序
ジャン・クリストフの友人らへ
私は数年来、既知あるいは未知の離れてる友人らと、いつも心のうちで話をしてきたが、今日では声高に話す必要を感ずる。それにまた、彼らに負うところを感謝しなければ、私は忘恩者となるかもしれない。ジャン・クリストフのこの長い物語を書き始めてより、私は彼らとともに、彼らのために、書いてきたのである。彼らは私を励まし、忍耐して私のあとについて来、その同情で私を元気づけてくれた。もし私が、彼らに多少の善をなし得たとしても、彼らはさらに多くの善を私になしてくれた。私のこの作品は、われわれの思想を結合した果実である。
私はこの作品に着手したとき、少数の友をしか期待し得なかった。私の望みはソクラテスの家の程度にとどまっていた。しかし年を経るに従って私はますます、同じものを愛し同じものを苦しむことにおいて、パリーと地方とを問わず、フランスとフランス以外とを問わず、いかに多くの同胞があるかを感じた。広場の市[#「広場の市」に傍点]にたいする軽蔑《けいべつ》を語ることによって、クリストフが自分の本心を――ならびに私の本心を――吐露するところの、この前の一巻が出たおりに、私はその証拠を得たのであった。私のいかなる著書も、これほど直接の反響を呼び起こしたものはなかった。実際のところ、それはただに私の声だったばかりではなく、また私の友人らの声だったからである。クリストフは私のものであると同様にまた彼らのものであることを、彼らはよく知っている。われわれはクリストフのうちに、われわれに共通な魂を多分に投げ込んでおいたのである。
クリストフは彼らのものであるがゆえに、私は今日提供するこの一巻について多少の説明を読者にしておかなければならない。広場の市[#「広場の市」に傍点]におけると同じく、この一巻のうちにも彼らは小説的波乱を見出さないだろうし、あたかもここで主人公の生活は中止されたかの観がある。
私はここに、いかなる情況のうちに私がこの全部の著作に取りかかったかを、陳述しなければならない。
私は孤立していた。フランスにおける多くの人々と同様に、私は害悪な精神界に窒息しかけていた。私は呼吸したかった。不健全な文明にたいして、偽りの選良者らから腐敗されてる思想にたいして、反抗して起《た》ちたかった。その選良者らに言ってやりたかった、「君らは嘘《うそ》を言ってる、君らはフランスを代表してはいない。」
それには、純潔な眼と心とをもち、発言の権利を得るだけの十分高い魂をもち、人に耳を傾けしむるに足りる十分強い声をもってる、一つの主人公が、私に必要であった。私は気長にそういう主人公を築き上げた。意を決してこの著述に筆を染むる前、私は主人公を十年間も自分のうちに担《にな》っていた。クリストフがいよいよ発足したのは、私がすでに最後まで彼の道程を見きわめたときにであった。そして、広場の市のある部分や、ジャン・クリストフの終わりのある部分(ことに燃ゆる荊の中のアンナの章)などは、曙よりも前に、あるいは同時に、書かれていた。クリストフやオリヴィエのうちに反映するフランスの映像は、最初よりして、本書のうちに一定の場所を占めていた。それゆえに、これをもって著作の脱線だと見なしてはいけない。これは道中予定の佇止《ちょし》であって、過ぎ来し谷間をふり返り見、行く手の遠い地平線をうちながむべき、人生の大なる覧台《テラース》の一つである。
言うまでもなく私は、これら最近の巻と家の中)において、もとよりその後の部分においても同様であるが、一つの小説を書くという志望は少しもなかった。それではこの作品はいったいなんであるか? 詩であるのか?――いや名前の必要がどこにあろう。一人の人間を見て、それは小説か詩かと尋ねる者が世にあろうか。私が創造したのは一個の人間である。一個の人間の生活は、文学上のある形式の中にはめ込まれ得るものではない。その法則は生活自身のうちにある。そして各生活はそれぞれ自己の法則をそなえている。その掟《おきて》は自然の力の掟と同じである。人間の生活には、静かな湖水のごときもあり、雲の流るる明るい大空のごときもあり、豊饒《ほうじょう》な平野のごときもあり、切り立った山嶺《さんれい》のごときもある。ジャン・クリストフは、いつも大河のごとくに私の眼には映った。私は最初よりそれを述べておいた。――大河の流れのうちには、周囲の野や空を映しながら広々として眠ってるように思える場所がある。それでもやはり流れ変化しつづけている。時としては、静まり返った外見のうちに急流を包んでいて、その猛然たる勢いはやがて、先に行って第一の障害にぶつかったとき、突然現われてくることがある。そういうのが、ジャン・クリストフのこの一巻の姿である。今は、おもむろに水を集め、両岸の思想を吸い込みながら、ふたたびその流れをつづけんとしている、海の方へ――われわれが皆行くべき海の方へ。
一九〇九年一月ロマン・ローラン
一
俺《おれ》には一人の友がある!……苦しいときに寄りすがるべき一つの魂を、あえぐ胸の動悸《どうき》が静まるのを待ちながら、やっと息がつけるやさしい安全な一つの避難所を、見出したという楽しさ! もはや一人ではない。疲れて敵に渡されるまで、常に眼を見開き不眠のために充血さしながら、たえず武装していることも、もはや必要ではない。自分の全身を向こうの手中に託し、向こうでもその全身をこちらの手中に託した、親愛なる伴侶《はんりょ》があるのだ。ついに休息を味わい、彼が見張ってくれてる間は眠り、彼が眠ってる間は見張ってやる。子供のようにこちらを信頼してるなつかしい者を、保護してやるという喜びを知る。向こうに身をうち任せ、あらゆる秘密をも知られてるのを感じ、勝手に自分を引き回されるのを感ずるという、さらに大きな喜びを知る。多年の生活のために老い衰え疲れていたのが、友の身体のうちに若々しく溌剌《はつらつ》と生まれ返り、新しい世界を友の眼でながめ、この世の一時の美しいものを友の官能で抱きしめ、生きることの輝かしさを友の心で楽しむ……苦しみをも友とともにする……。ああ、友といっしょにいさえすれば、苦悶《くもん》までが喜びである!
俺には一人の友がある! 自分の遠くに、自分の近くに、常に自分のうちに、友がある。俺は友を所有し、俺は友のものである。友は俺を愛している。友は俺を所有している。融《と》け合って一つの魂となったわれわれの魂は、愛に所有されてるのだ。
ルーサン家の夜会の翌朝、クリストフが眼を覚《さ》ましながら第一に考えたのは、オリヴィエ・ジャンナンのことであった。彼はすぐに会いたくてたまらなくなった。起き上がって出かけた。八時前だった。なま温《あたた》かい多少重苦しい朝だった。早くも四月時分の気候が見舞ったようで、雷雨模様の雲がパリーの上にたなびいていた。
サント・ジュヌヴィエーヴ丘の麓《ふもと》の、植物園のそばの小さな通りに、オリヴィエは住んでいた。その家は通りのいちばん狭い場所にあった。階段が薄暗い中庭の奥に開いていて、不潔な雑多な匂《にお》いを放っていた。急な曲がり角《かど》をなしてる段々は、鉛筆で楽書きされてる壁のほうへ傾いていた。四階まで上ると、灰色の髪を乱し平常着をだらしなくつけた女が、足音を聞いて扉《とびら》を開いたが、クリストフの姿を見てまた荒々しく扉を閉《し》めた。どの階にもたくさん住居があって、建て付けの悪い扉の隙間《すきま》から、子供らの押し合ったり泣き叫んだりするのが聞こえていた。天井の低い各階の中にたがいにつみ重なり、胸悪くなるような中庭のまわりにぎっしりつまってる、不潔な凡俗な生活のうごめきだった。クリストフは嫌悪《けんお》の情に打たれた。これらの人々は、少なくとも万人のための空気をもってる田舎《いなか》を離れて、いかなる渇望のためにここへ引きつけられてるのか、そして、生涯《しょうがい》墓の中みたいな生活をしなければならないこのパリーから、いかなる利益を得ることができてるのか、と彼は不思議に考えた。
彼はオリヴィエが住んでる階に達した。呼鈴の代わりに結び綱がついていた。クリストフはそれをあまり強く引っ張ったので、その音にまた幾つかの扉《とびら》が階段口に半ば開かれた。オリヴィエが扉を開いた。その服装の質素ではあるが気をつけた小ぎれいさにクリストフは注意をひかれた。その服装の心づかいは、他の場合だったら気にも止まらなかったろうが、ここでは快い意外さを与えるのだった。よごれた雰囲気《ふんいき》の中にあって、それはある微笑《ほほえ》ましい健全なものをもっていた。すぐに彼は、オリヴィエの清い眼にたいして前日と同じ感銘を得た。彼は手を差し出した。オリヴィエはおずおずして口ごもった。
「あなたが、あなたがこんなところへ!……」
クリストフは、相手の露《あら》わな気兼ねのうちに、その愛すべき魂を捕えることばかり考えていて、返辞もせずにただ微笑んだ。オリヴィエを押しやって中にはいった。寝室と書斎とをかねて一つきりの室だった。鉄の狭い寝台が、窓ぎわの壁に押し寄せてあった。枕木《まくらぎ》の上に幾つも枕の重ねてあるのが、クリストフの眼に止まった。三つの椅子《いす》、黒塗りのテーブル、小さなピアノ、棚《たな》の上の書物、などが室を満たしていた。室はごく手狭で、天井が低く、薄暗かった。それでも、主人の眼の清澄な光を反映してるがようだった。すべてが小ぎれいできちんと片付いていて、あたかも女の手がはいってるかのようだった。数輪の薔薇《ばら》の花が壜《びん》にさしてあって、古いフロレンス画家の写真で飾られてる四方壁の室に、春の気を少しもたらしていた。
「それじゃあなたが、あなたが私に会いに来てくだすったのですか。」とオリヴィエは心こめて繰り返していた。
「だって、来ざるを得なかったんです。」とクリストフは言った。「君のほうからは来てくれなかったでしょう。」
「そう思っているんですか。」とオリヴィエは言った。
それからほとんどすぐに彼はつづけた。
「まったく、そうかもしれません。そう思われるのも無理はありません。」
「じゃあ、なぜ来られないんです?」
「あまり行きたいからです。」
「なるほどりっぱな理由だ!」
「ほんとうですよ、冗談じゃありません。あなたのほうはどうでもいいと思っていられるのじゃないかと、心配していました。」
「僕もそんなふうに気をもんでみたんです。そして君に会いたくて来たんです。だが、それが君に厭《いや》かどうか、僕にはすぐにわかるんだから。」
「もうそんな厭味は言わないことにしてください。」
二人は微笑《ほほえ》みながら顔を見合った。
オリヴィエは言った。
「昨日は、私は馬鹿でした。あなたの気持を悪くしやすまいかと心配していました。私の臆病《おくびょう》なのはまったく病的です。もう何にも言えなくなるんです。」
「そんなことは気にしないがいいです。君の国には饒舌家《おしゃべり》がかなり多いから、ときどき黙り込む人に、たとい臆病さからでも、言い換えれば心ならずにでも、黙り込む人に出会うと、うれしいものです。」
クリストフは自分の皮肉を面白がって笑っていた。
「では、私が無口だから訪《たず》ねて来てくだすったのですか。」
「ええ、君が無口だから、君が沈黙の徳をそなえてるからです。沈黙にもいろんな種類があるが、僕は君の沈黙がすきです。それだけのことです。」
「どうしてあなたは私に同情を寄せられるのですか。ろくにお会いしたこともないのに。」
「それは僕のやり口です。僕は人を選ぶのにぐずついてはしない。気に入った人にこの世で出会うと、すぐに決心して追っかけていって、いっしょにならなきゃ承知しないんです。」
「追っかけていって思い違いだったことはありませんか。」
「幾度もありますよ。」
「こんども思い違いではありませんでしょうか。」
「それはじきにわかることです。」
「ああそうだったら、私はどうしましょう。ほんとに私はぞっとします。あなたから観察されてると思うだけで、私はもう何もできなくなります。」
クリストフはやさしい好奇心の念で、その感銘深い顔をながめた。それはたえず赤くなったり蒼《あお》くなったりしていた。種々の感情が水の上をかすめる雲のように去来していた。
「なんという神経質なかわいい男だろう!」と彼は考えた。「まるで女のようだ。」
彼はやさしくその膝《ひざ》に手をやった。
「ねえ、」と彼は言った、「僕が警戒しながらやって来たのだと君は思ってるのですか。友人を相手に心理研究をやるような奴を、僕は大嫌《だいきら》いです。たがいに自由で誠実であって、腹蔵なく、うわべをつくろう恥じらいもなく、いつまでもうち解けないという懸念もなく、たがいに言い逆らうことを恐れもしないで、感じたことをすべてうち明け合うという権利――一瞬間後にはもう愛さなくなっても構わないが、ただ現在は愛してるという権利、それだけが僕の求めるものです。そうしたほうが、いっそう男らしくりっぱではないですか。」
オリヴィエは真実な様子で彼の顔をながめて答えた。
「それはそうに違いありません。そのほうが男らしいです。そしてあなたは強者です。しかし私は、なかなかそうはいきません。」
「いや僕は君を強者だと思ってるんです。」とクリストフは答えた。「ただ違った意味でです。それにまた、もしよかったら僕は君を助けて強者にしたいために、やって来たんです。というのは、先刻《さっき》あれまで言ったからつけ加えて言うんですが、そうでなけりゃこれまで打ち解けて言えはしないが、僕は――将来はとにかく現在では――君を愛してるんです。」
オリヴィエは耳までも赤くなった。きまり悪くてじっとしながら、なんと答えていいかわからなかった。
クリストフは周囲を見回した。
「ひどい住居ですね。他に室はないんですか。」
「物置みたいなのが一つあるきりです。」
「ああ、息もできない。よくこんな所に住んでいられたものですね。」
「馴《な》れてくるんです。」
「僕ならどうしたって馴れやしない。」
クリストフは胴衣《チョッキ》の胸を開いて、強く息をした。
オリヴィエは窓のところへ行って、すっかり開け放った。
「クラフトさん、あなたは都会にいてはいつも不快に違いありません。が私には、自分の元気を苦しむという憂いはありません。どこへ行っても生きられるほど息が小さいんです。それでもさすがに、夏の夜は苦しいことがあります。夏の夜が来るのを見るとびくびくします。いよいよその時になると、寝台の上にすわっていますが、まるで窒息でもしそうな気がするんです。」
クリストフは、寝台の上につみ重なってる枕《まくら》や、オリヴィエの疲れた顔をながめた。暗闇《くらやみ》の中でもがいてるその姿が眼の前に浮かんだ。
「こんな所は出ちまったがいいでしょう。」と彼は言った。「どうしていつまでもいるんです?」
オリヴィエは肩をそびやかして、平気な調子で答えた。
「どうせ、どこへ行ったって同じです。」
重い靴音《くつおと》が天井の上を歩いていた。階下には金切声が言い争っていた。そしてたえず四方の壁は、街路を通る乗合馬車の響きに揺れていた。
「そしてこれはまたひどい家だ!」とクリストフは言いつづけた。「きたなくて、むれ返って、ひどく貧乏くさい。どうして毎晩こんな家へ帰って来られるんです? がっかりしやしないですか。僕だったらとても生きちゃいられない。橋の下にでも寝たほうがましだ。」
「私も初めのうちは苦しかったんです。あなたと同じように厭《いや》な気がしました。子供の時分には、散歩に連れ出されて、人がうようよしてるきたない町を通ったばかりでも、胸がつまるような気がしました。口に言えない変な恐ろしさに襲われました。今もし地震でもあったら、死んだままここにいつまでも放っておかれるだろう、などと考えました。そして、それが世にもっとも恐ろしい不幸のように思えたものです。そんな所へみずから好んで住まうとは、そしてたぶんそんな所で死ぬだろうとは、当時夢にも思ってはいませんでした。しかしそう気むずかしいことばかりも言っていられなくなったのです。やはり今でも厭ではありますが、もうそんなことは考えないようにしています。階段を上がってくるときには、眼も耳も鼻も、あらゆる官能をふさいでしまって、自分のうちに潜み込んでしまうんです。それから向こうに、御覧なさい、あの屋根の上に、アカシアの木の枝が見えています。そのほかのものは何にも眼にはいらないように、私はこの隅《すみ》にすわり込みます。夕方、風があの枝を揺するときには、パリーから遠く離れてる気がします。ときおりあの歯形の木の葉がさらさらとそよいでるのを見ると、大きな森が波打ってる景色にもまして、私には楽しく思えます。」
「そうだ、僕の思ったとおりだ、」とクリストフは言った、「君はいつも夢ばかりみてるんですね。しかし悲しいことには、生活の意地悪さと闘《たたか》ってるうちに、他の生活を創造するのに役だつはずの幻想の力は、しだいに磨《す》り減らされてゆくでしょう。」
「それがたいていの人の運命ではないでしょうか。あなた自身でも、憤りや闘いのうちに自分を無駄に費やしてはいませんか。」
「僕のは違う。僕はそのために生まれた人間だ。この腕や手を見たらわかるでしょう。奮闘するのが僕の健全な生活です。しかし君は、十分の力をもっていない。そんなことはよくわかってる。」
オリヴィエは自分の痩《や》せた拳《こぶし》を悲しげにながめて言った。
「ええ、私は弱いんです。いつもこんなでした。しかししかたありません。生活しなければならないんです。」
「どうして生活してるんです?」
「出稽古《でげいこ》をしています。」
「なんの?」
「なんでもです。ラテン語やギリシャ語や歴史の復習をしてやり、大学入学受験者の準備をしてやり、また市立のある学校で道徳の講義をしています。」
「なんの講義?」
「道徳です。」
「なんて馬鹿なことだろう。君たちの学校じゃ道徳を教えるんですか。」
オリヴィエは微笑《ほほえ》んだ。
「もちろんです。」
「そして十分間以上も話すだけの種がありますか。」
「一週に十二時間の講義を受け持っています。」
「では悪を行なうことでも教えるんですか。」
「なぜです?」
「善とはなんであるかを知らせるためには、そんなにしゃべる必要はない。」
「というより、知らせないためには、でしょう。」
「なるほど、知らせないためには。そして、知らなくとも善を行なうに少しもさしつかえはない。善は学問ではなくて、行為だ。道徳を喋々《ちょうちょう》するのは、神経衰弱者ばかりだ。そして道徳のあらゆる条件中第一のものは、神経衰弱でないということだ。世間の衒学《げんがく》者どもは、言わば自分は足がたたないくせに人に歩くことを教えようとしている。」
「その連中は何もあなたのために語ってるのではありません。あなたは道徳を御存じですが、世には知らない者がたくさんあります。」
「そんなら、子供のように、自分で覚えるまで四足で匐《は》わせとけばいいんだ。しかし、二本の足でやろうと四足でやろうと、とにかく第一のことは、歩くということだ。」
彼はその四、五歩にも足らない狭い室を隅《すみ》から隅へ大股《おおまた》に歩いた。そしてピアノの前に立ち止まり、蓋《ふた》を開き、楽譜を繰り広げ、鍵盤《けんばん》に手を触れて、言った。
「何かひいてくれませんか。」
オリヴィエは飛び上がった。
「私が!」と彼は言った。「とんでもないことです!」
「ルーサン夫人の言葉によると、君はりっぱな音楽家だそうです。ねえ、ひいてくれたまえ。」
「あなたの前で?」と彼は言った。「それこそ寿命が縮まってしまいます。」
その心から出た率直な叫び声に、クリストフは笑い出し、オリヴィエ自身も多少当惑しながら笑った。
「いったいそんなことが、」とクリストフは言った、「フランス人にとっちゃ口実となるんですか。」
オリヴィエはなお拒みつづけた。
「でもなぜです? なぜ私にひかせようとなさるんです?」
「それはあとで言うから、ひいてくれたまえ。」
「何をひくんですか。」
「なんでも君の好きなものを。」
オリヴィエは溜息《ためいき》をもらし、ピアノのところへ行ってすわり、自分を選んだ一徹な友の意志に服従して、しばらくぐずついたあとに、モーツァルトの美しいロ短調アダジオ[#「ロ短調アダジオ」に傍点]をひき始めた。初めのうちは、指が震えて鍵《キー》を打つ力もなかった。それからしだいに元気が出て来た。モーツァルトの言葉を繰り返してるだけだと思いながら、知らず知らず自分の心を吐露していた。音楽は慎みのない腹心者である。もっともひそかな思想をも吐露してしまう。モーツァルトの緩徐曲の霊妙な作意の下から、クリストフはモーツァルトのではなく、それをひいてる新しい友の、眼に見えぬ特質を見てとった、神経質な純潔な情け深い恥ずかしがりのこの青年の、憂鬱《ゆううつ》な静穏さを、内気なやさしい微笑を。しかし、その曲の終わりに近づいて、切ない恋の楽句が高まって砕ける頂点に達すると、オリヴィエは堪えがたい羞恥《しゅうち》を感じてひきつづけられなくなった。指がきかず音が不足した。彼はピアノから手を離して言った。
「もうひけません……。」
後ろに立っていたクリストフは、彼のほうへかがみ込んで両腕を貸してやり、中断した楽句をひき終えた。それから言った。
「これで君の魂の音色がわかった。」
彼はオリヴィエの両手をとり、その顔をまともにしばらくながめた。そしてやがて言った。
「不思議だなあ!……君には以前会ったことがある……僕はずっと前から君をよく知っていた!」
オリヴィエの唇《くちびる》は震えた。彼はまさに話し出そうとした。しかし口をつぐんだ。
クリストフはなおちょっと彼を見守った。それから黙って微笑《ほほえ》みかけた。そして帰っていった。
彼は輝かしい心で階段を降りていった。二人のごくきたない小僧が、一人はパンをもち一人は油|壜《びん》をもって上がってくるのにすれ違った。彼はその二人の頬辺《ほっぺた》を馴《な》れ馴れしくつねってやった。顔渋めてる門番に微笑みかけた。街路に出ると、小声で歌いながら歩いた。リュクサンブールの園へはいった。木陰のベンチに身を横たえて眼をつむった。空気は静まり返っていた。散歩の人もあまりなかった。噴水の不同な響きや、ときどき砂の上の足音などが、ごく弱く聞こえていた。クリストフは堪えがたい懶《ものう》さを感じて、日向《ひなた》の蜥蜴《とかげ》みたいにうっとりとしていた。木影はもうとくに彼の顔から離れていた。しかし彼は思い切って身を動かしかねた。種々の考えがぐるぐる回っていた。が彼はそれを一つ所に定めようとしなかった。どの考えも皆楽しい光のうちに浸っていた。リュクサンブールの大時計が鳴った。彼はそれに耳を貸さなかった。がすぐそのあとで、十二時を打ったのだという気がした。彼は飛び上がった。二時間もぶらぶらしたのであって、ヘヒトの家での面会時間をも忘れ、朝じゅう無駄にしてしまったことを見てとった。みずから笑い出して、口笛を吹きながら帰りかけた。商人の呼び売りの声に基づいてカノンのロンドを吹いた。悲しい旋律《メロディー》も彼のうちでは喜びの調子となった。同じ町内の洗濯《せんたく》屋の前を通りかかると、いつものとおり、店の中をじろりと横目で見やった。色|艶《つや》のない火にほてった赤毛の小娘が、その痩《や》せ細った両腕を肩の近くまで裸にし、胸衣をくつろげて、火熨斗《ひのし》をかけていた。彼女はいつものとおり厚かましい色目を使ってみせた。その眼つきが彼の眼に出会っても、彼は初めていらだたなかった。彼はなお笑った。自分の室にもどったが、今まで気がかりだった事柄も何一つ眼に留まらなかった。帽子や上衣や胴衣《チョッキ》を左右に投げ出して、世界を征服するような元気で仕事にかかった。あちらこちらに散らかってる音楽の草稿を取り上げた。が心はそこになかった。ただ眼で読んでるばかりだった。数分間たつと、頭がぼんやりして、リュクサンブールの園にいたときと同じく、楽しい夢心地に陥っていった。彼は二、三度それにみずから気づいて、はっきり我に返ろうとした。しかし無駄だった。快活に叫び散らし、立ち上がって、冷水の盥《たらい》に頭をつき込んだ。それで少し酔い心地からさめた。黙ってぼんやり微笑を浮かべながら、テーブルのところにもどってすわった。彼は考えた。
「これと恋愛との間に違いがあるかしら?」
本能的に彼は、あたかも恥ずかしがってるかのようにそっと考えていた。彼は肩をそびやかした。
「愛するのに二つの仕方はない……いやむしろ二つある。自分の全部を挙げて愛する仕方と自分の皮相な部分のわずかだけをささげて愛する仕方とだ。俺《おれ》は後者のような吝《し》みったれた心をもちたくないものだ!」
それから先は一種の羞恥《しゅうち》を覚えて、考えるのをやめた。そして長い間じっと、内心の夢想に微笑《ほほえ》みかけていた。彼の心は沈黙のなかに歌っていた。
――君は私のもの。そして今や初めて、私はまったく私のもの……。
彼は紙をとって、心が歌ってることを静かに書きつけた。
二人はいっしょの部室《へや》に住もうときめた。クリストフは半期分の部室代《へやだい》を無駄にするのも構わず、すぐに移り住もうとした。オリヴィエはいっそう細心であって、愛情が少ないのではなかったが、今の部室代の期限がつきるまで待とうと勧めた。クリストフにはそういう計算がわからなかった。金をもたない連中の多くと同じく、彼は金を失うことをなんとも思わなかった。そしてオリヴィエが自分よりなおいっそう困窮してるのだろうと想像した。ある日彼は、友の窮乏に驚いて、ふいとそのもとを去り、二時間後に、ヘヒトから前借りしてきた五フランの貨幣を数個、得意げに並べだした。オリヴィエは顔を赤らめて断わった。クリストフは不満に思って、中庭で音楽をやってたイタリー人へ、その金を投げ与えようとした。オリヴィエはそれを引き止めた。クリストフは立ち去った。表面は気持を悪くした様子をしていたが、実際では、オリヴィエから断わられたのも自分のへまなせいだとして、自分自身に腹がたっていた。ところが友の手紙で、その不|機嫌《きげん》は慰められた。オリヴィエは、彼と知り合いになった喜びや彼が自分のためにしてくれようとした事柄にたいする感激など、すべて声高に言い得なかったことを書いてよこした。クリストフは感情のあふれた狂気じみた返事を出した。十五歳のおり、友のオットーに書いた手紙と似たものだった。情熱と支離滅裂な言葉とに満ちていた。フランス語やドイツ語の駄洒落《だじゃれ》を交えていた。その駄洒落に楽譜をつけてまでいた。
二人はついに住居を定めた。モンパルナス町のうちで、ダンフェール広場の近くに、古い家の六階に、台所付三室の住居を見出していた。室は皆狭かったが、四方を大きな壁で囲まれた小さな庭に臨んでいた。二人が住んでる六階からは、他よりも少し低い正面の壁越しに、パリーになお多く見受けるような、人に知られないで隠れてる修道院の大きな庭を、ずっと見渡すことができた。そのひっそりした庭の小径《こみち》には人影もなかった。リュクサンブールのそれよりもいっそう高くいっそう茂ってる老木が、日の光を受けてそよいでいた。小鳥の群れがさえずっていた。夜明けごろから笛のような鶫《つぐみ》の鳴き声がし、つぎには騒々しいリズムの雀《すずめ》の合唱となった。そして夕方になると、夏には、輝かしい空気をつき切って空に滑走する燕《つばめ》の、狂気じみた鋭い叫びが聞こえた。夜は、月光の下で、池の水面に立ちのぼる泡《あわ》に似た、蝦蟇《がま》のすがすがしい声がした。もしその古い建物が、あたかも大地が熱に震えてるかのように、重い馬車の響きにたえず揺られることがなかったら、パリーの町であることを忘れてしまえるほどだった。
一つの室が、他の室より広くて美しかった。二人の友は争ってそれをたがいに譲り合った。籤《くじ》を引かなければならなかった。籤にすることを考えついたクリストフは、悪い知恵を出して、われながら意外だったほど巧妙に、その室が自分の手に落ちないようにしてしまった。
このときから、二人にとってまったく幸福な時期が始まった。その幸福は、ある一定の事柄のうちにあるのではなくて、すべての事柄のうちに同時に存在していた。二人のあらゆる行為と思想とを浸し、一瞬も二人から離れなかった。
二人の友情の新婚期とも言うべき時期の間、
世界の中に一つの魂を自分のものと呼び得る人……
のみが知っている、無言の深い喜悦に満ちた最初の時期の間、二人はほとんど口をきかなかった。ほとんど口をきき得なかった。たがいにそばにいることを感じたり、長い沈黙のあとに二人の考えが同じ方向をたどってることを示すような、一つの眼つきや言葉を交えたりするだけで、彼らには十分だった。たがいに何一つ尋ねかけもせず、たがいに顔を見合わすこともしないで、二人はたえずたがいに見守っていた。愛する者は知らず知らずに、愛の相手の魂に則《のっと》るものである。相手の気持を害せず相手の全部でありたいという、ごく強い欲望をもってるので、不思議な急速な直覚力によって、相手の奥底のきわめてかすかな動きをも、すべて読みとってしまう。おたがいに透き通って見える。彼らはたがいにその存在を取り換え合う。顔だちはたがいに真似し合い、魂はたがいに真似し合う――奥深い力が、種属という悪魔が、突然躍《おど》り出してきて、自分を縛《いまし》めている愛情の外皮を引き裂いてしまう、その日までは。
クリストフは小声で話し、静かに歩き、沈黙がちなオリヴィエの室の隣室で、音をたてまいと用心していた。彼は友情のために様子が変わっていた。かつて見られなかったほどの、幸福と信頼と若さとの表情をしていた。彼はオリヴィエを敬愛していた。オリヴィエは、それを身に余る幸福だとして恥ずかしく思わなかったら、自分の力を濫用して勝手な真似をするのは容易だったろう。が彼はクリストフよりずっと劣ってると自分を見なしていた。クリストフも同様にみずから卑下していた。そしてこの相互の謙譲は、彼らの大きな愛情から来たものであって、さらに一つの楽しみだった。友の心のうちに多大の場所を占めてると感ずることは――それが身に余ることだと意識してもなお――非常にうれしいことだった。そして二人はたがいに、しみじみとした感謝の念を覚えていた。
オリヴィエは自分の書物をクリストフのといっしょにしておいた。もうその間の区別をたてなかった。ある本のことを話すときには、「僕の本」と言わないで、「僕たちの本」と言った。そして彼が共同の財産中に交えないで別にしておいた品物は、ごくわずかな数しかなかった。それは皆、姉の所持品だったものか、あるいは姉の思い出を帯びてるものだった。クリストフは愛情から来る敏感さで、間もなくそれに気がついた。しかしその理由は知らなかった。彼はかつてオリヴィエにその両親のことなどを尋ねなかった。もう両親がないことだけを知っていた。そして、愛情の上での多少高ぶった控え目から、友の秘密を探り出すことを避けたうえに、過去の悲しみを友の心に呼び覚《さ》ますことを恐れる懸念もあった。友の身の上を非常に知りたくはあったけれど、ある妙な気遅れから、オリヴィエのテーブルの上にある写真を目近く見調べることさえ、なし得ないでいた。写真に現われてるのは、威儀を正した紳士と貴婦人と、それから、足元にスパニエル種の大きな犬を置いた十二、三歳の少女とであった。
いっしょに住んでから二、三か月後に、オリヴィエは悪寒《おかん》を覚えた。床につかなければならなかった。クリストフは慈母めいた心持を起こして、気づかわしい情愛で看護をした。医者はオリヴィエを聴診して、肺尖《はいせん》に少し炎症を発見し、患者の背中にヨードチンキの塗布をクリストフへ頼んだ。クリストフはその役目を真面目《まじめ》くさってやってのけたが、そのとき、オリヴィエの首に聖牌《せいはい》がかかってるのを見出した。彼は今ではもうオリヴィエを十分理解していて、オリヴィエが彼よりもいっそう宗教心から離脱してることを、よく知っていた。それで聖牌を見出した驚きを隠しきれなかった。オリヴィエは顔を赤めた。そして言った。
「これは記念の品なんだ。憐《あわ》れなアントアネットが、死ぬときにつけてたものだよ。」
クリストフははっとした。アントアネットという名前は彼にとって電光に等しかった。
「アントアネットだって?」と彼は言った。
「僕の姉だよ。」とオリヴィエは言った。
クリストフは繰り返した。
「アントアネット……アントアネット・ジャンナン……それが君の姉《ねえ》さんなのか?……だが、」
彼はテーブルの上の写真をながめながら言った、「子供のときに亡くなったんじゃないのか?」
オリヴィエは悲しげに微笑《ほほえ》んだ。
「それは子供のときの写真だよ。」と彼は言った。「ほかに写真がないものだから……。亡くなったのは二十五のときだった。」
「ええ!」とクリストフは感動して言った。「そしてドイツにいたことがあるんだろう?」
オリヴィエはそうだと頭でうなずいた。
クリストフはオリヴィエの両手をとった。
「僕は君の姉さんを知ってたんだ!」と彼は言った。
「僕もそのことは知ってる。」とオリヴィエは言った。
彼はクリストフの首に飛びついた。
「かわいそうに、かわいそうに!」とクリストフは繰り返した。
彼らは二人とも涙を流した。
クリストフはオリヴィエが病気であることを思い出した。その心を落ち着かせようとし、無理に腕を蒲団《ふとん》の中に入れさせ、肩の上に毛布をかけてやり、そしてやさしく眼をふいてやり、その枕頭《ちんとう》にすわった。それからじっと顔をながめた。
「だから、」と彼は言った、「僕は君を知ってたのだ。初めて会った晩から君に見覚えがあった。」
(彼が話しかけてるのは、そこにいる友へかあるいはもう世にない彼女へか、どちらともわからなかった。)
「だが君は、」と彼はやがてつづけた、「それを知ってたんじゃないか。……なぜそう言わなかったんだい?」
オリヴィエの眼をかりてアントアネットが答えた。
「私には言えませんでした。あなたのほうで察してくださるはずでした。」
二人はしばらく黙っていた。それから夜の静けさのなかで、オリヴィエはじっと床に横たわりながら低い声で、手をとってくれてるクリストフへ、アントアネットの話をした。しかし、言ってならないこと、彼女が包み隠していた秘密――彼が告げるまでもなくクリストフはたぶんそれを知っていたろうが――それだけは、口に出さなかった。
それ以来、アントアネットの魂が二人を包み込んでしまった。二人いっしょにいるときには、彼女もともにいた。二人は彼女のことを考える必要がなかった。二人いっしょに考えることはみな、彼女のなかで考えていた。彼女の恋は、二人の心が一つに結ばれ合う場所であった。
オリヴィエはしばしば彼女の面影を描き出した。切れ切れの思い出や短い逸話などを思い起こした。すると、彼女の内気らしいしとやかな身振りや、落ち着いた若々しい微笑や、衰えた身体つきの物思わしげな優雅さなどが、ぱっと明るくなって現われた。クリストフのほうは、耳を傾け口をつぐんで、眼に見えないなつかしい彼女の映光に浸った。だれよりもよく生命の気をむさぼり飲む天性に従って、彼は時とするとオリヴィエの言葉のうちに、オリヴィエにも聞こえない深い共鳴音を聞きとった。そして彼はオリヴィエ自身よりもなおよく、亡き若人の存在を自分に同化していた。
本能的に彼は、オリヴィエのそばで彼女の代わりを務めた。無器用なドイツ人たる彼が、アントアネットと同じ微細な注意や世話を、みずから知らずにやってのけてることは、見るも心ひかるる光景だった。彼はときどき、アントアネットのうちにオリヴィエを愛してるのか、オリヴィエのうちにアントアネットを愛してるのか、もはや自分でもわからないことがあった。愛情の発作に駆られては、黙ってアントアネットの墓参りに出かけた。そして花をもっていった。オリヴィエはそれに長く気づかなかった。ある日墓の上にごく新しい花を見出して、ようやくそれと知った。しかしクリストフが来たのだという証拠を得るには、容易なことではなかった。おずおず言い出してみると、クリストフは不|機嫌《きげん》な乱暴さで話をそらした。彼はオリヴィエに知られたくなかった。そして執拗《しつよう》に隠しぬいた。がある日ついに、イヴリーの墓地で二人出会ってしまった。
オリヴィエのほうではまた、クリストフに内密で彼の母へ手紙を書いていた。ルイザへ息子の消息を伝えてやった。自分がいかほど彼を愛し敬服してるかを、書き贈った。ルイザもオリヴィエへ、下手《へた》なつつましい返事を書いて、感謝の念にくれていた。彼女はまだやはり息子《むすこ》のことを小さな子供のように語っていた。
愛に満ちた半ば沈黙の時期――「なぜともなく歓《よろこ》ばしい楽しい静安」――のあとに、二人の舌はほどけてきた。友の魂の中に発見の航海をすることで幾時間も過ごした。
二人はたがいにずいぶん異なってはいたが、どちらも純粋な地金ででき上がっていた。そして同じものでありながらも異なっているゆえに、なお愛し合った。
オリヴィエは弱々しくて、困難と戦うことができなかった。一つの障害にぶつかると、すぐに辟易《へきえき》した。それも恐ろしいからではなくて、多少は臆病《おくびょう》なからであり、多くは、征服のために取らなければならない荒々しい粗暴な方法を忌みきらうからであった。彼の生活の方便は、出稽古《でげいこ》をしたり、例によって恥ずかしいほどの報酬で、芸術の著書をしたり、またまれには雑誌の原稿を書いたりすることだった。その原稿もけっして自由なものではなく、ごく興味の薄い題目に関するものだった。――彼が興味をもってる事柄は喜ばれなかった。彼のもっとも得意なものはかつて求められなかった。詩人であるのに評論を求められた、音楽に通じてるのに絵画論を喜ばれた。そんなことについてはくだらないこときり言えないのは、自分でもよくわかっていた。しかしそれがちょうど人に好かれる事柄だった。かくて彼はわかりやすい言葉で凡俗を相手に書いた。ついにはみずから厭気《いやけ》がさして執筆を断わった。彼が喜んで働き得るのは、原稿料を出さない小雑誌にばかりだった。そこではまったく自由だったので、他の多くの青年らと同様に、彼も懸命になっていた。ただそこでだけ彼は、世に出す価値があるとみずから思えるものをすべて発表することができた。
彼は外観上温和で丁寧で忍耐強かったが、過敏な感受性をそなえていた。少し鋭い言葉を聞くと、血が湧《わ》き返るほど気にさわった。不正に出会うと心が転倒した。それを自分のためにまた他人のために苦しんだ。数世紀前に行なわれた卑劣な行為を見てもなお、自分がその被害者であるかのように口惜《くや》しがった。その被害をこうむった者はいかにつらかったろうかと考え、いかに多くの年月がその男と自分の同情とを隔ててるかを考えては、蒼《あお》くなり身を震わし悲しがった。そういう不正の一つを目撃するときには、過度の憤怒に駆られて、身体じゅうをうち震わし、時には病的になって眠れなかった。彼はそういう自分の弱さを知っていたから、いつも無理に落ち着こうとつとめた。というのは、腹をたてると見境がなくなって、人から許されそうもないことを口走るようになることを、みずから知ってたからである。そして彼は、いつも乱暴なクリストフよりなおいっそう、人から恨まれた。彼が腹をたてたさいには、クリストフよりもさらによく、自分の心底を見せつけるように見えたからである。そして実際そのとおりだった。彼はクリストフのように盲目的な誇張なしに、錯誤なしに明快に、他人を批判していた。それこそ人のもっとも許しかねることだった。で彼は口をつぐみ、議論の無益さを知ってそれを避けた。彼はそういう抑制を長く苦しんできた。そして自分の臆病《おくびょう》さを、さらに多く苦しんできた。臆病のあまりに時とすると、自分の考えを裏切ることがあり、あるいは自分の考えを最後まで弁護し得ないことがあり、なおその上に、クリストフのことについてリュシアン・レヴィー・クールと議論したときのように、詫《わ》びを言うはめになることさえあった。世間に見切りをつけ自分自身に見切りをつけるまでには、幾度も絶望の危機を通り越してきた。神経の支配をいっそう受ける青春時代には、激昂《げっこう》の時期と銷沈《しょうちん》の時期とが、急激な勢いで交互にいつも襲ってきた。もっとも幸福な気持のときにも、苦悩に待ち伏せられてることがはっきりわかっていた。そして実際、苦悩がやってくるのを見ないでも、不意にそのために圧倒せられた。すると不幸だというばかりでは済まなかった。自分の不幸をみずから責め、自分の言葉や行為や正直さなどを批判し、他人をよしとし自分を不正とせざるを得なかった。心臓が胸の中でどきどきし、痛ましいほどもがき苦しみ、息がつけなかった。――アントアネットが死んでからは、おそらくその死のおかげで、病人の眼や魂をさわやかにする曙《あけぼの》の光に似た、なつかしい故人から射《さ》す和《なご》やかな光明のおかげで、オリヴィエは、それらの悩みから脱することはできなかったとしても、少なくともそれをあきらめそれを押えることができるようになった。彼のそういう内心の闘《たたか》いに気づく者はあまりなかった。彼はその恥ずかしい秘密を、虚弱な不均衡な身体の狂的な懊悩《おうのう》を、自分のうちに秘めていた。その懊悩を統御することはできないが、しかしそれから害せられはしないで、ただじっと見守っていた、自由な朗らかな知力が――「際限なく」が。
クリストフが心ひかれたのはその平穏だった。彼がオリヴィエの眼の中に認めたのはそれだった。オリヴィエは人の魂を見てとる直覚力をそなえていた。すべてのものに開かれ、何物も否定せず、何物も憎まず、寛大な同情で世界を観照する、広い精緻《せいち》な精神的好奇心をそなえていた。貴重な天稟《てんぴん》であって、常に新しい心で永遠の新味を味わわせる、清新な眼をそなえていた。自由で広大で崇高な心地がするその内的世界のうちにあると、彼は自分の弱さや肉体の苦悩を忘れはてた。今にも消滅せんとしてる悩ましい身体を、一種皮肉な憐《あわ》れみをもって遠くからながめるのは、多少の楽しみでさえあった。かくして、自分の生に執着するの恐れがなく、一般の生にますます熱く執着していた。彼は自分の力を行為のうちに用いないで、愛と知能とのうちに注いでいた。彼は自分の実質で生きるだけの養液をもっていなかった。彼は葛《かずら》であって他物にすがらなければならなかった。自分を投げ出してるときがもっとも充実していた。常に愛し愛されたがってる女性的な魂だった。彼はクリストフのために生まれた者であった。大芸術家の伴侶《はんりょ》であって、その力強い魂から咲き出したように見える、貴族的ないじらしい友とも言えるのだった。レオナルドにおけるベルトラフィオ、ミケランジェロにおけるカヴァリエレ、若いラファエロがもっていたウンブリアの友だち、困窮な老年のレンブラントにながく忠実だったアールト・デ・ヘルデル、それにも等しかった。彼らはその師ほどの偉大さをもってはいないが、師のうちにある崇高純潔なものはみな、いっそう精神化されて彼らのうちにあるがように見える。彼らは実に天才の理想的な道づれである。
二人の友情は二人のためによかった。友があれば生き甲斐《がい》が出てくる。友のために生きるようになり、時の磨滅《まめつ》力にたいして自分の保全をつとめるようになる。
二人はたがいに充実し合っていた。オリヴィエは清朗な精神と病弱な身体とをもっていた。クリストフは強力と落ち着きのない魂とをもっていた。二人は盲者と中風患者とであった。そして今二人いっしょにいると豊饒《ほうじょう》な気がした。クリストフの影に身を置いて、オリヴィエは光にたいする趣味を見出した。クリストフは、悲しみの中や不正や憎悪の中にあってさえ楽天的になりがちな、あふれるほどの活力と心身の頑健《がんけん》さとを、多少オリヴィエのうちに注ぎ込んだ。そしてさらに多くのものをオリヴィエから取り出した。それが天才の法則である。天才はいかに多く与えても、それよりさらに多くのものを常に愛のうちから奪い取る。なぜなら、われは獅子《しし》なればなりだからであり、天才だからである。天才ということは半ばは、自分の周囲の偉大なものを吸い取りそれをさらに偉大になす、ということにある。富は富者に集まると下世話《げせわ》に言われている。力は強者に集まるものである。クリストフはオリヴィエの思想で自分を養った。その落ち着いた知力、超然たる精神、暗黙のうちに理解し見きわめる遠大な見解、などを吸収した。しかし友のそういう長所は、彼のうちに、豊饒な土地に、移植されると、まったく異なった力で生長していった。
二人はたがいに相手のうちに見出されるものに驚嘆していた。彼らはおのおの、これまで自分でも気づかなかった巨大な財宝をもち寄った。それはたがいの民衆の精神的な宝だった。オリヴィエのほうは、フランスの広範な教養と心理的才能とであった。クリストフのほうは、ドイツの内的音楽と自然にたいする直覚力とであった。
クリストフには、オリヴィエがフランス人であることを理解できなかった。オリヴィエは彼が見たどのフランス人にもあまり似寄っていなかった。彼はオリヴィエに会う前には、リュシアン・レヴィー・クールをフランス近代精神の典型だと見なしがちだった。が実は、レヴィー・クールはその漫画にすぎないのだった。そして今、レヴィー・クールよりもいっそう思想的に自由であり、しかもなお純潔であり堅忍である者らが、パリーにもいるということを、彼はオリヴィエの実例によって教えられた。けれど、オリヴィエやその姉はどうもまったくのフランス人ではないと、彼はオリヴィエに証拠だててやりたかった。
「お気の毒だが、」とオリヴィエは言った、「君はフランスについて何を知ってるんだい?」
クリストフは抗弁して、フランスを知るためにいかに骨折ったかを述べたてた。ストゥヴァン家やルーサン家などの集まりで出会ったフランス人を列挙した。ユダヤ、ベルギー、リュクサンブール、アメリカ、ロシア、近東、などの生まれのフランス人や、また間々には、生粋《きっすい》のフランス人などだった。
「その生粋のフランス人のことを僕は言ってるんだ。」とオリヴィエは言い返した。「君はまだその一人も見てはいない。遊蕩《ゆうとう》社会、快楽の獣ども、フランス人でもない奴ら、道楽者や政治家ややくざ者、国民に触れはしなくてその上を飛び過ぐる騒々しい連中ばかりだ。秋の日和《ひより》と豊かな果樹園とに寄ってくる蠅《はえ》の群れしか君は見ていない。勤勉な蜜蜂《みつばち》の巣、働きの都、研鑚《けんさん》の熱、それを君は眼に留めたことがないんだ。」
「いや、」とクリストフは言った、「選《よ》りぬきの知識階級も見たんだよ。」
「なんだって、二、三十人の文学者どものことなんだろう? 結構なことさ! 科学と実行とが大なる地位を占めた現今では、文学は民衆思想のもっとも浅薄な一層となってしまっている。しかもその文学においても、君は芝居をしか、贅沢《ぜいたく》な芝居をしか、ほとんど見てはいない。それは万国的旅館の富裕な客のためにできてる国際料理にすぎないのだ。なにパリーの芝居だって? 芝居でおよそどんなことが行なわれてるかを勉強家が知ってるとでも、君は思ってるのか。パストゥールは生涯《しょうがい》に十遍とは芝居へ行かなかったんだ。君はたいていの外国人と同様に、僕の国の小説を、大通りの芝居を、政治家らの策略を、馬鹿げて重大に考えてる……。がもし君が望むなら、いつでも僕は君に見せてあげよう、けっして小説を読まない婦人を、かつて芝居へ行ったことのないパリーの若い娘を、かつて政治に関係したことのない男子を――そしてそれが、知識階級のうちにあるのだ。君はまだ、僕の国の学者をも詩人をも見たことがないのだ。黙然として努力してる孤独な芸術家をも、革命家の燃えたった熱をも、見たことがないのだ。一人の偉大な信仰家をも、一人の偉大な無信仰家をも、見たことがないのだ。また民衆のことについては、云々《うんぬん》するのをよしたがいい。君を世話してくれたあの憐《あわ》れな女以外に、君は民衆について何を知ってるのか? どこで民衆を見たと言うのか。三階四階の上に住んでるパリー人を、君は幾人知ってるのか。そういう人々を知らなければ、フランスを知らないと同じだ。君は知るまいが、憐れな住居の中で、パリーの屋根裏で、黙々たる田舎《いなか》で、善良な誠実な心の人々が、その平凡な一生の間、りっぱな思想を胸にいだき、日々の克己《こっき》をつとめてる――それこそ、フランスに常に存在していた小さな教会――数の上では小さいが魂から言えば偉大な教会であって、ほとんど世にも知られず表面に現われる働きもしないけれど、しかもフランスのすべての力なのだ。優秀者と自称してる者どもがたえず腐敗し更新してゆくに引き変え、その力のみは黙々として永続してるのだ……。幸福ならんがために、いかにもして幸福ならんがために、生きてるのではなくて、自分の信念を果たさんがために、もしくは信念に奉仕せんがために生きてる、一人のフランス人を見出したら、君は定めて驚くだろう。ところが実際、僕のような、そしてもっと価値があり、もっと敬虔《けいけん》であり、もっと謙譲である、たくさんの人々がいて、一つの理想に、応《こた》えもしない神に、死ぬるまで撓《たわ》むことなく奉仕してるのだ。倹約で几帳面《きちょうめん》で勤勉で平静で、心の底には炎が眠ってる、細民階級――貴族の利己心に対抗しておのが「国土」を守護した犠牲的な民衆、眼玉の青い老ヴォーヴァン、それを君は知らないのだ。君は民衆を知らず、真の優秀者を知らないのだ。われわれの忠実な友となりわれわれを支持する伴侶《はんりょ》となる書物を、君は一冊でも読んだことがあるのか。献身と信念とが豊かに注ぎ込まれてるわれわれの若い諸雑誌を、君はその存在だけでも知ってるのか。われわれの太陽となって、その無言の光は偽善者どもの軍勢を恐れさしてる、精神的偉人らを、君は少しでも知ってるのか。偽善者どもは正面から戦うことをなし得ないで、彼らの前に出ると、よりよく欺かんがために腰をかがめている。偽善者こそ奴隷であり、奴隷こそ主人である。君は奴隷だけを知っていて、主人を知らない……。君はわれわれの戦いを見ても、その意味を理解しないために、無茶な混乱だと思ってしまったのだ。君は影と光の反映とだけを見て、内部の光を、古来引きつづいてるわれわれの魂を、見てとっていないのだ。君はかつてわれわれの魂を知ろうとつとめたことがあるのか。十字軍から革命政府《コンミューン》にいたるまでのフランス人の勇敢な行為を瞥見《べっけん》したことがあるのか。フランス精神の悲劇を洞見《どうけん》したことがあるのか。パスカルの深淵《しんえん》をのぞき込んだことがあるか。十世紀以上の間活動し創造しつづけてきた民衆、ゴチック芸術や十七世紀文化や革命によって世界を風靡《ふうび》した民衆、それをどうして誹謗《ひぼう》し得られよう! 幾度も熱火の試練を受け、鍛えに鍛えられ、かつて死滅せず、そのたびごとによみがえった民衆だ……。――君たちは皆そうなんだ。フランスに来る君の国の人たちが見るものは、われわれをかじってる寄生虫、文学政治財政の投機師、およびその用達人《ようたしにん》や顧客や情婦などばかりだ。そしては、フランスを蚕食《さんしょく》してるそれらの下賤《げせん》な奴らによって、フランスを批判している。迫害されてる真のフランス、フランスの田舎《いなか》にたくわえられてる活力、一時の主長者どもの喧騒《けんそう》には無関係で、ひたすら働いてる民衆、それに思いをはする者は君たちのうちに一人もない……。そうだ、君たちがそれを知らないのは当然すぎることだ。僕は君たちをとがめはしない。君たちにどうしてそれが知られよう? フランス人でさえフランスをよく知ってはいない。われわれのうちの優良な人々は、自分の国土において封鎖されとらわれてるのだ……。われわれがいかに苦しんだかは、だれもついに知り得ないだろう。われわれは民族的才能に執着して、それから受けた光明を、神聖な委託物として自分のうちに納め、それを消そうと努める害悪な息吹《いぶ》きに反抗して、必死に守っているのだ――異人種どもの腐爛《ふらん》した雰囲気《ふんいき》を周囲に感じながら、常に孤独であって、彼らから蠅《はえ》の群れのように思想によりたかられ、その忌まわしい蛆虫《うじむし》から理性をかじられ心を汚されているのだ――われわれを保護すべき役目をもってる人々から、指導者たる立場の人々から、下劣卑屈な批評家たちから、われわれはいつも裏切られており、彼らはわれわれと同人種であることを許されんために、敵に諛《へつら》ってばかりいるのだ――民衆からわれわれは見捨てられていて、民衆はわれわれのことを気にも留めず、われわれのことを知りさえもしないのだ……。民衆から知られるいかなる方法をわれわれはもっていよう? われわれは民衆まで達することができないのだ……。ああ、これがもっともつらいことなんだ! われわれと同じ考えをもってる者がフランスには無数にいることもわかっているし、われわれは彼らの代弁をしてるのだということもわかっているけれども、しかもわれわれは自分の言を人に聞かせることができないのだ! 新聞も雑誌も芝居も皆ことごとく敵の手中にある……。印刷機関はすべて思想物を避け、快楽の道具か党派の武器としてしか思想を認めない。いかなる団体も倶楽部《クラブ》も、われわれが堕落しなければ通してはくれない。困窮と極度の勉励とのためにわれわれは圧倒されてるのだ。政治家らは富むことばかりを考えていて、買収し得る無産階級にしか興味を寄せない。有産階級の者らは冷淡で利己主義であって、われわれが死ぬるのを傍観している。わが民衆はわれわれのことを知っていない。われわれと同じく戦いわれわれと同じく沈黙に包まれてる人々でさえ、われわれの存在を知らないでいるし、われわれもまた彼らの存在を知らない……。災いなるパリーなるかなだ! もちろんパリーは、フランス思想のあらゆる力を集合しながら役にもたった。しかしパリーがなした悪は少なくともその善に匹敵し得る。そして現在のような時代にあっては、善でさえも悪に変化してゆく。似而非《えせ》優秀者らが、一度パリーを奪って言論のらっぱの口をふさいだだけで、フランスの残りの声もみな抑圧されてしまう。のみならず、フランス自身もそのために身を誤っている。フランスは恐れて口をつぐみ、自分のうちにその思想を恐る恐る引っ込めてしまっている……。僕は昔それらのことをひどく苦しんだ。しかしクリストフ、僕はもう今では落ち着いている。僕は自分の力を悟り、わが民衆の力を悟った。洪水が通り過ぎるのを待ちさえすればよい。洪水もフランスの美《うる》わしい花崗岩《かこうがん》を浸食しはしないだろう。流されてきた泥《どろ》をかきわけて、僕は君にその花崗岩をさわらしてあげよう。そしてもうすでにここかしこに、その高い岩の頭がのぞき出している……。」
クリストフは、彼と同時代のフランスの詩人や音楽家や学者などを活気だたせてる、理想主義の巨大な力を見出した。一時的大家らが、露骨な肉感主義の騒々しさで、フランス思想の声を押っかぶせてる一方に、あまりに貴族的なフランス思想は、そういう下賤な徒輩の傲岸《ごうがん》な叫び声と暴力的な戦いをなすのを好まないで、ただその熱烈な専心的な歌を、自分のためと自分の神のためとに歌いつづけていた。そして外界の厭《いや》な喧騒《けんそう》を避けたがって、もっとも奥深い隠れ場所の中に、自分の城楼の中心に、引っ込んでるかの観さえあった。
詩人たち――この美しい名称は、新聞雑誌やもろもろの学芸院などによって、虚名と金銭とに飢えた饒舌《じょうぜつ》家どもにやたらに与えられているが、それに真に価する唯一の人たち――その詩人たちは、事物の外皮を切り裂くことができずにただかじってばかりいる、破廉恥な修辞法と賤《いや》しい写実主義とを軽蔑《けいべつ》して、魂の中心に立てこもり、形態と思想との世界が、あたかも湖水に落ちる急湍《きゅうたん》のように吸い込まれて、内的生活の色に染められる、神秘な幻像のうちに立てこもっていた。世界を改造せんために自己のうちに閉じこもるそういう理想主義は、あまりに固執的だったので、一般の者には近づきにくかった。クリストフでさえ初めはそれを理解しなかった。「広場の市」のあとで、あまりにその接触が唐突《とうとつ》だった。猛烈な争闘と生々《なまなま》しい光とから出て、沈黙と暗夜との中にはいったようなものだった。耳が鳴り響いていた。もう何にも見えなかった。彼は生を熱愛していたので、初めのうちはその対照が不快だった。フランスをくつがえし人類をゆるがす熱情の急流が、外部には怒号していた。そしてちょっと見ただけでは、芸術の中にはそういうものが少しも現われていなかった。クリストフはオリヴィエに尋ねた。
「君の国の人たちは、ドレフュース事件によって、星の世界までもち上げられ、また深淵《しんえん》の中に投げ込まれたじゃないか。そういう暴風が心中を吹き過ぎたような詩人は、どこにいるのか。目下宗教的な人々の魂の中には、教会の権力と良心の権利との間に、数世紀来のもっとも激しい戦いが行なわれてるじゃないか。その神聖な苦悩が心中に反映してるような詩人は、どこにいるのか。労働者階級は争闘の準備をし、幾多の国民は死滅し、幾多の国民は復活し、アルメニア人は虐殺され、アジアは千年の眠りから覚めて、ヨーロッパの鍵鑰《けんやく》たる巨大なるロシアを倒し、トルコはアダムのように白日の光に眼を開き、空中は人間から征服され、古い大地はわれわれの足下に割れて口を開き、一民衆をことごとく呑噬《どんぜい》している……。それらの異変はすべて二十年間のうちに行なわれ、幾多のイーリアスをこしらえ出すだけの材料がある。ところがそのイーリアスはどこにあるのか、君の国の詩人らの書物の中にイーリアスのごとき熱火の跡がどこにあるのか。詩人らにだけは世界の詩が見えないのか。」
「まあ急《せ》くなよ、君、急《せ》くなよ!」とオリヴィエは彼に答えた。「黙って、口をきかないで、耳を傾けてみたまえ……。」
しだいに、世界の心棒のきしる音が消え、舗石の上に響く実行の重い車のとどろきが、遠くに消え去っていった。そして、静寂の崇高な歌が起こってきた。
の羽音、菩提樹《ぼだいじゅ》の香り……。
黄金《こがね》の唇《くち》もて野面《のづら》を掠《かす》むる
風……。
薔薇《ばら》の香《か》こめしやさしき雨音。
詩人らの槌《つち》の音が聞こえてきた。それは花瓶《かびん》の側面に種々のものを彫りつけていた。
いとも素朴《そぼく》なるものの高き品位。
または、
黄金の笛と黒檀《こくたん》の笛とを持てる
真面目《まじめ》な快活な生活。または、
如何《いか》なる影をも明るしとなす……
という魂たちから湧《わ》き出る信仰の泉、敬虔《けいけん》な喜び。または、
世の常ならぬ光を放てる
気高き顔もて……
人をなだめ微笑《ほほえ》みかける、よき悲しみ。または、
やさしき眼をば見開ける静けき死。
それは清浄な声々の交響曲《シンフォニー》であった。コルネイユやユーゴーなどのような民衆的らっぱほどの響きをもってる声は一つもなかった。しかしその演奏はそれよりもいかに探さと色合いとに富んでいたことだろう! それこそ現在のヨーロッパじゅうでのもっとも豊かな音楽だった。
オリヴィエは黙然としてるクリストフに言った。
「もうわかったろうね?」
こんどはクリストフのほうから黙っていてくれとの様子をした。彼はもっと男々《おお》しい音楽のほうを好んではいたけれども、聞こえてくるその魂の森と泉とのささやきに恍惚《こうこつ》となっていた。その森と泉とは、諸民衆の一時的な争闘の間で、世界の永遠の若さを、
美の温良さ
を歌っていた。そして人類が、
慴《おび》え吠《ほ》えつつ悲しげに訴えつつ
不毛の暗き畑中を回りに回る
その一方に、また、幾百万の人々が、血にまみれた自由の破片を、懸命に争って奪い合ってる、その一方に、泉と森とはくり返し歌っていた。
「自由よ!……自由よ!……聖なるかな、聖なるかな……。」
けれどもそれらは、利己的な平安の夢に眠ってるのではなかった。詩人らの心の中には、悲壮な声が欠けてはいなかった。自負の声、愛の声、苦悶《くもん》の声、などが交じっていた。
それは
猛《たけ》き力か深き柔和かを持てる
酔い狂う颷風《ひょうふう》であった。騒然たる武力であった。群集の熱を歌う人々の幻惑せる叙事詩であった。未来の都市を鍛え出す、
大なる火炉と巨《おおい》なる鉄敷《かなしき》との周囲
闇靄《やみもや》の中に浮かべる漆黒《しっこく》に光る顔、
つと伸び縮みする筋肉《にく》逞《たくま》しき背……
などの人間神ら、息を切らしてる労働者ら、彼らの間における争闘であった。
それは、「知性の氷塊」の上に落ちかかる黒光りの明るみの中における、絶望的な狂喜をもってみずからおのれをさいなんでる、孤独な魂たちの悲壮な苦悶であった。
そういう理想主義者らの多くの特質は、一ドイツ人にとっては、フランス的というよりもいっそうドイツ的であるように思われた。しかしながら、だれも皆「フランスの微妙な説話」を愛していたし、ギリシャ神話の養液が彼らの詩のうちに流れていた。フランスの風景と日常の生活とは、ある人知れぬ魔力によって、彼らの瞳《ひとみ》の中ではアッチカの幻影となっていた。あたかもそれら二十世紀のフランス人らのうちに、古代の魂が残存してるかのようであり、その魂は美しい裸体にふたたびもどるため、近代の破れ衣を脱ぎ捨てたがってるかのようだった。
かかる詩の全体からは、ヨーロッパ以外ではどこにも見出し得られない、数世紀間に成熟した豊富な文明の香《かお》りが発散していた。一度嗅《か》げばもはや忘れることのできない香りだった。世界各国の芸術家らがそれにひきつけられていた。そして彼らはフランスの詩人に、徹頭徹尾フランスの詩人になっていた。それらのアングロ・サクソン人、フラマン人、ギリシャ人などこそ、フランスの古典芸術が有するもっとも熱烈な徒弟であった。
クリストフはオリヴィエに案内されて、フランス詩神の沈思的な美をしみじみと感じさせられた。それでも心の底では、彼の趣味にとってはやや理知的すぎるその貴族的な人柄よりも、単純で健全で頑丈《がんじょう》で、それほど理屈ぽくなくてただ愛してくれる、美しい平民の娘のほうが、やはり好ましいのだった。
同様な美の香りは、熟した苺《いちご》の香りが日に暖まった秋の森から立ちのぼるように、フランスのあらゆる芸術から立ちのぼっていた。草の中に隠れてるそれらの小さな苺の木の一つとしては、音楽があった。クリストフは自国において、まったく別な茂り方をしてる音楽の草むらに、いつも慣れていたので、最初はこの苺の木に気づかずに通り過ぎた。しかし今や彼は、その美妙な香りに振り向かせられた。音楽の名を僭《せん》してる茨《いばら》や枯れ葉の中に、少数の音楽家らの素朴なしかも精練された芸術を、彼はオリヴィエに助けられて見出した。民主主義の野菜畑や工場の煙の間に、サン・ドニーの野の中央に、神聖な小さな森の中に、あたりはばからぬ牧神たちが踊っていた。クリストフは驚いて、その諷刺《ふうし》的な朗らかな笛の歌に耳傾けた。彼がこれまで聞いた歌とは似てもつかぬものだった。
細い小川で事足りぬ、
高い草、広い牧場、
またはやさしい柳の並木、
同じく歌う川の流れ、
それらを戦《そよ》がせんために。
蘆《あし》の小笛で事足りぬ、
森をも歌わせんために……。
それらのピアノの小曲や小唄《こうた》に、フランスの室内音楽に、ドイツの芸術は一|瞥《べつ》も注ごうとしなかったし、クリストフ自身もその詩的妙技をこれまで閑却していたのであるが、その懶惰《らんだ》な優美さと表面の享楽主義との下に、クリストフはフランスの音楽家らが自己の芸術の未墾地の中に、未来を豊富ならしむるべき萌芽《ほうが》を捜し求めてる、革新の熱と焦慮とを、見出し始めたのだった。それはラインの彼方《かなた》には見られないことだった。ドイツの音楽家が父祖の陣営にうずくまり、過去の勝利を墻壁《しょうへき》として世界の進化をとどめんとしてる間に、世界は常に進みつづけていた。フランス人らは先頭に立って発見の道に突進していた。彼らは芸術の遠い領土を、消滅した太陽や輝き出した太陽を、探究していた。幾世紀もの長い眠りの後に、広大な夢に満ちてる大きなつぶらな眼を、ふたたび光明に向かって見開いてる極東や、または消え失《う》せてるギリシャなどを、探究していた。古典的な秩序と理性との才能によって開通されてる西欧の音楽のうちに、古い流行の水門を引き開けていた。そして、通俗的な旋律《メロディー》や律動《リズム》、異国的な古い音階、あるいは新しいあるいは改新された種々の音程など、世界のあらゆる水を、ヴェルサイユの池に引き入れていた。それより以前に印象派の画家たち――光におけるクリストファー・コロンブスら――が新しい世界を人の眼に開いてやったのと同じように、今やこの音楽家たちは、音の世界を征服しようと熱中していた。聴覚の神秘な深みのかなり奥まではいり込んでいた。その内海の中に新しい陸地を発見していた。だがなかなか彼らは、それらの征服を何かの役にたて得そうにもなかった。彼らは例によって世界の給養者にすぎなかった。
クリストフはこのフランス音楽の進取の気に感嘆した。昨日再生したばかりなのに、今日はすでに芸術の前衛として進んでいた。その華美な細そりした身体のうちにいかに大なる勇気があったことだろう! クリストフはその音楽のうちに先ごろ見てとっていた愚昧《ぐまい》さにたいしても、寛大とならざるを得なかった。けっして誤ることのないのは何事もなさない者ばかりである。生きたる真理のほうへ邁進《まいしん》する誤謬《ごびゅう》は、死んだ真理よりもいっそう豊饒《ほうじょう》である。
その結果はいかがであろうとも、実に驚くべき努力であった。最近三十五年間になされた仕事を、一八七〇年以前のむなしい眠りからフランス音楽を脱せしめんために費やされた精力の量を、オリヴィエはクリストフに示してやった。音楽の学校も、深い教養も、伝統も、大家も、聴衆も、何もなかったのだ。ただベルリオーズ一人のみだったがそれさえ呼吸困難と倦怠《けんたい》とに死にかかっていたのだ。そして今やクリストフは、国民を向上させるために働いた人々にたいして、尊敬の念を感じた。彼らの審美眼の狭小なことやまたは天才の欠乏をさえも、後はもはやとがめようとは思わなかった。彼らは一つの作品よりもさらに大きなものを、音楽的民衆を、創《つく》り出したのであった。新しいフランス音楽を鍛え上げた、それらの偉大なる労働者らのうちでも、ことにある一人の姿が彼にはなつかしかった。それはセザール・フランクの姿だった。育て上げた勝利を見ずに死んだフランクは、あたかも老シュルツのように、フランス芸術のもっとも暗澹《あんたん》たる時代の間に、自分の信仰の宝と民族の天才とを、おのれのうちに完全に保有していたのである。困窮と軽蔑《けいべつ》された労働との生活のうちに、忍耐強い魂の不変の清朗さを失わず、その諦《あきら》めの微笑で温良に満ちた作品を照らしていた、この天使のごとき楽匠が、音楽の聖者が、享楽的なパリーのまん中にいたことは、心打たるる光景だった。
フランスの深い生活を知らないクリストフにとっては、無信仰な民衆のさなかにこの信仰ある大芸術家がいたことは、ほとんど奇跡に近い現象と思われた。
しかしオリヴィエは静かに肩をそびやかした。清教徒たりしフランソア・ミレーに匹敵するほど、聖書《バイブル》の息吹《いぶ》きに満たされていた画家が、また明快なパストゥールほど、熱烈謙譲な信仰に貫かれていた学者が、ヨーロッパのいかなる国にいたかと反問した。――パストゥールこそは、無窮という観念の前には平伏し、その思想を奪われるときには、彼自身で言ってるとおり、「将《まさ》にパスカルの崇高な狂暴にとらわれんとしかかって、理性に宥恕《ゆうじょ》を求めながら、痛切な苦悩に陥った」のだった。確実な歩行で、一足も他にそれずに、「第一歩の自然界、極微なるものの大なる暗夜、生命の生まれ出てくるもっとも深い生物の深淵《しんえん》、」その中を彷徨《ほうこう》してる彼の、熱烈な理性にとっては、ミレーの雄々しい写実主義にとってと同じく、カトリック教ももはや邪魔物とはならなかった。そしてこのミレーやパストゥールは実に、田舎《いなか》の民衆の間から現われてきて、田舎の民衆の中から信仰を汲《く》みとったのだった。そういう信仰は常にフランスの土地に潜んでいて、煽動《せんどう》政治家らの弁舌によってもけっして打ち消されないものだった。オリヴィエはその信仰をよく知っていた。彼は胸の中にそれをになってるのであった。
二十五年前から行なわれてるカトリック教改新の盛大な運動、理性と自由と生命とを取り入れんためになされてる、フランスにおけるキリスト教的思想の熱烈な努力、それをオリヴィエはクリストフに示してやった。りっぱな牧師たちがいて、その一人が言ったように、「人間たるべき洗礼を受ける」だけの勇気をもっていて、すべてを理解しあらゆる誠実な思想をいだくだけの権利をカトリック教のために要求していた。なぜなら、「あらゆる誠実な思想は、たといそれが間違うことはあっても、常に神聖で崇高である」からだった。また数千の若いカトリック教徒らがいて、善良な意志をもってる者にはだれにでもうち開かれてる、自由な純粋な博愛なキリスト教の共和国をうち建てんとの、勇ましい願望をいだいていた。そして、忌まわしい攻撃や、邪教だとの誹謗《ひぼう》や、右翼左翼両派の――(ことに右翼の)――不実な裏切りなどを、それらの偉大なキリスト教徒らはたえず受けるにもかかわらず、近代主義の小団をなしてる人々は、永続的なものを築くには涙と血とで固むるのほかはないと知って、苦難を忍従し晴れやかな額《ひたい》をし、未来に通ずる嶮峻《けんしゅん》なる隘路《あいろ》を進んで行きつつあった。
生気ある理想主義と熱烈なる自由主義との同様な息吹《いぶ》きが、フランスにおける他の宗教をもふたたび活気だたせていた。新しい生命のおののきが、新教やユダヤ教の大きな麻痺《まひ》した身体に流れていた。理性の力をも感激の力をも犠牲にしない自由な人類の宗教を創《つく》り出さんと、すべての人々が雄々しい競争をなして努力していた。
かかる宗教的熱意は、宗教のみが有してるものではなかった。それはまた革命運動の魂であった。そしてこの方面においては悲壮な性質を帯びていた。クリストフがこれまでに見たものは、下等な社会主義――政治屋連中の社会主義にすぎなかった。その政治屋連中は、幸福という幼稚粗雑な夢を、なお忌憚《きたん》なく言えば、権力の手に帰した科学が得さしてくれると彼らが自称してる、一般の快楽[#「快楽」に傍点]という幼稚粗雑な夢を、飢えたる顧客らの眼に見せつけてるのであった。その嫌悪《けんお》すべき楽天主義に対抗して、労働組合を戦いに導いてる優秀者らの深奥熱烈な反動が起こってるのを、クリストフは見てとった。それは、「壮大なるものを生み出す戦闘、瀕死《ひんし》の世界に意義と目的と理想とをふたたび与える戦闘」への、召集の叫びであった。それらの偉大なる革命家[#「革命家」に傍点]らは、「市井的で商人的で平和的でイギリス的な」社会主義を唾棄《だき》して、世界は「拮抗《きっこう》をもって法則とし、」犠牲に、たえず繰り返される常住の犠牲に生きてるという、悲壮な観念をそれに対立せしめていた。――それらの首領らから旧世界の襲撃に突進させられてる軍隊が、過激行為にカントとニーチェとを同時に通用してるその神秘な戦意を、果たして理解してるかどうかは疑問であるとしても、それでもやはり、革命的貴族の一派は痛烈な光景を呈していた。彼らの熱狂的な悲観主義、勇壮な生活の熱望、戦いと犠牲とにたいする熱烈な信念は、ドイツ騎士団や日本のサムライなどの軍隊的宗教的理想と同じであるかの観があった。
それでも、それはもっともフランス的なものだった。数世紀来牢固《ろうこ》たる特性を保有してるフランス民族だった。オリヴィエの眼を通してクリストフは、国約議会《コンヴァンシオン》の論客や為政家のうちにも、旧政体時代のある思想家や実行家や改革家のうちにも、その特性を見出した。カルヴァン派、ジャンセニスト、ジャコバン党員、産業革命家、その他各方面において、空望も落胆もなしに自然と戦ってる、悲観的理想主義の同じ精神が――往々国民を粉砕しながらも、なお国民を支持する鉄骨が――現われていた。
クリストフはそういう神秘な争闘の息吹《いぶ》きを呼吸した。そして、フランスが強硬な誠実さをうち込んでるその熱狂的信念の偉大さを、了解し始めた。統一により多く慣れてる他の国民は、それについてなんらの観念ももってはいなかった。クリストフも初めはすべての外国人と同じく、フランス人の専制的精神とフランス共和政が真正面にふりかざしてる魔法文字との間の、あまりに明らかな矛盾にたいして、駄洒落《だじゃれ》を並べて喜んでいた。しかるに初めて彼は、フランス人が尊重してる尚武的な自由の意味を、おぼろに理解し始めた。それこそ理性[#「理性」に傍点]の恐るべき刃《やいば》であった。クリストフが考えていたのとは違って、それは彼らにとっては、響きのよい美辞でもなく漠然《ばくぜん》たる想念でもなかった。理性の要求が何よりも第一となる民衆にあっては、理性のための戦いがいかなる他の戦いをも支配していた。実際的だと自称してる民衆らにはその戦いがいかに馬鹿げて見えようとも、それは取るに足らぬことだった。深い眼から見れば、世界の征服、大帝国、金銭、などのためにする戦いも、やはり徒《いたず》らなるものとしか見えないのだ。千年万年とたつうちには、それらの戦いから残るものは何一つないだろう。しかしながら、生にその価値を与えるところのものは、存在のあらゆる力が昂進《こうしん》してより高き存在へおのれを犠牲にするほどの戦いの強度にあるとしたならば、理性のためにもしくは理性に反してフランスでなされてる永遠の戦いほど、生を光栄あらしむる戦いは世にあまりない。そして、そういう戦いの辛辣《しんらつ》な味を味わった人々にとっては、アングロ・サクソン人のあれほど慢《ほこ》りとしてる無感情的な信仰の自由も、男らしからぬ無味乾燥なものだと思われるのだった。アングロ・サクソン人は精力の用途を他に見出してその補いをつけていた。彼らの精力はその信仰の自由の中には存在しなかった。信仰の自由が偉大となるのはただ、敵対中においてそれが一つの勇武となる場合のみである。現今のヨーロッパにおいては、信仰の自由は多く、無関心、信仰の欠乏、生命の欠乏、にすぎないのである。イギリス人は、ヴォルテールの言葉を勝手にもじって、革命がフランスにもたらしたよりも、「より大なる信仰の自由を、多様な信教がイギリスにこしらえ出した、」と好んで自慢している。――しかしそれは、イギリスの種々の信教のうちによりも、革命のフランスのうちに、より多くの信仰があるからである。
勇敢な理想主義の、理性の戦いの、その戦場から、あたかもウェルギリウスがダンテを導いたように、オリヴィエはクリストフの手をとって、山の頂へ連れて行った。そこには、真に自由なるフランス人中の少数の優秀者らが、黙々たる朗らかな様子で立っていた。
それは世にもっとも自由な人々であった。静穏な空を翔《か》ける鳥の朗らかさに似ていた……。その高い頂では、空気がいかにも純潔で希薄であって、クリストフは息ができにくいほどだった。そこには芸術家や思想家や学者などがいた。芸術家は幻想の無際限な自由を主張していた。フローベルのように、「事物の現実性を信ずる馬鹿者ども」を軽蔑《けいべつ》する、熱狂的な主観論者であった。――思想家らの変転的な多様な思想は、動体の無窮の波動に順応して、「たえず流動し、」どこにも定着せず、どこにも堅固な地面や岩を見出すことなくして、モンテーニュが言ったように、「存在をではなく推移を、時々刻々に移りゆく永遠の推移を描き出していた。」――学者らは、人間が思想や神や芸術や学問を作り出してる世界の空虚と虚無とを知りながら、なお世界とその法則とを、一時の力強い夢を、創造しつづけていた。彼らは学問に向かって、安息や幸福やまたは真理をも求めてはいなかった。彼らは真理に到着できるかを疑っていたのである。そして、真理は美しいものであり、唯一の美しいものであり、唯一の現実であるがゆえに、ただ真理のために真理を愛していた。思想界の絶頂には、熱烈な懐疑家である学者らがいた。彼らは苦しみにも、蹉跌《さてつ》にも、ほとんど現実にも、無関心であって、ただ魂の無声の音楽に、数と形との微妙雄大な和声《ハーモニー》に、眼を閉じて聴《き》き入っていた。それらの偉大な数学者ら、自由な哲学者ら――世にもっとも厳正確実な精神の人々――は、神秘な歓喜の極端にあった。彼らは自分の周囲に空虚な淵《ふち》をうがち、深淵《しんえん》の上にぶらさがって、その眩暈《めまい》に酔っていた。際限なき暗夜のうちに彼らは、崇高な喜びの念をもって、思想の電光をひらめかしていた。
クリストフも彼らのそばに身をかがめて、のぞいてみようとした。しかし眼がくらんで見られなかった。自己の本心の法則以外のあらゆる法則を脱したので、もう自由の身だと信じていた彼も、それらのフランス人に比べてはいかに自由の度が狭小だかを、駭然《がいぜん》として感じたのである。彼らは、精神のあらゆる絶対的な法則から、あらゆる無上命令から、あらゆる生存の理由から、脱してしまっていた。しからばなんのために彼らは生きてるのか?
「自由であることの喜びのためにだ。」とオリヴィエは答えた。
しかしクリストフは、そういう自由の中では途方にくれたので、かえって力強い規律的精神が、ドイツ式な専横が、残り惜しくなってきた。彼は言った。
「君たちのその喜びは、誘惑の餌《えさ》であり、阿片《あへん》喫煙者の夢だ。君たちは自由のために酔わされて、生を忘れている。絶対的な自由、それは精神にとっては狂気であり、国家にとっては無政府だ……。自由だと! この世でだれが自由な者がいるか? 君の共和国でだれが自由な者がいるか?――いるとすれば無頼漢どもばかりだ。君たちは、りっぱな人間は、皆息がつけないでいるのだ。もう夢みることしかできないのだ。やがては夢みることもできなくなるだろう。」
「なに構うものか!」とオリヴィエは言った。「クリストフ、気の毒だが君には、自由であることの楽しみがわからないのだ。危険や苦痛や死をさえも冒すに足るだけの、価値ある楽しみなのだ。自由であること、自分の周囲のすべての精神が――そうだ、無頼漢どもまでが、自由であると感ずること、それは言い知れぬ愉快事なんだ。無限の空間に魂が浮游《ふゆう》してるようなものだ。その魂はもう他の所では生き得ないだろう。君が説く安全というものは、帝国主義の兵営の四壁中にあるりっぱな秩序や完全な規律などは、僕になんの役にたとう? そんな所では窒息して死ぬのほかはないだろう。空気が必要なのだ。常により多くの空気が! 常により多くの自由が!」
「世界には法則がいる。」とクリストフは言った。「おそかれ早かれ、主人が現われてくる。」
しかしオリヴィエは嘲笑《あざわら》って、ピエール・ド・レトアール老人の言葉をクリストフに思い起こさした。
フランス人の言論の自由を拘束することは、
地上のあらゆる能力の力にては、
なしがたきところなり。
太陽を地中に埋めんとし、
もしくは穴に閉じ込めんとするに、
さも似たり。
クリストフはしだいに、無制限な自由の空気に慣れてきた。全身光のみなる精神の人々が夢想しながら身を置いてる、フランス思想界の絶頂から、彼はその山の斜面を足下に見おろした。そこには、なんらかの生きたる信仰のために戦ってる勇ましい優秀者らが、頂に達せんものと永遠の努力をつづけていた。――無知や疾病《しっぺい》や悲惨にたいして神聖な戦いをしてる人々。光を征服し空中の道を開いてる、近代のプロメテウスやイカロスとも言うべき人々の、発明の熱望、正気な熱狂。自然を統御せんとする学問の偉大な戦い。――その下方には、黙々たる一団、誠意ある男女、勇敢謙譲な心の人々。彼らはあらゆる努力をもって、ようやく山の中腹には達したが、凡庸な生活に阻《はば》められて、もはやそれより上へは登ることができず、人知れぬ献身のうちにひそかに焦慮している。――さらに下方、山の麓《ふもと》には、断崖《だんがい》の間の狭い隘路《あいろ》に、際限なき戦い、抽象的な観念や盲目的な本能などの狂信者たち。彼らはたがいに猛然と取っ組み合っていて、両方より迫ってる岩壁の彼方に、上方に、何があるかを夢にも気づかないでいる。――さらに下方には、沼沢と寝藁《ねわら》の中にころがってる家畜ども。――そして至る所に、あちらこちらに、山腹に沿って、芸術の新鮮な花、音楽の香り高い苺《いちご》、泉や小鳥の詩歌。
クリストフはオリヴィエに尋ねた。
「君の国の民衆はどこにいるのか。僕の眼に見えるのは、善良なあるいは害悪な優秀者どもばかりだ。」
オリヴィエは答えた。
「民衆か? 民衆は自分の庭を耕しているのだ。彼らはわれわれのことを気にかけはしない。優秀者どもの各団体は、彼らを占有しようと試みるが、彼らはそのいずれにも気を止めはしない。近ごろまで彼らは、少なくとも気晴らしのために、いかさま政治家の口上になお耳を貸していた。しかし今ではもう構いつけはしない。選挙権を行使しない者が幾百万あるかわからない。各政党がいかほどたがいに頭をなぐり合っても、彼らの畑を踏み荒らしに来さえしなければ、彼らはその結果のいかんを気にかけはしない。ただ畑を踏み荒らされる場合にだけ、彼らは腹をたてて、いずれの党派をも構わずにいじめつける。彼らはみずから動き出しはしない。ただ彼らの仕事と安静とを邪魔する放埓《ほうらつ》にたいしてだけ、いかなる方面をも問わず反発する。国王、皇帝、共和党、司祭、結社党、社会党、またその首領がだれであろうと、彼らがそれに向かって求めるところのものは、一般の大危難、戦争や騒動や疫病、などから彼らを守ってくれることだけだ――それ以外にはただ、平和に庭を耕さしてもらうことだけだ。彼らは心の底ではこう考えている、『あの畜生どもは俺《おれ》たちの邪魔をしやすまいか』と。ところがその畜生どもはいかにも愚かで、この朴訥《ぼくとつ》な民衆をじらしぬき、鍬《くわ》を取って追い出されるまではやめようとしないのだ――ちょうどそういうことが、現代の勢力者らにもいつか起こるだろう。昔は民衆も大事業に熱中したものだ。そしてもう長い前に若気の過《あやま》ちをしつくしてきながら、おそらくはまだそれをふたたびすることもあるだろう。しかしとにかく、その熱中も長つづきはしない。すぐに彼らは古来の伴侶《はんりょ》のもとに、土地に、もどってゆく。フランス人をフランスに執着させるものは、フランス人よりもむしろ、その土地なのだ。その善良な土地の上に相並んで数世紀来働いてきたフランス人は、多くの異なった民衆から成ってはいるが、彼らを結合さしてるのはその土地であり、彼らがもっとも愛してるのはその土地である。幸福のうちにも不幸のうちにも、彼らはたえずその土地を耕しつづけている。そして何物でも、たとい尺寸の地面でも、彼らにとっては親愛なのだ。」
クリストフはうちながめた。道路の傍《かたわ》ら、沼沢の周囲、岩の斜面の上、実行の戦場や廃墟《はいきょ》の間、フランスの山も野もすべては、見渡す限り遠くまで、耕耘《こううん》されていた。それはヨーロッパ文明の大庭園であった。その比類なき魅力は、豊饒《ほうじょう》なりっぱな土地にかかってるとともにまた、不屈|不撓《ふとう》な民衆の努力にかかってるのだった。彼らは数世紀来かつて絶え間もなく、その土地を耕し種まきますます美しくなしていた。
不思議な民衆である! だれでもこの民衆を移り気だと言っているが、しかもその内部にはなんらの変化もない。オリヴィエの敏《さと》い眼は、現在の各方面の類型を、ゴチック彫刻中にも見出していた。たとえば、クルーエ一家やデュモンスティエ一家の鉛筆画には、社交界や知識階級の人々の疲れた皮肉な顔つきを、あるいは、ルナン兄弟の絵には、イール・ド・フランスやピカルディーの労働者や農夫などの、機才と輝いた眼とを見出した。また現代人の本心の中に流れてるものも、やはり昔の思想であった。パスカルの精神は、ただに理論好きな宗教的な優秀者らのうちにばかりではなく、名もない市民らのうちや、あるいは過激な産業革命主義者らのうちにも、生きてるのであった。コルネイユやラシーヌの芸術は、民衆にとって生きていた。パリーの下級の勤め人は、トルストイの小説やイプセンの劇によりも、ルイ十四世時代の悲劇により近い気持をもっていた。中世の歌は、フランスの古いトリスタンは、ワグナーのトリスタンよりも、近代フランス人とより多くの親しみをもっていた。十二世紀以来たえずフランスの花園に咲きつづけてきた思想の花は、いかにも種々雑多ではあったけれども、皆たがいに近親の間柄であって、周囲のものとはまったく異なっていた。
クリストフはフランスについてあまりに無知だったので、その特質の不変さをよく見てとることができなかった。この豊かな景色のうちで彼がことに驚いたものは、土地の極端に細かい区分だった。オリヴィエが言ったように、各人が自分の庭をもっていた。そして各地面は、壁や生籬《いけがき》やあらゆる種類の仕切りで、たがいに分かたれていた。たかだか、共通の牧場や森が散在してるきりであり、あるいは、川の一方に住む人々が、対岸の人々よりも、たがいに接近させられてるくらいのものだった。そして各人が自分の家に閉じこもっていた。そういう嫉視《しっし》的な個人主義は、たがいに隣り合って数世紀間暮らしてきたあとにも、衰えるどころかかえって強くなってるかのようだった。クリストフは考えた。
「彼らはなんと一人ぽっちのことだろう!」
クリストフとオリヴィエとが住んでる家は、そういう意味でもっとも特長あるものだった。それは小世界の縮図であった。種々の要素をたがいに結合する何物もない、正直勤勉な小フランスであった。六階建ての古いぐらぐらした家で、一方に傾いており、床板《ゆかいた》はきしり、天井は虫に食われていた。屋根裏に住んでるクリストフとオリヴィエとの部屋には、雨漏りがしていた。どうにか屋根を繕うために、職人を呼ばなければならなくなっていた。職人らが頭の上で仕事したり話したりするのが、クリストフの耳に響いた。ことにその一人は、クリストフを面白がらせまた煩《うる》さがらせた。その男はたえず休みなしに、一人で口をきき、笑い、歌い、駄洒落《だじゃれ》を並べ、つまらぬ口笛を吹き、独語《ひとりごと》を言い、始終働いていた。何かするごとにかならずそれを口に出した。
「も一本|釘《くぎ》を打ってやれ。道具はどこにあるんだ? 釘を一本打ったぞ。二本打ったぞ。も一つ金槌《かなづち》でとんと! そら、これでよし……。」
クリストフが演奏するとき、彼はちょっと黙って耳を傾け、それからまたますます口笛を吹きたてた。面白い楽節になると、金槌でたたきながら屋根の上で調子をとった。クリストフは向かっ腹をたてて、しまいには椅子《いす》の上にあがり、その屋根裏の風窓から顔を出して、怒鳴りつけてやろうとした。しかし、その男が屋根にまたがり、善良な快活な顔つきをし、頬《ほお》をふくらまして釘《くぎ》を頬張《ほおば》ってる様子を見ると、彼はすぐに笑い出した。向こうでも笑い出した。クリストフは苦情を忘れて話しだした。ようやくあとになって、なんのために窓から顔を出してるかを思い出した。
「時にちょっと聞きたいことがあるんだが。」と彼は言った。「僕のピアノが邪魔になりはしないかい。」
邪魔にはならないと男は答えた。けれども、もっと早い調子の節《ふし》をひいてくれと頼んだ。なぜなら、おそいのに調子を合わしてると仕事が遅れるからだった。二人は仲よしになって別れた。その十五分ばかりの間に二人がかわした言葉よりも、半年の間にクリストフが同じ建物に住んでるすべての人々へ言った言葉は、さらに少なかったほどである。
各階に二軒分の住居があって、一方は三室、他方は二室きりだった。女中部屋はなかった。各家族が自分で炊事をやっていた。ただ、一階と二階との人たちだけは、二軒分の住居をいっしょに借りていた。
六階には、クリストフとオリヴィエの隣に、コルネイユという牧師が住んでいた。四十格好の人で、教養も深く、自由な精神と広い知力とをそなえていた。昔はある大きな神学校の聖書解釈の教師をしていたが、最近になって、その近代的な精神のためにローマ法王から懲戒された。その懲戒を彼は甘受した。心の底では承服しなかったのであるが、しかし口をつぐんで、抗争しようともせず、その信条を公表する手段を申し込まれたのも断わり、騒がしい世評をのがれ、涜神《とくしん》の名を取るよりも自分の思想の滅亡を好んだのだった。そういうあきらめた反抗者の人柄が、クリストフには理解できなかった。彼はその牧師と話をしようと試みた。しかし牧師はたいへん丁寧で、冷淡な様子で、自分の身にもっとも関係深いことは少しも語らず、厳としておのれを生き埋めにしていた。
下の階には、クリストフとオリヴィエの住居と同じ間取りの部屋に、エリー・エルスベルゼという家族が住んでいた。技師とその細君と七歳から十歳ほどの二人の娘とであった。同情の念に富んだ上品な人たちで、ことにその困窮な身分についての誤った恥じらいから、家に引っ込んでばかり暮らしていた。若い細君は甲斐《かい》がいしく家事をつかさどっていたが、困窮をひどく苦にやんでいた。その困窮を人に隠すことができるなら、二倍の労をもいとわなかったであろう。それもまたクリストフにはわからない感情だった。この一家は新教徒であって、フランスの東部の出であった。夫妻とも数年前に、ドレフュース事件の暴風のため吹きまくられたのだった。二人ともその件案に熱中して、この神聖なヒステリーの烈風に七年間吹かれた数千のフランス人と同じく、狂気の沙汰《さた》にまでなってしまった。安楽も地位も縁故をも、そのために犠牲にしてしまった。親愛な友誼《ゆうぎ》をも破り、自分の健康をも失わんとした。数か月の間、もはや眠りもせず、食をもとらず、病的な熱心さで同じ議論を際限もなく繰り返した。たがいに刺激し興奮し合った。臆病《おくびょう》であり世の物笑いを恐れていたにもかかわらず、示威運動に加わったり集会で演説したりした。そしては幻想に駆られ異常な心地になってもどってきた。夜はいっしょに涙を流した。かくてその戦いに、感激と熱中との力を多分に費やしてしまったので、勝利が到来したときには、それを享楽するだけの力がもはや残っていなかった。一|生涯《しょうがい》元気は失《う》せ疲れはててしまったのである。その希望があまりに高く、その犠牲の熱があまりに純潔だったので、初め夢想していたところのものに比ぶれば、勝利もつまらなく思われた。ただ一つの真理をしかいれないそれらの一途《いちず》な魂にとっては、政治上の処置や主要人物らの妥協は、苦々《にがにが》しい幻滅の種となるのだった。自分の戦友らが、正理にたいする同じ唯一の情熱で鼓舞されてると思われる人々が、一度敵を征服すると、利にはしり権力を奪い、名誉や地位をかすめ取り、正理を蹂躙《じゅうりん》するようになるのを、彼らは見て来たのだった。が世の中のことは回り持ちだ……。ただ一群の人々のみが、おのれの信仰を忠実に守り、貧しい孤立の生活をし、あらゆる党派から見捨てられ、またあらゆる党派を見捨ててしまい、離れ離れに闇《やみ》の中にたたずみ、悲哀と神経衰弱とに悩み、人間をいとい人生に飽いて、もはやなんらの希望もいだいてはいなかった。技師とその細君とは、かかる敗北者らに属していた。
彼らは家の中で少しも音をたてなかった。隣人たちから邪魔されるのを苦にしていただけに、また高慢の念から不平をこぼしもしなかっただけに、かえってこちらが隣人たちの邪魔になりはすまいかと病的な恐れをいだいていた。二人の娘たちが、快活の発作や叫び跳《は》ね笑いたい欲求を、たえず押えつけられてるのに、クリストフは憐《あわ》れみの念を覚えた。彼はいったい子供が大好きだった。その隣の娘たちに階段で出会うと、いろんなやさしい素振りを見せた。娘たちは初め恥ずかしがっていたが、クリストフからいつも面白いことを言われたり菓子をもらったりしたので、やがて馴《な》れてきた。そして両親にも彼の噂《うわさ》をした。両親は初め、彼のそういう好意をかなり悪意の眼でながめていたが、ついにはその騒々しい隣人の磊落《らいらく》な様子に気が折れてしまった。それまでに彼らは一度ならず、頭の上のピアノの音や忌ま忌ましい騒ぎ――(というのは、クリストフは室の中が息苦しくて、檻《おり》の中の熊《くま》みたいに動き回っていた)――などを呪《のろ》ったものだった。両方で口をきき合うようになるには容易なことでなかった。クリストフのやや田舎《いなか》者じみた乱暴な様子に、ユリー・エルスベルゼはびっくりすることがあった。そして、このドイツ人と自分との間に遠慮の垣《かき》をいつまでも築いていて、その後ろに隠れようとしたけれど、そうはゆかなかった。善良なやさしい眼で人をながめる彼の強い快活な気分には、逆らうことができなかったのである。クリストフは時たま、その隣人から多少の打ち明け話を引き出し得た。いったいエルスベルゼは奇妙な精神の男で、勇敢であるとともに冷然たるところがあり、いらだちやすいとともに忍従的なところがあった。困難な生活をりっぱに切りぬけてゆくの元気はあったが、生活を更新するだけの元気はなかった。あたかも自分の悲観主義を正当視して喜んでるかのようだった。最近、ブラジルにおけるある有利な地位を、ある事業を監督することを、申し込まれたが、彼は、家族どもの健康にその気候が悪くはないかを恐れて、断わってしまった。
「では家族を残しておいたらいいでしょう。」とクリストフは言った。「一人で行って皆のために財産を作っていらっしゃい。」
「家族を残すんですって!」と技師は叫んだ。「なるほどあなたには子供がないから無理はありません。」
「たとい子供があったって、私はそうしか考えませんよ。」
「いやそんなことはけっして、けっして!……それにまた、国を去るんです。厭《いや》なことだ。ここで苦しんでるほうがましです。」
いっしょにつまらなく暮らすというだけのそういう国や家族の愛し方を、クリストフは奇異に思った。しかしオリヴィエはそれを理解した。
「まあ考えてみたまえ、」と彼は言った、「馴染《なじみ》のない土地で、愛する者たちから遠く離れて、そのまま死ぬかもしれないのだ! どんな厭なことでもそれよりはましだ。それにまた、これから幾年生きるかしれないが、それほど齷齪《あくせく》するにも及ぶまいじゃないか……。」
「いつでも死ぬことばかりを考えてろとでも言うのか!」とクリストフは肩をそびやかしながら言った。「それにもし死ぬことがあっても、愛する者たちの幸福のために奮闘しながら死ぬのは、無為無能のうちに消えてしまうよりはましじゃないか。」
同じ五階の小さいほうの部屋には、オーベルという電気職工が住んでいた。――この男は他の借家人たちから孤立して暮らしていたが、それはけっして彼のせいではなかった。彼は平民の出であって、もうけっして平民の間にもどるまいと熱望していた。病身らしい小男で、いかめしい顔をし、眼の上に筋があって、錐《きり》のように人を刺し通す鋭い直線的な眼つきをしていた。金褐色《きんかっしょく》の口|髭《ひげ》、嘲弄《ちょうろう》的な口、口笛を吹くような話し方、曇った声、首にまきつけてる絹ハンケチ、いつも加減が悪い上にのべつの喫煙癖のためさらに痛められてる喉《のど》、微弱な活動力、結核患者めいた気質。空威張《からいば》りと皮肉と悲痛との交じり合ってる様子だったが、激しやすい大袈裟《おおげさ》な率直なしかもたえず人生に欺かれてる精神が、その下に隠れていた。ある中流人の私生児だったが、彼はその父親の名も知らず、とうてい尊敬できない母親に育てられ、悲しい汚らわしい多くのことを幼年時代から見てきた。各種の職業をやってみ、フランス内を方々旅した。学問をしたいという感心な心がけで、非常な努力をして独修した。歴史、哲学、頽廃《たいはい》的な詩など、あらゆるものを読んでいた。芝居、美術展覧会、音楽など、あらゆるものに通じていた。中流人的な文学や思想を心から尊重していて、それに蠱惑《こわく》されていた。大革命の初めのころの中流人士らを逆上さした空漠《くうばく》熱烈な観念論に、心からしみ込んでいた。理性の無謬《むびゅう》さを、無際限の進歩――われいずこまでか登り得ざることあらん[#「われいずこまでか登り得ざることあらん」に傍点]――を、地上へ幸福の到来を、全能なる学問を、人類神を、人類の長子たるフランスを、確信していた。熱烈な軽率な反僧侶《はんそうりょ》主義をいだいていて、そのために、宗教を――ことにカトリック教を――蒙昧《もうまい》主義とみなし、牧師を明知の生来の敵と考えていた。社会主義、個人主義、過激主義などが、頭の中でぶつかり合っていた。精神上では人道主義者であり、気質の上では専制主義者であり、行為の上では無政府主義者であった。傲慢《ごうまん》ではあったが、教育の不足をみずから知っていて、会話においてたいへん用心深かった。人の言うことをすべて利用していたが、助言を求めようとはしなかった。助言を求めるのを恥辱としていた。ところが、彼の知力や才気がいかにすぐれていようとも、それだけで教育の不足をすっかり補うことはできなかった。彼は前から物を書こうと志していた。フランスには学問がなくて文章の巧みな者が多いとおり、彼もやはり文才があって、それをよく自覚していた。しかし思索のまとまりがなかった。苦心|惨澹《さんたん》の文を数ページ、信用してる豪《えら》い新聞記者に見せたところが、嘲笑《ちょうしょう》されてしまった。深く屈辱を感じて、それ以来は、自分のしてることをもうだれにも語らなかった。しかしなおつづけて書いていた。自分の考えを広く人に伝えることは、彼にとっては一つの欲求であり、矜《ほこ》らかな喜びだった。その雄弁や文章や哲学的な思想は、実は一文の価値もないものだったが、彼は内心それにはなはだ満足していた。そして実際非常にすぐれてる実生活にたいする観察には、みずから少しも重きをおいていなかった。彼には妙な癖があって、自分を哲学者だと信じており、社会劇や観念小説を作りたがっていた。解決しがたい問題をも容易に解決して、事ごとにアメリカ大陸を発見でもした気になっていた。そのアメリカの大陸がすでに発見されてるものであることをあとで知ると、だまされた気になり、多少|苦々《にがにが》しい心地になった。陰謀であるととがめだてしがちだった。名誉にあこがれぬき、献身の熱望に駆られていて、どういうふうに自分を使ってよいかわからないで苦しんでいた。彼の夢想するところは、大文学者になることだった。彼の眼には超自然的な威光を帯びてるらしく映る文士仲間、その一員に加わることだった。けれどいくら自惚《うぬぼ》れてみても、彼はかなりの良識と皮肉とをそなえていて、そういう機会が自分には到来しないことを知らないではなかった。それでも、中流思想の世界は、遠くから見ると光被してるように思われ、少なくともその中に住んでみたかった。そういう熱望はきわめて無邪気なものではあったが、身分上いっしょに暮らさなければならない人々との交際を困難ならしむるという、不都合さをきたした。そして、彼が接近しようとつとめてる中流社会からは門戸を閉ざされたので、その結果だれにも会えないこととなった。それでクリストフは、この男と交際するにはなんらの努力をも要しなかった。むしろすぐに避けなければならなかった。そうでないと、クリストフのほうから出かけてゆくよりもしばしばオーベルのほうからやって来たに違いない。オーベルは音楽や芝居などの話相手になる芸術家を見出して非常に喜んでいた。しかしクリストフは、読者もそう想像するであろうが、そんなことには彼と同じ興味を見出さなかった。民衆の一人を相手にしてはむしろ民衆のことを話したかった。しかるにオーベルは、そんなことを話したくなかったし、またそんなことを知ってもいなかった。
下の階に降りてゆくに従って、クリストフと他の借家人たちとの関係は、自然に遠くなっていった。それにまた、四階の人たちのところへはいり込むには、何かある魔法的な秘訣《ひけつ》を、開けよ胡麻《ごま》を、知っていなければならないほどだった。――一方には、二人の婦人が住んでいて、古い喪の悲しみのうちに浸り込んでいた。ジェルマン夫人という三十五歳になる女で、夫と小さな娘とに死なれてから、信心深い老年の姑《しゅうとめ》とともに、家に閉じこもってばかり暮らしてるのだった。――その向こう側には、五、六十歳ぐらいの年齢不確かな謎《なぞ》のような人物が、十歳ばかりの少女といっしょに住んでいた。頭は禿《は》げていたが、ごく手入れの届いたりっぱな髯《ひげ》をもっていた。静かな口のきき方をし、上品な態度で、貴族的な手をもっていた。ヴァトレー氏と人から呼ばれていた。無政府主義者で革命家で外国人だそうだったが、ロシアかベルギーかどこの国の人ともわからなかった。ところが実際は、彼は北部フランスの人で、もう今ではほとんど革命家ではなかった。ただ昔の名声だけで生きていた。一八七一年のパリー自治政府に関係して、死刑の宣告を受けたのだったが、自分でもどうしてだかわからないほど不思議にのがれた。それから十年ばかりの間は、ヨーロッパの各地に暮らしてきた。かくて、パリーの擾乱《じょうらん》の間にも、またその後、外国へ亡命の間にも、帰国してからは政府に加担してる昔の仲間のうちにも、あらゆる革命党の内部にも、多くの卑劣な行ないを目撃したので、どの革命派からも身を引いて、一つの汚点もないしかし無益な自信だけを安らかに保有したのである。彼は多く書を読み、なまぬるい煽動《せんどう》的な書物を少し書き、遠くインドや極東の無政府主義運動に――(人の噂《うわさ》によれば)――関係をもち、世界の革命に従事し、また同時に、同じく世界的ではあるが外見上もっとやさしい研究に従事して、音楽の通俗教育のために、世界的言語と新しい方法とを求めていた。彼はその建物に住んでるだれとも交際しなかった。出会った者と極度に丁寧な辞儀をかわすだけにとどめていた。それでもクリストフへだけは、自分の考えた音楽上の方式について数言語った。ところがそれはクリストフにはもっとも興味のないことだった。クリストフに言わすれば、思想の符号は別に重大なことではなくて、いかなる言語をもってしても思想を表現し得るのだった。しかし向こうはそれでもなおやめずに、穏やかな執拗《しつよう》さで自分の学説を説明しつづけた。それ以外の彼の生活については、クリストフは何にも知ることができなかった。それで、階段で彼とすれちがって立ち止まるのも、常に彼の供をしてる少女を見るためにすぎなかった。色の蒼《あお》い貧血的な金髪の少女で、青い眼、ややとげとげしい横顔、細長い身体、あまり表情のない病身らしい様子だった。クリストフも皆の者と同じく、それをヴァトレーの実の娘だと思っていた。ところが実際は、労働者の孤児であって、流行病で両親が死んだ後、四、五歳のときに、ヴァトレーから養女にされたのだった。ヴァトレーは、貧しい子供たちにたいして、ほとんど無限の愛をいだいていた。それは彼にあっては、ヴァンサン・ド・ポール風な不思議な愛情だった。彼はあらゆる公式の慈善について疑念をもっていたし、博愛団体についてはいかに考うべきかも知っていたので、一人で慈善をするように心がけていた。彼はそれを人に隠して、ひそかな楽しみを味わっていた。社会に尽くすつもりで医学をも学んでいた。以前、彼は町内のある労働者の家にはいって、病人がいるのを見、その手当を始めた。そのときすでに医学上の知識を多少そなえていたが、それをさらに完全にしようと思いたったのだった。彼は病に苦しんでる子供を見ると、断腸の思いがして堪えられなかった。しかしまた、憐《あわ》れな小さき者の一人を病苦から救い出し得たときには、蒼《あお》ざめた微笑がその痩《や》せこけた顔に初めて現われてきたときには、いかにえも言えぬ喜びだったろう! ヴァトレーの心はとろけそうになった。天国的な瞬間だった……。そのために彼は、世話をしてやった者らについてしばしば厭《いや》な思いをしたことを忘れるのだった。彼らのうちで彼に感謝の意を表わす者はめったになかった。また一方では、きたない足をした多くの者が彼のところへ階段を上がってゆくのを見て、門番の女は腹をたて、苦々《にがにが》しげに苦情を言った。また家主のほうでは、無政府主義者らの会合ではないかと気づかって、いろいろ不平を言っていた。ヴァトレーは移転しようかと考えたが、それもめんどうだった。彼にはちょっとした癖があった。温和でもあり頑固《がんこ》でもあった。彼は人の言うことをそのまま放っておいた。
クリストフはいつも子供らに愛情を示すので、多少ヴァトレーの好感を得た。子供にたいする愛が二人をつなぐ糸だった。クリストフはヴァトレーの少女に出会うことに、なんだか胸迫る思いがした。なぜなら、意識をまたずに本能がじかに見てとる神秘な形体の類似によって、その少女は彼にザビーネの娘を思い出させ、遠い最初の恋を、心からかつて消えなかった無言のやさしみをもってるあの儚《はかな》い面影を、彼に思い起こさしたのである。それで彼はその蒼白《あおじろ》い少女に興味をもった。彼女はかつて飛んだり駆けたりする姿を見せたことがなく、ほとんど人に聞こえる声をたてたことがなく、同年配の友だちを一人ももたず、いつも独《ひと》りで黙っていて、人形や木片で一つ所にじっと音もたてず遊びながら、ぶつぶつ唇《くちびる》を動かして何か独言《ひとりごと》を言っていた。やさしげで無頓着《むとんじゃく》だった。彼女のうちには何かよそよそしい落ち着かないものがあった。しかし養父は彼女をあまり愛しすぎてそれに気づかないでいた。ああ、その落ち着かなさ、そのよそよそしさ、それはわれわれの血肉を分けた子供たちのうちにさえ常に存在しないであろうか?……――クリストフは、その小さな孤独者を技師の娘たちと近づきになしてやろうとした。しかしエルスベルゼのほうからもヴァトレーのほうからも丁寧なしかし明白な謝絶に接した。その人たちは、各自別々な箱の中に生き埋めになることを、名誉にかけても欲してるがようだった。厳密に言えば、彼らはたがいに助け合うことを承諾したはずである。しかしどちらも、自分のほうが助力を求めてるのだと思われはすまいかと恐れていた。そしてどちらも同じくらいの自尊心を――また同じぐらいの不安定な境遇を――もっていたので、どちらか一方が思い切って初めに手を差し出すということは、望まれないことだった。
三階の大きいほうの部屋は、たいていいつも空《あ》いていた。家主がそれを自分の用に取りのけておいたのである。しかも家主はかつてそこに住んだことがなかった。彼は元商人だったが、前もって定めておいた一定額の財産を儲《もう》けるとただちに、きっぱりと仕事をよしてしまったのだった。冬は|碧海の浜《コート・ダジュール》のある旅館、夏はノルマンディーの海岸というふうに、一年の大部分をパリー外で過ごし、他人の贅沢《ぜいたく》をながめ他人と同様に無駄《むだ》な生活を送りながら、わずかな費用で贅沢をしてるという心地を得てる、けちな金利生活者だった。
小さいほうの部屋は、アルノーという子供のない夫婦者に貸してあった。夫は四十から四十五くらいの年で、中学校の教師だった。講義や講義草稿や特別教授などの時間に疲れはてて、学位論文を書くことができず、ついにはまったく思い切ってしまった。細君は十歳年下で、おとなしくて極度に内気だった。二人とも頭がよく、教養があり、たがいに愛し合っていたが、だれも知人がなく、家に閉じこもってばかりいた。夫のほうは出かける隙《ひま》がなかった。細君のほうは隙がありすぎた。しかし彼女は感心な婦人で、気が鬱《ふさ》いできてもそれを押えつけ、ことに人へはそれを隠して、できるだけ仕事をし、読書をし、夫のためにノートをとってやったり、夫のノートを写し直したり、夫の衣服を繕ったり、自分の上衣や帽子を自分で仕立てたりした。彼女はときどき芝居へ行きたがった。しかしアルノーは別に行きたがらなかった。晩になると疲れきっていた。それで彼女もあきらめた。
彼らが非常な喜びとしてるのは音楽だった。二人とも音楽をたいへん好きだった。夫のほうは演奏ができなかった。細君のほうはできはしたがなかなかやれなかった。だれかの前で演奏するときには、夫の前で演奏するときでさえ、まるで子供のように恥ずかしがった。けれども彼らにはそれだけで満足だった。おずおずと口に上せるグルックやモーツァルトやベートーヴェンなどが、二人にとっては友となった。二人はそういう人々の生涯《しょうがい》を詳しく知っていて、彼らが受けた苦しみを思うと、しみじみと愛情を覚えさせられた。またりっぱな本や有益な本をいっしょに読むのも、二人にとっては楽しみだった。しかし現代の文学にはそういう本はほとんどない。作者らは、名声をも快楽をも金をももたらし得ないような人々――ちょうどこの二人の微賤《びせん》な読者のように、世の中に姿も見せず、どこにも筆を執らず、ただ愛し黙ることしか知らないような人々、それを相手にしてはいないのである。アルノー夫妻は、正直な敬虔《けいけん》な人々の心のうちでほとんど超自然的な性質を帯びてくる、ひそやかな芸術の光と、おたがいの愛情とだけで、多少寂しく――(これは否定できないことである)――孤独でややつまらなくはあるが、それでも平和に十分幸福に生きてるのだった。彼らは二人とも現在の地位よりずっとすぐれた人たちだった。アルノー氏は多くの思想をもっていた。しかし今ではそれを書くだけの時間も勇気もなかった。論説や書物を世に発表するには、あまりに多くの奮発が必要だった。それほど努力|甲斐《がい》のあることでもなかった。無益な虚栄心にすぎない。彼は愛する思想家らに比ぶれば取るに足らぬ者だと自分を思っていた。りっぱな芸術作品をあまりに愛していたので、自分自身で「芸術を作ろう」とは願わなかった。そういう志望は、横柄な滑稽《こっけい》なことだと考えられた。自分の役目はりっぱな作品を広めることのように思われた。それで彼は、自分の思想を生徒らに利用さしておいた。生徒らは後に彼の思想を利用して書物を作るだろう――もとより彼の名前を挙げはしないで。――書物の購買に彼ほど金を使う者はなかった。貧しい者こそ常にもっとも気前がよい。彼らはいつも書物を買う。富める者はただで書物を手に入れなければ不名誉なことと思ってるらしい。アルノーは書物のために金を使い果たしていた。それが彼の弱点で、欠点だった。彼はそれを恥じて細君に隠していた。とは言え、細君はそれを彼にとがめようとはしなかったし、自分でも同様のことをやりかねなかった。――それでも彼らは、イタリーへ旅するつもりで――なかなか実現できないことは自分でもわかっていたが、いつもりっぱな倹約の計画をたてていた。そしては金を残し得ないことをみずから笑っていた。アルノーは自分で自分を慰めた。愛妻と、それから研究と内心の喜びとの生活だけで、彼には十分だった。細君もそれで十分ではなかったろうか?――十分だと彼女は言っていた。多少彼女の上にも及んできて生活を輝かし安楽をもたらすようなある名声を、もし夫がもち得たらうれしいだろうということを、彼女は言い得なかった。内心の喜びはりっぱなものではある。しかし外部の多少の栄光も、時にはきわめてうれしいものだ!……しかし彼女は内気だったので何にも言わなかった。そのうえ、彼がもし名声を得ようと欲しても果たして得られるかどうかわからないことを、彼女はよく知っていた。今からではもう時期遅れだ!……彼らのもっとも残念なのは子供のないことだった。それを彼らはたがいに隠していた。そしてたがいにますます愛情深くなっていた。憐《あわ》れにもたがいに相手の許しを求めてるがようなものだった。アルノー夫人は親切で情愛に厚かった。エルスベルゼ夫人とも喜んで交際したに違いない。しかしまだなし得ないでいた、向こうからその気を見せてくれなかったので。クリストフにたいしては、夫妻とも近づきになりたがっていた。遠くに聞こえる彼の音楽に魅せられていた。しかしこちらから進み出てゆくことはどうしてもできなかった。彼らにはそれがぶしつけのように思われたのである。
二階は、フェリックス・ヴェール夫妻が全部占領していた。富裕なユダヤ人で、子供がなく、一年の半分はパリー付近の田舎《いなか》で過ごしていた。この家に二十年来住んでいた――(もっと財産相当の部屋を見つけるのは容易だったろうが、昔からの習慣でやはりそこにいたのである)――けれど、いつも通りがかりの他国者らしい様子をしていた。隣の人たちへかつて言葉をかけたことがなく、いつまでも最初やって来たときと同じようにあまり人から知られていなかった。しかしそのために、人からかれこれ言われないという訳にはゆかなかった。否その反対だった。彼らは人から好かれていなかった。そしてもちろん、人から好かれようともしなかった。それでも彼らはもっとよく知られてよいだけの価値をもっていた。夫妻ともすぐれた人たちでりっぱな知力をそなえていた。夫は六十歳ばかりになっていて、中央アジアの名高い発掘で世に知られたアッシリア学者だった。同民族の多数の者と同じく好奇心に富んだ広い精神をもっていて、その専門の研究だけに閉じこもっていずに、美術、社会問題、現代思想の各種の現われなど、無数のことに興味をもっていた。がそれでもなお彼の心を満たすに足りなかった。というのは、彼はあらゆることを面白く思ったが、どれにも熱中することができなかった。きわめて頭がよく、あまりに頭がよく、何物にもあまりにとらわれなくて、一方の手でこしらえ上げたものを他方の手でこわしがちだった。実際彼は著作や理論などを多くこしらえ上げていた。非常な勉強家だった。自分のしてることを別に有益だとは思わなかったが、習慣によってまた精神的摂生法によって、自分の痕跡《こんせき》を学界に気長に深く刻みつづけていた。いつも禍《わざわい》なことには富裕だった。そのため生存競争の興味をかつて味わったことがなかった。東方諸国における努力にも数年の後に飽いてしまって、それからはもうなんらの公職にもつかなかった。それでも自分独りの勉強以外に、時事問題、実際直接な社会改革、フランスにおける社会教育の改造、などに先見の明をもって関係していた。種々の意見を発表して思潮をこしらえていた。思想界に活気を与えながら、すぐにまたそれにも厭気《いやけ》がさしていた。議論によって多くの人を論争に巻き込み、もっとも痛烈なもっとも圧倒的な批評を加えて彼らを悲憤さしたことも、一度ならずあった。彼はことさらそんなことをしたのではなかった。それが生来の欲求だった。きわめて神経質で皮肉だったので、他の迷惑となるほどの明敏さで事物人物の滑稽《こっけい》な点を見抜き、それを容赦することが困難だった。いかにりっぱな主張も人物も、それをある角度から見たりある拡大を施して見たりすれば、かならずなんらかの滑稽な方面を現わすものであり、したがって、皮肉な彼にはそれを長く尊敬してることができなかった。それゆえ彼には友人ができよう訳はなかった。しかし彼は他人のためを計ってやるという善良な意志をもっていたし、実際それを行なっていた。けれどもあまりありがたいとは思われなかった。彼の世話を受けた人たちでさえ、彼の眼から滑稽に見てとられたことを、ひそかに許しがたく思っていた。彼は人を愛せんためにはあまりによく人を見ないほうがよかった。彼は人間ぎらいなのではなかった。人間ぎらいの役目をなし得ようとは自分でも思ってはしなかった。世間をあざけってはいるがその世間にたいしてむしろ臆病《おくびょう》だった。内心では、自分より世間のほうが道理でないとは確信できなかった。他人とあまり異なったふうをするのを避けていたし、表面に現われてる他人のやり方や意見に則《のっと》ろうとつとめていた。しかしいかにしても無駄だった。それらを批判せずにはいられなかった。あらゆる誇張されたものや単純ではないものにたいして、鋭敏な知覚をそなえていた。そして自分のいらだちを少しも隠し得なかった。ことにユダヤ人らの滑稽《こっけい》な点には、彼らをよく知ってるだけになおさら敏感だった。そして、人種間の柵《さく》を認めないほど自由な精神をもってたにもかかわらず、他の人種の者らが彼にたいして設けてる柵にしばしばぶつかったので、また、彼自身も不本意ながら、キリスト教的思想の中では異境にある気がしたので、彼は威厳ある孤立を守って、自分の皮肉な批判癖と細君にたいする深い愛情とのうちに引っ込んでいた。
災《わざわ》いなことには、細君もまた彼の皮肉な眼からのがれなかった。彼女は親切で、活動的で、自分を役だたせたいと願い、いつも慈善事業にたずさわっていた。夫よりはるかに複雑でない性質の彼女は、自分の道徳上の誠意のうちに、また、自分の義務としてる多少|頑《かたくな》な理知的なしかしごく高尚な意見のうちに、うずくまり込んでいた。かなり憂鬱《ゆううつ》で、子供もなく、大きな喜びもなく、大きな愛もない、彼女の全生活は、その道徳的信念の上に築かれていた。が信念というも実は信じたい意志にすぎなかった。夫の皮肉な眼は、彼女の信念のうちにある勝手な欺瞞《ぎまん》の方面を見のがさなかったし、心ならずもからかわずにはいられなかった――(それは自分でも抑制し得ないことだった。)彼はまったく矛盾ででき上がっていた。義務については細君に劣らぬ高尚な感情をもっていたが、また同時に、解剖し批評し欺かれたくないという一図な欲求をもっていて、自分の道徳上の命令を寸断し粉砕していた。彼は細君の立脚地を覆《くつが》えしてることには気づかなかった。残酷なまでに細君を落胆さしていた。それに感づくと彼女以上に苦しんだ。しかしもうやったことでしかたなかった。それでも彼らはなおつづけて、忠実に愛し合い、働き、善を行なっていた。しかし細君の品位を保った冷然さは、夫のほうの皮肉さと同様に、人からよく思われなかった。そして彼らはあまりに高く止まって、実際になしてる善や善をなしたいという願望などを高言しなかったので、人々は彼らの控え目なのを冷淡だと見なし彼らの孤立を利己主義だと見なしていた。彼らは人からそういう意見をもたれてると感ずれば感ずるほど、ますます用心してそれを打ち消そうとはつとめなかった。同人種の多くの人たちの露骨な無遠慮さにたいする反動から、傲慢《ごうまん》が多く宿ってる極端な遠慮さのために、彼らは犠牲となっていた。
小さな庭から数段高くなってる第一階には、植民地砲兵の将校で今は退職の身となってる、シャブラン少佐が住んでいた。まだ若々しい元気な男だった。スーダンやマダガスカルで花々しい戦いをしたこともあったが、その後にわかにすべてをなげうって、この住居に腰をすえ、もう軍隊のことは噂《うわさ》を聞くのもいやがり、花壇を掘り返したり、いつまでも物にならぬフルートの稽古《けいこ》をしたり、政治のことを憤慨したり、愛する娘をいじめたりしながら、日々を過ごしていた。その娘というのは三十歳の若い女で、ごくきれいではないが愛嬌《あいきょう》があって、父親に一身をささげ、父親のもとを離れたくないので結婚もしないでいた。クリストフは窓からのぞき出して、しばしば彼らをながめた。そして自然と、父親によりも娘のほうに多く注意を向けた。彼女は午後の一部分を庭で過ごしながら、年取った不平家の父親といっしょにいつも上機嫌《じょうきげん》で、縫い物をしたり夢想したり庭をいじったりしていた。少佐の口やかましい声に茶化した調子で答えてる、彼女の静かな澄んだ声が聞こえた。少佐は砂の小径《こみち》をいつまでもぶらついていたが、やがて家に引っ込んでいった。彼女はあとに残って、庭のベンチに腰をかけ、身動きもせず口もきかずぼんやり微笑《ほほえ》みながら、幾時間も裁縫していた。一方では家の中で、退屈しきってる少佐が、一生懸命にフルートの酸《す》っぱい音を吹きたてたり、または気を変えるために、途切れがちにハーモニュームをかき鳴らしたりしていた。それがクリストフには面白くもあればうるさくもあった――(日によってその気持は違った)。
それらの人々は、四方閉ざされた庭のついてる家の中で、世間の風に吹かれもせず、おたがい同士も厳重に戸を閉ざして、隣り合って暮らしていた。ただクリストフだけが、膨張したくてたまらず生気にあふれていたので、向こう見ずなしかも洞察《どうさつ》的な広い同情の念で、彼らから知られないまに彼らを皆包み込んでいた。彼は彼らを理解してはいなかった。理解する方法がなかった。彼にはオリヴィエのような心理的知力が欠けていた。しかし彼は彼らを愛していた。本能的に彼らの地位に身を置いていた。すると徐々にある神秘な作用で、それらの近いしかも遠い生活がぼんやり彼の心に映ってきた。喪に沈んでる女の深く淀《よど》んでる悲しみ、牧師やユダヤ人や技師や革命家などの傲慢《ごうまん》な思想の隠忍な沈黙、アルノー夫妻の心を音もなく焼きつくしてる愛情と信念との蒼白《あおじろ》い静かな炎、民衆の一人が光明にたいしていだいてる率直な憧憬《どうけい》、将校が胸に秘めてる抑圧された反抗心と無益な行動、リラの花陰で夢想してる若い女のあきらめきった静安。それらの魂の無言の音楽は、クリストフだけが見通すことができた。彼らにはその音楽が聞こえなかった。彼らはそれぞれ自分の悲哀や夢想のうちにとらわれていた。
もとより彼らは、懐疑家の老学者も、悲観家の技師も、牧師も、無政府主義者も、すべてそれらの傲慢《ごうまん》な者も失意の者も、皆働いていた。そして屋根の上には、屋根職人が歌っていた。
クリストフは家の周囲にも、すぐれた人々のうちに――彼らが団結してるときでさえ――同じ精神的孤立を見出した。
オリヴィエは自分が筆を執ってるある小雑誌に、クリストフを関係さしていた。それはエゾープという雑誌で、標語としてモンテーニュの文を引用していた。
エゾープは、他の二人の奴隷とともに売りに出されぬ。買い手は第一の奴隷に何をなし得るやを問えり。奴隷はおのれの価値を高めんがために、山のごとき大事業をもと答えぬ。第二の奴隷もそれに劣らぬ大言を払えり。エゾープの番となりて、何をなし得るやを尋ねられしとき、彼は言いけり。――「この二人にすべてを取られたれば、われのなすべきことなし。二人のみにてすべてをなし得べし。」
それは、すでにモンテーニュが言ってるとおり、「知識を鼻にかけてる人々の厚顔さや法外な不遜《ふそん》さ」にたいする、蔑視《べっし》的な反動の純な態度だった。雑誌エゾープの自称懐疑家らは、実はもっとも鍛錬された信念の所有者だった。しかし一般の眼から見れば、その皮肉の仮面は、もとよりあまり魅力をもたなかった。むしろ人を閉口させるに適していた。単純な明快な剛健な確実な生活の言葉を与えられるときにのみ、民衆は味方してくる。民衆は貧血せる真理よりも強健なる虚偽のほうを好む。懐疑主義が民衆の気に入るのは、それがある愚鈍な自然主義かキリスト教的偶像崇拝かを隠し持ってるときのみである。エゾープ誌がまとってる蔑視的な懐疑説は、その隠れたる堅固さを知ってる少数の人々――蔑視的なる魂に傍点]――からしか耳傾けられることはできなかった。その力は行動にとっては無役なものだった。
彼らはそれを意に介しなかった。フランスが民主的になればなるほど、その思想、その芸術、その学問は、ますます貴族的になるかの観があった。学問は、その特別な言葉の後ろに隠れ、専門家しか払いのけることのできない三重の幕に覆《おお》われて、聖殿の奥にこもっているので、ブュフォンや百料全書派《アンシクロペディスト》のころよりもさらに近づきにくくなっていた。芸術――少なくとも、おのれを尊敬し美を崇拝してる芸術は――やはり同じく閉鎖的だった。それは民衆を軽蔑していた。美よりも行動のほうを多く頭に置いてる作家らの間にも、美的観念よりも道徳的観念のほうを重んじてる作家らの間にも、しばしば一種妙な貴族的精神がみなぎっていた。彼らは内心の炎を他人に伝えることよりも、自分のうちにその純潔を保つことのほうを、より多くつとめてるかのようだった。あたかも、おのれの観念に勝利を得させることよりも、それをただ肯定することばかりを欲してるかのようだった。
けれども多数のうちには、大衆的な芸術に関係してる者もないではなかった。そのもっとも真面目《まじめ》なある者らは、自分の作品のうちに、無政府主義的な破壊的な観念や、遠い未来の真理などを投げ込んでいた。その真理も、一世紀後には、あるいは二、三十年後には、おそらくは有益なものとなるかもしれないが、しかし現在では、人の魂を腐食し焼きつくしてるのみだった。またある者らは、幻をもたないごく寂しい、苦《にが》い作や皮肉な作を書いていた。クリストフはそういう作品を読むと、二、三日は意気|沮喪《そそう》する心地がした。
「君たちはこんなものを民衆に与えるのか。」と彼は尋ねた。幾時間か自分の不幸を忘れようとやって来るのにそういう悲しい娯楽を与えられる、それらの憐《あわ》れな人々を、彼は気の毒に思ったのだった。「まるで民衆を地中に埋めるようなものじゃないか。」
「なに安心したまえ。」とオリヴィエは笑いながら答えた。「民衆はやって来やしない。」
「当たり前さ。君たちは正気の沙汰《さた》じゃない。民衆から生きる勇気を奪ってしまおうとでもいうんだね。」
「なぜだい? 民衆だってわれわれと同じように、事物の悲しさを見てとりしかも落胆せずに義務を尽くすということを、学ばなければならないじゃないか。」
「落胆せずにだって? そりゃ疑問だ。ただ確かなのは、喜びなしにということだけだ。そして、人間の生の喜びを滅ぼしてしまうときには、そのままでゆけるものじゃない。」
「ではどうすればいいのか。だれにも真理を偽る権利はない。」
「しかし、万人に向かって真理を全部言ってきかせる権利もないのだ。」
「君がそんなことを言うのか。君はたえず真理を要求し、何よりも真理を愛してると言ってたくせに!」
「そうだ、僕にとっては、また、真理をにない得るだけ丈夫な腰をもってる者にとっては、真理がいいのだ。しかしその他の者にとっては、それは一種の残酷であり馬鹿げたことだ。そうだ僕は今わかってきた。国にいたらこんなことは頭に浮かびもしなかったろう。あちらでは、ドイツでは、人は君たちのように真理にとっつかれてはしない。彼らは生きることにあまりに執着してる。用心深く見たいことだけを見ている。ところが君たちはそうでない。だから僕は君たちが好きなんだ。君たちは勇敢で、まっすぐに進んでゆく。しかし君たちは人間的でない。一つの真理を発見したと考えるときには、ちょうど聖書にある尻尾《しっぽ》に火のついた狐《きつね》のように、その真理が世界じゅうに火をつけるかどうかはお構いなしに、それを世界に放ってしまう。君たちが自分の幸福よりも真理を取るのは、僕も尊敬するよ。しかし他人の幸福よりもとなると……よしてもらいたいね。君たちはあまりに勝手すぎる。自分自身よりも真理を愛さなけりゃいけないけれど、真理よりも隣人をいっそう愛さなけりゃいけない。」
「では隣人に嘘《うそ》をつかなくちゃいけないのか。」
クリストフはゲーテの言葉で答えた。
『われわれはもっとも高い真理のうちで、世のためになり得るものをしか明言してはいけない。他の真理はそれをわれわれのうちにしまって置くべきである。隠れたる太陽の柔らかな光のように、それはわれわれのあらゆる行為の上に照り渡るだろう。』
しかしそういう配慮は、それらのフランスの作家たちの心にほとんど触れなかった。彼らは自分の手にしてる弓が、「思想もしくは死」のいずれを放つか、あるいは両者をいっしょに放つかを、少しも問題としなかった。彼らは愛に欠けていた。自分がある観念をもってるときには、それを他人にも課そうとする。観念をもたないときには、他人にももたせまいとする。そして、そういうことができないのを見てとるときには、行動の興味を失ってしまう。フランスの優秀者らが、政治にあまり関係しないのは、それがおもな理由だった。彼らはおのおの、自分の信念のうちに、あるいは信念の欠乏のうちに、閉じこもってばかりいた。
そういう個人主義を撲滅して彼らの間に種々の集団を作るために、多くの試みがなされてきた。しかしそれらの群れの多くはすぐに、文学的な討論会や滑稽《こっけい》な暴徒などに堕してしまった。すぐれた者はたがいに滅ぼし合った。多くの弱い善良な意志を結合して導くために生まれてる、力と信念とに満ちた卓越せる人々も存在していた。しかし彼らは各自におのれの群れをもっていて、それを他人の群れと一つにすることを同意しなかった。かくていつも少数の小雑誌や集会や結社のみであった。そしてそれらはあらゆる精神上の徳操をそなえてはいたが、ただ自己脱却の徳のみはもたなかった。なぜなら、いずれも他にたいして自我を通そうとばかりしていたから。かくして、数も少なく幸運はさらに少ない善良な人々の集まりのパン屑《くず》を、それらはたがいに奪い合いながら、貧血し飢餓してしばしの生命をつないでいた。そしてついには倒れてふたたび起《た》てなかった。それも敵の鞭《むち》の下にではなく――(もっとも嘆くべきことには)――自分自身の鞭の下にであった。種々の職業――文学者、劇作家、詩人、散文家、教授、教員、新聞記者――は多くの小さな部族をこしらえていて、それがまたさらに小さな部族に分かたれ、そのおのおのは門戸を閉ざし合っていた。たがいに出入りを許すことなどはさらになかった。フランスにおいては、何事にも全員一致というものがなかった。もしあれば、それはごくまれな場合にだけであって、しかもそのときには、全員一致の性質が流行病的なものとなり、そしてたいていは、病的であるがゆえに誤ったものとなった。個人主義がフランス人の活動のあらゆる方面に君臨していた。学術的な仕事におけると同じく、商業においても個人主義は、大商人らが結合して主人側の協定を作ることを妨げていた。この個人主義は充実したあふれきったものではなくて、執拗《しつよう》な蟄居《ちっきょ》的なものだった。一人でいること、他人から負い目を受けないこと、他人に関係しないこと、他人に交じっておのれの劣等さを感ずるのを恐れること、自分の尊大な孤立の静安さを乱さないこと、そういうのが、局外的[#「局外的」に傍点]雑誌や局外的芝居や局外的集団を作ってる人々の、内心の考えだった。雑誌や芝居や集団の存在の理由は、多くはただ、他人といっしょにいたくないという願い、共通の行為や思想のうちに他人と結合することの不可能さ、または、党派的|敵愾《てきがい》心でないとすれば、もっともたがいに理解していい人々をもたがいに武装さしてる猜疑《さいぎ》心、などにすぎなかった。
たがいに尊敬し合ってる精神の人々が、たとえば雑誌イソップ]におけるオリヴィエやその仲間たちのように、一つの仕事に集まってるときでさえも、彼らはいつもたがいに警戒し合ってるがようだった。ドイツではだれももっていてかえって邪魔となりやすい開放的な朴訥《ぼくとつ》さを、彼らは少しももっていなかった。イソップの青年の群れのうちには、ことにクリストフの心をひく者が一人(シャール・ペギー)いた。その男に例外的な力があることを見てとったからである。それは一人の作家で、不撓《ふとう》な理論と執拗な意志とをそなえ、道徳的な観念に熱中し、頑固《がんこ》にその観念に奉仕し、そのためには全世界をも自分自身をも犠牲にするだけの覚悟をもっていた。その観念を擁護せんがために、ほとんど自分一人で一つの雑誌を設けて編集していた。純粋な勇壮な自由なフランスという観念を、ヨーロッパにまたフランス自身にいだかせようとみずから誓っていた。自分がフランス思想史中のもっとも勇敢なページの一つを書いてるのだということは、他日世界から認められると確信していた――そしてそれは彼の自惚《うぬぼ》れでもなかった。クリストフはもっとよく彼を知りたがり、彼と交際をしたがった。しかしその方法がなかった。オリヴィエと彼とは、しばしば用があったけれど、たがいに会うのはごくまれであって、それもただ用件のためばかりだった。彼らは心のうちを少しも語り合わなかった。抽象的な意見を少しばかりかわすのがようやくだった。と言うよりもむしろ――(なぜなら、正確に言えば、意見の交換をすることはなくて、各自に自分の考えを胸中にしまっていたから)――彼らはいっしょになって勝手に独白ばかりしていた。それでも彼らこそ、たがいの価値を知り合ってる戦友どもであった。
そういう控え目なやり方には、彼ら自身でも見分けがたい多くの理由が存していた。第一には、各精神間のいかんともできない差異をあまりにはっきりと見てとる、過度の批評癖であり、それらの差異をあまりに重要視する、過度の理知主義であった。生きんがために愛したがり満腔《まんこう》の愛を消費したがる力強い率直な同情心、それの欠けてることだった。つぎにはまたおそらく、仕事の疲労、あまりに困難な生活、思想の熱烈さ、などであった。そのために彼らは、晩になるともはや、親しい会談を楽しむだけの力がなかった。最後には、フランス人としては告白するのが恐ろしい、しかも心の底にしばしば唸《うな》っている、同民族の者でない、という恐ろしい感情であった。われわれは異なった民族の者であり、異なった時代にフランスの土地に居を定めた者であって、一つに結合しながら、共通の思想をもつこと少なく、しかも共同の利益のためにそのことをあまり考えてはいけない、という恐ろしい感情であった。そしてまた何よりも、自由にたいする熱狂的な危険な情熱であった。人はそれを一度味わうと、何物をも犠牲にして顧みなくなる。そしてその自由な孤独境は、多年の困難によって購《あがな》われたものだけに、いっそう貴重なものとなっている。優秀な人々は、凡人らから奉仕されるのをのがれんがために、その中に逃げ込んでいる。それは実に、宗教や政治上の集団の重圧、フランスにおいて個人を押しつぶしてる巨大な重み、すなわち、家庭、世論、国家、秘密結社、党派、徒党、流派、などの暴虐にたいする反動である。たとえば、脱獄せんがためには十重二十重の壁を飛び越えなければならない囚人を、想像してみるがよい。その囚人が、首の骨も折らず、最後までやりとおすとするならば、彼はきわめて強者だと言わなければならない。それは自由な意志にたいする手荒い鍛錬である。しかし一度それを通り越した人々は、そのきびしい気質を、独立の性癖を、他人の魂と融《と》け合うことの不可能性を、生涯失うものではない。
傲慢《ごうまん》による孤立のほかになお、断念による孤立があった。フランスにおいてはいかに多くの善良な人々が、その温情と矜持《きょうじ》と愛情とのあまり、人生から隠退するにいたってることだろう。あるいは良きあるいは悪き多くの理由が、彼らの活動を妨げていた。ある人々にあっては、それは服従や臆病《おくびょう》や習慣の力などであった。またある人々にあっては、それは、世間体、人に笑われる恐れ、人の眼をひき人に批判され、公平な行為を私心ある動機に帰せられる恐れ、などであった。ある者は政治的社会的な戦いに加わることを欲せず、ある者は博愛事業から顔をそむけていた。なぜなら彼らは、良心と良識とをもたずにそういうことに従事してる者があまりに多いのを見るからであり、自分もそれらの偽瞞《ぎまん》者や馬鹿者どもと同視されはすまいかを恐れるからであった。厭気《いやけ》、疲労、行動や苦痛や醜悪や愚劣や危険や責任にたいする恐れ、また、現今多くのフランス人の誠意を滅ぼしてる、なんの役にたつものかという恐ろしい観念、などがほとんどすべての者のうちにあった。彼らはあまりに知的――(広い羽ばたきをもたない知力の者)――であり、賛成と不賛成とのあらゆる理由を見てとっている。力に乏しく、生気に乏しい。人はきわめてよく生きてるときには、なにゆえに生きてるかを問わないものである。生きるがために生きてるのである――生きることは素敵なことであるがゆえに!
終わりに、同情すべき普通のあらゆる性質がいっしょになって、すぐれたる人々のうちに宿っていた。穏和な哲学、欲望の節度、家庭や土地や道徳的習慣などへのやさしい執着、慎み、我《が》を通し他人を邪魔することの恐れ、感情の貞節さ、常住不断の控え目、などがあった。すべてそれらの愛すべき美《うる》わしい特質は、ある場合においては、清明な心境に、勇気に、内心の喜悦に、よく調和することができていた。しかしそれらはまた、フランス人の貧血に、活力の漸減《ぜんげん》に、関係がないではなかった。
クリストフとオリヴィエとが住んでる家の下のほう、四方壁に取り巻かれた底にある、優雅な庭は、かかるかわいいフランスの象徴であった。それは外部の世界に戸を閉ざしてる緑の一隅《いちぐう》だった。ただときどき、外部の大きな風が、渦《うず》巻きながら吹きおろしてきて、夢想してる若い娘に遠い畑地と広い土地との息吹《いぶ》きをもたらしてくるのだった。
今やクリストフは、フランスの隠れたる源泉を瞥見《べっけん》し始めたので、フランスが下劣な者どものために圧迫されるままになってるのを、憤慨せずにはいられなかった。その黙々たる優秀者らが潜み込んでる薄明の境は、彼には息苦しかった。堅忍主義は、もう歯牙《しが》を失ってる人々にはよいことである。しかし彼は、戸外の空気を、大なる公衆を、栄光の太陽を、幾多の魂の愛を、おのが愛する者をすべて抱きしめることを、敵を粉砕しつくすことを、戦いそして征服することを、必要としているのであった。
「君にはそれができる。」とオリヴィエは言った。「君は強い。君は征服するようにできている。それは君の長所から来てるとともに――(失礼だが)――欠点からも来ている。君は仕合わせにもあまりに貴族的な民衆に属してはいない。活動を君は厭《いや》がりはしない。君は必要によっては、政治家となることさえできるだろう……。それにまた、君は作曲というこの上もない仕合わせな能力をもっている。人にはわからないから、君はなんでも言うことができる。君の音楽のうちにある世人にたいする軽蔑《けいべつ》や、世人が否定してるものにたいする信仰や、世人が滅ぼさんとつとめてるものにたいする絶えざる賛歌などを、もし世人が知り得たら、世人はけっして君を許してはおかないだろう。君は彼らから邪魔されつきまとわれいらだたせられて、彼らと戦うことに最善の力を費やしてしまうだろう。彼らに打ち克《か》つときには息が切れて、もう自分の仕事を完成することができないだろう。君の生命はそこに終わってしまうだろう。偉人が勝利を得るのは、世人から誤解されるおかげによってである。人は偉人をその真相と反対の点から賞賛するのだ。」
「ふふん!」とクリストフは空うそぶいた。「君たちは自国の大人物どもの怯懦《きょうだ》を知らないのだ。僕は初め君一人が知らないのだと思っていた。君が行動しないのを許していた。しかし実際では、君たちは皆同じ考えをもってる連中なのだ。君たちは君たちを圧迫してる者どもより、百倍も強く、千倍も価値があるのに、彼らの厚顔さから圧迫されてばかりいる。僕には君たちの心がわからない。君たちはもっとも美《うる》わしい国に住み、もっともみごとな知力をそなえ、もっとも人間的な官能をそなえながら、その用途を知らず、一群の下劣な者どものために、支配され侮辱され蹂躙《じゅうりん》されるままになっている。ああどうか、君たち本来の面目に返ってもらいたい。天に助けられることを、あるいはナポレオンの出現を、待っていてはいけない。起《た》ちたまえ、団結したまえ。皆仕事にかかるんだ。家を掃除するんだ。」
しかしオリヴィエは、肩をそびやかしながら、皮肉な倦怠《けんたい》の様子で言った。
「あんな奴《やつ》らとつかみ合えと言うのか? いや、それはわれわれの役目じゃない。われわれにはもっとよい務めがあるのだ。暴力を僕はきらいだ。僕は暴力の結果をあまりによく知りすぎてる。酸敗し老耄《ろうもう》した落伍《らくご》者ども、王党の若小な痴人ども、残忍と憎悪《ぞうお》とに満ちた忌むべき宣伝者ども、すべてそういう奴らが僕の行為を奪って、それを汚してしまうだろう。君は僕に、古い憎悪の標語を、出て行け野蛮人ども! あるいはフランスをフランス人に! という標語を、ふたたび奉ぜさせたいのか。」
「なぜそれがいけないんだ?」とクリストフは言った。
「いけない。それはフランス人の言葉ではない。それに愛国心の色をつけてわれわれのうちに広めようとするのは、無駄《むだ》な努力だ。野蛮な国にはいいだろう。だがわれわれの祖国は、憎悪のためにできてはしない。われわれの天稟《てんぴん》の精神が自己を肯定するのは、他を否定したり破壊したりすることによってではなく、他を吸収することによってである。何物でももって来るがいい、混濁せる北方でも饒舌《じょうぜつ》な南方でも……。」
「そして有毒な東方もか?」
「有毒な東方もだ。われわれはそれをも他のものと同様に吸収してみせる。われわれはすでに多くのものを吸収してきたのだ。東方の勝利顔な様子を、またわが同種族のあるものの意気地なさを、僕は笑ってやりたい。東方はわれわれを征服したことと思い、われわれの大通りで、われわれの新聞雑誌の中で、われわれの演劇舞台や政治舞台の上で、威張りちらしている。馬鹿な奴だ。実は東方こそ征服されてるのだ。東方はわれわれの養分となった後に、やがてみずから排泄《はいせつ》されてしまうだろう。ゴールの国は丈夫な胃袋をもってるのだ。二十世紀間のうちに、一つならずの文化を消化しつくした。われわれは毒にも堪えることができる……。恐れるのは君たちドイツ人にはいいだろう。純粋であるかもしくは存在しないか、そのいずれかが君たちの道だ。しかしわれわれフランス人にとっては、純粋は問題ではない。世界的ということが問題なのだ。君たちは皇帝をもってるし、大ブリテンは帝国だと自称してる。しかし事実において、わがラテン精神こそ帝王的なのだ。われわれは世界市の市民である。ローマと世界とに[#「ローマと世界とに」に傍点]またがる者である。」
「国民が壮健で気力盛んな間は、それもうまくゆくだろう。」とクリストフは言った。「しかしいつかはその精力が衰えてくる。すると国民は、そういう外来の流れに沈められる恐れがある。君との間だけの話だが、もうそういう日がやって来てるようじゃないか。」
「そんなことは、幾世紀も前からたびたび言われてきた。だがいつもわが国の歴史はその恐れを打ち消してしまったのだ。人なきパリーに狼《おおかみ》の群れが彷徨《ほうこう》していたあのオルレアンの少女の時代この方、われわれは他の多くの困難をきりぬけてきたのだ。現時の、不道徳の跳梁《ちょうりょう》、快楽の追求、懦弱《だじゃく》、無政府状態、などを僕は少しも恐れない。忍耐だ! 持続せんと欲する者は堪え忍ばなければならない。僕はよく知ってる、このつぎには道徳的な反動が起こってくるだろう! がそれももとより、ずっとよいものではないだろうし、おそらくは同じようなくだらないものに帰着するだろう。今日一般の腐敗に生きてる奴らこそ、その反動をもっとも騒々しく導くだろう。……しかしそんなことはわれわれにとってはどうでもいいのだ。それらの運動は真のフランス民衆に触れはしない。果実が腐っても親木は腐りはしない。腐った果実は地に落ちるだけだ。そのうえ、そういう連中は国民としてはわずかな部分だ。彼らが生きようと死のうと、われわれにはなんらの痛痒《つうよう》もない。彼らに反して徒党を結んだり革命を起こしたりすることに、なんで僕は働くものか。現在の病弊はある何かの制度から起こったものではない。それは、贅沢《ぜいたく》にとりつく天刑病であり、富と知力とにたかる寄生虫だ。やがて滅びてしまうだろう。」
「君たちを食い荒らしたあとにね。」
「いや僕らのような民族については、絶望ということは許されないのだ。この民族は自分のうちに、一つの大なる徳操を隠し持っており、光明と活動的理想主義との大なる力を隠し持っているので、この民族を利用し廃滅せしめようとする者どもをも感染さしてしまうのだ。貪欲《どんよく》な政治家どもでさえこの民族に眩惑《げんわく》される。もっとも凡庸な者どもも権力を得るときには、この民族の運命の偉大さにとらえられる。その運命は彼らを彼ら以上の所へ引き上げる。彼らの手から手へと炬火《きょか》を受け継がせる。彼らは相次いで、闇黒《あんこく》にたいする神聖な戦いをなしてゆく。彼らの民衆の精神に引きずられる。否応なしに彼らは彼らが否定してる神の掟《おきて》を、フランス人によって神がなしたもう行為を、完成してゆく……。親愛なる国、親愛なるこの国、僕はけっしてそれを疑わないだろう。この国が致命的な困難に際会しようとも、そのために僕はますます、世界におけるわれわれの使命をあくまで慢《ほこ》りつづけるだろう。わがフランスが戸外の空気を恐れて病室に蟄居《ちっきょ》することを、僕は少しも望まない。病苦の生存を長引かせることを僕は好まない。われわれのように一度偉大となった暁には、偉大でなくなるよりもむしろ死ぬほうがよいのだ。世界の思想をわれわれの思想界に飛び込ませるがいい。僕はそれをけっして恐れない。洪水《こうずい》の波は、その泥土《でいど》でわれわれの土地を肥やしたあとに、自分からくずれ去るだろう。」
「だが気の毒にも、そうなるまでの間は面白いことじゃない。」とクリストフは言った。「そして、君のフランスがナイル河から浮かび出してくる時分には、君はいったいどうなってるだろうかね。戦うほうがいいじゃないか。戦ったとて敗北の危険しかないだろう。君はすでに生涯《しょうがい》敗北に甘んじてるじゃないか。」
「いや敗北よりもずっと大きな危険があるかもしれない。」とオリヴィエは言った。「おそらく精神の安静を失う危険があるだろう。僕には勝利よりも精神の安静のほうが大事なのだ。僕は人を憎みたくない。敵をも正当に判断したい。熱情のうちにもなお眼の明晰《めいせき》さをもっていたく、すべてを理解しすべてを愛したいのだ。」
しかしクリストフは、そういう生から遊離した生にたいする愛は、死にたいする忍従と大差ないもののように思われた。彼は自分のうちに、老エンペドクレスのように、憎悪《ぞうお》と憎悪の兄弟たる愛との賛歌が、土地を耕し種まく生産的な愛が、とどろくのを感じていた。彼はオリヴィエの冷静な宿命観をもち合わしていなかったし、また、少しもおのれを防御しない一民族の持続をオリヴィエほど信じてはいなかったので、国民のあらゆる健全な力の行使を、フランス全体の正しい人々の一斉《いっせい》の奮起を、促したく思っていた。
ある一個の存在については、それを数か月観察するよりも一瞬間愛することによって、より多くを知り得るものである。クリストフは、ほとんど家から出ないでも、オリヴィエと一週間ばかり親しく暮らすと、一年間もパリーをうろつき回ったり、学術的な政治的な客間に注意深く臨席したりしたあとよりも、フランスについて知るところが多かった。彼が途方にくれたその一般的無秩序のまん中において、友人オリヴィエの魂は、まったく「フランス島」――海洋のまん中にある理性と静穏との小島――のように思われた。オリヴィエのなかにある内心の平和は、それがなんらの知的支持をももたなかっただけに――彼の生活状態が困難だっただけに――(彼は貧乏で孤独だったし、彼の国は頽廃《たいはい》してるようだった)――彼の身体が弱々しく病的で神経に支配されていただけに、いっそうクリストフの心を打った。その静穏は、意志の努力から得られたものとは思えなかった――(彼は意志をあまりもっていなかった)――それは彼の一身と彼の民族との深いところから来たものだった。オリヴィエの周囲の多くの者のうちにも、そういう沈着の遠い光を――「不動の海の黙々たる静けさ」を――クリストフは認めた。そして彼は、自分の魂の騒々しい混濁した奥底を知っていたし、自分の力強い天性の平衡を維持するためには、意志のあらゆる力を用いなければならないことも知っていたので、そういう内に秘められてる心の調和を感嘆した。
隠れたるフランスをながめてみて、フランス人の性格に関する彼のあらゆる考えは、くつがえされてしまった。彼の眼に映ったものは、快活な社交的な無頓着《むとんじゃく》な花やかな民衆ではなくて、自己中心的な孤立した精神の人々であった。彼らはあたかも輝いた雲霧に包まれてるように、楽観主義の外観に包まれてはいたが、しかし深い静穏な悲観主義のうちに浸っていて、一定の観念にとらわれ、知的熱情にとらわれていて、変化させるよりもむしろ破壊するほうがやさしいほどの確固不動な魂の人々だった。それはもちろん、フランスの優秀者らの一部分にすぎなかった。しかしクリストフは、彼らがどこからそういう堅忍と信念とを汲《く》み取って来たかを怪しんだ。オリヴィエは彼に答えた。
「敗北の中から汲み取ってきたのだ。クリストフ、君たちドイツ人がわれわれを鍛えてくれたのだ。ああそれは苦しくないことはなかった。眼前に死滅をながめてき、武力の暴虐な威嚇《いかく》が常にのしかかってるのを感じてる、辱《はずか》しめられ傷つけられたフランスにおいて、いかなる暗澹《あんたん》たる雰囲気《ふんいき》の中にわれわれが生長したかは、君たちには想像もつくまい。われわれの生命、われわれの精神、われわれのフランス文明、十世紀の間得ていた偉大さ――それらのものが、それを少しも理解せず、それを心の底では憎悪し、それをいつでも永久に粉砕しつくし得る、暴戻《ぼうれい》な征服者の掌中《しょうちゅう》にあることを、われわれは知っていた。そしてそういう運命を守って生きなければならなかった。思ってもみたまえ、フランスの少年らは、敗北の影たちこめた喪中の家に生まれ、意気|沮喪《そそう》した思想に養われ、血腥《ちなまぐさ》い宿命的なそしておそらく無益な復讐《ふくしゅう》のために育てられたのだ。というのは、彼らはいかにも幼少ではあったけれど、彼らが意識した第一のことは、正理がないということ、この世に正理がないということだった。力が権利を圧倒するということだった。そういう発見が子供の魂を永久に毀損《きそん》したのだ、もしくは生長さしたのだ。多くのものは自棄《やけ》になってしまった。彼らはみずから言った。『こうしたものだとすれば、戦ってなんのためになろう? 活動してなんのためになろう? くだらないことはくだらないんだ。考えないようにしよう。享楽しよう。』――しかし抗争した者たちは、熱火にも堪え得るのだ。いかなる幻滅も彼らの信念を害し得ない。なぜなら、最初から彼らは、自分の道は幸福の道と通ずる点は少しもないこと、それでも選択の余地はなく、ただその道を進まねばならないこと、他の道では息がつけないこと、それをよく知っていた。が人は初めからそういう確信に達するものではない。十四、五歳の少年でそれに達せられるものではない。それ以前に、多くの苦悩をなめ、多くの涙を流すものだ。しかしそれでこそよいのだ。そうなければならないのだ……。
おう信念よ、鋼鉄の処女よ……
汝《なんじ》の鎗《やり》もて耕せ、蹂躙《じゅうりん》せられし民族 の心を……。」
クリストフは黙ってオリヴィエの手を握りしめた。
「クリストフ、」とオリヴィエは言った、「君らドイツは、われわれをひどく苦しめたのだ。」
クリストフは、自分がその原因ででもあったかのようにほとんど謝《あやま》ろうとした。
「なに心配するには及ばない。」とオリヴィエは微笑《ほほえ》みながら言った。「ドイツがみずから知らずにわれわれにしてくれた善は、その悪よりも大きいのだ。われわれの理想主義をふたたび燃えたたせたのは君たちであり、われわれのうちに学問と信念との熱をふたたび高めさしたのは君たちであり、わがフランスの至る所に学校を設けさしたのは君たちであり、パストゥールの、あの五十億の償金をつぐのうほどの発見をなしたパストゥールのような創造力を、刺激してくれたのは君たちであり、われわれの詩や絵画や音楽を復興さしたのは君たちである。君たちのおかげでわが民族の意識は覚醒《かくせい》したのだ。幸福よりも自己の信念のほうを取るためになさなければならなかった努力に、われわれはよく報いられた。なぜなら、われわれは世界一般の無気力のうちにあって、大なる精神力を感得して、もはや勝利をさえも疑わなくなっているのだ。君が見るとおりわれわれはいかにも少数ではあるけれど、また外観上いかにも微弱ではあるけれど――大洋のごときドイツの力に比すれば水の一滴にすぎないけれど――しかもわれわれは、大洋全部を染め得る一滴であると自信しているのだ。マケドニアの一隊の武士がヨーロッパ平民の群がり立つ軍勢を突破するようなことも、起こるかもしれないのだ。」
信念に輝いた眼つきをしてる病弱なオリヴィエを、クリストフはながめた。
「憐《あわ》れな小さな虚弱なフランス人たち、君たちのほうがわれわれよりもずっと強い。」
「仕合わせな敗北なるかなだ!」とオリヴィエは繰り返した。「讃《ほ》むべき災害なるかなだ! われわれは災害を否認しはしない。われわれはそれから生まれた児である。」
[#改ページ]
二
敗北は優秀者らを鍛え、魂の選《え》り分けをする。それは強い純粋な者だけを別になし、それをいっそう強く純粋になす。しかしそれは他の者らの滅落を早め、もしくはその気勢をくじく。それゆえに、倒れかかってる大部分の民衆と、歩きつづけてる優秀者らとを、分け隔てる。優秀者らはそのことを知っており、そのことを苦しんでいる。しかしもっとも勇敢な人々のうちにも、あるひそかな憂鬱《ゆううつ》が、自己の無力と孤立との感情が、存在している。そしてもっともいけないことには、彼らはその民衆の本体から離れながら、また彼ら相互も離れ離れになっている。各自が自分自分のために戦っている。強い者らは自分の身を救うことばかりを考えている。おう人間よ、汝自身を助けよ!……という雄々しい格言は、おう人間らよ、たがいに助け合え! という意味であることを、彼らは考えてもみない。信頼の念、同情のあふれ、一民族の勝利から来る共同動作の要求、充実の感情、絶頂に達せんとの感情、などがすべての人に欠けている。
クリストフとオリヴィエとは、そのことを多少知っていた。彼らを理解し得る魂に満ちてるこのパリーの中で、未知の友人らが住んでるこの家の中で、彼らはアジアの沙漠《さばく》中にいると同じくらいに孤独だった。
彼らの境遇はつらかった。生計の道がほとんどないとも言っていいほどだった。クリストフは、ヘヒトから頼まれた音楽上の模作や改作の仕事をもってるきりだった。オリヴィエは、軽率にも学校の職を辞してしまっていた。それは姉の死以来意気|沮喪《そそう》してしまい、ナタン夫人の連中の間である悲しい恋愛の経験をしたために、さらに落胆した時期だった。――(彼はその恋愛についてクリストフへかつて話さなかった。なぜなら、自分の苦しみを恥ずかしがっていたから。そして、もっとも親しい者にたいしてまで、いつも内心に多少の秘密をもってること、それがまた彼の魅力の一つの原因となるのだった。)――沈黙に飢えてるそういう精神疲憊《ひはい》の状態にあっては、教師の職務は堪えがたくなったのだった。この職業では、虚勢を張り思想を高言しなければならないし、けっして一人きりでいることがないので、それにたいして彼はかつて趣味がもてなかった。中学の教師としては、何かある高尚さをもつために、伝道師的な気質が必要だった。がオリヴィエはそういう気質を少しももたなかった。大学の教師としては、たえず公衆と接触することを余儀なくされた。がオリヴィエのように孤独を愛する魂にとっては、公衆との接触は痛ましいことだった。オリヴィエは二、三度公衆の前で話さなければならなかった。彼はそれについて妙な屈辱を感じた。高い壇の上で見世物となることが嫌《いや》でたまらなかった。彼は聴衆を見物[#「見物」に傍点]し、あたかも触角でするように聴衆を感知し、聴衆の大部分は憂晴《うさば》らしを求めてるだけの無為の徒からなってることを知った。そして公々然と人の慰みになるような役目は、彼の趣味に合わなかった。それからことに、演壇の上から発する言葉は、思想を変形してしまうものである。よほど注意しないとその言葉は、身振りや語調や態度や思想表白の方法などのうちに――気持のうちにさえも、ある一種の道化味をしだいに導き入れる。講演というものは、退屈な喜劇と世俗的な物知り顔、その二つの暗礁の間を行き来する種類のものである。敷石の見知らぬ無言の人々の面前における、その声高な独自の形式、万人に向くはずであってしかもだれにも似合わない、その出来合いの着物、それは、多少人馴《な》れない高慢な芸術家気質にとっては、ひどく間違ったものと思われる事柄である。オリヴィエは、自分自身に沈潜して自分の思想の完全な表現のみをしか口にしたくない欲求を感じていたので、ようやくにして得た教師の職をも擲《なげう》ってしまった。そして、彼の夢想的傾向を止めるべき姉もいなくなっていたので、彼は筆を執り始めた。芸術的な価値がありさえすれば、別にその価値を人に認められようと努力せずともかならず認められるものだと、率直に考えていた。
ところが彼はその夢から覚《さ》めさせられた。何一つ発表することができなかった。彼は自由を熱愛していたので、すべて自由をそこなうものを嫌悪《けんお》して、自分一人離れて生きていた。あたかも、たがいに対抗団結を作って国土と新聞雑誌とを分有する、政治的諸教会の岩石の間に生えてる、空気の欠乏した植物に似ていた。また同様に彼は、あらゆる文学的党派から離れ見捨てられていた。文学者仲間に一人の友人もなかったし、友人のありようがなかった。彼はそれらの知的な魂の冷酷さや無情さや利己主義に悩まされた――(ただほんとうの天稟《てんぴん》に導かれてる者や熱心な学術的研究に没頭してる者など、ごく少数の人々については例外だった。)頭脳――小さな頭脳をもってるときに――頭脳のために心を萎縮《いしゅく》させた者こそ、悲しむべきである。温情は少しもなく、鞘《さや》に納めた短刀のような知力があるのみである。われわれはその知力にいつ喉《のど》を刺されるかわからない。不断に武装していなければならない。自分の利益のためにではなしに美しいものを愛する善良な人々――芸術界の外部に生きてる人々、などにしか友情の可能性はない。芸術界の空気は大多数の者には呼吸できない。生命の泉たる愛を失わずにそこに生きることができるのは、ただきわめて偉大なる人々のみである。
オリヴィエはただ自分一人を頼りにするのほかはなかった。それはごく心細い支持だった。彼にはあらゆる奔走がつらかった。自分の作品のために身を屈したくはなかった。阿諛《あゆ》的な追従《ついしょう》を見ると恥ずかしかった。たとえば、知名な劇場支配人は、青年作家らの卑怯《ひきょう》さに乗じて、召使にたいするよりもひどい態度を示していたが、それに向かって彼らは、やはり卑しい阿諛を事としていた。オリヴィエには、たとい生活問題に関するときでもそういうことができなかった。彼は自分の原稿を、劇場や雑誌の事務所に、郵送するか置いてくるかだけだった。その原稿は幾月も読まれないで放っておかれた。ところがある日彼は偶然に、中学時代の古い同窓の一人に出会った。愛すべき怠惰者《なまけもの》だったが、オリヴィエからいつも親切にたやすく宿題を作ってもらったことがあるので、今でもなお深い感謝の念を失わずにいた。文学のことは何にも知らなかったが、はるかに好都合なことには、文学者らに知人をもっていた。そして、金持で俗人だったので一種の見栄坊《みえぼう》から、内々文学者らの利用するところとなっていた。その男が自分の出資してるある大雑誌の幹部へ、オリヴィエのために一言口をきいてくれた。するとただちに、オリヴィエの埋もれた原稿の一つが掘り出されて読まれた。そして多くの躊躇《ちゅうちょ》の後に――(なぜなら、その作はある価値をもってるらしかったが、作者の名前は世に知られていないのでなんらの価値ももっていなかった)――ついに採用されることとなった。オリヴィエはその吉報を聞くと、もうこれで心配は終わったと思った。しかしそれは心配の始まりだった。
パリーでは、作品を受諾してもらうことは比較的たやすい。しかし作品を発表してもらうことは別事である。編集者らを機嫌《きげん》取ったりうるさがらせたり、それら小さな君王らの前にときどき伺候したり、自分が存在してることや必要なときにはいつでも困らしてやる決心でいることを彼らに思い出さしたりする、という才能を知らないときには、幾月も、場合によっては一生でも、待ちに待たなければならない。ところがオリヴィエは自分の家に閉じこもってることしか知らなかった。そして待ちくたびれてしまった。たかだか手紙を書くくらいなものだったが、それにはなんの返事も来なかった。いらいらしてもう仕事も手につかなかった。それは馬鹿げたことではあったが、理屈ではどうにもならなかった。彼はテーブルの前にすわり、落ち着かない悩みに沈んで、郵便の来る時間時間を待ちくらした。室から出て行っては、下の門番のところにある郵便箱に希望の一|瞥《べつ》を投げたが、すぐに裏切られてしまうのだった。散歩に出ても何にも眼にははいらず、もどって来ることばかり考えるのだった。そして、最終便の時間が過ぎてしまうとき、室の中の静けさを乱すものは頭の上の鼠《ねずみ》どもの荒々しい足音ばかりとなるとき、彼は編集者らの冷淡さに息づまる心地がした。一言の返事、ただ一言! それだけの恵与をも拒まれるのであろうか? けれども、それを彼に拒んだ者のほうでは、彼をどれだけ苦しめてるかは夢にも知らないでいた。人はそれぞれ自分の姿によって世界をながめるものである。心に生気のない人々は世界を乾燥しきったものと見る。そして彼らは、年若い人々の胸に湧《わ》き立つ期待や希望や苦悶《くもん》のおののきを、ほとんど思ってもみない。もしそれを思いやるとしても、飽満した身体の鈍重な皮肉さで、それを冷淡に批判してしまう。
がついに作品は発表された。オリヴィエはあまりに待たされたので、もうなんらの喜びをも感じなかった。それは彼にとっては死物だった。それでも彼は、それが他人にとってはなお生命あることを期待していた。その中にこもってる詩や知力の閃《ひら》めきは、認められずに終わるはずはなかった。ところがその作品はまったく沈黙のうちに葬られた。――オリヴィエはその後になお、一、二の論文を発表した。しかし彼はいずれの流派にも属していなかったので、やはり同じような沈黙に、なおよく言えば、敵意に出会った。彼はさらに合点がいかなかった。たといそれほどよくないものであろうともすべて新しい作品にたいしては、好意を寄せるのが各人の自然の感情であると、彼は単純に考えていた。多少の美を、多少の力を、多少の喜びを、他人にもたらそうと欲した者に、人は感謝すべきである。しかるに彼は、冷淡もしくは誹謗《ひぼう》にばかり出会った。それでも、自分が書いた事柄を感じてるのは自分一人ではないこと、他にもそのことを考えてる人たちがいることを、彼は知っていた。しかし、それらりっぱな人たちは彼の作を読んではくれないこと、文学上の意見などには少しもたずさわらないことを、彼は知らなかった。二、三人の人が彼の書いたものを眼にとめて、彼と同感してくれることがあるとしても、けっして彼らはそれを彼に言いはしないだろう。彼らはその沈黙のうちに平然と澄まし込んでいた。選挙に投票しないと同様に、芸術に関与することを控えていた。気分を乱されるので書物を読まなかったし、嫌《いや》な思いをさせられるので芝居へ行かなかった。そして、反対者どもが投票したり、反対者どもが選ばれたり、または、厚顔な少数者のみを代表してる作品や観念が、恥ずべき成功をしたり仰山な広告をしたりしても、彼らはそのまま放っておいた。
オリヴィエは、精神上同民族たるべき人々から知られていないので、彼らを当てにすることができなかった。そして敵軍の掌中に陥ってるのを知った。多くは彼の思想に敵意をもってる文学者や、その命を奉じてる批評家などばかりだった。
彼らとの最初の接触に、彼は血を絞らるる思いをした。老ブルックナーは、新聞雑誌の意地悪さにひどく苦しめられて、もう自作の一編をも演奏させたがらなかったが、それと同じくらいにオリヴィエは、批難にたいして敏感だった。彼は、昔の同僚たる大学の職員らからさえも、支持されなかった。彼らはその職務のおかげで、フランスの精神的伝統にたいするある程度の知覚をなおもっていて、オリヴィエを理解し得るはずだった。しかしそういうりっぱな人々も一般に、規律に撓《たわ》められ、自分の仕事に心を奪われ、仕甲斐《しがい》のない職業のためにたいていは多少とも苛辣《からつ》になっていて、オリヴィエが自分らと異なったことをやりたがるのを許し得なかった。善良な官吏として彼らは、才能の優越が階級の優越と調和するときにしか、才能の優越を認めたがらない傾向をもっていた。
そういう事態にあっては、三つの手段しかあり得なかった。暴力をもって抵抗をうち砕くこと、譲歩して屈辱的な妥協をなすこと、あるいは、あきらめて自分のためにばかり書くこと、オリヴィエには、第一の手段も第二の手段も取り得なかった。彼は第三の手段に身を託した。彼は生活のために厭々《いやいや》ながら出稽古《でげいこ》をし、そのかたわら、筆を執った。その作品は大気のうちに花咲く望みがなくて、色褪《あ》せてき、空想的な非現実的なものとなっていった。
そういう薄明の生活のまん中に、クリストフが暴風雨のように落ちかかってきたのだった。人々の賤劣《せんれつ》さとオリヴィエの気長さとに、彼は腹をたてた。
「いったい君には血の気がないのか。」と彼は叫んだ。「そんな生活をどうして我慢できるのか。あんな畜生どもよりすぐれてることを自分で知っていながら、手向かいもせずに踏みつぶされるままになってるじゃないか。」
「ではどうせよと言うのか。」とオリヴィエは言った。「僕には身を守ることができないのだ。軽蔑《けいべつ》してる奴《やつ》らと戦うのは厭《いや》なんだ。向こうでは僕にたいしてどんな武器でも用うるにきまってる。そして僕にはそんなことはできはしない。僕は彼らのような不正な方法に賴ることが厭なばかりでなく、彼らを害するのも心苦しいのだ。僕は子供のときには、ばかばかしく仲間からなぐられてばかりいた。卑怯者《ひきょうもの》だと思われ、拳固《げんこ》を恐《こわ》がってるのだと思われていた。けれどなぐられるよりも人をなぐるほうがずっと恐かったのだ。腕白者の一人にいじめられたある日、だれかにこう言われた。『一遍うんとやっつけて片をつけてしまえ。彼奴《あいつ》のどてっ腹を蹴破《けやぶ》ってやれ。』ところがそれが僕には非常に恐かった。そんなことをするよりむしろなぐられているほうがよかった。」
「君には血の気がないんだ。」とクリストフは繰り返した。「その上に、始末に終えないキリスト教的観念ときてる……。教理問答だけになってるフランスの宗教教育、去勢された福音書、無味乾操な骨抜きの新約書……いつも眼に涙を浮かべてる人気取りの人道主義……。だが、大革命、ジャン・ジャック・ルソー、ロベスピエール、一八四八年、おまけにユダヤ人ども、などを見たまえ。血のたれてる旧約書の一部でも、毎朝読んでみるがいい。」
オリヴィエは抗弁した。彼は旧約書にたいして生来の反感をもっていた。その感情は、絵入聖書をひそかにひらいてみた子供のときからのものだった。その聖書は田舎《いなか》の家の書庫にあったもので、だれも読んだ者がなかった。――(子供には読むことが禁じられてさえいた。)――が禁ずるにも及ばなかった。オリヴィエは長くその書物を手にしてはいられなかった。彼はいらだち悲しくなって、すぐにそれを閉じてしまった。そのあとで、イーリアスやオデュッセイアやまたは千一夜物語などに読みふけって、ようやく安心するのだった。
「イリヤードの中の神々は美しい力強い不徳な人間である。僕にはよく理解できる。」とオリヴィエは言った。「僕はそれらを愛するか愛しないかだ。愛しないときでさえなお愛してるとも言える。まったく惚《ほ》れ込んでるのだ。パトロクレスとともに血まみれのアキレスの美しい足には接吻《せっぷん》したい。しかし聖書《バイブル》の神は、偏執狂の老ユダヤ人で、恐ろしい狂人で、いつも怒号し威嚇《いかく》し、怒《おこ》った狼《おおかみ》のようにわめきたて、雲の中で逆上している。僕には理解できないし、愛せられもしない。その永遠の呪《のろ》いを見ると頭が痛くなるし、その獰猛《どうもう》さを見ると恐ろしくなる。
モアブにたいする裁断《さばき》、
ダマスカスにたいする裁断、
バビロンにたいする裁断、
エジプトにたいする裁断《さばき》、
海原の沙漠《さばく》にたいする裁断、
幻象《まぼろし》の谷にたいする裁断……。
「それはまったく狂人だ。自分一人で審判者と検察官と死刑執行人とを兼ねてると思い、その獄屋の中庭で、花や小石にたいして死刑の宣告をしている。その書物を虐殺の叫びで満たしてる憎悪の執拗《しつよう》さには、あきれるのほかはない……。
破滅の叫び……その叫びの声はモアブの全地に響き渡る。彼の怒号の声
はエグライムにまで達す。彼の怒号の声はベーリムにまで達す……。
「そして彼は、殺戮《さつりく》の間に、踏みつぶされた子供や強姦《ごうかん》され腹を割《さ》かれた女などの間で、ときどき休息する。そして、都市を略奪して食卓についてるヨシュアの軍卒のように、彼はうち笑う。
しかして軍勢の主君は、脂《あぶら》こき肉の、柔らかき脂肉《あぶらみ》 の馳走《ちそう》、古き葡萄《ぶどう》酒の、よく澄める古葡萄酒の馳走を、そ の人民どもになしたもう……。主君の剣は血に満てり。主君の剣は羊の腎臓《じんぞう》の脂肪に飽きたり……。
「もっともいけないのは、この神が不誠実にも、予言者を遣《つか》わして人々を盲目にすることだ。それも彼らを苦しませるための理由を得るためにだ。
行け、この民の心を堅からしめ、その眼と耳とをふさげよ。彼らが悟ることを恐るればなり。彼らが改心して健康を回復することを恐るればなり。――主よ、何時までなりや。――家にはもはや人なく土地は荒廃に帰するまで、しかせよ……。
「いや僕は生まれてからまだかつて、これほど邪悪な男を見たことがない……。
「僕とても、言葉の力を認めないほど馬鹿ではない。しかし思想を形式から引き放すことはできないのだ。僕がときとしてこのユダヤの神を感嘆することがあるとしても、それは虎《とら》などを感嘆するのと同じ態度でなんだ。種々の怪物を生みだすシェイクスピヤでさえもこんな憎悪《ぞうお》の――神聖な貞節な憎悪の――英雄を、うまくこしらえ出すことはできなかった。こんな書物は実に恐ろしいものだ。狂気はすべて伝染しやすい。そしてこの書物の狂気のうちには、その殺害的な傲慢《ごうまん》さに純化的主張があるだけに、さらに大なる危険がこもっている。イギリスが数世紀来それを糧《かて》としてるのを思うと、僕はおののかざるを得ない。イギリスと僕との間に海峡の溝渠《こうきょ》が感ぜられるのは仕合わせだ。ある民衆が聖書《バイブル》で身を養ってる間は、僕はそれをまったくの文化の民だとはけっして信じないだろう。」
「それでは君は僕をも恐れていいわけだ、僕は聖書《バイブル》に酔わされてるのだから。」とクリストフは言った。「聖書《バイブル》は獅子《しし》の精髄なんだ。それを常食としてる者こそ強健な心の人だ。福音書も旧約書の配剤がなければ、味のない不健全な料理にすぎない。聖書《バイブル》は生きんことを欲する民衆の骨格なのだ。戦わなければいけない、憎まなければいけない。」
「僕は憎悪《ぞうお》を憎む。」とオリヴィエは言った。
「ただ君に憎悪の念さえあればいいんだが。」とクリストフは言った。
「君の言うとおり、僕には憎む力さえないのだ。しかたがない。敵のほうの理由をも見ないではいられないのだ。僕はシャルダンの言葉をみずから繰り返している、温和だ、温和だ! と。」
「まるで小羊だね。」とクリストフは言った。「しかし否でも応でも僕は、君に溝《みぞ》を飛び越えさしてみせる、無理やりに君を連れ出してみせる。」
果たして彼は、オリヴィエの事件を引き受けて、オリヴィエのために戦いだした。しかし最初のうちはあまり都合よくはいかなかった。彼は第一歩からもういらだって、友を弁護しながらかえってその不利を招いていた。あとで彼はそれに気づいて、自分の頓馬《とんま》さに落胆した。
オリヴィエもじっとしてはいなかった。彼はクリストフのために戦っていた。彼は戦いを恐れていたし、過激な言葉や行為を嘲笑《あざわら》うだけの、明晰《めいせき》皮肉な知力をそなえていはしたが、それでもクリストフを弁護する場合になると、だれよりも、クリストフ自身よりも、いっそう過激になるのだった。無我夢中になるのだった。人は愛においては無茶になり得なければいけない。オリヴィエもその例にもれなかった。――けれども彼は、クリストフよりは巧妙だった。自分自身のことには一徹で頓馬《とんま》だったこの青年も、友の成功のためには、策略やまた狡猾《こうかつ》な術数をさえめぐらすことができた。非常な元気と機敏さとをもって、友に味方を得さしてやった。自分自身の味方に願うのは恥ずかしがってるような、音楽批評家やメセナスのごとき文芸保護者の連中を、うまくクリストフへ心向けさしてやった。
そういう努力にもかかわらず、二人はなかなか自分らの境遇を改善できなかった。たがいの愛情のために、いろいろばかげたことをした。クリストフは金を借りてオリヴィエの詩集を一冊内密に出版したが、一部も売れなかった。オリヴィエはクリストフを説き落として、音楽会をやらせたが、ほとんどだれも聴《き》きに来なかった。クリストフはむなしい聴衆席を前にして、ヘンデルの言葉を繰り返しながらみずから雄々しく慰めた。「素敵だ! 俺《おれ》の音楽はこのほうがよく響くだろう………。」しかしそういう空威張りも、費やした金を償ってはくれなかった。そして二人は寂しく家に帰っていった。
そういう困難のうちにおいて、彼らを助けに来てくれたただ一人の者は、タデー・モークという四十歳ばかりのユダヤ人だった。彼は美術写真の店を開いていた。そしてその職業に興味をもち、趣味と巧妙さとをもってやっていたが、それでもなおその商売をおろそかにしたいほど他のいろんなことに興味をもっていた。商売に身を入れるのも、技術上の完成を求めるためにであり、新しい複写法に熱中するためであった。がその複写法は、巧妙な工夫になってるにもかかわらず、めったに成功しなかったし、またたいへん金がかかった。彼は非常にたくさん書を読んで、哲学や芸術や科学や政治などのあらゆる新思想を求めていた。驚くべきほど鼻がきいて、独自の力をもってる者を嗅《か》ぎ出していた。その隠れたる磁力を感じてるがようだった。オリヴィエの友人らが、各自に孤立して自分自分の仕事をしている間で、彼は一種の連繋《れんけい》の役目をなしていた。彼はあちらこちら行き来していた。そのために、彼らも彼も気づかないうちに、常に一つの思潮が皆の間にでき上がっていた。
その男をオリヴィエがクリストフへ近づかせようとしたとき、クリストフは初め断わった。彼はイスラエルの民族との過去の経験に飽き飽きしていた。オリヴィエは笑いながら、ぜひその男に会えと説きたて、フランスを知らないと同様にユダヤ人をもよく知ってはいないのだと言った。でクリストフは承諾した。しかしタデー・モークを初めて見ると、彼は顔を渋めた。モークは外見上、あまりにもユダヤ人的だった。ユダヤ人ぎらいの者が描き出すとおりのユダヤ型、背の低い頭の禿《は》げた無格好な身体、すっきりしない鼻、大きな眼鏡の後ろから斜視《やぶにらみ》する大きな眼、荒いまっ黒なもじゃもじゃした髯《ひげ》に埋まってる顔、毛深い手、長い腕、短い曲がった足、まったくシリアの小バール神であった。しかし彼のうちには深い温情の現われがあってクリストフはそれに心打たれた。彼はことに、ごくさっぱりしていて、少しも無駄な言葉を発しなかった。誇張したお世辞は少しも言わなかった。ただ慎み深い一言だけで済ました。しかし人の役にたとうと願っていた。人から頼まれないうちに、もう何か世話をしてくれていた。彼はたびたびやって来、あまりたびたびやって来た。そしてたいていいつも何か吉報をもたらした。二人のどちらかへ仕事をもって来、オリヴィエのために芸術上の論文執筆や講義の口をもって来、クリストフのために音楽教授の口をもって来た。彼はけっして長居をすることがなかった。彼は押しつけがましいことをわざと避けていた。たぶんクリストフのいらだちに気づいたのであろう。クリストフはそのカルタゴの偶像みたいな髯面《ひげづら》が戸口に現われるのを見ると、いつもまっ先に我慢しかねるような様子をするのだった。――(彼はモークをモロックと呼んでいた。)――しかしモークが帰ってゆくと彼はすぐに、そのまったくの温情にたいして満腔《まんこう》の感謝を覚ゆるのだった。
温情はユダヤ人には珍しいことではない。それはあらゆる美徳のうちで、彼らがたとい実行しないときでももっともよく容認するものである。実をいえば、温情は彼らの大多数にあっては、否定的なあるいは中性的な形のままで、寛容、無関心、悪を行なうことの嫌悪《けんお》、皮肉な許容、などとなる。ところがモークにあっては、その温情がひどく活動的だった。だれかにもしくは何事かに、いつでも身をささげようとしていた。貧しい同宗の者らのために、ロシアの亡命者らのために、あらゆる国民のうちの迫害された者らのために、不幸な芸術家らのために、あらゆる不運のために、あらゆる健気《けなげ》な事件のために、いつでも尽くそうとしていた。彼の財布はいつも口をあいていた。いかにその中身が少ないときでも、どうにかして多少の金を取り出した。まったく空《から》である場合には、他人の財布から金を引き出した。人の世話をする場合になると、自分の心労や足労を意に介しなかった。単純に――わざとらしいほど単純に人の世話をした。単純で実直だとあまりに自称しているのは瑕《きず》だったが、しかし多とすべきは、実際彼が単純で実直なことだった。
クリストフはモークにたいするいらだちと好感との板ばさみになって、一度餓鬼大将みたいな残忍な言葉を発したことがあった。すなわちある日、彼はモークの親切に感動して、やさしく両手をとりながら言った。
「実に不幸なことだ……実に不幸なことだ、あなたがユダヤ人であるのは!」
オリヴィエはそれがあたかも自分のことででもあるかのように、ぎくりとして真赤《まっか》になった。非常に当惑して、友が相手に与えた不快を打ち消そうとつとめた。
モークは寂しい皮肉の様子で微笑《ほほえ》み、落ち着いて答えた。
「人間であるのはさらに大きな不幸です。」
クリストフはそれを単なる思いつきとしか見なかった。しかしその言葉のうちにこもっている悲観思想は、彼が想像も及ばないほど深いものだった。オリヴィエは精緻《せいち》な感受性によって、それを直覚し得た。人に知られてるモークの下には、まったく異なった、そして多くの点においては全然反対でさえある、他のモークが存在していた。彼の表面の性質は、真の性質にたいする長い戦いから生じたものだった。単純らしく見えるこの男は、曲がりくねった精神をもっていた。自制していない場合には、いつも簡単な事物をも複雑にしたがり、もっとも真実な感情にも気取った皮肉の性質をもたせたがった。謙譲でときとするとあまりに卑下してる観があるこの男は、その底に傲慢《ごうまん》さをもっていて、それをみずから知ってひどく抑制していた。彼のにこやかな楽観主義、たえず他人に尽くさんとする不断の活動性は、深い虚無思想を、自分で見るのも恐ろしい致命的な落胆を、その下に覆《おお》い隠していたのである。モークは、多くのことに大なる信念を表示していた。人類の進歩、純化されたユダヤ精神の未来、新精神の闘士たるフランスの運命などに。――(彼はこの三つの事柄を好んで同一視していた。)――しかしオリヴィエはそんなことに欺かれはしなかった。彼はクリストフに言った
「心の底では、彼は何も信じていないのだ。」
モークは、その皮肉な良識と冷静とにもかかわらず、自分のうちの空虚をながめたがらない神経衰弱者だった。ときどき虚無の発作に襲われた。真夜中に慴《おび》えた唸《うな》り声をたてながら、突然眼を覚《さ》ますこともあった。至る所に動き回るべき理由を捜し求めては、あたかも水中で浮標にすがるようにそれへしがみついていた。
あまりに古い民族たるの特権は、高い代価を要する。そのとき人がになわせられるものは、苦難や疲れた経験や裏切られた知能と愛情など、過去の大なる重荷である――古来の生活の大|桶《おけ》である。桶の底には、倦怠《けんたい》の苛辣《からつ》な滓《かす》がたまっている……。倦怠、セム種族の広大な倦怠、それはわれわれアリアン種族の倦怠とは別種のものである。アリアン種族の倦怠は、われわれをかなり苦しませてはいるが、少なくともはっきりした原因をもっていて、その原因とともに過ぎ去ってしまう。なぜならそれはたいてい、欲望するものを得ないという憾《うら》みから来てるものである。しかしあるユダヤ人らにあっては、生の源泉そのものが、致命的な毒によって害されている。もはや欲望もなく、何物かにたいする興味もない。野心も愛も快楽もない。そして、数世紀来必要上精力を消費してきて疲憊《ひはい》しつくし、不動心の境地を渇望しながらそれに到達し得ないでいるそれらの、東方から根こぎにされた人々のうちに、ただ一つのもののみが、完全なままではなく、病的に過敏になされて、残存している。それは思考癖であり、限りなき分析癖であって、前もってあらゆる享楽を不可能ならしめ、あらゆる行動の勇気を失わせる。もっとも元気ある者らは、自分のために活動する以上に、種々の役目を引き受けてそれを演じている。不思議なことには、そういう実生活にたいする無欲さは、彼らのうちの多くの者に――かなり知力ありまた往々かなり真面目《まじめ》なのであるが――俳優となって生活を演ずるという、天性もしくは無意識的な願望を吹き込んでいる。そして彼らにとっては、それが唯一の生活方法なのである。
モークもやはり自己流の俳優であった。彼は気晴らしのために活動していた。しかし、多くの者が利己心のために活動してるのに反して、彼は他人の幸福のために活動していた。クリストフにたいする彼の尽力は、感心なほどでまたうるさいほどだった。クリストフはいつも彼を冷遇し、そのあとでまた後悔した。しかしモークはかつてクリストフを恨まなかった。何事も彼の気をそこなわなかった。と言って、クリストフにたいして強い愛情をもってるからではなかった。彼が愛してるのは、身をささげてる相手の人々よりも、献身そのものだった。相手の人々は彼にとっては、善をなすための、生きるための、一つの口実にすぎなかった。
彼は非常に骨折って、クリストフのダヴィデと他の数曲とを、ヘヒトに出版させることにした。ヘヒトはクリストフの才能を尊重してはいたが、それを世に紹介しようとつとめてはいなかった。ところが、モークが自分の金で他の出版屋に出版させかねないのを見て、彼は自負心から、みずから進んでそれを引き受けたのだった。
モークはまた、オリヴィエが病気にかかって金のない困難な場合に、二人と同じ建物に住んでる金持の考古学者たるフェリックス・ヴェールに、助力を求めようと考えついた。モークとヴェールとは知り合いだったが、おたがいにあまり同情の念はなかった。彼らはあまりに異なっていた。落ち着きがなく底暗く革命主義で、おそらく故意に誇張された「平民」的態度をしてるモークは、平静で嘲笑《ちょうしょう》的で上品な態度と保守的な精神とをもったヴェールの、皮肉を招いていた。もとより彼らは共通の素質をももっていた。二人とも同じく活動にたいする深い興味を失っていた。そしてただ執拗な機械的な活力だけで支持されていた。しかしそれを意識することを二人とも好まなかった。彼らは自分の演じている役割にしか注意を払いたがらなかった。そしてその役割には、たがいに接触点がほとんどなかった。それでモークは、ヴェールからかなり冷やかに取り扱われた。オリヴィエとクリストフの芸術上の企図について、ヴェールに興味をもたせようとしたとき、彼はその懐疑的な冷笑に出会った。いつもなんらかの空中楼閣に熱中してるモークは、ユダヤ人仲間の笑い話となっていて、危険な「山師」とされていた。が彼は多くの場合のように、こんども落胆はしなかった。なおしつこく説きたてて、クリストフとオリヴィエとの友情を話してきかせながら、ヴェールの興味をひいた。それに気づいてなお説きつづけた。
彼はその点で相手の心琴に触れていた。友もなくすべてから離れてるこの老人は、友情を非常に尊んでいた。彼が一生のうちに感じた大なる情愛は友情だったが、途中でその友をも失ったのだった。友情は彼の内心の宝だった。友情のことを考えると慰められた。友の名前でいろんなことをやってきた。亡き友に著書をささげたりした。そして今、クリストフとオリヴィエとの相互の愛情をモークから聞かされると、そのいろんな点に感動させられた。彼の身の上の話も、二人のことと多少似通っていた。亡くなった彼の友は、彼にとっては、一種の兄であり、青春の伴侶《はんりょ》であり、崇拝してる嚮導《きょうどう》者であった。若いユダヤ人のある者らは、知力と勇ましい熱情とに燃えたち、周囲の酷薄な環境に苦しめられ、おのが民族を向上せしめおのが民族によって世界を向上せしめんと、身をささげて尽瘁《じんすい》し、みずから自分の身を疲憊《ひはい》さし、四方から自分自身を焼きつくし、樹脂の炬火《たいまつ》のようにしばらくのうちに燃えつくしているが、彼の友もその一人だった。その炎はこの小ヴェールの無情無感を温めてくれた。彼が生きてた間は、ヴェールも、その救世主的な魂があたりに光被している信念の円光――学問や精神力や未来の幸福などにたいする信念の円光――に包まれて、彼と並んで歩いていた。しかしその魂から一人この世に置きざりにされた後には、弱い皮肉なヴェールは、その理想主義の高みからすべり落ちて、ユダヤ人の知力の中に存在しその知力を常にのみつくさんとしてる、伝道書の砂地にはいり込んでしまった。しかし彼は、友と共に光明のうちに過ごしたときのことをけっして忘れなかった。ほとんど消えてしまってるその光明の輝きを、大事に心のうちにしまっていた。彼はその友のことを、だれにも話したことがなく、愛してる妻にも話さなかった。それは神聖なのだった。そして、人からは乾燥した心の俗人だと思われ、もう生涯《しょうがい》の終わり近く達してる、この老人は、古代インドのバラモン教徒の寂しいやさしい思想を、ひそかにみずから繰り返していた。
世界の毒樹は、生の泉の水よりも甘き、二つの果実を作り出しぬ。その一は
詩にして、一は友情なり。
それ以来彼はクリストフとオリヴィエとに同情を寄せた。二人の気位の高いのを知って、最近出版されたオリヴィエの詩集をひそかにモークから届けてもらった。そして、二人の友になんらの奔走もさせないで、また自分の企てを少しも知らせないようにして、いろいろ骨折ったあげく、その詩集にある学芸院《アカデミー》の賞金を得さしてやった。その賞金は、二人がたいへん困ってるときにおりよく手にはいった。
クリストフは、その意外の援助が、今まで悪く思いがちだった男から来たのを知ったとき、その男についていろいろ言ったり考えたりしたことを後悔した。そして、人を訪問することの厭《いや》さを無理に押えて、礼を言いに行った。が彼の殊勝な意志は報いられなかった。老ヴェールはクリストフの若々しい感激に接すると、例の皮肉さをいかに隠そうとしても押えきれなかった。そして二人はなかなか理解し合えなかった。
クリストフは、ヴェールを訪問したあと、感謝といらだちとを覚えながら、自分の屋根裏の部屋にもどって来たが、ちょうどその日、オリヴィエへ新しい仕事をもって来てくれてる善良なモークから、リュシアン・レヴィー・クールの筆になった、彼の音楽に関するありがたくない雑誌記事を見せられた。それは明らさまの非難ではなかったが、侮辱的な親切から書かれたもので、巧妙な揶揄《やゆ》によって、彼が忌みきらってる三、四流の音楽家のうちに、彼を列して喜んでいた。
「見たまえ、」とクリストフは、モークが帰った後オリヴィエに言った、「僕たちはいつもユダヤ人どもを相手に、ユダヤ人どもばかりを相手にしてるじゃないか。こんなふうでは僕たちまでユダヤ人になってしまいそうだ。そうじゃないか。僕たちはいつもユダヤ人どもをひきつけてると言われたってしかたない。僕たちの行く手にはどこにも、敵となり味方となってユダヤ人どもばかりいる。」
「それは彼らが他の者より知力すぐれてるからだ。」とオリヴィエは言った。「自由な精神の人が新しい事や生きた事柄を語り得る相手は、われわれのうちではほとんどユダヤ人らばかりなんだ。他の者どもは、過去のうちに、死んだ事物のうちに、じっと閉じこもっている。があいにくその過去は、ユダヤ人らにとっては存在しない、あるいは少なくとも、われわれが考えるのと同様なものではない。彼らを相手にしては、われわれは今日のことしか話すことはできない。ちょうど、同民族の者らとわれわれが過去のことしか話し得ないのと同じだ。あらゆる事柄におけるユダヤ人の活動を見てみたまえ、商業に、工業に、教育に、学問に、慈善事業に、芸術に……。」
「芸術のことは措《お》こうじゃないか。」とクリストフは言った。
「僕は彼らがなすことにいつも同感してると言うのじゃない。往々|嫌悪《けんお》の情さえ覚ゆることがある。が少なくとも、彼らは生きているし、生きてる人々を理解し得るのだ。われわれは彼らなしに済ましてゆくことはできない。」
「大袈裟《おおげさ》なことを言うなよ。」とクリストフは嘲《あざけ》り顔に言った。「僕はユダヤ人なしにやってゆけるよ。」
「おそらく生きてはゆけるだろうよ。しかし君の生命や君の作品が、だれにも知られずに終わったら、それがなんの役にたつだろうか。そしてユダヤ人らがいなかったら、たぶんそれは知られずに終わるだろう。われわれを助けに来てくれるものは、われわれの同宗教者たちだろうか。カトリック教は、その血縁のもっともすぐれた人々を、少しも保護しようとはせずに滅ぶるに任している。魂の底からして信仰してる人たち、神を守るために一生をささげてる人たち、そういう人々はすべて――もし彼らが大胆にカトリックの教則から離れローマの権力から脱した暁には――自称カトリックの卑しい多衆からは、ただに冷淡であるばかりでなくまた敵意ある者と見なされる。そして多衆は彼らのことには口をつぐみ、彼らを共通な敵の餌食《えじき》としてしまう。また、自由精神の人は、いかに偉大な人であろうとも――もし彼が心からのキリスト教徒でありながらも服従的なキリスト教徒でない場合には――もっとも純なる真に聖なる信仰を彼が体現していることも、カトリック教徒らにとってはなんの重きもなさない。その人は羊の群れに属する者ではなく、自分自身で考えることをしない盲目|聾唖《ろうあ》の信者ではない。それゆえ彼は人々から好んで打ち捨てられ、ただ一人で苦しみ、敵から引き裂かれ、同胞の助けを呼び求めながら、同胞の信仰のために死んでゆく。実に今日のカトリック教のうちには、殺害的な懶惰《らんだ》の力が存在している。今日のカトリック教は、それを覚醒《かくせい》さしそれに生命を与えんとする人々よりも、敵のほうをいっそう容易に容赦するかもしれない……。ねえクリストフ、少数の自由な新教徒とユダヤ人とがいなかったら、民族的にはカトリック教徒であり自身では自由人となってるわれわれは、いったいどうなるであろうか、何をすればいいのであろうか。ユダヤ人らは今日のヨーロッパにおいては、あらゆる善悪のもっとも長命な代表者である。彼らは思想の花粉をやたらにもち回っている。君は最初の悪い敵と最初の友とを、彼らのうちに見出しはしなかったか。」
「それはまったくだ。」とクリストフは言った。「彼らは僕を励まし支持してくれ、理解してることを示しながら戦う者に元気をつける言葉を、僕にかけてくれた。もとよりそれらの友のうちで、長く僕に忠実だった者はごく少ない。彼らの友情は藁火《わらび》にすぎなかった。それでも結構だ。闇夜《やみよ》の中ではその一時の光もありがたい。君の言うことは道理だ。忘恩者ではありたくないものだ。」
「ことに愚昧《ぐまい》者ではありたくないものだ。」とオリヴィエは言った。「いちばん古い枝を少しく切り落とすのだと称しながら、すでに病弱なわれわれの文明の幹を痛めたくないものだ。もし不幸にも、ユダヤ人らがヨーロッパから追われるならば、ヨーロッパはそのために知力と活動とが貧しくなって、全然崩壊してしまうかもしれない。ことにわれわれのうちにあっては、フランスの活動力の現今のような状態では、ユダヤ人らを放逐することは、十七世紀における新教徒らの放逐よりも、国民にとっていっそう危険な出血となるかもしれない。――もちろん彼らは現在では、その真価に不相応な地位を占めている。彼らは現今の政治および道徳上の無政府状態に乗じている。生来の趣味からまた好都合なところから、この状態の助長に少なからず力を尽くしている。すぐれた者らはあの敬すべきモークのように、フランスの運命と彼らユダヤ人の夢想とを、不都合にもごく真面目《まじめ》に同一視している。そのユダヤ人の夢想がまた、われわれにとって有益であるよりもむしろ多くは危険だ。しかし、彼らがフランスを自己流にこしらえ上げたがってるからといって、彼らを悪く思ってはいけない。それは彼らがフランスを愛してるからなのだ。たとい彼らの愛が恐るべきものであるとしても、われわれは自分自身を守りさえすればいいし、彼らをわれわれのうちでの本来の地位たる第二流の列に置きさえすればいい。と言って僕は、彼らの民族がわれわれの民族より劣ってると思ってるのではない。――(すべてかかる民族の優劣問題はつまらない不快なことだ。)――しかしながら、われわれの民族とまだ融和していない他の民族が、われわれに何が適してるかをわれわれ以上によく知ってると主張するのは、容認しがたいことだ。その民族がフランスでよくやってゆくことには、異議はない。しかし、フランスをユダヤ国たらしめようと望んではもらいたくない。知力|秀《ひい》でた強固な政府があって、ユダヤ人らをその本来の地位にすえ得るならば、フランスを偉大ならしむるもっとも有用な道具の一つと彼らをなすだろう。そして、われわれのためになると同時に彼らのためにもなるだろう。かかるそわそわした不安定な神経過敏な者らには、彼らをしめくくる法律の必要があり、彼らを制御する強い正しい首長の必要がある。ユダヤ人は女のようなものだ。人から手綱を引きしめられるとりっぱにしてる。しかし向こうが支配する場合には、女にしてもユダヤ人にしても、とてもたまらないことになる。その下に服従する者どもは、それこそ物笑いの種である。」
クリストフとオリヴィエとは、たがいに愛し合ってはいたけれど、また愛のためにたがいの魂にたいする直覚力を得てはいたけれど、それでも、おたがいによく理解のできない、おたがいに気を悪くさえするような、いろんなことが存在していた。友にもっとも似寄った自分の部分だけを存続させようと努力する友情の初期のうちは、二人ともそのことに気づかなかった。ところがやがて少しずつ、両民族の面影が表面に浮かび出てきた。二人はときどき気持の些細《ささい》な齟齬《そご》を感じ、たがいの愛情をもってしてもそれを避けることができなかった。
二人は誤解のうちに迷い込んだ。オリヴィエの精神は、信念と自由と熱情と皮肉と普遍的疑惑との混合したもので、クリストフはその形体をとらえ得なかった。オリヴィエのほうでは、クリストフの心理の欠乏に不満だった。彼の知的な古い民族の貴族性は、クリストフの、強健ではあるが鈍重で融通がきかず、自己分析ができず、他人からも自分からも欺かれてる精神の、頓馬《とんま》さ加減を笑っていた。その感傷性、騒々しい感情表白、たやすい感動、などもまたオリヴィエに、ときとすると厭《いや》な気を起こさしたり、軽い滑稽《こっけい》の念をさえ起こさせることがあった。そのうえ、力にたいするある種の崇拝については、すぐれた拳固《げんこ》道徳、もっとも強きものの権利にたいするドイツ流の確信については、オリヴィエや彼の民衆は、それを信じ得られないりっぱな理由をもっていた。
また、クリストフはオリヴィエの皮肉にしばしば立腹するほどいらだたせられて、それに我慢ができなかった。その理屈癖、不断の分析、ある一種の知的不道徳性、などにも我慢ができなかった。この知的不道徳性は、オリヴィエのごとく道徳的純潔を熱望してる者にあっては驚くべき事柄であった。その源は、あらゆる否定を拒む彼の知力、相反する思想を見渡して喜ぶ彼の知力、その知力自身の広さのうちにあった。オリヴィエは事物を、一種歴史的な全景《パノラマ》的な見地からながめていた。すべてを理解したいとの念から、可否の両面を同時に見ていた。人が彼の前でその一方を支持すれば、彼は反対のほうを支持した。ついには彼自身がその矛盾のうちに迷い込んでしまった。そしてなおいっそうクリストフを途方にくれさした。けれども、人に反対したいという欲求や矛盾を好む傾向が、彼のうちにあるのではなかった。正理や良識を求むるところから必然に来たものだった。彼はあらゆる偏執の愚昧《ぐまい》さに不快を感じ、それに反抗しずにはいられなかった。クリストフがすべてを実際以上に誇張して、不道徳な行為や人物を批判する生《なま》なやり方は、オリヴィエには不愉快だった。オリヴィエも同じく純粋ではあったが、同じ一徹な鋼鉄からできてはいなくて、外部の影響にそそられ染められ動かされた。彼はクリストフの誇張に抗言し、そして反対の方面へ誇張した。彼はいつもそういう精神の癖から、味方に反対して敵の主張を支持しがちだった。クリストフは腹をたてた。彼はオリヴィエにその詭弁《きべん》と寛容を非難した。オリヴィエは微笑した。その寛容は空《うつろ》な幻をまとってるものでないことを、よく知っていた。クリストフのほうがはるかに多くのことを信じており、それをよりよく受け入れてることを、彼はよく知っていた。ただクリストフは、左右を顧みず猪突《ちょとつ》していた。パリー人の「温情」をことにいらだっていた。
「パリー人らがあんなに自慢そうに大議論をして、悪人どもを『容赦』しようとするのは、それは、」と彼は言った、「悪人どもはすでに悪人となるほど不幸であり、もしくは、彼ら自身には責任がないのである、と考えての上のことだ……。しかし、第一に、悪をなす者どもが不幸であるとは真実でない。そんなのは、芝居の上の道徳観念であり、幼稚な通俗劇の観念であり、スクリーブやカプュスの作品中に陳列されてるのと同様のばかげた楽天的観念である――(君らのパリーの偉人たるスクリーブやカプュスこそ、享楽的で偽善的で幼稚で自分の醜を正視し得ないほど卑怯《ひきょう》な君らの中流社会に、ちょうどふさわしい芸術家だ。)――悪人たる者はよく幸福な人間になり得るのだ。幸福な人間になるべき機縁をもっとも多くそなえていさえする。そして悪人に責任がないということ、それもまた馬鹿げたことだ。自然は善と悪とに無関心であるから、またしたがって邪悪でさえもあり得るから、人はよく罪深くあるとともに完全に健全であり得るということを、認めるだけの勇気をもつがいい。美徳は自然的な事柄ではない。それは人間がこしらえ出したものだ。でそれを保護しなければいけない。人間の社会は、他の者よりも強い偉大な少数の人によって建てられたのだ。その雄壮な製作物を犬みたいな心を持った賤民《せんみん》どもから害されないようにすることこそ、人間の務めである。」
そういう思想は、要するに、オリヴィエの思想と大して異なってはいなかった。しかしオリヴィエは、平衡を欲するひそかな本能よりして、もっとも享楽的な気持で戦闘的な言葉を聞き流した。
「そうやきもきするなよ。」と彼はクリストフに言った。「世界をして死ぬがままにさしておくがいい。デカメロンの仲間のように、思想の花園の香ばしい空気を平和に呼吸しようよ。薔薇《ばら》の花でとりまかれた糸杉の丘の周囲では、フロレンスの町が黒死病《ペスト》に荒らされていたって、構わないじゃないか。」
彼はその幾日もの間、芸術や学問や思想などの隠れた機械装置を探るために、それを分解して面白がっていた。そのためにいつしか懐疑癖に陥ってしまって、すべて存在するものは、もはや精神の作為にすぎなくなり、空中の楼閣にすぎなくなり、あたかも幾何学の図形のように、人の精神に必要であるとの口実をも失ってしまっていた。クリストフは憤慨した。
「機械はうまくいっているのに、なぜ分解するんだ。君はそれをこわしてしまうかもしれない。無駄な骨折りをしたことになるばかりだ。いったい君は何を証明したいのか。つまらないものはつまらないということをか。なあに、そんなことは僕にだってよくわかってる。われわれが戦うのは、四方から空虚が侵入してくるからだ。何も存在しないというのか……。しかしこの僕は存在している。活動の理由がないというのか……。しかしこの僕は活動している。死を好む奴らは、望みどおり死んでゆくがいい。しかしこの僕は生きてるし、生きることを欲するのだ。秤《はかり》の一方の皿《さら》に僕の生命をのせ、他の皿に思想をのせるとすれば……思想なんか鬼に食われてしまえだ!」
彼はいつもの乱暴さに駆られていたし、議論をしながら人の気を害する言葉を発していた。がそれを言ってしまうとすぐに後悔した。それを取り消したかった。しかしもうあとの祭りだった。オリヴィエはたいへん感じやすかった。すぐに擦《す》りむける皮膚をもっていた。ひどい一言を聞くと、ことに愛してる者からひどい一言を聞くと、胸せまる思いをした。彼は高慢心からそれを口には出さず、自分自身のうちに潜み込んだ。そのうえ彼は、あらゆる大芸術家のうちにある無意識的利己心の突然の閃《ひらめ》きを、友のうちに認めないではなかった。そしてある場合には、自分の生命もクリストフにとっては、美《うる》わしい音楽に比して大した価値をもってはしないと、感ずるのであった。――(クリストフはそのことを彼に隠すだけの労をほとんど取らなかった。)――彼はよくそのことを理解して、クリストフのほうが道理だと思った。しかしそれは悲しいことだった。
それにまた、クリストフの性質中には各種の混濁した要素があって、オリヴィエにはそれがよく理解できず不安を覚えさせられた。それは奇怪な恐ろしい気分の突発だった。ある時は口をききたがらなかった。あるいはまた、ひどい意地悪をしたがって人を困らせようとばかりした。または、身を隠してしまって、その一日じゅう晩まで姿を見せなかった。あるときなどは二日間も引きつづいていなくなった。何をしてるのかだれにもわからなかった。彼自身もよくは知らなかった。……実際、彼の力強い性質は、その狭い生活と住居の中に、あたかも鶏小屋の中へでも入れられたように押し縮められて、ときどき爆発しかけていた。友の落ち着いてる様が腹だたしかった。するとその友をいじめてやりたくなった。そしては逃げ出して自分と自分を疲らさなければならなかった。パリーの街路や郊外をうろつき回って、ぼんやり何かの冒険を求め歩いた。そして時にはそれにぶつかった。悪い奴に出っくわして満ちあふれた力を喧嘩《けんか》に費やしてしまうようなことでも、彼には平気だったろう……。オリヴィエは憐《あわ》れな健康と肉体の弱さとのために、そのことを理解しかねた。がクリストフ自身にもよくわかってはいなかった。疲れ多い夢から覚《さ》めるように、それらの迷蒙《めいもう》から眼を覚ました――自分のしたことや、これからまだしかねないことなどが、やや恥ずかしくもあり不安でもあった。しかしその狂乱の突風が吹き去ると、あたかも雷雨のあとの広い洗われた空のように、あらゆる穢《けが》れから清められ朗らかになり主権者となった自分自身を、彼はふたたび見出すのだった。オリヴィエにたいしては前よりいっそうやさしくなり、苦しみをかけたことを心痛していた。二人がなんでちょいちょい争いをするのかもうわからなくなっていた。それはいつも彼のほうばかりが悪いのではなかった。それでも彼は罪が自分にあると考えた。自分を正当化するために勢い込んだことをみずからとがめた。友に反対して自分を正当だとするよりも、友に賛成して自分を欺くほうがいい、と彼は考えた。
二人の誤解は、それが晩に起こって、不和解のうちにその一夜を過ごさなければならないようなときにはことにつらいことだった。その不和解はどちらにとっても激しい悩乱の種となった。クリストフは起き上がって、一言書きしるし、それをオリヴィエの扉《とびら》の下から差し入れた。翌日になると、向こうが眼を覚《さ》ますや否や許しを求めた。あるいはまた、夜中にその扉をたたくこともあった。翌日まで待てなかった。オリヴィエもたいてい、クリストフと同様に眠れなかった。クリストフは自分を愛しているし悪意あってなしたのではないと、彼はよく知っていた。しかし向こうからそう言われるのが聞きたかった。クリストフはそれを言った。すると何もかも消え去った。なんという歓《よろこ》ばしい静安だったろう! そのあとで二人は、いかによく眠ったことだろう!
「ああ、」とオリヴィエは嘆息した、「たがいに理解するのは実に困難なことだ!」
「だが、いつも理解し合う必要があるだろうか。」とクリストフは言った。「僕はそんなことはあきらめた。たがいに愛し合いさえすればいいのだ。」
それらの些細《ささい》な不和を、その後二人は、細やかな愛情で直そうと考えついたので、そのためにたがいにますます親愛の度を加えた。不和の場合には、オリヴィエの眼の中にアントアネットの姿が現われてきた。二人の友は女のような心づかいをたがいに示した。オリヴィエの祝い日には、クリストフはかならず、彼にささげた作品や、または、花、菓子、贈り物などでそれを祝った。どうして買ってきたかはわからなかった――(なぜなら、家には金のないことがしばしばだったから。)――オリヴィエのほうでは、クリストフの総譜を夜ひそかに写し直しては、眼をくぼましていた。
人間の誤解は、第三者がはいり込んで来ないかぎりは、けっして重大なことではない。――しかし、いつかは第三者がきっとはいり込んで来るものである。この世ではあまりに多くの人が、他人の事柄を気にして、他人を不和ならしめようとしている。
オリヴィエは、クリストフが先ごろ出入りしていたストゥヴァン家の人たちを知っていた。そして彼もまたコレットに心ひかれていた。クリストフがその旧知の女の友の取り巻き連中の中でオリヴィエに出会わなかったのは、ちょうどそのころオリヴィエが姉の死にがっかりして、喪にこもってだれにも会わなかったからである。コレットのほうではオリヴィエに会おうとも努めなかった。彼女はオリヴィエを好きだったが、不幸な人を嫌《きら》いだった。自分は感じやすくて悲哀を見るに堪えないと思っていた。オリヴィエの悲しみが過ぎ去るのを待っていた。そして、彼の気持が回復してもうその悲しみに感染するの危険がなさそうだと知ったとき、思い切って呼び寄せてみた。オリヴィエはすぐに応じた。彼は人|馴《な》れないところがあるとともにまた、誘惑されやすい社交的なところがあった。そのうえコレットにたいしては弱味があった。彼はクリストフに、またコレットのもとへ出入りするつもりであることを告げた。クリストフは友の自由を束縛したくなかったので、少しも異議を唱えないで、ただ肩をそびやかした。そして揶揄《やゆ》的な様子で言った。
「面白いなら行くがいいよ。」
彼はオリヴィエについて行くことを控えた。ああいう浮薄な女どもとはもう関係すまいと決心していた。それは彼が女|嫌《ぎら》いだったからではなかった。かえって女をたいへん好きだった。労働者や雇員や公吏など、すべて働いてる年若い女どもが、朝いつも多少遅れがちに、まだよく眼が覚《さ》めていない様子で、工場や事務所へ急いでゆくのを見ると、彼はやさしい好感を起こした。女がその意識をことごとくそなえてるのは、活動しているとき、自分自身で生存し自分のパンと独立とを得ようと努力してるときばかりだと、彼には思えた。そしてそういうときばかり女は、そのまったくの優美さを、動作の敏捷《びんしょう》なしなやかさを、あらゆる官能の覚醒《かくせい》を、生命と意志との完全さを、そなえてるもののように彼には思えた。彼は怠惰な享楽的な女をきらった。それは不健全な空想に浸って消化と退屈とを事としてる満腹した動物のような気がした。オリヴィエはそれに反して、ただ美しくて周囲の空気を香《かお》らせんがためにのみ生きてるような、女の無為を、その花のような魅力を、非常に好んでいた。彼はより多く芸術家的であり、クリストフはより多く人間的だった。クリストフはコレットとは反対に、他人が世の苦しみを多くになっておればになっておるほどますます好きだった。そして彼は親愛な同情の念で他人に結ばれる心地がした。
コレットは、オリヴィエとクリストフとの交誼《こうぎ》を知って以来、ことにオリヴィエに再会したがっていた。なぜならその細かな点を知りたかったから。クリストフが一種の軽蔑《けいべつ》的な態度で彼女を忘れはてたらしいことについて、彼女は多少の恨みを含んでいた。そして別に意趣晴らしをするつもりではなしに――(わざわざ意趣晴らしをするほどの事柄ではなかった)――何か悪戯《いたずら》をしてやりたかった。猫《ねこ》のようにちょっと引っかいてやって、注意をひいてみたかった。彼女は人を口車にのせることが巧みだったから、わけなくオリヴィエに口を開かせてしまった。オリヴィエは、人から遠く離れてるときには、もっとも洞察《どうさつ》の明があってもっとも欺かれなかった。しかしやさしい両の眼の前に出ると、率直な信頼さをもっとも多く見せるのだった。彼とクリストフとの友情にコレットがいかにも誠実そうな同情を示したので、彼はうっかりその友情の物語をして、些細《ささい》な睦《むつま》じい誤解などをもいくらか話した。その誤解も遠くからながめるとかえって愉快な気がしたし、また彼はすべて自分のほうが悪いのだとしていた。彼はまた、クリストフの芸術上の抱負や、フランスおよびフランス人にたいするクリストフの批判――それは賞賛的なものばかりではなかった――の多少を、コレットにもらした。それらのことはみな、それ自身では大したことではなかったが、コレットはそれを勝手に案配し、しかもクリストフにたいする一種のひそかな意地悪をもってしただけに、なおさら人の気をひく話となして、すぐさま方々へ流布した。第一にその内密話《ないしょばなし》を聞いたのは、彼女の腰|巾着《ぎんちゃく》たるリュシアン・レヴィー・クールだった。そしてレヴィー・クールは、それを秘密にしておく理由を少しももたなかった。でその話は、途中でますます面白いものとなって四方へ広がった。オリヴィエが犠牲者ということになって、オリヴィエにたいする皮肉なやや侮辱的な憐憫《れんびん》の調子を帯びてきた。本来ならばその話は、二人の主人公がほとんど世に知られていない人物だったから、だれにもさほど興味あるものとはなりそうになかった。しかしパリー人というものは、自分と無関係なことにいつまでも興味をもつものである。そしてついにその秘密は、ルーサン夫人の口からクリストフ自身の耳にまで伝わった。夫人はある日音楽会で彼に出会って、あのオリヴィエ・ジャンナンと喧嘩《けんか》したのはほんとうかと尋ねた。そして、彼とオリヴィエ以外には知ってる者がないはずの事柄にそれとなく言及して、仕事のことを尋ねた。だれからそんな詳しいことを聞いたのかと尋ねられて、リュシアン・レヴィー・クールから聞いたのであり、レヴィー・クールはオリヴィエから聞いたそうであると、彼女は答えた。
クリストフはそれに参ってしまった。激烈で批評眼のない彼には、その噂《うわさ》がほんとうらしくないことを取り上げる考えは起こらなかった。彼はただ一つのことしか見なかった。オリヴィエに打ち明けたその秘密が、リュシアン・レヴィー・クールにもらされたのだ! 彼は音楽会にじっと残ってることができなかった。すぐに席を立った。周囲には空虚しか感ぜられなかった。彼はみずから言っていた、「友に裏切られた!……」
オリヴィエはコレットのもとへ行っていた。クリストフは自分の室の扉《とびら》に鍵《かぎ》をかけて、オリヴィエがいつものとおり帰ってきて少し話をしようとしても、それができないようにした。しばらくすると果たして、オリヴィエが帰って来、扉を開こうとし、鍵のかかってる向こうから挨拶《あいさつ》の言葉をささやいてるのが、聞こえてきた。しかし彼は身動きもしなかった。寝床の上に暗闇《くらやみ》の中にすわり、頭を両手でかかえて繰り返していた、「友に裏切られた!……」そしてそのまま、夜中までじっとしていた。すると、いかにオリヴィエを愛してるかを感じてきた。裏切られたことを恨んでるのではなく、ただ一人苦しんでるのだった。愛せられる者のほうには、あらゆる権利がある。もはや相手を愛さないという権利さえある。人はそれを彼に恨むことはできない。彼から見捨てられて、自分がほとんど彼の愛を受くるにも足りないということを、みずから恨むだけのことである。それこそ致命的な苦しみである。
翌朝、クリストフはオリヴィエに会っても、なんとも言わなかった。オリヴィエを非難することは――信頼に乗じて秘密を敵へ餌《えさ》として投げ与えた、と非難することは――いかにも厭《いや》な気がして、一言も口に出し得なかった。しかし彼の顔つきが彼に代わって口をきいていた。敵意を含んだ冷酷な顔つきだった。オリヴィエはそれに驚かされた。しかし少しも理由がわからなかった。クリストフが何を根にもっているのか、彼は恐る恐る知ろうと試みた。がクリストフは返辞もせずに、素気《そっけ》なく顔をそむけてしまった。オリヴィエのほうでも気にさわって、口をつぐみ、黙然として心を痛めた。二人はもうその日一日顔を合わせなかった。
クリストフは、オリヴィエからたといその千倍もの苦しみを与えられたとしても、けっして意趣晴らしをすることはできなかったろうし、ほとんど身を守ることさえできなかったろう。彼にとってオリヴィエは神聖なものであった。しかし彼は憤慨の念に駆られたあまり、だれかにぶつかって思いを晴らさなければならなかった。そして、オリヴィエがその的《まと》となり得なかったので、リュシアン・レヴィー・クールが的となった。彼はいつも不公平と激情とのために、オリヴィエが犯したはずの罪過の責任を、レヴィー・クールにもっていった。レヴィー・クールのような奴《やつ》から、昔はコレット・ストゥヴァンの友情を奪われたうえに、こんどは友の愛情を奪われたかと思うと、堪えがたい嫉妬《しっと》の苦しみを感じた。そしてさらに彼を激昂《げっこう》さしたことには、ちょうどその日、フィデリオ上演についてのレヴィー・クールの論説が眼にはいった。レヴィー・クールはその論説中で、ベートーヴェンのことを嘲弄《ちょうろう》の調子で述べたて、その女主人公をモンティオン賞のためにうまくひやかしていた。クリストフは、その作品の滑稽《こっけい》な点や音楽のある誤謬《ごびゅう》をさえ、だれよりもよく見て取っていた。彼は自身ではいつも、知名の大家にたいして大袈裟《おおげさ》な尊敬を示しはしなかった。しかし、常に自説を固執することやフランス流の論理などを、少しも鼻にかけてはいなかった。彼は元来、自分の好きな人の欠点も指摘しはするが、他人にはそうすることを許さなかった。そのうえ、大芸術家を批評するのに、クリストフのようにいかに辛辣《しんらつ》であろうとも、芸術上の熱烈な信念をもってし、また――(あえて言い得べくんば)――その人のうちに凡庸さを許し得ないほど、その栄誉にたいする一図な愛情をもってすること――もしくは、リュシアン・レヴィー・クールがしているように、偉人を貶《けな》して公衆の下劣さに媚《こ》び愚衆を笑わすることだけを、その批評の眼目とすること、その両者はまったく別事であった。つぎに、クリストフはいかにも自由な批判を事としてはいたが、常にある種の音楽にたいしては、それを黙って別な場所に安置し、けっして手を触れなかった。それは、いわゆる音楽よりもより高きより善き音楽であり、慰藉《いしゃ》と力と希望とを汲《く》み出し得る偉大な有益な魂そのものであった。ベートーヴェンの音楽はそういうものだった。それがある下司《げす》野郎から侮辱されてるのを見ると、彼は我を忘れて激昂《げっこう》した。もはや芸術上の問題ではなく、名誉の問題だった。すべて生に価値を与えるもの、愛、侠勇《きょうゆう》、熱烈な徳操、などがみな含まれていた。それが害されるのは、愛慕せる女の侮辱を聞くのと同様に、許し得られないことだった。憎悪し屠殺《とさつ》するのほかはなかった……。ましてその侮辱者は、クリストフがだれよりももっとも軽蔑《けいべつ》してる男ではなかったか! そして偶然にも、その晩に、二人は顔を合わした。
オリヴィエと二人きりにならないために、クリストフは珍しくも、ルーサン家の夜会に行ったのだった。すると演奏を求められて、心ならずも承知した。それでもやがて、自分のひいてる楽曲の中に我を忘れた。そしてふと眼をあげたとき、数歩先に、一団の人々の中に、こちらを見守ってるリュシアン・レヴィー・クールの皮肉な眼を認めた。彼はある小節の最中にぴたりとひきやめ、立ち上がって、ピアノに背を向けた。人々は当惑してひっそりとなった。ルーサン夫人はびっくりして、強《し》いて微笑を浮かべながら、クリストフのところへやって来た。そして用心深く――その楽曲のまだ終わっていないことがはっきりわからなかったので――彼に尋ねた。
「つづけておやりになりませんか、クラフトさん。」
「もう済みました。」と彼は冷やかに答えた。
そう言ってしまうや否や彼は自分の無作法に気づいた。しかしそのために慎み深くなるどころか、かえってますますいらだった。聴衆の嘲《あざけ》り気味な注目には気も止めずに彼は、リュシアン・レヴィー・クールの挙動が見守れる片隅《かたすみ》に行ってすわった。隣席には、赤いぼんやりした顔をし、薄青い眼をもち、子供らしい表情を浮かべてる、ある老将軍がすわっていた。なんとかお世辞を言わなければならないと思ってか、彼の楽曲の独創的なことをほめた。クリストフは不快を感じてただ辞儀をし、訳のわからない言葉をつぶやいた。将軍は無意味なやさしい微笑を浮かべながら、極端に丁寧な調子で話しつづけた。そして、あんなに長い音楽をどうしてそらでひけるか、それを説明してもらいたがった。クリストフはその好々爺《こうこうや》を長椅子《いす》からなぐり落としてやろうかとも考えた。彼はリュシアン・レヴィー・クールがなんと言ってるか聞きたがっていた。攻撃の口実をねらいすましていた。少し前から、自分が何か馬鹿げたことをしでかしそうな気持になっていた。どうしても馬鹿げたことをするに違いない気がした。――リュシアン・レヴィー・クールは、一団の婦人達を相手に、例のわざとらしい声で、大芸術家らの意図やその内心の思想などを、説明してきかしていた。ちょっとあたりがひっそりとなった合い間にクリストフは、彼がワグナーとルードウィッヒ王との友情について、言葉の裏に醜関係をにおわせながら話してるのを、それと聞き取った。
「もうたくさんだ!」と彼はそばのテーブルを拳固《げんこ》でたたきながら叫んだ。
人々は呆気《あっけ》に取られて振り向いた。リュシアン・レヴィー・クールはクリストフの眼つきに出会い、軽く蒼《あお》ざめて言った。
「君は僕に向かって言ってるのか。」
「君にだ、恥知らずめ!」とクリストフは言った。
彼はむっくと立ち上がった。
「世の中のりっぱなものを、君はなんでも汚そうとするんだな。」と彼は猛然と言いつづけた。「出て行け、馬鹿野郎、窓から放り出すぞ!」
彼は進み寄っていった。婦人たちはちょっと声をたてて遠のいた。少し騒ぎとなった。クリストフはすぐ人に取り巻かれた。リュシアン・レヴィー・クールは半ば腰を浮かしていた。それからまた肱掛椅子《ひじかけいす》に事もなげにすわった。通りかかりの召使を小声に呼んで、一枚の名刺を渡した。そして、何事も起こらなかったかのように話をつづけた。しかしその眼瞼《まぶた》は神経質にまたたき、ちらちら横目で見やって、人々の様子をうかがっていた。ルーサンはクリストフの前に立ちふさがっていたが、その上衣の襟《えり》をとらえて、彼を扉《とびら》のほうへ連れて行った。クリストフは憤怒《ふんぬ》と恥とでいっぱいになり、頭をたれて、ルーサンの白シャツの大きな胸部を眼の前にし、その光ったボタンを数えていた。そしてそのでっぷりした男の息を顔の上に感じていた。
「ええ、君、ええ、どうしたんだ?」とルーサンは言っていた。「なんとしたことだ? 反省してみたまえ。ここをどこだと思う? おい、気でも狂ったのか。」
「あなたの家へなんか、もう二度と足踏みはしない!」とクリストフは言いながら、向こうの両手を振り払った。そして扉へ進んでいった。
人々は用心して道を開いていた。着物置場で、一人の召使が彼に盆を差し出した。その上にはリュシアン・レヴィー・クールの名刺がのっていた。彼は訳がわからずにそれを取り上げて声高に読んだ。それからいきなり、激怒の息を吐きながらポケットの中を探った。五つ六ついろんな物を取り出したあとで、三、四枚の皺《しわ》くちゃな汚《きたな》い名刺を引き出した。
「そら、そら!」と言いながら彼は、それらの名刺を盆の上に激しくたたきつけたので、一枚は下にはね落ちてしまった。
彼は出て行った。
オリヴィエは何にも知らないでいた。クリストフは介添人として、手当たり次第に選んだ。音楽批評家のテオフィル・グージャールと、スイスのある大学の私任教授でドイツ人であるバールト博士とだった。彼はこのバールトに、ある晩|麦酒店《ビヤホール》で出会ってそれから知り合いになったのだった。彼は相手にたいしてあまり同情はいだかなかったが、しかし二人いっしょになって故国のことを話すことができるのだった。リュシアン・レヴィー・クールの介添人らと相談のうえ、武器はピストルにきめられた。クリストフはいかなる武器の使い方も知らなかった。それでグージャールは、いっしょに射撃場へ行って少しは稽古《けいこ》しとくのも悪くなかろうと言った。がクリストフは断わった。そして翌日を待ちながら、仕事にかかった。
しかし彼の精神はよそにあった。悪夢の中でのように、漠然《ばくぜん》としたしかも固定してるある観念の唸《うな》り声が耳に響いていた……。「不愉快なことだ、そうだ、不愉快なことだ……どうしたというのだ? ああ、明日がその決闘……冗談だ!……けっしてあたるものか……だがあたるかもしれない……あたったら? あたる、そう、あたったら?……彼奴《あいつ》の指がちょっとしまると、それで俺《おれ》の生命がなくなる……すると……そうだ、明日は、今から二日たつと、俺はこのパリーの汚い土地の中に横たわってるかもしれない……なあに、どこだって同じわけさ!……ところで、卑怯《ひきょう》な真似《まね》をする?……いやするものか。しかし、俺のうちに生長してる多くの思想をみな、くだらないことに失ってしまうのは、名誉なことじゃない……。現今の決闘ほど厭《いや》なものはない。相手二人の運命を平等だとしてやがる。馬鹿者の生命と俺の生命とを同じ価値だとするなんて、なんという平等さだ! 拳固《げんこ》と棒とで戦うんだったら! それこそ素敵だ。だがこの冷やかな射撃では!……そしてもとより彼奴は打ち方を知ってる、が俺はピストルを手にしたことさえない……。皆の言うのは道理だ。稽古しなくちゃいけない……。彼奴は俺を殺すつもりだろう。なあに、俺のほうで彼奴《あいつ》を殺してやる。」
彼は降りて行った。近くに射的場があった。彼はピストルを一つかりて、その使い方を説明してもらった。最初の一発は、危うく主人を打ち殺すところだった。彼はつづいて二度三度とやってみたが、少しもうまくならなかった。焦《じ》れだしてきた。それがなおいけなかった。あたりには、数人の青年が見物して笑っていた。彼はそれに気も止めなかった。人の嘲《あざけ》りなどは平気でただ上達したい一心でやりつづけた。それでいつもあるとおりに、そのへまな根気強さはやがて人々の同情をひいた。見物の一人がいろいろ助言してくれた。彼はいつもの乱暴さに似ず、子供のようにおとなしく耳を傾けた。神経を押えつけて手を震わせまいとした。眉根《まゆね》を寄せて堅くなった。汗は両の頬《ほお》に流れた。一言も口をきかなかった。しかしときどき、癇癪《かんしゃく》を起こして飛び上がった。それからまた打ち始めた。二時間もつづけた。二時間後に的に中《あた》った。その思うままにならぬ身体を制御しようとしてる意力ほど、人の心をひくものはなかった。それは人に敬意を起こさした。初めに笑ってた人々も、ある者は立去ったが、ある者はしだいに口をつぐんでしまい、見物をやめることができかねた。クリストフが立ち去るときには、皆親しく挨拶《あいさつ》をした。
クリストフが家に帰ってみると、親切なモークが心配して彼を待っていた。モークは喧嘩《けんか》のことを聞いて駆けつけて来たのだった。喧嘩の原因を知りたがっていた。クリストフはオリヴィエをとがめたくなかったので、はっきり言ってきかせなかったが、モークはついにそれを察した。彼は冷静であり二人の友人の人柄を知っていたので、オリヴィエが負わせられてるちょっとした背信の行為というのは事実無根であることを、少しも疑わなかった。そして事の起こりを調べにかかって、その間違いはコレットとレヴィー・クールとの饒舌《じょうぜつ》から来たものであることを、わけなく発見してしまった。彼は大急ぎでもどって来て、それをクリストフに証明した。それで決闘をやめさせるつもりだった。しかし結果は反対だった。クリストフは、レヴィー・クールのせいで友に疑いをかけたのだと知ると、ますますレヴィー・クールにたいして憤った。そして、決闘するなとしきりにモークが頼むので、その厄介《やっかい》払いをするために、なんでも言うとおりになると約束した。しかし決心を固めていた。こうなるとまったく愉快だった。決闘するのはオリヴィエのためにだった。もう自分のためにではなかった。
馬車が森の中の径《みち》を進んでいるうちに、介添人の一人が発した言葉は、突然クリストフの注意を呼び起こした。彼は介添人らが考えてることを読み取ろうとつとめた。そして、彼らがいかに自分にたいして無関心でいるかを知った。バールト教授は、何時ごろこの片がつくかを考え、国民文庫の原稿のために始めていた仕事をその日のうちに終えられるくらいに、家に帰れるかどうかと考えていた。それでもクリストフの三人の連れのうちでは、ゲルマンの自負心から決闘の結果をもっとも気づかってる人だった。グージャールのほうは、クリストフのこともも一人のドイツ人のことも念頭に置かずに、猥褻《わいせつ》心理の露骨な問題について医者のジュリアンと話していた。このジュリアンは、トゥールーズ生まれの若い医者で、最近クリストフと同階の隣人となり、ときどきアルコールランプや雨傘《あまがさ》やコーヒー皿《ざら》などを借りに来ては、いつもこわして返すのだった。その代わりには無料で診察をしてやり、いろいろの薬剤をすすめ、そして彼の率直な性質を面白がっていた。スペインの貴族みたいなその冷静さの下には、絶えざる嘲弄《ちょうろう》が潜んでいた。彼はこの決闘事件をひどく面白がり、それを道化じみたものと思っていた。そして前もって、クリストフの無器用さを当てにしていた。人のよいクラフトの金で森の中を馬車で散歩するなどとは、愉快なことだと思っていた。――そしてそれは明らかに、また三人一様の考えだった。彼らはこの事件を、費用のかからない遊山《ゆさん》だと見なしていた。だれも決闘に重きをおいてはしなかった。それにまた皆落ち着き払って、あらゆる不慮の出来事をも覚悟していた。
彼らは相手方よりも先に約束の場所へ到着した。それは森の奥の小さな飲食店だった。パリー人らがその名誉を洗い清めに来る、やや不潔な遊び場所だった。生籬《いけがき》には清い野薔薇《のばら》が花を開いていた。青銅色の葉をつけてる樫《かし》の木立の陰に、小さなテーブルが設けられていた。三人の自転車乗りがその一つに陣取っていた。一人は白粉をぬりたてた女で、半ズボンに黒い半|靴下《くつした》をはいていた。他の二人はフランネルの服をつけた男で、暑さにうんざりして、言葉を忘れたかのようにときどき唸《うな》り声を出していた。
馬車がついたのでその飲食店はちょっとこたごたした。グージャールはずっと以前からその家と人々とを知っていたので、自分がすべて引き受けると言った。バールトはクリストフを青葉棚《だな》の下へ引っ張っていって、ビールを命じた。空気は気持よく暖まっていて、蜜蜂《みつばち》の羽音が響いていた。クリストフは何しに来たのか忘れていた。バールトはビールを一本空《から》にしながら、ちょっと沈黙のあとに言った。
「僕は仕事の予定をたててみた。」
彼は一杯飲んで言いつづけた。
「まだ時間があるだろうから、済んだあとでヴェルサイユに行くつもりだ。」
グージャールが主婦《かみ》さん相手に決闘場所の借り賃を値切ってる声が聞こえていた。ジュリアンは時間を無駄《むだ》に費やしてはいなかった。自転車乗りたちのそばを通りすがりに、女の裸の脛《すね》を騒々しくほめたてた。それにつづいて卑猥《ひわい》な言葉が一時に落ちかかってきたが、彼も負けてはいなかった。バールトは小声で言った。
「フランス人て実に穢《けが》らわしい奴らだ。君、僕は君の勝利を祈って飲むよ。」
彼はクリストフのコップに自分のコップをかち合わした。クリストフは夢想にふけっていた。音楽の断片が虫の調子よい羽音とともに頭に浮かんでいた。眠たくなっていた。
他の馬車の車輪が径《みち》の砂に音をたててきた。いつものように微笑《ほほえ》んでるリュシアン・レヴィー・クールの蒼白《あおじろ》い顔を、クリストフは認めた。そして憤怒の念が眼覚《めざ》めた。彼は立ち上がった。バールトがあとからついて来た。
レヴィー・クールは大きな襟《えり》飾りを首にまきつけ、ごく念入りの服装をしていた。その様子は相手クリストフの無頓着《むとんじゃく》な様子と、いちじるしい対照をなしていた。彼のあとから降りて来たのは第一にブロシュ伯爵で、多くの情婦や、古い聖体盒《ごう》の蒐集《しゅうしゅう》や、過激王党主義の意見などで、世に知られてる戸外運動家だった。――つぎには、レオン・ムーエーというやはり流行児で、文学方面から代議士となり、政治上の野心によって文学に従事していて、年若く、頭は禿《は》げ、髯《ひげ》を生《は》やさず、蒼白い怒《おこ》りっぽい顔つき、長い鼻、丸い眼、鳥のような格好の頭をしていた。――最後には、エマニュエルという医者で、ごくすっきりしたセム人型の親切な同時に冷淡な男であって、医学院の会員であり、ある病院の長であって、学者的な著書や医学上の懐疑説などで有名となり、その懐疑説のあまりにいつも、病人の愚痴を皮肉な憐憫《れんびん》の念で聞くばかりで、病気をなおしてやろうとは少しもしないのだった。
その新来の人たちは丁寧な挨拶《あいさつ》をした。クリストフはろくに答礼もしなかった。そして自分の介添人らがせかせかしたり、レヴィー・クールの介添人らにひどく慇懃《いんぎん》な態度を示したりしてるのを、不満の念で見てとった。ジュリアンはエマニュエルを知っており、グージャールはムーエーを知っていた。二人はにこやかな阿諛《あゆ》的な様子で近寄っていった。ムーエーはそれを冷やかな丁寧さで迎え、エマニュエルは嘲《あざけ》り気味の無遠慮さで迎えた。ブロシュ伯爵のほうは、レヴィー・クールのそばに残っていて、じろりと一目で相手方の上着下着を評価し、そしてレヴィー・クールと、短いおどけた意見をほとんど口を結んだまま言いかわしていた。――二人とも落ち着き払ってきちんとしていた。
レヴィー・クールは、決闘の指揮をとってるブロシュ伯爵の合図を、泰然として待っていた。彼はその事件を単なる形式だと考えていた。彼は射撃に長じていたし、相手の無器用さを十分知っていたので、介添人らがこの決闘は無事にすむものと気にもかけないでいる場合なのにかかわらず、自分の得手を利用して相手に弾丸を命中させようなどとは、思ってもいなかった。相手をわけなく片付けるほうがはるかに容易であるのに、さあ射殺するぞという様子ばかりをしてみせるのは、この上もなく馬鹿げたことだと知っていた。しかしクリストフのほうは、上衣をぬぎ捨て、シャツをくつろげて、太い首筋とたくましい拳《こぶし》とを示しながら、額《ひたい》を下げ、レヴィー・クールを見つめ、元気いっぱいになって待ち受けていた。殺害の意志がその顔つきにありありと浮かんでいた。その様子を観察していたブロシュ伯爵は、文明が決闘の危険をできるだけ防止せんとしたのは幸いなことだと、考えていた。
二つの弾丸が両方から発射されたが、もちろん被害は少しもなかった。介添人らは争って二人の無事を祝した。それで名誉は満足されたわけである。――しかしクリストフは満足しなかった。もう済んだのだとは思わずに、ピストルを手にしたままつっ立っていた。前日射撃場でやったように、弾丸が命中するまで打ち合いたがっていた。相手と握手するようにグージャールから言われると、その茶番狂言が癪《しゃく》にさわった。相手は例のいつに変わらぬ微笑を浮かべて、彼のほうへ堂々と進み出て来た。彼は怒って武器を投げ捨て、グージャールを押しのけて、レヴィー・クールに飛びかかった。人々は一生懸命に骨折ってようやく、彼が拳固《げんこ》でなぐり合おうとするのを止めた。
介添人らが中に立ってるまに、レヴィー・クールは遠のいていた。クリストフは人々から離れて、その笑い声やとがめる声を耳にもいれずに、大声に口をきき激しい身振りをしながら、森の中をさして大股《おおまた》に歩み去った。そこに上衣と帽子とを置き忘れたことにも気づかなかった。そして森の中へはいり込んでいった。自分の介添人らが笑いながら呼んでるのが聞こえた。がやがて彼らも疲れて、もう彼のことを構わなかった。間もなく馬車の音が遠ざかってゆき、彼らの立ち去ったことがわかった。彼は黙々たる木立の間に一人残った。怒りは静まった。彼は地面に身を投げ出して、草の中に寝そべった。
それからほどなく、モークがその飲食店にやって来た。朝からクリストフを追っかけ回してるのだった。森の中にクリストフがいることを聞いて捜し始めた。あらゆる茂みを見回り、反響《こだま》を起こして呼ばわり、それから空《むな》しくもどりかけたが、そのとき歌声を聞きつけた。その声のほうへ進んでいってみると、クリストフはある小さな空地に、子牛のように仰向けにひっくり返っていた。クリストフはモークの姿を見ると、快活に声をかけ、「親愛なモロック」と呼び、相手の身体を穴だらけにしてやったと話した。そして、無理に背飛び遊戯の相手をさせ、向こうにも飛ばせ、また自分が飛ぶときには、ぴしりとその背をひどくたたきつけてやった。モークも他愛なく、下手《へた》ではあるが彼と同じくらいに面白がった。――二人は腕を組み合わして飲食店にもどって来、それから近くの駅で汽車に乗ってパリーへ帰った。
オリヴィエはその出来事を知らなかった。彼はクリストフのやさしい態度に驚かされ、その急な変わり方が腑《ふ》に落ちなかった。翌日になってようやく、クリストフが決闘したことを新聞で知った。クリストフが冒した危険のことを考えると、気持が悪くなるほどだった。彼はその決闘の理由を知りたがった。クリストフは話さなかった。あまりうるさく聞かれて、笑いながら言った。
「君のためにだ。」
オリヴィエはそれ以上一言も聞き出し得なかった。モークが事情を話してくれた。オリヴィエは駭然《がいぜん》として、コレットと交わりを絶ち、自分の不謹慎を許してくれとクリストフに願った。クリストフは頑《がん》として聴《き》き入れず、二人の友の幸福なさまをうれしげにながめてる人のよいモークが腹をたてるのも構わずに、フランスの古い諺《ことわざ》を勝手に意地悪くもじって誦《しょう》してきかした。
「君、うっかり人を信用するものでないことがわかるだろう……。
隙《ひま》なお饒舌《しゃべり》娘から、
にせ信心のおべっかユダヤ人から、
うわべばかりの友だちから、
馴《な》れ馴れしい敵《かたき》から、
そして気のぬけた葡萄《ぶどう》酒から、
主よわれらを救いたまえ 主よわれらを救いたまえ」
友情は回復された。危うく友情を失うかもしれない恐れに臨んだために、その友情はいっそう濃《こま》やかになった。つまらぬ誤解は消えてしまった。二人の性格の差異がかえって二人をひきつける種となった。クリストフはその魂のうちに、和合した両国の魂を包み込んだ。彼は自分の心が豊かで充実してるのを感じた。そしてその楽しい豊満は、彼にあってはいつものとおりに音楽の流れとなって現われた。
オリヴィエはそれに驚嘆させられた。そして過度の批評癖から彼は、自分の愛する音楽はもう窮極に達してるのだと信じがちだった。ある程度の進歩の後には必然に頽廃《たいはい》が来るという、病的な観念にとらえられていた。自分に生を愛さしてくれたその美《うる》わしい芸術が、突然行きづまって涸渇《こかつ》し地面に吸い込まれてしまいはすまいかと、びくびくしていた。クリストフはそういう意気地《いくじ》ない考えを面白がった。そして物に逆らいたい精神から彼は、自分より以前には何一つでき上がったものはなく、すべてがこれからできるのだと言い出した。オリヴィエはフランスの音楽を例にもち出した。フランスの音楽はある完成さと終局の発展との域に達していて、それから先にはもう何もあり得そうにないのだった。クリストフは肩をそびやかした。
「フランスの音楽だって?……フランスには音楽なんかまだありはしない……。だが君たちフランス人は、いろいろりっぱなものを作ることができるはずだ。ただ君たちはあまり音楽家ではないから、作ろうという気をかつて起こさなかったのだ。ああ僕がもしフランス人だったら!」
そして彼は、フランス人が書き得るすべてのことを列挙してみせた。
「君たちは柄にもない種類のものばかりに気を向けて、自分の才能に適したものは何一つ作っていない。君たちは、優雅と、華美な詩と、身振りや足取りや態度や流行や服装などの美とをもってる、民衆である。そして、詩的舞踏の比類ない一芸術を創《つく》り得たはずなのに、もう今では舞踊劇《バレー》を書く者がいない……。――君たちは、知的な笑いをもってる民衆である。それなのに、もう喜歌劇を作りもしないし、または喜歌劇を、音楽以下の者どもの手に委《ゆだ》ねてる。ああ僕がもしフランス人だったら、僕はラブレーのものを音楽にし、滑稽《こっけい》叙事詩を作ってやるんだが……。――君たちは小説家的民衆である。それなのに、物語音楽を作っていない(というのは、ギュスターヴ・シャルパンティエの通俗物なんかは、物語音楽とは言えないから)。君たちは心理解剖の天分や性格|洞察《どうさつ》力などを利用していない。ああ僕がもしフランス人だったら、僕は音楽で性格描写をやってみせるんだが……(下の庭のリラの花陰にすわってるあの少女を描いてみせようかね。)弦楽四重奏曲でスタンダールみたいなものを書いてやるんだが……。――君たちはヨーロッパのもっともすぐれた民主的な人々である。それなのに、民衆劇ももたなければ、民衆音楽ももっていない。ああ僕がもしフランス人だったら、あの大革命を、一七八九年七月十四日、一七九二年八月十日、ヴァルミーの戦い、武装団結《フェデラシオン》、などを音楽にし、民衆を音楽にしてやるんだが。それも、ワグナー流の法螺《ほら》を事とする誤った種類のものでではない。交響曲《シンフォニー》や合唱《コーラス》や舞踊《ダンス》なのだ。演説はいけない。演説には飽き飽きだ。無言なるかな! 火と土と水と輝いた空とを、人の心を脹《ふく》らす熱を、民族の本能的な運命的な伸長力を、幾百万の人を従属させ軍勢を死へ突進せしむる、世界の帝王たる律動《リズム》の勝利を、合唱を伴う広い交響曲《シンフォニー》に、広漠《こうばく》たる音楽の風景画に、ホメロス式な聖書《バイブル》式な叙事詩に、太い筆致で描き出すのだ……。至る所に、すべてのものに、音楽を置くのだ。もし君たちが音楽家だったら、君たちは社会的祝祭のそれぞれに、公式の盛典に、労働組合に、学生連合に、家庭的な祝いに、音楽をもつだろう……。しかしまず何よりも、もし君たちが音楽家だったら、君たちは純粋な音楽を、何物をも意味しない音楽を、何物にも役だたずにただ、人を温《あたた》め息づかせ生かすだけの音楽を、作り出すだろう。太陽の光を作るべしだ! サート・プラタ……(牧場は十分に……雨を得たり)……(なんで君はそれをラテン語で言いたがるんだ?)……実際君たちのうちにはかなり雨が多い。君たちの音楽に浸ると僕は風邪《かぜ》をひきそうだ。よく見えないから、ランプをつけたまえ……。君たちの劇場に侵入し、君たちの公衆を征服し、君たちを自宅から追い出してる、あのいわゆるイタリーの豚小屋[#「豚小屋」に傍点]を、君たちは現在不満に思ってるじゃないか。だがそれは君たちのほうが悪いのだ。公衆は、君たちの黄昏《たそがれ》の芸術に、調子のよい神経衰弱に、対位法的な衒学《げんがく》趣味に、飽いてしまってるのだ。生活が野卑なものであろうとなかろうと、公衆は生活のあるほうへ行くものだ。なぜ君たちは生活から引退してるのか。君たちのドビュッシーは偉い芸術家だが、しかし健康にはよくない。彼は君たちの無気力を助長している。君たちは手荒く揺り覚まされなければいけない。」
「ではシュトラウスをきけというのか。」
「それもいけない。君たちを破滅させるばかりだ。そんな不養生な物を飲み込んでもちこたえるには、僕たちドイツ人みたいな胃袋をもっていなくちゃいけない。でもドイツ人でさえ実はもちこたえ得ないんだ……。シュトラウスのサロメ[#「サロメ」に傍点]……傑作だ……けれど僕はそれが書かれたことを好まない……。僕は憐《あわ》れな老祖父や叔父《おじ》ゴットフリートのことを思い出す。彼らはいかに深い尊敬としみじみとした愛情とで、この音響の逸品たるサロメ[#「サロメ」に傍点]のことを僕に話してきかしたろう!……ああいう崇高な力を自由に駆使し、しかもあんなふうに使用するとは!……それは炎を発してる流星だ! ユダヤの娼婦《しょうふ》たるイゾルデ姫だ。痛ましい獣的な淫乱《いんらん》だ。ドイツの頽廃《たいはい》の底に唸《うな》ってる、殺害や強姦《ごうかん》や不倫や犯罪などの熱狂だ……。そして、君たちのほうには、フランスの頽廃のうちに呻《うめ》いてる、逸楽的な自殺の発作がある……。一方は獣、そして一方は餌食《えじき》。それで人間はどこにいるのだ?……君たちのドビュッシーは良趣味の天才であり、シュトラウスは悪趣味の天才である。前者は無味乾燥であり、後者は不愉快である。一方は、銀色の池であって、葦《あし》の中に隠れ、熱気ある匂《にお》いを発散さしている。一方は、泥《どろ》立った急湍《きゅうたん》であって、……末期イタリー趣味と新マイエルベール式との匂いがあり、感情の醜悪な塵芥《じんかい》がその泡《あわ》の下に流れている……。嫌悪《けんお》すべき傑作だ。イゾルデの生み出したサロメだ。……そしてこんどはサロメから、何者が生まれるかわかったものではない。」
「そうだ、」とオリヴィエは言った、「半世紀ほど前進したいものだ。こういうふうに深淵《しんえん》に向かって突進することは、どうにかしてやめなければいけないだろう。あるいは馬が立ち止まるか倒れるかしてもいい。そのときになってわれわれは息がつけるだろう。ありがたいことには、音楽があってもなくても、やはり地には花が咲くだろう。こんな非人間的な芸術になんの用があるのだ!……西欧は燃えつきてる……がやがて……やがて……いや僕にはもうすでに、立ちのぼってくる他の光明が見える、東方の彼方《かなた》に。」
「君の東方諸国のことなんかよしてくれ!」とクリストフは言った。「西欧だってまだ終局には達していない。君はこの僕が諦《あきら》めをつけるとでも思ってるのか。まだ未来幾世紀もある。生活は万歳なるかなだ。喜びは万歳なるかなだ。運命との戦いは万歳なるかなだ。われわれの心を脹《ふく》れ上がらしむる、愛は万歳なるかなだ。われわれの信念を温めてくれる友情は――愛よりもなお楽しき友情は、万歳なるかなだ。昼は万歳なるかなだ。夜は万歳なるかなだ。太陽に光栄あれ! 神を讃《ほ》め称《たた》えんかな、夢想と実行との神を、音楽を創《つく》れる神を! ホザナ!……」
そこで彼はテーブルについて、今まで何を言ったかはもう考えないで、頭に浮かんでくることを書きとめた。
クリストフはそのとき、彼のすべての生の力が完全に平衡してる状態にあった。あれやこれやの音楽形式の価値に関する美学的論議にも、または新しいものを創造せんとの合理的探究にも、煩わされることがなかった。音楽に移すべき題目を見出すために骨折る必要さえなかった。彼にとってはすべてのものがいいのだった。音楽はひとりでに滔々《とうとう》と流れ出してきて、いかなる感情を表現してるのか彼自身でも知らなかった。彼はただ幸福であるばかりだった。自分を発露することが幸福であり、自分のうちに普遍的な生命の脈搏《みゃくはく》を感ずるのが幸福であった。
そういう喜びと豊満とは、彼の周囲の人々へも伝わっていった。
四方ふさがってる庭園付きのその建物は、彼にはあまりに小さすぎた。大きな径《みち》と百年以上もの古木とのある静寂な隣の修道院の広庭を、初めは見おろすことができていたけれど、それはあまりによすぎて長つづきはしなかった。ちょうどクリストフの室の窓の正面に、七階建ての家が建築されかかっていて、そのために眺望《ちょうぼう》がさえぎられ、クリストフは四方を閉ざされてしまった。愉快なことには、滑車のきしる音や、石をけずる音や、板を打ち付ける音などが、毎日朝から晩まで聞こえてきた。その労働者の間には、先ごろ彼が屋根の上で知り合いになった屋根職人もいた。二人は遠くから合図で親しみを通じ合った。あるときなど、彼はその職人に往来で出会って、酒場へ連れて行き、いっしょに飲んだことさえあった。オリヴィエはびっくりして眉《まゆ》をしかめた。がクリストフは、その男の滑稽《こっけい》な饒舌《じょうぜつ》といつも変わらぬ上機嫌《じょうきげん》とを愉快がっていた。それでも彼はやはり、その職人や仲間の勤勉な動物どもが、家の前に障壁を築き上げ、光を奪うことを、呪《のろ》わずにはいられなかった。オリヴィエはあまり不平をこぼさなかった。眼界をふさがれることに慣れていった。あたかも圧搾された思想が自由な空へ吹き出すデカルトの暖炉に似ていた。しかしクリストフには空気が必要だった。彼はその狭い場所に幽閉されて、そのうめ合わせとして、周囲の人々の魂へ交渉していった。それらの魂を吸い込んで、それを音楽とした。オリヴィエは彼が恋でもしてるような様子だと言った。
「もし僕が恋をしたら、」とクリストフは答えた、「僕は自分の恋愛以外のものは、何物も見ず、何物も愛せず、何物にも興味をもたなくなるだろうよ。」
「ではいったいどうしたんだ?」
「ごく達者なんだ、腹がすいてるんだ。」
「君は幸いだ!」とオリヴィエは嘆息した。「君の食欲を、僕らにも少し分けてくれるといいがね。」
健康は感染的なものである――ちょうど病気のように。その健康の力の恩恵を最初に感じたのは、もとよりオリヴィエだった。そしてその力こそ、彼にもっとも不足してるところのものだった。彼は世の卑陋《ひろう》さが厭《いや》になって、世の中から引退していた。大なる知力と異常な芸術家的天分とをもっていながら、大芸術家となるにはあまりに繊弱だった。およそ大芸術家たるものは、何物をもいやがらないものである。あらゆる健全なる者の第一の掟《おきて》は、生活するということである。天才にあってはそれがなお強力となる。天才はより多く生活するからである。ところがオリヴィエは生活から逃げていた。身体も肉も現実との関係もない詩的作為の世界に、漂い浮かんでいた。世には、美を見出そうとして、もう過ぎ去った時代のうちに、もしくはかつて存在しなかった時代のうちに、美を捜し求めたがる人々がいるが、オリヴィエもその一人だった。人生の飲料は、今日では昔ほど人を酔わせるものではないと思ってるかのようである。かかる疲れた魂の人々は、人生との直接の接触をきらい、人生を堪え得るのはただ、過去の隔てによって織り出される幻影の帷《とばり》を通してであり、昔生きてた人々の死語を通してである。――クリストフとの交わりは、オリヴィエをそういう芸術の幽界からしだいに引き出した。彼の魂の深所に、太陽の光がさし込んできた。
技師のエルスベルゼもまた、クリストフの楽観主義に感染していった。でもそれは彼の習慣の変化となって現われはしなかった。彼の習慣はあまりに根深いものだった。フランスを去って他国へ成功を求めに行くほど、彼の気持を冒険的にならせることは、とうてい望み得られなかった。それはあまりに大なる要求だった。しかし彼は無気力の状態から脱した。長い前から打ち捨てている研究や読書や科学的の仕事に、ふたたび趣味をもちだした。かく自分の職業に興味がふたたび眼覚《めざ》めてきた原因は多少クリストフにあるということを、彼は聞かされたら定めし驚いたであろう。そしてクリストフのほうはさらに驚いたであろう。
家じゅうでクリストフがもっとも早く交際を結んだのは、三階の小さいほうの部屋の人たちだった。彼はその扉《とびら》の前を通るとき、一度ならずピアノの音に耳傾けた。それは若いアルノー夫人が一人きりのときに好んでひいてるものだった。そこで彼は、自分の音楽会への切符をその夫妻へ送った。彼らはそれを心から感謝した。それ以来彼は晩にときどき訪問してみた。若い婦人の演奏はもうまったく聞こえなくなった。彼女は非常に内気で人前ではひけなかった。一人きりのときでさえ、階段から聞く人があることを知ってる今では、弱音器をかけることにしていた。しかしクリストフは夫妻のために演奏してやった。そして皆で長く音楽の話にふけった。アルノー夫妻は若々しい心で話し、クリストフはそれをたいへん喜んだ。これほど音楽を愛するフランス人があろうとは、彼は思っていなかったのである。
「それは君が今まで、」とオリヴィエは言った、「音楽家にしか会わなかったからだ。」
「僕だって、」とクリストフは答えた、「音楽家はもっとも音楽を愛しない者であることを知っている。しかし君たちのような人がフランスに多数あろうとは、僕にはどうしても考えられない。」
「数千人いるさ。」
「それでは、それは一種の流行病だ、ごく最近の流行だろう。」
「流行の事柄ではありません。」とアルノーは言った。「楽器の楽しき和音や自然の声の楽しきを聞きながら、それを少しも悦《よろこ》ぶことなく、少しも感動することなく、楽しき歓喜の情に頭より足先まで戦《おのの》くことなく、われを忘るることもできざる者は、不徳なるゆがめる堕落せる魂をもてるしるしにして、かかる者にたいしては、生まれ悪しき者にたいするがごとくに、人は注意を要するなり……。」
「それは僕も知ってます。」とクリストフは言った。「わが親愛なシェイクスピヤの言葉です。」
「いいえ。」とアルノーは穏やかに言った。「シェイクスピヤよりも前の人、わがロンサールの言葉です。音楽を愛するのが流行にしても、フランスでは、昨今に始まったのではないことがおわかりでしょう。」
しかし、クリストフを多く驚かしたのは、フランスにおいて音楽が愛されてるということよりもむしろ、ドイツにおけるとほとんど同じ音楽が愛されてるということだった。彼が最初見たパリーの芸術家や当世人などの間では、ドイツの大家らをすぐれた他国人として取り扱うことが普通だった。彼らは賞賛を拒みはしなかったが、一定の距離をおいていた。そしてグルック式の鈍重さやワグナー式の野蛮さなどを好んであざけり、それにフランスの精緻《せいち》さを対立さしていた。実際クリストフもついには、フランスで実演されてるような方法では、フランス人がドイツの作品を理解し得るかを怪しんだ。彼はあるとき、グルックの作品公演から不快を感じてもどって来た。巧みなパリー人らは、この恐ろしい老人グルックに化粧させようとしていた。彼らは彼を塗りたて、彼にリボンを結びつけ、彼の律動《リズム》に真綿を着せ、印象派的色彩で、淫逸《いんいつ》な頽廃《たいはい》の色でその音楽を飾りたてていた……。気の毒なグルックよ! その心の雄弁さから、その道徳的純潔さから、その赤裸な悲痛さから、何が残っていたであろう? フランス人がそれらを感じ得ないせいではなかったろうか。――しかるにクリストフは今、ゲルマン魂の中に、ドイツの古い歌曲《リード》の中に、ドイツの古典芸術の中にもっとも根深く存在してるところのものにたいして、新しい友人らが深いやさしい愛情をいだいてることを、見てとったのだった。そして彼らに、それらドイツの大家連が彼らには他国人と思えるということや、フランス人がまったく愛し得るのは同民族の芸術家をのみであるということなどは、ほんとうではなかったのかと尋ねてみた。
「ほんとうなものですか!」と彼らは抗弁した。「批評家どもがわれわれの代弁をしてるのだと、勝手に自称してるのです。彼らはいつも自分らが流行に従ってるので、われわれまで流行に従ってるのだと言っています。しかし彼らがわれわれを気にかけていないと同様に、われわれのほうでも彼らを気にかけてはいません。彼らはまったく滑稽《こっけい》な馬鹿者どもで、フランス式であるものとないものとをわれわれに教えたがっています、古いフランスの生粋《きっすい》のフランス人たるわれわれに向かってです……。彼らはわれわれに向かって、わがフランスはラモーの中に――もしくはラシーヌの中に――あって、他にはないと高言しています。そしてベートーヴェンやモーツァルトやグルックが幾度か、われわれの炉のほとりに来て腰をおろし、われわれの愛する人々の枕辺《まくらべ》でわれわれとともに夜を明かし、われわれの苦痛を分かちにない、われわれの希望を力づけ……われわれの家庭の人となったということを、まるで知らないかのようです。けれどわれわれの考えを明らさまに言えば、わがパリーの批評家どもから祭り上げられてるフランスの某芸術家などこそ、われわれにとってはむしろ他国人なのです。」
「実際のところ、」とオリヴィエは言った、「もし芸術に国境があるとすれば、その国境は人種の間の境界というよりも、階級の間の境界と言うべきだ。フランスの芸術とかドイツの芸術とかいうものがあるかどうか、僕は知らない。しかし富んでる者らの芸術があり、また、富んでいない者らの芸術がある。グルックは偉大なる中流人であって、われわれと同階級のものである。ところが、僕は今はっきり名ざしたくないが、フランスの某芸術家などはそうでない。彼は中流階級に生まれてはいるけれど、われわれを不名誉だとし、われわれをしりぞけている。それでわれわれのほうでも、彼をしりぞけてるのだ。」
オリヴィエの言うところは真実だった。クリストフはフランス人をよく知れば知るほど、フランスの善良な人々とドイツのそれらとの間の類似に驚かされた。アルノー夫妻は、芸術にたいするその純潔な私心なき愛や、自己忘却や、美しきものにたいする奉仕などによって、彼にあの親愛なるシュルツ老人を思い起こさした。そして彼はシュルツ老人の思い出のために、彼らを愛した。
クリストフは、異なった民族の善良な人々の間に精神的国境を設くることの愚かさを見出すと同時に、同一民族の善良な人々の異なった思想の間に国境を設くることの愚かさをも見てとった。そして彼のおかげで、しかも彼が求めたことではなかったが、もっともたがいに理解しがたいと思われた二人、牧師コルネイユとヴァトレー氏とは、たがいに知り合いになった。
クリストフはその二人から書物を借りていた。そしてオリヴィエがいやがったほどの無遠慮さで、彼はその書物をまた一方のほうに貸していた。コルネイユ師はそれを別段不快ともしなかった。彼は人の魂にたいする直覚力をもっていた。そして若い隣人クリストフの魂中に、みずから知らずに宗教的なものがあることを、それとなく読みとっていた。ヴァトレー氏から借り出されたクロポトキンの一冊は、種々の理由から三人ともに好きな書物であって、それが接近の初めとなった。ある日偶然にも三人はクリストフのもとで落ち合った。クリストフは初め、二人の客の間に面白からぬ言葉がかわされはすまいかと恐れた。しかし反対に二人は、非常な丁重さを示し合った。彼らは安全な話題について話をした、旅行の話や、他人にたいする経験談など。そして彼らは二人とも、絶望すべき多くの理由をもってたにもかかわらず、架空的な希望や福音書的な精神や温厚さなどに満ちてることを、二人とも示した。彼らはたがいに相手にたいして、ある皮肉さの交じった同情の念を覚えた。ごく慎み深い同情の念だった。彼らはけっしてたがいの信仰の奥底に触れ合わなかった。たがいに会うことはごくまれであり、また会おうとも求めなかった。しかし顔を合わせるときにはそれを喜んでいた。
二人のうちでコルネイユ師のほうがより独立的な精神をもっていた。クリストフは初めそれを予期していなかった。がしだいにクリストフは、彼の宗教的な自由な思想が、力強い清朗な熱のない神秘観が、きわめてしっかりしてることを認めていった。その神秘観は、彼の牧師としてのあらゆる思想、日常生活のあらゆる行為、あらゆる世界観照のうちに、沁《し》み通っていて、あたかもキリストが神のうちに生きていたと彼が信じてるところと同じように、彼をキリストのうちに生きさしていた。
彼は何物をもいかなる生の力をも、否定しなかった。彼にとっては、あらゆる宗教書は、古きと新しきとを問わず、宗教的なものと世俗的なものとを問わず、モーゼからベルトローにいたるまで、皆確実なものであり、崇高なものであり、神の言葉であった。そして、聖書はただそのもっとも豊かな見本であって、神のうちに結ばれたる同胞愛のもっとも高い優秀者が教会であるのと同じだった。しかしその聖書も教会も、一定不動な真理のうちに人の精神を閉じこめるものではなかった。キリスト教は、生けるキリストにほかならなかった。世界の歴史は、神という観念の不断の生長の歴史にすぎなかった。ユダヤ聖堂の没落、異教の世界の衰滅、十字軍の失敗、法王ボニファス八世の屈辱、眩暈《めまい》するばかりの広い空間に地球を投げ出したガリレオ、大なるものよりもさらに力強い極微なるもの、王権の終滅と和親条約《コンコルダ》の絶滅、すべてそれらのものは、一時人心を途方にくれしめた。ある人々は倒壊しかけてるものに必死とすがりついた。またある人々は手当たりしだいに板子をつかんで漂流した。しかるにコルネイユ師はただみずから尋ねた、「人間はどこにいるのか? 人間を生きさせるものはどこにあるのか?」なぜなら彼は、「生のあるところに神がある、」と信じていたから。――そしてまたそれゆえに、彼はクリストフにたいして同感をもっていた。
クリストフのほうでも宗教的な偉大な魂の美《うる》わしい音楽をふたたび聞くのはうれしかった。それは彼のうちに遠い深い反響を呼び起こした。不断の反動的な感情――強健な性質の人にあっては、生の一本能であり、自己保存の本能であり、危《あぶな》い場合に平衡を立て直して船を新たに躍進せしむる櫂《かい》の一撃であるところの、不断の反動的な感情――それによって、クリストフの心の中には、パリーの極端な疑惑と忌まわしい快楽主義とに接して、二年以前から、少しずつ神がよみがえってきつつあった。と言って彼は神を信じてるのではなかった。神を否定していた。しかし神に満たされていた。彼はその守護神たる善良な巨人のように、みずから知らないで神をになってるのだと、コルネイユ師は微笑《ほほえ》みながら言った。
「ではなぜ僕には神が見えないのでしょう?」とクリストフは尋ねた。
「あなたも他の多くの人たちと同様です。毎日神を見てはいるが、それを神だと知らないのです。神は種々の形で万人におのれを示しています――ある者には、ガリラヤにおける聖ペテロへのように、その日常生活のなかで――ある者には、(たとえばあなたの友人のヴァトレー氏には、)聖トマスへのように、治癒《ちゆ》を求めてる傷や苦痛のなかで――あなたには、おごそかなる理想のなかで、われに触るるなかれのなかで……。いつかあなたも神を認めるようになるでしょう。」
「いやけっして僕は譲歩しません。」とクリストフは言った。「僕は自由です。」
「それならばなおさら神とともにいることになるでしょう。」と牧師は穏やかに言い返した。
しかしクリストフは、自分の心に反してキリスト教徒とされることを許し得なかった。自分の思想に何かの符牒《ふちょう》をつけられることがさも問題ででもあるように、率直な熱心さで自分を守った。コルネイユ師は、ほとんどわからないくらいわずかな聖職者的皮肉と多くの温情とで、彼に耳を傾けた。彼はその信仰の習慣に基づいてる不撓《ふとう》の忍耐をもっていた。現時の教会が受けてる困難から鍛えられていた。それらの困難のために大なる憂鬱を投げかけられながらも、また痛ましい精神上の危機を通過することさえ強《し》いられながらも、心の底は少しも害せられないでいた。もとより、上に立つ人々から圧迫され、あらゆる行動を司教らからうかがわれ自由思想家らからねらわれ、両者から争って思想を利用され自分の信仰に反する役目をさせられ、同宗者と反対者との両方から等しく理解されずに攻撃されるのは、残酷なことには違いなかった。反抗することはできなかった、なぜなら服従しなければならなかったから。けれど心から服従することはできなかった、なぜなら当局者のほうが間違ってるとわかっていたから。口をきき得ない苦しみ。口をきいて誤解される苦しみ。なおその上に、自分に責任がある他の多くの魂の存在、忠言を助力を求めつつ明らかに苦しんでる多くの人々の存在……。コルネイユ師はそれらの人々のためにまた自分のために苦しんだ。しかし彼は忍従した。教会の長い歴史に比ぶれば、それらの困難の日々はいかに些少《さしょう》なものであるかを知っていた。――ただ、無言の忍諦《にんてい》のうちに潜み込んでばかりいる間に、彼は徐々に貧血してゆき、ある臆病《おくびょう》さに、口をきくことを恐れる気分に、いつしかとらわれていって、わずかな行動もますますなしがたくなり、しだいに無言無為のうちに陥っていった。それをみずから感ずると、悲しくはあったが、しかしもう反抗しようとはしなかった。ところがクリストフと出会ったことは、彼にとって大なる支持となった。その隣人が示す年少気鋭な熱意や率直なやさしい同情は、また時としては不謹慎なその質問は、彼にとって非常にためになった。クリストフは彼を強《し》いて、生者の仲間に立ちもどらしめた。
電気職人のオーベルが、あるときクリストフの室で、この牧師と出会った。彼は牧師の姿を見るとびっくりした。嫌悪《けんお》の情をなかなか隠し得なかった。その最初の感情を押えたあとでもなお、この法服の男と顔を合わせると、いつもある気づまりな変な当惑を覚えた。彼にとっては、法服の男などはなんと言ってよいかわからない人物なのだった。それでも、教養ある人々と話をするうれしさから、反僧侶《はんそうりょ》主義の気持を制してしまった。彼はヴァトレー氏とコルネイユ師との間の親しげな調子に驚いた。民主的な牧師と貴族的な革命家とを見出したことにも、やはり同じく驚いた。それは彼がこれまで得てるあらゆる観念を覆《くつがえ》すものだった。彼は社会上のいかなる部類に彼らを置くべきかを迷った。彼は人を理解せんがために分類する必要を感じてたのである。ところが、アナトール・フランスやルナンのものを読み、それについて正当な正確な言葉を平気でくだしてる、この牧師の平穏な自由さは、いかなる所に置いてよいか容易にわからなかった。学問上の事柄においては、命令する人々からよりも知識ある人々から、コルネイユ師は導かれるのを常としていた。彼は権力を尊んではいた。しかしそれは彼にとっては、学問と同種のものではなかった。肉体と精神と慈愛、それは三つの部門であって、崇高な梯子《はしご》の、ヤコブの梯子の、三つの段であった。――善良なオーベルにはもとより、そういう精神状態を理解しがたかった。コルネイユ師はクリストフに、オーベルを見ると昔見たフランスの農夫たちのことを思い出すと、静かに話してきかした。一人の若いイギリスの女が、農夫たちに道を尋ねていた。彼女はイギリス語を話していた。農夫たちはそれがわからなかったけれど耳を傾けていた。それから彼らはフランス語を話した。彼女にはそれがわからなかった。すると彼らは気の毒そうに彼女をながめ、頭を振って、また仕事にかかりながら言った。「でも気の毒だなあ、あんなにきれいな娘さんだが……。」
初めのうちオーベルは、牧師とヴァトレー氏との学殖や上品な態度に気圧《けお》されて、彼らの会話を鵜《う》のみにしながら黙っていた。がしだいに、自分の話を聞いてもらう素朴《そぼく》な喜びに駆られて、会話の中にはいってきた。そして自分の漠然《ばくぜん》たる理論を並べたてた。相手の二人は内心いささか微笑しながら、丁寧に耳を貸してやった。オーベルは有頂天になって、なおそれだけでは満足しなかった。彼はコルネイユ師の限りない我慢を利用し、やがて図にのってきた。苦心|惨澹《さんたん》の原稿を読んできかせまでした。牧師はいつもあきらめて耳を貸していた。そしてさほど退屈してもいなかった。というのは、相手の言葉よりも人間のほうに多く耳傾けていたから。それにまた、気の毒がってるクリストフへ答えたとおりの理由もあった。
「なあに、あの人に限ったことではありません。」
オーベルはヴァトレー氏とコルネイユ師とをありがたがっていた。そしてこの三人は、たがいに相手の思想を理解しようともつとめずに、なぜとはなしにたがいに愛し合うようになった。そしてたがいにごく接近してるのを見出してびっくりした。彼らはそんなことをかつて思ったこともなかった。――クリストフが彼らを結びつけていたのである。
クリストフはまた、エルスベルゼの二人の娘とヴァトレー氏の養女との三人に、無邪気な味方を見出した。彼は彼女らの友だちとなった。彼は彼女らが孤立して暮らしてるのを苦にした。そして彼女らのおのおのに未知の隣人のことを噂《うわさ》して、たがいに会いたくてたまらない気を起こさした。で彼女らは窓から合図をかわしたり、階段でそっと言葉をかわしたりした。そのうえなおクリストフの尽力によって、彼女らはときどきリュクサンブールの園で会う許しを得た。クリストフは計画が成功したのを喜んで、彼女らが出会う最初のときには、自分で様子を見に行ってみた。すると彼女らは、きまり悪がってもじもじしていて、新たなその幸福をどうしていいかわからないでいた。彼はすぐに彼女らを打ち解けさせ、いろんな遊びや駆けっこや追いかけっこを考え出した。自分も十歳ぐらいな子供のように勢い込んで仲間入りした。散歩の人たちは、その大子供が大声をたてて駆け出したり、三人の少女に追われて木のまわりを回ったりしてるのを、おかしそうに見やっていった。そして少女らの両親たちは、まだやはり疑念をいだいていて、リュクサンブールの遊びがたびたび繰り返されるのを、あまり好まないらしい様子だった――(なぜなら、彼らは娘をそばで監督することができなかったから。)――それでクリストフは、一階に住んでるシャブラン少佐に願って、家の庭で彼女らを遊ばせる工夫をした。
偶然にも彼はシャブラン少佐と交際を結んでいた――(偶然はいつも自分を利用してくれる人々を見出し得るものである。)――クリストフの机は窓ぎわに置いてあった。風のために楽譜の数枚が下の庭に飛ばされた。クリストフは例のごとく、帽子もかぶらず胸もはだけたままで、その楽譜を取りにいった。彼は下男に一言断わるだけのことだと思っていた。ところが扉《とびら》を開けてくれたのは若い娘だった。彼は少しまごつきながら、やって来たわけを述べた。彼女は笑顔をして彼を中にはいらせた。二人は庭へ行った。彼が楽譜を拾い集めて、娘に送られながら急いで逃げ出そうとしてるとき、もどって来た少佐に出会った。少佐はびっくりした眼つきで、その異様な客をながめた。若い娘が笑いながら彼を紹介した。
「ああ、君があの音楽家ですか。」と将校は言った。「ちょうどいい。われわれはお仲間です。」
彼はクリストフの手を握りしめた。二人は、クリストフはピアノで少佐はフルートでたがいに音楽を聞かせ合ってることを、隔てない皮肉な調子で話した。それでクリストフは辞し去ろうとした。しかし相手は彼を離さないで、際限もなく音楽談をやり始めた。それから突然話をやめて言った。
「僕のカノン([#ここから割り注]訳者注 大砲と追走曲と両様の意味あり[#ここで割り注終わり])を見に来ませんか。」
クリストフは、フランスの大砲に関する彼の意見がなんの面白いことがあるものかと思いながらも、彼のあとについて行った。ところが少佐は得意げに、音楽上のカノン――追走曲を示した。それは一種の曲芸の楽曲であって、終わりから読むこともできれば、表と裏と両面から二重奏することもできるのだった。少佐は昔理工科学校の学生であったころから、音楽にたいする趣味を常にもちつづけていた。しかし音楽のうちでもことにその難問題を好んでいた。彼にとって音楽はりっぱな精神的遊戯らしく思われた――(一面においては音楽は実際そうである。)そして彼は音楽的な組み立ての謎《なぞ》を、どれもみな奇怪な無益なものではあったが、一心に工夫してかけたり解いたりしていた。もとより軍職についてる間は、その嗜癖《しへき》に十分ふけるだけの隙《ひま》がなかった。しかし退職してからはそれに熱中してしまった。黒人王の軍隊を追跡してアフリカの沙漠《さばく》を駆け回ったり、または敵の策略から脱出した、その昔の精力を、ことごとくそれに費やしていた。クリストフはそれらの謎を面白がり、また自分のほうからもいっそう複雑な謎をかけてやった。将校は夢中になった。二人は知恵比べをした。両方で音楽上の難問題を連発した。十分遊んだあとに、クリストフは自分の室にもどった。しかしその翌朝になると、彼はまた新しい問題を受け取った。それはまったく頭が割れるほどの難問題で、少佐が夜もろくに寝ないで考えたものだった。彼のほうからも応戦してやった。そして戦いはいつまでもつづいたので、ついにクリストフはめんどうくさくなって、負けたと言い出した。将校は大喜びだった。彼はその勝利を、ドイツにたいする復讐《ふくしゅう》のように考えていた。彼はクリストフを午餐《ごさん》に招待した。クリストフは少しも遠慮のない態度で、彼の音楽上の作品をけなしたり、彼がハーモニュームでハイドンのアンダンテを台なしにすると、大声をたてたりして、すっかり彼を征服してしまった。それ以来二人はかなりしばしば談話を交えた。しかしもう音楽のことについては話さなかった。クリストフは少佐の音楽上の談話を聞いてもつまらなかった。それで話を好んで軍事上のことにもっていった。それは少佐の望むところだった。不幸な彼にとっては音楽は無理に求めた気晴らしだった。心の底では弱りきっていた。
彼の話はよくアフリカ戦役のことに落ちていった。ピサロやコルテスにふさわしいような途方もない冒険談だった。その驚くべき野蛮な叙事詩がふたたび生き上がってくるのを見て、クリストフは呆然《ぼうぜん》とした。そんな話を彼は少しも知らなかったし、またフランス人自身もたいていは知っていなかった。しかし実際その話によると、一群のフランス遠征者らが二十年もの間、勇気と巧妙な胆力と超人間的な精力とを費やしながら、未開の大陸のまん中に踏み迷い、黒人の軍隊に包囲され、もっとも基本的な戦闘用具さえも十分になく、怖気《おじけ》ついてる世論と政府との意に反してたえず戦い、フランスの意向に構わず、フランスのために、フランス自身よりもさらに大きな帝国を征服してるのであった。力強い喜びと血潮との匂《にお》いがその戦いから立ちのぼっていた。クリストフの眼には近世の傭兵《ようへい》の面影が、勇壮な冒険者の面影が、そこから浮かび上がってきた。それは現今のフランスには思いがけないものであり、現今のフランスが容認するのを恥じてるものであり、慎み深くその上に帷《とばり》を投げかけてるものである。しかるに少佐の声は、それらの思い出を呼び起こしながら、快活に鳴り響いていた。そして彼は元気な朴訥《ぼくとつ》さをもって、また地勢についての賢明な叙述――(その叙事詩的な物語の中に変梃《へんてこ》に插入《そうにゅう》される)――をもって、広範囲にわたる追跡のことや、その無慈悲な戦いにおいて彼が猟師となったり獲物となったりした、人間の狩猟のことなどを、物語っていった。――クリストフは彼の話に耳を傾け、彼の顔をながめ、そして、そのりっぱな人間獣が無為閑散を余儀なくされ、滑稽《こっけい》な遊びのうちに衰えてゆかなければならないのを見て、同情の念を覚えた。そういう運命に彼がどうしてあきらめ得たかを怪しんだ。そして彼自身に向かってそれを尋ねてみた。少佐は初め、自分の不遇を他国人に説明したがらないらしかった。しかしフランス人というものは饒舌《じょうぜつ》であって、ことに他人を恨むときにそうである。
「現今の軍隊にはいっていたって、僕になんの仕事があるものですか。」と彼は言った。「海軍の者は文学をやってるし、陸軍のものは社会学をやっている。彼らは戦争以外のことならなんでもやっている。しかしもう戦争の準備はしていない。戦争をすまいという準備をしている。戦争哲学をやっている……。戦争哲学! 他日受ける打撃を考えてるなぐられた驢馬《ろば》どもの遊びと同じだ……。屁理屈《へりくつ》を並べたり哲理をこねたりすることは、僕の仕事じゃありません。家の中に引っ込んでカノン(追走曲――大砲)でもこしらえてるほうがましです。」
しかし彼は慎みの念から、もっとも大きな不満は口に出さなかった。上申者への告げ口によって将校らの間に起こる猜疑《さいぎ》、愚昧《ぐまい》邪悪な政治家連の横柄な命令を受ける屈辱、または、賤《いや》しい警察事務や、教会堂の財産調べや、労働争議の鎮圧や、権力を得た一派――反僧侶《はんそうりょ》主義の過激な小市民輩――の利益や怨恨《えんこん》のために、残りの国民全部に反対する仕事、それに使用される軍隊の悲しみ、などがあった。なおその上に、新しい植民地軍にたいするこの老アフリカ軍人の嫌悪《けんお》もあった。新しい植民地軍は、「大なるフランス」――海の彼方《かなた》のフランス――の防備を確かにするという名誉と危険とにあずかることを拒む他のフランス人らの、利己心を容赦せんがために、大部分は国民のもっとも下等な分子から徴集されてるのだった。
クリストフは、右のようなフランスの内紛には差し出口の必要をもたなかった。それは彼に関係した事柄ではなかった。しかし彼は老将校に同感した。戦争にたいする考えはとにかくとして、ただ彼は、軍隊は兵士を作るためのものであって、あたかもりんごの木がりんごを生ずるのと同じだと思っていた。政治家や耽美《たんび》家や社会学者がそれに接《つ》ぎ木されることは、おかしな変形だと思っていた。それでも彼は、この頑健《がんけん》な人が他人に地位を譲ったのが理解できなかった。敵と戦わないことはもっとも悪い敵たることである。しかしそれらの多少りっぱなフランス人らのうちには、ある棄権的な精神が、不思議な見切りの心が存在していた。――クリストフはそれのさらに痛切なものを、少佐の娘のうちに見出した。
彼女はセリーヌという名だった。丁寧に櫛《くし》を入れてシナ風に編んだ細かな髪をもっており、その下から高い丸い額《ひたい》とややとがった耳とがのぞいていて、痩《や》せた頬《ほお》、素朴な優美さの愛くるしい頤《あご》、黒い怜悧《れいり》な打ち解けたごくやさしい近視の眼、多少太い鼻、上唇《うわくちびる》の隅《すみ》の小さな黒子《ほくろ》、やや脹《ふく》れた下唇をかわいらしくとがらして突出させるしずかな微笑、などをもっていた。彼女は親切で活発だったが、精神的な好奇心にひどく欠けていた。あまり書物を読むことがなく、新しい書物を少しも知らず、けっして芝居へ行かず、けっして旅行をせず――(父親は昔あまり旅をしたので旅行に飽いていた)――なんらの世間的慈善事業にもかかわらず――(父親はそういう事業を非議していた)――少しも勉強しようとはせず――(父親は女の学者をあざけっていた)――四方壁に囲まれてる大きな井のような方形の庭から、ほとんど外へ出なかった。それでも彼女はさして退屈してはいなかった。どうかこうか仕事を見つけて、快くあきらめていた。彼女の一身から、また、どこにいても女が知らず知らず創《つく》り出すその小さな世界から、シャルダン風の空気が発散していた。微温的な沈黙。習慣的な仕事に気を向けてる――(やや麻痺《まひ》されてる)――態度や顔つきの静穏さ。日々のきまった仕事や、馴《な》れきった生活や、同じ時間に同じようにやってくるとわかっていながらも、やはりしみじみとした落ち着いたやさしさで愛せられる、いろんな考えや身振り、などのうちに包まってる詩。正直や良心や真実や静かな仕事や静かな喜び、それでもなお詩的たるを失わないそれらの、美《うる》わしい中流人士的魂の朗らかな凡庸さ。りっぱなパンやラヴァンド化粧水や方正や温情などの香《かお》りのする、健全な優雅さ、精神的および肉体的な清潔さ。事物と人物との平和、古い家と微笑《ほほえ》める魂との平和……。
クリストフの親切な信頼の態度はいつも人の信頼を招いていたので、彼はやがて彼女とごく親しくなった。二人はかなり自由に話をした。しまいに彼はいろんな問いをさえかけるようになり、彼女はそれに答えてはみずからびっくりしていた。彼女は他人にはだれへも言ったことのない事柄をも彼へ話していた。
「それはあなたが私を恐れていないからです。」とクリストフは説明した。「私たちは恋に陥るような危険はありません。恋に陥るにはあまりに親しすぎます。」
「ほんとにあなたはやさしい方ですわ!」と彼女は笑いながら答えた。
彼女の健全な性質は、クリストフの性質と同じく、恋愛的な交わりを、自分の感じにいつも手管を弄《ろう》する曖昧《あいまい》な魂にとっては尊いその感情形式を、忌みきらっていた。二人はたがいに仲のいい間柄だった。
彼女はときどき午後になると、庭のベンチにすわって、膝《ひざ》の上に仕事を置いて、それに手を触れようともしないで、幾時間もじっとしてることがあった。彼はある日またそれを見かけて、何をしてるのか尋ねてみた。彼女は顔を赤らめて、それは幾時間ものことではなく、たまにしばらくの間のことであり、十四、五分間のことであると抗弁し、「話の先をつづけてるのだ」と言った。
――なんの話?
――彼女がみずから語ってる話。
「あなたは自分で自分に話をしてるんですか。そんなら私にも聞かしてください。」
彼女は彼があまりに好奇《ものずき》だと言った。そしてただ、自分がその話の女主人公ではないということだけを打ち明けた。
彼はそれに驚いた。
「自分でみずからいろんな話をするくらいなら、美化した自分自身の話をして、現実以上の幸福な生活をしてるように夢想するほうが、より自然のことのように思えますが。」
「私にはそんなことはできません。」と彼女は言った。「そんなことをしたら絶望に沈むかもしれません。」
彼女は人に隠してる自分の魂を多少うち明けたので、また顔を赤めた。そして言った。
「それに、庭にいて風にさっと吹かれますと、ほんとにいい心地になります。庭は私には生きてるもののように思われます。そして風が荒くて遠くから吹いて来ますときには、いろんなことを私に語ってくれます。」
クリストフは、彼女が控え目な口をきいてるにもかかわらず、彼女の快活さと活発さとの下に隠されてる、底深い憂鬱《ゆううつ》を見てとった。その活発さも彼女を欺くことはできなかったし、なんの結果をももたらしてはいなかった。彼女はなぜ自分を解放しようとはしなかったか? 活動的な有用な生活にいかにも適しているではなかったか!――しかし彼女は父の愛情を楯《たて》にとっていた。父は彼女を手離したがらなかったのである。クリストフはそれに反対して、強健で元気なその将校は彼女を必要としないこと、ああいう性質の人は一人きりで暮らし得ること、彼女を犠牲にする権利は彼にはないこと、などを言いたてたが無駄《むだ》だった。彼女は父を弁護した。父が無理に自分を引き留めておくのではなくて、自分のほうで父のもとを離れ得ないのだと、孝心深い嘘《うそ》で主張した。――そしてまたそれは、ある程度まではほんとうだった。彼女にとっては、彼女の父にとっては、また周囲の人々にとっては、万事はかくあるべきもので異なったようになるべきではないということが、永久にわたって承認されてるらしかった。彼女には結婚した兄があったが、その兄も、自分の代わりに彼女が献身的に父のめんどうをみてくれるのを、自然のことだと考えていた。そして彼自身は子供たちのことばかりに気を向けていた。彼は子供たちを嫉妬《しっと》深いほど愛していて、何事をも子供たちの自由に任せなかった。その愛情は、彼にとっては、ことに彼の細君にとっては、一生のしかかってきてあらゆる行動を束縛する任意的な鎖だった。人は子供をもったときから、その個人的生活は終わりを告げて、自己の発展は永久に止めらるべきものである、とでも言うかのようだった。この活動的な怜悧なまだ若い男は、隠退するまでに残ってる働くべき年月を、ちゃんと数え上げていた。――それらのりっぱな人々は、家庭的愛情の空気のために貧血させられていた。その愛情はフランスにおいてはいかにも深いものだったが、しかしまた人を窒息させるものだった。フランス人の家庭が父と母と一、二人の子供というふうに、ごく少数になる場合に、それはますます圧迫的になるのだった。あたかも一握りの黄金を握りしめてる吝嗇《りんしょく》家のように、戦々兢々《きょうきょう》として自分だけを守ってる愛情だった。
ある偶然の事情からクリストフは、セリーヌにますます同情をもつとともに、フランス人の愛情の狭小なこと、生活や自己の権利の主張などを恐れてることを、示されたのであった。
技師のエルスベルゼに、やはり技師である十歳年下の弟があった。世間によく見かけるとおり、りっぱな中流家庭に生まれて芸術上の志望をもってる好青年だった。そういう人々は、芸術をやりたがってはいるが、その中流的身分を危うくすることを欲しない。実を言えば、それはごく困難な問題ではない。現時の多くの芸術家は容易に解決をつけている。でもとにかくそうしたいという願望だけは必要であって、そしてそれだけのわずかな気力をも万人がもってるというわけにはゆかない。彼らには自分の欲することを欲するというだけの確かさもない。そして彼らの中流的身分が確実になればなるほど、ますますそこに安住して従順に静かになってゆく。彼らがくだらない芸術家とならずに善良な中流者となるとしても、それはとがむべきことではないだろう。しかしその失意からは、ひそかな不満の念が、いかに偉大なる芸術家が僕とともに滅びることぞ[#「いかに偉大なる芸術家が僕とともに滅びることぞ」に傍点]が、たいていは彼らのうちに残ってくる。そしてそれは、とにかく哲学と呼ばれ得るものでどうにか覆《おお》い隠されはするが、歳月に磨《す》り減らされ新しい心配事に紛らされてその古い怨恨《えんこん》の痕《あと》が消されてしまうまでは、彼らの生活を毒するのである。アンドレ・エルスベルゼの場合もそうであった。彼は文学をやるつもりだった。しかし自説にのみ凝り固まってる兄は、彼をもやはり科学の方面にはいらせたかった。アンドレは悧発《りはつ》であって、科学に――または文学に――同じくらいかなりの天分をもっていた。芸術家たるには十分の自信がなかったけれど、中流者たるにはあまりに多くの自信があった。で彼は初め一時的に――(この一時的という言葉がいかなる事を意味するかは人の知るとおりである)――兄の意志に従った。彼は大してよくない成績で工芸中央学校にはいり、同じくらいの成績で卒業し、それからは本気でしかしなんの興味ももたずに、技師の職についていた。もとよりその間に、わずかの芸術家的気質をもっていたのをも失ってしまった。で彼はもう皮肉をもってしか芸術のことを語らなかった。
「それにまた、人生というものは、やりそこねた職業のために気をもむにも値しないものです。くだらない詩人なんかあってもなくても同じことです……。」と彼は言っていた。――(クリストフはそういう理屈のなかに、オリヴィエ流の悲観思想を見てとった。)
二人の兄弟は愛し合っていた。彼らは同じ気質をもっていた。しかし話が合わなかった。二人ともドレフュース派であった。しかしアンドレは、産業革命主義にひきつけられて、非軍国主義者であった。そしてエリーは愛国者であった。
アンドレは時とすると、兄に会いに行かずにクリストフだけを訪れてきた。クリストフはそれに驚いた。なぜなら、彼とアンドレとの間には大なる同感は存しなかったから。アンドレはたいていだれかもしくは何事かにたいする不平ばかりを述べた――それはうるさいことだった。そしてクリストフが口をきくときには、アンドレのほうでよく聞いていなかった。それでクリストフはもう、彼から訪問されるのをつまらないと思ってる様子を隠そうとしなかった。しかし彼はそんなことにはいっこう平気だった。気づいてもいないらしかった。がついにある日、クリストフの疑問は解けた。相手が窓にもたれて、こちらの話によりも下の庭の様子に多く気をとられてるのが、彼にもわかった。彼はそれを言ってやった。するとアンドレは、実際シャブラン嬢を知ってることや、クリストフを訪問してくる理由のうちには彼女がはいってることなどを、すぐに承認してしまった。それから舌がほどけて、昔からの友情を、おそらくは友情以上のものを、その若い娘にたいしていだいてることを白状した。エルスベルゼの家は少佐の家と昔から交際があった。しかしごく懇意だったあとに、政治上のことで離れ離れになった。それ以来もう行き来をしなかった。クリストフはそんなことを馬鹿げてると思う様子を隠さなかった。各人各自の考え方をしながらなお尊敬し合ってゆくということが、できないものだろうか? アンドレは、自分は自由な精神をもってると抗弁した。しかし二、三の問題は寛容外のことだと言った。彼によれば、それらの問題について異なった意見をもつのは許されないことだった。そして彼は有名なドレフュース事件をあげた。それについて彼も普通一般のとおりに無茶な論をした。クリストフはその慣例を知っていたし、少しも議論を闘《たたか》わそうとはしなかった。しかしただ、その事件もいつか終わりを告げることがないものかどうか、その呪《のろ》いは孫子の末の末にまで永遠に波及すべきものであるかどうかを、尋ねてみた。アンドレは笑いだした。そしてクリストフに答えはしないで、セリーヌ・シャブランをしみじみとほめたたえ、彼女から献身的に仕えられるのを当然だと思ってる父親の利己心を非難した。
「彼女と愛し愛されてるのなら、なぜ結婚しないんですか。」とクリストフは言った。
アンドレはセリーヌが僧侶《そうりょ》派であることを嘆じた。僧侶《そうりょ》派とはどういうことかとクリストフは尋ねた。その答えによれば僧侶派とは、宗教上の務めを守り神や坊主どもに奉仕するということだった。
「そしてそれがなんの妨げになるんですか。」
「だって僕は自分の妻が自分以外のものに所有されることを望みません。」
「ほう、あなたは細君の思想にまで嫉妬《しっと》するんですか。じゃああの少佐よりもあなたのほうがいっそう利己的だ。」
「それは勝手な理屈です。たとえばあなたは音楽を愛しない女をもらえますか。」
「もらおうとしたこともありますよ。」
「思想が違っててどうしていっしょに暮らせるでしょうか。」
「そんなことをくよくよ考えるには及ばないでしょう。なあに、愛するときには思想なんかどうだって構わない。僕の愛する女が僕と同じく音楽を愛してくれたって、なんの足しになるものですか。僕にとってはその女が音楽なんです。あなたのように、相愛のかわいい娘があるという喜びを得るときには、彼女は彼女の好きなものを信ずるがいいし、あなたはあなたの好きなものを信ずるがいい。要するにどの思想もみな同じく尊いんです。そして世には一つの真理しかありません。それは愛し合うということです。」
「それは詩人の言い草です。あなたは人生を見ていません。精神の不一致に苦しめられた多くの家庭を、僕はたくさん知っています。」
「それは十分愛し合っていなかったからです。人は第一に自分が何を欲してるかを知らなければいけません。」
「人生においては意志がすべてをなし得るものではありません。僕がシャブラン嬢と結婚しようと欲しても、それはできないでしょう。」
「なぜでしょうか。」
アンドレは気がかりな事柄をうち明けた。彼の地位はまだでき上がっていなかった。それに財産もなく、身体も弱かった。そういう事情で結婚していいものかどうか疑っていた。大なる責任問題だ……。愛する者や自分自身を――将来の子供のことは言うまでもなく――不幸に陥《おとしい》れる憂いはないだろうか……。待つほうが――もしくはあきらめるほうが――よくはないか。
クリストフは肩をそびやかした。
「りっぱな愛し方ですね! 彼女に愛があるのなら、彼女は一身をささげて幸福になるはずです。それから子供のことについては、あなたたちフランス人は実際|滑稽《こっけい》ですよ。苦しむことのないほど十分な財産をつけてやれると思うまでは、世の中に産み出したがらない……。がそんなことはどうでもいいことです。なあに、生と生にたいする愛と生を守る勇気とを与えてやればいいんです。その他のことは……生きようと死のうと……それが人の運命です。僥倖《ぎょうこう》の生を求めるくらいなら、生きるのをやめたほうがいいでしょう。」
クリストフから発散する強健な信念は、相手のうちにも伝わっていったが、少しもその心を決しさせはしなかった。彼は言った。
「ええ、おそらくそのとおりでしょう……。」
しかし彼はそのままじっとしていた。あたかも他の多くの人々のように、意欲と行動との不能に陥ってるがようだった。
クリストフは、知り合いのフランス人のうちにたいてい見出される無気力さにたいして、戦いを始めた。その気力は、不撓《ふとう》なそしておおむね熱狂的な精励さと、不思議に結合してるのだった。中流階級の種々の方面で彼が出会う人々は、ほとんどすべて不満家だった。ほとんどすべての人々が、当代の大立者とその腐敗した思想とにたいする、同じような嫌悪《けんお》の念をいだいていた。ほとんどすべての人々が、おのが民族に裏切られた魂についての、寂しいかつ矜《ほこ》らかな意識をもっていた。そしてそれは、個人的|怨恨《えんこん》の事柄ではなかった。免職された官吏や、用途のない精力や、傷ついた獅子《しし》のように自分の土地に隠退して死んでゆく古い貴族など、すべて権力や活動的生活から追われてる、敗北した人々や階級の怨嗟《えんさ》ではなかった。それは、一般的な深い暗黙な精神的反抗の感情だった。軍隊や司法界や大学や官省や、政府機関のあらゆる主要な部分に、至るところに存在していた。しかしそれらの人々は行動してはいなかった。行動しない前から失望していた。彼らは繰り返し言っていた。
「しかたがないことだ。」
彼らは悲しい事柄を恐れて、それから思考や談話をそらしていた。そして、家庭生活のなかに隠れ家を求めていた。
彼らが政治上の行動からだけ引退したのなら、まだしもだった。しかし日常の行動の範囲内においてさえ、それら誠実な人々はだれもみな行動の興味を失っていた。彼らは軽蔑《けいべつ》してる悪者どもとの賤《いや》しい交際は大目に見ていたが、それと闘《たたか》うことは無益だと前もって考えていて、なるべく闘いをしないように用心していた。たとえば芸術家らは、ことにクリストフがよく知ってる音楽家らは、彼らに勝手なことをする新聞雑誌のスカラムーシュどもの厚顔を、なぜ反抗もしないで堪え忍んでいたのか。多くの愚人どもがいて、およそ人の知り得るあらゆる事に[#「およそ人の知り得るあらゆる事に」に傍点]無知であるのが知れ渡っていながら、それでもやはり、およそ人の知り得るあらゆる事に[#「およそ人の知り得るあらゆる事に」に傍点]主権的な力を与えられていた。彼らは自分の論説や書物を書くだけの労さえ取らなかった。彼らには秘書どもがついていた。もし魂をもってたとしたら、パンや女のためにその魂をも売りかねない、憐《あわ》れむべき飢えた乞食《こじき》どもがついていた。それはパリーでは、だれ知らぬ者のない事柄だった。それでも彼らはなお羽振りをきかせ、芸術家たちを上から見下していた。彼らの記事のあるものを読んだとき、クリストフは憤激の叫びを発した。
「おう、卑怯者《ひきょうもの》が!」と彼は言った。
「君はだれにたいし言ってるんだい。」とオリヴィエは尋ねた。「相変わらず広場の市《いち》の馬鹿者どもを相手にしてるのか。」
「いや、誠実な人たちに言ってるんだ。悪者どもがのさばって、嘘《うそ》をつき奪い盗み人殺しをしている。しかしその他の者を――彼らを蔑視《べっし》しながら勝手なことをさせてる人たちを、僕ははるかに多く軽蔑する。新聞雑誌の仲間たちが、誠実な教養ある批評家たちが、無定見なアールカンどもにわいわい言われてる芸術家たちが、臆病《おくびょう》から、災いをこうむる恐れから、あるいは、相互に容赦するという恥ずべき打算から、敵の打撃を免れるために敵と結んだ一種の密約から、奴《やつ》らをなすままに任して黙っていることがなかったならば――もし彼らがその庇護《ひご》と友情とを奴らに利用されるままに任せることがなかったならば、奴らの厚顔な威勢は単なる物笑いとなってしまうだろう。あらゆる方面に同様な気弱さがある。僕が出会った多くの善良な人々は、ある男について『彼奴《あいつ》は馬鹿者だ』と僕に言ってきかせながら、その男を『親しい仲間』と呼びかけて握手しないような者は、一人もなかった。――『あんな人間が多すぎる』と彼らは言っている。――がまったく腰抜けが多すぎる。誠実でありながら卑怯である者が多すぎるのだ。」
「ではどうせよというんだ?」
「君たち自身で警察事務をやるのさ! 君たちは何を待ってるのか。仕事を天に引き受けてでももらいたいのか。そら、ちょうど見てみたまえ。雪が降ってから三日になる。雪は街路を埋め、パリーを泥海《どろうみ》にしている。が君たちは何をしてるのか。君たちを泥水の中に放っておく施設にたいしては非難の声をあげている。しかし君たち自身はそれから脱しようとしているか。あきれたことだ。腕を拱《こまぬ》いてばかりいて、だれも家の前の歩道を掃くだけの勇気をもっていない。国家も個人もともにその義務を尽くしていない。両者たがいにとがめ合って責を免れたと思っている。君たちは数世紀間の君主主義的教育のため、自分自身で何にもしないことに馴《な》れきっていて、奇跡を待ちながらいつもぼんやり天を仰いでるような様子だ。がここに可能な唯一の奇跡は、君たちが行動の決意をするということだろう。ねえオリヴィエ、君たちはたくさんの知力と美徳とをもっている。しかし血が君たちには不足している。第一に君には不足している。君たちのうちで病衰してるものは、精神でも心でもない。それは生命なんだ。生命が逃げ去りかけてるんだ。」
「しかたないさ。生命がもどってくるのを待つよりほかはない。」
「生命がもどってくるのを欲しなければいけない。意欲することが必要なのだ。そしてそのためにはまず、自分の家に清い空気をはいらせなければいけない。家から外に出たくないときには、少なくとも家を健全にしておかなければいけない。君たちは市場《いちば》の悪い空気で家を毒されるままにしている。君たちの芸術と思想とは三分の二以上悪変させられてる。そして君たちは意気|沮喪《そそう》のあまり、もうそれを憤ろうともしないし、ほとんど驚こうともしない。気おくれがしてるそれらのばかな善人らのうちには、自分らのほうが誤りで欺瞞《ぎまん》者どものほうが正当だと、ついに思い込んでしまってる者さえある。何物にも欺かれていないと公言してる君のイソップ[#「イソップ」に傍点]誌の連中のうちにも、愛してもいない芸術を愛してると思い込んでる憐《あわ》れな青年らに、僕は出会った。彼らはうれしくもないのにただ順従の念から酔っ払ってる。そしてその虚偽のうちに倦怠《けんたい》しきっている。」
クリストフは、胎《はら》のすわらない連中の中を、あたかも眠ってる樹木を揺り起こす風のように通りすぎていった。彼は自分の考え方を彼らに教え込もうとはしなかった。自分で考えるだけの元気を彼らに吹き込んでやった。彼はこう言っていた。
「君たちはあまりに謙譲だ。神経衰弱的疑惑こそ大敵なんだ。人は寛容で人間的であり得るしあるべきである。しかし、善であり真であると信じてる事柄を疑ってはいけない。そして信じてる事柄を支持しなければいけない。われわれの力がどのくらいのものであろうと、われわれは譲歩してはならない。この世においては最小のものも最大のものと同等に一つの義務をもっている。そして最小のものもまた――(みずからよく知っていないことであるが)――一つの力をもっているのだ。君たちだけの反抗を取るに足らぬものだと思ってはいけない。強健で自己を肯定し得る本心は一つの威力である。君たちが近年一度ならず見てきたとおりに、国家と世論とは一人のりっぱな男の判断を重んじなければならなかったではないか。しかもその男の武器といっては、公然と執拗《しつよう》に肯定されたその精神力のみだったのだ……。
「もし君たちが、こんなに骨折ってなんの役にたつかを、闘ってなんの役にたつかを、なんの役にたつかということを、みずから怪しむならば……よく覚えておくがいい……それは、フランスが死にかかってるからであり、ヨーロッパが死にかかってるからであり――わが文明が、千年余の苦悩によって人類が築き上げた驚嘆すべき作品が、もしわれわれが闘わなかったならば覆滅する恐れがあるからである。祖国が危険に瀕《ひん》しているのだ。わが祖国ヨーロッパが――なかんずく君たちの小なる祖国フランスが、危険に瀕している。君たちの無情無感がそれを殺すのだ。君たちの元気が消滅するにつれ、君たちの思想が諦《あきら》めにはいるにつれ、君たちの誠意が働きを止めるにつれ、君たちの血が無駄に一滴ずつ涸《か》れてゆくにつれて、祖国は死んでゆくのだ……。奮起したまえ。生きなくてはいけない。もしくは、死ななければならないとすれば、立ちながら死ぬべきである。」
しかし、彼らを活動に導くことよりも、彼らをいっしょに活動させることのほうが、なおいっそう困難だった。この点では彼らはまったく手におえなかった。彼らはたがいに不平を言い合っていた。りっぱな人たちほど頑固《がんこ》だった。クリストフは同じ家の中にその実例を見出した。フェリックス・ヴェール氏と技師エルスベルゼと少佐シャブランとは、暗黙な敵意をたがいにいだいていた。それでも、彼らはその党派や種族の異なった作法のもとにありながら、みな同じものを望んでるのだった。
ヴェール氏と少佐との間には、ことに理解し合える多くの理由があるようだった。ヴェール氏は書物を手放したことがなく精神生活のうちにばかり生きていたので、思想を事とする人々のうちによく見かける一種の矛盾から、軍事上の事柄をたいへん面白がっていた。「われわれはみな断片でできている、」と半ばユダヤ人のモンテーニュは、ヴェール氏が属してるような精神上のある種族についてのみ真実であることを、万人に適用して言っている。この知的な老人ヴェール氏は、ナポレオンを崇拝していた。大帝の偉業の花やかな夢想がよみがえってる文書や記念物に取り囲まれていた。この時代の多くのフランス人と同じく、その栄光の太陽の遠い光に眩惑《げんわく》されていた。その戦役をやり直し、戦いを交え、作戦を議していた。オーステルリッツの戦いを説明しワーテルローの戦いを訂正する室内戦略家が、もろもろの学芸院や大学などにはたくさんいるが、彼もその一人だった。彼はそういう「ナポレオン派」をまっ先にあざけって、自分の皮肉をみずから面白がってはいたけれど、それでもなおやはり、遊びにふけってる子供のように、ナポレオンの素敵な話に酔わされていた。ある種の逸話になると眼に涙まで浮かべた。その気弱さに気づくときには、ばかな老耄《おいぼれ》だとみずから叫んで笑いこけた。実を言えば、彼をナポレオン崇拝者たらしめてるものは、その愛国心よりもむしろ、活動にたいする小説的な興味と精神的な愛好とであった。と言っても、彼はりっぱな愛国者であって、生粋《きっすい》のフランス人の多くよりもいっそう深くフランスに愛着していたのである。いったいフランスの反ユダヤ主義者らはフランスに住んでるユダヤ人らのフランス感情を、不当な猜疑《さいぎ》心でくじきながら、よからぬ馬鹿げたことをなしている。けれども、あらゆる家族は一、二代の後になると、定住した土地にかならず執着するものである、という理由をほかにしても、ユダヤ人らは、知性の自由についてもっとも進歩した観念を西欧において代表してるこのフランス民衆を愛すべき、特殊な理由をもっている。彼らは百年来、フランス民族を今日のごとくあらしむるのに貢献し、その自由はある点まで彼らの手になされたものであるだけに、ますます彼らはフランス民族を愛している。なんで彼らが、あらゆる封建的反動の威嚇《いかく》に対抗してその自由を守らないことがあろうぞ。この養い児のフランス人とも言うべきユダヤ人らをフランスに結びつけてる糸を――一群の有害な馬鹿者どもが望んでるように――断ち切ってしまおうとすることは、敵に加担することである。
フランスの浅慮な愛国者らは、フランスに移住してる他国人はすべて隠れたる敵だという新聞紙の説に脅かされて、生まれつき歓待的な精神をもっていながらも、諸民族の会流たるユダヤ民族の豊かな運命を疑い憎み否定せざるを得ないのであるが、シャブラン少佐もその一人だった。それで彼は、二階の借家人と近づきになってもよかったのであるが、やはり未知のままでいるほうがよいと思っていた。ヴェール氏のほうでは、少佐と話を交えることを好んでいたけれど、少佐の国民主義を知っていて、軽い軽侮の念をいだいていた。
クリストフは、ヴェール氏に同情を寄せることについては、少佐ほどの理由ももってはいなかった。しかし彼は不正を看過することができなかった。シャブランがヴェール氏を非難するときには、いつも弁護の労をとっていた。
ある日、例によって少佐が種々の事態をののしりだすと、クリストフは言った。
「それはあなたがたのほうが悪いんです。あなたがたはみな隠退しています。フランスで万事が自分の思いどおりにいっていないとなると、ぶっきら棒に職を辞してしまうじゃありませんか。あたかも敗北を宣言するのを名誉とでもしてるがようです。それほど失敗に意気込む者が他にあるでしょうか。あなたは戦争をされたのですが、そんなのが戦いの仕方ですか?」
「何も戦いの問題じゃない。」と少佐は答えた。「フランスと戦う奴があるものですか。君が言うようなその争闘では、口をきいたり議論したり投票したり、多くの無頼漢《ならずもの》と不快な接触をしなければならない。そんなことは僕には不向きです。」
「たいへん厭気《いやけ》がさしていられますね。しかしアフリカでは、あなたはやはり無頼漢らと接していられたじゃありませんか。」
「いやそのことなら、僕はそれほど厭《いや》ではなかった。それにいつでもやっつけてやれた。そのうえ、戦うには兵士どもが必要だ。あちらでは僕は部下の狙撃《そげき》兵をもっていた。しかしこちらでは一人きりです。」
「それでも善良な人に乏しかありません。」
「ではどこにいるんです?」
「どこにでもいます。」
「そんなら、その連中は何をしてるんです?」
「あなたと同様に、何にもしていませんし、しかたがないと言っています。」
「とにかく一人だけでも名ざしてごらんなさい。」
「お望みなら三人ほど名ざしましょうか。しかもあなたと同じ家にですよ。」
クリストフはヴェールを名ざした――(少佐は声をたてた)――つぎにエルスベルゼ兄弟を名ざした――(少佐は飛び上がった。)
「あのユダヤ人が、あのドレフュース派どもが?」
「ドレフュース派ですって?」とクリストフは言った。「それがどうしたんですか。」
「奴らこそフランスを害したのだ。」
「しかし彼らはあなたと同じくフランスを愛しています。」
「それじゃ狂人だ、有害な狂人だ。」
「敵をも正当に批判してやれないものでしょうか。」
「公然たる武器をもって戦う公正な敵となら、僕は完全に理解し合える。その証拠にはドイツ人たる君と僕はこのとおり話し合っています。われわれが受けた打撃に利子をつけて他日返報してやろうと思ってるから、僕はドイツ人を大事にしている。しかし他の敵は、内部の敵は、同じわけにはゆかない。彼らは不正な武器を、不健全な理屈を、毒のある人道主義を、使用している……。」
「なるほどあなたは、初めて火薬に出会った中世の騎士たちと、同じ精神状態にいるんですね。やむを得ないことではないですか。戦争は進化してゆくものです。」
「よろしい。それじゃ直截《ちょくせつ》に言って、戦争だということにしよう。」
「それでもし共通の敵がヨーロッパを脅かすとしたら、あなたがたはドイツと同盟しませんか。」
「僕たちはシナでそれをやった。」
「ではあなたの周囲を見てごらんなさい。あなたの国は、わがヨーロッパの各国は、その民族の勇壮な理想主義を、現在脅かされてはしないでしょうか。みな多少とも政治や思想の山師どもの餌食《えじき》となってはしないでしょうか。その共通の敵に反抗してあなたは、ある精神力をもってる敵と協力すべきではないでしょうか。あなたのような人が、どうしてそんなに現実の問題を軽視されるのですか。あなたがたに対抗して異なった理想を主張してる人たちもいます。ところが理想は一つの力であって、あなたがたもその力を否定することはできません。あなたがたが最近なされた戦いにおいては、敵の理想からあなたがたは打ち敗られたのです。けれども、その敵の理想に対抗して自分を疲らすよりも、あらゆる理想の敵に対抗して、祖国を利用する奴らに対抗して、ヨーロッパ文明を腐敗させる奴らに対抗して、なぜあなたがたは自分の理想と敵の理想とを併《あわ》せ用いないのですか。」
「だれのためにです? まず事情を明らかにしておかなければならない。われわれの敵に勝利を得させるためにですか。」
「あなたがたがアフリカにおられたときには、戦ってるのは国王のためにだかもしくはフランス共和国のためにだか、それを知ろうと懸念されはしなかったでしょう。私の想像するところでは、あなたがたの多くはフランス共和国のことをほとんど考えてもいられなかったでしょう。」
「そんなことは気にもかけていなかった。」
「そうです! そしてそれがフランスのためになったのです。あなたがたは、フランスのために、そしてまたあなたがた自身のために、征服なすったのです。そこで、この国内でも、同様になさい。戦いの範囲をお広げなさい。政治や宗教などの些事《さじ》のために指弾し合ってはいけません。それは取るに足らぬ事柄です。あなたがたの民族が、教会の嫡流《ちゃくりゅう》であろうと理性の嫡流であろうと、それは大したことではありません。生きることが必要です。生をさかんならしむるものはすべていいものです。世にあるただ一つの敵は、生の泉を涸《か》らし汚す享楽的な利己主義です。力をさかんにし、光明をさかんにし、豊かな愛を、犠牲の喜びを、さかんになさい。他人から代わって活動してもらってはいけません。活動なさい、活動なさい、団結なさい、さあ!……」
そして彼は、合唱付交響曲の変ロ長調行進曲の初め数小節を、ピアノでやたらにたたき出した。
「いいですか、」と彼はひきやめながら言った、「僕がもしフランスの音楽家だったら、シャルパンティエかブリュノー……(どいつも駄目《だめ》だ)――僕なら、合唱交響曲のうちに、あなたがたを皆いっしょにしてみせます、市民よ武器執れロも、万国労働歌ロも、アンリー四世万歳ロも、神はフランスを護る[#ロも――ありったけのものを――(そら、こういう種類のうちに……)――口を焼けただらすほどのごった煮をこしらえてみせます。それは少したまらないかもしれません――(がとにかく彼らが作ってるものほど悪いものではない。)――しかし僕は保証しますが、それはあなたがたの腹を温《あたた》めるでしょう、そしてあなたがたは歩き出さざるを得なくなるでしょう。」彼は心から笑っていた。
少佐も彼と同じく笑った。
「クラフト君、君はまったく元気な男だ。君がわれわれの仲間でないのは残念なことだ。」
「いや僕はあなたがたの仲間ですとも。どこへ行ったって同じ戦いです。列を固めようじゃないですか。」
少佐は賛成した。しかし事情は以前のとおりだった。そこでクリストフはあくまで固執して、ヴェール氏やエルスベルゼ兄弟の上に話をもどした。すると少佐も同じく固執して、ユダヤ人やドレフュース派にたいする持論を繰り返した。
クリストフはそれを寂しがった。オリヴィエは彼に言った。
「くよくよするなよ。一人で社会の精神状態を一挙に変えることができるものか。それはあまりによすぎる事なんだ。しかし君は自分で知らずにもう多くのことをしている。」
「何を僕がしてるんだい?」とクリストフは言った。
「君は一個のクリストフとなってる。」
「それがなんで他人のためになるのか。」
「大いにためになるさ。だがクリストフ、君はただ君自身でありたまえ。僕たちのことに気をもまないようにしたまえ。」
しかしクリストフはあきらめられなかった。彼はなおシャブラン少佐と議論をつづけ、時には猛烈に言い合うこともあった。セリーヌはそれを面白がっていた。彼女は黙って仕事をしながら二人の話を聞いていた。議論には加わらなかった。けれど以前よりも快活になったように見えた。以前よりも多くの輝きを眼つきに帯びていた。前よりも広い空間が彼女のまわりにできたようだった。彼女は読書を始め、外出することがやや多くなり、興味をもつ事柄が多くなった。そしてある日少佐は、エルスベルゼ兄弟のことでクリストフと論争してるとき、彼女が微笑《ほほえ》んでるのを認めた。彼は彼女にどう思うかと尋ねた。彼女は平然と答えた。
「クラフトさんのほうが道理《もっとも》だと思いますわ。」
少佐はまごついて言った。
「そりゃひどい!……だが結局、道理であろうがあるまいが、われわれは今のままで満足だ。あんな人たちに会う必要はない。ねえお前、そうじゃないか。」
「いいえ、お父《とう》様、」と彼女は答えた。「お会いしたほうが私はうれしゅうございますわ。」
少佐は口をつぐんで、聞こえなかったようなふうをした。が彼自身でも、様子にはそれと見せたくなかったが、クリストフの影響をかなり感じていた。彼は批判の偏狭さと気質の猛烈さとにもかかわらず、正しい精神と寛大な心とをそなえていた。彼はクリストフが好きで、その率直さと精神の健全さとを好んでいて、クリストフがドイツ人であるのがしばしば遺憾でたまらなかった。彼はクリストフとの議論中によく憤激したが、それでもなおそういう議論を求めていた。そしてクリストフの理論は彼に働きかけずにはいなかった。彼はそのことを承認すまいと用心していた。ところがある日クリストフは、彼が一冊の書物に読みふけってるのを見出した。彼はその書物をどうしても見せなかった。するとセリーヌは、クリストフを送り出してきて二人きりになると言った。
「お父《とう》様が何を読んでいられたか御存じですか。あれはヴェールさんの書物ですよ。」
クリストフはうれしくなった。
「そしてなんとおっしゃっていましたか。」
「この畜生め!……と言っていらしたわ。でもそれを手放しかねていらっしゃるのよ。」
クリストフはそのことについては、少佐に会ってもなんとも言わなかった。少佐のほうから彼に尋ねてきた。
「あのユダヤ人のことで僕をいじめなくなったのは、どうしたわけですか。」
「もうそれに及ばないからです。」とクリストフは言った。
「なぜ?」と少佐はむきになって尋ねた。
クリストフは答えないで、笑いながら帰っていった。
オリヴィエが言ったことは道理だった。人が他人に働きかけるのは、言葉によってではない。その存在によってである。眼つきや身振りや清朗な魂の無音の接触によって、自分のまわりに慰撫《いぶ》的な空気を光被してる人たちが世にはある。クリストフは生命の気を光被していた。それはこの麻痺《まひ》した家の古い壁や閉《し》め切られた窓を通して、春の暖気のようにごく徐々にさし込んでいった。そして、悲しみや弱さや孤独のために、数年来腐食され涸渇《こかつ》されて死滅に委《ゆだ》ねられてる人々の心を、またよみがえらせていった。魂が魂に及ぼす力よ! しかもそれを受くる魂も及ぼす魂も共にそのことを知らないでいる。それでも世の生活は、この神秘な引力に支配されてる干潮と満潮とでなってるのである。
クリストフとオリヴィエの部屋から二階ほど下に、前に述べたとおりジェルマン夫人という三十五歳の若い女が住んでいた。二年前に夫を失い、また前年に七、八歳の娘を失ったのだった。そして姑《しゅうとめ》といっしょに暮らしていた。彼女らはだれにも会わなかった。その家の借主たちのうちで、クリストフともっとも交渉の少ない人たちだった。ほとんど出会うこともなかったし、言葉をかけ合うこともかつてなかった。
彼女は背が高く痩《や》せたかなり姿のいい女だった。褐色《かっしょく》の曇った美しい眼は、やや表情に乏しかったが、時とすると、陰気なきつい炎が輝きだした。蝋《ろう》のような黄色っぽい顔、平たい頬《ほお》、引きしまった口をもっていた。ジェルマン老夫人のほうは信心家でいつも教会堂にばかり行っていた。若夫人は一人でしつこく喪にこもっていた。彼女は何物にも興味をもたなかった。娘の遺物や面影にとり囲まれていた。そしてそれらをあまり見つめてるために、娘の姿がもう浮かばなくなった。死んだ面影は生きた面影を殺してしまった。もう娘の姿が見えなくなった。そして彼女はなお固執した。ただ娘のことばかり考えたがった。そのためについには、もう娘のことも考えられなくなった。死の仕事を完成さしてしまった。そこで彼女は、心は化石し、涙はなくなり、生命の泉は涸《か》れはてて、凍りついたようになった。彼女には宗教も助けとならなかった。宗教上の務めを行なってはいたが、それも好んで行なうのではなく、したがって生きた信仰をもって行なうのではなかった。ミサのために金を出してはいたが、その仕事に少しも進んで加わりはしなかった。彼女の全宗教は、も一度娘を見たいというただ一つの考えの上に立っていた。その他のことはどうでもよかった。神は? 神も何になろう。も一度娘を見ること……。そして彼女はそのことをもなかなか信じられなかった。それを信じたがり、堅く必死にそれを望んではいたが、果たしてできるかを疑っていた。彼女は他の子供たちを見るに堪えられなかった。彼女は思った。
「どうしてあの子供たちは死ななかったのだろう?」
その町内に、身長から物腰から彼女の娘そっくりの少女が一人いた。その小さな垂髪《おさげ》をしてる後ろ姿を見たとき、彼女は震え上がった。彼女は娘のあとを追っかけた。そして、娘が振り向いて、あの子でないことがわかると、彼女はその娘を絞め殺してでもやりたかった。それからまた、エルスベルゼの娘たちは、ごく静かだったし教育によってよく躾《しつ》けられていたけれど、それにもかかわらず彼女は、その娘たちが上の階で騒々しい音をたてると不平言っていた。娘たちが室の中をあちこち歩きだすと、彼女は女中をやって静かにしてほしいと申し込んだ。クリストフはあるとき、その娘たちといっしょに帰ってきて彼女に出会ったが、彼女からきびしい眼つきでじろりと見られたのにびっくりした。
夏のある晩、この生きながら死んでるとも言える夫人は、暗がりのなかに窓ぎわにすわって、むなしくぼんやりしていたが、クリストフのひくピアノの音が聞こえてきた。クリストフはいつもその時刻になると、ピアノをひいて夢想にふけるのが常だった。ところがその音楽は、彼女がうっとりしてる空寂の境地を乱して、彼女をいらだたせた。彼女は怒って窓を閉《し》めた。音楽は室の奥までも追っかけてきた。彼女はそれにたいして一種の憎悪《ぞうお》を覚えた。クリストフに演奏をやめさせたかった。しかし彼女にその権利はなかった。やがて毎日同じ時刻に、ピアノが始まるのをいらいらしながら待つようになった。始まるのがおそいと、いらだちはますます強くなった。彼女はその音楽を最後まで厭《いや》でも聴《き》かせられた。そして音楽が終わってしまうときには、いつもの無情無感の境地にはなかなかはいれなくなっていた。――そしてある晩、暗い室の隅《すみ》に縮こまってる彼女のもとまで、遠い音楽が、壁や閉め切った窓越しに響いてきたとき、彼女はぞっと身震いを感じて、涙の泉が新たにほとばしってきた。彼女は窓を開いた。それから涙を流しながら耳を傾けた。音楽は雨に似ていて、彼女の涸渇《こかつ》した心に一滴ずつしみ込み、その心をよみがえらせた。彼女はふたたび、空を星を夏の夜をながめた。生にたいする興味が、人間的な同感が、まだ蒼白《あおじろ》い曙光《しょこう》のように現われてくる心地がした。そしてその夜、幾月目かに初めて、娘の面影が彼女の夢想のうちに現われてきた。――われわれを故人に近づけるもっとも確かな道は、故人と同様に死ぬことにあるのではなくて、生きることにあるのである。故人はわれわれの生によって生き上がり、われわれの死によって死んでゆく。
彼女はクリストフに会おうとは求めなかった。しかし彼が娘たちと階段を通る足音を聞いていた。そして扉《とびら》の後ろに隠れて子供たちの饒舌《おしゃべり》をうかがっていた。それを聞き取ると胸をどきつかせた。
ある日彼女が出かけようとしていたとき、階段を降りてくる小さな刻み足の音が聞こえた。いつもより少し騒々しかった。子供の声が妹に向かって言っていた。
「リュセット、そんなに騒々しくしちゃいけないわよ。ねえ、クリストフさんが言ったじゃないの、奥さんが悲しがっていらっしゃるからって。」
すると小さいほうは足音を忍ばせ小声で話しだした。ジェルマン夫人はもう堪えられなかった。扉を開き、娘たちをとらえ、荒々しく抱擁してやった。娘たちは恐《こわ》がった。一人は泣き出した。夫人は二人を放して、室にはいった。
それ以来、彼女はその娘たちに出会うと、強《し》いて笑顔を見せた。ひきつった微笑だった。――(彼女は微笑《ほほえ》む習慣を失ってしまっていた。)――彼女は娘たちにだしぬけのやさしい言葉をかけた。娘たちは怖《お》ずおずしていて、気圧《けお》された囁《ささや》きで答えるばかりだった。娘たちはやはり夫人を恐がっていた。前よりいっそう恐がっていた。その扉の前を通るときには、つかまりはすまいかと気づかって駆け出すようになった。彼女の方では、身を隠して二人を見ていた。恥ずかしい思いをしていた。亡くなった娘に全部独占の権利がある愛情を、少しばかり盗み取ることのような気がした。彼女はひざまずいて娘に許しを求めた。しかし生きそして愛する本能が眼覚《めざ》めた今となっては、彼女はどうすることもできなかった。その本能のほうが彼女より強かった。
ある晩――クリストフが外から帰ってきたある晩――家の中がいつになくごたついていた。ヴァトレー氏が胸の痛みで頓死《とんし》したところであることを、彼は知った。あとに一人残された娘のことを考えて、彼はしみじみと同情を覚えた。ヴァトレー氏の親戚《しんせき》は一人もわかっていなかった。そして娘はほとんど無一文の状態で残されたらしかった。クリストフは大胯《おおまた》に階段を上がっていって、扉《とびら》が開け放してある四階の部屋にはいり込んだ。見ると、コルネイユ師が死者のそばについており、小さな娘が涙にくれて父を呼んでいた。門番の女が彼女に向かってへまな慰め方をしていた。クリストフは娘を両腕に抱き取って、やさしい言葉をかけてやった。娘は絶望的に彼にすがりついてきた。彼は娘をその部屋から連れ出そうとした。しかし彼女は出たがらなかった。で彼もいっしょに居残った。かげってゆく明るみの中で、窓ぎわにすわって、彼はなお両腕に娘をゆすってやった。娘は少しずつ落ち着いてきた。すすり泣きのうちに眠った。彼はそれを寝台の上におろして、無器用な手つきで小さな靴《くつ》の紐《ひも》を解いてやったりした。夜になりかかっていた。部屋の扉は開いたままになっていた。一つの人影が衣裳の衣擦《きぬず》れの音をたててはいって来た。名残りの夕映えの光でクリストフは、喪服をつけた婦人の熱っぽい眼を認めた。彼女は室の入口に立ったまま、喉《のど》をつまらした声で言った。
「私が参りましたのは……あの……私にその子を任せてくださいませんか。」
クリストフは彼女の手をとった。ジェルマン夫人は涙を流していた。それから彼女は寝台の枕頭《ちんとう》にすわった。ちょっと間を置いてから彼女は言った。
「私が今晩この子をみてやりましょう……。」
クリストフはコルネイユ師とともに、自分の階へ上がっていった。牧師は少しきまり悪げに、やって来た弁解をした。やって来たことを死者からとがめられなければよいがと、卑下した言い方をしていた。牧師として来たのではなくて、友人として来たのだと言っていた。
翌朝、クリストフがふたたび行ってみると、自分の気に入った人へすぐに身を託する子供特有の率直な信頼さで娘はジェルマン夫人の首に抱きついていた。娘は新しい味方に引き取られることを承知した……。ああ彼女は早くもその養父を忘れていた。新しい養母へ同じような愛情を示していた。それはあまり安心できる事柄ではなかった。ジェルマン夫人の利己的な愛はこのことに気づいていたであろうか……おそらく気づいたであろう。しかしそれは大したことではない。愛することが肝要だ。幸福はそこにある……。
葬式の数週間後にジェルマン夫人はその娘をパリーから遠い田舎《いなか》へ連れていった。クリストフとオリヴィエとはその出発を見送った。若い夫人はかつて彼らが見かけなかったような、ひそかな喜びの表情を浮かべていた。彼女は彼らになんらの注意も向けなかった。けれども出かけるさいに、彼女はクリストフを見かけて、手を差し出して言った。
「あなたのおかげで救われました。」
「どうしたというんだろう、あんな変な真似《まね》をして?」とクリストフは階段を上がって行きながら、びっくりした様子でオリヴィエに尋ねた。
それから数日たつと、彼は一枚の写真を郵送された。写真には、一人の見知らぬ娘が、腰掛にすわって、小さな手を膝《ひざ》の上に行儀よく組み合わせ、清らかな愁《うれ》わしい眼で彼をながめていた。その下に、つぎのような文句が書いてあった。
――亡くなった私の娘があなたに御礼を申し上げます。
かくてそれらの人の間に、新しい生の息吹《いぶ》きが通っていった。上のほうに、六階の屋根裏に、力強い人間性の炉が燃えていて、その光が徐々に家の中へさし込んでいった。
しかしクリストフは少しもそれに気づかなかった。彼にとってはそれはあまりに緩慢だった。
「ああ、」と彼は嘆息した、「各種の信仰をもち各種の階級に属していて、たがいに知り合うことさえ望んでいないあのりっぱな人たちを、みんな親密にならせることができたらなあ! どうにもしかたがないのかしら。」
「君はどうしようというのか?」とオリヴィエは言った。「君が言うとおりになるには、相互の寛容と同情の力とが必要だろう。そしてそれらが生まれ出てくる唯一の源は、内心の喜びである――健全な順当ななごやかな生活の喜びである――自分の活動力を有益に使ったという喜び、何かある偉大なもののために役だったと感ずる喜びである。そしてそのためには、偉大な時期もしくは――(このほうがなおいいのだが)――偉大へ向かいつつある時期にある、一つの国が必要だろう。それからまた――(これは前者と両立し得るものだが)――あらゆる人々の精力を働かせるすべを心得てる一つの力が、各党派の上に立つべき賢く強い一つの力が、必要だろう。ところが、各党派の上に立つ力と言っては、ただ一つきりない。それは、群集からではなく自分自身から力を引き出すところの力だ。無政府的な多衆に頼ろうとすることなく、おのれの功績によって万人にのしかかってくる力、常勝将軍、公衆の安危の独裁者、知力の最上者……そういう種類のものだ。しかるに、そういうものはわれわれの関知するところではない。必要なのは、機会が生ずることであり、機会をとらえ得る人々が現われることである。必要なのは幸運と天才とである。待ちそして希望をかけようじゃないか。力はあるのだ。古いフランスと新しいフランスとの、もっとも大なるフランスの、信仰と学問と仕事との種々の力が……。いざとなったら、それらの力をことごとく結合して突進させる謎《なぞ》の言葉が発せられたら、いかに大なる進展力となることだろうか! もとよりその言葉を発し得る者は、君でも僕でもない。だれがそれを発するだろうか? 勝利だろうか、光栄だろうか?……いや、忍耐なのだ! もっとも肝要なことは、民族のうちにあるすべての力強いものが、積もり重なってゆき、みずからおのれを破壊せず、時期が来ない前に意気|沮喪《そそう》しないことだ。幸運と天才とは、多年の堅忍と勉励と信念とによってそれに催し得る民衆にしか、やって来るものではない。」
「どうだか?」とクリストフは言った。「幸運と天才とは、思ったよりも早く――思いもかけないときに、往々やって来るものだ。君たちは長い年月をあまり頭に置きすぎてる。用意しておきたまえ。帯を締め直したまえ。常に靴を足につけ棒を手にしていたまえ……。今夜、天主が門前を通られないともかぎらないのだ。」
その夜、天主はごく近くを通りたもうた。その翼の影は家の敷居に触れた。
外観上はつまらないいろんな事件の結果、フランスとドイツとの関係が突然険悪になっていた。そして二、三日のうちに、近隣の誼《よし》みによるふだんの関係から、戦争に先立つ挑発《ちょうはつ》的な調子に変わっていった。この状況に驚く者は、理性が世界を統べるという幻のうちに生きてる人々ばかりだった。しかしそういう人はフランスにたくさんいた。そして多くの人は、ライン彼岸の新聞紙の反フランス的|暴戻《ぼうれい》さが、日に日に盛んとなるのを見て、呆然《ぼうぜん》たるばかりだった。そのうちのある新聞などは、日ごろ両国における愛国心をわが物顔に取り扱い、国民の名によって論説し、あるいは独断であるいは国家とひそかに結託して、取るべき政策を国家に指定していたが、それがみな、侮辱的な最後通牒《つうちょう》をフランスに送っていた。前からドイツとイギリスとの間にある紛議が起こっていた。そしてドイツは、それに関係しない権利をさえフランスに与えなかった。傲慢《ごうまん》無礼な新聞紙は、ドイツに加担の宣言をすることをフランスに迫り、もしそうしない場合には、戦争の惨禍をまっ先に見さしてやると脅かしていた。威嚇《いかく》によって味方につけるつもりでいた。打ち負かされて甘んじてる臣下としてフランスを前もって取り扱っていた――要するに、オーストリアと同じ取り扱いをしていた。そこに、戦争に酔ってるドイツ帝国主義の傲慢《ごうまん》な狂気|沙汰《ざた》が認められ、また、ドイツの為政家らが他民族をまったく理解し得ないことが認められた。なぜなら彼らは、彼らが法則としてる普通の尺度を、力は最上の道理なりとの説を、あらゆる民族に適用していたのである。ところが、ドイツがかつて知らない光栄とヨーロッパの最上権とを、数世紀の間得ていた古い国民にたいしては、そういう暴戻《ぼうれい》な警告が、ドイツの期待する結果と反対の結果を生じたのは、当然のことである。それはこの国民の眠ってる自尊心を躍《おど》りたたせた。フランスは全身おののいた。もっとも冷淡な人々でさえ怒りの叫びを発した。
ドイツ国民の多数は、そういう挑戦《ちょうせん》に少しも関係するところがなかった。いずれの国においても善良な人々は、平和に暮らすことしか求めない。ことにドイツの善良な人々は、穏和であり懇篤であって、すべての人と仲よくしたがっており、他国人を攻撃するよりもむしろ、他国人を賞賛し模倣しがちである。しかし彼らはその意見を求めらるることもなく、また意見を述べるほど大胆でもない。世間的活動の雄々しい習慣をもっていない人々は、かならずや世間的活動の玩具《がんぐ》となされてしまう。彼らはりっぱなしかも愚かな反響となって、新聞紙の荒々しい叫声や首領の挑発を響き返し、それをもってマルセイエーズやラインの守りを作り出すのである。
それはクリストフとオリヴィエとにとっては恐ろしい打撃だった。二人は愛し合うことに馴《な》れきっていたので、なぜ両国も同様に愛し合わないかが考えられなくなっていた。長く残存していて今突然|眼覚《めざ》めてきたその敵意の理由が、彼らにはわからなかったし、ことにクリストフにはわからなかった。クリストフはドイツ人として、自国民が打ち負かした民族を恨む理由を少しももたなかった。同国人のある者らのたまらない傲慢《ごうまん》さをみずから不快に感じながらも、また、ブルンスウィック的なその強要にたいするフランス人の憤慨にある程度まで賛同しながらも、彼はフランスがどうしてドイツの同盟者になろうとしないかを、よく理解することができなかった。結合すべき理由の多くを、共通な思想の多くを、また共に完成すべき大なる仕事の多くを、両国はもってるように彼には思えたので、両国が無益な怨恨《えんこん》に固執してるのを見ると、不満を感ぜさせられた。すべてのドイツ人と同じく彼も、その不和についておもに罪があるのはフランスだと見なしていた。なぜなら、彼の考えによれば、敗北の思い出がいつまでも拭《ぬぐ》われないのは、フランスにとってつらいことであると認められはするものの、それは単に自尊心の事柄にすぎなくて、文化とフランス自身とのより高き利害の前には、当然消散すべきものであった。かつて彼はアルザス・ローレンの問題に考慮を向けたことがなかった。両州の併合は、数世紀間外国に付属した後にドイツの土地をドイツ祖国内に取りもどしたという、正当行為として考えるように、学校で教わってきたのだった。それで、自分の友がそれを罪悪だと見なしてるのを発見すると、彼はびっくりさせられた。彼はまだその事柄を友と語り合ったことがなかった。それほど彼は二人とも同意見であると思い込んでいた。ところが今や、その誠実と自由な知力とは彼にもよくわかってるオリヴィエが、偉大な民衆はかかる罪悪にたいする復讐《ふくしゅう》を思い切ることもできるけれど、それでは体面を傷つけるわけになるのだということを、熱情もなく憤激もなくただ深い悲しみをもって、彼に言うのであった。
二人は理解し合うのになかなか困難だった。オリヴィエは、ラテンの土地としてアルザスを要求するフランスの権利について、歴史上の理由をもち出したが、それはクリストフになんの印象も与えなかった。その反対を証明する同じくらいに有力な理由も存在していた。およそ歴史というものは、勝手な主張のために必要なあらゆる理論を政治に供給してくれるのである。――けれど、この問題の単にフランス的方面ではなく人間的方面については、クリストフははるかに多く心を打たれた。アルザスの人々はドイツ人であったかなかったか、それは問題とならなかった。彼らはドイツ人たることを欲していなかった。そしてそれこそ重きをなす唯一の事柄だった。「この民衆は俺《おれ》のものだ、なぜなら俺の兄弟だから、」と言う権利をだれがもってるものぞ。もしその兄弟がそのことを否認するならば、たとい非常に不当な否認であろうとも、その不当さはみな、自分を愛させることができなかった者の上に、したがって自分の運命に彼らを結びつけるなんらの権利もない者の上に、落ちかかってくるのである。アルザスの人々は、四十年の間、種々の暴虐を受け、あるいは苛酷《かこく》にあるいは隠密にいじめつけられ、また、ドイツの正確な賢い統治によって実際利するところさえあったがなお、ドイツ人となることを望んでいなかった。そして、彼らの意志が疲れてついに譲歩するに及んでも、数時代の人々の苦しみ――生まれた土地から亡命することを余儀なくされ、もしくは、さらに痛ましいことには、その土地から離れることができずに、そこで忌まわしい覊絆《きはん》を、国が奪われ人民が隷属させられることを、甘受しなければならなかった、数時代の人々の苦しみ、それは何物にも消されることができなかった。
クリストフは、問題のそういう方面をかつて考えてもみなかったことを、率直にうち明けて言った。彼はそのことから心を動かされていた。正直なドイツ人は、いかに真摯《しんし》なラテン人といえどもその熱烈な自尊心のためにもち合わしていないある誠実さを、議論に差し入れてくるものである。クリストフは、歴史の各時代に各国民がなしている同様な罪悪の実例を、あえてもち出そうとは考えなかった。そういう恥ずかしい弁解をなすにはあまりに傲慢《ごうまん》だった。人類が向上すればするほど、その罪悪はますます光明に照らされるゆえにますます嫌悪《けんお》すべきものとなることを、彼は知っていた。しかしながら、もしフランスのほうが勝利を得た暁には、フランスはドイツと同様に勝利のうちに自制することなく、罪悪の鎖になお一個の環を加えるであろうということをも、彼は知っていた。かくて、悲しむべき争闘は永久につづいて、ヨーロッパ文明の最善のものが破滅し終わる恐れがあるだろう。
この間題はクリストフにとって苦しいものではあったが、オリヴィエにとってはさらにいっそう苦しいものだった。それは、もっとも結合しやすい両国民間の兄弟|相鬩《そうげき》的な争闘の悲しみ、というだけではまだ十分でなかった。フランス自身のうちにおいて、国民の一部は他の一部と戦いの用意をしていた。数年来、平和主義的な反軍国主義的な理論が、国民のもっとも高尚な分子ともっとも卑賤《ひせん》な分子とによって宣伝されて、しだいに広がっていた。国家はそれを長い間放任していた。およそ政治家らの利害に直接関係のない事柄はみな、懶惰《らんだ》な道楽趣味から放任しておいたのである。そして、もっとも危険な理論が国民の血脈中に流れ込んで、準備されてる戦争をそこで根絶やそうとしてるのを、打ち捨てておくことよりも、その理論を直截《ちょくせつ》に支持することのほうが、危険の度は少ないだろうということを、少しも考えてはいなかった。その理論は、いっそう正しいいっそう人間的な世界を目ざして協力しながら、親睦《しんぼく》なヨーロッパを打ち建てんと夢想してる、自由な知力の人々に話しかけていた。それからまた、だれのためにもなんのためにもわずかな危険さえ冒したがらない、下劣な人々の卑怯《ひきょう》な利己心へも話しかけていた。――その思想は、オリヴィエや多くの友だちにも伝わっていた。クリストフは家の中で、一、二度、人々の会談を聞いて呆然《ぼうぜん》としてしまった。人のよいモークは、人道主義的な空想でいっぱいになっていて、戦争を防がなければならないことや、それには兵士らを煽動《せんどう》し反抗させ場合によっては指揮官をも銃殺させるのが上策で、きっとうまくゆくに違いないというようなことを、眼を輝かし落ち着き払って言っていた。技師のエリー・エルスベルゼは、もし戦いが始まったら、自分や自分の友人らは、国内の敵を片付けたあとでなければ国境へ進発しないと、冷やかな勢いで答え返していた。アンドレ・エルスベルゼは、モークの味方をしていた。クリストフはある日、二人の兄弟の恐ろしい喧嘩《けんか》に行き合わした。二人はたがいに射殺してやるとおどかしていた。それらの殺害的な言葉は冗談の調子で発せられてはいたが、しかし二人が言ってることはみな実行の決心があることばかりらしかった。クリストフはこの馬鹿げた国民に驚きの眼を見張った。彼らは常に思想のためには殺害し合うことをも辞せない……。まるで狂人だ。合理的な狂人だ。各人が自分の思想だけを見つめて、一歩も乱さずに最後まで進もうとしている。そしておのずからたがいに絶滅し合っている。人道主義者は愛国主義者と戦っている。愛国主義者は人道主義者と戦っている。その間に敵はやって来て、祖国と人道とを一度に粉砕してしまうだろう。
「いったい君たちは、」とクリストフはアンドレ・エルスベルゼに尋ねた、「他の民衆の無産者らと了解がついているのですか。」
「なあに、だれかが始めなければなりません。そのだれかは、われわれであるべきです。われわれはいつもまっ先でした。合図を与えるのはわれわれの役目です。」
「そしてもし他の人々が歩き出さなかったら?」
「いや歩き出します。」
「君たちには契約とか予定の計画とかいうようなものがあるのですか。」
「なんで契約なんかの必要がありましょう。われわれの力はあらゆる外交術よりもまさっています。」
「いやこれは観念上の問題ではなくて、戦略の問題です。もし君たちが戦争を絶やそうと望むならば、戦争からその方法を借りてくるがいいです。両国内での作戦計画をたてるべきです。一定の日にフランスとドイツとで、君たちの連合軍が其々の行動をすると、きめてかかるべきです。その時々の気まぐれな行動ばかりしていては、なんでりっぱな結果が得られよう。こちらにはただ偶然があるきりで、向こうには組織だった巨大な力が存している――その結果はわかりきっています。君たちはやっつけられるばかりです。」
アンドレ・エルスベルゼはよく聞いていなかった。彼は肩をそびやかして、漠然《ばくぜん》たる威嚇《いかく》だけで満足していた。一握りの砂でも歯車仕掛けの急所に投ぜらるれば、機械全部をこわすことができる、と彼は言っていた。
しかしながら、理論的な方法でゆっくり論ずることと、思想を実行に移すこととは、ことにそれを即座に決行しなければならない場合には、まったく別事である……。人の心の底を大きな波濤《はとう》が過ぎる時こそ、痛烈な時期である。人は自分を自由だと思い、自分の思想の主人だと思っている。ところがもう否応なしに引きずり込まれるのを感ずる。ある隠れた意志が人の意志に反対してくる。そのときになって未知の主長を、人類の大洋を支配する法則の主体たる不可見の力[#「力」に傍点]を、人は初めて発見する……。
自分の信念にもっとも堅固でありもっとも確信してる知力ある人々も、その信念が消え去るのを見、決意するのを躊躇《ちゅうちょ》し恐れ、そして往々、思いもかけなかった方向へ決意しては、みずからいたく驚いていた。戦争を攻撃するのにもっとも熱烈だったある人々も、祖国にたいする自負心と熱情とが、突然の激しさで眼覚《めざ》めてくるのを感じていた。クリストフが見た多くの社会主義者らは、また急激な産業革命主義者らまでが、この相反する熱情と義務との間に板ばさみとなっていた。クリストフは、両国の紛議が始まったばかりで、まだ事態の重大さに思い及ばなかったころ、アンドレ・エルスベルゼに、もしドイツからフランスを取られたくなければ、今がちょうど彼の理論を実行すべき時期だということを、ドイツ人流の鈍馬さで言ってみた。すると彼は飛び上がって、憤然として答えた。
「やってごらんなさい!……いわゆる神聖なる社会党が、四十万の党員と三百万の選挙人とを有して控えていながら、あなたたちは、皇帝に口輪をはめて束縛を脱するだけの力もない馬鹿者ばかりだ……。僕たちがそれを引き受けてやりましょう。フランスを取ってみなさるがいい。僕たちはドイツを取ってみせますから……。」
待つ時期が長引くに従って、すべての人のうちに熱が出てきた。アンドレは悩んでいた。自分の信念が真《まこと》のものであるとわかっていながら、それを擁護することができないのもわかっていた。それから、団結的思想の力強い熱狂と戦争の息吹《いぶ》きとを、民衆のうちに伝播《でんぱ》してる精神的伝染病に、自分も感染してるのが感ぜられた。その伝染病は、クリストフの周囲のすべての人々に、またクリストフ自身にも、働きかけていた。彼らはもうたがいに口をきかなかった。別々に離れていた。
しかし、長くそういう不確定な状態のままであることはできなかった。行動の風が不決断な人々を、否でも応でもいずれかの一派に投げ込んだ。そして、最後|通牒《つうちょう》の前日だと思われたある日――両国において行動の全弾力が緊張して殺害の用意をしてるある日、すべての人々が心を決してるのにクリストフは気づいた。相反するあらゆる党派の人々が、今まで憎み蔑視《べっし》していた力のまわりに、フランスを代表してる力のまわりに、本能的に集まっていた。耽美《たんび》家らも、腐敗芸術の大家らも、その放逸な作品のうちの所々に、愛国的信念を発表していた。ユダヤ人らも父祖が住んでいた神聖な土地を防御しようと語っていた。軍旗の名を聞いただけで、臆病《おくびょう》者も眼に涙を浮かべた。そして皆が真面目《まじめ》だった。皆が感染していた。アンドレ・エルスベルゼやその仲間の産業革命主義者らも、他の人々と同じだった――むしろより以上だった。事情の必然性に圧倒され、軽蔑していた一派に加担せざるを得なくなり、陰鬱《いんうつ》な狂猛さをもって、悲観的な憤激をもって、彼らはそれに意を決したために、殺戮《さつりく》のための狂暴な道具となっていた。労働者のオーベルは、学び知った人道主義と本能的な排外主義との間に引張り凧《だこ》となって、気も狂わんばかりだった。幾晩も眠らずに考えた後、ついにすべてを片付ける一つの方式を見出した。それは、フランスは人類の権化であるということだった。それ以来、彼はもうクリストフと口をきかなかった。家の中のほとんどすべての人々が、クリストフにたいして扉《とびら》を閉ざしていた。あのりっぱなアルノー夫妻でさえ、もう彼を招待しなかった。彼らはなお音楽をやり芸術に取り囲まれ、皆と共通の懸念事を忘れようとつとめていた。しかしやはりそれをいつも考えていた。一人きりでクリストフに出会うときには、やさしく握手を与えはしたが、それも人目を避けて大急ぎでやるのだった。その同じ日にクリストフが二人いっしょのところへ出会うと、彼らはちょっと会釈をしながら、当惑そうな様子で立ち止まりもしないで通り過ぎた。それに反して、幾年となく口もきき合わなかった人たちが、突然接近し合っていた。ある夕方、オリヴィエはクリストフを窓ぎわに呼んで、黙って下の庭をさし示した。そこには、エルスベルゼ兄弟がシャブラン少佐と話していた。
クリストフは、人々の精神の中に起こった革命に驚くだけの余裕がなかった。彼は自分のことでいっぱいになっていた。彼は心が転倒して、自分でどうにも押え得なかった。クリストフよりいっそう心乱れるはずのオリヴィエのほうが、いっそう落ち着いていた。オリヴィエ一人だけが感染を受けていないらしかった。近く起こるべき戦争にたいする期待と、予想せずにはいられない国内の分裂にたいする恐れとに、彼はすっかり気圧《けお》されてはいたけれど、早晩戦いを始めようとしてる二つの相反する信念が、共に偉大なものであることを知っていた。そしてまた、人類の進歩のための経験場となるのはフランスの役目であること、すべて新しい観念が花を開くためには、血で注がれなければならないこと、などをも知っていた。が彼自身としては、その白兵戦に加わることを拒んでいた。この文明の格闘のなかで彼は、「私は愛のために生まれました、憎みのために生まれたのではありません、」というアンチゴーネの銘言を繰り返したがっていた。――愛のために、そして、愛の別形である叡智《えいち》のために、生まれたのだった。クリストフにたいする情愛からだけでも、彼はおのれの義務を明らかに示された。幾百万の人々が憎み合おうとしてるときにさいして彼は、自分とクリストフとのような二つの魂の義務ならびに幸福は、この擾乱《じょうらん》のうちにおいてたがいに愛し合い完全な理性を保持することだと、感じていた。一八一三年にドイツをフランスへ飛びかからしめたあの解放的|憎悪《ぞうお》の運動に、加わることを拒んだゲーテのことを、彼は思い起こしていた。
クリストフはそれらのことを感じてはいたが、少しも落ち着けなかった。彼はドイツから言わば脱走してきて、ドイツへ帰れない身であり、老友シュルツがあこがれてるあの十八世紀の偉大なドイツ人らがもっていたヨーロッパ的思想に育てられ、軍国的で営利的な新しいドイツの精神を軽蔑《けいべつ》していたけれど、それでもなお、熱情の突風が心中に起こるのを感じた。その突風からどの方面へ吹きやられるか自分でもわからなかった。彼はそのことをオリヴィエに言いはしなかった。しかし諸種の報道に気を配りながら苦悩のうちに日々を過ごした。ひそかに仕事を取りまとめ行李《こうり》を整えていた。もう理屈を言わなかった。今は彼の力に及ばないことだった。オリヴィエは友の心中の戦いを察して、不安の念でその様子をうかがっていた。あえて尋ねかねていた。二人は平素よりなおいっそう親しくなりたかったし、今までより以上に愛し合っていた。しかし話をし合うことが恐れられた。二人を引き離すような思想の違いを見出しはすまいかと、びくびくしていた。しばしば二人は視線を合わしては、やがて永久に別れんとする者のように、気づかいな情愛を浮かべながら見合わした。そして胸迫る思いで口をつぐんでいた。
それでも、中庭の向こうに建てられてる家の屋根の上では、この悲しむべき日々の間、驟雨《しゅうう》の下で、職人どもが最後の金槌《かなづち》を打ち納めていた。クリストフと知り合いの饒舌《じょうぜつ》な屋根職人は、遠くから笑いながら彼に叫んでいた。
「そら、また家ができ上がりましたぜ。」
暴風雨は、幸いにも、襲ってきたときと同じく速やかに過ぎ去った。官房の非公式な報道は、晴雨計のように、天気の回復を告げた。新聞紙の荒犬は、また犬小屋の中に潜んだ。暫時《ざんじ》のうちに人々の魂の張りはゆるんだ。夏の晩だった。クリストフは息を切らして、吉報をオリヴィエにもたらしてきた。彼はうれしそうに大きく呼吸をしていた。オリヴィエは微笑《ほほえ》みながらもやや悲しげに彼をながめた。そして心にかかってる一事をあえて尋ねかねた。彼はただ言った。
「どうだい、意見の合わなかった人たちが皆団結したのを、君は見たじゃないか。」
「ああ見たよ。」とクリストフは上機嫌《きげん》で言った。「君たちは道化役者だ。たがいに怒鳴り合いながら、心の底では皆一致してる。」
「君はそれを喜んでるようだね。」とオリヴィエは言った。
「どうして喜ばずにおれるものか。僕に対抗してなされた団結ではあっても……。なあに、僕のほうにも十分力はある……。それにまた、僕たちを巻き込む流れ、心のうちに眼覚《めざ》めてくる悪魔、それを感ずるのはうれしいことだ。」
「僕にはそれが恐ろしいのだ。」とオリヴィエは言った。「僕には永久の孤立のほうが望ましい、わが民衆の団結があんな代価を要するのなら。」
二人は口をつぐんだ。そしてどちらも、心を乱してる問題に触れかねた。がついにオリヴィエは思い切って、喉《のど》をつまらしながら言った。
「うち明けて言ってくれたまえ、クリストフ、君は帰国するつもりだったのか。」
クリストフは答えた。
「そうだ。」
オリヴィエはその返辞を予期していた。それでもやはり心に打撃を受けた。彼は言った。
「クリストフ、そんなことが君に……。」
クリストフは額《ひたい》に手をやった。そして言った。
「もうそのことを話すのはよそう。もう僕はそのことを考えたくないのだ。」
オリヴィエは悲しげに繰り返した。
「君は僕たちと戦うつもりだったのか。」
「それは僕にもわからない。そんなことは考えたことがない。」
「しかし君は心の中で決心していたじゃないか。」
クリストフは言った。
「そうだ。」
「僕を敵として?」
「君をではけっしてない。君は僕の味方だ。僕がどこに行こうと、君は僕といっしょなんだ。」
「しかし僕の国を敵としてだろう?」
「自分の国のためにだ。」
「それは恐ろしいことだ。」とオリヴィエは言った。「僕も君と同じに、自分の国を愛している。わが親愛なるフランスを愛している。しかしそのフランスのために、自分の魂を殺し得ようか? フランスのために自分の本心にそむき得ようか? それはフランスにそむくことと同じなのだ。憎悪《ぞうお》の念なしに憎んだり、憎悪の狂言を本気で演じたりすることが、どうして僕にできよう? 近世の国家は、理解し愛するのを本質とする精神上の自由な教会を、その青銅の掟《おきて》に結びつけたと称することにおいて、忌むべき罪悪――やがてみずからを倒すべき罪悪――を犯したのだ。シーザーはシーザーたるべきであって、神たらんとしてはいけない。われわれの金や生命を奪うことはできようが、われわれの魂にたいしては権利をもってはしない。われわれの魂に血を塗るの権利はない。われわれが生まれ出たのは、光明を広めるためであって、光明を消すためにではない。人は各自に義務をもっているのだ。もしシーザーが戦争を欲するならば、戦争をするための軍隊を、戦争を職務とする昔どおりの軍隊を、もつがいい。僕は何も、武力にたいするいたずらな愚痴をこぼして時間を空費するほど馬鹿ではない。しかし僕は武力の軍隊に属してる者ではないのだ。僕は精神の軍隊に属してるのだ。幾千の同胞とともにそこでフランスを代表してるのだ。シーザーが土地を征服したければするがいい。われわれは真理を征服するのだ。」
「征服するためには、」とクリストフは言った。「打ち克《か》たなければいけない、生きなければいけない。真理というものは、洞窟《どうくつ》の壁から分泌《ぶんぴつ》される鍾乳石《しょうにゅうせき》のように、頭脳から分泌される堅い独断説ではない。真理とは生にほかならない。それを自分の頭の中に求むべきではない。他人の心の中に求むべきだ。他人と結合したまえ。自分の欲することをなんでも考えるのはいいが、しかし毎日人類の湯につかりたまえ。他人の生に生きてその運命を堪え愛することが、必要なのだ。」
「われわれの運命は、われわれが本来あるべきものになるということだ。たとい危険が伴おうとも、われわれが何か考えたり考えなかったりするのは、われわれ自身の力でどうにでもなることではない。われわれは文明のある段階に達してるので、もうあとに引き返すことはできない。」
「そうだ、君たちは文明の高台の先端に達している。そこまで達した民衆はみな下に身を投じたくてたまらなくなる、危険な場所なのだ。宗教と本能とが君たちのうちでは衰えてしまってる。君たちは知力だけになっている。危《あぶな》い瀬戸ぎわだ。死が来かかっているのだ。」
「死はどの民衆にもやってくる。それはただ世紀の問題だ。」
「君は世紀を馬鹿にするつもりなのか。生全体が時日の問題じゃないか。過ぎ去る各瞬間を抱きしめないで、絶対的なもののうちにはいり込むとは、君たちもよほど馬鹿げた抽象家なんだ。」
「しかたないさ。炎は松明《たいまつ》を燃やし去ってゆく。人は現在と過去とに共に存在することはできないからね、クリストフ。」
「現在に存在しなければいけない。」
「過去にある偉大なものであったということも、りっぱなことだ。」
「それは現在にもなお生きた偉大な人々があってそのことを鑑賞するという条件でこそ、りっぱなのだ。」
「それでも、今日つまらなく生きてる多くの民衆のようであるよりも、死んだギリシャ人であることのほうを、君は好みはしないのか。」
「僕は生きたるクリストフでありたい。」
オリヴィエは議論するのをやめた。答え返すべきことが少ないからではなかった。議論に興味がないからだった。その議論の間彼はただクリストフのことばかり考えていた。彼は溜息《ためいき》をつきながら言った。
「君は僕が君を愛してるほどには僕を愛してくれないんだね。」
クリストフはやさしく彼の手をとった。
「オリヴィエ、」と彼は言った、「僕は君を自分の生以上に愛してるのだ。しかし許してくれたまえ、生以上には、両民族の太陽以上には、君を愛していないのだ。君たちの誤った進歩に引きずられて闇夜《やみよ》の中に陥るのが、僕は恐ろしいのだ。君たちのあらゆる思い諦《あきら》めの言葉の下には、深淵《しんえん》が潜んでいる。しかし行動のみが、たとい殺害的行動でさえ、唯一の生きてるものだ。われわれはこの世において、焼きつくす炎かあるいは闇夜か、その一つを選ぶばかりである。薄暮に先立つ夢想にはいかに愁《うれ》わしい甘さがあろうとも、僕は死の先駆者たるその平穏を望まない。無窮な空間の静けさを僕は恐れる。火の上に新たな薪束《まきたば》を投じたまえ。もっと、もっと、投じたまえ。必要なら僕をもいっしょに投ずるがいい……。僕は火が消えることを望まない。もし火が消えたら、われわれはもうおしまいだ、現存するすべてのものはもうおしまいだ。」
「僕は君のそういう声を知ってる、」とオリヴィエは言った、「それは過去の野蛮の底から来る声だ。」
彼は棚《たな》からインド詩人の書物を一つ取って、クリシュナ神の崇厳な激語を読み上げた。
奮い起《た》てよ、しかして決然と戦えよ。快楽をも苦痛をも、利得を
も損失をも、勝利をも敗北をも、すべて意に介せずして、全力をもって 戦えよ……。
クリストフは彼の手からその書を奪い取って読んだ。
……およそ何物も予に活動を強《し》うるものなく、何物も予に属せざるものなけれども、予はなお活動を捨てざるなり。もし予にして、不断|不撓《ふとう》なる活動もて、人間にその則《のっと》るべき実例を与うることなくんば、人間はみな滅び失《う》せん。もし予にして、たとい一瞬たりとも活動を止めなば、世界は混沌《こんとん》のうちに陥りて、予は人生を滅ぼすものとならん……。
「人生、」とオリヴィエは繰り返した、「人生とはなんだろう?」
「一つの悲劇だ。」とクリストフは言った。「悲劇を歓呼せんかな!」
大波は消えていった。すべての人々がひそかな恐れをいだいて急いで忘れようとした。だれももう先ほどからの出来事を覚えていないようなふうだった。それでもなおそのことを考えてるのが認められた。なぜなら、彼らは皆喜ばしい様子で、ふたたび生活に、脅かされたときに初めて全価値がわかる日常の善良な生に、心を寄せていた。ちょうど危険が一つ過ぎ去ったかのように、以前に倍加した執着を示していた。
クリストフは以前に数倍した熱心さで、また制作に身を投じた。オリヴィエをもいっしょにそれへ引き込んだ。二人は陰鬱《いんうつ》な思想にたいする反動から、ラブレー風の叙事詩をいっしょに制作し始めた。その叙事詩は精神的圧迫の時期の後に来る強健な唯物主義の色を帯びていた。その伝説的な主人公――ガルガンチュア、法師ジャン、パニュルジュ――にオリヴィエは、クリストフの感化で、新しい人物を一人加えた。それはパシアンスという百姓であって、素朴《そぼく》な、小賢《こざか》しい、ずるい男で、打たれ、奪われ、勝手なことをされ――妻を愛され、畑を荒らされ、人からされるままになり――それでいて飽かずに、自分の土地を耕し――戦争にやらされ、あらゆる打擲《ちょうちゃく》を受け、人からされるままになり――主人たちの功績や自分が受ける打擲を、期待し面白がり、「このままでいつまでつづくものか」と考え、最後の蹉跌《さてつ》を予見し、それを横目でじろじろ待ち受け、無言の口を大きく開いてすでに前もって嘲笑《あざわら》っていた。果たしてある日、ガルガンチュアと法師ジャンとは、十字軍に行って行くえ不明になった。パシアンスは彼らの死を正直に惜しみ、快活にみずから慰め、おぼれかかったパニュルジュを救い、そして言った。「お前さんがわしにまだいろんな悪戯《わるさ》をすることは、よくわかってる。だけどわしはお前さんを捨てることができない。お前さんはわしの腹の役にたつ、わしを笑わしてくれるから。」
そういう詩に基づいて、クリストフは作曲した。合唱付の交響曲的大画幅で、勇壮|滑稽《こっけい》な戦争、放埓《ほうらつ》な祭礼、道化た奇声、大袈裟《おおげさ》な子供じみた喜びをもってるジャヌカン的な恋歌、海上の暴風雨、鳴り響く島とその鐘が含まっていて、最後の牧歌的な交響曲《シンフォニー》には、牧場の空気がいっぱい満ちていて、朗らかなフルートとオーボエの喜悦や、民謡などを含んでいた。――二人の友はたえず愉快に仕事をした。頬《ほお》の蒼《あお》い痩《や》せぎすのオリヴィエも、力のうちに浸っていた。彼らの屋根裏の室には喜悦の竜巻《たつまき》が吹き過ぎていた……。自分の心と友の心とをもってする創作! 二人の恋人の抱擁も、この親しい二つの魂の和合に比べては、楽しさも熱烈さも劣るであろう。二つの魂はついにすっかり融《と》け合ってしまって、同時に同じ思想の閃《ひら》めきをもつほどになった。あるいはまた、クリストフがある場面の音楽を書いてると、オリヴィエはやがてその言葉を見出していた。クリストフはオリヴィエを自分の否応なしの航路中に引き入れていた。彼の精神はオリヴィエを包み込み、オリヴィエを豊饒《ほうじょう》ならしめていた。
創造の喜びに勝利の愉快さも加わってきた。ヘヒトは思い切ってダヴィデ[#「ダヴィデ」に傍点]を出版したのだった。その総譜は時機に投じて、外国でたちまち名声を博した。ヘヒトの友人でイギリスに住んでいるワグナー派の有名な楽長が、その作品に感激した。彼は多くの音楽会にそれを演奏して、非常な成功を収め、それが彼の感激とともに、ドイツへ反響して、ドイツでも演奏された。楽長の方ではクリストフと文通を始め、他の作品を求め、尽力を申し越し、熱心な宣伝をしてくれた。ドイツでは、昔排斥されたイフィゲニア[#「イフィゲニア」に傍点]がふたたび取り上げられた。人々は天才だと叫んだ。クリストフの経歴の小説的な事情は、少なからず人の注意をひく助けとなった。フランクフルト新聞[#「フランクフルト新聞」に傍点]が初めて、反響の大きな記事を掲げた。他の新聞もそれにならった。するとフランスにおいてもある人々は、フランスに大音楽家がいることに思いついた。パリーの音楽会長の一人はクリストフに、そのラブレー風の叙事詩曲がまだでき上がらない前から演奏を申し込んだ。グージャールはクリストフの来たるべき名声を予感して、自分が発見した天才たる友人のことを、意味深げな言葉で語り始めた。そして素敵なダヴィデ[#「ダヴィデ」に傍点]を記事で賞賛した――前年ある記事で二、三行|悪罵《あくば》を加えたことなんかは、もうきれいに忘れはてていた。彼の周囲の者も一人として、もうそれを覚えてはいなかった。パリーでは、ワグナーやフランクも昔はひどくけなされたものであるが、今日では新しい芸術家らを排斥するために賞賛されており、その新しい芸術家らとて、明日は賞賛されるようになるだろう。
クリストフはこういう成功をほとんど予期していなかった。いつかは勝利を得ると知ってはいたけれど、それがこんなに早かろうとは思っていなかった。そしてあまりに急な成果を信じかねた。彼は肩をそびやかして、構わないでおいてくれと言っていた。前年ダヴィデを書いた当時に喝采《かっさい》されたのなら、訳がわかっていた。しかし今ではもうそれから遠くに来ていて、幾段もの進歩をしてるのだった。昔の作品のことを喋々《ちょうちょう》してくれる人々に、彼は好んでこう言いたかった。
「そんなつまらないもののことは構わないでくれ。僕はその作がいやだ。君たちも嫌《いや》だ。」
そして彼は、気持を乱されたことを多少いらだちながら、新しい仕事に没頭した。それでもひそかな満足を覚えていた。光栄の最初の光はきわめて楽しいものである。打ち克《か》つのは愉快な健全なものである。それは、開けゆく窓であり、家の中に入り来る初春の気である。――クリストフは、自分の昔の譜作を、そしてことにイフィゲニアを、いくら軽蔑《けいべつ》してみても駄目《だめ》だった。先年あれほど彼に屈辱を与えたその惨《みじ》めな作イフィゲニア[#「イフィゲニア」に傍点]が、ドイツの批評家らから賞賛され劇場から求められてるのを見るのは、彼にとってはやはり一つの腹癒《はらい》せだった。ちょうど今もドレスデンから手紙が来て、つぎの季節にその作の上演を許してもらえれば幸いだと……彼へ言ってきた。
多年の艱難《かんなん》の後ついに、より平安な前途と遠くに勝利とを瞥見《べっけん》させる右の報知が、クリストフのもとへ届いた同じ日に、他の一通の手紙が、また彼のもとへ到着した。
それは午後のことだった。隣室のオリヴィエへ快活に話しかけながら、顔を洗ってるところへ、門番の女が一対の手紙を扉《とびら》の下から差し入れていった。母の筆跡……ちょうど彼も母へ手紙を書くつもりだった。自分の成功を知らせるのがうれしかった……。彼は手紙を開いた。わずか数行だった。ひどく震えた筆跡だった……。
いとしき子よ、私は身体があまりよくありません。もしあなたが来られる
も のなら、も一度会いたくてなりません。あなたに接吻《せっぷん》しま
す。 母より
クリストフは呻《うめ》き声をたてた。オリヴィエはびっくりして駆けてきた。クリストフは口がきけなくて、テーブルの上の手紙をさし示した。彼はなお呻き声をつづけて、オリヴィエが言ってることを耳にも入れなかった。オリヴィエは一目で手紙を読み取って、彼を落ち着かせようとした。彼は上衣を置いてる寝台へ駆け寄って、大急ぎでそれを引っ掛け、略式カラーもつけないで――(指があまり震えてつけられなかった)――外へ出かけた。オリヴィエは階段の上で彼に追っついた。彼は何をするつもりなのか。手当たりしだいの汽車で出発するつもりなのか。でも晩にならなければ汽車はない。停車場で待つより家で待ってるほうがましだ。第一必要な金さえもってるのか。――二人はポケットを捜した。そして二人がもってる全部を集めても、三十フランばかりにしかならなかった。九月のことだったから、ヘヒトもアルノー夫妻もすべての友人らが、パリーの外に出かけていた。便りの者は一人もいなかった。クリストフは夢中になって、一部分は歩いてゆくと言った。オリヴィエは一時間待ってくれと頼み、必要な金高を見つけてくると約束した。クリストフは言われるままに任せた。自分でなんの考えもつかなかった。オリヴィエは質屋へ駆けて行った。質屋へ行くのは初めてだった。もしそれが自分のことだったら、どれも皆何かの大事な思い出を帯びてる品物を一つ入質するよりは、欠乏を我慢するほうが好ましかった。しかし今はクリストフのことであり、少しも猶予しておれなかった。彼は懐中時計を入質した。思ってたよりはるかに少ない金高を渡された。で彼は余儀なく、また自分の室にもどり、数冊の書物を取り、それを古本屋へもっていった。それは切ないことだった。しかし今の場合そんなことはほとんど頭になかった。クリストフの悲痛にすっかり心を奪われていた。もどってきてみると、クリストフは前どおりの場所にいて、がっかりしぬいてる様子だった。所持の三十フランにオリヴィエが得てきた金を加えると、必要以上の金高になった。クリストフはすっかり力を落としていたので、友人がどうしてその金を手に入れたか、また自分の不在中の生活費を取りのけているかどうかを、尋ねようともしなかった。オリヴィエもそんなことは念頭になかった。もってるだけのものをすべてクリストフに渡した。そしてまるで子供のめんどうをでもみるように、クリストフの世話をやかなければならなかった。クリストフを停車場まで連れてゆき、汽車が動き出すまでそのそばを離れなかった。
クリストフは夜の闇《やみ》の中に包まれてゆきながら、眼を大きく見開いて前方を見守り、そして考えていた。
「間に合うだろうかしら?」
母が来てくれと書いてよこした以上は、母はもう待っておれないに違いないことが、明らかにわかっていた。彼はいらだちながら特急列車の疾駆をもどかしがった。ルイザのもとを離れたことを苦々《にがにが》しく自責するとともにまた、その自責がいかほど無駄《むだ》なものであるかを感じていた。事の成り行きを変えるのは彼の力には及ばなかったのである。
そのうちに、客車の車輪と弾機《ばね》との単調な動揺は、しだいに彼を落ち着かせ、あたかも音楽から起こされる波が力強い律動《リズム》にせきとめられるように、彼の精神を支配していった。彼は遠い幼年時代の夢から現在までの全過去を、ふたたび眼の前に浮かべた。恋愛、希望、失意、悲哀、または、苦しみ楽しみ創造する、かの晴れやかな力、かの陶酔、または、自分の魂の魂であり隠れたる神である、輝かしい生とその崇高な影とを抱きしめる、かの愉悦。それらのすべてのものが今や彼のために遠くに輝き出してきた。欲望の騒乱、思想の混乱、過失、錯誤、激しい戦い、それらのものが、洋々たる流れによって永遠の目的のほうへ運ばれてゆく逆巻きや渦《うず》巻きのように、彼の眼には映った。彼は艱難《かんなん》な年月の深い意義を見出した。しだいに大きくなる河流は、各艱難ごとに、一つの障害を打ち破って、狭い谷間からより広い谷間へ出で、やがてその谷間を満たしてしまうのだった。そしてそのたびごとに、限界はさらに広がり、空気はさらに自由なものとなった。フランスの丘陵とドイツの平野との間で、その河流は牧場の上まであふれ、丘の麓《ふもと》を蚕食し、両国から来る水を集め取り入れながら、努力して自分の通路を開いていった。かくてそれは両国の間を流れたが、両国を分離せんがためにではなく、両国を結合せんがためであった。両国はこの河流のうちで縁を結んでいた。そしてクリストフは初めて、自分の天命を自覚した。それは、相敵対せる両民衆の間を通じて、両岸の生の力をことごとく、動脈のように担《にな》いゆくことであった。――異常な清朗さが、突然の静明さが、もっとも陰暗な時期において彼に現われた……。それから、幻影は消え失《う》せた。そして、老母の悲しいやさしい面影だけがまた現われた。
ようやく曙《あけぼの》の光が見えそめたころ、彼はドイツの小さな町に到着した。まだやはり逮捕令状のもとにある身分だったから、人に気づかれないように用心しなければならなかった。けれど停車場ではだれも彼に注意を向けなかった。町中は眠っていた。人家は戸が閉《し》まっており、街路は寂然としていた。ちょうど、夜の燈火が消えてゆき昼の光がまだささない灰色の時刻――眠りがもっとも楽しくて夢が東の仄《ほの》白い明るみに照らされる時刻であった。一人の小さな女中が店の雨戸を開きながら、古い民謡を歌っていた。クリストフは感動のあまり息もつけないほどだった。おう祖国よ! いとしきものよ!……彼はその地面に唇《くちびる》をつけたかった。その素朴《そぼく》な唄《うた》を聞くと、しみじみとした気持になって、祖国を離れていかに不幸だったか、いかに祖国を愛していたかを、感ぜさせられた……。彼は息を凝らしながら歩いていった。自分の家が眼にはいったときには、叫びの声を押え止めるために、立ち止まって口に手をあてなければならなかった。そこに住んでる人は、彼から一人残されてる人は、今どういう状態にあるだろうか?……彼は息をついて、ほとんど駆けるようにして戸口まで行った。戸は半ば開いていた。押しあけて中にはいると、だれの姿も見えなかった……木の古い階段が一足ごとにきしった。彼は上の階へ上がった。家じゅうに人がいないかと思われた。母の室の扉《とびら》は閉《し》まっていた。
クリストフは胸を躍《おど》らせながら、扉の把手《とって》に手をかけた。そして開くだけの力もなかった……。
ルイザは一人ぽっちで床についていて、もうこれが最後だと感じていた。他の二人の息子《むすこ》のうち、商人のロドルフはハンブルグに移っていたし、も一人のエルンストはアメリカへ行って消息不明になっていた。彼女の世話をしてくれる者と言っては、ただ隣の女が一人いるきりで、その女が日に二度ずつやって来ては、ルイザの用をしてくれ、しばらく居残っていて、それからまた自分の仕事をしに帰っていった。彼女は時間があまり正確でなくて、往々来るのも遅れがちのことがあった。ルイザは自分の病気を当然のこととしていたが、それとともにまた、人から忘れられるのも当然のこととしていた。彼女は苦しむのに馴《な》れきっていて、天使のような忍耐をもっていた。常に心臓が悪くて、ときどき息づまりがし、その間は死ぬような思いをした。眼はぼーっとうち開いて、両手はひきつり、汗が顔に流れた。でも彼女は愚痴をこぼさなかった。当然の容態だと心得ていた。もう死の覚悟をしていた。臨終の秘蹟《サクラメント》をも受けてしまっていた。気がかりなことはただ一つきりだった。すなわち天国にはいるにふさわしい者でないと神から思われはすまいかということだった。その他のことはみな辛棒強く甘受していた。
その侘《わ》びしい室の薄暗い片隅《かたすみ》に、寝所の枕頭《ちんとう》の壁面に、彼女は思い出の聖殿をこしらえていた。三人の息子《むすこ》、夫――彼女は夫の思い出にたいしてはなお初婚時代の愛情を失わないでいた――老祖父、兄のゴットフリートなど、すべて親愛な人たちの面影をいっしょに集めていた。また少しでも自分に親切を尽くしてくれた人たちにたいしては、いじらしい愛着の念をいだいていた。敷布の、顔に近いところには、クリストフから送ってきた最近の写真を針で留めていた。またクリストフの新しい手紙を枕の下に置いていた。彼女はりっぱに片付けて細かなところまできれいにしておくのが好きだった。室の中がすっかり整っていないと気持が悪かった。彼女は一日のいろんな時刻を示してくれる戸外のかすかな物音に興味をもっていた。もう長い前からそれを聞きなれていたのである。彼女の一生はその狭い場所の中で過ごされたのだ……。彼女はよく大事なクリストフのことを考えていた。今自分のそばに彼がいたらと彼女はどんなに望んでいたろう! けれども彼が今自分のそばにいないということをも、彼女はもうあきらめていた。天で彼に会えると信じていた。眼をつぶりさえすればもう彼の姿が浮かんできた。彼女はうつらうつらと過去の思い出のなかに日々を過ごした……。
彼女はライン河畔の昔の家にいるところを思い浮かべた……。ある祝日……ある美《うる》わしい夏の日、窓は開いていた。白い大道の上に太陽の光が輝いていた。小鳥のさえずる声が聞こえていた。メルキオルと祖父とが扉《とびら》の前に腰をおろして、大声に談笑しながら煙草《たばこ》を吹かしていた。ルイザにはその二人の姿は見えなかった。けれど、その日夫が家にいることや、祖父が上|機嫌《きげん》であることなどが、非常にうれしかった。彼女自身は下の室にいて、食事の支度をしていた。りっぱな御馳走《ごちそう》だった。彼女はそれを自分の眼の玉ほど大事に見守っていた。びっくりするようなものがあった。大栗《おおぐり》の菓子があった。子供がさぞ喜びの声をたてるだろうと、聞かないうちから楽しんでいた……。子供、彼はどこにいるのかしら? 階上《うえ》にいるのだった。その音が聞こえていた。ピアノを稽古《けいこ》していた。何をひいてるのか彼女にはわからなかった。けれど、そのいつもの小さな妙音を耳にしたり、子供がそこにごくおとなしくすわってるのがわかったりするのが、彼女にはうれしかった……。なんという美《うる》わしい日だろう! 馬車の陽気な鈴音が道を通っていた……。ああ実にいい! そして焼き肉は? 窓から外を見てる間に焦げやしなかったかしら。ごく好きではあるがまた恐《こわ》くもある祖父から、怒られ叱《しか》られはすまいかと、彼女はびくびくしていた……。が仕合わせにも焼き肉は無事だった。そら、すっかりでき上がったし、食卓も整った。彼女はメルキオルと祖父とを呼んだ。彼らは威勢よく返辞をした。それから子供は?……もうひいていなかった。先刻からピアノの音はやんでいたが、彼女は気がつかないでいた……。「クリストフ!」……どうしてるのだろう? なんの音も聞こえなかった。いつも彼は食事に降りてくるのを忘れがちだった。父がまた怒鳴りつけるかもしれなかった。彼女は大急ぎで階段を上がっていった……。「クリストフ!」……返辞がなかった。彼女は彼の勉強室の扉《とびら》を開いてみた。だれもいなかった。室は空《から》だった。ピアノには蓋《ふた》がしてあった……。彼女は心配になった。彼はどうなったのかしら? 窓が開いていた。あ、落ちたのじゃないかしら!……彼女ははっとした。身を乗り出してながめてみる……。「クリストフ!」……どこにもいない。彼女は方々の室を見て回る。下から祖父が大声に言っている。「おいでよ、心配することはない。きっとあとから出て来る。」彼女は降りて行きたくない。彼がその辺にいることはわかっている。冗談に姿を隠して、母を心配させようとしてるのだ。ほんとに悪戯《いたずら》っ児《らこ》だこと!……そうだ、もうそれにきまっている。床板がきしった。扉《とびら》の向こうにいるのだ。けれど鍵《かぎ》がない。鍵! 彼女は引き出しの中のたくさんの鍵のうちから、大急ぎでそれを捜そうとする。これかしら、こちらかしら……いや、これではない……ああとうとう見つかった!……だが錠前の中に差し込めない。手が震えてる。彼女はあせる。急がなければならない。なぜ? それは彼女にもわからない。ただ急がなければならないことだけわかってる。急がなければ間に合わないだろう。扉の向こうにクリストフの息が聞こえてる……。ああこの鍵が!……ついに扉が開く。うれしい叫び声。彼だ。彼は彼女の首に抱きつく……。ああこの、悪戯《いたずら》な、よい、かわいい児!……
彼女は眼を開いた。彼がすぐ前にそこに立っていた。
先ほどから彼は、変わりはてた彼女をながめていた。痩《や》せはてかつ脹《は》れぼったいその顔、諦《あきら》めの微笑をさらに痛ましくなしてるその無言の苦悩、それから、静けさ、周囲の寂寞《せきばく》さ……。彼は心を刺し通される心地がした……。
彼女は彼を見た。別に驚きはしなかった。えも言えぬ微笑を浮かべた。彼女は腕を差し出すことも言葉をかけることもできなかった。彼は彼女の首に抱きついた。彼は彼女を抱擁し、彼女も彼を抱擁した。太い涙が彼の頼《ほお》に流れた。彼女はごく低く言った。
「ちょっと待って……。」
彼は彼女が息づまってるのを見てとった。
二人は身動きもしなかった。彼女は両手で彼の頭を撫《な》でていた。彼の涙はなお流れつづけた。彼は顔を蒲団《ふとん》に埋めてすすり泣きながら、彼女の手に接吻《せっぷん》した。
苦しみが過ぎ去ると、彼女は口をきこうとした。しかし言葉が見つからなかった。彼女は思い違いをしていた。そして彼にはよく訳がわからなかった。しかしそれがなんだろう? 二人は愛し合っており、たがいに見合っており、たがいに触れ合っているのだった。それこそ肝要なことだった。――彼女はどうして一人ぽっちにされてるのか、彼は憤慨して尋ねた。彼女は世話をしてくれてる女を弁護した。
「あの人はいつもここに来てるわけにはゆきません。自分の仕事があるんですから……。」
すべての音《おん》をはっきり出せない切れ切れの弱い声で、彼女は急いで、墓のことについて少し注文をした。それから、母を忘れてる他の二人の息子《むすこ》へも、自分の愛情を伝えてくれとクリストフに頼んだ。オリヴィエのことについても一言いい残した。彼女はクリストフにたいするオリヴィエの愛情を知っていた。オリヴィエへ祝福を送る――(彼女はすぐにおずおず言い直してもっと謙遜《けんそん》な言葉を用いて)――「敬意をこめた愛情」を送る旨を、伝えてほしいとクリストフに頼んだ……。
彼女はまた息が詰まった。彼は彼女をささえて寝床の上にすわらせた。汗が顔に流れていた。彼女は微笑《ほほえ》もうとつとめていた。息子《むすこ》に手をとられてる今ではもう世に望みのこともないと、心に思っていた。
クリストフは突然、自分の手の中で母の手が痙攣《けいれん》するのを感じた。ルイザは口を開いた。彼女は限りないやさしさで息子をながめた。――そしてこの世を去った。
その日の夕方、オリヴィエがやって来た。彼は自分がしばしば経験したことのあるそういう悲痛なおりに、クリストフを一人きりにしておくことが、考えても堪えられなかった。それにまた、友がドイツにもどると危険な身の上であることをも、非常に気づかった。彼は友の身を警戒しに行きたがった。しかしそこまで行くだけの金がなかった。クリストフを送っていった停車場から帰ってきて、彼は家に伝わってる多少の宝石を金に代えようと決心した。もう質屋はしまってる時刻だし、つぎの汽車で出発したくはあったので、町の骨董《こっとう》屋へ行こうとした。すると階段でモークに出会った。モークは彼の考えを聞くと、なぜ自分に話してはくれなかったかと心からの恨みを示した。必要な金高を無理に受け取らした。自分が喜んで二人の世話をしたがってるのに、オリヴィエは時計を入質し書物を売ってクリストフの旅費をこしらえたと考えると、うらめしかった。そして二人の助けとなりたい熱心のあまりに、自分をもクリストフのもとへ連れて行ってくれと言い出した。それを思い切らせるのにオリヴィエはたいへん骨が折れた。
オリヴィエが来たことは、クリストフのためによかった。クリストフはその一日を、永眠してる母と二人きりで失望落胆のうちに過ごした。世話をしてくれてた隣の女が来て、多少のめんどうをみてくれ、それから帰っていって、もうふたたび姿を見せなかった。事もない痛ましい静寂のうちに、時が過ぎていった。クリストフも死者と同様に身動きをしなかった。死者から眼を放さなかった。涙も流さず、考えもせず、彼自身が死者だった。――オリヴィエによってなされた友情の奇跡がふたたび彼のうちに涙と生命とをもたらした。
勇気をもてよ! 生は苦しむの価値あり、
共に泣く忠実なる眼の存する限りは。
二人は長く抱擁し合った。それからルイザのそばにすわって、低い声で話した……。夜となっていた。クリストフは寝台の裾《すそ》のほうに肱《ひじ》をついて、幼年時代のことを思い出すままに語った。その思い出の中にはたえず母の面影が現われてきた。彼はときどき口をつぐんで、それからまた話を始めた。しまいには、疲労に圧倒され顔を両手に隠して、すっかり黙ってしまった。オリヴィエが近寄ってのぞき込んでみると、彼はもう眠っていた。そこでオリヴィエは一人で通夜した。けれど彼もまた、寝台の倚木《よりき》に額を押しあてて眠ってしまった。ルイザはやさしく微笑《ほほえ》んでいた。二人の子供の番をして夜を明かすのがうれしいようなふうだった。
朝になりかかったころ、二人は扉《とびら》をたたく音に眼を覚《さ》ました。クリストフは立っていって開いた。それは隣の指物《さしもの》屋だった。クリストフの来てることが告訴されたから、逮捕されまいと思うなら出発しなければいけないと、知らせに来てくれたのだった。クリストフは逃げるのを承知しなかった。母を今や永久に休らうべき場所へ送り届けないうちは、そのそばを離れたくなかった。しかしオリヴィエは、汽車に乗ってくれと彼に嘆願し、彼の代わりに忠実に母の見送りをすると誓った。そして無理やりに家から出かけさせた。彼が決心を翻えさないようにと、停車場までついて行った。クリストフはなお我を張って、せめて河《かわ》を見ないうちは出発しないと言った。その河のそばで、彼の幼年時代は過ごされたのであり、その高く鳴り響く反響を、彼の魂は法螺《ほら》貝のように、永久に保有してるのであった。町なかに姿を見せるのは危険ではあったけれど、彼の意志に従って町を通らなければならなかった。二人はライン河の岸に沿って行った。河は力強い平安の様子で、低い両岸の間を流れ、北海の砂浜の中に没しようと急いでいた。大きな鉄橋が霧に包まれながら、巨大な車の車輪の半分のようなその二つの橋弧を、灰色の水の中に没していた。遠くには船が靄《もや》の中に隠れて、牧場の間の屈曲した水路をさかのぼっていた。クリストフはその夢景色の中にうっとりと我を忘れた。オリヴィエはそれを引きもぎって、腕を取りながら停車場へ連れていった。クリストフはなされるままに任した。夢遊病者のようになっていた。オリヴィエは彼を発車しかけてる汽車に乗せた。そして、翌日フランスの第一の停車場で落ち合って、クリストフ一人でパリーに帰らないようにと、二人は約束した。
汽車は出た。オリヴィエは家に帰った。入り口に二人の憲兵が、クリストフの帰りを待ち受けていた。彼らはオリヴィエをクリストフだと間違えた。クリストフの逃走にはそれがかえって便利だったから、オリヴィエは急いで誤解をとこうとはしなかった。そのうえ官憲のほうでも、この間違いに失望の様子を示しはしなかった。逃走者を捜索するのに大した熱心を見せてはいなかった。クリストフの出発を内心では別に怒っていないことが、オリヴィエにさえ感ぜられた。
オリヴィエは翌朝まで居残って、ルイザの葬式を済ました。クリストフの弟である商人のロドルフが汽車の間の時間だけ葬式に列した。この尊大な男は、ごく几帳面《きちょうめん》に葬式の列に加わったが、そのあとですぐに出発してしまって、オリヴィエへ向かって一言も、兄の消息も尋ねなければ、母のために尽くしてくれた礼も言わなかった。オリヴィエはなお数時間町で過ごした。町には、生きてる者で彼の知人は一人もいなかったが、多くの親しい故人の影が宿っていた。少年クリストフ、クリストフが愛してた人々、クリストフを苦しめた人々――それから、なつかしいアントアネット……。この土地に生きてたそれらの人々から、今はもうなくなってるクラフト家の一家から、何が残っていたか? 一外国人の魂の中にある彼らにたいする生きた愛情、そればかりであった。
その午後、待ち合わせる約束の国境の停車場で、オリヴィエはクリストフに出会った。それは木立深い丘の間の小村だった。二人はパリー行きのつぎの汽車をそこで待たないで、道中の一部をつぎの町まで徒歩で行くことにきめた。彼らは二人きりになりたがっていた。遠くに斧《おの》の鈍い音が響いてる黙々たる森の中を、彼らは歩きだした。丘の頂の空地に達した。眼下には、なおドイツ領である狭い谷間に、森番人の家の赤い屋根、森中の緑の湖水のような小さな牧場。周囲には、靄に包まれた青黒い森林の大洋。霧が樅《もみ》の枝葉の茂みの中にすべり込んでいた。透き通った霧の帷《とばり》が、物の線を柔らげ色を柔らげていた。すべてがじっとして動かなかった。人の足音も声も聞こえなかった。秋に熟した橅《ぶな》の金銅色の葉の上に、雨の雫《しずく》が音をたてていた。石の間には、小さな流れの水が鳴っていた。クリストフとオリヴィエは立ち止まって、もう身を動かさなかった。各自に自分の喪の悲しみに思いをはせていた。オリヴィエは考えていた。
「アントアネット、あなたはどこに居るのか?」
クリストフは考えていた。
「母がいない今となっては、成功も何になろう?」
しかし二人ともおのおの、死者の慰藉《いしゃ》の言葉を耳にした。
「かわいいお前、私たちのことを嘆いてはいけません。私たちのことを考えてはいけません。彼のことをお考えなさい……。」
二人は顔を見合わした。そしてどちらも、もう自分の苦しみを感じないで、友の苦しみを感じた。二人は手をとり合った。朗らかな愁《うれ》いが二人を包んだ。そよとの風もないのに、霧の帷が静かに消えていった。青空がまた晴れ晴れと現われてきた。雨あがりの地面のしめやかな心地よさ……。それは情けある美しい微笑を浮かべて、両腕で胸の上に人を抱き取ってくれる、そして言ってくれる。
「休息なさい。すべてよいのだ……。」
クリストフの心は和らいできた。二日以前から彼は、なつかしい母の思い出のなかに、母の魂のなかに、すっかり生きてきたのだった。その微々たる生活――子供のいない家の沈黙のなかに、自分を打ち捨てた子供たちのことを考えながら、過ごされてきた単調な寂しい日々――安らかな信仰と、やさしい親切な気質と、微笑《ほほえ》める忍従と、利己心の皆無とをそなえてる、病身でいながら元気である憐《あわ》れな老母……それを彼はありありと思い浮かべた。それから彼はまた、自分の知ってる微賤《びせん》な魂の人たちのことをも考えた。そして今や、それらの人たちにいかに自分を近く感じたことだったろう! 幻影に駆られてる諸民族をたがいに衝突せしむる、あの殺害的狂乱の風が吹き過ぎる危急な時期のすぐあとで、あらゆる思想と人々とが猛然と取り組み合ってる火宅のようなパリーにおける、長年の困難な奮闘からのがれ出て、今やクリストフは、その逆上せる不毛な世界にたいして、その利己主義の戦いにたいして、また、自分こそ世界の理性だと自惚《うぬぼ》れながら実はその悪い夢にすぎない選良者、野心家、虚栄者、などにたいして、ある嫌厭《けんえん》の情を覚えたのだった。そして、温良と信仰と献身との純な炎に黙々と燃えてる、各民族のうちの無数の素朴《そぼく》な魂の人たち――世界の心とも言うべき人たち――のほうへ彼の愛はすべて向いていった。
「そうだ、私はあなたたちを知っている。私はついにあなたたちにめぐりあった。あなたたちは私と同じ血であり、私と同胞である。私は放蕩《ほうとう》息子のようにあなたたちのもとを去って、通りがかりの人影について行った。けれどまたもどって来た。私を迎えてほしい。私たちは死者も生者も皆一体である。私がどこへ行こうと、あなたたちはいつも私といっしょにいる。私を負《おぶ》ってくれたお母《かあ》さん、私は今あなたを自分のうちに担《にな》っている。それからあなたがた、ゴットフリート、シュルツ、ザビーネ、アントアネットあなたがたも皆私のうちにいる。あなたたちは私の富である。私たちはいっしょに歩こう。私はもうあなたたちを離れまい。私はあなたたちの声となろう。皆力を合わせて、私たちは目的地に達するだろう……。」
一条の光線が、静かに雫《しずく》をたらしてる木々の濡《ぬ》れた枝葉の間から、すべり込んできた。下のほうの小さな牧場から、幼い声が聞こえていた。三人の少女が、森の家のまわりでいっしょにロンドを踊りながら、無邪気な古いドイツの歌曲《リード》を歌ってるのだった。そして遠くから西風が薔薇《ばら》の香《かお》りのように、フランスの鐘の音をもたらしていた……。
「おう、平和、崇高な諧調《かいちょう》、解放された魂の音楽! 汝《なんじ》のうちには、悲しみも喜びも死も生も、敵同志の民族も味方同志の民族も、みないっしょに融《と》け合っている。私は汝を愛する、汝を求める、汝を自分のものとしよう……。」
夜の帷《とばり》が落ちてきた。クリストフは夢想から覚《さ》めて、オリヴィエの信実な顔を自分のそばに見出した。彼はそれに微笑《ほほえ》みかけて抱擁した。それからまた二人は、無音のまま森の中を歩きだした。そしてクリストフは、オリヴィエの先に立って道を開いて進んだ。
黙々として、ただ二人、連れもなく、
われらは前後に相並びて進みゆきぬ、
あたかもフランシスコ修道士らのごとくに……。
底本:「ジャン・クリストフ(三)」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年8月18日改版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2008年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
コメント