はしがき
コノール・マック・ネサは西歴の始めごろ、アルスタアの王であって、同時に愛蘭《アイルランド》諸王の盟主であった。ある歴史家の言に依れば、コノール王の治世はちょうどキリストが人間としてこの世に在った頃と同時だろうということである。
コノールはレッド・ブランチと名づけられた騎士の一団をつくり――これは主として史詩にのみ唄われているが、実はアーサア王のラオンド・テーブルの先駆とも云うべきものであった――彼の人格と国民の勢力に依って(彼の国民は Ultonians と呼ばれていた)愛蘭《アイルランド》全国の王となり、国内の諸国を合せて一国となし、永久に彼と彼の子孫がその上に君臨すべき希望を持っていた。
そういう希望を持ちながら、コノールは予言者の予言も神々の意志も眼中に置かなかった。長いこと計画していたことであったが、彼は残忍な卑怯な手段を以て蘇格蘭《スコットランド》のゲエル人の勇士ナイシイとその二人の弟たちを殺した、彼等の父なる勇将ウスナは在世中つねにコノールの味方であり、戦争にも平和にもいつも彼と行動を共にしていた人であったが。この劇の時代は、デヤドラとウスナの子たちの伝説に語り伝えられているデヤドラの出奔から四年ほど経った頃である。もっと明瞭な時をいえば、コノール王の大事に育てていたデヤドラ(其時代の最も美しかった婦人で、其誕生当時すでに大なる不幸が予言されてあったにも拘らず、コノールは彼女を自分の王妃とする心算でいた)をナイシイが愛し、デヤドラがナイシイを愛した為にコノールはその執念ぶかい恨を晴らすためナイシイ及びその二人の弟たちを殺してしまった、その翌年の事である。
王としてあるまじきこの不面目なる行為のため、コノールの嗣子コルマック・コンリナスは他の将軍たちと共にコノールを捨てて、王の強敵メーブ女王の軍に投じた、女王はその時中部及び西部の諸軍を率いてコノール王のアルトン国を攻めに行く中途であった。この時、勇士コナイル・カルナ及び彼の有名なる少年英雄クウフリンの二人だけはコノール王に信義を守って敵方に行かず、神々の御心に背いてまでも花々しく勇戦したのであった。
ちょうどこの時、コルマック・コンリナスは再びコノール及びレッド・ブランチ党を援けるために帰国しようと決心したのであったが、琴手《ことひき》クレーヴシンの妻に対する深い愛を捨てかねて、彼女と二人、クレーヴシンのために焼き殺されてしまった。
この劇の始まる時、コノールはデヤドラに対する癒しがたき失恋の為、また不名誉なる復讐と其結果のため、殆ど狂気になろうとしているのであるが、彼と彼の家また彼の国にこの新しい不幸が来たことをまだ知らないのである。真実のことを言えば、国の南に北に西に東に渡る血の中に愛蘭《アイルランド》の星の沈む時がもう眼の前に迫っているのであった。
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人
コノール・マック・ネサ アルスタアの王にして愛蘭《アイルランド》の大王
デュアック 聖僧《どるいど》
コエル 老いたる盲目の琴手《ことひき》
クレーヴシン 琴手《ことひき》、コナイリイ・モル王の臣
マイネ 少年
アルトン族の勇士等
(このほか舞台に見えないで)
コルマック・コンリナスと美人アイリイの焼けた死体を持って哀哭しつつ深林を通り過ぎる人々
琴ひきの唄に|合せる《コーラス》合唱隊の人々
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第一場
松と樫の茂っている森の中の空地、樹幹の際に落日の静かな火が赤く見えている。乱れた人声が、どこかよほど遠くの方に聞える。この時、髪をふり乱した狂暴な姿の男が鹿皮の衣をまとい緊皮の脛衣を着けて、あたりを見廻しながら馳け出して樹から樹へと隠れて走る。長い黒い巻毛がその不恰好な肩に乱れかかって、左腕は吊腕《うでつり》帯でつり上げ、右手は槍を持っている。彼はやがて立ち止まって一心に何かを聴く。不意に彼は槍を持上げたが又|徐《しず》かにそれを下げる、そこへ白衣を着た盲目の老人が、平たい金の輪を腰に帯び頭には樫の小枝の髪紐《かみひも》を巻き、杖にすがりながら出て来る。
コエル わしの身ぢかにおるのは誰か? わしの耳には、激《せわ》しい息づかいが聞える……人を追う者か……それとも、追われる者の息づかいのような。
クレーヴシン 聖僧《どるいど》よ、わしは他国のものだ。ここは何という土地《ところ》であろう? あなたの名は?
コエル わしは聖僧《どるいど》コエル……盲目《めくら》の老人《としより》の琴手《ことひき》コエルだ。
クレーヴシン わしも、やっぱり、琴手《ことひき》だ、聖僧《どるいど》ではないが。わしは琴手《ことひき》クレーヴシンというもの、大王コナイリイ・モルの将軍であり楽人の長《かしら》でもある。琴手《ことひき》コエル、わしは至聖所《かくれば》がほしい! 至聖所《かくれば》がほしい……はやく! はやく!
コエル だれから隠れるために?
この時入り乱れた人声前よりも高く聞えて、次第に高くなり、やが
てぱったり止む。
クレーヴシン (槍を振りながら)彼等《あれら》から隠れるために。
コエル ここにいればお前は無事だ。聞かしてくれ、クレーヴシンとかいう人、コノール大王のお子コルマック・コンリナスは今どこにおられる? コノール王がウスナの子たちを亡して、ウスナの家の誇りであったナイシイの妻デヤドラがその大なる悲しみのため死なれた今、コルマックは一度見捨てた父君をまた助ける為に、いま北に向いておかえりなさるであろうか?
クレーヴシン (あらあらしい嘲笑を以て)おう、ネサの子コノールは、まことに偉大なる王である! うつくしいデヤドラの幼い時から我が妻にしようと育て上げたのを、ナイシイが鷹のように浚《さら》うて北の国に連れて逃げた、二人は恋し合うていて王を笑うた。その後、コノール王は愛蘭《アイルランド》からアルバの国までナイシイの後を追うて行ったか? いや! コノール王はデヤドラの愛人の胸に剣を突き刺したか? 否! 三年のあいだ王は山かげの狼が遠くの羊の牧を見ているように、手も出さず待っていた……それから、王は優しい言葉でナイシイと其二人の弟の勇士たちと、美しいデヤドラまでも誘うて、尊い王者の保証を与えた……それから、ははっ! それから、剣のひびき、それから、赤い血の泉、ウスナの家は万人に対するにただ三人の勇しい戦をたたかうたのであった……それから、三人の悲しい尊い死があった……そして、デヤドラは、ああ不思議なことよ、コノールは終《つい》にデヤドラを奪《と》り得たであろうか? 否! 否! デヤドラは愛した人の側に伏して死んでしまうた、ウスナの子ナイシイの屍の側に伏して! 美しいデヤドラこそは、まことの女王だ!
コエル (杖をあげて)お前は誰か? お前は誰か? 此処には、コノール王の敵のための至聖所《かくれば》はない!
クレーヴシン (泣くような哀哭の声を高くして)わしはウスナの家の声だ、永久に、永久に、風の中になげく声だ「王者は塵に横わり、貴人は辱しめられ、強国の勇士は葦《あし》を振る剣士の如く、草をしごく槍手の如く影を追い影にあこがるる人の如くなろう!」とその声は歎いておる。(しばらく沈黙)ああ、盲人コエル、日にかけて風にかけて言う、わしは、無道にもウスナの子たちを殺した者どもを刺すための、折れた槍だ……コノール王を狂気に突き煽る槍だ!
コエル (怒って)愚かな狂人、かくさずに言え、お前はコノール王のおん子コルマック・コンリナスの怒を恐れて逃げたものではないか?
クレーヴシン (嘲り笑う)コノール王の子のコルマックか! コルマック・コンリナス! あの金髪のコルマックか! いや、いや、老人、わしは美少年コルマックの怒を恐れて逃げては来ぬ! わしばかりではない、あの美少年のコルマック、太子のコルマック、コノールの子のコルマックから逃げるものは、もう一人もありはせぬ。
コエル (怒って)なに! 王のおん子が死なれたか……人手にかかって死なれたか?
クレーヴシン (近く寄り来て、前と違った声で低く語る)老人、わしの国にもデヤドラに劣らぬうつくしい女がいた。女は、コルマックという名の……コルマック・コンリナスという名の、アルトン人を恋した。コナイリイ・モル大王は激怒されて、女の意志《こころ》を顧みず其男を国外に追い払うた、そして女を此わしに下された、わしはその女を愛して居ったが、女はわしを憎んでいた。わしは女を自分の砦に伴れて行った。が、そのコルマックという男がわしの砦に来て女を見つけ出した……そして、わしは……わしも、やっぱり、不意に砦に帰って来て、コルマックが来ておるのを見つけ出した!
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長く引く哀哭《なげき》の歌声きこえる。
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コエル 黙って! あれは何か?
クレーヴシン あれか?……あれはコルマックと美しいアイリイの死体をコノールの許に持って来る人々の哀哭《なげき》の声だ。(不意に飛び退って又高く叫ぶ)ああ盲人コエル、わしは自分の砦に火をつけた、そして二人が寝ておる寝室に赤い火焔《ほのお》が迫った時わしは笑うた……二人は死んだのだ、コルマックとアイリイが、この琴手《ことひき》クレーヴシンのうれしい死の唄につれて! 二つの焼焦げの丸木をあのなげく者どもは今になうて行く……ああ、ああ!
彼がかく叫ぶ時一本の槍が舞台を左から右に横切って飛び来る、まごい叫声きこえる――突進する人々――六人あるいは八人ぐらいの
アルトン族の勇士等叫びながら飛び来てクレーヴシンを捕える。
勇士たち 死ね、琴手《ことひき》よ!――死ね、王のおん子を殺した琴手《ことひき》クレーヴシン!
第二場
舞台の後方、月のひかりに、樹木になかば隠れた古城の壁がぼんやり
をまとい、黄金の髪紐《かざり》を頭に巻き、無言のまま樫の樹により
かかっている。王の前方に、月光の中に、少年マイネ、鹿皮の衣をつけ
て、地に横たわり王の方を見ながら、七つの孔ある蘆《あし》の笛を物
しずかに吹いている。
コノール しっ!
マイネふきやめる……。
コノール (ゆっくり進み出る)デヤドラはどこにいる?
マイネ (身じろぎもせず、和らかく笛を吹く)
コノール (徐《しず》かに進み来て、マイネのすぐ側に立って無言で彼を見下ろす)デヤドラはどこにいる?
マイネ (彼の口から笛を離して、低く長くひく哀哭《かなしみ》の声でいう)デヤドラは死なれた、うつくしいデヤドラは死なれた、死なれた!
コノール わしの夢の声もそういうておる。
マイネ デヤドラは死なれた! うつくしいデヤドラは死なれた、死なれた!
コノール (口のうちにつぶやく)智者《かしこい》デュアックは……智者《かしこい》デュアックはどこにおる? かれはこう言うた「よるの木の葉のささやきに、新しい風の最初《いやさき》の歎きの息に、波の声のなかに、嘗《かつ》てありしことは聞かれ、やがて来るべきことも知らされる」と。おう、わが心のこころ……デヤドラよ、わが恋、わが欲望《のぞみ》!
マイネ (立ち上がり無言のまま樫の樹の下に行き、樹に寄りかかり、影の中に身を置く)
コノール わがこころの心、デヤドラ! わが恋のなかの恋、すべての欲望《のぞみ》の中の一つの欲望《のぞみ》――あの静かなところにいては、ロアンのように赤いあの赤い唇から何の声も出すことは出来ないのか? この世に、王の悲哀《かなしみ》のごとき悲哀《かなしみ》はない。夢のなかの夢、わしはわが欲望《のぞみ》の達する日まで凡《すべ》ての夢を踏みにじっていた、そして其日が来た時、お前はわしの手から盗まれてしまうた。心の中を見れば、王だとて豚の守《も》りする豚飼もおなじこと、奴隷もおなじことである。うつくしいナイシイを殺したのは、わしであったか? ウスナの子たちを殺したのは、わしであったか? 日にかけて、月にかけて、わしではなかった! デヤドラの美しさがあの人たちを殺したのだ。ああ、あまりにすぐれた、痛みを覚えるほどの美しさ! わが愛の愛デヤドラ、わが悲哀《かなしみ》の中のかなしみ、わが歎きのなかのなげき! この悲しみのために、わしは老いてしまうた。いかなる偉大な王と雖《いえど》も、女の愛のためには滅びることを免れ得まい。彼女《あれ》は眠っている、眠っている、死んだのではない! わしは居室《へや》に行って呼んで見よう、美しいものよ、眼をさませ! わしだ、コノール王だ! と言って見よう。彼女《あれ》に聞えるかも知れぬ、彼女は白い両手を森のしげみにかくれる白鳩のように髪の毛の中に入れるであろう、星のような彼女《あれ》の眼をわしは見ることが出来よう、黎明《しののめ》のように蒼じろく美しい彼女《あれ》の顔も、あけぼのの水のような彼女《あれ》の唇も見ることが出来よう。彼女《あれ》は溜息するかも知れぬ。そしたら、わしの心は夏の日の草に消える風のように消えるであろう、そしてわしは笑おう、自分が全世界の王となり、むかしの代の神々の如きものとなって、その神々よりも最《も》っと偉大であることを、その神々よりも最っと偉大であることを!
マイネ (陰の中よりしずかにうたう)デヤドラは死なれた! 美しいデヤドラは死なれた、死なれた!
コノール (徐《しず》かに身をふり向けて、その声の来る陰の方を見る)ものいうたのは誰か?
沈黙。
コノール 今ものいうたのは誰か?(再び元の方に向いて)わしの心の脈の音だったか。デヤドラが死んだという者は嘘をいうておる。ウスナの子たちは死んだ。ナイシイの屍体《ちり》は、地の虫どものなかに朽ち果てよ。彼こそ王であった、王はわしではない! デヤドラが愛したのは彼であった……うつくしいデヤドラ、女の中の最もすぐれて美しいデヤドラ、わが夢、わが愛!
この時長き哀哭《かなしみ》の声きこえる。コノール頭を上げて聴
く。
コノール あれはデュアックだ。あの聖僧《どるいど》は限りない智者である。デヤドラが何処におるかあの男に教えて貰おう。わしのためには、フェリムの娘よりほかに、この世に一人の女もいらぬ。彼女《あれ》の美しさは夜《よる》生くるものの為には日中《ひる》よりもなお恐ろしい美しさだ、翼ある月の子らのためには夜《よる》よりもなお不思議な美しさだ。
樹木の枝おし分けられて背高き白髪の人左手より出て来る、白衣を
着、黄金の帯をしめ、頭に樫の葉の冠をしている。デュアック 王さま、御機嫌よろしう!
コノール わしは灰色の狼の唸り声を聞いたが、今お前はひとりで来たな。狼はどこにいる?
デュアック 狼はおりませぬ。それはただあなたのお心に映る影でございましたろう。それはただあなたのお心の悲哀《かなしみ》でございましたろう。
コノール デュアック、きかしてくれ、向うの大きな砦には誰が住んでおる?
デュアック (不思議そうに王を見て、やがて、ゆっくりという)あの砦にすむ人は、コノール王、王のお相手の人たち、王の衛兵たち、王の琴手《ことひき》と詩人たち、それから、宮中の婦人たちでございます。
コノール デュアック、お前にはあの婦人室が見えるか?
デュアック 婦人室は見えまする、コノール・マック・ネサ!
コノール ネサ……おう、わしはネサの子だ……美しかったネサの子だ。デュアックよ、わが母ネサのまだ若かった折には、あの琴手《ことひき》や詩人どものいうように、それほどに美しかったであろうか?
デュアック ネサはあまりにお美しくて、心を痛めずにお顔を見ることが出来た人は尠《すくな》かったと申します。そのお眼の中には青春《わかさ》が夢みておりました、老人どもは何時も振り返って眺めました。すべての男性に、ネサは光明《ひかり》であり火焔《ほのお》でおありなされました。
コノール わが母は、デヤドラが優しいように、優しかったであろうか? デヤドラが美しいように、美しかったであろうか?
デュアック デヤドラは、あなたがお殺しなされて、もう死なれました。
コノール (呼ぶ)デヤドラ、愛する恋びと、来てくれ! わしは此処にいる! わしは待っている!
デュアック お二人のおいでなされますあの静寂《しずかさ》の中からは、ただお二人のお名だけが、落ちる露のように、落ちてまいります。
コノール デヤドラほどに美しい女は又とあるまい。
デュアック デヤドラはウスナの子ナイシイの側に眠っておられます。
コノール (激しく)老人、お前は嘘をいう。ナイシイは死んでいる。
デュアック デヤドラは、ウスナの子ナイシイの側に眠っておられます。
コノール (気づかわしそうに)教えてくれ! 彼女《あれ》はいつ眼をさますであろう?
デュアック もう眼はおさましなさりますまい。
コノール 聖僧《どるいど》、嘘はいうな、わしは、ほんの今しがた彼女《あれ》の笑う声をきいた。月の昇る時、彼女《あれ》は森に出て来た。
デュアック もう眼はお覚ましなさりますまい。
沈黙。
デュアック コノール・マック・ネサ、お聞きなさいませ! ウスナの子たちをお殺しなされたことは、あれは悪い事でございました。あの人たちは愛蘭《アイルランド》と蘇格蘭《スコットランド》のゲエル人の中の花でございました。
コノール (不機嫌に)彼等《かれら》はもう死んでしまうた。
デュアック 彼等の若々しい美しいいさましい生命があった時よりも、死んだ彼等の方がなお恐ろしうございます。かれらの声が復讐と叫んでいます。そして凡《すべ》ての人がそれを聞いております。婦人たちは囁いております。
コノール 何をささやいておる?
デュアック 「大王コノールがだまし打ちにしたウスナの子たちほど美しい立派な男たちはない」と。
コノール 復讐を叫ぶ人々はどのような刑罰を求めておるか?
デュアック 彼等は刑罰を求めはしませぬ、ただ、王の名誉《みな》が汚されたと叫んでおります。
コノール 青年たちは何といっておる?
デュアック 彼等は「王は我々の理想の像《すがた》をほろぼした」と申しております。
コノール 詩人どもの詩《うた》の主旨《こころ》はどんなものであろうか?
デュアック 「地上の美しさはすでにうたいふるされた古歌のように過去《むかし》の物となった」と唄うております。
沈黙。
マイネ (樫の樹のかげより一声笛を吹く、そして低い声に、徐《しず》かにうたう)デヤドラは死なれた! 美しいデヤドラは死なれた、死なれた!
コノール 夢は声を出して物いうことが出来るであろうか?
デュアック 夢こそはまことに物いうことが出来ます。我々の口から出る言葉は、ただ空しい夢なのでございます。
コノール 夢……夢か。夢には倦きはてた! わしが欲しいものは愛だ――わしのなくなった愛! なくなったわしの愛!
デュアック 愛は、まことは狂気《まよい》でございます。
コノール その狂気《まよい》こそ、すべての知識よりも尊いものだ。
沈黙。
マイネ (一声二声しずかに笛を吹いて、樫の蔭よりうたう)デヤドラは死なれた! 美しいデヤドラは死なれた、死なれた!
コノール デュアックよ、夢は声を出して物いうことが出来るか?
デュアック 死んでしまうた古い智慧、風、夢――これらのものは、みな声を出して物いいます。その他《ほか》のものは、ただ混雑したつぶやき声、乱れたさけび声、そして反響《こだま》のまた反響《こだま》する声ばかりでございます。
コノール (両手を伸して、城の方を見つめながら、立っている)
デュアック あのお眼には、ただ死と美とが見える。
コノール (急に激した様子で、祈り求めるように両手を上げていう)デヤドラ、わが王妃《つま》、わが夢、わが欲望《のぞみ》! ウスナの家がわしに対してあの苦いにがい罪を犯さなかった前には、おお、婦人《おなご》の中の麑《こじか》よ、わしが自分の夢をお前の顔の光明《あかり》に照らした時、幼児のようなお前の眼には、ただ、死と美しさがあった!……ウスナの家があの苦い苦い罪を犯さなかった前には! おおナイシイよ、死んでからのお前の静かな微笑はメーブ女王の全軍の兵よりもわしには最《も》っと恐ろしい! デヤドラ、デヤドラ、お前の眼には、死と美しさがあった、わが王妃《つま》、わが夢、わが欲望《のぞみ》!
すすり泣くような声で王は膝をついてしまう、首を垂れて、上衣に
身を包むマイネ (徐《しず》かに樹のかげより進み出る。やわらかに蘆《あし》の笛をふきながら)
デュアック うたえ!
マイネ (うたう)
ひろき現世《うつしよ》にさまよえる美《うつくしさ》のほのかなる顔《おも》よ、
眼もて見るにあまりまばゆき美《うつくしさ》のやさしき顔《おも》よ、
さまよえる星がみそらより舞い墜つるところに、
そこに、ただそこに、きみがためにはしろき平和《しずけさ》あらむ。
現世《うつしよ》には、人の子のすべての夢は吹きちらさる
ひからび破れし秋の木の葉のごとくちりぢりに。
現世《うつしよ》のいずこにも、きみがためには住所《すみか》あらじ、
極みなく、遠く、
星のごとく漂いながるるきみがためには。
美《うつくしさ》と、美《うつくしさ》の面影と、神秘《ふしぎ》と、不思議《おどろき》と、
それらの夢も、おろかしくさざめく世人らは何とかおもわむ――
かれらは永劫《とわ》の雷鳴《なるかみ》のもとに
砂の如くくだかるる小さき騒音をもて叫ぶ、
ちいさき砂のごとく砕かるる騒音をもてさけぶ。
コノール徐《しず》かに立ち上がり、振りむいてマイネを見る。
コノール その詩は誰がつくったものか?
マイネ わたくしの父のまた父、レッドと呼ばれたコルマックの作ったものでございます、かれは琴手《ことひき》フェリムの子でございました。
コノール フェリム!……琴手フェリム――彼こそデヤドラの父であった。もう彼の琴は聞かれぬ。(デュアックの方に向いて)わしが青年の時分、琴手フェリムの家に行った日のことをお前は覚えているか? デヤドラの生れた夜のことをお前は覚えているか?
デュアック おぼえております。
コノール 聖僧《どるいど》の首長《かしら》カスバの予言を覚えているか?
デュアック 覚えております。カスバはその眼の前に血の海を見ました、その海は次第に陸にひろがり、大谿に溢れみなぎり、高山の背を洗い浸し、山々の峰をこえて、ゲエルの全地に鳴りとどろく赤い血の洪水となって流れおち、赤い血の海にまで流れ入ったということでございます。
コノール (不安そうに、徐《しず》かに歩き廻る)カスバは最後まで見たのであろうか?
デュアック 最後も見ました。
コノール それは夢想家《ゆめみるひと》のむなしい智慧であったのであろう。
デュアック その空しい智慧は神々の発語《みことば》でございました。夢想家《ゆめみるひと》も詩人も予言者も、みな神々の御声でございます。
コノール 智者《かしこき》カスバの最後の言葉は何であったか?
デュアック かれは言いました、日の下なる全地のなかの最も美しい国である愛蘭《アイルランド》は、日の下なる全地の中の最もかなしき国となるであろう、飢饉がその国を住家《やど》とする日まで血は国中に流れるであろうと、彼は言いました、そのためには、いつの代にも人の涙が流されるであろう、そして凡《すべ》ての智慧と美と希望はこの国に芽生え、この国は灯火《ともしび》となり、同時に暗黒《やみ》の底の暗黒《やみ》を知るであろう。しかしながら、最後の来る前に、彼女は再び立派な国となり、国民のたましいが新しく生れ変わる時、諸国はその前にひれ伏すであろう、世界の諸国に対して愛蘭《アイルランド》は死に又いき返えるであろう、そして彼女が世界の魂となるであろうと、彼は言いました。
コノール あまりに夢が多すぎる……あまりに多過ぎる!
デュアック カスバは、すべて来るべき事を見たのでございました。
コノール もし琴手《ことひき》フェリムがもう一度生れて来たら……
デュアック フェリムは訊くでございましょう、あの王の都市《みやこ》、うつくしい市のイメーン・マカは何処にある? ウスナの子たちは今どこにいる? 凡ての女の中で最も美しいデヤドラはどこにいる? レッド・ブランチの名誉はどこにあると。
コノール (心が混乱したように)レッド・ブランチ!……レッド・ブランチ! せめても、せめてものこと、レッド・ブランチだけは残っておる!
デュアック ファガスはどうなりました?……コルマック・コンリナスはどうなりました? あの二人とレッド・ブランチの三分の一の人たちはあなたから背き去りました、ウラァの族の第一の勇将ファガスと、あなたのお子の中の第一のお方、未来の王であるべきコルマック・コンリナスとが!
コノール コナイル・カルナはわしの味方だ……そしてあの驚くべき青年クウフリンも。
デュアック しかし、あの人々も神々自身も、最後の時にはどうにもなりますまい。
コノール (不意に熱情を以て)デュアック、わが子コルマックを味方にとり返してくれ、そうすればわしは何でもお前の望む物をやろう――そうだ、わが王位も惜しまぬ。凡《すべ》ての人間の中でわしはただ彼だけを愛しておる、彼だけを、あれほどに立派なけだかい美しい我が子を。彼は諸国の王となるであろう、彼だけが、ただ彼だけが我が王位をうくべき子である。
デュアック あるべく定められたことは、やがて来るでありましょう。
コノール (じっとデュアックを見つめる)コルマック・コンリナスは、わしの亡きあとの王とはなれないであろうか?
デュアック お忘れなさいましたか、王さま! コルマックはあなたに背いて起たれました。コルマックとファガスとレッド・ブランチ党の三分の一の人たちは女王メーブに味方しました、女王は全軍を集めてあなたを滅し、あなたの誇りであったイメーン・マカを滅したとおり、ウラァをも滅そうとしております。
コノール わが子、コルマック、わが子!
デュアック コルマックはあなたに言い送られました、あなたがナイシイ及びウスナの子たちになされたことの為に、ファガス・マックローイに恥をお与えなされた為に、あなたの為に世に亡き人となったデヤドラの美しさのために……ただ剣と悲しみがあると、悲しみと剣があると。
コノール (腹立しそうに苛立って)わしは構わぬ! 構わぬ! コルマックを王としよう、きけ! デュアック、わしはコルマックに使者をやり、もうわしが王位に倦き切っていると言わせよう。彼を太子として全権を与えよう。かれを全国の王とさせよう。彼こそ愛蘭《アイルランド》を救うであろう。カスバの予言もはずれるであろう。彼は大なる王となり、全|愛蘭《アイルランド》が彼を王と呼ぶことになろう。ゲエル人はみな彼を盟主と仰ぎ、彼の子孫が王位を嗣ぎ、この偉大なる王あって愛蘭《アイルランド》は始めて一国となるであろう――代々の王者の血を受けたフラァナの子、コノールの子コルマックに依って!
デュアック ああ王様、夢のなかの水泡《みなわ》を御用心なさいませ。ただ大きな波に依って愛蘭《アイルランド》は浮ぶのでありましょう。
コノール 大きな波? それは王のことではないか?
デュアック 愛蘭《アイルランド》が一国となり大国となるのは、いかなる王の力に依ってでもありません、ただ、その国民の男女《おとこおんな》の尊とさに依らなければなりません。最終《すえ》の日に、国民のすべてが王の魂を持つ時が来れば、その時、愛蘭《アイルランド》は全世界の国々の中で第一位の国となるのでありましょう。
コノール (了解せぬように)最終《すえ》の日に?……最終《すえ》の日に? お前は何の話をしているのか? コルマックは王となり、彼の子孫が彼の後を継ぐであろう。かれの妻エサには神々の血が伝っている。
デュアック (前方に屈んで、王の顔を見つめる)エサとおっしゃいますか?……まだあなたは御存じありませんか? エサは死なれました!
コノール エサが死ぬ筈はない。わしは彼女《あれ》とデヤドラと、わが妹デクテーラと、わが母ネサとで、ちょうど今夜の月の昇り方に、森の中を歩いているのに会ったばかりだ。
デュアック (独言をいう)おう、それはあるべきことかも知れぬ。月の昇る時は、死者の時刻だから。
コノール あのうつくしいエテンの女《むすめ》エサが死んだか?
デュアック エサは神々の子孫でいられますから、死にはなされませぬ、ただ其|骸《から》はネサの砦に横わって、永久に死の夢のなかにタラの山を眺めておられるのでございましょう。
コノール 希望は枯葉のようにわしのまわりに散りおちる。(間)とにかく、わしは女王メーブの陣にあるコルマックに使をやろう。もう戦いはうちどめにして、コルマック・コンリナスを王としよう。
デュアック コルマックは女王の陣にはおられませぬ。コルマックは中国の王コナイリイ・モルの城に九人の人質の一人として止まっておられます。メーブ女王は今そちらの方に兵を進めるところでございます。
コノール ファガスはネサのために王位を失《なく》した、わしはデヤドラのために王位を失《なく》した。美しいデヤドラは、もういない。もういない。わしは森に行き、山にも行って見よう。わしは夢とまぼろしに誘《さそ》われて行く、わが夢、わが欲望《のぞみ》、デヤドラ!
デュアック (ひとり言)一本の刺があって、アルトン族の王を狂気に刺しつらぬくと、あの予言は云った! 神々は遠くまで御覧なされる!
コノール (驚いて)だれだ……あれは何か?
デュアック 何も見えませぬ。
コノール (指さす)見よ!……あそこに……白い犬が……白い犬が、森の中をうろついている! すばしこく、音もさせずに――そら、首を低く下げている……何かの後を追っているのだ……あれは、ルウマックか?
森の中に反響する。
反響
ルウマック! コルマック! コルマック!
コノール (一歩退いて)なに! コルマック!……コルマックか?……わが子コルマックか?
デュアック (森の暗がりを見つめる)わたくしには犬は見えません……どこに白犬がおります?
コノール あすこに……樫の樹の下に……あれは自分が元うまれたところへ急いで帰って行く。
デュアック あれとは、誰のことでございます?
コノール コルマック、わしの子のコルマック・コンリナスのことだ。デヤドラが死んだ為に、この不幸《わざわい》がわしの身に来たのであろうか? ウスナの家からこの不幸《わざわい》がわしの身に来たのであろうか?
デュアック ウスナの家は亡びて塵に帰ってしまいました。
コノール (狂乱したように、大声でうたう)
灰いろの風が泣く、灰いろの風が泣く、灰いろの風がなく。
むねに塵をのせ、眼に塵をのせて、灰いろの風が泣く!
デュアック 犬はいなくなりました。
コノール (唇に指を当て)しっ! 風の小さい子供たちの声がお前にきこえるか……がさがさ、がさがさ、音をさせて、笑っている……風の小さい子供たちが? それとも、あれはたそがれ時に忍んで来る者どもの白いちいさい足の音か? それとも、モイルの河の波の音か……涙か、涙か、ため息か、ああ、モイルの河の暗い水の上にデヤドラの落す涙か、涙か、涙か!
デュアック デヤドラは、むかしのあなたの飼犬のいるところに、おいでなされます……ルウマックが、沈みもせぬ虧《か》けもせぬ月に吠えておるところに。
コノール (呼ぶ)ルウマック! ルウマック!
反響
コウマック! コウマック!
コノール わしの美しい子コルマック! コルマック! 来ないか! 来ないか!
琴の音きこえる。二人おどろく。
コノール 誰が、来るのか?
デュアック 誰かが、森の中からまいります。
コノール ウスナの子のナイシイが来る。毎夜、毎夜、あれが森の中を琴を弾いて歩くのをわしは聞いている。ある時は、あれは樫の樹の下に立っている。そして、あれはデヤドラを呼んでいる。
デュアック あれは、盲目《めくら》の老琴手コエルでございましょう――あの名高い女王マカを愛して、あまりに深く愛した為に、女王の手で盲目《めくら》にされたコエルでございます。美しい市《まち》、マカの都が焼け滅された時、彼だけは無事に都を脱れ出ました。彼一人ではなく、年わかい詩人や音楽師たちも彼と連れだってまいりました。もう今夜で三晩、かれらは暗闇《やみ》の中に立って、嘗《かつ》てコエルが女王マカとその美しい都を讃美した唄を、王城の前でうたっております。おききなさいませ! 今うたっております。
琴と太鼓の音。森の中からコエルの高い唄の声が聞える。
コエル (うたう)
ああ、マカの城は、よきところ、うつくしき宮殿《いえ》、
もろびとにかしずかれ、そこにマカは楽しく住む、
聖僧《どるいど》も、詩人《うたびと》も、楽人も、琴手も、騎士も、マカにかしずく
家人《しもべ》の群も多くあり、そこに、麗しく珍しき奇観《もの》多くあれど、
尊くうつくしきマカの顔ばかり珍しく美しきものは世にあらじ、
ああ髪あかきマカよ!
合唱の声大きく高く。
ああ髪あかきマカよ!
コエル (うたう)
その王城のいろは白くかがやく光石灰、
城中には、青藺《あおいぐさ》のしきもの、白き榻《とう》あり、
珍らかに柔かき絹、金の輪下げたる青衣も毛皮もあり、
黄金と玻※《はり》の戸ある君が居室《へや》は陽《ひ》のひかり輝き充てり、
ああ、日中《ひる》の女王、よるの女王、マカよ!
合唱。
ああ、日中《ひる》の女王、夜の女王、マカよ!
コエル (うたう)
みどりの門をくぐれば、赤と茶いろの羽毛《はね》もて葺《ふ》きたる屋根あり、
撃ちおとされたる無数の鳥の羽をうつくしき縞に並べたり、
内に、輝けるひろき床は壁より壁に続き、不思議なる彫刻は
銀の板にきざまれ、彫られたる剣は
交叉してかがやく、数多き宝物《たから》の主人《あるじ》、言葉すくなきマカよ!
合唱。
ああ、言葉すくなきマカよ!
コエル (うたう)
君が臥榻《しとね》はまことにうつくし、されど君が玉座はそれよりも美し、
そは、目もまばゆき黄色の金ひかり輝くひとつの椅子。
そこに君は坐して女たちの往来《ゆきき》をながめたまう、
女たちは色よき衣をつけ、幾重にも編みたる長き捲毛《かみ》を持てり。
君が家に充てる歓喜《よろこび》あれば、人に老は来らじ、
ああ、気高く厳《いつく》しく、冷たきマカよ。
合唱。
ああ、気高く厳しく冷たきマカよ。
コエル (うたう)
まことに君ときみが家には歓喜《よろこび》多くあり、
その歌うつくしく日の暖き部屋部屋には、
傷うけたる男らも眠りにおちて、心満ち足り
眠り、ゆめみてあるべし、夢さめて、ただ折ふしに
けだかく尊き君が顔を仰ぎ見るのみに心足りて。
ああ、気高き顔のマカよ!
合唱。
ああ、けだかき顔のマカよ!
コエル (うたう)
この奇観《ふしぎ》を知らむと望むものは
行けよ、わが教えしことわが云いしことのまことなるを見極め得べし。
青と黄の鳥の羽毛《はね》もて葺《ふ》かれたる彼の廊の下より
みどりの草生《くさう》ひろがりて、そこに泉あり、
水晶と宝石と湧きいづ、すべての寝台《とこ》も
水晶と黄金に飾らる
あかき髪したるマカの家には!
合唱。
あかき髪したるマカの家には!
コエル (うたう)
女王マカの楽しく住む彼の大きなる家には
人の子の望む地の上の凡《すべ》ての物備われり、
神は知りたまう、わが言葉みじかきは
われ驚嘆《おどろき》を以てこころ遠くなり、ほめことばを知らざればなり、
ただ我は云わむ、わが欲求《のぞみ》マカよ、我はきみが眼《め》の
火の中に生きて死なむ、
火の眼《まなこ》もてる人よ!
合唱高く揚がる。
ただ我は云わむ、わが夢、わが欲求《のぞみ》マカよ、きみが眼《め》の
火の中に生きて死なむ
火の眼《まなこ》もてる人よ!
コーラスこの覆唱詞《くりかえし》をくりかえす、その声だんだん
に低く弱くなる、琴と太鼓の音かすかになり、消える。コノール イメーン・マカの都は過去の夢であろうか?
デュアック 美しい市イメーン・マカは消え去った夢でございます。
風のうなる音。
コノール 風! 風! ただ、風ばかりか!
デュアック 雲が月を覆うております。王さま、あちらにまいりましょう、今夜《こよい》は夢でございます、明日《あす》が待っております、明日《あす》になれば、夢が現実《うつつ》となりましょう。
コノール 夢! 夢! ただ夢ばかり!
コノールとデュアック暗くなりかけた陰影の中に徐《しず》かに去る。砦は次第に暗くなり見えずなる。右手の暗闇の中から、マイネの横たわるあたりに、ただ一声の笛の音。
マイネ (見えないで、静かにうたう)
デヤドラは死なれた! 美しいデヤドラは死なれた、死なれた!
第三場
舞台、前におなじ。
アルトン族の軍人たち琴手クレーヴシンをつれて出る――狂暴な不具
した彼をどういう刑に処すべきかをコノール王に問うためである、彼は
の凡《すべ》てのものと合せて焼き亡《ほろぼ》してしまったのである。
コノール 委細はきいた。赦してやれ。死が何であろうぞ?
人々クレーヴシンから手をはなす。
クレーヴシン 王さま、慈悲《なさけ》は御存じありませぬか?
コノール 琴手《ことひき》、お前の生命は与《や》る。行け!
クレーヴシン ああ王さま、慈悲《なさけ》を御存じありませぬか?
コノール お前は何をのぞむのか?
クレーヴシン ウラァの王コノール、わたくしはたった一つの希望があります。
コノール 言え。
クレーヴシン わたくしは死を知りとうございます。
コノール (立上がって不思議な微笑を見せる)兄弟よ、わしも、やっぱり――わしもやっぱり、その一つの希望《のぞみ》を持っている。
クレーヴシン (驚いて)あなたが……王さまが……
マイネ (樫の樹の下に横になり、蘆《あし》の笛を一声はっきりと吹く、それから、抑揚ある哀哭《かなしみ》の声で、ゆるやかに歌う)デヤドラは死なれた! うつくしいデヤドラは死なれた、死なれた!
クレーヴシン (ひとり言をいう)ああ、今わかった! 今わかった! (王の方にゆっくりと進み出る)あの声はウスナの家の声でございます! 王様、神々は眠ってはおいでなさいませぬ。あの声は、ウスナの家の声でございます!
コノール (急に狂熱《はげしさ》を以て、今もの云った人を呪うように避けるように両腕を伸べて)この男をつれて行け! 死に!……死に! つれて行け!
クレーヴシン (勝ち誇った熱心な調子で)ああ王様、私はウスナの家の声でございます!
コノール (激しく)樫の小枝にしばれ! この男を、樫の樹で死なせよ!
軍人等 (さけぶ)死の樹へ! 死の樹へ!
かれらクレーヴシンを押えて森の中へ引いて行く。
コノール (怪しむように周囲を見る)ものいうたのは誰か? (しゃがれた囁き声で、前よりも低く)ものいうたのは誰か?
デュアック 王様、この世に行われた何のような罪悪も、風は又それを行うた人の許に持ち帰ってまいります。
コノール 風が!……風が!
デュアック 王さま、強者がその身に適《ふさ》わず行うた罪悪をば、神々は殊さらにお嫌いなされます。
コノール 強者とは誰か……わしは恋を失うた、王位を失うた、わが子も失うた、そして、すべての、すべての希望を失うた。強者とは誰のことか?
デュアック 王さま、あなたは青春《わかさ》をお殺しなされました、愛も、美も、お殺しなされました。
コノール (なげくように)生命……生命……生命は、永久に、いつでも、青春《わかさ》と愛と美を殺してしまう。
デュアック 禽獣の掟を神の掟とはお極《き》めなさいますな。ああ王様、予言はむなしい風の空しい声でございましょうか? あなたの放縦な欲望《のぞみ》のために、あなたとあなたの御子孫の上に災禍《わざわい》が来るであろうということが、むかしのむかしから、予言されてありました、それが何の甲斐がありましたろう? あなたのお耳は聾いていました。
コノール なぜ神々はこのわしばかりを追い廻したまうのであろう? わしは老人だ、わしは老人だ。
デュアック 燃えあがる火の輝きに神々は静かな地を御覧なされます、その時神々はナイシイとアイネイとアルダンの死骸を御覧なされます。彼等の墓に一つの影が立っていて夜《よる》も日《ひる》も叫んでいます――私はウスナの家である! と云って。
コノール 聖僧《どるいど》よ、この世には、わしのした行為《こと》よりほかに、青年が殺されることもないのか? 尊い名が塵に堕ちることもないのか?
デュアック あなたの欲望《のぞみ》のために、あなたは王の徳をお殺しなされました。
コノール 王の徳を?
デュアック ウスナの家の運命よりもなお恐るべきは、王の名誉《みな》の堕ちたことでございます。ナイシイの死よりもなお恐るべきは、盲目的にあなたの意志《みこころ》を行った人々の恥辱《はじ》でございます、デヤドラの死よりもなお恐るべきは、美の大なる奇観《ふしぎ》と神秘《なぞ》が滅びたことでございます、神々は呼んでおられます……コノールよ、コノールよ、お前は影のために渇き、お前の希望《のぞみ》の花はお前の口中の塵となるであろうと!
コノール (絶望したように)それも愛のためであった……愛のためであった。
デュアック そうでございました……あなた御自身の愛を愛するために。
沈黙。
コノール 悪も償い得られるものだ。
デュアック ウスナの子たちはどこにおります?
コノール 聖僧《どるいど》よ、わしはお前にいう、悪は償い得られると。わしは自分の罪悪を悔いている……自分の罪悪を悔いている。
デュアック ウスナの子たちは何処におります? 王の約束はどこにあります? デヤドラは何処におられます、この末の世にあまりに美し過ぎたあの人は? うつくしい市イメーン・マカは何処にあります? レッド・ブランチの光栄《ほまれ》はどこにあります? 王となるべきであったコルマック・コンリナスはどこにおられます? 一国となるべきであった愛蘭《アイルランド》は今どうなっております?
コノール (しゃがれ声にて)わしが王であった為に、わしが愛した為に、これほど多くの不幸《わざわい》がわしの身に来たのであろうか?
デュアック あなたが王であらせられて、王に適《ふさ》わぬ道をお選びなされた為でございます。
コノール (歎く)善は一日を生命に咲く花のようなものだ、悪は雑草のように、生命が長い、そして、育ちにそだち、育つものだ。
デュアック 王に依って行われた悪はその国全体を覆います。
コノール (愕然として、激しく云う)もう、たくさんだ! たくさんだ、聖僧《どるいど》よ! わしは聞き倦きた。わしは王だ。(剣をあげて、勇士等の方に向き、叫ぶ)アルトン族よ、眼を醒ませ! わしが王だ。わしはレッド・ブランチだ。明日《あす》、我々は進軍する。わしは、コナイル・カルナとクウフリンを連れて、お前たちの先頭に立とう。女王メーブの軍も枯葉のように散らされるであろう! 神々は勝利の剣にお従いになる! 月が新らしく変らぬ前に、ゲエルのすべての神々は我等の味方とおなりなさろう! レッド・ブランチ! レッド・ブランチ!
軍人等 (剣や槍を叩いて)レッド・ブランチ! レッド・ブランチ!
コノール 昇る日の旗をかかげよ! 昇る日の旗をかかげよ!
軍人等 昇る日の旗! 昇る日の旗!
コノール (勝ち誇って)神々は我等と共においでになる! (少し声を低くして、デュアックに向って、欣《よろこ》ばしげに)神々は我等と共においでになる。聖僧《どるいど》よ、神々を強制《むりじい》するのは人間であって、神々が人間を強制《むりじい》するものではない。
デュアック (暫らく黙して後、王の腕に自分の手を載せて)神々は人間の意志《こころ》でございましょう、善にも悪にも、神々が人間の意志《こころ》でございましょう。
コノール 聖僧《どるいど》よ、退《ど》いておれ。わしはお前の智慧にもきき倦きた。(叫ぶ)勇士たち、行け! 明日《あす》こそわしはお前等を従えて行こう――わしと、「必勝者《かつひと》」コナイルと、愛蘭《アイルランド》一の勇士クウフリンとで!
勇士等 (叫びつつ退く、彼等が行ってしまった後も、繰り返して叫ぶ声が聞える)コノール! コノール! コナイル・カルナ! クウフリン! クウフリン!
コノール (陰気な顔でデュアックを見ながら)聖僧《どるいど》、行け! わしはひとりでいたい。
デュアック それでは、まいります。しかし王様、今から後、あなたはほんとうに、まったく、ほんとうにひとりにおなりなさいましょう。
コノール (嘲るように)もう、たくさんだ。わしは王だ。わしはよい夢を見た。神々はわしと一緒にいて下さる。神々はもう忘れておしまいなすった、神々は死んだものを長くは覚えていなさるまい!
デュアック (徐《しず》かに退きながら、意味ふかく云う)神々は眠りもなさらぬ、忘れもなさらぬ。
長い間。沈黙。
コノール (一人になって、欣《よろこ》ばしそうに)わしは王だ。わしはいい夢を見た。
この時、森の中から哀哭《かなしみ》の声きこえる。王は愕《おどろ》き立って剣をあげる。
コノール 誰だ?……何ごとか?
クレーヴシン (死の樹に在って、見物には見えずに)私でございます、今死のうとしているクレーヴシンでございます。
沈黙。王は聴きながら立っている。再び長い哀哭の声。
クレーヴシン 王様、神々は眠りはなさいません!……さようなら。
コノール徐かに剣を下げる。剣は地に当って音を立てる。コノール魅せられたように立っている。
コノール (怯《お》じ懼《おそ》れた囁き声で)あれは、ウスナの家の声だ!
間。王は徐かに手を顔にあて首をうなだれる。
森の中から少年マイネ蘆《あし》の笛に悲痛な音を三声ふき、徐かに長い抑揚を以てうたう。
デヤドラは死なれた! 美しいデヤドラは死なれた、死なれた!
底本:「かなしき女王 ケルト幻想作品集」ちくま文庫、筑摩書房
2005(平成17)年11月10日第1刷発行
底本の親本:「愛蘭戯曲集 第一巻」玄文社出版部
1922(大正11)年発行
入力:門田裕志
校正:匿名
2012年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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