ジャン・クリストフ JEAN-CHRISTOPHE 第六巻 アントアネット ロマン・ローラン Romain Rolland— 豊島与志雄訳

     母に捧ぐ

 ジャンナン家は、数世紀来|田舎《いなか》の一地方に定住して、少しも外来の混血を受けないでいる、フランスの古い家族の一つだった。そういう家族は、社会に種々の変化が襲来したにもかかわらず、フランスには思いのほかたくさんある。彼らは自分でも知らない多くの深い関係で、その土地に結びつけられているのであって、一大変動がない以上は、そこから彼らを引き抜くことはできない。彼らのそういう執着には、なんらの理由もないし、また利害関係もほとんどない。歴史的追憶などという博識な感傷性といったものは、ある種の文学者らにしか働きかけるものではない。打ち克《か》ちがたい抱擁《ほうよう》力で人を一地方に結びつけるものは、もっとも粗野な者にももっとも聡明《そうめい》な者にも共通なる、漠然《ばくぜん》としたしかも強い感覚――数世紀以来その土地の一塊であり、その生命に生き、その息吹《いぶ》きを呼吸し、同じ床に相並んで寝た二人の者のように、その心臓の音がじかに自分の心臓へ響くのを聞き、そのかすかなおののき、時間や季節や晴れ日や曇り日の無数の気味合《ニュアンス》、事物の声や沈黙、などを一々感じ取ってるという、漠然としたしかも強い感覚なのである。おそらくは、もっとも美しい地方よりも、または生活のもっとも楽しい地方よりも、土地がもっとも簡素で、もっとも見すぼらしく、人間に近く、親しい馴《な》れ馴れしい言葉を話しかけるような、そういう地方こそ、よりよく人の心をとらえるものである。
 ジャンナン家の人たちが住んでいたフランス中部の小地方は、まさにそのとおりであった。平坦《へいたん》な濡《うるお》いのある土地、淀《よど》んだ運河の濁り水に退屈げな顔を映してる、居眠った古い小さな町。その周囲には、単調な田野、耕作地、牧場、小さな流れ、大きな森、単調な田野……。美景もなく、塔碑もなく、古跡もない。人の心をひきつけるようなものは何もない。しかし、すべてが人を引き留めるようにできている。その無気力|懶惰《らんだ》のうちには、一つの力が潜んでいる。それを初めて味わう者は、悩みと反発心とをそそられる。けれども、その印象を数代つづいて受けてきた者は、もはやそれから離脱することができない。すっかり沁《し》み込まれている。その事物の沈滞、そのなごやかな倦怠《けんたい》、その単調さは、彼にとって一つの魅力であり、深い甘美であって、彼はそれをみずから知ってはいず、あるいは貶《けな》しあるいは好むが、長く忘れることはできないであろう。

 ジャンナン家の人たちはいつもそこに生活してきた。町の中や近郊において、十六世紀まで家系をさかのぼることができた。というのは、一人の大|伯父《おじ》が一生をささげて、この無名な勤勉なつまらない人たちの系統を調べ上げたからである。農夫、小作人、村の職人、つぎには、僧侶《そうりょ》、田舎《いなか》の公証人、などであって、しまいにその郡役所所在地に来て身を落ち着けたのであった。その地で、現在のジャンナンの父であるオーギュスタン・ジャンナンは、銀行家としてすこぶる巧みに仕事をしていった。巧妙な人物で、百姓のように狡猾《こうかつ》で頑固《がんこ》で、根は正直だが小心翼々たるところはなく、非常な働き者で快活であって、ずるい質朴《しつぼく》さや露骨な話しぶりや財産などのために、十里四方の人々から重んぜられ恐れられていた。背の低いでっぷりした強健な男で、痘瘡《とうそう》のある太い赭《あか》ら顔に、小さな鋭い眼が光っていた。昔は色好みだとの評判だったが、あとまでその趣味を全然失いはしなかった。彼は露骨な冗談やりっぱな御馳走《ごちそう》が好きだった。食卓の彼は見物《みもの》だった。息子《むすこ》のアントアーヌがその相手をし、他に会食者としては数名の老人仲間がいた。治安裁判所判事、公証人、大会堂の司祭――(ジャンナン老人はよく牧師を食い物にしていたが、牧師が大食家であるときにはそれと会食する道をも心得ていた)――ラブレー風の陽気な土地の同じモデルでこしらえられてる丈夫な快漢たちだった。馬鹿《ばか》げた冗談が火のように燃え上がり、テーブルに拳固《げんこ》の音がし、荒々しい哄笑《こうしょう》の声が湧《わ》きたった。その快活な騒ぎは、台所の召使どもにも感染し、表を通りかかる人々にも感染していった。
 その後、オーギュスタン老人は、ごく暑い夏のある日、葡萄《ぶどう》酒を瓶《びん》につめようと思いたって、シャツ一つになって窖《あなぐら》へ降りていったが、そのとき肺炎にかかった。そして二十四時間とたたないうちに、あまり信じてもいないあの世へ旅だってしまった。もとより教会のあらゆる秘蹟《サクラメント》は行なわれたが、それも田舎《いなか》のヴォルテール主義者である善良な中流人士としてであって、女どもからかれこれ言われないために、臨終のおりされるままに任したのだった。彼にとってそれはどの道同じことだったし……また、死後のことはわかるものではない……。
 息子のアントアーヌがその業務を引き継いだ。でっぷりした赭《あか》ら顔の快活な小男で、剃《そ》り残してる長めの頬髯《ほおひげ》、聞き取れないほどの早口――いつも騒々しくって、ちょこちょこ動き回っていた。彼は父ほどの経済的知力をもってはいなかったが、監理者としてはかなりの腕をもっていた。着手されてる事業を静かにつづけてゆきさえすればよかった。それは単に継続されてるというだけで、盛んになっていった。彼はその地方で手腕家との評判を得ていたが、事業の成功は彼の力ではほとんどなかった。彼はただ秩序と精励とを事としたばかりだった。それに彼はまったく誉《ほ》むべき人物であって、至当な尊敬の念をだれにも起こさせた。その態度が、ある人にたいしては馴《な》れ馴れしすぎるくらいであり、やや大袈裟《おおげさ》で、多少平民的で、まったく円滑親切だったので、その小さな町や近傍の田舎《いなか》では、りっぱな人だとの評判を得ていた。金使いは荒くなかったが、感傷癖のためにしまりがなかった。すぐに涙を眼に浮かべた。悲惨な様を見ては深く心を動かして、その悲惨に会ってる者をいつも感動さした。
 小都市に住んでいる多数の者と同様に、彼も政治のことをたいへん念頭に置いていた。彼はごく温和な共和主義者であり、頑固《がんこ》な自由主義者であり、愛国者であり、また父にならって極端な反僧侶《はんそうりょ》主義者であった。彼は町会の一員だった。そして彼はその同僚とともに、教区の司祭をからかったり、町の婦人間に多くの感激を起こさせる四旬節祭の説教者に、無邪気な悪戯《いたずら》をしたりすることを、ごく面白がっていた。実際、フランスの小都市のかかる反僧侶主義は、いつも多少なりと家庭不和の一事であって、ほとんどすべての家に起こる夫婦間の激しい暗闘の陰険な一形式であることを、忘れてはいけないのである。
 アントアーヌ・ジャンナンはまた、文学上の抱負をもっていた。同時代の地方の人々はたいていそうであったが、彼もやはりラテンの古典に養われて、その数ページやたくさんの諺《ことわざ》を暗記していた。その他、ラ・フォンテーヌ、ボアロー――ボアローの詩論やことに譜面台――オルレアンの少女の著者、フランス十八世紀の小詩人ら、などからも養われていた。そういう趣味の詩を作ることに骨折っていた。彼の知人の範囲内では、そういう嗜癖《しへき》をもってるのは彼一人ではなかった。そして彼はこの点でも名声を得ていた。彼の諧謔《かいぎゃく》詩、四句詩、題韻詩、折句詩、諷《ふう》詩、歌謡詩、などは幾度も人々の口にのぼった。それらは往々にしてかなり危《あぶな》っかしいものだったが、露骨なある種の機才がないでもなかった。消化作用の神秘も歌い忘れられていなかった。ロアール河のほとりのこの詩神は、好んで荘重な語気を使っていた、それもダンテの名高い悪魔のような調子で、

    「……彼はその尻《しり》をらっぱとしていた

 この強健で活発快活な小さな男は、まったく性質の違った女――その土地の司法官の娘で、リュシー・ド・ヴィリエという女を娶《めと》った。ド・ヴィリエというのは、むしろドゥヴィリエというべきであるが、小石が坂をころがり落ちながら二つに割れるように、途中で二つに裂けてしまったのである。でこのド・ヴィリエ家の人たちは、代々司法官であった。法律、義務、社交的儀礼、完全な正直さで固められ多少道学者めいた気味のある個人の品位、ことに職業的品位、などについて高い観念をもっている、フランスの議会関係の古い家柄、その一つだった。前世紀において、彼らは、不平がちなジャンセニスムにもまれたので、ジェズイット精神にたいする軽蔑《けいべつ》とともに、悲観的な、多少不満がちなあるものを、心のうちに残していた。彼らは人生を美しいものと見なさなかった。人生の困難を軽く見んとつとめるどころか、かえってその困難を多くなして、不平を言う権利を得たがっていた。リュシー・ド・ヴィリエもそういう性質を多少もっていたが、それは、夫のあまり精練されていない楽天思想と相反するものだった。彼女は背が高く、夫より頭だけ高く、痩《や》せていて、姿がよく、着物の着こなしが上手《じょうず》だったが、いくらか堅苦しい容姿であって、いつも――わざとかもしれないが――実際以上に老《ふ》けて見えた。彼女は道徳的にはきわめてすぐれていた。しかし他人にたいしては厳格だった。いかなる過失も許さなかったし、ほとんどいかなる悪癖をも許さなかったので、冷淡な傲慢《ごうまん》な女だと人から見られていた。非常に信心深かったが、それが絶えざる夫婦|喧嘩《げんか》の種となった。それでも彼らはたいへん愛し合っていた。しばしば言い争いながらも、たがいに離れることができにくかった。彼らは二人とも実務家ではなかった、彼は心理の方面に欠けてるところがあるために――(彼はいつも温顔や甘言に欺かれがちだった)――彼女は業務にまったく無経験なために――(彼女はいつも業務から遠ざかっていたので興味ももたなかった)。

 彼らには二人の子があった。アントアネットという娘と、それより五つ年下のオリヴィエという息子《むすこ》とだった。
 アントアネットはきれいな栗色《くり》髪の子で、上品で正直なフランス式の小さな丸顔、敏捷《びんしょう》な眼つき、つき出た額《ひたい》、ほっそりした頤《あご》、まっすぐな小さな鼻――フランスのある古い肖像画家がいみじくも言ったとおり、「きわめて美しい細い上品な鼻の一つ、顔つき全体を活気だたせるような、また、話したり聴《き》いたりするにつれて内部に起こる微細な感情を示すような、あるかすかな細かい動きを見せる鼻、」であった。彼女は快活さと無頓着《むとんじゃく》さとを父から受けていた。
 オリヴィエは花車《きゃしゃ》な金髪の子で、父に似て背は低かったが、性質は父とまったく異なっていた。彼の健康は、幼いころたえず病気をしたために、ひどく痛められていた。それだけにまた家じゅうの者から大事にされていたけれども、身体の虚弱なせいで早くから、死を恐れ生活力の弱い憂鬱《ゆううつ》な夢想的な少年となってしまった。人馴《な》れないのと趣味とで、いつも一人ぽっちだった。他の子供たちと遊ぶのを避けた。彼らといっしょにいると不快だった。彼らの遊戯や喧嘩《けんか》をきらい、彼らの乱暴を恐れた。勇気に乏しいせいではないが、内気なせいで、彼らからなぐられるままになっていた。身を守るのが恐《こわ》かったし、他人を痛めるのが恐かったのである。もし父親の社会的地位から保護されなかったら、いじめられどおしだったかもしれない。彼は心がやさしくて、病的なほど感じやすかった。ちょっとした一言を聞いても、ちょっと同情されても、ちょっと叱《しか》られても、すぐに涙を出した。彼よりもずっと健全だった姉は、いつも彼を笑って、小さな泉と呼んでいた。
 二人の子供は心から愛し合っていたが、いっしょに生活するにはあまりに性質が異なっていた。各自に勝手な方向へ走って、自分の空想を追っていた。アントアネットは大きくなるにつれて、ますますきれいになった。人からもそう言われ、自分でもそれをよく知っていた。そのために心楽しくて、すでに未来の物語《ロマンス》までみずから描いていた。オリヴィエは病身で陰気であって、外界と接触することにたえずいらだちを感じた。そしては自分の荒唐無稽《こうとうむけい》な小さい頭脳の中に逃げ込んで、いろんな話をみずから考え出した。愛し愛されたい激しい女らしい欲求をもっていた。同年輩の者たちから離れて一人ぽっちで暮らしながら、二、三の想像の友だちをこしらえ出していた。一人はジャンといい、も一人はエティエンヌといい、も一人はフランソアといった。彼はいつもそれらの友だちといっしょにいた。それで、近所の友だちといっしょには決してならなかった。彼はよく眠らなかったし、たえず夢をみた。朝になって寝床から引き起こされても、ぼんやり我れを忘れていて、裸のままの小さい両足を寝台の外にたれたり、またしばしば、一方の足に靴下《くつした》を二枚ともはいたりした。盥《たらい》の中に両手をつき込んで我れを忘れてることもあった。物を書きかけながら、学課を勉強しながら、机に向かったままで我れを忘れてることもあった。幾時間も夢想にふけっていて、そのあとで突然、何にも学び知っていないのに気づいてびっくりした。食事のときに、人から言葉をかけられてはまごついた。尋ねかけられてから一、二分間もたって返辞をした。文句の途中で何を言うつもりだったのかわからなくなった。彼は自分の思想の囁《ささや》きのうちに、また、ゆるやかにたってゆく田舎《いなか》の単調な日々の親しい感覚のうちに、ぼんやり浸り込んでいた。一部分にしか人の住んでいない半ば空《むな》しい大きな家、大きな恐ろしい窖《あなぐら》や屋根裏、様子ありげに閉《し》め切られてる室、閉ざされてる雨戸、覆《おお》いのしてある家具、布が掛けられてる大鏡、包まれてる燭台《しょくだい》、または、変に気をひく微笑を浮かべてる古い家族の肖像、あるいは、高潔でかつ猥《みだ》らな勇武を示してる帝国式の版画、娼家《しょうか》におけるアルキビアデスとソクラテス、アンチオキュスとストラトニス、エパミノンダスの話、乞食《こじき》のベリザリウス……。家の外には、真向《まむ》かいの鍛冶《かじ》場で蹄鉄《ていてつ》を鍛える音、鉄砧《かなしき》の上に落ちる金槌《かなづち》のとんちんかんな踊り、鞴《ふいご》のふうふういう息使い、蹄《ひづめ》の焼かれる匂《にお》い、水辺にうずくまってる洗濯《せんたく》女の杵《きね》音、隣家の肉屋の肉切包丁の鈍い音、街路の舗石に鳴る馬の足音、ポンプのきしる音、運河の上の回転橋、高い庭の前を綱でひかれておもむろに通ってゆく、木材をいっぱい積んだ重い舟の列、方形の花壇を一つそなえてる、小さな石だたみの中庭、花壇の中にゼラニュームやペチュニアの茂みの間から伸び出てる、二株のリラ、運河を見おろす覧台《テラース》の上に花咲いてる、月桂樹《げっけいじゅ》と柘榴《ざくろ》との鉢《はち》、時としては、近くの広場に開かれる市《いち》の擾騒《じょうそう》、ぎらぎらした青服の百姓、鳴き立てる豚……。そして日曜日には、教会堂で、調子はずれの歌い方をしてる唱歌隊、ミサを唱えながら居眠りをしてる老司祭、または、停車場へ通ずる並木道を、一家打ちそろって散歩する人たち――彼らは、大袈裟《おおげさ》に帽子をぬいで他の不幸な人たちと会釈をかわしながら、その時間をつぶし、不幸な人たちの方でもまた、いっしょに散歩しなければならないように考え、そして一同は、眼に見えないほど空高く雲雀《ひばり》が舞っている日に照らされた田野まで、あるいは、両側にポプラが立ち並んでそよいでる鏡のように淀《よど》んだ運河に沿って、散歩をつづける……。それから、たいへんな晩餐《ばんさん》、長たらしい食事――その間、ひとかどの見識と歓喜とをもって食物のことが話される。皆その道の通人ばかりだし、また、田舎《いなか》では貪食《どんしょく》ということが、おもな仕事でありすぐれた技術だからである。その他、事業のことや露骨な冗談や時には病気のことなども、仔細《しさい》にわたってはてしなく口にのぼせられる……。子供のオリヴィエは、片隅《かたすみ》の席について、鼠《ねずみ》の子ほどの音もたてず、ぽつぽつかじるだけで、ほとんど食べもせず、耳を澄まして聞いていた。何一つ聞き漏らさなかった。よく聞き取れないところは想像で補った。幾世紀もの印象が強く刻み込まれてる古い種族の古い家庭の子供らには、しばしば特殊な才能が認められるものであるが、彼もそういう天賦の才能をもっていて、かつて頭に浮かべたこともなければまたほとんど理解もしがたいほどの思想をも、よく察知することができるのだった。――それからまた、血のしたたる汁気《しるけ》のある不思議な物がこしらえられる料理場もあり、ばかげた恐ろしい噺《はなし》をしてくれる老婢《ろうひ》もいた……。ついに晩となる。音もなく飛び回る蝙蝠《こうもり》、また、古い家の内部に動めいてるのがよくわかる恐ろしい怪物、大きな鼠《ねずみ》や毛の生《は》えた大|蜘蛛《ぐも》など、それから、何を言ってるのか自分でもよくわからない、寝台の足もとでの祈祷《きとう》、尼たちの就寝時間を告げる近くの僧院の小さい鐘の急な音。そして、白い寝床、夢の小島……。
 一年じゅうでもっとも楽しい時期は、春と秋とに、町から数里隔たった自家の所有地で暮らす時だった。そこでは気ままに夢想することができた。だれにも会わないでよかった。小さな中流人士の多くと同様に、二人の子供は、婢僕《ひぼく》や農夫などの平民たちから遠ざかっていた。二人は彼らに会うと、多少の恐れと嫌悪《けんお》とを心の底に覚ゆるのだった。手先の労働者らにたいする、貴族的な――あるいはむしろ、まったく中流人的な――軽侮の念を、二人は母から受けていた。オリヴィエは秦皮《とねりこ》の枝の間に登って、不思議な話を読みながら日を過ごした。愉快な神話、ムゼウスやオールノア夫人の小話[#「小話」に傍点]、千一夜物語、旅行小説、などを読んだ。フランスの田舎《いなか》の小さい町の少年をときどき苦しめる、遠い土地にたいする怪しい郷愁、「あの大洋の夢」、それを彼もやはりもっていたのである。枝葉の茂みにさえぎられて家が見えなかったので、彼はごく遠い所にいるのだと思うことができた。それでも、すぐ近くにいることを知っていて、少しも不安ではなかった、というのは、一人きりで遠くへ離れることをあまり好まなかったから。彼は自然の中に埋もれた心地がしていた。周囲には樹木が波打っていた。木の葉がくれに遠く、黄色がかった葡萄《ぶどう》畑が見え、また牧場も見えた。斑《まだら》の牝牛《めうし》が牧場の草を食べていて、そのゆるやかな鳴き声は、うつらうつらしてる田舎の静けさを満たしていた。鋭い声の雄鶏《おんどり》が農家から農家へ答え合っていた。納屋《なや》の中の連枷《からざお》の不規則な律動《リズム》が聞こえていた。そして、万象のかかる平和の中にも、無数の生物の熱烈な生活が満々と流れつづけていた。オリヴィエは気がかりな眼で見守った、いつも急いでる蟻《あり》の縦列、オルガン管のような音をたてながら重い分捕品をになってる蜜蜂《みつばち》、何をするつもりか自分でもわからないでいる愚かないばりくさってる地蜂など――すべて、忙がしげな動物の世界を。彼らはどこかへ到着したくてたまらながってるように見えた……。どこへか? 彼らもそれを知らない。どこでも構わないのだ。ただどこかへ……。オリヴィエは、その盲目で敵意に満ちた世界のまん中にあって、ぞっと身を震わした。松ぼっくりの落つる音にも、枯れ枝の折れる音にも、小兎《こうさぎ》のように飛び上がった……。そしては、庭の向こう端に、ぶらんこの鉄輪の音を耳にして、ほっと安堵《あんど》した。ぶらんこには、アントアネットが猛然と身を揺すっていた。
 彼女も夢想にふけっていた。しかしそれは彼女一流の仕方でだった。貪欲《どんよく》で好奇心に富み笑い好きな彼女は、庭じゅうを捜し回って一日を過ごした。鶫《つぐみ》のように葡萄《ぶどう》の実を盗み食いし、果樹|墻《がき》から桃《もも》をひそかにもぎ取り、梅の木によじ登り、あるいは通りがかりにそっと梅の幹をたたいて、口に入れると香《かお》りある蜜のように融《と》ける金色の小梅を、雨のように振り落とした。あるいはまた、禁じられてるにもかかわらず花を摘み取った。朝から眼をつけてる薔薇《ばら》の花を素早くもぎ取り、それをもって庭の奥の亭《ちん》へ逃げ込んだ。そして酔うような強い香りの花の中に、歓《よろこ》ばしげに小さな鼻をつき込み、それに接吻《せっぷん》し、それを口に噛《か》み、その汁を吸った。それからその盗み花を隠し、二つの小さな乳房の間に襟《えり》元から押し込んだ、はだけてるシャツへ乳房がぽつりとふくらんでるのを、珍しげにうちながめた……。なお、禁ぜられてるも一つのえも言えぬ快楽は、靴《くつ》と靴下とをぬいで、小径《こみち》の冷やかな細かな砂の上、芝地のぬれた草の上、日影の冷たい石の上や日向《ひなた》の熱い石の上、森はずれを流れる小川の中などを、素足のまま歩き回り、足先や脛《すね》や膝《ひざ》などを、水や土や光にさらすことだった。樅《もみ》の木影に横たわっては、日光に透きとおってる手をながめ、細やかで豊かな腕のなめらかな肌《はだ》を、何心なく唇《くちびる》でなで回した。蔦《つた》の葉や樫《かし》の葉で、冠や頸環《くびわ》や長衣をこしらえた。青い薊《あざみ》の花や赤い伏牛花《へびのぼうず》や緑色の実のなってる樅の小枝などを、それに突きさした。まるで野蛮国の小さな女王みたいだった。そしてただ一人で、噴水のまわりを跳《は》ねた。両腕を広げてぐるぐる回り、ついには眼が回ってき、芝生《しばふ》のうちにうち倒れ、草の中に顔を埋め、幾分間も笑いこけて、みずから笑いやめることもできず、またなぜ笑うかもみずからわからなかった。
 かくて二人の子供の日々は過ぎていった。たがいに少し遠ざかって相手を気にもかけなかった。――がときどきアントアネットは、通りがかりに弟へちょっと悪戯《いたずら》をしてみたくなり、ひとつかみの松葉を彼の鼻先へ投げつけ、落っことしてやるとおどかしながら彼が登ってる木を揺すり、あるいは、恐《こわ》がらすために突然彼へ飛びついて叫んだ。
「そら、そら……。」
 彼女はときとすると、彼をからかいたくてたまらなくなった。母が呼んでると言って彼を木から降りさした。彼が降りて来るとそのあとに登って、もう動こうとしなかった。オリヴィエは不平で、言っつけてやるとおどかした。しかしアントアネットが長く木に登ってる心配はなかった。彼女は二、三分間もじっとしてることができなかった。枝の上からオリヴィエを笑ってやり、思うまま怒《おこ》らして泣かせかけると、彼女は下にすべり降り、彼に飛びつき、笑いながら彼を揺すり、「泣きむし」と彼を呼び、彼を地面にころがして、一握りの草をその鼻先にこすりつけた。彼は手向かいしようとしたが、その力がなかった。するともう身動きもせず、黄金虫《こがねむし》のように仰向けにひっくり返って、痩《や》せた両腕をアントアネットの頑丈《がんじょう》な手で芝生《しばふ》に押えつけられた。悲しげなあきらめた様子だった。アントアネットはその様子に気が折れた。打ち負けて屈伏してる彼をながめた。そして突然笑い出し、いきなり彼を抱擁して、そのまま置きざりにした――それでもなお、別れの挨拶《あいさつ》の代わりに、丸めた生草を彼の口へ押し込んだ。彼はそれを何よりもきらっていた、非常に厭《いや》な味だったから。彼は唾《つば》を吐き、口を拭《ぬぐ》い、ののしりたてたが、彼女は笑いながら一散に逃げていった。
 彼女はいつも笑っていた。夜眠ってからもなお笑っていた。隣室で眠られないでいるオリヴィエは、いろんな話を一人で考え出してる最中に、彼女の狂気じみた笑い声や、夜の静けさの中で彼女が言ってる途切れ途切れの言葉などを、ふと耳にしてはびっくりした。外では、樹木が風に吹かれて音をたて、梟《ふくろう》が悲しげに鳴き、遠い村の中や森の奥の農家で、犬がほえていた。夜の蒼白《あおじろ》いぼんやりした明るみの中に、樅《もみ》の重い黒い枝が幽鬼のように揺らめくのが、窓の前に見えていた。そしてアントアネットの笑い声は、彼にとっては一つの慰撫《いぶ》であった。

 二人の子供は、ことにオリヴィエは、きわめて信心深かった。父は例の反僧侶《はんそうりょ》主義的言説で彼らに眉《まゆ》をひそめさしたが、しかし彼らを放任しておいた。実のところ彼は、無信仰な多くの中流人士と同じく、家族の者らが自分に代わって信仰してることを厭《いや》には思っていなかった。敵の陣中に味方をもってるのはいつも結構なことであり、どちらへ運が向いてくるかわかったものではない。要するに彼は自然教信者であって、父親がなしたとおりに、時が来たら牧師を招く余地を残しておいた。それは益にならないとしても、害になるはずはない。火災保険を契約するためには、焼けることを信ずる必要は別にない。
 病身なオリヴィエは、神秘説への傾向をもっていた。彼はときとすると、もう自分が存在しないように思われることもあった。信じやすくて心やさしいので、支持を一つ求めていた。いつも両腕を広げていてくれて、こちらからなんでも言うことができ、どんなことをも理解し宥恕《ゆうじょ》してくれる、眼に見えない友へ、自分の心を打ち明けるという慰安を、もの悲しい楽しみを、彼は懺悔《ざんげ》のうちに味わった。魂が洗われ休められて純潔になって出て来る、謙抑《けんよく》と愛との沐浴《もくよく》の快さを、彼はしみじみと感じた。彼にとっては信ずることがいかにも自然だったので、どうして人が疑い得るかを了解しなかった。疑うのは邪悪なからであり、あるいは神に罰せられてるからであると、考えていた。父が神の恵みに心動かされるようにと、人知れず祈っていた。そしてある日、父といっしょに田舎《いなか》の教会堂を見物に行き、父が十字を切るのを見て、非常にうれしかった。聖史の物語は彼の心の中で、リューベザール、グラシューズとペルシネー、ハルーン・アル・ラシッド教王、などの不可思議な話と交り合っていた。幼いころには、それらのどの話も真実であると疑わなかった。そして、唇《くちびる》の裂けたシャカバクや、おしゃべりの理髪師や、カスガールの小さな佝僂《せむし》などを、たしかに知ってる気がしたし、また、宝捜しの男の魔法の木の根をくわえてる黒い啄木鳥《きつつき》を、田舎《いなか》に散歩しながら見出そうとつとめていた。そしてまた、カナーンの地や約束の土地などは、彼の幼い想像力によって、ブールゴーニュやベリーの地方と一つになっていた。色褪《あ》せた古い羽飾りのように小さな木が一本頂に立っている、向こうの丸い丘は、アブラハムが火烙《ひあぶり》台を立てた山のように思われた。茅屋《ぼうおく》のほとりにある大きな枯れた叢《くさむら》は、長い年代のために消えてしまってる燃ゆる荊《いばら》であった。少し大きくなって、批判力が眼覚《めざ》めかけたころでさえ彼は、信仰を飾る通俗な伝説に心を向けるのが好きだった。それが非常に楽しかったので、まったくだまされはしなかったがだまされるのが面白かった。かくて彼は長い間、聖土曜日には、復活祭の鐘の帰来を待ち受けた。その鐘は、この前の木曜日にローマへ出かけたのであって、小さな吹き流しをつけて空中をもどってくるはずだった。そんなことは嘘《うそ》だとついには気づいたけれど、それでもなお鐘の音を聞くときには、空の方を仰いでながめた。あるときなどは、青いリボンをつけた鐘が家の上空に消えてゆくのを――そんなはずはないとよく知りながらも――実際に見たような気がした。
 彼は伝説と信仰とのそういう世界に、身を浸さないではおれなかった。彼は人生からのがれた。自分自身からのがれた。痩《や》せて蒼白《あおじろ》く虚弱だった彼は、そういう状態を苦しみ、人からそうだと言われるのが堪えがたかった。彼のうちには生まれながらの悲観思想があった。それはもちろん母から受け継いだものであって、病弱な子供である彼にはちょうど適していた。彼はそのことを自覚しなかった。だれでも自分と同じだと思っていた。そしてこの十歳の小童は、遊び時間にも庭で遊ぶことをしないで、自分の室に閉じこもって、おやつの菓子をかじりながら、自分の遺書を書いていた。
 彼は多く書いた。毎晩熱心に、人知れず日記をつけた――何にも言うべきことはなく、つまらないことしか言えなかったのに、なぜ日記をつけるかは、自分でもわからなかった。彼にあっては、書くことは遺伝的な病癖だった。それは、フランスの地方の中流階級――不滅なる老種族――の古来の欲求だった。彼らは馬鹿げたほとんど勇敢な忍耐さをもって、毎日見たり言ったりなしたり聞いたり食ったり飲んだり考えたりしたことを、死ぬまで毎日、自分のために詳しくしるしておく。自分のためにだ。他人のためにではない。だれもその日記を読む者はあるまい。それを彼らはよく知っている。そして彼ら自身も、決して読み返すことをしないのである。

 音楽も彼にとっては、信仰と同様に、あまりに強い白日の光にたいする避難所だった。姉と弟とは二人とも、心からの音楽家だった――母からその能力を受けてるオリヴィエはことにそうだった。けれども、二人の音楽的趣味はすぐれたものとは言えなかった。この田舎《いなか》では、音楽的趣味を涵養《かんよう》することはおそらくできなかった。音楽として聞かれるものは、速歩調やあるいは――祭りの日に――アドルフ・アダムの接続曲を奏する田舎楽隊、華想曲《ロマンス》をひく教会堂のオルガン、町の娘たちのピアノの練習、などばかりだった。その娘たちが調子の狂った楽器の上でたたきちらすものは、幾つかの円舞曲《ワルツ》とポルカ曲、バグダッドの太守の序曲、若きアンリーの狩の序曲、モーツァルトの二、三の奏鳴曲《ソナタ》など、いつも同じものばかりで、またいつも音が間違っていた。それらの曲は、客を招待する夜会にはつきものだった。食事のあとにはかならず、技能ある人々はその腕前を見せてくれと願われた。彼らは最初顔を赤らめて断わるが、ついには一同の懇請にうち負けて、自慢の曲をそらでひいた。すると皆は、その音楽家の記憶力と「玉をころがすような」演奏とを賞賛した。
 ほとんどどの夜会にもくり返されるその儀式は、二人の子供にとっては、晩餐《ばんさん》の喜びを殺《そ》いでしまうものだった。バザンのシナ旅行[#「シナ旅行」に傍点]やウェーバーの小曲などを、四手でひかなければならないときにはまだ、たがいに頼り合ってさほど恐れはしなかった。しかし独奏しなければならないときには、非常な苦痛だった。いつものとおり、アントアネットの方がいくらか勇気があった。厭《いや》で厭でたまらなくはあったけれども、のがれる道がないと知っていたから、彼女は思い切って、かわいい決心の様子でピアノにつき、そのロンドをむちゃくちゃにひきながら、ある楽節ではまごつき、ひき渋ったり、ふいにひきやめたり、後ろを振り向き、「ああ、忘れたわ……」と微笑《ほほえ》みながら言ったり、それからまた勇敢に、数節先からひきだして、終わりまでやりつづけるのだった。そのあとで彼女は、ひき終えた満足を隠さなかった。喝采《かっさい》を浴びせられながら元の席にもどって来ると、笑いながら言っていた。
「私何度も間違えたわ……。」
 しかしオリヴィエは、もっと気むずかしかった。公衆の前に出てゆくことが、集まってる人たちの目標となることが、辛棒できなかった。人がたくさんいるときには、口をきくのさえ苦痛だった。まして、音楽を愛しもせず――(彼はそれをよく見て取っていた)――音楽に退屈までし、ただ習慣上から演奏を求めてる、その人たちのために演奏することは、彼にとっては迫害にも等しかった。彼はただいたずらに逆らおうとばかりした。いつも頑固《がんこ》に拒んでやった。ときには逃げ出すこともあった。まっ暗な室や、廊下の隅《すみ》や、また、蜘蛛《くも》がひどく恐《こわ》いのも構わずに、物置にまではいり込んで、身を隠した。しかしそういう抵抗のために、人々はいっそう激しく意地悪くせがんだ。あまり彼の反抗が横着になると、両親の叱責《しっせき》まで加わって、頬《ほお》を打たれることさえあった。そして彼はいつも、しまいには演奏しなければならなかった――厭々《いやいや》ながらではあったが。そして演奏のあとでは、うまくひけなかったことを夜通し苦にした。なぜなら、彼はほんとうに音楽を愛していたから。
 この小さな町の趣味は、いつもそれほど凡庸《ぼんよう》だときまってはいなかった。町の二、三の家で、かなりりっぱな室内音楽会が行なわれたときのことを、人々は記憶していた。ジャンナン夫人がしばしば語るところによれば、彼女の祖父は、熱心にチェロをひき回したり、グルックやダレーラックやベルトンの節を歌ったのだった。今でもなお、大きな楽譜がイタリー歌曲のひとつづりとともに、家に残っていた。愛すべき老祖父は、ベルリオーズが評したアンドリュー氏に似ていた。「彼はグルックを非常に好きだった」とベルリオーズは言っている。そして苦々《にがにが》しげにつけ加えている、「彼はピッチーニをも非常に好きだった。」――ところで祖父は、ピッチーニの方を多く好きだったろう。がそれはとにかく、彼の集めたものの中では、イタリーの歌曲が数においてはるかに優勢だった。それらのものが、小さなオリヴィエの音楽上のパンだった。中身の少ない食物であって、子供に食べさせる田舎《いなか》の砂糖菓子に似ていた。その菓子は趣味を減退させ、胃をそこない、より真面目《まじめ》な食物にたいする食欲を永遠に奪い去る恐れがある。しかしオリヴィエは貪食《どんしょく》だととがめられるわけはなかった。彼はより真面目《まじめ》な食物を与えられていなかった。パンがなくて菓子ばかり食べていた。かくて自然の勢いとして、チマローザやパエジエロやロッシーニなども、この神秘家の憂鬱《ゆううつ》な少年の乳母となった。それらの陽気な厚顔な老シレヌスたちや、率直でなまめかしい微笑を浮かべ眼に美しい涙をためてる、ナポリとカタニアとの元気な二人の小酒神、ペルゴレージとベリーニなどが、牛乳の代わりに注《つ》いでくれる、泡《あわ》だった白葡萄酒《アスチ》を飲みながら、彼は酔って頭がふらふらするのだった。
 彼はただ一人で、自分の楽しみのために音楽を多く奏した。音楽が心の底まで沁《し》み通っていた。彼は自分が奏してるものを理解しようとは求めないで、受動的にそれを楽しんだ。だれも和声《ハーモニー》を教えてやろうとする者はいなかったし、彼自身も教わろうとは心掛けなかった。あらゆる学問および学問的精神はことごとく、彼の家庭に欠けていて、ことに母方の方に欠けていた。法律の人であり才気の人であり古典文学者であるその人たちは、何かの問題に出会うとまごついてしまった。血縁の一人――遠縁のある従弟《いとこ》――が天文協会にはいったというのを、一大珍事のように語っていた。その従弟は狂人になったとの噂《うわさ》までしていた。強健着実ではあるが長い消化と日々の単調さとで眠らされてる精神の、田舎《いなか》の古い中流階級の人たちは、自分の良識だけを頼りとしている。彼らはいかにも自信の念が強くて、自分の良識で解決できない問題はないと自惚《うぬぼ》れている。そして彼らは、学術の人を一種の芸術家と見なしがちで、ただ、芸術家よりも有用ではあるが高尚ではないと考えている。なぜかと言えば、少なくとも芸術家はなんの役にもたたないからである。そしてその無為な生活には上品さがないでもない。ところが学者は、たいてい手工的労働者で――(それは不名誉なことだ)――せいぜい職工長くらいのもので、芸術家より学問はあるが多少気が変になっている。紙の上ではすぐれてるか知れないが、その数字の工場から外へ出ると、もうまるで木偶《でく》の棒だ。生活と実務との経験ある良識家に導かれなかったら、学者はとてもやってゆけるものではない。
 ところがあいにくにも、生活と実務との経験が、これら良識家らが信じたがってるほど堅実なものであるとは、まだ証明されてはいない。それはむしろ、ごくわずかのきわめて容易な場合にのみ限られてる、一種の熟練と言うべきである。迅速《じんそく》勇敢な決意を要する意外な場合にぶつかると、彼らはもうなす術《すべ》を知らない。
 銀行家ジャンナンは、そういう種類の人物だった。万事は前もってよくわかっていたし、田舎《いなか》生活の一定の調子で正確にくり返されていたので、彼はその業務において重大な困難にかつて出会わなかった。その職業にたいする特殊の能力なしに、ただ父の業を受け継いだのだった。それ以来万事が好都合にいったので、自分が生来賢明なからだと慢《おご》っていた。正直で勤勉で良識をもってるだけで足りると、いつも好んで言っていた。父親が彼の趣味を念頭におかなかったとおり、彼も息子《むすこ》の趣味なんかは念頭におかずに、その職務を息子に譲ろうと考えていた。そして息子をそういうふうに育てようとはしなかった。子供たちを勝手に生成するままに放任しておいて、ただ彼らが善良でありことに幸福でさえあればいいとしていた。子供たちを鍾愛《しょうあい》していたのである。それで二人の子供は、この上もなく生存競争の準備が欠けていた。まるで温室の花だった。しかし、常にそういう生き方をしてはいけなかったであろうか? その柔弱な田舎において、名望ある富裕な家庭において、土地一流の地位を占めながら友人らに取り巻かれてる、快活で親切懇篤な父親をもっていて、生活はいかにも安易でなごやかだったのである。

 アントアネットは十六歳になっていた。オリヴィエは初めての聖体拝受を受けるころになっていた。彼は自分の神秘な夢の羽音のうちに潜み込んでいた。アントアネットは四月の鶯《うぐいす》の声のように青春の心を満たしてゆく陶然たる希望の歓《よろこ》ばしい歌声に耳を傾けていた。自分の身体や魂が花のように咲き出してくるのを、また、きれいだと自分でも知り人からそう言われるのを、しみじみと楽しんだ。父の賛辞や不用意な言葉だけでも、彼女を自惚《うぬぼ》れさせるに十分だった。
 父は彼女に見とれていた。彼女の婀娜《あだ》っぽい素振り、鏡の前での懶《ものう》げな横目、罪のない意地悪な悪戯《いたずら》、などを彼は楽しんだ。彼女を膝《ひざ》の上に抱き上げて、その小さな愛情のことや、男をあやなしていることや、結婚のことなどで、彼女をからかった。彼は幾つも結婚の申し込みを受けてると言って、それを列挙してみせた。りっぱな中流人たちで、どれもこれも年老いた醜男《ぶおとこ》ばかりだった。彼女は父の首に両腕をまきつけ、顔を父の頬《ほお》に押し当てて、大笑いをしながら、嫌悪《けんお》の叫び声をたてた。すると彼は、彼女の選に当たる仕合わせな者はどんな男かと尋ねた、七大罪を犯した者のように醜いとジャンナン家の老婢《ろうひ》が言っていたあの検事さんか、あるいはあのでっぷりした公証人かと。それを彼女は黙らせるために、ちょっと平手で打ったり、両手で口をふさいだりした。彼はその手に接吻《せっぷん》して、膝の上で彼女を跳《は》ね躍《おど》らしながら、世に知られてる小唄《こうた》を歌った。

    別嬪《べっぴん》さんよ、何が望みか、
    醜男《ぶおとこ》の御亭主《ごていしゅ》さんかえ?

 彼女は放笑《ふきだ》して、彼の頬髯《ほおひげ》を頤《あご》の下で結《ゆわ》えながら、その反覆句で答えた。

    醜男よりもかわいい男を
   お上さん、どうぞ願います。

 彼女は自分で相手を選ぶつもりだった。自分はたいへん富裕でありあるいは富裕になるだろうということを、彼女は知っていた――(父は口癖にそれをくり返していた)――彼女は「りっぱな嫁」だった。その地方での豪家で息子《むすこ》のある人たちは、早くも彼女の機嫌《きげん》を取って、ちょっとした阿諛《あゆ》と賢い術策との白糸の網を張りながら、この美しい銀の魚を捕えようとしていた。しかしその魚は彼らにたいして、単なる四月の魚になりやすかった。なぜなら、機敏なアントアネットは彼らの策略をすっかり見抜いていたから。そして彼女はそれを面白がっていた。彼女は捕《とら》れたくはあったが、だれからでも捕れたくはなかった。その小さな頭の中で、結婚の相手をすでにきめていた。
 土地の貴族――(一地方にはたいてい貴族の家柄が一つだけあるものである。その地の昔の君主から出た家だと自称している。けれど多くは、十八世紀の監察官やナポレオン時代の軍需商人など、国家の財産を買い取った者の子孫である)――その貴族にボニヴェー家というのがあった。町から二里隔たってるその邸宅には、光ってる石盤屋根の尖塔《せんとう》がそびえ、まわりに大きな森があり、森の中には魚を放った池が散在していた。そのボニヴェー家からジャンナン家へ懇親を求めてきた。息子のボニヴェーはアントアネットへしきりに媚《こ》びてきた。年齢のわりにはかなり丈夫な肥満した美男子で、狩猟と飲食と睡眠とをその神聖な日課としていた。馬にも乗れるし、舞踏《ダンス》も心得ており、態度もかなりりっぱで、他の青年よりさほど劣ってはいなかった。長靴をはき込み馬や二輪馬車を駆って、ときどき自邸から町へ出て来た。用事を口実にして銀行家ジャンナンを訪問した。ときとすると、猟の獲物《えもの》をつめた目籠《めかご》を手みやげにしたり、大きな花束を婦人たちへもってきたりした。その機会に乗じて、令嬢の意を迎えることにつとめた。令嬢といっしょに庭を散歩した。髭《ひげ》をひねりながら、また、覧台《テラース》の舗石に拍車を鳴らしながら、腕のように太いお世辞を言ったり、愉快な冗談口をきいたりした。アントアネットは彼を面白い男だと思った。彼女の驕慢《きょうまん》と愛情とはしみじみとそそられた。彼女は幼い初恋のうれしさに浸り込んだ。オリヴィエはその田舎《いなか》紳士をきらいだった。強くて鈍重で粗暴で、騒々しい笑い方をし、螺盤《まんりき》のようにしめつける手をもち、彼の頬《ほお》をつまみながらいつも見くびりがちに、「坊っちゃん……」などと呼びかけるからであった。ことにきらいだった――なんとなく虫が好かなかった――わけは、他家《よそ》の者であるその男が姉を愛してるからであった……自分の姉を、自分一人のもので他《ほか》のだれのものでもない大事な姉を!……

 そのうちに、破綻《はたん》が到来した。数世紀以来同じ一隅《いちぐう》の土地に固着してその汁《しる》を吸いつくした、それらの古い中流家庭の生活には、早晩一破綻の起こるのが常である。それらの家庭は静かな眠りをむさぼっていて、自分が身を置いてる大地とともに永遠なものだとみずから信じている。しかしその足下の大地は死滅して、もはや根がなくなっている。鶴嘴《つるはし》の一撃に会えばすべてが崩壊する。すると人は不運だと言い、不慮の災いだと言う。けれども樹木にも少し抵抗力があったならば、決して不運はないであろう。あるいは少なくとも、数本の枝は吹き折っても幹を揺るがすることのない暴風のように、その困難はただ通り過ぎてしまうであろう。
 銀行家ジャンナンは、気が弱く信じやすく多少|驕慢《きょうまん》だった。彼はわざと真実を見ようとせず、「実際」と「外見」とを混合しがちだった。彼は無分別に濫費していたが、それでも財産に大した穴を明けはしなかった。実際のところその濫費は、古来の倹約な習慣のために後悔のあまり和らげられていた――(彼は大束の薪《まき》を費消しながら、一本のマッチをおしんでいた。)彼はまたその事業にもごく慎重ではなかった。友人に金を貸すのをかつて拒んだことがなかった。そして彼の友人となることもさほど困難ではなかった。彼は受取証を書かせるだけの労を取らないのが常だった。貸金の計算なども粗漏をきわめていて、向こうから返して来なければほとんど催促をしなかった。他人がこちらの誠意を信頼してくれてると思うとともに、こちらからも他人の誠意に信頼していた。それにまた、儀式張らない円滑な態度のために小心だと思われていたが、実際はそれ以上に小心だった。厚顔な哀願者を体よく断わることもなし得なかったし、その支払能力を気づかってる様子をも示し得なかった。好意と意気地なさとが強く働いていた。だれの気をも害したくなかったし、また他人から侮辱されるのを恐れていた。それでいつも譲歩した。そしてみずからごまかすために進んで譲歩して、あたかも金を取られるのは仕事をしてもらうことででもあるかのようだった。実際にそう思わないでもなかった。自負心と楽観とのあまり、自分のする事はみなりっぱな事だとたやすく思い込んでいた。
 そういうやり方は、ますます債務者らを寄せつけるばかりだった。百姓らはいつでも彼の恩恵にすがれることを知っていたし、また実際恩恵にはずれることがなかったので、皆彼を尊敬していた。しかし世人の感謝は――善良な人々の感謝でさえも――適当な時期に摘み取らなければならない果実のごときものである。木の上にあまり古く放っておくと、やがて黴《かび》が生えてくる。数か月たつと、ジャンナン氏から恩恵をこうむった人々は、その恩恵も当然のことだと考える癖がついてしまった。それのみならず、ジャンナン氏があんなに喜んで自分たちを助ける以上は、そこになんらかの利益があるに違いないと、自然に信じがちであった。もっとも気のきいた者たちは、自分の手で取った兎《うさぎ》か、自家の鶏小屋から集めた卵かを、市《いち》の立つ日に銀行家へ贈って、それで帳消しになったつもりでいた――負債をでなくとも、少なくとも感謝の念だけは。
 それまでは、要するにまだわずかな金額のことばかりだったし、ジャンナン氏の相手はかなり正直な人ばかりだったので、大した不都合をきたさなかった。金の損失は――それを彼はだれにも一言も漏らさなかったが――ごく僅少《きんしょう》な額だった。しかしジャンナン氏がある奸策《かんさく》家と接触するようになってからは、様子が違ってきた。この奸策家はある工業上の大事業を企てていて、銀行家ジャンナンの人の善さとその資力とを聞き伝えたのだった。態度の堂々たる人物で、レジオン・ドヌールの勲章を所有し、友人としては、二、三の大臣、一人の大司教、多くの上院議員、文芸界や財界の著名な人々、などをもってると言い、ある有力な新聞と懇意だと自称していて、相手の人柄にふさわしい高圧的なまた馴《な》れ馴れしい調子を巧みに取ることができた。自己推薦の方法としては、ジャンナン氏より少し機敏な人ならだれでも気づくほどのずうずうしさで、それら高名な知人らから受けたつまらない挨拶《あいさつ》状、すなわち晩餐《ばんさん》へ招待の礼状やそのお返しの招待状などを、一々並べたてた。がだれでも知ってるとおり、フランス人はそういうありふれた書状なんかは決しておしまないし、知り合いになったばかりの男から握手や晩餐の招待を平気で受けるものである――ただ、その男が面白い人物でかつ金銭を求めさえしないならば。なおその上に、他人が自分と同様にしてくれさえするならば、自分も新しい知人へ金を貸すことを拒まないような者も多くある。そして、隣人からその持て余してる金を巻き上げてやろうとする利口な男が、他の羊をも引き込むためにまっ先に海へ飛び込もうとする羊を、どうしても見出し得ないとするならば、それは不運のせいだというのほかはない。――前にそういうばかな羊がなかったとしたら、ジャンナン氏はたしかにその最初の一人だったろう。彼は人からむしり取られるようにできてる富裕な善人だった。彼はその訪問者のりっぱな知人仲間だの、能弁だの、お世辞などに、惑わされてしまい、またその助言の最初の好結果に、迷わされてしまった。でも最初はあまり冒険しなかった。そして成功した。そしてこのたびは大きな冒険をした。つぎには何もかも、自分の金ばかりでなく預金者らの金をも賭《か》けた。預金者らにはそれを知らせなかった。たしかに儲《もう》けると信じきっていた。りっぱにやりとげて彼らをあっと言わせたかった。
 計画は蹉跌《さてつ》した。彼はパリーのある人からの通信で、間接にそれを知らせられた。その人は新しい失敗の事件を、ついでに一言述べたのであって、ジャンナン氏がその犠牲者の一人だろうとは夢にも知らなかった。というのは、ジャンナン氏はだれにもいっさいを秘密にしていたから。彼はほとんど考えられないほどの軽率な振舞をして、事情に通じてる人の助言を求めることを、怠っていた――避けてるかの観さえあった。彼はすべてを内密に行ない、自分の確実な良識に自惚《うぬぼ》れていて、きわめて漠然《ばくぜん》たる情報だけで満足していた。人生にはそういう迷妄《めいもう》がよくあるものである。ある時期にはどうしても没落を免れないものらしい。あたかも人に助けられるのを恐れてるかのようである。救いの助言をすべて避け、自分の身を隠し、いらだちながらあせるだけで、勝手に一人で深く沈み込んでしまう。
 ジャンナン氏は停車場へかけつけ、苦悶《くもん》に心を閉ざされながら、パリー行きの汽車に乗った。そして相手の男を捜しに行った。報知は嘘《うそ》であるか、あるいは少なくとも誇張されたものであるかもしれないと、虫のいい希望をつないでいた。が相手の男は見出せなかった。そして失敗がほんとうであることを知った。完全な失敗だった。彼は狼狽《ろうばい》して帰って来ながら、すべてを秘密にした。だれもまだそれに気づかなかった。彼は数週間の、数日間の、余裕を得ようとつとめた。そして例の医《いや》しがたい楽天主義のあまり、損失全部をでなくとも、せめて預金者らへかける損失だけは、回復の方法を見出せるだろうと、無理にも思い込んだ。そして種々の方法を講じてみたが、あまりへまに急いだために、なお成功の機会があったとしてもそれをも失ってしまった。方々へ借財を申し込んだがみな断わられた。自棄気味《やけぎみ》に残りのわずかな財産を投げ出して投機を試みたが、そのために万事窮してしまった。それ以来彼の性格は一変した。何事も口には出さなかった。しかし、いらだちやすく気荒で冷酷でひどく陰鬱《いんうつ》になった。他人といっしょのときにはやはりまだ快活を装っていた。しかし不安な様子はだれの眼にもついた。人々はそれを彼の健康状態のせいにした。けれど彼は、家族の者らにたいしてはそれほど自分を押えなかった。何か重大なことを心に隠してるのが、すぐに彼らの眼に止まった。平素の彼とはまったく違っていた。ともすると室の中に駆けこんで、戸棚《とだな》の中をかき回しながら、あるかぎりの書類をこちゃこちゃに床《ゆか》の上に放り出し、あるいは何にも見つからないので、あるいはだれかが手伝おうとするので、狂人のように猛《たけ》りたった。つぎには、その乱雑な中にぼんやりしてしまった。何を捜してるのかと尋ねられても、自分でもそれがわからなくなっていた。もう家族の者らをも念頭にしていないらしかった。かと思うと、眼に涙を浮かべて彼らを抱擁した。もう夜も眠らなかった。もう食事も取らなかった。
 ジャンナン夫人は、破滅の迫ってることをよく見て取っていた。しかし夫の事業に少しも関与したことがなかったので、何にも理解できなかった。彼女は尋ねてみた。彼はそれを手荒くしりぞけた。彼女は自尊心を害せられて、そのうえ強《し》いては尋ねなかった。しかしなぜとはなしにおののいていた。
 子供たちは危難に気づくことができなかった。もちろんアントアネットは怜悧《れいり》だったから、母と同じく、ある不幸を予感せずにはいなかった。しかし彼女は、萌《も》え出した恋愛の楽しさに浸っていた。心配な事柄を考えたくはなかった。彼女は思い込んでいた、暗雲は自然と消えてしまうだろうと――あるいは、どうしてもそれを見なけれはならなくなるまでには、まだかなり間があるだろうと。
 不幸な銀行家の魂の中に起こってることを、おそらくもっとも理解しやすかった者は、小さなオリヴィエであった。彼は父が苦しんでいるのを感じていた。そして父とともに内々苦しんでいた。しかし思い切ってなんとも言い得なかった。もとより、何にもできはしなかったし、何にも知りはしなかった。そのうえ彼もまた、悲しい事柄から考えをそらしていて、それを見落としがちだった。母や姉と同様に、彼も一つの迷信的傾向をもっていて、不幸は見たがらなければたぶん来るものではないと、信じがちだった。この憐《あわ》れな人たちは、脅かされてることを感じながらも、好んで駝鳥《だちょう》の真似《まね》をしていた。石の後ろに頭だけを隠して、不幸からこちらの姿を見られていないことと想像していた。
 不安な噂《うわさ》が広まりかけていた。銀行の信用がだめになったと言われていた。銀行家はその預金者らにたいしていかに保証を装っても駄目《だめ》だった。猜疑《さいぎ》心の深い預金者らは金の返還を求めてきた。ジャンナン氏は自分の没落を感じた。彼は自棄《やけ》になって弁解をしながら、憤慨を装ってみたり、傲然《ごうぜん》と苦《にが》りきって、人々から信用されない不満を訴えたりした。はては古くからの預金者と喧嘩《けんか》までした。そのために悪評は一般の信ずるところとなってしまった。預金返還の要求が輻輳《ふくそう》してきた。彼はその要求に追いつめられてまったく途方にくれた。ちょっと旅行をして、近くの温泉町へ行き、銀行に残ってる札束《さつたば》を賭博《とばく》にかけ、たちまちのうちにすっかり失って、またもどって来た。
 その不意の旅行は、小さな町じゅうを混乱さした。彼は逃亡したのだという噂《うわさ》まであった。ジャンナン夫人は人々の興奮した不安に対向するのが容易でなかった。も少し待ってくれるようにと懇願し、夫はきっと帰ってくるに違いないと誓った。人々はそれを信じたがりながらも、ほとんど信ずることができなかった。それで彼が帰って来たのを知ると、皆ほっと胸をなでおろした。多くの者は、無駄《むだ》な心配をしたのだと思いがちだった。ジャンナン家の人たちはごく機敏だから、たとい蹉跌《さてつ》をしたにせよ、それを切りぬけてゆけるに違いないと、人々は思いがちだった。銀行家の態度もそういう印象を強めた。もはや最後の手段きり残っていないことが明らかな今となっては、彼は疲れてるようであったがしかしごく冷静だった。汽車から降りて駅前の並木道で、彼は数人の友人に出会いながら、数週間雨を得ないでいる田舎《いなか》のことや、すてきな葡萄《ぶどう》の出来ばえのことや、その日の夕刊にのってる内閣|瓦解《がかい》のことなどを、平然と話していた。
 家に帰っても彼は、夫人の心痛などを気にしてないふうだった。夫人は彼のそばに駆け寄り、不在中の出来事をごっちゃに早口で話してきかした。彼女は彼の顔つきから、どういう危難か知らないがそれを彼がうまく回避し得たかどうかを、しきりに読み取ろうと努めていた。それでも高慢のために何にも尋ねはしなかった。向こうから話し出されるのを待っていた。しかし彼は彼ら二人を苦しめてる事柄については一言も言わなかった。彼女が自分の心を打ち明けて彼の内密な相談にあずかりたがってるのを、それとなく避けてしまった。暑さのことや疲労のことなどを言って、ひどく頭痛がするとこぼした。そして皆はいつものとおり食卓についた。
 彼は懶《ものう》げに考え込んで、額《ひたい》に皺《しわ》を寄せながら、あまり話をしなかった。卓布の上を指先でたたいていた。皆から見守られてるのを知って無理に食べようとし、沈黙のために気遅れがしてる子供たちを、ぼんやりした遠い眼つきでながめていた。夫人は自負心を傷つけられて堅くなりながら、彼の顔を見ないでその挙動を一々うかがっていた。食事の終わるころ、彼はようやく我に返ったらしかった。アントアネットやオリヴィエと話をしようとした。自分の旅行中二人は何をしていたかと尋ねた。しかし彼らの答えに耳を貸しはしないで、ただその声の響きだけを聞いていた。そして彼らの上に眼をすえてはいたけれど、眸《ひとみ》は他に向いていた。オリヴィエはそれを感じた。他愛ない話の中途で口をつぐんで、言いつづける気がしなかった。しかしアントアネットの方は、ちょっと気まずい思いをした後に、快活な気分の方が強くなった。愉快な鵲《かささぎ》のようにしゃべりながら、父の手に自分の手を重ねたり、父の腕にさわったりして、話してることをよく聞かせようとした。ジャンナン氏は黙っていた。アントアネットからオリヴィエの方へ眼を移した。その額の皺はますます深くなった。娘が話してる最中に、彼はもう堪えかねて、食卓から立ち上がり、感動を隠すために窓の方へ行った。子供たちは胸布《ナプキン》をたたんで、同じく立ち上がった。ジャンナン夫人は彼らを庭へ遊ばせにやった。彼らが金切声をたてて小径《こみち》で追っかけ合ってるのが、間もなく聞こえてきた。ジャンナン夫人は夫をながめた。夫はその方へ背中を向けていた。彼女は何か片付けるふうで食卓を回った。そして突然彼女は彼に近寄って、召使どもに聞かれはすまいかという懸念《けねん》から、また自分自身の心痛のあまりに、声をひそめて言った。
「あなた、どうなすったんです? どうかなすったのでしょう……。何か隠していらっしゃるのでしょう……。災難でも起こりましたか。苦しいことでもおありですか。」
 しかし彼は、そのときもなお彼女を避けて、いらだたしげに肩をそびやかし、きつい調子で言った。
「いや、そんなことはないんだ。構わないでおいてくれ。」
 彼女はむっとして遠のいた。どんなことが夫に起ころうともう気をもんでやるものかと、盲目な憤りのうちにみずから去った。
 ジャンナン氏は庭へ降りていった。アントアネットは悪戯《いたずら》をしつづけて、弟をいじめては駆けさしていた。しかし弟はもう遊びたくないと突然言い出した。そして父から数歩離れた所で、覧台《テラース》の墻壁《しょうへき》によりかかった。アントアネットはなお彼をからかおうとした。しかし彼は口をとがらしながらそれを押しのけた。すると彼女は何か悪口を言った。そしてもう面白いことがなくなったので、家にはいってピアノの前にすわった。
 ジャンナン氏とオリヴィエと二人きりになった。
「坊や、どうしたんだい? なぜもう遊ぼうとしないの?」と父はやさしく尋ねた。
「くたびれちゃったの、お父《とう》さん。」
「そう。では二人でちょっと腰を掛けようよ。」
 彼らは腰掛にすわった。九月の美しい夜だった。空は澄み切って薄暗かった。ペチュニアの甘っぽい香《かお》りが、覧台《テラース》の墻《かき》の下に眠ってる暗い運河の、白けたやや腐れっぽい匂《にお》いに交っていた。夕《ゆうべ》の蝶《ちょう》が、金色の大きな天蛾《てんが》が、小さな糸車のような羽音をたてて花のまわりを飛んでいた。運河の向こう側の家の、戸の前にすわっている人々の静かな声が、静けさのうちに響いていた。家の中ではアントアネットが、装飾用のイタリー抒情歌《カヴァチーナ》をピアノでひいていた。ジャンナン氏はオリヴィエの手を執っていた。彼は煙草《たばこ》を吹かした。オリヴィエは、しだいに父の顔だちをぼやけさしてゆく暗がりの中に、パイプの小さな火を見守った。その火は急に明るくなり、ぱっと吐かれる煙のために消え、また明るくなり、しまいにすっかり消えてしまった。二人は少しも話をしなかった。オリヴィエは二、三の星の名を尋ねた。ジャンナン氏は田舎《いなか》のたいていの中流人士と同じく、自然界の事物についてはかなり無知だったので、尋ねられた星の名は一つも知らなかった。ただ、だれでも知ってる大きな星座だけを知っていた。子供が尋ねてるのはそれらの星座のことだと思ってるふうをして、その名前を聞かしてやった。オリヴィエは問い返さなかった。それらの神秘な美しい名前を、耳にきいたり小声でくり返したりするのが、いつもうれしかった。そのうえ彼は知識を求めることよりも、むしろ本能的に父に近づきたがっていた。二人は黙った。オリヴィエは腰掛の背に頭をもたせ、口をうち開いて、星をながめた。そしてうっとりとなった。父の手の温《あたた》かみがしみじみと感ぜられた。とにわかにその手が震えだした。オリヴィエは変だと思って、にこやかな眠たげな声で言った。
「おや、お父《とう》さんの手はたいへん震えてるよ。」
 ジャンナン氏は手を引っ込めた。
 オリヴィエはその小さな頭を一人で働かしつづけていたが、ややあって言った。
「お父さんもくたびれたの?」
「ああ、坊や。」
 子供はやさしい声で言った。
「そんなに疲れちゃいけないよ、お父《とう》さん。」
 ジャンナン氏はオリヴィエの頸を引き寄せて、それを自分の胸に寄せ掛からせながらつぶやいた。
「かわいそうに!……」
 しかしオリヴィエの考えは、他の方へ向いていた。塔の大時計が八時を打っていた。彼は身を放して言った。
「本を読んでこよう。」
 木曜日には、夕食後一時間たってから寝るまで、本を読むことが許されていた。それは彼のいちばん大きな楽しみだった。どんなことがあろうと、その一分間をもさき与えたくはなかった。
 ジャンナン氏は彼を去らした。そしてなお一人で、薄暗い覧台《テラース》の上をあちらこちら歩き回った。それから彼も家へはいった。
 室の中にはランプのまわりに、子供たちと母親とが集まっていた。アントアネットは胴着にリボンを縫いつけながら、しゃべったり歌ったりするのをちょっともやめなかった。それがオリヴィエには不満だった。彼は書物の前にすわって、眉《まゆ》をしかめテーブルに両|肱《ひじ》をついて、何にも聞こえないように拳《こぶし》を両耳に押しあてていた。ジャンナン夫人は靴下《くつした》を繕いながら、老婢《ろうひ》と話をしていた。老婢は夫人のそばに立って、一日の出費を報告し、その機会をとらえて少しおしゃべりをした。いつも面白い話をもっていた。おかしな訛言《なまり》で話すので、皆それに笑い出し、アントアネットは真似《まね》ようとした。ジャンナン氏はそういう一同を黙ってながめた。だれも彼に注意を向けなかった。彼はちょっと躊躇《ちゅうちょ》し、そこにすわり、一冊の書物を取り上げ、手任せのところを開き、また閉ざし、立ち上がった。どうしてもそこに落ち着けなかったのである。彼は蝋燭《ろうそく》をともし、挨拶《あいさつ》の言葉を皆にかけた。子供たちに近寄って、心をこめて抱擁した。子供たちは心を他処《よそ》にしてそれに応じ、彼の方へ眼をもあげなかった――アントアネットは仕事に気を取られ、オリヴィエは読書に気を取られていた。オリヴィエは耳から手をはずしもしないで、気のない挨拶の言葉をつぶやいたまま、読書をつづけた――書物を読んでるときだったら、家の者がだれか火の中へ落っこっても、彼はびくともしなかったろう。――ジャンナン氏は室から出た。そしてなお隣の室でぐずついていた。ほどなく夫人は、老婢《ろうひ》が帰ったあとなので、自分で箪笥《たんす》に着物をしまいに来た。彼女は彼の姿に気づかないふうをした。彼はためらったが、つぎに彼女のそばへ行って、そして言った。
「許してくれ。さっきは少し手荒な口をきいたが。」
 彼女は彼にこう言いたかった。
 ――あなた、私は少しも恨んでおりません。ですが、いったいどうなすったの。苦しみの種をおっしゃってくださいね。
 しかし彼女は、意趣返しをするのがうれしくて、こう言った。
「私に構わないでください。あなたはほんとに乱暴な人ですわ。女中かなんぞによりも、もっとひどく私にお当たりなすったのね。」
 そして彼女は、遺恨を含んだ激しい早口で苦情を並べたてながら、同じ調子で言いつづけた。
 彼は気力のない身振りをし、苦笑を漏らして、彼女のもとを離れた。

 だれも拳銃《けんじゅう》の音を聞かなかった。ようやく翌日になって、夜来の出来事がわかったとき、その真夜中ごろに、通りもひっそりとしてる中に、靴の音みたいなきつい音が聞こえたのを、隣人らは思い出した。彼らはそのとき気にも止めなかった。夜の平穏はすぐにまた町へ落ちてきて、その重い襞《ひだ》の中に生者をも死者をも包み込んだ。
 眠っていたジャンナン夫人は、それから一、二時間後に眼を覚《さ》ました。そばに夫の姿が見えないので、不安になって起き上がり、方々部屋を見回り、階下《した》へ降りて行き、母家《おもや》と軒つづきの銀行の事務所へ行ってみた。そしてそこで、ジャンナン氏をその私室に見出した。ジャンナン氏は肱掛椅子《ひじかけいす》にすわり、事務机の上にぐったりとなって、血にまみれていた。その血はまだ床《ゆか》にぽたぽたたれていた。彼女は鋭い叫び声をたて、手の蝋燭《ろうそく》を取り落とし、意識を失ってしまった。母家の人たちがそれを耳にした。召使たちが駆けつけて来、彼女を引き起こして手当てを施し、ジャンナン氏の身体を寝台の上に運んだ。子供たちの室は閉《し》め切ってあった。アントアネットは至福者のように眠っていた。オリヴィエは人声や足音を聞き伝えた。何事か知りたかった。しかし姉の眼を覚ますのを気づかった。そしてまた眠った。
 翌朝、その噂《うわさ》が町に広まってからも、二人はまだ何にも知らなかった。老婢《ろうひ》が涙を流しながら、出来事を二人に知らしてくれた。母はまだ何にも考えることができなかった。不安な容態でさえあった。二人の子供は死を前にして、ただ二人きりだった。最初のうちは、悲しさよりも恐ろしさの方が強かった。そのうえ、落ち着いて泣くだけの時間も与えられなかった。その朝から早くも、残忍な司法上の手続きが始められた。アントアネットは自分の室に逃げ込んで、青春の自己中心的なあらんかぎりの力で、息苦しい恐怖をしりぞける助けとなりうる唯一の考え、すなわち恋人へ思いをはせること、その方へすがりついていった。彼女は恋人の来訪を、今か今かと待っていた。この前会ったとき、彼は今までになくもっとも懇《ねんご》ろだった。彼がすぐに駆けつけて来て、心痛を共にしてくれるに違いなかった。――しかし、だれも来なかった。だれからも一言の便《たよ》りもなかった。なんらの同情のしるしも見られなかった。それに反して、自殺の噂《うわさ》が広まるとすぐに、銀行の預金者らはジャンナン家へ押しかけ、無理にはいりこんで来て、無慈悲な獰猛《どうもう》さで、夫人や子供たちに激しい喧嘩《けんか》を吹きかけた。
 数日のうちに、あらゆる没落がつみ重なってきた、親愛なる人の死亡、全財産と全地位と世間の尊敬との喪失、友人らの離反。それこそ全部の崩壊だった。彼らを生かしていたものは何一つ残存しなかった。彼らは三人とも、精神上の純潔さにたいする一徹な感情をもっていただけに、自分らに責のない不名誉をことにひどく苦しんだ。三人のうちで、もっともその苦悩に痛められたのはアントアネットだった。なぜなら彼女は平素もっとも苦悶《くもん》に遠ざかっていたから。ジャンナン夫人とオリヴィエとは、いかに断腸の思いをしたにせよ、苦しみの世界に門外漢ではなかった。本能的に悲観家である彼らは、圧倒されながらもそれほど驚きはしなかった。彼らにとっては、死の考えは常に一つの避難所だった。今となってはことにそうだった。彼らは死を希望した。もちろんそれは痛ましい諦《あきら》めには違いない。しかしながら、自信強く、幸福であり、生きることを愛しているのに、この底知れぬ絶望に、あるいは身の毛もよだつ死そのものに、突然行き当たった若人の反抗心に比ぶれば、それほど恐ろしいものではない……。
 アントアネットは世間の醜悪さを一挙に見て取った。彼女の眼は開けた。彼女は人生を見た。父や母や弟を批判した。オリヴィエとジャンナン夫人とがいっしょに泣いてる間に、彼女は一人自分の苦悩の中に閉じこもった。彼女の絶望した小さな頭脳は、過去現在未来を考慮した。そしてもはや自分には何も残っていないのを知った、なんらの希望もなんらの支持もないのを。もはや頼りうるだれもいなかった。
 悲しい恥ずかしい葬式が行なわれた。教会は自殺者の死体を受けることを拒んだ。寡婦と孤児たちとは卑劣な旧友らから見捨てられた。ようやく二、三の人たちがちょっと顔を出した。彼らの迷惑そうな態度は、他に会葬者がないことよりもさらにつらかった。彼らは会葬を一つの恩恵としているらしかった。その沈黙は非難と軽蔑《けいべつ》的な憐憫《れんびん》との塊《かたま》りだった。親戚《しんせき》の方はさらにひどかった。ただに弔慰の言葉を寄せないばかりでなく、苦々《にがにが》しい非難を寄せてきた。銀行家の自殺は人々の怨恨《えんこん》を鎮《しず》めるどころか、破産にも劣らないほどの罪悪らしかった。中産階級は自殺者を許さない。もっとも不名誉な生よりもむしろ死を選ぶことは、もってのほかのことだと思われている。「諸君といっしょに生きることくらい不幸なことはない、」と言うらしい人の上には、あらゆる峻厳《しゅんげん》な法の制裁が喜んで加えられる。
 もっとも卑怯《ひきょう》な者こそ、もっとも激しく自殺を卑怯な行ないだと非難する。自殺者が人生からのがれながら、おまけに彼らの利益と復讐《ふくしゅう》心とを毀損《きそん》するときには、彼らは狂人のようになる。――彼らは、不幸なジャンナン氏がいかに苦しんでからそこまで到達したかを、ちょっとも考えてみようとしなかった。なお彼を千倍も苦しませたいほどだった。そして彼がいなくなると、その家族の者たちに非難の鋒先《ほこさき》を向けた。彼らはそれを自認してはいなかった。なぜならそれは不正なことだと知っていたから。けれどもやはりそうせずにはいられなかった。一つの犠牲者が彼らには必要だったのである。
 もはや嘆くよりほかに能のないように見えるジャンナン夫人も、夫が攻撃をされると、気力を回復してきた。彼女は今や、どんなに彼を愛していたかを知った。そして三人の者は、あすはいかになりゆくか少しも考えていなかったので、皆心を合わせて、母の持参財産や各自の財産を提供して、できるだけ父の負債を償却した。それからもう土地へとどまってることができなくて、パリーへ行こうと決心した。

 出発は逃亡に等しかった。
 前日の夕方――(九月末の寂しい夕《ゆうべ》だった。田野は白い濃霧に覆《おお》われて見えなかった。水族館の植物みたいに、雫《しずく》をたらしてる寂しい灌木《かんぼく》の姿が、道の両側に霧の中から、進むにつれて現われてきた)――その夕方、彼らは墓へ別れを告げに行った。新しく掘り動かされた墓穴のまわりの、狭い縁石に、三人ともひざまずいた。無言のうちに涙が流れた。オリヴィエはしゃくりあげていた。ジャンナン夫人はたまらなそうに洟《はな》をかんでいた。生前最後に会ったとき夫へ言った言葉を飽かず思い起こしては、彼女の心はさらに苦しみもだえていた。オリヴィエは覧台《テラース》の腰掛でかわした話を思っていた。アントアネットは自分たちがどうなるかを考えていた。一同を没落の淵《ふち》に巻き込んだその不運な人にたいしては、だれも非難の気持をもっていなかった。しかしアントアネットは考えていた。
「ああお父《とう》様、私たちはこれからどんなに苦しむことでございましょう!」
 霧は暗くなって、その湿気が彼らの身に沁《し》みた。しかしジャンナン夫人は、思い切って立ち去ることができなかった。アントアネットは震えてるオリヴィエを見て、母へ言った。
「お母《かあ》さん、私寒いわ。」
 彼らは立ち上がった。立ち去る間ぎわにジャンナン夫人は、墓の方へ最後にも一度振り向いた。
「私のおかわいそうな方《かた》!」と彼女は言った。
 落ちくる夜の闇《やみ》の中を、彼らは墓地から出た。アントアネットはオリヴィエの凍えた手を執っていた。
 彼らは古い家にもどった。彼らがいつも眠り、彼らの生活が過ごされ、先祖の生活が過ごされた、その古巣における最後の夜だった。その壁、その竈《かまど》、その一隅《いちぐう》の土地、それらには一家のあらゆる喜びや悲しみがぴったり結び合わされていて、同じく家族の者であり、生活の一部であり、死によってしか別れることができないかと思われるものだった。
 荷造りはでき上がっていた。彼らは翌朝、近所の店の戸が開かれる前に、一番列車に乗ることにしていた、近所の者の好奇心や意地悪い推測を避けるために。――彼らはたがいに身を寄せ合っていたかった。けれどもいつしか各自の室にはいって、そこでぐずついていた。帽子や外套《マント》をぬごうともしないで、じっとたたずみながら、壁や家具やすべてこれから別れようとする物に手を触れ、窓ガラスに額《ひたい》を押しつけ、愛する品々の接触を心に止めて長く忘れまいとした。しまいに彼らはおのおの、自分一人の悲しい考えから努めて身を振りもぎって、ジャンナン夫人の室に集まった。奥に大きな寝所のついたなつかしい室で、昔は、夕食後客がない晩は皆でそこに集まったのだった。昔は!……というほど何もかもすでに遠くなったように思われた。――彼らはわずかな火をとりかこんで、口もきかずにじっとしていた。それから寝台の前にひざまずいて、いっしょに祈祷《きとう》を唱えた。夜明け前に起きなければならなかったから、ごく早く床についた。しかしなかなか眠れなかった。
 ジャンナン夫人は、もう支度の時間ではないかと始終懐中時計を見ていたが、朝の四時ごろになると、蝋燭《ろうそく》をともして起き上った。ほとんど眠らないでいたアントアネットも、その音を聞いて起き上がった。オリヴィエはぐっすり眠っていた。ジャンナン夫人はしみじみとその寝姿をながめて、思い切って呼び起こすことができなかった。彼女は爪先《つまさき》で遠のいて、アントアネットに言った。「音をたてないようにしようね。かわいそうに、寝おさめにゆっくり寝かしてやりましょう。」
 二人は身支度を終え、包みをこしらえ上げた。家のまわりには、寒い夜の、人も獣もすべて生きてるものは温《あたた》かい睡眠にふけってる夜の、深い沈黙が立ちこめていた。アントアネットは歯の根を震わせていた。彼女は心も身体も凍えていた。
 表門の扉《とびら》の音が凍った空気中に響いた。家の鍵《かぎ》をもってる老婢《ろうひ》が、最後の御用を勤めに来たのだった。彼女は背が低くでっぷりしていて、息が短く、肥満のために不自由だったが、しかし年齢のわりには妙に敏活だった。温かく頬《ほお》を包んだ善良な顔つきで、鼻頭を真赤《まっか》にし、眼に涙を浮かべながら、姿を現わした。そして、ジャンナン夫人が彼女を待たずに起き上がり、台所の炉に火を焚《た》きつけてるのを見てがっかりしてしまった。――オリヴィエは老婢がはいって来たので眼を覚《さ》ました。がすぐにまた眼を閉じ、夜具の中で寝返りをして、ふたたび眠った。アントアネットは寄って来て、その肩にそっと手をかけ、小声で呼んだ。
「オリヴィエ、ねえ、もう時間よ。」
 彼ははっと息をつき、眼を開き、のぞき込んでる姉の顔を見た。姉は悲しげに微笑《ほほえ》みかけて、その額《ひたい》を手でなでてやった。彼女はくり返した。
「さあ!」
 彼は起き上がった。
 彼らは盗人ででもあるかのようにそっと家を出た。各自に包みを手に下げていた。老婢は先に立って、かばんを積んだ手車をひいていた。彼らは所有物をほとんどすべて残しておいて、いっしょに持ってゆく物とては、身につけたものと少しの着物とだけと言ってもよいほどだった。わずかな記念品は、あとから徐行列車で送られるはずだった。幾冊かの書物、若干の肖像、それから自分らの生命と同じ鼓動を打ってるように彼らには思われる、古い掛時計など……。寒い空気は身に沁《し》むほどだった。町にはまだだれも起きていなかった。どの雨戸も閉《し》まっていて、街路はひっそりしていた。彼らは黙っていた。老婢《ろうひ》だけが口をきいていた。ジャンナン夫人は、過去のすべての思い出であるあたりの風物を、最後に深く心へ刻み込もうとしていた。
 停車場へ着くと、ジャンナン夫人は自尊心から二等の切符を買った。三等に乗るつもりだったけれど、こちらの顔を知ってる二、三の駅員の前で、その恥辱を忍ぶだけの勇気がなかった。彼女はあいた車室にあわただしく乗り込み、子供たちといっしょに閉じこもった。そして皆は窓掛けの後ろに隠れて、知人の顔が見当たりはすまいかとびくびくしていた。しかしだれもやって来る者はなかった。彼らが出発する時間には、町はようやく眼を覚《さ》ましかけてるばかりだった。汽車の中はがらんとしていた。三、四人の百姓が乗ってるきりで、その他には数頭の牛が、貨物室の柵《さく》の上から頭をつき出して、憂鬱《ゆううつ》な鳴き声をたてていた。長く待たせたあとに、機関車が長い汽笛を鳴らして、汽車は霧の中を動き出した。三人の移住者は窓掛けを払い、顔を窓ガラスにくっつけて、最後にも一度ながめた、靄《もや》に隔てられてぼんやり見えてるゴチック式の塔のある小さな町を、茅屋《ぼうおく》の立ち並んでる丘を、霜氷に白くなって湯気の立ってる牧場を。それはもはや、あるかなきかの遠い夢|景色《げしき》だった。線路が曲がって、ある切り通しの中にはいり込み、その景色が見えなくなってしまうと、彼らはもう人に見られる恐れもないので気をゆるめた。ジャンナン夫人は口にハンケチをあててすすり泣いた。オリヴィエは母に身を投げかけ、その膝《ひざ》につっ伏して、その手に唇《くちびる》をつけ涙をそそいだ。アントアネットは車室の向こう隅《すみ》にすわり、窓の方を向いて、黙って涙を流した。彼らは三人とも同じ理由で泣いているのではなかった。ジャンナン夫人とオリヴィエとは、あとに残してきたもののことばかりを考えていた。アントアネットは今後の事柄をいっそう考えていた。彼女はそれをみずからとがめた。過去の思い出にのみふける方が好ましかった。――彼女が未来のことを思うのは道理だった。彼女は母や弟よりもいっそう確かな見解をもっていたのである。母と弟とはパリーに幻をかけていた。アントアネットでさえ、彼らがパリーでどんな目に会うかを少しも気づいていなかった。彼らはまだかつてパリーへ行ったことがなかった。ジャンナン夫人には、パリーに、ある司法官と結婚して豊かに暮らしてる姉があった。その姉の助力を彼女は当てにしていた。それにまた、子供たちはりっぱな教育を受けてはいるし、母親としては通例な彼女の自惚《うねぼ》れの眼から見れば、天分もかなりあるしするから、りっぱに生活するのは容易であろうと、彼女は信じ込んでいた。

 到着の印象は痛ましかった。早くも停車場で、荷物取扱場に押し合ってる人込みや、出口の前に入り乱れてる馬車の騒々しさなどに、彼らは惘然《ぼうぜん》としてしまった。雨が降っていた。辻《つじ》馬車が見出せなかった。重い荷物に腕も折れるばかりになって、街路のまん中に立ち止まっては、馬車にひかれるか泥《どろ》をはねかけられるかするような危い目に会いながら、遠くまで行かなければならなかった。いくら呼んでも応じてくれる御者はなかった。がついに、胸悪くなるほど汚《きた》ない古馬車を駆ってる御者を呼び止めることができた。その馬車に荷物をのせると、一巻きの毛布を泥の中に取り落とした。かばんをもってきた赤帽と御者とは、彼らの不案内につけこんで二倍の金を払わせた。ジャンナン夫人はある旅館を名ざしたが、それは、じいさんたちのだれかが三十年も前に泊まったからというので不便を忍んでやってくる田舎《いなか》者相手の、下等で高価な旅館の一つだった。そこへ馬車から降ろされた。客がいっぱいだというので、狭い所に三人いっしょに押し込まれて、三室分の代を勘定された。食事に彼らは倹約するつもりで、定食を断わって質素な食べ物を注文したが、それがまた非常に高価《たか》くて、おまけにすぐ腹がすいた。彼らの幻影は到着すると間もなく消えてしまった。そして旅館に落ち着いた最初の夜、風通しのない室につめ込まれて眠れはせず、寒かったり暑かったり、息をつくこともできず、廊下の足音や扉《とびら》を閉《し》める音や電鈴の音におびえ、馬車や重い荷馬車の絶え間ない響きに頭を痛められて、その怪物のごとき都会が恐ろしく感ぜられた。その中に彼らは飛び込んできて、途方にくれてしまったのである。
 翌日ジャンナン夫人は、オースマン大通りにぜいたくな住居を構えてる姉のもとへ駆けつけた。片がつくまでその家に泊めてもらえるだろうと、口にこそ出さなかったが心に思っていた。ところが最初の待遇ぶりからして、彼女の夢を覚《さ》ますに十分だった。このポアイエ・ドゥロルム家の人たちは、親戚《しんせき》の没落を怒っていた。ことに夫人は、自分たちにまで世の悪評が及びはしないかを恐れ、夫の昇進の妨げになりはしないかを恐れていたので、零落した家族の者が自分たちにすがりついてきて、なおも煩いをかけるのは、この上もなくずうずうしいことだと考えていた。司法官の考えも同様だった。しかし彼はかなり善良な男だった。夫人から見張られていなかったら、少しは義侠《ぎきょう》心を起こしたかもしれなかった――がもとより、見張られてることを苦にしてもいなかった。ところで、ポアイエ・ドゥロルム夫人はきわめて冷淡に妹を待遇した。ジャンナン夫人はびっくりした。余儀なく自尊心をも捨ててしまって、目下の困難な境遇や、ポアイエ家から期待してる事柄などを、遠回しに述べたてた。が向こうからはわからないふうをされた。夕食に引き止められもしなかった。そして、今週の終わりにという儀式ばった招待を受けた。その招待もポアイエ夫人から出たのではなく、司法官から出たものだった。彼は夫人の待遇ぶりをさすがに気の毒に思って、その冷淡さを少し和らげようとしたのだった。彼は温良さを装っていた。しかし彼がさほど淡白でなくごく利己的であることは、明らかに感ぜられた。――不幸なジャンナン家の人たちは、旅館へ帰っていった。その最初の訪問については、たがいに印象を語り合うこともなしかねた。
 彼らはそれから毎日、部屋を捜しながらパリーの中をさまよった。幾階もの階段を上るのに疲れきり、人がぎっしりつまってる兵営みたいな家や、不潔な階段や薄暗い室など、田舎《いなか》の大きな家に住んだあとにはいかにも惨《みじ》めで、見るのも厭《いや》になるものばかりだった。彼らはますます気が滅入《めい》った。そして、往来や商店や料理屋などどこででも、彼らはいつも驚きあきれていたので、皆からだまされてばかりいた。彼らが求めるものはどれもこれも法外の価だった。あたかも手に触れる物をすべて黄金になす術《すべ》を知ってるかのようだった。ただ、その黄金の代を払うのは彼らだった。彼らはこの上もなく拙劣で、また身を守るだけの力をももっていなかった。
 ジャンナン夫人は、もはや姉へはあまり希望をかけていなかったけれども、招待された晩餐《ばんさん》についてなお幻を描いていた。彼らは胸をどきつかせながら招待におもむいた。すると、親戚としてではなく客として迎えられた――がもとよりその晩餐には、儀式ばった接待以外の金目《かねめ》はかけられていなかった。子供たちはその従兄姉《いとこ》らに会った。ほとんど同じくらいの年ごろだったが、両親に劣らずよそよそしい態度だった。娘の方は、優雅でなまめかしくて、高ぶった丁寧な様子をし、わざとらしい甘っぽい素振りをして、気取った口調で話しかけてはジャンナンの子供たちをまごつかせた。息子《むすこ》の方は、貧乏な親戚の者と会食する役目をいやがって、できるだけ苦々《にがにが》しい顔つきをしていた。ポアイエ・ドゥロルム夫人は、椅子《いす》の上にきちんと威儀を正して、料理を勧めるときでさえ、たえず妹へ教訓をたれてるがようだった。ポアイエ・ドゥロルム氏は、真面目《まじめ》な話を避けるために、くだらないことばかり言っていた。面白くもない会話は、うちとけた危険な話題を恐れるあまり、食べ物の範囲外に出でなかった。ジャンナン夫人は強《し》いて、心にかかってる事柄に話を向けてみた。しかしポアイエ・ドゥロルム夫人から、なんでもない言葉でそれをきっぱりさえぎられた。彼女はもうふたたび言い出す勇気がなかった。
 食事のあとでジャンナン夫人は、娘にピアノを一曲ひかせてその技倆《ぎりょう》を示させようとした。娘は当惑し心が進まないで、ひどく下手《へた》にひいた。ポアイエ家の人たちは退屈して、その終わるのを待った。ポアイエ夫人は皮肉な皺《しわ》を唇《くちびる》に寄せて、自分の娘を見やった。そして音楽があまり長くつづくので、彼女はジャンナン夫人へ取り留めもないことを話しだした。アントアネットはその楽曲の中に迷い込んでいて、ある箇所では先をつづける代わりに初めをくり返し、もうひき終えるにも終えられなくなってるのに、みずから気づいてまごついたが、しまいにぴったりひきやめて、正しくない和音を二度ひき、間違った和音をも一つつけ加えて、それで終わりとしてしまった。ポアイエ氏は言った。
「すてきだ!」
 そして彼はコーヒーを求めた。
 ポアイエ夫人は、自分の娘はピュノーについて稽古《けいこ》を受けてると言った。「ピュノーに稽古を受けてる」令嬢は、言った。
「たいへんお上手《じょうず》ね、あなたは。」
 そしてアントアネットがどこで学んだか尋ねた。
 会話は困難になってきた。客間の装飾品やポアイエの夫人令嬢らの服装など、興味ある話題は話しつくされてしまっていた。ジャンナン夫人は心の中でくり返した。
「今が話すときだ。話さなければならない……。」
 そして彼女はもじもじしていた。ついに元気を出して話そうと決心しかけると、ポアイエ夫人はちょうどそのおりに、残念だが私どもは九時半に出かけなければならないと、別に許しを求めようともしない調子で言い出した。遅らすことのできない招待を受けてるのだった……。ジャンナンの人たちは気を悪くして、すぐに立ち上がって帰ろうとした。ポアイエの人たちは引き留めるような様子をした。
 しかしそれから十四、五分たって、だれかが訪れてきた。ポアイエ家の知人で、下の階に住んでる人たちであることを、下男が知らしてきた。ポアイエと夫人とは目配せをし、召使らに向かってあわただしくささやいた。ポアイエは何か訳のわからない口実を言いたてながら、ジャンナンの人たちを隣の室に移らせた。(自分の名折れとなる親戚があることを、ことにそれが押しかけて来てることを、彼は友人らに隠したがっていたのである。)ジャンナンの人たちは、火のない室に置きざりにされた。子供たちはその恥辱に憤慨した。アントアネットは眼に涙を浮かべて、帰りたがった。母親は最初それに反対した。けれどあまり長く待たされるので、ついに心をきめた。彼らは帰りかけた。それを下男から知らせられたポアイエは、控え室まで彼らを追っかけてきて、ありふれた文句で弁解をした。彼は引き留めたがってるふうを装っていたが、早く帰ってもらいたがってることは明らかだった。彼は手伝って外套《がいとう》を着せてやり、微笑や握手や小声の愛嬌《あいきょう》などを振りまきながら、入口の方へ彼らを導き、そして外へ追い出した。――旅館へ帰ると、子供たちは口惜《くや》し涙にくれた。アントアネットはじだんだふみながら、もうあんな人たちの家へ足を踏み入れるものかと断言した。
 ジャンナン夫人は、植物園の近くに、五階の一部屋を借りた。居室はみな、薄暗い中庭の汚ない壁に向かっていた。茶の間と客間とは――(ジャンナン夫人はぜひとも客間をほしがっていたのである)――人通りの多い街路に面していた。毎日、蒸気馬車が通り過ぎ、また葬式馬車が列をなして、イヴリーの墓地へはいり込んでいった。虱《しらみ》だらけのイタリー人らが、汚ない子供を連れて、ぼんやり腰掛にすわったり、荒々しく言い争ったりしていた。あまり騒々しいので、窓を開《あ》けておくことができなかった。そして夕方、家に帰ってくるときには、忙しげな臭い人波を押し分け、舗石も泥だらけの込み合った街路を横切り、隣家の一階にある厭《いや》なビール飲み場の前を通らなければならなかった。そのビール飲み場の入口には、黄色い髪の毛をし、脂《あぶら》や白粉《おしろい》をぬりたてた、大きなでっぷりした女どもが、卑しい眼つきで通行人をうかがっていた。
 ジャンナン一家のわずかな金はまたたくまになくなっていった。毎晩財布の中がますますむなしくなってるのを見ると、彼らは胸迫る思いがした。つつましい生活をしようとしたができなかった。それは一つの学問であって、子供のときから実行していなければ、学ぶのに幾年もの困難を経なければならない。生来経済家でない者は、経済家たらんとして時間をつぶしてしまう。金のいる新しい場合に臨むと、それに打ち負けてしまう。倹約はいつもこのつぎこのつぎへと延ばされる。そして偶然、わずかなものを儲《もう》けるかあるいは儲けたと信ずるときには、それを口実にすぐいろんなことに金を費やして、その全額は儲けの十倍にもなってしまいがちである。
 数週間たつと、ジャンナン一家の資力はつきはててしまった。ジャンナン夫人は、残りの自尊心をも捨てなければならなかった。彼女は子供たちに知らせないで、ポアイエに金の無心をしに行った。彼女はくふうして、彼一人にその事務所で会った。生活できるだけの地位を見出すまで、金を少し拝借したいと願った。ポアイエは気が弱くかなり人情深かったので、返事を延ばそうとしたあとですぐに心がくじけた。一時の感動を制しきれずに二百フラン貸し与えた。がもとよりその感動を、彼はすぐに後悔した――ことに、夫の気弱さと妹の奸策《かんさく》とに腹をたてたポアイエ夫人を、いろいろなだめなければならなかったときに。

 ジャンナン一家の者は、仕事の月を見つけるために、パリーじゅうを駆け回って日々を過ごした。ジャンナン夫人は田舎《いなか》の物持ち一流の偏見にとらわれていて、「高尚」だと言われる職業――飯が食えないからそう言われるに違いないのだが――それより他の職業につくことを、自分にもまた子供たちにも許すことができなかった。娘が家庭教師としてある家庭にはいることさえ、許しがたく思われるのだった。不名誉でないと彼女に思われるものは、国家に仕える公職しかなかった。でオリヴィエが教師となるためにその教育を終えるだけの方法を、なんとか講じなければならなかった。アントアネットについては、何かの学校にはいって教鞭《きょうべん》を取らせるか、あるいは音楽学校にはいってピアノの賞金を得させるかが、ジャンナン夫人の望みだった。しかし彼女が聞き合わせた学校にはみな教師がそろっていて、しかも、取るに足らぬ初等免状をもってる娘より、ずっと違った資格をもってる者ばかりだった。また音楽の方面においては、衆にぬきんでることさえできないでいる他の多くの者の才能に比べても、アントアネットの才能はしごく平凡なものであることを、認めないわけにはゆかなかった。ジャンナン一家の者は、恐ろしい生存競争を見出し、また、パリーが使い道のない大小の才能をやたらに蕩尽《とうじん》してることを見出したのであった。
 二人の子供は落胆して、自分の価値をひどく見下げた。彼らは自分をつまらない者だと思った。それをみずから証明し母親にも証明しようとあせった。田舎《いなか》の学校でたやすく秀才となり得ていたオリヴィエも、種々の難儀に圧倒されて、天分をことごとく失ってしまったかのようだった。新たにはいった中学校で首尾よく給費生になり得たが、最初のうちは級別が不運だったので、給費生の資格を取り上げられた。彼はまったく自分は馬鹿だと考えた。同時に彼はまた、パリーが厭《いや》だった。うようよしてる人込みや、仲間の者らの汚ない不品行や、彼らのみだらな話や、彼にも忌まわしいことを勧めずにはおかない数名の者らの獣性などが、厭でたまらなかった。軽蔑《けいべつ》の意を彼らに言ってやるだけの力さえなかった。彼らの堕落を考えるだけで自分も堕落する気がした。彼は母や姉とともに祈祷《きとう》のうちに逃げ込んだ。彼ら三人の潔白な心には、日ごとに受ける内心の失意や屈辱なども、一つの汚れだと思われてたがいに語り合うこともできず、夜になるといつもいっしょに、熱心な祈祷をするのであった。しかしオリヴィエの信仰は、パリーで呼吸される潜在的な無神論の精神に触れて、みずから気づかないうちにすでにこわれ始めていた。ま新しい漆喰《しっくい》が雨に打たれて、壁からはげ落ちるのと同じだった。彼はなお信じつづけてはいた。しかし彼の周囲には神が死にかかっていた。
 母と姉とは無駄《むだ》な奔走をつづけていた。ジャンナン夫人はまたポアイエ家を訪れた。ポアイエ家の人々は彼らを厄介《やっかい》払いしたがって、地位を見出してやった。ジャンナン夫人の方は、南方で冬を過ごしてるある老貴婦人の家に、朗読者としてはいることだった。アントアネットの方は、一年じゅう田舎《いなか》に住んでいるフランス西部のある家庭に、家庭教師として雇われることだった。条件はさほど悪くなかった。しかしジャンナン夫人は断わった。彼女が反対したのは、自分が他人に使われるという屈辱よりもさらに、娘がそういう地位に陥るということであり、ことに自分のもとから娘が遠く離れるということであった。いかに不幸であっても、そしてまた、不幸であるからこそ、彼らはいっしょにいたかったのである。――ポアイエ夫人はそれをごく悪く取った。生活の方法がないときには高ぶってはいけない、と彼女は言った。ジャンナン夫人は、彼女の心なしをとがめずにはいられなかった。ポアイエ夫人は、破産のことやジャンナン夫人が借りていった金について、ひどいことを言いたてた。二人は和解の道のない喧嘩《けんか》別れをした。関係はすべて絶えてしまった。ジャンナン夫人はもう一つの願いしかもたなかった、借りた金を返済すること。しかしそれが彼女にはできなかった。
 無益な運動がつづけられた。幾度もジャンナン氏の世話になった同県の代議士と上院議員とを、ジャンナン夫人は訪問した。しかしどこへ行っても忘恩と利己主義とにぶつかった。代議士は手紙へ返事もくれなかった。彼女が自分で訪れてゆくと、不在だとの答えだった。上院議員は彼女の境遇に粗雑な同情を寄せた口のきき方をし、その境遇も「あの悪いジャンナン」のせいだとして、ジャンナンの自殺を手きびしく非難した。ジャンナン夫人は夫を弁護した。上院議員は言い進んだ。銀行家のあの行動は不正直から出たことではないが、愚昧《ぐまい》から出たことは明らかである。彼は馬鹿者であり迂闊者《うかつもの》であって、だれにも相談せず、だれの意見にも耳を傾けず、自分一人の考えでばかり事を行なおうとしたのだ。それでも、彼が一人で没落したのなら、何も言うことはない。当然のことだから。しかし――他人をも没落のうちに引き込んだことは言うまでもなく――妻と子供たちとを困窮のうちに投じておいて、なんとかやってゆくままに打ち捨てて置きざりにしたこと……それは、聖者のようなジャンナン夫人の眼から見たら許されもしようが、しかしこの上院議員は、聖者(saint)ではなくて、単に健全(sain)なる人間――健全で思慮あり理性ある人間――であることを誇りとしているので、許すべきなんらの理由をももってはいない。そんな場合に自殺するような男は、悪い奴《やつ》だというべきである。ただジャンナンを弁護し得る唯一の酌量すべき事情は、彼にまったく責任があるのではなかったということである。そこで、上院議員はジャンナン夫人に向かって、彼女の夫について多少|苛酷《かこく》な言い方をしたことを詫《わ》び、それも実は彼女に同情したからのことであると言い、そして引き出しを開きながら、五十フランの紙幣――施与――を差出した。それを彼女は拒絶した。
 彼女はある官省に職を求めようとした。が彼女の奔走は拙劣だったし連絡が欠けていた。一度奔走するにもある限りの勇気を費やした。そしてはがっかりしてもどって来、数日間身を動かすだけの力もなかった。ふたたび奔走しだすときにはもう時機遅れだった。また教会の人たちからも助力は得られなかった。彼らは彼女を助けることに利益を見出さなかったし、また、明らかに反僧侶《はんそうりょ》主義の主人をもっていた零落してる家族に、同情の念を起こさなかったのである。幾多の努力の後にジャンナン夫人が見出し得たものは、ある修道院におけるピアノ教師の地位――ひどく給料の少ないありがたくもない職業――であった。彼女はなおも少し稼《かせ》ぐために、晩にはある筆耕取次所の仕事をした。そこの人たちはきわめて手きびしかった。彼女の筆跡はまずかったし、またいくら注意しても、うっかり一語落としたり一行飛び越したりして――(それほど彼女は他の種々なことを考えていた)――ひどい小言をくった。そして夜中ごろまで書きつづけて、眼を真赤《まっか》にして身体を疲らしきった後、書き上げたものが受け付けられないこともあった。彼女は途方にくれてもどってきた。どうしていいかわからないで、幾日も溜息《ためいき》ばかりもらしていた。長い前から苦しんでいた心臓の病が、難儀のために重くなって、不吉な予感を彼女に覚えさせた。ときとするともう死にかかってるかのように、胸が苦しくなったり息がつまったりした。出かけるときにはいつも、もしや往来で倒れるようなことになったらと思って、名前と住所を書いてポケットに入れておいた。もしここで死んだらどうなるだろう? アントアネットは無理にも平気を装いながら、できるだけ母を支持していた。身体を大事にするように母へ勧め、自分を代わりに働かしてくれと頼んだ。しかしジャンナン夫人は、自分が今苦しんでる屈辱をせめて娘には経験させまいということを、自分の最後のわずかな誇りとしていた。
 彼女は刻苦精励しなおその上に費用を節約したが、それでもうまくゆかなかった。彼女の所得だけでは一家の生活をささえるに足りなかった。取って置いた数個の宝石をも売らなければならなかった。そしてもっとも不幸なことは、必要に迫ってるその金を、ジャンナン夫人は手にしたその日に盗まれてしまった。憐《あわ》れにも彼女はいつもうっかりしていて、外に出たついでにふと思いついて、その筋道に当たる勧工場《かんこうば》へはいってみた。翌日がちょうどアントアネットの誕生日に当たるので、何かちょっとした物を買ってやりたかった。彼女は失わないようにと金入れを手に握っていた。そしてある品物をよく見るときに、手の金入れをちょっと勘定台の上に何気なく置いた。ところがそれをまた手に取ろうとすると、金入れはもうなくなっていた。――それは最後の打撃だった。
 それから二、三日後、八月末の息苦しい晩――蒸し暑い濃い靄《もや》が都会の上に重くたなびいていた晩――ジャンナン夫人は、筆耕取次所に急ぎの仕事を渡してもどって来た。夕食の時間に遅れていたが、三スーの乗合馬車賃を倹約して歩いた。子供たちが心配してやすまいかと気づかってあまり急いだので、すっかり疲れきってしまった。五階の住居へ着いたときには、もう口をきくことも息をすることもできなかった。彼女がそういう状態でもどってくるのは、それが初めてではなかった。子供たちはもうそれに驚かなくなっていた。彼らといっしょに彼女は無理にすぐ食卓へついた。暑苦しくて子供たちは二人とも食べ物が喉《のど》に通らなかった。肉の切れや味のない水を二口三口いやいや飲み込むのも、やっとのことだった。気分がなおる余裕を母に与えるため話もしなかった――(話したくもなかった)――そして窓をながめていた。
 突然ジャンナン夫人は、両手を動かし、食卓へしがみつき、子供たちをながめ、うめき声を出し、そしてがっくりとなった。アントアネットとオリヴィエはそのまに駆け寄って、彼女を腕に抱き止めた。二人は狂人のようになって、叫び願った。
「お母《かあ》さん! ねえお母さん!」
 しかし彼女はもう返辞をしなかった。子供たちは思慮を失った。アントアネットは母の身体をひしと抱きしめ、接吻《せっぷん》をし名を呼んだ。オリヴィエは部屋の扉《とびら》を開いて叫んだ。
「助けて――!」
 門番の女が階段を上って来た。そして様子を見て取ると、近くの医者へ駆けていった。しかし医者が来たときには、もう駄目《だめ》だと認めるよりほかはなかった。頓死《とんし》だった――ジャンナン夫人にとっては仕合わせというべきである――(たとい、みずから死ぬことを見て取りながら、またかかる困窮のうちに子供たちだけを置きざりにしながら、彼女がその臨終のわずかな瞬間にどういうことを考えたかは、だれにもわかりはしないけれど……)。

 その災厄《さいやく》の恐ろしさを忍ぶにも二人きりだったし、泣くにも二人きりだったし、死のつぎに来る堪えがたい仕事に気を配るにも二人きりだった。親切な門番の女が、彼らを少し助けてくれた。ジャンナン夫人が稽古《けいこ》を授けていた修道院からは、冷やかな同情の数語がよこされた。
 初めのうちは、名状しがたい絶望のみだった。二人を救ってくれた唯一のものは、過度の絶望そのものだった。オリヴィエはほんとうの痙攣《けいれん》状態に陥った。そのためアントアネットは自分の苦しみから気がそらされた。彼女はもう弟のことしか考えなかった。その深い愛情はオリヴィエの心に沁《し》み通り、彼が苦悶《くもん》のあまり危険な逆上に陥ることを防いだ。母親の遺骸《いがい》が休らってる寝台のそばで、小さなランプの光の下で、二人はたがいに抱き合っていた。死ぬよりほかはない、二人とも、すぐに、死ぬよりほかはない、とオリヴィエはくり返した。そして窓をさし示した。アントアネットもまたその痛ましい願望を感じていた。しかし彼女はそれと闘《たたか》った。彼女は生きたかった……。
「生きて何になるんだ?」
「この方《かた》のためによ。」とアントアネットは言った(彼女は母を指《さ》し示していた。)――「この方はやはり私たちといっしょにいらっしゃるわ。考えてごらんなさい……私たちのためにさんざんお苦しみなすったのだから、いちばんひどい苦しみ、私たちが不仕合わせで死ぬのをご覧なさるという苦しみは、ああ、おかけしないようにしなければいけません……。」と彼女は感情に激して言った。「……それに、そんな諦《あきら》め方をしてはいけません! 私はいやよ。私はどうあっても逆《さか》らうわ。あなたがいつかは幸福になることを、私望んでるのよ。」
「幸福になるものか!」
「いいえきっとなってよ。私たちはあんまり不幸だったわ。今に変わってくるわ。変わるに違いないわ。あなたは生活を立ててゆき、家庭をもち、幸福になるでしょう。それが、それが私の望みよ!」
「どうして生きてゆけるの? 私たちにはとてもできない……。」
「できますとも。なんだと思ってるの? あなたが自活できるようになるまでの間のことよ。私が引き受けるわ。見ててごらんなさい、私がやってみせるから。ああ、お母《かあ》さんが私のするとおりに任しててくだすったら、もうちゃんとできてたのに……。」
「何をするつもりなの? 私は姉《ねえ》さんに恥ずかしいことをさせたくない。それに姉さんにはできやしない……。」
「できますよ……。働いて生活をするのは――正直でさえあれば――少しも恥じることはありません。心配しないでちょうだい、お願いだから。見ててごらんなさい。万事うまくいきます。あなたは幸福になります。私たちは幸福になります。ねえオリヴィエ、この方[#「この方」に傍点]も私たちのせいで幸福になります……。」
 二人の子供だけが母の柩《ひつぎ》の供をした。二人はたがいに同じ心から、ポアイエ家へは何にも知らせないことにした。ポアイエ家の人たちは、二人にとってはもはやないも同様だった。母にたいしてあまりに残忍だったし、母の死の一原因だったのである。門番の女から他に親戚はないかと聞かれたとき、二人は答えた。
「だれもありません。」
 あらわな墓穴の前で、二人は手を取り合って祈りをささげた。彼らは絶望的な一徹さと傲慢《ごうまん》さとのうちに堅くなっていて、冷淡で虚偽な親戚らが会葬してくれるよりも、二人きりの寂しさの方が心地よかった。――彼らは人込みの間を分けて歩いて帰った。だれも皆彼らの喪に無関係であり、彼らの考えに無関係であり、彼らの存在に無関係であって、彼らと共通なのは口にする言葉ばかりだった。アントアネットはオリヴィエに腕を取らせていた。
 彼らはその建物の最上階に、ごく小さな部屋を借りた――屋根裏の二室、食堂となる小さな控え室、押し入れくらいな大きさの台所。他の町へ行けばもっといい住居が見つかるかもしれなかった。しかしここに住んでると、彼らはなお母親といっしょにいる心地がするのだった。門番の女は彼らに多少の同情を示してくれた。けれどやがて彼女は自分の仕事に気を取られてしまった。そしてもうだれも彼らに構ってくれなかった。同じ建物に借家してる人たちで、彼らを知ってる者は一人もなかった。そして彼らの方でも、隣にだれが住んでるかさえ知らなかった。
 アントアネットは母の跡を継いで、修道院の音楽教師となることができた。そしてなお他にも稽古《けいこ》の口を捜した。彼女はただ一つのことしか考えていなかった、弟を育てて師範学校に入れること。彼女は一人でそうきめていた。要項を調べ、種々聞き合わせ、オリヴィエの意見をも尋ねてみた――が彼はなんの意見ももたなかったので、彼女が代わって決定してやったのだった。一度師範学校にはいれば、生涯《しょうがい》パンの心配はいらないし、未来は意のままになるはずだった。そこまで彼が到達することが必要だった。それまではどうしても生活してゆくことが必要だった。五、六年の恐ろしい間だった。がどうにかやりとげられるはずだった。そういう考えがアントアネットのうちで異常な力となって、ついに彼女の心をすっかり満たしてしまった。今後の孤独な惨《みじ》めな生活は、彼女の眼にもはっきり前方に広がって見えていたが、その生活をあえてなし得るのも、彼女の心を占めてる熱烈な感激のゆえであった。弟を救ってやり、もはや自分は幸福になれなくとも、弟を幸福にしてやるという、その感激のゆえであった……。この十七、八歳の浮き浮きしたやさしい小娘は、勇ましい決心のために一変してしまった。だれも気づかなかったし、彼女自身もさらに気づかなかったが、献身の情熱と奮闘の慢《おご》りとが彼女のうちにあった。女の危険な年ごろには、かの熱っぽい春の初めのころには、多くの愛情の力が、あたかも地下に音をたててる隠れた泉のように、一身を満たし浸し包みおぼらして、絶えざる迷執の状態に陥《おとしい》れるものであるが、そのとき愛情はあらゆる形で現われる。そしてただ、自己を与え自己を他人の糧《かて》に供することしか求めない。何かの口実がありさえすれば、その清浄な深い肉欲は、ただちにあらゆる犠牲心へ変化しようとしている。愛情はアントアネットをして友愛の餌食《えじき》たらしめた。
 弟は彼女ほど情熱的ではなかったから、そういう動力をもたなかった。そのうえ、彼のために向こうから身をささげてくれるのであって、彼の方から身をささげてるのではなかった――愛するときにはこの方がずっと気楽であり楽しいものである。けれど彼は、自分のために姉が刻苦してるのを見ると、重苦しい呵責《かしゃく》の念を感ずるのだった。彼はそのことを姉に言った。姉は答えた。
「まあお気の毒ね! 私が生きがいを感じてるのはそのためだということが、あなたにはわからないの。あなたのために苦労してるということがなかったら、私になんで生きてる理由が他《ほか》にありましょうか。」
 彼にはそのことがよくわかっていた。彼がもしアントアネットの地位にあったら、彼もやはりその尊い辛苦をほしがったであろう。しかし、自分が彼女の辛苦の原因であることは!……彼の自尊心と愛情とはそれを苦しんだ。そして、一身に負わせられた責任は、成功の義務は、彼のような弱い者にとってはたまらない重荷であった。姉は彼の学業の成果に自分の生涯《しょうがい》を賭《か》けてるのだった。そういうことを考えるのは、彼には堪えがたかった。そして彼の力を増大させるどころか、時とすると彼を圧倒することもあった。けれどもとにかくそれは、反抗し勉励し生きることを彼に強《し》いた。そういう強制がなかったら、彼はおそらく生きることができなかったかもしれない。敗北――おそらくは自殺――への先天的傾向が彼のうちにはあった。覇気《はき》をいだき幸福であるようにと姉が彼に望まなかったら、彼はその傾向に引きずり込まれたかもしれない。彼は自分の天性が他から逆らわれることを苦しんだ。けれどもそれが結局仕合わせだった。幾多の青年が、官能の錯誤に駆られて、二、三年間の狂愚な行ないのために、全生涯をふたたび回復し得られないほど害して、まったく駄目《だめ》になってしまうあの恐るべき年ごろを、危機の年齢を、彼もまた通っていた。彼がもし自分の考えにふける隙《ひま》があったら、落胆か遊蕩《ゆうとう》かに陥ったかもしれない。彼は自分のうちを内省するたびごとに、病的な夢想に、人生にたいする嫌悪《けんお》、パリーにたいする嫌悪、いっしょに入り交って腐ってゆく無数の人間の、きたない発酵にたいする嫌悪の情に、いつもとらわれるのであった。しかし姉を見ると、その悪夢は消え失《う》せてしまった。そして、彼女は彼を生かさんがためにのみ生きていたから、彼も生きる気になった、心ならずも幸福になりたい気になった……。

 かくて、堅忍と宗教と高尚な願望とでできてる熱い信念の上に、彼らの生活はうち立てられた。二人の子供の全存在は、オリヴィエの成功というただ一つの目的へ向けられた。アントアネットはいかなる仕事をもいかなる屈辱をも甘受した。彼女は方々の家庭教師をした。ほとんど召使同様に取り扱われた。女中みたいに教え子の散歩の供をし、ドイツ語を教えるという名目で、幾時間もいっしょに往来を歩かねばならなかった。そういう精神上の苦痛や肉体上の疲労にも、彼女は弟にたいする愛情によって、また自負心によってまで、一種の享楽を見出すのだった。
 彼女は疲れきってもどって来ながら、オリヴィエの世話をしてやった。オリヴィエは半寄宿生として中学で一日を過ごし、夕方にしか帰って来なかった。彼女は夕食の支度《したく》をした、ガスこんろかアルコールランプかで。オリヴィエはいつも食いたがらなかった。どんな物にも厭気《いやけ》を起こし、なお肉をきらった。無理に食べさせるか、あるいは気に入るちょっとした料理をくふうしなければならなかった。そしてかわいそうにアントアネットは、料理が上手《じょうず》ではなかった。非常に骨折ったあとでも、彼女の料理は食えないと彼から言われるような、悲しい目に出会った。台所のかまどの前の絶望――無器用な若い世帯婦のみが経験する、だれにも知られないところの、生命を毒し時には睡眠をも毒する無言の絶望――それを幾度もくり返したあとにようやく、彼女は少し覚え知ったのだった。
 食事のあとで彼女は、使った少しの皿《さら》を洗ってから――(彼はその仕事を手伝おうとしたが、彼女は承知しなかった)――弟の勉強を母親みたいに監督した。その感じやすい少年の気持を害さないようにいつも注意しながら、学課を暗誦《あんしょう》させ、宿題を読んでやり、調べてやることさえあった。食卓と勉強机とに兼用してるただ一つのテーブルで、二人は晩を過ごした。彼は宿題をし、彼女は縫い物か写し物かをした。彼が寝てしまうと、彼女は彼の服の手入れをしたり、または自分の勉強をした。
 とやかく暮らしてゆくのでさえ非常に困難ではあったが、二人はたがいに心を合わして、貯《たくわ》えることのできる金はまず何よりも、母がポアイエ家から借りてる負債を返すのにあてることとした。それはポアイエ家の人たちがうるさい債権者だからというのではなかった。彼らからは風の便《たよ》りもなかった。彼らはその貸し金をまったく失ったものだと思って、もう念頭においてはいなかった。それだけの金で、不名誉な親戚を厄介《やっかい》払いしたことを、心では喜んでいた。しかし二人の子供の方から言えば、軽蔑《けいべつ》すべきその連中に母親が何かの借りがあることは、自尊心と孝行心との上から苦しかった。二人は不自由を忍び、少しの慰みや服装や食べ物などからわずかなものを節して、借りの二百フランだけになそうとした――それも彼らにとっては大金だった。アントアネットは自分一人だけ不自由を忍ぼうとした。しかし弟は彼女の考えを知ると、ぜひとも同様にせずにはいなかった。彼らは二人ともその仕事に心を尽くして、日に幾スーかを余し得るときはうれしかった。
 倹約を旨としてわずかずつ貯えながら、彼らは三年間に所要の金額に達することができた。非常な喜びだった……。アントアネットはある晩ポアイエ家へ行った。彼女は無愛想に迎えられた。援助を求めに来たと思われたのだった。彼らは機先を制するのが得策だと考えて、少しも便りをしなかったこと、母親の死を知らせもしなかったこと、用のあるときにしか顔を出さないこと、などを冷やかに彼女へ責めた。彼女はそれをさえぎって、迷惑をかけるつもりで来たのではないと言った。借りた金をもって来たまでのことだと言った。そしてテーブルの上に二枚の紙幣を置きながら、返済証を求めた。彼らはすぐに態度を変え、そして受け取りたくないふうを装った。数年たってから、もはや当てにしていない金を返しに来る債務者にたいして、債権者がにわかに感ずるあの愛情を、彼らは彼女にたいして覚えたのだった。弟といっしょにどこに住んでるか、どういうふうに暮らしてるか、などと彼らは尋ねかけてきた。彼女は答えを避け、ふたたび返済証を求め、急いでると言い、冷やかに挨拶《あいさつ》をし、そして立ち去った。ポアイエの人たちは、彼女のそういう恩知らずの態度を憤慨した。
 かくてアントアネットは心にかかってた思いを晴らしたが、やはり同じ倹約の生活をつづけた。それも今では弟のためにだった。ただ彼女は、弟に知られまいといっそう隠しぬいた。自分の身のまわりを節約し、ときには食べ物を節してまで、弟の服装《みなり》や娯楽のためをはかり、その生活を多少なりと楽しく派手やかにしてやり、ときには音楽会や音楽劇に行くこと――それがオリヴィエの最大の喜びだった――を得させようとした。彼は姉を連れずに一人で行くことを好まなかった。しかし彼女は種々な口実を設けて、いっしょに行かないようにし、また彼に心苦しい思いをさせないようにした。たいへん疲れてると言ったり、外に出かけたくないと言った。音楽は退屈だとまで言った。彼はそういう愛情のこもった嘘《うそ》にだまされはしなかった。しかし年少の利己心に打ち負けた。彼は劇場へ行った。が一度そこへはいると自責の念にとらえられた。見物してる間そのことばかり考えていた。彼の喜びは害されるのだった。ある日曜日に、彼は姉に勧められてシャートレー座の音楽会へ出かけたが、三十分ばかりするともどって来た。サン・ミシェル橋まで行くと、もうそれより先へ行く勇気がなくなった、と彼はアントアネットへ言った。アントアネットにとっては、弟が自分のために日曜の娯楽を廃してしまったことは、悲しくもあったがまた非常に心うれしかった。オリヴィエは別に遺憾とはしなかった。家にもどって来て、姉の顔が包みきれぬ喜びに輝くのを見ると、いかにりっぱな音楽を聴《き》くよりもいっそう幸福な気がした。二人はその日曜の午後を、窓のそばに向き合ってすわりながら過ごした。彼は書物を手にし彼女は仕事を手にしていたが、どちらもほとんど縫いも読みもせず、たがいの身に関係のないなんでもないことを話し合った。かつて日曜がこんなに楽しく思われたことはなかった。これから二人いっしょでなければ音楽会へも行かないという気になった。もはや二人は一人一人で幸福を味わうことができなくなった。
 彼女はひそかに倹約しながら、ピアノを一つ借りるだけの金をためて、オリヴィエをびっくりさした。そのピアノは一定の賃貸借の方法で、幾か月かたつとまったく彼らの所有になるはずだった。負担の上にさらにその重い負担を、彼女はあえて担《にな》ったのだった。期限ごとの支払いが夢の中まで気にかかった。必要な金を得るのに彼女は健康をそこなった。しかしそういう熱中は、彼ら二人に非常な幸福をもたらしてくれた。音楽はつらい生活の中における楽園だった。音楽は広大な場所を占めた。彼らは音楽に包まれてその他の世界を忘れた。それには危険が伴わないでもなかった。音楽は近代の大なる害毒物の一つである。暖房のようなまたは頼りない秋のようなその暖かい倦怠《けんたい》は、人の官能をいらだたせ意志を死滅させる。しかしそれは、アントアネットのように喜びのない過度の働きを強《し》いられてる魂にとっては、一つの休息となるのであった。日曜日の音楽会は、たえざる労働の一週間中に輝く唯一の光明だった。この前の音楽会の思い出やつぎの音楽会に行く希望、パリーを忘れ時を忘れて過ごすその二、三時間、それだけで彼らは生きていた。雨の中や雪の中に、あるいは風と寒さとの中に、たがいに身を寄せ合って、もう座席がなくなりはすまいかと恐れながら、外で長く待った後、劇場にはいり込んで狭い薄暗い席につき、群集の中に捜してしまった。息をさえぎられ四方から押しつけられて、ときとすると暑さと窮屈さとに気分が悪くなりかかることもあった。――が二人は楽しかった。自分の幸福と相手の幸福とに楽しかった。ベートーヴェンやワグナーなどの偉大な魂から流れ出る、善良と光明と力との波が心の中に注ぎ込むのを感じて楽しかった。愛する同胞《はらから》の顔――あまりに年若くてなめた労苦や心労のために蒼《あお》ざめてるその顔――が輝き出すのを見て楽しかった。アントアネットはぐったりしていて、母親から両腕で胸に抱きしめられてるような心地がしていた。そのやさしい温《あたた》かい巣の中にうずくまっていた。そしてひそかに泣いていた。オリヴィエは彼女の手を握りしめていた。その恐ろしい広間の暗がりの中で、彼らに注意を向けてる者は一人もなかった。が、その暗がりの中で、音楽の母性的な翼の下に逃げ込んでる傷ついた魂は、彼ら二人きりではなかった。
 アントアネットはまた信仰をもっていて、いつもそれから支持されていた。彼女はきわめて敬虔《けいけん》であって、毎日欠かさず長い熱心な祈祷《きとう》をなし、日曜日には欠かさずミサに行った。不当な惨《みじ》めな生活の中にあって彼女は、人とともに苦しみ他日人を慰めてくれる聖なる友[#「聖なる友」に傍点]の愛を、信ぜずにはいられなかった。また神よりもなおいっそう、自家の故人たちと心を通わせていて、自分のあらゆる苦難をひそかに彼らへ打ち明けていた。しかし彼女は独立の精神と堅固な理性とをもっていた。他のカトリック教徒らから離れていて、彼らからあまりよくは見られていなかった。彼らは彼女のうちに邪悪な精神があるとし、彼女を自由思想家もしくはそれになりかかってる者だと見なしがちだった。なぜなら、彼女は善良なフランス娘として、自分の自由判断を捨てようとはしなかったから。彼女は卑しい家畜みたいに服従心によってではなく、愛によって信仰していたのである。
 オリヴィエはもう信仰をもってはいなかった。パリーでの生活の初めのころからして、次第に信仰から離れていったが、ついにはそれを全然失ってしまった。彼はそれをひどく苦しんだ。彼は信仰なしで済ましてゆけるほど、十分強い人間でも凡庸な人間でもなかった。それで激しい苦悶《くもん》の危機を通ったのだった。しかし彼はなお神秘な心を失わなかった。そして、いかに無信仰になったとはいえ、彼の思想は姉の思想にもっとも近いものだった。彼らはどちらも宗教的|雰囲気《ふんいき》のうちに生きていた。一日離れていたあとで各自に夕方帰ってくると、彼らの小さな部屋は彼らにとって、一つの港であった。貧しくはあるが清浄な犯しがたい避難所であった。彼らはその中にあって、パリーの腐敗した思想から、いかに遠く離れてる心地がしたことだろう!……
 彼らは自分がした事柄については多く話さなかった。疲れて家に帰って来る時には、苦しかった一日のことを話してそれをまた思い起こすことは、好ましくないものである。彼らは知らず知らずに、その日のことをいっしょに忘れようとつとめていた。ことに夕食のおりに顔を合わせてしばらくの間は、たがいに尋ね合うことを差し控えた。ただ眼つきで挨拶《あいさつ》をかわした。ときとすると、食事中一言もいわないことさえあった。アントアネットは弟をながめた。弟は昔小さかったときのように、皿《さら》を前にしてぼんやり考えていた。彼女はその手をやさしくなでてやった。
「さあ、」と彼女は微笑《ほほえ》みながら言った、「しっかりなさいよ。」
 彼も微笑みを浮かべて、また食べ始めた。食事はそういうふうにして終わってゆき、彼らは口をきこうとつとめもしなかった。彼らは沈黙に飢えていた。……しまいに、ようやく休らった心地がし、各相手のつつましい愛情に包まれて、その日のよごれた印象が一身から消え去った心地がするとき、初めて彼らの舌は少しほどけてくるのだった。
 オリヴィエはピアノについた。アントアネットはいつも自分でひかないで、彼にばかりひかせておいた。なぜなら、ピアノをひくのが彼の唯一の慰みだった。そして彼は全力を尽くしてひいた。彼は音楽にたいしてりっぱな天分をそなえていた。活動するよりも愛するのに適した彼の女性的な天性は、自分が演奏する音楽家らの思想にやさしく結びつき、それといっしょに融《と》け合い、そのもっとも微細な色合いをも熱心な忠実さで演奏し出した――がそれも、彼の弱い腕と息との許すかぎりにおいてであって、トリスタン[#「トリスタン」に傍点]やベートーヴェンの後期の奏鳴曲《ソナタ》などをひく非常な努力には、腕は折れそうになり息は絶えだえになるのだった。それで彼は好んで、モーツァルトやグルックのうちに逃げ込んだ。そしてそれらはまた、姉の好きな音楽ででもあった。
 ときとすると、彼女も歌うことがあった。しかしそれはごく単純な歌で、古い旋律《メロディー》のものだった。彼女は重く弱い中音の含み声をもっていた。ごく内気だったので、だれの前でも歌えなかった。オリヴィエの前でさえようやくのことだった。喉《のど》がつまりそうになった。彼女がことに好んでいたものに、スコットランドの言葉でベートーヴェンの曲になった、忠実なるジョニー[#「忠実なるジョニー」に傍点]というのがあった。ごく静かで……底には情愛がこもっていた……。ちょうど彼女の性質に似ていた。オリヴィエは彼女がそれを歌うのを聴くと、いつも眼に涙を浮かべた。
 しかし彼女は弟の演奏を聴く方が好きだった。早く食事の後片付けを終わろうと急いでいた。そしてオリヴィエの演奏をよく聴くために、台所の扉《とびら》を開《あ》け放しておいた。彼女は非常に注意していたけれども、彼は我慢しかねて、皿を片付ける音がすると不平を言った。すると彼女は扉を閉《し》めた。後片付けを終わると、やって来て低い椅子《いす》にすわった。それもピアノのそばにではなく――(なぜなら、彼は演奏中そばにだれかがいることを許し得なかった)――暖炉のそばにであった。そしてそこで、子|猫《ねこ》のようにかがみ込み、背をピアノの方に向け、一塊の練炭が音もなく燃えつきてゆく炉の赤い輝きに眼をすえながら、過去の事柄をうっとりと思い浮かべていた。九時が打つと彼女は無理にも、もうよす時間だとオリヴィエに知らせなければならなかった。彼にその演奏をやめさせるのはつらいことだったし、また自分もその夢想から覚めるのはつらいことだった。しかしオリヴィエにはまだ晩の勉強が残っていたし、寝るのがあまり遅れてもいけなかった。けれど彼はすぐには言うことをきかなかった。音楽をやめて真面目《まじめ》に仕事にかかるには、いつもしばらく時がかかった。彼の考えは他の方面へうろついていた。そのぼんやりした心持から脱しないうちに、三十分が鳴ることがしばしばだった。アントアネットは机の向こう側で、かがみ込んで仕事をしながらも、彼が何にもしていないことを知っていた。けれど、彼を監視してるようなふうをしながら、彼の気分をいらだたせはすまいかと恐れて、あまり彼の方をのぞき込むことができなかった。
 彼はその日々をとりとめもなく過ごしてゆく自由気ままな年齢――幸福な年齢――に達していた。清らかな額《ひたい》、ときどき黒い隈《くま》で縁取られる、ずるそうな率直な娘らしい眼、大きな口、その唇《くちびる》は乳飲み子のようにふくれ上がって、悪戯児《いたずらっこ》らしい上の空のぼんやりした多少ゆがみ加減の微笑を浮かべるのだった。多すぎる髪は、眼のところまでたれていて、首筋のところでは髻《もとどり》のようになり、かたい一|房《ふさ》の毛は後ろへ巻き上がっていた。首のまわりにゆるいネクタイ――(姉がそれを毎朝丁寧に結んでくれた)――短い上着、そのボタンはいくら姉から縫いつけてもらってもすぐに取れた。カフスはつけなかった。手首の骨立った大きい手をしていた。嘲笑《ちょうしょう》的な眠たそうな恍惚《こうこつ》とした様子で、いつまでもぼんやりしていた。つまらぬことをも面白がるその眼は、アントアネットの室の中を見回していた――(勉強の机はアントアネットの室に置いてあるのだった)――黄楊《つげ》の小枝といっしょに象牙《ぞうげ》の十字架が上方にかかってる、鉄の小さな寝台――父や母の肖像――塔と鏡のような池とをもった田舎《いなか》の町を示してる古い写真、などの上に彼の眼は落ちた。それから、黙って仕事をしてる姉の蒼《あお》ざめた顔を見ると、彼女にたいする深い憐憫《れんびん》と自分自身にたいする腹だちとに、彼はとらわれるのだった。そこで彼ははっと我に返って、ぼんやりしてたことをいらだった。そして元気に勉強を始めて、無駄《むだ》にした時間を取り返そうとした。
 休みの日には書物を読んだ。二人は別々に読んだ。たがいに愛情をいだいてはいたけれど、同じ書物を声高くいっしょに読むことはできなかった。慎みが足りないように思われて厭《いや》だった。りっぱな書物は、心の沈黙のうちにのみささやかるべき秘密のようだった。あるページが非常に面白いときには、彼らはそれを相手に読んできかせはしないで、その部分に指をあてて書物を渡し合った。そして言った。
「読んでごらんなさい。」
 そして一人が読んでる間、それを読んでしまった方は、眼を輝かしながら、相手の顔に現われる情緒を見守っていた。そしていっしょにその情緒を楽しんだ。
 しかし多くは、書物を前にして肱《ひじ》をつきながら、別に読もうともしなかった。二人は話をした。ことに夜がふけてくるにつれて、ますます心の中のことをうち明けたくなり、口がききやすくなっていった。オリヴィエは悲しい考えをいだいていた。弱い男である彼は、他人の胸に自分の悩みを注ぎ込んで、その悩みからのがれる必要があった。彼は種々の疑惑に苦しめられていた。アントアネットは彼を励まし、その弱点にたいして彼を保護してやらねばならなかった。それは毎日くり返される不断の闘《たたか》いだった。オリヴィエは苦々《にがにが》しい痛ましい事柄を口にした。言ってしまうとほっとした。そういう事柄がこんどは姉を苦しめてるかどうかは、気にかけて知ろうともしなかった。いかに姉をがっかりさしてるかは、ずっとあとになって気づいた。彼は姉の力を奪ってしまい、自分の疑惑を姉のうちにしみ込ませてるのだった。がアントアネットはそういう様子を少しも見せなかった。生まれつき勇敢で快活であったから、もう長い前から快活さを失ったあとでもなお、強《し》いてうわべだけはそれを装っていた。ときとすると深い倦怠《けんたい》に襲われ、みずから決心してる一生犠牲の生活に反発心が起こることもあった。しかし彼女はそういう考えをしりぞけ、そういう考えを分析しようとしなかった。心ならずも起こってくる考えであって、それを容認してるのではなかった。そして祈祷《きとう》の力で助けられた。ただ、心が祈り得ない時――(そういうこともあった)――心が乾《かわ》ききってしまったようなときは、そうはいかなかった。いらいらして自分を恥じながら、神の恵みがふたたび来るのを黙って待つよりほかはなかった。オリヴィエはかつてそうした苦悩に気づかなかった。そういうときにアントアネットは、いつも何かの口実を設けて、彼のもとから離れるか自分の室に閉じこもるかした。そして危機が過ぎ去ったときにしか出て来なかった。出て来るときには、苦しんだことを悔いてるかのように、にこやかでなやましげで前よりいっそう優しかった。
 二人の室は隣り合っていた。たがいの寝台は一つの壁の両側にくっついていた。壁越しに低声で話ができた。眠れないときには、壁をそっとこつこつたたいて言った。
「眠ったの。私は眠れない。」
 仕切りの壁は非常に薄かったので、二人は同じ床に清浄な添い寝をしてる友だちに等しかった。しかし両方の室の間の扉《とびら》は、本能的な深い貞節さで――聖《きよ》い感情で――夜の間いつも閉《し》め切られていた。開け放してあるのは、オリヴィエが病気のときだけだった。それがまたごくしばしば起こった。
 彼の虚弱な身体は、なかなか丈夫にならなかった。かえってますます弱くなるかと思われた。喉《のど》や胸や頭や心臓をたえず悩んだ。ちょっとした風邪《かぜ》も気管支炎に変ずる恐れがあった。猩紅熱《しょうこうねつ》にかかって死にかかったこともあった。たとい病気でなくても、重い病気の変な徴候を現わして、ただ幸いにも発病していないのだと思わせた。肺や心臓のある部分に痛みを覚えた。ある日医者は彼を診察して、心嚢炎《しんのうえん》か肺炎かの徴候があると言った。つぎに専門の大家に診《み》てもらったが、やはりそういう徴候だと断定された。けれども別に病気は起こらなかった。要するに彼のうちで病気なのは、ことに神経であった。そして人の知ってるとおり、そういう種類の悩みはもっとも予想外な形で現われる。それから不安な数日を過ごすともう癒《なお》っている。しかしアントアネットにとっては、それがどんなにかつらいことだった。幾晩も眠れなかった。しばしば起き上がって、扉越しに弟の息づかいをうかがったが、寝床の中でも突然恐怖にとらえられた。弟が死にかかってるのだと考えた。それがはっきりわかっている。確かにそうだ。彼女は震えながら身を起こし、両手を合わせ、それを握りしめ、それを口に押しあてて声をたてまいとした。
「神様、神様!」と彼女は懇願した、「私から弟を奪わないでくださいませ。いいえ、あなたはそんな……そんなことをなさってはいけません!……お願いです、お願いですから。……おうお母《かあ》様! 私を助けに来てくださいませ。弟を助けて、生かしておいてくださいませ!……」
 彼女は全身を緊張さしていた。
「ああ、こんなに努めてきたあとに、ようやく成功しかけたときに、これから幸福になろうとするときに、中途で死ぬとは……。いいえ、そんなことがあるものですか、それはあまりひどすぎます!……」

 オリヴィエはやがて、他の心配をも姉に与えることとなった。
 彼は姉と同様にまったく清浄だったが、意志が弱くて、それに、あまり自由な複雑な知力をもっていたので、多少曖昧《あいまい》で懐疑的で、悪だと知ってる事柄にも寛大であって、快楽にひかされていた。アントアネットはきわめて純潔だったから、弟の精神中に起こってることを長く知らないでいた。がある日突然気づいた。
 オリヴィエは彼女が外出してることと思っていた。通例その時刻に彼女は出稽古《でげいこ》をしていた。ところがつい少し前に、彼女は弟子《でし》から一言の手紙を受けて、今日は来ていただかなくてもよいと知らせられた。それは乏しい予算から数フラン引き去ることではあったが、彼女はひそかにうれしかった。そしてたいへん疲れていたので寝床に横たわった。気がとがめずに一日休息し得るのが楽しかった。オリヴィエが学校から帰って来た。友人が一人ついてきた。彼らは隣室にすわり込んで話しだした。その言葉がすっかり聞き取れた。彼ら二人きりだと思って遠慮していなかった。アントアネットは微笑《ほほえ》みながら、弟の快活な声に耳を傾けた。がやがて、彼女は微笑をやめた。血のめぐりが止まったかと思われた。彼らは生々《なまなま》しい嫌《いや》な言葉でひどい事柄を話していた。それを喜んでるがようだった。オリヴィエの、あのかわいいオリヴィエの、笑い声が聞こえた、潔白だと信じていた彼の唇《くちびる》から、聞くもぞっとするはど嫌な、卑猥《ひわい》な言葉が漏れた。彼女は鋭い苦悩に身内を貫かれた。それが長くつづいた。彼らは話に飽きなかった。そして彼女は耳を貸さずにはいられなかった。しまいに彼らは出かけた。アントアネット一人残った。すると涙が出てきた。心の中のあるものが滅びてしまった。自分の弟――自分の子供――についてこしらえていた理想の幻が、汚れてしまったのである。それは致命的な苦しみだった。晩に顔を合わせたとき、彼女はそれについて弟に何も言わなかった。彼は彼女が泣いたのを見てとったが、その訳を知ることができなかった。どうして自分にたいする彼女の態度が変わったか、理由がわからなかった。彼女が自分を制し得るまでにはしばらく時がかかった。
 しかし、彼が彼女に与えたもっとも痛ましい打撃は、ある夜家をあけたことだった。彼女は寝ないで一晩じゅう待ち明かした。そのために彼女が苦しんだのは、精神上の純潔さにおいてばかりではなく、心のもっとも神秘な奥底――恐ろしい感情がうごめいてる深い奥底においてまでだった。その奥底を彼女は見まいとして、取り除くことを許さない被《おお》いを上に投げかけた。
 オリヴィエはことに自分の独立を断言してやろうと思っていた。朝になると、取り澄ました態度を装いながらもどってきて、もしなんとか言われたら横柄《おうへい》な答えをするつもりだった。彼女の眼を覚《さ》まさないように爪先《つまさき》立って部屋にはいってきた。しかし見ると、彼女は起きたまま彼を待っていて、蒼《あお》ざめて眼を真赤《まっか》に泣きはらしていた。彼に少しの非難をも加えないで、黙って学校へ行く世話をしてやり、その朝食をこしらえてやった。なんとも言いはしなかったが、気がくじけてしまってる様子だった。その全身が生きた叱責《しっせき》であった。それを見ると、彼は対抗しきれなかった。彼は彼女の膝《ひざ》に身を投げて、彼女の着物に顔を隠した。そして二人とも泣いた。彼は自分自身が恥ずかしく、過ごした一夜がいとわしく、身が汚れてしまった心地がした。彼は話してしまいたかった。彼女はその口に手をあてて話させなかった。彼女はその手に唇《くちびる》を押しあてた。二人はそれ以上なんとも言わなかった。たがいに心がわかっていた。オリヴィエは姉から期待されてるとおりの者になろうとみずから誓った。しかし彼女はいかにつとめても、すぐにはその傷を忘れ去ることができなかった。ちょうど回復期と同じだった。二人の間には気まずい隔てができた。彼女の愛情は前に劣らず強かった。しかし彼女は弟の魂のうちに、今や自分と縁遠いしかも恐ろしいあるものを、見てとったのだった。

 オリヴィエの心の中に瞥見《べっけん》したものから、彼女がことに狼狽《ろうばい》させられた訳は、ちょうどそのころ彼女は、ある男子連の追求を苦しんでいたからである。日の暮れ方家にもどってくるとき、またことに、筆耕の仕事を取りに行ったり持って行ったりするため、夕食後出かけなければならないようなとき、男から近寄られたりついて来られたり、いやなことを聞かされたりするのが、彼女には堪えがたい苦痛だった。弟を連れて行けるときはいつも、散歩させるという口実で連れ出した。しかし弟は快く同行しなかったし、彼女も無理に強《し》いることはできなかった。彼女は彼の勉強を邪魔したくなかった。が彼女の純潔な田舎《いなか》風の魂は、パリーのそうした風習になじむことができなかった。彼女から見れば、パリーの夜は暗い森であって、きたない獣から追い回される心地がした。自分の住居から出るのが恐ろしかった。それでも出かけなければならなかった。出かけようと決心するにはかなり時間がかかった。そのためにいつも苦労していた。そしてかわいいオリヴィエも、自分を追っかける男どもの一人と同じように、いつかなるだろう――もうおそらくなってるかもしれない――と考えるとき、家に帰って挨拶《あいさつ》をしながら彼に手を差し出すのが、彼女には心苦しかった。彼のほうでは彼女が自分にたいしてどういう考えをもってるか想像もしてはいなかった……。
 彼女は大してきれいではなかったが、きわめて魅力に富んでいて、少しもつとめないのに人目をひいた。ごく質素な服装をし、たいていいつも喪服をまとい、背もそう高くなく、細そりしてひ弱な様子で、ほとんど口もきかず、人込みの中をこっそり歩いて、人の注意を避けていたが、その疲れたやさしい眼や清い小さな口のごくしとやかな表情で、やはり人の注意をひいていた。人から好かれてるとみずから気づくこともときどきあった。そしては当惑した――がやはりうれしくもあった……。他の魂の同情ある接触を感ずると、その穏やかな魂のうちにも、言い知れぬやさしいつつましい浮かれ心が、知らず知らずはいってくるのだった。それがへまなちょっとした身振りや恥ずかしげな横目などとなって現われた。その様子が面白くもあればかわいくもあった。そういう心乱れのためにいっそう魅力が増した。人々の欲望は募るのみだった。そして彼女は貧しい娘で、世に保護者もなかったから、人々はその思いを彼女に打ち明けてはばからなかった。
 彼女はときどき、富裕なイスラエル人ナタン家の客間へ行った。ナタン家と親しい家に彼女は出稽古《でげいこ》をしていたが、そこで出会ってから同情を寄せられたのだった。そして彼女は人づきが悪かったにもかかわらず、ナタン家の夜会へも一、二度出席を強《し》いられた。アルフレッド・ナタン氏は、パリーで知名な教授であって、秀《ひい》でた学者であるとともにいたって交際家で、ユダヤ人仲間によくある学識と軽佻《けいちょう》さとが不思議に混和してる人物だった。ナタン夫人のうちには、ほんとうの親切と過度の俗臭とが同じ割合に混ざり合っていた。二人ともアントアネットにたいして、騒々しい真実なしかも間歇《かんけつ》的な同情をやたらに見せつけた。――アントアネットは一般に、自分と同宗教の人たちの間によりも、ユダヤ人らの間により多くの温良さを見出していた。ユダヤ人らは多くの欠点をもってはいるが、しかしまた大なる美点を、おそらくはあらゆる美点のうちの第一のものをもっている。彼らは生活者であり、人間的である。人間的なものならいかなるものにも無関心でなく、また生活してるすべての人に同情をもっている。真の熱い同情の念は欠けてるとは言え、不断の好奇心をそなえていて、なんらかの価値ある魂や思想なら、たとい自分らの魂や思想といかに異なったものであろうとも、それを捜し求めている。と言って彼らは一般に、それを助けるために大したことをなすのではない。なぜなら、彼らはまた同時に、利害の念にあまり多くとらわれていて、世俗的な虚栄心などに支配せられてはしないと自称しながらも、やはりだれよりももっとも多くそれに支配せられてるのだから。しかし少なくとも、彼らは何かをしている。そして現代の無情な社会のうちにあっては、それでもなお多とすべきである。すなわち彼らは、活動の発酵素であり、生活の酵母である。――アントアネットは、カトリック教徒らのうちで、氷のように冷淡な壁へぶつかったので、ナタン夫妻が示してくれる同情はいかに皮相なものであったにせよ、その価をだれよりもよく感じたのだった。ナタン夫人はアントアネットの献身的な生活をおおよそ見てとった。彼女の身体と精神との美しさに心ひかれた。そして彼女を保護してやろうと思った。夫人には子供がなかった。しかし若い者が好きで、しばしば若い人々を家に集めていた。アントアネットにも来るように、孤独の生活から出て少しく気晴らしをするようにと、夫人はしきりにすすめた。そして、アントアネットがもじもじしてる一部の原因はその貧しいゆえだと、たやすく推察し得たので、きれいな身回りの品を与えようとまでした。アントアネットは自尊心からそれを断わった。しかし親切な保護者たる夫人は、彼女をたいへん贔屓《ひいき》にしていて、いろいろくふうのあまりに、それらの小さな贈り物の幾つかを無理に受けさしてしまった。女の無邪気な虚栄心にとってはきわめて貴重な品物だった。アントアネットは感謝するとともにまた当惑した。ときおりはナタン夫人の夜会へつとめてやって来た。そして彼女はまだ若かったから、さすがにその夜会が楽しくないでもなかった。
 しかし、多くの青年らがやって来る多少雑多なその集まりの中で、ナタン夫人から愛顧されてる貧しいきれいな彼女は、すぐに二、三の道楽者の目標となった。彼らはすっかり確信しきって、彼女は自分のものだときめていた。前もって彼女の臆病《おくびょう》さにつけ込んでいた。彼女を賭《か》け物とさえ見なしていた。
 彼女はやがて、無名の手紙――なおくわしく言えば、上品な偽名を用いてる手紙――を幾通か受け取った。それらはみな意中を明かす手紙だった。愛の手紙で、初めはまず密会場所を定めた阿諛《あゆ》的な急《せ》き込んだものだった。つぎにはすぐに、威嚇《いかく》を試みた大胆な手紙となり、やがて侮辱的な卑しい誹謗《ひぼう》の手紙となった。それは彼女を裸体にし、彼女の身体の秘処を細かく述べたて、露骨な渇望で彼女の身体を汚していた。定めた密会場所へもし彼女が来なかったら、公衆の中で侮辱してやるとおどかしながら、彼女の無邪気な性質に乗じようとしていた。彼女はそういう申し込みを招いた心痛から涙を流した。そしてそれらの侮辱は彼女の身体と心との自尊心をひどく害した。彼女はどうしたらそれからのがれられるかわからなかった。弟には話したくなかった。弟があまり心配して事件をなおいっそう重大ならしむることは、わかりきっていた。また彼女には他に男の友だちもなかった。警察に訴えることも、世間の悪評を気にしてなしかねた。それでもどうにか片をつけねばならなかった。黙っていたのでは十分に身を守り得ない気がした。つけねらってる悪者は執拗《しつよう》であって、こちらに危険を及ぼすほどの極端にまで走るかもしれなかった。
 男のほうからは、あすリュクサンブールの博物館で会うことを命令する、一種の最後|通牒《つうちょう》を送ってきた。彼女はそれへ赴《おもむ》いた。――いろいろ考えめぐらしたうえついに、相手の悪者はナタン夫人の家で会った男に違いないと信ぜられた。手紙の一つに書いてあったある言葉は、そこでしか起こりようのない一事に説き及ぼしていた。彼女はナタン夫人に骨折りを願い、博物館の入口まで馬車でついて来てもらい、そこでしばらく待っていてもらった。彼女は中にはいった。約束の画面の前に立ってると、脅迫者が揚々と近寄ってきて、わざとらしい慇懃《いんぎん》さで話しかけた。彼女は黙ってその顔を見つめた。男は言い絶えてから、なぜそんなに顔を見てるのかと冗談げに尋ねた。彼女は答えた。
「私は卑劣な人を見てるのです。」
 彼はそれくらいのことでは閉口しなかった。そしてしだいに狎《な》れ狎れしくしだした。彼女は言った。
「あなたは私に悪名を着せるといっておどかしなさいましたね。私はその悪名をあなたに差し上げにまいったのです。受け取ってくださいましょうね。」
 彼女は身を震わし、声高に口をきき、人々の注意をひくつもりでいる様子を示していた。人々は彼らのほうをながめていた。彼女がどんなことにも辟易《へきえき》しないのを彼は感じた。そして声の調子を低めた。彼女は最後にも一度言ってやった。
「あなたは卑劣な人です。」
 そして彼のほうへ背を向けた。
 彼はまいった様子をしたくないので、彼女のあとについてきた。彼女はそれをすぐ後ろに従えながら博物館を出た。待ってる馬車のほうへまっすぐに進んでいって、いきなりその扉《とびら》を開いた。ついてきた男はナタン夫人と顔を合わした。夫人はその男を見てとって、名前を呼びながら挨拶《あいさつ》をした。男は度《ど》を失って逃げ出した。
 アントアネットはナタン夫人へ事情を述べなければならなかった。彼女は心ならずもそしてたいへん控え目に話した。傷つけられた貞節の悩みの秘事に、他人を立ち交らせるのは心苦しかった。ナタン夫人はもっと早く知らせなかったことを責めた。アントアネットはだれにも内密にしてもらうように頼んだ。事件はそれきりだった。そしてアントアネットが頼りにしてる夫人は、その客間をあの男に向かって閉ざす必要はなかった。彼のほうでもうやって来なかったから。

 それとほとんど同じころ、アントアネットにはまったく違った種類の他の心痛が起こった。
 四十歳ばかりのごく正直な男で、極東に領事の役を帯びていて、数か月の休暇をフランスで過ごしに帰って来ていたのが、ナタン家でアントアネットに出会った。そして彼女に惚《ほ》れ込んでしまった。その出会いは、アントアネットの知らないまにナタン夫人が前もって手はずを定めたのだった。夫人はかわいい彼女を結婚させようと考えてるのだった。その男もやはりイスラエル人だった。美男ではなかった。頭が少し禿《は》げて背が曲がっていた。しかし温良な眼をしていて、態度もものやさしく、自分が苦しんだので他人の苦しみにも同情し得る心をもっていた。アントアネットはもう昔の空想的な少女ではなかった。麗わしい日に恋人とともにする散歩といったふうに人生を夢みる、甘やかされた子供ではなかった。彼女は今では、人生をきびしい戦いだと見なしていた。長い労苦の歳月の間に少しずつ獲得していった地歩をも、一瞬間に失うかもしれない憂いの下にあって、決して休むことなく、毎日くり返さなければならない戦いだと見なしていた。そして、男性の友の腕によりかかり、彼と労苦を分かち、彼が見守っていてくれる間少し眼をつぶることができたら、どんなにか楽しいだろうと考えていた。それは一つの夢であることを彼女は知ってはいたけれど、しかしまだ、その夢をまったく見捨てるだけの勇気はなかった。それでも実は、自分の周囲の社会では持参財産のない娘は何物も望み得ないということを、知らないではなかった。フランスの古い中流社会が卑しい利害観念を結婚にもち出すことは、全世界によく知れ渡ってることである。ユダヤ人らは金銭にたいしてそれほど下劣な貪欲《どんよく》をもってはいない。富裕な青年が貧しい娘を望み選ぶことや、財産のある娘が知力の秀でた男を熱心に捜し回ることなどは、彼らの間によく見受けられる。しかしフランス中流のカトリック教徒の田舎《いなか》紳士の間では、いつも財嚢《ざいのう》と財嚢との捜し合いである。しかもなんのためであるか? 憐《あわ》れむべき彼らはくだらない欲求をしかもってはいない。食べること、欠伸《あくび》をすること、眠ること――また、倹約すること、それだけしか彼らはなし得ないのである。アントアネットはそういう連中をよく知っていた。子供のときから見てきたのだった。富裕と貧困との眼鏡で見てきたのだった。自分が期待できる事柄について、もう幻を描いてはいなかった。それで、結婚を求めてきた男の申し出は、彼女にとっては意外の喜びだった。彼女は初め彼を愛してはいなかったが、深い感謝と情愛とがしだいに胸に沁《し》み通ってきた。彼女はその申し込みを承諾したかった。しかしそれには、彼に従って植民地へ行き、弟を見捨てなければならなかった。で彼女は断わった。相手の男は、彼女の拒絶の理由がりっぱなものであることを理解しはしたけれど、それでも許し得なかった。恋愛の利己心は、恋人のうちでもっとも尊いものと思われるその美徳をさえも、こちらのために犠牲にしてもらわなければ承知しないのである。彼は彼女に会うことをやめた。もう手紙もくれなかった。そして彼が出発してからは、彼女はその消息を少しも聞かなかった。最後にある日――五、六か月後のことだったが――他の女と結婚したという宛名《あてな》自筆の通知状を受け取った。
 それはアントアネットにとって大きな悲しみだった。こんどもまた悲痛のあまりに、彼女は自分の苦しみを神にささげた。弟のために身を犠牲にするという唯一の務めを、ちょっとでも等閑《なおざり》にした罰を受けたのだと、みずから信じたかった。そしてますますその務めに身を投げ出した。
 彼女はまったく世間から身を退《ひ》いた。ナタン家へ行くことまでやめた。ナタン夫妻は、せっかく選んでやった相手を断わられてから、多少冷淡になっていた。彼らもまた彼女の拒絶の理由を認めなかった。ナタン夫人は、その結婚がかならず成立ししかも申し分のないものだと、前もってきめていたところへ、アントアネットのせいで成立しなかったので、自尊心を傷つけられた。彼女の憂慮は、確かに尊重すべきものではあるがしかしひどく感傷的なものだと考えた。そして日に日に、その馬鹿な娘へ同情を失っていった。そのうえ、相手の承知不承知にかかわらず他人に尽くしたいという欲求から、夫人は他の女を選み出して、費やさずにはいられない同情と親切との全部を、しばらくはその女から吸い取られていた。
 オリヴィエは、姉の心中に起こってる悲しい物語を、少しも知らなかった。彼は自分の夢想の中に生きてる感傷的な浮わついた青年だった。鋭いりっぱな精神をもっていたにもかかわらず、また、アントアネットの心と同じく愛情の宝庫とも言うべき心をもっていたにもかかわらず、浮き浮きとして少しも頼りにならなかった。前後|撞着《どうちゃく》、意気|沮喪《そそう》、逍遥《しょうよう》、頭の中だけの恋愛、そんなことに時間と力とを無駄《むだ》に費やしては、数か月の努力勉強をもたえず駄目にしてしまっていた。ちょっと見かけたきれいな顔に夢中になったり、客間で一度話をしただけで、少しも注意を向けてくれなかった婀娜《あだ》っぽい小娘に、すっかり心を奪われたりした。ある文章や詩や音楽などに心酔して、勉強などは放り出しながら、それに幾月もの間|一途《いちず》に没頭した。アントアネットはそれをたえず見張り、しかも彼の気を害するのを恐れて、彼に気づかれないようにと非常に注意しなければならなかつた。いつどんな向こう見ずなことをされるかが恐ろしかった。肺結核に襲われる人たちにしばしば見かけるような、熱狂的な激昂《げっこう》や平静の欠乏や不安なおののきなどに、彼はよく陥った。アントアネットはその危険さを医者から聞かされていた。田舎《いなか》からパリーへ移し植えられたすでに病的なその植物には、よい空気と光とが必要なはずだった。アントアネットはそれを彼に与えることができなかった。二人は休暇中パリーを離れるだけの金がなかった。休暇のほかは一年じゅう、毎週仕事がいっぱいだった。そして日曜日には、音楽会へ行くときのほかは、もう外出したくないほど疲れていた。
 それでも夏の日曜日にはときおり、アントアネットは元気を出して、シャヴィルやサン・クルー方面の郊外の森へ、オリヴィエを連れ出した。しかし森の中は、騒々しい男女や、奏楽珈琲店《カフェー・コンセール》の歌や、きたない紙くずなどでいっぱいだった。人の心を休め清むる神聖な静寂境ではなかった。そして夕方帰り道では、列車の混雑、低い狭い薄暗いみじめな郊外客車の、むせるほどの人込み、喧騒《けんそう》、笑い声、歌の声、猥雑《わいざつ》、悪臭、たばこの煙。アントアネットとオリヴィエは、どちらも平民的な魂をもたなかったので、厭《いや》ながっかりした気持で帰ってきた。オリヴィエはもうそんな散歩をくりかえさないようにアントアネットへ願った。アントアネットもしばらくはもうその気が起こらなかった。けれどもやがて彼女は、その散歩をオリヴィエよりもいっそう不快がってる癖にまた主張しだした。弟の健康にはそれが必要だと彼女は信じていた。弟を強《し》いてまた散歩させた。がこんどもやはり愉快ではなかった。オリヴィエは苦々《にがにが》しげに彼女を責めた。それからもう彼らは、息苦しい都会の中に閉じこもった。そしてその牢獄《ろうごく》みたいな中庭から、悲しげに田野をしのんでいた。

 最後の学年だった。師範学校の入学試験も終わりかけた。ようやくこぎつけてきたのだ。アントアネットはたいへん疲れた気がした。彼女は成功を当てにしていた。弟は万事運よくいっていた。中学校では優等な志願者の一人だと見なされていた。いかなる事柄にも容易になずまない不規律な精神を除いては、その勉強と知力とは教師たちからこぞって賞賛されていた。しかし身に担《にな》ってる責任のためにオリヴィエはひどく圧倒されて、試験が近づくにつれて能力を失っていった。極度の疲労、失敗の恐れ、病的な臆病《おくびょう》は、前もって彼を麻痺《まひ》させてしまった。公衆の中で試験官の前に出ることを考えただけで、震えおののいた。彼はいつも自分の臆病を苦しんでいた。教室では顔を真赤《まっか》にし、口をきかなければならないときには喉《のど》がつまった。最初のうちは名を呼ばれて返辞をするのもようやくのことだった。今に尋ねかけられるとわかってるときよりも、不意の問いに答えるほうがずっと容易だった。前からわかってると病的になった。頭がたえず働きつづけて、これから起こる事柄を細かく思い浮かべた。待てば待つほど気にかかった。どの試験も少なくとも二度は受けたと言っていいほどだった。前の晩に夢の中で試験を受けて、それに全精力を費やしてしまった。で実際の試験にはもう精力がなくなっていた。
 しかし彼は恐ろしい口述試験まではゆけなかった。晩にその試験のことを考えると、冷たい汗が流れた。筆記試験で、平素なら熱中できるような哲学の問題について、六時間に二ページも書けなかった。最初のうちは、頭が空《から》っぽになって、何一つ考えられなかった。真黒な壁にぶつかってつぶされかかってるかのようだった。それから、試験が終わる一時間ばかり前に、その壁が割れて、割れ目から数条の光がさし込んできた。そこで彼はすぐれた答案をだいぶつづった。それでも及第には不十分だった。その苦難から出て来た彼のがっかりした様子を見て、アントアネットは落第の余儀ないことを予見した。そして彼女も彼と同じくらいがっかりした。しかし様子には現わさなかった。そのうえ彼女は、もっとも絶望的な情況にあっても、不撓《ふとう》の希望をもちつづけることができるのだった。
 オリヴィエは入学ができなかった。
 彼は落胆してしまった。アントアネットは別に大したことではないように微笑を装った。しかしその唇《くちびる》は震えていた。彼女は弟を慰め、単なる不運ですぐに取り返せると言い、来年はずっと上席で入学できるに違いないと言った。今年彼の成功することがいかに彼女に必要であったか、もう身体も魂もいかに消耗されつくしてる気持がしてるか、も一年同じことを繰り返すのがいかになしがたい気持がしてるか、それを彼女は言わなかった。それでもとにかくも一年やらねばならなかった。もしオリヴィエの入学前に彼女がいなくなったら、オリヴィエはけっして一人で戦いをつづけてゆく勇気はないだろう。彼は人生からのみつくされてしまうだろう。
 彼女は自分の疲労を隠した。さらに努力を重ねまでした。血の汗をしぼって働きながら、休暇中彼に多少の慰安を得さして、学校が始まったらいっそうの力をもって勉強にかかれるようにしてやろうとした。しかし学校が始まると、彼女のわずかな貯蓄はひどく減っていた。それに加えて、もっとも収入の多かった二、三の稽古《けいこ》の口を失った。
 もう一年!……二人の若者は最後の困難を見て精いっぱいに気が張りつめた。何よりもまず暮らしてゆかなければならなかった。そして他の収入の道を捜さなければならなかった。ナタン夫妻の尽力でドイツに見つかった家庭教師の口を、アントアネットは承諾した。それは彼女がもっとも決心しかねる事柄だった。しかし、さし当たって他に方法もなかったし、また待ってるわけにもゆかなかった。六年前から彼女はただの一日も弟のもとを離れたことがなかった。毎日弟の顔も見ず声も聞かなかったら、これから自分の生活がどうなりゆくか見当もつかなかった。オリヴィエも考えてみるとぞっとした。しかし彼はなんとも言いかねた。その悲惨も彼のせいだった。もし彼が入学できてたら、アントアネットはそんな羽目に陥らないですむわけだった。彼には反対する権利がなく、自分自身の悲痛を勘定にいれる権利がなかった。彼女一人で決定して構わなかった。
 最後の数日を、彼らはあたかもどちらか一人が死にかかってるかのように、無言の悲しみのうちにいっしょに過ごした。あまり苦しいときには姿を隠した。アントアネットはオリヴィエの眼の中にその意見を求めた。「発《た》ってはいや!」ともし彼が言ったら、ぜひとも出発しなければならなくても、なお彼女は出発しかねたであろう。最後の時間まで、東停車場へ二人をはこんでゆく辻《つじ》馬車の中でまで、彼女は決心を翻えそうとしかけていた。もう決心を実行するだけの力を身に感じなかった。弟の一言、たった一言!……しかし彼はそれを言わなかった。彼は彼女と同じように堅くなっていた。――彼女は彼に約束さした、毎日手紙を書くこと、何事も隠さないこと、ちょっとでも変わったことがあったら呼びもどすことを。

 彼女は出発した。中学校の寄宿舎にはいることを承諾していたオリヴィエが、その寝室に冷たい心で帰ってゆくうちに、悲しみ震えてるアントアネットを汽車は運び去っていった。夜のうちに眼を見開きながら、二人は一瞬間ごとにますますたがいに遠ざかるのを感じて、低く呼びかわしていた。
 アントアネットはこれからはいってゆく世界が恐ろしかった。彼女は六年前から非常に変わってしまった。昔はあれほど大胆で何物をも恐れなかった彼女も、今は沈黙と孤独との習慣になじんで、それから出るのが苦痛なほどだった。昔の幸福な日のにこやかで饒舌《じょうぜつ》で快活なアントアネットは、その幸福な日が過ぎ去るとともに死んでしまった。不幸は彼女を世間ぎらいにしてしまった。オリヴィエといっしょに暮らしてきたので、その内気さに感染したのも事実だった。彼女は弟を相手のとき以外は、なかなか口がきけなかった。何事もいやがり、訪問なども恐れきらった。それで、これから外国人の家に住み、彼らと話をし、たえず人前を取り繕わねばならないと考えると、いらいらした心苦しさを感じた。そのうえ憐《あわ》れな彼女は、弟と同じく教師としての天稟《てんぴん》をそなえていなかった。心して職務を果たしてはいたが、それを信じてはいなかった。有益な仕事をしてるという感情で助けられることがなかった。彼女の天性は愛することにあって、教えることにあるのではなかった。そして彼女の愛情については、だれも心にかける者はいなかった。
 ドイツに来て新しい地位につくと、どこにいたときよりもなおいっそう、彼女はその愛情の用途を見出さなかった。彼女がフランス語を子供たちに教える役目ではいったグリューネバウム家の人たちは、彼女に少しの同情も示さなかった。彼らは横柄《おうへい》で無遠慮であり、冷淡でぶしつけだった。金はかなりよく出した。がそうすることによって彼らは、金を受け取る者を一種の債務者だと見なして、その者にたいしてはどんなことをしてもいいと思っていた。彼らはアントアネットをやや高等な一種の召使として取り扱い、ほとんどなんらの自由をも許し与えなかった。彼女は自分の室をももたなかった。子供たちの室につづいてる控え室に寝て、間の扉《とびら》は夜通しあけ放されていた。けっして一人きりになることがなかった。ときどき自分自身のうちに逃げ込みたい彼女の欲求――内心の静寂境にたいしてすべての人がもってる神聖な権利、それも尊敬されなかった。彼女の幸福といってはただ、心の中で弟に会って話をすることだった。彼女はわずかな隙《ひま》をも利用しようとした。がその際まで邪魔された。一言書き始めるや否や、だれかに室の中を身近くぶらつかれて、何を書いてるかと尋ねられた。手紙を読んでると、何が書いてあるかと聞かれた。嘲弄《ちょうろう》的な馴《な》れ馴れしさで「いとしい弟」のことを尋ねられた。彼女は隠れ忍ばなければならなかった。彼女がときどきどういうくふうをめぐらしたか、オリヴィエの手紙を人目を避けて読むために、どういう片隅《かたすみ》にこもったかは、語るも恥ずかしいことだった。もし手紙を室の中に置いておくと、きっと人に読まれていた。そしてかばん以外には、締まりのできる道具をもっていなかったので、人に読まれたくない紙片は、すっかり膚《はだ》につけていなければならなかった。出来事や心の中のことをたえずうかがわれ、思考の秘所をつとめてあばこうとされた。それも、グリューネバウム家の人たちが彼女に同情してるからではなかった。彼らは金を払ってる以上彼女を自分たちのものだと思っていた。と言って悪意をいだいてるのではなかった。無遠慮は彼らの根深い習慣だった。彼らの間ではたがいに無遠慮を不快とは思わなかった。
 アントアネットがもっとも堪えがたく思ったものは、日に一時間も無遠慮な眼つきからのがれることを許さない、そういう探索、精神上の羞恥《しゅうち》を失った行ないであった。グリューネバウム家の人々にたいする彼女のやや尊大な控え目は、彼らの気分を害した。そしてもとより彼らは、自分らの厚かましい好奇心を正当とし、それからのがれようとするアントアネットの考えを不当とするために、高い道徳上の理由を見出した。彼らは考えた、「家に同居し家族の一員となり、子供らの教育を引き受けてる若い娘の、内心の生活を知ることは、自分たちの義務である。自分たちは責任がある。」――(これは、多くの主婦たちがその召使どもについて言うところと同じである。その「責任」というのは、不幸な召使どもから一つの労苦や一つの不快をも除いてやろうとはしないで、ただ彼らにあらゆる種類の楽しみを禁じようとばかりするのである。)――彼らは結論した、「良心の命ずるかかる義務を認めることをアントアネットが拒むなら、それは彼女が多少自責すべき点をみずから感ずるからである。正しい娘は何も隠すべきものをもっていないはずである。」
 かくて、アントアネットはたえず周囲からうかがわれていた。それにたいして彼女は常に身を守った。そのために平素よりはさらに冷やかなうち解けない様子となった。
 弟からは毎日、十二ページもの手紙が来た。そして彼女も毎日なんとかして、たとい二、三行でも書き送った。オリヴィエはつとめて大人びた態度をして、悲しみをあまり示すまいとした。しかし彼はやるせなくてたまらなかった。彼の生活はいつも姉の生活とごく密接に結合していたから、今や姉を奪い去られてみると、自身の半ばを失ってしまったような気がした。もう自分の腕をも足をも思想をも働かせることができず、散歩もできず、ピアノをひくこともできず、勉強もできず、何にもすることができず、夢想にふけることも――姉のことを夢みる以外には――できなかった。朝から晩まで書物にかじりついた。しかし何にもためになることはなし得なかった。考えはよそにあった。苦しむか、または姉のことを考えた。前日来た手紙のことを考えた。眼を時計にすえて、今日の手紙を待った。手紙が来ると、その封を開きながら、喜びに――また懸念に――指先が震えた。恋人の手紙は相手の手に気がかりな愛情の震えを起こさせるものであるが、それ以上だった。その手紙を読むのに、彼もまたアントアネットと同様に人目を避けた。手紙をみんな身につけていた。そして夜には、最後に受け取ったのを枕の下に置いた。そして手紙がやはりそこにあるのを確かめるために、ときどき手でさわりながら、なつかしい姉のことを夢みて長く眠れなかった。いかに姉から遠く離れてる心地がしたことだろう! 郵便が遅れて、出された日の翌々日にしかアントアネットの手紙が着かないときには、ことに切ない思いをした。二人の間には二日二晩の距離がある!……彼はかつて旅をしたことがなかっただけになおさら、その時間と距離とを大袈裟《おおげさ》に考えた。彼の想像はいろいろ働いてきた。「ああ、もし姉が病気になったら! 会いに行くうちには死ぬかもしれない……。昨日なぜ数行しか書いて来なかったんだろう?……もし病気だったら?……そうだ、病気に違いない……。」彼は息がつけなかった。――また、その嫌《いや》な学校の中で、寂しいパリーの中で、冷淡な人たちの間にあって、姉から遠く離れたまま一人ぽっちで死にはすまいか、という恐怖になおしばしば襲われた。それを考えるだけでも病気になった。……「帰って来てくれと書き送ろうかしら?」――しかし彼は自分の卑怯《ひきょう》を恥じた。そのうえ、手紙を書き始めてみると、彼女とそうして言葉を交えるのが非常に幸福に感ぜられて、苦しんでることをしばし忘れてしまった。姉の顔を見、姉の声を聞くような気がした。そして姉に何もかも物語った。いっしょにいたときでさえ、それほどうち解けて熱心に話したことはなかった。「私の信実な、りっぱな、親愛な、親切な、慕わしい、恋しい恋しい姉《ねえ》様、」と彼は呼んでいた。それはまったく恋の手紙だった。
 その手紙は愛情でアントアネットを浸した。日々に彼女が呼吸し得る空気はそれだけだった。毎朝待ってる時間に手紙が着かないと、彼女は悲しくなった。グリューネバウム家の人たちが、不注意からかあるいは――ことによると――意地悪なからかいからか、手紙を彼女に渡すのを晩まで忘れたことが、二、三度あった。あるときなどは翌朝まで忘れられた。そのために彼女はいらだった。――新年には、二人は別に相談したわけではないが同じ考えをいだいた。二人とも長い電報――(高い料金がかかった)――を送って相手をびっくりさした。その電報はどちらもちょうど同じ時刻に届いた。――オリヴィエはなおつづいて、自分の勉強や疑惑についてアントアネットに相談した。アントアネットは助言し支持し、自分の力を吹き込んでやった。
 が彼女自身も、あまり力をもってはいなかった。彼女はその外国の土地で息がつけなかった。一人の知人もなければ、一人の同情者もなかった。ただある教授夫人だけが同情を示してくれた。夫人は近ごろその町に移住してきたのであって、アントアネットと同じく異境の寂しみを感じていた。善良なかなり慈愛心深い婦人であって、愛し合いながらたがいに離れてる二人の若者の苦しみに同情してくれた――(というのは、アントアネットへその身の上話を少しさせたのだった。)――しかし彼女はいかにも騒々しくて凡庸で、気転と慎みとがひどく欠けていたので、アントアネットの貴族的な小さな魂は、反感をそそられて打ち解けなかった。彼女はだれも心を打ち明けるべき者がいないので、あらゆる心配を自分一人の胸に収めた。それはきわめて重い荷だった。ときとするともう倒れそうな気がした。しかし彼女は唇《くちびる》をかみしめて、また進みつづけた。健康は害せられて、ひどく痩《や》せてしまった。弟の手紙はますます力ないものとなってきた。落胆の発作にかられて彼は書いた。
 ――帰って来てください、帰って来て、帰って来てください!……
 しかし彼はその手紙を出すとすぐ恥ずかしくなった。も一つ手紙を書いて、初めの手紙は裂き捨てて気にしてくれるな、アントアネットへ願った。元気なふうまで装って、姉がいなくてもいいという様子をした。彼の疑い深い自尊心は、姉がいなくてはやっていけないと人に思われることを苦にした。
 アントアネットはそれに欺かれはしなかった。弟の考えをすっかり読みとっていた。しかし彼女はどうしていいかわからなかった。ある日などは、すぐに帰りかけようとした。パリー行きの汽車の時間をはっきり知るために、停車場まで行った。それから、正気のやり方ではないと考えた。その地で得てる金でこそ、オリヴィエの寄宿料が払えるのだった。どちらも我慢できるだけ我慢すべきだった。彼女はもう何かを決断するだけの気力がなかった。朝になると元気が出て来た。しかし夕闇が近づいてくるに従って、力がくじけて逃げ出すことを考え始めた。彼女は故国にたいして――彼女につらく当たりはしたが、しかし彼女の過去の遺物がすべて埋もれてる、その国にたいして――なつかしさの情に堪えなかった。また弟が話してる国語、弟にたいする愛情が表現される国語にたいして、恋しさの情に堪えなかった。
 ちょうどそのとき、フランス俳優の一団が、その小さなドイツの町を通りかかった。アントアネットは、芝居へはめったに行かなかった――(行くだけの隙《ひま》も趣味ももたなかった)――がそのときは、自国語を聞きフランスのうちに逃げ込みたいという、押えがたい欲求にとらえられた。その後のことは読者の知ってるとおりである。もう劇場には座席がなかった。彼女は青年音楽家のジャン・クリストフに出会った。見知らぬ間柄だったけれども、クリストフは彼女の失望を見てとって、自分がもっている桟敷《ボックス》に入れてやろうと申し出た。彼女はうっかり承諾した。そしてクリストフといっしょにいたことが、小さな町の噂《うわさ》の種となった。その悪い噂はすぐにグリューネバウム家の人たちの耳にもはいった。彼らはもうすでに、その若いフランスの女に関するよからぬ疑いを認めたい気持になっていたし、また、他の所で(第四巻反抗参照)述べておいたとおりの事情からして、クリストフにたいして憤っていたので、非道にもアントアネットを解雇してしまった。
 弟にたいする愛情のうちにすっかり包み込まれ、あらゆる汚れた考えから脱している、彼女の貞節な羞恥《しゅうち》深い魂は、なんで非難されたかを知ったとき、たまらない恥ずかしさを感じた。けれど彼女は片時もクリストフを恨まなかった。自分と同様に彼のほうも潔白であって、たとい彼が自分に悪をなしたとしてもそれは善をなさんと欲してであったことを、彼女はよく知っていた。そして彼に感謝していた。彼女が彼について知ってることは、音楽家であることと、人からたいへん悪口を言われてることとだけだった。しかし彼女は、世の中や人間について無知ではあったが、生まれつき人の魂を見てとる直覚力をそなえ、不幸のためにそれがなお鋭敏になされていたので、劇場で隣り合った不行儀な多少狂気じみたその青年のうちに、自分と同じような廉潔さと一種の男々《おお》しい善良さとを見てとった。そしてその思い出だけでも彼女には慰安だった。彼にたいする人の悪口をいくら耳にしても、彼から起こさせられた信頼の念を少しも損じなかった。自身で人からさいなまれていた彼女は、彼もまた自分と同じく、しかも自分よりずっと前から、侮辱してくる人々の悪意を苦しんでる、同じ被害者に相違ないと思った。そして、他人のことを考えて自分のことを忘れる癖がついていたから、クリストフが苦しんできたに違いないと考えては、自分自身の苦しみから多少気をそらすことができた。けれど彼に再会したり手紙を書いたりすることは、少しも求めなかった。貞節と自負との感情から、そういうことをなし得なかった。彼女は自分にかけた損害を彼が知らないでいるだろうと思った。そして温良な心から、彼がいつまでもそれを知らずにいるようにと願った。
 彼女は出発した。町から一時間ばかりのところで、彼女を運び去ってる汽車は、隣の町で一日を過ごしたクリストフを連れ帰ってる汽車と、偶然にもすれちがった。
 向き合って数分間止まったその車室から、二人はひっそりした夜の中にたがいに顔を見合った。そして言葉を交えなかった。通俗な言葉以外に何を彼らは言い得たであろうか? 彼らのうちに生まれ出で、内心の幻覚の確実さの上にのみかかっている、相互の憐憫《れんびん》と神秘な同情とのえも言えぬ感情は、通俗な言葉では汚されるに違いなかった。たがいによく知らないままで顔を見合ったその最後の瞬間に、彼らは二人とも、いっしょに暮らしてる人たちから見らるるのとは、まったく違った見方で、たがいに相手から見られた。すべては過ぎ去る、言葉や接吻《せっぷん》や恋しい肉体の抱擁などの種々の思い出は。しかしながら、数多《あまた》の一時の形象の間で、一度触れ合ってたがいに認める魂と魂との接触は、けっして消え失《う》せるものではない。アントアネットはそういう接触を、長く心の奥に秘めた――その心は、悲しみに包まれてはいたけれど、オルフェウス[#「オルフェウス」に傍点]の仙境《せんきょう》の霊を浸してる光に似たおぼろな光が、悲しみのまん中に微笑《ほほえ》んでいた。

 彼女はふたたびオリヴィエに会った。ちょうどよいときに帰って来たのだった。オリヴィエは病気になっていた。いらいらしたむら気な青年である彼は、病気にならない前から病気を恐れおののいていたが、今やほんとうに病気にかかると、姉に心配させまいとしてそれを知らせなかった。しかし心のうちでは姉を呼びつづけ、姉の帰国を奇跡をでも願うように待ち望んでいた。
 その奇跡が実際起こったときには、彼は熱にうかされうとうとしながら、学校の病室に臥《ふせ》っていた。姉の姿を見ても声をたてなかった。姉がはいって来るような幻を幾度見たことだったろう!……彼は寝床の上に身を起こし、口をうち開いて、こんども幻覚ではないかと気づかっていた。そして彼女が寝台の上に彼のそばへ腰をおろし、彼を両腕に抱きしめ、彼は彼女の胸に寄りすがり、唇《くちびる》の下に彼女のやさしい頬《ほお》を感じ、手の中に彼女の夜旅に冷えた手を感じ、最後にそれはまさしくなつかしい姉であることを確かめ得たとき、彼は泣き出した。泣くよりほかにしかたがなかった。今でもなおやはり、子供のおりの「泣きむし」のままだった。姉がまた逃げ出しはしないかと恐れて、しっかと胸に抱きしめた。彼らは二人ともいかに変わったことだろう! いかに悲しい顔つきをしてることだろう!……それはともあれ、ふたたびいっしょになったのだ! 病室も学校も薄暗い日も、すべてふたたび光り輝いてきた。二人たがいに抱き合って、もう離れようとしなかった。彼女が何にも言わない先に、彼は彼女にもう出発しないと誓わした。しかし誓わせるには及ばないことだった。彼女はもう出発する気はなかった。彼らはたがいに離れているとあまりに不幸だった。母親の考えは道理だった。何事も別離よりはましである。困窮も、死も、ただいっしょにいさえすれば……。
 彼らは住居を借りることを急いだ。きたなくはあったが以前の住居をまた借りたかった。しかしそれはもうふさがっていた。そして新たに借りた住居は、やはり中庭に面していた。そして壁の上から、小さなアカシアの木の梢《こずえ》が見えていた。自分らと同じく都会の舗石の中にとらわれてる野の友にたいする心地で、彼らはすぐにその木へ愛着の念をいだいた。オリヴィエは間もなく健康を、もしくは健康と言われてきたところのもの――(というのは、彼において健康とされていたものも、もっと丈夫な人においては病気だったかもしれない)――それを回復した。アントアネットはドイツのつらい生活のために、多少の金を手に入れていた。それにドイツのある書物の翻訳を出版屋に引き取ってもらって、なお幾何《いくばく》かの金が手にはいることになった。で物質上の心配はしばし除かれていた。そして学年の末にオリヴィエが入学できさえしたら、万事都合よくいくはずだった。――がもし入学できなかったら?
 彼らが共同生活の楽しみにふたたび馴《な》れだすや否や、試験のことがしきりに気にかかってきた。彼らはそれをたがいに避けて話さなかった。しかしどんなにつとめても、やはりそのほうへ気をとられた。ただ一つのその考えが、気を紛らそうとしてるときでも始終つきまとってきた。音楽会で、楽曲を聴いてる最中に突然それが湧《わ》き上がってきた。夜中に眼を覚ますとき、それが深淵《しんえん》のように口を開いてきた。ことにオリヴィエのほうには、姉を慰め姉がその青春を犠牲にしてくれたことに報いたいという、熱烈な願望のほかにも一つ、兵役にたいする恐怖があった。試験に失敗したら兵役を免れることができなかった。――(高等の学校へはいれば兵役を免れる時代だった。)――当不当はともかく兵営生活のうちに見てとられる、大勢の身心の混和にたいして、一種の知的退歩にたいして、彼は押えがたい嫌悪《けんお》の情を感じた。彼のうちにある貴族的な童貞的な情操は、兵役の義務にたいして反発した。それと死といずれがましだかわからないほどだった。かかる感情は、目下一つの信条となってる社会道徳の名のもとに、嘲笑《ちょうしょう》しもしくは非難することができるかもしれないけれど、それを否定する者は盲者と言うべきである。現時の放漫|蕪雑《ぶざつ》な共産主義によって精神的孤立の犯される苦しみ、それ以上の深い苦しみは世に存しない。
 試験が始まった。オリヴィエはも少しで試験を受けられないところだった。彼は気分がよくなかった。そしてまた、ほんとうに病気になったほうがいいと思うほど、及第してもしなくてもとにかく経なければならない心痛を、非常に恐れていた。がこんどは、筆記試験にはかなり成功した。しかし通過か否かの成り行きを待つのはつらいことだった。革命の国でありながら世にもっとも旧慣|墨守《ぼくしゅ》の国たるこの国の、ごく古くからの習慣に従って、試験は七月に、一年じゅうのもっとも酷暑のころに、行なわれたのだった。あたかも、各試験官でさえその十分の一も知らないような恐るべき科目の準備に、すでにまいってしまってる憐《あわ》れな受験者らを、さらに圧倒しつくそうと目論《もくろ》まれてるかのようだった。述作の受験は、人出の多い七月十四日の祭日の翌日に当たっていた。自身愉快でなくて静粛を必要とする人々にとっては、非常につらい陽気な祭りだった。戸外の広場には、午《ひる》ごろから夜中まで、屋台店が立ち並び、射的の音が響き、蒸気木馬が唸《うな》り声をたて、オルガンが鳴り響いていた。その馬鹿騒ぎが一週間もつづいた。それから、共和国大統領は人望をつなぐために、わいわい連中になお半週間の祭りを与えた。彼はそれについてなんの迷惑もこうむらなかった。それらの騒ぎが聞こえなかったから。しかしオリヴィエとアントアネットとは、喧騒に頭を痛められ、害せられ、窓を閉《し》め切って息苦しい室の中にこもり、自分で自分の耳をふさぎ、朝から晩まで繰り返される馬鹿げたきいきい騒ぎが、小刀で刺すように頭の中へしきりとはいってくるのを、いたずらにのがれようとつとめながら、苦しさにたまらなくなっていた。
 おおよその採用がきまると間もなく、口頭試験が始まった。オリヴィエはアントアネットへ列席してくれるなと頼んだ。彼女は門口に待っていた――彼よりもなお震えながら。彼はもとより、満足な試験の受け方をしたとは彼女へ言わなかった。彼が言ったことも言わないこともともに彼女には心配の種となった。
 最後の発表の日が来た。ソルボンヌ大学の校庭に、採用者の名前が掲示された。アントアネットはオリヴィエ一人で行かせなかった。二人は家から出かけながら、口には出さなかったが、帰ってくるときにはもうわかってる[#「わかってる」に傍点]のだと考えたり、少なくともまだ希望が残ってるこの心配な今のほうを、そのときになったら残り惜しく思うかもしれないなどと考えた。ソルボンヌ大学が見えだすと、足もよく立たない気がした。あれほどしっかりしていたアントアネットも、弟へ言った。
「ねえ、そんなに早く歩かないでちょうだい……。」
 オリヴィエは姉のほうをながめた。彼女は微笑《ほほえ》もうとつとめていた。彼は言った。
「この腰掛にちょっとかけましょうか。」
 彼は向こうまで行きたくない気がしていた。しかしやがて、彼女は彼の手を握りしめて言った。
「なんでもないことよ。行きましょう。」
 人名表はすぐには見当たらなかった。それから幾つもの人名表を読んだが、ジャンナンという名はなかった。最後にその名前を見たとき、すぐには腑《ふ》に落ちなかった。何度も読み返したがまだ信じられなかった。それから、それはほんとうであること、ジャンナンというのは彼であること、ジャンナンが採用されたこと、それが確かになったとき、二人は一言も口に出なかった。逃げるようにして帰っていった。彼女は彼の腕をとらえ手首を取り、彼は彼女へよりかかっていた。走らんばかりに歩いて、周囲のもの何一つ眼に止まらなかった。大通りを横切るときには危うく轢《ひ》き殺されようとした。二人は繰り返していた。
「オリヴィエ!……姉《ねえ》さん!………」
 彼らは大股《おおまた》に階段を上っていった。室にはいると、たがいに抱き合った。アントアネットは弟の手を取って、父と母の写真の前に連れていった。それは彼女の寝台のそばに、室の片隅《かたすみ》にあって、一つの聖殿をなしていた。彼女はその写真の前に彼とともにひざまずいた。そして二人はひそかに泣いた。
 アントアネットはちょっとした御馳走《ごちそう》を取り寄せた。しかし二人ともそれに手がつけられなかった。食欲がなかった。オリヴィエは姉の膝《ひざ》にすがりつき、またはその膝の上に乗って、子供のように愛撫《あいぶ》されながら、そのまま二人は晩を過ごした。ほとんど口がきけなかった。もううれしがる力さえなかった。二人とも精がつきていた。九時前に床について、ぐっすり眠った。
 翌日、アントアネットは激しい頭痛を感じたが、しかし心からは非常な重荷が取り去られた気がした。オリヴィエはようよう初めて息がつける心地がした。彼は救われたのだ。彼女は彼を救い、自分の務めを果たしたのだ。そして彼は彼女の期待にそむかなかったのだ……。幾年も、幾年もの後に初めて、彼らは怠惰に身を任せた。午《ひる》ごろまで床にはいっていて、たがいの室の扉《とびら》を開け放しながら、たがいに話し合った。鏡の中でたがいに見合わして、疲れに隠れたうれしい顔をながめた。たがいに微笑《ほほえ》みかわし、接吻《せっぷん》を送り合い、またうとうととし、疲れはてがっかりして、やさしい単語を言いかわすだけの力しかなくて、またいつのまにか眠ってゆくのをたがいにながめ合った。

 アントアネットは、なお少しずつ貯蓄をつづけていて、病気の場合の金を少し残しておいた。弟をびっくりさしてやろうと思って黙っていた。そして、入学許可の翌日に、数年間の苦しみの褒美《ほうび》に二人とも、スイスへ一月ばかり行こうと言い出した。今やオリヴィエは、官費で師範学校の三年を過ごし、それから学校を出ると、職を得られることも確かだったから、彼らは愉快をつくして貯蓄を使い果たしても構わなかった。オリヴィエはそれを聞いて喜びの叫び声をたてた。アントアネットは彼よりもなおうれしかった――弟の幸福がうれしかった――あこがれていた田舎《いなか》を見るのだと思ってうれしかった。
 旅の支度《したく》は大事件だったが、それがまた始終の楽しみだった。二人が出発したときは、もう八月もだいぶふけていた。彼らはあまり旅には馴《な》れていなかった。オリヴィエはその前夜眠れなかった。そして汽車の中でもその夜眠れなかった。一日じゅう、汽車に乗り遅れはすまいかと心配したのだった。二人はせかせか急いでいて、停車場では人から押しのけられ、二等車の中にぎっしりつめ込まれて、眠ろうとて肱《ひじ》をつく余地も得られなかった――(平民主義をもって知られてるフランスの鉄道会社は、富裕でない旅客からつとめて特権を奪って、金のある旅客らに、自分たちだけ特権を享受し得ると考える愉快さを与えようとしてるのである。)――オリヴィエはちょっとの間も眼をつぶらなかった。正しい汽車に乗ってるかどうか安心しきれないで、各停車場の名前ばかり気にしていた。アントアネットは半ばうとうととしては、またたえず眼を覚《さ》ました。列車の動揺のため頭をぶっつけていた。移動墓穴のような車室の天井に輝いてる無気味なランプの光で、オリヴィエは彼女をながめた。そして彼は突然、その顔の変化に動かされた。眼のまわりはくぼみ、あどけない口は半ば開き、皮膚の色は黄色っぽくなり、小さな皺《しわ》が頬《ほお》のあちらこちらに寄って、悲嘆と幻滅との悲しい月日の跡をとどめていた。年老い病んでる様子だった。――そして実際、彼女はまったく疲れきってるのだった。もしできることなら出発を延ばしたかったろう。しかし彼女は弟の楽しみを妨げたくなかった。自分はただ疲れてるだけで、田舎《いなか》へ行ったら元気になるだろうと、強《し》いて思い込みたかった。が途中で、病気になりはすまいかとどんなにか心配していた。――彼女は弟からながめられてるのを知った。押っかぶさってくる眠気を無理にしりぞけて、眼を見開いた――その眼はいつもあんなに若々しく清らかで澄んでいたが、今は小さな湖水の上を雲が渡るように、無意識的な苦痛の影がときどき通りすぎた。彼は気がかりなやさしい調子で声低く、気分はどうかと尋ねた。彼女は彼の手を握りしめて、気分はよいと断言した。愛情のこもった一言で彼女は気を引きたてられていた。
 やがて、ドールとポンタルリエとの間の蒼茫《そうぼう》たる平野の上の赤い曙《あけぼの》、眼覚《めざ》めくる田野の光景、大地から上ってくる太陽――パリーの街路と埃《ほこり》だらけの人家と濃い煤煙《ばいえん》との牢獄《ろうごく》から、彼らと同じように逃げ出してる太陽、それから、乳のような白い息吹《いぶ》きの薄靄《うすもや》に包まれてそよいでる牧場、また、村の小さな鐘楼や、ちらちら見える小川や、地平線の奥に浮かんでる丘陵の青い線など、途中のいろんな細かな事物、あるいはまた、静まり返ってる田舎《いなか》のまん中に汽車が止まるとき、遠くから風に運ばれてくる細いしめやかな御告《アンジェリユス》の鐘の音、線路に臨んだ土手の上で夢みてる、牝牛《めうし》の群れの重々しい姿、――すべてのものにアントアネットとオリヴィエとは注意をひかれ、すべてが目新しかった。彼らは歓喜して大空の水を吸う二本のかわききった樹木に似ていた。
 その朝、スイスの税関で汽車から降りた。平野の中の小さな停車場だった。夜眠れなかったので少し気持が悪く、夜明けの湿った冷気に身体が震えた。しかし天気は穏やかで、空は澄み渡り、牧場の風が四方から寄せてきて、口の中に流れ込み、舌の上から喉《のど》の中を通って、小さな流れとなって胸の奥まではいってきた。そして、濃い牛乳を入れた、空のように甘く野の草や花のように香《かお》りのいい、元気づける熱いコーヒーを、露天のテーブルで立ちながら飲んだ。
 彼らはスイスの汽車に乗った。その設備が彼らにはもの珍しくて、子供らしい喜びを与えられた。しかしアントアネットはたいへんけだるかった。気分の悪いわけが自分にもわからなかった。周囲のすべてのものが眼にはいかにも麗わしく面白いのに、胸にはうれしさをあまり感じないのは、なぜだったろう? 楽しい旅行、いっしょに弟を伴い、将来の心配は除かれ、そしてなつかしい自然、それは彼女が長年夢想してたことではなかったか……。それをどうしたというのだろう? 彼女はみずから自分の気持をとがめて、弟の無邪気な喜びを強《し》いてうれしがり同感しようとした。
 二人はトゥーンで止まった。翌日は山のほうへ向かって出発するはずだった。がその晩アントアネットは旅館で、激しい熱が出て、嘔吐《おうと》と頭痛とに襲われた。オリヴィエはすぐ途方にくれて、不安な一夜を過ごした。朝になると医者を呼ばなければならなかった。――(不意の余分の費用、で、彼らのわずかな所持金にとっては等閑にできなかった。)――医者の言うところによれば、さしあたり大したことではないが、極端な疲労をきたしていて、身体の組織がこわれかけてるのだった。すぐに旅をつづけるなどはもちろんできなかった。医者はアントアネットへ一日じゅう起き上がることを禁じ、なおしばらくはトゥーンにとどまっていなければならないことを告げた。二人はがっかりした――それでも、あんなに心配していたあとで、それくらいなことで済んだのはうれしかった。しかしながら、かく遠くまでやって来て、熱い太陽の光がさし込む温室のような、旅館のいやな室に閉じこもっていなければならないのは、実につらいことだった。アントアネットは弟に散歩をすすめた。彼は旅館から少し外へ出た。美しい緑の衣をまとってるアール河を見、空の遠くに浮き出してる白い山の頂を見た。そして喜びに打たれた。しかしその喜びを一人で味わうことはできなかった。急いで姉の室へもどってきて、ながめた景色を感動しながら話してきかした。そして姉が彼の帰りの早いのを驚いて、も一度散歩してくるように勧めると、彼はかつてシャートレー座の音楽会からもどって来たときと同じことを言った。
「いいえ、あまり美しすぎます。姉《ねえ》さんをおいて一人で見るのは苦しいんです。」
 そういう感情は彼らにとって別に新しいものではなかった。まったくの自分であるためには二人いっしょにいなければならないことを、彼らはよく知っていた。しかしそれを耳に聞くのはやはりうれしいことだった。そのやさしい言葉は、あらゆる薬剤よりもアントアネットへ効果があった。彼女はもううれしげな弱々しげな様子で微笑《ほほえ》んでいた。――そして彼女は一晩快く眠ったあとで、すぐに出発するのは軽率な仕方ではあったけれども、なお引き止めるに違いない医者へは知らせもしないで、朝早く逃げ出そうと決心した。清らかな空気のために、美しい景色を二人いっしょに見るという喜びのために、その軽率な出発も彼女の身体にさわらなかった。そして二人は他になんらの故障もなく、旅の目的地へ着いた。――シュピーツから少し隔たった、湖水の上の山間の村だった。
 二人はそこの小さな旅館で、三、四週間過ごした。アントアネットはもう発熱しはしなかったが、元どおりには回復しなかった。いつも頭が痛んで、たまらないほど気分が重苦しく、たえず不快な心地だった。オリヴィエは彼女の健康をしばしば尋ねた。彼女の顔色がいくらかよくなるのを見たかった。しかし彼は土地の美景に酔っていた。そして知らず知らず悲しい考えを避けていた。たいへん気分がいいと彼女から言われると、彼はそれをほんとうだと信じたかった――反対だとよく知ってはいたけれど。それに彼女は、弟の晴れ晴れしい元気を、清い空気を、ことに休息を、深く楽しんでいた。幾年もの恐ろしい努力のあとについに休息し得ることは、いかに楽しいことだったろう!
 オリヴィエは彼女を散歩に連れ出したがった。彼女も彼といっしょに歩き回るのは愉快だったろう。しかし幾度も、元気に出かけたあとで、二十分間もたつと、息が苦しくなり胸がつまってきて、立ち止まらなければならなかった。そこで彼は一人遠足をつづけた――それも危険のない山登りなどだったが、彼女は彼がもどってくるまでひどく心配をした。あるいはまた、二人はいっしょに手近な散歩をした。彼女は彼の腕にもたれ、小足で歩きながら、たがいに話をした。彼はことに饒舌《じょうぜつ》になり、快活になり、これからの計画を語ったり、冗談を言ったりした。谷間の上の山腹の道から、静かな湖水に映ってる白い雲をながめ、水たまりの面を泳いでる虫のような船をながめた。温和な空気を呼吸し、刈られた牧草や熱い樹脂の匂《にお》いとともに、風のために遠くからときどき吹き送られる、家畜の鈴の音を吸い込んだ。そして二人いっしょに、過去や未来や現在のことを夢みた。その現在が、あらゆる夢のうちでももっとも架空的なもっとも楽しいもののように思われた。アントアネットも時としては、弟の子供らしい快活に感染した。二人は追っかけ合ったり草を投げ合ったりして遊んだ。そしてある日、彼は彼女が昔子供のときのように笑ってるのを見た。それは泉のように透き通った呑気《のんき》な小娘の馬鹿笑いであって、数年来彼が一度も聞いたことのない笑いだった。
 しかし往々オリヴィエは、長い遠足をなす楽しみを制しきれなかった。その後で彼は多少の後悔を感じた。姉と楽しい会話をしなかったことを、あとでみずから責めざるを得なかった。旅館ででも姉を一人にさしとくことがしばしばあった。旅館には少数の若い男女の連中がいた。二人は初めのうちそれから遠ざかっていた。そのうちに、気の弱いオリヴィエは彼らに引きつけられて、その仲間に加わってしまった。彼には友だちというものがなかった。姉を除いては、嫌悪《けんお》の情を起こさせられる下等な学校仲間とその情婦ら以外に、ほとんど知人がなかった。それで育ちのいい愛嬌《あいきょう》のある快活な同年配の男女の中に交ることは、彼にとって非常な愉快だった。彼はきわめて粗野ではあったけれど、無邪気な好奇心をもち、感傷的な清い逸楽的な心をそなえていた。女の眼の中に輝くちらちらした燐光《りんこう》的な炎に、たやすくとらわれてしまう心だった。彼自身もその内気さにかかわらず人の気に入ることができた。愛し愛されたいという純真な欲求のために、知らず知らず若々しい美しさが出て来、情のこもった言葉や身振りや慇懃《いんぎん》さなどを見出し得た。そのやり方が無器用なだけにかえって人の心をひいた。彼は同情の天分に富んでいた。孤独のうちにごく皮肉になってる彼の知力は、人の凡俗さや欠点を見てとって、しばしばそれに嫌気《いやけ》を起こしはしたけれど、人と顔を合わして立つときには、彼はもはや相手の眼をしか見なかった。その眼の中には、他日死ぬべき人、彼と同じく一つの生命しかもっていない人、そして彼と同じくその生命をやがて失うべき人、そういう人の姿が表われていた。すると彼はその人にたいして、知らず知らずの愛情を感じた。どんなことがあっても、その瞬間に相手へ苦しみを与えたくなかった。心からでもあるいは心ならずにでもとにかく、親切にしてやらずにはいられなかった。彼は弱かった。したがって彼は、あらゆる悪徳やあらゆる美徳を――すべての他の美徳の条件たる力という一つを除いては――ことごとく許す社交界の人々の気に入るように、初めからできていたのである。
 アントアネットはその若い仲間に交らなかった。その健康と疲労とただなぜとも知れぬ心の屈託とのために、少しものびのびとした気持になれなかった。身と魂とをすりへらす配慮と勤労との長い年月のうちに、弟と彼女との役割が変わってしまっていた。彼女はもう今では、世間から遠ざかり万事から遠ざかり、しかも非常に遠ざかった気がしていた。……もうふたたびそこへもどることはできなかった。それらの談話、騒ぎ、笑い、他愛ない楽しみ、などはすべて彼女を退屈させ、疲らして、気分を害するほどだった。彼女はそういう自分の状態が苦しかった。他の若い娘たちといっしょになり、皆が面白がるものを面白がり、皆が笑うものを笑いたかった……。が彼女にはもうできなかった!……彼女は胸迫る思いがした。死んでしまったような気がした。夜は自分の室に閉じこもった。そして燈火もつけないことがしばしばだった。暗い中にじっとすわったままでいた。その間オリヴィエは、例の取り留めもない恋心地の楽しみにふけりながら、下の広間で面白がっていた。そして、令嬢らと談笑しつづけ、なおいつまでも別れかねて、扉口《とぐち》で何度も挨拶《あいさつ》をかわしながら、ついに自分の室のほうへ上がってきた。その足音が聞こえるときに、アントアネットは初めて惘然《ぼうぜん》としていたのから我に返った。そして暗闇《くらやみ》の中に微笑を浮かべて、立ち上がって電燈をつけた。弟の笑い声を聞くと元気になるのだった。
 秋はふけていった。日の光は薄くなり、自然はしおれてきた。十月の靄《もや》と雲とにつつまれて、色彩は褪《あ》せてきた。山には雪が降り、野には霧がかけた。旅客は一人ずつ、つぎには組をなして、帰っていった。そして友だちが立ち去るのは、たとい心の残らない友だちが立ち去るのでも、見るに悲しいことだった。ことに、生活中の林泉《オアシス》とも言うべき、安静と幸福との時だった。夏が去るのは、悲しいことだった。二人はいっしょに、ある薄曇りの秋の日に、森の中を山に沿って、最後の散歩をした。たがいに口をきかず、やや憂鬱《ゆううつ》な夢想にふけりながら、寒げに寄り添って、襟《えり》を立てた外套《がいとう》にくるまっていた。二人の指は組み合わされていた。湿った林はひっそりとして、無言のうちに泣いていた。冬の来るのを感じてる寂しい一羽の小鳥の、やさしい憂わしげな鳴き声が、奥のほうに聞こえていた。澄みきった家畜の鈴の音が、遠くほとんど消え消えに、霧の中に響いていて、あたかも二人の胸の奥に鳴ってるがようだった……。
 彼らはパリーへ帰った。二人とも寂しかった。アントアネットはその健康を回復していなかった。

 オリヴィエが学校へもって行くべき荷物を支度《したく》しなければならなかった。アントアネットはそれに残りの貯蓄を費やした。ひそかに数個の宝石さえ売り払った。それで構わなかった。あとで彼が買いもどしてくれるかもしれなかった。――それにまた、彼がいなくなれば、彼女はもうそんな物には用はなかったのだ!……弟がいなくなった後のことなどを彼女は考えたくなかった。彼女はただ弟の荷物のことに気を配り、弟にたいする熱い情けをすべてその仕事にうち込み、これが世話のおしまいではないかという予感がしていた。
 二人はいっしょに過ごす終わりの数日間、もうたがいにそばを離れなかった。少しの時間も無駄にすまいと懸念していた。最後の晩は、暖炉のほとりにおそくまでとどまっていた。アントアネットは家にただ一つの肱掛椅子《ひじかけいす》にすわり、オリヴィエはその足先の腰掛にすわって、いつものように大きな駄々《だだ》っ児《こ》として愛撫《あいぶ》されていた。彼はこれから始まる新生活にたいして、不安を覚えていた――がまた好奇心も動いていた。アントアネットはこれが自分たちのなつかしい親しい生活の終わりではないかと考え、自分はこれからどうなるだろうかと空恐ろしく想像していた。その思いをさらにつらくなさせるためかのように、彼はその晩これまでになくごくやさしくて、出発のときに初めて自分のいちばんよい点や美しい点を示そうとする人々に見受けるような、無邪気な甘え方までしていた。彼はピアノについて長くひいてやった、二人がもっとも好きなモーツァルトやグルックの曲を――二人の過ぎ去った生活が多く結び合わされてる、やさしい幸福と清い悲しみとの幻影の曲を。
 別れるときになると、アントアネットは学校の入口までオリヴィエについて来た。それから家にもどった。またもや一人ぽっちになった。しかしそれはドイツへの旅とは違って、辛棒できないときにいつでも捨て得る別離ではなかった。こんどは彼女のほうが残っていた。立ち去ったのは彼だった。長く一生の間立ち去ってしまったのは彼だった。それでも彼女は親愛の情に満ちていて、別れたすぐあとでも、自分のことより彼のことを多く考えた。今までと非常に異なった彼の生活の初めのうちのこと、学校の古参者たちの意地悪な仕業《しわざ》、孤独な生活をして愛するもののために常に心痛しがちな人々の頭の中では、たやすく不安なものとなってくる、取るに足らぬ小さな不快な事柄、そういうものについて彼女は気をもんだ。がその懸念は少なくとも、彼女の心を孤独の寂しさから多少紛らせるのに役立った。翌日応接室で彼に会える三十分ばかりのことも、彼女はもう考えていた。その時になると十五分も前からやって行った。彼は彼女へたいへんやさしかった。しかし眼に触れた事物にすっかり心を奪われ面白がっていた。それからも彼女は常に気がかりな愛情に満ちてやって来たが、そのしばらくの面会にたいする彼の気持と彼女の気持との間の矛盾は、しだいに大きくなっていった。彼女にとっては、今ではその面会時間が全生命だった。しかし彼のほうは、もちろん彼女をやさしく愛してはいたけれど、彼女のことばかりを思えと要求されるのは無理なことだった。一、二度は少し遅れて応接室にやって来た。ある日彼女は彼へ寄宿が厭《いや》かどうかと尋ねた。彼は厭でないと答えた。彼女はちょっと胸を刺される心地がした。――彼女はそういうふうな自分自身を恨んだ。自分を利己主義者だと見なした。二人がたがいに別々で暮らしてゆけないということは、また自分が人生に他の目的を有しないということは、馬鹿げたことであるし、いけない不自然なことでさえあるということを、彼女はよく知っていた。そうだ、彼女はそれを知りつくしていた。しかし知ってるだけで何になろう? どうにもできなかった。それほど彼女は、十年この方、弟という唯一の考えの中に全生活をうち込んできたのだった。その生活の唯一の中心が奪われた今となっては、もう何にも残ってはいなかった。
 彼女は元気を出して、仕事や読書や音楽や好きな書物などに、手をつけようとつとめた……。けれど彼がいなくなっては、シェイクスピヤもベートーヴェンもなんと空虚なことだったろう!――まさしく美しいには違いなかったが……しかし彼がもうそばにいないのだった。いかに美しいものも、愛する者の眼が共に見てくれないときには、なんの役に立とうぞ。美もまたは喜びでさえも、それをもう一つ[#「もう一つ」に傍点]の心の中に味わうのでなければ、何になろうぞ。
 もし彼女がもっと強かったら、自分の生活をまったく立て直して、他の目的を定めようとしたかもしれなかった。しかし彼女は行きづまっていた。ぜひともしっかりしていなければならないという必要がなくなった今となっては、みずから強《し》いていた意志の努力が破れて、ぐったりとなってしまった。一年余り前から彼女のうちにきざして、彼女の気力で押えられていた病気が、今や自由に伸び出してきた。
 彼女は自分の室にただ一人で、火の消えた暖炉のほとりにすわりながら、鬱々《うつうつ》として晩を過ごした。暖炉に火を入れるだけの元気もなければ、床にはいるだけの力もなかった。夢想にふけり寒さに震えうとうととしながら、夜中まですわっていた。過去の生涯《しょうがい》を思い起こし、なつかしい故人や消え失《う》せた幻影といっしょにいた。そして、恋もなく滅んでしまった青春を考えると、たまらない寂しさにとらえられた。薄暗い茫漠《ぼうばく》たる悲しみだった……。往来の子供の笑い声、階下の室のよちよちした小さな子供の足音……その小さな足が自分の心の中を歩いてるように思われた……。疑惑が、いけない考えが、彼女を襲ってき、利己的な快楽的なこの都会の魂が、彼女の弱った魂に感染してきた。――彼女はそれらの悔恨の念をしりぞけ、それらの欲望を恥じた。なんのために苦しんでるのかみずからわからなかった。そして自分の悪い本能のゆえだとした。この憐《あわ》れな小さいオフェリア姫は、不思議な悩みにさいなまれていて、生命の奥底から来る濁った獣的な息吹《いぶ》きが、身内の深みから上ってくるのを感じて、おびえてるのだった。彼女はもう働かなかった。稽古《けいこ》の口もたいてい捨ててしまった。あんなに早起きだったのが、時には午後まで床にはいってることもあった。起き上がるのもふたたび寝るという理由しかなかった。ろくに食事もしなかったし、まったく食べないこともあった。ただ、弟の休みの日――木曜の午後と日曜の終日――には以前のとおりにつとめて弟といっしょにいた。
 弟は何にも気づかなかった。新しい生活を面白がり、それに気を奪われていて、姉の様子をよく観察することができなかった。彼はちょうど青春期にはいっていた。青春期には一つのものに気をこめることができにくい。やがては心を動かされる事柄も、交渉が新しいおりには、それにたいして無関心な様子をするものである。年とった人のほうが、二十歳ごろの青年よりも、自然と人生とにたいしていっそう新鮮な印象といっそう率直な享楽とを、時とするともつがように思われる。すると人は、青年のほうが心が老い込み感情が鈍ってると言う。しかしそれはたいてい誤りである。青年が無感覚らしく見えるのは、感情が鈍ってるからではない。情熱や野心や欲望や固定観念などによって、魂がとらわれてるからである。身体が磨滅《まめつ》して、もはや人生から何も期待しなくなると、私心なき情緒が自由に動いてくる。そして子供らしい涙の泉が開けるのである。オリヴィエはいろんなつまらない事に気をとられていた。そのうちでもっともおもなものは、荒唐|無稽《むけい》な恋愛であって――(彼はいつもそんなことを空想していた)――それが頭につきまとい、他のすべてのことにたいして盲目となり無関心となっていた。――アントアネットは弟の心中に何が起こってるかを少しも知らなかった。ただ彼が自分から離れてゆくことばかりを見てとっていた。しかし彼が離れていったのも、それはまったく彼のせいばかりではなかった。時には彼も、家にやって来ながら、彼女に会い彼女と話すのが非常にうれしかった。ところが家にはいると、彼の心はただちに冷たくなった。彼女が彼にすがりついて来、彼の言葉を吸い込み、やたらに世話をやく、その落ち着かない愛情と熱い心とに出会うと――その過度のやさしさといらいらした注意とに出会うと、すぐに彼は心を打ち明けたい願いを失ってしまうのだった。アントアネットが普通の状態でないことを、彼は考うべきであったろう。思いやりのある慎み深い平素の態度とは、まったく異なっていたのである。しかし彼はただそうだとかそうでないとかいうごく冷淡な答えをした。彼女が彼をしゃべらせようとすればするほど、彼はますます黙り込んでいった。あるいは乱暴な返辞をして彼女の気を害した。すると彼女もがっかりして口をつぐんだ。その楽しい一日はただ無駄に過ぎ去っていった。――彼は家の敷居をまたいで学校にもどりかけるや否や、自分の仕打ちに堪えがたい後悔を感じた。姉を苦しめたことを夜中に考えては、みずから自分を責めたてた。学校に帰ってすぐに、情に駆られた手紙を姉へ書いたこともあった。――しかし翌朝それを読み返しては引き裂いてしまった。そしてアントアネットは、そんなことは少しも知らなかった。もう弟から愛されていないのだと思っていた。

 彼女はなお――最後の喜びと言えないまでも――心が元気づいてくる若々しい愛情の最後の動きを、愛や幸福の希望などにたいする力の捨鉢《すてばち》な眼覚《めざ》めを、経験したのだった。それはもとより根のないものだったし、彼女の穏和な性質に矛盾することだった。それが実際に起こったのも実は、彼女の心が乱れていたせいであり、疾病の前駆たる忘我と興奮との状態のせいであった。
 彼女は弟とともに、シャートレー座の音楽会に臨んでいた。弟がある小雑誌の音楽批評を担任することになったので、以前よりも多少よい席に、しかしはるかに相容《あいい》れない聴衆の間に、二人はすわっていた。舞台のそばの管絃楽席であった。クリストフ・クラフトが演奏するはずだった。彼らは二人ともそのドイツの音楽家を知らなかった。やがて音楽家が出て来るのを見たとき、彼女は胸にどきりとした。疲れた眼でぼんやり見ただけだったけれど、彼が舞台にはいったときにはもう疑いの余地はなかった。ドイツで厭《いや》な日を送ってたおりに見覚えてる、あの名も知らぬ友だったのだ。彼女はかつて弟に彼の話をしたことはなかった。心の中で彼のことを考えたこともほとんどなかった。あのとき以来彼女のすべての考えは、生活の苦労に奪われてしまっていた。それにまた彼女は、理性の勝ったフランス娘であって、起原のわからない曖昧《あいまい》な感情を、是認することができなかった。彼女のうちには、窺《うかが》いがたい深いところに、魂の広野が横たわっていた。そこには彼女自身でも見るのを恥じる他の多くの感情が眠っていた。彼女はそれらの感情がそこにあることを知っていた。しかしながら、人の精神で制御できない存在者[#「存在者」に傍点]にたいする一種の敬虔《けいけん》な恐れからして、彼女はそれらの感情から眼をそらしていた。
 胸騒ぎが少し静まったとき、彼女は弟の双眼鏡を借りてクリストフをながめた。楽長の譜面台についてる彼の横顔を見て、その気荒な一徹な表情を見てとった。彼ははなはだ不似合いな古ぼけた服をつけていた。アントアネットは口をつぐみ冷たくなって、その悲しい音楽会の騒動に列した。クリストフは聴衆の露《あら》わな悪意にぶつかった。聴衆は当時ドイツの芸術家に好意をもっていなかったし、クリストフの音楽に悩まされた(第五巻広場の市参照)。あまり長すぎると思われた交響曲《シンフォニー》のあとに、ピアノでなお数曲演奏するためにふたたび出て来たとき、彼は愚弄《ぐろう》的な喝采《かっさい》で迎えられた。ふたたび彼を見るのを聴衆があまり喜んでいないことは、疑いの余地がなかった。それでも彼は構わずに、聴衆のあきらめきった倦怠《けんたい》の中で演奏を始めた。後ろの方の桟敷《さじき》にいた二人の聴衆が声高に悪口を言い出して、それが広がってゆき、全部の人々がうれしがった。するとクリストフはひきやめた。悪童めいた無鉄砲さで、マルブルーの出征[#「マルブルーの出征」に傍点]を一本の指でひいた。そしてピアノから立ち上がり、聴衆に向かって言った。
「諸君にはこれが適当です!」
 聴衆はその音楽家の意味をとっさに解しかねたが、すぐに怒鳴りだした。それから異常な騒ぎとなった。口笛を吹き、叫んだ。
「謝《あやま》れ! 謝りに出ろ!」
 人々は怒って真赤《まっか》になり、やたらに猛《たけ》りたて、ほんとうに憤激してるのだと思い込みたがっていた。そして多分ほんとうに憤激していたのであろうが、しかしことに、騒ぎたてて気晴らしする機会を得たのを喜んでいた。それはあたかも、二時間の課業のあとの学生みたいだった。
 アントアネットは身を動かす力もなかった。石のように堅くなっていた。引きつった指先で黙って手袋を引き裂いていた。交響曲《シンフォニー》の初めの音を聴《き》いたときから、彼女はその成り行きをはっきり感じた。聴衆の暗黙な敵意を見てとり、それが募ってゆくのを感じ、クリストフの心中を読みとり、破裂しないでひき終えはすまいと確信した。彼女はしだいに心痛の度を高めながらその破裂を待った。それを防ごうと精いっぱいになった。いよいよ破裂してしまったときには、予見していたとおりに、どうにもしかたのない宿命にでも圧倒されたかのような気がした。そして彼女はなおクリストフを見守り、クリストフは怒号する聴衆を傲然《ごうぜん》と見つめていたので、二人の視線はかち合った。おそらくクリストフの眼は一瞬間彼女を認めたであろう。しかし彼は喧騒《けんそう》に巻き込まれて、精神では彼女を認め得なかった。(彼女のことはもう久しい前から彼の念頭になかった。)彼は嘲馬《ちょうば》のさなかに姿を隠してしまった。
 彼女はなんとか叫びたて言いたててやりたかった。しかし悪夢の中のように自由がきかなかった。ただ、善良な弟の声をそばに聞いて多少慰められた。弟は彼女の心中に何が起こってるかは夢にも知らずに、その悲痛と憤慨とを共にしていた。オリヴィエは音楽にたいする理解が深くて、何物にも害されない独立した趣味をそなえていた。何か一つのものを好むときには、いかなることがあろうともそれを好んだ。交響曲《シンフォニー》の初めのほうの小節を聴《き》いたときからすでに、何か偉大なものを、まだかつてこの世で出会ったことのない何かを、彼は感じたのだった。そして心から熱心に、「いいなあ、いいなあ!」と小声で繰り返した。すると姉は、ありがたそうに知らず知らず身を寄せてきた。交響曲《シンフォニー》が済むと、聴衆の皮肉な冷淡さに対抗するため、彼は熱狂的な喝采《かっさい》をした。それから騒擾《そうじょう》のおりになると、彼は我を忘れた。彼は立ち上がり、クリストフが正当だと叫び、非難者を反駁《はんばく》し、格闘したがっていた。臆病《おくびょう》な少年たる彼とは思えなかった。彼の声は喧騒《けんそう》のうちにもみ消された。露骨な罵言《ばげん》を招いた。鼻垂《はなたれ》小僧とののしられ、いい加減に寝てしまえと怒鳴られた。アントアネットは反抗の無益なことを知って、彼の腕をとらえて言った。
「お黙りなさいよ、お願いだからお黙りなさいよ!」
 彼は絶望して腰をおろした。がなおうなりつづけていた。
「恥だぞ、恥だぞ、馬鹿どもが!……」
 彼女はなんとも言わなかった。黙って心を痛めていた。彼は彼女がその音楽を感じていないのだと思った。彼女に言った。
「姉《ねえ》さん、りっぱな音楽だとは思わないんですか、ええ?」
 彼女はただうなずいた。凍りついたようになって、元気を出すことができなかった。しかし、管弦楽隊が他の曲を始めかけると、突然彼女は立ち上がりながら、一種の憎悪をもって弟にささやいた。
「いきましょう、いきましょう。もうこんな人たちは見ていられません。」
 二人は急いで立ち去った。往来で、たがいに腕をとり合いながら、オリヴィエは憤激してしゃべっていた。アントアネットは黙っていた。

 その後彼女は幾日も、一人室にこもって、ある感情にぼんやり浸っていた。その感情を彼女は正面《まとも》にながめることを避けたが、しかしそれはいかなる考えにも打ち消されずに、ちょうど顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》の重苦しい脈搏《みゃくはく》のように、いつまでも頭から去らなかった。
 あれからしばらくたって、オリヴィエはクリストフの歌曲集[#「歌曲集」に傍点]をある書店で見出して、それを彼女へもって来てくれた。彼女はいい加減なところをひらいてみた。するとちょうどそのページに、楽曲の初めに、ドイツ語の捧呈《ほうてい》文が読まれた。

    わが親愛なる憐れなる犠牲者へ

 そして下に日付がついていた。
 彼女はその日をよく覚えていた。――彼女は胸騒ぎがして、読みつづけることができなかった。楽譜を下に置いて、弟に演奏してくれと頼みながら、自分の室にはいって閉じこもった。オリヴィエはその新しい音楽に喜びきっていて、姉の感動に気もつかずにひき始めた。アントアネットは隣室にすわりながら、胸の動悸《どうき》を押えた。それからふいに立ち上がって、戸棚《とだな》の中の小さな小遣《こづかい》帳を捜した。ドイツを出発した日とあの妙な日とを見つけるためだった。が彼女はそれを調べないでも知っていた。そうだ、それはまさしくクリストフといっしょに芝居を見た晩だった。彼女は寝床に横になり、顔を赤めて眼をつぶり、胸の上に両手を組みながら、なつかしい音楽に耳を傾けた。心は感謝の念でいっぱいになっていた……。ああ、なぜかひどく頭が痛かった。
 オリヴィエは姉がふたたび出て来ないので、ひき終えてからその室にはいってみた。彼女は寝ていた。病気かと彼は尋ねた。彼女は少しだるいのだと言い、身を起こして彼の相手になった。二人は話をした。しかし彼女は、彼から尋ねかけられてもすぐには返辞をしなかった。遠くへ行ってる心を引きもどすらしい様子だった。微笑を浮かべ、顔を赤らめ、頭痛のためにぼんやりしてるのだと詫《わ》びた。やがてオリヴィエは帰っていった。彼女はその楽譜を置いていってくれと頼んだ。ひとり、夜おそくまで起きていて、隣の人々から小言を言われはすまいかと気づかって、音符を一つずつごく静かにピアノで押しながら、それらの曲をひくのではなく読んでいった。また多くは読んでもいなかった。ぼんやり夢想していた。自分に憐《あわ》れみをかけてくれ、温情の不思議な直覚力で自分の心を読みとってくれた、その魂のほうへ、感謝と愛情とに駆られて引き寄せられた。彼女は考えをまとめることができなかった。うれしかった、また悲しかった――悲しかった!……ああ、ほんとにひどく頭が痛かった!
 甘い切ない夢想のうちに、押っかぶさってくる憂愁のうちに、彼女は夜を明かした。昼になると、少し気分をはっきりさせたいと思って、ちょっと外に出てみた。なお頭が痛みつづけてはいたが、目当てを定めるために、ある大きな店へ買い物に行った。自分が何をしてるのかほとんど考えていなかった。なんとはなしに、始終クリストフのことを考えていた。疲れきったたまらなく悲しい気持で、人込みの中を歩いていると、街路の向こう側の歩道に、クリストフが通るのを見つけた。彼のほうでも同時に彼女を見た。ただちに――(なんの考えもなくとっさにだったが)――彼女は彼の方へ両手を差し出した。クリストフは立ち止まった。このたびは彼女だとわかったのだった。彼はもう中央路に飛び降りて、アントアネットのほうへ来ようとした。アントアネットは彼に会いに行こうとつとめた。しかし残忍な人|雪崩《なだれ》は、彼女を藁屑《わらくず》みたいに押し流した。その間に、乗合馬車の馬が一頭、すべって、アスファルトの上に倒れて、クリストフの前に土手をこしらえた。そのため馬車の二重の流れが乱れて、脱しがたい柵《さく》をしばし築いた。クリストフはそれにも構わず、なお通り過ぎようとした。しかし馬車の列の間にはさまれて進むことも退くこともできなかった。やがてようやくに身を脱して、アントアネットを見かけた場所まで来ると、もう彼女は遠くなっていた。彼女はいたずらに身をもがいて、人込みの流れから出ようとしたが、つぎにはあきらめて、もう争おうとしなかった。自分の上にのしかかっていて、クリストフに会わせまいとしてるらしい宿命を、彼女は感じた。宿命にたいしてはいかんともしようがなかった。群集の外にようやく出られはしたが、彼女はもう引き返そうとしなかった。恥ずかしい気がしていた。彼になんと言えよう? 何をなし得よう? 彼はどう考えるだろうか?――彼女は自分の家へ逃げ帰った。
 家にもどって初めて、彼女は安堵《あんど》の心地がした。しかし自分の室にはいり、暗がりに身を置くと、帽子も手袋もぬぐ元気がなくて、テーブルの前にじっとすわったままでいた。彼と話すことのできなかったのが悲しかった。と同時にまた、心の中に光が輝いていた。もう暗闇《くらやみ》が眼に映らなかった。自分を悩ましてる病苦のことも気にかからなかった。先刻の光景を細かくいつまでも思いふけった。その事柄を変えて、もしこれこれの事情が違っていたら、どうなったろうかということを、心に描き出した。クリストフのほうへ腕を差し出してる自分の姿が見えた。自分を認めたクリストフの喜ばしい表情が見えた。そして彼女は笑《え》みを浮かべ、顔を赤らめた。顔を赤らめて、だれからも見られない暗い室の中に一人きりで、ふたたび彼へ両腕を差し出した。もう堪えられなかった。彼女は自分自身が消えてゆくような心地がした。そばを通りかかって、温情の眼つきを見せてくれた力強い生命へ、本能的にすがりつこうとしていた。愛情と悩みとに満ちた彼女の心は、夜の中で彼に叫んでいた。
「助けてください。救ってください!」
 彼女はわくわくしながら立ち上がって、ランプをともし、紙とペンとをとった。そしてクリストフに手紙を書いた。もし彼女がそのとき病気にかかっていなかったら、気位の高い恥ずかしがりの娘たる彼女は、彼に手紙を書くことを考えはしなかったろう。が彼女は何を書いてるのかも知らなかった。もう自分が自分の自由にならなかった。彼を呼びかけ、彼を愛してると言っていた……。手紙のなかほどで、彼女はびっくりして筆を止めた。手紙を書き直したかった。がもう気力がなくなっていた。頭が空《から》っぽで燃えるようだった。書くべき言葉を見出すのが非常に困難だった。疲労のためにぐったりしていた。彼女は恥ずかしかった……。こんなことをして何になろう? 彼女はみずから自分を欺こうとしてることを知ってたし、けっしてその手紙を送らないことも知っていた……。送ろうと思っても、どうして先へ届けられよう? 彼女はクリストフの住所を知らなかった……。憐《あわ》れなクリストフよ! たといすべてを知り、彼女に好意をもってたにせよ、彼は何をなし得よう? もうおそかった。駄目、駄目、何もかも無益だった。それは、息がつまってやたらに羽ばたきをする小鳥の、最後の努力だった。あきらめるよりほかにしかたなかった……。
 彼女はなお長くテーブルの前に残って、身を動かすこともできずに思い沈んでいた。ようやくに――元気を出して――立ち上がったのは、夜中過ぎだった。手紙の草稿を片付ける気力も引き裂く気力もなくて、ただ機械的な習慣から、それを小さな書棚《しょだな》のある書物にはさんだ。それから熱に震えながら床についた。謎《なぞ》の言葉は解けた。神意の果たされるのを彼女は感じた。
 そして大きな平安が彼女のうちに降りてきた。

 日曜の朝、オリヴィエが学校からやって来たとき、アントアネットは床について多少|昏迷《こんめい》のうちにあった。医者を呼ぶと、急性の肺結核だと診断された。
 アントアネットは近来、自分の容態に気づいていた。そして、みずから恐れていた精神的悩みの原因を、ついに見出したのだった。わが身を恥じる憐れな娘たる彼女にとっては、まったく自分のせいではなくて、病気のせいだったと思うことは、ほとんど一種の慰安であった。彼女にはまだ少し力が残っていて、あらかじめ多少の注意をなし、いろんな書類を焼き、ナタン夫人へあてた手紙を用意した。自分の死――(彼女はこの言葉を書き得なかった……)――のあとしばらくの間は、弟の世話をしていただきたいと、ナタン夫人へ頼んだ。
 医者も施す術《すべ》がなかった。病勢は非常に激烈だったし、アントアネットの身体は、長年の過労のためにすっかり磨滅《まめつ》していた。
 アントアネットは落ち着いていた。もう駄目だと感じてからは、別に心の悩みを覚えなかった。切りぬけてきたさまざまの困難を、頭の中に思い出していた。自分の仕事が成就したこと、大事なオリヴィエが救われたことを、思い浮かべていた。そしてえも言えぬ喜びが心にしみとおった。彼女はみずから言った。
「それを成し遂げたのは私だ。」
 彼女は自分の傲慢《ごうまん》をみずからとがめた。
「私一人では何にもできなかったろう。神が助けてくだすったのだ。」
 そして彼女は、務めを果たすまで神から生かしてもらったことを感謝した。今この世を去らなければならないことは、やはり悲痛ではあった。しかし不平は言えなかった。それは神にたいして恩知らずとなるのだった。もっと早く神から呼び寄せられることもあり得たはずだった。もし彼女が一年早く去っていたら、どうなっていたであろう?――彼女は嘆息をもらした。感謝の念で自分を卑下《ひげ》した。
 ごく息苦しくはあったが、彼女はそれを少しも訴えなかった――ただ、重い眠りの中で、小さめな子供のように、ときどき呻《うめ》き声を出すきりだった。あきらめきった微笑を浮かべて、事物や人々をながめた。オリヴィエの姿を見るのが、彼女にとってはいつも喜びだった。言葉には出さないで唇《くちびる》だけで彼の名を呼んでいた。自分のそばに枕《まくら》の上に彼の頭を置かせたがった。そして眼と眼とを近寄せて、黙って長い間彼をながめた。しまいには、両手で彼の頭をかかえながら、身を起こして言った。
「ああ、オリヴィエ……オリヴィエ!……」
 彼女は首につけてるメダルをはずして、それを弟の首につけてやった。親愛なオリヴィエを自分の聴罪師となし医者となしすべての者に見立てた。それ以来彼女は彼のうちに生き、死に臨んで、島の中へのように彼の生命の中へ逃げ込んでるのが、見てとられた。ときどき彼女は、愛情と信仰との神秘な興奮のために、酔わされてるがようだった。もう苦痛も感じなかった。悲しみは喜びに――聖《きよ》い喜びに変わって、口もとや眼の中にそれが輝いていた。彼女は繰り返した。
「私は幸福だ……。」
 失神の状態が襲ってきた。まだ意識を保ってる最後の瞬間に、彼女の唇は動いていた。何かを誦《とな》えてるのが見てとられた。オリヴィエはその枕頭《ちんとう》に来て、彼女の上に身をかがめた。彼女はまだ彼を見分けて、弱々しく微笑《ほほえ》みかけた。その唇はなお動いていて、眼には涙がいっぱいたまっていた。何を言ってるのかは聞こえなかった……。しかしオリヴィエはついに、古い歌の文句を、息の根のように細く聞きとった。それは二人が非常に好きであって、彼女が幾度も彼に歌ってくれたものだった。

 吾《われ》また来《き》たらん、いとしき者よ、また来《き》たらん……。

 それから、彼女はまた失神の状態に陥った……。そしてこの世を去った。

 彼女はみずから知らずに、多くの人たちに、知り合いでもない人たちにさえ、深い同情の念を起こさしていた。同じ建物に住んでる名も知らない人たちにも、同様だった。でオリヴィエは、見ず知らずの人たちから同情を表された。アントアネットの葬式は、母親の葬式ほど人から見捨てられはしなかった。友だち、弟の仲間、彼女が稽古《けいこ》を授けていた家の人たち、または、彼女が一身のことは何にも言わずに黙ってそばを通りすぎ、向こうでも何にも言わないで彼女の献身を知ってひそかに感心していた、多くの人たち、さらにまた、貧しい人たち、彼女を助けてくれてた家事女、町内の小売商人、そういう人々が彼女を墓地まで見送ってくれた。オリヴィエは姉の死んだ晩から、ナタン夫人に迎えられ、強《し》いて連れて行かれ、その悲しみを無理に紛らされた。
 それは、彼がかかる災厄に堪え得る、生涯《しょうがい》中の唯一の時期――彼が絶望に陥りきることを許されない、唯一の時期だった。彼はちょうど新しい生活を始めていて、ある団体の一員となっていて、心ならずもその流れに引きずられていった。その一派の仕事や心労、知的興奮、試験、生活のための奮闘などは、自分の心のうちに閉じこもることを彼に許さなかった。彼は一人きりでいることができなかった。彼はそれを苦しんだが、しかしそれは彼の救済であった。もう一年早かったら、あるいはもう数年後だったら、彼は破滅したに違いなかった。
 それでも彼はできるだけ、姉の思い出に一人でふけった。二人いっしょに暮らした住居を保存し得ないのが、彼にはつらかった。彼は金をもたなかった。自分に同情を寄せてくれるらしい人たちから、姉の所有品を取り留め得ない悲しみを悟ってもらいたかった。しかしだれも悟ってくれそうになかった。で彼は多少の金を、半ばは借り半ばは個人教授で手に入れて、それで屋根裏の室を一つ借り、姉の寝台やテーブルや肱掛椅子《ひじかけいす》など、取り留め得られるだけの器具をすべてつめ込んだ。彼はそれを追懐の聖殿だとした。意気|沮喪《そそう》したおりにはそこに逃げ込んだ。友人らは彼に婦人関係でもあると思っていた。彼はそこで幾時間も、額《ひたい》を両手に埋めて姉のことを夢想した。不幸にも彼女の肖像は一枚もなかった。ただ、子供のとき二人いっしょに写った小さな写真きりだった。彼は彼女に話しかけ、涙を流した……。彼女はどこにいるのか? もしそれがこの世のどこかであったなら、いかなる場所であろうとも、どんなに行きにくい場所であろうとも――せめて一歩ごとに近づけさえしたら、たとい跣足《はだし》で幾世紀間歩かせられようと、幾多の艱難《かんなん》をも忍んで、いかなる喜びと不撓《ふとう》の熱心とをもって、彼女を捜しに突進したことであろう!……そうだ、彼女のところへ行き得る機会が、たとい万に一つでもありさえしたら!……しかし何もなかった……彼女に会えるなんらの方法もなかった……。なんたる寂寥《せきりょう》ぞ! 自分を愛し助言し慰めてくれる彼女がいなくなった今では、彼は頓馬《とんま》でお坊っちゃんのまま人生に投げ出されたのだった……。親愛な心の限りない完全な親和を、ただ一度でも知るの幸福を得た者は、もっとも聖なる喜びを――その後一生の間不幸だと感ずるような喜びを――知ったものと言うべきである。

 楽しかりし時を悲惨のうちにて思い出すほど、世に大なる苦痛はあらず……。

 弱いやさしい心の人にとってのもっともつらい不幸は、一度もっとも大なる幸福を味わってきたということである。
 しかしながら、生涯の初めのころに愛する者を失うのは、いかにも悲しいことのように思われるけれども、あとになって生命の泉が涸《か》れつくしたときにおけるほど、恐ろしいものではない。オリヴィエは若かった。そして、生来の悲観性にもかかわらず、不幸な境涯《きょうがい》にもかかわらず、やはり生きていたかった。アントアネットは死にさいして、自分の魂の一部を弟に吹き込んでいったらしかった。彼はそう信じていた。彼女のように信仰はもっていなかったが、彼女が誓ってくれたとおりに、彼女はまったく死滅したのではなくて自分のうちに生きてるのだと、彼は漠然《ばくぜん》と思い込んでいた。ブルターニュで一般に信じられてるところによれば、若い死人は死んだのではなくて、普通の生存期限を果たすまでは、その生きてた場所になお彷徨《ほうこう》してるそうである。――そのとおりにアントアネットも、なおオリヴィエのそばで生長してゆきつつあった。
 彼は彼女の書いたものを見出しては読み返していった。があいにく彼女はほとんどすべてを焼き捨てていた。そのうえ彼女は、自分の内生活をしるしとどめておくような女ではなかった。自分の思想を暴露《ばくろ》することを彼女は恥ずかしがったであろう。ただ彼女がもってたのは、自分以外の者にはだれにもほとんどわからない小さな控え帳――ごく細かな備忘録だけだった。その中にはなんらの注意書きもなしに、ある日付が、日々の生活のある小さな出来事が、書きつけてあった。それは彼女にとって、喜びや感動のおりおりで、詳細に書きしるしておかなくても思い出せるものだった。それらの日付のほとんどすべては、オリヴィエの生活に起こった事柄に関係していた。また彼女は、彼からもらった手紙を一つも失わずに全部保存していた。――悲しくも彼のほうはそれほど丹念ではなかった。彼女から受け取った手紙のほとんどすべてを失っていた。なんで手紙を取っておく必要があったろう? いつも姉がそばについていてくれることと思っていた。大事な愛情の泉はいつまでも涸《か》れないような気がしていた。いつでもその泉で唇《くちびる》と心とを清涼にすることができると、安心しきっていた。それから受け取れる愛を浅慮にも浪費していた。そして今では、そのわずかな雫《しずく》までも集め取りたかった……。かくして、アントアネットのもってた詩集の一冊をひらきながら、一片の紙に鉛筆で書かれたつぎの言葉を見出したとき、どんなに彼は感動したろう。
「オリヴィエ、なつかしいオリヴィエ!……」
 彼は気が遠くなるほどだった。墓から彼に話しかける眼に見えない口に向かって、自分の唇を押しあてながら、すすり泣いた。――その日以来、彼は書物の一冊一冊を取り上げて、他にも何か内心の思いを書き残してはすまいかと思って、ページごとに捜していった。そしてクリストフにあてた手紙の草稿を見出した。それによって、彼女のうちにできかけてた暗黙の恋愛を知った。これまで知らないでいたしまた知ろうとも求めなかった、彼女の感情生活を初めて洞見《どうけん》した。弟から見捨てられて、縁遠い友のほうへ両手を差し出してた、彼女の心乱れた最後の日々を、彼はまざまざ想像した。かつて彼女は、以前クリストフに会ったことを彼に打ち明けていなかった。が手紙の数行によって彼は、二人が近いころドイツで出会ったことを知った。細かな点は少しもわからなかったが、ある場合にクリストフがアントアネットへ親切だったこと、そのときからアントアネットの想《おも》いがきざしたこと、それを彼女が最後まで秘めつづけたこと、などを彼は了解した。
 彼はそのりっぱな芸術のためにすでにクリストフを好んでいたので、ただちに言い知れぬなつかしさを覚えた。姉がクリストフを愛していたのだ。クリストフのうちになお姉をも愛してるように、オリヴィエには思われた。彼はあらゆることをしてクリストフに接近しようとした。しかしその行くえを探るのは容易なことではなかった。クリストフは音楽会の失敗後、広大なパリーのうちに姿を隠してしまった。だれの前にも出て来なかったし、まただれももう彼のことを念頭においていなかった。数か月の後オリヴィエは、病気上がりの蒼白《あおじろ》い痩《や》せ衰えたクリストフに、偶然往来で出会った。しかし彼は呼び止めるだけの勇気がなかった。遠くからその家までつけていった。手紙を書きたかったが、それもほんとうには決心しかねた。なんと書いたらよいかわからなかった。オリヴィエは自分一人ではなく、アントアネットがいっしょについていた。彼女の恋と羞恥《しゅうち》とが彼のうちにはいり込んでいた。姉がクリストフを愛していたという考えのために、彼はあたかも自分が姉自身であるかのように、クリストフにたいして顔を赤らめた。それでもやはり、クリストフといっしょに姉の話がしたかった。――けれどもそれができなかった。姉の秘密によって唇《くちびる》に封印されていた。
 彼はクリストフに会おうとつとめた。クリストフが行きそうな所へは、どこへでも出かけて行った。彼へ握手を求めたくてたまらなかった。が彼の姿を見るとすぐに、彼から見られないように身を隠した。

 ついに、二人はある晩知人の客間に行き合わして、そこでクリストフはオリヴィエを認めた。オリヴィエは彼から遠のいていて、何にも言わなかった。しかし彼のほうをながめていた。そしてアントアネットがその晩、オリヴィエといっしょにいたに違いない。クリストフは彼女の姿を、オリヴィエの眼の中に認めたのだった。その突然現われた彼女の面影に誘われて、クリストフは客間を横切って近寄っていった、若いヘルメスのように幸《さち》ある霊の愁《うれ》わしげなやさしい会釈をもたらしてる、その未知の使者のほうへ。

底本:「ジャン・クリストフ(三)」岩波文庫、岩波書店
   1986(昭和61)年8月18日改版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2008年1月27日作成
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