦蘿《つたかづら》深く鎖《とざ》せるアスカニウスの墳《つか》は先づ我眼に映ぜり。古墓あり、水道の殘礎あり、而して聖彼得《サン、ピエトロ》寺の穹窿天に聳えたる羅馬の市は、既に目睫《もくせふ》の中に在り。(アスカニウスは昔アルバ、ロンガの基を立てし人なり。是れ拉甸《ラテン》人の始めて市を成せる處にして、後の羅馬市はこれより生ぜりといふ。)
車の聖《サン》ジヨワンニイの門(ポルタ、サン、ジヨワンニイ)より入るとき、公子は我を顧みて、いかに樂しき景色にはあらずやと宣給へり。「ラテラノ」の寺、丈長き尖柱《オベリスコス》、「コリゼエオ」の大廈《たいか》の址《あと》、トラヤヌスの廣こうぢ、いづれか我舊夢を喚び返す媒《なかだち》ならざる。
羅馬は拿破里の熱鬧《ねつたう》に似ず。コルソオの大路は長しと雖、繁華なるトレドの街と異なり。車の窓より道行く人を覗ふに、むかし見し人も少からず。老いたる教師ハツバス・ダアダアのボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]家の車の章《しるし》に心づきて、蹣跚《まんさん》たる歩を住《とゞ》め我等を禮《ゐや》したるは、おもはずなる心地せらる。コンドツチイ街(ヰヤ、コンドツチイ)の角を過ぐれば、むかしながらのペツポが手に屐《あしだ》まがひの木片《きぎれ》を裝ひて、道の傍に坐せるを見る。
フランチエスカの君の、やう/\我家に歸り着きぬと宣給ふに答へて、まことにさなりと云ひつゝも、我は心の内に名状し難き感情の迫り來るを覺えき。我は今曾て訣絶の書を賜ひし舊恩人を拜せざるべからず。その待遇は果していかなるべきか。我はこゝに至りて、復たこれを避けんと欲することなく、却りて二馬の足掻《あがき》の猶《なほ》太《はなは》だ遲きを恨みき。譬へば死の宣告を受けたるものゝ、早く苦痛の境を過ぎて彼岸に達せんことを願ふが如くなるべし。
車はボルゲエゼの館《たち》の前に駐《と》まりぬ。僮僕《しもべ》は我を誘《いざな》ひて館の最高層に登り、相接せる二小房を指して、我行李を卸《おろ》さしめき。
少選《しばし》ありて食卓に呼ばれぬ。われは舊恩人たる老公の前に出でゝ、身を僂《かゞ》めて拜せしに、アントニオが席をば我とフランチエスカとの間に設けよと宣給ふ。是れ我が久し振にて耳にせし最初の一語なりき。
會話の調子は輕快なりき。われは物語の昔日の過《あやまち》に及ばんことを慮《おもんぱか》りしに、この御館《みたち》を遠ざかりたりしことをだに言ひ出づる人なく、老公は優しさ舊に倍して我を※[#「疑のへん+欠」、第3水準1-86-31]待《もてな》し給ひぬ。されどわれは此一家の復た我に厚きを喜ぶと共に、人の我を恕するは我を輕んずる所以《ゆゑん》なるを思ふことを禁じ得ざりき。
教育
ボルゲエゼ家の宮殿は今わが居處となりぬ。人々の我をもてなし給ふさまは、昔に比ぶれば優しく又親しかりき。時として我を輕んずるやうなる詞、我を侮《あなど》るやうなる行《おこなひ》なきにしもあらねど、そはわが爲め好かれとて言ひもし行ひもし給ふなれば、憎むべきにはあらざるなるべし。
夏は人々暑さを避けんとて餘所《よそ》に遷《うつ》り給へば、われ獨り留まりて大廈の中にあり。涼しき風吹き初《そ》むれば人々歸り給ふ。かく我は漸く又此境遇に安んずることゝなりぬ。
我は最早カムパニアの野の童《わらは》にはあらず。最早當時の如く人の詞といふ詞を信ずること、宗教に志篤き人の信條を奉ずると同じきこと能はず。我は最早「ジエスヰタ」派學校の生徒にはあらず。最早教育の名をもてするあらゆる束縛を甘んじ受くること能はず。さるを憾《うら》むらくは人々、猶我を視ることカムパニアの野の童、「ジエスヰタ」派學校の生徒たる日と異ならざりき。此間に處して、我は六とせを經たり。今よりしてその生活を顧みれば、波瀾層疊たる海面を望むが如し。好くも我はその波濤の底に埋沒し畢《をは》らざりしことよ。讀者よ、わが物語を聞くことを辭《いな》まざる讀者よ。願はくは一氣に此一段の文字を讀み去れ。われは唯だ省筆を用ゐて、その大概を敍して已みなんとす。
この六年《むとせ》の歴史はわが受けし精神上教育の歴史なり。この教育は人の師たるを好むものゝことさらに設けたる所にして、不便《ふびん》なる我はこれを身に受けざること能はざりしなり。人々は我を善人とし、我に棄て難き機根ありとして、競ひて自ら教育の任を負へり。恩人はその恩を以て我に臨みて我師たり。恩人ならぬ人はわが人好《ひとよ》きに乘じて僭《せん》して我師となれり。我は忍びて無量の苦を受けたり。そは教育といふを以ての故なり。
主公はわが學の膚淺《ふせん》なるを責め給へり。我はいかに自ら勵まんも、わが一書を讀みたる後、何物か我胸中に殘れると問はゞ、そはたゞ其卷册の裡より我心に適《かな》へるものを抽《ぬ》き出し得たりといふのみにて、譬へば蜂の百花の上に翼を休めて、唯だ一味の蜜を探らんが如くなるべし。こは老侯の喜び給ふところにあらざりしなり。家の常の賓客《まらうど》、その他われを愛すといふ人々には、おの/\その理想ありて、われを測るにその合理想《がふりさう》の尺度をもてす。人々いかでかわが成績に甘んずることを得ん。數學者はアントニオあまりに空想に富みて、冷靜の資なしと云ひ、儒者はアントニオの拉甸《ラテン》語に精《くは》しからざることよと云ひ、政治家は稠人《ちうじん》の前にありて、ことさらに我に問ふにわが知らざるところの政治上の事をもてし、われを苦めて自ら得たりとし、遊戲をもて性命とせる貴公子は、また我と馬相を論じて、わが馬を愛することの己れの身を愛するごとくならざるを怪み、貴族にして毒舌ある一婦人の、まことは人に超えたる智あるにあらずして、漫《みだ》りに批評に長ぜりと稱せられたるは、また我詩稿を刪潤《さんじゆん》せんと欲し、我に一枚づゝ寫して呈せんことを求めたり。その外、ハツバス・ダアダアの如く、むかし有望の少年たりしわが、今才盡き想涸れたるを歎ずるものあり、舞踏を善くする某《なにがし》の如く、わが舞場に出でゝ姿勢の美を闕《か》くを憾《うら》むものあり、文法に精しき某の如く、わが往々|讀《とう》に代ふるに句を以てするを難ずるものあり。就中《なかんづく》フランチエスカの君は、もろ人の我を襃むるに過ぎて、わが慢心のこれがために長ずべきを惜むとて、毎《つね》に峻嚴と威儀とをもて我に臨まんとし給へり。おほよそ此等の毒は滴々《てき/\》我心上に落ち來りて、われは我心のこれが爲めに硬結すべきか、さらずば又これが爲めにその血を瀝《したゝ》らし盡すべきをおもひたりき。
我心は一物に逢ふごとに、その高尚と美妙との方面よりして強く刺戟せられ深く悦懌《えつえき》す。われは獨り閑室に坐するとき、首《かうべ》を囘《めぐら》して彼の我師と稱するものを憶ふに、一種の奇異なる感の我を襲ひ來るに會ひぬ。世界は譬へば美しき少女《をとめ》の如し。その心その姿その粧《よそほひ》は、わが目を注ぎ心を傾くるところなり。さるを靴工は、彼の穿《は》ける靴を見よ、その身上第一の飾はこれぞと云ひ、縫匠《ほうしやう》は、否、彼の着たる衣を見よ、その裁ちざまの好きことよ、その色あひを吟味し、その縫際《ぬひめ》に心留むるにあらでは、少女の姿を論ずべからずと云ひ、理髮師は、否々、彼の美しき髮のいかに綰《わが》ねられたるかを見ずやと云ひ、語學の師はその會話の妙をたゝへ、舞の師はその擧止のけだかさを讚む。彼の我師と稱するものは、この工匠等に異ならず。されどわれ若し憚《はゞか》ることなくして、人々よ、我も一々の美を見ざるにあらねど、我を動かすものは彼に在らずしてその全體の美に在り、是れ我職分なりと曰《い》はゞ、人々は必ず陽《あらは》に、げに/\我等の教ふるところは汝詩人の目の視るところより低かるべしと曰ひつゝ、陰《ひそか》に我愚を笑ふなるべし。
天地の間に生物《せいぶつ》多しと雖、その最も殘忍なるものは蓋《けだ》し人なるべし。われ若し富人ならば、われ若し人の廡下《ぶか》に寄るものならずば、人々の旗色は忽ちにして變ずべきならん。人々の聰明ぶり博識ぶりて、自ら處世の才《ざえ》に長《た》けたりげに振舞ふは、皆我が食客たるをもてにあらずや。我は泣かまほしきに笑ひ、唾せんと欲して却《かへ》りて首を屈し、耳を傾けて俗士婦女の蝋を嚼《か》むが如き話説を聽かざるべからず。所謂《いはゆる》教育は果して我に何物をか與へし。面從|腹誹《ふくひ》、抑鬱不平、自暴自棄などの惡癖|陋習《ろうしふ》の、我心の底に萌《きざ》しゝより外、又何の效果も無かりしなり。
十の指は我があらゆる暗黒面を指し、却りて我をして我に一光明面なしや否やを思はしめ、我をして自ら己の長を覓《もと》め、自ら己の能を衒《てら》はしめたり。而して彼指は又この影を顧みて自ら喜ぶ情を指して、更に一の暗黒面を得たりとせり。
人々はわが我見《がけん》の強くして固きを難ぜり。政治家のわが我見を責むるは、われ心を政況に委《ゆだ》ねざればなり、馬を愛《め》づる貴公子のわが我見を責むるは、われ馬を品し馬に乘りて居諸《きよしよ》を送ること能はざればなり、曾て又一少年の審美學の書《ふみ》に耽《ふけ》るものありしが、其人は我にいかに思惟し、いかに吟詠し、いかに批評すべきを教へ、一朝わがその授くる所の規矩に遵《したが》はざるを見るに及びては、忽《たちまち》又わが我執《がしふ》を責めたり。こはわが我執あるにはあらで、人々の我執あるにはあらざるか。そを翻《ひるがへ》りてわれ我執ありといふは、わが人の恩蔭を被りたる貧家の孤《みなしご》たるを以てにあらずや。
名よりして言はんか、我は貴族にあらず。されど心よりして觀んか、我|豈《あに》賤人ならんや。されば我は人に侮蔑せらるゝごとに、必ず深き苦痛を忍べり。いかなれば我は赤心を棒げて人々に依頼せしに、人々は我をして鹽の柱と化すること彼ロオト(亞伯拉罕《アブラハム》の甥《をひ》)が妻の如くならしめしぞ。是に於いてや、悖戻《ぼつれい》の情は一時我心上に起り來りて、自信自重の意識は緊縛をわが恆《つね》の心に加へ、此緊縛の中よりして、増上慢の鬼は昂然として頭を擡《もた》げ、我をして平生我に師たる俗客を脚底に見下さしめ、我耳に附きて語りて曰はく。汝の名は千載の後に傳へらるべし。彼の汝に師たるものゝ名は、これに反して全く忘らるべし。縱令《たとひ》忘られざらんも、その偶々《たま/\》存ずるは汝が囹圄《れいご》の桎梏《しつこく》として存じ、汝が性命の杯中に落ちたる毒藥として存ずるならんといふ。われはタツソオの上をおもへり。矜持《きようぢ》せるレオノオレよ。驕傲《けうがう》なるフエルララの朝廷よ。その名は今タツソオによりて僅に存ずるにあらずや。當時の王者の宮殿は今瓦石の一|堆《たい》のみ、その詩人を拘禁せし牢舍《ひとや》は今巡拜者の靈場たりなどゝおもへり。此の如き心の卑むべきは、われ自ら知る。されど所謂教育は我をして此の如き心を生ぜしめざること能はず。われ若し彼教育を受けて、此心をだに生ぜざりせば、われは性命を保ちて今に到るに由なかりしなり。わが潔白なる心、敬愛の情は、一言の奬勵、一顧の恩惠を以て雨露となしゝに、人々は却りて毒水を灌《そゝ》ぎてこれを槁枯《かうこ》せしめしなり。
今の我は最早昔の如き無邪氣の人ならず。さるを人々は猶無邪氣なるアントニオと呼べり。今の我は斷えず書《ふみ》を讀み、自然と人間とを觀察し、又自ら我心を顧みて己の長短利病を審《つまびらか》にせんとせり。さるを人々は始終物學びせぬアントニオと呼べり。この教育は六年の間續きたり、否、七年ともいふことを得べし。されど六とせ目の年の末には、早く多少の風波の我生涯の海の面に噪《さわ》ぎ立つを見たり。この教育の六年の間、猶書かまほしき事なきにあらねど、今より顧みれば、皆流れて毒水一滴となり了《をは》んぬ。こは門地なく金錢なき才子の常に仰ぎ常に服するところのものにして、此毒水は此類の才子の爲には、人の呼吸するに慣れたる空氣に異ならずともいふべきならん。
われは「アバテ」となりぬ。われは又即興詩人として名を羅馬人の間に知られぬ。そは「チベリナ」學士會院(アカデミア、チベリナ)の演壇の、我が上りて詩稾《しかう》を讀み、又即興詩を吟ずることを許しゝがためなり。されどフランチエスカの君は、會院の吟誦には喝采を得ざるものなしといふをもて、わが自負の心を抑へ給へり。
ハツバス・ダアダアは會院中の最も名高き人なり。その名の最も高きは、その演説し著述することの最も多きがためなり。院内の人々は一人としてハツバス・ダアダアの※[#「こざとへん+匚<夾」、119-上17]陋《けふろう》にして友を排し、褒貶《はうへん》並に過《あやま》てるを知らざるものなし。されど人々は猶この翁の籍を會院に掲ぐるを甘んじ允《ゆる》せり。ハツバス・ダアダアは愈々意を得て、只管《ひたすら》書きに書き説きに説けり。ある日我詩稾を閲《けみ》し、評して水彩畫となし、ボルゲエゼ家の人々に謂ふやう。アントニオに才藻の萌芽ありしをば、嘗て我生徒たりしとき認め得たりしに、惜いかな、其芽は枯れて、今の作り出すところは畸形の詩のみ。アントニオは古の名家の少時の作を世に公《おほやけ》にせしものあるを見て、或はおのれのをも梓行《しかう》せんとすることあらんか。そは世の嘲《あざけり》を招くに過ぎず。願はくは人々彼を諫《いさ》めて、さる無謀の企《くはだて》を思ひ留まらしめ給へとぞいひける。
アヌンチヤタが上はつゆばかりも聞えざりき。アヌンチヤタは我が爲めには隔世の人たり。されどこの女子は死に臨みて、その冷なる手もて我胸を壓し、これをして事ごとに物ごとに苦痛を感ずることよの常ならざらしめしなり。ナポリの旅と當時の記憶とは、なつかしく美しきものながら、今はその美しさの彼《かの》メヅウザに逢ひて化石したるにはあらずやとおもはれたり。(メヅウザは希臘神話中の恐るべき處女神にして、之を視るものは忽ち石に化したりといふ。)煖き巽風《シロツコ》の吹くごとに、われはペスツムの温和なる空氣をおもひ出して意中にララが姿を畫き、ララによりて又その邂逅の處たる怪しき洞窟に想ひ及びぬ。われは彼《かの》物教へんとする賢き男女の人々の間に立ちて、上校の兒童の如くなるとき、心にはむかし賊寨《ぞくさい》にて博せし喝采と「サン、カルロ」座にて聞きつる讙呼《くわんこ》の聲とを思ひ、又人々の我を遇すること極めて冷なるが爲めに、身を室隅に躱《さ》けたるとき、心にはむかしサンタ[#「サンタ」に傍線]がもろ手さし伸べて、我を棄てゝ去らんよりは寧ろ我を殺せと叫びしことをおもひぬ。六とせは此の如くに過ぎ去りて、我齡は二十六になりぬ。
小尼公
フアビアニ公子とフランチエスカ夫人との間に生れし姫君の名をばフラミニアといひぬ。されど搖籃の中にありて、早く神に許嫁《いひなづけ》せさせ給ひしより、人々|小尼公《アベヂツサ》とのみ稱ふることゝなりぬ。この小尼公には、むかし我手にかき抱きて、をかしき畫などかきて慰めまつりし頃より後、再び見《まみ》ゆることを得ざりき。小尼公は教育の爲めにとて、四井街《クワトロ、フオンタネ》の尼寺にあづけられ給ひしより、早や六とせとなりぬ。境内《けいだい》を出で給ふことなく、母君なるフランチエスカの夫人ならでは往きて逢ふことを許されねば、父君すら一たびも面を合せ給ふことあらざりき。われ等は唯だ人傳《ひとづて》に姫君の今は全く人となり給ひて、その學藝をさへ人並ならず善くし給ふを聞きしのみ。
寺の掟《おきて》に依るに、凡そ尼となるものは、授戒に先だてる數月間親々の許に還り居て、浮世の歡《よろこび》を味ひ盡し、さて生涯の暇乞して俗縁を斷つことなり。この時となりて、再び寺に入るとそが儘我家に留まるとは、その女子の意志の自由に委《ゆだ》ぬといへど、そは只だ掟の上の事のみにて、まことは幼きより尼の裝《よそほひ》したる土偶《にんぎやう》を翫《もてあそ》ばしめ、又寺に在る永き歳月の間世の中の罪深きを説きては威《おど》しすかし、寺院の靜かにして戒行の尊きを説きては勸め誘《いざな》ひ、必ず寺に歸り入らしむる習なりとぞ。
是より先きわれは四井街の邊を過ぐるごとに、この尼寺の築泥《ついぢ》の蔭にこそ、わが嘗て抱き慰めし姫君は居給ふなれ、今はいかなる姿にかなり給ひしと、心の内におもひ續けざることなかりき。一日《あるひ》われは尼寺に往きて、格子の奧にて尼達の讚美歌を歌ふを聽きしことあり。あの歌ふ人々の間に小尼公《アベヂツサ》はおはさずやとおもひしかど、流石《さすが》心に咎められて、教子《をしへご》として寺に宿れるものゝ、彼歌樂の群に加はるや否やを問ひあきらむることを果さゞりき。既にしてわれはこのもろ聲の中より、一人の聲の優れて高く又清く、一種言ふべからざる凄切《せいせつ》の調《しらべ》をなせるものあるを聞き出しつ。その聲のアヌンチヤタが聲にいと好く似たりければ、把住《はぢゆう》し難き我空想は忽ちはかなき舊歡の影をおもひ浮べて、彼ボルゲエゼ家の少女の事を忘れぬ。
次の月曜日にはフラミニアこそ歸り來べけれと、老公|宣給《のたま》ひぬ。この詞はあやしく我情を動して、その人と成りしさまの見まほしさはよの常ならざりき。想ふに小尼公も亦我と同じき籠中《こちゆう》の鳥なり。こたび家に歸り給ふは、譬へば先づ絲もてその足を結びおき、暫し籠より出だして※[#「皐+羽」、第3水準1-90-35]翔《かうしやう》せしむるが如くなるべし。傷《いた》ましきことの極《きはみ》ならずや。
わが姫の面を見しは午餐《ひるげ》の時なりき。げに人傳に聞きつる如くおとなびて見え給へど、世の人の美しとてもてはやす類《たぐひ》の姿《すがた》貌《かほばせ》にはあらざるべし。面の色は稍々 蒼かりき。唯だ惠深く情厚きさまの、さながらに眉目の間に現れたるがめでたく覺えられぬ。
食卓に就きたるは近親の人々のみなり。されど一人の姫に我の誰なるを告ぐるものなく、姫も又我面を認め得ざるが如くなりき。さてわれは姫に對《むか》ひてかたばかりの詞を掛けしに、その答いと優しく、他の親族の人々と我との間に、何の軒輊《けんち》するところもなき如し。こは此|御館《みたち》に來てより、始ての※[#「疑のへん+欠」、第3水準1-86-31]待《もてなし》ともいひつべし。
人々は打解けてくさ/″\の物語などし、姫は笑ひ[#「笑ひ」は底本では「答ひ」]給ふ。われは覺えず興に乘じて、その頃羅馬に行はれたりし一口話を語りぬ。姫はこれをも可笑《をか》しとて笑ひ給ふに、外の人々は遽《には》かに色を正して、中にもかゝる味なき事を可笑しとするは何故ならんなどいふ人さへあり。われ。しか宣給《のたま》へど、今語りしは近頃流行の一口話にて、都人士のをかしとするところなるを奈何《いかに》せん。夫人。否、おん身の話は掛詞《かけことば》の類のいと卑しきをさげとせり。人の腦髓のかくまで淺はかなる事を弄ぶことを嫌はざるは、げに怪しき限ならずや。嗚呼、我とても爭《いか》でかことさらに此の如き事のために、我腦髓を役せんや。我は唯だ世の人の多く語るところにして、我が爲めにもをかしとおもはるゝものなるからに、人々の一粲《いつさん》を博する料《しろ》にもとおもひし迄なり。
日暮れて客あり。數人の外國人《とつくにびと》さへ雜りたり。われは晝間の譴責《けんせき》に懲りて、室の片隅に隱れ避け、一語をだに出ださゞりき。人々は圈《わ》の形をなして、ペリイニイといふものゝめぐりに集へり。この人は齡《よはひ》略《ほ》ぼ我と同じくして、その家は貴族なり。心爽かにして頓智あり、會話も甚《いと》巧《たくみ》なれば、人皆その言ふところを樂み聽けり。忽ち人々の一齊に笑ふ聲して、老公の聲の特《こと》さらに高く聞えければ、われは何事ならんとおもひつゝ、少しく歩み近づきたり。然るに我は何事をか聞きし。晝間我が語りて人々の咎に逢ひし、彼《かの》一口話は今ペリイニイの口より出でゝ人々に喝采せらるゝなりき。ペリイニイは一句を添へず又一句を削《けづ》らず、その口吻態度|些《ちと》の我に殊なることなくして、人々は此の如く笑ひしなり。語り畢る時、老公は掌《たなぞこ》を撫して、側に立ちて笑ひ居たる姫に向ひ、いかにをかしき話ならずやと宣給へり。姫、まことに仰せの如くに侍り、けふ午《ひる》の食卓にて、アントニオが語りし時より然《し》かおもひ侍りきと答へ給ふ。その語調はいと温和にて、怨み憤る色もなく辨《わきま》へ難ずる色もなし。われは心の内にて、この優しき小尼公の前に跪《ひざまづ》かんとしたり。この時フランチエスカの君も、げに/\をかしき物語なりきと宣給ふ。われは心《むね》の跳るを覺えて、そと人々に遠ざかり、身を長き幌《とばり》の蔭に隱して、窓の外なる涼しき空氣を呼吸したり。
この一口話の事をば、われ唯だ一の例として、かく詳《つぶさ》にはしるしゝなり。これより後も、日としてこれに似たる辱《はづかしめ》を被《かうむ》らざることなかりき。唯だ小尼公のすゞしき目の我面を見上げて、衆人の罪惡の爲めに代りて我に謝するに似たるありて、われはその辱の疇昔《さき》よりも忍び易きを覺えたり。竊《ひそか》におもふに我にはまことに弱點あり。そを何ぞといふに、影を顧みて自ら喜ぶ性《さが》ありて、難きを見て屈せざる質《うまれ》なきこと是なり。そもこの弱點はいづれの處よりか生ぜし。生を微賤の家に稟《う》けしにも因るべく、最初に受けし教育にも因るべく、又恆に人の廡下《ぶか》に倚る境遇にも因るなるべし。我は胸に溢れ口に發せんと欲するところのものあるごとに、必ず先づ身邊の嘗て我に恩惠を施したる人々を顧みて、自ら我舌を結び、終に我不屈不撓の氣象を發展するに及ばずして止みぬ。若し自から辯護して評せばこも謙讓の一端なるべし。されどその弱點たることは到底|掩《おほ》ふべからざるを奈何せん。
今の勢をもてすれば、その恩義の絆《きづな》を斷たんこといとむづかし。人々は我にいかなる苦痛を與へ給はんも、我が受けたるところの恩義は飽くまで恩義なり。そは人々なかりせば、我は或は饑渇《きかつ》の爲めに苦《くるし》められけんも計り難きが故なり。我が人々の爲めに身にふさはしき業《わざ》して、恩義に酬《むく》いんとせしことは幾度ぞ。我は報恩の何の義なるかを知らざるにあらず、良心のいかなるものなるかを解せざるにあらず。いかなれば人々は此良心の發動、報恩の企圖を妨碍《ばうがい》して、天才は俗事に用なしといひ、又思想多きに過ぎて世務に適せずといふぞ。若しまことに天才を視ること此の如く、思想を視ること此の如くならば、そは天才をも思想をも知らざるなり。
その頃我は大闢《ダヰツト》を題として長篇を作りぬ。この詩は字々皆我心血なりき。昔の不幸なる戀と拿破里《ナポリ》客中の遭遇とは、常に胸裡に往來して、侯爵家の人々の所謂教育は斷えず腦髓を刺戟し、我を驅りて詩國に入らしめ、我心頭には時として我生涯の一篇の完璧をなして浮び出づることあり。その中にはいかなる瑣細なる事も、いかなる厭ふべく苦むべき事も、一として滿分の詩趣を具へざるはなかりき。我中情は此の如く詠歎の聲を迫《せ》り出して、我をしてダヰツトの故事の最も當時の感興を寓するに宜しきを覺えしめしなり。
詩成りて、我は復たその名作たるを疑はざりき。而して我は神に謝する情の胸に溢るゝを見たり。そは我平生の習として、一詩句を得るごとに、未だ嘗て神の我靈魂を護りて、詩思を生ぜしめ給ふを謝せざることあらざればなり。此作は我心の瘡痍《さうい》を醫《いや》すべき藥液なりき。我は自ら以爲《おも》へらく。人々若し我此作を讀まば、その我に苦痛を與ふることの非なるを悟りて、善く我を遇するに至るならんと。
詩成りて、作者より外、未だ一人の肉眼のこれに觸れたるものあらず。この塵を蒙《かうむ》らざる美の影圖は、その氣高《けだか》きこと彼「ワチカアノ」なるアポルロンの神の像の如く、儼然《げんぜん》として我前に立てり。嗚呼、この影圖よ。今これを知りたるものは、唯だ神と我とのみ。我は學士會院に往きてこれを朗讀すべき日を樂み待てり。
さるを一日《あるひ》フアビアニ公子とフランチエスカ夫人との優しさ常に倍するを覺えければ、我は此二恩人に對して心中の祕密を守ること能はざりき。こは小尼公《アベヂツサ》の來給ひしより二三日の後なりきと覺ゆ。公子夫婦は聞きて、さらばその詩をば我等こそ最初に聽くべけれと宣給ふ。我は直ちに諾《だく》しつれど、心にはこの本讀《ほんよみ》の發落《なりゆき》いかにと氣遣はざること能はざりき。さて我詩を讀むべき夕には、老侯も席に出で給ふ筈なりき。此日となりて又期せずしてハツバス・ダアダアの侯爵家を訪ふに會ひぬ。フランチエスカはこれを留めて、渠《かれ》にも我が讀むべき詩を聽かしめんといひぬ。われは此翁の偏執の念強くして人の才を妬み、特に平生我を喜ばざるを知れり。公子夫婦の心|冷《ひやゝか》なる、既に好き聽衆とすべきならぬに、今又此毒舌の翁を獲つ。我が本讀の前兆は太《はなは》だ佳ならざるが如くなりき。
我胸の跳ることは、嘗て「サン、カルロ」座の舞臺に立ちし時より甚しかりき。若し我が期するところの效果にして十分ならば、人々はこれを聽きて、その常に我を遇する手段の正しからざるを悟り、未來に於いて自ら改むるに至るならん。是れ一種の精神上の治療法なり。われは明かに我が期するところの難《かた》きを知る。さるを猶これを敢てするものは、深く自ら「ダヰツト」の一篇の傑作なることを信じたればなり、又小尼公の優しき目の暗に我を鼓舞するに似たるあるに感じたればなり。
我詩は一として自家の閲歴に本づかざる者なし。此篇も亦|然《しか》なり。首段は牧童たるダヰツトの事を敍す。即ち我が穉《をさな》かりし頃、ドメニカにはぐゝまれてカムパニアの茅屋《ばうをく》に住めりし時の境界《きやうがい》に外ならず。フランチエスカの君聞もあへず、そは汝が上にあらずや、汝がカムパニアの野にありし時の事に非ずやと叫び給へば、老侯笑ひて、そは預期すべき事なり、いかなる題に逢ひても、自家の感情をもてこれに附會することを得るはアントニオが長技ならずやと答へ給ふ。ハツバス・ダアダアは嗄《か》れたる聲振り絞りていふやう。句々洗錬の足らざるが恨なり、ホラチウスの教を知らずや、唯だ放置せよ、放置してその熟するを待てといへり、おん身の作も亦然なり。
人々は早く既に一槌をわが美しき彫像に加へしなり。我は猶二三章を讀みしかど、只だ冷澹にして輕浮なる評語の我耳に詣《いた》り入るあるのみ。人々は又我肺腑中より流れ出でたる句を聞きて、古人《いにしへびと》某の集より剽竊《へうせつ》せるかと疑へり。嗚呼、初め我が人をして聳聽《そうちやう》せしむべく、怡悦《いえつ》せしむべき句ぞとおもひしものは、今は人々の一顧にだに價せざらんとす。我は第二折の末に到りて、興全く盡きぬれば、人々に謝して讀むことを止めたり。此に至りて、自ら我手中の詩篇を顧みれば、復た前《さき》の綽約《しやくやく》たる姿なくして、彼《かの》三王日の前夜フイレンチエ市を擔ひ行くなる「ベフアアナ」といふ偶人《にんぎやう》の、面色極めて奇醜にして、目には硝子球を嵌《は》めたるにも譬へつべきものとなりぬ。是れ聽衆の口々より※[#「口+罅のつくり」、122-上段-20]《は》きたる毒氣のわが美の影圖をして此の如く變化せしめしにぞありける。
おん身のダヰツトは市井《しせい》の俗人をだに殺すことなからん、とはハツバス・ダアダアが總評なりき。人々は又評して宣給ふやう。篇中往々好き處なきにあらず。そは情深きと無邪氣なるとの二つに本づけりとなり。我は頭を低《た》れて口に一語を出さず、罪囚の刑の宣告を受くるやうなる心地にて、人々の前に凝立せり。ハツバス・ダアダアは再びホラチウスの教を忘れ給ふなと繰返しつゝも、猶|慇懃《いんぎん》に我手を握りて、詩人よ、懋《つと》めよやと云ひぬ。我は室の一隅に退きたりしが、暫しありて同じハツバス・ダアダアが耳疎き人の癖とて、聲高くフアビアニ公子にさゝやくを聞きつ。そは杜撰《づさん》彼篇の如きは己れの未だ嘗て見ざるところぞとの事なりき。
人々は我詩を解せざらんとせり。又我を解せざらんとせり。こは我が忍ぶこと能はざるところなり。室の隣には、開爐《カムミノ》に炭火を焚きたる廣間あり。われはこれに退き入り、手に詩稾《しかう》を把《と》りて、爪甲《さうかふ》の掌《たなぞこ》を穿たんばかりに握りたり。嗚呼、我夢は一瞬の間に醒め、我希望は一瞬の間に破壞せられたり。我身は神の御姿《みすがた》の摸造ながら、自ら顧みれば苦※[#「穴/(瓜+瓜)」、122-中段-15]《くゆ》の器に殊ならず。われは我|鍾愛《しようあい》の物、我がしば/\接吻せし物、我が心血を漑《そゝ》ぎし物、我が性命ある活思想とも稱すべき物をもて、熾火《しくわ》の裡に擲《なげう》ちたり。我詩卷は炎々として燃え上れり。忽ちアントニオと叫ぶ一聲我身邊より起りて、小尼公《アベヂツサ》の優しき腕《かひな》の爐中の詩卷を攫《つか》まんとせし時、事の慌忙《あわたゞ》しさに足踏みすべらしたるなるべし、この天使の如き少女はあと叫びて、横ざまに身を火※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]の間に僵《たふ》しつ。我は夢心地の間に姫を抱き起しつ。人々は何事やらんと馳せ集《つど》へり。
フランチエスカ夫人は聖母《マドンナ》の御名を唱へつ。我手に抱き上げられたる姫は、眞蒼《まさを》なる顏もて母上を仰ぎ見つゝ、足すべりて爐の中に倒れ、手少し傷け侍り、アントニオなかりせば大いなる怪我をもすべかりしをと宣給ひぬ。われは激しき感情に襲はれて、口に一語を發すること能はず、只だ喪心せるものゝ如くなりき。
姫は右手《めて》を劇《はげ》しく燒き給へり。一家の騷擾《さうぜう》は一方ならず。彼問ひ此答ふる繁《しげ》き詞の中にも、幸にして人の我詩卷を問ふ者なく、我も亦|默《もだ》ありければ、ダヰツトの詩篇の事は終に復た一人の口に上ることなかりき。あらず、後に至りてこれに言ひ及びし人唯一人あり。そは我が爲めに翼を焦しゝ天使なりき、小尼公なりき。嗚呼、小尼公なかりせば、われは全く厭世の淵に沈み果てしならん。われをして人の心の猶頼むべきを覺えしめ、われをして少時の淨き心を喚び返さ一家の守護神たる小尼公なりき。小尼公の手は痛むこと十四日の間なりき。我胸の痛むことも亦十四日の間なりき。
ある日われは獨り姫の病牀に侍することを得て、わが久しく言はんと欲するところを言ふことを得たり。われ。フラミニアの君よ、願はくは我罪を許し給へ。君は我が爲めに其苦痛を受け給へり。姫。否、その事をば再び口に出し給ふな。又ゆめ餘所に洩し給ふな。そが上に、さのたまふはおん身自ら歎き給ふにてこそあれ。我足のすべりしは事實なり。おん身若し扶《たす》け起し給はずば、わが怪我はいかなりけん。されば我はおん身の恩を荷《にな》へり。父母も然《し》か思ひて、御身のいちはやく救ひ給ひしを感じ給ひぬ。獨り此事のみにはあらず。父母の御身を愛し給ふ心のまことの深さをば、おん身は未だ全く知り給はぬごとし。われ。そは宣給《のたま》ふまでもなし。わが今日あるは皆御家の賜なり。かくて一日ごとに我が受くるところの恩澤は加はりゆくなり。姫。否、さる筋の事をいふにはあらず。わが二親《ふたおや》のおん身を遇し給ふさまをば、此幾日の間に我|熟《よ》く知れり。二親はかくするが好しとおもひ給ふなれば、そは奈何ともし難けれど、總ておん身を惡《あ》しとおもひ給ひてにはあらず。殊に母上の我に對しておん身を譽め給ふ御詞をば、おん身に聞せまほしきやうなり。師の尼君の宣給《のたま》ふに、おほよそ人と生れて過失なきものあらじとぞ。憚《はゞかり》あることには侍れど、おん身にも總て過失なしとはいひ難くや侍らん。例之《たとへ》ばおん身は、いかなれば一時怒に任せて、彼美しき詩を焚《や》き給ひし。われ。そは世に殘すべき價なければなり。唯だ焚くことの遲かりしこそ恨なれ。姫。否々、われは世の人の心の險《けは》しきを憶《おも》ひ得たり。靜かなる尼寺の垣の内にありて、優しき尼達に交らんことの願はしさよ。われ。げに君が淨き御心にては、しかおもひ給ふなるべし。我心は汚れたり。惠の泉の甘きをば忘れ易くして、一滴の毒水をば繰返して味ふこと、まことに罪深き業《わざ》にこそ侍らめと答へぬ。
この館《たち》には一人として我を憎むものなし。されど尼寺の心安きには似ず。こは小尼公《アベヂツサ》の獨り我に對し給ふとき、屡※[#二の字点、1-2-22]宣給ひし詞なり。われはこの姫をもて我感情の守護神、わが清淨なる思想の守護神とし、漸くこれに心を傾けつ。想ふに姫の歸り來給ひしより、館の人々の我を遇し給ふさま、面色よりいはんも語氣よりいはんも、著《いちじろ》く温和に著く優渥《いうあく》なるは、この優しき人の感化に因るなるべし。
姫は數々《しば/\》我をして平生の好むところを語らしめ給ひぬ、詩を談ぜしめ給ひぬ。興に乘じて古人の事を談ずるときは、われは自ら我辯舌の暢達《ちやうたつ》になれるに驚きぬ。姫はもろ手の指を組み合せて、我面を仰ぎ見給ふ。姫。おん身の如く詩をもて業とするは、まことに人生の幸福なるべし。されど神の預言者たるべき詩人の、神の徳、天國の平和をば歌はで、人の業、現世の爭奪を歌ふは何故ぞ。おん身は世の人に福《さいはひ》を授け給ふことも多かるべけれど、又禍を遺し給ふことも少からざるならん。われ。否、詩人の人を歌ふは隨即《やがて》神を歌ふなり。神は己れの徳を表さんとて、人をば造り給ひしなり。姫。おん身の宣給ふところには、わが諾《うべな》ひ難き節あれど、われは我心を明《あか》すべき詞を求め得ず。人の心にも世のたゝずまひにも、げに神の御心は顯《あらは》れたるべし。さればそを指《ゆびさ》し示して、世の人をして神の懷に歸り入らしめんこそ、詩人の務とはいふべけれ。さるを却りて世の人を驅りて、おそろしき呑噬《どんぜい》爭奪の境界に墮ちしめんとする如くなるは、好しとはおもはれず。そは兎まれ角まれ、おん身はいかにして即興の詩を歌ひ給ふか。われ。題を得るときは思想は招かずして至るものなり。姫。さなり。其思想は神の賜ふ所なること人皆知る。されどそを句とし章とし、それに美しき姿しらべを賦《ふ》し給ふは奈何《いかに》。われ。君は尼寺に居給ふとき、「プサルモス」の歌を聽き、又古の聖《ひじり》の上を綴りたる韻語を學び給ひしならん。さてある時端なく一の思想の浮び出づるに逢ひて、これと與《とも》に曾て聞ける歌、曾て聞ける韻語を憶《おも》ひ得給ひしことはあらずや。憾《うら》むらくは、おん身はかゝる機會を逸し給ひて、筆とりて其思想を寫さんことを試み給はざりしなり。おん身若しそを試み給ひしならば、思想の全き形の心頭に顯れたるものは凝りて散ぜず、句は句を生じ章は章を生じ、詩は無意識の間になりしならん。こは唯だ我一人の經驗ながら、詩人の製作といふものはかくあらんとおもふなり。われは詩を作るごとに、我詩の前世の記憶の如く、前身の搖籃中にて聞きし歌の名殘の如きを感ず。われは創作すと感ぜず、われは復誦すと感ず。姫。その思想といふものも、いかなるが詩となすに宜《よろ》しかるべきか知るよしなけれど、わが尼寺にありし時、ふと物の懷《なつ》かしき如き情、遠きに騁《は》する如き情の胸に溢るゝことあり。その懷かしきは何ぞ、その騁するは何をあてぞといはば、われ自ら答ふるところを知らず。されど夢に吾夫《わがつま》たるべき耶蘇《やそ》を見、又|聖母《マドンナ》を見るときは、我心はこれに慰められたり。かゝる情も詩となるべしや否や、覺束《おぼつか》なし。館《たち》に歸りての後は、耶蘇聖母の夢に見え給ふこと稀にして、華やかなる浮世の事、罪深き人間の事のみ夢に入りぬ。されば唯だ尼寺に返らんことこそ願はしけれ。アントニオよ。おん身は親しき友なれば告ぐべし。われはこの頃漸く心の汚れんとするを覺ゆるなり。そは粧ひ飾らんとする願起りて、人の美しと褒むるが喜ばしくなれるにて知らる。尼寺の人々に知られなば、何とかいはれん。われ。世に君の如く淨き心あるべしや。われは唯だ我心の君に似ざるを愧《は》づるのみ。今我目もて見るときは、君の心の淨さは、昔|穉《をさな》くて此御館に居給ひし日に殊ならず。(われはかく言ひて姫の手に接吻せり。)姫。その頃おん身の我を抱き給ひしこと、我が爲めに畫かきて賜はりしことをば、まだ忘れ侍らず。われ。おん身の其畫を看畢《みをは》りて、破《や》り棄て給ひしをも、われは忘れず。姫。そを憎しとおもひ給ひしや。われ。世の人は我胸中なる美しき繪の限を破り棄てぬれど、われはそれすら憎むことなし。
わが小尼公《アベヂツサ》に親む心は日にけに増さり行きぬ。われは世の人の皆我敵にして、唯だ小尼公のみ身方《みかた》なるを覺えき。
落飾
暑き二箇月の間は、館《たち》の人々チヲリに遊び給ひぬ。わがその群に入ることを得つるは、恐らくは小尼公の緩頬《くわんけふ》に由れるなるべし。橄欖《オリワ》の茂き林、石走《いははし》る瀧津瀬《たきつせ》など、自然の豐かに美しき景色の我心を動すことは、嘗てテルラチナに來て始て海を觀つる時と殊なることなかりき。この山のたゝずまひ、この風の清く涼しきに、我は復たナポリの夢を喚び起すことを得たり。我は羅馬《ロオマ》の塵多き衢《ちまた》、焦げたるカムパニアの野、汗流るゝ午景を背にせしを喜びて、人々の我を伴ひ給ひしを謝したり。
小尼公の侍女と共に驢《うさぎうま》に騎《の》りてチヲリの谷間に遊び給ふときは、我はこれに隨ひ行くことを許されたり。姫は頗る自然を愛する情に富みて、我に些の寫生を試みしめ給ひぬ。荒漠たるカムパニアの野の盡くるところに、聖彼得《サン、ピエトロ》寺の塔の湧出したる、橄欖の林、葡萄の圃《はたけ》の緑いろ濃く山腹を覆ひたる、瀑布幾條か漲《みなぎり》り墮《お》つる巖の上にチヲリの人家の簇《むらが》りたるなど、皆かつがつ我筆に上りしなり。
終の圖に筆を染むる時、姫の宣給《のたま》ふやう。かく麓より眺むれば、この落ちたぎつ水の勢は、早晩《いつか》巖石を穿ち碎き、押し流して、その上なる人家も底《そこひ》なき瀧壺に陷らずやと怖しく思はると宣給ふ。われ。まことに宜給ふ如し。されどそを憂へずして、彼家々に栖《す》める人の笑ひ樂みて日を送れるこそ神の惠ならめ。神は憫《あはれ》むべき人類のために、おそろしき地下のさまを掩ひ隱し給ふとおぼし。君は此水をすらおそろしと見給へども、ナポリ[#「ナポリ」に二重傍線]の市《まち》の地下のさまはいかなるべきか。此は水なり、彼は火なり。かしこの民は、沸き返る熔巖《ラワ》の釜の上に生涯を送れるなりと答へぬ。我又語を繼ぎて、ヱズヰオの火山の形、わが其|巓《いたゞき》に登りし時の事、エルコラノとポムペイとの來歴など、姫に聞えまつりしに、姫は耳を傾け給ひて、館に還りての後、猶|大澤《たいたく》の彼方《あなた》の珍らしき事どもを語り聞せよと宣給ひぬ。
姫は海のいかなるものなるを想ひ見ること能はずと宣給ふ。そは親しく海と云ふ者を觀給ひしは唯一たびにて、それさへ山の巓より、地平線を限れる一帶の銀色したる物を認め給ひしに過ぎざればなり。われは姫に告げて、まことの海原は我脚底に又一の碧空を視る如しと云ひしに、姫は手を組み合せて、神の此世界を飾り給ひしことの極みなく奇《く》しきをたゝへ給ひぬ。この時我は、その奇しく妙《たへ》なる世界を背にして、狹き尼寺の垣の内に籠らんとし給ふ御心こそ知られねと云はんと欲せしが、姫の思ひ給はん程のおぼつかなくて默《もだ》しつ。ある日姫と我等とは、荒れたる神巫寺《みこでら》の傍に立ちて雲霧の如く漲り下る二條の大瀑《たいばく》を下瞰《みおろ》したり。一道の白き水烟は、小暗《をぐら》き林木を穿ちて逆立し、その末は青き空氣の中に散じ、日光はこれに觸れて彩虹を現じ出せり。側なる小瀑《カスカテルラ》の上なる岩窟には、一群の鴿《はと》ありて巣を營みたり。その時ありて大いなる圈《わ》を畫きて、我等の脚下を飛ぶや、噴珠と共に亂れて、見る目まばゆき程なり。姫は歎賞すること久しうして、我に即興を求め給へり。われは平生|夢寐《むび》の間に往來する所の情の、終に散じ終に銷《せう》すること此飛泉と同じきを想ひて、忽ち歌ひ起していはく。人生の急湍《きふたん》は須臾《しゆゆ》も留まることなし。太陽同じく照すといへど、一滴一沫よりして見れば、その光を仰ぎその温を被らざるあり。惟《た》だ美妙の大光明は全景を覆ひ盡すのみと云ひぬ。姫は我歌を遮り留めて、止めよ、われは悲傷の詞を聞かんことを願はず、汝が心まことに樂しからずば、姑《しばら》く我が爲めに歌ふことを休《や》めよと宣給ひぬ。
姫の我を信じ給ふことの厚きは、我が姫を信ずることの厚きに殊ならず。ある時姫の詞に、いかなる故とも知る由なけれど、館に往來《ゆきき》する他の男子には語り難き事をも、おん身には語り易し、御身の親しきは父母に劣らざる心地すといはれしことあり。されば我もまた心を置かで、何くれとなく物語するやうになりぬ。幼かりし日の事を語りて、地下の石窟《いはむろ》に入りて路を失ひし話よりジエンツアノの花祭に老侯の馬車の我母を轢殺《ひきころ》せし話に至りしときは、姫の驚|一方《ひとかた》ならざりき。姫は我手を※[#「てへん+參」、125-上段-13]《と》りて、我面を打目守《うちまも》り、その事をば館の人々まだ一たびも我に告げざりき、さては我|族《うから》の御身に負ふ所はいと大いなりと宣給ひぬ。カムパニアの媼《おうな》ドメニカには、姫深き同情を寄せ給ひて、おん身は定めて今も怠らずおとづれ給ふなるべしと宣給ひぬ。われは少しく心に恥ぢながら、去年は唯だ二たび訪ひしのみなれど、彼方より尋ね來たるごとに、些《ちと》の小づかひ錢をば分ち與ふるを例とすと答へぬ。
われは姫に促されて、我自傳を語りつゞけ、ベルナルドオの上に及び、又アヌンチヤタ]の上に及びぬ。されど我面に注ぎたる姫の涼しき目は、我をして縱《ほしいまゝ》に戀愛を説き嫉妬を説くこと能はざらしめき。われは話題を轉じてナポリの紀行に入り、ララの事を語り、こたびは又サンタの事にさへ及びぬ。
最も姫の心に※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56]《かな》ひしはララなり。姫の宜給ふやう。アヌンチヤタは美しくもありしなるべく、賢《さか》しくもありしなるべし。されど面を公衆の前に曝《さら》すことを憚《はゞか》らず、浮薄なる貴公子を戀ひ慕へるなど、われはいかなる詞もて評すべきを知らぬながら、その人のおん身の妻とならざりしをば喜ぶなり。ララはこれに異《こと》にて、まことにおん身の爲めの守護神なるべし。おん身の靈の天上に在らん時、先づ來りて相見んものはララならずして誰ぞやと宣給ひぬ。
サンタをば姫いたく怖れ給ひて、燃ゆる山、闊《ひろ》き海の景色はいかに美しからんも、かゝる怖ろしき人の住める地に往かんことは、わが願にあらず、おん身の恙《つゝが》なかりしは、聖母《マドンナ》の御惠なりと宣給ふ。われは此詞を聞きて、さきに包み藏《かく》して告げざりしサンタとの最後の會見の事を憶ひ起しつ。現《げ》に我頭を撃《う》ちて我夢を醒ましゝは、尊き聖母の御影なりき。姫若しわが當時の惑を知らば、猶我に許すに善人をもてすべしや否や。我肉身の弱きことは、よその男子に殊ならざりしなり。姫は又我に迫りて、嘗て即興詩人として劇場に上りし折の事を語らしめ給ひぬ。山深き賊寨《ぞくさい》にて歌はんは易く、大都の舞臺にて歌はんは難かるべしとは、姫の評なりき。われは行李を探りて、かの拿破里《ナポリ》日報を出して姫に見せつ。姫は先づ當時の評語を讀みて、さて知らぬ都會の新聞紙のいかなる事を載せたるかを見ばやとて、あちこち翻《ひるがへ》し見給ひしが、忽ち我面を仰ぎ視て、おん身はアヌンチヤタの同じ時ナポリ[に在りしをば、まだ我に告げ給はざりきと宣給ふ。われはこの思ひ掛けぬ詞に、アヌンチヤタの爭《いか》でかとつぶやきつゝ、彼新聞紙に目を注ぎつ。われは此一|枚《ひら》の紙を手にとりしこと幾度なるを知らねど、いつも評語をのみ讀みつれば、アヌンチヤタの事を書ける雜報あるには心付かざりしなり。
姫の指ざし給ふ雜報には、アヌンチヤタ明日登場すべしとあり。その明日といへるは即ち我が拿破里を發せし日なり。われは姫と目を見合せて、暫くはものいふこと能はざりき。既にして我は纔《わづか》に口を開き、さるにても我が再び面をあはせざりしは、せめてもの幸なりきといひぬ。姫。さは宣給へど、今其人に逢ひ給はゞいかに。定めて喜ばしと思ひ給ふならん。われ。否、われは悲しと思ふべし。そを何故といふに、わが昔崇拜せしアヌンチヤタは今|亡《う》せたり、昔の理想の影は今消えぬ、わがこれを思ふは泉下の人を思ふ如し、さるを若しそのアヌンチヤタならぬアヌンチヤタ又出でゝ、冷なる眼もて我を見ば、※[#「やまいだれ+差」、第4水準2-81-66]《い》えなんとする心の創は復た綻《ほころ》びて、却りてわれに限なき苦痛を感ぜしむるなるべし。
いと暑き日の午後《ひるすぎ》、われは共同の廣間に出でしに、緑なる蔓草の纏ひ付きたる窓櫺《さうれい》の下に、姫の假寢《うたゝね》し給へるに會ひぬ。纖手《せんしゆ》もて頬《ほ》を支へて眠りたるさま、只だ戲《たはぶれ》に目を閉ぢたるやうに見えたり。胸の波打つは夢見るにやあらん。忽ち微笑の影浮びて、姫の眠は醒めぬ。アントニオそこにありや。われは料《はか》らずも眠りて、料らずも夢見たり。おん身はわが夢に見えしは何人の上なりとかおもふ。われ。ララにはあらずや。この答はわが姫の目を閉ぢたるを見し時、心に浮びし人を指《さ》して言へるのみなりしに、期《ご》せずして中《あた》りしなり。姫。さなり。われはララと共に飛行して、大海の上を渡りゆきぬ。海の中には一の島山《しまやま》ありき。その山の巓はいと高きに、われ等は猶おん身の物思はしげなる面持して石に踞して坐し給ふを見ることを得つ。ララは翼を振ひて上らんとす。われはこれに從はんとして、羽搖《はたゝき》するごとに後《おく》れ、その距離|千尋《ちひろ》なるべく覺ゆるとき、忽ち又ララとおん身との我側にあるを見き。われ。そは死の境界《きやうがい》なるべし。生きて千里《ちさと》を隔つるものも、死しては必ず相逢ふ。死は惠深きものにて、我に我が愛するところのものを與ふ。姫。われは遠からず尼寺に歸らんとす。これより後の我生涯は、おん身の爲めには死せると同じ。おん身は能く我を忘れずして、死後相見んことを期し給はんや。姫の此詞はいたく我心を動して、我をして輒《すなは》ち答ふること能はざらしめき。
ある日フランチエスカ夫人は姫を伴ひてヰルラ、デステの園の中をそゞろありきし給へり。我も亦許されてその後《しりへ》に從ひぬ。園は高き絲杉あるをもて世に聞えたるところなり。一行の人工の噴泉ある長き街※[#「木+越」、第3水準1-86-11]《なみき》の間を歩むとき、路上に襤褸《ぼろ》を纏《まと》ひたる貧人の群の草を拔くありき。われそが一人に「パオロ」銀一箇(我二十錢餘)を與へしに、姫もまた微笑みつゝ一箇を與へ給ひぬ。草拔く人は、美しき姫君と壻君《むこぎみ》とに聖母《マドンナ》の御惠あれかしと呼びたり。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]夫人はこれを聞きて高く笑へり。われは熱血の身を焦すを覺えて、姫の面を覗ふことを敢てせざりき。われは今明に姫の我が爲めに離れ難き人となりしを覺りぬ。されど此情は嘗てアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の爲に發せしと※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に殊にて、又ララに對して生ぜしとも同じからず。アヌンチヤタの才《ざえ》と色とは殆ど我をして狂せしめ、ララの理想めきたる美は魔力を吾頭上に加へ、並に皆我をしてその人を我物にせん願を起さしめしなり。獨り小尼公《アベヂツサ》に至りては、我友情を催すこと極て深きに、われは却《かへ》りて又我慾念のこれが爲めに抑へらるゝを覺えき。
幾《いくばく》もあらぬに我等は又羅馬に歸りぬ。姫は二三週の後には尼寺に返り給ふべく、返り給ひては直ちに覆面の式を行はせらるべしと傳ふ。姫の長き髮はこれを截《き》り、その身には生きながら凶衣を被らしめ、輓歌《ばんか》を歌ひ鯨音《かね》を鳴し、法《かた》の如く假に葬《はうむ》りて、さて天に許嫁《いひなづけ》せる人となりて蘇生せしむ。是れ式のあらましなり。姫は面に喜の色を湛へてこれを語りぬ。われは聞くに忍びずして、いかなれば君は自ら壙穴《つかあな》を穿《うが》ちて自ら下り入らんとはし給ふぞといひぬ。姫は色を正して、さる詞を人にな聞せそ、此塵の世に心|牽《ひ》かるゝことおん身の如くならんも拙《つたな》し、少しは後の世の事をも思へかしと宣給ふ。その聲音《こわね》さへ常ならぬに我はいたく驚きぬ。霎時《しばし》ありて、姫は詞の過ぎたるを悔み給ひしにや、面に紅を潮して我手を取り、アントニオとても我心の平和を破り、我に要《えう》なき物思せさせんとにはあらざるべしと宣給ふ。我は詞なくて姫の金蓮の下に臥し轉《まろ》びつ。
別《わかれ》の舞踏會は御館《みたち》にて催されぬ。われは姫の最後に色ある衣《きぬ》を着け給ふを見き。是れ人々の生贄《いけにへ》の羔《こひつじ》を飾れるなり。姫は我傍に歩み寄りて、おん身も人々の歡《よろこび》を分ち給はずや、われ若しおん身の憂はしき面を見て別れ去らば、尼寺に入りて後に屡々御身の上を氣づかふならん、かくてはおん身我に罪障を増させ給ふなりと宣給ふ。其聲は我が爲めに、瀕死の人の氣息を聞くが如くなりき。
出立ち給ふ前の日の夕となりぬ。姫は神色常の如く、父君と老侯とに接吻して、あすの別の事を語り給ふ。其詞つきの、唯だ假初《かりそめ》の旅路|抔《など》に出立《いでた》ち給ふにかはらぬぞ、なか/\に哀なりける。アントニオに暇乞《いとまごひ》せずやといふは、フアビアニ公子の聲なり。坐上にて、獨り此君のみは面に憂の色を帶び給へり。我は趨《はし》りて姫の前に出で、白く細き右手に接吻せり。姫はアントニオと我名を呼び掛け給ひしが、流石にしばし口籠《くごも》りて、世に幸《さち》ある人となり給へ、さらばとて、我額に接吻し給ふ。われは夢心に其間を走り出でゝ、我室に泣きに入りぬ。
終にその日とはなりぬ。空は晴れ渡りて、日は麗《うらゝ》かに照りぬ。我は父君母君の盛妝《せいさう》せる姫を贄卓《にへづくゑ》の前に導き行き給ふを見、歌頌の聲を聞き、けふの式を拜まんとて來り集へる衆人の我|四邊《めぐり》を圍めるを覺えき。されど僧徒の群に引かれてつくゑの前に跪き給へる、天使の如き姫君の、色白く優しげなる面のみは、我心の上に殊に明かなる印象を與へて、年經ての後も消ゆることなかりき。我は僧等の姫が頭上の紗《うすぎぬ》を剥《は》ぎて、雲の如き※[#「髟/丐」、第4水準2-93-21]髮《ひんぱつ》の亂れ墜《お》ちて兩の肩を掩《おほ》へるを見、これを斷つ剪刀《はさみ》の響を聞きつ。僧等は幾|襲《かさね》の美しき衣を脱がせて、姫を柩《ひつぎ》の上に臥させまつり、下に白き希《きれ》を覆ひ、上に又|髑髏《どくろ》の文樣《もんやう》ある黒き布を重ねたり。忽ち鐘の音聞えて、僧等の口は一齊に輓歌《ばんか》を唱へ出しつ。かくて姫は此世を隱れましゝなり。爾來《そのとき》尼院に連《つらな》れる廊道《わたどのみち》の前なる黒漆の格子|擧《あが》りて、式の白衣を着たる一群の尼達現れ、高く天使の歌を歌ふ。僧官《エピスコポス》は姫の手を取りて扶《たす》け起しつ。姫は早や天に許嫁《いひなづけ》し給ひて、御名さへエリザベツタと改まりぬ。我は姫の群集の上に投じ給ふ最後の一瞥を望み見たり。一人の故參の尼は姫の手を引きて入りぬ。黒漆の格子は下りて、姫の姿、姫の裳裾《もすそ》は見えずなりぬ。
なきあと
ボルゲエゼ家の館《たち》は賀客|絡繹《らくえき》たり。エリザベツタの天に許嫁せしを賀するなり。フランチエスカ夫人は面に微笑を浮べて客に接し給へど、その良心のまことに平なるにあらざるをば、われ猶《なほ》能くこれを知れり。
フアビアニ公子は我を招きて一包の金を賜《たま》ひぬ。汝は好き方人《かたうど》を失ひぬれば、氣色すぐれず見ゆるも理《ことわり》なきにあらず。姫は我に此金を殘しおきて、カムパニアの媼《おうな》に與へんことを頼み聞えぬ。想ふに姫はドメニカの上を汝に聞きて知りたりしならん。持ち往きて與へよとなり。
死は蛇の如く我心を纏へり。我は自殺の念の一種の旨味《うまみ》あるを覺えて、心に又此念の生じ來れるを怖れたり。御館の廣き間ごと間ごとに、我はうらさびしき空虚を感ぜり。我はこゝを出でゝカムパニアの野に往かんことの樂しかるべきをおもひぬ。そは我搖籃のありつる處、ドメニカが子もり歌の響きし處の、今更に懷《なつか》しき心地したればなり。
カムパニアの廣き野は、この頃の暑さに焦げ爛《たゞ》れて、些《いさゝか》の生氣をだに留めざりき。黄なるテヱエルの流の、層々の波を滾《まろが》し去るは、そをして海に沒せしめんが爲めなるべし。われは又|蔦蘿《つたがづら》の壁にまとひ屋根にまとへる、小さなる石屋《いはや》を見たり。是れ實にわが少時の天地なりしなり。門の戸は開けり。われは媼の我を見て喜ぶべきを思ひて、胸に樂しく又哀なる一種の感を起しつ。先に此家をおとづれてより、早や一とせを經ぬ。先に羅馬にて彼媼を見しより、早や八月を經ぬ。此間われは媼を忘れたりしならず、起臥《おきふし》ごとに思ひ出でゝ、小尼公《アベヂツサ》にも語り聞せつ。されどチヲリの避暑、御館にかへりて後の心の憂などは、我を妨げてカムパニアに來させざりしなり。家の見え初めてより、われは媼の歡び迎ふる詞を想像しつゝ、歩を早めたりしが、家の門近くなりては、又|跫音《きようおん》の疾く聞えんことを恐れて、ぬきあししつゝ進み寄りぬ。
門口より見るに、土間の中央に籘《とう》を折り加《く》べて火を燃やし、大いなる鐵の銚《なべ》を弔《つ》りたり。その下に火を吹く童ありて、こなたへ振り向くを見ればピエトロなり。昔はわれ此童の搖籃を護りしことありしに、此頃はいと逞《たくま》しきものにぞなりぬる。聖《サン》ジユウゼツペ、檀那《だんな》の來ましつるよ、さきに來ましゝより早や久しくなり候ふとて、立ち上りて迎へぬ。わがさし伸ばす手に、童の接吻せんとするを遮りつゝ、われ、無面目《つれな》くも忘られしよとおもへるならん、忘れたるにはあらずとことわりつ。童。否、母もさは思ひ候はざりき、生存《ながら》へたらばいかに嬉しとおもふらんものを。われ。何とか言ふ。ドメニカは最早世にあらずとか。童。地の下に埋めてより、既に半年になりぬ。病みしは僅に二日ばかりなりしが、その間アントニオ、アントニオとのみ呼び續け候ひぬ。わがかく檀那の御名《おんな》をいふを無禮《なめ》しとおもひ給ふな。母は唯一目アントニオを見て死なんといひき。今宵はとおもはれし日の午過《ひるす》ぎて、われは羅馬の御館《みたち》に參りしに、檀那はチヲリに往き給ひし後なりき。歸りて見れば、母は息絶えたり。言ひ畢《をは》りて、ピエトロは手もて面を掩《おほ》ひぬ。
ピエトロが物語は、句ごとに言《ことば》ごとに、我胸を刺す如くなりき。恩情母に等しきドメニカが、死に垂《なんな》んとして我名を呼びしとき、我は避暑の遊をなして、心のどかに日を暮しつ。媼の餘命いくばくもあらぬをば、われ爭《いか》でか知らざらん。何故に我はチヲリに往くに先だちて、一たび媼の許には來ざりしぞ。我はかくても猶自ら辯護して、我は善き人ぞといはんとするか。
われは彼金包を取りいで、我身邊に帶び來りし錢をも添へて、悉く童に與へつ、童は土間に跪《ひざまづ》きて、我を天使と呼べり。我が爲めには此詞の嘲謔《てうぎやく》の意あるが如く聞えて、我は此|家《や》の内にあるに堪へず、一つの憂をもて來し身の、今は二つの憂を懷《いだ》きて、逃るが如く馳せ去りぬ。
未錬
カムパニアの野より御館までは、いかにして歸り着きけん知らず。われは限なき苦惱を覺えて、我|臥床《ふしど》の上に僵《たふ》れ臥しゝに、忽ち高熱を發して人事を知らざること三晝夜なりき。看病にはフエネルラとて、聾《みゝし》ひたる女を附けられしかば、幸に我|譫語《うはごと》も人に怪まるゝことあらざりしならん。されどフアビアニ公子の屡々病床に來給ひぬといふは、猶胸苦しき心地ぞする。
我恢復は頗る遲かりき。館の人に見舞はるゝごとに、我は勉《つと》めて面を和《やはら》げ快《こゝろよ》げにもてなせども、胸の中の苦しさは譬へんに物無かりき。此間人々は一たびも小尼公《アベヂツサ》の名を我前に唱ふることなかりき。かくて小尼公の尼寺に入り給ひしより、六週の後となりし時、醫師《くすし》は始て我に戸外《とのも》を逍遙することを許しつ。
我は期《ご》する所あるに非ずして、ポルタ、ピア[#「ポルタ、ピア」に二重傍線]の傍に立ち、目を四井街《クワトロ、フオンタネ》の方に注ぎつ。されど我は猶心に憚《はゞか》りて、尼寺の門に到ることを果さゞりき。二三日の後、我は新月の光を趁《お》ひて、又同じところに來しに、こたびは自ら禁ずること能はずして、進みて灰色の寺壁の下に立ち、格子窓を仰ぎ視たり。我は自らことわりて、誰かわが此墳墓を展《み》るを難ずることを得んと云ひぬ。これよりして、我足は日として四井街に向はざることなく、偶々《たま/\》識る人に逢ふことあれば、散歩のゆくてはヰルラ、アルバニなりと欺《あざむ》きつ。
我足の尼寺の築泥《ついぢ》の外に通ふこと愈々繁く、我情の迫ること愈々切に、われはこの通路《かよひぢ》の行末いかになるべきかを危《あやぶ》まざること能はざるに至りぬ。果せる哉、ある暗き夕我が尼寺の一窓の微《かすか》に燈光を洩せるを仰ぎ見て、心に小尼公をおもふ時、忽ち傍よりアントニオと呼ぶものあるを聞きつ。アントニオ、おん身はこゝに何をか爲せる。我は頭《かうべ》を囘《めぐら》して公子の面を認め得たり。公子は直ちに我を促して共に歸りぬ。公子は途上復たわれと一語を交へざるに、われは心に公子の思はん程の恥かしくて、その面を見ることを敢てせざりき。我室に入りて相對せる時、公子容《かたち》を改めて宣給ふやう。アントニオよ。御身の病はまだ痊《い》えずと覺し。少しく世の人に立ち交りて、氣鬱を散ぜんかた、身の爲めに宜しからん。曩《さき》にはおん身一たび翼を張りて飛ばんとせしを、われ強ひて抑留し、おん身をして久しく樊籠《はんろう》の中にあらしめき。そは我過《あやまち》にはあらざりしか。人各々意志あり。行かんと欲するところに行き、住《とゞ》まらんと欲するところに住まりて、さて不幸に遭《あ》はば、そは自ら作《な》せるなれば、悔ゆることもあらざるべし。おん身は最早童にあらねば、人の監督を受くることをば喜ばざるべし。この頃|醫師《くすし》に謀《はか》りしに、これも轉地を勸めたり、拿破里《ナポリ》の方《かた》をば既に見つれば、こたびは北伊太利を見に往けかし。一とせの間の費《つひえ》をば、われいかにともすべし。此館にありし間の我等の待遇には、おん身は或は慊《あきたら》ざりしならん。されど又世間に出でゝは、誠の心もておん身を待つ人少きことを忘れ給ふな。われ等は未來|一年《ひとゝせ》の間のおん身の振舞を見て、過去の我等の待遇のおん身に利ありしか利あらざりしかを驗《ため》すべしといはれぬ。
公子は我答を待たずして室を出で給ひぬ。こは我に謀るにあらずして我に命ずるものなればなり、我に命ずるは我を逐《お》ふものなればなり。世途は艱難ならん。されどその我を毒すること今の生涯に孰與《いづれ》ぞ。今や公子はわれに自由を與へ給ふ。こは仙方なり、靈藥なり。われは只だその仙方靈藥の劇毒の如く我創痍を刺し、我に苦痛を與ふるを感ずるのみ。去らんかな、羅馬を去らんかな。いでや、記念《かたみ》の花の匂へる南國を出でゝ、アペンニノの山を踰《こ》え、雪深き北地に入らん。アルピイおろしの寒威は、恰も好し、我が沸《わ》きかへる血を鎭むるならん。いでや浮島のヱネチアに往かん、わたつみの配《つま》てふヱネチアに往かん。神よ、我をして復た羅馬に歸らしむること勿《なか》れ、我記念の墳墓を訪《とぶら》はしむること勿れ。さらば羅馬、さらば故郷《ふるさと》。
梟首《けうしゆ》
車は物寂《ものさ》びたるカムパニアの野を走りぬ。サン、ピエトロの寺塔は丘陵のあなたに隱れぬ。既にして我はモンテ、ソラクテの側を過ぎ、山を踰《こ》えてネピの市《まち》に入りぬ。明月は市の狹き巷《ちまた》を照せり。一僧の酒肆《オステリア》の前に立ちて説法するあり。群衆は活聖《ヰワ、サンタ》マリアの聲に和しつゝ僧に隨ひて去れり。われはこれを避けて歩を轉ぜり。蔦蘿《つたかづら》に包まれたる水道の址《あと》とこれを圍める橄欖《オリワ》の茂林とは、黯澹《あんたん》たる一幅の圖をなして、わが刻下の情に※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56]《かな》へり。われは又前《さき》に過ぎたる門を出でたり。門外に大廢屋あり。その城壘《じやうるゐ》たりしと寺觀たりしとを知らず。今の街道はその廣間を貫きて通ぜり。側《かたへ》なる細徑を下れば、小房の蜂※[#「穴/果」、第3水準1-89-51]《ほうくわ》の如きありて、常春藤《きづた》と石長生《はこねさう》とは其壁を掩ひ盡せり。進みて一の廣間に入るに、地に委《ゆだ》ねたる石柱の頭と瓦石の堆《たい》とは高草の底に沒し、こゝかしこに色硝子《いろガラス》の斷片を留めたる尖弧《ゴチツコ》式の窓をば幅廣き葡萄の若葉物珍らしげにさし覗き、數丈の高さなる墻壁《しやうへき》の上には荊棘《けいきよく》叢《むらが》り生ぜり。偶々月光の一の壁面を照すを見れば、半ば剥蝕《はくしよく》せられたる鮮畫《フレスコ》は、箭《や》に貫《つらぬ》かれたる聖《サン》セバスチアノの像を物せり。此廣間は絶えず遠雷の如き響ありて、四壁に反響す。われその響を追ひて狹き戸を濳り出でしに、道は「ミユルツス」と葡萄との鬱茂せる間に窮まりて、脚底|千仞《せんじん》の斷崖を形づくれり。一の瀑布ありてこれに懸る。月光其泡沫を射て、銀丸を擲《なげう》つ如し。凡そ此等の景は、なべて世の好奇心あるものを動かすに足るものなるべし。されど富時の我の憂愁に沈める、或は等閑に看過したらんも知るべからず。幸に我は此境に在りて、別に一事に遭ひたり。我は其事を我心上に血書して復た消滅すべからざらしめしが故に、亦併せて此景の詳《つばら》なることを記し得たり。
崖に沿ひて一條《ひとすぢ》の細徑《ほそみち》あり。迂※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]して初の街道に通ず。われは高萱《たかがや》を分け小草《をぐさ》を踏みて行きしに、月は高き石垣の上を照して、三人《みたり》の色蒼ざめたる首《かうべ》の、鐵格の背後《うしろ》より、我を覗《うかゞ》ふを見たり。こは山賊を梟《けう》せるなりき。ネピの人の此壁上に梟首するは、羅馬の人のアンジエロ門(ポルタ、デル、アンジエロ)の上に梟首するに殊ならず。首を鐵籠中に置くことはた同じ。常の我ならば、遠く望みて走り去るべきに、此頃の痛苦は我に哲學思想を與へ、我をして冷眼もてこれを視ることを敢てせしめき。嗚呼、王侯の前に屈せざりし首よ、人を殺し火を放つ計《はかりごと》を出しゝ首よ、深山《みやま》の荒鷲に似たる男等の首よ。今は靜に身を籠中に托すること、人に馴れたる小鳥の如し。近づくこと一歩にして見れば、刎《は》ねられてよりまだ日を經ざるものと覺しく、鬚眉《しゆび》猶生けるがごとし。既にして我は中央なる首級の少しく異なるものあるを認め得たり。こは分明《ぶんみやう》に老女《おうな》の首なりしなり。我はこの褐《かち》いろの顏、半ば開ける※[#「目+匡」、第3水準1-88-81]《まぶた》、格子の外に洩れ出でゝ風に亂るゝ銀髮を凝視して、我脈搏の忽ち亢進するを覺えき。われは眼を壁に懸けたる石版に注げり。版には土地《ところ》の習にて、梟せられたるものゝ氏名と其罪科とを彫《ゑ》りたり。果せるかな、中央に老女フルヰア、フラスカアチの産と記せり。われはいたく感動して、覺えず歩み退《しりぞ》くこと二三歩なりき。嗚呼、嘗て一たび我性命を救ひ、我に拿破里に至る盤纏《ろよう》を給せしフルヰアは、今此梟木の上より我と相見るなり。この藍色なる唇は、曾て我額に觸れしことあり。この物言はざる口は、曾て我に未來の運命を語りしことあり。汝は我福祉を預言したり。汝の猛き鷲は日邊に到らずして其翼を折《くじ》けり、世のまがつみと戰ひてネミの湖に沈みたり。われは涙を灑《そゝ》いでフルヰアの名を呼び、盤散《はんさん》として閭門《りよもん》の外なる街道に歩み旋《かへ》りぬ。
翌朝ネピを發してテルニイに抵《いた》りぬ。こは伊太利|疆内《きやうない》にて最も美しく最も大なる瀑布ある處なり。われは案内者《あないじや》と共に、騎して市を出で、暗く茂れる橄欖《オリワ》の林に入りぬ。濕《うるほ》ひたる雲は山巓《さんてん》に棚引けり。我は羅馬以北の景を看て、その概《おほむ》ね皆陰鬱なるに驚きぬ。大澤《たいたく》の畔の如くならず、テルラチナ[#「テルラチナ」に二重傍線]なる橄欖の林の棕櫚《しゆろ》を交へたるが如くならず。されど我は猶此感の我中情より出でたるにあらざるかを疑へり。
道は一苑を過ぎて、巖壁と激流との間なる街※[#「木+越」、第3水準1-86-11]《なみき》に入りぬ。その木は皆鬱蒼たる橄欖なり。これを行く間、われは早く水沫《みなわ》の雲の如く半空に騰上《とうじやう》して、彩虹の其中に現ぜるを見き。蝦夷石南《レヅム》と「ミユルツス」との路を塞げるを、押し分けつゝ攀《よ》ぢ登りて見れば、大瀑《おほたき》は山の絶巓《ぜつてん》より起り、削《けづ》れる如き巖壁に沿ひて倒下す。側に一支流ありて、迂曲して落つ。其|状《さま》銀色の帶を展《の》べたる如し。この細大二流は、わが立てる巖《いはほ》の前に至りて合し、幅|闊《ひろ》き急流となり、乳色の渦卷を生じて底《そこひ》なき深谷に漲《みなぎ》り落つ。雷の如き響は我胸を鼓盪《こたう》して、我失望我苦心と相應じ、我をして前《さき》に小尼公《アベヂツサ》の爲めにチヲリの瀧の前に立ちて、即興の詩を吟ぜし時の情を憶ひ起さしむ。げにや、碎け、消え、死するは自然の運命なること、獨り此瀑布のみにはあらず。
導者はわれを顧みていふやう。昨年|英吉利《イギリス》人《びと》ひとり山賊に撃ち殺されしは、此巖の上にての事なりき。賊はサビノの山のものなりといへど、羅馬のテルニイとの間に出沒して、人その踪蹤《そうしよう》を審《つばら》にすること能はず。警吏は直ちに來りて、そが夥伴《なかま》なる三人を捕へき。われはその車上に縛せられて市《まち》に入るを見たり。市の門にはフルヰアの老女《おうな》立ち居たり。老女は天《あめ》の下の奇しき事どもを多く知れるものにて、世には法皇の府の僧官《カルヂナアレ》達も及ばざること遠しとぞいふ。その時老女の車上の賊に向ひて語りしは、何事にかありけん、例の怪しき詞なれば、傍聽《かたへぎき》せしものは辨《わきま》へ知らん由なかりき。さるを後には老女を彼賊の同類なりとし、ことし數人の賊と共に彼老女をさへ刎《は》ねて、ネピの石垣の上に梟《か》けたりと語りぬ。
妄想
自然と云ひ人事と云ひ、一として我心の憂を長ずる媒《なかだち》とならざるものなし。暗黒なる橄欖《オリワ》の林はいよ/\濃き陰翳を我心の上に加へ、四邊《よも》の山々は來りて我|頭《かしら》を壓せんとす。われは飛ぶが如くに、里といふ里を走り過ぎて、早く海に到らんことを願へり、風吹く海に、下なる天《そら》の我を載すること上なる天の我を覆ふが如くなる處に。
我胸は愛を求むるが爲めに燃ゆ。是より先き此火は既に二たび點ぜられしなり。昔のアヌンチヤタは我が仰ぎ瞻《み》しところ、我が新に醒めたる心の力もて攀《よ》ぢんと欲せしところなるに、憾《うら》むらくは我を棄てゝ人に往けり。今のフラミニアは我を眩《げん》せしめず、我を狂せしめずして、漸く我心と膠着《かうちやく》すること、寶石のまばゆからざる光の、久しきを經て貴きことを覺えしむるが如くなりき。フラミニアは我手を握ること、妹の兄の手を握る如く、我にこれに接吻することを許すこと、妹の兄に許す如く、又我を説き慰め、我が爲めに祈りて世の穢《けがれ》を受けざらしめんとして、その度ごとに知らず識らず鏃《やじり》を我心に沒せしめたり。我はこれを愛すること許嫁《いひなづけ》の婦《つま》を愛するが如くならず。されどその人の婦とならんをば、われまた冷に傍より看ること能はざりしならん。今やフラミニアは死せり、現世《うつしよ》の爲めには亡人《なきひと》の數に入りたり。世にはこれを抱き、その唇に觸るゝことを得るものなし。是れ我が責《せめ》てもの慰藉也。
海に往かん、往いて海の驚くべき景を觀ん。是れ我が新なる境界なり。ヱネチアよ、水に泛《うか》べる都城よ、ハドリアの海の王女よ、願はくは我をして重れる山と黒き林とを過ぎることを須《もち》ゐず、空に翔《かけ》り波を凌《しの》ぎて汝と會することを得しめよとは、我が當時の夢なりき。
初め我は先づフイレンチエに往き、かしこよりボロニア、フエルララを經て、ヱネチアに達せんと欲せしに、今は忽ち前の計畫を擲《なげう》ち、スポレツトオより雇車《やとひぐるま》を下り、暗夜身を郵便車に托してアペンニノの嶺を踰《こ》え、ロレツトオ[の地をさへ、尊き御寺《みてら》を拜まずして馳せ過ぎつ。
山道を登りて巓《いたゞき》に至りし時、我は早く地平線上一帶の銀色を認め得たり。是れハドリア海なり。脚下に大波の層疊せるを見るは、群巒《ぐんらん》の起伏せるなり。既にして碧波の上に、檣竿《しやうかん》の林立せるを辨ず。種々《くさ/″\》なる旗章は其|尖《さき》に翻《ひるがへ》れり。光景は略《ほ》ぼ拿破里《ナポリ》に似たれど、ヱズヰオの山の黒烟を吐けるなく、又カプリの島の港口に横《よこたは》れるなし。此夜の夢に、我はフルヰアのおうなとフラミニアの君とに逢ひしに、二人皆面に微笑を湛へて、君が福祉の棕櫚《しゆろ》は緑ならんとすと告げたり。
眠醒めしとき、日は旅店の窓よりさし入りたり。房奴《カメリエリ》來りていふやう。客人《まらうど》よ、ヱネチアに渡る舟は今帆を揚げんとす、猶留りてこのわたりの景色を觀んとやし給ふといふ。否、舟あるこそ幸なれ、さらば直ちにヱネチアに往かんと答へつ。我心は何故とも知る由なけれど、唯だ推され輓《ひ》かるゝ如くなりき。われは埠頭《ふとう》におり立ちて、行李を搬《はこ》び來らしめ、目を放ちて海原を望み見たり。さらば/\我故郷。われは足の此土を離れんとするに臨みて、いよ/\新なる世界の我が爲めに開くべきを感ぜり。北伊太利國の自然の全く相|殊《こと》なるべきは始より疑ふべからず。就中《なかんづく》ヱネチアは盛飾せる海の配偶にして、他の伊太利諸市と全く其趣を異にすべきこと明なり。我が乘るところの此舟は、即ちヱネチアの舟にして、翼ある獅子の旗は早く我が頭上に翻《ひるがへ》れり。帆は風に※[#「厭/食」、第4水準2-92-73]《あ》きて、舟は忽ち外海に※[#「馬+央」、131-上段-13]《はし》り出で、我は艙板《ふないた》の上に坐して、藍碧なる波の起伏を眺め居たるに、傍に一少年の蹲《うづくま》れるありて、ヱネチアの俚謠《ひなうた》を歌ふ。其歌は人生の短きと戀愛の幸あるとを言へり。こゝに大概《あらまし》を意譯せんか。其辭にいはく。朱《あけ》の唇に觸れよ、誰か汝の明日《あす》猶在るを知らん。戀せよ、汝の心の猶|少《わか》く、汝の血の猶熱き間に。白髮は死の花にして、その咲くや心の火は消え、血は氷とならんとす。來れ、彼|輕舸《けいか》の中に。二人はその蓋《おほひ》の下に隱れて、窓を塞ぎ戸を閉ぢ、人の來り覗《うかゞ》ふことを許さゞらん。少女《をとめ》よ、人は二人の戀の幸を覗はざるべし。二人は波の上に漂ひ、波は相推《あひお》し相就《あひつ》き、二人も亦相推し相就くこと其波の如くならん。戀せよ、汝の心の猶|少《わか》く、汝の血の猶熱き間に。汝の幸を知るものは、唯だ不言の夜あるのみ、唯だ起伏の波あるのみ。老は至らんとす、氷と雪ともて汝の心汝の血を殺さん爲めに。少年は一節を唱《うた》ふごとに、其友の群を顧みて、互に相頷けり。友の群は劇場の舞群《ホロス》の如くこれに和せり。まことに此歌は其辭卑猥にして其|意《こゝろ》放縱なり。さるを我はこれを聞きて輓歌《ばんか》を聞く思ひをなせり。老は至らんとす。少壯の火は消えなんとす。我は尊き愛の膏油を地上に覆《くつがへ》して、これを焚いて光を放ち熱を發せしむるに及ばざりき。こは濫用して人に禍《わざはひ》せしならねど、遂に徒費して天に背《そむ》きしことを免れず。そも/\我は誓約の良心を縛《ばく》するあるにあらず、責任の云爲《うんゐ》を妨ぐるあるにあらずして、何故に我前に湧ける愛の泉を汲まざりしぞ。かく思ひ續くれば、一種の言ふべからざる情はわが胸に溢れたり。これに名づけて自ら慊《あきたら》ざる情ともいふべきか。こは我慾火の勢を得て、我智慧を燬《や》くにやあらん。
我がサンタを畏れて走り避けしは何故ぞ。聖母《マドンナ》の像の壁上より落ちぬればなり。否々、※[#「金+肅」、第3水準1-93-39]《さ》びたる釘はいづれの時か折れざらん。まことに我をして走り避けしめしものは、我脈絡中なる山羊の乳のみ、「ジエスヰタ」派學校の教育のみ。われはサンタの艶色を憶ひ起して、心目にその燃ゆる如き目《ま》なざしを見心耳にその渇せる如き聲音《こわね》を聞き、我と我を嘲り我と我を卑《いやし》めり。何故に我は世上の男子の如く、ベルナルドオの如くなることを得ざる。愛を求むるは我心にあらずや。我心は神の授け給ひし光明にあらずや。さらば愛を求むるは神にあらずや。此時我は此の如くに思議せり。此の如くに思議して、ヱネチアの繁華をおもひ、その女《をみな》ありて雲の如くなるをおもひ、我血の猶熱せるをおもひ、忽ち聲を放ちて我少年の歌に和したり。
嗚呼、是れ皆熱の爲めに發せし譫語《うはごと》のみ、苦痛の餘なる躁狂《さうきやう》のみ。我に心の光明を授け給ひし神よ、我運命の柄を握り給ふ神よ。我は御身の我罪を問ひ給ふことの刻薄ならざるべきを知る。人の心中には舌頭に上《のぼ》すべからざる發作《ほつさ》あり、爭鬪あり。是れ吾人の清廉なる守護神の膝を惡魔の前に屈する時なり。世の能く欲して能く遂ぐる人々は、我がいたづらに欲せしところに就いて、自在に評論せよ。されど汝等は裁決せざれ。さらば汝等は裁決せられざるならん。汝等は呪誼《じゆそ》せざれ。さらば汝等は呪誼せられざるべし。我は實に此の如く思議せり。此の如く思議して、復た祷《いのり》の詞を出すこと能《あた》はずして寢たり。舟は穩《おだやか》に我夢を載せて、北のかたヱネチアに向へり。
水の都
曉に起きて望めば、前面早く家々の壁と寺塔とを辨ずることを得たり。そのさま譬へば帆を揚げたる無數の舟の横に列《つらな》れるが如し。左のかたにはロムバルヂアの岸の平遠なる景を畫けるあり。遙に地平線に接してはアルピイの山脈の蒼靄《さうあい》に似たるあり。われはこれを望みて、彼蒼《ひさう》の廣大なるを感ぜり。天球の半《なかば》は一時に影を我心鏡に映ずることを得たるなり。
爽涼なる朝風は我感情を冷却せり。我は心裡《しんり》にヱネチアの歴史を繰り返して、その古《いにしへ》の富、古の繁華、古の獨立、古の權勢|乃至《ないし》大海に配《めあは》すといふ古の大統領《ドオジエ》の事を思ひぬ。(ヱネチア共和國に「ドオジエ」を置きしは、第八世紀より千七百九十七年に至る。)既にして舟は漸く進み、鹹澤《かんたく》(ラグウナ)の上なる個々の人家を見るに、その壁は黄を帶びたる灰色を呈し、古代の樣式にもあらず、又近時の設計にもあらねば、要するに好觀にあらざりき。名に聞えたるマルクスに傍線]の塔は思ひしよりも高からず。舟は陸と鹹澤との間を進めり。後なるものは曲りたる堤の如く、海中に斗出《としゆつ》したり。土地は全體極めて卑《ひく》しとおぼしく、岸の水より高きこと僅に數寸なるが如し。偶々數戸の小屋の群を成せるあれば、指ざして市《フジナ》と云ふ。こゝかしこには一叢《ひとむら》の木立あり。其他は渾《すべ》て是れ平地なりき。
われはヱネチアの既に甚だ近きを覺えしに、今|傍人《かたへびと》に問へば猶一里ありと答ふ。而して此一里の間は、皆|瀦留《ちよりう》せる沼澤《せうたく》の水のみ。處々には泥土の島嶼《たうしよ》の状《さま》をなして頭を露《あらは》せるあり。その上には一鳥の足を留むるなく、一莖の草の萌え出づるなし。沼澤の中に、深き渠《みぞ》を穿ちて、杭を立て泥を支ふるあり。是れ舟を行《や》る道なり。われは始て「ゴンドラ」といふ小舟を見き。皆黒塗にして、その形狹く長く、波を截《き》りて走ること弦《つる》を離れし箭《や》に似たり。逼《せま》りて視れば、中央なる船房にも黒き布を覆《おほ》へり。水の上なる柩《ひつぎ》とやいふべき。拿破里《ナポリ》の水は岸に近づきても猶藍いろなるに、こゝは漸く變じて汚れたる緑となれり。偶※[#二の字点、1-2-22]《たま/\》一島の傍を過ぐるに、その家々は或は直ちに水面《みのも》より起れる如く、或は廢《すた》れたる舟の上に立てる如し。最も高き石壁の頂に、幼き耶蘇《やそ》を抱ける聖母《マドンナ》の御像《みざう》ありて、この荒涼なる天地を眺め居給ふ。水の淺きところは、別に一種の鴨緑《あふりよく》色をなして、一面深き淵に接し、一面は黒き泥土の島に接す。日は明《あか》くヱネチアの市《まち》を照して、寺々の鐘は皆鳴り響けり。されど街衢《がいく》は闃《げき》として人影なきに似たり。船渠《せんきよ》を覗へば、只だ一舟の横《よこたは》れるありて、こゝにも人を見ざりき。
我は身を彼水上の柩《ひつぎ》に托して、水の衢《ちまた》に入りぬ。樓屋軒をならべて石階の裾《すそ》は直ちに水面に達し、復た犬ばしり程の土をだに着けず。家々の穹窿門《きゆうりゆうもん》は水に架して橋梁の如く、中庭は大なる井の如し。この中庭には舟に帆掛けて入るべけれど、舳艫《ぢくろ》を旋《めぐら》さんことは難《かた》かるべし。海水はその緑なる苔皮《たいひ》をして、高く石壁に攀《よ》ぢ登らしめ、巍々《ぎゝ》たる大理石の宮殿も、これが爲めに水中に沈まんと欲する状《さま》をなし、人をして危殆《きたい》の念を生ぜしむ。況《いはん》や金薄《きんぱく》半ば剥げたる大窓の※[#「※[#第4水準2-13-74] 」の「斤」に代えて「りっとう」、132-中段-24]《けづ》らざる板もて圍まれたるありて、大廈の一部まことに朽敗《きうはい》になん/\としたるをや。既にして梵鐘《ぼんしよう》は聲を斂《をさ》めて、※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]《かぢ》の水を撃つ音より外、何の響をも聞かずなりぬ。われは猶未だ人影を見ずして、只だ美しきヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の鵠《はくてう》の尸《かばね》の如く波の上に浮べるを見るのみ。
舟は轉じて他の水路に入りぬ。その幅頗る狹くして石橋あまたかゝれり。こゝには人ありて、或は橋を渡りて家の間に隱れ、或は石壁の門を出入す。されど街と名づくべきものは、水路の外有ることなし。舟人の棹《さを》を留めたるとき、われは何處に往くべきぞと問ひぬ。舟人は家と家との間を通ずる、橋の側なる隘《せば》き巷《こうぢ》を指ざし教へつ。兩邊の家に住める人は、おの/\六層樓上の窓を開いて、互に手を握ることを得べく、この日光を受けざる巷は、僅に三人の並び行くことをゆるすなるべし。我舟は既に去りて、身邊また寂《せき》として人を見ず。
あはれヱネチアとは是か、海の配偶と云ひ、世界第一の富強者と云ひしヱネチアとは是か。われは名に聞えたるマルクスの廣こうぢに入りぬ。こはヱネチアの心胸と稱すべき處にして、國の性命は此《こゝ》に存ずといふなるに、その所謂《いはゆる》繁華は羅馬のコルソオに孰與《いづれ》ぞ、又拿破里《ナポリ》の市に孰與ぞ。石の迫持《せりもち》の下なる長き廊道《わたどのみち》には、書肆《しよし》あり珠玉店あり繪畫鋪あれども、足を其前に留むるもの多からず。唯だ骨喜店《カツフエエ》の前には、幾個の希臘人、土耳格《トルコ》人などの彩衣を纏ひて、口に長き烟管《きせる》を啣《ふく》み、默坐したるあるのみ。日は「マルクス」寺の星根の鍍金《めつき》せる尖《さき》と寺門の上なる大いなる銅馬《どうめ》とを照して、チユペルス、カンヂア、モレア等の舟の赤檣《せきしやう》の上なる徽章ある旗は垂れて動かず。數千の鴿《はと》は廣こうぢを飛びかひて、甃石《いしだたみ》の上に※[#「求/食」、第4水準2-92-54]《あさ》れり。
われは進みてポンテ、リアルトオに到りて、いよ/\斯《この》土の風俗を知りぬ。ヱネチアは大いなる悲哀の郷なり、我主觀の好き對象なり。而して此郷の水の上に泛《うか》べること、古のノアの舟と同じ。われは小き舟を下りて、この大いなる舟に上りしなり。
日の夕となりて、模糊として力なき月光の全都を被《おほ》ひ、隨處に際立ちたる陰翳《いんえい》を生ぜしとき、われはいよ/\ヱネチアの眞味を領略することを得たり。死せる都府の陰森《いんしん》の氣は、光明に宜しからずして幽暗に宜しければなり。われは客亭の窓を開いて立ち、黒き小舟の矢を射る如く黒き波を截《き》り去るを望み、前《さき》の舟人の歌ひし戀の歌を憶ひ起せり。われは此時アヌンチヤタを恨みき。いかなれば彼佳人は我を棄てゝベルナルドオに奔《はし》りしぞ。こは誠實を去りて輕薄に就きしにあらずや。われは此時フラミニアをさへ恨みき。いかなれば彼|少女《をとめ》は我を棄てゝ尼寺に入りしぞ。こは情愛を去りて平和に就きしにあらずや。我胸は一種の言ふべからざる空虚を感じたり。我胸はあらゆる我を喜ばせしものとあらゆる我を慰めし者とを一掃して去らんと欲せり。然るにかく思議する間、終始我心目の前に往來するものは、可哀《かはゆ》きララと罪深きサンタとの面影なりき。われは蹣跚《まんさん》として階《きざはし》を下り、舟を喚《よ》びて水の衢《ちまた》を逍遙せり。二人の柁手《こぎて》は相和して歌ふ。其歌は古の恢復せられたるエルザレム(ジエルザレムメ、リベラアタ)の調にあらず、大統領《ドオジエ》の族《うから》絶えて、獅子の翼の外人《よそびと》に縛せられてより、ヱネチアの民はその歌謠の上の國粹をさへ失ひつるなり。われは獨語して、いでや人生の渦裏に投じて、人生の樂《たのしみ》を受用し、誓ひて餘瀝なからしめんと云ふとき、舟はもとの旅館の階下に留まりぬ。われは又蹣跚として階を上り、おぼつかなき孤客の夢を結びぬ。
颶風
羅馬より齎《もたら》したる紹介状は、我をして相識を得しめ、我をして所謂朋友あらしめたり。人々は我を「アバテ」と喚べり。我言の善きをば人皆褒め、我|才《ざえ》をば人皆稱せり。羅馬なる恩人は常に我に不快なる事を告げ、中にはことさらに我に快からざるべき事どもを探り覓《もと》めて、そを我に告ぐる如くなりしに、今はさる詞を耳にすることなし。羅馬にては常に長上にのみ交ることゝて、フラミニアの姫の情あるすら、我をして抑壓の苦を忘れしむること能はざりしに、今は心にさる負荷《おひに》を覺ゆることなし。苦言を聞かざるは、信ある友なきなりといへば、こゝには信ある友は絶て無きなるべし。
われは大統領《ドオジエ》の館《たち》の輪奐《りんくわん》の美を討《たづ》ねて、その華麗を極めたる空《むな》しき殿堂を經※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《へめぐ》り、おそろしき活《いき》地獄の圖ある鞠問所《きくもんじよ》を觀き。われは彼四面皆|塞《ふさが》りたる橋の、小舟通ふ溝渠の上に架せられたるを渡りぬ。是れ館より牢獄に往く道にして、名づけて歎息橋と曰ふとぞ。橋に接する處は即ち牢井《らうせい》なり。廊《わたどの》に點じたる燈火《ともしび》は僅かに狹き鐵格《てつがう》を穿ちて、最上層の獄《ひとや》を照し出せり。此層の如きは、これを下層に比するときは、猶晴やかなる房《へや》と稱すべきならん。濕《うるほ》ひて菌《きのこ》を生じたる床は、※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55]《はるか》に溝渠の水面の下にあり。あはれ、此房の壁は幾何《いくばく》の人の歎息と叫喚とを聞きつる。われは慴然《せふぜん》として肌膚《きふ》の粟《あは》を生ずるを覺え、急に舟を呼んで薄赤いろなる古宮殿、獅子を刻める石柱の前を過ぎ、鹹澤《かんたく》の方に向ひぬ。舟の指すところは即ち所謂|岸區《リド》なりき。
われは岸區に近づくとき、何物をか見し。ここには一の大いなる墓田ありき。外國人《とつくにびと》と新教徒とは、この水と水とに挾まれたる一帶の土の、殆ど時々刻々洗ひ去らるゝ状《さま》をなせる處に埋めらるゝなり。白き人骨は沙《いさご》の表に露《あらは》れて、これが爲めに哭《こく》するものは、只だ浪の音あるのみ。
漁父の危きを冒して沖に出でたるとき、その妻そのいひなづけの妻などの、坐して夫の舟の歸るを待つは、此岸區なりといふ。颶風《ぐふう》の勢少しく挫《くじ》けたるとき、こゝに坐したる女子《をみなご》の、彼恢復せられたるエルザレム[#「エルザレム」に二重傍線]中の歌を歌ひ、耳を傾けて夫の聲のこれに應ずるや否やを覗《うかゞ》ひしこと幾度ぞ。さるをその懷《なつ》かしき夫の聲の終に應ずることなく、可憐の女子の獨り不言の海に對して口は復た歌ふこと能はず、目は空しく沙上の髑髏《されかうべ》を見、耳は徒らに岸打浪《きしうつなみ》の音を聞きて、暮色の漸く死せる古都を掩《おほ》ふを覺えしこと又幾度ぞ。
この暗澹たる畫圖は我心目に上りて消えず、我情調はこれに一層の悲慘の色を添へんとせり。わが對するところの自然は、無常と歴劫《れきごふ》との觀を惹《ひ》き起すこと、一の寺院の如くなりき。フラミニアの姫の詞は、此時|端《はし》なく憶ひ出されぬ。詩人は神の預言者にあらずや。何故に詩人は神の徳を頌せんことを勉めざる。嗚呼、我は忽ち此詞の眞理なることを感得せり。不滅なる詩人の心は不滅なる神をこそ詩料とすべきなれ。目前の榮華は泡沫の五彩の色を現ずるに異ならずして、その生ずる時はやがてその滅する時なり。われは忽ち興到り氣|奮《ふる》ふを覺えしに、忽ち又興散じて氣衰ふるを覺え、悄然として舟に上り、大海に臨める岸區《リド》に着きぬ。
海はやゝ浪立てり。われは佇立《ちよりつ》してアマルフイイの灣《いりえ》を憶ひ起しつゝ、目を轉じて身邊を顧みれば、波のもて來し藻草と小石との間に坐して、草畫を作れる男あり。われは其姿に些《ちと》の見おぼえあるをもて、徐《しづか》にこれに近づくほどに男は身を起して此方《こなた》に向へり。こは我がヱネチアに來てよりの新相識の一人なる貴族の少年にて名をポツジヨといふものなりき。
ポツジヨのいふやう。こゝにて君と相見んとは思ひ掛けざりき。この怒り易く恃《たの》み難きハドリアの海の、能く君を招き致したるは、唯だその紅波白浪の美あるがためか、そも/\別に美なるものありて、この岸區に住めるにはあらざるかといひぬ。我等は互に進み寄りて手を握りつ。
人の語るを聞くに、ポツジヨは畫才ありて資力なき人なり。その人に對する言語動作は活溌にして、間々放縱なるかとさへ疑はるゝ節あれども、まことはいみじき厭世家なり。言ふところはドン・ホアンを欺《あざむ》く蕩子《たうし》なる如くにして、まことは聖《サン》アントニウス[の誘惑を峻拒《しゆんきよ》する氣概あり。無邪氣なること赤子の如く、胸中一事を包藏するに堪へざるものに似て、智を恃《たの》める士流は遂にその底蘊《ていうん》を窮むること能はず。こは深き憂に中《あた》れるが爲めなるべけれど、その憂は貧か戀か、そも/\別に尋常《よのつね》ならざる祕密あるか。これを知るもの絶て無しとぞ。われは人の若語《しかかた》るを聞きて、かねてよりポツジヨに親まんことを願ひしかば、今ゆくりなくこれに逢ひて、心にこの邂逅を喜び、早く胸の狹霧《さぎり》のこれがために晴るゝを覺えき。
ポツジヨは海を指ざしてかゝる青く波立てる大面積は羅馬の無き所なり、おほよそ地上の美なるもの海に若《し》くはなかるべし、宜《むべ》なり海はアフロヂテの母にしてと云ひさし、少し笑ひて、又ヱネチア歴代の大統領の未亡人なりといへり。われ。海を愛する心は、ヱネチアの人殊に深かるべき理《ことわり》あり。海は己れが母なるヱネチアの母にして、己れを愛撫し己れを游嬉せしむる祖母なればなり。ホツジヨ。その氣高かりし海の女《むすめ》の今は頭を低《た》れたるぞ哀なる。われ。フランツ帝の下にありて幸ありとはいふべからざるか。ポツジヨ。われは政治を解せず。ヱネチア人は今も不平を説くことを須《もち》ゐざるなるべし。されどわが解するところのものは美妙なり。陸上宮殿の柱像《カリアチデス》たらんは、海の女王たらんことの崇高なるには若《し》かず。おもふに君の美妙を崇拜し給ふこと我に殊ならざるべければ、君はかしこより來る彼美《かのび》の呼び迎ふるをも辭《いな》み給はぬならん。こは識る所の酒亭《オステリア》の娘なり。共に往き給はずやといふ。われはポツジヨと少女《をとめ》に誘はれて、海に枕《のぞ》める小家に入りぬ。酒は旨《うま》し。友は善く談ぜり。誰かポツジヨが軽快なる辯と怡悦《いえつ》の色とを見て、その厭世の客たるを知り得ん。我は共に坐すること二時間ばかりなりしに、舟人は急に我を呼びて歸途に就かんことを促せり。こは颶風《ぐふう》の候《しるし》ありて、岸區《リド》とヱネチアとの間なる波は、最早小舟を危うするに足るが故なりと云へり。ポツジヨは耳を欹《そばだ》てたり。何とか云ふ。颶風は我が久しく觀んことを願ひしところなり。「アバテ」も暫く我と共に留まり給へ。日の暮るゝまでには凪《な》ぐべし。若《もし》凪がずば、枕をこの茅《かや》屋根の下に安くして、波の音を聞くこと、昔子もり歌を聞きしが如くせんといふ。我は舟人を顧みて、舟を要せば別に雇ふべければ、汝達は去留自在にせよといひて、暇を取らせつ。
須臾《しゆゆ》にして波濤|洶々《きよう/\》の音漸く高く、風力の衝突は頻りに全屋を撼《うごか》せり。我とポツジヨとは偕《とも》に戸外に出でゝ瞻望《せんばう》したり。時に夕陽は震怒したる海の暗緑なる水を射て、大波の起る處雪花亂れ翻《ひるがへ》れり。地平線に近き邊には、層雲|堆《たい》を成して、稻妻の其間より閃發《せんぱつ》せるさま、幾箇の火山の噴坑を開けるに似たり。我等は忽ち二三の舟の紙上の黒點の如く彼雲に映ずるを見しが、忽ち又之を失へり。岸を噬《か》む水は、石に觸れて倒立し、鹹沫《しぶき》は飛んで二人の面を撲《う》てり。ポツジヨの興は風浪の高きに從ひて高く、掌を抵《う》ちて哄笑し、海に對して快哉《くわいさい》を連呼せり。此興は我に感じ傳はりて、我は胸中の苦悶の天地の忿怒に壓倒せらるゝを覺え、亦ポツジヨの聲に應じて叫びぬ。
暮色は急に襲ひ至りぬ。我等は亭《あづまや》に入りて、當※[#「土へん+盧」、第3水準1-15-68]《たうろ》の女をして良酒を供せしめ、續けさまに數杯を傾けて、此自然の活劇を翫《もてあそ》べり。忽ちポツジヨの聲を放ちて歌ふを聞きつ。其曲は嘗て此地に來りしとき舟中にありて聞きしと同じき戀の歌なり。われ杯を擧げて、ヱネチアの美人の健康のために飮まんと云へば、ポツジヨ]、さらば我は羅馬の美人のために飮まんと云ふ。若し相識らぬ人の、我等の狂態を見たらんには、定めて尋常時《つねのとき》に及びて行樂する徒《ともがら》となすなるべし。ポツジヨのいふやう。女子の美は羅馬に若《し》くはなし。君はいかにおもひ給ふか。憚《はゞか》ることなく答へ給へ。われ。そは我が首肯する所なり。ポツジヨ。さもあるべし。されど伊太利第一の美人は此ヱネチアにこそあれ。憾むらくは君未だ市長《ボデスタ》の女を見給はず。清楚なること此の如きは、世の絶て無くして僅に有るところにして、これをや精神上の美とは云ふべき。若しカノワにして此女を識りたらましかば、その三美《ハリテス》の像の最も少きをば、必ず此女の姿によりて摸し成ししならん。(カノワは彫匠《てうしやう》なり。ポツサニヨに生れヱネチアに歿す。三美の像は獨逸ミユンヘンに在り。)われは嘗て晩餐式ありしとき、寺院にて見、又|聖摩西《サン、モセス》の劇場にて一たび見たり。その高根の花に似て、仰ぎ看るだに容易《たやす》からぬを恨むものは、獨り我のみにはあらず。おほよそヱネチアの少年紳士にして同じ恨を抱かぬはあらざるならん。只だ人々と我と相異なるは、彼は懸想《けさう》し我は懸想せざるのみ。我俗眼もて見れば、彼人は餘りに天人めきたり。されど天人は崇拜の對象とすべきならん。「アバテ」はいかに思ひ給ふといふ。われは此語を聞いて、フラミニアの事を思ひ出し、喜の色は我面より消え失せたり。ポツジヨ。酒は好し。風波は我|筵《えん》の爲めに歌舞す。いかなれば君|愁《うれひ》の色を見せ給ふぞ。われ。市長《ボデスタ》は客を招き筵を張ることありや。ポツジヨ。稀にそのことなきにあらず。されど招請《せうせい》を慎《つゝし》むこといと嚴《おごそか》なり。矧《いはん》や彼人は物に怯《おそ》るゝこと鹿子《かのこ》の如く、同じ席に列《つらな》るものもたやすく近づくこと能はざるを奈何せん。われは必ずしもかの人心より此の如しと説かず。そは人にめづらしがられんとてかく振舞ふ女も少からねばなり。そが上に彼人の身上には明白ならざる處なきにしもあらず。わが聞くところに依れば、市長に二人の妹ありて、皆久しく遠國に住めりき。その最も少《わか》き方の妹は希臘人に嫁ぎたりしに、その夫婦の間に彼の奇《く》しき少女はまうけられぬといふ。今一人の妹は猶|處子《しよし》なり、しかも老いたる處子なり。四とせ前の頃彼の少女を伴ひて歸り來りしは、此の老處子に他ならざりき。
夜の如き闇黒は急に酒亭《オステリア》を襲ひて、ポツジヨが話の腰を折りたり。あなやと驚く隙《ひま》もあらせず、赫然《かくぜん》たる電光は身邊を繞《めぐ》り、次いで雷聲大に震ひ、我等二人をして覺えず首を低《た》れて、十字を空に畫かしめつ。
酒亭の女主人《をみなあるじ》色を變じて馳せ來りて云ふやう。氣の毒なることこそ出來《いできた》り候ひぬれ。岸區《リド》の優《すぐ》れたる舟人六人未だ海より歸らずして、就中《なかんづく》憐むべきアニエエゼは子供五人と共に岸に坐して待てり。いかになり行くことならん。只だ聖母《マドンナ》の御惠を祈らんより外|術《すべ》なしといひぬ。忽ち歌頌の聲はわれ等の耳に入れり。戸を出でゝ覗へば、彼の激浪倒立すること十丈なる岸頭に、一群の女子小兒の立てるあり。小兒等は十字架を棒げ持てり。群のうちに一人の年少《わか》き女の、地に坐して海上を凝視せるあり。この女は赤子に乳房を銜《ふく》ませたるに、別に年稍々長ぜる一兒の膝に枕したるさへありき。忽ち一道の雷火下り射ると共に、颶風は引き去らんと欲する状《さま》をなせり。地平線には小き稻妻亂れ起りて、暗碧なる浪の尖《さき》なる雪花はほの/″\と白み來れり。彼女は俄に蹶起《けつき》して、舟はかしこにと呼べり。われ等はその指す方に一の黒點あるを認め得たり。黒點は次第に鮮《あざや》かになりぬ。時に一人の老漁ありて、褐《かち》いろなる無庇帽《つばなしばうし》を戴き指を組み合せて立ちたりしに、不意にあなやと叫べり。聲未だ畢《をは》らざるに、我等は黒點の泡立てる巨濤の蔭に隱るゝを見たり。果せるかな老漁の目は我を欺かざりき。一群の人は周章の色を現せり。天の漸く明かに、海の漸く靜に、舟人遭難の事の漸く確實になりゆくと共に、周章の色は加はり來れり。小兒は捧げ持ちたりし十字架を地に委《ゆだ》ねて、泣き號《さけ》びつゝ母に縋《すが》りぬ。その時老漁は十字架を地より拾ひて、救世主の足に接吻し、更に高くこれを※[#「敬/手」、第3水準1-84-92]《さゝ》げて口に聖母《マドンナ》の御名を唱へき。
半夜に至りて天に纖雲なく、皎月《けうげつ》はヱネチアと岸區《リド》との間なる風なき水を照せり。われはポツジヨと舟を倩《やと》ひて岸區を離れたり。そは留まりて彼の五子の母を慰藉し、又これを救恤《きうじゆつ》するに由なかりしが爲めなり。
感動
翌晩われはポツジヨとヱネチア屈指の富人|某《それ》の家に會せり。こはわが出納《すゐたふ》の事を托したる銀行の主人《あるじ》なり。會するものはいと多かりしかど、席上一の我が相識れる婦人なく、又一の我が相識らんことを欲する婦人なかりき。
會話は昨夜《よべ》の暴風の事に及べり。ポツジヨは舟人の横死と遺族の窮乏とを語りて、些少なる棄損《きえん》のいかに大いなる功徳《くどく》をなすべきかを諷し試みたれども、人々は只だその笑止なることなるかなとて、肩を聳《そびや》かして相視たるのみにて、眞面目にこれに應《こた》ふるものなく、會話は餘所《よそ》の題目に移りぬ。
頃《しばら》くして席は遊藝を競ふところとなり、ポツジヨは得意の舟歌《ふなうた》(バルカルオラ)を歌へり。我は友の笑《ゑみ》を帶びたる容貌《おもざし》の背後《うしろ》に、暗に富貴なる人々の卑吝《ひりん》を嘲《あざけ》る色を藏《かく》したるかを疑ひぬ。舟歌畢りしとき、主婦は我に對ひて、君は歌ひ給はずやと問ひぬ。われ、さらば即興の詩一つ試みばやと答へぬ。四邊《あたり》には渠《かれ》は即興詩人なりと耳語《さゝや》く聲す。婦人の群は優しき目もて我を促し、男子等は我を揖《いふ》して請へり。われは「キタルラ」の琴を抱きて人々に題を求めつ。忽ち一少女の臆する色なく目を我面に注ぎてヱネチアと呼ぶあり。男子幾人か之に應じてヱネチア、ヱネチアと反復せり。そはかの少女の頗る美なるが爲めなり。われは絃を理《をさ》めて、先づヱネチア往古の豪華を説きたり。人々は歴史と空想とを編み交ぜたる我詞章に耳を傾けつゝ、彼過去の影をもて此現在の形となすにやあらん、その眼光は皆|耀《かゞや》けり。われは心中にララをおもひサンタをおもひつゝ、月明かなる夜、渠水《きよすゐ》に枕《のぞ》める出窓の上に、美人の獨りたゝずめる状《さま》を敍したり。婦人等はこれを聞きて、謳《うた》ふもの直ちに己れを讚むとなすにやあらん、繊手を拍《う》ちて我に酬《むく》いぬ。わが席上の成功はスグリツチ(原註、知名の即興詩人)にも讓らざる如くなりき。
ポツジヨは我耳に附きて、市長《ボデスタ》の姪あり、此席にありとさゝやきしが、會々《たま/\》婦人數人と老いたる貴族|某《それ》との坐客を代表して、我に再演を請ひたりしが爲めに、われは友と多く語を交ふること能はざりき。此請は我が預め期したるところなりき。われは好機會を得て、昨夜《よべ》の暴風と難船との事を敍し、前に友の雄辯もて遂ぐること能はざりしところをも、詞章もて遂げんと期《ご》したりしなり。
我はチチアノの贊といふ題を得たり。即興はおもふまゝなる喝采を博して、古名匠の贊はわが自贊となりぬ。されどチチアノは海を畫く人ならざりしが爲めに、われは此題を利用して我志を果すに由なかりき。
主婦は我に近づきていふやう。君の如く自家の技藝もてかくあまたの人を樂ましめ感ぜしめんは、いかに快き事なるべきか。われ。詩人第一の快事は詩の成功なり。主婦。さらば能くその快きを題として歌ひ給はんや。君の辭を措《お》き給ふことの容易《たやす》げなるよりわれ等は、頻《しき》りに請ふことの無禮《なめ》げなるをさへ忘れんとす。われ。こゝに一の奇術あり。そは人々皆詩人となりて、能く詩人の快さを體驗することなり。われは此|術《すべ》を善くすれども、かゝる術の常として、報《むくい》なくては演ずべきにあらず。わが此詞は果して座客をして耳を※[#「奇+攴」、第3水準1-85-9]《そばだ》てしめ、人々は爭ひ進みて、願はくはその奇術を見ることを得んと云へり。我は側なる卓《つくゑ》を指ざして、報《むくい》せんと思ふ方々《かた/″\》は、金錢にもせよ珠玉首飾の類にもせよ、此上に出し給へと云ひぬ。婦人の一人は戲《たはむれ》に、さらば我はこの黄金《こがね》の鎖を置かんと云ひて、言ふところの品を卓上に擲《なげう》てり。一男子は笑ひつゝ、さらば我は骨牌《かるた》の爲めに帶び來れる此金殘らずを置かんと云ひて、その財嚢《ざいなう》を擲《なげう》てり。われ。人々よ、我詞は戲言《ざれごと》にあらず、人々は再び其品を得給ふまじといふに、滿座の客は、さもあらばあれ君が奇術こそ見まほしけれと、金銀、指環、鎖の類を堆《うづたか》く卓上に積みたり。軍服着たる一老人、若しその奇術奇ならざるときは、われは我が「ヅカアチイ」二個(約三圓三十八錢)を取り返すことを得んかといひしに、ポツジヨは我に代りて、若し疑はしとおもひ給はゞ、夥伴《なかま》に入り給はでもあるべきにと答へぬ。人々はこれを聞きて打笑ひ、只管《ひたすら》我が演じいだす所のいかなるべきを俟《ま》ち居たり。
われは將《まさ》に口を開かんとするに臨みて、神の我に光明を與へ給ふを覺えたり。先づヱネチアの配偶なる、威力ある海を敍し、それより海の兒孫なる航海者に及び、性命を一|葦《ゐ》に托する漁者に及べり。次に前夕《さいつゆふべ》の目撃せしところに就きて颶風を敍し、岸に臨みて翹望《げうばう》せる婦幼に及び、十字架を落す兒童とこれを拾ひて高く※[#「敬/手」、第3水準1-84-92]《さゝ》ぐる漁翁とに及べり。我は殆ど歌ふところのものゝ即ち神の御聲《みこゑ》にして、我身の唯だ此聲を發する器具に過ぎざるを覺えき。時に廣座の間|寂《せき》として人なきが如く、處々に巾《きれ》もて涙を拭ふものあるを見る。われはこれより茅屋《ばうをく》のうちなる寡婦孤兒の憐むべき生活《なりはひ》を敍し、賑恤《しんじゆつ》の必要と其效果とに及べり。われは人間の快さは取るに在らずして與ふるに在り、與ふる快さは即ち神の御心にして、此心あるものは誰か眞の詩人たらざらんと云へり。我聲の威力、その幅員は曲の末解に至りて強さと大さとを加へき。我曲は能く衆人を感動せしめき。我が卓上の物を取りてポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]に交付し、これに救助の事を托せしときは喝采の聲|屋《いへ》を撼《ゆるが》したり。爾時《そのとき》一の年わかき婦人ありて、我前に來り跪《ひざまづ》き、我手を握り、その涙に潤《うるほ》へる黒き瞳もて我面を見上げ、神の母の報《むくい》は君が上にあれと呼びたり。われは婦人の黒き瞳を見て、曾て夢中に相逢ひたる如き念《おもひ》をなし、深くこれに動されぬ。婦人は此言をなし畢《をは》りて、纔《わづか》におのれの擧動の矩《のり》を踰《こ》えたるを曉《さと》れりとおぼしく、臉《かほ》に火の如き紅《くれなゐ》を上《のぼ》して席をすべり出でぬ。
座客は皆我傍に集ひて、わが博愛の心を稱《たゝ》へ、わが即興の作を讚む。ポツジヨは我を擁して、幸ある友よ、人の仰ぎ視ることをだに敢てせざる美人は、膝を君が前に屈せしにあらずやとささやけり。われ。渠《かれ》は何人《なんぴと》なりしか。ポツジヨ。ヱネチア第一の美人なり。市長《ボデスタ》の姪なり。一の老婦人ありて我に歩み近づきて、君は最早我を忘れ給ひしか、そは理《ことわり》なきにあらず、唯だ一たび相見てより後、年あまた經ぬればと云ひつゝ、我に手をさし伸べたり。われ、一たび相見しことある御方とは知れど、何時何處にての事ともおもひ定め難しといふに、老婦人、我|同胞《はらから》は醫師《くすし》にて拿破里《ナポリ》に居たり、君はボルゲエゼ家の公子と共に弟を訪《おとな》ひ給ひぬといふ。われ。まことに宣給ふ如し。こゝにて逢ひまつらんとは思ひ掛けざりしなり。老婦人。拿破里の弟は妻なかりし故、われに家政をとりまかなはせしに、四とせ前にみまかりぬ。今はこゝなる兄の許に住めり。我姪はその性《さが》人と殊なれば、一たび家に歸らんといひ出でゝは、思ひ留まるべくもあらず、又こそ御目にかゝらめとて、老婦人は出で去りぬ。ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]は再び我にさゝやくやう。かへすがへすも幸ある友よ。市長の妹の君が相識にて、君と再會を約せしは願ひてもなき事ならずや。ヱネチアの少年紳士にして君を羨まぬものはあらじ。人々は遠距離にありてだに心《むね》に傷《て》を負へるを、君は敵の陣地に入ることなれば、注意して自ら護《まも》り給へといふ。市長の姪の去りしには、座客氣付きぬれど、皆その心の優しきこと姿の美しきにかはらずとて、讚め稱へて已まざりき。
善行は心に光明を與ふ。われは久しぶりに心の中の快活を感じて、ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]と杯を※[#「石+並」、第3水準1-89-8]《うちあは》せ、此より兄弟の如くならんことを誓ひぬ。家に歸りしは夜半なりき。直ちに眠に就《つ》くべき心地ならねば、窓に坐して清風明月に對せり。渠水《きよすゐ》波なく、古宮空しく聳ゆる處、我が爲めには神話中の夢幻界を現じ來れり。我は兒童の如く合掌して祈祷したり。父よ、我諸惡を免《ゆる》せ。我に氣力を賦《ふ》して善良の人たることを得しめよ、我をして些の羞慚《しうざん》の心なく、彼尼院中なるフラミニアを懷ふことを得しめよ。
翌朝は身極めて爽快なりき。我は舟人を喚びて市長《ボデスタ》の家に往くことを命ぜしに、舟人そのオテルロ宮(パラツツオオ、ドテルロ)なるを告げたり。オテルロとは彼シエエクスピイアの戲曲ヱネチアの黒人の主人公にして、市長の家は其舊館なれば、英吉利人は此地に來る毎に必ずこれを尋ぬること、マルクス寺又は武庫に殊ならずといふ。
市長の一家は歡びて我を迎へ、主人の妹なるロオザ夫人は、亡弟の記念《かたみ》と拿破里の繁華とを語りて、我に再遊の願の甚だ切なるを告げ、主人の姪なるマリアは我をして復たララの姿を見、フラミニアの才《ざえ》を見る心地せしめき。マリアとララとの相|肖《に》たるは驚くべき程なり。さるにても身に襤褸《ぼろ》を纏ひて、髮に一束の董花《すみれ》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]みし乞丐《かたゐ》の女の、能くヱネチア第一の美人と美を※[#「女+貔のつくり」、138-上段-6]《なら》ぶるこそ不思議なれ。是より我は頻りに此家に往來して、ロオザ夫人の爲めにダンテの神曲、アルフイエリ、ハコリイニイ(並に詩人の名)等の集を朗讀せり。ポツジヨもわが紹介によりて市長の常の客となることを得たり。
即興詩人としての我名は漸くヱネチアの都に傳はり、美術會院(アカデミア、デル、アルテ)は一日我を招きて技を奏せしめき。われはダンドロのコンスタンチノポリス征服とマルクス寺の銅馬《どうめ》とを題として即興の詩を歌ひ、會員證を授與《さづ》けられたり。(ダンドロはヱネチアの大統領《ドオジエ》なりき。千二百三年コンスタンチノポリスを征服す。即ち所謂第四次十字軍なり。)されどその頃我は別に一物の此會員證より貴きものを得つ。そは極めて細かなる貝を絹紐もて貫きたる瓔珞《くびたま》なり。岸區《リド》の漁者の遺族は我がために作りてポツジヨに托し、ポツジヨはマリアにあづけ置きぬ。ある日マリアは我が往きて訪ふを待ちて、美しく愛らしきものならずやと云ひつゝ我手にわたし、ロオザ夫人は傍より、他日おん身の許嫁《いひなづけ》の妻に掛けさせ給ふべき品なり、作りし人もその心ありしなるべしと詞を添へつ。われは料《はか》らずも眉を蹙《せば》めて、我に許嫁の妻なし、未來にも亦さる人なからんと叫びぬ。マリアの面には失望の色をあらはせり。そはこの贈《おくりもの》を取次ぎて我を悦ばしめんことを期《ご》せしが故なり。われは手に瓔珞《くびたま》を捧げて、心にこれをマリアに與へんことを願ひぬ。マリアの顏の紅を潮《さ》せしは、我心を忖《はか》り得たるにやあらん、覺束《おぼつか》なし。
末路
とある夕わが爲換金《かはせきん》を取扱ふ商家を尋ねしに、主人の妻のいふやう。近頃はおん身の來給ふこと稀になりぬ。そは市長《ボデスタ》の許に往き給ふことの頻なるが爲めなるべし。我家にはマリアの如き美しき人あるにあらねば、誰かおん身の足の彼方《かなた》にのみ向くを理《ことわり》ならずとせん。マリアは今ヱネチア第一の美人にして、御身はヱネチア第一の才子におはすれば、彼此《かれこれ》似つかはしき中なるに、マリアが所有なりといふカラブリアの地面はいと廣しといへば、おん二人《ふたり》の生計《たつき》さへ豐かなることを得べきならん。御身若し早く心を決めて誓約をだになし給はゞ、ヱネチア全市の男子一人としておん身を羨まざるものなからんといふ。われ。いかなれば我をさまで利己心多きものとはし給ふぞ。わがマリアを尊むは、あらゆる美しきものを尊む情に外ならず。これをしも愛と謂はゞ、何人かマリアを愛せざらん。縱《たと》ひわれマリアを愛せんも我心は又決してその財産に左右せらるゝことなかるべし。主人《あるじ》の妻。否、さてはおん身はつまさだめするものゝ先づ心得べき事あるを知り給はぬなるべし、粮廚《かてくりや》に滿ち酒|窖《あなぐら》に滿ちて、始て夫婦の間の幸福は全きものぞ。古き諺《ことわざ》にも、生活《なりはひ》を先にし戀愛を後にすといへるにあらずやと云ひぬ。
人の我上をかくおもへる、既に我が忍ぶべきところならず。況《いはん》や面《まのあた》りこれを語るをや。我は喜んで市長一家の人々と交れども、此の如き嫌疑を受くることを甘んじて、猶その家に出入すべくもあらず。今宵も市長の家を訪ふべかりし我は、歩を轉じてヱネチアの狹き巷《こうぢ》をさまよひめぐりぬ。相向へる二列の家は、簷《のき》と簷と殆ど相觸れんとし、市店《いちみせ》の燈《ともしび》を張ること多きが爲めに、火光は到らぬ隈もなく、士女の往來織るが如くなり。渠水《きよすゐ》を望めば、燈影長く垂れて、橋を負へる石弓《せりもち》の下に、「ゴンドラ」の舟の箭《や》よりも疾《はや》く駛《はし》るを見る。忽ち歌聲の耳に入るあり。諦聽すれば、是れ戀愛と接吻との曲なり。迷路《ラビユリントス》の最も邃《ふか》き處に一軒の稍※[#二の字点、1-2-22]大なる家ありて、火の光よそよりも明かに、人多く入りゆくさまなり。こはヱネチアの數多き小芝居の一にして、座の名をば聖《サン》ルカスと云へりとぞ。大抵|樂劇《オペラ》の一組ありて、日ごとに二曲を興行すること、拿破里の「フエニチエ」座に同じ。初の一曲は午後四時に始まり六時頃には早く終り、次なる曲は夕の八時より始まる。素《もと》より精《くは》しき技藝、高き趣味をこゝに求むべきにはあらねど、些の音樂に耳を悦ばしめんとする下層の市民の願をばこれによりて遂げしむることを得べく、又旅人などの消遣《せうけん》の爲めに來り觀るも少からざるべし。觀棚《さじき》の料《しろ》は甚だ廉《やす》く晝夜とも空席を留めぬを例とす。
招牌《かんばん》を仰げば、「ドンナ、カリテア、レジナ、ヂ、スパニア」(西班牙《スパニア》女王カリテア夫人)と大書し、作譜者の名をばメルカダンテ[と注せり。われ心の中におもふやう。かゝる時にこそ、我脈絡にカムパニアの野なる山羊の乳汁《ちしる》循《めぐ》らずして、温き血|環《めぐ》れるを人に示すべきなれ、我が世馴れたることのベルナルドオにもフエデリゴにも劣らぬを示すべきなれ。兎も角も一たび此|場内《にはぬち》に入りて、美しき女優の面《おも》を見ばや。若し興なくば、曲の終るを待たで出でんも妨《さまたげ》あらじとおもひぬ。入場劵を買ふに、小き汚れたる牌《ふだ》を與へつ。我觀棚《さじき》は極めて舞臺に近き處なりき。
此劇場には高下二列の觀棚あり。平間《ひらま》をばいと低く設けたり。されど舞臺の小なること、給仕盆の如しとも謂ふべし。あはれ、此舞臺にいくばくの人か登り得べきとおもふに、例の小芝居の習とて、中むかしの武弁《ぶべん》の上をしくめる大樂劇の、行列の幕あり戰鬪の幕あるものをさへ興行するなるべし。觀棚は内壁の布張汚れ裂けて、天井は鬱悒《いぶせ》きまで低し。少焉《しばし》ありて、上衣を脱ぎ襯衣《はだぎ》の袖を攘《から》げたる男現れて、舞臺の前なる燭を點《とも》しつ。客は皆無遠慮に聲高く語りあへり。又|少時《しばし》ありて、樂人出でゝ奏樂席《オルケストラ》に就きぬ。これを視るに、只是れ四奏の一組なりき。彼と云ひ此と云ひ、今宵の受用の覺束《おぼつか》なかるべき前兆ならぬものなけれど、われは猶せめて第一折を觀んとおもひて、獨り觀棚に坐し居たり。
場内の女客に美しきはあらずやと左を顧み右を盻《み》しかど、遂にさる者を認め得ざりき。忽ち隣席に就く人あり。こは嘗て某《なにがし》の筵《むしろ》にて相見しことある少年紳士なりき。紳士は笑みつゝ我手を握りて云ふやう。こゝにて君に逢はんとは思ひ掛けざりき。君はその邊の消息を知り給ふか知らねど、かゝる處にては、折々面白き女客と肩を並ぶることあり。かくて薄暗き燈火《ともしび》は、これと親む媒《なかだち》となるものなりと云ひぬ。紳士の詞は未だ畢《をは》らぬに、傍より叱々《しつ/\》と警《いまし》むる聲す。そは開場《ウヱルチユウル》の曲の始まれるが爲めなりき。
音樂は心細きまで微弱なりき。幕は開きたり、只だ見る、男子三人女子二人より成れる一《ひと》群《ホロス》の唱和するを。その骨相を看れば、座主《ざす》は俄に※[#「田+犬」、第4水準2-81-26]畝《けんぽ》の間より登庸し來りて、これに武士《もののふ》の服を衣《き》せしにはあらずやと疑はれぬ。隣席の紳士は我を顧みて、餘りに力を落し給ふな、單吟《ソロ》には稍々觀る可きものなきにあらず、此組にも好き道化師《プルチネルラ》あり、大劇場に出だしても恥かしからぬ男なりなど云ふ。この時今宵の曲の女王は、侍姫《じき》に扮せる二女優と共に場に上りぬ。紳士眉を顰《ひそ》めて、さては女王は渠《かれ》なりしか、全曲は最早一錢の價だにあらざるべし、あはれジヤンネツテならましかばとつぶやきぬ。
女王は身の丈甚だ高からず、面《おもて》の輪廓鋭くして、黒き目は稍※[#二の字点、1-2-22]|陷《おちい》りたり。衣裳つきはいと惡し。無遠慮に評せば、擬人せる貧窶《ひんく》の妃嬪《ひひん》の裝束《さうぞく》したるとやいふべき。さるを怪むべきは此女優の擧止《たちゐ》のさま都雅《みやびやか》にして、いたく他の二人と異なる事なり。われは心の中に、若し少《わか》き美しき娘に此行儀あらば奈何《いか》ならんとおもひぬ。既にして女王は進みて舞臺の縁《ふち》に點《とも》し連ねたる燈火の處に到りぬ。此時我心は我目を疑ひ、我胸は劇《はげ》しき動悸を感じたり。われは暫くの間、傍なる紳士に其名を問ふことを敢てせざりき。われ。此女優の名をば何とかいふ。紳士。アヌンチヤタといへり。歌ふことを善くせぬに、その顏ばせさへこれが償《つぐのひ》をなすに足らねば、顧みる人なきもことわりなり。此詞は句々腐蝕する藥の如く我心上に印せり。われは瞠目枯坐して心《しん》を喪《うしな》ふものゝ如くなりき。
女王は歌ひはじめき。否、こはアヌンチヤタが聲ならず。微かにして恃《たのみ》なく、濁りて響かず。紳士。この喉には些《いさゝか》の修行の痕あるに似たれど、氣の毒なるは聲に力なきことなり。われ。(騷ぐ胸を押し鎭めて)さきには羅馬《ロオマ》、拿破里《ナポリ》に譽《ほまれ》を馳せたる西班牙《スパニア》生れの少女《をとめ》ありしが、この女優は偶※[#二の字点、1-2-22]《たま/\》其名を同じうして、色も聲もこれに似ること能はざりしよ。紳士。否、この女優こそはその名譽あるアヌンチヤタがなれる果《はて》なれ。盛名一時に騷ぎしは七八年《なゝやとせ》前のことなるべし。當時は年もまだ若くて、聲はマリブランの如くなりきとぞ。されど今はしも薄落《はくお》ちたり。こはかゝる伎《わざ》もて名を馳せし人の常なり。暫くは日の天に中《ちゆう》するが如き位にありて、世の人の讚歎の聲に心惑ひ、おのが伎《わざ》の時々刻々|降《くだ》りゆくを曉《さと》らず、若し此時に當り早く謀《はかりごと》をなさゞるときは、公衆先づ其演奏の前に殊なるところあるを覺ゆべし。かゝるなりはひする女子の習として、財を獲ること多しといへども、隨ひて得れば隨ひて散じ、暮年の計をおもはねば、その落魄もいと速《すみやか》なり。君のこの女優を見給ひぬといふは、羅馬にての事にやありけん。われ。然り。其頃面を見ること二三度なりき。紳士。さらば變化の甚しきを覺え給ふならん。人の噂には、四五年前に重き病に罹《かゝ》りてより、聲はたとつぶれぬといふ。その人の爲めにはいと笑止なる事ながら、聽衆の過去の美音を喝采せざるをば、奈何《いかん》ともすべからず。いざ、昔のよしみに拍手し給へ。われも應援すべしとて、先づ激しく掌《たなぞこ》を打ち鳴しつ。平土間《パルテエル》なる客二三人、何とかおもひけん、これに和したるに、叱々と呼びて、この過當の褒美にあらがふもの少からず。女王はこの毀譽《きよ》を心に介せざる如く、首を昂《あ》げて場を下りしに、紳士見送りて、我等はトロヤ人なりきとつぶやきぬ。(原語「フイムス、トロエス」は猶|已矣《やみなむ》と云はんが如し。)
代りて場に上りしは、此曲の女主人公にして、これに扮せるは二八ばかりの女《をみな》なりき。色好む男の一瞥して心を動すべき肉《しゝ》おき豐かに、目《ま》なざし燃ゆる如くなれば、喝采の聲は屋《いへ》を撼《ゆるが》せり。此時むかしの記念《かたみ》は我胸を衝いて起りぬ。羅馬の市民のアヌンチヤタの爲めに狂せし状《さま》はいかなりしぞ。いにしへの帝王の凱旋の儀をまねびつる、アヌンチヤタが車のよそほひはいかなりしぞ。わが崇拜の念はいかなりしぞ。さるを今はこの尋常《よのつね》なる容色にすらけおされ畢《をは》んぬ。あはれ、薄倖なるベルナルドオは身病み色衰ふるに及びて君を棄てしか。さらずば、君は始より眞成《まこと》にベルナルドオを愛せざりしか。君が唇のベルナルドオの額《ぬか》に觸れしをば、われ猶記す。君|爭《いか》でかベルナルドオを愛せざらん。思ふにかの無情《つれな》男子《をのこ》は君が色を愛して、君が心を愛せざりしなり。
アヌンチヤタは再び場に上りぬ。老いたるかな、衰へたるかな、只だ是れ屍《しかばね》の脂粉を傅《つ》けて行くものゝみ。われは覺えず肌《はだへ》に粟《あは》生ぜり、われもアヌンチヤタが色に迷ひし一人なれども、その才《ざえ》の高く情の優しかりしをば、わが戀愛に蔽《おほ》はれたりし心すら、猶能く認め得たりき。縱令《よしや》色は衰ふとも、才情はむかしのまゝなるべし。かへす/″\も惡《にく》むべきはベルナルドオが忍びて彼|才《ざえ》彼情を棄てつるなる哉。我心緒は此不幸なる女子を憐み、彼無情なる友を憎むが爲めに、亂るゝこと麻の如くなりき。傍なる紳士は、我面色の土の如くなるを見て、いかにし給ひしぞ、不快なるにはあらずやと問ひぬ。此|棧敷《さじき》の餘りに暑き故なるべしと答へつゝ、我は起ちて劇場の外《と》に走り出でぬ。
胸中の苦悶は我を驅《か》りて、狹きヱネチアの巷《こうぢ》を、縱横に走り過ぎしめしに、ふと立ち留りて頭を擡《もた》ぐれば、われは又|前《さき》の劇場の前に在り。時に一人の老僕ありて、入口に貼りたるけふの名題を剥ぎ取り、代ふるにあすのをもてせんとす。われは進みて此|僕《しもべ》の耳に附き、アヌンチヤタの宿はいづくぞと問ひしに、僕は首《かうべ》を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]して我顏を打目《うちま》もり、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と宣給《のたま》ふか、そはアウレリアの誤なるべし、けふもアウレリアが部屋をばおとづれ給ひし檀那達いと多かりき、宿に案内しまゐらするは易けれど、歸るには些の隙《ひま》あるべしと答ふ。われ、否、アヌンチヤタなり、けふ女王の役を勤めし人なりといふに、僕は暫し目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りて、訝《いぶか》しげに我を見居たるが、さてはあの痩骨《やせぎす》を尋ね給ふか、檀那は別に御用ありての事なるべければ、案内《あない》しまゐらせん、されどこれも歸らんは一時間の後なるべし、そが上に人に問はるゝことなき女なれば、出でゝ御目に掛かるべきか、覺束《おぼつか》なしとつぶやきぬ。好し、さらば一時間の後の事にすべければ、こゝにて我が來んを待てと契《ちぎ》り置きて、我は岸邊に往き、舟を雇ひて、何處をあてともなく漕ぎ行かせつ。
我心緒はいよゝ亂れに亂れぬ。只だ心中に往來《ゆきき》する切《せち》なる願は、今一たびアヌンチヤタと相見て、今一たびこれに詞をかはさんといふことのみ。嗚呼、アヌンチヤタはまことに不幸なりき。されど我はその不幸を救ひ得べき地位にあらざりしを奈何せん。指す方もなき水上の逍遙ながら、痛苦に逐《お》はるゝ我心は、猶船脚の太《はなは》だ遲きを覺えぬ。
一時間の後、舟を初の岸に繋《つな》げば、老僕は早く劇場の前に立ちて待てり。引かるゝまゝに、いぶせき巷《こうぢ》を縫ひ行きて、遂にとある敗屋《あばらや》の前に出でしとき、僕は星根裏の小き窓に燈《ともしび》の影の微かなるを指ざしたり。僕は先に立ちて暗き梯《はしご》を登りゆくに、我は詞もあらでその後に隨ひぬ。僕は戸外の鈴索《れいさく》を牽《ひ》いたり。内より誰《た》ぞやといふは女の聲なり。マルコオ、ルガノと名告《なの》ると共に、戸はあきて、我等は暗黒なる一室の中に立てり。聖母《マドンナ》を畫けりと覺しき小幅の前に捧げし燈明は既に滅《き》えて、燈心の猶|燻《くゆ》るさま、一點の血痕の如し。忽ち頭の上に戸の軋《きし》る音して、覺束なき火の光洩れ來しとき、我は側に小き梯《はしご》あるを認めつ。御尋《おたづね》の女はあれにといふ老僕の手に、些の銀貨を握らすれば、あまたゝびぬかづき謝して、直ちに戸外に出で去りぬ。わが最後の梯を登りゆくとき、一人の女の小き絹の片《きれ》にて髮を裹《つゝ》み、闊《ひろ》き暗色の上衣を着たるが入口に現れて、あすの名題や變りし、蹶《つまづ》き給ふな、マルコオと云ひつゝ迎へぬ。我はつと室内《へやぬち》に進みぬ。
我はアヌンチヤタと相對して立てり。あな、おん身は何人ぞ、何の爲に此には來ましゝと、驚きたる女主人は問ひぬ。我は一聲アヌンチヤタと叫べり。暫し我面を打まもりし主人は、再びあなやといひもあへず、もろ手もて顏を掩《おほ》ひつ。何人にもあらず、昔の友の一人なり、むかしおん身の惠にて、あまたの樂しき時を過し、あまたの幸福ある日を送りしものなり、何の爲めにか來べき、唯だ今一たび相見んの願ありて來つるのみといふ我聲は恥かしき迄震ひぬ。アヌンチヤタは靜に手を垂れて頭を擧げたり。肉落ちて血色なく、死人の如き面なれど、これのみは年も病もえ奪はざりけん、暗黒にして、渡津海《わたつみ》のそこひなきにも譬へつべき瞳は、磁石の鐵を吸ふ如く、我面に注がれたり。アントニオ、かくて御身と相見んとは、つや/\思ひ掛けざりき。同じ憂き世の山路なれど、おん身はそを登る人、われはそを降る身なれば、相見て又何をかいふべき。疾《と》く行き給へと口には言へど、つれなき涙は※[#「目+匡」、第3水準1-88-81]《まぶた》に餘りて、頬《ほ》の上に墮《お》ち來りぬ。われ。そは餘りに情なし。われはおん身の今不幸なるを知りぬ。むかし一言《こと》の白《せりふ》、一目の介《おもいれ》もて、萬人に幸福を與へしおん身なるを。アヌンチヤタ。幸福は妙齡と美貌とに伴ふものにて、才《ざえ》と情との如きは、その顧みるところにあらざるを奈何せん。われ。おん身は病に臥し給ひきとは實《まこと》か。アヌンチヤタ。病はいと重く、一とせの久しきにわたりしかど、死せしは我容色と我音聲とのみなりき。公衆は此二つの屍を併《あは》せ藏せる我身を棄てたり。醫師《くすし》はこの死を假死なりとなし、我身は果敢《はか》なくもこれを信じたりき。我身は舊に依りて衣食を要するに、平生の蓄《たくはへ》をば病の爲めに用ゐ盡しぬれば、彼死を祕して、詐《いつは》りて猶ほ生きたるものゝ如くし、又脂粉を塗りて場に上ることゝなりぬ。されど流石《さすが》に人を驚《おどろか》さんことの心苦しくて、わざと燈燭の數少き、薄暗き小劇場に出づるにこそ。おん身の記憶に存じたるアヌンチヤタは早や死して、その遺像は只だかしこの壁にありといひぬ。われは此詞を聞きて、向ひの壁を仰ぎ看しに、一面の大畫幅あり。枠《わく》を飾れる黄金の光の、燦然《さんぜん》として四邊《あたり》を射るさま、室内|貧窶《ひんく》の摸樣と、全く相反せり。圖するところはヂドに扮したるアヌンチヤタが胸像なりき。氣高《けだか》く麗《うるは》しきその面輪《おもわ》、威ありて險《けは》しからざる其額際、皆我が平生の夢想するところに異ならず。我視線は覺えずすべりて、壁間の畫より座上の主人《あるじ》に移りぬ。アヌンチヤタは面を掩ひて、世の人の我を忘れし如く、おん身も今は我を忘れて、疾く行き給へといふ。われ。否、われ爭《いか》でか行くことを得ん、爭でか此儘に行くことを得ん。おん身は聖母《マドンナ》の惠を忘れ給ふか。聖母はおん身を救ひ給はん、我等を救ひ給はん。アヌンチヤタ。おん身は衰運に乘じて人を辱《はづかし》めんとはし給はざるべし。むかし交らひ侍りし時より、おん身の心のさる殘忍なる心ならざるを知る。さらばおん身は何故に、世擧《よこぞ》りて我を譽め我に諛《へつら》ふ時我を棄てゝ去り、今ことさらに我が世に棄てられたる殘躯《ざんく》の色も香もなきを訪《とぶら》ひ給ふぞ。われ。情なき事をな宣給《のたま》ひそ。我|爭《いか》でかおん身を棄つべき。我を棄て給ひしは、我を逐ひて風塵の巷《ちまた》に奔《はし》らしめ給ひしは、おん身にこそあれ。かく言はゞ、おん身は我を自ら揣《はか》らざるものとやし給はん。さらば只だ我を驅逐せしものは我運命なり、我因果なりとやいはん。此詞|纔《わづか》に出でゝ、アヌンチヤタはその猶美しき目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》り、ことばはなくて我面を凝視し、その色を失へる唇はものいはんと欲する如くに動きて又止み、深き息|徐《おもむ》ろに洩れて、目は地上に注《そゝ》がるゝことしばらくなりき、アヌンチヤタは忽ち右手《めて》を擧げて、緩《ゆるやか》にその額《ぬか》を撫でたり。一の祕密の神とおのれとのみ知れるありて、此時心頭に浮び來りしにやあらん。アヌンチヤタは再び口を開きぬ。我は君と再會せり。此世にて再會せり。再會していよ/\君が情ある人なることを知る。されど薔薇は既に凋《しを》れ、白鵠《くゞひ》は復た歌はずなりぬ。おもふに君は聖母《マドンナ》の恩澤に浴して、我に殊《こと》なる好き運命に逢ひ給ふなるべし。今はわれに唯だ一つの願あり。アントニオよ、能くそを※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1-84-56]《かな》へ給はんかといふ。われ手に接吻して、いかなるおん望にもあれ、身にかなふ事ならばといふに、アヌンチヤタ、さらばこよひの事をば夢とおぼし棄て給ひて、いまより後いついづくにて相見んとも、おん身と我とは識らぬ人となりなんこと、是れわが唯だ一つの願ぞ、さらば、アントニオ、これより善き世界に生れ出でなば、また相見ることもあらんとて、我手を握りぬ。苦痛の重荷に押し据ゑられたる我は、アヌンチヤタが足の下に伏しまろびしに、アヌンチヤタ徐《しづ》かに扶《たす》け起し、すかして戸外に伴ひ出でぬ。我は小兒の如くすかされて、小兒の如く泣きつゝ、又來んを許し給へ、許し給へと繰返しつ。戸は、さらばといふ最後の一こゑに鎖されて、われは空しく暗黒なる廊《わたどの》の中に立てり。街に出づれば、その暗黒は屋内《やぬち》に殊ならざりき。神よ。おん身の造り給ふところのものゝ中に、かゝる不幸もありけるよと、獨り泣きつゝ我は叫びぬ。此夜は家に返りて些の眠をだに得ずして止みぬ。
翌日《あくるひ》はわれアヌンチヤタが爲めに百千《もゝち》の計畫を成就《じやうじゆ》し、百千の計畫を破壞して、終には身の甲斐《かひ》なさを歎くのみなりき。嗚呼、われは素《も》とカムパニアの野の棄兒なり。羅馬の貴人《あてびと》は我を霑《うるほ》す雨露に似て、實は我を縛《ばく》する繩索《じようさく》なりき。恃《たの》むところは單《た》だ一の技藝にして、若し意を決して、これによりて身を立てんとせば、成就の望なきにしもあらず。されども技藝の聲價、技藝の光榮は、縱令《よしや》其極處に詣《いた》らんも、昔のアヌンチヤタが境遇の上に出づべくもあらず。而るにそのアヌンチヤタが末路は奈何《いか》なりしぞ。假に彩虹の色をやどしつゝ飛泉の水の、末はポンチニの沼澤に沈み去るにも似たらずや。
思慮はたゞ一つところを馳せ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]るに似て、一日一夜は過ぎぬ。次の朝《あした》には、胸中僅かに今一たび相見んの願を存ずるのみなりき。われは再びさきの狹き巷《こうぢ》に入り、晝猶暗き梯を上りぬ。鎖《とざ》されたる戸をほと/\と打叩けば、腰曲りたる老女《おうな》入口に現れて、貸家見に來たまひしや、檀那がたの御用には立ち難くや候はんといふ。今まで住みし人はと問へば、きのふ立ち退《の》き候ひぬ、何かは知らず、火急なる事ありと覺しくて、いとあわたゞしく見え候ひぬ。われ。行方をば知り給はぬか。老女。旅にとは申しゝが、いづくにかあらん。パヅア、トリエステ、フエルララなどにや候はんと、答へもあへず戸を鎖したり。直ちに劇場に往きて見れば、これも鎖されたり。近隣の人に聞けば、きのふ打留《うちとめ》なりきといふ。
アヌンチヤタ[はいづくにか之《ゆ》きし。ベルナルドオなかりせば、彼人は不幸に陷らで止みしならん。否、彼人のみかは、我も或は生涯の願を遂げ、即興詩人の名を成して、偕老《かいらう》の契《ちぎり》を全《まつた》うせしならんか。嗚呼、絶ゆる期《ご》なき恨なるかな。
友なるポツジヨおとづれ來ていふやう。何といふ顏色ぞ。恐しき巽風《シロツコ》もぞ吹く。若しその熱き風胸より吹かば、中なる鳥の埃及《エヂプト》人の火紅鳥《フヨニツクス》ならぬが、焦がれ死《じに》するなるべし。野にゆきては茨《いばら》のうちなる赤き實《み》を啄《ついば》み、窓に上りては盆栽の薔薇花《さうびくわ》に止《と》まりてこそ、鳥は健《すこや》かにてあるものなれ。わが胸の鳥の樂を血の中に歌ひ籠《こ》めて、我におもしろく世を渡らするを見ずや。殊に詩人たらんものは、庭の花をも茨の實をも知り、天上の※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]氣《かうき》にも下界の毒霧にも搏《はう》つ鳥を畜《たくは》へでは協《かな》はずといふ。我。是《かく》の如く詩人を觀んは、卑きに過ぐるには非ずや。友。基督は地獄に下りて極惡の幽鬼をさへ見きと聞く。天の澄めると地の濁れると相觸れてこそ、大事業大制作は成就すべけれ。否、かくてはわれ汝が爲めに説法するにや似たらん。われはさる説法のためにこゝに來しにはあらず。われは市長《ボデスタ》一家の使節なり。おん身の伺候を懈《おこた》ること三日なりしは、ロオザに聞きつ。何といふ亡状《ぶじやう》ぞや。疾《と》く往きて荊《いばら》を負ひて罪を謝せよ。但し懈怠《けたい》の申譯もあらば聽くべし。われ。此二日三日は不快の爲めに門を出ざりき。友。そは拙《つたな》き申譯なり。他人は知らず、我はそを諾《うべな》はざるべし。さきの夜|樂劇《オペラ》に往きしは何人なりけん。しかも劇場は、かの頻りに艷種《つやだね》の主人公たりしアウレリアが出づる劇場なりしならずや。されどおん身もかゝる路傍の花の爲めに頭《つむり》を痛めしにはあらじ。兎まれ角まれ、けふの午餉《ひるげ》にはおん身を市長の家に伴ひ行かでは、我責務の果し難きを奈何せん。われ。今は包み隱さで告ぐべし。わが暫く市長を訪はざりしは、世のさかしらの厭はしければなり、市長の娘の美くて、カラブリアに廣き地所を持てるを、わが彼家に出入する目的物なるやうに言ひ做《な》すものあればなり。友。其噂は珍らしからず。カラブリアの地所は知らず、マリアが美しきは人も我も認むるところにて、おん身がその崇拜者の一人なるをば、われとても疑はざるものを。われ。崇拜とは過ぎたり。むかし我が愛せし盲《めしひ》の子に姿貌《すがたかたち》の似たればこそ、われはマリア[#「マリア」に傍線]に心を牽《ひ》かれしなれ。友。マリアが目も拿破里《ナポリ》なるをぢの治療にて、始て開《あ》きしものと聞けば、盲ひたる子に似たりといはんも、その由なきにあらねど、我には別に解釋あり。戀は固《もと》より盲なるものなり。その戀の神なるアモオルをこそ、むかしおん身は見つるならめ。今おん身の心のマリアに惹かるゝは、戀の神の所爲なれば、人の噂は遠からず事實となりて現るゝならん。われ。否、マリアはさて置き、何人をも我は終身|娶《めと》らざるべし。友。そは又|輒《たやす》くは信じ難き豫言なり、おん身にふさはしからで我にふさはしかるべき豫言なり。好し、さらばわれ君と誓はん。おん身若し我に先《さきだ》ちて妻を持たば、婚禮の日に三鞭酒《シヤンパニエ》二瓶を飮ませ給へ。われ。尤《もつと》も好し、その酒をば君こそ我に飮ましめ給はめ。
友は我を拉《ひ》いて市長《ボデスタ》の許に至りぬ。市長とロオザとは戲言《ざれごと》まじりに我無情を譴《せ》め、おとなしきマリアは局外に立ちて主客の爭をまもり居たり。ロオザが杯を擧げて、我健康を祝せんとする時、友は急に遮《さへぎ》りて、否々、凡そ婦人たるものは、決してアントニオが健康を祝すべからず、そは此男終身|娶《めと》らずと誓ひぬればなりといふ。市長。そは「アバテ」の天才より産まれし思想中の最も惡しきものなり。されどそを吹聽《ふいちやう》せんも氣の毒なり。友。吾意見は御主人とは異なり。かゝる惡しき思想をば梟木《けうぼく》に懸けて、その腦裏に根を張らざるに乘じて、枯らし盡さゞるべからずといひぬ。佳※[#「肴+殳」、第4水準2-78-4]《かかう》美酒は我前に陳ぜられて、我をしてアヌンチヤタの或は飢渇に苦むべきを想はしめぬ。辭して出づるとき、ロオザは我に日ごとにおとづれて、シルヰオ・ペリコの集を朗讀すべきことを契らしめき。
わが日ごとに市長《ボデスタ》の家に往くこと、はや一月となりぬ。此間我は絶てアヌンチヤタが消息を聞くこと能はざりき。ある夕例の如く市長がりおとづれしにマリアは思ふところありげにて、顏には深き憂の痕《あと》を印したり。朗讀畢りて、ロオザ席を起ちて去りぬ。我とマリア]との陪席者なくて對坐するはこれを始とす。我は冥々《めい/\》の裡《うち》に、一の凶音の來り迫るを覺えながら、強ひて口を開きて、ペリコの政客たる生活の其詩に及ぼしゝ影響を説き出しつ。マリアは忽ち容《かたち》を改めて、「アバテ」の君と呼び掛けたり。その聲調は、始て我をしてさきよりの月旦評の毫《がう》もマリアが耳に入らざりしを悟らしめき。「アバテ」の君、我はおん身に語るべきことあり、此會談は我が瀕死の人と結びし約束の履行なり、日ごろ疎《うと》からぬおん身に聞かせまつることながら、これを語る苦しさをば察し給へといふ。その面は色を失ひて、唇は打顫へり。我が、あな、何事のおはせしぞと驚き問ふ時、マリア[#「マリア」に傍線]は兜兒《かくし》の中より、一封の書《ふみ》を取出《とうで》て、さて語を續《つゞ》けて云ふやう。不可思議なる神の御手《みて》は、我を延《ひ》きておん身の生涯の祕密の裡に立ち入らしめ給ひぬ。されど心安くおもひ給へ。われは沈默を死者に誓ひしが故に、ロオザにだに何事をも語らざりき。祕密の何物なるかは、此封を開かば明《あきらか》ならん。これを我手に受けてより、はや二日を過ぎぬ。今おん身にわたしまゐらせて、我は約を果し侍りぬといふ。われ、その死者とは何人ぞ、此|書《ふみ》は何人の手より出でしぞと問ふに、マリア、そは御身の祕密なるものをとて、起ちて一間を出でぬ。
家に歸りて封を啓《ひら》けば、内より先づ二三枚の紙出でたり。先づ取上げたる一枚は我手して鉛筆もてしるせる詩句なりき。紙の下端には墨汁《インク》もて十字三つを劃したるさま、何とやらん碑銘にまぎらはしくおぼゆ。此詩句は、わが初めてアヌンチヤタを見つるとき、觀棚《さじき》より舞臺に投げしものなり。さては此一封をマリア[に托しきといふはアヌンチヤタなりしか。死せしはアヌンチヤタなりしか。
紙の間には別に重封《かさねふう》の書《ふみ》ありて、アントニオ樣へとうは書《がき》せり。遽《あわたゞ》しく裂きて中なる書《ふみ》をとりいだすに、いと長き消息の、前半は墨濃く筆のはこびも慥なれど、後半は震ふ筆もて微《かす》かに覺束なくしるされたるを見る。其文に曰く。
文《ふみ》して戀しく懷かしきアントニオの君に申上《まうしあげ》※[#「まいらせそろ」の草書体文字、144-上-6]《まゐらせそろ》。今宵はゆくりなくも、おん目に掛り候ひぬ、再びおん目にかゝり候ひぬ。こは久しき程の願にて、又此願のかなはん折をいと恐ろしくおもひしも、久しき程の事にて候。譬へば死をば幸を齎《もたら》すものぞと知りつゝも、死の到來すべき瞬間をば、限なく恐ろしくおもふが如くなるべく候。この文認め候は、君に見えてより數時間の後に候へども、君のこれを讀ませ給はんは、數月の後なるべきか、或は又月を踰《こ》えざるべきかとも存ぜられ候。世の人の言に、われとわが姿に出で逢ひしものは、遠からずして死すと申候へば、わが常の心の願にて、我心と同じものになり居たる君に逢ひまゐらせたるは、我死期の近づきたるしるしなるべくやなど思ひつゞけ※[#「まいらせそろ」の草書体文字、144-上-20]。いかなれば我心は君をえ忘れず、いかなれば君は我心と化し給ひて、幸ある時も、禍《わざはひ》に逢へる時も、君は我心を離れ給はざりけん。今より思ひ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]らし候へば、そは君が世に棄てられたるアヌンチヤタを棄て給はぬ唯一の恩人にましませばならんと存《ぞんじ》※。されど君の今に至りて猶我身を棄て給はざる御恩は、決して故なき人の上に施し給ひしには候はずと存※[。君の此文を見給はん時は、私は世に亡き人なるべければ、今は憚《はゞか》ることなく申上候はん。君は我戀人にておはしまし候ひぬ。我戀人は、昔世の人にもてはやされし日より、今またく世の人に棄て果てられたる日まで、君より外には絶て無かりしを、聖母《マドンナ》は、現世《うつしよ》にて君と我との一つにならんを許し給はで、二人を遠ざけ給ひしにて候。君の我身を愛し給ふをば、彼の不幸なる日の夕に、彈丸《たま》のベルナルドオは底本では「ベルナドオを傷けし時、君が打明け給ひしに先だちて、私は疾《と》く曉《さと》り居り候ひぬ。さるを君と我とを遠ざくべき大いなる不幸の、忽ち目前《まのあたり》に現れたるを見て、我胸は塞《ふさ》がり我舌は結ぼれ、私は面を手負《てをひ》の衣に隱しゝ隙《ひま》に、君は見えずなり給ひぬ。ベルナルドオの痍《きず》は命を隕《おと》すに及ばざりしかば、私は其治不治生不生の君が身の上なるべきをおもひて、須臾《しゆゆ》もベルナルドオの側を離れ候はざりき。憶ふに、此時のわが振舞は君に疑はれまゐらせしことのもとにや候ふべき。私は久しく君の行方を知らず、人に問へども能く答ふるもの候はざりき。數日の後、怪しきおうな尋ね來て、一ひらの紙を我手にわたすを見れば、まがふ方なき君の手跡にて、拿破里《ナポリ》に往くと認《したゝ》めあり、御名をさへ書添へ給へれば、おうなの云ふに任せて、旅行劵と路用の金とをわたし候ひぬ。旅行劵はベルナルドオに仔細を語りて、をぢなる議官《セナトオレ》に求めさせしものに候、ベルナルドオは事のむづかしきを知りながら、我言を納《い》れて、強ひてをぢ君を説き動しゝ趣に候。幾《いくばく》もあらぬに、ベルナルドオが痍《きず》は名殘《なごり》なく癒《い》え候ひぬ。彼人も君の御上をば、いたく氣遺《きづかひ》居たれば必ず惡しき人と御思ひ做《な》しなさるまじく候。ベルナルドオは痍の痊《い》えし後、我身を愛する由聞え候ひしかど、私はその僞ならぬを覺《さと》りながら、君をおもふ心よりうべなひ候はざりき。ベルナルドオは羅馬を去り候ひぬ。私は直ちに拿破里をさして旅立候ひしに、君も知らせ給ひし友なるおうなの俄に病み臥《こや》しゝ爲め、モラ、ヂ、ガエタ[に留まること一月ばかりに候ひき。かくて拿破里に着きて聞けば、私の着せし前日の夜、チエンチイといふ少年の即興詩人ありて、舞臺に出でたりと申噂に候。こは必ず君なるべしとおもひて、人に問ひ糺《たゞ》し候へば、果してまがふかたなき我戀人にておはしましき。友なるおうなは消息して君を招き候ひぬ。こなたの名をばわざとしるさで、旅店の名をのみしるしゝは、情ある君の何人の文なるをば推し給ふべしと信じ居たるが故に候ひき。おうなは再び文をおくり候ひぬ。されど君は來給はざりき。使の人の文をば讀み給ひぬといふに、君は來給はざりき。剩《あまつさ》へ君は遽《にはか》に物におそるゝ如きさまして、羅馬に還り給ひぬと聞き候ひぬ。當時君が振舞をば、何とか判じ候ふべき。私は君の誠ありげなる戀のいち早くさめ果てしに驚き候ひしのみ。私とても、世の人のめでくつがへるが儘に、多少驕慢の心をも生じ居たる事とて、思ひ切られぬ君を思ひ切りて、獨り胸をのみ傷《いた》め候ひぬ。さる程に友なるおうなみまかり、その同胞《はらから》も續きてあらずなり、私は形影相|弔《てう》すとも申すべき身となり候ひぬ。されど年猶|少《わか》く色未だ衰へずして、身には習ひおぼえし技藝あれば、舞臺に上るごとに、萬人の視線一身に萃《あつ》まり、喝采の聲我心を醉はしめて、しばし心の憂さを忘れ候ひぬ。是れまことのアヌンチヤタが最終の一年に候ひき。私はボロニアに赴《おもむ》く旅路にて、ふと病に染まり候ひぬ。初こそは唯だかりそめの事とおもひ候ひつれ、君に棄てられまつりてよりの、人知れぬ苦痛は、我が病に抗すべき力を奪ひて、一とせが程は頭をだにえ擡《もた》げず候ひき。こゝに君に棄てられぬと書きしをば、許させ給へ。私はその頃、君の猶我身を忘れ給はで、世の人の皆我身を顧みざるに至りて、今一たび我手に接吻し給ふべきをば、夢にだに思得候はざりしなり。二とせの間、劇場にて貯へし金をば、藥餌の料に費《つひや》し盡し候ひぬ。病は※[#「やまいだれ+差」、第4水準2-81-66]《い》えぬれども、聲潰れたれば、身を助くべき藝もあらず、貧しきが上に貧しき境界《きやうがい》に陷いり、空しく七年の月日を過して、料《はか》らずも君にめぐりあひ候ひぬ。君はこよひの舞臺にて、むかし羅馬の通衢《ちまた》を驅《か》るに凱旋の車をもてせしアヌンチヤタがいかに賤客に嘲《あざけ》られ、口笛吹きて叱責せられたるかを見そなはし給ひしなるべし。私は運命の蹙《せば》まりしと共に、胸狹くなりしを自ら覺え居候。扨《さて》見苦しき假住ひに御尋下され候時、我目を覆ひし面紗《ヱエル》の忽ち落つるが如く、君の初より眞心もて我を愛し給ひしことを悟り候ひぬ。汝こそは我を風塵中に逐ひ出しつれとは、君の御詞なりしかど、私のいかに君を慕ひまゐらせ、いかに君の方《かた》へ手をさし伸べ居たりしをば、君のしろしめさゞりしを奈何《いかに》かせん。私は再び君に見《まみ》ゆることを得て、君の温なる唇を我手背に受け候ひぬ。今や戸外に送りいだしまゐらせて、私は再び屋根裏の一室に獨坐し居り候。この室をば直ちに立退き申すべく、此ヱネチアをも直ちに立去り申すべく候。アントニオの君よ。願はくは我が爲めに徒《いたづ》らに歎き悲み給ふな。私は世には棄てられ候へども、聖母《マドンナ》は私を護り給ふこと、君を護り給ふに同じかるべく候。アントニオの君よ、さきには我を思ひ棄て給へと申候へども、未錬ともおぼさばおぼせ、猶親しかりし人のみまかりしを思ひ給ふが如く、我を思ひ給はんことのみは望ましく存 まいらせそろ 。
涙は讀むに隨ひて流れ、わが心の限の涙と化して融け去るを覺えたり。此より下は、かすかなる薄墨の痕猶|新《あらた》にして、數日前に寫されしものと知らる。
苦を受くる月日も最早|些子《ちと》を餘し候のみと存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145-中-25]。今まで受けつるあらゆる快樂の聖母の御惠なると等しく、今まで受けつるあらゆる苦痛も亦聖母の御惠と存 まいらせそろ。死は既に我胸に迫り候。血は我胸より漲り流れ候。いま一囘轉して漏刻の水は傾け盡され申すべく候。人の傳へ候ところに依れば、ヱネチア第一の美人は君がいひなづけの妻となり居候由に候。私の死に臨みての願は、御二人の永く幸福を享《う》け給はんことのみに候、あはれ、此數行の文字を托すべき人は、その人ならで又誰か有るべき。その人の私の請《こひ》を容れて、こゝに來給ふべきをば、何故か知らねど、牢《かた》く信じ居まいらせそろ。生死の境に浮沈し居る此身の、一杯の清き水を求むべき手は、その人の手ならではと存 まいらせそろ 。さらば/\、アントニオの君よ。私の此土に在りての最終の祈祷、彼土に往きての最初の祈祷は、君が御上と、私の徒《いたづ》らに願ひてえ果さず、その人の幸ありて成し遂げ給ふなる、君が偕老の契《ちぎり》の上とに在るのみなることを、御承知下され度存 まいらせそろ 。今更|繰言《くりごと》めき候へども、聖母の我等二人を一つにし給はざりしは、其故なからずやは。私は世人にもてはやされ讚め稱《たゝ》へられて、慢心を増長し居候ひぬれば、君にして當時私を娶《めと》り給ひなば、君の生涯は或は幸福を完うし給ふこと能はざりしにあらずやと存まいらせそろ。
さらば/\、アントニオの君よ。過ぎ去りしは苦痛、現然せるは安樂にして末期は今と存まいらせそろ。アントニオの君よ。又マリアの君よ。私の爲めに祈祷し給へかし。
ヌンチヤタ。
悲歎の極には聲なく涙なし。我は茫然として涙に濡れたる遺書を瞠視《だうし》すること久しかりき。暫しありて、猶封中より落ち散りたりし一ひら二ひらの紙を取り上げ見れば、一はわが拿破里《ナポリ》に往くとしるして、フルヰアのおうなに渡しゝ筆の蹟《あと》なり。又一はベルナルドオがアヌンチヤタに與へし文にして、負傷の爲めに床に臥したりし程の、懇《ねんごろ》なる看護の恩を謝し、今はよしなき望を絶ちて餘所の軍役に服せんとおもへば、最早羅馬にて相見ることはあらじと書せり。嗚呼、おもひの外の事どもなるかな。アヌンチヤタは初より我を戀ひたりしなり。我が拿破里に往くことを得しは、アヌンチヤタの惠なりしなり。拿破里の旅店より書を寄せて、相見んことを求めしはアヌンチヤタにしてサンタにはあらざりしなり。その恩情|窮《きはまり》なきアヌンチヤタは今や亡き人となりしなり。さるにてもアヌンチヤタはマリアを病床に招き寄せて、いかなる事を物語りし。既にマリアをわがいひなづけの妻といへば、巷説は早くアヌンチヤタの病床に聞え居りて、マリアさへ其口より、さがなき人の言草《ことぐさ》を聞きつるなるべし。再びマリアの面を見んは影護《うしろめた》き限なれども、アヌンチヤタ[の爲めにも我が爲めにも天使に等しきマリアに、一ことの謝辭を述べずして止まんやうなし。
舟を倩《やと》ひて市長《ボデスタ》の家に往きしに、ロオザとマリアとは一と間の中にありて手仕事に餘念なかりき。我はしばし相對して物語しつれど、心に言はんと欲する事の、口に言ひ難ければ、問はるゝことあるごとに、あらぬ答をのみしたりき。ロオザは忽ち我手を把《と》りて口を開きて云ふやう。おん身は深き憂に沈み居給ふとおぼし。われ等の君がまことの友たるを知り給はゞ、打開けて物語し給へと云ふ。われ。さなり。君は何事をも知り給ふならん。ロオザ。否われは未だ何事をも知らず。マリアこそは聞きつることもあらめ。(マリアは鼻じろみて、その詞を遮らんとしたり。)われ。おん身二人には、われ又何事をか隱し候ふべき。初よりの事のもとすゑを打開けんも我が心やりなれば、煩はしけれど聞き給へとて、われは昔語《むかしがたり》をぞ始めける。よるべなき孤《みなしご》なりし生立《おひたち》より、羅馬にてアヌンチヤタと相識り、友なりけるベルナルドオを傷けて、拿破里に逃れ去りし慘劇まで、涙と共に語り出でしに、可憐なるマリアの掌《たなそこ》を組合せて、我面を仰ぎ見るさま、我記憶の中に殘れるフラミニアが姿に髣髴《さもに》たり。われはマリアが面前にありて、ララが事、琅※[#「王+干」、第3水準1-87-83]洞《らうかんどう》の事のみは、語ることを憚りたれば、直ちにヱネチアにての再會の段に移りて、アヌンチヤタの末路を敍し畢《をは》りぬ。ロオザ。おん身の上に、さる深き關繋あるべきをば、初め少しも知らざりき。さきの日尼寺の病室より、識らぬ女の文とゞきて、今生死の際に在るものなるが、マリアに逢ひて申し殘したき事ありといへば、舟にてかしこに伴ひゆき、われは尼達の許に留まりて、マリアを病人の室に遣りぬ。マリア。かくてその人に逢ひ侍りぬ。記念《かたみ》の一封をばさきに渡しまゐらせつ。我。アヌンチヤタはその時何とか申し候ひし。マリア。人知れずこれをアントニオに渡し給へといひぬ。おん身の上をば、妹の兄の上を語るらんやうに語りぬ。爾時《そのとき》アヌンチヤタが唇は血に染まり居たり。死は遽《にはか》に襲ひ至りて、アヌンチヤタはわが面をまもりつゝこときれ侍《はべ》りと、語りもあへず、マリアは泣き伏したり。われは詞はあらで、マリアの手を握りつ。
われは寺院に往きてアヌンチヤタが爲めに祈祷し、又その墓に尋ね詣《まう》でつ。此地の瑩域《えいゐき》は、高き石垣もて水面《みのも》より築き起されたるさま、いにしへのノアが舟の洪水の上に泛《うか》べる如し。草むらの中に黒き十字架あまた立てるあたりに歩み寄れば、わが尋ぬる墓こそあれ。只是一片の石に、アヌンチヤタと彫り付けたり。一基の十字架の上に、緑の色の猶|鮮《あざやか》なる月桂《ラウレオ》の環を懸けたるは、ロオザとマリアとの手向《たむけ》なるべし。われは墓前に跪《ひざまづ》きて、亡人《なきひと》の悌《おもかげ》をしのび、更に頭《かうべ》を囘《めぐら》して情あるロオザとマリアとに謝したり。
流離《さすらひ》
その頃フアビアニ公子の書状屆きしに、文中公子のわがヱネチアに留まること四月の久しきに至るを怪み、強ひてにはあらねど、我にミラノ若《もし》くはジエノワに遊ばんことを勸めたる一節あり。われつら/\念《おも》ふやう。わが猶此地に留まれるは、そも/\何の故ぞや。此地にはげに兄弟に等しきポツジヨあり、姉妹に等しきロオザ、マリアあれど、是等の交《まじはり》は永遠なるべきものにあらず。中にも女友二人の如きは、相見るごとに我が悲哀の記憶を喚び醒《さま》すことを免れず。われは悲哀を懷《いだ》いてヱネチアに來ぬ。而してヱネチアは更に我に悲哀を與へしなり。われは遽《にはか》にヱネチアを去らんと欲する心を生じて、そを告げんために、市長《ボデスタ》の家をおとづれたり。
月光始めて渠水《きよすゐ》に落つるころほひ、我は二女と市長の家の廣間なる、水に枕《のぞ》める出窓ある處に坐し居たり。マリアはすでに一たび燈火《ともしび》を呼びしかど、ロオザがこの月の明《あか》きにといふまゝに、主客三人は猶月光の中に相對せり。マリアはロオザに促されて、穴居洞の歌を歌ひぬ。聲と情との調和好き此一曲は、清く軟かなる少女《をとめ》の喉《のど》に上りて、聞くものをして積水千丈の底なる美の窟宅を想見せしむ。ロオザ。この曲には音節より外、別に一種の玲瓏たる精神ありとはおぼさずや。われ。洵《まこと》に宣給《のたま》ふごとし。若し精神といふもの形體を離れて現ぜば、應《まさ》に此詩の如くなるべし。マリア。生れながらに目しひなる子の世界の美を想ふも亦是の如し。ロオザ。さらば目|開《あ》きての後に、實世界に對せば、初の空想の非なることを知るならん。マリア。實世界は空想の如く美ならず。されど又空想より美なるものなきにあらず。話頭は直ちにマリアが初め盲目なりし事に入りぬ。こはポツジヨが早く我に語りしところなれども、今はわれ二女の口より此物語を聞きつ。ロオザは弟の手術を讚め、マリアも亦その恩惠を稱《たゝ》へたり。マリアの云ふやう。目しひなりし時の心の取像《しゆざう》ばかり奇《く》しきは莫《な》し。先づ身におぼゆるは日の暖さ、手に觸るゝは神社の圓柱《まろばしら》の大いなる、霸王樹《サボテン》の葉の闊《ひろ》き、耳に聞くはさま/″\の人の馨音《こわね》などなり。一の官能の闕《か》くるものは、その有るところの官能もて無きところのものを補ふ。人の天青し、海青し、菫《すみれ》の花青しといふを聽きて、われは董の花の香を聞き、そのめでたさを推し擴めて、天のめでたかるべきをも海のめでたかるべきをも思ひ遣りぬ。視根の光明闇きときは、意根の光明却りて明なるものにやといふ。これを聞く我は、ララが髮に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]みし菫の花束と、ペスツム祠の圓柱とを憶ひ起すことを禁ずること能はざりき。話頭は轉じて自然の美に入り、ロオザは拿被里《ナポリ》の山水の景の慕はしさを説き出せり。われはこの好機會を得て、ヱネチアを去る意を洩しつ。そは思ひも掛けぬ事かなとロオザ訝《いぶか》れば、さては最早再び此地には來給ふまじきかとマリア氣遣ふさまなり。否々、ミラノまで往かば、又此地を經て羅馬に還らんとこそ思ひ候へと我は答へつれど、實はまだこゝを立ちていづ方に往かんとも思ひ定めざりしなり。
わがヱネチアに別るゝ涙を見せしは、アヌンチヤタに傍線]が墓とマリア[#が居間とのみなりき。墓に詣でゝは、石上に殘れる輪飾《わかざり》の一葉を摘みて、夾袋《けふたい》の中に藏《をさ》めつ。われは此石の下に、唯だ一團の塵を留むるのみなるを知る、アヌンチヤタが魂の聖母《マドンナ》の御許《みもと》に在り、その影の我胸中に在りて、此石の下なる塵のわが執着すべき價あるものにあらざるを知る。されどわれは猶低徊して此方數尺の地を去ること能はざりき。市長《ボデスタ》の家に往きては一家の人々とポツジヨとの餞宴《せんえん》を受けたり。市長は三鞭酒《シヤンパニエ》の盃を擧げて別を告げ、ポツジヨはめぐる車の云々《しか/″\》といふ旅の曲と、自由なる自然に遊ぶ云々といふ鳥の歌とを唱ひぬ。ロオザは、君若し妻を娶《めと》り給はゞ、偕《とも》に我家に來給へ、我は君が物語の中なる彼|亡人《なきひと》を愛する如く、君の伴ひ來給はん其人をも愛せんといひ、マリア[#「マリア」に傍線]は唯だ、健《すこや》かに樂しげにて、又我家をおとづれ給へといひぬ。
ポツジヨは例の「ゴンドラ」の舟にて、フジナまで送らんとて、我と共に立出づれば、ロオザとマリアとは出窓に立ちて、紛※[#巾+兌]《てふき》を打振りぬ。別に臨みてポツジヨは聲高く笑ひつゝ、許嫁《いひなづけ》の女|極《き》まらば、彼約束を忘るなといひぬ。われは、けふさる戲言《ざれごと》いふことかはと戒《いまし》めつゝも、心の中にその笑顏の涙を掩ふ假面《めん》なるをおもひて、竊《ひそか》に友の情誼に感じぬ。
車は情なくして走り、一|堆《たい》の緑を成せるブレンタの側を過ぎ、垂楊の列と美しき別業《べつげふ》とを見、又遠山の黛《まゆずみ》の如きを望みて、夕暮にパヅアに着きぬ。聖《サン》アントニウス寺の七穹窿は、恰も好し月光に耀けり。柱列の間には行人|絡繹《らくえき》として、そのさまいと樂しげなれども、われは獨り心の無聊《ぶれう》に堪へざりき。
白晝《まひる》となりてより、我無聊は愈々甚だしければ、又車を驅りてこゝを立ち、一の平原に入りぬ。緑草の鬱茂せるさまはポンチニイの大澤《たいたく》に讓らず。瀑布の如くなる大柳樹は古塚を掩《おほ》ひ、所々に聖母《マドンナ》の像を安じたる贄卓《にへづくゑ》を見る。像の古《ふ》りたるは色褪《いろあ》せて、これを圍める彩畫ある板壁さへ、半ば朽ちて地に委《ゆだ》ねたれど、中には聖母兒《せいぼじ》の丹粉《にのこ》猶|鮮《あざやか》かなるもなきにあらず。御者はその古きに逢ひては顧みだにせねど、その新なるを見るごとに、必ず脱帽して過ぐ。われはその何の心なるを知らずして、唯々聖母の貴きすら、色褪せては人に崇《あが》めらるゝことなきを歎じたり。
ヰチエンツアを過ぎぬれど、パラヂオ(中興時代の名ある畫師)が美術も光明を我胸の闇に投ずること能はざりき。ヱロナは始て稍々我心を動したり。石級のコリゼエオに似たるありて、幸に兵燹《へいせん》を免れ、人をして小羅馬に入る感あらしむ。柱列の間《あひだ》なる廣き處は、今税關となり、演戲場の中央には、板を列ね幕を張りて、假に舞臺を補理《しつら》ひ、旅役者の興行に供せり。夜に入りて我は試《こゝろみ》に往きて看つ。ヱロナの市人《いちびと》の石榻《せきたふ》に坐せるさまは、猶|古《いにしへ》のごとくにて、演ずる所の曲をば、「ラ、ジエネレントオラ」と題せり。役者の群は、ヱネチアにて見しアヌンチヤタ]が組なりき。アウレリアはこよひも此樂曲の主人公に扮したり。一|張《はり》の「コントルバス」に氣壓《けお》さるゝ若干の管絃なれど、聽衆は喝采の聲を惜まざりき。趨《はし》りて場を出づれば、月光|遍《あまね》く照して一塵動かず、古の劇場の石壁石柱は※[#「山/歸」、第3水準1-47-93]然《きぜん》として、今の破《や》れ小屋のあなたに存じ、廣大なる黒影を地上に印せり。
我はカプレツチイ第《だい》を訪ひぬ。昔カプレツチイ、モンテキイの二豪族相爭ひて、少年少女の熱情を遮り斷ちしに、死は能くその合ふべからざるものを合せ得たり。シエエクスピイアがものしつる「ロメオ、エンド、ジユリエツト」の曲即ち是なり。此第はロメオが初てジユリエツトに來り見《まみ》えて共に舞ひし所にして、今は一の旅館となりぬ。われはロメオの夜な/\通ひけん石の階《きざはし》を踐《ふ》みて、曾《かつ》て盛に聲樂を張りてヱロナの名流をつどへしことある大いなる舞臺に上りぬ。闊《ひろ》き窓の下鋪板《しもゆか》に達するまでに切り開かれたる、丹青《たんせい》目を眩《くらま》したりけん壁畫の今猶微かに遺《のこ》れるなど、昔の豪華の跡は思はるれど、壁の下には石灰の桶いくつともなく並べ据ゑられ、鋪板《ゆか》には芻秣《まぐさ》、藁《わら》などちりぼひ、片隅には見苦しき馬具と農具との積み累《かさ》ねられたるを見る。まことに榮枯盛衰のはかなきこと、夢まぼろしはものかは。さればこの假の世を、フラミニアの厭ひしも、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の去りぬるも、なかなかに慰む方ありとやいふべき。
月の末にミラノに着きぬ。新に交を求めん心なければ、人の情《なさけ》の紹介幾通かありしを、一としてその宛名の家にとゞくることなかりき。一夜「ラ、スカラ」座に入りて樂曲を聽きたり。帷《とばり》を垂れたる六層の觀棚《さじき》も、積《せき》あまりに大いにして客常に少ければ、却りて我をして一種の寂寥と沈鬱とを覺えしめき。奏する所の曲は「タツソオにして、主《おも》なる女優はドニチエツチイといふものなりき。一|折《せつ》畢《をは》るごとに、客の喝采してあまたゝび幕の外に呼び出すを、愛らしき笑がほして謝し居たり。わが厭世の眼は、この笑《ゑみ》の底におそろしき未來の苦惱の濳めるを見て、あはれ此|美人《うまびと》目前に死せよ、さらば世間もこれが爲めに泣くことなか/\に少かるべく、美人も世を恨むことおのづから淺からんとおもひぬ。「バレツトオ」の舞には玉の如き穉《をさな》き娘達打連れて踊りぬ。われはその美しさを見るにつけて、血を嘔《は》くおもひをなしつゝ、悄然として場を出でたり。
ミラノの客舍の無聊《ぶれう》は日にけにまさり行きて、市長の家族も、親友と稱せしポツジヨも我書に答ふることなかりき。われは或ときは蔭多き衢《ちまた》をそゞろありきし、或ときは一室に枯坐して新に戲曲の稿を起しつ。曲の主人公はレオナルドオ・ダ・ヰンチなりき。レオナルドオの住みしは此地なり。その不朽の名畫晩餐式はこゝに胚胎《はいたい》せしなり。その戀人の尼寺の垣内《かきぬち》に隱れて、生涯相見ざりしは、わがフラミニアに於ける情と古今|同揆《どうき》なりとやいはまし。
われは日ごとにミラノの大寺院に往きぬ。此寺はカルララの大理石もて、人の力の削り成しし山ともいふべく、月あかき夜に仰ぎ見れば、皎潔《けうけつ》雪を欺《あざむ》く上半の屋蓋は、高く碧空に聳えて、幾多の簷角《えんかく》、幾多の塔尖より石人の形の現れたるさま、この世に有るべきものともおもはれず。晝その堂内に入れば、採光の程度ほゞ羅馬の「サン、ピエトロ」寺に似て、五色の窓硝子より微かに洩るゝ日光は、一種の深祕世界を幻出し、人をして唯一の神こゝに在《いま》すかと觀ぜしむ。ミラノに來てより一月の後、我は始て此寺の屋上《やね》に登りぬ。日は石面を射て白光身を繞《めぐ》り、ここの塔かしこの龕《がん》を見めぐらせば、宛然《さながら》立ちて一の大逵《ひろば》に在るごとし。許多《あまた》の聖者《しやうじや》獻身者の像にして、下より望み見るべからざるものは、新に我|目前《まのあたり》に露呈し來れり。われは絶頂なる救世主の巨像の下に到りぬ。ミラ]全都の人烟は螺紋《らもん》の如く我脚底に畫かれたり。北には暗黒なるアルピイ]の山聳え、南には稍※[#二の字点、1-2-22]低き藍色のアペンニノ横はりて、此間を填《うづ》むるものは、唯だ緑なる郊原のみ。譬へばカムパニア]の野を變じて一の花卉《くわき》多き園囿《ゑんいう》となしたらんが如し。われは眦《まなじり》を決して東のかたヱネチアを望みたるに、一群の飛鳥ありて、列を成してかなたへ飛び行くさま、一片の帛《きぬ》の風に翻弄せらるゝに似たり。われはマリアを憶ひ、ロオザを憶ひ、ポツジヨを憶へり。昔幼かりし時、母とマリウチアとに伴はれて、ネミの湖に往きしかへるさ、アンジエリカが我に物語りし事こそあれ。その物語は今我空想に浮び來ぬ。オレワアノにテレザといふ少女ありき。戀人なるジユウゼツペが山を踰《こ》えて北の國に往きしより、戀慕の念止むことなく、日を經るに從ひて痩せ衰へぬ。フルヰアの老媼《おうな》はテレザの髮とその藏め居たりしジユウゼツペの髮とを銅銚《どうてう》に投じて、奇《く》しき藥艸と共に煮ること數日なりき。ジユウゼツペは他郷に在りしが、我毛髮の彼銚中に入ると齊《ひと》しく、今まで忘れ居つるテレザの慕はしくなりて、醒めては現《うつゝ》に其聲を聞き、寢《い》ねては夢に其姿を視、そぞろに旅のやどりを立出でゝ、おうなが銚《なべ》の下に歸りぬといふ。ヱネチアには我髮を烹《に》る銚あるにあらねど、わがこれを憶ふ情は、恰も幻術の力の左右するところとなれるが如くなりき。われ若し山國《やまぐに》の産《うまれ》ならば、此情はやがて世に謂《い》ふ思郷病《ノスタルジア》なるべし。(歐洲人は思郷病は山國の民多くこれを患《わづら》ふとなせり。)されど又ヱネチアのわが故郷ならぬを奈何《いかに》せむ。われは悵然《ちやうぜん》として此寺の屋上《やね》より降りぬ。
客舍に歸れば、卓上に一封の書《ふみ》あるを見る。こはポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]が許より來れるなり。これを讀むに、袂を分ちてより第二の書を作る云々と書せり。さらば友の初の一書は我手に入るに及ばずして失はれしなるべし。ヱネチアには何の變りたる事もあらねど、マリアは病に臥《こや》したり。その病のさま一時は性命をさへ危くすべくおもはれぬれど、今は早や恢復に近し。猶|戸外《そと》には出でずとなり。末文には、例の戲言《ざれごと》多く物して、まだミラノの少女に擒《とりこ》にせられずや、三鞭酒《シヤンパニエ》をな忘れそなど云へり。われは讀み畢りて、ポツジヨが滑稽の天性にして、世の人のそを假面《めん》と看做《みな》すことの謬《あやま》れるを信ぜんとせり。さればこそ同じ無稽の巷説は、わがマリアを敬することロオザを敬すると殊ならざるを見ながら、謬りて我をもてマリアに戀するものとなすなれ。
われは消遣《せうけん》の爲めに市の外廓より出でゝ、武具の辻(ピアツツア、ダルミイ)を過ぎ、拿破崙《ナポレオン》の凱旋塔の下に至りぬ。世のいはゆるセムピオオネの門(ポルタ、セムピオオネ)とは是なり。塔は猶未だ其工事を終らず、板がこひを繞《めぐ》らして、これに格子戸を裝ひたり。戸より入りて見れば、新に大理石もて彫《ゑ》り成せる大いなる馬二頭地上に据ゑられ、青艸《あをくさ》はほしいまゝに長じて趺石《ふせき》を掩はんと欲す。四邊《あたり》には既に刻める柱頭あり、粗《あら》ごなししたる石塊あり。許多《あまた》の工人は織るが如くに來往せり。
時に一の旅人ありて我を距《へだた》ること數歩の處に立ち、手簿《しゆぼ》を把《と》りて導者の言を記せり、年の頃は三十ばかりなるべし。胸には拿破里《ナポリ》の勳章二つを懸けたり。此旅人の迫持《せりもち》の石柱を仰ぎ見るに及びて、我はそのベルナルドオなるを識《し》りぬ。彼方も亦直ちに我を認め得つとおぼしく、何の猶豫《ためら》ふさまもなく、我側に歩み寄りて我胸を抱き、めづらしきかな、アントニオ、われ等の相別れし夕は賑やかなりき、われ等は祝砲をさへ放ちたり、されど想ふに我等の友情は舊《もと》の如くなるべしといひぬ。我は肌《はだへ》の粟《あは》を生ずる心地しつゝ、纔《わづか》に口を開きて、さてはベルナルドオ[なりしよ、圖《はか》らざりき、おん身と伊太利の北のはてなる、アルピイ山の麓にて相見んとはと答へつ。
我等は共に歩みて新劇場の邊に往き、轉じて市《まち》の廓《くるわ》に入りぬ。ベルナルドオは道すがら語りていふやう。汝は此地を指してアルピイ山の麓といへり。われはまことのアルピイの巓《いただき》に登りて世界の四極《よものはて》を見たり。曩《さき》に拿破里に在りし時、獨逸の士官等の、瑞西《スイス》の山水を説くを聞き、一たび往いて觀んことを願ふこと漸く切なるに、汽船もて達し易きジエノワを距ること遠くもあらぬを知れば、意を決して往くことゝしつ。シヤムニイの谿《たに》をも渡りぬ。モンブランの頂にも、ユングフラウの頂にも登りぬ。現《げ》にユングフラウに二重傍線]は「ベルラ、ラガツツア」(美少女)なれど、かくまで冷かなる女子は復た有るべからず。これよりはジエノワに往きて、約束せし妻とその父母とを訪《とぶら》はんとす。もはや眞面目なる一家のあるじとならんも遠からぬ程なるべし。汝若し我が昔日の生涯を語らず、彼の馴るゝ小鳥の事、愛らしき歌妓の事などを祕せんと誓はゞ、われは汝を伴ひてジエノワに往くべし。いかに、三日の後に我と共に發足せずやといひぬ。われ。否々、我は明日《あす》此地を立たんとす。ベルナルドオ。そは何處《いづく》へ往くにか。われ。ヱネチアに往くなり。ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]。汝が漫遊の日程は、よも變更を容《ゆる》さぬにはあらざるべし。枉《ま》げて我言に從はずや。われはベルナルドオにかく説き勸められて、反復しておのれのヱネチアに往かざるべからざるを辯じ、果は自らこの漫然口を衝いて發せし語の、實にその故あるが如きを覺ゆるに至りぬ。
われは客舍に返りて、不可思議なる力に役せらるゝものゝ如く、倉皇《さうくわう》我行李を整へ、あるじに明朝の發※[#「車+刃」、第4水準2-89-59]《はつじん》を告げたり。此夜は臥床《ふしど》に入れども、胸打ち騷ぎて熱を病むものゝ如く、眠をなさゞること久しかりき。翌朝ベルナルドオを訪ひて、我が爲めに善くその未來の妻に傳へんことを頼み聞え、忙はしく車を驅りてヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]に向ひぬ、二月前に去りしヱネチアに。
心疾身病
車はフジナに到りぬ。われは又泥深き海、衣色の石垣、「マルクス」寺の塔を望むことを得たり。怪むべし、われは足一たびヱネチアの地を踏むと齊《ひと》しく、吾心の劇變せるを覺えき。今までヱネチアへ、ヱネチアへと呼びし意欲は俄に迹《あと》を※[#「楫のつくり+戈」、第3水準1-84-66]《をさ》めて、一種の言ふべからざる羞慚《しうざん》の情生じ、人の汝は何故に復た來れると問はゞ、辭の答ふべきなからんと氣遣ふやうになりぬ。
われは直ちに舊寓に入りて、衣服を改め、身の疲れたるをも顧みで、市長《ボデスタ》の家に往きぬ。舟の苔を被れる屋壁と高き窓とに近づくとき、怪しき映象は我胸に浮びぬ。そはわれ若しマリアが結婚の席に往きあはゞいかにといふことなりき。われは此|念《おもひ》の頭を擡《もた》げ來るを見て、又急にこれを抑へ、否、われは求婚の爲めに往くならねば、そも亦|妨《さまたげ》なしと云ひぬ。されど我心は遂に全く平《たひらか》なること能はざりき。
門《かど》を叩けば僕《しもべ》出で迎へて、あるじはおん身來まさば、案内《あない》することを須《もち》ゐざれと宣給《のたま》ひぬといふ。そのさま吾が至るを期《ご》したるに似たり。廣間には幌《とばり》を卸《おろ》して、闃《げき》として物音を聞かず。われは、是れデスデモナが悲歎せし處なるべし、されどオテルロの苦痛はこれより甚しかりしならんとおもひぬ。わが此時恰も此念をなしゝも、亦頗るあやしき事なり。既にして導かれてロオザが房《へや》に入るに、こゝも幌を垂れて日光を遮りたれば、外より入るものはその暗きに驚かんとす。わがミラノにて覺えし奇《く》しき情、我を驅りてヱネチアへ來させし奇しき情は忽《たちまち》又起りて、その幻術に似たる力は一層の強さを加へ、我手足は震慄せり。われは手もて壁を支へて、僅に地に倒れざることを得たり。
主人《あるじ》は温顏もて我を迎へ、我身を囘抱して、再見の喜を述べたり。われは二婦人の何處《いづく》に在るを問ひぬ。彼等は親族と共にパヅアに往きたり、二三日の後ならでは歸り來ざるべしといふ。その面色その態度を察するに、何とやらん言を構へて我を欺く如くなり。されどわれは又此人の平生を顧みて、わが疑の邪推なるべきをおもへり。主人は我を留めて晩餐を供せり。卓に就《つ》きたる間、我は限なき寂寞を感じ、又主人の面の爽《さはや》かならざるを覺えぬ。われはおそる/\その不興の因由《もと》を問ひしに、主人頭を掉《ふ》りて[#「掉りて」は底本では「悼りて《ふ》りて」]、否、益《やく》なき訴訟の事ありて、些《ちと》の不安を感ずるに過ぎず、ポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]は久しくおとづれず、おん身さへ健康すぐれ給はざる如し、兎も角も此|一盃《ひとつき》を傾け給へといひつゝ、我前なる杯に葡萄酒を注がんとせしに、忽ちその手を駐《とゞ》めて、おん身は心地惡しきにはあらずやと叫びぬ。そは我面色の土の如く變じたればなるべし。われは室内《へやぬち》の物の旋風の如く動搖するを覺えて、そのまゝはたと地に僵《たふ》れぬ。
此より我は半醒半睡の間に在ること幾日なるを知らず。市長は時として我|臥床《ふしど》の傍に坐して、われに心を安んじて全快を待たんことを勸め、ロオザ[#「ロオザ」に傍線]の遠からず來りて病を瞻《み》るべきを告げたり。或日家の内騷がしく、人の到着しつと覺しきさまなりしに、忽ちロオザ[#「ロオザ」に傍線]は吾前に來ぬ。その面には憂の色を帶びたり。その日の暮つかた、われは家内《やぬち》の又さきにも増して物騷がしきを覺え、側なる奴婢《ぬひ》に問はんとするに、一人として我に答ふるものなし。階下の室には人多くゆききする足音《あのと》頻《しきり》に、屋外の大渠《たいきよ》には小舟の梶音《かぢのと》賑はしかりき。われは暫し目蕩《まどろ》みしに、ふとマリア[#「マリア」に傍線]の死せることを知り得たり。さきにはポツジヨ[#「ポツジヨ」に傍線]我にマリアの病を告げて、その病は※[#「やまいだれ+差」、第4水準2-81-66]《い》えぬと云へり。されど病は再發して、マリアは既に死し、家人は我に祕して、こよひそを葬るなり。われは明かにロオザの祈祷の聲を聞き、マリアの菫花もて飾れる棺は明かに心目の前にあらはれぬ。忽ち我は病の既に去りて力の既に復せるを感じ、蹶然《けつぜん》として臥床《ふしど》より起ち、人の我側に在らざるに乘じて、壁に懸けたる外套を纏ひ、岸邊なる小舟を招きて、「デイ、フラアリイ」の寺に往かんことを命じつ。こは市長《ボデスタ》が累世の墓ある處にして、われは曾て一たび其窟墓を窺ひしことありき。夜は暗くして、「アヱ、マリア」の鐘と共に閉されたる門の前には人影早や絶えたり。われは扉をほと/\と敲《たゝ》きしに、寺僮は我が爲めに門を開きつ。そは曾てわが市長に伴はれて來ぬる時、我にチチヤノとカノワとの墓を指《ゆびざ》し教へしことあれば、猶我面を見知り居たりしなり。寺僮は我心を計《はか》り得て、君は遺骸を見に來給ひしならん、今は猶|贄卓《にへづくゑ》の前に置かれたれど、あすは龕《がん》に藏《をさ》めらるべしとて、燭を點して我を導き、鑰匙《かぎ》取り出でゝ側なる小き戸を開きつ。寺僮と我との足音は、穹窿の間《あひだ》に寂しき反響を喚起せり。寺僮の柩《ひつぎ》はかしこにと指して、立ち留まるがまゝに、我はひとり長廊を進めり。聖母《マドンナ》の御影の前に、一燈微かに燃え、カノワが棺のめぐりなる石人は朧氣なる輪廓を畫けり。贄卓に近づけば、卓前に三つの燈の點ぜられたるを見る。董花《すみれ》のかほり高き邊《ほとり》、覆《おほ》はざる柩の裏に、堆《うづたか》き花瓣《はなびら》の紫に埋もれたる屍《かばね》こそあれ。長《たけ》なる黒髮を額《ぬか》に綰《わが》ねて、これにも一束の菫花を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]めり。是れ瞑目せるマリアなりき。我が夢寐《むび》の間《あひだ》に忘るゝことなかりしララ[なりき。われは一聲、ララ、など我を棄てゝ去れると叫び、千行《ちすぢ》の涙を屍《かばね》の上に灑《そゝ》ぎ、又聲ふりしぼりて、逝《ゆ》け、わが心の妻よ、われは誓ひて復た此世の女子《によし》を娶《めと》らじと呼び、我指に嵌《は》めたりし環を抽《ぬ》きて、そを屍の指に遷《うつ》し、頭を俯して屍の額に接吻しつ。爾時《そのとき》我血は氷の如く冷えて、五體|戰《ふる》ひをのゝき、夢とも現《うつゝ》とも分かぬ間《ま》に、屍の指はしかと我手を握り屍の唇は徐《しづ》かに開きつ。われは毛髮|倒《さかしま》に竪《た》ちて、卓と柩との皆|獨樂《こま》の如く旋轉するを覺え、身邊忽ち常闇《とこやみ》となりて、頭の内には只だ奇《く》しく妙《たへ》なる音樂の響きを聞きつ。
忽ち温なる掌の我額を摩するを覺えて、再び目を開きしに、燈《ともしび》は明かに小き卓の上を照し、われは我枕邊の椅子に坐し、手を我頭に加へたるものゝロオザ[#「ロオザ」に傍線]なるを認め得たり。又一人の我|臥床《ふしど》の下に蹲《うづく》まりて、もろ手もて顏を掩へるあり。ロオザの我に一匙の藥水を薦《すゝ》めつゝ熱は去れりと云ふ時、蹲れる人は徐《しづ》かに起ちて室を出でんとす。われ。ララよ、暫し待ち給へ。われは夢におん身の死せしを見き。ロオザ。そは熱のなしゝ夢なるべし。われ。否、我夢は夢にして夢に非ず。若しこれをしも夢といはゞ、人世はやがて夢なるべし。マリアよ。われはおん身のララなるを知る。昔はおん身とペスツムに相見《あひみ》、カプリ[#に相見き。今この短き生涯にありて、幸にまた相見ながら、爭《いか》でか名告《なの》りあはで止むべき。我はおん身を愛す。語り畢りて手をさし伸ばせば、マリアは跪《ひざまづ》きて我手を握り、我手背に接吻したり。
數日の後、我はマリアと柑子《かうじ》の花|香《かぐは》しき出窓の前に對坐して、この可憐なる少女の清淨なる口の、その清淨なる情を語るを聞きつ。少女の語りけらく。わが幼かりし時は、唯だ日の暖きを知り、董花の香しきを知るのみなりき。或時「チンガニイ」族のおうなありて、我目の必ず開《あ》く時あるべきを告げしが、その時期はいつなるべきか、絶て知るよしあらざりき。ペスツムの古祠の下にて、おん身の唇の暖きこと、日の暖きが如くなるを覺えし夕、彼おうな夢に見えて、汝のやしなひ親なるアンジエロとともに、カプリの島なる窟《いはむろ》に往け、アンジエロは富貴を獲べく、汝はトビアスの如く、(舊約全書を見よ)光明を獲べしと云ひぬ、醒めて後アンジエロに語れば、これも同じ夜に同じ夢を見き。アンジエロは我を伴ひて島に渡りしに、天使はおん身に似たる聲して我名を呼び、我に藥艸を與へき。歸りて之を煮んとする時、ロオザが兄なる人我等の住める草寮《こや》に憩ひて、我目の開《あ》くべきを見窮《みきは》め、我を拿破里に率《ゐ》て往きぬ。手術は功を奏せり。ロオザが兄なる醫師《くすし》は、我を養ひて子となし、希臘《ギリシア》にてみまかりし子の名を取りて、我をマリアと呼びぬ。ある日アンジエロは、忽ち醫師のもとに來て、われは命の久しからざるべきを知りぬ、我が貯へし金を讓らん人ララならではあらざるべし、先づこれをあづけまゐらせんとて、金あまた取出《とうで》て、逗留すること數日にして眠るが如くみまかりぬ。われはさきの夜の席《むしろ》にて、おん身の舟人の不幸を歌ひ給ふを聞き、おん身の聲を聞き知りて、直ちにおん身の脚下に跪きぬ。アヌンチヤタが末期《まつご》の詞の我に希望の光明を與へしと、おん身のつれなき旅立の我を病に臥さしめしとは、おん身自ら推し給へといひぬ。
われはマリアと贄卓《にへづくゑ》の前に手を握りぬ。おほよそ市長《ボデスタ》の家にゆきかふものは、皆歡喜の聲を發しつれど、其聲の最も大いなるはポツジヨなりき。越ゆること二日にして、我等はロオザと倶《とも》に田舍の別墅《べつしよ》に移りぬ。こはアンジエロが遺産もて買ひしものなりき。ポツジヨは一書を我別墅に寄せて、飄然としてヱネチアを去りぬ。その書には、唯だ左の數句あるのみなりき。曰く、我は汝と賭して贏《か》ちたり、されど實《まこと》に贏ちしは我に非ざりきと。憐むべし、ポツジヨが意中の人は即亦我意中の人なりしなり。
フアビアニ公子とフランチエスカ夫人とは、わが好き妻を得しを喜び、かの腹黒きハツバス・ダアダアさへ皺ある面に笑《ゑみ》を湛《たゝ》へて、我新婚を祝したり。わが昔の知人《しるひと》の僅に生き殘れるは、西班牙《スパニア》磴《とう》の下なるペツポのをぢのみにて、その「ボン、ジヨオルノ」(好日)の語は猶久しく行人の耳に響くなるべし。
琅※[#「王+干」、第3水準1-87-83]洞
千八百三十四年三月六日の事なりき。旅人あまたカプリ島なるパガアニイ[#「パガアニイ」に二重傍線]が客舍の一室に集ひぬ。中にカラブリア産《うまれ》の一美人ありて、群客の目を駭《おどろか》せり。その美しき黒き瞳はこれに右手《めて》を借したる丈夫《ますらを》の面に注げり。是れララと我となり。吾等は夫婦たること既に三年、今ヱネチアに至る途上、再び此島に遊びて、昔日奇遇の蹟《あと》を問はんとするなり。室の一隅には、又一老婦のもろ手を幼女の肩に掛けたるあり。容貌魁偉なる一外人この幼女を愛する餘りに、覺束《おぼつか》なげなる伊太利語もてその名を問ふに、幼女は遽《にはか》に答ふべくもあらねば、老婦代りてアヌンチヤタと答へつ。こはララが生みし子に附けし名にて、そを外人に告げたるはロオザなり。われ進みて之と語を交へて、その※[#「王+連」、第3水準1-88-24]馬《デンマルク》人なるを知りぬ。嗚呼、是れ畫工フエデリゴと彫匠トオルワルトゼンとの郷人なり。フエデリゴは今故郷に在り、トオルワルトゼンは猶羅馬に留れりと聞く。現《げ》に後者が技術上の命脈は斯土《このど》に在れば、その久しくこゝに居るもまた宜《むべ》なるかな。
我等は群客と共に岸に下りて舟に上りぬ。舟はおの/\二客を舳《へさき》と艫《とも》とに載せて、漕手《こぎて》は中央に坐せり。舟の行くこと箭《や》の如く、ララと我との乘りたるは眞先に進みぬ。カプリ島の級状をなせる葡萄圃《ぶだうばたけ》と橄欖《オリワ》樹とは忽ち跡を沒して、我等は矗立《ちくりふ》せる岩壁の天に聳《そび》ゆるを見る。緑波は石に觸れて碎け、紅花を開ける水草を洗へり。
忽ち岩壁に一小|罅隙《かげき》あるを見る。その大さは舟を行《や》るに堪へざるものゝ如し。我は覺えず聲を放ちて魔穴と呼びしに、舟人打ち微笑《ほゝゑ》みて、そは昔の名なり、三とせ前の事なりしが、獨逸の畫工二人ありて泅《およ》ぎて穴の内に入り、始てその景色の美を語りぬ、その畫工はフリイスとコオピツシユとの二人なりきと云ひぬ。
舟は石穴の口に到りぬ。舟人は※[#「舟+虜」、第4水準2-85-82]《ろ》を棄てゝ、手もて水をかき、われ等は身を舟中に横へしに、ララ[#「ララ」に傍線]は屏息《へいそく》して緊《きび》しく我手を握りつ。暫しありて、舟は大穹窿の内に入りぬ。穴は海面《うなづら》を拔くこと一伊尺《ブラツチヨオ》に過ぎねど、下は百伊尺の深さにて海底に達し、その門閾《もんよく》の幅も亦|略《ほ》ぼ百伊尺ありとぞいふなる。さればその日光は積水の底より入りて、洞窟の内を照し、窟内の萬象は皆一種の碧色を帶び、艪の水を打ちて飛沫《しぶき》を見るごとに、紅薔薇の花瓣を散らす如くなるなれ。ララは合掌して思を凝らせり。その思ふところは必ずや我と同じく、曾て二人のこゝに會せしことを憶ひ起すに外ならざるべし。彼アンジエロの獲つる金は、むかし人の魔穴を怖れて、敢て近づくことなかりし時、海賊の匿《かく》しおきつるものなるべし。
巖穴の一點の光明は忽ち失せて、第二の舟は窟内に入り來りぬ。そのさま水底より浮び出づるが如くなりき。第三、第四の舟は相繼いで至りぬ。凡そこゝに集へる人々は、その奉ずる所の教の新舊を問はず、一人として此自然の奇觀に逢ひて、天にいます神父の功徳《くどく》を稱へざるものなし。
舟人は俄に潮滿ち來《く》と叫びて、忙はしく艪《ろ》を搖《うご》かし始めつ。そは滿潮の巖穴を塞ぐを恐れてなりき。遊人の舟は相|銜《ふく》みて洞窟より出で、我等は前に渺茫《べうばう》たる大海を望み、後《しりへ》に琅※[#「王+干」、第3水準1-87-83]洞《らうかんどう》の石門の漸く細《ほそ》りゆくを見たり。
(明治二十五年十一月―三十四年二月)
底本:「定本限定版 現代日本文學全集 13 森鴎外集(二)」筑摩書房
1967(昭和42)年11月20日発行
入力:三州生桑
校正:松永正敏
2005年8月25日作成
2008年9月17日修正
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