第四部
第一編 歴史の数ページ
一 善《よ》き截断《さいだん》
一八三一年と一八三二年とは、七月革命に直接関係ある年で、史上最も特殊な最も驚くべき時期の一つである。この二年は、その前後の時期の間にあたかも二つの山のごとくそびえている。革命の壮観があり、断崖《だんがい》が見えている。社会的集団、文明の地層、重畳し粘着せる権利関係の強固な団結、古きフランスを形成する年経たる相貌《そうぼう》、それらが各瞬間ごとに、種々の体系や熱情や理論の乱雲のうちに、そこに明滅している。それらの出現や消滅は、抵抗または運動と名づけられた。そして間欠的に、真理が、人類の魂の日光が、そこに輝き出すのを見ることができる。
この顕著なる時期は、かなり短く、またかなりわれわれから遠ざかり始めているので、現在でも既にその主要な輪郭をつかむことができる。
われわれはここにそれを試みてみよう。
王政復古は、一定の批判を下すに困難な中間的局面の一つであった。かかる中間的局面には、疲労と喧騒《けんそう》と耳語と睡眠と雑踏とがあって、大国民が一宿場に到着したものにほかならない。それらの時期は特殊なものであり、それを利用せんとする為政家を欺くことが多い。最初に該国民が求むるところのものは休息のみであり、その渇望するところは平和のみであり、その欲求するところは小国民たらんとすることである。換言すれば平安でいたいということである。大なる事件、大なる事変、大なる冒険、偉大なる人物、それらももはや神よ、十分にながめ十分に得たのである。シーザーよりもむしろ無力のプルシアスが望ましく、ナポレオンよりもむしろ小国イヴトーの王が望ましい。「それはいかに善良なるかわいき王なりしよ!」夜明けより歩行を続け、長き困難なる一日を経て夕に至ったのである。第一の道程をミラボーと共にし、第二の道程をロベスピエールと共にし、第三の道程をボナパルトと共にして、今は疲れ果てている。だれも寝床を求めているのである。
疲れたる献身と、老いたる勇壮と、遂げられたる野心と、得られたる幸運とが、さがし求め願い欲するところのものは何であるか。それは身を休むべき場所である。そして今やそれが得られている。平和と静穏と閑暇とが得られている。欠けたものは更にない。けれどもまたそれと同時に、他のある若干の事実が現われてきて、承認を求め、扉《とびら》をたたく。それらの事実は革命と戦役とから生まれ、存在し、生存し、社会のうちに地位を占むる権利を有し、また実際地位を占めている。それはおおむね住居と給養とをつかさどるものであって、ただすべての主義をして安住せしむるの準備をなすのみである。
かくして政治的思索家の目に現われ来るものは次のことである。
疲れたる人間が休息を求むると同時に、遂げられたる事実は保証を求むる。事実の保証は、人間の休息と同一事である。
摂政(クロンウェル)の後にイギリスがスチェアート家に求めたところのものはそれであり、帝政の後にフランスがブールボン家に求めたところのものはそれである。
それらの保証は時代が必要とするところのものである。りっぱに与えてやらなければならないものである。君主たる者がそれらを「欽定《きんてい》する」。しかし実際それらを与うる者は事物必然の力である。これは深き真理であり、知って有益なる真理である。しかしこの真理を一六六〇年にスチェアート家は寸毫《すんごう》だも知らず、一八一四年にブールボン家は念頭に浮かべだにしなかった。
ナポレオンが覆滅した時フランスに帰ってきた宿命的なブールボン家は、嘆くべき単純な考えをしか持っていなかった。すなわち、与うる者は自分である、そして自分が与えた所のものはこれを再び取り戻すことを得ると。ブールボン家は神法を持っている、しかしフランスは何物をも持たない。ルイ十八世の憲法の中で国民に譲り与えた政治上の法律は、神法の一分枝に過ぎなくて、ブールボン家自らそれを折り取って、王が再び手にせんと欲する日まで人民に許し与えたものであると。しかしながら、人民へのその贈り物は実はブールボン家から贈ったものでないということを、それがたとい不快であろうともブールボン家自身感ずべきはずだったのである。
ブールボン家は十九世紀には至って神経質であった。そして国民が翼をひろげるごとに悪い顔つきをした、平凡なる、すなわち通俗で真実なる言葉を使えば、渋面を作った。民衆はそれを見たのである。
ブールボン家は、自分の前に帝政が劇場の大道具のごとく運び去られてしまったゆえに、自ら力を持っているものと信じた。しかし、ブールボン家自身も同じようにして持ちきたされたものであることに気づかなかった。自分もまたナポレオンを奪い去った同じ手の中にあることを知らなかった。
ブールボン家は、自分は過去であるゆえに確固たる根を持っていると信じた。しかしそれは誤解であった。ブールボン家は過去の一部分のみであって、全過去はフランス自身であった。フランス社会の根はブールボン家の中にはなくて、国民のうちにあった。その人知れぬ頑丈《がんじょう》なる根は、一王家の権利を組織するものではなくて、一民衆の歴史を組み立てるものであった。その根は至る所にあって、ただ国王の座の下にのみ欠けていたのである。
ブールボン家は、フランスにとってはその歴史の血にまみれたる顕著なる結び目であった。しかしもはや、その運命の主要なる要素ではなく、その政治の必要なる柱石ではなかった。ブールボン家なくとも事は足りた。実に二十二年間はブールボン家なくして済まされたのである。そこに連続は中断されていた。しかしブールボン家はそれを毫《ごう》も知らなかった。実際、ルイ十七世はなお共和熱月九日(一七九四年七月二十七日)にも君臨しルイ十八世はマレンゴーの戦いの日にも君臨していたのであると想像したブールボン家は、いかにしてそれを知る術《すべ》があったであろうか。有史以来かつて、事実の現前に対して、事実が含有し公布する神聖なる権力の配当の現前に対して、かくまで盲目なる君主は存しなかった。かつて、国君の権利と称せらるる地上の主張によって、かくまで天上の権利が拒まれたことはなかった。
ブールボン家をして、一八一四年に「欽定《きんてい》された」保証の上に、彼らのいわゆる譲与の上に、再び手をつけしむるに至ったことは、いかに重大な誤謬《ごびゅう》であったか。痛むべきかな、彼らが譲与と名づけたところのものは、実は吾人のなした征服であり、彼らが吾人の簒奪《さんだつ》と呼んだところのものは、実は吾人の権利だったのである。
復古政府は、時期至ったと思われた時に、ボナパルトに打ち勝ち国内に根をおろしたと想像して、換言すれば自らを強固なる根深きものと信じて、にわかに決心の臍《ほぞ》を固めてあえて事を行なわんとした。ある朝彼はフランスの面前につっ立ち声を張り上げて、その集団的資格と個人の資格とを否認し、国民には大権を拒み公民には自由を拒んだ。他の言葉をもって言えば、国民に対してはよってもって国民たるべきものを否認し、公民に対してはよってもって公民たるべきものを否認した。
七月の勅令(一八三〇年)と称せらるるあの有名なる法令の根本は、実にそこにあったのである。
かくて復古政府は没落した。
その没落は至当であった。しかしながらあえて言わんに、復古政府とてあらゆる進歩の形式に絶対的敵意を有するものではなかった。すなわちそのかたわらにおいてある大事業もなされたのである。
復古政府の下において、国民は静穏なる談論に親しむに至った、そしてそれはまさしく共和時代に欠けていたものである。また国民は平和の偉大さに親しむに至った、そしてそれはまさしく帝政時代に欠けていたものである。自由にして強大なるフランスはヨーロッパの各民衆に対しては心強い光景であった。ロベスピエールの下にあっては革命が口をきき、ボナパルトの下にあっては大砲が口をきいていた。しかるにルイ十八世およびシャール十世の下においては知力が口をきく順番となった。もはや風はやんで、炬火《たいまつ》は再びともされた。清朗なる高峰の上には純なる精神の光明がひらめくのが見られた。それこそ壮大なる有益なるかつ魅力ある光景であった。十五年の間、平和のうちに、戸外の巷《ちまた》に、偉大なる主義が働くのが見られた。それらの主義は、思想家にとってはいかにも陳腐であったが、為政家にとってはいかにも斬新《ざんしん》であった。すなわち、法律の前における平等、信仰の自由、言論の自由、印刷出版の自由、人材に対して職業の開放。そういう状態は一八三〇年まで続いた。ブールボン家は文明の一道具であって、ついに神の手のうちに握りつぶされたまでである。
ブールボン家の没落は、彼らの方ではなく国民の方において、壮観をきわめた。彼らは粛然としかし何らの権威もなく王位を去った。彼らの滅落は、史上に陰惨なる感動を残す壮大な消滅の一つではなかった。シャール一世の幽鬼のごとき静穏でもなく、ナポレオンの鷲《わし》の叫びでもなかった。ブールボン家はただ立ち去った、それだけのことである。彼らは王冠をそこに置いた、そして自ら円光を保有しもしなかった。彼らはりっぱであった、しかしおごそかではなかった。彼らにはある程度まで不幸の壮大さが欠けていた。シャール十世はシェルブールへの旅行中、丸いテーブルを四角に切らした、そして崩壊しかけた王政よりも乱れかけた儀礼の方にいっそう心を痛めてるらしかった。かかる低落は、ブールボン家の者を愛する忠誠な人々を悲しましめ、その家がらをとうとぶまじめな人々を悲しました。しかるに民衆の方はいかにもみごとであった。ある朝、武装した王党の暴動とも言うべきものに国民は襲われた、しかし国民は自ら力あることを感じて、別に憤りもしなかった。国民はそれを防ぎ、自らおさえて、事物をその本来の場所に、すなわち政府を法律のうちに戻しブールボン家を悲しくも追放のうちに戻し、そしてそれでやめた。ルイ十四世が身を置いた天蓋《てんがい》の下から老王シャール十世を取り出し、それを静かに地に置いた。王家の人々に手を触るることを、国民はただ悲しみと用心とをもってしたのである。防障の役(一五八八年五月)の後ギーヨーム・デュ・ヴェールが発した荘重な言葉を、今更に思い起こさしめ、全世界の眼前に実行したものは、それはひとりの者ではなく、また数人の者ではなく、実にフランス自身であり、フランス全体であり、勝利を得、自らその勝利に酔ったるフランスであった。ギーヨームの言葉に曰く、「貴顕の愛顧を求むるになれ枝より枝へと飛び移る小鳥のごとくに、悲運より幸運へと向背するになれたる者どもにとりては、逆境にある君主に対して不敵なる態度を取るはいとやすきことなり。さあれ吾人にとりては、わが王の運命は常に尊重すべく、いわんや悲境にある王の運命をや。」
ブールボン家は尊敬をにない去った、しかし愛惜をにない去りはしなかった。前に述べたとおり、彼らの不幸は彼らよりもいっそう大であった。彼らは地平の彼方に消えうせてしまった。
七月革命は直ちに、全世界に味方と敵とを得た。味方は心酔と歓喜とをもってその方へ押し寄せ、敵は各その性質に従ってそれに背を向けた。ヨーロッパの諸君主は、まず初めに、その曙《あけぼの》における梟《ふくろう》のごとくに、おびえ驚いて目を閉じた、そして再びその眼を開いたのはただ威嚇《いかく》せんがためのみであった。それは道理ある恐怖であり、宥恕《ゆうじょ》すべき憤怒である。この不思議なる革命はほとんど突撃の手を振るわなかった。敗亡したる王位に、敵対して血を流すだけの名誉をさえ与えなかった。自由が身自らそこなわんことを常に喜ぶ専制政府の目から見れば、恐るべきものでありながら、しかも静かに手を拱《こまぬ》いてるということが七月革命の錯誤であった。その上、七月革命に対抗して試みられ計画されたところのものは何もなかった。最も不満なる者、最もいら立てる者、最も戦慄《せんりつ》を覚えてる者でさえ、皆それに対して頭を下げたのである。人の利己心と怨恨《えんこん》とがいかに強かろうとも、人間以上の高き手が共に働いてるのを感ぜらるる事件に対しては、ある神秘なる敬意が生ずるものである。
七月革命は、事実を打ち倒す正義の勝利である。光輝に満ちた事柄である。
事実を打ち倒す正義。そこにこそ、一八三〇年の革命の光輝があり、またその温和さがある。勝利ある正義は、少しも暴戻《ぼうれい》たることを要しない。
正義は即ち正であり真である。
正義の特質は、永久に美しく純なることである。事実は、たとい表面上きわめて必然的なものであろうとも、たといその時代の人々から最もよく承認されたものであろうとも、もし単に事実としてのみ存在するならば、もし正義をあまりに少ししか含有しないかあるいはまったく含有しないかするならば、ついには時を経るとともに、必ず畸形《きけい》となり廃物となりまたおそらくは怪物となるの運命を有している。もし事実がいかなる点まで醜くなり得るかを直ちに実見せんと望むならば、何世紀かをへだててマキアヴェリをながめてみるがいい。マキアヴェリは決して悪き天才ではなく、悪魔でもなく、卑劣なみじめな著述家でもなかった。彼はただ事実のみであった。しかも単にイタリーの事実のみではなく、ヨーロッパの事実であり、十六世紀の事実であった。しかし十九世紀の道徳観念の前に立たする時、彼はいかにも嫌忌《けんき》すべきものらしく思われ、また実際嫌忌すべきものである。
この正義と事実との争いは、社会の初めより続いている。その闘争を絶滅せしめ、純なる観念と人間の現実とを混合せしめ、穏かに正義を事実のうちに浸透せしめ事実を正義のうちに浸透せしむること、それこそまさしく賢者の仕事である。
二 悪き縫合
しかしながら、賢者の仕事があるとともにまた巧者の仕事がある。
一八三〇年の革命は早くその歩を止めた。
革命が擱坐《かくざ》するや、巧者らはその蹉跌《さてつ》を寸断する。
巧者らは十九世紀においては、自ら為政家という称号を取った。かくてこの為政家なる言葉は、ついに多少隠語の趣を有するに至った。実際人の知るとおり、巧妙のみしか存しないところには必然に卑小が存する。「巧者」というは「凡人」というに等しくなる。
同様にまた、「為政家」というは時として「反逆人」というに等しい。
それゆえに巧者らの言うところによれば、七月革命のごとき革命は、断ち切られたる動脈であって、すみやかに縫合するを要する。あまりに堂々と宣言されたる正義は他を動揺させる。ゆえに一度正義が確認さるるや、こんどは国家を再び固むるを要する。自由が確保さるるや、こんどは権力を考えなければならない。
その点まではなお賢者は巧者を離れない、しかし既に互いに軽侮し始める。権力もよし、しかし第一に権力とは何ぞや、第二に権力はどこから来るか?
そうつぶやかれる異議に巧者は耳を貸さないがようである、そしてなおおのれの仕事を続ける。
おのれに有利な虚構の上に必要の仮面を着せるに巧みなそれら政治家の言によれば、一民衆が君主政の大陸に属する以上は、それが革命の後に第一に要するところのものは、すなわち一王朝をいただくことである。彼らは言う、かくして該民衆は革命の後に平和を得ることができる、換言すれば、傷を包帯し家を修復するの暇を得ることができる。王家は家の足場を隠し負傷者の病院を庇護《ひご》してくれる。
しかるに、一王朝を迎えることは常に容易の業《わざ》ではない。
厳密に言えば、だれにても天才ある者は、あるいはだれにても幸運なる者は、王たるに足りる。第一例にはボナパルトがあり、第二の例にはイツルビデ([#ここから割り注]訳者注 メキシコの将軍にて一八二二年に自ら皇帝となりし人[#ここで割り注終わり])がある。
しかしながら、いずれの家系といえども皆一王朝となるに足りるということはない。一民族中におけるある点までの年功が必要である。そして数世紀にわたる甲羅《こうら》は即座に得らるるものではない。
もし「為政家」の見地に身を置くならば、そしてもとよりあらゆる保留をなして仮りにではあるが、およそ革命の後に現われきたる王たる者の資格は何であるか? その第一に有効なることができまた実際有効なる資格は、彼が自ら革命派であること、換言すれば、親しくその革命に関与し、自ら手を下し、あるいは危地に陥るか、あるいは名を現わし、あるいは斧《おの》にきらるるか、あるいは剣をふるうかした者であることである。
また王朝たる家柄の資格は何であるか? その家は国民的でなければならない、換言すれば、ある距離をへだてたる革命派で、なしたる行為によってではなく受け入れたる観念によって革命派でなければならない。過去より成っていて歴史的であり、未来より成っていて同感的でなければならない。
第一の諸革命がなぜにひとりの人物たとえばクロンウェルもしくはナポレオンを見いだすのみで満足したか、また第二の諸革命がなぜに一家系たとえばブルンスウィク家もしくはオルレアン家を見いださずんばやまなかったか、その理由は以上のことによって説明さるる。
王家なるものは、各枝が地にたれ根をおろして一本の木になるというあのインドの蛸《たこ》の木にも似ている。各枝は一王朝となることができる。しかしそれはただ、民衆までたれ下がるという条件においてである。
そういうのがすなわち巧者の理論である。
それゆえ次のような大なる技能を要する。成功に災厄の色調を与えて、成功を利用する者どもをも慄然《りつぜん》たらしむること、踏み出す一歩に恐怖の味を添えること、推移の曲線を大きくして進歩をおくらすこと、その曙《あけぼの》の色を鈍くすること、熱狂の酷烈さを公布し減退させること、圭角《けいかく》を削り爪牙《そうが》を切ること、勝利を微温的たらしむること、正義に衣を被《き》せること、巨人たる民衆にすみやかに寝間着をきせ床につかせること、過度の健康者を断食させること、ヘラクレスのごとき勇者に病後の人のごとき待遇を与えること、事変を術数のうちに丸め込むこと、理想に渇してる精神に麦湯を割った酒を与うること、あまりみごとな成功を得ないよう注意すること、革命に日除幕《ひよけ》を施すこと。
一八三〇年は、既に一六八八年にイギリスにおいて適用されたこの理論を実行した。
一八三〇年は、中途にして止まった革命である。半端《はんぱ》の進歩であり、準の正義である。しかしながら理論は「ほとんど」ということを認めない、あたかも太陽が蝋燭《ろうそく》の光を認めないと同様に。
およそ革命を中途にして止めさせるものはだれであるか? 中流民である。
なぜであるか?
中流民とは満足の域に達してる利益にほかならないからである。昨日は欲望を有していた、今日ははや満ち足っている、明日は既に飽満するであろう。
ナポレオンの後一八一四年に起こった現象は、シャール十世の後一八三〇年に再び現われた。
中流民を社会の一階級となさんとしたのは誤りである。中流民とは単に民衆のうちの満足してる部分にすぎない。中流民とは今や腰をおろす暇を持ってる者を言う。椅子《いす》は一つの門族を作るものではない。
しかしあまりに早く腰をおろそうと欲するために、人類の進行をも止めさせることがある。それがしばしば中流民の誤りであった。
けれど一つの誤りをなすからと言って一階級を作るものではない。利己心は社会の部門の一つを作りはしない。
その上、たとい利己心に対してさえ人は正当であらなければならない。一八三〇年の動揺の後に、中流民と称せらるる一部分の国民が切望していた状態は、無関心と怠惰とを交じえ多少不名誉を含む無為の状態ではなかった。夢に近い一時の忘却を思わする微睡ではなかった。それは実に停止だったのである。
停止とは、不思議なほとんど矛盾せる二重の意味から成ってる言葉である、進軍すなわち運動と、駐軍すなわち休息と、二重の意味から。
停止とは、力の回復である。武装し目ざめた休息である。歩哨《ほしょう》を出し警戒を怠らないでき上がった事実である。それは昨日の戦いと明日の戦いとを前提とする。
それは、一八三〇年と一八四八年と(七月革命と二月革命と)の中間の時期である。
ここに吾人が戦いと言うところのものは、また進歩と呼んでもさしつかえない。
ゆえに中流民にとっては、為政家にとってと同じく、この「停止」という言葉を発する者がひとり必要であった。「だけどまあ」のひとりが、革命を意味するとともに安定を意味する混合式のひとりが、換言すれば、明瞭に過去と未来とを両立させることによって現在を固むるひとりが。
そういう男がひとり「ちょうど見当たった」。その名をルイ・フィリップ・ドルレアンと言った。
二百二十一人の者がルイ・フィリップを王とした。ラファイエットがその即位式をつかさどった。彼はそれを最上の共和政と呼んだ。パリーの市庁はランスの大会堂(訳者注 以前歴代の国王が即位式を上げし場所)の代わりとなった。
この半王位を全王位に置換したことが、すなわち「一八三〇年の事業」であった。
巧者らがその業を終えた時、彼らの解決の大なる欠陥が現われてきた。すべてそれらは絶対の正義を外にしてなされたものであった。絶対の正義は叫んだ、「予は抗議す!」と。そして恐るべきことは、彼は影のうちに再びはいっていったのである。
三 ルイ・フィリップ
およそ革命なるものは、恐ろしき腕と堪能なる手とを有している。その打撃は的確であり、その選択は巧妙である。そして一八三〇年の革命のごとく、たとい不完全であり、変性で雑種であり、幼稚なる状態になされたるものであろうとも、なお常にかなりの天意的清明さをそなえているものであって、悲しき終末をきたすものではない。その消滅も決して廃棄とはならない。
けれどもあまりに高い自負を有してはいけない。革命とてもまた誤りを犯すことがあり、重大なる錯誤が見らるることもある。
一八三〇年に立ち戻ってみよう。一八三〇年は、本道からはずれながらも仕合わせであった。中途に歩を止めた革命の後にいわゆる秩序と称せられた建設のうちにあって、王は王位そのものよりもよほどすぐれていた。ルイ・フィリップはまれな人物だったのである。
歴史的見地よりすれば確かに酌量《しゃくりょう》すべき情状のある父親を持っていたが、しかし父親が非難に相当するとともに、彼は尊敬に相当する人物だった。あらゆる私の徳を有し、多くの公の徳を有していた。自分の健康と財産と身体と仕事とによく意を用いていた。一瞬間の価をよく知っており、常にとは言えないが一年の価も知っていた。節制で快暢《かいちょう》で温和で忍耐強かった。善良な人であり、善良な君主であった。常に正妻とともに寝ね、宮廷内の従僕らに命じて市民に正しい臥床《がしょう》を見さした。それは規律ある奥殿を誇示せんがためであったが、本家(訳者注 ルイ・フィリップ以前の諸王の系統)の古来のふしだらな逸楽の後にあってはごく有効であった。またヨーロッパの各国語に通じ、ことに珍しいことには、あらゆる階級の言葉に通じ、それを常に話していた。最もよく「中流社会」を代表した人物であったが、また一方にそれより抜きん出て万事にそれよりもすぐれていた。自分の血統を自負しながらも、自分自身の価値を特に重んずるだけのすぐれた精神を持っていた。そして自分のごくまれなる家柄のことについても、自らオルレアン家と称してブールボン家とは称さなかった。まだ殿下というに過ぎなかった頃は、一流の血統の王侯であったが、陛下となるにおよんでは磊落《らいらく》な市民となった。公の間では不得要領であったが、親しい個人間では簡明であった。有名な吝嗇家《りんしょくか》であったが、しかししっぽをつかまれるような吝嗇家ではなかった。根本においては、自分のでき心や義務のためには容易に浪費者となる底《てい》の蓄財家だった。文学に通じていたが、文芸に心動かされることは少なかった。りっぱな紳士であったが、騎士型の人ではなかった。単純で静平でしっかりしていた。家族の者らや一門の者らから敬愛されていた。人の心をひくほどの話し上手であった。悟り澄ました為政家であり、内心は冷ややかであり、目前の利害に強く支配され、常に手近な政策を施し、怨恨《えんこん》または感謝の念を知らず、平然として下級者に対し上長の権を振るい、議会の大多数を操縦して王位の下にひそかにつぶやいてる輿論《よろん》を圧迫させるに巧みだった。時としては不謹慎となるまでに快濶《かいかつ》だったが、その不謹慎のうちにも驚くべき巧妙さがあった。術数と真顔と仮面とに豊富だった。フランスに全ヨーロッパを恐れさし、全ヨーロッパにフランスを恐れさした。確かに自分の国を愛していた。しかし自分の一家をなお愛していた。主権よりもいっそう支配権を尊び、威厳よりもいっそう主権を尊んでいたが、そういう性情は、すべて成功をのみ計りながら猾手段《かつしゅだん》をも許し卑劣さをも意に介しないという短所を有するとともに、政治を激動から免れさせ、国家を破砕から免れさせ、社会を覆滅から免れさせるという長所を有するものだった。また細心で、正確で、用心深く、注意深く、怜悧《れいり》で、疲労を知らなかった。時としては矛盾し撞着《どうちゃく》することもあった。アンコナにおいてはオーストリアに対抗して豪胆であり、スペインにおいてはイギリスに対抗して強情であり、アントワープを砲撃し、プリチャールを弁償し、確信をもってマルセイエーズ(フランス国歌)を高唱した。落胆や倦怠《けんたい》や美と理想との趣味や無謀な寛大や理想郷や空想や憤怒や虚栄や恐怖などを少しも知らなかった。個人的のあらゆる勇敢さをそなえていた。ヴァルミーにては将軍であり、ジュマップにては兵卒であった。([#ここから割り注]訳者注 両地とも一七九二年フランス軍がオーストリア軍を破りし地[#ここで割り注終わり])。八度|弑逆《しいぎゃく》が試みられ、そして常にほほえんでいた。擲弾兵《てきだんへい》のごとく毅然《きぜん》として、思想家のごとく勇壮であった。ただ全ヨーロッパ動揺の機会に対しては不安を覚え、政治的大冒険には不適当であった。常に身を犠牲にするだけの覚悟は持っていたが、決して自分の事業を危うくすることを欲しなかった。国王としてよりも知者として人を従わせるために、好んで自分の意志に感化の仮面を被《き》せた。察知の能力は持たなかったが、観察眼をそなえていた。人の精神にはあまり注意を向けなかったが、人の性格にはよく通じていた、換言すれば、裁かんがために見る必要があったのである。鋭敏な良識と、実際的な怜悧《れいり》さと、軽快な弁舌と、異常な記憶力とを持っていた。絶えずその記憶のうちから物を汲み出すことは、シーザーやアレクサンデルやナポレオンに似ている唯一の点だった。多くの事実や些事《さじ》や日付や固有名詞などを知っていた。しかし、群集の種々の傾向や熱情や才能などを知らず、人の心の内部の熱望や隠れたひそかな高揚などを知らなかった、すなわち一言にして言えば、人の本心の目に見えざる流れとも称すべきものをまったく知らなかった。表層からは受け入れられていたが、下層のフランスとは一致してるところがあまりなかった。それを巧みな才できりぬけていた。あまりに多く統治してはいたが、十分に君臨してはいなかった。その首相は自分自身であった。微小な現実をもって広大な思想の障害たらしむるに巧みだった。文明や秩序や組織の真の創造的能力に一種定規的訴訟的精神を交じえていた。一王朝の創設者であり代弁人であった。多少のシャールマーニュらしいところと多少の代言人らしいところとを持っていた。要するに、高き独特な性格であり、フランス全体の不安にも反して権力を作ることができ、ヨーロッパ全体の嫉妬《しっと》にも反して勢力を作ることができる君主だった。かくしてルイ・フィリップは、もし少しく名誉を好むの念を有し、もし有効なるものに対する感情と同じくらいに偉大なるものに対する感情を有していたならば、その世紀の卓越せる人物のうちに加えられたであろう、そして史上で最も有名なる統治者のうちに列せられたかも知れない。
ルイ・フィリップは好男子であって、老いてもなお優雅だった。常に国民から喜ばれたとは言えないが、群集からは常に喜ばれた。彼は人の気に入った。天賦の魅力を持っていた。ただ尊厳さは欠けていた。王ではあったが王冠をいただいてはいなかった。老人ではあったが白髪ではなかった。そのやり方は旧制的だったが、その性癖は新制的であって、一八三〇年にふさわしい貴族と市民との混合だった。彼は当時珍しくない過渡人であった。古い発音と古い綴《つづ》り方《かた》とを守りながら、そこで新しい意見を発表していた。ポーランドを好みハンガリーを好んでいたが、波蘭人だの匈牙利人だのという古めかしい文字使いをしていた。シャール十世のように国民軍の服をつけ、ナポレオンのようにレジオン・ドンヌール勲章の大綬をつけていた。
彼は礼拝堂に行くことはきわめてまれであり、狩猟に行くことは決してなく、オペラに行くことはかつてなかった。教会堂の納室係りや猟犬番人や踊り娘《こ》などにとっては、彼はまったく救われない人物だった。そしてそれは市民間に彼の評判をひろげる一助となった。彼は少しもお取り巻きを持っていなかった。いつも腕の下に雨傘《あまがさ》を抱えて出かけた。そしてその雨傘は長く彼の円光の一部となった。左官や庭師や医者などの心得も多少あった。馬から落ちた御者に刺胳《シラク》をしてやったこともある。それからはいつも、アンリ三世が必ず短刀を持って外出したように、必ず手術針を持って外出した。患者を回復させんためにその血を流出さしてやった最初の人であるそのおかしな王を、王党の者らはあざ笑っていた。
ルイ・フィリップに対して歴史が加える非難のうちには、実は控除しなければならないものがはいっている。およそ王位そのものに帰すべきものがあり、国政そのものに帰すべきものがあり、王自身に帰すべきものがある。その三つの桁《けた》は各異なった総額を与うるものである。民主権を没収したこと、進歩をして第二義的たらしめたこと、巷《ちまた》の抗議を暴力で抑圧したこと、反乱に対して武力で干渉したこと、騒擾《そうじょう》を武器で鎮圧したこと、トランスノナン街の事件、軍法会議、現実の一国を法律の一国たらしめたこと、三十万の特権者をもって立てられた半端《はんぱ》な政府、それらは王位がなした仕事である。ベルギーの提議を拒絶したこと、アルゼリーをあまりに酷薄に征略し、イギリス人がインドに対して行なったように、文明的手段よりもむしろ多くの野蛮的手段を用いたこと、アブデルカデルに信用をなくしたこと、ブライの事件、ドイッツ町を買収したこと、プリチャールを弁償したこと、それらは国政がなした仕事である。国民的というよりもなおいっそう家族的な政治をしたこと、それは王がなした仕事である。
かく差し引をなす時には、王の負うところは明らかに減少する。
彼の大なる過ちは、フランスの名において謙譲だったことである。
その過ちはどこから来るか?
それを少しく述べてみよう。
ルイ・フィリップはあまりに家父的な王であった。やがて一王朝たらしめんと静かに孵化《ふか》されつつあったその一家は、あらゆるものを恐れ、静安を乱されることを欲しなかった。そこから過度の臆病《おくびょう》さが生まれたのであって民事的伝統としては七月十四日(一七八九年)を有し軍事的伝統としてはアウステルリッツを有する人民にとっては、それはかえってわずらいとなるものだった。
その上、まず最初に尽すべき公の義務を除いて考うるならば、ルイ・フィリップが自分の家族に対して持っていた深い温情は、家族の方でもまたそれに価するだけのものがあった。その一群の人々はきわめてすぐれた者ばかりだった。徳と才能とが兼ねそなえられていた。ルイ・フィリップの娘のひとりであるマリー・ドルレアンは、あたかもシャール・ドルレアンが一家の名前を詩人のうちに加えさしたと同じように、一家の名前を美術家の中に加えさした。彼女は自分の魂を一つの大理石像に作り上げ、それをジャンヌ・ダルクと名づけた。またルイ・フィリップの息子のうちのふたりは、メッテルニッヒをして次の平民的賛辞を発せさした。「彼らは、類《たぐ》いまれなる青年であり、類いなき王侯である。」
そして右の言葉はまた、一字をも削りもしくは加えないでそのままに、ルイ・フィリップにあてはまるものである。
平等の王侯であり、おのれのうちに王政復古と革命との矛盾をいだき、革命党の不安な一面を有するとともにそれがかえって統治者としての安定となる、そういう点にこそ一八三〇年におけるルイ・フィリップの幸運はあった。事変に対してかくばかり完全に順応した人物はかつて存しなかった。人物と事変とが互いに入り込んで、そこに一つの具体化が成された。ルイ・フィリップは実に一八三〇年の化身である。その上彼は王位につくに大なる便宜を持っていた、すなわち亡命ということを。彼はかつて追放されて、放浪の貧しい日々を送った。自ら働いて食を得た。フランスの最も富裕な采地《さいち》の領主であった彼は、スウィスにおいては食に代えるために古い馬を売り払った。ライヘナウにおいては、自ら数学の教授をし、一方妹のアデライドは刺繍《ししゅう》をし裁縫をした。国王たる身分にそういう思い出が伴うことは、中流民らを心酔せしむるものだった。また彼はかつて、ルイ十一世によって建てられルイ十五世によって利用されたモン・サン・ミシェルの最後の鉄の檻《おり》([#ここから割り注]訳者注 サン・ミシェル騎士団の城[#ここで割り注終わり])を、自ら手を下して破壊した。彼はまたデュムーリエの戦友であり、ラファイエットの友であった。ジャコバン党のクラブ員であった。ミラボーは親しく彼の肩をたたき、ダントンは彼を「おい若者」と呼んだ。一七九三年二十四歳の時、まだシャルトル氏とのみ称していて、国約議会の薄暗い小房の奥から彼は、このあわれなる暴君[#「このあわれなる暴君」に傍点]と呼ばれたルイ十六世の裁判に出席した。王において王位を破砕し王位とともに王を破砕し、思想の荒々しい圧倒のうちにほとんど人間を見分けることをしなかった、革命の向こう見ずの明知、また裁判会議の広大なる暴風、尋問を行なう公衆の激昂《げっこう》、いかに答うべきかを知らなかったカペ(ルイ十六世)、その陰惨なる息吹《いぶき》の下にある王の頭の呆然《ぼうぜん》たる恐ろしい揺らぎ、その覆滅のうちにおいて刑する者と刑せらるる者とを問わずすべての者の相対的潔白、それらのことを、それらの異変を、彼は目のあたりながめた。国約議会の法廷に過去の各世紀が召喚さるるのを、彼は見た。責任を負わせられた不幸なルイ十六世の背後に、恐るべき被告の王政が闇《やみ》のうちにつっ立つのを、彼は見た。そして、ほとんど神の裁きほどに超個人的なる民衆の広大な裁きに対する畏敬の念が、彼の心の底に残されたのである。
大革命が彼のうちに残した感銘は非常に大なるものであった。彼の思い出は、それらの偉大な年月の一分時をも余さない生きた刻印のごときものであった。ある日彼は、確かな一目撃者の前において、立憲議会員のアルファベット順の名簿中のAの部全体をただ記憶だけで正誤したことがあった。
ルイ・フィリップは白日の王であった。彼の治世中は、印刷出版は自由であり、弁論は自由であり、信仰と言語とは自由であった。九月(一八三五年)の法律は明るみにさらされている。光は特権をついばむの力を持ってると知りつつも、彼はなお自分の王位を光にさらして顧みなかった。歴史は彼にその公正さを認めてやるべきである。
ルイ・フィリップも、舞台を去ったあらゆる史上の人物の例にもれず、今日では既に人類の本心によって裁かれ始めている。しかし彼の裁判はまだ第一審に止まっている。
歴史がその敬すべき自由な音調をもって語る時期は、彼に対してはまだ到来してはいない。この王に対して最後の判決を下すべき時はまだきたっていない。謹厳高名なる歴史家ルイ・ブランも、最初の判定を最近自ら緩和している。ルイ・フィリップはいわゆる二百二十一人および一八三〇年と称せられるところのものによって、すなわち半端議会《はんぱぎかい》と半端革命とによって、ほとんど両者から選出されたのである。そして結局、哲理が身を置くべき高き見地よりするならば、吾人は上《かみ》に暗示しておいたごとく、多少の控え目をもってするでなければ絶対の民主主義の名においてここに判定を与うることはできないであろう。絶対の目よりすれば、二つの権利を、すなわち第一に人間の権利を第二に民衆の権利を外にしては、すべては簒奪《さんだつ》となる。しかしそれらのことを控えておいて、今日吾人が言い得るのは次のことである。すなわち、要するにまたいかなる方面よりながめてもルイ・フィリップは、彼自身だけを引き離しかつ人間的善良さの見地よりするならば、ここに古き歴史の古き言葉を使って言えば、王位に上った君主のうちの最上なるもののひとりとなるであろう。
ところで、彼の価値を落とすものは何であるか? 王位である。しかしルイ・フィリップより王を差し引けば、彼は一個の人間となる。そしてその人間は善良である。時としては嘆賞すべきまでに善良である。しばしば、重大な心痛のうちに、大陸の各外交術数と戦った一日の後に、彼は夕方自分の部屋に退いた。そして疲労と睡魔とに襲われながらも、彼はそこで何をなしたか? 訴訟記録を取り上げ、重罪裁判事件を検査しつつ夜を過ごした。全ヨーロッパに対抗するも一事ではあるが、しかし死刑執行人の手よりひとりの男を救い出すのはなおいっそう重大なことであると、彼は思っていたのである。彼は司法卿に執拗《しつよう》に対抗し、法の饒舌者ら[#「法の饒舌者ら」に傍点]と彼が呼んでいた検事らと絞首台について仔細《しさい》に議論を戦わした。時としてはつみ重なった訴訟記録でテーブルがいっぱいになることもあったが、彼はそれを皆一々調べた。それらのみじめなる刑人らを見捨てるのは彼の苦痛とするところだった。ある日、前に上げたのと同じ目撃者に彼は言った、「今晩自分は七人を救った[#「今晩自分は七人を救った」に傍点]。」その治世の初めの頃は、死刑はほとんど廃せられたかの観があり、絞首台を立てることは非常に王の心をそこなった。グレーヴの刑場は本家の王位とともに消滅し、市井の一グレーヴがバリエール・サン・ジャックの名の下に設けられた。「実際家ら」はせめて準定法の一絞首台の必要を感じた。そしてこの点は、中流民の狭量な方面を代表するカジミール・ペリエがその自由な方面を代表するルイ・フィリップに対して得た勝利の一つだった。ルイ・フィリップは自らベッカリア(訳者注 刑法の緩和改進を主義とするイタリーの学者)の著書に注釈を施した。フィエスキーの機械(訳者注 ルイ・フィリップを倒さんとしてフィエスキーが使用した特別の機械)の事件の後、彼は叫んだ。「自分が負傷だもしなかったことは実に遺憾である、負傷したならば特赦を施してやることができたであろうに。」またある時、彼は大臣らの反対を風諭して、近代の最も秀《ひい》でた人物の一であるある国事犯人のことに関してしたためた。「彼の赦免は既に与えられている、今はただ自分がそれを手に入れることだけである。」ルイ・フィリップはルイ九世のごとく温和でありアンリ四世のごとく善良であった。
そして吾人に言わすれば、歴史中においては善良さはまれなる宝石とも言い得るがゆえに、善良であった者は偉大であった者よりもほとんどまさると言ってもさしつかえない。
ルイ・フィリップは、ある者からは厳重に評価され、またある者からはおそらく苛酷に評価されたために、彼を知っていた一人の者(訳者注 本書の著者)が、それもはや今日では幽界の身に等しい者ではあるが、歴史に対して彼のために弁護の陳述をなしに来るのは、きわめて至当なことである。その陳述はいかなる内容であろうと、何よりもまず私念なきものであることは明らかである。死者によって書かれた碑文はまじめなものである。一つの霊魂は他の霊魂を慰めることも得よう。同じ暗黒を分有することは賞讃するの権利を与えてくれるだろう。そして亡命せる二つの墓について、「これは彼に媚《こ》びている」と人に言われる懸念は、ほとんどないのである。
四 根底の罅隙《かげき》
本書の物語が、ルイ・フィリップの治世の初期をおおう悲壮なる暗雲の深みのうちに、まさにはいり込まんとする時に当たって、まず事情を明らかにしておかなければならないし、この王に関して多少説明を加えておく必要がある。
ルイ・フィリップは、明らかに革命の真の目的とは異なったものであるが、しかしオルレアン公としての彼が自ら進んで手を出したこともない革命の自然の推移によって、自ら何ら直接の行動にいずることもなくごく穏やかに、王権を掌握したのであった。彼は王侯に生まれ、そして国王に選出されたと思っただけである。統治の委任権を彼は決して自ら自分に与えはしなかった。それを自ら取りはしなかった。ただ人から提出されてそれを受納したまでである。その提出は正義に反しないものでありその受納は義務に反しないものであると、確かに謬見《びゅうけん》ではあったが、とにかく確信したのである。そこに彼の善意的な所有がある。ところで、吾人をして真底から言わしむれば、ルイ・フィリップはその所有に誠心であり、民主政はその攻撃に誠心であるがゆえに、社会的闘争から発する非常な恐慌の責は、これを王に帰すべきものでもなく、また民主政に帰すべきものでもない。主義の衝突は自然要素の衝突にも似ている。大洋は水をまもり、旋風《つむじかぜ》は空気をまもる。王は王位をまもり、民主政は民衆をまもる。王政たる相対は、共和政たる絶対に対抗する。社会はその闘争の下に血を搾《しぼ》る。しかし今日、社会の苦悩となるものは、後日その福祉となるであろう。そしていずれにしても、闘争する者をここに難ずべき理由は一つもない。両派の一方は明らかに誤っているであろう。正義なるものは、ロデスの巨像のように、片足を共和政の中に入れ、片足を王政の中に入れて同時に両岸にまたがるものではない。正義は不可分のものであり、ただ一方にのみ立つべきものである。しかしながら、誤りを犯している方の人々も、その誤りはまじめなものである。ヴァンデの王党の者を盗賊だとは言えないように、盲人を罪ある者だとは言えない。ゆえにその恐るべき闘争は、これを事物必然の勢いだとしようではないか。その擾乱《じょうらん》がいかなるものであろうとも、人間の責任はそこに交じってはいない。
右の論を更に完説してみたい。
一八三〇年の政府はすぐに困難な生活に陥った。昨日生まれたばかりで今日ははや奮闘しなければならなかった。
ようやく腰をおろすとすぐに政府は、新しく据えられたばかりでまだ堅固でない七月(七月革命)の機関に対して、それを引き倒そうとする漠然《ばくぜん》たる牽引運動《けんいんうんどう》を四方に感じた。
翌日ははや反抗が生じた、否それはもう前日から生じていたかも知れない。
月を重ぬるに従って敵対は大となり、影のうちにあったものもあらわに姿を現わしてきた。
七月革命は、前に言ったとおり、フランス以外の諸国王からはあまり受け入れられず、またフランスにおいては種々の解釈を施された。
神はおのれの意志を事変のうちに現わして人間に伝える。しかしそれは神秘な言葉によって書かれた難解な文章である。人間は即座にその種々の翻訳をこしらえる。しかしそれらは皆、錯誤と脱落と矛盾とに満ちた速成の不正確なものばかりである。神の言葉を解する者ははなはだ少ない。最も鋭敏なる者、静平なる者、深き者らは、徐々に読み解いてその正文をもたらすが、その時はもう疾《と》くに仕事はなされてしまっている。公衆の巷《ちまた》には既に多くの翻訳ができている。その各翻訳から一党派が生まれ、各誤訳から一徒党が生まれている。そして各党派はおのれのみが唯一の正文を有していると信じ、各徒党はおのれのみが光明を有していると信じている。
しばしば権力それ自身も一つの徒党にすぎないことが多い。
革命のうちには流れにさかのぼって泳ぐ者がいる。それは旧党の者らである。
神の恵みによって世襲権に執着してる旧党の者らに言わすれば、革命は背反の権利から生ずるものであるから、人はまた革命に背反するの権利をも持っていることになる。しかしそれは誤りである。なぜなれば革命のうちにあっては、背反する者は人民ではなくして王だからである。革命はまさしく背反の反対である。あらゆる革命は皆順当なる遂行であるゆえに、そのうちには正法が含まっている。その正法は、時として似而非《えせ》革命家らによって汚名を負わせらるることもあるが、しかしたとい汚されようとも存続するものであり、たとい血にまみれようとも生きながらえるものである。革命は一事変より発生するものではなく、必然より生ずるものである。革命は虚を実に還《かえ》すことである。革命は存在せざるべからざるがゆえに存在する。
古い正統派ら(訳者注 ブールボン本家を奉ずるもの)は、誤れる理論より生ずるあらゆる暴虐をもって一八三〇年の革命に襲いかかった。錯誤は秀でたる弾丸である。彼らはこの革命を打つに、その傷つけ得べき所を、その鎧《よろい》のない所を、その論理の欠けてる所を、賢くも選んだ。彼らは王位の点をもってこの革命を攻撃した。彼らは叫んだ。「革命よ、この王は何ゆえのものぞや?」それらの徒党は正しき狙《ねら》いを有する盲人である。
その叫びを、共和党らもまた同じく発する。しかし彼らから来ればそれも合理的である。正統派のうちにおいて盲目となるところのものは、民主派のうちにおいては明知となる。一八三〇年は民衆に破産をさした。憤怒した民主政はそれを非難したのである。
過去から来る攻撃と未来から来る攻撃との間にあって、七月の建物は奮闘した。一方では数世紀来の王政と争い、他方では永遠の正義と争う一瞬間を、それは現わしたものであった。
その上国外に対しては、一八三〇年はもはや革命ではなく王政となったために、全ヨーロッパと歩調を合わせなければならなかった。平和を保全することはいっそうの複雑さをきたすことである。矛盾せるものと調和を保たんとすることは、それと戦うよりもいっそうの厄介事であることが多い。常に嵌口《かんこう》されながら常に囂々《ごうごう》たるその暗黙の闘争から、武装せる平和が、本来既に疑わしい文明の更に自ら身をそこなうべき術数が、生まれたのである。七月の王位は、ヨーロッパの各政府に繋駕《けいが》されながら後足で立ち上がってたけり立った。メッテルニッヒは進んでこの王位に臀革《しりかわ》を施さんとした。フランスにおいては進歩から鞭《むち》打たれたこの王位は、全ヨーロッパにおいては足の緩《ゆる》い各王政を鞭《むち》打った。自ら駆り立てられてまた他を駆り立てんとした。
そのうちにも国内においては、恐るべき斜面があった。困窮者、下層民、賃金、教育、刑罰、醜業、婦人の地位、富、貧、生産、消費、分配、交易、貨幣、信用、資本家の権利、労働者の権利、すべてそれらの問題が社会の上に輻湊《ふくそう》していた。
本来の政治的党派のほかにまた、他の運動も現われていた。民主上の機運は思想上の機運と相応じていた。秀《ひい》でたる者も群集と同様に不安を感じていた。意味は異なっていたが程度は同じであった。
土台が、換言すれば民衆が、革命の潮に浸されて一種|漠然《ばくぜん》たる癲癇的《てんかんてき》動揺をなしてるとともに、その上に立って思想家らは瞑想《めいそう》していた。それらの思索家らは、ある者は孤立しある者はほとんど一組合のごとく一団となって、平和にしかし底深く社会問題を動かしていた。それらは実に虚心平静なる坑夫であって、火山の底まで静かにその坑道を開いてゆき、かすかな震動とほのかな熔岩の光とによって心乱されることもほとんどなかった。
その静平なる様は、この動揺せる時代の一美観とも言えるものであった。
それらの人々は、各権利の問題を政党者らにうち任して、自らは幸福の問題に没頭していた。
人間の安らかな生活、それこそ彼らが社会から掘り出さんと望んでいたものである。
彼らは物質的問題を、農工商の問題を、ほとんど宗教の高さにまで引き上げていた。少しは神によって多くは人間によって作られてる現在のごとき文明においては、各利害関係は、政治上の地質学者たる経済学者らから気長に研究された力学的法則に従って、互いに結合し凝結し化合して真の強固なる巌《いわお》を形成している。
種々異なった名称の下に集まってはいるがこれを一括して社会主義者という通称で指示し得らるるそれらの人々は、右の巌《いわお》を貫かんとつとめ、人の幸福の生きた泉をそれよりほとばしり出させんとつとめていた。
絞首台の問題から戦争の問題に至るまで、彼らの仕事はすべてを包含していた。フランス大革命によって宣言された男子の権利に、婦人の権利と子供の権利とを彼らはつけ加えていた。
もとより吾人はここに、種々の理由から、社会主義によって起こされた問題をすべて理論上の見地から根本的に考究せんとするものではない。吾人はただそれらの問題を指示するに止めよう。
宇宙|開闢《かいびゃく》論的見解や夢想や神秘説などを外にして、社会主義者らが提起する問題のすべては、二つの主要なる題目に帰結することができる。
第一――富を作り出すこと。
第二――富を分配すること。
第一の題目には労働問題が含まれる。
第二の題目には賃金問題が含まれる。
第一の題目においては労力の使用が問題である。
第二の題目においては享有の分配が問題である。
労力の適宜なる使用から、公衆の勢力が生じてくる。
享有の適宜なる分配から、個人の幸福が生じてくる。
適宜なる分配とは、平等なる分配の謂《いい》ではなくて、公平なる分配の謂である。最上の平等とはすなわち公平のことである。
外に現われては公衆の勢力と、内にあっては個人の幸福と、その二つが結びつく時に、社会の繁栄が生じてくる。
社会の繁栄とは、幸福なる人間、自由なる公民、偉大なる国民、をさす言葉である。
イギリスは右の二つの題目のうち第一だけを解決している。巧みに富を作ってはいるが、その分配は適宜でない。ただ一方だけが完成したにすぎないその解決は、イギリスを必然に二つの極端に導いている、すなわち、恐るべき富裕と恐るべき困窮とに。ある者らにはあらゆる享有、他の者らすなわち民衆にはあらゆる欠乏。特権、除外例、独占、封建制、などは労働からも生ずる。それは誤れる危険な状態であって、個々の困苦の上に公衆の勢力をうち立て、個人の苦悩のうちに国家の偉大さの根を置くものである。それは不完全に組み立てられた偉大さであって、そこにはあらゆる物質的要素は結合しているが、何ら精神的要素は加えられていない。
共産主義と土地均分法とは、第二の題目を解決するものと自ら信じている。しかしそれは誤った見解である。それらの分配は生産を殺すものである。平等な分有はついに競争を絶滅させ、その結果また労働を絶滅させる。それは分配物を殺す屠殺者《とさつしゃ》によってなさるる分配である。ゆえにそれらのいわゆる解決に止まることは不可能である。富を殺すことは決して富を分配することではない。
二つの題目は、これをよく解決せんがためには両者同時に解決するを要する。両者の解決は、これをともに結合して一体となすを要する。
二つの題目の第一をのみ解決すれば、ヴェニスとなりイギリスとなるであろう。ヴェニスのごとく人為的の強勢をきたし、もしくはイギリスのごとく物質的の強勢をきたすであろう。悪き富者となるであろう。ついには、ヴェニスが死滅したごとく暴挙によって滅び、あるいはイギリスが将来失墜するであろうごとく破産によって滅ぶるであろう。そして世界は、その死滅と失墜とをただ傍観するのみであろう。なぜなれば、すべて利己心のみに過ぎないところのものは、すべて人類に対して一つの徳操をも、または一つの観念をも表示しないところのものは、世界はこれをただ失墜し死滅するに任して顧みないからである。
もとよりここに吾人は、ヴェニスあるいはイギリスなどの言葉をもって、ある民衆をさすのではなくて、ある社会制度をさすのである。国民の上に置かれた寡頭政治《かとうせいじ》をさすのであって、国民そのものをさすのではない。あらゆる国民に対して吾人は常に尊敬と同情とを持つ。民衆としてのヴェニスは他日復活するであろう。貴族としてのイギリスは没落するであろうが、国民としてのイギリスは永久に生きるであろう。以上のことを一言ことわって、更に言を進めよう。
二つの題目を解決せよ。富者を励まし、貧者を保護せよ。困窮を絶滅せよ。強者が弱者を不正に利用することをやめさせよ。既に到達せる者に対する途半ばなる者の不正な嫉視《しっし》を抑圧せよ。労働の貸金を数理的にかつ友愛的に正せよ。子供の成長に無料の義務教育を添加し、学問をもって壮年の基礎とせよ。手を休めずに知力を啓発せよ。強勢な民衆たるとともに幸福な家族たれ。所有権を廃することなくそれを普遍的ならしめて、各公民は皆ひとり残らず所有者となるように、所有権を民主的たらしめよ。これは人の考うるごとく難事ではない。要するに二言につづむれば、富を作り出すことを知り富を分配することを知れ。かくした暁には、物質的偉大さと精神的偉大さとを共に得るであろう。そして自らフランスと呼ぶに恥ずかしからざるに至るであろう。
以上のごときがすなわち、本道をはずれたる二、三の学派を外にし、またその上に立って、社会主義が唱えたところのことである。社会主義が事実のうちにさがし出したところのものはそれであり、人の精神のうちに描き出したところのものはそれである。
嘆賞すべき努力、神聖なる試みであった。
それらの主義、それらの理論、それらの障害、為政家にとっては意外にも思想家らと協調しなければならない必要、かすかに見ゆる紛糾せる事理、新たに立てなければならない政治、一方に革命の理想とあまり離れないままで他方に古き世界との一致、ポリニャクと対立さしてラファイエットを用いなければならない事情、反乱の下に明らかに察知さるる進歩、上下両院と下層民衆、平均させなければならない周囲の競争、革命に対する信念、決定的の至高なる正義を漠然《ばくぜん》と懐抱したがために生じた、おそらくある一時のあきらめ、身分を保たんとする意志、家庭的精神、民衆に対するまじめな敬意、正直なる性質、それらのことがほとんど痛ましいまでにルイ・フィリップの頭を満たし、いかに強くまた勇敢であったとは言え、時としては国王たる困難の下に彼は圧倒されんとした。
恐るべき分裂を、しかもフランスはかつて見ないほど真にフランス的であったから、微塵《みじん》になることではない分裂を、彼は自分の足下に感じた。
重畳した闇《やみ》は地平をおおうていた。異常な影はしだいに近く迫ってきて、人と事物と思想との上に徐々にひろがっていった。あらゆる激情と思想とから来る影であった。早急に息をふさがれたすべてのものは、静かにうごめき発酵しつつあった。時としてはこの正直なる男([#ここから割り注]ルイ・フィリップ[#ここで割り注終わり])の本心は息を止めた。詭弁《きべん》と真理とが相交じってる空気の中にはそれほど悪気がこもっていた。人の精神は、あたかも嵐の前の木の葉のごとく、社会の焦躁《しょうそう》のうちに震えていた。電圧はきわめて高く、時々に異常なあらゆる光がひらめき出した。その次にはまた薄闇《うすやみ》が落ちてきた。間を置いては深い遠いとどろきが聞こえて、雲のうちにある多量の雷電を思わした。
七月革命からようやく二十カ月をも経ないうちに、一八三二年は恐ろしい切迫せる姿をして現われてきた。民衆の窮迫、パンなき労働者、闇のうちに消えた最後のコンデ侯、パリーがブールボン家を追い出したようにナッソー家を追い出したブラッセル、フランスの一王族を望みながらイギリスの一王族に与えられたベルギー、ロシアのニコラス一世の恨み、背後には南方の二人の悪魔、すなわちスペインのフェルヂナンドとポルトガルのミグエル、イタリーの動揺せる土地ボロニャに手を伸ばしたメッテルニッヒ、アンコナにおいてにわかにオーストリアに対抗して立ったフランス、北方においてはポーランドをその柩《ひつぎ》のうちに釘《くぎ》づけにする金槌《かなづち》の名状すべからざる凄惨《せいさん》な響き、全ヨーロッパ中にはフランスをうかがってるいら立った目つき、身をかがむる者はつき倒し、倒るる者の上には飛びかからんと待ち構えてる、不信なる同盟者イギリス、法律に対して四人の死刑を拒まんためにベッカリアの背後に潜んでる上院、王の馬車から塗抹《とまつ》された百合《ゆり》の花、ノートル・ダーム寺院からもぎ取られた十字架、衰運になったファイエット、零落したラフィット、窮乏のうちに死んだバンジャマン・コンスタン、権力失墜のうちに死んだカジミール・ペリエ、思想の都と労働の都との王国の両首府に同時に発生した政治的病気と社会的病気、すなわちパリーにおける内乱とリオンにおける暴動、両都市のうちに見える同じ烈火の光、民衆の額に見える噴火口の火炎、熱狂せる南部、混乱せる西部、ヴァンデ地方に潜んでるベリーの公妃、密計、陰謀、反乱、コレラ病、すべてそれらの事変の陰惨な騒擾《そうじょう》が思想の陰惨な動揺の上になお加わっていたのである。
五 歴史の知らざる根源の事実
四月の末にはすべてが重大になっていた。発酵は沸騰となっていた。一八三〇年以来、ここかしこに小さな局部的暴動が起こっていた。それらは直ちに鎮定されたがいつも再び起こってきて、下層の広大なる大火を示すものであった。何か恐るべきものが孵化《ふか》されつつあった。可能なる革命の輪郭がまだおぼろげにではあったがほの見えていた。全フランスはパリーをながめ、全パリーはサン・タントアーヌ郭外をながめていた。
サン・タントアーヌ郭外はひそかに熱せられて、沸騰しはじめていた。
シャロンヌ街の各居酒屋はまじめで喧騒《けんそう》であった。こう二つの形容詞を並べて居酒屋につけるのは少し変に思われるかも知れないが、それは実際であった。
政府はそこで、純然とまた事もなげに問題とされていた。人々はそこで公然と、それは挑戦すべきものかあるいは手をこまぬいて見ているべきものか[#「それは挑戦すべきものかあるいは手をこまぬいて見ているべきものか」に傍点]を論じ合った。奥の室《へや》があって、そこで労働者らに誓わした、「警報を聞くや直ちに街頭にいで、敵勢の多少にかかわらず戦うべし」と。一度誓いがなさるるや、酒場の片すみにすわってるひとりの男が「響き渡る声をして」言った、「いいか、貴様は誓ったのだぞ!」時としては二階に上がってしめ切った室にはいり、そこでほとんど秘密結社的な光景が演ぜられた。新加入者には、家父に仕うるがごとく仕えんという宣誓をなさした。そういうのが定まった形式であった。
表の広間では、人々は「破壊的の」小冊子を読んでいた。彼らは政府を[#「彼らは政府を」に傍点]打擲《ちょうちゃく》していたと当時の一秘密報告は言っている。
そこでは次のような言葉が聞かれた。「俺は首領どもの名前も知らねえ。俺たちの方にはわずか二時間前にその日がわかるだけだ。」ひとりの労働者は言った、「俺たちは三百人だ。一人前十スーずつとしても、弾と火薬の代が百五十フラン集まるわけだに傍点]。」他の労働者は言った、「六カ月とはかからねえ、二カ月ともかからねえや。半月とたたねえうちに政府と肩を並べられるさ。二万五千人ありゃあ負けやしねえ。」またもひとりの労働者は言った、「俺は寝もしねえや、夜分に弾薬をこしらえてるんだ。」時には「りっぱな服装をした中流民らしい」者らがやってきて、「一座をまごつかせ」ながら、「命令でもするような」様子をして、頭立った者らに握手をして、また出て行った。彼らは決して十分間以上と留まってることはなかった。人々は意味深い言葉を低い声でかわした、「謀は熟し、事は完備している。」そこに居合わしたひとりの者の言葉をそのまま借りて言えば、「そこにいるすべての者ががやがやつぶやいていた。」興奮は非常なもので、ある日などは、酒場のまんなかでひとりの労働者が叫んだ、「俺たちには武器がねえ。」仲間のひとりはそれに答えた、「兵士らは持ってる。」かくて知らず知らずにイタリー軍に対するナポレオンの宣言をまねていた(]訳者注 ナポレオンの宣言の一句―兵士らよ汝らは何物も有せずしかも敵はすべてを有せり)。一報告はつけ加えて言っている、「何かいっそう秘密なことの場合には、彼らはその場所でそれを伝え合いはしなかった。」しかし、前のようなことを公然と言った後で何を隠すべきものがあったかほとんど了解に苦しむところである。
集合は時として時日が定まっていた。ある時には決して八人から十人までを越すことがなく、集まる者も常に同じ人であった。またある時には、だれでもはいることができ、部屋《へや》はいっぱいになって立っていなければならなかった。ある者は心酔と熱情とをもってやってき、ある者は仕事に出かける通り道[#「仕事に出かける通り道」に傍点]だからやってきた。革命の時と同じく、それらの居酒屋のうちには愛国主義の女らがいて、新しくやって来る者らを抱擁した。
その他種々の意味深い事柄も現われていた。
ひとりの男が酒場にはいってきて、酒を飲み、そして出てゆく時に言った、「おい御亭主、代は革命が払ってくれるよ。」
シャロンヌ街と向き合ったある酒場では、革命の役員らが選ばれた。投票は帽子の中に投ぜられた。
数名の労働者らは、コット街で太刀打ちを教えてる撃剣の先生のうちに集まっていた。木刀や杖や棒や竹刀などでできてる武器の装飾がしてあった。ある日彼らはその竹刀の鋒球を皆取り払った。ひとりの労働者は言った、「俺たちは二十五人だ。だがだれも俺を木偶《でく》だと思いやがって目にも止めてくれねえ。」その木偶は後にケニセーとなって名を現わした。
あらかじめ計画されてる事柄が、しだいに一種不思議な明らかな姿を取ってきた。戸口を掃除《そうじ》してたひとりの女が他の女に言った、「もうだいぶ前から一生懸命に弾薬が作られてるよ。」また各県の国民軍に対する宣言が公然と大道で読まれていた。それらの宣言の一つには、酒商ブュルトーと署名してあった。
ある日、ルノアール市場《いちば》の一軒の酒屋の門口で、濃い頤髯《あごひげ》のあるイタリー音調のひとりの男が、車除石の上に上って、神通力を発散してるかと思われるような不思議な文を声高に読み立てていた。まわりには大勢の人が集まって喝采《かっさい》していた。群集を最も動かした部分は、そこだけぬき取って筆記された。――「吾人の主義は妨害せられ、吾人の宣言は引き裂かれ、ビラをはる吾人の仲間らは、待ち伏せられて獄に投ぜられたのである。」――「最近の綿糸の下落は、多くの中立者らを吾人の説に帰依せしめた。」――「民衆の未来は吾人のひそかな仲間のうちに成生しつつある。」――「提出せられたる条件はこうである、行動かもしくは反動か、革命かもしくは反革命か。なぜかなれば、現代においてはもはや無為も不動も信ずることはできないからである。民衆に味方するかもしくは民衆に反対するか、それが問題である。他に問題は一つもない。」――「吾人が諸君の意に満たざる日には、吾人を踏みつぶすがよい。しかしそれまでは吾人の行進を助けるがよい。」しかもすべてそれらのことは白昼公然と叫ばれたのである。
なおいっそう大胆な他の事実を、それが大胆なものであるだけに、民衆はよく推察していた。一八三二年四月四日、サント・マルグリット街の角にある車除石の上に、ひとりの通行人は上って叫んだ、「僕はバブーフ派である。」しかし民衆は、バブーフの下にいっそうの過激派ジスケをかぎ出した。
その通行人は種々のことを言ったが、中にも次のような言葉があった。
「所有権をうち倒せ! 左党の反対は卑劣にして不信実である。口実を得ようと欲する時に左党は革命を説く。攻撃せられないためには民主派となり、戦わないためには王党派となる。共和党らは鳥の羽を持った獣である。共和党らを信ずるな、労働者諸君よ。」
「黙れ、間諜《スパイ》めが!」とひとりの労働者は叫んだ。
その一声で演説は終わりとなった。
また種々の不思議な事が起こっていた。
日の暮れ方、ひとりの労働者は掘割りの近くで、「りっぱな服装をしたひとりの男」に出会った。男は言った、「君、どこへ行くんだ?」労働者は答えた、「旦那《だんな》、わしはあなたをしりませんが。」「僕の方では君をよく知ってる」、と言って男はまたつけ加えた、「気づかわなくてもいい。僕は委員会の役員だ。君はどうも不安心だと皆から言われている。何かもらしはしないかと、いいか君は目をつけられてるんだぞ。」それから彼はその労働者に握手を与えて、立ち去りながら言った、「またすぐに会おう。」
警察の方では立ち聞きをしながら、もはや居酒屋の中ばかりではなく、往来ででも奇怪な対話を聞き取った。
「早く入れてもらえよ。」とひとりの織り物工が指物師《さしものし》に言った。
「なぜだい。」
「もうすぐに鉄砲を打たなきゃならねえからさ。」
ぼろをまとったふたりの通行人が、明らかにジャックリー(訳者注 百姓一揆)めいた粗雑な注意すべき言葉をかわした。
「俺たちを治めてるなあだれだと思う?」
「フィリップさんさ。」
「いや、中流民たちだ。」
われわれがここにジャックリーという言葉を悪い意味に取ってると思ってはまちがいである。ジャックリーの者らはすなわち貧しい者らである。しかるに飢えてる者らは権利を持っている。
またある時は、ふたりの通行人のひとりがもひとりのに言っていた、「攻撃のうまい計画ができてるんだ。」
トローヌ市門の広場の溝《みぞ》の中にうずくまってた四人の男の親しい会話から、次の言葉だけが聞き取られた。
「これからあれがパリーの中をうろつき回らねえようにするため、できるだけのことがされるんだ。」
あれとはいったいだれであるか? 不分明なるだけになお更気味の悪い言葉である。
郭外においていわゆる「重立った首領」と言われていた人々は、普通の者と別になっていた。会議をする時には、サン・テュスターシュ崎の近くにある居酒屋に集まるのだと、一般に思われていた。モンデトゥール街にある裁縫工救済会の幹部たるオー……とかいう男が、その首領らとサン・タントアーヌ郭外との間の仲介者の中心になってると言われていた。それにもかかわらず、首領らの上にはいつも深い影がたれていて、何ら確かな事実はわからなかった。その後高等法院で一被告がなした妙に傲然《ごうぜん》たる次の答弁をへこますような証拠さえ、一つも上がらなかった。
「お前の首領はだれだったか。」
「首領の名前はいっこう知りませんでした[#「首領の名前はいっこう知りませんでした」に傍点]、顔も覚えてやしませんでした[#「顔も覚えてやしませんでした」に傍点]。」
それらのことはまだ、およそ推察はつくがしかし漠然《ばくぜん》たる言葉にすぎなかった。時とすると、風貌や噂《うわさ》や又聞きにすぎなかった。ところが他の兆候が現われてきた。
ひとりの大工が、ルーイイー街で、普請中の屋敷のまわりに板囲いをこしらえていた時、屋敷の中に引き裂かれた手紙の一片を見いだした。それには次の数行がまだ明らかに読まれた。
「……各種の団結を作らんとして区隊の者を引き抜くことを禁ずるために、
委員会は何らかの手段を講じなければならない……」。
そしてその追白にはこう書いてあった。
「われわれの知るところによれば、フォーブール・ポアソンニエール街
五番地(乙)の武器商の中庭に、五、六千|梃《ちょう》の小銃がある。
わが区隊は目下武器をまったく有していない。」
またその大工が非常に不思議がって近所の者らに見せた物が一つあった。それは手紙の落ちてた所から数歩先で彼が拾ったも一つの紙片だった。同じく引き裂かれてはいたが手紙よりもいっそう意味ありげなものだった。われわれはここに、それらの不思議な記録を歴史的興味の上から書き写してみよう。
[図省略]
(訳文)
この表を暗記せよ。しかる後に裂き捨てよ。新加入者らも、
命令を伝えられし後、同様になすべし。
祝福と友愛
L
その時この拾い物のことを知った人々も、ずっと後になってしか、四つの大文字の意味を解することはできなかった。それは次の意味の頭字だった、「五百人長、百人長、十人長、捜索兵。」また右下の小文字は次の日付だった、一八三二年四月十五日。それからまた四つの大文字の下には各、きわめて特殊な指示がついてる名前が書き添えてあった。たとえば次のようだった。「Q、バヌレル、小銃八、弾薬八十三、確実なる男。――C、ブービエール、ピストル一、弾薬四十。――D、ロレ、竹刀一、ピストル一、火薬一斤。――E、テーシエ、剣一、弾薬盒《だんやくごう》一、正確なる男。――テルール、小銃八、勇敢なる男。」その他種々。
またその大工は、やはり同じ屋敷のうちで第三の紙片を拾った。それには鉛筆でではあるがごくはっきりと次の謎《なぞ》のような表が書いてあった。
単位。ブランシャール。アルブル・セック。六。
バラ。ソアーズ。サル・オー・コント。
コシュースコ。屠獣者《とじゅうしゃ》オーブリー?
J・J・R
カイユス・グラッキュス。
再審権。デュフォン・フール。
ジロンド派の没落。デルバク。モーブュエ。
ワシントン。パンソン。ピストル一、弾薬八十六。
マルセイエーズ。
人民の君主。ミシェル。カンカンポア。サブル。
オーシュ。
マルソー。プラトン。アルブル・セック。
ヴァルソヴィー。ポプュレール新聞売り子ティイー。
右の表を保存していた正直な一市民は、その意味をついに了解することができた。表はおそらく、ドロア・ド・ロンム結社(人権結社)の第四部各区隊の完全な表で、各区隊長の名前と住所とがついてるものであろう。今日では、隠密なそれらの事実ももう歴史となっているから、公表してもさしつかえないだろう。それからなおつけ加えて言うが、ドロア・ド・ロンム結社のできたのは、右の紙片が拾われた時よりも後のことであるらしい。おそらく右のものはその草案にすぎなかったろう。
そのうちに、噂《うわさ》や言葉に次いで、また文書の証拠に次いで、こんどは具体的な事実が現われ始めた。
ポパンクール街のある古物商の店で、戸棚の引き出しから、皆同じように縦に四つに折られた七枚の灰色の紙が出てきた。その下には、やはり同じ灰色の紙で弾薬莢《だんやくきょう》の形に折られた二十六の箱と、一枚の紙札とが隠されていた。紙札の上には次のことが書いてあった。
硝石《しょうせき》……十二オンス
硫黄《いおう》……二オンス
木炭……二オンス半
水……二オンス
物件差し押さえの調書によれば、その引き出しには強い火薬のにおいがしていた由である。
ひとりの泥工が、一日の仕事を終えて家に帰る時、オーステルリッツ橋のそばのベンチの上に小さな包みを置き忘れていった。その包みは衛舎に持ってゆかれた。開いてみると中には、ラオーティエールと署名した二つの対話の印刷物と、労働者よ団結せよという題の小唄《こうた》と、弾薬のいっぱいつまってるブリキ罐《かん》とがあった。
ひとりの労働者が仲間のひとりと酒を飲んでいたが、こんなにほてると言って身体にさわらした。すると仲間は、彼の上衣の下にピストルがあるのを手先に感じた。
ペール・ラシューズ墓地とトローヌ市門との間の大通りの溝《みぞ》の中に、ごく寂しい所で遊んでいた子供らが、木片や塵芥《じんかい》のうずたかい下に一つの袋を見いだした。中には種々なものがはいっていた、弾丸の鋳型、弾薬莢《だんやくきょう》を作るに用いる木製の軸、狩猟用の火薬の粒がはいってる鉢《はち》、内部には明らかに鉛をとかした跡が残ってる小さな坩堝《るつぼ》。
ある日朝の五時に、警官らは不意にパルドンという男の家へ踏み込んだことがある。この男は後に、一八三四年四月の暴動の折り、バリカード・メリー区隊のうちにはいって戦死した者である。その朝警官らがふみ込むと、ちょうど彼は寝床のそばにつっ立って、製造中の弾薬莢を手に持ってるところだった。
労働者らが休息する時分に、ピクピュス市門とシャラントン市門との間の、入り口にシアム遊びができてるある居酒屋の近くの、両側に壁のある狭い路地で、ふたりの労働者が落ち合うのが見られた。ひとりは上衣の下からピストルを取り出して相手に渡した。それを渡す時彼は、胸の湯気が伝わって火薬が少し湿気を帯びてることに気づいた。彼はピストルに雷管をつけ、火口の中につまってた火薬をなお少し多くした。それからふたりの男は別れた。
後に四月の暴動中ボーブール街で殺された男であるが、ガレーという労働者は、家に弾薬を七百と小銃の弾石を二十四持ってると言って自慢していた。
政府はある日、その郭外において武器と二十万の弾薬とが配布されたという情報を受けた。その次の週にはまた三万の弾薬が配布された。驚くべきことには、警察はその一つをも差し押さえることができなかった。横取りした手紙にはこうあった。――「四時間以内に八万の愛国者が武装し得るの日も遠くないであろう。」
すべてかかる発酵は公然のことで、またほとんど静穏とさえも言えるほどだった。さし迫ってる暴動は、政府の面前で静かにその嵐を準備しつつあった。まだ地下のものではあったが既に見えそめてるその危機は、まったく独特な姿をそなえていた。中流民らは平然として、準備されてる事柄を労働者らに尋ねていた。あたかも「君のお上さんはどうだね」とでもいうような調子で、「暴動はどうだね?」と口に上《のぼ》していた。
モロー街の一道具屋は尋ねた、「ところで、いつ攻撃するのかね?」
またある商人は言った。
「間もなく攻撃が始まるんだね。わしは知ってるよ。一カ月前にはお前さんたちは一万五千人だったが、今ではもう二万五千人になってるじゃないか。」――そして彼は自分の銃を提供した。するとその隣の者は、七フランなら売ろうとしていた小さなピストルを一つ提供した。
その上、革命の熱がひろがっていた。パリーの一地点として、またフランスの一地点として、その熱を免れてる所はなかった。動脈は至る所に高く鼓動していた。ある種の※[#「火+欣」、第3水準1-87-48]衝《きんしょう》から起こって人体のうちにできてくるあの皮膜のように、各種の秘密結社の網の目は全土にひろがり始めていた。公然でまた同時に秘密のものであった民衆の友の結社から、ドロア・ド・ロンム結社が生まれた。この結社の日程録の一つにはこういう日付があった、共和暦四十年雨月。そしてそれは高等法院の解散命令布告の後までも存続したらしい。またこの結社では躊躇《ちゅうちょ》するところなく、次のような意味深い名称をその各区隊につけていた。
デ・ピク(槍)
トクサン(半鐘)
カノン・ダラルム(警砲)
ボンネ・フリジヤン(赤帽)
一月二十一日(一七九三年国王ルイ十六世死刑執行の日)
デ・グー(乞食)
デ・トリュアン(無籍者)
マルシュ・アン・ナヴァン(前進)
ロベスピエール
ニヴォー(水準)
サ・イラ(革命歌の一種)
ドロア・ド・ロンム結社はアクシオン結社(]行動結社)を産んだ。それは分離して前方へ駆け出した血気の者らであった。またその他にも、母体たる大結社から離れて団結しようとしてる者らがあった。
区隊の者らは方々から引っ張られることに苦情を言っていた。かくしてできたものには、ゴール結社、市制編成委員会、または、出版の自由のための団結、個人の自由のための団結、民衆の教育のための団結、間接税反対の団結。次に平等労働者らの結社、そしてこれは三つの部分に分かれた、平等派、共産派、革命派。次にバスティーユ軍、これは軍隊式に組織された一種の隊であって、その上等兵は四人を率い、軍曹は十人を、少尉は二十人を、中尉は四十人を率いていたが、しかしその中で互いに五人以上の知り合いを持ってるような者はいなかった。まったく用心と大胆とをあわせ用いた組織で、ヴェニス人の才能を思わせるものだった。最上に位する中央の委員会は二つの強腕をそなえていた、すなわちアクシオン結社とバスティーユ軍とを。正統派の一団結たる忠誠騎士団は、それら共和派の結合の間に立って動揺し、彼らから摘発され絶縁されていた。
パリーの各結社は、国内の重な都市に枝を伸ばしていった。リオン、ナント、リール、マルセイユ、などにもそれぞれ、ドロア・ド・ロンム結社や、カルボナリ派や、自由人派などがいた。エークスにも一つの革命的結社があって、普通にクーグールドと呼ばれていた。われわれはこの言葉を前に一度言っておいたことがある。
パリーにおいては、サン・マルソー郭外もほとんどサン・タントアーヌ郭外に劣らず沸き立っていた、そして各学校もまたそれらの郭外に劣らず動揺していた。サン・ティアサント街の一|珈琲《コーヒー》店とマテュラン・サン・ジャック街のセー・ビヤール喫煙所とは、学生らの集合所となっていた。アンジェーの相互派とエークスのクーグールドとに連絡のあるABCの友の結社は、前に述べたとおりミューザン珈琲店に集合していた。またそれらの青年は、これも前に言っておいたとおり、モンデトゥール街に近いコラントと呼ばるる料理屋兼居酒屋にも集まっていた。それらの集合は秘密にされていた。しかしその他にはできるだけ公然となされてる集合もあって、その大胆さを知らんとするならば、後日開かれた一裁判中になされた尋問の一部を見てもわかるであろう。その会合はどこでなされたか。――ペー街です。――だれの家でか。――往来でです。――そこには何個区隊いたか。――一個区隊です。――何という区隊か。――マニュエル区隊です。――首領はだれだったか。――私です。――まだ若いところを見るとお前は、政府を攻撃しようなどという大胆な決心をただひとりでやったのではあるまい。どこから命令を受けたか。――中央委員会からです。
軍隊もまた人民と同時に掘り返された。その後、ベルフォールやリュネヴィルやエピナルなどの動乱がそれを証拠立てた。当てにされていたのは、第五十二、第五、第八、第三十七の連隊と、第二十軽騎兵連隊とだった。ブールゴーニュや南部諸州の各都市では、自由の木が立てられた、すなわち、赤色の帽子をかぶせた長い棒が。
情況は右のとおりであった。
かかる情況を、すべて民衆の他の集合地よりもすぐれてサン・タントアーヌ郭外が、本章の初めに述べたとおり、いっそう顕著ならしめ、いっそう強調さしていた。そこが急所だったのである。
蟻《あり》の巣のように人がたかっており、蜜蜂《みつばち》の巣のように勤勉で勇敢でたけり立っているその古い郭外は、動乱の期待と希望とのうちに震えていた。労働は以前のとおり続けられながらもすべてが動揺していた。そのはつらつとしたしかも陰鬱《いんうつ》なる相貌《そうぼう》を伝えることはとうていできない。そこには、屋根裏に隠されてる痛ましい困窮があるとともに、また熱烈なるまれなる知力がある。両極端相接するの危険は、ことに困窮と知力との両極端をもってする時に大である。
サン・タントアーヌ郭外は、人を慄然《りつぜん》たらしむるなおほかの理由を持っていた。すなわちその郭外は、商業上の危機、破産、同盟罷工、休業など、すべて政治上の大動揺に伴って起こる諸現象の反動を受けている。革命の時には、貧困は同時に原因であり結果である。革命が与える打撃はまた自身の上にも返ってくる。ほこらかな徳操に満ち、潜熱の最高度まで上りつめ、常に武器を執らんと待ち構え、直ちに爆発せんとし、いら立ち、掘り返されてる、深刻なるその民衆は、もはやただ一つの火粉が落ちて来るのを待ってるばかりのようであった。事変の風雲に追わるる火花が地平にひらめくたびごとに、人はサン・タントアーヌ郭外を思わざるを得なかった。そして苦難と思想とのその火薬庫をパリーの市門の所に置いた恐るべき偶然を、思わざるを得なかった。
読者が既に見てきたスケッチのうちに一度ならず描かれてるこのアントアーヌ郭外の居酒屋は、歴史的の著名さを持っている。騒乱の折には、人はそこでは酒よりもむしろ多く言葉に酔う。一種の予言的精神が、未来の空気が、そこに通っていて、人の心をふくらし人の魂を大きくする。サン・タントアーヌ郭外の居酒屋は、ローマのアヴェンチナ丘の酒屋にも似ている。それらの酒屋は、魔法使いの女の洞窟《どうくつ》の上に建てられ、深い聖《きよ》い息吹《いぶき》と感応し、そのテーブルはほとんど神前の三脚台とも称すべく、エンニウスが魔女の酒[#「魔女の酒」に傍点]と呼んだところのものを人々はそこで飲んでいたのである。
サン・タントアーヌ郭外は民衆の貯水池である。革命の動揺はそれに割れ目をこしらえ、そこから民衆の大権が流れ出す。この大権は害悪をなすこともある。他のものと同じく誤ることもある。しかしたとい誤ろうとも常に偉大である。この大権は盲目の巨人インゼンスのごときものであるとも言える。
九三年(]一七―)には、波及せる観念が悪きものであったかもしくは善《よ》きものであったかに従って、狂信の日であったかもしくは熱誠の日であったかに従って、サン・タントアーヌ郭外からは、あるいは野蛮なる集団が現われあるいは勇壮なる徒党が現われた。
野蛮、この語について少しく弁明したい。革命の渾沌《こんとん》たる開闢《かいびゃく》の時において、ぼろをまとい、怒号し、荒れ回り、玄翁《げんのう》をふり上げ、鶴嘴《つるはし》をふりかざし、狼狽《ろうばい》せる旧パリーに飛びかかって毛髪を逆立てたそれらの者は、およそ何を欲していたのであるか? 圧制の終滅、暴政の終滅、専横の終滅、男子には仕事、子供には教育、婦人には社会の温情、自由、平等、友愛、万人のためにパン、万人のために思想、世界の楽園化、進歩、それを彼らは欲していたのである。そしてその聖なる善なるなつかしいもの、進歩を、彼らは我を忘れて極端まで駆られ、恐ろしき姿をし、半ば裸体で、手に棍棒《こんぼう》をつかみ、口からは咆吼《ほうこう》の声をほとばしらして、要求していたのである。それはまさしく野蛮人だった、しかし文明の野蛮人だったのである。
彼らは憤激して正義を宣言した。彼らは、たとい戦慄《せんりつ》と恐怖とをもってしてであろうとも、人類をしいて楽園のうちに押し入れることを欲した。彼らは蛮夷《ばんい》であるかのようだったが、実は救済人であった。彼らは暗夜の仮面をつけて光明を要求していた。
もちろん荒々しく、かつ恐ろしきそれらの男、しかも善のために荒々しくまた恐ろしきそれらの男、それに対立して他の男らがいる。彼らはほほえんでおり、刺繍《ししゅう》の衣をまとい、金銀を光らし、リボンで飾り立て、宝石を鏤《ちりば》め、絹の靴足袋《くつたび》をはき、白い鳥の羽をつけ、黄色い手袋をはめ、漆塗りの靴をうがち、大理石の暖炉のすみでビロードのテーブルに肱《ひじ》をつき、過去の、中世の、いわゆる神聖なる権利の、盲信の、無知の、奴隷制《どれいせい》の、死刑の、戦争の、維持と保存とを静かに主張し、サーベルと火刑場と絞首台とを、低声にまた丁寧に誉めたたえている。しかし吾人をして言わすれば、それらの文明の野蛮人と野蛮の文明人とのいずれかを強いて選ばせらるるならば、吾人は野蛮人の方を取るであろう。
しかしながら、天はほむべきかな、も一つの選択が可能である。前に進むにも後に退くにも、何ら急転直下の要はない。専制政の要もなく、恐怖政の要もない。吾人は穏やかなる斜面における進歩を欲するのである。
神はその準備をする。傾斜の緩和、そこにこそ神の全政策がある。
六 アンジョーラとその幕僚
ほとんどその頃のことであった。アンジョーラは事変が起こるかも知れないのを見て取って、一種の秘密調査を行なった。
全員がミューザン珈琲《コーヒー》店の評議に出席していた。
アンジョーラは半ば謎《なぞ》のようなしかも意味深い比喩《ひゆ》を多少交じえながら、次のようなことを言った。
「自分たちはいかなる所にあるか、またいかなる人を信頼し得るか、今やそれを知っておくべきである。戦士を得んと欲せば、まず戦士を作らなければならない。打つだけの力を持つことは、別に害にはならない。道を行く者にとっては、途上に牛がいない時よりもいる時の方が、角《つの》の打撃を被る機会が常に多い。それで少し牛の数を数えてみようではないか。わが党は幾人であるのか? この仕事は明日へ延ばすべきものではない。革命者は常に道を急がなければならない、進歩はむだに費やすべき時間を持たない。意外のことにも驚かないようにしようではないか。不意を襲われないようにしようではないか。われわれが結んだ網目をすべて調べ、丈夫であるかどうかを見るべきである。それを今日よく調査しておかなければならない。クールフェーラック、君は工芸大学生を調べてくれたまえ。ちょうど彼らの外出日だ、今日は水曜だからね。フイイー、君はグラシエールの者らを調べてくれないか。コンブフェールはピクピュスへ行くと約束したね。あそこにはすてきにたくさん集まっている。バオレルはエストラバードを見回ってくれたまえ。プルーヴェール、石工らは熱がさめかかってるようだから、グルネル・サン・トノレ街の仲間の様子を見てくれたまえ。ジョリーはデュプュイトランの病院へ行って、医学校の者らの脈を診《み》てきてくれたまえ。ボシュエは裁判所を一回りして、見習い弁護士らに言葉をかけてきてくれたまえ。僕はクーグールドの方を引き受けよう。」
「それですっかり済んだ。」とクールフェーラックは言った。
「いや。」
「ではまだ残ってることがあるのか。」
「ごく大事なことが一つ。」
「それは何だ。」とコンブフェールが尋ねた。
「メーヌ市門だ。」とアンジョーラは答えた。
アンジョーラはちょっと考えに沈んでるようだったが、それから言った。
「メーヌ市門には、大理石工や画家や彫刻家の助手などがいる。みな熱烈な連中だがすぐにさめやすい。僕は彼らの最近の様子がどうも腑《ふ》に落ちない。何か考えを別の方に向けてるらしい。熱が消えかかってるらしい。いつもドミノ遊びばかりをやって時間をつぶしてる。確乎《かっこ》たる言葉を少し聞かしてやりに行くのが急務だ。彼らが集まるのはリシュフーの家だ。十二時から一時までの間は皆そこにいる。その灰を吹き熾《おこ》してやらなければいけない。僕はそれをあのマリユスの夢想家にやらせるつもりだった。彼は結局役に立つ男だ。しかしもうやってこない。だれかメーヌ市門へ行くべき者がいるんだが、もうひとりも残っていない。」
「僕がいる、僕が残ってる。」とグランテールが言った。
「君が?」
「僕がだ。」
「君が共和派の者らを教育するって! 君が主義の名において冷えた魂をまた熱せさせるつもりか!」
「どうしていけないんだ。」
「君がいったい何かの役に立つことができるのか。」
「なに僕にも少しは野心があるさ。」とグランテールは言った。
「君は何の信念も持たないじゃないか。」
「君を信仰してるよ。」
「グランテール、君は僕の用をしてくれるか。」
「何でもやる。靴をみがいてもいい。」
「よろしい、それじゃ僕らの仕事に口を出さないでくれ。少し眠ってアブサントの酔いでもさますがいい。」
「君は失敬だ、アンジョーラ。」
「君がメーヌ市門へ行けるかね。君にそれができるかね。」
「できるとも、グレー街をたどって行って、サン・ミシェル広場を通り、ムシュー・ル・プランス街へ斜めにはいり、ヴォージラール街を進み、カルムを通りすぎ、アサス街に曲がり込み、シェルシュ・ミディ街まで行き、参謀本部をあとにし、ヴィエイユ・チュイルリー街をたどり、大通りを横切り、メーヌの大道についてゆき、市門を越え、そしてリシュフーの家へはいるんだ。僕にもそれぐらいのことはできる。僕の靴《くつ》はそれをりっぱにやってのけるよ。」
「君はリシュフーの家に来る連中を少しは知ってるか。」
「大してよくは知らない。ただ君僕と言いかわしてるだけだ。」
「どんなことをいったい彼らに言うつもりだ。」
「なあに、ロベスピエールのことを言ってやる。ダントンのことを。それから主義のことを。」
「君が!」
「そうだ。だがどうしてそう僕を不当に取り扱うんだ。僕だってその場合になったらすてきなもんだぜ。僕はプリュドンムも読んだ、民約論(ルーソーの)も知ってる、共和二年の憲法も諳《そら》んじてる。『人民の自由は他の人民の自由が始まる所に終わる』だ。君は僕を愚図だとするのか。僕は革命時代の古い紙幣も一枚引き出しにしまってる。人間の権利、民衆の大権、そうだ。僕は多少エベール派でさえある。僕はすばらしいことをたっぷり六時間も立て続けにしゃべることができるんだ。」
「冗談じゃないぞ。」とアンジョーラは言った。
「僕は素地《きじ》のままだ。」とグランテールは答えた。
アンジョーラはしばらく考えていたが、やがて心をきめたらしい身振りをした。
「グランテール、」と彼はおごそかに言った、「僕は君を試してみよう。メーヌ市門へ行ってくれ。」
グランテールはミューザン珈琲《コーヒー》店のすぐとなりに部屋《へや》を借りていた。彼は出て行ったが、五、六分とたたないうちにもどってきた。家に行ってロベスピエール式のチョッキを着てきたのである。
「赤だ。」と彼ははいってきながらアンジョーラの顔をじっと見て言った。
それから強く手のひらで、チョッキのまっかな両の胸をなでつけた。
そしてアンジョーラに近寄って耳にささやいた。
「安心したまえ。」
彼は決然と帽子を目深に引き下げて、出かけて行った。
十五分ほど後には、ミューザン珈琲店の奥室にはもうだれもいなかった。ABCの友はすべて、各自の方面へ自分の仕事をしに出かけて行った。クーグールド結社の方を自ら受け持ったアンジョーラが最後に出て行った。
パリーにいるエークスのクーグールド派の者らは当時、イッシーの野原の、そこいらにたくさんある廃《すた》れたる石坑の一つの中で集合を催していた。
アンジョーラはその集合所の方へ歩を運びながら、心のうちで情況を一々考えてみた。事局の重大さは明らかに見えていた。社会のうちに潜伏している一種の病気の前駆症状たる事実が、重々しく動いてる時には、わずかな併発症でもそれを停止さして紛糾させることがある。崩壊と再生とが生じてくる現象である。アンジョーラは未来の暗黒な襞《ひだ》の下に光明が立ち上りかけてるのを瞥見《べっけん》した。おそらくは時期が到来せんとしているのであろう。再び権利を握って立つ民衆、何という美観であろう。革命は再び堂々と全フランスを提げて立ち、世界に向かって「明日を見よ!」と叫ぶのだ。アンジョーラは満足であった。炉は既に熱せられていた。現在その瞬間にも彼は、パリーにひろがっている盟友らの一連の導火線を持っていた。コンブフェールの哲学的な鋭い雄弁、フイイーの世界主義的熱情、クールフェーラックの奇想、バオレルの笑い、ジャン・プルーヴェールの憂鬱《ゆううつ》、ジョリーの学問、ボシュエの譏刺《きし》、それらのものを彼は結合して、方々で同時に発火する電気の火花を脳裏に描き出した。皆が仕事にかかっている。確かに努力相当の結果が見らるるであろう。よろしいかな。そしてそう考えて来ると、グランテールのことが思い出された。「待てよ、」彼は自から言った、「メーヌ市門はほとんど回り道にはならない。リシュフーの家にちょっと立ち寄ってみるかな。グランテールが何をしてるか、どういうふうだか、ひとつ見てやろう。」
ヴォージラール会堂の鐘が一時を報じた時、アンジョーラはリシェフー喫煙所に達した。彼は扉《とびら》を押し開き、中にはいり、腕を組み、後ろから肩にどしりと扉がしまるままにして、テーブルと人と煙草《たばこ》の煙とでいっぱいになってる部屋の中を見渡した。
その靄《もや》の中に一つの声が起こって、また急にも一つの声にさえぎられていた。それは相手の男と言葉をかわしてるグランテールだった。
グランテールはもひとりの男と向かい合って、糠《ぬか》をまきドミノの札をひろげた聖アンヌ大理石のテーブルの前にすわっていた。彼はその大理石を拳《こぶし》でたたいていた。そしてアンジョーラは次のような対話を聞いた。
「ダブル六。」
「四だ。」
「畜生、もうないや。」
「君は討ち死にだ。二だ。」
「六だ。」
「三だ。」
「一だ。」
「打ち出しは僕だよ。」
「四点。」
「弱ったね。」
「君だよ。」
「大変な失策《しくじり》をしちゃった。」
「なに取り返すさ。」
「十五。」
「それから七。」
「それでは二十二になるわけだね。(考え込んで、)二十二と!」
「君はダブル六に気をつけていなかったんだ。もし僕がそれを初めに打ってたら、あべこべになるところだった。」
「も一度二だ。」
「一だ。」
「一だと! ようし、五だ。」
「僕にはない。」
「打ち出したのは君じゃなかったか。」
「そうだ。」
「空《から》だ。」
「何かあるかな。あああるんだな! (長い沈思。)二だ。」
「一だ。」
「五も一もない。困った奴《やつ》だな。」
「ドミノ。」
「この野郎!」
第二編 エポニーヌ
一 雲雀《ひばり》の野
マリユスはジャヴェルをして狩り出さしたあの待ち伏せの意外な終局を見た。しかし、ジャヴェルが捕虜らを三つの辻馬車《つじばしゃ》に乗せてその家から出て行くや否や、マリユスの方も外に忍び出た。まだ晩の九時にすぎなかった。マリユスはクールフェーラックの所へ行った。その頃クールフェーラックは、もうラタン街区に平然と居住してはいなかった。「政治上の理由」からヴェルリー街へ移転していた。そこは当時暴動の中心地ともいうべき場所の一つだった。マリユスはクールフェーラックに言った、「泊《と》めてもらいにきたよ。」クールフェーラックは寝床の二枚の蒲団《ふとん》を一枚ぬき出して、それを床《ゆか》にひろげて言った、「さあ寝たまえ。」
翌日、朝早く七時ごろ、マリユスはゴルボー屋敷に戻ってゆき、家賃とブーゴン婆さんへの金とを払い、書物と寝床とテーブルと戸棚《とだな》と二つの椅子《いす》とを手車にのせ、住所も告げずに立ち去ってしまった。それで、前日のできごとを種々マリユスに尋ねるためにその朝再びジャヴェルがやってきた時には、ただブーゴン婆さんがいるきりで、婆さんはこう答えた。「引っ越しました。」
ブーゴン婆さんは、前夜捕えられた盗賊らにマリユスも多少関係があったものと信じた。そして近所の門番の女たちにふれ回った。「人はわからないものだね、娘っ児のようなふうをしていたあんな若い人がさ。」
マリユスがかく急に引っ越したには、二つの理由があった。第一には、今ではその家がのろうべきものに思えたからである。その家の中で彼は、害毒を流す富者よりもおそらくずっと恐ろしい社会の醜悪面が、すなわち邪悪なる貧民が、その最も嫌悪《けんお》すべき最も獰猛《どうもう》なる手をひろぐるのを、すぐ目近にながめたのであった。また第二には、たぶん次に起こるべき裁判に顔を出して、テナルディエに不利な証言をなさなければならなくなるだろうということを、欲しなかったからである。
ジャヴェルの方では、名前は忘れたがその青年は、きっと恐れて逃げ出してしまったのか、あるいは待ち伏せの時に家に戻りもしなかったのだろう、と推察した。それでも彼は、多少骨折ってその行方をさがしたが、ついに見つけることができなかった。
一月《ひとつき》は過ぎ去った、そしてまた一月が。マリユスは引き続いてクールフェーラックの所にいた。そして法廷の控所に出入りしてるある見習弁護士から、テナルディエが密室に監禁されてることを聞き出した。毎週月曜日ごとに彼は、テナルディエへあてて五フランずつをフォルス監獄の事務所へ送った。
マリユスはもう金を持たなかったので、五フラン送るたびごとにそれをクールフェーラックから借りた。彼が他人から金を借りたのは、生まれてそれが始めてだった。それらの時を定めた五フランは、貸し与えるクールフェーラックにとっても、受け取るテナルディエにとっても、共に謎《なぞ》であった。「だれにやるんだろう?」とクールフェーラックは考えた。「だれから送って来るんだろう?」とテナルディエは怪しんだ。
マリユスはまた悲しみの底に沈んでいた。すべては再び深淵《しんえん》の中に消えてしまった。前途には何物も認められなかった。全生涯《ぜんしょうがい》は闇《やみ》の中に陥って、彼はただ手さぐりに彷徨《ほうこう》した。愛する若い娘を、その父親らしい老人を、この世における唯一の心がかりであり唯一の希望であるその身元不明のふたりを、暗黒の中に一瞬間目近に見いだしたのだったが、彼らをついにつかみ得たと思った瞬間にはもう、一陣の風がその姿を吹き去ってしまっていた。最も恐ろしいあの衝突からさえ、一点の確実な事実もひらめき出さなかった。何ら推測の手掛かりさえもなかった。知ってると思っていた名前さえ、今はもう本当のものではなかった。確かにユルスュールではないに違いなかった。またアルーエット(雲雀)というのも綽名《あだな》にすぎなかった。それからまた、老人のこともどう考えていいかわからなかった。果たして老人は警察の目から身を隠していたのであろうか。アンヴァリード大通りの付近で出会った白髪の労働者のことが、彼の頭に浮かんできた。今になってみると、その労働者とルブラン氏とはどうも同一人らしく思えてきた。それでは氏は変装していたのであろうか。その人には勇壮な方面と曖昧《あいまい》な方面とがあった。なぜあの時に助けを呼ばなかったのであろう。なぜ逃げてしまったのであろう。本当にあの若い娘の父親だろうか、またはそうでないのだろうか。最後にまた、テナルディエが見覚えのあると思ったその男に違いないのだろうか。テナルディエとて思い違いをすることもあるだろう。すべて解く術《すべ》もない問題ばかりだった。しかしそれにもかかわらず、リュクサンブールの園の若い娘は少しもその天使のごとき美しさを失わなかったことだけは、真実だった。実に痛心のきわみである。マリユスは心のうちに情熱をいだき、目には暗夜をながめていた。彼は押し放されまた引きつけられて、身動きもできなかった。愛を除いてはすべてが消えうせてしまった。しかも愛そのものについてさえ、彼は衝動と激しい光耀《こうよう》とを失っていた。われわれを燃やす愛の炎は、普通ならばまた多少われわれを輝かし、外部にも何らか有用な光をわれわれに投げ与えるものである。しかしそれらひそかな情熱の助言をも、マリユスはもはや耳にすることができなかった。「あすこへ行ってみたら」とか、「こうやってみたら」とかいうことを、彼はもう決して考えなかった。もはやユルスュールと呼べなくなった娘も、どこかにいることだけは明らかだったが、どの方面をさがしたらよいかはまったくわからなかった。今や彼の生涯は次の一語につくされていた、見透かし難い靄《もや》の中における絶対の不確実。再び彼女を見ること、それを彼は常に熱望していたが、しかしもうそれができるという期待は持たなかった。
その上にまた、貧困が戻ってきた。氷のようなその息を、彼はすぐ近くに背後に感じた。種々の苦悶《くもん》のうちにあって既に長い間、彼は仕事をやめていた。およそ世に仕事を放擲《ほうてき》するくらい危険なことはない。それは一つの習慣がなくなることである。しかも捨てるにたやすく始めるに困難な習慣である。
ある程度までの夢想は、一定の分量の麻酔剤のごとく有効なものである。それは、労苦せる知力の時としては荒い熱をもしずめる、そして精神のうちにさわやかな柔らかい潤《うるお》いを生じさして、醇乎《じゅんこ》たる思索の、あまりに峻厳《しゅんげん》な輪郭をなめらかにし、処々の欠陥や間隙《かんげき》をうずめ、全体をよく結びつけ、観念の角をぼかしてくれる。しかしあまりに多くの夢想は人を沈めおぼらす。思索からまったく夢想のうちに陥ってゆく精神的労働者は災いなるかなである。彼は再び上に浮かび出すことは容易であると信じ、要するに同じであると考える。しかしそれは誤りである。
思索は知力の労苦であり、夢想は知力の逸楽である。思索を追ってその後に夢想を据えるのは、食物に毒を混ずるに等しい。
マリユスは読者の記憶するとおり、まずそういう道をたどっていった。情熱が襲ってきて、ついに彼を対象のない底なき夢幻のうちにつき落としてしまった。家を出るのはただ夢を見に行くためばかりである。無用のものを産むばかりである。騒擾《そうじょう》と沈滞との淵《ふち》である。そして仕事が減ずるとともに、欠乏は増加していった。それは自然の法則である。人は夢想の状態にある時、必然に放埒《ほうらつ》となり柔惰となる。弛緩《しかん》した精神は張りつめた生活を保つことができない。そういう生活態度のうちには、善と悪とが混在している。柔弱は有害であるとしても寛大は健やかで有益だからである。しかしながら、働くことをしない寛大で高貴で貧しい人はもはや救われることができない。収入の源は涸《か》れ、必要のものは多くなる。
それこそ致命的な坂であって、最も正直な者も最も堅固な者も、最も弱い者や最も不徳な者と同じくすべり落ちて、ついには二つの穴のいずれかへ、自殺か罪悪かのいずれかへ陥るのほかはない。
夢想しに行かんがために家をいでながら、ついには水に身を投ぜんがために家を出る日が到来する。
過度の夢想はエスクースやルブラのごとき人物を作り出す([#ここから割り注]訳者注 共同して戯曲を書きその劇が失敗して悲観の余り自殺せる人[#ここで割り注終わり])。
マリユスは見失った彼女の上に目を据えながらそういう坂を徐々に下っていった。とこう言うのは少し変ではあるがしかし事実である。目前にいない者の追想は心のやみの中に輝き出す。深く姿を消せば消すほどますます輝いてくる。絶望した暗い心は自分の地平にその光輝を見る。内心の暗夜に光る星である。彼女[#「彼女」に傍点]、そこにマリユスのすべての思いがあった。彼は他のことをいっさい頭に浮かべなかった。彼はただ漠然《ばくぜん》と感じた、古い上衣は既に着れなくなり、新しい上衣は古くなり、シャツはすり切れ、帽子は破れ、靴《くつ》は痛んでいることを、すなわち自分の生活が摩滅していったことを。そして彼は自ら言った、「死ぬ前にただ彼女に再び会うことができさえするならば!」
楽しいただ一つの考えが彼に残っていた、彼女が自分を愛していたこと、彼女の目つきがそれを自分に告げたこと、彼女は自分の名前は知らないが自分の心を知っていたこと、そして今いかに秘密な場所に彼女がいようとも、おそらくなお自分を愛していてくれるだろうということ。自分が彼女を思っているように彼女も自分を思っていないとはだれが言えよう。時として、すべて愛する者の心に起こる説明し難いあの瞬間に、悲しみの種しかないにかかわらず、ひそかに喜悦の戦慄《せんりつ》を身に感じて、彼は自ら言った、「これは彼女の思いが私に通じるのだ。」それから彼はつけ加えた、「私の思いもまたおそらく向こうに通じているだろう。」
そういう幻を彼は自らすぐあとで打ち消しはしたが、それでもついにはそのために、時としては希望に似た一種の光明が心のうちに射《さ》してきた。折にふれて、またことに夢想家らを最も物悲しい思いに沈ませる夕方など、恋のため頭に満ちてくる夢想のうちの最も純潔で人間離れのした理想的なものを、彼は特別な手帳のうちに書き止めた。それを彼は自ら、「彼女に手紙を書く」と称していた。
しかし、彼の理性が混乱していたと思ってはいけない。実際はそれに反対だった。彼は働く能力を失い、一定の目的に向かって確乎《かっこ》たる歩を運ぶの能力を失ってはいたが、しかし常にも増して明知と厳正とを持っていた。彼はすべて眼前に去来するものを、最も関係の少ない事物や人物をも、一種独特ではあるがしかも落ち着いた現実的な光に照らしてながめていた。一種の正直な意気|銷沈《しょうちん》と清い公平とをもって、すべてのことに正しい批判を下していた。彼の判断力は、ほとんど希望から分離して、超然として高く舞っていた。
そういう精神状態にあって彼は、何物をも見失わず何物をも見誤らず、各瞬間ごとに、人生と人類と運命との底を見きわめていた。愛と不幸とを受くるに恥じない魂を神より恵まれた者は、たとい苦悶《くもん》のうちにあっても幸いなるかなである。愛と不幸と二重の光に照らしてこの世の事物や人の心を見たことのない者は、何ら真実なるものを見なかったのであると言うべく、何物をも知らないでいると言うべきである。
愛しかつ悩む魂は崇高なる状態にある。
とはいえ、一日一日と時は過ぎ、何ら新たなことも起こらなかった。彼にはただ、自分のたどるべき暗い世界が刻々にせばまってゆくように思えた。底なき淵《ふち》の岸が既にはっきりと見えてるような気がした。
「ああ私はその前にも一度彼女に会うこともできないのか!」と彼は自らくり返した。
サン・ジャック街を進んでゆき、市門を横に見て、郭内の古い大通りをしばし左にたどってゆくと、サンテ街に達し、次にグラシエールの一郭に達し、それからゴブランの小川に至りつく少し前で、一種の野原に出られる。それはパリーをとりまく長い単調な大通りのうちで、ルイスダール(訳者注 オランダの風景画家)にも腰をおろさせそうな唯一の場所である。
何から来るとも知れない優雅な趣がそこにある。綱が張られて布が風にかわいてる緑の草原、おかしなふうに屋根窓がつけられてる大きな屋根のルイ十三世ごろの古い農園の建物、こわれかけた籬《まがき》、白楊樹の間の小さな池、婦人、笑い声、人声、また遠く地平には、パンテオンの殿堂や聾唖院《ろうあいん》の大木やヴァル・ド・グラース病院の建物などが、黒く太く異様におもしろく美しく重なり合い、更に向こうには、ノートル・ダームの塔のいかめしい四角な頂がそびえている。
その場所はわざわざながめに行くに足るほどの景色だったが、だれもやって来る者はなかった。十分二十分とたたずんでも、ほとんど荷車一つも人夫ひとりも通らなかった。
ところがある時、孤独な散歩を続けてるマリユスは偶然その池の近くの所までやって行った。その日は珍しくも大通りにひとりの通行人があった。マリユスはその地の寂しい景色に何となく心ひかれて、通行人に尋ねた。「ここは何という所ですか。」
通行人は答えた。「雲雀《ひばり》の野と言います。」
それから通行人はまた言い添えた。「ユルバックがイヴリーの羊飼いの女を殺したのはここです。」
しかし雲雀(アルーエット)という言葉を聞いて後は、マリユスの耳には何もはいらなかった。夢想の状態にあっては、わずか一言でたちまちに凝結をきたすことがある。すべての考えは突然一つの観念のまわりに凝集して、もはや他に何物をも認むることができなくなる。アルーエットというのは、マリユスの深い憂鬱《ゆううつ》の底において、ユルスュールというのに代わってる呼び名だった。不思議な独語によくある訳のわからぬ呆然《ぼうぜん》さのうちで彼は言った。「あ、これが彼女の野か。ではここで彼女の住居もわかるだろう。」
いかにもばかげたことではあったが、そう思わざるを得なかったのである。
そして彼は毎日、その雲雀《ひばり》の野へやってきた。
二 牢獄のうちに芽を出す罪悪
ゴルボー屋敷におけるジャヴェルの勝利は完全らしく思えたが、実際はそうでなかった。
第一に、そしてジャヴェルの主要な懸念もその事にあったが、彼はそこに虜《とりこ》になってた男を捕えることができなかった。逃走する被害者は加害者よりも更に疑わしいものである。悪漢どもにとってあれほど貴重な捕虜だったその男は、たぶん官憲にとっても同じく大事な捕獲物だったに違いない。
次に、モンパルナスもジャヴェルの手をのがれた。
この「おしゃれの悪魔」に手をつけるには、更に他の機会を待たなければならなかった。事実を言えば、モンパルナスは大通りの並み木の下で見張りをしてるエポニーヌに出会って、父親といっしょにシンデルハンネス(死刑に会う盗賊)たらんよりも娘とともにネモラン(遊惰者)たらんことを望んで、彼女をよそに連れていったのである。それが彼には仕合わせとなった。彼は免れた。エポニーヌの方はジャヴェルの手で「あげられた。」しかしそれはジャヴェルのつまらない腹癒《はらい》せだった。エポニーヌはアゼルマといっしょにマドロンネット拘禁所に入れられた。
終わりに、ゴルボー屋敷からフォルス監獄へ行く途中で、主要な捕虜のひとりたるクラクズーが姿を消した。どうして逃げたか少しもわからなかった。彼は煙にでもなったのか、指錠の中にでもはいり込んだのか、馬車の割れ目にでも流れ込んだのか、馬車が裂けでもしてそこから逃げ出したのか、刑事や巡査らにも「まったく訳がわからなかった。」ただわかったことは、監獄につくともうクラクズーはいないということだった。それには妖精《ようせい》か警官かが手を貸したに違いなかった。クラクズーは一片の雪が水の中にとけ込むように闇《やみ》の中にとけ込んでしまったのであろうか。警官らの方でひそかにかくまったのであろうか。彼は無秩序と秩序との両方にまたがる怪しい男だったのであろうか。彼は犯罪と取り締まりと両方に属する男だったのであろうか。この謎《なぞ》の男は前足を罪悪のうちにつっ込み、後足を官憲のうちにつっ込んでいたのであろうか。ジャヴェルはそういう二またの考えを認めず、そういう妥協に対しては髪を逆立てて憤ったであろう。しかし彼の一団のうちには他に警視らも交じっていて、彼の下に属してはいるが彼よりもいっそう警視庁の機密に通じてる者がいないとは限らなかった。そしてクラクズーは一方にごく有能な刑事であり得るほどの悪党だったかも知れなかった。そういう使い分けの親しい関係を暗夜の方面に保ってることは、盗賊の仕事には好都合であり、警察の仕事には便宜である。そういう両端を持する悪漢も世にはずいぶんいる。がそれはともかくとして、逃げたクラクズーの姿は再び見いだせなかった。ジャヴェルはそれについて驚いたというよりもむしろいっそう激昂《げっこう》した。
ジャヴェルから名前を忘れられた「こわがったに違いない野呂間弁護士《のろまべんごし》」たるマリユスについては、ジャヴェルもあまり念頭にしていなかった。その上、弁護士ならいつでもまたさがし出される。しかしその男は単なる弁護士のみだったろうか?
審問は始められていた。
予審判事は、パトロン・ミネットの仲間のひとりを密室に監禁しない方がいいと認めた。何かを口外させようと思ったのである。選ばれたのは、プティー・バンキエ街にいた例の髪の長い男で、ブリュジョンという名だった。彼はシャールマーニュの庭に解放されて、常に監視された。
このブリュジョンという名前は、フォルス監獄で古なじみの名前の一つだった。役人の方ではサン・ベルナールの庭と呼び、囚人の方では獅子《しし》の窖《あなぐら》と呼び、普通にはバーティマン・ヌーフの庭と言われているあの嫌悪《けんお》すべき中庭の、左手は屋根の高さまで高まっていて垢《あか》や黴《かび》が一面についてる壁の上、昔はフォルス公爵の邸宅の礼拝堂だったが今では囚人の寝室になってる建物の方へ通ずる、錆《さ》びた古い鉄の戸があるあたりに、十二年前までは石に釘《くぎ》で荒々しく彫りつけた一種の牢獄の図が見えていた。そしてその下に、「一八一一年、ブリュジョン」と署名がしてあった。
この一八一一年のブリュジョンは、一八三二年のブリュジョンの父であった。
読者がゴルボー屋敷でちょっと紹介された後者ブリュジョンは、きわめて狡猾怜悧《こうかつれいり》な快青年であったが、狼狽《ろうばい》したような訴えるような様子をしていた。密室に置くよりもシャールマーニュの庭に置いた方が役に立つだろうと思って、予審判事が彼を解放したのは、その狼狽したような様子のためだった。
盗賊らは裁判官の手中に陥ったからといって仕事をやめるものではない。それくらいのことではびくともしない。一罪悪のために入獄しても、やはり同じように他の罪悪に着手する。彼らは美術家のような者であって、展覧会に一枚の画面を出していてもなお常に画室では新しい制作に取りかかる。
ブリュジョンは監獄に下されたため呆然《ぼうぜん》としたらしかった。時としては、シャールマーニュの庭で、酒保の窓下に幾時間も立ちつくして、韮《にら》六十二サンチームというので始まり葉巻き煙草五サンチームというので終わってるその薄ぎたない定価表を、白痴のようにながめてることもあった。あるいはまた始終身を震わし歯をうち合わして、熱があると言い、病舎の二十八の寝台のどれかがあいてはいないかと尋ねていた。
ところが不意に、一八三二年二月の末に、次の事実が露見した。その眠ってるようなブリュジョンは、そこの小僧に頼んで、自分の名前でなく仲間の三人の名前で、三種の異なった使いをしてもらい、そのために全体で五十スーの金がかかったのだった。それは法外の出費で、典獄の注意をひいた。
種々調査し、また囚人らの面会室に掲げてある賃銭表を参照して、その五十スーは次のような内訳であることがついにわかった。三つの使い、一つはパンテオンへ十スー、一つはヴァル・ド・グラースへ十五スー、一つはグルネル市門へ二十五スー。この最後のものは賃銭表のうちで一番高いものだった。しかるに、パンテオンとヴァル・ド・グラースとグルネル市門とにはちょうど、ごく恐れられてる三人の場末浮浪人の住居があった。すなわちクリュイドニエ別名ビザロ、放免囚徒グロリユー、バールカロス、の三人だった。そしてこの事柄は彼らの上に警察の目を向けさした。彼ら三人は、バベとグールメルとのふたりの首領が監禁されてるパトロン・ミネットの与党であると推察された。ブリュジョンの贈った書き物は、それらの家へ届けられたのではなく、往来に待っていた男に届けられたので、その中には何か計画されつつある悪事に対する意見が書いてあったに違いないと想像された。それからなお他の証拠も上がった。で警察では三人の浮浪人を逮捕した。そしてブリュジョンの奸計《かんけい》を頓挫《とんざ》せしめたものと思った。
そんな手段がめぐらされてから約一週間ばかりの後のある夜、バーティマン・ヌーフ(新館)の一階にある寝室を視察していた巡邏《じゅんら》の監視が、箱の中に巡邏証票を入れようとする時――この、証票を箱に入れることは、監視らがその役目を正確に尽した証拠として行なわれていたことで、一時間ごとに、寝室の扉に釘付けにされてる各の箱に、一枚の証票が入れられることになっていた――その時監視は寝室ののぞき穴から、ブリュジョンが寝床に起き上がって壁につけてある蝋燭《ろうそく》の光で何かしたためてるのを見た。看守は中にはいって行った。ブリュジョンは一カ月間監房に入れられた。しかし彼が書いてたものを押さえることはできなかった。警察ではそれ以上何も知ることができなかった。
ただ一つ確かなことは、その翌日、シャールマーニュの庭から獅子《しし》の窖《あなぐら》へ、両者をへだてる六階建ての建物越しに、一つの「御者」が投げ込まれたということである。
囚人らは、巧みに丸めたパンの塊を御者と称していて、監獄の建物の屋根越しに一つの中庭から他の中庭へそれを投げ込むことを、アイルランドへやると言っていた。言葉の起こりは、イギリス越しに――一つの土地から他の土地へ――アイルランドへ、ということになる。さてこのパンのたまが中庭に落ちる。それを拾った者が中を開くと、その中庭のある囚人へあてられた手紙がはいっている。それが普通の囚人に拾われる時には、手紙はあてられた者へ渡される。看守に拾われるか、または監獄では羊と呼ばれ徒刑場では狐《きつね》と呼ばれる秘密に買収された囚人に拾われる時には、手紙は事務所へ持ってゆかれて警察に渡される。
その日ちょうど御者は、あて名の男がその時離れ[#「離れ」に傍点]にはいってはいたけれども、うまくそこに行き着いた。あて名の男というのは、パトロン・ミネットの四人の首領のひとりたるバベにほかならなかった。
御者の中には一片の巻いた紙がはいっていて、その上にはわずか次の数文字がしたためてあるきりだった。
バベ。プリューメ街に仕事がある。庭に鉄門がついている。
それは前夜ブリュジョンが書いたものだった。
どちらにも多くの所持品検査人がいたにかかわらず、バベはフォルス監獄からその手紙を、サルペートリエール拘禁所に監禁されてるひとりの「親しい女」のもとまで送り届けてしまった。するとこんどはその女が、警察からひどくにらまれてはいたがまだ逮捕されていないマニョンという知り合いの女へ、その手紙を渡した。このマニョンという名前を読者は既に見たことがあるが、彼女は後にわかるとおりテナルディエ一家の者と関係のある女で、エポニーヌに会いに行きながら、サルペートリエールとマドロンネットとの間の橋渡しをしていた。
ちょうどその時、テナルディエに対して予審の歩を進むるうちに、娘らの方には証拠が不十分だとわかったので、エポニーヌとアゼルマとは放免されることになった。
エポニーヌが出て来る時、マニョンはマドロンネット拘禁所の門の所に待ち受けていて、ブリュジョンからバベへあてた手紙を彼女に渡し、仕事をよく調べるように頼んだ。
エポニーヌはプリューメ街に行き、鉄門と庭とを見いだし、その家を調べ、偵察《ていさつ》しうかがって、それから数日後に、クロシュペルス街に住んでいたマニョンのもとへ、ビスケットを一つ持って行った。マニョンはまたそれを、サルペートリエールにいるバベの情婦に渡した。ビスケット一つは、獄裡《ごくり》の暗黒な象徴主義では、「とうていだめ」という意味である。
それから一週間とたたないうちに、バベとブリュジョンとは、ひとりは「審理」に行きひとりはそれから戻ってきながら、フォルス監獄の外回りの道で行き合った。「どうだプ街は?」とブリュジョンは尋ねた。「ビスケット」とバベは答えた。
かくして、フォルス監獄でブリュジョンがこしらえた罪悪の胎児は流産してしまった。
けれどもその流産は、ブリュジョンの計画とまったく違った結果を生み出した。それはこれからわかることである。
往々にして、一つの糸を結んでいると思いながら実は他の糸を結んでいることがある。
三 マブーフ老人に現われし幽霊
マリユスはもはやだれをも訪問しなかったが、ただ時としてはマブーフ老人に出会うことがあった。
窖《あなぐら》の梯子《はしご》とも言い得べきもので、ついには頭の上に幸福な人々の歩く音が聞かるる光のない場所に達する痛むべき階段を、マリユスが徐々に下りつつあった間に、マブーフ氏の方でもまたそれを下りつつあった。
コートレー特産植物誌はもう一冊も売れなかった。藍《あい》の栽培に関する実験は、日当たりの悪いオーステルリッツの小庭では少しも成功しなかった。マブーフ氏はただそこに湿気と日影とを好む少しの珍木を育てることができるばかりだった。それでも彼は落胆しなかった。彼は動植物園の日当たりのいい片すみを借り受けて、「自費で」藍《あい》の栽培を試みた。そのために、特産植物誌中の銅版を質屋に入れてしまった。朝食も鶏卵二つきりにして、しかもその一つは召し使いのお婆さんに与えた。婆さんにはもう十五カ月も給金を払っていなかった。そしてまたその朝食だけで一日を過ごすこともよくあった。彼はもう例の子供のような笑いをもらさず、憂鬱《ゆううつ》になり、また訪問客にも会おうとしなかった。マリユスが訪ねて行こうかとも思わなかったのはかえってよかった。時とすると、マブーフ氏が動植物園に行く頃に、老人と青年とは互いにオピタル大通りで行き合うことがあった。彼らは口もきかずに、ただ悲しげにちょっと頭を下げた。痛ましいことではあるが、困窮のために友誼《ゆうぎ》も薄らぐ時があるものである。以前には親しい仲であったのが、今はただ通りがかりの者に過ぎなくなる。
本屋のロアイヨルは死んでいた。マブーフ氏が世の中に知ってるものはただ、自分の書籍と庭と藍だけだった。その三つのものこそ彼にとっては幸福と楽しみと希望との形だった。それだけで彼は生きてゆけた。彼は自ら言った。「藍の玉ができるようになれば、私は金持ちになれる。質屋から銅版も出してこよう。新聞に手品を使い法螺《ほら》を吹き立て広告を出して特産植物誌をもはやらせよう。また一五五九年の木版刷の珍本でピエール・ド・メディヌの航行術が一部ある所も知ってるから、それを買ってこよう。」まずそれまではと言って、彼は終日藍畑で働き、夕方家に帰ると、庭に水をまき書物を読んだ。マブーフ氏はその頃もうほとんど八十歳に達していた。
ある日の夕方、彼に不思議な幽霊が現われた。
その日彼はまだ日の高いうちに戻ってきた。プリュタルク婆さんは身体が衰えていて、病気になって床についていた。彼は肉が少し残ってる骨をしゃぶり台所のテーブルの上にある一片のパンを食って晩飯をすました。そしてベンチの代わりに庭にころがした標石の上に腰掛けていた。
その石のベンチの近くには、昔の果樹園にはよくあるとおりに、角材と板とでできてもうごくいたんでる一種の大きな戸棚《とだな》みたいな小屋があって、下は兎《うさぎ》の巣になり、上は果物置き場になっていた。兎の巣には兎はいなかったが、果物置き場にはりんごが少しはいっていた。冬のたくわえの残りだった。
マブーフ氏は眼鏡をかけて二冊の書物を読み始めていた。その書物はいたく彼の興味をそそるもので、また彼ほどの老年ではいっそう重大なことであるが、彼の頭を支配してるものだった。彼の天性の臆病《おくびょう》さは、彼をある程度まで迷信に陥らしていた。二冊のうちの一つは、悪魔の変化について[#「悪魔の変化について」に傍点]というドランクル議長の有名な著述であって、も一つは、ヴォーヴェルの悪鬼とビエーヴルの妖鬼とに関してというムュートル・ド・ラ・リュボーディエールの四折本であった。彼自身の庭が昔は妖鬼《ようき》の住んでた場所の一つだったということであるから、この第二の書物は彼にはいっそう興味が深かった。はや夕暮れの薄ら明りのため、高くにある物はほの白くなり低くにある物は黒くなりかけていた。書物を読みながら、また手の書物越しに、マブーフ老人は自分の植物をながめ、なかんずく彼の慰安の一つだったりっぱな一本の石楠《しゃくなげ》に目を止めた。暑気と風と晴天とが四日続いて一滴の雨も降らなかったあとなので、植物の茎は曲がり、蕾《つぼみ》はしおれ、葉はたれて、すべて水を欲しがっていた。石楠はことに哀れな様だった。マブーフ老人は植物にも魂があると思ってる人だった。彼は終日|藍畑《あいばたけ》で働いて疲れきっていたが、それでも立ち上がって、書物をベンチの上に置き、腰をまげよろめきながら井戸の所まで歩いて行った。そして井戸の鎖を手に取りはしたが、それをはずすだけ十分に引っ張る力はなかった。彼はふり返って、心配な目つきで空を見上げた。空には星がいっぱい出ていた。
その夕には、あるしめやかな永遠な喜びの下に人の悲しみを押さえつける清朗さがあった。が夜には、昼間と同じに乾燥したさまが見えていた。
「星が一面に出てる!」と老人は考えた。「一点の雲もない、一滴の水もない!」
そして一時もたげられた彼の頭は、再び胸の上にたれた。
が彼はまた頭を上げ、なお空をながめながらつぶやいた。
「一滴の露でいい。少しの恵みでいい。」
彼はも一度井戸の鎖をはずそうとしたが、その力がなかった。
その時彼はこういう声を聞いた。
「マブーフのお爺《じい》さん、あたしが庭に水をまいてあげましょうか。」
と同時に、獣の通るような音が籬《まがき》に起こって、藪《やぶ》の中から背の高いやせた娘らしい者が現われ、彼の前につっ立って臆面《おくめん》もなくじっと彼を見つめた。その姿は人間というよりもむしろ、薄暗がりに、生まれ出た何かの者らしかった。
狼狽《ろうばい》しやすくまた前に言ったとおりすぐにこわがるマブーフ老人が、一言の答えもできないでいるうちに、その者は薄暗がりの中に妙に唐突な身振りをして、井戸の鎖をはずし、釣瓶《つるべ》をおろしてまた引き上げ、如露に水を一杯入れてしまった。そしてぼろぼろの裳衣をつけた跣足《はだし》のままのその幽霊は、老人の見る前で、花床の間を走り回り、あたりに生命の水をまき散らした。木の葉の上に水のまかるる音を聞いて、マブーフ老人の心は狂喜の情でいっぱいになった。今は石楠《しゃくなげ》も喜んでいるように彼に思えた。
第一の釣瓶《つるべ》一杯をからにして、娘は更に二杯目を汲み、次に三杯目を汲んだ。そして庭中に水をやった。
そのようにして、破れ裂けた肩掛けを角張った両腕の上にうち振りながら、まっ黒に見える姿で小道の中を歩いてるところを見ると、何となく蝙蝠《こうもり》のように思われた。
彼女が水をまいてしまった時、マブーフ老人は目に涙をためて近づいてゆき、彼女の額に手を置いた。
「神の祝福がありますでしょう。」と彼は言った。「あなたは花の世話をなさるから天使に違いない。」
「いいえ、」と、彼女は答えた、「あたし悪魔よ。でもそんなことどうでもかまわないわ。」
老人はその答えを待ちもせず耳に入れもしないで叫んだ。
「私はごく不仕合わせで貧乏で、あなたに何もお礼ができないのが、ほんとに残念だ。」
「でもできることがあってよ。」と彼女は言った。
「何が?」
「マリユスさんの住居を教えて下さい。」
老人にはそれがわからなかった。
「マリユスさんだって?」
彼はぼんやりした目を上げて、何か消えうせたものをさがすようだった。
「いつもよくここにきた若い人よ。」
そのうちにマブーフ氏は記憶の中をさがし回った。
「あゝなるほど……、」と彼は叫んだ、「そのことなら知っている。お待ちなさい、マリユス君と……男爵マリユス・ポンメルシー、うむ、今あそこに……いやあそこにはもういない……ああこれは、私にはわからない。」
そう言いながら彼は、身をかがめて石楠《しゃくなげ》の枝を直し、なお続けて言った。
「やあ、ただ今思い出した。あの人はたびたび大通りを通って、グラシエールの方へ行く。クルールバルブ街。雲雀《ひばり》の野。あすこへ行ってごらんなさい、すぐに会えます。」
マブーフ氏が身を起こした時には、そこにはもうだれもいなかった。娘の姿は消えていた。
彼は本当に少し気味悪くなった。
「まったく、」と彼は考えた、「庭に水がまいてなかったら、魔物だとも思うところだ。」
それから一時間ばかりして床にはいった時、そのことがまた彼の頭に浮かんだ。そして眠りに入りながら、ちょうど海を渡るために魚に姿を変えるという伝説の鳥のように、人の考えが眠りの海を渡るためにしだいに夢の形になってゆくあのぼんやりした瞬間に、彼は夢うつつのうちに自ら言った。
「実際あれは、リュボーディエールが妖鬼《ようき》について語ってるところとよく似ている。あれは一つの妖鬼かも知れない。」
四 マリユスに現われし幽霊
マブーフ老人を「魔物」が訪れてから数日後、ある日の朝――それは月曜日で、マリユスがテナルディエに送るためクールフェーラックから五フランの金を借りる日だった――マリユスはその五フラン貨幣をポケットに入れて、それを監獄の事務所に持ってゆく前に、「少し散歩をしに」出かけた。散歩をしたら帰ってからよく仕事ができるだろうと思ったのである。それはもう毎度のことだった。起き上がるが早いか彼は、少し翻訳を急いでやろうと思って書物と原稿用紙とに向かった。その頃彼が持っていた仕事は、ドイツの名高い論争、すなわちガンスとサヴィニーの両法律家の間の論争を、フランス語に翻訳することだった。彼はサヴィニーの方を取り上げたりまたガンスの方を取り上げたりして、四行ばかり読んでは一行でも書いてみようとしたが、どうしてもできなかった。原稿用紙と自分との間に星が一つ輝いていた。彼は椅子《いす》から立ち上がって言った。「外に出てみよう。そしたら元気が出てくるだろう。」
そして彼はいつも雲雀《ひばり》の野へ行った。
そこへ行くと、星はいっそうよく見えてき、サヴィニーとガンスとはいっそう見えなくなった。
彼はまた帰ってきた。仕事を始めようと努めたが、どうしてもだめだった。頭の中で切れている糸の一筋をもつなぎあわせることはできなかった。すると彼は言った。「明日は出かけないことにしよう。出かけると仕事ができなくなる。」そうしてやはり毎日出かけていた。
彼はクールフェーラックの家にいるよりも雲雀の野にいる方が多かった。彼の本当の住所はこうだった。「サンテ大通り、クルールバルブ街より第七番目の並み木。」
その朝、彼はこの七番目の並み木を離れて、ゴブランの小川の欄干に腰をおろしていた。嬉々《きき》たる日の光が、新しく萌《も》え出たばかりの輝いてる木の葉の間にさし込んでいた。
彼は「彼女」のことを夢みていた。そしてその夢想は、非難の形となって彼自身の上に落ちかかってきた。怠惰な日々、自分を侵していった魂の麻痺《まひ》、しだいに自分の前に濃くなって既に太陽をもおおい隠してしまった夜の闇《やみ》、それを彼は悲しげに考えてみた。
かくして、もはや活動の力は衰え慟哭《どうこく》する力さえも失って、独語する気力もなく、ただおぼろな考えを悲しげに浮かべてるうちに、憂愁の中に浸り込んでるうちに、外部の感覚は彼に伝わってきた。後ろの下の方には、川の両岸に、ゴブラン工場の女らの布をさらしてる音が聞こえ、頭の上には、楡《にれ》の木の間に小鳥のさえずり歌ってる声が聞こえた。一方は、自由と楽しい気ままと翼のついた間隙《かんげき》との声であり、他方は、労働の音だった。彼を深く夢想に沈め、ほとんど思索さしたところのものは、それら二つの楽しい響きだった。
突然、その恍惚《こうこつ》たる感に満たされてる最中に、彼は聞き覚えのある声がするのを耳にした。
「あら、あすこにいる。」
目を上げてみると、あの不幸な娘、ある朝彼の所へやってきたことのあるテナルディエの姉娘エポニーヌが、そこに立っていた。彼は今ではその名前をも知っていた。不思議にも彼女は、あの時よりいっそう貧しげになりまたいっそう美しくなっていた。同時にできそうもない進歩ではあるが、彼女は実際その二重の進歩をしていた。一つは光輝の方へと一つは貧苦の方へ。やはり跣足《はだし》であった。そして彼の室《へや》へ臆面《おくめん》もなくはいってきた日のとおりにぼろをまとっていたが、ただそれは二カ月だけ古くなって、破れ目はいっそう大きくなり裂け目はいっそうきたなくなっていた。それから、つぶれた同じ声、風にさらされて皺《しわ》が寄り曇ってる同じ額、放恣《ほうし》な錯乱した定まりない同じ目つき。その上以前よりは、一種のおびえたようなまた悲しげな色が顔に増していた。それは入牢が困窮に添えたものである。
その髪には藁《わら》や秣《まぐさ》の切れがついていた。オフェリアのようにハムレットの狂気に感染して狂人になったためではなく、どこかの馬小屋に寝たためだった。
しかもすべてそれらをもってしても、彼女はきれいだった。おお青春とは、何と光り輝く星であることか!
さて彼女は、その色あせた顔の上に多少の喜びとほほえみに似たものとを浮かべて、マリユスの前に立ち止まった。
彼女は口をきくことができないらしく、しばらく黙っていた。
「とうとうめぐり会ったわ。」と彼女はついに言った。「マブーフのお爺《じい》さんが言ったことは本当だった、この大通りだったのね。まあどんなにあなたをさがしたでしょう。あなた知っていて、あたしは牢《ろう》にはいってたのよ。十五日間。でも許されたわ。何も悪いことはなかったんだから、それにまた分別のつく年齢《とし》でもなかったからよ。二月《ふたつき》だけ不足だったのよ。まあどんなにあなたをさがしたでしょう。もう六週間にもなるわ。あなたはもうあすこにはいないのね。」
「いない。」とマリユスは言った。
「ええわかっててよ。あのことがあったからでしょう。あんな荒っぽいことはいやね。それで引っ越したのね。あら、どうしてそんな古い帽子をかぶってるの。あなたのような若い人は、きれいな着物を着てるものよ。ねえマリユスさん、マブーフのお爺さんはあなたのことを男爵マリユス何とかって言ってたわ。でもあなたは男爵じゃないわね。男爵なんてものはみんなお爺さんだわね。リュクサンブールのお城の前に行って、日当たりのよい所で、一スーのコティディエンヌ新聞なんかを読んでる人のことね。あたしは一度、そんな男爵の所へ手紙を持って行ったことがあるのよ。もう百の上にもなろうというお爺さんだったわ。だが、あなたは今どこに住んでるか教えて下さいね。」
マリユスは答えなかった。
「まあ、」彼女は続けて言った、「あなたのシャツには穴が一つあいているわ。あたしが縫ってあげてよ。」
彼女はある表情をしたが、それはしだいに曇ってきた。「あなたはあたしに会ったのがいやな様子ね。」
マリユスは黙っていた。彼女もちょっと口をつぐんだが、それから叫んだ。
「でもあたしがそのつもりになりゃあ、あなたをうれしがらせることだってできるわ。」
「なに?」とマリユスは尋ねた。「あなたは何のことを言ってるんです。」
「まあ、前にはお前って言ってたじゃないの。」と彼女は言った。
「よろしい、お前は何のことを言ってるんだい。」
彼女は脣《くちびる》をかんだ。何か心のうちで思い惑ってることがあるらしく、躊躇《ちゅうちょ》してるようだった。しかしついに決心したように見えた。
「なに同じことだ……。あなたは悲しそうな様子をしてるわね。あたしあなたのうれしそうな様子が見たいのよ。笑うっていうことだけでいいから約束して下さいね。あなたの笑うところが見たいのよ、そして、ああありがたいっていうのを聞きたいのよ。ねえ、マリユスさん、あなたあたしに約束したでしょう、何でも望み通りなものをやるって……。」
「ああ。だから言ってごらん。」
彼女はマリユスの目の中をのぞき込んで、そうして言った。
「居所がわかったのよ。」
マリユスは顔の色を変えた。身体中の血が心臓に集まってしまった。
「何の居所が?」
「あなたがあたしに頼んだ居所よ。」
そして彼女は無理に元気を出したかのようなふうでつけ加えた。
「あの……わかってるでしょう。」
「ああ。」とマリユスは口ごもった。
「あのお嬢さんのよ。」
そのお嬢さんという言葉を発して彼女は、深くため息をついた。
マリユスは腰掛けていた欄干から飛び上がって、夢中になって彼女の手を執った。
「ああそうか。僕を連れてってくれ。知らしてくれ。何でも望みなものを言ってくれ。それはどこだよ?」
「あたしといっしょにいらっしゃい。」と彼女は答えた。「町も番地もよくは知らないのよ。ここのちょうど向こう側よ。でも家はよく知ってるから、連れてってあげるわ。」
彼女は手を引っ込めた。そして次の言葉ははたで見る者の心を刺し通すだろうと思われるほどの調子で言ったが、喜びに夢中になってるマリユスには少しも感じなかった。
「おお、あなたほんとにうれしそうね!」
一抹《いちまつ》の影がマリユスの額にさした。彼はエポニーヌの腕をとらえた。
「一事《ひとこと》僕に誓ってくれ。」
「誓うって?」と彼女は言った、「どうしてなの。まああなたはあたしに誓わせようっていうの。」
そして彼女は笑った。
「お前のお父さんのことだ。僕に約束してくれ、エポニーヌ。その居所をお父さんに知らせはしないと誓ってくれ。」
彼女はびっくりしたような様子で彼の方へ向き直った。
「エポニーヌって! どうしてあなたはあたしがエポニーヌという名だことを知ってるの。」
「今言ったことを僕に約束してくれ。」
しかし彼女はそれも耳にしないかのようだった。
「うれしいわ。あなたあたしをエポエーヌって呼んで下すったのね。」
マリユスは彼女の両腕を一度にとらえた。
「だからどうか僕に返事をしてくれ。よく注意して、いいかね、お前が知ってるその住所をお父さんに言いはしないと僕に誓ってくれ!」
「お父さんですって、」と彼女は言った、「ええ大丈夫よ、お父さんのことなら。安心していいわよ。今監獄にはいってるの。それにまた、何であたしがお父さんのことなんか気にするもんですか。」
「でもお前は僕にそれを約束しないのか。」とマリユスは叫んだ。
「まあ放して下さいよ。」と彼女は笑い出しながら言った。「そう無茶苦茶に人を揺すってさ。えゝえゝ、約束してよ、それをあなたに誓ってよ。そんなこと訳はないわ。その住所をお父さんに言いはしません。ねえ、これでいいんでしょう、こうなんでしょう。」
「そしてまただれにも?」とマリユスは言った。
「ええだれにも。」
「ではこれから、」とマリユスは言った、「僕を連れてってくれ。」
「すぐに?」
「すぐにだよ。」
「ではいらっしゃい。おゝほんとにうれしそうね。」と彼女は言った。
四、五歩行くと、彼女は立ち止まった。
「あまりすぐそばにあなたはついて来るんだもの、マリユスさん。あたしを少し先に行かして、人に覚《さと》られないようについていらっしゃい。あなたのようなりっぱな若い男があたしのような女といっしょに歩いてるのを見られると、よくないわよ。」
この小娘がそんなふうに発した女という言葉のうちにこもってるすべては、いかなる言語をもってしても言いつくすことはできないだろう。
彼女は十歩ばかりも歩いて、また立ち止まった。マリユスは追いついた。彼女は彼の方に振り向かないでわきを向いたまま言いかけた。
「あの、あなたはあたしに何か約束したのを忘れやしないわね。」
マリユスはポケットの中を探った。彼が持ってたのは父のテナルディエにやるつもりの五フランきりだった。彼はそれを取って、エポニーヌの手に握らした。
彼女は指を開いて、その貨幣を地面に落としてしまった。そして暗い顔つきをして彼を見ながら言った。
「あなたのお金なんか欲しいんじゃないの。」
第三編 プリューメ街の家
一 秘密の家
十八世紀の中葉には、身分の高い公達《きんだち》らは公然と妾《めかけ》をたくわえていたが、中流民らは妾を置いてもそれを隠していた。でその頃、あるパリー法院長が秘密に妾をたくわえて、サン・ジェルマン郭外の今日プリューメ街と言われてる寂しいブローメ街に、当時動物合戦と言われていた場所から遠くない所に、「妾宅《しょうたく》」を一つ建てた。
その家は、二階建ての一構えであった。一階に二室、二階に二室、下に台所、上に化粧室、屋根下に物置き、そして家の前には庭があって、街路に開いてる大きな鉄門がついていた。庭の広さは一エーカー以上もあって、表からのぞいても庭だけしか見えなかった。そして家の後ろには、狭い中庭があり、中庭の奥には、窖《あなぐら》のついた二室の低い宿所があった。必要な場合に子供と乳母《うば》とを隠すためにこしらえられたものらしかった。宿所の後ろには秘密な隠し戸がついていて、そこを出ると路地になっていた。曲がりくねって上には屋根もなく二つの高い壁にはさまれてる長い狭い舗石《しきいし》の路地で、うまく人目に隠されていて、庭や畑地の囲いの間に消えているかのようだった。しかし実際は、それらの囲いの角《かど》を伝い曲がってる所を伝って、も一つの戸に達してるのだった。それも同じく秘密の戸で、家から四、五町の所にあって、ほとんど他の街区になってるバビローヌ街の寂しい一端に開いていた。
法院長はいつもそこからはいり込んでいった。それで、彼の動静をうかがい、彼のあとをつけ、彼が毎日ひそかにどこかへ行くのを注意する者があっても、バビローヌ街へ行くことはすなわちブローメ街へ行くことになろうなどとは、思いもつかなかったろう。うまく土地を買い込んだので、この利口な法官は、自分の土地の上に、また従って何ら他人の抗議を受けることもなく、自家の秘密通路の工事をさせることができたのである。その後彼は路地に沿った土地を少しずつ区分して、庭や畑地になして売り払った。そしてその区分を買い取った人々は、路地のどちらからもただ境の壁があるのだとのみ思って、それらの園芸地や果樹園などの間に、二つの壁にはさまれてうねりくねってる長い舗石《しきいし》の路地があろうとは、夢にも気づかなかった。空の鳥だけがその秘密を知っていた。十八世紀の頬白《ほおじろ》や雀《すずめ》などは、法院長について種々ささやきかわしたことであろう。
家はマンサール式の趣向に建てられた石造で、ワットー式の趣向になった壁や道具がついていて、内部は岩石体、外部は鬘体《かつらたい》、まわりを取り巻く三重の花樹墻《かじゅがき》、何となく内密さと容態ぶった趣とおごそかなさまとが見えていて、情事と法官との好みに適したものらしかった。
その家と路地とは、今日ではもうなくなっているが、十五年ばかり前までは残っていた。一七九三年に一度、ひとりの鋳物師がそれを買い取って取りこわそうとしたが、代金を払うことができなかったので、ついに破産の宣告を受けてしまった。かえって家の方が鋳物師を取りこわしたわけである。それ以来この家には住む人もなく、すべて生命の息吹《いぶき》を伝える人のなくなった住居に見られるとおり、しだいに荒廃に帰してしまった。まだ古い道具がついたままいつまでも売貸家になっていて、プリューメ街を通る年に十二、三人足らずの人をあてにして、字の消えかかった黄ばんだ札が庭の鉄門の所に一八一〇年以来打ち付けてあった。
王政復古の終わり頃に、それら十二、三人の人は、売貸家の札が取れてるのに気づいた。また二階の窓の戸が開かれてるのも見られた。実際、家には人がはいっていたのである。窓に「かわいい窓掛け」がついてるところを見ると、中には女がいるらしかった。
一八二九年の十月に、かなり年取ったひとりの男がやってきて、家をそのまま借りてしまったのである。もとより後ろの宿所とバビローヌ街に通ずる路地も含めてだった。彼はその抜け道の秘密な二つの戸を繕わせた。前に言ったとおり家には法院長の古い道具がたいがいそなわっていた。新しい借家人は少し手入れをさせ、所々に欠けたものを補い、中庭の舗石《しきいし》や土台の煉瓦《れんが》や階段の段や床《ゆか》の石板や窓のガラスなどをすっかりつけさせ、それからひとりの若い娘とひとりの年取った女中とを連れてやってきたが、それも引っ越して来るようではなく、むしろ忍び込んででも来る者のように、音もたてないではいってきた。しかし近所の噂《うわさ》にも上らなかった、なぜなら近所には住んでる人もいなかったのである。
このひそかな借家人はジャン・ヴァルジャンであり、若い娘はコゼットだった。女中はトゥーサンという独身者だった。ジャン・ヴァルジャンは彼女を病院と貧窮とから救い出してやったのであるが、老年で田舎者《いなかもの》で吃《ども》りだという三つの条件をそなえていたので、自分で使うことにしたのだった。彼は年金所有者フォーシュルヴァンという名前でその家を借りた。おそらく読者は前に述べた事柄のうちに、テナルディエよりも先にジャン・ヴァルジャンを見て取ったであろう。
ジャン・ヴァルジャンが何ゆえにプティー・ピクプュスの修道院を去ったか? いかなることが起こったのであるか?
否何事も起こりはしなかったのである。
読者の記憶するとおり、ジャン・ヴァルジャンは修道院の中で幸福だった、ついには本心の不安を感じ出したほど幸福だった。彼は毎日コゼットに会っていた。父たる感情が自分のうちに生じてますます高まってゆくのを感じた。心でその子供をはぐくんでいた。彼は自ら言った、この娘は自分のものである。何物も娘を自分から奪い去るものはないだろう、このままの状態が長く続くだろう、娘は毎日静かに教え込まれているので後には確かに修道女になるだろう、かくて修道院はこれから自分と彼女とにとっては全世界となるだろう、自分はここで老い娘はここで大きくなるだろう、娘はここで老い自分はここで死ぬだろう、そしてまた喜ばしいことには自分たち二人は決して別れることがないだろう。そういうふうに考えながら、彼は終わりに困惑のうちに陥った。彼はいろいろ自ら考えてみた。彼は自ら尋ねた、それらの幸福は果たして自分のものであるか、それは他人の幸福ででき上がってるものではあるまいか、老いたる自分が没収し奪い取ったこの娘の幸福からでき上がってるものではあるまいか、それは窃盗ではあるまいか。彼は自ら言った、この娘は人生を見捨てる前に人生を知る権利を持ってるではないか、あらゆる辛苦から彼女を救うという口実の下に言わば彼女に相談もしないで前もってすべての快楽を奪い去ること、彼女の無知と孤独とを利用して人為的の信仰を植えつけること、それは一個の人間の天性を矯《た》めることであり、神に嘘《うそ》をつくことではないか。そして、他日それらのことがわかり修道女になったのを遺憾に思って、コゼットはついに自分を恨むようにはなりはすまいか。この最後の考えは、ほとんど利己的なもので他の考えよりもずっと男らしくないものだったが、しかし彼には最もたえ難いことだった。彼は修道院を去ろうと決心した。
彼はそれを決心した。是非ともそうしなければならないと心を痛めながらも確信した。非とすべき点は一つもなかった。五年間その四壁のうちに潜み姿を隠していた以上は、世間を恐れるべき理由はなくなり消散してるに違いなかった。彼は平然として世人の間に戻ることができるのだった。彼も年を取り、万事が変わっていた。今はだれが見現わすことができよう。それからまた最も悪くしたところで、危険は彼だけにしかなかった。そして彼は、自分が徒刑場に入れられたからといってコゼットを修道院のうちに閉じこめる権利を持っていなかった。その上、義務の前には危険なんか何であろう。また終わりに、用心をし適当な警戒をなすのに彼を妨ぐるものは何もなかった。
コゼットの教育の方は、もうほとんど終わって完成していた。
一度決心を定めると、彼はただ機会を待つばかりだった。しかるに機会はやがてやってきた。フォーシュルヴァン老人が死んだのである。
ジャン・ヴァルジャンは修道院長に面謁《めんえつ》を願って、こう申し立てた。兄が死んだについて多少の遺産が自分のものとなって、これからは働かないで暮らすことができるので、修道院から暇をもらって娘をつれてゆきたい。けれども、コゼットは誓願をしていないから、無料で教育されたことになっては不当である。それで、コゼットが修道院で過ごした五年間の謝礼として、五千フランの金をこの修道会に献ずることを、どうか許していただければ仕合わせである。
そのようにしてジャン・ヴァルジャンは、常住礼拝の修道院から出て行った。
修道院を去りながら彼は、例の小さな鞄《かばん》を自らわきの下に抱えて、それをだれにも持たせず、鍵《かぎ》は常に身につけていた。その中からはいいかおりが出てるので、非常にコゼットの心をひいた。
今ここに言っておくが、鞄はそれ以来彼の手もとを離れなかった。彼はそれをいつも自分の室《へや》の中に置いていた。移転の際に彼が持ってゆく品物は、それが第一のもので、時としては唯一のものだった。コゼットはそれをおかしがって、彼につき物[#「つき物」に傍点]だと呼び、「私それがうらやましい」と言っていた。
ジャン・ヴァルジャンもさすがに、自由の地に出ては深い心配をいだかざるを得なかった。
彼はプリューメ街の家を見いだして、その中に潜んだ。以来彼はユルティーム・フォーシュルヴァンと名乗っていた。
同時に彼はパリーのうちに他に二カ所居室を借りた。そうすれば、同じ町にいつも住んでるより人の注意をひくことが少ないからであり、少しでも不安があれば必要に応じて家をあけることができるからであり、また、不思議にもジャヴェルの手をのがれたあの晩のように行き所に困ることがないからであった。その二つの居室は、ごく小さなみすぼらしい住居であって、互いにごく離れた街区にあった、すなわち一つはウエスト街に、一つはオンム・アルメ街に。
彼は時々、あるいはオンム・アルメ街に行き、あるいはウエスト街に行って、トゥーサンも連れずにコゼットと二人きりで、一カ月か六週間くらいを過ごした。その間彼は、門番に用をたしてもらい、自分は郊外に住む年金所有者で町に寄寓《きぐう》してる者であると言っていた。かくてこの高徳の人物も、警察の目をのがれるためパリーに三つの住所を持っていたのである。
と言われていた場所から遠くない所に、「妾宅《しょうたく》」を一つ建てた。
その家は、二階建ての一構えであった。一階に二室、二階に二室、下に台所、上に化粧室、屋根下に物置き、そして家の前には庭があって、街路に開いてる大きな鉄門がついていた。庭の広さは一エーカー以上もあって、表からのぞいても庭だけしか見えなかった。そして家の後ろには、狭い中庭があり、中庭の奥には、窖《あなぐら》のついた二室の低い宿所があった。必要な場合に子供と乳母《うば》とを隠すためにこしらえられたものらしかった。宿所の後ろには秘密な隠し戸がついていて、そこを出ると路地になっていた。曲がりくねって上には屋根もなく二つの高い壁にはさまれてる長い狭い舗石《しきいし》の路地で、うまく人目に隠されていて、庭や畑地の囲いの間に消えているかのようだった。しかし実際は、それらの囲いの角《かど》を伝い曲がってる所を伝って、も一つの戸に達してるのだった。それも同じく秘密の戸で、家から四、五町の所にあって、ほとんど他の街区になってるバビローヌ街の寂しい一端に開いていた。
法院長はいつもそこからはいり込んでいった。それで、彼の動静をうかがい、彼のあとをつけ、彼が毎日ひそかにどこかへ行くのを注意する者があっても、バビローヌ街へ行くことはすなわちブローメ街へ行くことになろうなどとは、思いもつかなかったろう。うまく土地を買い込んだので、この利口な法官は、自分の土地の上に、また従って何ら他人の抗議を受けることもなく、自家の秘密通路の工事をさせることができたのである。その後彼は路地に沿った土地を少しずつ区分して、庭や畑地になして売り払った。そしてその区分を買い取った人々は、路地のどちらからもただ境の壁があるのだとのみ思って、それらの園芸地や果樹園などの間に、二つの壁にはさまれてうねりくねってる長い舗石《しきいし》の路地があろうとは、夢にも気づかなかった。空の鳥だけがその秘密を知っていた。十八世紀の頬白《ほおじろ》や雀《すずめ》などは、法院長について種々ささやきかわしたことであろう。
家はマンサール式の趣向に建てられた石造で、ワットー式の趣向になった壁や道具がついていて、内部は岩石体、外部は鬘体《かつらたい》、まわりを取り巻く三重の花樹墻《かじゅがき》、何となく内密さと容態ぶった趣とおごそかなさまとが見えていて、情事と法官との好みに適したものらしかった。
その家と路地とは、今日ではもうなくなっているが、十五年ばかり前までは残っていた。一七九三年に一度、ひとりの鋳物師がそれを買い取って取りこわそうとしたが、代金を払うことができなかったので、ついに破産の宣告を受けてしまった。かえって家の方が鋳物師を取りこわしたわけである。それ以来この家には住む人もなく、すべて生命の息吹《いぶき》を伝える人のなくなった住居に見られるとおり、しだいに荒廃に帰してしまった。まだ古い道具がついたままいつまでも売貸家になっていて、プリューメ街を通る年に十二、三人足らずの人をあてにして、字の消えかかった黄ばんだ札が庭の鉄門の所に一八一〇年以来打ち付けてあった。
王政復古の終わり頃に、それら十二、三人の人は、売貸家の札が取れてるのに気づいた。また二階の窓の戸が開かれてるのも見られた。実際、家には人がはいっていたのである。窓に「かわいい窓掛け」がついてるところを見ると、中には女がいるらしかった。
一八二九年の十月に、かなり年取ったひとりの男がやってきて、家をそのまま借りてしまったのである。もとより後ろの宿所とバビローヌ街に通ずる路地も含めてだった。彼はその抜け道の秘密な二つの戸を繕わせた。前に言ったとおり家には法院長の古い道具がたいがいそなわっていた。新しい借家人は少し手入れをさせ、所々に欠けたものを補い、中庭の舗石《しきいし》や土台の煉瓦《れんが》や階段の段や床《ゆか》の石板や窓のガラスなどをすっかりつけさせ、それからひとりの若い娘とひとりの年取った女中とを連れてやってきたが、それも引っ越して来るようではなく、むしろ忍び込んででも来る者のように、音もたてないではいってきた。しかし近所の噂《うわさ》にも上らなかった、なぜなら近所には住んでる人もいなかったのである。
このひそかな借家人はジャン・ヴァルジャンであり、若い娘はコゼットだった。女中はトゥーサンという独身者だった。ジャン・ヴァルジャンは彼女を病院と貧窮とから救い出してやったのであるが、老年で田舎者《いなかもの》で吃《ども》りだという三つの条件をそなえていたので、自分で使うことにしたのだった。彼は年金所有者フォーシュルヴァンという名前でその家を借りた。おそらく読者は前に述べた事柄のうちに、テナルディエよりも先にジャン・ヴァルジャンを見て取ったであろう。
ジャン・ヴァルジャンが何ゆえにプティー・ピクプュスの修道院を去ったか? いかなることが起こったのであるか?
否何事も起こりはしなかったのである。
読者の記憶するとおり、ジャン・ヴァルジャンは修道院の中で幸福だった、ついには本心の不安を感じ出したほど幸福だった。彼は毎日コゼットに会っていた。父たる感情が自分のうちに生じてますます高まってゆくのを感じた。心でその子供をはぐくんでいた。彼は自ら言った、この娘は自分のものである。何物も娘を自分から奪い去るものはないだろう、このままの状態が長く続くだろう、娘は毎日静かに教え込まれているので後には確かに修道女になるだろう、かくて修道院はこれから自分と彼女とにとっては全世界となるだろう、自分はここで老い娘はここで大きくなるだろう、娘はここで老い自分はここで死ぬだろう、そしてまた喜ばしいことには自分たち二人は決して別れることがないだろう。そういうふうに考えながら、彼は終わりに困惑のうちに陥った。彼はいろいろ自ら考えてみた。彼は自ら尋ねた、それらの幸福は果たして自分のものであるか、それは他人の幸福ででき上がってるものではあるまいか、老いたる自分が没収し奪い取ったこの娘の幸福からでき上がってるものではあるまいか、それは窃盗ではあるまいか。彼は自ら言った、この娘は人生を見捨てる前に人生を知る権利を持ってるではないか、あらゆる辛苦から彼女を救うという口実の下に言わば彼女に相談もしないで前もってすべての快楽を奪い去ること、彼女の無知と孤独とを利用して人為的の信仰を植えつけること、それは一個の人間の天性を矯《た》めることであり、神に嘘《うそ》をつくことではないか。そして、他日それらのことがわかり修道女になったのを遺憾に思って、コゼットはついに自分を恨むようにはなりはすまいか。この最後の考えは、ほとんど利己的なもので他の考えよりもずっと男らしくないものだったが、しかし彼には最もたえ難いことだった。彼は修道院を去ろうと決心した。
彼はそれを決心した。是非ともそうしなければならないと心を痛めながらも確信した。非とすべき点は一つもなかった。五年間その四壁のうちに潜み姿を隠していた以上は、世間を恐れるべき理由はなくなり消散してるに違いなかった。彼は平然として世人の間に戻ることができるのだった。彼も年を取り、万事が変わっていた。今はだれが見現わすことができよう。それからまた最も悪くしたところで、危険は彼だけにしかなかった。そして彼は、自分が徒刑場に入れられたからといってコゼットを修道院のうちに閉じこめる権利を持っていなかった。その上、義務の前には危険なんか何であろう。また終わりに、用心をし適当な警戒をなすのに彼を妨ぐるものは何もなかった。
コゼットの教育の方は、もうほとんど終わって完成していた。
一度決心を定めると、彼はただ機会を待つばかりだった。しかるに機会はやがてやってきた。フォーシュルヴァン老人が死んだのである。
ジャン・ヴァルジャンは修道院長に面謁《めんえつ》を願って、こう申し立てた。兄が死んだについて多少の遺産が自分のものとなって、これからは働かないで暮らすことができるので、修道院から暇をもらって娘をつれてゆきたい。けれども、コゼットは誓願をしていないから、無料で教育されたことになっては不当である。それで、コゼットが修道院で過ごした五年間の謝礼として、五千フランの金をこの修道会に献ずることを、どうか許していただければ仕合わせである。
そのようにしてジャン・ヴァルジャンは、常住礼拝の修道院から出て行った。
修道院を去りながら彼は、例の小さな鞄《かばん》を自らわきの下に抱えて、それをだれにも持たせず、鍵《かぎ》は常に身につけていた。その中からはいいかおりが出てるので、非常にコゼットの心をひいた。
今ここに言っておくが、鞄はそれ以来彼の手もとを離れなかった。彼はそれをいつも自分の室《へや》の中に置いていた。移転の際に彼が持ってゆく品物は、それが第一のもので、時としては唯一のものだった。コゼットはそれをおかしがって、彼につき物だと呼び、「私それがうらやましい」と言っていた。
ジャン・ヴァルジャンもさすがに、自由の地に出ては深い心配をいだかざるを得なかった。
彼はプリューメ街の家を見いだして、その中に潜んだ。以来彼はユルティーム・フォーシュルヴァンと名乗っていた。
同時に彼はパリーのうちに他に二カ所居室を借りた。そうすれば、同じ町にいつも住んでるより人の注意をひくことが少ないからであり、少しでも不安があれば必要に応じて家をあけることができるからであり、また、不思議にもジャヴェルの手をのがれたあの晩のように行き所に困ることがないからであった。その二つの居室は、ごく小さなみすぼらしい住居であって、互いにごく離れた街区にあった、すなわち一つはウエスト街に、一つはオンム・アルメ街に。
彼は時々、あるいはオンム・アルメ街に行き、あるいはウエスト街に行って、トゥーサンも連れずにコゼットと二人きりで、一カ月か六週間くらいを過ごした。その間彼は、門番に用をたしてもらい、自分は郊外に住む年金所有者で町に寄寓《きぐう》してる者であると言っていた。かくてこの高徳の人物も、警察の目をのがれるためパリーに三つの住所を持っていたのである。
二 国民兵たるジャン・ヴァルジャン
けれども本来から言えば、彼はプリューメ街に住んでいて、次のような具合に生活を整えていた。
コゼットは女中とともに母屋《おもや》を占領していた。窓間壁《まどまかべ》に色の塗ってある大きな寝室、縁※形《ふちくりがた》に金の塗ってある化粧室、帷帳《いちょう》や大きな肱掛《ひじか》け椅子《いす》のそなえてある元の法院長の客間、などがあって、また庭もついていた。ジャン・ヴァルジャンはコゼットの室《へや》に、三色の古いダマ織りの帷《とばり》のついた寝台を据えさし、フィギエ・サン・ポール街のゴーシェお上さんの店で買った古い美しいペルシャ製の絨毯《じゅうたん》を敷かした。そしてそのみごとな古い品物のいかめしさを柔らげんため、その骨董的《こっとうてき》風致に加うるに、若い娘にふさわしい快活優美な小さな道具をもってした、すなわち、戸棚《とだな》、本箱と金縁の書物、文具箱、吸い取り紙、真珠貝をちりばめた仕事机、銀めっきの化粧箱、日本陶器の化粧道具。寝台の帷と同じ三色の色彩がある赤地のダマ織りの長い窓掛けは、二階の窓に掛けられた。一階の窓には、花毛氈《はなもうせん》の窓掛けがつけられた。冬中、コゼットの小さな家は階下も階上も暖められていた。そしてジャン・ヴァルジャン自身は、奥の中庭にある門番小屋みたいな建物に住んでいて、そこには畳み寝台の上に敷いた一枚の蒲団《ふとん》、白木のテーブル、二つの藁椅子《わらいす》、土器の水差し、棚の上に並べた数冊の書物、片すみには彼の大事な鞄《かばん》、などがあるきりで、かつて火はなかった。彼はコゼットといっしょに食事をしたが、自分の前には黒パンを置かした。トゥーサンがきた時彼は言っておいた、「お嬢さんが家の主人だよ。」「そしてあなたは?」とトゥーサンは驚いて尋ねた。「私は主人より上だよ、父親だからね。」
コゼットは修道院で家政を学んだので、一家のごくわずかな経済を自ら処理した。毎日ジャン・ヴァルジャンはコゼットの腕を執って、散歩に連れ出した。リュクサンブールの園の最も人の少ない道に彼女を伴い、また日曜日には、ごく遠いのを好都合としていつもサン・ジャック・デュ・オー・パ会堂の弥撒《ミサ》に連れて行った。そこはきわめて貧しい町だったので、彼はたくさんの施与をして、会堂の中では不幸な人々に取り巻かれた。そのために、サン・ジャックデュ・オー・パ会堂の慈悲深き紳士殿というテナルディエの手紙をもらうに至ったのである。彼はまたコゼットを連れて好んで貧乏人や病人の家を見舞った。それから、他人はいっさいプリューメ街の家には出入りさせなかった。トゥーサンが食料品を買ってき、ジャン・ヴァルジャン自身で、すぐ近く大通りにある水汲み場から水を汲んできた。薪《まき》や葡萄酒《ぶどうしゅ》は、バビローヌ街に出る門のそばにある岩石造りの半ば地下室みたいな所に入れてあった。それは元、法院長に洞窟《どうくつ》の役目をしていたものである。女狂いや妾宅《しょうたく》なんかの時代にあっては、情事と言えばみな洞窟がつきものだったのである。
バビローヌ街にある中門には、手紙や新聞などを受けるために一種の貯金箱みたいなものがついていた。けれども、プリューメ街の家に住んでる三人の者は、新聞も取らず手紙をもらうこともなかったので、昔は情事の仲介者でありおめかし法官の腹心者であったその箱も、今は納税の通知と召集の命令とを受ける用をしてるだけだった。と言うのは、年金所有者フォーシュルヴァン氏は国民軍にはいっていたからである。彼は一八三一年の徴兵検査の精密な網目をのがれることができなかった。その時励行された市の調査は、神聖にして犯すべからざる所と考えられていたプティー・ピクプュスの修道院にまでおよんで、そこから出てきたジャン・ヴァルジャンは、市役所の目にはりっぱな男と見え、従って警備の任に適した男と見えたのである。
年に三、四回ジャン・ヴァルジャンは、軍服を身につけて警備の任に当たった。もとより彼は、好んでそれに服した。彼にとってそれは正規な変装をすることであって、孤独のままで世人に立ち交じることができるのだった。ジャン・ヴァルジャンは法律上免役の年齢たる六十歳に達していた。しかし彼は五十歳以上とは見えなかった。それにもとより、曹長の命を忌避し将軍ロボー伯に異議を申し立てようとの念も有しなかった。また彼は戸籍を持っていなかった。名前を隠し、身分を隠し、年齢を隠し、すべてを隠していた。そして今言ったとおりに、自ら喜んで国民兵となっていた。税を払う普通の人間のようになること、それが彼の望みのすべてだった。彼は自分の理想として、内部には天使を据え、外部には市民を据えていた。
けれどもここにしるしておきたい一事がある。ジャン・ヴァルジャンはコゼットと共に外出する時には、読者の既に見たとおりの服装をし、退職の将校らしい様子をしていた。しかしただひとりで出かける時は、それもたいていは晩であったが、いつも労働者の上衣とズボンをつけ、庇《ひさし》のある帽を目深にかぶって顔を隠していた。それは用心からだったろうか、あるいは卑下からだったろうか? 否両方からだったのである。コゼットは自分の運命の謎《なぞ》のような一面になれてしまって、父の不思議な様子をもほとんど気にかけなかった。トゥーサンの方はジャン・ヴァルジャンを非常に崇拝していて、彼がなすことはすべて正しいと思っていた。ある日、ジャン・ヴァルジャンをちらと見かけた肉屋が彼女に言った、「あの人はよほど変な人だね。」すると彼女は答えた、「せ、聖者ですよ。」
ジャン・ヴァルジャンも、コゼットも、またトゥーサンも、出入りは必ずバビローヌ街の門からした。表庭の鉄門から彼らを見かけでもしなければ、彼らがプリューメ街に住んでいようとは思われなかった。その鉄門は常に閉ざされていた。ジャン・ヴァルジャンは庭に少しも手を入れないでほうっておいた。人の注意をひかないためだった。
しかしこのことについては、おそらく彼の見当は誤っていたようである。
三 自然の個体と合体
その庭は、かく半世紀以上も手を入れられずに放棄されていたので、普通《なみ》ならぬ様になり一種の魅力を持つようになっていた。今から四十年ばかり前にそこを通る人々は、その新鮮な青々とした茂みの後ろに秘密が隠れていようとは夢にも知らずに、その前に立ち止まってはながめたものである。見分けのつかない唐草模様《からくさもよう》の冠頂が変なふうについていて、緑青と苔《こけ》とがいっぱい生じてる二本の柱にはめ込まれ、ゆがみ揺らめいていて海老錠《えびじょう》のかかってるその古い鉄門の格子《こうし》越しに、しばしば無遠慮に中をのぞき込んで思い惑った夢想家は、その当時ひとりのみに止まらなかった。
片すみに石のベンチが一つあり、苔のはえた二、三の立像があり、壁の上には時を経て釘《くぎ》がとれ腐りかかってる格子細工が残っていて、その上どこにも道もなく芝生もなく、一面に茅草《かやぐさ》がはえていた。園芸が去って自然がかえってきたのである。雑草がおい茂って、そのあわれな一片の土地はみごとな趣になっていた。十字科植物が美しく咲き乱れていた。その庭のうちにあっては、生命の方へ向かう万物の聖なる努力を何物も妨げていなかった。そこではすべてが尊い生長を自由に遂げていた。樹木は荊棘《いばら》の方へ身をかがめ、荊棘は樹木の方へ伸び上がり、灌木《かんぼく》はよじ上り、枝はたわみ、地上をはうものは空中にひろがるものを見いださんとし、風になぶらるるものは苔《こけ》のうちに横たわるものの方へかがんでいた。幹、枝、葉、繊維、叢《くさむら》、蔓《つる》、芽、棘《とげ》、すべてが互いに交り乱れからみ混合していた。かくて深い密接な抱擁のうちにある植物は、造物主の満足げな目の前において、三百尺平方の囲いのうちにあって、人類的親愛の象徴たる植物的親愛の聖《きよ》い神秘を、発揚し、成就していた。それはもはや一つの庭ではなくて、一つの巨大なる藪《やぶ》であった、換言すれば、森林のごとく見透かすことができず、都市のごとく多くのものが住み、巣のごとく震え、大会堂のごとく薄暗く、花束のごとく香《かお》り、墓のごとく寂しく、群集のごとくいきいきたる、何物かであった。
花季になると、その巨大な藪は、その鉄門と四壁とのうちにあって自由に、種子発生のひそやかな仕事のうちにいっせいに奮い立っておどり込んでいた。そして、宇宙の愛が発散する気を呼吸し、脈管のうちには四月の潮の高まり沸き立つのを感じてる動物のように、朝日の光に身を震わして、豊富な緑の髪を風に打ち振りながら、湿った土地の上に、腐食した立像の上に、家のこわれかかった石段の上に、人なき街路の舗石《しきいし》の上にまで、星のごとき花や、真珠のごとき露や、繁茂や、美や、生命や、喜悦や、香りなどを、ふりまいていた。日中には、何千となき白い蝶《ちょう》がそこに逃げ込んできた、そしてこの生ある夏の雪が木陰に翩々《へんぺん》と渦巻《うずま》くのは、いかにも聖《きよ》い光景であった。そこの緑の楽しい影のうちでは、汚れに染まぬ数多の声が静かに人の魂に向かって語っており、小鳥の囀《さえず》りで足りないところは昆虫《こんちゅう》の羽音が補っていた。夕には、夢の気が庭から立ち上って一面にひろがっていった。靄《もや》の柩衣《きゅうい》が、この世のものとも思えぬ静かな哀愁が、庭をおおうていた。忍冬《すいかずら》や昼顔の酔うような香《かお》りが、快い美妙な毒のように四方から発散していた。枝葉の下に眠りに来る啄木鳥《きつつき》や鶺鴒《せきれい》の最後の声が聞こえていた。小鳥と樹木との聖《きよ》い親交がそこに感じられた。昼間は鳥の翼が木の葉を喜ばせ、夜には木の葉が翼を保護する。
冬になると、その藪《やぶ》は黒ずみ湿り棘立《いらだ》ちおののいて、家の方をいくらか透かし見せた。小枝の花や花弁の露の代わりには、散り敷いた紅葉の冷ややかな敷き物の上に、蛞蝓《なめくじ》の長い銀色のはい跡が見えていた。しかしいずれにしても、いかなる光景にあっても、春夏秋冬のいかなる季節においても、その小さな一囲いの地は、憂愁と瞑想と寂寥《せきりょう》と自由と人間の不在と神の存在とを現わしていた。そして錆《さ》びついた古い鉄門は、こう言ってるかのようだった、「この庭は私のものである。」
パリーの街路の舗石《しきいし》は周囲をとりかこみ、ヴァレーヌ街のりっぱなクラシックふうな邸宅《ていたく》は付近に立ち並び、廃兵院の丸屋根はすぐそばにあり、下院の建物も遠くなく、ブールゴーニュ街やサン・ドミニク街の幌馬車《ほろばしゃ》ははでやかに付近をゆききし、黄色や褐色《かっしょく》や白や赤の乗合馬車は向こうの四つ辻《つじ》にゆききしてはいたけれど、プリューメ街は常に寂寥たるものであった。そして、昔の所有者らの死、通りすぎた革命、昔の幸運の崩壊、無人、忘却、放棄と孤独との四十年、それらはこの特殊な一囲いの地に、歯朶《しだ》、毛蕊花、毒人参《どくにんじん》、鋸草《のこぎりそう》、じきたりす、丈高い雑草、淡緑のラシャのような広い葉がある斑点のついた大きな植物、蜥蜴《とかげ》、甲虫《かぶとむし》、足の早い臆病《おくびょう》な昆虫《こんちゅう》など、様々なものを呼び集め、名状し難い一種|荒蕪《こうぶ》な壮観を、地下深くから引き出してその四壁のうちに現われさした。そして、人工の浅はかな配置を乱し、蟻《あり》の姿より鷲《わし》の姿に至るまですべてひろがり得る所には常にすみずみまで翼をひろぐる自然をして、新世界の処女林のうちにおけると等しい粗暴さと荘厳さとをもって、そのパリーの一小庭園のうちにほしいままの力を振るわしむるに至ったのである。
実際微小なるものは何もない。自然の深い浸透を受くるものは皆、このことを知っている。物の原因を判別することから結果を限定することに至るまで、絶対の満足は一つも哲学に与えられはしないけれども、すべてかかる力の分散が結局は統一に達することを見ては、静観者は限りない恍惚《こうこつ》のうちに陥らざるを得ない。あらゆるものはあらゆることに働いている。
代数学は雲霧にも適用される。星の光は薔薇《ばら》の花にも恵みをたれる。山※《さんざし》の香気が天の星座には無用だと断言し得る思想家はあるまい。およそだれか分子の行路を測定し得る者があろうか。世界の創造は砂粒の墜落によって定められないとはだれが知っていよう。極大と極小との干満、存在の深淵《しんえん》中における原因の交響、創造の雪崩《なだれ》、だれがそれを知っていよう。極微な虫も有用である。小さなものも大であり、大なるものも小である。いっさいのものは必然のうちに平均を保っている。人の精神にとっては恐ろしい幻である。生物と無生物との間には驚くべき関係が存している。その無限なる全体のうちにあっては、太陽より油虫に至るまで、何ら軽蔑《けいべつ》し合うものはない。万物皆互いに必要を感じている。光明は自ら目ざす所あって地上のかおりを蒼空《そうくう》のうちに運んでいる。夜は星の精髄を眠れる花の上に分かち与えている。空飛ぶ鳥も皆、その足には無限なるものの糸をからましている。種子発生は、流星の出現と相通ずる所があり、卵を砕く燕《つばめ》の嘴《くちばし》と相通ずる所がある、そして蚯蚓《みみず》の発生とソクラテスの生誕とを同時に導き出す。望遠鏡の終わる所には顕微鏡が始まる。そして両者のいずれがより大なる視界を持っているか。試みに選んでもみよ。一個の黴《かび》は、一群の花である。一片の星雲は無数の星である。それと同様の、しかもいっそう不思議な混和は、精神的事物と物質的事実との間にある。要素と原則とは、互いに混交し結合し生殖し増加して、ついに物質界と精神界とを同じ光明に達せさせる。現象は常にまたおのれの上にかえり来る。宇宙の広大なる交易のうちにおいて、普遍的生命は測り知るべからざる量をもって往来し、目に見えざる神秘なる発散のうちにすべてを巻き込み、すべてを使用し、あらゆる眠りの一つの夢をも失わず、ここには一つの極微動物の種をまき、かしこには一つの星を粉砕し、顫動《せんどう》し、波動し、光を力となし思想を原素となし、伝播《でんぱ》して分割を許さず、「我」という幾何学的一点を除いてはすべてを溶解し、すべてを原子的心霊に引き戻し、すべてを神のうちに開花させ、最も高きものより最も低きものに至るまで、あらゆる活動を眩暈《げんうん》するばかりの機械的運動の暗黒中に紛糾させ、昆虫《こんちゅう》の飛翔《ひしょう》を地球の運動に結びつけ、大法の一致によってなすや否やはわからないが、蒼空《そうくう》のうちにおける彗星《すいせい》の運動を一滴の水のうちにおける滴虫の旋転に従属させる。実に精神をもって機械となしたものである。最初の機関を羽虫とし最後の車輪を獣帯星とする巨大なる連動機である。
四 鉄門の変化
その庭は、昔は放逸の秘密を隠すために作られたのであるが、今は姿を変えて清浄な秘密をかばうに適するようになったものらしかった。そこにはもはや、青葉棚《あおばだな》も芝生も青葉トンネルも洞穴《どうけつ》もなく、ただヴェールのような交錯したみごとな影が四方に落ちてるのみだった。パフォスの庭(訳者注 恋の神ヴィーナスの社の庭)はエデンの園となったのである。言い知れぬ一種の悔悟がその隠れ場所を清めたのである。その花売り娘も今は人の魂にその花をささげていた。昔は放縦だったその媚《こび》を売る庭も、今は処女性と貞節とのうちに返っていた。ひとりの法院長とひとりの園丁、ラモアニョンのあとを継いだと信じてるひとりの好人物とル・ノートルのあとを継いだと信じてるもひとりの好人物とが(訳者注 前者は最初のパリー法院長で有徳の法官、後者は有名なる園囿設計家――法院長と園丁とが)、その庭をゆがめ裁ち切り皺《しわ》をつけ飾り立てて情事に適するように仕立て上げていたが、自然はそれを再び取り返し、たくさんの影を作って、愛に適するように整えたのである。
そしてまたその寂しい庭のうちには、すっかり用意の整ってる一つの心があった。今はただ愛が現われるのを待つばかりだった。そこには、緑葉と草と苔《こけ》と小鳥のため息とやさしい影と揺らめく枝とから成ってる一つの殿堂があり、温和と信仰と誠と希望と憧憬《どうけい》と幻とから成ってる一つの魂があった。
コゼットはまだほとんど子供のままで修道院から出てきた。彼女は十四歳をわずか越したばかりで、まだ「いたずら盛り」の時期にあった。既に言ったとおり、彼女は目を除いてはきれいというよりむしろ醜いかとさえ思われた。けれども何ら下卑た顔立ちを持っていたのではなく、ただ不器用でやせ形で内気で同時に大胆であるばかりだった。要するに大きな小娘に過ぎなかった。
彼女の教育は終わっていた。すなわち宗教を教わり、特に祈祷《きとう》の心を教わり、次に修道院でいわゆる「歴史」と呼ばれる地理と文法と分詞法とフランス諸王のことと多少の音楽とちょっとした写生など種々のことを教わっていた。しかし彼女はその他をいっさい知らなかった。それは一つの美点であるがまた一つの危険でもある。年若い娘の魂は薄暗がりのままにすてておくべきものではない。やがては、暗室の中におけるがごとくあまりに唐突急激な蜃気楼《しんきろう》がそこに作られるであろうから。娘の魂は現実のきびしい直射の光よりもむしろその反映によって、静かに注意深く照らさなければならない。有用なそれとなき謹厳な微光こそ、子供心の恐怖を散らし堕落を防ぐものである。いかにしてまた何によってその微光を作るべきかを知っているものは、ただ母の本能あるのみである、処女の記憶と婦人としての経験とを合わせ有する驚くべき直覚あるのみである。この本能の代わりをなし得るものは何もない。年若い娘の魂を教養するには、世のすべての修道女らを集めてもひとりの母親には及ばない。
コゼットは母を持たなかった。彼女はただ多くの複数の母([#ここから割り注]教母ら[#ここで割り注終わり])を有するのみだった。
ジャン・ヴァルジャンに至っては、あらゆる柔和と配慮とを持ってはいたが、要するにまったく何事をも知らない一老人に過ぎなかった。
しかるにかかる教育の仕事、女子を世に出す準備をするこの重大な仕事には、無邪気と呼ばるる大なる無知と戦わんためにいかに多くの知識が必要であることか!
修道院ほど若き娘を熱情に仕立てるものはない。修道院は考えを不可知なるものへ向けさせる。おのれ自身の上にかがんでいる心は、外に流れ出すことを得ないでおのれのうちに溝《みぞ》を掘り、外にひろがることを得ないでおのれのうちを深く掘る。かくして生ずるものは、幻、仮定、推測、空想のローマンス、楽しい冒険、奇怪な想像、心の奥の暗闇《くらやみ》のうちに建てられる殿堂、鉄の扉《とびら》が開けてはいれるようになると直ちに熱情が宿る暗い秘密の住居。修道院は一つの抑圧であって、人の心に打ちかたんためには一生連続していなければならない。
修道院を出たコゼットにとっては、プリューメ街の家ほど楽しいまた危険なものはなかった。寂寥《せきりょう》は続きながら加うるに自由が始ったのである。庭は閉ざされていたが、自然は軽快で豊かで放逸で香気を発していた。修道院と同じ夢想にふけりながら、しかも若い男子の姿がのぞき見られた。同じく鉄門がついてはいたが、しかしそれは街路に向かって開いていた。
けれども、なお繰り返して言うが、そこにきた時彼女はまだ子供にすぎなかった。ジャン・ヴァルジャンはその荒れはてた庭を彼女の手にゆだねた。「好きなようにするがいい」と彼は言った。それはコゼットを喜ばした。彼女はそこで、叢《くさむら》をかき回し石を起こし「獣」をさがし、夢想しながら遊び回った。足下に草の間に見いださるる昆虫《こんちゅう》を見てはその庭を愛し、頭の上に木の枝の間に見らるる星をながめてその庭を愛した。
それからまた彼女は、自分の父すなわちジャン・ヴァルジャンを心から愛し、清い孝心をもって愛し、ついにその老人を最も好きな喜ばしい友としていた。読者の記憶するとおりマドレーヌ氏は多く書物を読んでいたが、ジャン・ヴァルジャンとなってもその習慣をつづけていた。それで彼は話がよくできるようになった。彼は自ら進んで啓発した謙譲な真実な知力の人知れぬ富と雄弁とを持っていた。彼にはちょうどその温良さを調味するだけの森厳さが残っていた。彼はきびしい精神であり穏和な心であった。リュクサンブールの園で対話中、彼は自ら読んだものや苦しんだもののうちから知識をくんできて、あらゆることに長い説明を与えてやった。そして彼の話を聞きながら、コゼットの目はぼんやりとあたりをさ迷っていた。
自然のままの庭でコゼットの目には十分であったように、その単純な老人で彼女の頭には十分だった。蝶《ちょう》のあとを追い回して満足した時、彼女は息を切らしながら彼のそばにやってきて言った。「ああほんとによく駆けたこと!」すると彼は彼女の額に脣《くちびる》をつけてやった。
コゼットはその老人を敬愛していた。そしていつもその跡を追った。ジャン・ヴァルジャンがいさえすればどこでも楽しかった。ジャン・ヴァルジャンは母屋《おもや》にも表庭にもいなかったので、彼女には、花の咲き乱れた園よりも石の舗《し》いてある後ろの中庭の方が好ましく、綴紐《とじひも》のついた肱掛《ひじか》け椅子《いす》が並び帷《とばり》がかかってる大きな客間よりも藁椅子《わらいす》をそなえた小さな小屋の方が好ましかった。ジャン・ヴァルジャンは時とすると、うるさくつきまとわれる幸福にほほえみながら彼女に言うこともあった。「まあ自分の家《うち》の方へおいで。そして私を少しひとりでいさしておくれ。」
娘から父親に向けて言う時にはいかにも優雅に見えるかわいいやさしい小言《こごと》を、彼女はよく彼に言った。
「お父様、私あなたのお部屋《へや》では大変寒うございますわ。なぜここに絨毯《じゅうたん》を敷いたりストーブを据えたりなさらないの。」
「でもお前、私よりずっとすぐれた人で身を置く屋根も持たない者がたくさんあるんだからね。」
「ではどうして私の所には、火があったり何でも入用なものがあったりしますの。」
「それはお前が女で子供だからだよ。」
「まあ、それでは男の人は寒くして不自由していなければなりませんの。」
「ある人はだよ。」
「よござんすわ、私しょっちゅうここにきていて火をたかなければならないようにしてあげますから。」
それからまたこういうことも彼女は言った。
「お父様、どうしてあなたはそんないやなパンをお食べなさるの。」
「ただ食べていたいからだよ。」
「ではあなたがお食べなさるなら、私もそれを食べますわ。」
すると、コゼットが黒パンを食べないようにと、ジャン・ヴァルジャンも白いパンを食した。
コゼットは小さい時のことはただぼんやりとしか覚えていなかった。彼女は朝と晩に、顔も知らない母のためにお祈りをした。テナルディエ夫婦のことは、夢に見た二つの恐ろしい顔のようにして心の中に残っていた。「ある日、晩に、」森の中へ水をくみに行ったことがあるのを、彼女は覚えていた。パリーからごく遠い所だったと思っていた。初めはひどい所に住んでいたが、ジャン・ヴァルジャンがきて自分をそこから救い出してくれたように考えられた。小さい時のことは、まわりに百足虫《むかで》や蜘蛛《くも》や蛇《へび》ばかりがいた時代のように思われた。また自分はジャン・ヴァルジャンの娘でありジャン・ヴァルジャンは自分の父であるということについて、ごくはっきりした観念は持っていなかったので、夜眠る前にいろいろ夢想していると、母の魂がその老人のうちにはいってきて自分のそばにとどまってくれるような気がした。
ジャン・ヴァルジャンがすわっている時、彼女はよく頬《ほお》をその白い髪に押しあてて、ひそかに一滴の涙を流して自ら言った、「この人が私のお母様かも知れない!」
こういうことを言うのはおそらく異様かも知れないが、コゼットは修道院で育てられたまったく無知な娘であったから、また母性なるものは処女には絶対に知り得べからざるものであるから、ついに彼女は自分はごく少しの母しか持っていないと考えるようになった。そういう少しの母を、彼女は名前さえ知らなかったのである。それをジャン・ヴァルジャンに尋ねてみることもあったが、ジャン・ヴァルジャンはいつも黙っていた。その問いを繰り返すと、彼はただ笑顔で答えた。かつてしつこく尋ねたこともあったが、その時彼の微笑は涙に変わってしまった。
ジャン・ヴァルジャンのそういう沈黙は、ファンティーヌを闇《やみ》でおおい隠していた。
それは用心からであったろうか、敬意からであったろうか、あるいはまた自分以外の者の記憶にその名前をゆだねることを恐れたからであったろうか?
コゼットが小さかった間は、ジャン・ヴァルジャンは好んで彼女に母のことを語ってきかした。しかしコゼットが相当な娘になると、彼にはそれができなくなった。彼にはもうどうしても語り得ないような気がした。それはコゼットのためにであったろうか、あるいはファンティーヌのためにであったろうか? その影をコゼットの考えのうちに投ずることに、また第三者たる死人をふたりの運命のうちに入れることに、彼は一種の敬虔《けいけん》な恐れを感じていた。その影が彼にとって神聖であればあるほど、ますますそれは恐るべきもののように彼には思えた。ファンティーヌのことを考えると、沈黙を強いらるるような気がした。脣《くちびる》にあてた指に似てるあるものを、彼はおぼろげに闇の中に認めた。ファンティーヌのうちにあったがしかも生前彼女のうちから残酷に追い出された貞節は、死後彼女の上に戻ってき、憤然として死せる彼女の平和をまもり、厳として墓中に彼女を見張っていたのではあるまいか。ジャン・ヴァルジャンは自ら知らずして、その圧迫を受けていたのではあるまいか。死を信頼するわれわれは、この神秘的な説明を排斥し得ないのである。かくてファンティーヌという名前は、コゼットに向かってさえ口に出せなくなる。
ある日コゼットは彼に言った。
「お父様、私は昨夜《ゆうべ》夢の中でお母様に会いました。大きな二つの翼を持っていらしたの。お母様は生きていらした時からきっと、聖者になっていらしたのね。」
「道のために苦しまれたから。」とジャン・ヴァルジャンは答えた。
その他では、ジャン・ヴァルジャンは幸福であった。
コゼットは彼とともに外に出かける時、いつも彼の腕によりかかって、矜《ほこ》らかに楽しく心満ち足っていた。かく彼一人に満足してる排他的な愛情の現われを見ては、彼も自分の考えが恍惚《こうこつ》たる喜びのうちにとけてゆくのを感じた。あわれなるこの一老人は、天使のごとき喜悦の情に満ちあふれて身を震わし、これは生涯続くであろうと我を忘れて自ら断言し、かかる麗わしい幸福に価するほど自分はまだ十分に苦しまなかったと自ら言い、そして心の底で、みじめなる自分がこの潔白なる者からかくも愛せらるるのを許したもうたことを、神に向かって感謝した。
五 薔薇《ばら》は自ら武器たることを知る
ある日、コゼットはふと自分の顔を鏡の中に映して見て、自ら言った、「まあ!」どうやら自分がきれいらしく思えたのであった。それは彼女を妙な不安のうちにおとしいれた。その時まで彼女は、自分の顔のことはかつて思っても見なかった。鏡をのぞいたことはあるが、よく自分の顔を見もしなかった。またしばしば、人から醜いと言われていた。ひとりジャン・ヴァルジャンだけは、「いや、どうして!」と静かに言っていた。それでもとにかく、コゼットは自分を醜いものと常に信じ、子供心のたやすいあきらめをもってそういう考えのうちに成長した。しかるに今突然、鏡はジャン・ヴァルジャンと同じく彼女に言った、「いや、どうして!」彼女はその晩眠れなかった。彼女は考えた、「もし私がきれいだったらどうだろう。私がきれいだなんてほんとにおかしなことだが!」そして、きれいなので修道院での評判となっていた仲間のだれ彼の事を思い出して、自ら言った、「まあ、私はあの人のようになるのかしら!」
翌日彼女は、こんどはわざわざ鏡に映して見た、そして疑った。彼女は言った、「昨日私はどうしてあんな考えになったのかしら。いいえ私はぶきりょうだわ。」けれども彼女は眠りが足りないだけだった。目がくぼみ色が青ざめていた。自分のきれいなのを信じても前日はそう喜ばしくなかったが、今はそう信ずることができないのを悲しく思った。それから後はもう鏡を見なかった。そして半月以上もの間、つとめて鏡に背中を向けて髪を結った。
夕方、食事の後には、彼女はたいてい客間で刺繍《ししゅう》をしたり、あるいは修道院で覚えた何かの仕事をしていた。ジャン・ヴァルジャンはそのそばで書物を読むのが常だった。ところがある時、彼女はふと仕事から目をあげると、父が自分をながめてる不安らしい様子に驚かされたことがあった。
またある時、街路を通っていると、姿は見えないがだれかが自分の後ろで言ってるのが聞こえるようだった、「きれいだ、しかし服装《なり》はよくない。」彼女は考えた、「なに私のことではあるまい。私は服装はいいがきれいではない。」その時彼女は、ペルシの帽をかぶりメリノラシャの長衣を着ていた。
またある日、庭に出ていると、老婢のトゥーサンがこう言っているのを耳にした、「旦那様《だんなさま》、お嬢様はきれいにおなりなさいましたね。」コゼットは父が何と答えたか耳にはいらなかった。トゥーサンの言葉は彼女の心に激動を与えた。彼女は庭から逃げ出し、自分の室《へや》に上ってゆき、もう三カ月ものぞかなかった鏡の所へ駆け寄った、そして叫び声を立てた。彼女は眩惑《げんわく》したのである。
彼女は美しくてきれいだった。トゥーサンの意見や鏡の示す所に同意せざるを得なかった。身体は整い、皮膚は白くなり、髪の毛にはつやが出て、これまで知らなかった光が青い瞳《ひとみ》に輝いていた。自分は美しいという確信が、ま昼のように曇る所なくたちまちわいてきた。他人までもそれを認めていた。トゥーサンはそれを口に出して言い、またあの通行人が言ったことも確かに自分についてだった。もはや疑う余地はなかった。彼女は庭におりてゆきながら、自ら女王《クイーン》であるような気がし、小鳥の歌うのを聞き、冬のこととて金色に輝いた空を見、樹木の間に太陽をながめ、叢《くさむら》の中に花をながめ、名状し難い喜びのうちに我を忘れて酔った。
同時にジャン・ヴァルジャンの方では、深い漠然《ばくぜん》たる心痛を感じていた。
実際彼はその頃、コゼットのやさしい顔の上に日増しに輝き出してくる美しさを、狼狽《ろうばい》しながら見守っていたのである。すべてのものに向かって笑《え》みかける曙《あけぼの》は、彼にとっては悲しみの種であった。
コゼットはずっと以前からきれいになっていたが、自らそれに気づいたのはだいぶたってからだった。しかし、徐々に上ってきてしだいに彼女の全身を包んだその意外な光輝は、初めの日から既にジャン・ヴァルジャンの陰気な目を痛めていた。それは、幸福な生活のうちに、何かが乱されはしないかを恐れてあえて少しも動かしたくないと思っていたほど幸福な生活のうちに、ふいに到来した変化であるように彼には感じられた。彼は既にあらゆる艱難《かんなん》のうちを通りぬけてき、今なお運命の痛手から流るる血にまみれており、かつてはほとんど悪人だったのが今はほとんど聖者となっており、徒刑場の鎖を引きずったあとに今は名状すべからざる汚辱の目には見えないがしかし重い鎖を引きずっており、また法律上放免されていない身の上であり、いつでも捕えられて人知れぬ徳行の世界から公然たる恥辱の白日のうちに引き出されんとする身の上であり、また、すべてを甘受し、すべてを許し、すべてを容赦し、すべてを祝福し、すべてのよからんことをねがい、しかも神や人や法律や社会や自然や世間に向かっては、ただ一事をしか求めていなかったのである、すなわちコゼットが自分を愛してくれるようにという一事を。
ただコゼットが自分を愛し続けてくれるように! この子供の心が自分のもとにやってきて長く留まっていることを、神は妨げたまわないように! コゼットから愛されて彼は、自ら癒《いや》され休められ慰められ満たされ報いられ冠を授けられたように感じていた。コゼットから愛されて彼は幸福であった。それ以上を何も求めなかった。「もっと幸福ならんことを望むか」と言う者があっても、「否」と彼は答えたであろう。「汝は天を欲するか」と神に言われても、「今の方がましである」と彼は答えたであろう。
そういう状態を傷つけるものは、たとい表面だけを少し傷つけるものであっても、何か新たなることが始まるかのように彼をおびえさした。彼はかつて婦人の美なるものが何であるかをよくは知らなかったけれども、ただ恐るべきものであることだけは本能によって了解していた。
自分のそばに、目の前に、子供の単純な恐るべき額の上に、ますます崇高に勢いよく開けてくるその美を、彼は自分の醜さと老年と悲惨と刑罰と憂悶《ゆうもん》との底から、狼狽《ろうばい》して見守った。
彼は自ら言った、「彼女《あれ》はいかにも美しい。この私はどうなるであろう。」
けだしそこに、彼の愛情と母親の愛情との差があった。彼が苦悶をもってながめていたところのものも、母親ならば喜びの情をもってながめたであろう。
最初の兆候はやがて現われ始めた。
コゼットが自ら「まさしく私は美しい」と言った日の翌日から、彼女は服装に注意を払い始めた。彼女は通行人の言葉を思い起こした、「きれいだ、しかし服装《なり》はよくない。」それは一陣の風のような神託であって、彼女の傍《かたわら》を過《よ》ぎり、やがて婦人の全生涯を貫くべき二つの芽の一つを彼女の心に残したまま、どこともなく消え去ってしまった。二つの芽の一つというは嬌態《きょうたい》であって、他の一つは恋である。
自分の美を信ずるとともに、女性的魂はすべて彼女のうちに目ざめてきた。彼女はメリノの長衣をいといペルシの帽子を恥ずかしく思った。父は彼女に決して何物をも拒まなかった。彼女はすぐに、帽子や長衣や肩衣や半靴《はんぐつ》や袖口《そでぐち》やまた自分に似合う布地や色などに関するあらゆる知識を得た。その知識こそは、パリーの女をしていかにも魅力あらしめ趣深からしめまた危険ならしむるものである。妖婦という言葉はパリーの女のために作り出されたものである。
一月とたたないうちに小さなコゼットは、バビローヌ街の人気《ひとけ》少ない所において、パリーの最もきれいな女のひとりとなっていたばかりでなく、それも既に何かではあるが、なおその上にパリーの「最もりっぱな服装《なり》をした」女のひとりとなっていた、これは実に大したことである。彼女は「あの通行人」に出会って、彼が何というかを聞いてみたく、また「彼に見せしめてやりたい」とも思ったかも知れない。実際彼女はすべての点において麗わしく、またジェラールの帽子とエルボーの帽子とをもみごとに見分けることができた。
ジャン・ヴァルジャンは心配しながらそれらの変化をながめていた。地をはうことよりほかは、少なくとも足にて歩くことよりほかは、自分にはできないと自ら感じていた彼が、コゼットに翼のはえてくるのを見たのである。
けれども女には、コゼットの服装をちょっと見ただけで、彼女に母のないことがわかったはずである。ある種の些細《ささい》な作法や、ある種の特別な慣例などを、コゼットは少しも守っていなかった。たとえば、母がいたならば、年若い娘は緞子《どんす》の服などを着るものではないと教えてやったに違いない。
始めて黒緞子の長衣と外套《がいとう》とをつけ白|縮紗《クレープ》の帽子をかぶって外に出かける時、コゼットは喜び勇み笑み得意げに嬉々《きき》としてジャン・ヴァルジャンの腕を執った。「お父様、」と彼女は言った、「こんな服装は私にどうでしょう?」ジャン・ヴァルジャンは苦々《にがにが》しいねたましいような声で答えた。「ほんとにいい。」そして散歩してる間彼はいつものとおりだったが、家に帰るとコゼットに尋ねた。
「あのも一つの長衣と帽子とはもうつけないのかい。」
それはコゼットの室《へや》の中においてだった。コゼットは修道院の寄宿生徒だった時の古衣がかかってる衣服部屋の衣桁《いこう》の方へふり向いた。
「あの着物!」と彼女は言った、「お父様、あれをどうせよとおっしゃるの。まあ、あんないやなものはもう私着ませんわ。あんなものを頭にかぶったら山犬のように見えますもの。」
ジャン・ヴァルジャンは深いため息をついた。
コゼットは以前はいつも家にいたがって、「お父様、私はあなたといっしょに家にいる方がおもしろいんですもの、」と言っていたが、今では絶えず外に出たがるようになったのを、彼が気づいたのはこの時からであった。実際、人に見せるのでなければ、美しい顔を持ちきれいな着物を着ていたとて、それが何の役に立とう。
コゼットがもう後ろの中庭を前ほど好かなくなったことをも、彼はまた気づいた。彼女は今では、好んで表庭の方へ行き、鉄門の前をもいやがらずに歩き回っていた。人に見られることを好まないジャン・ヴァルジャンは、決して表庭に足をふみ入れなかった。彼は犬のように後ろの中庭にばかりいた。
コゼットは自分の美しいことを知って、それを知らない時のような優美さを失った。自分の美を知らない優美さはまた特別なものである。なぜなら、無邪気のために光を添えらるる美は言葉にも尽し難いものであり、自ら知らずして天国の鍵《かぎ》を手にしながら歩を運ぶまばゆきばかりの無心ほど、世に景慕すべきものはない。しかし彼女は、素朴な優美さにおいて失ったところのものを、思いありげな本気な魅力において取り返した。彼女の一身は、青春と無垢《むく》と美との喜びに浸されながら、輝かしい憂愁の様を現わしていた。
マリユスが六カ月の間を置いて再びリュクサンブールの園で彼女を見いだしたのは、ちょうどそういう時期においてであった。
六 戦のはじまり
世間から離れていたコゼットは、やはり世間から離れていたマリユスと同じく、今はただ点火されるのを待つばかりになっていた。運命はそのひそかな一徹な忍耐をもって、両者を徐々に近づけていた。しかもこのふたりは、情熱のわき立つ電気をになって思い焦がれていた。この二つの魂は、雷を乗せた二つの雲のように恋を乗せ、電光の一閃《いっせん》に雲がとけ合うように、ただ一瞥《いちべつ》のうちに互いに接し互いに混和すべきものであった。
ただの一瞥ということは、恋の物語においてあまりに濫用《らんよう》されたため、ついに人に信ぜられなくなった。互いに視線を交じえたために恋に陥ったということを、今日ではほとんど口にする者もない。しかし人が恋に陥るのは、皆それによってであり、またそれによってのみである。その他はやはりその他に過ぎなくて、あとより来るものである。一瞥の火花をかわしながら二つの魂が互いに与え合うその大衝動こそ、最も現実のものである。
コゼットが自ら知らずしてマリユスの心を乱す一瞥を投げた時に、自分の方でもコゼットの心を乱す一瞥を投げたとはマリユスも自ら知らなかった。
彼はコゼットに、自分が受けたと同じ災いと幸福とを与えた。
既に長い以前から彼女は、若い娘がよくするように、よそをながめながらそれとなく彼の方を見、彼の方をうかがっていた。マリユスはまだコゼットを醜いと思っていたが、コゼットの方では既にマリユスを美しいと思っていた。しかし彼が彼女に少しも注意を払わなかったと同様、彼女の方でもその青年に対してどうという考えは持たなかった。
それでも彼女はひそかに思わざるを得なかった、彼が美しい髪と美しい目と美しい歯とを持ってること、その友人らと話すのを聞けば彼の声にはいかにも美しい響きがあること、その歩き方はまあ言わば不器用ではあるがまた独特の優美さを持ってること、どこから見ても愚物ではなさそうであること、その人品は気高くやさしく素朴で昂然《こうぜん》としていること、貧乏な様子ではあるがりっぱな性質らしいことなど。
ついにふたりの視線が出会って、人知れぬ名状し難い最初のことを突然目つきで伝え合った日、コゼットはそれがどういう意味か初めはわからなかった。彼女はジャン・ヴァルジャンがいつものとおり六週間を過ごしにきてるウエスト街の家へ、思いに沈みながら帰っていった。翌朝目をさますと、彼女はまずその知らぬ青年のことを頭に浮かべた。彼は長い間冷淡で氷のようであったが、今は彼女に注意を払ってるらしかった、そしてその注意が快いものだとはどうしても彼女には思えなかった。彼女はその美しい傲慢《ごうまん》な青年に対してむしろ憤激をさえいだいた。戦いの下心が彼女のうちに動いた。これから意趣返しをしてやることができそうな気がして、まだごく子供らしい喜びを感じた。
自分がきれいであることを知っていたので彼女は、漠然《ばくぜん》とではあったが自分に武器があることをよく感じていた。子供がナイフをもてあそぶように女は自分の美をもてあそぶ。そしてついには自ら傷つくものである。
マリユスの躊躇《ちゅうちょ》や恐れや胸の動悸《どうき》などは、読者の記憶するところであろう。彼は自分のベンチに腰を据えて近寄ってゆかなかった。それはコゼットに不快を与えた。ある日彼女はジャン・ヴァルジャンに言った、「お父様、少し向こうへ歩いてみましょうか。」マリユスが少しも自分の方へこないのを見て、彼女は自分の方から彼の所へやって行った。こういう場合は、女は皆マホメットに似るものである。そして妙なことではあるが、真の恋の最初の兆候は、青年にあっては臆病《おくびょう》さであり、若い女にあっては大胆さである。考えると不思議ではあるが、しかし実は当然すぎることである。すなわち両性が互いに接近せんとして互いに性質を取り替えるからである。
その日、コゼットの一瞥《いちべつ》はマリユスを狂気させ、マリユスの一瞥はコゼットを震えさした。マリユスは信念を得て帰ってゆき、コゼットは不安をいだいて帰っていった。その日以来、彼らは互いに景慕し合った。
コゼットが最初に感じたものは、漠然《ばくぜん》とした深い憂愁だった。直ちに自分の心がまっくらになったような気がした。もう自分で自分の心がわからなくなった。年若い娘の心の白さは、冷淡と快活とから成ってるもので雪に似ている。その心は恋にとける、恋はその太陽である。
コゼットは愛ということを知らなかった。現世的の意味で愛という言葉が言わるるのをかつて聞いたことがなかった。俗世の音楽書にあるアムール(愛)という音は、修道院の中にはいって行くとタンブール(太鼓)もしくはパンドゥール(略奪者)と代えられていた。「ああタンブールとはどんなにか楽しいことでしょう!」とか、「憐愍《れんびん》はパンドゥールではありません!」とかいうような言葉は、姉さまたちの想像力を鍛う謎《なぞ》となっていた。しかしコゼットはまだごく若いうちに修道院を出たので、「タンブール」なんかにあまり頭を悩まさなかった。それで彼女は、今感じていることに何という名前を与えていいかわからなかった。しかし病名を自ら知らなければそれだけ病気が軽いといういわれはない。
彼女は恋ということを知らずに恋しただけになおいっそうの情熱をもって恋した。それはいいものか悪いものか、有益なものか危険なものか、必要なものか致命的なものか、永遠なものか一時的なものか、許されたものか禁ぜられたものか、それを少しも知らなかった。そしてただ恋した。もしこう言われたら彼女は非常に驚いたであろう。「お前は夜眠れないって、それはよろしくない。お前は物が食べられないって、それはごく悪い。お前は胸が苦しかったり動悸《どうき》がしたりするって、そんなことがあってはいけない。黒い服を着たある人が緑の道の一端に現われると、お前は赤くなったり青くなったりするって、それはけしからんことだ。」彼女はそのゆえんがわからないでこう答えたであろう。「自分でどうにもできませんしまた何にもわかりませんのに、どうして私に悪いところがあるのでしょう?」
彼女に現われてきた恋は、ちょうど彼女の心の状態に最も適したものだった。それは一種の遠方からの景慕であり、ひそかな沈思であり、知らぬ人に対する跪拝《きはい》であった。青春の前に現われた青春の幻であり、夢の状態のままでローマンスとなった夜の夢であり、長く望んでいた幻影がついに事実となって肉をそなえながら、しかもまだ名もなく不正もなく汚点もなく要求もなく欠陥もないままの状態にあるものだった。一言にして言えば、理想のうちに止まってる遠い恋人であり、一つの形体をそなえた空想であった。もっと具体的なもっと近接した邂逅《かいこう》であったなら、修道院の内気な靄《もや》の中にまだ半ば浸っていたコゼットを、初めのうち脅かしたことであろう。彼女は子供の恐怖と修道女の恐怖とをすべて合わせ持っていた。五年の間に彼女にしみ込んだ修道院的精神は、なお静かに彼女の一身から発散していて、あたりのものを震えさしていた。そういう状態にある彼女に必要なものは、ひとりの恋人ではなく、ひとりの愛人でもなく、一つの幻であった。彼女はマリユスを、光り輝いた非現実的な心ひかるるある物として景慕し始めたのである。
極端な無邪気は極端な嬌態《きょうたい》に近い。彼女は彼にごく素直にほほえんでみせた。
彼女は毎日散歩の時間を待ち焦がれ、散歩に行くとマリユスに会い、言い知れぬ幸福を感じ、そして自分の心をそっくりいつわらずに言い現わしてるつもりでジャン・ヴァルジャンに言った。
「このリュクサンブールは何という気持ちのいい園でしょう!」
マリユスとコゼットとふたりの間は、まだ暗闇《くらやみ》の中にあった。彼らは互いに言葉もかわさず、おじぎもせず、近づきにもなっていなかった。そしてただ顔を見合ってるだけだった。あたかも数百万里へだたってる空の星のように、互いに視線を合わせるだけで生きていた。
そのようにしてコゼットは、しだいに一人前の女となり、自分の美を知りながら自分の恋を知らずに、美と愛とのうちに生長していった。その上にまた、無心より来る嬌態《きょうたい》を持っていた。
七 悲しみは一つのみにとどまらず
あらゆる情況には固有の本能がある。古い永劫《えいごう》の母なる自然は、マリユスの存在をひそかにジャン・ヴァルジャンに告げ知らした。ジャン・ヴァルジャンは心の最も薄暗い底で身を震わした。彼は何も見ず何も知らなかったけれど、一方に何かが建設されるとともに、他方に何かがこわれてゆくのを感じたかのように、自分を囲む暗黒を執拗《しつよう》な注意でながめた。マリユスの方でもまたある事を感知し、神の深遠なる法則として同じく永劫の母なる自然から教えられて、「父」の目を避けるためにできる限り注意をした。けれども時としては、ジャン・ヴァルジャンの目に止まることがあった。マリユスの態度はもうまったく自然ではなくなっていた。彼の様子には怪しい慎重さと下手《へた》な大胆さとがあった。彼は以前のようにすぐ近くにはもうやってこなかった。遠くに腰をおろして恍惚《こうこつ》としていた、書物をひらいてそれを読むようなふうをしていた。そしてそんなふうを装うのはいったいだれに対してだったか? 昔は古い服を着てやってきたが、今では毎日新しい服を着ていた、髪の毛をわざわざ縮らしたらしくもあった、変な目つきをしていた、手袋をはめていた。要するにジャン・ヴァルジャンは心からその青年をきらった。
コゼットは何事もさとられないようにしていた。どうしたのかよくわからなかったけれども、何かが起こったことを、そしてそれを隠さなければならないことを、心にはっきり感じていた。
コゼットに現われてきた服装上の趣味とあの未知の青年が着始めた新しい服との間には、ジャン・ヴァルジャンにとって不安な一致があった。おそらくは、いや疑いもなく、いや確かに、それは偶然の符合であろう、しかし意味ありげな偶然である。
彼はその未知の青年についてはコゼットに決して一言も言わなかった。けれどもある日、彼はもうたえ得ないで、自分の不幸のうちに急に錘《おもり》を投げ込んで探ってみるような漠然《ばくぜん》たる絶望の念で、彼女に言った。「あの青年は実に生意気なふうをしている。」
一年前であったら、コゼットはまだ無関心な小娘であって、こう答えたであろう、「いいえ、あの人はきれいですわ。」十年後であったら、彼女はマリユスに対する愛を心にいだいて、こう答えたであろう、「生意気で見るのもいやですわ、ほんとにおっしゃるとおりです。」しかし現在の年齢と気持とにある彼女は、澄まし切ってただこう答えた。
「あの若い人が!」
それはあたかも今始めて彼を見るかのような調子だった。
「ばかなことをしたものだ!」とジャン・ヴァルジャンは考えた。「娘は彼に気づいてもいなかったのだ。それをわざわざ私の方から教えてやるなんて!」
老人の心の単純さよ、子供の心の深奥さよ!
若い娘はいかなる罠《わな》にもかからぬが若い男はいかなる罠にも陥るのは、苦しみ悩む初心の頃の通則であり、最初の障害に対する初恋の激しい争いの通則である。ジャン・ヴァルジャンはマリユスに対してひそかに戦いを始めたが、マリユスはその情熱と若年との崇高な愚昧《ぐまい》さでそれを少しも察しなかった。ジャン・ヴァルジャンは彼に対して多くの陥穽《かんせい》を設けた。彼はリュクサンブールへやって来る時間を変え、ベンチを変え、ハンケチを置いてゆき、また一人でやってきたりした。マリユスはそれらの罠につまずいた。ジャン・ヴァルジャンが途上に据えた疑問点に対して正直にしかりと答えた。けれどもコゼットは、外観の無心さと乱し難い落ち着きとのうちに閉じこもっていた。それでジャン・ヴァルジャンはこういう結論に達した。「あのばか者はコゼットを思い込んで夢中になっている。しかしコゼットは彼のいることさえも知らないでいる。」
それでも彼はなお心のうちに悲しい戦慄《せんりつ》を感じた。コゼットが恋を知る時はいつ到来するかも知れなかった。何事も初めは無関心なものではないか。
ただ一度、コゼットは失策をして彼を驚かした。三時間も止まっていた後に彼はベンチから立ち上がって帰ろうとした。その時コゼットは言った、「もうですか!」
ジャン・ヴァルジャンはリュクサンブールへの散歩をとめはしなかった。何もきわ立ったことをしたくなかったのと、またことにコゼットの注意をひくのを恐れたからである。しかしコゼットはマリユスに微笑を送り、マリユスはそれに酔いそれだけに心を奪われ、今はただ光り輝く愛する顔のほかは世に何物をも見ないで、ふたりの愛人にとってのいかにも楽しい時間が続いたが、その間ジャン・ヴァルジャンは、恐ろしい光った目をマリユスの上に据えていた。ついにもはや悪意ある感情をいだくことはなくなったと自ら信じている彼にも、マリユスがそこにいる時には、再び野蛮に獰猛《どうもう》になるのを感ずる瞬間があって、昔多くの憤怒を蔵していた古い心の底が、その青年に対してうち開きわき上がってくるのを感じた。あたかも未知の噴火口が自分のうちに形成されつつあるかのように思われるのだった。
ああ、あの男がそこにいる。何をしにきているのか。彷徨《ほうこう》しかぎ回りうかがい試しにきてるのだ。そして言っている、「へん、どうしてそれがいけないというのか。」彼はこのジャン・ヴァルジャンの所へやってきて、その生命のまわりを徘徊《はいかい》し、その幸福のまわりを徘徊して、それを奪い去ろうとしているのだ。
ジャン・ヴァルジャンはつけ加えて言った。「そうだ、それに違いない! いったい彼は何をさがしにきているのか。一つの恋物語をではないか。何を求めているのか。ひとりの愛人をではないか。愛人! そしてこの私は! ああ、最初には最もみじめな男であり次には最も不幸な男であった後、六十年の生涯をひざまずいて過ごしてきた後、およそ人のたえ得ることをすべてたえ忍んできた後、青春の時代を知らずに直ちに老年になった後、家族もなく親戚もなく友もなく妻もなく子もなくて暮らしてきた後、あらゆる石の上に、荊棘《いばら》の上に、辺境に、壁のほとりに、自分の血潮をしたたらしてきた後、他人よりいかに苛酷《かこく》に取り扱われようとも常に温和であり、いかに悪意に取り扱われようとも常に親切であった後、いっさいのことを排して再び正直な人間となった後、自分のなした害悪を悔い改め、身に加えられた害悪を許した後、今やようやくにしてそのむくいを得ている時に、すべてが終わっている時に、目的に到達している時に、欲するところのものを得ている時に、しかもそれは至当であり正しきものであり、自らその価を払って得たものである時に当たって、すべては去り、すべては消えうせんとするのか。コゼットを失い、自分の生命と喜びと魂とを失わんとするのか。そしてそれもただひとりのばか者がリュクサンブールの園にきて徘徊《はいかい》し出したがためである!」
かくて彼の瞳《ひとみ》は、悲しいまた尋常ならぬ輝きに満ちてきた。それはもはや他の男を見つむるひとりの男ではなく、敵を見つむるひとりの仇《あだ》ではなく、盗賊を見つむる一匹の番犬であった。
それより先のことは読者の知るところである。マリユスはなお続けて無鉄砲であった。ある日彼はウエスト街までコゼットの跡をつけた。またある日は門番に尋ねてみた。門番の方でもまた口を開いてジャン・ヴァルジャンに言った。「旦那様《だんなさま》、ひとりの変な若者があなたのことを尋ねていましたが、あれはいったい何者でしょう!」その翌日ジャン・ヴァルジャンはマリユスに一瞥《いちべつ》を与えたが、マリユスもついにそれに気づいた。一週間の後にジャン・ヴァルジャンはそこを去った。リュクサンブールへもウエスト街へも再び足をふみ入れまいと自ら誓った。彼はプリューメ街へ戻った。
コゼットは不平を言わなかった、何事も言わなかった、疑問を発しもしなかった、理由を知ろうともしなかった。彼女はもはや、意中がさとられはしないかを恐れ秘密がもれはしないかを恐れるほどになっていた。ジャン・ヴァルジャンはその種の不幸には少しも経験を持たなかった。それこそ世に可憐《かれん》なる唯一の不幸であり、しかも彼が知らない唯一の不幸であった。その結果彼はコゼットの沈黙の重大な意味を少しもさとらなかった。ただ彼はコゼットが寂しげな様子になったのを認めて、自分も陰鬱《いんうつ》になった。両者いずれにも無経験な暗闘があった。
一度彼はためしてみた。彼はコゼットに尋ねた。
「リュクサンブールへ行ってみようか?」
一条の光がコゼットの青白い顔を輝かした。
「ええ。」と彼女は言った。
ふたりはそこへ行った。三月《みつき》も経た後であった。マリユスはもうそこへ行ってはいなかった。マリユスはそこにいなかった。
翌日ジャン・ヴァルジャンはコゼットに尋ねた。
「リュクサンブールへ行ってみようか?」
彼女は悲しげにやさしく答えた。
「いいえ。」
ジャン・ヴァルジャンはその悲しい調子にいら立ち、そのやさしい調子に心を痛めた。
まだ年若いがしかも既に見透かし難いこの精神のうちには何が起こったのか。いかなることが遂げられつつあったのか。コゼットの魂には何が到来しつつあったのか。時とするとジャン・ヴァルジャンは、寝もやらず寝床のそばにすわって両手に額をうずめ、そのまま一夜を明かしながら自ら尋ねた、「コゼットは何を考えているのだろう。」そしてコゼットが考えそうなことをあれこれと思いめぐらした。
そういう時に彼は、修道院生活の方へ、あの清浄なる峰、あの天使の住居、あの達すべからざる高徳の氷山の方へ、いかに悲しい目を向けたことか! 世に知られない花と閉じこめられた処女とに満ち、あらゆる香気と魂とがまっすぐに天の方へ立ちのぼっている、あの修道院の庭を、絶望的な喜悦をもって彼はいかに思いやったことか。自ら好んで去り愚かにもぬけ出してきたあの永遠に閉ざされたるエデンの園を、いかに彼は今賛美したことか。自分の献身のためにかえってつかまれ投げ倒されたあわれむべき犠牲の勇士たる彼は、コゼットを世に連れ戻した自分の克己と愚挙とを、いかに今後悔したことか。いかに彼は自ら言ったか、「何たることを自分はしたのであろう。」
けれどもそれらのことはコゼットに対しては少しも示されなかった。何らの不きげんも厳酷もなかった。常に朗らかな親切な同じ顔つきであった。ジャン・ヴァルジャンの様子には平素に増したやさしみと親愛さとがあった。もし彼の喜びが減じたことを現わすものがあるとすれば、それは彼の温良さが増したことであった。
コゼットの方は元気を失ってきた。彼女はただ何というわけもなく妙に、マリユスのいるのを喜んだと同様にまたマリユスのいないのを悲しく思った。ジャン・ヴァルジャンがいつもの散歩に連れて行ってくれなくなった時、女性の本能は心の底で彼女に漠然《ばくぜん》とささやいた、リュクサンブールに行きたいような様子をしてはいけないと、そしてまた、どうでもいいようなふうをしていたならば父は再び連れて行ってくれるであろうと。しかし日は過ぎ、週は過ぎ、月は過ぎた。ジャン・ヴァルジャンはコゼットの無言の承諾を暗黙のうちに受け入れていた。彼女はそれを後悔した。既に時機を失していた。彼女がリュクサンブールへ戻って行った時、マリユスはもうそこにいなかった。マリユスはいなくなってしまったのだ、万事は終わったのだ、どうしたらいいだろう? またいつか再び会えることがあるだろうか。彼女は心が痛むのを感じた、そしてそれは何物にも癒《いや》されることがなく、日ごとに度を増していった。彼女はもはや冬であるか夏であるかを知らず、日が照っているか雨が降っているかを知らず、小鳥がさえずっているかどうか、ダリアの季節であるか雛菊《ひなぎく》の季節であるか、リュクサンブールの園はテュイルリーの園よりも美しいかどうか、洗たく屋が持ってきたシャツは糊《のり》がききすぎているか足りないか、トゥーサンは「買い物」を上手《じょうず》にやったか下手《へた》にやったか、彼女にはいっさいわからなかった。そして彼女は打ちしおれ、魂を奪われ、ただ一つの考えにばかり心を向け、ぼんやりと一つ所に据わった目つきをして、幻が消え失せた跡の黒い深い場所を暗夜のうちに見つめてるかのようだった。
けれども、彼女の方でもまた、顔色の悪くなったことのほかは何事もジャン・ヴァルジャンに知れないようにした。彼女はやはり彼に対してやさしい顔つきをしてみせた。
しかしその顔色の悪いことだけで、ジャン・ヴァルジャンの心をわずらわすには余りあるほどだった。時とすると彼は尋ねた。
「どうしたんだい?」
彼女は答えた。
「どうもしませんわ。」
そしてちょっと黙った後、彼もまた悲しんでるのを彼女は察したかのように言った。
「そしてあなたは、お父様、どうかなすったのではありませんか。」
「私が? いや何でもないよ。」と彼は言った。
あれほどお互いのみを愛し合い、しかもあれほど切に愛し合っていたふたり、互いにあれほど長く頼り合って生きてきたふたりは、今やいずれも苦しみながら、互いに苦しみの種となりながら、互いにうち明けもせず怨みもせず、ほほえみ合っていたのである。
八 一連の囚徒
ふたりのうちでより多く不幸な方はと言えば、それはジャン・ヴァルジャンであった。青春の間は悲嘆のうちにあっても常に独特な光輝を有するものである。
おりおりジャン・ヴァルジャンはひどく心を苦しめて子供のようになることがあった。人の子供らしい半面を現わさせるのは、悲痛の特色である。彼はコゼットが自分から逃げ出そうとしているという感じを打ち消すことができなかった。彼はそれと争い、彼女を引き止め、何か花々しい外部的なことで彼女を心酔させようとした。そういう考えは、今言ったとおり子供らしいものであり、また同時に老人らしいものであるが、彼はかえってその幼稚さのために、金モールが若い娘の想像力におよぼす力をかなりよくさとった。彼はある時偶然に、パリーの司令官たる伯爵クータール将軍が、正装をして馬上で街路を通るのを見た。彼はその金ぴかで飾られてる人をうらやんだ、そして自ら言った。「一点の非もないあのりっぱな服をつけることができたらどんなにか幸福であろう。自分があんな様子をしてるところをコゼットに見せたら、彼女はそれに心を奪われてしまうだろう。そしてコゼットに腕を貸してテュイルリー宮殿の門の前を通ったら、兵士らは自分に捧《ささ》げ銃《つつ》をしてくれるだろう。それでコゼットにはもう十分で、若い男などに目をつけるというような考えをなくしてしまうだろう。」
ところがそういう悲しい考えに沈んでいるうちに、思いがけない打撃が起こってきた。
ふたりが送っていた孤独な生活のうちに、プリューメ街に住むようになってから、一つ習慣ができてきた。彼らは時々、日の出を見に行くために野遊びをやった。それこそ、世に出でんとする者と世を去らんとする者とにふさわしい穏やかな楽しみであった。
早朝の散歩は、寂寞《せきばく》を好む者にとっては、夜間の散歩と同じであり、しかも自然の快活を添加したものである。往来には人影もなく、しかも小鳥は歌っている。自身小鳥のようなコゼットは、好んで朝早く目をさました。朝の散歩はいつも前日から計画された。彼が言い出すと彼女が同意した。何か大事件のように手はずを定めて、二人は夜明け前に出かけたが、それがコゼットには楽しみだった。そういう事かわった無邪気なことは青春時代には喜ばしいことである。
読者の知る通りジャン・ヴァルジャンは、人の少ない所、寂しい片すみ、世に知られない場所などに、足を向けるのが癖だった。当時パリーの市門の近くには、市街と交錯した貧しい畑地があって、夏にはやせた麦が伸び、秋には収穫がすんだ後、刈り取られたというよりも皮をはがれたようなありさまをしていた。ジャン・ヴァルジャンは好んでそういう所へ行った。コゼットもそこを少しもいとわなかった。それは彼にとっては寂寞であり、彼女にとっては自由であった。そこで彼女は再び少女に戻り、走り回ったり嬉戯《きぎ》したりまでして、帽子をぬぎ、それをジャン・ヴァルジャンの膝《ひざ》の上に置き、そして花を摘んだ。彼女は花の上にとまってる蝶《ちょう》をながめたが、それを捕えはしなかった。やさしみとあわれみとは恋とともに生まれる。うち震うもろい理想を心にいだく若い娘は、蝶の翼にも情けをかける。美人草の花輪をつくって頭にのせると、日の光が縦横にさし込んで、燃えるように真紅になり、彼女の薔薇色《ばらいろ》の清々《すがすが》しい顔に炎の冠をかぶせるのであった。
ふたりの生活が悲しみの中に沈んだ後も、彼らはなおその早朝の散歩の習慣を続けていた。
そして十月のある朝、一八三一年の秋の深い清朗さに誘われて、二人は家を出で、朝早くメーヌ市門のほとりにやって行った。まだ日の出の頃ではなくて払暁の頃で、快いしかも荒々しい時刻であった。白みがかった深い青空には五、六の星座がそこここに点在し、地はまっ黒であり、空はほの白く、草の葉にはかすかな震えがあって、至るところに黎明《れいめい》の神秘な戦慄《せんりつ》があった。星と交わるような雲雀《ひばり》が一つ、非常な高い所で歌っていて、その小さなものが無窮に向かって発する賛歌は広大無辺の空間を静めてるかのようであった。東の方にはヴァル・ド・グラース病院の建物が、刃物のような光のある地平線の上に、暗いがっしりした姿を浮き出さしていて、その丸屋根の向こうにはひらめく暁《あけ》の明星がかかっていて、まっくらな伽藍《がらん》からぬけ出してきた霊魂のようであった。
すべては平和で静まり返っていた。大道には人影もなく、ただ下手《しもて》の方に、仕事に出かける一、二の労働者の姿がぼんやり見えていた。
ジャン・ヴァルジャンは側道《わきみち》のうちに、建築材置き場の門の所に置いてある木材の上に腰をおろしていた。彼は顔を往来の方に向け、背中を東に向けていた。そしてやがて出ようとする太陽のことも忘れ、精神は頭に集まって物も見ずあたかも四壁に囲まれたにも等しい深い沈思のうちに陥っていた。およそ瞑想《めいそう》のうちには垂直な瞑想とも称し得べきものがある。その底に陥ると再び地上に戻るには時間を要する。ジャン・ヴァルジャンはちょうどそういう夢想のうちに陥っていた。コゼットのこと、彼女と自分との間に何物もはいってこなければ幸福が長く続くであろうこと、彼女が自分の生命のうちにみなぎらしてくれる光明、自分の魂の呼吸たる光明のこと、それらを彼は考えていた。彼はその夢想のうちにほとんど幸福であった。コゼットは彼のそばに立って、薔薇色《ばらいろ》に染められてゆく雲をながめていた。
突然コゼットは声をたてた、「お父様、だれか向こうに来るようです。」ジャン・ヴァルジャンは目をあげた。
コゼットの言うとおりだった。
昔のメーヌ市門へ通ずる大道は、人の知る通り、セーヴル街を延長して、郭内の大通りと直角に交わっている。その大道と大通りとの角《かど》、交差点《こうさてん》をなしてる所に、早朝にはいぶかしい響きがして、入り乱れた混雑の様が現われてきた。何ともわからない変なかっこうのものが、大通りから大道の方へ進んできた。
それはしだいに大きくなって、秩序を立てて進んでるようだったが、それでも角立って動揺していた。馬車のようでもあったが、積み荷は何やらわからなかった。馬と車輪と叫び声とが聞こえて、鞭《むち》の音も響いていた。そのうちに、闇《やみ》の中にまだのまれてはいたが輪郭がしだいにはっきりしてきた。果たして一つの馬車であって、大通りから大道へ曲がって、ジャン・ヴァルジャンの近くの市門の方へ進んできた。第一のものの次には同じような第二のものがやってきて、それから第三第四と続いていて、七つの馬車が、馬の頭は前の車に接するくらいになって相次いで現われた。それらの車の上には人の形が動いていた。黎明《れいめい》の明るみのうちに透かし見ると、抜き身のサーベルらしいひらめきも見え、鉄の鎖を動かしてるような響きも聞こえた。それがしだいに進んでき、人声が高くなった。ちょうど夢の洞穴《どうけつ》からでも出てきたような恐ろしいものだった。
近づくにつれてそれははっきりした形となり、幽霊のような青い色をして並み木の向こうに浮き出してきた。全体がほの白く見えてきた。しだいに明け渡ってきた日の光は、その死物のようで同時にいきいきした一群の上に青白い光を投げて、人の頭らしい形のものは死骸《しがい》の頭のように見えてきた。それは次のようなものであった。
七つの馬車が一列をなして大道の上を進んでいた。初めの六つは異様な構造だった。ちょうど樽屋《たるや》の運搬車のようなもので、二つの車輪の上に長い梯子《はしご》を渡してその前端を轅《ながえ》にしたものだった。各馬車には、というよりむしろ各梯子には、相接した四頭の馬がつけられていた。梯子の上には不思議な一群の人が並んでいた。まだ薄暗い明るみの中では、人の形ははっきり見えなくてただそれと察せられるばかりだった。各馬車の上には二十四人の男がいて、両側に十二人ずつ並び、互いに背を向け合って、外の方へ顔を向け、足をぶら下げ、そのまま運ばれていた。その背中には何か音のするものがついていたが、それは鉄の鎖であり、首には何か光るものがついていたが、それは鉄の首輪であった。首輪はひとりに一つずつだったが、鎖は皆に共通だった。それでこの二十四人の男は、馬車からおりて歩くようなことになれば、同一のものに無理に縛られ、鉄の鎖を背骨としてほとんど百足虫《むかで》のように地上をはい回らねばならなかった。各馬車の前後には銃を持ったふたりの男が立っていて、鎖の両端を足下にふまえていた。鉄の首輪は四角なものだった。第七の馬車は、側欄がついて幌《ほろ》がない広い荷車で、四つの車輪と六頭の馬とを持っており、鉄の釜《かま》や鋳物の鍋《なべ》や鉄火鉢《てつひばち》や鉄鎖など音のする荷物を積んで、中には病人らしい数人の男が縛られたまま長く寝ていた。荷車は中まで透かし見られて、昔は責め道具に使ったらしいこわれかかった簀子《すのこ》が張られていた。
それらの車はみな舗石道《しきいしみち》のまんなかを進んでいた。両側にはいやしい様子をした衛兵が二重の垣を作って歩いていた。彼らは皆執政内閣時代の兵士のように三角帽をかぶり、汚点と破れ目とがあり不潔で、老廃兵のような軍服と死体運搬人のようなズボンをまとい、半分は灰色で半分は青く、ほとんどぼろを着てるようで、その上赤い肩章をつけ、黄色い負い皮をつけ、剣と銃と棒とを持っていた。まったく兵士の無頼漢ともいうべき類《たぐ》いだった。あたかもそれらの護衛兵は、乞食《こじき》の卑賤と死刑執行人の権威とを兼ねそなえてるかのようだった。その隊長とも見える男は、御者の鞭《むち》を手に持っていた。すべてそれらのものは、初め薄ら明るみにくらまされていたが、明るくなるにつれてしだいにはっきりしてきた。列の先頭と後部には、サーベルを手にしていかめしい騎馬の憲兵が進んでいた。
その行列はかなり長くて、第一の馬車が市門に達する時、最後の馬車はようやく大通りに現われたくらいだった。
パリーではよく見らるるとおり、どこからともなく出てきてすぐに大勢になる群集が、大道の両側に押し重なってながめていた。付近の小路には、呼びかわす人々の声や見物に駆けつけてゆく野菜作りの木靴《きぐつ》の音などが聞えた。
車の上に積まれた者らは、黙って車の動揺に身を任していた。彼らは朝の冷気にまっさおな顔をしていた。皆麻のズボンをはき、素足のまま木靴をはいていた。その他の服装はまったく悲惨のきわみだった。その衣服は見るもいやなほど乱雑であった。およそ破れさけた道化服ほど無気味なものはない。破れた毛帽、瀝青《チャン》を塗った庇帽《ひさしぼう》、恐ろしいきたない毛織りの頭巾帽《ずきんぼう》、それから短い仕事着や肱《ひじ》のぬけた黒い上衣、多くは婦人用の帽子をかぶり、またある者は籠《かご》をかぶり、毛深い胸が現われており、着物の破れ目からは、恋の殿堂や炎を出してる心臓やキューピッドなどの文身《ほりもの》が見えていた。また発疹《はっしん》や病的な赤い斑点《はんてん》なども見えていた。二、三人の者は、車の横木に繩《なわ》を結わえてそれを鐙《あぶみ》みたいに下にたらし、その上に足を休めていた。ひとりの男は、何か黒い石のようなものを手にして、それを口の所へ持ってゆき、ちょうどかみついてるようだった。パンを食ってるのだった。彼らの目は皆、乾燥し光を失い、あるいは凶悪な光に輝いていた。警護の者らはどなっていた。鎖につながれた者らは深く静まり返っていた。時々、肩や頭を棒でなぐる音が聞こえた。ある者は欠伸《あくび》をしていた。そのぼろは見るも恐ろしかった。両足は下にたれ、肩は震えていた。頭は互いにぶっつかり合い、鉄の刑具は音を立て、瞳《ひとみ》は獰猛《どうもう》な色に燃え、手は痙攣的《けいれんてき》に握りしめられ、あるいは死人のようにだらりと開いていた。行列の後ろには、一群の子供がはやしたてながらついて行った。
その馬車の行列は、とにかく見るも痛ましかった。明日にもなれば、またはもう一時間もすれば、驟雨《しゅうう》が襲うかも知れないし、それからまた続いて何度もやって来るかも知れなかった。そうすれば彼らの破れ裂けた着物には雨が通り、一度身体がぬるればもう再びかわくことはなく、一度凍ゆればもう再びあたたまることはなく、麻のズボンは雨のために足の骨にからみつき、水は木靴《きぐつ》にいっぱいになり、いかに鞭《むち》で打たれても両顎《りょうあご》の震えは止まらず、絶えず首筋は鎖につなぎ止められ、足は絶えずたれ下がっているだろう。そして、かくいっしょに縛られ、秋の冷たい暗雲の下に黙然として、樹木のごとくまた石ころのごとく、雨や風やあらゆる狂暴な嵐《あらし》に身を任している、それらの人間を見ては、慄然《りつぜん》たらざるを得なかった。
七番目の馬車の上に、縛り上げられて身動きもしないで横たわり、悲惨をいっぱいつめこんだ袋のようにそこに投げ出されたかと思える病人らさえ、棒で打たれることを免れなかった。
突然太陽が地平に現われてきた。旭日《あさひ》の広大なる光はほとばしって、それら荒々しい者どもの頭に火をつけたかのようだった。舌の根はゆるみ、冷笑や罵詈《ばり》や歌声までが大火のように爆発した。ま横からさす広い光線は、行列を二つに区分して、頭と胴とを照らし、足と車輪とを影のうちに残した。頭の中の考えは顔つきの上に現われてきた。恐怖すべき瞬間だった。仮面をはずした目に見える悪魔どもであり、赤裸になった獰猛《どうもう》な魂らであった。光に照らされながら、その一群はなお闇《やみ》の中にいた。中に元気な者らは、羽軸を口にくわえて、群集ことに女を選んで、毒舌を吹きかけた。夜明けの光は、彼らの痛むべき横顔に黒い影を添えてきわ立たしていた。ひとりとして悲惨のためにゆがめられていないものはなかった。その恐ろしさは、太陽の輝きをも電光に変えるかと思われるほどだった。先頭に道を開いていた馬車の一群は、当時有名なデゾージエの雑曲ヴェスタの[#「ヴェスタの」に傍点]巫女《みこ》を、粗暴な元気さで大声に調子を取って吟じ出した。並み木は痛ましげに震えていた。側道に集まってる市民らは、白痴のようにぼんやりして、怪物どもの歌う下等な歌を聞いていた。
あらゆる惨状が雑然として行列の中にあった。あらゆる動物の面相があった。老人、青年、禿頭《はげあたま》、半白の髯《ひげ》、皮肉な異様な相貌《そうぼう》、荒々しいあきらめの顔、野蛮な口つき、常規を逸した態度、庇帽《ひさしぼう》をかぶった顔つき、顳顬《こめかみ》の上に縮れ毛のある若い娘の頭らしいもの、子供らしいのでかえって恐ろしい顔つき、ようやく命を保ってるだけの骸骨《がいこつ》のようなやせた顔。また第一の馬車には黒人がひとりいたが、おそらく以前は奴隷《どれい》だったろう、そして今奴隷の鎖とその鎖とを比較し得たに違いない。恐るべき最下層の底をなす汚辱は、彼らの額に現われていた。そしてかかるどん底への沈淪《ちんりん》において、最後の深みに陥ってる彼らは最後の変容を受けていた。愚蒙《ぐもう》に変じた無知は絶望に変じた知力と同等だった。泥濘《でいねい》の精とも見えるそれらの者共のうちには、だれ彼の差別をつけることはできなかった。その不潔な行列を指導する者も明らかに、彼らを分類してはいなかった。彼らは区別なくいっしょにつなぎ合わされて、おそらくいろは順などにもとん着なく無造作に並べられ、無茶苦茶に車の上に積まれていた。けれども、嫌悪《けんお》すべきものもこれを多く集むる時には、ついに一種の結合の力を生ずるのが常である。不幸なるものもこれを加算する時には、一つの総計が出てくるものである。各鎖からは共通な魂が現われ、各馬車にはそれぞれの相貌《そうぼう》があった。歌を歌ってる馬車の次には、怒号してる馬車があった。第三の馬車は哀願していた。歯がみをしてる馬車も一つ見られた。また一つは通行人を脅かし、も一つは神をののしっていた。最後のものは墓のように沈黙していた。ダンテがそれを見たならば、地獄の七界が動き出してるのだと思ったであろう。
永劫《えいごう》の罰を被った者らがその苦難の場所に向かって惨憺《さんたん》たる進行を続けるのは、黙示録にあるような炎を発する恐るべき車に乗ってではなくして、いっそう陰惨なることには、死体陳列の梯子《はしご》を具えた車に乗って行くのである。
警護の兵士のひとりは、先に鈎《かぎ》のついた棒を持っていて、時々その人間の塵芥溜《ごみため》をかき回そうとするような顔つきをした。群集の中にあったひとりの老婆は、五歳ばかりの小さな男の子にその方をさし示して言った、「おい[#「おい」に傍点]、あれをよく見とくがいいよ[#「あれをよく見とくがいいよ」に傍点]!」
歌の声やののしる声がひどくなると、警護の隊長らしい者が鞭《むち》を鳴らした。するとそれを合い図にして、耳を聾《ろう》し目をくらますほどの恐ろしい殴打《おうだ》は、雹《ひょう》の降るような音を立てて七つの馬車の上に浴びせられた。多くの者はうなって口から泡《あわ》を吹いた。傷口にたかる蠅《はえ》の群れのように集まってきた浮浪少年らは、それを見ていっそうはやし立てた。
ジャン・ヴァルジャンの目は恐ろしいありさまに変わっていた。それはもはや眸《ひとみ》とさえも言えなかった。ある種の不幸な者に見らるるとおり、普通の目つきと違った奥深いガラス玉で、もはや現実に対する感覚を失い、ただ恐怖と破滅との反映のみが燃え立ってるかと思われるものだった。彼は一つの光景をながめてるのではなく、一つの幻影に見入ってるのだった。彼は立ち上がり、逃げ出し、身を脱しようとした。しかし足はすくんで動かなかった。時とすると、眼前に見える事物はかえってその人をとらえて動かさないことがある。ジャン・ヴァルジャンはそこに釘《くぎ》付けにされ、化石したようになり、惘然《ぼうぜん》[#ルビの「ぼうぜん」は底本では「ばうぜん」]として、名状し難い一種の雑然たる苦悶《くもん》を通して、自ら尋ねた、この死のごとき迫害はいったい何を意味するものであるかと、そして自分を追求してきたこの悪鬼の殿堂はどこから出てきたのであるかと。突然彼は額に手をあてた。にわかに記憶がよみがえってきた者のする身振りである。彼は思い出した、それは実際囚人らが運ばれるのであること、この回り道はフォンテーヌブローの大道ではいつ国王に行き会うかわからないのを避けるために昔から取られてる慣例であること、三十五年前には自分もまたこの市門を通って行ったのであることを。
コゼットの方も、違った意味からではあったが、彼に劣らず恐怖の念をいだいた。彼女には訳がわからなかった。彼女は息さえできないほどになった。眼前に見る光景は世にあり得べからざることのように思えた。がついに彼女は叫んだ。
「お父様、あの車の中にいるのは何でしょう?」
ジャン・ヴァルジャンは答えた。
「囚人だ。」
「どこへ行くんでしょう?」
「徒刑場へ。」
その時、多くの者が、いっせいに打ちおろす殴打はその絶頂に達し、サーベルの平打さえも加えられて、あたかも鞭《むち》と棒との暴風雨となった。囚徒らは背をかがめ、呵責《かしゃく》の下に恐るべき服従を強いられ、鎖につながれた狼《おおかみ》のような目つきをして皆黙ってしまった。コゼットは全身を震わした、そして言った。
「お父様、あれでも人間でしょうか?」
「あゝ、時によっては。」と不幸な老人は答えた。
それは実際一連の刑鎖で、夜明け前にビセートルを発して、当時国王がいたフォンテーヌブローを避けるために、マンの方へ回り道をしてきたのである。そのため、恐るべき旅は二、三日長びくことになった。国王たる者の目にかかる刑罰を見せないためには、その苦痛を長引かせるのも至当のことだとみえる。
ジャン・ヴァルジャンは困憊《こんぱい》して家に帰ってきた。そういう遭遇は彼にとっては大きな打撃であり、そのために心に残された思い出は、彼の全身を震盪《しんとう》するかと思われた。
それでもジャン・ヴァルジャンは、コゼットとともにバビローヌ街の方へ戻りながら、ふたりが見たところのものについて彼女がその他に何にも尋ねなかったような気がした。おそらく彼はあまりに困憊のうちに浸りこんでいて、彼女の言葉にも気づかず、彼女に答うることもできなかったのであろう。ただ晩になって、コゼットが彼のもとを去って寝に行く時、彼女が独語のように半ば口の中で言うのを彼は耳にした。「あんな人たちのひとりにでも道で行き合ったら、それこそ私は、近くでその姿を見るだけで気を失ってしまいそうですわ。」
幸いにして偶然にもその悲痛な日の翌日、何の盛典だったか、パリーには非常なにぎわいがあった。練兵場の観兵式、セーヌ川の舟上試合、シャン・ゼリゼー通りの演芸、エトアール広場の花火、その他至る所にイリュミネーションがあった。ジャン・ヴァルジャンはいつもの癖を破って、それらを見にコゼットを連れてゆき、前日の記憶を紛らしてやり、パリー全市のはなやかなどよめきのうちに、彼女の眼前を過《よぎ》った前日の恐ろしいものを打ち消してやろうとした。祝典を飾る観兵式があるために、正服の軍人が往来するのもごく自然らしかった。ジャン・ヴァルジャンは身を隠す者のような気持ちを内心にぼんやり感じながら、国民兵たる自分の軍服をつけた。そしてその散歩の目的はついに達せられたようだった。コゼットはいつも父の意を迎えることばかりしていたし、その上あらゆる光景は彼女にとって物珍しかったので、青春の頃によくあるたやすい気軽な喜びをもってその気晴らしに賛成し、お祭り騒ぎと言われるごった返した遊楽に対してもあまり軽蔑的な渋面を作らなかった。それでジャン・ヴァルジャンは、うまく成功したと思うことができ、あのいとうべき幻の跡はもう少しも残っていないと信ずることができた。
それから数日後、ある朝、日の光の麗わしい時、ふたりは表庭の石段の所に立っていた。これもまた、ジャン・ヴァルジャンが自ら定めたらしい常例に反することであり、悲しみのため室内に閉じこもりがちになったコゼットの習慣に反することであった。その時コゼットは化粧着をまとったままで、若い娘を美妙におおい、星にかかった雲のような趣のある起き出たばかりの淡装で立っていた。そして朝日の光を頭に浴び、眠りの足りた薔薇色《ばらいろ》の顔をし、心沈める老人からやさしくながめられながら、雛菊《ひなぎく》の花弁をむしっていた。もとよりコゼットは、あなたを愛する[#「あなたを愛する」に傍点]、少しばかり[#「少しばかり」に傍点]、心をこめて[#「心をこめて」に傍点]、などと言いながら花弁をむしってゆく、あの楽しい習慣を知ってはいなかった。そんなことを彼女に教える者はだれがいたろう? 彼女はただ本能から他意もなくその花をもてあそんでいたのであって、雛菊《ひなぎく》の花弁をむしり取ることはすなわち愛情を摘むことだなどとは、夢にも思っていなかった。古《いにしえ》の三人の美の女神に加えて第四の憂愁の女神というのがあり、しかもそれがほほえんでいるのだとすれば、彼女はまさしくそれであったろう。ジャン・ヴァルジャンはその花の上の小さな指先に見とれて恍惚《こうこつ》となり、その娘から発する光輝のうちにすべてを忘れていた。そばの茂みには一匹の駒鳥《こまどり》が低くささやいていた。白い雲が自由に放たれたかのように楽しく空を渡っていた。コゼットは花弁に心を集めてむしり取っていた。何かを思いふけってるらしかったが、それも楽しいことに違いなかった。と突然彼女は、白鳥のように得も言えぬゆるやかさで頭を肩の上に回らして、ジャン・ヴァルジャンに言った。「お父様、徒刑場とはどんな所でございますか?」
第四編 地より来る天の救い
一 外の傷、内の回復
彼らふたりの生活は、右のようにしだいに陰鬱《いんうつ》になってきた。
彼らにはもう一つの気晴らししか残っていなかった。それも以前では一つの幸福となっていたところのものである。すなわち、飢えた者にパンを持っていってやり、凍えた者に着物を持っていってやることだった。そして貧しい人々を訪れる時、コゼットはよくジャン・ヴァルジャンの供をして、ふたりは昔のへだてない気持ちを多少取り返すことができた。時としては、よい一日を過ごした時、多くの困難な人々を助け、多くの子供を慰めあたためてやった時、晩にコゼットはいくらか快活になることもあった。ふたりがジョンドレットの陋屋《ろうおく》を見舞ったのは、ちょうどそういう時だった。
その訪問のすぐ翌朝、ジャン・ヴァルジャンは母家《おもや》へやってきた。いつものとおり落ち着いてはいたが、左の腕にぞっとするようなまっかな大きな傷がついていた。ちょうど火傷《やけど》のようだったが、彼は何とかその原因を説明した。そして傷のために熱が出て、一カ月余り家に閉じこもっていた。医者に診《み》せようともしなかった。コゼットがうるさく勧めると、「犬の医者でも呼んでおいで、」と彼は言った。
コゼットはいかにも神々《こうごう》しい様子で、彼の用をすることに天使のような喜びを示して、朝晩その傷に繃帯《ほうたい》をしてやった。それでジャン・ヴァルジャンは、昔の喜悦がすべてまた返ってきたような気がし、恐れと心痛とは消え失せたような気がして、コゼットを見守りながら言った、「実に有り難い傷だ、実に有り難い不幸だ!」
コゼットは父が病気なのを見て、母家《おもや》をすて、小さな離室《はなれ》と裏の中庭とにまた多くいるようになった。彼女はほとんど終日ジャン・ヴァルジャンのそばについていて、彼の好きな書物を読んでやった。その多くは旅行記だった。ジャン・ヴァルジャンは再生の思いをし、彼の幸福は得も言えぬ光輝をもってよみがえってきた。リュクサンブール、見知らぬ若い徘徊者《はいかいしゃ》、コゼットの冷淡など、すべて彼の心にかかっていた暗雲は消えてしまった。彼は自ら言うようになった、「それらは皆私の思いなしだった。私は年がいもないばか者だ。」
彼の幸福はごく大きかったので、ジョンドレットの陋屋《ろうおく》でテナルディエ一家の者らとの意外な恐ろしい遭遇も、心にあまり打撃を与えなかった。とにかく彼は首尾よく脱走し、足跡をくらましてしまったのである。その他はもうどうでもいいことだった。彼はそれを思う時、ただ悪人らをあわれむだけだった。彼は考えた、「彼らはもう獄に投ぜられている。以後自分に害を加えることはできない。だがいったい何という痛ましい不幸な一家であろう!」
またメーヌ市門で見た嫌悪《けんお》すべき光景については、コゼットももう再び口にしなかった。
修道院でコゼットは、サント・メクティルド修道女から音楽を教わっていた。彼女の声は魂を持った頬白《ほおじろ》のそれのようだった、そして夕方時々、負傷した老人の貧しい住居で、悲しい歌を歌った。それをまたジャン・ヴァルジャンは非常に喜んだ。
もう春になっていた。表庭は春にはことにみごとであった。ジャン・ヴァルジャンはコゼットに言った、「お前は庭の方へはちっとも行かないようだが、少し出てみたらどうかね。」「お父様、あなたがそうおっしゃるなら、」とコゼットは答えた。
そして父の意に従うために、彼女はまた表庭に出始めた。しかし多くはひとりでだった。なぜなら、前に言っておいたとおりジャン・ヴァルジャンは、たぶん鉄門から人に見られるのを気づかってであろうが、ほとんど表庭にはこなかったからである。
ジャン・ヴァルジャンの傷はかえって事情を一変さした。
父の苦痛が薄らぎ傷が癒《い》えてゆくのを見、また父が楽しそうにしてるのを見てコゼットは、自らはっきりとは気づかなかったほど静かに自然にやって来る一種の満足を感じた。それからまた時もちょうど三月の頃で、日は長くなり、冬は去っていった。冬は常にわれわれの悲しみのある物を持ち去って行く。それからやがて四月となった。それは夏の微光であり、あらゆる曙光《しょこう》のごとく新鮮で、あらゆる小児のごとく快活である。また赤児であるために時には少し涙にぬれることもある。四月における自然には魅力ある輝きがあって、それが空から雲から樹木から草原からまた花から、人の心に伝わってくる。
コゼットはまだ年若くて、彼女自身に似たこの四月の喜びに浸された。自分で気づかぬうちにしだいに暗黒は彼女の精神から去っていった。春になると、ま昼に窖《あなぐら》が明るくなるように、悲しめる人の魂も明るくなる。コゼットはもうひどく悲しんではいなかった。その上自らそれをよく意識してもいなかった。朝十時ごろ朝食の後に、父を説きつけてしばらくの間表庭に出て、そのけがした腕をささえてやりながら、日光を浴びつつ踏段の前を連れ回る時、彼女は絶えずほほえんで心楽しくしてることを、自ら少しも気づいていなかった。
ジャン・ヴァルジャンは恍惚《こうこつ》として、彼女が再び色麗わしくあざやかになってくるのを見守った。
「実に有り難い傷だ!」と彼は低く繰り返した。
そして彼はかえってテナルディエ一家の者らに感謝した。
傷がまったく癒《い》えると、彼はまた孤独な夕暮れの散歩を始めた。
けれども、そういうふうにパリーの寂しいほとりをただひとりで散歩していても、何かのできごとに出合わないとは限らない。
二 プリュタルク婆さんの解釈
ある夕方、少年ガヴローシュは何も食べていなかった。そしてまた前日も食事をしなかったことを思い出した。そのために身体が弱ってるような気がしてきた。で何とかして夕食を得ようと考えた。彼はサルペートリエールの向こうの寂しい場所までうろついて行った。そこにはよく何かの見つけ物があった。人のいない所にはたいてい何かあるものである。歩いてると一かたまりの人家のある所に出た。オーステルリッツ村らしく思えた。
前に何度かその辺をぶらついた時彼は、爺さんと婆さんとがいる古めかしい庭がそこにあって、庭の中にはかなりの林檎《りんご》の木が一本あるのを見ておいた。林檎の木のそばには果物《くだもの》置き場みたいな小屋があって、よく戸締まりもしてないので林檎一つくらい手に入れられそうだった。林檎一つは夕食であり、生命である。アダムの身を破滅さした物も、ガヴローシュの身を救うかも知れなかった。庭は周囲に人家の立ち並ぶのを待ってるかのように、舗石《しきいし》もない寂しい小路に接し灌木《かんぼく》でとりまかれていた。ただ生籬《いけがき》一重でへだてられてるばかりだった。
ガヴローシュはその庭の方へ進んでいった。彼はその小路を見つけ林檎の木を認め、果物小屋を見定め、生籬を調べてみた。ただ一またぎで越えられる生籬だった。日は暮れかかってい、小路には猫《ねこ》の子一匹おらず、ちょうどいい時機だった。ガヴローシュは籬《まがき》を乗り越そうとしたが、突然それをやめた。庭の中に話し声がしていたのである。ガヴローシュは籬のすき間からのぞいた。
彼から二歩の所、籬の内側に、ちょうど彼がすき間から入りこもうと思ってた所に、ベンチのようなふうに石をねかしてあって、石の上に例の爺《じい》さんが腰掛けており、前には婆さんが立っていた。婆さんは何かぶつぶつ言っていた。不遠慮なガヴローシュはそれに耳を傾けた。
「マブーフ様!」と婆さんは言った。
「マブーフ、おかしな名前だな、」とガヴローシュは思った。
爺さんの方はそう呼びかけられても身動きもしなかった。婆さんは繰り返した。
「マブーフ様!」
爺さんはなお地面に目を落としたままだったが、ついに返事をした。
「何だね、プリュタルク婆さん。」
「プリュタルク婆さん、これもおかしな名前だな、」とガヴローシュは思った。
プリュタルク婆さんは言い出した、そして爺《じい》さんも言葉を発しなければならなくなった。
「家主が怒っておりますよ。」
「どうして?」
「三期分たまっていますから。」
「もう三月《みつき》たつと四期分になるさ。」
「追い出してしまうと言っておりますよ。」
「出てゆくさ。」
「八百屋《やおや》のお上さんも払ってくれと言っております。もう薪《まき》もよこしてくれません。今年の冬は何で火をたきましょう。薪が少しも手にはいりませんよ。」
「太陽があるよ。」
「肉屋も掛け売りをことわって、もう肉をよこそうとしません。」
「それはちょうどいい。わしにはどうも肉はよくこなれない、もたれてね。」
「でも食事にはどうなさいますか。」
「パンだよ。」
「パン屋も勘定をせがんでおります。金がなければパンもないと言います。」
「いいさ。」
「では何を食べますか。」
「この木になる林檎《りんご》がある。」
「でも旦那様《だんなさま》、このようにお金なしでは暮らしていけません。」
「といって一文なしだからね。」
婆さんは行ってしまって、老人が一人残った。彼は考え込み始めた。ガヴローシュの方でも考え込んだ。もうほとんど夜になっていた。
考えた結果ガヴローシュはまず、生籬《いけがき》を乗り越すことをやめて、その下にもぐり込んだ。茂みの下の方に少し枝のすいてる所があった。
「おや、ちょうどいい寝場所だ!」とガヴローシュは心の中で叫んで、そこにうずくまった。彼の背中はほとんどマブーフ老人のベンチに接するほどになって、その八十翁の息まで聞くことができた。
そして彼は食事にありつかんために一寝入りしようとした。
それは猫《ねこ》の居眠りであり、片目の微睡であった。うつらうつらしながらガヴローシュは待ち受けていた。
薄ら明りの空の光は地面にほの白い光を送って、小路は暗い二条の叢《くさむら》の間に青白い線を描いていた。
突然その青白い一筋の道の上に、二つの人影が現われた。一つは先に立ち、一つは少しあとに離れていた。
「ふたりの男がやってきたぞ。」とガヴローシュはつぶやいた。
先頭の人影は年取った市民らしく、少し前かがみに何か考え込んでいて、ごく質素な服装をし、老年のせいかゆっくり歩いて、星明りの夕を逍遙《しょうよう》してるもののようだった。
第二の人影は、背を伸ばし堅固でやせていた。前の男と歩調を合わしてはいたが、その故意にゆるくした歩き方のうちにも身軽さと敏捷《びんしょう》さとが見えていた。そして何となく荒々しい怪しいふうが感ぜられはしたが、それでも風流人士とも称し得るような様子をしていた。帽子はりっぱな形のものであり、フロック型の上衣は黒で仕立てもよく、地質も上等のものらしく、きっちり身体に合っていた。みごとな健やかな様子で頭をすっくと上げ、帽子の下からは、青年らしい白い顔が薄ら明りにぼんやり見えていた。口には一輪の薔薇《ばら》の花をくわえていた。ガヴローシュはその第二の人影に確かな見覚えがあった。それはモンパルナスだった。
第一の人影については、ただ素朴な老人であるというほか、彼は何にも知るところがなかった。
ガヴローシュは直ちに観察にとりかかった。
ふたりの通行人のうちのひとりは、もひとりに対して何か計画をいだいてることは明らかだった。ガヴローシュはその成り行きを見るのにいい地位にいた。寝場所はちょうどよい具合に潜伏所ともなっていた。
こんな時刻に、こんな場所で、モンパルナスが人の跡をつけてるのは、恐ろしいことだった。ガヴローシュは浮浪少年ながらも、老人に対して憐憫《れんびん》の情を動かした。
どうしたものであろう。手を出すべきであろうか。しかしひとりの弱者が他の弱者を助けに行ったところでどうなるものか。ただモンパルナスの嘲笑《ちょうしょう》を買うばかりだ。この十八歳の恐ろしい無頼漢にとっては、第一に老人と第二に子供とでは、ただ二口の餌食《えじき》に過ぎないということを、ガヴローシュは認めざるを得なかった。
ガヴローシュが考えあぐんでいるうちに、突然恐ろしい襲撃が起こった。驢馬《ろば》に対する虎《とら》の襲撃であり、蠅《はえ》に対する蜘蛛《くも》の襲撃であった。モンパルナスはいきなり口の薔薇《ばら》の花を投げ捨て、老人の上に飛びかかり、その襟《えり》をとらえて鷲《わし》づかみにし、そこにしがみついてしまった。ガヴローシュはほとんど叫び声を出さんばかりになった。一瞬間のうちに、ひとりはもひとりの下に組みしかれ、膝《ひざ》でぐっと胸を押さえられて、ねじ伏せられうなりもがいていた。ただそれはガヴローシュが思っていたこととはまったく反対だった。打ち倒されたのはモンパルナスであって、上になってるのが老人だった。
それらのことがガヴローシュの数歩先の所で起こったのだった。
老人は一撃を受けたが、すぐに猛烈な一撃を報いたので、またたくまに襲撃者と被襲撃者とは位置をかえたのである。
「これはすごい爺《じい》さんだ、」とガヴローシュは考えた。
そして彼は思わず手をたたいた。が拍手は何の用もなさなかった。ふたりの闘士は、互いに夢中になって何にも気づかず、息を交じえるばかりに相接して争っていたので、その音を耳にしなかった。
するとたちまち静かになった。モンパルナスは身をもがくのをやめた。ガヴローシュはひとりで言った、「死んだのかしら。」
老人はその間一語をも発せず、叫び声をも立てなかった。彼は立ち上がった。そしてガヴローシュはモンパルナスに彼がこういうのを聞いた。
「起きろ。」
モンパルナスは起き上がった。しかし老人は彼をとらえていた。モンパルナスは面目なげなしかも憤激した態度をして、あたかも羊に捕えられた狼《おおかみ》のようだった。
ガヴローシュは目と耳との力を合わして、のぞきまた聞いていた。夢中になっておもしろがっていた。
彼は一生懸命にうかがっていただけのことがあった。暗闇《くらやみ》のために妙に悲痛に聞こえる次の対話をそっくり聞き取り得た。老人は尋ね、モンパルナスは答えた。
「お前は幾歳《いくつ》だ。」
「十九。」
「お前は強くて丈夫だ。なぜ働かないのか。」
「いやだからさ。」
「職業は何だ。」
「何にもしないことだ。」
「まじめに口をききなさい。いったい何をしてもらいたいのか。何になりたいのか。」
「泥坊にだ。」
ちょっと言葉が途切れた。老人は深く考え込んだらしかった。彼はじっと立ったまま、モンパルナスをとらえていた。
元気で敏捷《びんしょう》な若い悪漢は、時々、罠《わな》にかかった獣のようにあばれた。飛び上がり、足がらみにゆき、激しく手足をもがき、逃げ出そうとした。しかし老人はそれに気も止めないらしく、絶対的強力のおごそかな無関心さをもって、片手で相手の両腕をとらえていた。
老人はしばらく考え込んでいたが、それからモンパルナスをじっと見つめながら、静かに声を上げて、その暗闇《くらやみ》の中で荘重な弁舌を振るい始めた。ガヴローシュはその一語をも聞きもらさなかった。
「おい、お前は怠惰なために一番苦しい生活にはいっている。お前は何にもしないのだと自分で言っている。けれども少しは働くように心掛けるがいい。お前は恐ろしい一つの機械を見たことがあるかね。輪転機というやつだ。用心しなければいけない。陰険な猛烈な機械だ。もし着物の裾《すそ》でもつかまれようものなら、身体まですっかり巻き込まれてしまう。この機械というのはほかでもない、なまけるということだ。まだいよいよとならないうちに踏み止まって、のがれだすがいい。そうでないともう万事だめだ。じきにその歯車の中に引き込まれてしまう。一度引き込まれたらもう出る望みはない。そこではただ疲れるばかりで、休むこともできない。一歩も仮借しない労役の鉄の手からつかまれるだけだ。お前は今、自分の手で生活しようと思っていない、仕事をし義務を果たそうと思っていない。普通の人のように暮らしてゆくことをいやがっている。だが別の道を歩くこともできるだろう。労働は天の法則だ。いやだといってそれを拒む者には、刑罰としてそれが落ちかかって来る。お前は労働者になることを好かないというが、それでは奴隷《どれい》となるばかりだ。労働は、一方でお前を許しても、他方でお前をとらえる。お前は労働の友だちになることを好まないで、かえってその奴隷になろうとしている。ああお前は、人間らしい正直な骨折りをきらって、罪人の額の汗を得ようとしている。他の人たちが歌をうたう時に、お前は息を切らすようになるんだ。下の方から遠くに、他の人たちが仕事をするのを見上げるようになるんだ。そしてその人たちは、お前の目には休んでるように見えてくるだろう。地を耕してる者や刈り入れをしてる者や、水夫や鍛冶屋《かじや》なども、天国の幸福な人々のように栄光に包まれてるとお前には思えてくるだろう。鍛冶屋《かじや》の仕事場もどんなにか光り輝くだろう。鋤《すき》をとり穂を束ねることもどんなにか幸福に見えるだろう。風のまにまに自由の帆を操《あやつ》る小舟もどんなにか楽しく見えるだろう。ところが怠惰なお前は、鶴嘴《つるはし》を使い、鎖を引きずり、車を引き、歩かなければならない。身体を縛ってる鎖を引きずって、地獄の中で荷物を引く獣と同じになるばかりだ。何にもしないことをお前は目的だとしていた。それなのに、ただの一週間も、ただの一日も、ただの一時間も、苦しい思いをしないではいられなくなる。何一つ持ち上げるにも苦痛を感ずるだろう。一刻の休みもなく絶えず筋肉はみりみりいうだろう。他の者には鳥の羽ぐらいなものも、お前には岩のように思えるだろう。ごくわけもないことも、大事業のようになるだろう。世の中は至る所恐ろしくなってくる。行ったりきたり息をしたりするのさえ、大変な仕事のようになってくる。肺をふくらますのさえ、百斤の重さを上げるような気がしてくる。ここを歩いたものかそれとも向こうを歩いたものか、そういうことまで一大事の問題となってくる。だれでも外に出ようと思えば、扉《とびら》を押し開くだけでもう外に出ている。ところがお前は、外に出ようとするには壁をつき破らなければならなくなる。往来に出るにも、普通の人はどうするかね。ただ階段をおりてゆくだけだ。ところがお前の方では、敷き布を裂き、それを一片ずつつなぎ合わして綱をこしらえ、それから窓をはい出し、その一筋の綱にすがって深い淵《ふち》の上にぶら下がるのだ。しかも夜か、暴風か、雨か、台風かの時だ。そして綱が短い時には、おりる道はただ飛びおりるほかはない。向こう見ずに無鉄砲に飛びおりるほかはない。それもかなりの高さからで、下には何があるかまったくわからない。またそうでなければ、身体を焦がすのもかまわずに、暖炉の煙筒の中をよじ上るか、あるいはおぼれるのもかまわずに、排尿口からはい出すのだ。そのほか、出入り口の穴を隠したり、日に二十遍も石を出したり入れたり、藁蒲団《わらぶとん》の中に漆喰《しっくい》の欠けをしまい込んだりするのは、言わずものことだ。錠前がある場合には、普通の市民なら錠前屋が作ってくれた鍵《かぎ》をポケットに持っている。ところがお前は、そこから出ようとする時には、精巧な恐ろしい道具を一つこしらえなければならない。大きな一スー銅貨を一つ取って、それを二枚に割る。何で割るのか、それも工夫しなければならない。それはお前の方の考えにあることだ。それから両方の表面には傷をつけないように注意して中をくりぬき、その縁には溝《みぞ》をつけ、二枚きっかり合わさって箱と蓋《ふた》とになるようにする。上と下とをよくはめ込めば、人にさとられることはない。お前を注意してる監視人には、それはただ一つの銅貨にすぎないが、お前には一つの箱となる。その箱の中に何を入れるかと言えば、一片の小さな鋼鉄の時計の撥条《ぜんまい》に歯をつけて鋸《のこぎり》にしたものだ。銅貨の中に隠した針くらいの長さのその鋸で、錠前の閂子《かんし》や、※[#「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37]《かきがね》の軸や、海老錠《えびじょう》の柄や、窓についてる鉄棒や、足についてる鉄枷《てつかせ》などを、切らなければならない。そして、その精巧な道具を作り、その驚くべき仕事をなし遂げ、その技術と器用と巧妙と忍耐との奇跡を果たした後、もしそれがお前のやったことだと知れたら、どういう報いがやってくるか。それはただ地牢《ちろう》ばかりだ。そういうのがお前の未来だ。怠惰といい楽しみというものは、何という絶壁だろう。何にもしないということは、痛むべき方針だ。わかるだろうね。社会の財産をあてにしてなまけて暮らすこと、何の役にも立たない生活を送ること、言いかえれば有害な生活をすること、それは人をまっ逆様に悲惨のどん底に投げ込んでしまう。社会の寄食者《いそうろう》になろうとする者こそ不幸だ、ついには有害な寄生虫になってしまう。ああお前は働くことを好まない、うまい酒を飲みうまいものを食い楽に寝ていたいという考えきり持っていない。だがそれでは結局、水を飲むようになり、黒パンをかじるようになり、手足は鎖につながれて夜通しその冷たさを身に感じながら、板の上にじかに寝るようになるだろう。その鎖を切って逃げ出す、なるほどそれもいい。藪《やぶ》の中を腹ばいになって潜んでゆき、森の中の獣のように草を食うだろう。そしてまたつかまるだろう。それからは、地牢《ちろう》の中で、壁につなぎとめられ、水を飲むにも壺《つぼ》を手探りにし、犬も食わないようなひどい黒パンをかじり、虫に食いちらされた豆を食べて、幾年も過ごすようになるだろう。窖《あなぐら》の草鞋虫《わらじむし》と同じだ。少しは自分の身体をいたわるがいい。かわいそうに、まだごく若いのに、乳母《うば》の乳房を離れて二十年とはならず、母親もまだ生きてるだろう。まあどうか私《わし》のいうことを聞くがよい。お前は上等の黒ラシャを着、漆塗《うるしぬ》りの舞踏靴《ぶとうぐつ》をはき、髪の毛を縮らし、いいにおいの油をぬり、下等な女を喜ばせ、きれいになりたがっている。だがしまいには、頭の毛は短く刈られ、赤い上衣を着せられ、木靴をはかせられるようになる。指に指輪をはめたがっても、首に鉄の輪をはめられるようになる。もし女に横目でもつかえば、棒でなぐられる。そしてそこにはいる時は二十歳くらいでも、出る時には五十歳にもなる。はいる時には年が若く、顔色は美しく、いきいきとして、目は輝き、歯はまっ白で、若々しいりっぱな髪の毛をしていても、出て来る時には、老衰し、腰は曲がり、皺《しわ》はより、歯はぬけ、恐ろしい姿になって、髪の毛もまっ白になっている。ああかわいそうにお前は誤った道を取っている。何にもしないということが、お前を悪い方へ導いたのだ。仕事のうちでも一番つらいことは、盗みの仕事である。私《わし》を信じて、なまけようなどという困難な仕事を始めなさんな。悪者になるのは、容易なことではない。正直な人間になる方がよほど楽だ。さあ行って、私の言ったことをよく考えてみなさい。ところで、何か用だったか。財布《さいふ》かね。それならここにある。」
そして老人はモンパルナスから手を放し、彼の手に財布《さいふ》を握らしてやった。モンパルナスはちょっとその重さを手ではかってみて、それから自分で盗みでもしたように機械的な注意を配って、上衣の後ろのポケットにそれを静かにすべり込ました。
以上のことを語り終え、以上のことをなした後、老人は彼に背中を向け、平気で散歩を続けた。
「まぬけめ!」とモンパルナスはつぶやいた。
そもそもこの老人は何人《なんぴと》であったか。読者は既に察知したに違いない。
モンパルナスはそれでもやはり呆然《ぼうぜん》として、老人が闇《やみ》の中に没し去るのをながめた。そういうふうに後《あと》見送って考え込んだことは、彼のためにごくいけなかった。
老人が遠ざかるとともに、ガヴローシュが近寄ってきたのである。
ガヴローシュはじろりと横目で、マブーフ老人がやはりまだベンチにすわってるのを見て取った。おそらく眠っていたのであろう。それで浮浪少年は藪《やぶ》の中から出てきて、じっと立ってるモンパルナスの後ろに、影の中をはい寄った。そういうふうにして彼は、モンパルナスから見られもせず音も聞かれないで、そのそばまでやってゆき、上等な黒ラシャの上衣の後ろのポケットにそっと手を差し入れ、財布をつかみ、手を引き出し、そしてまたはいながら、蛇《へび》が逃げるように闇《やみ》の中に姿を隠してしまった。モンパルナスは自分の方を用心するなどという理由がなかった上に、生涯に始めて深く考え込んでしまっていたので、それに少しも気づかなかった。ガヴローシュはマブーフ老人がいる所まで戻って来ると、籬《まがき》越しに財布を投げ込んで、足に任して逃げ出した。
財布はマブーフ老人の足の上に落ちた。その打撃で彼は目をさました。彼は身をかがめて財布を拾い上げた。何のことか少しもわからなかったので、中を開いてみた。中は二つに分かれていて、一方には小銭が少しはいっており、他方にはナポレオン金貨([#ここから割り注]訳者注 ルイ金貨と同じく二十フランの金貨[#ここで割り注終わり])が六つはいっていた。
マブーフ氏は非常に驚いて、それを婆さんの所へ持っていった。
「天から落ちてきたのですよ。」とプリュタルク婆さんは言った。
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第五編 首尾の相違
一 寂寞《せきばく》の地と兵営
コゼットの悲しみは、過ぎた四、五カ月の間はいかにも強く、また今なお、きわめて痛ましいものではあったが、既に彼女自ら知らないうちに回復期に向かっていた。自然と、春と、青春と、父に対する愛と、小鳥や花の快さなどは、いかにも純潔な年若い彼女の心に、ほとんど忘却にも似たある物を、しだいに、日ごとに、一滴ずつ、浸み込ましていった。あの火はまったく消えてしまったのであろうか? あるいはただその上に灰がたまったのであろうか? ただ事実は、もはやほとんど痛み燃ゆる個所を彼女は感じなくなったということである。
ある日彼女は突然マリユスのことを思い出した。「まあ、私はもうあの人のことを忘れかけてるのかしら、」と彼女は言った。
その同じ週に彼女は、ひとりのごくりっぱな槍騎兵《そうきへい》の将校が、表庭の鉄門の前を通るのを見た。きゃしゃな腰つき、美しい軍服、若い娘のような頬《ほお》、腕にかかえた剣、蝋油《ろうゆ》をぬった口髭《くちひげ》、漆《うるし》ぬりの兜帽《かぶとぼう》、それにまた、金髪、大きな青い目、得意げな傲慢《ごうまん》なきれいな丸い顔つきで、マリユスとはまったく反対だった。口には葉巻きをくわえていた。バビローヌ街にある兵営の連隊に属する人であろうと、コゼットは考えた。
翌日も彼女はその将校が通るのを見た。そしてその時間を注意しておいた。
それから後は、偶然であったかどうかわからないが、ほとんど毎日彼女は彼が通るのを見た。
将校の友人らは、「よく手入れがしてない、」その庭の中に、ロココ式の古ぼけた鉄門の後ろに、かなりの美人がいて、この美しい中尉が通る時にはたいていそこに出ていることに気づいた。この中尉というのは読者の知らない男ではなく、テオデュール・ジルノルマンにほかならなかった。
「おい、」と友人らは彼に言った、「君に目をつけてる娘がいるぞ、少し見てやれ。」
「俺《おれ》を見てる娘っ子に一々気をとめるだけの隙《ひま》があるもんか。」と槍騎兵《そうきへい》は答えた。
それはちょうどマリユスが、苦悶《くもん》の方へ深く沈んでゆきながら、「死ぬ前にただ彼女に再び会うことができさえするならば!」と自ら言ってる時だった。もし彼の希望が達せられ、その時槍騎兵をながめてる彼女を見たならば、彼は一言をも発することができず、悲しみのあまり息絶えたかも知れなかった。
それはだれの罪であったか? 否だれの罪でもない。
マリユスは懊悩《おうのう》のうちに沈み込んでそこに長く留まってるという気質の男だった。コゼットは懊悩のうちに身を投じてもまたそこから出て来るという気質の女だった。
その上コゼットは、危険な時期を通っていた。それは自分の意のままに打ち任せられた女の夢想が必然に一度は通る世界であって、その時の孤独な若い娘の心は、葡萄《ぶどう》の新芽にも似寄ったもので、偶然な事情のままに、大理石の円柱の頭にもからめば居酒屋の木の柱にもからみつく。それは急速な大事な時期であって、ことに孤児にあってはその貧富を問わず危険な時期である。なぜならば、金はあっても悪いものを選ばないとは限らない。不似合いな結婚は高位の人の間にもなされる。しかし真の不似合いな結婚は魂と魂との間になされるものである。一方には、名もなく家柄もなく財産もなく世に埋もれている青年のうちにも、偉大なる感情や観念の殿堂をささえる大理石の柱頭たる者があり、他方には、自ら得意となり繁栄をきわめて、靴《くつ》を光らし言葉を飾ってる上流の人のうちにも、その外部でなく内部をのぞく時には、言い換えれば女のために保有してるところのものをのぞく時には、激しい不潔な盲目な情欲のみいだいてる愚かな小人にすぎなくて、居酒屋の木の柱にすぎない者もある。
コゼットの魂のうちには何があったか? やわらげられ、あるいは眠らされている情熱、浮動の状態にある愛情、ある深さでは曇り更に下は薄暗いが上は透明な輝いてるある物。美しい将校の影はその表面に映っていた。しかしその底には、どん底には、何の思い出もなかったであろうか。否おそらくはあったであろう。コゼットは自らそれを知らなかった。
不思議なできごとが突然起こってきた。
二 コゼットの恐れ
四月の前半に、ジャン・ヴァルジャンは旅行をした。それは読者の知るとおり、長い間を置いて時々あったことである。いつもその旅は一日か二日で、長くて三日にすぎなかった。どこへ行くのかだれも知らなかった、コゼットさえも知らなかった。ただ一度、彼が例のとおり出かける時、彼女は辻馬車《つじばしゃ》にのってある小さな袋町の角《かど》まで連れてゆかれたことがあった。その袋町の角にはプランシェットの行き止まりという札が出ていた。そこで彼は辻馬車をおり、コゼットはまた辻馬車でバビローヌ街まで連れ戻された。ジャン・ヴァルジャンがそういう小旅行をなすのは、たいてい家に金のなくなった時であった。
ジャン・ヴァルジャンはかくてまた不在になった。彼は言った、「三日のうちには帰って来る。」
晩にコゼットはひとりで客間にいた。退屈をまぎらすために彼女は風琴ピアノを開き、ウーリヤントの中の合唱曲森にさすらう猟人を、自ら奏し自ら歌い始めた。それはおそらく音楽中での最も美しい一曲であろう。歌い終わって彼女は、そのまま考えにふけった。
と突然、庭に人の足音が聞こえるような気がした。
父であるはずはなかった、不在だったので。またトゥーサンであるはずもなかった、寝ていたので。もう晩の十時になっていた。
彼女はしめてある窓の所へ行って、その雨戸に耳を寄せた。
どうも男の足音らしく、またごく静かに歩いてるらしかった。
彼女は急いで二階に上がり、自分の室にはいり、窓の雨戸についている切り戸を開き、庭をのぞいた。ちょうど満月の頃で、昼間のように庭は明るかった。
庭にはだれもいなかった。
彼女は窓を開いた。庭はひっそりと静まり返っており、街路の方にもいつものとおり見える限り人影一つなかった。
コゼットは自分の思い違いだったろうと考えた。実際足音が聞こえたようだったが、それはおそらくウェーベルの陰鬱《いんうつ》荘重な音楽によって起こされた幻覚だったろう。その音楽を聞くと、異様な深淵《しんえん》が心の前にうち開け、怪しい森が目の前にうち震い、おぼろに認めらるる猟人らの不安な足の下に鳴る枯れ枝の音が、その奥に聞こえてくるのである。
コゼットはもうそのことを気にしなかった。
その上彼女は天性|臆病《おくびょう》ではなかった。その血管のうちには、跣足《はだし》で走り回る放浪者と冒険者との血潮があった。読者の記憶するとおり、彼女は鳩《はと》ではなくてむしろ雲雀《ひばり》であった。彼女の心の底には粗野と豪胆とがあった。
翌日、少し早く、夜になりかける頃、彼女は庭を歩いてみた。そしてとりとめもないことに思いふけっていたが、その間にも時々、すぐ近くの木陰の暗闇《くらやみ》の中をだれかが歩いてるような、前日と同じ音が聞こえるようだった。しかし彼女は、木の枝のすれ合う音は草の中を歩く足音によく似てるものであると考えて、別に注意も払わなかった。その上何も見えなかった。
彼女は「藪《やぶ》」の中から出てきた。そして家の踏段の所まで行くには、小さな青々とした芝地を通らなければならなかった。ちょうど後ろにのぼっていた月は、彼女が木の茂みから出てきた時、すぐ前にその影を長く芝地の上に投じた。
コゼットは驚いて足を止めた。
彼女の影のそばに、月はも一つ他の影を芝地の上にはっきり投げていた。妙に気味悪い恐ろしい影で、丸い帽子をかぶっていた。
彼女の後ろ数歩の所に茂みの端に立ってる一人の男の影らしかった。
彼女はしばらく、口をきくこともできず、叫ぶことも、人を呼ぶことも、身動きすることも、また振り返ることもできなかった。
ついに彼女は勇気を振るい起こして、決然と後ろをふりむいた。
そこにはだれもいなかった。
彼女は地面を見た。影は消えうせていた。
彼女は茂みの中に戻ってゆき、大胆にもすみずみをうかがい、鉄門の所までも行ったが、何も見つからなかった。
彼女は実際ぞっと寒さを感じた。これもまた幻覚だったろうか。しかも、二日続いて! 一度ならまだしも、二度もあろうとは! ことに不安なのは、その影が確かに幽霊ではなかったことである。幽霊なら丸い帽子をかぶってるはずはない。
その翌日ジャン・ヴァルジャンが帰ってきた。コゼットは彼に自分が聞いたと思い見たと思ったもののことを話した。父はきっと自分を安心させてくれ、「お前はばかな赤ん坊だね」と肩をそびやかして言ってくれることと、彼女は思っていた。
ところがジャン・ヴァルジャンも心配そうになった。
「何でもないかも知れない。」とだけ彼は言った。
彼は何とか言ってコゼットのもとを去り、庭の方へ行った。そして彼女は彼が非常に注意して鉄門を調べてるのを見た。
その夜彼女は目をさました。こんどはもう疑う余地がなかった。窓の下の踏段のあたりをだれか歩いている音が、はっきり聞こえた。彼女は切り戸の所へ駆け寄ってそれを聞いた。果たして庭には手に大きな棒を持ったひとりの男がいた。彼女がまさに叫び声を上げようとする時、月の光が男の顔を照らした。それは父であった。
彼女は寝床へ戻りながら、自ら言った、「まあたいそう心配していらっしゃると見える。」
ジャン・ヴァルジャンはその一晩を庭で過ごした、それから次の二晩も。コゼットはそれを雨戸の穴から見た。
三日目の晩は、月が欠け始めて、遅く出るようになった。ちょうど夜中の一時ごろであったろう。コゼットは大きな笑い声を聞き、父が自分を呼んでるのを聞いた。
「コゼット!」
彼女は寝台から飛びおり、居間着を引っ掛けて、窓を開いた。
父は下の芝地の上にいた。
「お前を安心させようと思って起こしたのだ。」と父は言った。「ごらん、お前の言う丸い帽子の影がここにある。」
そして彼は月の光が投げた一つの影を芝地の上にさし示した。実際丸い帽子をかぶった男の姿にかなりよく似ていた。隣の屋根の上に出てる覆《おお》いのある亜鉛《とたん》の煙筒のためにできてる影だった。
コゼットもいっしょに笑い出した。気味悪い想像はすべて消されてしまった。そして翌日、父とともに朝食をしながら、暖炉の煙筒の影が住んでる物すごい庭のことを彼女はおもしろがった。
ジャン・ヴァルジャンはまったく平静に返った。またコゼットの方では、自分が見たかあるいは見たと思ったあの影と同じ方向に暖炉の煙筒があるか、または空の同じ場所に月があるか、それをあまりよく気に止めなかった。それからまた、暖炉の煙筒が現行を押さえられるのを恐れて影をみられた時逃げ出してしまったという不思議さをも、少しも考えてみなかった。実際あの影はコゼットがふり返ってみた時はもう消えていた、そしてそれについては彼女は見違いではないと信じていた。がとにかくコゼットは十分安心した。父の証明は完全なものと彼女には思われた。そしてあの夕方かあるいは夜分に庭のうちをだれかが歩いていたかも知れないという考えは、すっかり彼女の頭から消えてしまった。
けれどそれから数日の後、新しいできごとが起こった。
三 トゥーサンの注釈
庭の中には、街路に接してる鉄門のそばに、石の腰掛けが一つあった。それは灌木《かんぼく》の植え込みで外からは見えないようになっていたが、それでもしいて鉄門と植え込みとの間に腕を差し伸ばせば、外部から届くことができた。
同じ四月のある夕方、ジャン・ヴァルジャンは外に出かけ、コゼットひとり、日の沈んだ後その腰掛けにすわっていた。風は木立ちの間を吹いていた。コゼットは思い沈んでいた。あてもない悲しみがしだいに寄せてきた。夕暮れのために起こってくる不可抗の悲しみであり、またおそらく夕暮れに口を開く墳墓の神秘から来る悲しみであろう。
あるいはファンティーヌがその影のうちにいたのであろう。
コゼットは立ち上がり、庭のうちを静かに一回りし、露のいっぱいおりた叢《くさむら》の中を歩き、物悲しい一種の夢遊病の状態に陥りながら自ら言った、「こんな時分に庭を歩くにはほんとに木靴《きぐつ》がいる。風邪《かぜ》をひくかもしれないから。」
彼女は腰掛けの所へ戻ってきた。
そしてまた腰をおろそうとした時彼女は、今まで自分がいた所にかなり大きな石が一つあるのを見つけた。それは確かに先刻まではなかったものである。
コゼットはその石を見ながら、いったい何のことだろうかと考えた。石はひとりでに腰掛けの上にやってきたものではない、だれかがそこに置いたものである、だれかが鉄の門から腕を差し入れてしたことである、そういう考えが突然浮かんできた。そして彼女はぞっとした。こんどは本当に恐ろしくなった。もう疑う余地はなかった。石が実際ここにあった。彼女はそれに手を触れず、後ろを振り返りもせず、家の中に逃げ込んで、すぐに踏段の所の入り口に、鎧戸《よろいど》をしめ閂《かんぬき》をさし※《かけがね》をした。彼女はトゥーサンに尋ねた。
「お父様はお帰りになって?」
「まだでございますよ、お嬢様。」
(われわれは前に一度、トゥーサンはどもりだということを示しておいた。そしてもうその事を繰り返さないのを許してもらいたい。不具者の音調を写すのはいやなことであるから。)
沈思の癖があり夜の散歩を好んでいたジャン・ヴァルジャンは、夜遅くしか帰ってこないこともしばしばあった。
「トゥーサンや、」とコゼットは言った、「晩にはせめて庭の方の雨戸には閂をさしてよく締まりをしておいたでしょうね、そして締まりの鉄の輪にはよく釘《くぎ》をさして。」
「ええ御安心なさいませ、お嬢様。」
トゥーサンはいつもそれを怠りはしなかった。コゼットもそれはよく知っていた。しかし彼女はなおつけ加えて言わざるを得なかった。
「こちらはほんとに寂しいからね。」
「寂しいと申せば本当にそうでございますよ。」とトゥーサンは言った。「殺されても声さえ立てる暇がないかも知れません。その上|旦那様《だんなさま》もこちらにはおやすみになりませんし。でもお嬢様、御心配なさいますな、窓は皆|牢屋《ろうや》のように固くしめておきますから。女ばかりですもの、恐《こわ》いのはあたりまえでございますよ。まあ考えてもごらんなさいませ、大勢の男が室《へや》にはいってきて、静かにしろなんかと言って、お嬢様の首に切りつけでもしましたら! 死ぬのは何でもありません、死ぬのはかまいません、どうせ一度は死ぬ身でございますもの。でもそんな男どもがお嬢様に手をつけるのは考えてもたまらないことでございます。それに刃物、それもきっとよく切れないものにきまっています。ああほんとに!」
「もういいよ。」とコゼットは言った。「どこもよく締まりをしてちょうだい。」
コゼットはトゥーサンが即座に組み立てた惨劇の一幕に脅かされ、またおそらく先週に見た幻を思い浮かべたりして、「腰掛けの上にだれかが置いた石をまあ見てきてごらん」とも言うことができなかった。庭の戸口を開けたら「男共」がはいって来るかもしれないような気がした。彼女は方々の戸や窓をよくしめさせ、窖《あなぐら》から屋根裏の部屋まで家中をトゥーサンに見回らせ、自分の室に閉じこもり、扉《とびら》にはよく※[#「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37]《かけがね》をし、寝台の下までのぞき込んで、それから床についたが、よく眠れなかった。山のように大きくて洞穴《どうけつ》がたくさんある石を、夜通し彼女は夢現《ゆめうつつ》に見続けた。
日の出に――日の出の特質は夜間の恐怖をことごとく一笑に付し去らせることにある、そしてその笑いは常に夜の恐怖の大きさに正比例するものである――日の出に、コゼットは目をさまして、前夜の恐怖を夢のように思いながら自ら言った。「何を私は考えたのだろう。先週の晩庭で聞いたと思ったあの足音のようなものだろう。暖炉の煙筒の影のようなものだろう。私は今ばかげた臆病者《おくびょうもの》になりかけたのだろうか。」雨戸のすき間を緋色《ひいろ》に染めてダマ織りの帷《とばり》をまっかに浮き出さした日の光は、彼女の心をすっかり落ち着かして、頭の中にあったものはすべて、あの石までも、消えうせてしまった。
「庭に丸い帽子の男がいなかったと同じように、腰掛けの上にも石はなかったのだろう。ほかの事と同じように、あの石もただ夢で見ただけに違いない。」
彼女は着物を着、庭におり、腰掛けの所に走って行ったが、ぞっと身に冷や汗を感じた。石はそこにあった。
しかしそれは一瞬間のことだった。夜に恐怖を起こすものも、昼には好奇心を起こすようになる。
「まあ、ちょっと見てやろう。」と彼女は言った。
彼女はかなり大きなその石を持ち上げた。下に手紙のようなものが置いてあった。
それは白い紙の封筒だった。コゼットはそれを取り上げた。表にはあて名も書いてなく、裏には封もしてなかった。けれども開いたままのその封筒は空《から》ではなかった。中に紙がはいってるのが少し見えていた。
コゼットはそれを調べてみた。それはもう恐怖でもなく、好奇心でもなく、心配の初まりだった。
彼女は封筒からその中のものを引き出した。紙をとじた小さな帳面で、各面にはページ数がついていて、数行の文字が認めてあった。ごく細かな字で、かなりみごとな筆跡だとコゼットは思った。
コゼットは名前をさがしたが、どこにもなかった。署名をさがしたがなかった。いったいだれにあてられたものだろうか? 彼女の腰掛けの上に置かれてる所を見ると、おそらく彼女にあてられたものであろう。しかしいったいだれからよこしたものであろうか? 不可抗な魅惑に彼女はとらえられた。自分の手の中に震えてる紙から目をそらそうとして、空を見、街路を見、朝日を浴びてるアカシヤの木を見、隣の屋根の上に飛んでる鳩《はと》を見たが、その視線はすぐ手紙の上に落ちてきた。そして中に何が書いてあるかを見てみなければならないように思った。
彼女が読んだことは次のとおりだった。
四 石の下の心
宇宙をただひとりに縮め、ただひとりを神にまでひろげること、それがすなわち愛である。 ―――――――――――――――― 愛、それは星に対する天使の祝辞である。 ―――――――――――――――― 愛のために魂が悲しむ時、その悲しみのいかに深いかよ! ―――――――――――――――― 世界を満たす唯一の人のいない時、世はいかに空《むな》しいか。恋人は神になるとは、実《げ》に真なるかな。もし万物の父にして、明らかに魂のために万物を造らず、愛のために魂を造らなかったとするならば、神は必ずや、恋人が神となるをねたみたもうであろう。 ―――――――――――――――― 人の魂を夢の宮殿のうちに入らしむるには、薄紫の飾りひもある白|縮紗《クレープ》の帽子の下にちらと見ゆる、ただ、一つの微笑にて足りる。 ―――――――――――――――― 神は万物の後ろにあり、万物は神をおおい隠している。事物は黒く、生物は不透明である。ひとりの人を愛するは、その人を透明ならしむることである。 ―――――――――――――――― ある種の思いは祈祷《きとう》である。姿勢のいかんに関せず魂のひざまずいている瞬間がある。 ―――――――――――――――― 互いにへだてられたるふたりの恋人は、その相《あい》見《まみ》えない間を多くの空想によって紛らす。しかもその空想は彼らにとっては現実である。ふたりは会うことを妨げられ、手紙をかわすことを得ないけれども、互いに意を通ずる神秘なる方法を数多見いだすものである。小鳥の歌、花のかおり、子供の笑い、太陽の輝き、風のため息、星の光など、あらゆるものを互いに贈り合う。そしてどうしてそれが不可能と言えよう。神の造りたまえるあらゆるものは、愛に仕えんがためにできているではないか。愛は力強く、いっさいの自然にその使命を帯ばしむる。 おお春よ、汝は私が彼女に書き送る手紙である。 ―――――――――――――――― 未来は、知よりもむしろ情のものである。愛こそは、永遠を占め満たすべき唯一のものである。無窮なるものには、尽くることなきものを要する。 ―――――――――――――――― 愛は魂と同種のものである。愛は魂と同質のものである。魂と同じく聖なるひらめきであり、魂と同じく不朽不可分不滅なるものである。それはわれわれのうちにある永遠無窮なる一点の火であって、何物もこれを限りこれを消すことを得ない。人は骨の髄までこの火の燃ゆるを感じ、天の奥までこの火の輝くのを見る。 ―――――――――――――――― おお愛よ、欽慕《きんぼ》よ、互いに理解する二つの精神の、互いに交わる二つの心の、互いに貫く二つの視線の、その喜悦! 幸福よ、汝は私のもとにこないのか。寂しき所をふたりで歩こうではないか。祝福されたる麗わしい日ではないか。私は時として夢想した、天使の生涯の一部が分かれて下界の人の運命にもおりおり交じってくることを。 ―――――――――――――――― 互いに愛し合う人間の幸福に神のつけ加え得るものは、ただその限りなき永続を与えることのみである。愛の生活についで愛の永続、それはまさしく一つの増加である。しかしこの世において愛が人の魂に与える得も言えぬ至福に、更にその強さを増さしむることは、たとい神にも不可能である。神は天の十全であり、愛こそは人間の十全である。 ―――――――――――――――― 汝は二つの理由から天の星をながめる、一つはその光り輝くがために、一つはその測り知るべからざるがために。しかし汝はおのれのそばに、更にやさしき光を有し、更に大なる神秘を有している、すなわち婦人を。 ―――――――――――――――― 何人《なんぴと》を問わずわれわれは皆呼吸すべきものを有している。それがもしなくなる時には、空気がもしなくなる時には、われわれは息絶える。そしてわれわれは死する。愛を失って死するは恐ろしいことである。それは魂の窒息である。 ―――――――――――――――― 愛がふたりの者を天使のごとき聖なる一個にとかし結合した時、人生の秘奥は彼らに見えてくる。ふたりはもはや同じ一つの運命の両面にすぎなくなる。もはや同じ一つの精神の両翼にすぎなくなる。愛せよ、翔《か》けれよ! ―――――――――――――――― ひとりの婦人が汝の前を通り、歩きつつ光を放つ時、汝のいっさいは終わり、汝は愛に陥る。そして汝のなすべきことはただ一事あるのみ、すなわち深く彼女をのみ思って、ついに彼女にも汝を思わしむること。 ―――――――――――――――― 愛の始めしことを成し遂ぐるは、ただ神あるのみ。 ―――――――――――――――― 真の愛は、一つの手袋を失い、一つのハンカチを見いだすにも、あるいは絶望しあるいは狂喜する。そしてまた、その献身とその希望とのために永遠を求める。真の愛は、無限の大と無限の小とから同時に成り立っている。 ―――――――――――――――― 汝もし石ならば、磁石たれ。汝もし草ならば、含羞草《ねむりぐさ》たれ。汝もし人ならば、愛であれ。 ―――――――――――――――― 何物も愛に如《し》くものはない。人は幸福を得れば楽園を望み、楽園を得れば天国を望む。 おお愛する汝よ、すべてそれらは愛のうちにある。それを見いだす術《すべ》を知れ。愛のうちには、天国と同じき静観があり、天国に優《まさ》ったる喜悦がある。 ―――――――――――――――― 彼女はまだリュクサンブールへきますか。――いいえ。――彼女が弥撒《ミサ》を聞きに来るのはこの会堂へではありませんか。――もうきません。――彼女はまだこの家に住んでいますか。――移転しました。――どこへ行きましたか。――何とも言ってゆきませんでした。 自分の魂とする人がどこにいるかを知らないことは、いかに痛ましいことであるか。 ―――――――――――――――― 愛には子供らしいところがある。他の情にはそれぞれ卑しいところがある。人を卑小ならしむる情は皆恥ずべきかな。人を子供たらしむる愛は讃《ほ》むべきかな! ―――――――――――――――― 不思議なる一事を汝は知っているか。私は今暗夜のうちにいる。ひとりの人が立ち去りながら、天を持ち去ってしまったのである。 ―――――――――――――――― ああ、互いに手を取って共に同じ墳墓の中に横たわり、暗やみの中に時々指をやさしくなで合うことを得たならば、私は永劫《えいごう》にそれで足りるであろう。 ―――――――――――――――― 愛するがゆえに苦しむ汝よ、なおよく愛せよ。愛に死するは愛に生きることである。 ―――――――――――――――― 愛せよ。星をちりばめたる人知れぬ変容は愛の苦悶《くもん》に伴う。愛に死する苦悩のうちには恍惚《こうこつ》たる喜びがある。 ―――――――――――――――― おお小鳥の喜びよ! 彼らが歌うは巣を有するがゆえである。 ―――――――――――――――― 愛こそは、楽園の空気を吸う天国的な呼吸である。 ―――――――――――――――― 深き心の者らよ、賢き精神の者らよ、神の造りたまいしままに人生を受け入れよ。それは長い試練であり、未知の宿命に対する測り難い準備である。この宿命は、真の宿命は、人にとっては墳墓の中に一歩をふみ入れるとともに始まる。その時何物かが現われてき、人は決定的なるものを認め始むる。決定的なるもの、この一語を黙想せよ。生者は窮まりなきものを見る。決定的なるものはただ死者にのみ示される。まずそれまでは、愛し苦しめよ、希望し静観せよ。ああ、肉体と形体と外観とをのみ愛する者は不幸なるかな。死はそれらのすべてを奪い去るであろう。魂を愛することをせよ、さらば魂は死しても再び見いださるるであろう。 ―――――――――――――――― 愛をいだいているきわめて貧しいひとりの青年に、私は街路で出会った。帽子は古く、上衣はすり切れ、肱《ひじ》には穴があいており、水は靴《くつ》に通っていた。しかも星はその魂にはいっていた。 ―――――――――――――――― 愛せらるるというはいかに偉大なることであるか。愛するというは更にいかに偉大なることであるか! 心は情熱のために勇壮となる。その時心を組み立つるものは至純なるもののみであり、心をささうるものは高きもの大なるもののみである。蕁麻《いらくさ》が氷河の上に生じないごとく、卑しい考えは一つもそこに生ずることを得ない。高き朗らかなる魂は、卑俗なる情熱や情緒の達し得ない所にあって、この世の雲や影、愚蒙《ぐもう》や欺瞞《ぎまん》や憎悪《ぞうお》や虚栄や悲惨、などの上にはるかにそびえ、蒼空《そうくう》のうちに住み、あたかも高山の頂が地震を感ずるのみであるがように、ただ宿命の深い地下の震動を感ずるのみである。 ―――――――――――――――― 世に愛をいだく人がなかったならば、太陽も消えうせてしまうであろう。
五 手紙を見たる後のコゼット
その手記を読んでるうちに、コゼットはしだいに夢想に陥っていた。最後の一行を読んで彼女が目を上げた時、ちょうど例の時刻で、あの美しい将校が揚々として鉄門の前を通っていった。コゼットは彼をいとうべきものに思った。
彼女はまた手帳をながめ始めた。きわめて麗わしい筆跡であると彼女は思った。皆同じ手跡ではあったが、インキの色は種々であって、時にはごく黒く、時には薄く、あたかもインキ壺《つぼ》に何度もインキを注したがようで、従ってまた書かれた日もそれぞれ異なっていることを示していた。それでみると、嘆息のまにまに、不規則に、秩序もなく、選択もなく、目的もなく、折りに従って、考えをそのまままき散らしたものらしかった。コゼットはかつてこんなものを読んだことがなかった。その手記中に彼女は陰影よりはなお多くの光明を認めて、あたかも聖殿の中をのぞき見るような気がした。それらの神秘な各行は、彼女の目に光り輝き、彼女の心を不思議な光輝でみなぎらした。彼女の受けた教育は、常に魂のことを説いていたが、かつて愛のことを説かなかった。燃えさしの薪《まき》のことを説いて、炎のことを説かないと同じだった。ところがその十五ページの手記は、彼女に突然やさしく示してくれた、すべての愛や、悲哀や、宿命や、人生や、永遠や、始めや、終わりやを。それはちょうど、突然開いて一握の光輝を投げ与えてくれる手のようなものだった。彼女はそれらの行のうちに感じた、情に燃えた熱烈な豊饒《ほうじょう》な正直な性質を、聖《きよ》い意志を、大なる悲哀と大なる希望を、思いもだえる心を、また恍惚《こうこつ》たる喜びの発揚を。その手記は何であったか。一つの手紙であった。住所もなく、あて名もなく、日付もなく、署名もないものであり、至急なものではあるが私心なきものであり、真実で成り立った謎《なぞ》であり、天使に運ばれ処女に読まれんために書かれた愛の使命であり、この世の外でなされる会合であり、影に向かって送られた幻のやさしい便りだった。手紙の主《ぬし》は、遠く離れた静かな悩める男であって、まさに死のうちに身をのがれんとしているかのようであり、しかも見るを得ない女のもとへ、宿命の秘密を、人生の鍵《かぎ》を、愛を、贈ってよこしたのである。それは足を墓の中に踏み入れ指を天に差し上げて書かれたものであった。紙の上に一つずつ落とされていったそれらの言葉は、言わば魂の点滴とも言うべきものであった。
さてそれらのページは、いったいだれから贈ってきたものであるか、だれがそれを書いたのであるか?
コゼットは少しも疑わなかった。ただひとりの人である。
彼!
彼女の心のうちには再び日がさしてきた。すべてが再び現われてきた。彼女は異常な喜びと深いもだえとを感じた。それは彼であった。彼女に手紙を書いたのは彼であった。そこにいたのは彼であった。鉄門から腕を差し入れたのは彼であった。彼女が彼を忘れていた間に、彼は再び彼女を見いだしたのだった。しかし彼女は実際彼をわすれていたのだろうか? 否、決して! 彼女は愚かにも、彼を忘れたと一時思ったのだった。しかし彼女は常に彼を愛していた、常に彼を欽慕《きんぼ》していた。火はしばしおおわれてくすぶっていた。しかし彼女は今はっきりと知った。火はただいっそう深く進んでいたのみである。そして今や新たに爆発して、彼女をすべて炎で包んでしまった。その手帳は、も一つの魂から彼女の魂のうちに投げ込まれた火粉のようなものだった。彼女は再び火が燃え出すのを感じた。彼女はその手記の一語ごとに胸を貫かれた。彼女は言った。「ほんとにそうだわ。私はこれを皆覚えている。みな一度あの人の目の中に読み取ったものばかりだ。」
彼女が三度くり返してそれを読み終えた時、中尉テオデュールは鉄門の前に戻ってきて、舗石《しきいし》の上に拍車を踏み鳴らした。コゼットは目を上げざるを得なかった。しかし今や彼は、無味乾燥な、ばかな、愚かな、無益な、自惚《うぬぼれ》の強い、いやな、無作法な、ごく醜い男としか、彼女には思われなかった。将校の方では義務とでも思ってか彼女にほほえみかけた。彼女はそれを恥じかつ怒って横を向いた。彼の頭に何か投げつけてやりたいとさえ思った。
彼女はそこを逃げ出して、家の中にはいり、そして手記を読み返し暗唱し夢想せんがために、自分の室《へや》の中に閉じこもった。十分に読んでしまった時、彼女はそれに脣《くちびる》をつけ、それをふところにしまった。
それが済んでコゼットは、天使のような深い恋に陥った。エデンの深淵《しんえん》は再びその口を開いた。
終日コゼットは正気を失ったかのようだった。ほとんど物を考えることもできず、頭の中には雑多な思いが麻糸の乱れたようになり、何物もわきまえることができず、ただうち震えながらねがっていた、何を? それもただ種々な漠然《ばくぜん》たることに過ぎなかった。何事をも確言し得なかったが、何事をも自ら拒もうとはしなかった。顔は青ざめ、身体は震えていた。時としては幻のうちにはいったような気がして、自ら言った、「これは実際のことだろうか。」その時彼女は、上衣の下のいとしい紙にさわってみ、それを胸に押しつけ、自分の肉体の上にその角を感じた。そういう時もしジャン・ヴァルジャンが彼女を見たならば、その眼瞼《まぶた》のうちにあふれてるなぜともわからぬ光り輝いた喜びを見て、身を震わしたであろう。彼女は考えた。「そう、確かにあの人だわ。これは私にあててあの人から下すったのに違いない。」
そして彼女は自ら言った、天使が中に立ち天が力を貸してあの人をまた自分の所へこさしたのであると。
おお愛の変容よ、おお夢よ! この天の助力とは、この天使の仲介とは、フォルス監獄の屋根越しにシャールマーニュの中庭から獅子《しし》の窖《あなぐら》へ、一盗賊から他の盗賊へあてて投げられた、あの一塊のパンの球《たま》にほかならなかったのである。
六 老人は適宜に外出するものなり
晩になってジャン・ヴァルジャンは出かけた。コゼットは服装《みなり》を整えた。まず一番よく似合うように髪を結び、それから一つの長衣をつけたが、その襟《えり》は一|鋏《はさみ》だけよけいに切ったもので、そこから首筋が見えていて、若い娘らがいわゆる「少しだらしない」と称するものだった。しかしそれは決してだらしないものではなくて、何よりもまずかわいいものであった。彼女はなぜとも自ら知らないでそういうふうに身じまいをした。
彼女は出かけるつもりだったのか。否。
彼女は人の訪問を待っていたのか。否。
薄暗くなって、彼女は庭におりていった。トゥーサンは後ろの中庭に面した台所で用をしていた。
コゼットは低い枝があるのを時々手で払いのけながら、木の下を歩き出した。
そして彼女は腰掛けの所へ行った。
石はまだそこにあった。
彼女はそこに腰をおろし、やさしい白い手を石の上に置いた。あたかもそれをなでて礼を言ってるかのようだった。
と突然彼女は、だれかが後ろに立ってるのを目には見ないでもそれと感ぜらるる、一種の言い難い感じを受けた。
彼女はふり向いて、立ち上がった。
それは彼であった。
彼は帽子もかぶっていなかった。色は青ざめやせ細ってるようだった。その黒い服がようやく見分けられた。薄ら明りはその美しい額をほの白くし、その目を暗くなしていた。たとえようのないしめやかな靄《もや》の下に、何となく死と夜とを思わせる様子をしていた。その顔は暮れてゆく昼の明るみと消えてゆく魂の思いとで照らされていた。
それはまだ幽霊ではないがもう既に人間ではないように思われた。
その帽子は藪《やぶ》の中に数歩の所に投げ捨ててあった。
コゼットは気を失いかけたが、声は立てなかった。そして引きつけられるような気がして、静かに後ろにさがった。彼の方は身動きもしなかった。彼を包んでるある悲しい名状し難いものによって、彼女ははっきりとは見えない彼の目つきを感じた。
コゼットは後ろにさがりながら、一本の木に行き当たって、それによりかかった。その木がなかったら危うく倒れるところだった。
その時彼女は彼の声を聞いた。実際彼女がまだ一度も直接に聞いたことのないその声であって、ようやく木の葉のそよぎから聞き分け得るくらいのささやくような低い声だった。
「許して下さい、私はここにきました。私は心がいっぱいになって、今までのようでは生きてゆけなくなりましたから、やってきました。あなたは私がこの腰掛けの上に置いたものを読んで下さいましたか。あなたは私をいくらか覚えておいでになりますか。私を恐《こわ》がらないで下さい。もうだいぶ前のことですが、あなたが私の方をごらんなすったあの日のことを、覚えておられますか。リュクサンブールの園で、角闘士《グラディアトール》の立像のそばのことでした。それからまた、あなたが私の前を通られたあの日のことも? それは六月の十六日と七月の二日とでした。もうやがて一年になります。それ以来長い間、私はもうあなたに会うことができませんでした。私はあすこの椅子番《いすばん》の女にも尋ねましたが、もうあなたを見かけないと言いました。あなたはウエスト街の新しい家の表に向いた四階に住んでおられました。よく知っていましょう。私はあなたの跡をつけたのです。ほかに仕方もなかったのです。それからあなたはどこかへ行かれてしまいました。一度オデオンの拱廊《きょうろう》の下で新聞を読んでいました時、あなたが通られるのを見たように思いました。私は駆けてゆきました。しかしそれは違っていました。ただあなたと同じような帽子をかぶったほかの人でした。それから、夜になると私はここへやってきます。心配しないで下さい、だれも私を見た者はありませんから。私はあなたの窓を近くからながめたいと思ってやって来るのです。あなたを驚かしては悪いと思って、足音が聞こえないようにごく静かに歩くことにしています。先夜はあなたの後ろに私は立っていました。そしてあなたがふり向かれたので、逃げ出してしまいました。一度はあなたが歌われるのを聞きました。ほんとにうれしく思いました。あなたが歌われるのを雨戸越しに聞くことが、何か邪魔になりますでしょうか。別にお邪魔になりはしませんでしょう。いいえ、そんなはずはありません。まったくあなたは私の天使《エンゼル》です。どうか時々私にこさして下さい。私はもう死ぬような気がします。ああ私がどんなにあなたをお慕いしているか、それを知ってさえいただけたら! どうか許して下さい。あなたにお話してはいますが、何を言ってるか自分でも分りません。あるいはお気にさわったかも知れません。何かお気にさわったでしょうか?」
「おおお母様!」と彼女は言った。
そして今にも死なんとするかのように身をささえかねた。
彼は彼女をとらえた。彼女は倒れかかった。彼はそれを腕に抱き取った。彼は何をしてるか自ら知らないで彼女をひしと抱きしめた。自らよろめきながら彼女をささえた。頭には煙がいっぱい満ちたかのようだった。閃光《せんこう》が睫毛《まつげ》の間にちらついた。あらゆる考えは消えてしまった。ある敬虔な行ないをしてるようにも思われ、ある冒涜《ぼうとく》なことを犯してるようにも思われた。その上彼は、自分の胸に感ずるその麗わしい婦人の身体に対して、少しの情欲をもいだいていなかった。彼はただ愛に我を忘れていた。
彼女は彼の手を取り、それを自分の胸に押しあてた。彼はそこに自分の手記があるのを感じた。彼は口ごもりながら言った。
「では私を愛して下さいますか。」
彼女はわずかに聞き取れる息のような低い声で答えた。
「そんなことを! 御存じなのに!」
そして彼女はそのまっかな頬《ほお》を、崇高な熱狂せる青年の胸に埋めた。
彼は腰掛けの上に身を落とした。彼女はそのそばにすわった。彼らはもはや言うべき言葉もなかった。空の星は輝き出した。いかにしてか、二人の脣《くちびる》は合わさった。いかにしてか、小鳥は歌い、雪はとけ、薔薇《ばら》の花は開き、五月は輝きいで、黒い木立ちのかなたうち震う丘の頂には曙《あけぼの》の色が白んでくる。
一つの脣《くち》づけ、そしてそれはすべてであった。
ふたりとも身をおののかした、そして暗闇《くらやみ》の中で互いに輝く目と目を見合った。
彼らはもはや、冷ややかな夜も、冷たい石も、湿った土も、ぬれた草も、感じなかった。彼らは互いに見かわし、心は思いに満たされた。われ知らず互いに手を取り合っていた。彼女は彼に何も尋ねなかった。どこから彼がはいってきたか、どうして庭の中に忍びこんできたか、それを彼女は思ってもみなかった。彼がそこにいたのはきわめて当然なことのように思われたのだった。
時々、マリユスの膝《ひざ》はコゼットの膝に触れた。そしてふたりは身をおののかした。
長く間をおいては、コゼットは一、二言口ごもった。露の玉が花の上に震えるように、彼女の魂はその脣の上に震えていた。
しだいに彼らは言葉をかわすようになった。満ち足りた沈黙に次いで溢出《いっしゅつ》がやってきた。夜は彼らの上に朗らかに輝き渡っていた。精霊のごとく潔《きよ》らかなふたりは、互いにすべてを語り合った、その夢想、その心酔、その歓喜、その空想、その銷沈《しょうちん》、遠くからいかに慕い合っていたかということ、いかに憧《あこが》れ合っていたかということ、互いに会えなくなった時、いかに絶望に陥ったかということ。彼らは既にもうこの上進むを得ない極度の親密さのうちに、最も深い最も秘密なものまでも互いに打ち明け合った。幻のうちに率直な信念をいだいて、愛や青春やまだ残っている子供心などが、彼らの頭のうちにもたらすすべてのものを、互いに語り合った。二つの心は互いにとけ合って、一時間とたつうちに、青年は若い娘の魂を得、若い娘は青年の魂を得た。彼らは互いに心の底の底にはいり込み、互いに魅せられ、互いに眩惑《げんわく》した。
すべてすんだ時、すべてを語り合った時、彼女は彼の肩に頭をもたして、そして尋ねた。
「あなたのお名は?」
「マリユスです。」と彼は言った。「そしてあなたは?」
「コゼットといいますの。」
第六編 少年ガヴローシュ
一 風の悪戯《いたずら》
一八二三年以来、モンフェルメイュの宿屋はしだいに非運に傾いて、破産の淵《ふち》へというほどではないが、多くの小さな負債の泥水《どろみず》の中に沈んでいった。その頃テナルディエ夫婦の間には別にふたりの子供ができていた。ふたりとも男だった。それでつまり五人の子供になるわけで、ふたりは女の児で三人は男の子だった。そして五人とは少し多すぎた。
テナルディエの女房は、末のふたりの児を、まだ年もゆかぬごく小さな時分に、妙な好機会で厄介払《やっかいばら》いをしてしまった。
厄介払いとはそれにちょうど適当な言葉である。この女のうちにははんぱな天性しかなかった。そういう現象の実例はいくらもある。ラ・モート・ウーダンクール元帥夫人のように、テナルディエの女房はただその女の児に対してだけ母親だった。彼女の母性はそこ限りだった。人類に対する彼女の憎悪《ぞうお》は、まず自分の男の児から始まっていた。男の児に対する悪意はすこぶる峻烈《しゅんれつ》で、彼女の心はそこに恐ろしい断崖《だんがい》を作っていた。読者が前に見たとおり、彼女は既に長男を憎んでいたが、他のふたりをもまたのろっていた。なぜかと言えば、ただきらいだからだった。最も恐るべき動機であり、最もどうにもできない理由だった、すなわちただきらいだから。「ぎゃあぎゃあ泣き立てる子供の厄介物《やっかいもの》なんかはごめんだ、」とこの母親は言っていた。
テナルディエ夫婦が、末のふたりの児をどうして厄介払いしたか、しかもどうしてそれから利益まで得たか、それをちょっと説明しておこう。
前に一度出てきたあのマニョンという女は、自分のふたりの子供を種にうまくジルノルマン老人から金を引き出していたあのマニョンと同一人だった。彼女はセレスタン河岸の古いプティー・ムュスク街の角《かど》に住んでいて、その場所がらのために悪い評判をうまくごまかしていた。人の知るとおり、今から三十五年前に、クルプ性|喉頭炎《こうとうえん》が非常に流行して、パリーのセーヌ川付近を荒したことがあった。明礬《みょうばん》吸入の効果が大規模に実験されたのもその時のことであって、今日ではそれに代えて、有効なヨードチンキが外用されるようになったのである。ところでその流行病のおりに、マニョンは同じ日の朝と晩に、まだごく幼いふたりの男の児を亡《な》くした。それは少なからぬ打撃だった。ふたりの子供はその母親にとっては大事なもので、毎月八十フランになるものだった。その八十フランは、ジルノルマン氏の名前で、ロア・ド・シシル街にいる退職執達吏で彼の執事をしてるバルジュ氏から、いつも正確に払われていた。しかるに子供がふたりとも死んだので、その収入も消えたわけだった。でマニョンは工夫を凝らした。ちょうど彼女が関係していた暗やみの悪人どもの間では、あらゆることがわかっていて、互いに秘密を守り合い、互いに助力し合っていた。マニョンにふたりの子供が必要だったが、テナルディエの上さんにふたりの子供があった。同じく男の児で、年齢も同じだった。一方では好都合であり、一方では厄介払いだった。そこでテナルディエのふたりの児はマニョンの児となった。マニョンはセレスタン河岸を去って、クロシュペルス街に移り住んだ。パリーでは住んでる町を変えさえすれば、まったく別人のようにわからなくなる。
戸籍係りの方には何にもわからないで、少しの抗議もなく、替玉《かえだま》はきわめて容易に行なわれた。ただテナルディエは子供を貸し与えたについて月に十フランを請求したが、マニョンもそれは承知して、実際毎月支払った。ジルノルマン氏がなお続けて仕送りをしたことは無論である。彼は六カ月ごとに子供を見にやってきた。しかし子供が変わっていることには気づかなかった。「旦那様《だんなさま》、」とマニョンは彼に言った、「まあふたりともほんとによく旦那様に似ていますこと!」
容易に姿を変え得るテナルディエは、その機会に乗じてジョンドレットとなりすました。ふたりの娘とガヴローシュとは、ふたりの小さな弟がいたことにはほとんど気づく暇もなかった。ある程度の悲惨に陥ると、人は奇怪な無関心の状態になって、人間をも幽霊のように思えてくる。最も親しい身内の者でも、ただぼんやりした影の形にすぎなくなって、人生の朦々《もうもう》とした奥の方に辛うじて認められるだけで、それもすぐに見分けのつかない靄《もや》の中に消えうせてしまう。
永久に見捨てるつもりでふたりの子供をマニョンに渡した日の夕方、テナルディエの女房はそれでもある懸念を感じた、あるいは感じたらしい様子をした。彼女は亭主に言った、「これではまるで子供をうっちゃるようなものだね。」さすがしっかりした冷淡なテナルディエは、それを一言で押さえつけた、「ジャン・ジャック・ルーソーだってこれ以上のことをしている!」女房の懸念は不安の念に変わった。「でも警察で何とか言い出したらどうしようね。あんなことをして、お前さん、まあいいだろうかね。」テナルディエは答えた。「何をしたっていいやね。だれにもわかるもんか。その上一文なしの餓鬼どものことだ、だれも気をつける者はありゃあしねえ。」
マニョンは悪党どもの間ではちょっと品のいい女だった。服装も整えていた。彼女はすっかりフランスふうになりきってるある利口な手癖の悪いイギリスの女と、同じ家に住んでいたが、その室《へや》は気取った卑しい飾りつけがしてあった。このパリーふうになりすましたイギリスの女は、富豪らとの関係を保ち、図書館のメダルやマルス嬢の金剛石などと親しい交渉を持っていて、後に罰金帳簿の上に名を著わした者である。普通にミス嬢と呼ばれていた。
マニョンの手に落ちたふたりの子供は、不平を言うどころではなかった。八十フランついてるので、すべて金になるものが大事にされるとおり、ごく大切にされていた。着物も食物もいいものをあてがわれ、ほとんど「小紳士」のような待遇を受けて、実の母親のもとにいるよりも養母のもとにいる方が仕合わせだった。マニョンはりっぱな夫人らしい様子を作って、彼らの前では変な言葉は少しも使わなかった。
かくて幾年か過ぎた。テナルディエは幸先《さいさき》がいいと思っていた。ある日マニョンがその月分の十フランを持ってきた時、彼はふとこんなことを言った、「そろそろ父親[#「父親」に傍点]から教育もしてもらわなくちゃならん。」
ところが突然、そのふたりのあわれな子供は、その悪い運命のゆえからでもとにかくそれまでは無事に育てられていたが、急に世の中に投げ出されて、自分で生活を始めなければならなくなった。
あのジョンドレットの巣窟《そうくつ》でなされたように多数の悪漢が一度に捕縛さるる場合には、必ずそれに引き続いて多くの捜索と監禁とが起こってくるもので、公の社会の下に住んでる隠密《おんみつ》な嫌悪《けんお》すべき反社会の一団に対して大災害をきたすものである。その種の事件はこの陰惨な世界にあらゆる転覆を導き込むものである。テナルディエ一家の破滅はやがてマニョンの破滅ともなった。
ある日、マニョンがプリューメ街に関する手紙をエポニーヌに渡した少し後のことだったが、突然クロシュペルス街に警察の手が下された。マニョンはミス嬢とともに捕えられ、怪しいと見られたその家全部の者が皆一網にされてしまった。そういうことの行なわれてる間、ふたりの小さな男の児は裏の中庭で遊んでいて、その捕縛を少しも知らなかった。彼らが家にはいろうとすると、戸は閉ざされ家は空《から》になっていた。ふたりは向こう側の店の靴職人《くつしょくにん》のひとりに呼ばれて、「母親」が彼らのために書き残していった紙片を渡された。紙片の上にはあて名がついていた、ロア・ド・シシル街八番地執事バルジュ殿。店の男はふたりに言った。「お前たちはもうここにはいられねえ。その番地の所へ行きな。すぐ近くだ。左手のすぐの街路《まち》だ。この書き付けを持って道をきくがいい。」
ふたりの子供は出かけていった。兄は弟の方を連れながら、ふたりを導くべき紙片を手にしていた。寒い日で、彼の痺《しび》れた小さな指には力がなく、その紙片をしっかと握っていることができなかった。クロシュペルス街の曲がり角《かど》の所で、一陣の風が彼の手から紙片を吹き飛ばしてしまった。もう夜になりかかった頃で、子供はそれをさがし出すことができなかった。
ふたりはあてもなく往来をさまよい始めた。
二 少年ガヴローシュ大ナポレオンを利用す
パリーの春には、しばしば鋭いきびしい北風が吹いて、ただに凍えるばかりでなく、実際身体まで氷結してしまうほどである。最も麗しい春の日をそこなうそれらの北風は、ちょうど建て付けの悪い窓や戸のすき間から暖い室《へや》の中に吹き込んでくる冷たいすき間風のようなものである。あたかも冬の薄暗い扉《とびら》が半ば開いたままになっていて、そこから風が吹いて来るかとも思われる。一八三二年の春は、十九世紀最初の大疫病がヨーロッパに発生した時だったが、この北風が例年にも増して荒く鋭かった。冬の扉よりももっと冷たい氷の扉が口を開いていた。墳墓の扉だった。その北風の中にはコレラの息吹《いぶき》が感ぜられた。
気象学上から言えば、この寒風の特質は高圧の電気を少しもはばまないことだった。電光と雷鳴とを伴った驟雨《しゅうう》がその頃しばしば起こった。
ある晩、この北風が激しく吹いて、正月がまた戻ってきたかと思われ、市民はまたマントを引っ掛けていた時、少年ガヴローシュは相変わらずぼろの下にふるえながら暢気《のんき》で、オルム・サン・ジェルヴェーの付近にある、ある理髪屋の店先に立って、我を忘れてるがようだった。どこから拾ってきたかわからないが、毛織りの女の肩掛けをして、それに顔を半分埋めていた。ちょうど蝋細工《ろうざいく》の新婦の人形があって、首筋をあらわにし橙《オレンジ》の花を頭につけ、窓ガラスの中で二つのランプの間にぐるぐる回りながら、通行人に笑顔《えがお》を見せていた。少年ガヴローシュはそれに深く見とれてるようなふうをしていた。しかし実際は、店の中をうかがっているのであって、店先にある石鹸《せっけん》の一片でも「ごまかし」て、場末の「床屋」に一スーばかりにでも買ってもらおう、というくらいのつもりだった。彼は何度もそういう一片で朝飯にありついたことがあった。彼はそういう仕事に得意で、そのことを「床屋の髯《ひげ》をそる」と称していた。
人形を見、また一片の石鹸を偸見《ぬすみみ》しながら、彼は口の中でこうつぶやいた。「火曜日。――火曜日じゃない。――火曜日かな。――火曜日かも知れん。――そうだ、火曜日だ。」
その独語は何のことだか人にはわからなかった。
あるいはもしかすると、その独語は三日前に得たこの前の食事に関することだったかも知れない。なぜならちょうどその日は金曜だったから。
理髪師は盛んな火のはいってるストーブで暖められた店の中で、客の顔をそりながら、時々じろりと敵の方へ目をやっていた。敵というのはその凍えた厚かましい浮浪少年で、彼は両手をポケットにつっ込んではいたが、その精神は明らかに鞘《さや》を払って一仕事しようとしていた。
ガヴローシュが人形や窓ガラスやウィンゾール石鹸などをのぞいてる間に、彼より小さなかなりの服装をしたふたりの子供が、それも背たけが異なってひとりは七歳くらいでひとりは五歳くらいだったが、おずおずと戸のとっ手を回して、店にはいってゆき、おそらく慈悲か何かを願いながら、懇願というよりもむしろうめきに似た声でぶつぶつつぶやいた。ふたりは同時に口をきいたが、年下の方の声は嗚咽《おえつ》に妨げられ、年上の方の声は寒さに震える歯の音に妨げられて、言葉は聞き取れなかった。理髪師は恐ろしい顔をしてふり向き、剃刀《かみそり》を手にしたまま、左手で年上の方を押し返し、膝頭《ひざがしら》で年下の方を押しのけ、ふたりを往来につき出して、戸をしめながら言った。
「つまらないことにはいってきやがって、室《へや》が冷えっちまうじゃないか」
ふたりの子供は泣きながらまた歩き出した。そのうちに雲が空を通って、雨が降り始めた。
少年ガヴローシュはふたりのあとに駆けていって、それに追いついた。
「おい、お前たちはどうしたんだい。」
「寝る所がないんだもの。」と年上の方が答えた。
「そんなことか。」とガヴローシュは言った。「なんだつまらねえ。それぐらいのことに泣いてるのか。カナリヤみたいだな。」
そして年長者らしい嘲弄《ちょうろう》半分の気持から、少しかわいそうに見下すようなまたやさしくいたわるような調子で言った。
「まあ俺《おれ》といっしょにこいよ。」
「ええ。」と年上の方が言った。
そしてふたりの子供は、大司教のあとにでもついてゆくようにして彼のあとに従った。もう泣くのをやめていた。
ガヴローシュは彼らを連れて、サン・タントアーヌ街をバスティーユの方へ進んでいった。
彼は歩きながら、ふり返って理髪屋の店をじろりとにらんだ。
「不人情な奴《やつ》だ、あの床屋め。」と彼はつぶやいた。「ひどい野郎だ。」
ガヴローシュを先頭に三人が一列になって歩くのを見て、ひとりの女が大声に笑い出した。三人に敬意を欠いた笑い方だった。
「こんちは、共同便所お嬢さん。」とガヴローシュはその女に言った。
それからすぐにまた、理髪師のことが頭に浮かんできて、彼はつけ加えた。
「俺《おれ》は畜生を見違えちゃった。あいつは床屋じゃねえ、蛇《へび》だ。ようし、錠前屋を呼んできて、今にしっぽに鈴をつけさしてやらあ。」
理髪師は彼の気をいら立たしていた。ブロッケン山([#ここから割り注]訳者注 ワルプルギスの魔女らの会合地と思われていた所[#ここで割り注終わり])でファウストに現われて来るにもふさわしいようなある髯《ひげ》のある門番の女が、手に箒《ほうき》を持って立っていると、彼は溝《どぶ》をまたぎながら呼びかけた。
「お前さんは馬に乗って出て来るといいや。」
その時、彼は一通行人のみがき立ての靴《くつ》に泥をはねかけた。
「ばか野郎!」と通行人はどなった。
ガヴローシュは肩掛けの上に顔を出した。
「苦情ですか。」
「貴様にだ!」と通行人は言った。
「役所はひけましたよ、」とガヴローシュは言った、「もう訴えは受け付けません。」
その街路をなお進みながらやがて彼は、十三、四歳の乞食娘《こじきむすめ》が、膝《ひざ》まで見えるような短い着物を着て、ある門の下に凍えて立ってるのを見た。小さな娘は着のみ着のままであまり大きくなり始めてるのだった。生長はそういう悪戯《いたずら》をすることがある。裸体がふしだらとなる頃には、衣裳《いしょう》は短かすぎるようになる。
「かわいそうだな!」とガヴローシュは言った。「裾着《すそぎ》もないんだな。さあ、これでもまあ着るがいい。」
そして首に巻いていた暖かい毛織りの肩掛けをはずし、それを乞食娘《こじきむすめ》のやせた紫色の肩の上に投げてやった。それで首巻きはまた再び肩掛けに戻ったわけである。
娘はびっくりしたようなふうで彼をながめ、黙ったまま肩掛けを受け取った。ある程度までの困苦に達すると、人は呆然《ぼうぜん》としてしまって、もはや虐待を訴えもしなければ、親切を謝しもしなくなるものである。
それからガヴローシュは「ぶるる!」と脣《くちびる》でうなって、聖マルティヌス([#ここから割り注]訳者注 中古の聖者[#ここで割り注終わり])よりもいっそうひどく震え上がった。聖マルティヌスは少なくとも、自分のマントの半分は残して身につけていたのである。
その「ぶるる!」という震え声に、驟雨は一段ときげんを損じて激しくなってきた。この悪者の空はかえって善行を罰する。
「ああ何てことだ。」とガヴローシュは叫んだ。「またひどく降り出してきたな。このまま降り続こうもんなら、もう神様なんてものも御免だ。」
そして彼はまた歩き出した。
「なあにいいや。」と彼は言いながら、肩掛けの下に身を縮めてる乞食娘の方に一瞥《いちべつ》をなげた。「あすこにだってすてきな着物を着てる女が一匹いらあ。」
そしてこんどは雲をながめて叫んだ。
「やられた!」
ふたりの子供は彼のあとに並んで歩いていた。
人は通常パンを黄金のように鉄格子の中に置くものであって、密な鉄格子はパン屋の店を示すものであるが、彼らがそういう一つの窓の前を通りかかった時、ガヴローシュは後ろをふり向いた。
「おい、みんな飯を食ったか。」
「朝から何にも食べません。」と年上の子供が答えた。
「じゃあ親父《おやじ》も親母《おふくろ》もないのか。」とガヴローシュはおごそかに言った。
「いいえ、どっちもありますが、どこにいるかわからないんです。」
「それはわかってるよりわからない方がいいこともある。」と思想家であるガヴローシュは言った。
「もう二時間も歩き回ってるんです。」と年上の方は言い続けた。「町角《まちかど》でさがし物をしてたけれど、わからないんです。」
「あたりまえさ、犬がみんな食ってしまうんだ。」とガヴローシュは言った。
そしてちょっと口をつぐんだ後、彼はまた言った。
「ああ俺たちは産んでくれた者を失ってしまったんだ。それをどうしたのかもうわからないんだ。こんなことになるべきもんじゃあねえや。こんなふうに大人《おとな》を見失うなあばかげてる。だがまあのみこんじまうさ。」
彼はその上彼らに何も尋ねなかった。宿がない、そんなことはあたりまえのことである。
ふたりの中の年上の方は、子供の常としてすぐにほとんど平気になって、こんなことを言い出した。
「でも変ですよ。お母さんは、枝の日曜日(復活祭前の日曜)には黄楊《つげ》の枝をもらいに連れてってくれると言っていたんだもの。」
「ふーむ。」とガヴローシュは答えた。
「お母さんはね、」と年上のは言った、「ミス嬢といっしょに住んでるんですよ。」
「へえー。」とガヴローシュは言った。
そのうちに彼は立ち止まって、しばらくそのぼろ着物のすみずみを隈《くま》なく手を当ててさがし回った。
ついに彼はただ満足して頭を上げたが、しかし実は昂然《こうぜん》たる様子になった。
「安心しろよ。三人分の食事ができた。」
そして彼は一つのポケットから一スー銅貸を引き出した。
ふたりが驚いて口を開く間もなく、彼はふたりをすぐ前のパン屋の店に押し込み、帳場に銅貨を置きながら叫んだ。
「おい、パンを一スー。」
主人と小僧とを兼ねてるそのパン屋は、パンの切れとナイフとを取り上げた。
「三片《みきれ》にしてくれ。」とガヴローシュは言った。そしてしかつめらしくつけ加えた。
「三人だからな。」
そしてパン屋が三人の客の様子をうかがって黒パンを取り上げたのを見て、彼は鼻の穴に深く指をつっ込み、あたかも拇指《おやゆび》の先に一摘まみのフレデリック大王の嗅煙草《かぎたばこ》でも持ってるようにおごそかに息を吸い込んで、それからパン屋にまっ正面から次の激語を浴びせかけた。
「そりゃんだ?」
読者はガヴローシュがパン屋に浴びせかけたその一語を、ロシアかポーランドあたりの言葉だろうと思ったり、あるいは曠野《こうや》のうちに大河の一方から他方へ呼びかわすアメリカ土人の粗野な叫びだろうと思うかもしれないが、実は読者自身が日常使ってる言葉で、「それはなんだ?」という句の代わりになるものだった。パン屋はそれをよく理解して答えた。
「なにこれはパンで、中等のうちで一番いい品だよ。」
「すすけたやつとでも言うんだろう。」とガヴローシュは落ち着いて冷然と言った。「白いパンがいるんだ。洗い立てのようなやつだ。俺《おれ》がごちそうするんだからな。」
パン屋は思わず微笑して、それから白パンを切りながら、三人をあわれむようにながめた。ガヴローシュはそれがしゃくにさわった。
「おい丁稚《でっち》、」と彼は言った、「なんだってそうじろじろ見てるんだ。」
だが三人をつぎ合わしても、やっと一尋《ひとひろ》くらいなものだったろう。
パンが切られると、パン屋は一スー銅貨を引き出しに投げ込み、ガヴローシュはふたりの子供に言った。
「やれよ。」
子供はぼんやりして彼をながめた。
ガヴローシュは笑い出した。
「あはあ、なるほど、まだわからないんだな。小《ちっ》ちゃいからな。」
そして彼は言い直した。
「食えよ。」
同時に彼は、ふたりにパンを一切れずつ差し出した。
そして、年上の方はいくらか話せるやつらしいので、少し勇気をつけてやって、遠慮なく腹を満たすようにしてやるがいいと彼は思って、一番大きな切れを与えながら言い添えた。
「これをつめ込むがいい。」
一切れは一番小さかったので、彼はそれを自分のにした。
あわれな子供らは、ガヴローシュもいっしょにして、非常に腹がすいていた。で三人はその店先に並んで、パンをがつがつかじり出した。パン屋はもう金をもらってしまったので、しかめっ面《つら》をして彼らをながめていた。
「往来に戻っていこう。」とガヴローシュは言った。
彼らはまたバスティーユの方へ歩き出した。
時々、明るい店の前を通る時、年下の方は立ち止まって、紐《ひも》で首にかけてる鉛の時計を出して時間を見た。
「なるほどまだ嘴《くちばし》が黄色いんだな。」とガヴローシュは言った。
それからふと考え込んで、口の中でつぶやいた。
「だが、俺にもし子供《がき》でもあったら、もっと大事にするかも知れねえ。」
彼らがパンの切れを食い終わって、向こうにフォルス監獄の低いいかめしい潜門《くぐりもん》が見える陰鬱《いんうつ》なバレー街の角《かど》まで達した時、だれかが声をかけた。
「やあ、ガヴローシュか。」
「やあ、モンパルナスか。」とガヴローシュは言った。
浮浪少年に言葉をかけた男は、モンパルナスが変装してるのにほかならなかった。青眼鏡《あおめがね》をかけて姿を変えてはいたが、ガヴローシュにはすぐにわかった。
「畜生、」とガヴローシュは言い続けた、「唐辛《とうがらし》の膏薬《こうやく》みたいなものを着て青眼鏡をかけてるところは、ちょっとお医者様だ。なるほどいいスタイルだ。」
「シッ、」とモンパルナスは言った、「高い声をするな。」
そして彼は、すぐに店並みの光が届かない所にガヴローシュを連れ込んだ。
ふたりの子供は手をつなぎ合って機械的にそのあとについていった。
彼らがある大きな門の人目と雨とを避けた暗い迫持《せりもち》の下にはいった時、モンパルナスは尋ねた。
「俺が今どこへ行くのか知ってるか。」
「お陀仏堂《だぶつどう》(絞首台)へでも行くんだろう。」とガヴローシュは言った。
「ばか言うな。」
そしてモンパルナスは言った。
「バベに会いに行くんだ。」
「ああ、」とガヴローシュは言った、「女の名はバベって言うのか。」
モンパルナスは声を低めた。
「女じゃねえ、男だ。」
「うむ、バベか。」
「そうだ、あのバベだ。」
「あいつは上げられてると思ったが。」
「うまくはずしたんだ。」とモンパルナスは答えた。
そして彼はこの浮浪少年に、バベはちょうどその日の朝、付属監獄へ護送されて、「審理場の廊下」で右に行く所を左に行ってうまく脱走したことを、かいつまんで話した。
ガヴローシュはその巧みなやり口に感心した。
「上手なやつだな!」と彼は言った。
モンパルナスはバベの脱走について二、三の詳しいことをなお言い添えて、最後に言った。
「ところがまだそればかりじゃあねえんだ。」
ガヴローシュは話を聞きながら、モンパルナスが手に持ってたステッキを取り、そして何とはなしにその上の方を引っ張ってみた。すると刀身が現われた。
「ああ、」と彼はすぐに刀身を納めながら言った、「豪《えら》いやつを隠してるな。」
モンパルナスは目をまたたいてみせた。
「なるほど、」とガヴローシュは言った、「いぬをやっつけるつもりだね。」
「そんなことあわかるもんか。」とモンパルナスは事もなげに答えた。「とにかく一つ持ってる方がいいからな。」
ガヴローシュはしつこく言った。
「今晩いったい何をするつもりなんだい?」
モンパルナスはまたまじめな問題に立ち返って、一語一語のみ込むように言った。
「いろんなことだ。」
そして彼はにわかに話題を変えた。
「時にね。」
「何だ?」
「この間妙なことがあったよ。まあ俺《おれ》がある市民に会ったと思うがいい。するとその男が俺にお説教と財布とをくれた。俺はそれをポケットに入れた。ところがすぐあとでポケットを探ると、もう何にもねえんだ。」
「お説教だけ残ったんだな。」とガヴローシュは言った。
「だがお前は、」とモンパルナスは言った、「これからどこへ行くんだ。」
ガヴローシュは引き連れたふたりの子供をさして言った。
「この子供どもを寝かしに行くんだ。」
「どこだ、寝かすのは。」
「俺の家《うち》だ。」
「お前の家って、どこだ。」
「俺の家だ。」
「では家があるのか。」
「うむ、ある。」
「そしてそりゃあどこだ。」
「象の中だ。」とガヴローシュは言った。
モンパルナスは生来あまり驚かない方ではあったが、声を上げざるを得なかった。
「象の中!」
「そうだ、象の中だ。」とガヴローシュは言った。「せがどった?」
この終わりの一語もまた、だれもそう書きはしないが、だれでも話してる言葉である。「せがどった」というのは、「それがどうした?」という意味である。
浮浪少年のその深い見解は、ついにモンパルナスを落ち着けまじめになした。彼はガヴローシュの住居に賛成しだしたようだった。
「なるほど、」と彼は言った、「あの象か。中はどんな気持ちだ?」
「いいね、」とガヴローシュは言った、「まったくすてきだ。橋の下のように風はこないしね。」
「どうしてはいるんだ。」
「そりゃあはいれるさ。」
「穴でもあるのか。」とモンパルナスは尋ねた。
「うむ。だが人に言っちゃあいけねえよ。前足の間にあるんだ。いぬ[#「いぬ」に傍点]どもも気がついていないんだ。」
「でお前はそこから上ってゆくのか。なるほどな。」
「かさこそっとやればもう大丈夫、だれの目にもつかねえ。」
そしてちょっと言葉を切って、ガヴローシュはまた言い添えた。
「この子供には、梯子《はしご》をかけてやろう。」
モンパルナスは笑い出した。
「いったいどこからその餓鬼どもを拾ってきたんだ。」
ガヴローシュは事もなげに答えた。
「理髪屋が俺《おれ》にくれたんだ。」
そのうちにモンパルナスは考え込んだ。
「お前にはすぐに俺がわかったんだな。」と彼はつぶやいた。
彼はポケットから何か二つの小さな物を取り出したが、それは綿にくるんだ二つの羽軸に外ならなかった。彼はそれを両方の鼻の穴に差し込んだ。すると鼻の形がまったく異なってしまった。
「すっかり変わったよ、」とガヴローシュは言った、「その方が男っぷりがいいや、いつもそうしてる方がいいね。」
モンパルナスは好男子であったが、ガヴローシュはひやかしたのだった。
「冗談はぬきにして、」とモンパルナスは尋ねた、「これでどうだろう。」
彼は声まで変わっていた。一瞬間のうちにモンパルナスは別人になってしまった。
「まったくポリシネル道化者)だ。」とガヴローシュは叫んだ。
ふたりの子供はそれまで彼らの言葉に耳も傾けないで、指先で鼻の穴をほじくっていたが、ポリシネルという言葉を聞いて近寄ってき、始めておもしろがり感心しだしてモンパルナスをながめた。
ただ不幸にもモンパルナスは安心していなかった。
彼はガヴローシュの肩に手を置き、一語一語力を入れて言った。
「いいかね。俺がもし番犬と短剣と一件とを組んで広場んでもいるんなら、そしてお前が十スーばかんふんばってでもくれるんなら、少し手を貸さんもんでもねえんだがね、今はぼんやりふんぞってもおれんからな。」
その変な言葉を聞いて、浮浪少年は妙な態度をとった。彼は急いでふり返り、深く注意をこめてその小さな輝いた目であたりを見回し、そして数歩向こうに、こちらに背を向けて立ってるひとりの巡査を見つけた。ガヴローシュは思わず「なるほど」と言いかけたが、すぐにその言葉をのみ込んでしまって、それからモンパルナスの手を握って打ち振りながら言った。
「じゃ失敬。俺《おれ》は餓鬼どもをつれて象の所へ行こう。もし晩に用でもあったら、あすこへこいよ。中二階に住んでるから。門番もいやしねえ。ガヴローシュ君と尋ねて来りゃあすぐわかるよ。」
「よし。」とモンパルナスは言った。
そして彼らは別れて、モンパルナスはグレーヴの方へ、ガヴローシュはバスティーユの方へ向かった。五歳の子供は兄に連れられ、兄はガヴローシュに連れられて、何度もふり返っては、「ポリシネル」が立ち去るのをながめた。
巡査がいることをモンパルナスがガヴローシュに伝えた変な言葉には、種々の形の下に十何回となくくり返されたんという音の合い図を含んでいるのだった。この別々に発音されないで巧みに文句のうちに交じえられたんという音は、こういう意味だった、、うっかりしたことは言えねえ。」その上モンパルナスの言葉のうちには、ガヴローシュの気づかない文学的美点があった。それは、番犬と短剣と一件[#「番犬と短剣と一件」に傍点]という言葉で、タンプル付近で普通に隠語として使われ、犬とナイフと女という意味であって、モリエールが喜劇を書きカローが絵を書いていたあの大世紀の道化者や手品師などの間に使い古されたものであった。
今から二十年前までは、バスティーユの広場の南東のすみ、監獄の城砦《じょうさい》の昔の濠《ほり》に通ぜられた掘り割りにある停船場の近くに、一つの不思議な記念物が残っていた。それは今ではもうパリー人の記憶にも止まってはいないが、少しは覚えていてもいいものである、なぜなら、「学士会員エジプト軍総指揮官」(ナポレオン)の考えになったものであるから。
もっとも記念物とは言っても、一つの粗末な作り物にすぎなかった。しかしこの作り物は、ナポレオンの考えを示す驚くべき草案であり偉大な形骸《けいがい》であって、相次いで起こった二、三の風雲のためにしだいにわれわれから遠くへ吹き去られこわされてしまったものではあるけれども、それ自身は歴史的価値を有するに至ったもので、一時作りのものであったにかかわらずある永久性をそなうるに至ったものである。それは木材と漆喰《しっくい》とで作られた高さ四十尺ばかりの象の姿で、背中の上には家のような塔が立っていて、昔はペンキ屋の手で青く塗られていたが、当時はもう長い間の風雨に黒ずんでしまっていた。そして広場の寂しい露天の一隅《いちぐう》で、その巨大な額、鼻、牙《きば》、背中の塔、大きな臀《しり》、大円柱のような四本の足などは、夜分星の輝いた空の上に、恐ろしい姿で高くそびえて浮き出していた。何とも言えない感じを人に与えた。民衆の力の象徴とも言えるものだった。謎《なぞ》のような巨大な黒い影だった。バスティーユの牢獄の目に見えない幽鬼のそばに立っている、目に見える巨大な一種の幽鬼であった。
外国人でその建造物を見舞う者はほとんどなく、通行人でその建造物をながめる者はひとりもいなかった。そしてしだいに荒廃に帰し、時とともに漆喰が取れて横腹に醜い傷をこしらえた。上流の流行語でいわゆる「奉行《ぶぎょう》」らも、一八一四年以来それを顧みなかった。でその片すみに立ったまま、陰鬱《いんうつ》に病みこわれ、絶えず酔っ払いの馬方どもがよごしてゆく朽ちた板囲いがあり、腹部には縦横に亀裂《きれつ》ができ、尾には木の軸が見え、長い草が足の間にははえていた。そして大都会の地面を絶えず徐々に高めてゆく変化につれて、その広場の地面も三十年来高まっていったので、象は窪地《くぼち》の中に立っていて、ちょうど地面がその重みの下にへこんでいるかのようだった。もうきたなくなって、だれにも顧みられず、いやな姿で傲然《ごうぜん》と控えていて、市民の目には醜く、思索家の目には陰鬱《いんうつ》に見えていた。当然取り除かるべき不潔さをそなえ、当然打ち倒さるべき壮大さをそなえていた。
しかし前に言ったとおり、夜になると違ったありさまになった。夜はまったく影のものの世界である。薄暗くなり始めると、その古い象も姿が変わった。深く朗らかなやみの中に、落ち着いた恐ろしい姿になった。過去のものであるがゆえに、また夜のものであった。夜の暗さはその偉大さにふさわしいものだった。
その記念物は、荒々しく、太々しく、重々しく、粗雑で、いかめしく、ほとんどぶかっこうであったが、しかし確かに堂々たるもので、一種壮大野蛮な威厳をそなえていた。がついに消えうせてしまって、九つの塔を持った陰惨な牢獄《ろうごく》の城砦《じょうさい》の跡に立った、煙筒のついた大きなストーブみたいな記念碑を、平和にそびえさした。それはあたかも、封建制度の後に中流階級がやってきたようなものである。勢力は鍋《なべ》の中に存するという一時代の象徴がストーブであることは、至って自然なことである。しかしそういう時代もやがて過ぎ去るだろう。否既に過ぎ去りつつある。強力は釜《かま》の中にあるとしても、勢力は頭脳の中にあるのほかはないということが、既に了解され始めている。言葉を換えて言えば、世界を導いてゆくものは、機関車ではなくて思想であるということが。機関車を思想につなぐはいい、しかし馬を騎士と誤ってはいけない。
それはとにかく、バスティーユの広場に戻って言うならば、象の建造者は漆喰《しっくい》をもって偉大を作り上げることができ、ストーブの煙筒の建造者は青銅をもって卑小を作り上げることができたのである。
このストーブの煙筒は、七月記念塔といういかめしい名前を冠せられたものであり、流産した革命(七月革命)のはんぱな記念碑であるが、一八三二年にはまだ、惜しいことには、大きな足場構えでおおわれていて、その上象を孤立さしてしまった広い板囲いでとりまかれていた。
今浮浪少年がふたりの「餓鬼」を連れて行ったのは、遠い街灯の光が届くか届かないくらいのその広場の片すみの方へであった。
余事ではあるがここに一言ことわっておくのを許してもらいたい。われわれはただありのままの事実を話しているのである。そして、軽罪裁判所で、浮浪ならびに公共建築物破壊の名の下に、バスティーユの象の中に寝てるところを押さえられたひとりの子供が裁かれたのは、今から二十年前のことであった。
これだけの事実を述べておいて、話を先に進めよう。
大きな象の方へ近づきながらガヴローシュは、ごく大きなものがごく小さなものの上に与える感じを察して、こう言った。
「お前たち、こわがることはないんだぜ。」
それから彼は板囲いの破れ目から象の囲いの中にはいり、ふたりの子供を助けてその入り口をまたがした。ふたりは少し驚いて、一言も口をきかずにガヴローシュのあとに従い、自分たちにパンをくれ宿所を約束してくれたそのぼろを着た小さな天の使いに万事を任した。
そこには、そばの建築材置き場で職人らが昼間使ってる一つのはしごが、板囲いの根本に横たえてあった。ガヴローシュは非常な力を出してそれを持ち上げ、象の前足の一つにそれを立て掛けた。梯子《はしご》の先が届いてる所に、象の腹にあいてる暗い穴が見えていた。
ガヴローシュはその梯子と穴とをふたりの客人にさし示して言った。
「上っていってはいるんだ。」
ふたりの小さな子供は恐れて互いに顔を見合った。
「こわいんだね。」とガヴローシュは叫んだ。
そして彼は言い添えた。
「やって見せよう。」
彼は象の皺《しわ》のある足に手をかけ、梯子を使おうともせず、ひらりと穴の所へ飛び上がった。そして蛇が穴にはい込むようにその中にはいって、見えなくなった。けれど間もなく、青白いぼんやりした幽霊のように、まっくらな穴の縁に彼の顔がぼーっと浮かび出してくるのを、ふたりの子供は見た。
「さあお前たちも上ってこい、」と彼は叫んだ、「ごくいい気持ちだぜ。」それから年上の方に言った。「お前上れ、手を引っ張ってやるから。」
ふたりは互いに肩をつき合って先を譲った。しかし浮浪少年は彼らをこわがらせると同時にまた安心さしていた。その上雨もひどく降っていた。で年上の方がまずやってみた。年下の方は兄が上ってゆくのを見、自分ひとり大きな動物の足の間に取り残されたのを見て、泣き出したいような心地になったが、それをじっとおさえた。
年上の方は梯子を一段一段とよろめきながら上っていった。ガヴローシュはその間、撃剣の先生が生徒を励ますように、また馬方が騾馬《らば》を励ますように、声をかけて力づけてやった。
「こわくはない。」
「そうだ。」
「そのとおりやるんだ。」
「そこに足をかけて。」
「こっちにつかまって。」
「しっかり。」
そして子供が手の届く所まで来ると、彼はいきなり強くその腕をつかんで引き上げた。
「よし。」と彼は言った。
子供は穴の縁を越した。
「ちょっと待っておれ。」とガヴローシュは言った。「どうぞ席におつき下さいだ。」
そして、はいったのと同じようにして穴からいで、猿のようにすばしこく象の足をすべりおり、草の上にすっくと飛びおりて、五歳の子供を鷲づかみにし、はしごの中ほどにそれを据え、その後から上りながら、年上の方に叫んだ。
「俺が押すから、お前は引っ張るんだぞ。」
たちまちのうちに子供は、上げられ、押され、引きずられ、引っ張られ、知らない間に穴の中へ押し込まれてしまった。ガヴローシュはそのあとからはいってきながら、踵《かかと》で一蹴してはしごを草の上に投げ倒し、手をたたいて叫んだ。
「さあよし。ラファイエット将軍万歳!」(訳者注 常に革命に味方せる当時の将軍)
その感興が静まると、彼はつけ加えて言った。
「お前たちは俺《おれ》の家にきたんだぜ。」
ガヴローシュは実際自分の家に落ち着いたのだった。
実に廃物の意外なる利用である。偉大なる事物の恵み、巨人の好意である。皇帝の思想を含有するこの大なる記念物は、一浮浪少年を入るる箱となった。小僧はその巨像から迎えられて庇護《ひご》された。日曜日の晴れ着をつけてバスティーユの象の前を通る市民らは、軽蔑《けいべつ》の様子で目を見張ってながめながら好んで言った、「あんなものが何の役に立とう?」しかしそれは、父も母もなくパンも着物も住居もない一少年を、寒気や霜や霰《あられ》や雨などから救い、冬の朔風《きたかぜ》からまもり、熱を起こさせる泥中《でいちゅう》の睡眠から防ぎ、死を招く雪中の睡眠から防ぐの用に立った。社会から拒まれた罪なき者を収容するの用に立った。公衆の罪過を減ずるの用に立った。それはすべての扉《とびら》からしめ出された者に向かって開かれた洞窟《どうくつ》であった。虫に食われ世に忘れられ、疣《いぼ》や黴《かび》や吹き出物などが一面に生じ、よろめき、腐蝕され、見捨てられ、永久に救われない、そのみじめな年老いた巨獣、四つ辻《つじ》のまんなかに立って好意の一瞥《いちべつ》をいたずらに求めてるその一種の巨大なる乞食《こじき》は、これもひとりの乞食、足には靴《くつ》もなく、頭の上には屋根もなく、凍えた指に息を吐きかけ、ぼろをまとい、人の投げ与える物で飢えをしのいでるあわれな小人に、憐愍《れんびん》の情を寄せてるかのようだった。バスティーユの象はそういう役に立ったのである。ナポレオンのその考案は、人間に軽蔑されたが、神によって受け入れられた。単に有名にすぎなかった物も、尊厳の趣を得るにいたった。皇帝にとっては、その考案したところを実現せんがためには、雲斑石《うんぱんせき》や青銅や鉄や金や大理石などが必要だったろうけれども、神にとっては、板と角材と漆喰《しっくい》との古い構造で足りたのである。皇帝は天才的夢想をいだいていた。鼻を立て、塔を負い、勇ましい生命の水を四方に噴出する、この武装せる驚くばかりの巨大なる象のうちに、民衆を具現せんと欲した。しかし神はそれをいっそう偉大なるものたらしめた、すなわちその中にひとりの少年を住まわしたのである。
ガヴローシュがはいり込んだ入り口の穴は、前に言ったとおり象の腹の下に隠れていて、その上|猫《ねこ》か子供のほかは通れないくらいに狭かったので、外からはほとんど見えなかった。
「まず初めに、」とガヴローシュは言った、「皆不在だと門番に言っておこう。」
そしてよく案内を知った自分の部屋にでもはいるように平気で暗闇《くらやみ》の中を進んでいって、一枚の板を取り、それで入り口の穴をふさいだ。
ガヴローシュはまた闇の中にはいり込んだ。ふたりの子供は、燐《りん》の壜《びん》の中に差し込んだ付け木に火をつける音を聞いた。化学的のマッチはまだできていなかった。フュマードの発火器も当時では進歩した方のものだった。
突然光がきたので、子供らは目をまたたいた。ガヴローシュは樹脂の中に浸した麻糸でいわゆる窖《あなぐら》の鼠なるものの端に火をつけたのだった。光よりもむしろ煙の方を多く出すその窖の鼠は、象の内部をぼんやり明るくなした。
ガヴローシュのふたりの客人は、まわりをながめて、一種異様な感に打たれた。ハイデルベルヒ城の大|樽《たる》の中に閉じこめられでもしたような心地であり、またなおよく言えば、聖書にある鯨の腹の中にはいったというヨナが感じでもしたような心地だった。巨大な骸骨《がいこつ》が彼らの目に見えてきて、彼らを丸のみにしていた。上には、穹窿形《きゅうりゅうけい》の大きな肋骨材《ろっこつざい》が所々に出ている薄黒い長い梁《はり》が一本あって、肋骨をそなえた背骨のありさまを呈し、多くの漆喰《しっくい》の乳房が内臓のようにそこから下がっており、一面に張りつめた広い蜘蛛《くも》の巣は、塵《ちり》をかぶった横隔膜のようだった。方々のすみには黒ずんだ大きな汚点が見えていて、ちょうど生きてるようで、にわかに騒ぎ立って早く動き回った。
象の背中から落ちた破片は、腹部の凹所《おうしょ》を満たしていたので、歩いてもちょうど床《ゆか》の上のような具合だった。
小さい方は兄に身を寄せて、半ば口の中で言った。
「暗いんだね。」
その言葉はガヴローシュの激語を招いた。ふたりの子供の狼狽《ろうばい》してる様子を見ると、少し押っかぶせてやる必要があった。
「何をぐずぐずぬかすんだ?」と彼は叫んだ。「おかしいというのか。いやだと言うのか。お前らはテュイルリーの御殿にでも行きてえのか。ばかになりてえのか。言ってみろ。覚えておれ、俺《おれ》はたわけ者じゃねえんだぞ。お前らはいったい、法皇の小姓みてえな奴《やつ》なのか。」
少し手荒い言葉もこわがってる時には効果がある。それは心を落ち着かせる。ふたりの子供はガヴローシュの方へ近寄っていった。
ガヴローシュはその信頼の様子に年長者らしく心を動かされて、「厳父から慈母に」変わり、年下の方に言葉をかけてやった。
「ばかだな。」と彼は甘やかすような調子に小言《こごと》を包んで言った。「暗いのは外だぜ。外には雨が降ってるが、ここには降っていない。外は寒いが、ここには少しの風もない。外には大勢人がいるが、ここにはだれもいない。外には月も照っていないが、ここには俺の蝋燭《ろうそく》があるんだ。」
ふたりの子供は前ほどこわがらないで部屋《へや》の中を見回し始めた。しかしガヴローシュは彼らに長く見回してる暇を与えなかった。
「早くしろよ。」と彼は言った。
そして彼はふたりをちょうど室《へや》の奥とでも言える方へ押しやった。
そこに彼の寝床があった。
ガヴローシュの寝床はすっかり整っていた。すなわち、敷き蒲団《ぶとん》と掛け蒲団とまた帷《とばり》のついた寝所とをそなえていた。
敷き蒲団は藁《わら》の蓆《むしろ》であったが、掛け蒲団は灰色のかなり広い毛布の切れで、ごくあたたかくまたほとんど新しかった。そして寝所というのは次のようなものだった。
かなり長い三本の柱が、漆喰《しっくい》の屑《くず》が落ち散った地面に、すなわち象の腹に、前方に二本後ろに一本、堅くつき立ててあって、その上の方を繩《なわ》で結わえられ、ちょうどピラミッド形の叉銃《さじゅう》のようになっていた。叉銃の上には金網がのっていて、それはただ上からかぶせられたばかりではあるが、巧みに押しつけて針金で結わえられていたので、三本の柱をすっかり包んでいた。網の裾《すそ》は地面にずらりと並べた大きな石で押さえられて、何物もそれをくぐることができないようになっていた。その金網は動物園の大きな鳥籠《とりかご》に用うるものの一片だった。ガヴローシュの寝床は金網の下にあって、ちょうど籠の中にあるようなものだった。その全体はエスキモー人のテントに似寄っていた。
金網が帷《とばり》の代わりになっていたのである。
ガヴローシュは金網を押さえてる前の方の石を少しよけた。すると重なり合っていた金網の二つの襞《ひだ》が左右にあいた。
「さあ、四《よつ》んばいになるんだ。」とガヴローシュは言った。
彼はふたりの客を注意して籠《かご》の中に入れ、それから自分も後に続いてはい込み、石を並べ、元のとおり堅くその口を閉ざした。
三人は蓆《むしろ》の上に横になった。
皆まだ小さくはあったが、だれもその寝所の中では頭がつかえて立っておれなかった。ガヴローシュはなお「窖《あなぐら》の鼠《ねずみ》」を手に持っていた。
「さあねくたばれ。」と彼は言った。「灯《あかり》を消すぞ。」
「これは何ですか。」と年上の方は金網をさしながらガヴローシュに尋ねた。
「それはね、」とガヴローシュはおごそかに言った、「鼠よけだ。もうねくたばれ。」
けれども彼は、年のゆかないふたりに少し教え込んで置くがいいように思って、続けて言った。
「それは動植物園のものだぜ。荒い獣に使うやつなんだ。倉いっぱいある。壁を乗り越え、窓にはい上り、扉《とびら》をあけさえすりゃあいいんだ。いくらでも取れる。」
そう言いながら彼は、毛布の切れを年下の方にすっかり着せてやった。すると子供はつぶやいた。
「ああこれはいい、あたたかい。」
ガヴローシュは満足そうな目で毛布をながめた。
「それも動植物園のものだ。」と彼は言った。「猿《さる》のを取ってきたんだ。」
そして年上の方に、下に敷いてるごく厚いみごとに編まれた蓆をさし示しながら、彼は言い添えた。
「それはキリンのだぜ。」
しばらくして彼はまた言った。
「獣は皆そんなものを持ってる。俺《おれ》はそれを取ってきてやったんだ。取ったって奴《やつ》ら怒りゃしない。これは象にやるんだ、と俺は言ってやった。」
彼はまたちょっと黙ったが、再び言った。
「壁を乗り越えるんだ、政府なんかへとも思わない。それだけだ。」
ふたりの子供は惘然《ぼうぜん》とした畏敬の念でその知謀ある大胆な少年をながめた。少年は彼らと同じく宿もなく、同じく世に孤立の身であり、同じ弱年ではあったが、何かすばらしい万能なものを持っており、あたかも超自然的な者のようであって、その顔つきには老手品師のような渋面と最も無邪気なかわいい微笑とがいっしょに浮かんでいた。
「それでは、」と年上の方は恐る恐る言った、「巡査《おまわり》さんもこわくないんですか。」
ガヴローシュはただこう答えた。
「巡査《おわまり》さんなんて言うやつがあるか、と言うんだ。」
年下の方は目を見張っていたが、何とも口はきかなかった。兄の方がまんなかにいて彼は蓆《むしろ》の端になっていたので、ガヴローシュは母親のように彼に毛布をくるんでやり、古いぼろ布を敷いて頭の下の蓆を高めて枕になるようにしてやった。それから彼は年上の方へ向いた。
「どうだ、いい具合だろう。」
「ええ。」と年上の方は救われた天使のような表情をしてガヴローシュを見ながら答えた。
ずぶぬれになっていたふたりのあわれな子供も、少し身体があたたまってきた。
「だが、」とガヴローシュは続けて言った、「どうしてお前たちは泣いていたんだ。」
そして弟の方を兄にさし示した。
「こんな小さいんならかまわねえが、お前のように大きいのが泣くなあ、ばかげてるぜ。牛の子じゃあるめえし。」
「でも、」と子供は言った、「住居《すまい》がどこにもなかったんだもの。」
「何だい、」とガヴローシュは言った、「住居なんて言うんじゃねえ、小屋というんだ。」
「そして、夜にふたりっきりでいるのがこわかったんだもの。」
「夜じゃねえ、黒んぼというんだ。」
「そうですか。」と子供は言った。
「よく聞いておけ、」とガヴローシュは言った、「もうこれから泣くんじゃねえぞ。俺《おれ》が世話してやる。おもしろいことばかりあるんだ。夏になるとね、俺の仲間のナヴェというやつといっしょにグラシエールに行って、船着き場で泳ぎ回り、オーステルリッツ橋の前でまっ裸で筏《いかだ》の上を駆け回り、洗濯女《せんだくおんな》らをからかってやるんだ。あいつらは、わめいたり怒ったりして、そりゃあおもしろいぜ。骸骨《がいこつ》の男も見に行こう。生きてるんだぜ。シャン・ゼリゼーにいる。びっくりするほどやせっぽちだ。それから芝居にも連れてってやろう。フレデリック・ルメートルを見せてやろう。俺は切符も持ってるし、役者も知ってる。一度は舞台に出たこともあるんだ。俺たちはこれぐらいの小僧だったが、幕の下を駆け回って、それで海になったんだ。お前たちをあすこに雇わしてやろう。また野蛮人も見に行こう。だが本物じゃないんだ。襞《ひだ》のある桃色の襦袢《じゅばん》を着て、肱《ひじ》には白糸が縫い込んである。それからオペラ座にも行こう。雇いの拍手人らといっしょにはいるんだ。オペラ座の喝采組《かっさいぐみ》はうまくできてるぜ。だが俺《おれ》はあいつらと大向こうには行かねえ。オペラ座には二十スーも出してはいるやつがあるが、それはばかげてる。そいつらのことをお百姓というんだ。それからまた、首切りも見に行こう。首切り人に会わしてやろうか。マレー街に住んでる。サンソンていうやつだ。門に郵便箱をつけてやがる。ああ、ほんとにおもしろいんだぜ。」
その時、一滴の蝋《ろう》がガヴローシュの指の上に落ちて、彼を現実の世界に引き戻した。
「畜生、」と彼は言った、「芯《しん》が減ってきた。待てよ、月に一スー以上は灯火《あかり》にかけられねえ。横になったら眠るが一番だ。もうポール・ド・コック([#ここから割り注]訳者注 当時の物語作者[#ここで割り注終わり])の話を読む暇もねえ。それに、門のすき間から光がもれていぬ[#「いぬ」に傍点]にめっかるかも知れないからな。」
「そしてまた、」と年上の方はおずおず言った。ガヴローシュと話をし口をきけるのは彼だけだった。「火の粉が藁《わら》の上に落ちるかも知れないや。家を焼かないように用心しよう。」
「家を焼くと言っちゃいけねえ、」とガヴローシュは言った、「殻を燃すというんだ。」
暴風雨はますます激しくなっていた。雷鳴の間々に驟雨《しゅうう》が巨象の背に打ちかかる音が聞こえていた。
「降れ降れ。」とガヴローシュは言った。「家の足にざあざあ水をあけるのを聞くなあおもしろいや。冬ってばかな野郎だな。大事を品物をなくし、骨折りをむだにして、それで俺たちをぬらすこともできねえで、ただ怒ってばかりいやがる、老耄《おいぼれ》の水商人《みずあきんど》めが。」
ガヴローシュが十九世紀の哲学者として平然と何事も受け入れて揶揄《やゆ》したその雷は、大きな電光を一つもたらして、象の腹のすき間から何かがはいってきたかと思われるばかりにひらめいた。それとほとんど同時に激しい雷鳴がとどろき渡った。ふたりの子供は声を立てて、金網がはずれかけたほど急に飛び上がった。しかしガヴローシュはきつい顔を彼らの方へ向け、雷鳴とともに笑い出した。
「静かにしろ。お堂を引っくり返しちゃいけねえ。なるほどいい雷だ。花火線香のような奴《やつ》とは違ってらあ。上できだぞ! アンビギュ座にも負けないできだ。」
そう言って彼は金網をなおし、静かにふたりの子供を寝床の上に押しやり、すっかり長くなるようにその膝《ひざ》を押さえて伸ばしてやり、そして叫んだ。
「神様が蝋燭《ろうそく》をつけてくれるから、俺は自分のを消そう。さあお前たち、眠るんだぞ。眠らないのはごく悪いや。眠らないと門がねばるぜ、上等の言葉で言やあ、口が臭くなる。よく毛布《けっと》にくるまれよ。消すぞ。いいか。」
「ええ、」と年上の方がつぶやいた、「いいよ。頭の下に羽でも敷いたようなの。」
「頭と言うんじゃねえ、」とガヴローシュは叫んだ、「雁首《がんくび》と言うんだ。」
ふたりの子供は互いに抱き合った。ガヴローシュはその位置を蓆《むしろ》の上によくなおしてやり、毛布を耳の所までかぶせてやり、それから伝統的な言葉で三度命令をくり返した。
「ねくたばれ。」
そして彼は灯火《あかり》を吹き消した。
光がなくなるとすぐに、寝てる三人の子供の上をおおうている金網が妙に震えはじめた。かすかに物のすれ合う音が無数にして、爪《つめ》か歯かで針金を引っかいてるような金属性の音がした。それとともに種々な小さな鋭い叫び声も聞こえた。
五歳の子供は頭の上にその騒ぎを聞き、恐ろしさにぞっとして、兄を肱《ひじ》でつっついた。しかし兄はガヴローシュが命じたとおりにもう「ねくたばって」いた。で小さい方は恐ろしさにたまらなくなって、息をつめながら低くガヴローシュに声をかけてみた。
「おじさん。」
「何だ?」と眼瞼《まぶた》を閉じたばかりのガヴローシュは言った。
「あれはなに?」
「鼠《ねずみ》だ。」とガヴローシュは答えた。
そして彼はまた頭を蓆《むしろ》につけてしまった。
実際その象の身体の中には、無数の鼠が住んでいて、前に述べた生きた黒い汚点はそれで、蝋燭《ろうそく》の光がさしてる間は差し控えていたが、自分らの都であるその洞穴《どうけつ》がまっくらになるや否や、巧みな小噺作者《こばなしさくしゃ》のペローが「生肉《なまにく》」と呼んだところのものがそこにあるのを感じて、ガヴローシュのテントをめがけて群れをなして襲いかかり、その頂上にはい上り、その新式の蚊帳《かや》に穴をでもあけるつもりか、金網の目をかじり始めたのだった。
小さな方はまだ眠れなかった。
「おじさん。」と彼はまた言った。
「何だ?」とガヴローシュは言った。
「鼠ってどんなの?」
「ちゅうちゅってやつさ。」
その説明に多少子供は安心した。彼は前にかつてまっ白な二十日鼠《はつかねずみ》を見たことがあったが、少しもこわくはなかった。けれども彼はまだ口をつぐまなかった。
「おじさん。」
「何だ?」とガヴローシュは言った。
「なぜ猫《ねこ》を飼わないの。」
「一匹飼ったことがある。」とガヴローシュは答えた。
「一匹連れてきたことがある。だが向こうでそいつを食ってしまったんだ。」
この第二の説明は第一の説明の効果をうちこわしてしまった。子供はまた震え出した。彼とガヴローシュとの対話はまた四度始まった。
「おじさん。」
「何だ?」
「食われたのはなに?」
「猫よ。」
「猫を食ったのはなに?」
「鼠《ねずみ》だ。」
「ちゅうちゅが?」
「うむ、鼠だ。」
子供は猫を食うというそのちゅうちゅにびっくりして、なお尋ね出した。
「おじさん、私たちまで食べますか、そのちゅうちゅは。」
「あたりまえさ。」とガヴローシュは言った。
子供の恐怖は極度になった。しかしガヴローシュは言い添えた。
「こわがるこたあねえ。はいれやしないんだ。その上|俺《おれ》がついてる。さあ俺の手を握っておれ。そして黙ってねくたばるんだ。」
ガヴローシュはすぐに、兄の上から手を伸ばして子供の手を握ってやった。子供はその手をしっかと抱きしめてようやく安心した。勇気と力とはそういうふうに不思議に伝わってゆくものである。あたりはまたしいんとなった。人の声に驚いて鼠《ねずみ》も遠くに逃げていた。しばらくたって、鼠はまた戻ってきて騒ぎ出したが、三人の子供はもう眠っていて、何にも聞かなかった。
夜は更《ふ》けていった。広いバスティーユの広場は闇《やみ》におおわれていた。雨を交じえた冬の風は息をついては吹き荒《すさ》んでいた。見回りの警官らは、戸口や路地や垣根や薄暗いすみずみなどを窺って、夜間にのさばり歩いてる奴《やつ》らをさがし回っていたが、象の前は黙って通りすぎて行った。その大怪物はじっと直立して、闇の中に目を見開き、自分の善行を満足げに考えふけってるらしい様子をして、眠ってるあわれな三人の子供を荒天と社会とから庇護《ひご》していた。
さてこれから起こることを了解せんがためには、次のことを記憶しておく必要がある。すなわち、当時バスティーユの風紀衛兵の宿舎は広場の向こうの端にあって、象の近くで起こることは、その歩哨《ほしょう》に見えも聞こえもしなかったのである。
夜が明けかかるすぐ前の頃に、ひとりの男が、サン・タントアーヌ街の方から駆けてき、広場を横ぎり、七月記念塔の大きな板囲いをまわり、そのすき間から中にはいり込み、象の腹の下までやってきた。もし何かの灯火に照らされたら、そのずぶぬれになってる様子から、その男は一晩雨の中で過ごしたものであることが察せられたろう。象の下まで来ると、男は変な叫び声を出した。それはとうてい人間の言葉ではなく、ただインコだけがまね得るものだった。男は二度その叫び声をくり返した。次のようにでも書いたらおおよその声が察せられるだろう。
「きりききゅう!」
二度目の叫びに、はっきりした快活な若い声が象の腹の中から答えた。
「はーい。」
それからほとんどすぐに、穴をふさいであった板がよけられ、そこからひとりの少年が出てきて、象の足をすべりおり、たちまち男のそばに飛びおりた。それはガヴローシュだった。男はモンパルナスだった。
このきりききゅうという叫びは、少年に言わすれば、「ガヴローシュ君に用がある、」というほどの意味に違いなかった。
その声を聞いて、彼はふいに目をさまし、「寝所」の外にはい出し、金網の少し開いた所をまたていねいにしめ、それから揚戸《あげど》を開いて、おりてきたのであった。
男と少年とは、無言のまま暗夜のうちに互いに相手を見分けた。モンパルナスはただこれだけ言った。
「お前にきてもらいたいんだ。ちょっと手を貸してくれ。」
浮浪少年は別に何も尋ねなかった。
「よし。」と彼は言った。
そしてふたりは、モンパルナスがやってきたサン・タントアーヌ街の方へ向かって、その時分市場の方へ行く青物屋の長い車の列の間を右左にぬけて、急いで進んでいった。
青物商らは、馬車の中のサラダや種々な野菜の間にうずくまり、激しい雨のために目の所まで上衣にくるまって、うつらうつらしていたので、その怪しいふたりの通行人には目も止めなかった。
三 脱走の危急
それと同じ晩にフォルス監獄で次のようなことが起こった。
バベとブリュジョンとグールメルとテナルディエとの間に、テナルディエは密室に監禁されてはいたが、脱走の計画が相談されていた。ただバベだけはその日のうちにひとりでやってのけた。これはモンパルナスがガヴローシュに話したことで読者の既に知るとおりである。
ところでモンパルナスは外部から彼らの脱走を助けることになっていた。
ブリュジョンは懲治監房に一カ月はいっていたので、その間を利用して、第一に綱を一本こしらえ、第二に計画を組み立てたのである。監獄の懲戒規定によって囚人を勝手に放置しておくそれらの厳重な場所は、昔、石造の四壁と、石の天井と、切り石の床《ゆか》と、一つのたたみ寝台と、鉄格子《てつごうし》をはめた一つの軒窓と、一つの鉄の二重扉《にじゅうとびら》とでできていて、地牢[#「地牢」に傍点]と呼ばれていた。しかし地|牢《ろう》はあまりひどすぎるということになって、今日では、一つの鉄の扉と、鉄格子をはめた一つの軒窓と、一つのたたみ寝台と、切り石の床と、石の天井と、石の四壁とでできていて、結局同じではあるが、懲治監房と呼ばれている。そこでは昼ごろに少し明りがさすきりである。右のとおり地牢でなくなったそれら監房の弊害は、苦役させなければならない者らを夢想させることにある。
かくてブリュジョンは夢想した、そして一本の綱を携えて懲治監房から出てきた。シャールマーニュの庭では至って危険な人物だとの評判だったので、彼は新館の方に移された。新館で彼が見いだした第一のものは、グールメルであって、第二は一本の釘であった。グールメルはすなわち罪悪であり、釘《くぎ》はすなわち自由であった。
今ちょうどブリュジョンについて完全な概念を得ておくべき時であるから一言するが、彼はやさしい気質を持ってるらしい容貌《ようぼう》をそなえ、深い下心のあるしおれ方をしているが、磨《みが》きをかけた怜悧《れいり》な快男子で、甘える目つきと残忍な微笑とを持ってる盗賊だった。その目つきは意志からきたものであり、その微笑は性質からきたものだった。彼の職業上の最初の研究は、屋根の方へ向けられていた。そして鉛を引きぬく仕事、すなわち鉛板職[#「鉛板職」に傍点]と称する方法で屋根をめくり樋《とい》をはがす仕事に、大なる進歩をもたらした。
脱走計画に好機を与えたのは、ちょうどその時、屋根職人らが監獄の屋根の一部を作りかえ漆喰《しっくい》をぬりかえてることだった。サン・ベルナールの庭は、シャールマーニュの庭やサン・ルイの庭から絶対に行けないことはなかった。上の方に足場やはしごがかけてあった。言い換えれば脱走を導く橋や階段がついていた。
新館は最も裂け目があり、最もこわれかかった建物であって、監獄の弱点となっていた。その壁ははなはだしく風雨にいたんで、寝室の丸天井には木の覆《おお》いを着せなければならなかった。石がはずれて寝床にいる囚人らの上に落ちてきたからである。かく老朽しているにもかかわらず新館のうちに、最も不安な囚人らを入れたのは、監獄の言葉に従えば「重罪事件」を置いたのは、大なる誤ちであった。
新館には順々に重なった四つの寝室があって、更にその上には望楼と呼ばれる一室があった。たぶん昔フォルス公爵の料理場の煙筒だったものであろうが、暖炉の大きな煙筒が、一階から五階まで通っていて、各寝室をすべて二つに区切り、平たい柱のようにしつらえてあって、それから屋根までつきぬけていた。
グールメルとブリュジョンとは同じ寝室にはいっていた。そして用心のため下の寝室に入れられていた。ところが偶然にも、彼らの寝台の頭部は暖炉の煙筒に接していた。
テナルディエはちょうど、望楼と言われた上層のうちにいて、彼らの頭の上になっていた。
キュルテュール・サント・カトリーヌ街に足を止める通行人には、消防夫|屯所《とんしょ》の向こう、湯屋の表門の前に、花卉《かき》や盆栽がいっぱい並べてある中庭が見える。その中庭の奥には、緑の窓の戸で風致を添えた白い小さな丸屋根の家が両翼をひろげて、ちょうどジャン・ジャック・ルーソーの田園の夢想を実現したように建っている。しかし今から十年前までは、その丸屋根の家の上に高く、黒い大きな恐ろしい裸壁が立っていて、家はそれによりかかったようになっていた。それはフォルス監獄の外回りの路地の壁だった。
丸屋根の背後の壁はちょうど、ベルカン(訳者注 フランスのやさしい叙情詩人)の向こうに見ゆるミルトンのごときものであった。
その壁はごく高かったが、上には更にいっそうまっ黒な屋根が一つ見えていた。新館の屋根だった。それには鉄格子《てつごうし》をはめた四つの屋根裏の窓が見えていて、それが望楼の窓だった。屋根をつきぬけている一つの煙筒は、各寝室を通ってる暖炉の煙筒だった。
新館の上層たる望楼は、屋根裏の一種の大広間で、三重の鉄格子《てつごうし》がはめてあり、大|鋲《びょう》をうちつけた二重鉄板の扉《とびら》でしめ切ってあった。北の端からはいってゆくと、左手に四つの軒窓があり、右手にその軒窓と向かい合って、四つのかなり広い大きな四角な檻《おり》があって、狭い廊下でそれぞれへだてられ、人の背たけくらいまでは泥《どろ》で作られ、それから上は屋根までずっと鉄格子で作られていた。
テナルディエは二月三日の晩以来、その檻の一つに秘密監禁にされていた。デリューの発明になったといわるる葡萄酒《ぶどうしゅ》で、麻酔剤が少しはいっており、アンドルムール([#ここから割り注]催眠剤を用うる盗賊[#ここで割り注終わり])の仲間が名高くした葡萄酒があるが、テナルディエはその一瓶《ひとびん》をそこで手に入れて隠していた。どうしてそれができたか、まただれの手助けによってだったかは、ついに明らかにされることができなかった。
たいていの監獄には、裏切りの属吏がいるもので、彼らは獄丁と盗賊とを兼ね、囚人の脱走を助け、不実な役目を警察に売りつけ、給金をしぼり取るのである。
さて、ガヴローシュが往来にさ迷っていたふたりの子供を拾い取ったその夜、ブリュジョンとグールメルとは、その朝脱走したバベがモンパルナスとともに往来に待ち受けているのを知って、静かに起き上がり、ブリュジョンが見つけた一本の釘《くぎ》で、寝台に接した暖炉の煙筒を破り始めた。破片はブリュジョンの寝台の上に落ちて、音を出さなかった。驟雨《しゅうう》は雷鳴に交じって、扉を肱金《ひじがね》の上に揺すぶり、監獄の中は好都合な恐ろしい響きに満ちていた。目をさました囚人らはまた眠ったふうをして、グールメルとブリュジョンとをなすままにさしておいた。ブリュジョンは器用であり、グールメルは力があった。寝室の中が見通せる鉄格子のついた分房に眠ってる監視人の耳に、その物音がはいらないうちに、ふたりはもう煙筒の壁に穴をあけ、その中をよじ上り、上の口をふさいでる金網をつき破った。そしてふたりの恐るべき盗賊は屋根の上に出た。風雨はますます激しくなって、屋根の上ではすべり落ちそうだった。
「足ぬき(脱走)にはもってこいの黒んぼ(夜)だ!」とブリュジョンは言った。
距離六尺深さ八十尺の淵《ふち》が、囲いの壁から彼らをへだてていた。その淵の底には、番兵の銃が闇《やみ》の中に光っていた。彼らは今ねじまげた煙筒の金網の一端に、ブリュジョンが地牢《ちろう》の中でよった綱を結びつけ、囲いの壁越しに他の端を投げやり、一躍して淵を飛び越え、壁の屋根木につかまり、壁をまたぎ越し、ひとりずつ綱にすがってすべりおり、湯屋の隣の小さな屋根の上に達し、綱を引きおろし、湯屋の中庭に飛びおり、庭をぬけ、門番の引き戸を押し開き、そのそばにたれ下がってる門の綱を引き、大門を開き、そして往来に出てしまった。
彼らが釘《くぎ》を手にし、頭に計画を立てて、暗い中に寝床の上に起きあがってから、それまで四、五十分もたってはいなかった。
それからすぐに彼らは、その辺をうろついてたバベとモンパルナスとにいっしょになった。
彼らが綱を引きおろす時、綱は中途から切れて、一片は屋根の上の煙筒に結ばれたまま残っていた。その他の損害とては、ただ手の皮をほとんどすっかりすりむいただけだった。
その夜テナルディエは、いかにしてかだれにもわからなかった方法で前もって知らせられて、眠らずにいた。
午前の一時ごろ、暗夜ではあったが、雨と台風との中の屋根を伝って、彼の檻《おり》と向かい合ってる軒窓の前を、二つの影が通るのが見えた。その一つは、それと見て取れるだけの間軒窓の所に足を止めた。ブリュジョンだった。テナルディエはそれを認めていっさいを了解した。それだけで彼には充分だった。
テナルディエは強盗だとされ、武器を用意して夜間の待ち伏せをしたという名義で収監され、特に注意を払われていた。二時間ごとに交代の番兵が、銃に弾《たま》をこめて彼の檻《おり》の前を歩き回っていた。望楼は壁に取り付けの灯火で照らされていた。そしてこの囚人は、各五十斤の重さの鉄を両足につけられていた。毎日午後四時に、当時まだ残っていた習慣として、二頭の番犬をつれた看守が、彼の檻にはいってき、二斤の黒パンと、一瓶《ひとびん》の水と、数粒の豆が浮いてる貧しい一皿の汁《しる》とを、寝台のそばに置き、彼の鉄枷《てつかせ》を調べ、鉄格子《てつごうし》をたたいて検査した。番犬をつれたその男は夜は二回見回ってきた。
テナルディエは一種の鉄の楔《くさび》を持つことを許されていた。それで彼は壁の割れ目にパンをおし込んでいたが、自ら言うところによれば、「鼠《ねずみ》に取られないようにするため」だった。見張りをしてる間は、彼がその鉄の楔を持ってても別に不都合らしくは思えなかった。けれども後になってひとりの看守の言葉が思い合わされた。「木の楔を持たした方がいいだろう。」
さてその夜、午前二時に、番兵が交代になって、老兵士だったのが新兵に代わった。それから間もなく、犬を連れた男が見回ってきたが、番兵がごく年少で「徒歩兵」特有の「田舎者《いなかもの》らしい様子」をしてることのほか、何ら異常を認めないで立ち去った。そして二時間後、四時に、交代の時になると、その新兵はぐっすり眠っていて、テナルディエの檻のそばに丸太のようにころがっていた。テナルディエの方はもうそこにいなかった。こわれた鉄の枷が床石の上に落ちていた。檻の天井には穴があいており、更に上には屋根にも穴があいていた。寝台の板が一枚はがれていたが、どこにもない所を見ると、持って行ったものであろう。また檻の中に一本の瓶が見いだされた。半ば空《から》になっていて、兵士が眠らされた麻酔剤混入の葡萄酒《ぶどうしゅ》がまだ残っていた。兵士の剣はなくなっていた。
それだけのことが発見された時、テナルディエはもはや手のおよばない所へ逃げてるものと断定された。しかし実際は、彼はもう新館の中にはいなかったが、まだごく危険な所にいた。彼の脱走は成就していなかった。
テナルディエは新館の屋根に上って、煙筒の口の金網に下がってるブリュジョンの綱の残りを見いだしたが、その切れはじがあまり短かかったので、ブリュジョンとグールメルとがなしたように、まわりの路地を越えて逃げることはできなかった。
バレー街からロア・ド・シシル街へ曲がり込むと、ほとんどすぐ右手に、奥に入り込んだきたない場所がある。十八世紀まではそこに一軒の家があって、今は奥の壁だけしか残っていない。その壁はまったくその破家に属するもので、両方の建物にはさまれて四階の高さまでそびえている。破家の跡はそこにまだ見えている二つの四角な大窓でわかる。右手の切り妻壁に近い中央の窓は、支柱のようなふうにはめ込んだ腐食した角材でふさいである。しかし昔はその窓越しに、いかめしい高い壁がはっきり見えていた。フォルス監獄のまわりの路地の壁の一部だった。
こわれた家のため街路に残った空地は、五本の標石でささえられてる朽《くさ》った板塀《いたべい》で半ば占められている。板塀の中には、まだ倒れないでいる廃屋によせかけて作った小さな板小屋が隠れている。板塀には一つの戸があって、数年前まではただ※《かけがね》で閉ざされてるだけだった。
テナルディエが午前三時少しすぎにようやく逃げのびてきたのは、その廃屋の頂上へであった。
どうして彼がそこまできたかは、ついに説明することも考えおよぶこともできなかった。ただ電光は彼を妨げるとともにまた助けたに相違ない。そして屋根から屋根へと伝わり、囲壁から囲壁へと飛び移り、区画から区画へと通りぬけて、シャールマーニュの庭の建物、次にサン・ルイの庭の建物、次にまわりの路地、それからロア・ド・シシル街の破家の上までやって来るのに、彼は屋根職人の梯子《はしご》や足場を使ったのであろうか? しかしその道筋のうちにはほとんど越ゆることのできそうもないへだたりがあった。あるいはまた、望楼の屋根からまわりの路地の壁の上へ、寝台の板を橋のように渡して、それから囲壁の屋根の上を腹ばいになり監獄を一周して、その破家まできたものであろうか? しかしフォルス監獄のまわりの路地の壁は、歯車形の不規則な線を描いていて、あるいは上り、あるいは下り、消防夫|屯所《とんしょ》の所では低くなり、湯屋の所では高くなり、種々な建物で中断され、ラモアニョン旅館の上とバヴェー街の上とは高さが異なり、至る所に坂や直角があった。その上逃走者の暗い影は番兵らの目についたはずである。だからこの方面においても、テナルディエの道筋はほとんど説明がつかなかった。で結局二つの方法のうちどちらも、その遁走《とんそう》は不可能であった。けれども自由に対する命がけの渇望は、深淵《しんえん》をも浅い溝《みぞ》となし、鉄の格子《こうし》をも柳の枝の簀子《すのこ》となし、跛者《はしゃ》をも壮者となし、足なえをも鳥となし、愚鈍を本能となし、本能を知力となし、知力を天才となすものであって、その渇望の念に啓発されたテナルディエは、あるいは第三の方法を即座に発明したのかも知れなかった。しかしそれはついに不可解に終わった。
神変をきわむる脱走の跡を明らかに調べ上げることは、常にできるものではない。繰り返して言うが、遁走する男は一つの霊感を得た者である。遁走の神秘な輝きのうちには、星があり電光がある。解放の方へ向かってなさるる努力は、崇高なるものの方へ向かってなさるる羽ばたきに劣らず驚嘆すべきものである。そして人は脱走囚徒について、「あの屋根をいかにして彼は越したか?」という。それはあたかもコルネイユについて、「彼が死したらんことをどこから彼は見いだしたか?」というに同じである(訳者注 コルネイユの戯曲オラース。生き残った一人の子が三人の敵の前から逃げ出した報知を聞いて憤った老オラースの悲壮な言葉、むしろ彼が死したらんことを)。
それはとにかく、汗を流し、雨にぬれ、着物は裂け、手の皮はすりむけ、肱《ひじ》は血にまみれ、膝《ひざ》は傷つきながら、子供の比喩《ひゆ》の言葉でいわゆる廃屋の壁の刃の上まで、テナルディエはたどりつき、そこに身を横たえたが、それでもう力がつきてしまった。四階の高さに直立した断崖《だんがい》が、彼を街路の舗石《しきいし》からへだてていた。
彼が持っていた綱はあまり短くて用をなさなかった。
彼はそこにただ待ちながら、色青ざめ、疲れきり、前にいだいていたすべての望みをも失い、まだ夜の闇《やみ》におおわれていたが、やがては夜も明けるであろうと考え、もうまもなく例のサン・ポールの大時計が四時を打つだろうと思ってはおびえた。四時と言えば、番兵が交代する時間であって、穴のあいてる屋根の下に番兵が眠ってるのも見いだされるだろう。そして彼ははるか恐ろしいほど下の方に、街灯の光にすかして、雨にぬれてるまっ黒な街路の舗石を、惘然《ぼうぜん》とうちながめた。その待ちに待ったしかも恐ろしい舗石は、今や一歩の差であるいは死となり、あるいは自由となるものであった。
三人の仲間がうまく逃げ終えたか、彼らは自分を待っていてくれたか、自分を助けにまたきてくれるだろうかと、彼は自ら尋ねてみた。そして耳を傾けていた。しかしそこにきて以来、ひとりの巡邏《じゅんら》を除くほかだれも街路を通る者はなかった。モントルイュやシャロンヌやヴァンセンヌやベルシーなどから市場にやって行く青物商らは、たいてい皆サン・タントアーヌ街の方へぬけて行くのである。
四時が鳴った。テナルディエは慄然《りつぜん》とした。しばらくすると、脱走が発見された後に起こる狼狽《ろうばい》し混雑した騒ぎが監獄のうちに起こってきた。開いたりしめたりする扉《とびら》の音、肱金《ひじがね》の上にきしる鉄門の響き、衛兵らの騒ぎ、門監らの嗄《か》れた叫び声、中庭の舗石《しきいし》の上に当たる銃の床尾の音、それらのものが彼の所まで聞こえてきた。各寝室の鉄格子《てつごうし》の窓には灯火が上下し、新館の上層には一本の炬火《たいまつ》が走り動き、傍《かたわら》の屯所《とんしょ》にいる消防夫らは呼び集められていた。雨の中に炬火の光で照らされた彼らの兜帽《かぶとぼう》は、屋根の上を行ききしていた。同時にテナルディエは、バスティーユの方に当たって、低い東の空がほのかな青白い色に痛ましく白んでくるのを見た。
彼は幅一尺ばかりの壁の上に、驟雨《しゅうう》の中に身を横たえていた。左右には二つの深淵《しんえん》があって、身を動かすこともできず、あるいは目がくらんで墜落しそうになり、あるいは捕縛さるるに違いないという恐怖に駆られ、考えは絶えず時計の振り子のように二つの思いの間を往来した、「落ちれば死ぬ、このままではつかまる。」
そういう苦悶《くもん》にとらえられているうち、まだまっ暗な街路に、彼は突然人影を認めた。その男はバヴェー街の方から壁に沿って忍んでき、ぶら下がったようになってるテナルディエの下の方の奥まった所に立ち止まった。するとまた第二の男が同じように注意して忍んでき、第一の男といっしょになり、次に第三の男がき、次に第四の男がきた。四人がいっしょになると、そのひとりは板塀についてる戸の※《かけがね》をはずし、板小屋のある囲いのうちに四人ともはいってしまった。そして彼らはちょうどテナルディエのま下になった。彼らは明らかに何か相談せんためにその奥まった所を選んだのである。そこは通行人の目にもつかず、また数歩先にあるフォルス監獄、潜門《くぐりもん》を番してる歩哨《ほしょう》から見られもしなかった。それからまた、歩哨は雨のため哨舎の中に閉じ込められていたことも言っておかなければならない。テナルディエは四人の男の顔を見分けることができなかったので、身の破滅を感じてる悲惨な絶望的な注意をもって彼らの言葉に耳を傾けた。
テナルディエは希望の光に似たものが目の前に現われたような気がした。それらの男は盗賊の隠語を使っていたのである(訳者注 以下の会話は隠語にてなされ、そのままの翻訳はほとんど不可能なるがゆえに、さしつかえなきかぎり普通の言葉に訳出した)。
第一の男は低くしかしはっきりと言った。
「引き上げよう。ここらでどうするんだ。」
第二の男は答えた。
「土砂降《どしゃぶ》りに降ってる。おまけにいぬ[#「いぬ」に傍点]らが通りかかる。番兵も向こうに立ってる。こっちゃにいりゃあつかまるばかりだ。」
そのここらとこっちゃという二つの言葉は、どちらもここという意味で、第一のは市門近くで言われてるものであり、第二のはタンプル付近で言われてるものであって、テナルディエにとってはまさしく一条の光明だった。ここらという言葉で彼は、場末の浮浪人であるブリュジョンを見て取り、こっちゃという言葉で彼は、種々な仕事のうちでもことにタンプルの古物商をしてたことのあるバベを見て取った。
大世紀時代の古い隠語は、もうタンプルでしか使われていなくて、バベはそれを純粋に話し得るただひとりだった。こっちゃという言葉がなかったら、テナルディエも彼を見て取り得なかったろう、なぜなら彼はすっかりその声を変えていたから。
そのうちに第三の男が口を入れた。
「だが何も急ぐことはねえ。少し待ってみよう。あいつ俺《おれ》たちの手を借りてえのかも知れんからな。」
これは普通の言葉使いであって、テナルディエにはそれがモンパルナスだとわかった。モンパルナスはあらゆる隠語に通じながらそれを少しも使わないことを、自ら上品だとしていた。
第四の男は黙っていたが、その広い肩幅でだれだか明らかだった。テナルディエは惑わなかった。それはグールメルだった。
ブリュジョンは勢い込んでしかしなお低い声で答え返した。
「何を言うんだ。宿屋の亭主が逃げ出せるもんか。あいつはまだ新参だ。シャツを裂き敷き布を破って綱を作り、戸に穴をあけ、合い札を作り、合い鍵《かぎ》を作り、鉄枷《てつかせ》を切り、外に綱を下げ、身を隠し、様子を変えるなんか、よほどの腕達者でなけりゃできねえ。あの老耄《おいぼれ》にできるもんか、何にも知らねえからな。」
それにまたバベが次のように言い添えた。それはやはり昔プーライエやカルトゥーシュなどの凶賊が使っていた古典的な賢明な隠語であった。ブリュジョンが使ってる無謀な新しい気取った危険な隠語にそれを対照すると、ちょうどアンドレ・シェニエの言葉にラシーヌの言葉を対照するようなものだった。
「あの宿屋の亭主め、仕事中に押さえられたのかも知れねえ。よほど腕達者でなけりゃだめだが、奴《やつ》はまだ見習いだからな。回し者かぐるの奴《やっこ》さんに、一杯くわせられたのかも知れねえ。そら、モンパルナス、監獄の中であのとおり騒いでるのが聞こえるじゃねえか。あの蝋燭《ろうそく》の光を見ろ。またつかまったんだ。なに二十年延びるだけだ。俺《おれ》は何も恐がるわけじゃねえし、臆病風《おくびょうかぜ》に誘われたわけでもねえが、こうなっちゃもう仕方がねえ、うっかりするとこちらまで穴にはまるだけだ。いきりたつなよ。俺たちといっしょにこい。うまい酒《やつ》を一本いっしょにやろうじゃねえか。」
「仲間が困ってるのをすてちゃおけねえ。」とモンパルナスはつぶやいた。
「なあに、奴《やつ》は確かにつかまったんだ。」とブリュジョンは言った。「今となっちゃあ、宿屋の亭主なんか一文の値打ちもねえ。もう仕方がねえや。さあ行こう。今にもいぬにやられそうな気がしてならねえ。」
モンパルナスももうしいて逆らいはしなかった。事実を言えば、互いに見捨てないという盗賊仲間の義理から、四人の者はテナルディエがどこかの壁の上に出て来るだろうと思って、危険もかまわずに、フォルス監獄のまわりを終夜うろついていたのである。しかし夜はあまり好都合になりすぎてまっくらであり、驟雨《しゅうう》は人も通れないくらいに降りしきり、身体は冷え、着物はずぶぬれになり、靴《くつ》には水がはいり、監獄の中には不安な物音が起こってき、時間はすぎ、巡邏《じゅんら》には出会い、望みはなくなり、恐怖は襲ってきて、ついに退却のやむなきに至った。テナルディエの婿と言ってもまあさしつかえないモンパルナスでさえ、もう思い切った。そして彼らは今や立ち去ろうとした。板筏《いたいかだ》にのってるメデューズ号の難破者らが、遠くに現われてきた船がまた水平線に没し去るのを見るような心地を、テナルディエは壁の上にあえぎながら感じた。
彼はあえて声をかけるわけにはいかなかった。もし呼び声でも一つ他に聞かれたらそれで万事終わりだった。その時、ある考えが、最後の一策が、一つの光明が、彼に浮かんだ。彼はポケットの中から、新館の煙筒から取ってきたブリュジョンの綱の切れを引き出して、それを板塀《いたべい》の囲いの中に投げおろした。
その綱は四人の足下に落ちた。
「綱!」とバベは言った。
「俺《おれ》のだ!」とブリュジョンは言った。
「宿屋の亭主に違いねえ。」とモンパルナスは言った。
彼らは目をあげた。テナルディエは頭を少し差し出した。
「早く!」とモンパルナスは言った、「ブリュジョン、お前は綱のも一方を持ってるか。」
「うむ。」
「いっしょにつぎ合わして、奴《やつ》に投げてやろう。壁にかけたら、おりられるくらいにはなるだろう。」
テナルディエは危険をかまわず口をきいた。
「俺は凍えてる。」
「あたためてやるよ。」
「もう動けねえ。」
「すべりおりろ、受け留めてやるから。」
「手がしびれてる。」
「綱を壁に結びつけるだけだ。」
「できねえ。」
「じゃあ俺《おれ》たちがだれか上ってゆかなけりゃならねえ。」とモンパルナスは言った。
「四階の高さだぞ。」とブリュジョンが言った。
昔板小屋の中でたくストーブの用をなしていた古い石膏《せっこう》の管が壁についていて、テナルディエの姿が見えるあたりまで上っていた。その管は当時既にはなはだしく亀裂《きれつ》や割れ目がはいっていて、その後くずれ落ちてしまったが、今日でもなお跡が見えている。それはごく狭い管だった。
「あれから上れるだろう。」とモンパルナスは言った。
「あの管から?」とバベは叫んだ。「大人《おとな》じゃだめだ、小僧でなけりゃあ。」
「そうだ、子供《がき》でなけりゃあ。」とブリュジョンも言った。
「そんな小僧っ児がめっかるもんか。」とグールメルは言った。
「待て、」とモンパルナスは言った、「いいことがある。」
彼は静かに板塀《いたべい》の戸を少し開いて、街路にはだれもいないのを見定め、用心してぬけ出し、後ろに戸を引きしめ、バスティーユの方へ駆けて行った。
七、八分過ぎた。テナルディエにとっては八千世紀がほどにも思われた。バベとブリュジョンとグールメルとは口もきかなかった。がついに戸はまた開かれて、ガヴローシュを連れたモンパルナスが息を切らしながら現われた。雨のために街路にはやはり人影もなかった。
少年ガヴローシュは囲いの中にはいってき、平気で盗賊らの顔をながめた。水は髪の毛からしたたっていた。グールメルが彼に言葉をかけた。
「小僧、貴様は一人前か。」
ガヴローシュは肩をそびやかして答えた。
「俺《おれ》のような子供《がき》は一人前だが、お前たちのような大人《おとな》はまだ赤児《ねんねえ》だ。」
「こいつ、よく舌が回りやがる。」とバベは叫んだ。
「パリーの子供《がき》は藁人形《わらにんぎょう》じゃねえ。」とブリュジョンは言葉を添えた。
「何の用なんだい。」とガヴローシュは言った。
モンパルナスが答えた。
「あの管から上るんだ。」
「この綱を持って。」とバベが言った。
「そしてそれを結びつけるんだ。」とブリュジョンがあとをついだ。
「壁の上にな。」とバベがまた言った。
「あの窓の横木にだ。」とブリュジョンが言い添えた。
「それから?」とガヴローシュは言った。
「それだけだ。」とグールメルが言った。
浮浪少年は綱と管と壁と窓とを見調べ、そして軽蔑するような何とも言えぬ音を脣《くちびる》から出した。その意味はこうだった。
「それだけか!」
「上に人がいる、それをお前は救うんだ。」とモンパルナスは言った。
「やるか?」とブリュジョンが言った。
「なーんだい!」と少年は、そんな問いをかける奴《やつ》があるかとでもいうように答え返した。そして靴《くつ》をぬいだ。
グールメルはガヴローシュの片腕をつかんで、彼を板小屋の屋根にのせた。虫食ったその屋根板は子供の重みにしなった。それからグールメルは、モンパルナスのいない間にブリュジョンがつなぎ合わせた綱を彼に渡した。浮浪少年は管の方へ進んだ。ちょうど屋根に接して大きな割れ目が一つあって、それから中にはいるのは容易だった。そこから彼が上って行こうとした時、テナルディエは救済と生命とが近づくのを見て、壁の端からのぞき出した。彼の汗にまみれた額、青ざめた頬骨《ほおぼね》、猛悪な鋭い鼻、逆立った灰色の髭《ひげ》、などが暁の初光にほの白く浮き出して、ガヴローシュはそれがだれであるかを見て取った。
「やあ、」と彼は言った、「親父《おやじ》だな。……なにかまうこたあねえ。」
そして綱を口にくわえ、思い切って上り始めた。
彼は廃屋の頂上に上りつき、その古い壁にまたがり、窓の一番上の横木に綱をしっかりと結びつけた。
それから間もなく、テナルディエは街路に出ていた。
街路の舗石《しきいし》に足を触るるや、危険の外に脱したのを感ずるや、彼はもう疲れても凍えても震えてもいなかった。ようやく脱《のが》れてきた恐ろしいことどもは煙のように消えてしまって、異常な獰猛《どうもう》な知力がよみがえり、自由にすっくと立ち上がって前に進もうとしていた。そして彼が発した最初の言葉はこうだった。
「ところで何奴《どいつ》を食ってやろうかね。」
その言葉の意味は明らかに、殺し屠《ほふ》りはぎ取るというのをいっしょにしたものであることは、説明するまでもない。食うの真の意味は呑噬《どんぜい》するというのである。
「うまく身を隠そうじゃねえか。」とブリュジョンは言った。「手早く話をきめて、すぐに別れるとしよう。プリューメ街にうまそうな仕事が一つあったがね。寂しい通りで、近所から離れた家で、庭の古い鉄門は腐っており、女ばかりだ。」
「なるほど。それがどうしていけねえんだ?」とテナルディエは尋ねた。
「お前の娘のエポニーヌが調べに行ったんだ。」とバベが答えた。
「ところがマニョンの所にビスケットを持ってきたんだ。」とブリュジョンは言い添えた。
「あれはとうていだめだ。」
「あの娘はばかじゃねえ。」とテナルディエは言った。「だが一応調べてやろう。」
「そうだ、そうだ、」とブリュジョンは言った、「一応調べるがいい。」
その間、彼らはだれもガヴローシュをもう気にも止めていなかった。ガヴローシュは彼らの話の間、板塀《いたべい》の標石の一つに腰掛けて、しばらくじっとしていた。おそらく親父《おやじ》がふり向いてくれるのを待っていたのであろう。それから彼は靴《くつ》をはいて言った。
「すんだのかい、もう用はねえのかい、おい大人《おとな》たち。どうにかきりぬけたってわけだな。じゃあ俺《おれ》は行くよ。子供《がき》どもを起こしに行ってやるかな。」
そして彼は立ち去った。
五人の男はひとりひとり板塀から出た。
ガヴローシュがバレー街の曲がり角《かど》に見えなくなると、バベはテナルディエをわきに呼んだ。
「お前はあの小僧をよく見たか。」と彼は尋ねた。
「どの小僧?」
「壁に上ってお前に綱を渡したあの小僧だ。」
「よかあ見ねえ。」
「俺《おれ》にもよくわからねえが、何だかお前の息子らしかったぜ。」
「ほう、」とテナルディエは言った、「そうかね。」
そして彼は向こうへ立ち去っていった。
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第七編 隠語
一 起原
Pigritia(怠惰)とは恐るべき言葉である。
この言葉から、〔Pegre〕 すなわち盗賊という一つの社会と 〔pe'grenne〕 すなわち飢餓という一つの地獄とが生まれて来る。 かくして怠惰は母である。 この母に、盗賊というひとりの息子と飢餓というひとりの娘とがある。 我々はここに argot(隠語)の世界のことを説いているのである。 隠語とは何であるか? それは同時に国民にしてまた特殊語である。それは人と言葉と両形式の下にいう盗賊である。 三十四年前、この厳粛なまた陰惨な物語の作者(本書の著者ユーゴー)が、これと同じ目的において書いた作品(死刑囚最後の日)のまんなかに、ひとりの盗人を出して隠語を話さした時、世人の驚駭《きょうがい》と喧騒《けんそう》とを惹起《じゃっき》した。「なに! なんだ! 隠語だと! 隠語とはひどい。それは漕刑場《そうけいじょう》や徒刑場や監獄など、社会の最も恐ろしい方面で話す言葉ではないか。云々《うんぬん》、云々。」 しかし我々は、その種の非難の理由を少しも了解することができなかった。 その後、一つは人の心の深い観察者であり一つは民衆の大胆なる友であるふたりの力強い作家、バルザックとウーゼーヌ・スューとが、死刑囚最後の日[#「死刑囚最後の日」に傍点]の作者が一八二八年になしたように、悪漢共にその本来の言葉を話さした時、同じような物議が起こった。世人は再び言った。「このいやな訛《なま》りを持ち出して作者は一体我々に何をしようというのか? 隠語とは全くやりきれない。身震いが出るようだ。」 だれがそれを否定しよう。まさしく隠語は嫌悪《けんお》すべきものである。 しかし、一つの傷の、一つの深淵《しんえん》の、もしくは一つの社会の深さを測らんとするに際して、余り深くへ下ってはいけない、どん底に達してはいけない、などという理由がどこにあろう。否そうすることこそ、時によっては勇敢な行為であり、少なくとも他意ない有益な行為であり、甘受され遂行された義務に相当する同情的注意をひくべきものと我々は常に考えていたのである。すべてを掘り返してはいけない、すべてを調べ上げてはいけない、中途に足を止めなければいけない、などという理由がどこにあるか? 中途に止まるか否かは錘《おもり》に関することであって、錘を投ぐる者のあずかり知るところではない。 確かに、社会組織のどん底に、地面がつき泥濘《でいねい》が始まる所に、探索の歩を進め、濃い暗雲のうちをかき回して、明るみに出せば泥《どろ》のしたたるこの賤《いや》しい特殊語を、泥濘と暗黒との怪物の不潔な鱗《うろこ》のように見えるこのきたない単語を、追い回し引きとらえて生きたまま地上に投げ出すことは、おもしろい仕事でもなくまたたやすい仕事でもない。隠語の恐るべき群れを、その赤裸のままに観察し、思想の光に照らして観察することは、最も沈痛な仕事である。実際それは、汚水だめのうちから引き出してきた一種の嫌悪《けんお》すべき闇夜《やみよ》の獣かとも思われる。刺《とげ》を逆立てた恐るべき生きた藪《やぶ》が、身を震わし、動き回り、のたうち回って、暗黒を求め、恐ろしい姿をし、目を怒らしているのを、眼前に見るかとも思われる。ある言葉は爪牙《そうが》に似、ある言葉は濁り血走った目に似、またある句は蟹《かに》の鋏《はさみ》のように動いてるようでもある。すべてそれらは、混乱のうちに形造られてる事物の嫌忌すべき活力に生きているのである。 けれども、嫌悪のゆえに研究を排し去るのいわれがあるだろうか。病気は医者を遠ざけるのいわれがあるだろうか。蝮《まむし》や蝙蝠《こうもり》や蠍《さそり》や蚰蜒《げじげじ》や毒蜘蛛《どくぐも》などを研究することを拒み、「実にきたない!」と言いながら、それらを闇のうちに投げ捨てる博物学者を、人は想像し得らるるか。隠語から顔をそむける思想家があるとすれば、それは潰瘍《かいよう》や疣《いぼ》などから顔をそむける外科医のごときものである。言語上の一事実を調べるに躊躇《ちゅうちょ》する言語学者のごときものであり、人類の一事実を探究するに躊躇する哲学者のごときものである。なぜなれば、おおよそ隠語は文学上の一現象であり社会上の一結果であって、これを知らない者などにはよく説明してやるの要がある。ところで隠語とは本来何であるか。隠語とは悲惨そのものの言語である。 かくいう時、人は我々の袂《たもと》を引き止めるかも知れない。時として論の鋭利を和らぐる方法となる概括を人は持ち出すかも知れない。そして、すべての職業、すべての職務、それからまた、社会のあらゆる階級や知識のあらゆる方面にも、皆それぞれの隠語があるというであろう。例は無数にある――(訳者注 以下の言葉はそのままの翻訳不可能なるものあるが故に原語とその意味とをのみ掲ぐる)
商人―― 〔Montpellier disponible, Marseille belle qualite'.〕(徳用のモンペリエ物、上等のマルセイユ物) 仲買人―― report, prime, fin courant.(鞘、打歩、当月払) カルタ賭博者《とばくしゃ》―― tiers et tout, refait de pique.(カルタの特殊の手) ノルマン島の執達吏―― 〔L'affieffeur s'arre^tant a
son fonds ne peut cla^mer les fruits de ce fonds pendant la saisie he’re’ditale des immeubles du renonciateur.〕(土地のみに関する受贈者は贈与者の不動産の相続差押中は該地面の収益を要求することを得ず)
狂言作者―― 〔on a e’gaye’ l’ours.〕(作品は失敗した)
役者―― j’ai fait four.(私は失敗した)
哲学者―― 〔triplicite’ phe’nome’nale.〕(現象の三重性)
猟師―― voileci allais, voileci fuyant.(犬に対する特殊の掛け声)
骨相学者―― 〔amativite’, combativite’, se’cre’tivite’.〕(愛情性、争闘性、隠密性)
歩兵―― ma clarinette.(私の銃)
騎兵―― mon poulet d’Inde.(私の馬)
撃剣の教師―― tierce, quarte, rompez.(西洋の撃剣における姿勢の名)
印刷人―― parlons batio.(符牒で話す)
画家―― mon rapin.(私の弟子)
公証人―― mon saute-ruisseau.(私の弟子)
理髪師―― mon commis.(私の弟子)
靴屋《くつや》―― mon gniaf.(私の弟子)
みな隠語である。厳密にいえば、そしてどうしてもそうだとしたければ、単に左と右とについても次のような種々のいい方は皆隠語である。
水夫―― 〔ba^bord, tribord.〕(]左舷、右舷)
劇場の道具方―― 〔co^te’-cour, co^te’-jardin.〕(右側、左側)
寺男―― 〔co^te’ de l’e’pi^tre, co^te’ de l’e’vangile.〕(右方、左方)
また上流の才女らの隠語もあれば、賤しい洒落女《しゃれおんな》らの隠語もある。ランブーイエ夫人の仲間においても、クール・デ・ミラクル一郭の乞食女《こじきおんな》らの仲間においても、大した違いはない。公爵夫人らの間にも隠語があることは、王政復古頃のきわめて身分の高い美しい一婦人が書いた艶文《つやぶみ》中の一句が証明している。Vous trouvrez dans ces 〔potains-la〕
une foultitude de raisons pour que je me libertise.(あなたはそれらの陰口のうちに、私がもうお交わりを絶たなければならないという理由を沢山見い出さるるでありましょう。)また外交上の符牒も隠語である。法皇の秘書官はこういう隠語を使っている。
ローマ……26.
使節……grkztntgzyal.
モデナ公……abfxustgrnogrkzutu xi.
中世の医者らが、人蔘《にんじん》や大根や蕪菁《かぶら》のことを、opoponach, perfroschinum, reptitalmus, dracatholicum angelorum, postmegorum などといっていたのも隠語である。正直な砂糖製造人らが、〔vergeoise, te^te, clairce’, tape, lumps, me’lis, ba^tarde, commun, bru^le’, plaque.〕(砂糖の種類)などというも隠語である。二十年前の一派の批評家らはこういうことを言った。〔La moitie’ de Shakespeare est jeux de mots et calembours.〕(]セークスピアの半ばは洒落や地口である)それも隠語である。詩人や美術家が、モンモランシー氏のことを、彼が詩や彫像なんかに通じていないとして、深い意味でun bourgeois(一個の俗物)と呼ぶだろうとすれば、それも隠語である。アカデミー会員の古典派は、次のような隠語を使った。
花……Flore.(フロラ神)
果物……Pomone.(ポモナ神)
海……Neptune.(ネプチューン神)
愛……feux.(火)
美……appas.(魅力)
馬……coursier.(駒)
白色や三色の帽章……rose de Bellone.(ベロナ神の薔薇)
三角帽……triangle de Mars.(マルス神の三角)
代数学や医学や植物学にも、皆それぞれ隠語がある。また船の上で使われる言葉、ジャン・ハールやデュケーヌやスュフランやデュペレなどが使った完全なおもしろいあのみごとな海の言葉、綱具や通話管や繋船具《けいせんぐ》などの音と動揺や風や疾風《はやて》や大砲などに交じったその言葉、それも皆勇壮激越な隠語であって、盗賊らの猛悪な隠語に対しては、狼《おおかみ》に対する獅子《しし》のごときものである。などと世人はいうであろう。
もちろんそれに違いない。いろいろ説はあろうけれど、しかし隠語という語をそういう風に解釈するのは余り広義に失するものであって、万人を首肯させることはできないだろう。我々はこの語に、明瞭な狭い一定の古来の意味をのみ与えたい。そして隠語をただ本来の隠語にのみ限りたいのである。もしいい得べくんば真の優《すぐ》れたる隠語は、一王国を形成していた古代の隠語は、繰り返していうが、悲惨自身の言語に外ならないもので、醜い、不安な、狡猾《こうかつ》な、陰険な、有毒な、残忍な、曖昧《あいまい》な、賤しい、深い、宿命的なものである。あらゆる淪落《りんらく》とあらゆる不運との極端に、最後の一悲惨が存するものであって、この悲惨は猛然と反抗して立ち、幸福な事実や勢力ある権利などの全体に対して決然と戦いを宣するのである。それこそ恐るべき闘争であって、この悲惨は、あるいは狡獪《こうかい》となりあるいは猛烈となり、有害にまた同時に獰猛《どうもう》となって、悪徳の針をもって社会の秩序を攻撃し、罪悪の棍棒《こんぼう》をもって社会の秩序を攻撃する。そしてかかる闘争の要求に応じて、悲惨は一つの戦闘語を作り出した。それがすなわち隠語である。
人間にかつて話されはしたがついには滅ぶるかも知れないある言葉を、言い換えれば、善にせよ悪にせよ文明を組み立て複雑ならしむる要素の一つを、たといその一片たりとも、忘却の上に、深淵《しんえん》の上に、浮き出させ存続させることは、社会観察の視野をひろげることであり、文明に奉仕することである。プラウツスはカルタゴのふたりの兵士にフェーニキア語を話させながら、故意にか偶然にかかかる仕事をした。モリエールは多くの人物に東方語やあらゆる方言を話させながら、かかる仕事をした。そういえばまた異議が起こるだろう。「フェーニキア語は素敵だ。東方語はいい。方言もまあ許される。それらはある国やまたある地方に属していたものである。しかし隠語は何だ。隠語を保存して何になるか。隠語を浮かび上がら[#「浮かび上がら」に傍点]して何になるか。」
それに対して我々はただ一言答えよう。確かに、一国もしくは一地方が話した言葉が興味に価するならば、注意と研究とに一層よく価するものが他に一つある、それは一悲惨が話した言葉である。
それは、たとえばフランスにおいて、既に四世紀以上の間、一悲惨ではなくて全悲惨が、おおよそ可能なる人間の悲惨が、話しきたった言葉である。
そしてまた、我々はあえて主張するが、社会上の奇形と廃疾とを研究し、それらを治癒《ちゆ》せんがために摘発することは、あれこれと選択が許される仕事ではない。風俗と思潮との歴史家は、事件の歴史家と同じく、厳粛なる使命を持っている。事件の歴史家が有するところのものは、文明の表面、王位の争い、王侯の出生、国王の結婚、戦争、集会、世に立った偉人、白日の革命、すべて外部のものである。しかるに風俗と思潮との歴史家が有するところのものは、文明の内部、奥底、すなわち働き苦しみかつ希求せる民衆、重荷の下の婦人、呻吟《しんぎん》せる子供、人と人との暗黙の争い、世に知られぬ悪虐、偏見、人為の不正、法律の地下の反撃、魂のひそかな進化、群集のかすかな戦慄《せんりつ》、餓死、跣足《はだし》、裸腕、無産者、孤児、不幸なる者、汚辱を受けたる者、すべて暗黒のうちをさ迷える幽鬼らである。そして、兄弟のごとくまた法官のごとく、同時に慈愛と峻厳《しゅんげん》とに満ちた心をもって、なかなかはいれない地下の洞穴《どうけつ》まで下ってゆかなければならない。そこには、血を流す者やつかみかかる者、泣く者やののしる者、食なき者や貪《むさぼ》り食う者、自ら苦しむ者や人を苦しめる者などが、雑然とはい回っているのである。かかる心や魂の歴史家の務めは、外的事実の歴史家の務めよりも小なることがあろうか? ダンテのいうべきことは、マキアヴェリのいうことよりも少ないと信ずる人があろうか。文明の下層は、ごく深く暗いがゆえに、上層ほどに重要でないといえるだろうか。洞穴を知らない時、人はよく山岳を知ることができるであろうか。
なお序《ついで》に一言するが、人は右の言葉よりして、この二種の歴史家の間に、両者をへだつる溝渠《こうきょ》が存すると推論するかも知れないけれども、それは我々のいうところを誤解したものである。民衆の明白な顕著な公な見える生活の歴史家といえども、また同時にある程度までは、その深い隠れたる生活の歴史家たるでなければ、優れたる者とはいえない。そして、民衆の内生活の歴史家といえども、また必要に応じてその外生活の歴史家たるでなければ、優れたる者とはいえない。風俗と思潮との歴史と事件の歴史とは、互いに深くからみ合ってるものである。それは事実の異なった二方面であって、互いに依存するものであり、常に連繋《れんけい》するものであり、大抵は互いに他を発生し合うものである。天が一国民の表面に描くあらゆる相貌《そうぼう》は、その底にあるものと隠密なしかし整然たる平衡を保ち、底のあらゆる動揺はまた表面の波紋を生ぜしむる。真の歴史はすべてに関係を有し、真の歴史家はすべてに交渉を有する。
人間はただ一つの中心を持つ円ではない。二つの中心を持つ楕円《だえん》である。事実は一つの中心であり、思想はも一つの中心である。
隠語は、何かの悪事をなす時に言語が仮装するその衣服部屋に外ならない。そこで言語は、仮面の言葉とぼろの比喩《ひゆ》とを身にまとう。
かくしてこの言語は恐ろしい姿になる。
もはやその本来の顔はほとんど認められない。これは果たしてフランス語であろうか、人間の大国語であろうか? 既に舞台に上がるばかりになっており、罪悪に台辞《せりふ》を与えるばかりになっている。悪の芝居のあらゆる人物にふさわしいものとなっている。もはやまっすぐに歩かないで跛《びっこ》を引いている。クール・デ・ミラクル(訳者注 昔乞食や浮浪人らの集まっていたパリーの一部)の撞木杖《しゅもくづえ》にすがって、棍棒《こんぼう》に変わり得る撞木杖にすがって歩いている。自ら無宿者《やどなし》と称している。あらゆる妖怪《ようかい》はその衣裳方となって彼を扮装《ふんそう》してやったのである。はいつつ立っている。爬虫類《はちゅうるい》の二重の歩き方である。かくて彼はあらゆる役目に適するようになる。詐欺者からは曖昧《あいまい》な色になされ、毒殺者からは緑青の色になされ、放火犯人からは煤《すす》の色になされ、殺害者からはまっかな色をもらっている。
正直な人々の方に身を置いて、社会の戸口に耳を澄ますと、外にいる者らの対話を盗み聞くことができる。問いと答えとははっきり聞き分けられる。そしてその内容はわからないで、ただ人間の音調らしいものが、否むしろ言葉というよりも吠《ほ》え声に近いものが、気味悪く鳴り響いているかと思われる。それは隠語である。その単語は形がゆがんでいて、いい知れぬ奇怪な獣性をそなえている。あたかも水蛇《みずへび》の話を聞くがようである。
それは暗黒中にある不可知なるものである。その謎《なぞ》によって闇《やみ》を一層深くしながら、鋭くまた低く響いている。不幸の中はまっくらであり、罪悪の中は一層まっくらである。その二つの闇が結合して隠語を作る。大気の中も闇であり、行為の中も闇であり、声のうちも闇である。しかし、雨と夜と飢えと不徳と欺瞞《ぎまん》と不正と裸体と窒息と厳冬などでできているこの広い灰色の靄《もや》の中を、行き、きたり、飛び回り、はい回り、のさばり歩き、奇怪に動き回ってるその恐るべき蟇《がま》の言語も、悲惨なる者らにとっては白日なのである。
懲戒を受けた者らに同情を持とうではないか。ああ、我々自身も果たして何であるか。これを語る私自身は何であるか。これを聞く汝ら自身は何であるか。我々はどこからきたのであるか。生まれる前にも何ら罪を犯さなかったと確言し得らるるか。この世は牢獄に似ているところがあるではないか。人は神の裁きを受けていないとは、だれが知ろう。
近寄って人生をながめるがいい。人生は至る所に刑罰を感ぜさせるようにできている。
汝は人に幸福といわるる身分であるか。しかも汝は毎日悲しんでいるではないか。一日には一日の大なる苦しみがあり、あるいはまた小さき心配がある。昨日は親しき者の健康について戦《おのの》き、今日はおのれの健康について気づかっている。明日は金銭上の心配、明後日は誹謗者《ひぼうしゃ》の陰口、次の日は友人の不幸が来る。次には天気のこと、その次には何かこわれた物や失《な》くした物のこと、その次には良心と背骨とから非難を受ける快楽のこと、あるいはまた世事の推移。加うるに内心の苦悶。かくして続いてゆく。一つの暗雲が晴るれば、また他の暗雲が生じてくる。百日のうちに一日とて、朗らかな喜びと朗らかな太陽とは得難い。しかもそれでいて汝は、少数の幸福なる人々のひとりである。他の人々は常に、深くよどんでる暗夜におおわれている。
深い考えを有する者らは、幸福なる者及び不幸なる者という言葉を余り使わない。この世においては、明らかに他の世界の入り口たるこの世においては、幸福なる者は存しない。
人間の真の区別はこうである、光明ある者と暗黒なる者と。
暗黒なる者の数を減じ光明ある者の数を増すこと、それがすなわち目的である。教育! 学問! と我々が叫ぶゆえんはそこにある。文字を学ぶは火を点ずることである。習得する各文字は光を放つ。
しかもなお、光明を説くは必ずしも喜悦を説くこととはならない。光明のうちにも苦しみがあり、また過度の光明は燃え上がる。炎は翼の敵である。翔《かけ》りつつ燃えること、そこに天才の不可思議がある。
知る時また愛する時、人はやはり苦しむ。明るみは涙のうちに生まれる。光明ある者は暗黒なる者の上にも涙を流す。
二 語根
隠語、それは暗黒なる者の言語である。
烙印《らくいん》を押されかつ反撥したるこの謎《なぞ》のごとき言葉に対する時、人の思想はその最も暗い深みにおいて刺戟され、社会哲学はその最も悲痛なる考慮を強《し》いられる。この言葉のうちにこそ目に見得る懲罰があるのである。各語は皆|烙印《らくいん》の跡を持ってるかと思われる。普通の言葉も皆ここでは、獄吏の赤熱した鉄の下に皺《しわ》を刻まれ焼き固められてるかと思われる。ある言葉はまだ煙を出してるがようである。ある文句は突然裸にされた盗賊の百合《ゆり》の花の烙印ある肩を見るような感がする。前科者たるそれらの名詞で言い現わされることは、いかなる思想もこれを喜ばないように見える。その比喩《ひゆ》はいかにも鉄面皮であって、あたかも鉄鎖につながれてるかと思われる。
けれども、そういうものであるにかかわらず、またそういうものであるがゆえに、この異様な特殊語は、黄金のメダルと共に錆《さび》くれ銭をも並べる公平無私な大書棚《おおしょだな》のうちに、すなわち文学といわるる大書棚のうちに、正当な場所を有するのである。世人が同意するかどうかは知らないが、隠語にもその語法と詩とがある。それは一つの言語である。ある単語の奇形なのを見ては、マンドラン([#ここから割り注]訳者注 有名な盗賊の頭領[#ここで割り注終わり])の歯にかまれたものであるかと思われるとしても、ある換喩の壮麗さを見ては、ヴィヨン(訳者注 中世の大詩人)の口に上ったものであることが感ぜられる。
〔Mais ou` sont les neiges d’antan?〕
(さあれ去年の雪は今いずこ?)
という有名な詩句も、隠語の一句である。antan ―― ante annum ――というは、テューヌ団の隠語の一つであって、〔l’an passe’〕(昨年)という意味であり、ひいては autrefois(昔)という意味になる。三十五年前、一八二七年囚人大護送の折りまでは、ビセートル監獄の地牢《ちろう》の一つに、徒刑に処せられたテューヌ団の一首領が壁上に釘《くぎ》で彫りつけた、次の格言が見えていた。〔Les dabs d’antan trimaient siempre pour la pierre du Coe:sre.〕(昔の王は皆成聖式に行きぬ。)この王(首領)の考えでは、成聖式とはすなわち徒刑場のことであった。
また 〔de’carade〕 というのは、重々しい馬車が大駆けに出発することを意味するもので、この言葉もヴィヨンの使ったものとされているが、いかにもそれにふさわしいものである。四つの蹄《ひずめ》を火と熱せさせるこの言葉は、ラ・フォンテーヌの次のみごとな詩句を全部一つのいかめしい擬声語につづめたものである。
たくましき六頭の馬は馬車を引きぬ。
純粋に文学上の見地よりすれば、おおよそ隠語の研究ほどおもしろくまた結果の豊富なものは少ない。隠語は言語のうちの一言語であり、一種の病的な瘤《こぶ》であり、一群の植物を生じた不健全な接木《つぎき》であり、古いゴールの幹のうちに根をおろし言語の方面にすごい枝葉をひろげてる、一つの寄生植物である。しかもこれは、第一印象ともいうべきものであり、隠語の卑俗な外見にすぎない。更に至当な研究をなす時には、すなわち地質学者が土地を研究するがごとき研究を用いる時には、隠語は、一つの冲積層《ちゅうせきそう》のごとき観を呈してくる。先に掘り進むに従って、隠語の中には種々のものが見いだされる。すなわち、古いフランスの通俗語の上に、プロヴァンス語、スペイン語、イタリー語、地中海の海港の言葉である東方語、イギリス語、ドイツ語、フランス・ロマンとイタリー・ロマンとローマ・ロマンとの三つの種類のロマン語、ラテン語、それから、バスク語、及びケルト語。実に底深い奇怪な形成である。あらゆる悲惨な者らが共同して建てた地下の大|伽藍《がらん》である。のろわれたる各の種族がおのれの地層を置き、各の苦しみがおのれの岩を置き、各の心がおのれの砂利を置いたものである。人生を通過して永遠のうちに消えうせてしまった、あるいは卑しいあるいはいら立った一群の悪の魂が、ほとんどすべてそこにあって、恐ろしい言葉の形の下になお多少そこに露出している。
たとえばスペイン語をとれば、古いゴチックの隠語の語源はいくらもある。(訳者注 次の例にて、上方は原語下方が隠語)
bofeton ―― beffette, 平手打ち。
vantana ―― vantane, 後に vanterne, 窓。
gato ―― gat, 猫。
aceyte ―― acite, 油。
イタリー語をとれば――
spada ―― spade, 剣。
caravella ―― carvel, 船。
イギリス語をとれば――
bishop ―― bichot, 司教。
rascal, rascalion(卑劣漢)―― raille, 間諜《かんちょう》。
pilcher(鞘)―― pilche, 入れ物。
ドイツ語をとれば――
kellner ―― caleur, 小僧。
herzog(公爵)―― hers, 首領。
ラテン語をとれば――
frangere ―― frangir, こわす。
fur ―― affurer, 盗む。
catena ―― 〔cadene,〕 刑鎖。
また、大陸の各国語のうちにあって、一種の強力、一種の神秘な主権を持ってる言葉がある。すなわち magnus という語である。スコットランド人はそれを mac として、一族の首長をさすに用いている。たとえば、Mac-Farlane, Mac-Callummore.(大ファーレーン、大カランモアー。)(ただしケルト語の mac は息子という意味である。)ところが隠語はそれを meck とし後には meg とし、すなわち神としている。次にバスク語をとれば――
〔gai:ztoa〕(悪き)―― gahisto, 悪魔。 gabon(いい晩―― sorgabon, いい夜。 ケルト語をとれば――
blavet(ほとばしる水)―― blavin, ハンカチ。 meinec(石ばかりの)―― 〔me'nesse,〕 女(悪い意味での) baranton(泉)―― barant, 小川。 goff(鍛冶屋)―― goffeur, 錠前屋。 guenn-du(白黒)―― 〔gue'douze,〕 死。 終わりに歴史をとれば、隠語では金銭のことを maltaises と呼んでいる。それは Malte(マルタ島)の漕刑場《そうけいじょう》で通用していた貨幣のなごりである。 以上述べた言語学上の起原の外に、なお一層自然で、いわば人の精神からきたような他の語根を、隠語は持っている。 第一には言葉の直接の創造である。言語の不可思議さはそこにある。いかにしてかまたなぜにかわからないがとにかくある形容を有する言葉で、物を描き出す。それは人間のあらゆる言語の原始的根底であって、言語の岩層ともいうべきものである。どこでまただれから創《つく》られたともわからず、原語もなく、類語もなく、転化語もなく、直接の言葉で孤立した野蛮なまた時には嫌悪《けんお》すべき言葉であって、不思議に力強い表現力を持って生きているものが、隠語のうちには無数にある。たとえば――
taule ……死刑執行人。 sabri ……森。 taf ……恐怖、逃亡。 larbin ……従僕。 pharos ……将軍、知事、大臣。 rabouin ……悪魔。
物を隠すと共に現わすそれらの言葉ほど世に不思議なものはない。ある言葉、たとえば rabouin のごときは、滑稽《こっけい》であると共にまた恐ろしいもので、巨人の渋面を見るがような感を起こさせる。 第二には比喩《ひゆ》である。すべてを言いすべてを隠さんとする一言語の特質は、形容を豊富にすることである。比喩は仕事を計画する盗人が逃げ込む謎《なぞ》であり、脱走の策をめぐらす囚人が逃げ込む謎である。いかなる語法も隠語ほど比喩に富むものはない。
〔de'visser le coco〕ココ酒の栓をぬく)……首をねじ切る。 tortiller(ねじる)……食う。 〔e^tre gerbe'〕(束にされる)……裁かれる。 un rat(一匹の鼠)……パン盗人。 il lansquine ……雨が降る。 [#ここで字下げ終わり] この最後のものは、特殊な古い形容であって、多少そのできた年代をも示している。それは斜めの長い雨足を lansquenets(十五六世紀頃のゼルマン歩兵)の密集した斜めの槍《やり》にたとえたもので、しのつく雨という通俗の換喩を一言のうちにこめたものである。時とすると隠語は、初期から次の時期に至るに従って、その言葉も野蛮な原始的状態から比喩の意味のものに変わってくることがある。悪魔をさす言葉も、rabouin から boulanger(パン屋)――竈《かまど》の中で焼く者――となっている。才気は増してきたけれど壮大さは減じてきて、コルネイユの後にラシーヌがきたようなものであり、アイスキロスの後にエウリピデスがきたようなものである。またある句などは、両時期にまたがって野蛮な趣と比喩的な趣とを兼有して、幻覚に似たものもある。〔Les sorgueurs vont sollicer des gails a
la lune.〕(徘徊者は夜中に馬を盗みに行く。)そういう言葉は一群の幽霊のように人の頭をかすめ過ぎる。眼前に見える者は果たして何者であるか人にはわからない。
第三には方便である。隠語は普通の言語によって生きている。でき心のままに普通の言葉を使い、臨機応変にそれから種をくみ取ってき、必要に応じてそれを簡単粗雑なものに変えてしまっただけのものが多い。時としては、かく形をゆがめた普通の言葉と純粋な隠語の言葉とを結び合わして、おもしろい言い方を作り上げ、前にいった直接創造と比喩《ひゆ》との両要素の混合が感ぜらるるものもある。
Le cab jaspine, je marronne que la roulotte de Pantin trime
(犬が吠える、パリーの駅馬車が森の中を通るらしい。)
〔Le dab est sinve, la dabuge est merloussie`re, la fe’e est bative.〕
(亭主は愚かだ、女房は狡猾《こうかつ》だ、娘はきれいだ。)
またしばしば、聴者を惑わさんがために、隠語ではすべての言葉に一種の曖昧《あいまい》な尾を、aille, orgue, iergue, uche などの語尾を、ただ漠然《ばくぜん》と添えるだけのことがある。
Vousiergue trouvaille bonorgue ce gigotmuche?
(この焼肉は気に入ったか?)
これはカルトゥーシュが門監に向かって、脱走するためにつかました金額が彼の気に入ったかどうか尋ねた言葉である。また mar という語尾もかなり最近に使われるようになった。
隠語は腐乱の語であるから、直ちに腐乱してゆく。その上、常に隠密ならんことを求むるから人に理解されたと思えばすぐに変形してゆく。すべて他の植物と反対に、日光に触れた部分は死滅してゆく。かくして隠語は絶えず解体しまた組成する。決して止まることのない影の中の急速な働きである。十年のうちにも、普通の言語が十九世紀間にたどる以上の道を進む。そして種々に変化してゆく。たとえば――
パン…… larton ―→ lartif.
馬…… gail ―→ gaye.
藁《わら》……fertanche ―→ fertille.
子供…… momignard ―→ momacque.
着物…… siques ―→ frusques.
教会堂…… chique ―→ 〔e’grugeoir.〕
首…… colabre ―→ colas.
悪魔…… gahisto ―→ rabouin ―→ boulanger.
牧師…… ratichon ―→ sanglier.
短剣…… vingt-deux ―→ surin ―→ lingre.
警官ら…… railles ―→ roussins ―→ rousses ―→ marchands de lacets ―→ coqueurs ―→ cognes.
死刑執行人…… taule ―→ Charlot ―→ atigeur ―→ becquillard. 殴《なぐ》り合う…… se donner du tabac(煙草をかぎ合う――十七
世紀) → se chiquer la gueule(頤《あご》を咬《か》み合う――十九世紀)。
そしてこの最後のものなどは、数多くの異なった言い方が、両者の間に存在していた。カルトゥーシュの言葉とラスネールの言葉とは全く異なっていた。そして隠語のすべての言葉は、それを話す人々と同じく絶えず逃げ回っている。
けれども時々、かえってこの変化のために、古い隠語が再び現われてきて新しいものとなることがある。そしてその維持されてゆく中心地はいくつもある。タンプルの一郭は十七世紀の隠語を保存していた。ビセートルが監獄であった頃は、テューヌ団の隠語を保存していた。そこでは昔のテューヌ仲間の anche という語尾が残っていた。
Boyanches-tu?(飲むか)
Il croyanche.(彼は思う)
しかしそれでも、原則としては常住に変化するものである。
もし哲学者にして、絶えず消散してゆくこの言語を、よく観察するために一時一定の形に引き止めるならば、彼は痛ましいかつ有益な瞑想《めいそう》に沈み込むであろう。いかなる研究も、隠語の研究ほど教育上に有効で材料豊富なものはない。そのいずれの比喩《ひゆ》もいずれの語源も皆、それぞれ一つの教訓を含んでいる。――隠語を話す者らの間では、battre(打つ)は feindre(装う)という意味になる。On bat une maladie.(人は病気を打つ――に勝つ――を装う。)狡猾《こうかつ》は彼らの力である。
彼らにとっては、人間という観念は影という観念と離れない。夜を sorgue といい、人を orgue という。すなわち人は夜の転化語である。
彼らは常に社会をもって、自分らを殺す大気のように考え、致命的な力のように考えている。そして人が自分の健康のことを語るように、自分らの自由のことを語っている。捕縛された者は一つの malade(病人)であり、処刑された者は一つの mort(死人)である。
身を埋むる四方の石壁のうちにあって、囚人にとって最も恐ろしいものは、女に接しない一種氷のごとき清浄な生活である。囚人は地牢《ちろう》を castus(清浄)と呼んでいる。――その痛むべき場所のうちに、外部の世界は常に最も嬉々《きき》たる顔付きをして現われてくる。囚人は足に鉄鎖をつけている。足をもって人は歩くと囚人も考えてることと、おそらく世人は思うだろう。しかしそうではない。足をもって人は踊ると囚人は考えている。それで、足の鉄鎖を鋸《ひ》き割り得た時、最初の考えは、今や踊り得るということである。そして鋸《のこぎり》を bastringue(居酒屋の一種の踊り)と呼んでいる。――名前を centre(中心)と呼んでいる。意味深い比喩《ひゆ》である。――悪漢は二つの頭を持っている。一つは自分の行為を定め、生涯の間自分を導くものである。一つは最期の日双肩にになうべきものである。罪悪を勧める頭を sorbonne(ソルボンヌ大学)と呼び、罪悪を償う頭を tronche(クリスマス用の薪)と呼んでいる。――身にはぼろをしかまとわず心には悪徳をしかいだかない時、物質的と精神的と二重の堕落に陥った時、その二重の意味でいわゆる gueux(賤奴)となりはてた時、人はまさに罪悪の淵辺《ふちべ》に立っている。よく研《と》がれた包丁のようなものである。彼は両刃を、すなわち困窮と悪意とを持っている。それゆえ隠語では、それを gueux といわないで、〔re’guise’〕(研がれたる者)という。――徒刑場とは何であるか。永劫《えいごう》所罰の火炉であり、一つの地獄である。囚人は自ら自分を fagot([#ここから割り注]薪束)と呼ぶ――終わりに、悪人らはいかなる名を監獄に与えているか。〔colle`ge〕(学校)という名を与えている。懲戒の全組織はこの一語から引き出すことができる。
盗人は前に差し出された犠牲を持っている、すなわち盗み得る物を、諸君や私や、だれでも前を通る者を。それを pantre という。(pan とはすべての人という意味である。)
徒刑場の多くの歌、特殊の言葉で lirlon a といわれる反唱句が、どこで生まれたかを知ろうと欲するならば、次のことを読むがいい。
パリーのシャートレ監獄に長い大きな窖《あなぐら》が一つあった。その窖はセーヌ川の水面より八尺も低くなっていた。窓もなければ風窓もなく、唯一の開き口はただ入り口の戸だけであった。人間ははいることができたが、空気は通さなかった。上は石の丸天井であり、床《ゆか》には一尺も泥《どろ》がたまっていた。初めは舗石《しきいし》があったが、水がしみ出てくるので、それも腐食して裂け目だらけになっていた。地面から八尺の高さの所に、一本の長い太い梁《はり》が地牢《ちろう》の一方から一方へ通っていた。その梁の諸所には、長さ三尺の鎖がたれていて、先端に鉄の首輪がついていた。漕刑《そうけい》に処せられた囚人らは、ツーロン港に向かって護送さるる日までこの窖の中に入れられた。暗闇《くらやみ》の中に恐ろしい鉄枷《てつかせ》をそなえて待ってる梁の下に、彼らは押しやられた。腕をたれてる鎖と手をひろげてる首輪とは、そのみじめな者らの首筋をつかんだ。彼らはそこにつなぎとめられて放置された。鎖が短いので下に寝ることはできなかった。その窖の中に、その暗闇の中に、その梁の下に、ほとんどぶら下がったようにしてじっと立ちつくし、わずかなパンと水とを得るために非常な努力を強いられ、頭の上には石の丸天井があり、下には半ば膝《ひざ》を没する泥があり、糞尿《ふんにょう》は足の上に流れ、疲労のために骨も裂け、腰と膝とは力を失い、休息するためには両手で鎖にぶら下がり、立ったままでなければ眠ることもできず、首輪に喉《のど》をしめられては絶えず目をさまし、また中には永久に目をさまさない者もあった。物を食べるには、泥《どろ》の中に投げ与えられたパンを、踵《かかと》で脛《すね》にずらし上げて手の届く所まで持ってくるのだった。しかもそういう風にしてることが、あるいは一カ月、あるいは二カ月、時には六カ月になることもあった。一年間そこにいた者もひとりあった。それが徒刑場の控え室だったのである。国王の兎を一匹盗んでもそこに入れられた。そしてこの地獄の墓穴の中で、彼らは何をなしていたか。人が墓穴の中でなし得ること、すなわち死の苦しみを彼らはしていた、また人が地獄においてなし得ること、すなわち歌を彼らは歌っていた。もはや希望が無くなった所には、ただ歌だけが残るものである。マルタ島の海では、一つの漕刑船《そうけいせん》が近づく時、櫂《かい》の音が聞こえる前にまず歌の声が聞こえた。シャートレの地牢《ちろう》を通ってきたあわれな密猟者スュルヴァンサンはこういった、「私をささえてくれたものは韻律である[#「私をささえてくれたものは韻律である」に傍点]。」詩は無用だ、韻律が何の役に立つか、と人はいう。しかも隠語のほとんどすべての歌が生まれたのは、この窖《あなぐら》の中においてであった。パリーの大シャートレ監獄の地牢から、あのモンゴムリー徒刑場の憂鬱《ゆううつ》な反唱句も生まれたのである、Timaloumisaine, timoulamison と。またそれらの歌の多くは悲痛なものであるが、中には快活なものもあり、やさしいものも一つある。
〔Icicaille est le the’a^tre〕
Du petit dardant.
(ここぞ宮居、)
(小さき弓手の。)
――(弓手とは愛の神キューピッドのこと)――
いかに力をつくしても、人の心に永遠に残るものすなわち愛を、絶滅することはできないものである。
陰惨な行為を事とするこの仲間では、自分たちだけで秘密を厳守している。秘密は彼らだけの共通なものである。それらのみじめなる者らにとっては、秘密は結合の基礎となる一致である。秘密をもらすことは、その隠密な組合の各人から何物かを奪い去ることとなる。告訴するという言葉は、力強い隠語では manger le morceau(小片を食う)という。あたかもその密告者は各人の本体の一片をむしり取って、その肉片で自分の身を養うかのようである。
平手打ちを受けるとは何であるか。通俗の比喩《ひゆ》は答える、c’est voir trente-six chandelles.(それは三十六本の蝋燭を見ることだ。)ところが、隠語は横から口を出してこう答える、「chandelle(蝋燭)ではない、camoufle というのだ。」かくて日常の言語は、平手打ちの同意義語に camouflet(戯れに人の顔に吹きかける濃煙)というのを置いている。そして下部から上部への一種の浸透力によって、また不可測な道をたどる比喩の助けによって、隠語は洞窟《どうくつ》からアカデミーまでのぼってゆく。J’allume ma camoufle.(俺は蝋燭をつける)といっていた盗賊プーライエは、アカデミー会員のヴォルテールに次のような文句を書かせる。〔Langleviel La Beaumelle me’rite cent camouflets.〕(ラングルヴィエル・ラ・ボーメルには百の平手打ちを喰わすべし。)
隠語のうちを掘りゆけば、一歩ごとに発見物がある。この不思議な語法を研究し掘り深めてゆくと、ついには正規の社会とのろわれた社会との接触点に達する。
隠語は囚人となった言語である。
人の思考力がいかに底深い所につき落とされているか、そこで宿命の暗澹《あんたん》たる暴虐からいかにむごたらしく引きずられ縛り上げられているか、その深淵《しんえん》の中でいい知れぬ鈎《かぎ》にいかにしかと結び止められているか、それを見ては心おびえるほどである。
ああ、みじめなる者らのあわれなる思想よ!
悲しいかな、この影のうちにある人の魂をだれも救いにこないのであろうか。精神を、救済者を、ペガサス(翼馬)やヒポグリフ(]鷲頭怪馬)などに乗った広大な騎者を、両翼をひろげて蒼天からおりて来る曙《あけぼの》の色に輝いた戦士を、燦然《さんぜん》たる未来の騎士を、かかる宿命は永遠に待っていなければならないのであろうか。理想の光明の槍《やり》に向かって救いを求むる声も、ただいたずらに響くのみであろうか。ドラゴン(竜)の頭が、泡《あわ》を吐く顎《あご》が、獅子《しし》の爪《つめ》と鷲《わし》の翼と蛇《へび》の尾とでうねり行く怪物が、悪の深淵の深みのうちを恐ろしく渡りくる音を聞き、恐るべき水の中に次第に近くやってくるのを見るように、永久に定められているのであろうか。光もなく、希望もなく、その恐るべき怪物の近づくままに放置され、その怪物からほのかに嗅《か》ぎつけられ、身を震わし、髪をふり乱し、腕をねじ合わしてひざまずき、永遠にやみ夜の巌《いわお》につながれて、そこに留まっていなければならないのであろうか、やみのうちに裸のままほの白くさらされたる悲惨なるアンドロメダ(訳者注 神託によって海の怪物にささげられペルセウスに助けられしエチオピアの王女)のごとくに!
三 泣く隠語と笑う隠語
読者の見る通り、全部の隠語は、今日の隠語と共に四百年前の隠語も、各語にあるいは苦悩の姿を与えあるいは恐ろしい姿を与える陰惨な象徴的精神ですべて貫かれている。そのうちには、クール・デ・ミラクルの無宿者らからきた古い荒々しい悲哀が感ぜらるる。この無宿者らは特殊なカルタで賭博《とばく》をしていたが、その幾つかは今だに伝わっている。たとえばクラブの八は、クローバーの大きな葉の八枚ついてる大木が描いてあって、変な風に森をかたどったものであった。大木の根本には燃えてる火が見えていて、そこでひとりの猟師が串《くし》にさされて三匹の兎《うさぎ》からあぶられていた。その向こうにも一つ火が燃えていて、その上にかかって煙を出してる鍋《なべ》からは犬の頭が出ていた。そして密輸入者らを火あぶりにし貨幣|贋造者《がんぞうしゃ》らを釜揚《かまあ》げにする時代において、カルタ札《ふだ》の上に描かれたそれらの復讐《ふくしゅう》ほど、世に痛むべきものは存しない。隠語の世界において人の考えを現わす種々の形は、歌も嘲弄《ちょうろう》も威嚇《いかく》も皆、かかる無力な圧伏された性質を持っていた。歌の調子は幾らか今だに伝わっているが、それらの歌は皆謙遜なもので、涙ぐまるるほど悲しいものだった。盗賊仲間ということは 〔pauvre pe`gre〕(あわれな仲間)と呼ばれている。そしてまた、身を隠す兎だの、のがれゆく二十日鼠だの、逃げ出す小鳥だのが、いつも出て来る。ほとんど抗議さえも持ち出さない。ただ嘆息するのみで満足している。その嘆声の一つが今に伝わっている。
〔Je n’entrave que le dail comment meck, le daron des orgues, peut atiger ses mo^mes et ses momignards et les locher criblant sans e^tre atige’ lui-me^me.〕
(なぜに人の父なる神は、おのが子や孫を苦しめ、その泣き声を聞きても自ら心を痛めないか、私は了解することを得ない。)
悲惨なる者は、少しく思いめぐらす暇を持つごとに、法律の前に自ら小さくなり、社会の前に自ら弱くなる。彼はそこに平伏し、懇願し、憐愍《れんびん》の方を仰ぎ見る。あたかも自分の非をよく知ってるかのようである。
ところが十八世紀の中葉頃に、一つの変化が起こった。監獄の歌は、盗賊のきまりの歌は、横柄な元気な身振りを示した。嘆息的な反覆語 〔malure’〕 は larifla と変わった。十八世紀では、漕刑場《そうけいじょう》や徒刑場や監獄などのほとんどすべての中に、謎《なぞ》のような悪魔的な快活さが見えていた。あたかも燐光《りんこう》に照らされ、横笛を吹いてる鬼火から森の中に投げ出されたかのような、踊りはねる鋭い次の反唱句も聞かれたのである。
Mirlababi, surlababo,
Mirliton ribon ribette,
Surlababi, mirlababo,
Mirliton ribon ribo.
これは窖《あなぐら》の中や又は森の片すみで、人を絞《し》め殺しながら歌われたのである。
この変化は重大な一兆候である。十八世紀に及んで、この沈うつな階級の古来の憂鬱《ゆううつ》は消散する。彼らは笑い始める。彼らは偉大なる meg(神)や大なる dab(王)を嘲笑する。ルイ十五世のことをいう時、彼らはこのフランス国王を marquis de Pantin(パリー侯爵)と呼ぶ。彼らはほとんど快活になったのである。あたかも良心の重みももはや感じないかのように、そのみじめなる者らから一種軽快な光が発してくる。その痛むべき影の種族は、もはや単に行為上の絶望的な大胆さを持ってるのみではなく、また精神上のむとんちゃくな大胆さを持っている。それは彼らが罪悪の感情を失ってる証拠であり、思想家や瞑想家《めいそうか》らが自ら知らずして与うる一種の支持を彼らが感じてる証拠である。窃盗や掠奪《りゃくだつ》が理論や詭弁《きべん》のうちにまでしみ込んでいって、ついに詭弁《きべん》や理論に醜さを多く与えながらおのれの醜さを多少失ってきた証拠である。終わりにまた、何か反対の機運さへ起こらなければ、ある驚くべき発展が近く到来せんとしてる前兆である。
ちょっと一言しておきたい。ここで我々がとがめんとするところのものは、十八世紀であるか? または哲学であるか? 否そうではない。十八世紀の事業は健全で善良である。ディドローを頭《かしら》とする百科辞典の一派、テュルゴーを頭とする重農主義の一派、ヴォルテールを頭とする哲学の一派、ルーソーを頭とする理想郷の一派、そこに四つの尊い方面がある。光明の方へ向かってなした人類の大なる前進は、彼らに負うところのものである。彼らは人類の四つの前衛であって、進歩の四方へ進み出る。ディドローは美なるものの方へ、テュルゴーは有益なるものの方へ、ヴォルテールは真なるものの方へ、ルーソーは正なるものの方へ。しかしながら、それらの哲人らの傍《かたわら》にまた下に、詭弁家らの一派があった。健全なる繁茂に交じってる有毒な植物であり、処女林のうちにおける毒人蔘《どくにんじん》であった。法廷の大階段の上で当代の救済主らの大著述を刑執行人が焼き払ってる傍に、今日もはや忘られている幾多の著述家らは、国王の特許を得て、変に秩序をみだす種々の著述を出版して、みじめなる者らから貪《むさぼ》り読まれたものである。不思議にも国君の保護を受けたそれらの発行書のあるものは、秘密叢書のなかに今もはいっている。奥深いしかも世に知られないそれらの事実は、表面には現われていなかった。が往々にして一事実の危険性はその暗黒なる点に存する。暗黒なるは地下にあるからである。それらの著述家らのうちでも、岩層の中に最も不健全な坑道を当時掘った者は、おそらくレスティフ・ド・ラ・ブルトンヌであろう。
かかる仕事は本来全ヨーロッパに存するものであったが、ことにドイツはそれからはなはだしい損害を受けた。ドイツにおいては、シルレルが有名な戯曲群盗のうちに概説しているある一時期の間、窃盗と掠奪とが蜂起《ほうき》して所有権と労働とを妨げ、初歩のもっともらしい誤ったる思想を、外観は正しいが実質は不条理なる思想を、自ら遵守《じゅんしゅ》し、自ら身にまとい、多少その影に潜み隠れ、抽象的な名前を取って学説の状態に変形して、不純な混和剤を作る不注意な化学者のごとくに、またそれを服用する衆人のごとくに、知らず知らずのうちに、勤勉な正直な苦しめる群集の間に伝播《でんぱ》していったのである。かかる種類の事実が起こってくる時には、その結果は常に重大である。苦しみは憤怒を生む。そして富裕なる階級が、盲目であるか又は眠っている間に、すなわち目を閉じている間に、不幸なる階級の憎悪《ぞうお》の念は、片すみに夢想している憂鬱《ゆううつ》な又は悪しき精神に炬火《たいまつ》を点じて、社会を調査し始める。憎悪の行なう調査、それは恐るべきものである。
そこから、もし時代の不幸が望む時には、ジャックリー(訳者注 十四世紀ピカルディーにおける賤民の大暴動)と昔名づけられたような恐るべき騒擾《そうじょう》が起こってくる。かかる騒擾に比すれば、純粋の政治的動乱などは児戯に等しいものである。それはもはや被圧制者が圧制者に対抗する争いではなく、不如意が安逸に対抗する反抗である。その時すべては崩壊する。
ジャックリーは民衆の戦慄《せんりつ》である。
十八世紀の末葉においておそらく全ヨーロッパに切迫していたこの危急を、あの広大なる誠直の行為たるフランス大革命は、一挙に断ち切ったのである。
剣を装ったる理想に外ならないフランス大革命は、すっくと立ち上がり、同じ急速な動作で、悪の扉《とびら》を閉ざし善の扉を開いた。
大革命は問題を解決し、真理を普及し、毒気を払い、時代を清め、民衆に王冠を授けた。
大革命は人間に第二の魂たる権利を与えながら人間を再びつくった、ともいい得るであろう。
十九世紀はその事業を継承し利用している。そして今日では、前に述べたような社会の破滅は当然起こり得ない。かかる破滅を予言する者は盲者であり、かかる破滅を恐るる者は痴呆《ちほう》である。革命はジャックリーの種痘である。
革命の恩恵によって社会の情況は変わった。封建的王政的な病はもはや我々の血液の中にはない。我々の政体のうちにはもはや中世は存しない。恐るべき黴菌《ばいきん》が内部に満ちあふれていた時代、恐ろしい響きのかすかに鳴り渡るのが足下に聞こえていた時代、土竜《もぐら》が穴を掘るような高まりが文明の表面に見えていた時代、地面が亀裂《きれつ》していた時代、洞穴《どうけつ》の口が開いていた時代、そして怪物の頭がたちまち地下から出て来るのが見られた時代、そういう時代には我々はもはやいないのである。
革命の意義は道徳的の意義である。権利の感情が発展する時、それはまた義務の感情を発展させる。万人の原則は自由ということである。そしてロベスピエールのみごとな定義に従えば、自由は他人の自由の始まるところに終わる。一七八九年以来全民衆は拡大して荘厳な個人となっている。権利を有しながら光を有しない貧民はいない。赤貧者といえども自分のうちにフランスの正直さを感じている。公民の品位は内心の鎧《よろい》である。自由なる者は謹直である。投票する者は自ら統治する。そこから腐敗し得ない性質が生じてくる。そこから不健全なる貪婪《どんらん》の流産が起こってくる。そこから誘惑の前にも勇ましく伏せたる目が生まれてくる。革命が行なう洗練は深いものであって、七月十四日(一七八九年)あるいは八月十日(一七九二年)のごとき解放の日においても、もはや賤民は存在しない。光に照らされ生長しつつある群集の第一の叫びは、盗賊らをたおせ! ということである。進歩は正直なる男子である。理想と絶対とは物をかすめ取らない。テュイルリー宮殿の財宝の櫃《ひつぎ》は、一八四八年にはだれからまもられていたか。サン・タントアーヌ郭外の屑屋《くずや》どもからではなかったか。ぼろは宝物の前に番をしたのである。徳操はこのぼろをまとった者らを光り輝かした。それらの櫃の中に、ほとんど閉ざされていず間には半ば口を開いてるのもあるそれらの箱の中に、多くの燦爛《さんらん》たる宝石の間に交じって、金剛石を一面にちりばめ上には王位及び摂政の紅玉をつけてる三千万フランの価あるフランスの古い王冠が、はいっていたのである。足に靴《くつ》もはかない彼らは、その王冠の番をしていた。
かくてもはやジャックリーは存しない。巧者らにとっては気の毒の至りである。昔の恐怖も、今はその効果を失ってしまい、今後はもはや政治に利用されることはできないであろう。まっかな幽霊の大撥条《おおばね》はもうこわれている。今や人はすべてそれを知っている。今はだれもその張子《はりこ》を恐れない。小鳥はその案山子《かかし》になれ、兜虫《かぶとむし》はその上にとまり、市民はそれを笑っている。
四 二つの義務――警戒と希望
さはあれ、社会的危険はすべて消散しているであろうか。確かに否。もはやジャックリーはなく、この方面では社会も安心することができ、もう逆上することもないであろう。しかし社会は、いかなる方法で生息するかを考えなければならない。卒中はもはや恐るるに及ばない。しかし肺病はまだある。社会の肺病、これを悲惨という。
人は一撃を受けて死ぬることがあるとともに、また徐々の衰弱から死ぬることもある。
我々は倦《う》むことなく繰り返したい。何よりもまず恒産なき苦しめる群集のことを考えよ。彼らを慰めよ。彼らに空気と光とを与えよ。彼らを愛せよ。彼らにその地平線を晴れ晴れとひろげてやれ。あらゆる形式の下に教育を惜しまず与えてやれ。勤勉の例を示して、決して怠惰の例を示すな。万物の目的が何であるかをますますよく知らせながら、各個人の荷の重みを減じてやれ。富を制限することなく貧を制限せよ。公衆及び民衆の広い活動の余地を作れよ。ブリアレウス([#ここから割り注]訳者注 五十の頭と百本の腕とを有する巨人[#ここで割り注終わり])のごとくに、疲れたる者や弱き者らに四方から差し出してやる千の手を持てよ。すべての腕に工場を開き、すべての能力に学校を開き、すべての知力に実験室を開く、偉大なる義務を果たさんために、集団の力を用いよ。賃金を増し労苦を減ぜよ。当然受くべきものと実際有するものとを平衡せしめよ。換言すれば、享有と努力とを平均せしめ、満足と要求とを平均せしめよ。一言にしていえば、苦しめる者や無知なる者らのために、一層の安楽と光明とを、社会組織より発せさせよ。同情ある魂の者らよよく記憶するがよい、これこそは同胞の義務の第一のものである。利己的な心の者らよよく知るがよい、これこそは政治の要件の第一のものである。
しかもあえていうが、すべてそれらのことはまだ第一歩にすぎない。真の問題は次にある、すなわち、労働は一つの権利とならずんば一つの法則となることを得ない。
しかしこの点をなお力説することはよそう。ここはその場所でないから。
もし自然を天意と呼ぶならば、社会は先見と呼ばるべきであろう。
精神と道徳との生長は、物質的改良に劣らず必要なものである。知ることは一つの糧《かて》であり、考えることは第一の要件であり、真理は小麦のごとき栄養物である。理性は学問と知恵とを断食する時やせてゆく。胃袋の点より考えても、食を取らない精神はあわれむべきである。パンがなくて死の苦しみをする身体よりも一層悲痛なものが何かあるとすれば、それはおそらく光明に飢えて死ぬる魂であろう。
進歩はすべてその解決を目ざしている。他日人は驚かされるであろう。人類は上に上りゆくものであるから、深い地層も自然に破滅地帯を脱するであろう。悲惨の掃蕩《そうとう》は、単に地面を高めることによってなされるであろう。
かかる祝福されたる解決こそ、これを疑うは誤りである。過去はまさしく現代においてはなはだ強力になっている。過去はよみがえっている。かかる死骸《しがい》の更生こそ意外なことである。今やそれは立ち上がって進み来る。勝利者のごときありさまをしている。その死人が征服者となっている。その軍勢たる迷信を率い、その剣たる専制制を振りかざし、その軍旗たる無知を押し立てて、彼はやって来る。しばらくの間に彼はもう十度もの戦争に勝利を得ている。彼は進みきたり、威嚇し、嘲笑し、我々の門口に立っている。しかし我々は絶望してはいけない。ハンニバルの駐《とど》まる野は売るべしである。
信ずるところある我々は、何を恐るべきことがあるか。
河水に逆行がないごとく、もはや思想にも逆行はない。
しかし未来を欲しない者には一考を勧めたい。進歩に向かって否といいながら彼らがしりぞけるのは、未来ではなくて彼ら自身をである。彼らは自ら自分に暗い病気を与える。彼らは自分に過去を植えつける。「明日」を拒む唯一の方法は自ら死ぬることである。
しかるにいかなる死も、身体の死はなるべく遅からんこと、魂の死は、永久にきたらざらんこと、それが我々の望むところである。
まさしく、謎《なぞ》はその種を明かし、スフィンクスは口を開き、問題は解決されるであろう。十八世紀に草案された「民衆」は十九世紀によって完成さるるであろう。これを疑う者は痴人である。万人の安寧が近き未来に到来することは、天意的な必然の数である。
一斉に上に向かわんとする広大なる力は、人類の各事実を整理して、一定の時間を経れば、合理的なる状態、すなわち平衡なる状態に、すなわち公正なる状態に、すべてを導くであろう。地と天とから成る一つの力は、人類からいでて人類を統治するであろう。その力こそ奇跡を行なう者である。驚嘆すべき大団円も、異常なる変転と同じく彼にとっては容易である。人間より来る学問と神より来る事変との助けによって、俗人には解決不可能と思わるる矛盾多い問題にも、彼は余り驚かない。彼は巧みに、各事実を対照さして一つの教訓を引き出すとともに、各思想を対照さして一つの解決を引き出す。そして人は、進歩のこの不可思議なる力からすべてを期待することができる。この力は他日、墳墓の奥底において東方と西欧とを対面させ、大ピラミッドの内部においてイマン([#ここから割り注]回教長老[#ここで割り注終わり])とボナパルトを対話させるであろう。
まずそれまでは、人の精神の壮大なる前進のうちには、何らの休止もなく、躊躇《ちゅうちょ》もなく、足を止める暇もない。社会哲学は本質的に平和の学問である。拮抗《きっこう》を研究することによって憤怒を解くことが、その目的であり、またその結果であらねばならない。それは調査し穿鑿《せんさく》し解剖し、次にまた再び組み立てる。すべてから憎悪《ぞうお》を除去しながら、還元の道をたどってゆく。
人間の上に吹きすさむ風のために一社会が覆没することは、しばしば見らるるところである。民衆や帝国の難破は史上に数多ある。颶風《ぐふう》という未知の者が一度過ぎる時、風俗も法律も宗教もすべては吹き去られる。インド、カルデア、ペルシャ、アッシリア、エジプトなどの文明はすべて、相次いで消滅した。なぜであるか。我々はそれを知らない。それらの覆滅の原因は何であるか。我々はそれを知らない。それらの社会はあるいは救われることができるものであったであろうか。それら自身に過失があったのであろうか。破滅を招くべきある致命的な不徳のうちに固執したのであろうか。国民や民族のそれら恐ろしい死滅のうちにはいくばくの自殺が含まっていたであろうか。それは答えのできない問題である。それらの処刑された文明はやみにおおわれている。それらは水底に沈んだがゆえに水におぼれたのである。これ以上を我々は何もいうことができない。そして、過去と呼ばるる大海の底に、世紀と呼ばるる大波のかなたに、すべての暗黒の口から出る恐るべき息吹《いぶき》のために、バビロン、ニニベ、タルス、テーベ、ローマ、などの巨船が沈みゆくのを見ては、我々は自ら一種の戦慄《せんりつ》を禁じ得ない。けれども、そこには暗黒があるが、ここには光明がある。我々は古代諸文明の病気を知らないが、現代文明の疾患を知っている。我々はこの文明の随所を光に照らしてながむるの権利を有している。我々はその美点を観賞し、その醜点を裸にする。苦痛があるところには消息子《さぐり》を入れる。そして一度病苦が明らかになれば、その原因を研究するうちについに薬剤が発見さるる。二十世紀間の長い年月に作られたわが文明は、その怪物であり又その奇跡である。救うに価するものである。ついには救われるであろう。これを支持するは既に大なる業《わざ》であり、これに光明を与うるは更に大なる業である。現代の社会哲学のあらゆる努力は、皆この目的に集中されなければならない。今日の思想家は一つの大なる義務を持っている、すなわち文明の健康を診察することである。
くり返していう。この診察は人の勇気を鞭撻《べんたつ》するものである。そして、本書の悲痛な一編の劇にはさんだいかめしい幕間物たるこれらの数ページを、我々はこの鞭撻の力説によって終えたいと思う。社会の定命の下にも人類の不滅が感ぜられる。噴火口の傷口や硫気口の湿疹《しっしん》などを所々に有するとも、潰瘍《かいよう》して膿液《のうえき》をほとばしらす火山があろうとも、地球は死滅しない。民衆の病気も人間を殺しはしない。
それでもなお、社会の臨床治療に臨む者は一時頭を振るであろう。最も強く最も愛深く最も合理的なる者らも、一時勇気を失うであろう。
未来は果たして到達するであろうか? かくも多くの恐るべき影を見る時、ほとんどそう自ら問わざるを得ないのである。多くの利己的な者らと悲惨な者らとに、痛ましくも当面してるのである。利己的な者らのうちにあるのは、偏見、高価な教育の暗黒、酩酊《めいてい》によってますます高まる欲望、人を聾者《ろうしゃ》にし愚昧《ぐまい》にする繁栄、ある者らにあっては苦しめる人々に背中を向けるほどの、苦痛の恐れ、頑迷《がんめい》な満足、魂の口をふさぐほどふくれ上がってる自我。また悲惨な者らのうちにあるのは、渇望、羨望《せんぼう》、楽しめる人々に対する憎悪《ぞうお》、飽満に対して人の獣性が有するあこがれ、靄《もや》に立ちこめられてる心、悲哀、欠乏、薄命、汚れたるただの無知。
かくてもなお続けて天の方へ目をあげなければならないか? そこに見える輝いたる一点は、消えうするもののなごりであろうか? 深みのうちに取り残され、見分け難く小さく孤立して、周囲に重畳|堆積《たいせき》してる大なる暗雲におびやかされながら輝いてる理想こそ、見るも恐るべきものである。しかしながらそれは、黒雲にのまれんとする星と等しく、特に危険に陥っているものではない。
[#改ページ]
第八編 歓喜と憂苦
一 充満せる光
読者のすでに了解するとおり、エポニーヌはマニョンに言いつけられてプリューメ街に行き、そこに住んでる娘を鉄門越しに見て取って、まず盗賊どもをその家から他にそらし、次に、マリユスを連れてきたのであった。そしてマリユスは、その鉄門の前に恍惚《こうこつ》たる数日を過ごした後、鉄が磁石に引かれるような力に導かれ、恋人が愛する女の家に引きつけられるような力に導かれて、ロメオがジュリエットの庭にはいったように(訳者注 セークスピヤの戯曲ロメオとジュリエット)ついにコゼットの庭のうちにはいり込んでしまったのである。しかもそうすることは、ロメオの時よりも彼の時の方が容易であった。ロメオは壁を乗り越えなければならなかったが、マリユスの方は、老人の歯のように錆《さび》くれた穴の中に揺らいでる古い鉄棒の一本を、少しばかり押し開くだけでよかった。マリユスはやせていて、わけなくそこからはいることができた。
街路にはかつて人もいなかったし、その上マリユスは夜分にしか庭にはいって行かなかったので、人に見られるような危険はなかった。
一つの脣《くち》づけが二つの魂を結び合わしたあの聖《きよ》い祝福された夜以来、マリユスは毎晩そこにやってきた。もしその頃コゼットが、多少不謹慎なみだらな男に恋したのであったら、彼女は身を滅ぼしたであろう。なぜなら世にはすべてに身を任せる大まかな性質の者がいるもので、コゼットはそのひとりだったのである。女の寛容の一つは、物に従うところにある。絶対の高みにある恋のうちには、一種の潔い貞節の盲目さがはいっている。世の高潔な魂の女らがいかに多くの危険を冒すことか! 彼女らが心を与えるのに男はしばしばその肉体をのみ取る。心は彼女らのもとに残って、彼女らは戦慄しながらそれをやみの中にながめる。恋は中間の道を持たない。身を滅ぼすか救うかいずれかである。すべて人の生涯はそういう両端のうちにはさまれている。そして滅落や至福かの板ばさみは、いかなる場合よりも恋愛において最もよく迫ってくる。愛は死でなければ生である。揺籃《ゆりかご》か柩《ひつぎ》かである。人の心のうちでは、同一の感情がしかりとも言えば否とも言う。神の手に成るいっさいのもののうちで、人の心は最も多く光輝を放つものであるとともに、また悲しくも最も多く暗黒を出すものである。
コゼットの出会う愛は救済の愛であらんことを神は欲した。
一八三二年五月の毎夜、その荒れはてたわずかな庭のうちに、日ごとにかおりは高まり茂みは深くなるその藪《やぶ》の下に、あらゆる貞節と無垢《むく》とでできてるふたりの者、天の恵みに満ちあふれ、人間によりも天使に近い、純潔で正直で恍惚《こうこつ》として光り輝いてるふたりの者が、暗闇《くらやみ》のうちに互いに照らし合っていた。コゼットにとってはマリユスが王冠をいただいてるかと思われ、マリユスにとってはコゼットが円光に包まれてるかと思われた。彼らは互いに相触れ互いに見合わし、互いに手を取り合い、互いに相接していた。しかしそこには彼らが越えることをしない一つの距離があった。それははばかるところあってではなくて、それを知らないからであった。マリユスは一つの障壁すなわちコゼットの純潔を感じており、コゼットは一つの支柱すなわちマリユスの誠実を感じていた。最初の脣《くち》づけはまた最後のものであった。その後マリユスは脣《くちびる》を、コゼットの手か襟巻《えりま》きか髪の毛かより以上のものには触れなかった。彼にとっては、コゼットは一つのかおりであってひとりの女ではなかった。彼は彼女を呼吸していた。彼女は何も拒まず、彼は何も求めなかった。コゼットは幸福であり、マリユスは満足であった。互いに魂と魂とで眩惑《げんわく》し合うとでも言い得る歓喜の状態に、ふたりは生きていた。それは二つの処女性が理想のうちにおいてなす得《え》も言えぬ最初の抱擁だった。ユングフラウの頂で相会する二羽の白鳥だった。
恋愛のかかる時期、肉感はすべて心の恍惚《こうこつ》の力の下に屏息《へいそく》している時において、天使のごとき純潔なマリユスは、コゼットの裾《すそ》をようやく踝《くるぶし》のところまでまくることよりも、むしろ売笑婦のもとに通うことの方を容易になし得たろう。ある時、月の光の下で、コゼットが地面に何か拾おうとして身をかがめ、その襟が少し開いて首筋がちらと見えた時、マリユスは目をそらしたのだった。
それらふたりの間には何が起こったか。否何事も。ふたりはただ互いに欽慕《きんぼ》し合ったばかりである。
夜、ふたりがそこにいる時、庭は生きてる神聖なる場所のようになった。あらゆる花は彼らのまわりに開いて香気を送り、彼らはその魂を開いて花の間にひろげた。放逸強健な植物は養液と陶酔とに満たされて無垢《むく》なふたりのまわりに身を震わし、ふたりは樹木もおののくばかりの愛の言葉を言いかわした。
ふたりの言葉は何であったか。それはただ息吹《いぶき》であった。それ以上のものではなかった。その息吹だけですべて自然を乱し感動させるに足りた。木の葉の下を吹く風のままに、煙のように吹き去られ散らさるるそれらの睦言《むつごと》は、書物の中で読んだばかりでは、その魔術的な力を感ずることは難いだろう。ふたりの恋人のささやきから、魂より発して竪琴《たてごと》のように伴奏する旋律を取り去る時、あとに残るものはもはや一つの影にすぎない。「なんだ、そんなことか!」と人は言うであろう。まさしくそれは小児の言葉であり、幾度もの繰り言であり、ゆえなき笑いであり、無益なものであり、たわけたものであり、しかも世に最も崇高深遠なものである。語られ聞かれるに価する唯一のものである。
それらのたわけた無用な言葉こそ、かつてこれを耳にせず、かつてこれを口にしなかった者は、愚人であり悪念の人であろう。
コゼットはマリユスに言った。
「あなた知っていて?……」
(かかる愛のうちに浸り、その潔《きよ》い処女性を通して、互いにいかなる調子で語っていいかを知らないで、いつとはなくふたりはごくへだてのない口をきくようになっていた。)
「あなた知っていて? 私はウューフラジーというのよ。」
「ウューフラジー? いやコゼットだよ。」
「でもコゼットというのは、私が小さい時に何でもなくつけられたいやな名前なの。本当の名はウューフラジーというのよ。ウューフラジーという名はおいやなの?」
「好き。……でもコゼットというのも悪かない。」
「ウューフラジーよりそれの方がいいの?」
「でも……ええ。」
「では私もその方がいいわ。そうね、コゼットってかわいい名ね。コゼットと言ってちょうだい。」
そして彼女が浮かべたほほえみは、その対話を天の森にもふさわしい牧歌となした。
またある時彼女は、彼をじっとながめて叫んだ。
「あなたはきれいね、美しいのね、才気があって、よく物がわかってて、私よりずっと学問があるのね。でも愛するって方じゃ私あなたに負けないわ。」
マリユスは蒼空《あおぞら》のうちに漂って、星に歌われる一節を聞くがように思った。
あるいはまた、彼が一つ咳《せき》をしたというので、彼女は軽くその肩をたたいて言った。
「咳をしてはいけないわ。私の家では私の許しを得ないで咳をすることはなりません。咳をして私に心配させちゃいやよ。私あなたの丈夫な方がいいの。なぜって、あなたが丈夫でないと私はほんとに心配ですもの。あなたが悪かったら私どうしましょう。」
それはただ聖なる言葉であった。
ある時、マリユスはコゼットに言った。
「ねえ、私は前には、あなたの名はユルスュールというのだとばかり思っていた。」
それでふたりは、その晩中笑い通した。
またある時、話の最中に、彼は突然叫び出した。
「ああ、ある日リュクサンブールで、私はひとりの老廃兵を踏みつぶしてやりたいことがあった!」
しかし彼はにわかに言葉を切って、もうその先を言わなかった。先を話せばコゼットに靴下留《くつしたど》めの一件を言わなければならなかったが、それは彼にはできなかった。まだ知らない方面が、肉体のことがそこにあって、この無垢《むく》な大なる愛は、一種の神聖な恐れをもってその前から退いた。
マリユスはそのようにしてただコゼットとふたりきりの生活を心にいだいていた。毎晩プリューメ街にやってき、あの法院長の鉄門のおかしな古い鉄棒を押し開き、石の腰掛けの上に相並んですわり、木立ちの間から暮れてゆく夜の微光をながめ、自分のズボンの膝《ひざ》の折り目とコゼットの長衣の広さとを交じえさせ、彼女の親指の爪《つめ》をいじり、彼女にへだてなく呼びかけ、互いに同じ花のかおりを永久に限りなく吸うのである。その間雲はふたりの頭の上を流れていた。そして吹く風も、空の雲より人の夢をより多く運んでいた。
そのほとんど臆病な貞節な愛にも、絶対に媚《こ》びが欠けてるのではなかった。愛する女に「やさしい口をきく」のは、愛撫《あいぶ》の最初の仕方であり、半ば思い切った行ないである。その会釈は、ヴェール越しの脣《くち》づけにも似たものである。肉感は身を隠しながらそこにやさしい跡を刻む。肉感の前に、心はなお深く愛せんために身を退く。マリユスの追従は、空想にまったく浸されていて、言わば空色に染められたようなものだった。小鳥が天使の方へ高く飛び行く時には、そういう言葉を聞くに違いない。けれどもそれには、生命と、人情と、マリユスのなし得るすべての積極的なこととが含まっていた。それは洞穴《どうけつ》の中で語らるべきものであり、寝所のうちで語らるべきものの序曲だった。叙情的な訴え、歌曲の一節と叙情短詩の交じったもの、鳩《はと》のやさしい飾り言葉、花束に編まれて美妙な天国のかおりを発する精練された欽慕《きんぼ》の言葉、心より心へ伝える得《え》も言えぬさえずりであった。
「おおあなたの美しいこと!」とマリユスはささやいた。「私はあなたを目でながめることができない。ただ心でながめてるだけだ。あなたは美の女神だ。私は自分で自分のことがわからない。あなたの長衣の下に、ちょっと靴《くつ》の先が見えるだけでも、私はもう自分をとり失ってしまう。心の中にあることをあなたが少し見せてくれる時、私にはどんなに美しい光がさすことだろう! あなたはほんとにみごとな言葉を言ってくれる。私には時々あなたが夢のように思えることがある。さあ何とか言っておくれよ。私はそれに耳を傾けて、あなたを賛美する。おおコゼット、何と不思議な心楽しいことだろう。私はまったく気も狂いそうだ。あなたは何という尊い人だろう。私はあなたの足を顕微鏡《むしめがね》で研究し、あなたの魂を望遠鏡《とおめがね》で研究しているんだよ。」
コゼットは答えた。
「私は今朝《けさ》から一時《ひととき》ごとにつのる思いであなたを愛しているのよ。」
こうした対話の中では、問いと答えとはあちこちに飛び移るが、いつもきまって愛の上に落ちてゆくのであった。あたかも自動人形が盤の中心に落ちてゆくがようなものである。
コゼットの全身は、無邪気と率直と透明と白色と純潔と光輝とであった。彼女は澄みきっているとも言えるほどだった。見る人の心に、四月の感じと曙《あけぼの》の感じとを与えるのだった。その目の中には露が宿っていた。彼女は曙の光が凝って女の形となってるものであった。
マリユスが彼女を欽慕《きんぼ》し彼女を崇拝したのは、きわめて当然のことだった。しかし実際この修道院の寄宿舎を出たばかりの少女は、ある微妙な洞察力《どうさつりょく》をもって話をし、時々真実なみごとな言葉を発した。そのむだ口もみなりっぱな会話となっていた。何事にも見当違いはなく、正当な見方をしていた。およそ女は、決して物を誤ることのないやさしい心の本能をもって、感じまた語るものである。いかに女がやさしくまた同時に深遠なことを語るものであるか、それを知る人は少ない。優美と深遠、そこに女の全部があり、そこに天の全部がある。
そういう至福のうちにあって、涙は絶えず彼らふたりの目に上ってきた。踏みつぶされてる一匹の虫、巣から落ちてきた一本の鳥の羽、折れてる野薔薇《のばら》の一枝、そういうものも彼らの心を動かして、静かにうれいに浸ってる彼らの恍惚《こうこつ》たる感情は、ただ泣くことをのみ求めてるかのようであった。往々にして愛の兆候は、時にはたえ難いほどのやさしい情であることが多い。
そしてまた一方では――すべてこれらの矛盾は愛のひらめきの戯れである――彼らは好んでよく笑い、しかも快い自由さをもって、また時にはほとんど子供になったかと思われるほど親しげに、笑うのであった。けれども、清浄さに酔っている心から気づかれずに、忘るべからざる本性は常にそこにあるものである。本性はその動物的なまた崇高な目的を持ってそこに存している。魂はいかに潔白であろうとも、最も清い交わりのうちにも、恋人同志と朋友《ほうゆう》同志とを区別する神秘な讃《ほ》むべき色合の差を、人は感ずるものである。
彼らは互いに欽慕《きんぼ》し合った。
恒久にして不変なるものも存在する。互いに愛し、互いにほほえみ、互いに笑い、脣《くちびる》をちょっとゆがめては互いにすねてみ、手の指を組み合わし、へだてなくささやきかわす。しかもそれは永遠を妨げないのである。ふたりの恋人は、夕暮れのうちに、薄暮のうちに、見えざるもののうちに、小鳥とともに、薔薇とともに身を隠し、目の中に心をこめて影のうちで魅惑し合い、互いにささやきかわし耳語し合う。そしてその間|星辰《せいしん》の広大なるひらめきが無限の空間を満たしている。
二 恍惚《こうこつ》たる至福
ふたりは幸福に酔い茫然《ぼうぜん》として日を送っていた。ちょうどその月にパリーを荒していたコレラ病にも気を止めなかった。彼らは何事もみな打ち明け合ったが、それも互いの名を知らせ合う程度以上のものではなかった。マリユスはコゼットに語った、自分は孤児であること、マリユス・ポンメルシーという者であること、弁護士であること、本屋のために物を書いて生活してること、父は大佐であり、勇士であったこと、自分は金持ちの祖父と仲を違えたこと。彼はまた自分が男爵であることをもそれとなく語ったが、それはコゼットに何の感じをも与えなかった。男爵マリユス? 彼女は理解しなかった。それが何の意味であるかわからなかった。否マリユスはただマリユスであった。彼女の方でもまた彼に打ち明けた、自分はプティー・ピクプュスの修道院で育てられたこと、自分の方も母が亡《な》いこと、父はフォーシュルヴァン氏という名であること、父は至って親切で、貧しい人々に多くの施与をしてること、けれども彼自身は貧乏であること、そして娘の自分には少しも不自由をさせないが、彼自身はきわめて乏しい生活をしていること。
マリユスはコゼットに会って以来一種の音楽のうちに浸ったような心地になって、不思議にも、過去のことは、最近の過去のことまでも、遠くおぼろげになってゆき、コゼットが語ったことだけで十分に満足した。それで、あのゴルボー屋敷の夜のでき事、テナルディエ一家のこと、腕の火傷《やけど》のこと、彼女の父親がとった不思議な態度や怪しい逃走のことなどを、彼女に語ろうとも思わなかった。マリユスは一時それらのことを忘れてしまっていた。夕になると、その朝何をしたか、どこで朝食をすましたか、だれに話しかけられたか、少しも覚えていなかった。耳には楽しい歌声が聞こえて、他のことはいっさいわからなくなり、ただコゼットに会ってる時だけしか生きていないがようだった。コゼットとともにいる時、彼はまったく天のうちにいたので、自然に地上のことは忘れてしまった。彼らはふたりとも、この世を離れた快楽の名状し難い重荷をなよなよしくになっていた。世に恋人と呼ばれる夢遊病者らはかくのごとくして日を過ごすものである。
ああだれかかかることを経験しなかったものがあろうか。なぜにかかる蒼空《あおぞら》から外に出る時が来るのであろうか。なぜに生命はその後にも続いてゆくのであろうか。
愛はほとんど思索を追い出すものである。愛は他のすべてをまったく忘却させるものである。情熱に論理を求めてみるがいい。天体の運行のうちに完全な幾何学的形状がないとおり、人の心のうちには絶対的な論理の連絡はないものである。コゼットとマリユスとにとっては、もはやマリユスとコゼットとのほかは何物も存在しなかった。周囲の万物はすべて穴の中に没してしまっていた。彼らは光り輝く黄金の瞬間に生きていた。前には何物もなく、後ろにも何物もなかった。コゼットに父親があることをもマリユスはほとんど考えなかった。彼の頭の中では、眩惑《げんわく》のためにすべてが消されてしまった。それではこのふたりは何のことを語っていたか。それは前に述べたとおり、花のこと、燕《つばめ》のこと、沈みゆく太陽のこと、上り行く月のこと、そういう大事なことばかりだった。彼らはすべてを除いたすべてのことを語り合った。恋人らのすべては無にすぎない。そして、父親のこと、現実のこと、あの陋屋《ろうおく》、あの盗賊ら、あの事変、それらが何の役に立つか。またその悪夢が実際起こったことであるとどうして確言できよう。彼らはふたりであり、互いに欽慕《きんぼ》し合っており、ただそれだけのことにすぎなかった。その他のことはすべて存在しなかった。そのように背後に地獄が消えゆくことは、おそらく天国に近づくの兆であろう。悪魔の姿を見たか、悪魔が実際にいたか、それに戦慄《せんりつ》したか、それに苦しんだか、もう何も覚えてはいない。薔薇色《ばらいろ》の雲が上にはたなびいているのである。
かくてふたりの者は、空高く、真実とも思えないもののうちに、日を送っていた。地中でもなく、中天でもなく、人間と天使との間、泥土の上、精気の下、雲の中であった。ほとんど骨と肉とを失い、頭の頂から足の先までただ魂と歓喜とのみであった。地上を歩くにははやあまりに崇高となり、蒼空《あおぞら》に消え去るにはなおあまりに人間の性を帯び、震盪《しんとう》を待つ原子のように中間にかかり、見たところ運命の束縛を脱し、昨日と今日と明日との制扼《せいやく》を知らず、感激し、眩暈《げんうん》し、浮揚し、時には無限の境に飛び行かんとするほど軽く、ほとんど永遠の飛翔《ひしょう》を試みんとしてるがようであった。
彼らは、かかる守唄《もりうた》に揺られながら目を開いたまま眠っていた。理想によって圧倒されたる現実の光輝ある昏睡《こんすい》であった。
時とすると、コゼットの美しさにもかかわらず、マリユスはその前に目をふさいだ。目をふさぐのは魂をながむる最上の方法である。
マリユスもコゼットも、かくしてついにはどこに導かれんとするかを自ら尋ねなかった。彼らは既に到達したものと自ら思っていた。愛が人をどこかに導かんことを望むのは、人間の愚かなる願いである。
三 影のはじまり
ジャン・ヴァルジャンの方では、何にも気づいていなかった。
コゼットはマリユスほど夢想的ではなくて、いつも快活だった。ジャン・ヴァルジャンを幸福ならしむるにはそれで十分だった。コゼットがいだいていた考え、忘れる暇のない燃ゆる思い、心を満たしてるマリユスの姿、それらも、彼女の美しい潔白なほほえめる額の比類ない純潔さを少しも減じはしなかった。彼女の年齢はちょうど、天使が百合《ゆり》の花を持つような具合に処女が愛を持つ頃だった。それゆえジャン・ヴァルジャンは安心しきっていた。その上、ふたりの恋人が心を合わしさえすれば、常に何事も都合よくゆくものである。ふたりの愛を乱さんとする第三者は、恋人らがいつもするような少しの注意をさえすれば、まったく何事も知らずにいるものである。コゼットは少しもジャン・ヴァルジャンの意に逆らいはしなかった。散歩にゆこうと言わるれば、「ええお父様」と彼女は答えた。家にいようと言わるれば、「そうしましょう」と彼女は答えた。晩にいっしょにいられると、彼女は喜ばしい顔をした。彼女はいつも晩の十時に自分の室《へや》に帰ってゆくので、そういう時マリユスは十時すぎでなければ庭にやってこなかった。その時はいつも、コゼットが踏み段の戸を開く音が街路から聞かれるのだった。昼間マリユスがだれからも姿を見られなかったのは、言うまでもないことである。ジャン・ヴァルジャンはもうマリユスのことを頭にも浮かべなかった。ただある朝一度、彼はコゼットにこう言った。「おや、お前の背中に白いものがついているよ。」その前夜マリユスは、夢中になってコゼットを壁の方に押しつけたのだった。
トゥーサン婆さんは、いつも仕事がすめば寝ることしか考えていなく、早くから寝てしまったので、ジャン・ヴァルジャンと同様何事も知らなかった。
マリユスは決して家の中にはいらなかった。コゼットとふたりでいる時、街路から見られもしないように、踏み段のそばの奥まった所に彼らは隠れて、そこに腰をおろし、話をする代わりに、ただ樹木の枝をながめながら、互いに何度も手を握りしめるだけで満足することが多かった。そういう時には、三十歩ばかり向こうに雷が落ちても、彼らは気づかなかったかも知れない。それほど彼らは互いに夢想にふけり、互いに深く夢想のうちに引き入れ合っていた。
澄み切った純潔さ。純白な時間、ほとんど差別ない時間。この種の愛は、百合《ゆり》の花弁を集め鳩《はと》の羽を集めたものである。
庭の全部が彼らと街路とをへだてていた。マリユスははいってきたり出て行ったりするたびごとに、鉄門の棒を注意してよく元になおし、動かした跡が少しも見えないようにした。
彼はたいてい十二時ごろ帰ってゆき、クールフェーラックのもとに戻った。クールフェーラックはバオレルに言った。
「おい君、マリユスはこの頃夜の一時ごろ帰ってくるんだぜ。」
バオレルは答えた。
「驚くには及ばないさ。謹厳な者にはどうせ無鉄砲なことがある。」
時々、クールフェーラックは腕を組み、まじめなふうをして、マリユスに言った。
「君は無茶になってるね。」
実際家であるクールフェーラックは、マリユスの上に漂っている目に見えぬ楽園の反映を、よいことには思わなかった。彼は秘めたる恋愛などというものにはなれていなかった。そしてそれをもどかしがって、時々マリユスを現実に引き戻そうとつとめた。
ある朝、彼はマリユスに注意を与えた。
「おい、君のこの頃の様子を見ると、まるで月の世界にでもふみ込んでるようだぜ、夢の王国、幻の国、石鹸玉《しゃぼんだま》の都にでもね。いったい女の名は何というんだ?」
しかし何と言っても、マリユスに「口を開かせる」ことはできなかった。たとい指の爪《つめ》をぬきとろうとも、コゼットという得も言えぬ名前を組み立ててる神聖な文字の一つをも口外させることはできなかったろう。真の愛は、曙《あけぼの》のごとく光り輝き墳墓のごとく黙々たるものである。クールフェーラックもマリユスの変化のうちにある光輝ある沈黙があることは認めていた。
五月の楽しい一月《ひとつき》の間、マリユスとコゼットとは次のような限りない幸福を味わった。
あとでいっそうへだてない楽しい言葉を言いかわさんがためにのみ、言葉争いをしたりよそよそしい言葉使いをしたりすること。
最も関係の少ない人々のことを、長くごく細かに語り合うこと。これはまた、愛と呼ばるる楽しい歌劇では筋がごくつまらないものであるという証拠である。
マリユスにとっては、コゼットが化粧品の話をするのに耳を傾けること。
コゼットにとっては、マリユスが政治を語るのに耳を傾けること。
膝《ひざ》と膝とを接してすわりながら、バビローヌ街を行く馬車の音を聞くこと。
大空のうちに同じ星をながめ、または草の中に同じ螢《ほたる》をながめること。
いっしょに黙っていること。これは語るよりも更に楽しいことである。
その他種々。
そのうちに種々複雑なことが到来してきた。
ある晩、マリユスは会合の場所に行くためにアンヴァリード大通りを通っていた。彼はいつも首垂《うなだ》れて歩くのが癖であった。彼がプリューメ街の角《かど》を曲がろうとした時、すぐそばに声がした。
「今晩は、マリユスさん。」
頭を上げると、それはエポニーヌであった。
その遭遇は彼に妙な気持ちを与えた。その娘からプリューメ街に連れてこられた日以来、彼は一度も彼女のことを考えたことがなく、姿を見たこともなく、まったく頭の外に追い出してしまっていた。彼女に対して彼はただ感謝のほかはなく、現在の幸福は彼女に負うところのものであった。けれども彼は、今彼女に会って多少の困惑を感じた。
情熱は幸福で純潔である時人を完全な状態に導く、と思うのは誤りである。前に述べたとおり、それは単に人を忘却の状態に導くのみである。そういう境地にある時人は、悪くなることを忘るるがまた善《よ》くなることをも忘るる。感謝や義務など根本の大事な記憶さえ皆消え失せてしまう。別の時であったら、エポニーヌに対するマリユスの態度も違っていたであろう。しかし今コゼットのことで心がいっぱいになっていた彼は、このエポニーヌはエポニーヌ・テナルディエという名前であることをもはっきり頭に浮かべなかった。そのテナルディエという名前こそ、父の遺言のうちに書かれていたものであり、数カ月以前であったらそれに対して身をささげることをも辞しなかったであろう。われわれはマリユスのありのままを描いているのである。今や父の姿さえも彼の心のうちでは愛の輝きの下に多少薄らいでいた。
彼は少し当惑したように答えた。
「ああ、あなたですか、エポニーヌ。」
「なぜあなたなんていうの。あたし何か悪いことでもして?」
「いいえ。」と彼は答えた。
確かに彼は何も彼女に含むところはなかった。そんなことはまったくなかった。ただ、コゼットと親しい調子になってる今では、エポニーヌに対してよそよそしい調子を取らざるを得ないような気がしたまでである。
彼が黙っているので、彼女は叫んだ。
「何なの……。」
そして彼女は言葉を切った。以前はあれほどむとんちゃくで厚かましかった彼女も、今は口をききかねてるらしかった。彼女はほほえもうとしたが、それもできなかった。彼女はまた言った。
「なーに?……。」
そう言いかけて彼女はまた口をつぐみ、目を伏せてしまった。
「さようなら、マリユスさん。」とだしぬけに彼女は言って、向こうに立ち去ってしまった。
四 隠語を解する番犬
その翌日の六月三日、重大なる事変が電気を含んだ暗雲の状態になってパリーの地平線にかかっていたために記憶すべき一八三二年の六月三日、マリユスは夜になる頃、心にいつもの楽しい考えをいだいて、前日と同じ道をたどっていた。その時彼は、大通りの並み木の間に、こちらへやって来るエポニーヌの姿を認めた。二日続くとはあまりのことであった。彼は急いで横にはずれ、大通りを去り、道筋を変えて、ムッシュー街からプリューメ街へ行った。
そのためにかえってエポニーヌはいつになく、彼の跡をつけてプリューメ街までついてきた。これまで彼女は大通りでマリユスが通るのを見かけるだけで満足し、彼の前に出ようともしなかった。ただ前日始めて、彼女はあえて彼に言葉をかけたのだった。
エポニーヌはマリユスに気づかれないように跡をつけていった。彼女は彼が鉄門の棒を動かして庭にはいり込むのを見た。
「おや、」と彼女は言った、「家の中にはいって行った!」
彼女は鉄門に近寄り、一つ一つその鉄棒にさわってみて、マリユスが動かした棒をすぐに見つけた。
彼女は陰気な調子で低くつぶやいた。
「いけない!」
彼女はその鉄棒の横の台石の上に、番でもするように腰をおろした。それはちょうど鉄門が横の壁と接してる所だった。暗いすみになっていて、エポニーヌの姿はすっかり隠れてしまった。
彼女はそのまま一時間以上も、身動きもせず息を潜めて、思案にくれていた。
夜の十時ごろ、プリューメ街を通った二、三の通行人のうち、帰りおくれたひとりの老人が、その恐ろしい評判のある寂しい場所にさしかかって、足を早めながら庭の鉄門に沿い、銑門と壁とが接してるすみの所まで来ると、気味悪い低い一つの声を聞いた。
「あの人が毎晩きたって別に不思議はない。」
通行人はあたりを見回したが、人の姿は見えないし、またその暗いすみをのぞく勇気はなく、ただ非常な恐怖に襲われた。そして足を早めた。
この通行人が足を早めたのはいいことだった。それから間もなく、六人の男が、別々に少し間をおいて、壁に沿って進んでき、密行の巡邏《じゅんら》のようなふうで、プリューメ街にはいってきた。
庭の鉄門の所までやってきた第一の男は、そこに足を止めて他の者を待った。それからすぐに六人ともいっしょになった。
彼らは低い声で隠語を話し始めた。([#ここから割り注]訳者注 以下彼らの言葉は隠語を交じえたるものと想像していただきたい[#ここで割り注終わり])
「ここだ。」とひとりは言った。
「庭に犬がいるか。」ともひとりが尋ねた。
「知らねえ。だがとにかく食わせる団子は持ってきた。」
「窓を破るパテはあるか。」(窓ガラスにパテをつけて、ガラスの破片が落ちて音を立てるのを防ぐのだ)
「ある。」
「鉄門は古いぜ。」と五番目の腹声の男が言った。
「そいつは結構だ。」と既に一度口をきいた第二の男は言った。「切るに音もせず骨も折れねえ。」
それまで黙っていた六番目の男は、一時間前にエポニーヌがしたように、鉄門を調べはじめ、鉄棒を一本一本つかんで、気をつけてそれを揺すってみた。そしてついにマリユスが動かした棒の所まできた。男はそれをつかもうとした。その時突然影の中から一本の手が出て、男の腕を払いのけた。それから男は激しく胸のまんなかを押し戻され、低いつぶれた声を聞いた。
「犬がいるよ。」
同時に男は、色の青いひとりの娘が自分の前に立ってるのを見た。
男は意外事から受ける一種の動乱を感じた。彼は恐ろしく身の毛を逆立てた。およそ不安を感じてる猛獣ほど見るに恐ろしいものはない。おびえてる猛獣の様子はまた人を脅かすものである。男は後ろに退《しざ》ってつぶやいた。
「なんだ、この女《あま》は?」
「お前の娘だよ。」
実際それは、エポニーヌがテナルディエに口をきいているのだった。
エポニーヌが出てきたのを見て、他の五人の男は、すなわちクラクズーとグールメルとバベとモンパルナスとブリュジョンとは、音もさせず、急ぎもせず、口もきかず、闇夜《やみよ》の男に特有な気味悪いのっそりとしたふうで、寄り集まってきた。
何か怪しい道具を皆手に持っていた。グールメルは浮浪人らが頬かぶり[#「頬かぶり」に傍点]と呼ぶ一種の曲がった梃《てこ》を持っていた。
「何だってそんな所にいるんだ。俺《おれ》たちをどうしようってえんだ。気でも違ったのか。」とテナルディエはおよそ低い声でどなり得る限りどなった。「何で仕事の邪魔をしやがるんだ。」
エポニーヌは笑い出して、彼の首に飛びついた。
「お父さん、あたしはただここにいるからいるだけよ。この節じゃ石に腰掛けてもいけないことになったの? お父さんこそここに来るわけはないじゃないか。ビスケットなのに何しにきたのよ。マニョンにそう言っといたのに。ここはとてもだめ。だがあたしをまあ抱いておくれよ、お父さん! もうだいぶ会わなかったわね。とうとう出てきたのね。」
テナルディエはエポニーヌの腕を放そうとして、そしてつぶやいた。
「よしよし。俺《おれ》を抱いてくれたな。そうだ、俺は出てきたんだ。もう牢《ろう》にはいねえ。さあもう行くがいい。」
しかしエポニーヌは手を放さないで、ますます彼に甘え出した。
「お父さん、いったいどういうふうにしたのよ。ぬけ出して来るなんて、よほどうまくやったのね。話しておくれよ。そしてお母さんは? 今どこにいるの。お母さんのことも聞かしておくれよ。」
テナルディエは答えた。
「お母さんは達者だ。よくは知らねえ。まあ放せよ。退《ど》いてくれったら。」
「あたしここを離れやしない。」とエポニーヌはだだっ児が甘えるように言った。「四月《よつき》も会わないのに、やっと抱きついたばかりで、もうあたしを追いやろうっていうの。」
そして彼女はまた父の首にかじりついた。
「おいおい、何をばかなことをしてるんだ!」とバベは言った。
「早くしろい。」とグールメルは言った。が来るかも知れねえ。」
腹声の男は次の諷句《ふうく》を口ずさんだ。
お正月ではあるめえし、
父ちゃん母ちゃんた何事だ。
エポニーヌは五人の盗賊の方へ振り向いた。
「あらブリュジョンさん。……こんにちはバベさん。こんにちはクラクズーさん。……あたしがわかって、グールメルさん。……いかが、モンパルナス。」
「お前だと皆わかってるよ。」とテナルディエは言った。
「だが挨拶《あいさつ》もたいていにしろよ。俺《おれ》たちの邪魔をするな。」
「狐《きつね》が出る時分だ、雛鶏《ひよっこ》の出る幕じゃねえ。」とモンパルナスは言った。
「見るとおり俺たちはここで用があるんだ。」とバベは言い添えた。
エポニーヌはモンパルナスの手を取った。
「気をつけろよ、」と彼は言った、「けがをするぞ。どす[#「どす」に傍点]を持ってるんだ。」
「まあモンパルナス、」とエポニーヌはごく静かに答えた、「仲間の者はお互いに信用するものよ。あたしはお父さんとかの娘よ。バベさん、グールメルさん、この仕事を調べるように言いつかったのはあたしよ。」
注意すべきことには、エポニーヌは隠語を使っていなかった。マリユスを知って以来、彼女はその恐ろしい言葉を口にすることができなくなっていたのである。
彼女は、骸骨《がいこつ》の手のような骨立った弱々しい小さな手で、グールメルの荒々しい太い指を握りしめて、言い続けた。
「皆《みんな》も知ってるとおりあたしばかじゃないわ。いつもあたしを信じてくれるじゃないの。何度も用をしてやってるわ。ここもいろいろ調べてみると、骨折っても全くむだなことがわかったのよ。この家にはいったってどうにもならないことは、確かだわ。」
「女ばかりじゃねえか。」とグールメルは言った。
「いえ、皆引っ越したのよ。」
「でも蝋燭《ろうそく》は引っ越さねえと見えるな。」とバベは言った。
そして彼は、母家《おもや》の屋根裏に動いてる光を、木立ち越しにエポニーヌにさしてみせた。それは洗濯物《せんだくもの》をひろげるためにトゥーサンがともしてる灯火であった。
エポニーヌは最後の努力を試みた。
「でもね、」と彼女は言った、「ごく貧乏な人たちよ。一スーのお金もないきたない家だよ。」
「ぐずぐず言うな!」とテナルディエは叫んだ。「家を引っくり返して、窖《あなぐら》と屋根裏とをあべこべにして、中に何があるかお前に教えてやらあ、フランだかスーだか厘《りん》だか。」
そして彼は前に出ようとして彼女を押しのけた。
「ねえモンパルナスさん、」とエポニーヌは言った、「お前さんはいい人だわね、どうかはいらないでおくれよ。」
「気をつけろったら、けがをするぞ。」とモンパルナスは答え返した。
テナルディエは例のきっぱりした調子で言った。
「どけ、女《あま》っちょが、仕事の邪魔をするな。」
エポニーヌは握っていたモンパルナスの手を放して言った。
「ではこの家《うち》にはいるつもりだね。」
「まあそうだよ。」と腹声の男は冷笑しながら言った。
すると彼女は、鉄門の前に立ちふさがり、すっかり身ごしらえして夜のために悪魔のような相好に見える六人の盗賊らの方へ顔を向け、しっかりした低い声で言った。
「いいわ、入れやしない。」
彼らはあきれて立ち止まった。腹声の男はそれでも冷笑した。彼女はまた言った。
「みんなお聞き。そんなことはさせやしない。あたしは言っておくよ。第一この庭にはいろうもんなら、この鉄門に手でもかけようもんなら、あたしはどなって、戸をたたいて、人を起こして、六人とも捕《つかま》えさしてやるよ、巡査《おまわり》を呼んでやるよ。」
「ほんとにやるかも知れねえ。」とテナルディエはブリュジョンと腹声の男とにささやいた。
彼女は頭を振り立ててつけ加えた。
「お父さんからまっ先だよ。」
テナルディエは進んできた。
「近くにきちゃいけない。」と彼女は言った。
彼は退《しざ》りながら口の中でつぶやいた。「どうしたっていうんだろう?」そして彼は言い添えた。
「犬めが!」
彼女は妙にすごく笑い出した。
「勝手になさいよ。だが入れやしない。あたしは犬の娘じゃない、狼《おおかみ》の娘だよ。お前さんたちは六人だが、それが何だね。お前さんたちは男だ。そしてあたしは女さ。だが恐《こわ》かないよ。言っておくがね、お前さんたちをこの家に入れやしないよ。なぜって、それはあたしの気に入らないからさ。寄ってきたら吠《ほ》えついてやる。犬がいるとあたしは言ったじゃないか。その犬はあたしだよ。お前さんたちなんか何とも思ってやしない。早く行っておしまい、うるさいよ。どこへでも行くがいい。だがここへはいけない、あたしがことわるんだ。そっちに刃物があるなら、あたしには足があるよ。どうだっていい。出てきてごらん。」
彼女は一歩盗賊らの方へふみ出した。恐ろしい姿だった。そしてまた笑い出した。
「へん、こわがるもんかね。夏には腹がすくし、冬には寒いさ。女の子だから嚇《おど》かせると思ってさ、この男のおばかさんたちはほんとにおかしいや。何をこわがろって言うのよ。なるほどそうね。大きな声をすれば寝台の下に隠れるような女ばかりを相手にしてるんだからね。だが人が違いますよ。あたしは何もこわがりゃしないよ。」
彼女はじっとテナルディエを見つめて言った。
「お前にだってこわがるもんか。」
それから彼女は、亡霊のような血走った眸《ひとみ》で盗賊らの方を見回して、言い続けた。
「父さんの棒で打ち殺されて、明日プリューメ街の舗石《しきいし》の上で身体を拾われようとさ、また一年たって、サン・クルーの川の中かシーニュの島かで、古い腐った芥《あくた》かおぼれた犬の死骸《しがい》かの中で拾われようとさ、それが何だね。」
そこで彼女はやむなく言葉を切った。乾燥した咳《せき》がこみ上げてき、狭い虚弱な胸から息が死人のあえぎのように出てきた。
彼女はまた言った。
「あたしが一声上げさえすりゃあ、人はどしどしやって来る。お前さんたちは六人だが、あたしの方には世界中がついてるんだ。」
テナルディエは彼女の方に出ようとした。
「寄ってきちゃいけない!」と彼女は叫んだ。
彼は足を止めて、静かに言った。
「安心しろ、近寄りはしねえ。だがそう大きな声をするな。おい、お前は俺《おれ》たちの仕事を邪魔するつもりなのか。だが食うだけの金はいるからな。お前はもう親父《おやじ》に親切を見せるだけの心も持っていねえのか。」
「お前たちの方があたしの邪魔をしてるんだよ。」とエポニーヌは言った。
「だが俺たちも生きてゆかなけりゃならねえからな、食ってゆかなけりゃ……。」
「死んでおしまいよ。」
そう言って彼女は、鉄門の台石に腰掛けながら、歌い出した。
私の腕はまるまると。
私の足はすんなりと、
それでも運は向いてこず。
彼女は膝《ひざ》に肱《ひじ》をつき、手に頤《あご》をもたせ、平気なふうで足をぶらつかしていた。穴のあいた上衣からは、やせた鎖骨が見えていた。近くの街灯はその横顔と態度とを照らし出していた。これほど心を決したまたこれほど驚くべき姿は、世にほとんど見られないほどだった。
六人の強盗らはひとりの小娘から邪魔されて、手の出しようがなく陰鬱《いんうつ》な顔をして、街灯が投げた影の中にはいり、忌ま忌ましそうな怒った肩をそびやかしながら、相談を始めた。
その間彼女は落ち着いたしかも荒々しい様子で彼らをながめていた。
「あいつどうかしてる。」とバベは言った。「何か訳がある。だれかに惚《ほ》れ込んでるのかな。だがこれをうっちゃるなあ惜しいな。女がふたりで、後ろの中庭に爺《じい》さんがいるだけだ。窓の布《きれ》も悪かあねえ。爺さんは猶太人《ジュウ》かも知れねえ。うめえ仕事だと思うがな。」
「よし、お前たちははいれ。」とモンパルナスは叫んだ。「やっつけろ。俺《おれ》はここに娘といっしょに残ってらあ。もしあいつが何かしたら……。」
彼は袖《そで》のうちに持っていた開いたナイフを、街灯の光にひらめかした。
テナルディエは一言も口をきかずに、何でも皆の言うとおりに従おうとしてるようだった。
いつも有力な発言者であり、また読者の知るとおり「事件を仕組んだ」発頭人であるブリュジョンは、まだ口を開かなかった。彼は考え込んでるらしかった。彼はいかなることにも逡巡《しりごみ》しないという評判を取っており、また、単に勇気を誇示せんがためのみではあったが、ある時警察署から物を盗んだということも、皆に知られていた。その上彼は、詩を作り、歌をこしらえ、いたく重んぜられていた。
バベは彼に尋ねた。
「お前は何とも言わねえのか、ブリュジョン。」
ブリュジョンはなおしばらく黙っていたが、それから種々なふうに何度も頭を振り、ついに心をきめて言い出した。
「実はね、今朝二匹の雀《すずめ》が喧嘩《けんか》するのに出会ったし、今晩はまた、女の反対にぶっつかった。どうも辻占《つじうらな》いがいけねえ。こりゃやめにしようや。」
それで彼らは立ち去っていった。
そこを去りながらモンパルナスはつぶやいた。
「かまうこたねえ、もし皆がしろって言うなら、俺《おれ》はあいつをやっつけてしまったんだがな。」
バベは彼に答えた。
「俺はいやだね。御婦人に手を下すこたあしたくねえ。」
街路の角《かど》の所で、彼らは立ち止まって、低い声で謎《なぞ》のような対話をかわした。
「今晩どこで寝よう。」
「パリーの下にしよう。」
「テナルディエ、お前、門の鍵《かぎ》は持ってるか。」
「うむ。」
彼らから目を離さなかったエポニーヌは、彼らが出てきた方へまた戻ってゆくのを見た。彼女は立ち上がって、壁や家に沿うて見え隠れにその大通りまでついて行った。がそこで男どもは別々になった。そして彼女は、六人の男が闇《やみ》の中にとけこむように没してしまうのを見た。
五 夜のもの
盗賊らが去った後、プリューメ街は再び夜の静穏な光景に返った。
街路で今起こったことも、森を驚かすことはできなかったのである。大木、蘖《ひこばえ》、灌木《かんぼく》、深く交差した枝、高い草、皆陰惨な存在を保っている。荒々しい群れはそこに、目に見えざるものが突然姿を現わすのを見る。人界以下のものが、靄《もや》を通して、人界の彼方《かなた》のものをそこに見いだす。われわれ生ある者の知らぬ諸々《もろもろ》のものが、夜のうちにそこで互いに顔を合わせる。毛を逆立てた粗野な自然は、超自然的と思われる種々のものが近づくのを感じて狼狽《ろうばい》する。諸々のやみの力は互いに知り合い、互いに不思議な均衡を保っている。牙《きば》や爪《つめ》も、つかみ得《う》べからざるものを恐れる。血をすする獣性、餌物《えもの》をさがす飢えたる貪欲《どんよく》、爪と顎《あご》とをそなえ腹のみがその源であり目的である本能、それらのものは、平然たる幻の姿をおずおずとながめまたかぎまわす。その姿は経帷子《きょうかたびら》に包まれて彷徨《ほうこう》し、おぼろなるうち震う上衣にくるまって直立し、死の世界の恐ろしい生命に生きてるがようである。ただ物質にすぎない獰猛性《どうもうせい》などは、凝って一つの不可解なる者となってる広大なる暗黒を相手にするのを、漠然《ばくぜん》と恐れている。道をふさぐ黒い形は、一挙に野獣の歩みをさえぎり止める。墳墓から出でたる者が、洞窟《どうくつ》から出でたる者を脅かし狼狽《ろうばい》させる。獰猛なるものは凄惨《せいさん》なるものを恐れる。狼《おおかみ》は幽鬼に出会ってあとに退く。
六 マリユスおのれが住所をコゼットに知らす
人間の顔をした番犬が鉄門をまもり、六人の盗賊らがひとりの娘の前から退却していった間、マリユスはコゼットのそばにいた。
かつてこれほど、空は星をちりばめて美しく、樹木はうち震い、草のかおりは濃まやかな時はなかった。かつてこれほど、小鳥はやさしい音を立てて木の葉の間に眠ってることはなかった。かつてこれほど、宇宙の朗らかな諧音《かいおん》は内心の愛の調べによく調子を合わしてることはなかった。かつてこれほど、マリユスは心を奪われ幸福で恍惚《こうこつ》たることはなかった。しかるに彼はコゼットが悲しい様子をしてるのを見て取った。コゼットは泣いたのだった。彼女の目は赤くなっていた。
それはこの楽しい夢の中における最初の雲であった。
マリユスはまず第一にこう言った。
「どうかしたの?」
彼女は答えた。
「あのね。」
そして彼女は踏段の近くの腰掛けにすわって、彼がそのそばに震えながら腰をおろしてる間に、先を続けた。
「今朝《けさ》お父さんが私にも用意をしておけっておっしゃったの。用があるので、私たちはここを出立することになるだろうからって。」
マリユスは全身震え上がった。
生涯の終わりにおいては、死ぬことはすなわち出立することである。生涯の初めにおいては、出立することはすなわち死ぬことである。
六週間前からマリユスは、少しずつ、徐々に、しだいに、日々コゼットを自分のものにしていった。観念的ではあるがしかし深い所有だった。既に説明したとおり、初恋においては肉体よりも先に魂を奪うものである。後になると、魂より先に肉体を奪い、時によると魂をまったく顧みないこともある。フォーブラやプリュドンムのごとき俗物は言い添える、「なぜなら魂なんぞは初めからないからだ。」しかしそういう嘲笑《ちょうしょう》は幸いにして冒涜《ぼうとく》なものである。でマリユスは、精神的所有においてコゼットを所有していた。そして自分の全心で彼女を包み、異常な確信をもってねたみ深く彼女をとらえていた。彼女の微笑、呼吸、かおり、青い眸《ひとみ》の深い輝き、皮膚のやさしい感触、首にあるかわいい痣《あざ》、あらゆる考え、それらをすべて彼は自分のものにしていた。眠ってもお互いの姿を夢みようと誓っていて、ふたりは実際そのとおり夢みた。それで彼はコゼットの夢をも自分のものとしていた。彼女の首筋のおくれ毛を、彼は絶えずながめ、時には息で触れ、そしてそのおくれ毛の一本たりとも自分のものでないのはないと自ら断言していた。結わえてるリボン、手袋、袖口《そでぐち》、半靴《はんぐつ》、すべて彼女の身につけてるものを、彼は自分の持ってる神聖な物のように、うちながめ大事にしていた。彼女が髪にさしてるきれいな鼈甲《べっこう》の櫛《くし》の所有者も、自分であると彼は夢想していた。彼女の長衣の一筋の紐《ひも》も、その靴下の一つの編み目も、その胸衣の一つの襞《ひだ》も、自分のものでないのはないと、彼は目ざめゆく肉感のひそかなそれとなきささやきにそそられて自ら言った。コゼットのそばにいる時彼は、自分の幸福、自分の所有物、自分の専制君主、自分の奴隷《どれい》のそばにいるような気がした。ふたりの魂は深く混同し合って、それを取り戻そうとしても、どれが自分のかわからないほどになってるように思われた。
「これは私のだ。――いえそれは私のよ。――あなたはきっと思い違いをしてる、これは確かに私のだ。――あなたが自分だと思ってるのは、それは私よ。」マリユスはコゼットの一部であり、コゼットはマリユスの一部であった。マリユスは自分のうちにコゼットが生きてるのを感じた。コゼットを持つ、コゼットを所有する、ということは彼にとっては息をするのと同じだった。そして、かかる信念、かかる心酔、かかる潔い異常な絶対の所有、かかる主権、そのさなかに、「私たちはここを出立する」という言葉がにわかに落ちてきて、現実の突然な声は彼に叫んだのだった、「コゼットは汝のものではない!」
マリユスは目をさました。六週間この方マリユスは、既に言ったとおり、人生の外に生きていた。しかるに今「出立する」という言葉は、激しく彼を人生のうちにつき戻した。
彼は一言も口をきくことができなかった。コゼットはただ彼の手がごく冷たいのを感じた。そしてこんどは彼女が言った。
「どうかしたの?」
彼はコゼットがようやく聞き得たくらいの低い声で答えた。
「私にはあなたの言ったことがわからない。」
彼女は言った。
「今朝《けさ》お父さんが私におっしゃったのよ、細かいものを皆整えて用意をするようにって。そして鞄《かばん》の中に入れるシャツを下すったの。旅をしなければならないんですって。いっしょに行くんですって。私には大きい鞄がいるし、お父さんには小さい鞄がいるのよ。そして今から一週間のうちに支度をするのよ。おおかたイギリスに行くだろうとおっしゃったわ。」
「ひどい!」とマリユスは叫んだ。
その時確かにマリユスの考えによれば、いかなる権力の濫用《らんよう》も、いかなる暴戻《ぼうれい》も、極悪な暴君のいかなる非道も、ブジリスやチベリウスやヘンリー八世のいかなる行為も、フォーシュルヴァン氏が自分の用のために娘をイギリスに連れてゆくということくらい、おそらく乱暴なことはないのであった。
彼は弱々しい声で尋ねた。
「そしていつ発《た》つの。」
「いつともおっしゃいませんでした。」
「そしていつ帰って来るの。」
「いつともおっしゃいませんでした。」
マリユスは立ち上がって、冷ややかに言った。
「コゼット、あなたは行くんですか。」
コゼットは心痛の色に満ちた美しい目を彼の方へ向け、当惑したように答えた。
「どこへ?」
「イギリスへ。あなたは行くんですか。」
「なぜそんなよそよそしい言い方をなさるの?」
「あなたが行くかどうか聞いてるんです。」
「私にどうせよとおっしゃるの。」彼女は手を組み合わして言った。
「ではあなたは行くんですか。」
「もしお父さんが行かれるなら。」
「あなたは行くんですね。」
コゼットはマリユスの手を取り、答えをしないでそれを握りしめた。
「いいです。」とマリユスは言った。「それでは私も外の所へ行きます。」
コゼットはその言葉の意味を、了解したというよりむしろ直覚した。彼女はまっさおになって、暗い中にその顔が白く見えた。彼女はつぶやいた。
「あなたは何を言うの。」
マリユスは彼女をながめ、それから静かに目を空の方へ上げて答えた。
「何でもありません。」
彼は目を下げた時、コゼットが自分の方へほほえんでるのを見た。愛する女のほほえみは暗夜に見える光明である。
「私たちはほんとにばかだこと。ねえ、私にいい考えがあってよ。」
「どんな?」
「私どもが出立したら、あなたも出立なさいな。行く先をあなたに教えてあげるわ。そして私が行く所にあなたもいらっしゃいね。」
マリユスは今ではまったく夢想からさめた男であった。彼は再び現実に戻っていた。彼はコゼットに叫んだ。
「いっしょに出立する! 気でも違ったんじゃない? 出立するには金がいる。私には金はないんだ。イギリスへ行くって? でも私は今、あなたの知らない人だがクールフェーラックという友人から、何でも二百フランもの借りがある。それに持ってる物と言ったら、三フランの価値《ねうち》もない古帽子、胸のボタンがとれてる上衣、シャツは裂けてるし、肱《ひじ》はぬけてるし、靴《くつ》には水がはいってくる。この六週間の間私はもうそんなことは考えもしなかったし、あなたにも言わなかったけれど。コゼット、私はほんとうに貧乏なんだよ。あなたは私を見るのは夜分だけで、そして私に愛を与えてくれる。けれどもし昼間私を見たら、一スーの金でも恵んでくれるでしょうか。イギリスへ行く! 私にはその旅行券の代もない。」
彼はそこにあった一本の木によりかかり、立ったまま、頭の上に両手を組み、木の幹に額を押しつけ、自分の皮膚をいためる木をも感ぜず、顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》に激しく脈打っている熱をも感ぜず、身動きもせず、倒れんばかりになって、絶望の立像かと思われるほどだった。
彼は長い間そうしていた。あたかも深淵《しんえん》の中に永遠に立ちつくしてるがようだった。がついに彼はふり向いた。やさしい悲しい押さえつけたような小さな音が後ろに聞こえたのである。
コゼットがすすり泣いてるのだった。
彼女はもう二時間以上も前から、夢想してるマリユスのそばで涙を流していたのである。
彼は彼女のそばに寄り、ひざまずき、そして静かに身を伏せて、長衣の下から出てる彼女の足先を取り、それに脣《くちびる》をつけた。
彼女は黙ったまま彼のなすに任した。うち沈み忍従してる女神のように、女には愛の宗教を受け入れる瞬間があるものである。
「泣かないでね。」と彼は言った。
彼女はつぶやいた。
「私はたいてい行かなければならないし、それにあなたは来ることができないとすれば!」
彼は言った。
「私を愛してくれる?」
彼女は涙の中から来る時最も魅惑的になる楽園の言葉を、すすり泣きながら答えた。
「心から慕ってるの。」
彼は言葉につくし難い愛撫《あいぶ》の調子で言った。
「泣いちゃいや。ねえ、私のためにどうか泣かないでね。」
「あなたは私を愛して下すって?」と彼女は言った。
彼は彼女の手を取った。
「コゼット、私はだれにもまだ誓いの言葉を言ったことはない。誓いの言葉は恐ろしいから。私はいつも父が自分のそばに立ってるような気がする。でも私は今一番神聖な誓いの言葉をあなたに言おう。ねえ、あなたが私のもとを去れば、私は死んでしまう。」
彼がその言葉を発した調子のうちには、きわめて荘重な静粛な憂愁がこもっていて、コゼットは身をおののかした。悲痛な真実なものが通りかかる時に与える一種の冷気を、彼女は感じた。そしてその感動を受けて泣くのをやめた。
「あのね、」と彼は言った、「明日《あした》は私を待たないんだよ。」
「なぜ?」
「明後日《あさって》でなければこないつもりでね。」
「まあ、なぜ?」
「あとでわかるよ。」
「一日あなたに会わずに! いえそんなことできないわ。」
「あるいは一生のためになることだから、一日くらい耐《こら》えていよう。」
そしてマリユスは、半ば口の中でひとり言った。
「少しも習慣を変えない人だし、晩にしかだれにも会ったことのない人だから。」
「だれのことを言ってるの。」とコゼットは尋ねた。
「私が? 何も言いはしない。」
「では何を望んでるの。」
「明後日《あさって》のことにしよう。」
「どうしても?」
「ええ、コゼット。」
彼女は彼の頭を両手に抱き、同じ高さになるために爪先《つまさき》で伸び上がって、彼の目の中にその望みを読み取ろうとした。
マリユスは言った。
「今思い出したが、あなたは私の住所を知ってなけりゃいけない。何か起こらないとも限らないから。私はクールフェーラックという友人の所に住んでるんだよ。ヴェールリー街十六番地。」
彼はポケットの中を探って、ナイフを取り出し、その刃で壁の漆喰《しっくい》の上に彫りつけた。
ヴェールリー街十六[#「ヴェールリー街十六」に傍点]。
そのうちにコゼットは、また彼の目の中をのぞきはじめた。
「あなたの考えを言ってちょうだいよ。マリユス、あなたは何か考えてるんだわ。それを私に言ってちょうだい。ねえ、それを聞かして私にうれしい一夜を過ごさして下さらない?」
「私が考えてるのはこうだよ、神様も私たちを引き離そうとはされないに違いないと。明後日私を待ってるんだよ。」
「それまで私はどうしようかしら。」とコゼットは言った。「あなたは外に出て、方々行ったりきたりするんでしょう。男っていいものね。私は一人でじっとしてなけりゃならないもの。ああどんなに悲しいでしょう。明日《あす》の晩何をするつもりなの、言ってちょうだいな。」
「一つやってみることがあるんだよ。」
「では私は、あなたが成功するように、それまで、神様にお祈りをし、あなたのことを思っていましょう。もう尋ねないわ、あなたが言いたくないのなら。あなたは私の主人ですもの。私あなたの好きな、それいつかの晩あなたが雨戸の外に聞きにいらした、あのウーリヤント[#「ウーリヤント」に傍点]の曲を歌って、明日の晩は過ごすことにするわ。でも明後日《あさって》は早くからきてちょうだい。日が暮れると待ってるわ。ちょうど九時にね、よくって、ああ、ほんとにいやね、日が長いのは。ねえ、九時が打つと私は庭に出てるわ。」
「その時には私も来る。」
そして言わず語らずに、ふたりとも同じ考えに動かされ、ふたりの恋人の心を絶えず通わせる電気の流れに引かされ、悲しみの中にあっても恍惚《こうこつ》として、彼らは互いに抱き合い、知らぬまに脣《くちびる》を合わし、喜びにあふれて涙に満ちてる目を上げては、空の星をながめた。
マリユスが外に出た時、街路には人影もなかった。それはちょうど、エポニーヌが盗賊らの跡をつけて大通りまで行った時だった。
木に頭をもたして思い沈んでいる時、マリユスの頭に一つの考えが浮かんだのだった。それも実は彼自身にさえ愚かな不可能なことだと思えるものであった。しかし彼は激しい決心を固めたのである。
七 老いたる心と若き心との対峙《たいじ》
ジルノルマン老人は当時、はや九十一歳になっていた。そしてやはりジルノルマン嬢とともに、フィーユ・デュ・カルヴェール街六番地の自分の古い家に住んでいた。読者の記憶するとおり彼は、まっすぐに立ちながら死を待ち、老年になっても腰も曲がらず、悲しみがあっても背もかがまないという、あの古代式な老人のひとりであった。
けれども最近になって、「お父さんも弱ってこられた、」と彼の娘は言っていた。彼はもう女中を平手でなぐることもしなくなった。外から帰ってきて、バスクが扉《とびら》を開くのをおくらすような時、階段の平板を非常な元気で杖《つえ》でたたくこともしなくなった。七月革命も彼をようやく六カ月間奮激さしたのみだった。モニトゥール新聞に「フランス上院議員ウンブロ・コンテ氏」などと書かれているのを見ても、ほとんど平気でいることができた。実際彼はまったく気力を失ってしまったのである。彼は一歩も譲らず屈しもしないという点では精神的方面でも肉体的方面でも同じであったが、しかし内心ではしだいに弱ってきたことを自ら感じていた。四年の間彼は、まったくのところしっかと足を踏みしめてマリユスを待っていた。あのばか者がいつ帰ってきて戸をたたくかも知れないと確信して待っていた。が今では気が滅入《めい》るような時には、「まだなかなかマリユスが帰ってこないとすれば……」などと自ら言うようになった。彼にたえ難かったのは、自分の死ということではなく、もう再びマリユスに会えないかも知れないという考えだった。もう再びマリユスに会えないという考えは、その時まで彼の頭には少しも浮かばなかったことである。ところが今では、そういう考えが彼に浮かび始めて、彼を慄然《りつぜん》とさした。自然の真実な感情にはいつも起こってくることではあるが、あんなふうに出て行ってしまった恩知らずの孫に対する祖父の愛情は、孫が目の前にいないだけにいっそう強くなるばかりであった。人が最も太陽のことを考えるのは、十二月の夜十度ほどの寒さになる時である。しかしジルノルマン氏にとっては、祖父たる自分が孫の方へ一歩ふみ出して行くということは、実際何よりなし難いことだった、もしくはなし難いことだと思っていた。「むしろ死のうとも……」と彼は言った。彼は自分の方には何らの非をも認めなかった。しかしマリユスのことを思う時には、深い愛着と、暗黒のうちに消え去らんとする老人が感ずる暗黙の絶望とを、いつも感ずるのであった。
彼の歯ももうなくなりかけていた。そのために彼の悲しみはいっそう深くなった。
ジルノルマン氏は、腹立たしい不名誉なことだったから自らはっきり認めてはいなかったが、かつてどの女をもマリユスほどに愛したことはなかったのである。
彼は自分の居室に、寝台の枕頭《まくらもと》に、目をさましてまず第一に見られるようにという具合に、亡《な》くなったもひとりの娘、すなわちポンメルシー夫人の古い肖像を置かしていた。彼女が十八歳の時のものである。彼は絶えずそれをながめていた。ある日、彼はそれをながめながらこんなことを言った。
「よく似ている。」
「本人にでしょう?」とジルノルマン嬢は言った、「ええよく似ています。」
老人は言い添えた。
「そしてまたあいつにも。」
またある時、彼が両膝《りょうひざ》を寄せ目をほとんど閉じて、がっかりしたような姿ですわっていた時、娘は彼に言ってみた。
「お父さん、あなたはまだ怒っていらっしゃるのですか。」
彼女はそれ以上を言い得ないで言葉を切った。
「だれを?」と彼は尋ねた。
「あのかわいそうなマリユスを。」
彼は年取った頭をもたげ、やせて皺《しわ》寄った拳《こぶし》をテーブルの上に置き、きわめていら立った震える調子で叫んだ。
「かわいそうなマリユスだと! あの男はばかだ、悪党だ、恩知らずの見栄坊《みえぼう》だ。不人情な、心無しの、傲慢《ごうまん》な、けしからん男だ!」
そして彼は目にわいてきた一滴の涙を娘に見せないように、顔をそむけた。
それから三日たって、四時間も黙り込んでいた後、だしぬけに娘に言った。
「もう決してあいつのことを言わないようにと、私《わし》はジルノルマン嬢にお願いをしといたはずだ。」
ジルノルマン嬢はもう何としてもだめだとあきらめ、次のような深い診断を下した。「お父さんは妹をも、あの間違いがあってからはあまりよく思っていらっしゃらなかった。マリユスもきらっていらっしゃるのに違いない。」
「あの間違いがあってからは」というのは、妹が大佐と結婚してからはという意味であった。
それからまた、読者の既に察し得たろうとおり、ジルノルマン嬢は自分の好きな槍騎兵《そうきへい》の将校をマリユスの代わりに据えようという試みに失敗していた。後任のテオデュールはうまくゆかなかった。ジルノルマン氏はこれがいけなければあれを取ろうという人ではなかった。心の空虚には間に合わせの穴ふさぎではだめである。またテオデュールの方でも、遺産を嗅ぎつけてはいたが、きげんを取るのはいやだった。老人は将校を退屈させ、将校は老人に不快を与えた。中尉テオデュールはたしかに快活ではあったが、しかし饒舌《じょうぜつ》だった。華美ではあったが、しかし凡俗だった。元気な男ではあったが、しかし素行はよくなかった。実際情婦も持っており、実際それを吹聴《ふいちょう》しもしたが、しかしその話し方が下等だった。彼のあらゆる長所もそれぞれ欠点を持っていた。ジルノルマン氏は彼がバビローヌ街の兵営の付近でやってる艶事《つやごと》の話を聞き飽きてしまった。その上ジルノルマン中尉は、時々三色の帽章をつけ軍服を着てやってきた。ジルノルマン老人にはそれがまた堪《たま》らなくいやだった。彼はついに娘に言った。「もうあのテオデュールはたくさんだ。よかったらお前だけ会うがいい。わしは泰平の日に軍人を見るのはあまり好まない。サーベルを引きずって歩く奴《やつ》よりサーベルを振り回す奴の方がまだしもいいかもしれん。戦争で刃を合わせる方が往来の舗石《しきいし》に剣の鞘《さや》をがちゃがちゃやるより、とにかくまだまさってる。それに、からいばりをして反《そ》っくり返り、女の児のように腹帯をしめ、胸当ての下にコルセットをつけることなんか、ばかばかしさの上塗りだ。本当の男子は、虚勢を張ったり気取ったりするものではない。いやに強がったりでれでれしたりしはしない。テオデュールはお前の所だけにしておくがいい。」
そして娘が、「でもあなたの甥《おい》の子ではありませんか」と言ったところでむだなことだった。ジルノルマン氏は爪《つめ》の先まで祖父ではあったが、一点も大伯父たるところはなかった。
実のところ、彼は才智をそなえていてふたりを比較していたので、テオデュールがいることはますますマリユスを惜しむの念を強めるばかりだった。
ある晩、六月の四日であったが、ジルノルマン老人はなお暖炉に盛んな火をたかして、娘を隣室に退かせ縫い物をさしていた。そして彼はひとりで牧歌的な飾り立てをした室《へや》に残っていて、薪台の上に足を置き、コロマンデルの広い九枚折り屏風《びょうぶ》に半ば囲まれ、緑色の笠《かさ》の下に二本の蝋燭《ろうそく》が燃えているテーブルに肱《ひじ》をつき、毛氈《もうせん》の肱掛け椅子《いす》に身を埋め、手に一冊の書物を持っていた。しかし別にそれを読んでるのでもなかった。いつものとおりアンクロアイヤブル(執政内閣時代の軽薄才子)式の服装をして、ちょうどガラー(訳者注 大革命から帝政時代の政治家)の古い肖像を見るがようであった。そんな服装で往来に出ようものなら人だかりがするかも知れなかったが、娘はいつも彼が出かける時には司教のような広い綿入れの絹外套《きぬがいとう》を着せてやったので、人の目につかなかったのである。家にいる時には、起き上がった時と寝る時とのほかは決して居間着をつけなかった。「あれを着ると老人らしく見える、」と彼は言っていた。
ジルノルマン老人はマリユスのことを考えると、かわいくなったり苦々《にがにが》しくなったりしたが、普通は苦々しさの方が強かった。そのいら立った愛情は、しまいには煮えくり返って、憤怒に終わるのが常であった。そして後には、あきらめをつけて心を痛めるものをじっと受け入れようとするほどになっていた。彼は自ら説き聞かしていた、もうマリユスが帰って来るはずはない、帰って来るものならとくに帰ってるはずである、もうあきらめなければならないと。そして、もう万事終わりだ、自分は「あの男」に再び会わないで死んでゆくのだ、という考えになれようとつとめていた。しかし彼の天性はそれに反抗した。年老いた親身《しんみ》の心はそれに同意することができなかった。それでも彼は口癖になってる悲しい言葉をくり返した、「なに、帰ってきはすまい!」彼はそのはげた頭を胸にたれ、痛ましい激昂《げっこう》した目つきを炉の灰の上にぼんやり定めていた。
そういう夢想の最中に、老僕のバスクがはいってきて、そして尋ねた。
「旦那様《だんなさま》、マリユス様をお通し申してよろしゅうございましょうか。」
老人はまっさおになって身を起こした。電流のために起《た》たされた死骸《しがい》のようだった。全身の血は心臓に流れ込んでしまった。彼は口ごもった。
「何のマリユス様だ?」
「存じません。」とバスクは主人の様子に驚き恐れて答えた。「私がお会いしたのではございません。ニコレットが私の所へきて申しました、若い方がみえています、マリユス様と申し上げて下さいと。」
ジルノルマン老人は低い声でつぶやいた。
「お通し。」
そして彼は同じ態度のままで、頭を振り動かしながら扉《とびら》を見つめていた。扉は開いた。ひとりの青年がはいってきた。マリユスであった。
マリユスははいれと言われるのを待つかのように、扉の所に立ち止まった。
彼の見すぼらしい服装は、蝋燭《ろうそく》の笠《かさ》が投げてる影の中でよく見えなかった。ただその落ち着いたまじめなしかも妙に悲しげな顔だけがはっきり見えていた。
ジルノルマン老人は驚きと喜びとでぼんやりして、あたかも幽霊の前に出たように、ただぽーっとした光を見るきりで、しばらく身動きもできなかった。彼は気を失わんばかりであった。彼は眩惑《げんわく》しながらマリユスを見た。確かに彼だった、確かにマリユスだった。
ついにきた、四年の後に! 彼は言わば一目でマリユスの全部を見て取った。マリユスは美しく、気高く、りっぱで、大きくなり、一人前の男になり、申し分のない態度になり、みごとな様子になっていた。彼は両腕をひろげ、その名を呼び、飛びつきたいほどだった。彼の心は喜びに解け、愛のこもった言葉は胸いっぱいになってあふれかけた。ついにその愛情はわき上がって、脣《くちびる》まで上ってきた。しかし常に反対の道をゆく奥底の性質のために、脣からは荒々しい言葉が出た。彼はだしぬけに言った。
「何しにここへやってきた?」
マリユスは当惑して答えた。
「あの……。」
ジルノルマン氏は自分の腕にマリユスが身を投じてくるのを欲したであろう。彼はマリユスにもまた自分自身にも不満だった。自分は粗暴でありマリユスは冷淡であることを彼は感じた。内心はいかにもやさしく悲しいのに外部の態度は冷酷でしかあり得ないことを感ずるのは、老人にとってたえ難いいら立ちの種だった。苦々《にがにが》しい気持ちが彼に戻ってきた。彼は気むずかしい調子でマリユスの言葉をさえぎった。
「では何のためにきたんだ?」
その「では」という言葉は、わしを抱擁しにきたのでないなら[#「わしを抱擁しにきたのでないなら」に傍点]という意味だった。マリユスは青ざめて大理石のような顔をしてる祖父をながめた。
「あの……。」
老人は酷《きび》しい声で言った。
「わしの許しを願いにきたのか。自分の悪かったことがわかったのか。」
彼はマリユスを正道に引き戻してやったのだと思っていた、「子供」が我《が》を折りかけてるのだと思っていた。マリユスは身を震わした。祖父が求めているのは父を捨てることであった。彼は目を伏せて答えた。
「いいえ。」
「それでは何の用だ?」と老人は憤怒に満ちた悲痛の情を以って急《せ》き込んで叫んだ。
マリユスは両手を握り合わせ、一歩進み出て、弱い震え声で言った。
「あの、少しお慈悲を。」
その言葉はジルノルマン氏の心を刺激した。も少し早く言われたら、彼は心を和らげたであろう。しかしもう遅かった。祖父は立ち上がった。彼は両手で杖にすがり、脣《くちびる》はまっ白になり、額は筋立っていたが、その高い身体は首垂《うなだ》れてるマリユスの上にそびえた。
「お前に慈悲をかける! 九十一歳の老人に向かって若い者が慈悲を求めるというのか! お前は世間にはいっており、わしは世間から出ている。お前は芝居や舞踏会や珈琲《コーヒー》店や撞球《たまつき》場に出入りし、気がきいており、女の気に入り、男振りがいい。わしは夏の最中でも火にかじりついてる。お前は富の中での富である若さを持ってる。わしは老人の貧しさを、衰弱と孤独とを持ってる。お前は三十二枚の歯と、いい胃袋と、はっきりした目と、力と、食欲と、健康と、元気と、森のような黒い髪とを持ってる。わしはもう白髪《しらが》も持たず、歯も足の力も記憶さえも失ってる、シャルロ街とショーム街とサン・クロード街の三つの名前さえ絶えずまちがえてる、それほどになってるのだ。お前は光り輝く未来を前途に持ってる。わしはもう光が少しも見えなくなりかけてる、それほど暗闇《くらやみ》の中にふみこんでるのだ。お前は女のあとを追っかけてる、そんなことは言わなくてもわかる。わしは世の中のだれからも顧みられない。それだのにお前はわしに慈悲を願うのか。ばかな! モリエールだってそんなことは思いついてやしない。そんなことを言って裁判所を笑わせようというんなら、弁護士諸君、私は心からお祝いするよ。おかしな奴《やつ》らだ。」
そして百歳近くの老人は、怒ったいかめしい声で言い続けた。
「いったい、わしにどうしろと言うのだ?」
「私があなたの前に出ますのは、お心に逆らうこととは存じております。」とマリユスは言った。「しかし私はただ一つお願いしたいことがあって参りました。それがすめばすぐに出て行きます。」
「お前はばかだ!」と老人は言った。「だれが出て行けと言った?」
その一言は、「まあわしの許しを乞《こ》え、わしの首に飛びついてこい!」という心の底のやさしい言葉を言い換えたものであった。ジルノルマン氏はマリユスが間もなく自分のもとを去ってゆくに違いないと感じた。喜んで迎えなかったために彼を反抗さし、酷《きび》しい態度をしたため彼を追い返すことになったと感じた。老人は自らはっきりそう思った。そのために彼の悲しみはますます大きくなった。その悲しみがすぐに憤怒に変わったので、彼の厳酷さはまた増してきた。彼はマリユスにその心持ちを了解してもらいたかったであろう。しかしマリユスは了解しなかった。そのことは老人を激昂《げっこう》さした。彼は言った。
「これ、お前はこのわしを、お前の祖父を捨てて行った。お前は家を出てどこかへ行ってしまった。お前は伯母《おば》を心配さした。そして何をしたんだ。言わずとわかってる。その方がいいからさ。放埒《ほうらつ》な生活をし、遊び歩き、勝手な時間に帰ってき、おもしろいことをし、働いた様子も見せず、払ってくれとも言わないで借金をし、よその家の窓ガラスをこわし、乱暴なまねをし、そして四年ぶりにわしの所へ戻ってきたんだ。わしに言いたいのはそれだけのことだろう!」
孫の愛情を得るためのその荒々しいやり方は、かえってただマリユスを黙らせるだけだった。ジルノルマン氏は彼独特の妙に傲然《ごうぜん》たる腕組みをして、苦々《にがにが》しくマリユスに言いかけた。
「こんな話はやめだ。お前は何かわしに願いにきたと言ったが、いったい何だ、何のことだ? 言ってみるがいい。」
「あの、」とマリユスは深淵《しんえん》の中に落ち込みかけてる者のような目つきをして言った、「私はあなたに、結婚の許しをお願いに参りました。」
ジルノルマン氏は呼び鈴を鳴らした。バスクが扉《とびら》を少し開いた。
「娘を呼んでこい。」
それからすぐに扉が再び開いて、ジルノルマン嬢が、はいってはこないで身体だけを見せた。マリユスは黙ったまま腕をたれ、罪人のような顔をして立っていた。ジルノルマン氏は室《へや》の中をあちらこちら歩き回っていた。彼は娘の方に向いて言った。
「何でもない。これはマリユスさんだ。ごあいさつをするがいい。この人は結婚をしたいんだそうだ。それだけだ。もう行っていい。」
老人の切れ切れな嗄《か》れた声の調子は、ひどく激昂《げっこう》しきってることを示していた。伯母《おば》はびっくりした様子でマリユスをながめ、その姿もよくわからないといったふうで、何の身振りも言葉も示さず、暴風の前の枯れ葉よりも早く父の一息のために吹きやられてしまった。
そのうちにジルノルマン老人は暖炉に背を寄せかけた。
「お前が結婚する! 二十一歳で! 自分できめて、ただ許しだけを願う、それも形式だけに! まあすわるがいい。ところで、お前に会わないうちに革命が起こった。ジャコバン党が勝った。お前は満足に違いない。お前は男爵になってから共和派にもなってるだろう。二つを調和さしてる。共和は男爵の位に味を添えるからね。お前は七月革命で勲章でももらったか。ルーヴル宮殿にも少しは手を出したか。すぐこの近く、ノナン・ディエール街と向き合ったサン・タントアーヌ街に、ある家の四階の壁に弾丸《たま》が一つ打ち込んである。そして一八三〇年七月二十八日というしるしがついてる。行って見るがいい。ためになるだろう。お前たちの仲間はなるほど結構なことをするよ。それからベリー公の記念碑の所に噴水をこしらえてるというじゃないか。そんなことをして、それでお前は結婚したいというのか。だれとだ。そういうことはやたらに言い出せるものではない。」
彼は言葉を切った。そしてマリユスが答える暇もなく、また激しく言い出した。
「どうだ、お前には身分ができたろう。財産ができたろう。弁護士の仕事をしてどれくらいとれるのか。」
「一文もとれません。」とマリユスは荒い決心と確乎《かっこ》さとをもって言った。
「一文もとれない? ではわしがやる千二百フランだけで暮らしてゆかなけりゃならないんだな。」
マリユスは答えなかった。ジルノルマン氏は続けて言った。
「では、思うに、女が金持ちだな。」
「私と同じようなものです。」
「なに! 持参金もないのか。」
「ありません。」
「遺産の当てでもあるのか。」
「ありそうもありません。」
「身体だけ! そして父親は何だ。」
「存じません。」
「そして娘の名は何というんだ。」
「フォーシュルヴァン嬢といいます。」
「フォーシュ……何だ。」
「フォーシュルヴァンです。」
「ちェッ!」と老人は舌うちした。
「どうぞ!」とマリユスは叫んだ。
ジルノルマン氏は独語でもするような調子で彼の言葉をさえぎった。
「なるほど、二十一歳、身分はなし、年に千二百フラン、ポンメルシー男爵夫人が八百屋《やおや》に二スーの芹《せり》を買いに行こうってわけだな。」
「どうぞ、」とマリユスは最後の望みもなくなったのに茫然《ぼうぜん》として言った、「お願いです。私は天に誓って、手を合わしてあなたの足下に身を投げて、お願いします。私にその婦人と結婚することを許して下さい!」
老人は鋭い痛ましい笑いとともに咳《せ》き込み、そして言った。
「はっ、はっ、はっ、お前はこんなことを考えたんだろう。なあに、あの旧弊な老耄《おいぼれ》を、あの訳のわからぬばか爺《じじい》を、一つ見に行ってやれ。二十五歳になっていないのが残念だ。二十五歳にさえなっていりゃあ、結婚承諾要求書をさしつけてやるんだがな。あんな奴《やつ》あってもなくてもいいんだがな。でもまあいいや、こう言ってやれ。お爺《じい》さん、私に会ってうれしいだろう、私は結婚したいんだよ、何とかいう嬢さんと結婚したいんだ、どこかの男の娘さんだ、私には靴《くつ》もないし、女にはシャツもない、ちょうど似合ってる、私は仕事も未来も若さも生命も、水にでもぶっ込んでしまいたい、私は女の首っ玉にかじりついて、貧乏の中に飛び込んでしまいたい、それが私の理想だ、お前は是非とも同意しなけりゃいけない。そう言ったらあのひからびた老耄も同意するだろう。そしてこう言うだろう。なるほど、好きなようにするがいい、その石ころを背負い込むがいい、お前のプースルヴァンとかクープルヴァンとかと結婚するがいいとね。――ところがいけない。断じていかん!」
「お父さん!」
「いかん!」
この「いかん」という語が発せられた調子に、マリユスはすべての希望を失った。彼は頭をたれ、よろめきながら、徐々に室《へや》の中を退いていった。それは立ち去る人というよりも、むしろ死にかかってる人のようであった。ジルノルマン氏は彼を目送していたが、扉《とびら》が開かれてマリユスが外に出ようとした時、性急ながむしゃらな老人の敏活さで数歩進んで、マリユスの首筋をつかみ、激しく室《へや》の中に引き戻し、肱掛《ひじか》け椅子《いす》の上に投げ倒し、そして言った。
「まあよく話せ!」
そう彼の態度が変わったのは、マリユスが偶然発した「お父さん[#「お父さん」に傍点]」という一語のためだった。
マリユスは茫然《ぼうぜん》として彼をながめた。ジルノルマン氏の変わりやすい顔にはもう、露骨な名状し難い人の好《よ》さしか現われていなかった。後見人は祖父と代わったのであった。
「さあ話すがいい。お前の艶種《つやだね》を、女のことをすっかり私に言ってしまいなさい。どうも、若い者ときたら仕方がない。」
「お父さん!」とマリユスは言った。
老人の顔には何とも言えない輝きが満ちた。
「うむ、そうだ、わしをお父さんと呼ぶがいい、聞いてやるから。」
その時にはもうその粗暴さのうちにも、ある親切なやさしい打ち明けた親身《しんみ》らしい調子がこもっていて、マリユスは突然落胆から希望に移ってゆき、そのためにぼんやりして酔ったようになった。彼はテーブルのそばにすわっていたので、服装の見すぼらしさが蝋燭《ろうそく》の光に目立ち、ジルノルマン老人はそれを見て驚いた。
「で、お父さん!」とマリユスは言った。
「いかにも、」とジルノルマン氏はさえぎった、「お前はまったく一スーもないんだね。お前の様子は泥坊のようだ。」
彼は引き出しの中を探り、金入れを取り出し、それをテーブルの上に置いた。
「さあ、ここに百ルイ(二千フラン)ある。帽子でも買うがいい。」
「お父さん、」とマリユスは言い出した、「ねえお父さん、どんなにか私は彼女を愛してることでしょう。御想像もつきますまい。始めて会ったのはリュクサンブールの園でした。彼女はいつもそこにやってきました。初め私は大して気にも止めませんでした。けれどそれから、どうしたのか自分でもわかりません、いつか恋するようになりました。ああそのために私はどんなにか心を痛めたでしょう。そして今では、毎日、彼女の家で会っています。父親はそれを知りません。ところが、察して下さい、その親子は遠くに行こうとしています。私たちは晩に庭で会っています。父親につれられてイギリスに行くというんです。それで私は、お祖父様《じいさま》に会って話してみようと考えました。別れるようなことがあれば、私はきっと気が変になります。死にます、病気になります、水に身を投げます。どうしても結婚しなければなりません。狂人《きちがい》になりそうですから。事実はそれだけです。言い落としたことはないつもりです。彼女はプリューメ街の鉄門のある庭に住んでいます。アンヴァリードの方です。」
ジルノルマン老人は、顔を輝かしてマリユスのそばにすわっていた。彼に耳を傾けその声音《こわね》を味わいながら、また同時にゆるゆるとかぎ煙草《たばこ》を味わっていた。ところがプリューメ街という一語を聞いて、彼は煙草をかぐのをやめ、煙草の残りを膝《ひざ》の上に落とした。
「プリューメ街! プリューメ街だな。……待てよ……その近くに兵営はないかね。……そうだ、それだ。お前の従兄《いとこ》のテオデュールがそのことを言っていた。あの槍騎兵《そうきへい》の将校だ。……いい娘、そう、いい娘だそうだ。……うむ、プリューメ街。昔はブローメ街と言った所だ。……ようやく思い出した。プリューメ街の鉄門の娘のことなら、わしも聞いたことがある。庭の中。パメラ(訳者注 リチャードソンの小説中の女主人公)のような美人、お前の眼識は悪くない。きれいだという評判だ。ここだけの話だが、あの槍騎兵《そうきへい》のばかめも少しからかっているらしい。どれくらい進んだ話かわしは知らん。だがそんなことはどうでもいい。その上あいつの言うことはあてにならん。ほらをふくからな。マリユス、お前のような若い者が女を思うのはあたりまえだ。お前の年齢《とし》だからな。ジャコバン党より色男の方がわしは好きだ。ロベスピエールにつかまってるより、娘っ児につかまってる方がいい、何人いてもかまわん。わしにしたところで、確かに、革命家どものうちでも女だけは愛したものだ。美人はいつでも美人だからな。それに異論があるはずはない。ところでその娘は、父親に隠れてお前に会ってるんだな。よくあることだ。わしにもそんな話はある、いくらもある。そしてお前はやり方を心得てるか。本気にならないことだ、深みにはまらないことだ、結婚だの正式の手続きだのに落ちてゆかないことだ。ただうまくさえやればいい。ふみはずしさえしなけりゃいい。すべりぬけるんだ、結婚してはいかん。古い引き出しの中にいつでも金包みを入れてる、元から人の好《よ》いお祖父《じい》さんに会いに行くんだ。そして言うがいい。お祖父さんこのとおりです。するとお祖父さんは言ってくれる。なにあたりまえのことだ。青春は過ぎ去るものだ、老年は砕け去るものだ。私も一度は若かった、お前も今に年取る。やがてお前にも孫にそう言ってやるような時が来る。さあここに二百ピストル(二千フラン)ばかりある。これで遊んで来るがいい。それが一番だ。万事こういうふうになるのが本当だ。結婚するものではない。それかと言って女に手を出すなというんではない。どうだわかったか。」
マリユスは石のようになって一言も発することができず、ただ頭を振ってわからないという意を示した。
老人は笑い出し、年老いた目をまたたき、彼の膝《ひざ》をたたき、不思議な輝いた顔つきで彼をまともに見つめ、ごくやさしく肩をすぼめて言った。
「ばかだね、情婦にするんだ。」
マリユスは顔色を変えた。彼は今祖父が言ったことは少しも理解していなかった。ブローメ街だの、パメラだの、兵営だの、槍騎兵《そうきへい》だのという冗弁は、マリユスの前を幻灯のように通りすぎた。それらのうちには、百合《ゆり》の花のようなコゼットに関係のあるものは一つもなかった。老人は種々なことをしゃべりちらした。しかしそれらの枝葉の言葉は、マリユスが了解した一言、コゼットに対する極度の侮辱である一言に、ついに到達した。「情婦にするんだ[#「情婦にするんだ」に傍点]」というその一言は、謹厳な青年の心を刃のごとく貫いた。
彼は立ち上がり、下に落ちていた帽子を拾い、断乎《だんこ》たるしっかりした歩調で扉《とびら》の所まで行った。そこで彼はふり向き、祖父の前に低く身をかがめ、再び頭をもたげ、そして言った。
「五年前にあなたは私の父を侮辱しました。今日はまた私の妻を侮辱しました。もう何もお願いしません。お別れします。」
ジルノルマン老人は、あきれ返り、口を開き、腕を差し出し、立ち上がろうとした。しかし彼に一言を発するすきも与えないで、扉は再び閉ざされ、マリユスの姿は消えた。
老人はしばらく身動きもせず、雷に打たれたようになり、口をきくことも息をすることもできず、あたかも拳固《げんこ》で喉《のど》をしめつけられてるがようだった。やがて彼は肱掛《ひじか》け椅子《いす》から身をふりもぎ、九十一歳の老年に能う限りの早さで扉の所に駆け寄り、扉を開き、そして叫んだ。
「だれか、だれかいないか!」
娘がやってき、次に召し使いどもがやってきた。彼は哀れな嗄《か》れ声で言った。
「あいつを追っかけてくれ。捕えてくれ。わしはあいつに何をしたんだろう。あれは狂人《きちがい》だ。逃げていった。ああ、神よ! ああ、神よ! こんどはもう帰ってきはすまい!」
彼は街路が見える窓の所へ行き、うち震える老いた手でそれを開き、身体を半分以上も外に乗り出し、後ろからバスクとニコレットに引き止められながら叫んだ。
「マリユス! マリユス! マリユス! マリユス!」
しかしマリユスにはもうその声が聞こえなかった。その時彼は既にサン・ルイ街の角《かど》を曲がっていた。
八十の坂をとくに越した老人は、心痛の表情をして二三度両手を顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》の所に持ってゆき、よろめきながらあとに退り、肱掛《ひじか》け椅子《いす》の上に身を落とし、脈も止まり、声も出ず、涙もわかず、茫然《ぼうぜん》自失した様子で頭を振り脣《くちびる》を震わし、目に見え心にあるものは、ただ闇夜《やみよ》に似た何か沈鬱《ちんうつ》な底深いもののみであった。
[#改ページ]
第九編 彼らはどこへ行く
一 ジャン・ヴァルジャン
右と同じ日の午後四時ごろ、ジャン・ヴァルジャンは練兵場の最も寂しい土堤《どて》の陰に一人ですわっていた。用心のためか、あるいは瞑想《めいそう》にふけりたいと思ってか、あるいは単にどんな生活にもしだいに起こってくる知らず知らずの習慣の変化からか、彼はこのごろあまりコゼットを連れて外出しなかった。彼は労働者の上衣を着、鼠色《ねずみいろ》の麻のズボンをはき、長い庇《ひさし》の帽子で顔を隠していた。現在ではもう彼はコゼットのそばで落ち着いて幸福であった。一時彼を脅かしわずらわしたものも消えうせてしまっていた。しかしこの一、二週間以来、別種の心配がやってきた。ある日大通りを歩いていると、テナルディエの姿を見かけた。変装のためにテナルディエは彼を見て取り得なかった。しかしその後ジャン・ヴァルジャンは、幾度もテナルディエに会い、今ではテナルディエがその付近をうろついてることも確かになった。そしてそのことはついに彼に大なる決心を促さした。テナルディエがいることは、また同時にあらゆる危険が存在することだった。
その上パリーは平穏ではなかった。政治上の騒ぎのために、何か身の上に隠すべき点を持ってる者にとっては、ごく都合の悪い状態になっていた。警察の方ではひどく気をもみ疑い深くなり、ペパンやモレーのような過激な人物を狩り出しながら、またジャン・ヴァルジャンのような者をも容易に発見し得るに違いなかった。
それらのことを考えて、彼は心配になってきた。
それからまた最後に、不可解な一事が起こってき、今なおありありと頭に残っていて、彼の警戒の念をいっそう強めたのであった。その日の朝、ただひとり先に起き上がり、コゼットの室《へや》の雨戸が開かないうちに庭を歩いていると、壁の上におそらく釘《くぎ》で彫りつけられたらしい一行の文字が突然目にはいった。
ヴェールリー街十六 。
それはごく新しくしるされたもので、その線はまっ黒な古い漆喰《しっくい》の中に白く見えており、壁の根本にある一叢《ひとむら》の蕁麻《いらくさ》は新しい漆喰の粉をかぶっていた。おそらく前夜のうちに書かれたものに違いなかった。いったいこれは何だろう? だれかの住所か、それとも他の者に対する合い図か、それとも自分に対する警告か? いずれにしても知らない者らが庭に侵入してきたことは明らかだった。以前に家中を驚かした不思議なできごとを彼は思い起こした。そしてあれかこれかとしきりに頭を悩ました。釘の先で壁に書かれた一行の文字については、こわがらしてはならないと思ってコゼットには少しも話さなかった。
種々のことを考え推測してジャン・ヴァルジャンは、いよいよパリーを去り、フランスをも去り、イギリスに渡ろうと決心していたのであった。コゼットにも前もって知らしておいた。一週間のうちに出立しようと思っていたのである。で今彼は練兵場の土堤《どて》の陰にすわって種々の考えを頭の中に浮かべていた、テナルディエのこと、警察のこと、壁の上に書かれた不思議な一行の文字のこと、旅行のこと、旅行券を得るのに困難なこと。
そういうことで頭がいっぱいになってる最中に、彼は自分のすぐ後ろの土堤《どて》の頂にだれかがやってきて立ち止まったのを、日の光が投げたその影で見て取った。彼がふり向こうとした時、四つに折った一枚の紙が頭の上から落とされたように膝《ひざ》の上に落ちてきた。彼はその紙片を取り、それをひらくと、そこには鉛筆で大きく一語したためてあった。
引っ越せ。
ジャン・ヴァルジャンは急いで立ち上がったが、土堤の上にはもうだれもいなかった。あたりを見回すと、鼠色《ねずみいろ》のだぶだぶした上衣を着、塵《ちり》によごれた綿ビロードのズボンをつけた、子供より大きく大人《おとな》よりは小さい一人の者が、柵《さく》をおどり越え、練兵場の溝《みぞ》の中にすべり込んでゆくのが見えた。
ジャン・ヴァルジャンは深く考え込んですぐに家へ帰った。
二 マリユス
マリユスはすべての望みを失ってジルノルマン氏の家から出てきた。はいってゆく時には一縷《いちる》の希望を持っていたが、出て来る時には深い絶望をいだいていた。
しかも、年若い者の心を観察したことのある人は了解するであろうが、あの槍騎兵《そうきへい》、将校、ばか者、従兄《いとこ》のテオデュールは彼の精神に何らの陰影をも残さなかった。少しの陰影をも残さなかった。孫に向かって祖父がだしぬけにもらしたその秘密から、戯曲家ならたいてい何かの紛乱を期待するかも知れない。しかし劇はそれでおもしろくなるかも知れないが、真実さは減じてくるに違いない。マリユスはまだ悪いことは何事をも信じない年配であった。すべてを信ずる年配はそのあとにしかやってこない。疑念は皺《しわ》にほかならない。年若い青春は皺を持たない。オセロを転倒させることもカンディードの上にはただすべりゆくのみである(訳者注 セークスピアの戯曲オセロ ヴォルテールの小説カンディード)。コゼットを疑う! そういう事はマリユスにとっては多くの罪悪よりもなおなし難かったであろう。
彼は街路を歩き始めた。それは苦しむ者の普通のやり方である。彼は何か考えていたが、あとで思いだせるようなことは一つも考えていなかった。夜中の二時にクールフェーラックのもとに帰りつき、着物もぬがずにそのまま蒲団《ふとん》の上に身を投げ出した。すっかり夜が明けてからようやく、あらゆる考えがなお頭の中に行ききする重い恐ろしい眠りに陥った。目をさますとちょうど、クールフェーラックとアンジョーラとフイイーとコンブフェールとが頭に帽子をかぶり、出かけるばかりの忙しそうな様子をして、室《へや》の中に立っていた。
クールフェーラックは彼に言った。
「君はラマルク将軍の葬式に行かないか。」
彼にはクールフェーラックの言葉も訳のわからぬ支那語のように聞こえた。
皆が出て行った後しばらくして彼も出かけた。二月三日の事件のおりジャヴェルからもらったまま手もとに残ってる二つのピストルを、彼はポケットの中に入れた。それにはまだ弾丸が込めてあった。頭の中にいかなるひそかな考えがあってそれを持ち出したかは、語るに困難なことである。
自らどことも知らないで彼は終日歩き回った。時々雨が降ったのもまったく気づかなかった。食事のためにあるパン屋で一スーの長パンを買ったが、それもポケットに入れたまま忘れてしまった。何というつもりもなしにセーヌ川にはいって水を浴びたようでもあった。頭蓋骨《ずがいこつ》の下に烈火が燃え立ってるような時も人にはあるものである。マリユスはちょうどそういう時にさしかかっていた。もう何一つ願わず、何一つ恐れなかった。彼は前夜以来そういう状態になっていた、そして熱しいら立ちながら晩になるのを待った。ただ一つの明らかな考えばかりが残っていた、すなわち九時にコゼットに会うこと。その最後の幸福こそ今では彼の未来のすべてだった。その先はただ暗黒のみであった。寂しい大通りを歩いていると、間をおいて不思議な響きがパリーの市中に聞こえるようだった。彼は夢幻のうちから頭を差し出して言った。「戦争でもしてるのかしら。」
暗くなる頃、ちょうど九時に、コゼットに約束したとおり彼はプリューメ街にきていた。鉄門に近寄った時彼はすべてを忘れた。この前コゼットと会ってからもう四十八時間、そして今再び会えるのである。その他の考えは消えてしまい、異常な深い喜びをしかもう感じなかった。数世紀の長い間とも思えるかかる数分時は、常におごそかな驚嘆すべき特質を有していて、過ぎ去りつつ人の心をまったく満たしてくれるものである。
マリユスは鉄棒を動かし、庭の中に飛び込んだ。コゼットはいつも彼を待っていてくれる例の所にいなかった。彼は藪《やぶ》の間を通りぬけ、踏み段のそばの奥まった所まで行った。「そこで待ってるのだろう、」と彼は言った。しかしコゼットはそこにもいなかった。目を上げると、家の雨戸は皆閉ざされていた。庭を一回りしたが、やはりだれもいなかった。その時彼は家の前へ戻ってき、愛のために我を忘れ、悲しみと不安とのために惑乱しおびえいら立って、時ならぬ時間に家に帰ってきた主人《あるじ》のように、雨戸をうちたたいた。たたきにたたいた。窓があけられ父親の恐ろしい顔が現われ「何だ?」と尋ねられる危険をも顧みなかった。心に待ち望んでいることに比ぶればそれは取るに足らぬことだった。たたき終えた時、彼は声をあげて「コゼット!」と叫んだ。「コゼット!」と激しく繰り返した。何の答えもなかった。万事は終わっていた。庭にはだれもいず、家の中にもだれもいなかった。
マリユスは、墳墓のように暗く黙々としてしかもいっそう空虚なその悲しい家に絶望の目を据えた。コゼットのそばで幾多の楽しい時間を過ごした石の腰掛けをながめた。それから踏み段の上にすわり、心は情愛と決意とに満ち、胸の奥で自分の愛を祝福し、コゼットが出発してしまった今となってはもはや死ぬのほかはないと自ら言った。
突然彼は人の声を聞いた。それは街路から来るもののようで、木立ち越しに叫んでいた。
「マリユスさん!」
彼は身を起こした。
「ええ?」と彼は言った。
「マリユスさん、あなたそこにいるの?」
「ええ。」
「マリユスさん、」とその声はまた言った、「お友だちがみなあなたを、シャンヴルリー街の防寨《ぼうさい》で待っています。」
その声は彼のまったく知らないものではなかった。何だかエポニーヌの荒いつぶれた声に似寄っていた。マリユスは鉄門の所に走ってゆき、動く棒を押し開き、その間から頭を出した。見ると、若い男らしく思われる一人の者が、向こうへ走りながら暗がりの中に消えていった。
三 マブーフ氏
ジャン・ヴァルジャンの財布はマブーフ氏には何の役にも立たなかった。マブーフ氏はその子供らしい尊い謹厳さをもって、天の賜物をも決して受納しなかった。星がルイ金貨になり得るとは考えられなかった。天から落ちてきたものは実はガヴローシュからきたものであるとは、思いつくことができなかった。彼はその財布を所轄の警察署へ持ってゆき、請求者の意のままに拾い主から届け出でた拾得物だとして置いてきた。実際その金入れは落とされたものだった。がもちろんそれを請求する者もなかったし、さりとてマブーフ氏を救うものともならなかった。
それにまたマブーフ氏は、相変わらず坂道を下へと下《くだ》りつつあった。
藍《あい》の試培は、オーステルリッツの庭におけると同じく、動植物園においても成功しなかった。前年から婆さんの給金も借りになっていたが、前に言ったとおり今では家賃も数期分たまっていた。質屋は彼の特産植物誌[#「特産植物誌」に傍点]の銅版を、十三カ月預っていた後売り払ってしまった。ある鋳物師がそれで鍋《なべ》をこしらえたそうである。銅板がなくなってしまえば手もとにある特産植物誌のはしたの本は完成することができないので、その木版と本文とをもはんぱ物としてある古本屋に捨値《すてね》で譲ってやった。彼にはもはや一生を費やした著作物から残ってる物は何もなかった。彼はその書物の代を食い始めた。そしてそのわずかな金がつきてしまった時、庭の仕事も止めて荒れるに任した。以前から、もうずっと以前から、時々食べる二つの鶏卵と一片の肉片をも廃していた。食事はパンと馬鈴薯《ばれいしょ》だけになっていた。残ってる家具をも売り払い、次には夜具や着物や毛布なども二枚あるものは一枚売り、次には植物の標本や版画などを売った。しかし、なおごく貴重な書物は残していた。そのうちには非常な珍本が幾らもあって、特に次のようなのはすぐれたものだった。聖書歴史年譜、一五六〇年版。各聖書要目索引、ピエール・ド・ベス著。マルグリットの諸マルグリット、ジャン・ド・ラ・エー著、ナヴァール女皇への捧呈文付き。大使の職員および品位につきて、ヴィリエ・オットマン閣下著。一六四四年版のユダヤ美文集一冊。「ヴェニス、マヌチアニス家において」という金ぴかの銘がついてる一五六七年版のチブルスの詩集一冊。終わりにディオゲネス・ラエルチオスの著書一冊、これは一六四四年にリオンで印刷されたもので、中には、ヴァチカンにある十三世紀物の第四一一の写本の有名な異文が掲げてあり、またヴェニスにある第三九三と第三九四との両写本の異文も掲げてあって、アンリ・エスティエンヌのみごとな校合の結果でき上がったものであり、それからまた、ナポリの図書館にある十二世紀物の有名な写本の中にしかないドリア語の全文もついている。かくてマブーフ氏はもう決して室《へや》に火をたかず、また蝋燭《ろうそく》を使わないようにと明るいうちから寝床にはいった。親しい者もなくなったかのようで、外出すればいつも人に避けられた。彼自身もそれに気づいていた。子供の難渋は母の心を動かし、若い男の難渋は若い娘の心を動かすが、老人の難渋はだれからも顧みられないものである。それはあらゆる困苦のうちでも最も冷たいものである。けれどもマブーフ老人は、子供のような清朗さをまったく失ってはいなかった。自分の蔵書を見る時には、眸《ひとみ》に多少の元気が現われ、世にただ一部きりないディオゲネス・ラエルチオスをながめる時には、顔に微笑が上った。ガラス戸のついてるその書棚は必要な品を除いては彼が残して置いた唯一の家具であった。
ある日、プリュタルク婆さんは彼に言った。
「夕御飯を買う金がありません。」
彼女が夕御飯と言ったのは、実は一片のパンと四つか五つかの馬鈴薯《ばれいしょ》とであった。
「後払《あとばら》いにしたら?」とマブーフ氏は言った。
「だれもそんなことをしてくれないのは御承知ではありませんか。」
マブーフ氏は書棚を開き、あたかも自分の子を一人犠牲にしなければならない父親がどれにしようかと大勢の子をながめるがように、蔵書を長い間かかって一つ一つながめ、それから急にその一冊を取り、それをわきにかかえ、そして出て行った、二時間たって彼は、小わきを空《から》にして帰ってき、テーブルの上に三十スーの金を置いて言った。
「これで夕飯をしたくしてくれ。」
その時からプリュタルク婆さんは、老人の清澄な顔の上に暗い影がさすのを見た。その影はついに再び晴れることがなかった。
翌日も、その翌日も、日々同じことをくり返さなければならなかった。マブーフ氏は一冊の書物を持って出かけてゆき、少しの金を手にして戻ってきた。古本屋は彼が是非とも売らなければならないのを見て取って、二十フランもしたものを二十スーくらいに買い取った。時とすると同じ店でそういう目に会うこともあった。一冊一冊と蔵書は減っていった。おりにふれて彼は言った、「だが私はもう八十歳だから。」それはあたかも、書物が尽きない前に自分の余生が尽きることをひそかに望んでいるようだった。悲しみは増していった。けれども一度彼に喜ばしい事が起こった。彼はロベール・エスティエンヌ版の書物を一冊持って出かけ、マラケー河岸でそれを三十五スーに売り、そしてグレー街で四十スーで買ったアルド版の書物を一冊持って帰ってきた。「私は五十スー借りた、」と彼は顔を輝かしながらプリュタルク婆さんに言った。その日彼は夕食をしなかった。
彼は園芸協会にはいっていた。会員は皆彼の貧窮を知っていた。会長は彼を訪れてき、彼のことを農商務大臣に話してやろうと約束し、そして実際それを果たした。大臣は叫んだ。「ははあなるほど、よくわかった。老人で、植物学者で、おとなしい好人物だと。何とかしてやらずばなるまい!」その翌日、マブーフは大臣邸へ晩餐《ばんさん》の招待を受けた。彼は喜びに震えながらその手紙をプリュタルク婆さんに見せた。「これで助かった!」と彼は言った。定日に彼は大臣の家へ行った。そして自分の皺《しわ》くちゃになった襟飾《えりかざ》りや、角張った大きな古上衣や、やたらに靴墨《くつずみ》を塗りたてた靴などが、接待人らを驚かしたことを見て取った。だれも彼に言葉をかけなかった。大臣すら言葉をかけなかった。十時ごろになって、なお何かの挨拶《あいさつ》を待っていると、胸をあらわにした近寄れそうにもない美しい大臣夫人が、人に尋ねている声を聞いた、「あのお年寄りは何という人ですか?」彼は徒歩で、ま夜中に、雨の降る中を自分の家に帰ってきた。しかもそこへ行く時の馬車代を払うためにエルゼヴィル版の書物を一冊売ったのである。
毎晩寝る前に、彼はディオゲネス・ラエルチオスの数ページを読む習慣になっていた。その書物の原文の妙味を味わい得るくらいにはギリシャ語の力があった。今ではもうそれ以外に何の楽しみもなくなっていた。数週間過ぎ去った。すると突然プリュタルク婆さんが病気になった。パン屋からパンを買う金もないことより、いっそう悲しいことがあるとすれば、それは薬屋から薬を買う金もないことである。ある晩、医者はごく高価な薬を命じた。その上、病気は重ってきて看護婦も必要だった。マブーフ氏は書棚を開いた。もう売るものは何にもなかった。最後の一冊もなくなっていた。残っているのは、ただディオゲネス・ラエルチオスだけだった。
彼は世にまたとないその一冊の書物を腕にかかえて出かけていった。一八三二年六月四日だった。サン・ジャック市門のロアイヨルの後継者の家に行き、百フラン持って帰ってきた。そして年取った召し使いの枕頭《まくらもと》のテーブルに、五フラン貨幣をつみ重ね、一言も言わないで自分の室《へや》に戻った。
翌日、夜が明けると、彼は庭の中に横たわってる標石に腰をおろしていた。額をたれ、しぼみはてた花床の上にぼんやり目を定めて、その朝中身動きもしないでいる彼の姿が、籬《まがき》越しに見られた。ときどき雨が降ったが、老人はそれに気もつかぬらしかった。午後になると、異常な響きがパリーの市中に起こった。小銃の音と群集の喊声《かんせい》とのようであった。
マブーフ老人は頭を上げた。ひとりの園丁が通るのを見て彼は尋ねた。
「あれは何かね。」
園丁は鍬《くわ》をかついだまま、きわめて平気な調子で答えた。
「暴動ですよ。」
「なに、暴動?」
「ええ。戦《いくさ》をしています。」
「何でまた戦をするんだ。」
「さあなんだか。」と園丁は言った。
「どっちの方だ。」
「造兵廠《ぞうへいしょう》の方です。」
マブーフ老人は家に入り、帽子を取り、小わきにはさむべき書物を機械的にさがしたが、一冊もなかった。「ああそうだった!」と彼は言った。そして我を忘れた様子で出て行ってしまった。
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第十編 一八三二年六月五日
一 問題の表面
暴動の要素は何であるか? 何もないとも言えるし、あらゆるものだとも言える。しだいに発してくる電気、突然ほとばしり出る炎、彷徨《ほうこう》してる力、過ぎゆく息吹《いぶき》、などからである。この息吹は、思索する頭、夢想する脳、苦しむ魂、燃え立つ熱情、喚《わめ》き立てる悲惨、などに出会って、それらを運び去る。
どこへ?
どこへというあてはない。国家や法律や他人の繁栄と横暴などをよぎって、どこともなく。
いら立った確信、たけり立った熱誠、いきり立った憤怒、抑圧されたる戦闘的本能、奮激してる若々しい勇気、勇ましい盲動、好奇心、変化好き、意外好み、新しい芝居の広告を見たがり劇場で舞台裏の柝《き》の音を喜ぶような感情、また漠然《ばくぜん》たる憎悪《ぞうお》、怨恨《えんこん》、落胆、すべて失敗を運命の罪に帰せんとする虚栄、また不快、空想、四方絶壁のうちに閉ざされたる野心、また崩壊によって何かの結果を望む者、なお最下層にあっては、火に燃えやすい泥炭《でいたん》ともいうべき下層の群集、それらがすなわち暴動の要素である。
最も偉大なるものおよび最も下等なるもの、あらゆるものの外部に彷徨《ほうこう》しながら機会をねらってる者、浮浪人、無頼漢《ぶらいかん》、街頭の放浪者、空に漂う寒い雲のみを屋根として都会の砂漠《さばく》に夜眠る者、仕事によらずして行きあたりばったりに日々のパンを求むる者、悲惨と微賤《びせん》のうちに沈淪《ちんりん》してる名もなき者、腕をあらわにしてる者、跣足《はだし》のままの者、それらが暴動にくみする人々である。
国家や人生や境涯の何らかの事実に対して、ひそかな反抗心をいだいている者は皆、暴動に隣せる者であって、一度暴動が現わるるや、身震いを始め、旋風に巻き上げらるるような心地を感じ始める。
暴動は社会の大気中の一種の竜巻《たつまき》であって、ある気温の状態によってにわかに起こり、渦巻《うずま》きながら、上り、翔《かけ》り、とどろき、つかみ取り、こわし、つぶし、砕き、根こぎにし、自然の偉大なるものをも脆弱《ぜいじゃく》なるものをも、強き人をも弱き人をも、樹木の幹をも一筋の藁《わら》をも、あらゆるものを巻き込んでゆく。
それに運ばるる者もそれに衝突する者も、共に災いなるかなである。両者とも相次いで打ち砕かれる。
それはおのれがとらえた者らに異常な力を伝える。あらゆる者に事変が有する力を充満させる。すべてのものを爆弾となす。一魂の石をも弾丸となし、一介の人夫をも将軍となす。
狡猾《こうかつ》なる政略家らの言明するところによれば、政府の権力の立場より見れば多少の暴動はかえって望むところである。その立論は下のとおりである。曰《いわ》く、暴動は政府を転覆せずしてかえって政府を強固ならしむる。暴動は軍隊を試練し、中流民を結合し、警察の筋力を伸張させ、社会の骨格の力を確かめる。それは一つの体操であり、ほとんど衛生的でさえある。身体摩擦の後に人が丈夫になるように、政府の権力は暴動の後に更に強大になる。
また今より三十年前には、暴動はなお他の見地からも考察されていた。
あらゆる事柄には、「良識《ボン・サンス》」と自称する一つの理論がある。それはアルセストに対するフィラントのごときものである(訳者注 モリエール作「世間ぎらい」中の人物――一徹なるアルセスト、妥協的なるフィラント)。真実と虚偽との間に持ち出される仲裁である。説明であり、忠告であり、多少横柄な斟酌《しんしゃく》であって、非難と容赦とを交じえているので自ら英知であると信じてはいるが、多くは半可通にすぎないものである。中正派と称せらるる政治上の一派は、まったくそれから出てきたものである。冷水と熱湯との中間のもので、微温湯のたぐいである。深遠さを装い、実は皮相にのみ止まり、原因にさかのぼることなく結果をのみ考察するこの一派は、半可通の学説の高みから、街頭の騒擾《そうじょう》を叱責《しっせき》する。
この一派は言う。「一八三〇年の事実を紛糾さした諸暴動は、この大事変にその純潔さの一部を失わせてしまった。七月革命は一陣の民衆の風であって、その後には直ちに澄み渡った青空が現われた。しかるに暴動は、再びその空に雲を漂わした。初め世論の一致が特色だったこの革命を、争論に堕落さした。あらゆる急激な進歩に見らるるとおり、七月革命のうちにも目立たぬ挫折《ざせつ》の個所がいくらもあった。しかるに暴動はそれらの挫折を感づかせた。あゝここが砕けている、と人に叫ばした。七月革命の後には、人々はただ救われたと感じていた。しかるに暴動の後には、人々は災いだと感じた。
「暴動はすべて、商店を閉ざし、資本を萎靡《いび》させ、相場に恐慌をきたさせ、取り引きを停《と》め、事業を遅滞させ、破産を招致する。金融は止まる。個人の財産は不安になり、信用は乱れ、工業は脅かされ、資本は回収され、賃金は下落し、至る所恐怖あるのみである。あらゆる都市は皆その打撃を受ける。かくて破滅の淵《ふち》が生ずる。計算すれば、暴動の第一日はフランスに二千万フランの損害をきたし、第二日は四千万、第三日は六千万の損害をきたすという。三日間の暴動は一億二千万フランの損害となる。すなわち経済上の結果のみを見ても、難破か敗戦のごとき災害によって六十隻の一艦隊が全滅するに等しいのである。
「歴史的に言えば、もちろんいずれの暴動にもその美があった。舗石《しきいし》の戦《いくさ》は叢林《そうりん》の戦に劣らず壮烈であり悲壮である。後者には森林の魂が籠《こも》っており、前者には都市の魂が籠っている。一方にはジャン・シューアンがおり、一方にはジャンヌがいる(訳者注 前者は大革命の初期に蜂起せる王党農民の首領、後者は後に出てくる暴動の一首領)。従来の暴動は、パリー市固有のきわめて顕著なあらゆる特質、すなわち、豪侠《ごうきょう》、献身、騒暴なる快活、勇気は知力の一部たることを示す学生、不撓《ふとう》不屈なる国民兵、商人の露営、浮浪少年の要塞《ようさい》、通行人らの死を恐れざる心、などをまっかにしかも燦然《さんぜん》と照らし出した。学校と連隊とが戦った。そして要するに、戦士らの間にはただ年齢の差があるのみだった。皆同じ人種であった。主義のために二十歳にして死ぬ者も、家族のため四十歳にして死ぬ者も、皆同じ堅忍な人であった。内乱において常に悲しい運命にある軍隊は、慎重な態度をもって豪胆な態度に対抗した。暴動は民衆の勇敢さを示すとともに、中流民に勇気を教え込んだ。
「それはよろしい。しかしすべてそれらのことは流血に値するものであろうか? しかも流血に加うるに、未来を暗くし、進歩を妨げ、りっぱな人々には不安を与え、正直なる自由主義の人々には絶望せしめ、他国の専制政治には革命が自ら手傷を被ったことを喜ばせ、一八三〇年に敗れたる者らにかえって勝利を得さして、われわれが言ったとおりではないか! と叫ばしたのである。パリーはおそらく生長したであろうが、しかし一方フランスは確かに萎靡《いび》したのである。なおすべてを言う必要があるから付け加えるが、その間になされた殺戮《さつりく》は、たけり立った秩序が血迷った自由に対して得た勝利を、多くは汚すものである。要するに、暴動は痛嘆すべきものであった。」
いわゆる民衆たる中流民が喜ぶところのいわゆる英知は、実に右のごとく説くのである。
吾人をして言わすれば、暴動というあまりに意味の広い、従ってあまりに便利なその言葉を排斥したい。民衆の甲の運動と乙の運動との間に区別を設けたい。一つの暴動は一つの海戦に等しい損害をきたすか否かを問いたくない。第一何ゆえに戦争などを持ち出すのか。ここに戦役の問題が起こってくる。暴動が国難であるとすれば戦役は人類に下された天罰ではないか。それにまたあらゆる暴動は皆国難であるか。七月十四日(一七八九年)一日に一億二千万フランの損害があろうともそれが何であるか。スペインにおけるフィリップ五世の擁立は二十億フランの損害をフランスにかけた。もしこれと同じ損害があろうとも吾人は七月十四日を取りたい。また元来吾人はそれらの計算を排斥したい。それは一見理由らしく見えるけれど実はただ口実にすぎない。ここに一つの暴動が存する時、吾人は暴動そのものを研究したいのである。上に述べた正理論《ドクトリナリスム》的な非難のうちには、ただ結果のみしか問題となっていない。しかし吾人は原因を探求したいのである。
この点を次に明らかにしてみよう。
二 問題の底
世には暴動があり、また反乱がある。それは二つの憤怒であって、一つは不正であり、一つは正しい。正義を基礎とする唯一のものたる民主国においても、時として一部が権力を壟断《ろうだん》することがある。その時全部が崛起《くっき》し、権利回復の必要上武器を取るに至る。集団の大権に属するあらゆる問題において、一部に対する全部の宣戦は反乱であり、全部に対する一部の攻撃は暴動である。テュイルリー宮殿が王を入れているかあるいは国約議会を入れているかに従って、その宮殿を攻撃することがあるいは正となりあるいは不正となる。群集に向けられる砲門も、八月十日(一七九二年)には不正となり、共和|檣月《しょうげつ》十四日(一七九五年十月五日)には正当となる。外観は同じでも根底は異なる。傭兵らは誤れるものを防護し、ボナパルトは正当なるものを防護した。普通選挙がその自由と主権とをもってなしたところのものは、街頭の群集によってくつがえされることはない。まったく文化に関する事柄においても同様である。群集の本能は、昨日は清澄であっても明日は混濁することがある。同じ憤激も、テレーに対しては合理でありテュルゴーに対しては不合理である(訳者注 前者はルイ十五世の大蔵卿にして不正政略を行ないし人、後者はルイ十六世の大蔵大臣にして大改革を施さんとせし人)。機械を破砕し、倉庫を略奪し、レールを切断し、船渠《せんきょ》を破壊し、群集が誤れる道をたどり、民衆が進歩の裁きを拒み、学生らがラミューを殺害し、ルーソーが石を投ぜられてスウィスより追われる、などは皆暴動である。イスラエルがモーゼに反抗し、アテネがフォキオンに反抗し、ローマがスキピオに反抗する、などは皆暴動である。パリーがバスティーユの牢獄《ろうごく》に反抗する、これこそは反乱である。兵士らがアレクサンデルに反抗し、水夫らがクリストフ・コロンブスに反抗する、などは皆暴動であり、不真実なる謀叛《むほん》である。なぜかなれば、コロンブスが羅針盤《らしんばん》をもってアメリカに対してなすところを、アレクサンデルは剣をもってアジアに対してなすからである。コロンブスのごとく、アレクサンデルは新世界を発見する。かく新世界を文化にもたらすことは、光明を増加する所以《ゆえん》であって、それに対するあらゆる抵抗は皆罪あるものとなる。時として民衆は誤って自己に不実となることがある。烏合《うごう》の衆は民衆に対する裏切り者である。たとえばあの塩密売者らの長い間にわたる血に塗られた抗議、慢性的に起こった正当な反抗は、いよいよ最後の瞬間に、救済の日に、人民の勝利の時に当たって、王位に味方し、シューアヌリー([#ここから割り注]訳者注 大革命の初期に蜂起せる王党農民の暴動[#ここで割り注終わり])と変じ、敵せんがための反乱をして味方せんがための暴動たらしめたのであるが、これ以上奇妙な事があろうか。無知の暗い傑作ではないか。この塩密売者らは、王室の絞首台をのがれ、しかも首に絞首繩《こうしゅじょう》の一片を残したまま、白の帽章(訳者注 白は王党のしるしである)をつける。「塩税を廃せよ」の叫びから、「国王万歳」の叫びを産み出すのである。またサン・バルテルミーにおける虐殺・九月(一七九二年)の斬殺《ざんさつ》、アヴィニョンにおける殺戮《さつりく》、コリニーの殺害、ランバル夫人の殺害、ブリュヌの殺害([#ここから割り注]訳者注 後の三人は皆それぞれ前の三つの虐殺のおりの犠牲者である)ミクレー山賊の難、青リボン党の難、弁髪党の難、ゼユの仲間の難、腕章騎士の難などは皆暴動である。ヴァンデの乱はカトリック派の大暴動である。
権利が行動してる音は、おのずからそれと見分けられるものであり、混乱せる群集の震えより常に出《い》ずるものではない。世には狂愚なる憤怒があり、破鐘がある。あらゆる警鐘は皆青銅の音を出すものではない。熱情と無知との動揺は進歩の振動とは異なる。蜂起《ほうき》するもよし、しかし生長せんがためのものであれ。いずれの方向へ行かんとするかを自ら指示せよ。反乱は皆前方へ向かって進むものに限る。その他の蜂起《ほうき》は悪である。暴力的なあらゆる後退は皆暴動である。後退は人類に対する暴行である。反乱は真理の発作的激怒である。反乱が動かす舗石《しきいし》は権利のひらめきをほとばしらす。しかしそれらの舗石は暴動に向かっては泥《どろ》をしか与えない。ダントンがルイ十六世に反抗するのは反乱であり、エベールがダントンに反抗するのは暴動である。
それゆえに、ラファイエットの言ったごとく、反乱は至当の場合には最も神聖なる義務となり得るが、暴動は最も痛むべき不法行為となり得る。
また両者の間には、熱の強度の差も存する。反乱は多く噴火山であり、暴動は多く藁火《わらび》である。
前に言ったごとく、謀叛《むほん》は時として政府の権力のうちにある。ポリニャックはひとりの暴動家であり、カミーユ・デムーランはひとりの統御者である。
時として反乱は復活である。
普通選挙による万事の解決はまったく近代の事実であり、この事実より以前の全歴史は、四千年の昔より、権利の侵害と民衆の苦しみとに満たされているがゆえに、歴史の各時代には皆当然出るべき抗議がある。ローマ諸皇帝の下には、反乱は存しなかったがしかしユヴェナリスがいた。
憤怒は作る(訳者注 憤怒は詩を作る――ユヴェナリスの言葉)がグラックス兄弟のあとを継ぐ。
諸皇帝の下には、シエナの亡命者(ユヴェナリス)がおり、またローマ年代記の作者(タキツス)がいる。
パトモス島の広大なる亡命者(ヨハネ)のことはここに言うまでもない。彼もまた、現実の世界に向かって理想の世界の名による抗議を浴びせかけ、幻覚をもって巨大なる風刺となし、一種のローマたるニニヴェやバビロンやソドムなどの上に、黙示録の燃え立つ光を投げかけている。
厳《いわお》の上のヨハネは、断崖《だんがい》の上のスフィンクスである。われわれはその言葉を解くことを得ない。それはユダヤの人であり、ヘブライの言葉である。しかしローマ年代記を書いた者は、ひとりのラテン人であり、なお詳しく言えばひとりのローマ人である。
ネロのごとき皇帝らが暗黒なる政治を行なう時、彼らはあるがままに描写せられなければならない。筋を刻むだけでは影薄いであろう。その刀痕《とうこん》のうちには痛烈なる散文の精髄を交じえなければならない。
専制君主らも思想家にとっては何かの役に立つ。鎖につながれたる言葉こそは恐るべき言葉である。君主が民衆に沈黙をしいる時、筆を執る者はその文体を二重にも三重にも変える。かかる沈黙からはある神秘な充実さが生まれてき、やがては思想のうちによどみ凝集して青銅の鐘となる。歴史の圧縮は歴史家の文章に簡潔さを与える。ある有名なる散文の花崗岩的堅牢《かこうがんてきけんろう》さは、暴君によってなされたる圧搾にほかならない。
暴政は筆を執る者にその執筆の範囲を縮めさせる。しかしそれはかえって力を増させるものである。キケロ的な章句は、ようやくヴェルレスに関してのみ十分であって、カリグラに関しては刃が鈍いであろう。執筆の範囲が狭くなるほど、打撃の強さは大となる。タキツスは腕を縮めて思索する。
偉大なる心の正直さは、正義と真理とに凝り固まる時、物を撃破する。
ついでに一言するが、タキツスが年代的にシーザーの上に重ねられていないことは注意すべきである。彼にはチベリウスらが与えられている。シーザーとタキツスとは相次いで起こる二つの現象であって、各時代の舞台へ出入りする人物を規定する神は、両者の会合をひそかに避けてるがようである。シーザーは偉大であり、タキツスは偉大である。神はこの二つの偉大を惜しんで、互いに衝突させない。この批判者(タキツス)もシーザーを攻撃する時にはあまりに過ぎたる攻撃となり不正となるかも知れない。神はそれを欲しない。アフリカおよびスペインの大戦役、シシリアの海賊の討滅、ゴールやブルターニュやゲルマニーなどへの文化の輸入、それらの光栄はルビコンの男(シーザー)をおおうている。赫々《かっかく》たる簒奪者《さんだつしゃ》の上に恐るべき歴史家を解き放すことを躊躇《ちゅうちょ》し、シーザーをしてタキツスを免れしめ、天才に酌量すべき情状を与える、そこに天の審判の微妙な思いやりが存するのである。
天才的な専制君主の下《もと》にあっても、確かに専制はやはり専制である。傑出したる圧制者の下にも腐敗はある。しかし道徳上の悪疫は破廉恥なる圧制者の下において更に嫌悪《けんお》すべきものとなる。かかる治世には汚辱をおおい隠すものは何もない。そしてタキツスやユヴェナリスのごとく範例をたれんとする者らが人類の面前において、答弁の余地のないその破廉恥を攻撃するのは、いっそう有益となる。
ローマはシルラの下《もと》よりヴィテリウスの下においていっそう悪い匂《にお》いを放つ。更にクラディウスやドミチアヌスの下においては、暴君の醜悪に相当する奇形な下等さがある。奴隷の卑劣さは専制君主から直接に生まれ出たものである。主人の姿を反映するそれらの腐敗した良心からは一種の毒気が立ち上り、公衆の権威は汚れ、人の心は小さく、良心は凡庸《ぼんよう》で、魂は臭い。カラカラの下においてもそうであり、コンモヅスの下においてもそうであり、ヘリオガバルスの下においてもそうである。しかるにシーザーの下にあるローマの元老院においては、発する糞尿《ふんにょう》の匂いも鷲《わし》の巣のそれである。
かくてタキツスやユヴェナリスのごとき者らが現われる。それは一見遅きに失するようであるが、およそ摘発者が出現するのは、まさしくそれと明らかになった時においてである。
しかしながらユヴェナリスやタキツスは、旧約時代のイザヤと同じく、中世のダンテと同じく、共に人間である。されど暴動や反乱は群集であって、あるいは不正となり、あるいは正当となる。
最も普通の場合には暴動は物質的な事実より発する。しかるに反乱は常に精神的な現象である。マサニエロのごときは暴動であり、スパルタクスのごときは反乱である(訳者注 前者は十七世紀ナポリ乱徒の首領、後者は前一世紀反抗奴隷の首領)。反乱は精神に訴え、暴動は胃袋に訴える。ガステル(訳者注 胃袋を意味する人物)は奮激する。しかしガステルとても常に不正なるものではない。飢餓の問題においては暴動も、たとえばブュザンセーのそれのごとく、真実と悲壮と正義とから出発する。けれどもそれはやはり暴動である。なぜであるか? 根底には理由を持ちながら形式のうちに不正を有したからである。権利を持っているが残忍であり、力強くはあるが暴戻であって、何らの見境もなく打ち回った。他を踏みつぶしながら盲目の象のように進んでいった。後ろには老人や婦人や子供の死骸《しがい》を残した。自ら何のゆえかを知らないで、無害なる者や無辜《むこ》なる者の血を流したのである。民衆に食を与えんとするは善《よ》き目的である、虐殺は悪《あ》しき方法である。
すべて武器を取ってなす抗議は、最も正当なものでさえも八月十日(一七九二年)でさえも、七月十四(一七八九年)でさえも、皆初めは同じ混乱に陥る。権利が解放さるる前に、騒擾《そうじょう》と泡沫《ほうまつ》とがある。大河の初めは急湍《きゅうたん》であるごとく、反乱の初めは暴動である。そして普通は革命の大洋に到達するものである。けれども時としては、精神的地平の上にそびゆる高山、すなわち正義と英知と道理と権利などから発し、理想の最も純なる雪で作られ、岩より岩へと長い間の転落を経て、その清澄のうちに青空を反映し、堂々たる勝利の歩を運びつつ、無数の支流を集めて大きくなった後、あたかもライン川が沼沢のうちに入り込むごとく、反乱もある中流民的|泥濘《でいねい》のうちに突然姿を没することがある。
しかし、すべてそれらは過去のことである。未来はそれと異なる。普通選挙は驚嘆すべき特質を有していて、暴動をその原則に引き戻し、また反乱せんとする者に投票権を与えながらその武器を奪う。市街戦と国境戦とを問わずすべて戦役の消滅、それこそ必然の進歩である。今日はどうであろうとも、平和は「明日[#「明日」に傍点]のもの」である。
なおまた、反乱と暴動と、両者を区別する前述のごとき色合《いろあい》を、いわゆる中流民は知るところはなはだ少ない。中流民にとっては、すべて皆、謀叛《むほん》であり、単純なる反逆であり、主人に対する番犬の反抗であり、鎖と檻《おり》とをもって罰すべき咬《か》みつかんとの試みであり、吠《ほ》え声であり、叫び声である。ただしそれも、犬の頭がにわかに大きくなり、獅子《しし》の面貌《めんぼう》となって影のうちにおぼろに浮き出してくる、その日までのことである。
その日になって中流民は叫ぶ、「民衆万歳!」
以上の説明を施した後、さて歴史にとって、一八三二年六月の騒動は何であるか? 一つの暴動であるか、または一つの反乱であるか?
それは一つの反乱である。
しかしこの恐るべき事変の叙述に当たって、時として吾人は暴動だと言うこともあるであろう、ただしそれも、事実を表面的に形容するために過ぎないので、暴動的形式と反乱的|根蔕《こんたい》との間に常に区別を設けてのことである。
一八三二年のこの騒動は、その急激な爆発とその悲しい終滅とのうちに、多くの壮大さを持つがゆえに、そこに暴動をしか認めない者らでさえも、それを語るには尊敬の念を禁じ得ないであろう。彼らにとっては、それは一八三〇年(七月革命)のなごりのようなものである。彼らは言う。想念の動揺は一日にして静まるものではない。一つの革命は一挙にして断ち切らるるものではない。平和の状態に戻る前には必然に多少の波瀾《はらん》が常にあるもので、あたかも山岳から平野におりてゆくようなものである。アルプスの山脈には常にジュラの小脈がついており、ピレネー山脈には常にアステュリーの小脈がついている。
パリー人の脳裏で暴動の時期と称するところの、現代史中のこの壮烈なる危機は、十九世紀の幾多の騒擾《そうじょう》の時期のうちにおいても、たしかに独特の性質を有する一時期である。
物語にはいる前になお一言つけ加えたい。
次に語ろうとする事柄は、劇的な生きたる現実に属するものであるが、時間と場所とが不足なので往々歴史家から等閑に付せられている。けれどもそこには、吾人は主張したい、そこには、人間の生命のあえぎと戦慄《せんりつ》とがある。前に一度述べたと思うが、小さな個々の事柄は、言わば大なる事変の枝葉のごときものであって、歴史の遠方に見えなくなっている。いわゆる暴動の時期[#「暴動の時期」に傍点]には、この種の些事《さじ》が無数にある。裁判上の調査も、歴史とはまた異なった理由から、すべてを発表しておらず、またおそらくすべてを深く穿鑿《せんさく》してもいない。ゆえに吾人は、世に知られ公にされてる特殊な事のうちから、特に人のかつて知らなかった事柄を、また知っていた者もあるいは忘れあるいは死んで、そのために隠れてる事実を、明るみに持ち出すつもりである。この壮大な舞台に実際立った人々の多くは、既に姿を消している。その翌日より早くも彼らはいっさい口をつぐんでいる。しかし吾人がこれから語ろうとすることは、自ら目撃したことであるとも言い得るものである。吾人はある人物の名前を変えるであろう、なぜなら歴史は物語るものであって摘発するものではないから。しかし吾人は真実の事柄を描くであろう。また本書の性質よりして、吾人が示すところのものはただ、一八三二年六月五日および六日の両日の、確かに世に知らるること最も少ない一方面のみであり一|※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]話《そうわ》のみであろう。しかしその上げられたる暗いヴェールの下に、この恐るべき民衆の暴挙の真相が瞥見《べっけん》されるように、したいものである。
三 埋葬――再生の機会
一八三二年の春、コレラ病は三カ月以来人心を寒からしめ、従来の動揺にある陰鬱《いんうつ》な沈静さを投じてはいたけれども、パリーは既にずっと前からまさに爆発せんとしていたのである。前に述べたように、大都市は一門の砲のごときものである。弾丸がこめられている時には、火花が一つ落ちかかりさえすれば直ちに発射する。一八三二年六月には、その火花はラマルク将軍の死であった。
ラマルクは名声の高い活動的な人物だった。彼は帝政と王政復古との下において、両時代に必要なる二つの勇気を相次いで示した、すなわち戦場の勇気と演壇の勇気を。勇敢であるとともにまた雄弁であった。その言論のうちには剣の刃が感ぜられた。先輩たるフォアのように、指揮権を高くかざした後に自由を高くふりかざした。左党と極左党との間に席を占め、未来の吉凶を顧慮しないので民衆から愛せられ、かつて皇帝によく仕えたので群集から愛せられていた。ジェラール伯およびドルーエ伯とともに、ナポレオン胸中の元帥のひとりであった。一八一五年の条約には、自身親しく侮辱を受けたかのように激昂《げっこう》した。直接の憎悪《ぞうお》をウェリントンに向けた。その憎悪は群集の気に入るものだった。その後十七年間、彼はその間に起こった事変にはほとんど注意も払わず、ワーテルローを痛むの念をおごそかに守っていた。最期の時には、臨終の苦悶《くもん》のうちに、百日(訳者注 ナポレオン再挙の百日間)の将校らから贈られた一本の剣を胸に抱きしめていた。ナポレオンは軍隊という一語を発して死んだが、ラマルクは祖国という一語を発して死んだ。
彼の死は予期されていたが、民衆からは一つの損失として恐れられ、政府からは何かの機会として恐れられていた。その死は一般の喪となった。しかしすべて悲痛なるものと同様に、喪も騒乱となることがある。それが今まさしく起こったのである。
ラマルクの葬式の定日たる六月六日の前日とその朝、サン・タントアーヌ郭外は、葬式の行列がすぐそばを通るというので、恐るべき光景を呈した。網の目のように入り乱れたその騒々しい小路は、流言|蜚語《ひご》で満たされた。人々はできるだけの武装をした。ある指物師《さしものし》らは、「戸を破るため」に仕事台の鉤金《かきがね》を持ち出した。また編み針の先を折りその棒をとがらして短剣とした靴職人《くつしょくにん》もあった。また「攻撃」の熱に浮かされて三日間着物を着たまま寝た者もあった。ロンビエというひとりの大工は、道で仲間のひとりに会って尋ねられた。「どこへ行くんだ。」「俺《おれ》には武器がねえ。」「それで?」「仕事場にコンパスを取りに行くんだ。」「何のためだ?」「何のためだか俺にもわからねえ、」とロンビエは言った。ジャクリーヌという手回しのいい男は、労働者が通りかかるとだれかまわずに近寄って行った。「いっしょにこい。」そして葡萄酒《ぶどうしゅ》を十スーおごって言った。「お前は仕事があるか。」「いいえ。」「じゃあフィスピエールの家に行け。モントルイュ市門とシャロンヌ市門との間だ。仕事がある。」フィスピエールの家に行くと、弾薬と武器とがあった。有名なある首領らは郵便脚夫をやっていた、すなわち人を呼び集めるために方々の家に走り回っていた。トローヌ市門のそばのバルテルミーの家や、プティー・シャポーのカペルの家では、酒飲みたちがまじめな様子で寄り集まっていた。彼らが互いに語り合う言葉が聞かれた。「ピストルはどこに持ってるんだ。」「上衣の下だ[#「上衣の下だ」に傍点]。そしてお前は?」「シャツの下だ。」ローランの工場の前のトラヴェルシエール街や、機械屋ベルニエの工場の前のメーゾン・ブリューレの中庭には、大勢の人が集まってひそひそ話をしていた。その中でマヴォーという男は最も熱心だった。「あいつとは毎日口論しなけりゃならないから」と言っていつも主人から解雇され、同じ工場に一週間と続けていたことのない男である。その翌日マヴォーは、メニルモンタン街の防寨《ぼうさい》で死んだ。プルトーという男は、同様に戦死したのであるが、その時マヴォーを助けていた。そして「お前の目的は何だ」と問われたのに対して答えた、「反乱だ。」ベルシー街のすみに集まってる労働者らは、サン・マルソー郭外を受け持ってる革命委員たるルマランという男が帰ってくるのを待っていた。暗号はほとんど公然と言い交わされていた。
六月五日は晴雨定めない日だったが、ラマルク将軍の葬式の行列は、用心のためいっそういかめしくされた陸軍の公式盛儀をもってパリーを横ぎっていった。太鼓に喪紗《もしゃ》をつけ小銃を逆さにした二大隊の兵士、帯剣した一万の国民兵、国民軍の砲兵隊、などが柩《ひつぎ》を護衛していた。棺車は青年らに引かれていた。廃兵院の将校らが、月桂樹《げっけいじゅ》の枝を持ってすぐ棺車の後ろに従った。その次には動揺せる異様な無数の群集がやってきた、「人民の友」の各区隊、法律学校の生徒、医学校の生徒、各国からの亡命客、スペインやイタリーやドイツやポーランドの旗、横の三色旗、その他ありとあらゆる旗、生木《なまき》の枝を打ち振ってる子供、その時ちょうど罷工《ひこう》していた石工や大工、紙の帽子でそれと見分けられる印刷職工、そういう者らが三々五々打ち連れ立って、喊声《かんせい》を上げ、たいてい皆杖を振り回し、ある者はサーベルを振り回し、秩序はなかったが一つの魂となって、あるいは群がりあるいは縦列をなして進んだ。各一群はそれぞれ隊長を選んでいた。公然とピストルを二梃《にちょう》身につけてる男が、あたかも閲兵でもするようなふうで駆け回り、各列はその前に道を開いた。大通りに交差してる横丁や、並み木の枝の間や、露台や窓や屋根の上には、男や女や子供の頭が重なり合い、その目には不安の色が満ちていた。通ってゆくのは武装した群集であり、ながめているのは慴《おび》えた群集であった。
政府の方では目を配っていた。剣の※《つか》に手をかけて目を配っていた。ルイ十五世広場には、馬にまたがりラッパを先頭にした四個中隊の重騎兵が、弾薬盒《だんやくごう》をふくらし小銃や短銃に弾丸をこめ、今にも出動せんとしてるのが見られた。ラタン街区や動植物園の付近には、市の守備兵が街路ごとに並んでいた。葡萄酒市場《ぶどうしゅいちば》には竜騎兵の一個中隊、グレーヴには軽騎兵第十二大隊の半数、バスティーユに他の半数、セレスタンに竜騎兵第六大隊、ルーヴルの中庭には砲兵がいっぱいになっていた。その他の軍隊は各兵営のうちに駐屯《ちゅうとん》しており、その上パリー近郊の各連隊が控えていた。不安な政府は、恐ろしい群集に対して、市中に二万四千の兵士と市外に三万の兵士とを配っていた。
種々の風説が行列のうちには流布されていた。正統派の陰謀があるとも言われていた。帝国の上にいただかんと群集が指名した時に神より死を定められたライヒシュタット公([#ここから割り注]ナポレオン二世[#ここで割り注終わり])のことも語られていた。だれだったか今に不明なあるひとりの男は、買収されたふたりの監督が約束の時にある兵器廠《へいきしょう》の門を人民に開いてくれることになっている、と言いふらしていた。多くの人々のあらわな額の上には、重苦しそうな興奮の色が漂っていた。また、激烈なしかし貴《とうと》い情熱にとらわれているその群集の中には、まったく悪人らしい顔つきや「略奪しろ」と叫ぶ卑しい口つきの者も、あちらこちらに見えていた。沼の底をかき乱して水中に泥の濁りを立てるような、ある種の動揺も世にはある。「りっぱな」警官らにはよくわかっている現象である。
行列はもどかしいほどゆっくりと、死者の家から各大通りを通って、バスティーユまで進んでいった。時々雨が降ったが、群集はいっこう平気だった。その間にはいろんなできごとが起こった。柩《ひつぎ》はヴァンドームの円塔(大陸軍記念塔)のまわりを引き回された。帽子をかぶったまま露台にいたフィツ・ゼームス公に多くの石が投げられた。ゴールの鶏(訳者注 フランス国民の一標章)がある民衆の旗から裂き取られて泥の下に踏みにじられた。サン・マルタン市門で一人の巡査が剣で突かれた。軽騎兵第十二大隊の一将校は「僕は共和党だ」と声高に言った。理工科学校の生徒らが禁足の令を破って突然現われた。「理工科学校万歳! 共和万歳!」の叫びがいっせいに起こった。かくてバスティーユまでくると、恐るべき野次馬の長い列が、サン・タントアーヌの郭外から現われてきて行列に加わった。群集はある恐ろしい沸騰をきたし始めた。
ひとりの男が傍《かたわら》の男にこう言ってるのが聞かれた。「あすこに赤髯《あかひげ》の男がいるだろう。いよいよやっつける時にはあの男が合い図をするんだぜ。」その赤髯の男は、後にケニセー事件の暴動の時にも現われて、同じ役目を帯びていたらしい。
棺車はバスティーユを過ぎ、掘り割りに沿い、小さな橋を渡り、オーステルリッツ橋の前の広場に達し、そこで止まった。その時群集を上から見おろしたら、彗星《すいせい》のような形になっていたに違いない。その頭は橋の広場にあり、その尾はブールドン河岸の上にひろがって、バスティーユをおおい、大通りの上をサン・マルタン市門まで伸びていた。棺車のまわりには人垣ができていた。広汎《こうはん》な群集はひっそりと静まっていた。ラファイエットがラマルクに別れの弔辞を述べた。悲痛森厳な瞬間で、人々は皆帽をぬぎ胸をおどらした。とたちまち黒衣をまとった馬上の男が、赤旗――あるいは赤帽をかぶせた槍《やり》だという者もあるが――を持って群集のまんなかに現われた。ラファイエットは向き返った。エグゼルマンスは棺側を去った。
赤旗は群集のうちに暴風を巻き起こしてその中に姿を没した。ブールドン大通りからオーステルリッツ橋まで、海嘯《つなみ》のような響きが起こって群集を沸き立たした。激しい二つの叫びが起こった。「ラマルクをパンテオンへ[#「ラマルクをパンテオンへ」に傍点]!」「ラファイエットを市庁へ[#「ラファイエットを市庁へ」に傍点]!」青年らは群集の喝采《かっさい》のうちに、自ら馬の代わりとなって、棺車の中のラマルクをオーステルリッツ橋の上に引き始め、ラファイエットを辻馬車《つじばしゃ》に乗せてモルラン河岸に引き始めた。
ラファイエットを取り巻き喝采してる群集の中に、ルドウィヒ・シュニーデルというひとりのドイツ人がいるのを見て人々は注意し合った。この男はその後百歳近くまで生きながらえたが、以前一七七六年の戦争(アメリカ独立戦争)にはいって、トレントンではワシントンの下に戦いブランディーワインではラファイエットの下に戦ったことがあった。
そのうちに、川の左岸には市の守備騎兵が動き出して橋をさえぎり、右岸には竜騎兵がセレスタンから現われてきてモルラン河岸に沿って展開した。ラファイエットの馬車を引いていた者らは、河岸の曲がり角《かど》で突然それに気づいて、「竜騎兵だ、竜騎兵だ!」と叫んだ。竜騎兵らはピストルを皮の袋に入れ、サーベルを鞘《さや》に納め、短銃を鞍《くら》側につけたまま、陰鬱《いんうつ》に期待するところあるかのように、黙々として馬を並み足に進ましてきた。
小さな橋から二百歩の所で彼らは止まった。ラファイエットの馬車がそこまで行くと、彼らは列を開いて馬車を通し、そのあとからまた列を閉じた。その時竜騎兵らと群集とは相接した。女たちは恐れて逃げ出した。
その危急な瞬間に何が起こったか? だれもそれを言うことはできないであろう。それは二つの黒雲が相交わる暗澹《あんたん》たる瞬間である。襲撃のラッパが造兵廠《ぞうへいしょう》の方に聞こえた、とある者は言い、ひとりの少年が竜騎兵を短剣で刺した、とある者は言う。事実を言えば、突然小銃が三発発射されたのであって、第一発は中隊長ショーレを殺し、第二発はコントレスカルプ街で窓を閉じていた聾《つんぼ》の婆さんを殺し、第三発は一将校の肩章にあたった。ひとりの女は叫んだ、「おや、もう始まった!」その時突然、兵営の中に駐屯していた一個中隊の竜騎兵が、抜剣で馬をおどらして現われ、バソンピエール街からブールドン大通りを通って前にあるものを追い払いながらやってくるのが、モルラン河岸の向こう側に見えた。
その時事は定った。暴風は荒れ出し、石は雨と降り、小銃は火蓋《ひぶた》を切った。多くの者は河岸の下に飛びおり、セーヌ川の小さな支流を渡った。その小川は今日では埋まってしまっている。ルーヴィエ島の建築材置き場は、でき合いの大きな要塞《ようさい》となって、戦士らが群がった。石は引き抜かれ、ピストルは発射され、防寨《ぼうさい》は急造され、追いまくられた青年らは棺車を引きオーステルリッツ橋を駆けぬけて市の守備兵を襲い、重騎兵は駆けつけ竜騎兵は薙《な》ぎ立て、群集は四方に散乱し、戦の風説はパリーのすみずみまでひろがり、人々は「武器を取れ!」と叫び、走り、つまずき、逃げ、あるいは抵抗した。風が火を散らすように、憤激の念は暴動を八方にひろげていった。
四 沸騰
およそ暴動の最初の蜂起《ほうき》ほど異常なものはない。すべてが各所で同時に破裂する。それは予期されていたことであるか? しかり。それは前もって準備されていたことであるか? 否。それはどこから起こってくるか? 街路の舗石《しきいし》からである。それはどこから落ちてくるか? 雲からである。ある所では反乱はあらかじめ計画された性質を帯び、ある所ではとっさに起こった性質を帯びる。だれということなくそこに居合わした男が、群集の流れを我が物にして望みどおりにそれを導く。その発端は、一種の恐るべき快活さが交じった驚駭《きょうがい》のみである。初めはただ騒擾《そうじょう》であり、商店は閉ざされ、商品の陳列棚は姿を消す。次には時々銃声が聞こえ、人々は逃げ出し、家の正門は銃床尾で乱打される。人家の中庭では女中らがおもしろがって、「騒動がもち上がるのよ!」という声が聞こえる。
十四、五分とたたないうちに、パリーの各所でほとんど同時に起こったことは、おおよそ次のようなものだった。
サント・クロア・ド・ラ・ブルトンヌリー街では、髯《ひげ》をはやし髪の毛を長くした二十人ばかりの青年が、ある喫煙珈琲店《エスタミネ》にはいり込み、やがて間もなく出てきたところを見ると、喪紗《もしゃ》のついた横の三色旗を一つ押し立て、その先頭には武装した三人の男が、ひとりはサーベルを持ちひとりは小銃を持ちひとりは槍《やり》を持って進んでいた。
ノナン・ディエール街では、腹がでっぷりして、声が朗らかで、頭が禿《は》げ、額が高く、黒い頤鬚《あごひげ》をはやし、なでつけることのできない荒い口髭《くちひげ》をはやしてる、相当な服装をしたひとりの市民が、通行人に公然と弾薬を配っていた。
サン・ピエール・モンマルトル街では、腕をあらわにした数名の男が黒い旗を持ち回っていた。その上には白い文字が読まれた、「共和かしからずんば死[#「共和かしからずんば死」に傍点]。」ジューヌール街、ガドラン街、モントルグイュ街、マンダル街などには、旗を打ち振ってる群れが現われた。旗には金文字で数字づきの区隊という語が見えていた。それらの旗の一つは、ほとんど赤と青ばかりで、白はその間に小さく見えないくらいにはいってるだけだった(訳者注 三色旗の白は王家の章、赤と青はパリー市の章)。
サン・マルタン大通りの兵器廠《へいきしょう》は略奪され、次にボーブール街とミシェル・ル・コント街とタンプル街とで三軒の武器商店が略奪された。数分間のうちに、たいてい皆二連発の二百三十の小銃と、六十四のサーベルと、八十三のピストルを、無数の群集が奪って持ち出した。なるべく多くの者に武装させるため、ある者は銃だけを取り、ある者は銃の剣だけを取った。
グレーヴ河岸と向かい合った所では、火繩銃《ひなわじゅう》を持った青年らが、女ばかりの家に陣取って発火した。そのひとりは燧金銃《ひうちがねじゅう》を持っていた。彼らは呼鈴《ベル》を鳴らし、家の中にはいり、それから弾薬を作りはじめた。女らの一人はこう話した。「私は弾薬とはどんなものだか知らなかったのですが、夫がそれを教えてくれました。」
ヴィエイユ・オードリエット街では、一群の者がある古物商の店に闖入《ちんにゅう》し、トルコの刃や武器を奪った。
銃殺された石工の死体が、ペルル街に横たわっていた。
それからまた、セーヌの右岸左岸、河岸通り、大通り、ラタン街区、市場《いちば》町などには、労働者や学生や区隊の者など息を切らしてる人々が、宣言書を読み、「武器を取れ!」と叫び、街燈をこわし、馬車の馬を解き放し、街路の舗石《しきいし》をめくり、人家の戸を打ち破り、樹木を根こぎにし、窖《あなぐら》の中をさがし回り、樽《たる》をころがし舗石や漆喰《しっくい》や家具や板などを積み重ねて、防寨《ぼうさい》を作っていた。
人々は市民にも助力を強請した。また女ばかりの家にはいり込み、不在の夫のサーベルや銃を奪い、白墨でその戸口に、「武器徴発済」と書きつけた。ある者は銃とサーベルの受領証に「名前」を署名し、「明日区役所に取りにこい」と言いおいた。また往来で、孤立してる兵や区役所に行く国民兵らの武器を奪った。将校の肩章をもぎ取った。シムティエール・サン・ニコラ街では、国民兵の一将校が、棒や竹刀を持った群集に追っかけられ、ようやくにしてある人家に逃げ込んだ。しかし彼はそこから、夜になって変装してでなければ出ることができなかった。
サン・ジャック街区では、学生らが群れをなして宿から出てきて、サン・ティヤサント街へ行ってプログレー珈琲《コーヒー》店にはいり込み、あるいはマテュラン街へ行ってセー・ビヤール珈琲店にはいり込んだ。どちらも入り口には、標石の上に若い男らがつっ立って武器を配っていた。トランスノナン街の建築材置き場は、防寨を作るために略奪された。ただサント・アヴォア街とシモン・ル・フラン街の交差点だけでは、住民らが抵抗して自ら防寨を破った。ただ一つの場所では暴徒の方が後退した、すなわち彼らは、国民兵の一支隊に銃火を浴びせた後、タンプル街に作り始めた防寨を捨てて、コルドリー街の方面へ敗走した。支隊はその防寨の中に、一本の赤旗と一包みの弾薬と三百のピストルの弾丸とを拾った。国民兵らはその旗を引き裂き、破片を剣の先につけて持ち去った。
われわれがここに相次いで徐々に述べてる事柄は皆、あたかもただ一つの雷鳴の中にひらめく多くの電光のように、広い騒擾《そうじょう》のうちに市中の各所で同時に起こったのである。
一時間足らずのうちに、市場町の中だけでも二十七の防寨《ぼうさい》が地面にできた。その中央には有名な五十番地の家があった。それはジャンヌとその百六人の仲間の要塞《ようさい》であって、一方にはサン・メーリーの防寨を控え、一方にはモーブュエ街の防寨を控え、アルシ街とサン・マルタン街と正面のオーブリー・ル・ブーシェ街と、三つの街路を指揮していた。また直角をなしてる二つの防寨は、一つはモントルグイュ街からグランド・トリュアンドリーの方へ折れ曲がっており、一つはジョフロア・ランジュヴァン街からサント・アヴォア街の方へ折れ曲がっていた。その他パリーの二十の街区やマレーやサント・ジュヌヴィエーヴの山などに、無数の防寨ができた。メニルモンタン街にあった防寨には、肱金《ひじがね》からもぎ取られた大きな門扉《もんぴ》が見えていた。オテル・ディユーの小橋のそばにあった防寨は、馬を解き放してひっくり返した大馬車でできていて、警視庁から三百歩の所にあった。
メネトリエ街の防寨では、りっぱな服装をした一人の男が働いてる者らに金を分配していた。グルネタ街の防寨では、騎馬の男がひとり現われて、防寨の首領らしく思える者に金包みらしいものを手渡しした。「これは入費や酒やその他の代だ」と彼は言った。襟飾《えりかざ》りをつけていない金髪の青年が、各防寨の間を駆け回って命令を伝えていた。剣を抜き青い警官帽をかぶったもひとりの男は、方々に哨兵《しょうへい》を出していた。各防寨の内側では、居酒屋や門番小屋などが衛舎に変わっていた。その上この暴動は、きわめて巧妙な戦術によって按配《あんばい》されていた。狭くて不規則で曲がりくねって入り組んでる街路がみごとに選まれていた。ことに市場付近はそうであって、各小路は入り乱れて森の中よりも更に紛糾した網の目を作っていた。「人民の友」の仲間がサント・アヴォア街区で反乱の指揮を執ってるという噂《うわさ》もあった。ポンソー街で殺されたひとりの男の死体をさがすと、パリーの図面がポケットから出てきた。
しかし実際この暴動の指揮を執っていたものは、空中に漂ってる言い知れぬ一種の精悍《せいかん》な気であった。反乱はにわかに一方の手で防寨《ぼうさい》を築き、一方の手でほとんどすべての要所をつかんでしまった。三時間足らずのうちに、燃えひろがる導火線のように、暴徒は各所を襲って占領した。セーヌ右岸では、造兵廠《ぞうへいしょう》、ロアイヤル広場の区役所、マレーの全部、ポパンクール兵器廠、ガリオト、シャトー・ドー、市場付近の全市街、またセーヌ左岸では、ヴェテランの兵営、サント・ペラジー、モーベール広場、ドゥー・ムーランの火薬庫、市門の全部。午後の五時には、バスティーユやランジュリーやブラン・マントーも暴徒の手に帰した。その偵察兵《ていさつへい》はヴィクトアール広場に達し、フランス銀行やプティー・ペール兵営や中央郵便局などを脅かしていた。パリーの三分の一は暴動の中にあった。
各方面で戦闘は猛烈に行なわれていた。そして敵の武器を奪い、人家の中を捜索し、武器商の店に直ちに侵入したために、戦《いくさ》は投石に始まったが次いでは銃火をもってするに至った。
晩の六時ごろ、ソーモンの通路は戦場と化した。暴徒はその一端におり、軍隊は他端にいた。彼らは鉄柵《てつさく》から鉄柵へ銃を打ち合った。ひとりの傍観者、ひとりの夢想家、すなわち本書の著者は、その火山を間近く見物に行き、この通路の中で銃火にはさまれた。銃弾から身をまもるものとしては、商店の間々に少し出ている半円柱しか何もなかった。彼はその危うい位置に約三十分近くも身を置いていた。
そのうちに召集の太鼓は鳴り、国民兵らはあわただしく服をつけ武器を取り、各隊は区役所から繰り出し、各連隊は兵営から現われてきた。アンクルの通路の向こうでは、ひとりの鼓手が短剣で刺された。またひとりの鼓手はシーニュ街で約三十名の青年に襲われて、太鼓の胴は破られ、剣は奪われた。またひとりはグルニエ・サン・ラザール街で殺された。ミシェル・コント街では、三人の将校が相次いでたおれた。多くの市民兵は、ロンバール街で負傷して退却した。
クール・バターヴの前で、国民兵の一支隊は一本の赤旗を発見した。それには、「共和革命、第百二十七」としるしてあった。果たしてそれは革命であったろうか?
反乱はパリーの中央をもって、錯雑し曲がりくねった巨大な一種の城砦《じょうさい》となしていた。
そこにこそ焦点があり、明らかに問題があったのである。その他は単なる小競合《こぜりあい》にすぎなかった。そこですべてが決する証拠には、そこではまだ戦いが始まっていなかった。
ある連隊では兵士らの態度が曖昧《あいまい》だった。そのためにいっそう危機の恐ろしい不安定さを加えた。一八三〇年七月に歩兵第五十三連隊の中立がいかに一般から賞賛されたかを、兵士らは思い起こしていた。幾多の大戦役に鍛えられた勇敢なふたりの男、ロボー元帥とブュジョー将軍とが、ブュジョーはロボーの下に属して共に指揮を取っていた。多勢の斥候隊は、国民兵の各隊の中にある戦列隊で編成され、飾り帯をつけたひとりの警部を先に立てて、反乱してる街路を偵察《ていさつ》に行った。暴徒の方では、四辻《よつつじ》の角《かど》に騎哨《きしょう》を置き、また防寨の外に大胆にも斥候を出した。かくて互いに両方から観測し合っていた。政府は手に軍隊を提げながら躊躇《ちゅうちょ》していた。夜はまさにきたらんとして、サン・メーリーの警鐘の音が聞こえ出した。かつてはアウステルリッツの戦に臨んだ今の陸軍大臣スールト元帥は、それらの光景を陰鬱《いんうつ》な様子でながめていた。
正規の用兵に熟達し、戦の羅針盤《らしんばん》たる戦術をのみ手段とし案内としている、それらの老水夫も、民衆の憤怒という広大なる白波に面しては、まったく当惑するのほかはない。革命の風はいかんともし難いものである。
市外の国民兵は、列を乱してあわただしく駆けつけてきた。軽騎兵第十二大隊の一隊はサン・ドゥニから馬を駆けさしてきた。歩兵第十四連隊はクールブヴォアから到着した。士官学校の砲兵隊はカルーゼル広場に陣取った。大砲はヴァンセンヌからやってきた。
テュイルリー宮殿は静まり返っていた。ルイ・フィリップは平然と構えていた。
五 パリーの特性
前に述べたとおり、既に二年の間にパリーは幾つも反乱を見ていた。しかし反乱中のパリーの姿ほど、暴徒の手に帰した町々を除いては、妙に平静なものは普通あまり見られない。パリーは何事にもすぐになれてしまう。「わずか一つの暴動ではないか。」そしてパリーはそれくらいのことに頭をわずらわすにはあまりに多くの仕事を持っている。実にこの巨大な都市のみがかかる光景を呈し得るのである。この広大な囲郭のみが、内乱とある妙な静穏さとを同時に含み得るのである。通常、反乱が始まる時、太鼓の音、集合の譜、非常召集の譜、などが聞こえる時、商人はただこう言うだけである。
「サン・マルタン街に何か騒ぎがあるらしい。」
あるいは言う。
「サン・タントアーヌ郭外かな。」
そしてしばしば平気で言い添える。
「何でもそっちの方だ。」
やがて、一斉射撃や分隊の銃火などの鋭いすさまじい響きが聞き分けられるようになると、商人は言う。
「いよいよ本物かな? いやこれは本物だ!」
それから間もなく、暴徒が追ってきて街路を占領すると、彼はあわてて店を閉じ、すばしこく正服を引っかける、すなわち商品は安全な場所に隠し身の危険は顧みない。
四辻《よつつじ》や通路や袋町で銃火がかわされる。防寨《ぼうさい》は幾度も奪われ奪い返される。血は流れ、霰弾《さんだん》は人家の正面に蜂《はち》の巣のように穴をあけ、銃弾は寝所の人々をも殺し、死体は往来をふさぐ。しかもそこから少し先の街路には珈琲《コーヒー》店の中に撞球《たまつき》の音が聞こえている。
野次馬らは戦い最中の街路から数歩先の所で、語り合い笑い合っている。劇場は扉《とびら》を開いて喜劇を演じている。辻馬車は通り、通行人は町に料理を食いに行く。時とすると戦いが行なわれてる同じ町でそうである。一八三一年には、結婚の列を通すために銃戦が一時止められたこともある。
一八三九年五月十二日の反乱の時には、サン・マルタン街で、老いぼれた一人の小さな爺《じい》さんが、手車に三色の布をかぶせ、変てこな飲料がはいってる壜《びん》を下に積み、それを引いて防寨と軍隊との間を往復し、下等なブランデーの杯を、あるいは政府に、あるいは無政府に平気で提供した。
およそこれほど不思議なありさまは世にあるまい。そしてそこにこそ他のいかなる都会にも見いだされないパリーの暴動の個性がある。それには二つのことが必要なのである。パリーの偉大さとパリーの快活さと。実にナポレオンの町であり、またヴォルテールの町でなければならないのである。
けれどもこんどは、一八三二年六月五日の戦いには、この大都市もおそらく自分の力に余る何かを感じたのであった。パリーは恐怖をいだいた。至るところに、最も遠い最も「利害関係のない」街区にもまっ昼間から閉ざされた門や窓や雨戸が見られた。勇気ある者らは武装し、臆病《おくびょう》な者らは身を潜めた。用のある平気な通行人の姿も見えなかった。多くの街路は午前四時ごろのように人影もなかった。憂慮すべき事柄が言い触らされ、心痛すべき消息が広められた。「彼ら[#「彼ら」に傍点]はフランス銀行を占領している。――サン・メーリー修道院だけでも六百の人数がいて、会堂の中に立てこもり銃眼をあけている。――歩兵らには安心ができない。――アルマン・カレル(訳者注 有名な新聞記者)はクローゼル元帥を訪問した。『まず一連隊集めることだ』と元帥は言った。――ラファイエットは病気である。しかし彼はなお彼らに言った。『予は汝らのものである。一個の椅子を据える余地さえあれば、どこにでも汝らのあとに従うであろう。』――各自に身をまもらなければいけない。夜になったら、パリーの寂しいすみずみにある離れ家を略奪する者が出てくるに違いない。(これはどう見ても警察が考え出したことである。アン・ラードクリフ(訳者注 イギリスの怪奇物語作者)と政府とがいっしょになったものである。)――オーブリー・ル・ブーシェ街には砲座が設けられている。――ロボーとブュジョーとは相談をした。ま夜中に、あるいは遅くとも夜明けに、四つの縦隊が同時に暴動の中心を衝《つ》くだろう、一つはバスティーユからき、一つはサン・マルタン市門からき、一つはグレーヴからき、一つは市場から来るだろう。――またたぶん軍隊はパリーから撤退し、シャン・ド・マルス練兵場に退却するだろう。――何が起こるかわからない。しかし確かにこんどのことは重大である。」人々は特にスールト元帥が躊躇《ちゅうちょ》してることを頭に置いていた。「なぜ彼はすぐに攻撃を始めないのか?」彼が深く考え込んでいたことは確かである。老獅子《ろうしし》はこの影の中に、未知の怪物をかぎつけてるらしかった。
夜になった。劇場は開かれなかった。斥候はいら立った様子で巡回していた。通行人らは調べられた。怪しい者らは捕縛された。九時までに捕えられた者が、八百人以上に上った。警視庁はいっぱいになり、コンシエルジュリー監獄とフォルス監獄もいっぱいになった。特にコンシエルジュリー監獄では、パリー街と呼ばれてる長い地下室に藁束《わらたば》がまき散らされ、その上に囚人らは積み重ねられたが、リヨン生まれのラグランジュという男は、彼らに向かって元気な言葉をしゃべりちらしていた。それらの藁は、囚人らに動かされて、驟雨《しゅうう》のような音を立てた。他の所では、囚人らは露天の中庭に重なり合って寝た。至るところに不安があり、パリーにあまり知られないある戦慄《せんりつ》があった。
人々は家の中に閉じこもっていた。人妻や母親らは心痛していた。聞こゆるのはこういう声だけだった、「ああ、彼《あれ》は帰ってこないが!」ただ時々遠くに馬車の音がするきりだった。戸口の所で耳を澄ますと、喧騒《けんそう》、叫声、騒擾《そうじょう》、聞き分け難い鈍い物音、などが聞こえ、人々は言った、「あれは騎兵だ、」あるいは、「あれは弾薬車が走って行くのだ。」また、ラッパの音、太鼓の音、小銃の音、そして特にサン・メーリーの痛ましい警鐘の響きが聞こえた。人々は大砲の音がするのを今か今かと待っていた。武装した男らが各街路の端に突然現われてき、「家にはいれ!」と叫びながらどこへか行ってしまった。人々は急いで戸をしめ切った。そして言った、「おしまいにはどうなるだろう?」刻一刻に、夜が暗くなるに従って、暴動の恐ろしい炎のためにパリーはますますものすごい色に染められてゆくようだった。
第十一編 原子と暴風
一 ガヴローシュの詩の起原
造兵廠《ぞうへいしょう》の前で人民と軍隊との衝突から突発した反乱が、その前進を止めて退却し、棺車のあとに従い各大通りに打ち続いて言わば行列の先頭にのしかかっていた群集のうちに、なだれ込んできた瞬間こそ、実に恐るべき干潮の光景を現出した。群集は乱れ立ち、列は中断し、人々は走り出し散乱した。ある者は攻撃の喊声《かんせい》をあげ、ある者は色を失って逃げ出した。大通りをおおうていた大河は、またたくまに二つに割れ、右と左とにあふれ出し、一時に両方の無数の横通りの中に、水門があけられたかのように奔流してひろがっていた。その時メニルモンタン街の方からやって来るひとりの少年があった。身にはぼろをまとい、ベルヴィルの丘で折り取った一枝の金雀花《えにしだ》を手にしていたが、ある古物商の店先に騎馬用の古いピストルが一つあるのに目を止めた。彼は舗石《しきいし》の上に花の枝を投げすてて、そして叫んだ。
「おい小母《おば》さん、道具を借りるよ。」
そして彼はピストルを持って行ってしまった。
それから間もなく、アムロー街やバス街から逃げ出してる狼狽《ろうばい》した市民の一群は、ピストルを振り回してるひとりの少年に出会った。少年は歌っていた。
夜分は見えず、
昼間は見える。
偽《にせ》証文で、
市民は狼狽。
徳を行なえ、
とんがり帽子。
それは戦《いくさ》に赴《おもむ》いてる少年ガヴローシュであった。
大通りで彼は、ピストルに撃鉄がついていないことに気づいた。
彼が歩調を取るのに用いてる右の一連の歌や、また時に応じて彼がよく歌う種々な歌は、いったいだれが作ったのであるか? われわれはそれを知らない。
おそらく彼が自分で作ったのかも知れない。元来ガヴローシュはあらゆる流行歌に通じていて、それに自分の調子をはさんでいた。妖怪《ようかい》にしてまた悪童である彼は、自然の声とパリーの声とで一つの雑曲を作っていた。小鳥の調子と工場の調子とを一つに綯《な》い合わしていた。自分の仲間と相接した地位にある画工どものことをよく知っていた。また三カ月ばかり印刷所に奉公していたこともあるらしい。ある時、四十人のひとり([#ここから割り注]アカデミー会員の一人[#ここで割り注終わり])たるバウール・ロルミヤン氏の所へ使いに行ったこともある。ガヴローシュは文字を知ってる浮浪少年であった。
ガヴローシュは、ふたりの子供を象の中に泊めてやったあの雨の降るひどい晩に、自分の実の弟どものために天の役目をしてやったのだということは、夢にも知らなかった。晩は弟どもを助け朝は父を助けたのが、その一夜だった。夜明けに彼はバレー街を去り、急いで象の所に帰ってき、巧みにふたりの子供を引き出し、どうにかして手に入れた朝食を三人で食べ、それから、ほとんど自分を育ててくれた親切な母である街路にふたりを託して、立ち去ってしまった。別れる時彼は、その場所で晩にまた会ってやるとふたりに約束し、別れの言葉の代わりに次のようなことを言い残した。「俺はステッキを折る、言い換えれば、尻《しり》を向ける、またいい言葉で言えば、立ち去るぜ。お前たちはな、親父《おやじ》にも母親《おふくろ》にも会わなかったらに傍点]、晩にまたここに戻ってこい。晩食を食わしてやり寝かしてやるからな。」ところがふたりの子供は、巡査に拾われて養育院にやられたか、あるいは見世物師に盗まれたか、あるいは単にパリーの広い渦の中に巻き込まれてしまったかして、そこに戻ってこなかった。現在の社会のどん底には、こんなふうに行方《ゆくえ》のわからなくなった者がたくさんある。ガヴローシュは再び彼らを見なかった。あの晩から十週余り過ぎ去った。一度ならず彼は頭をかいてこう言った。「あのふたりの小僧はどこにいるのかな。」
ところで、彼はピストルを手にしてポン・トー・シュー街までやって行った。見るとその街路にはもう店は一軒きり開いていなかったが、おもしろいことにはそれが菓子屋だった。まったく未知の世界にはいり込む前になお林檎菓子《りんごがし》が一つ食える、天の与えた機会であった。ガヴローシュは立ち止まり、上衣をなで回し、ズボンの内隠しを探り、ポケットを裏返したが、金は一スーもなかった。彼は叫び出した、「助けてくれ!」
最後の菓子を一つ食いそこなうのは、実につらいことである。
それでもガヴローシュはなお続けて進んでいった。
間もなく彼はサン・ルイ街までやってきた。パルク・ロアイヤル街を横ぎっていると、林檎菓子《りんごがし》を食えなかったことがいまいましくてたまらなくなり、ま昼間芝居の広告を思う存分引き裂いて腹癒《はらい》せをした。
それから少し先で、財産を持ってるらしいりっぱな一群の人々が通るのを見て、彼は肩をそびやかし、感想めいたにがにがしい言葉を吐き出すようにして言った。
「あの金持ちのやつら、妙に肥《ふと》ってるな! 口いっぱいほおばって、ごちそうの中にころがってやがる。いったいその金をどうするのか聞きてえもんだ、自分でも知らねえって、なあに金を食い物にしてるんだ。腹いっぱいつめこんでいやがるんだ。」
二 行進中のガヴローシュ
街路のまんなかで手に撃鉄のないピストルを持って振り回すことが、何か公の務めででもあるかのように、ガヴローシュは一歩ごとに元気になってきた。マルセイエーズを切れぎれに歌いながら、その間々に叫んでいた。
「うめえぞ。俺《おれ》はリューマチにやられて左の足が悪い。だが皆の衆、俺は愉快だ。市民らは用心するがいい、奴《やつ》らを引っくり返す歌を俺が吐きかけてやらあ。刑事が何だい、犬だろう。おい犬どもに一つ敬意を表してやろうじゃねえか。俺はピストルに奴らを一匹ほしいんだがな(訳者注 仏語にては、犬という語とピストルの撃鉄という語とは共に同じ chien である)。俺《おれ》は大通りからきたんだが、皆の衆、もう熱くなってるぜ、水玉が飛んでるぜ、煮えてるぜ。鍋《なべ》の泡《あわ》をしゃくっていい時分だ。みな進め! きたねえ血で溝《どぶ》をいっぱいにしろ。俺は国のために身をささげてるんだ。もう妾《おんな》なんかには会わねえ、ねえ……うん……そうだ、会わねえ。だがかまわねえ、さあおもしれえぞ。みな戦おうじゃねえか、もう圧制はたくさんだ!」
その時、横を通ってる国民兵のある槍騎兵《そうきへい》の馬が倒れたので、ガヴローシュはピストルを下に置き、その男を起こしてやり、また彼に手伝って馬を起こしてやった。それから彼はまたピストルを拾い上げ、進行を続けた。
トリニー街まで来ると、すべてが静かでひっそりとしていた。マレーに固有なその平然さは、周囲の広い喧騒《けんそう》の中にあってきわ立っていた。四人の上《かみ》さんたちが、ある家の戸口で話し合っていた。スコットランドには三人組みの魔女がいるが(訳者注 セークスピアの戯曲「マクベス」中に出てきて、マクベスが未来国王となることを予言した女たち)、パリーには四人組みの上さんがいる。「汝は王たるべし」という言葉は、アルムイールの荒野でマクベスに語られたように、ボードアィエの四辻《よつつじ》で痛ましげにボナパルトに投げつけられたであろう。どちらもほとんど同じ不吉な言葉である。
しかしトリニー街の上さんたちは、自分らの方のことしか頭に置いていなかった。それは三人の門番の女と、籠《かご》を負い鉤杖《かぎづえ》を持った屑拾《くずひろ》いの女とであった。
彼女らは四人とも老年の四すみに立ってるがようだった。老年の四すみとは、凋落《ちょうらく》と腐朽と零落と悲哀とである。
屑屋は卑下していた。この野天の仲間のうちでは、屑屋は頭を下げ門番は上に立つ。それは門番の手中にある掃きだめからくる関係であって、そこにいい物が多いか少ないかはまったく塵芥《ごみ》を掃き寄せる者の手加減による。箒《ほうき》の使い方にも親切さがあるものである。
この屑拾《くずひろ》いの女は、恩を被ってるものと見えて、三人の門番の女に、何とも知れぬ笑顔を作っていた。彼女らは次のようなことを話していた。
「それじゃ、お前さんとこの猫《ねこ》はいつも気むずかしいんだね。」
「そうさ、猫はどうせ犬の敵だものね。苦情を言うのは犬の方だよ。」
「それから私たちもさ。」
「だがね、猫の蚤《のみ》は人間にはたからないっていうじゃないか。」
「犬っていえば、厄介などころか、ほんとにあぶないよ。何でもあまり犬が多くなって新聞に書き立てられた年があったよ。テュイルリーの御殿に大きな羊がいてローマ王(ナポレオン二世)の小さな馬車を引いてた時のことだよ。お前さんはローマ王を覚えてるかい。」
「私はボルドー公が好きだったよ。」
「私はルイ十七世を知っていた。ルイ十七世の方がいいよ。」
「肉がほんとに高いじゃないか、パタゴンさん。」
「ああ、もうそんなことは言いっこなし、私は肉屋が大きらい。身震いが出るよ。この節じゃ骨付きしかくれやしない。」
その時屑拾いの女が口を出した。
「皆さん、商売の方も不景気ですよ。芥溜《ごみため》だってお話になりません。物を捨てる人なんかもうひとりもいません。何でも食べてしまうんですね。」
「でもヴァルグーレームさん、お前さんよりもっと貧乏な人だってあるよ。」
「そう言えばまあそうですね。」と屑屋《くずや》はつつましく答えた。「私にはこれでもきまった仕事がありますからね。」
ちょっと話がとぎれた。屑拾いの女は、だれにもあるように少し吹聴《ふいちょう》したくなって、言い添えた。
「朝家に帰って、私は籠《かご》の物を調べ、一々|選《え》り分けるんですよ。室《へや》いっぱいになります。ぼろ屑は笊《ざる》に入れ、果物《くだもの》の種は小桶《こおけ》に入れ、シャツは戸棚《とだな》に入れ、毛布は箪笥《たんす》に入れ、紙屑は窓のすみに置き、食べられる物は鉢《はち》に入れ、ガラスの片《かけ》は暖炉の中に入れ、破れ靴《くつ》は扉《とびら》の後ろに置き、骨は寝台の下に置くんですよ。」
ガヴローシュは彼女らの後ろに立ち止まって、耳を傾けていた。
「おいおい、」と彼は言った、「お前たちが政治の話をしたって何になるんだい?」
すると彼は、四人から口をそろえて攻撃された。
「また浮浪漢《ごろつき》がきた!」
「何の切れ端を持ってるんだい? おやピストル!」
「何だって、乞食《こじき》の餓鬼が!」
「いつでも政府《おかみ》を倒そうとばかりしてやがる。」
ガヴローシュは軽蔑しきったようなふうで、その仕返しとしてはただ、手を大きく開きながら拇指《おやゆび》の先で鼻の頭を押し上げてみせた。
屑拾いの女は叫んだ。
「跣足《はだし》の悪者!」
前にパタゴンさんと言われてそれに答えた女は、いやらしく両手をぱたりとたたいた。
「これは何か悪いことが起こるんだよ、きっと。髯《ひげ》をはやしてる隣の乱暴者がね、赤い帽子を小わきにはさんだ若い者といっしょに通るのを、私は毎朝見たんだよ。今日通るところを見ると、腕に鉄砲をかかえていたよ。バシューさんの話では、この前の週に騒動があったとさ、あのー……何とか言った……そう、ポントアーズにさ。それにこのいやな小僧までがピストルを持ってるじゃないか。セレスタンにはいっぱい大砲が置いてあるらしいよ。世の中を騒がすことばかり考えてるこんな奴《やつ》どもにかかっちゃ、政府《おかみ》もやりきれたもんじゃないね。やっと落ち着いてきたのにさ、あんなにひどいことがあったあとでね。おお私は、あのかわいそうなお妃が馬車に乗って通られるところを見たよ! それに騒ぎがあればまた煙草《たばこ》が高くなる。憎んでも足りない。悪者、お前のような奴は首でも切られるがおちさ。」
「鼻がずうずう言ってるぜ、婆さん、」とガヴローシュは言った、「鼻をかむがいいや。」
そして彼は向こうに歩き出した。
パヴェー街まで行った時、屑拾《くずひろ》いの女のことが彼の頭に浮かんだ。彼は独語した。
「革命家を悪口しちゃいけねえぜ、芥溜《ごみため》婆さん、このピストルもお前のためのものだ。前の負い籠《かご》にもっと食えるようなものを入れてやるためだ。」
突然彼は後ろに声がするのを聞いた。それはパタゴン婆さんで、彼を追っかけてき、遠くから拳《こぶし》をつき出して見せながら、叫んでるのだった。
「お前はたかが父無《ててな》し児《ご》じゃないか!」
「そんなことか、」とガヴローシュは言った、「俺《おれ》は毛ほどにも思ってやしねえ。」
それから少しして、彼はラモアニョン旅館の前を通った。そこで彼は呼び声を上げた。
「戦に出かけろ!」
そして彼は突然|憂鬱《ゆううつ》に襲われた。あたかもピストルの心を動かそうとしてるかのような非難の様子で、ピストルをじっとながめた。
「俺は戦に出発するんだが、お前は出発しないんだな。」と彼はピストルに言った。
一匹の犬は他の犬(即ち撃鉄)から人の気を散らさせることもある。ごくやせた一匹の尨犬《むくいぬ》が通りかかった。ガヴローシュはそれをかわいそうに思った。
「かわいそうな奴だ。」と彼は言った。「お前は樽《たる》でものみ込んだのか、胴体に箍《たが》が見えてるぜ。」
それから彼は、オルム・サン・ジェルヴェーの方へ進んでいった。
三 理髪師の至当なる憤慨
ガヴローシュが象の親切な腹の中に迎え入れてやったふたりの子供を、以前追っ払ったあのいかめしい理髪師は、その時店の中にいて、帝国の下に働いた勲章所有の老兵士に、髯《ひげ》を剃《そ》ってやっていた。ふたりは話をしていた。理髪師は当然まず暴動のことを老兵士に話し、次にラマルク将軍のことを話し、そしてラマルクから皇帝のことに話が向いてきた。それは理髪師と兵士とのおもしろい会話であって、もしプリュドンム(訳者注 壮言大語する架空の人物であって、彼が至る所で出会ったことを自らしるしたという記録を一作者が作っている)が居合わしたならば、その話を唐草模様式《からくさもようしき》の言葉で飾り立て、「剃刀と剣との対話」とでも題したであろう。
「旦那《だんな》、」と理髪師は言った、「皇帝は馬術はどうでした?」
「下手《へた》だったね。落ち方を知らなかった。だから決して落ちたことがなかったよ。」
「りっぱな馬を持っていましたか。定めしりっぱなのがあったでしょうね。」
「わしは勲章をもらった時に、そいつを見たがね、足の早い白い牝馬《めうま》だったよ。耳が開いており、鞍壺《くらつぼ》が深く、きれいな頭には黒い星が一つあって、首が長く、足も高く上がり、胸が張っていて、肩には丸みがあり、尻もしっかりしていた。高さは十五手幅の上もあったかな。」
「いい馬ですな。」と理髪師は言った。
「なにしろ陛下の馬だからね。」
理髪師は、陛下という言葉のあとではちょっと口をつぐんだ方がいいと思ってそうしたが、それからまた言い出した。
「皇帝はただ一度傷を受けただけだというじゃありませんか、旦那。」
老兵士はいかにもよく知ってるというように落ち着いたおごそかな調子で答えた。
「踵《かかと》をね。ラチスボンでだった。わしはその日くらい皇帝がりっぱな服装《なり》をしてるのは見たことがなかった。作り立ての貨幣みたいにきれいだった。」
「そして旦那は、定めし幾度も傷を負われたでしょうな。」
「わしか、」と兵士は言った、「なに大したことでもないがね。マレンゴーでは首に二個所サーベルの傷を受け、アウステルリッツでは右の腕に弾《たま》を受け、イエナでは左の腰にやはり弾を受け、フリートラントでは銃剣の傷を受け、それに……モスコヴァでは全身に七、八個所の槍傷《やりきず》を受け、ルーツェンでは榴弾《りゅうだん》の破片《かけら》で指を一本くじいた。……ああそれからワーテルローでは、腿《もも》にビスカイヤン銃の弾を一つ受けた。まあそれだけだ。」
「いいですな、戦争で死ぬのは!」と理髪師は勇ましい調子で叫んだ。「病気になって、薬だの膏薬《こうやく》だの注射だの医者だのといって、寝床の上で毎日なしくずしに少しずつ死んでゆくよりか、まったくのところ、大砲の弾でずどんと一発腹に穴を明けられる方が、いくらいいかわかりませんな。」
「君はなかなか元気だね。」と兵士は言った。
その言葉の終わるか終わらないうちに、恐ろしい物音が店を揺り動かした。表の窓ガラスが一枚突然砕け散ったのである。
理髪師は顔色を変えた。
「大変だ!」と彼は叫んだ、「やってきた。」
「何だ?」
「大砲の弾です。」
「これだ。」と兵士は言った。
そして彼は何か床《ゆか》にころがってた物を拾い上げた。それは一つの石だった。
理髪師はこわれた窓の所へ走り寄った。すると、サン・ジャン市場の方へ足に任して逃げてゆくガヴローシュの姿が見えた。ガヴローシュはこの理髪師の店の前を通りかかると、ふたりの子供のことが心にあったので、何とかあいさつをしてやりたくてたまらなくなり、ついにその窓に石を投げつけたのだった。
「あの野郎!」と理髪師は色を失っていたのがこんどは青くなってどなった。「おもしろ半分に悪戯《いたずら》をしやがる。あの浮浪少年にいったいだれが何をしたって言うんだ!」
四 少年老人に驚く
そのうちにガヴローシュは、既に武装が解かれた営舎の残っているサン・ジャン市場で、アンジョーラとクールフェーラックとコンブフェールとフイイーとに導かれてる一隊と連絡を保った。彼らはほとんど皆武器を持っていた。バオレルとジャン・プルーヴェールも彼らに出会って、一群はますます大きくなっていた。アンジョーラは二連発の猟銃を持っていた。コンブフェールは隊の番号のはいった国民兵の銃を手にし、帯皮にさしてる二梃《にちょう》のピストルがボタンをはずした上衣の下に見えていた。ジャン・プルーヴェールは騎兵用の古い短銃を持っていた。バオレルはカラビン銃を持っていた。クールフェーラックは仕込《しこ》み杖《づえ》を抜いて振り回していた。フイイーはサーベルを抜いて、先頭に立ちながら叫んでいた、「ポーランド万歳!」
彼らは襟飾《えりかざ》りもなく、帽子もかぶらず、息を切らし、雨にぬれ、目を光らし、モルラン河岸からやってきた。ガヴローシュは平気で彼らに加わった。
「どこへ行くかな?」
「いっしょにこい。」とクールフェーラックは言った。
フイイーのあとにはバオレルが進んでいた、というよりむしろ、暴動の水の中を泳ぐ魚のようにおどり上がっていた。彼は緋《ひ》のチョッキを着て、すべてを打ち砕くような言葉を発していた。そのチョッキにひとりの通行人は驚いて、我を忘れて叫んだ。
「やあ赤党!」
「赤だ、赤党だ!」とバオレルは答え返した。「こわがるとはおかしな市民だな。俺《おれ》は赤い美人草なんかの前に震え上がりはしない。ちっちゃな赤帽子なんか少しもこわくはない。おい、俺を信じろ、赤の恐怖なんか角《つの》のある動物にでもやってしまえ。」
彼は壁の片すみに、世に最も平和な一枚の紙がはってあるのに目を止めた。それは鶏卵を食べていいという許可書であり、パリーの大司教から「羊の群れ」に対して発せられた四旬節の教書であった。
バオレルは叫んだ。
「羊の群れというのは鵞鳥《がちょう》の群れというのをていねいに言った言葉だ。」(訳者注 羊の群れは信徒のことで鵞鳥の群れは愚衆の意味、そして、仏語では、ouailles ; o. es と両者の字が似ている)
そして彼は壁からその教書をはぎ取った。そのことはガヴローシュを感心さした。ガヴローシュはその時からバオレルを学びはじめた。
「バオレル、」とアンジョーラは言った、「それはよくない。その教書はそのままにしとく方がいい。僕らはそんなものに用はないんだ。君は憤慨をむだに費やしてる。弾薬は大事に取っておかなくちゃいけない。魂の弾《たま》も、銃の弾も、戦列以外では費やさないことだ。」
「だれにでも自分のやり方というのがあるさ、アンジョーラ。」とバオレルは返答した。「司教のこの文句は僕の気に入らない。僕は鶏卵を食うのを人から許してもらいたくない。君は冷ややかに燃えてるが、僕は愉快なんだ。それに僕は何もむだをしてるんではない。元気をつけてるだけだ。この教書を引き裂くのも、ヘルクル(畜生)、まず食欲をつけるためだ。」
このヘルクルという語(訳者注 Hercle 即ちヘラクレス神の名の一種のつづり)はガヴローシュの注意をひいた。彼はあらゆる機会に物を知ろうとしていたし、またこの掲示破棄者に尊敬の念をいだいていた。彼は尋ねた。
「ヘルクルって何のことですか。」
バオレルは答えた。
「それはラテンで畜生ってことだ。」
その時バオレルは、黒い髯《ひげ》のある色の青いひとりの青年が彼らの通るのをながめてるのを、ある家の窓に認めた。おそらくABCの友の仲間であったろう。彼はそれに叫んだ。
「早く、弾薬だ! パラ・ベロム(戦の用意をしろ])。」
「ベロンム(好男子)! なるほどそうだ。」とガヴローシュは言った。彼は今ではラテン語を了解してるわけである。
騒々しい一隊が彼らの後ろに従っていた。学生、美術家、エークスのクーグールド派に加盟してる青年、労働者、仲仕などで、棒や銃剣を持っており、ある者はコンブフェールのようにズボンの中にピストルをつっ込んでいた。ごく高齢らしい老人がひとりこの群れにはいって歩いていた。武器は持っていず、何か考え込んだような様子をしていたが、おくれまいとして足を早めていた。ガヴローシュはそれに気づいた。
「あれは何でしょう?」と彼はクールフェーラックに言った。
「爺《じい》さんさ。」
それはマブーフ氏であった。
五 老人
これまでに起こったことをちょっと述べておきたい。
アンジョーラとその仲間は、竜騎兵が襲撃を始めた時に、ブールドン大通りの公設倉庫の近くにきていた。アンジョーラとクールフェーラックとコンブフェールとは、「防寨《ぼうさい》へ!」と叫んでバソンピエール街の方から進んだ人々のうちにはいった。レディギエール街で彼らは、街路をたどってるひとりの老人に出会った。
彼らの注意をひいたのは、その老人が酔っ払ってでもいるように、千鳥足で歩いてることだった。その上老人は、朝中雨が降りその時もなおかなり降っていたのに、帽子をぬいで手に持っていた。クールフェーラックはそれがマブーフ老人であることを見て取った。何度もマリユスについて戸口の所まで行ったことがあるので、見覚えていた。そしてその古本好きな老教会理事の平素が、いかにも平和で臆病以上とも言えるほどであるのを知っていたので、今この騒擾《そうじょう》の最中に、騎兵の襲撃からいくらもへだたらない所で、ほとんど銃火の中で、雨の降るのに帽子もかぶらず、銃弾の間をうろついてるその姿を見て、彼は非常に驚き、そばに寄っていった。そしてこの二十五歳の暴徒と八十歳を越えた老人との間に、次の対話がかわされた。
「マブーフさん、家へお帰りなさい。」
「なぜ?」
「騒ぎが起こりかかっています。」
「それは結構だ。」
「サーベルを振り回したり、鉄砲を打ったりするんですよ、マブーフさん。」
「結構だね。」
「大砲も打つんですよ。」
「結構だ。いったいお前さんたちはどこへ行くのかな。」
「政府を打ち倒しに行くんです。」
「それは結構だ。」
そして老人は彼らのあとについていった。それ以後、彼はもう一言も口をきかなかった。彼の足取りはにわかにしっかりとなった。労働者らが腕を貸そうとしたが、彼は頭を振って拒んだ。そしてほとんど縦列のまっさきに進んで、行進してる者の身振りと眠ってる者の顔つきとを同時に示していた。
「何という激しい爺《じい》さんだろう!」と学生らはささやいた。昔の国約議会員のひとりだ、昔国王を殺した者のひとりだ、という噂《うわさ》が群集の中に伝わった。
かくて一群の者らはヴェールリー街から進んだ。少年ガヴローシュは先頭に立って大声に歌を歌いながら、一種のラッパとなっていた。彼は歌った。
向こうをごらん月は出る、
いつ私らは森に行く?
シャルロットにシャルロは尋ねぬ。
シャトーには
トー、トー、トー。
私が持つは、ひとりの神様、ひとりの王様、一文銭に片々靴《かたかたぐつ》。
じゃこう草やら露の玉
朝早くから飲んだので、
二匹の雀《すずめ》は御酩酊《ごめいてい》。
パッシーには
ジー、ジー、ジー。
私が持つは、ひとりの神様、ひとりの王様、一文銭に片々靴。
てうまのような二匹の狼《おおかみ》
かわいそうにも酔っ払い、
穴の中では虎《とら》がごきげん。
ムードンには
ドン、ドン、ドン。
私が持つは、ひとりの神様、ひとりの王様、一文銭に片々靴《かたかたぐつ》。
ひとりは悪態《あくたい》、ひとりは雑言《ぞうごん》。
いつ私らは森に行く?
シャルロットにシャルロは尋ねぬ。
パンタンには
タン、タン、タン。
私が持つは、ひとりの神様、ひとりの王様、一文銭に片々靴。
彼らはサン・メーリーの方へ進んでいった。
六 新加入者
一隊の群れは刻一刻に大きくなっていった。ビエット街のあたりで、半白の髪をした背の高い男が彼らに加わった。クールフェーラックとアンジョーラとコンブフェールとは、そのきつい勇敢な顔つきに気を止めたが、だれも彼に見覚えはなかった。ガヴローシュは歌を歌い、口笛を鳴らし、しゃべり散らし、先頭に立ち、撃鉄の取れたピストルの柄で店々の雨戸をたたいていて、その男には注意を向けなかった。
ヴェールリー街で彼らはたまたまクールフェーラックの家の前を通りかかった。
「ちょうどいい、」とクールフェーラックは言った、「僕は金入れを忘れてるし、帽子をなくしてる。」
彼は群れを離れて、大急ぎで自分の室《へや》に上がっていった。そして古帽子と金入れとを取り、またよごれたシャツの中に隠しておいた大鞄《おおかばん》ほどのかなり大きい四角な箱を取り上げた。走っておりて来ると、門番の女が彼を呼びかけた。
「ド・クールフェーラックさん!」
「お前の名は何というんだ?」とクールフェーラックは答え返した。
門番の女はあっけにとられた。
「知ってるじゃありませんか。門番ですよ、ヴーヴァンですよ。」
「よろしい、お前が僕のことをまだド・クールフェーラックさんというなら、僕はお前をド・ヴーヴァンお上さんと呼んでやる([#ここから割り注]訳者注 ドは貴族の名前についている分詞[#ここで割り注終わり])。ところで、何か用か、何だ?」
「あなたに会いたいという人がきています。」
「だれだ?」
「知りません。」
「どこにいる?」
「私の室です。」
「めんどうだ!」とクールフェーラックは言った。
「でも一時間の上もあなたの帰りを待っているんですよ。」と門番の女は言った。
それと同時に、ひとりの若い者が門番小屋から出てきた。労働者らしい様子をし、やせて、色青く、小柄で、顔には雀斑《そばかす》があり、穴のあいた仕事服を着、両横に補綴《つぎ》のあたってるビロードのズボンをはき、男というよりもむしろ男に変装してる女のようなふうだった。しかしその声はどう見ても女とは思えなかった。彼はクールフェーラックに言った。
「すみませんが、マリユスさんは?」
「ここにはいない。」
「今晩帰って来るでしょうか。」
「どうだかわからない。」
そしてクールフェーラックは言い添えた。「僕は少なくとも帰らない。」
若い男は彼の顔をじっと見つめ、そして尋ねた。
「なぜですか。」
「帰らないから帰らないんだ。」
「ではどこへ行くんですか。」
「それが君に何の用があるんだ?」
「その箱を私に持たしてくれませんか。」
「僕は防寨《ぼうさい》に行くんだぜ。」
「私もあなたといっしょに行きましょう。」
「行きたければ行くがいいさ。」とクールフェーラックは答えた。「街路は人の自由だ、舗石《しきいし》は万人のものだ。」
そして彼は仲間に追っつくために走って逃げ出した。仲間といっしょになると、そのひとりに箱を持たした。それからわずか十四、五分たった後、あの若い男が実際ついてきてるのに彼は気づいた。
群集は一定の望みどおりの方へばかり行くものではない。前に説明したとおり、風のまにまに吹きやられるものである。彼らはサン・メーリーを通り越し、どうしてだか漠然《ばくぜん》とサン・ドゥニ街まできてしまった。
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第十二編 コラント
一 コラント亭の歴史
今日、市場《いちば》の方からランブュトー街へはいってゆくと、右手に、モンデトゥール街と向き合った所に、一軒の籠屋《かごや》がある。その看板は、ナポレオン大帝の形をした籠で、「ナポレオンは柳の枝にて作らる[#「ナポレオンは柳の枝にて作らる」に傍点]」としるされている。そしてそれを見るパリー人も、わずか三十年前に恐ろしい光景がそこで演ぜられたとは、夢にも思わないであろう。(訳者注 本書の出版は一八六二年なることを記憶していただきたい)
こここそ、以前シャンヴルリー街といった所で、昔の書き方ではシャンヴェールリー街といい、コラントという有名な居酒屋のあった所である。
サン・メーリーの防寨《ぼうさい》の影に隠れてはいるが、この場所に設けられてた防寨の名が前にちょっと出てきたことを、読者は記憶しているだろう。いまわれわれが少しく明るみに持ち出さんとするのは、既に今日深い暗闇《くらやみ》のうちに包まれているこのジャンヴルリー街の有名な防寨のことである。
叙述を簡明ならしめるために、ワーテルローについて既に用いた簡単な方法をここにも適用することを許していただきたい。サン・テュースターシュ会堂の先端の近くに、今日ランブュトー街の一端が開いてるパリーの市場町の北東の角《かど》に、当時立ち並んでいた人家の地勢を、かなり正確に頭に浮かべようとするならば、まずN字形を想像すればよい。上をサン・ドゥニ街とし下を市場町としてこのN字形を据えれば、縦の二本の足はグランド・トリュアンドリー街とシャンヴルリー街とであり、斜めの足はプティート・トリュアンドリー街となる。そして古いモンデトゥール街が、最もひどい角度で三本の足と交差していた。かくてこの四つの街路が不規則に交錯してるために、二方は市場町とサン・ドゥニ街とにはさまれ、他の二方はシーニュ街とプレーシュール街とにはさまれた、この二百メートル平方ほどの地面に、人家の小島が七つできて、どれも皆妙な形に断ち切られ、種々の大きさをし、秩序もなく並べられ、ようやく間がすいてるだけで、あたかも石工場にころがっていて狭い割れ目で別になってる石塊のようであった。
いま狭い割れ目と言ったが、実際九階もの破屋の間にはさまれて薄暗く狭くって角の多いそれらの小路は、割れ目とでも言うよりほかはないのであった。またそれらの破屋もはなはだしくいたんでいて、シャンヴルリー街やプティート・トリュアンドリー街などでは、各々の家の正面から正面へ梁《はり》を渡してささえてあった。街路は狭く溝は大きく、舗石《しきいし》はいつもじめじめしていて、両側には、窖《あなぐら》のような商店、鉄の環《わ》がはまってる大きな標石、ひどい塵芥《ごみ》の山、何百年とたったような古い大きな鉄格子《てつごうし》のついてる大門、などがあった。そしてその後、ランブュトー街ができたのですべてこわされてしまったものである。
モンデトゥール街([#ここから割り注]うねうね街[#ここで割り注終わり])という名前は、曲がりくねったそれらの小路をみごとに言い現わしたものである。それから少し先の方に行くと、モンデトゥール街に落ち合ってるピルーエット街(ぐるぐる街])という名前に、それはなおよく言い現わされている。
サン・ドゥニ街からシャンヴルリー街へはいってゆくと、町幅がしだいに狭くなって長めの漏斗《じょうご》の中へでも進み入るがようだった。そしてごく短いその街路の先端は、市場の方を高い軒並みでさえぎられた一つの通路になっていて、ちょうど行き止まりかと思われたが、それでも右と左とにぬけられる二つの暗い横丁がついていた。それがすなわちモンデトゥール街で、一方はプレーシュール街に通じ、他方はプティート・トリュアンドリー街とシーニュ街との方に通じていた。この一種の行き止まりの奥、右の横丁の角《かど》の所に、街路の岬《みさき》のようにして立っている他より低い一軒の家があった。
ただ三階建てのその家の中に、三百年以来繁盛してきた有名な居酒屋があって、老テオフィールが次の二句で形容したその場所に、愉快な響きを立てていた。
そこにこそ、縊死《いし》せるあわれなる恋人の
恐ろしき骸骨《がいこつ》は揺《どよ》めき動く。
けれども位置がよかったので、居酒屋は父から子へと代々相伝えていた。
マテュラン・レニエ(訳者注 十七世紀初めの風刺詩人)の頃には、この居酒屋はポ・トー・ローズ(薔薇の鉢)と号していて、判じ物がはやる頃だったから、薔薇《ローズ》色に塗った柱《ポトー》を看板にしていた。十八世紀には、今日|頑固派《がんこは》から軽蔑されてる風流派の大家のひとりたるナトアールという画家が、元レニエが痛飲していた同じテーブルにすわって幾度も酔っ払い、その礼として薔薇色の柱にコラント(コリント)の葡萄《ぶどう》を一ふさ描いてくれた。亭主は非常に喜んでそれを看板にし、葡萄のふさの下の「コラントの葡萄]」という文字を金文字にさした。それからコラントという名前は起こったのである。かく言葉をつづめることは、飲酒家には普通にありがちのことであって、略文はすなわち文句の千鳥足である。コラントという名前はしだいにポ・トー・ローズという名前をすたらした。最後の主人であるユシュルー親方は、昔からの伝統も知らないで、柱を青く塗りかえてしまった。
勘定台がある下の広間、球突場《たまつきば》になってる二階の広間、天井をつきぬけてる螺旋形《らせんけい》の木の階段、テーブルの上の葡萄酒、壁についてる煤《すす》、昼間からともされた蝋燭《ろうそく》、そういうのがこの居酒屋のありさまだった。下の広間の揚げ戸から階段がついていて、窖《あなぐら》に通じていた。ユシュルーの家族の住居は三階にあった。階段というよりむしろ梯子《はしご》で上ってゆけるようになっていて、その入り口は二階の広間のうちにある隠し戸だけだった。屋根の下には二つの屋根部屋があって、女中どもの寝室になっていた。また料理場は勘定台のある広間とともに一階を二分していた。
亭主のユシュルーは、おそらく生まれながらの化学者だったろうが、実際は一個の料理人となった。その居酒屋では、酒が飲めるばかりでなく料理も食べられた。ユシュルーは他で食べられない独特の料理を一つ発明していた。ひき肉をつめた鯉《こい》であって、彼は自分で |Carpes au gras《カルプ・オー・グラ》(鯉の肉料理)と称していた。脂蝋燭《あぶらろうそく》かまたはルイ十六世時代のランプをともし、卓布の代わりに桐油《とうゆ》を釘《くぎ》でとめたテーブルの上で、人々はそれを食べた。わざわざ遠くからやって来る客もあった。ユシュルーはある日、その「特製品」を通行人にも広告する方がいいと思いついた。で墨壺《すみつぼ》に刷毛《はけ》を浸し、独特の料理と同じく独特の文字を知っていたので、表の壁に次のような注目すべき文句を即座に書き記した。
CARPES HO GRAS
ところがある冬、悪戯《いたずら》な暴風雨が、第一字の終わりのSと第三字の初めのGとを消してしまって、次のような文字が残った。
CARPE HO RAS
時と風雨との助けによって、ごちそうのつまらぬ広告は意味深い忠告となったのである。(訳者注 ラテン語 carpe horas ―各時間を享楽せよ)
かくて亭主のユシュルーは、フランス語をよく知らないがかえってラテン語を知っていたわけで、料理場から哲学を引き出し、また単に四旬節の肉食禁制を廃しようとしながらホラチウスに匹敵するに至ったのである。そして特におもしろいことには、右の文句はまた「わが酒場にこられよ」という意味を含んでいたのである。
しかしそれらのものは、今日ではもう跡を留めていない。モンデトゥール小路は、一八四七年には既に大きく横腹を裂き割られたが、現在ではおそらくなくなってしまっているかも知れない。シャンヴルリー街とコラント亭も、ランブュトー街の舗石《しきいし》の下に没してしまっている。
前に言ったとおりコラント亭は、クールフェーラックやその仲間の者らの集会所、というのが変なら少なくとも出入り所の一つだった。コラント亭を発見したのはグランテールだった。彼はそこに各時間を享楽せよ[#「各時間を享楽せよ」に傍点]のためにはいってゆき、鯉の肉料理[#「鯉の肉料理」に傍点]のために足を重ねた。人々はそこで、酒を飲み、料理を食い、大騒ぎをし、わずかの金を払い、払いをため、あるいは少しも払わなかった。しかしいつも歓待された。亭主のユシュルーは好人物だった。
まさしくユシュルーは好人物で、口髭《くちひげ》まではやしていた。おもしろい変人だった。いつもふきげんそうな顔つきをし、客を威嚇《いかく》しようとでも思ってるかのようで、はいって来る人々に乱暴な言葉を浴びせ、料理を食わせるというよりむしろ喧嘩《けんか》を売りつけようとしてるかのようだった。それなのに、あえて言うが人々はいつも歓待された。その変わった調子はかえって店に客を呼び、青年らを引きつけた。「まあ亭主のユシュルーがどなるのを見にきてみたまえ、」と彼らは言った。彼はもと撃剣の先生だった。彼はよくだしぬけに笑い出した。大声でべらんめえだった。外見は鹿爪《しかつめ》らしく、内部はおどけていた。ただ人を嚇《おど》かしてみようとばかりしていた。ピストルの形をした煙草入《たばこい》れみたいな男だった。その爆発は嚔《くしゃみ》と同じだった。
女房のユシュルー上《かみ》さんというのがまた、髯《ひげ》のある醜い女だった。
一八三〇年ごろ、亭主のユシュルーは死んだ。そして彼とともに「鯉《こい》の肉料理」の秘法もわからなくなってしまった。けれども寡婦《かふ》はとやかく店を続けていた。料理は悪くなってとても食えないほどになり、もとから悪かった酒はなおひどいものになった。それでもクールフェーラックとその仲間は、なおコラント亭から足を絶たなかった。「お慈悲に行ってやるんだ、」とボシュエは言っていた。
寡婦のユシュルーは、息切れがし、ぶかっこうで、田舎《いなか》の思い出話をいつも持ち出した。そしてその変な言葉で彼らの退屈をいくらかまぎらしてやった。彼女には田舎の陽気な思い出話に味を添える独特な言葉使いがあった。「山楂《さんざし》の中に駒鳥《こまどり》の鳴く」のを聞くのが昔は一番楽しみだったと、彼女はよく言っていた。
「レストーラン」になってる二階の広間は、大きな長めの室《へや》で、いろんな種類の腰掛けや椅子《いす》やテーブルやまた跛《びっこ》の古い球突台が一つ据えてあった。螺旋形《らせんけい》の階段を下から上ってゆくと、室の片すみにある船の甲板の出入り口のような四角な穴に出るのだった。
その室は、ただ一つの狭い窓から明りが取られ、いつもランプが一つともされていて、ちょうど屋根裏みたいだった。四本足のすべての家具は、三本足で立ってるようにがたがたしていた。石灰で白く塗った壁の装飾としては、ユシュルー上《かみ》さんにささげられた次の四句のみだった。
十歩にして人は驚き、二歩にして人は慴《おび》ゆ。
一つの疣《いぼ》ありてその蛮勇なる鼻に蹲《うずくま》る。
絶えまなく人は恐る、その鼻汁の飛沫《ひまつ》を、
また他日口の中にその鼻の陥るべきを。
それは木炭で壁に書きつけてあった。
まったく右の詩とそっくりなユシュルー上さんは、落ち着き払ってこの四句の前を、朝から晩まで歩き回っていた。マトロート(魚料理)にジブロット(肉料理)という名だけで知られてるふたりの女中が、ユシュルー上さんを助けて、青葡萄酒《あおぶどうしゅ》の壜《びん》や、瀬戸の皿に入れて空腹な客に出す種々な薄ソップなどを、テーブルの上に並べた。マトロートは肥った、丸々した、顔の赤い騒々しい女で、故ユシュルーの気に入りだったが、神話に出て来るどんな怪物よりも更に醜いかと思われるほどだった。けれども、女中というものは常に上さんの下に位するのが普通であるとおり、彼女も醜さの上ではユシュルー上さんに劣っていた。ジブロットは背の高い、弱々しい、淋巴質《りんぱしつ》の色白い女で、目の縁が黒く、眼瞼《まぶた》がたれ下がり、いつも元気がなくがっかりして、慢性の疲労にとっつかれているとでもいうふうだったが、朝はまっさきに起き上がり、晩は最後に寝、だれの言うことでもきき、もひとりの女中の用までしてやりながら、無口でおとなしく、疲れた顔に生気のないぼんやりした微笑を浮かべていた。
勘定台の下には鏡が一つついていた。
レストーランになってる広間の入り口の扉《とびら》には、クールフェーラックが白墨で書いた次の一句が読まれた。
汝得べくんば奢《おご》れよ、勇気あらば自ら食せよ。
二 門出の宴
読者の知るとおり、レーグル・ド・モーはたいていジョリーといっしょに住んでいた。小鳥に木の枝があるように彼にも一つの住居があったわけである。ふたりの友人は、共に住み共に食し共に眠っていた。すべてが、ムュジシェッタ(訳者注 ジョリーの情婦)までも多少、彼らには共通であった。あたかも雛僧《ひなそう》のうちでふたり組みと言われる者のような間柄だった。ところで六月五日の朝、彼らは共にコラント亭へ朝食をしに行った。ジョリーは鼻がつまってひどい鼻感冒《はなかぜ》をひいていたが、レーグルもそれに感染しかかっていた。レーグルの服はすり切れてい、ジョリーはりっぱな服をつけていた。
彼らがコラント亭の扉をくぐったのは、朝九時ごろだった。
ふたりは二階に上がった。
マトロートとジブロットが彼らを迎えた。
「牡蠣《かき》にチーズにハム。」とレーグルは言った。
そしてふたりは食卓についた。
店の中はがらんとしていて、彼らふたりきりだった。
ジブロットはジョリーとレーグルに謝意を表わして、食卓の上に葡萄酒《ぶどうしゅ》の一瓶《ひとびん》を添えた。
ふたりが牡蠣を食い始めていると、階段の出入り口から一つの顔がのぞき出して言った。
「前を通りかかると、ブリーのチーズのうまそうなにおいが往来までしていたので、はいってきたよ。」
それはグランテールだった。
グランテールは腰掛けを引きよせて食卓についた。
ジブロットはグランテールを見て、食卓の上に葡萄酒の瓶を二本置いた。
それで三本になったのである。
「君は二本とも飲むのか。」とレーグルはグランテールに尋ねた。
グランテールは答えた。
「みんな感心だが、君だけは簡単だね。二本の瓶に驚く奴《やつ》があるか。」
ふたりはまず食う方から先にし、グランテールは飲む方を先にした。一瓶の半ばはすぐ飲みつくされてしまった。
「君の胃袋には穴があいてるんだね。」とレーグルは言った。
「君の肱《ひじ》にも穴があるじゃないか。」とグランテールは言った。
そしてコップの葡萄酒《ぶどうしゅ》を飲み干して彼は言い添えた。
「おい、弔辞のレーグル、君の服はずいぶん古いね。」
「古い方がいいさ。」とレーグルは言った。「だから僕と服との間は至ってうまくいくんだ。僕の癖をすべてのみこんでくれてるし、少しも僕の意に逆らわないし、僕のかっこうのとおりになり、僕の身振りによく従ってくれる。暖かな点でようやく服をつけてるなとわかるくらいなもんだ。古い服は古い友人と同じさ。」
「それは本当だ。」とジョリーもふたりの会話に口を出して叫んだ。「古いアビ(服)は古いアビ(アミ、友人)だ。」
「ことに、」とグランテールは言った、「鼻感冒《はなかぜ》をひいてる者が言えばそういう音になる。」
「グランテール、」とレーグルは尋ねた、「君は大通りからきたのか。」
「いや。」
「ジョリーと僕は、行列の先頭を見てきた。」
「盛んなものだったよ。」とジョリーが言った。
「この街路は実に静かだ。」とレーグルは叫んだ。「パリーがひっくり返るような騒ぎをしてるとは思えないね。昔この辺は修道院ばかりだったというのももっともだ。デュ・ブルールとソーヴァルとがその名前をあげてるし、ルブーフ師もそれをあげてる。この付近にはまったく修道士どもがうようよしてたんだ、靴《くつ》の奴《やつ》、跣足《はだし》の奴、いがぐり頭の奴、髯《ひげ》の奴、灰色服の奴、黒服の奴、白服の奴、フランシスカン派、ミニム派、カプェサン派、カルム派、小オーギュスタン派、大オーギュスタン派、旧オーギュスタン派、……いっぱいいたんだ。」
「僧侶の話なんかよせ、」とグランテールはさえぎった、「むしゃくしゃしてくる。」
それから彼は叫び出した。
「ぷー、悪い牡蠣《かき》をのみ込んじゃった。おお気持ちが悪い。牡蠣は腐ってるし、女中は醜いときてる。人間がいやになっちまう。僕はさっきリシェリユー街で大きな公衆図書館の前を通った。書庫と言わるる牡蠣殻のはきだめは、考えても胸糞《むなくそ》が悪くなる。山のようにつんだ紙、インキ、なぐり書きだ。だれかがそんなものを書いたんだ。人間はプリューム(羽毛――ペン)のない二本足だと言ったばか者がいる。それからまた僕は、知り合いのきれいな娘に出会った。春のように美しい、フロレアル(花娘)とも言える奴《やつ》で、輝いた、有頂天な、幸福な、まるで天使のようだが、みじめな奴さ、痘瘡面《あばたづら》のたまらない銀行家が昨日その娘に思いをかけたんだ。実に女という奴は、金盗人と遊冶郎とにばかり目をつけてやがる。牝猫《めねこ》は鼠《ねずみ》と小鳥とを追っかけるもんだ。その娘っ児も、二カ月前まではおとなしく屋根裏に住んで、胸衣の穴に銅の小さな環《わ》をつけていたんだぜ。そして針仕事をし、たたみ寝台に寝、一鉢《ひとはち》の花のそばにいて、満足していたんだ。それが急に銀行家夫人となり上がった。その変化が昨夜《ゆうべ》起こったんだ。今朝《けさ》僕は、すっかり得意げなその犠牲者に出会った。ことにたまらないのは、奴《やっこ》さん昨日と同じように今日もきれいだった。銀行家の面影がまだ少しもその顔の上に映っていなかった。薔薇《ばら》の花が婦人よりすぐれてる点は、あるいは劣ってる点は、虫に食われた跡がはっきり見えるという所にあるんだ。ああ地上にはもはや徳操は存しない。僕は、愛の象徴たる天人花、戦いの象徴たる月桂樹《げっけいじゅ》、平和の象徴たる愚かな橄欖《オリーブ》、種子でアダムの喉《のど》をふさごうとした林檎《りんご》、裳衣の先祖たる無花果《いちじく》、などを証人としてそれを主張するんだ。権利についても、いったい君らは権利の何たるやを知ってるか。ゴール人らはクルジオム(訳者注 エトルリアの昔の都)を渇望し、ローマはクルジオムを保護して、それが彼らに何の害を与えたかを尋ねる。それに対して、ブレンヌス(訳者注 紀元前四世紀にローマを略奪せしゴールの首長)は答える。『しからばアルバは、フィデネは、エキー人やヴォルスキー人やサビニ人ら(訳者注 皆ローマが征服せし土地または人種)は、汝らに何の害をなしたか。彼らは汝らの隣人ではなかったか。クルジオム人らはわれらの隣人である。われらは隣人をただ汝らがなしたように取り扱うまでである。汝らはアルバを奪った、われらはクルジオムを奪うのだ。』するとローマは言う。『汝らはクルジオムを奪ってはいけない。』けれどブレンヌスはローマを奪った。それから叫んだ。『みじめなる敗北者ども!』(訳者注 ゴール人らにローマ撤退の代わりとして支払う黄金を量る秤が不正なものであることを、ローマ人らが抗議した時、彼がその剣を秤の中に投じて叫んだ言葉)それがすなわち権利なのだ。ああこの世には、いかに多くの猛獣がいることか、いかに多くの鷲《わし》が、ああいかに多くの鷲がいることか! 僕は慄然《りつぜん》たらざるを得ない。」
彼は杯をジョリーに差し出して酒をつがせ、それを飲み干し、それからまた、だれも彼自身もそれと意識しないその一杯の葡萄酒《ぶどうしゅ》にほとんど中断さるることなく、しゃべり続けた。
「ローマを奪ったブレンヌスは一つの鷲である。小娘を奪った銀行家は一つの鷲である。いずれも共に恥を知らない。ゆえにもはや何物をも信ずるなかれだ。ただ一つの現実は酒あるのみ。いかなる意見をいだこうとも、ユリー州のごとくやせたる鶏に味方し、あるいはグラリス州のごとく肥《ふと》ったる鶏に味方しようとも(訳者注 いかなる物に対していかなる態度を取ろうとも)、それが何の関係があるか、ただ飲むべしである。君らは僕に語るに、大通りのこと、葬式の行列のこと、その他をもってする。そして再び革命が起こりかけてるというのか。僕は神の無策に驚くのほかはない。神は絶えず事変の車軸に油をぬりなおさなければならなくなるんだ。ねばり着いて少しも先へ進まないからだ。革命よ急げ。神はいつも下等な差し油で手をまっ黒によごしているんだ。しかし僕が神の地位にあったら、すべてをもっと簡単にやってのける。僕は機械の撥条《ばね》を絶えず巻きはしない、一挙に人類を運び去ってやる、糸を切らさずに事実の網の目を編んでやる、予備の物をそなえない、決してよけいなものを積んでおかない。君らが進歩と呼ぶところのものは、人間と事変と、二つの発動機で動いている。しかし悲しいことには、時として例外のことが必要となる。人間に対すると同じく事変に対しても、普通の軍勢では不足である。人間のうちには天才が必要であり、事変のうちには革命が必要だ。大異変は必然の理である。事物の組成は大異変なしにすますことはできない。彗星《すいせい》の出現を見れば、天自身も名俳優を必要としてるのだと思えてくる。意外の時に神は、蒼空《そうくう》の壁上に一つの流星を掲げる。広大な尾をひく不思議な星がたちまちに現われる。そしてそれはシーザーを殺す。ブルツスは彼に短剣の一撃を与え、神は彼に彗星の一撃を与える。大音響とともに、ここに一つの極光が現われ、一つの革命が起こり、ひとりの偉人が現われる。大文字の九十三(一七九三年)、特別の行を占むるナポレオン、掲示の上部には一八一一年の彗星、実に意想外な炬火《たいまつ》を鏤《ちりば》めた美しい青い掲示だ。轟然《ごうぜん》たる響き、異常なる壮観である。野次馬らは目を上げて見よ。偉人も一編の劇も、すべては雑然と錯綜《さくそう》している。しかしああそれはあまりに度を越している。そしてまた不十分である。例外として取られたそれらの手段は、一見壮観ではあるが、実は貧弱なものだ。諸君、天は窮余の策をめぐらしたのみだ。革命は何を証明するか、神が浅慮なことをではないか。現在と未来との間が切断されてるから、また神自身両端を結ぶことができなかったからして、神は一つの大英断を行なうのだ。事実それは、エホバの財産状態に対する僕の推測を確かめる。そして、天上と地上とにかくも多くの困窮を見、一粒の粟《あわ》をも持たない小鳥から十万フランの年金をも持たない僕自身に至るまで、空と地上とにかくも多くの陋劣《ろうれつ》と貧弱と困厄とを見、はなはだしく疲弊してる人類の宿命を見、絞殺されたコンデ侯が証明するとおり絞首繩を示す王家の宿命を見、寒風の吹き込む高天の裂け目にほかならない冬を見、丘の頂の新しい曙《あけぼの》の緋衣《ひい》のうちに多くのぼろを見、偽りの真珠たる露の玉を見、擬《まが》いの金剛石たる霜を見、ほころびた人類と補綴《つぎ》をあてた事変とを見、太陽に多くの汚点と月に多くの穴とを見、至る所にかくも多くのみじめさを見る時、僕は神も富有ではないと推察するのである。いかにも神は体裁を飾ってはいるが、しかし僕はその困窮を感じる。空《から》っぽな倉庫をかかえてる大商人が夜会を開くように、神は革命を起こしてやるのだ。外観のみで神々を判断してはいけない。空の金色の下に僕は貧しい宇宙を見て取る。万物のうちには破産が潜んでいる。それゆえ僕は不満なのだ。どうだ、今日は六月の五日だ、しかもまだほとんど闇夜《やみよ》だ。朝から僕は白光を待っている。しかしまだそれは到来していない。今日中には到来しないと僕は誓って言う。給金をよくもらってない奉公人があてにならないのと同じだ。確かに何事もよく整ってはいない。何一つ調和してるものはない。この古ぼけた世の中はすっかりゆがんでいる。僕はすべてに反対する。一つとしてまっすぐに動いてるものはない。世界は拗《す》ねている。ちょうど子供と同じだ。ねだる子はもらえず、ねだらぬ子が皆取る。要するに僕は腹が立つんだ。それにレーグル・ド・モー、僕は君の禿頭《はげあたま》を見るのも心苦しい。君の薬鑵頭《やかんあたま》と同じ年齢《とし》かと思うと僕は屈辱を感ずるんだ。もとより僕は批評はする、しかし侮辱はしない。世界はありのままの世界だ。僕は今、何ら悪意をもって語るのではない。自己の良心の荷を軽くせんがために語るのではない。永遠の父なる神よ、わが深き尊敬を受け入れよ。ああ、オリンポスの諸聖者よりまた天国の諸神より、僕はパリーっ児に作られてる者ではない。換言すれば、二枚の羽子板の間の羽子《はね》のように、遊民と暴民との間を常に行ききするように作られてる者ではない。貞節の士の夢のごとき淫逸《いんいつ》美妙なエジプトの舞踏を東方の蓮葉女《はすっぱおんな》らがやるのを、終日ながめて暮らすトルコ人のように僕は作られてるのだ。あるいは肥沃《ひよく》なボースの農民のように、あるいは淑女にとり巻かれるヴェニスの貴人のように、あるいはまた、兵士の半ばをドイツ連邦に貸し与えて、暇な時間をその垣根すなわち国境の上で靴足袋《くつした》をかわかすのに使うあのドイツの小侯のように、僕は作られてるのだ。そういう宿命に僕は生まれたのだ。それだ、僕はトルコ人と言った。それを取り消しはしない。トルコ人と言えば普通悪くばかり思われてるが、僕にはその理由がわからない。マホメには善良な点がある。天女の宮居《みやい》や宦女《かんじょ》の楽園を発明した者に敬意を表すべしである。牝鶏小屋《めんどりごや》で飾られてる唯一の宗教たるマホメット教に、敬意を表しようではないか。この点において僕は酒党の味方だ。世は大なる愚蒙《ぐもう》にすぎず、夏の盛り、緑の月に、刈られた秣《まぐさ》の大なる一皿の茶をかぎに腕に女を擁して野へ行き得る時に、あのばか者らは、互いに争いなぐり合い殺し合おうとしている。実際人間はあまりばかげたことをやりすぎる。先刻僕はある古物商の店の一つのこわれた古龕燈《ふるがんどう》を見て、ふと考えさせられたのだ、まさに人類を照らしてやるべき時であると。そうだ僕はまた不愉快になった。一つの牡蠣《かき》と横にはってる革命とを飲み込んだからだ。僕はまた悲しくなる。おお実にたまらない古ぼけた世の中だ。人は苦しみもがき、おのれをすて、操を売り、自殺し、そしてそれになれきっている。」
そしてグランテールは、この雄弁の発作の後、それにふさわしい咳《せき》の発作に襲われた。
「革命と言えば、」とジョリーが言った、「バリユス(訳者注 鼻がつまっているためにマリユスのことをこう発音したのである)は夢中になってるというじゃないか。」
「相手はだれだかわかってるか。」とレーグルは尋ねた。
「ばからん。」
「わからない?」
「ばからんというんだ。」
「マリユスの色事か!」とグランテールは叫んだ。「僕にはここにいてちゃんとわかってる。あいつは霧だから、霞《かすみ》のような女を見つけたに違いない。マリユスは詩人の仲間だ。詩人と言えば狂人だ。アポロンは狂人なりだ[#「アポロンは狂人なりだ」に傍点]。マリユスと、その相手のマリーかマリアかマリエットかマリオンか、とにかくふたりはおかしな一対に違いない。どんな具合か僕にはよくわかる、接吻《せっぷん》を忘れた有頂天だ。無限のうちで抱擁する地上の貞節だ。官能を有する魂だ。彼らは星の中でいっしょに寝ているんだ。」
グランテールは二本目の壜に手をつけた。そしてたぶん二回目の冗弁に取りかかろうとしたが、その時新たな顔が階段の所の四角な穴から現われた。十歳にも満たない子供で、ぼろをまとい、ごく背が低く、色が黄色く、動物面をし、目が鋭く、髪の毛をぼうぼうとさし、雨にぬれ、それで満足げな様子をしていた。
少年は明らかに彼ら三人のだれをも知らなかったが、臆面もなくじろじろ見分けて、レーグル・ド・モーに言葉をかけた。
「あなたはボシュエさんですか。」と彼は尋ねた。
「それは僕の綽名《あだな》だ。」とレーグルは答えた。「何か用があるのか。」
「こうなんです。大通りで背の高い金髪の人が、君はユシュルー上《かみ》さんを知ってるかって私に言いました。知ってる、シャンヴルリー街の古手《ふるて》の後家さんでしょう、と答えると、こう言ったんです。『そこへ行ってくれ、ボシュエという人がそこにいるから、A――B――Cと僕が言ったと伝えてくれ。』だがそれだけのことだから、あなたをからかったんでしょうね。そして私は十スーもらいましたよ。」
「ジョリー、十スー貸してくれ。」とレーグルは言った。そしてグランテールの方を向いた。「グランテール、君も十スー貸してくれ。」
それで二十スー集めて、レーグルはそれを少年に与えた。
「ありがとう。」と子供は言った。
「お前の名は何と言うんだ。」とレーグルは尋ねた。
「ナヴェといってガヴローシュの友だちです。」
「俺《おれ》たちといっしょにここにいるがいい。」とレーグルは言った。
「俺たちといっしょに食っていけ。」とグランテールは言った。
少年は答えた。
「そうはいきません。私は行列にはいってるんです。ポリニャックを打ち倒せをどなる役目を持ってるんです。」
彼はできるだけ丁寧な挨拶《あいさつ》をして後ろに長く足を引きずり、そして立ち去った。
少年が出てゆくと、グランテールは口を開いた。
「あいつは生粋《きっすい》の浮浪少年だ。浮浪少年の間にも多くの種類がある。公証人の浮浪少年を使丁と言い、料理人のを下働《したばたらき》と言い、パン屋のを丁稚《でっち》と言い、従僕のを小使いと言い、水夫のを見習いと言い、兵士のを鼓手と言い、画家のを弟子《でし》と言い、商人のを小僧と言い、廷臣のを扈従《こじゅう》と言い、国王のを皇太子と言い、神のを神童というんだ。」
その間レーグルは考え込んでいた。彼は半ば口の中で言った。
「A――B――C、すなわちラマルクの葬式と。」
「背の高い金髪の男は、」とグランテールが言った。「アンジョーラだ。君に知らしてよこしたんだ。」
「行ったものかしら。」とボシュエは言った。
「雨《あべ》が降ってるぜ。」とジョリーは言った。「僕は火の中にでも飛び込ぶとは誓ったが、水の中でぼとは言わなかった。風邪《かぜ》を引いちゃ、つばらない。」
「僕はここにいよう。」とグランテールは言った。「棺車より食事の方がいいや。」
「結局このままじっとしてることにしよう。」とレーグルは言った。「でおおいに飲もう。それに葬式には行かなくとも、暴動には加わり得るんだ。」
「ああ暴動か、賛成だ。」とジョリーは叫んだ。
レーグルは両手をすり合わして言った。
「いよいよ一八三〇年の革命に少し手入れをする時になったんだ。実際それは人民を窮屈にしてるからね。」
「君の言う革命なんか僕にはどうだっていい。」とグランテールは言った。「僕は別に今の政府を憎みはしない。それは綿の帽子で和らげた王冠だ。先が雨傘《あまがさ》になってる王笏《おうしゃく》だ。実際今日のような天気では、僕はこう思うんだ。ルイ・フィリップはその王位を利用することができる。すなわち笏《しゃく》の方を人民に差し伸べ、雨傘《あまがさ》の方を空に開くことだ。」
室《へや》の中は暗かった。大きな雲が日の光をさえぎっていた。店の中にも往来にもだれもいず、人は皆「事変を見に」行っていた。
「昼間なのか夜中なのか。」とボシュエは叫んだ。「一寸先も見えない。ジブロット、灯《あかり》を持ってこい。」
グランテールはつまらなそうな様子で酒を飲んでいた。
「アンジョーラは人をばかにしてやがる。」と彼はつぶやいた。「きっと、ジョリーは病気だしグランテールは酔っ払ってる、とでも思ったんだろう。それでボシュエを名ざしてナヴェをよこしたんだ。もし俺《おれ》を迎えにきたんなら行ってやるがな。気の毒なアンジョーラだ。そんな葬式なんかに行くもんか。」
一度そうと心を定めると、ボシュエとジョリーとグランテールとはもうその居酒屋に腰を落ち着けてしまった。午後の二時ごろには、彼らのテーブルには空壜《あきびん》がいっぱい並んでいた。二本の蝋燭《ろうそく》が、一本は全部緑色の銅の燭台に、一本は欠けた壜の鶴首《つるくび》にささっていた。グランテールはジョリーとボシュエとを酒の方へ引き込み、ボシュエとジョリーとはグランテールを快活のうちに引き込んでしまっていた。
グランテールはもう十二時ごろから、夢想の源としてはつまらない葡萄酒《ぶどうしゅ》だけでは満足できなくなっていた。葡萄酒は本当の酒飲みに対しては、ただ味の上の成功をしか博しない。およそ酩酊《めいてい》には、黒い幻覚と白い幻覚とがある。葡萄酒は白い幻覚である。グランテールは勇敢な夢食家であった。恐るべき酩酊《めいてい》の暗黒が前にほの見えても、立ち止まるどころかかえってそれにひきつけられた。そこで彼は葡萄酒《ぶどうしゅ》の壜《びん》をすて、ビールのコップを取り上げた。ビールのコップは深淵《しんえん》である。そして阿片《あへん》もハシシュも手に入れることができなかったので、彼は頭の中に暗黒を満たさんために、ブランデーと強ビールとアブサントとの恐るべき混合酒、ひどい昏睡《こんすい》を起こさすべきものに、手を伸ばした。魂の鉛を作るものは、ビールとブランデーとアブサントとの三つの湯気である。それは三つの暗黒で、天の蝶《ちょう》もその中にはおぼれてしまう。そしてそのぼんやり蝙蝠《こうもり》の翼に凝集した膜質の煙の中に現わるるものは、眠れるサイキーの上に飛ぶ夢と夜と死との黙々たる三魔神である。
しかしグランテールはまだそういう痛ましい状態には達していなかった。むしろ彼は驚くほど快活になっていて、ボシュエとジョリーとを相手にしていた。彼らは祝杯を上げた。グランテールは法外に強調した言葉と思想とに、大げさな身振りをさえ添えていた。彼は鹿爪《しかつめ》らしく左の拳《こぶし》を膝《ひざ》につき、腕を直角にまげ、首飾りを解き、腰掛けにどっかとまたがり、なみなみとついだ杯を右手に持ち、そして肥《ふと》った女中のマトロートにこういう荘厳な言葉を浴びせかけた。
「宮殿の扉《とびら》を開けよ、すべての者をアカデミー会員たらしめよ、そしてユシュルー夫人を抱擁するの権利を有せしめよ。さあ飲むべしだ。」
そして彼はユシュルー上《かみ》さんの方を向いて付け加えた。
「時代の箔《はく》をつけた古代の婦人よ、近くに寄りたまえ、汝の顔をわれにながめしめよ!」
ジョリーは叫んでいた。
「バトロート、ジブロット、ぼうグランテールに酒をどばせるな、ばかな金ばかり使ってる。今朝からぶちゃくちゃに二フラン九十五サンティーブ飲んじばったぞ。」
グランテールはまた言っていた。
「予が許しを待たずして星をもぎ取り、蝋燭《ろうそく》の代わりに卓上に置きしは、たれの仕業《しわざ》ぞ。」
ボシュエは酔っ払ってはいたが、平静を保っていた。
彼は開いた窓縁に腰掛け、背中を雨にぬらしながら、二人の友人をながめていた。
と突然彼は後ろに、騒がしい物音を、早い足取りを、武器を取れ[#「武器を取れ」に傍点]! という叫びを聞いた。振り返ってみると、シャンヴルリー街の端、サン・ドゥニ街を、銃を手にしたアンジョーラが通っていて、そのあとには、ピストルを持ったフイイー、剣を持ったクールフェーラック、短剣を持ったジャン・プルーヴェール、銃を持ったコンブフェール、カラビン銃を持ったバオレル、それから暴風のような武装した一群が続いていた。
シャンヴルリー街はカラビン銃の弾《たま》が届くくらいの長さしかなかった。ボシュエは即座に両手を口のまわりにあてて通話管とし、そして叫んだ。
「クールフェーラック! クールフェーラック! おーい。」
クールフェーラックはその呼び声を聞き、ボシュエの姿を認め、二、三歩シャンヴルリー街へはいり込み、「何だ?」と叫んだ。と同時にボシュエは、「どこへ行くんだ?」と叫んだ。
「防寨《ぼうさい》を作りに。」とクールフェーラックは答えた。
「じゃあここへこい。適当な場所だ。ここに作れ。」
「そうだ。」とクールフェーラックは言った。
そしてクールフェーラックの合い図で、一隊の者は、シャンヴルリー街へはいり込んだ。
三 グランテールの魔睡
実際そこはこの上もない場所であって、街路の入り口は広く、奥は狭まって行き止まりになり、コラント亭はその喉《のど》を扼《やく》し、モンデトゥール街は左右とも容易にふさぐことができ、攻撃することのできる口はただ、何ら掩蔽物《えんぺいぶつ》のない正面のサン・ドゥニ街からだけだった。酔っ払っていたボシュエは、食を断って専念するハンニバルにも劣らぬ慧眼《けいがん》を有していたわけである。
一隊の者が侵入してきたので、その街路はすべて恐怖に満たされた。通行人らは皆姿を隠した。たちまちのうちに街路の奥も右も左も、商店、仕事場、大門、窓、鎧戸《よろいど》、屋根窓、あらゆる雨戸、すべてが一階から屋根に至るまで閉ざされてしまった。おびえてるひとりの婆さんは、窓の前の物干し棒にふとんをかけて、銃弾の勢いを殺《そ》ごうとしていた。ただ居酒屋ばかりが戸を開いていた。そしてそれも、一隊の者がはいり込んできたからであって、別に仕方がなかったのである。「まあ、まあ!」とユシュルー上《かみ》さんはため息をついていた。
ボシュエはクールフェーラックに会いにおりていった。
窓によりかかっていたジョリーは叫んだ。
「クールフェーラック、雨傘《あべがさ》ぼって来るとよかったんだ。風邪《かぜ》を引くよ。」
そのうちにやがて、居酒屋の店先の鉄格子《てつごうし》から多くの鉄棒はぬき取られ、十間ばかりの街路は舗石《しきいし》をめくられた。ガヴローシュとバオレルとは、アンソーという石灰屋の荷馬車を通りがかりに奪い取って、それをひっくり返した。馬車には石灰をつめこんだ樽《たる》が三つのっていたので、彼らはそれを下敷きにして舗石《しきいし》を積んだ。アンジョーラは窖《あなぐら》の揚げ戸を開いた。そしてユシュルー上《かみ》さんの空《から》の酒樽《さかだる》は皆石灰樽の横に並べられた。フイイーはいつも扇の薄い骨を彩色するになれた指で、切り石を二所《ふたところ》につんで石灰樽や馬車のささえにした。その切り石も他の物と同じく即座に取ってこられたもので、どこで得られたのかわからなかった。近くの家の正面からいくつもの支柱がぬき取られて、酒樽の上に横たえられた。ボシュエとクールフェーラックとがふり返った時には、街路の半ばは既に人の背丈よりも高い砦《とりで》でふさがれていた。他の物をこわしながら何かを築くには、群集の手に如《し》くものはない。
マトロートとジブロットも、人々の間に交じって働いた。ジブロットは漆喰《しっくい》の破片を運んで行ききしていた。元気のない彼女も防寨《ぼうさい》の手助けをしたのである。彼女はいつものとおり半ば眠ったような様子をしながら、酒を客に出すと同じように舗石を提供していた。
二頭の白馬をつけた乗り合い馬車が街路の向こう端を通った。
ボシュエは舗石をまたぎ越し、走って行って御者を呼び止め、乗客をおろし、「婦人ら」には手を貸してやり、御者を去らせ、馬車と馬とを手綱で引っぱってきた。
「乗り合い馬車はコラント亭の前を通るべからず。」と彼は言った。「人はすべてコラントに行き得るものに非《あら》ずだ。(]訳者注 コリントでは非常に金がかかるので普通の者はそこに遊び行くことができないという意味のギリシャの謎)
すぐに馬は解き放されて、モンデトゥール街の方へ自由に追い放された。馬車は横倒しにされて、街路をすっかりふさいでしまった。
ユシュルー上さんは狼狽《ろうばい》のあまり二階に身を隠していた。彼女はただぼんやり目を見開いたまま何にも見ず、ただ低く泣いていた。そのおびえた泣き声は喉《のど》の外にはもれなかった。
「ああ世の中もおしまいだ。」と彼女はつぶやいた。
ジョリーは上《かみ》さんのしわよった赤い太い首に脣《くち》づけをしてやって、それからグランテールに言った。
「おい君《きび》、僕はいつも女の首ってぼのはこの上《ぶえ》もなく美妙なぼのと考えるね。」
しかしグランテールは無上の酔いきげんに達していた。マトロートが二階に上がってくると、彼女の腰をとらえて、盛んな笑い声を窓から外に送った。
「マトロートは醜い。」と彼は叫んだ。「マトロートは醜悪の夢だ。マトロートは一つの幻だ。この女の出生の秘密はこうだ。大会堂の水口を作っていたあるゴチックのピグマリオンが、(訳者注 ピグマリオンは古代の彫刻家で、おのれの手に成ったガラテアの像に恋いし、ヴィーナスからそれに生命を与えてもらってそれと結婚した人―神話)ある時自分で作った最も拙劣な一つの水口に恋いした。彼は愛の神に願ってそれに生命を与えてもらい、かくてマトロートができたのである。諸君、彼女を見たまえ。チチアーノの情婦のようにクロム鉛の色をした髪の毛を持っている。そして善良な娘だ。うまく戦えることは僕が受け合う。善良な娘はすべて英雄的なところがあるものだ。またユシュルー上さんの方は、一個の古勇士《ふるつわもの》だ。その口髭《くちひげ》を見るがいい。亭主から受け継いだのだ。女驃騎兵《おんなひょうきへい》とも言える。これもまた戦える。このふたりの女だけでも、近郊を脅かすに足りる。諸君、吾人は政府をくつがえすことができる。真珠酸と蟻酸《ぎさん》との間に十五の酸があるのが真実であるとおり、それはまさしく確かなのだ。しかし僕にはどうでもかまわない。僕の親父《おやじ》は、僕をいつも数学がわからないといって軽蔑した。僕は愛と自由とをしか知らないんだ。僕はいい児のグランテールだ。かつて金を持ったことがなく、金にはなれていない、それゆえにかつて金の欠乏を知らないんだ。しかし僕がもし金持ちであったら、世の中に貧乏な者をなくしてみせる。だれでも酒が飲めるようにしてみせる。おおもし善良なる心の者をしてふくれたる財布を持たしめば、万事はいかにうまくゆくことであろうぞ! ロスチャイルドの財産を有するイエス・キリストを僕は想像する。いかに多くの善を彼はなすであろう! マトロート、僕を抱け。お前はあでやかでしかも臆病だ。お前の頬《ほお》は妹の脣《くち》づけを呼び、お前の脣《くち》は恋人の脣づけを招く!」
「黙れ、酒樽《さかだる》めが!」とクールフェーラックは言った。
グランテールは答えた。
「僕はカピトゥールにして詩花会の主脳だ!」(訳者注 カピトゥールはツールーズの市吏員の古称で、またこの市には、毎年一回詩花会という、詩文の懸賞競技会が開かれていた)
手に銃を持って防堤の上に立っていたアンジョーラは、その厳乎《げんこ》たる美しい顔を上げた。読者の知るとおりアンジョーラにはスパルタ人の面影と清教徒の面影とがあった。テルモピレーにてレオニダスとともに死し、クロンウェルとともにドロゲダの町を焼き払うのに、彼はふさわしい男だった。
「グランテール!」と彼は叫んだ、「他の所で一眠りして酔いをさましてこい。ここは熱血児の場所で、酔っ払いの場所ではない。君は防寨《ぼうさい》の汚れだ。」
その憤激の一語は、グランテールに特殊な影響を与えた。彼はあたかも顔に一杯の冷水を浴びせられたようだった。そしてにわかにまじめになった。彼は腰をおろし、窓のそばのテーブルの上に肱《ひじ》をつき、何とも言えぬやさしさでアンジョーラをながめ、そして彼に言った。
「僕は君を信頼してるよ。」
「行っちまえ。」
「ここへ寝かしてくれ。」
「他の所へ行って寝ろ。」とアンジョーラは叫んだ。
しかしグランテールは、当惑したようなやさしそうな目をなお彼の上に据えて答えた。
「ここに僕を眠らしてくれたまえ……死ぬるまで。」
アンジョーラは軽蔑の目で彼をながめた。
「グランテール、君は信ずることも、思索することも、意欲することも、生きることも、死ぬることも、みなできない男だ。」
グランテールはまじめな声で返答した。
「まあ見ていたまえ。」
彼はなお聞き取り難い言葉を少しつぶやいたが、それからテーブルの上に重そうに頭をたれ、アンジョーラから酩酊《めいてい》の第二期に突然手荒く押し込まれたので、その常として、間もなく眠りに陥ってしまった。
四 寡婦ユシュルーに対する慰謝
バオレルは防寨《ぼうさい》ができたのに狂喜して叫んだ。
「さあ街路はふさがったぞ。うまくいった!」
クールフェーラックは居酒屋を少しうちこわしながらも、寡婦《やもめ》の上さんを慰めようとしていた。
「ユシュルーお上《かみ》さん、こないだジブロットが敷き布を窓からふるったというので、警察から調べられて違警罪に問われたというじゃないですか。」
「そうですよ、クールフェーラックさん。ですがまあ、そのテーブルまであなたは恐ろしい所に持ち出すつもりですか。敷き布のことと、屋根裏から植木鉢《うえきばち》を一つ往来に落としたというだけで、百フランの罰金を政府《おかみ》から取られたんですよ。あまりひどいではありませんか。」
「だから、お上さん、われわれがその仇《かたき》をうってやろうというんです。」
ユシュルー上さんは、今皆がなしてるような返報が自分のためになるとはよくわかっていないらしかった。彼女は昔のあるアラビアの女のような仕方で満足させられていたのである。その女というのは、夫《おっと》から頬《ほお》を打たれ、父の所へ行ってそれを訴え、返報を求めて言った、「お父さん、私の夫に対して侮辱の仕返しをして下さい。」父は尋ねた、「どちらの頬をお前は打たれたのか。」「左の頬です。」父は娘の右の頬を打って言った、「これでいいだろう。夫に言うがよい。彼は私の娘を打った、しかし私は彼の妻を打ったと。」
雨はやんでいた。新たな者らも到着した。労働者らは上衣の下に隠して種々なものを持ってきていた、火薬の樽《たる》一個、硫酸の壜《びん》のはいってる籠《かご》一つ、謝肉祭用の炬火《たいまつ》二、三本、「国王祝名祭の残り物」たる灯明皿《とうみょうざら》のはいった一つの籠。この祭は少し前、五月一日に行なわれたのだった。それらの品物は、サン・タントアーヌ郭外のペパンという雑貨商の家から持ってこられたということである。また、シャンヴルリー街のただ一つの街灯、その向こうサン・ドゥニ街にある街灯、それからモンデトゥールやシーニュやプレシュールやグランド・トリュアンドリーやプティート・トリュアンドリーなど付近の街路のあらゆる街灯を、人々はこわしてしまった。
アンジョーラとコンブフェールとクールフェーラックとがすべてを指揮していた。そして今や二つの防寨《ぼうさい》が、コラント亭を基点として直角をなすように同時に築かれていた。大きい方はシャンヴルリー街をふさぎ、も一つはモンデトゥール街のシーニュ街の方面をふさいでいた。このあとの方のはごく狭くて、樽《たる》と舗石《しきいし》とだけで作られた。働いてる者は約五十人で、その三十人ばかりは銃を持っていた。途中で彼らはある武器商の店をすっかり徴発してきたのである。
この一隊は実に異様で雑然たるものだった。短上衣を着て騎兵用のサーベルを一つとピストルを二つ持ってる者もあり、シャツ一枚になり丸い帽子をかぶってわきに火薬盒《かやくごう》を下げてる者もあり、灰色の九枚合わせた紙の胸甲をつけて馬具職工用の皮針《かわばり》を持ってる者もあった。「敵を一人残らず[#「敵を一人残らず」に傍点]屠《ほふ》って自分の剣で死ぬんだ[#「って自分の剣で死ぬんだ」に傍点]!」と叫んでる者もあった。しかしその男は剣を持っていなかった。またある男は、その長上衣の上に国民兵の皮帯と弾薬盒とをつけていたが、弾薬盒の被布には公の秩序[#「公の秩序」に傍点]と赤ラシャで縫いつけられていた。隊の番号がついてる銃を持ってる者が多く、帽子をかぶってる者はごく少なく、襟飾《えりかざ》りをしてる者はひとりもなく、たいてい皆腕をまくり、また槍《やり》を持ってる者もいた。それに加うるに、あらゆる年齢、あらゆる顔つき、青白い少年、日に焼けた川岸人足。みな仕事を急ぎ、また互いに助け合いながら何かの希望を語り合っていた。朝の三時ごろには援兵が来るかも知れない――ある一つの連隊はあてにできる――パリー全市が蜂起《ほうき》するだろう。また一種の親しい快活さがこもってる恐ろしい言葉をかわしていた。あたかも皆兄弟のようであったが、実は互いに名前も知っていなかった。大なる危険は、未知の間柄をも互いに兄弟たらしむる美点を持っている。
料理場には火が熾《おこ》されて、片口や匙《さじ》やフォークなどすべて居酒屋にある錫製《すずせい》のものが、弾型の中で熔《と》かされていた。その片手間に人々は酒を飲んだ。雷管や大弾が、杯といっしょになってテーブルの上に並んでいた。球突場の広間では、ユシュルー上《かみ》さんとマトロートとジブロットとが、恐怖のため三様の変化を受けて、ひとりは惘然《ぼうぜん》としひとりは息をはずましひとりはほんとに目をさまし、古布巾《ふるふきん》を引き裂いて綿撒糸《めんざんし》をこしらえていた。三人の暴徒が彼女らに手伝っていた。髪の毛が長くて頤鬚《あごひげ》と口髭《くちひげ》とのあるたくましい男どもで、リンネル女工のような手つきで布を選《え》り分けながら、彼女らをおびえさしていた。
クールフェーラックとコンブフェールとアンジョーラとが、ビエット街の角《かど》で一隊のうちにはいってきたのを見つけた背の高い男は、小さな方の防寨《ぼうさい》で働いていて、はなはだ役に立っていた。ガヴローシュは大きい方の防寨で働いていた。クールフェーラックの家で待っていてマリユスのことを尋ねた若者は、乗り合い馬車をひっくり返す頃から姿を隠してしまった。ガヴローシュは、すっかり有頂天になり顔を輝かして、推進機の役目をしていた。行き、きたり、上り、下り、また上り、騒ぎ、叫んでいた。あたかも一同に元気をつけるためにきてるかのようだった。身を打つ鞭《むち》としては確かに困窮を持っており、飛び回る翼としては確かに快活を持っていた。ガヴローシュは一つの旋風であった。絶えずその顔が現われ、常にその声が聞こえた。同時に至る所に出没して、空中にまでいっぱいひろがっていた。ほとんど目まぐるしいほどの普遍的存在物で、一定の所に止めることはできなかった。大きな防寨はその背中にはっきり彼を感じていた。遊んでる者らを妨げ、懶《なま》けてる者らを刺激し、疲れてる者らを元気づけ、考え込んでる者らを急《せ》き立て、ある者を快活にし、ある者を奮起させ、ある者を憤激させ、すべての者を推し動かし、学生を鼓舞し、労働者を激励し、身を据え、立ち止まり、また駆け出し、騒擾《そうじょう》と努力との上を翔《かけ》り、あちらこちら飛び回り、ささやき、怒鳴り、全員を鞭打《むちう》っていた。実に彼は広大な革命の馬車の繩《なわ》であった。
その小さな双腕は絶えず働き、その小さな肺は絶えず音を立てていた。
「しっかりやれ! もっと舗石《しきいし》だ、もっと樽《たる》だ、もっと道具だ! どこにあるんだ? この穴をふさぐ漆喰《しっくい》をいっぱい持ってこい。こんな小さな防寨《ぼうさい》ではだめだ。もっと高めなくちゃいかん。何でもある物はみんな積め、横にあてろ、ぶち込んじまえ。家をこわせ。防寨はジブー魔女のお茶だ。やあ、ガラス戸がきた。」
その一語に、働いてる者らは叫んだ。
「ガラス戸だと! そんな物をどうしようというんだ、チュベルキュール!(小僧めが)」
「何だヘルキュール!(大僧めが)」とガヴローシュは答え返した。「ガラス戸は防寨には素敵だ。攻めることはできるが、取ることはできねえ、壜《びん》の破片《かけら》が立ってる壁越しに林檎《りんご》を盗んだことがあるか。国民兵が防寨に上ろうとすりゃあ、ガラス戸で足の蹠《うら》を切っちまわあ。へん、ガラスという奴《やつ》は裏切り人だ。お前たちにはいい考えはねえんだな!」
また彼は、撃鉄のないピストルのことにいら立っていた。人ごとに尋ね回った。「銃をくれ! 銃がいるんだがな。なぜだれも俺《おれ》に銃をくれねえのか。」
「お前に銃だって!」とコンブフェールは言った。
「なに!」とガヴローシュは答え返した、「どうしていけねえんだ? 一八三〇年には、シャール十世と戦った時には、俺だって一つ持っていたんだぜ。」
アンジョーラは肩をそびやかした。
「大人《おとな》に余ったら子供にもやるよ。」
ガヴローシュは昂然《こうぜん》と向き返って、彼に答えた。
「お前が先に死んだら、お前のを俺《おれ》がもらってやる。」
「小僧!」とアンジョーラは言った。
「青二才!」とガヴローシュは言った。
うっかりしてる洒落者《しゃれもの》が街路の向こうを通りかかったので、その方に心が向いた。
ガヴローシュはその男に叫んだ。
「こっちにこないか、若いの! 老いぼれた祖国のために、何か一つ働いてみる気はないか。」
洒落者は逃げ出してしまった。
五 準備
当時の新聞に、このシャンヴルリー街の防寨《ぼうさい》は、ほとんど難攻不落の構造であって、二階ほどの高さにおよんでいたと書き立てたが、それはまちがいである。実際はただ六、七尺の高さにすぎなかった。そして戦士が思うままにその背後に隠れ、あるいはそこから瞰射《かんしゃ》し、またはその頂上にも上れるよう、内部には段をなして積み重ねた舗石《しきいし》が四列作られていた。防寨の前面には、舗石や樽《たる》がつみ重ねられ、更にアンソーの荷車と乗り合い馬車とがひっくり返されて、その車輪にさし込んだ支柱や板で固められ、錯雑していかんともし難い光景を呈していた。人ひとり通れるくらいの切れ目が、居酒屋に遠い一端と人家の壁との間に設けられていて、どうにか出入りができるようになっていた。乗り合い馬車の轅《ながえ》は、まっすぐに立てられ繩《なわ》で結えられて、その先につけられた赤旗が防寨《ぼうさい》の上に翻っていた。
モンデトゥール街の小さな防寨は、居酒屋の後ろに隠れて見えなかった。その連結した二つの防寨は、まったく一つの角面堡《かくめんほう》であった。アンジョーラとクールフェーラックとは、モンデトゥール街の他の一方には防寨を設けなくてもいいと考えた。それはプレーシュール街をぬけて市場町への出口となっていた。彼らはおそらく、できるならば外部との連絡を保たんと欲し、また危険で困難なプレーシュール小路からの攻撃をあまり恐れなかったのであろう。
フォラールがその戦略上の言葉で鋸歯壕《きょしごう》とも呼びそうなものを形造ってるその自由な出口を外にし、またシャンヴルリー街につけられてる狭い切れ目を別にすると、居酒屋がつき出ている防寨内部は、四方を城砦《じょうさい》で閉じた不規則な四角形をなしていた。大きい方の防寨と街路の奥に立ってる高い人家との間は、約二十歩ばかりの距離で、そのために、上から下まで雨戸をしめ切ったまま人が住んでるそれらの人家に防寨がよりかかったようになっていた。
それらの工事は、一時間足らずのうちにとどこおりなくなされたのであって、その間この勇敢な一群の人々の前には、一つの軍帽も一つの銃剣も現われなかった。またその騒ぎの最中にサン・ドゥニ街を通りかかる市民もままあったが、彼らは皆シャンヴルリー街に一瞥《いちべつ》を投げて防寨を認め、足を早めて去ってしまった。
二つの防寨の工事が終わり赤旗が掲げられると、人々は居酒屋の外にテーブルを一つ持ち出した。クールフェーラックはその上に上がった。アンジョーラが四角な箱を持ってき、クールフェーラックがそれを開いた。中には弾薬がいっぱいはいっていた。その弾薬を見ると、勇敢な人々はおどり上がった。そしてちょっと静まり返った。
クールフェーラックはほほえみながら弾薬を分配した。
各人三十個ずつ弾薬をもらった。多くの者はそのほかに火薬を所持していたので、鋳られた弾とそれとでまた弾薬をこしらえた。火薬の小樽《こだる》は、扉《とびら》のそばの別のテーブルの上にのせて取って置かれた。
パリー中にひろがってゆく国民兵召集の太鼓は、なお絶えず続いていたが、ついにはただ単調な響きになってしまって、彼らの注意をもう少しもひかなかった。その響きはあるいは遠ざかり、あるいは近づいて、陰鬱《いんうつ》な波動をなしていた。
人々は皆いっしょになって、別に急ぎもせず荘重なまじめさで、小銃やカラビン銃に弾をこめた。アンジョーラは防寨《ぼうさい》の外に三人の哨兵《しょうへい》を出し、ひとりをシャンヴルリー街に、ひとりをプレーシュール街に、ひとりをプティート・トリュアンドリー街の角に置いた。
かく防寨を築き、部署を定め、銃には弾をこめ、見張りを出し、もはや人通りもない恐ろしい街路に残り、人の気配《けはい》もしない黙々たる死んだような人家に囲まれ、しだいに濃くなってゆく夕闇《ゆうやみ》のうちに包まれ、一種悲壮な恐ろしい気がこもっていて何かが進んでくるように思われる闇と沈黙とのうちにあって、孤立し武装し決意し落ち着いて、彼らは待ち受けた。
六 待つ間
戦いを待ってるその間、彼らは何をしたか?
これは歴史であるからして、われわれはそれを語らなければならない。
男らは弾薬を作り、女らは綿撒糸《めんざんし》をこしらえ、弾型に入れるためにとかす錫《すず》や鉛がいっぱいはいってる大きな鍋《なべ》は盛んな炉の火にかかって煙を出しており、見張りの者らは武器を腕にして防寨《ぼうさい》の上で番をし、他に心を散らさないアンジョーラは見張りの者らを監視していたが、その間に、コンブフェール、クールフェーラック、ジャン・プルーヴェール、フイイー、ボシュエ、ジョリー、バオレル、および他の数名の者らは、互いに学生間でむだ話にふける平常の時のように、いっしょに寄り集まり、窖《あなぐら》と変化した居酒屋の片すみ、築かれた角面堡《かくめんほう》から二、三歩の所で、装薬し実弾をこめたカラビン銃を椅子《いす》の背に立てかけて、愉快なる青年らではないか、危急のまぎわにありながら恋の詩を吟じ始めた。
その詩は次のとおりであった。
君記憶すやわれらの楽しき生を、
うら若きふたりにてありける頃、
また心にいだく望みと言わば
美服と愛とのみなりける頃を!
君が年齢《とし》わが年齢《とし》に加うるも
未だ四十に満たざりし頃、
またわれらのつましき家庭には
冬とても物皆春なりし頃を!
美しき日々なりしよ! マニュエルは気高《けだか》く、
パリーは聖《きよ》き宴楽《うたげ》にふさわしく、
フォアは怒号し、また君が胸衣には
一つの針ありて常にわが身を刺したりき。
(訳者注 マニュエルは王政復古頃の雄弁家、フォアはナポレオン旗下の将軍にして後に自由党の雄弁家)
すべて皆君をながめぬ。徒食のわれが
プラドーへ君を食事に伴いし時、
薔薇《ばら》の花さえ君が妙《たえ》なる姿を
振り返り見るかとわれには思えぬ。
花は言いぬ、いかに美しの少女《おとめ》よ、
ああよきかおりよ、ああ波うてる髪よ!
その肩衣の下には一つの翼ひそみ、
可憐なる帽子はまだ半ば蕾《つぼみ》なるよと。
君がたおやかなる腕を取りて共に歩けば、
いみじき恋に心楽しきふたり、
やさしき四月と麗しき五月との仲よと、
道行く人にもわれらは思われぬ。
甘き禁断の果実《このみ》を、愛を、味わいつつ、
世に隠れ心満ちてわれらは暮らしぬ。
わが脣《くちびる》に上る言葉の数々は
既に君の心が応《いら》えたることのみなりき。
ソルボンヌの園こそは牧歌の場所、
われは朝《あした》に夕《ゆうべ》に君を愛しぬ。
かくてぞただ愛に燃ゆる心は、
ラタン街区をして愛情の国とはなしぬ。
おおモーベール広場よ、ドーフィーヌ広場よ!
さわやかな春めける小屋の中、
細けき膝《ひざ》に君が靴足袋《くつした》を引き上ぐる時、
われは屋根裏に輝ける星を見たりき。
われは多くプラトンを読みしもすべて忘れぬ、
マルブランシュもはたラムネーも何かせん、
われは更に多く天国の幸《さち》を感じたりき、
君より受くる一輪の花のうちにこそ。
(訳者注 マルブランシュは十七世紀末の唯神論者、ラムネーは十九世紀初めの神学者)
われは君が意に従い、君はわが意に服しぬ。
夜明けより古き鏡に若き額を映しつつ
シャツのままにて行ききする君を見し、
また君が胸ひもをしめやりし、おお金色の陋屋《ろうおく》よ!
いかにしてか忘れ得べき!
リボンと花と紗《しゃ》と艶衣《つやぎぬ》と
おお曙《あけぼの》と蒼天《あおぞら》とのその時代よ、
愛は楽しき隠語をささやきしその時代よ!
われらの庭はチューリップの一鉢《ひとはち》。
君は裳衣にて窓を隠しぬ。
素焼きの碗《わん》をわれは取り、
瀬戸の皿《さら》を君には与えぬ。
更にまたわれらが興ぜし大なる災い――
焼けし君がマッフ、失《な》くせし首巻き、
または夜食の料にとわれらが売りし
セークスピアの貴《とうと》き肖像よ!
われは乞《こ》い、君は豊かに与えぬ。
君が清き丸き腕《かいな》、われはそと脣《くち》づけぬ。
栗《くり》の実《み》を興がりて食せんためには
二折本のダンテを食卓とはなしぬ。
たのしき陋屋《ろうおく》のうちにてわが脣を
燃ゆる君が脣に始めて触れし時、
髪を乱し頬《ほお》を赤めて君去りし時、
色青ざめてわれはひとり、神を念じぬ。
君記憶すや、数限りなきわれらが幸《さち》を、
またついにはぼろとなりしかの襟巻《えりま》きを。
おおいかに多くの嘆息は、暗きわれらが心より
深き空の彼方《かなた》へと上りゆきたりけるよ!
その時、その場所、浮かびくる青春の思い出、空に輝きそめる二、三の星、人無き街路の寂寞《せきばく》たる静けさ、準備されている厳正なる事変の急迫、それらは、前に述べたとおり叙情詩人であるジャン・プルーヴェールが暗闇《くらやみ》の中で低唱する右の詩句に、一種悲痛な魅力を与えていた。
そのうちに、小さな防寨《ぼうさい》の中には豆ランプがともされ、大きな防寨の中には、四旬節祭前日にクールティーユへ行く仮面を積んだ馬車の前に見られるような蝋炬火《ろうたいまつ》が一本ともされた。それらの炬火は前に言ったとおりサン・タントアーヌ郭外からきたものである。
この炬火は、風に消されないように三方に舗石《しきいし》を立てた一種の籠《かご》の中に置かれて、その光はすべて旗の上に射《さ》すようになっていた。街路も防寨も闇の中に沈んでいて、この大きな龕灯《がんどう》で恐ろしく照らされた赤旗のほかは、何にも見えなかった。
その光は、一種言い知れぬすごい赤味を旗の紅色に添えていた。
七 ビエット街にて列に加わりし男
まったく夜になってしまったが、何事も起こってこなかった。ただ漠然《ばくぜん》たるどよめきが聞こえていて、また間を置いて小銃の響きがしたが、それもごくまれでかつ遠いわずかなものだった。かく長引くのは、政府の方でその間を利用して兵力を集めてるしるしだった。今やこの五十人の者は、六万の兵を待っていたのである。
アンジョーラは、恐るべき事変のまぎわに強い心の者を襲う一種の焦燥を感じていた。彼はガヴローシュをさがしに行った。ガヴローシュは階下《した》の広間にいて、テーブルの上に散らかってる火薬を用心して勘定台の上に置かれた二本の蝋燭《ろうそく》の弱い光で、弾薬を作っていた。その蝋燭の光は家の外には少しももれていなかった。なお暴徒らは階上ではまったく火をともさないようにしていた。
ガヴローシュはその時非常に気を取られていた。しかしそれはまさしく弾薬の方へではなかった。
ビエット街で列に加わってきた男が、下の広間にはいってきて一番薄暗いテーブルの所にすわったのである。彼はりっぱな歩兵銃を手に入れて、それを両膝《りょうひざ》の間に持っていた。ガヴローシュはその時まで、たくさんのおもしろいことに気を取られて、その男には目もつけなかった。
今男が室《へや》にはいってきた時、ガヴローシュはその銃を感心して機械的に見やった。それから、男が腰をおろした時、ガヴローシュは突然立ち上がった。もしその以前に男の様子をうかがったら、彼が特別の注意をもって防寨《ぼうさい》の中や暴徒らの間を観察してるのが見られたはずである。しかし室の中にはいってきてからは、何か深く考え込んで、もう周囲に行なわれてることを少しも見ないがようだった。浮浪少年はその考えにふけってる男に近寄り、眠ってる者をさますのを恐れでもするように爪先《つまさき》で、そのまわりを歩き始めた。と同時に、厚かましくかつまじめな、軽快でかつ考え深い、快活でかつ鋭い、彼の子供らしい顔には、老人らしい渋面が浮かんだ。それはこういう意味だった。「なあに! ――そんなことがあるもんか――俺《おれ》の見違いだ――夢を見てるんだ――そんなことがあろうか――いやあるはずはない――でもそうだ――いやそうじゃない。云々。」ガヴローシュは踵《かかと》の上に身を揺すり、ポケットの中に両手を握りしめ、小鳥のように首を振り、下脣《したくちびる》をつき出して慧敏《けいびん》らしい脹《ふく》れ面《つら》をした。彼はびっくりし、不安心で、半信半疑で、気迷っていた。その顔つきは、奴隷市《どれいいち》で山出し女どもの中にひとりのヴィーナスを見いだした宦官《かんがん》の長のようでもあり、三文絵の中にラファエロの一枚を掘り出した美術愛好者のようでもあった。物をかぎ分ける本能も、物を考察する知力も、彼のうちのすべてが働いていた。ガヴローシュに一大事が起こったことは明らかだった。
アンジョーラがやってきたのは、かく彼が最も考えあぐんでる時だった。
「お前は小さくて人目につかないから、」とアンジョーラは言った、「防寨《ぼうさい》から出て、人家に沿って忍んでゆき、方々を少し見回って、どんな様子だか僕に知らしてくれ。」
ガヴローシュはすっくと身を伸ばした。
「小僧も何かの役には立つんだね。結構だ。行ってこよう。だがね、小僧に安心できても、大僧には安心できねえよ。」
そしてガヴローシュは、頭を上げ声を低め、ビエット街ではいってきた男を指さしながら言い添えた。
「あの大僧がわかるかい。」
「それがどうした?」
「あいつは回し者だ。」
「確かか。」
「半月ほど前に、俺《おれ》がロアイヤル橋の欄干で涼んでると、耳をつかまえて引きおろした奴《やつ》だ。」
アンジョーラはすぐに浮浪少年のもとを去り、向こうにいたひとりの酒樽人足《さかだるにんそく》にごく低く数語ささやいた。その労働者は室《へや》から出て行ったが、またすぐに三人の仲間をつれてはいってきた。そしてこの肩幅の広い四人の人夫は、ビエット街からきた男が肱《ひじ》でよりかかってるテーブルの後ろに、気づかれないようにそっと並んだ。彼らは明らかに今にもその男に飛びかかりそうな姿勢を取った。
その時アンジョーラは、男に近づいていって尋ねた。
「君はだれだ?」
その突然の問いに、男ははっとして顔を上げた。彼はアンジョーラの澄み切った瞳《ひとみ》の奥をのぞき込んで、その考えを読み取ったらしかった。そして世に最も人を見下げた力強い決然たる微笑を浮かべて、昂然《こうぜん》としたいかめしい調子で答えた。
「わかってる……そのとおりだ!」
「君は間諜《スパイ》なのか。」
「政府の役人だ。」
「名前は?」
「ジャヴェル。」
アンジョーラは四人の者に合い図をした。するとたちまちのうちに、振り返る間もなくジャヴェルは、首筋をつかまれ、投げ倒され、縛り上げられ、身体を検査された。
彼は二枚のガラスの間に糊付《のりづ》けにされた小さな丸いカードを一枚持っていた。その一面には、フランスの紋章と「監視と警戒」という銘がついており、他の面には、「警視ジャヴェル、五十二歳」としるしてあって、当時の警視総監ジスケ氏の署名があった。
そのほかに彼は、時計を一つと数個の金貨がはいってる金入れとを持っていた。人々はその二品を彼に返した。時計のはいっていた内隠《うちかく》しの底を探ってみると、封筒にはいってる一枚の紙があった。アンジョーラはそれを開いて、同じく警視総監の手で書かれた次の数行を読んだ。
警視ジャヴェルは、その政治上の任務を果たしたる上は直ちに、特殊の監視を行ないて、セーヌ右岸イエナ橋付近の汀《みぎわ》における悪漢どもの挙動を確かむべし。
身体をさがし終わると、人々はジャヴェルを引き起こし、両腕を後手《うしろで》に縛り上げ、昔その居酒屋の屋号の由来となった室《へや》の中央の名高い柱に結えつけた。
ガヴローシュはそれらの光景に臨み、黙ってうなずきながらすべてを承認していたが、そのジャヴェルに近寄って言った。
「鼠《ねずみ》が猫《ねこ》をつかまえたんだ。」
それらのことはきわめてすみやかに行なわれたので、居酒屋のまわりにいた者らがそれと気づいた時は、もうすべてが終わっていた。ジャヴェルは声一つ立てなかった。ジャヴェルが柱に縛りつけられたのを見て、クールフェーラックとボシュエとジョリーとコンブフェールと、二つの防寨《ぼうさい》に散らばっていた人々とは、そこに駆けつけてきた。
ジャヴェルは柱を背に負い、身動きもできないほど繩《なわ》で巻きつけられていたが、かつて嘘《うそ》を言ったことのない男にふさわしい勇敢な沈着さで頭を上げていた。
「こいつは間諜《スパイ》だ。」とアンジョーラは言った。
そして彼はジャヴェルの方へ向いた。
「防寨《ぼうさい》が陥る十分前に君を銃殺してやる。」
ジャヴェルはその最も傲然《ごうぜん》たる調子で言い返した。
「なぜすぐにしない?」
「火薬を倹約するためだ。」
「では刃物でやったらどうだ。」
「間諜、」と麗わしいアンジョーラは言った、「われわれは審判者だ、屠殺者《とさつしゃ》ではない。」
それから彼はガヴローシュを呼んだ。
「お前は自分の用をしないか。僕が言いつけたことをやってこい。」
「今いくよ。」とガヴローシュは叫んだ。
そして、行きかけて立ち止まった。
「ところで、俺《おれ》にあいつの銃をおくれよ。」そしてまた付け加えた。「奴《やっこ》さんの方は君にあげるが、俺は道具の方がほしいんだ。」
浮浪少年は挙手の礼をして、大きい方の防寨の切れ目を喜んで出て行った。
八 ル・カブュクと呼ばるる男に関する疑問
もし、ガヴローシュが出かけて行った後ほとんどすぐに起こった壮烈な恐ろしい一事件を、この概略な草案からはぶいたならば、われわれがここに試作してる悲壮な画面は不完全なものとなるだろう、そして、痙攣《けいれん》と努力とを交じえた社会的|産褥《さんじょく》と革命的|分娩《ぶんべん》との偉大な時間を、そのありのままの正確な浮き彫りで読者に見せることができないだろう。でわれわれはその一事をここに付加したい。
人の知るとおり、群集は雪達磨《ゆきだるま》のようなもので、転々しながらもしだいに多くの野次馬を巻き込むものである。それらの人々は互いにどこからきたかとも尋ね合わない。ところでアンジョーラとコンブフェールとクールフェーラックとに導かれた一群にも、途中から加わってきた多くの者があったが、そのうちに、肩のすれ切った人夫ふうな短上衣を着、盛んに身振りをし、声が太く、気の荒い酔っ払いみたいな顔つきをした、ひとりの男がいた。その男は、本名か綽名《あだな》かはわからないがル・カブュクと呼ばれていた。そしてまた、見覚えがあるようだと言ってる人たちも本当はまったく知らないのであって、ひどく酩酊《めいてい》してるのかまたはそのまねをしてるのかもわからなかった。彼は数人の者とともに、居酒屋の外に持ち出したテーブルにすわっていた。そして一座の者らに酒をすすめながら、防寨《ぼうさい》の奥にある大きな人家をながめてはしきりに考えてるらしかった。その六階建ての家は、街路をずっと見おろして、サン・ドゥニ街に正面を向けていた。すると突然彼は叫んだ。
「おい皆の者、あの家《うち》から射撃したらいいじゃねえか。あの窓に控えてりゃあ、だれも街路を進んでくることはできねえ。」
「うん、しかし家はしまってるからな。」と酒を飲んでた一人が言った。
「たたいてみようや。」
「たたいたってあけるものか。」
「では扉《とびら》をぶちこわすばかりだ。」
ル・カブュクは扉の所へ駆けて行って、そこについてる大きな槌《つち》を取ってたたいた。扉は開かれなかった。彼は二度たたいた。何の返事もなかった。彼は三度たたいた。やはりしいんとしていた。
「だれかいねえか。」とル・カブュクは叫んだ。
何の動くものもなかった。
その時彼は銃を取って、その床尾で扉をたたき始めた。それは穹窿形《きゅうりゅうけい》の低い狭い丈夫な古い通路門で、全部|樫《かし》の木で造られ、内部には鉄板を張り鉄骨が施されていて、監獄の暗道そっくりだった。銃床尾でたたいても、家は揺れたが扉はびくともしなかった。
けれども、家の者らは心配したと見えて、ついに四階の小さな四角い軒窓に光がさし、それが開き、一本の蝋燭《ろうそく》が現われ、半白の髪をした老人の静かなしかもおびえた顔が現われた。それは門番だった。
ル・カブュクは扉をたたくのをやめた。
「皆さん、」と門番は尋ねた、「何の御用ですか。」
「あけろ。」とル・カブュクは言った。
「それはできません。」
「是非あけろ。」
「なりません。」
ル・カブュクは銃を取って、門番をねらった。しかし彼は下の方にいたし、ごく暗かったので、門番にはその姿が見えなかった。
「さああけるかどうだ。」
「あけられません。」
「あけないというのか。」
「はいあけません、どうか……。」
門番が、その言葉を言い終わらないうちに、銃は発射された。弾は頤《あご》の下から頸静脈《けいどうみゃく》を貫いて首の後ろにぬけた。老人は声も立てずにがくりとなった。蝋燭《ろうそく》は下に落ちて消えた。そしてあとに見えるものは、軒窓の縁にもたれてる動かぬ頭と、屋根の方へ上ってゆく少しのほの白い煙ばかりだった。
「このとおりだ!」とル・カブュクは言いながら、舗石《しきいし》の上に銃の床尾をおろした。
しかしその言葉を言い終わるか終わらないうちに彼は、自分を鷲《わし》づかみにする重い手を肩の上に感じ、また自分に言いかける声を聞いた。
「ひざまずけ。」
振り向いてみると、アンジョーラの白い冷ややかな顔が前にあった。アンジョーラは手にピストルを持っていた。
彼は銃の音を聞いてすぐにやってきたのである。
彼は左手で、ル・カブュクの首筋と上衣とシャツとズボンつりとを一つかみにした。
「ひざまずけ。」と彼はくり返した。
そして厳然たる様子でこのやせた二十歳の青年は、太い頑丈《がんじょう》な人夫を一枝の葦《あし》のようにへし折って、泥の中にひざまずかした。ル・カブュクは抵抗しようとしたが、あたかも人力以上の手につかまれてるがようでどうにもできなかった。
その時、色を変え首をあらわにし髪をふり乱してるアンジョーラには、その女のような顔つきをもってして、何となく古《いにしえ》のテミス(訳者注 正義の女神)のような趣があった。彼のふくらした小鼻、伏せた目は、そのギリシャ式の厳乎《げんこ》たる横顔に、古人が正義の姿にふさわしいものとした憤怒の表情と清廉の表情とを与えていた。
防寨《ぼうさい》のうちにいた者は皆駆けつけてき、少し遠巻きに居並んで、まさに起こらんとする事柄に対して一言をも発することができないように感じた。
ル・カブュクは取りひしがれて、もうのがれようともせず、ただ全身を震わしていた。アンジョーラは手を放して、時計を取り出した。
「気を落ちつけろ。」と彼は言った。「祈るか考えるかするがいい。一分間の猶予を与えてやる。」
「許して下さい!」と殺害者はつぶやいた。それから頭を下げて、舌の回らぬわめき声を立てた。
アンジョーラは時計を見つめていたが、一分間過ぎるとそれを内隠しに納めた。それから、わめきながらうずくまってるル・カブュクの頭髪をつかみ、その耳にピストルの先をあてがった。最も恐るべき暴挙のうちに平然と加入してきた多くの勇敢な人々も、顔をそむけた。
一発のピストルの音がして、殺害者は額から先に地面の上に倒れた。アンジョーラはすっくと背を伸ばし、信念のこもったいかめしい目つきであたりを見回した。
それから彼は死体を蹴《け》やって言った。
「そいつを外に投げすてろ。」
死にぎわの機械的な最後の痙攣《けいれん》でぴくぴくやってるみじめな男の身体を、三人の男が持ち上げて、小さな防寨《ぼうさい》からモンデトゥール街に投げすてた。
アンジョーラはじっと考え込んでいた。ある壮大な神秘な影が、彼の恐ろしい清朗さの上に静かにひろがっていった。突然彼は声を上げた。人々は静まり返った。
「諸君、」とアンジョーラは言った、「あの男がなしたことは憎むべきものである、僕がなしたことは恐るべきものである。彼は人を殺した、それゆえに僕は彼を殺した。反乱にも規律が必要であるから、僕はそれをなさなければならなかった。殺害は、他におけるよりもわれわれの間においていっそう罪悪となる。われわれは革命に監視されている。われわれは共和の牧師である、われわれは義務の犠牲《いけにえ》である。われわれの戦いは一点の汚れもないものでなければならない。それゆえ僕はあの男を裁いて死刑に処した。僕は心ならずもそうなさざるを得なかった。そしてまた自分自身をも裁いている。やがて諸君は、僕が自分自身をいかなる刑に処したかを見るだろう。」
聞いていた者らは身を震わした。
「われわれも君と運命を共にする。」とコンブフェールは叫んだ。
「よろしい。」とアンジョーラは言った。「なお一言しておきたい。あの男を処罰しながら、僕は必然の理に服従した。しかし必然の理は旧世界の一怪物である。必然の理はすなわち宿命と呼ばれる。しかるに進歩の法則は、怪物が天使の前に消滅することであり、宿命が友愛の前に消散することである。今は愛という語を口にするのは当を得ない時期であるが、しかも僕はあえてそれを口にし、それを賛美する。愛よ、未来は汝のものである。死よ、われは今汝を使用するがしかし汝を憎む。諸君、未来には、暗黒もなく、剣撃もなく、狂猛な無知もなく、血腥《ちなまぐさ》い復讐《ふくしゅう》もないだろう。もはやサタンもないとともに、ミカエル(訳者注 戦の天使)もないだろう。未来には、何人《なんぴと》も人を殺すことなく、地は輝き渡り、人類は愛に満たさるるだろう。諸君、すべてが一致と調和と光輝と喜悦と生命とであるべき日も、やがては来るだろう。そしてわれわれがまさに死なんとするのは、そういう日をきたさんためである。」
アンジョーラは口をつぐんだ。その潔い脣《くちびる》は再び閉じた。そして彼は血を流したその場所に、しばらく大理石のような不動の姿で立ちつくしていた。彼のじっと据わった目は、周囲の人々をして声を低めさした。
ジャン・プルーヴェールとコンブフェールとは、黙って手を握り合い、防寨《ぼうさい》の角《かど》で互いに寄り添って、死刑執行者であるとともにまた牧師であり、水晶《すいしょう》のごとき光輝であるとともにまた巌《いわお》である、その厳乎《げんこ》たる青年を、同感のこもった嘆賞の心でうちながめていた。
あとでというよりも今ここにすぐ言っておくが、戦いの後に、すべての死体が収容所に運ばれて探査された時、ル・カブュクの懐中から警官のカードが一つ現われた。本書の著者は、この事件に関して一八三二年の警視総監に提出された特殊の報告を、一八四八年に手に入れたのである。
なお言い添えたいことには、不思議ではあるがたぶん事実らしい警察の言い伝えによると、ル・カブュクは実はクラクズーだったというのである。実際、ル・カブュクが死んで以来クラクズーのことは一度も出てこなくなった。クラクズーの消滅の経路はまったくわからなくなっている。あたかも彼は目に見えないものに化してしまったがようである。彼の生涯は暗黒であり、その終わりは闇夜《やみよ》であった。
一群の暴徒らは皆、かくもすみやかに調査され処分されたその悲壮な審判に、なおいたく感動していた。その時クールフェーラックは、その朝彼の家にきてマリユスを尋ねた小さな青年の姿を、再び防寨《ぼうさい》の中に見いだした。
豪胆なまたむとんちゃくな様子をしたその若者は、夜になって暴徒らの中に再びはいってきたのだった。
第十三編 マリユス闇《やみ》の中に入る
一 プリューメ街よりサン・ドゥニ街区へ
シャンヴルリー街の防寨《ぼうさい》へマリユスを呼んだ薄暗がりの中の声は、彼にはあたかも宿命の声かと思われた。彼は死を望んでいたが、その機会が今与えられたのである。彼は墳墓の扉《とびら》をたたいていたが、闇の中の手が今や彼にその鍵《かぎ》を与えたのである。絶望の前に暗黒のうちに開かれる痛ましい戸口は、常に人の心を誘う。マリユスは幾度となく自分を通してくれた鉄門の棒をはずし、庭から出て、そして言った、「行こう!」
悲しみのために心乱され、もはや脳裏には何ら一定の確乎《かっこ》たるものをも感ぜず、青春と愛と歓喜とのうちに二カ月を過ごした後今や運命を少しも受け入れることを得ず、絶望からくる夢想に一時に圧倒されて、彼はもうただ一つの望みしか持っていなかった、すなわち、すみやかにいっさいを終えること。
彼は足早に歩き出した。ジャヴェルが与えた二つのピストルを持っていたので、おりよく武装していたわけである。
ちらと目に見えた若者は、街路のうちに彼の目からのがれてしまっていた。
マリユスはブリューメ街を大通りへぬけてゆき、エスプラナードとアンヴァリード橋とを過ぎ、シャン・ゼリゼーとルイ十五世広場とを通り、リヴォリ街にはいった。そこではまだ、商店は開いており、拱廊《きょうろう》の下にはガス灯がともってい、女らは店で買い物をし、レーテル珈琲《コーヒー》店では[#「レーテル珈琲《コーヒー》店では」は底本では「レーテル珈琲店《コーヒー》では」]客が氷菓子を食べ、イギリス菓子屋では人々が小さな菓子を食っていた。ただ四、五の駅馬車がプランス旅館やムーリス旅館から大駆けで出発していた。
マリユスはドゥロルム通路からサン・トノレ街へはいった。そこでは、商店は閉ざされ、商人らは半ば開いた扉《とびら》の前で話し合ってい、人通りはまず絶えず、街灯はともり、二階から上の窓はすべて平素のとおり光がさしていた。パレー・ロアイヤルの広場には騎兵がいた。
マリユスはサン・トノレ街をたどっていった。パレー・ロアイヤルから遠ざかるに従って、光のさす窓は少なくなり、商店はすっかり閉ざされ、入り口に立って話をしてる者もなく、街路はしだいに暗くなり、同時に群集はしだいに密集していた。というのは、通行人らはもう一つの群集だったからである。群集の中にはだれも口をきいてる者は見当たらなかったが、しかも漠然《ばくぜん》たる深いどよめきが発していた。
アルブル・セックの噴水のほとりには、幾つもの「集団」ができていた。それは一種陰惨な不動の群れであって、水の流れの中にある石のようにして行ききする人々の間に佇立《ちょりつ》していた。
プルーヴェール街の入り口では、群集はもう動いていなかった。皆ごく小声で語り合っていて、抵抗力のある太い堅固な緻密《ちみつ》なほとんど貫き難い塊《かたまり》となっていた。そのうちにはもうほとんど黒服も丸帽子も見えなかった。仕事着、労働服、庇帽《ひさしぼう》、剛《こわ》い毛のあるよごれた顔、などばかりだった。その群集は夜の靄《もや》のうちに漠然《ばくぜん》と動揺していた。そのささやきには、身震いをしてるような荒々しい調子があった。ひとりも歩いてる者はなかったが、地の上を踏む足音が聞こえていた。その密集した群れの向こう、ルール街やブルーヴェール街やサン・トノレ街の先の方などには、もう蝋燭《ろうそく》の光のさしてる窓ガラスは一つもなかった。街路には街灯の列が向こうまで寂しく続いていてしかもしだいに数が少なくなっていた。当時の街灯は綱にぶら下がってる赤い大きな星みたいなありさまで、大きな蜘蛛《くも》のような形の影を舗石《しきいし》の上に投じていた。それらの街路にはまったく人影がないでもなかった。叉銃《さじゅう》や、動いてる銃剣や、駐屯《ちゅうとん》している軍隊などが、そこに見えていた。しかし野次馬は一人もそれから先に出ていなかった。そこで交通がとだえていた。そこから群集が終わって、軍隊となっていた。
マリユスはもはや何らの希望も持たぬ意力をもってつき進んだ。ただ、呼ばれたので行かなければならなかったのである。彼はようやくにして、群集の中を通りぬけ、軍隊の露営地を横ぎり、巡邏《じゅんら》の目をかすめ、哨兵《しょうへい》の目を避けた。一つ回り道をして、ベティジー街にはいり、それから市場町の方へ進んでいった。ブールドンネー街の角《かど》まで行くと、もう街灯は一つもついていなかった。
群集の地帯を越した後、軍隊の境域を通りすぎたのだった。そして彼はある恐るべきものの中に陥ったような気がした。通行人もなく、兵士もなく、光もない。だれひとりいない。ただ寂寥《せきりょう》と沈黙と暗夜とのみである。言い知れぬ戦慄《せんりつ》が彼を襲った。一つの街路にはいり込むことは、一つの窖《あなぐら》にはいり込むがようだった。
彼はなお続けて進んでいった。
数歩行くと、だれかが彼のそばを駆けぬけた。男であったか、女であったか、または数名の者であったか、彼にはわからなかった。ただそのものは、彼のそばを通りぬけて消えうせてしまった。
ぐるぐる回ってるうちに、彼はポトリー街と思われるある小路のうちに出た。その小路の中ほどで一つの障害物に出会った。手を差し伸ばしてみると、ひっくり返ってる一つの荷車だった。足先で探ると、水たまりや泥濘《どろ》や投げ散らされ積み上げられた舗石《しきいし》などが、感ぜられた。築きかけたまま見捨てられた防寨《ぼうさい》だった。彼はその舗石をまたぎ越して、防寨の向こうに出た。それから標石とすれすれに歩き、人家の壁伝いに進んでいった。防寨から少し先に行った時、前方に何か白い物があるような気がした。近づくと一つの形になった。二頭の白馬だった。午前にボシュエが解き放した乗り合い馬車の馬で、終日街路から街路へとあてもなくさまよい、ついにそこに立ち止まり、人間が天のなすことを了解し得ないように、人間のなすことを了解し得ないで、疲れ切って気長に待っていたのである。
マリユスはその二頭の馬をあとに残して進んだ。コントラ・ソシアル街らしい一つの街路に達した時、一発の銃弾が、どこからともなくやみを貫いてき、そばをかすめ過ぎ、すぐ頭の上で、ある理髪屋の店に下がっていた銅の髯剃《ひげそ》り皿《ざら》に穴をあけた。一八四六年にはなお、コントラ・ソシアル街の市場町の刑柱の角《かど》に、この穴のあいた髯剃り皿が見えていた。
その銃火はなお人のいるしるしだった。しかしそれからはもう、彼は何物にも出会わなかった。
その道程は、あたかも一段一段と暗黒の階段をおりてゆくがようなものだった。
それでもマリユスはなお前進を続けた。
二 梟《ふくろう》の見おろしたるパリー
その晩、蝙蝠《こうもり》かまたは梟の翼をもってパリーの上を飛んだならば、眼下に沈痛な光景が見られたであろう。
市場町の古い一郭は、市中において更に一市をなしてるかの観があって、サン・ドゥニ街とサン・マルタン街とがそこを横ぎり、また無数の小路が錯綜し、それを暴徒らは要塞《ようさい》となし兵営となしていて、上から見おろす時には、パリーのまんなかにあけられてる大きな暗い穴のように見えるのだった。それをのぞき込めば、あたかも深淵《しんえん》の中を見るがようだった。街灯はこわされ窓は閉ざされているので、あらゆる光と生命と響きと動きとはなくなってしまっていた。暴動の目に見えない警戒が至る所を見張って、秩序すなわち暗夜を維持していた。暗黒のうちに小勢を包み込み、その暗黒のうちに含まってる可能性を利用して各戦士を多数に見せかけること、それが反乱の必要な戦術である。日が暮れるや、蝋燭《ろうそく》の光がさしてる窓は皆銃弾を受けた。灯火は消され、時としては住民まで殺された。かくて何物も動いてるものはなくなった。そこにあるものはただ、人家のうちにおいては恐怖と哀悼と喪心のみであり、街路においては一種神聖な戦慄《せんりつ》のみであった。窓や軒の長い列も、煙筒も屋根の高低も、泥にまみれ雨にぬれてる舗石《しきいし》の上の漠然《ばくぜん》たる光の反映も、すべて認められなかった。そして上からその重畳した闇《やみ》の中をのぞけば、所々に間をへだてて、断ち切れた妙な線や異様な構造物の輪郭などを浮き出さしてるおぼろな明るみが、廃墟の中を行ききする光に似た何かが、たぶんかすかに見られただろう。それがすなわち防寨《ぼうさい》のある場所だった。その他は靄《もや》深い重々しい痛ましい茫漠《ぼうばく》たる闇《やみ》で、その上に高く、サン・ジャックの塔や、サン・メーリーの会堂や、また人工のために巨人となり更に夜のために妖怪となってる二、三の広壮な堂宇が、気味悪い不動の姿をしてそびえていた。
寂然《せきぜん》たる恐ろしいその迷宮の周囲、人の行ききはまだ絶えていず、わずかな街灯がまだともってる町々には、サーベルや銃剣の金属性の光や、砲車の重い響きや、刻々に大きくなってゆく黙々たる軍隊の蝟集《いしゅう》など、すべて暴動の周囲を徐々にとり囲み引き締めてゆく恐るべき帯が、上からはっきり見て取られただろう。
攻囲された一郭は、もはや一種の恐ろしい洞窟《どうくつ》にすぎなかった。そこではすべてが眠っているかあるいは身動きもしないでいるように思えた。そして今述べたとおり、どの街路も皆ただ闇の中に包まれていた。
それこそ獰猛《どうもう》な闇であって、至る所に罠《わな》があり、至る所に何とも知れぬ恐るべき障害物があり、そこにはいりこむのは恐ろしく、そこに止まるのは更に恐怖すべきことであって、はいってゆく者らは待ち受けてる者らの前におののき、待ち受けてる者らはまさにきたらんとする者らの前に震えていた。目に見えない戦士らが街路のすみずみに潜んでいた。墳墓の口が暗夜の深みに隠れていた。万事は終わったのである。今やそこで期待さるるひらめきと言えば、ただ銃火のみであり、そこで期待さるる遭遇と言えば、ただ突然の急速な死の出現のみだった。いずこにて、いかにして、いつの時にか? それはだれにもわからなかったが、しかし確実であり避くべからざることであった。そこで、争闘のために闇でおおわれたその場所で、政府と反乱とは、国民兵と下層社会とは、市民と暴民とは、手探りに互いに接近しつつあった。いずれにとっても、同じ必然の運命があった。殺されて出《い》ずるかもしくは勝利者となって出ずるか、そればかりが今は唯一の出口だった。事実はきわめて切迫し、暗黒はきわめて力強く、最も臆病な者らも決意を感じ、最も勇敢な者らも恐れを感じていた。
また双方とも、憤激と熱中と決心とを同等に持っていた。一方にとっては、進むことは死でありながら、だれも退くことを思わなかった。他の一方にとっては、止まっていることは死でありながら、だれも逃げることを思わなかった。
必ずや翌日までにはすべてが決定し、勝利はいずれかの手に帰し、反乱は革命となるかあるいは暴挙に終わるかのほかはなかった。政府も一揆《いっき》も共にそれを了解し、一介の市民までもそれを感じていた。それゆえ、すべてが決せんとするその一郭の見通すべからざる暗黒のうちには、心痛の念が漂っていた。またそれゆえ、まさに覆滅が生ぜんとするこの沈黙の周囲には、いっそうの懸念が漂っていた。そしてそこに聞こゆるものは、ただ一つの響き、瀕死《ひんし》の喘《あえ》ぎに似た痛ましい響き、呪詛《じゅそ》の声に似た恐ろしい響き、すなわちサン・メーリーの警鐘の音のみだった。暗黒のうちに慟哭《どうこく》する狂乱し絶望せるその鐘の響きこそ、世に最も人を慄然《りつぜん》たらしむるものであった。
しばしば見らるるとおり、今や自然も人間がまさになさんとすることと調子を合わしてるようだった。その痛ましい両者の調和を何者も乱すものはなかった。星は姿を隠し、重々しい雲は陰鬱《いんうつ》な層をなして空の四方をおおっていた。死のごときその一郭の街路の上には暗い空がかぶさっていて、あたかもその広い墳墓の上に広大な喪布をひろげたようだった。
まだまったく政治的のみなる戦いが、既に多くの革命の事変を見たその一郭のうちに、しだいに準備されつつある間に、青春と秘密結社と学校とが主義の名において、また中流市民階級が利害の名において、互いに衝突し駆逐し争闘せんとして接近し合ってる間に、各人が足を早めて、危機の最後の決定的瞬間を喚《よ》び起こしてる間に、一方、その致命的なる一郭の外遠くに、幸福|栄耀《えいよう》なるパリーの光耀の下に隠れてるその古いみじめなるパリーの底知れぬ洞窟《どうくつ》の深みに、民衆の陰惨なる声の重々しくうなるのが聞こえていた。
それこそ恐るべきしかも聖なる声であって、獣の咆哮《ほうこう》と神の言葉とから成り、弱者をおびえさし賢者を戒め、獅子《しし》の声のごとく地から来るとともに雷電のごとく天から来るものであった。
三 最後の一端
マリユスは市場町に達していた。
そこは近傍の街路よりも、いっそう静かで暗くひっそりしていた。あたかも氷のごとき墳墓の静けさが、地からいでて空の下にひろがってるかと思われた。
けれども一条の赤い明るみが、シャンヴルリー街のサン・テュスターシュの方をふさいでる人家の高い屋根を、そのまっ暗な奥に浮き出さしていた。それはコラント亭の防寨《ぼうさい》の中に燃えてる炬火《たいまつ》の反映だった。マリユスはその赤い光の方へ進んでいった。そして野菜市場までゆくと、プレーシュール街の暗い入り口が見えた。彼はそこにはいって行った。向こうの端に立っていた暴徒の見張りは、彼の姿を見つけなかった。彼は今まで、さがし求めていたもののすぐそばにきたことを感じ、爪先《つまさき》で歩き出した。かくてモンデトゥール小路の短い街路の曲がり角《かど》まで達した。読者の記憶するとおり、それはアンジョーラが開いて置いた外部との唯一の交通路であった。最後の人家の角《かど》から左へ頭を出して、彼はモンデトゥール街の中をのぞき込んだ。
彼自身をも包む広い闇《やみ》を投じてるシャンヴルリー街とその小路との暗い角から少し先に、舗石《しきいし》の上のかすかな明るみと居酒屋の小部分と、その向こうには一種変な形の壁の中にちらついてる豆ランプと、銃を膝《ひざ》にのせてうずくまってる数名の男とを、彼は認めた。すべてそれらは彼から十間ばかりの所にあった。それは防寨《ぼうさい》の内部だった。
小路の右手に立ち並んだ人家は、居酒屋の他の部屋と、大きい方の防寨と赤旗とを、彼の目からさえぎっていた。
マリユスにはもはや一歩残ってるのみだった。
その時この不幸な青年は、ある標石の上に腰をおろし、腕を組み、そして父のことを思った。
彼は自分の父である勇壮なポンメルシー大佐のことを思った。大佐こそは、いかにも高邁《こうまい》な兵士であって、共和政府の下にあってはフランスの国境を守り、皇帝の下にあってはアジアの境にまで進みゆき、ゼノア、アレキサンドリア、ミラノ、トリノ、マドリッド、ウインナ、ドレスデン、ベルリン、モスコー、などの都市を見、ヨーロッパのあらゆる優勝戦場に、マリユス自身の血管の中にある同じ血潮の数滴を残し、規律と指揮との中に年齢にもまして白髪となり、常に剣帯をしめ、肩章は胸の上にたれ、帽章は火薬に黒ずみ、額には軍帽のために筋がつき、廠舎《しょうしゃ》に陣営に露営にまた野戦病院に夜を明かし、かくて二十年の出征の後に、頬《ほお》には傷痕《きずあと》を留め、顔はほほえみ、素朴で、平静で、崇高で、小児のごとく純潔で、フランスのためにすべてを尽し、何らフランスに反することをなさないで、大戦役から戻ってきたのであった。
彼は自ら言った。自分の日もまた到来したのである。自分の時も、ついに鳴らされたのである。父のあとに自分もまたこれから、毅然《きぜん》として勇敢に大胆に、弾丸の前を行ききし、銃剣に胸を差し出し、おのれの血を流し、敵をさがし、死をさがさんとするのである。今度は自分が戦いをなし、戦場におり立たんとするのである。しかも今、その戦場は街路であり、なさんとする戦いは内乱なのである!
彼は内乱が自分の前に深淵《しんえん》のごとく口を開いているのを見、そこに陥ってゆく自身を顧みた。
その時彼は身を震わした。
彼は祖父がある古物商に売り払ってしまった非常に惜しい父の剣のことを思った。彼は自ら言った。しかしその勇ましい潔い剣が、暗黒のうちにいら立って自分の所をのがれ去ってしまったのは、かえってよかったのである。そのように逃げ去ってしまったのも、賢くて未来を予見したからである。暴動を、溝の戦いを、舗石《しきいし》の戦いを、窖《あなぐら》の風窓からの銃火を、背後から与え合う剣撃を、予感したからである。マレンゴーやフリートラントの戦いを経て、シャンヴルリー街に行くことを欲しなかったからである。父とともにあれだけのことをなした後、その子の自分とともになすべきことを欲しなかったからである! 彼はまた自ら言った。もしその剣が今手もとにあったならば、もしその剣を死せる父の枕辺《まくらべ》から手に取って、街路におけるフランス人同志の夜戦のために、あえて持ち出していたならば、確かにそれは自分の手を焼きつくし、天使の剣のごとく、自分の前に炎を発し始めたであろう! また彼は自ら言った。その剣が今手もとになく行方《ゆくえ》知れずになったのは、仕合わせなことである。至当なことであり正当なことである。祖父こそかえって、父の光栄を真に守ってくれた人である。大佐の剣は、今日祖国の横腹を刳《えぐ》るよりも、競売に付せられ、古物商に売られ、鉄屑《てつくづ》の中に投げ込まれる方が、かえってよいでははないか。
そしてマリユスは苦《にが》い涙を流し始めた。
それは実にたまらないことであった。しかしどうしたらいいのか。コゼットなしに生きることは、彼にはとうていできなかった。彼女が出発した今となっては、彼はもう死ぬよりほかはなかったのである。自分は死ぬであろうと彼女に明言したではないか。彼女はそれを知りつつ出発した。それはマリユスが死ぬのを好んだからに違いない。そしてまた、彼女がもう彼を愛していないことは明らかだった。なぜならば、彼の住所を知りながら、ことわりもなく、一言の言葉もなく、一つの手紙も贈らず、そのまま出発したからである。今や、生も何の役に立つか、また何ゆえの生であるか! しかもここまでやってきながらまた後ろにさがろうとするのか、危険に近づきながら逃げようとするのか、防寨《ぼうさい》の中をのぞき込みながら身を隠そうとするのか。「要するに、もうそういうことはたくさんだ、はっきり見た、それで十分だ、単に内乱ではないか、足を返すべきである、」と言いながら、震えてのがれ隠れようとするのか。自分を待ってる友人らを見捨てようとするのか。彼らはおそらく自分の助力をも必要としてるだろう、一握りの人数をもって多数の軍隊に対抗せんとしているだろう! 愛にも、友情にも、誓いにも、すべてに同時に裏切ろうとするのか。自分の卑怯《ひきょう》さを愛国心の美名で装おうとするのか! 否それはでき難いことであった。そしてもし父の霊がそこに影の中にいて、彼が退こうとするのを見たならば、彼の腰に剣の平打ちを食わして叫んだであろう、「進み行け、卑怯者めが!」
種々の考えが入り乱れて、彼は頭をたれていた。
しかるに突然、彼はまた頭を上げた。一種の燦然《さんぜん》たる信念が彼の脳裏に浮かんだのである。墳墓の間近においては特に思想の明確をきたすものである。死のそばにあっては真の目が開けてくるものである。まさに参加せんとするその行動の幻が彼に現われた。それはもはや悲しむべきものではなく、壮大なものであった。市街戦は、ある内心の働きを受けて、彼の思想の目の前ににわかに姿を変えた。夢想のあらゆる疑問の群れは、騒然として彼の頭に浮かんできたが、彼は少しもそれに乱されはしなかった。彼はそれに一々答弁を与えた。
およそ、父は何ゆえに憤ることがあろうぞ。反乱も貴《とうと》い義務とまで高まりゆく場合がないであろうか。目前の戦いに身を投じても、ポンメルシー大佐の子として恥ずべき点がどこにあろう。もとよりそれはモンミライュやシャンポーベール(訳者注 ナポレオンがプロシャ及びロシヤの軍を敗りし所)ではない、それは他の一事である。それは神聖なる祖国の土地の問題ではないが、聖なる思想の問題である。祖国はおそらく嘆くであろう、しかし人類は賛美するであろう。それにまた、真に祖国は嘆くであろうか。フランスは血を流す、しかし自由はほほえむのである。そして自由の微笑の前には、フランスはおのれの傷を忘れるものである。また、更に高い見地よりこれを見る時には、内乱を何と言うべきであろうか。
内乱? それはいったい何の意味であるか。外乱というものが存在するか。すべて人間間のあらゆる戦争は、皆同胞間の戦いではないか。戦いはただその目的によってのみ区別さるべきである。世には外乱もなく内乱もない。ただ不正の戦いと正義の戦いとがあるのみである。人類全体の大協約が締結さるる日までは、戦争は、少なくともおくれたる過去に対抗する進んだる未来の努力たる戦争は、おそらく必要であろう。この戦いに何の難ずべき点があるか。戦いが恥ずべきものとなり、剣が匕首《あいくち》となるのは、ただ、権利と進歩と道理と文明と真理とを刺す時においてのみである。その時こそ、内乱もしくは外乱は不正なものとなり、罪悪と呼ばるべきものとなる。けれども正義という聖なる一事を外にしては、いかなる権利をもって、戦いの一形式が他の形式を軽侮することができるか。いかなる権利をもって、ワシントンの剣はカミーユ・デムーラン([#ここから割り注]訳者注 バスティーユ牢獄の攻撃を指揮せし人[#ここで割り注終わり])の槍《やり》を否認することができるか。外敵に対抗したレオニダスと暴君に対抗したチモレオンと、いずれがより偉大であるか。ひとりは防御者であり、ひとりは救済者である。都市の中において武器を取ってたつ者を皆、その目的のいかんに関せず侮辱することができるか。ブルツス、マルセル、ブランケンハイムのアルノルト、コリニーなどに、みな恥辱の烙印《らくいん》を押すことができるか。叢林《そうりん》の戦い、街路の戦い、それが何ゆえにいけないか。それはアンビオリックスやアルトヴェルドやマルニックスやペラーヨなどがなした戦いであった。しかも、アンビオリックスはローマに対抗し、アルトヴェルドはフランスに対抗し、マルニックスはスペインに対抗し、ペラーヨはモール人に対抗して、皆外敵と戦ったのである。しかるに、王政は外敵であり、圧制は外敵であり、神聖なる権利(訳者注 専制君主の所謂)は外敵である。専制が人の精神的国境を侵すのは、あたかも外寇《がいこう》が地理上の国境を侵すと同じである。暴君を追うもイギリス人を追うも、共におのれの領土を回復することである。抗議のみでは足りない時も到来する。哲理の後には実行を要する。はつらつたる力は思想が草案したところのものを完成する。縛られたるプロメシュース(訳者注 アイスキロスの戯曲、火を盗みてジュピテルより岩に縛られし所を取り扱えるもの)は事を始め、アリストゲイトン(]訳者注 ハルモディオスと共にヒッパルコスをくつがえせし者])は事を終える。百科辞典(ディドローらの)は人の魂を照らし、八月十日(一七九二年])はそれに電気を与える。アイスキロスのあとにはトラジプロスがいで、ディドローのあとにはダントンが出る。およそ群集は首領をいただきたがる傾向を持っている。その集団は無感覚を産む。一群集は容易に一塊となって服従する。ゆえに彼らを振るい立たせ、つき進め、解放の恵みをもって刺激し、真理をもってその目を打ち、激しく光明を投げ与えなければならない。彼らは自ら多少おのれの救済によって雷撃されなければならない。その眩惑《げんわく》は彼らの目をさまさしむるものである。ゆえに警鐘が必要となり、戦いが必要となる。偉大なる戦士が立ち上がり、その勇壮さをもって諸国民を照らし、いわゆる神聖なる権利、シーザー式の光栄、武力、盲信、責任を知らざる主権、絶対的権威、などのために闇《やみ》でおおわれてるこのあわれなる人類を、揺り動かしてやらなければならないのである。人類は実に、暗黒の影暗い勝利を、その偽りの光輝のうちに、ただ茫然《ぼうぜん》とうちながめてばかりいる烏合《うごう》の衆にすぎない。暴君を打ち倒せ! しかしそれはだれのことを言うのか。ルイ・フィリップを暴君というのか。否、彼はルイ十六世と同じく別に暴君ではない。彼らはいずれも、歴史が普通に善良なる国王と呼ぶところのものである。しかしながら、主義は細断することを得ないものである、真実なるものの論理は直線的なものである、真理の特性は追従を知らない所にある。ゆえに譲歩はすべて不可である。人間に関する侵害はすべて廃さなければならない。ルイ十六世のうちにはいわゆる神聖なる権利があり、ルイ・フィリップのうちにはブールボン家なるがゆえにが(家がらの特権が)ある。両者は共にある程度まで、権利の簒奪《さんだつ》を代表している。そしてあらゆる簒奪を掃蕩《そうとう》せんがためには、彼らをも打ち倒さなければならない。フランスは常に先頭に立つものであるから、それが必要である。フランスにおいて主君が倒れる時には、至る所において、それが倒れるであろう。要するに、社会的真理を打ち立て、玉座を自由の手に還《かえ》し、民衆を本来の民衆たらしめ、大権を人間に戻し、緋衣《ひい》を再びフランスの頭にきせ、道理と公正とをその円満なる状態に返し、各人を本来の地位に復せしめながらあらゆる頡頏《けっこう》の萌芽《ほうが》を根絶し、世界の広大なる一致に王位がもたらす障害を除き、人類を正当なる権利の水準に引き戻すこと、これ以上に正しい主旨があろうか、また従って、これ以上に偉大な戦いがあろうか。かかる戦いは平和を確立するところのものである。偏見、特権、憶説、虚偽、強請、濫用《らんよう》、暴行、不正、暗黒、などの巨大な城砦《じょうさい》は、なおその憎悪の塔を聳《そび》やかして社会の上に立っている。それを打ち倒さなければならない。その奇怪なる塊《かたま》りを破壊しなければならない。アウステルリッツにて勝利を得るのは偉大なることである、バスティーユの牢獄を占領するのは広大なることである。
だれでも自身に親しく感ずることではあるが、魂こそは、普遍性と統一性とをともに有する驚くべきものであって、最も危急なる極端にあっても、ほとんど冷然と推理し得る不思議な能力を有するものである。そして慟哭《どうこく》せる感情と深い絶望とは、その最も悲痛な独語の苦悩のうちにあってもしばしば、問題を取り扱い論議するものである。論理は痙攣《けいれん》と相交わり、論法の緒《いとぐち》は思想の痛ましい動乱のうちにも切れることなく浮かんでくる。マリユスの精神状態はちょうどそういうところにあった。
かく推理し、圧倒せられ、しかも意を決し、しかもなお躊躇《ちゅうちょ》しながら、一言にして言えば、まさになさんとすることの前に戦慄《せんりつ》しながら、彼は防寨《ぼうさい》の中を見回した。暴徒らは身動きもせずに小声で語り合っており、期待の最後の局面を示す沈黙と騒擾《そうじょう》との中間の気が漂っていた。彼らの上方、四階のある軒窓には、妙に注意を澄ましてるような傍観者とも立ち会い人ともつかない男の姿が見えていた。それはル・カブュクに射殺された門番であった。舗石《しきいし》のうちに囲まれた炬火《たいまつ》の反映で、下からその頭がぼんやり認められた。色を失い、身動きもせず、物に驚いたらしい様子で、頭髪を逆立て、開いた目を見据え、口をぼんやりうち開き、好奇心に駆られたような様子で街路の上にのり出して、炬火《たいまつ》の陰惨なおぼろな光に照らされてるその顔ほど、世に異様なものはなかった。あたかも既に死んだ者がまさに死なんとする人々を見守ってるかのようだった。その頭から流れた長い血のしたたりが、赤い糸のようになって軒窓から二階の所までたれ、そこで止まっていた。
[#改ページ]
第十四編 絶望の壮観
一 軍旗――第一|齣《せつ》
まだ何事も起こってこなかった。サン・メーリーの会堂で十時が鳴った。アンジョーラとコンブフェールとは、カラビン銃を手にして、大きい方の防寨《ぼうさい》の切れ目のそばにすわっていた。彼らは一言も口をきかずに、最もかすかな遠い軍隊の行進の音をも聞きもらすまいとして、じっと耳を澄ましていた。
突然、そのすごい静けさの中に、サン・ドゥニ街から来るらしい朗らかな若い快活な声が起こって、「月の光りにの古い俗謡の調子で、鶏の鳴き声のような一語で終わってる次の歌をはっきり歌い始めた。
顔には涙。
どうだいビュジョー(訳者注 フランスの元帥)
お前の憲兵|俺《おれ》に貸せ、
奴《やつ》らに一言言ってやる。
青い軍服に、
軍帽の牝鶏《めんどり》、
これぞ郊外、
コ、コケコッコー。
ふたりは手を握り合った。
「ガヴローシュだ。」とアンジョーラは言った。
「われわれに合い図をしているんだ。」とコンブフェールは言った。
駆け足の音がひっそりした街路に起こって、軽業師《かるわざし》のように敏捷《びんしょう》な者が乗り合い馬車の上によじ上ったかと思うまに、息を切らしてるガヴローシュが防寨《ぼうさい》の中に飛び込んできて、言った。
「銃をくれ! やってきたぞ。」
防寨の中は電気が流れたかのように振るい立って、銃を手にする音が聞こえた。
「僕の銃をやろうか。」とアンジョーラは浮浪少年に言った。「いや大きいやつがいい。」と彼は答えた。
そして彼はジャヴェルの銃を取った。
ふたりの哨兵《しょうへい》も退いて、ほとんどガヴローシュと同時に戻ってきた。それは街路の先端の哨兵とプティート・トリュアンドリーの見張り兵とであった。プレーシュール小路の見張り兵はその場所に止まっていた。それでみると、橋や市場町の方には敵が寄せてこないらしかった。
赤旗の上に投じてる光の反映で、舗石《しきいし》が少しほのかに見えてるシャンヴルリー街は、靄《もや》の中にぼんやり開いている黒い大きな玄関のように、暴徒らの目にはうつった。
彼らはそれぞれ自分の戦闘位置についた。
アンジョーラ、コンブフェール、クールフェーラック、ボシュエ、ジョリー、バオレル、ガヴローシュ、その他すべてで四十三人の同志は、大きい方の防寨《ぼうさい》の中にひざまずき、砦《とりで》の頂とすれすれに頭を出し、銃眼のようにして舗石の上に銃身を定め、注意をこらし、口をつぐんで、すぐにも発射せんと待ち構えていた。六人の男はフイイーに指揮されて、銃を構え、コラント亭の三階の窓に陣取っていた。
数分間過ぎ去った。それから、歩調をそろえた重々しい大勢の足音が、サン・ルーの方面にはっきり聞こえ出した。その足音は初めはかすかで、次にはっきりとなり、やがて重々しく響き渡るようになって、止まりもせずとだえもせず、静かに恐ろしくうち続いて、徐々に近づいてきた。聞こえるものはただそれだけだった。あたかも将帥の銅像が歩いてくるような沈黙と響きとだけだった。しかしその石のような足音には、ある巨大さと多数さとがこもっていて、一個の怪物だとも思われるとともに、一隊の群集だとも思われた。あたかも恐るべき一連隊の銅像が行進してるようだった。その足音はしだいに近づいてき、ますます近寄ってき、それから立ち止まった。街路の先端に多くの人の息が聞こえるようだった。けれども何も見えず、ただ、その奥に、濃い闇《やみ》の中に、ほとんど目につき難い細い針のような金属の光が無数に見えてるきりだった。その光は騒然と入り乱れて、あたかも人がまさに眠りに入らんとする時、閉じた眼瞼《まぶた》の下の靄の中に認める、名状し難い一種の燐光の網の目にも似ていた。それは炬火《たいまつ》の遠い反映に光ってる銃剣や銃身であった。
なお少しの猶予があった。両方とも待ってるがようだった。と突然、その闇《やみ》の奥から、一つの声が叫んだ。それを発した人の姿が見えないだけにいっそうすごい声で、暗黒自身が口をきいたのかと思われた。
「何の味方か?」
と同時に、銃をおろす音が聞こえた。
アンジョーラは鳴り響く傲然《ごうぜん》たる調子で答えた。
「フランス革命。」
「打て!」と声は言った。
一閃《いっせん》の光が、街路の人家の正面をぱっと赤く染めた。あたかも溶鉱炉の口が突然開いてまた閉じたかのようだった。
恐るべき爆鳴が防寨《ぼうさい》の上に落ちかかった。赤旗は倒れた。そのいっせい射撃はきわめて猛烈で稠密《ちゅうみつ》であって、赤旗の竿《さお》、すなわち乗り合い馬車の轅《ながえ》の先を、打ち折ってしまったのである。また人家の軒にはね返った弾丸は、防寨の中に流れてきて数名の者を傷つけた。
その第一のいっせい射撃は、まったく人の心胆を寒からしむるものだった。攻撃力は激烈で、最も大胆な者らをも再考せしむるほどだった。向こうは少なくとも一個連隊くらいはいそうだった。
「諸君、」とクールフェーラックは叫んだ、「火薬をむだにするな。敵がこの街路にはいって来るのを待って応戦するんだ。」
「そして何よりも、」とアンジョーラは言った、「軍旗をも一度立てることだ。」
彼はちょうど自分の足下に落ちた赤旗を拾い上げた。
外には、銃の中に入れる※杖《さくじょう》の音が聞こえていた。軍隊は再び銃に弾をこめていたのである。
アンジョーラはまた言った。
「勇気のある者はいないか。防寨《ぼうさい》の上に軍旗を立てて来る者はいないか。」
答えはなかった。まさしく敵が再び銃を構えてる瞬間に防寨の上に上がることは、単に死を意味するのみだった。最も勇敢な者も自ら死地につくことは躊躇《ちゅうちょ》せざるを得ない。アンジョーラ自身も戦慄《せんりつ》した。彼は繰り返した。
「だれも出ないか。」
二 軍旗――第二|齣《せつ》
一同がコラント亭に到着して、防寨を作りはじめた時、マブーフ老人にはだれもほとんど注意を向ける者はいなかったが、老人はやはり一群の中に交じっていたのである。彼は居酒屋の階下の広間にはいって、勘定台の後ろに座を占めて、そこで言わば自分で自分を埋没さしてしまった。もはや何物をも見も考えもしていないかのようだった。クールフェーラックと他の数名の者は、二、三度彼のそばに寄ってゆき、危険を知らせ、帰ってゆくように勧めたが、彼にはその言葉も聞こえないかのようだった。人から話しかけられない時には、だれかに返事でもしてるように脣《くちびる》を動かしていたが、人が何とか言葉をかけると、その脣はすぐに動かなくなり、その目はもう死んだもののようになった。防寨《ぼうさい》が攻撃さるる数時間前から、ずっと一定の姿勢を保ったままで、両手の掌《てのひら》を両膝《りょうひざ》につき、絶壁の下をのぞき込むがように頭を前に差し出していた。どんなことがあっても彼はその姿勢を変えず、心は防寨の中にはないかのようだった。各人が戦闘位置についた時、その下の広間に残っているのはただ、柱に縛りつけられたジャヴェルと、サーベルを抜いてジャヴェルの番をしてるひとりの暴徒と、後はマブーフだけだった。攻撃のいっせい射撃があった時、彼はようやくその物音を耳にして我に返ったかのようで、突然立ち上がり、室《へや》を通りぬけ、アンジョーラが「だれも出ないか」と繰り返した時に、ちょうど居酒屋の入り口に現われていた。
彼の姿は一群の間に感動をひき起こした。ある者は叫んだ。「あれは投票者だ(訳者注 ルイ十六世の処刑に賛成の投票をした者)、国約議会員だ、人民の代表者だ!」
おそらくその声も、彼の耳にははいらなかったろう。
彼はまっすぐにアンジョーラの方へ進んで行った。暴徒らは深い畏敬《いけい》の念でその前に道を開いた。彼は惘然《ぼうぜん》としてあとに退《さが》ったアンジョーラの手から、軍旗を奪い取った。そしてだれもあえてそれを止めることも手伝うこともできないうちに、八十歳を越えたこの老人は、頭を打ち振り、しかも確乎《かっこ》たる足取りで、防寨の中につけられてる舗石《しきいし》の段を徐々に上りはじめた。いかにも痛ましいまた壮大な光景であって、周囲の人々は叫んだ、「脱帽!」一段一段と上りゆく彼の姿は、恐ろしいありさまだった。その白い頭髪、老衰した顔、禿《は》げ上がって皺《しわ》寄った大きな額、深くくぼんだ目、驚いてるような開いた口、赤旗をささげてる年取った腕、それが闇《やみ》の中から現われて、炬火《たいまつ》のまっかな光の中に大きく照らし出された。九三年([#ここから割り注]一七九三年[#ここで割り注終わり])の霊が恐怖時代の旗を手にして地から現われ出たのを、人々は見るような気がした。
彼が最後の一段を上りつめた時、すなわちこの揺らいでる恐ろしい幽霊が、種々のものを積み重ねた砦《とりで》の上に、目に見えない千二百の小銃を前にして立ち上がり、死よりも力強いかのように平然と死の面前につっ立った時、全防寨《ぜんぼうさい》は暗黒のうちにある超自然的な巨大な趣に変わった。
驚くべき事変の周囲に起こるような沈黙が落ちてきた。
その沈黙の中に、老人は赤旗を振って叫んだ。
「革命万歳! 共和万歳! 友愛、平等、および死!」
防寨の中にいた人々は、急いで祈祷《きとう》をする牧師のささやきに似たある低い早い言葉を聞いた。それはおそらく、街路の先端で規定どおりの勧告を行なってる警部の声であったろう。
それから、「何の味方か」と前に叫んだ同じ激しい声がまた叫んだ。
「おりろ!」
瞳《ひとみ》には心乱れた痛ましい炎が輝いてい、色青ざめ荒々しい様子をしたマブーフ氏は、頭の上に軍旗をかざして繰り返した。
「共和万歳!」
「打て!」と声は言った。
榴霰弾《りゅうさんだん》のような第二回のいっせい射撃が、防寨《ぼうさい》の上に落ちかかった。
老人は膝《ひざ》をついたが、また立ち上がり、軍旗を手から落とし、腕を組んで長々とあたかも一枚の板のように、後ろざまにあおむけに舗石《しきいし》の上に倒れた。
血潮は彼の下に流れた。色を失った悲しげな年取った顔は、空をながめてるがようであった。
我が身をまもることを忘れさせる人間以上のある感動に、暴徒らはとらえられた。彼らは恐懼《きょうく》の念をもってその死骸のまわりに集まった。
「弑虐人《しいぎゃくにん》ら(訳者注 ルイ十六世を処刑せし国約議会員ら)は実に恐ろしい者どもだ!」とアンジョーラは言った。
クールフェーラックはアンジョーラの耳に口をよせてささやいた。
「これは君にだけの話だぜ、皆の熱誠を冷やしたくないから。あの老人は弑虐人ではない。僕は知ってる。マブーフ老人というんだ。今日はどうしてあんなことをしたのか僕にもわからない。無能な好人物だったがな。あの頭を見たまえ。」
「頭は無能でも、心はブルツス(訳者注 シーザーを刺した人)だ。」とアンジョーラは答えた。
それから彼は声をあげた。
「諸君、これは老人が青年に示した模範である。われわれが躊躇《ちゅうちょ》してる所に、彼は出てきた。われわれが後ろに隠れてるのに、彼は前に進んだ。老年に震える人が恐怖に震える者に与えた教訓である。この老人は祖国の前においては偉大なるものである。彼は長き生と赫々《かっかく》たる死とを得たのである。今やわれわれはその死屍《しかばね》を保護しようではないか。われわれは皆、生ける父をまもるがようにこの死せる老人をまもろうではないか。そして、われわれのうちに彼があることをもって、防寨《ぼうさい》を難攻不落のものたらしめようではないか!」
沈鬱《ちんうつ》な力強い賛成のささやきが、その言葉に続いて起こった。
アンジョーラは身をかがめ、老人の頭をもたげ、猛然たる様子でその額に脣《くちびる》を当てた。それから彼は、死体の両腕を伸ばし、あたかもどこかを痛めはしないかと恐れるもののように細心な注意をしながら、その上衣をぬがせ、血のにじんだ多くの穴を皆に示しながら言った。
「今は、これこそわれわれの軍旗である。」
三 ガヴローシュにはアンジョーラの短銃が適す
マブーフ老人の死体の上には、ユシュルー上《かみ》さんの長い黒い肩掛けがかぶせられた。六人の男の銃で担架《たんか》を作り、それに死体をのせ、皆脱帽して荘厳な徐行で、居酒屋の下の広間の大きなテーブルの上に運んでいった。
それらの人々は、現在行なってるおごそかな神聖な仕事に気を取られて、もう危険な地位にあることも忘れてしまっていた。
死体が、元のとおり平然としているジャヴェルのそばを通った時、アンジョーラは彼に言った。
「貴様の番もすぐだ。」
その間少年ガヴローシュは、ただひとり部署を去らずに見張りをしていたが、数名の男がひそかに防寨《ぼうさい》に近づいて来るらしいのを見た。突然彼は叫んだ。
「気をつけろ!」
クールフェーラック、アンジョーラ、ジャン・プルーヴェール、コンブフェール、ジョリー、バオレル、ボシュエ、およびその他の者が、どっと居酒屋から出てきた。ほとんど間に合いかねるほどだった。見ると、銃剣の密集したひらめきが防寨の上に押し寄せていた。長躯《ちょうく》の市民兵が侵入してきたのである。あるいは乗り合い馬車をまたぎ越え、あるいは防寨の切れ目からはいり込んで、逃げもしないで徐々に後退してる浮浪少年を追いつめていた。
危機一髪の場合だった。洪水の折り、河水が堤防とすれすれに高まってそのすき間からあふれはじめるのと同じ、恐るべき瞬間だった。も一秒後れていたら、防寨《ぼうさい》は奪われていたに違いない。
バオレルはまっさきにはいり込んできた市民兵におどりかかり、カラビン銃をさしつけて一発の下にそれを殺した。しかし彼は次の市民兵から銃剣で殺された。またクールフェーラックも、もひとりの兵に打ち倒されて、「きてくれ!」と叫んでいた。兵士のうちでも巨人のような一番大きな男が、銃剣をつき出しガヴローシュをめがけて進んできた。浮浪少年はその小さな胸にジャヴェルの大きな銃を持ち、決然とその大男をねらい、引き金を引いた。しかしそれは発火しなかった。ジャヴェルは銃に弾薬をこめていなかったのである。市民兵は大笑して、銃剣を彼の上にさしつけた。
しかるにその銃剣がガヴローシュの身に触れる前に、銃は兵士の手から落ちた。一発の弾が飛びきたって、彼の額のまんなかを貫き彼をあおむけにうち倒した。また第二の弾は、クールフェーラックに襲いかかっていた兵士の、胸の中央に命中して、それを舗石《しきいし》の上に仆《たお》した。
それは、ちょうど防寨の中にはいってきたマリユスの仕業《しわざ》だった。
四 火薬の樽《たる》
マリユスは、しばらくモンデトゥール街の角《かど》に隠れて、戦いの最初の光景を見ながら、なお決断しかねて身を震わしていた。けれども、深淵《しんえん》の呼び声とも言うべき神秘な荘厳な眩惑《げんわく》に、彼は長く抵抗することができなかった。切迫してる危機、悲愴《ひそう》な謎《なぞ》たるマブーフ氏の死、殺されたバオレル、「きてくれ!」と叫んでるクールフェーラック、追いつめられてる少年、それを助けあるいはその讐《あだ》を報ぜんとしている友人ら、それらを眼前に見ては、あらゆる躊躇《ちゅうちょ》の情も消え失せてしまい、二梃《にちょう》のピストルを手にして混戦のうちにおどり込んだ。そして第一発でガヴローシュを助け、第二発でクールフェーラックを救ったのである。
銃火と打たれた兵士らの叫びとを聞いて、襲撃兵らは砦《とりで》をよじ上った。今やその頂には、市民兵や戦列兵や郊外の国民兵らが、銃を手にし半身を乗り出して、群がってるのが見られた。彼らは既に三分の二以上を占領していたが、何か陥穽《かんせい》を恐れて躊躇してるかのように、中へは飛び込んでこなかった。そして獅子《しし》の洞穴《どうけつ》でものぞくように、暗い防寨《ぼうさい》の中をのぞき込んでいた。炬火《たいまつ》の光は、その銃剣と毛帽と不安ないら立った顔の上部とだけを照らしていた。
マリユスはもはや武器を持っていなかった。彼は発射し終わったピストルを投げ捨てていた。しかしふと、居酒屋の広間の入り口にある火薬の樽《たる》を見つけた。
彼がその方に目をつけて半ば身をめぐらした時、ひとりの兵士が彼をねらった。しかしいよいよ、マリユスの上にねらいを定めた時、一本の手がその銃口を押さえてふさいだ。それは飛び出してきたひとりの者の仕業《しわざ》で、ビロードのズボンをはいたあの年若い労働者だった。弾は発射され、その手を貫き、また労働者が倒れたところをみるとその他の個所をも貫いたらしかったが、しかしマリユスにはあたらなかった。すべてそれらのことは、煙の中でちらとわかっただけで、はっきり見えたのではない。下の広間にはいったマリユスも、ほとんど気づかなかったほどである。けれども彼は、自分の上に向けられた銃口とそれをふさいだ手とだけは、ぼんやり認めることができ、また発射の音だけは聞くことができた。しかしかかる際にあっては、目に止まる事物も瞬時に起こりたちまちに変転するもので、一事に気をとどめることはできない。人はなおいっそう暗黒なるものの方へとせき立てられる気がして、すべてはただ靄《もや》のうちに包まれる。
暴徒らは不意を打たれたがなお辟易《へきえき》せず、再び隊伍《たいご》を整えていた。アンジョーラは叫んだ、「待て! むやみに打つな!」実際彼らは、最初の混乱のうちに同志打ちをしないとも限らなかった。多くの者は、二階の窓や屋根裏の窓に上ってゆき、そこから襲撃軍を眼下にした。また最も決然たる者らは、アンジョーラとクールフェーラックとジャン・ブルーヴェールとコンブフェールとともに、傲然《ごうぜん》と背面の人家を背にして、防寨《ぼうさい》の上に並んでる兵士や民兵の面前に身を曝《さら》した。
すべてそれらのことは、混戦の前における異様な恐ろしい荘重さをもって、平然となされたのである。両軍は互いに銃をさしつけてねらい合い、互いに話し合えるほど間近に対峙《たいじ》した。かくてまさに火花が散らんとした時、首当てと大きな肩章とをつけたひとりの将校が、剣をさし出して言った。
「降伏しろ!」
「打て!」とアンジョーラは言った。
両方から同時にいっせい射撃が起こった。そしてすべては煙の中に葬られた。
息をつまらせるばかりのはげしい辛《から》い煙で、その中には瀕死《ひんし》の者や負傷した者らが横たわって、弱い低いうなり声を発した。
煙が散ってからながめると、両軍とも人数がまばらになっていたけれども、なお同じ位置にふみ止まって、黙々のうちに再び銃に弾をこめていた。
すると突然、一つの声が響き渡って叫んだ。
「退け、防寨を爆破させるぞ!」
すべての者はその声の方にふり向いた。
マリユスは広間にはいり、そこにある火薬の樽《たる》を取り上げ、それから射撃の煙と砦《とりで》のうちに立ちこめてる暗い靄《もや》とに乗じて、防寨《ぼうさい》に沿って忍んでゆき、舗石《しきいし》で囲った炬火《たいまつ》がともされてる所まで達したのだった。そして炬火を引きぬき、そこに火薬の樽を置き、積み重った舗石をその下に押しやると、直ちに樽は恐ろしくも彼の意のままに底がぬけた。それだけのことを、マリユスはただ身をかがめてまた立ち上がるまでの瞬間にしてしまったのである。そして今や、国民兵も市民兵も将校も兵士も、皆防寨の一端に集まって、茫然《ぼうぜん》としてマリユスをながめた。マリユスは舗石の上をふまえ、炬火を手にし、最後の決心に輝いたおごそかな顔をもたげ、こわれた火薬の樽が見えてる恐るべき堆積物の方へ炬火の炎をさしつけ、人を慄然《りつぜん》たらしむる叫びを発したのである。
「退け、防寨を爆発させるぞ!」
マブーフ老人のあとに防寨の上につっ立ったマリユスこそは、老いたる革命の霊の後に現われた革命の霊であった。
「爆発さしてみろ!」とひとりの軍曹が言った。「きさまもいっしょだぞ!」
マリユスは答えた。
「むろん俺《おれ》もいっしょだ。」
そして彼は炬火を火薬の樽に近づけた。
しかしその時にはもう、砦の上にはだれもいなかった。襲撃軍は死者と負傷者とを遺棄したまま、列を乱し混乱して街路の先端に退却し、再び闇夜《やみよ》のうちに見えなくなってしまった。先を争う潰走《かいそう》だった。
防寨《ぼうさい》は回復された。
五 ジャン・プルーヴェールの詩の終わり
人々は皆マリユスのまわりに集まった。クールフェーラックは彼の首に飛びついた。
「君がきたのか!」
「実にいい具合だった!」とコンブフェールは言った。
「いい時にきあわした!」とボシュエは言った。
「君がいなけりゃ僕は殺されるところだった!」とクールフェーラックはまた言った。
「お前がいなけりゃ俺《おれ》はやられちゃった!」とガヴローシュは言い添えた。
マリユスは尋ねた。
「首領はどこにいる?」
「首領は君だ。」とアンジョーラは言った。
マリユスの頭の中は、朝から溶炉のようになっていたが、今では旋風のようになっていた。彼の中にあったその旋風は、あたかも彼の外部にあって彼を吹き去ってるかのようだった。彼は既に人生から無限の距離に吹きやられてるような気がした。突然恐ろしい断崖《だんがい》に終わった喜悦と愛との輝かしい二カ月、失ってしまったコゼット、防寨、共和のために身をささげたマブーフ氏、反徒の首領となった自分の身、すべてそれらのことは奇怪な悪夢のように思われた。今周囲の万事が現実であることを知るためには、心意の努力をしなければならなかった。マリユスは人生の経験があまりに少ないので、最も緊急なのは不可能事であるということを知らず、常に予期しなければならないのは意外事であるということを知らなかった。彼はあたかも不可解な一編の劇を見るように、自分自身の劇を見ていた。
かく彼は、頭が靄《もや》のうちに包まれていたので、ジャヴェルの顔を見分けることができなかった。ジャヴェルは柱に縛られたまま、防寨《ぼうさい》が攻撃されてる間頭一つ動かさず、殉教者のような忍従と審判者のような威厳とで、周囲にわき立ってる反乱をながめていた。マリユスは彼の存在に気づきもしなかった。
その間、襲撃者の方には動く気色《けしき》もなかった。ただ街路の先端に群がってる足音だけは聞こえていたが、進んできはしなかった。あるいは命令を待っていたのか、あるいはその不落の角面堡《かくめんほう》に再び襲いかかる前に、援兵を待っていたのであろう。暴徒の方は哨兵《しょうへい》を出し、また数名の医学校の生徒らは負傷者の手当てをはじめた。
綿撒糸《めんざんし》と弾薬とをのせた二つのテーブルと、マブーフ老人の死体がのってる一つのテーブルとを除いて、すべてのテーブルは居酒屋の外に投げ出され、防寨に積まれた。その代わりとして、下の広間では、ユシュルー上《かみ》さんとふたりの女中との蒲団《ふとん》を持ち出して、その上に負傷者らを寝かした。あわれなその三人の女については、どうなったかだれも知らなかった。けれども後に見いだされたところによると、彼女らは窖《あなぐら》の中に隠れていた。
やがて痛切なる一つの感情が、防寨を回復した喜びの念を暗くした。
点呼を行なうと、仲間の人数がひとり足りなかった。しかもだれであったか。それは最も貴重なまた最も勇敢な者のひとりたる、ジャン・プルーヴェールだった。負傷者のうちをさがしたが見当たらなかった。戦死者のうちをさがしたが見当たらなかった。彼は捕虜になったに相違なかった。
コンブフェールはアンジョーラに言った。
「彼らはわれわれの友人を捕えている、しかしわれわれの手にも向こうのひとりがはいっている。君はこの間諜《スパイ》を殺すつもりか。」
「そうだ、」とアンジョーラは答えた、「しかしジャン・プルーヴェールの生命には代えられない。」
その話は下の室で、ジャヴェルが縛られてる柱のすぐ傍《そば》でかわされた。
「それでは、」とコンブフェールは言った、「僕が杖《つえ》の先にハンカチをつけて、軍使となってゆき、人質を取り代えてこよう。」
「ちょっと!」とアンジョーラは言いながら、コンブフェールの腕に手を置いた。
街路の先端に、意味ありげな武器の音がしたのである。
そして一つの勇壮な叫び声が聞こえた。
「フランス万歳! 未来万歳!」
それは覚えのあるプルーヴェールの声だった。
一閃《いっせん》の光が見えて、発射の音が響いた。
皆静まり返った。
「彼を殺したのだ!」とコンブフェールは叫んだ。
アンジョーラはじっとジャヴェルを見て、そして言った。
「きさまの仲間が今きさまを銃殺したんだぞ。」
六 生の苦しみの後に死の苦しみ
この種の戦いの一特色は、防寨《ぼうさい》がほとんど常に正面からばかり攻撃されることであって、またたいてい攻撃者らは、あるいは伏兵を恐れてか、あるいは曲がりくねった街路に迷い込むことを気使ってか、迂回《うかい》を避けることである。それで反徒らの注意もすべて大きい防寨の方へ向けられていた。明らかにそここそ常に脅かされてる地点であって、必ずや再び戦いが始まるに違いない地点であった。けれどもマリユスは、小さい防寨のことを考えて、その方へ行ってみた。そこにはだれもいず、ただ舗石《しきいし》の間にまたたいてる豆ランプの光だけが番をしていた。それからまた、モンデトゥール街も、それに開いてるプティート・トリュアンドリー街とシーニュ街も、ひっそりと静まり返っていた。
マリユスが視察を終えて引き返してこようとした時、闇《やみ》の中から自分の名を呼ぶ弱々しい声が聞こえた。
「マリユスさん!」
彼は身を震わした。それは聞き覚えのある声で、二時間前にプリューメ街の鉄門から呼ばわった声であった。
ただその声も、今はわずかに息の音《ね》くらいの弱さになっていた。
マリユスはあたりを見回したが、だれの姿も見えなかった。
彼は自分の気の迷いだと思った。周囲にわき上がった異常な現実に自分の頭から出た幻が加わったのだと思った。そして防寨《ぼうさい》の奥まった場所から出ようとして一歩運んだ。
「マリユスさん!」とまた声がした。
こんどはもう疑う余地はなかった。彼ははっきりとその声を耳にした。しかし見回してみたが何も見えなかった。
「あなたの足のところです。」とその声は言った。
身をかがめて見ると、一つの影が自分の方へ寄ってきつつあった。それは鋪石《しきいし》の上をはっていた。呼びかけたのはそれだった。
豆ランプの光にすかし見ると、だぶだぶの上衣と裂けた粗未なビロードのズボンと、靴《くつ》もはいていない足と、血潮のたまりみたいなものとが、目にはいった。ようやく認めらるる青白い顔が彼の方へ伸び上がって言った。
「あなたあたしがわかりますか。」
「いいや。」
「エポニーヌですよ。」
マリユスは急に身をかがめた。実際それはあの不幸な娘だった。彼女は男の姿を装っていた。
「どうしてここへきたんだ? 何をしていた?」
「あたしもう死にます。」と彼女は言った。
重荷に圧倒されてる人をも呼びさますほどの言葉と事件とが世にはある。マリユスは飛び上がるようにして叫んだ。
「傷を負ってるね! 待て、室《へや》の中に連れてってやろう。手当てをしてもらうといい。傷は重いのか。どういうふうにかかえたら痛くない? どこが痛む? ああどうしたら? だがいったい何しにここへきたんだ?」
そして彼は、腕を彼女の下に入れて助け起こそうとした。
そうしながら彼女の手に触れた。
彼女は弱い声を立てた。
「痛かった?」とマリユスは尋ねた。
「ええ少し。」
「でも手にさわったばかりだが。」
彼女はマリユスの目の方へ手をあげた。見ると手のまんなかに黒い穴があいていた。
「手をどうしたんだ。」と彼は言った。
「突き通されたのよ。」
「突き通された!」
「ええ。」
「何で?」
「弾《たま》で。」
「どうして?」
「あなたをねらった鉄砲があったのを、あなたは見て?」
「見た、それからその銃口を押さえた手も。」
「あたしの手よ。」。
マリユスは駭然《がいぜん》とした。
「なんて乱暴な! かわいそうに! だがまあよかった、それだけのことなら何でもない。僕に任せるがいい、寝床に連れてってやるから。包帯をしてもらってやろう。手を貫かれたくらいで死にはしない。」
彼女はかすかに言った。
「弾《たま》は手を突き通して、背中へぬけたのよ。ここからあたしを外へ連れてってもだめ。あたしほんとは、お医者よりあなたの看護の方がいいの。あたしの傍《そば》にこの石の上にすわって下さいな。」
彼はその言葉に従った。彼女は彼の膝《ひざ》の上に頭をのせ、その顔から目をそらして言った。
「ああ、ありがたい。ほんとによくなった。もうこれであたし苦しかない。」
彼女はちょっと口をつぐんだ。それからようやくに顔をめぐらしてマリユスをながめた。
「ねえ、マリユスさん、あなたがあの庭にはいるのがあたしはいやだったのよ。ばかげてるわね。あの家をあなたに教えたのはあたしだったもの。それにまたあたしはこう考える方が本当だったかも知れないわ、あなたのような若い方は……。」
彼女は言葉を切った。そして確かに頭の中にあった暗い思いを一転して、痛ましい微笑を浮かべながら言った。
「あなたあたしを不綺麗《ぶきりょう》な女だと思ったでしょう、そうじゃなくて?」
彼女は続けて言った。
「ねえ、あなたはもう助からない! 今となってはだれも防寨《ぼうさい》から出られはしないわ。あなたをここへ呼んだのはあたしよ。あなたはどうせ間もなく死ぬにきまってるわ。あたしそれをちゃんと知ってるの。だけど、人があなたをねらうのを見た時、あたしはその鉄砲の口に手をあてたわ。ほんとに変ね。でもあなたより先に死にたかったからよ。弾《たま》を受けた時、あたしはここまではってきたの。だれにも見つからず、だれからも助けられなかった。あたしあなたを待ってたわ。きなさらないのかしら、とも思ったの。あああたしは、上衣をかみしめたり、どんなに苦しんだでしょう。でも今はもう何ともない。あなたは覚えていて? あたしがあなたの室《へや》にはいって鏡に顔を映してみたあの日のこと、それからまた、日雇《ひやと》い女《おんな》たちのそばで大通りであなたに会った日のことも。小鳥が歌ってたわ。そう長い前のことでもないわ。あなたはあたしに百スー(五フラン)下すったわね。あなたのお金なんかほしいんじゃない、とあたしは言ったでしょう。あなたせめてあの金を拾ったでしょうね。あなたは金持ちじゃないんだもの。あたしあの金を拾いなさいとあなたに言うのを忘れたのよ。日が照っていて、寒くはなかったわね。マリユスさん、あなた思い出して? おおあたしほんとにうれしい。みな死んでしまうんだわ。」
彼女の様子は、気も狂わんばかりで、しかもまじめで悲痛だった。裂けた上衣からはあらわな喉元《のどもと》が見えていた。口をききながら射貫かれた手を胸に当てていたが、そこにもも一つ穴があいていて、開いた樽《たる》から葡萄酒《ぶどうしゅ》がほとばしり出るように刻々に血潮が流れ出ていた。
マリユスはそのあわれな女を、深い惻隠《そくいん》の情で見守っていた。
「ああ、」と突然彼女は言った、「また始まった。息がつまりそう!」
彼女は上衣をつかんで歯で食いしめた。その両膝《りょうひざ》は舗石《しきいし》の上に固くなっていた。
その時、少年ガヴローシュの若々しい声が防寨《ぼうさい》の中に響いた。彼は銃に弾《たま》をこめるためにテーブルの上に上がり、当時よくはやっていた小唄《こうた》を快活に歌ったのである。
ラファイエットの姿を見、
憲兵どもはくり返す、
逃げろ、逃げろ、逃げろ!
エポニーヌは身を起こして耳を澄ました。それからつぶやいた。「そうだ。」
そしてマリユスの方を向いて言った。
「弟がきてるのよ。見つかっては困るわ。文句を言うに違いないから。」
「弟だって?」とマリユスは尋ねた。彼は心の底の最も苦しい悲しい奥で、父から遺言されたテナルディエ一家の者に対する義務のことを考えていたのである。「弟というのはどの男だ?」
「あの子供よ。」
「歌を歌ってるあの子供?」
「ええ。」
マリユスは身を動かした。
「ああ行ってはいや!」と彼女は言った、「もうあたし長くもたないから。」
彼女はほとんど半身を起こしていた。しかしその声はごく低くて、吃逆《しゃくり》に途切れていた。間を置いては時々、死にぎわのあえぎが口をきくのを妨げた。彼女はできるだけ近く自分の顔をマリユスの顔に寄せていた。そして異様な表情をして言い添えた。
「聞いて下さいな、あたしあなたをだますのはきらいだから。ポケットの中に、あなたあての手紙を持ってるのよ。昨日《きのう》からよ。郵便箱に入れてくれと頼まれたのを、取って置いたのよ。あなたに届くのがいやだったから。だけど、あとでまた会う時、あなたから怒《おこ》られるかも知れないと思ったの。また会えるのね。あの世で。手紙を取って下さいな。」
彼女は穴のあいた手で、痙攣《けいれん》的にマリユスの手をつかんだ。もう痛みをも感じていないらしかった。そしてマリユスの手を自分の上衣ポケットにさし入れさした。マリユスは果たしてそこに紙があるのを感じた。
「取って下さい。」と彼女は言った。
マリユスは手紙を取った。
彼女は安心と満足との様子をした。
「さあその代わりに、約束して下さいな……。」
そして彼女は言葉を切った。
「何を?」とマリユスは尋ねた。
「約束して下さい!」
「ああ約束する。」
「あたしが死んだら、あたしの額に接吻《キス》してやると、約束して下さい。……死んでもわかるでしょうから。」
彼女はまた頭をマリユスの膝《ひざ》の上に落とし、眼瞼《まぶた》を閉じた。彼はもうそのあわれな魂が去ったと思った。エポニーヌはじっと動かなかった。すると突然、もう永久に眠ったのだとマリユスが思った瞬間、彼女は静かに、死の深い影が宿ってる目を見開いた。そして他界から来るかと思われるようなやさしい調子で彼に言った。
「そして、ねえ、マリユスさん、あたしいくらかあなたを慕ってたように思うの。」
彼女はも一度ほほえもうとした。そして息絶えた。
七 距離の推測に巧みなるガヴローシュ
マリユスは約束を守った。彼は冷たい汗がにじんでる青ざめた額に脣《くちびる》をあてた。それはコゼットに不実な行ないではなかった。不幸なる魂に対する心からのやさしい別れだった。
彼はエポニーヌから手紙を受け取った時、思わず身を震わした。彼は即座にその内容の重大なことを感じた。そして早く読んでみたくてたまらなかった。人の心はこうしたものである。不運な娘が目を閉じるや否やマリユスはもう手紙を開こうと思った。彼は娘の体を静かに下に置き、そして立ち去った。なぜともなく、その死骸《しがい》の前で手紙を読んではいけないような気がしたのである。
彼は居酒屋の下の室《へや》にともってる蝋燭《ろうそく》に近寄った。手紙は小さく折りたたまれたもので、女らしいやさしい注意で封がしてあった。あて名は女の筆蹟でこう書かれていた。
ヴェールリー街十六番地、クールフェーラック様方、マリユス・ポンメルシー様へ。
彼は封を切って読み下した。
いとしき御方、悲しくも父はすぐに出発すると申します。私どもは今晩、オンム・アルメ街七番地に参ります。一週間すればもうロンドンへ行っておりますでしょう。――六月四日、コゼット。
ふたりの恋は非常に無邪気なもので、マリユスは今までコゼットの筆蹟さえも知らなかった。
これまでの経過は数語につくされ得る。それはすべてエポニーヌの仕業《しわざ》であった。六月三日の晩以来、彼女は二つの考えをいだいた。一つはプリューメ街の家に対する父とその他の盗賊の計画を破ること、一つはマリユスをコゼットから引き離すことだった。彼女は通りかかりの若い無頼漢と着物を取りかえた。男はおもしろがって女装をし、エポニーヌの方は男装をした。シャン・ド・マルスの練兵場でジャン・ヴァルジャンに引っ越せという意味ありげな勧告を与えたのは、彼女だった。ジャン・ヴァルジャンは家に帰り、コゼットに言った。「今晩ここを引き払って、トゥーサンといっしょにオンム・アルメ街に行くんだよ。来週はロンドンに行こう。」コゼットはその意外な打撃を受けて、マリユスに一言走り書きをした。しかしどうしてそれを郵便箱に入れたものか、見当がつかなかった。彼女はかつてひとりで外出することがなかったし、またトゥーサンに頼めば、そんな使いに驚いてきっと手紙をフォーシュルヴァン氏に見せるに違いなかった。そういう心配の最中に、コゼットは鉄門から、男装をしてるエポニーヌの姿を認めた。エポニーヌは今では、絶えず表庭のまわりをうろついていた。コゼットはその「若い労働者」を呼び止め、手紙に五フランを添えて渡しながら言った。「この手紙をすぐにあて名の人の所へ持って行って下さい。」エポニーヌは手紙をポケットの中にしまった。翌日の六月五日に、彼女はクールフェーラックの家へ行って、マリユスを尋ねた。それは手紙を渡すためではなく、嫉妬《しっと》と恋とをいだく者にはよくわかることであるが、「様子を見るため」だった。そこで彼女はマリユスを、あるいは少なくともクールフェーラックを待っていた。それもやはりただ様子を見るためだった。そして、「われわれは防寨《ぼうさい》に行くんだ」とクールフェーラックが言った時、彼女の頭にふとある考えが浮かんだ。どうせ身を殺すならその死の淵《ふち》の中へ飛び込んでやり、マリユスをも引き込んでやろう。彼女はクールフェーラックのあとについて行き、防寨が築かれる場所を確かめた。そして、マリユスはまだ何らの通知も受けていないし、手紙は自分が横取りしてるので、彼はきっと日が暮れると毎晩のように出会いの場所へ行くに違いないと考えて、プリューメ街に行き、そこでマリユスを待ち受け、彼を防寨におびき出せるに違いないと思われる呼び声を、友人らの名を借りて投げつけた。彼女はマリユスがコゼットのいないのを見いだすおりの絶望をあてにしていたが、その期待ははずれなかった。そして彼女はそのままシャンヴルリー街に戻っていった。そこで彼女が何をしたかは、読者の見てきたとおりである。彼女は自分の死のうちに愛する者を引き込み、「だれのものにもさせない!」と言って死ぬという、嫉妬《しっと》の心の悲痛な喜びをいだいて、死んでいったのである。
マリユスは幾度となくコゼットの手紙に脣《くちびる》をあてた。彼女はやっぱり自分を愛していたのか! 彼はちょっとの間、もう死ななくてもいいという気が起こった。しかし次に彼は自ら言った。「彼女は行ってしまうのだ。父に連れられてイギリスにゆくし、私の祖父は結婚を承諾しない。悲しい運命はやはり同じことだ。」マリユスのような夢想家は往々極度の煩悶《はんもん》に陥るもので、そこから絶望的な決意が生じてくる。生の苦しみはたえ難いものである。死はいっそうたやすい。
その時彼は、自分の果たすべき二つの義務が残ってることを考えた。一つは、コゼットに自分の死を知らせ、最後の別れを告げること。一つは、テナルディエの子でありエポニーヌの弟であるあのあわれな少年を、まさにきたらんとする切迫せる破滅の淵《ふち》から救うこと。
彼は今もなお紙ばさみを身につけていた。コゼットにあてて幾多の思いを書きしるした手帳がはいっていた紙ばさみである。彼はそれから一枚の紙をぬき取り、鉛筆で次の数行をしたためた。
私たちの結婚は不可能です。私は祖父に願ったが断わられた。私には財産もなく、あなたも同様です。私はあなたの家に駆けつけたが、あなたはもういなかった。私がなした誓いをあなたは知っているでしょう。私はそれを守るだけです。私は死ぬ。私はあなたを愛する。これをあなたが読む頃には、私の魂はあなたの傍にあって、あなたにほほえんでいるでしょう。
その手紙を封ずるものが何もないので、彼はただ紙を四つに折って、上に次のあて名を書きつけた。
オンム・アルメ街七番地、フォーシェルヴァン氏方、コゼット・フォーシュルヴァン嬢様。
手紙をたたんでから、彼はちょっと考え込み、紙ばさみをまた取り出し、それを開き、そして同じ鉛筆でその第一頁に、次の数行をしたためた。
予はマリユス・ポンメルシーという者なり。マレーのフィーユ・デュ・カルヴェール街六番地に住む予が祖父ジルノルマン氏のもとに、予の死骸《しがい》を送れ。
彼はその紙ばさみを、上衣のポケットに納め、それからガヴローシュを呼んだ。浮浪少年はマリユスの声を聞いて、うれしげなまた献身的な顔つきをして走ってきた。
「僕のために少し用をしてくれないか。」
「何でもする。」とガヴローシュは言った。「まったくだ、お前がいなかったら、俺《おれ》はやっつけられてたんだ。」
「この手紙だがね。」
「うむ。」
「これを持って、すぐに防寨《ぼうさい》を出てくれ。(ガヴローシュは不安そうな様子だったが、こんどは耳をかき始めた。)そして明日の朝、あて名の人へ、オンム・アルメ街七番地のフォーシュルヴァン氏方コゼット嬢へ、それを届けてくれ。」
勇壮な少年は答えた。
「だが、その間に防寨は落ちて、俺は間《ま》に合わなくなるだろう。」
「防寨は、すべての様子から察すると、夜明けにしか攻撃されない、そして明日《あす》の午《ひる》までは陥落しない。」
襲撃軍が新たに防寨《ぼうさい》に与えた猶予の時間は、実際長引いていた。そういう中断は夜戦にありがちなことで、更に激しい襲撃が続いて起こるのが常である。
「では、」とガヴローシュは言った。「明日の朝その手紙を持って出ることにしたら?」
「それでは間に合わない。防寨はたぶん包囲され、街路には皆番兵が置かれて、もう出られはしない。今すぐに行ってくれ。」
ガヴローシュは答えに窮して、当惑したように耳をかきながら決心しかねて立っていた。するうちに突然彼は、いつもの小鳥のような敏捷《びんしょう》さで手紙を引ったくった。
「よろしい。」と彼は言った。
そして彼は、モンデドゥール小路へ駆け出していった。
ガヴローシュはある考えを思い浮かべて、それで心を決したが、マリユスが異議を持ち出しはしないかと気使って、口には出さなかったのである。
その考えというのは、こういうことだった。
「まだせいぜい十二時だ。オンム・アルメ街は遠くない。今からすぐに手紙を持って行って、そのまま帰って来れば間に合うだろう。」
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第十五編 オンム・アルメ街
一 饒舌《じょうぜつ》なる吸い取り紙
都市の騒擾《そうじょう》も人の魂の動乱に比ぶれば何であろう。一個の人間は一団の民衆よりも更に大なる深さを有している。ちょうどこの時ジャン・ヴァルジャンは、恐るべき惑乱にとらえられていた。あらゆる深淵《しんえん》が彼のうちに再び口を開いていた。彼もまたパリーと同じく、暗黒な恐ろしい革命の縁に震えていた。その変動はわずか数時間のうちに起こったのである。彼の運命と本心とは、突然やみにおおわれてしまった。パリーと同じく彼についても、二つの主義が相|対峙《たいじ》していると言い得るのだった。白い天使と黒い天使とは、深淵に架した橋の上でつかみあっていた。いずれが相手を投げ落とすであろうか? いずれが勝利を得るであろうか?
この六月五日の前日、ジャン・ヴァルジャンはコゼットとトゥーサンとを伴って、オンム・アルメ街に引き移った。そこで大事件が彼を待ち受けていたのである。
コゼットはプリューメ街を去ることに多少の異議を試みてみた。ふたりがいっしょに暮らすようになってから始めて、コゼットの意志とジャン・ヴァルジャンの意志とは、互いにはっきり異なって、衝突はしなくとも矛盾した。一方に異議があり、一方に頑強《がんきょう》があった。見知らぬ男がジャン・ヴァルジャンに投げ与えた「引っ越せという突然の忠告は、非常に彼を脅かして頑固ならしめた。彼は官憲から見現わされ跡をつけられてると思った。コゼットも譲歩しなければならなかった。
ふたりとも、口をきっと結び、一言も発せず、自分の考えに没頭して、オンム・アルメ街に到着した。ジャン・ヴァルジャンはコゼットの悲しみに気づかないほど不安であり、コゼットはジャン・ヴァルジャンの不安に気づかないほど悲しんでいた。
ジャン・ヴァルジャンはトゥーサンをも連れていった。それは今まで家を空《あ》けるおりにもかつてしなかったことである。彼はおそらく再びプリューメ街に戻ることはないだろうと思っていたし、またトゥーサンをあとに残すことも彼女に秘密を打ち明けることもできなかった。その上彼は、彼女は自分に身をささげていて信ずるに足りると思っていた。およそ召し使いの主人に対する背反は好奇心から始まる。しかるにトゥーサンは、あたかも元来ジャン・ヴァルジャンの召し使いと生まれてきたもののように、何ら好奇心を持たなかった。彼女は吃《ども》りながら、バルヌヴィルの田舎《いなか》言葉で言っていた。「わたしゃこう生まれついただ。自分の仕事ばしすりゃあええだ。他のこたあわたしの知ったことでねえだ。」
ほとんど逃げ出すのと同様なプリューメ街からの引っ越しに、ジャン・ヴァルジャンがいっしょに携えたものは、コゼットが彼につき物[#「つき物」に傍点]だと言っていたかおりのいい小さな鞄《かばん》ばかりだった。物をつめ込んだ行李《こうり》を運べば運送屋がいるし、運送屋が来ればそれが証人となって足がつく。それでただ、バビローヌ街の出口に辻馬車《つじばしゃ》を呼んできて、それに乗って立ち去ってしまった。
トゥーサンはようやくにして、わずかなシャツや着物や多少の化粧品を包みにして携えることを許され、コゼットの方は、ただ文房具と吸い取り紙とだけを持っていった。
ジャン・ヴァルジャンはその出立の跡をなおいっそうくらますために、プリューメ街に面した家の方は日が没してから立ち退《の》くようにさした。そのためコゼットはマリユスに一言手紙を書く暇を得た。オンム・アルメ街に着いた時はもうすっかり夜になっていた。
皆は黙々として床についた。
オンム・アルメ街の住居は、後庭に面した三階で、二つの寝室、一つの食堂、食堂に付属した一つの料理場、それからトゥーサンにあてられたたたみ寝室のある小部屋がついていた。食堂は同時に控え室になって、二つの寝室の間にはさまっていた。各室にはそれぞれ必要な道具が備わっていた。
いったい人はばかばかしく心配したり、ばかばかしく安心したりする。人間の性質はそうしたものである。ジャン・ヴァルジャンの心痛も、オンム・アルメ街に到着すると、明るくなってしだいに消えうせてしまった。ほとんど機械的に人の心を静める場所が世にはある。オンム・アルメ街は薄暗い街路で住民も静かであって、ジャン・ヴァルジャンはパリーのその古い小路から何となく静安の気が伝わって来るような気がした。街路は狭くて、二本の柱の上に渡した厚板で馬車をさえぎっており、騒々しい都市の中央にあって聾《つんぼ》で唖《おし》のようで、まっ昼間も薄暗く、百年以上も古びて黙ってる高い人家の軒並みの間に、いかなることがあっても冷然と構えてるがようだった。一種忘却の気が街路のうちによどんでるかと思われた。ジャン・ヴァルジャンはほっと吐息をついた。そこにいればほとんど見つかる憂いはなさそうだった。
彼の第一の仕事は、例のつき物を自分のそばに置くことだった。
彼はよく眠れた。夜は助言を与える(訳者注 一晩ねて考える方がいいという意味のことわざ)というが、夜は心を和らげると付け加えることもできる。彼は翌朝目をさますと、ほとんど心が快活になっていた。食堂はごく粗末で、古い円卓が一つ、上には斜めに鏡が立ててある低い食器棚が一つ、破れた肱掛《ひじか》け椅子《いす》が一つ、トゥーサンの荷物がいっぱいのせてある椅子が数個、それきりだったが、後はそれでも心地よい室《へや》だと思った。トゥーサンの包みの一つには、ジャン・ヴァルジャンの国民兵の正服がすき間から見えていた。
コゼットの方は、トゥーサンに言って自分の室に汁《しる》を一杯持ってこさせ、晩になるまで姿を見せなかった。
五時ごろ、忙しく片付け物をしながら行ききしていたトゥーサンは、食卓の上に鶏の冷肉を出した。コゼットも父に対する尊敬からそこに出てはきたが、ただ一目見たばかりで食べはしなかった。
それから、コゼットはなお頭痛がやまないと言って、ジャン・ヴァルジャンに別れの言葉をかけ、自分の寝室にとじこもった。ジャン・ヴァルジャンはうまそうに鶏の一翼を食べ、テーブルの上に肱をつき、しだいに心が平静になって、再び身の安全を信ずることができた。
その質素な食事をしている間に、トゥーサンが吃《ども》りながら二、三繰り返して言う言葉を、彼は漠然《ばくぜん》と耳に聞いていた。「旦那様《だんなさま》、騒ぎがもち上がっていますよ。パリーで戦いが始まっていますよ。」しかし彼は内心の種々な思いにふけって、それに少しも注意を向けなかった。実を言えば、彼にはその言葉もよくは聞こえなかったのである。
彼は立ち上がって、窓から扉《とびら》へ扉から窓へと歩き始めて、ますます心が落ち着いてきた。
かく心が落ち着くとともに、唯一の心掛かりであるコゼットのことがまた頭に浮かんできた。彼は別に彼女の頭痛のことは心配しなかった。それはちょっとした神経の障害であり、若い娘にはありがちな憂鬱《ゆううつ》であり、一時の曇りであって、一日二日で治《なお》ってしまうだろう。で、彼はただ未来のことを、いつものように静かな気持ちで考えた。そして要するに、幸福な生活が再び続いてゆくことに何らの障害をも見いださなかった。すべてが不可能に思える時もあるが、すべてが安穏に思える時もある。ジャン・ヴァルジャンは今そういう楽観のうちにあった。かかる安穏な時間は通例難渋な時間のあとに来るものであって、あたかも夜のあとに昼が来るようなものであり、皮相な者らがいわゆる対偶と称するところの自然の根底をなしてる連続ならびに対照の法則によるものである。ジャン・ヴァルジャンはその静かな街路に逃げ込んで、しばらくの間悩まされたすべてのことから脱することができた。多くの暗黒を見たことがまたかえって、多少の青空を認めさせる助けとなった。何の変事も起こらず無事にプリューメ街を去ったのは、既に幸先《さいさき》のいい一歩だった。これからたとい数カ月でも国を去ってロンドンに行くことは、おそらく賢いやり方に違いない。皆で行ってしまおう。フランスにいることもイギリスにいることも、傍《そば》にコゼットさえいてくれれば結局同じだった。コゼットのみが彼の故国だった。コゼットさえあれば彼は十分幸福だった。そして、コゼットにとっては自分がいるだけではおそらく十分の幸福とはなり得まいという考え、前に彼の煩悶《はんもん》の種となり不眠の種となった考えも、今は彼の頭に浮かんでこなかった。彼はあらゆる過去の苦悶から解脱して、深い楽観のうちにはいっていた。コゼットは自分の傍にいるからまったく自分のものであるような気がしていた。そういう気持ちはだれでも経験する一種の幻覚である。彼は種々楽しい考えにふけりながら心のうちで、コゼットを連れてイギリスへ行く計画をめぐらした。そしてどこということもなく自分の夢想のうちに、幸福の幻をうち立ててながめていた。
かくして静かに室《へや》の中を歩き回っていたが、突然異様なものが目に触れた。
食器棚の上に斜めに立ててある鏡の中に、次の数行を彼は正面に認めて、明らかにその文字を読んだのである。
いとしき御方、悲しくも父はすぐに出発すると申します。私どもは今晩、オンム・アルメ街七番地に参ります。一週間すればもうロンドンへ行っておりますでしょう。――六月四日、コゼット。
ジャン・ヴァルジャンははっとして立ち止まった。
コゼットはこの家に着いて、吸い取り紙を食器棚《しょっきだな》の上の鏡の前に置いたまま、煩悶《はんもん》のうちに沈み込んでそれを忘れてしまっていた。前日プリューメ街を通る若い労働者に頼んだあの数行の文句を自らしたためてかわかすために押しあてた、ちょうどその面が開いているのも、そのままにして気づかなかった。文字はすっかり吸い取り紙の上に残っていた。
鏡はそれを映し出していた。
その結果、幾何学でいわゆる対称図形をこしらえていて、吸い取り紙の上に逆になった文字は鏡の中にまた順になって、自然の位置に返っていた。ジャン・ヴァルジャンは前日コゼットがマリユスに書いた文字をそのまま眼前に見た。
それは明白なまた恐ろしいことであった。
ジャン・ヴァルジャンは鏡の前に進んだ。そして数行の文字を再び読み返したが、現実だとは信じ得なかった。あたかも稲妻の中に現われたもののような気がした。おそらく幻覚であろう。あり得べからざることである。実際に存しないことである。
けれどもしだいに彼の知覚はますますはっきりしてきた。彼はコゼットの吸い取り紙をながめ、再び現実の感が戻ってきた。彼は吸い取り紙を取り上げて言った。「これからきたんだ。」そして吸い取り紙の上に残ってる数行を、変な形になってる逆の文字を、熱心に調べてみたが、何の意味をも読み取ることはできなかった。その時彼は自ら言った、「これはまったく意味のないことだ、何も書いてあるわけではない。」そして言うべからざる安堵《あんど》の思いに深く息をした。およそだれか、恐るべき瞬間においてかかる愚かな喜悦を感じなかった者があろうか。人の魂は、あらゆる幻を汲みつくした後でなければ、容易に絶望に屈しないものである。
彼は吸い取り紙を手に持って、他愛もない喜びに浸り、欺かれた幻覚に対して今にも笑い出さんばかりになり、それをじっとうちながめた。ところが突然、彼の目はまた鏡の上に落ちて、そこに再び幻を見た。数行の文字は、ごまかし得ない明確さで再び現われていた。こんどはもはや幻覚ではなかった。幻も二度まで現わるればもはや現実となる。それははっきり知覚し得らるるものであった。鏡の中に映し出された文字だった。彼は了解した。
ジャン・ヴァルジャンはよろめいて、吸い取り紙を手から落とし、食器棚《しょっきだな》の傍《そば》にある古い肱掛《ひじか》け椅子《いす》に倒れかかり、頭をたれ、目を白くし、昏迷《こんめい》に陥った。彼は自ら言った、これは明瞭なことである、世の光は永久に陰ってしまった、コゼットはそれをだれかに書いたのであると。その時彼は、自分の魂が再び獰猛《どうもう》になって、闇《やみ》の中に鈍いうなり声を発してるのを聞いた。今は直ちに、檻《おり》の中に入れていた自分の犬を獅子《しし》の手から奪い返しに行くべきである!
奇怪なまた悲しいことではあるが、その時マリユスはまだコゼットの手紙を受け取っていなかった。偶然の機会は、それをマリユスに渡す前に不実にもジャン・ヴァルジャンに渡してしまったのである。
ジャン・ヴァルジャンはその日に至るまで、いまだかつていかなる試練にも屈したことはなかった。彼は幾多の恐るべき試みに会ってきた。あらゆる不運の道をことごとく通ってきた。凶猛なる運命は、あらゆる追求と社会的迫害とをもって、彼を目ざして襲いかかってきた。しかし彼はいかなるものの前にも退かず撓《たゆ》まなかった。やむを得ざる場合にはいかなる難事をも甘んじて受けた。回復し得た犯すべからざる人権をも犠牲に供し、自由をも捨て、おのれの首をも危険にさらし、すべてを失い、すべての苦しみをなめ、しかも常に打算を排し私念を去り、時としては殉教者にも等しいと思われるくらいにおのれを空《むな》しゅうした。かくて不運のあらゆる襲撃に鍛えられた彼の本心は、永久に難攻不落なるかの観があった。しかるに今、彼の内心をのぞいてみると、それが弱っていることを認めざるを得ないのだった。
というのも、宿命の長い審問のうちにおいて彼が受けたあらゆる拷問の中で、こんどのものこそ最も恐るべきものだったからである。かつて彼はかかる激しい責め道具に掛かったことはなかった。彼は内心のあらゆる感受性が異様に痙攣《けいれん》するのを感じた。まだ知らない神経がつみ取られるのを感じた。ああ最後の試練は、否むしろ唯一の試練は、愛する者を失うということである。
あわれなる老いたるジャン・ヴァルジャンは、確かにただ普通の父と同じ愛情でコゼットを愛していた。しかし前に注意しておいたとおり、その父たる愛情のうちには生涯の孤独から来るあらゆる愛情が混じていた。彼はコゼットを、娘として愛し、母として愛し、妹として愛していた。また彼はかつて情婦を持たず妻を持たなかったので、そしてまた自然はいかなる支払い拒絶をも許さない債権者のごときものであるから、あらゆる感情のうちで最も根深いあの感情もまた、彼の他の愛情のうちに交じっていた。しかしそれはただ、漠然《ばくぜん》たるものであり、無知なるものであり、盲目的に純潔なものであり、無意識的なものであり、天国的な天使的な神聖なものであって、感情というよりもむしろ本能であり、本能というよりもむしろ、感じ難い見え難いしかも現実なる一つの牽引《けんいん》の情にすぎなかった。いわゆる恋情というものは、コゼットに対する彼の広大な愛情のうちにあっては、あたかも人跡を絶した暗黒な山岳のうちにある一筋の黄金脈のごときものであった。
上に指摘してきた心の状態を読者は記憶していていただきたい。ふたりの間には、いかなる結婚も、たとい魂の結婚も、あり得なかったのである。けれども、彼らの宿命が結合し合っていたことは確かである。コゼットがいなかったならば、言い換えればひとりの少女がいなかったならば、ジャン・ヴァルジャンはその長い生涯の間、愛の目的となり得るものを何も知らなかったであろう。相次いで起こり来る情欲と恋情とは、冬を経た木の葉や五十歳を過ぎた人によく見らるるとおり、黒ずんだ緑の上に柔らかな緑を生じさせるものであるが、彼のうちにはそういう現象を少しも起こさせなかった。要するに、繰り返して力説するが、その内心のすべての融和は、集まって高き徳となったその全部は、結局ジャン・ヴァルジャンをしてコゼットの父たらしめたのである。ただそれはジャン・ヴァルジャンのうちにある祖父たり息子たり兄弟たり夫たる諸性質から鋳上げられた不思議な父であって、その中には母の性も交じっており、コゼットを愛するとともに欽慕《きんぼ》し、その少女をもって、いっさいの光明とし、住居とし、家庭とし、祖国とし、天国としていたのである。
かくて今、すべてがまさしく終わったのを見、彼女が自分の手から離れ脱し逃げ出したのを見、万事は雲のごとく水のごときものであったのを見た時、そして眼前に、「彼女の心は他の男に向いている、彼女の生涯の希望は他の男にある、他に恋人があって自分はただ父に過ぎない、自分はもはや存在しない、」という痛ましい証拠を見た時、そして今はもはや疑う余地もなくなった時、そして、「彼女は自分の外に逃げ出している、」と自ら言った時、彼が感じた悲しみはほとんどたえ難いものであった。今まであらゆることを忍んできたのは、ただこういう結果に達せんがためだったのか、ただ無に終わらんがためだったのか! その時、前に言ったとおり、彼の全身は反抗の念に震え上がった。彼は毛根の中にまで自我心が激しく目ざめ来るのを感じた。彼の内部の深淵《しんえん》のうちに自我は咆哮《ほうこう》の声を揚げた。
内心の崩壊というべきものが世にはある。絶望的な明白な事実が人の内部に侵入し来る時には、常にその人の本質とも言える深い要素をも、分離し破らないではおかない。そういう深い悲しみは、本心のあらゆる軍勢を潰走《かいそう》させる。それこそ致命的な危機である。この危機から平然と脱して、義務のうちにしかと足をふみしめ得る者は、世にあまりない。苦悶《くもん》の限度を越える時には、最も確固たる徳操も乱されるものである。ジャン・ヴァルジャンは再び吸い取り紙を取り上げて、また新たにはっきりと事実を見た。彼は身をかがめ石のようになって、その厳乎《げんこ》たる数行の文字にじっと目を据えた。そして内心のすべてが崩壊してるかと思われるような暗雲が、彼のうちに起こってきた。
彼はその啓示を、自分の夢想でいっそう拡大しながら、外観上はいかにも恐ろしく落ち着き払って、よく調べてみた。人の落ち着きも立像のような冷酷さに達する時には、恐怖すべきありさまを呈する。
彼は自分の気づかぬうちに宿命が恐るべき歩みをなしたことを考えてみた。愚かにもすぐに打ち消してしまった前年の夏の心痛を思い起こした。そして再び深淵《しんえん》を見いだした。万事は少しも変わっていなかった。ただジャン・ヴァルジャンは、今はその縁に立ってるのではなく、その底に陥ってるのであった。
痛切な驚くべきことには、彼は自ら気づかないでそこに陥っていたのである。自分では常に太陽を見ていると思いながら、生のあらゆる光明は既に消えうせていたのである。
彼の直覚は狐疑《こぎ》しなかった。前後の事情、二、三の時日、コゼットが時おり顔を赤らめたり青くなったりしたこと、それらを彼はつなぎ合わして自ら言った、「あの男だ。」絶望の推定力は、決して的をはずさぬ魔法の弓にも等しい。彼は最初の推察よりして、既にマリユスを射とめていた。その名前は知らなかったが、その男を直ちに見いだした。彼は自分の動かし難い記憶の奥に、リュクサンブールのあの見知らぬ徘徊者《はいかいしゃ》を、恋を漁《あさ》るあのみじめなる男を、あの小説的な怠惰者、愚物、卑劣漢を、はっきりと認めた。愛情深い父親を傍《そば》に伴ってる娘のもとにきて秋波を送るということは、一つの卑劣なる行ないではないか。
再生したる彼、自分の魂のためあれほど多くの努力をなした彼、ジャン・ヴァルジャンは、事件の底にあの青年が潜んでいることを十分に見て取った後に、自分の内部をのぞいてみて、そこに一つの妖怪すなわち憎悪《ぞうお》を認めた。
大なる悲しみのうちには重圧がある。それは人を生存に対して落胆させる。かかる悲しみに入り込まれた人は、何かが自分から抜け落ちるのを感ずる。それは、青春のおりにあっては悲痛であり、老年になっては悲惨である。血は熱く、頭髪は黒く、蝋燭《ろうそく》の炎のように頭は身体の上にまっすぐに立ち、運命の巻き物はまだ太く、心は希望の愛に満ちてなおときめくことあり、前途にはなお償いの時間を有し、あらゆる婦人と微笑と未来と地平とが前にあり、生の力が充実している、そういう時に当たっても、絶望は一つの恐るべきものであるとするならば、年月はますます淡く過ぎてゆき、墳墓の星が見えそむる夕暮れの時間たる老年においては、それはおよそいかなるものであろうか!
ジャン・ヴァルジャンが思いに沈んでいる時、トゥーサンがはいってきた。彼は立ち上がって、そして尋ねた。
「どの方面だか、お前知っているか。」
トゥーサンはあっけにとられて、ただこう答えるのほかはなかった。
「何でございますか。」
ジャン・ヴァルジャンは言った。
「さっきお前は、戦いが始まってると言ったのではなかったかね。」
「ああそのことでございますか、旦那様《だんなさま》、」とトゥーサンは答えた、「サン・メーリーの方でございますよ。」
人には自ら知らず知らずのうちに、最も深い考えの底から発してくる機械的な運動がある。ジャン・ヴァルジャンは確かに、自らほとんど気づかずにそういう運動の衝動に駆られたのであろう、四、五分経つともう街路に出ていた。
彼は帽子もかぶらず、家の入り口にある標石に腰をおろしていた。何かに耳を澄ましてるがようだった。
もう夜になっていた。
二 灯火《あかり》の敵たる浮浪少年
どれだけの間彼はそのままでいたか。その悲壮な瞑想《めいそう》の干満はいかなるものであったか。彼はまたたち上がったか、屈服したままでいたか、破れ裂けるまで身をかがめていたか、またはなお立ち直って何か強固なものの上に本心の足をふみしめることができたか。おそらく彼自身でもそれに答えることはできなかったであろう。
街路はひっそりと静まり返っていた。急ぎ足で家に帰ってゆく不安な市民も二、三通りかかったが、ほとんどジャン・ヴァルジャンに気づきもしなかった。危急の場合にはだれも自分のこときり考えられないものである。点灯夫はいつものとおりやってきて、ちょうど七番地の家の正面にある街灯に火をともして、また立ち去っていった。その時影のうちにあるジャン・ヴァルジャンの姿は、おそらく生きてる人とは思えなかったろう。彼はそこに、戸口の標石の上にすわって、氷の悪鬼のようにじっとしていた。絶望のうちにも氷結があるものである。遠くには警鐘の響きと漠然《ばくぜん》たる喧騒《けんそう》の音とが聞こえていた。暴動に交じったそれらの鐘の響きの中に、サン・ポールの大時計が、おごそかに落ち着いて十一時を報じた。騒がしい警鐘は人間の業《わざ》であり、落ち着いた時の鐘は神の業《わざ》である。しかし時間の経過はジャン・ヴァルジャンの上に何らの影響も与えず、彼は身動きさえしなかった。ところが間もなく、一斉射撃《いっせいしゃげき》の音が突然市場町の方面に起こり、次にまた更に激しい一斉射撃の音が起こった。それはおそらく、既に述べきたったとおり、マリユスによって撃退されたシャンヴルリー街の防寨《ぼうさい》の攻撃であったろう。夜の静けさのためいっそう猛烈に聞こえるその二度の射撃の音に、ジャン・ヴァルジャンは身を震わし、音のした方を向いて立ち上がった。しかし次にまた彼は、標石の上に腰をおろし、両腕を組み、頭はまた静かに胸にたれてしまった。
彼は再び暗澹《あんたん》たる独語を始めた。
突然彼は目を上げた。街路をだれか歩いていて、その足音がすぐ傍《そば》に聞こえた。街灯の光にすかして見ると、古文庫館へ通ずる街路の方に、勢いのいい年若な青白い顔が認められた。
それはオンム・アルメ街にやってきたガヴローシュだった。
ガヴローシュは上の方をながめて、何かさがすようだった。彼はジャン・ヴァルジャンの姿を明らかに見たが、何の注意も払わなかった。
ガヴローシュは上の方をながめた後、こんどは下の方をながめた。彼は爪先《つまさき》で伸び上がって、一階の戸口や窓に触《さわ》ってみた。けれどもそれらは皆閉ざされて、※《かけがね》や錠でしめ切ってあった。その閉鎖された人家の前面を五、六軒調べてみた後、浮浪少年は肩をそびやかして、独語をもらした。
「畜生め!」
それから彼はまた上の方を見上げ始めた。
ジャン・ヴァルジャンは一瞬間前まではだれにも口もきかず返事もしそうにない心地に沈んでいたが、今やその少年に何とか言ってみたくてたまらないような気持ちになった。
「小僧さん、」と彼は言った、「どうかしたのかい。」
「腹がすいてるんだ。」とガヴローシュはきっぱり答えた。そしてまた言い添えた。「お前だって小僧だ。」
ジャン・ヴァルジャンは内隠しの中を探って、五フラン貨幣を一つ取り出した。
しかし鶺鴒《せきれい》のようですぐ種々なことをやるガヴローシュは、もう石を一つ拾っていた。彼は街灯に心を向けていた。
「こら、」と彼は言った、「まだここに街灯をつけてるのか。規則違犯だぞ。秩序|紊乱《びんらん》だぞ。そんなものこわしてしまえ。」
そして彼は街灯に石を投げつけた。ガラスは大きな音を立てて地に落ちた。すると向かいの家の窓掛けの下に潜んでいた二、三の市民は叫んだ。「また九三年(一七九三年)がやってきた!」
街灯は激しく揺らめいて消えてしまった。街路はにわかに暗くなった。
「これでいい。」とガヴローシュは言った。「老耄《おいぼ》れた街路も夜の帽子をかぶるがいい。」
そして彼はジャン・ヴァルジャンの方へ向いた。
「向こうの端に立ってるあの大きな家は何というんだい。古文庫館じゃねえのか。あの太い柱を少し打ちこわして、防寨《ぼうさい》を作るといいなあ。」
ジャン・ヴァルジャンはガヴローシュに近寄った。
「かわいそうに、」と彼は独語するように半ば口の中で言った、「腹がすいてるんだな。」
そして彼は少年の手に五フラン貨幣を握らしてやった。
ガヴローシュはそのりっぱな大きな貨幣にびっくりして顔を上げた。やみの中にそれをすかしながめ、白く光ってるのに眩惑《げんわく》された。五フラン貨幣のことは噂《うわさ》に聞いて知っていて、評判だけでも悪い気持ちはしなかった。しかるに今やその一つを間近に見て、心を奪われてしまった。「虎《とら》の奴《やつ》を見てみるかな、」と彼は言った。
彼は夢中になってしばらくそれをうちながめた。それからジャン・ヴァルジャンの方へ向いて、貨幣を差し出しながらおごそかに言った。
「俺《おれ》はな、街灯をこわす方が好きだ。この恐ろしい獣は返してやる。俺を買収しようたってだめだ。虎には五本の爪《つめ》があっても、俺を引っかくことはできねえんだ。」
「お前さんは母親を持ってるだろう。」とジャン・ヴァルジャンは尋ねた。
ガヴローシュは答えた。
「そうさね、お前よりかかもね。」
「では、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「この金を母親に持っていってやるがいい。」
ガヴローシュの心は動いた。その上彼は、向こうが帽子をかぶっていないのを見て、安心の念を起こした。
「なるほど、」と彼は言った、「では街灯をこわさせないためでもねえんだな。」
「何でもこわすがいいよ。」
「お前はりっぱな男だ。」とガヴローシュは言った。
そして彼は五フラン貨幣をポケットに入れた。
彼はますます安心して言い出した。
「お前はこの街路の人かい。」
「そうだよ。なぜ?」
「七番地ってのはどこだか教えてくれないか。」
「七番地に何の用があるのかね。」
そこで少年は口をつぐんだ。あまり言いすぎはしなかったかと恐れた。彼は頭を爪《つめ》の先でがりがりかいて、ただこう答えた。
「ああここか。」
ある考えがジャン・ヴァルジャンの頭に浮かんだ。心痛にもそういう明察がある。彼は少年に言った。
「お前さんは、私が待ってる手紙を持ってきたのではないのか。」
「お前が?」とガヴローシュは言った。「お前は女じゃねえや。」
「手紙はコゼット嬢へというのではないのか。」
「コゼット?」とガヴローシュはつぶやいた。「うむ、何でもそんな名だった。」
「では、」とジャン・ヴァルジャンは言った、「私がその手紙を届ける役目だ。私にくれ。」
「それじゃ、俺《おれ》が防寨《ぼうさい》からきたことをお前は知ってるわけだな。」
「知ってるとも。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
ガヴローシュは貨幣を入れたのと別なポケットに手を差し込み、四つに折った紙を引き出した。
それから彼は挙手の礼をした。
「大事な使いだ。」と彼は言った。「仮政府からきた使いだ。」
「渡してくれ。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
ガヴローシュは頭の上に紙をささげた。
「恋文だと思っちゃいけねえ。あて名は女だが、実は人民へあてたものだ。俺《おれ》たち男どもは戦いをしてるが、婦人は尊敬する。女を食い物にする獅子《しし》のような奴《やつ》がいる上流とはわけが違うんだ。」
「渡してくれ。」
「つまり、」とガヴローシュは言い続けた、「お前はりっぱな男だと俺は思うんだ。」
「早く渡せ。」
「さあ。」
そして彼はジャン・ヴァルジャンに紙を渡した。
「急ぐんだぜ、爺さん、嬢さんが待ってるからな。」
ガヴローシュはかく爺《じい》さん嬢さんと語呂《ごろ》を重ねたのに自ら満足した。
ジャン・ヴァルジャンは言った。
「返事はサン・メーリーへ届けるのかね。」
「そんなことがお前にできるもんか。」とガヴローシュは叫んだ。「この手紙はシャンヴルリー街の防寨《ぼうさい》からきたんだ。俺はまたそこに帰ってゆくんだ。では失敬。」
そう言ってガヴローシュは立ち去った、というよりむしろ、籠《かご》から出た小鳥のようにもときた方へ飛んでいった。そして弾丸のようにすみやかに、闇《やみ》の中にま一文字に飛び込んでしまった。オンム・アルメ街は再び沈黙と静寂とに返った。またたくまに、影のようなまた夢のようなその不思議な少年は、暗い人家の立ち並んでる靄《もや》の中に沈み込み、闇の中の煙のように見えなくなってしまった。それから二、三分の後、ガラスのこわれる音や街灯が火の粉を上げながら舗石《しきいし》の上に落ちる音がして、また突然市民を驚かし憤らしたけれど、もしそれがなかったならば、少年はどこかへ消散し消滅してしまったかと思われるほどだった。その物音は、ショーム街を通りながらガヴローシュのやったことだった。
三 コゼットとトゥーサンとの眠れる間に
ジャン・ヴァルジャンはマリユスの手紙を持って家にはいった。
彼は餌物《えもの》をつかんでる梟《ふくろう》のように暗闇《くらやみ》に満足して、手探りに階段を上がってゆき、静かに戸を開いてまた閉ざし、何か物音が聞こえはしないかと耳を澄まし、コゼットとトゥーサンとが確かに眠ってるらしい様子を見て取り、フュマードの発火壜《はっかびん》に付け木を三、四本差し入れてようやく火をともした。それほど彼の手は震えていたのである。それだけのことをする彼の様子には、何か窃盗でもやってるらしい趣があった。ついに彼は蝋燭《ろうそく》に火をともし、テーブルの上に肘《ひじ》をつき、紙を開いて読んだ。
情の激してる時には、人は文字を読み下すことをしないで、言わば手に持ってる紙を地面にたたきつけ、犠牲に対するようにそれにつかみかかり、それを握りしめ、憤怒かもしくは喜びの爪《つめ》をその中につき立てる。結末に飛び越え、初めに飛び返る。注意は熱に燃える。概略、おおよそ、要点、をのみ了解する。一点をつかんで、他は消えうせてしまう。コゼットに送ったマリユスの寸簡のうちにジャン・ヴァルジャンは次の数語をしか見なかった。
……私は死ぬ。……これをあなたが読む頃には、私の魂はあなたの傍《そば》にあって……。
その数語に対して、彼は激しい眩惑《げんわく》を覚えた。しばらくは、心の中に起こった感情の変化に押しつぶされたまま、驚駭《きょうがい》の念に酔ったかのようにマリユスの手紙をながめていた。彼は目の前に、憎むべき男の死という美しい光景を描き出していた。
彼は内心の喜びの恐ろしい叫びをもらした。――かくて万事終わったのである。結末は思ったよりも早く到来した。彼の運命をふさいでいる男は今や消えうせんとしていた。その男は自ら勝手におのれの意志で立ち去ったのである。彼ジャン・ヴァルジャンが少しも手出しをすることなく、少しも罪を犯すことなくして、「あの男」は死のうとしていた。おそらくはもう既に死んでるかも知れなかった。――そこで彼の熱に浮かされた心は推測を始めた。――否。彼はまだ死んではいない。手紙は明らかに、明朝コゼットに読ますように書かれている。十一時と十二時との間に聞こえた二度の一斉射撃《いっせいしゃげき》以来、何の音も聞こえなかった。防寨《ぼうさい》は夜明けにならなければ本当の攻撃は受けないだろう。しかしいずれにしても同じことである。「あの男」は、一度戦いにはいった以上もう助かるものではない。彼は歯車のうちに巻き込まれているのである。――ジャン・ヴァルジャンはほっと助かったような気がした。これで再びコゼットとただ二人きりになるのだった。競争はやんだ。前途はまた開けてきた。彼はただその手紙をポケットの中に隠して置きさえすればよかった。コゼットは「あの男」がどうなったか永久に知らないだろう。「今はただ万事をその成り行きに任せるばかりだ。あの男はとうてい脱《のが》れることはできない。まだ死んでいないにしても、やがて死ぬことは確かだ。何という幸福だろう!」
それだけのことを心の中で言ってから、彼は陰鬱《いんうつ》になった。
それから彼はおりていって、門番を起こした。
一時間ばかりの後、ジャン・ヴァルジャンはすっかり国民兵の服をつけ武装して出かけていった。門番はその近所で、彼の身じたくに必要な品々をすべて手に入れることができたのである。ジャン・ヴァルジャンは弾丸をこめた銃と弾薬のいっぱいはいった弾薬盒《だんやくごう》とを携えていた。彼は市場町の方へ進んでいった。
四 ガヴローシュの熱狂
そのうちに、ガヴローシュには一事件が起こっていた。
ガヴローシュは自ら好んでショーム街の街灯を石で打ち壊した後、ヴィエイユ・オードリエット街にはいり込み、「猫《ねこ》の子一匹」いないのを見て、その好機会に乗じてできる限りの歌を歌い出した。彼の歩みは、歌のために緩《ゆる》くなるどころではなく、かえって勢いがついてきた。あるいは寝静まりあるいはおびえ潜んでる人家の軒ごとに、火をつけて回るように次の歌を浴びせかけ始めた。
籬《まがき》の中には小鳥の陰口、
昨日アタラはロシアの男と
姿をくらまし逃げたとさ。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
おかしな雀《すずめ》しゃべくりやがる、
こないだミラがその窓をたたいて
俺の名を呼んだばっかりに。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
ほんにかわいい女ども、
俺《おれ》を惑わすその毒は
オルフィラさんをも酔わすだろう。
(訳者注 オルフィラとは当時有名な毒物学者)
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
愛と争論《いさかい》、俺《おれ》は好き、
パメラとアグネス、俺は好き、
俺に火つけて身を焼いたリーズ。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
昔スュゼットとゼイラとの
頭被《かつぎ》を見た時、その襞《ひだ》に
俺の心はとけ込んだ。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
闇《やみ》の中にて輝く愛よ、
薔薇《ばら》の花をばロラに被《き》せ、
俺《おれ》の胸をば焦がすだろう。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
鏡を前に着飾るジャンヌよ、
俺の心は飛び去った、
それをお前が持ってるね。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
晩に踊りの仲間を出ながら、
星にステラを見せびらかして、
俺は言ったよ、これ見てくれと。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
ガヴローシュは歌を歌いながら、盛んに身振りをして行った。身振りは反唱句の支点である。尽くることなく種々の面相に変わり得る彼の顔は、烈風に翻る布の裂け目よりも、更にゆがみくねった変てこな様々の渋面を作っていた。けれど不幸にしてただひとりではあるし夜のことだったから、見る人もなくまた見えもしなかった。世にはそういう隠れた宝がいくらもある。
突然彼は急に歌いやめた。
「恋歌はあと回しだ。」と彼は言った。
彼の猫《ねこ》のような目は、ある表門のひっこんだ所に、絵画でいわゆる配合と称するところのものを見つけたのである。言い換えれば人物と物とであった。物というのは、一つの荷車で、人物というのは、その中に眠ってるひとりの田舎者《いなかもの》だった。
荷車の柄は舗石《しきいし》の上におろされてい、田舎者の頭は荷車の前板の上にたれていた。身体はその斜めの前板の上に長くなって、足は地面に触れていた。
ガヴローシュはそういう仲間のことをよく知っていたので、その男が酔っ払ってることを見て取った。
それはどこかの運搬人夫で、あまり酒を飲みすぎて、あまりぐっすり眠りすぎてるのだった。
「夏の夜もちっとは物の役に立つんだな。」とガヴローシュは考えた。「田舎者は荷車の中に眠らしてやがる。荷車の方は共和政府で取り上げて、田舎者の方は王の政府にくれてやれ。」
彼の頭には次のような光明が輝いたのだった。
「この荷車は防寨《ぼうさい》に積むに持ってこいだ。」
田舎者《いなかもの》は鼾《いびき》をかいていた。
ガヴローシュはそっと、荷車を後ろから引き、田舎者を前からすなわち足を引っぱった。そして間もなく、前後不覚に眠ってる田舎者は舗石《しきいし》の上に平たくつっ伏してしまった。
荷車は自由になった。
どういう場合にも不意のことに立ち向かうのになれてるガヴローシュは、いつもあらゆる物を身につけていた。彼は一つのポケットを探って、一枚の紙片とある大工の所から盗んできた赤鉛筆の切れ端とを取り出した。
彼は書きつけた。
汝の車をもらい受く。
フランス共和政府。
そして「ガヴローシュ」と署名した。
それから彼は、相変わらず鼾をかいてる田舎者のビロードのチョッキのポケットにその紙片を入れ、両手に梶棒《かじぼう》をつかみ、荷車を自分の前に大駆けに押しやって勢いのいい勇ましい響きを立てながら、市場町の方へ走っていった。
それは危険なことだった。国立印刷局に兵士の衛舎があった。ガヴローシュはそのことを頭に浮かべなかった。衛舎には郊外の国民兵らが駐屯《ちゅうとん》していた。衛兵らはしだいに注意を呼びさまされ、たたみ寝台の上に頭をもたげた。相次いでこわされた二つの街灯、声の限りに歌われてる歌、それだけの騒ぎは、日が沈むとすぐに寝ることばかりを考え、早くから蝋燭《ろうそく》を消すのを常としてる、この臆病な街路を驚かすには十分だった。もう一時間もの間、壜《びん》の中にはいった蠅《はえ》のような騒ぎを、浮浪少年はその平和な一郭にもたらしていた。郊外兵の軍曹《ぐんそう》は耳を澄ましていた。彼は待っていた。用心深い男だった。
そして激しい荷車の音に、軍曹はもうこらえきれなくなって、一つ偵察《ていさつ》してみようと決心した。
「だいぶの人数だ!」と彼は言った。「そっと行ってみよう。」
無政府の蛇《へび》めらが箱から飛び出して、その辺をのたくり回ってることは、明らかだった。
そして軍曹は、ぬき足して衛舎から外に出てみた。
ガヴローシュは荷車を押しながら、ヴィエイユ・オードリエット街から出ようとした時ふいに、軍服と軍帽と羽飾と銃とに出っくわした。
再び彼は立ち止まった。
「やあ、」と彼は言った、「先生か。こんちは、公の秩序先生。」
ガヴローシュの驚きは、ただ一時のことですぐに消えてしまったのである。
「どこへ行くのか、小僧。」と軍曹は叫んだ。
「君、」とガヴローシュは言った、「俺《おれ》は君に向かって失礼な呼び方はしなかったぜ。なぜそんな無礼なことを言うんだい。」
「どこへ行くのか。」
「君、」とガヴローシュはまた言った、「君はたしか昨日まではおもしろい男だったが、今朝になって免職されたんだな。」
「どこへ行くのかって聞いてるんだ、ばか。」
ガヴローシュは答えた。
「君はおとなしい物の言い方をするね、どう見ても君は年齢《とし》より若いぜ。その髪の毛を売るといいね、一つかみ百フランはする。すっかりで五百フランにはなるぜ。」
「どこへ行くのか、どこへ行くのか、どこへ行くのかというに、泥坊め。」
ガヴローシュは言った。
「きたねえ言葉を吐くなよ。第一その口を拭《ふ》かなくちゃ乳《おっぱい》はもらえねえぜ。」
軍曹《ぐんそう》は銃剣をさしつけた。
「さあ、これでもどこへ行くのか言わんか、畜生。」
「大将、」とガヴローシュは言った、「俺《おれ》はね、女房がお産をしかけてるから医者を呼びに行くところだよ。」
「銃を取れ!」と軍曹は声高く叫んだ。
自分を死地に陥れたところの物を利用して反対に身を脱するのが、元気な者のみごとな策略である。ガヴローシュは一目で全局を見て取った。彼を危険に陥れたのは荷車だった、そしてこんどは荷車が彼を保護すべきだった。
軍曹がガヴローシュの上に飛びかかろうとした時、荷車は弾《たま》となって一押しに投げやられ、軍曹の上に激しくつきかかった。軍曹はまっ正面からそれを腹に受けて、銃を空中に発射しながら、あおむけに溝《みぞ》の中にころげ込んだ。
軍曹の叫び声に、衛舎の兵士らはどやどやと出てきた。そして一発の銃声を聞くと、やたらに発射した。
その盲目滅法《めくらめっぽう》な射撃は、およそ十五、六分も続いた。そして数枚の窓ガラスを打ち破った。
その間にガヴローシュは、一生懸命に退却して、そこから五、六街路先に立ち止まり、息を切らしながらある標石の上に腰をおろした。それはアンファン・ルージュ施療院の角《かど》だった。
彼は耳を傾けた。
しばらく息を休めた後に、彼は激しい銃火の音がしてる方へ振り向き、左手を鼻の高さに上げ、それを三度前の方へつき出し、一方では右手で頭の後ろをたたいた。それはパリーの浮浪少年らがフランス式の皮肉を集中した得意の身振りであって、きわめて利目《ききめ》の多いものであることは、既に半世紀も続いてきたのを見てもわかる。
しかしその得意は、たちまちにがい考えで乱された。
「ほんとに、」と彼は言った、「俺《おれ》はおかしくて、擽《くすぐ》ったくて、うれしくて仕様がねえ。だが道がわからなくなっちゃった。回り道をしなくちゃなるめえ。間に合うように防寨《ぼうさい》に着けばいいが!」
そこで彼はまた駆け出した。
そして駆けながら言った。
「ところで、ここはどっちの方面かな?」
彼は街路をやたらにたどりながら歌を歌い始めた。その歌は闇《やみ》の中にしだいに消えていった。
だがまだ牢屋《ろうや》は残っているよ。
そんな秩序であるならば
俺《おれ》が鎮《しず》めてつかわそう。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
柱戯《キーユ》遊びをする者ないか。
大きな球が飛んだなら
古い世界は崩《くず》れよう。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
お心よしの老いぼれ人民、
ふざけた王位のルーヴルを
撞木杖《しゅもくづえ》にて打ちこわそうよ。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
俺《おれ》らは鉄門を破ってやったぞ。
シャール十世その期《ご》になって
身が危うて我が首はねた。
娘たちどこへ行く、
ロン、ラ。
衛兵らの射撃は必ずしも無効には終わらなかった。荷車は捕獲され、酔漢は捕虜となった。前者は押収され、後者はその後従犯人として、軍法会議で多少の審問を受けた。当時の検察官はその機会において、社会の秩序防衛についての不撓《ふとう》な熱心を示した。
ガヴローシュのこの冒険は、タンプル一郭の仲間に長く言い伝えられた。そしてまた、マレーの老市民らの最も恐ろしい思い出の一つとなって、彼らの記憶の中では、「国立印刷局の衛舎の夜襲」と題されている。
底本:「レ・ミゼラブル(三)」岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年5月18日改版第1刷発行
「レ・ミゼラブル(四)」岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年5月18日改版第1刷発行
※「この半王位を全王位に置換したことが、」の行は底本では2字下げになっています。
※誤植の確認に「レ・ミゼラブル(五)」岩波文庫、岩波書店1961(昭和36)年7月30日第14刷、「レ・ミゼラブル(六)」岩波文庫、岩波書店1960(昭和35)年8月30日第12刷を用いました。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年2月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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