ベートーヴェンの生涯 VIE DE BEETHOVEN ベートーヴェンの手紙 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven、フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー Franz Gerhard Wegeler、エレオノーレ・フォン・ブロイニング Eleonore von Breuning、ロマン・ロラン Romain Rolland 片山敏彦訳

クールラントの牧師カルル・アメンダ宛

  一八〇一年六月一日、ヴィーン

 親しい善きアメンダ、心からなる友よ。深い感動をもって、悲しみと悦びとの入り交じった気持をもって君の最近の手紙を受け取り、そして読んだ。――君のかわらぬ真情と僕への好意とを何にたとえたらいいだろう。おお、君が僕に対していつでもこんなに親切だということはまったくすばらしい。そうだ、僕には君の友情の確かさがわかる。他のすべての人々と君との相違が僕にははっきり判っている。君はヴィーンの友人とは違う。君は、僕の故郷の土地が生み出すことのある種類の人間たちの一人だ。どんなにたびたび、君が僕の側にいてくれたらと願うことだろう。なぜなら君のベートーヴェンは、自然と創造主とを対手に格闘しながら、非常に不幸に暮らしているのだからね。〔すでにたびたび僕は創造主をのろった。――創造主が自分の被造物を実にやくざな偶然の犠牲にして顧みず、そのため最も美しい花も滅びることがあるのをのろった。〕思ってもみてくれ、僕の一番大切な部分、僕の聴覚がひどく衰えたのだ。君がまだ僕といっしょにいたあの頃、すでにその兆候を感じていたが僕はそれを隠していた。ところで病状はだんだん悪化するばかりだ。再び快方に向くかどうかがはっきり判るのも今後のことだ。これは僕の腹部の病気いかんによることに相違ない。腹の方はほとんど良くなっている。耳の病気も次第に治ってくれることと僕は望みをかけているのだが、しかしよほどむずかしい。こんな病気はいちばん治りにくいのだ。自分にとって親愛なすべてのものを避けながら、しかも利己的な、つまらない人々の中で生きなければならないことはつらい! リヒノフスキーが僕のためにはここでの最も確かな友だといえる。去年以来彼は僕のために六百フローリン投げ出してくれた。僕の作曲がかなり良く売れるので生計の心配から免れている。この頃書く作曲はどれも一曲をすぐに五回売ることができ、報酬もいい。――最近僕はかなりたくさん作曲した。君は×××へ幾つかピアノを注文したそうだが、僕はその荷の一つへ、僕のいろいろな楽譜を入れて送ろう。そうすれば君の費用が幾らかでも省けるわけだ。
 僕が悦んで話ができ、利害を超えた友情をたのしむことのできる一人がここへ来てくれたので僕は大いに慰められている。彼は僕の幼な友だちの一人だ〔原注――シュテファン・フォン・ブロイニングのこと〕。すでにたびたび君のことを彼に話して僕はいった、僕が故郷を出て以来、君アメンダこそ、僕の心情が選び採った親友の一人だと。――×××は彼にも気に入らない。真の友情にとっては依然として薄弱すぎる人物だから〔原注――ツメスカルのことか? 彼はヴィーンの宮廷秘書官であった。そしてベートーヴェンに傾倒していた〕。僕はその人物および×××を楽器のように感じている――弾きたいときに弾く楽器のように。しかしその人々は僕の内的、外的な仕事の全的な証人ではありえないし、また僕のまことの関与者ではありえない。僕は彼らが僕に示してくれる尽力に応じてのみ彼らの価値を評価する。ああ、今僕の聴力が少しもそこなわれていないとしたら、僕はどんなにか幸福だろうに! そうしたら僕は君のところへすぐにも飛んで行くだろうに! しかし僕はすべてから隠れて生きることを余儀なくさせられている。僕の最も美しい歳月がむなしく流れ去る。天分と力とが命ずるだけの仕事を僕が果たしもしないうちに!――悲しいあきらめ、それを僕は隠れ家としなければならないのだ! もちろんこれら一切を超えたところへ自分を高めようと僕は努めて来たが、しかしそれはできることなのだろうか? そうだ、アメンダよ、今から半年のちに僕の病が治りそうになかったら、僕は君にお願いする、どうか万事を差しおいて僕のところへ来てくれたまえ。それから僕は旅に出よう。(僕の病気は演奏や作曲のときにはまだ障《さわ》りが最も少ない。人との交際のときが一番いけないのだ。)そうしたら君に必ず同行してもらいたいのだ。自分の幸運がすっかりだめにはなるまいと僕は確信している。今僕は何者とでも力競べをやれないことはないのだ。君が去ってから以後、僕はあらゆる種類の音楽を書いた、歌劇や宗教楽までも。君は僕の頼みを拒みはすまい。君の友がその憂いと病とを荷うことに君は力を藉してくれるだろう。僕はその後ピアノの弾き方をもずっと完全にものにした。この旅が君にも悦びになりうるだろうと僕は思う。旅のあとで君はずっと僕といっしょにいてくれるだろうね。――君の手紙は皆たしかに受け取った。返事が十分書けなかったにしても、僕の心は君に対していつもかわらぬ愛情のため鼓動している。――僕が自分の耳の病気について君にうちあけたことは、どうか絶対に秘密にしておいてくれたまえ。誰にもいわないでくれたまえ。――たびたび消息をくれたまえ。たとえ短いたよりでも君の手紙は僕を慰めてくれて、僕のために善い力になってくれるのだ。――君に捧げたあの弦四重奏曲《クワルテット》〔原注――作品第十八の一〕を君に送らなかった理由は、弦四重奏曲を相当によく書くことが判り始めて以来すっかりあれを書き直しているためだ。今度、弦四重奏曲の幾つかを君が僕から受け取ったら、僕がこの方面で進歩したことが君に判ってもらえるつもりだ。――今日はこれでさようなら、親しい友よ! 君にとって愉快なことで何か君のために僕にもできるようなことがあったら、君はもちろんそれを君の忠実な、君を心から愛している
                     L・v・ベートーヴェン
にいってよこさなければならないよ。

 医師《ドクトル》フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラー宛 

  一八〇一年六月二十九日、ヴィーン

 善い親しい僕のヴェーゲラー、君の友誼の証しにどれほど感謝しているか知れない! 僕はほとんどそれに価しなかった。それに価しようとする努力をもほんとうに怠っていた。それだのに君はこんなに親切だ。君は少しも悪くとらない――許され難い僕の御無沙汰をさえも。君はいつもかわらぬ忠実な善良な公明正大な友であってくれる。――君を、君たちを、僕のためにどんなに大切な貴いものであるか知れない君たちみんなを、僕が忘れてしまうことがあり得るなどとは、断じて信じないでくれたまえ! 君たちを慕い、君たちの傍で少しの期間でも一緒に暮らしたいと考える瞬間が僕にはたびたびある。――僕の故郷、僕がこの世の光をそこで始めて見たあの美しい土地は、君たちと別れて来たあの時の姿のままにいつも明らかに生き生きと僕のこころに生きている。再び君たちに逢い、そして父なるライン河に挨拶することのできる日は、僕の生涯中の最も幸福な瞬間の一つとなるだろう。いつその瞬間が来るか、まだ明確にそれを告げることができない。――少なくとも君たちにいいたいことは、そのとき僕がずっと成長したことを君たちは感じるに相違ないということだ。芸術家としてのことではなく、人間としてのことを僕はいっているのだ。君たちに、いっそう善くなり完成したと感じられるだろう人間としてのことを。そして僕らの故郷の人々の状態は前よりは幾らかよくなっているとしても、僕の芸術は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない……
 僕の近頃の様子を幾らか知りたいと君はいってくれたね。そう悪くもないよ。一年以来リヒノフスキーは(そう君にいっても君には信じ難く思われるかも知れないが)いつでも僕の熱心な味方であってくれたし今もそうなのだが(確かにちょっとしたいざこざは二人の間にありはしたけれども、かえってそのことが僕と彼との友情を固くした)――あのリヒノフスキーが僕に六百フローリンの年金を投げ出してくれた。僕は自分に適わしい地位を見つけるまでは、その年金額の中から引き出せるはずになっている。作曲の収入も多い。引き受け切れないほど注文はあるのだ。一つの作に六つか七つの出版所はあるし、僕の方でその気になって骨を折れば、それ以上もあるだろう。今では僕に対してあれこれ談判は持ちかけない。僕が値を極めると、僕はいいなりに支払いをもらえる。すてきだと思わないかい? たとえば一人の友が窮している様を僕が見るとするね。そのとき僕の財布は彼を救ってやることができないとするね。僕は机に向かって仕事をしさえすればいいのだ。またたく間に彼は救われるのだ――僕はまた、以前よりは倹約家になった……
 不幸なことに不健康という嫉妬ぶかい悪魔が僕の行く手を妨げに来た。三年以来僕の聴覚は次第に弱くなった。原因は、以前に僕が悩まされていた、あの君も知っている腹の病気にあるに違いないが、この腹の病気がまたしても昂じている。そのため絶えず下痢に苦しめられて極度に体が弱る。フランクは彼の強壮剤で僕を力づけようとして僕の耳疾には扁桃油を用いてみた。しかし、オメデトウ《プロージット》! 何の効き目もなかった。耳はだんだん悪くなるし、腹は状態依然なのだ。こんな状態が前の秋までずっと引き続いて、僕はときどき希望を見失った。或るへっぽこ医者は冷水浴療法を僕にすすめたし、やや気の利いた他の医者はドーナウの例の温湯浴をすすめた。こいつはききめがあって腹の方はずっと良好だが耳はやはりよくない、むしろ悪くなっている。この冬の僕の状態はまったく情ないものだった。ひどい疝痛に幾度も悩まされてそのためまた元へ完全に逆戻りをした。先月までそんな状態だったが、先月僕はフェーリングに診《み》てもらった。僕の病気は外科医に診察してもらう必要があると思われたし、また僕はいつでも彼に信頼を持っていたためだ。彼のお陰でひどい下痢は完全にやんだ。彼はドーナウの温湯浴をやれといった――入浴ごとに湯の中に強壮薬を一壜すっかり注《つ》ぎ込んで。他にはどんな薬もくれなかったが、しかし四日ほど前から胃のための丸薬と耳のための煎じぐすりだけをくれている。そのため僕はずっとよくなり力づいて来た。ただ耳だけはやはり、昼も夜もブンブン鳴りどおしだ(sausen und brausen)。僕が惨めな生活をしているといっても誇張ではない。二年ほど前から僕は社交の場所をすっかり避けている。――「僕はつんぼです」と人々にいえないためだ。僕の専門が別の仕事なら、それもいえるのかも知れないが、しかし僕の仕事の場合、これは恐ろしい立場だ。僕の敵たちはこれについて何というだろう! しかも彼らの数は少なくはない。
 この奇妙な聾の状態について君に判らせるための一つの例をいってみるなら、劇場で演技者たちの言葉を聴き取ることができるためには僕はオーケストラの座席のすぐ脇にいなければならない。少しでも遠ざかると、楽器の高い調子の音も肉声も聴き取れない。会話のとき、まだこれを感づいた人々の無いのが不思議なくらいだ。僕がもともとよく放心状態に陥るくせがあるものだから、人々はやはりそれだと思い込むのだろう。人が低声《こごえ》で話しているとほとんど聴こえない。響きのほうは聴こえるが言葉が聴こえないのだ。しかも誰かが叫び声を立てると、それが僕には耐え難い。この先どういうことになって行くか、てんで判らぬ。フェーリングは、全快とまでは行かないにしろ、次第によい方へ赴くだろうというのだが。――実際たびたび僕は自分の存在と造物主とを呪った〔[#割り注]原注――ノールは彼の編纂した『ベートーヴェン書簡集』の中で「……造物主とを」〔und den Scho:pfer〕 の語を省いている[#割り注終わり]〕。プルタークの本が僕を諦念へ導いてくれた。できることなら僕は運命を対手に戦い勝ちたい。しかし、僕の生活の中へは、自身を神の造った者の中の最も惨めな者と感じる瞬間がたびたび来る。――僕の病状については誰にも秘密にしておいてくれるように頼む。――ロールヒェン〔原注――エレオノーレのこと〕にさえも。ただ君にだけうち明けるのだ。僕の病気について君が手紙でフェーリングと相談してくれるとありがたい。この状態が永びくようなら、次の春には君のところへ行こう。そうしたらどこか景色のよいところに百姓家を一軒借りてくれないか。六カ月ほど百姓の生活がしてみたい。おそらくそれが僕にはよい利き目があるだろう。諦念! 何たる悲しい隠《かく》れ家《が》だ! しかも、それのみが今の僕に残されている唯一の隠れ家だとは!――君の夥《おびただ》しい気苦労のただ中へ、友情に甘えてさらにこんな配慮の種を持ち込むのを赦してくれたまえ。
 シュテファン・ブロイニングが今ここに来ている。ほとんど毎日のように僕らは逢っている。そのため僕は過ぎ去った日の感情を想い出さされることが多い。彼はほんとうに善い立派な若者になった。彼には何ものかが在る。そしてこの若者の心情は(僕らの仲間はとにかく皆だれでもそうであるように)正しい位置から離れない……
 善良なロールヒェンにも僕は手紙を書きたい。君たちの誰一人をも決して忘れたことはない、善い親友らよ、たとえ御無沙汰をしているときでも。僕の筆不精は君も知っている。文章を書くのは僕にはいつも苦《に》が手だ。僕の一番善い友人たちが何年間も、僕からの手紙を一本も受け取らないでいる始末だ。僕は楽譜ばかり書いて暮らしている。一つ仕事が済むが早いか、もう次のに取りかかる。今僕がやっているやり方だと、いちどきに三つか四つの作曲をやれることも珍しくない。――たびたび消息をくれたまえ。君に返事を書く時間をできるだけ作るようにするつもりだ。みんなによろしく……
 さようなら、善い、かわらぬ友ヴェーゲラー! 君のベートーヴェンの愛と友情とを堅く信じていてくれたまえ。

            ヴェーゲラー宛

  一八〇一年十一月十六日、ヴィーン

 善き友ヴェーゲラー! 僕が受ける資格が無いほどな親切な心尽しを、またしても君から受けたことにお礼をいう。僕の近況と、また僕にとって必要なものとについて君は知りたいといってくれる。それを述べることは僕にはどうも愉快ではないが、しかし君とならば最も悦んで話せる。
 フェーリングは数カ月前から僕の両腕に発泡膏《ヴェジカトリエン》を貼っている。……この療法は僕には実に不愉快だ。痛いことは問題にしないとしても、そのたびごとに一、二日位ずつは腕が使えないのだ。耳鳴りは前より幾分減ったことは確かだ、ことに左の耳、つまり僕のつんぼが始まり出した方の耳がそうだ。しかし今までのところ聴力は少しも治っていない。いっそう悪くならなかったともいい切れないのだ。――腹の方はずっと良好だ。ことに、微温浴を二、三日つづけた後は一週間か十日ほどかなりよい。胃が強くなる薬をたまに摂っている。また君のすすめに従って腹部に薬草を貼ることも始めた。――灌水浴のことはフェーリングは耳を傾けようとしない。だいたい彼に対して僕は大いに不満だ。こんなふうな病気に対しては心遣いや親切な辛抱強さが足りな過ぎる。もし僕の方から診察を受けに出かけないとすれば――出かけるのもひと苦労だが――二度と彼には会わないことになるだろう。――君はシュミットについてはどう思う? 僕は別に医者を変える気もないが、しかしフェーリングはあまりに実地家過ぎるので、書物を読んで大いに説を新しくしてゆくという所がない。――シュミットはその点まったく違うように僕には思われる。それに多分(フェーリングみたいに)あんなにぞんざいでは無さそうだ。電気療法《ガルヴァニスム》はすばらしく効くそうだが、君はどう思う?――ある医者が僕に話したところによると、聾唖の子供が聴こえ出したり、七歳のときから聾だった人もやはり治ったりした実例を、その医者は知っているそうだ。――ちょうどシュミットがその電気療法《ガルヴァニスム》の実験をやっている由だ。近来いくらか愉快な生活を僕は取り返している。前よりも人《ひと》なかへ出ることも多くなっている。二年前から僕がどれほど孤独な悲しい生活をして来たかは、君には信じられないくらいだ。僕の病気は僕の行く先々にまるで幽霊みたいに立ちふさがって、僕は人間を逃げていた。僕は厭人家と見なされるようにするより他に仕様がなかった――実は少しも人間嫌いでは無い僕が!――その後僕が変化したのは、一人の親愛な、可愛らしい少女のした仕事なのだ。その人は僕を愛しているし、僕もその人を愛している。二年ぶりで再び幸福の幾瞬時を僕は持っている。結婚が幸福をもたらすかも知れないということを今度始めて僕は感じている。残念なことにその人は僕とは身分が違う。――それに今のところ――僕は結婚はできまい――僕はまだうんと働かなければならない。耳さえこんなでなかったら地球の半分をとっくの昔歩き尽していたろうに。これはどうしても僕が実現しなければならないことだ。自分の音楽を仕上げて世に示すこと以上の大きい楽しみは僕にはない。――たとえ君たちの所へ行って一緒に暮らしても僕は幸福ではあるまい。さらに大きい幸福を何が僕に与えてくれるものか? 君たちの心尽しさえ僕には重荷になるだろう。絶えず君たちの顔いろに僕は同悲のこころを見て採り、そしていっそう自身を惨めに感じることだろう。僕の祖国の美しい景色へ僕を引き寄せるものは何か? いっそうよい地位に対する僕の希望以外の何物でもないのだ。僕はそれをすでに手に入れていたはずなのに――この病気さえ無かったら。おお、この病気から解放されて僕は全世界を抱き緊めたい! そうだ、僕の若さは今ようやく始まりかけたことを僕は感じている。今までは絶え間なく病気に苦しめられていたのだ。少し前から、身体のちからは今までになく増進している。――それに伴って精神力も。はっきり定義できないなりにしかし予感している目標へ、僕は日ごとに近寄っている。君のベートーヴェンはただこのことの中にのみ生き得るのだ。僕には休息ということはまったくない。僕の休息とは夜の眠りだけだ。そして睡眠に以前よりも多くの時間を与えねばならないことだけでも僕には十分に悲しい。今の病苦から半分だけでも解放されたら、そうしたら――いっそう成熟しいっそうでき上がった人間として僕は君たちに逢いに行き、かわらぬ友情をさらに堅くしよう。
 僕は、この世の生活から獲得した幸福を携えて君たちと再会したいのだ――不幸をではなく。――否、それは、(不幸を携えて君たちに再会するということは)僕には耐えがたい。――僕は運命の喉元を締めつけてやりたい。どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない。――おお、生命を千倍生きることはまったくすばらしい! ――寂しい生活、――否、確かに僕は寂しく生きる性分ではない。ロールヒェンにくれぐれもよろしく……君は僕を幾らかは愛していてくれるだろうね。僕の愛と友情とを信じていてくれたまえ。
                       君のベートーヴェン

  ヴェーゲラーとその妻エレオノーレ・フォン・
 ブロイニングからベートーヴェンへの手紙*

     *原注――ベートーヴェンの最もかわらぬ親友であったこの立派な       人物たちの人柄を知らせるため、この二通の手紙をここ に掲げるこ       とは興味無きことではあるまいと私には思われる。 この人にしてこ
      の友あり、で ある。

  一八二五年十二月二十八日、コブレンツ

 親友ルートヴィッヒ
 リースの家の十人の息子の一人がヴィーンへ行くことになったが、僕から君への「よろしく」を伝言せずに彼を出発させるわけにはゆかない。僕がヴィーンを離れてからの二十八年間、君が僕から二た月ごとに一通の長い消息を受け取らなかったとしたら、それは僕が君に宛てて書いた始めの間の数通に対して君の方が返事を書かなかったことに原因があるのだぜ。君が黙っているのはよくないよ。今ではことによくないよ。なぜかというに、ここにいる僕たちはしだいに年を老《と》り、過去の思い出に生きることが好きになっているのだから。何よりも、幼い頃の追憶のさまざまの姿に、一等の楽しみを見いだすのだから。少なくともこの僕にとっては、君の善いお母さんが祝福して下さった子供時代からの僕たち二人の付き合いと親密な友情とは生涯の非常に明るい一点であって、僕は満足の想いをもってその一点を振り返るのだ……僕は君を仰ぐ、一人の英雄を仰ぐように。そしてこういえることを誇りに思う――「彼がああなったにつけてはこの俺からの感化がないとはいえんのだ。彼は心の望みや空想を俺にうち明けて話したものだ。その後彼がたびたび誤解せられたときだってこの俺には、彼の望んでいるものがちゃんと判っていた。」僕が自分の妻と、そしてまた今では自分の子供たちとも、君のことを話し合えるのは実にうれしい! (そのことに神の祝福あれ!)僕の義理の母の家は君にはほんとうの自家《うち》以上の自家《うち》だった、ことに君の立派なお母さんが亡くなられて後は。もう一度ぜひ僕らに告げてくれたまえ――「そうだ、僕は君たちのことを考える、悦びにつけ悲しみにつけて」と。人間は、たとえ君みたいに偉くなったにしても、全生涯の最大幸福は一度しかありはしない。それは人間が子供だった頃さ。ボンの家々の石やクロイツベルクやゴーデスベルクや養樹園《バウムシュール》やは君のためにはたくさんの鉤《かぎ》を持っている――悦んで君が君の思いをそこへ引っ掛けることのできる鉤を。
 さて今度は自分のことを、僕たち自身のことを君に報《しら》せたい。それは、君もまたそういうやり方で僕に返事をくれなければならない手本を一つ君に上げるためさ。
 一七九六年にヴィーンから帰って以来は、どうも僕にはものごとが好都合にはこばなかった。数年間開業医としての診療だけで稼がなければならなかった。そしてひどく貧乏なこの地方でどうにか食って行けるだけの収入を得るようになるまでには数年間かかった。その後有給教授の職を獲て、一八〇二年に結婚した。その翌年娘が生まれたが、これは丈夫に育って今ではすっかり成人した。娘はしっかりした正しい判断力とともにまたその父親の朗らかな性質を承《う》けている。娘はベートーヴェン作の奏鳴曲《ソナータ》を弾くことを何より好んでいる。これは確かに習い覚えたというよりも生まれ付きのことだ。一八〇七年に男の子が生まれたが今ではベルリンへ行って医学の勉強をしている。四年後にはヴィーンへ遣るつもりだが、君は面倒をみてやってくれるかね?……この八月に僕は六十歳の誕生日を祝ったが六十人ほどの友人知人が集まってくれた。町の第一流の人々もその中にいた。一八〇七年から今の所に住んでいる。今では僕はよい家を一軒とよい地位とを持っている。上役の人々も僕に満足しているし、王様から勲位と徽章とを賜わった。ローレ〔[#割り注]エレオノーレ[#割り注終わり]〕も僕もかなり丈夫である。
 さて僕は君に自分の様子をごたごたと報せてしまった。さあ今度は君の方の様子を知らせてくれたまえ。
 君はそこのシュテファン寺の塔から断じて眼を離さぬというのかね? 旅は君に魅力を持っていないかね? ライン河はもう二度と見まいという気かね?――ローレから君にくれぐれもよろしく――僕からと同様に。
              君の旧き、実に旧き(uralter)友
                         ヴェーゲラー

      

 エレオノーレ夫人の添書

 親愛なベートーヴェン! ヴェーゲラーから貴方へおたよりを差し上げるようにということは、随分久しい間の私の願いでございました。――今この願いが果たされますので、私もひと言《こと》書き添えずにはいられないのでございます。――それはあなたの御記憶の中へ私自身を幾らか近寄せようとするためばかりではなく、またそれは大切なことがらを繰り返してお尋ね致すためなのでございます。貴方がもう一度ライン河と故郷の土地とを見にいらっしゃるおつもりはないかということをお尋ね致したいのです。――私たちはどんな場合でもどんな時間でも心から悦んでお迎えするでしょう。――それはヴェーゲラーと私とにとって何よりも大きな悦びなのです。私たちの娘レーンヒェンは、あなたのお陰でたくさんの楽しい時間を持つことをあなたにお礼申しています。――貴方についてのお話を聴くのを大へん好んでいます。――また、ボンでの私たちの楽しい子供時代の出来事を――喧嘩のことも仲直りのことも――小さなことまですっかり聴いて知っております。――あなたにお目にかかれたらあの娘《こ》はどんなにか喜ぶことでしょう。――残念なことに音楽の天分はございませんが、それでも一生懸命の勉強と辛抱とで、どうやら貴方のお作りになった奏鳴曲《ソナータ》や変奏曲《ヴァリアチオン》やを弾けるところまでは漕ぎつけました。ヴェーゲラーにとっては音楽が何よりの楽しみなものですから、音楽によってたくさんの喜ばしい時間を過ごしております。ユーリウスは音楽の天分を持っております。――やっと半年ほど前からヴァイオリンセロを熱心な興味をもって習っておりますが、今ベルリンでよい先生についておりますので、きっと幾分は上達するだろうと存じます。子供たちは二人とも父親に似ております。快活な気質もまたよく似ておりますが、お陰さまでヴェーゲラー自身も快活さをまだ失くしてしまってはおりません。あなたの変奏曲《ヴァリアチオン》の主題《テーマ》をひくことがヴェーゲラーの大きな楽しみです。以前の方を好んでひいておりますが、しかし新しい方の中の一曲もたいへんな根気でひいております。――お作『いけにえの歌』Opferlied が何にもまして歓ばれておりまして、ヴェーゲラーは自分の部屋へはいるたびごとに必ずピアノでそれをひきます。――親愛なベートーヴェン、私たちがあなたのことを絶えず生き生きと思い出していることがこれでお判りになりましょう。――これがあなたにとって幾らかは大切なことであり、あなたが私どものことをまったくお忘れになってはいないということをどうかお報せ下さいませ。――私どもの一番の望みを実現することがもっと容易《たやす》いことでしたら私どもはもうとっくの以前にヴィーンにいる私の兄弟を訪ねて、その節あなたにお目にかかれる喜びを持っているはずですのに。――しかしそういう旅行もさしあたり考えることができません、男の子が今ベルリンにおりますため。――ヴェーゲラーからあなたへ私どもの様子をお報せしたはずですが、私どもは愚痴をこぼしてはなりますまい。――一番苦しい時期でも、他の多くの人々に比べたら幸福に過ごしたと申さなければなりますまい。一番の幸福は、私どもが皆健康に暮らしていること、また、子供たちが皆善良なことでございます。――子供たちは今までに一度も両親に悲しみを与えたことがありませず、快活な可愛い性質を持っております。――レーンヒェンは一度だけ大きい悲しみを味わいました。――可哀そうな、幼いルシャイトが亡くなりましたときに。――これは皆がいつまでも忘れることのできない喪失でございます。これで擱筆致します、親愛なベートーヴェン、私どものことをお忘れ下さいませぬよう。
                  エレオノーレ・ヴェーゲラー

 ベートーヴェンからヴェーゲラー宛

  一八二六年十月七日*、ヴィーン

      *原注――当時の友人間においては最も愛し合っている間柄であって       さえもわれわれの場合ほど、その愛情が性急ではなかったことが判       る。
      ベートーヴェンはヴェーゲラーに十カ月目に返事を書いているので      ある。

 懐しい旧友よ!
 君とそして君のロールヒェンとの手紙がどれほど僕を喜ばしてくれたかはとうていいい現わせない。君にすぐ返事を書くはずだったが、僕は少し不精《ぶしょう》だ、ことに文章を書くことに。それというのも、最も善い友人らは書かなくても僕を知ってくれていると考えるためなのだが。僕は頭の中でたびたび返事を書いているのにいざ書く段になるとペンを抛り出してしまう。感じている通りに書きあらわせないためだ。君がいつでも示してくれた友情については僕はすっかり憶えている、――たとえば、僕の室を白く新しく塗り変えて僕を驚喜させたことなども。ブロイニング家のことも忘れない。皆が別れ別れになったのは、それが事柄の自然ななり行きであったためで、つまり、各人がそれぞれの天職の目標を追い求め、それに達しようと努めなければならなかった。ただし、永久に揺るがぬ確固たる善の原理が、依然として僕たちを結び合わせてきた。――今日《きょう》、書きたいだけ多くを君に書けないのが残念だ。僕は床《とこ》についているのだ。
 君のロールヒェンの影絵《シルエット》をいつでも僕は持っている。それを君にいうのは、僕は若い頃、僕にとって貴く親しいものだったものは残らず今もやはり僕には大切だということを君に判らせたいためなのだ。
 ……「たとえ一行なりといえども書かずして暮るる日は一日も無し」Nulla dies sine linea というのは僕にあてはまる金言だそうだが、僕はこの頃、|芸術の女神《ムーゼ》を眠らせている。ただしこれは彼女が、それだけいっそうつよく眼をさますためだ。さらに二、三の大きい作品を世に送り出して、その後で一人の老いた子供のように、どこかの善良な人々の許《もと》へ行って、僕は自分の生涯の幕を閉じたいと心に期している*[#「*」は行右小書き]。

      *原注――その時ベートーヴェンは生涯の最後の作品(弦四重奏
      曲《クワルテット》、作品第百三十番の第二の終曲《フィナー当       レ》) を書いているのだとは自ら知らなかった。 当時彼はドーナ      ウ河畔クレムスの近くにある弟の家に逗留していた。

 ……僕が受けた名誉章のうち君にもきっと悦んでもらえると思うものを報せるとすると、フランスの先王から 〔Donne’e par le Roi a` monsieur Beethoven〕「王よりベートーヴェン氏に賜う」という銘の付いた牌《メダイユ》をたまわっている。それには、le premier gentilhomme du Roi「王室の首席貴族」ド・ラ・シャートル(アシャー)公の非常に懇篤な書きものが添うていた。
 最もしたしい友よ、今日はこれだけで我慢してくれたまえ。過去の追憶が今日《きょう》僕の胸を緊めつける。多くの涙無しには僕はこの手紙を送れない。これは僕の便りの始まりに過ぎない。じきにまた君は次の手紙を僕から受け取るだろう。そして君が僕にたくさん手紙を書いてくれれば、僕の悦びはそれだけ大きい。しかし、これは僕たちのような親しい友だちの間では、互いに要求し合う必要も無いことだ。ではさようなら。どうか君のロールヒェンと君の子供たちとを、僕の名において愛情をもって接吻してくれたまえ。そして僕のことを思い出してくれたまえ。神が君たち一同と共にあらんことを!
 いつものように君のかわらぬ真の友、そして君を尊敬している
                        ベートーヴェン

 ヴェーゲラー宛

  一八二七年二月十七日、ヴィーン

 旧くかつ貴い友よ!
 ブロイニングから君の第二の手紙を受け取って悦んだ。それに返事を書くにしては僕はまだ衰弱しすぎている。しかし信じてくれたまえ、君が語ってくれたことは皆僕には悦ばしく望ましいことばかりだったことを。僕の病気の恢復は――これを恢復と呼んでよければだが――非常にのろい。四度目の手術を受けたのだがそれについて医者たちは何にもいわない。僕は我慢して考えている――あらゆる禍はしかし何かしらいい結果を持ってくるものだと。
 今日《きょう》もっといろいろなことを君に書きたいと僕はどんなに思うか知れないのだが、しかし弱り過ぎている。僕はもう、君を――君と君のロールヒェンとを、心の中で抱擁することしかできない。君と君の家の一同へ真の友情と愛情とをもって。
                    君の旧きかわらぬ友
                        ベートーヴェン

 モーシェレス宛

  一八二七年三月十四日、ヴィーン

 親愛なモーシェレス!
 ……二月二十七日に私は四度目の手術を受けた。そして五度目のを受けなければなるまいという確かな兆候が幾つも新しく現われている。こんな状態がまだいくらか永びくとしたらいったいどんな結果になりいったい私はどうなることだろう?――実際私の運は峻しいことになってきた。しかし私は運命の意志に服している。そして、私が生きながら死んでいなければならぬあいだ、神がその聖旨によって私を窮乏*から護って下さるようにということだけを祈っている。私の運がどんなに苦しく恐ろしいものであっても、至高の神の聖旨に服すことによって、自分の運を耐え抜く力が与えられることであろう……
                    君の友
                     L・v・ベートーヴェン

     *原注――必須の金にほとんど窮したベートーヴェンはロンドンのフィルハーモニック・ソサイエティーおよび当時英国にいたモーシェレスに宛てて、彼のために音楽会を開くようにしてくれと頼んだ。ソサイエティーは折り返して百ポンドの金を即座に彼に送ったほどの雅量を示した。ベートーヴェンはそのことを心の底まで感銘した。一人の友人のいうところによれば――「その手紙を受け取って両手を合わせ、喜びと感謝のあまりむせび泣くベートーヴェンの姿には、見るものの心を引き裂くような痛切なものがあった。」感激の昂奮のため彼の創痕がまたしても口を開いた。しかもなお彼は「彼の悲しい運命に同情の手を与えたけだかい心の英国人たち」に宛てて感謝の念を口授して手紙を出すことを望んだ。彼はその人々に第十交響曲と一つの序曲を、それとも彼らの望みのどんな作品をでも贈ろうと約束した。「今度こそ今までに無かったほどの愛情の心を傾け尽して私は一つの作品を作るのだ」と彼は三月十八日の手紙に書いた。そしてその月の二十六日にベートーヴェンは死んだのである。

底本:「ベートーヴェンの生涯」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年11月15日第1刷発行
   1965(昭和40)年4月16日第17刷改版発行
   2010(平成22)年4月21日第77刷改版発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年4月15日作成
2012年5月16日修正
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